HIDEHIKO MATSUMOTOひとりの「武者修業」から、チームの「武者修業」へ。
振り返ること、2020年12月。
自身の蔵元である『松本酒造』を父親とともに去ることになってしまった松本日出彦氏。
以降、心を閉ざしてしまった時期もありましたが、そんな時に「酒造りをやめるな。蔵がないなら一緒に酒造りをしよう」と松本氏に手を差し伸べたのは、5つの蔵元でした。
それは、「No.6」を手掛ける秋田『新政酒造』、「仙禽オーガニックナチュール」を手掛ける栃木『仙禽』、「七本鎗」を手掛ける滋賀『冨田酒造』、「田中六五」を手掛ける福岡『白糸酒造』「産土(うぶすな)」を手掛ける熊本『花の香酒造』。
松本氏は、それぞれの蔵で酒造りに参画。この行為を「武者修業」と題し、期間中、無心で日本中を駆け巡りました。
でき上がった酒は、「別誂」として各蔵よりリリース。飲食店では入手困難、酒販店では即完売と瞬く間に市場から姿を消す盛況を成しましたが、同時に松本氏は自身の蔵を創設することにも励んでいました。
酒蔵は、代々続く一族経営が多いため、新規参入は至難の技。加えて、酒造免許取得においては極めて困難。一筋縄にはいきません。
しかし、ありとあらゆる手を尽くし、環境を整えるも、今シーズンよりスタートしたかった秋に蔵の完成は間に合いませんでした。
そんな時、また手を差し伸べてくれたのは、あの時の仲間でした。
「蔵がないなら一緒に酒造りをしよう」。
前回とは全く異なる向かい入れとなった今回の違いは、大きく3つ。
ひとつ目は、先が見えなかった松本氏ではなく、酒造りへの一歩を踏み出せた松本氏であること。
ふたつ目は、各蔵の酒造りに参画するのではなく、自身の蔵でも使用する兵庫県東条の山田錦を持ち込み、自身の酒を造らせてもらうということ。昔の「桶買い」、「桶売り」に近いかもしれませんが、厳密には「桶借り」が正しい表現かもしれません。
そして、三つ目は、ひとりではないこと。松本氏の酒造りを共にしたいと集まった有志がいるということです。
前向きに始まった「武者修業」の第2ラウンドは、そんなチームの物語。その名は、京都を拠点に構えた『日々醸造』。
HIDEHIKO MATSUMOTO「日々醸造」×「武者修業」、2022年1月末リリース!
今回、『新政酒造』においては全量秋田産にこだわるため、ほか4蔵において『日々醸造』×「武者修業」の日本酒がリリースされます。
それぞれ酒造りの時期が異なるため、五月雨式にリリース。まず先陣を切るのは1月末、『白糸酒造』にて醸した生酒です。
「ファースト“ブリュー”ではないけれど、ファースト“リリース”である事実は、この先においても事実として残る。日出彦さんたちの未来を担う第一歩、第一本になるものにどうお手伝いできるのか。それに対して真剣に取り組みました。ただ、難しいことは考えず、日出彦さんとまた会えるのは、純粋に嬉しいし、楽しい。京都で酒造りをしなくても、まだずっとうちで酒造りをしてもらってもいいのに(笑)」と『白糸酒造』8代目杜氏の田中克典氏。
「日出彦さんとまた会えるのは、純粋に嬉しいし、楽しい。京都で酒造りをしなくても、まだずっとうちで酒造りをしてもらってもいいのに(笑)」と『白糸酒造』8代目杜氏の田中克典氏。
現在、『白糸酒造』では、松本氏の恩師でもある勝木慶一郎氏が顧問を務めており、仕込みのために訪れた某日において再会を果たします。
「松本さんのエネルギーはすごいです。火山に例えれば、眠っていた状態が噴火したような。今回の件は、離れないと経験できなかったことも多かったと思います。加えて、受け入れた蔵にとってもプラスに働いたことが多かったでしょう。結果として外的要因からこうなってしまいましたが、このような機会は、これからの日本酒業界には必要なのかもしれない。蔵元というのは、細い糸のようなものなんです。それぞれが一本一本強くし、縒り合わせ、縦糸にし、農家さんや米、地域という横糸とともに大きな織物にしてほしい。今回の『武者修業』という経験を通して、どう実を結べるかは松本さん次第。期待しています」と勝木氏は松本氏へエールを寄せます。
そして2月にリリースされるのは、『冨田酒造』にて醸した酒。
「人生の中でも新たなスタートを切れることはなかなかありません。前回とは異なり、今回は『日々醸造』として新たな仲間とともに(松本)日出彦君と再会できたことを嬉しく思います。一方、自分の中の心境としては、前回よりも今回の方が圧倒的に責任は重い。日出彦君と『日々醸造』の将来がかかっていますから。自分のところの酒造り以上に気が引き締まりました」と『冨田酒造』15代目蔵元の冨田泰伸氏。
そして、3月に『花の香酒造』、4月に『仙禽』と続きます。
「振り返れば、日出彦さんの『武者修業』でしたが、自分が修業させてもらった感じです。今回は、前回と異なり、日出彦さんの造りを間近で見ることができました。自分だったら絶対にしない造り。発酵経過の取り方、醪の算段、全て違う。こんな味は出せない。荒走りを飲んだ時にそう思いました。あぁ、これが日出彦さんの味かぁ……と。これから京都で造る味が楽しみで仕方ないです。そして、自身の蔵ができるのは本当に嬉しい。最初の造りにはぜひ参加したい(笑)」と『花の香酒造』6代目の神田清隆氏。
そして、「もう一度、日出彦が自分の日本酒を造ることを信じている。1日も早く安住の地を見つけてほしい」と話していた『仙禽』蔵元の薄井一樹氏は、まず前回の「別誂」から振り返ります。
「酒販店から殺到した注文数、各飲食店での盛況、店舗での即完。その結果に安堵しています。これは、日出彦がまだこの業界に必要とされているという証拠。率直に嬉しい。そして、自身の蔵を創設し、まだ建物こそないものの、想像以上に早いスピードでここまで持ってくるのはさすが日出彦。おめでとうと言いたいところですが、同時に安心慢心は禁物。初心を忘れずに前に進んでほしい。そして、何より笑顔が増えて良かった。今回においては、戦友として迎えられたのも嬉しかった」と一樹氏。
「酒造りをしていると過程を大事にしたくなるのですが、一番はお客様に飲んでもらうこと。そういう意味では『別誂』が完売したという結果は本当に嬉しい。今回は、『日々醸造』の皆さんにお越しいただいて、日出彦さんがひとりで来た時とは全く違う雰囲気と酒造り。蔵の創設は、自分のことのように嬉しい。今度は逆に自分が学びにいきたいです」と杜氏の薄井真人氏は言葉を続けます。
「最初にリリースする『白糸酒造』さんで造らせていただいたお酒も『冨田酒造』さんで造らせていただいたお酒も、それぞれ自分の米を持ち込んで自分の仕込み方でやらせていただきました。しかし、異なる水と環境ゆえ、同じ味にはなりません。改めて、水の豊かさ、米の力、延いては日本の自然の素晴らしさを再確認いたしました。これまで自分が経験したことをスタッフも同じように経験させてもらえたことは、本当に財産だと思っています」と松本氏。
造ったお酒はいずれなくなります。しかし、経験が失われることはありません。ましてや、ほかの誰かが奪うこともできません。
4蔵の『日々醸造』×「武者修業」のあと、いよいよ自身の蔵での酒造りが始まります。
『日々醸造』と『冨田酒造』の「武者修業」は、2022年2月にリリース予定。
HIDEHIKO MATSUMOTO5月に向けてエンジン全開。日々、酒と向き合い、日々、精一杯生きる。
2022年1月某日。『日々醸造』は朝から忙しく、『白糸酒造』と『冨田酒造』で醸した酒が次々と運ばれてきます。仕上がった酒をスタッフとともに試飲。皆で意見交換をします。
水、米、麹、もろみ、発酵、香り、舌触り、余韻……。一頻り議論を交わした後、ひとりになった松本氏はひと言。
「どうにか一年間生きることができた」。
心の底から湧いたひと言だったに違いありません。
一年前のあの時、一年後の今の状況を誰が想像できたでしょうか。蔵の創設、自身の酒造り信じてくれる仲間との出会い、そのみんなと造った酒を地元・京都伏見で飲める喜び……。
「言葉では伝わらないこともあります。体で感じるしかない。学ぶしかない。その体験がこれからの人生の宝になる。今まで以上に酒に向き合いたい。造りの幅は確実に広がっている。ゼロだからできる。これまでも想像を絶することが多くありましたが、これからも色々なことがあると思います。ただ、今はひとりじゃない。だから、信頼できるチームのみんなと乗り越えていきます。不安はない。やるべきことは明確に見えている。日本酒というものが社会とどう関わっていけるのか。今までお世話になった方々に、精一杯、恩返ししていきたいと思っています」。
松本日出彦らしく、『日々醸造』らしく。
冒頭、「ついに完成」と謳うも、本当の意味で自身の蔵から醸される酒が完成するのは、2022年5月。
さぁ、いよいよだ。
住所:京都府京都市伏見区城通町628
https://sake.inc
1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』で修業。以降、家業に戻り、1791年(寛政3年)に創業した老舗酒造『松本酒造』で酒造りに携わる。2010年、28歳の若さで杜氏に抜擢される。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層から人気を集める。2020年12月31日、退任。酒職人として第二の人生を歩む。
Photographs&Text:YUICHI KURAMOCHI