壊すによって生まれた節目。真逆を歩む、ふたりの人生。

「ALTER EGO」建て替えにともない、「最初に壊すのは自分たちで」と一撃を打つ、オーナー・徳吉洋二氏と「傳」長谷川在佑氏。

ALTER EGO×傳徳吉洋二の挑戦。見届け人は長谷川在佑。

2025年3月末。あるレストランが、一度、幕を閉じました。「ALTER EGO」です。一度、という表現をした理由は、建物を建て替え、新たにスタートするため。

「ALTER EGO」は、イタリアで活動する「Ristorante TOKUYOSHI」もとい、「BENTOTECA」のオーナーシェフ・徳吉洋二氏が日本で唯一展開するレストラン。「Ristorante TOKUYOSHI」と「BENTOTECA」に関しては、後ほど触れるとし、まずはこの業態での「ALTER EGO」営業最終日、別れを惜しむのではなく、次への期待に胸膨らむゲストたちを招きます。

カウンターの中には、「ALTER EGO」のシェフ・平山秀行氏をはじめ、徳吉氏も来日。そして、「傳」オーナーシェフ・長谷川在佑氏の姿も。なぜなら、ここは、元「傳」。遡ること2019年、「ALTER EGO」は、「傳」から継ぎ、この場をスタートさせたのです。

「だから、長谷川さんには、この建物の最後を見届けて欲しかった」と徳吉氏。

現「傳」は、ここから移転した場であり、そこは、元「ル・ゴロワ」だったということを知る人は少なくない。

「ル・ゴロワは、女将さんとずっと通い続けていた大好きなレストランでした。誕生日や記念日など、たくさんの思い出があります。そんなル・ゴロワが移転しまうと伺い。この場が誰かに渡り、万が一、なくなってしまったら……。であれば、自分が継ぎたい。そう思ったんです」と長谷川氏。

ゆえに、ドアには、「ル・ゴロワ」の刻印が未だ残されたまま。店名を冠した傳サラダも「ル・ゴロワ」へのオマージュだ。そんな継ぎ方も長谷川氏なりの流儀なのかもしれない。

「自分以外にもル・ゴロワを愛していたお客様はいらっしゃいます。そんな方々が想いを寄せる足跡を無くしてはいけない」。

空間においても、当時の面影を残しながら、約9年、同じ時を重ね続けています。

「ALTER EGO」においても同様の想いで継がれてきましたが、今回は、様々な理由により建て替え。であれば、「ふたりで最初に壊す」というのが、徳吉氏と長谷川氏が再会したもうひとつの理由でした。

継いでもらう場だけでなく、継ぐ場も経験した長谷川氏。そして、本場イタリアにおいて、日本人で初めて星を獲得した「Ristorante TOKUYOSHI」から「BENTOTECA」への急転向と「ALTER EGO」建て替えという大勝負。その間には、世界中を恐怖に陥れたコロナ禍……。

過去の点が線になり、壊すによって生まれた節目。それは、奇しくも、ふたりがこれからの人生を考える大きな機会となりました。

「傳」の挨拶代わりのスナック。味噌漬けにしたフォアグラ、ビネガーでしっかりと締めた鰯、ブラッドオレンジのジャムを忍ばせた最中鰯と相性の良いオレンジをジャムにすることで、フォアグラとも調和。イタリアと日本の融合を彷彿とさせる品。

石鯛 生ハム お造り。「ALTER EGO」オープン当初のスペシャリテをアレンジ。当時は鮪中トロを使用していたが、今回は「サスエ前田魚店」より、回遊の石鯛を寝かせ、さっと醤油にくぐらせたものと合わせる。擦りたての18ヶ月熟成の黒豚の生ハムとともに。

フルーツかぶ ズワイガニ。糖度の高いかぶと合わせるパンナコッタは、ズワイガニのほぐし身、鰹節を効かせた酢ゼリー、マリネしたかぶ、ディルオイルなどを合わせたもの。本来はドルチェだが、今回は冷菜として供す。

「傳」のスペシャリテ、傳タッキー。今回の中身は、餅米に自家製ドライトマト、アンチョビ、オレガノ、水牛モッツァレラなど、イタリアンのテイストに。

金目鯛 チーマディラーパ。上記の石鯛同様、金目鯛も「サスエ前田魚店」より。チーマディラーパとは、イタリア野菜のことであり、日本の菜花に似た野菜。それをピューレ状にし、鰹出汁と合わせて擦り流しの仕立てで。鰹出汁で優しく火入れした金目鯛をスープとミントオイルとともに。

ホワイトアスパラガス ルッコラ。炭火で焼いてから出汁醤油に浸した香川のホワイトアスパラガスのお浸しの上にルッコラを覆う。胡麻風味の白和えや文旦も加え、最後に生ハムを添えて。

眠り鹿 ふきのとう。福岡の本州鹿のロースを炭焼きに。そして、鹿のフォン、炭火で炙ったほぐした芽キャベツ、ふきのとう味噌を合わせる。皿の上部には、ピンクレディという品種のりんごを使ったスパイシーなジャムを添える。

土鍋ご飯 オッソブーコ。延岡のサフランで香りをつけた土鍋ご飯に牛骨髄で炒めた筍を加える。オッソブーコとは、ミラノの郷土料理で仔牛のスネ肉の煮込み。地元では、サフランのリゾットと一緒に食べる料理だが、今回は土鍋ご飯でサフランリゾットを表現。

2年熟成からすみ 赤葉玉ねぎ 締めのスパゲッティーニ。徳吉氏が家で作るパスタを今回メニューに採用。サッと炒めた赤葉玉ねぎを使ったアーリオオーリオに仕立て、「ALTER EGO」で仕込んだ2年熟成からすみをたっぷりと削り、レモンゼスト、パセリを合わせる。

苺 桜。甘味には、ナポリの伝統菓子ババを。ブリオッシュ生地に酒粕のシロップをたっぷりと含ませ、埼玉「矢島農園」のあまりんという苺、桜ゼリー、煎茶の香りをつけたミルクジェラート、ホワイトチョコカスタードを合わせる。最後に「新政酒造」の貴醸酒 陽乃鳥をかけていただく。

この日、徳吉氏や「ALTER EGO」のシェフ・平山秀行氏、ソムリエ・松本時宙氏のほか、「傳」からは長谷川氏以外にも女将さんやスタッフもキッチンやサービスに立つ。息のあった両チームは、心地良いグルーヴを店内に生む。

ALTER EGO×傳「ファインダイニングの幕引き。勝負に出るなら今しかない」徳吉

「Ristorante TOKUYOSHI」は、順風満帆。それを一気に覆したのがコロナ禍のパンデミックでした。イタリアにおいては、死者が3万人を超え、世界第3位。EU加盟国では最多という状況。街はロックダウンし、自体は急速に変化しました。当時、徳吉氏はレストランを改装しばかりとう状況もあり、頭を抱える日々でしが、「医療従事者が本気で戦っている姿を見て、自分は自分にできることで本気になりたい」という意志が芽生えたと、当時を振り返ります。

そこで、医療従事者へ食事=弁当を提供する活動を開始。これが、「BENTOTECA」のはじまりです。

「Ristorante TOKUYOSHI」の徳吉氏は、「料理に対しても、レストランに対しても、エゴが強かった」と語るも、目に見えないウイルスには手も足も出ず。しかし、「BENTOTECA」を通し、レストランの語源でもあるレストレのごとく、食べ手を豊かにする料理、求められる料理の喜びを知ることになりました。

「その時です。ファインダイニングという存在について、改めて考えるきっかけになったのは。このまま続けることによって、どこを目指すのか。続けることによって、自分は何が残せるのか」。

当時、徳吉氏は40代半ば。イタリアでは、50歳になるシェフはレジェンド扱いされることも少なくなく、「そのステージへの拒否反応もありました。レジェンドとは、言わば、頂点。崇められる一方、もう成長はないとも捉えられるのが嫌だった」と言います。

ゆえに、レジェンドは、シェフからブランドになることも多い。その結果、必ずしもキッチンにいない現象が生まれ、店舗を拡大する方向へと舵を取る。

一方、「そうでない文化が日本」だと、徳吉氏は分析します。

「日本のレストランは独特の文化だと思います。例えば、カウンターのみの小さい坪数、席数という形態は、イタリアはもちろん、世界でも稀有なスタイルではないでしょうか。だから、料理以外に、人との関係が強い。食べに行くだけでなく、会いに行くという行為が生まれる」。

ワンオペやご夫婦で営んでいるレストランは、最たるものだと思います。著名レストランにおいても、店舗拡大しているところは極めて少ない。それほどまでに、日本ではレストラン=シェフという存在が絶対なのかもしれません。

「傳」においても同様。あの空間は、長谷川在佑という存在があって成立するため、「傳」という名だけが一人歩きすることはないでしょう。

前出、これまでになかった料理の喜びを知った徳吉氏は、もうひとつ、才能を開花させました。ビジネスです。

「コロナ禍を経て、一番になる必要はない。頂点に立つ必要もない。そんな考えになりました。勝負に出るなら今しかない。そこで、BENTOTECAに転換する決断をしました」。

「BENTOTECA」の料理は、基本的に和食。特徴は、イタリアで作られた日本の食材を起用しているところです。シグネチャーメニューは、牛タンのカツサンド。そのほか、牛骨髄と塩辛のブルスケッタ、マグロの赤身、中とろ、そして、鳩や鴨を使用したメイン……。和食と言えど、「Ristorante TOKUYOSHI」の感性は宿ります。ですが、最初から順調だったわけではありません。

「業態変更してからは、8人しかゲストが来ない日もありました。そこから改善に改善を重ね、今では、Ristorante TOKUYOSHIの売り上げ3倍。ウエイティングリストが600人を超えることもあります」。

それだけではありません。そのカツサンドを専門にした「Katsusanderia isola」、「Katsusanderia sidewalk kitchenもオープン。勢いは止まらず、現在は、「Pan」、「Piccolo Pan(3店舗)、「Mogoと、「BENTOTECA」を含め、ミラノに8店舗展開。独自の手法で店舗拡大を実現させました。

「思考を切り替え、一気に世界が広がりました。Ristorante TOKUYOSHI の時は、このレストランとイタリア料理のことしか頭にありませんでした。イタリアで日本の食材を使う考えもありませんでしたし、ミラノで和食をやるというイメージもありませんでした。ですが、コロナ禍を経て、自分は日本人として、この場に何が残せるのか。そう考えた時、日本の文化だと思ったんです。ALTER EGOにおいては、その逆を考えており、仔牛、チェダーチーズ、ラディッキオなど、日本で作られたイタリアの食材を起用したいと考えています。改めて、イタリア料理を日本で表現する意義を追求したいと思います」。

2020年5月。コロナ禍、医療従事者に食事を届ける活動を開始。当時、「社会貢献が目的ではありませんでした。ただ、本気の人を本気で支援したかった、僕なりの本気で応えたかっただけなんです」という言葉を残している。

全て資金は持ち出しだったが、続けるに連れ、食材を支援してくれる生産者も現れ、輪が広がっていった。当時、「経営的には苦しいですが、将来のスキルになればそれでいい。時にプライドを捨て、リスクを恐れず新たな挑戦をすることや環境に順応する能力も必要。今の努力は、きっと将来返ってくると信じています」と話していた徳吉氏。その言葉通り、努力は報われ、現代において飛躍的に進化。ビジネスという新たなスキルも身に付けた。

ALTER EGO×傳「料理に興味を持てなくなったら、未練なく辞める」長谷川

長谷川氏は、店舗拡大に取り組む徳吉氏とは、真逆の人生を歩んでいると言えるのではないでしょうか。しかし、「1店舗だけでは限界がある」という実情は、長年の課題であり、その意識は常に持つ。

「長くやらせていただくと、ありがたいことにお客様が増えていきます。ですが、席数は限られており、何とかしたいとは常に考えています」。

以前の場で約9年、今の場で約9年。未だ、「傳」は多店舗展開の予定はない。しかし、それを補う手法として生まれたのが、盟友「Florilege」のオーナーシェフ、川手寛康氏と始めた「デンクシフロリ」です。2020年に開業し、現在はバンコクにも展開しています。

「傳を多店舗展開する考えはありません。ですので、イズムを継いだメンバーによる多店舗展開という手法を自分は選択しました」。

ゆえに、今後、もし「傳」から巣立つ弟子などが生まれれば、その可能性は、より広がるのかもしれません。

「BENTOTECA」も然り、「デンクシフロリ」もまた、コロナ禍に活動。ふたりは、「あの時にどんな行動を起こし、どんな決断をしたか。それが今に繋がっている」と話します。

日本においては、自粛要請の期間が長く、営業するか否かは、レストランに委ねられていました。この二者択一に大きく意見が割れた現象も勃発しましたが、「傳」は営業を選択。「本当にお客様に助けられました」と語り、当時のお客様との関係は今なお続く。

「あの時、営業する決断をして、本当に良かった」。

国は違えど、そんな難局を経て、現在も第一線で活躍し続ける長谷川氏もまた、徳吉氏と同世代。現在、40代後半に差し掛かり、人生を振り返ることもしばしば。そして、「シェフをいつまで続けるのか」という難問と向き合うこともあると言います。

最近においては、2025年2月末。「コートドール」のオーナーシェフ、斉須政雄氏が長い歴史に幕を下ろしました。御年74歳の出来事です。「傳」においても、最後の場をイメージすることはあるのか。

「正直、今はわかりません。ここに居続けるのか、それとも、また移転するのか。ただ、これに関しては、ご縁だと思っています」。

一見、計画性のない発言のようにも受け取れますが、過去の場を紐解くと、これが長谷川在佑たる所以かと思わずはいられない事実も。修行時代の「うを徳」は神楽坂、独立し、開業した「傳」は神保町。そして、移転した現在の場は、神宮前。運命のいたずらか。全てにおいて、「神」が付く。(「デンクシフロリ」においても、神宮前)

「お客様、スタッフ、家族、皆様のおかげで、ここまで来ることができたと感じています。自分の意志も大事ですが、自分の場合、大きな選択の時には誰かに導いていただいたような気がします。自分以外の誰かに身を任せるということは、これからも大事にしたいと思っています」。

この言葉を伺い、この場=現「傳」に宿る何かを感じざるを得ない。なぜなら、「ル・ゴロワ」の大塚ご夫妻もまた、当時の常連、脚本家の倉本聰氏によって、導かれるように富良野へ。50代半ばの決断であり、現在、シェフの健一氏は、御年60歳を優に超える。本人の確認は得ていませんが、シェフ人生として、富良野を最後の場に選んだのではないでしょうか。

そう考えると、長谷川氏に「最後の場をイメージすることはあるのか」と問いたのは時期早々だったかもしれません。しかし、前出の回答の後、ふたつ、明確な答えを述べてくれました。

「最後の場は、どこになるか分かりませんが、確実に言えることは、東京であるということ。自分も女将さんも東京生まれ、東京育ち。最後も生まれ育った故郷で料理を作り続けていると思います。そして、もうひとつ、引退について。これは、いつか分かりませんが、年齢に関係なく、料理に興味を持てなくなった時は、最後だと思っています。その時は、未練なく辞められると思います」。

もちろん、そんな日が来ないことを願って。

2020年8月、「デンクシフロリ」開業に向け、工事のチェックに訪れた長谷川氏と川手氏。当時、「実は、一緒にお店をやれたらいいねという話は、10年以上前からしていて。でも、そのタイミングはいつまでにやるとかそういうことは決めていなくて、自然に身を任せながら良きタイミングが訪れた時にと思っていました」とふたりは話す。身をまかせることやご縁は、長谷川氏にとって一貫していたことが伺える。

ALTER EGO×傳場が生む、社会との交錯。

久々に元「傳」のキッチンで料理をした長谷川氏。

「ここに立つと色々なことを思い出しますね。頭に浮かぶのは、なぜか苦い思い出ばかりですが(笑)」。

やはり、この場は、今なお、長谷川氏にとって大事な場。キッチンに立ち、改めて、それを確信したのはないでしょうか。当時を振り返り、「神宮前に移った後も、次に譲ることなく、持て余していた時間もあった」と言います。なぜなら、自身が「ル・ゴロワ」を継いだ理由と同様、この場を無くしてしまいそうな人には継いでほしくなかったから。その時に、徳吉氏が名乗りを上げたのです。

「徳吉さんならと思い、ぜひ、継いでいただきました。それに、自分もまた還ることができる。今度は、お客さんとして」。

しかし、ひとつ素朴な疑問が浮かびます。そんな大事な場を、なぜ建て替えてしまうのか。いや、建て替えることができたのか。ここにも、徳吉氏のビジネス思考の選択と決断がありました。

レストランの多くは賃貸物件。この場もそうでした。しかし、今回、徳吉氏は、持ち主と協議し、物件を購入。だから、建て替えることができたのです。

「賃貸契約は、大体3〜5年。その多くが更新されるとは思いますが、約束されているわけではありません。多額を投じ、改装しても、更新されない可能性もあります。その不安を無くしたい気持ちは常にありました」。

購入の決断は、この場に根ざすということも意味します。ゆえに、長い将来を考え、建て替えを行う。

「場がなくなっても、人はいる。それに、自分にとっての大事な場を、徳吉さんがずっと守ってくれることは、この上なく嬉しい」と長谷川氏。

そして、新生「ALTER EGO」を皮切りに、徳吉氏の構想はもっと壮大に膨らむ。

「日本でもっと多店舗展開したいと思っています。それは、ALTER EGOのようなレストランに限らず、例えば、ミラノで展開しているカツサンド専門店かもしれません。お店を作ることによって、人の流れを生んだり、街の風景になったり。それが結果として、文化になったり。そんな活動を日本でしていきたい」。

良い店作りから、良い街作り、文化作りまで、視野を広げた徳吉氏は、レストランの意義を社会レベルで見定めています。さぁ、勝負はこれからだ。

古巣のキッチンに立つ長谷川氏。見る人が見れば、グリラーに貼られたステッカーも懐かしい。

長きにわたり、「傳」から継いだ場で活動してきた「ALTER EGO」。「色々な思い出が走馬灯のように頭をめぐる」と徳吉氏。

ALTER EGO×傳「自分だけの芯を持つこと」長谷川

星、トック、ランキング……。徳吉氏と長谷川氏は、数々の名声を受け、世界から評価されているシェフです。これは、誰もが納得する、紛れもない事実と言って良いでしょう。

しかし、数や順位は、落ちる時もある。そこに執着せず、自分らしくいるためには、どうすれば良いのか。「それは芯を持つこと」。

「レストランという見える場がある一方、見えない場に重きを置かれてしまうこともあると感じています。その最たるものが、スマートフォン、ソーシャルネットワークなどではないでしょうか。検索すれば、簡単に調べられるため、誰かと比べてしまう現象が生まれていると感じています。しかし、そこで勝負しても意味がない。本質はそこにない」と長谷川氏。

他所が星を獲った、あそこは何位だった。例え、耳を塞いでも、目を瞑っても、情報が流入してしまう現代において、知ることによって、無意識に比べてしまうのかもしれません。実体の見えない声は、大きさを増し、その現象は大袈裟ではなく、恐怖や狂気、時に暴力にもなる。これは、メディアにおいても、問題視すべきことだと強く認識します。そして、徳吉氏もまた、言葉を続けます。

「自分だけの点を持たなければいけない。それは誰も踏み入れることができない絶対領域。それがオリジナリティにつながる」。

長谷川氏は「芯」、徳吉氏は「点」という表現をしましたが、見解は同様。「それを持つことができれば、何があってもブレずに強くなる」とふたり。

言わんとしていることは理解できますが、難易度マックス。「これを若いシェフたちにも持って欲しい」と、さらにふたりは言います。

「最初は、誰かと比べたり、競争したり、勝負したりということも良い経験になるかもしれません。しかし、意志がないと流される。その先にある自分を見つけなければ、長く続けることはできないと思います。例え、レストランを開業できたとしても、そこがゴールではない。料理の技術を磨くことも大事ですが、人間力を磨いてほしい」と長谷川氏。

長谷川氏もまた、人間力を磨いた経験を持つ。「うを徳」の修行時代です。何が印象に残っていたかと聞くと、「靴並べや掃除、挨拶など」という回答が。「今、振り返ると、うを徳では、料理のことはもちろんですが、人として生きる上で大事なことを育ててもらったような気がします」。

そして、「うを徳」から独立する際、ある人との出会いもまた、「人生の指針になっている」と言う。故・中村勘三郎氏(当時・中村勘九郎)からいただいた言葉です。

「おにいちゃんは、ここで修行したんだから、型はできている。自信を持って好きなことをやりな。歌舞伎と一緒。型があるから、型破り。型がないと形無し」。

型破りの好例は、傳タッキーではないでしょうか。「当時は、日本料理の方々にたくさん批判されました」。周囲に飲まれ、辞めていたら駄作となっていたかもしれませんが、続けることによって、今は名作に。「行動次第で、失敗となるか、経験となるか、意味が違ってくる」。その行動を貫ける源は何か。芯です。

「食材との向き合い方も然り、ただ仕入れるだけか、収穫まで経験するか。例えば、同じ山菜も命が生まれる山中の場を知るか知らないかで扱い方も変わります」。

また、「傳」の魚は、多くの名シェフから絶大な信頼を得る前田尚毅氏率いる「サスエ前田魚店」のもの。鮮度にこだわる前田氏は、寝かせる魚を好みませんが、長谷川氏は、敢えて、それを行います。

「鮮度が良いのはわかりますが、それは地元のお店で食べる方がより美味しい。東京で前田さんの魚を食べる意義を見出したい」。

それができるのもまた、芯があるから。

「人生も折り返し地点。自分が教わってきたことを、今度は自分が傳(つた)える番。そんなことにも尽力したいと思っています」。

リリース当時は、批判もあったと言う傳タッキー。今では「傳」のシグネチャーメニューとなり、秘傳の愛情スパイスは、多くの人を虜にしている。「諦めてしまうから失敗になる。何事も諦めなければ達成できる」と長谷川氏。

平山氏の奥で盛り上がる「傳」チーム。「自分が教わってきたことを、今度は自分が傳(つた)える番」と話す長谷川氏が、まず最初に傳える対象となるのはスタッフ。ゲストの名前は必ず覚え、元気良く呼ぶ姿やきめ細やかなサービス、ハキハキとしたスタッフ同士の声がけ……。常に笑顔が絶えない「傳」には、ルールと自由が程よく混在し、独自の心地良さを作り上げる。「うちのスタッフには、他所では見ることができない世界を見せてあげたい」。傳タッキーよろしく、長谷川氏はスタッフにも秘傳の愛情スパイスを注ぐ。

ALTER EGO×傳「癌が人生を変えてくれた」徳吉

徳吉氏を大きく変えた出来事、それは、これまで綴ってきたよう、コロナ禍における出来事でした。しかし、それが一番ではありません。

2018年に宣告された、癌です。

「舌癌だったため、シェフとしても生きられない。そう思いました。その時に思ったんです。もし自分が死んだら、何が残せるのか」。

この経験が、徳吉氏を大きく変えました。

舌癌においては、早期発見だったため、舌の一部を切除するにとどまり、味覚にも影響なし。今も無事に料理と向き合うことができています。

「自分がいなくなった時のことを考え始めたのがきかっけで、レストランを変化しました。コロナ禍だけであれば、カツサンド屋でなく、パスタ屋を展開していたかもしれません」。

これまでの自分に執着せず、前述、「自分だけの点」を探し出せたのは、癌がきかっけ。変化したのは、レストランでなく、徳吉氏自身だったのです。

「ALTER EGO」とは、分身という意味を持ちますが、そのほかにも、別人格、もうひとりの自我という意味も持ちます。今の徳吉氏こそ、まさに「ALTER EGO」のよう。

そして、長谷川氏と同様の質問を徳吉氏にも問いてみました。最後の場をイメージすることはあるのか。

「イタリアです。ただ、シェフじゃない可能性もありますけどね」。

さらりと驚愕の発言を出せることもまた、「自分だけの点」があるからこそ。

徳吉氏と長谷川氏が言う「自分だけの点」と「自分だけの芯」における、「点」と「芯」とは、具体的に何なのか。

「これを言い当てられたら、もっと成長できるんですけどね」と長谷川氏。

「もう少し時間をかけて探したい」と徳吉氏。

ふたりは、まだ言語化に至りませんでした。いや、もしかしたら、本当はその言葉を持っているのかもしれないと疑うのは勘繰り過ぎか。

「僕たちは、感覚的なところがありますからね(笑)」と、ふたり。

いつか、その解を聞いてみたい。

「ALTER EGO」最終日には、「傳」からは長谷川氏以外にも多くのスタッフが参画。再オーオプンは、2025年7月予定。神保町に新たな風景が生む。

「Ristorante TOKUYOSHIを続けていたら、自分は何も残すことができなかったかもしれない」と徳吉氏。「君子は日に三転すではありませんが、目指すゴールは変わっても良い。止まらないことが大事」と長谷川氏。多くの経験から練り出されたふたりの言葉は、重く、深い。


Photographs:KENTA YOSHIZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

シェフによる、シェフのための宴。スターシェフが一堂に会する“あり得ない夜”。[The Chefs Gathering/東京都渋谷区]

ホテルのバンケットキッチンが、クラブに。

とある日曜の夜、渋谷『TRUNK(HOTEL) CAT STREET』のバンケット・キッチン。クラブのように派手に飾られたその場所で、秘密の宴が始まろうとしていました。

まず会場で出迎えるのは100kg超級の本鮪。添えられた『やま幸』の競り札を見るまでもなく、ひと目で最高峰の逸品だと伺えます。煌めくネオンの照明、ガンガンと鳴り響く音楽、ずらりと並ぶドン ペリニヨン。さらに参加者の顔を見ると、さらなる驚きが待っています。それは日本を代表する、文字通りのトップシェフの面々。

あり得ない宴。奇跡の夜。

この『The Chefs Gathering』を知る人の多くは、そう語ります。

2017年に初開催された、シェフによる、シェフのための宴。5回目となる『The Chefs Gathering 2025』が、幕を開けました。

会場で参加者を出迎えた塩釜の巨大な本鮪。

仕掛け人の本田氏、『TRUNK(HOTEL)』の野尻氏の挨拶で幕を開けた。

開始直後からボルテージは最高潮。シェフ同士の交流で賑わう。

協賛はドン ペリニヨン。ドリンクサーブはドリンクディレクターの大越基裕氏が担当した。

自ら料理し、振る舞うシェフのためのイベント。

この『The Chefs Gathering』には基本的に、ただのゲストはいません。シェフたちは自ら料理をつくり、他のシェフたちに振る舞うのです。

バンケットキッチンのそこかしこに、無造作に並べられる完成した料理。皿が足りなければバットに盛られ、できたそばから手渡しで。それほどラフな雰囲気ではあっても、集うのはトップシェフたち。笑い合い、語り合い、ふざけ合いながらも、一度包丁を持てば一切の妥協なく自身の技術を料理に込めるのです。

『フロリレージュ』の川手寛康氏は、広島産のモリーユ茸に鰯を合わせ、シェフたちを驚かせました。パリからやってきた『Pages』の手島竜司氏はバジルオイルで仕上げたウフマヨ。ミラノ帰りの徳吉洋二氏は、イタリアの生ハムと鮪を合わせた一品を仕上げます。『鮨しゅんじ』の橋場俊治氏は、『やま幸』の山口幸隆社長が捌いたばかりの鮪を次々と握ります。『里山十帖』の桑木野恵子氏は、『cenci』の坂本健氏とコラボするために、地元新潟の山菜を摘んできました。

この日は“お金をもらってゲストに料理を提供する”という日常とは離れた、いわば遊びの時間。そして参加者の誰もが「本気で遊ぶ」ことの意義と楽しさを存分にわかっていたのです。

DJは美食家としても知られる音楽プロデューサーFPMこと田中知之氏。

鮪の解体は『やま幸』の山口社長自らの手で。

『フロリレージュ』川手氏の「モリーユ茸のイワシファルス」。

初参加となった『食堂とだか』戸高雄平氏と『天ぷら元吉』元吉和仁氏の合作「湯葉甘納豆チーズ 桜の香り」。

『鮨しゅんじ』橋場氏と、福岡『鮨 唐島』の唐島裕氏のタッグで生まれた握り。

それぞれの思いを胸に、料理と向き合うシェフたち。

「食べることで思いを分かち合う大切な時間」と能田耕太郎氏がいえば、『ブリアンツァ』の奥野義幸氏も「若いシェフにとって厨房で働くこと以外の経験を積むことも大切。今日ほど貴重な体験はない」とその思いを語ります。その言葉の通り『鳥しき』の池川義輝氏が鶏を焼く様子を、若手シェフたちが食い入るように見つめています。

郷土の誇りを胸にやってきたシェフたちもいます。

福島『丸新』の熊倉誠氏は「スターシェフに胸を借りる気持ち。その体験を持ち帰り地元に貢献したい」と謙遜しますが、持参した東北の食材の素晴らしさを自信を持って紹介していました。湯布院『ENOWA』のTashi Gyamtso氏も、朝収穫したばかりのアスパラガスを持って飛行機に乗りました。富山『レヴォ』の谷口英司氏も「富山の魅力を伝えるのも今日の使命。これを機に地方にも目を向けてもらえたら」と思いを語ります。

こうして、それぞれのシェフが、それぞれの思いを胸にしながら、美食と音楽と混沌の夜は続きました。

『丸新』熊倉氏がつくったのは「ブロッコリー見立て豆腐」「えんどう豆スリ流し」「ホタルイカと花わさび」の3品。

富山『ひまわり食堂2』の田中穂積氏の「豚バラとファラフェル キャロットラペ ミント添え」。

山形『OSTERIA SINCERITA』の原田誠氏の「馬肉ロースと根菜サラダのブーケ仕立て」。

『蕎麦おさめ』の納剣児氏は「クリームチーズの味噌漬け」に揚げ蕎麦チップをあわせた。

能田耕太郎氏がつくった「マグロとモルタデッラのピアディーナ」。

限界を定めぬ突飛な発想こそ、食の未来を拓く。

この「あり得ない夜」を現実のものとした背景には、ひとりの美食家の存在がありました。

その名は本田直之氏。

今回の40数名の参加シェフは、すべて本田氏の直接スカウト。つまりどの場所であろうと、本田氏が直接店を訪れ、料理を食べ、シェフと話し、今回の参加を願ったのです。

「同じジャンルのシェフ同士の繋がりはあっても、その垣根を乗り越えた繋がりはなかなかありませんでした。それはもったいないなと思ったんです」と本田氏。

その状況をなんとか打開できないか、と考えた末に生まれたのがこの「The Chefs Gathering」でした。その思いに「TRUNK(HOTEL)」代表取締役社長の野尻佳孝氏が共感し、現在の形になったのだといいます。

「どのジャンルにおいても業界を越えた繋がりがないと、広がりは生まれにくい。異なる技能を持つ人同士の親交からは、想像もつかないおもしろいことが起こるもの」そんな期待を胸に、本田氏は持てる知識と経験をフル稼働して、この「The Chefs Gathering」を開くのです。

これはシェフによる、シェフのための宴。

このような飛び抜けた発想から、日本の食の未来は築かれていくのかもしれません。

自身を「食の応援団」と語る本田氏(左)。思いを同じにする野尻氏(右)とともに。


Text:NATSUKI SHIGIHARA
Movie:NAOKI TOMITA

目から鱗の連続に驚嘆の声が漏れる。あるものをどうクリエイトするか?伊シェフが生み出すローカルガストロノミーの意味するもの。[長野県南木曽町]

囲炉裏でイワナを焼く南木曽の高橋渓流を訪れ、薪火でイワナをこんがりと焼くジャンルカ・ゴリーニ氏。イワナの身はもちろん、しっかりと焼くことで頭や骨から極上のスープを抽出する。

ローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」 。イタリア人シェフは南木曽町をどう表現したのか。

イタリア・エミリア・ロマーニャ州の山奥で6年連続星を獲得する名店『daGorini』。オーナーシェフであるジャンルカ・ゴリーニ氏は日本の、いや長野県南木曽町の食材にふれ語ってくれました。

「私の料理は山とともにあります。ですから、常に食材が潤沢にあるというわけではないんです。特に寒い冬の季節はね。だからこそ、自分の料理はシミュレーションができないと作れないわけではなく、リスクを取りながらでも今ある食材をクリエイティブしていきます。要は常に自分に対して、眼の前の食材を『ジャンルカだったら、どう使うんだ?』と自問する。するともうひとりの自分が奮い立ってきます。常に山と向き合い、あるものをクリエイトする。だからかな、似た環境の南木曽町にとても惹かれたんだ。やっぱり、自問して、『ジャンルカだったら、南木曽町でどんな料理を生み出すか。』答えはこうだ、ひとつひとつ生産者と向き合い成長しながらチャレンジする。ミスター岡部からローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」のオファーが届いた際に、真冬だからこそ受けたいと思ったんです」

そうなのです。さる2月下旬に長野県南部の南木曽町に降り立ち、すぐさま食材視察を3日連続、その後の試作をさらに3日、そのまま東京へと舞台を移し開かれたイベントこそが、今回ご紹介するガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」。前回の記事では、ジャンルカ・ゴリーニ氏が巡った南木曽町の生産者とのふれあいをレポートしましたが、今回はいよいよ本番。意欲的なガストロノミーイベントで南木曽の食材がどうクリエイトされたのかに迫ります。

冒頭のジャンルカ・ゴリーニ氏のコメントは、視察後の談話より。南木曽で日常食べられている山菜いたどりや、木曽伝統の漬物すんき、糀味噌など、日本人でもどこか古臭いと感じられる郷土食材を連続で味わい、それをどう感じたかという質問の答えなのです。雪の残る山の町・南木曽町。食材乏しい、冬の南木曽町をイタリア人シェフ・ジャンルカ・ゴリーニ氏は、どう自らの料理へと昇華するのか。その意欲的なチャンレンジをレポートします。

フォレストゲート代官山日本食品総合研究所『調理室』で3日間開催されたローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」。食に感度の高い面々が全国から集まった。

客前で1品目を準備するジャンルカ・ゴリーニ氏。最終仕上げをゲストの目前で披露していく。

1品目「森のサラダ」。見た目はシンプルなサラダに見えるが、食べ進むうちにおこぎやスイバなど南木曽町ならではの野菜が顔を出す。わかめや海苔といったミネラル豊富な海の食材。これらも実は山の恵みであることを教えてくれる。

桜の花の塩漬けを大根のピクルスに忍ばせる。真冬のサラダと思いきや山菜の苦みや桜の香りなどで、春の到来を予感させるサラダに仕上げた。

2品目「森の魚」。親子でニジマスを養鱒する生産者植松氏にリスペクトを払った森の魚の皿では、ニジマスの身の上にぷりぷりのいくらをあしらう。捌いた後の頭や骨もソースに活用。

木曽駒ヶ岳の清流を利用する養鱒場が『いぶき養鱒場』。清冽な水の恩恵により驚くほど澄んだ味わいのニジマスなどを育んでいる。

“森”を冠したコースの構成に、南木曽への感謝が込められる。

まずはメニューに目を落とすと、すべての料理には“森”という言葉が冠されています。森のサラダ、森のスープ、森のラビオリ、森の肉……。

“森”とは、すなわち面積の94%が森林に覆われる南木曽町を意味するのでしょう。

期待に胸を弾ませながら、運ばれてきた最初の料理は「森のサラダ」です。

南木曽町のダイバーシティを表現したという一皿。ルッコラ、レタス、わさび菜、せりなどのほかに、春を告げる木曽地方の山菜おこぎ(南木曽の人々が親しんで呼ぶ“おこぎ”は、長野県南部地方特有の呼び名で、正式には「うこぎ」)、秋にとれた大根のピクルス、桜の塩漬け、雑草扱いされるスイバ(酸葉)、海のアクセントとして伊勢湾のわかめとのりなどがたっぷりと。

本店『daGorini』でも必ずフレッシュなサラダから始まるという1皿目は、まさにジャンルカ・ゴリーニ氏の原体験なのだといいます。

「私の祖父は家の前に畑を持ち、たくさん野菜を作っていたんだ。私も手伝いをしていましたが、よく勝手に畑に入り、そのまま野菜を味わい怒られていました。今ではその経験がいい思い出なのですが、その時からです。私は手間ひまかけて作ったとれたての野菜の美味しさを知っているのです。それは南木曽町でもそうでした。冬だから何にもないよと悔しがる生産者さん。でもですね、その後、必ずでもこれならある、いまはこれしかないと、どんどん見たこともない、山菜や野菜の保存食などが出てくるのです」

その体験をまさに一皿のサラダとして供してくれたのです。伊勢湾のわかめとのりが入っているのにも理由がありました。

94%が森林の南木曽町には木曽川が流れます。森を形成する腐葉土が木曽川を伝い200kmの旅をして伊勢湾の栄養に。魚種豊富な伊勢湾の恵みは、森のお陰で育まれる。海のものは山で作られる。そんな森の豊かさとともにそこに生きる生活の知恵、自然の循環、森の大切さを表現してくれたのです。

その後の森の魚は、ニジマスの一皿。木曽駒ヶ岳で育まれる水の美しさに驚いたと、ジャンルカ・ゴリーニ氏は表現します。親子で養鱒経営する『いぶき養鱒場』植松さんの仕事ぶりをそれこそがトラディションだと敬意を示し、料理も循環をテーマにニジマスの身といくらの醤油漬けをあわせます。さらに頭や骨からエキスを丁寧に抽出し白いソースに。ソースの酸味には、未成熟で形の不揃いだったいちごを使ったと笑います。本来であれば処分される骨や頭、未成熟で不揃いのいちごと、美味しさの理由の中に、食材へのリスペクトが自然と込められているのです。

森のスープに使用するキノコの試作風景。キノコのキャラクターを引き出すため、それぞれに異なる火入れや調理を施していく。

スタッフの理解を深めながら進む森のスープの試作風景。

4品目「森のスープ」。食膳に運ばれた瞬間、南木曽町の山の香りが立ち込めた。

5品目「森のリゾット」。あえて日本米を使用しリゾットにチャレンジ。完全無農薬のイセヒカリを使用。何度もトライした逸品。ヤギのチーズに、干し柿やどぶろくでアクセントを加えた。

7品目「森の肉」。森の肉には鹿肉を用意。味噌玉製法で作るパンチのある糀味噌を

まだまだ続く、Made in 南木曽のスペシャルプレート。

その後の森の貝では、またもや伊勢湾産のサザエをアレンジ。南木曽の3種の芋を合わせて、テクスチャーの違いで来場者を驚かせます。

続く白眉の森のスープは、テーマがウォーキングインザ・フォレスト(森の散歩)。木地師の里『木地屋やまと』の木の器に盛られた一杯は、まさに南木曽の森に佇んでいるような錯覚を覚える香りが立ち込めたのです。

「とにかく圧倒的に種類が多くて、それぞれにキャラクターがある。その個性をそれぞれ際立たせたいと思ったら森になったよ」とジャンルカ・ゴリーニ氏。

圧倒的な数とキャラクターと絶賛したのは南木曽のキノコだったのです。

ただし、それらをひとつの鍋でスープにしたわけではありません。

御岳ぶなしめじは蒸し。舞茸は味噌で。えのきは薪で香りをつけて、なめこはフライパンで焼き付けます。なかでも彼が特段、興味を持ったのはこうたけ(香茸)、地元では松茸以上に争奪戦だという広葉樹林に群生する香り豊かなキノコはあえて姿を見せず。秋に取ったものを乾燥させたこうたけで、丁寧に出汁を取ったのです。

仕上げにレモンとかやの実、チップにしたヒノキをあしらった森のスープは、驚くほどの香りと存在感で参加者を魅了したのです。

イタリア料理のプリモピアットであるパスタやリゾットは、日本人がどちらも大好きだよと聞いたので、ラビオリとリゾットの両方を提供。リゾットには放牧ヤギのチーズに柿やどぶろく、ラビオリには24時間かけて生み出すイワナのスープと、それぞれに生産者の顔が浮かぶ料理が並びました。

メインの森の肉。鹿のテンダーロインのステーキを糀味噌で味わった際に、うすうす気がついていた疑念は、確信へと変わりました。

そう、ジャンルカ・ゴリーニ氏は、今回の“森”を冠したコースの中に、南木曽で出会った生産者のすべての食材を料理に落としこんでいたのです。

左より今回のイベントの発起人でホテル「Zenagi」を運営する岡部統行氏(南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会の代表も務める)、シェフの招聘に尽力した世界ナンバーワンフーディー・浜田岳文氏、シェフ・ジャンルカ・ゴリーニ氏

有志でチームに参加した最年少。長野県松本市出身で、辻調理師専門学校フランス校の卒業生・吉川瑠香氏はイベント後感動で思わず涙。

テロワールを生かした独創的な“田舎料理”を生み出し、世界から注目を集めている『daGorini』のジャンルカ・ゴリーニ氏。

長野県を中心に、東京山梨などから有志で今回のイベントに参加した料理人たち。

イタリア人の視点で見た南木曽町。そこに眠る土地のポテンシャルとは?

コースを食べ終えると、ある不思議な感覚に襲われました。

「南木曽の町には珍しい食材があるよのディスプレイだけにとどまらず、きちんと料理として積み上げている。シンプルにではなく、彼のクリエイティブできっちり手をかける。それが彼の感性であり、イタリアの伝統で日本人にはフレッシュなアプローチとなる。鹿に添えた味噌がその代表例。こういう会の場合、味噌を使いたい料理人は多いが、大量生産のどうでもいい味噌では意味がない。ジャンルカはクセの強い地元の糀味噌をジビエに合わせた発想が素晴らしいですよね。まさに、がっかり感の対局。日本にあるのに日本人が思いつかなかったことが悔しいですよね。たった1週間の滞在で食材が持つ個性を描き分けている。風味、テクスチャーとちゃんと向き合う、思考の深さが垣間見えました」とこの会に同席した、世界ナンバー1フーディーの浜田岳文氏は、食後にそう評してくれました。

そうなのです。食後に沸き起こった不思議な感情とは、悔しさにも似た驚きなのです。日本に根付いた伝統食や保存食。すぐ目の前にあるはずなのに、それを古臭いという固定概念で切り捨て、ガストロノミーイベントでなど、到底使うこともない。真新しいものには飛びつく我々の興味関心も、土地に根付いた伝統食にはどこか感覚が錆びついてしまう。それを全く違う土地から来たジャンルカ・ゴリーニ氏は、数日で軽々と飛び越え、日本人では思いも浮かばぬ調理法で森のコースに仕上げてしまったのです。

「訪れた生産者の食材は全員ほぼ使っている。簡単ではないけど、アイデアが浮かぶではなくて、顔を見て感情を感じて皿を作りました。パスタのカペレッティは、どのスープにするかずっと迷っていた。でも囲炉裏のイワナを見て、ストックにしたいと。もしくは、生産者の女性がふるまってくれたすんきの味噌汁。優しい酸味はグラニテにしたいと。木曽れんこんの甘さと粘りもデザートになるなと。出会ったみんなの顔を思い浮かべて、だんだんイメージができてきた。ナーバスにはならないで山にあるもので考える。南木曽を回った際の生産者のエモーションからアンサーがでてくる。そう自分を信じていたんだ。明日は南木曽に戻り、生産者さんのディナー会でフィニッシュだ。どんな顔をしてくれるかとても楽しみです。グラッツェ!」

イタリアの山の町から訪れたシェフ・ジャンルカ・ゴリーニ氏。

驚きと感動と、料理への情熱、山への感謝、生産者へのリスペクト……

ローカルガストロノミーとは、どれだけ地方を理解できるかに尽きるのでしょう。

それを約1週間の滞在で、誰よりも深く、誰よりも濃く、誰よりも熱く表現した今回の「Cook The Forest 〜森を食べる〜」。

ジャンルカ・ゴリーニ氏が描いた皿の数々は、数日の幻のように2度と味わうことができないのかもしれません。

ただし、終わりではないのです。怒涛のごとく彼と数日をともにした有志の日本人シェフたちは、またそれぞれの調理場へ、日常へと還るのです。きっと今後の彼らの料理には、その影響が描かれていくのではないでしょうか?

それこそがジャンルカ・ゴリーニ氏が言うところの、エモーショナルな瞬間なのでしょう。このイベントが残した軌跡は、きっとそんな波紋となり、広がっていくことを期待せずにはいられません。

東京でのイベントを終えた翌日、南木曽町へ戻り、お世話になった生産者を招待した特別ディナーが振る舞われた。

自らの作った食材がジャンルカ・ゴリーニ氏の調理により、スペシャルディナーとして供される。一堂、驚きと喜びが交錯し、楽しい宴となった。

住所:長野県木曽郡南木曽町田立222
https://zen-resorts.com/
南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会
https://nagiso-wellness-tourism-council.com/


Photographs:TOMOHIRO MATSUNAGA
TextTAKETOSHI ONISHI

僕らしかできないプラットホーム。それは、持続可能な地域経営。

名無しの蒸留所「NO NAME DISTILLERY」として、サステナブルジン「YORI」を開発・製造。代表の小口潤氏を中心にプロジェクトチームを形成。

NO NAME DISTILLERYよりあわせる先に見える世界。

「YORI は、よりあわせる。いくつもの細い糸を、1本の、太くしなやかな糸にする。YORIは、よりよくする。環境を、地域を、経済を。YORIは、地域からのたより。その地域ならではの味わいを、いちばん引きたつ融合で提供する。YORIはジンであり、絆であり、解決策であり、ストーリーである」(YORI HP より一部抜粋)。

タイトルに置いた「僕ら」とは、この「YORI」を指します。

「目的は、良い酒造りだけではなく、良い地域作り」。そう話すのは、「NO NAME DISTILLERY」代表・小口潤氏です。

「NO NAME DISTILLERY」とは、その名の通り、名無しの蒸留所。日本の地域素材を活用した社会課題循環型サステナブルジンを開発・製造するプロジェクトです。現在、北海道上川、静岡県富士、広島県大崎上島、愛知県岡崎、千葉県柏の計5地域より、5品をラインアップ。

「YORIの決まりごとはひとつ。ひとつの品に対し、ひとつの地域とパートナーシップを結び、価値を持たないものをメインボタニカルに置くこと」。

例えば、北海道上川では、3種の松の葉や酒粕などを使用。松は、剪定のため、切り落とされた残葉を活かします。広島県大崎上島では、オリーブかす、ポンカンなどを使用。オリーブオイルを製造する過程に出た搾りかすや雹(ひょう)の被害にあって流通できなかったポンカンの木などを活かします。それ以外にも、地元大学とも連携し、そこで育てた植物の起用や愛知県岡崎では、八丁味噌、しめ縄!?なども。

どれも個性的ですが、それは奇をてらったものではなく、もともと地域にあったもの。名無しの蒸留所ゆえ、これらは、KAMIKAWA、FUJI、OSAKIKAMIJIMAなど、地域名で呼称されていることも「YORI」の個性。そんな産地への想いはエチケットにも表れ、ブランド名「YORI」より上に地域名を冠しています。

そして、特筆すべきは、廃棄されるものとはいえ、素材は基本的に買い取っているということ。「処分するものだから、無償でどうぞって言ってくださる方々がほとんどなのですが、それでは社会課題循環型サステナブルにはならないので」。まず、ここで地域に利益を生みます。

「YORIは、地域のプラットホーム。YORIをよりあわせることにより、関係人口、関心人口を増やしていきたいと考えています」。

例えるならば、「YORI」は、地域を引き立てる名バイプレイヤー。主役=地域>脇役=「YORI」の関係なのです。

また、「香りを引き立てるため、あえて味の個性が前に出ない醸造アルコールをベースに採用しています」と話すよう、香り=地域>味=「YORI」の関係によって、「YORI」の特性も構築されます。

加えて、バーテンダーのようなクリエイティビティやテクニックがなくとも、水、ソーダ、トニックなど、割りものとして楽しめるゆえ、地域のあらゆる店舗、あらゆる人が作っても高品質な味を約束。

「技術がないと美味しくならないのでは、地域に根ざすことができませんから」。そして、それを定着させることによって「地域の地酒のような存在になってもらえたら」。これが小口氏の理想。

よりあわせることによって、理想を現実に。そんな活動を、今この瞬間も続けているのです。

各地の生産者は、「YORI」には欠かせない存在。「YORIは、地域の皆さまと一緒に作るブランドです」と小口氏。

四季や土壌、各地の表情が豊かな日本だからこそ、個性的な植物が育つ。素材が生まれた地を訪れれば、より一層、「YORI」は味わい深くなる。

北海道のど真ん中、「神々の遊ぶ庭」と言われる大雪山国立公園に位置する上川町。その厳しい自然で育った3種の松を、一番香りが引き立つバランスで融合。「インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション」2024年スピリッツ部門にて、ブロンズを受賞。

北に富士山、南に駿河湾を臨む、静岡県富士。その温暖な気候で育った数種の柑橘を中心にほうじ茶などをブレンド。「インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション」2024年スピリッツ部門にて、シルバーを受賞。

NO NAME DISTILLERYアイディアよりも必要な能力。

実は、小口氏の本業は、地域の事業コンサルタントなどを主に活動する「Connec.t」代表。現在、「YORI」は、ふるさと納税の返礼品にも選定されるほか、流通や取り扱い店舗も増えつつあり、これは、「Connec.t」として活動してきた知識と経験が大きく作用しているといっても過言ではありません。

そのほか、「インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション」や「日本産酒類の発展・振興を考えるビジネスコンテスト」など、数々の賞も受賞。現在は、広尾にて実店舗「COYORI」も構える。

つまり、結果的に、「Connec.t」と「NO NAME DISTILLERY」は運命共同体。「Connec.t」小口氏の頭脳を持って、「NO NAME DISTILLERY」小口氏の思想をカタチにしているのです。

「実を言うと、ジンを作りたくて、作ったわけじゃなくて。どうすれば地域を循環させる経済を生み出せるか。どうすれば地域に利益を生み出せるか。その仕組み作りを考えた時、ジンであればできると思ったのがきっかけでした」。

そんな本音をさらけ出してしまう小口氏の言葉に嘘はない。

また、「YORI」をきっかけに、様々な活動にもつながる。そのひとつ、某所にて、耕作放棄地の活用事業もこれから始まるという。植物のアップサイクルから、地のアップサイクルへ。これは、小口氏も予想しなかった展開でした。

「ジンに必要なジュニパーベリーは、日本の生産がほぼないのが現状です。これは、気候によるものが大きいのですが、どこか育成に適した地があるのではと調べています。もし実現できれば、それもまた、地域と一緒に取り組むことができればと考えています。それ以外ですと……」。ここから先は、まだ構想段階のため、御内密。ただ、それが実現できたあかつき、もとい、よりあわせることができたあかつき、「YORI」の世界は一気に拡張するでしょう。

そんな小口氏が何より長けている点。それは、「YORI」というアイディアや創造力以上に、実現できる能力を備えていたことにあると考えます。

実際、良いアイディアを持ち合わせている人は少なくない。しかし、それを実現できる能力がある人は、ごくわずか。アイディアは、実現できる能力を兼ねて、初めて活きる。但し、それに伴い、責任を負う覚悟も必要とされます。

小口氏は、毎回産地に足を運び、人に出会い、地を学ぶ。ゆえに、「YORI」は、各地域によって、オートクチュールされるため、同じフォーマットはない。それはまるで冒険のようだ。

「まだまだ課題も多く、全てにおいて一筋縄にはいきません。ただ、地域に対して、生産者さんに対して、そして、YORIに対して、正直に向き合いたい。今後、YORIがよりあわせることによってどんな世界が広がるのか……。自分自身も楽しみ」。

何を隠そう、小口氏もまた、「YORI」によりあわせてもらっているひとりなのかもしれない。

TEL:070-8315-0902
住所:東京都渋谷区広尾5-14-4 広尾SKビル 2F
公式 Instagram

田舎町・南木曽でイタリア人シェフは何を想う。世界が求めるローカルガストロノミーの現在地。[長野県南木曽町]

今回のイベントのために集まったチームジャンルカ・ジャパンの面々。およそ10日間でジャンルカ氏を中心にひとつに。

ローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」 担当シェフは、世界を魅了する気鋭のイタリア人シェフ。

土地土地の風土や文化、歴史を料理に落とし込み、その地域固有のテロワールを美食として味わう。現在、ローカルガストロノミーという言葉で表現されるある種の文化が日本でも浸透しはじめ、地域固有の食材や保存食、伝統調理などを再解釈する動きは、全国で加速していると思われます。東西南北にのびる日本の地理と海に囲まれた島国を背景に、東北、北陸、九州など、同じ日本とは思えないほどバラエティ豊かな食文化を再認識できるのも、日本のローカルガストロノミーの最大特徴ではないでしょうか。我々、ONESTORYでも幾度となく各地で表現されるローカルガストロノミーの雄や熱意あるイベントを紹介してきましたが、雪の残る今年2月、ある意欲的なイベントが開催されました。

場所は長野県・南木曽町。

面積の94%が森林に覆われた美しい森の町という表現もできるのですが、中山道の宿場町として古い町並みを残すこの場所は、なかなかにアクセスも容易でなく、人里離れた田舎の町でもあるのです。海がなく、雪に覆われたかつての宿場町。1年でも特に食材の乏しいこの季節に、この地を訪れ、地域と食材、そこにまつわる人々を巡ったのはジャンルカ・ゴリーニ氏。なんとイタリア・エミリア・ロマーニャ州で6年連続星を獲得する世界的なシェフだったのです。

ONESTORYでは、ジャンルカ氏の南木曽視察の取材に同行し、さらにはその後、東京で開催されたお披露目イベントまでを密着。2回にわたり、世界で称賛を集めるシェフが見た南木曽と、ローカルガストロノミーの現在地をレポートさせていただきます。

左は長野県・南木曽の山、右はイタリア北東部・エミリア・ロマーニャの山。国は違えど、面積の大半が森に囲まれるという酷似した環境。

左より今回のイベントの発起人でホテル「Zenagi」を運営する岡部統行氏(南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会の代表も務める)、シェフ・ジャンルカ・ゴリーニ氏、シェフの招聘に尽力した世界ナンバーワンフーディー・浜田岳文氏。

有志で参加した料理人が集い、チームジャンルカ・ジャパンを結成!

AM8:00。

1時間に1本ほどしかない中央本線から南木曽駅に降り立ったジャンルカ氏。あまりに自然豊かな南木曽までの車窓の風景の感想を聞いてみると

「僕の故郷にとても似ていて、とても落ち着いたよ。空気も澄んでいて、いい場所だね。素晴らしい出会いがありそうだ」と笑うのです。

そうなのです、彼の店『daGorini』のあるイタリア北東部・エミリア・ロマーニャ州の田舎町も南木曽同様、森林に囲まれた山の町。独創的な田舎料理とも評されるジャンルカシェフは、多様なキノコやジビエ、淡水魚を用いた料理で世界中から訪れるゲストを魅了しているのです。

南木曽駅からまずは役場に向かい、今回のポップアップイベントチームの顔合わせへ。今回、ジャンルカ氏は、イタリアから単身で日本へ、そのまま南木曽町へと直行し、日本人の有志の料理人とともに即席チームを作るのです。

以下、有志で参加した料理人。
長野県木曽郡木祖村『base』オーナーシェフ・神出達樹氏。
長野県飯田市『BISTRO Freres』オーナーシェフ・久保田春樹氏。
山梨県北杜市有機農家『restauro terra』(元『アル・ケッチャーノ』料理人)杉浦秀幸氏。
長野県松本市出身で、辻調理師専門学校フランス校の卒業生・吉川瑠香氏。
東京都千代田区紀尾井町『MAZ』料理人・藤森祐太氏。
長崎県出身で、『Zenagi』のサポートシェフ・中尾恵氏。

職場もジャンルも立場も違う6名の有志の料理人がジャンルカ氏とともに料理がしたいと集まり、言葉の壁を乗り越え、短時間でチームを目指します。予定では南木曽町での生産者や食材視察を3日間、その後料理の試作を3日間、そのまま東京へと舞台を移し3日間のイベントへ。さらに再び南木曽町へと戻り生産者ディナーという強行軍。限られた時間、限られた食材、限られたメンバーという制約の中、南木曽町をいかに感じ、どう表現するのか。

それこそが今回のガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」。

イベントの主催は南木曽で1日1組限定の宿を運営する『Zenagi』であり、究極のプライベート体験を提案する同宿ならでは試みなのです。(地域の食材の生産者や観光業者で作る、南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会との共催)

それぞれ背景の違う料理人がジャンルカ氏のために集結。ともに南木曽での視察を重ね、料理を作り、自然と魅力あるチームが形作られた。

標高の高いエリアはまだまだ雪が残る2月の南木曽町。撮影はヤギのチーズを製造販売する『MAUKA LANI GOAT FARM』の農場にて。

大妻籠宿の『旅籠つたむらや』の伊藤兼彦さんは、どぶろくや蜂蜜やキウイなども生産する。ジャンルカ氏もすぐに意気投合。伊藤さんの物づくりへのパッションを高く評価。

『みなとや農園』で百合根を熱心に見つめるジャンルカ氏。

収穫量が極端に減る冬の畑で熱心に『みなとや農園』の西尾美佐緒さんの話を聞くジャンルカ氏。常に水と土についてを気にしていた。

なにもないは嘘。冬の大地にこそクリエイティブは眠っていた!

役場での顔合わせを終えるとジャンルカ氏は、チーム皆と同じバンに乗り込み、早速、南木曽町が織りなす森が育む生産者を朝から晩まで巡っていったのです。

まず訪れたのは無農薬で自然米や自然野菜を作る農家『みなとや農園』の西尾美佐緒さん。特に印象的だったのは、生産者・西尾さんの話に耳を傾け、水の性質、土の状況など、なにもない冬の畑を熱心に見つめるジャンルカ氏の姿でした。

「なにもないって感じるだろうけど、すでに春の息吹はたくさんある。在来種のきそれんこんには驚いたよ。畑でかじったけど、甘いんだ。すぐに使いたいアイデアがいくつも浮かんだ。固有の野菜や山菜、お米も気になるものだらけだよ」とジャンルカ氏。

その後も郷土の山菜・イタドリの食文化を伝承する『広瀬いたんどり会』、山麓でヤギを飼育しヤギのチーズを作る『MAUKA LANI GOAT FARM』、どぶろくを製造する『旅籠つたむらや』、中央アルプスの清冽な水でレインボートラウトを養殖する『息吹養鱒場』、イワナを養殖する『高橋渓流』、木曽の地酒を守り続ける『杉の森酒造』、天然醸造で糀味噌を作る『小池糀店』、木曽伝統の漬物すんきを広める『木曽すんき研究会』など、時間の許す限り生産者を周るのですが、ジャンルカ氏の希望は、南木曽ならではの発酵文化や伝統食、水が育む森の食材ばかり。

そこには豪華な食材もなければ、色とりどりのハーブや野菜もごくわずか。まさに真冬の雪山や閑散とした畑が生む、南木曽の住民が普段味わう食文化が中心だったのです。


冬の南木曽の食材を知り、いよいよ氏のクリエイティブが本領発揮。

「いやー、最高に刺激的な視察だった。求めているものは見つかった気がするし、予定にないサプライズもたくさんあった。はじめての日本でまだ都市には行けてないけど、ずっと来たかった日本で、南木曽は想像以上だった。そして僕の故郷に似ていた。なにもないように思われるけど非常にクリエイティブな場所だった」とジャンルカ氏。

イタリアでも同様に山を理解し、そこにあるものを使い料理を作る。それは季節に寄り添うことでもあるとジャンルカ氏は笑いました。だからこそ地元の人が大切に守り育てる食文化に興味があったとも。食材が乏しい冬こそ、料理人の真価は問われる、だからこそこのプロジェクトを受けたんだと話してくれました。

次回の記事では、いよいよ試作を終えたシェフ・ジャンルカ×南木曽食材、即席チームジャンルカ・ジャパンが躍動したローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」の全貌を紹介。フーディーを魅了した驚きの料理の中に、ジャンルカ氏が表現する南木曽の豊かさを感じていただきます。

『みなとや農園』西尾美佐緒さんの野菜作りの精神に感銘を受けるジャンルカ氏。

南木曽の山麓でヤギのチーズを作る『MAUKA LANI GOAT FARM

すんき、イタドリ、麹など、冬の南木曽の保存食に興味津々。どう料理に使われるのか?

住所:長野県木曽郡南木曽町田立222
https://zen-resorts.com/
南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会
https://nagiso-wellness-tourism-council.com/



Photographs:TOMOHIRO MATSUNAGA
TextTAKETOSHI ONISHI

伝統の奄美食材と革新的な薪火調理との邂逅(かいこう)。山海の滋味は新たな境地へ。

豊かな自然に魅せられた画家・田中一村の眼差しを感じながら。

2024年は、かつてないほど「田中一村」という名が燦然と輝いた年でした。東京都美術館で開催された「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は来場者28万人以上を記録。知られざる孤高の日本画家に大きな注目が集まりました。一村が中央画壇を離れ、日本画の新境地を開いた地が奄美です。

奄美を舞台にしたランチイベント「Landscape Cuisine Amami」は、田中一村記念美術館のガイドツアーから始まりました。一村の作品や資料を多数所蔵する同美術館では、作品約80点が常設展示されています。美術館スタッフによる案内の中で特に詳しく解説された作品がありました。五色エビとシマイセエビ、ウマヅラハギなどをコラージュした「海老と熱帯魚」です。この作品は、これからいただくスペシャルランチと深い関わりがあると言います。

ランチコースを監修するのは薪火料理を得意とする米国人シェフ、タイラー・バージズ氏。2019年の「DINING OUT WAJIMA」に参加したのをきっかけに日本に惚れ込んで移住し、2022年にオープンさせた横浜の薪火レストラン「SMOKE DOOR」で腕を振るうトップシェフです。たびたび来島して食材の生産者を訪ね、島の伝統調理法などのリサーチを重ねていた彼は、これらの絵から大きなインスピレーションを受け、新しい料理を生み出すエネルギーを得たそうです。奄美の豊かな自然を徹底的に見つめ続けた一村の眼差しに共鳴し、表現者として掻き立てられるものがあったのでしょう。ゲストの期待もふくらみます。

ランチの会場はオーシャンビューのホテル「THIDA MOON」。まずはその2階に併設された大島紬美術館を見学します。泥染めと草木染めを何度も行い、緻密なかすり模様が特徴の大島紬は、世界三大織物にも数えられる高級織物。奄美に移住した一村は、大島紬の染色工として働き、蓄えができたら画材を買って絵を描くという生活を繰り返していました。この美術館では、大島紬の製作工程について知識を深められると共に、一村の作品を忠実に模してデザインした着物や帯を鑑賞することができます。

田中一村記念美術館にて、作品について解説に耳を傾ける。時代を超えて愛される一村の芸術性にしばし浸る。

大島紬美術館を見学。複雑で手間のかかる製作工程について詳しく知ることができ、田中一村の絵がデザインされた貴重な着物をつぶさに鑑賞できる。

海から山から、多彩な料理でめくるめく登場する奄美食材。

ホテルのテラスから庭に降り立ち、アダンの木に覆われたトンネルを抜けると、目に飛び込んで来るのは一面の大海原。ウェルカムドリンクでいよいよランチの幕開きです。

フィンガーフードは田中一村の「海老と熱帯魚」にインスパイアされた「伊勢海老と熱帯魚」。熾火で乾燥させたカンパーニュを蘇轍味噌と南国魚の出汁で風味付けし、薪でさっと焼いた伊勢海老をたっぷりのせた一品。海老の豊かな甘みが広がります。

20数名のゲストは、芭蕉とバナナの葉やアダンの実などで彩られた屋外の特設テーブルにつきました。正面では、海を背景にしたタイラー氏が、いくつもの火種を巧みにコントロールしています。そして彼の元でキビキビと動くのは、島内のラグジュアリーホテル・レストランから集まった料理人やサービスマンたちです。

ほどなくエディブルフラワーに彩られた華やかな一皿がやってきました。奄美の海で獲れた夜光貝の前菜です。鮑よりも硬い夜光貝の身は、地元ではできるだけ薄造りにした刺身で食べられています。タイラー氏はあえて身ではなく比較的やわらかい貝柱を使い、ローゼルをはじめとする島に咲く花で作ったソースを合わせました。一村が色とりどりの花を描いた作品「奄美の郷に褄紅蝶」のイメージからタイラー氏は着想したと言います。

さて、夜光貝の身は一体どこにいったのでしょう? 実は、この皿に身もしっかりと盛り込まれています。身は薪火の遠火で1週間かけて加熱・脱水し、鰹節のような“節”に仕上げました。それを削り、ソースにたっぷりと使っているのです。身の姿は見えなくなったものの、その旨みは凝縮され、華やかなソースの香りと一体となって再構築されています。

ペアリングのアルコールドリンクは、奄美特産の黒糖焼酎を独自に燻製し、フレッシュな島のレモンと合わせたレモンサワーです。黒糖焼酎を飲み慣れた地元のゲストからも、「黒糖焼酎にこんな美味しさもあったのか」と驚きの声があがります。

続いて、奄美でもポピュラーな食材、島豚の料理がやってきました。バラ肉で作った塩豚を、皮目をカリリと焼き上げて野菜や油ぞうめんと合わせた一品。田芋のクレープにくるんでいただきます。塩豚のうまみと塩味、黒糖の甘味、ゴーヤの苦味、きび酢や島特産の柑橘であるツノカガヤキを使った三杯酢の酸味からなる島の五味が表現されています。

「THIDA MOON」のプライベートビーチでのウェルカムドリンクで、スペシャルランチは幕を開けた。

一村の作品「海老と熱帯魚」にインスパイアされたウェルカムフィンガーフード。あらためて伊勢海老という食材の美味しさに気付かされる。

大小のグリル、地中などを駆使し、熾火を操って料理するタイラー氏。

夜光貝の身から作った“節”と花のソースで、夜光貝の貝柱をいただく。ペアリングはスモークした黒糖焼酎をベースにしたレモンサワー。

五味とさまざまな食感が織りなす味わいが楽しい塩豚のクレープ仕立て。ペアリングは昆布出汁を取った黒糖焼酎のお燗。縁には椎茸塩が添えられている。

島民にとって馴染みの食材も、想像を超えた新たな表情を見せる。

「限られた食材を活かすための創意工夫を凝らす文化が、島に広く根付いていることに感銘を受けました」と、タイラー氏は奄美での気づきについて話します。

奄美は長く薩摩藩に仕えながら、琉球王朝をはじめとするアジア諸国と盛んに交流を行ってきました。その歴史的背景は、島の伝統的な食文化にも色濃く反映されています。代表的な郷土料理である鶏飯(けいはん)はそのひとつ。ほぐした鶏肉と錦糸卵、パパイヤの漬物、柑橘などを白いご飯の上にのせ、鶏ガラスープをかけていただく料理です。戦後は一般家庭でも日常的に食べられるようになりましたが、かつては庶民は口にできない特別なおもてなし料理でした。物資が限られている離島では、卵を産む鶏は貴重な家畜。その鶏肉を惜しげもなく使った鶏飯は、島にやってくる薩摩藩の役人をもてなすための料理だったのです。

豚肉も貴重でした。正月に潰した豚は塩漬けの塩豚にして、次の正月までもつように少しずつ塩抜きしながら大切に使われていたと言います。黒糖を使った角煮や野菜との炊き合わせは、ハレの日には欠かせない伝統料理として今も島に息づいています。

タイラー氏は浅めに塩漬けした豚肉の大きな塊を、地中で蒸し焼きにします。土の中で数時間をかけて焼くことでじっくりと火を入れると同時に燻煙し、大地のミネラルも取り込むのが狙いです。豚本来の滋味が閉じ込められた厚切りの肉をパパイヤやパッションフルーツなどの島の野菜や果物で作ったラビゴットソースと共にいただきます。奄美の豊かな自然の恵みが凝縮された一皿となりました。

肉が貴重だった一方で、魚介には不自由しないほど恵まれていました。海に行けば多種多様な味のいい魚や貝が手に入ることから、島民はタンパク源の多くを海の幸に頼ってきました。いつでも得られることから、島では魚介は新鮮なものを生食することが重視され、その結果として保存食としての利用はさほど進まなかったのではないかとタイラー氏は分析します。夜光貝の“節”には、そのような島の食文化への新たな提案になればとの思いも込められていたのです。

「とにかくいい野菜を作りたい」

「新鮮で上質な魚を届けたい」

島の農家や漁師と交流する中で、タイラー氏は彼らの商売よりもプロとしての仕事を重んじる職人気質の姿勢に驚かされたと言います。

特産のマコモダケを何十年にもわたり作り続ける生産者が会場で披露してくれたエピソードが印象的です。古くから奄美で栽培されてきた田芋。その収穫後の畑にマコモダケを植えることで元気に育ちます。そのうえ、マコモ菌が土壌を活性化し、田芋を病気から守ってくれるとのこと。持続可能な農業としてさらに研究を続けていくと力強く語りました。自然を相手にした気の遠くなるような取り組みに頭が下がります。

そのマコモダケは深く塩漬けした豚の出汁でマリネされ、マコモダケ本来の甘くやさしい風味を堪能できる一皿となりました。

熾火によって絶妙なタイミングで仕上げの火入れが施された料理が次々と供される。

昆布とバナナの葉にくるんで浜辺の地中で焼き上げた塩豚は、とろけるほどにじっくりグリルした島人参と共に。ペアリングには塩豚を浸した黒糖焼酎で作ったブラッディメアリー。

マコモダケを塩豚の出汁でマリネ。マコモダケの食材としての表情の豊かさに驚かされる。ペアリングは、地元のAMAMI BREWERYの「奄美島ばななヴァイツェン」。

おもてなしの象徴である鶏飯を現代的に解釈する。

食事には焼き海老飯が用意されました。これは、先述の鶏飯の鶏肉を島特産の車海老に置き換え、鶏出汁に海老から取った出汁も合わせたスープをかけていただく一品。

「鶏飯が生まれた時代とは社会環境も変わり、鶏肉は身近な食材となりました。現代ならどんなおもてなしができるかと考えた場合、私はこの島だからこそ手に入る新鮮で美味しい食材として車海老にたどり着きました。鶏飯の心意気を受け継ぎながら、現代版鶏飯として再解釈した料理として楽しんでいただければ」とタイラー氏は話します。

薪火でさっと焼き上げた車海老を鶏出汁で炊き込んだごはんは、なんとも海老の香ばしさが漂う芳醇な味わい。スープをかけることで、その豊かな風味はさらに花開く。鶏飯を食べ慣れているゲストも目から鱗が落ちる新鮮な食体験となりました。

薪火料理と聞くと豪快なバーベキューをイメージする人も多いでしょう。ところが、タイラー氏が実践する薪火料理は、薪から作った適切な熾火を様々な炉や庫内で食材に火入れしていく、極めて繊細な調理法であることがわかります。

その真骨頂が現れていたのがデザートです。島特産のパイナップルから甘味だけでなくしっかりとした酸味もある品種を選び、薪火の遠火で丸ごと熱していきます。黒糖と島ラムで風味付けしながら全体に満遍なく火を通すこと丸2日間、鮮やかなオレンジ色のパイナップルは飴色の小さな塊に濃縮されました。

しっとりと極上のセミドライパイナップルを地豆(ピーナッツ)で作ったフローズンマシュマロと一緒にいただきます。

熱帯の日光と潮風を浴びながら大地のエネルギーを吸い上げて育ったパイナップルは、原始的かつ繊細な熾火調理によって、自然の恵みそのもののスイーツへと昇華しています。

ランチコースの充実ぶりは、ゲストたちの笑顔が何よりも雄弁に語っています。

コースを締めくくり、あらためて奄美食材のポテンシャルの高さを感じたとタイラー氏。「奄美には、食の豊かさに加えて、島民がより良い未来の食を望む意欲的な地域性があります。日本の他の有名観光地に比べて食に関してあまり色がついていない分、伸びしろも大きい。“伝統と革新が共存する食の島”として発展していくだろうと期待しています」。

奄美の深く豊かな自然は、年間を通じて豊富な降水の賜物でもあります。イベントの最中、強い日差しを遮ってくれていた雲は、スタッフ全員が勢揃いして挨拶した大団円をしおに急激に厚くなりました。海山に一斉に降り出した恵みの雨は、爽やかな閉会の合図となりました。

海老飯は、特産の車海老をふんだんに入れて炊き上げられた。

鶏飯から着想を得て、現代版の解釈とアレンジを加えた海老飯。

デザート用のパイナップルの調理前と調理後の変化をプレゼンテーション。薪火調理のマジックに驚く。

じっくりと熾火でグリルしたパイナップルのデザート。パイナップルの持ち味が上品に濃縮された逸品。

「SMOKE DOOR」スタッフと島の料理人・サービスマンで結成されたチーム奄美によって、珠玉のランチコースが展開された。

令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:鹿児島県奄美市
企画:ONESTORY
協力:大島紬美術館、田中一村記念美術館、日本航空
運営:Auberge Tebiro 1732、THE SCENE、THIDA MOON、伝泊「2 waters」、FISH_AMAMI

伝統の奄美食材と革新的な薪火調理との邂逅(かいこう)。山海の滋味は新たな境地へ。

豊かな自然に魅せられた画家・田中一村の眼差しを感じながら。

2024年は、かつてないほど「田中一村」という名が燦然と輝いた年でした。東京都美術館で開催された「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は来場者28万人以上を記録。知られざる孤高の日本画家に大きな注目が集まりました。一村が中央画壇を離れ、日本画の新境地を開いた地が奄美です。

奄美を舞台にしたランチイベント「Landscape Cuisine Amami」は、田中一村記念美術館のガイドツアーから始まりました。一村の作品や資料を多数所蔵する同美術館では、作品約80点が常設展示されています。美術館スタッフによる案内の中で特に詳しく解説された作品がありました。五色エビとシマイセエビ、ウマヅラハギなどをコラージュした「海老と熱帯魚」です。この作品は、これからいただくスペシャルランチと深い関わりがあると言います。

ランチコースを監修するのは薪火料理を得意とする米国人シェフ、タイラー・バージズ氏。2019年の「DINING OUT WAJIMA」に参加したのをきっかけに日本に惚れ込んで移住し、2022年にオープンさせた横浜の薪火レストラン「SMOKE DOOR」で腕を振るうトップシェフです。たびたび来島して食材の生産者を訪ね、島の伝統調理法などのリサーチを重ねていた彼は、これらの絵から大きなインスピレーションを受け、新しい料理を生み出すエネルギーを得たそうです。奄美の豊かな自然を徹底的に見つめ続けた一村の眼差しに共鳴し、表現者として掻き立てられるものがあったのでしょう。ゲストの期待もふくらみます。

ランチの会場はオーシャンビューのホテル「THIDA MOON」。まずはその2階に併設された大島紬美術館を見学します。泥染めと草木染めを何度も行い、緻密なかすり模様が特徴の大島紬は、世界三大織物にも数えられる高級織物。奄美に移住した一村は、大島紬の染色工として働き、蓄えができたら画材を買って絵を描くという生活を繰り返していました。この美術館では、大島紬の製作工程について知識を深められると共に、一村の作品を忠実に模してデザインした着物や帯を鑑賞することができます。

田中一村記念美術館にて、作品について解説に耳を傾ける。時代を超えて愛される一村の芸術性にしばし浸る。

大島紬美術館を見学。複雑で手間のかかる製作工程について詳しく知ることができ、田中一村の絵がデザインされた貴重な着物をつぶさに鑑賞できる。

海から山から、多彩な料理でめくるめく登場する奄美食材。

ホテルのテラスから庭に降り立ち、アダンの木に覆われたトンネルを抜けると、目に飛び込んで来るのは一面の大海原。ウェルカムドリンクでいよいよランチの幕開きです。

フィンガーフードは田中一村の「海老と熱帯魚」にインスパイアされた「伊勢海老と熱帯魚」。熾火で乾燥させたカンパーニュを蘇轍味噌と南国魚の出汁で風味付けし、薪でさっと焼いた伊勢海老をたっぷりのせた一品。海老の豊かな甘みが広がります。

20数名のゲストは、芭蕉とバナナの葉やアダンの実などで彩られた屋外の特設テーブルにつきました。正面では、海を背景にしたタイラー氏が、いくつもの火種を巧みにコントロールしています。そして彼の元でキビキビと動くのは、島内のラグジュアリーホテル・レストランから集まった料理人やサービスマンたちです。

ほどなくエディブルフラワーに彩られた華やかな一皿がやってきました。奄美の海で獲れた夜光貝の前菜です。鮑よりも硬い夜光貝の身は、地元ではできるだけ薄造りにした刺身で食べられています。タイラー氏はあえて身ではなく比較的やわらかい貝柱を使い、ローゼルをはじめとする島に咲く花で作ったソースを合わせました。一村が色とりどりの花を描いた作品「奄美の郷に褄紅蝶」のイメージからタイラー氏は着想したと言います。

さて、夜光貝の身は一体どこにいったのでしょう? 実は、この皿に身もしっかりと盛り込まれています。身は薪火の遠火で1週間かけて加熱・脱水し、鰹節のような“節”に仕上げました。それを削り、ソースにたっぷりと使っているのです。身の姿は見えなくなったものの、その旨みは凝縮され、華やかなソースの香りと一体となって再構築されています。

ペアリングのアルコールドリンクは、奄美特産の黒糖焼酎を独自に燻製し、フレッシュな島のレモンと合わせたレモンサワーです。黒糖焼酎を飲み慣れた地元のゲストからも、「黒糖焼酎にこんな美味しさもあったのか」と驚きの声があがります。

続いて、奄美でもポピュラーな食材、島豚の料理がやってきました。バラ肉で作った塩豚を、皮目をカリリと焼き上げて野菜や油ぞうめんと合わせた一品。田芋のクレープにくるんでいただきます。塩豚のうまみと塩味、黒糖の甘味、ゴーヤの苦味、きび酢や島特産の柑橘であるツノカガヤキを使った三杯酢の酸味からなる島の五味が表現されています。

「THIDA MOON」のプライベートビーチでのウェルカムドリンクで、スペシャルランチは幕を開けた。

一村の作品「海老と熱帯魚」にインスパイアされたウェルカムフィンガーフード。あらためて伊勢海老という食材の美味しさに気付かされる。

大小のグリル、地中などを駆使し、熾火を操って料理するタイラー氏。

夜光貝の身から作った“節”と花のソースで、夜光貝の貝柱をいただく。ペアリングはスモークした黒糖焼酎をベースにしたレモンサワー。

五味とさまざまな食感が織りなす味わいが楽しい塩豚のクレープ仕立て。ペアリングは昆布出汁を取った黒糖焼酎のお燗。縁には椎茸塩が添えられている。

島民にとって馴染みの食材も、想像を超えた新たな表情を見せる。

「限られた食材を活かすための創意工夫を凝らす文化が、島に広く根付いていることに感銘を受けました」と、タイラー氏は奄美での気づきについて話します。

奄美は長く薩摩藩に仕えながら、琉球王朝をはじめとするアジア諸国と盛んに交流を行ってきました。その歴史的背景は、島の伝統的な食文化にも色濃く反映されています。代表的な郷土料理である鶏飯(けいはん)はそのひとつ。ほぐした鶏肉と錦糸卵、パパイヤの漬物、柑橘などを白いご飯の上にのせ、鶏ガラスープをかけていただく料理です。戦後は一般家庭でも日常的に食べられるようになりましたが、かつては庶民は口にできない特別なおもてなし料理でした。物資が限られている離島では、卵を産む鶏は貴重な家畜。その鶏肉を惜しげもなく使った鶏飯は、島にやってくる薩摩藩の役人をもてなすための料理だったのです。

豚肉も貴重でした。正月に潰した豚は塩漬けの塩豚にして、次の正月までもつように少しずつ塩抜きしながら大切に使われていたと言います。黒糖を使った角煮や野菜との炊き合わせは、ハレの日には欠かせない伝統料理として今も島に息づいています。

タイラー氏は浅めに塩漬けした豚肉の大きな塊を、地中で蒸し焼きにします。土の中で数時間をかけて焼くことでじっくりと火を入れると同時に燻煙し、大地のミネラルも取り込むのが狙いです。豚本来の滋味が閉じ込められた厚切りの肉をパパイヤやパッションフルーツなどの島の野菜や果物で作ったラビゴットソースと共にいただきます。奄美の豊かな自然の恵みが凝縮された一皿となりました。

肉が貴重だった一方で、魚介には不自由しないほど恵まれていました。海に行けば多種多様な味のいい魚や貝が手に入ることから、島民はタンパク源の多くを海の幸に頼ってきました。いつでも得られることから、島では魚介は新鮮なものを生食することが重視され、その結果として保存食としての利用はさほど進まなかったのではないかとタイラー氏は分析します。夜光貝の“節”には、そのような島の食文化への新たな提案になればとの思いも込められていたのです。

「とにかくいい野菜を作りたい」

「新鮮で上質な魚を届けたい」

島の農家や漁師と交流する中で、タイラー氏は彼らの商売よりもプロとしての仕事を重んじる職人気質の姿勢に驚かされたと言います。

特産のマコモダケを何十年にもわたり作り続ける生産者が会場で披露してくれたエピソードが印象的です。古くから奄美で栽培されてきた田芋。その収穫後の畑にマコモダケを植えることで元気に育ちます。そのうえ、マコモ菌が土壌を活性化し、田芋を病気から守ってくれるとのこと。持続可能な農業としてさらに研究を続けていくと力強く語りました。自然を相手にした気の遠くなるような取り組みに頭が下がります。

そのマコモダケは深く塩漬けした豚の出汁でマリネされ、マコモダケ本来の甘くやさしい風味を堪能できる一皿となりました。

熾火によって絶妙なタイミングで仕上げの火入れが施された料理が次々と供される。

昆布とバナナの葉にくるんで浜辺の地中で焼き上げた塩豚は、とろけるほどにじっくりグリルした島人参と共に。ペアリングには塩豚を浸した黒糖焼酎で作ったブラッディメアリー。

マコモダケを塩豚の出汁でマリネ。マコモダケの食材としての表情の豊かさに驚かされる。ペアリングは、地元のAMAMI BREWERYの「奄美島ばななヴァイツェン」。

おもてなしの象徴である鶏飯を現代的に解釈する。

食事には焼き海老飯が用意されました。これは、先述の鶏飯の鶏肉を島特産の車海老に置き換え、鶏出汁に海老から取った出汁も合わせたスープをかけていただく一品。

「鶏飯が生まれた時代とは社会環境も変わり、鶏肉は身近な食材となりました。現代ならどんなおもてなしができるかと考えた場合、私はこの島だからこそ手に入る新鮮で美味しい食材として車海老にたどり着きました。鶏飯の心意気を受け継ぎながら、現代版鶏飯として再解釈した料理として楽しんでいただければ」とタイラー氏は話します。

薪火でさっと焼き上げた車海老を鶏出汁で炊き込んだごはんは、なんとも海老の香ばしさが漂う芳醇な味わい。スープをかけることで、その豊かな風味はさらに花開く。鶏飯を食べ慣れているゲストも目から鱗が落ちる新鮮な食体験となりました。

薪火料理と聞くと豪快なバーベキューをイメージする人も多いでしょう。ところが、タイラー氏が実践する薪火料理は、薪から作った適切な熾火を様々な炉や庫内で食材に火入れしていく、極めて繊細な調理法であることがわかります。

その真骨頂が現れていたのがデザートです。島特産のパイナップルから甘味だけでなくしっかりとした酸味もある品種を選び、薪火の遠火で丸ごと熱していきます。黒糖と島ラムで風味付けしながら全体に満遍なく火を通すこと丸2日間、鮮やかなオレンジ色のパイナップルは飴色の小さな塊に濃縮されました。

しっとりと極上のセミドライパイナップルを地豆(ピーナッツ)で作ったフローズンマシュマロと一緒にいただきます。

熱帯の日光と潮風を浴びながら大地のエネルギーを吸い上げて育ったパイナップルは、原始的かつ繊細な熾火調理によって、自然の恵みそのもののスイーツへと昇華しています。

ランチコースの充実ぶりは、ゲストたちの笑顔が何よりも雄弁に語っています。

コースを締めくくり、あらためて奄美食材のポテンシャルの高さを感じたとタイラー氏。「奄美には、食の豊かさに加えて、島民がより良い未来の食を望む意欲的な地域性があります。日本の他の有名観光地に比べて食に関してあまり色がついていない分、伸びしろも大きい。“伝統と革新が共存する食の島”として発展していくだろうと期待しています」。

奄美の深く豊かな自然は、年間を通じて豊富な降水の賜物でもあります。イベントの最中、強い日差しを遮ってくれていた雲は、スタッフ全員が勢揃いして挨拶した大団円をしおに急激に厚くなりました。海山に一斉に降り出した恵みの雨は、爽やかな閉会の合図となりました。

海老飯は、特産の車海老をふんだんに入れて炊き上げられた。

鶏飯から着想を得て、現代版の解釈とアレンジを加えた海老飯。

デザート用のパイナップルの調理前と調理後の変化をプレゼンテーション。薪火調理のマジックに驚く。

じっくりと熾火でグリルしたパイナップルのデザート。パイナップルの持ち味が上品に濃縮された逸品。

「SMOKE DOOR」スタッフと島の料理人・サービスマンで結成されたチーム奄美によって、珠玉のランチコースが展開された。

令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:鹿児島県奄美市
企画:ONESTORY
協力:大島紬美術館、田中一村記念美術館、日本航空
運営:Auberge Tebiro 1732、THE SCENE、THIDA MOON、伝泊「2 waters」、FISH_AMAMI

鹿沼の表裏。観光の表裏。

ふたつの水源からの流れが合流する「大芦川」。川底がえるほどの透明度などから「関東一の清流」とも言われる

栃木県鹿沼市ふたつの顔から地を読み解く。

栃木県鹿沼市。この地には、ふたつの顔があります。ひとつは、祭りを象徴とした江戸から始まる宿場町。そして、その名残を残す中心地から少し足を延ばすと、あるところから空気が変わることに身体が気付くでしょう。凛とした厳かな世界に包まれ、それはまるで境界線を超えたかのような。はたまた、結界に足を踏み入れたような。そこがもうひとつの顔。約1300年以上続く霊場としての鹿沼です。現在、後者の顔に改めて目を向け、この地を正しく後世に継ぐ活動が始まりました。

