DINING OUT HIEIZAN命と向き合い、聖なるものとつながる、もうひとつの精進料理。
自身の心臓の音すら体内から聞こえるほど、静寂な世界。風や葉の音を除けば、無音。唯一響き渡るのは、刃音。
冬の陽光を映し輝く刀が迷いなく振り下ろされると、その切っ先から溢れる静かな気迫が周囲を圧し、日吉大社「宇佐宮」拝殿は水を打ったように静まり返りました。伝統装束に身を包み、神前で聖なる儀式「式庖丁」を披露したのは、滋賀県近江八幡市「ひさご寿し」料理長の川西豪志氏。寿司職人として、琵琶湖のほとりで寿司を握る意義を問い、滋賀の食文化を掘り下げ、琵琶湖の湖魚と淡水魚を研究し続ける人物です。
「世界において寿司は日本の食文化の象徴のひとつです。私は寿司屋ですから、寿司を通して日本の食文化を若い世代や海外の人たちに伝えたいと考えました。美味しい寿司をお出しする寿司屋は全国にたくさんあると思いますが、それをこの地で私がやっても意味がありません。湖の恵みを受けるこの土地で寿司屋を営む意味、美味しさの先にあるものは何なのか。それを寿司としてどう表現するのか。発信することの難しさに直面していた時に、まさにアウトプットの場としてふさわしい「ダイニングアウト比叡山」とのご縁をいただきました」。
川西氏の哲学は、「ダイニングアウト比叡山」に限らず、「ダイニングアウト」が大事にしていることにも通じています。それは、「食体験」ではなく、「文化体験」であるということです。
一般的に寿司種としてはあまり使われない淡水魚を寿司に落とし込んだ集大成が、1日目のランチとして「滋賀院門跡」で供された「湖魚にぎり8種」です。例えば、琵琶湖だけに生息する固有種の「岩床鯰(イワトコナマズ)」は、新鮮な切り身を握り、煎り酒(日本酒と梅干しを煮込んだ日本最古の調味料)に浸した粒辛子を添えます。同じく琵琶湖固有種の淡水貝「丸だふ貝」は、日本酒・みりん・塩で軽く煮てから握り、醤油とみりんを煮詰めて葛でとろみをつけたタレを塗り、生姜を添えました。
その寿司は、鮮度の良い魚を切りつけて食べさせる、いわゆる「漁港寿司」とは別もの。言わずもがな、一貫ずつに丁寧な仕事が施されていますが、その仕事が寿司の域を超え、一貫の寿司が完成された料理として考え抜かれて構築されていました。
「一つひとつを料理として仕上げて、8貫を組み合わせることで琵琶湖を表現する。「ダイニングアウト比叡山」に挑戦をしたことで、淡水魚をより美味しく調理する技術を高め、自身も成長することができたと思います」。
寿司を構成するのにもうひとつ欠かせない要素が米=シャリです。「ひさご寿し」が伝統的に使ってきたのが、2年間16℃の定温熟成させた滋賀県産「近江米日本晴」の古古米。米についても知見を深めたいと学んでいくと、その歴史は「比叡山」とクロスオーバーしていました。
「米が貨幣としての価値を持っていた江戸時代までの中近世、今で言う「日本銀行(日本の中央銀行)」のような役割を担っていたのが「比叡山 延暦寺」でした。滋賀県は「比叡山」のお膝元。日本料理人として食文化を掘り下げていくと、「比叡山」にたどり着かずにはいられなかったのです」。
20代のころは、少しでも技術を高めて美味しい料理をつくりたいと、目の前の仕事をがむしゃらに取り組んでいたという川西氏。目の前の湖で揚がる魚をきっかけに、川や山の生態系、自然のサイクルから生まれた自然崇拝へと思いは繋がり、まるで導かれるように自然と「比叡山」へと縁が結ばれました。その縁の先にあったのが「式庖丁」との出合い。「自分の中ではゆるやかな流れの中で「式庖丁」へと繋がっていったと感じています」と話すも、これは必然の結実。
精進は、仏道修行のために厳しい戒律が定められていますが、仏陀の教えは「生命を繋ぐために最低限の食物をあますところなくすべていただく」こと。淡水魚である鯉を儀式として神前に捧げます。
人はもちろん、食材にも命があります。その命は、木や花などにおいても、平等に与えられています。
川西氏にとっては、「湖魚にぎり」もまた、聖なるものと繋がる精進なのです。
主催:比叡山観光再始動協議会
企画・プロデュース:ONESTORY
旅行企画:第一観光
特別協力:天台宗総本山 比叡山延暦寺
協 力:宇佐国東半島を巡る会・文殊仙寺、小嶋商店、中村ローソク、日本航空、日本庖丁道清和四條流、日吉大社
Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHIFUMI ETO