なぜ人のいない土地で料理を作るのか。ふたりのシェフが食を通して辿り着いた答え。

廃校をもとに造られた「Auberge “eaufeu”(オーベルジュ オーフ)」。人が離れつつあった土地で、新たな食の魅力を模索する。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA

地元市民からも忘れられた土地で、挑戦しようと決意した。

2022年の7月に、石川県小松市でオープンした「Auberge “eaufeu”(オーベルジュ オーフ)」。日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」にて、当時史上最年少のグランプリを獲得した経験を持つ、糸井章太氏をシェフに迎え、廃校となった「小松市立旧西尾小学校」の校舎を改築。あらたにオーベルジュとして生まれ変わりました。

「このプロジェクトが始まるまで、小松という土地に来たことはありませんでした。『オーフ』があるのは、小松の中でもさらに山の方。最寄駅で乗ったタクシーの運転手に、地名を伝えてもわからないぐらい、外からの人がやってこない土地でした」と糸井氏。

しかし、小松の土を踏み、直感で「ここなら良い料理ができる」と感じたと言葉を続ける。

「初めて小松に来たのは冬の時季。凛とした空気が満ちていて、とても静かでした。山に囲まれている風景が、父の生まれ育った京都の三重町に似ていたこともあって、良いイメージがどんどん湧いてきました」

「オーフ」を立ち上げる際、コンセプトや厨房のディレクションに携わった日本料理人、稗田良平氏も、小松の風土に魅力を感じたと語ります。

「僕が小松を訪れたのは夏でした。田園が綺麗な緑色をしていて、風でバーっとなびいていた景色を覚えています。小松市の山に近い場所で野菜を作っている、『西田農園』で食べたトマトの味にも驚きました。皮が薄くて、繊細で澄んだ旨味を感じて。綺麗な水と、栄養価の高い土壌があるんだと思いましたね」と稗田氏。

1992年、京都府生まれの糸井章太氏。教師の両親のもとに生まれ、京都・大山崎町で育った。

1981年、長崎生まれの稗田良平氏。19歳で料理の道へ進み、台湾の「祥雲 龍吟」の料理長を務め上げた経歴を持つ。

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自分が作る料理で、いい土地にするんです

「オーフ」がオープンして間もなく、糸井氏の料理が評判を呼び、小松市民さえ忘れかけていた土地に、国内外から人が訪ねるようになります。

「人のいない土地で料理をするのは、簡単なことではありませんでした。とにかく、最初は集客が大変で。でも、簡単なことだったら誰かがすでにやっていたと思うんです。僕は料理を突き詰めるのと別軸で、自分が料理する意味を求めていました。自分の料理で人を呼んで、食を中心に街づくりができることに、面白みとやりがいを感じました」と語る糸井氏。

2023年11月、台湾にオープンする「盈科 EIKA」の料理長を務める稗田氏も、「人のいない土地だからいいんです」と、糸井氏の言葉に共感します。

「都市部だから、いい店として続く訳ではないと思っています。料理、サービス、空間。全てをトータルして、素晴らしいものが提供できたら、どんなに遠くても人は来てくれる。世界を見ても、実現する店はいくつもあります。自分も、そういった店を目指したいですね」と稗田氏。

「いい土地で料理をするのではなく、自分の料理でいい土地にするんです」と続ける糸井氏の目には、力強い光が宿っていました。

糸井氏が作る「トマトパイ」。小松産のミディトマトをくり抜き、中に天然のスッポンを詰め、パイ生地に包んで焼き上げる。

小松で採れる大麦を使った料理。食材は、近くにある道の駅で仕入れることが多い。朝採れの野菜などを生産者が持ち寄ってくるそうだ。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA本当にいい料理ってなんだ?

「オーフ」のオープンから1年が経ち、特別企画として糸井氏と稗田氏による「4-Hands Dinner(フォーハンズディナー)」が開催されました。ふたりのシェフが互いのチームを連れ、ひとつの厨房内で料理したことにより、それぞれの先を見据える発見があったと、ディナーが行われた4日間を振り返り、語ります。

糸井氏は、稗田氏がつくったナスの料理から、料理人としての志を再確認したと言います。

「稗田さんが作ったナスの料理には驚きましたね。ソースにキャビアを使っているのですが、あの料理の主役は間違いなくナスでした。ナスを食べるために、キャビアが脇役として存在していたんです。食材の特徴を的確に理解していなければできない料理です。食材の個性に合わせて、調理法を考える。そんな柔軟な思考の料理人になりたい、とあらためて思いました」と糸井氏。

稗田氏は、今回のコラボディナーから、新しくオープンする店の理想像が見えてきたそうです。

「糸井さんが仕切るチームの雰囲気は、素晴らしかったです。すごくレベルが高いことを求めているのですが、難しく考えさせないムードを、糸井さんの人柄が作っていました。僕は台湾からスーシェフを2人連れてきていたのですが、彼らにとっても良い刺激になったはずです。11月にオープンする店がスタートダッシュできて、日本の料理人が悔しがるぐらい、良い日本料理をしたいなと思います」と、稗田氏は言葉に決意を滲ませます。

昨今、糸井氏と稗田氏のように、都市部ではなく、信念に合った地方で店を営む料理人が増えています。そして、多くの食べ手も、本当の美食体験が日本各地に存在していることに気づき始めています。

今まで注目されていなかった土地と食に光があたり、新たな価値が続々と誕生する。そんな世の中が、すぐ近くまでやってきているのかもしれません。

稗田氏が特別ディナーで披露した「茄子 白麹 キャビア」、素揚げした皮を剥いた茄子は、驚くほど瑞々しい。ソースには台湾麹、オイルには四川山椒をしのばせている。

道端に生えている植物が持つ個性にも、感性を巡らせる糸井氏。「オーフ」の2年目では、さらに小松の風土と向き合い、高みを目指していく。

1992年生まれ、京都府出身。「Auberge “eaufeu”(オーベルジュ オーフ)」シェフ。調理師専門学校を卒業後、2014年に「メゾン・ド・ジル 芦屋」に入店。2016年に渡仏して、ブルゴーニュの1つ星「レストラン・グルーズ」を経て、2017年より「メゾン・ド・タカ 芦屋」に勤務。2018年には、料理人コンペティション「RED U-35」にて、当時史上最年少のグランプリを獲得。2022年「Auberge “eaufeu”」シェフに就任。2023年、「ゴ・エ・ミヨ 2023」にて「期待の若手シェフ賞」を受賞。

1981年生まれ、長崎市出身。19歳から京都でキャリアをスタート。2009年にはミシュラン3つ星レストラン「日本料理龍吟」に入社。2013年は、サンフランシスコの3つ星フレンチレストラン「Benu」、「Manresa」で経験を積み帰国。2014年には、台湾に開業した「祥雲 龍吟」の料理長に抜擢される。その後、5年連続でミシュラン2つ星を獲得。2019年より「アジアベストレストラン50」にランクイン。2023年11月に台湾でオープンする「盈科 EIKA」の料理長を務める。

住所:石川県小松市観音下町口48
https://eaufeu.jp

Text:DAIJIRO KAWANO

小松の里山風景は世界へ繋がっている。廃校が生まれ変わったオーベルジュの志

廃校となった「小松市立旧西尾小学校」の校舎を改築した「Auberge “eaufeu”(オーベルジュ オーフ)」。1階の玄関にはレセプション兼テイクアウトもできるカフェ、奥へ進むとかつては職員室だったレストラン空間がある。2階、3階にある宿泊用の客室は、元教室だった間取りを生かし、現代芸術家の小川喜一郎が描いた絵画などが装飾された、使い勝手の良い仕様になっている。

