WEBメディア「GENTRY(ジェントリ)」で徳島県おすすめドライブデートコースが紹介されました。
徳島駅をスタートし、東部エリアを巡るコースとなっています。
記事内でご紹介されている藍住町バラ園は春の5月中旬頃、秋の11月下旬頃のバラの見頃に合わせてバラまつりを開催しております。
徳島県を観光する際には、ぜひ参考にご覧ください。

永遠の藍染。
WEBメディア「GENTRY(ジェントリ)」で徳島県おすすめドライブデートコースが紹介されました。
徳島駅をスタートし、東部エリアを巡るコースとなっています。
記事内でご紹介されている藍住町バラ園は春の5月中旬頃、秋の11月下旬頃のバラの見頃に合わせてバラまつりを開催しております。
徳島県を観光する際には、ぜひ参考にご覧ください。
土地土地の風土や文化、歴史を料理に落とし込み、その地域固有のテロワールを美食として味わう。現在、ローカルガストロノミーという言葉で表現されるある種の文化が日本でも浸透しはじめ、地域固有の食材や保存食、伝統調理などを再解釈する動きは、全国で加速していると思われます。東西南北にのびる日本の地理と海に囲まれた島国を背景に、東北、北陸、九州など、同じ日本とは思えないほどバラエティ豊かな食文化を再認識できるのも、日本のローカルガストロノミーの最大特徴ではないでしょうか。我々、ONESTORYでも幾度となく各地で表現されるローカルガストロノミーの雄や熱意あるイベントを紹介してきましたが、雪の残る今年2月、ある意欲的なイベントが開催されました。
場所は長野県・南木曽町。
面積の94%が森林に覆われた美しい森の町という表現もできるのですが、中山道の宿場町として古い町並みを残すこの場所は、なかなかにアクセスも容易でなく、人里離れた田舎の町でもあるのです。海がなく、雪に覆われたかつての宿場町。1年でも特に食材の乏しいこの季節に、この地を訪れ、地域と食材、そこにまつわる人々を巡ったのはジャンルカ・ゴリーニ氏。なんとイタリア・エミリア・ロマーニャ州で6年連続星を獲得する世界的なシェフだったのです。
ONESTORYでは、ジャンルカ氏の南木曽視察の取材に同行し、さらにはその後、東京で開催されたお披露目イベントまでを密着。2回にわたり、世界で称賛を集めるシェフが見た南木曽と、ローカルガストロノミーの現在地をレポートさせていただきます。
AM8:00。
1時間に1本ほどしかない中央本線から南木曽駅に降り立ったジャンルカ氏。あまりに自然豊かな南木曽までの車窓の風景の感想を聞いてみると
「僕の故郷にとても似ていて、とても落ち着いたよ。空気も澄んでいて、いい場所だね。素晴らしい出会いがありそうだ」と笑うのです。
そうなのです、彼の店『daGorini』のあるイタリア北東部・エミリア・ロマーニャ州の田舎町も南木曽同様、森林に囲まれた山の町。独創的な田舎料理とも評されるジャンルカシェフは、多様なキノコやジビエ、淡水魚を用いた料理で世界中から訪れるゲストを魅了しているのです。
南木曽駅からまずは役場に向かい、今回のポップアップイベントチームの顔合わせへ。今回、ジャンルカ氏は、イタリアから単身で日本へ、そのまま南木曽町へと直行し、日本人の有志の料理人とともに即席チームを作るのです。
以下、有志で参加した料理人。
長野県木曽郡木祖村『base』オーナーシェフ・神出達樹氏。
長野県飯田市『BISTRO Freres』オーナーシェフ・久保田春樹氏。
山梨県北杜市有機農家『restauro terra』(元『アル・ケッチャーノ』料理人)杉浦秀幸氏。
長野県松本市出身で、辻調理師専門学校フランス校の卒業生・吉川瑠香氏。
東京都千代田区紀尾井町『MAZ』料理人・藤森祐太氏。
長崎県出身で、『Zenagi』のサポートシェフ・中尾恵氏。
職場もジャンルも立場も違う6名の有志の料理人がジャンルカ氏とともに料理がしたいと集まり、言葉の壁を乗り越え、短時間でチームを目指します。予定では南木曽町での生産者や食材視察を3日間、その後料理の試作を3日間、そのまま東京へと舞台を移し3日間のイベントへ。さらに再び南木曽町へと戻り生産者ディナーという強行軍。限られた時間、限られた食材、限られたメンバーという制約の中、南木曽町をいかに感じ、どう表現するのか。
それこそが今回のガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」。
イベントの主催は南木曽で1日1組限定の宿を運営する『Zenagi』であり、究極のプライベート体験を提案する同宿ならでは試みなのです。(地域の食材の生産者や観光業者で作る、南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会との共催)
役場での顔合わせを終えるとジャンルカ氏は、チーム皆と同じバンに乗り込み、早速、南木曽町が織りなす森が育む生産者を朝から晩まで巡っていったのです。
まず訪れたのは無農薬で自然米や自然野菜を作る農家『みなとや農園』の西尾美佐緒さん。特に印象的だったのは、生産者・西尾さんの話に耳を傾け、水の性質、土の状況など、なにもない冬の畑を熱心に見つめるジャンルカ氏の姿でした。
「なにもないって感じるだろうけど、すでに春の息吹はたくさんある。在来種のきそれんこんには驚いたよ。畑でかじったけど、甘いんだ。すぐに使いたいアイデアがいくつも浮かんだ。固有の野菜や山菜、お米も気になるものだらけだよ」とジャンルカ氏。
その後も郷土の山菜・イタドリの食文化を伝承する『広瀬いたんどり会』、山麓でヤギを飼育しヤギのチーズを作る『MAUKA LANI GOAT FARM』、どぶろくを製造する『旅籠つたむらや』、中央アルプスの清冽な水でレインボートラウトを養殖する『息吹養鱒場』、イワナを養殖する『高橋渓流』、木曽の地酒を守り続ける『杉の森酒造』、天然醸造で糀味噌を作る『小池糀店』、木曽伝統の漬物すんきを広める『木曽すんき研究会』など、時間の許す限り生産者を周るのですが、ジャンルカ氏の希望は、南木曽ならではの発酵文化や伝統食、水が育む森の食材ばかり。
そこには豪華な食材もなければ、色とりどりのハーブや野菜もごくわずか。まさに真冬の雪山や閑散とした畑が生む、南木曽の住民が普段味わう食文化が中心だったのです。
「いやー、最高に刺激的な視察だった。求めているものは見つかった気がするし、予定にないサプライズもたくさんあった。はじめての日本でまだ都市には行けてないけど、ずっと来たかった日本で、南木曽は想像以上だった。そして僕の故郷に似ていた。なにもないように思われるけど非常にクリエイティブな場所だった」とジャンルカ氏。
イタリアでも同様に山を理解し、そこにあるものを使い料理を作る。それは季節に寄り添うことでもあるとジャンルカ氏は笑いました。だからこそ地元の人が大切に守り育てる食文化に興味があったとも。食材が乏しい冬こそ、料理人の真価は問われる、だからこそこのプロジェクトを受けたんだと話してくれました。
次回の記事では、いよいよ試作を終えたシェフ・ジャンルカ×南木曽食材、即席チームジャンルカ・ジャパンが躍動したローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」の全貌を紹介。フーディーを魅了した驚きの料理の中に、ジャンルカ氏が表現する南木曽の豊かさを感じていただきます。
住所:長野県木曽郡南木曽町田立222
https://zen-resorts.com/
南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会
https://nagiso-wellness-tourism-council.com/
Photographs:TOMOHIRO MATSUNAGA
Text:TAKETOSHI ONISHI
日ごろ大変お世話になります。
新潟県妙高市へのふるさと納税の返礼品として、マルニジーンズの店頭で使用できる返礼ポイントをご利用いただけます。
返礼ポイントは、店舗にて全てのマルニオリジナル商品やアフターサービス代金をお支払いの際にお使いいただけます。お支払後、残ったポイントは次回のお支払にご利用頂けます。(有効期限1年)。
下記バナーにリンクされている「ふるさとリンク」の公式サイトにて、寄付申込と決済を簡単・スムーズな操作で行えます。同サイトでは、詳しいメリットや操作説明の動画もご覧いただけます。
詳しくはこちらをご覧くださいませ。ふるさとリンク
是非とも地域貢献とともにご利用頂ければ幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。
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2024年は、かつてないほど「田中一村」という名が燦然と輝いた年でした。東京都美術館で開催された「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は来場者28万人以上を記録。知られざる孤高の日本画家に大きな注目が集まりました。一村が中央画壇を離れ、日本画の新境地を開いた地が奄美です。
奄美を舞台にしたランチイベント「Landscape Cuisine Amami」は、田中一村記念美術館のガイドツアーから始まりました。一村の作品や資料を多数所蔵する同美術館では、作品約80点が常設展示されています。美術館スタッフによる案内の中で特に詳しく解説された作品がありました。五色エビとシマイセエビ、ウマヅラハギなどをコラージュした「海老と熱帯魚」です。この作品は、これからいただくスペシャルランチと深い関わりがあると言います。
ランチコースを監修するのは薪火料理を得意とする米国人シェフ、タイラー・バージズ氏。2019年の「DINING OUT WAJIMA」に参加したのをきっかけに日本に惚れ込んで移住し、2022年にオープンさせた横浜の薪火レストラン「SMOKE DOOR」で腕を振るうトップシェフです。たびたび来島して食材の生産者を訪ね、島の伝統調理法などのリサーチを重ねていた彼は、これらの絵から大きなインスピレーションを受け、新しい料理を生み出すエネルギーを得たそうです。奄美の豊かな自然を徹底的に見つめ続けた一村の眼差しに共鳴し、表現者として掻き立てられるものがあったのでしょう。ゲストの期待もふくらみます。
ランチの会場はオーシャンビューのホテル「THIDA MOON」。まずはその2階に併設された大島紬美術館を見学します。泥染めと草木染めを何度も行い、緻密なかすり模様が特徴の大島紬は、世界三大織物にも数えられる高級織物。奄美に移住した一村は、大島紬の染色工として働き、蓄えができたら画材を買って絵を描くという生活を繰り返していました。この美術館では、大島紬の製作工程について知識を深められると共に、一村の作品を忠実に模してデザインした着物や帯を鑑賞することができます。
ホテルのテラスから庭に降り立ち、アダンの木に覆われたトンネルを抜けると、目に飛び込んで来るのは一面の大海原。ウェルカムドリンクでいよいよランチの幕開きです。
フィンガーフードは田中一村の「海老と熱帯魚」にインスパイアされた「伊勢海老と熱帯魚」。熾火で乾燥させたカンパーニュを蘇轍味噌と南国魚の出汁で風味付けし、薪でさっと焼いた伊勢海老をたっぷりのせた一品。海老の豊かな甘みが広がります。
20数名のゲストは、芭蕉とバナナの葉やアダンの実などで彩られた屋外の特設テーブルにつきました。正面では、海を背景にしたタイラー氏が、いくつもの火種を巧みにコントロールしています。そして彼の元でキビキビと動くのは、島内のラグジュアリーホテル・レストランから集まった料理人やサービスマンたちです。
ほどなくエディブルフラワーに彩られた華やかな一皿がやってきました。奄美の海で獲れた夜光貝の前菜です。鮑よりも硬い夜光貝の身は、地元ではできるだけ薄造りにした刺身で食べられています。タイラー氏はあえて身ではなく比較的やわらかい貝柱を使い、ローゼルをはじめとする島に咲く花で作ったソースを合わせました。一村が色とりどりの花を描いた作品「奄美の郷に褄紅蝶」のイメージからタイラー氏は着想したと言います。
さて、夜光貝の身は一体どこにいったのでしょう? 実は、この皿に身もしっかりと盛り込まれています。身は薪火の遠火で1週間かけて加熱・脱水し、鰹節のような“節”に仕上げました。それを削り、ソースにたっぷりと使っているのです。身の姿は見えなくなったものの、その旨みは凝縮され、華やかなソースの香りと一体となって再構築されています。
ペアリングのアルコールドリンクは、奄美特産の黒糖焼酎を独自に燻製し、フレッシュな島のレモンと合わせたレモンサワーです。黒糖焼酎を飲み慣れた地元のゲストからも、「黒糖焼酎にこんな美味しさもあったのか」と驚きの声があがります。
続いて、奄美でもポピュラーな食材、島豚の料理がやってきました。バラ肉で作った塩豚を、皮目をカリリと焼き上げて野菜や油ぞうめんと合わせた一品。田芋のクレープにくるんでいただきます。塩豚のうまみと塩味、黒糖の甘味、ゴーヤの苦味、きび酢や島特産の柑橘であるツノカガヤキを使った三杯酢の酸味からなる島の五味が表現されています。
「限られた食材を活かすための創意工夫を凝らす文化が、島に広く根付いていることに感銘を受けました」と、タイラー氏は奄美での気づきについて話します。
奄美は長く薩摩藩に仕えながら、琉球王朝をはじめとするアジア諸国と盛んに交流を行ってきました。その歴史的背景は、島の伝統的な食文化にも色濃く反映されています。代表的な郷土料理である鶏飯(けいはん)はそのひとつ。ほぐした鶏肉と錦糸卵、パパイヤの漬物、柑橘などを白いご飯の上にのせ、鶏ガラスープをかけていただく料理です。戦後は一般家庭でも日常的に食べられるようになりましたが、かつては庶民は口にできない特別なおもてなし料理でした。物資が限られている離島では、卵を産む鶏は貴重な家畜。その鶏肉を惜しげもなく使った鶏飯は、島にやってくる薩摩藩の役人をもてなすための料理だったのです。
豚肉も貴重でした。正月に潰した豚は塩漬けの塩豚にして、次の正月までもつように少しずつ塩抜きしながら大切に使われていたと言います。黒糖を使った角煮や野菜との炊き合わせは、ハレの日には欠かせない伝統料理として今も島に息づいています。
タイラー氏は浅めに塩漬けした豚肉の大きな塊を、地中で蒸し焼きにします。土の中で数時間をかけて焼くことでじっくりと火を入れると同時に燻煙し、大地のミネラルも取り込むのが狙いです。豚本来の滋味が閉じ込められた厚切りの肉をパパイヤやパッションフルーツなどの島の野菜や果物で作ったラビゴットソースと共にいただきます。奄美の豊かな自然の恵みが凝縮された一皿となりました。
肉が貴重だった一方で、魚介には不自由しないほど恵まれていました。海に行けば多種多様な味のいい魚や貝が手に入ることから、島民はタンパク源の多くを海の幸に頼ってきました。いつでも得られることから、島では魚介は新鮮なものを生食することが重視され、その結果として保存食としての利用はさほど進まなかったのではないかとタイラー氏は分析します。夜光貝の“節”には、そのような島の食文化への新たな提案になればとの思いも込められていたのです。
「とにかくいい野菜を作りたい」
「新鮮で上質な魚を届けたい」
島の農家や漁師と交流する中で、タイラー氏は彼らの商売よりもプロとしての仕事を重んじる職人気質の姿勢に驚かされたと言います。
特産のマコモダケを何十年にもわたり作り続ける生産者が会場で披露してくれたエピソードが印象的です。古くから奄美で栽培されてきた田芋。その収穫後の畑にマコモダケを植えることで元気に育ちます。そのうえ、マコモ菌が土壌を活性化し、田芋を病気から守ってくれるとのこと。持続可能な農業としてさらに研究を続けていくと力強く語りました。自然を相手にした気の遠くなるような取り組みに頭が下がります。
そのマコモダケは深く塩漬けした豚の出汁でマリネされ、マコモダケ本来の甘くやさしい風味を堪能できる一皿となりました。
食事には焼き海老飯が用意されました。これは、先述の鶏飯の鶏肉を島特産の車海老に置き換え、鶏出汁に海老から取った出汁も合わせたスープをかけていただく一品。
「鶏飯が生まれた時代とは社会環境も変わり、鶏肉は身近な食材となりました。現代ならどんなおもてなしができるかと考えた場合、私はこの島だからこそ手に入る新鮮で美味しい食材として車海老にたどり着きました。鶏飯の心意気を受け継ぎながら、現代版鶏飯として再解釈した料理として楽しんでいただければ」とタイラー氏は話します。
薪火でさっと焼き上げた車海老を鶏出汁で炊き込んだごはんは、なんとも海老の香ばしさが漂う芳醇な味わい。スープをかけることで、その豊かな風味はさらに花開く。鶏飯を食べ慣れているゲストも目から鱗が落ちる新鮮な食体験となりました。
薪火料理と聞くと豪快なバーベキューをイメージする人も多いでしょう。ところが、タイラー氏が実践する薪火料理は、薪から作った適切な熾火を様々な炉や庫内で食材に火入れしていく、極めて繊細な調理法であることがわかります。
その真骨頂が現れていたのがデザートです。島特産のパイナップルから甘味だけでなくしっかりとした酸味もある品種を選び、薪火の遠火で丸ごと熱していきます。黒糖と島ラムで風味付けしながら全体に満遍なく火を通すこと丸2日間、鮮やかなオレンジ色のパイナップルは飴色の小さな塊に濃縮されました。
しっとりと極上のセミドライパイナップルを地豆(ピーナッツ)で作ったフローズンマシュマロと一緒にいただきます。
熱帯の日光と潮風を浴びながら大地のエネルギーを吸い上げて育ったパイナップルは、原始的かつ繊細な熾火調理によって、自然の恵みそのもののスイーツへと昇華しています。
ランチコースの充実ぶりは、ゲストたちの笑顔が何よりも雄弁に語っています。
コースを締めくくり、あらためて奄美食材のポテンシャルの高さを感じたとタイラー氏。「奄美には、食の豊かさに加えて、島民がより良い未来の食を望む意欲的な地域性があります。日本の他の有名観光地に比べて食に関してあまり色がついていない分、伸びしろも大きい。“伝統と革新が共存する食の島”として発展していくだろうと期待しています」。
奄美の深く豊かな自然は、年間を通じて豊富な降水の賜物でもあります。イベントの最中、強い日差しを遮ってくれていた雲は、スタッフ全員が勢揃いして挨拶した大団円をしおに急激に厚くなりました。海山に一斉に降り出した恵みの雨は、爽やかな閉会の合図となりました。
令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:鹿児島県奄美市
企画:ONESTORY
協力:大島紬美術館、田中一村記念美術館、日本航空
運営:Auberge Tebiro 1732、THE SCENE、THIDA MOON、伝泊「2 waters」、FISH_AMAMI
2024年は、かつてないほど「田中一村」という名が燦然と輝いた年でした。東京都美術館で開催された「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は来場者28万人以上を記録。知られざる孤高の日本画家に大きな注目が集まりました。一村が中央画壇を離れ、日本画の新境地を開いた地が奄美です。
奄美を舞台にしたランチイベント「Landscape Cuisine Amami」は、田中一村記念美術館のガイドツアーから始まりました。一村の作品や資料を多数所蔵する同美術館では、作品約80点が常設展示されています。美術館スタッフによる案内の中で特に詳しく解説された作品がありました。五色エビとシマイセエビ、ウマヅラハギなどをコラージュした「海老と熱帯魚」です。この作品は、これからいただくスペシャルランチと深い関わりがあると言います。
ランチコースを監修するのは薪火料理を得意とする米国人シェフ、タイラー・バージズ氏。2019年の「DINING OUT WAJIMA」に参加したのをきっかけに日本に惚れ込んで移住し、2022年にオープンさせた横浜の薪火レストラン「SMOKE DOOR」で腕を振るうトップシェフです。たびたび来島して食材の生産者を訪ね、島の伝統調理法などのリサーチを重ねていた彼は、これらの絵から大きなインスピレーションを受け、新しい料理を生み出すエネルギーを得たそうです。奄美の豊かな自然を徹底的に見つめ続けた一村の眼差しに共鳴し、表現者として掻き立てられるものがあったのでしょう。ゲストの期待もふくらみます。
ランチの会場はオーシャンビューのホテル「THIDA MOON」。まずはその2階に併設された大島紬美術館を見学します。泥染めと草木染めを何度も行い、緻密なかすり模様が特徴の大島紬は、世界三大織物にも数えられる高級織物。奄美に移住した一村は、大島紬の染色工として働き、蓄えができたら画材を買って絵を描くという生活を繰り返していました。この美術館では、大島紬の製作工程について知識を深められると共に、一村の作品を忠実に模してデザインした着物や帯を鑑賞することができます。
