HIDEHIKO MATSUMOTO心と体が同時に動いた。すぐ熊本から京都に向かった。一緒に酒造りをするために。
「“守破離”は、本当に好きなお酒だった」。
そう感慨深く話すのは、熊本県北の『花の香酒造』6代目、神田清隆氏です。
「2020年12月、SNSで(松本)日出彦さんが『松本酒造』を辞することを知り、衝撃を受けました。同時に涙が止まりませんでした」と言葉を詰まらせます。
『花の香酒造』もまた、1902年創業の老舗酒造。伝統を背負う自身と重なり合う部分があったのかもしれません。
もし逆の立場だったら……。そう考えるも、あまりに想像を絶するため、「第三者の自分ですら全くその事実を受け入れることができませんでした」。
神田氏は、すぐに松本氏に連絡。想いを伝えるために京都へ向かいます。
「日出彦さんが造る日本酒のファンは多い。自分もそのひとり。日出彦さんのお酒を一年でも市場からなくしてはいけない。そう思いました。酒造りを辞めてはいけない。いや、辞めないでほしい。だから、一緒に酒造りをしよう」。
驚くべきは、当時のふたりの関係。「互いの存在は知るも、面識がある程度でした」と神田氏。それでも「遠慮している場合ではない。心と体が同時に動いた」と言葉を続けます。
「神田さんからご連絡をいただいた時にはびっくりしました。本当に皆さんに支えられて今があります。感謝しかありません」と松本氏。
同じ酒造りをする職人同士は、あっという間にその距離を縮め、2021年3月には同じ現場に立っています。
「蔵も免許も失った自分は、進むも地獄退くも地獄。どちらも地獄ならば、進むしかない。その背中を押してくれたのは、昔からお世話になっている方々や仲間、家族の存在でした。もちろん、神田さんもそのひとり」。
地獄の先にはどんな景色が待っているのか。
「それを確かめるために、今できる酒造りを精一杯やらせていただきます」。
午前10時。もくもくとした湯気が酒蔵を包み、お米の香りが充満していきます。
「お米の香りを吸い込んだ時、胸に色々なことが込み上げてきた。涙が出そうになった」。そう話す松本氏は、日々の武者修業を通じて鍛錬を積み重ね、身体を覚醒してきます。
蒸しあがりと同時に神田氏が叫びます。
「日出彦さん、今日の仕込みを始めましょう!」。
HIDEHIKO MATSUMOTO酒造りは酒造りだけにあらず。『花の香酒造』が目指すは、産土の精神。
この日の仕込みは、朝から麹米を蒸し、引き込み、切り返し、種切り、床もみ、盛り上げ。『花の香酒造』では、昔ながらの生酛造りを大切にしています。
野性味溢れる味わいは、酒母の力強さゆえ。自然が成す深い厚み、複雑さ、コクは、その手法の好例でもあります。時間と手間がかかる生酛造りは、続けている酒蔵も少なく、そう言った意味でも『花の香酒造』は貴重な存在です。
しかし、「一番のこだわりは“香り”。飲んだ瞬間、お米が持つ本来の香りを大事にしたい」と神田氏は話します。
そんな酒造りにおいて欠かせない原料、水とお米にも『花の香酒造』らしい哲学があります。
日本酒のテロワールとなる「産土」です。
(ウブ・産、ス・土、ナ・地の統合したもの。生まれた土地、生地、本居/広辞苑より)
「今回の武者修業で大切にしていることは、地域の環境を知ることです。この土地だから、この原料が生まれ、この酒ができる。余所者の自分は、まず学ぶことが始まり。それを理解しなければ、酒造りに参加する資格はないと思っています。技術云々は、その後」と松本氏。
熊本県玉名郡和水町にある『花の香酒造』は、丘陵地に囲まれた盆地と周囲の田園に流れる川沿いにあります。しかし、自然と寄り添うゆえ、避けて通れないのは天災。2016年の熊本地震や2020年の熊本豪雨では、酒蔵前に流れる川壁を大きく抉り、その傷跡は、今も残っています。熊本のシンボル、阿蘇山もまた、美しさの中に脅威を孕んだ自然の産物。
