新天地は、故郷・京都伏見。ここから新しい物語が始まる。

生まれ育った町、京都伏見にて『日々醸造』として酒造りを始める松本日出彦氏(中央)とその仲間たち。左より、山口和真氏 辻井 亮氏、上田幸治氏、松本氏、小柳 然氏、廣瀬里砂さん、関本梨央さん。左側の建物は、築100年以上の古屋を活かし、今後のコミュニケーションスペースに。右側の建物は、新設した蔵。

HIDEHIKO MATSUMOTO「武者修業」を終え、松本日出彦は、もう一度酒職人になった。

2022年4月、ついに『日々醸造』の蔵が完成。松本日出彦氏にとって、第二の酒人生が始まりました。

新天地は、故郷・京都伏見。お世辞でも広いとは言えない酒蔵は、松本氏曰く、「数センチ単位で無駄をなくした」空間。平面図から酒造りの動線をイメージし、何度も脳内でシミレーションを行い、今の配置に。

建物は、ステップ式の2層構造。まず1層目には、発酵させるタンク、搾り機、蒸し場と洗い場を置きます。2層目には、酒母室と麹室を置き、1層目で蒸したお米は、2層目に開口された床からリフトカーで上げる仕組み。酒造りの知恵と工夫が凝縮された空間構成です。

新設した蔵の二階部分。右側、床を抜いた部分より蒸米をリフトアップし、仕込む。奥の扉左側は酒母室、右側は麹室。

蔵の一階部分。洗い場と蒸し場、醸造タンク(下記)を配す。狭小ながら、考えられた緻密な設計。

蔵の一階部分。ステップ式に用意された醸造タンク。「今後は、木桶も仕込んでいこうと考えています」と松本氏。

重厚感のある梁や天井が歴史を感じる古屋。中二階には、事務スペースを設ける。「今後は、このスペースを使ってお客様とのコミュニケーションを計ったり、お酒の販売も検討しています」と松本氏。

2021年11月に訪れた時には、まだ蔵もなく、古屋を掃除し、整えるところから始まった『日々醸造』。造り手は、松本氏(中央)をはじめ、左より、山口和真氏、近野丞悟氏、松本氏、上田幸治氏、辻井 亮氏。

2021年11月時点では、今ある蔵の場所は、まだ更地だった。当時、古屋は物置と化し、足の踏み場もないような状態。『日々醸造』の酒造りの道具は、ほぼ全て手作りであり、その大半がこの時期に制作されたもの。建物入り口には、元々、この場所にあったお地蔵様を受け継ぎ、備える。 Photographs:YUICHI KURAMOCHI

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ファーストリリースされるお酒の米は、松本氏が以前より愛する兵庫の山田錦に加え、栃木『仙禽』の「武者修業」にて仕込んだ亀の尾。

『仙禽』さんで仕込みをご一緒させていただいた時、亀の尾が持つお米の力強さに驚かされました。『仙禽オーガニックナチュール』は、90%精米の無酵母無添加。荒々しいはずなのに、お米のネガティブな部分はなく、むしろポジティブな部分が引き出されている印象を抱きました。もちろん、(薄井)真人さんの技術が素晴らしいのだとは思いますが、とにかくお米のポテンシャルの高さに驚きを隠せませんでした」。

2021年6月。『仙禽』の「武者修業」にて畑を訪れている松本氏。この時は、まさか自分の蔵を持ち、そこで亀の尾を使用するとは知る由もなかった。

2021年10月。兵庫の田んぼに足を運んだ時の松本氏。この時には新たな蔵の準備も進み、米の仕入れと生育環境の確認を行う。「ここは、山々に囲まれ、風の通りも良い。山田錦が育つには最適な環境です」と松本氏。

上記、田んぼを巡回後、松本氏が大工さん(愛称)と呼ぶ農家の藤井氏との会話も。「ここは、前蔵よりお世話になっている田んぼと農家さん。米をただ仕込むだけでなく、育った環境や作り手を知ることが大事」と松本氏に対し、「また、酒造りができてよかったのぉ」と笑顔で返す藤井氏。

玄米調整をする田中氏は、松本氏が信頼する職人のひとり。ふたりの間には、納品準備が整った大きな米袋。「松本日出彦」と書かれているのは、「蔵の名前がまだ決まっていないから、何て書いて良いか分からんじゃろ!」と田中氏。様々な人の支えがあって今の松本氏があるも、それは、これまで真摯に米や人と向き合ってきた証と言える。

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もともと、「武者修業」を終えた後も「何か別のかたちで五蔵(新政仙禽冨田酒造白糸酒造花の香酒造)とつながりを持ちたかった」と話していた松本氏。その第一弾として結ばれたのが、『仙禽』で使用するお米・亀の尾でした。

『日々醸造』では、55%精米。同じく生酛造りではあるも、環境も水も造り手も違うため、当然味は異なります。加えて、松本氏はもちろん、「武者修業」の第二弾では、スタッフ全員も本家『仙禽』の酒造りにも参加しているため、どのような違いが現れるかは顕著に感じるでしょう。

「自分は、ずっと兵庫の山田錦に向き合ってきましたが、『武者修業』を通して、それぞれの蔵元の特性、造り手、農家さん、畑、環境などと出会い、学ぶことによって、別のお米に触ってみるのも良いと思う自己の変化がありました。そういう意味では、厳密に最初に触れたのは、『冨田酒造』の玉栄。ですが、今、玉栄を使って酒造りをしたら、 また違った味になると思います」。

それは、なぜか。答えは、経験の違いにあります。当時はお米のみを譲り受け、酒造りをしていたのに対し、今後であれば『冨田酒造』での酒造りを経ての酒造りになるためです。『仙禽』同様、本家の酒造りを共にした時間は、酒職人として生きる松本氏の人生を大きく変えたと言えるでしょう。

このような視点を持って見れば、『日々醸造』が仕込む玉栄のお酒が飲める日も近いかもしれません。

午前の仕込み後、松本氏とともに伏見を歩く。すると、蔵の近くに流れる川で立ち止まり、大きく深呼吸。

「濠川は、伏見城築城のために宇治川から引かれた水路なのですが、琵琶湖から流れてきてるんです。そう考えると、昔から冨田さんともつながっているんですよね」。

美味しいを超える先にあるものは何か。造り手の想い、地域への愛、素材の力。人それぞれ答えはあれど、それを探し当てるのは至難の業。なぜなら、目には見えないから。ラベルには書いていない物語は、飲み手が能動的に意識を働かせ、背景を得なければいけないのかもしれません。

何種類飲んだかは、重要ではありません。本当に価値あることは、人生における大切な一本や造り手と出会えるか否か。松本氏もまた、後者となれる一本に、酒職人になれるよう、日々、精進してます。

2022年4月。この日仕込んでいたのは、亀の尾。京都の水、造り手、蔵が変わることによってどんな味になるのか楽しみだ。

洗った米は、一晩寝かし、蒸し器に入れられる。少人数、小スペースで酒造りをしなければいけない条件は、知恵と工夫で解決する。

米が蒸しあげられる様は、圧巻。蔵内には、蒸した米の香りが広がり、いよいよ『日々醸造』は始動したのだという実感にもつながる。

丁寧に空気を含ませ、粗熱を取る。「再び、自分の蔵で米に触れることができて、本当にうれしく思います」と松本氏。

『日々醸造』としては、ファーストヴィンテージとなる米を切り返す松本氏とスタッフたち。工程のひとつ一つに気持ちが入る。

既にタンクにて醸造中の山田錦。プツプツ、ピシピシと静かに発酵音を奏で、生きた液体を感じる。

『日々醸造』のすぐ目の前に流れる濠川。琵琶湖とつながる水源は、「この川を通る度、冨田さんを思い出すんですよね(笑)」と松本氏。玉栄との出合いは、必然だったのかもしれない。

HIDEHIKO MATSUMOTO酒造りができる歓び。五蔵への想い。そして、父との約束。

『日々醸造』は、『新政』、『仙禽』、『冨田酒造』、『白糸酒造』、『花の香酒造』の五蔵で得たものの集積でできています。

「『新政』で学んだ生酛の想い、『仙禽』で得た酒蔵と地域の在り方、限られた環境で仕込む『冨田酒造』の知恵と工夫、『白糸酒造』が徹底する麹との向き合い方、『花の香』が大事にする水の扱いや産土の精神。ただ影響を受けたのではなく、酒造りを共にさせていただくことによって、本当に人生にとって大事なものを得られた時間でした」。

