滋賀県木ノ本『冨田酒造』へ。額に汗かき、己を鍛え直す。

 お米をほぐし、かき混ぜることで酸素を送り込む。高温な室内に加え、重労働な切り返しは、酒造りにおいて重要な作業。

HIDEHIKO MATSUMOTO再び酒職人として生きるために。松本日出彦の武者修業が今、始まる。

まるで蒸気機関車のような煙を吐き出している現場では、衛生管理上、身につけているヘアキャップと新型コロナウイルスによるマスク着用も手伝い、個人を認識するのは難しい。

そんな中、まるで雲の切れ間から射す光のごとく、煙の切れ間から声が射します。

「あと何分!」、「蒸しあがりの具合は!」、「量は!」、「今、何度!」。

その主は、『七本鎗』で知られる『冨田酒造』15代目蔵元の冨田泰伸(やすのぶ)氏です。

対して、スタッフたちは間髪入れずに的確な数値を返します。

「温度が全て」とは、冨田氏の言葉。

この日の仕込みは、2種。麹米と醪(もろみ)を木桶で仕込むための掛米。

「この木桶は、日出彦君と一緒に仕込んでいます」。

木桶に目を移すと、かい入れ(もろみを混ぜる作業)をしている松本氏の姿がありました。

ここでの会話も「今、何度?」、「7.5℃です」、「氷入れる?」など、温度確認。この日の気温は15℃。通常よりもやや高めだったため、木桶の温度をより冷やすか否かの議論を繰り返します。

「日本酒の温度管理にはいくつかの法則があります。例えば、今回、もろみの温度を7℃にしたいとします。もし、木桶の中が5℃であれば、2℃の差があります。その差異である2℃×4=8℃に5℃を足し、13℃のお米を入れれば7℃になります。当然、その逆も然り。お米の温度に合わせて木桶の中の温度も調整します」と冨田氏。

麹においてもそれは同様。種切りの温度は各蔵によって様々ですが、この日『冨田酒造』が合わせたのは32℃。もちろん、麹米の量に対し、種麹の量をどうするかも重要です。「お米100kgに対して種麹80gを推奨しており、今日はお米94kgなので、種麹80g×0.94=75.2gの量で種切りをします」。

この方式を瞬時に弾き出し、1℃、いや0.5℃、1g、いや0.5gの微調整を数十秒ごとに確認し合います。それを成せるのは、松本氏が見習いではないから。

「今の日出彦君には、蔵も免許もありませんが、技術や経験を失ったわけではありません。同じ酒職人としての学びも多いです。これまでの『冨田酒造』にはなかった発想の提案や一緒に酒造りをすることによって生まれる化学反応にも期待しています」と冨田氏。

「酒造りはあくまでチーム。自分のような余所者を受け入れてくださり、感謝しかありません。冨田さんとは、これまでも酒造りに関して会話することはありましたが、一緒に酒造りをすることは今回がはじめて。それが実現できたのは、今の自分に蔵がないからということと『冨田酒造』が自分にチャンスを与えてくださったから。同じ現場をご一緒させて思うことは、ただお米を洗ったり、触ったりするだけでも、その感覚をリアルタイムで意見交換できることは非常に貴重。何気ない会話の中にもみんなの考えや哲学があります。それぞれの蔵が持つ当たり前も他では当たり前でないこともしばしば。違いを共有することによって生まれる発見もあります。酒造りは、工夫の連続。当然、『冨田酒造』には『冨田酒造』のやり方があり、その酒造りに則りながら、自分は何を貢献できるのか。日々、そんなことを考えながら取り組ませていただいています」と松本氏。

引き込み、切り返し、種切り、床もみ。そして、かい入れ。額や腕には汗が滲み、体で酒造りの感覚を取り戻していきます。とはいえ、息切れや二の腕の震え、時折、天を仰ぐ姿には、ブランクを感じざるを得ません。そんな今の自分を全身全霊に受け入れているのは、松本氏自身だということは言うまでもなく、それだけ酒造りは甘くない。

そして、そんな松本氏をチームに受け入れる決断をした冨田氏をはじめ、『冨田酒造』の職人たちの懐の大きさを感じた瞬間でもありました。

「今、酒造りができないのならば、うちに来ればいい」。ただ、それだけ。

理由はひとつ。仲間だから。

熱々のお米を手でひねりつぶし、蒸し具合と温度を確認する松本氏。その行為のごとく、「ひねりもち」と呼ぶ。

この日は、木桶の温度を7℃にすべく、かい入れをするたび、温度を計り、小まめに調整をする。

松本氏と仕込む木桶。「まだ仕込みの段階ですが、これからのもろみの育て方によってどんな化学反応が起きるのか、楽しみです」と冨田氏。

「今は温度計で計れる時代ですが、昔は米の中に手を入れて肌感覚で温度を計っていた。そんな感覚は圧倒的に先人たちの方が研ぎ澄まされている」と冨田氏。「切り返しひとつ取っても酒蔵によって様々。全ての作業が勉強になります」と松本氏。

「日出彦君、お願いします」と冨田氏。シャッ、シャッとリズム良く種切りをする松本氏。

 某名言「考えるな、感じろ」よろしく、『冨田酒造』の酒造りのひとつ一つを体に刻み込む松本氏。その目は、酒職人。

HIDEHIKO MATSUMOTO本当の意味で地酒を愛する人に愛される日本酒、それが『七本鎗』。

酒造りにおいて大切な素材、それは、水と米です。

うまい地酒を作りたいのか? うまい日本酒を作りたいのか?

作り手によって味の個性は大きく変わるも、素材だけにフォーカスすれば、このどちらを目指すのかは大きな分かれ道と言ってよいでしょう。

『冨田酒造』は前者であり、『七本鎗』はその好例です。

「『冨田酒造』では、滋賀県産のお米を4種使用していますが、中でもメインは“玉栄”。全体の75%を占めています。水は、古くから蔵にある井戸水を汲み上げています。奥伊吹山系の伏流水の水質は中軟水で、我々の酒造りには欠かせない自然からの恵みです」と冨田氏。

前述、木桶の氷のくだりは、この井戸水を冷やしたものになります。

「この関係性が素晴らしい。できそうでできている蔵は少なく、本来、日本酒はそうあるべきだとも思います」と松本氏は言います。

特にお米に関しては、山田錦や五百万石などのメジャー級な酒米があるため、他府県の良質な作り手から仕入れ、うまい日本酒を作ることは可能です。しかし、『冨田酒造』が目指すのは、うまい地酒。地元のお米、地元の農家、地元のお水を使い、地元の蔵で作るからこそ意味があるのです。

「自分が蔵に戻ってきた時、実は、県産ではないお米に頼っていました。しかし、これは間違っていると思い、地酒の“地”に根ざすことをコンセプトに大きく舵を切りました。その後、ご縁をいただいた篤(とく)農家さんと今もお付き合いさせていただいています」と冨田氏。

しかし、「玉栄」は、酒造りにおいてはやや難しい品種。例えば、雑味の原因にもなってしまうタンパク質が少ない酒米にとって、「玉栄」はやや多く、一般的には好まれません。それでも「僕らの技術で補えば良い」と2001年から契約。酒造りと米作りを行う長浜市を通して、「湖北」としての地酒を発信することに務めています。

「これは、一見簡単そうに感じますが、実は非常に難しく、覚悟がないとできません。お米、農家、地域。真っ向から向き合う精神が必要とされます」と松本氏。それは、冨田氏が今にたどり着くまで何年もかかった過去を振り返れば理解できます。

「最初は、全然“玉栄”を活かせなくて。寝かせないと味が乗らなく、在庫過多の時もありました。その当時は、華やかな日本酒が流行だったので、自分の酒造りは極めて稀有で地味でした。今は勘所も掴め、早出しもできるようになりました」と冨田氏。これは、冨田氏のたゆまぬ研鑽もしかり、品質向上のために二人三脚で歩んできた農家との絆が生んだ賜物。時間と労力は、ほかの日本酒よりも何倍もかかりましたが、「湖北」でしかできない日本酒を追求し続けたからこそ生まれたのが今の『七本鎗』なのです。

「ここに来て感じたことは、まず何と言っても日本一大きな湖の琵琶湖があるということです。滋賀県のほぼ中央に位置し、約1/6の面積を占めているほど水の宝庫。標高においても120mありますが、旧街道のため、昔から水と人が密接に関わってきたことがわかります。この環境の中で育ったお米を22ヘクタールも『冨田酒造』は使っている。それは、地酒を作ることにこだわるだけでなく、田んぼを守り、それによって生態系を維持し、更には農家の雇用も生んでいます。地域の人が地域を諦めてしまったらお終いです。正しい循環のもと、正しく作られている地酒が『七本鎗』なのだと思います。それは冨田さんだからできたこと。事実、“玉栄”をメインに使用する酒蔵は、『冨田酒造』ただひとつ」と松本氏。

日本には、約1,300社(国税庁・清酒製造業の状況・平成30年度調査分)の酒蔵があると言われています。

「各蔵がそれぞれ地酒に特化すれば、日本酒はもっとおもしろくなる」とふたり。

そんな同じ未来に向かって熱く語ることができるのは、同じ蔵で同じ時間を過ごしながら酒造りをできたからかもしれません。

同じ時間、同じ場所で酒造りを共有するからこそ発見できることも多い。「今この状況をどうするかなどの議論は、一緒に酒造りをしているからこそ」とふたり。

 蒸しあがったばかりのお米。香りも豊かで艶もある。同時に、ここからスピード勝負と温度調整の戦いが始まる。「飲んだ時、グッと力強い当たりがあるも、輪郭がはっきりしているので、綺麗にサッと抜ける。それは、“玉栄”だからできる」と冨田氏。

「今も変わらず井戸から水が沸き続けている。本当に自然は偉大です。水は酒造りにおける生命線。この水が『冨田酒造』を支えているんですね」と松本氏。

「日本酒はただの液体だけではありません。環境、作り手、想いなど、酒造りを取り巻く全てがこのボトルの中には凝縮されています。酒造りの出所は、狭ければ狭い方が濃く、おもしろい。しかし、表現は広く。地域は移動できませんが、ボトルは世界中に移動できる。様々な想いがひとりでも多くの方に届けられるよう、これからも精進していきたいです」と冨田氏。

HIDEHIKO MATSUMOTOこれから何を目指すのか。何をすべきか。同士だから語り合えた。

前出の通り、日本には、約1,300社の酒蔵があると言われています。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれですが、約1,800社あった平成15年から比べると、減少傾向にある業界であることは言うまでもありません。

「言わずもがな、日本酒業界は狭い世界です。まず、蔵元でないと蔵がないことや免許取得の難しさなどもあり、新規参入のハードルが高いのです。自分は、今まさに新規参入しようとしている最中ゆえ、それを肌で感じています。ありがたいことに伝統も経験させてもらっているので、両側面から客観視し、これからの日本酒業界にとって何ができるのかを考えていければと思っています」と松本氏。

「日出彦君と話して一番印象的だったのは、外に出たからこそ分かったことや見えたことがあったということでした。ハッとさせられました。伝統はバイアスにもなりかねない。そう思いました。これは、伝統を持った人間と失った人間にしか理解できないこと」と冨田氏。

『冨田酒造』もまた、460年余年の歴史を刻む伝統的な酒蔵。その15代目蔵元の冨田氏は、家業を継ぐ前に東京のメーカーに勤務し、その後、フランスのワイナリーやスコットランドを巡った経験も持ちます。各地域で得た世界の酒造りは、今の『七本鎗』に大きな作用をもたらせたに違いありません。

そんなふたりは、これからの日本酒業界に何が必要だと感じているのか? そのひとつにタッチポイントをあげます。

 作業終了後、酒職人の表情から友人の表情に。酒造りや日本酒業界の未来についてなど、真剣な話から他愛もない話ができるのは、ふたりの関係だから。

 江戸期に建てられた酒蔵は、登録有形文化財でもある。「守るべき部分は変えず、変革する部分は果敢に挑戦している冨田さんは素晴らしいです」と松本氏。「守るべき部分で言えば、まさにこの酒蔵。建物を守ることも酒造りのひとつだと思っています」と冨田氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO全ての難局を今後に生かすために。新型コロナウイルスと青天の霹靂から得たもの。

「新型コロナウイルスによって、『冨田酒造』も大きな打撃を追いました。いかに、飲食店に寄りかかっていたのかも如実に出ました。これは反省として生かし、これまで届けられなかった場所や人にどうすれば届けられるのかを考えるきっかけにもなりました。しかし、ただ消費量を増やしたいわけでもありません。本質の伝え方を今一度考える必要があると思いました」と冨田氏。

「そんな広げ方の工夫は、これからの自分の課題のひとつだと思っています。タッチポイントを増やすということは、我々が伝える言語を相手に理解してもらえるように合わせなければいけません。自分目線ではなく相手目線になるコミュケーション能力は、これからの日本酒業界には必要だと感じています」と松本氏。

「そんな新しいポジションの確立もまた、日出彦君ならできると思います」と冨田氏。

新しいポジションの確立……。もしそれを成すことができれば、前述にある新規参入の難しさの改善にもつながるかもしれません。

また、新型コロナウイルスによる影響によって好転したことも。

「個人的には、色々立ち止まって考えるきっかけになりました。『冨田酒造』では、よりチームの結束を強くするために、様々を見える化し、コミュニケーションを深く取るようにしました。それは今なお続けており、以前以後と比べても格段に現場の空気が良くなりました。周辺環境においても美点はあり、中でも琵琶湖では数年ぶりに全層循環が確認されました」と冨田氏。

全層循環とは、湖面と湖底の水が混ざり合い、水温と酸素濃度がほぼ同じになる現象を指します。「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれるそれは、近年において発生しなかった冬もありましたが、2021年は、1月22日に確認されており、これは過去10年の中で最も早い日でもありました。

「湖底の酸素濃度が低くなると生物が生息しにくくなり、生態系にも好ましくない影響が及ぶと危惧されます。2020年より難局を迎え、各々が様々な苦悩を迎えていると思います。しかし、唯一、自然界にとっては本来の姿を取り戻したのではないでしょうか」と言う松本氏に続き、「今冬は、本当に雪がすごく降りました。自分が生まれてからこんなに寒い冬は初めてかもしれません。その豊富な雪解け水が全層循環にもつながったと思います」と冨田氏。

「地酒」にこだわる『冨田酒造』ゆえ、地域の環境問題も切実。好転を喜ぶだけでなく、今後、持続していくことも課題になっていきます。しかし、「好転したことは自然だけでありませんでした」と冨田氏は話します。

「2020年末、青天の霹靂のような知らせを日出彦君から受けました。想像を超える苦しみも味わったと思います。でも、今(2021年3月)こうして、一緒に酒造りをしている。このスピード感は、新型コロナウイルスによって、より結束力が増した時期でもあったからだと思います」。

「冨田さんをはじめ、『冨田酒造』の皆さんは、自分に生きる場所を与えてくれました。こんな自分でも、また酒造りをしていいんだと立ち上がる勇気を与えてくださいました」と松本氏。

「よしっ! では午後の仕込みを始めましょう!」。

冨田氏の号令に皆が動きます。もちろん、その群の中には松本氏の背中も。

武者修業は、まだ始まったばかり。さぁ、これからだ。

酒蔵内を右往左往。歩きながらも細かい確認作業を欠かさないふたり。どんな日本酒が生まれるのか、これから期待が高まる。

『冨田酒造』のタンクに書き込まれた松本氏のサイン。「いつの日か、こんなこともあったなぁと笑い話にできればいいな」とふたり。

住所:滋賀県長浜市木之本町木ノ本1107  MAP
TEL:0479-82-2013
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1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI