間伐材、竹林に続き、カカオ廃材! 食べることが地球のためになるサステナブルスイーツ。[LIFULL Table Earth Cuisine/東京都千代田区]

江藤氏が手掛けた「ECOLATE CARE」。こちらは“廃材らしさ”をいかに残して美味しさを追求するかに身を粉にした。Photograph:株式会社LIFULL

上妻氏が考案した「ECOLATE TABLETTE」。廃材を使いながらチョコレートらしい食感を追求した。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ「地球料理 -Earth Cuisine」第三弾のテーマはカカオ廃材。

食べることが地球のためになる。いままで目を向けられていなかった、社会問題や環境問題の要因となる素材にフォーカスし、「食べる」という新たな可能性を見出す。そして、持続可能な社会を叶える未来へ……。

そんな理念のもと2018年に動き出したのが、「地球料理 -Earth Cuisine- (アース・キュイジーヌ)」。 「あらゆるLIFEを、FULLに。」を掲げ、住生活情報サービスなどを運営する企業、株式会社LIFULLの飲食事業  「LIFULL Table」が手掛けるプロジェクトです。  2018年10月、その第一弾として「Eatree Plates」が始動し、2019年3月には間伐材を食材として使用したパウンドケーキ「Eatree Cake 〜木から生まれたケーキ〜」を発売。続く2019年9月には放置竹林をテーマにした「Bamboo Sweets -竹害から生まれた和菓子-」を発表すると、2020年2月には放置竹林の竹と笹を使用した「Bamboo Galette(バンブー ガレット) -竹害から生まれたガレット-」を世に送り出したのです。
そして、今回がその第3弾。間伐材、竹に続き、「地球料理 -Earth Cuisine-」が目を向けたのは“カカオ”でした。

イベントでは、試食に先立ち株式会社LIFULLのCCOである川嵜剛平氏が挨拶。今回のプロジェクトへの想いを語った。

フーズカカオ株式会社代表取締役の福村 瑛氏。数々の現場を見てきた福村氏の言葉にカカオが抱える問題の深刻さを思い知らされた。

会場は、虎ノ門にある『Social Kitchen』。イベントは密にならぬよう、細心の注意を払い開催された。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ差し迫るチョコレート危機。カカオは絶滅の危機にある!

カカオといえば、誰もが知っているようにチョコレートの原材料になる植物です。では、なぜそのカカオに今回焦点が当てたのか。日本人において一番身近にあるスイーツのひとつといっても過言ではないカカオ。事実、日本におけるチョコレート市場はここ10年で35%成長したというデータもあります。しかし、その一方で、問題とされているのが、原料であるカカオ生産における社会問題。大量生産・大量消費にともなう価格低迷を背景に、カカオ農家の貧困問題や児童労働といった問題が浮き彫りになり、さらには需要増による生産地拡大が環境破壊を引き起こしているといいます。それだけではなく50年ほどで収穫力が低下するというカカオ樹の高齢化、昨今の気候変動によるカカオ樹が罹る病気の脅威もあったりと、深刻なカカオ不足が叫ばれ、このままでは2050年までにチョコレートづくりに使われているカカオ豆が絶滅する可能性すらあるといわれ、いずれチョコレートが食べられなくなってしまう恐れまであるというのです。

だからこそ、「地球料理 -Earth Cuisine-」はカカオに目を向けたのです。無論、使うのは一般的にチョコレート製造に用いられるカカオマスやココアバターといったものではありません。使うのはなんと「カカオの廃材」。これまで食材として見向きもされなかった、カカオ豆の殻であり、カカオ樹の葉であり、枝なのです。
名付けて「ECOLATE」。

“カカオの廃材”を食べることで、差し迫る“チョコレート危機”に対して、カカオが抱える問題について、今一度考えてもらおうというのです。

消費者が普段見ることのない生産の現場。カカオ生産における社会的、環境的問題はいまだ多い。Photograph:株式会社LIFULL

一般的にチョコレートに使われるのはカカオマス。それ以外のおよそ70%のカカオ部位は廃棄されるという。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌカカオ廃材を使ったスイーツづくりにふたりのパティシエが挑む!

今回、「ECOLATE」を開発するにあたって、その大事なファクターを担ったのが、インドネシアの農園により今回の廃材を仕入れ、東南アジア各国のカカオ豆および製菓材料の提供などを行うフーズカカオ株式会社。代表の福村 瑛氏はこう話します。
「話を聞いて、カカオの木を食べることで未来のカカオ生態系をつくれるこのプロジェクトの可能性にとてもワクワクしました。農家さんが木や葉っぱも食品として扱い、農薬を使わずに育ててくれるとカカオ豆自体の農薬問題解決の一助にもなります。これをきっかけに『カカオの木を食べる文化』が発展することを期待しています」。

そして、今回のプロジェクトで最も大切な2人が、カカオの廃材でスイーツを開発したパティシエの江藤英樹氏と、上妻正治氏でしょう。江藤氏は『DOMINIQUE BOUCHET TOKYO』『SUGALABO』といった名店でシェフパティシエを務めた後、現在は虎ノ門『unis』でシェフパティシエを『Social Kitchen』でプロデューサーを務める人物。一方で上妻氏は『Social Kitchen』ディレクターであり、「ジャパンケーキショー」にて3度の金賞を受賞した経歴の持ち主です。
とはいえ、消費者への問題提起、さらにはサステナブルな未来を築くための一助になるという使命があるにせよ、「ECOLATE」が食品である以上、大前提に“美味しい”ことが大切であることは言うまでもありません。カカオの廃材を活かし、江藤氏、上妻氏が考案した「ECOLATE」。いったいどんなスイーツに仕上がっているでしょうか。

「ECOLATE CARRE」を手掛けた江藤氏。殻だけでなく、葉、枝を使いながらスイーツにすることに苦心した。

ひと口サイズの3種のチョコレートが楽しめる「ECOLATE CARRE」。農園の雰囲気まで目に浮かぶ味わい。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌまずは美味しいありき、江藤氏と上妻氏考案の「ECOLATE」。

まず、江藤氏が考案したのは、「ECOLATE CARRE」という3種のひと口チョコレート。茶色のキャレは、カカオ豆の殻を50%使用し、ビターな香ばしさを引き出したさっくりとした食感。江藤氏曰く「殻を細かくしすぎず、あえて粗めに残すことで、“廃材っぽさ”を感じてほしかった」といいます。キャメル色のキャレに使ったのはカカオの枝。20%の含有量で、独特の食感に“木の質感”を感じとることができます。そして、印象的だったのはモスグリーンのキャレ。こちらは、カカオ豆の殻、枝、葉を30%ほど混ぜたもの。実は、カカオの葉は伐採してそのまま地面に放っておくと、湿気がたまりカカオ樹の病害の原因にもなるそう。サクサクとしたなかにもしっとりした“やや湿度を感じる食感”には、そんなカカオ農園の姿までもイメージさせてくれました。しかも、これらのキャレには、廃材と糖分、油脂分しか使われていないというから驚きです。江藤氏も「現場には本当に殻、枝、葉そのものの状態で届くんです。それをいかにスイーツにするか。難題でしたが、『廃材でここまでできるんだ』ということを少しでも表現できれば」と話します。

次に上妻氏の「ECOLATE TABLETTE」。こちらはカカオ豆の殻の使用率を33%にまで高めながらも、チョコレートらしい滑らかな質感にこだわったと上妻氏はいいます。
「最大限のハスク(殻)の量を入れてどこに着地させるかが難しかったですね。「ECOLATE TABLETTE」には33%のハスクを使用しましたが、形状、テクスチャーは問題ありませんでした。しかし、問題は渋さだったんです」。
そこで上妻氏は、一般的な砂糖に比べ甘味の強い果糖やキビ糖などをブレンドして加え、その“渋さ”とのバランスを取ったそう。カカオとココナッツが織り成す豊かな風味、ほろ苦さと甘さのなかに、感じる絶妙な酸味のバランスに、チョコレート好きは目を白黒させることでしょう。

いずれにせよ、すごいのはカカオの廃材を使ったチョコレートながら、コンセプト重視にならず、食べてしっかりと美味しく、それでいてカカオの新たな一面をしっかりと食べ手に訴えかけてくる点。よもや廃材として捨てられていた素材が、このような素晴らしきチョコレートになろうとは思いもよらなかったのではないでしょうか。
「ECOLATE CARRE」と「ECOLATE TABLETTE」は、下記にて限定販売中。そして、ぜひ食べることで、カカオという食材の裏に隠れる社会問題に考えを巡らせてみてください。それがカカオの生産者が抱える問題を解決する一助となり、はたまた地球の未来をも守ることにもなるのですから。

上妻氏。江藤氏とともに試食中は、イベント参加者に作り手としての想いを熱心に語っていた。

「ECOLATE TABLETTE」。甘味、苦味、酸味がまさに三位一体となった味わい。テクスチャーも絶妙だ。Photograph:株式会社LIFULL

住所:東京都千代田区麹町1-4-4 1F MAP
電話:03-6774-1700
LIFULL Table HP:https://table.lifull.com/
ECOLATEの購入はこちら

辻調グループフランス校卒業。フランス・ラナプール「L’OASIS」カンヌ「villa des Lys」にて修行。「BEIGE Alain Ducasse TOKYO」にて経験を積み、「DOMINIQUE BOUCHET TOKYO」「SUGALABO」「THIERRY MARX」等、数々の名店でシェフパティシエを歴任し、2020年「unis」のシェフパティシエ「Social Kitchen」プロデューサーに就任。

東京都製菓専門学校卒業後、パティスリーキャロリーヌ、クリオロでチョコレート部門責任者を務め「Social Kitchen」ディレクターに就任。ジャパンケーキショーにて計3度の金賞受賞、World Chocolate Masters国内予選チョコレート部門1位、総合3位など受賞多数。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

暖かくなってまいりました

皆様こんにちは!
やっと暖かい日が続いてきて春になったかな?

という感じですね(・∀・)

時々暑いかも・・・という日もありますので寒暖差には気をつけましょう( ̄Д ̄)ノ


暑い日には冷たいものがおすすめで

テイクアウトのデニムソフト(*゚▽゚*)




ブルーベリー風味のラムネ味ですっきり爽やかな味わいです(о´∀`о)

食べ歩きにもオススメです!!

コンセプトの破綻、料理長交代、リニューアル……。オープン10ヶ月の、激動を経て……。[美会/東京都中央区銀座]

個室に設けられたカウンターから、ビア氏が料理のプレゼンテーションを行う。リニューアル後の新しい試みのひとつだ。

美会コロナ禍のオープン。すべてが変わった『美会』の10ヶ月。

2020年6月、銀座7丁目の路地裏に一軒のワインバーがオープンしました。店の名は『美会(びあ)』。銀座の中心にあって、夜中でも人が集えて美味しい料理と酒に出会える店。そんなコンセプトを店名に込めた店は、実に前途多難の船出となりました。オープンしたのは1回目の緊急事態宣言が解除された直後。どの飲食店にも苦しい状況は変わりませんが、こと『美会』に関しては、新型コロナウイルスの影響で店のコンセプトすら崩壊しかねない状況でした。

それでも『美会』は、確実に前を向いて進んでいきます。日本を代表する名店とのコラボ弁当の販売、アラカルトを止めコースの一本化。さらに、料理長の交代、オープン半年にして店の大胆なリニューアル、日本一予約が取れない焼鳥店として知られる『鳥しき』とのコラボランチの開始……。あらゆる手を打ち、店を存続させてきた店が、2021年3月にひとつの決断を下します。

「こんなときだからこそ、飲食店として、『美会』としてやらないといけないことがある、やるべきことがある」。

それがコンセプトの一新でした。オープンよりおよそ10ヶ月。激動の時を経て、コロナ禍だからこそ自分たちがやるべきことを突き詰めた『美会』のいまに迫ります。

ビア氏と『鳥しき』の店主・池川義輝氏。「カオマンガイ」の試作・試食を重ね、アイデアをひねり出す。

1階入り口には、オープン時に全国のレストランから届いたお祝いの札。ビア氏の愛され具合が分かる。

美会料理人の間でも愛される美食家が『美会』を開くまで。

『美会』という店を紐解くにあたり、まずこの店のオーナーの存在を知る必要があります。その人物こそ通称ビア、本名をピーラゲート・チャロンパーニッチといいます。料理人の間ではその名の知れた美食家でもあるビア氏は、タイ・バンコクの出身。幼い頃から日本の文化に興味を持ち、2006年に来日すると立命館アジア太平洋大学に入学、卒業後は日本の貿易会社、トリップ・アドバイザーでの勤務を経て、通訳や翻訳業のフリーランスとして活躍するようになります。そのビア氏に転機が訪れたのはおよそ10年前。あの『すきやばし次郎』の映画『二郎は鮨の夢をみる』がきっかけでした。ビア氏は、アメリカでも極めて高い評価を得たその映画を見た海外の友人から、こんな依頼をされたそうです。

「『すきやばし次郎』の予約をとってくれないか」

ビア氏は朝一番で並んで『すきやばし次郎』のプラチナシートを予約したといいます。すると、今度は「『鮨さいとう』が食べてみたい」「『すし匠』も行ってみたい」「『都寿司』も(移転前の『日本橋蛎殻町すぎた』)」とオファーが舞い込むようになったといいます。

「もともと自分は日本の文化が大好きで来日したんですが、いろんな店に一緒に食べにいくようになって、職人の仕事そのもの、特に寿司や日本料理の料理人の仕事に惹かれるようになったんです。自分のなかでは、はじめは“食べに行く”というより、職人さんに“会いに行く”ようなイメージ。僕のレストラン巡りはここから始まりました」。

それからおよそ10年、現在では全国の名店をめぐり、日本を代表する美食家となったビア氏。ではなぜ、そのビア氏が『美会』をオープンしたのかといえば、「それは本当に偶然だった」といいます。

ビア氏が、現在の『美会』のある物件と出会ったのは2019年12月のこと。知人から「銀座にいい物件があるんだけど、何かやってみない?」との何気ないひとことが引き金となりました。銀座といえば、ビア氏にとっても憧れの地。銀座に空いた物件の話が表に出てくること自体が珍しく、しかも、7丁目の路地裏にある一軒家という奇跡的な条件。ビア氏は考え抜いた末、この話を引き受けることにしました。

銀座といえば日本の一流の店が集まる美食街ながら、ビア氏が納得できるような、夜中まで美味しいものに出会える店は少なかった。ビア氏はそこに目をつけました。

「銀座には一流の料理人さんの友達がいっぱいいます。そんな料理人が仕事帰りに美味しい料理とお酒にありつける店にしたかったんです。夜な夜な料理人が集まってきて、みんなと一緒になってワイワイ楽しめる店にしたかった」

料理は、ビア氏ががこれまでに全国を食べ歩いて築き上げてきた、料理人や生産者とのパイプを活かし、全国の名だたる食材を使用したアラカルト。深夜でもワイン一杯から楽しむことができ、誰もが気軽に通える。いわゆる古臭い言葉ですが、味を知る大人の社交場のような店にしたかったのだそう。