「熊本と言えば、阿蘇山。約9万年前に噴火した地盤の下には幾十も層が重なり、そこから染み出している岩清水を使って酒造りをしている。それだけで特別だと思います。そして、何より素晴らしいのはお米。これには神田さんの並々ならぬ努力と熱量を感じます」と松本氏。
それは、熊本在来品種「穂増(ほませ)」です。
「以前、お米の勉強をしようと、佐賀県唐津市にある『菜畑遺跡』に伺ったのです。日本最古の稲作発祥地として知られるそこには資料館も併設され、発掘された遺跡からは炭化したお米が発見されたとありました。それは、山形の“亀ノ尾”、静岡の“愛国”、滋賀の“旭”、兵庫の“神力”、岡山の“雄町”、そして熊本の“穂増”の6種。熊本にこんなお米があったのか!? 恥ずかしながら、初めて知りました。しかし、“穂増”だけ子孫が途絶えてしまい、詳細が不明でした。その後、調べを続けると、江戸時代に天下一のお米と言われた名米だったことがわかったのです。これは熊本の宝だと思い、 “穂増”をもう一度育て、それで酒造りをする決心をしたのです」と神田氏。
そこから「穂増」の復刻劇が始まります。まず、熊本の農家複数によってプロジェクトは立ち上がり、あらゆる手を尽くして種子を手に入れるも一筋縄にはいきませんでした。神田氏は3年目から加わり、そのための田んぼを作るべく山林も購入。環境ごと作ってしまったのです。前出の松本氏が言う「神田さんの並々ならぬ努力と熱量」とは、このことを指しています。もちろん、「穂増」で酒造りをしているのは、『花の香酒造』のみ。
2017年から苗を植え、収穫し、「穂増」のお米で酒造りを始めるも「まだ特徴を掴みきれていない」と神田氏。2020年は作付けから携わり、酒蔵の前段階より酒造りに勤しみます。2014年より杜氏に就任した神田氏の経歴から考えれば、スピード感に長けた脅威の行動力。
「この土地唯一の造り酒屋『花の香酒造』は、神田角次、茂作親子が妙見神社所有の神田を譲り受けてお米を作り、神社から湧き出る岩清水で酒造りを始めたのが原点です。『神田酒造』として誕生した蔵が『花の香酒造』へと名前を変えたのは1992年のことでした。歴史を振り返っても、大きな決断をした年だと思います。そして、酒造りから100年の節目を迎えた2014年には、日本の伝統酒としてだけでなく、世界へ羽ばたく“Sake”を目指すべく、私たちにとって新しい酒造りの幕が開けました。何かを成すには常に判断と決断が迫られます。いつの時代にも挑戦、イノベーションが『花の香酒造』にはあり、その精神も自分は受け継がなくてはいけないと思っています」と神田氏。
「今、まさに挑戦とイノベーションの渦中にいるので、より勉強になります。以前、日本酒業界は、高度成長期のように、みんな同じようなものを作って、同じように売っている時代もありました。当時の流れでは自然だったのかもしれませんが、今は違う。いかに地に根差しているかはとても重要」と松本氏。
「実は、新型コロナウイルスの影響によって2021年に酒造りをしない蔵が結構あります。理由のひとつは、在庫過多です。緊急事態宣言や自粛によってレストランをはじめとした飲食店の休業、時短は私たちにとって死活問題。決して、『花の香酒造』も余裕があるわけではありませんが、酒造りをしなければ農家さんの生活を守れない。田んぼを維持できない。色々な問題が発生してしまいます。だから、酒造りを続けています」と神田氏。
酒造りは、雇用を始め、自然環境や生態系を循環する一部なのです。また、迎えてしまった難局においても前を向き、「田んぼの不耕起栽培の下地作りやスタッフとのコミュニケーションを強固にする時間に費やした」と言葉を続けます。
「次に必要なことは、その熱量と取り組みをどう可視化と言語化をして社会と共有していくか。日本酒を飲んでみたいけど、どんな味がわからない方々は、是非、背景を飲んでほしい」と松本氏。
