贅を尽くした空間が、穏やかな時間を生み出す。日本を代表する銘酒・鍋島の世界観を伝える宿。[御宿 富久千代/佐賀県鹿島市]

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『御宿 富久千代』の舞台は200年以上の歴史を刻んできた伝統的建造物。その重厚な屋根の下で眠ること自体が希少で贅沢な体験だ。

御宿 富久千代歴史的建造物をリノベーションしたラグジュアリーな酒蔵オーベルジュ。

旅における宿は、ただ体を休める場所ではありません。荷物を下ろし、服を着替え、リラックスした時間を過ごす。それは旅人が、もっともその地域に近づける時間です。

そんな時間を楽しむための宿が、2021年にオープンしました。その一日一組限定の宿の名は『御宿 富久千代』。かの銘酒「鍋島」で知られる富久千代酒造が手掛け、宿泊を通して銘酒の世界観に触れられる酒蔵オーベルジュです。

佐賀県鹿島市浜町、通称“酒蔵通り”。重厚な古民家が立ち並ぶ、歴史ある街の中に『御宿 富久千代』はあります。こんな素晴らしい街の中に宿泊できるという事実に、まず非日常感が湧き上がることでしょう。

その外観は、茅葺きの重厚な歴史的建造物。扉を開くと、予想以上にラグジュアリーな空間が広がります。リビング、2箇所の寝室、オーディオルーム、茶室などを備えた広々とした造りで、少人数で使用するのが惜しいほど。イタリア製のソファやチェアが10以上もあり、どこに腰を落ち着けるか悩んでしまうかもしれません。そして最奥にあるダイニング。木目の美しい一枚板のカウンター。棚の中のバカラやガレやラリックの酒器は、飾るためではなく、実際に使用するものです。

一言で言えば、豪華絢爛、贅を尽くしたきらびやかな内装。しかし、この時代を経た建物と豪華な内装は不思議に調和しています。ただ高級なものを詰め込んだようなちぐはぐさがなく、在るべきところに在るような落ち着きが感じられるのです。

注意して室内を見回してみると、その理由が見つかります。レセプションのカウンターは、酒を搾るために使われた木製の槽(ふね)。天井は茅葺き屋根が裏側から見えるように、わざわざスケルトンに。柱や梁は長い時間を積み重ねた傷が残されています。

「江戸時代の建築当初は酒蔵、それから味噌や醤油の蔵に、それから民家として使われていました。でも最後は、本当に荒れ放題の廃墟」。

代表の飯盛理絵氏にはそう言って、スマートフォンで撮影したリノベーション前の状態を見せてくれました。それは本当に廃墟としか言いようがない荒れた建物でした。

「鍋島は地元に支えられて続いてきたお酒。だから恩返しとして、この宿を通して再びこの街が発展してほしい」と理絵氏。

豪華な内装は、ただ見た目良く取り繕ったのではないのです。きっとこの建物の設計者は、この建物の歴史や重厚感に似合う家具や建具こそこれらだと確信した上で、選択したのでしょう。つまり根底にあるのは、この街、この古い建物への敬意。それに気づくと、さらにこの宿の居心地が良くなることでしょう。

佐賀県鹿島市肥前浜宿にある通称・酒蔵通りは江戸時代から酒や醤油などの醸造業で発展した街。重厚で美しい白壁の建築が立ち並ぶ。

酒蔵通りの中でもひときわ目を引く重厚な建築が『御宿 富久千代』。茅葺きの屋根をはじめとした外観は、ほぼ元の姿のままリノベーションされた。

たっぷりと空間を使った上がり框と奥のリビング。柱や梁などは元の意匠を残しつつ、快適に滞在できる姿に生まれ変わっている。

センスよく集められた画集や古書、重厚感あるイタリア製の家具などが、室内各所にごく自然に配されている。

リビング上部の天井はスケルトン仕様。防寒や清潔さを確保しながら茅葺屋根の裏側を仰ぎ見ることができる細やかな配慮。

バング&オルフセンのスピーカーが四方に配されたオーディオルーム。酒とともに極上の音楽に浸れるおすすめの空間だ。

窓の外には枯山水の庭。窓から臨むと陰影により美しさが際立つのは、日差しまで計算し尽くした設計の賜物なのだろう。

御宿 富久千代貴重な蔵見学を通して感じる銘酒・鍋島のおいしさの理由。

「ここは“鍋島”というお酒の世界観を体験してもらうための宿なんです」。

理絵氏はそうも言いました。それは古いものを大切にしながら、新たな上質を積み重ねること。そして、そんな価値観が守られるこの地で、自然体に過ごすこと。

富久千代酒造は普段は酒蔵を公開していませんが、ここの宿泊者限定で蔵見学も実施していると言います。案内人は鍋島人気の仕掛け人たる飯盛直喜氏。

そこでは直喜氏の酒米や酒づくり、鍋島の歴史の話を聞きながら、試飲が可能。酒蔵直営の宿だけの特権です。少年のような真っ直ぐな想いと、頑なな杜氏の実直さを併せ持つような直喜氏は自ら手掛ける酒を雄弁に語ります。「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」の日本酒部門最優秀賞、文字通り世界一の酒に選ばれた鍋島の、人気の秘密が見えてきます。

「わざわざ訪ねてきてくれた方に、鍋島のファンになってもらいたい」。

直喜氏はそう笑いました。

銘酒・鍋島が生まれて23年。その仕掛け人として走り続ける飯盛直樹氏の話は、ただの酒造り以上の示唆に富み、興味を惹く。

磨き、製法、原料、季節。さまざまな種類がある銘酒・鍋島だが、そのすべてにフレッシュで奥深いおいしさという“鍋島らしさ”は共通している。

卓上に用意されている小グラスや巾着には鍋島のロゴ入り。ほかでは手に入れることのできない、貴重な旅の記念品。

御宿 富久千代貴重な蔵見学を通して感じる銘酒・鍋島のおいしさの理由。

試飲の後は、夕食の時間。そう、ここはオーベルジュ。食事は滞在中の一大イベントです。カウンターには若き料理長・西村卓馬氏が立ちます。

「どこに行っても気に入られて、可愛がられちゃうの」。

理絵氏に料理長について尋ねると、まるで自分の息子を自慢するように笑って言いました。「東京の三ツ星店で腕を磨いた人物、若いけど腕は本物」とも。

そんな言葉通り、西村氏はどんなことにも全力でぶつかっていくような、知らないことは何でも貪欲に学んでいくような、真っすぐで気持ちの良い人物。好奇心にあふれる目がいつも少し微笑んでいて、見ている方もつられて笑顔になります。

「チェックインでお客様とお会いしてから夕食の時間まで、お客様についてイメージを膨らませる時間がたっぷりあります。そこでひとりひとりに合わせた作戦を練るんです」。

西村氏は言います。それはレストランではなく、オーベルジュであることの最大の利点。だから当然、満足度は高くなります。この日の料理は、有明海のワタリガニ・竹崎ガニの飯蒸し、蒸し鮑の茶碗蒸し、唐津の鯛と雲丹のお造り、対馬の穴子とふきのとうの揚げ物……。毎日3時間以上かけて集めて回った地元食材を使った全力投球の料理です。

「全部おいしいものを出したいんです」。

西村氏はそう笑います。ときに老練な料理人は、緩急をつけて主役を際立たせる構成にすることもありますが、西村氏の料理はすべてが全力。そしてその料理が、フレッシュ感が持ち味の鍋島と見事に噛み合うのです。
 
心地よい満腹感に満たされて部屋に戻れば、室内のワインセラーには希少な鍋島が並んでいます。もう少し飲むのも、オーディオルームでくつろぐのも、風呂に入って休むのも自由。どの選択をしようとも、きっと他に替えがたいくつろぎの時間が待っていることでしょう。

ダイニングの特等席はどっしりとしたカウンター。正統派日本料理と鍋島とのペアリングは、夢心地のひとときを演出してくれる。

若き料理長・西村卓馬氏は神楽坂『石かわ』で6年に渡り腕を磨いた人物。爽やかで快活な若者だが、その実力は折り紙つき。

ある日のコースの一例、有明海のワタリガニ・竹崎ガニと宮崎のキャビアを合わせた飯蒸し。無論、鍋島との相性は抜群だ。

トラフグの白子のすり流しを合わせた蒸し鮑の茶碗蒸し。最高の食材を吟味し、全力投球で直感的なおいしさを生み出すのが西村氏の流儀。

トラフグの白子のすり流しを合わせた蒸し鮑の茶碗蒸し。最高の食材を吟味し、全力投球で直感的なおいしさを生み出すのが西村氏の流儀。

料理長が惚れ込んだ対馬の穴子とふきのとうの揚げ物。全11〜12品のコースは、どれもが主役級の存在感を放っている。

住所:佐賀県鹿島市浜町乙2420-1 MAP
電話:0954-60-4668
https://fukuchiyo.com/

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