玄界灘に突出した半島で醸す。人生初、松本日出彦は「槽」に乗る。

『田中六五』で知られる『白糸酒造』へ。江戸時代から続く酒造りの技法「槽搾り」を体験する松本日出彦氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO『田中六五』の本気。その情熱に食らいつく。

「槽(ふね)」に乗る。

聞き慣れない言葉の意味は、江戸時代の伝統的な酒造り「上槽(じょうそう)」という工程にある槽搾りとハネ木搾りにあります。これは、『田中六五』を造る福岡県糸島市の『白糸酒造』が創業した安政2年(1855年)より守り続けている技法です。

「上槽」とは、発酵を終えた醪を搾り、濾過する作業のことを指します。その工程にある酒と酒粕に分離するために用いる道具の形が舟に似ているところから、搾ることを「槽に乗る」と呼ぶのです。

この日、松本日出彦氏は、人生初の槽に乗ります。

「4月5日に仕込んだ醪を今日(5月1日)は搾ります。通常、横型の油圧圧搾機を採用しますが、『白糸酒造』は昔ながらの搾り方の槽搾り。更には、全てハネ木搾りというこだわり。特に時間と労力を費やします。これまで酒造りをしてきた自分も初めて経験する搾り方です。」と松本氏。

この日、搾る醪は、1,900ℓ。それを酒袋に一つひとつ詰め、槽に積んでいきます。交互に並べることによって不安定な袋同士が支え合う姿は、まるで長屋の構造のよう。更にそれを積み上げることによって自然の圧がかかり、濾過されるのです。袋の数は、370枚。同じ作業をひたすら繰り返すそれは、見た目以上に過酷です。

松本氏の額には汗が滲み、徐々に息が荒くなります。震える腕と指先、背中や腰の乳酸の疲労は限界を迎え、筋肉も悲鳴を上げるが、必死に食らいつくしかありません。

約2時間を有し、作業を終えるも「やや遅い」と隣で囁くのは、『白糸酒造』8代目の杜氏であり、『田中六五』の生みの親、田中克典氏。

「しかし、早ければ良いわけではありません。醪の溶け具合によって搾られる量を想定しながら積んでいくため、早過ぎて重ねた袋が崩れてしまったり、中から醪が溢れてしまっては意味がありません。そういった視点で見れば、日出彦さんは勘が良い」と言葉を続けます。

自然の圧に身を任せた搾りを待つこと約3時間。その後、一滴残らず搾り切るために行うのは、『白糸酒造』が誇る伝統「ハネ木搾り」です。

原始的な手法のそれは、数々の改革を起こしてきた田中氏が唯一守り続けていることでもあります。

「ハネ木搾り」を知らずして、『田中六五』を飲むべからず。

温故知新とも言える「ハネ木搾り」は「故」であり「個」。『白糸酒造』の「故」から生まれた『白糸酒造』の「個」こそ、『田中六五』なのです。

『白糸酒造』8代目杜氏・田中克典氏とともに松本氏が仕込んだ醪。「数値、経過など、自分の思い通りに仕込ませていただきました」と松本氏。

ホースから出てくる醪を一つひとつ酒袋に詰め、槽と呼ばれる箱に並べ、積み、仕込んでいく。

この日は、1,900ℓの醪を370枚の酒袋に詰める作業を行う。一袋に入れる量は、約5ℓ。それを体感で行う。

酒袋に詰めた醪を、槽の中へ交互に並べ、積み重ねていく。少しでもバランスを崩してしまうと醪が溢れてしまうため、「慎重に、丁寧に、かつスピーディに」と田中氏。

槽にひたすら醪を詰めた酒袋を並べ、積み上げる松本氏。その頭上には、堂々たるハネ木がそびえる。

創業は安政2年(1855年)。歴史ある『白糸酒造』の酒蔵には、「ハネ木による手しぼり」と記される。それは、令和3年(2021年)になった今なお、変わらない。

『白糸酒造』のシンボルとも言える煙突。現在はその役目を終えたが、風景としてその姿を残す。「変えてはいけないものは、技術や伝統だけでない」と田中氏。

「杜氏になってから唯一変えなかったことがハネ木搾りです。逆を言えば、それ以外は全て変えました」と田中氏。

「『田中六五』は、土地の原料が活かされた糸島にしかできない日本酒。味は革新的ですが、造りは伝統的なのは、田中さんだから成せる業だとおもいます」と松本氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO現代とは真逆の世界。「ハネ木搾り」は、時短ではなく長時の酒造り。

「槽」の上を見上げれば、梁のような大木が天に浮き、その出番を待っています。

「槽とハネ木を備える旧蔵は、約100年前に建てられたのですが、このハネ木はその時からあると聞いています。素材はカシの木でとても丈夫ですが、さすがに今はひび割れも多く、鉄で補強しながら現役で使っています」と田中氏。

この大木をテコの原理で槽に圧をかけ、最後の一滴まで搾ります。その調整を測るのは、十数個の石。小さいもので約20kg、大きいもので約80kgある石を槽とは逆側に吊るし、徐々にその数を増やしていきます。最終的には、約1.2tに及ぶも、更に驚くべきは、それにかける日数。3日間かけて、「ハネ木搾り」は行われるのです。

昨今、圧搾機などを用いて「ハネ木搾り」と謳う蔵も少なくありませんが、正真正銘の全量「ハネ木搾り」は、日本全国の中でも『白糸酒造』のみと言って良いでしょう。逆を言えば、それだけ現代の技術は発達しているため、機械に頼ることもできますが、あえて手造り、手作業にこだわっているのです。

3日間かけて搾られた酒は、サーマルタンクに移され、−3.5度まで冷やし、一週間寝かせます。その後、生の状態で瓶詰めし、まるでプールのように水を張った釜にそれを並べ、徐々に65度まで温度を上げ、瓶燗火入れを行います。

「生酒を除くお酒は、通常、“火入れ”という工程を経て店頭に並びます。香りや味を安定させるだけでなく、雑菌を死滅させ、おいしいまま長期保存をできるようにするためです。しかし、『白糸酒造』では、急激な温度変化で風味を崩さないよう、あえて時間と手間のかかる“瓶燗火入れ”を採用しているのです」と松本氏。

「それによってお酒のストレスも軽減でき、味がおいしくなる(はず)」と田中氏。

『田中六五』の酒造りには、現代における時短の世界はありません。むしろ、1時間のことに3時間費やし、1日のことに3日費やすような長時の世界。しかし、「時間をかければおいしくなるわけではないことも、伝統を守り続ければおいしくなるわけでもないことも理解しています」と田中氏。

2014年より杜氏に就任以降、既存の方針を変えてばかりいた田中氏だっただけに、変えなかったことへの想いは一入。「結果が全て」と言葉を続ける田中氏は、変えなかった造りを持って『田中六五』を創造したのです。

「六五」とは、その名の通り、糸島産の山田錦を65%精米して仕上げた純米酒です。そのきっかけになったのは、佐賀県姫野市が誇る『東一』の勝木慶一郎氏が手がけた65%精米して仕上げた純米酒との出合いでした。奇しくも、勝木氏は、松本氏の前蔵の顧問であった人物であり、今後は『白糸酒造』の顧問を務めます。

「原料に勝る技術はない」とは、勝木氏が師から得た言葉であり、松本氏にも残した言葉。

今、松本氏が最も重要視する原料、それは「水」です。

「そう感じることができたのは、今、ご一緒している『冨田酒造』、『花の香酒造』、『白糸酒造』、『仙禽』、『新政酒造』の五蔵と同時に酒造りをさせていただいているからこそ、改めて気づくことができたのだと思います。各蔵、発酵のさせ方や醪の数値など、自分なりに味のイメージを持って仕込ませていただいており、最初の口当たりや印象もその通りにできていると感じています。しかし、後味や奥行き、旨味の重心は、必ず各蔵が持つ美点が活かされた味になっている。ここで搾った荒走り(搾りの最初に出てくる酒)を飲んだ時にそう確信しました。そして、その理由は、原料の水にあると思ったのです」。

ハネ木に石を吊るす作業も人力。3日間かけ、大小の石を数十個吊るし、搾る。石の総重量は、最終的に1tを超える。

ハネ木に吊るす大小の石たち。結んだロープは、舟で漁師が使用しているものと同様。「実は、以前の杜氏が漁師町に住んでおり、そこから分けていただいています。上槽、櫂入れなど、海にまつわる文言が酒造りに多いのも不思議ですね」と田中氏。

ハネ木の重さで沈んでいく酒袋との間を微調整していくのは、大小の木の板と角材。これもまた、古くから使用され、素材はイチョウの木。

 左側に石を吊るし、テコの原理で右側の槽に積んだ酒袋に圧をかけ、搾る。鉄で補強しながら使い続けて約100年。

醪による自然の圧、ハネ木搾りで搾りきった酒は、サーマルタンクへ。−3.5度まで冷やす。

酒袋に醪を積み重ね終わった後、荒走りをひと口。「自分が介在した味は感じるも、しっかり『田中六五』になっている」と松本氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO原料に勝る技術はない。水に触れ、水を知り、水について考える。

たかが水、されど水。水を表現することは難しい。

水を化学式で表すとH2O。つまり、ふたつのH(水素)とひとつのO(酸素)が結びついてできている化合物です。しかし、学式だけでは表せないことが味や風土にあると思います」と松本氏。

田中氏とともに向かった先は、糸島の水源とも言える「白糸の滝」。

約24mある滝の高さは、水しぶきが飛ぶほど近くまで足を運ぶことができます。ふたりは、流れる水をひと掬い。

「ミネラルが適度に含まれる中硬水。蔵の井戸水とは若干違う味とテクスチャー。うちのは、もう少しもったりしているというか、とろみがあるというか。ウエットな感じ」と田中氏。

「きっと、ここから流れ落ちる間に水質も変わるのではないでしょうか。岩肌から滲み出るのか、冬に溜まった雪解け水なのか。地形によって同じ水源でも異なる素材になるのだと思います」と松本氏。

「そういう意味では、このあたりは岩盤が近く、それに付着していれば鉄分も含まれているかもしれません。滝は上から流れ落ちる水ですが、井戸は下から汲み上げる水。地下水が帯水する地層に含まれる成分も関係しているのかもしれません」と田中氏。

例えば、ここ「白糸の滝」を内包する「羽金山」の雨水の行方を検証してみると、地中への染み込みは約50%、蒸発は約25%、地表面への流れは約25%(全て、裸地を除いた数字)。森林は、水の命を蓄えているのです。

さらに水について追求を進めれば、「羽金山」を始め、周囲の山々から流れ落ちる水から育った米で『田中六五』は造られています。水は酒造りだけでなく、米作りから重要な役割を果たしているのです。『田中六五』の原料となる山田錦もまた、糸島の山北地区の田んぼで育てられています。

「標高は約80mの低山。面積が確保され、程良くゆるやかに傾斜もあり、水の通りも良い。海に抜ける風道もあるため、寒暖の差もあり、米作りには非常に適した環境だと思います」と松本氏。

糸島は、全国的にも有名な山田錦の産地であり、福岡全域は、地域の酒造組合を中心にお米が管理されています。全量米、つまり昔の配給米の仕組みです。ゆえに、田中氏が直接農家とやりとりすることはありません。今では珍しい仕組みであり、ある意味、健全な地域の証拠ではありますが、一方で変化を生みにくい面も備えます。

「いつか米作りから農家さんとご一緒したいと思っています。そのために、農家さんの信頼を得られる酒造りをしたい」と田中氏。

信頼を得られる酒造りとは、生産数を上げ、たくさんのお米を仕入れることにあります。直接、関係を持てなくとも『白糸酒造』と『田中六五』の勢いを仕入れる量の多さで認知させ、いつかのための準備をしているのです。

「歴史ある日本酒業界の方針を変えるのは難しいですが、選択肢は増やすべきだと思います。自分たちも既存の仕組みに否定的ではありません。しかし、年々減っている酒蔵の数や低下している日本酒の摂取量という結果を真摯に受け入れた時、新しい仕組みも必要なのではないかと考えています。なぜなら、日本酒は、間違いなく日本のお米を支えているから。日本酒の数が減れば、田んぼも減り、農家さんもいなくなってしまいます。そうなる前に何とかしなければいけません」とふたり。