その背景を伝えるためにはどうしたらよいのか。それをシェアしていくことが、これからの日本酒業界には必要なのかもしれません。
それ以外にも、蔵の構造の質疑、道具、機械設備、米の検査基準の現状まで、会話が尽きません。
「こうやって議論をしたり、情報交換をできるのは、現場にいるから。一緒に酒造りをしているから」とふたり。
「それにしても、端正込めて育てたお米で酒造りをしていると、お米の表情も喜んでいるように見える。そう思いますよね、日出彦さん!」。
視線の先には、笑顔で頷く汗だくの松本氏の姿がありました。
HIDEHIKO MATSUMOTO目の前の問題に背を向けてはいけない。日本の宝が失われる前に何とかしなければいけない。
「酒造り以外も議論させていただいているのですが、やはり田んぼの環境問題、維持問題、後継者問題、資金問題は深刻。それは、前回お世話になった『冨田酒造』でも感じたことです。幸い両蔵は、ちゃんと地域と繋がり、関係性を構築できていますが、全蔵がそうゆうわけではありません。廃業してしまったり、枯れ果ててしまったりと、深刻化されています。しかし、そんなことを報道やニュースで取り上げるメディアは中々ありません。きっと自分ごと化している人が少ないのかもしれません」と松本氏。
しかし、「もし日本から田んぼがなくなったら? もし日本からお米がなくなったら?」と考えてみれば、全国民で向き合うべき問題だという意識が芽生えるのではないでしょうか。
「世界的に見ても、これほどまでに良いお米ができる国は稀有だと思います。しかも、日本は大陸から少し離れた島国。外国人にとっては、まるで秘境のように映っているのではないでしょうか。そんな秘境の中にある地域。そして、地域ごとに生まれる日本の国酒・日本酒。地域性があればあるほど、きっと魅力的に感じるのではないでしょうか。そんなふうに物事を俯瞰して客観視できるようになったことも外に出たから。この感覚を大事にし、業界と共有し、社会と共有し、日本酒を取り巻く全てに貢献したい」と松本氏。
「酒造りに費やしてきた時間は、自分とは比べものにならないくらい向き合ってきた人。それが日出彦さん。酒造りも含め、一緒に過ごす時間は非常に勉強になっています」と神田氏。
「これまでは、自分の考えをもとに酒造りに没頭してきましたが、今は誰かのために酒造りをすることに喜びを感じています。それは、自分のこと以上に力が漲る。人の生き様を享受できるのは本当にありがたい。日本酒は生き様ですから。『花の香酒造』に対しても、これから一生をかけて恩返しをしていきたいと思っています」と松本氏。
皮肉なことに、「一生」という言葉の重みは、新型コロナウイルスによって増したかもしれません。
「今なお猛威を振るう新型コロナウイルスによって、医療従事者の方々は本当に大変な立場で国民を救ってくださっていると思います。これは日本だけの問題ではなく、世界の問題。未だロックダウンを繰り返す国や地域も少なくありません。ではなぜ、人類は、このウイルスを恐れるのか。それは、人を死に追いやる感染症だからです。それによって、人は“生きる”ことと“死ぬこと”を現実として受け入れるようになりました。生きていることは、当たり前ではない。今、生かされていることに感謝し、今、酒造りをさせていただけることに感謝し、これからの道を探していきたいと思います」。
前述、地獄はもう見た。あとは這い上がるだけ。
今、松本氏が歩んでいる道は、進化ではなく、深化。
酒職人として、人として、深く、より深く、必死に生きる。
住所:熊本県玉名郡和水町西吉地2226-2 MAP
TEL:0968-34-2055
https://www.hananoka.co.jp
1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。
Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI