東京からやってきたシェフが、暮らすように過ごした佐賀。やがて見えてくるこの土地の本質。[シェフ・イン・レジデンスSAGA/佐賀県]

Chef in Residence SAGA長期滞在することで見える土地の本質。

2025年初春。
佐賀県で実施された「シェフ・イン・レジデンスSAGA」。
それはその名の通り、シェフが佐賀県に長期間滞在し、常時とは異なる環境で過ごしながら、佐賀の食材や料理に触れる試み。選ばれた料理人が土地に溶け込み、生産者と語り、食材と向き合う時間です。

第4回となる今回、その役割を担ったのは六本木のモダンインド料理『ニルヴァーナ・ニューヨーク』の引地翔悟シェフ。より良い食材を探し、日本全国を飛び回る引地シェフをして、1週間にわたる産地滞在ははじめての経験です。

「実は佐賀県については、よく知らないんです。時間の許す限り、佐賀を見て回りたい」

誠実で真摯で向上心に満ちた若きシェフは、そう意気込みを語りました。

やがて時間の経過とともに変化していくそのまなざし。佐賀で出会った生産者との交流、そしてシェフが感じた「シェフ・イン・レジデンス」の本当の価値とは?

スパイスで食材の持ち味を引き出すモダンインド料理を軸とする引地シェフ。今回の滞在を通し、新たな視点で佐賀県産食材の魅力を伝える。

Chef in Residence SAGA生産者との深い交流により見えてくる、知られざる物語。

「これまでの産地訪問は食材を見て、その説明を受ける、いわば商談に近いような形でした。しかし時間に余裕がある今回は、じっくりと時間をかけて語り合うことができました。それこそ“なぜこの仕事をはじめたのか?”という生産者の方の人生まで。そこに込められた思いを知り、こだわりを知り、物語を知ることで、食材に対する理解がいっそう深まりました」

そう話す引地シェフ。

たとえば『はしま海苔』の橋間勝由さんの漁船に乗せてもらって上陸した“牡蠣礁”は、有明海の固有種であるスミノエガキが積み重なってできた島。
スミノエガキは、住之江地区に多く生息することから名付けられた天然の牡蠣で、一般に流通するマガキの2倍近いサイズがあり、甘みが強くえぐ味が少ないのが特徴です。
しかし放って置くとどんどん重なり海を侵食していってしまうのだといいます。塩の干満のタイミングをはからないと採ることも難しく、海苔漁師にとってはむしろ「邪魔者」の扱い。船上で生産者から聞くそんなストーリー。

「これほど素晴らしい牡蠣が、地元では違った目線で受け止められている。試食するだけではわからない食材への理解が、料理のアイデアにもつながります」
 

天然の牡蠣が積み重なって自然とできあがる牡蠣礁。料理人にとっては宝の山だが、地元の海苔漁師のとっては悩みの種にもなっている。

スミノエガキはこの大きさ。しかし大味ではなく、甘みも十分。加熱しても縮みにくいため、料理にも使いやすいという。

海から戻り、意見を交わす橋間さんと引地シェフ。橋間さんは採ったばかりのスミノエガキを蒸して試食させてくれた。

Chef in Residence SAGA景色、料理、出会い。滞在中のすべての時間が宝物。

出会いはさらに数多くありました。

フルーツトマトの甘さだけでなく、ロジカルな思考で水害に強い栽培方法も独自に生み出した『アグリッシュ』の吉田章記さん、唐津焼の伝統的な素材や技法をベースに新たな造形美を探求する気鋭の陶芸家・濱崎快素さん、自然と共存するように当地で最適な方法を模索し、驚くほどおいしいパクチーをつくる『江口農園』の江口竜左さん、引地シェフに「これほど香り豊かな牛肉は初めて」といわしめた長期肥育ホルスタイン・白富牛の吉原龍樹さん、秘めたポテンシャルでシェフの好奇心を刺激した未知の食材・エミューを育てる『きやまファーム』の高枝さん、地元に根づき、地元の味の根幹を支える『丸秀醤油』の秀島健介さん、そして引地シェフが「あの人は天才」と惚れ込んだお茶の名人『あはひの』の松尾俊一さん。

さまざまな出会いがあり、じっくり語り合うことで見えてくるそれぞれの物語。その中で、引地シェフのまなざしも、少しずつ変化してきました。

他者を尊重し、生産者に敬意を払う元来の性格から、これまでは「プロである生産者に自分が何かをいうのはおこがましい」と、食材に注文をつけることは自重していたという引地シェフ。しかし、コミュニケーションを重ね、じっくりと向き合ううちに、その姿勢が変わり始めたのです。

商業施設やホテルのレストランでは、生牡蠣の使用が禁止されている店も多い。殻を剥き、加熱した上で出荷してもらえれば使いやすい。オペレーションの中で取り扱いが難しいお茶は、ティーバッグにして販売してはどうか。

シェフからの生産者への進言。それは根底に生産者への揺るがぬ敬意があり、そして時間をかけて互いに信頼関係を築いたから生まれたもの。

「熱意ある生産者たちに、こちらも全力でぶつからなければ失礼になる」

そんな思いが胸の奥から湧いてきたのです。

さらに長期の滞在は、生産者との交流以外にも収穫をもたらしました。
滞在していたホテル『和多屋別荘』の小原嘉元社長の勧めで体験した、香りを調合する「創香体験」。

実は引地シェフは大学で心理学を学び、香りがもたらす効果を研究していました。食とも密接な関係がある分野ではありますが、早くから修業をはじめる人も多い料理人の世界にあって、厨房に立つスタートが遅かったことは引地シェフの中である種のコンプレックスのようになっていました。
しかしここで香りと食の融合「フレグランス・ガストロノミー」の可能性に触れたことで、自身の歩んできた道がひとつに結実したように感じられたといいます。

生産者訪問の合間に食べた現地の食事も、現地を案内してくれた県庁職員をはじめたとした生産者以外の方々との交流も、そして見聞きし肌で感じた佐賀の風景も、すべてが滞在の大きな収穫として、引地シェフの心に刻まれました。

白富牛の吉原龍樹さんとともに。食材そのものだけではなく、その向き合い方もまた、引地シェフの大きな刺激となった。

白富牛をその場でステーキに。ミルキーな香りがシェフを驚かせた。

『江口農園』の江口竜左さんは武雄のパクチー栽培の先駆者のひとり。つくりはじめた当初は手探りで、試行錯誤を繰り返したという。

江口さんのパクチーはみずみずしく、柔らかいのにしっかりと食感もあるという素晴らしい逸品。

独自に考案した方法でトマトを栽培する『アグリッシュ』の吉田章記さんを訪ねた一幕。トマトの味だけではなく、その背景にある物語まで話は広がる。

佐賀県は日本を代表する陶磁器の産地。自然と共存するかのような濱崎快素さんのアトリエで存在感のある陶板に一目ぼれした引地シェフ。作家のもとを訪ね、器のインプットをすることも料理のインスピレーションに繋がる。

Chef in Residence SAGA滞在を締めくくるシェフの決断、最後の晩餐。

「野菜、魚介、肉、お茶、調味料。すべての食材がハイレベルで揃う。実際に来てみて印象が大きく変わりました」

そう振り返った引地シェフ。
従来の「シェフ・イン・レジデンス」は、こうしてシェフに佐賀の食材を深く知ってもらい、その魅力を広く伝えてもらうことが目的でした。

しかし今回、深く佐賀を感じ、生産者と交流した引地シェフには、強い希望がありました。それは滞在の最後に、生産者の方々を招いて自身の料理を振る舞う晩餐を開くこと。
今回佐賀で出会った食材を、その生産者自身に食べてもらう特別なディナー。厨房の横に即席のダイニングをつくり、調理工程を眺め、話をしながら料理が完成する一夜限りのシェフズテーブルです。

「普段の僕の料理を出すのでは意味がありません。いつもの料理を、今回の食材に置き換えるだけなら失敗はないし、恥をかくこともありません。しかし今回、それでは不誠実だと思ったんです」

引地シェフは言います。

「生産者から食材という最後のバトンを受け取った。その食材に対して僕はこう思いました、みんなはどう思いますか? そうして話し合うことで、みんなで一歩前に進める。そのために、僕は食材から感じたままの料理を作ることにしました」 

それは誇りをかけて食材と向き合う生産者の熱意が、シェフに移ったような熱量でした。

佐賀の食材を、シェフの思いのままに表現した晩餐は大きな拍手とともに終了しました。
引地シェフはゲストたちを見送った後、深夜までかけてキッチンを隅々までぴかぴかに磨き上げました。

「お世話になった場所だから、来たとき以上に綺麗にして帰る。そうして“シェフってかっこいい”と思ってもらうことも、シェフインレジデンスの意義だと思います」

そんなシェフの姿勢もまた、佐賀県の生産者たちが心を開いてくれた理由なのかもしれません。

「料理は、料理人の手だけで完成するものではない」そう引地シェフは話します。
生産者が食材を育て、料理人が受け取り、食べる人がその味を記憶する。すべてのプロセスが繋がり、それがひとつの物語となる。

そんな事実を改めて示した晩餐と、「シェフ・イン・レジデンスSAGA」。
一週間の滞在がひとりの料理人のまなざしを変え、そしてそのまなざしが食の未来を変えていく。そんな大きな循環が、まさに動き始めたのです。
 

佐賀で出合ったすべての食材を使って仕上げたコース。完成度そのものよりも、シェフがその食材に何を感じたのかを正直に込めた料理が並んだ。

スミノエガキはゆっくりと火を入れ、その水を煮詰めたスープで仕立てた豆のカレーを合わせた一品に。豆の甘みと牡蠣の甘みがつながる味わいを目指した。

白富牛の香りをまとわせたビリヤニ。個体差があり、肉主体のレストランでは使い道が限られる白富牛を活かす引地シェフの答え。写真奥は、佐賀のはったい粉で作ったナン。何度も発酵具合を調整しながら仕上げた。

黒米で仕立てたキールと松尾さんのほうじ茶でつくったチャイ。チャイは厨房の片隅で常に沸かし続け、ほのかなスパイス香がディナー中に常に漂う演出に。

生産者の皆さまを招いてのディナーは、引地シェフたっての希望。滞在の疲れも見せず、フルコースのディナーを仕上げた。

東京からやってきたシェフが、暮らすように過ごした佐賀。やがて見えてくるこの土地の本質。[シェフ・イン・レジデンスSAGA/佐賀県]

Chef in Residence SAGA長期滞在することで見える土地の本質。

2025年初春。
佐賀県で実施された「シェフ・イン・レジデンスSAGA」。
それはその名の通り、シェフが佐賀県に長期間滞在し、常時とは異なる環境で過ごしながら、佐賀の食材や料理に触れる試み。選ばれた料理人が土地に溶け込み、生産者と語り、食材と向き合う時間です。

第4回となる今回、その役割を担ったのは六本木のモダンインド料理『ニルヴァーナ・ニューヨーク』の引地翔悟シェフ。より良い食材を探し、日本全国を飛び回る引地シェフをして、1週間にわたる産地滞在ははじめての経験です。

「実は佐賀県については、よく知らないんです。時間の許す限り、佐賀を見て回りたい」

誠実で真摯で向上心に満ちた若きシェフは、そう意気込みを語りました。

やがて時間の経過とともに変化していくそのまなざし。佐賀で出会った生産者との交流、そしてシェフが感じた「シェフ・イン・レジデンス」の本当の価値とは?

スパイスで食材の持ち味を引き出すモダンインド料理を軸とする引地シェフ。今回の滞在を通し、新たな視点で佐賀県産食材の魅力を伝える。

Chef in Residence SAGA生産者との深い交流により見えてくる、知られざる物語。

「これまでの産地訪問は食材を見て、その説明を受ける、いわば商談に近いような形でした。しかし時間に余裕がある今回は、じっくりと時間をかけて語り合うことができました。それこそ“なぜこの仕事をはじめたのか?”という生産者の方の人生まで。そこに込められた思いを知り、こだわりを知り、物語を知ることで、食材に対する理解がいっそう深まりました」

そう話す引地シェフ。

たとえば『はしま海苔』の橋間勝由さんの漁船に乗せてもらって上陸した“牡蠣礁”は、有明海の固有種であるスミノエガキが積み重なってできた島。
スミノエガキは、住之江地区に多く生息することから名付けられた天然の牡蠣で、一般に流通するマガキの2倍近いサイズがあり、甘みが強くえぐ味が少ないのが特徴です。
しかし放って置くとどんどん重なり海を侵食していってしまうのだといいます。塩の干満のタイミングをはからないと採ることも難しく、海苔漁師にとってはむしろ「邪魔者」の扱い。船上で生産者から聞くそんなストーリー。

「これほど素晴らしい牡蠣が、地元では違った目線で受け止められている。試食するだけではわからない食材への理解が、料理のアイデアにもつながります」
 

天然の牡蠣が積み重なって自然とできあがる牡蠣礁。料理人にとっては宝の山だが、地元の海苔漁師のとっては悩みの種にもなっている。

スミノエガキはこの大きさ。しかし大味ではなく、甘みも十分。加熱しても縮みにくいため、料理にも使いやすいという。

海から戻り、意見を交わす橋間さんと引地シェフ。橋間さんは採ったばかりのスミノエガキを蒸して試食させてくれた。

Chef in Residence SAGA景色、料理、出会い。滞在中のすべての時間が宝物。

出会いはさらに数多くありました。

フルーツトマトの甘さだけでなく、ロジカルな思考で水害に強い栽培方法も独自に生み出した『アグリッシュ』の吉田章記さん、唐津焼の伝統的な素材や技法をベースに新たな造形美を探求する気鋭の陶芸家・濱崎快素さん、自然と共存するように当地で最適な方法を模索し、驚くほどおいしいパクチーをつくる『江口農園』の江口竜左さん、引地シェフに「これほど香り豊かな牛肉は初めて」といわしめた長期肥育ホルスタイン・白富牛の吉原龍樹さん、秘めたポテンシャルでシェフの好奇心を刺激した未知の食材・エミューを育てる『きやまファーム』の高枝さん、地元に根づき、地元の味の根幹を支える『丸秀醤油』の秀島健介さん、そして引地シェフが「あの人は天才」と惚れ込んだお茶の名人『あはひの』の松尾俊一さん。

さまざまな出会いがあり、じっくり語り合うことで見えてくるそれぞれの物語。その中で、引地シェフのまなざしも、少しずつ変化してきました。

他者を尊重し、生産者に敬意を払う元来の性格から、これまでは「プロである生産者に自分が何かをいうのはおこがましい」と、食材に注文をつけることは自重していたという引地シェフ。しかし、コミュニケーションを重ね、じっくりと向き合ううちに、その姿勢が変わり始めたのです。

商業施設やホテルのレストランでは、生牡蠣の使用が禁止されている店も多い。殻を剥き、加熱した上で出荷してもらえれば使いやすい。オペレーションの中で取り扱いが難しいお茶は、ティーバッグにして販売してはどうか。

シェフからの生産者への進言。それは根底に生産者への揺るがぬ敬意があり、そして時間をかけて互いに信頼関係を築いたから生まれたもの。

「熱意ある生産者たちに、こちらも全力でぶつからなければ失礼になる」

そんな思いが胸の奥から湧いてきたのです。

さらに長期の滞在は、生産者との交流以外にも収穫をもたらしました。
滞在していたホテル『和多屋別荘』の小原嘉元社長の勧めで体験した、香りを調合する「創香体験」。

実は引地シェフは大学で心理学を学び、香りがもたらす効果を研究していました。食とも密接な関係がある分野ではありますが、早くから修業をはじめる人も多い料理人の世界にあって、厨房に立つスタートが遅かったことは引地シェフの中である種のコンプレックスのようになっていました。
しかしここで香りと食の融合「フレグランス・ガストロノミー」の可能性に触れたことで、自身の歩んできた道がひとつに結実したように感じられたといいます。

生産者訪問の合間に食べた現地の食事も、現地を案内してくれた県庁職員をはじめたとした生産者以外の方々との交流も、そして見聞きし肌で感じた佐賀の風景も、すべてが滞在の大きな収穫として、引地シェフの心に刻まれました。

白富牛の吉原龍樹さんとともに。食材そのものだけではなく、その向き合い方もまた、引地シェフの大きな刺激となった。

白富牛をその場でステーキに。ミルキーな香りがシェフを驚かせた。

『江口農園』の江口竜左さんは武雄のパクチー栽培の先駆者のひとり。つくりはじめた当初は手探りで、試行錯誤を繰り返したという。

江口さんのパクチーはみずみずしく、柔らかいのにしっかりと食感もあるという素晴らしい逸品。

独自に考案した方法でトマトを栽培する『アグリッシュ』の吉田章記さんを訪ねた一幕。トマトの味だけではなく、その背景にある物語まで話は広がる。

佐賀県は日本を代表する陶磁器の産地。自然と共存するかのような濱崎快素さんのアトリエで存在感のある陶板に一目ぼれした引地シェフ。作家のもとを訪ね、器のインプットをすることも料理のインスピレーションに繋がる。

Chef in Residence SAGA滞在を締めくくるシェフの決断、最後の晩餐。

「野菜、魚介、肉、お茶、調味料。すべての食材がハイレベルで揃う。実際に来てみて印象が大きく変わりました」

そう振り返った引地シェフ。
従来の「シェフ・イン・レジデンス」は、こうしてシェフに佐賀の食材を深く知ってもらい、その魅力を広く伝えてもらうことが目的でした。

しかし今回、深く佐賀を感じ、生産者と交流した引地シェフには、強い希望がありました。それは滞在の最後に、生産者の方々を招いて自身の料理を振る舞う晩餐を開くこと。
今回佐賀で出会った食材を、その生産者自身に食べてもらう特別なディナー。厨房の横に即席のダイニングをつくり、調理工程を眺め、話をしながら料理が完成する一夜限りのシェフズテーブルです。

「普段の僕の料理を出すのでは意味がありません。いつもの料理を、今回の食材に置き換えるだけなら失敗はないし、恥をかくこともありません。しかし今回、それでは不誠実だと思ったんです」

引地シェフは言います。

「生産者から食材という最後のバトンを受け取った。その食材に対して僕はこう思いました、みんなはどう思いますか? そうして話し合うことで、みんなで一歩前に進める。そのために、僕は食材から感じたままの料理を作ることにしました」 

それは誇りをかけて食材と向き合う生産者の熱意が、シェフに移ったような熱量でした。

佐賀の食材を、シェフの思いのままに表現した晩餐は大きな拍手とともに終了しました。
引地シェフはゲストたちを見送った後、深夜までかけてキッチンを隅々までぴかぴかに磨き上げました。

「お世話になった場所だから、来たとき以上に綺麗にして帰る。そうして“シェフってかっこいい”と思ってもらうことも、シェフインレジデンスの意義だと思います」

そんなシェフの姿勢もまた、佐賀県の生産者たちが心を開いてくれた理由なのかもしれません。

「料理は、料理人の手だけで完成するものではない」そう引地シェフは話します。
生産者が食材を育て、料理人が受け取り、食べる人がその味を記憶する。すべてのプロセスが繋がり、それがひとつの物語となる。

そんな事実を改めて示した晩餐と、「シェフ・イン・レジデンスSAGA」。
一週間の滞在がひとりの料理人のまなざしを変え、そしてそのまなざしが食の未来を変えていく。そんな大きな循環が、まさに動き始めたのです。
 

佐賀で出合ったすべての食材を使って仕上げたコース。完成度そのものよりも、シェフがその食材に何を感じたのかを正直に込めた料理が並んだ。

スミノエガキはゆっくりと火を入れ、その水を煮詰めたスープで仕立てた豆のカレーを合わせた一品に。豆の甘みと牡蠣の甘みがつながる味わいを目指した。

白富牛の香りをまとわせたビリヤニ。個体差があり、肉主体のレストランでは使い道が限られる白富牛を活かす引地シェフの答え。写真奥は、佐賀のはったい粉で作ったナン。何度も発酵具合を調整しながら仕上げた。

黒米で仕立てたキールと松尾さんのほうじ茶でつくったチャイ。チャイは厨房の片隅で常に沸かし続け、ほのかなスパイス香がディナー中に常に漂う演出に。

生産者の皆さまを招いてのディナーは、引地シェフたっての希望。滞在の疲れも見せず、フルコースのディナーを仕上げた。

2025年度 夏季休業のお知らせ

平素は格別のお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。誠に勝手ながら

下記期間を夏季休業とさせていただきます。

2025年8月13日(水) ~ 2025年8月17日(日)まで

※ 2025年8月18日(月)より、通常業務を開始します。

※ 休暇中のお問合せにつきましては、2025年8月18日(月) 以降に対応させていただきます。

大変ご迷惑をお掛けいたしますが、 何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。

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Tokushima Tourism Information 徳島観光資料 เอกสารการท่องเที่ยวจังหวัดโทคุชิมะ

Please download the documents for your reference.
・徳島県観光パンフレット(春・夏)โบรชัวร์ท่องเที่ยวจังหวัดโทคุชิมะ (ฤดูใบไม้ผลิ ฤดูร้อน)
・徳島県観光パンフレット(秋・冬)โบรชัวร์ท่องเที่ยวจังหวัดโทคุชิมะ (ฤดูใบไม้เปลี่ยนสี ฤดูหนาว)
・徳島宿泊施設案内 Tokushima Accommodation (English)
徳島飲食施設案内 Tokushima Restaurant Information (English)
・宿泊助成金 เงินสนับสนุนค่าที่พัก
・ファムツアー助成金 เงินสนับสนุนแฟมทริป

にし阿波観光体験割引キャンペーン予約開始!


四国の秘境・にし阿波で、心に残る特別な体験をしませんか?
地元の自然や文化、人とのふれあいが楽しめる体験コンテンツが、通常価格から最大50%割引で楽しめるお得なキャンペーンを実施します!
藍染体験、ラフティング、イチゴ狩りなど、お得に体験できるコンテンツが盛りだくさん♪
皆さんのお越しをお待ちしています!!

1.割引対象期間

第1期:令和7年8月1日(金)から令和7年8月31日(日)まで
第2期:令和7年12月1日(月)から令和8年2月28日(土)まで

2.予約期間

第1期:令和7年7月1日(火)から令和7年8月31日(日)まで
第2期:令和7年7月1日(火)から令和8年2月28日(土)まで
※予算上限に達した場合、その時点をもって販売を終了します。

3.キャンペーン内容

(1)割引額  最大50%OFF
一人あたりの割引上限 宿泊を伴わないもの(体験のみ):2,000円
宿泊を伴うもの(体験+宿泊) :5,000円
(2)割引対象
(一社)そらの郷が販売する体験コンテンツであり、体験日が割引対象期間となるもの。
事前にオンラインで予約申込をしていること。(当日予約が可能なものもございます。)
<体験可能なコンテンツ例>
〇藍染体験、日帰り温泉、ラフティング、SUP、いちご狩り、田舎暮らし体験など
〇にし阿波周遊バス(※)チケットと体験コンテンツがセットになったプランもあります。
(※) 「大阪・関西万博」や「瀬戸内国際芸術祭2025」に集う多くの国内外の観光客を「にし阿波」に誘客するため、本年8月に運行予定の香川県内と「にし阿波」を繋ぐ広域観光周遊バス
※詳細は「にし阿波~剣山・吉野川観光圏」体験予約サイトにてご確認ください。
※各事業者によっては、キャンペーンの対象となっていないプランやまだ予約を開始していないプランもあります。

4.主催及びお問い合わせ先

一般社団法人そらの郷 TEL:0883-87-8988
徳島県西部総合県民局地域創生観光部(三好)
にし阿波観光戦略担当 TEL:0883-76-0367
にし阿波観光体験割引キャンペーンについて

チェアマンとして生きた12年の奇跡。中村孝則のクロニクル

長年にわたり、「BEST RESTAURANTS」のチェアマンを務めた中村孝則氏。アイコンとなった着物を初めて着用したのは2016年。以降、ドレスコードにおいても日本文化をアピールしてきた。

BEST RESTAURANTS美食家ではなかった、中村孝則の過去。

「BEST RESTAURANTS」史上最長レベル、12年もの間、チェアマンを務めた中村孝則氏。その奇跡をたどる前に思う。

中村孝則とは何者なのか。

昨今においては、美食家として認知されていますが、以前より中村氏を知る人であれば、やや違和感を感じたのではないでしょうか。やはり、中村氏といえば、代表とされる領域はファッション。そのほかであれば、旅やシガー。総合的にはラグジュアリーの世界で活動していました。ワインやカクテルなども触れてはきましたが、「食は避けてきた領域」と自身も振り返ります。事実、過去のプロフィールには、食に関する記載は一切ない。

「当時、メディアといえば、雑誌が主流。書き手であれば、ファッション、車、デザイン、映画、音楽など、ジャンルごとに分断されていました。もちろん、食もそう。媒体においても、それぞれのスタッフを抱え、クレジットを見れば、誰がどこに深く入り込んでいるのかも一目瞭然。そんな時代でした」。

つまり、ファッションに携わっている人間が急にレストランに携われることはなく、それぞれの専門領域が絶対領域だった時代。中村氏は、いつ食と接点を持つようになったのか。それは、某媒体の連載でした。

「懐石料理を1年間学んで、読者に伝えてほしいという依頼をいただきました。最初は、お断りさせていただきました。自分は素人なので。そうしたら、素人の視点から学んでほしい企画なので、是非と背中を押され、お引き受けさせていただいたのが、食と接点を持った始まりだったと思います」。

これは、2006年の出来事。なぜ中村氏だったのか? その解はわかりませんが、茶道、剣道を嗜んでいた知見も多分にあったのではないかと推測。この連載では、ごはんを炊く、味噌汁を作る、出汁を引く、はたまた包丁の使い方などを、料理人より指南いただくというもの。まさに、道を極める道の世界。そして、1年後、新たな依頼が舞い込みます。

「今度は、様々なレストランでスペシャリテを学ぶ連載の依頼をいただきました。結果、100店くらいは訪れたかもしれません」。

この話までであれば美談。食に携わっていなかった中村氏にとって、各店からは無下にされることも少なくなく、「お前に何がわかるんだ。直接的な言葉はなくとも、そう感じることも多かったです」と話します。

連載は10年以上続き、それはまるで修業のよう。そんな時、突如、一本の連絡が。「BEST RESTAURANTS」のチェアマン就任依頼です。「BEST RESTAURANTS」は2002年に創設された、ロンドン発祥のレストランランキング。

「突然、BEST RESTAURANTSの本部からメールが届きました。THE WORLD’S 50 BEST RESTAURANTS (以下、THE WORLD’S 50)に加え、2013年にASIA’S 50 BEST RESTAURANTS(以下、ASIA’S 50)が立ち上がったタイミングでした」。

実は、中村氏の前に、もうひとり、チェアマンを務めた人物がいます。レストランジャーナリスト、犬飼裕美子さんです。2007年より2013年まで務め、周知の通り、2014年以降は、中村氏が担ってきました。

犬飼さんにおいては、現在、注視される地方に既に目を向け、地方素材の普及に努める料理人を選定する農林水産省料理人顕彰制度審査委員としても活動するなど、食に携わる第一人者でした。おそらく、日本で初めてレストランジャーナリストを公言した人物ではないでしょうか。そして、何を隠そう、中村氏と親交が深かった数少ない、食の専門家でした。

「自分が初めてBEST RESTAURANTSに関わったのは、2013年にゲストとして参加した時です。当時より、賛否両論の多いアワードだということは、理解していましたが、チェアマン就任後、まさかここまでとは……と思うようなことの連続でした」。

中村氏が初めて携わった2014年「ASIA’S 50」のカタログ。当時は、現在のような華やかなイベントではなく、雑誌の企画だったことに歴史を覚える。

BEST RESTAURANTS公正を欠く賞。最大のデタラメ。

これは、日本のメディアにおいて、中村氏が「BEST RESTAURANTS」の取材に応じた時に掲載された言葉です。

声の主は、フランス料理の巨匠、故・ジョエル・ロブション氏。そのほか、レストラン評論家、フランソワ・シモン氏は、世界規模のレストラン比較は不可能。直ちにやめるか、変わるべきと批判していました。

「その批判は、今も消えたわけではないと思っています。しかし、長年携わることによって見えてきたもの。それは、ナンセンスから生まれる価値もあるということです」。

当時、「BEST RESTAURANTS」の主催者でもある「RESTAURANT MAGAZINE」編集長、ウィリアム・ドゥリュー氏もまた、このナンセンスという言葉を起用し、「BEST RESTAURANTS」を肯定。「多種のジャンルを同じ土俵で論じることはできない」と言うシモン氏に対し、「その考えがナンセンス。食の発展に貢献できるはず」と反論。そして、ドリュー氏は中村氏とも共通項があり、元ファッション誌「ARENA」出身。余所者への強い風当たりは世界共通なのか!?

「BEST RESTAURANTSは、RESTAURANT MAGAZINEの企画からスタートしました。それが本ではなく、アワードになり、イベントになり。開催当初は小ぢんまりとした地味なものでしたが、それが徐々に変化し、進化し、現在のようにエンターテインメント性も高くなりました」。

なぜそこまで一大行事に成長できたのでしょうか。それは、ビジネスモデルとしても成長できたからといっても過言ではありません。オフィシャルHP を覗けば、OUR PARTNERSに連なる企業の多さにも驚く。一大行事は一大ビジネスとなり、出る杭は打たれる。因果関係があるかは分からずとも、某メーカーの非買運動や類似アワードもローンチするような現象も。様々な角度から、「BEST RESTAURANTS」は、注目を集めていきました。

そんな「BEST RESTAURANTS」に中村氏が初めてチェアマンとして携わったのは、2014年に発足された「ASIA’S 50」の時でした。

「厳密には、2013年にASIA’S 50は発足していますが、既存集計をアジア向けに抜粋したもののため、本格的な発足は2014年。2013年は、NARISAWAが1位を獲得。2位は、日本料理 龍吟でした。ですが、2014年の1位は、Nahm(タイ・バンコク)。2位がNARISAWA。日本料理 龍吟は5位でした」。

そのほかでは、15位「石川」、22位「Quintessence」、25位「L’Effervescence」、34位「TAKAZAWA」(現・TAKAZAWA PRIVATE RESERVE NISEKO)、38位「すきやばし次郎」、41位「さわ田」、42位「HAJIME」、43位「鮨 さいとう」が名を連ね、現在のランキングとも変化を感じます。

「変化があるのは当然のこと。それがBEST RESTAURANTSの特性でもあります。理由は、ジャーナリスト、シェフ、フーディの3部門から構成される審査員は、毎年25%入れ替わるため、その個性に左右されることも多分にあります。そして、料理のテクニックだけでなく、BEST RESTAURANTSでは、ジョイフルも大切な要素とされています」。

だからこそ、批判され、だからこそ、面白い。これこそがナンセンス。(審査の仕組みも含め、過去にレポートした2022年「ASIA’S 50」の記事も合わせてご覧ください)

当時、中村氏においては、この結果に対する批判が集中。その内容は様々ありましたが、主には、「NARISAWA」の降格。「ASIA’S 50であれば、日本が1位ではないのはおかしいだろ!」など、厳しい声が寄せられました。しかし、その状況から中村氏を救ったのは、成澤由浩氏でした。冒頭、レストランのスペシャリテを学ぶ連載において、実は「NARISAWA」にも訪れていた中村氏。多くのレストランで辛酸を舐めてきましたが、そんな中、暖かく迎えてくれた数少ないシェフが成澤氏だったのです。

「成澤さんには、レストランのことを色々教わりました。中でも一番思い出に残っていることは、2011年、パリのメゾン・エ・オブジェに参加させてもらったことです。成澤さんは料理を、自分は茶事を実演し、日本の食文化をプレゼンテーションするという企画でした。滞在中は、名だたるレストランも案内いただき、本場の味に感動したことは、今でも鮮明に覚えています」。

旧知の仲だからこそ、厳しくも優しい存在。「NARISAWA」は、2009年より、実に16年連続受賞。

「そんなレストランは見たことがありません。日本の誇りです」。

結果論にはなりますが、ある意味、1位を獲得するよりも偉業を成しているのが「NARISAWA」なのかもしれません。

「THE WORLD’S 50」と「ASIA’S 50」の双方において、常にランクインしている「NARISAWA」。※写真は、2022年「THE WORLD’S 50」

中村氏のSNSにも必ず登場する成澤氏とのツーショット写真。ふたりの関係を知れば、毎回の投稿に感慨を覚える。※写真は、2016年「ASIA’S 50」

BEST RESTAURANTS無名だったレストランのランクイン。そして、1位奪還。

これまでの通り、中村氏は、多くの苦労を重ねてきた時代が長く、華やかな「BEST RESTAURANTS」の舞台とは裏腹に、その道は実に険しいものでした。振り返れば、シェフとの信頼関係が強固になったのは、ここ数年なのかもしれません。

そんな中村氏がチェアマン任期中、特に印象に残っている出来事がふたつあると言います。まずひとつは、「La Maison de la Nature Goh」(以下、Goh)の芽吹き。

「Gohがランクインしたのは、2016年のASIA’S 50の時でした。会場に集まるシェフや自分も含め、誰も知らないレストランがランクインしていることを知りました。一体誰なんだ!?と現場は騒然としましたが、これこそがBEST RESTAURANTSの真髄。発掘も大きなテーマになっているからです」。

当時、31位を獲得した「Goh」は、今では「ASIA’S 50」の常連。不動の人気を博しており、現在においては、同じく「BEST RESTAURANTS」の常連、「Gaggan」とともに、「GohGan」としても活動しています。

そしてもうひとつ。「傳」です。

「ASIA’S 50では、2013年のNARISAWA以降、ずっと1位を獲得することができませんでした。これは、チェアマンとして、重く受け止めておりました。ですが、2022年、遂に傳が奪還してくれました。悲願を達成でき、本当に嬉しかったです」。

「傳」においては、「Goh」同様、2016年に初ランクインし、当時は37位。

ここで素朴な疑問が生まれます。日本チームすら知らなかった「Goh」は誰が投票したのか? それは、海外からの票。噂によれば、当時、「傳」においても、同一人物からの支持があったと聞く。

「この現象もまた、BEST RESTAURANTSならでは」。

また、「傳」長谷川在佑氏においては、「中村さんがチェアマンのうちに1位を獲らせてあげたかった」という言葉を残しています。

食の素人だった中村孝則は、もういない。名実ともに、食の専門家となり、食は専門領域。美食家を名乗ることに対し、異論を述べる人はいなくなりました。

初めて「Goh」と「傳」がランクインした2016年「ASIA’S 50」は、タイ・バンコクにて開催。振り返れば、日本にとってはエポック的な年となった。

2020年「ASIA’S 50」では、新型コロナウイルス感染拡大を受け、急遽、オンラインストリームによるバーチャルイベントとして開催。「傳」は3位。1位は「オデット」(シンガポール)だった。

2022年も、尚続く、コロナ禍。バンコク、マカオ、東京の3都市にて同時中継された「ASIA’S 50」。会場を熱狂させた最大のトピックは、日本にアジアNo.1の座をもたらした「傳」。

BEST RESTAURANTS時代と生きた「BEST RESTAURANTS」の痕跡。

「BEST RESTAURANTS」を語る上で欠かせない存在、それはフーディではないでしょうか。しかし、その言葉が市民権を得たのはいつからか。記憶を手繰り寄せると、2014年に公開された映画「Foodies」(邦題:99分,世界美味めぐり)の影響は大きかったのではと考えます。

その内容は、5人の美食家が世界中のレストランを目的に旅をするというものであり、巡ったレストランは全29店舗。日本においても、「鮨さいとう」、「都寿司」、「傳」、「菊乃井」が登場します。本編によると、当時、世界に109軒ある三ツ星レストランを制覇したフーディも。「Maaemo」(オスロ)においては、「新世代のジャーナリスト」とも語っています。

この映画には、なぜ中村氏にチェアマンの依頼が来たのかというヒントが潜んでいると考えます。そのキーワードは、世界。

「今思えば、当時の食の専門家の方々は、日本の食の専門家だったのだと思います。景気が良い時もあったため、海外取材も果敢でしたが、食に特化した海外企画はありませんでした。風景、ホテル、アート、各ショップなど、観光全般のものがほとんどのため、レストランにおいても、特集の中のひとつ。ゆえに、必ずしも、食の専門家がそのスタッフの一員になれたわけではありません。むしろ、各ジャンルをスタイルとしてまとめられる人が重宝されていました」。

中村氏においては、重宝される類。加えて、様々な国の大使館より親善大使も任命されていたため、世界との接点が多かったのです。「BEST RESTAURANTS」は、日本のベストレストランではありません。世界のベストレストランゆえ、海外の知見は必須。

そして、時代という文脈に沿って、フーディに話を戻せば、その存在に追い風を与えたのはSNSの普及ではないでしょうか。テレビ、新聞、雑誌、ラジオなど、マスメディアが情報を支配していた時代は過ぎ去り、視聴者や読者ではなく、フォロワーを対象に個が発信力と影響力を持つ時代は一気に加速。

そしてもうひとつ。不景気です。近年においては、コロナ禍も手伝い、高所得者と低所得者をより二極化させました。では、それがレストランとどんな関係があるのか。

「世界においては先んじて生じていたことですが、例えばスペイン。美食の町として世界中から愛されていますが、スペイン人が皆、レストランを楽しめるわけではありません。ことさらグランメゾンにおいては顕著に現れ、2011年、惜しまれつつ閉店してしまった「エル・ブジ」に訪れることができた生活者はごくわずかだったでしょう。だからこそ、世界のゲストをターゲットに置くのです」。

これは、レストランという文化を守る術でもあり、世界中からゲストが訪れなければ、名店がこの世から消える。そんな危惧も孕んでいます。

世界から一足遅く、日本にもその現象は訪れ、中村氏がチェアマンを務めた12年の間に、日本のレストランも日本人ゲストだけだった時代から、見渡せば半分以上は外国人ゲストという景色も当たり前に。

その結果、次に生まれた現象が、予約困難。「BEST RESTAURANTS」においては、投票したくとも、レストランに行けないからできないという現象も生まれたのではと推測します。

そして、フーディも二極化され、そんな予約困難店のプラチナチケットに重きを置く人間もいれば、レストランに寄与するために活動する人間も。

まさに激動の12年。時に波乱を巻き起こしてきた「BEST RESTAURANTS」の視点から読み解くと、その急成長が物語る通り、全てが味方してくれたのかもしれません。

中村氏がチェアマンを務めた最後の「BEST RESTAURANTS」は、2025年「THE WORLD’S 50」。1位は「Maido」(ペルー・リマ)が獲得し、日本勢の最高位は、7位の「SEZANNE」。次ぐ21位は「NARISAWA」。

BEST RESTAURANTS「BEST RESTAURANTS」への期待。そして、次なるチェアマンは誰か。

中村氏が任期中、「BEST RESTAURANTS」が進化した点もありましたが、改善できなかった点や叶わなかった夢も。進化した点は、やはり規模の拡大。改善できなかった点は、いくつかありますが、その一部について話します。

「BEST RESTAURANTSの仕組みには、いくつか乗り越えたい課題もあります。それは、マネタイズ。例えば、チェアマンやシェフ、関係者が会場に足を運ぶ渡航費や宿泊費は、基本的に自費になります。国や地域によっては、支援くださるところもございますが、開催地によって様々。もっと人を呼びたい気持ちはありますが、心苦しく思っております」。

映画「Foodies」よろしく、当時、稀有だったレストランを目的に旅をするスタイルは、現代において幅広く浸透。ガストロノミーツーリズムという言葉の誕生は、その好例ではないでしょうか。つまり、旅と食は、消費動向と直結しており、2024年の訪日外国人旅行消費額は、8兆1,257億円(国土交通省 観光庁の調査結果より)。そのうち、飲食費は21.5%を占める。ゆえに、国内のレストラン需要が伸びれば、この消費額は、さらに伸びる可能性を秘めているのです。

中村氏が話してくれた、支援している国や地域は、この可能性を理解しているから。そして、叶わなかった夢は、日本開催。

「これはいつか実現してほしいです。しかし、成立させるには、レストランや食に関係する業界に限らず、国、行政、県、地域、そして、民間企業など、多くの方々のご支援も必要とされます。一筋縄にはいかないとは思いますが、いつかそんな日を迎えられることを願っています」。

12年という年月をゆっくりと振り返る中村氏。その全てを語り尽くすことはできませんが、やはり気になることは、次のチェアマンについて。しかし、チェアマンは、本部が独断で決めるため、その時を迎えるまで分かりません。では、チェアマンにはどんな能力が必要とされるのか。

「ひとつは、コミュニケーション能力ではないでしょうか。日本のレストランを一丸とさせることはもちろん、各国のチェアマンとの交流も大切な任務。そして、現実的には自己資金力も必要です。BEST RESTAURANTSは、日本のレストランだけを対象にしていないため、世界中のレストランを体験しなければいけません。食費、渡航費、宿泊費は、想像を超えることもあるため、その覚悟を持たなければいけません。それ以外ですと……、強靭な体力と胃袋ですかね(笑)」。

2026年の「BEST RESTAURANTS」には、トレードマークでもある着物姿の中村孝則はもういない。

冒頭に戻りたい。中村孝則とは何者なのか。

12年の奇跡から浮かび上がった正体は、複雑なものではありませんでした。中村孝則は美食家である前に、努力家だったのです。

そして、言わずもがな、中村氏が日本のレストラン界にもたらした功績は、計り知れない。


Photographs:BEST RESTAURANTS
Text:YUICHI KURAMOCHI

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