信濃大町最大の特産品である「水」を使った新名物を。
「水の日」の8月1日、豊かな森に囲まれた木崎湖の畔はにわかに活気づいていました。木崎湖は、北アルプスの麓、立山黒部アルペンルートの長野側の玄関口として知られる信濃大町の憩いの場であり、多彩なアクティビティが楽しめる水清き湖。そこに多くのメディアが集まり、ある発表会が開かれようとしていたのです。
主役は飲食業界で今を時めくふたり。『あずきとこおり』の店主・堀尾美穂氏と、『BAR GOYA』のマスター・山﨑剛氏です。
堀尾氏はミシュラン二つ星を獲得し「アジアのベストレストラン50」にて3位に輝くフレンチレストラン『Florilege』でパティシエを6年間務めたあと、2022年にかき氷専門店『あずきとこおり』をオープン。日替わりで提供される多種多様なかき氷は1杯3,000円程度と破格ながら、予約枠が受付開始後に数分でいっぱいになる超人気店となっています。“ゴーラー”と呼ばれる筋金入りのかき氷ファンから厚い支持を受けるその一杯は、かき氷の概念を覆すラグジュアリー・スイーツともいうべき、斬新な発想と厳選された素材、卓越した技術が詰まった逸品となっています。
山﨑氏は銀座の名門『スタア・バー』に13年間勤めた後、2018年に独立し『BAR GOYA』をオープン。2007年に第1回シェリー・カクテル・コンペティションでグランプリを、2008年にはベネンシアドール公式称号資格認定試験で最優秀賞を獲得し、シェリー界でただひとりの二冠王者となった人物。2019年、「第46回全国バーテンダー技能競技大会」で総合優勝に輝くなど、日本のバーテンダーを牽引する実力者です。
この日、ふたりは信濃大町にちなんで考案したオリジナルのかき氷とカクテルを披露しました。共通するテーマは「水」。屹立する北アルプスの山嶺に降り注ぎ、豊かな大地に磨かれて信濃大町に湧く天然水を“食材”と捉え、清冽な水によって育まれた信濃大町の特産品を盛り込んで、唯一無二のかき氷とカクテルが開発されました。
さて、一体どのような一品が生まれたのでしょうか?
蕎麦を使った唯一無二のかき氷、誕生。
木崎湖をバックに設えられたカウンターはテレビメディア4社、新聞3社、ラジオ、雑誌の記者たちに囲まれています。みんなが見守る中で大型のかき氷機がシャッ、シャッ、シャッ、シャッと軽快なリズムを刻み、まるで羽毛のようにふんわりと薄く削られた氷は見る見る間に積み上がっていきます。使用する氷は、大町市の水道に使われているものと同じ水を源流で汲み上げ、特別に製氷したブロック氷です。
削り出した氷の山を幾たびか両手でやさしくまとめ、ソースや具材を加えながら層を作っていくことで、うずたかくこんもりとした堀尾流のかき氷が完成します。
コーヒー色のクリームや多彩なトッピングをまとったそのかき氷は、名付けて「そばとこおり」。そう、信濃大町の特産品の一つである蕎麦を使ったかき氷です。
試食する記者たちからは驚きの声が上がります。
「こんなかき氷は食べたことがない」
「もはやまったく新しいスイーツだ」
氷はシャリシャリとした小気味よい食感がありながらも、口溶けはさっと軽く、心地よい涼をもたらします。そこに蕎麦の豊かな香りと、蕎麦を使ったクリームやトッピングの上品な甘みが寄り添い、なんとも言えない余韻を残す……。頭がキンとするようなことは一切なく、思わずもう一口もう一口と食べ進めたくなる不思議な美味しさです。
一見シンプルないでたちですが、そこには数々の手間と創意工夫が隠されています。氷にプラスする蕎麦を使ったパーツは7種ほど。蕎麦ミルクに蕎麦クリーム、蕎麦茶クッキー、蕎麦寒天、蕎麦味噌、蕎麦茶メレンゲ……もちろんそのすべてがオリジナルの手作りです。
堀尾氏は今回のかき氷を開発するにあたり、信濃大町の各地を視察しました。地域が美味しい水に潤う理由について学び、その水を生かして産物をつくり出す生産者たちを訪ねました。ブルーベリー、イチゴ、日本酒、牛乳、クラフトビールなどなど。蕎麦の製粉工場で見つけたアイデアの種を、試行錯誤しながらじっくり育て、「そばとこおり」へと結実させたのです。
多種多様な食材をかき氷に仕立ててきた堀尾氏ですが、蕎麦のかき氷は想像以上にむずかしかったと話します。
