STU48と行く ときめきバレンタイン♡徳島体験ツアーの参加者募集中!

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ツアー当日は、なんと谷口さんのお誕生日です☆

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一隅を照らす。真の心を開き発こす目覚め。[DINING OUT HIEIZAN/滋賀県大津市]

今回、テーマとなったのは、「比叡山延暦寺」(天台宗)の開祖、最澄が残した「一隅を照らす」という言葉。

DINING OUT HIEIZAN地上を知ることによって、天上を知る。

前回と今回の「ダイニングアウト比叡山」の違いのひとつは、地上の体験です。改めて認識しておきたいことは、延暦寺」とは、約1,700ヘクタールある「比叡山」の境内地に点在する約100の堂宇の総称です。つまり、「延暦寺」という一棟の建造物があるわけではありません。

今回は、その堂宇のひとつ、「滋賀院門跡」を舞台に「ひさご寿し」の料理をいただくところから始まりました。手がけたのは、川西豪志氏です。川西氏は、滋賀の食文化の研究している第一人者でもあります。特に琵琶湖の川魚を探求し続け、この日、供してくれた品は「湖魚のお寿し」。

琵琶湖流域の年間降水量は、約1,700ミリと言われており、「比叡山」をはじめとする約460本の河川から琵琶湖へと流れ込んでいます。山の恵みを持って育った湖魚をいただく体験は、風土のつながりを理解することによって、舌で感じる旨味を超え、天上と地上をつなぐための意識を高める時間になったといえるでしょう。

そこから更に上を目指します。向かう先は、前回訪れた「浄土院」。

「ここは、伝教大師最澄廟がある境内で最も神聖な場所と言われています。この廟の中では最澄が今なお生きているかのように、毎日食事が捧げられ、落ち葉ひとつないほど掃き清められています」。そう話すのは、前回もホストを務めた比叡山金台院住職・礒村良定です。

その後、一般公開されていない修行の場「にない堂」へ。「にない堂」においても「浄土院」同様、前回巡った場所でもあり、このふたつは「比叡山」を体験する上では欠かせません。何度訪れても、無垢のような清らかな初心に還ることができ、ディナー会場「大書院」に足を踏み入れる前の儀式と言っても過言ではありません。

「この常行堂では90日間念仏を唱えながら時計回りに堂内を歩き続けるという修行が行われています。休憩できるのは食事、厠、沐浴の時間のみ。睡眠時間の設定さえなく、ひたすら暗い堂内を歩くという想像を絶する修行です」。

当然、礒村氏もその修行を積んだひとり。

壮絶なノンフィクションは、ゲストの身を引き締めるも、朗らかな語りによって距離を縮めてくれるのは、村氏の心遣いによるもの。
前回、村氏が話した最後の言葉が思いをよぎります。

「延暦寺を好きになっていただき、またいつか遊びにきてください」。

この想いは、今回においても変わることはありません。

まず最初に訪れた「滋賀院門跡」では、「ひさご寿し」の「湖魚のお寿し」を食し、学ぶ。食後は、堂内を回遊。ホストを務めるのは、前回同様、比叡山金台院住職・礒村良定氏。今回は、多くの外国人ゲストも参加。

料理を担う「ひさご寿し」の川西豪志氏。「美味しいだけでは、この土地でなくても良い。歴史や文化の側面からの理解を深め、それを伝えることによって、この土地で食す意義とその価値として伝えられると思っています」。

湖魚のお寿し」。今回は、多くの外国人ゲストが参加したことも大きな特徴。初めて湖魚を食べた人も少なくなく、その体験に驚きを隠せない様子も。同時に、川西氏の解説に真摯に耳を傾ける。

伝教大師最澄廟がある境内で最も神聖な場所「浄土院」では、廟の中に最澄が今なお生きているかのような話を聞く。解説後、「石庭を歩いても良いのか」という外国人らしい質問も。「どうぞ」と村氏が伝えると、その感触を確かめるかのように、ゆっくりと歩いていた風景が印象的だった。

「にない堂」では、修行を疑似体験。薄暗い闇の中、坐禅では出しい組み方を学び、最後は堂内をゆっくりと一周。

DINING OUT HIEIZANもう一度、精進料理と向き合った「ヴィラ アイーダ」小林寛司の挑戦。

シェフは、前回腕を振るった「ヴィラ アイーダ」小林寛司氏。自身のレストラン「ヴィラ アイーダ」では、隣接する畑にて300種以上の野菜を育て、「ファーム・トゥ・テーブル」を体現しています。

「ミシュランガイド京都・大阪・和歌山」二つ星もさることながら、グリーンスターやアジア最高位の「世界ベストベジタブル レストラン」など、野菜に関して多くの賞を受賞。世界から見ても、これほどまでに野菜に精通しているシェフは他に類を見ません。