ホテルのテラスから庭に降り立ち、アダンの木に覆われたトンネルを抜けると、目に飛び込んで来るのは一面の大海原。ウェルカムドリンクでいよいよランチの幕開きです。
フィンガーフードは田中一村の「海老と熱帯魚」にインスパイアされた「伊勢海老と熱帯魚」。熾火で乾燥させたカンパーニュを蘇轍味噌と南国魚の出汁で風味付けし、薪でさっと焼いた伊勢海老をたっぷりのせた一品。海老の豊かな甘みが広がります。
20数名のゲストは、芭蕉とバナナの葉やアダンの実などで彩られた屋外の特設テーブルにつきました。正面では、海を背景にしたタイラー氏が、いくつもの火種を巧みにコントロールしています。そして彼の元でキビキビと動くのは、島内のラグジュアリーホテル・レストランから集まった料理人やサービスマンたちです。
ほどなくエディブルフラワーに彩られた華やかな一皿がやってきました。奄美の海で獲れた夜光貝の前菜です。鮑よりも硬い夜光貝の身は、地元ではできるだけ薄造りにした刺身で食べられています。タイラー氏はあえて身ではなく比較的やわらかい貝柱を使い、ローゼルをはじめとする島に咲く花で作ったソースを合わせました。一村が色とりどりの花を描いた作品「奄美の郷に褄紅蝶」のイメージからタイラー氏は着想したと言います。
さて、夜光貝の身は一体どこにいったのでしょう? 実は、この皿に身もしっかりと盛り込まれています。身は薪火の遠火で1週間かけて加熱・脱水し、鰹節のような“節”に仕上げました。それを削り、ソースにたっぷりと使っているのです。身の姿は見えなくなったものの、その旨みは凝縮され、華やかなソースの香りと一体となって再構築されています。
ペアリングのアルコールドリンクは、奄美特産の黒糖焼酎を独自に燻製し、フレッシュな島のレモンと合わせたレモンサワーです。黒糖焼酎を飲み慣れた地元のゲストからも、「黒糖焼酎にこんな美味しさもあったのか」と驚きの声があがります。
続いて、奄美でもポピュラーな食材、島豚の料理がやってきました。バラ肉で作った塩豚を、皮目をカリリと焼き上げて野菜や油ぞうめんと合わせた一品。田芋のクレープにくるんでいただきます。塩豚のうまみと塩味、黒糖の甘味、ゴーヤの苦味、きび酢や島特産の柑橘であるツノカガヤキを使った三杯酢の酸味からなる島の五味が表現されています。
「限られた食材を活かすための創意工夫を凝らす文化が、島に広く根付いていることに感銘を受けました」と、タイラー氏は奄美での気づきについて話します。
奄美は長く薩摩藩に仕えながら、琉球王朝をはじめとするアジア諸国と盛んに交流を行ってきました。その歴史的背景は、島の伝統的な食文化にも色濃く反映されています。代表的な郷土料理である鶏飯(けいはん)はそのひとつ。ほぐした鶏肉と錦糸卵、パパイヤの漬物、柑橘などを白いご飯の上にのせ、鶏ガラスープをかけていただく料理です。戦後は一般家庭でも日常的に食べられるようになりましたが、かつては庶民は口にできない特別なおもてなし料理でした。物資が限られている離島では、卵を産む鶏は貴重な家畜。その鶏肉を惜しげもなく使った鶏飯は、島にやってくる薩摩藩の役人をもてなすための料理だったのです。
豚肉も貴重でした。正月に潰した豚は塩漬けの塩豚にして、次の正月までもつように少しずつ塩抜きしながら大切に使われていたと言います。黒糖を使った角煮や野菜との炊き合わせは、ハレの日には欠かせない伝統料理として今も島に息づいています。
タイラー氏は浅めに塩漬けした豚肉の大きな塊を、地中で蒸し焼きにします。土の中で数時間をかけて焼くことでじっくりと火を入れると同時に燻煙し、大地のミネラルも取り込むのが狙いです。豚本来の滋味が閉じ込められた厚切りの肉をパパイヤやパッションフルーツなどの島の野菜や果物で作ったラビゴットソースと共にいただきます。奄美の豊かな自然の恵みが凝縮された一皿となりました。
肉が貴重だった一方で、魚介には不自由しないほど恵まれていました。海に行けば多種多様な味のいい魚や貝が手に入ることから、島民はタンパク源の多くを海の幸に頼ってきました。いつでも得られることから、島では魚介は新鮮なものを生食することが重視され、その結果として保存食としての利用はさほど進まなかったのではないかとタイラー氏は分析します。夜光貝の“節”には、そのような島の食文化への新たな提案になればとの思いも込められていたのです。
「とにかくいい野菜を作りたい」
「新鮮で上質な魚を届けたい」
島の農家や漁師と交流する中で、タイラー氏は彼らの商売よりもプロとしての仕事を重んじる職人気質の姿勢に驚かされたと言います。
特産のマコモダケを何十年にもわたり作り続ける生産者が会場で披露してくれたエピソードが印象的です。古くから奄美で栽培されてきた田芋。その収穫後の畑にマコモダケを植えることで元気に育ちます。そのうえ、マコモ菌が土壌を活性化し、田芋を病気から守ってくれるとのこと。持続可能な農業としてさらに研究を続けていくと力強く語りました。自然を相手にした気の遠くなるような取り組みに頭が下がります。
そのマコモダケは深く塩漬けした豚の出汁でマリネされ、マコモダケ本来の甘くやさしい風味を堪能できる一皿となりました。
食事には焼き海老飯が用意されました。これは、先述の鶏飯の鶏肉を島特産の車海老に置き換え、鶏出汁に海老から取った出汁も合わせたスープをかけていただく一品。
「鶏飯が生まれた時代とは社会環境も変わり、鶏肉は身近な食材となりました。現代ならどんなおもてなしができるかと考えた場合、私はこの島だからこそ手に入る新鮮で美味しい食材として車海老にたどり着きました。鶏飯の心意気を受け継ぎながら、現代版鶏飯として再解釈した料理として楽しんでいただければ」とタイラー氏は話します。
薪火でさっと焼き上げた車海老を鶏出汁で炊き込んだごはんは、なんとも海老の香ばしさが漂う芳醇な味わい。スープをかけることで、その豊かな風味はさらに花開く。鶏飯を食べ慣れているゲストも目から鱗が落ちる新鮮な食体験となりました。
薪火料理と聞くと豪快なバーベキューをイメージする人も多いでしょう。ところが、タイラー氏が実践する薪火料理は、薪から作った適切な熾火を様々な炉や庫内で食材に火入れしていく、極めて繊細な調理法であることがわかります。
その真骨頂が現れていたのがデザートです。島特産のパイナップルから甘味だけでなくしっかりとした酸味もある品種を選び、薪火の遠火で丸ごと熱していきます。黒糖と島ラムで風味付けしながら全体に満遍なく火を通すこと丸2日間、鮮やかなオレンジ色のパイナップルは飴色の小さな塊に濃縮されました。
しっとりと極上のセミドライパイナップルを地豆(ピーナッツ)で作ったフローズンマシュマロと一緒にいただきます。
熱帯の日光と潮風を浴びながら大地のエネルギーを吸い上げて育ったパイナップルは、原始的かつ繊細な熾火調理によって、自然の恵みそのもののスイーツへと昇華しています。
ランチコースの充実ぶりは、ゲストたちの笑顔が何よりも雄弁に語っています。
コースを締めくくり、あらためて奄美食材のポテンシャルの高さを感じたとタイラー氏。「奄美には、食の豊かさに加えて、島民がより良い未来の食を望む意欲的な地域性があります。日本の他の有名観光地に比べて食に関してあまり色がついていない分、伸びしろも大きい。“伝統と革新が共存する食の島”として発展していくだろうと期待しています」。
奄美の深く豊かな自然は、年間を通じて豊富な降水の賜物でもあります。イベントの最中、強い日差しを遮ってくれていた雲は、スタッフ全員が勢揃いして挨拶した大団円をしおに急激に厚くなりました。海山に一斉に降り出した恵みの雨は、爽やかな閉会の合図となりました。
令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:鹿児島県奄美市
企画:ONESTORY
協力:大島紬美術館、田中一村記念美術館、日本航空
運営:Auberge Tebiro 1732、THE SCENE、THIDA MOON、伝泊「2 waters」、FISH_AMAMI
日頃お世話になります。
妙高市民限定のみんなの応援券・
店舗にてご利用頂けます。
利用期間5月9日までとなります。
当方では現金又はカード・PayPayなど
併用してご利用頂けます。
皆さまのご利用の程よろしくお願いします。
栃木県鹿沼市。この地には、ふたつの顔があります。ひとつは、祭りを象徴とした江戸から始まる宿場町。そして、その名残を残す中心地から少し足を延ばすと、あるところから空気が変わることに身体が気付くでしょう。凛とした厳かな世界に包まれ、それはまるで境界線を超えたかのような。はたまた、結界に足を踏み入れたような。そこがもうひとつの顔。約1300年以上続く霊場としての鹿沼です。現在、後者の顔に改めて目を向け、この地を正しく後世に継ぐ活動が始まりました。
この地とは、多くの山々が連なる、西北鹿沼。北へ向かうと日光につながります。日光は古来より神仏が宿る霊場として多くの信仰を集めており、特に「男体山」は特別視されていました。日本独自の山岳信仰である修験が盛んに実施されたことは、そんな背景が手伝います。日光山開祖である勝道上人が「男体山」に登る前、修行していた地が「深山巴の宿」。約3ヵ年の歳月を過ごしたという言い伝えが残る修験道場跡(鹿沼市草久辺り)は、「日光発祥の地」とも呼ばれています。
そして、この霊場の歴史に欠かせない存在が「古峯神社」です。現在は、「俗塵を離れて身を清め、心安らかに鎮めて大神様の御神徳を賜ることができるよう」に一般も宿泊することが可能。翌朝、黎明に行われる一番祈祷を受けて下山する慣わしは創始以来行われており、「古峯神社」の特色でもあります。祈願後、神に備えた食事をともにいただく儀式、直会(なおらい)は、身を清めた神事から日常に戻るためのもの。この一連を体験する時間は、心身が浄化されるだけでなく、人が生きることの意義すら問われているように感じるでしょう。
宿泊という意味では、「石原邸」も欠かせない。そして、訪れる前に知っておきたい背景があります。
前述、「古峯神社」を信仰するグループ「講」は全国に存在。歴史的には関東圏から東北にかけて広がっており、「遠野物語拾遺」の中にも記載が残されています。古くは、旅自体が困難であったため、「講」は代表者が参拝に訪れていました。さらに、入峰修行をしていた日光山門の行者たちが入峰するには手続きがあり、霊場を守る世話人、「前鬼」と呼ばれる一族の家に一泊してから赴くという一連の流れを経なければいけません。その一族こそが、「前鬼」石原隼人。
「石原邸」と石原隼人の関係がある記述はどこにもありませんが、築150年の古民家を守り続ける「石原邸」は、現代における世話人として、この地に根ざしています。まるで「堆肥のような建築」は、宿泊施設や飲食施設として、今後稼働していく予定であり、山の中外を結ぶハブになる可能性も秘めています。
そのほか、「石原邸」のように、地に根ざした場が、少しずつ芽吹いていますが、この地の大きな特徴は、開発に頼らなかったことではないでしょうか。
「大芦川」を中心にいくつもの尾根が重なり合い、その水によって、この地は生かされてきました。現在、日本では、高齢化や人口減少が進み、今まで手入れされてきた森林や農地の維持が難しくなってきたところも少なくありません。気候変動の要因もありますが、荒廃した地による水資源の課題は、時を増すごとに深刻な自体に。美しい水と暮らしの関係が保たれていることは当たり前ではないのです。
そして、今後、この地を価値化していくには、数多の選択を繰り返し、それを正しい道へと導くためには、より一層、地域の意志が必要とされると考えます。
世界には、1223件の世界遺産が記載(2024年8月現在)されており、そのうち、日本は26件。ユネスコ無形文化遺産は、568件の記載(2023年2月現在)がされており、日本は23件。「今宮神社の屋台行事」は、後者に登録されており、400年の時を超え、鹿沼彫刻屋台が織りなす勇壮優美、豪華絢爛な時代絵巻は圧巻です。
そのほか、発光路妙見神社祭り当番の受け渡しの儀式「発光路の強飯式」は、国指定重要無形民俗文化財に指定。両者はあくまで一例ですが、鹿沼には世界に誇る文化が多く潜んでいます。
西北鹿沼においては、このような指定、認定、登録されたものはありませんが、これを卑下する必要はありません。なぜなら、国内外から評価されるべき遺産価値はこれだけではないと考えるからです。
選考する委員会や団体、組織すら、足を運んだことがない地、知られざる地においても、遺産価値は備わり、誰かの評価軸ではなく、地域の評価軸で崇める地こそ、旅をしても訪れたい地となるのではないでしょうか。
西北鹿沼には、それを感じるのです。
そして、西北鹿沼に限らず、今こそ、各地域が未登録の遺産価値を見出さなければいけない局面を迎えているのかもしれません。
この地と出会った時、ある言葉が脳裏を過ぎりました。芸術家・池田満寿夫が所縁のある長野県塩尻市に向けた「山中に学ぶ」という書です。木曽漆器が有名なこの地は、四方を山々に囲まれ、冬場は雪が険しく、それによって保存食も生まれ、暮らしも産業も、全て山とともにありました。
山とともに生きる地の知恵。これは、鹿沼においても同様、もとい、西北鹿沼においても同様だと考えます。そして、暮らしが営まれているからこそ、今なお、それが途切れることなく、正しく時を重ねているのかもしれません。
しかし、自然との共存は、そう甘くはなく、課題も多い。その最たる例が「富士山」ではないでしょうか。
「富士山」は、言わずと知れた観光地であり、日本のシンボル。国内だけでなく、世界中から登山客が訪れるため、山が痛まないよう、進路を変えるなど、工夫を行うが、それでも来訪者の人数には敵わない。
そんな「富士山」が、近年で自然を取り戻した時期がありました。コロナ禍です。
過去を遡っても、あれほど長期間にわたって入山されなかったことはなかったのではないでしょうか。皮肉にも、人が介在しないことによって、「富士山」は本来の姿に還ることができたのかもしれません。
極端な比較対象だったかもしれませんが、伝えたいことは、どの地域にも許容できる範囲があるということ。それを超えると、疲弊してしまう危惧が孕んでいるのです。
西北鹿沼の美しい里山文化は、決して無くしてはいけない。それを伝えたい、知ってほしい。しかし、多くの人が訪れるほどの許容もなければ、それによって生態系すら崩れてしまう恐れもある。正しく時を重ねてきた暮らしはどうなるのか。
理想と現実は必ずしも比例せず、これは観光の表裏とでも言うべきか。
この難問の解は、各地域によって異なるため、何かを言い切るのは難しい。だからこそ、ひとつだけ、分かることがあります。
答えを他所に委ねてはいけないということです。
先人たちもまた、自ら答えを導き出し、地を発展させ、郷土を育んできたのではないでしょうか。未来を見据えることも大切ですが、過去を振り返ることもまた、地を価値化させる上で、大切な行為。答えはすぐには見つからないと思いますが、思考の歩みを止めてはならない。
この地の文脈になぞれば、それは現代における修行なのかもしれません。
桜咲く麗らかな春は、味覚も花開く美味の季節。「和光アネックス」地階のグルメサロンでは、そんな情緒を食に込め、新たなお品を展開。パートナーに「和菓子 薫風」(以下、薫風)のつくださちこさんを迎え、同店のどら焼きと羊羹を独自にアレンジ。「桜どら焼き」と「いちご羊羹」として展開します。口に含んだ瞬間、味だけでなく、香りも含めて完成される仕上がりは、季節だけでなく、日本らしさすら覚えるでしょう。
まず、どら焼きにおいては、北海道産大納言小豆のつぶ餡を使用。一枚一枚手焼きするそれは、「薫風」の定番商品です。
「今回は、それに桜葉の塩漬けを刻んだものを加え、桜どら焼きとして和光アネックスのオリジナル商品として考案しました。甘味だけでなく塩味もあり、桜の爽やかな香りも含め、お楽しみください」とつくださん。
そして、羊羹。こちらにおいても、「薫風」の定番商品であり、手亡豆の白餡にグリーンピスタチオを効かせたものに、今回は、福岡の名品、あまおうを加えます。
「いちご羊羹として展開するいちごは、福岡の大木ベリーさんのあまおうを使用しています。自然環境農法を取り入れ、丁寧に栽培されているため、美味しいはもちろん、安心、安全なことも特徴です。大きさや熟れ具合、形を厳選し、こだわり抜いた高品質のあまおうをご堪能ください」。
あまおうには、フランボワーズを合わせているため、甘味と酸味が絶妙に調和。加えて、餡にはカルダモンなどのスパイスも効かせているため、複雑な味のレイヤーを楽しめるでしょう。
そんなふたつを開発するにあたり、つくださんがこだわった点は、和菓子単体の味わいだけでなく、ペアリングとしての相乗効果。ここでの特筆すべき点は、「薫風」においては、和菓子と日本酒のマリアージュに対し、今回は、ハーブティーとのマリアージュ。
「桜どら焼きには、エキナセアティーを。桜葉の香りとエキナセアの清涼感が後口をすっきりとまとめてくれ、もう一口、そしてもう一口と、運びたくなる味わいに。そして、いちご羊羹には、桑の葉茶を。いちごを加熱した時の熟した味わいが桑の葉の爽やかな味と香りが香ばしい味わいに寄り添ってくれます」。
今回の味わいは、初春、仲春、晩春と、三春を通してお楽しみいただけるでしょう。ぜひ、春のお供に。
<INFORMATION>
今回、ご紹介させていただきました「桜どら焼き」と「いちご羊羹」は、「和光アネックス」地階のグルメサロンにて、2025年3月20日より4月中旬頃までの期間限定で展開いたします。※限定品のため在庫がなくなり次第、販売を終了させていただきます。お早めにお求めください。
「春爛漫のこの時季。桜やいちごの香り豊かな和菓子とハーブティーのマリアージュをおたのしみください」/「和菓子 薫風」つくださちこ
※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。
住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
www.wako.co.jp
美術館に飾るような器で佐賀の美食を楽しむガストロノミーイベント「USEUM SAGA(ユージアムサガ)」。400年の歴史を誇る有田焼に代表される佐賀伝統の陶磁器と、佐賀の豊かな自然に育まれた第一級の食材が織りなす数日間限定のプレミアムレストランです。これまで数々の佐賀県出身の料理人とトップシェフがタッグを組んできました。その第1弾は2021年に開催された「arita huis(アリタハウス)」シェフ・増永琉聖氏×東京・代官山のフレンチ「abysse」のシェフ・目黒浩太郎氏のコンビ。二人三脚でフルコースを合作しました。
「USEUM SAGA」には、将来を嘱望される県内の料理人が県外の実力派シェフと協働することで、料理人としての濃密な成長を促すという側面もあります。類まれな実力が認められ若くしてヘッドシェフに抜擢された増永氏は、当時まだ23歳。目黒氏のイベント参加は、憧れの同氏と組ませてほしいという増永氏のたっての希望で実現したものでした。
「USEUM SAGA」のコンセプトを高度に表現し、見事に大役を果たした増永氏は、一つところに安住せず、果敢にキャリア形成していきます。福岡のフュージョン料理店「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフとして研鑽を積み、一旦レストランを離れて福岡のパン業界を牽引する「パンストック」でパンの研究に打ち込んできました。
そんな彼が佐賀に凱旋する「USEUM SAGA REVIVAL」が、12月8日・9日に、佐賀市の「ARKSカフェ」にて開催されました。「USEUM SAGA」以降、料理人としての技術と感性を磨き続けてきた増永氏、今の佐賀への想いを形にする舞台です。
ドリンクサービスで料理に華を添えるのは、日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の店「EUREKA!」で店長を務める園田静香氏。日本酒をはじめとするドリンクのプロフェッショナルです。福岡県大牟田市の出身で、佐賀は幼少時から両親に連れられ遊びにきていた思い出の地です。
増永氏と園田氏は、この日のために佐賀食材に関するリサーチと試作を重ねてきました。
佐賀は北を玄界灘、南を有明海に接し、北部は山地、南部は山岳地、東部は平野、西部は丘陵地と、特徴的な地質の大地で形成されています。カニやイカ、青物、牡蠣といった非常に多様な魚介に恵まれ、上質な海苔の養殖でも知られています。温暖な気候はみかんやイチゴなどの果物を育み、様々な野菜や穀物が栽培に適した地質の土壌から産み出されています。古来米に恵まれたことから日本酒醸造も盛んで、焼酎に加えて日本酒と焼酎の銘酒が両方揃う点も九州では特異です。まさに食材の宝庫と言えるでしょう。
宴は、温かいウェルカムドリンクでスタートしました。佐賀名産のみかん「天草」で風味付けした「純米酒粕焼酎天山マスク」のお湯割りです。ノンアルコールには「天草」を使った葛湯が用意されました。
料理の幕開けを飾ったのは、ズワイガニのメスである「セコガニ」と、佐賀県有田町で古くから栽培されてきた「戸矢かぶ」を使ったアミューズ。カニの甲羅を正確に再現した李荘窯業所製の磁器に盛られました。カニの旨みとかぶの甘味、爽やかなユズの香りが見事な調和を見せています。
このカニとかぶには増永氏の多大な思い入れがありました。3年前の「USEUM SAGA」で増永氏が一品目に出したのも、やはりカニとかぶの組み合わせだったのです。あえて同じ食材を使うことで、自身の足跡を見つめ、成長の証を示そうとする真摯さが伝わってきます。
以降、コースは全16品におよびました。リサーチを通してあらためて佐賀食材にふれる中で、各生産者が入魂する素材たちに感動し、レシピのアイデアがあふれ出ました。コースとしては非常に多い16品は、それでも泣く泣く絞った16品。増永氏の熱量と半端ではない仕事量が結集しています。
「USEUM SAGA」という名の由来は、美術館(MUSEUM)に飾るような器を、実際に食器として用いて(USE)料理を味わえることから。
一般的に人間国宝のような著名な陶芸家は壺やオブジェなどの大作を手がけることが多くなるため、料理皿のような生活食器の作品はほとんど作られることがないそうです。よって人間国宝クラスの皿で実際に料理をいただくことは極めて貴重な機会になります。「USEUM SAGA」では人間国宝に揃いの食器を特別に作ってもらい、惜しげもなく使われます。
たとえば、「しいたけ」の十四代今泉今右衛門をご覧ください。実際に手に取って眺めてみると、精緻な絵柄、精彩な発色に心を奪われます。そこには、増永氏の色彩感覚や空間構成によって器の魅力を引き出され、生活用具としての機能美がプラスされた効果も多大に影響しています。陶芸家と料理人の競演でもあるのです。
増永氏は今回のプロジェクトを通じて、佐賀食材に特有の“力強さ”を感じたと話します。
「トマトが甘くておいしい。でも甘いだけでなく非常にトマトらしい。ナスはナスらしい。風味や食感などいろんな要素がからんでいますが、確固たる存在感があります。僕はそんな佐賀食材で料理をすると、とてもしっくりくるという感覚があるんです。一つひとつの素材はすでに完成されたもの。僕の仕事はその持ち味を壊さずに寄り添うことです。料理の本質をあらためて見つめる機会になりました」
園田さんも新たなチャレンジに確かな手応えを感じたようです。
「佐賀は馴染み深い土地ですが、単に佐賀産の材料を使ったドリンクになってしまわないか? 私にできることは一体何か? と悩みました。それが、増永さんの料理を試食して一気に解消されました。増永さんは素材の本質的な魅力を捉えて、意外な手法で放出させます。ここにクミンを使って抜け感を出してきたか……とか感心しきり。そして、私は増永さんの料理と一緒においしく、楽しくなるドリンクを作ればいいんだと視界がクリアになりました。私にとっても活動の幅を広げる大切な体験となりました」
「USEUM SAGA」第1弾を企画するにあたり増永氏に白羽の矢を立てた理由を、事務局が明かしてくれました。
料理が好きでおばあちゃん子だった増永氏は、幼少の時から台所に立つおばあちゃんのかたわらで調理の様子を見守り、質問しながらレシピを書き留めてきたそうです。その時間の積み重ねが料理人への道へと導いたのです。佐賀の暮らしの中で、大切な人においしいもの食べさせてあげたい。増永氏の料理人としての土台は、ピュアな思いから形づくられてきました。「USEUM SAGA」はそんな増永氏の料理人としてのスタンスに共鳴しました。
増永氏は、業種業態の異なる店を数店舗展開したいと話します。
「店それぞれの名物で前菜からメイン、デザートまで一つのコースができあがる。自分がどこかでコースを全部作らなくても、そんなふうにおいしいコースを提供できるといいな。夢を少しずつ叶えていきたいですね」と増永氏は静かに話します。
彼はこれから何度も佐賀に立ち帰り、リバイバルを重ねながらより大きな料理人になっていくことでしょう。
未来ある料理人の成長の舞台「USEUM SAGA REVIVAL」第2弾では、誰が腕を振るうのでしょう? 参加者たちは満足感に浸ると共に、次回への期待を膨らませたはずです。
1998年佐賀県佐賀市生まれ。佐賀県立牛津高校を卒業後、2016年「オーグードゥジュールメルヴェイユ博多」に勤務。小岸明寛シェフ(太良町出身)のもとで研鑽を積み、2018年、「arita huis」(佐賀)に勤務、2020年よりヘッドシェフを務める。その後、福岡のイノベーティブレストラン「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフに抜擢される。2024年7月に同店を退職し、一旦レストランを離れ、福岡のパン業界を牽引する「パンストック」に勤務。
1995年福岡県大牟田市生まれ。中村調理製菓専門学校(福岡)卒業後、東京都内のレストランに勤務。日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の日本酒アプローチに惹かれ、「GEM by moto」(東京)に入社。千葉氏が考案する口内調味や日本酒ペアリングのスキルを学ぶ。その後、千葉氏の独立とともに「EUREKA!」(東京)立ち上げに参加。同店の店長として従事。
Photograph:HIDEKI MIZUTA
Text:TAKASHI WATANABE
美術館に飾るような器で佐賀の美食を楽しむガストロノミーイベント「USEUM SAGA(ユージアムサガ)」。400年の歴史を誇る有田焼に代表される佐賀伝統の陶磁器と、佐賀の豊かな自然に育まれた第一級の食材が織りなす数日間限定のプレミアムレストランです。これまで数々の佐賀県出身の料理人とトップシェフがタッグを組んできました。その第1弾は2021年に開催された「arita huis(アリタハウス)」シェフ・増永琉聖氏×東京・代官山のフレンチ「abysse」のシェフ・目黒浩太郎氏のコンビ。二人三脚でフルコースを合作しました。
「USEUM SAGA」には、将来を嘱望される県内の料理人が県外の実力派シェフと協働することで、料理人としての濃密な成長を促すという側面もあります。類まれな実力が認められ若くしてヘッドシェフに抜擢された増永氏は、当時まだ23歳。目黒氏のイベント参加は、憧れの同氏と組ませてほしいという増永氏のたっての希望で実現したものでした。
「USEUM SAGA」のコンセプトを高度に表現し、見事に大役を果たした増永氏は、一つところに安住せず、果敢にキャリア形成していきます。福岡のフュージョン料理店「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフとして研鑽を積み、一旦レストランを離れて福岡のパン業界を牽引する「パンストック」でパンの研究に打ち込んできました。
そんな彼が佐賀に凱旋する「USEUM SAGA REVIVAL」が、12月8日・9日に、佐賀市の「ARKSカフェ」にて開催されました。「USEUM SAGA」以降、料理人としての技術と感性を磨き続けてきた増永氏、今の佐賀への想いを形にする舞台です。
ドリンクサービスで料理に華を添えるのは、日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の店「EUREKA!」で店長を務める園田静香氏。日本酒をはじめとするドリンクのプロフェッショナルです。福岡県大牟田市の出身で、佐賀は幼少時から両親に連れられ遊びにきていた思い出の地です。
増永氏と園田氏は、この日のために佐賀食材に関するリサーチと試作を重ねてきました。
佐賀は北を玄界灘、南を有明海に接し、北部は山地、南部は山岳地、東部は平野、西部は丘陵地と、特徴的な地質の大地で形成されています。カニやイカ、青物、牡蠣といった非常に多様な魚介に恵まれ、上質な海苔の養殖でも知られています。温暖な気候はみかんやイチゴなどの果物を育み、様々な野菜や穀物が栽培に適した地質の土壌から産み出されています。古来米に恵まれたことから日本酒醸造も盛んで、焼酎に加えて日本酒と焼酎の銘酒が両方揃う点も九州では特異です。まさに食材の宝庫と言えるでしょう。
宴は、温かいウェルカムドリンクでスタートしました。佐賀名産のみかん「天草」で風味付けした「純米酒粕焼酎天山マスク」のお湯割りです。ノンアルコールには「天草」を使った葛湯が用意されました。
料理の幕開けを飾ったのは、ズワイガニのメスである「セコガニ」と、佐賀県有田町で古くから栽培されてきた「戸矢かぶ」を使ったアミューズ。カニの甲羅を正確に再現した李荘窯業所製の磁器に盛られました。カニの旨みとかぶの甘味、爽やかなユズの香りが見事な調和を見せています。
このカニとかぶには増永氏の多大な思い入れがありました。3年前の「USEUM SAGA」で増永氏が一品目に出したのも、やはりカニとかぶの組み合わせだったのです。あえて同じ食材を使うことで、自身の足跡を見つめ、成長の証を示そうとする真摯さが伝わってきます。
以降、コースは全16品におよびました。リサーチを通してあらためて佐賀食材にふれる中で、各生産者が入魂する素材たちに感動し、レシピのアイデアがあふれ出ました。コースとしては非常に多い16品は、それでも泣く泣く絞った16品。増永氏の熱量と半端ではない仕事量が結集しています。
「USEUM SAGA」という名の由来は、美術館(MUSEUM)に飾るような器を、実際に食器として用いて(USE)料理を味わえることから。
一般的に人間国宝のような著名な陶芸家は壺やオブジェなどの大作を手がけることが多くなるため、料理皿のような生活食器の作品はほとんど作られることがないそうです。よって人間国宝クラスの皿で実際に料理をいただくことは極めて貴重な機会になります。「USEUM SAGA」では人間国宝に揃いの食器を特別に作ってもらい、惜しげもなく使われます。
たとえば、「しいたけ」の十四代今泉今右衛門をご覧ください。実際に手に取って眺めてみると、精緻な絵柄、精彩な発色に心を奪われます。そこには、増永氏の色彩感覚や空間構成によって器の魅力を引き出され、生活用具としての機能美がプラスされた効果も多大に影響しています。陶芸家と料理人の競演でもあるのです。
増永氏は今回のプロジェクトを通じて、佐賀食材に特有の“力強さ”を感じたと話します。
「トマトが甘くておいしい。でも甘いだけでなく非常にトマトらしい。ナスはナスらしい。風味や食感などいろんな要素がからんでいますが、確固たる存在感があります。僕はそんな佐賀食材で料理をすると、とてもしっくりくるという感覚があるんです。一つひとつの素材はすでに完成されたもの。僕の仕事はその持ち味を壊さずに寄り添うことです。料理の本質をあらためて見つめる機会になりました」
園田さんも新たなチャレンジに確かな手応えを感じたようです。
「佐賀は馴染み深い土地ですが、単に佐賀産の材料を使ったドリンクになってしまわないか? 私にできることは一体何か? と悩みました。それが、増永さんの料理を試食して一気に解消されました。増永さんは素材の本質的な魅力を捉えて、意外な手法で放出させます。ここにクミンを使って抜け感を出してきたか……とか感心しきり。そして、私は増永さんの料理と一緒においしく、楽しくなるドリンクを作ればいいんだと視界がクリアになりました。私にとっても活動の幅を広げる大切な体験となりました」
「USEUM SAGA」第1弾を企画するにあたり増永氏に白羽の矢を立てた理由を、事務局が明かしてくれました。
料理が好きでおばあちゃん子だった増永氏は、幼少の時から台所に立つおばあちゃんのかたわらで調理の様子を見守り、質問しながらレシピを書き留めてきたそうです。その時間の積み重ねが料理人への道へと導いたのです。佐賀の暮らしの中で、大切な人においしいもの食べさせてあげたい。増永氏の料理人としての土台は、ピュアな思いから形づくられてきました。「USEUM SAGA」はそんな増永氏の料理人としてのスタンスに共鳴しました。
増永氏は、業種業態の異なる店を数店舗展開したいと話します。
「店それぞれの名物で前菜からメイン、デザートまで一つのコースができあがる。自分がどこかでコースを全部作らなくても、そんなふうにおいしいコースを提供できるといいな。夢を少しずつ叶えていきたいですね」と増永氏は静かに話します。
彼はこれから何度も佐賀に立ち帰り、リバイバルを重ねながらより大きな料理人になっていくことでしょう。
未来ある料理人の成長の舞台「USEUM SAGA REVIVAL」第2弾では、誰が腕を振るうのでしょう? 参加者たちは満足感に浸ると共に、次回への期待を膨らませたはずです。
1998年佐賀県佐賀市生まれ。佐賀県立牛津高校を卒業後、2016年「オーグードゥジュールメルヴェイユ博多」に勤務。小岸明寛シェフ(太良町出身)のもとで研鑽を積み、2018年、「arita huis」(佐賀)に勤務、2020年よりヘッドシェフを務める。その後、福岡のイノベーティブレストラン「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフに抜擢される。2024年7月に同店を退職し、一旦レストランを離れ、福岡のパン業界を牽引する「パンストック」に勤務。
1995年福岡県大牟田市生まれ。中村調理製菓専門学校(福岡)卒業後、東京都内のレストランに勤務。日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の日本酒アプローチに惹かれ、「GEM by moto」(東京)に入社。千葉氏が考案する口内調味や日本酒ペアリングのスキルを学ぶ。その後、千葉氏の独立とともに「EUREKA!」(東京)立ち上げに参加。同店の店長として従事。
Photograph:HIDEKI MIZUTA
Text:TAKASHI WATANABE
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