プロフェッショナルの審査員を唸らせる料理。夢を抱かせる料理が勝利を導く。

約3年ぶりに来日を果たしたフィリップ・ミル氏。自身も『ボキューズ・ドール』出場経験を持つ。「24ヵ国の審査員を驚かせ、納得させ、夢を抱かせるような料理でなければ勝てない」と大会を分析する。

Bocuse d’Or 2023口の中を躍らせるような味を見つけることが大切。それは、軽やかで、生きた味。

仏・シャンパーニュ地方に位置するドメーヌ・クレイエールの三ツ星レストラン『レ・クレイエール』のシェフを務めるフィリップ・ミル氏。38歳にして『M.O.F』(フランス国家最優秀職人章)を獲得し、フランス料理界を牽引する存在として知られます。2017年3月、株式会社ひらまつと提携し、世界で唯一自身の名を冠するレストランを『東京ミッドタウン』にオープンしました。そんなフィリップ氏は、コロナ禍を経て、約3年ぶりに来日。

実は、自身もフランス代表として2008年『ボキューズ・ドール』へ出場経験を持つ。そんなフィリップ氏が、大会の意義や日本のフランス料理界への想い、そして2023年出場シェフである石井友之氏へのエールまでを語ります。

「『ボキューズ・ドール』の意義は、ガストロノミーを進化させていくためのものだと思います。一人ひとりの料理の技術を競う、いわば料理のワールドカップのようなものですが、各国がそれぞれ持つ、異なるフィロソフィーや技術、ノウハウを磨き上げていく場でもあります」とフィリップ氏は言います。

前述、自身が出場した時の結果は3位でした。コンクールが進むにつれ、困難が待ち受け、「楽しむことは難しかったです」と言いながら、「山を登るようなスリリングな感覚は忘れられません」と振り返ります。そして、「いつか再び挑戦できるのならぜひチャレンジしたい」とも続けます。なぜなら「常にチャレンジ精神を持ち続けることが自分を駆り立てているものだから」。柔和な表情とは裏腹に見せるアグレッシブな側面は、トップシェフであり続ける資質でもあるのでしょう。

まだ優勝できていない日本が勝つためには何が必要であるのか。単刀直入に問います。

「コンクールは自分自身との戦いではありますが、当然相手がいるわけで、その相手に勝つためには、味が一番重要だと思います」と、予想以上にストレートな答えが返ってきました。

「口の中を躍らせるような味を見つけることが大切です。同時に、軽やかで生きている味でなければなりません」というフィリップ氏の答えは、美味しいとは何かという深遠な問いに対する答えのようです。

「単純に腕のいいシェフというだけではダメなのです。それはもう皆そうですから。その先を行かなければなりません。この大会は後ろを見てはダメなのです。前だけを見て進化し、プロフェッショナルである審査員を驚かせ、夢を抱かせるようなものでなければならないのです。24か国の審査員を納得させるには、どういった料理をなぜ選んだのかという明快なコンセプトが不可欠。そしてそれを引き立たせる技術も必要です」とも。それを体現するためにはどれだけの努力と閃きが必要なのであろうかと考えると気が遠くなります。

残念ながら日本にはまだ『ボキューズ・ドール』が充分に普及しているとは言えませんが、普及している国としていない国との違いをフィリップ氏はどう考えるか。まず、「普及のためには、国を含めた組織の力も大変に大きい」と言います。『ボキューズ・ドール』が普及している国では、相対的に予算も潤沢にあり、『ボキューズ・ドール』のためのチーム、組織が出来上がっているそうです。

「今は、北欧勢が上位を占めていますが、20年ほど前までは、強豪国ではありませんでした。それが、元候補者代表シェフがコーチとなって、チームを指導していくというシステムががっちりできてからは俄然強くなりました。日本にいまひとつ普及していないのは、メディアや広報の役割だけでなく、毎回毎回新しいチームで挑んできたというのもひとつの要因。代々知恵や技術を受け継いでいくことが必要だと思います。日本が上位にくるようになれば、おのずと知名度も普及していくと思います」と説きます。

今回のチームジャパンでは、初めて、これまでの候補者たちの経験をひとつに結集したチームが作られています。そうした意味からも、2023年大会の結果は本当に楽しみです。

「石井シェフには、コンクールの料理を自分自身のものにしてほしい。素材、調理法、全てにおいて、自分にウソをつかないことが何より大切」とエールを贈る。

Bocuse d’Or 2023自分は他の23人とは違う。それくらいの気概と自信を持って臨んでほしい。

フランスでは、『ボキューズ・ドール』の入賞者には、多くの扉が開かれています。多くの入賞者の中にはエリゼ宮のシェフになっているものも、また、多くの3つ星シェフも輩出しています。また、フランスには『M.O.F.』のように、職人に対する社会保障制度もあります。これは、料理人にとって、とてもやりがいのあることです。

「日本でもぜひ、国を挙げて、コンクールを立ち上げるなり、『M.O.F.』の制度のようなものができるといいですね。料理技術は国家の財産ですから」。とは言え、「日本のフランス料理業界全体としては、すごく進化していると思う」というのが、フィリップ氏の見解。

「20代の頃に日本から修業にきていた人たちとは、その後、連絡はとれなくなってしまいましたが、おそらく彼らは模倣のようなものを作っていたと思います。しかし、その弟子、そのまた弟子と、次第に自らのクリエイテビティを確立して、今や、世界の中でも日本は大きな存在感を示しています。先日の『パテ・アンクルート』(フランスの伝統的なシャルキュトリ、パテ・クルートのファルス・詰め物の構成、パテ全体の見た目、カットした断面の美しさ、味・le goûtを競う大会)でも日本人が優勝しましたし、今年初めて日本人で『ガストロノミー “ジョエル・ロブション”』の関谷健一郎シェフが『M.O.F.』(国家最優秀職人 Meilleur ouvrier de France)を獲得しました。日本のフランス料理はそこまできているのですから、『ボキューズ・ドール』での入賞もあと一歩だと思います」。

実は、この取材前日にフィリップ氏は、石井友之シェフの作品を試食。それを振り返り、率直に見解を述べます。

「コンクールの料理を自分自身のものにしてほしい。素材にしても調理法にしても自分にウソをつかないことが何より大切。自分の持てるものすべてを出すことです。自分は他の23人とは違う、それくらいの気概と自信を持って臨んでほしい。まだ、現段階では、味がどことなく遠慮しているように感じました。食べた時に正直驚きがなかったのです。怖がらずに自分を解放し、ぜひ殻を破って突き抜けた味を見つけてほしいです」。

フィリップ氏からのエールで石井氏がさらに発奮することを祈ります。

取材中、自身の拳をぎゅっと握るシーンが多く見られたフィリップ氏。当時を回想してか、大会の重みと緊張感が伝わる。


Text:HIROKO KOMATSU
Photographs:KOH AKAZAWA