「水の美味しさが伝わり、そしてやはり清らかな水によって栽培される蕎麦の豊かな風味が伝わるかき氷を目指しました。蕎麦の香りはとても繊細なので、氷のように冷たい状態だとあまり感じられなくなってしまいます。信濃大町の水で作った氷は、普段使っている氷よりもクリアな印象で、氷らしい冷たさがストレートに感じられるような気がします。そのピュアな氷と繊細な蕎麦という素材をいかにマッチングさせるかがポイントとなりました。蕎麦粉だけでなく蕎麦茶も使うことで蕎麦の豊かな香りを盛り込み、寒天やメレンゲなどでいろんな食感を楽しめるようにしました。蕎麦の風味がいろんな表情を見せてくれると思います」
炎天下、湖面を渡ってくる涼やかな風を浴びながらいただく堀尾氏特製のかき氷。信濃大町ならではの幻のかき氷が生まれた瞬間でした。
信濃大町の魅力を一杯のグラスの中に。
「バーの世界ではよく、我々にとって氷は鮨屋にとってのシャリのようなものだと話します。なくてはならないものだし、その品質がカクテルの良し悪しを大きく左右します。きれいな水で作られたよく締まった氷は溶けにくく、その表面からゆっくりしみ出す水がよい働きをしてくれます。カクテルはベースとなるお酒と割り材、香料となるフルーツなどの組み合わせですが、水がそれらをつなぎ、全体をまとめてくれるのです。それだけに、氷、ひいてはその源となる水の品質は極めて重要なのです」
山﨑氏は信濃大町の水で作られた氷を愛用の菜切り包丁とハンマーで丁寧に割りながら話します。
昨年から信濃大町の様々な生産者を訪ね、交流を重ねてきた同氏は、4種類のカクテルを生み出しました。
#1「破砕ヒート」
スペイン・アンダルシア地方で飲まれるレブヒートから着想したという一杯。レブヒートとは辛口のシェリー酒を7UPなどの炭酸飲料で割った、キリッと飲みやすいカクテルです。「破砕ヒート」は信濃大町特産の日本酒をご当地サイダー「ハサイダー」で割り、ほのかにレモンの香りを加えたもの。日本酒の香りがふわりと立ち上がり、口当たりのよい一杯です。
「黒部ダムに通じるトンネル内の破砕帯の湧水で作られるハサイダーは、まろやかでとてもいい甘みを持っています。その甘みと穏やかな発泡性が持ち味をぐっと引き立ててくれます。私は大町市産美山錦を59%精米で使った白馬錦純米吟醸をベースに選びました。日本酒はお好みのものを選んでいただければと思いますが、精米歩合が低い、つまりあまりお米を削っていないお酒の方が、日本酒らしい風味を引き出せるのでおすすめです」(山﨑氏)
#2「大町アップルハイボール」
信濃大町特産のリンゴジュースとリンゴのスライスを乾燥させたリンゴチップのマリアージュを楽しめる一杯。ウイスキーとリンゴジュース、ソーダを絶妙な配合で組み合わせており、リンゴの爽やかさが感じられる非常に飲みやすいカクテルに仕上がっています。おもしろいのはリンゴチップを添えて提供するところ。
「リンゴチップは少しやわらかいセミドライタイプがおすすめ。リンゴチップをハイボールに5秒ほど浸けてから食べてみてください。水分を吸って一瞬生のリンゴのようなパリッとした食感を楽しめます。リンゴジュースとリンゴチップという加工品から一年を通じて信濃大町の新鮮なリンゴを擬似的に味わえるユニークなカクテルになったと思います」(山﨑氏)
#3「ブルー破砕」
信濃大町の名物「破砕ロック」の原形をオマージュしながら現代的にアレンジした一杯。破砕ロックとはアルコール度数35%の甲類焼酎をワインで割った飲み物で、黒部ダムの工事作業員たちに「安くすぐに酔える」と愛された飲み物です。山﨑氏はウォッカと白ワインを合わせ、大町産のブルーベリーを浮かべました。
「ネーミングは定番カクテルのブルーハワイのパロディですが、そこには破砕ロックへのリスペクトを込めさせていただいています。ウォッカは他の素材の持ち味を膨らませてくれるのが特長。使用する氷や水のよさもビビットに反映してくれます。白ワインは特に高級なものでなくて構いません。シャルドネなどで個性がしっかり出ているリーズナブルなワインを使ってもらうと、より日常的に親しめる一杯になると思います」(山﨑氏)
#4「be with…」
前出の3種はジャンルを問わず様々な料飲店での提供を念頭に入れて開発したもの。それらとは一線を画してバー仕様カクテルとして生み出されたのがこちら。木崎湖、青木湖と並び仁科三湖の一つに数えられる中綱湖。絶景と呼び声の高いオオヤマザクラが中綱湖に映る風景をイメージしたジンの水割りカクテルです。グラスを真上から見ると、氷を通して桜の花びらが一幅の絵に目を楽しませてくれます。
「ライトブルーにピンクの桜が映えます。仕上げにレモンを数滴垂らすことでブルーピンクを帯びた色に変化するので、バーカウンターではその工程からお客様に楽しんでいただけます。私が選んだ『六ジン』には桜の花や葉のエキスも使われています。さらにそこに信濃大町特産のハチミツを溶かして穏やかな甘みをプラス。私はリンゴの風味が感じられるリンゴハチミツを使いました。いつも暮らしのそばにある水への思いを込め、また、蜂のBeeにも感謝の気持ちを込めて名付けました。ジンの水割りはお酒好きの間で注目されつつある飲み方。信濃大町の水の魅力を堪能できるカクテルです」
かき氷とカクテルを味わった牛越徹大町市長は感慨深げに話します。
「大町市には優れた季節の産品がございます。そしてあらゆる産品を育む根源となっているのは、我が市最大の特産品である水です。産品の新しい魅力を引き出し、また、水の美味しさを存分に生かしたかき氷とカクテルには心から感服いたしました。これらが信濃大町の新たな名物となるように取り組んでいきたいと思います」
いざ新名物を市内各所へ。至高のレシピを直伝。
堀尾氏と山﨑氏は発表会の別日に、大町市内の飲食店向けにレシピを伝授するレクチャー会を開催しました。
堀尾氏の会場には、地元のパティスリーやカフェ、レストランなどの店主や料理人たちが集まりました。堀尾氏のかき氷は夏限定の季節メニューではなく、通年で楽しまれています。人々を惹きつけるそのかき氷の技を直伝してもらえるとあって、会場は不思議な熱と緊張感を帯びています。
蕎麦粉や蕎麦茶を使った各パーツ作りのレクチャーに加えて、キモとなるのは氷の削り方と盛り付け方。均一に固まっているように見える氷でも、部位によって密度や硬さに違いがあるそうです。機械の方にもゆらぎがあります。それらのわずかな変化を見極め、レバーを常に微調整しながら同じ薄さの氷を均等にこんもりと盛っていく。マンツーマンの実践指導を通して、堀尾氏が独自に培ってきた技術を伝授しました。
パティシエである参加者からは「機械任せで削るのではなく、職人の勘によってあの繊細なかき氷が生まれていること知り、さらに興味を惹かれました。店で提供するには様々なハードルがありますが、新たなメニューに加える道を模索していきたい」という声が聞かれました。
今後、堀尾氏考案の「そばとこおり」は、秋から大町市内の飲食店での提供を目指して、さらなる調整が進められていきます。
一方、山﨑氏のレクチャー会には、地元のバーをはじめ、居酒屋、和洋の食事処の店主らが参加しました。初めこそ、銀座からバーテンダーの日本チャンピオンがやってきたと参加者には緊張の面持ちが浮かんでいたものの、山﨑氏の軽妙なトークによって場はすぐに和んでいきました。
「私が自分の店で出す場合のレシピを今日はお伝えしますが、ベースのお酒の選定もお好みのもので結構ですし、配合比率もお店で出されている料理や客層などに合わせて変えていただいて構いません。今日は4種のカクテルのコンセプトをしっかりとお伝えしますので、みなさんにとっての最適な解釈で一杯を完成させてもらえたらうれしいです」
そう山﨑氏は、各店にフィットしたアレンジを促します。
また、オーセンティックバーのような専門店でなくても無理なく継続的な提供ができるようにと、材料の入手のしやすさへの配慮やコスト面の留意点などについても忌憚のないアドバイスを行いました。
「今回、私自身はサントリーホワイトや六ジンなどあえてサントリー製のお酒を積極的に使いました。というのも、大町市にはサントリーの天然水の工場があるので、できるだけ地元に貢献している企業のものを使いたいという意識からです。地域の有力企業を味方につけることは経営的なメリットとしても見過ごせません」
発表会を終えて、堀尾氏は山﨑氏の大町アップルハイボールで、山﨑氏は堀尾氏の「そばとこおり」でひと息つきました。互いに「うまっ!」と驚きの声を上げています。
充実した達成感と共に山﨑氏はふと「信濃大町には自然、水、農産物、お酒とか本当に魅力的なものがいっぱいだけど、いちばん驚いたのは、いろんなことにこだわっている人が多いことだったね。会った人はみんな圧倒されるほどの情熱にあふれていて」と話ししました。
そして、うん、うんと強く頷く堀尾氏。そんなふたりの姿が印象的でした。
Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 大町市)