日本の地域に眠る究極のレストラン。すべてが異次元のスタイルの先に、目指すべき理想が。[sowai/岡山県瀬戸内市]

この地にあった店名を英文にしたのが店名の由来。店前の電信柱の看板に往時の残照が残る

牛窓accaの次のステージは同じく牛窓のsowai!

魚礁(そわい)とは、たくさんの魚が集まり、生きた魚が隠れ家や餌場として利用している岩のことを指します。そんな魚たちの楽園ともいえる地形を、ひっそりと店の名に冠した場所があります。岡山県牛窓。この場所を聞いた感度の高い人ならば、あるお店、ある料理人の顔が自然と浮かぶことでしょう。そう、東京広尾から牛窓へと移住&移転をし、瞬く間にほかにはない至高の店を作り上げた『acca』の林冬青氏その人です。ひっそりととは、まさに店の名のごとく。誰に知られることなく、ネットで検索してもその名を探すことは困難。牛窓港の目前で、静かにオープンした『sowai』。その後もSNSの発信やグルメサイトの掲載は断り続け、魚が集う魚礁のごとく、ただその場所でひっそりと美味を追求し続ける。そんな林氏にメディア初の取材を許可いただき、その真意を伺ってきました。

取材時も極力多くを見せたがらない林氏。その真意は後々わかることになるが、料理一品の撮影にも緊張感が張り詰める

お客様による携帯電話での料理撮影もお断りしている『sowai』。自身の真意とは違う方向で情報が発信されることを極力抑えていきたいと林氏

店のキャラクターの一つになっている巨大な薪窯。現状はオリジナル料理パーネのためだけに使用している

目前の前島とのフェリーが往来する牛窓港の目前。鄙びた漁港の目の前で静かに『sowai』は営まれている

ハガキのやり取りから繋がる店。それが『sowai』。

「コロナがあって店の状況も大きく変わったのが転機になりました。以前は県外からのお客様も多かったのですが、ピタッと止んだ。ただでさえ外出を自粛せざる得ない状況で、牛窓という田舎にわざわざ来ていただく意味を考えたんです。」
林氏は言葉少なにそう話し、さらにお客様と心の距離の近いお店を作れたらと考えたといいます。『acca』自体も奥様との二人三脚でやっていただけに、新たな店の構想をやるには『acca』を続けるのは事実上不可能。想いに突き動かされるように『acca』閉店をすんなりと決意し、その経験を元に、現在の林氏の想いを投影させたのが牛窓の海を望む『sowai』に凝縮されたというわけです。

スタイルも大きく変わりました。最初の予約は官製はがきでのやりとりになるのです。3週間以上先の予約希望日を記入いただき、『sowai』から予約完了の返信はがきを待って予約完了。電話もデジタルでの予約も受け付けず、まずはアナログでのやりとりからお客様の到着を待つのです。不便だと思う人もいるでしょう。それは仕方のないことです。でも、今の時代にあって、この面倒なやりとりを楽しむ。それこそが唯一『sowai』での食体験の入り口になるのです。時代遅れのこの予約は、たぶん恋文を待つようにいつくるか、いつくるかと心待ちにするのが正解。届いたときの喜びと、実際に訪れる来店の機会はまさに初回のデートのように心高ぶることでしょう。

「そんなに格好いいものではないんです。実際は妻が畑をやっているので、ひとりで店の仕込みをしている事が多く、仕込み中に電話が鳴ると仕事が中断してしまう。それではベストな状況でお出迎えが難しく、苦肉の策なんです。一度来ていただければ、その後はメッセージのやりとりなど、仕込みや営業に支障のない時間に返信させていただきます。」

林氏とはまさにそういう人なのです。過剰な味付けや華美な食材は使わず、最大限に食材のポテンシャルを引き出す。以前に『acca』を取材させていただいた際には修行僧のようだと形容しました。料理との向き合い方は当時と変わらず、さらに研ぎ澄まされた印象。SNS・グルメサイトなどネットの発信や、店舗の写真を禁止するのも、自分の想いとは違う方向で情報だけが独り歩きをするのが許せなかったといいます。やれることすべてを料理に投影させ、自分の想いや考えもきちんと発信できるまでは公表しない。それができればきっと分かる人には届く。それはまるで海中の楽園、魚礁そのものだと思わざる得ないのです。眼の前に広がる牛窓の豊かな海、その延長こそが林氏が求めた店のあるべき姿なのかもしれません。

アコウのヴァポーレ。このサイズくらいが旨味が強くエシャロットやニンニクなどの香味野菜とコラトゥーラのソース

穴子と牛肉にサルシッチャ、ハリイカのゲソをキャベツとともにオーブン焼きに。イタリアンパセリのソースで

今日取れた魚たちの朝どれサラダ。茹でたガラエビ、ベイカ、ヒラメ、蒸しモガニ、ハリイカ、新玉ねぎなどを玉ねぎとからすみのソースで

牛窓で捕れた魚介を、極力余計な調理は省き食膳へ。

もちろん料理も面白いのです。『acca』時代同様に、毎朝地元牛窓の鮮魚店から仕入れたこの場所でしか味わえない魚介の数々。雑魚や小エビ、小さな貝など、都市部の市場では扱えない魚介類を中心に、牛窓にいる恩恵を最大限に楽しませてくれるのです。◯◯産の本マグロもなければ、金賞を受賞した黒毛和牛もなし、その時期に牛窓で捕れた名前も知らない小さな魚が『sowai』では光り輝いているのです。林氏は「ベストな状態で出しただけ」と素っ気ない説明になるのですが、朝から晩まで仕込みに追われ、丁寧に丁寧に土地の食材を紡ぐ。ひとりで黙々と行うその労力がどれほどのものかは想像に難しくありません。仕入れた鮮魚に、ベストな塩を入れ、さまざまな方法で火を入れる。土地を理解するとそれがこれほどまでに味を引き出すのかと、教えてくれるのです。

さらに『sowai』での新たな試みは林氏がそわパーネと呼ぶ、オリジナルの小麦料理。パンのようでもあり、ピッツァのようでもあるその料理を生み出すことにここ数年は注力してきたといいます。

「イタリア時代、ピッツァを食べましたが、どうしても最後まで美味しい状態が続かない。熱々で、チーズがとろけるあの最初の状態を維持する一品を生み出したくなったんです。ピザ窯で、ベストな薪を起こし、それを焼き上げる。粉の配合や、具にする食材。どうしても満足行くものが生み出せず、ずっと試行錯誤してきたのですが、数年経ってようやく納得できるものができた。ピッツァの配合でパンの工程を作る感覚。平たく伸ばすのではなく、縦に積み上げていく。そうするとサクッ、シュワ、ふわっという感覚が重なるように押し寄せる。だから取材に来ていただきたいと思ったんです。」

見た目は焦げ目のついた、少し焼きすぎたパン。それが熱々のままテーブルに運ばれ、手でちぎれば湯気とともにチーズがとろけだす。具はイカ墨もあれば、からすみバターやボリート、もろみ、かに、チョリソーなど、その時期のとっておきの食材が彩ります。これが味わうと驚くほど軽く、味わいは深い。ペロッと平らげてしまうのですが、小麦粉と食材の余韻が口の中におだやかな幸福をもたらすのです。

パーネとはイタリア語でパンの意。「sowaiのパーネであるのでそわパーネとしています。」と林氏。写真はからすみとイカ墨のそわパーネ。コースの最後はパーネが登場する。黒い部分は、活きているイカからとったイカ墨のソース

前島産の小麦は、石臼挽きで製粉。全粒粉でふすまの風味が特徴

静かな波音がより静寂を強く感じさせる牛窓港の目の前

牛窓オリーブ園から瀬戸内海を望む。この絶景を見るだけでも心あらわれるひとときに

林氏が生み出した究極のピッツァ「パーネ」とは?

当初はデュラム小麦などイタリア産小麦を独自の配合で生地にしていたのが、粘りや香りを追求していくうち、気がつけば対岸の前島で畑を借り、小麦作りから没頭。牛窓で、パーネのために、配合する小麦が最後のピースとなり、納得のいくパーネは完成したといいます。

「仕込みと店に追われているので僕が手伝えるのはほんの少し。小麦作りのリーダーは妻です。無農薬で雑草取りに励んでくれ、小さな島ですがイノシシなどの獣害もある。店の分だけの小麦といえど、かなり重労働なのはわかっているのですが、前島の小麦を加えることで、少し潮風を感じるパーネが生まれる。感謝しかありません。」

そう、小高い山の中腹にある畑からは、美しい牛窓の海が望め、穏やかに吹く海風と、晴れの国・岡山ならではの陽光がここでの小麦づくりに一役買っている。

目の前にあるものを大切に観察し、その良さを引き出す。のどかな牛窓の漁港の目前で、林氏の目に写ったもの。それこそが『sowai』の料理であり、そこから感じ取れるものが牛窓の恩恵。例えば、風光明媚な日本の至る地域でも、地形や食材は違えど同じようなことは可能だろう。ただ目の前にあるものをとことん慈しみ、深く理解し、最良のそして最低限の調理を加える。その所業が、いかに難しく、常人では計り知れないほどの努力の積み重ねであるか。たぶん、この『sowai』という場所は何も語らずに、一皿の料理だけでそれを教えてくれるのです。

住所:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3023
TEL:なし
営業:ランチ13:00〜、ディナー18:00〜(日曜は昼のみ営業)
休日:水曜・木曜(不定休あり)、基本的に金曜日は窯が休み、そわパーネの代わりにパスタを提供します(事情により変更の可能性あり)
※予約方法:ハガキにてご連絡下さい。名前、住所、電話番号、メールアドレス、人数、希望日(1〜3候補、昼夜の希望)、
 アレルギーや苦手食材を明記してください。中学生のお子様から
 昼は7,000円くらい〜、夜は9,000円くらい〜(仕入れにより多少変動あり)支払いは現金のみ
 店内にトイレはないので、お隣の公共トイレを利用。


Photographs:YASUFUMI MANDA
Text:TAKETOSHI ONISHI