美食の教養。それは、変人が生きた証。

現在の浜田岳文氏(左)と食へ興味を持ち始めたばかりの35年前の浜田氏(右)。この先、世界一の美食家となることを知る由もない純粋無垢な一枚は、フーディーとして生きる選択をした人生の分岐点でもあったに違いない。

美食の教養人生を豊かにする知的体験とは何か。

“文化的に食べる。「うまい」だけではない「美味しい」を追求する。これが本書の美食の再定義です”。

本書とは、「美食の教養」のことを指しています。著者は、世界一の美食家として名高い、浜田岳文氏。

美食の思考法や美食入門、世界の料理総まとめ、一流料理人の仕事など、本書は、第1章から第6章で構成されており、多角的な視点から美食を読み解いています。冒頭の一節は、プロローグでもある「はじめに」より抜粋した言葉であり、本書の特性を端的に言い当てています。

総ページ数は、驚異の391ページ。2冊にしてもおかしくない膨大な情報量は、果てしなく奥深い美食の沼。ゆえに、この場において全てを伝えることは難しく、「ONESTORY」が大切にしている「日本に眠る愉しみをもっと」の視点から、浜田氏に話を伺います。

まず、注目したいのは、第5章にも綴られている“「京味」が教えてくれた価値観”。

“僕が日本で最も長く通ったひとつに、京料理の名店「京味」があります。6年以上、月1回のペースで通っていました。僕の日本料理の原体験になっているのが「京味」なのですが、その魅力は、西健一郎さんという料理人にありました”(P.300より)

2019年に逝去した「京味」の主人・西健一郎氏。浜田氏が最も美食の教養を学んだひとりであることは間違いない。(浜田氏撮影)

高級食材以外にあった「京味」の素晴らしさ。

「京味は、京料理ですが、いわゆるファインダイニングではないと思っています。西さんのルーツでもある京丹後の郷土料理が軸足にあるものの、伝統的なものではなく、かしこまったものでもない。京都の料亭の流れを組む華やかな料理というよりは、家庭料理が根っこにある。語弊を恐れずにいえば、最高峰のうまいもの屋さん」。

「京味」に足を運んだ人ならばわかるかもしれませんが、春は山菜や舞鶴の鳥貝、秋は丹波の松茸、冬は津居山の蟹など、旬が供される時季に訪問を切望する人も多いでしょう。もちろん、それは「京味」の魅力です。しかし、浜田氏は、そんな高級食材以外に「京味」の素晴らしさがあったと振り返ります。

「1月の白味噌の雑煮、冬の海老芋、通年ある鮭ハラスごはん。強い食材がない月ほど、西さんの本領が発揮されていました。お父さまの音松さんから受け継いだ昔のレシピを再現してくれたり、炒飯や親子丼を作ってくれたこともありました。親子丼の時は、鶏肉がないので、近所の焼き鳥屋さんから買ってきて即興で作っていただいたり。中でも、名物、芋茎の吉野煮は、絶品でした。西さんは、本当に人を喜ばせたい人でした」。

でした。と言うのは、西さんは2019年に他界。ジビエを使わなかった西氏に何度も浜田氏がお願いし、念願叶って冬場に食べた鴨が最後のご馳走となりました。

西氏の話は尽きません。

「本書には書いていないのですが、思い出に残る西さんのエピソードがあります。以前、自分が某食サイトのアドバイザーを務めていた時、そのアワードで西さんがシェフズチョイスに選ばれたんです。西さんは、メディアに出ない方だったので、ご報告だけさせていただこうとお店に伺ったのですが、受賞式に出てくれることになって。登壇の際、若い料理人に向けて、熱いメッセージを送っていただき、皆が感動したのは今でも記憶に新しいです」。

そのメッセージとは、「京味」でも大切にしている「素材の声を聞く」、「変わったものと美味しいものは違う」、「レシピとして完成させるために時間がかかる」という内容でした。

「今思うと、西さんは、きっと伝えたかったのかなと思います。ただ、そのきっかけがなかっただけのかなと」。

その答えを聞くことも、西氏の料理を食べることも、今はもう叶いません。しかし、そんな記憶を大切に想い、今回のように語り継ぐこともまた、「美食の教養」のひとつ。食べるだけが美食から得る教養ではないのです。

“一緒に年を重ねて、一生付き合える料理人と出会えると、人生はより豊かになるのではないかと思います”(P.302より)

「生前、西さんは、“いつも、もう一度来てもらいたいと思って料理をしている”とおっしゃっていました。自分は、食事をしている時に西さんからたくさんのお話を伺ってきましたが、もっと他の料理人にも知ってほしいと常々思っていました。実際、登壇した西さんの声を聞いた料理人に感想を伺ったら、すごく喜んでいました」。

料理人は、自身のお店でほとんどの時間を過ごし、外に出ても仕入先がほとんど。基本的に情報をインプットする時間がなかなかないのが実情です。情報という視点では、本書にも興味深い内容があります。

同じく第5章。“作り手と食べ手の情報格差を埋める”です。

浜田氏曰く、「京味」は「最高峰のうまいもの屋さん」。華やかな八寸などはないが、一品一品が滋味深い。(浜田氏撮影)

作り手と食べ手の間にある、情報の非対称性。

「料理人がメニューを開発する際、相当な時間と労力をかけています。加えて、その料理に込めた想いやストーリーもあるでしょう。しかし、それがどれだけ食べ手に伝わっているか? おそらく、多くの人がほぼ理解できていないと思います」。

料理を生み出す作り手が費やしてきた長い時間に対し、食べ手は一瞬で食す。じっくりと味わい、能動的に意図を探ろうとしても、口内に残る時間も限られているため、多くの答え合わせをするのは至難の技でしょう。ましてや、誰かと食事ともなれば、会話しながらになるため、味だけに集中することも難しい。

“だから、食べ手としては、常に謙虚でいたいと思っています。料理人が込めた意図の一部しか理解できていないかもしれないことを、心に留めておくべきだと思うのです”(P.304より)

「音楽に例えれば、わかりやすいと思います。例えば、あるアーティストが新曲を出した場合、一回聞いて理解できるかというと、きっと無理でしょう。何度も聞かないとその曲の意味は理解できないと思います。食も本来はそう。ただ、音楽と食の違いは、録音できる音楽は何度も聞けますが、その場限りの食はそうはいきません。それだけ料理人は難しいことをやっている。そして、それを料理人は理解すべきだとも思うのです」。

“食べ手は1割も理解できていない、という前提のもと作られた料理と、9割わかっているはずだと思っている料理とは、全く別物になります。優れた料理人は、作り手と食べ手の情報の非対称性を踏まえたうえで、お客さんに伝わる料理を作っている。そんな印象を僕は持っています”(P.305より)

格差を埋める手法のひとつは、説明です。説明をしてくれる料理人やサービスの声に耳を傾け、料理を味わう。これはひと皿が生まれるまでに関わった料理人、生産者、食材、そして命への礼儀。星付き、トック、ランキング、はたまた、予約の取れない名店……。レストランに行くことがゴールではありません。大切なことは、その先にあるのです。

例えば、フランスでは、ノーベル賞を受賞する作家や芸術家とシェフが同じようなクラスとして扱われています。それに比べると日本はまだまだ発展途上。食が文化として進化するのは、優れた料理人だけでは構築することはできません。優れた食べ手も必要なのです。

下記、地方の中でも浜田氏が特異な目で見ている軽井沢のイタリアン「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ」。“シェフは加工業である”と語った、シェフ・小林幸司氏の言葉は、浜田氏の胸に深く刻まれた。(浜田氏撮影)

強烈な個性。ひとりの熱狂が地域を変える。

昨今、都心だけでなく、地方にも才能が分散している現象が起こっています。いくつかその事例を紐解いてみたいと思います。まずひとつは、強烈な個性。軽井沢のイタリアン「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ」のシェフ・小林幸司氏です。

「地方のレストランは、地産地消に取り組んでいるのが常だと思います。もちろん、これは食べ手としても楽しみのひとつ。しかし、小林シェフのお店は、地元食材へのこだわりは一切ありません。主にイタリアの食材を使用しています。原則として、自分は、その土地の背景を感じる料理を好みますが、小林シェフは例外。イタリアのものはイタリアで食べた方が鮮度も良いはずですが、そのハンディキャップを軽々乗り越えるアイディアと優れた技術を備えています。ぜひ、イタリアンの料理人にも食べていただきたいです」。

“シェフは加工業である”(P.307より)とは、小林氏の言葉。それを雄弁と料理で語り、一刀両断するのが、「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ」なのです。

また、点から面に派生するケースも。富山や静岡がその好例です。

「富山といえば、やはりレヴォ。谷口英司シェフは、大阪出身。つまりは、余所者です。しかし、余所者だからこそ、地元人では気づかないような視点で、その土地の魅力を引き出せるのかもしれません。そうでなければ、利賀村内の廃村だった集落跡に拠点を構えなかったのではないでしょうか。周辺の山々を熟知したからこそ堪能できる料理はジビエです。熊や狸、猪、蛙まで、これほどまでに多彩な天然のジビエをいただけるのは世界中でも稀有。また、点から面に広がり、料理人同士が交流し、チーム富山と呼ばれるくらいに団結して切磋琢磨している。地域全体として活性化させていることもまた、稀有な県だと思います」。

そして、静岡。ここでの点は、料理人ではありません。本書でもシェフ以外の人物に多く触れているのは、この人物だけ。「サスエ前田魚店」の前田尚毅氏です。

「料理人ではありませんが、(第5章)一流の仕事という意味でぜひご紹介したかったのが前田さんです」。

主に扱う魚は焼津周辺の駿河湾で取れる金目鯛、太刀魚、甘鯛、鯵、鯖などの魚介。高い技術の仕立ては、全国の名店からの信頼も厚く、前田氏の魚を起用した料理は、一線を画すといっても過言ではありません。

“僕が衝撃を受けたのが、鯵。地元焼津の人気割烹「温石」で食べたのですが、前田さんの鯵は、全く青魚特有の臭いがないのです。多分、目を瞑って口に入れたら、青魚とわからないかもしれない。それくらい澄んだ香りと味わいなのです。前田さんの鯵を食べて初めて、青魚の臭いは、劣化しているから出るものだとわかりました”(P.312より)と、本書でも浜田氏の実体験を語っています。

しかし、この文脈には続きがあり、前田氏の扱う魚介が素晴らしいもうひとつの理由が記されているのです。それは、漁師の八木真氏という人物の存在です。

「通常、定置網に入った魚は網ごと引き上げられ、市場に流される時点で死んでしまっています。前田さんは、定置網を海面まで引き上げた時、港まで魚を生かすために、タモですくってほしいと八木さんに依頼したそうです。もちろん、すんなり首を縦に振ってはくれなかったようですが、前田さんは八木さんが取った魚を扱うお店に八木さんを連れ、通常の魚と生きたまま港に届いた魚と食べ比べてもらい、説得したのです。八木さんもその体験から違いがわかり、やる価値があると考えてくれたそうです。前田さんの望むような取り方をしてくれたのは、ここ1年くらいだと伺っています。ようやく歯車が回り始めたようです」。

今回、注視するところは、料理人に頼まれて前田氏が八木氏を説得したわけではないということです。より良い魚を追求し、仕立て、それを料理人に広めたいという、自らの意志によって八木氏を説得したのです。また、これほどまでこだわりと味の違いがわかるのは「前田さん自身が、多くのレストランに足を運んでいるから」と浜田氏は分析します。

現在は、前田氏の仕事に惚れ込み、広島から「サスエ前田魚店」の側に店を構えた「馳走 西健一」や前出「温石」など、同町の輪が広がり始めています。

漁師、仲卸、料理人が一流の仕事を行い、機能している焼津もまた、富山同様、稀有な地域なのです。

そのほか、「自由人」の岩佐十良氏が発足した「新潟ガストロノミーアワード」も然り、ある特定の人物やレストランから沸き起こる、狂気にも似た熱狂が周囲を巻き込み、シーンを変えているのです。

「一流レストランと料理人に共通すること」で綴られている、浜田氏も感銘を受けた“三代で完結させるつもりだった”(P.298より)栃木の「オトワレストラン」や「僕が尊敬するシェフたち」に名を連ねる、金沢の割烹「片折」もまた、わざわざ訪れる価値のある名店。初めて訪れた際、遠慮して感想を述べなかった浜田氏に対し、粘り強く意見を求めた片折卓矢氏との掛け合いもつぶさに綴られています。

何れにしても、これらのエピソードは、料理だけに目を向けていたら知り得ない出来事。前述、「説明をしてくれる料理人やサービスの声に耳を傾け、料理を味わう」だけでなく、自ら興味や関心を持って「聞く力」、「探る力」を身につけることもまた、食べ手が得るべき教養のひとつなのかもしれません。

宿泊機能も備え、地方のレストランの理想ともいうべき「レヴォ」。「レヴォに訪れたら、チーム富山のひまわり食堂や御料理ふじ居なども巡ると旅も充実すると思います」と浜田氏。(浜田氏撮影)

「一代目で“三代で完結させるつもりだった”という考えを持つことがすごい」と浜田氏が唸った栃木の「オトワレストラン」。家族で営むからこそ、次世代に継ぐビジョンが明確であり、レストランとしても生き様を感じる。(浜田氏撮影)

金沢の名店「片折」。上記、片折卓矢氏とのエピソードは、信頼関係と緊張関係が絶妙なバランスで結実しているからこそ。美食の教養を学んだ先には、食べるだけではない奥深さがある。(浜田氏撮影)

本書は、35年の歳月を食に捧げて生きた証。

浜田氏が食と向き合うようになってから、約35年。食に捧げて生きた証が本書には様々綴られているのですが、驚くべきは、その記憶力。本人は「覚えている範囲で」と穏やかに微笑むも、詳細なディテールまで語り尽くせるのは、フーディーとして生きる覚悟も然り、「愛」ではないでしょうか。そんな浜田氏が地方に注目していることがあります。それは、第6章の「美食の未来予想図」でも触れている「郷土料理」です。

「地方において食に求めることは、まずはその土地ならではの旬の食材。もうひとつは、その土地でしか消費されない食材。前田さんの豆鯵などは、その好例です。そしてもうひとつ加えたいと考えているのが、郷土料理です。日本の郷土料理は廃れてしまう傾向にあると思っています。その理由のひとつは、美味しくないからではないでしょうか。昔は食べるものがなく、生きていくために生まれた郷土料理もあり、ゆえに、結果として地域性が色濃く出ているものもあります。それを料理人の技術を活かし、現代に再構築することに意義があるのではと考えています」。

これは、本書の推薦文を寄稿した「ノーマ」のレネ・レゼピ氏が“デンマークで廃れつつあった発酵と採取の伝統を再発見したのと同じ構図です”(P.370より)

「郷土料理は、郷土史家や料理研究家の方々が主に研究をされており、日頃、キッチンにこもりがちな実践型のシェフとは距離が遠く、交流がありません。研究と実践、その橋渡しができれば、より地域性を演出でき、わざわざ足を運ぶ価値も出るのではと思っています」。

浜田氏の口から郷土料理と聞くと、冒頭、「京味」で得た体験も作用したのかもと考え過ぎてしまいます。

“美食は、文化をまるごと食べること。いわば、食の文化人類学”(P.7より)

今年50歳を迎えた浜田氏もまた、著者でありながら、未だ美食の教養を学ぶ道の途中。

“なぜなら、10年前の僕は、今の僕から見たら何もわかっていなかった。ということは、10年後の僕は、今の僕を見て何もわかっていなかった、と振り返ることになるのが目に見えているからです”(P.386より)

今回、本書の表紙にもある、「人生をより豊かにする知的体験」に少しでも触れることができたのでしょうか。いや、そう易々と享受できるほど、甘くないでしょう。自らを“変人”(P.384より)と例える世界一の美食家が、35年の歳月をかけてたどり着いたわけですから。

「ONESTORY」では、日本に特化した視点で「美食の教養」を紐解いてみましたが、本書には、世界のレストランのことや食材のこと、サスティナブルな視点、そして、SNSのことや口コミサイトのこと、お店の空間からライティング、BGM、更には、礼儀、オーダー、常連とはなど、世界一の美食家が知っている多くのことが赤裸々に綴られています。

まだまだ言い足りませんが、プロローグ「おわりに」に綴られている「胃袋は有限」のごとく、この記事もまた有限。残念ながら、伝えられることには限りがあります。

そして、ここでは本書の魅力の1割も伝えきれていないことを正直にお伝えしておきます。

最後に。「美食の教養」について、唯一、わかった答えがあります。それは「学びは一生」ということです。

「僕らが口にするものには、多くの意味が隠れている(一部抜粋)」とは、世界No.1シェフと称されるコペンハーゲンの「ノーマ」率いるレネ・レゼピ氏(中央)が「美食の教養」に寄稿した言葉。この意味を読み解けるか否かは食べ手次第。「美食の教養」とは、「食べ手の教養」とも言い換えられるのだ。左は「ノーマ」で唯一の日本人シェフ・高橋惇一氏。(浜田氏撮影)

「美食の教養」は、ダイヤモンド社より発刊。全国の書店やオンラインにて絶賛発売中。

1974年兵庫県宝塚市生まれ。米国・イェール大学卒業(政治学専攻)。大学在学中、学生寮の不味い食事から逃れるため、ニューヨークを中心に食べ歩きを開始。卒業後、本格的に美食を追求するためフランス・パリに留学。外資系投資銀行と投資ファンドにてM&A・資金調達業務とプライベート・エクイティ投資に約10年間携わった後、約2年間の世界一周の旅へ。帰国後、資産管理会社(ファミリー・オフィス)社長を経て株式会社アクセス・オール・エリアを設立、代表取締役に就任。南極から北朝鮮まで、世界約127カ国・地域を踏破。一年の5ヶ月を海外、3ヶ月を東京、4ヶ月を地方で食べ歩く。2017年度「世界のベストレストラン50」全50軒を踏破。「OAD Top Restaurants(OAD世界のトップレストラン)」のレビュアーランキングでは2018年度から6年連続第1位にランクイン。国内のみならず、世界の様々なジャンルのトップシェフと交流を持ち、インターネットや雑誌など国内外のメディアで食や旅に関する情報を発信中。グルメサイト「食べログ」ではグルメ著名人、グルメキュレーションサービス「テリヤキ」ではキュレーターとして、世界の美味しい店を紹介している。株式会社アクセス・オール・エリアの代表としては、エンタテインメントや食の領域で数社のアドバイザーを務めつつ、食関連スタートアップへの出資も行っている。https://takefumihamada.com


Text:YUICHI KURAMOCHI