自然資源の保護と利用の好循環を目指すネイチャーポジティブ経済とは。国立公園の未知なるポテンシャルを紐解き、自然と人の未来を語る。

左から、「NewsPicks Re:gion」編集長・呉 琢磨氏、環境省職員の山﨑 大輔氏、森川 政人氏、服部 優樹氏、岡野 隆宏氏。

環境省 国立公園満喫プロジェクト官民の枠組みを超え、国立公園は変わろうとしている。

環境省が中心となり、日本の国立公園を世界水準のナショナルパークとしてブランド化することを目指す『国立公園満喫プロジェクト』。自然資源の「保護」に加え、官民の垣根を超えた「利用」、そのふたつの好循環がもたらす「ネイチャーポジティブ経済」の実現に向け、様々な取り組みが行われています。

国立公園の名を冠することが許されるのは、圧倒的な自然と景観を有すること。それらの保護に徹するのがこれまでの環境省の立場であった中で、今、どんな変化を遂げようとしているのでしょうか。去る2023年6月、「NewsPicks Re:gion」編集長の呉 琢磨氏が聞き役となり、環境省職員を招いたトークセッションが行われました。

トークセッションは、2023年6月24日(金)、25日(金)の二日間にわたり開催された一般向けの展示イベント「北アルプス×尾瀬National Park Mountain Fes」に先駆けて行われた。

環境省 国立公園満喫プロジェクトネイチャーポジティブ経済の確立、それは前人未到のアクション。

「美しい自然や生物多様性を守る“保護”、最高の自然体験フィールドやコンテンツによる“利用”、このふたつの好循環により、訪問者には上質なツーリズム体験を、周辺地域は経済活性できるよう、広く繋がり、ぜひ一緒に新しい未来を作っていきたい」そう語るのは、環境省 自然環境局国立公園課 国立公園利用推進室 室長の岡野 隆宏氏です。

ネイチャーポジティブ(Nature Positive)とは、生物多様性の損失を止め、反転させるという考え。国際的な合意のもと、2030年までの気候変動対策や循環経済移行を、社会経済活動総動員のミッションとして掲げています。国内においては、125兆円の経済効果、43兆円のビジネス機会の創出、930万人の雇用効果を目標に、全国に34箇所ある国立公園がそれぞれに創意工夫を凝らしながら、官民の垣根を超えて大きなうねりを起こしていくという、前人未到のアクションです。

「日本の国立公園の特徴は、自然の中に地域の人の暮らしが息づいていること。自然とともに歩んできたからこそ形成された、地域独自の歴史・文化がそこにはあります。多様な自然風景と生活・文化・歴史が凝縮された物語を知ることで、唯一無二の感動体験ができる、私たちのブランドメッセージである“その自然には、物語がある。”にも通じる、日本にしかない魅力です」。

上質なツーリズム体験とは、自然にもう一歩踏み込み、自身の目で見て学ぶこと。アドベンチャートラベルやロングトレイルなど、各国立公園ごとの個性豊かな自然を余すことなく楽しみ尽くすコンテンツの提供を目指す。

「自然自体が守りづらくなる中で、地域と協力しながら新しい考えを取り込んでいきたい」と岡野氏。国立公園のメリットは、ハイクオリティな自然環境に加え、職員が現場におり人的リソースがあることで、地域の声が届きやすく、コーディネーションもしやすくなることだという。ハードとソフトの掛け合わせがあるからこそ、トップレベルの自然体験提供の可能性が高まる。

環境省 国立公園満喫プロジェクト世界中の旅人に選ばれる存在になるために。

全世界が競合となるインバウンドに選ばれるためには、日本独自の優位性が必須。しかしその実現方法として、保存と利用、ともすれば相反するようにも思えるふたつの要素を掛け合わせるのはなぜなのでしょうか。「生物多様性のダウントレンドを上向きにするときに、人が入ることでその機会が減ってしまうのではないか?」という呉氏による指摘は、もっとものように思えます。

「利用の数ではなく、質を変えること。例えば人数を限定し、長期滞在で楽しんでもらいながら地域の価値を伝えていく。さまざまな体験を通して地域のファンになっていただくような利用のあり方、経済効果も生みながら保全につながる仕組みを考えていければ」。
国立公園という開かれたフィールドでマネタイズに踏み込んでいくことが、結果的に全体としてよい環境、地域活性に繋がる。そんな考えのもと、すでに11の国立公園では、宿泊、土産、飲食、交通、そして観光と、地域に根差した企業と連携し、協議会やコンテンツ醸成、ツアーの企画といった取り組みが始まっています。