そんな五蔵の魂も込められた蔵の建つ場所は、冒頭の通り、松本氏の故郷・伏見。「伏見にとっても良い酒蔵でなければいけない。そして、この街にとって、どんな貢献ができるかもじっくり考えていきたいと思っています」。

前蔵のように代々受け継がれる蔵もあれば、ゼロから始まる今の蔵もまた蔵。もともと酒蔵があった風景ではなく、酒蔵のある新たな風景として馴染めるか馴染めないかは、『日々醸造』次第。歴史や伝統を受け継ぐ苦労もありますが、新しく始める苦労もまた財産となるでしょう。そんな歴史や伝統を継ぐはずだった最中、前蔵を去ったのは、松本日出彦氏だけではありませんでした。

松本氏の父・保博氏です。

「もう一度、父に酒造りをさせてあげたかった。その約束をようやく果たせそうです」。

「よう頑張ったと思います。自分も何かやらにゃあかんなぁ!」と話す保博氏は、御年77歳。「あと10年はやりますよ!」と笑うも、眼光は鋭い。それを横目で苦笑いする松本氏は、息子の顔でした。

「さぁ、午後の仕込みを始めますか! 毎日エキサイティングです(笑)」。

5月に山田錦のお酒がリリースされ、6月には亀の尾のお酒と自社田の特別仕様もリリース。

「武者修業」は、きっと松本氏にとって掛け替えのない時間だったに違いありません。酒造りとしてだけでなく、人として生きる上で、きっと大事な何かを得たのではないでしょうか。しかし、その「何か」は、今すぐに分からないかもしれません。なぜなら、長い人生をかけて、ようやく見えてくるものだと思うからです。

初志貫徹。「原動力は心。酒造りは生きること」。

酒造りの「武者修業」、完結。

松本氏が所有する兵庫の自社田の稲刈りを終えた2021年10月。この山田錦で仕込まれた特別仕様が6月にリリースされる。

2021年3月より始った「武者修業」より、ずっと使い続けている長靴。少しくたびれた様は、哀愁が漂う。松本氏と一番苦労をともにした道具かもしれない。

『日々醸造』としては、初めての酒造りのため、蒸米をはじめ、仕込みや作業工程を細かくチェックする松本氏。「型ができるまでにはまだまだ時間はかかりますが、それも含めて、楽しみたいと思います」。

蔵が完成する前、「武者修業」の第2弾として2022年1月からリリースされた『日日醸造』仕立ての日本酒。松本氏が使用する兵庫県東条の山田錦を持ち込み、(左より)『白糸酒造』、『冨田酒造』、『花の香酒造』、『仙禽』の4蔵にて酒を造らせてもらった品々。徐々に武者修業の文字が薄くなり、『日日醸造』のロゴが濃くなるというラベルデザインは、酒職人として自立する意志の表れでもある。Photograph:YUICHI KURAMOCHI

『日日醸造』オリジナルのファーストヴィンテージは、2022年5月にリリース。酒販店での流通はほぼなく、各飲食店で目にする機会を楽しみにいただきたい。Photograph:YUICHI KURAMOCHI

2022年6月上旬にリリースされる自社田の山田錦を醸した特別仕様は、これまでよりもより少数。ボトルにはラベルを貼らず、松本氏が自ら一本一本手書きし、真空パック状に。詳細は、公式HPにて随時更新。Photograph:YUICHI KURAMOCHI

松本氏(左)と父・保博氏(右)。2020年12月、保博氏もまた、前蔵を去らなくてはいけなくなった当事者。まだ残っていた酒造りへの想い、息子・日出彦氏の将来への想い、職人として、父として、「様々な気持ちが入り混じっていましたが、ようやく一歩を踏み出せて嬉しく思います」と感慨深い表情を浮かべるも、「また私も酒造りせにゃあかんなぁ!」と大きく笑う。「そして、本当によく頑張りました」。

住所:京都府京都市伏見区城通町628 MAP
https://sake.inc

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、東京農業大学短期大学醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』で修業。以降、家業に戻り、1791年(寛政3年)に創業した老舗酒造『松本酒造』で酒造りに携わる。2010年、28歳の若さで杜氏に抜擢される。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層から人気を集める。2020年12月31日、退任。2021年『日々醸造』を設立。2022年より本格的に酒造りを再開し、酒職人として第二の人生を歩む。


Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI