伝統、文化、食材、精神。沖縄の今をシェフに伝えた二人のキーマンが振り返るDINING OUT。[DINING OUT RYUKYU-SHURI/沖縄県那覇市]

ミクソロジストの中村智明氏(左)と琉球料理人の屋比久保氏(右)。ともに沖縄の食材や食文化に深い知見を持つ人物。

DINING OUT RYUKYU-SHURI地元の知識をシェフにインプットする重要な役割。

首里城を舞台に開催された『DINING OUT RYUKYU-SHURI』は、川田シェフが率いる『茶禅華』のオールスタッフが参加し、チームワークを発揮しました。しかしもちろん沖縄で開催するからには、地元の文化や伝統、食材をシェフに伝え得る人物は必要。今回その役割を果たしたのは、沖縄で店を営む2名の人物でした。

ひとりは沖縄伝統料理の店『月桃庵』のシェフ・屋比久保氏。もうひとりはバー『アルケミスト』のミクソロジスト・中村智明氏。沖縄を知り、沖縄を愛する二人は川田シェフに何を伝え、また何を学び取ったのでしょうか?

当日はゲストとして着席し、コースを堪能した屋比久氏。自身が関わってきた料理だけに、その感慨もひとしおだった様子。

中村氏は今回のチームで唯一の現地スタッフとしてドリンクサーブを担当。鮮やかな手際でドリンクを仕上げた。

DINING OUT RYUKYU-SHURI伝承人としての責務と、今を生きる沖縄人としての責任。

古式に則った琉球料理『月桃庵』で腕を振るい、また伝統的な食文化を伝える「琉球料理伝承人」としても活動する屋比久保氏。しかし意外にもそのキャリアの大半は西洋料理でした。

ホテルのレストランで、総料理長まで務めた屋比久氏。そんな氏のもとに、あるとき、アメリカで開催される日本食フェアで沖縄の郷土料理を振る舞う依頼が入りました。日本各地から料理人が参加したそのフェア。そこでの体験が転機となりました。

「京都の料理人は、京都の伝統を知り、京都に誇りを持っていました。対して自分は沖縄で生まれ育っていながら、伝統もほとんど知らず、良いところもぜんぜん話せない。それで帰国してすぐに、琉球料理を学び直すことにしました」。

とはいえ歴史的資料の多くは戦争で失われ、伝統料理を研究する先達もご高齢の方が数名だけ。それでも屋比久氏は少ない資料や先達を頼りながら、琉球料理の見識を深めていきます。琉球料理の起源は宮廷料理。必然的に歴史や地理や文化の知識も深まります。

やがて琉球料理を自身の道と定めた屋比久氏はホテルを退職し『月桃庵』の料理長に就任。
2019年に開催された『DINIG OUT RYUKYU-NANJO』では調理スタッフとしてキッチンに入り、野外レストランの現場を知り、また現地シェフならではの知見を共有してくれました。

そして今回の『DINING OUT RYUKYU-SHURI』では、『DINING OUT』の本質と沖縄の過去から現在まで、両方を知る料理人としての知見を活かし、川田シェフに琉球伝統料理や琉球漆器等をインプットする役割を担いました。当日はゲストとして着席した屋比久氏は話します。


「沖縄料理というのはイラブーなら汁、ヤギなら刺し身というように食材に対する調理法が固定されている傾向があります。しかし川田シェフはそこを飛び越え、食材自体に問いかけるように新たな料理に挑んでくれました。地元の料理人たちも旅に来た方々に、地元食材の新たな魅力を提案していかなければいけない、と強く感じました」

そう話す屋比久氏は、そして未来へと向けた決意も語ります。

「実はいまの若い子たちは方言もあまり話さない。このままでは方言のような身近な伝統さえも、失われてしまう危険があるのです。私は伝承人でもありますので、伝統的な文化をそのまま伝えることも必要。しかしやはりそれだけではなく、時代や環境に合わせ、需要を捉えた文化も発信していきたい」。

琉球漆器のコレクターでもある屋比久氏は、貴重な漆器も保有。東道盆(ツンダーボン)と呼ばれる宮廷料理の器(右)は数が揃わず実現しなかったものの、川田シェフから今回の晩餐に使用したいとの希望があったという。

琉球王国時代の14〜15世紀から続く琉球漆器の伝統。屋比久氏の紹介によって用意された琉球漆器の器が、おもてなしの心を伝えた。

泡盛を飲むための沖縄伝統の酒器・カラカラと、伝統料理の豆腐よう。こちらも屋比久氏の活躍でコースに並び、ゲストを喜ばせた。

東道盆はかつては旧家などでも保有されていたが、現在は失われつつある。状態の良いものは市場にほとんど出回らない。

DINING OUT RYUKYU-SHURI料理の背中をそっと押す繊細なカクテル。

沖縄の素材を使い、香りや味のレイヤーを意識した五感で楽しむカクテル。
バー『アルケミスト』の中村氏が目指すのはそんな一杯。

2020年『DINING OUT RYUKYU-URUMA』にドリンクメーカーとして参加した中村氏。その縁もあり、今回の食材視察に沖縄を訪れた川田シェフが中村氏の店『アルケミスト』に立ち寄ったのがことの始まりでした。
その日、中村氏が川田シェフのために作ったのは、県産の旬の素材をふんだんに使用し、沖縄を表現したこだわりのカクテル。
その味を川田シェフが気に入り、コースに合わせるペアリングカクテルを担うことが決まりました。『DINING OUT RYUKYU-SHURI』ではただひとりの現地スタッフとして参加した中村氏。中華料理とのペアリングということもあり、合わせるカクテルの考案は困難を極めたことでしょう。

中村氏が作り上げた5種類のカクテルは、川田シェフをして「料理に寄り添うのではなく、後ろからそっと背中を押してくれるような素晴らしいカクテル」と言わしめる完成度でした。


では中村氏はどのようなステップで、このカクテルの完成に至ったのでしょう。

「まず使う食材や料理の構成を伺ってから試作に入りました。川田シェフの料理は淡い、繊細という話を聞いていましたが、そうは言っても中華料理ですから、それなりの濃厚さがあると思っていました。一般的な中華が10だとするなら、6とか7くらいの繊細さ。そんなイメージの元で試作を作っていたんです」。

そう振り返る中村氏。しかし実際に味わう川田シェフの料理は事前に想像していた以上でした。

「その後、『茶禅華』を訪れて実際にコースを試食させて頂きましたが、その繊細さは想像以上。6や7どころか1だったんです。繊細で薄味なのに、ゆっくり噛みしめると奥行きがあり、旨味と香りに繊細さがある料理。それで急いで沖縄に戻ってすぐさますべて作り直しました」。

中村氏がとくに気をつけたのは濃度。

「淡い味の中に風味を探しながら楽しむ料理だと感じたので、その風味を壊さないよう料理よりも少し下の濃度になるように調整しました」。

中村氏のカクテル作りは、わずかな香りや風味の変化にも妥協しない細やかな作業。たとえば泡盛にレモングラスのジンを合わせたカクテルには、ボトムのトーンを加えるためにオールスパイスで香りをつけた芳香蒸留水を少々。それもスポイトで0.5mlと1.0mlの2パターンを加えて飲み比べてみる、といった具合。ほんの数滴の差にこだわる仕事ぶりに、『DINING OUT』のドリンクを担う責任感が垣間見えます。

泡盛をはじめ、金木犀やアップルバナナ、月桃や地元のクラフトジン。沖縄の食材の魅力も、カクテルを通して伝えた中村氏。終演後の感想を伺うと

「甘さではなく香りの層で風味を感じていただく今回のカクテルで、自分自身が大きく成長できたと感じています。また『茶禅華』チームと共にサービスに当たれたことで、本当にハイレベルな連携なども多く学ばせてもらいました」。

そう自分自身の収穫を語る中村氏。しかしそれだけではなく、ひとりの沖縄県民として、今回の『DINING OUT RYUKYU-SHURI』自体が大きな収穫だったといいます。

「3年前の火災で、改めて首里城が沖縄のアイデンティティの中心だったと気づきました。いま、復興に向いた段階の中で、こういうイベントができるというアプローチができたことが非常に大きなことだと思っています」。

元保育士という異色の経歴を持つ中村氏。本格的にバーテンダーとして始動してから、4年間で18個ものコンペティションで受賞や優勝を果たした実力派。

甘酢醤油の風味が繊細に広がる長命草クラゲに合わせたのは、変化系の泡盛水割り。減圧蒸留の泡盛に月桃のジン、レモングラスのジンでトップのトーンを合わせ、ボトムの風味にはオールスパイスの香りをつけた水を微量加えた。

独特なスパイスと唐辛子の香りが鮮烈なハリセンボンの料理には、アニスの香るカクテル。白ワインに8種類の香りをつけた自家製ベルモットにソーダ、華が開き種になる寸前のイーチョーバーというハーブをプラス。

金木犀とアップルバナナのデザートは、中村氏が「今回もっとも感動した料理」。そのさまざまな香りが弾ける料理に合わせ、ライチの香りをつけた水出し紅茶とクラフトジンのカクテル。柑橘感とライチの香りを紅茶で広げ、金木犀アップルバナナに合わせたイメージ。

主催:沖縄県文化観光スポーツ部 観光振興課
企画・プロデュース:ONESTORY
協力:沖縄美ら島財団
販売:ハレクラニ沖縄
協賛:オリオンビール、CHAMPAGNE TAITTINGER、瑞泉酒造、T GALLERIA、ホシザキ沖縄  *五十音順

Photographs:RYO ITO
Text:NATSUKI SHIGIHARA