この地とは、多くの山々が連なる、西北鹿沼。北へ向かうと日光につながります。日光は古来より神仏が宿る霊場として多くの信仰を集めており、特に「男体山」は特別視されていました。日本独自の山岳信仰である修験が盛んに実施されたことは、そんな背景が手伝います。日光山開祖である勝道上人が「男体山」に登る前、修行していた地が「深山巴の宿」。約3ヵ年の歳月を過ごしたという言い伝えが残る修験道場跡(鹿沼市草久辺り)は、「日光発祥の地」とも呼ばれています。

そして、この霊場の歴史に欠かせない存在が「古峯神社」です。現在は、「俗塵を離れて身を清め、心安らかに鎮めて大神様の御神徳を賜ることができるよう」に一般も宿泊することが可能。翌朝、黎明に行われる一番祈祷を受けて下山する慣わしは創始以来行われており、「古峯神社」の特色でもあります。祈願後、神に備えた食事をともにいただく儀式、直会(なおらい)は、身を清めた神事から日常に戻るためのもの。この一連を体験する時間は、心身が浄化されるだけでなく、人が生きることの意義すら問われているように感じるでしょう。

「古峯神社」には、数多くの天狗にまつわる品が展示され、その多くは、大天狗と烏天狗が対になったもの。

西北鹿沼一帯は、「石裂山」や「夕日岳」など、多くの山々によって形成される。刻一刻と表情を変える絶景が、ここでは日常に存在する。

栃木県鹿沼市霊場を守る、ふたつの石原。

宿泊という意味では、「石原邸」も欠かせない。そして、訪れる前に知っておきたい背景があります。

前述、「古峯神社」を信仰するグループ「講」は全国に存在。歴史的には関東圏から東北にかけて広がっており、「遠野物語拾遺」の中にも記載が残されています。古くは、旅自体が困難であったため、「講」は代表者が参拝に訪れていました。さらに、入峰修行をしていた日光山門の行者たちが入峰するには手続きがあり、霊場を守る世話人、「前鬼」と呼ばれる一族の家に一泊してから赴くという一連の流れを経なければいけません。その一族こそが、「前鬼」石原隼人。

「石原邸」と石原隼人の関係がある記述はどこにもありませんが、築150年の古民家を守り続ける「石原邸」は、現代における世話人として、この地に根ざしています。まるで「堆肥のような建築」は、宿泊施設や飲食施設として、今後稼働していく予定であり、山の中外を結ぶハブになる可能性も秘めています。

そのほか、「石原邸」のように、地に根ざした場が、少しずつ芽吹いていますが、この地の大きな特徴は、開発に頼らなかったことではないでしょうか。

「大芦川」を中心にいくつもの尾根が重なり合い、その水によって、この地は生かされてきました。現在、日本では、高齢化や人口減少が進み、今まで手入れされてきた森林や農地の維持が難しくなってきたところも少なくありません。気候変動の要因もありますが、荒廃した地による水資源の課題は、時を増すごとに深刻な自体に。美しい水と暮らしの関係が保たれていることは当たり前ではないのです。

そして、今後、この地を価値化していくには、数多の選択を繰り返し、それを正しい道へと導くためには、より一層、地域の意志が必要とされると考えます。

築150年ほどの古民家をリノベーションした「石原邸」。開業前よりグッドデザイン賞も受賞。

里山との共生を図り、再生された農家住宅の「石原邸」には、歴史の面影が残り、時空を超えた邂逅体験を堪能できるだろう。

鹿沼は食材も豊か。全国一の品質を誇るいちご、全国的に見ても広大な面積によって栽培されている韮、そして、鹿沼在来こんにゃくや……。かつて、全国一位だった大麻の産地は、その肥沃の地により、今なお多くの恵みを育んでいる。鹿沼には、「かぬまブランド推進協議会」という鹿沼の特産品をPRする体制も整える。モノだけでなく、体験や自然などに注目し、新たな「かぬまブランド」の創出にも励む。

栃木県鹿沼市未登録の遺産価値を見出す。

世界には、1223件の世界遺産が記載(2024年8月現在)されており、そのうち、日本は26件。ユネスコ無形文化遺産は、568件の記載(2023年2月現在)がされており、日本は23件。「今宮神社の屋台行事」は、後者に登録されており、400年の時を超え、鹿沼彫刻屋台が織りなす勇壮優美、豪華絢爛な時代絵巻は圧巻です。

そのほか、発光路妙見神社祭り当番の受け渡しの儀式「発光路の強飯式」は、国指定重要無形民俗文化財に指定。両者はあくまで一例ですが、鹿沼には世界に誇る文化が多く潜んでいます。

西北鹿沼においては、このような指定、認定、登録されたものはありませんが、これを卑下する必要はありません。なぜなら、国内外から評価されるべき遺産価値はこれだけではないと考えるからです。

選考する委員会や団体、組織すら、足を運んだことがない地、知られざる地においても、遺産価値は備わり、誰かの評価軸ではなく、地域の評価軸で崇める地こそ、旅をしても訪れたい地となるのではないでしょうか。

西北鹿沼には、それを感じるのです。

そして、西北鹿沼に限らず、今こそ、各地域が未登録の遺産価値を見出さなければいけない局面を迎えているのかもしれません。

山と川に囲まれた環境の中で体験できるレクリエーション活動を満喫できる「自然体験センター」も。

約200種の花々が咲く広大なガーデン「花農場あわの」。レストランも併設し、パスタやハーブティー、自家果樹園のスイーツも楽しめる。

自分を見つめ直し、より良く生きる旅をwell-bingというのならば、過去にここで修行をしてきたものたち、信仰のために訪れた人たちもまた同じ思いだったはず。霊場としての鹿沼は、1300年も前からwell-beingを提供してきた地域なのかもしれない。

栃木県鹿沼市現代における修行。難問の解は他所に委ねてはいけない。

この地と出会った時、ある言葉が脳裏を過ぎりました。芸術家・池田満寿夫が所縁のある長野県塩尻市に向けた「山中に学ぶ」という書です。木曽漆器が有名なこの地は、四方を山々に囲まれ、冬場は雪が険しく、それによって保存食も生まれ、暮らしも産業も、全て山とともにありました。

山とともに生きる地の知恵。これは、鹿沼においても同様、もとい、西北鹿沼においても同様だと考えます。そして、暮らしが営まれているからこそ、今なお、それが途切れることなく、正しく時を重ねているのかもしれません。

しかし、自然との共存は、そう甘くはなく、課題も多い。その最たる例が「富士山」ではないでしょうか。

「富士山」は、言わずと知れた観光地であり、日本のシンボル。国内だけでなく、世界中から登山客が訪れるため、山が痛まないよう、進路を変えるなど、工夫を行うが、それでも来訪者の人数には敵わない。

そんな「富士山」が、近年で自然を取り戻した時期がありました。コロナ禍です。

過去を遡っても、あれほど長期間にわたって入山されなかったことはなかったのではないでしょうか。皮肉にも、人が介在しないことによって、「富士山」は本来の姿に還ることができたのかもしれません。

極端な比較対象だったかもしれませんが、伝えたいことは、どの地域にも許容できる範囲があるということ。それを超えると、疲弊してしまう危惧が孕んでいるのです。

西北鹿沼の美しい里山文化は、決して無くしてはいけない。それを伝えたい、知ってほしい。しかし、多くの人が訪れるほどの許容もなければ、それによって生態系すら崩れてしまう恐れもある。正しく時を重ねてきた暮らしはどうなるのか。

理想と現実は必ずしも比例せず、これは観光の表裏とでも言うべきか。

この難問の解は、各地域によって異なるため、何かを言い切るのは難しい。だからこそ、ひとつだけ、分かることがあります。

答えを他所に委ねてはいけないということです。

先人たちもまた、自ら答えを導き出し、地を発展させ、郷土を育んできたのではないでしょうか。未来を見据えることも大切ですが、過去を振り返ることもまた、地を価値化させる上で、大切な行為。答えはすぐには見つからないと思いますが、思考の歩みを止めてはならない。

この地の文脈になぞれば、それは現代における修行なのかもしれません。

春薫る、三春の余韻。

春に向けて「和菓子 薫風」のつくださちこさんが開発した桜どら焼き。「和光アネックス」地階のグルメサロンにて展開。

WAKO ANNEX季節と出会う、春の和菓子。「和菓子 薫風」つくださちこ開発商品が初展開。

桜咲く麗らかな春は、味覚も花開く美味の季節。「和光アネックス」地階のグルメサロンでは、そんな情緒を食に込め、新たなお品を展開。パートナーに「和菓子 薫風」(以下、薫風)のつくださちこさんを迎え、同店のどら焼きと羊羹を独自にアレンジ。「桜どら焼き」と「いちご羊羹」として展開します。口に含んだ瞬間、味だけでなく、香りも含めて完成される仕上がりは、季節だけでなく、日本らしさすら覚えるでしょう。

まず、どら焼きにおいては、北海道産大納言小豆のつぶ餡を使用。一枚一枚手焼きするそれは、「薫風」の定番商品です。

「今回は、それに桜葉の塩漬けを刻んだものを加え、桜どら焼きとして和光アネックスのオリジナル商品として考案しました。甘味だけでなく塩味もあり、桜の爽やかな香りも含め、お楽しみください」とつくださん。

そして、羊羹。こちらにおいても、「薫風」の定番商品であり、手亡豆の白餡にグリーンピスタチオを効かせたものに、今回は、福岡の名品、あまおうを加えます。

「いちご羊羹として展開するいちごは、福岡の大木ベリーさんのあまおうを使用しています。自然環境農法を取り入れ、丁寧に栽培されているため、美味しいはもちろん、安心、安全なことも特徴です。大きさや熟れ具合、形を厳選し、こだわり抜いた高品質のあまおうをご堪能ください」。

あまおうには、フランボワーズを合わせているため、甘味と酸味が絶妙に調和。加えて、餡にはカルダモンなどのスパイスも効かせているため、複雑な味のレイヤーを楽しめるでしょう。

そんなふたつを開発するにあたり、つくださんがこだわった点は、和菓子単体の味わいだけでなく、ペアリングとしての相乗効果。ここでの特筆すべき点は、「薫風」においては、和菓子と日本酒のマリアージュに対し、今回は、ハーブティーとのマリアージュ。

「桜どら焼きには、エキナセアティーを。桜葉の香りとエキナセアの清涼感が後口をすっきりとまとめてくれ、もう一口、そしてもう一口と、運びたくなる味わいに。そして、いちご羊羹には、桑の葉茶を。いちごを加熱した時の熟した味わいが桑の葉の爽やかな味と香りが香ばしい味わいに寄り添ってくれます」。

今回の味わいは、初春、仲春、晩春と、三春を通してお楽しみいただけるでしょう。ぜひ、春のお供に。

<INFORMATION>
今回、ご紹介させていただきました「桜どら焼き」と「いちご羊羹」は、「和光アネックス」地階のグルメサロンにて、2025年3月20日より4月中旬頃までの期間限定で展開いたします。※限定品のため在庫がなくなり次第、販売を終了させていただきます。お早めにお求めください。

「春爛漫のこの時季。桜やいちごの香り豊かな和菓子とハーブティーのマリアージュをおたのしみください」/「和菓子 薫風」つくださちこ

春らしい味わいと香りを堪能できる「桜どら焼き」には、草木のほのかな香りが心地良い「エキナセアティー」とマリアージュ。

ほんのり甘い味わいが特徴の「桑の葉茶」が「いちご羊羹」の甘さと好相性。双方を合わせることによって、心身も癒される。

「価値のある新しいものを日本に紹介してきた和光さんとともに、世界の方へ和菓子を紹介する機会をご一緒させていただき、とても楽しみです」と「和菓子 薫風」つくださちこさん。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
www.wako.co.jp


Photographs:JIRO OTANI
(Supported by WAKO)

気鋭の若きシェフが3年ぶりに佐賀へ凱旋、人間国宝クラスの器でいただく珠玉のコース「USEUM SAGA REVIVAL」が示したもの。[佐賀県佐賀市]

USEUM SAGA REVIVAL「USEUM SAGA」第1弾出演シェフが3年ぶりに佐賀に凱旋。

美術館に飾るような器で佐賀の美食を楽しむガストロノミーイベント「USEUM SAGA(ユージアムサガ)」。400年の歴史を誇る有田焼に代表される佐賀伝統の陶磁器と、佐賀の豊かな自然に育まれた第一級の食材が織りなす数日間限定のプレミアムレストランです。これまで数々の佐賀県出身の料理人とトップシェフがタッグを組んできました。その第1弾は2021年に開催された「arita huis(アリタハウス)」シェフ・増永琉聖氏×東京・代官山のフレンチ「abysse」のシェフ・目黒浩太郎氏のコンビ。二人三脚でフルコースを合作しました。

「USEUM SAGA」には、将来を嘱望される県内の料理人が県外の実力派シェフと協働することで、料理人としての濃密な成長を促すという側面もあります。類まれな実力が認められ若くしてヘッドシェフに抜擢された増永氏は、当時まだ23歳。目黒氏のイベント参加は、憧れの同氏と組ませてほしいという増永氏のたっての希望で実現したものでした。

「USEUM SAGA」のコンセプトを高度に表現し、見事に大役を果たした増永氏は、一つところに安住せず、果敢にキャリア形成していきます。福岡のフュージョン料理店「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフとして研鑽を積み、一旦レストランを離れて福岡のパン業界を牽引する「パンストック」でパンの研究に打ち込んできました。

そんな彼が佐賀に凱旋する「USEUM SAGA REVIVAL」が、12月8日・9日に、佐賀市の「ARKSカフェ」にて開催されました。「USEUM SAGA」以降、料理人としての技術と感性を磨き続けてきた増永氏、今の佐賀への想いを形にする舞台です。

ドリンクサービスで料理に華を添えるのは、日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の店「EUREKA!」で店長を務める園田静香氏。日本酒をはじめとするドリンクのプロフェッショナルです。福岡県大牟田市の出身で、佐賀は幼少時から両親に連れられ遊びにきていた思い出の地です。

シェフを務める増永琉聖氏。独自の感性で佐賀の食材と器のマリアージュの表現に挑む。

ドリンクサービスを統括する園田静香氏。アルコールとノンアルコールを合わせて8種、他に日本酒と焼酎を用意した。

「USEUM SAGA REVIVAL」の舞台は佐賀県庁北側の「ARKSカフェ」。

佐賀ゆかりの調度品やオブジェなどで装飾された空間。箸やスプーンも佐賀の木工作家が作ったもの

カニの濃厚な旨味とかぶのやさしい甘味を調和させた「セコガニ 戸矢かぶ」。カニの甲羅型の器は李荘窯業所製。

USEUM SAGA REVIVALあふれる佐賀食材への思いが16皿構成の大作に。

増永氏と園田氏は、この日のために佐賀食材に関するリサーチと試作を重ねてきました。

佐賀は北を玄界灘、南を有明海に接し、北部は山地、南部は山岳地、東部は平野、西部は丘陵地と、特徴的な地質の大地で形成されています。カニやイカ、青物、牡蠣といった非常に多様な魚介に恵まれ、上質な海苔の養殖でも知られています。温暖な気候はみかんやイチゴなどの果物を育み、様々な野菜や穀物が栽培に適した地質の土壌から産み出されています。古来米に恵まれたことから日本酒醸造も盛んで、焼酎に加えて日本酒と焼酎の銘酒が両方揃う点も九州では特異です。まさに食材の宝庫と言えるでしょう。

宴は、温かいウェルカムドリンクでスタートしました。佐賀名産のみかん「天草」で風味付けした「純米酒粕焼酎天山マスク」のお湯割りです。ノンアルコールには「天草」を使った葛湯が用意されました。

料理の幕開けを飾ったのは、ズワイガニのメスである「セコガニ」と、佐賀県有田町で古くから栽培されてきた「戸矢かぶ」を使ったアミューズ。カニの甲羅を正確に再現した李荘窯業所製の磁器に盛られました。カニの旨みとかぶの甘味、爽やかなユズの香りが見事な調和を見せています。

このカニとかぶには増永氏の多大な思い入れがありました。3年前の「USEUM SAGA」で増永氏が一品目に出したのも、やはりカニとかぶの組み合わせだったのです。あえて同じ食材を使うことで、自身の足跡を見つめ、成長の証を示そうとする真摯さが伝わってきます。

以降、コースは全16品におよびました。リサーチを通してあらためて佐賀食材にふれる中で、各生産者が入魂する素材たちに感動し、レシピのアイデアがあふれ出ました。コースとしては非常に多い16品は、それでも泣く泣く絞った16品。増永氏の熱量と半端ではない仕事量が結集しています。

生、炒め、長時間ローストと3種の火入れのキャベツをまとめて揚げたコロッケ風の「キャベツ」。器は224porcelain製。手に取って味わえるようにと、佐賀特産の名尾手すき和紙が敷かれている。

左/ウェルカムドリンクには佐賀みかん「天草」と「純米酒粕焼酎天山マスク」を合わせたお湯割りが。穏やかな酸味と甘味が食欲をかき立てる。
右/続いて、多久市で醸されている日本酒「東鶴 純米 冬支度」を使ったソルティドッグ。コクのある日本酒にレモンの酸味と粗塩の塩味、ミントの香りをプラス。

鰹出汁、ニンニクとネギから取ったオイルを使って低温火入れした椎茸を香ばしく焼き上げた「しいたけ」。椎茸をバターで炒めて乾燥させたパウダーがまぶされている。
器は人間国宝の十四代今泉今右衛門作。

左/トマトをトマト出汁と梅酢で浅漬け風に仕上げた「トマト」。澄んだガスパチョのジュレがかけられた、なんとも涼やかな一皿。器は人間国宝である井上萬二作。
右/焼きナスに目の前で出汁がたっぷりとかけられた「ナス」。鶏をベースに牛、豚、納豆やキムチ、酒粕などの発酵食品でとられた風味豊かな出汁が香ばしく、甘味が引き出されたナスと見事に調和。器は李荘窯業所製。

口直しとして、佐賀名産の神崎そうめんも登場した。器は今右衛門窯製。

USEUM SAGA REVIVAL実は世に稀な人間国宝作の生活食器で食する悦楽。

「USEUM SAGA」という名の由来は、美術館(MUSEUM)に飾るような器を、実際に食器として用いて(USE)料理を味わえることから。

一般的に人間国宝のような著名な陶芸家は壺やオブジェなどの大作を手がけることが多くなるため、料理皿のような生活食器の作品はほとんど作られることがないそうです。よって人間国宝クラスの皿で実際に料理をいただくことは極めて貴重な機会になります。「USEUM SAGA」では人間国宝に揃いの食器を特別に作ってもらい、惜しげもなく使われます。

たとえば、「しいたけ」の十四代今泉今右衛門をご覧ください。実際に手に取って眺めてみると、精緻な絵柄、精彩な発色に心を奪われます。そこには、増永氏の色彩感覚や空間構成によって器の魅力を引き出され、生活用具としての機能美がプラスされた効果も多大に影響しています。陶芸家と料理人の競演でもあるのです。

増永氏は今回のプロジェクトを通じて、佐賀食材に特有の“力強さ”を感じたと話します。

「トマトが甘くておいしい。でも甘いだけでなく非常にトマトらしい。ナスはナスらしい。風味や食感などいろんな要素がからんでいますが、確固たる存在感があります。僕はそんな佐賀食材で料理をすると、とてもしっくりくるという感覚があるんです。一つひとつの素材はすでに完成されたもの。僕の仕事はその持ち味を壊さずに寄り添うことです。料理の本質をあらためて見つめる機会になりました」

園田さんも新たなチャレンジに確かな手応えを感じたようです。

「佐賀は馴染み深い土地ですが、単に佐賀産の材料を使ったドリンクになってしまわないか? 私にできることは一体何か? と悩みました。それが、増永さんの料理を試食して一気に解消されました。増永さんは素材の本質的な魅力を捉えて、意外な手法で放出させます。ここにクミンを使って抜け感を出してきたか……とか感心しきり。そして、私は増永さんの料理と一緒においしく、楽しくなるドリンクを作ればいいんだと視界がクリアになりました。私にとっても活動の幅を広げる大切な体験となりました」

「USEUM SAGA」第1弾を企画するにあたり増永氏に白羽の矢を立てた理由を、事務局が明かしてくれました。

料理が好きでおばあちゃん子だった増永氏は、幼少の時から台所に立つおばあちゃんのかたわらで調理の様子を見守り、質問しながらレシピを書き留めてきたそうです。その時間の積み重ねが料理人への道へと導いたのです。佐賀の暮らしの中で、大切な人においしいもの食べさせてあげたい。増永氏の料理人としての土台は、ピュアな思いから形づくられてきました。「USEUM SAGA」はそんな増永氏の料理人としてのスタンスに共鳴しました。

増永氏は、業種業態の異なる店を数店舗展開したいと話します。

「店それぞれの名物で前菜からメイン、デザートまで一つのコースができあがる。自分がどこかでコースを全部作らなくても、そんなふうにおいしいコースを提供できるといいな。夢を少しずつ叶えていきたいですね」と増永氏は静かに話します。

彼はこれから何度も佐賀に立ち帰り、リバイバルを重ねながらより大きな料理人になっていくことでしょう。

未来ある料理人の成長の舞台「USEUM SAGA REVIVAL」第2弾では、誰が腕を振るうのでしょう? 参加者たちは満足感に浸ると共に、次回への期待を膨らませたはずです。

「鯖」は、乳白色の素地に鮮やかな色絵が施された柿右衛門の皿で登場。鯖の刺身に卵黄を使ったソースとピリ辛の醬(ジャン)を合わせている。分葱油と削ったカシューナッツがアクセント。

メインは佐賀県で盛んに飼養されている「みつせ鶏」のロースト。皮目は肉醤を塗って香ばしく焼き上げ、身の方はニラのペーストを塗って瑞々しく仕上げている。器は李荘窯業所製。

〆の食事はイノシシを煮込んだ「カレー」。今回のコースで出た野菜の切れ端の出汁でじっくり煮込まれたスパイスカレーを、キャロットラペとたくさんのパクチーと共に。器は中里太郎右衛門陶房製。

左/マリネしたデコポンとブランマンジェをデコポンのジャムと共に。デコポンの力強い風味を堪能できる。
右/餅米と甘酒で作ったアイスクリーム。甘酒で作ったクランブルのトッピング、甘酒のキャラメルソースと甘酒づくし。

キッチン、ホール共に普段はそれぞれ別の店で活動している仲間たちが結集。全員20代のフレッシュなチームが醸し出す自然体なムードも印象的だった。

1998年佐賀県佐賀市生まれ。佐賀県立牛津高校を卒業後、2016年「オーグードゥジュールメルヴェイユ博多」に勤務。小岸明寛シェフ(太良町出身)のもとで研鑽を積み、2018年、「arita huis」(佐賀)に勤務、2020年よりヘッドシェフを務める。その後、福岡のイノベーティブレストラン「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフに抜擢される。2024年7月に同店を退職し、一旦レストランを離れ、福岡のパン業界を牽引する「パンストック」に勤務。

1995年福岡県大牟田市生まれ。中村調理製菓専門学校(福岡)卒業後、東京都内のレストランに勤務。日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の日本酒アプローチに惹かれ、「GEM by moto」(東京)に入社。千葉氏が考案する口内調味や日本酒ペアリングのスキルを学ぶ。その後、千葉氏の独立とともに「EUREKA!」(東京)立ち上げに参加。同店の店長として従事。


PhotographHIDEKI MIZUTA
TextTAKASHI WATANABE

気鋭の若きシェフが3年ぶりに佐賀へ凱旋、人間国宝クラスの器でいただく珠玉のコース「USEUM SAGA REVIVAL」が示したもの。[佐賀県佐賀市]

USEUM SAGA REVIVAL「USEUM SAGA」第1弾出演シェフが3年ぶりに佐賀に凱旋。

美術館に飾るような器で佐賀の美食を楽しむガストロノミーイベント「USEUM SAGA(ユージアムサガ)」。400年の歴史を誇る有田焼に代表される佐賀伝統の陶磁器と、佐賀の豊かな自然に育まれた第一級の食材が織りなす数日間限定のプレミアムレストランです。これまで数々の佐賀県出身の料理人とトップシェフがタッグを組んできました。その第1弾は2021年に開催された「arita huis(アリタハウス)」シェフ・増永琉聖氏×東京・代官山のフレンチ「abysse」のシェフ・目黒浩太郎氏のコンビ。二人三脚でフルコースを合作しました。

「USEUM SAGA」には、将来を嘱望される県内の料理人が県外の実力派シェフと協働することで、料理人としての濃密な成長を促すという側面もあります。類まれな実力が認められ若くしてヘッドシェフに抜擢された増永氏は、当時まだ23歳。目黒氏のイベント参加は、憧れの同氏と組ませてほしいという増永氏のたっての希望で実現したものでした。

「USEUM SAGA」のコンセプトを高度に表現し、見事に大役を果たした増永氏は、一つところに安住せず、果敢にキャリア形成していきます。福岡のフュージョン料理店「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフとして研鑽を積み、一旦レストランを離れて福岡のパン業界を牽引する「パンストック」でパンの研究に打ち込んできました。

そんな彼が佐賀に凱旋する「USEUM SAGA REVIVAL」が、12月8日・9日に、佐賀市の「ARKSカフェ」にて開催されました。「USEUM SAGA」以降、料理人としての技術と感性を磨き続けてきた増永氏、今の佐賀への想いを形にする舞台です。

ドリンクサービスで料理に華を添えるのは、日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の店「EUREKA!」で店長を務める園田静香氏。日本酒をはじめとするドリンクのプロフェッショナルです。福岡県大牟田市の出身で、佐賀は幼少時から両親に連れられ遊びにきていた思い出の地です。

シェフを務める増永琉聖氏。独自の感性で佐賀の食材と器のマリアージュの表現に挑む。

ドリンクサービスを統括する園田静香氏。アルコールとノンアルコールを合わせて8種、他に日本酒と焼酎を用意した。

「USEUM SAGA REVIVAL」の舞台は佐賀県庁北側の「ARKSカフェ」。

佐賀ゆかりの調度品やオブジェなどで装飾された空間。箸やスプーンも佐賀の木工作家が作ったもの

カニの濃厚な旨味とかぶのやさしい甘味を調和させた「セコガニ 戸矢かぶ」。カニの甲羅型の器は李荘窯業所製。

USEUM SAGA REVIVALあふれる佐賀食材への思いが16皿構成の大作に。

増永氏と園田氏は、この日のために佐賀食材に関するリサーチと試作を重ねてきました。

佐賀は北を玄界灘、南を有明海に接し、北部は山地、南部は山岳地、東部は平野、西部は丘陵地と、特徴的な地質の大地で形成されています。カニやイカ、青物、牡蠣といった非常に多様な魚介に恵まれ、上質な海苔の養殖でも知られています。温暖な気候はみかんやイチゴなどの果物を育み、様々な野菜や穀物が栽培に適した地質の土壌から産み出されています。古来米に恵まれたことから日本酒醸造も盛んで、焼酎に加えて日本酒と焼酎の銘酒が両方揃う点も九州では特異です。まさに食材の宝庫と言えるでしょう。

宴は、温かいウェルカムドリンクでスタートしました。佐賀名産のみかん「天草」で風味付けした「純米酒粕焼酎天山マスク」のお湯割りです。ノンアルコールには「天草」を使った葛湯が用意されました。

料理の幕開けを飾ったのは、ズワイガニのメスである「セコガニ」と、佐賀県有田町で古くから栽培されてきた「戸矢かぶ」を使ったアミューズ。カニの甲羅を正確に再現した李荘窯業所製の磁器に盛られました。カニの旨みとかぶの甘味、爽やかなユズの香りが見事な調和を見せています。

このカニとかぶには増永氏の多大な思い入れがありました。3年前の「USEUM SAGA」で増永氏が一品目に出したのも、やはりカニとかぶの組み合わせだったのです。あえて同じ食材を使うことで、自身の足跡を見つめ、成長の証を示そうとする真摯さが伝わってきます。

以降、コースは全16品におよびました。リサーチを通してあらためて佐賀食材にふれる中で、各生産者が入魂する素材たちに感動し、レシピのアイデアがあふれ出ました。コースとしては非常に多い16品は、それでも泣く泣く絞った16品。増永氏の熱量と半端ではない仕事量が結集しています。

生、炒め、長時間ローストと3種の火入れのキャベツをまとめて揚げたコロッケ風の「キャベツ」。器は224porcelain製。手に取って味わえるようにと、佐賀特産の名尾手すき和紙が敷かれている。

左/ウェルカムドリンクには佐賀みかん「天草」と「純米酒粕焼酎天山マスク」を合わせたお湯割りが。穏やかな酸味と甘味が食欲をかき立てる。
右/続いて、多久市で醸されている日本酒「東鶴 純米 冬支度」を使ったソルティドッグ。コクのある日本酒にレモンの酸味と粗塩の塩味、ミントの香りをプラス。

鰹出汁、ニンニクとネギから取ったオイルを使って低温火入れした椎茸を香ばしく焼き上げた「しいたけ」。椎茸をバターで炒めて乾燥させたパウダーがまぶされている。
器は人間国宝の十四代今泉今右衛門作。

左/トマトをトマト出汁と梅酢で浅漬け風に仕上げた「トマト」。澄んだガスパチョのジュレがかけられた、なんとも涼やかな一皿。器は人間国宝である井上萬二作。
右/焼きナスに目の前で出汁がたっぷりとかけられた「ナス」。鶏をベースに牛、豚、納豆やキムチ、酒粕などの発酵食品でとられた風味豊かな出汁が香ばしく、甘味が引き出されたナスと見事に調和。器は李荘窯業所製。

口直しとして、佐賀名産の神崎そうめんも登場した。器は今右衛門窯製。

USEUM SAGA REVIVAL実は世に稀な人間国宝作の生活食器で食する悦楽。

「USEUM SAGA」という名の由来は、美術館(MUSEUM)に飾るような器を、実際に食器として用いて(USE)料理を味わえることから。

一般的に人間国宝のような著名な陶芸家は壺やオブジェなどの大作を手がけることが多くなるため、料理皿のような生活食器の作品はほとんど作られることがないそうです。よって人間国宝クラスの皿で実際に料理をいただくことは極めて貴重な機会になります。「USEUM SAGA」では人間国宝に揃いの食器を特別に作ってもらい、惜しげもなく使われます。

たとえば、「しいたけ」の十四代今泉今右衛門をご覧ください。実際に手に取って眺めてみると、精緻な絵柄、精彩な発色に心を奪われます。そこには、増永氏の色彩感覚や空間構成によって器の魅力を引き出され、生活用具としての機能美がプラスされた効果も多大に影響しています。陶芸家と料理人の競演でもあるのです。

増永氏は今回のプロジェクトを通じて、佐賀食材に特有の“力強さ”を感じたと話します。

「トマトが甘くておいしい。でも甘いだけでなく非常にトマトらしい。ナスはナスらしい。風味や食感などいろんな要素がからんでいますが、確固たる存在感があります。僕はそんな佐賀食材で料理をすると、とてもしっくりくるという感覚があるんです。一つひとつの素材はすでに完成されたもの。僕の仕事はその持ち味を壊さずに寄り添うことです。料理の本質をあらためて見つめる機会になりました」

園田さんも新たなチャレンジに確かな手応えを感じたようです。

「佐賀は馴染み深い土地ですが、単に佐賀産の材料を使ったドリンクになってしまわないか? 私にできることは一体何か? と悩みました。それが、増永さんの料理を試食して一気に解消されました。増永さんは素材の本質的な魅力を捉えて、意外な手法で放出させます。ここにクミンを使って抜け感を出してきたか……とか感心しきり。そして、私は増永さんの料理と一緒においしく、楽しくなるドリンクを作ればいいんだと視界がクリアになりました。私にとっても活動の幅を広げる大切な体験となりました」

「USEUM SAGA」第1弾を企画するにあたり増永氏に白羽の矢を立てた理由を、事務局が明かしてくれました。

料理が好きでおばあちゃん子だった増永氏は、幼少の時から台所に立つおばあちゃんのかたわらで調理の様子を見守り、質問しながらレシピを書き留めてきたそうです。その時間の積み重ねが料理人への道へと導いたのです。佐賀の暮らしの中で、大切な人においしいもの食べさせてあげたい。増永氏の料理人としての土台は、ピュアな思いから形づくられてきました。「USEUM SAGA」はそんな増永氏の料理人としてのスタンスに共鳴しました。

増永氏は、業種業態の異なる店を数店舗展開したいと話します。

「店それぞれの名物で前菜からメイン、デザートまで一つのコースができあがる。自分がどこかでコースを全部作らなくても、そんなふうにおいしいコースを提供できるといいな。夢を少しずつ叶えていきたいですね」と増永氏は静かに話します。

彼はこれから何度も佐賀に立ち帰り、リバイバルを重ねながらより大きな料理人になっていくことでしょう。

未来ある料理人の成長の舞台「USEUM SAGA REVIVAL」第2弾では、誰が腕を振るうのでしょう? 参加者たちは満足感に浸ると共に、次回への期待を膨らませたはずです。

「鯖」は、乳白色の素地に鮮やかな色絵が施された柿右衛門の皿で登場。鯖の刺身に卵黄を使ったソースとピリ辛の醬(ジャン)を合わせている。分葱油と削ったカシューナッツがアクセント。

メインは佐賀県で盛んに飼養されている「みつせ鶏」のロースト。皮目は肉醤を塗って香ばしく焼き上げ、身の方はニラのペーストを塗って瑞々しく仕上げている。器は李荘窯業所製。

〆の食事はイノシシを煮込んだ「カレー」。今回のコースで出た野菜の切れ端の出汁でじっくり煮込まれたスパイスカレーを、キャロットラペとたくさんのパクチーと共に。器は中里太郎右衛門陶房製。

左/マリネしたデコポンとブランマンジェをデコポンのジャムと共に。デコポンの力強い風味を堪能できる。
右/餅米と甘酒で作ったアイスクリーム。甘酒で作ったクランブルのトッピング、甘酒のキャラメルソースと甘酒づくし。

キッチン、ホール共に普段はそれぞれ別の店で活動している仲間たちが結集。全員20代のフレッシュなチームが醸し出す自然体なムードも印象的だった。

1998年佐賀県佐賀市生まれ。佐賀県立牛津高校を卒業後、2016年「オーグードゥジュールメルヴェイユ博多」に勤務。小岸明寛シェフ(太良町出身)のもとで研鑽を積み、2018年、「arita huis」(佐賀)に勤務、2020年よりヘッドシェフを務める。その後、福岡のイノベーティブレストラン「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフに抜擢される。2024年7月に同店を退職し、一旦レストランを離れ、福岡のパン業界を牽引する「パンストック」に勤務。

1995年福岡県大牟田市生まれ。中村調理製菓専門学校(福岡)卒業後、東京都内のレストランに勤務。日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の日本酒アプローチに惹かれ、「GEM by moto」(東京)に入社。千葉氏が考案する口内調味や日本酒ペアリングのスキルを学ぶ。その後、千葉氏の独立とともに「EUREKA!」(東京)立ち上げに参加。同店の店長として従事。


PhotographHIDEKI MIZUTA
TextTAKASHI WATANABE

女性シェフとして生きる覚悟。世界の三つ星シェフが悟ったTOKYOの才能。

「Tokyo Artissense:A Female Chef Collaboration」と題し、東京を代表する3名の女性シェフがコラボレーション。そのゲストには、世界で活躍する三つ星シェフとジャーナリストが今宵のために来日。企画監修は、世界一の美食家、浜田岳文氏が担う。

Tokyo Artissense東京から世界へ。仕掛け人は、世界一の美食家。

1月某日。東京都主催「Tokyo Artissense:A Female Chef Collaboration」が開催。仕掛け人は、「OAD世界のトップレストラン」のレビュアーランキングで6年連続1位に君臨する世界一の美食家・浜田岳文氏です。

タイトルにある、Artissenseは、アルチザン(artisan)とエッセンス(essence)を組み合わせた造語。東京の食文化を示すもののひとつに職人技があると考え、今回は、3名の女性シェフを通して、それを堪能いただければと思っております」。

3名の女性シェフとは、「été」オーナーシェフ・庄司夏子氏、「純麦」オーナーシェフ・矢嶋純氏、「FARO」シェフパティシエ・加藤峰子氏です。

庄司氏は、「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」(現「レクテ」)、「フロリレージュ」を経て開業。「アジアのベストレストラン50」にて、2020年にはベストベイストリーシェフ賞、2022年には最優秀女性シェフ賞を受賞。矢嶋氏は、「麺処ほん田」を経て、ミシュランビブグルマンの人気女将として名を馳せ、開業。加藤氏は、2018年より「FARO」のシェフパティシエを務め、「アジアのベストレストラン50」にて、2024年にベストベイストリーシェフ賞を受賞。

3者、異なる道を歩んでいますが、一流と形容すべき活躍ぶりは、共通している点。

「今回のテーマは、食を通して、東京を世界に発信し、実際に東京に来てもらうこと。世界中のゲストは、日本の食を求め、旅をしています。それは、様々な統計から見ても間違いありません。その最たる地域が東京。それぞれ異なるバックグラウンドを歩んできた3名は、東京の多様性も体現していると思います」と浜田氏。

その多様性を味わうゲストは、世界中から招集されたシェフとジャーナリスト。まず、シェフの面々は、イギリス・カートメル「ランクリム」をはじめ、世界中に10店舗を経営するシェフ、サイモン・ローガン氏、デンマーク・コペンハーゲン「ヨーネア」のオーナーシェフ、エリック・ヴィルドガルド氏、イタリア・セニガッリア「ウリアッシ」のシェフ、マウロ・ウリアッシ氏。彼らの共通項は、ミシュラン三つ星を獲得しているということ。

そして、ジャーナリストにおいては、ドイツ・ベルリンで活動し、「世界のベストレストラン50」のチェアーも務めるロレイン・ハイスト氏、ヨルダン・アンマン出身の作家であり、写真家、そしてフード&トラベルライターからコンサルタントまで務めるリーン・アル・ザベン氏などです。

人選は、浜田氏。世界中のシェフやジャーナリストたちとコミュニティを持つ世界一の美食家のオーガナイズであれば、異論なし。

今宵、東京で活動する女性シェフ3名の才能が開く。

今回のコースにおける前半3品を担った「été」オーナーシェフ・庄司夏子氏。「2020アジアのベストレストラン50」においてベストベイストリーシェフ賞、2022年「ベスト女性シェフ賞」などを受賞する実力派。今回は、母校の生徒も連れ、育成にも力を入れる。

ミシュランビブグルマンの人気店女将として名を馳せたラーメン職人であり、ラーメン割烹スタイルで話題を呼ぶ、完全予約制「純麦」オーナーシェフ・矢嶋純氏は、今回のコースでは、中盤2品を担当。

2024年「アジアのベストレストラン50」において、「ベストベイストリーシェフ賞」を受賞したイノベーティブイタリアンレストラン「FARO」シェフパティシエ・加藤峰子氏。今回のコースでは最後の2品を担当。

本企画の監修を担った世界No.1フーディー、浜田岳文氏。2024年には、自身初となる著書「美食の教養 ―世界一の美食家が知っていることー」も出版し、話題に。

食を通して、東京を世界に発信すべく、今回招かれたゲストは、世界で活躍する三つ星シェフとジャーナリストたち。

Tokyo Artissense一夜限りの幻のコース。世界の一流が日本の一流に舌鼓を奏でる。

供された料理は、コース仕立て。前半は庄司氏、中盤に矢嶋氏、最後に加藤氏が腕を振るいます。

計7品で構成された1品目は、「étéシグネチャー ウニのタルト」。塩味とスパイスの双方がウニの旨みを引き立て、それを、手で一口。皆、ウンウンと首を縦に振り、口元を緩め、笑みを浮かべ、隣同士、胸高鳴る期待が確信に変わったようにアイコンタクトを送り合います。

2品目は、「ポメロフラワー」。くり抜いたレモンの中には、カツオ、バジル、ヘーゼルナッツのタルタル、そして、ガスパチョソースを忍ばせ、素材の味を堪能したのち、ソースと混ぜ、いただくもの。蓋の見立てには、黄色ズッキーニと柑橘の粒をひとつ一つ並べ、まるでアートのよう。食だけでなく、ファッションやアートにも造詣が深い庄司氏の美意識が漂うプレゼンテーションです。

3品目は一転。「伊勢海老のパイ包み焼き」。「クラシックな料理もお楽しみいただければ」と庄司シェフは話すも、らしさは光る。一般的には、ビスクやアメリケーヌのソースを添えますが、ゆずで香りを効かせることによって、日本らしさも演出。もちろん、伊勢海老の火入れも抜群。そして、庄司氏のパートにおいては、カツオ、伊勢海老は、東京湾で獲れたものだということも特筆すべき点。新鮮で質の高い食材は地方という印象を覆すだけでなく、本イベントのタイトルに採用されるよう、TOKYOのポテンシャルの高さも再発見させました。

次ぐ、4品目からは、矢嶋氏。「純麦」スタイル同様、「ラーメン」と「かき氷」を供します。

「ラーメン」のスープの出汁は、東京しゃもを使用。「良い野性味を感じられる仕上がりになりました」と矢嶋シェフが話す通り、コクの中に力強さを感じ、それを纏った太めの麺は、すする度、旨みが増倍していくよう。東京Xのチャーシューもまた、一杯の完成度を高める重要なファクター。パイ包みからラーメンという斬新な流れも、違和感ではなく、サプライズと化し、既存のレストランではありえないコースに。前述、浜田氏の言う「東京の多様性」を感じる妙であり、これがTOKYOの面白いところ。

5品目、季節の柑橘を活かした「かき氷」には、酒粕を合わせ、NIPPONの文化も漂う味わいに。ここからコースはデセールへとグラデーションしてゆきます。

6品目からは加藤氏。「薔薇と檜とアーモンド」は、国産の自然農法の薔薇と在来種のオーガニックのイタリアのアーモンド、そして、東京で栽培されたいちごの華やかなデザート。

最後、7品目は、「イタリアで食後酒として飲むアマーロという数十種類の薬草をアルコールに漬け込み、砂糖を加えて作られた苦みが心地良いお酒にヒントを得た」と言う、「日本の里山の恵 花のタルト」。植物性の原材料でできたタルト生地の上には、アグロフォレストリーで育てられたバニラで華やかに香り付けした豆乳クリーム。さらに、その上に約20種のハーブや花々が彩ります。しかし、加藤氏の料理は、ただ華やかなものではありません。

「世界的に見ても森林問題は大きな課題ですが、日本においては、生態系や森を守るには間伐が必須だと考えます。1年で生育する野菜と異なり、木は成長に時間がかかります。数十年と生きた木を味わい、香る体験は、疲弊してしまっている森林と向き合う良い機会になるのではと。身体に取り込むことによって、内発的な感情が芽生えてもらえたら」。

この先、里山の景色は、果たして残っているのだろうか。タルトの食後、盛り付けられた余白も手伝い、そんな問いが胸に刺さる。

3人のコースは、ただ美味しいだけでなく、食を通して、社会と交わるきっかけにもなりました。そして、それを、強く、美しく、たくましい、TOKYOの女性シェフが織り成したことも、紛れも無い事実として、改めて、ここに記しておきたいと思います。