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国内外から人を呼ぶ、若き料理人の挑戦。

想像してみてください。これは東京から本州を横断する日本の旅。目的地は、一軒のオーベルジュです。あなたにとって、約500kmの移動さえも高揚を感じさせる旅の原動力とは、どんなものでしょうか−−。
 
石川県の南西に位置する小松市で、2022年の夏にオープンした「Auberge “eaufeu”(オーベルジュ オーフ)」。このオーベルジュの周りには、虫や動物の気配が隆盛している里山の風景が、見渡す限りに広がっています。人が盛んに行き交う様子は見当たりません。廃校となった校舎をもとに造られたという背景からも、「オーフ」は人が離れつつある里山で、日々を営んでいるということが窺い知れます。
 
シェフを務めるのは、日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」のグランプリを、当時史上最年少で受賞した糸井章太氏。日本とフランスの名店で磨き上げた技術と、新しい可能性に満ちた自由な感性で、小松・観音下(かながそ)の里山が育んだ食材の魅力を引き出しています。糸井氏がつくる料理は瞬く間に評判を呼びました。今では、「オーフ」での体験を目的に、県外のみならず国外からも、山に挟まれるように佇むこの場所へ、多くの人が訪ねてきます。

1992年、京都府生まれの糸井章太氏。26歳の時に「RED U-35」のグランプリを、当時最年少で受賞。

「オーフ」のオープン時から、コースで供しているという「赤いか ホエー にら」。小松産の蜂蜜を入れた酢で赤いかをマリネし、加賀蓮根のピクルスに重ねる。ソースには、ホエーと、にらのオイル。

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特別なディナーコースは農道から幕を開けた。

2023年の晩夏、1周年を迎えた「オーフ」では、店の成り立ちにも関わっていた台湾で活躍する日本料理「盈科 EIKA」 (2023年11月オープン予定)の料理人、稗田良平氏を迎え、糸井氏との特別な「4-Hands Dinner(フォーハンズディナー)」が開催されました。ディナーのために集まった客が、まず案内されたのは、テーブルではなく「オーフ」の建物脇に伸びている農道。眼前には風に揺られる稲穂が一面に広がっています。
 
「みなさん。ようこそ、いらっしゃいました。雲が近づいてきているので、湿度を高く感じるかもしれませんが、夜に雲がスッと流れると、澄んだ空気の中で満天の星空が見えるんです。小松の風土を感じてもらうには、ぴったりな気候です」と、糸井氏。里山の広大な風景を前に深呼吸をすると、しっとりとした空気と共に、風に揺れる稲穂の香りが鼻を抜け、耳をすませば鈴虫や蛙の鳴く声が聞こえてきます。
 
「新米の時季ということで、小松で獲れた蛍米の炊き立て、煮えばなを味わっていただきます。『オーフ』の裏手にある窯で炊きました。小松の名産であるトマトと、糸井シェフが漬けた梅干しで作ったトマト梅麹で召し上がってください」と続けるのは、稗田氏。手元にある土鍋の蓋を開けると、甘くほっこりとした香りの湯気が立ち上ります。ピカピカに炊き上がった蛍米の登場です。
 
農道のベンチに腰掛け、足元から広がる小松・観音下の自然を眺めながら、炊き立ての蛍米を口にします。甘味と共に感じる、粒立ちの良い米の舌触り。澄んだ水、肥沃な土壌、生産者の弛まぬ努力が、目の前のこの風土にあることが、米の味わいから確かに伝わります。「オーフ」1周年の特別なディナーは、小松・観音下を五感すべてで感じるプレゼンテーションから幕を明けました。

ディナー客のために、農道の状態をチェックする厨房スタッフ。一番右が、稗田氏。

炊き立ての蛍米とトマト梅麹。蛍米とは、蛍が飛び交い、清流が流れる山間地で収穫される栽培地限定のコシヒカリ。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA料理人が表現する小松の風土と魅力。

農道でのオープニングを終えた一行は、厨房で今宵の調理スタッフたちと顔を合わせ、校舎をコンバージョンした「オーフ」の中へと足を踏み入れます。内装の所々には小学校の面影が残っています。かつて生徒や職員が過ごしていた温もりを感じ、テーブルへ着席したところへ、アミューズが運ばれてきました。
 
糸井氏から料理の説明があります。

「僕と稗田さんの料理を、小松市で産出された日華石の上で合い盛りにしました。焼酎で酔っぱらわせた西俣どじょうの素揚げ、蓬(よもぎ)を使ったシフォンケーキ、白かじきを燻製した生ハムには、赤キャベツのチャツネを乗せています」。

『オーフ』の近くで獲れた山や川の幸がふんだんに使われ、日華石の上で存在感を放っています。
 
稗田氏の料理は、小松の食材と台湾の食材を掛け合わせているとのこと。

「潤餅(ルンビン)という小麦粉で作った薄い皮で万願寺唐辛子を巻いたもの、発酵させたキュウリとパクチーのソースに浮かべた岩牡蠣です」
 
揚げたての旨味たっぷりなどじょう、蓬の香りがどこか懐かしさを感じさせるシフォンケーキ、発酵させたことで爽やかな酸味とコクが生まれたキュウリの味わいなど、ひとつずつ工夫を凝らしたテクスチャーに、一行は思わず頬が緩みます。
 

「オーフ」1周年のディナーでコラボした厨房スタッフ。「オーフ」のスタッフは、糸井氏以外20代。稗田氏は2023年11月にオープンする「盈科 EIKA」で共に働く、2人のスーシェフを連れてきた。

アミューズで供された「西俣どじょう 蓬 潤餅」。料理を盛りつけてあるのは、小松で産出される日華石。国会議事堂の主要内装材のひとつとしても使われている。

「オーフ」1周年のディナーで振る舞われた料理たち。小松の食材と台湾の食材。糸井氏の料理と稗田氏の料理。ジャンルと国を超えた様々な魅力が入り乱れた特別なコース。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA高級食材を取り合うのではなく、食材の魅力と料理する意味を理解したい

続々と繰り出される糸井氏と稗田氏の料理。丁寧に趣向を凝らした味わいは、どれも美味しさの極地に達しているような仕上がりです。
 
糸井氏は、今宵の料理をこのように語りました。

「今日使った野菜、魚、肉に、高級なものは、ほとんどありません。僕は、自分の手が届くところにある米や野菜を、最高の料理として表現したい。料理人の役目は、高級食材を取り合うのではなく、そばにある食材の魅力と料理する意味を理解することだと思っています。小松の風土とさらに向き合って、2年目も『オーフ』らしい料理を表現していきたいです」。

土地と食材にどこまでも真摯であろうとする糸井氏。小松・観音下でしか表現できない唯一無二の料理が、「オーフ」にはあります。健やかな風土が生み出した食材、思慮深く真摯に向き合う料理人、食材を育んだ大いなる里山の空気、三位一体によって比類なき魅力を放つのです。酒蔵で杜氏の言葉を聞き、酵母の気配を感じながら飲む酒がひときわ輝くように。

「世界で見てきたレストランや食材が恋しくなることはありませんか」という問いかけに、「どこにいても、僕がすることは変わりません。ここが世界へ繋がっているんです」と自信に満ちた笑顔を浮かべる糸井氏。
 
場所を選ばず美食を楽しめるようになった今の時代。その場所の空気や、背景に流れるストーリー、人の想いを肌で感じることで、美食体験はレストランのテーブルから飛び出し、さらにその先の感動へ繋がっていきます。都市部から離れた土地だからこそ味わえる。そんな料理が小松の里山風景に生まれ、育まれていました。

フランスにいても、アメリカにいても、日本にいても、自然体であり続ける。教師である両親のもとに生まれた糸井氏が、廃校となった場所を舞台に新たな可能性に挑戦している。

住所:石川県小松市観音下町口48
https://eaufeu.jp

Text:DAIJIRO KAWANO