白井屋ホテルなくしてはいけない風景があった。誰かが守らないといけないと思った。
創業は江戸時代。群馬・前橋にある老舗旅館『白井屋』は、2008年に300年以上続いた歴史に幕を閉じました。以降、廃業していましたが、2020年12月に『白井屋ホテル』として再生。
その救世主は、アイウエアブランドブランド『JINS』の創業者、田中 仁氏です。
田中氏は前橋出身であり、地域創生に取り組むため、2013年より自ら代表理事を務める『一般社団法人 田中仁財団』を設立。本プロジェクトは、その活動の一環です。
「財団設立の目的は、地元・前橋の活性化です。『群馬イノベーションアワード』と『群馬イノベーションスクール』を立ち上げ、文化・芸術の振興と起業支援などを行ってきました。そんな時、『白井屋』が東京のマンション業者に売りに出されてしまうかもしれないという話を伺いました。街の中心地にそれができてしまったら、風景が失われるだけでなく、前橋の街が廃れてしまうのではと危惧しました」と田中氏は話します。
何とかしなければいけない。
『一般社団法人 前橋まちなかエージェンシー』の代表理事・橋本 薫氏や『アーツ前橋』の館長・住友文彦氏もまた、田中氏と同じ思いを抱いていた人物です。
「2013年に開館した『アーツ前橋』のシンポジウムに登壇させていただいたのですが、そこで橋本さんとお会いしました。館長の住友さん含め、ほか数人にも今回の件を相談されました。“田中さん、何とかしてもらえませんか……”と。それならば!と自分も意を固め、『白井屋』を残すための活動を始め、元オーナーより譲っていただきました」。
とはいえ、田中氏は、ホテル業は素人。専門業者や大手ゼネコンに委託を打診するも「ほとんどの方々にお断りされてしまいました」と言います。なぜか?
「田中さんの“ビジョン”では難しい。皆にそう言われました。前橋でホテルを運営するのであれば、低単価・高回転のビジネスホテル以外は無理というのが理由でした。しかし、そこに“ビジョン”はないと思ったのです。自分でやるしかない。そう思いました」。
ここから全てが始まります。
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白井屋ホテル前橋はめぶく。『白井屋ホテル』もめぶく。そう信じている。
めぶく。
この言葉は、行政と民間によって生まれた前橋ビジョンです。
「前橋ビジョンは、民間の視点から前橋市の特徴を調査・分析し、本市の将来像を見据え、“前橋市はどのようなまちを目指すのか?”を示す街作りに関するビジョンを共通認識できるよう言語化したものです」。
このビジョン策定にあたり、前橋市は『一般財団法人 田中仁財団』からの提案を受け入れ、都市魅力アップ共創(民間協働)推進事業として連携を諮ります。 策定に向けた具体的な作業は、前橋に偏見のない外部の視点で分析してもらうため、同財団が『ポルシェ』や『アディダス』などのブランド戦略を手掛けるドイツのコンサルティング会社『KMS TEAM』に依頼。2016年2月には「Where good things grow(良いものが育つまち)」という分析が成されました。
この英文を同じく前橋出身の糸井重里氏が新しい解釈に基付き、日本語で表現したものが「めぶく。」です。
「『白井屋ホテル』は、ビジョンを第一優先に考えたホテルです。そこには“めぶく”があるのか? ないのか? “めぶく”ためには、自分は何をしたらよいのか? そんなことから創造された場所です」。
とはいえ、最初から足並みが揃っていたわけではありません。大きなことから小さなことまで摩擦と反発は日常茶飯事。理解してもらえないことも多々ありました。市長と築いた関係も任期が変わってしまえばゼロからのやりなおしもしばしば。一貫性を保つことすら困難をきたします。
「それでもめげずにやってきました」。
田中氏は、本件以前より、商店街の活性化にも注力しています。ポートランドからパスタ屋を展開させるほか、地元住民が始める店舗の支援など、徐々に輪を広げ、地域との関係性、信頼を築いてきました。
「信頼を得るには時間がかかります。そこは丁寧にじっくりと積み重ねていくしかありません。『白井屋ホテル』完成後、まず最初に『白井屋』の元オーナーさんにいらしていただきました。この場所を残したことや屋号をそのまま採用したことをとても喜んでくれて。それが何より嬉しかったです」。
再生による創生。歴史を分断せず、引き継ぐために“めぶく”場所。
それが『白井屋ホテル』なのです。
白井屋ホテル藤本壮介からジャスパー・モリソン、群馬の芸術家まで。連鎖した想いの集結。
『白井屋ホテル』の再生は、建築家の藤本壮介氏が担います。その作りはもちろん、注目すべきは、4つの客室と様々に配されたアート、レストランのクリエイティビティです。
「客室には、元々あった建物をリノベーションしたヘリテージタワーと隣に新設したグリーンタワーから成り、全25室あります。中でも是非体験していただきたいのは、ジャスパー・モリソン、ミケーレ・デ・ルッキ、レアンドロ・エルリッヒ、藤本壮介が手がけたスペシャル・ルームです。それぞれに個性があり、ほかにはないホテルライフをお過ごしいただけると思います」。
錚々たる面々の空間は、まさに泊まるアート。
「実は、彼らはみんな僕の知り合いなのですが、ほぼボランティアで参画してくれています。ジャスパーに限っては、“自分が客室を手がけるのはこれが最初で最後”と言っていました。本当に感謝しかありません。また、25室中8室には群馬出身のアーティスト牛嶋直子、小野田賢三、木暮伸也、鬼頭健吾、竹村 京、白川昌生、村田峰紀、八木隆行の作品が飾られています。世界の一流と肩を並べる環境は良い共鳴を生むと思っています。彼らはこれがきっかけで東京『フィリップス東京』でも個展を開きました(すでに終了)。そうやって派生していくのも良いモデルケースになったと思います」。
国内外の一流は、田中氏の情熱に引き寄せられ、『白井屋ホテル』を起点に広がりも見せています。
そのほか、外観をローレンス・ウィナー氏のメッセージが彩り、パブリックスペースには、杉本博司氏、ライアン・ガンダー氏、宮島達男氏などの作品がそこかしこに点在。美術館級のオリジナル作品が贅沢なまでに配されています。
内包される『the RESTAURANT』は、『ミシュラン東京ガイド』二つ星を獲得する『フロリレージュ』の川手寛康氏が監修。
「『フロリレージュ』は、自分が大好きなレストラン。是非ご一緒したく、川手さんにご相談したところ、快く引き受けてくださり、『the RESTAURANT』の片山シェフの研修もさせていただき、川手さんの人脈でほかのレストランでも学ばせていただく環境も整えてくれました。ゆかりのない前橋にも足を運んでくださり、生産者の元へも巡り、どうすれば前橋の食をより良く表現できるのかを熟考してくださいました」。
片山シェフは、『群馬イノベーションスクール』出身の人物でもあります。川手シェフとともに地域食材を独自の解釈で再構築させ、上州キュイジーヌとして提供します。
「世界の一流を前橋で体験できるということは、この街にとって価値あることだと思っています。地域には雇用を生み、住民にはコミュニティを生みます。“前橋のリビング”だと思って、老若男女いつでも遊びに来ていただきたいです。僕は、小さなころから建築が好きなのですが、それは実家が100年以上続いた建物に住んでいたからだと思っています。小さなころから本物に触れることは、未来の感性を養うことにつながるのではないでしょうか。そういう意味では、小さなお子さま連れも是非。また、今回はホテルを作りましたが、自分が目指すべきは“点”が“めぶく”ことによって“面”が“めぶく”こと。前橋は人口34万人の中核都市です。この中核都市は、日本に85ヶ所あると言われています。きっと同じような悩みをかかえている街も多いのではないでしょうか。前橋がひとつのロールモデルになれれば良いなと思っています」。
前橋の“めぶく”芽、才能、人は、大地に眠っています。それを開花させるための地均しと水やりこそ、田中氏の使命であり、活動の核なのかもしれません。
「古今東西、どの地域を見ても一番大切だと思うことは“学育”ではないでしょうか教育は教えて育むものですが、学育は学んで育むもの。学ぶ場を作りたくて『群馬イノベーションスクール』も立ち上げました。個が養われていけば、地域はもっと良くなると思いますし、きっと強くなるとも思います。前橋から日本を元気にしたい」。
1963年、群馬県前橋市生まれ。アイウエアブランド『JINS(ジンズ)』代表取締役社長。1981年『前橋信用金庫(現・しののめ信用金庫)』に入庫。1986年、服飾雑貨製造卸会社に転職し、1987年、個人にて服飾雑貨製造卸業の『ジンプロダクツ』を創業。1988年、『有限会社ジェイアイエヌ(現・株式会社ジンズ)』を設立。2001年より、アイウエアブランド『JINS』を展開。2006年、ヘラクレス市場(現・JASDAQ市場)に上場、2013年、東京証券取引所 市場第一部に上場。2014年、慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程を修了。故郷・群馬県内での地域活性化活動を目的に田中仁財団を設立し、代表理事に就任。
住所:群馬県前橋市本町2-2-15 MAP
電話:027-231-4618
https://www.shiroiya.com
Photograph:KENTA YOSHIZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI