ものを結び、人を結び、ことを結ぶ。意志あるところに道は拓ける。

「全てが急務なのは、日本だけでなく全世界共通。『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトがスピード感を持って遂行できたことは、コロナ禍だったからだと思います。この感覚は、今後の社会にも活かすべきだと思います」と鈴木さん。

困ったときほど美味しいものを!

大阪=食の街? くいだおれの街? それならば、困ったときほどおいしいを貫く。

2020年2月より、新型コロナウイルスは、世界中に感染拡大。今なお、終息の目処は立たず、困惑する日々が続いています。

テレワーク、自粛、緊急事態宣言など、これまで経験したことのない生活は、人々から日常を奪い、それによって経済は破綻。苦難する業界は多々あるも、メディアの報道も手伝い、飲食業界がそのひとつであることは周知の通りです。

政府による保証や支援があるも、状況は店によって異なるため、一律では解決できない問題もあります。飲食店の難局は、一次産業の難局にもつながるため、出口の見えない不協和音は拡がる一方。

しかし、手放しに営業や集客を正義と見せるのは困難を極め、やはり医療現場の改善こそ急務を要します。

飲食店も応援したい、医療従事者も応援したい。何かできないか。

そんな時に立ち上がったのが、大阪を活動拠点に置く『Office musubi』代表の鈴木裕子さんです。

鈴木さんは、食を通して様々を結び、日本初のフードビジネスインキュベーター『OSAKA FOOD LAB(大阪フードラボ)』も運営。シェフや料理を通してチャレンジしたい人々の場を創造し、大阪のフードシーンに活気をもたらせている人物です。

大阪といえば、名レストラン『HAJIME』の米田 肇シェフが行った署名活動は記憶に新しく、鈴木さんは、同活動における影の立役者でもありました。

そして、同時進行していたプロジェクトこそ、今回の主である『困ったときほど美味しいものを!』だったのです。

2020年5月、「食を通して医療従事者を支援できないか」と同プロジェクトを立案。『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動させます。内容は、同機構が各飲食店より食事を買い取り、医療従事者の方々へおいしい食事を無償で届ける活動です。

「医療従事者に元気になってもらいたい。せめて、おいしい食事を食べて欲しい。そんな想いから始めた活動ですが、続けられる仕組みがないと一過性のものになってしまうと思いました。『困ったときほど美味しいものを!』は、食事を買い取ることによって飲食店への支援にもつながり、一次産業の支援にもつながります。更に、このプロジェクトは、本件だけでなく、今後起こりうる災害時などにも有用できると思っています」。

実は、立案から本格始動の間は、『Office musubi』の持ち出しで食事の買い取りを行い、医療現場へ配達。そこまでしても「早急にやるべき」だと鈴木さんは判断したのです。

「色々な方々にアドバイスをいただきながら、複数の医療機関にもコンタクトを取り、手探りから始めました。通常であれば、立ち上げまで時間がかかっていましたが、様々な機関と共にスピード感を持って遂行できたのは、コロナ禍だったからだと考えます。今やらないと間に合わない。時間をかけては意味がない。今は、そんなことが受け入れられている時期。これは社会全体として今後も活かすべきだと思います」。

その情熱は、飲食店にも連鎖。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々が参画します。

さらには、一次産業にも連鎖。

大阪だけでなく、近県へと輪は拡がり、「是非、応援したい!」、「今回のプロジェクトのために使ってください!」、「医療従事者のためなら!」と、新鮮な食材が届きます。

京都府右京区『吉田農園』の棚田米。和歌山県日高郡由良町『数見農園』の清見オレンジ、甘夏みかん、八朔。和歌山県みなべ町『なかはや果樹園』の梅干し、ミニトマト。和歌山県有田郡湯浅町『善兵衛農園』の三宝柑、和歌山県田辺市龍神村『Tofu&Botanical Kitchen LOIN(ルアン)』の豆腐、しいたけ。和歌山県和歌山市『小川農園』のフェンネル、生姜、菜の花……。

「『困ったときほど美味しいものを!』は、自分たちの想像をはるかに超えたものになっていると実感しています。大阪は、“食の街”、“くいだおれの街”と謳われていますが、それならば、困ったときほどおいしいを貫くべき。どんな時でもおいしいものを提供したい、おいしいものを食べられる街にしたい。そんな食の仕組み、インフラが今回のプロジェクトです。これで終わりではありません。まだまだこれから。大阪の食を、日本の食を、世界に結ぶために、私は活動し続けます」。

取材当日に送られてきたのは、京都府右京区『吉田農園』の棚田米。鈴木さん、シェフだけでなく、「おいしい」の裏側には様々な人の想いが込められている。

 取材後、鈴木さんのもとに送られてきた果物は、和歌山県日高郡由良町『数見農園』の清見オレンジ、甘夏みかん、八朔。主催側から支援を募るでもなく、SNSや周囲の活動を知り、自ら連絡をしてくる生産者たち。

 食材を支援していただいた生産者たちをメモし、参画するシェフとも共有。「シェフたちも、どんな生産者が作った食材なのかを理解して料理する方が気持ちは入ります。少しも無駄を出さず、使わせていただいています。本当に感謝しかありません」。

困ったときほど美味しいものを!

私は世界を目指している。それまでのことは、全て通過点。

大学時代、海外への留学経験を持つ鈴木裕子さんは、「振り返れば、あの時に私の生き方は形成されたのかもしれません」と自身を振り返ります。

アメリカはコロラド州デンバーへ。半年の留学のつもりが結局、卒業まで。その後、帰国するかと思いきや就職まで。

鈴木さん曰く、「計画型ではなく、展開型(笑)」の性格は、やや場当たり!? ライブな進路は、帰国後も続きます。

「海外での仕事を経験してきたので、英語を活かせる業務や各国へも行き来できる大手外資系に勤めました。最初は、いわゆるキャリアウーマンとしてバリバリやっている毎日に充実していましたが、ある時、ふと思ったのです。私、歯車の一部になっていないかな?と」。

一度、そう思うと後に引けなくなる性分の鈴木さんは、転職先も決めず、すぐに離職。次は、極端に人数の少ない10人以下の会社を探します。

「最後、どちらか悩んだ2社があったのですが、安定ではなく挑戦している会社を選びました。リスクを取って私も挑戦してみたかったのです」。

その中で、鈴木さんは大きな変化を感じます。

「企業名ではなく、個人名で仕事をしている方々に出会い、能力のある個人は活躍できるのだと知りました。この企業に発注したいのではなく、この人に発注したい。その経験は、今の自分の基礎になっていると思います」。

しかし、その後、業務過多と様々あり、体調を壊してしまい、離職。結婚し、働く環境から身を離れた田舎で専業主婦をしていたことも。しばしの時を経て「ゆっくりこれからのことを考えよう」と思っていた時、以前、付き合いのあった経産省より一本の連絡が。新たに発足するプロジェクトのメンバーへの誘いです。

それは、『2005年日本国際博覧会(The 2005 World Exposition, Aichi, Japan)』、通称『愛知万博』を視野に立ち上がった『グレーターナゴヤイニシアティブ』でした。

愛知県は、鈴木さんの故郷でもあります。

「今もそうですが、本当に周囲に支えられています。『グレーターナゴヤイニシアティブ』には、約2年間携わりました。その後、これからどうしようかと思っていたら……。今度は、同プロジェクトにも参画していた『JETRO(ジェトロ)』より声をかけていただき、民間アドバイザーとしてご一緒することになりました。当時の『ジェトロ』は、車や機械ばかりを取り扱い、なぜ食をやらないんだろうなと漠然に思っていました。そんな時、政府が農水産物輸出を強化していく指針を発表し、私も食を中心に海外日本誘致も取り組んでいました。そこでレストランや食関係の方々と多く出会うようになったのです。みんなピュアな人たちで、ただおいしいものを作りたい、誰かに食べてもらいたい。喜ぶ顔を見たい。そう思っているシェフや生産者の働く姿や生きる姿を見て、自分の価値観が変わりました。働くことは生きることだと思います。であれば、好きな方々とご一緒したい。時間を過ごしたい。そう思いました」。

『ジェトロ』では、約2年半勤務。シェフでもない、農家でもない、生産者でもない鈴木さんは、どうすれば食を通して社会に貢献できるのか考えます。

「これまでの経験を活かし、食専門のマーケティングならできるかも!と思いました。最初は周囲に反対されましたが、反対されるってことは誰もやってないということですし(笑)」。