そんな小林氏を持ってしても、前回はこんな言葉を残しています。

「本当に難しかった」。

そう言わしめたのは、精進料理の制約です。仏教の教えに基づく肉類や魚類を使わない植物性の精進料理と野菜を中心とした料理とは、似て非なるもの。この制約の中、「美味しい」を追求できるシェフは、日本において、もとい、世界において、小林氏以外考えられません。

1回目の開催後、イベントなどのため、精力的に世界各地を巡るも、「頭には常に精進料理があった」と振り返ります。「調理の技法や文化的視点から見た料理の哲学、食材の組み合わせ方など、旅をしながら無意識に精進料理に活かせるものを探していました。そんな中、あるシェフが発酵やスモークさせた野菜から出汁を取る手法を取り入れており、これは自分にはなかった発想でした。視点を変えれば、まだまだ精進料理の可能性はあると感じました」と言葉を続けます。

そして、2回目の開催。1回目の料理との違いは、まず演出に見られました。その好例が1品目「白椀」に添えたひと品です。

ライスチップに柚味噌とハーブを乗せたものを手でいただくそれは、まるで寺から愛でる庭園のよう。苔と石を採用した風景のようなひと皿は、ある意味、小林氏らしくないもの。

その理由は、前回は全て日本人ゲストに対し、今回は多くの外国人ゲストが参加したことにありました。「外国人のお客様が多くいらっしゃっているので、味だけでなく、目でも日本らしさを楽しんでもらいたかった」。

今回、小林氏の料理において、特にフォーカスすべきは、「食材」と言ってよいでしょう。例えば、大根。前回の開催は2月、今回の開催は12月。季節でいえば同じ冬にくくられますが、「冬に向かう食材と春に向かう食材は、別物」。さらにそれを、名残の食材と走りの食材と合わせることによって、情緒が漂い、尊い料理に仕上げます。

今回のテーマは、「一隅を照らす」。

「大根という食材は、既に光り輝く才能を持っています。それにきちんと向き合い、磨き、美しく仕上げる。それがシェフの仕事」。

食べ手は既に光を持った料理を供されるため、光を探す能力は、自身が能動的に働きかけなければ探し当てることはできません。

「小林シェフの料理は、自己を満たすものではなく、利他をもてなすための美味への追求。これは、おもてなしの心です。私たちも仏様に差し出す料理は、どうすれば美味しくなるか、どうすれば限られた食材を活かせるか、華やかにできるかなどを考えています。精進料理の可能性を引き上げてくださいました」と村氏は話します。

シェフ小林ではなく、人間小林の本質を探るような分析力は、小林氏の周囲を取り巻くフーディーにはない視点。

最後に。「本当に難しかった」と応えた前回と同じく、今回の振り返りを聞いてみました。

「成長できました」。

このひと言だけで全てを汲み取ることはできませんが、あえて続きは聞きませんでした。しかし、その表情からわかること。まだまだ伸び代はある。

ディナー会場「大書院」は、通常非公開の場。皇室の方々や内外の賓客をもてなすために建てられた「比叡山延暦寺」の迎賓館的な存在の建物。

1品目「白椀」。奥にあるのは、滋賀の酒蔵「冨田酒造」が醸す「七本鎗」の仕込み水を使用し、大津の「九重味噌」の白味噌を使った椀。手前にあるのは、ライスチップに柚味噌とハーブを乗せたもの。一見、小林寛司氏らしくない演出は、「外国人ゲストを喜ばせるため」。ここは「ヴィラ アイーダ」ではない。そんなメッセージも感じられる料理。

礒村氏と今回通訳として参加した翻訳家のピーター・J・マクミラン氏に、今回特に印象的だった料理は?と聞くと、奇しくもふたりとも同じ料理をあげたのが、4品目「煎椀」。「揚げたケールの苦味がアクセントとなり、徐々に溶け出す油がよりコクを増し、味が進化しているようだった」とピーター氏。

今回のキッチンでは、サプライズが。小林氏(中央)をサポートするために、新潟「里山十帖」料理長・桑木野恵子さん(左)と京都「KOKE」オーナーシェフ・中村有作氏(右)が参画。ドリームキッチンが生まれた。

2日間のみ、ディナー会場と姿を変えた「大書院」。移築後100年近くが経ってもなお色褪せぬ威風堂々たる姿は、ただただ感動。

礒村氏の話のほか、旋律をつけて経文を唱える声楽曲・声明の披露も。重厚な建築の内部に満ちる、荘厳な空気が漂う。

美味しいはもちろん、一連を通した文化体験として、堪能いただいたゲストたち。積極的に村氏に質問している姿も。

蝋や芯など、すべてが植物性原料の京都 伏見 京蝋燭「中村ローソク」。温かなオレンジ色の揺らぐ炎は心も癒す。

風景の主役は、創業江戸寛政年間「小嶋商店」の提灯。「京都南座」の提灯から「フランクミュラー」の装飾まで、幅広く手がける。炎のように常に火を絶やさず、次代に明かりを繋ぎ続ける「不滅の法灯」は、現代社会においても深いメッセージを感じる。

最後の挨拶では、キッチンスタッフが全員登場。キッチンでは小林氏が指揮を取り、会場では有巳さんが指揮を取り、阿吽の呼吸でひとつの世界を生んだ。

DINING OUT HIEIZAN風景や文化は、当たり前のように残らない。

2日目は「根元中堂」へ。ここでは、一般公開されていない、修繕・修復現場を巡ります。現在、「天台宗総本山 比叡山延暦寺」では、国宝の「根元中堂」ならびに重要文化財の廻廊を2016年から約10年をかけ、大改修中。

完成してからでは決して至近距離から見ることはできない木彫の装飾やこれまで建物を支えてきた建材などは、例え小さな部品でさえ、圧倒的な存在感を放っていました。

「修繕するにあたり、建設当時の部材が残っていることがわかり、今回活かせるものは再利用し、未来に残していきたいと思っています」と話す村氏は、実は、根元中堂保存修理事業事務局幹事も担っています。

一方、役目を終えた建材・部材も。法案に沿ったこれらの行き先を知り、国も含め、日本の資産をアーカイブする働きや改正も必要なのでは……と、勘案すると同時に、日本人こそ、こうした現状を知るべきなのかもしれません。

そして、「ダイニングアウト比叡山」を締めくくる最後の儀式へ。

舞台となる「日吉大社」は、「比叡山」の麓に鎮座。約2,100年前、崇神天皇7年に創祀され、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮でもあります。

「宇佐宮」拝殿にて行われるのは、平安時代から宮中で節会等のおめでたい日に行われてきた、食の儀式「式庖丁」です。

これは、大きな俎板に乗せた魚や鳥を、直接手を触れず、庖丁刀と俎箸で切り分け、瑞祥というめでたい形を表すものであり、平安中期、藤原道長の時代に宮家より伝わり、約1,100年の歴史を持つ儀式です。それを務め上げたのは、前日に「湖魚のお寿し」を供してくれた「ひさご寿し」の川西氏。前述、滋賀の食文化の研究を進める中、30歳の時に「式庖丁」に出合い、以降、15年以上、研鑽を積んできました。

「美味しいを伝えるだけでは、海外のお客さまに日本を伝えることはできません。もっと言えば、日本人こそ、日本の文化や歴史、伝統を学ぶべきであり、そう思って造形を深くしていきました」と川西氏。

静寂な空気の中、迷いなく刃を入れる様は、まるで演舞を観劇しているかのよう。そして、命とは何かを無言で訴えてくるようにも思えます。

「仏の教えとして、必要な生を取るために最低限の生物を摂取することは許されています。前日、湖魚のお寿しにおいては、魚類を摂らない精進料理ではありませんが、仏の概念としてはつながった体験となったのではないでしょうか」と川西氏。

形としての建造物、形のない文化。いずれにしても、今を生きる人が継いでいかなければ後世に残すことはできません。現代においてそれらを学べることは、先人たちが残してくれたからこそ。

1日目から2日目まで、全てがひとつにつながる総合体験こそ、「ダイニングアウト比叡山」。それを結実させたものは、「一隅を照らす。」という教えでした。

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一隅とは、今、あなたがいる、その場所です。あなたが、あなたの置かれている場所や立場で、ベストを尽くして照らしてください。あなたが光れば、あなたのお隣も光ります。町や社会が光ります。小さな光が集まって、日本を、世界を、やがて地球を照らします。(天台宗 一隅を照らす運動HPより引用)
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今回訪れたゲストをはじめ、携わった全ての人々、そこに生きる生物や自然も含め、「ダイニングアウト比叡山」という「一隅」に照らされた光は、決して消えることはないでしょう。

2日目の朝は「根元中堂」へ。通常、「仏様は、高い位置に祀られ、見上げるのが一般的ですが、ここでは参拝者がお参りする床の高さと仏様の高さが同じです」と礒村氏。難しい文脈を通訳するピーター氏は、「比叡山」の造詣が深く、慎重に単語をチョイスし、外国人ゲストに伝える。

現在、国宝の「根元中堂」ならびに重要文化財の廻廊を2016年から約10年をかけ、大改修中。ここもまた一般公開されていない場所であり、屋根などを間近で見る機会は、極めて貴重。

「日吉大社」の「宇佐宮」拝殿にて行われた食の儀式「式庖丁」。平安時代から宮中で節会等のおめでたい日に行われてきたと言われる。

「式庖丁」を務めたのは、「湖魚のお寿し」を供してくれた「ひさご寿し」の川西氏。継ぐ人間がいるからこそ、文化は後世に残る。

DINING OUT HIEIZAN此れ即ち国宝なり。言葉の続きを学び、考え続け、生きる。

「一隅を照らす。」という言葉には続きがあり、それが「此れ即ち国宝なり。」です。

この意味は、「その人こそが、なくてはならない国宝の人である。」と言われています。

これは、2日目に訪れた「根元中堂」に表現されています。通常、仏様は、高い位置に祀られ、見上げるのが一般的ですが、ここでは参拝者がお参りする床の高さと仏様の高さが同じです。

経の文句、「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」とあるよう、生きているもの全てが仏になる素質を持つことから、「平等」を「同じ高さ」で表現しているのです。ただし、地続きではなく、3mの掘り下げた空間は、仏になるまでの険しい道のりを意味し、真っ暗な世界に輝く法灯は正しい道標となります。

「ダイニングアウト比叡山」を迎えるまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。「一隅を照らす。」のごとく、ベストを尽くして照らしたからこそ、次の言葉、「此れ即ち国宝なり。」にほんのわずか少し近づくことができるのかもしれません。

「もちろん、これを成したからと言って私が国宝になれるわけではありません。この教えを大切にしながら一生をかけて学ぶことこそ、修行」と礒村氏。

では、一般社会に暮らす私たちには何ができるのか。それは、「考え続けること」。

自身に対して、周囲に対して、自然に対して、社会に対して。そして、生きることに対して……。

「人は考える能力を持つ生き物です。歩みを止めず、考え続けた先には、きっと何かが見つかるはずです。それもまた修行」。

「比叡山」では、毎年に発する言葉があります。令和5年の言葉は、「開発真心(かいほつしんしん)」。

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真心とは、嘘偽りの無い心。それは私たちの「真実の心」にほかなりません。真心を込めれば相手にも通じます。相手にも通ずるこころ、それは皆に具わっている「仏性」ほとけごころです。お互いの仏性を、開き発こして、目覚めさせましょう。(天台宗総本山 比叡山延暦寺HPより引用)
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人は考える能力を持つ一方、弱い生き物でもあります。真実の心を持ち続けるという修行もまた、人生と並走し、果てしなく長い道のりになるでしょう。

今回、日本人はもちろん、参加した外国人ゲストは、何を感じ取ってくれたのか。日本人ですら難儀のテーマを、国や人種、文化、宗教の異なる外国人へ伝えることは、より難儀。加えて、英語は意味を明確に持つ単語が多い世界ですが、日本語は趣を持つ単語が多い世界。言葉の壁も大きい。どう伝えれば正しく伝わるのか。分かり易くしても良くない、難しくしても良くない。我々、主催者側が一番熟考した件でもあり、その答えは、今なお得られていません。

答えのない答えを考え続けることもまた、修行。

改めて原点に還ります。

「一隅を照らす。此れ即ち国宝なり。」

「ダイニングアウト比叡山」は、これからもこの言葉と向き合い続けます。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

一度だけでは、真実を知ることはできない。再び比叡山へ。[DINING OUT HIEIZAN/滋賀県大津市]

DINING OUT HIEIZAN前回はプロローグに過ぎなかった。長い物語の第1章は、ここから始まる。

前回、「ダイニングアウト比叡山」が行われたのは、2023年2月。雪舞う極寒の季節、白く染まった山々に色を添えた朱の建物。その厳粛な風景は、今なお目に焼き付いています。

当時、開催するにあたり、その精神性を「光」を「観」ることとしました。これは、現代における表層的な「観光」ではなく、その言語の起源と言われている、中国の古典・易経にある「国の光を観る、もって王に賓たるに利し」の意によるものです。

「比叡山」の「光」とは何か。

体験したゲストは、何かを感じ取ってくれたかもしれませんが、それを言語化できる人はいないでしょう。なぜなら、前述の精神性を綴った言葉の後には、こう続けており、それが解を得ることのできない理由です。

「但し、一度の体験で全てを得られるわけはなく、そう易々と本質を享受できるほど甘くはありません。まるで沼のごとく、知れば知るほど深くなり、底という名の解を求め、人は再訪を誓うのではないでしょうか」。

ゆえに、再び比叡山へ。

唯一、「光」の先にたどり着いたもの。それは「比叡山延暦寺」(天台宗)の開祖、最澄が残した「一隅を照らす」という言葉との出会いでした。

振り返れば、前回はプロローグに過ぎなかったのかもしれません。「ダイニングアウト比叡山」という長い物語の第1章が、今始まります。

前回開催されたのは、2023年2月。凛とした空気の中、雪舞う「比叡山延暦寺」が美しかった。

今回もディナー会場となったのは、一般公開されていない「大書院」。ただ足を踏み入れるだけでも貴重な場に、2日間のみ、「ダイニングアウト比叡山」という奇跡が起こる。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI