ビールを通じて信濃大町の水を体感してほしい。
信濃大町駅から北へ伸びる商店街の中ほどに、2019年、大町市初のマイクロブルワリー『北アルプスブルワリー』が誕生しました。全国的に、地域に根差した少量高品質なクラフトビールが生まれ、ビールの新たな楽しみを広がっていますが、中でも『北アルプスブルワリー』はユニークなスタンスで独自の個性を発揮しています。その個性とは、ずばり“水”。
そもそも信濃大町の水の美味しさを伝えるために作られたブルワリーであると、醸造責任者の松浦周平氏は設立の背景をひもときます。
「信濃大町の水道水にもなっている北アルプスの上白沢水系の天然水は、世界に誇る美味しい軟水だと思っています。北アルプスに浸み込んだ水が15年から20年かけて地中で磨かれ、一度も地表に出ることなく水道水となって供給されています。この水の美味しさを多くの方に知っていただきたい。そのきっかけとして、美味しい水で造ったクラフトビールを飲んでもらえたら、と考えたのです」
兵庫県出身の松浦氏は、スノーボードに熱中して白馬に通うようになり、やがて信濃大町に移住し、コーヒーショップを開業しました。開業地に信濃大町を選んだのは、やはりコーヒーに欠かせない水の存在が決め手になったと話します。
「コーヒー豆と軟水はものすごく相性がいい。コーヒーの98%以上が水。豆の品質と焙煎の方法もとても重要ですが、結局、淹れるための水のクオリティで美味しさに格段の差が出るものなんです。僕は上白沢の水はコーヒーを淹れるのに最高の水だと思っています。圧倒的な水の良さをコーヒーを通じて体感してほしい、そう思って店を営んできました。そして、その発想をビールにも広げました。コーヒーは緑茶や紅茶と違って堅苦しいお作法がない、世界中でカジュアルに楽しまれている飲み物。同様にビールも庶民のお酒の代表です。身近な飲み物であるコーヒーとビールで信濃大町の水の美味しさを伝えていきたいというのが狙いです」(松浦氏)
「カクテルってどこか拡張高いお酒と思われがちですが、本来はビールのようにカジュアルなものなんですよ。禁酒法の時代に、粗悪なお酒をいかに美味しく飲むか。その工夫として大きく発展したのがカクテルなので、本来はごく大衆的な飲み物。僕のバーも“アットホームバー”を謳っていて、肩肘張らずにお酒の美味しさ、新たな魅力に気づいてほしいと思っています。だから、カジュアルな入り口から多くの人に入ってきてもらって、水の美味しさを知ってほしいという松浦さんの想いに共感しますね」と山﨑氏はうなずきます。
水質調整を一切行わず、そのままの天然水でビールを仕込む。
信濃大町の水の美味しさをクラフトビールを通じて伝える。そのミッションを掲げる『北アルプスブルワリー』は、常識にとらわれない大胆なクラフトビール醸造に取り組みます。その最たる部分が、使用する水に一切手を加えないこと。一般的には、ビールに使う水は醸造の前段階で薬剤を使った水質調整が施されます。クラフトビールがいち早く発展してきたイギリスやアメリカの水が硬水であることから、日本の軟水はミネラル成分などを添加し、イギリスやアメリカでビール醸造に適しているとされる硬水につくり変えるのです。
しかし、それでは『北アルプスブルワリー』はそもそもの目標からそれてしまいます。セオリーから外れて軟水で仕込むと、うまく味が乗らないかもしれない。ホップの苦味がきちんと出ないかもしれない。キレが弱いかもしれない。心配は尽きませんが、そのままの水を使うことを大前提に初めての醸造に向かって突き進みます。
当初、思わぬハプニングが発生しました。オープンに向けて準備を進めていたものの、なかなか醸造免許がおりません。免許がおりず仕込むことができないため、予定していた醸造をやめ、他県のブルワリーに原材料とレシピを渡して造ってもらうことにしました。外注によってビールが出来上がった後、ようやく免許がおりて初めての自家醸造にチャレンジしました。しかし、段取りが悪く、機材の扱いでもトラブルが続き、本来は6時間で行える工程に倍以上の14時間もかかってしまったのです。そうして完成したビールは悲惨な出来かと恐れましたが、いざ飲んでみると、スタッフの誰もが驚くほど美味しいと感じたそうです。しかも、その美味しさは、同じでレシピで外注しして出来上がったビールよりもはるかに上。外注と自家醸造の違いは、仕込み水のみ。つまり、信濃大町の水がビールの美味しさをさらに引き上げたという証左になったのです。
「信濃大町の水を使って初めて自分たちで造ったビールを飲んだ時、みなさんの反応はどうだったのですか?」との山﨑氏の問いに、松浦氏は当時を振り返ります。
「飲みやすい! 口当たりの良さにみんな驚きましたね。外注したものと比べて単にライトな飲み口になったというわけではなく、風味は負けず劣らずしっかりありながら、“カド”がなくなって心地よく飲むことができる。そんな声が多く聞かれました。実は、僕自身は元々ビールを好んで飲む方ではありませんでしたが、このビールは素直に美味しいと思いましたね、お世辞抜きに」
カドがない、まあるい印象のビールに。
現在、『北アルプスブルワリー』では主力のペールエールやラガーをはじめ、様々な種類のビールを醸造しており、併設のタップルームでは常時6種類ほどのビールを試飲することができます。山﨑氏もこの日いただけるすべてのビールを味わってみます。
まず主力のラガーをグビリとやった山﨑氏は、「ああ、これは美味しい!」と表情がパッと明るくなりました。
「カドがない。全体がまあるい印象で、とても飲みやすい。でもシャープなキレもあるし、これはいいバランスですね」と驚きます。続けて、ペールエール、そしてIPAを味わうと、「エール系もいいなあ」と唸ります。
「IPAに信濃大町の水を使っている特長がよく現れていますね。IPAの苦くて濃いという重たさが程よく緩和されていて、IPAの強い味わいを軽やかに楽しむことができます。やっぱり水がいい働きをしているんでしょうね。カクテルも同じ。たとえば上質なウォッカであっても、そのままだとどうしても刺々しさがあるのですが、それを水や氷を上手に使ってカドを取るのがバーテンダーの腕の見せどころ。工夫や技術によって、高いアルコール度数の飲み応えを保ったまま、口当たりを良くすることもできるんです。こちらのビールには、そんなカクテルの本質に共通するものを感じます」
500kgの仕込みタンクに対し、80kgものリンゴを投入するアップルエールも出色の仕上がり。リンゴの名産地ならではの贅沢な風味を堪能することができます。いわゆる黒ビールの一種であるスタウトも評判の出来。黒ビールらしいコクがありながら、飲み口はいたって軽やか。スルスルといくらでも飲めそうだと山﨑氏に笑みがこぼれます。
そして、とりわけ山﨑氏が感動したのが、副原料に自家焙煎のコーヒー豆を使ったコーヒーパンチ。コーヒーフレーバーのビールはコーヒー豆と相性が間違いないスタウト系でつくるのが一般的ですが、こちらではコーヒー本来の味わいも大切にすべく、エール系でつくり上げています。
「旨い! これは文句なく旨いですね。コーヒーの風味がビールの炭酸と苦味に乗って、フワッとやってくる。余韻も心地いいし、これはもはやカクテルです。やはり信濃大町の水の良さがなせる技なんでしょうね」
このコーヒーパンチは、「ジャパン・グレートビア・アワーズ2020」と「インターナショナル・ビアカップ2020 カテゴリーチャンピオン 金賞」と、権威あるアワードに次々と輝きました。
「ブルワリーの近くにあるコーヒーショップで焙煎したばかりの熱々の豆を急いでブルワーに持ってきて投入しています。スタウトではなく、エール系でコーヒーの味がしっかりするギャップと、コーヒーのフレッシュな風味を感じて欲しかったんです。いずれは、さらにクリアな味わいのラガーでコーヒーパンチをつくってみたい。それから、ホップの自家栽培にもチャレンジしたいと思っているところです」と松浦氏は次なる野望を語ります。
「ははは。松浦さんの、なんというか、変態的な情熱が一杯に濃縮されたビール。これからも本当に楽しみです。僕も銀座を代表する変態的なバーテンダーになれるように頑張ります」と山﨑氏は笑いました。
Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 大町市)