反対……。誰かが良いと判を押したものに良いと言える人はいても、最初の一歩を踏み出す人がいないのは日本人特有の性格。鈴木さんにそれがないのは、豊富な海外経験が他所と大きな差を生みます。

2009年独立、2011年『Office musubi』設立。

「会社設立後、最初のお客様は2社。どちらも『ジェトロ』の時に出会った方です。実は、今でもお取り引きさせていただいています」。

あの時、感じたことが頭をよぎります。「企業名」ではなく、「個人名」として、働く、生きる、その一歩を踏み出したのです。

近年では、前述の通り、大阪市北区中津の阪急高架下に『阪急電鉄』主催の『大阪フードラボ』を運営。飲食店の開業・起業や新規事業立ち上げに必要なノウハウを習得できる「育成プログラム」や「ビジネスマッチング」の機会を提供しています。

一見、多様なイベントスペースのように見紛うも、全てに共通していることは「挑戦」。日本初のフードビジネスインキュベーターの場こそ、『大阪フードラボ』なのです。

知名度を一気に上げたのは、ニューヨーク・ブルックリンで人気の移動型ファーマーズマーケット『SMORGASBURG(スモーガズバーグ)』の誘致でした。

「何事も徹底的にやらないと気が済まない性分で(笑)。『困ったときほど美味しいものを!』は、こんな難局を迎えても、シェフの活躍する舞台を作りたかった。自分たちでも医療従事者の方々を救えるんだという自信にも繋げてほしいと思った。お店を開けない、予約がない。みんなの苦しい姿を見ていますが、待っていても先が見えるわけではありません。であれば、掴みにいくしかない。私は私で、今回のプロジェクトをきっかけに、日が当たらない部分とより向き合うことができ、学びも多かったです。どこか一遍だけを切り取ってもいけない。何に基づいて活動しているのか、発信しているのか。何に基づいて大変なのか、苦しいのか。『大阪フードラボ』も考え方は同じです。受け身ではない、挑戦したい人が集う能動的な場所。日本はガラパゴスゆえ守られてきたものはありますが、人種や国境を超えてコミュニケーションしていく仕組みや戦い方は、まだ未成熟だと感じています。日本の当たり前は世界の当たり前ではない。安心感で群れることも良くないと思います」。

世界では、ひとつの街に様々な人種が暮らし、働き、生きる環境が形成されています。ゆえに各々が生まれた国や街への文化、歴史に対しての経緯が生まれ、多様性が創造されるのです。一方、地域によっては格差社会がはっきりしている現状もありますが、それでも真っ平らに同じ目線でいられる場所があります。それは「食卓」です。

「食卓を囲めば、みんなにこやか。世界共通、おいしいものを食べて嫌な思いする人はいませんよね? 性別や役職などは取り払われ、ファーストネームで呼び合える関係すら築けてしまうこともあります。おいしいは理屈じゃない。言語を超える。食べることは生きること。それは人としての本能。原動力にもなっている」。

『Office musubi』には、ものを結ぶ、人を結ぶ、ことを結ぶなど、「結ぶ」という想いを込めていますが、実はもうひとつメッセージが隠されています。それは、あえて大文字で記した頭文字の「O」と「musubi」を合わせた「おむすび」です。

「日本の食を世界に発信したいところから始まっているので、何かそれを彷彿させるネーミングにしたくて。私にとって日本の食といえばおむすび。実際、私の会社名は外国で“オムスビ”と呼ばれます。その時におむすびの説明をしてあげると会話も弾みますし、おむすびを通して、日本の文化や郷土を伝えてあげることもできる。もちろん、ご一緒する方々とは、実を“結ぶ”までやり遂げたいです」。

好きに勝るものはない。夢中に勝るものはない。

そんな心が鈴木さんを動かし、また周囲を動かしているのかもしれません。

食を通して挑戦する場として運営されている『大阪フードラボ』。これまで卒業した6名の中、開業できた事例もあれば、コロナ禍によって計画変更せざるを得ない事例もある。「彼らのためにも、一刻も早く日常が戻ることを願います」と鈴木さん。

『大阪フードラボ』は、大阪市北区中津の阪急高架下に位置。何もなかった場所に空間を生んだだけでなく、挑戦する人の人生も生んでいる。


Photograohs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI