スパイス料理の雄、オキナワンフレンチの雄が手を組み佐賀食材を探求する。
400年以上受け継がれる有田焼をはじめ、数々の焼き物の産地を擁する佐賀県。透き通るように白い地肌と華やかな絵付けが印象的な磁器は、伊万里港から各地へ輸出され、世界中の人を魅了してきました。
風土に目を向けると、佐賀がいかに豊かで変化に富んだ環境にあるかがわかります。北を玄界灘、南を有明海に接する大地は、北部の山地、南部の山岳地、東部の平野、西部の丘陵地の4つに大別され、それぞれに特徴のある地質が分布しています。玄界灘のイカやエビ、青物、有明海の海苔や牡蠣といった魚介の数々。温暖な気候が育むみかんやイチゴ、多種多様な野菜、トップレベルの黒毛和牛と称される佐賀牛、きれいな味わいの日本酒……。魅力的な食材は枚挙にいとまがありません。
器と食材。佐賀が誇るこのふたつの要素に、気鋭の料理人がローカルガストロノミーの技術とアイデア、たぎる情熱を加えて化学変化を起こすというユニークなイベントが「USEUM SAGA」です。それは、美術館に飾るような人間国宝などの器で佐賀の美食を堪能できる、数日間だけのプレミアムレストラン。待望の第5弾が2023年12月、佐賀市内で開催されました。
今回は、共に個性的な料理人ふたりがタッグを組むことで大きな注目を集めました。佐賀市で完全予約制・コースのみのスパイス料理をすべてたったひとりで提供している『カレーのアキンボ』の川岸真人氏。そして、“沖縄県宮古島の風土や食文化を100年後に繋げる琉球ガストロノミー”を提唱する元『エタデスプリ』のシェフ・渡真利泰洋氏です。
いずれも個性派の両名は、一体どのようなコースをつくり上げたのでしょう?
……それは、驚きに満ちたものでした。
全皿を合作によってつくりあげることで、単独での料理では成し得ない高みへ。
色絵磁器の最高峰ともうたわれる今右衛門窯の透き通るほど薄手の小鉢。そこに盛られているのは佐賀のアオリイカや菊芋、沖縄のパパイヤです。なんとも目に鮮やかな「水イカのパフェ」からスタートしたコース料理は、デザートを含む全12皿が展開されました。
2名のシェフがコラボするイベントの場合、それぞれのシェフが単独でつくった料理が交互に供されるのが一般的です。ところが、ふたりは全品を合作するスタイルを選びました。
その背景について渡真利シェフは話します。
「これまでもコラボイベントには何度も取り組んできましたが、交互に提供するとどうしてもコースとしての完成度が高まらないため、もどかしく感じていました。せっかく複数のシェフがコースを組み立てるなら、一皿の中でも一方が基本の調理で一方が仕上げ、または一方がメイン食材の調理で一方が付け合わせの調理など、セッションしたほうがいつもとは違った料理を生み出せるし、コースとしての流れもダイナミックなものになると思うんです。合作は強くこだわった部分ですね」
川岸シェフはその狙いに共感し、渡真利シェフの胸を借りるつもりで臨んだと話します。
「渡真利シェフは佐賀の生産者を回ってリサーチし、僕は宮古島を視察させてもらい、LINEや電話で連絡を取り合いながらメニューを組み立てていきました。ところが、開催日が近づいてそれまでなかった旬の食材が登場すると、渡真利シェフは『これ旨いじゃん。こっちにしよう』と簡単に変更してしまいます。しかも、僕としてはいい感じの料理になっていると思ったものも『まだクリエイティブじゃない』と一蹴されてしまう。周りにいくら迷惑をかけようが、クリエイティビティを最大にするために突き進む人なんです(笑)。そのエネルギーには本当に刺激を受けました。決してマネはしませんよ。僕は他のスタッフに無理を言いたくなくて自分一人でやっているくらいですから。でも、今回、渡真利シェフのリードについていくと決めてからは、そんなふうに振り回されるのが楽しくてしょうがなかったですね」
妥協を知らない合作のスタイルは、ふたりにとっても想像以上の力が発揮された逸品を生み出しました。酔っ払い蟹として使用するはずの渡り蟹に、生で提供するには引っ掛かるわずかな疑義が発生。ふたりはメニューの変更を決断します。蟹の出汁を抽出し、急遽、川岸シェフがカレーに仕立てる作戦に。提供のタイミングギリギリまで味が決まらず、ふたりで押し問答を続けましたが、「サフランがある!」と目を見合わせ、予想通りに味がバシッと決まったとのこと。「いやあ、あれには痺れましたね」と川岸シェフが振り返ると、渡真利シェフは「厨房で今日イチ盛り上がったわ。だからセッションした方がおもしろいんだよ」とカラカラ笑います。性格はまるで違うようですが、ふたりの間には妙に心地いいグルーブ感が生まれています。
ローカルに根差すからこそ、料理人としての表現の可能性は広がる。
川岸シェフと渡真利シェフは共に39歳。東京や海外での活躍を経て、生まれ故郷で地域に根差したレストランを一からつくることを選んだという共通点があります。川岸シェフの『カレーのアキンボ』は東京で人気店の地位を確立していましたが、なぜ佐賀へと移転したのでしょうか。
川岸シェフは当時を振り返ります。
「店があった墨田区は昔からずっと住んでいる人が多く、自分と同じ年代も小中学校から一緒につるんでいたり、祭りを大事にしていたり、東京にあってもローカルな雰囲気の強い地域。結構、佐賀に似ていると思います。僕の中で東京はいろんな人が集まっているファンタジー的な場所だと思っていたのですが、墨田区ではむしろ、自分だけが地に足が着いていないようなちょっと居心地の悪さを感じたんです。それで5年で佐賀へ戻ってやってみようと決めていました」
佐賀に帰ってみると、自分に思わぬ変化が訪れたと話します。
「佐賀の食材の豊かさとその美味しさには驚きました。ここにはなんでもある。これは佐賀の食材でやらない手はないと、東京でのスペシャリテだったラムのキーマカレーもやめ、佐賀の食材の持ち味を生かす調理にシフトしていきました。とにかく食材そのものが美味しいので、調理技法はどんどんシンプルになっていきました。そうして自分のオリジナリティが固まっていったのです。カレーという調理法はあまりにも味の骨格がしっかりしているので、極端な話、ダメな食材でもそこそこ食べられるものに生かすことができます。それは逆に、優れた食材の持ち味を殺すことにもなり得ます。カレーやスパイスを使いながらいかに優れた食材を生かす引き算の料理ができるか? 佐賀に来たからこそ、その追求にたどり着くことができたのです」
渡真利シェフは、面白さを求めたからこそ宮古島に帰るという決断をしました。
「沖縄人である自分が東京でフレンチをやる。フランス産のフォアグラを使うかもしれない。沖縄の食材も使うかもしれない。でもそんな他の人でもできることで誰が楽しんでくれるんだろう? 自分にはイメージできなかった。何より、それじゃ自分がワクワクしないと思いました。みんなに面白がってもらえて自分も心から面白いと思える料理は、自分のルーツである宮古島にこそあるという確信が強まっていったんです」
宮古島ではレストランを人気店へと着実に育てながらも、この地で何をすべきかという問いにはまり込んだ時期もあったそうだ。
「視界がパッと開けたのは、実はonestoryのおかげです。onestoryのイベント『DINING OUT』に関わり、ガガンシェフの仕事を間近で見たことで、ものすごく刺激を受けました。彼はB級と見なされていたインド料理を、世界と渡り合えるファインレストランの域まで押し上げた人。自分も沖縄でやっていけると勇気づけられました。沖縄は“食の不毛地帯”なんてことも言われたりしますが、歴史を振り返っていくと、実はかつては美味しいとされるものはあったんですよ。それって面白くないですか?」
ガガン氏はタイ・バンコク『Gaggan Anand』のインド人オーナーシェフ、ガガン・アナンド氏のこと。インド伝統料理を斬新な手法で高級コース料理に仕立てた伝説的な料理人です。
「ガガンシェフのように物事をとことん面白がる姿勢があれば、フレンチだとか料理のジャンルさえどうでもよくなります。自分は琉球ガストロノミーを追求すればいいんだと。それからは気持ち的にラクになりましたね」と渡真利シェフは話します。
本番の直前まで、クリエイティビティの追求に妥協してはならない。
渡真利シェフの奔放さは今回もいかんなく発揮されました。たとえば「ジューシー」。本来、ジューシーは沖縄で炊き込みご飯のことを指しますが、渡真利シェフは有明海で獲れた海苔をたっぷりと使った雑炊に仕上げました。上に敷き詰めたのはキュウリのスライス。そう、これはかっぱ巻きを再構築したジューシーなのです。
そして、やはりクレープのような沖縄伝統のお菓子「ポーポー」も存在感を放っていました。スパイスをまとったカツオのなまり節をくるんだポーポーを頬張ると、変化に富んだ食感と共に、なまり節の旨みとポーポーの甘み、多彩な香りとほどよい酸味が口の中で渾然一体となって立体的に広がります。こちらも渡真利シェフが「まだクリエイティビティが足りない」と前日まで川岸シェフに発破をかけながら試行錯誤を続けた労作だといいます。
川岸シェフの最後の瞬発力には舌を巻いたと渡真利シェフ。
「最終的に彼は大根の葉っぱをヴィネガーで和えてポーポーに巻き込みました。この斬新な旨さには唸りましたね。酸味を加えたいという時に、酸のある素材をプラスするのでもなく、そこにレモンを搾るのでもなく、ヴィネガーをそんなふうに使うのかと驚きました。彼のヴィネガーの使い方、それからオイル漬けの手法、スパイスの使い方は本当に勉強になりました。沖縄には保存食の文化があまりありません。つまりそこには発展の余地があるということ。川岸シェフからの学んだことをプラスして料理の可能性を広げていきたいと思います」
一方、川岸シェフは、渡真利シェフの食材に対するビビッドな反応に感化されたと話します。
「食材本来のおいしさに対して正直に向き合い、その持ち味を最優先する姿勢には驚かされました。そして、周りに迷惑かけると言いましたけど、実はめっちゃくちゃやさしい。生産者の方がくださる野菜は、何でも『ありがとうございます!』と受け取って、どうにか料理に盛り込もうと工夫するし。迷惑はかけるけど、やさしい男です(笑)」
沖縄では祝い事に欠かせないヒージャー(山羊)を使ったケバブ、沖縄そば、カレーのたたみかけで会場の空気は一気にクライマックスへ。ゲストとスタッフ、会場にいる全員がオリオンビールで乾杯し、大団円を迎えました。
閉幕のスピーチで、感極まった川岸シェフは言葉を詰まらせました。
「東京で850円のランチから始めて……カレー屋のくせに予約取るなんて何様だと言われ続けていた僕が……今日は、本当に、ありがとうございました」と言葉を振り絞る川岸シェフ。その横で肩を揺らして面白がる渡真利シェフ。でも見つめる目は、とことんやさしい。やり抜き、泣き、笑う。充実感に満ちたふたりの姿が、イベントの成功を何よりも雄弁に物語っていました。
1984年佐賀県佐賀市生まれ。佐賀県立佐賀北高校普通科芸術コース卒業。日本大学芸術学部美術学科卒業。都内の寿司屋で3年修業を積み、2010年、東京・錦糸町に「カレーのアキンボ」をオープン。2015年に佐賀へ戻り、完全予約制・コースのみのスタイルにリニューアル。週に一度は生産者を訪ね、その時々で出会った食材をベースに料理を組み立てる。「ミシュランガイド2019福岡・佐賀・長崎版」ビブグルマン獲得。「ゴ・エ・ミヨ2023」では佐賀県内7店舗の1店に選ばれる。
1984年沖縄県宮古島市生まれ。20歳で上京、イタリア料理を学ぶ。その後、数店のフレンチで修業を重ね、渡仏。「Joel Robuchon」をはじめとしたパリの名店にて研鑽を積み、帰国後31歳で伊良部島にある「Restaurant Etat d’esprit(エタデスプリ)」総料理長に就任した。ジャパンタイムズキューブの日本人が選ぶ、世界の人々のための、日本のレストラン「The Japan Times Destination Restaurants 2021」の10選に選出。フランスのグルメ雑誌「ゴ・エ・ミヨ2022」で沖縄県内最高得点の15.5点獲得。2019年には次世代を担う実力派シェフとして全国15人の1人に選出。