人と自然、共存の難しさ。それでも人は生きてゆく。

「ジャパンタイムズ」代表取締役会長兼社長の末松弥奈子さん(後列、右よりふたり目)をはじめ、「The Japan Times Destination Restaurants 2024」を受賞した面々と審査員の辻調理師専門学校 校長、辻調グループ代表の辻 芳樹氏、レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役社長の本田直之氏、株式会社アクセス・オール・エリア代表取締役の浜田岳文氏。

ディスティネーションレストラン花よりも花を咲かせる土になれ。

2024年5月、第4回となる「The Japan Times Destination Restaurants 2024」の受賞レストランが発表。「日本人が選ぶ、世界の人々のための、日本のレストランリスト」として発足されたそれは、「日本人の視点で、世界の人々に、日本の姿を伝える」をテーマに、日本各地に点在する10店を毎年選出しています。選考者は、3名。第1回から変わらず、辻調理師専門学校 校長、辻調グループ代表の辻 芳樹氏、レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役社長の本田直之氏、株式会社アクセス・オール・エリア代表取締役の浜田岳文氏です。

2021年・2022年の「Destination Restaurants」の記事はこちら
2023年の「Destination Restaurants」の記事はこちら

今回選ばれたレストランは、美食家やフーディーさえノーマークだった知る人ぞ知る店が連ね、まさに発掘の回となったのが大きな特徴のひとつ。「Destination Restaurants」が掲げる選考基準のひとつ、「地方で埋もれがちな才能の発掘を目指す」が最も色濃く反映されたのではないでしょうか。(そのほかの選考基準などは、上記の記事をご参照ください)

「2024年 The Destination Restaurants of the year」に輝いたのは、北海道中川郡豊頃町「Elezo Esprit」。自らを食肉料理人集団と謳い、生産・狩猟、枝肉熟成流通、シャルキュトリ製造、レストランの4ブランドを展開。人間は自然界における食物連鎖の長であることを理解し、命と向き合っています。

そのほか、受賞されたレストランは、石川県七尾市「一本杉 川嶋」、大分県由布市「JIMUGU(ENOWA YUFUIN)」、沖縄県うるま市「Mauvaise herbe」、三重県松阪市「松阪 私房菜 きた川」、新潟県村上市「割烹 新多久」、富山県富山市「海老亭別館」、群馬県利根郡川場村「VENTINOVE」、静岡県焼津市「馳走 西健一」、長野県茅野市「カエンネ」の計10店。

「Elezo Esprit」の佐々木章太氏は、受賞した心情を語るも、自身のレストランについては、ほどほどに、これまで体験してきた生産者への想いを言葉にしました。

「24歳で創業し、食肉の世界に入りました。勉強して技術や知識を学ぶはずだったのですが、歴史や文化、背景を知るに連れ、それらに従事する方々に興味を持つようになりました。私たち料理人は、お肉だけでなく、魚や野菜を作る人、さらには、自然を守る人たちの恩恵を受け、レストランを営んでいます。お客さまにおいても、その恩恵を受け、美味しい料理をいただいていると思います。しかし、その作り手たちの全てが報われているわけではありません。光の当たる人もいれば、ひた向きに影で努力を続けている人がいます。その影に光を与えられるような事業をこれからも続けていきたいと思います」。

花よりも花を咲かせる土になれ。

土があるからこそ、根が張れ、根があるからこそ、水を吸い上げ、そして、花が咲く。何が欠けても成立せず、そこには主役も脇役もありません。「Elezo Esprit」は、生産者や食材、自然にも光を当て、この土地なりの正しい食循環を生んでいるのかもしれません。なぜなら、佐々木氏は、花は咲かせてもらっていることを、きっと知っているから。

「Elezo Esprit」の佐々木章太氏。2022年10月にオープンしたオーベルジュ「Elezo Esprit」は、帯広空港から車で約1時間。宿泊棟とレストランだけでなく、豚や鳥などを育てるファームも備える。

毎回行われるトークセッション。巧みな進行を務める辻氏(左)。そして、「世界のレストランは日本に向いている。日本人シェフは、世界をリードしていると思います」と本田氏(中)と「どんなにシェフの才能があっても、食べ手としてそれを受け入れる美食の教養も必要」と浜田氏(右)。

ディスティネーションレストラン料理人人生の転機。ゼロから一歩を踏み出す勇気。

今回、受賞したレストランの中でも、移転をきっかけに現在のスタイルにたどり着いた3店に注目したいと思います。

まずひとり目は、「VENTINOVE」の竹内悠介氏。東京で約10年お店を営んでいましたが、店舗のあったビルの老朽化と立ち退きに合い、同時にコロナ禍に。当初は、東京で再スタートを考えていたそうですが、家族で話し合った結果、地元である群馬県利根郡川場村に拠点を構える選択をし、新たな挑戦を始めました。「東京では作りたい料理に合わせて食材を選んでいましたが、今は食材に合わせて料理を作る」という変化も芽生えたと話します。

ふたり目は、「馳走 西健一」の西 健一氏。広島出身の西氏ですが、ある人との出会いをきっかけに、静岡県焼津市に移住。その人物とは、「サスエ前田魚店」の前田尚毅氏。もともと、広島のお店でも前田氏の魚を取り扱っていたそうですが、現地でいただいた仕立てと鮮度の違いに驚愕。独立する際、前田氏の拠点でもある現在の地に店を構える決意をしました。

3人目は、「松阪 私房菜 きた川」の北川佳寛氏。実は、地元の三重県松阪市で開業するために帰郷したわけではありませんでした。もともと東京で修業していた北川氏は、途中、心が折れてしまい、精根尽き、「都落ち」と北川氏。その後、心身を癒し、ようやく外に目を向けられる時に、食材の豊かさと人々の優しさに改めて気付き、再スタートしました。

三者三様ですが、大きな決断、人生の岐路は、料理人として、人として、強くなったに違いありません。共通している点で言えば、皆、元の拠点から遠く離れ、ゼロからの一歩を踏み出したということ。そんな背景もまた、思考を開花させ、料理においても皿の上だけでは描けない深みをもたらしているのかもしれません。

2011年、東京の西荻窪に「trattoria29」をオープン後、2020年に閉店。25年ぶりに群馬県川場村に帰郷した「VENTINOVE」の竹内氏。再開においては、「当初の予定よりも長い時間がかかってしまったが、その分、環境や生産者を理解できることができた」と話す。

「サスエ前田魚店」の前田氏の仕立てに惚れ込み、2022年に静岡県焼津市に移転・移住した「馳走 西健一」の西氏。店舗においても、「サスエ前田魚店」から徒歩約5分ほど。

「松阪 私房菜 きた川」の北川氏は、ヌーベルシノワの達人と呼ぶに相応しいひとり。不便な立地でありながら予約困難、1日1組の中華料理の名店。スピーチでは、「妻である女将がいなかったら、今の自分はありませんでした。自分にとっては、ベスト オブ 女将」と感謝の気持ちも述べた。

ディスティネーションレストランアフターコロナからの能登半島地震の悲劇。改めて、自分は料理人で良かった。

今回、受賞された中には、元旦に襲った能登半島地震の被害にあったレストランもありました。「一本杉 川嶋」です。列席には、2022年に受賞した「ラトリエ ドゥ  ノト」の池端隼也氏の姿も。

授賞式は、能登半島地震により被災された人々へのお見舞いの言葉から開宴。池端氏があの日の出来事を振り返り、今の心境を語ります。

「お店に行ったのは、地震の翌日。荒れ果てたその状況を見て、すぐに炊き出しを行いました。それはなぜですか?と色々な人に聞かれるのですが、本能的な行動でした。今でも、街ですれ違う方々からその時のことへの感謝の言葉をいただき、改めて、料理人で良かったと思いました」。

電気もない。水もない。そんな状況が続き、絶望の中、料理は希望の光となったのかもしれません。「料理は誰かのためにある」と最後に残した言葉が温かくも重く、心を揺さぶりました。

「一本杉 川嶋」の川嶋 亨氏においても、その想いを語ります。

「今日、この場に立つべきか非常に悩みました。あの日、約1分足らずで、街は崩壊し、全てを失ってしまいました……」。

登壇の際、毅然とした態度で臨んでいましたが、口にして言葉にするたび、想いが込み上げ、涙が止まりませんでした。

「泣くなよ。格好悪いぞ」。池端氏の激励に応えるように、涙をこらえ、言葉を続けます。

「しかし、自分たちがこれまで築いてきたものは、なくなっていないと思っています。山も川もまだ生きています。悔しいこともたくさんありますが、かけがいのない仲間がたくさんいます。必ず、能登は復活します」。

「Destination Restaurants」の選考基準には、「その対象は東京23区と政令指定都市を覗く日本にあるあらゆるレストランだということ」という項目もあります。すなわち、より自然に近く、より自然とともに生きる環境だとも言い換えられます。ゆえに、人と自然、共存の難しさを体現している10店でもあるのです。

苦難、困難、災難……。長い暗闇をようやく抜けたコロナ禍の一難去ってまた一難。自然は人間を必要としないのか。そんなことすら頭をよぎりますが、地震や津波のような「有難い」災害が自然から生まれるものである一方、「有難い」食材もまた自然から生まれるもの。

「難」が「有」ることの意義をどう受け入れるべきなのか……。この難解の答えはすぐに出すことはできませんが、ひとつだけわかることがあるとすれば、それでも人は生きてゆくということ。

当日は、過去に受賞した多くのシェフが姿を見せ、それは、「2022年 The Destination Restaurants of the year」に輝いた「Villa Aida」の小林寛司氏の音頭によるものでした。

「池端シェフと話し、自分たちにできることは何かないかと伺いました。そうしたら、たくさんの人に会いたい、と。できるだけ多くのシェフに声をかけ、みんなで応援したいと思いました」。

「一本杉 川嶋」と「ラトリエ ドゥ  ノト」は、今なお営業は再開できず、見通しすら立っていません。今回、「Destination Restaurants」は、初の書籍を発行し、その売り上げの一部を能登半島地震の支援金として寄付。1日も早く、復興の日が来ることを願うとともに、「Destination Restaurants」は、ただレストランをリスト化する活動ではないという事実を、ここに記しておきたいと思います。

数々の名店で研鑽し、2020年にオープンした「一本杉 川嶋」の川嶋氏。能登半島地震直後、炊き出しも行い、被災者を食で支えた。「能登の復興の希望となれるよう、立ち上がりたい」と涙ながら話す。

能登半島地震を振り返り、「改めて料理人で良かった」「料理は誰かのためにある」と話す池端氏の言葉は、レストランの語源でもあるレストレの精神そのものだった。

「ラトリエ ドゥ  ノト」の池端氏(前列、右より3人目)と「一本杉 川嶋」の川嶋氏(中列、左より3人目)に元気を与えたいという気持ちで集結したシェフたち。

Photographs:Destination Restaurants
Text:YUICHI KURAMOCHI