「イベントはやらなかった」孤高のシェフ。その殻を破った一夜の記録。

昨今、日常化したイベントにおいて、疑問視してきた「UOZEN」井上和洋シェフ。今回は、自身初となるイベントを開催。「UOZENではなく、このイベントだからこそ体験できる時間を創り上げたい」。

富井貴志×八海醸造×UOZENイベントをやる意義とは何か。

「イベントはやらなかった」。これは、新潟県三条市のレストラン「UOZEN」井上和洋シェフの言葉です。

もう少し補足すると、イベントをやる意義を感じるものが少ないため、「イベントはやらなかった」のです。

語弊を恐れずにいえば、井上シェフは、少し厄介な人物かもしれません。

狩猟から漁師、さらにはそれらを捌くことまで行うため、料理と向き合う時間が圧倒的に長く、シェフ・井上と個・井上の境目がありません。ここでいう料理とは、命とも置き換えられるでしょう。

ゆえに、井上シェフが創造する皿の中には、全てにおいて理由があるのです。

一般的には、調理法や季節、材と材の組み合わせなど、料理を美味しくするための理由はありますが、井上シェフの料理には、食材になる前、生物として生きていた命を知るため、陸海空という自然環境も含めたロジック、ビオトープ的思想の理由も構築されているのです。

この命とは、鮮度を保つために延命したものではなく、本来の生きる命を指します。

井上シェフにとっては、キッチンの中はあくまでも料理の後半戦。キッチンの外で行われる狩猟や漁師という前半戦から料理は始まっているのです。

「東京から新潟でお店を開業すると決めた時から、ひと皿一皿の本質を追求したいと思っていました。食材になる前のストーリーを大切にし、誰もが知るような美味しい食材でなく、美味しいのに流通されていない食材を自分のフィルターを通して伝えていくことが地方でやっていく意義だと考えています」。

イベントは、基本的に主催者やプロデューサー、ディレクターなど、実行するために取り仕切る個人や団体、機関などによって運営されます。

井上シェフのようなこだわりを持つ人物と結実すれば、濃厚な体験を生み出すことができる一方、運命共同体になることは容易ではなく、覚悟が必要です。こだわりが強いことは、時に人を遠ざけてしまうため、前出、「少し厄介な人物かもしれません」とは、こういった件からの見解です。

2024年7月。そんな井上シェフが、初のイベントを開催しました。

「イベントはやらなかった」孤高のシェフにどんな変化があったのでしょうか。

その理由を探ります。

当然、キッチンも「UOZEN」とは異なるため、勝手が悪い。しかし、「その都合の悪さや不便もイベントの醍醐味。やり辛いからやり甲斐が生まれる」と井上シェフ。

「UOZEN」の料理は出さない。そう決めていた。

井上シェフの初となるイベント開催の舞台は、新潟県の銘酒として名高い「八海山」を醸す、南魚沼市「八海醸造」。

一見、井上シェフと「八海山」は、対極の位置にいるようにも思えますが、このイベントにはもうひとりの主役が存在しています。その人物が井上シェフの殻を破るきっかけを与えたのです。新潟県長岡市で創作活動を行う、木工作家・富井貴志氏です。「UOZEN」でも富井氏の作品は起用されており、井上シェフとは旧知の仲。

富井氏は、元々、物理学者を志していましたが、海外留学時に木の魅力に取り憑かれ、木工作家の道へ。留学時に受け入れてくれた物理学者のホストファミリーの家は、立派な木で建てられており、冬は薪ストーブを囲み、森の中で日常を楽しむ毎日。自然と密接な暮らしは、富井氏に働くことではなく、生きることの豊かさを見出したのかもしれません。

そんな富井氏の生き方は、井上シェフの生き方とも、どこか通じる部分も感じます。

話を井上シェフに戻したいと思います。今回、井上シェフは、自ら「3つの制約を課した」と話します。

まずひとつは、「UOZEN」の精神性はそのままに、「UOZEN」の料理は出さないこと。ふたつ目は、富井氏の作品に合わせた料理のため、漆の器を傷つけないよう、シルバーを使わない料理に仕上げること。三つ目は、新しい挑戦をすること。

考え抜かれた料理は、「新潟彩々」、「狩漁」、「赤山鳥」、「共鳴」、「渓谷から俾睨」、「滋養」、「清流和協」、「豊壌」の8品。特に注目したいのは、「狩漁」と「共鳴」です。

「狩猟」ではなく、「狩漁」は、まさに「UOZEN」の精神性が宿る料理。井上シェフが佐渡沖で釣ったクロマグロとパプリカで巻いた中身には、鹿肉を昆布締めにしたタルタルを忍ばせ、旨味のある夏キノコ・タマゴダケを薄切りにし、お米のパフと和えたものを添えます。

そして、もうひとつ。クロマグロの骨に刺した先にはマグロの胃袋。漁師が釣って直ぐ捨てる内蔵は、実は調理次第で美味の部位に。香草バターと共に火入れしたそれは、前述、「美味しいのに流通されていない食材を自分のフィルターを通して伝えていくことが地方でやっていく意義」の好例です。

山の命から成る「狩」と海の命から成る「漁」の料理は、まず、ゲストが「UOZEN」をインプットする意味でも2品目に置いたのは、絶妙な構成。

そして、「共鳴」。山の王者・ツキノワグマと川の王者・スッポンのお椀には、食感のアクセントとして、ハナビラダケを加え、スッポンの出汁とコンソメで炊いた熊の旨味がひとつにまとめ上げます。

その名の通り、山と川が見事に共鳴する料理は、味もさることながら、注視すべきはスッポン。 養殖だからです。狩る、獲る、釣るところから始まるシェフの料理にとって、養殖を扱うことは極めて稀であり、新しい挑戦とも言うべきか、はたまたポリシーの変化か。しかし、なぜ?

「新潟でスッポンを育てている人がいることは随分前から知っていました。自分は、高級食材や人が作り上げたものに魅力を感じないため、それらの視点から養殖にも興味がありませんでした。ですが、近年の食材高騰によって、多くの養殖業が廃業するのを目の当たりにし、関心がないままにして良いのかと思うようになりました。このスッポンは、若い世代の方々が育てており、彼らはある意味、まだ未完成。そこにおもしろさと魅力を感じたのかもしれません。人の手が加わって完成されたものはつまらない。今回は、応援も兼ねて起用してみることにしたのです」。

養殖は、均一性が取れ、ある一定量の生産と品質を可能にします。一方、手仕事は、すべてが一点物。これは、富井氏の作品も同様です。だから、富井氏と井上シェフと共鳴するのです。しかし、養殖の○○ではなく、○○が育てた○○という、深い信頼関係を交わすことができれば、今後、井上シェフの心境を変化させる可能性はゼロではないのかもしれません。天然と養殖、どちらが正解でどちらが不正解はありません。温暖化や自然環境の変化を加味すると、一次産業において、ひとつの解を紡ぎだすことは難を極めます。

人間は、自然界における特殊な生物であり、食物連鎖の長ともいえるかもしれません。井上シェフは、それを知っているからこそ、人間がほかの生物の命とどう介在するべきなのかを熟考し続けながら、料理と向き合い、生きているのかもしれません。

ゲストのテーブルに置かれた今回のメニュー。料理に与えられた品名を見るだけで、創造力が掻き立てられる。お箸、スプーンを始め、このあとに供される器(グラスは除く)は、全てが富井貴志氏の作品。

「新潟彩々」は4品で構成。その1つは、魚沼湾の天然の鮎を丸ごとパテにし、キュウリで巻き、その上には干した鮎を。アクセントには、ねずの実のスパイスを添える。奥は、「瓶内二次発酵酒 白麹あわ 八海山」。

上記に次ぐ、「新潟彩々」の2品目。左、お米のチップの上には新潟県産の鴨を味噌漬けにし、生ハムのように仕上げ、「八海山」の酒粕で漬けたナスの粕漬けを包む。鮮やかな緑は、ウドの新芽。3品目、右は、新潟県産の南蛮エビと旬の桃を合わせ、涼しげな味わいに。料理の下に引いたお米の演出には、「八海醸造」への敬意を感じる。器の彫り込まれた幾何学的デザインは、物理学者を目指していた富井氏が顕微鏡で見た原子の配列がイメージソースであり、WE ARE ATOMSと名付けられたシリーズ。

「新潟彩々」の最後、4品目は、ジビエドッグ。黒ニンニクのソースを忍ばせ、枝を持っていただく野生的な料理。

「狩漁」。左、「UOZEN」でも起用する器には、クロマグロの骨に刺したマグロの胃袋。漁師が釣って直ぐ捨てる内蔵は、実は調理次第で美味の部位に。香草バターと共に火入れし、仕上げる。右、鹿肉を昆布締めにしたタルタルを井上シェフが佐渡沖で釣ったクロマグロとパプリカで包み、夏キノコ・タマゴダケを薄切りにし、お米のパフと和えたものを添える。

上記、「狩漁」に添えた夏キノコ・タマゴダケ。ナッツなど、コクのある味わいが料理を引き立て、生食できるのが特徴。

「赤山鳥」。鳥とあるが夏キノコの代表・アカヤマドリの料理。天然のそれをタルトにし、口溶けの良いツキノワグマのラルドを添える。左はコクと旨味が凝縮されたアカヤマドリのポタージュ。

上記、「赤山鳥」のアカヤマドリ。キノコの傘がヤマドリというジビエの羽に似ていることがその名の由来とされている。

「共鳴」。山の王者・ツキノワグマと川の王者・スッポンのお椀。食感のアクセントとして、ハナビラダケを加え、スッポンの出汁とコンソメで炊いた熊の旨味がひとつにまとめ上げる。合わせるお酒は、「八海山 自家用大吟醸」。このお酒には、「八海醸造」の並々ならぬ想いが込められている(後半参照)。

上記、「共鳴」のツキノワグマとスッポンを丁寧に炊き合わせる。スッポンは養殖であり、井上シェフが養殖を起用するのは極めて希。

上記、「共鳴」に合わせた天然のキノコ、ハナビラダケ。レースのような形とシャキシャキした食感が特徴。

「渓谷から俾睨」。天然のイワナ、クレソン、葉わさびのピクルス、鉄火味噌、エゴマなどを、魚沼のそば粉のクレープで巻いていただくガレット。イワナの卵を添えた山椒の風味のソースとともに。

「滋養」。古きより、栄養補給として重宝されてきたジビエ。今回は、イノシシのヒレをホワイヨ仕立てに。コンテチーズやナッツ、パン粉と焼き上げ、中央のマデラソースと上下のニラのソースでいただく品。曲線を活かしたハナニラは、自然の美しさを愛する井上シェフらしい演出。

上記、「滋養」の中央に配したハナニラは、蕾も茎も丸ごといただける食材。ただのニラではなく、蕾を備えたニラは、より自然美を感じる。このような生命を知るがゆえ、「人の手が加わって完成されたものはつまらない」という感覚が井上シェフに芽生えてしまうのは止む無い。もう少し噛み砕くと、つまらないのではなく、自然の力に人の力は敵わないという見解。

「清流和協」。新潟の清流といえば、魚沼湾。そこで捕れた鮎を半日コンソメで煮込み、その下には八海山の麓で営む「八海山 宮野屋」の蕎麦。熊のコンソメなどの出汁を活かしたスープとともに。奥は、「純米大吟醸 八海山 雪室熟成八年」とそれをソーダで割り、シソとキュウリで合わせたカクテル。

八海山の登山口に開業して100余年。四代に渡り、山に仕え、蕎麦を打つ「八海山 宮野屋」。今回は、このイベントのために、特別に仕込んでいただく。井上シェフとの絆の深さを感じるまさに和協の品。

「豊壌」は、2品で構成。まず1品目。新潟県のコシヒカリをガンジー牛乳で炊いたリオレにマスカルポーネチーズとルバーブのコンフィチュール、そしてレモン風味のメレンゲと合わせる。越後姫の夏イチゴのソースとともに。

蓋を開けた瞬間、旬のラベンダーの香りが一気に広がるもうひとつの「豊穣」。ブルーベリーと「八海山」の酒粕を使った羊羹。その隣にはチーズケーキを。

今回、供された「八海醸造」のお酒は、計9品。前述3品のほか、「Oharoジン スタンダード」、「利酒 No.591 春紫苑」、「八海山 ライスグレーンウィスキー」、「ライディーンビール ピルスナー」、「特別本醸造 八海山」、「瓶内二次発酵あわ 八海山」が井上シェフの料理とペアリングされた。

主要メンバーとともに、振り返る。

今回のイベントは、ただ食べるだけではありませんでした。舞台となる「八海醸造」を学ぶところから始まります。

「食べる前に知識を得ることによって、美味しい理由を感じて欲しかった」と井上シェフ。

実は、かく言う自身もまた、今回のイベントで学びを得たひとり。様々ある中、ふたつをフォーカスしたいと思います。

ひとつは、種類の多さ。多彩に仕込んだ日本酒のバリーエションだけでなく、焼酎、ジン、ビール、ウィスキー、本みりんなども醸造。「こんなに色々なお酒を醸造しているとは知りませんでした」と話し、「UOZEN」のマダム・真理子さんにおいても、「日本酒だけのペアリングであれば、緩急をつけ辛いと思っていましたが、この幅の広さによって、良いペアリングができました。きっと、八海山の新しい一面をお客さまも知ることができたのではないでしょうか」と続けます。

そのほか、運営する「魚沼の里」には、レストランやバー、菓子処やベーカリー、ショップなど、様々な店舗が並び、その敷地面積は、約7万坪。この驚愕の施設の存在を知る人も少ない。今回、ゲストは、敷地内の店舗「okatte」にて、会期中だった富井氏の展覧会を本人のアテンドとともに回遊。作家の想いを聞いた後にいただく料理は、器においても感慨深くなったに違いないでしょう。

そして、もうひとつは、「八海山 自家用大吟醸」の存在。その名の通り、一般には出回らない日本酒です。

「このお酒は、基本的には八海醸造で働く我々が元日にいただくお酒になります。おそらく、八海山のイメージは、一般酒、大衆酒だと思います。ここに一番ニーズがあり、私たちも安心安全を持って、その期待に応えなければいけないと思っております。これは、そういった消費者向けではなく、八海醸造として、さらなる高みを極めるために造っているもの。一番身近な家族や親族が集まる元日にこのお酒を振る舞うことで、日々の感謝を捧げ、同時に、造り手としてのプライドを再確認するために醸したお酒なのです」。

そう話すのは、杜氏・村山雅俊氏。「八海醸造」を学ぶために蔵を見学した際、解説してくれた一節です。

「私たちも蔵を巡り、村山杜氏の話を伺い、気持ちが入った」と、井上シェフ、真理子さん、富井氏は口を揃えます。

“一見、井上シェフと「八海山」は、対極の位置にいるようにも思えます”という見解が覆されたのは、このようなお酒が存在していることや酒造りと向き合う熱量に触れたからこそ、その距離が一気に縮まったのです。つまり、向き合うべきは、「八海山」ではなく、「八海醸造」だったのです。

「八海山 自家用大吟醸が一般の方々に振る舞われたのは今回が初。加えて、会場となった○○○○(建物の名前を要確認)を一般の方々に開放したのも今回が初。新しい挑戦でした。僕らは、造っているものを変えることはできない。今回は、井上シェフが自分たちのお酒に寄り添っていただけ、新たな可能性を見出していただいたイベントになったと思っています」と、「八海醸造」の取締役 副社長の南雲真仁氏。

大切なことは、まず相手やその対象を知り、学ぶこと。これは、本件に限らず、職種や年齢、キャリアに関係なく、全てにおいて共通することではないでしょうか。だからこそ、発見が生まれ、想像できなかった新たな道が開けるのかもしれません。

ゲストは食事をする前に蔵を見学。「八海醸造」がこだわる酒造りだけでなく、企業理念なども学び、舌だけでは感じることのできない知識を得るところから、今回のイベントはスタート。

蔵の見学をアテンドしてくれたのは、杜氏・村山雅俊氏。酒造りの工程や解説だけでなく、利き酒なども交え、体験型の蔵見学を実施。

「八海山 自家用大吟醸は、評価されるために醸しているお酒ではなく、八海醸造の存在意義を表現するために醸しているお酒。ゆえに、販売しているお酒ではありません。今回は、初めてそれを八海醸造以外の方々に振る舞う機会となりました」と南雲真仁氏。

広大な敷地面積を有する「魚沼の里」。レストランやバー、菓子処やベーカリー、ショップなど、様々な店舗が並ぶ。

「魚沼の里」の敷地内、「okatte」にて開催されていた富井貴志展。定番のリム皿、新作のボウル、パスタ皿などを展示。ゲストは富井氏とともに回遊し、作家の想いも得る。

「八海醸造」南雲氏(左上)、木工作家・富井氏(右上)、「UOZEN」井上シェフ(右下)、真理子さん(左下)を中心に、多くのスタッフ、関係者から構成された今回のイベント。決して構築されたものではなく、人間味溢れる時間を創造した。井上シェフの言葉を借りるならば、「完成されたものはつまらない。未完成だからおもしろい」イベントとなった。

2022年に100周年を迎えた「八海醸造」は、大正11年、南魚沼に創業。蔵人が「裏座敷」と呼ぶここは、迎賓館のような存在。一般の方々がこの空間に足を踏み入れるのは今回のイベントが初。

1mmでも向上するために。僕は好きを追求する。

初のイベントを終え、多くの経験を得た井上シェフ。元の姿でもある「UOZEN」のシェフへと還る前、これまでの自分を少し振り返る機会となりました。

「改めて思ったのは、自分みたいなシェフのスタイルは、他の人には勧められない。狩猟や漁は、やらなくてもレストランは成立します。シェフは料理に集中すべきだと考えることもあります。むしろ、自分のやっていることは自己満足なのかもしれません」。

ではなぜ、それでもやるのか。それは、「好きだから」です。少し角度は異なりますが、例えばワイン。「UOZEN」では、仕入れたワインをそのまま出すことは行いません。数年寝かすなどして、自分たちで飲み頃を見極めます。つまり、目の前に供されるものには、必ず「UOZEN」の意志が込められているのです。

「わかる人にはわかるかもしれませんが、ほとんどの人がわからない違いだと思います。それでも自分たちがレストランを営む意義を見出したい。1mmでも向上するために」。

井上シェフにとって、好きなことを追求することは、努力を凌駕するほどのエネルギーがあるのかもしれません。

「これが僕のライフスタイルですから」。

あえて聞きました。「もう一度、イベントはやりたいですか?」との問いには、「即答できません」と即答。

「ですが、もう少し時間が経ったら、ゆっくり振り返りたいと思います」。

その解を確かめるために、「UOZEN」の再訪を誓う。


Photographs:KENTA YOSHIZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI