2024年12月28日より雪晒し始めました! 妙高名物、降り頻る雪の中で唯一無二のデニムの風合いを追求した自然環境を生かして ご提供させて頂きます。 手間を惜しまずに仕上げています。
見学・体験・メディア関係各位様、
お問い合わせページよりご連絡下さい。https://maruni-jeans.com/contact/
よろしくお願いします。



永遠の藍染。
2024年12月28日より雪晒し始めました! 妙高名物、降り頻る雪の中で唯一無二のデニムの風合いを追求した自然環境を生かして ご提供させて頂きます。 手間を惜しまずに仕上げています。
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2024年12月28日より雪晒し始めました!降り頻る雪の中で唯一無二のデニムの風合いを追求した自然環境を生かしてご提供させて頂きます。手間を惜しまずに手仕上げです。
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「良い道具、良いお点前……、良い茶会とは何か……。近年になればなるほど、価値観は固定され、語弊を恐れずに言えば、現代のお茶の世界に限界を感じていました」。
そう話すのは、「栗林大茶会」にて、茶の湯監修を務めた茶人・武井宗道氏です。
「栗林大茶会の大きな特徴は、ふたつあると思います。まずひとつは、特別名勝・栗林公園(以下、栗林公園)という壮大な舞台で行われるということ。もうひとつは、異業種で構成されているということ」。
今回、掲げたテーマは、守破離。参画した監修者は、武井氏のほか、和菓子監修には「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏、飲料監修にはバーテンダーの南雲主于三氏、空間設計監修には、建築家の永山祐子氏を迎えます。一見、接点がないように見えますが、全員に共通していることは「一流」であるということ。多彩な感性の共鳴は、むしろ同業で構成されるチーム以上の成果を発揮することは言うまでもありません。
「今までにない茶会ができると思いました。お茶の侘び寂び、精神性と向き合う時、いつも400年前はどうだったんだろうと、必ず振り返ります。当時、茶の湯は最先端であり、そこで様々な情報が交わされていました。つまり、茶会から革新が生まれていたのです」。
小さな空間から生まれたそれらは、大きな時代の波をも凌駕する、カウンターカルチャーと形容するに相応しい情報基地であり、文化の交差点。
「茶の湯は、職人さんが作った道具とそれを使う亭主の関係で成り立ちます。監修者の皆は、それぞれの業種において、作り手であり使い手であったことが好相性だったと思います。良い作り手は、オーダーを超えるものを作りますから。そして、想像を超えるものができた時、想像を超える使い方をするのが茶の湯の文化。栗林大茶会では、それが毎日進化していったと思います」。
「栗林大茶会」の世界は、その名の通り、壮大な茶会となりました。「栗林公園」という約23万坪の敷地面積も然り、永山氏監修のもと点在した空間は、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬が手がけました。松の木を横倒し屋根に見立てた「臥松庵」、巨大な純白の掛け軸が特徴の「露庵」、池に浮かぶ「泳月庵」は、風景の中にまた風景を形成し、特異ですが、自然に馴染む一景を創り上げました。
そこに南雲氏のカクテルや加藤氏の和菓子が加わり、味や香りが体験に奥行きを与えます。
また、前述の監修者以外に武井氏が招集したのが、日本らしいwell-beingをwelll-downと捉え、探求しているアートコレクティブ「Ochill」と芸術として工芸作品を扱う「B-OWND(ビーオウンド)」でした。
武井氏は、三井氏が手がけた「臥松庵」でも亭主を務め、薄茶を供しましたが、その空間とともに稀有な体験を引き立てたのが、「B-OWND」の器でした。強烈に強い主張を放つそれらは、ある種、薄茶と合わせることでバランスが取られ、ゲストも興味津々、興奮状態。
「B-OWNDはギャラリーでも骨董屋でもありません。派手な作品が多いですが、経験に裏打ちされた技術によって創作された器は、全て素晴らしい。お茶の世界では、社会的な地位と名誉だけでは満足できず、現代との比較ではなく、歴史上の人物と比較してしまう傾向にあります。ゆえに、先人たちが持っていたものを手に入れたい欲求が芽生え、道具屋も人を選んでそれを売る。しかし、B-OWNDは、既存で価値化されているものを収集するのではなく、現代における新しい価値を作り、広げようとしています。実際のお客様もお茶の世界にはいない人たちが多いですが、茶道具としても面白い。千利休の時代も、朝鮮から持ってきた何でもないものに価値を付けました。既に誰かが良いと判断したものに目を向けるだけでなく、まだ光が当たっていないものに価値を見出す審美眼が大事だと思っております」。
「いつの時代もイノベーションを起こした人たちは、芸術性も高い」とは、「ファロ」加藤氏の言葉。「栗林大茶会」には、そんなエッセンスとメッセージが多分に込められていました。
また、「日暮亭」にて行われた「Ochill」の体験も驚愕。それは吸うお茶です。
「吸うと言っても、液体を吸うわけではありません。お茶の煙を吸う茶会になります。液体を体に取り入れるわけではないのですが、飲んだ時と同じような満足度は、なんとも言えない不思議な感覚。Ochillは、コンセプチュアルな表現が目立ちますが、地に足ついた物事の捉え方をしており、そのプレゼンテーションも圧巻。彼らの研究は、新しい茶の湯の可能性を見出したと思います」。
お茶はもちろん、カクテル、和菓子、建築、器……。全てに作り手がおり、それまでに費やした長い月日があります。様々が交錯する無限の方程式で組み合わさったかたちが「栗林大茶会」なのです。
「栗林大茶会の構想を練る時、かつて豊臣秀吉と千利休が開いた北野大茶湯を想像しました。茶碗を持って来さえすれば誰でもが参加できた茶会でしたが、そのような自由な楽しみを感じていただければと思いました。当時、抹茶は高級品だったため、手に入らない人は、焦がし(小麦粉を炒ったもの)を用いて茶会を開いていました。そうした背景を見ると、抹茶だけにこだわる必要すらないのかもしれません。いつの時代にも、答えは過去にあるのだと思います」。
改めて、「栗林大茶会」を振り返ると、どんな茶会だったのでしょうか。
「良い茶会は、良い道具を使えば成り立つわけではないと思っております。それよりも、良い使い手にならなければいけません。それは道具と体を一体化させることにあると思います。そうすることによって全てが風景になります。道具や掛け軸、お茶やお菓子などの詳細が記憶に残ってしまうようであれば、それは亭主として一体化できなかったということ。全てを忘れてしまうほど、楽しんでもらえるような茶会こそ、理想的。栗林大茶会も、何となく良い茶会だったと思ってくれたら、この上なく嬉しく思います」。
「今回、茶の湯監修として携わらせていただきましたが、自分の茶会にはしたくありませんでした」。
そこで大切にしたかったことがフレーム作り。
「何が起こるか、わからないのが茶会。ましてや、大所帯から成る栗林大茶会においては、臨機応変に対応できるかどうかも非常に重要なポイントでした。そんな時、フレームが崩れないようにするのが自分の仕事。これは規模の大小に関わらず、自分が大切にしていることです」。
武井氏の言う、フレーム作りとは何か? そこには、歴史を遡り、考察した、深い想いが込められていました。
「昔の茶室は、いわゆる田舎屋。大工さんに全てをお願いしたいけれど、お金がなかったので、フレームまでしか頼めず、農民たちは、自分たちで土壁を作っていました。だから、土壁にはその土地の個性がありました。今回の考え方も同じです。栗林大茶会に関わっていただいた香川の方々が壁を作ってくれたことで、命が吹き込まれたと思っています」。
言わば、フレームは線であり、壁は面。存在の大きな面を地元に委ねることによって、「自分の存在を感じないことが一番」と言葉を続けます。
「以前、千利休の茶の湯を知るべく、多くの茶書を読み調べしたのですが、最も刺激を受けたものが山上宗二記でした。その中に、“茶の湯者は無能であれ”という言葉があります。人間はどこまでいっても無能であり、初心であるにも関わらず、自身を有能だと勘違いし、何かを悟ったなどと思うことは、とても嘆かわしいこと。お茶ができることと、何も知らない人の差など、人生においては無いと言って良いでしょう。むしろ、何も知らないでいることを尊ばねば、その先はないとも思うのです。栗林大茶会に携わっていただいた方々は、分野の違いが互いを引き立て合い、利己主義ではなく利他主義の世界を無意識に作り上げていました。それが心地良かったです。お茶は流儀ではなく、心」。
「栗林大茶会」の次なる目標は、「百歩百景」と武井氏。
「栗林公園を称する言葉、一歩一景になぞるならば、栗林大茶会を進化させ、百歩百景の大茶会を目指したい。そして、今後、栗林大茶会が文化になるのならば、今回がその一歩から生まれた一景」。
先人たちのアバンギャルドな茶会に対し、「栗林大茶会」はそれに近づけたのか。はたまた、100年後から見た栗林大茶会は、アバンギャルドだったと思われるのだろうか。
武井氏の言葉を振り返る。「いつの時代にも、答えは過去にある」。
「栗林大茶会」もまた、いつの日か誰かの答えを見出させる過去になれることを願う。
会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)
Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI
「実は、数年前から和菓子に対して非常に興味を持ちはじめ、色々、個人的に研究していました。とはいえ、公に活動していたわけではありませんし、私自身は洋菓子。なぜ私?という疑問から、栗林大茶会は始まりました」。
そう話すのは、和菓子の監修を務めた「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏です。イタリアでの生活も長かったこともあり、和菓子を食べる習慣もほぼなくこれまでを過ごしてきた加藤氏は、まずリサーチから始めます。
「まず、人に会い、店に足を運び、文献を読み、その上でコンテクストを構築していこうと思いました。様々得た情報の中で、作り手からの目線で感じたことは、洋菓子よりも和菓子の制作工程がはるかに多いということ。貴重な素材が使われているものもありましたが、それが数百円で販売されていたり……。外国の友人にも和菓子を食べる頻度を伺いましたが、来日しても、ほとんど食べないという意見もありました。それを受け、自分なりに思ったことは、海外だと、豆はお肉の付け合わせや煮込み料理に使用されることが多く、味付けも塩胡椒やオリーブオイルなどがほとんど。甘い豆を食べる文化がありません。最初から最後まで一定な味ということにも、少し単調な印象があるのかもしれません」。
今回、参画した和菓子屋は、「日和制作所」、「三友堂」、「夢菓房たから」、「御菓子司 寳月堂」、「瀬戸内パウダーラボ」の5店。
「今回は、栗林大茶会という、ちょっと遊び心のある試み。そこで、皆さんには、まず何をやりたいかを伺いました。私は、そこにほんの一手間を加えるという手順で進めていきました」。
全てにおいて共通していることは、ゼロからの開発をするわけではないこと。なぜなら、「続かないものや再現できないものを作っても意味がないから」。
加藤氏は、「栗林大茶会」が終わった後も、そのレシピを各店のものにしたかったのです。
「今後もお店としても展開できるもの作りをしたかった。私は、そっと門を叩いて、そっと門を出るだけ。ただ、出た後に何かを残したかった」。
これは、加藤氏が「栗林大茶会」における、自身の仕事を表現した言葉です。
「いつもは、私のお菓子に対して、ソムリエがペアリングしてくれます。つまり、合わせられる側にいるのです。ですが、今回の主は、あくまでも茶会。お茶に合わせてお菓子を作りました」。
そこでひとつキーワードとなったのが香りです。和菓子の世界では、香りはお茶の妨げになることがあるため、あまり採用されませんが、バラ、ライム、ラズベリーなどを利かせたそれらは、和菓子の「和」の比重と「菓子」の比重を程良いバランスに整合。また、臭覚の香りではなく、味覚の香りの構築は、加藤氏ならではと言ってよいでしょう。ゆえに、お茶を濁さず、香りを楽しめる茶会の一助となりました。
「和菓子は非常に文化的で、厳格な世界だと思っております。ですが、世界的に見て考えた時、もう少し多様性があっても良いのではないかと考えました。例えば、お茶だけでなく、珈琲やカクテルと合わせる和菓子があっても良いのではと」。
型を崩さず、味の広がりを表現できたのは、前述の5店の確固たる基盤があったからこそ。例えば、和三盆糖のお干菓子には、ほんの一滴、オーブオイルを垂らし、「通常ではお干菓子と合わせない濃茶とのペアリングだったため、全てグリーンノートで合わせたら、爽やかな森になるんじゃないかなと」。
味覚の風景から想像するアイディアは、加藤氏の類稀なる感性によるものであり、これもまた一景。味の記憶は皿の上に留まりますが、香りの記憶は風景として残るでしょう。
「願わくば、お客様の人生の中で、その一景を覚えていてほしい」。
今回、印象的だった和菓子の香りに、ヒノキがあります。これは、「栗林大茶会」だけでなく、「Ritsurin Chaji」にも採用された技法です。日本の伝統的な香りでもあり、和菓子との好相性も理由のひとつですが、実は、より深い想いが込められているのです。
「昨今、様々な環境問題がありますが、中でも放置林に注視しています。主には人工林のため、人間の問題です。木造建築からコンクリート建築になる時代背景などもあるとは思いますが、植生が荒れることによって、温暖化にも繋がり、生態系が崩れる恐れもあります。雨や台風時の災害リスクも大きくなりますし、大きな危機を迎えていると感じています」。
育てる時代から、整える時代へ向かわねばならない一方、国有林や保護区などになると、容易に伐採もできないため、一筋縄にはいきません。加藤氏は、ヒノキの香りを取り入れることによって、その問題を皆で対峙したいと考えたのです。
「木は偉大な生き物。木のセカンドライフとして、尊厳ある関わり方をシェフとして、人として、行いたいと思いました。お茶も自然も含め、日本の資産は素晴らしい。その魅力を伝えることは、私たち日本人のためにもなります。今回のように、イノベーションマインドを持っている人たちと地域の人たちが交わり、ほんの少しクールに魅せてあげるだけで、グローバル化された世界の中でも際立った表現もできることがわかりました」。
その輪を拡張し、強固にするためには、地方自治体、県、さらには国による関係構築も必須なのかもしれません。
「3年後、10年後、50年後の世界ではなく、私が死を迎えたあとのことまで考えたい。和菓子には、日本人が尊いと思う全てが込められていると思うから」。
会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)
Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI
日頃大変お世話になり誠にありがとうございます。
2025年新年初売り1月2日9:30より開催いたします。
恒例の新年開運福袋をご用意しています。
サイズM. L. XL 販売価格22,000円税込。
お年始の縁起物の為、現金支払いのみの対応となります。
1月2日.3日のみ営業時間9:30-17:00となります。4日より平常通り9:30-18:00。
宜しくお願い申し上げます。
日頃大変お世話になり誠にありがとうございます。
2025年新年初売り1月2日10:00より開催いたします。
恒例の新年開運福袋をご用意しています。
サイズM. L. XL 販売価格22,000円税込。
お年始の縁起物の為、現金支払いのみの対応となります。
宜しくお願い申し上げます。
特別名勝「栗林公園」(以下、栗林公園)にて行われた「栗林大茶会」には、4人のキーパーソンが存在します。そのひとりが、飲料監修を務めたバーテンダー、南雲主于三氏です。
「茶の湯監修、和菓子監修、空間監修と建築チーム……。栗林大茶会の特徴のひとつとして挙げられるのは、地元の方々との関わりを基本に、県外からの異業種が混在していることだと思います。どんな空間ができあがり、それをどの順番で巡回し、どんなお菓子が供されるのか。構成されるピースが多いため、各所と緻密に確認しながら構成していきました」。
南雲氏をはじめ、皆が表現したかったのは、お茶の新しい価値化。目指すテーマは、守破離。
「まず、伝統的なものを守ること。そして、型を崩さず、それを破ること。さらに、そこから離れ、独自の世界を確立すること。僕は、茶人でありません。しかし、これまでもお茶の可能性を追求すべく、カクテルをはじめとした様々な新しい挑戦をしてきました。その見地が今回は活かせたと思います。そして、異業種が交わることで、自分も想像しなかったような体験を生み出すことができたと思いました」。
想像しなかったような体験として挙げられるのは、空間と器の存在が大きかったでしょう。空間設計の監修には、世界を舞台に活躍する永山祐子氏を迎え、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気(以下、VUILD)、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬(以下、KASA)が参画。3つの世界を創造しました。
「臥松庵」と名付けられた三井氏の設計は、横倒しされた一本の松が屋根に見立てられた野点。亭主は、茶の湯監修を務める武家茶道・武井宗道氏が担い、薄茶を供しますが、その器は、もはやアートと呼ぶに相応しい「B-OWND(ビーオウンド)」の工芸作品。一見奇抜のように見えますが、不自然と自然が絶妙な世界を形成し、南雲氏が言う、想像もしなかった世界の好例と言えるでしょう。
「三井さんの臥松庵、KASAの露庵、VUILDの泳月庵。全てに共通するのは、この広大な敷地面積の中から、たった1点の場所を見つける着眼点の凄さ。自分の役目は、場が生まれたことによって、そこで何を飲んだら心地良いか。自分が作りたいものではなく、空間と風景と器が合わさった時、どんなものを供したら全てのバランスが整うのかを考えました」。
ここまでは、守破離の破と離。しかし、これらの体験が生きるのは、地元の老舗料亭「二蝶」代表・山本亘氏の「守」があってこそ。「山本さんが亭主を務める掬月亭がなければ何も成立しません」と南雲氏も話します。
とはいえ、山本氏の見立てにおいても古典だけではありません。中でも、イサム・ノグチがデザインした和紙の装飾や流政之の器の起用は、香川が持つ高い芸術性を漂わせ、モダンなエッセンスも加味されていました。
「お茶は最先端の文化。ただ嗜むだけでなく、歴史や文化、さらには、芸術やセンスも必要だと思います。栗林大茶会では、そこまで難しいことはしませんでしたが、そういった知見を学ぶことによって、より高度なコミュニケーションが取れると思います」。
「栗林大茶会は、過去と未来をつなぐものだと考えています」。
昔と比べ、これほどまでに世界が変わった現代において、もし、当時の茶人がお茶を表現したらどんな世界を作り上げるのか……。もしかしたら、もっと最先端の技術を取り入れるのか……。と、南雲氏はそんなことを想像しているのです。
「今回、建築や器、カクテルなどの視点からお茶の新しい価値化を目指しましたが、例えば、音楽や映像などを取り入れても面白いかもしれません。さらには、VRも。現実と非現実を交錯させることもできますし、テクノロジーの進化によって、過去と現在の世界をつなぐこともできるかもしれません。そんな時に、どんなドリンクを提供できるのか!? 想像しただけでもワクワクします」。
一歩一景とは、「栗林公園」を表現する言葉。一歩歩くごとに、その風景が様変わりすることを意味しますが、南雲氏が表現したい風景は、歩くだけでは見ることのできない風景。見える景色もあれば、見えない景色もまたあり。
「自分は、味覚で風景を作りたかった」と南雲氏。
今回、それは成せたのか? 完璧を求めればまだまだできることがあったに違いありませんが、不完全の美こそ、「栗林大茶会」なのかもしれません。それはなぜか。かのイサム・ノグチが残した言葉に「栗林大茶会」を見出したいと思います。
「完璧じゃないから面白い」。
会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)
Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI
「栗林大茶会」は、5つの空間から構成されました。ふたつは、既存の掬月亭と日暮亭から成り、残り3つは、新たに創造された空間。監修には、建築家の永山祐子氏を迎え、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気氏、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ氏+佐藤敬氏がそれぞれを手がけます。
「個性やアプローチが全く違う3チーム。このメンバーならば、特別名勝・栗林公園(以下、栗林公園)の自然と文化を尊重し、空間を設計できると思いました。それぞれがどのようにこの壮大な環境と共鳴するのか、私自身も楽しみでした」。
そう永山氏が話す通り、場所選びも空間設計も、三者三様、全く異なるアプローチ。突如現れた3つの空間は、栗林公園に新たな一景を生み、心地良い時間を育んでいました。
「栗林公園は、園内全てが見どころ。場所を選定するのが難しかったです」と、「臥松庵」を手がけた三井嶺氏は話します。選んだ場所は、西湖の湖畔でした。
「ここは、道が細く、地には根がはびこり、足元の悪さもあって、自然と歩みがゆっくりとなる落ち着いた環境。その時間の流れ方が、露地の奥にある茶室へと歩を進めていくときと似ているという印象を抱きました。場所が決まれば、あとは囲いさえあれば大丈夫。風景に溶け込むような、そして、茶の湯を楽しむお客様の意識に溶け込むような設えがあれば十分で、建築の存在は不要だと考え、景色に溶け込むように木を一本だけ使って野点の空間を作ることにしました。木は公園にたくさんある。ゆえに、映えない」。
その言葉に反した「映える」空間の覆いには、若松を採用。最初は生け花のように立てられて風景に溶け込んでいた若松が、茶席の始まりのタイミングでダイナミックに横倒しにされることで、茶にふさわしい木陰の空間を構築します。
松は、寿命が500年〜1000年と言われています。本来であれば、もっと長く生きられた植物を大地から切り離し、人間が空間を作ることに意義はあるのか。「臥松庵」には、命と向き合うメッセージも強く感じました。
「物事には必ず際(きわ)があり、それは自分自身が表現するテーマでもあります。生の際、死の際、朽ちる際、枯れる際……。そこと向き合いたい」。
「栗林大茶会」の開催期間は、8日間。その間、若松は、日毎、老いていきます。そして、その老いに比例し、風景に変化が生まれました。若松が止まり木となり、野鳥が羽を休める場になったのです。
それは、松の命をいただき、人間(=三井氏)が空間を作ることに意義があったのか、という問いに対し、「栗林公園」に住まう住人が答えを見出してくれたかのようでした。
「栗林公園」の生命体と一体化した「臥松庵」は、この瞬間、本当の意味で、風景になれたのかもしれません。
場という視点では、「栗林公園」の一歩一景の概念から逸脱したのがVUILD/秋吉浩気氏です。
「陸の景色だけでなく、水辺からの景色も美しいのが栗林公園の特徴だと思っています。実際、南湖には和船も出ており、古地図を調べると昔は北湖にも屋根付きの船が周遊し、現代における商工奨励館の方から殿様が掬月亭に向かったという文献も残されています。その風景を再現したかった」。
選んだ地、もとい水辺は、北湖。金属製のフレームや透明の床から成る「泳月庵」は、自然素材でないため、一見、異質になるかと思いきや、風景に馴染む。それは、デザイン設計の妙かもしれません。
「かつては、高松松平家の歴代藩主も楽しまれており、その厳格な世界は一番大切にしたいと思いました」。
しかし、「泳月庵」は、これが完成形ではありませんでした。
「本来は船として周遊したかったのですが、様々な事情があり、断念せざるを得ませんでした。いつかまた、船からの一景を作りたいと思います。そして、月明かりの下、湖上に映り込んだ月を愛でながら、夜茶会にも挑戦してみたいです」。
「栗林公園は、松の奥には紫雲山を抱え、景色に高低差があり、広大な敷地ですが、歩く度にその風景を変え、とても豊かな体験を生み出しています。いくつもの風景が響き合い、例えば木々が暗がりをつくり、そこに流れる水に奥の真っ赤な橋が反射して、そこにやわらかな光が落ちる。ハッとするような風景が現象のように立ち現れては消え、とても美しい」と、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ氏。
「栗林公園を車で目指した時、既に街から紫雲山が見えるのですが、そこから見る山の雰囲気と園内からのものとで印象が驚くほど違う。つまり、同じものでも関係の持ち方次第で、見え方が変わるのだと感じました。そんな体験から、シークエンスな体験空間を作れないかと考えました」とKASA/佐藤敬氏。
KASAが選んだ場所は、「皐月亭」の裏手。何の変哲もない場所ですが、特に人通りが多いのが特徴。「来園者が普段気に留めないような場所」とふたり。しかし、目の前にはコヴァレヴァ氏が美しいと語った水辺があり、佐藤氏が語ったシークエンスな場でもある。ふたりにとっては好条件でした。
「露庵」と名付けられた空間は、横に伸びた白い床に、縦に伸びた白い布。白い布は、まるで巨大な掛け軸のようですが、共にキャンバスのような許容も感じます。ゲストの前にはサヌカイトの黒石をテーブルに見立て、凛とした空気を漂わせます。
「サヌカイトは、表裏でテクスチャーが違っていたり、切断面が緩やかなものや荒々しいものなど、様々なものを配しました」と佐藤氏。白い床も手伝い、墨が宙に浮いているような印象を抱きますが、実は一筆書きのように配置。「例えば、止めのところは曲線が綺麗なものを、線のところは真っ直ぐなものを、最後の払いは荒々しいものをなど、置く場所の順番も緻密に計算しています」と言葉を続けます。
「ここは何の変哲もない場所ですが、大きなムクロジの木があったところも惹かれたところです。それが自然の屋根を作り上げ、垂れた枝葉を潜るように入ることによって、にじり口の役割も果たしてくれます。既に空間があったところに、私たちが少しだけ建築的な操作を加えただけ」とコヴァレヴァ氏。
風が吹けば、縦に伸びた白が揺らぎ、晴れた日には、縦横の白に木漏れ日を映す。陽の傾きで、水辺に空間が映り込み、立体的な風景となる。それはまるで、ここだけに流れる時間が存在するかのようだ。
「自分たちの力だけでなく、自然の力も借りて新たな風景を作りたかった」とふたり。
改めて、この立地のことを思い出したい。
ここは、何の変哲もない場所ですが、特に人通りが多いのが特徴だ。
「露庵」の誕生後、「来園者が普段気に留めないような場所」が「来園者が最も気に留めるような場所」になったことは言うまでもない。
「香川の皆様や栗林公園の皆様のおかげで、栗林大茶会は、多くの反響を得ることができたと思います。しかし、これを1回だけで終わらせたくありません。続けることによって文化は生まれ、地に根付くと思うからです。建築的な視点で考えると、今回の3つの空間をアーカイブし、それ以外に、毎年、空間=一景を増やしていければ、より壮大な大茶会を創造できると思います」と永山氏。
「栗林大茶会」は、期間限定ゆえ、「臥松庵」も「泳月庵」も「露庵」も、今、その姿はありません。有り続ける景色も一景ですが、無くなる景色もまた一景。儚く消えてなくなった、3つの風景は、参加者だけでなく、通りすがりの来園者でさえ、その記憶に深く刻まれたに違いありません。
次の準備はできている。
会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)
Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI
2018年、日本初のフードビジネスインキュベーター「OSAKA FOOD LAB」が誕生。食でチャレンジする人を支援する実験場のようなそこは、プロ仕様のキッチンも完備し、「やってみなはれ」の精神が根付く関西で、食に関わる人が活躍するための仕組み作りを行なっています。
主催は「阪急電鉄」、企画・運営は「Office musubi」が担います。そんな「OSAKA FOOD LAB」を代表するシリーズが今回の舞台、「WORLD FOOD MARKET」です。前編、日本の食文化に対し、熱く語ってくれたフードジャーナリスト、マット・グールディング氏が来日した目的はこれに参加するためでした。
しかし、なぜマット氏が大阪?と思う人は多いはず。実は、マット氏は、大阪府成長戦略アンバサダーでもあるのです。
しかし、なぜマット氏が大阪府成長戦略アンバサダー?と思う人はもっと多いはず。それを引き合わせた人物は、「Office musubi」の代表を務める鈴木裕子さんです。
そして、「OSAKA FOOD LAB」においては、スペシャルパートナーとして参画し、大阪梅田が国際交流拠点となることを、ともに目指しています。
「今、日本の食や食文化は世界から最も注目を集めています。一方、大阪はその自覚がまだ弱いと感じています。OSAKA FOOD LAB という場やWORLD FOOD MARKETというイベントを通して、それらを発信し、シェフをはじめ、ご参加していただく方々にも、その価値を再認識いただければと思っております」と鈴木さん。
「WORLD FOOD MARKET」は、あるひとつの国や地域をフォーカスし、その土地の食と食文化を表現するフードイベント。2022年はアフリカ、2023年はスペイン、そして、2024年はインドと、過去3回開催されています。
前編同様、一貫した言葉からマット氏は、「WORLD FOOD MARKET」を読み解いていきます。
「Food is never just food」。食は食だけにあらず。
「OSAKA FOOD LAB」は、冒頭のように日本初のフードビジネスインキュベーターと謳われています。マット氏は、このインキュベーターという言葉を重要視します。
「レストランを開業することは簡単なことではありません。どんなに実力やモチベーションがあったとしても、資金や場所など、様々な問題から時間もかかるでしょう。OSAKA FOOD LABは、夢を目指すシェフにチャンスを与えています。インキュベーターとは、主にビジネスに起用されますが、ここは、その意味を更に超えた展開を生み出しています」。
前編において、マット氏は、「細部に魂が宿る」職人性が日本の文化の魅力と話しています。しかし、この職人性は良い面だけでなく、悪い面もあると考え、前者はマット氏の言う通り。後者は、良い職人が必ずしも良い経営者ではないということでしょう。当然、レストランもまたビジネス。
極端な例かもしれませんが、「noma kyoto」は、コペンハーゲンから大所帯で来日。約2ヶ月滞在し、ビジネス化できるレストランが日本にあるのか考えると、言葉に詰まります。
スペインをテーマにした際の「WORLD FOOD MARKET」では、バルセロナで人気の「Bar Brutal」や「Cooking in Motion」も来日。世界との目線合わせができることも「WORLD FOOD MARKET」の特徴と言えるでしょう。
Food is never just food同様、OSAKA FOOD LAB is never just food。
「OSAKA FOOD LABもまた、食だけにあらず。食は、政治、経済、地域社会と密接に関わっています。場を通して、新たなコミュニティは生まれ、アイディアを交換し、文化は生まれる。それはまるで、種を蒔き、水をあげ、木が育ち、森林ができ、生態系が生まれるような」。
今回、インドをテーマに開催された「WORLD FOOD MARKET」では、インド人シェフによるオーセンティックなインド料理から日本人シェフやバーテンダーによる日式インド料理まで、多角的に展開。中華やイノベーティブなど、他ジャンルの視点からもインド料理を独自解釈し、インドの奥深い魅力を紐解きます。
マット氏は、それらを食べ比べすることによって、海外にはない日本独自の感性を再認識しました。
「例えば、今回出店されたお店、レオーネは、スパイスのパンチも効いているのですが、素材一つ一つに調理が施され、しっかりとパーツの味を確認できる。お米も国産を使用し、一粒一粒が含む水分も計算され、炊き方はもちろん、ルーと合わさった時のバランスまで計算されていると思いました。つまり、現地の味をそのまま再現するのではなく、現地の体験を活かし、日本の食文化にしているのです」。
例えば、マット氏の母国、アメリカは、移民が多いため、様々な食文化が暮らしと密接です。ゆえに多国籍。しかし、日本の場合、ほぼ単一国民の文化。面積においても、200以上ある国の中、アメリカは第3位(962.8万㎢)に対し、日本は61位(38万㎢)と、約1/3。そもそもの生活基盤が異なるため、国民性も異なり、少なからず、それは食にも影響を及ぼしているでしょう。
「手先の器用さが、感性の器用さにも通じているのかもしれません。これもまた、日本独特の国民性ではないでしょうか」。
フードビジネスインキュベーターの文脈通り、ビジネスになぞるならば、「小事が大事」「凡事徹底」など、小さなことの大切さを説く言葉が多くある、日本特有の文化なのかもしれません。
小さなことをコツコツと。実直に突き詰める性格もまた、日本人の特徴。
「この能力は、日本ならではの知性と才能だと思います」。
「WORLD FOOD MARKET」におけるマット氏の参画には、「食の都・大阪なのに、シェフと食のプレイヤーとのつながりが弱く、海外との交流も少ないため」と、鈴木さんは、改めて、その意図を話します。
「普段出会うことのない人同士が出会う、はたまた、異業種が出会う。そんな想像を超えた出会いが新たな扉を開くと思います。WORLD FOOD MARKETは、そんな場にもしたい」とマット氏。
身近なところでは、マット氏と大阪府の出会いはその好例であり、世界基準で比べるのであれば、「noma」レネ・レゼピ氏が設立した「MAD」のような。
「WORLD FOOD MARKETに参加していると、多くのシェフたちの熱量を感じます。これまで、出店やコンテストなど、様々な形でコミュニケーションを取ってきましたが、その熱量にフォーカスした表現が何かできないか考えていきたいです」。
何かとは、ちょっとしたきっかけなのかもしれません。そのきっかけを、一滴の水にマット氏は例えます。
「水面に一滴の水を落とすと、そこから波紋が広がります。その形は、決まったものはなく、予測不能な形にどんどん輪を広げます。WORLD FOOD MARKETに必要な一滴を考え、貢献したいと思っています」。
これから、「WORLD FOOD MARKET」には、どんな波紋が生まれ、どんな輪が広がるのか。
「今、WORLD FOOD MARKETは大阪で開催されていますが、海外で開催してみたい。何か大きな物事を成したり、継続していくには、維持できる仕組みやエコシステムが必要ですが、一番大事なことは、想像力を失わないこと。可能性は無限大」。
「WORLD FOOD MARKET」が大阪から世界へ。in Paris、in New York、in Spain、in Italy……。いつか、そんな日が来るかと思うと、ワクワクが止まらない。
Text:YUICHI KURAMOCHI
スペイン在住のフードジャーナリスト、マット・グールディングという人物をご存知でしょうか。食に精通している方であれば、耳にしたことがあるかもしれませんが、まだその名を聞いたことがないということであれば、「noma」のレネ・レゼピ氏によるドキュメンタリー「雑食するヒト(原題 OMNIVORE)」の製作総指揮を務めた人物といえばどうでしょうか。更には、それがレネ氏直々の依頼だったといえば、それ以上の裏打ちは不要かもしれません。
マット氏は、料理に精通した本も数多く執筆し、「ニューヨーク・タイムズ」では20冊以上もベストセラーに選出。また、番組司会者として著名な故アンソニー・ボーティン氏と共に製作した番組はエミー賞も受賞。そんなマット氏をフードジャーナリストとして確立させたのは、「エル・ブジ」を取材した1本の記事でした。以降、世界のトップシェフからも厚い信頼を得ています。
日本の食・食文化をまとめた著書「米、麺、魚の国から-アメリカ人が食べ歩いて見つけた偉大な和食文化と職人たち(原題 Rice Noodle Fish)」は、「フィナンシャル・タイムズ」でベストブックに選出。世界各地で翻訳・出版もされています。製作の際は、数年かけて足繁く、日本に通い、全て自身が体験し、取材も行いました。
そんなマット氏が2024年11月某日に再来日。外国人だからこそ感じる日本とは何か、世界を旅しているからこそ感じる日本とは何か、日本人が気づかない日本とは何か……。
そんなマット氏が大事にしていること。それは、「雑食するヒト」の予告編、冒頭最初のひと言にも採用されています。
「Food is never just food」。食は食だけにあらず。
「今まで何度も日本に訪れていますが、日本の魅力はこれに尽きると思っています。“The details matter”細部に魂が宿る」。
つまり、職人性。そして、「日本は掘り下げる文化に長けている」と続けます。それは、食材、技術、道具など、ひと皿になる前、関わる全てのもの、ことに「細部に魂が宿る」ということが、マット氏の見解です。
日本人にとっては、当たり前のことかもしれませんが、「欧米のシェフに限らず、食に関心のある外国人は、日本に来ると、必ずその専門性に驚愕します」。
今回、マット氏は取材される側ですが、通常は、する側。現場から得た日本ならではの傾向も見受けられるようです。それは、「ルーツ」。
「米、麺、魚の国から(略)の本を製作するにあたり、多くの日本人シェフを取材しました。例えば、なぜそのような調理の仕方をしているのですか?や、なぜシェフになったのですか?などの質問をさせていただいた際、その多くが同じ答えでした」。
それは、先代から教わったから。父親がシェフだったから。そして、「代々継ぐという文化も日本独特のものだと感じました。そういった背景もあるのかもしれません」と続けます。もちろん、そのルーツは大切なものであり、守り続けているからこそ、伝統が生まれます。加えて、そんな実直な姿勢は、日本の美徳でもあります。しかし、「世界を目指すのであれば、その先にある意志も必要」と更に補足します。
「小さな世界(レストランの中)だけであれば、それは素晴らしいことだと思っています。しかし、何か新しいことをやろうとした時や世界でプレゼンテーションする時、はたまた、海外のシェフとコミュニケーションを取る機会などが発生した場合は、全ての理由や答えに自分の意志を持っている方が良いと思いました。それは、強ければ、強いほど、良い」。
この日、現場に居合わせた京都「cenci」のオーナーシェフ、坂本健氏は、先日、自身がインドでコラボレーションイベントをしたエピソードをもとに、日本と海外の差をマット氏に話します。
「マットさんの言う通り、日本人は、専門性に長けていると自分も思います。それは、日本料理に限らず、例えば、フランス料理やイタリア料理、他国の料理であっても、勤勉に学習する能力に優れていると感じます。ゆえに、海外のレストランでも日本人は重宝される傾向にあります。しかし、自身をアピールする表現力は、外国人の方が圧倒的に長けている。加えて、聞く能力にも長けている。先日、ムンバイでコラボレーションイベントをした時も、日本の食材や調理法などに関して質問攻めされ、圧倒的な熱量を感じました。あの積極性は、日本人にはないと感じました」。
日本人は勤勉がゆえ、歯車として機能はするものの、そこから先に向かうためは、自分が何者なのかを伝えるプレゼンテーション能力も必要。聞く能力とは、言わば、好奇心。それがないと見なされてしまえば、実力があれど、舞台から引き摺り下ろされてしまうこともあるでしょう。
「海外シェフの多くは、色々な国や街の色々なレストランで経験を積んでいます。そういった背景も、コミュニケーション能力の違いにつながっているのかもしれません。以前であれば、そんなことを考えなくてよかったのかもしれませんが、海外シェフとのコラボレーションが盛んに行われる昨今の傾向を加味すると、世界の荒波を乗り切るのは、そういった性格も必要なのかもしれません。技術の高いシェフも有能ですが、好奇心のあるシェフはもっと有能」。
日本は、専門性に長けている一方、視野が狭くなることがあるのかもしれません。島国文化も手伝っているのか、その真意は定かではありませんが、言語の壁など、様々な要因による蓄積だと考えます。
「専門性と視野のバランスをほんの少し変えるだけで、日本のレストランは、もっと飛躍的に進化すると思います」とマット氏。
視野という点では、ジャーナリストとして活動するマット氏も他人事ではなく、強く意識していること。その手法は、「雑食するヒト」よろしく、「Zoom in, Zoom out」です。
マット氏の体験は、必ずしもグランメゾンやレストランだけの話ではありません。カジュアルなビストロやトラットリア、郷土料理、居酒屋、ラーメン、うどん、蕎麦、はたまた、焼肉やお好み焼きなど、多角的な視点から日本の食文化に触れた見解になります。偏りながら公平に、専門性を持ちながら汎用性も兼ね備える。そんな考え方を意識しているのです。マット氏は、それをカメラワークに例えます。
「ある食材をフォーカスするとします。世界中で食べられているそれは、どうやって現代まで辿り着いたのか、そのオリジンを調べます。最初は大きなコンテクストから入り、そこから小さなディテールを突き詰めます。これはカメラワークで言えば、ズームインとズームアウト。どんなに壮大な景色だったとしても、そればかり見ていたら飽きてしまいます。しかし、景色の中にある1点に絞ることで、環境や状況を知ることができる。ジャーナリズムに置き換えると、Zoom outだけでは、どこにでもあるような言い尽くされた表現になり、Zoom inだけでは、視野が狭く、偏りが生じ、社会と結実するために必要な大事なことを見落とした表現になってしまう危惧も。双方の視点を持つことをジャーナリストとして意識しています」。
このカメラワークと物事の視点は、「雑食するヒト」にも活かされ、「これがジャーナリストの質を上げる作業であり、これをやり続けないと人に伝えることはできない」と言葉を続けます。
これは、情報過多の時代も大きく手伝っていると推測します。インターネット上には無限の世界が広がり、SNSでは匿名者が辛辣な言葉を綴ることも。発信や発言は無法地帯化。これは、表現の自由とは異なります。
しかし、中には影響力を及ぼす作用が働くこともあり、日本に限らず、世界中のシェフが、それを意識してしまうことも。
本音は何処へ。
そのような背景から、「食は、必ずしも正義ではない。食は、時に溝を生み、人を遠ざけてしまうこともある」とマット氏。それでもジャーナリストはジャーナリズムの力を信じています。
「残念ながら、本質が埋もれてしまう時代でもあると考えています。そして、伝えるべき本質の多くは、日本の地方にあると思っています。それを発見し、正しく発信し、アクセスしてもらうことは、ジャーナリストの務め。そういったことが都市集中型の観光から分散型の観光にできる可能性も秘めており、ジャーナリズムだからこそ為せる社会貢献だと思っています」。
表層状の観光が多い昨今、観光の本来は、「光」を「観」ること。その「光」を探し当てることこそ、ジャーナリズムなのです。
日本と世界の違いに、マット氏は、点と面の関係性を指摘します。
「日本のレストランは、個が多い印象です。これは悪い意味ではありません。しかし、大きな課題と向き合わなければいけない時には、それに見合う大きな力が必要とされます。そのために周囲との関係性を構築することも重要だと考えます」。
近年における大きな課題ということでは、2019年に発生した新型コロナウイルスのパンデミック。当時、「ONESTORY」においても、日本だけなく、世界の状況を伝えてきましたが、その中から点を例えるならば、大阪「HAJIME」米田肇氏の署名活動。現在は、「一般社団法人 食文化ルネッサンス」や「食団連」など、面として機能する組織がありますが、当時は発足前。大きな力なくしては、政治を動かすことの難しさをまざまざと知り、辛酸をなめる経験となりました。
医療従事者へ食事提供を行っていた東京「Smile Food Project」や大阪「困った時ほど美味しいものを!」もまた、有志による結束力があったものの、個の延長に近い。
一方、イタリアにはミラノとローマにレストラン協会があり、協会と国が定めたレストラン営業に関する法律が立案。フランスにおいては、世界と比べても対応が早く、ロックダウン初日に政府が人件費の保障を発表。しかし、それらは全て税金によるものであり、日本と他国は、税収も異なるため、一概に良し悪しを決めることはできません。しかし、面の備えがあれば、ここぞという時に対する力が発揮できることは事実であり、皮肉にも難局から学ぶことになりました。
「様々な国や地域から構成されるIRC(International Rescue Committe)という団体があり、彼らもまた、面の力を活かし、コロナ禍に活動をしていました。個の強さだけでなく、面による強さを認識することによって、日本の食文化はもっと成長するのではないでしょうか」。
そんな想いを、マット氏は、アメリカのことわざで例えます。
「Strength in numbers」。
直訳すると、数による強さ。伝えたいことは、全員で戦うことの強さ。
当時、「noma」のレネ氏は、新型コロナウイルス後は「これからのレストランの在り方は全て変わる」という言葉を残していました。以降、ランキングやアワード、レストランを評価するシステムとは、自ら距離を置いているようにも見受けられます。
「ジャーナリストとして、いちゲストとして、一部のランキングやアワードの件は、問題視しています。食べることに関心がある人が増えるのは喜ばしいことですが、必ずしもそれだけではないと考えます。健康的な食文化の在り方を大事にしたい」。
「人、もの、こと。全てにおいて、アイデンティティに惹かれます」。
シェフに会う、職人に会う、レストランに行く、料理を食べる……。それぞれにアイデンティティが備わっているか否かを見極める習慣=マイ・ルールがマット氏にはあります。
「自分が今まで見てきた世界的に活躍しているシェフに共通していることは、素晴らしいコミュニケーターでもあるということ。それは、技術だけでは補えない、人間力」。
Food is never just food 食は食だけにあらず。
料理だけに目を向けず、舌で感じる味だけに捉われず、鼻に香る匂いだけに惑わされず、それらの背景にある、五感で感じることのできないことにこそ、本質は潜んでいるのです。
それこそがアイデンティティ。
「日本のアイデンティティの中でも、地方のアイデンティティに非常に興味を惹かれていますが、外国人の自分がそれを探し当てるのは一筋縄にはいきません。もっと日本を学ばなければいけません」。
また、地方の流れを汲み、前述にあった観光視点で見ると、「観光客から求められる料理と、レストランが作りたい料理に違いがあるのかも興味があります」と話します。
最後に。世界をマーケットにした日本の食における可能性を尋ねます。
「日本の食文化を語る上で欠かせないひとつが、鮨だと思います。現在は、技術もテクノロジーも発達しているため、豊洲から世界に流通されることも珍しくありません。一流の鮨からカジュアルな鮨まで、様々なスタイルも当たり前に。そんな鮨と同じように、焼き鳥が海外から高く評価される時代が来るのではと思っています。ネタとシャリのようにシンプルな関係が焼き鳥にもあります。火、鳥、串。タレ、塩。唐辛子、山椒。シンプルな構成ですが、レイヤーは複雑。誰にでもできそうですが、できない。奥が深く、日本らしい。日本の焼き鳥の理解に世界はまだ追いついていないと思います」。
実は、マット氏は、元シェフ。「いつか、焼き鳥シェフになりたい!」と、日本への愛も止まらない。
そして、マット氏もまた、OMNIVORE、雑食するヒトなのでしょう。
マット・グールディングのアイデンティティを知るには、まだまだ時間がかかりそうです。
Text:YUICHI KURAMOCHI
いつも「徳島県観光情報サイト 阿波ナビ」をご覧いただき、誠にありがとうございます。
徳島県観光協会は、2024年12月28日(土)~2025年1月5日(日)の間、年末年始休暇となります。
この間はお電話やお問合せフォームへのご対応が休止となりますため、何卒ご了承くださいませ。
徳島県内の各観光施設でも年末年始の営業時間・臨時休館等がございますので、ご案内いたします。
掲載している情報以外にも休業・時間変更の場合がありますので、お出かけ前にお確かめください。
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名称 | 臨時休館・開催中止等の概要 |
---|---|
阿波おどり会館 眉山ロープウェイ |
2024年12月21日(土)~2025年1月11日(土)夜公演休演 2024年12月28日(土)~2025年1月1日(水)年末年始休館 2025年1月2日(木)・3日(金)は新春特別公演を実施します ロープウェイ 2025年1月1日(水)6:00-17:30早朝運行 2025年1月13日 (月) ~ 3月 29日 (土)年次点検のため運休 |
あるでよ徳島 | 2024年12月27日(木)~2025年1月1日(水)年末年始休業 2024年1月12日(金)より平常営業 9:00-20:00 |
阿波十郎兵衛屋敷 | 2024年12月31日(火)~2025年1月3日(金)年末年始休館 |
とくしま動物園 | 2024年12月29日(日)~2025年1月1日(水)年末年始休園
2025年1月2日(木)は11:00より干支の引き継ぎ式を開催。 |
大塚国際美術館 |
2024年12月24日(火)~2025年1月5日(日)連続開館します。
2025年1月14日(火)~1月24日(金)は休館いたします。 作品移設工事に伴い下記の期間、一部作品を鑑賞いただけません。 2024年11月12日(火)~2025年3月30日(日)予定 |
渦の道 |
2025年1月1日(水)は6時30分より初日の出 早朝開館いたします
|
うずしお観潮船 |
ドック入りのため下記の間、運休します。
わんだーなると:2025年1月14日(火)~1月24日(金) |
うずしお汽船 |
2025年1月20日(月)~1月25日(土)船舶定期検査のため運休
|
藍の館 | 2024年12月29日(日)~2025年1月3日(金)年末年始休館 |
技の館 | 2024年12月28日(土)~2025年1月4日(土)年末年始休館 |
あすたむらんど徳島 | 年末年始も変わらず営業します。 2025年1月1日(水)は6時30分より初日の出 早朝開園します。 |
徳島 木のおもちゃ美術館 | 2024年12月31日(火)・2025年1月1日(水)は休館 |
名称 | 臨時休館・開催中止等の概要 |
---|---|
剣山スーパー林道 | 2024年12月1日~2025年3月31日まで冬期閉鎖 |
うみがめ博物館カレッタ | 2023年6月1日から2025年夏頃(予定)まで、全面改修のため休館します。 |
大浜海岸 | 一部工事中のため、立入禁止の箇所がございます。 |
阿佐海岸鉄道DMV |
年末年始は臨時便も運転して営業いたします。
|
名称 | 臨時休館・開催中止等の概要 |
---|---|
箸蔵山ロープウェイ | 初詣特別運転を、次のとおり実施します。 2024年12月31日(火)9:00-17:15 一旦休止/再開23:00-3:00 2025年1月1日(水)6:00-18:00 2025年1月2日(木)・3日(金)9:00-18:00 ※混雑時は約5分間隔運転 |
奥祖谷二重かずら橋 | 2024年12月1日~2025年3月31日まで冬期休業 |
故障のため当面の間、使用中止 | |
奥祖谷観光周遊モノレール | 当面の間、臨時休業 |
各市町村・報道機関等のホームページでも、随時情報更新がありますので、ご参照ください。
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2024年12月21日(土)~2025年1月11日(土)夜公演休演 2024年12月28日(土)~2025年1月1日(水)休館 2025年1月2日(木)・3日(金)は新春特別公演を実施しますロープウェイ 2025年1月1日(水)6:00-17:30早朝運行 2025年1月13日 (月) ~ 3月 29日 (土)年次点検のため運休 |
あるでよ徳島 | 2024年12月21日 (土) ~ 26日 (木)時短営業9:00-18:00 2024年12月27日(木)~2024年1月1日(月)休業 2024年1月12日(金)より平常営業 9:00-20:00 |
阿波十郎兵衛屋敷 | 2024年12月31日(火)~2025年1月3日(金)年末年始休館 |
とくしま動物園 | 2024年12月29日(日)~2025年1月1日(水)年末年始休園
2025年1月2日(木)は11:00より干支の引き継ぎ式を開催。 |
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2024年12月24日(火)~2025年1月5日(日)連続開館します。
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2024年12月25日(水)・2025年1月20日(月)~1月25日(土)船舶定期検査のため運休
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高松の老舗料亭「二蝶」が特別名勝「栗林公園」(以下、栗林公園)の掬月亭と日暮亭の管理を担うことになったのは、2019年のこと。その直後、新型コロナウイルスが世界に難局をもたらしました。
「掬月亭では、香川三大茶会のひとつ、蓮見茶会が毎年行われていましたが、2020年夏、コロナ禍に見舞われ、初めて延期を余儀なくされました。以降、その代わりに何かできないかと、始めたのが芙蓉茶会でした。しかし、参加できるお客様は日本人に限るため、外国人の皆様にも茶事や栗林公園を広めたいという想いが常にありました。何かかたちにできないかと、色々試みたのですが、実現には至らず、そんな時にご縁をいただいたのがRitsurin Chajiでした。自分にとっては、まさに渡りに船。素晴らしい経験をさせていただきました」。
この言葉の主は、老舗料亭「二蝶」代表、山本亘氏。「Ritsurin Chaji」への参画のきっかけと、それ以前の想いをそう振り返ります。
「Ritsurin Chaji」のゲストは外国人が多数。本物の日本文化を体験してほしい亭主と本物の日本文化を体験したいゲストは、すぐに国境の壁を超え、心地良い時間を紡いでゆきます。
「非常に印象的だったのは、解説を熱心に聞いてくださり、学びへの向上心が高かったことでした。お客様も真剣ゆえ、自分も真剣勝負。ですが、気さくな皆様だったゆえ、楽しくお伝えすることができました。一番楽しまれていたのは、アレックスさんのようにも見えましたが(笑)」。
本物の日本とその文化度の高さを外国人へ伝えるのは至難の業。なぜなら、日本人ですらそれを理解している人が少ないから。今回、見事に成せたのは、山本氏が持つ知識とアレックス氏の知識が絶妙に結実し、亭主とガイドの機能が阿吽の呼吸で歯車が噛み合ったことにあります。
そして、何よりゲストを感動させたのは、掬月亭にて行われた茶事の体験でした。
今回、食事を手がけたのは、「二蝶」料理長、山本 蓮氏。向附、汁、椀物、焼き物、強肴、進肴、香の物の7品で構成された内容は、ヴィーガンスタイル。
「ヴィーガンの取り組みをしてから約一年になります。ヴィーガンといえば、味が薄かったり、お腹いっぱいにならなかったりする印象があると思いますが、自分が意識しているのは、これがヴィーガンだったら、毎日でも食べたいと思える料理。満足感は意識しています」。
確かに、料理に物足りなさを感じることはない。むしろ、蓮氏の言う通り、食後は満足感に満たされる。その理由を紐解いてみようと思うと、「自分の料理は雰囲気なんですよね。何となく、いい感じに」。
雰囲気……、何となく、いい感じに……。なるほど。
しかし、この発言は、決してふわりとしたものではなく、無意識に意識を向けた料理を構築する上での感性だと考えます。
「例えば、ラーメンは、スープや麺がフォーカスされると思います。ですが、自分は、ネギや海苔などが実は味の決め手なんじゃないかと考えるんです。当たり前のように丼に添えてあり、何となく、いい感じにまとまっているように見えますが、その何となくが、結構重要なんじゃないかなと」。
そこでヒントになったのが胡椒。ラーメン然り、ある日、家族がクリームチーズに何となく、胡椒を降って食べているのを見て、これは白和えにも合うのでは!?と閃き、実験。今回、提供された、向附の柿、無花果、栗の白和えには、ブラックペッパーを少々効かせ、アクセントに。ゲストを感動させたひと皿でもあります。また、香りにおいてもセオリーを覆します。
古典的な料理は、季節によって旬のものを一連の流れで採用します。例えば、ゆずの時季になれば、先付けもゆず、焼き物もゆず、炊き合わせもゆず。流れとしては、概念通り。しかし、今回は、料理ごとに香りも変化。これにおいても、「何となく、その方が、いい感じになるかなと」。
実は、蓮氏は、フレンチのシェフでした。その後、実家である「二蝶」に戻り、料理長に。一変したスタイルのように見えますが、「フランス料理と日本料理は、技法が似ている」と話します。そして、「フランス料理でヴィーガンをやろうと思うと難しい。ですが、日本料理は相性が良い」と言葉を続けます。精進料理はその好例と言って良いでしょう。全てにおいて、柔軟な見解が、いい感じに作用します。
「蓮に任せてからは、自分は料理に関与していません。むしろ、調理場にすら入らない。自分のレシピも一切ありません」と亘氏。
これまで、何となく、いい感じに、を連呼してきた蓮氏ですが、この3つは、はっきりと答えていました。
「お茶の料理であること」、「基礎は父の料理」、そして、「僕は二蝶が好き」。
「二蝶」の由来は、二百余名の芸妓衆が活躍する「さぬき芸どころ」と言われていた時代、その雅なる往時の芸妓「二蝶」の名を受け継ぎ、その屋号は、ふたつの蝶が上へ上へ舞い上がる様、隆盛を願い、名付けられました。(二蝶HPより、一部抜粋)
「Ritsurin Chaji」で紡がれた時間は、まさに二蝶が舞うファンタジー。
茶事の際、床の間に活けられていたのは、枯れた蓮の花。これは、数年前に北庭に咲いた花を干したもの。
「今回、周遊できなかった北庭の雰囲気を少しだけでも感じていただければ」と亘氏。語られたのはそこまででしたが、子への愛も込められているのではないでしょうか。
料理は一変しても、精神は不変。
変化は時に恐怖であり、ましてや、客商売となれば、今まで足を運んでくれたお客様が来なくなるのでは、という不安も付きまといます。ゆえに、躊躇してしまいますが、継いだら任せる「二蝶」たるこの潔さ。きっとそれは家族だから決断できたのかもしれません。そして、家族だから何も怖くない。
「Ritsurin Chaji」で伝えたかったことは、観光ではなく、文化体験。「本物の日本」です。
「文化という点では、高松は空襲にあった場所なので、お城も天守閣も、戦前の建物は、ほぼ残っていません。その中で奇跡的に残った場所は栗林公園です。だからこそ、栗林公園の魅力を伝えたかった。栗林公園でやりたかった」。
栗林公園は、讃岐国(現・香川県)を治めた生駒家に始まり、その領地を継承した高松藩の領主、高松松平家の下屋敷でした。そして、1868年まで200年以上にわたり、松平家によって維持されてきました。
「掬月亭はお殿様の散歩コースだったと言われています。ゆえに色々なところへの気遣いもそこかしこに潜んでいます。そんな掬月亭を“ほんまもん”の使い方をしてRitsurin Chajiをやりたかった」。
掬月の間は、床の間のある部屋(一の間)と、南湖に迫り出したお部屋(二の間)の2部屋が繋がっています。本来、ふたつ並ぶお部屋の場合は床の間のある方が格が高いとされますが、掬月の間は、床の間のある側(一の間)に比べて南湖側(二の間)の天井をより豪華にし、格を上げることによって両部屋を同格にしています。どちらに座しても平等にすることで、席にこだわらず自由に楽しめる空間設計としています。(栗林公園HPより、一部抜粋)
「掬月の間の奥には茶室もございます。武家屋敷には珍しく、挿床(さしどこ)を採用しています。床に向かって桟が入っているため、刺されるイメージがあり、極めて珍しい造りだと思います。ゆったりしているように見え、実は、その空間だけは生死を考える場所だったのかもしれません。それ以外にも、にじり口は部屋に設けるのが一般的ですが、横に設けられています。一般的には刀を持って入れないように小さくしていますが、ここは一回り大きく、刀を持って入れます。ほんまもんは、語りつくせないほどある。つまり、深いということがほんまもんの証。自分たちは、まだ先人たちから教えられたことしか知識にない。しかし、その先にある精神論や哲学を読み解き、学び、時代背景から逸れることなく、現代で表すならば、どういうことなのかを理解し、伝えていきたいです」。
本当の日本を享受するには、知識と教養は必須。つまり、ゲストの努力も求められます。
このような歴史への知見も然り、例えば、料理に合わせられた器は、日本、中国をはじめ、国や地域、時代も含め、多種多様。造りにおいても、赤絵、刷毛目、染付、焼締……。さらには、質素なお茶の料理だからこそ器は華やかに、薄暗い空間だからこそ、色味は派手になど、全て、ひとつ一つ理由があり、日本の美意識が宿ります。そんな感受性もまた必須。
もちろん、それを解説するための亭主とガイドですが、一度で理解できるほど、「ほんまもん」は容易い世界ではありません。
「意味を理解しなければ、価値も伝わりません。自分は建物も文化も人も守りたい」。
「実は、掬月亭には、こんなデータがあるんです。栗林公園の来園者数に対し、掬月亭の来亭者数は1割にも満ちません。来園者の26%は外国人なのですが、そこからの来亭者数は50%を超えているんです。グローバルな現代において、日本の文化を日本人が理解できるとは限りませんし、むしろ、外国人だから理解できることもある。栗林公園の魅力は、文化に興味のある人に伝えたい。それを実現させるためには、自分たちも変わるべきところがあると思っています。今回のように、外の方々とやることによって、この場所の可能性を多分に感じることができました」。
実は、亘氏は福井出身。元々は外の人なのです。「高松に住んで約25年。未だに入り込めない世界もあります」。しかし、「栗林公園」の歴史を振り返れば、松平家も余所者であり、香川を代表する人物、流 政之やジョージ・ナカシマ、イサム・ノグチという偉人もまた余所者。多種多様な「ほんまもん」の集積が、総合的な文化を生むのでしょう。
「Ritsurin Chajiを分岐点に、これから変化していきたいと思います。地元だけで考えると、どうしても内に向けた思考になってしましますが、外に向けた思考も大切だと思います。多くの日本人にも来ていただきたいですが、文化や歴史などを重んじる価値観がある人とつながりたい。そこには、国や人種は関係ないと思っています」。
いずれにしても全て一筋縄にはいかないテーマ。しかし、これは「栗林公園」に限った話ではありません。文化は趣味の世界ではない。日本の課題として、重く受け止めたい。
会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:中西珍松園
Photographs:MIKUTO TANAKA
Text:YUICHI KURAMOCHI
「Ritsurin Chaji」のガイドを担った東洋文化研究家兼作家のアレックス・カー氏。実は、アレックス氏が「特別名勝 栗林公園」(以下、栗林公園)を最初に訪れたのは、50年以上も前のこと。若かりしころ、徳島の祖谷に巡り合い、築300年以上の古民家を購入したことがきっかけでした。
「初めて栗林公園に訪れたのは1971年。当時は、本州と四国を結ぶ橋がなく、岡山の宇野港から連絡船で訪れるしか手段がありませんでした。それで祖谷に向かう途中、香川を経由し、栗林公園にも足を運んでいました。昔は、動物園もあったんですよ。以前から庭の雰囲気はとても素晴らしかったですが、今の方がより素晴らしい。その理由をRitsurin Chajiで理解できました。庭師の技術の賜物ですね」。
今回の目的は、「本物の日本を伝えること」。レセプションでは、人間国宝でもある漆芸家の山下義人氏のレクチャー、茶事は、老舗料亭「二蝶」、そして、舞台は、「栗林公園」。全て本物の日本を体現しているため、一見、申し分ないように見えますが、要慎しなければいけないのが、伝え方です。
難儀なテーマはもちろん、今回の目的を補足すると、その対象を外国人に置いたことも手伝います。しかし、1億2,156万1,801人(2024年1月1日現在・総務省HPより)いる全国の日本人の中でも「本物の日本」を知る人は少ないでしょう。それほどまでに、「本物」という言葉の奥は深い。
アレックス氏においては、日本人より日本の文化、歴史、伝統の知見に長けていることも適任理由のひとつですが、直訳ではなく、翻訳でもなく、通訳に長けていることも特筆すべき点。「Ritsurin Chaji」は、限られた日にちで少人数制で行われたため、むしろ、通訳も超えた、ひとり一人に合わせたオートクチュールなガイドを披露してくれました。
体験だけでは補えない、アレックス・カーという存在がリンクしたからこそ、「Ritsurin Chaji」は成立したと言っても過言ではありません。
これは、アレックス氏の言葉です。
「日本のガイドの多くは、ファクトを語るガイド。ですが、それはインターネットを検索すれば、どこにでもある情報です。もちろん、それで満足されるゲストもいると思いますが、よりディープな日本を知りたい人には、その人の性格やルーツを探りながら伝えることが必要だと考えます。これは、言葉の通訳ではなく、文化の通訳」。
「Ritsurin Chaji」に参加したゲストの特性は、国や人種も様々だったこと。アメリカ、セネガル、トルコ、カナダ、コロンビア……。唯一の共通点は、日本の文化を知りたい、学びたいという、向上心の高さでした。それに対して、アレックス氏は、ひとり一人、ひとつ一つ、丁寧にコミュニケーションしていきます。そして、もうひとつ、アレックス氏のガイドの特徴は、不足を補うことです。
「今回、二蝶の山本さんが亭主を勤めてくれましたが、料理もお茶もとても素晴らしかったです。そして、山本さんは、ゲストを喜ばせることに心を尽くし、難しいとされる茶事の間口を広げ、わかりやすく、丁寧に、解説してくれました。しかし、山本さんにとっては当たり前のことでも、ゲストにとっては知らないことが多く、その不足した箇所を補ってあげることによって、ゲストの理解は深まります」。
例えば、掬月亭で行われた茶事の際、山本氏より千宗旦の茶杓のお話がありました。しかし、アレックス氏は、千宗旦を説明するには、まず祖父である千利休のことをゲストに教えるべきと判断。山本氏の解説を通訳する際に、それらの情報もスマートに補足し、通訳。これは、不足した情報を補っただけにあらず。アレックス氏の豊富な知識とゲストに向けた観察力が長けているからこそ成せたガイド力、いや、人間力。
それ以外にも、庭園を周遊の際、ゲストには引き絵の風景と寄り絵の松をじっくりと眺めてもらい、解説だけでなく、見る時間も設けました。全てに語るべき背景があったことはもちろんですが、実は夜に向けての布石の効果も配慮。掬月の間で行われた食事の空間は、薄暗く、小さな灯のみ。内と外の境界線でもある襖を開けるも、当然、周囲は闇。だからこそ、日中、目に焼き付けた景色が功を奏するのです。
「ゲストは、松の景色を体験しているからこそ、闇に潜む見えない景色を想像することができます。見えないものに心を寄せ、趣を享受する情緒は、日本らしい奥深さを感じる精神だと思いますし、日本らしい美意識」。
実際、侘び茶は狭い小屋でやるため、日中であっても外の景色は見せません。薄暗い中で行う文化というスタイルもまた、アレックス氏はゲストに補足します。そのほか、掛け軸、生け花、作法、器、食べ方……。しかし、時にゲストは間違った行為をしてしまうことも。この日は、湿度も気温も高く、食前に用意したセンスで扇いでしまったゲストには、「これは扇ぐものではありませんので、亭主に団扇を借りましょう」と、優しく伝えます。
「今後、もしゲストがこのような場を経験する機会があれば、きっと自ら注視すべき点がわかるでしょう。今回、間違えてしまった作法でさえ、改善していると思います。なぜこの手順なのか、なぜこの味付けなのか、なぜこの演出なのか……。全てにおいて理由はあります。自分が大切にしなければいけないことは、その意味を理解してもらうガイドを務めることです」。
今回、ゲストは多くの学びを得たでしょう。しかし、彼らは茶人になるわけではありません。
アレックス氏は、「Ritsurin Chaji」を体験したゲストに対し、こんな想いを残しました。
「本物の客になってもらいたい」。
今回、「Ritsurin Chaji」の体験時間は、約6時間。一見、長いように見えますが、本来は全く足りません。
「日本の伝統芸能はもちろん、オペラやオーケストラなど、歴史ある様々な文化を体験する時間は、全てにおいてスローダウン。ゆっくり、ゆっくり、時間をかけ、それをディープに体験します。今回、お話を伺った人間国宝の漆芸家、山下さんもそうですよね。一回塗って0.03mm。100回塗って、ようやく3mm。途方にくれる作業です。美しいものは、それだけ時間をかけないと生まれない。だから時間をかけても本物は生き残るのです」。
今回、食事や茶事の際に用意された器はその好例。天正や万治から明まで。国や時代を超えても今なお残り続けたものとの邂逅体験を山本氏が果たしてくれました。しかし、どれだけ本物のものがあったとしても、歴史からその姿を失ってしまう不運も。それは、正しい人の手に渡らなかったこと。
実は、食事をいただく空間にあった掛け軸、「望美人兮天一方」は、アレックス氏が用意したもの。中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句であり、園内を周遊する際、ゲストとともに望んだ赤壁の名の由来と言われています。このような演出もまた、アレックス氏らしい仕掛けであり、おもてなしの心。
歴史的価値を持つものが次世代に継げるか否かは、いつの時代においても、その所持者次第。継いだものは、正しい人の手に継ぐことも使命なのです。
実は今回、アレックス氏にとっても多くの学びを得たと言います。
「食事の際、ごはんが3回出てきます。最初は炊きたてすぐ、次は少し水分を吸ったもの、最後は、しっかり炊き上がったもの。この経験をしたことはありましたが、その意味は知りませんでした。理由を知った時、自分自身もその体験に価値を感じました」。
今回行われた「Ritsurin Chaji」は、「非常にバランスが良かった」とアレックス氏は振り返ります。
「フルの茶事を体験しようと思うと、約4時間は必要とされます。今回のように向上心の高い外国人であっても、それはなかなか難しいでしょう。かといって、一般的な観光客を対象にした薄茶一服、触れる程度の体験もまた違います。つまり、日本には両極端な体験が多いのです。そういう意味でRitsurin Chajiは、バランスが良かったと思います。また、三千家ある中でも、高松藩に務めていた背景を持つ武者小路千家の流派もゲストの理解度を深めました。食事の内容においても、茶懐石といえば派手なものが多い中、本来である質素なものが供されるだけでなく、その満足度を技術で補う料理は素晴らしいものでした。これが本当の意味での贅沢」。
決して高価なものが贅沢ではありません。価格の高い、安いを理解できる人はいますが、大切なことは、価値を理解する能力。
「日本は、文化にお金を使う人が少ない」。
かく言う、アレックス氏もまた、文化の理解度を「DINING OUT」で深めたと言葉を続けます。
「DINING OUTのホストを務め、多くの学びを得ました。料理人の想い、職人の哲学、食材が生まれる風土、街の歴史……。自らそれを学び、ゲストにひとつ一つ、丁寧に説明していき、その理由を体験することによって価値が生まれる喜びは、何ものにも変えられない。料理の時間、器の時間、食材の時間、体験の時間……。DINING OUTにもRitsurin Chajiにも、全ての時間軸が凝縮されています。そして、全てが本物として伝えたい日本の文化」。
アレックス氏曰く、究極のガイドは「一対一」。
「本物」と「価値」。このふたつのキーワードは、永遠のテーマだ。
会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
人数:各日16名
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
Photographs:MIKUTO TANAKA
Text:YUICHI KURAMOCHI
去る、10月6日から9日。香川県高松市にある「特別名勝 栗林公園」(以下、栗林公園)にて、「Ritsurin Chaji」が開催されました。
各日少人数制で行われたゲストの特徴は、本物の日本文化に触れたいと切望する外国人が多いことでした。アメリカ、セネガル、トルコ、カナダ、コロンビア……。昨今、インターネットやSNSの普及による情報過多の一方、本企画は募集期間も短く、告知もわずか。人数にも限りがあり、時代と逆行した施策と言っても過言ではありません。
表層上の観光が溢れる中、本物の日本を追求したい、本物の日本を伝えたいと集った有志には、地元・高松からは、老舗料亭「二蝶」が食事と茶をもてなし、ガイドには、日本人より日本をよく学び、日本を愛する東洋文化研究家兼作家のアレックス・カー氏を迎えます。
まず、最初にゲストが集められたのは、旧松平藩主の「檜御殿」があった場所に明治32年に建築された歴史的建造物「商工奨励館」。帝室技芸員の伊藤平左衛門が設計した建物は、細部までこだわり尽くされ、日本古来の建築様式たる格調の高さが伺えます。その貫禄は外装だけにあらず。レセプション会場となった2階に足を運べば、ゲストの目の前には圧巻の家具が並びます。それは、ジョージ・ナカシマのヴィンテージ。代表作でもあるコノイドチェアやラウンジチェア、ミングレンアンドンなどが惜しげもなく配されている空間は、美術館さながら。中でも1本の大木の形が想像できる大テーブルは、こことアメリカのジョージ・ナカシマのスタジオのみ存在する貴重なもの。
そんな作品群の眼福から会はスタートし、アレックス氏がゆっくりと口を開きます。
「みなさま、Ritsurin Chajiの世界へようこそ」。
「商工奨励館」では、「栗林公園」の歴史の解説だけでなく、工芸や民芸など、ものづくりの街としても名高いクラフトについても学びます。かの世界的に有名な照明デザイナー、インゴ・マウラーの作品にも起用された丸亀団扇やイサム・ノグチも絶賛した庵治石製品、高松張子から張子虎、打出し銅器から香川竹細工など、木、草、土、石といった自然素材を高度な技術で加工したものは、香川が世界に誇れるもののひとつ。
そんな中から、今回は香川漆芸をフォーカス。語り手は、人間国宝でもある漆芸家の山下義人氏です。ゲストにサービスされたドリンクの器も山下氏が手がけたものでした。
「江戸時代に高松藩主である松平家が、茶道・書道に付随して振興・保護したのが始まりです。5つの技法が国の伝統的工芸品に指定されていますが、そのうち、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)という3つの装飾技法は、香川にしかない伝統漆技法です」。
蒟醤は、漆の面に文様を彫り、その中へ朱漆または色漆を充填し、平らに研ぎ出すもの。存清は、存星とも書かれ、漆面に色漆で模様を描き、輪郭などを線彫り、手彫りしたもの。彫漆は、漆を幾層にも塗り重ね彫刻刀で模様を彫り表すもの。山下氏が得意とするのは、蒟醤です。
「日本の漆は、約1万年前の遺跡からも発掘されており、長い歴史を重ねて現在に至ります。時代を遡り、読み解くと、常に新しい技法が生まれ、最先端なもの作りをしてきたことがわかります。この繰り返しが私は伝統だと思っています」。
古き良きを守り続けるだけでは進化はありません。それは、「Ritsurin Chaji」においても大事にしていることでした。
そんな山下氏の話にゲストは聞き入り、塗りや模様など、話の内容によって視点を変え、目の前の器をじっくり眺めているのが印象的でした。特に、細かい手仕事の話には、唸りを上げていました。
「一回の塗りの厚さは、わずか0.03mm。100回塗ってようやく3mmです。ですが、漆は乾燥させ、少し時間を置いてから塗り重ねていかなければならないため、2日に1回しか塗れません」。
単純計算で考えても、3mmの厚さを出すには200日かかることになります。
テクノロジーの進化によって発展した時短とは真逆の手仕事には、だからこそ宿る本物の風格が漂います。そして、時を重ねるごとに美しさが増していくことも大きな特徴でしょう。
興味津々なゲストから、多くの質問が飛ぶ中、素朴な質問がふたつありました。
「どうして山下先生は、伝統工芸の道を歩んだのですか?」
「どうすれば技術を磨くことができますか?」
これに対し、山下氏はシンプルに回答します。
「出会い」。
前者は「漆」との出会い。後者は「師匠」との出会い。「出会いで人生は変わる」とは、山下氏が解の後に続けた言葉。
これは、漆の世界に限らず、全ての世界にも通じることだと考えます。
山下氏やアレックス氏との出会い、これから始まる「Ritsurin Chaji」との出会い。今回の出会いが、ゲストの人生にとって、何か良い作用が生まれることを願いつつ、園内へと向かいます。
この日は、生憎の曇り空。厚い雲が天に鎮座し、しとしとと雨もパラつく中、特別名勝「栗林公園」を周遊します。しかし、雨に濡れた松は、その姿も艶やか。わずかに香る樹々の匂いや湖の水面に広がる波紋は、晴れた日にはない情緒漂う風景を形成していました。
今回は、庭園の中心から南庭を主に巡り、鶴亀松、お手植松、箱松・屏風松などを見学します。鶴亀松は、110個の石を組み合わせた亀を形どった石組みの背中に鶴が舞う姿をした松を配したものであり、園内で最も美しい姿をした松と言われています。また、お手植え松は、5本の松が並び、それぞれ、宣仁親王(大正3年)、昭和天皇(大正3年)、雍仁親王(大正3年)、エドワード8世(大正11年)、能久親王妃富子(大正14年)が、来園を記念し、お手植えされた松。箱松・屏風松では、熟練の庭師が手入れについて語ります。
「北側にあった藩主の隠居所である桧御殿を箱松で下部を目隠しし、屏風松で上部を目隠ししていました。樹木は成長しますが、極力、昔のままの形を保つようにしています」。
その名の通り、綺麗な箱型に整えられた松は、優れた職人技によるもの。ここで、アレックス氏らしいガイダンスが光ります。
「箱松は表も綺麗ですが、裏側もとても綺麗です。ぜひ、見に行きましょう」。
枝が蔓延り、まるで血管のようなそれは、長い年月をかけ、生き抜いてきた力強さを感じます。
「栗林公園」の広さは、約23万坪。園内には約1,400本の松があり、そのうち約1,000本は職人が手を加えている手入れ松。その脅威な数字から、広域に見た庭園風景がフォーカスされてしまいますが、一本一本の松が美しいからこそ、絶景は生まれているのです。
アレックス氏は、ゲストに職人と合わせ、会話させることによって、その気づきを与えてくれたのです。教えることもガイドですが、気づきを与えることもまたガイド。これがアレックス流。
次いで、園内の南西に向かい、西湖の景を支えている石壁、赤壁を目指します。その色は、マグマの貫入に伴う高温酸化によるもの。その名の由来は、詩人・蘇軾(蘇東坡)が「赤壁賦」を詠んだことで有名な中国の揚子江左岸の景勝地、赤壁に因んで名付けられたとも言われています。
散策途中、富士山に見立てた芙蓉峰へ。ここからの眺望を体験するはずでしたが、曇天は変わらず。
ふと想う。「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」。
これは、幕末の幕臣・剣術家であり、明治期の官僚・政治家でもあった山岡鉄舟が詠んだ歌です。
富士山よろしく、芙蓉峰から望めるはずの景色は雄大な紫雲山。燦々と輝く太陽、青い空のもと、そびえるそれも圧巻ですが、美しさはひとつではありません。霧や靄に包まれ、まるで水墨画のような景色もまた一興。その解は、歌の続きにあります。
「もとの姿はかわらざりけり」。
曇ってしまって見えない景色があったとしても、もとの姿が変わることはありません。むしろ、想像力を掻き立てます。このような感受こそ、侘び寂びの趣であり、日本の美意識。
決して目に見えているものだけが全てではないという、まるで物事の本質に触れるような散策は、ゲストの心眼を開き、目に見えない一歩一景を堪能したに違いありません。
庭園周遊後、一同は、掬月亭へ。江戸初期に建てられた回遊式大名庭園の中心的建物であるそれは、歴代藩主が大茶屋と呼び、最も愛用していたと伝わります。
まず、ゲストは初莚観にて盆栽を鑑賞します。地植えの壮大とは違った盆中の景は、自然美と人工美が見事に調和。まるで芸術鑑賞をしているようです。その後、掬月へと間を移し、食事をいただきます。その内容は、ヴィーガン。
メニューは、向附、汁、椀物、焼き物、強肴、進肴、香の物の7品で構成。料理を担うのは、老舗料亭「二蝶」の若き料理長、山本 蓮氏。
「飯碗の蓋を開けていただき、左手に置き、その上に汁椀の蓋を重ねてください。この蓋はこのあとにお出しする焼き物や煮物、酢の物の取り皿にもお使いいただきます」。
そう話すのは、茶事への造詣も深い本日の亭主、山本 亘氏です。蓮氏の父であり、「二蝶」の代表でもある人物です。
「まずはご飯を一口お召し上がりください。炊きたてすぐ、水分が残り、芯がなくなったすぐのものをご用意しております」。
この日の汁は、11月に迎える茶の正月、炉開き前ゆえ、赤味噌と白味噌を半々に。具には小芋、辛子、黒胡麻を採用します。向附は、柿、無花果、栗の白和えブラックペッパーを少々効かせ、アクセントに。蓮氏の感性が光ります。
型は壊さず、現代らしいエッセンスが加わったそれは、前述、山下氏の言葉「常に新しい技法を生み、最先端なもの作りを繰り返すことが伝統(簡略)」を彷彿とさせ、プラントベースの概念を覆します。
その発想について蓮氏に聞くも、「感覚です。自分はレシピも作らないので」とさらり。これが若き頭脳かと思いきや、亘氏においても「レシピはありません」とひと言。おそるべし山本親子。おそるべし「二蝶」。
また、ゲストの体験価値が高かった点で言えば、ご飯が3回出てくることとその作法。
「次のご飯は最初にお出ししたものと比べると、ちょっと水分を吸ったご飯になります。そして、最後にしっかり炊き上がったご飯をお出しします。ですが、ご飯は少しだけ残しておいてください。全部食べてしまうとお腹いっぱいという合図ですので」と亘氏。
元来、柔らかいご飯はお客にお出しする贅沢品。固いご飯は自分たちが食べるもの。
「固いご飯はおにぎりやお茶漬けにできますから」と、さりげなくその理由も添えます。
最後のご飯は、おひつに入ったものを皆で回し、取り分け。以降に供される沢庵、胡瓜、茄子の香の物も同じスタイル。各ふたつずついただき、隣の人へ皿を回します。
食べるだけではなく、学びの要素も多い食文化体験は、このような行為も手伝い、ひとつのグルーヴが生まれていきます。
また、汁においても二杯供され、一杯目は飲みきり、二杯目はゆっくり飲むなど、7品の中には、食の方程式が多分にあります。程よい緊張感の中にも笑顔があるのは、亘氏の話術や人柄によるものでしょう。
食後に行われた茶会では、座布団の敷き方から茶席のマナーもレクチャー。その際に供された菓子は、高松の和菓子店「夢菓房たから」の練り切り。口に運んだその刹那、心地良い香りが広がります。その正体は、ヒノキから抽出した香りです。
「今回、和菓子の監修で入ってくださっている資生堂パーラー「ファロ」のシェフパティシエ、加藤峰子さんのアイディアになります」。
「二蝶」は、2023年に行われた「G7香川・高松都市大臣会合」でもヴィーガン&ハラールに対応した料理を披露。プラントベースの料理が「G7」で供されたのは、日本初。東京美術倶楽部の東茶会においても、約400名の規模に対してお茶の料理を供しました。
一方、悲しいかな、日本人が茶事の文化に明るくない現代社会において、それを継承する環境は縮小傾向。お店においても小さな個人店はあれど、「二蝶」のような規模感は限りなく少なく、貴重な存在と言えるでしょう。
また、食後の面白い体験もここに記しておきたいと思います。
お片づけは官休庵式。飯碗の上に汁椀、飯碗の蓋を置き、その上に汁椀を乗せ……。ゲストがそれを行う最中、亘氏が笑顔を浮かべ、こう話します。
「最後は、皆様で共同作業を行っていただこうと思います」。
その共同作業とは箸を落とすこと。皆は箸を持ち上げ、アレックス氏の合図とともに、折敷の上に落とします。
「One two three」。
6名の箸が指先から箸が離れた途端、カタカタカタッ!と音を立て、テーブルに落ち、静寂に響きます。
「本来はお行儀が悪いのですが、宴が果てた音の合図ということで」。
これもまた、ゲストは大満足の笑みを浮かべます。
やはり只者ではない山本親子率いる「二蝶」。
終始、相手を想う遊び心と相手に喜んでほしいというおもてなしの心が絶えない席となりました。
今回、見事に創出された一座建立の世界。料理やホスピタリティもしかり、その満足度を高めた一助として欠かせないのが、器の存在でした。日本はもちろん、中国や国が特定できないエキゾチックなもの、作家からアノマニス、年代もデザインもさまざま。亘氏の見立てが冴え渡ります。
向附には、竜田川 乾山写/染付兜鉢 尾形乾山、四つ椀には、けやき糸目四つ椀 後藤塗、煮物椀には、太陽と月が描かれた魯山人の写し 日月椀……。焼き物には南蛮焼き、進肴には赤絵、そのほか、御本刷毛目、源内焼手付鉢、茄子形燗鍋 2代辻与次郎、刷毛目 水垣千悦……。貴重かつ希少な器もとい、作品ばかり。
茶席においても驚愕のコレクションが怒涛のごとく登場。沢庵和尚、迎田秋悦、千 宗旦、藤村庸軒、村田耕閑、弘入、近藤道恵、長谷川一望斎、大森金長、素山(本名 柳田他次郎)、久保祖舜、三谷林叟、赤松陶濵……。伊部焼、砂張、薩摩焼、屋島焼……。
食事の席では、「逆さにすると兜のような形になるんですよ」、「明時代はコバルトブルーの配色が良いのが特徴ですね」など、ひとつ一つ、ゲストに解説します。それを聞くゲストは、装飾を見て、手で感触を確かめ、じっくり言葉との答え合わせをしていきます。
一方、茶事の席では、立ち振る舞いから座布団の座り方まで、亘氏は、きめ細やかに、かつユニークに伝授します。
「自分が表現する物事は、必ず説明できなければいけません」。
今回は、巧みな亭主とガイドを迎え、なかなか見ることも触れることもない作品を使え、それを掬月亭で体験できるという、これまでに類を見ない体験となりました。
「“ほんまもん”をご堪能していただきたかった」。
天正、慶長、万治、元禄、天保、明治、大正、江戸……。
ものの命は、人の命よりもはるかに長い。時代に耐え、生き残ったものと邂逅できる体験は、奇跡のほかありません。
実は、掬月亭が夜の使用を許されたことは極めて稀。
刻一刻と時が経つにつれ、景色から色彩は消え去り、周囲は闇に包まれてゆきます。室内には最小限の灯が必要な情報のみを映し出し、研ぎ澄まされた世界を形成。目に見えるものが篩にかけられた分、聴覚や嗅覚の感性が覚醒していきます。
まず、最初に変化が訪れたのは聴覚。来園者がいた喧騒と比べ、無音の境地かと思いきや、徐々に機微な音に気づきを得ます。虫の音や風の音、日中の雨も音のみが残存し、この時においては重層的な自然のシンフォニーのひとつに。全てが心地良く、優しく耳に響きます。
料理や茶においても、素材そのものの香りが体の隅々まで巡るように染み渡ります。
食事と茶が供された空間は、掬月の間。広さにして、22畳。茶室はしばしば宇宙に例えられることがありますが、今回はそれに似る。
外に目を向ければ暗黒。一寸先の景色も見えません。しかし、その先には約25万坪の庭園が広がる事実があります。それほどまでに広がる世界の中、掬月亭という一点(22畳=約36坪/25万坪)に身を置く特別は、無限に広がる宇宙に身を置くことと近し体験となったのではないでしょうか。
この空間の存在しているのは、ゲスト5人、亭主ひとり、ガイドひとり。たった7人のみ。
「これまで体験したことのない日本文化でした」。
「歴史書で読んだようなことが実際に体験できるなんて、信じられません」。
「物事の全てに理由があり、それを学ぶことができてよかった」
多くの感動を呼ぶ中、ひとりのゲストが囁きます。
「まるで夢のようだった……」。
これは、我を忘れるほど、夢中になれたから。言葉のごとく、夢の中。これこそ、宇宙を超えた無限の創造の世界。しかし、残念ながら、夢は儚く消えゆくもの。
床の間に目を向ければ、枯れた蓮の生け花と「望美人兮天一方」の掛け軸。
「数年前、北庭に咲いた蓮を干したものです。今回、周遊できなかった区画のため、少しでも感じていただけと」と亘氏。そして、掛け軸は、アレックス氏が用意したもの。
「これは、中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句です。“天一方に美人を望む”という意味で、美人はお月さまを指しています。書は大徳寺の大徹宗斗和尚(1764〜1828)。禅の世界で天一方に月を望むということは、永遠に届けられない理想の世界への憧れになります。江戸時代の殿様と当時の来賓は中国の古典の教養があり、“赤壁”という名前を聞いただけで、この有名な一句が頭に浮かんだでしょう」とアレックス氏。
日中に見た赤壁、蘇軾の詩とはこのことであり、全てが結実します。
文化はある、歴史もある、技術もある。あとは、日本人次第。
日本はもっと素晴らしい。
会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
人数:各日16名
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
Photographs:MIKUTO TANAKA
Text:YUICHI KURAMOCHI
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■期間:2025年1月13日(月・祝)まで開催。
■開催店舗:MARUNI-JEANS.2F
11月某日、世界中からジャーナリストやフーディが集ったシークレットイベントが開催。料理を担うのは、麻布十番「秦野よしき」です。そして、舞台となったのは、日本最大の禅寺、京都花園 臨済宗大本山 妙心寺 退蔵院。
「妙心寺」の山内には、46の塔頭があり、その中でも「退蔵院」は、応永11年(1404年)に建立された山内屈指の古刹です。方丈には「退蔵院」開祖である無因宗因禅師(妙心寺第三世)がまつられ、日本最古の水墨画「瓢鮎図」(国宝 原本は京都国立博物館に寄託)を所蔵。本堂(方丈)をはじめ、墨跡の数々も重要文化財に指定されています。
境内には、史跡名勝の枯山水庭園「元信の庭」、池泉回遊式庭園「余香苑」と異なる趣の庭園が広がり、樹々や草花に彩られ、一年を通して美しい景観を形成しています。
偉容を誇るこの地において、イベントが開催されるのは極めて異例。
テーマとなったのは、「六根清浄」。
「この言葉は、妙心寺 退蔵院の副住職・松山大耕様より賜りました」と秦野氏。
眼、耳、鼻、舌、身、意。六根を研ぎ澄ます時間が始まります。
今回のイベントは、ただ食べるだけではありません。座禅、本堂見学、聞香、庭園周遊を経て、鮨ライブが開催される仕立て。鮨ライブという聞きなれない言語に対しては、後にその意味を知ることになります。
坐禅は、体験だけでなく、その意義を松山氏が教授します。
「仏教の教えに、三慧(さんえ)という言葉があります。経典の教えを聞いて生じる聞慧(もんえ)、思惟・観察によって得られる思慧(しえ)、禅定を修して得られる修慧(しゅえ)です」。
一般的に噛み砕くと、聞慧はセオリーや座学、情報。思慧はそれを鵜呑みにせず疑うこと。修慧は、それらを活かして実践すること。坐禅は、聞慧に当たります。なぜ、坐禅をするのか?
「現代において、考える時間が失われつつあります。ここには、何かに悩み、考え、その答えを導き出そうとする方々が坐禅をするために訪れます。しかし、お寺に答えがあるわけではありません。それをリレクションするための時間と場を提供するのが我々の役目」。
かのスティーブ・ジョブスもまた、禅の思想に触れ、その哲学を自身の生活と仕事に取り入れ、ビジョンと革新的なアイデアを追求し続けたひとり。
そして、坐禅をより効果的にするのが呼吸です。
「息とは、自の心と書きます。焦る、緊張する、イライラする、腹が立つ……。その全ては呼吸に表れます。逆を言えば、呼吸を整えれば、感情をコントロールできるのです」。
今回、ゲストが体験するプログラムは、事前に秦野氏も体験。多くの発見を見出しました。
「これまでは決めたことや型から外れることに苛立ちを感じていました。どうすれば次に進めるのか、どこに向かうべきなのか。とても悩んでいました。同時に、これまでの自分にあぐらをかいていたことにも気づきました。今回のように、わざわざ遠くまで足を運んでくださるお客様に対して鮨を握る緊張感をお店でも持てていたかと言うと、かまけていた自分がいます。お店にお越しいただけることは当たり前ではありません。改めて、身を引き締め、もう一度、鮨と向き合うことができました。そして、目指すべき目標への教えも得ることができました」。
坐禅同様、得たのは目標の答えではなく、考え方。それは、「瓢鮎図」にありました。
「退蔵院」は、三代目の和尚によって約600年前に創建。風景は、室町時代の画家・狩野元信が作庭した枯山水庭園「元信の庭」(国指定名勝)が形成しています。
「絵の世界を具現化したらどうなるのか。そんな思想から構成されており、当時には珍しく常緑樹を採用しています。ゆえに、桜や紅葉はございません。欧米は左右対称の庭が多いのに対し、日本は左右非対称。人が自然を支配する景色の形成ではなく、いかに自然が作ったかのように見せるか。これを無作為の作為と我々は呼びます」と松山氏。
その庭を愛でられる間にあるのが、「瓢鮎図」です。絵の内容は、真ん中に男がひとり、手には小さなひょうたん、目の前には大きな鯰(なまず)。どうすれば男は鯰を捕まえることができるのか? この禅問答を考えたのは、足利義満を父に持つ、足利義持です。
「実際に捕まえることはできません。では、なぜこんなことを考えるのか。我々は、悟りを満月に見立て、その意義を見出しており、禅問答は満月を差す指。指ばかり見ていたら、満月は見えません。私たちは、指が差す先にあるものを見なければいけないのです。この問題においては、論理的なことが大切なわけではなく、指が差す先にあるものに目を向け、自分を導き出すことなのです」。
秦野氏もまた、指先ばかり見ていたひとり。鮨職人・秦野として、人間・秦野として、これからどうなりたいのか。仏教では悟りですが、一般的には、それを夢や希望などに置き換えられるのかもしれません。
ここで面白いエピソードを松山氏が話してくれました。
「以前、某世界的に著名な企業の代表の方が、退蔵院に訪れ、この禅問答をChatGPTに問いました。出した答えはここでは伏せますが、論外。その方は、坐禅もされていかれましたが、帰り際、“どんなにAI発達しても、この価値は失われることはないでしょう”とおっしゃっていました」。
どんなにテクノロジーやデジタルが発達しても、人の精神にたどり着くことはできない。それは、鮨もまた同じなのです。
聞香では、創業約300年の「松栄堂」専務取締役・畑元章氏が指南します。
聞香とは、その名の通り、「香」りを「聞」くことです。つまり、嗅ぐこととは異なり、嗅ぐことによって、心中で香りを聞き、それを味わうという行為。
聞香は、鎌倉・室町時代に確立された香木の繊細な香りを鑑賞する手法であり、政治や宗教などの博学が高かった京都を中心に、その文化が栄えてきました。
「本日は4種の香りを用意させていただきました。とても似た香りと感じるか、それとも、それぞれに個性を感じるか。強さ、癖、性格……。はたまた、甘味、酸味、辛味、苦味……。ご自身の心と香りを寄り添わせてください」。
大きな香木の塊は沈香と呼ばれるものであり、最上級品。それをチップにし、高炉で温め、香りを立てていきます。
ゆっくりと、静かに、深呼吸。松山氏の言葉を借りるなら、自の心を整えるように。
4種の高炉は、2週、3週、4週……と回遊され、時の経過と共に変化する香り機微に心の耳を澄まします。
「この行為は、好き、嫌い、どれが1番かなど、優劣を付けるものではありません」。
香木は切る位置によって硬さが異なり、切り方によって香りも変化します。
「それは魚も同じ。そこに鮨の美意識を感じます」と、畑氏ならではの視点で鮨と聞香の接点に触れ、場を締めくくりました。
朱の帳が落ちる頃、聞香の余韻に浸りながら向かう先は、この流れを汲むかのような名称であり名勝「余香苑」。
「敷砂の色が異なる二つの庭は、物事や人の心の二面性を伝えています。仏教には素晴らしい教えが多くありますが、現代で最も大切にしたい語が不二。対立する二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく、一つのものであるという意味です」。
対立の最たるもの、それは戦争です。また、園内には敷石の色が異なる二つの庭を有し、物事や人の心の二面性を伝えています。そこには陽の庭に7つの石を、陰の庭に8つの石が配されています。
「15は完全を表す数字と言われています。七五三、十五夜、瀧安寺の石庭においても15の石を配しています」。
陽がなければ陰は存在せず、陰がなければ陽は存在しません。相反する二つのように見えるそれは、実は一つの存在なのです。
庭の設計は、造園家の中根金作氏が手がけたもの。前述、画家・狩野元信が作庭した枯山水庭園「元信の庭」とともに、中世と現代、二つの名庭を一つの地で堪能できることもまた、「退蔵院」の特筆すべき点と言って良いでしょう。歩を進めるに連れ、高低、奥行きなどの変化が庭の表情を豊かに描き、緻密な計算のもと、作庭されていることがよく理解できます。そして、表れた小さな池。
「実はこの池は、ひょうたんの形をしています。中には一匹の鯰が泳いでいます」。
そう、これは、松山氏の祖父が出した「瓢鮎図」の答え。
「答えを求める際、外に目を向けてしまいますが、実は内にある。お爺さんの遊び心ですね」。
秦野氏が欠落していたもの。それは、六根の中でも唯一五感以外の根、意=心。その答えもまた、外にはなく、内にあるのです。
秦野氏は言います。
「退蔵院という環境、精神との対峙、自分の中にあった靄が晴れた」。
斬新だったのは、そのプレゼンテーション。一般的に鮨をイベントで供する際は、料理の特性上、職人が握る場にゲストが足を運ぶか、数貫の盛り合わせをサービスするケースが多い。
しかし、「一貫一貫、握りたてにこだわりたかった」秦野氏が編み出した手法は、二列のテーブルの間に一つの可動式カウンターを設え、前後に移動しながら握りたての鮨を左右に供するという仕立て。
鮨ライブです。
料理の内容は、吉次のしゃぶしゃぶや牡蠣の南蛮漬け、雲丹出汁、蟹ジュレなど、逸品九品と鮨十貫。特筆すべき点は、メニューにあったが供されなかった本鮪赤身漬けの鮨。
「最初は、漬けでやろうと思って決めていたのですが、実際、仕入れた赤身が素晴らしく、わざわざ漬けにする必要はないと思い。素材をそのまま味わってほしくて」。
前述、「決めたことや型から外れることに苛立ちを感じていました」という境地からの変化。また、この赤身を本鮪とろと本鮪中とろの間に挟んだ妙も、セオリーを覆した順。
「臨機応変や変化を楽しめるようになり、のびのび鮨を握ることができました」と秦野氏。
今回、秦野氏が自身に課したテーマは、アップデート。しかし、それは奇を衒うという意味ではありません。
「今回のために新しいことをするのではなく、これまでと同じように違う環境で表現することに努めたかった」。
ベストな鮨を味わいたいのであれば、麻布十番「秦野よしき」に行くべきでしょう。なぜなら、「退蔵院」は、素晴らしい環境である一方、厨房やサービス導線が整わない環境でもあるからです。
では、ここで味わう鮨の醍醐味は何か。それは、人間「秦野芳樹」が握る鮨と言って良いのではないでしょうか。つまり、生き様です。
「色々、難しいことがたくさんありましたが、一番苦労したのは、何回炊いても同じシャリにならなかったことでした。環境変わると同じことすらできない」。
これまでの秦野氏であれば、ここでまた苛立ちを覚えたでしょう。ですが、「退蔵院」の教えが秦野氏の息を整え、心を落ち着かせ、目指すべき方向、指が差す先へと導きます。
六根清浄。これまでの体験を経て、秦野氏の眼、耳、鼻、舌、身、意が結実してゆきます。
「シャリ(舎利)も仏舎利が由来しており、鮨は仏教と親密な関係を持っていると感じています。鮨の歴史は約200年ですが、退蔵院の歴史は約600年。鮨以上の歴史の空間で握ったのは初めての経験でした。ですが、こんなに長い歴史がある中で、松山さんは新しいことをやり続けている。まさに温故知新。挑戦しなければ伝統は生まれませんし、伝統にも気付けない。今回は、何が自分に足りないのかに気付くことができました」。
そんな言葉で振り返る秦野氏は、職人としての成長だけでなく、人としての成長を得たに違いありません。そして、「何より、この環境をスタッフと共有できたことが良かったです」と言葉を続けます。
それはなぜか。
「今回の体験をいつの日か振り返った時、必ずターニングポイントになったと思うから」。
それを自分だけの筋肉にするのではなく、チームの筋肉にできたことは、今後、秦野氏の鮨をより強くしてくれるでしょう。
「例えば、現在は当たり前のように甲殻類や貝類が握られていますが、鮨が魚から始まったことを考えると、誰かが魚ではないそれを握った先人がいるわけです。きっと肯定的な意見だけではなかったでしょう。ですが、続けることによって、当たり前になりました。そんな未来の世界基準を作っていきたいと思っています」と秦野氏。
現在、秦野氏が追及している「酸と脂」もそのひとつ。今回、供された茄子の揚げ浸しの鮨や牡蠣の南蛮漬けの逸品などは、その好例です。
そんな秦野氏の想いを伝えたかったと一肌脱いだ人物がいます。今回のプロデュースを務めたレバレッジコンサルティング代表の本田直之氏です。
「秦野芳樹は、確実に進化している。しかし、それに気付いていない人もいる」。
この言葉は、シンプルなように聞こえますが、実は奥が深いと考えます。なぜなら、一人の料理人を定点観測することは難しいからです。通い続ければできますが、言うほど容易なことではありません。
「だから、それをどうしたら伝えられるかをものすごく考えた結果、秦野芳樹の進化した鮨だけでなく、深化した精神を伝えることが必要だと思いました。ただのイベントではなく、正しい場所で、正しい形で、今の秦野芳樹を表現したかった」。
「退蔵院」でそれが具現化できたことは、奇跡のショーケース。そして、もうひとつ。「ゲストは世界中から」ということも本田氏がこだわったところ。
「秦野芳樹が世界基準で鮨の礎を築こうとしていることは知っていました。だから、今回のメッセージは、日本だけでなく世界の人に伝えたかった」。
厳選されたゲストは、わずか20名。半分は外国人。国も年齢も性別も業種も様々。さらに補足すべきことは、レストランランキングなどが目的とされていないこと。あくまでも、対ゲストに向けられたイベントだったということです。
「今回の趣旨は、正直、日本人でも理解するのは難しいと思っています。しっかりと本質を伝えるには、20名が限界。自分自身もまた、本質とは何かに向き合えた体験でした」。
「これほどまでに情報過多の時代、人間は変わらないと成長できない」。秦野氏は、そう話します。
「退蔵院」で鮨を握るということ。それは、高い技術に裏打ちされた握りを供することにあらず。禅の振る舞いに相応しい振る舞いをしなければならず、その精神性を兼ね備えなければいけません。それは秦野氏に限らず、ゲストも同様。
「今後は、もっとアグレッシブに外に出てい(生)きたいと思っています。矢面に立てば、批判も出ると思いますが、それも真摯に受け止めようと思っています。日本の魚って素晴らしい、日本の鮨って素晴らしい。これから自分が目指す鮨をワールドオーダーにしたい」。
自分を超えられるのは、自分だけ。
指先を見ている秦野芳樹は、もういない。六根清浄――。秦野芳樹は、自身を導き出し、指が差す先を目指す。
Photographs:YOHEI MURAKAMI
Text:YUICHI KURAMOCHI