美味しいひと皿ではなく、感動するひと皿。大切なことは、キッチンの外にある。[SUGINOMORI REVIVAL/長野県塩尻市]

 「奈良井には、昔からあるひとつ一つのものに“誇り”を感じます。それは、きっと住民の方々が大事に受け継いできたからだと思います。町を知り、学ぶことによって、それをどう料理に活かせるのかを追求していきたいです」と『嵓 kura』の料理長、友森隆司氏

友森隆司インタビュー同じ塩尻でも奈良井は特別。ここだけにしかない、誇りがある。

そう話すのは、宿泊施設『BYAKU』に内包するレストラン『嵓 kura』の料理長、友森隆司氏です。

友森氏は、同じ塩尻にある大門にて自身のレストラン『ラ・メゾン・グルマンディーズ』を構えるシェフです。2011年に『トムズレストラン』として開業し、2015年に現在の店名に改め、10年の節目を迎えた2021年。レストラン『嵓 kura』の料理長として、新たな料理人人生を歩む決断をしたのです。

「パリや東京、横浜、そして松本など、さまざまな国と地域でフランス料理を学んできました。そんな中、ご縁で訪れた塩尻の野菜の魅力に惹かれ、お店を構えるならこの地域でと思い、2011年に開業しました。しかし、お店を成功させることだけでなく、当時から “塩尻の食文化を伝える”ことを目標に掲げていました。その期限は、20年」。

そのゴールは、「塩尻の食文化を“日本全国、世界へ”を伝えること」。自らロードマップを描き、達成までに設けた期限は20年と決めていました。着々と目標に向け、レストラン以外にも活動を開始。料理教室やイベントを通して地域や住民、生産者との交流を図り、食材の仕入れにおいても畑まで足を運びます。農家から余った野菜をいただけば、無駄にせず、出張マルシェも展開。塩尻の食文化を伝えることを通して、雇用も生んできたのです。

「実は、自分の出身は広島なんです。そんな余所者を受け入れてくださった塩尻の方々は、本当に優しく、温かい心を持っています。それに恩返しをしたいと思って始めたのが、“塩尻の食文化を伝える”活動でした。10年続け、塩尻の中では浸透してきたのですが、次は外に向けて発信したいと思っていました。しかし、それを成すには、『ラ・メゾン・グルマンディーズ』という個人のお店では難しさを感じていました。そんな時にレストラン『嵓 kura』のご縁をいただいたのです。しかし、正直悩みました。自分のお店を置いて奈良井に行くことも然り、歴史ある『杉の森酒造』の再生に自分が務まるのか、奈良井の方々に受け入れていただけるのか……」。

大きな分岐点にもなる2度目のご縁。様々、思いを巡らせるも、決断した決め手は初志貫徹、“塩尻の食文化を伝える”ためでした。

「このプロジェクトに参画することになってから、奈良井に足繁く通っていますが、本当に知らないことばかり。同じ塩尻でも『ラ・メゾン・グルマンディーズ』で仕入れていたものが仕入れられるかといえばできませんし、勝手も全く違う別世界。食文化においても、漬物や発酵、おやきなど、飾り気のないものが多いですが、そんな素朴の中に“誇り”を感じます。実は、奈良井でそば粉を打っているお母さんのところへ遊びに行かせていただく機会があったのですが、そこで食べさせていただいたキュウリのお漬物が本当に美味しくて。もちろん、プロの料理人の方ではなく、家庭で育てたキュウリを家庭で漬けたものなのですが、自分には出せない味でした。こうした体験に『嵓 kura』で表現すべき料理のヒントが隠されていると思いました」。

記憶に残る旅とは、地域らしさを一番色濃く享受できる時間。それは、地域にとって当たり前であればあるほど、日常であればあるほど、ゲストにとっては新鮮であり、唯一無二の体験となるのです。

しかし、地域の人間でない友森氏がそれを表現するのは至難の業。まずは、地域に受け入れていただく料理人になるために、人間になるために。大門に受け入れていただけるよう努力した日々を、もう一度、ゼロから奈良井でスタートさせます。

 店名の『嵓 kura』とは、山稜の下に眠る岩などの意味。古くから奈良井宿を支えてきた奈良井川の源は、山から流れる水。そんな自然からの恵みを料理の起点と捉え、「蔵」の呼び名をそのままに「嵓」として引き継ぐ。

『杉の森酒造』だった当時、酒造りをする「蔵」として活気に満ち溢れていた空間をレストラン『嵓 kura』として再生。奥のガラスの向こうでは、酒造りも復活させる。

友森隆司インタビュー『嵓 kura』の料理に必要なことは、理由のある料理。

奈良井宿は山々に囲まれ、そこから流れ出る水が奈良井川の源。日本最長、約1kmにも及ぶ宿場には、古くは鳥井峠を行く人、来る人の喉を潤わせてきた水場も点在し、今もなお、水と密接に関わる暮らしが形成されています。

「今回、料理の監修を担っていただく長谷川(在佑)シェフが大事にしている食材のひとつにお米があります。ご存知の方も多いですが、ご自身のレストラン『傳』と言えば、土鍋ご飯。『嵓 kura』でもそれを取り入れたコース料理を考案しており、塩尻の西条という地域で育ったお米を使用しようと思っています。理由は、奈良井と同じ分水嶺から育つお米だからです。土鍋ご飯の試作では、その具材に同じ尾根から流れ出る水で育ったシナノユキマスやイワナとも合わせてみました。食材たちが生まれた環境は違えど、同じ水から育ったもの同士、自然と馴染みが良い」。

長谷川氏が『嵓 kura』で大切にしたいことは、「この町が生きてきた自然のものやことを自然なかたちで活かした料理」。前述のキュウリの漬物やお米選び、水との関係にもつながります。

「奈良井に来てから、地元の方々には本当に良くしていただいており、とても感謝しております。町を歩いていると、すれ違いに「山菜持っていきな!」、「フキ持っていきな!」など、声をかけていただくことも多いです。大門では、食材をご一緒する生産者は農家さんのみでしたが、奈良井では地元の方々も生産者のような存在。皆さん、山を熟知されているので、どこに何が自生しているかの知識も豊富。クレソン、キノコ、セリ、三つ葉、ミョウガ、イタドリ、山椒、ウド……。数え切れません。今日、芽が出た。今日、実った。今日、咲いた……。これまで経験したことのない産地の近さ。そんな日々の旬、本当の意味での採れたてをどう料理に活かしていくのか。しかし、同時に自然との近さと運命共同体のため、険しい環境もあります。それを含め、奈良井のことを『嵓 kura』のチーム全員が知り、学ぶことが必要だと思っています」。

また、環境だけでなく、『ラ・メゾン・グルマンディーズ』との違いのひとつに、スタッフの人数が挙げられます。友森氏は、これまで料理をほぼひとりで担ってきたため、自身が表現したいことを自身の手でかたちにしてきましたが、『嵓 kura』はチームで共有し、かたちにしていきます。よって、足並みや目線合わせは非常に重要になります。

「『嵓 kura』に必要なことは、高級な食材を使用したフルコースではないと思っています。例えるなら、美味しいひと皿よりも感動するひと皿。長谷川シェフは、皿に乗った料理よりも、調理の技術よりも、その前の出来事に時間を費やし、丁寧に向き合い、真摯に理解しようとしています。つまり、本当に大切なことは、キッチンの外にあるのだと思います。皿の上だけでは表現できないことに大切なことがあるのだと思います。感動は、そんなプロセスから生まれるのだと考えています。ひと皿一皿、味の記憶だけでなく、なぜそれが生まれたのかを伝え、皿の上では表現できない、見えない物語が記憶に残る料理にしたい。それには、ひと皿が生まれた理由が必要であり、その理由を生むには、背景を学ばなければいけません。奈良井の方々に愛される『嵓 kura』になれるよう、全力を尽くしたいと思います」。

やるべきことはわかっている。やらなければいけないこともわかっている。なぜなら、一度、余所者を経験しているから。10年かけて大門に必要とされるお店になれたように、シェフになれたように、人間になれたように、友森氏は、奈良井でもそれを目指します。

料理監修を担う『傳』の長谷川在佑氏(右)と試作を続ける日々。『BYAKU』に訪れて良かった、『嵓 kura』に訪れて良かったではなく、奈良井に訪れて良かったと思える料理を目指す。

『嵓 kura』では、『傳』のような土鍋ご飯もコース料理に採用予定。お米は、奈良井と同じ分水嶺、塩尻の西条で育つものを使用。

キッチン、サービス含め、塩尻を中心にスタッフは構成。長谷川氏を中心に、日々、トレーニングを重ね、開業までに精度を上げる。


Photographs:SHINJOH ARAI
Text:YUICHI KURAMOCHI

地域と向き合う覚悟。学び続けることによって答えを探し続ける責務。[SUGINOMORI REVIVAL/長野県塩尻市]

「お客様はもちろん、地元の方々に美味しいとおっしゃっていただけるような料理にしたい。開業して良かったと思っていただけるようなレストランにしたい」と『嵓 kura』の料理監修を担う長谷川在佑氏。

長谷川在佑インタビュー自分はこの町に何を残せるだろうか。どんな責任が果たせるだろうか。

約1kmにわたる日本最長の宿場町、「奈良井宿」。そんな歴史ある町並みに200年以上身を構えていたのが『杉の森酒造』です。

2012年、惜しまれつつ閉業してしまったその建物は、宿泊施設『BYAKU』として再生され、2021年8月4日に開業を迎えます。

宿泊機能だけでなく、レストラン、バー、温浴施設、そして、酒蔵も内包。中でも注目したいのは、レストラン『嵓 kura』です。料理を監修するのは、日本のトップシェフとして知られる『傳』の長谷川在佑氏。

「今回のプロジェクトで初めて奈良井宿の存在を知りました。インターネットでどんな町か調べてから現地入りしましたが、実際は想像以上に美しく、現代において忘れ去られていた“正しい時間”が流れている町だと感じました。昨今、テクノロジーの技術が発達し、そのスピードは日に日に早くなっていると思います。SNSであれば、写真やコメントが瞬時にアップでき、時間差なく世界中の人と交流できてしまいます。そんな情報過多の仮想世界は、行ったつもり、見たつもり、食べたつもりなど、“つもり現象”が起こることもしばしば。流通においても、欲しいものを検索し、翌日にはそれが届いてしまう。ものを見て判断することや足を運んで探すプロセスは省かれ、愛着や手間隙という概念は崩壊寸前。先ほどの通り、自分も奈良井宿をインターネットで調べましたが、そこで得たものは一刀両断されました。独自の空気感は、画面上では決して感じることはできず、何もない町のようで“何か”ある、そして、その“何か”は生きる上で必要な“何か”、大切な“何か”だと本能的に身体で感じたのです」。

太陽が昇り朝は訪れ、陽が沈めば夜が訪れる。明るい時間は明るく、暗い時間は暗い。語弊を恐れずに言えば、決して便利な町ではありません。しかし、自然に抗うことなく暮らしが形成されているこの町には、正しい時間が流れています。

長谷川氏が感じた“何か”とは何か。難問の答えはすぐに解けるわけもなく、奈良井宿はそんな容易い町ではありません。

江戸時代から守り続けられた町並みを一歩一歩歩きながら、その建築様式に目を凝らし、「きっと多くの旅人の休息を叶えてきたのだろう」と様々な思いを巡らせるも「感傷に浸っている時間はない」とひと言。

「料理の監修は、『傳』の新メニューを考案することよりも、『傳』の新店を作ることよりも、ほかの何よりも一番難しい」。

レストラン『嵓 kura』は、元々、酒蔵だった空間を再生。できる限り、既存の部材を残し、奥のガラスの向こうでは酒造りも復活させる。

「美味しく仕上げる食事よりも、この町で暮らすには必要だった生きるための食事を学び、料理に活かしていきたい」と長谷川氏。

長谷川在佑インタビュー

料理監修は料理だけにあらず。チームの監修、人間力の向上こそ、絶対条件。

「この町には、高級料理や希少食材は、必要ないと思っています。なぜなら、今の時代、高級料理はどこに行っても食べることはできますし、希少食材も手に入れようと思えば世界中から取り寄せることも可能ですから。それよりも、この町が生きてきた自然のものやことを自然なかたちで料理に活かし、表現したいと思っています。もしかしたら、それは必ずしも“美味しい”が答えではないかもしれません」。

例えば、山々に囲まれた奈良井宿で一級の海鮮を供すことに意味を成すのか? それよりも、ここでは身近に自生する山の幸に意味があるのです。しかし、そんな山の幸も奈良井宿の険しい冬には敵いません。ゆえに、保存食が必要とされ、発酵に意味があるのです。

「レストランに行く。美味しい料理が出る。一見、当たり前のように思うかもしれませんが、果たしてこれは旅先に必要なことでしょうか。美味しい料理=体験とは限らないと考えます。これまで、ありがたいことに様々な国へ足を運ばせていただくことがあります。当然、各地で食事もするわけですが、実はあまりレストランへ行きません。なぜかというと、その土地で生まれたその土地の料理を味わいたいからです。自分が思うそれをいただけるところは“お母さん”が営むお店なのです。そこで地元の味、家庭の味をいただき、調理法を教わり、会話をする。自分にとっては、そんな時間が旅を豊かにしてくれるのです」。

奈良井宿の豊かさは、予約が取れないレストランに行くことやガストロノミーをいただくこととは異なります。それと同じ舞台で勝負する必要もなければ、比べる必要もありません。ランキングや星の数よりも大切なことが『嵓 kura』には必要であり、だからこそゲストを体験へと導くのです。

「そのポテンシャルは、ある。あとは、“我々”の問題」。

「自分の問題」ではなく、「我々の問題」と指す意味は、「料理監修は料理だけにあらず。チームの監修、人間力の向上こそ、絶対条件」につながります。

「実は、メニューを開発することは、さほど難しくはありません。キャリアのある方であれば、技術に関しても自ずと身に付いていくと思います。しかし、本当に大切なことはそこにはないと思っています。地域を理解する心、そこに住まう方々を知る心、そして何より、地域に受け入れていただける人間になること。これは料理人として、レストランに関わるスタッフとして云々以前の問題です。この監修という仕事が難しいと感じる一番の理由は、“土地に自分が居続けることができないこと”にあります。自分が伝えたいことは、常駐するスタッフがどのようにこの土地と介在するべきなのかの意義。おそらく、開業時には未熟な状態です。自分もまだまだ足りないと自覚しています。もっと地域から学ばなければいけない。住民の方々から学ばなければいけない。更に言えば、学んだ先に答えは見つからないかもしれない。それでも『嵓 kura』のみんなで学び続けることが大切なのだと思います」。

なぜ学び続けるのか。それは、奈良井の一員にさせていただくためのほかなりません。

長谷川氏の言う通り、『嵓 kura』は未完成であり、もしかしたら、生涯、未完成のままかもしれません。

ひとりで難しいこともチームで乗り超えていく。チームの価値とは、苦しい時は助け合い、分散し、喜びは共有でき、倍増することにあります。それを成すために必要なことは、これを分かち合える人間になれるか否か。

学ぶことは人間力の向上。そのプロセスには、テクノロジーの技術を駆使した一足飛びはありません。この町同様、正しい時間をかけて正しく身につけていくことが重要なのです。

「料理を作ることだけがレストランではない。お客様のために何ができるか。“良かったよ!”、“また来るね!”ではなく、次の約束をできるような満足をお届けしたい。そのために自分たちに何ができるか。それは“準備”しかありません。準備して、準備して、準備して。それでも反省は生まれてしまいます。しかし、後悔するようなことをしてはいけません。かたちだけのストーリーはいらない。実は、以前、地元の方から鯉を食べる文化のお話を伺ったのですが、その時に“鯉は骨が多くて食べづらいんですけどね”とおっしゃっていて。自分に文化を作ることはできませんが、料理人としての技術を生かして、その鯉を食べやすくすることはできると思いました。学ぶことによっていただいたものを新しいものにしてこの町に残していけるようにしたい。地元の方々が歩んできた時間を大事にしたい。奈良井宿に喜んでいただけるような場所にしたい。心技体を持って、奈良井宿と向き合いたいと思っています」。

自然と暮らしが密接な関係で結ばれている奈良井宿。『BYAKU』の付近に自生している山の幸を摘む長谷川氏とレストラン『嵓 kura』の料理長を担う友森隆司氏。

塩尻を中心に新鮮な野菜などを起用して料理を考案。良い料理作りは、まず地域を知ることと、食材を知ることから始まる。

長谷川氏が地元の方から「鯉を食べる文化はあるも、骨が多く食べづらい」という話を聞き、骨切りを施し、食べやすく試作。

作っては試し、また作っては試し。開業ギリギリまで試作は続く。『傳』でお馴染みの土鍋ご飯は、塩尻のお米を使用してレストラン『嵓 kura』でも提供予定。

レストラン『嵓 kura』のスタッフ。「このチームで様々を乗り越え、何としても良いかたちにしたい。この町に認めてもらえる場所にしたい」と長谷川氏。


Photographs:SHINJOH ARAI
Text:YUICHI KURAMOCHI