グランブルーギャマンいつか宮古島へ。スタッフと交わした7年来の約束を実現。
実は宮古島に『Grand Bleu Gamin』というオーベルジュを出すに至ったのにはひとつのエピソードがあります。
あるとき、仕事で宮古島を訪れた木下氏は、帰京すると、宮古島の素晴らしさをスタッフに伝えます。
「こんなきれいなところあるんですか?」「いつか行ってみたいっすね」
写真を見せながら、宮古島の魅力を伝えると、当然スタッフは興奮しました。
しかし、その一方で「自分たちの給料じゃ全然いけないな~」との声もあがったそうです。
それに対し木下氏は、「じゃあ、今年の目標は宮古島に行くことにしよう。売上を上げてみんなで社員旅行で行こう!」と約束したといいます。
その場ではスタッフも喜ぶものの、みんなどこか半信半疑であったのも事実でした。
ただ、それを木下氏は話半分にすることはしませんでした。
「絶対にこいつらを信じさせてみせよう」
スタッフとともに必死に働き、店舗だけの利益では宮古島旅行はできないと見るや、休み返上で他の仕事もこなし、講演をこなしたり……。なんとか社員旅行の経費を捻出、念願の宮古島にこぎつけるのです。ただ木下物語はここで終わりません。
宮古島でのバカンスを楽しんだチーム木下のスタッフは「いつかこんなところで働いてみたい」という思いを抱くようになります。そして、木下氏はその場でスタッフにこう約束するのです。
「よし、だったら次の目標は、この宮古島に店を出すことな!」
それから7年。2020年2月、宮古島にオープンしたのが『Grand Bleu Gamin』なのです。
グランブルーギャマンコロナ禍も連日、満席、満室。攻めの姿勢が新たな客層を呼ぶ。
『ONESTORY』は今回の記事を制作するにあたり、コロナ禍をまたいだことで2度の取材を敢行しています。一度目は2020年2月のオープン直前、二度目は2020年12月。誰もが予想しなかった新型コロナウイルスが、観光産業に支えられる宮古島に与えた影響は小さいはずがありませんでした。しかし、木下威征がとった行動は、経営者として見事なものでした。
木下氏は4月からまずキャッシュの確保に奔走します。
「役員報酬は減らして、若手にはいままで通り、給料は全額支給する。なんとか2年間は耐えられる金額を集めました」
そのうえでもちろんスタッフを危険にさらすことはできません。2020年4〜5月は東京の店を閉め、満席が続いた宮古島だけ営業を続ける形に。
しかし、ふたを開ければ、コロナ禍で始めたYouTubeの料理教室も人が集まり、もともと通販を行なっていたノウハウをいかして、料理セットを販売するとこちらも好調。2店舗分くらいの収益を得たことで、借りたお金には一切手をつけず今まで来ることができたといいます。
さらに、このコロナ禍で、一番の想定外だったのが満席の続く店の客層でした。オープン当初は東京をはじめ県外から訪れるゲストがほとんどでしたが、コロナ禍では県外の客が5割、残り5割は島内の人々という比率に。
「YouTubeで強気にも課金性の料理教室をやったら、それでも人が集まってくれた。そこで繋がった人たちが宮古島に泊まりにきてくれたり、食事にきてくれたり。地元の人にとっても、いままで島内にこんなレストランがなかったから、特別な時間を過ごすのにきていただけるんです」
さらに、木下氏の攻めの姿勢は、コロナ禍で「新たに20人のスタッフを雇った」ということにも現れます。
「この状況だからもちろん閉めざるを得なくなったレストランも多い。そんななかで働き口を失った料理人たちが僕のところにやってくるんです。本来なら、どこも人を新たに雇える余裕なんかない。でも、知人から『木下さんのところならなんとかしてくれるかも』という話を聞いて助けを求めにやってくる人もいる。自分は面接をしたら基本的にみんな採用するんです。飲食業が大変ななか、仕事がなくなり、それでもうちにお願いしにくるということは、そいつは料理が好きでなんです。お客さんを喜ばせるこの仕事が好きだから頭を下げてやってくると思っている。『じゃあ、その好きな気持ちを、お客さんを喜ばせたいという思いを一緒にカタチにしていこうじゃないか』と。それだけなんです」
グランブルーギャマン宮古島の開発エリアにプロデュース店オープン。さらには……。
そんな攻めの姿勢を続ける木下氏には新たな展開も待ち受けていました。いまとある企業から宮古島の新たな開発施設の目玉となるテナントプロデュースの仕事が舞い込んでいます。
これも実は木下氏の誠実な性格があってこそ実現したもの。
というのは、別業界で財を成した、とある企業の会長が飲食店展開に興味を持ち、木下氏に話しを持ちかけます。その会長とは、以前に別店舗のメニュー開発で関わりをもっていた木下氏は、新規飲食店の展開に対しこう助言します。
「会長、飲食は儲からないですよ。会長がやってきた業界との利益率とは桁がひとつ違います。絶対に止めたほうがいいですよ」
すると、その会長はこうきっぱりと返すのです。
「木下君ね、だからこそ、僕は君とやりたいんだ。いままで、こんな話をいろんなやつらにしてきたけど、全員うまいこといって、お金だけ釣り上げ、ちょろまかして消えていった。『儲からないからやめた方がいい』といってくれたのは君だけだ」
偶然にもそのときに、宮古島の新たな開発施設の目玉となるテナント運営の話を持ちかけられていた木下氏。しかし、そこを開くには数千万円単位のお金がかかる。そんなことを会長に告げると、「よし、じゃあ、それをやろう。運営はうちがやるから、木下くんはプロデュースをしてくれ」というのです。
それが、今後オープンする予定の『トリプルG』という名のカフェ。『Grand Bleu Gamin』に続く宮古島の第二章はすでに始まっているのです。
それだけではありません。極めつけは、2023年にフランスの南西、スペインとの国境にほど近いビアリッツという海沿いの街に店を出す予定もあります。
「留学時代、アジア人としてバカにされ、悔しい想いをしながらも料理の素晴らしさを教えてもらったフランス。そこで“日本”を売りにいくんです。メイド・イン・ジャパンの皿で、メイド・イン・ジャパンのお箸で、メイド・イン・ジャパンの食材で、フランス料理を表現する。そんな店です」
コロナ禍で飲食業界が悲鳴を上げるなか、こうして常に攻めの姿勢を続ける木下氏。それは無理をしているでもなく、背伸びをしているのでもありません。熱く、優しく、何事にも真っ直ぐに、真摯に向き合ってきた木下氏だからこそのいまであり、これからの物語も必然として紡がれていくのでしょう。
グランブルーギャマン宮古島でも受け継がれる、温かさに満ちた木下イズム。
実は、2度目の取材の前日、木下氏がいないことを知りながら、『ONESTORY』取材班は『Grand Bleu Gamin』をふと訪れました。すると、スタッフのひとりがわれわれを、温かくもてなしてくれるのです。旅行かばんも持っていませんから、われわれが宿泊客でないことは一目瞭然です。
しかし、そのスタッフはレストランやバーを丁寧に案内してくれて、『Grand Bleu Gamin』のパンフレットを見せてくれながら、真面目に、そして楽しそうに話をしてくれるのです。
翌日の取材でそのことを伝えると、木下氏はこういうのです。
「それは、みんなが『雇われ』という気持ちがないからだと思うんです。ひとりひとりが自分たちのホテル、自分たちのグループ、自分たちのゲストと思っている。全員がそういう捉え方をしてくれているんです。だからこそ来てくれた方には、全力でもてなしをしてくれる」
そんな言葉を聞いて改めて確信しました。これこそが木下威征という料理人の魅力なのだと。そのぶれない人間力のような、どっしりとした幹があるから、そこから多くの枝が伸び、葉が茂り、実がなっていくのだ、と。その木の隅々には当然、木下イズムが行き渡っています。
料理人である前に、サービスマンである前に、ひとりの人間であること。
そして、そこには温かさがないといけないということ。
木下威征という人間のまわりには、そんなの温かさが満ちていました。
住所:沖縄県宮古島市平良字荷川取1064-1 MAP
電話:0980-74-2511
https://www.grand-bleu-gamin.com/