大人のピクニック くらわんかくらわんか登窯波佐見焼の窯元が集まる山間の集落に1日限りの野外レストランを。
長崎県のほぼ中央に位置し、県内の市町村で唯一海に面していない波佐見町。400年の伝統を持つ磁器、波佐見焼のふるさととして知られています。その波佐見町の中でも、波佐見焼の窯元がとりわけたくさん集まっているのが、山間の集落、中尾郷です。2月、中尾郷で1日限りの野外料理会『大人のピクニック くらわんかくらわんか登窯』が開催されました。
会場となったのは、集落を見下ろす急峻な山肌に広がる「中尾上登窯跡」。世界第2位の大きさと言われる登窯跡で、その長さはなんと160mにも達します。ちなみに、まだ地中に埋まっていますが、世界第1位も波佐見にあり、、波佐見焼は世界に名だたる登窯の里だったことがわかります。中尾上登窯はかつて33室もの窯室を擁し、青磁や染付茶碗などを大量に焼き上げていました。現在は、窯室が連なっていた部分はレンガを利用して22面の段に整備され、巨大なひな壇のような威容を誇っています。今回、この段々が宴の舞台となるのです。
料理と空間演出を担当したのは、大塚 瞳さん。出張料理人として気に入った土地に数日限りの食空間を創出することをライフワークとする彼女は、使用する食材はすべて自ら生産者を巡り探し求める徹底ぶり。つながりのある生産者は数千件におよぶといいます。
今回の料理は、すべて長崎県産の食材を使用し、波佐見焼の器で提供されるとのこと。一体どのような内容になるのでしょうか。
山に鳴り響くのは正午を告げる町内放送の音楽。ゲストたちが続々と登ってきました。いよいよ『大人のピクニック くらわんかくらわんか登窯』の始まりです。
くらわんかくらわんか登窯染付の藍色が登窯跡を彩るシートの上で車座に。野外でも陶器。陶郷ならではの大人のピクニック。
段々の一区画は6×5mほどの広さ。その中央にシートが敷かれています。これはテーブルとイスの代わりに用意された帆布製の宴座。ゲストが車座になって、屋外の料理会を楽しんでもらいたいという趣向です。5名の一般客に地元の波佐見焼の窯元1名が加わった6名のグループが5組。1組1段ずつ、5段に分かれて席におさまりました。
ブルーのベールを取ると、鮮やかな藍色で草木が大胆に描かれた帆布、その真ん中に磁器と桐の重箱が鎮座しています。席につくと、波佐見焼のタンブラーが配られました。冷えた体に染み渡る、長崎のそのぎ茶。お茶で喉を潤し、お重の料理からいただきます。
蓋を開けると、わぁという歓声が上がりました。めでたい瓢箪柄のお重の中身は、地域に受け継がれている波佐見寿司。黄色い錦糸卵が鮮やかな押し寿司です。ニノ重は老酒漬けの足赤海老と渡り蟹、焼豚、炙り鰆など、なんとも渋くて魅力的なラインナップ。三ノ重は春らしい明るい色合いの金柑と白菜のサラダです。
この日の献立は中国春節にちなんでいると大塚さんは話します。
「長崎は中国との交流の歴史が深いところ。チャイニーズニューイヤー、中国の旧正月をピクニックでお祝いしたいと思い、御節料理のように重箱でご用意いたしました。中国の香りが感じられる内容になっています。サラダには黄ごころという甘みの強い黄芯白菜を使っています。中国では、“白菜”と“百財”が同じ発音であることから、白菜は財をもたらす縁起物。皆様の運気が上がりますようにとの願いを込めて、サラダに仕立ててみました」。
くらわんかくらわんか登窯長崎県産食材を地域ならではの組み合わせと調理法で。
次なる皿が湯気を上げてやってきました。ポップなデザインの碗の中には、馬鈴薯と何やら透き通った白いスライス。その正体は鯨の本皮部分。肉じゃがならぬ、“鯨じゃが”、だそうです。かつて鯨漁が盛んだった時代の長崎では、肉よりも鯨の方がよく食べられており、肉の代わりに鯨を入れた肉じゃがも、家庭料理の定番だったといいます。
「馬鈴薯というと北海道のイメージが強いかもしれませんが、長崎県は全国2位の生産量を誇る馬鈴薯の産地。この馬鈴薯は私が一番好きなデジマという品種で、その名前は長崎の出島に由来しています。ほくほくとした食感でほんのりとした上品な甘みが持ち味のデジマを、塩蔵した鯨と炊き合わせました。カタクチイワシの魚醤、エタリ醤油をほんの少しだけ風味づけに使っていますが、塩気は基本的に鯨から出る塩分のみ。馬鈴薯と鯨、昔ながらの味付け、この郷土料理は漁師町のお母さん直伝です」。
鯨じゃがを口にしたゲストからは、「鯨の脂と馬鈴薯の相性が絶妙」「馬鈴薯の甘みがストレートに伝わってくる」と驚きの声が上がっています。本当はここに人参が入るそうですが、この日は真っ白の世界を作りたくてオレンジ色の人参は外したそうです。
さて、もうもうと湯気を上げる蒸し器から登場したのは、天然鯛と紫や黄色の鮮やかな殻を持つ緋扇貝。これらは雲仙市小浜町の温泉水で蒸し上げられました。
「橘湾沿岸の小浜温泉には、105℃という高温の温泉が1日に1万5000トンも湧いています。しかし、その7割は利用されることなく海に流されているといわれています。そこで、せっかくの温泉を料理にも活用しようと、温泉の熱を利用した蒸し料理や、飲用の許可を取った温泉水を使った煮込み料理などが作られるようになっています。塩化物泉の温泉は塩気を含んでおり、その温泉で調理すると、素材はほんのりと塩味が付きます。魚も野菜も、素材が本来持つ旨味が引き出され、素直な味が身体に染み渡ります。長崎の海と大地の恵みを堪能できる、知る人ぞ知る調理法です」
くらわんかくらわんか登窯波佐見焼を象徴する伝統的な器“くらわんか碗”で料理を堪能。
水餃子が“くらわんか碗”に取り分けられてやってきました。イベント名に掲げられている“くらわんか”とは“食べないか”という意味の関西の方言。江戸時代、大坂・淀川の乗合船の客に酒や惣菜などを「くらわんか、くらわんか」と売った煮売船をくらわんか船といい、そこで使われた器はくらわんか碗と呼ばれたそうです。揺れる船の上でも転げにくいように重心が低く、割れにくいように厚手であるのが特徴。ご飯だけでなく、汁物や酒の提供にも幅広く使われました。
くらわんか碗は各地の磁器の産地で作られましたが、波佐見焼は中でも代表的な存在として知られ、くらわんか碗は普段使いの食器を得意とする波佐見焼を象徴する器にもなっています。
丼としては小ぶりで、飯碗としてはやや大ぶりなくわらんか碗は、一つで何役もこなしてくれそうなほどよいサイズ。持ってみると、手にしっくりと馴染みます。
熱々の鶏出汁のスープを啜り、もっちりした水餃子を頬張ってひと心地つくと、太陽が顔を出しました。陽射しを受けた背中はポカポカと温まり、春の訪れが一気に感じられます。
くらわんかくらわんか登窯サプライズの餅つきに野点。宴は大団円へ。
突然、上の方の段から軽快な和太鼓の音が聞こえてきました。サプライズの餅つきです。ゲストは音に誘われるように、登窯跡を登っていきます。レンガ造りの煙突が点在する、いかにも焼き物の里という眺望を背景に、餅つきが威勢よく始まりました。一年の息災への願いを込めて、ゲストたちは手拍子で応援します。
コシよくつき上がった餅は、あんこ餅ときな粉餅に。お腹いっぱいと話していたはずの人たちもペロリと平らげ、多くの人がお代わりに並びます。
続いて、ゲストを登窯跡の最上部へ誘うように、一番上の段で野点が始まりました。ゲストたちはさらに登っていきます。茶碗に使われているのは、再びくらわんか碗です。先ほどは伝統的な立ち鶴の柄、今回は亀甲の柄。正月にふさわしい鶴亀が揃いました。
息を切らして頂上まで上り、来た道を振り返るとそこには波佐見焼の里が広がっていました。薄茶を一服。清洌な山の空気とともにいただくお茶は、至福のひと言です。
大塚さんも薄茶を相伴しながら話します。
「このような屋外環境と水もないような限られた条件の中での料理会は、リハーサルもままならず、いくら綿密に準備してもなかなか思い通りにはならないものです。この場所を見つけ、会を開催できるというだけで8割成功と言っても過言ではないほどすでに美しい。私たちスタッフにできるのは、皆様の顔を思い浮かべながら料理し、空間を整え、怪我や事故が起こらない細心の注意をはらうこと。自分が思い描いた頭の中のデザインが何もなかった会場に出来上がった時の喜びをいつも真っ先に感じさせてもらっていますが、涙が出るほど感動するのは、そこにきてくださった方々が塗ってくださる最後の色。あぁ、これが見たかったんだ、っていつも思います。今回もね、吹雪に始まり、太陽が昇って雲がちぎれ、光がまっすぐ降り注いで、虹までかかり、神様ありがとうでしょう?」。
薄茶の一服で締めくくり、登窯跡を下って帰るゲストたち。その晴れ晴れとした笑顔は、この儚いレストランがもたらした感動を、何よりも雄弁に物語っているようでした。
1981年福岡県生まれ。料理上手でおもてなしを大切にする祖母や母の影響で、幼い頃から料理や客礼に興味を持つ。世界中の様々な食に親しみ、大学在学中は料理研究家のもとで学ぶ。大学在学中の2004年、居心地の良い空間で過ごす食のひと時をテーマに「Life Decoration」を立ち上げる。現在は、自ら生産者を巡り探し求めた食材を使っての出張料理会や食空間のプロデュースを行う他、店舗、旅館、特産品などのメニュー開発も手がける。これまでに携わった企画は、新宿伊勢丹 有田焼創業400年記念料理会、小樽 旧円山圓吉邸 修築披露料理会、有田ボーセリンラボ 有田焼創業400年記念料理会、常滑 吉川千香子窯 料理会、日田 SnowPeak キャンプ場でのグランピング料理会、唐津 旧大島邸 唐津焼料理会などがある。食空間演出家。福岡市大名にある『台所ようは』店主。
http://hitomi-otsuka.jp/
Photographs:TAISHI FUJIMORI
Text:KOH WATANABE