2階の店内。2020年11月にリニューアルされ、よりゆったりと寛げる空間に生まれ変わった。

『美会』があるのは、コリドー街の一本裏手の路地裏。銀座の一軒家という奇跡的なロケーション。

『鳥しき』とのコラボで誕生した限定ランチメニュー「カオマンガイ」。現在は終売したが、復活を望む声も多い。

美会前途多難。皮肉にもオープン予定日は、緊急事態宣言発令日。

しかし、新型コロナウイルスがすべてを台無しにしたのです。そもそも当初予定していたオープン日が2020年4月7日。皮肉なことに、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言が発令された日でした。当然オープンは先延ばしになります。それでもビア氏には「オープンしたらなんとか客がやってきてくれるだろう」という気持ちもあったといいます。ところが蓋を開ければ、緊急事態宣言解除後も元には戻りませんでした。とりわけ、日本の他のエリアに比べても夜の銀座は、劇的に人通りが少なくなったのですから当然のことでした。それだけではありません。当初掲げたコンセプトからして、withコロナの時代には逆行するものになってしまいました。銀座の料理人が仕事終わりにワイワイ楽しめる店、深夜でも美味しい料理と酒にありつける店というコンセプトは、時短営業が余儀なくされ、密が避けられる状況では破綻しています。

さらに追い打ちをかけたのは、『美会』が新店であること。営業自粛、時短営業をしても、前年の売上実績がない『美会』には国からの協力金が支払われないのです。かさむ人件費、大きな負担になる家賃。オープン直後の6~7月は、店を開ければ開けるほど赤字になりました。迎えた9月には、今度は料理長の持病が悪化し、新たな料理長に交代することになります。当然ながらそこで料理も変更せざるを得ませんでした。

ところがこのあたりから、少しずつ『美会』の巻き返しが始まります。料理長の交代を機に、日本料理の王道をリスペクトしながら、日本全国の最高級の食材をかけ合わせた、ここでしか味わえない料理を提供するように。11月には店舗を思い切ってリニューアルすると、徐々に客足も戻ってくるようになります。そして、ビア氏は次なる一手を打ちます。

日本一予約が取れない焼き鳥店『鳥しき』とのコラボランチを始めるのです。それこそが現在の『美会』のコンセプトにも通じる「カオマンガイ」の提供でした。これがスマッシュヒットとなり、『美会』の大きな道標となりました。

「カオマンガイ自体はタイ料理ですが、『鳥しき』さんや日本料理の技術、食材を活かすとすごく洗練された味になり、人気が出た。だったら僕の目線でほかのタイ料理も、『日本の食材を使った日本でしか食べられない料理にしたらどうだろうか』と考えたんです」。

ビア氏が巡るのはレストランだけにあらず。生産者のもとへも足を運ぶ。写真は、兵庫県西脇市の『川岸牧場』にて。

「生春巻」は鴨肉の旨み、野菜のフレッシュさと食感に、ジュレ仕立ての爽やかなタレが絡み合う。

「トムヤムクン」は、香り、酸味、辛味は抑えられているものの、出汁による優しくも力強い旨みが印象的。

美会日本の食材を活かした新しいタイ料理のあり方。

そして、『美会』は新たな道を進むことになります。

夜遅くになっても美味しい料理と酒にありつける店ではなく、『美会』でしか味わうことができないタイ料理を追求すること。岐阜のジビエ、気仙沼の鱶鰭、豊洲『やま幸』のマグロや、『旭水産』の白身魚、『川岸牧場』の神戸牛……。これまでビア氏が全国を食べ歩いてきたなかで築き上げた料理人や生産者とのパイプ・ネットワークを活かして仕入れる、日本全国の最高級の食材をタイ料理に。取材日、『美会』で供されたのは、まさにここでしか味わえないタイ料理になっていました。

たとえば、コースの幕開けとなる生春巻き。つけダレは、和の出汁にわずかにナンプラーを加え、コブミカンの葉で香りをのせてジュレ仕立てにしています。巻かれているのは黄色人参、新生姜、キュウリ、鴨肉など。しかも、この鴨肉がただの鴨ではありません。ミシュランの星付きフレンチなども使う、岐阜のハンターから直接仕入れる極上の鴨肉だというのです。「トムヤンクン」に使われる魚介類も、日本を代表する名店のものと同じ。豊洲『旭水産』より仕入れる天然蛤や車海老、鯛が、丁寧に取られた魚と蛤の出汁に。レモングラスやガランガル(タイの生姜)、コブミカンの葉といったハーブのニュアンスを感じさせながら、実に優しいトムヤムクンに仕上がっています。

「タイは暑い国だから、日本のようによい食材がとれない。だから、ハーブやスパイス、辛さや甘さを重ねた料理ができたとぼくは思っています。それを日本の本当にいい食材を使うと、まったく料理に対するアプローチが変わってきます」。

これでもかという素材を活かしつつ、香草を加えたり、スパイスでアクセントを足したり、和の調味料や技法を交えたり、緩急自在に『美会』の料理にタイのエッセンスを纏わせる。ありそうでなかった新しいタイ料理の形。『美会』でしか楽しむことができない味がそこには確かにありました。

「キンメダイ」は、細かくしたタイの香草を取り入れ、食感と香りのアクセントに。銀餡で和のニュアンスも出した。

店内に飾られた写真の中には、生産者や職人とのツーショットも。『日本橋蛎殻町 すぎ田』の杉田氏とは、前身となる『都寿司』時代からの付き合いで、ビア氏に仕入先を紹介するほどの仲。

美会雨降って地固まる。激動の10ヶ月がビア氏の心を変えた。

オープンから激動の10ヶ月。コロナ禍でコンセプトが変わり、人が変わり、料理が変わった『美会』。そして、コロナが変えたもうひとつのことがありました。

「生産者さんを助けないといけないという思いも芽生えました。そのためにも店をやっている自分こそ、この状況を乗り越えないといけない。そして、タイ料理を通してタイという国を知ってもらうことで、自分の故郷にも恩返ししていければいいですね。いろんな料理人さんが気遣ってくれてアドバイスしてくれて手を差し伸べてくれました。そんな方々のためにも頑張らないといけません」。

最後に、コロナが落ち着いたら、またもとの『美会』のコンセプトに戻るのか? と尋ねると、きっぱりとビア氏は答えてくれました。

「この店をもとのようにすることはありません。この料理でタイ料理の素晴らしさを知ってもらえたらいいですね」。

コロナ禍でコンセプトが覆され、絶体絶命の危機を迎えた『美会』。もちろん、料理、サービス、プレゼンテーションなど、完成度でいえばまだまだ改善の余地があります。それはビア氏自身が一番感じているところ。しかし、進むべき道が見えたいま、裏を返せばそれは前進していくしかないことを意味します。

雨降って地固まる。新生『美会』がこれからどんな形でタイ料理を昇華していくのか、期待は高まるばかりです。

『やま幸』の山口幸隆氏との一枚。この愛されキャラがビア氏の真骨頂。多くの料理人、生産者、仲買人などに愛される所以だ。

住所:東京都中央区銀座7-3-16 MAP
電話:03-3572-5599
営業時間:11:30〜22:30(23:00)
定休日:日曜・祝日

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

深まる郷土への想い。コロナ禍で見出した、宮古島で料理をつくる本当の意味。[Restaurant État d’esprit/沖縄県宮古島市]

Restaurant État d'esprit  宮古島OVERVIEW

われわれONESTORYが沖縄に面白いレストランがあると聞き、取材のための情報収集を始めたのがおよそ2年前のことでした。
その店は宮古島の北西に浮かぶ伊良部島の片隅にあり、『紺碧 ザ・ヴィラオールスイート』のメインダイニング。シェフは生まれも育ちも地元・宮古島。東京やフランスの名店で修業し、さらにはバスク地方のレストランで研鑽を積んだ人物だといいます。そんなシェフがつくるのは、フレンチの技法を駆使して沖縄の食材を昇華させる「琉球フレンチ」……。
きっとそこにはこの店でしか楽しめない体験が待っているに違いない。
そんな確信を胸に、ONESTORYはその店への取材に挑むことになりました。
店の名は『Restaurant État d'esprit』。フーディなら一度は耳にしたことがある名前かもしれません。

ONESTORYが『Restaurant État d'esprit』を取材したのは2020年2月。新型コロナウイルスの脅威が日本各地に広がりはじめた頃でした。
しかし、取材は済ませたものの、3月~4月に設定していた記事公開は先延ばしになります。当然ながら取材した情報の鮮度は公開が遅れるほど落ちていきます。
そんななかで2020年11月、われわれは記事の公開時期を相談、宮古島の現状を聞くべく、シェフの渡真利泰洋氏にコンタクトを取ると……。
初めての取材からおよそ10ヶ月後。よもやONESTORYが再び宮古島を訪ねることになろうとは!

コロナ前とwithコロナの時代。観光産業が主軸となる宮古島という場所で、揺れ動く世の中でもがくレストランが見つけた答え。そして、2回の取材を通して見えてきた『Restaurant État d'esprit』の魅力とは一体何か? 
決して大げさではなく、そこには沖縄料理の未来がありました。

住所:沖縄県宮古島市伊良部字池間添1195-1 MAP
電話:0980-78-6000
営業時間:18:00〜22:00
定休日:不定休
http://www.konpeki.okinawa/

Photographs:YASUFUMI MANDA
Text:TAKETOSHI ONISHI

歴史深い桑名の魅力を垂直方向に掘り下げた宿の決意。[MARUYO HOTEL Semba/三重県桑名市]

『MARUYO HOTEL Semba』の外観。白地の暖簾に踊るは、ここが材木商「丸与木材」だった頃の屋号。

マルヨホテル東海道唯一の海上路・桑名に生まれた一棟貸しの宿。

東海道五十三次の42番目の宿場にあたる桑名宿。かつて多くの旅人を癒してきたこの場所は、東海道唯一の海上路・七里の渡しで宮宿(現在の名古屋市熱田区)と結ばれ、伊勢参りの玄関口として栄えてきました。また、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が合流する桑名には流通の拠点として発展してきた側面や、米相場(江戸期の先物相場)が置かれたことで相場師が集まり、経済の拠点として発達してきた側面もあります。

そんな歴史を刻んできた桑名市船馬町にこのほど誕生したのは、明治創業の材木商の建物をリノベ―ションした1日1組(4名まで)限定の1棟貸しホテル『MARUYO HOTEL Semba』。オーナーは、先の材木商・丸与木材創業者の玄孫にあたる『MIWA Holdings』代表の佐藤武司氏です。

「9年ほど前からパリで日本文化をご紹介する『Pavillion MIWA』という会員制倶楽部を運営しているのですが、そこで出会った方々が日本にいらした時に泊まれる場所をということで、2018年に京都の北区に『The Lodge MIWA』という長期滞在型の宿泊施設を造りました。自然に恵まれた長閑な場所なのですが、過疎化が進んでいて、そこへ旅行者が来るようになったことで村の方が自信を取り戻していくのを間近で感じたんです。一方、桑名には私の実家があり、曾祖父から受け継いできた場所が空いていて、父から『(桑名も)京都のようにできないか?』と相談されたことがきっかけです」。

オーナーの佐藤武司氏と、妻でギャラリストの正木なおさん。夫妻の美意識が貫かれた宿になっている。

マルヨホテルアートと滞在の場が自然に溶け合う空間作り。

最初は長期滞在者向けの宿を考えていた佐藤氏でしたが、3年前にギャラリストの正木なおさんと結婚したことで、1泊だけで特別な体験ができる宿へとプロジェクトは変化していきました。

現代アートと工芸を扱うギャラリー『Gallery NAO MASAKI』を営むなおさんは、「生活とアートがどういうところで接点を持ってくるのか?」を十数年に渡って追求してきた人物。そんな奥様と二人三脚で手掛けた宿は、現在と過去、東洋と西洋、アートと工芸の境を超越し、全てが滑らかに融合した空間になったのです。

「桑名は伊勢の入口であり、経済の拠点となってきた時代や明治以降に多くの西洋文化が流入してきた歴史があります。そんな土地が持っているイメージを感覚的に味わっていただきたくて、アンティークの要素を強く持ってくることを意識しました。まず建物自体が古い木造建築で、中に入ると西洋風の格子が表れます。ラウンジは和室なのに石張りという他にはない内装になっていて、この宿を象徴する空間になっています」となおさん。

興味深いのは、具体の堀尾貞治氏の作品や城所右文次氏のバンブーチェアと並列して飾られた江戸時代の蔵に使われていた引き戸。経年による風合いはまるで現代アートのよう。「ここに訪れたゲストからも“この作品の作家はどなたですか?”といった質問をされます」となおさんは言います。古いものがアートに見え、いつしか空間そのものがアートになっていく……。本来、自分から出て来ようもない感覚が引き出され、新しい自分を発見したような気分になれるのは、この宿ならではかもしれません。

「“〇〇の作品がある宿”といったマーケティング的視点ではなく、自分たちが居る空間に自然にアートが在るようにするには、元の建物をどのように改修していくかも重要。例えば、予算ありきで工務店に丸投げする方法では、“予算内に収めるためクロス張りにしましょう”というように、本来自分たちがやりたかったこととのズレが生じてしまいます。そこで、工務店を入れずに現場を直接見ながら、“ここにはアンティークの桧の扉を使いたいので、それに合わせて開口部を仕上げてください”というように、僕と大工さんとで少しずつ改修を進めていきました」と佐藤氏。

通常ではありえない現場は、20歳で宮大工に弟子入り後、数寄屋建築の名門・中村外二工務店で研鑽を積んで独立した相良工務店の相良昌義氏が担当。土壁や漆喰の質感ひとつからも古の息遣いが聞こえてきそうな空間が誕生しました。また、電気工事など専門知識が必要な部分はその都度、佐藤氏自ら専門の職人を手配。調度はもちろん照明の碍子ひとつまでこだわった空間にいると、まるで美の胎内にいるかのような心地よさを感じることができます。

白い漆喰と黒漆喰の対比、オーナー自ら買い付けた照明、選び抜かれたリネン……。非日常のスイッチが入る「room1」の主寝室。

墨を混ぜて作る夜の海の色のような黒漆喰、一輪差しの花、工芸品の棚の配置の妙が、アートな空間を作り出す。

珍しい網代の扉は、佐藤氏自らアンティーク家具店で買い付けてきたもの。「この扉が使えるように開口部を設計してもらいました」。

ジョサイア・コンドルをオマージュした洋室「room 0」。フランスのアンティークの扉から中庭に出るのもいい。デスクに飾られているのはアート作品ではなく、蔵の窓。

マルヨホテル往時の宿場町の面影を残す老舗・名店で夕食を。

名古屋からわずか1駅とアクセスのよい桑名ですが、あえてお勧めしたいルートがあります。それは、名古屋の熱田から桑名まで「七里の渡し」を船で渡るクルーズプランです。

『熱田神宮』をお参りし、湾内のゆったりした波に2時間ほど揺られれば、伊勢の玄関口を象徴する「一の鳥居」が見えてきます。海から伊勢の国に入る体験は、江戸期の旅人と共鳴する特別な体験になることでしょう。

川沿いに佇む築70年以上の古民家の敷居を跨げば、しっとりとした和の美を纏った空間。1階は読書やお茶など、ゆるりとした時間を過ごせるラウンジ。2室ある客室の1室は、黒漆喰の床の間が夜の海を彷彿させる空間で、戸外には桧の露天風呂が設えられています。もう1室は、近隣にある明治時代の洋館「六華苑」を手掛けたジョサイア・コンドルをオマージュした美しい洋室になっています。

また、こちらの宿はB&B(ベッド&ブレックファスト)方式なので、夕食は桑名や名古屋の名店で好みの食事をいただくスタイル。

「宿場町として栄えたきた桑名には、老舗や名店がとにかく多いんです」と佐藤氏が語るように、宿の近辺には蛤料理の『日の出』に松坂牛の鉄板焼き、しゃぶしゃぶの『柿安 料亭本店』、明治10年創業のうどん店『歌行燈』が。こだわりのご夫婦が営まれている『朔』は1日6名限定でランチのみ営業の日本料理店で、店で出す器は全て奥様が手掛けていらっしゃいます。名古屋方面へクルマで30分もいけば、ミシュラン一つ星のフレンチ『壺中天』や、デザートをコース仕立てにしていただける一軒家レストラン『Le Dessert』といった名店も。旅先で美味を堪能したい向きは、希望を伝えつつ、行先を相談してみるのもよいでしょう。

長閑な景色、昔ながらの設えが旅の疲れを癒してくれる2階のダイニングルーム。語らいや食事の場として利用することができる。

宿の近所にある船溜まり。その昔、東海道を船で渡った旅人を思いながら、近場を散策するのも楽しい。

マルヨホテル街の魅力ひとつ一つにスポットが当たることによって、街は底上げされてゆく。

旅先で目覚めた朝は、本当においしいシンプルな食事で胃を満たしたいもの。『MARUYO HOTEL Semba』では、全てにおいてこだわった朝食を提供しています。搾りたてのオレンジジュースは、近隣にある大正時代創業の青果店からとったものを使用。そのお店は創業時バナナ屋だったそうで、当時のバナナがどれほど高級品だったかを考えると、桑名という街の豊かさが感じられます。また、豆乳ヨーグルトにかける蜂蜜は、転地養蜂を営む4代目が採取した桑名にある天然記念物のモチの木の単花蜂蜜。さらりとした優しい味わいです。

「パンは焼きたてのクロワッサンとパン・オ・ショコラをお出ししています。これも宿を始めることでお付き合いのできた街のパン屋さんに“チョコレートはもう少し甘さを控えてください”など、細かいお願いをして今のカタチになりました。先方からも、“やりがいがあります”とおっしゃっていただいて、グラノーラもこちらにお願いしています。グラノーラに使う米油はそもそも桑名が発祥で、400年ぐらいの歴史がある油屋さんのものを使っています。こだわり始めたら、地元のよいものに目がいくようになりました。そこから新たな出会いやプロジェクトが生まれ、自分も楽しみながらこの仕事をやらせてもらっていますし、お客様にも桑名の凝縮された魅力や歴史を感じ取っていただけるはずです。いまは気軽に海外に行けない時期。そんな時だからこそ、水平方向ではなく垂直方向へ、その地域の時間を遡っていくような旅を楽しんでいただけたらと思います」と佐藤氏。

また、「ミニバーに置く水ひとつやタオル1枚にも最良を追求し、新たなプロジェクトが幾つも進行中」と言葉を続けます。

街が持つあらゆる場所や店にスポットを当て、その魅力を我々に伝えてくれる『MARUYO HOTEL Semba』は、桑名という街にとって灯台のような存在なのかもしれません。

全て桑名産か桑名の名店で仕入れた朝食。搾りたてのオレンジジュース、曳きたてコーヒー、焼きたてのクロワッサン、豆乳ヨーグルトとグラノーラにはもちの木のはちみつをかけて。

数ある海苔の品種のなかでも希少なアサクサノリを長い月日をかけて復活させ、90%以上使用した「幻の海苔」は風味抜群。パッケージの題字は陶芸家の内田鋼一氏。桑名発祥の米油を使ったオリジナルグラノーラ、天然記念物のモチノキの蜂蜜も合わせて旅のお土産に。

住所:三重県桑名市船馬町23 MAP
料金:1泊朝食付き33,000円〜 (1室2名の一人あたりの税抜料金。1室2〜4名)
アクセス:名古屋駅より近鉄特急で16分、桑名駅からタクシーにて5分。名古屋駅からタクシーにて30分。
撮影:志摩大介(adhoc)
https://www.maruyohotel.com/
 

Text:MAO YAMAWAKI

ビジョンがなければ地域創生はできない。前橋から日本を元気にしたい。[白井屋ホテル/群馬県前橋市]

「『白井屋ホテル』は、想いの塊。地元をはじめ、国内外のみんながこの場所のために協力してくれました。感謝しかありません」と田中 仁氏。

白井屋ホテルなくしてはいけない風景があった。誰かが守らないといけないと思った。

創業は江戸時代。群馬・前橋にある老舗旅館『白井屋』は、2008年に300年以上続いた歴史に幕を閉じました。以降、廃業していましたが、2020年12月に『白井屋ホテル』として再生。

その救世主は、アイウエアブランドブランド『JINS』の創業者、田中 仁氏です。

田中氏は前橋出身であり、地域創生に取り組むため、2013年より自ら代表理事を務める『一般社団法人 田中仁財団』を設立。本プロジェクトは、その活動の一環です。

「財団設立の目的は、地元・前橋の活性化です。『群馬イノベーションアワード』と『群馬イノベーションスクール』を立ち上げ、文化・芸術の振興と起業支援などを行ってきました。そんな時、『白井屋』が東京のマンション業者に売りに出されてしまうかもしれないという話を伺いました。街の中心地にそれができてしまったら、風景が失われるだけでなく、前橋の街が廃れてしまうのではと危惧しました」と田中氏は話します。

何とかしなければいけない。

一般社団法人 前橋まちなかエージェンシー』の代表理事・橋本 薫氏や『アーツ前橋』の館長・住友文彦氏もまた、田中氏と同じ思いを抱いていた人物です。

「2013年に開館した『アーツ前橋』のシンポジウムに登壇させていただいたのですが、そこで橋本さんとお会いしました。館長の住友さん含め、ほか数人にも今回の件を相談されました。“田中さん、何とかしてもらえませんか……”と。それならば!と自分も意を固め、『白井屋』を残すための活動を始め、元オーナーより譲っていただきました」。

とはいえ、田中氏は、ホテル業は素人。専門業者や大手ゼネコンに委託を打診するも「ほとんどの方々にお断りされてしまいました」と言います。なぜか?

「田中さんの“ビジョン”では難しい。皆にそう言われました。前橋でホテルを運営するのであれば、低単価・高回転のビジネスホテル以外は無理というのが理由でした。しかし、そこに“ビジョン”はないと思ったのです。自分でやるしかない。そう思いました」。

ここから全てが始まります。

【関連記事】群馬・前橋から世界へ。創業300年の老舗旅館『白井屋』が新たにめぶく。[白井屋ホテル/群馬県前橋市]

「僕は、前橋の“点”だけでなく、“面”を活性化させたいと思っています」と田中氏。『白井屋ホテル』周辺には様々な点がめぶき、面になりはじめている。街の芸術・文化活動の支援・振興施設として2013年に出来た芸術文化施設「アーツ前橋」もそのひとつ。館長・住友文彦氏とも親交が深い。Photograph:前橋観光コンベンション協会

「何かを創造する時、街との共存は大前提」と田中氏。前橋には「水と緑と詩のまち」という、まちづくりのキャッチフレーズが存在する。『白井屋ホテル』が位置するエリアのすぐ隣にも利根川が流れるなど、豊かな水源によって育まれたものは多い。街中にも川は点在し、特に「広瀬川」は住民から愛されている。

「広瀬川」を歩き進めると萩原朔太郎の記念館などもあり、「水」「緑」「詩」のすべてが広瀬川を歩けば体感できる。そして、記念館をぬけて、間も無くすると目に見えてくるのが「太陽の鐘」。「世界的な芸術家・岡本太郎さんによる作品です。元は静岡県内のレジャー施設に設置されていましたが、同施設閉園後、姿を消した幻の作品と言われていました。2018年に官民連携事業により、市民の新たな活動のシンボルとして、市の中心部を流れる広瀬川河畔に移設し、新たなシンボルとして親しまれています」と田中氏。Photograph:MMA+SHINYA KIGURE

白井屋ホテル前橋はめぶく。『白井屋ホテル』もめぶく。そう信じている。

めぶく。

この言葉は、行政と民間によって生まれた前橋ビジョンです。

「前橋ビジョンは、民間の視点から前橋市の特徴を調査・分析し、本市の将来像を見据え、“前橋市はどのようなまちを目指すのか?”を示す街作りに関するビジョンを共通認識できるよう言語化したものです」。

このビジョン策定にあたり、前橋市は『一般財団法人 田中仁財団』からの提案を受け入れ、都市魅力アップ共創(民間協働)推進事業として連携を諮ります。 策定に向けた具体的な作業は、前橋に偏見のない外部の視点で分析してもらうため、同財団が『ポルシェ』や『アディダス』などのブランド戦略を手掛けるドイツのコンサルティング会社『KMS TEAM』に依頼。2016年2月には「Where good things grow(良いものが育つまち)」という分析が成されました。

この英文を同じく前橋出身の糸井重里氏が新しい解釈に基付き、日本語で表現したものが「めぶく。」です。

「『白井屋ホテル』は、ビジョンを第一優先に考えたホテルです。そこには“めぶく”があるのか? ないのか? “めぶく”ためには、自分は何をしたらよいのか? そんなことから創造された場所です」。

とはいえ、最初から足並みが揃っていたわけではありません。大きなことから小さなことまで摩擦と反発は日常茶飯事。理解してもらえないことも多々ありました。市長と築いた関係も任期が変わってしまえばゼロからのやりなおしもしばしば。一貫性を保つことすら困難をきたします。

「それでもめげずにやってきました」。

田中氏は、本件以前より、商店街の活性化にも注力しています。ポートランドからパスタ屋を展開させるほか、地元住民が始める店舗の支援など、徐々に輪を広げ、地域との関係性、信頼を築いてきました。

「信頼を得るには時間がかかります。そこは丁寧にじっくりと積み重ねていくしかありません。『白井屋ホテル』完成後、まず最初に『白井屋』の元オーナーさんにいらしていただきました。この場所を残したことや屋号をそのまま採用したことをとても喜んでくれて。それが何より嬉しかったです」。

再生による創生。歴史を分断せず、引き継ぐために“めぶく”場所。
それが『白井屋ホテル』なのです。

創業当時の『白井屋』。「街のシンボルでもあった『白井屋』の歴史を途絶えさせてはいけないと思いました」と田中氏。

「多様な人やモノ、活動を受け入れ、巻き込み、巻き込まれながら、前橋の街とともに『白井屋』がこれからも変化し、成長していくことを願っている」と『白井屋ホテル』の再生を手がけた建築家・藤本壮介氏。Photograph:SHINYA KIGURE

白井屋ホテル藤本壮介からジャスパー・モリソン、群馬の芸術家まで。連鎖した想いの集結。

『白井屋ホテル』の再生は、建築家の藤本壮介氏が担います。その作りはもちろん、注目すべきは、4つの客室と様々に配されたアート、レストランのクリエイティビティです。

「客室には、元々あった建物をリノベーションしたヘリテージタワーと隣に新設したグリーンタワーから成り、全25室あります。中でも是非体験していただきたいのは、ジャスパー・モリソン、ミケーレ・デ・ルッキ、レアンドロ・エルリッヒ、藤本壮介が手がけたスペシャル・ルームです。それぞれに個性があり、ほかにはないホテルライフをお過ごしいただけると思います」。

錚々たる面々の空間は、まさに泊まるアート。

「実は、彼らはみんな僕の知り合いなのですが、ほぼボランティアで参画してくれています。ジャスパーに限っては、“自分が客室を手がけるのはこれが最初で最後”と言っていました。本当に感謝しかありません。また、25室中8室には群馬出身のアーティスト牛嶋直子、小野田賢三、木暮伸也、鬼頭健吾、竹村 京、白川昌生、村田峰紀、八木隆行の作品が飾られています。世界の一流と肩を並べる環境は良い共鳴を生むと思っています。彼らはこれがきっかけで東京『フィリップス東京』でも個展を開きました(すでに終了)。そうやって派生していくのも良いモデルケースになったと思います」。

国内外の一流は、田中氏の情熱に引き寄せられ、『白井屋ホテル』を起点に広がりも見せています。

そのほか、外観をローレンス・ウィナー氏のメッセージが彩り、パブリックスペースには、杉本博司氏、ライアン・ガンダー氏、宮島達男氏などの作品がそこかしこに点在。美術館級のオリジナル作品が贅沢なまでに配されています。

内包される『the RESTAURANT』は、『ミシュラン東京ガイド』二つ星を獲得する『フロリレージュ』の川手寛康氏が監修。

「『フロリレージュ』は、自分が大好きなレストラン。是非ご一緒したく、川手さんにご相談したところ、快く引き受けてくださり、『the RESTAURANT』の片山シェフの研修もさせていただき、川手さんの人脈でほかのレストランでも学ばせていただく環境も整えてくれました。ゆかりのない前橋にも足を運んでくださり、生産者の元へも巡り、どうすれば前橋の食をより良く表現できるのかを熟考してくださいました」。

片山シェフは、『群馬イノベーションスクール』出身の人物でもあります。川手シェフとともに地域食材を独自の解釈で再構築させ、上州キュイジーヌとして提供します。

「世界の一流を前橋で体験できるということは、この街にとって価値あることだと思っています。地域には雇用を生み、住民にはコミュニティを生みます。“前橋のリビング”だと思って、老若男女いつでも遊びに来ていただきたいです。僕は、小さなころから建築が好きなのですが、それは実家が100年以上続いた建物に住んでいたからだと思っています。小さなころから本物に触れることは、未来の感性を養うことにつながるのではないでしょうか。そういう意味では、小さなお子さま連れも是非。また、今回はホテルを作りましたが、自分が目指すべきは“点”が“めぶく”ことによって“面”が“めぶく”こと。前橋は人口34万人の中核都市です。この中核都市は、日本に85ヶ所あると言われています。きっと同じような悩みをかかえている街も多いのではないでしょうか。前橋がひとつのロールモデルになれれば良いなと思っています」。

前橋の“めぶく”芽、才能、人は、大地に眠っています。それを開花させるための地均しと水やりこそ、田中氏の使命であり、活動の核なのかもしれません。

「古今東西、どの地域を見ても一番大切だと思うことは“学育”ではないでしょうか教育は教えて育むものですが、学育は学んで育むもの。学ぶ場を作りたくて『群馬イノベーションスクール』も立ち上げました。個が養われていけば、地域はもっと良くなると思いますし、きっと強くなるとも思います。前橋から日本を元気にしたい」。

「『白井屋ホテル』の中で自分が一番好きな景色は、ジャスパー・モリソンが手がけた客室から見る景色」と田中氏。Photograph:SHINYA KIGURE

「ヘリテージタワー1階の吹き抜けにある螺旋階段も好きな景色です。支柱なく作れる技術は非常に高度なのです。是非、館内を色々回遊して多角的な景色をお楽しみいただければと思います」と田中氏。

1963年、群馬県前橋市生まれ。アイウエアブランド『JINS(ジンズ)』代表取締役社長。1981年『前橋信用金庫(現・しののめ信用金庫)』に入庫。1986年、服飾雑貨製造卸会社に転職し、1987年、個人にて服飾雑貨製造卸業の『ジンプロダクツ』を創業。1988年、『有限会社ジェイアイエヌ(現・株式会社ジンズ)』を設立。2001年より、アイウエアブランド『JINS』を展開。2006年、ヘラクレス市場(現・JASDAQ市場)に上場、2013年、東京証券取引所 市場第一部に上場。2014年、慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程を修了。故郷・群馬県内での地域活性化活動を目的に田中仁財団を設立し、代表理事に就任。

住所:群馬県前橋市本町2-2-15 MAP
電話:027-231-4618
https://www.shiroiya.com

Photograph:KENTA YOSHIZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

日出彦さんのお酒を一年でも市場からなくしてはいけない。そう思った。

切り返しをする『花の香酒造』6代目、神田清隆氏(右)と松本日出彦氏(左)。一緒にお米に触れ、酒造りをすることによって、より絆は強固に。

HIDEHIKO MATSUMOTO心と体が同時に動いた。すぐ熊本から京都に向かった。一緒に酒造りをするために。

「“守破離”は、本当に好きなお酒だった」。

そう感慨深く話すのは、熊本県北の『花の香酒造』6代目、神田清隆氏です。

「2020年12月、SNSで(松本)日出彦さんが『松本酒造』を辞することを知り、衝撃を受けました。同時に涙が止まりませんでした」と言葉を詰まらせます。

『花の香酒造』もまた、1902年創業の老舗酒造。伝統を背負う自身と重なり合う部分があったのかもしれません。

もし逆の立場だったら……。そう考えるも、あまりに想像を絶するため、「第三者の自分ですら全くその事実を受け入れることができませんでした」。

神田氏は、すぐに松本氏に連絡。想いを伝えるために京都へ向かいます。

「日出彦さんが造る日本酒のファンは多い。自分もそのひとり。日出彦さんのお酒を一年でも市場からなくしてはいけない。そう思いました。酒造りを辞めてはいけない。いや、辞めないでほしい。だから、一緒に酒造りをしよう」。

驚くべきは、当時のふたりの関係。「互いの存在は知るも、面識がある程度でした」と神田氏。それでも「遠慮している場合ではない。心と体が同時に動いた」と言葉を続けます。

「神田さんからご連絡をいただいた時にはびっくりしました。本当に皆さんに支えられて今があります。感謝しかありません」と松本氏。

同じ酒造りをする職人同士は、あっという間にその距離を縮め、2021年3月には同じ現場に立っています。

「蔵も免許も失った自分は、進むも地獄退くも地獄。どちらも地獄ならば、進むしかない。その背中を押してくれたのは、昔からお世話になっている方々や仲間、家族の存在でした。もちろん、神田さんもそのひとり」。

地獄の先にはどんな景色が待っているのか。

「それを確かめるために、今できる酒造りを精一杯やらせていただきます」。

午前10時。もくもくとした湯気が酒蔵を包み、お米の香りが充満していきます。

「お米の香りを吸い込んだ時、胸に色々なことが込み上げてきた。涙が出そうになった」。そう話す松本氏は、日々の武者修業を通じて鍛錬を積み重ね、身体を覚醒してきます。

蒸しあがりと同時に神田氏が叫びます。

「日出彦さん、今日の仕込みを始めましょう!」。

蒸しあがった釜の蓋が上がる瞬間、濃い湯気が立ち込め、同時にお米の香りが広がる。

「地域が変わればお米も変わる。例え同じ品種だったとしても同じ味、同じ香りはありません」と松本氏。

種麹ひとつ取っても、それぞれの蔵のスタイルがある。『花の香酒造』が使用するのは、『樋口松之助商店』の吟醸用種麹ヒグチモヤシ。100kgのお米に対して40gを推奨。

 シャッ、シャッ、シャッ、シャッとリズム良く種切りをする神田氏と松本氏。息の合った音は、まるで錫杖のように心地良い響き。

手際良く蒸したお米の熱を下げていく『花の香酒造』のスタッフたち。松本氏も『花の香酒造』の一員として、ひとつ一つの工程に携わる。

生酛場にてお米を冷やす。室温は5℃に設定され、お米も同様の温度まで下げる。

この日は、お米を34℃に設定。蒸し立てのお米に空気を含ませ、温度を下げていく。

HIDEHIKO MATSUMOTO酒造りは酒造りだけにあらず。『花の香酒造』が目指すは、産土の精神。

この日の仕込みは、朝から麹米を蒸し、引き込み、切り返し、種切り、床もみ、盛り上げ。『花の香酒造』では、昔ながらの生酛造りを大切にしています。

野性味溢れる味わいは、酒母の力強さゆえ。自然が成す深い厚み、複雑さ、コクは、その手法の好例でもあります。時間と手間がかかる生酛造りは、続けている酒蔵も少なく、そう言った意味でも『花の香酒造』は貴重な存在です。

しかし、「一番のこだわりは“香り”。飲んだ瞬間、お米が持つ本来の香りを大事にしたい」と神田氏は話します。

そんな酒造りにおいて欠かせない原料、水とお米にも『花の香酒造』らしい哲学があります。

日本酒のテロワールとなる「産土」です。
(ウブ・産、ス・土、ナ・地の統合したもの。生まれた土地、生地、本居/広辞苑より)

「今回の武者修業で大切にしていることは、地域の環境を知ることです。この土地だから、この原料が生まれ、この酒ができる。余所者の自分は、まず学ぶことが始まり。それを理解しなければ、酒造りに参加する資格はないと思っています。技術云々は、その後」と松本氏。

熊本県玉名郡和水町にある『花の香酒造』は、丘陵地に囲まれた盆地と周囲の田園に流れる川沿いにあります。しかし、自然と寄り添うゆえ、避けて通れないのは天災。2016年の熊本地震や2020年の熊本豪雨では、酒蔵前に流れる川壁を大きく抉り、その傷跡は、今も残っています。熊本のシンボル、阿蘇山もまた、美しさの中に脅威を孕んだ自然の産物。

「熊本と言えば、阿蘇山。約9万年前に噴火した地盤の下には幾十も層が重なり、そこから染み出している岩清水を使って酒造りをしている。それだけで特別だと思います。そして、何より素晴らしいのはお米。これには神田さんの並々ならぬ努力と熱量を感じます」と松本氏。

それは、熊本在来品種「穂増(ほませ)」です。

「以前、お米の勉強をしようと、佐賀県唐津市にある『菜畑遺跡』に伺ったのです。日本最古の稲作発祥地として知られるそこには資料館も併設され、発掘された遺跡からは炭化したお米が発見されたとありました。それは、山形の“亀ノ尾”、静岡の“愛国”、滋賀の“旭”、兵庫の“神力”、岡山の“雄町”、そして熊本の“穂増”の6種。熊本にこんなお米があったのか!? 恥ずかしながら、初めて知りました。しかし、“穂増”だけ子孫が途絶えてしまい、詳細が不明でした。その後、調べを続けると、江戸時代に天下一のお米と言われた名米だったことがわかったのです。これは熊本の宝だと思い、 “穂増”をもう一度育て、それで酒造りをする決心をしたのです」と神田氏。

そこから「穂増」の復刻劇が始まります。まず、熊本の農家複数によってプロジェクトは立ち上がり、あらゆる手を尽くして種子を手に入れるも一筋縄にはいきませんでした。神田氏は3年目から加わり、そのための田んぼを作るべく山林も購入。環境ごと作ってしまったのです。前出の松本氏が言う「神田さんの並々ならぬ努力と熱量」とは、このことを指しています。もちろん、「穂増」で酒造りをしているのは、『花の香酒造』のみ。

2017年から苗を植え、収穫し、「穂増」のお米で酒造りを始めるも「まだ特徴を掴みきれていない」と神田氏。2020年は作付けから携わり、酒蔵の前段階より酒造りに勤しみます。2014年より杜氏に就任した神田氏の経歴から考えれば、スピード感に長けた脅威の行動力。

この土地唯一の造り酒屋『花の香酒造』は、神田角次、茂作親子が妙見神社所有の神田を譲り受けてお米を作り、神社から湧き出る岩清水で酒造りを始めたのが原点です。『神田酒造』として誕生した蔵が『花の香酒造』へと名前を変えたのは1992年のことでした。歴史を振り返っても、大きな決断をした年だと思います。そして、酒造りから100年の節目を迎えた2014年には、日本の伝統酒としてだけでなく、世界へ羽ばたく“Sake”を目指すべく、私たちにとって新しい酒造りの幕が開けました。何かを成すには常に判断と決断が迫られます。いつの時代にも挑戦、イノベーションが『花の香酒造』にはあり、その精神も自分は受け継がなくてはいけないと思っています」と神田氏。

「今、まさに挑戦とイノベーションの渦中にいるので、より勉強になります。以前、日本酒業界は、高度成長期のように、みんな同じようなものを作って、同じように売っている時代もありました。当時の流れでは自然だったのかもしれませんが、今は違う。いかに地に根差しているかはとても重要」と松本氏。

「実は、新型コロナウイルスの影響によって2021年に酒造りをしない蔵が結構あります。理由のひとつは、在庫過多です。緊急事態宣言や自粛によってレストランをはじめとした飲食店の休業、時短は私たちにとって死活問題。決して、『花の香酒造』も余裕があるわけではありませんが、酒造りをしなければ農家さんの生活を守れない。田んぼを維持できない。色々な問題が発生してしまいます。だから、酒造りを続けています」と神田氏。

酒造りは、雇用を始め、自然環境や生態系を循環する一部なのです。また、迎えてしまった難局においても前を向き、「田んぼの不耕起栽培の下地作りやスタッフとのコミュニケーションを強固にする時間に費やした」と言葉を続けます。

「次に必要なことは、その熱量と取り組みをどう可視化と言語化をして社会と共有していくか。日本酒を飲んでみたいけど、どんな味がわからない方々は、是非、背景を飲んでほしい」と松本氏。

その背景を伝えるためにはどうしたらよいのか。それをシェアしていくことが、これからの日本酒業界には必要なのかもしれません。

それ以外にも、蔵の構造の質疑、道具、機械設備、米の検査基準の現状まで、会話が尽きません。

「こうやって議論をしたり、情報交換をできるのは、現場にいるから。一緒に酒造りをしているから」とふたり。

「それにしても、端正込めて育てたお米で酒造りをしていると、お米の表情も喜んでいるように見える。そう思いますよね、日出彦さん!」。

視線の先には、笑顔で頷く汗だくの松本氏の姿がありました。

 酒造りだけでなく、蔵の中をくまなく回遊する松本氏。「日出彦さんには、酒蔵の改装の相談にも乗ってもらおうと思っています」と神田氏。

「酒造りの流れを効率良く作業するためには、機械や道具の配置も重要」と松本氏。神田氏にヒアリングしながら、『花の香酒造』にとっての最適をイメージする。

 「お米の等級検査の機械って…」、「あれはお米が表か裏かによって…」、「なるほど、じゃあ数回通してチェックして…」。立ち話の時間も常に酒造りの話。「お米の格付けをする制度の話をしていました。非常にマニアックな内容ですね(笑)」と松本氏。「日出彦さんは、知識が豊富」と神田氏。

 お米の肌触り、温度、香り。「手の感覚も徐々に戻ってきた」と松本氏。

切り返し、種切り、そして、盛り上げを行う松本氏に「日出彦さん、お米が喜んでるでしょ!」と神田氏。目で微笑み返す松本氏を見た神田氏は、「日出彦さんは、やっぱり現場が似合う」とこっそり呟く。

熊本地震で崩れ、復旧するも2020年の豪雨で再び崩壊した川壁の跡。豊かな自然環境に身を置くゆえ、その恩恵を受けられるも、天災とも運命共同体。

手前の川沿いに連なる建物が『花の香酒造』。その右手にある中央の円形の山が新規に購入した土地。田んぼを作り、「穂増」を育てる。

HIDEHIKO MATSUMOTO目の前の問題に背を向けてはいけない。日本の宝が失われる前に何とかしなければいけない。

「酒造り以外も議論させていただいているのですが、やはり田んぼの環境問題、維持問題、後継者問題、資金問題は深刻。それは、前回お世話になった『冨田酒造』でも感じたことです。幸い両蔵は、ちゃんと地域と繋がり、関係性を構築できていますが、全蔵がそうゆうわけではありません。廃業してしまったり、枯れ果ててしまったりと、深刻化されています。しかし、そんなことを報道やニュースで取り上げるメディアは中々ありません。きっと自分ごと化している人が少ないのかもしれません」と松本氏。

しかし、「もし日本から田んぼがなくなったら? もし日本からお米がなくなったら?」と考えてみれば、全国民で向き合うべき問題だという意識が芽生えるのではないでしょうか。

「世界的に見ても、これほどまでに良いお米ができる国は稀有だと思います。しかも、日本は大陸から少し離れた島国。外国人にとっては、まるで秘境のように映っているのではないでしょうか。そんな秘境の中にある地域。そして、地域ごとに生まれる日本の国酒・日本酒。地域性があればあるほど、きっと魅力的に感じるのではないでしょうか。そんなふうに物事を俯瞰して客観視できるようになったことも外に出たから。この感覚を大事にし、業界と共有し、社会と共有し、日本酒を取り巻く全てに貢献したい」と松本氏。

「酒造りに費やしてきた時間は、自分とは比べものにならないくらい向き合ってきた人。それが日出彦さん。酒造りも含め、一緒に過ごす時間は非常に勉強になっています」と神田氏。

「これまでは、自分の考えをもとに酒造りに没頭してきましたが、今は誰かのために酒造りをすることに喜びを感じています。それは、自分のこと以上に力が漲る。人の生き様を享受できるのは本当にありがたい。日本酒は生き様ですから。『花の香酒造』に対しても、これから一生をかけて恩返しをしていきたいと思っています」と松本氏。

皮肉なことに、「一生」という言葉の重みは、新型コロナウイルスによって増したかもしれません。

「今なお猛威を振るう新型コロナウイルスによって、医療従事者の方々は本当に大変な立場で国民を救ってくださっていると思います。これは日本だけの問題ではなく、世界の問題。未だロックダウンを繰り返す国や地域も少なくありません。ではなぜ、人類は、このウイルスを恐れるのか。それは、人を死に追いやる感染症だからです。それによって、人は“生きる”ことと“死ぬこと”を現実として受け入れるようになりました。生きていることは、当たり前ではない。今、生かされていることに感謝し、今、酒造りをさせていただけることに感謝し、これからの道を探していきたいと思います」。

前述、地獄はもう見た。あとは這い上がるだけ。

今、松本氏が歩んでいる道は、進化ではなく、深化。

酒職人として、人として、深く、より深く、必死に生きる。

熊本県玉名郡和水町の蔵元『花の香酒造』。明治時代に神田角次と神田茂作の親子で始めた酒造りは、内に梅の香りが漂うことから「花の香」という酒名が付いた。1992年には『神田酒造』から『花の香酒造』に社名も変更。

『花の香酒造』の中庭と蔵の建つ川沿いには、美しい梅の花が咲く。世界が新型コロナウイルスに翻弄される中、季節は変わらず訪れ、花は咲く。改めて、自然の偉大さを感じる。

「自分はもちろん、『花の香酒造』全体で日出彦さんをバックアップするつもりです」と神田氏。「神田さんをはじめ、『花の香酒造』の皆さんには感謝しかありません。自分はここでどんな貢献がでいるのか、精一杯考えてご一緒させていただきます」と松本氏。

「日出彦さん、初めて仕込んだ木桶のしぼりです。ちょっと試飲してみてください」と神田氏。「うん、うん……。もろみ23、アルコール15、酸1.46、アミノ酸0.56……」。味と数値を確認する松本氏。「なるほど。柔らかい岩清水の特徴とミネラルの香りも出ていていいですね」。

住所:熊本県玉名郡和水町西吉地2226-2 MAP
TEL:0968-34-2055
https://www.hananoka.co.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

再度入荷しました!

皆様こんにちは!

前回ブログに書きましたが倉敷では桜も見頃でやっとこさ春らしくなってまいりました🌸


デニムストリートでは人気商品のかすてらまんじゅうが再入荷しております(=´∀`)




あえて食欲がなくなる青色で作ってます笑

見た目とは裏腹に中身はこし餡でお茶請けにぴったり!!


倉敷に来たお土産にもぴったり!?

ウケること間違いなしです( ̄∀ ̄)