「地域の資産を遠方の会社が運営しても、地域に経済循環は起きない。国立公園が地域と連携してマネタイズに取り組むことで、経済地域の資産として新しい地域経済圏の循環を作っていくためのひとつの拠点になっていく、そんな変化が起こせるんじゃないか」と呉氏。

環境省 国立公園満喫プロジェクト「松本高山Big Bridge構想」の事例から見る、国立公園のポテンシャル。

セッション後半では、呉氏、岡野氏に加え、国立公園事務所所属の自然保護官3名を交え「ネイチャーポジティブ経済の実現に向けてのハードルは何か」をテーマにトークが繰り広げられました。

「国立公園はネイチャーポジティブ経済が実践できる最適のフィールド」と語るのは、環境省 中部山岳国立公園管理事務所 所長の森川 政人氏です。

生物多様性の損失や過疎化による文化消滅の危機といった、国立公園の価値が問い直されるような状況、かつコロナ禍という逆境の中、約80kmのロングルートを自由に楽しめる「松本高山Big Bridge構想」のキーマンとして、岐阜・長野の2県を跨いだ地域連携による、新たな観光圏の確立に力を注いでいます。

「中部山岳国立公園が位置する上高地は、元々は点の魅力でも成り立っていた場所。しかしコロナ禍で来訪者数がガタンと落ち、未来を考えると県境関係なく連携すべきという意識がありました」と森川氏は続けます。

歴史的な街並みに3000m級の山岳、温泉、里山……。北アルプスと松本高山という2つの中都市が集結したエリアという地の利を最大限に生かしながら、アドベンチャートラベルやゼロカーボンパークの設立など、総合的に循環する観光源の実現を目指しています。

2020年、コロナ禍の只中で中部山岳国立公園に着任した森川氏。「やるからには一番を取りたい」と高いモチベーションを抱きながら、プロジェクトを推進している。

環境省 国立公園満喫プロジェクト「新・尾瀬ビジョン」のファンベース戦略に見る、現代のニーズに寄り添った価値創造。

一方、過疎や設備の老朽化、シカによる植物の食害といった深刻な課題と向き合い、これからアクションを起こそうとしているのが「尾瀬国立公園」です。「歴史の長い尾瀬は、過去のオーバーツーリズムや開発行為において、地元が一丸となり自然を守り続けてきたという自負があります」とは、環境省 関東地方環境事務所 桧枝岐自然保護管事務所の山﨑 大輔氏。

ネイチャーポジティブ経済のためのアクションプラン『新・尾瀬ビジョン〜「あなた」と創る「みんな」の尾瀬〜』でもファンベース戦略を基盤としており、そこには深い絆で地域や人と関わりたいという強い意志が垣間見えます。

「かつては教科書にも載っていた尾瀬ですが、来訪者数は1996年をピークに3分の1程度に減少し、今の若い世代に知ってもらう機会がありません。楽しくないと来てもらえないですし、経済効果を考えるとロングツーリズムの視点も必要。多くの人に尾瀬の魅力に気づいてもらうこと、確実に楽しいと感じてもらうこと。そのためには尾瀬の価値を伝えるプラットフォームを整備し、現状は4県にわたり分散している情報を集めたり、人や企業をつないだりできる仕組みを作っていきたいですね」と、環境省 関東地方環境事務所 片品自然保護管事務所の服部 優樹氏も語ります。

世界中の来訪者から選ばれる存在になるために。収入源だけの話でいえば、入山料を徴収するという方法もあるでしょう。しかし他に大切にしていくべきことがあると服部氏は続けます。
「老朽化が深刻な尾瀬の木道の保全でいえば、まずは管理者側で最適化を図り、コストを削減することを考えます。その上でどうしても皆さんの支援が必要となったときに、入園料や協力金の議論をさせていただくのかなと」。

自然の恩恵を全力で体感し、楽しみ、消費したお金を使ってまた自然を守り育てていく。「日本の過疎地の基幹産業になりうるポテンシャルを感じた」という呉氏の言葉の通り、保護と利用の循環がもたらす明るい未来の姿を想像できる時間となりました。
理想のまま終わらせてはいけない。国立公園の今後に注目が集まります。

尾瀬は生物多様性の課題が山積し、維持も難しくなっている現状だが、長い歴史の中で蓄積された知恵やルールは確固たる指標として受け継がれている。楽しい体験コンテンツだけでなく、保全活動にも気軽に参加できる受け皿、体制作りが急務となる。

レンジャーとも呼ばれる自然保護官の3名。自然と人に丁寧に向き合いながらプロジェクトを推進する姿が印象的だ。「職員はビジネスの経験はないが、自然が好きで、その楽しみ方や感動は知っている。民間事業者の方達と一丸となり、お互いの得意・不得意を組み合わせ、パートナーシップを大切にしていけたら」とは岡野氏の弁。