ディスティネーションレストラン日本人が選ぶ、世界の人々のための、日本のレストランリスト。
まず始めに、これを読んでいただいている方にお伺いしたいことがあります。
世界中に多くのレストランアワードがありますが、何を参考にしていますか?
老舗のものから流行のもの、料理ジャンルに特化したもの、昨今ではサスティナブルな視点のものまで様々です。ワインや日本酒、焼酎など、ドリンク専門のものも少なくありません。
「ONESTORY」においては、2016年の創業より「DINING OUT」という表現を通し、そういったものに左右されない独自の思想を大切にし、地域と向き合い続けています。それは、2017年から展開したメディアにおいても同様です。
そんな中、共感を持つアワードに出合いました。「Destination Restaurants」です。「The Japan Times」が運営するそれは、日本発信のレストランセレクション。もう少し噛み砕くと、「日本人が選ぶ、世界の人々のための、日本のレストランリスト」です。選考者は3名。学校法人辻料理学館理事長兼辻調グループ代表の辻 芳樹氏、レバレッジコンサルティング代表CEOの本田直之氏、アクセス・オール・エリア代表の浜田岳文氏です。本田氏と浜田氏は、この肩書きよりも、国内外を巡るフーディーと伝える方が納得かもしれません。本田氏は、毎日のように屋台、B級からレストランまでの食を極め、自らシェフイベント「Dream Dusk」なども主催。浜田氏は、約120カ国・地域を踏破し、「OAD Top Restaurants」レビュアーランキング5年連続世界一。本業ではないその活動は、「好き」が昂じたものだったのかもしれませんが、今となっては「使命」すら感じるのは自分だけでしょうか。
そんな「Destination Restaurants」は、今年で3回目を迎えます。2021年に発足するも、世界中がコロナ禍に。2022年に2021年度と合同の受賞式が初開催でき、本当の意味で産声を上げました。2023年の模様をお伝えする前に、まず、2021年、2022年を少し振り返りたいと思います。
ディスティネーションレストラン選考基準の先にある尊さ。それは、美味やホスピタリティを凌駕する、人生の物語。
「Destination Restaurants」の選考基準もご紹介したいと思います。まず、その対象は東京23区と政令指定都市を覗く日本にあるあらゆるレストランだということ。それをもとに、「日本の風土の実像は都市よりも地方にある」、「地方で埋もれがちな才能の発掘を目指す」、「既存のレストランセレクションとの差別化を図る」という3つの点を重視し、毎年10店のレストランが選出されます。
2021年には、富山県南砺市の「L’evo」。2022年には、和歌山県岩出市の「villa aida」が各年の「Destination Restaurants of the year」を受賞しました。
「ONESTORY」においても両レストランとの親交は深く、「villa aida」のシェフ・小林寛司氏においては「DINING OUT HIEIZAN」の記憶も新しいです。そのほかも親和性の高いレストランが多く受賞されています。
2021年「Destination Restaurants」の詳細はこちら
2022年「Destination Restaurants」の詳細はこちら
2023年「Destination Restaurants」の詳細はこちら
「L’evo」と「villa aida」は、地方を極めた好例と言って良いでしょう。スタイルも風土も異なる独自の2店に共通することは、レストランだけではないこと。
「L’evo」は、ホテルも併設。これを両輪できるレストランは日本全国を探しても稀有。本田氏も「どんなに良いレストランがあっても、宿やホテルがない地域が多い」とコメントを残しています。容易ではありませんが、両立を成せれば、辺境の地ですら旅先として成立できることを証明しました。
このアワードの通り、レストランを目的地にする旅は近年では珍しくはありません。ただ、旅はレストランだけで完結しません。レストランで過ごす前後の時間も含め、旅の質は決まります。
一方「villa aida」は、自身で畑も耕し、一次産業も担う農から始まるレストラン。
2店を価値化しているのは、レストランの「中」の時間だけではなく、レストランの「外」の時間。つまり、営業時間外。受賞式では、辻氏、本田氏、浜田氏のトークイベントも開催され、この話題の中心となるのも、外の時間のように感じます。
生産者との関係構築、地元の食材を活かしているだけに留まらない風土の理解度、IターンやUターン、家業ゆえの苦悩……。受賞店のほとんどが、5年、10年、20年かけて、今のスタイルにたどり着いています。
例えば、2023年受賞の沖縄本島から離れた古宇利島の「レストラン6(シス)」のシェフ・小杉浩之氏は、流通や食材の難しさを語ります。
「沖縄といえば、一年を通してすごい夏かちょっと夏(苦笑)。塩害も多く、食材が限られています」。
小杉氏は、名古屋の名店「イレテテュヌフ」から移転。全く異なる環境で再スタートを切る形となりました。「以前の環境は、市場に行けば食材が豊富で、それを見てメニューを決めていました。ある意味、食材に逃げていた。ですが、今の環境は食材が極めて限られています。食材から逃げることができない」。
選択肢の少ない環境は、技術向上はもちろん、強い精神力も備わったのではないでしょうか。
また、同年に受賞した新潟県新発田市の「登喜和鮨」の職人・小林宏輔氏は、東京で修行を積んだ後、家業を継いだ3代目。
「戻って来た当初、漁師さんから直接魚を仕入れようと思い、色々な漁港を回ったのですが、口も聞いてもらえませんでした。それからは、気になる船を見つけては会いに行っての繰り返し。少しずつ信頼を積み重ね、今では良好な関係を築けています」。本人は笑い話のように振り返るも、その苦労は計り知れない。帰郷後16年目の言葉は重く深い。
視点を変え、2021年に受賞した東京都調布市の「ドン・ブラボー」もまた、このアワードらしさが出ていると思います。調布という絶妙!?な地域は、地方に行くよりも足が遠のく微妙!?な距離感も孕み、「地方で埋もれがちな才能の発掘を目指す」指針の着眼そのものではないでしょうか。
美味しい料理やホスピタリティ、気の利いたサービスも重要ですが、「Destination Restaurants」は、それよりも、人間としての深さを感じるレストランが受賞されているのではないでしょうか。
その一番を物語っているのが、2023年「Destination Restaurant of the year」を受賞した福島県いわき市の「HAGI」です。
ディスティネーションレストランだから白衣にこだわる。この喜びは、一緒に泣き続けた生産者に届けたい。
「HAGI」のある福島県は、言わずもがなコロナ禍以前より、難局の連続でした。
2011年3月11日には未曾有の大地震、津波、その後、2012年には原発事故による放射能問題。その後、数年をかけて除染されたとはいえ、世間のイメージを払拭するのは難しかったでしょう。
シェフの萩 春朋氏の受賞スピーチはこんな言葉から始まりました。
「福島県は、海も山もある箱庭のような美しい町です。ですが、3.11以降、全てが変わってしまいました。限界都市や消滅都市と呼ばれる地域のように、私たちの目の前にあったものは、一瞬にして蒸発してしまいました。そこで料理を続けて良いのか、悪いのか、本当に悩みました。ですが、ここで私たち料理人や生産者が歩みを止めてしまっては、福島の食文化がなくなってしまう、残さなければいけない、そう思いました。だから、継いできました」。
あれから、12年。萩氏は生産者たちと「50年分を10年でやった」と話すそうです。
「今は目の前に美味しい食材がある。それを料理できる喜びを感じています」と言葉を続け、ここで初めて萩氏は笑みを浮かべたのが印象的でした。
2011年の震災時、復興に参加したシェフは全員東京の方だったそうです。それはなぜか。
「福島にシェフがいなかったからです」。
以降、萩氏は、「福島にシェフがいる」ことを伝えるかのように、表舞台に出る際は必ず白衣を着ると言います。今回においても、他のシェフはスーツの中、白衣で参加していたのは萩氏ひとり。
「地元にもシェフがいる。地方にもシェフがいる。田舎にもシェフがいる。それをひとりでも多くの人に認知してもらえたら嬉しいです。今、料理を目指している人たちは、世界や東京で修行を積むシェフが多いと思います。ですが、最後には地元に戻ってレストランを営む。そんな文化が根付いてくれたら、日本のレストランはもっと良くなると思います」。
計り知れない逆境を乗り越え、己を鼓舞し、諦めなかった12年の時間が込められたスピーチは約4分。この短い時間の中に凝縮されたメッセージは、胸に熱く突き刺さった。
最後に、この喜びを誰と分かち合いたいかという問いに対し、萩氏は「生産者の方です」と答えました。長く苦しい、先の見えない暗いトンネル。途方にくれ、一緒に涙を流し続けた同志です。
「ある日、生産者の方が赤い服を着て、畑仕事を再開したんです。俺は畑の太陽になるんだ! そう言いながら、毎日、毎日、汗を流している姿に胸が熱くなりました」。前出、萩氏にとっての白衣のごとく、この赤い作業着もまた、生産者の強い想いが込められているのだと思います。
「生産者の方々には、感謝してもしきれない」と話す萩氏の料理は、食材を育てる肥料などの成分も理解した上で、その味を壊さず、引き出すもの。お客様はもちろん、生産者も幸せにしたい」と言葉を噛み締めます。
「福島には本当に良い食材が集まっている。今の福島は元気です。自分も料理の力でこの町に貢献したいと思っています」。
ディスティネーションレストラン日本のレストランが向かう、次なるステージ。しかし、何があろうとも、かけた「時間」は裏切らない。
「先日、海外のフーディーたちとの集いがスペインのマドリードであったのですが、世界中を食べ歩いている人が一番行きたい国はどこか、それは日本です。そして、世界で活躍しているシェフが一番行きたい国はどこか、それも日本です。これは間違いありません」。世界と目線を合わせた際、浜田氏は、こう話します。実体験ゆえ、説得力も絶大。さらには日本に対するレストランの印象も変わってきていると言葉を続けます。
「例えば、以前であれば、日本に来たら、和食、鮨という印象がありましたが、今は違います。日本の食材で日本人が作る料理に注目が集まっています。つまり、日本食だけではない日本のレストラン。例えば、京都「ノーマ」のポップアップ(2023年3月15日〜5月20日)のために世界中のフーディーが旅をするわけですが、その後どこに行くかと聞けば、和歌山の「villa aida」という答えが返ってくるわけです。日本のレストランは次のステージに向かっている」。
一方、本田氏は、地方でレストランを営むシェフ像について持論を話します。
「料理がライフスタイルになり、それが憧れになるような存在になると、もっと地方でレストランをやりたいというシェフも増えるのではないでしょうか。純粋に格好良いなって思えるヒーローみたいな。ただ、日々営業もしていますし、中々、外の世界を知ることも難しい。そんな苦労もあると思います。ですので、今回のような場を通して、シェフ同士につながっていただき、共有の場にもなってもらえればと思っています」。冒頭、本田氏は、経営者でもあり、フーディーでもありますが、あえてもうひとつ加えるならば、人と人をつなぐ専門家でもあるのではないでしょうか。
共有というワードにおいては、浜田氏も追います。「その昔、サンセバスチャンでは、町として楽しめるようにレストランが集い、協力し、レシピなども開示し、共有し、シェフたちが切磋琢磨ていたそうです。レストラン1店だけでは、一般的な人たちの旅として成立させるには難しい。同じ地域に数店を回遊できたりすると、ゲストの満足度はもちろん、経済としても好転するのではないでしょうか。日帰りが1泊になり、さらに2泊になる。そういう意味では、やはり宿泊施設も大切。レストランだけでなく、地域全体で観光促進のビジョンを共有し、協力し合うことで盛り上がっていくことを願いたいです」。
「Destination Restaurants」に選ばれたレストランは、そのきかっけや起点になる可能性を秘めているのかもしれません。
辻氏においては、社会や雇用についての課題とこれからについて話します。
「一番思うことは、女性の雇用を増やしたいと考えています。また、今後、規制を緩和させ、海外の誘致者の雇用も視野に共創させたい。そうすれば、もっと才能を増やせ、もっと日本の食文化は上がる。そのための努力もしていきたいです」。
星をつけるわけでもない、ランキングするわけでもない、投票するわけではない。それが「Destination Restaurants」。選考者が、たった3名ということも、アワードの志を明確にさせ、それを個性としているのかもしれません。
また、東京や都市を経由せず、地方からダイレクトで海外へ発信できることもこのアワードの大きな魅力。「The Japan Times」主催の意義は、そこにあると考えます。
とはいえ、全てにおいて時間がかかることは、地方と向き合う絶対条件。しかし、「この時間こそが武器となる」と、2023年の受賞式にも参列していた「L’evo」のシェフ・谷口氏は言います。
「やっぱり、地方でレストランをやることは、大変なことだらけ。でも、それを一つひとつ解決していけば、きっと武器になる。かけた時間は裏切らない。きっとそれは価値になる。だから、例えどんなレストランやシェフが進出してきても怖くないです」。
どんなにテクノジーが発達しようとも、かけた時間を一足飛びに追い抜くことはできない。それが地方で生きるレストランなのです。人生の岐路を繰り返してきた料理人たちは、常に自身と向き合い、挑戦し、時に恐怖に怯え、不安や苦悩に押しつぶされそうになっても、強い意志を持って選択を繰り返し、戦ってきたのです。
味は技術にあり、感動は人にあり。
現在、「Destination Restaurants」は30店。「日本の食文化の地形を作っていく」辻氏、本田氏、浜田氏の旅は終わらない。
Text:YUICHI KURAMOCHI