奈良井宿のリアルな一瞬を切り取り、伝える。「季節感」という言葉に込められた料理人の思い。[BYAKU-Narai-/長野県塩尻市]

BYAKU -Narai-全体のコンセプトは、「リアルな季節感」を伝えること。

奈良井宿の老舗酒蔵『杉の森酒造』を再生して生まれた宿泊施設『BYAKU -Narai-』。その同じ屋根の下に、レストラン『嵓 kura』はあります。塩尻市でレストラン『ラ・メゾン・グルマンディーズ』を営んでいた友森隆司氏をシェフに迎え、『傅』の長谷川在佑氏が監修を担う店。今回はその料理の内容を紐解いてみます。

「リアルな季節感を伝える料理」。

『嵓 kura』の料理長・友森隆司氏に料理のコンセプトを聞くと、即答でそんな答えが返ってきました。

ただの「季節感」ではなく、「リアルな季節感」。それは山の斜面に見える植物であり、風に混じる香りであり、田舎の食卓に上る漬物のこと。秋だからキノコを食べるのではなく、キノコが出てきたから秋を感じるような、自然中心の考え方のこと。

友森氏はこのコンセプトを軸に、料理監修を担う長谷川在佑氏と協議を重ねます。そして導き出した結論。それは奈良井宿の伝統を踏まえつつ、極力シンプルな調理にすること。そしてそのシンプルさのために食材は徹底的に吟味すること。

食材にこだわる。ある意味ありふれた言葉ですが、友森氏の行動は想像の上を行きます。何しろ毎日5時間、車に乗って山を一周回るのですから。それもただ生産者の元で食材を集めて回るだけではありません。ある時は山に踏み込み野草を集め、ある時は畑で直接収穫を手伝い、ある時は長靴に履き替えて水をかき分ける。「厨房よりも野山にいる時間が長いかもしれません」と笑う友森氏ですが、これこそが友森氏。生産者と話す時間も、季節の変化を肌で感じる時間も、すべて『嵓 kura』の料理に生き生きと表現されているのです。

『嵓 kura』のメインホールは、かつて『杉の森酒造』だったころ、蔵として使われていた場所。

『嵓 kura』の対面式カウンター。眼前の窓から緑を望む心地よい席。手前の遺構が当時の面影を残す。

BYAKU -Narai-

素朴で力強く、素材感が際立つ。奈良井らしさが宿る8品。

「夏は植物が上に向かって伸び、繁り、実る季節。秋はその方向が逆になり、地中に向かって伸びるイメージ。だからキノコや根菜のように土を感じる素朴さ、力強さが中心になってきます」。

友森氏はそう言いました。

では、全8品の料理を見ていきたいと思います。

一品目「清香」は、信州の伝統野菜・松本一本葱と出汁だけで仕上げたすり流し。出始めである秋のネギの、甘みよりも爽やかな青みのある味わいを上品な出汁でまとめます。「まずは土に潜って行くネギで、物語の始まりを連想させる」という友森氏の狙いです。

続く一品は「暮らし」と名付けられた信州名物のおやきです。その名前は、おやきが長野において、生活の一部というほど一般的だから。その定番の料理に驚きをもたせるため、餡にアカヤマドリというキノコと信州ぎたろう軍鶏のミンチを使用しました。

「ポルチーニのような風味のあるアカヤマドリは洋食ではお宝のような存在。こうしたメニューが生まれるのも、和食の長谷川さんと洋食出身の私が一緒にやるおもしろさです」。

友森氏はそう話しました。

お造りはシナノユキマス。通年手に入る川魚に季節感を出すため、山で採った天然山クルミと柿を使用しました。川魚という定点に、季節の素材で味わいを添える。これもまたシェフの言う「リアルな季節感」のひとつです。

海のない長野県において、鯉は何よりも貴重なタンパク源でした。しかし、交通が発達し、遠方の食材が簡単に手に入るようになると、次第にその文化も失われていきました。今ではお祝いや産前産後の妊婦さんが栄養を摂るために食べる風習が残っている程度。その文化をなくさぬために、魚料理には鯉が登場します。