酒造りは蔵から始まるのではありません。原料が生まれる蔵の外から始まっているのです。

「レストランやお客様はもちろん、世の中は常に進化している。日本酒においても時代に応じた進化が必要。当たり前を見直し、変化を恐れてはいけない」とふたりは言葉を続けます。

伝統や歴史があるものは、時代との呼応を相容れないことがあるのかもしれません。

本当に大切なことは変えない。しかし、変えるべきことは変える。

『白糸酒造』のように。『ハネ木搾り』のように。『田中六五』のように。

全てにおいて、「守破離」を繰り返すことによって、物事は卓越していくのです。

 羽金山の中腹530mに位置する「白糸の滝」。文字通り、岩肌を白い糸のように流れる。その美しい景観は、県指定名勝にも選ばれる。しばし、滝の景色と音に癒される松本氏と田中氏。

「白糸の滝」から流れる清流は透き通るほど美しく、ヤマメも泳ぐ。

「酒を知るには土地を知ることが大事。土地を知るには水を知ることが大事。水が酒を決める」と松本氏。

『白糸酒造』から湧き出る井戸の水。「うちの水は少しとろみがあります。実は、最初はこの水があまり好きではありませんでした。しかし、この水によって馴染んでいく味がうちの日本酒であり、個性。大事な原料であり、自然からの大切な恵みです」と田中氏。

『田中六五』のお米は、糸島の山北地区で育った山田錦。「水が豊か、広く平らな土地、土の水はけも良い、昼夜の温度差もある。米作りには最適な環境だと思います」と松本氏。「農家も田んぼを守らなければいけない。誰に預けるのか、どの蔵に預けるのか。そういった問題にも一緒に向き合いたい」と田中氏。

上記よりも更に上空から望んだ糸島らしい景色。山があり、海があり、田園風景が広がる。

HIDEHIKO MATSUMOTO決して人助けではない。頼まれたわけでもない。ただ、一緒に酒造りをしようぜ。

実は、松本氏と田中氏の付き合いは長く、共通点も多い。

「最初の出会いは大学時代。ただ、その時は別に仲が良かったわけではない(笑)」とふたり。

卒業後、松本氏は『九平次』を造る名古屋『萬乗醸造』と『東一』を造る佐賀『五町田酒造』へ。田中氏は、広島『酒類総合研究所』を経た後、松本氏同様、佐賀『五町田酒造』へ。

同じ大学、同じ修業先。そして、前述の通り、ふたりを結ぶ勝木氏の存在。しかし、何より一番の共通点は、「お互い社交性が低い……。だから、仲良くなれなかった(笑)」とふたり。

では、いつからその距離は縮まったのか?「最近(2020年)ですかね(笑)」とふたり。

加えて、年齢が近い職人同士の輪は広がり、会えば夜な夜な熱い話をする日々。そんな矢先に起こった出来事が松本氏の蔵問題だったのです。

「過去は変えることはできない。変えることができるのは未来だけ。ですから、不謹慎かもしれませんが、変化と進化するチャンスだと思いました。助けようだなんて思っていません。そんな大それたことは自分にできませんから。ただ、日出彦さんは、大好きな友達だから。遊びも一緒にしたいし、勉強も一緒にしたい。だから……、ただ、一緒に酒造りをしようぜ」。田中氏は、そう振り返ります。

一方、そんな誘いを受けた松本氏でしたが、「当時の自分は、すぐに気持ちの切り替えはできず、うちに篭っていました」と話します。

「“それでもいいから、待ってるよ。酒造りがしたくなったら、一緒にやろうぜ”。田中さんは、そう言ってくれました」。

「他の友達が同じ状況になっても同じことをしたと思います。日出彦さんだって、逆の立場だったらそうしたんじゃないですかね。一緒に酒造りをしてみて感じたことは、攻めの数値。醪の経過も強気ですし、これは性格ですかね?(笑)」と田中氏。

「確かに、バランス良く酒造りをしている田中さんから見たら、そう映るかもしれませんね(笑)。吟醸酒作りではなかった自分にとっては、いつも通りなのですが……」と松本氏。

「日出彦さんの造っていた日本酒は、ガスを効かせ、熟成にも勝るフレッシュさもありました。その製法に関して話には聞いていましたが、あくまで口頭から得た想像の世界。今回、一緒に酒造りをすることによって、色々、理解できたことも多かったです」と田中氏。

一方、酒造りをさせてもらうことによって、松本氏は多くの発見を得ることができました。

「自分の魂はどこにあるのか。自分の酒造りは何だ。生きる営みこそ酒造りであり、それを表現するために、自分は再び酒造りの世界へ戻りたい。そう思いました。田中さんは、審美眼に長け、感度も高い。有言実行、変えるところはとことん変え、守るところはとことん守る」と松本氏。

事実、以前の『白糸酒造』は、難局を迎えていましたが、田中氏の杜氏就任後、さまざまな改革によって蔵は持ち直します。

「でも、新しい蔵を作る時には、反対されましたけどね(笑)」と田中氏。

酒造りはチーム。『白糸酒造』が守り続ける「上槽」のごとく、杜氏は言わば船頭。

「船頭(杜氏)は、一番強い風を受けなければいけません。その後ろで櫂を漕ぐ人間(職人)に同じ風当たりを理解してもらうのは難しい。どんな舵を切るのか、どんな海に向かうのか、それは穏やかなのか、荒波なのか。全ては田中さんにかかっている。『白糸酒造』は、みんな田中さんを信じて航海している素晴らしいチームだと感じました」と松本氏。

そんな航海の仕方は、日本酒業界においても同様かもしれません。

これがうまいとされる味をなぞれば、造りも原料も似てしまう。ある意味、安心安定の穏やかな海への航海ですが、結果、各々が持つ地域性や蔵の個性は失われてしまいます。特性を活かすためには、群から外れた荒波への航海の選択をしなければいけません。しかし、群が生んだ味の正解、造りの正解、原料の正解ではない、新しい正解を受け入れてもらうのは至難の業です。

「味を決めるのはあくまで消費者ですが、その責任を果たす義務が我々にはあると思います。自分たちの都合で変わらないのは良くない。逆にそれによって守れないものも出てくる。もはや、自分たちだけの問題ではありません」とふたり。

その問題はさまざま。解決するためには、どんな航海をするべきなのか。これからの松本氏の人生も例外ではありません。むしろ、波風のない平穏な海への航海はないでしょう。

「心を燃やして酒造りをするしかない。その種火は、他所から持ってきては意味がない。自分で起こすしかない」とは田中氏の言葉。

自分の正しいと思うコンパスを信じて、舟に乗る。

田中克典と過ごした時間から松本日出彦が学んだことは、酒造りだけではありません。そんな情熱を学んだのです。

「初めて一緒に酒造りができて、お互い良い経験になった」と田中氏。「今回、お世話に立っている5蔵の中で一番自由に酒造りをさせていただきました。仕上がりが楽しみです」と松本氏。

2016年に田中氏が建てた新たな蔵(手前)。モダンなコンクリート建築は、まるで美術館のよう。伝統的な「ハネ木搾り」を行う旧蔵(奥)とは対象に、ここではテクノロジーを駆使し、味の数値化やデータ管理する機能を備える。「変えないところはかえない。変えるところは変える。このバランス感覚と行動力に田中さんは長けている」と松本氏。

新旧の建物が並ぶ『白糸酒造』。「田中」とは田中家の姓であるとともに、「“田”んぼの“中”にある酒蔵で醸された」という意味も込められている。まさにそれを可視化した風景。

糸島産山田錦のみを65%精米して仕上げた純米酒『田中六五』。「『田中六五』が目指すは、オンリーワンでもナンバーワンでもありません。本当に伝えたいお酒を作り続けることによって、定番になることを目指したい」と田中氏。

住所:福岡県糸島市本1986 MAP
TEL:092-322-2901
http://www.shiraito.com

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI