切っても脂が滲まない、臭みと無縁の味。至高の淡水魚・信州サーモン。[鹿島槍ガーデン/長野県大町市]

北アルプスの雪解け水で育つ信州のブランド魚。

北アルプスの豊かな自然に囲まれ、力強くも澄んだ味わいの食材を生産する長野県大町市。そんな大町市で素晴らしい食材を探すべく、イタリアンの巨匠『HATAKE AOYAMA』神保佳永シェフが大町市を巡りました。
今回出合ったのは、研究者の探究心と生産者の熱意、そして長野の清冽な水が生んだ奇跡の淡水魚・信州サーモン。神保シェフは信州サーモンに何を感じ、そしてどんな料理を思いついたのでしょうか。

北アルプスの雪解け水を源とする鹿島川の水。夏でも15度以下という低い水温が特徴。

最新のバイオテクノロジーで誕生した信州サーモン。

時は20世紀の終わり頃。「信州ならではの食材を」との思いから長野県水産試験場で淡水魚の研究が始まりました。しかし新品種の開発はそう簡単には進まず、時間が流れます。そして約10年の歳月を費やし、ついに満足のできる種が誕生しました。
それは細心のバイオテクノロジーによってニジマスとブラウントラウトを交配し、両者の良いところを受け継いだ種。三倍体という遺伝子構造で雄しか存在せず卵を産まないため、産卵のエネルギーを脂の乗った肉厚な身として蓄えます。研究者はその輝く銀色の魚体から、この魚を“信州サーモン”のと名付けました。

特殊な技術によって生まれる信州サーモンの稚魚は長野県水産試験場で育てられ、そこから県内の各養殖場に出荷されます。そこから先は、熟練の魚飼いたちの出番。独自に餌を工夫し、環境に細心の注意を払いながら、それぞれが愛情を持って育てます。やがて同じ信州サーモンでも養殖場によって違いが生まれ、2〜3年後に成長しきる頃にはその生産者の自慢のブランドとして出荷されるのです。

銀色に輝く体からサーモンの名がついた信州サーモン。身は肉厚で鮮やかなオレンジ色。

クセがなく、適度な脂が乗った信州サーモンは、もちろん刺し身でも抜群のおいしさ。

水産試験場から出荷された稚魚を、各生産者が丹精込めて育て上げる。

鹿島川の清き水が育てる臭みのない魚。

名峰・鹿島槍ヶ岳の懐に位置する『鹿島槍ガーデン』は、そんな養殖場のひとつ。正確には広大な敷地の中に管理釣り場と養殖場を備えたフィッシングガーデンで、巨大なニジマスやトラウト、ときにはイトウまで釣れると釣り人たちの伝説として語られる名所です。

そんな『鹿島槍ガーデン』は、人生を川魚の養殖一筋に捧げてきた社長・矢野口千浪氏が1971年に開きました。安曇野穂高生まれの矢野口氏は、当時28歳。釣り場を開くことを夢見て、良質な水を探して長野中を歩き回りました。そしてとうとう見つけたのが、安曇野にもほど近いこの場所。「探していた場所がこんなに近くにあったんですね」矢野口氏は懐かしそうに振り返ります。

矢野口氏が惚れ込んだのは、鹿島川の水。北アルプスの雪解け水を源流とするこの水は、冬場は水温0度まで下がり夏場でも15度以下。川の水をそのまま引いている養殖場も、自然そのままの環境です。そしてこの厳しさが、結果としておいしい魚を育てました。

というのも冬場、極寒となる水中の魚たちは活動を止め、餌をまったく食べなくなります。ゆえに一般的な養殖場と比べ、成長まで2倍近くの時間がかかるのです。そしてゆっくり育てることで臭みが抜け、クリアなおいしさの身になるのだとか。さらに冷たい水は身を引き締め、脂を良質にします。自然に近い環境のため余分な脂は乗らず、身には旨味がギュッと凝縮されます。「鹿島川ほどおいしい魚のいる川はない」矢野口氏はそう胸を張ります。

実は以前に何度も『鹿島槍ガーデン』を訪れ、信州サーモンも料理に使用していた神保シェフ。つまりその品質は、すでにシェフのお墨付きです。それでも再びこの地を訪れ、矢野口氏と再会の挨拶を交わすと、すぐに養殖場の見学や試食などで変わらぬ品質を確認します。

鹿島川の水をそのまま引き込む『鹿島槍ガーデン』は、自然に近い生育環境。

『鹿島槍ガーデン』の矢野口氏。半世紀以上の月日を、川魚の養殖に捧げてきた。

『鹿島槍ガーデン』を見学する神保シェフと『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』 の泉田シェフ。

『鹿島槍ガーデン』では信州サーモンのほか、希少な岩魚の刺身や卵などを試食させてもらった。

濃厚な旨味と食感を、シンプルな調理で際立てるシェフの技。

「川魚特有の臭みが一切なく、身が引き締まっている。海の魚にも負けない味です」

そう言い切る神保シェフ。
そして神保シェフが『鹿島槍ガーデン』の信州サーモンも使って作ってくれたのは、意外にもシンプルなフライでした。

「鹿島槍ガーデンの信州サーモンは、揚げても身がしっかりと締まった肉のような身質ですから、レアのねっとりとした食感を味わってみてください」とフライに仕立てた理由を教えてくれた神保シェフ。
さらに「切ったときに赤い脂が滲んでこない。身に臭みがまったくない。いろいろと魚を食べてきましたが、ここまでクリアな味わいの川魚ははじめてです。多くの場合、臭みの原因は水質。だから鹿島槍ガーデンは、水質が本当に良いんでしょうね。何しろ岩魚を刺し身で食べられる養殖場ですから」と手放しの称賛を寄せました。

レシピはパン粉を付けて揚げる一般的なフライの作り方。イクラを添え、バジルオイルで香りを付け、仕上げにパプリカの粉を振れば、より本格的な味わいに。
内部をレアに揚げるコツは「2cmほどの厚みの場合なら冷蔵庫から出したての魚を、180度で2分ほど揚げる。表面がこんがりしてきたら、内側はちょうどレアになっています」と神保シェフ。

揚げたてを頂いてみると、衣の香ばしさとねっとりとした独特の信州サーモンの食感、ギュッと締まって旨味を湛えた身、イクラの塩気とタルタルソースの酸味が一体となった極上の味。一見、家庭料理のようですが、さまざまな小技で一体感を演出するのは、まさにスターシェフならではのテクニックです。

『鹿島槍ガーデン』のいくら(奥)と岩魚の卵(手前)。この希少な味も神保シェフのインスピレーションを刺激した。

フライといってもシェフが仕立てるのは、美しく盛り付けた洋食としての逸品。

中は見事なレア。衣の香ばしさとの食感の対比や濃厚な味わいが楽しめる。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)

切っても脂が滲まない、臭みと無縁の味。至高の淡水魚・信州サーモン。[鹿島槍ガーデン/長野県大町市]

北アルプスの雪解け水で育つ信州のブランド魚。

北アルプスの豊かな自然に囲まれ、力強くも澄んだ味わいの食材を生産する長野県大町市。そんな大町市で素晴らしい食材を探すべく、イタリアンの巨匠『HATAKE AOYAMA』神保佳永シェフが大町市を巡りました。
今回出合ったのは、研究者の探究心と生産者の熱意、そして長野の清冽な水が生んだ奇跡の淡水魚・信州サーモン。神保シェフは信州サーモンに何を感じ、そしてどんな料理を思いついたのでしょうか。

北アルプスの雪解け水を源とする鹿島川の水。夏でも15度以下という低い水温が特徴。

最新のバイオテクノロジーで誕生した信州サーモン。

時は20世紀の終わり頃。「信州ならではの食材を」との思いから長野県水産試験場で淡水魚の研究が始まりました。しかし新品種の開発はそう簡単には進まず、時間が流れます。そして約10年の歳月を費やし、ついに満足のできる種が誕生しました。
それは細心のバイオテクノロジーによってニジマスとブラウントラウトを交配し、両者の良いところを受け継いだ種。三倍体という遺伝子構造で雄しか存在せず卵を産まないため、産卵のエネルギーを脂の乗った肉厚な身として蓄えます。研究者はその輝く銀色の魚体から、この魚を“信州サーモン”のと名付けました。

特殊な技術によって生まれる信州サーモンの稚魚は長野県水産試験場で育てられ、そこから県内の各養殖場に出荷されます。そこから先は、熟練の魚飼いたちの出番。独自に餌を工夫し、環境に細心の注意を払いながら、それぞれが愛情を持って育てます。やがて同じ信州サーモンでも養殖場によって違いが生まれ、2〜3年後に成長しきる頃にはその生産者の自慢のブランドとして出荷されるのです。

銀色に輝く体からサーモンの名がついた信州サーモン。身は肉厚で鮮やかなオレンジ色。

クセがなく、適度な脂が乗った信州サーモンは、もちろん刺し身でも抜群のおいしさ。

水産試験場から出荷された稚魚を、各生産者が丹精込めて育て上げる。

鹿島川の清き水が育てる臭みのない魚。

名峰・鹿島槍ヶ岳の懐に位置する『鹿島槍ガーデン』は、そんな養殖場のひとつ。正確には広大な敷地の中に管理釣り場と養殖場を備えたフィッシングガーデンで、巨大なニジマスやトラウト、ときにはイトウまで釣れると釣り人たちの伝説として語られる名所です。

そんな『鹿島槍ガーデン』は、人生を川魚の養殖一筋に捧げてきた社長・矢野口千浪氏が1971年に開きました。安曇野穂高生まれの矢野口氏は、当時28歳。釣り場を開くことを夢見て、良質な水を探して長野中を歩き回りました。そしてとうとう見つけたのが、安曇野にもほど近いこの場所。「探していた場所がこんなに近くにあったんですね」矢野口氏は懐かしそうに振り返ります。

矢野口氏が惚れ込んだのは、鹿島川の水。北アルプスの雪解け水を源流とするこの水は、冬場は水温0度まで下がり夏場でも15度以下。川の水をそのまま引いている養殖場も、自然そのままの環境です。そしてこの厳しさが、結果としておいしい魚を育てました。

というのも冬場、極寒となる水中の魚たちは活動を止め、餌をまったく食べなくなります。ゆえに一般的な養殖場と比べ、成長まで2倍近くの時間がかかるのです。そしてゆっくり育てることで臭みが抜け、クリアなおいしさの身になるのだとか。さらに冷たい水は身を引き締め、脂を良質にします。自然に近い環境のため余分な脂は乗らず、身には旨味がギュッと凝縮されます。「鹿島川ほどおいしい魚のいる川はない」矢野口氏はそう胸を張ります。

実は以前に何度も『鹿島槍ガーデン』を訪れ、信州サーモンも料理に使用していた神保シェフ。つまりその品質は、すでにシェフのお墨付きです。それでも再びこの地を訪れ、矢野口氏と再会の挨拶を交わすと、すぐに養殖場の見学や試食などで変わらぬ品質を確認します。

鹿島川の水をそのまま引き込む『鹿島槍ガーデン』は、自然に近い生育環境。

『鹿島槍ガーデン』の矢野口氏。半世紀以上の月日を、川魚の養殖に捧げてきた。

『鹿島槍ガーデン』を見学する神保シェフと『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』 の泉田シェフ。

『鹿島槍ガーデン』では信州サーモンのほか、希少な岩魚の刺身や卵などを試食させてもらった。

濃厚な旨味と食感を、シンプルな調理で際立てるシェフの技。

「川魚特有の臭みが一切なく、身が引き締まっている。海の魚にも負けない味です」

そう言い切る神保シェフ。
そして神保シェフが『鹿島槍ガーデン』の信州サーモンも使って作ってくれたのは、意外にもシンプルなフライでした。

「鹿島槍ガーデンの信州サーモンは、揚げても身がしっかりと締まった肉のような身質ですから、レアのねっとりとした食感を味わってみてください」とフライに仕立てた理由を教えてくれた神保シェフ。
さらに「切ったときに赤い脂が滲んでこない。身に臭みがまったくない。いろいろと魚を食べてきましたが、ここまでクリアな味わいの川魚ははじめてです。多くの場合、臭みの原因は水質。だから鹿島槍ガーデンは、水質が本当に良いんでしょうね。何しろ岩魚を刺し身で食べられる養殖場ですから」と手放しの称賛を寄せました。

レシピはパン粉を付けて揚げる一般的なフライの作り方。イクラを添え、バジルオイルで香りを付け、仕上げにパプリカの粉を振れば、より本格的な味わいに。
内部をレアに揚げるコツは「2cmほどの厚みの場合なら冷蔵庫から出したての魚を、180度で2分ほど揚げる。表面がこんがりしてきたら、内側はちょうどレアになっています」と神保シェフ。

揚げたてを頂いてみると、衣の香ばしさとねっとりとした独特の信州サーモンの食感、ギュッと締まって旨味を湛えた身、イクラの塩気とタルタルソースの酸味が一体となった極上の味。一見、家庭料理のようですが、さまざまな小技で一体感を演出するのは、まさにスターシェフならではのテクニックです。

『鹿島槍ガーデン』のいくら(奥)と岩魚の卵(手前)。この希少な味も神保シェフのインスピレーションを刺激した。

フライといってもシェフが仕立てるのは、美しく盛り付けた洋食としての逸品。

中は見事なレア。衣の香ばしさとの食感の対比や濃厚な味わいが楽しめる。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)

苦いものは苦く、辛いものは辛く。自然そのままの環境で力強く育つ信濃大町の野菜。[アルプス八幡農園/長野県大町市]

野菜の魔術師・神保シェフ、本領発揮の野菜料理。

土壌や水質、寒暖差や日照時間。ある土地で育つ野菜には、その土地の風土がダイレクトに表れるもの。長野県大町市の野菜が各方面から高い評価を受けるのは、北アルプスの水、寒暖差のある気候、豊かな土壌などが野菜栽培に適していることの証明なのでしょう。
そんな大町市の野菜生産者を、『HATAKE AOYAMA』の神保佳永シェフが訪ねました。野菜料理に定評があり、“野菜の魔術師”の異名を持つ神保シェフ。そんなシェフに大町市の野菜は、どんな爪痕を残すのでしょうか。

豊かな水と肥沃な土壌が育む信濃大町の野菜。そのおいしさはプロの料理人の間でも高評価を得ている。

一家で移住して就農し、環境保全型農業に挑戦。

この国には時折、常識破りの生産者がいます。手間暇や合理性を度外視し、ただ作物のおいしさをストイックに追求する求道者のような人。土地の特性を理解し、その恩恵を最大限に活かすスーパー生産者。
北アルプス山麓、標高700mの場所で家族で営む『アルプス八幡農園』も、きっとそんな生産者のひとつ。

『アルプス八幡農園』の畑を訪れてみると、すぐに一般的な畑との違いに気がつくことでしょう。まず見た目が違うのは、畝の間に雑草が伸びていること。ここでは畑に住むさまざまな生き物が暮らしやすい環境を作るべく、無農薬無化学肥料で環境保全型農業を進めているのです。雑草も定期的に刈るのではなく、伸びすぎて作業に支障を来す状態になったら刈るだけ。さらに刈った雑草はその場に留め、やがて土に還ります。雑草があるから手を抜いているのだと思うなら大間違い。作付けの場所を計算し、害虫避けには虫が嫌うハーブを植えるなどの工夫を凝らし、むしろ普通以上の多大な手間暇をかけ、自然に近い状態を保持しているのです。

話を聞かせてくれたのは責任者の八幡大智さん、そして父の八幡博己さん。実は八幡一家はこの地の出身ではなく、農業も2010年に関西から移住し就農しました。

大智さんが農業に傾倒したきっかけは幼い頃に何度も訪れていた祖母の家での家庭菜園の記憶、そして父・博己さんに連れられて訪れた大自然の記憶。成長した大智さんは農業高校、農業大学に進学し、その後、研修センターで実践を積みました。そして「いよいよ自分の畑を」と考えていたちょうどその頃、会社を定年退職した博己さんも第二の人生を大好きな山を眺めながら過ごしたいと引っ越しを目論んでいました。そうしてふたりの意見が合致した結果、長野県大町市への移住を決意したのです。

3年ほど経験を積んだ後、いよいよこの地に『アルプス八幡農園』がスタートしました。しかし相手は自然。大智さんは家族みんなで団結しながら、少しずつ野菜の収穫量を増やしました。

『アルプス八幡農園』の若き代表・八幡大智氏。大学で体系的に学んだ知識と実践で得た経験が武器。

父・博己氏は定年退職してこの地へ。ホームページやデータ管理なども博己氏の仕事。

一見、雑草が伸びてワイルドに見える畑だが、その実各所に細やかな計算が潜んでいる。

新鮮で瑞々しく、味の濃い無農薬野菜たち。

現在『アルプス八幡農園』で育てられるのは年間60品種ほど。家族経営のため大幅に収穫量を増やすことはできませんが、少量多品種、そして抜群のおいしさでリピーターをがっちりと掴んでいます。

そんな『アルプス八幡農園』の野菜の一番の特徴は、食感と甘み。シャキッと瑞々しい食感は、北アルプスの清冽な水をたっぷりと吸って育つから。口に広がる野菜本来の優しい甘みは寒暖の差が大きい大町市の気候特性をうまく使いこなしているから。そして何より、自然に近い環境を作り出すことで野菜に適度なストレスがかかり、植物が本来持つ力強い生命力が揺り起こされるから。

つまりここの野菜のおいしさは、この大町市という土地で、八幡一家の熱意なしでは育たないもの。ただ無農薬野菜といえばシンプルですが、その裏には真摯においしさを追求する一家の思いがこもっているのです。

そして“野菜の魔術師”たる神保シェフは、畑を訪れてすぐにその本質を見抜きました。
「畑を見るとワイルドな自然のままの姿に見えます。そしてひとつひとつの野菜に目を凝らしてみると、それがのびのびと生命力に満ちているのがわかります。どれも本当においしい野菜です」

神保シェフの考える野菜のおいしさとは、野菜本来の個性がはっきりと見えること。甘さやみずみずしさだけでなく、苦味や青臭さといった要素も野菜のおいしさの一貫だといいます。
「大根なら苦味と辛味、カブならみずみずしい甘み、ピーマンは苦味と青臭さ。それぞれの個性がはっきりと主張する素晴らしい野菜です」

少量多品種が『アルプス八幡農園』の方針。西洋野菜などの珍しい品種も作られている。

畑で博己氏の解説を聞く神保シェフ。栽培方法に関する鋭い質問も飛び出した。

許可を得て畑の隅々まで見て回る神保シェフ。宝物を見つけた子供のような好奇心に満ちた姿が印象的だった。

細かな技で野菜の魅力を引き出すバーニャカウダサラダ。

神保シェフは『アルプス八幡農園』の個性際立つ野菜に敬意を表し、その個性をより引き出したバーニャカウダサラダを作りました。一見シンプルなサラダですが、それぞれに手の込んだひと手間が加えられています。

ししとうは、素揚げ。揚げることで生のえぐ味を少し抑え、甘みとほのかな酸味を加えます。小カブは皮付きのままゆっくりと茹で、甘みを引き出しました。色による味のわずかな違いまで伝わる繊細な火入れです。ズッキーニは下茹で、大根は薄切りであえて生のまま。レタスは中心部を使い、赤タマネギは赤ワインビネガーでマリネ。

「イメージは八幡農園のあの畑。ワイルドな印象でありながら、ひとつひとつは繊細な手入れがされている。そんな様子を一皿で表現しました」

ソースは『アルプス八幡農園』のニンニクを牛乳で茹でこぼし、オリーブオイルとアンチョビを加えてミキサーへ。ビネガーを少々加えることで、野菜が引き立つ軽やかな味わいにしました。仕上げのパウダーは、キャベツとグリーンカールを茹でてから乾燥させて砕いたもの。抹茶のようなほろ苦さと青い香りが、サラダに奥行きを加えました。

「あの畑を訪れ、直接見ていなければ生まれなかった料理です」神保シェフの言葉には野菜と生産者への深い敬意が込められていました。

『アルプス八幡農園』から届いた野菜。「水が良いのでしょう。食感が瑞々しく、日持ちも良い」と神保シェフ。

野菜ひとつひとつに合わせた下ごしらえ。素材を見極め、その魅力を際立てる引き出しの多さはさすが。

「単体だとアクやクセが目立つ野菜を集合させて、全体のバランスを取る」ことがサラダのコツだという。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)

ストレスなく育つことで、旨味を凝縮する長野のブランド鶏・信州黄金シャモ。[松下農園/長野県大町市]

真摯に、実直に、地鶏と向き合うひたむきな生産者。

豊かな自然と清冽な水に恵まれ、この土地ならではの食材を多数擁する長野県大町市。そのクリアな味わいは、イタリアンの巨匠たる『HATAKE AOYAMA』神保佳永シェフを唸らせました。
街を巡り、生産者と会話を交わしながら、食材を見極め、料理のイメージを膨らませた神保シェフ。そのイメージが形となり、後に神保シェフは3つの料理を仕立てました。野菜、魚、肉、それぞれが主役となる3皿。その食材と料理から、信濃大町の食材の魅力が伝わります。

北アルプスの澄んだ水が、信濃大町産食材のおいしさの源。

信濃大町が誇る食材を、名シェフが美皿へと昇華。

「こんなバカなこと、やっている人はいないだろうね」

長野県のブランド鶏・信州黄金シャモを育てる『松下農園』の松下豊弘氏は、そう笑いました。それは決して自嘲などではなく、誇りに満ちた笑顔でした。

信州黄金シャモとは、父鶏に旨味の強いシャモ、母鶏に弾力とコクがある名古屋種という在来種2種をかけ合わせた信州生まれの地鶏。それぞれの長所を受け継いだ、適度な弾力と濃厚な旨味を兼ね備えた鶏です。
さらに血統のみならず、一般的な地鶏が75日以上に対し120日以上と定めた飼育期間、1平米5羽以下とする飼育環境など、厳しい基準を定め品質の保持に務めています。

それほどまでに徹底して旨味を追求する信州黄金シャモですが、『松下農園』は、さらに上を行く飼育をします。それが、家畜に心を寄り添わせ、ストレスのない飼育を目指すアニマルウェルフェアの追求です。松下氏は厳しい基準をさらに越える飼育環境や、米を中心とした飼料など、考えうるさまざまな飼育方法を実践。つまり松下氏のいう“バカなこと”とは、採算を度外視しブランドの基準を大きく越える手間暇をかけて鶏を育てること。

愛情をいっぱいに受けて、ストレスなく育った『松下農園』の信州黄金シャモは、品種特性である歯を押し返すような弾力がありながら、そこから少し顎に力を込めるとさっくりと噛み切れる柔らかさも併せ持っているのです。

一般的な地鶏の飼育基準が1㎡10羽以下に対し、信州黄金シャモの基準は1㎡5羽以下。

『松下農園』の松下豊弘氏。実直な人柄で、手間ひまかけた飼育を実践する。

飼育日数もブロイラーの3倍近い120日以上を基準。じっくりと時間をかけて育てる。

最後の出荷を終え幻となった地鶏。

在来種100%の魅力を受け継ぐ品種特性と、さらに徹底したこだわりで育つ『松下農園』の信州黄金シャモ。アミノ酸のなかでも旨味成分であるアスパラギン酸とグルタミン酸がとくに豊富で、塩焼きにするだけでも溢れる旨味が感じられます。もちろん、そんな逸品をプロの料理人たちも放っておきません。焼き鳥屋から洋食店まで、地元のみならず首都圏からも引き合いがあり、松下氏は鶏舎を増築しながら常時1000羽以上の雛を育てていました。

しかし多大な手間隙をかけ、プロの料理人向けに作っていた鶏だけにコロナ禍による飲食店休業の打撃は、松下氏にダイレクトに響きました。丹精込めて育てても廃棄となってしまう。松下氏は苦渋の決断として鶏の飼育を休止し、卵の販売に切り替えることにしました。かつて1000羽いた雛も70羽にまで減少。もちろん、状況が落ち着けば再開予定ですが、現状、『松下農園』の信州黄金シャモは、幻の鶏となってしまいました。

『松下農園』を訪れた『HATAKE AOYAMA』の神保佳永シェフも、松下氏の話に神妙に聞き入っていました。そして、最後に残っていた信州黄金シャモを譲り受け、料理を仕立てます。料理人にとって、食材や生産者への最大の敬意は、おいしく料理すること。

イメージはすでに固まっていました。味の軸は信州黄金シャモの適度な弾力の中から溢れ出す濃厚な旨味。それを引き出すのは、同じく信濃大町で出合った香り豊かな行者にんにく。そして神保シェフの頭の中にあった料理が、形を成します。

松下氏と会話を交わす神保シェフ。生産者の苦境に料理人としてできることを模索する。

大町市『キハダ飴本舗』の行者にんにく。旬に収穫し、オリーブオイルと塩で漬けたもの。

『キハダ飴本舗』の行者にんにく畑は、全国有数の規模を誇る。

信州黄金シャモのソテー 行者にんにくのソース

信州黄金シャモは、皮目に熱したバターを繰り返し流しかけながらじっくりと火を入れる。こうすることで、皮目はパリッと香ばしく、身はしっとりやわらかいという食感のグラデーションが生まれます。そして高温のバターで閉じ込められた鶏自体の旨味が、口の中で溢れ出すのです。
添えるソースはオイル漬けにした行者にんにくに、さらににんにくを利かせたもの。強くなりすぎて鶏の旨味を消さないよう、レモンをたっぷり絞って軽やかさを加えます。添えたのは信濃大町の野菜のグリルと、仕上げの白トリュフ。香りに特徴のある食材たちが、まるでパズルのピースのようにぴたりとはまり、見事に調和した風味となっています。

バター、オイル、地鶏、トリュフという重量級素材でありながら、鶏の食感や旨味がはっきりと感じられるのは、レモンが透明感を加えるから。あっという間に作り上げた料理でありながら、まるでコースのメインディッシュのようにテーマと味わいのはっきりした料理。その重層的な味わいの中で、いっそう信州黄金シャモの存在感が際立っていました。

熱したバターを繰り返し表面にかけて火を入れるフレンチの技法で、皮を香ばしく焼き上げる。

ソースは主張し過ぎず、けれども弱すぎず。信州黄金シャモの持ち味を理解しているからこその絶妙な加減。

肉、ソース、添えた野菜。すべてが過不足なく、一体となっておいしさを伝える。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)