「地元に人に“え、これが鯉!?”と言わせたい」。友森氏はそう不敵に笑います。

地元で鯉が敬遠されがちな理由は、泥臭さと小骨の多さ。ここに料理人の技が光ります。身は1週間、ペーパーに水分を吸わせながら寝かせることで、水分とともに泥臭さも抜け、透明感ある味わいに変化。さらに小骨は鱧のように骨切りして食べやすくします。これを根菜と合わせて揚げ出しに。友森氏と長谷川氏はこの料理をあえて「伝承」と名付けました。

コースは中盤です。

「里山」と名付けた料理は、その名の通り、友森氏がその日に目にした里山の景色を皿の上で表現したサラダ。長谷川氏の店である『傅』の名物「傅サラダ」をベースに、それぞれの食材に最適な調理を施した上で盛り合わせます。無論、内容は日替わり。この日はホオズキやマイクロキュウリなど、15種の食材が盛り込まれました。

肉料理は友森氏が「秋口がおいしくなってくる」という鴨。松本で育てられるフランス原産のバルバリー鴨を治部煮に仕立てました。全身に血が回るように締めるエトフェという手法がとられる希少なフランス鴨。長野県の懐の深さを改めて感じさせる一品です。

食事は、長谷川氏が得意とする土鍋ごはん。7〜8種類のキノコをソテーし、出汁で炊いたご飯に混ぜて提供する秋らしい料理です。米、水、キノコ、すべてが地元産のため「水脈がつながっているため、味の調和が取りやすい。これは成分だけでは測れない部分」と友森氏。その繊細な感覚に訴える美味こそが、当地で食事を味わう醍醐味なのでしょう。

デザートは洋梨のパイ包み焼き。実は奈良井宿のある塩尻市は10種以上の品種が栽培される洋梨の名産地。季節の移ろいとともに使用する品種を使い分け、秋口の清涼感から晩秋、初冬の濃厚さまで季節の移ろいを感じてもらえるデザートです。

「レストランでは食後に帰宅しますが、ここは宿ですから食べたら部屋に戻るだけ。ボリュームや食後感も含め、やり尽くすことができます」友森氏はコース全体の流れをそう語りました。主食材が際立つ8品の料理それぞれはもちろん、コース全体を俯瞰することで、シェフが伝えたかった物語、この奈良井宿という場所の魅力が浮かび上がります。

ネギのすり流し「清香」と松本一本葱。辛味を抑えつつ、この時期のネギ本来の爽やかな風味を引き出した。

おやき「暮らし」と信州ぎたろう軍鶏、キノコのスープ。軍鶏とキノコをこの地の味噌が結びつける。

お造り「水明」とシナノユキマス。新鮮なシナノユキマスの透明感ある身を、クルミダレと柿のガリという2種の味付けで。

地元の鯉食文化の継承を目指す「伝承」と骨切りした鯉。この時期、味わいを増す里芋やカボチャとともに揚出しに。

野菜やハーブのサラダ「里山」と野菜たち。近隣農家の野菜やハーブを、それぞれに適した味付け、下処理をした上で盛り付けた。

鴨の治部煮「嵓シシ」とバルバリー鴨。旨みが濃縮されたフランス鴨を蕪の出汁や松本一本葱とともに炊いた一品。

土鍋ごはん「饗」とキノコ。水、キノコ、米をすべて地元産で揃えることで、バランスの取れたおいしさを実現。

「Mizu-Gashi」と洋梨。黒文字のシロップでコンポートした洋梨をパイ包みに。パイを使いつつ、洋梨の瑞々しさを残す。

BYAKU -Narai-

シンプルな料理を支えるのは、真摯な生産者の手による食材たち。

友森氏が食材の解説をしてくれる時、必ずそこに「誰々さんの」という冠が付けられていました。そしてまるで友人を自慢するかのように、その人のエピソードも教えてくれるのです。

「松本の笹井酒造の蔵人さんだった人が、突然鴨を育て始めたんです」。

「この一本葱はつむぐ農園のもの。まるで子どもを育てるように、丁寧に育てる方です」といった具合。

なぜこれほどまで、友森氏が地域に溶け込んでいるのでしょう。そのヒントは、視察に訪れた塩尻の自然栽培農園『with earth』で見えてきました。

1000年持続できるライフスタイルを目指し、東京から家族で移住して自然栽培に挑む『with earth』の大塚直剛氏は話します。

「たとえば米。人間の手で植えた米ですが、彼ら自身が生きようとします。その力に雑草たちがOKを出し、米は自然に育っていく。人ができるのは、その環境を整えること」。大塚氏の言葉は時に哲学的で、素人の理解が及ばない範囲にまで及びます。何とか理解しようとする取材陣を横目に、友森氏は言います。

「僕は知識がないから、どうすれば米や野菜がおいしくなるかわかりません。わからないから、飛び込んでいくしかない」。

例えば、大塚氏が「泥の柔らかさは赤ちゃんの肌が理想」と言えば、真っ先に靴を脱いで田んぼに入るのが友森氏。何度も足を運び、顔を合わせ、純粋な疑問を真っ直ぐにぶつける。そうすることで料理人と生産者という垣根がなくなり、いわばひとつのチームとして、良いものを生む好循環ができあがるのです。

友森氏が「相手が長谷川さんだから(シェフ就任の話を)受けたんです」という長谷川氏も同様。東京に店を構えつつ、時間が許す限り生産者の元をめぐる長谷川氏。実際に自分が会って、生産者と互いに納得するまで話すのが長谷川氏のスタイル。地域を大切にする気持ちが根底にあるからこそ、長谷川氏の表現する郷土料理は、単なる上辺の踏襲ではなく、地元の人さえ揺り動かす重厚感があるのでしょう。

シナノユキマスの養殖場『田川浦養魚場』のオーナー・百瀬陽一氏との関係値も同様。湧水を直接引いて、常に流れの中で魚を育てるこの養魚場。流れがあるから薬も使えず、自然に任せる養殖法は「運任せの部分もある」と百瀬氏。出荷まで3〜5年かかり通常の3〜5倍の餌を与えて育てるこの希少なシナノユキマスの養殖場を、友森氏は毎日訪れます。

「シナノユキマスは、この地域の宝物。ただ1日で鮮度が落ちてしまうから、使う分だけ毎日仕入れるしかない」と友森氏。それを横で聞いた百瀬氏は「毎日来る人なんて他にいないけどな」と笑います。そんな言葉にも、商売を超えた信頼関係が垣間見えました。

友森氏は、作った料理は生産者に食べていただくようにしているといいます。それは生産者の方々に、自身のやり方と食材に対して自信と誇りを持ってもらうため。

「あなたの食材にはこういう価値があります、ということをしっかりと伝えたい。そのためには僕自身がある程度の地位にいることが必要」。友森氏はそう語ります。

『with earth』を訪れた友森氏と長谷川氏。大塚氏の理念や情熱に真剣に耳を傾ける。

深い山々が連なる塩尻市。この山を駆け巡るのが友森氏の日課。

大塚氏の米作りは、自然本来の力を引き出す自然農法。都心からの移住者である大塚氏は試行錯誤しながら挑む。

雪解け水が地中で濾過された湧水は地域の財産。米も野菜も魚も肉も、この水によって支えられている。

撮影時は7月、眩しいほどの緑に囲まれていた塩尻も現在は稲穂の黄金色。訪れる度に景色が変わるのも、この地の魅力のひとつ。

湧水が流れ続ける『田川浦養魚場』の養殖池。水温は年間通して13〜15℃という冷たさ。

各地で養殖が試されたシナノユキマスだが、成功したのは一部。完全民間で営まれるのは、この『田川浦養魚場』のみ。

百瀬氏の話を聞く友森氏と長谷川氏。話はシナノユキマスの身質のみならず、餌や飼育方法にまで及んだ。

先代が亡くなり、一度はやめようと思ったという百瀬氏だが全国から要望が届き継続を決意。「水が出る限りやるしかない」と笑った。

BYAKU -Narai-

日々、刻々と移り変わる今を切り取り、食という体験に落とし込む。

「例えば、同じ10月でも、初旬のキノコと下旬のキノコは別物です。そして来年、同じ時期なら同じものがあるかといえば、それも違う。リアルな季節感とは、瞬間的なものです。だからその瞬間を、ストレートに体験していただきたい」。友森氏は言いました。自身の店の合間をぬって繰り返しこの地に足を運ぶ長谷川氏もその気持ちは同じ。食とは体験である。友森氏と長谷川氏がつくり上げた秋のコースからは、そんな思いを強く感じます。

夏、上に向かって伸びる力が秋になると地中に向かう。友森氏が言っていた秋の食材の特徴。さらに冬になると熟成し、滋味深い味わいが加わってくるのだとか。野山をフィールドにする友森氏の実感がこもった言葉に、改めてこの地の自然の美しさが感じられます。

『杉の森酒造』の跡地に生まれた『嵓 kura』では、やがてこの地の水で仕込んだ日本酒も生まれます。その酒樽を横目に見つつ、奈良井の「リアルな季節感」が込められた料理を楽しむ。それは訪れる人の心に長く残り続ける、体験となることでしょう。

フレンチと和食、地元と東京。異なる部分も多いが、地域に対する思いは同じという友森氏と長谷川氏。「ふたりだからこそできることがある」と友森氏。

住所:長野県塩尻市奈良井551 MAP
電話:0264-34-0001
受付時間 : 10:00〜17:00
https://byaku.site

Photographs:SHINJO ARAI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

奈良井宿のリアルな一瞬を切り取り、伝える。「季節感」という言葉に込められた料理人の思い。[BYAKU-Narai-/長野県塩尻市]

BYAKU -Narai-全体のコンセプトは、「リアルな季節感」を伝えること。

奈良井宿の老舗酒蔵『杉の森酒造』を再生して生まれた宿泊施設『BYAKU -Narai-』。その同じ屋根の下に、レストラン『嵓 kura』はあります。塩尻市でレストラン『ラ・メゾン・グルマンディーズ』を営んでいた友森隆司氏をシェフに迎え、『傅』の長谷川在佑氏が監修を担う店。今回はその料理の内容を紐解いてみます。

「リアルな季節感を伝える料理」。

『嵓 kura』の料理長・友森隆司氏に料理のコンセプトを聞くと、即答でそんな答えが返ってきました。

ただの「季節感」ではなく、「リアルな季節感」。それは山の斜面に見える植物であり、風に混じる香りであり、田舎の食卓に上る漬物のこと。秋だからキノコを食べるのではなく、キノコが出てきたから秋を感じるような、自然中心の考え方のこと。

友森氏はこのコンセプトを軸に、料理監修を担う長谷川在佑氏と協議を重ねます。そして導き出した結論。それは奈良井宿の伝統を踏まえつつ、極力シンプルな調理にすること。そしてそのシンプルさのために食材は徹底的に吟味すること。

食材にこだわる。ある意味ありふれた言葉ですが、友森氏の行動は想像の上を行きます。何しろ毎日5時間、車に乗って山を一周回るのですから。それもただ生産者の元で食材を集めて回るだけではありません。ある時は山に踏み込み野草を集め、ある時は畑で直接収穫を手伝い、ある時は長靴に履き替えて水をかき分ける。「厨房よりも野山にいる時間が長いかもしれません」と笑う友森氏ですが、これこそが友森氏。生産者と話す時間も、季節の変化を肌で感じる時間も、すべて『嵓 kura』の料理に生き生きと表現されているのです。

『嵓 kura』のメインホールは、かつて『杉の森酒造』だったころ、蔵として使われていた場所。

『嵓 kura』の対面式カウンター。眼前の窓から緑を望む心地よい席。手前の遺構が当時の面影を残す。

BYAKU -Narai-

素朴で力強く、素材感が際立つ。奈良井らしさが宿る8品。

「夏は植物が上に向かって伸び、繁り、実る季節。秋はその方向が逆になり、地中に向かって伸びるイメージ。だからキノコや根菜のように土を感じる素朴さ、力強さが中心になってきます」。

友森氏はそう言いました。

では、全8品の料理を見ていきたいと思います。

一品目「清香」は、信州の伝統野菜・松本一本葱と出汁だけで仕上げたすり流し。出始めである秋のネギの、甘みよりも爽やかな青みのある味わいを上品な出汁でまとめます。「まずは土に潜って行くネギで、物語の始まりを連想させる」という友森氏の狙いです。

続く一品は「暮らし」と名付けられた信州名物のおやきです。その名前は、おやきが長野において、生活の一部というほど一般的だから。その定番の料理に驚きをもたせるため、餡にアカヤマドリというキノコと信州ぎたろう軍鶏のミンチを使用しました。

「ポルチーニのような風味のあるアカヤマドリは洋食ではお宝のような存在。こうしたメニューが生まれるのも、和食の長谷川さんと洋食出身の私が一緒にやるおもしろさです」。

友森氏はそう話しました。

お造りはシナノユキマス。通年手に入る川魚に季節感を出すため、山で採った天然山クルミと柿を使用しました。川魚という定点に、季節の素材で味わいを添える。これもまたシェフの言う「リアルな季節感」のひとつです。

海のない長野県において、鯉は何よりも貴重なタンパク源でした。しかし、交通が発達し、遠方の食材が簡単に手に入るようになると、次第にその文化も失われていきました。今ではお祝いや産前産後の妊婦さんが栄養を摂るために食べる風習が残っている程度。その文化をなくさぬために、魚料理には鯉が登場します。

「地元に人に“え、これが鯉!?”と言わせたい」。友森氏はそう不敵に笑います。

地元で鯉が敬遠されがちな理由は、泥臭さと小骨の多さ。ここに料理人の技が光ります。身は1週間、ペーパーに水分を吸わせながら寝かせることで、水分とともに泥臭さも抜け、透明感ある味わいに変化。さらに小骨は鱧のように骨切りして食べやすくします。これを根菜と合わせて揚げ出しに。友森氏と長谷川氏はこの料理をあえて「伝承」と名付けました。

コースは中盤です。

「里山」と名付けた料理は、その名の通り、友森氏がその日に目にした里山の景色を皿の上で表現したサラダ。長谷川氏の店である『傅』の名物「傅サラダ」をベースに、それぞれの食材に最適な調理を施した上で盛り合わせます。無論、内容は日替わり。この日はホオズキやマイクロキュウリなど、15種の食材が盛り込まれました。

肉料理は友森氏が「秋口がおいしくなってくる」という鴨。松本で育てられるフランス原産のバルバリー鴨を治部煮に仕立てました。全身に血が回るように締めるエトフェという手法がとられる希少なフランス鴨。長野県の懐の深さを改めて感じさせる一品です。

食事は、長谷川氏が得意とする土鍋ごはん。7〜8種類のキノコをソテーし、出汁で炊いたご飯に混ぜて提供する秋らしい料理です。米、水、キノコ、すべてが地元産のため「水脈がつながっているため、味の調和が取りやすい。これは成分だけでは測れない部分」と友森氏。その繊細な感覚に訴える美味こそが、当地で食事を味わう醍醐味なのでしょう。

デザートは洋梨のパイ包み焼き。実は奈良井宿のある塩尻市は10種以上の品種が栽培される洋梨の名産地。季節の移ろいとともに使用する品種を使い分け、秋口の清涼感から晩秋、初冬の濃厚さまで季節の移ろいを感じてもらえるデザートです。

「レストランでは食後に帰宅しますが、ここは宿ですから食べたら部屋に戻るだけ。ボリュームや食後感も含め、やり尽くすことができます」友森氏はコース全体の流れをそう語りました。主食材が際立つ8品の料理それぞれはもちろん、コース全体を俯瞰することで、シェフが伝えたかった物語、この奈良井宿という場所の魅力が浮かび上がります。

ネギのすり流し「清香」と松本一本葱。辛味を抑えつつ、この時期のネギ本来の爽やかな風味を引き出した。

おやき「暮らし」と信州ぎたろう軍鶏、キノコのスープ。軍鶏とキノコをこの地の味噌が結びつける。

お造り「水明」とシナノユキマス。新鮮なシナノユキマスの透明感ある身を、クルミダレと柿のガリという2種の味付けで。

地元の鯉食文化の継承を目指す「伝承」と骨切りした鯉。この時期、味わいを増す里芋やカボチャとともに揚出しに。

野菜やハーブのサラダ「里山」と野菜たち。近隣農家の野菜やハーブを、それぞれに適した味付け、下処理をした上で盛り付けた。

鴨の治部煮「嵓シシ」とバルバリー鴨。旨みが濃縮されたフランス鴨を蕪の出汁や松本一本葱とともに炊いた一品。

土鍋ごはん「饗」とキノコ。水、キノコ、米をすべて地元産で揃えることで、バランスの取れたおいしさを実現。

「Mizu-Gashi」と洋梨。黒文字のシロップでコンポートした洋梨をパイ包みに。パイを使いつつ、洋梨の瑞々しさを残す。

BYAKU -Narai-

シンプルな料理を支えるのは、真摯な生産者の手による食材たち。

友森氏が食材の解説をしてくれる時、必ずそこに「誰々さんの」という冠が付けられていました。そしてまるで友人を自慢するかのように、その人のエピソードも教えてくれるのです。

「松本の笹井酒造の蔵人さんだった人が、突然鴨を育て始めたんです」。

「この一本葱はつむぐ農園のもの。まるで子どもを育てるように、丁寧に育てる方です」といった具合。

なぜこれほどまで、友森氏が地域に溶け込んでいるのでしょう。そのヒントは、視察に訪れた塩尻の自然栽培農園『with earth』で見えてきました。

1000年持続できるライフスタイルを目指し、東京から家族で移住して自然栽培に挑む『with earth』の大塚直剛氏は話します。

「たとえば米。人間の手で植えた米ですが、彼ら自身が生きようとします。その力に雑草たちがOKを出し、米は自然に育っていく。人ができるのは、その環境を整えること」。大塚氏の言葉は時に哲学的で、素人の理解が及ばない範囲にまで及びます。何とか理解しようとする取材陣を横目に、友森氏は言います。

「僕は知識がないから、どうすれば米や野菜がおいしくなるかわかりません。わからないから、飛び込んでいくしかない」。

例えば、大塚氏が「泥の柔らかさは赤ちゃんの肌が理想」と言えば、真っ先に靴を脱いで田んぼに入るのが友森氏。何度も足を運び、顔を合わせ、純粋な疑問を真っ直ぐにぶつける。そうすることで料理人と生産者という垣根がなくなり、いわばひとつのチームとして、良いものを生む好循環ができあがるのです。

友森氏が「相手が長谷川さんだから(シェフ就任の話を)受けたんです」という長谷川氏も同様。東京に店を構えつつ、時間が許す限り生産者の元をめぐる長谷川氏。実際に自分が会って、生産者と互いに納得するまで話すのが長谷川氏のスタイル。地域を大切にする気持ちが根底にあるからこそ、長谷川氏の表現する郷土料理は、単なる上辺の踏襲ではなく、地元の人さえ揺り動かす重厚感があるのでしょう。

シナノユキマスの養殖場『田川浦養魚場』のオーナー・百瀬陽一氏との関係値も同様。湧水を直接引いて、常に流れの中で魚を育てるこの養魚場。流れがあるから薬も使えず、自然に任せる養殖法は「運任せの部分もある」と百瀬氏。出荷まで3〜5年かかり通常の3〜5倍の餌を与えて育てるこの希少なシナノユキマスの養殖場を、友森氏は毎日訪れます。

「シナノユキマスは、この地域の宝物。ただ1日で鮮度が落ちてしまうから、使う分だけ毎日仕入れるしかない」と友森氏。それを横で聞いた百瀬氏は「毎日来る人なんて他にいないけどな」と笑います。そんな言葉にも、商売を超えた信頼関係が垣間見えました。

友森氏は、作った料理は生産者に食べていただくようにしているといいます。それは生産者の方々に、自身のやり方と食材に対して自信と誇りを持ってもらうため。

「あなたの食材にはこういう価値があります、ということをしっかりと伝えたい。そのためには僕自身がある程度の地位にいることが必要」。友森氏はそう語ります。

『with earth』を訪れた友森氏と長谷川氏。大塚氏の理念や情熱に真剣に耳を傾ける。

深い山々が連なる塩尻市。この山を駆け巡るのが友森氏の日課。

大塚氏の米作りは、自然本来の力を引き出す自然農法。都心からの移住者である大塚氏は試行錯誤しながら挑む。

雪解け水が地中で濾過された湧水は地域の財産。米も野菜も魚も肉も、この水によって支えられている。

撮影時は7月、眩しいほどの緑に囲まれていた塩尻も現在は稲穂の黄金色。訪れる度に景色が変わるのも、この地の魅力のひとつ。

湧水が流れ続ける『田川浦養魚場』の養殖池。水温は年間通して13〜15℃という冷たさ。

各地で養殖が試されたシナノユキマスだが、成功したのは一部。完全民間で営まれるのは、この『田川浦養魚場』のみ。

百瀬氏の話を聞く友森氏と長谷川氏。話はシナノユキマスの身質のみならず、餌や飼育方法にまで及んだ。

先代が亡くなり、一度はやめようと思ったという百瀬氏だが全国から要望が届き継続を決意。「水が出る限りやるしかない」と笑った。

BYAKU -Narai-

日々、刻々と移り変わる今を切り取り、食という体験に落とし込む。

「例えば、同じ10月でも、初旬のキノコと下旬のキノコは別物です。そして来年、同じ時期なら同じものがあるかといえば、それも違う。リアルな季節感とは、瞬間的なものです。だからその瞬間を、ストレートに体験していただきたい」。友森氏は言いました。自身の店の合間をぬって繰り返しこの地に足を運ぶ長谷川氏もその気持ちは同じ。食とは体験である。友森氏と長谷川氏がつくり上げた秋のコースからは、そんな思いを強く感じます。

夏、上に向かって伸びる力が秋になると地中に向かう。友森氏が言っていた秋の食材の特徴。さらに冬になると熟成し、滋味深い味わいが加わってくるのだとか。野山をフィールドにする友森氏の実感がこもった言葉に、改めてこの地の自然の美しさが感じられます。

『杉の森酒造』の跡地に生まれた『嵓 kura』では、やがてこの地の水で仕込んだ日本酒も生まれます。その酒樽を横目に見つつ、奈良井の「リアルな季節感」が込められた料理を楽しむ。それは訪れる人の心に長く残り続ける、体験となることでしょう。

フレンチと和食、地元と東京。異なる部分も多いが、地域に対する思いは同じという友森氏と長谷川氏。「ふたりだからこそできることがある」と友森氏。

住所:長野県塩尻市奈良井551 MAP
電話:0264-34-0001
受付時間 : 10:00〜17:00
https://byaku.site

Photographs:SHINJO ARAI
Text:NATSUKI SHIGIHARA