1品目、庄司氏の名刺がわりに相応しいスターター「étéシグネチャー ウニのタルト」。フルーツタルトから始まったレストランの起源にちなんだ料理。

庄司氏の感性が冴え渡る2品目、「ポメロフラワー」。スライスしたズッキーニと柑橘の粒をあしらった蓋の中身には、東京湾のカツオにバジルとヘーゼルナッツのタルタル、ガスパチョソースを忍ばせる。

3品目、「伊勢海老のパイ包み焼き」。刺身でも食べれる東京湾の伊勢海老をムースで包み、味と食感にレイヤーを演出。フィユタージュ(パイ生地)で包んだ中は、ミキュイ(半生)で焼き上げることによって、風味も豊かな味わいに。伊勢海老の殻で作ったソースに多摩地域のゆずで香り付けしたソースも特徴。

4品目は、矢嶋氏の「ラーメン」。東京しゃもとTOKYO-X豚骨のスープを乾物の和出汁と割り、ダブルスープに。焼豚は藁焼き。尾崎牛の牛脂も使用。麺は、山口県産せときららというパン用の強力粉をメインに、北海道産の小麦数種類ともち小麦などを使用した自家製麺の手揉み中太麺。

5品目は、季節の柑橘と酒粕を中心に作られた「かき氷」。今回の柑橘には、金柑と紅まどんな、紅姫を採用。味と色の濃い酒粕は、鍋島より。

6品目は、加藤氏が「檜の幹を使用し、森の中にいるような味わいを作りたかった」と話す「薔薇と檜とアーモンド」。加藤氏が目指すべき料理は、「普遍」。「体に木を取り入れることによって、少しでも環境問題に関心を持っていただければ。こうした件ともシェフとして何ができるのか、向き合い続けたい」と続ける。

最後の品は、「日本の里山の恵 花のタルト」。「食事の最後に官能的な瞬間を香りや食感で表現しました」と加藤氏。本作においても、環境問題へのメッセージは込められ、「50年後にこの里山の景色は、はたして残っているだろうか?」と問いかける。その余韻も含め、加藤氏の料理は構築されるのかもしれない。

Tokyo Artissense「Fantastic!」「Amazing!」、そして「Perfect!」その感動が、今宵の成果を物語る。

サイモン氏は言います、「Fantastic!」。マウロ氏は言います、「Amazing!」。

「それぞれ、スタイルと個性が異なる3人のシェフで構成されたコースというのが非常に面白かったです。そして、これほどまでに高いクオリティを、こんなに若い女性が表現していることに驚きました。特に、矢嶋氏のラーメンのスープの風味が印象的でした」とサイモン氏。

ラーメンは、世界的にも確立した市民権を得た料理であり、本場日本のラーメンは、海外シェフからも人気を博しています。だが、「純麦」は住所非公開のため、外国人がたどり着くには、困難と思われますが、「その数は少なくない」と矢嶋氏は言います。そのエピソードに、美味しいものを食べたいという、海外からのフーディーの貪欲な探究心を感じます。

そして、エリック氏も矢嶋氏を支持。「ヨーロッパのかき氷は、もっとガリガリ。こんなにふわふわの食感は初めて。そして、冷たさを感じさせない技術も素晴らしい」と話します。

マウロ氏においては、加藤氏のデザートを絶賛。また、「イタリアにも優秀な女性シェフがいますが、そのメンバーが集う機会は、まずありません。そういった意味でも、このように女性がフォーカスされたプレゼンテーションは、大きな意義があると思いました」と、自国との違いも述べました。

また、ジャーナリストの女性2名からも、様々な意見が。

中東を中心に活動しているリーン氏は、「私の地域では、女性シェフが全くいませんでしたが、最近、少しずつ増えてきました。今回の3名のように素晴らしい女性シェフが、中東でも活躍できる場ができると良いと思っています。女性の料理は、やはりプレゼンテーションが美しい。今回は、étéシグネチャー ウニのタルトと薔薇と檜とアーモンドが印象に残っています」と話します。

また、「女性ならでは、という表現はしたくありませんが、やはり女性の料理は繊細」とロレイン氏も続けます。特に、庄司氏の「伊勢海老のパイ包み焼き」を高く評価し、「構築されたレシピと味の繊細さをソースに感じた」と話します。

パイ包み焼きといえば、フランス料理の定番。しっかりとしたソースに重厚感のある味わいがイメージとしてありますが、庄司氏のソースは、別物。前述、伊勢海老の殻をじっくり煮込んで旨味を凝縮するも、重すぎず、ゆずをアクセントに。加えて、そのゆずは奥多摩産を使用しているため、伊勢海老同様、TOKYOをテーマにした切り口も採用され、味だけでなく、文脈として料理を組み立てる緻密さにも、質の高さを伺います。

「女性シェフ、というキーワードは、自分のレストラン選びのひとつでもあります。私の地域(ドイツ ベルリン)でも、女性シェフの活躍は、まだ少ない。評価においても、過去、二つ星まで獲得したレストランはありましたが、まだまだこれから。大切なことは、女性シェフも男性シェフと同じように料理できることを認識することではないでしょうか」。

そして、ロレイン氏の評価は、料理だけに留まりませんでした。今回、コース提供前には、生田流箏(琴)奏者・十七絃奏者・作曲家・編曲家の明日佳氏やDJ・ピアニスト・作曲家の野崎良太(Jazztronik)氏を招き、日本音楽のライブも演出。食後には、女性シェフ3名のトークセッションも行われ、コースや料理の解説だけでなく、各々の哲学などについてなど、様々な議論も行われました。

「海外でフードイベントを開催する際、料理を提供するだけに留まるものが多いです。今回のように、文化体験や、なぜこのような料理になったのか、この味にした理由などを理解できる機会は、非常に珍しく、少人数制という規模感も日本らしいと思いました」。

音を聞き、料理を味わい、言葉でそれを理解する。イベント全体を体験したロレイン氏は、最後にこんな言葉を残してくれました。

「完璧という言葉を使うのは好きではありませんが、完璧なイベントでした。It’s Perfect!」。

「それぞれ全く違う個性をひとつのコースにまとめたのがユニークだった」と話すサイモン・ローガン氏が特に印象的だった料理は、矢嶋氏の「ラーメン」。

「東京にもこんなに良質な食材があることにびっくりしました」と、エリック氏。そして、「ヨーロッパには、こんなにふわふわしたかき氷はありません」と、矢嶋氏の「かき氷」を高評価。

「イタリアでは、まず女性シェフ同士がコラボレーションすることは、なかなかなく、そう言う意味でも今回のイベントは素晴らしい企画でした。特に加藤氏の料理は、味もコンセプトも素晴らしかった」とマウロ氏。

「中東では、女性シェフがまだまだ多くありません、今回のようなイベントを通して、女性シェフが活躍できる場が増えることは、素晴らしい」と、リーン氏。また、料理においては、「庄司氏のétéシグネチャー ウニのタルトと加藤氏の薔薇と檜とアーモンドに、女性らしい感性と繊細さを感じた」と話す。

「トークセッションがあったことによって、料理の味だけでなく、コンセプトや想いなどを咀嚼して理解できたのが良かったです。女性は、チームを構築することにも長けていると思っており、キッチンの仕事も美しかった」とロレイン氏。料理においては、庄司氏の「伊勢海老のパイ包み焼き」を高評価。

コースが始まる前にはライブも開催。生田流箏(琴)奏者・十七絃奏者・作曲家・編曲家の明日佳氏やDJ・ピアニスト・作曲家の野崎良太(Jazztronik)氏が、繊細な音を奏でる。

コース中盤には、石川県の酒蔵「車多酒造」の「五凛 凛粋」が供され、復興支援も。供される器は、堀口切子氏の江戸切子。細部にわたり、東京らしい演出を施す。

コース後のトークセッションでは、「生産者の丁寧な仕事により、東京の食材が世界に誇れるものであることを再認識」「女性シェフが活躍できる場の拡張について」「東京の食材の香り高さ」「森林保護の重要性についての言及」「昨今のSNS事情の良し悪し」「東京でお店を営む意義」など、様々な切り口で議論が交わされた。

Tokyo Artissense女性シェフのこれから。TOKYOのこれから。

食を通して、東京を世界へ発信することを目的とした一夜の表現として浜田氏が着目したことは、繰り返しですが、女性シェフと多様性。

「女性シェフと言っても、様々なスタイルがあります。今回は、全く異なる3名の女性シェフにお願いをさせていただきました。その理由は、ロールモデルの可能性を示したかったからです」と浜田氏。

今回、浜田氏の口からは、バックグラウンド、という言葉が多く出ていました。それを紐解くならば、スタイルがシェフとしての現在であれば、バックグラウンドは人としての過去とでも言うべきか。確かに、庄司氏、矢嶋氏、加藤氏は、スタイルだけでなく、バックグラウンドも全く異なります。

「今回の3名は、女性シェフではありますが、女性だから云々というわけではありません。実力と能力があるからこそ、活躍されています。ですが、本来はもっと多くの女性シェフが活躍できるはず。それは本人たちの問題ではなく、その場が少ないという問題を感じています」。

レストランを営んでいる以上、極端に例えるならば、料理を食べてもらう接点は、ゲストのみ。しかし、今回のように、海外で活躍する三つ星シェフやジャーナリストと接点を持つことによって、何か新しいものが生まれる可能性や新たな筋道ができる可能性を秘めている。

接点という意味では、驚くべき事実も。今回、3名のシェフのうち、日本と接点があったのは1名、マウロ氏のみ。ほか2名は、初来日でした。

「海のそばのレストランや魚介を使う料理をしているシェフもいるため、ぜひ東京の食材も体験して欲しかった。エリック氏においては、日本のエッセンスを採用したあん肝料理を提供していますが、日本であん肝を食べたことないので、ぜひ食べていただき、今後に活かして欲しいとも思いました」。

インターネットやSNS、情報過多の時代、その特徴を得ることは難しくなく、高い技術を持ってすれば調理できてしまうこともありますが、体験にまさるものなし。後日、浜田氏のアテンドのもと、日本のあん肝を食し、エリック氏が感動したことは言うまでもありません。ただ、趣旨を伝えるだけでなく、招いた相手においてもプラスになる配慮は、浜田氏らしいホスト。

そんな様々も含めた場作りやきかっけ作りが、今後、浜田氏がレストラン界に寄与する力点なのかもしれません。

「若い才能に触れてもらえる機会は非常に嬉しい。今回のように知っていただけるような企画を実施したり、女性がシェフとして続けていきたいという場を作ったり、キャリアパスのお手伝いもできればと考えています」。

女性シェフという点では、浜田氏が愛するひとりに、イタリアの北東・フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州「ラルジネ・ア・ヴェンコ」のシェフ、アントニア・クリュグマン氏という人物がいます。

「彼女にも深いバックグラウンドがある。そして、彼女と今回の3名の女性シェフの共通点は、強い意志」。

今後、女性シェフが活躍できる域を拡張するためには、当事者だけでは解決しない。周囲も含め、その意志を示すことによって、女性シェフだけでなく、TOKYOの未来が変わるのだと考えます。

女性のアワード、それに触れない星、そして、ランキング、トック。女性をフォーカスするのが良いのか、はたまた、そうでないものを平等と捉えるべきか。別の角度からは、体力、人生の節目、労働環境。飲食業に限った話ではありませんが、様々な要因が含まれるため、一筋縄にはいきません。

ただ、ひとつわかることがあるとするならば、TOKYOには、女性シェフの才能がまだまだあるということ。今回、浜田氏は、それを証明しました。

世界が度肝を抜くTOKYOのレストランシーンの本領発揮は、これからだ。

今回の会場となった空間は、「Shibuya Sakura Stage SHIBUYAタワー 」38Fにあるグリルダイニング&ミュージックバー「STEREO」。高層階から望むパノラミックな絶景は、まさに東京を象徴するような世界が広がる。


Photographs:AKIHIDE MISHIMA Styrism Inc.(FOOD)
TextYUICHI KURAMOCHI

日本のケーススタディとなるか。「利島」という循環型社会。

伊豆七島のひとつ、「利島」。島の約8割の土地が椿の木に覆われており、その資源を活用し、世界基準のブランドを目指す。

TOKYO TREASURE ISLANDSこの地で生きる覚悟。「利島」という謎の島を知る。

東京は都市だけではありません。それが、11の島々から成る「東京宝島」です。その中のひとつ、「利島」は、都心から南へ約140km離れた人口約300人の島。

海をわたるゆえ、陸のように時刻通りの交通機関は整いません。大西風が吹く日には、定期船の着岸ができず、冬の就航率は、5割程度。しかし、この不便は、「利島」に限った話ではなく、ほか10島も過酷。理屈では同じ東京ですが、別世界。海外からの観光客を魅了する東京もあれば、ここもまた東京。本当の東京を知る人は、日本人ですら、いや、都民ですら少ないでしょう。

そんな「利島」は、山そのものが島であり、その象徴が「宮塚山」です。そして、この特異なかたちから、かつて、航海する人々にとって絶好の目印にもなり、航海の安全を祈る、神が宿る「神奈備(かんなび)」として崇められていたと伝わります。そのせいか、山や森林を神域とした昔ながらの古い信仰が「利島」には今なお残り、「宮塚山」そのものを御神体に、原生林に囲まれた「阿豆佐和気命本宮(あずさわけのみこと)」、「大山小山神社(おおやまこやま)」、「下上神社(おりのぼり)」の3つの神社が存在しています。そして、島民は親しみを込め、それぞれを「一番神様」、「二番神様」、「三番神様」と呼んでいます。

そのほかにも、「利島」の魅力は、様々ありますが、敢えてフォーカスするのならば、椿。その数は、約20万本。島のほとんどを埋め尽くし、最盛期を迎える冬には、島全体を赤く染めるほど咲き誇ります。

しかし、そもそも、なぜ、これほどまでに「利島」には椿が多いのか。それは、多くが人の手によって植林されたからです。

理由はいくつか挙げられますが、まずひとつは、防風林として。離島ゆえ、周囲に遮るものがなく、風速10mを超える強風が1年の1/3ほど発生するため、暮らしを守る役割です。

では、なぜ、それが椿だったのか。肉厚な葉は潮風にも強く、傷付きにくく、艶やかな表面は例え火山が噴火したとしても、葉に灰が積もりにくいなどの特性を備えているからです。また、玄武岩地質もまた、椿の生育に適しており、その約50%を構成する二酸化ケイ素は、植物の成長促進やストレス低減、病害虫への耐久性にも優れており、それらの要因から、利島の椿は、化学農薬も不要なのです。

理だけでなく、地にもかなった人の知恵。

そんな島の資源、椿との暮らしこそ、この地の持続可能な循環を生んでいるのです。

「利島」は、東京(本島)から南に約140km離れた場所に位置。周囲は約8km、面積は4.12k㎡という、小さな島。

二番神様と呼ばれる「大山小山神社」は、一番神様の「阿豆佐和気命本宮」からほど近くに。三番神様「下上神社」には、「阿豆佐和気命本宮」の妃も祀られ、信仰を辿る山廻りをすれば、「利島」の神秘に触れることができるに違いない。

TOKYO TREASURE ISLANDS人の手で変えた環境を人の手で価値化。

「利島」の椿を活かしたもの、それは椿油です。その歴史は長く、江戸時代より、年貢として椿油を納めていたという歴史的背景もあります。

現在、島の8合目(それより上は自然林)まで広がる椿山には、全て所有者が存在する農地であり、農家が育てています。収穫した椿の実は、島に1箇所ある製油所(利島農協が指定管理運営)にそれを持ち込み、重量に応じて農協が買い取るというケースが主になります。

椿は生育が遅く、植えてから実を安定的に付けるようになるまで15年〜20年かかるため、農業生産に向いているかいないかでいえば、後者になります。加えて、花が咲いてから実を収穫できるまで約1年。春から夏にかけては雑草を刈り、枝を間引き……。自然物のため、生育の確約はなく、台風などの被害もあります。安定的な収穫が難しいゆえ、収入が不安定になることも。では、なぜ「利島」はそれでも椿にこだわるのでしょうか。

椿は、「利島」の宝だから。

そこで「利島」は、椿のブランディングに取り組みます。その代表が、「神代椿」。

人の手で椿を植林し、自然環境を変えた資源を、人の手で価値化させたのです。ここに大きな意義があると考えます。

椿山からは、「大島」の絶景も望む。「利島」の日常は、同じ東京とは思えないほど、非日常が広がるが、同時に、どちらが別世界なのかという素朴な問いも心の中に沸き起こるだろう。

「利島」では完熟して落ちた実(種)を拾うため、それが大きく成長する夏に下草を刈り、綺麗な林床に仕上げる。この作業を地元では「シタッパライ」と呼ぶ。

集めた枝や落ち葉、古い実を野焼きすることもまた、古くから受け継がれている収穫作業の一環。

夏が終わり秋に入ると実(種)が完熟し、林床に落ち、地にも絶景を形成する。椿農家はそれをひとつ一つ丁寧に拾い上げる。この根気が必要とされる作業を地元では「トリッピロイ」と呼ぶ。

実(種)は、各自宅の軒先などで乾燥させたのち、島内にある椿油製油センターへ持ち込む。

「利島」の椿油は、ヤブツバキの種を100%使用。椿実の収穫から搾油、商品梱包まで、全てを島内で行う。まさに、メイド・イン・利島の逸品。

日本で唯一「COSMOS ORGANIC」認証取得した数量限定のプレミアムオイル「神代椿―雫―」(左)は、利島全体のわずか10%の藪椿からしか精製できない貴重な椿油(2011年時点)。そのほか、椿種子の一番搾り油のみを、色・香り・質感を大切に残し、濾過脱酸した椿油「神代椿―金」(中央)と椿種子の一番搾り油を濾過脱酸、更に精製し無色透明でサラッと仕上げた椿油「神代椿―銀―」(右)も揃える。

TOKYO TREASURE ISLANDSオンリーワンとナンバーワンを確立させたブランド作り。

「神代椿」を通して行われた「利島」の椿のブランディングの手法として着眼したことは、「COSMOS」認証でした。これは、オーガニックコスメの世界統一の認証基準であり、「COSMOS ORGANIC」と「COSMOS NATURAL」の2種に分類されます。2019年、「利島」の椿油(島全体の10%の椿から精製した椿油)は、前者を取得しました。

取得するためには、「内容成分の95%から100%が自然由来の成分であること」や「植物原料の95%〜100%が有機農法、遺伝子組み換えしていない農法によって作られた原料でなければならない」など、多くの厳正な項目をクリアしなければいけません。

「利島」は、認証取得に向け、生産者と園地ごとの収穫量の記録管理をはじめ、新たな苗の育成、選定した母樹の記録、そのデータから解析する苗が良く育つ母樹をトレースするなど、トレーサビリティ管理を徹底。

また、認証基準のひとつでもある「製品に使われているすべての成分、原料は、環境に悪影響を与えない生分解性のものでなければならない」においては、椿油の搾り粕を再利用。その一例として、肥料に使用できるよう、テスト製造を行い、環境負荷の少ない農園作りも目指します。

しかし、これらは取得までの道のりのごくごく一部。この場で全てを語り尽くせるほど容易ではありません。そんな「COSMOS」認証の困難の極みは、この事実を知れば、より伝わりやすいかもしれません。

「利島の椿油は、日本で唯一、COSMOS認証を取得」。

加えて、利島は、椿油の生産量日本一(生産量の変動によって異なる場合もあり)。つまり、オンリーワンとナンバーワンの双方を確立させたのです。

椿油の循環型生産に向けた活動のひとつとして、搾り粕の再利用にも取り組む。肥料として使用できるよう、テスト製造を行い、環境負荷の少ない農園作りを目指す。

TOKYO TREASURE ISLANDS各地域が抱える問題の打開策を「利島」に見る。

この「利島」のモデルケースには、いくつかのポイントがあると考えます。

ひとつは、前述、人の手で椿を植林し、自然環境を変えた資源を、人の手で価値化させたこと。

例えば、昨今においては、森林問題と直面している地域は少なくありません。特に針葉樹は、椿のように防風林に活用すべく植林されたものもあれば、建築資材として植林されたものなど、日本国土に多くあります。

しかし、その利用は減少し、数十年放置されることによって樹々は生い茂り、大地まで光が届かず、生態系の影響や自然災害の危険性も。これは、天災だけでなく、人災による被害も関わっているのではないでしょうか。

人の手で変えてしまった自然環境は、人の手で始末する責任が伴うと考えます。その始末の仕方を、「利島」は、循環型社会として取り入れ、適正に行われているのです。これが、自然に人が介在する意義。

そして、もうひとつは、世界基準を目指したブランド作り。国内だけでなく、国外に向けたゴールを設定することによって、逆に国内がついてくる仕組みは、「利島」で例えるならば、椿油のブランド作りだけでなく、今後、「利島」のブランド作りにも、大きく作用してゆくと考えます。

一方、「利島」に限らず、地方が抱える問題のひとつとして注視すべきは、高齢化、Uターン、Iターンなど、人の課題も。全てが一筋縄では解決しないもの、ことばかりですが、「利島」のモデルケースは、他県や他地域がその土地にある資産を価値化するためのヒントがあるのではないでしょうか。

そして、「利島」のモデルケースは、東京宝島のモデルケースという域を超え、日本のケーススタディと呼ぶに相応しい事例なのかもしれません。

椿は「利島」の命であり、椿油はこの島とともに生きる島民の覚悟の証なのです。

落ちた椿が地に広がる光景もまた、儚くも美しい。摘まれた実は椿油となり、そうでない実は土に還り、次の実へ繋ぐ栄養となる。

食材の宝庫・滋賀県を味わい尽くす、一夜限りの特別なディナー。[SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO/東京都中央区]

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO滋賀の豊かな食材が織りなす美食の夕べ

日本一の湖・琵琶湖を擁する滋賀県。

県の面積の約6分の1を占めるこの琵琶湖により生まれる、東西南北で異なる気候や土壌。そしてその土壌を潤す豊かな水。このような条件により、滋賀の食材は多様性と高い質を併せ持っているのです。その魅力は、数多くの料理人がこぞって滋賀の食材を使用していることからも明らかでしょう。

2025年1月、そんな滋賀県産食材の魅力を伝えるディナーイベントが東京・八重洲のイタリアンレストラン『ASTERISCO』にて開催されました。

この『ASTERISCO』は、農業機械のトップメーカー『ヤンマー』を母体とするレストラン。その『ヤンマー』創業者である山岡孫吉氏が滋賀県出身である縁から、このイベントの実現に至りました。

豊かな自然の恵みを受けた食材の宝庫・滋賀県。 今回の特別なディナーは、その魅力を最大限に引き出した珠玉のフルコースとなりました。

東京駅八重洲口のヤンマービル内にある『ASTERISCO』。店名はイタリア語で“米印(アステリスク)”を意味し、米料理をテーマにしたイタリアンが味わえる

イベントは終始なごやかな雰囲気。滋賀県庁職員や生産者も訪れ、マイクを握って滋賀の食材の魅力をPRした

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO滋賀の食材をふんだんに使用したフルコース

ディナーの指揮を執ったのは、『ASTERISCO』の菅原槙也シェフ。

菅原シェフは滋賀の食材と向き合い、料理を考案する中で、その魅力の深さを実感したと語ります。「さまざまな野菜、琵琶湖の魚や肉、そして米。どれも個性が際立ち、試食してすぐに料理のイメージが浮かびました」

そう語る菅原シェフのコースは、琵琶湖固有種の淡水魚・ホンモロコから始まりました。米粉をつけてしっかりと揚げ切り、酢漬けにしたホンモロコは、柔らかい身と淡白な味わいが特徴。琵琶湖だけに棲息する固有魚での幕開けは、これから始まるディナーの特別感を予感させます。

続く料理は近江黒鶏と滋賀産直野菜のインボルティーニ、そして菅原シェフのスペシャリテであるトリュフリゾットを、滋賀県産米きらみずきで仕立てた特別バージョン。パスタはおうみ海老とよもぎを練り込んだニョッキ、肉料理は和牛と国産牛をかけ合わせて生まれたげんさん牛のグリル。

野菜、米、魚、鶏、海老、牛と、滋賀県の魅力を存分に味わい尽くす構成です。

もちろんどの料理にもシェフの思いが詰まっていますが、とくに印象深いのはやはりスペシャリテであるリゾット。

「きらみずきは、粒が大きくふっくらとした米。食べやすい味や口当たりを活かすため水分量に細心の注意を払いました。香り高いトリュフや米を食べて育った鶏が産むホワイト卵との相性も秀逸」と菅原シェフも自信をのぞかせます。

デザートは、滋賀県の苺と比叡ゆばのモンブラン仕立て。比叡山延暦寺御用達のゆばをデザートに仕立てることで、自然の豊かさだけでなく、食文化の奥深さまでも伝えました。

さらにペアリングドリンクには、「近江麦酒 糀エール」や、飯米で仕込んだふくよかな味わいの純米酒「里ノ猋」、濾過しない濁りワイン「ヒトミワイナリー」のソワフルージュ、「かたぎ古香園」のほうじ茶が選ばれ、滋賀の風土を体感できる組み合わせとなりました。

琵琶湖ホンモロコと米粉パンのブルスケッタ。身質の良い淡水魚を丁寧に揚げることで骨まで柔らかく味わえる

近江黒鶏と滋賀産直野菜のインボルティーニ きんたろうしいたけのマリネサラダを添えて。力強い鶏と肉厚のしいたけが互いに存在感を放つ一皿

滋賀県産きらみずきとホワイト卵のトリュフリゾット。滋賀県産米きらみずきの魅力を引き出すシェフの技量が光る

おうみ海老とよもぎを練り込んだニョッキ 味こがね蕪ソース。よもぎの風味と海老の旨味を練り込んだニョッキと、ほのかに甘い蕪のソースがベストマッチ

近江げんさん牛のグリル ルッコラと赤ワインのソース 伊吹大根を添えて。赤身の濃厚な旨味と柔らかさを併せ持つ牛肉をダイレクトに味わえる一品。独特の甘みと辛味がある伊吹大根がアクセント

比叡ゆばと苺のモンブラン仕立て。ゆばをパイのように使ったデザート。滋賀県産のマスカットベリーAを使った摘果ブドウのジェラートとともに

食事を引き立てたドリンクもすべて滋賀産。改めて滋賀の食の奥深さを物語るラインナップ

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO料理と食材に込められた、それぞれの思い

ディナーは、ただ美味を堪能するだけの場ではなく、食材の背景にある物語や生産者の思いを知る機会でもありました。

ホールスタッフが料理や食材の説明を丁寧に行うことで、滋賀の食材や食文化を知ったゲストたち。その知識によりゲストたちは五感を研ぎ澄ませ、一皿をより深く堪能することができたのです。 琵琶湖の恵み、肥沃な大地に育まれた野菜、そして滋賀の風土が生んだ肉や米。これらの食材を通して、滋賀という土地の豊かさがより広く、深く伝わる時間となりました。

『ASTERISCO』の大西健也マネージャーは、準備にあたりシェフとともに滋賀県の生産者のもとを訪ね、生産の現場を視察しました。そんな大西氏は「現地視察でお会いした生産者の方々は、皆パワフルで人柄の良い方々ばかり。 そんな生産者がつくる食材をゲストに伝える橋渡しとしての使命を感じます」と語りました。

菅原シェフも「生産者の方がひとつひとつの食材を大切にし、丁寧に向き合っていることがわかる味でした。初めて出会う食材も多く、これからももっと産地を訪ねて理解を深めていきたい」と決意をにじませます。

生産者の努力と情熱、それを最大限に引き出す料理人の技、そしてそれを伝える場としてのレストラン。それぞれが繋がることで、滋賀の食材の価値が一層際立ちます。

マネージャーの大西氏。ソムリエでもある大西氏は、ヒトミワイナリーへの思い入れも深い

食材への理解、生産者への敬意、料理の技術。すべて併せ持つ菅原シェフのクリエイションが光る

ともに滋賀県を訪れ、生産者と話した菅原氏と大西氏。ふたりをはじめとした店舗スタッフのチームワークも、今回の成功の要因

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCOディナーの余韻のなかで新たな発表も

イベントの余韻も冷めやらぬなか、2つのうれしいニュースが発表されました。

ひとつは、『ASTERISCO』にて2025年2月1日〜2月28日まで、滋賀食材フェアが実施されること。今回の特別なディナーで証明された滋賀の食材のクオリティを、菅原シェフ謹製の特別メニューで誰でも味わうことができます。

もうひとつの発表は滋賀の食材の新たな発信として、ヤンマーが手掛ける海苔弁専門店『八重八』で、新たな海苔弁が発売されること。

この海苔弁には今回のディナーでも使用された滋賀県産米きらみずきを採用。ふっくらとした食感と上品な甘さが特徴のこの米を主役に据え、滋賀県の発酵食品を取り入れた多彩なおかずが添えられています。

このニュースからもわかるように、この日の特別なディナーは、料理を食べる瞬間だけで完結するイベントではありませんでした。食材と向き合い、その背景にあるストーリーを感じ、その産地に思いを馳せる。 滋賀の自然が生んだ恵みは、東京という大都市のレストランで新たな輝きを放ち、この日の体験が訪れたゲストの記憶に深く刻み込まれました。そしてゲストの心に滋賀という地への興味を呼び覚ます機会となったことでしょう。

『ASTERISCO』での滋賀食材フェアメニューの一例。今回のディナーでも登場した厳選素材が登場

滋賀県産きらみずきを使用した海苔弁。消費期限わずか4時間というこだわりの品

東京都中央区八重洲2-1-1 YANMAR TOKYO2F
03-3277-6606
https://la-brianza.com/asterisco/

東京都中央区八重洲2-1-1 YANMAR TOKYO B1F
03-3277-6888
https://www.yanmarmarche.com/food/restaurant/yaehachi/


Photographs:JIRO OTANI
Text:NATSUKI SIGIHARA

「大地の力を凝縮した味」東京からやってきた6名の料理人が、宮崎で有機野菜と出合う。[Miyazaki Organic Dining/宮崎県・東京都]

Miyazaki Organic Diningトップシェフの監修のもと、地元ホテルと料理人がゲストを迎える。

日本有数の有機農業産地である宮崎県。

いまから40年ほど前、まだ世間に有機農業やオーガニックという言葉さえ浸透していない頃から、宮崎県では有機農業への取り組みが始まっていました。

もちろん、現在でもその灯火は変わらずに灯り続けています。

そればかりか、昨年度より「みやざき有機農業拡大加速化事業」として、官民一体となってさらなる輝きを放っているのです。

安心安全で力強く、味わい豊かな宮崎の野菜。

そんな逸品をプロの料理人も放っておくわけがありません。

そこで今回は東京で厨房に立つ6名の料理人が、宮崎県の産地を訪れ野菜を視察し、そしてその経験を元に料理を考案する「Miyazaki Organic Dining」が開催される運びとなりました。

それぞれレストランを率いる実力派シェフたちは、宮崎県で何を見つめ、何を学び、どのような料理を仕立てるのでしょうか?

いつの時代も答えは自然の中にある。持続可能な1杯からはじまる、地域のロールモデル。

信州の薬草文化の再発見と再編集、地域資源の活用とサステナビリティ、信州の自然資源の体感。「松本産業研究会」主導のもと、この3つの視点によって、ボタニカルドリンクを開発。

Botanical Drink産学官が連携。松本のこれからを考える。

2024年4月。長野県松本エリアにおける観光サービスの高付加価値化を具現するため、「持続可能な観光地域産業研究会」が発足。「明神館」や「ヒカリヤ」など、宿泊業やレストラン業などを運営する「扉ホールディングス」を事務局に置き、民間事業者たちが集結しました。その有志は、「アルピコグループ」、「セイコーエプソン」、「フジアビエーションシステムズ」、「八十二銀行」、「松本信用金庫」、「アスピア」、「ハートビートプラン」、「ALPSCITY Lab」、「信州未来づくりカンパニー」、「山荷葉」、「フジドリームエアラインズ」など、地域の先駆的な取り組みを行っている企業。オブザーバーとして、「環境省中部山岳国立公園管理事務所」、「松本市」、「松本観光コンベンション協会」も参画します。特筆すべきは、産学官が連携する異業種の組織だということ。

委員長を務めるのは、「扉ホールディングス」代表取締役の齊藤忠政氏です。

「高付加価値化とは、松本高山地域に通底する価値を向上させることです。ビジネスにおいては、富裕層向けに限定したものではなく、広義に捉え、商品、サービスに独自の価値を加えることで、顧客に高い価値を感じてもらい、結果、双方の単価を向上させるための活動であると捉えております」。

商品、サービスのうち、今回は商品にフォーカス。松本エリアに特化した「松本産業研究会」として、まず、地域の資産でもある山を見直すところから始まりました。

「信州は、薬草の宝庫ともいわれ、県下各地に500種を超える薬草が自生しています。薬用植物を中心とする民間薬や漢方薬は、長い経験の積み重ねによって築きあげられた生活の知恵でもあり、それを生かした商品開発を目指しました」と「扉ホールディングス」代表取締役の齊藤忠政氏。

Botanical Drink過去を遡ることによって導き出した、里山文化。

「商品開発をするにあたり、観光の前に、まずは地域のあるべき姿を考えることから始めました。シンポジウムなどを開催し、行き着いた答えのひとつが、山でした」。

議論のテーマは、オリジンの追求。例えば、他の都府県を見ても、産業、催事、伝統、文化など、素晴らしい資産があります。そして、現代においては、その既存に付加価値を付ける。言葉にすると当たり前のことかもしれませんが、それを実際に行えている地域がどのくらいあるでしょうか。地域のあるべき姿を探し当てるだけでなく、様々な根本を見直すことにも注力します。

「sightseeingという見る観光から、昨今ではsightdoingという体験する観光にシフトし、これからは、sightbeingという、自分を見つめ直す旅、すなわち、人生を豊かにする旅が大切なのではと考えています」と齊藤氏。

この意図は、立場を変えれば、より理解できるかもしれません。例えば、国内外を問わず、どこか旅をしたとします。都市としても成熟し、観光スポットや名店、名物を巡る旅がsightseeing、sightdoingだとすれば、sightbeingは、観光の概念から少し外れた冒険とも言うべきか。齊藤氏の言葉を借りるならば、「非日常」ではなく「異日常」。時に地元民と出会い、時に彼らがこよなく愛する物事に触れる旅は、本質的な地域の文脈に沿った旅を堪能できるでしょう。予定は未定ゆえ、予期せぬ出来事が舞い込むかもしれませんが、そのハプニングはサプライズと化し、その地で過ごした時間は、深く記憶に刻まれるのではないでしょうか。そして、結果として、人生の豊かさにも繋がる。

訪れる人にどうすれば感動を与えられるのか。前述、山から導き出された松本の価値は、里山文化でした。

古来より、里山の暮らしは、自然と共生し、生活の知恵を活かすことにあります。農機具や衣服は、全て自然界のものを工夫し、自ら手で作り、役目を終えたものは、また自然に返る。食材がない時期に備え、発酵という手法も生まれました。それらは、里山文化において、ごく自然なこと。必要なものは、全て自然の中にあるのです。

ある意味、何不自由ない現代では得ることのできない、豊かさと言い換えられるでしょう。

これからの松本を考える時、未来を紐解くのではなく、過去を遡る手法によって得たそれは、彼らの原点であり、故郷の追憶。その資源を再編集することによって商品化したものがボタニカルドリンクでした。

上高地や北アルプス、美ヶ原高原など、雄大な自然環境に恵まれる松本。大起伏山地や複数の内陸盆地、そして、低地、丘陵地、山間地、高原……、多才な地形が松本をはじめ、信州の里山を形成。

Botanical Drink地の利から生まれた、ボタニカルドリンク。

今回、「ONESTORY」は、ボタニカルドリンクの開発をサポート。パートナーとして協力を仰いだ人物は、東京都調布市のレストラン「Maruta」の外山博之氏です。外山氏は、「Maruta」だけでなく、様々な名店のペアリングやドリンク開発にも従事。ソムリエ、バーテンダー、マネージャー、ディレクター……。多彩な活動をする外山氏の肩書きをひと言で表すのは難しい。しかし、より自然に、より地に向き合う姿を見ると、全てにおいて共通する植物と飲料を組み合わせた、ボタニカルドリンク研究家と仮称すべきか。もともと「Maruta」は植物と共にあるレストランであり、その母体は「株式会社グリーン・ワイズ」という植物を主軸にランドスケープデザインなどを通して環境共生を理念とする企業のため、前出の遍歴を経ての外山氏の現在は必然だったのもしれません。つまり、本プロジェクトの適任者だと考えます。

外山氏は、松本の地を知るところからスタートします。

「地元の方々にご案内いただき、山に入り、その地の生態を観察するとことから始めました」と外山氏。様々な知識を得て、レシピのパズルに植物のピースを埋めていきますが、それを考案する前より採用したかった植物があります。カラマツとニセアカシアです。両者に共通していることは、植林や生育阻害など、問題視されている植物だということ。しかし、松本をはじめとした東信地区では、昔からニセアカシアを天ぷらにして食べる暮らしがあり、自然と人の共生習慣が備わっていた地。「松本の人々は、既に行動変容を起こしてきていたのです。これは地域が誇るべき文化。そんな気づきにもなればと」と外山氏。

「ボタニカルドリンクは、植物と共存するものでありたいと考えました。西東京を拠点にしていても、温暖化を感じることは多々あり、例えば、本来10月に咲く金木犀が2月に狂い咲きしたり。秋刀魚の不漁はニュースになりますが、金木犀が2回咲いたことはニュースにはなりません。生き物に携わる身としては、どちらも同じ。環境問題は、あまりにもスケールが大き過ぎるため、ボタニカルドリンクは、そこと向き合うためのものではなく、あくまでも、楽しんでいただくものとしています。飲むことで松本という地を知っていただければと思います」。

ゆえに、背景は忍ばせる程度。味覚では得ることのできない情報は、会話を通して交流を深める。そんな人と人とのコミュニケーションもまた、旅の醍醐味となるでしょう。

考案されたボタニカルカクテルは、「ORGANAIZE」、「RELAX」、「AWAKENING」と名付けられた3種。

森の香り、清涼感のある酸味が特徴の「ORGANAIZE」は、カラマツなどの人工林の間伐材や山間部の豊かな水源によって自生・栽培された葉ワサビを起用。まさに森を飲むドリンク。最後に針葉樹を炙り、液体に浸すことによって香りも広がります。

「RELAX」には、侵略的外来種ワースト100に指定されているニセアカシアを起用。そのほか、クロモジ、ダンコウバイなども含み、「ORGANAIZE」同様、その枝を炙り、液体に浸すことで、爽やかな優しい香りが立ち上がります。

苦味による爽快感が心地良い「AWAKENING」は、地域で容易に見られるシソ科の植物を起用。そのほか、キハダやリンドウも含み、苦味のある爽快感は、その名の通り、心身を覚醒してくれたに違いありません。

「今回、自分がこのプロジェクトに参画したいと思った一番の理由は、齊藤社長の熱意と地域への愛。齊藤社長は、松本の自然と人の営みが持つ地域の価値に気付いている。それを繋ぐ活動も既にしている。自分は、こういう地元を愛している人と関わりたい。なぜなら、自分にできることは限られているから。自分がどんなに良いドリンクを開発しても、それに価値を纏わせることまではできない。松本の人間ではない自分の言葉は、説得力に欠けるから。これは地元の人にしかできないこと。それが価値。逆も然り、だから自分は西調布を語ることができる。今回、地元の皆様から多くのことを学びました。その感動を、次は、お客様に伝えていただきたいと思います」。

「山、森、植物。自然と技術を掛け合わせることで共存が生まれます。ひとり一人の意識をほんの少し変えるだけで、出会わなかった人と人が出会うだけで、想像以上に可能性が広がる。そんな行動変容が地域を成長させていくのではと考えます」と「Maruta」の外山博之氏。

ヒマラヤ杉、ドイツトウヒ、アカマツなどを使用した「ORGANAIZE」。長野県では、林業目的で造林されたカラマツなどの人工林の材価低迷により、間伐が進まない課題を抱えており、この状況を県外や海外のゲストに伝える手段として、「森を飲むドリンク」を考案。間伐材を利用し、「木を飲む」という新たな価値を提案する。また、山間部の豊かな水源を背景に自生・栽培が広がる葉わさびを用い、自然資源の貴重さを伝える。

ニセアカシア、クロモジ、ダンコウバイなどを使用した「RELAX」。長野県ではニセアカシアを食べる習慣が昔からあり、自然と共存する食生活が育まれてきた地。このような背景から、食を通じて松本の自然の豊かさを未来に繋ぐ利用価値を見出すドリンクを考案。また、植生環境の保全のため、クロモジのみを採取するのではなく、クスノキ科の植物を満遍なく使用しているのも特徴。

キハダ、ヒメジソ、カキドオシ、エゴマ、リンドウなどを使用した「AWAKENING」。長野県木曽地域の伝統薬「百草丸」の主成分であるキハダを中心に考案。松本の豊かな自然環境を表現するため、地域で容易に見られるシソ科の植物を使用。さらに、近年減少傾向にある長野県の県花・リンドウも含む。リンドウは古くから健胃薬として用いられており、山に自生する種が切り花用に改良されたのが始まりとされる。

会場には、採取した実際の植物や仕込んだ原液も展示。炙る作業などは自身で行い、体験としての価値も高める。

Botanical Drink地域の頭脳を結実すれば、山は動く。

1月某日、前述3種のボタニカルドリンクのプロトタイプ発表会を実施。「持続可能な観光地域産業研究会」の有志同様、ジャンルを問わず、志の高い企業や人々が集いました。齊藤氏の挨拶に始まり、外山氏の解説を主に会が進む中、そのマイクを積極的に外山氏が地元の人々に回しているのが印象的でした。例えば、外山氏に山を案内したポインターすみれさんは、植物と香りのスペシャリスト。

「AWAKENINGには、シソ科の植物が採用されていますが、同科にナギナタコウジュという植物があります。アイヌの人たちは、それを神の宿る野草として、風邪を引いた時に煮出してお茶にしたり、おかゆに入れたりして食べていたそうです。こぼれ種で育つため、アイヌの人たちは、種が落ちてから食べていたとも言われています。花が咲く頃から種ができるまで、香りも変化します。それぞれの良さがありますが、それを知ってからは花の時期に少し摘んで残し、種が落ちた後にまた摘む、少し多く摘んでも根は残すなど、採取への配慮をするようになりました。それが自然と人の共生」とすみれさん。

そして、「柳沢林業」代表・原薫さんも、「先日、山を歩いていたら、どこからか甘い香りが。調べると鷹の爪でした。別名、芋の木と呼ばれているんですよ」と続く。

外山氏も「どれも自分も知らない情報! これは有益なことをお聞きしました」と興奮。

「今回の取り組みは、もともと松本にあるものを新たなかたちで表現するという、無理のない活動。県外からのお客様はもちろん、地元の人にも知っていただきたいし、楽しんいただきたい」と原さん、すみれさん。

ボタニカルドリンクをきかっけに、いつしか山を学ぶ時間に。議論も活発になり、会場は熱気に包まれていました。このグルーヴを生むことが外山氏の思惑であり、地域の人々を当事者にした理由。

「自分よりも、植物に詳しい人は身近にいる。同じ地元でも、意外に相手を知らないことも少なくない。互いが持つ高い能力を地元の中で繋ぎたかった。自分が離れても構築される地域内のコミュニケーションを生みたかった」と外山氏。

また、山、植物以外の松本の資産として、注目されたのが水。松本には市内に約20箇所の井戸があり、湧き水を楽しむことができる町として、国が「名水」と選定するほど。水質やテクスチャーの違いもあり、地元の人々でも好みが分かれるほど多様性に富んでいます。それが、ひとつの町に集約されているということは、日本全国、いや、世界中から見ても稀有な資源。

「ミネラル、マグネシウム、鉄分など、成分や濃度が違うだけで味わいも異なります。これを機会に、松本の水にも注目いただければと思います。そして、私たちの研究も、今後、本プロジェクトに寄与できればと考えます」とは、「国立法人 信州大学」アドミ二ストレーション本部 学術研究・産学官連携推進機構 准教授の鳥山香織さん(博士/工学 認定URA)。

研究とは、浄水技術を指します。不純物だけでなく、具体的な成分のみを取り除くこともでき、既に酒蔵などで採用されている事例も。さらに、世界レベルで見れば、開発途上国の汚染された水に浄水技術を取り入れ、命を守る活動もしています。

そんな豊かな水が育んだ松本の文化のひとつが、バーです。

「ノンアルコールドリンクの可能性を感じました。そして、カクテルとしても展開できるポテンシャルもある。松本の自然を活用し、仕上げる一杯は、松本で飲む意義もあると思います。豊かな香りが印象的なため、ワイングラスで提供し、ゆっくりと味わっていただきたい。そんなイメージが膨らみました」と、松本のバーを代表する「メインバーコート」林 幸一氏は総括。林氏は、BAR組合名誉会長も務め、今回のアドバイザーとしても尽力いただいた人物でもあります。

ボタニカルドリンクの個性は、香り。香りは、人の記憶を手繰り寄せる力がある。

同じ地域から様々な業種の企業や人々が集結。ボタニカルドリンクの発表会をきっかけに、異業種コミュニケーションも育まれた。

「苦味や酸味などの個性を香りが調和させ、ひとつの作品として仕上がっている。春の野菜や山菜などの植物の苦味は、私たちの体に冬の間に溜まった老廃物や毒素を排出してくれる働きがあるそうです。理由がわかれば、それも愛おしい」とポインターすみれさん。味だけでなく、生体を知ることによって、深みが増す。

「例えば、RELAXに含まれるクロモジは、山間部に生え、日向だけでなく日陰も必要。植物が生息している地にはちゃんと理由がある。湿地、乾燥、標高、日向、日陰。私たちは、地域の特性を推定する指標植物としても観察しています」と「柳沢林業」代表の原薫さん。

「地域の資源をいかに高付加価値化できるか。私たちが研究している浄水技術もコラボレーションしていきたい」と「国立法人 信州大学」アドミ二ストレーション本部 学術研究・産学官連携推進機構 准教授の鳥山香織さん。

「味の個性、香りの個性は、山の個性。ボタニカルドリンクを提供できるお店が増えると、松本の個性にもつながり、新たな側面から地域をアプローチできると思います」と「メインバーコート」の林 幸一氏。一方、「生産や流通の仕組みも今後の課題」と、次の段階の論点も述べる。

Botanical Drink香りの追憶が松本への再訪を誘う。

「メインバーコート」林氏の言葉の通り、ボタニカルドリンクの特徴は香りであり、外山氏が一番こだわったところ。液体そのものも然り、仕上げに植物を炙るひと手間は、より深い香りを引き立たせるためです。

「自分自身、この香りを吸い込んだ時、山で遊んでいた子供のころを思い出し、懐かしい気持ちになりました」と齊藤氏。

香りの特徴は、風景を想像させることではないでしょうか。味であれば、回想は皿の上に止まりますが、香りは風景を描くような。

「今回、自分のレシピでボタニカルドリンクを開発しましたが、柳澤林業さんのお話にもあったように、松本の山には、もっと活用できる植物がたくさん生息しています。それは季節によっても変わります。そして、林業、大学、バー、ホテルなど、今日、出会った人たちでも十分展開できるプロフェッショナルが揃っています。一業種ではできないことも、他業種が協業すればできる。松本には山や水だけでなく、人もまた資源」と外山氏。

「自然と自然、人と人、そして、自然と人。今、松本に必要なことは、繋ぎ直しだと考えます。里山の繋ぎ直し、観光の繋ぎ直し、地域の繋ぎ直し。今回は、ボタニカルという視点から繋ぎ直したいと思っております」と齊藤氏。

自然と人の繋ぎ直しによって生まれたボタニカルドリンクは、自然>人の関係。つまり、ワインやビールのように、人力によるど真ん中の味ではなく、自然を優先したもの。ゆえに、「好みが分かれるとも思います」と言葉を続けます。そして、「植物は人間よりも早く地球に存在していた生き物ですから」と、植物への敬意を外山氏も補足します。

自然次第のため、ボタニカルドリンクに完成はありません。香りや味の変化は、環境の変化。「ボタニカルドリンクは未完だから面白い、だから、可能性を感じる」と齊藤氏。

「山の中でボタニカルドリンクを飲む会もやってみたいです。食材を摘んで、その場で作って、飲む。手足を動かし、山の香り、風の香り、土の香りを感じながら。そこには至れり尽くせりのサービスはありませんが、何ものにも変えがたい体験となると思います」と外山氏。

植物の命が生まれた地で味わうそれは、きっと記憶に深く刻まれるでしょう。そして、いつの日か、その記憶を手繰り寄せるきっかけとなるのが、やはり香り。それが国内なのか国外なのか、何処で山の香りを感じた時、ふと蘇る追憶によって、松本への再訪、いや、再会できることを願って。

冒頭に戻り、改めて問いたい。「持続可能」の概念とは何か。

古き時代より現代に受け継がれてきたものが持続可能の好例と美化されることもありますが、そんな生易しいものではないと思います。なぜなら、様々な難局を乗り越え、時代に耐えて生き残ったもののみが、現代において存在を残していると考えるからです。

それらも理解した上で足元に特化したボタニカルドリンクは、里山文化同様、暮らしの知恵と工夫によって、無理なく持続できる環境と体制を整備。自然との共生含め、十分な可能性を秘めている。

「今後、ボタニカルドリンクを育ててゆき、様々なところでお楽しみいただける場作りも拡張していきたいと考えています」と齊藤氏。

産学官の連携、過去を遡ることによって導き出した価値、地域の繋ぎ直し……。そんな松本のアクションは、新たな地域のロールモデルになるかもしれない。

意志と覚悟、そして愛。そんな想いが不可能を可能にし、山を動かすのだろう。

会場となったのは、「ヒカリヤ」。蔵屋敷の母屋と旧文庫蔵は、 国の登録有形文化財に指定され、持続可能なシンボル的存在。一歩足を踏み入れれば、齊藤氏の言葉の通り、「異日常」が形成される。


Photographs:KOH AKAZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

熱帯植物園を回遊しながら、バーをホッピングする。沖縄の魅力を深く体感するミクソロジーイベント。

熱帯植物園を食前酒を楽しむバーに見立てたユニークベニュー。

ユニークベニューとは、「ユニーク(特別な)」「ベニュー(会場)」を意味する言葉で、史跡、公園、美術館などを本来の目的とは異なるニーズに沿った会場とすることを指します。

今回、沖縄の魅力を伝える3つの試みのひとつが、このユニークベニュー。会場は、約6万平方メートルの敷地に多種多様な植物が展示される『熱帯ドリームセンター』。園内をガイドとともに巡りながら、各所に用意されたアペリティフと食前酒を味わうという趣向です。

ドリンクの監修は那覇のミクソロジーバー『アルケミスト』を手がける中村智明氏。クラシックのコンペティションやフレアバーテンディングのカクテルコンペティションで18もの賞を受賞する実力派です。料理監修は大阪の名店『AUBE』『Chi-Fu』『Az/ビーフン東』のシェフ東浩司氏。そして実際の調理やドリンクのサーブは、『ハレクラニ沖縄』『沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャンスパ』『ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート』『オリエンタルホテル沖縄リゾート&スパ』『ヒルトン沖縄 瀬底リゾート』といった沖縄を代表するホテルの精鋭たちが担当します。

植物園を舞台にした、かつてないミクソロジーイベントは、どのようなものとなったのでしょうか?

沖縄海洋博公園内に位置し、『美ら海水族館』に隣接する熱帯ドリームセンター。熱帯、亜熱帯の花々が咲き乱れる楽園。

世界に約3万種が存在するといわれるラン。同じランでも見た目も香りも特徴も大きく異なる。

ドリンク監修の中村智明氏(左)と料理監修の東浩司氏(右)。もともと面識があったというふたりの連携が、かつてないペアリングを生み出した。

植物をテーマにした5種のカクテルとフィンガーフード。

それは原始の森の中を回遊しながらバーをはしごするような、不思議な体験でした。

「散歩をしながらカクテルを飲まれる前提。だから最初のインパクトと、少し時間が経ってからくる風味が変化するように、“香りの層”があるドリンクを目指しました」とドリンク監修の中村氏が話す通り、歩きながら、体験しながらだからこそ楽しめる特別な時間。

『熱帯ドリームセンター』は、多種多様な2000株以上のランを中心に、さまざまな植物が展示される施設。その中の5箇所にカウンターが設けられ、ゲストは園内を進みながら、要所でカクテルとフィンガーフードを楽しみます。

ウェルカムドリンクは白ワインをベースに、花草果実のエッセンスを加えたカクテル。草花に囲まれたこの会場にぴったりの一杯です。

展示されるランの不思議な生態の話を聞きながら歩みを進めると、先の温室に準備されていたのは、花束に見立てたマグロスモークとハーブ、そして試験管に入ったハイビスカスティーベースのカクテル。続く果樹温室では野菜で仕立てたヴィーガンタコスと、月桃の香りを添えたテキーラベースのドリンク。

人の気配がなく、ミステリアスな夜の植物園。進むごとに現れる想像を越えたカクテルとフード。ただバーに座ってグラスを傾けるよりもずっと能動的な時間が、しっかりと胸に刻まれます。

続いては蓮の浮いた池を眺めながら、ヤギ肉の唐揚げとヤギのヨーグルトを合わせた泡盛。最後のデザートにはアップルバナナのジーマーミ豆腐と、アップルバナナを使った泡盛カクテル。

ここまで、およそ1時間の行程。この体験を胸に、ゲストは各々のホテルやレストランでのディナーに向かうという想定です。「花」「草」「根」「果実」をテーマにしたフードとカクテルの組み合わせは、会場の環境とも見事なペアリングとなり、またとない体験になりました。そして何より、ただ観光するだけではなく、食事を通して深く体験することで、より身近に沖縄という地を感じることができたことでしょう。

「草」「花」「根」「果実」のテーマで考えた今回のフードとドリンク。白ワインにランのフレーバーを加えたウェルカムドリンクは、それらの要素すべてが感じられつつ、炭酸ですっきりと仕上げられた。

木に吊り下げられた試験管のなかに、ドリンクとフードが入る。自然の果実を摘んで口に運ぶような原始的な行為が、本能を刺激する。

ガイドの案内とともに園内を進む。閉園時間の後の『熱帯ドリームセンター』は今回のゲストのためだけの貸し切り。

演出や盛り付けに驚きを隠せないゲストたち。こうした工夫、アイデアにより沖縄の食のPRに新たな可能性を見出す。

ミステリアスな夜の植物園とカクテルとフード。その特別な時間は、進むごとにさらなる期待を高まらせる。

各ホテルのスタッフによるサービスと連携もイベント成功の要因。厳しい条件のなかで、各スタッフがプロフェッショナリズムを発揮した。

4時間じっくり煮込んでから、現場で揚げたヤギ肉と、ヤギのヨーグルトを加えた泡盛のカクテル。同じ素材にすることで風味を合わせ、一体感を生む。

順路に沿って進むごとに、このようなバーエリアが出現する。歩きながらホッピングするという新たな感覚が新鮮。

アイデア次第でさらなる進化を遂げるこれからの沖縄のカクテル。

「伝統的な沖縄料理を少しだけ違う角度から見てみる。地元の人にも驚きや発見がある料理を考えました」と東氏。

「たとえば沖縄の定番であるタコライスも、季節の野菜を取り入れるなど少しのアレンジを加えることでまだまだ大きな可能性があります」と言います。

那覇を拠点に活躍する中村氏も同様の意見です。

「国内外の観光客が増えている中で、沖縄のカクテルはまだまだスタンダードなものが中心。県産の素材に焦点をあて、その魅力を伝えていくことがこれからは必要になってくると思います」

その思惑通り、県産の素材、沖縄の伝統を踏まえた上で、別の角度から魅力を引き出した両氏。花束に見立てた盛り付けやフードとドリンクを逆転させた演出、ペアリングでも寄り添うもの、隙間を埋めるもの、味を補完しあうものなど、さまざまなアイデアで、ゲストを驚かせました。

しかし二人にはもうひとつ、大切にしていたことがありました。

それは、今日という日が「特別な一夜」ではなく、これからも続けられること。特別な機材や素材、中村氏や東氏がいなくとも地元スタッフが一丸となって再現できること。

そのためのレシピやオペレーションを考案し、そして沖縄の未来を描く思いをホテルのスタッフたちと共有してきたのです。

「身近で、当たり前だと思っていたものが、宝物だったという感覚。勉強になりましたし、大きな自信も生まれました」

名門ホテルから参加した若手スタッフはそう振り返りました。

沖縄のホテルでは、ディナーの前に回遊するバーが楽しめる。そんなシーンが当たり前になる日も、遠くないのかもしれません。

初の試みに少々戸惑いながらも、手際よく料理を仕上げるスタッフたち。所属ホテルの垣根を越えた交流が生まれたのも、今回の収穫のひとつ。

火の使用不可、限られたスペースなどの条件は、最適化されたホテルの厨房とは別世界。参加したホテルの料理人たちにも、さまざまな学びがあったという。

花束に見立てた沖縄県産マグロのスモークとハーブ。下部のハイビスカスとローゼルのカクテルは、ドレッシングのように料理に重ねるイメージで考案された。

沖縄名物のタコライスをモチーフに、クレープにフーチバーやドラゴンフルーツをあわせた一品。メキシコをルーツとするタコスに合わせ、カクテルはテキーラベースに月桃の香りや生胡椒をあわせた。

最後の一品、アップルバナナのジーマーミ豆腐と、固体にしたアップルバナナのカクテルは、「飲むフードと食べるカクテル」。役割を逆転させる意外性と、味わいと香りの調和が見事。

令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:沖縄県本部町
企画:ONESTORY
協力:沖縄県ホテル協会、沖縄美ら島財団、前田産業ホテルズ
運営:沖縄かりゆしビーチリゾートオーシャンスパ、オリエンタルホテル 沖縄リゾート&スパ、
   ハレクラニ沖縄、ヒルトン沖縄瀬底リゾート、ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート

歴史を学び、文化を知った上で、いただく。その本質までを深く味わう、進化する琉球料理。

歴史という、進行形で紡がれる物語に自らも参加する。

たとえば歴史の授業のようにただ事実だけを伝えられたのでは、ここまで心に響くことはなかったかもしれません。しかし、そこに物語があり、あまつさえその物語の中に自分自身が組み込まれているなら、それは誰にとっても忘れ得ぬ時間となることでしょう。

今回実施された『Landscape Cuisine with Ryukyuan Hospitality』は、つまりそんな時間でした。

先人たちが歩いたその道をたどり、まさに再興の途にある首里城の現場を見学し、琉球王国の歴史を学び、そして伝統料理の必然性を身をもって知った上で、その伝統からさらに進化した料理を味わう。時空を超えて紡がれる物語に、「食べる」という行為を通して参加する。

そんな沖縄の魅力を味わい尽くす特別なキュイジーヌのはじまりです。

首里城からの眺め。冬の沖縄は夏に比べて観光客が少なく、気候も過ごしやすい。歴史や文化をじっくり巡るにはちょうど良い季節。

御嶽(うたき)とよばれる琉球王国の聖地。そこに込められた意味を知れば、その不思議な存在感も腑に落ちる。

首里城を歩きながら学ぶ、いまは亡き琉球王国。

ツアーは首里城からはじまりました。

ゲストの前に登場したのは、琉球史研究家の上里隆史氏。かつてこの地に生きた人々の息遣いまで聞こえるような臨場感のある解説が持ち味です。

首里城を歩きながら、上里氏の声が響きます。

いまは亡き琉球王国。日本と中国という大国に挟まれながら存続し得た小さな島国の秘密。両国の使者を心尽くしで迎え、この地の魅力を伝えたおもてなしの心。歓迎の席で振る舞われた泡盛や宮廷料理、そして琉球音楽と舞踊。

実際に舞台となった場所を歩きながら聞く解説に、当時の様子がありありと目に浮かびます。やがてツアーは、2019年の火事により失われた首里城正殿が再興されている現場へ。やんばるの木が使われていること、県内の若手職人が中心となって作業にあたっていること、そしてこの焼失を通して老若男女の沖縄県民の心がひとつになりつつあること。語られる言葉のひとつひとつが、心に染み込んできます。

続いては場所を移し、『角萬漆器』へ。ここは創業120年を越える、琉球漆器最古の老舗です。

琉球王朝時代から、愛される琉球漆器。中国から伝わった漆器の技法が温暖な気候と合わさり、発色鮮やかできらびやかな装飾が施される独特な漆器として発展してきました。賓客をもてなす食器としてだけでなく、琉球王国が日本や中国と貿易する際の重要な交易品でもありました。

ゲストを前にそう説明するのは、角萬漆器の六代目・嘉手納豪氏。嘉手納氏の案内で向かった工房では、熟練の職人がまさに琉球漆器を仕上げている最中でした。

王国を支え、使用されていた伝統が、いまも変わらずに存在し、生み出されていること。過去から流れてきた時間が、未来に向かって途絶えずに続いていること。その重みを感じてみれば、琉球漆器がいっそう鮮やかに見えてきます。

琉球史研究家の上里隆史氏。琉球王国に関する著書も多い上里氏が、奥深い琉球王国の文化や伝統を、平易な言葉でわかりやすく解説してくれた。

石の積み方、石碑の文字、湧き水のいわれや各建築物の様式まで、問われた内容に即座に回答する上里氏の知識量に驚く参加者たち。

現在の首里城の再興は、その作業工程を見学できるスタイル。これを通して、沖縄県民の多くが、首里城の存在を改めて強く感じているという。

今からおよそ600年前におこり、450年間にわたり存在した琉球王国。首里城公園には在りし日を偲ばせる遺構も数多く残されている。

『角萬漆器』6代目の嘉手納豪氏。県内きっての老舗であり、琉球漆器の文化を今に伝える重責も担っている。

鮮やかな朱の発色と、精緻な装飾が琉球漆器の特徴。とくに模様が立体的に浮き出る堆錦の技法は『角萬漆器』の真骨頂。

『角萬漆器』の一階はショップ。食器のほかアクセサリーなどの現代的な漆器も販売されている。

漆器の制作現場は、見ているだけで息が詰まるような精密な作業。熟練の職人の技術が垣間見える。

『角萬漆器』に併設されたカフェにて、しばしの休息。漆器でいただくお茶と茶菓子は格別。

使者を迎え、もてなすためだけに発展した琉球古典音楽。

次の目的地は那覇市内にある『福州園』。ここは那覇市と中国福建省福州市の友好都市締結10周年を記念して1992年に完成した中国式庭園。

比較的新しい名所ではありますが、この『福州園』がある那覇市久米というエリアは600年ほど前から福建省からの移住者が住み始めた地。中国との縁が深いこの地で、中国の伝統を忠実に再現した庭園を歩くことは、ひとしおの感慨をもたらします。

さらにこの場所にはレセプションイベントも用意されていました。

園内の一角に準備されたテーブルに着くと、登場したのは国指定重要無形文化財である琉球古典音楽の担い手、山内昌也氏。 山内氏の歌三線と、ひとりの踊り手で織りなす琉球王国式のもてなしです。

山内氏の奏でる音楽は、陽気な沖縄民謡のイメージとは異なり、どこか物悲しく、静謐で神聖な雰囲気。沖縄県立芸術大学音楽学部長でもある山内氏が、後に教えてくれました。

「琉球古典音楽というのは、首里城の中でだけ、海外からの使者を歓待、歓迎するために上演されていました。その琉球王国が明治12年に滅亡し、首里城で演奏されていた方々が食べるために各地を回って演奏していく中で変わってきたものが、現在の沖縄民謡の基礎になっています」

つまり、この日演奏された音楽は、完全にゲストを歓迎するためだけに生まれた芸能ということ。しかし、伝統的な音楽をそのまま現代に再現しているわけではありません。実はかつて琉球古典音楽は、大勢の演奏、踊り手によって上演されるのが一般的でした。

それを歌三線ひとり、踊り手ひとりという現代に合ったスタイルに変えたのがこの山内氏。

「さまざまな文化を取り入れて発展してきたのが琉球王国。時代に沿ったスタイルに変えていくことも、また自然なことだと思います」

沖縄と中国の親交を象徴する『福州園』。園内には中国から取り寄せた建材で織りなすさまざまな景観があり、見飽きることがない。

異国情緒があるのに、どこか懐かしさも感じさせる園内の風景。庭園全体がひとつのアート作品のような美しさを持っている。

円卓に用意された泡盛は、カラカラ(酒器)トチブグヮー(おちょこ)と呼ばれる伝統的な器で少しずつ味わう。

琉球古典音楽師範の山内氏。伝統的な音楽を守りながら、現代にふさわしい姿で伝えていく道を追求している。

山内氏が考案した歌三線ひとりと踊り手ひとりの上演は、それ自体がグッドデザイン賞を受賞するなど、国内外で高く評価されている。

県内と県外。ふたつの視点で見つめた、“今あるべき”琉球料理。

半日かけて伝統、文化を体験してきたツアー。ただの座学ではなく、実際に見て、触れて、聞いてきたからこそ、ゲストたちはまるで在りし日の琉球王国に旅したような気分で、その伝統を身近に感じてきました。

そしてその一日の集大成が、『ノボテル沖縄那覇』でのディナーです。

料理を担うのは福岡『Goh』で世界的評価を確立したシェフ福山剛氏と、『ノボテル沖縄那覇』の総料理長、前川守晃氏。ふたりで話し合いながら新たに解釈した琉球宮廷料理がテーマのコースです。

「琉球料理はおそらく、中国だけでなく、アジア各国などさまざまな文化を取り入れながら進化してきた料理。これからもいろいろな人がアレンジして、さらに進化していけば良いと思います」

豪放磊落な福山氏はそう話しますが、言葉の節々には今回の監修にあたって、さまざまな琉球料理を敬意をもって学び、体験してきたことが伺えます。

一方の前川氏はもう少し複雑です。実は前川氏は「琉球料理伝承人」という伝統的な琉球料理を守り、伝えていく役割も担う人物。その上で、前川氏は言います。

「私たち料理人の務めは、基礎を踏まえ、本質を守った上で進化した料理を提供し、より多くの人に琉球料理を知ってもらうこと。今回は福山シェフという世界的なシェフとご一緒させて頂きながら、その思いと真摯に向き合って料理をつくっていきたい」

そんなふたりが考案した料理は、まさに進化した琉球伝統料理と呼ぶにふさわしい内容。琉球漆器の器には、伝統的な琉球料理が盛り付けられます。しかし、たとえば田芋の煮物であるドゥルワカシーは、フリットにしてトリュフのソースとともに。ヤギはコンソメスープ、夜光貝はリゾット、ゆし豆腐はなんとカレー。それぞれがただの創作料理ではなく“進化した琉球料理”と感じられるのは、ふたりのシェフが伝統の本質を理解し、変えてはいけない部分を決して変えていないから。泡盛のエキスパートである『比嘉邸』バーテンダー・比嘉康二氏のドリンクも、料理と響き合います。

そんな料理とドリンクの質そのものもさることながら、半日かけて歴史を学ぶことで助走してきたゲストにとって、この時間はより感慨深いものだったことでしょう。おいしい料理、素晴らしい空間という横軸に、歴史という縦軸が加わることで感じる深み。この試みはきっと、これから沖縄の魅力をより深く、強く伝えるための強い武器となることでしょう。

福山氏(左)と前川氏(右)。前川氏は福山氏とのコラボで得た学びについて「シンプルかつ洗練された料理、メリハリある段取りとホスピタリティ、料理の丁寧さ、味と香りのバランスなど、挙げればきりがありません」と振り返る。

沖縄における泡盛のエキスパートである『比嘉邸』の比嘉氏。今回は料理との調和を考えながら、さまざまなドリンクを考案した。

前菜の盛り合わせは琉球王国の宮廷料理に使われた「東道盆(トゥンダーブン)」に盛り付け。ハーブを加えた泡盛とともに。

冬トリュフのピューレと削ったトリュフを乗せた田芋のドゥルワカシーのフリット。ドリンクは揚げ物に合わせ、爽快感のあるハイボール。

コンソメで炊いた美ら山羊に島人参、島牛蒡をあわせたスープ。玄米緑茶にフーチバー(よもぎ)をあわせたドリンクはノンアルコール。

福山氏の『Goh』のスペシャリテを沖縄県産食材でアレンジした夜光貝の肝とあおさの赤米リゾット。ドリンクは濃厚な料理に合わせ、酒精強化ワインのようなニュアンスを泡盛で表現。

やんばるアグー豚の煮込み料理。豚の脂身の濃度に合わせ、洗練された甘い香りを持つ泡盛「The MIZUHO」をチョイスした。

からしな、ゆし豆腐を使ったカレーは前川氏が「もっとも印象深い料理」と振り返る一品。県内産豆の深煎りコーヒーを加えたコーヒー泡盛とともに。

デザートは炊いた黒豆に黒糖寒天、黒糖アイス、黒糖ラム。沖縄の名産である黒糖を上質な菓子に仕立てた。

300年ほど前に中国の福州から琉球に伝わったという伝統菓子、きっぱんと冬瓜漬け。凝縮感のある古酒の泡盛とともに。

令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:沖縄県那覇市
企画:ONESTORY
協力:沖縄県調理師会、角萬漆器、ノボテル沖縄那覇

沖縄と奄美大島を舞台にしたガストロノミーイベント。ただ通り過ぎるだけでは知り得ない島の本質を伝える試み。

トップシェフの監修のもと、地元ホテルと料理人がゲストを迎える。

年間平均気温約23度、エメラルドグリーンの海に囲まれた沖縄。そして豊かな自然に囲まれた世界自然遺産の奄美大島。どちらも日本を代表する観光地であることは、疑いようもありません。そしてあまりに素晴らしい環境に満足し、私たちはときどき、ただのんびりと過ごすことで、その旅を謳歌します。

もちろんそれは旅のひとつの形でしょう。しかし沖縄、奄美には、それだけではない素晴らしさが眠っています。独特の文化があり、伝統があり、植生があり、食べ物があります。ただ「遊ぶ」だけでは知り得ない本当の島。学び、感じ、体験することで初めてわかる本当の魅力。

この度、そんな島の魅力を伝えるための、3つのガストロノミーイベントが行われました。観光庁による「高付加価値なインバウンド観光地づくりモデル観光地」に選ばれる沖縄・奄美エリア。島の潜在的な価値をいっそう高め、広めるため、トップシェフの監修のもと、現地のホテルや料理人が一丸となり、より深く、より進化した今の味を伝えるイベントが開催されたのです。参加者たちは食を通して、ただ通り過ぎるだけでは知り得ないリアルな島を体感しました。今回は旅行関係者などを招いた実証試験の形でしたが、そう遠くないうちに皆様に体験いただけるものとなるでしょう。

では3つのイベントがどのようなものだったのか、内容を振り返ってみましょう。

先人のアバンギャルドに対し、自分たちは、今、何ができるか。

「一歩一景と称されるほど、美しい風景も然り、栗林大茶会を振り返ると、自分は、スタッフやお客様の顔の風景が心に浮かびます。これも自分にとって大事な一景」と話す、茶の湯監修を務めた茶人・武井宗道氏。

NEW STYLE of TEA PARTY固定化されてしまった茶の湯の世界への疑問。

「良い道具、良いお点前……、良い茶会とは何か……。近年になればなるほど、価値観は固定され、語弊を恐れずに言えば、現代のお茶の世界に限界を感じていました」。

そう話すのは、「栗林大茶会」にて、茶の湯監修を務めた茶人・武井宗道氏です。

「栗林大茶会の大きな特徴は、ふたつあると思います。まずひとつは、特別名勝・栗林公園(以下、栗林公園)という壮大な舞台で行われるということ。もうひとつは、異業種で構成されているということ」。

今回、掲げたテーマは、守破離。参画した監修者は、武井氏のほか、和菓子監修には「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏、飲料監修にはバーテンダーの南雲主于三氏、空間設計監修には、建築家の永山祐子氏を迎えます。一見、接点がないように見えますが、全員に共通していることは「一流」であるということ。多彩な感性の共鳴は、むしろ同業で構成されるチーム以上の成果を発揮することは言うまでもありません。

「今までにない茶会ができると思いました。お茶の侘び寂び、精神性と向き合う時、いつも400年前はどうだったんだろうと、必ず振り返ります。当時、茶の湯は最先端であり、そこで様々な情報が交わされていました。つまり、茶会から革新が生まれていたのです」。

小さな空間から生まれたそれらは、大きな時代の波をも凌駕する、カウンターカルチャーと形容するに相応しい情報基地であり、文化の交差点。

「茶の湯は、職人さんが作った道具とそれを使う亭主の関係で成り立ちます。監修者の皆は、それぞれの業種において、作り手であり使い手であったことが好相性だったと思います。良い作り手は、オーダーを超えるものを作りますから。そして、想像を超えるものができた時、想像を超える使い方をするのが茶の湯の文化。栗林大茶会では、それが毎日進化していったと思います」。

「良い茶道具を持つよりも、茶道具の使い方を研究したい。自分の体と道具を一体化させ、風景となるのが理想」と話す通り、流れるような所作は、「栗林公園」の一景に溶け込む。

NEW STYLE of TEA PARTY何となく良い茶会だった。それが理想的な茶会。

「栗林大茶会」の世界は、その名の通り、壮大な茶会となりました。「栗林公園」という約23万坪の敷地面積も然り、永山氏監修のもと点在した空間は、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬が手がけました。松の木を横倒し屋根に見立てた「臥松庵」、巨大な純白の掛け軸が特徴の「露庵」、池に浮かぶ「泳月庵」は、風景の中にまた風景を形成し、特異ですが、自然に馴染む一景を創り上げました。

そこに南雲氏のカクテルや加藤氏の和菓子が加わり、味や香りが体験に奥行きを与えます。

また、前述の監修者以外に武井氏が招集したのが、日本らしいwell-beingをwelll-downと捉え、探求しているアートコレクティブ「Ochill」と芸術として工芸作品を扱う「B-OWND(ビーオウンド)」でした。

武井氏は、三井氏が手がけた「臥松庵」でも亭主を務め、薄茶を供しましたが、その空間とともに稀有な体験を引き立てたのが、「B-OWND」の器でした。強烈に強い主張を放つそれらは、ある種、薄茶と合わせることでバランスが取られ、ゲストも興味津々、興奮状態。

「B-OWNDはギャラリーでも骨董屋でもありません。派手な作品が多いですが、経験に裏打ちされた技術によって創作された器は、全て素晴らしい。お茶の世界では、社会的な地位と名誉だけでは満足できず、現代との比較ではなく、歴史上の人物と比較してしまう傾向にあります。ゆえに、先人たちが持っていたものを手に入れたい欲求が芽生え、道具屋も人を選んでそれを売る。しかし、B-OWNDは、既存で価値化されているものを収集するのではなく、現代における新しい価値を作り、広げようとしています。実際のお客様もお茶の世界にはいない人たちが多いですが、茶道具としても面白い。千利休の時代も、朝鮮から持ってきた何でもないものに価値を付けました。既に誰かが良いと判断したものに目を向けるだけでなく、まだ光が当たっていないものに価値を見出す審美眼が大事だと思っております」。

「いつの時代もイノベーションを起こした人たちは、芸術性も高い」とは、「ファロ」加藤氏の言葉。「栗林大茶会」には、そんなエッセンスとメッセージが多分に込められていました。

また、「日暮亭」にて行われた「Ochill」の体験も驚愕。それは吸うお茶です。

「吸うと言っても、液体を吸うわけではありません。お茶の煙を吸う茶会になります。液体を体に取り入れるわけではないのですが、飲んだ時と同じような満足度は、なんとも言えない不思議な感覚。Ochillは、コンセプチュアルな表現が目立ちますが、地に足ついた物事の捉え方をしており、そのプレゼンテーションも圧巻。彼らの研究は、新しい茶の湯の可能性を見出したと思います」。

お茶はもちろん、カクテル、和菓子、建築、器……。全てに作り手がおり、それまでに費やした長い月日があります。様々が交錯する無限の方程式で組み合わさったかたちが「栗林大茶会」なのです。

「栗林大茶会の構想を練る時、かつて豊臣秀吉と千利休が開いた北野大茶湯を想像しました。茶碗を持って来さえすれば誰でもが参加できた茶会でしたが、そのような自由な楽しみを感じていただければと思いました。当時、抹茶は高級品だったため、手に入らない人は、焦がし(小麦粉を炒ったもの)を用いて茶会を開いていました。そうした背景を見ると、抹茶だけにこだわる必要すらないのかもしれません。いつの時代にも、答えは過去にあるのだと思います」。

改めて、「栗林大茶会」を振り返ると、どんな茶会だったのでしょうか。

「良い茶会は、良い道具を使えば成り立つわけではないと思っております。それよりも、良い使い手にならなければいけません。それは道具と体を一体化させることにあると思います。そうすることによって全てが風景になります。道具や掛け軸、お茶やお菓子などの詳細が記憶に残ってしまうようであれば、それは亭主として一体化できなかったということ。全てを忘れてしまうほど、楽しんでもらえるような茶会こそ、理想的。栗林大茶会も、何となく良い茶会だったと思ってくれたら、この上なく嬉しく思います」。

上記写真含め、「臥松庵」で使用された器や茶道具の主は、「B-OWND」のもの。斬新なデザインは、まるでアート。

「日暮亭」にて行われた「Ochill」の吸うお茶の仕組みは、このように行われる。活字では言い表せない不思議な体験。

炭の熱によってお茶の中を煙を通り、それを吸う。まるで科学のような新たな茶の湯の体験。

NEW STYLE of TEA PARTY茶人は無能であれ。大切にしたかったことはフレーム作り。

「今回、茶の湯監修として携わらせていただきましたが、自分の茶会にはしたくありませんでした」。

そこで大切にしたかったことがフレーム作り。

「何が起こるか、わからないのが茶会。ましてや、大所帯から成る栗林大茶会においては、臨機応変に対応できるかどうかも非常に重要なポイントでした。そんな時、フレームが崩れないようにするのが自分の仕事。これは規模の大小に関わらず、自分が大切にしていることです」。

武井氏の言う、フレーム作りとは何か? そこには、歴史を遡り、考察した、深い想いが込められていました。

「昔の茶室は、いわゆる田舎屋。大工さんに全てをお願いしたいけれど、お金がなかったので、フレームまでしか頼めず、農民たちは、自分たちで土壁を作っていました。だから、土壁にはその土地の個性がありました。今回の考え方も同じです。栗林大茶会に関わっていただいた香川の方々が壁を作ってくれたことで、命が吹き込まれたと思っています」。

言わば、フレームは線であり、壁は面。存在の大きな面を地元に委ねることによって、「自分の存在を感じないことが一番」と言葉を続けます。

「以前、千利休の茶の湯を知るべく、多くの茶書を読み調べしたのですが、最も刺激を受けたものが山上宗二記でした。その中に、“茶の湯者は無能であれ”という言葉があります。人間はどこまでいっても無能であり、初心であるにも関わらず、自身を有能だと勘違いし、何かを悟ったなどと思うことは、とても嘆かわしいこと。お茶ができることと、何も知らない人の差など、人生においては無いと言って良いでしょう。むしろ、何も知らないでいることを尊ばねば、その先はないとも思うのです。栗林大茶会に携わっていただいた方々は、分野の違いが互いを引き立て合い、利己主義ではなく利他主義の世界を無意識に作り上げていました。それが心地良かったです。お茶は流儀ではなく、心」。

「栗林大茶会」の次なる目標は、「百歩百景」と武井氏。

「栗林公園を称する言葉、一歩一景になぞるならば、栗林大茶会を進化させ、百歩百景の大茶会を目指したい。そして、今後、栗林大茶会が文化になるのならば、今回がその一歩から生まれた一景」。

先人たちのアバンギャルドな茶会に対し、「栗林大茶会」はそれに近づけたのか。はたまた、100年後から見た栗林大茶会は、アバンギャルドだったと思われるのだろうか。

武井氏の言葉を振り返る。「いつの時代にも、答えは過去にある」。

「栗林大茶会」もまた、いつの日か誰かの答えを見出させる過去になれることを願う。

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

環境問題とも向き合った、和菓子のコンテクスト。

自身の作るお菓子に合わせてドリンクを選んでもらう側から、今回はお茶に合わせて和菓子を作る側へ。「ソムリエのような気持ちで和菓子作りをしました」と話す、和菓子の監修を務めた「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏。

NEW STYLE of TEA PARTYなぜ私? そんな疑問から始まった「栗林大茶会」。

「実は、数年前から和菓子に対して非常に興味を持ちはじめ、色々、個人的に研究していました。とはいえ、公に活動していたわけではありませんし、私自身は洋菓子。なぜ私?という疑問から、栗林大茶会は始まりました」。

そう話すのは、和菓子の監修を務めた「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏です。イタリアでの生活も長かったこともあり、和菓子を食べる習慣もほぼなくこれまでを過ごしてきた加藤氏は、まずリサーチから始めます。

「まず、人に会い、店に足を運び、文献を読み、その上でコンテクストを構築していこうと思いました。様々得た情報の中で、作り手からの目線で感じたことは、洋菓子よりも和菓子の制作工程がはるかに多いということ。貴重な素材が使われているものもありましたが、それが数百円で販売されていたり……。外国の友人にも和菓子を食べる頻度を伺いましたが、来日しても、ほとんど食べないという意見もありました。それを受け、自分なりに思ったことは、海外だと、豆はお肉の付け合わせや煮込み料理に使用されることが多く、味付けも塩胡椒やオリーブオイルなどがほとんど。甘い豆を食べる文化がありません。最初から最後まで一定な味ということにも、少し単調な印象があるのかもしれません」。

今回、参画した和菓子屋は、「日和制作所」、「三友堂」、夢菓房たから」、「御菓子司 寳月堂」、「瀬戸内パウダーラボ」の5店。

「今回は、栗林大茶会という、ちょっと遊び心のある試み。そこで、皆さんには、まず何をやりたいかを伺いました。私は、そこにほんの一手間を加えるという手順で進めていきました」。

全てにおいて共通していることは、ゼロからの開発をするわけではないこと。なぜなら、「続かないものや再現できないものを作っても意味がないから」。

加藤氏は、「栗林大茶会」が終わった後も、そのレシピを各店のものにしたかったのです。

「今後もお店としても展開できるもの作りをしたかった。私は、そっと門を叩いて、そっと門を出るだけ。ただ、出た後に何かを残したかった」。

「露庵」では、「夢菓房 たから」と共に、練り切りを提供。生地にはライムの皮、中の白餡は檜チップと共に炊き、香りを纏わせ、ラズベリーのパウダーで色付け。ほうじ茶とも好相性。

「泳月庵」では、「寳月堂」と共に、生落雁(サワーチェリーのピューレ)、琥珀糖(金木犀、エルダーフラワーシロップ)を、「瀬戸内パウダーラボ」と共においり(レモン果汁パウダー)の吹き寄せを提供。船上からの景色を楽しみながら、つまんで食べられる和菓子をイメージして吹寄にまとめた。

NEW STYLE of TEA PARTY合わせられる側から、合わせる側へ。

これは、加藤氏が「栗林大茶会」における、自身の仕事を表現した言葉です。

「いつもは、私のお菓子に対して、ソムリエがペアリングしてくれます。つまり、合わせられる側にいるのです。ですが、今回の主は、あくまでも茶会。お茶に合わせてお菓子を作りました」。

そこでひとつキーワードとなったのが香りです。和菓子の世界では、香りはお茶の妨げになることがあるため、あまり採用されませんが、バラ、ライム、ラズベリーなどを利かせたそれらは、和菓子の「和」の比重と「菓子」の比重を程良いバランスに整合。また、臭覚の香りではなく、味覚の香りの構築は、加藤氏ならではと言ってよいでしょう。ゆえに、お茶を濁さず、香りを楽しめる茶会の一助となりました。

「和菓子は非常に文化的で、厳格な世界だと思っております。ですが、世界的に見て考えた時、もう少し多様性があっても良いのではないかと考えました。例えば、お茶だけでなく、珈琲やカクテルと合わせる和菓子があっても良いのではと」。

型を崩さず、味の広がりを表現できたのは、前述の5店の確固たる基盤があったからこそ。例えば、和三盆糖のお干菓子には、ほんの一滴、オーブオイルを垂らし、「通常ではお干菓子と合わせない濃茶とのペアリングだったため、全てグリーンノートで合わせたら、爽やかな森になるんじゃないかなと」。

味覚の風景から想像するアイディアは、加藤氏の類稀なる感性によるものであり、これもまた一景。味の記憶は皿の上に留まりますが、香りの記憶は風景として残るでしょう。

「願わくば、お客様の人生の中で、その一景を覚えていてほしい」。

「日暮亭」では、「三友堂」と共に、「錦玉羹」を提供。味にはアールグレイを効かせ、ローズウォーターと赤紫蘇のマイクロハーブを添えて。糖分を抑えたのも特徴。

「掬月亭」では、「日和制作所」と共に、和三盆糖のお干菓子を提供。その場で型抜きした出来立ては、鮮度を感じる食感。オリーブの葉、ライムの皮を効かせ、食べる直前に香川「オキオリーブオイル」を垂らし、提供。

「臥松庵」 では、「夢菓房 たから」と共に、ごま餅を提供。お餅は香川県の庵治石をイメージし、黒ゴマを含ませ、白餡には香川県オリジナル品種 温州みかん 小原紅早生のピールを使用。

NEW STYLE of TEA PARTY和菓子を通して対峙する、日本の環境問題。

今回、印象的だった和菓子の香りに、ヒノキがあります。これは、「栗林大茶会」だけでなく、「Ritsurin Chaji」にも採用された技法です。日本の伝統的な香りでもあり、和菓子との好相性も理由のひとつですが、実は、より深い想いが込められているのです。

「昨今、様々な環境問題がありますが、中でも放置林に注視しています。主には人工林のため、人間の問題です。木造建築からコンクリート建築になる時代背景などもあるとは思いますが、植生が荒れることによって、温暖化にも繋がり、生態系が崩れる恐れもあります。雨や台風時の災害リスクも大きくなりますし、大きな危機を迎えていると感じています」。

育てる時代から、整える時代へ向かわねばならない一方、国有林や保護区などになると、容易に伐採もできないため、一筋縄にはいきません。加藤氏は、ヒノキの香りを取り入れることによって、その問題を皆で対峙したいと考えたのです。

「木は偉大な生き物。木のセカンドライフとして、尊厳ある関わり方をシェフとして、人として、行いたいと思いました。お茶も自然も含め、日本の資産は素晴らしい。その魅力を伝えることは、私たち日本人のためにもなります。今回のように、イノベーションマインドを持っている人たちと地域の人たちが交わり、ほんの少しクールに魅せてあげるだけで、グローバル化された世界の中でも際立った表現もできることがわかりました」。

その輪を拡張し、強固にするためには、地方自治体、県、さらには国による関係構築も必須なのかもしれません。

「3年後、10年後、50年後の世界ではなく、私が死を迎えたあとのことまで考えたい。和菓子には、日本人が尊いと思う全てが込められていると思うから」。

「栗林大茶会」の前に開催された「Ritsurin Chaji」の和菓子も加藤氏が担う。「夢菓房 たから」と共に「露庵」で提供した練り切りを用意。(撮影:MIKUTO TANAKA)

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

茶人ではないから成せた守破離。

「栗林大茶会を通して、お茶の幅を持たせたかった。カフェインの量や液体の量のバランス、和菓子との相性、そして建築や風景と共に過ごす体験を含め、総合的な満足度をどう高められるかを熟考しました」と、飲料監修を務めたバーテンダー、南雲主于三氏。

NEW STYLE of TEA PARTY異業種が交錯することによって生まれたお茶の可能性。

特別名勝「栗林公園」(以下、栗林公園)にて行われた「栗林大茶会」には、4人のキーパーソンが存在します。そのひとりが、飲料監修を務めたバーテンダー、南雲主于三氏です。

「茶の湯監修、和菓子監修、空間監修と建築チーム……。栗林大茶会の特徴のひとつとして挙げられるのは、地元の方々との関わりを基本に、県外からの異業種が混在していることだと思います。どんな空間ができあがり、それをどの順番で巡回し、どんなお菓子が供されるのか。構成されるピースが多いため、各所と緻密に確認しながら構成していきました」。

南雲氏をはじめ、皆が表現したかったのは、お茶の新しい価値化。目指すテーマは、守破離。

「まず、伝統的なものを守ること。そして、型を崩さず、それを破ること。さらに、そこから離れ、独自の世界を確立すること。僕は、茶人でありません。しかし、これまでもお茶の可能性を追求すべく、カクテルをはじめとした様々な新しい挑戦をしてきました。その見地が今回は活かせたと思います。そして、異業種が交わることで、自分も想像しなかったような体験を生み出すことができたと思いました」。

想像しなかったような体験として挙げられるのは、空間と器の存在が大きかったでしょう。空間設計の監修には、世界を舞台に活躍する永山祐子氏を迎え、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気(以下、VUILD)、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬(以下、KASA)が参画。3つの世界を創造しました。

「臥松庵」と名付けられた三井氏の設計は、横倒しされた一本の松が屋根に見立てられた野点。亭主は、茶の湯監修を務める武家茶道・武井宗道氏が担い、薄茶を供しますが、その器は、もはやアートと呼ぶに相応しい「B-OWND(ビーオウンド)」の工芸作品。一見奇抜のように見えますが、不自然と自然が絶妙な世界を形成し、南雲氏が言う、想像もしなかった世界の好例と言えるでしょう。

「三井さんの臥松庵、KASAの露庵、VUILDの泳月庵。全てに共通するのは、この広大な敷地面積の中から、たった1点の場所を見つける着眼点の凄さ。自分の役目は、場が生まれたことによって、そこで何を飲んだら心地良いか。自分が作りたいものではなく、空間と風景と器が合わさった時、どんなものを供したら全てのバランスが整うのかを考えました」。

ここまでは、守破離の破と離。しかし、これらの体験が生きるのは、地元の老舗料亭「二蝶」代表・山本亘氏の「守」があってこそ。「山本さんが亭主を務める掬月亭がなければ何も成立しません」と南雲氏も話します。

とはいえ、山本氏の見立てにおいても古典だけではありません。中でも、イサム・ノグチがデザインした和紙の装飾や流政之の器の起用は、香川が持つ高い芸術性を漂わせ、モダンなエッセンスも加味されていました。

「お茶は最先端の文化。ただ嗜むだけでなく、歴史や文化、さらには、芸術やセンスも必要だと思います。栗林大茶会では、そこまで難しいことはしませんでしたが、そういった知見を学ぶことによって、より高度なコミュニケーションが取れると思います」。

「栗林大茶会」に供したドリンクは、日本全国より、原材料を厳選。三井嶺氏が手がけた「臥松庵」では、京都「出島園」のさみどり 麗、さみどり葵とさみどり奏をブレンドした薄茶を用意。

KASAが手がけた「露庵」では、福岡「星野製茶園」の伝統本玉露 ほしの秘園、ほうじ茶 香駿、「中国茶専門店GUDDI」の 極品桂花茶を用意。

VUILDが手がけた「泳月庵」では、阿波晩茶、香川「川鶴酒造」のさぬきオリーブ酵母仕込みの純米生原酒のカクテルと地元のバーテンダーが3日かけて作り上げた阿波晩茶のモクテルを用意。

「Ochill」が亭主を務めた「日暮亭」では、深煎りのほうじ茶を漬け込んだポートワインを用意。ポートワインを口に含んでの茶香は、心地良い苦みを纏わせ、より深い上質な味わいへと誘う。

「二蝶」代表・山本亘氏が亭主を務めた「掬月亭」では、斬新な見立てでゲストを魅了。流政之の器やイサム・ノグチの装飾など、香川にゆかりのあるものから、気鋭の作家、桑田卓郎の器まで、貴重な作品が続々と登場。

NEW STYLE of TEA PARTY完全じゃないから面白い。不完全の美学。

「栗林大茶会は、過去と未来をつなぐものだと考えています」。

昔と比べ、これほどまでに世界が変わった現代において、もし、当時の茶人がお茶を表現したらどんな世界を作り上げるのか……。もしかしたら、もっと最先端の技術を取り入れるのか……。と、南雲氏はそんなことを想像しているのです。

「今回、建築や器、カクテルなどの視点からお茶の新しい価値化を目指しましたが、例えば、音楽や映像などを取り入れても面白いかもしれません。さらには、VRも。現実と非現実を交錯させることもできますし、テクノロジーの進化によって、過去と現在の世界をつなぐこともできるかもしれません。そんな時に、どんなドリンクを提供できるのか!? 想像しただけでもワクワクします」。

一歩一景とは、「栗林公園」を表現する言葉。一歩歩くごとに、その風景が様変わりすることを意味しますが、南雲氏が表現したい風景は、歩くだけでは見ることのできない風景。見える景色もあれば、見えない景色もまたあり。

「自分は、味覚で風景を作りたかった」と南雲氏。

今回、それは成せたのか? 完璧を求めればまだまだできることがあったに違いありませんが、不完全の美こそ、「栗林大茶会」なのかもしれません。それはなぜか。かのイサム・ノグチが残した言葉に「栗林大茶会」を見出したいと思います。

「完璧じゃないから面白い」。

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

儚く消えてなくなった、3つの風景の記録。

三井嶺氏が手がけた「臥松庵」。一見、シンプルな設計に見えるも、若松を横に倒して屋根に見立てるなど、大胆な発想も取り入れる。

NEW STYLE of TEA PARTY建築家・永山祐子が招集した、新進気鋭の3チーム。

「栗林大茶会」は、5つの空間から構成されました。ふたつは、既存の掬月亭と日暮亭から成り、残り3つは、新たに創造された空間。監修には、建築家の永山祐子氏を迎え、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気氏、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ氏+佐藤敬氏がそれぞれを手がけます。

「個性やアプローチが全く違う3チーム。このメンバーならば、特別名勝・栗林公園(以下、栗林公園)の自然と文化を尊重し、空間を設計できると思いました。それぞれがどのようにこの壮大な環境と共鳴するのか、私自身も楽しみでした」。

そう永山氏が話す通り、場所選びも空間設計も、三者三様、全く異なるアプローチ。突如現れた3つの空間は、栗林公園に新たな一景を生み、心地良い時間を育んでいました。

コヴァレヴァ・アレクサンドラ氏と佐藤敬氏から成るユニット、KASAが手がけた「露庵」では、自然の樹々に包まれるような場所選びが妙。「そこに既に空間があり、ほんの少し建築的な操作を加えただけ」とふたり。

NEW STYLE of TEA PARTY景色だけでなく、生態系と一体化した三井嶺の建築野点席。

「栗林公園は、園内全てが見どころ。場所を選定するのが難しかったです」と、「臥松庵」を手がけた三井嶺氏は話します。選んだ場所は、西湖の湖畔でした。

「ここは、道が細く、地には根がはびこり、足元の悪さもあって、自然と歩みがゆっくりとなる落ち着いた環境。その時間の流れ方が、露地の奥にある茶室へと歩を進めていくときと似ているという印象を抱きました。場所が決まれば、あとは囲いさえあれば大丈夫。風景に溶け込むような、そして、茶の湯を楽しむお客様の意識に溶け込むような設えがあれば十分で、建築の存在は不要だと考え、景色に溶け込むように木を一本だけ使って野点の空間を作ることにしました。木は公園にたくさんある。ゆえに、映えない」。

その言葉に反した「映える」空間の覆いには、若松を採用。最初は生け花のように立てられて風景に溶け込んでいた若松が、茶席の始まりのタイミングでダイナミックに横倒しにされることで、茶にふさわしい木陰の空間を構築します。

松は、寿命が500年〜1000年と言われています。本来であれば、もっと長く生きられた植物を大地から切り離し、人間が空間を作ることに意義はあるのか。「臥松庵」には、命と向き合うメッセージも強く感じました。

「物事には必ず際(きわ)があり、それは自分自身が表現するテーマでもあります。生の際、死の際、朽ちる際、枯れる際……。そこと向き合いたい」。

「栗林大茶会」の開催期間は、8日間。その間、若松は、日毎、老いていきます。そして、その老いに比例し、風景に変化が生まれました。若松が止まり木となり、野鳥が羽を休める場になったのです。

それは、松の命をいただき、人間(=三井氏)が空間を作ることに意義があったのか、という問いに対し、「栗林公園」に住まう住人が答えを見出してくれたかのようでした。

「栗林公園」の生命体と一体化した「臥松庵」は、この瞬間、本当の意味で、風景になれたのかもしれません。

横から見た「臥松庵」。床、柱、若松というミニマルな設計ながら、茶の湯の世界が見事に形成されているのは、三井氏自身も茶を嗜む経験値が高いゆえ。

屋根となる若松は、立った状態から、柱のハンドルを回すことによって横に倒れる仕組み。このプロセスも含め、「臥松庵」の世界は完成する。

NEW STYLE of TEA PARTY歩まずとも、湖上から生んだ一景に想いを馳せる。

場という視点では、「栗林公園」の一歩一景の概念から逸脱したのがVUILD/秋吉浩気氏です。

「陸の景色だけでなく、水辺からの景色も美しいのが栗林公園の特徴だと思っています。実際、南湖には和船も出ており、古地図を調べると昔は北湖にも屋根付きの船が周遊し、現代における商工奨励館の方から殿様が掬月亭に向かったという文献も残されています。その風景を再現したかった」。

選んだ地、もとい水辺は、北湖。金属製のフレームや透明の床から成る「泳月庵」は、自然素材でないため、一見、異質になるかと思いきや、風景に馴染む。それは、デザイン設計の妙かもしれません。

「かつては、高松松平家の歴代藩主も楽しまれており、その厳格な世界は一番大切にしたいと思いました」。

しかし、「泳月庵」は、これが完成形ではありませんでした。

「本来は船として周遊したかったのですが、様々な事情があり、断念せざるを得ませんでした。いつかまた、船からの一景を作りたいと思います。そして、月明かりの下、湖上に映り込んだ月を愛でながら、夜茶会にも挑戦してみたいです」。

VUILD/秋吉浩気氏が手がけた、北湖に浮かぶ「泳月庵」。遠くから見れば見るほど、一番風景に馴染んでいた建築空間。

水上から見る景色をゆっくりと愛でながらお茶に興ずるゲスト。

NEW STYLE of TEA PARTY内外をつなぎ、時をゆらぐ、一筆書きの風景。

「栗林公園は、松の奥には紫雲山を抱え、景色に高低差があり、広大な敷地ですが、歩く度にその風景を変え、とても豊かな体験を生み出しています。いくつもの風景が響き合い、例えば木々が暗がりをつくり、そこに流れる水に奥の真っ赤な橋が反射して、そこにやわらかな光が落ちる。ハッとするような風景が現象のように立ち現れては消え、とても美しい」と、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ氏。

「栗林公園を車で目指した時、既に街から紫雲山が見えるのですが、そこから見る山の雰囲気と園内からのものとで印象が驚くほど違う。つまり、同じものでも関係の持ち方次第で、見え方が変わるのだと感じました。そんな体験から、シークエンスな体験空間を作れないかと考えました」とKASA/佐藤敬氏。

KASAが選んだ場所は、「皐月亭」の裏手。何の変哲もない場所ですが、特に人通りが多いのが特徴。「来園者が普段気に留めないような場所」とふたり。しかし、目の前にはコヴァレヴァ氏が美しいと語った水辺があり、佐藤氏が語ったシークエンスな場でもある。ふたりにとっては好条件でした。

「露庵」と名付けられた空間は、横に伸びた白い床に、縦に伸びた白い布。白い布は、まるで巨大な掛け軸のようですが、共にキャンバスのような許容も感じます。ゲストの前にはサヌカイトの黒石をテーブルに見立て、凛とした空気を漂わせます。

「サヌカイトは、表裏でテクスチャーが違っていたり、切断面が緩やかなものや荒々しいものなど、様々なものを配しました」と佐藤氏。白い床も手伝い、墨が宙に浮いているような印象を抱きますが、実は一筆書きのように配置。「例えば、止めのところは曲線が綺麗なものを、線のところは真っ直ぐなものを、最後の払いは荒々しいものをなど、置く場所の順番も緻密に計算しています」と言葉を続けます。

「ここは何の変哲もない場所ですが、大きなムクロジの木があったところも惹かれたところです。それが自然の屋根を作り上げ、垂れた枝葉を潜るように入ることによって、にじり口の役割も果たしてくれます。既に空間があったところに、私たちが少しだけ建築的な操作を加えただけ」とコヴァレヴァ氏。

風が吹けば、縦に伸びた白が揺らぎ、晴れた日には、縦横の白に木漏れ日を映す。陽の傾きで、水辺に空間が映り込み、立体的な風景となる。それはまるで、ここだけに流れる時間が存在するかのようだ。

「自分たちの力だけでなく、自然の力も借りて新たな風景を作りたかった」とふたり。

改めて、この立地のことを思い出したい。

ここは、何の変哲もない場所ですが、特に人通りが多いのが特徴だ。

「露庵」の誕生後、「来園者が普段気に留めないような場所」が「来園者が最も気に留めるような場所」になったことは言うまでもない。

水辺に映る「露庵」の風景も美しい。白と黒の世界は、日本的で凛とした空気を醸し出す。

テーブルには、讃岐地方の石「サヌカイト」を平井石産より拝借。白に配されたそれらは、まるで墨のような役割も担い、書を彷彿とさせる。

NEW STYLE of TEA PARTY続けることによって文化になる。次の準備はできている。

「香川の皆様や栗林公園の皆様のおかげで、栗林大茶会は、多くの反響を得ることができたと思います。しかし、これを1回だけで終わらせたくありません。続けることによって文化は生まれ、地に根付くと思うからです。建築的な視点で考えると、今回の3つの空間をアーカイブし、それ以外に、毎年、空間=一景を増やしていければ、より壮大な大茶会を創造できると思います」と永山氏。

「栗林大茶会」は、期間限定ゆえ、「臥松庵」も泳月庵」も「露庵」も、今、その姿はありません。有り続ける景色も一景ですが、無くなる景色もまた一景。儚く消えてなくなった、3つの風景は、参加者だけでなく、通りすがりの来園者でさえ、その記憶に深く刻まれたに違いありません。

次の準備はできている。

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

[後編]大阪から世界へ。大阪府成長戦略アンバサダーを担うアメリカ人。

「OSAKA FOOD LABやWORLD FOOD MARKETを通して、大阪から世界へ、日本の食や食文化の魅力と奥深さを発信したい」と話す、フードジャーナリスト、マット・グールディング氏。

MATT GOULDING

日本の食文化が世界から注目されていることを自覚するために。

2018年、日本初のフードビジネスインキュベーター「OSAKA FOOD LAB」が誕生。食でチャレンジする人を支援する実験場のようなそこは、プロ仕様のキッチンも完備し、「やってみなはれ」の精神が根付く関西で、食に関わる人が活躍するための仕組み作りを行なっています。

主催は「阪急電鉄」、企画・運営は「Office musubi」が担います。そんな「OSAKA FOOD LAB」を代表するシリーズが今回の舞台、「WORLD FOOD MARKET」です。前編、日本の食文化に対し、熱く語ってくれたフードジャーナリスト、マット・グールディング氏が来日した目的はこれに参加するためでした。

しかし、なぜマット氏が大阪?と思う人は多いはず。実は、マット氏は、大阪府成長戦略アンバサダーでもあるのです。

しかし、なぜマット氏が大阪府成長戦略アンバサダー?と思う人はもっと多いはず。それを引き合わせた人物は、「Office musubi」の代表を務める鈴木裕子さんです。

そして、「OSAKA FOOD LAB」においては、スペシャルパートナーとして参画し、大阪梅田が国際交流拠点となることを、ともに目指しています。

「今、日本の食や食文化は世界から最も注目を集めています。一方、大阪はその自覚がまだ弱いと感じています。OSAKA FOOD LAB という場やWORLD FOOD MARKETというイベントを通して、それらを発信し、シェフをはじめ、ご参加していただく方々にも、その価値を再認識いただければと思っております」と鈴木さん。

「WORLD FOOD MARKET」は、あるひとつの国や地域をフォーカスし、その土地の食と食文化を表現するフードイベント。2022年はアフリカ、2023年はスペイン、そして、2024年はインドと、過去3回開催されています。

前編同様、一貫した言葉からマット氏は、「WORLD FOOD MARKET」を読み解いていきます。

「Food is never just food」。食は食だけにあらず。

強い信頼関係を結ぶマット氏と「OSAKA FOOD LAB」の運営を担う鈴木裕子さん。

「OSAKA FOOD LAB」の空間は、設備が整うも、主役は人。ここから国内外より様々なクリエイターが集い、刺激や交流が生まれ、夢を叶えるステージになることを目指す。

第3回を迎えた「WORLD FOOD MARKET」のテーマは、インド。「日式インド〜日本人ならではのスパイス使い〜」と題したトークショーでは、ムンバイでコラボレーションイベントを終えたばかりの「cenci」坂本健氏(左)も参加。

MATT GOULDING


インキュベーターという言葉がもたらす意義。

「OSAKA FOOD LAB」は、冒頭のように日本初のフードビジネスインキュベーターと謳われています。マット氏は、このインキュベーターという言葉を重要視します。

「レストランを開業することは簡単なことではありません。どんなに実力やモチベーションがあったとしても、資金や場所など、様々な問題から時間もかかるでしょう。OSAKA FOOD LABは、夢を目指すシェフにチャンスを与えています。インキュベーターとは、主にビジネスに起用されますが、ここは、その意味を更に超えた展開を生み出しています」。

前編において、マット氏は、「細部に魂が宿る」職人性が日本の文化の魅力と話しています。しかし、この職人性は良い面だけでなく、悪い面もあると考え、前者はマット氏の言う通り。後者は、良い職人が必ずしも良い経営者ではないということでしょう。当然、レストランもまたビジネス。

極端な例かもしれませんが、「noma kyoto」は、コペンハーゲンから大所帯で来日。約2ヶ月滞在し、ビジネス化できるレストランが日本にあるのか考えると、言葉に詰まります。

スペインをテーマにした際の「WORLD FOOD MARKET」では、バルセロナで人気の「Bar Brutal」や「Cooking in Motion」も来日。世界との目線合わせができることも「WORLD FOOD MARKET」の特徴と言えるでしょう。

Food is never just food同様、OSAKA FOOD LAB is never just food。

「OSAKA FOOD LABもまた、食だけにあらず。食は、政治、経済、地域社会と密接に関わっています。場を通して、新たなコミュニティは生まれ、アイディアを交換し、文化は生まれる。それはまるで、種を蒔き、水をあげ、木が育ち、森林ができ、生態系が生まれるような」。

第2回「WORLD FOOD MARKET」では、バルセロナで人気を博す、ナチュラルワイン界の名店「Bar Brutal」(右)や「エル・ブジ」や「チケッツ」出身の「Cooking in Motion」(左)も参画。

マット氏は、第2回「WORLD FOOD MARKET」より参画。海外との交流や発信に寄与する。

これまで「OSAKA FOOD LAB」では、開業を目指す人々へ育成プログラムを提供し、そこからの卒業生も多数。「OSAKA FOOD LABを通して、お客様の声を拾ったり、販売方法の検証を行った」、「調理・オペレーションの経験を積めた」など、生の声も次の世代に活きる。現在はチャレンジ支援として、イベントの企画支援などを行う。

MATT GOULDING


世界の味を自国の食文化にできる、日本人の豊かな感性。

今回、インドをテーマに開催された「WORLD FOOD MARKET」では、インド人シェフによるオーセンティックなインド料理から日本人シェフやバーテンダーによる日式インド料理まで、多角的に展開。中華やイノベーティブなど、他ジャンルの視点からもインド料理を独自解釈し、インドの奥深い魅力を紐解きます。

マット氏は、それらを食べ比べすることによって、海外にはない日本独自の感性を再認識しました。

「例えば、今回出店されたお店、レオーネは、スパイスのパンチも効いているのですが、素材一つ一つに調理が施され、しっかりとパーツの味を確認できる。お米も国産を使用し、一粒一粒が含む水分も計算され、炊き方はもちろん、ルーと合わさった時のバランスまで計算されていると思いました。つまり、現地の味をそのまま再現するのではなく、現地の体験を活かし、日本の食文化にしているのです」。

例えば、マット氏の母国、アメリカは、移民が多いため、様々な食文化が暮らしと密接です。ゆえに多国籍。しかし、日本の場合、ほぼ単一国民の文化。面積においても、200以上ある国の中、アメリカは第3位(962.8万㎢)に対し、日本は61位(38万㎢)と、約1/3。そもそもの生活基盤が異なるため、国民性も異なり、少なからず、それは食にも影響を及ぼしているでしょう。

「手先の器用さが、感性の器用さにも通じているのかもしれません。これもまた、日本独特の国民性ではないでしょうか」。

フードビジネスインキュベーターの文脈通り、ビジネスになぞるならば、「小事が大事」「凡事徹底」など、小さなことの大切さを説く言葉が多くある、日本特有の文化なのかもしれません。

小さなことをコツコツと。実直に突き詰める性格もまた、日本人の特徴。

「この能力は、日本ならではの知性と才能だと思います」。

イノベーティブレストラン「レオーネ」は、カツカレービリヤニで日式インド料理を表現。マット氏は、それを食し、「日本人シェフは、他国の食文化を日本の食文化に変換し、表現できるところが素晴らしい」と分析する。

3日間開催された「WORLD FOOD MARKET」では、老若男女、多くの人が集い、大盛況。場所においては、「阪急電鉄」の高架下を利用しているため、雨天に影響なく満喫できる。

MATT GOULDING


想像力を失ってはいけない。可能性は無限大。

「WORLD FOOD MARKET」におけるマット氏の参画には、「食の都・大阪なのに、シェフと食のプレイヤーとのつながりが弱く、海外との交流も少ないため」と、鈴木さんは、改めて、その意図を話します。

「普段出会うことのない人同士が出会う、はたまた、異業種が出会う。そんな想像を超えた出会いが新たな扉を開くと思います。WORLD FOOD MARKETは、そんな場にもしたい」とマット氏。

身近なところでは、マット氏と大阪府の出会いはその好例であり、世界基準で比べるのであれば、「noma」レネ・レゼピ氏が設立した「MAD」のような。

「WORLD FOOD MARKETに参加していると、多くのシェフたちの熱量を感じます。これまで、出店やコンテストなど、様々な形でコミュニケーションを取ってきましたが、その熱量にフォーカスした表現が何かできないか考えていきたいです」。

何かとは、ちょっとしたきっかけなのかもしれません。そのきっかけを、一滴の水にマット氏は例えます。

「水面に一滴の水を落とすと、そこから波紋が広がります。その形は、決まったものはなく、予測不能な形にどんどん輪を広げます。WORLD FOOD MARKETに必要な一滴を考え、貢献したいと思っています」。

これから、「WORLD FOOD MARKET」には、どんな波紋が生まれ、どんな輪が広がるのか。

「今、WORLD FOOD MARKETは大阪で開催されていますが、海外で開催してみたい。何か大きな物事を成したり、継続していくには、維持できる仕組みやエコシステムが必要ですが、一番大事なことは、想像力を失わないこと。可能性は無限大」。

「WORLD FOOD MARKET」が大阪から世界へ。in Paris、in New York、in Spain、in Italy……。いつか、そんな日が来るかと思うと、ワクワクが止まらない。


Text:YUICHI KURAMOCHI

[前編]レネ・レゼピが認めたOMNIVORE。マット・グールディングが日本の光を観る。

世界を旅し、食と食文化を探求し続けているフードジャーナリスト、マット・グールディング。著書も多く、近作では、「noma」のレネ・レゼピ氏によるドキュメンタリー「雑食するヒト(原題 OMNIVORE)」の製作総指揮も務める。

MATT GOULDING

「noma」レネ・レゼピ発案のドキュメンタリー「雑食するヒト」を製作総指揮。

スペイン在住のフードジャーナリスト、マット・グールディングという人物をご存知でしょうか。食に精通している方であれば、耳にしたことがあるかもしれませんが、まだその名を聞いたことがないということであれば、「noma」のレネ・レゼピ氏によるドキュメンタリー「雑食するヒト(原題 OMNIVORE)」の製作総指揮を務めた人物といえばどうでしょうか。更には、それがレネ氏直々の依頼だったといえば、それ以上の裏打ちは不要かもしれません。

マット氏は、料理に精通した本も数多く執筆し、「ニューヨーク・タイムズ」では20冊以上もベストセラーに選出。また、番組司会者として著名な故アンソニー・ボーティン氏と共に製作した番組はエミー賞も受賞。そんなマット氏をフードジャーナリストとして確立させたのは、「エル・ブジ」を取材した1本の記事でした。以降、世界のトップシェフからも厚い信頼を得ています。

日本の食・食文化をまとめた著書「米、の国から-アメリカ人が食べいてつけた大な和食文化と人たち(原題 Rice Noodle Fish)」は、「フィナンシャル・タイムズ」でベストブックに選出。世界各地で翻訳・出版もされています。製作の際は、数年かけて足繁く、日本に通い、全て自身が体験し、取材も行いました。

そんなマット氏が2024年11月某日に再来日。外国人だからこそ感じる日本とは何か、世界を旅しているからこそ感じる日本とは何か、日本人が気づかない日本とは何か……。

そんなマット氏が大事にしていること。それは、「雑食するヒト」の予告編、冒頭最初のひと言にも採用されています。

「Food is never just food」。食は食だけにあらず。


「The details matter」 日本の魅力は、これに尽きる。

「今まで何度も日本に訪れていますが、日本の魅力はこれに尽きると思っています。“The details matter”細部に魂が宿る」。

つまり、職人性。そして、「日本は掘り下げる文化に長けている」と続けます。それは、食材、技術、道具など、ひと皿になる前、関わる全てのもの、ことに「細部に魂が宿る」ということが、マット氏の見解です。

日本人にとっては、当たり前のことかもしれませんが、「欧米のシェフに限らず、食に関心のある外国人は、日本に来ると、必ずその専門性に驚愕します」。

今回、マット氏は取材される側ですが、通常は、する側。現場から得た日本ならではの傾向も見受けられるようです。それは、「ルーツ」。

米、魚の国から(略)の本を製作するにあたり、多くの日本人シェフを取材しました。例えば、なぜそのような調理の仕方をしているのですか?や、なぜシェフになったのですか?などの質問をさせていただいた際、その多くが同じ答えでした」。

それは、先代から教わったから。父親がシェフだったから。そして、「代々継ぐという文化も日本独特のものだと感じました。そういった背景もあるのかもしれません」と続けます。もちろん、そのルーツは大切なものであり、守り続けているからこそ、伝統が生まれます。加えて、そんな実直な姿勢は、日本の美徳でもあります。しかし、「世界を目指すのであれば、その先にある意志も必要」と更に補足します。

「小さな世界(レストランの中)だけであれば、それは素晴らしいことだと思っています。しかし、何か新しいことをやろうとした時や世界でプレゼンテーションする時、はたまた、海外のシェフとコミュニケーションを取る機会などが発生した場合は、全ての理由や答えに自分の意志を持っている方が良いと思いました。それは、強ければ、強いほど、良い」。

この日、現場に居合わせた京都「cenci」のオーナーシェフ、坂本健氏は、先日、自身がインドでコラボレーションイベントをしたエピソードをもとに、日本と海外の差をマット氏に話します。

「マットさんの言う通り、日本人は、専門性に長けていると自分も思います。それは、日本料理に限らず、例えば、フランス料理やイタリア料理、他国の料理であっても、勤勉に学習する能力に優れていると感じます。ゆえに、海外のレストランでも日本人は重宝される傾向にあります。しかし、自身をアピールする表現力は、外国人の方が圧倒的に長けている。加えて、聞く能力にも長けている。先日、ムンバイでコラボレーションイベントをした時も、日本の食材や調理法などに関して質問攻めされ、圧倒的な熱量を感じました。あの積極性は、日本人にはないと感じました」。

日本人は勤勉がゆえ、歯車として機能はするものの、そこから先に向かうためは、自分が何者なのかを伝えるプレゼンテーション能力も必要。聞く能力とは、言わば、好奇心。それがないと見なされてしまえば、実力があれど、舞台から引き摺り下ろされてしまうこともあるでしょう。

「海外シェフの多くは、色々な国や街の色々なレストランで経験を積んでいます。そういった背景も、コミュニケーション能力の違いにつながっているのかもしれません。以前であれば、そんなことを考えなくてよかったのかもしれませんが、海外シェフとのコラボレーションが盛んに行われる昨今の傾向を加味すると、世界の荒波を乗り切るのは、そういった性格も必要なのかもしれません。技術の高いシェフも有能ですが、好奇心のあるシェフはもっと有能」。

日本は、専門性に長けている一方、視野が狭くなることがあるのかもしれません。島国文化も手伝っているのか、その真意は定かではありませんが、言語の壁など、様々な要因による蓄積だと考えます。

「専門性と視野のバランスをほんの少し変えるだけで、日本のレストランは、もっと飛躍的に進化すると思います」とマット氏。

視野という点では、ジャーナリストとして活動するマット氏も他人事ではなく、強く意識していること。その手法は、「雑食するヒト」よろしく、「Zoom in, Zoom out」です。


「Zoom in, Zoom out」寄り引きの世界を見て、立ち位置を確認する。

マット氏の体験は、必ずしもグランメゾンやレストランだけの話ではありません。カジュアルなビストロやトラットリア、郷土料理、居酒屋、ラーメン、うどん、蕎麦、はたまた、焼肉やお好み焼きなど、多角的な視点から日本の食文化に触れた見解になります。偏りながら公平に、専門性を持ちながら汎用性も兼ね備える。そんな考え方を意識しているのです。マット氏は、それをカメラワークに例えます。

「ある食材をフォーカスするとします。世界中で食べられているそれは、どうやって現代まで辿り着いたのか、そのオリジンを調べます。最初は大きなコンテクストから入り、そこから小さなディテールを突き詰めます。これはカメラワークで言えば、ズームインとズームアウト。どんなに壮大な景色だったとしても、そればかり見ていたら飽きてしまいます。しかし、景色の中にある1点に絞ることで、環境や状況を知ることができる。ジャーナリズムに置き換えると、Zoom outだけでは、どこにでもあるような言い尽くされた表現になり、Zoom inだけでは、視野が狭く、偏りが生じ、社会と結実するために必要な大事なことを見落とした表現になってしまう危惧も。双方の視点を持つことをジャーナリストとして意識しています」。

このカメラワークと物事の視点は、「雑食するヒト」にも活かされ、「これがジャーナリストの質を上げる作業であり、これをやり続けないと人に伝えることはできない」と言葉を続けます。

これは、情報過多の時代も大きく手伝っていると推測します。インターネット上には無限の世界が広がり、SNSでは匿名者が辛辣な言葉を綴ることも。発信や発言は無法地帯化。これは、表現の自由とは異なります。

しかし、中には影響力を及ぼす作用が働くこともあり、日本に限らず、世界中のシェフが、それを意識してしまうことも。

本音は何処へ。

そのような背景から、「食は、必ずしも正義ではない。食は、時に溝を生み、人を遠ざけてしまうこともある」とマット氏。それでもジャーナリストはジャーナリズムの力を信じています。

「残念ながら、本質が埋もれてしまう時代でもあると考えています。そして、伝えるべき本質の多くは、日本の地方にあると思っています。それを発見し、正しく発信し、アクセスしてもらうことは、ジャーナリストの務め。そういったことが都市集中型の観光から分散型の観光にできる可能性も秘めており、ジャーナリズムだからこそ為せる社会貢献だと思っています」。

表層状の観光が多い昨今、観光の本来は、「光」を「観」ること。その「光」を探し当てることこそ、ジャーナリズムなのです。


「Strength in numbers」 数による強さ。それは全員で戦うことの強さ。

日本と世界の違いに、マット氏は、点と面の関係性を指摘します。

「日本のレストランは、個が多い印象です。これは悪い意味ではありません。しかし、大きな課題と向き合わなければいけない時には、それに見合う大きな力が必要とされます。そのために周囲との関係性を構築することも重要だと考えます」。

近年における大きな課題ということでは、2019年に発生した新型コロナウイルスのパンデミック。当時、「ONESTORY」においても、日本だけなく、世界の状況を伝えてきましたが、その中から点を例えるならば、大阪「HAJIME」米田肇氏の署名活動。現在は、「一般社団法人 食文化ルネッサンス」や「食団連」など、面として機能する組織がありますが、当時は発足前。大きな力なくしては、政治を動かすことの難しさをまざまざと知り、辛酸をなめる経験となりました。

医療従事者へ食事提供を行っていた東京「Smile Food Project」や大阪「困った時ほど美味しいものを!」もまた、有志による結束力があったものの、個の延長に近い。

一方、イタリアにはミラノとローマにレストラン協会があり、協会と国が定めたレストラン営業に関する法律が立案。フランスにおいては、世界と比べても対応が早く、ロックダウン初日に政府が人件費の保障を発表。しかし、それらは全て税金によるものであり、日本と他国は、税収も異なるため、一概に良し悪しを決めることはできません。しかし、面の備えがあれば、ここぞという時に対する力が発揮できることは事実であり、皮肉にも難局から学ぶことになりました。

「様々な国や地域から構成されるIRC(International Rescue Committe)という団体があり、彼らもまた、面の力を活かし、コロナ禍に活動をしていました。個の強さだけでなく、面による強さを認識することによって、日本の食文化はもっと成長するのではないでしょうか」。

そんな想いを、マット氏は、アメリカのことわざで例えます。

「Strength in numbers」。

直訳すると、数による強さ。伝えたいことは、全員で戦うことの強さ。

当時、「noma」のレネ氏は、新型コロナウイルス後は「これからのレストランの在り方は全て変わる」という言葉を残していました。以降、ランキングやアワード、レストランを評価するシステムとは、自ら距離を置いているようにも見受けられます。

「ジャーナリストとして、いちゲストとして、一部のランキングやアワードの件は、問題視しています。食べることに関心がある人が増えるのは喜ばしいことですが、必ずしもそれだけではないと考えます。健康的な食文化の在り方を大事にしたい」。


「Food is never just food」食は食だけにあらず。これからも日本を愛している。

「人、もの、こと。全てにおいて、アイデンティティに惹かれます」。

シェフに会う、職人に会う、レストランに行く、料理を食べる……。それぞれにアイデンティティが備わっているか否かを見極める習慣=マイ・ルールがマット氏にはあります。

「自分が今まで見てきた世界的に活躍しているシェフに共通していることは、素晴らしいコミュニケーターでもあるということ。それは、技術だけでは補えない、人間力」。

Food is never just food 食は食だけにあらず。

料理だけに目を向けず、舌で感じる味だけに捉われず、鼻に香る匂いだけに惑わされず、それらの背景にある、五感で感じることのできないことにこそ、本質は潜んでいるのです。

それこそがアイデンティティ。

「日本のアイデンティティの中でも、地方のアイデンティティに非常に興味を惹かれていますが、外国人の自分がそれを探し当てるのは一筋縄にはいきません。もっと日本を学ばなければいけません」。

また、地方の流れを汲み、前述にあった観光視点で見ると、「観光客から求められる料理と、レストランが作りたい料理に違いがあるのかも興味があります」と話します。

最後に。世界をマーケットにした日本の食における可能性を尋ねます。

「日本の食文化を語る上で欠かせないひとつが、鮨だと思います。現在は、技術もテクノロジーも発達しているため、豊洲から世界に流通されることも珍しくありません。一流の鮨からカジュアルな鮨まで、様々なスタイルも当たり前に。そんな鮨と同じように、焼き鳥が海外から高く評価される時代が来るのではと思っています。ネタとシャリのようにシンプルな関係が焼き鳥にもあります。火、鳥、串。タレ、塩。唐辛子、山椒。シンプルな構成ですが、レイヤーは複雑。誰にでもできそうですが、できない。奥が深く、日本らしい。日本の焼き鳥の理解に世界はまだ追いついていないと思います」。

実は、マット氏は、元シェフ。「いつか、焼き鳥シェフになりたい!」と、日本への愛も止まらない。

そして、マット氏もまた、OMNIVORE、雑食するヒトなのでしょう。

マット・グールディングのアイデンティティを知るには、まだまだ時間がかかりそうです。


Text:YUICHI KURAMOCHI

文化は趣味の世界ではない。「ほんまもん」を伝え続けるために。

「Ritsurin Chaji」の亭主を務めた老舗料亭「二蝶」代表の山本亘氏。「料亭も茶事もトータルで日本文化。失われつつある、元来の日本を残したいと思っています」。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremonyずっと栗林公園を世界に広めたかった。

高松の老舗料亭「二蝶」が特別名勝「栗林公園」(以下、栗林公園)の掬月亭と日暮亭の管理を担うことになったのは、2019年のこと。その直後、新型コロナウイルスが世界に難局をもたらしました。

「掬月亭では、香川三大茶会のひとつ、蓮見茶会が毎年行われていましたが、2020年夏、コロナ禍に見舞われ、初めて延期を余儀なくされました。以降、その代わりに何かできないかと、始めたのが芙蓉茶会でした。しかし、参加できるお客様は日本人に限るため、外国人の皆様にも茶事や栗林公園を広めたいという想いが常にありました。何かかたちにできないかと、色々試みたのですが、実現には至らず、そんな時にご縁をいただいたのがRitsurin Chajiでした。自分にとっては、まさに渡りに船。素晴らしい経験をさせていただきました」。

この言葉の主は、老舗料亭「二蝶」代表、山本亘氏。「Ritsurin Chaji」への参画のきっかけと、それ以前の想いをそう振り返ります。

「Ritsurin Chaji」のゲストは外国人が多数。本物の日本文化を体験してほしい亭主と本物の日本文化を体験したいゲストは、すぐに国境の壁を超え、心地良い時間を紡いでゆきます。

「非常に印象的だったのは、解説を熱心に聞いてくださり、学びへの向上心が高かったことでした。お客様も真剣ゆえ、自分も真剣勝負。ですが、気さくな皆様だったゆえ、楽しくお伝えすることができました。一番楽しまれていたのは、アレックスさんのようにも見えましたが(笑)」。

本物の日本とその文化度の高さを外国人へ伝えるのは至難の業。なぜなら、日本人ですらそれを理解している人が少ないから。今回、見事に成せたのは、山本氏が持つ知識とアレックス氏の知識が絶妙に結実し、亭主とガイドの機能が阿吽の呼吸で歯車が噛み合ったことにあります。

そして、何よりゲストを感動させたのは、掬月亭にて行われた茶事の体験でした。

「日本人だからといって、日本の文化を理解できるとは限らないと思っています。海外の人も含め、文化に興味のある皆様に体験いただきたい」と亘氏。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony無意識に意識を向ける。何となく、いい感じに。

今回、食事を手がけたのは、「二蝶」料理長、山本 蓮氏。向附、汁、椀物、焼き物、強肴、進肴、香の物の7品で構成された内容は、ヴィーガンスタイル。

「ヴィーガンの取り組みをしてから約一年になります。ヴィーガンといえば、味が薄かったり、お腹いっぱいにならなかったりする印象があると思いますが、自分が意識しているのは、これがヴィーガンだったら、毎日でも食べたいと思える料理。満足感は意識しています」。

確かに、料理に物足りなさを感じることはない。むしろ、蓮氏の言う通り、食後は満足感に満たされる。その理由を紐解いてみようと思うと、「自分の料理は雰囲気なんですよね。何となく、いい感じに」。

雰囲気……、何となく、いい感じに……。なるほど。

しかし、この発言は、決してふわりとしたものではなく、無意識に意識を向けた料理を構築する上での感性だと考えます。

「例えば、ラーメンは、スープや麺がフォーカスされると思います。ですが、自分は、ネギや海苔などが実は味の決め手なんじゃないかと考えるんです。当たり前のように丼に添えてあり、何となく、いい感じにまとまっているように見えますが、その何となくが、結構重要なんじゃないかなと」。

そこでヒントになったのが胡椒。ラーメン然り、ある日、家族がクリームチーズに何となく、胡椒を降って食べているのを見て、これは白和えにも合うのでは!?と閃き、実験。今回、提供された、向附の柿、無花果、栗の白和えには、ブラックペッパーを少々効かせ、アクセントに。ゲストを感動させたひと皿でもあります。また、香りにおいてもセオリーを覆します。

古典的な料理は、季節によって旬のものを一連の流れで採用します。例えば、ゆずの時季になれば、先付けもゆず、焼き物もゆず、炊き合わせもゆず。流れとしては、概念通り。しかし、今回は、料理ごとに香りも変化。これにおいても、「何となく、その方が、いい感じになるかなと」。

実は、蓮氏は、フレンチのシェフでした。その後、実家である「二蝶」に戻り、料理長に。一変したスタイルのように見えますが、「フランス料理と日本料理は、技法が似ている」と話します。そして、「フランス料理でヴィーガンをやろうと思うと難しい。ですが、日本料理は相性が良い」と言葉を続けます。精進料理はその好例と言って良いでしょう。全てにおいて、柔軟な見解が、いい感じに作用します。

「蓮に任せてからは、自分は料理に関与していません。むしろ、調理場にすら入らない。自分のレシピも一切ありません」と亘氏。

これまで、何となく、いい感じに、を連呼してきた蓮氏ですが、この3つは、はっきりと答えていました。

「お茶の料理であること」、「基礎は父の料理」、そして、「僕は二蝶が好き」。

「二蝶」の由来は、二百余名の芸妓衆が活躍する「さぬき芸どころ」と言われていた時代、その雅なる往時の芸妓「二蝶」の名を受け継ぎ、その屋号は、ふたつの蝶が上へ上へ舞い上がる様、隆盛を願い、名付けられました。(二蝶HPより、一部抜粋)

「Ritsurin Chaji」で紡がれた時間は、まさに二蝶が舞うファンタジー。

茶事の際、床の間に活けられていたのは、枯れた蓮の花。これは、数年前に北庭に咲いた花を干したもの。

「今回、周遊できなかった北庭の雰囲気を少しだけでも感じていただければ」と亘氏。語られたのはそこまででしたが、子への愛も込められているのではないでしょうか。

料理は一変しても、精神は不変。

変化は時に恐怖であり、ましてや、客商売となれば、今まで足を運んでくれたお客様が来なくなるのでは、という不安も付きまといます。ゆえに、躊躇してしまいますが、継いだら任せる「二蝶」たるこの潔さ。きっとそれは家族だから決断できたのかもしれません。そして、家族だから何も怖くない。

7品で構成された今回の料理は全てヴィーガンスタイル。手がけたのは、老舗料亭「二蝶」料理長の山本蓮氏。柿、無花果、栗、白和え、ブラックペッパーの向附、小芋、黒胡麻、辛子の汁、ごはんから会が始まる。

飛龍頭、菊花、やまふしたけ、隠元の椀物。「自分のヴィーガンは、雰囲気。何となく、いい感じに」と蓮氏。

大トロ茄子の蒲焼の焼き物。蓮氏が「満足感を意識している」と語るよう、物足りなさは一切ない。加えて、翌日の体がすこぶる調子が良いのも特徴。

松茸、蓮餠、伏見唐辛子、刻み茗荷の強肴。「基本の出汁は全て同じ」。蓮氏は、それを理屈ではなく感覚=感性で料理を構築していく。

蒟蒻、薄揚げ、胡瓜、焼しめじ、モロッコ隠元、ぬた和え、芽紫蘇の進肴。「料理はレシピじゃない。美味しかったらそれで良い」と蓮氏の料理に対し、亘氏は言葉を添える。かく言う亘氏もまた、レシピを持たなかった。

沢庵、胡瓜、茄子の香の物。上記、進肴と香の物は、大きな鉢は器に盛り付けられ、
ゲストは、それを順番に取り分けていただく。

お酒の器も秀逸。料理も茶事も含め、器の存在が宴に彩りを添える。

掬月に見立てられた中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句の掛け軸はアレックス氏が用意。一年干した蓮の花は亘氏が活けたもの。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony「二蝶」代表、山本亘が伝えたかった「ほんまもん」。

「Ritsurin Chaji」で伝えたかったことは、観光ではなく、文化体験。「本物の日本」です。

「文化という点では、高松は空襲にあった場所なので、お城も天守閣も、戦前の建物は、ほぼ残っていません。その中で奇跡的に残った場所は栗林公園です。だからこそ、栗林公園の魅力を伝えたかった。栗林公園でやりたかった」。

栗林公園は、讃岐国(現・香川県)を治めた生駒家に始まり、その領地を継承した高松藩の領主、高松松平家の下屋敷でしたそして、1868年まで200年以上にわたり、松平家によって維持されてきました。

「掬月亭はお殿様の散歩コースだったと言われています。ゆえに色々なところへの気遣いもそこかしこに潜んでいます。そんな掬月亭を“ほんまもん”の使い方をしてRitsurin Chajiをやりたかった」。

掬月の間は、床の間のある部屋(一の間)と、南湖に迫り出したお部屋(二の間)の2部屋が繋がっています。本来、ふたつ並ぶお部屋の場合は床の間のある方が格が高いとされますが、掬月の間は、床の間のある側(一の間)に比べて南湖側(二の間)の天井をより豪華にし、格を上げることによって両部屋を同格にしています。どちらに座しても平等にすることで、席にこだわらず自由に楽しめる空間設計としています。(栗林公園HPより、一部抜粋)

掬月の間の奥には茶室もございます。武家屋敷には珍しく、挿床(さしどこ)を採用しています。床に向かって桟が入っているため、刺されるイメージがあり、極めて珍しい造りだと思います。ゆったりしているように見え、実は、その空間だけは生死を考える場所だったのかもしれません。それ以外にも、にじり口は部屋に設けるのが一般的ですが、横に設けられています。一般的には刀を持って入れないように小さくしていますが、ここは一回り大きく、刀を持って入れます。ほんまもんは、語りつくせないほどある。つまり、深いということがほんまもんの証。自分たちは、まだ先人たちから教えられたことしか知識にない。しかし、その先にある精神論や哲学を読み解き、学び、時代背景から逸れることなく、現代で表すならば、どういうことなのかを理解し、伝えていきたいです」。

本当の日本を享受するには、知識と教養は必須。つまり、ゲストの努力も求められます。

このような歴史への知見も然り、例えば、料理に合わせられた器は、日本、中国をはじめ、国や地域、時代も含め、多種多様。造りにおいても、赤絵、刷毛目、染付、焼締……。さらには、質素なお茶の料理だからこそ器は華やかに、薄暗い空間だからこそ、色味は派手になど、全て、ひとつ一つ理由があり、日本の美意識が宿ります。そんな感受性もまた必須。

もちろん、それを解説するための亭主とガイドですが、一度で理解できるほど、「ほんまもん」は容易い世界ではありません。

「意味を理解しなければ、価値も伝わりません。自分は建物も文化も人も守りたい」。

「掬月亭は、お殿様の散歩コースでゆっくりするところ。きっと政治の話もしなかったでしょう。空間の細部にも色々な気遣いが施されています。理想は、当時の使い方と同じように、現代においても“ほんまもん”の使い方をさせていただき、それえを伝えていきたい。そして、守り続けたい」と亘氏。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony国や人種は関係ない。価値観でつながるこれから。

「実は、掬月亭には、こんなデータがあるんです。栗林公園の来園者数に対し、掬月亭の来亭者数は1割にも満ちません。来園者の26%は外国人なのですが、そこからの来亭者数は50%を超えているんです。グローバルな現代において、日本の文化を日本人が理解できるとは限りませんし、むしろ、外国人だから理解できることもある。栗林公園の魅力は、文化に興味のある人に伝えたい。それを実現させるためには、自分たちも変わるべきところがあると思っています。今回のように、外の方々とやることによって、この場所の可能性を多分に感じることができました」。

実は、亘氏は福井出身。元々は外の人なのです。「高松に住んで約25年。未だに入り込めない世界もあります」。しかし、「栗林公園」の歴史を振り返れば、松平家も余所者であり、香川を代表する人物、流 政之やジョージ・ナカシマ、イサム・ノグチという偉人もまた余所者。多種多様な「ほんまもん」の集積が、総合的な文化を生むのでしょう。

「Ritsurin Chajiを分岐点に、これから変化していきたいと思います。地元だけで考えると、どうしても内に向けた思考になってしましますが、外に向けた思考も大切だと思います。多くの日本人にも来ていただきたいですが、文化や歴史などを重んじる価値観がある人とつながりたい。そこには、国や人種は関係ないと思っています」。

いずれにしても全て一筋縄にはいかないテーマ。しかし、これは「栗林公園」に限った話ではありません。文化は趣味の世界ではない。日本の課題として、重く受け止めたい。

会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:中西珍松園


Photographs:MIKUTO TANAKA
Text:YUICHI KURAMOCHI

言葉ではなく、文化の通訳。本物の日本を語れるガイドの必須。

「今回は、本物を体験してほしかった。文化を過去のものにしてほしくない」とアレックス氏。それを伝えるためには、「まずは自身が学び、自身の言葉で語れることが必要」と言葉を続ける。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony体験だけでは補えない、アレックス・カーの力。

「Ritsurin Chaji」のガイドを担った東洋文化研究家兼作家のアレックス・カー氏。実は、アレックス氏が「特別名勝 栗林公園」(以下、栗林公園)を最初に訪れたのは、50年以上も前のこと。若かりしころ、徳島の祖谷に巡り合い、築300年以上の古民家を購入したことがきっかけでした。

「初めて栗林公園に訪れたのは1971年。当時は、本州と四国を結ぶ橋がなく、岡山の宇野港から連絡船で訪れるしか手段がありませんでした。それで祖谷に向かう途中、香川を経由し、栗林公園にも足を運んでいました。昔は、動物園もあったんですよ。以前から庭の雰囲気はとても素晴らしかったですが、今の方がより素晴らしい。その理由をRitsurin Chajiで理解できました。庭師の技術の賜物ですね」。

今回の目的は、「本物の日本を伝えること」。レセプションでは、人間国宝でもある漆芸家の山下義人氏のレクチャー、茶事は、老舗料亭「二蝶」、そして、舞台は、「栗林公園」。全て本物の日本を体現しているため、一見、申し分ないように見えますが、要慎しなければいけないのが、伝え方です。

難儀なテーマはもちろん、今回の目的を補足すると、その対象を外国人に置いたことも手伝います。しかし、1億2,156万1,801人(2024年1月1日現在・総務省HPより)いる全国の日本人の中でも「本物の日本」を知る人は少ないでしょう。それほどまでに、「本物」という言葉の奥は深い。

アレックス氏においては、日本人より日本の文化、歴史、伝統の知見に長けていることも適任理由のひとつですが、直訳ではなく、翻訳でもなく、通訳に長けていることも特筆すべき点。「Ritsurin Chaji」は、限られた日にちで少人数制で行われたため、むしろ、通訳も超えた、ひとり一人に合わせたオートクチュールなガイドを披露してくれました。

体験だけでは補えない、アレックス・カーという存在がリンクしたからこそ、「Ritsurin Chaji」は成立したと言っても過言ではありません。

今回、ゲストには多くの人と出会っていただき、言葉を交わす場も用意。「栗林公園」の庭師、漆作家、茶人……。アレックス氏は、彼らの話をそのまま翻訳するのではなく、言葉の奥に潜む本質を読み解き、言語化する。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony本物には全てにおいて理由がある。事実を伝えるだけでは、ガイドは務まらない。

これは、アレックス氏の言葉です。

「日本のガイドの多くは、ファクトを語るガイド。ですが、それはインターネットを検索すれば、どこにでもある情報です。もちろん、それで満足されるゲストもいると思いますが、よりディープな日本を知りたい人には、その人の性格やルーツを探りながら伝えることが必要だと考えます。これは、言葉の通訳ではなく、文化の通訳」。

「Ritsurin Chaji」に参加したゲストの特性は、国や人種も様々だったこと。アメリカ、セネガル、トルコ、カナダ、コロンビア……。唯一の共通点は、日本の文化を知りたい、学びたいという、向上心の高さでした。それに対して、アレックス氏は、ひとり一人、ひとつ一つ、丁寧にコミュニケーションしていきます。そして、もうひとつ、アレックス氏のガイドの特徴は、不足を補うことです。

「今回、二蝶の山本さんが亭主を勤めてくれましたが、料理もお茶もとても素晴らしかったです。そして、山本さんは、ゲストを喜ばせることに心を尽くし、難しいとされる茶事の間口を広げ、わかりやすく、丁寧に、解説してくれました。しかし、山本さんにとっては当たり前のことでも、ゲストにとっては知らないことが多く、その不足した箇所を補ってあげることによって、ゲストの理解は深まります」。

例えば、掬月亭で行われた茶事の際、山本氏より千宗旦の茶杓のお話がありました。しかし、アレックス氏は、千宗旦を説明するには、まず祖父である千利休のことをゲストに教えるべきと判断。山本氏の解説を通訳する際に、それらの情報もスマートに補足し、通訳。これは、不足した情報を補っただけにあらず。アレックス氏の豊富な知識とゲストに向けた観察力が長けているからこそ成せたガイド力、いや、人間力。

それ以外にも、庭園を周遊の際、ゲストには引き絵の風景と寄り絵の松をじっくりと眺めてもらい、解説だけでなく、見る時間も設けました。全てに語るべき背景があったことはもちろんですが、実は夜に向けての布石の効果も配慮。掬月の間で行われた食事の空間は、薄暗く、小さな灯のみ。内と外の境界線でもある襖を開けるも、当然、周囲は闇。だからこそ、日中、目に焼き付けた景色が功を奏するのです。

「ゲストは、松の景色を体験しているからこそ、闇に潜む見えない景色を想像することができます。見えないものに心を寄せ、趣を享受する情緒は、日本らしい奥深さを感じる精神だと思いますし、日本らしい美意識」。

実際、侘び茶は狭い小屋でやるため、日中であっても外の景色は見せません。薄暗い中で行う文化というスタイルもまた、アレックス氏はゲストに補足します。そのほか、掛け軸、生け花、作法、器、食べ方……。しかし、時にゲストは間違った行為をしてしまうことも。この日は、湿度も気温も高く、食前に用意したセンスで扇いでしまったゲストには、「これは扇ぐものではありませんので、亭主に団扇を借りましょう」と、優しく伝えます。

「今後、もしゲストがこのような場を経験する機会があれば、きっと自ら注視すべき点がわかるでしょう。今回、間違えてしまった作法でさえ、改善していると思います。なぜこの手順なのか、なぜこの味付けなのか、なぜこの演出なのか……。全てにおいて理由はあります。自分が大切にしなければいけないことは、その意味を理解してもらうガイドを務めることです」。

今回、ゲストは多くの学びを得たでしょう。しかし、彼らは茶人になるわけではありません。
アレックス氏は、「Ritsurin Chaji」を体験したゲストに対し、こんな想いを残しました。

「本物の客になってもらいたい」。

庭園内を周遊する際も、歴史を伝えるだけでなく、なぜそうなったか。その理由は何かなど、ファクトにはない背景や、それに重ねて自身の感想、想いも含め、通訳する。それが成せるのは、膨大な知識を備えているがゆえ。

盆栽のどこに日本人が美意識を宿るかなど、外国人だからこそ注視するポイントは、日本人にはない視点。

「器の時間、料理の時間、食材の時間、体験の時間、その時間にこそ価値がある。しかし、それらを学ぶこともまた時間がかかります」とアレックス氏。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony本物は、長い時間をかけるからこそ生まれる。

今回、「Ritsurin Chaji」の体験時間は、約6時間。一見、長いように見えますが、本来は全く足りません。

「日本の伝統芸能はもちろん、オペラやオーケストラなど、歴史ある様々な文化を体験する時間は、全てにおいてスローダウン。ゆっくり、ゆっくり、時間をかけ、それをディープに体験します。今回、お話を伺った人間国宝の漆芸家、山下さんもそうですよね。一回塗って0.03mm。100回塗って、ようやく3mm。途方にくれる作業です。美しいものは、それだけ時間をかけないと生まれない。だから時間をかけても本物は生き残るのです」。

今回、食事や茶事の際に用意された器はその好例。天正や万治から明まで。国や時代を超えても今なお残り続けたものとの邂逅体験を山本氏が果たしてくれました。しかし、どれだけ本物のものがあったとしても、歴史からその姿を失ってしまう不運も。それは、正しい人の手に渡らなかったこと。

実は、食事をいただく空間にあった掛け軸、「望美人兮天一方」は、アレックス氏が用意したもの。中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句であり、園内を周遊する際、ゲストとともに望んだ赤壁の名の由来と言われています。このような演出もまた、アレックス氏らしい仕掛けであり、おもてなしの心。

歴史的価値を持つものが次世代に継げるか否かは、いつの時代においても、その所持者次第。継いだものは、正しい人の手に継ぐことも使命なのです。

人間国宝でもある漆芸家の山下義人氏をゲストに招いた場では、日本の匠に外国人ゲストは興味津々。その興味がどこに向いているのか、何を伝えたら喜ぶのかなど、相手の気持ちも汲み取る才もアレックス氏は際立つ。伝えたいことと知りたいこと、両者は必ずしもイコールではない。

経験豊富なアレックス氏でさえ、「今回の茶事では初めての体験や学ぶべきことが多かったです」と話す。日毎、「今日も勉強になりました」と、亭主を務めた高松の老舗料亭「二蝶」代表の山本亘氏に声をかけていたのが印象的だった。

アレックス氏が見立てた掛け軸は、中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句。日中に庭園散策をした際の赤壁と結実するそれに対し、アレックス氏からの説明はない。必ずしも全てを伝えることがガイドではないのかもしれない。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremonyアレックス・カーとともに、価格と価値について考える。

実は今回、アレックス氏にとっても多くの学びを得たと言います。

「食事の際、ごはんが3回出てきます。最初は炊きたてすぐ、次は少し水分を吸ったもの、最後は、しっかり炊き上がったもの。この経験をしたことはありましたが、その意味は知りませんでした。理由を知った時、自分自身もその体験に価値を感じました」。

今回行われた「Ritsurin Chaji」は、「非常にバランスが良かった」とアレックス氏は振り返ります。

「フルの茶事を体験しようと思うと、約4時間は必要とされます。今回のように向上心の高い外国人であっても、それはなかなか難しいでしょう。かといって、一般的な観光客を対象にした薄茶一服、触れる程度の体験もまた違います。つまり、日本には両極端な体験が多いのです。そういう意味でRitsurin Chajiは、バランスが良かったと思います。また、三千家ある中でも、高松藩に務めていた背景を持つ武者小路千家の流派もゲストの理解度を深めました。食事の内容においても、茶懐石といえば派手なものが多い中、本来である質素なものが供されるだけでなく、その満足度を技術で補う料理は素晴らしいものでした。これが本当の意味での贅沢」。

決して高価なものが贅沢ではありません。価格の高い、安いを理解できる人はいますが、大切なことは、価値を理解する能力。

「日本は、文化にお金を使う人が少ない」。

かく言う、アレックス氏もまた、文化の理解度を「DINING OUT」で深めたと言葉を続けます。

「DINING OUTのホストを務め、多くの学びを得ました。料理人の想い、職人の哲学、食材が生まれる風土、街の歴史……。自らそれを学び、ゲストにひとつ一つ、丁寧に説明していき、その理由を体験することによって価値が生まれる喜びは、何ものにも変えられない。料理の時間、器の時間、食材の時間、体験の時間……。DINING OUTにもRitsurin Chajiにも、全ての時間軸が凝縮されています。そして、全てが本物として伝えたい日本の文化」。

アレックス氏曰く、究極のガイドは「一対一」。

「本物」と「価値」。このふたつのキーワードは、永遠のテーマだ。

会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
人数:各日16名
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会


Photographs:MIKUTO TANAKA
Text:YUICHI KURAMOCHI

堂々たる日本人であるために。日本はもっと素晴らしい。

茶事の空間には、干した蓮の花が生けられ、中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句の掛け軸が。ここにも深い意味が多分に潜んでいる。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony儚く消えた、夢の4日間。

去る、10月6日から9日。香川県高松市にある「特別名勝 栗林公園」(以下、栗林公園)にて、「Ritsurin Chaji」が開催されました。

各日少人数制で行われたゲストの特徴は、本物の日本文化に触れたいと切望する外国人が多いことでした。アメリカ、セネガル、トルコ、カナダ、コロンビア……。昨今、インターネットやSNSの普及による情報過多の一方、本企画は募集期間も短く、告知もわずか。人数にも限りがあり、時代と逆行した施策と言っても過言ではありません。

表層上の観光が溢れる中、本物の日本を追求したい、本物の日本を伝えたいと集った有志には、地元・高松からは、老舗料亭「二蝶」が食事と茶をもてなし、ガイドには、日本人より日本をよく学び、日本を愛する東洋文化研究家兼作家のアレックス・カー氏を迎えます。

まず、最初にゲストが集められたのは、旧松平藩主の「檜御殿」があった場所に明治32年に建築された歴史的建造物「商工奨励館」。帝室技芸員の伊藤平左衛門が設計した建物は、細部までこだわり尽くされ、日本古来の建築様式たる格調の高さが伺えます。その貫禄は外装だけにあらず。レセプション会場となった2階に足を運べば、ゲストの目の前には圧巻の家具が並びます。それは、ジョージ・ナカシマのヴィンテージ。代表作でもあるコノイドチェアやラウンジチェア、ミングレンアンドンなどが惜しげもなく配されている空間は、美術館さながら。中でも1本の大木の形が想像できる大テーブルは、こことアメリカのジョージ・ナカシマのスタジオのみ存在する貴重なもの。

そんな作品群の眼福から会はスタートし、アレックス氏がゆっくりと口を開きます。

「みなさま、Ritsurin Chajiの世界へようこそ」。

レセプション会場となったのは、「商工奨励館」。圧巻な風景は、香川に所縁のあるジョージ・ナカシマの家具たち。もちろん、全てヴィンテージ。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony学ぶことで土地を知る。人間国宝を生んだ香川の才能。

「商工奨励館」では、「栗林公園」の歴史の解説だけでなく、工芸や民芸など、ものづくりの街としても名高いクラフトについても学びます。かの世界的に有名な照明デザイナー、インゴ・マウラーの作品にも起用された丸亀団扇やイサム・ノグチも絶賛した庵治石製品、高松張子から張子虎、打出し銅器から香川竹細工など、木、草、土、石といった自然素材を高度な技術で加工したものは、香川が世界に誇れるもののひとつ。

そんな中から、今回は香川漆芸をフォーカス。語り手は、人間国宝でもある漆芸家の山下義人氏です。ゲストにサービスされたドリンクの器も山下氏が手がけたものでした。

江戸時代に高松藩主である松平家が、茶道・書道に付随して振興・保護したのが始まりです。5つの技法が国の伝統的工芸品に指定されていますが、そのうち、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)という3つの装飾技法は、香川にしかない伝統漆技法です」。

蒟醤は、漆の面に文様を彫り、その中へ朱漆または色漆を充填し、平らに研ぎ出すもの。存清は、存星とも書かれ、漆面に色漆で模様を描き、輪郭などを線彫り、手彫りしたもの。彫漆は、漆を幾層にも塗り重ね彫刻刀で模様を彫り表すもの。山下氏が得意とするのは、蒟醤です。

「日本の漆は、約1万年前の遺跡からも発掘されており、長い歴史を重ねて現在に至ります。時代を遡り、読み解くと、常に新しい技法が生まれ、最先端なもの作りをしてきたことがわかります。この繰り返しが私は伝統だと思っています」。

古き良きを守り続けるだけでは進化はありません。それは、「Ritsurin Chaji」においても大事にしていることでした。

そんな山下氏の話にゲストは聞き入り、塗りや模様など、話の内容によって視点を変え、目の前の器をじっくり眺めているのが印象的でした。特に、細かい手仕事の話には、唸りを上げていました。

「一回の塗りの厚さは、わずか0.03mm。100回塗ってようやく3mmです。ですが、漆は乾燥させ、少し時間を置いてから塗り重ねていかなければならないため、2日に1回しか塗れません」。

単純計算で考えても、3mmの厚さを出すには200日かかることになります。

テクノロジーの進化によって発展した時短とは真逆の手仕事には、だからこそ宿る本物の風格が漂います。そして、時を重ねるごとに美しさが増していくことも大きな特徴でしょう。

興味津々なゲストから、多くの質問が飛ぶ中、素朴な質問がふたつありました。

「どうして山下先生は、伝統工芸の道を歩んだのですか?」

「どうすれば技術を磨くことができますか?」

これに対し、山下氏はシンプルに回答します。

「出会い」。

前者は「漆」との出会い。後者は「師匠」との出会い。「出会いで人生は変わる」とは、山下氏が解の後に続けた言葉。

これは、漆の世界に限らず、全ての世界にも通じることだと考えます。

山下氏やアレックス氏との出会い、これから始まる「Ritsurin Chaji」との出会い。今回の出会いが、ゲストの人生にとって、何か良い作用が生まれることを願いつつ、園内へと向かいます。

今回、ガイドを務めたのは、東洋文化研究家兼作家のアレックス・カー氏。ただ情報を伝えるだけでなく、アレックス氏の知識と感性から紡がれた言葉の数々は、日本人でさえ、学びが多い。

レセプション会場には、人間国宝でもある漆芸家の山下義人氏がスペシャルゲストとして登場。香川の伝統漆技法、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)について語る。

ゲストに供されたドリンクの器も山下氏の作品。説明を聞きながら、その特徴を見て、触り、確認する姿も。

山下氏の作品群。細部にまで手仕事が宿り、ただそこにあるだけで圧倒的な存在感を放つ。ただ見るだけでなく、触れさせることを許容した山下氏の厚意は、ゲストに感動を与えた。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony見えないからこそ心眼開く、一歩一景。

この日は、生憎の曇り空。厚い雲が天に鎮座し、しとしとと雨もパラつく中、特別名勝「栗林公園」を周遊します。しかし、雨に濡れた松は、その姿も艶やか。わずかに香る樹々の匂いや湖の水面に広がる波紋は、晴れた日にはない情緒漂う風景を形成していました。

今回は、庭園の中心から南庭を主に巡り、鶴亀松、お手植松、箱松・屏風松などを見学します。鶴亀松は、110個の石を組み合わせた亀を形どった石組みの背中に鶴が舞う姿をした松を配したものであり、園内で最も美しい姿をした松と言われています。また、お手植え松は、5本の松が並び、それぞれ、宣仁親王(大正3年)、昭和天皇(大正3年)、雍仁親王(大正3年)、エドワード8世(大正11年)、能久親王妃富子(大正14年)が、来園を記念し、お手植えされた松。箱松・屏風松では、熟練の庭師が手入れについて語ります。

「北側にあった藩主の隠居所である桧御殿を箱松で下部を目隠しし、屏風松で上部を目隠ししていました。樹木は成長しますが、極力、昔のままの形を保つようにしています」。

その名の通り、綺麗な箱型に整えられた松は、優れた職人技によるもの。ここで、アレックス氏らしいガイダンスが光ります。

「箱松は表も綺麗ですが、裏側もとても綺麗です。ぜひ、見に行きましょう」。

枝が蔓延り、まるで血管のようなそれは、長い年月をかけ、生き抜いてきた力強さを感じます。

「栗林公園」の広さは、約23万坪。園内には約1,400本の松があり、そのうち約1,000本は職人が手を加えている手入れ松。その脅威な数字から、広域に見た庭園風景がフォーカスされてしまいますが、一本一本の松が美しいからこそ、絶景は生まれているのです。

アレックス氏は、ゲストに職人と合わせ、会話させることによって、その気づきを与えてくれたのです。教えることもガイドですが、気づきを与えることもまたガイド。これがアレックス流。

次いで、園内の南西に向かい、西湖の景を支えている石壁、赤壁を目指します。その色は、マグマの貫入に伴う高温酸化によるもの。その名の由来は、詩人・蘇軾(蘇東坡)が「赤壁賦」を詠んだことで有名な中国の揚子江左岸の景勝地、赤壁に因んで名付けられたとも言われています。

散策途中、富士山に見立てた芙蓉峰へ。ここからの眺望を体験するはずでしたが、曇天は変わらず。

ふと想う。「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」。

これは、幕末の幕臣・剣術家であり、明治期の官僚・政治家でもあった山岡鉄舟が詠んだ歌です。

富士山よろしく、芙蓉峰から望めるはずの景色は雄大な紫雲山。燦々と輝く太陽、青い空のもと、そびえるそれも圧巻ですが、美しさはひとつではありません。霧や靄に包まれ、まるで水墨画のような景色もまた一興。その解は、歌の続きにあります。

「もとの姿はかわらざりけり」。

曇ってしまって見えない景色があったとしても、もとの姿が変わることはありません。むしろ、想像力を掻き立てます。このような感受こそ、侘び寂びの趣であり、日本の美意識。

決して目に見えているものだけが全てではないという、まるで物事の本質に触れるような散策は、ゲストの心眼を開き、目に見えない一歩一景を堪能したに違いありません。

ゲストとともに園内を周遊。歴史や背景を知ることによって、ただの風景に奥行きを与える。

今回は、庭園の中心から南庭を主に巡り、鶴亀松、お手植松、箱松・屏風松などを見学。

箱松・屏風松を見たアレックス氏曰く、「技術の向上により、今の風景の方が、より昔に近いのでは」と推測。

散策中には、熟練の庭師による解説も。園内にある約1,400本の松のうち約1,000本は職人が手を加えている手入れ松。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony技術と感性で再構築されたヴィーガンの口福。

庭園周遊後、一同は、掬月亭へ。江戸初期に建てられた回遊式大名庭園の中心的建物であるそれは、歴代藩主が大茶屋と呼び、最も愛用していたと伝わります。

まず、ゲストは初莚観にて盆栽を鑑賞します。地植えの壮大とは違った盆中の景は、自然美と人工美が見事に調和。まるで芸術鑑賞をしているようです。その後、掬月へと間を移し、食事をいただきます。その内容は、ヴィーガン。

メニューは、向附、汁、椀物、焼き物、強肴、進肴、香の物の7品で構成。料理を担うのは、老舗料亭「二蝶」の若き料理長、山本 蓮氏。

「飯碗の蓋を開けていただき、左手に置き、その上に汁椀の蓋を重ねてください。この蓋はこのあとにお出しする焼き物や煮物、酢の物の取り皿にもお使いいただきます」。

そう話すのは、茶事への造詣も深い本日の亭主、山本 亘氏です。蓮氏の父であり、「二蝶」の代表でもある人物です。

「まずはご飯を一口お召し上がりください。炊きたてすぐ、水分が残り、芯がなくなったすぐのものをご用意しております」。

この日の汁は、11月に迎える茶の正月、炉開き前ゆえ、赤味噌と白味噌を半々に。具には小芋、辛子、黒胡麻を採用します。向附は、柿、無花果、栗の白和えブラックペッパーを少々効かせ、アクセントに。蓮氏の感性が光ります。

型は壊さず、現代らしいエッセンスが加わったそれは、前述、山下氏の言葉「常に新しい技法を生み、最先端なもの作りを繰り返すことが伝統(簡略)」を彷彿とさせ、プラントベースの概念を覆します。

その発想について蓮氏に聞くも、「感覚です。自分はレシピも作らないので」とさらり。これが若き頭脳かと思いきや、亘氏においても「レシピはありません」とひと言。おそるべし山本親子。おそるべし「二蝶」。

また、ゲストの体験価値が高かった点で言えば、ご飯が3回出てくることとその作法。

「次のご飯は最初にお出ししたものと比べると、ちょっと水分を吸ったご飯になります。そして、最後にしっかり炊き上がったご飯をお出しします。ですが、ご飯は少しだけ残しておいてください。全部食べてしまうとお腹いっぱいという合図ですので」と亘氏。

元来、柔らかいご飯はお客にお出しする贅沢品。固いご飯は自分たちが食べるもの。

「固いご飯はおにぎりやお茶漬けにできますから」と、さりげなくその理由も添えます。

最後のご飯は、おひつに入ったものを皆で回し、取り分け。以降に供される沢庵、胡瓜、茄子の香の物も同じスタイル。各ふたつずついただき、隣の人へ皿を回します。

食べるだけではなく、学びの要素も多い食文化体験は、このような行為も手伝い、ひとつのグルーヴが生まれていきます。

また、汁においても二杯供され、一杯目は飲みきり、二杯目はゆっくり飲むなど、7品の中には、食の方程式が多分にあります。程よい緊張感の中にも笑顔があるのは、亘氏の話術や人柄によるものでしょう。

食後に行われた茶会では、座布団の敷き方から茶席のマナーもレクチャー。その際に供された菓子は、高松の和菓子店「夢菓房たから」の練り切り。口に運んだその刹那、心地良い香りが広がります。その正体は、ヒノキから抽出した香りです。

「今回、和菓子の監修で入ってくださっている資生堂パーラー「ファロ」のシェフパティシエ、加藤峰子さんのアイディアになります」。

「二蝶」は、2023年に行われた「G7香川・高松都市大臣会合」でもヴィーガン&ハラールに対応した料理を披露。プラントベースの料理が「G7」で供されたのは、日本初。東京美術倶楽部の東茶会においても、約400名の規模に対してお茶の料理を供しました。

一方、悲しいかな、日本人が茶事の文化に明るくない現代社会において、それを継承する環境は縮小傾向。お店においても小さな個人店はあれど、「二蝶」のような規模感は限りなく少なく、貴重な存在と言えるでしょう。

また、食後の面白い体験もここに記しておきたいと思います。

お片づけは官休庵式。飯碗の上に汁椀、飯碗の蓋を置き、その上に汁椀を乗せ……。ゲストがそれを行う最中、亘氏が笑顔を浮かべ、こう話します。

「最後は、皆様で共同作業を行っていただこうと思います」。

その共同作業とは箸を落とすこと。皆は箸を持ち上げ、アレックス氏の合図とともに、折敷の上に落とします。

「One two three」。

6名の箸が指先から箸が離れた途端、カタカタカタッ!と音を立て、テーブルに落ち、静寂に響きます。

「本来はお行儀が悪いのですが、宴が果てた音の合図ということで」。

これもまた、ゲストは大満足の笑みを浮かべます。

やはり只者ではない山本親子率いる「二蝶」。

終始、相手を想う遊び心と相手に喜んでほしいというおもてなしの心が絶えない席となりました。

庭園周遊後は、掬月亭へ。初莚観では盆栽を鑑賞し、地植えの壮大とは違った盆中の景を堪能。

食事をいただく間は、掬月。障子を全開し、内外の境界線を取り払うも、周囲は闇。しかし、この闇がゲストの感性を研ぎ澄ます。

亭主を担うのは、高松の老舗料亭「二蝶」代表の山本亘氏。茶事への造形も深く、「山本さんは、本物の茶人」とは、アレックス氏の言葉。

供された料理は、ヴィーガン。まず最初の品は、炊きたてすぐ、水分が残り、芯がなくなってすぐのごはんと赤味噌、白味噌を半々にし、小芋などを具材にした汁、そして、柿、無花果、栗にブラックペッパーを効かせた白和え。

メニューは、向附、汁、椀物、焼き物、強肴、進肴、香の物の7品で構成。料理を担うのは、老舗料亭「二蝶」の若き料理長、山本 蓮氏。

食後に供された和菓子は、高松の「夢菓房たから」の練り切り。口に含んだ瞬間、ヒノキの香りが広がる特徴は、和菓子の監修を務めた資生堂パーラー「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏のアイディア。

Ritsurin Chaji」最後の体験は、その名の通り、茶事。凛とした空気と和やかな時間のバランスが絶妙に共存する場作りは、類い稀なる亘氏のおもてなしの心によるもの。

座布団の敷き方から茶席のマナーもレクチャー。「“ほんまもん”をご堪能していただきたかった」という亘氏の想いは、ゲストにも届いたに違いない。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony時代に耐えて生き残ったものと邂逅する奇跡。

今回、見事に創出された一座建立の世界。料理やホスピタリティもしかり、その満足度を高めた一助として欠かせないのが、器の存在でした。日本はもちろん、中国や国が特定できないエキゾチックなもの、作家からアノマニス、年代もデザインもさまざま。亘氏の見立てが冴え渡ります。

向附には、竜田川 乾山写/染付兜鉢 尾形乾山、四つ椀には、けやき糸目四つ椀 後藤塗、煮物椀には、太陽と月が描かれた魯山人の写し 日月椀……。焼き物には南蛮焼き、進肴には赤絵、そのほか、御本刷毛目、源内焼手付鉢、茄子形燗鍋 2代辻与次郎、刷毛目 水垣千悦……。貴重かつ希少な器もとい、作品ばかり。

茶席においても驚愕のコレクションが怒涛のごとく登場。沢庵和尚、迎田秋悦、千 宗旦、藤村庸軒、村田耕閑、弘入、近藤道恵、長谷川一望斎、大森金長、素山(本名 柳田他次郎)、久保祖舜、三谷林叟、赤松陶濵……。伊部焼、砂張、薩摩焼、屋島焼……。

食事の席では、「逆さにすると兜のような形になるんですよ」、「明時代はコバルトブルーの配色が良いのが特徴ですね」など、ひとつ一つ、ゲストに解説します。それを聞くゲストは、装飾を見て、手で感触を確かめ、じっくり言葉との答え合わせをしていきます。
一方、茶事の席では、立ち振る舞いから座布団の座り方まで、亘氏は、きめ細やかに、かつユニークに伝授します。

「自分が表現する物事は、必ず説明できなければいけません」。

今回は、巧みな亭主とガイドを迎え、なかなか見ることも触れることもない作品を使え、それを掬月亭で体験できるという、これまでに類を見ない体験となりました。

「“ほんまもん”をご堪能していただきたかった」。

天正、慶長、万治、元禄、天保、明治、大正、江戸……。

ものの命は、人の命よりもはるかに長い。時代に耐え、生き残ったものと邂逅できる体験は、奇跡のほかありません。

食事、茶席、双方の満足度を高めた要素として、大きな役割を担ったのが器の存在。その全てが亘氏の見立て。

今回、体験価値を増したのは、貴重な器を見るだけでなく、使ったということ。「お茶の料理は華やかなものではないため、器も含めてお楽しみいただければと思いました。そして、薄暗い空間とあの灯だからこそ、あえて主張の強いものを選び、バランスを取っています」と亘氏。

茶席の器類も貴重なものばかり。作家ものから匿名のもの、国や地域においても、日本だけでなく多国籍。しかし、違和感なく一貫しているのは、亘氏の感性を通しているものという筋が通っているから。

茶席では、それぞれ異なる器を用意し、最後は皆で鑑賞。美術館クラスの品々に、ゲストは眼福。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony栗林公園という名の宇宙。闇に広がる無限の創造。

実は、掬月亭が夜の使用を許されたことは極めて稀。

刻一刻と時が経つにつれ、景色から色彩は消え去り、周囲は闇に包まれてゆきます。室内には最小限の灯が必要な情報のみを映し出し、研ぎ澄まされた世界を形成。目に見えるものが篩にかけられた分、聴覚や嗅覚の感性が覚醒していきます。

まず、最初に変化が訪れたのは聴覚。来園者がいた喧騒と比べ、無音の境地かと思いきや、徐々に機微な音に気づきを得ます。虫の音や風の音、日中の雨も音のみが残存し、この時においては重層的な自然のシンフォニーのひとつに。全てが心地良く、優しく耳に響きます。

料理や茶においても、素材そのものの香りが体の隅々まで巡るように染み渡ります。

食事と茶が供された空間は、掬月の間。広さにして、22畳。茶室はしばしば宇宙に例えられることがありますが、今回はそれに似る。

外に目を向ければ暗黒。一寸先の景色も見えません。しかし、その先には約25万坪の庭園が広がる事実があります。それほどまでに広がる世界の中、掬月亭という一点(22畳=約36坪/25万坪)に身を置く特別は、無限に広がる宇宙に身を置くことと近し体験となったのではないでしょうか。

この空間の存在しているのは、ゲスト5人、亭主ひとり、ガイドひとり。たった7人のみ。

「これまで体験したことのない日本文化でした」。

「歴史書で読んだようなことが実際に体験できるなんて、信じられません」。

「物事の全てに理由があり、それを学ぶことができてよかった」

多くの感動を呼ぶ中、ひとりのゲストが囁きます。

「まるで夢のようだった……」。

これは、我を忘れるほど、夢中になれたから。言葉のごとく、夢の中。これこそ、宇宙を超えた無限の創造の世界。しかし、残念ながら、夢は儚く消えゆくもの。

床の間に目を向ければ、枯れた蓮の生け花と「望美人兮天一方」の掛け軸。

「数年前、北庭に咲いた蓮を干したものです。今回、周遊できなかった区画のため、少しでも感じていただけと」と亘氏。そして、掛け軸は、アレックス氏が用意したもの。

「これは、中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句です。“天一方に美人を望む”という意味で、美人はお月さまを指しています。書は大徳寺の大徹宗斗和尚(1764〜1828)。禅の世界で天一方に月を望むということは、永遠に届けられない理想の世界への憧れになります。江戸時代の殿様と当時の来賓は中国の古典の教養があり、“赤壁”という名前を聞いただけで、この有名な一句が頭に浮かんだでしょう」とアレックス氏。

日中に見た赤壁、蘇軾の詩とはこのことであり、全てが結実します。

文化はある、歴史もある、技術もある。あとは、日本人次第。

日本はもっと素晴らしい。

日中、園内を散策している際に鑑賞した赤壁。名前の由来は、中国の古戦場・景勝地。下記、アレックス氏が見立てた掛け軸は、この風景と紐づく。

食事、茶席の空間に用意された掛け軸は、中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句。アレックス氏らしい、知性ある仕掛け。

会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
人数:各日16名
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会


Photographs:MIKUTO TANAKA
Text:YUICHI KURAMOCHI

己を超えろ、六根清浄。

「全ては心の問題。今回の経験は、職人としてだけでなく、人として成長させてくれました」と話す秦野氏。

妙心寺 退蔵院技術を磨くのではない。精神を磨く修行。

11月某日、世界中からジャーナリストやフーディが集ったシークレットイベントが開催。料理を担うのは、麻布十番「秦野よしき」です。そして、舞台となったのは、日本最大の禅寺、京都花園 臨済宗大本山 妙心寺 退蔵院。

「妙心寺」の山内には、46の塔頭があり、その中でも「退蔵院」は、応永11年(1404年)に建立された山内屈指の古刹です。方丈には「退蔵院」開祖である無因宗因禅師(妙心寺第三世)がまつられ、日本最古の水墨画「瓢鮎図」(国宝 原本は京都国立博物館に寄託)を所蔵。本堂(方丈)をはじめ、墨跡の数々も重要文化財に指定されています。

境内には、史跡名勝の枯山水庭園「元信の庭」、池泉回遊式庭園「余香苑」と異なる趣の庭園が広がり、樹々や草花に彩られ、一年を通して美しい景観を形成しています。

偉容を誇るこの地において、イベントが開催されるのは極めて異例。

テーマとなったのは、「六根清浄」。

「この言葉は、妙心寺 退蔵院の副住職・松山大耕様より賜りました」と秦野氏。

眼、耳、鼻、舌、身、意。六根を研ぎ澄ます時間が始まります。

今回のテーマは、「六根清浄」。心身が清らかになることを示し、霊山に登る時や寒参りなどの修行の際に唱える仏教用語。

妙心寺 退蔵院麻布十番「秦野よしき」にかまけた戒め。

今回のイベントは、ただ食べるだけではありません。座禅、本堂見学、聞香、庭園周遊を経て、鮨ライブが開催される仕立て。鮨ライブという聞きなれない言語に対しては、後にその意味を知ることになります。

坐禅は、体験だけでなく、その意義を松山氏が教授します。

「仏教の教えに、三慧(さんえ)という言葉があります。経典の教えを聞いて生じる聞慧(もんえ)、思惟・観察によって得られる思慧(しえ)、禅定を修して得られる修慧(しゅえ)です」。

一般的に噛み砕くと、聞慧はセオリーや座学、情報。思慧はそれを鵜呑みにせず疑うこと。修慧は、それらを活かして実践すること。坐禅は、聞慧に当たります。なぜ、坐禅をするのか?

「現代において、考える時間が失われつつあります。ここには、何かに悩み、考え、その答えを導き出そうとする方々が坐禅をするために訪れます。しかし、お寺に答えがあるわけではありません。それをリレクションするための時間と場を提供するのが我々の役目」。

かのスティーブ・ジョブスもまた、禅の思想に触れ、その哲学を自身の生活と仕事に取り入れ、ビジョンと革新的なアイデアを追求し続けたひとり。

そして、坐禅をより効果的にするのが呼吸です。

「息とは、自の心と書きます。焦る、緊張する、イライラする、腹が立つ……。その全ては呼吸に表れます。逆を言えば、呼吸を整えれば、感情をコントロールできるのです」。

今回、ゲストが体験するプログラムは、事前に秦野氏も体験。多くの発見を見出しました。

「これまでは決めたことや型から外れることに苛立ちを感じていました。どうすれば次に進めるのか、どこに向かうべきなのか。とても悩んでいました。同時に、これまでの自分にあぐらをかいていたことにも気づきました。今回のように、わざわざ遠くまで足を運んでくださるお客様に対して鮨を握る緊張感をお店でも持てていたかと言うと、かまけていた自分がいます。お店にお越しいただけることは当たり前ではありません。改めて、身を引き締め、もう一度、鮨と向き合うことができました。そして、目指すべき目標への教えも得ることができました」。

坐禅同様、得たのは目標の答えではなく、考え方。それは、「瓢鮎図」にありました。
 

坐禅を続けることで、自分の心の持つ清浄心に気付き、「無生心(むしょうしん)」「無住心(むじゅうしん)」が得られると言われる。

妙心寺 退蔵院鮨職人として、人として。どう生きるか、禅問答に学ぶ。

「退蔵院」は、三代目の和尚によって約600年前に創建。風景は、室町時代の画家・狩野元信が作庭した枯山水庭園「元信の庭」(国指定名勝)が形成しています。

「絵の世界を具現化したらどうなるのか。そんな思想から構成されており、当時には珍しく常緑樹を採用しています。ゆえに、桜や紅葉はございません。欧米は左右対称の庭が多いのに対し、日本は左右非対称。人が自然を支配する景色の形成ではなく、いかに自然が作ったかのように見せるか。これを無作為の作為と我々は呼びます」と松山氏。

その庭を愛でられる間にあるのが、「瓢鮎図」です。絵の内容は、真ん中に男がひとり、手には小さなひょうたん、目の前には大きな鯰(なまず)。どうすれば男は鯰を捕まえることができるのか? この禅問答を考えたのは、足利義満を父に持つ、足利義持です。

「実際に捕まえることはできません。では、なぜこんなことを考えるのか。我々は、悟りを満月に見立て、その意義を見出しており、禅問答は満月を差す指。指ばかり見ていたら、満月は見えません。私たちは、指が差す先にあるものを見なければいけないのです。この問題においては、論理的なことが大切なわけではなく、指が差す先にあるものに目を向け、自分を導き出すことなのです」。

秦野氏もまた、指先ばかり見ていたひとり。鮨職人・秦野として、人間・秦野として、これからどうなりたいのか。仏教では悟りですが、一般的には、それを夢や希望などに置き換えられるのかもしれません。

ここで面白いエピソードを松山氏が話してくれました。

「以前、某世界的に著名な企業の代表の方が、退蔵院に訪れ、この禅問答をChatGPTに問いました。出した答えはここでは伏せますが、論外。その方は、坐禅もされていかれましたが、帰り際、“どんなにAI発達しても、この価値は失われることはないでしょう”とおっしゃっていました」。

どんなにテクノロジーやデジタルが発達しても、人の精神にたどり着くことはできない。それは、鮨もまた同じなのです。

山水画の始祖といわれている如拙が、足利義持の命により心血注いで描いた最高傑作「瓢鮎図」。ただでさえ捕まえにくい鯰を、こともあろうに瓢箪で捕まえようとするという、この矛盾をどう解決するか。高僧連が頭をひねって回答を連ねた様子は壮観。日本では、鮎を「あゆ」と読むが、中国では「なまず」と読む。

妙心寺 退蔵院目に見えない香りとの対峙。臭覚を研ぎ澄まし、聞き分ける。

聞香では、創業約300年の「松栄堂」専務取締役・畑元章氏が指南します。

聞香とは、その名の通り、「香」りを「聞」くことです。つまり、嗅ぐこととは異なり、嗅ぐことによって、心中で香りを聞き、それを味わうという行為。

聞香は、鎌倉・室町時代に確立された香木の繊細な香りを鑑賞する手法であり、政治や宗教などの博学が高かった京都を中心に、その文化が栄えてきました。

「本日は4種の香りを用意させていただきました。とても似た香りと感じるか、それとも、それぞれに個性を感じるか。強さ、癖、性格……。はたまた、甘味、酸味、辛味、苦味……。ご自身の心と香りを寄り添わせてください」。

大きな香木の塊は沈香と呼ばれるものであり、最上級品。それをチップにし、高炉で温め、香りを立てていきます。

ゆっくりと、静かに、深呼吸。松山氏の言葉を借りるなら、自の心を整えるように。

4種の高炉は、2週、3週、4週……と回遊され、時の経過と共に変化する香り機微に心の耳を澄まします。

「この行為は、好き、嫌い、どれが1番かなど、優劣を付けるものではありません」。

香木は切る位置によって硬さが異なり、切り方によって香りも変化します。

「それは魚も同じ。そこに鮨の美意識を感じます」と、畑氏ならではの視点で鮨と聞香の接点に触れ、場を締めくくりました。

「聞香」に集中すべく、暗く、閉ざすことによって、深く香りと対峙し、心と通わせる。

妙心寺 退蔵院善悪、自他、そして陽影。対立する二つではなく、一つになる不二の教え。

朱の帳が落ちる頃、聞香の余韻に浸りながら向かう先は、この流れを汲むかのような名称であり名勝「余香苑」。

「敷砂の色が異なる二つの庭は、物事や人の心の二面性を伝えています。仏教には素晴らしい教えが多くありますが、現代で最も大切にしたい語が不二。対立する二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく、一つのものであるという意味です」。

対立の最たるもの、それは戦争です。また、園内には敷石の色が異なる二つの庭を有し、物事や人の心の二面性を伝えています。そこには陽の庭に7つの石を、陰の庭に8つの石が配されています。

「15は完全を表す数字と言われています。七五三、十五夜、瀧安寺の石庭においても15の石を配しています」。

陽がなければ陰は存在せず、陰がなければ陽は存在しません。相反する二つのように見えるそれは、実は一つの存在なのです。

庭の設計は、造園家の中根金作氏が手がけたもの。前述、画家・狩野元信が作庭した枯山水庭園「元信の庭」とともに、中世と現代、二つの名庭を一つの地で堪能できることもまた、「退蔵院」の特筆すべき点と言って良いでしょう。歩を進めるに連れ、高低、奥行きなどの変化が庭の表情を豊かに描き、緻密な計算のもと、作庭されていることがよく理解できます。そして、表れた小さな池。

「実はこの池は、ひょうたんの形をしています。中には一匹の鯰が泳いでいます」。

そう、これは、松山氏の祖父が出した「瓢鮎図」の答え。

「答えを求める際、外に目を向けてしまいますが、実は内にある。お爺さんの遊び心ですね」。

秦野氏が欠落していたもの。それは、六根の中でも唯一五感以外の根、意=心。その答えもまた、外にはなく、内にあるのです。

「余香苑」に備えるひょうたん型の池。この中に、一匹の鯰が悠々と泳ぐ。

妙心寺 退蔵院もっと自由に。覚醒した秦野よしきの鮨ライブ。

秦野氏は言います。

「退蔵院という環境、精神との対峙、自分の中にあった靄が晴れた」。

斬新だったのは、そのプレゼンテーション。一般的に鮨をイベントで供する際は、料理の特性上、職人が握る場にゲストが足を運ぶか、数貫の盛り合わせをサービスするケースが多い。

しかし、「一貫一貫、握りたてにこだわりたかった」秦野氏が編み出した手法は、二列のテーブルの間に一つの可動式カウンターを設え、前後に移動しながら握りたての鮨を左右に供するという仕立て。

鮨ライブです。

料理の内容は、吉次のしゃぶしゃぶや牡蠣の南蛮漬け、雲丹出汁、蟹ジュレなど、逸品九品と鮨十貫。特筆すべき点は、メニューにあったが供されなかった本鮪赤身漬けの鮨。

「最初は、漬けでやろうと思って決めていたのですが、実際、仕入れた赤身が素晴らしく、わざわざ漬けにする必要はないと思い。素材をそのまま味わってほしくて」。

前述、「決めたことや型から外れることに苛立ちを感じていました」という境地からの変化。また、この赤身を本鮪とろと本鮪中とろの間に挟んだ妙も、セオリーを覆した順。

「臨機応変や変化を楽しめるようになり、のびのび鮨を握ることができました」と秦野氏。

今回、秦野氏が自身に課したテーマは、アップデート。しかし、それは奇を衒うという意味ではありません。

「今回のために新しいことをするのではなく、これまでと同じように違う環境で表現することに努めたかった」。

ベストな鮨を味わいたいのであれば、麻布十番「秦野よしき」に行くべきでしょう。なぜなら、「退蔵院」は、素晴らしい環境である一方、厨房やサービス導線が整わない環境でもあるからです。

では、ここで味わう鮨の醍醐味は何か。それは、人間「秦野芳樹」が握る鮨と言って良いのではないでしょうか。つまり、生き様です。

「色々、難しいことがたくさんありましたが、一番苦労したのは、何回炊いても同じシャリにならなかったことでした。環境変わると同じことすらできない」。

これまでの秦野氏であれば、ここでまた苛立ちを覚えたでしょう。ですが、「退蔵院」の教えが秦野氏の息を整え、心を落ち着かせ、目指すべき方向、指が差す先へと導きます。

六根清浄。これまでの体験を経て、秦野氏の眼、耳、鼻、舌、身、意が結実してゆきます。

「シャリ(舎利)も仏舎利が由来しており、鮨は仏教と親密な関係を持っていると感じています。鮨の歴史は約200年ですが、退蔵院の歴史は約600年。鮨以上の歴史の空間で握ったのは初めての経験でした。ですが、こんなに長い歴史がある中で、松山さんは新しいことをやり続けている。まさに温故知新。挑戦しなければ伝統は生まれませんし、伝統にも気付けない。今回は、何が自分に足りないのかに気付くことができました」。

そんな言葉で振り返る秦野氏は、職人としての成長だけでなく、人としての成長を得たに違いありません。そして、「何より、この環境をスタッフと共有できたことが良かったです」と言葉を続けます。

それはなぜか。

「今回の体験をいつの日か振り返った時、必ずターニングポイントになったと思うから」。

それを自分だけの筋肉にするのではなく、チームの筋肉にできたことは、今後、秦野氏の鮨をより強くしてくれるでしょう。

ゲストのテーブルの間を秦野氏が可動式のカウンターとともに移動し、一人ひとりに鮨を握る。ありそうでなかった画期的な演出。

メニューには、本鮪赤み漬けとあったが、素材の質と状態を見極め、急遽変更。余計な手を加えず、赤身の握りに。

妙心寺 退蔵院今やっていることを当たり前に。世界基準を作りたい。

「例えば、現在は当たり前のように甲殻類や貝類が握られていますが、鮨が魚から始まったことを考えると、誰かが魚ではないそれを握った先人がいるわけです。きっと肯定的な意見だけではなかったでしょう。ですが、続けることによって、当たり前になりました。そんな未来の世界基準を作っていきたいと思っています」と秦野氏。

現在、秦野氏が追及している「酸と脂」もそのひとつ。今回、供された茄子の揚げ浸しの鮨や牡蠣の南蛮漬けの逸品などは、その好例です。

そんな秦野氏の想いを伝えたかったと一肌脱いだ人物がいます。今回のプロデュースを務めたレバレッジコンサルティング代表の本田直之氏です。

「秦野芳樹は、確実に進化している。しかし、それに気付いていない人もいる」。

この言葉は、シンプルなように聞こえますが、実は奥が深いと考えます。なぜなら、一人の料理人を定点観測することは難しいからです。通い続ければできますが、言うほど容易なことではありません。

「だから、それをどうしたら伝えられるかをものすごく考えた結果、秦野芳樹の進化した鮨だけでなく、深化した精神を伝えることが必要だと思いました。ただのイベントではなく、正しい場所で、正しい形で、今の秦野芳樹を表現したかった」。

「退蔵院」でそれが具現化できたことは、奇跡のショーケース。そして、もうひとつ。「ゲストは世界中から」ということも本田氏がこだわったところ。

「秦野芳樹が世界基準で鮨の礎を築こうとしていることは知っていました。だから、今回のメッセージは、日本だけでなく世界の人に伝えたかった」。

厳選されたゲストは、わずか20名。半分は外国人。国も年齢も性別も業種も様々。さらに補足すべきことは、レストランランキングなどが目的とされていないこと。あくまでも、対ゲストに向けられたイベントだったということです。

「今回の趣旨は、正直、日本人でも理解するのは難しいと思っています。しっかりと本質を伝えるには、20名が限界。自分自身もまた、本質とは何かに向き合えた体験でした」。

茄子の揚げ浸しの握り。酸と脂という関係は、秦野氏が追及する究極のハーモニー。

今回、鮨に合わせられたのは、「ドン ペリニヨン 2015」。本田氏がアドバイザーを務める「ドン ペリニヨン」は、「世界最高のワインを造る」という強い意志のもと、修道士のピエール・ペリニヨンによって17世紀に誕生した歴史の深いメゾン。

京都の「日々醸造」もペアリングに登場。京都の水と天然の乳酸菌から丁寧に育て上げた日本酒は秦野氏の鮨とも好相性。

妙心寺 退蔵院食でつながる時代から、精神でつながる時代へ。

「これほどまでに情報過多の時代、人間は変わらないと成長できない」。秦野氏は、そう話します。

「退蔵院」で鮨を握るということ。それは、高い技術に裏打ちされた握りを供することにあらず。禅の振る舞いに相応しい振る舞いをしなければならず、その精神性を兼ね備えなければいけません。それは秦野氏に限らず、ゲストも同様。

「今後は、もっとアグレッシブに外に出てい(生)きたいと思っています。矢面に立てば、批判も出ると思いますが、それも真摯に受け止めようと思っています。日本の魚って素晴らしい、日本の鮨って素晴らしい。これから自分が目指す鮨をワールドオーダーにしたい」。

自分を超えられるのは、自分だけ。

指先を見ている秦野芳樹は、もういない。六根清浄――。秦野芳樹は、自身を導き出し、指が差す先を目指す。

この日のためだけに、世界中から集まったゲストは、わずか20名のみ。たった一夜のみ、「退蔵院」で行われた奇跡の時間は、秦野氏の人生を大きく変えたに違いない。


Photographs:YOHEI MURAKAMI
Text:YUICHI KURAMOCHI

速報!「栗林大茶会」の全貌公開。

栗林大茶会「栗林大茶会」で行われる5つの体験。

特別名勝「栗林公園」で行われる「栗林大茶会」。この壮大な茶会を形成するのは、それぞれの業種の第一線で活躍する面々です。

茶の湯監修には武家茶道・武井宗道氏、和菓子監修には「ファロ」シェフパティシエ・加藤峰子氏、飲料監修にはバーテンダー・南雲主于三氏、空間設計監修には永山祐子氏を迎え、和菓子の分野では、日和制作所、三友堂、夢菓房たから、御菓子司 寳月堂、瀬戸内パウダーラボが参画、空間設計の分野には、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気、コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬/KASAが参画、そして、亭主として料亭 二蝶、SABI、BAR TIE、Art Collective Ochillが参画します。

75万平方メートルという広大な敷地内に点在するのは、脈々と受け継がれてきた歴史と文化が息づく建築物やこの庭園を称する「一歩一景」の絶景群。「栗林大茶会」では、庭園の全てを舞台にゲストに回遊いただき、5つの空間を形成し、各分野の感性を交錯させることによって独自の世界を創造します。

唯一無二の茶の湯の価値。ここでは、その全貌をご紹介いたします。

今回行われる「栗林大茶会」を創造する主要メンバー4人。左上より時計回りに、茶道ディレクター・武井宗道氏、「ファロ」シェフパティシエ・加藤峰子氏、バーテンダー・南雲主于三氏、建築家・永山祐子氏。

case of experience 1

場所:掬月亭
亭主:料亭 二蝶
和菓子屋:日和制作所
和菓子:和三盆糖のお干菓子

歴代の藩主が愛したと言われている茶屋「掬月亭」は、お殿様が建築を命じ、建てられただけあり、実に華やか。そこに高松の老舗料亭「二蝶」を亭主に迎え、和三盆糖のお干菓子を提供いたします。和菓子は、「日和制作所」が担当。小さな工房で手彫りの菓子型と手作業で作られた品は、まるで小さな芸術品。歴史と文化が息づく建築とともに、優雅な時間をお楽しみください。

case of experience 2

場所:日暮亭
亭主:Art Collective Ochill
和菓子屋:三友堂
和菓子:錦玉羹

明治31年に築造された茅葺の草庵型の「日暮亭」には、季節の移ろいを感じる穏やかな時間が流れています。そこで供される和菓子は、明治5年より創業の味を守り続けている高松の老舗和菓子屋「三友堂」の錦玉羹。目でも楽しめる美しい和菓子は、職人の技と意匠を存分に感じることができます。ゲストをおもてなす亭主は、新たな嗜好体験「茶香(吸うお茶)」を京都の瞑想室から世界へと発信し、日本らしいwell-beingをwelll-downと捉え、探求しているアートコレクティブ、「Ochill」です。茶の湯や嗜好品の再構築とも形容できる、ここでしか味わえない独自の体験を満喫ください。

case of experience 3

場所:臥松庵
設計:三井嶺建築設計事務所
亭主:武井宗道
和菓子屋:夢菓房たから
和菓子:ごま餅

「栗林大茶会」の茶の湯監修を担う武井宗道氏を亭主に迎える空間を設計するのは、三井嶺氏。茶室をはじめとする日本建築の理論を探求し、「骨と装飾」「茶室に見る”無”と透明性」「イメージの媒介としての建築」を創作のキーワードとしています。過去には、茶室「清風庵」なども手がけ、「Under 35 Architects Exhibition 2017」最優秀賞や住宅建築賞2021なども受賞。ただ、そこに身を置くだけで特別な体験となりますが、「夢菓房たから」の和菓子がそこに口福を纏わせます。昭和11年創業より、約88年地域に根ざした味は、今なお人気を誇っています。その確かな味を、この日のためだけに設計した建築空間とともにお楽しみください。

case of experience 4

場所:露庵
設計:KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬
亭主:SABI、BAR TIE
和菓子屋:夢菓房たから
和菓子:練り切り

上記、「臥松庵」に続き、「露庵」においても「夢菓房たから」が手がける和菓子は、練り切りです。職人技が成す三つ揃えのはさみ菊は、まさに食べる芸術。空間は、東京とモスクワを拠点に活動する建築ユニット、コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬/KASAが設計。SDレビュー「鹿島賞」、ヴェネチアビエンナーレ国際建築展「特別表彰」、三重県文化賞「文化新人賞」、Under 35 Architects exhibition「伊東賞」「Gold Medal」、MFU「ベストデビュタント賞」などを受賞し、国内外で高い評価を得ています。亭主には、2023年に高松にティースタンドをオープンしたばかりの新進気鋭「SABI」と高松市古馬場町で古くから大人の社交場として親しまれてきたエリアで営む「BAR TIE」を迎え、玉露、焙じ茶、そしてカクテルとともに、お客様をおもてなしします。古き良きもの、新しいもの、すべてを結びつける多様性の場所でありたいとは、「BAR TIE」の言葉。この空間で結びつく、新たな世界と体験をご堪能ください。

case of experience 5

場所:泳月庵
設計:VUILD/秋吉浩気
亭主:BAR TIE
和菓子屋:御菓子司 寳月堂、瀬戸内パウダーラボ
和菓子:吹寄せ(生落雁、琥珀糖、おいり)

泳月庵の亭主は、上記同様、「BAR TIE」が担当。空間設計は、「VUILD」秋吉浩気が手がけます。「新たな茶室を栗林公園に設計にするにあたり、掬月亭と対になるような建築を考えたいと思いました。掬月亭の名が湖に映る月を掬うことに由来するのであれば、その対となるものはやはり湖に浮かぶ月。であるならば、月を湖に泳がせたような、月から泳いできたような茶室を提案したいと思いました」とは、秋吉氏の言葉。大きさは約2畳。繰り広げられる茶事の世界に供されるのは、「御菓子司 寳月堂」と「瀬戸内パウダーラボ」の吹寄せの和菓子。池の水、光、音。ゆっくりと流れる北湖の景色を眺めながら、満喫ください。

Special Support

サービス協力:BAR足袋・タビ式、柳田ラムセス晃一郎

茶室の様に高さの低い入り口をくぐり、飛び石の通路を通り抜けて入る隠れ家のようなわびさびのある「BAR足袋」とその新店、世界一長いBARの扉!?「タビ式」、そして、フリーランスの飲食、サービスマンとして活動し、過去には「2019年の瀬戸内国際芸術祭」や「たかまつ国際古楽祭2021」でも料理をプロデュースした柳田ラムセス晃一郎氏も「栗林大茶会」をサポートしています。

和菓子の原材料
*和三盆糖のお干菓子
和三盆糖(香川県製造)、オリーブリーフパウダー(香川県産)、ライムの皮(香川県豊島産)/オリーブオイル(香川県産)

*錦玉羹
砂糖(国内製造)、水飴、寒天、紅茶エキスパウダー/ベルガモット香料、ローズウォーター、マイクロハーブ(赤紫蘇)

*ごま餅
砂糖(てんさい糖 国内製造)、白いんげん豆、羽二重もち米、小原紅早生みかん(香川県産)、黒ごま/トレハロース

*練り切り
砂糖(てんさい糖 国内製造)、白いんげん豆、山芋、餅粉、ラズベリーペースト、ローズウォーター、檜、ビーツパウダー、バタフライピーパウダー/トレハロース、クチナシ色素

*吹寄せ
生落雁:砂糖(国内製造)、サワーチェリーペースト、寒梅粉、水飴
琥珀糖: 砂糖(国内製造)、桂花茶、エルダーフラワーシロップ、水飴/トレハロース、着色料(金箔)
おいり:もち米(国産)、上白糖、レモン果汁パウダー/膨張剤

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会

「栗林大茶会」の詳細やご予約は下記をご覧ください。

速報!「栗林大茶会」の全貌公開。

栗林大茶会「栗林大茶会」で行われる5つの体験。

特別名勝「栗林公園」で行われる「栗林大茶会」。この壮大な茶会を形成するのは、それぞれの業種の第一線で活躍する面々です。

茶の湯監修には武家茶道・武井宗道氏、和菓子監修には「ファロ」シェフパティシエ・加藤峰子氏、飲料監修にはバーテンダー・南雲主于三氏、空間設計監修には永山祐子氏を迎え、和菓子の分野では、日和制作所、三友堂、夢菓房たから、御菓子司 寳月堂、瀬戸内パウダーラボが参画、空間設計の分野には、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気、コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬/KASAが参画、そして、亭主として料亭 二蝶、SABI、BAR TIE、Art Collective Ochillが参画します。

75万平方メートルという広大な敷地内に点在するのは、脈々と受け継がれてきた歴史と文化が息づく建築物やこの庭園を称する「一歩一景」の絶景群。「栗林大茶会」では、庭園の全てを舞台にゲストに回遊いただき、5つの空間を形成し、各分野の感性を交錯させることによって独自の世界を創造します。

唯一無二の茶の湯の価値。ここでは、その全貌をご紹介いたします。

今回行われる「栗林大茶会」を創造する主要メンバー4人。左上より時計回りに、茶道ディレクター・武井宗道氏、「ファロ」シェフパティシエ・加藤峰子氏、バーテンダー・南雲主于三氏、建築家・永山祐子氏。

case of experience 1

場所:掬月亭
亭主:料亭 二蝶
和菓子屋:日和制作所
和菓子:和三盆糖のお干菓子

歴代の藩主が愛したと言われている茶屋「掬月亭」は、お殿様が建築を命じ、建てられただけあり、実に華やか。そこに高松の老舗料亭「二蝶」を亭主に迎え、和三盆糖のお干菓子を提供いたします。和菓子は、「日和制作所」が担当。小さな工房で手彫りの菓子型と手作業で作られた品は、まるで小さな芸術品。歴史と文化が息づく建築とともに、優雅な時間をお楽しみください。

case of experience 2

場所:日暮亭
亭主:Art Collective Ochill
和菓子屋:三友堂
和菓子:錦玉羹

明治31年に築造された茅葺の草庵型の「日暮亭」には、季節の移ろいを感じる穏やかな時間が流れています。そこで供される和菓子は、明治5年より創業の味を守り続けている高松の老舗和菓子屋「三友堂」の錦玉羹。目でも楽しめる美しい和菓子は、職人の技と意匠を存分に感じることができます。ゲストをおもてなす亭主は、新たな嗜好体験「茶香(吸うお茶)」を京都の瞑想室から世界へと発信し、日本らしいwell-beingをwelll-downと捉え、探求しているアートコレクティブ、「Ochill」です。茶の湯や嗜好品の再構築とも形容できる、ここでしか味わえない独自の体験を満喫ください。

case of experience 3

場所:臥松庵
設計:三井嶺建築設計事務所
亭主:武井宗道
和菓子屋:夢菓房たから
和菓子:ごま餅

「栗林大茶会」の茶の湯監修を担う武井宗道氏を亭主に迎える空間を設計するのは、三井嶺氏。茶室をはじめとする日本建築の理論を探求し、「骨と装飾」「茶室に見る”無”と透明性」「イメージの媒介としての建築」を創作のキーワードとしています。過去には、茶室「清風庵」なども手がけ、「Under 35 Architects Exhibition 2017」最優秀賞や住宅建築賞2021なども受賞。ただ、そこに身を置くだけで特別な体験となりますが、「夢菓房たから」の和菓子がそこに口福を纏わせます。昭和11年創業より、約88年地域に根ざした味は、今なお人気を誇っています。その確かな味を、この日のためだけに設計した建築空間とともにお楽しみください。

case of experience 4

場所:露庵
設計:KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬
亭主:SABI、BAR TIE
和菓子屋:夢菓房たから
和菓子:練り切り

上記、「臥松庵」に続き、「露庵」においても「夢菓房たから」が手がける和菓子は、練り切りです。職人技が成す三つ揃えのはさみ菊は、まさに食べる芸術。空間は、東京とモスクワを拠点に活動する建築ユニット、コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬/KASAが設計。SDレビュー「鹿島賞」、ヴェネチアビエンナーレ国際建築展「特別表彰」、三重県文化賞「文化新人賞」、Under 35 Architects exhibition「伊東賞」「Gold Medal」、MFU「ベストデビュタント賞」などを受賞し、国内外で高い評価を得ています。亭主には、2023年に高松にティースタンドをオープンしたばかりの新進気鋭「SABI」と高松市古馬場町で古くから大人の社交場として親しまれてきたエリアで営む「BAR TIE」を迎え、玉露、焙じ茶、そしてカクテルとともに、お客様をおもてなしします。古き良きもの、新しいもの、すべてを結びつける多様性の場所でありたいとは、「BAR TIE」の言葉。この空間で結びつく、新たな世界と体験をご堪能ください。

case of experience 5

場所:泳月庵
設計:VUILD/秋吉浩気
亭主:BAR TIE
和菓子屋:御菓子司 寳月堂、瀬戸内パウダーラボ
和菓子:吹寄せ(生落雁、琥珀糖、おいり)

泳月庵の亭主は、上記同様、「BAR TIE」が担当。空間設計は、「VUILD」秋吉浩気が手がけます。「新たな茶室を栗林公園に設計にするにあたり、掬月亭と対になるような建築を考えたいと思いました。掬月亭の名が湖に映る月を掬うことに由来するのであれば、その対となるものはやはり湖に浮かぶ月。であるならば、月を湖に泳がせたような、月から泳いできたような茶室を提案したいと思いました」とは、秋吉氏の言葉。大きさは約2畳。繰り広げられる茶事の世界に供されるのは、「御菓子司 寳月堂」と「瀬戸内パウダーラボ」の吹寄せの和菓子。池の水、光、音。ゆっくりと流れる北湖の景色を眺めながら、満喫ください。

Special Support

サービス協力:BAR足袋・タビ式、柳田ラムセス晃一郎

茶室の様に高さの低い入り口をくぐり、飛び石の通路を通り抜けて入る隠れ家のようなわびさびのある「BAR足袋」とその新店、世界一長いBARの扉!?「タビ式」、そして、フリーランスの飲食、サービスマンとして活動し、過去には「2019年の瀬戸内国際芸術祭」や「たかまつ国際古楽祭2021」でも料理をプロデュースした柳田ラムセス晃一郎氏も「栗林大茶会」をサポートしています。

和菓子の原材料

*和三盆糖のお干菓子
和三盆糖(香川県製造)、オリーブリーフパウダー(香川県産)、ライムの皮(香川県豊島産)/オリーブオイル(香川県産)

*錦玉羹
砂糖(国内製造)、水飴、寒天、紅茶エキスパウダー/ベルガモット香料、ローズウォーター、マイクロハーブ(赤紫蘇)

*ごま餅
砂糖(てんさい糖 国内製造)、白いんげん豆、羽二重もち米、小原紅早生みかん(香川県産)、黒ごま/トレハロース

*練り切り
砂糖(てんさい糖 国内製造)、白いんげん豆、山芋、餅粉、ラズベリーペースト、ローズウォーター、檜、ビーツパウダー、バタフライピーパウダー/トレハロース、クチナシ色素

*吹寄せ
生落雁:砂糖(国内製造)、サワーチェリーペースト、寒梅粉、水飴
琥珀糖: 砂糖(国内製造)、桂花茶、エルダーフラワーシロップ、水飴/トレハロース、着色料(金箔)
おいり:もち米(国産)、上白糖、レモン果汁パウダー/膨張剤

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会

「栗林大茶会」の詳細やご予約は下記をご覧ください。

異国での挑戦。ふたりの日本人シェフが伝えたい、本当の日本の味。

9月6日〜8日の3日間、「グランド・リスボア・パレス・リゾート・マカオ」にて行われた「シェフズ・テーブル・イベント」。東京・表参道にあるフレンチ「ラチュレ」オーナーシェフの室田拓人氏(左)と「瑞兆」ヘッドシェフの紀之本義則氏(右)は、初共演ながら、阿吽の呼吸でゲストを魅了。

Chef’s Table Event初対面だからむしろ良い。「瑞兆」×「ラチュレ」の共演。

9月某日、マカオにてふたりの日本人シェフがコラボレーションイベントを開催。その人物とは、活動の場を日本からマカオに移した「瑞兆」ヘッドシェフの紀之本義則氏と、東京・表参道に「ラチュレ」を構えるオーナーシェフの室田拓人氏である。

紀之本氏は、山代温泉の名旅館「べにや無何有」など、数々の名店で料理長を務めた経歴を持ち、室田氏は、「レストラン タテル ヨシノ」などで研鑽を積んだ実力派。ともに、ミシュランガイドにおいて1つ星を獲得しています。

舞台となる「瑞兆」を内包するのは、「グランド・リスボア・パレス・リゾート・マカオ」。圧巻の建物は、伝統的な中国様式にヨーロッパのエッセンスを融合させ、東洋と西洋の文化を彷彿とさせます。

「私は、意味のあるコラボレーションしかしません」。

これは室田氏の言葉ではありますが、そこには、紀之本氏の想いも含め、ふたりの強い意志が込められていました。

初対面のふたりは、知らないからこそ互いを理解し合い、尊重する心が生まれ、良い緊張感が育まれながら、今回のイベント「シェフズ・テーブル・イベント」の構想はスタートしました。

「グランド・リスボア・パレス・リゾート・マカオ」3階に位置する「瑞兆」。本格的な日本の割烹料理を提供し、料理人とお客様の交流を重視。350年の樹齢があるヒノキから作られ、空間においても上質な日本にこだわる。

5つ星の「グランド・リスボア・パレス・リゾート・マカオ」には、世界初の「ザ・カール・ラガーフェルド・マカオ」、アジア初の「パラッツォ・ヴェルサーチェ・マカオ」も併設。まるで城のような佇まいで感動的な風景を形成する。

ホテルの内装もゴージャス。ただ空間に身を置くだけで高揚感にあふれる。

約1,900室の客室とスイートルームを完備。観光はもちろん、ビジネスにも最適なホテルとして人気を博す。

タイパ島の官也街「タイパ・ビレッジ」周辺には、ポルトガル式のコロニアル建築が目を引く「タイパ・ハウスミュージアム」(左)も。カラフルな「石街」(右)には、ローカルグルメやカフェ、バーなどが軒を連ねる。マカオに訪れたならば、観光も存分に堪能したい。

奇を衒わず、本質を伝える。

中国の特別行政区でありながら、元々はポルトガル領だったマカオは、東洋と西洋の文化が混在しています。食文化においてもそれは反映され、中国料理やポルトガル料理が多く軒を連ねているのが特徴です。

また、観光地としても栄え、タイパ島の官也街「タイパ・ビレッジ」は特に人気。わずか150mほどの細いストリートには、伝統的な菓子やフードを提供するショップが並び、常に賑やか。周辺には「タイパハウス博物館」なども点在しています。その他、鮮やかな建物が建ち並ぶ「石街」では、個性豊かなカフェやショップが軒を連ね、近年、マカオはエキサイティングな地域として国内外から注目を集めているのです。

では、「瑞兆」のような割烹や「ラチュレ」のようなフレンチは、そのような環境で市民権をえているのでしょうか?

「おそらくマカオの中で割烹と謳う和食は瑞兆のみだと思います。フレンチにおいても、室田シェフが手がけるような本格的な料理を提供されているレストランは数えるほどしかございません」と紀之本氏は話します。

つまり、今回のコラボレーションは、この地域にないもの同士の共演でもあるのです。マカオの人々にそれを伝えるだけでも十分意義を感じますが、難しさもあります。それは、味覚の違いでした。

「日本人が食べて美味しいと感じるものが必ずしも、マカオや海外で受け入れられるわけではありません。ウニも食べない、あん肝も食べない、頭の付いた魚は食べないなど、様々なお客様を見てきました。しかし、それは食べる習慣がなかっただけ。マカオでは、ただ料理を提供するだけでなく、料理の背景や文化、なぜこのようにして食べるのかなど、知識とともに提供することが大事だと感じました。今回のコラボレーションにおいても、そのようなプレゼンテーションを採用しました」と紀之本氏。

「ラチュレにも多くのインバウンドのお客様がいらっしゃいますが、そこで感じたことは、日本人の味覚と海外の方々の味覚が異なるという点でした。それは、アジア、欧米など、国や地域によって様々。美味しいと感じるストライクゾーンの違いをどう埋められるのかは、これからの時代、非常に重要。今回、コラボレーションに参加させていただいた理由のひとつは、マカオのお客さまをお迎えし、味をアジャストさせたいと思ったことでした。塩加減、旨味の感じ方、生ものの使い方……。紀之本シェフの技術はもちろん、プレゼンテーションやコミュニケーションの仕方を間近で見ることができたことも良い経験になりました」と室田氏。

ふたりが話す味覚の件は、日本は単一国民、島国文化ゆえ、一過性の味覚がDNAとして刻まれているのかもしれません。しかし、移民なども多い国や地域では、それぞれが異なる食文化で生まれ育っているため、そのゾーンは広い。どうすれば美味しいを届けられるのか。それは頭で考えるよりも行動あるのみ。答えは常に現場にあるのです。

そして、前出、室田氏が語った「良い経験」においては、こうした体験をすることで「特にスタッフにおいて良い経験になる」と言葉を続けます。「フランス料理はチームで作る料理」と話す室田氏は、ベストなチームワークを目指す一方、自身のレストランだけで料理をすることによってスタッフの視野が狭くなることも懸念。こういったイベントの際には同行させ、学びの場を与えているのです。

今回のコラボレーションは、昨今行われるアワードなどのランキング目的ではないため、ゲストにおいては審査員やジャーナリストはいません。「あくまでも、お客様に喜んでいただける本当の割烹と本当のフレンチを提供したい」とふたり。

「瑞兆」と「ラチュレ」がコラボレーションした理由は、実にシンプル。「世界の人に美味しいを届けたい」から。 奇を衒わず、本質を伝える。ただそれだけなのです。

今回のコラボレーションにおいて、ふたりが特にこだわったことは、マカオの人々が美味しいと感じる味の塩梅。味覚のゾーンを探る作業は、文化や歴史を学ぶところから始まるため、奥が深い。

コースの前半で供された前菜2種、「柿の白和え 吹寄せ盛り」(左)と「菊花蕪鶏射込み椀」(右)は「瑞兆」作。日本の秋の代表的な果物・柿に、椎茸、三つ葉や自家製のお豆腐ソースで和え、柿の中に盛り付け。トップには揚げ銀杏や揚げ里芋を飾り付ける。また、かぶの皮をむき、手で一つひとつ菊の花の模様を彫るお椀も秋の情緒を感じる。鶏肉のメンチを入れた後、鶏肉とかつお節で取ったダシでじっくり煮込み、最後は、和食を伝統的な作法として、お椀の蓋に霧吹きし、ゲストに提供。

日本の食材をフレンチの調理法で表現した「鰹藁焼き 秋野菜のコンディマン」は「ラチュレ」作。藁で秋のカツオを燻製し、わかめ、新生姜のジェリー、花穂じそなどの秋野菜に合わせる。トマトのスープ、かつお節とローズマリーオイルで仕上げたソースとともに。

食材に見た質の高さと危機感。

「日本人が手がけるフランス料理をマカオの人はほとんど食べたことがないので、感動していたのが印象的でした」。

これは、日頃見るゲストの表情を知るからこそ、その違いがわかる紀之本氏ならではの感想です。

一方、室田氏も別の角度から違いを見たと言います。それは食材です。

「今回、瑞兆さんが日本から空輸したノドグロを使用したのですが、その質の高さに驚きました。むしろ日本よりも良いのでは?と。そのおかげで、お客様にも満足いただけるような逸品が作れた一方、日本の良質な魚が海外に出てしまう危機感も覚えました」と室田氏。

室田氏は、海と魚を学ぶコミュニティ「Chefs for the Blue」のメンバーのひとりでもあります。神経〆や流通の進化も輸出の加速を手伝いますが、販売価格の問題もあるでしょう。需要と共有のバランスも注視する点です。

「こうした問題も現場にいなければわからないこと。すぐには解決できるものではありませんが、考え続けたいと思います」。

今回、ふたりがコラボレーションするにあたり、テーマがありました。それは、「日本の秋のテロワール」。一般的のように聞こえますが、マカオでそれを表現することは至難の技。なぜなら、日本ほど四季がはっきりしていないからです。

「割烹の醍醐味は、四季の味わいや旬の食材を愉しむことにあると思います。しかし、暑い時期が多いマカオの環境で日本の秋のテロワールを表現することは非常に困難ですが、挑戦したかった。正しい日本の食文化を伝えたかった」と紀之本氏。

かぶの皮を丁寧にむき、日本の秋に咲く花、菊をあしらった「菊花蕪鶏射込み椀」は、日本で供される割烹料理そのもの。同じく秋を代表する果物、柿を使用した「柿の白和え 吹き寄せ盛り」には椎茸や三つ葉を忍ばせ、揚げ銀杏や里芋を添えるなど、質の高いプレゼンテーションに、ゲストはパスポートのいらない日本を体験したに違いありません。

加えて、「瑞兆」のシグネチャーメニューでもある薩摩A5和牛を使用した料理では、日本スタイルとフレンチスタイルで調理。紀之本氏は、キャビアを加え、「薩摩 A5イチボとキャビアの押し寿司」として仕上げ、室田氏は、フォアグラとシャンピニオンデュクセルのムースをパイ包みに。ソースは黒トリュフを使ったソースペリグーで仕上げます。

そして、それぞれの技術と感性が互いを引き立て合ったコラボレーションメニュー、「黒鮑と森のきのこのフリカッセ」では、紀之本氏が三重県産の黒アワビを昆布と日本酒で2時間蒸したあと、室田シェフが白ワイン、キノコ、イノシシのベーコンで作ったソースで合わせ、「松茸炊飯」では、室田氏が作るフレンチのダシで紀之本氏が炊き込みご飯を作るなど、双方、絶妙なバランスでひと皿にまとまり、オリジナリティも豊か。

ふたりの日本人シェフが作る、日本の味で構成されたコースは、見事にマカオのゲストの美味しいにアジャストしました。

今回、提供されたメニューは全11品で構成。うち、2品は「瑞兆」と「ラチュレ」のコラボレーションメニュー。

はまぐり、秋野菜、パセリとバターで作ったスープの上に、軽く皮をあぶったのどぐろを載せた「のどぐろ初秋のスープ仕立て」(左)は、「ラチュレ」作。そして、「のどぐろ煎り米焼き 雲丹ソース」(右)は、「瑞兆」作。炭火でのどぐろを焼き、上に揚げた稲穂を加え、ぱりぱりな食感を与える。北海道のバフンウニと醬油で作ったソースなど、日本の食材をふんだんに使用。ともに、のどぐろは石川県産のもの。

「瑞兆」のシグネチャーメニューである薩摩A5和牛の料理を「薩摩 A5イチボとキャビアの押し寿司」としてアレンジ。軽く炙った薩摩A5和牛のランプとキャビアを酢飯に乗せ、花穂じそ飾り付け。

「薩摩 A5牛肉のウィリントン風ソースペリグリー」は「ラチュレ」作。室田氏は、「瑞兆」の定番である薩摩A5和牛ロースに、フォアグラとシャンピニオンデュクセルのムースをパイ包みに。ソースは黒トリュフを使ったソースペリグー。

今回、「瑞兆」と「ラチュレ」がコラボレーションしたメニューはふたつ。そのうちのひとつ、「黒鮑と森のきのこのフリカッセ」。紀之本氏は三重県産の黒アワビを昆布と日本酒で2時間蒸し、室田シェフが白ワイン、キノコ、イノシシのベーコンで作ったソースに合わせる。トップにはキノコのパリパリなチュイルを盛り付け。また、秋の落ち葉を踏んだ時の音を体感させるため、揚げた春巻きの皮を入れた演出は、山で狩りもする室田氏の発案。

ふたつ目の「瑞兆」と「ラチュレ」のコラボレーションメニュー「松茸炊飯」。和風の炊き込みごはんをフレンチのダシで炊き込み、マツタケなど、秋の食材を採用。まずはそのまま食し、その後、ダシと薬味を入れ、お茶漬けに。

マカオにいるからこそ伝えたい。国内にいると気付かない日本の価値。

海外で活躍する紀之本氏。そして、今回、海外を舞台にクリエイションした室田氏。それぞれ、国外に身を置くからこそ、世界との目線合わせや日本への気付きがあると言います。

「海外に行くと改めて思うのは、日本は色々なものが食べられる美食の国。レストランという環境以外においても美味しいものにあふれています。一方、便利になり過ぎている現代において、昔からある食文化や郷土料理がなくなり始めているようにも思えます。また、サスティナブルという点においてもまだまだ日本は遅れを取っている。日本人よりも海外の人の方が日本の文化に詳しいこともあるため、当たり前のようにある日本の価値に再発見させられることもあります。もっと勉強しなければいけないと思いました」と室田氏。

「マカオで日本料理といえば、寿司、天ぷら、鉄板焼きなどの印象を持つ人が未だ多く、割烹の意味を理解できる人はまだまだ少ないです。詫び錆び、情緒、おもてなしなど、食を通して、日本の文化と一緒に伝えたい。マカオは国柄、中国料理は多く、その技術はテクニックが長けている一方、味は濃く、やや大ぶり。日本料理の繊細さとは対局の食文化ですが、だからこそ、伝えたい」と紀之本氏。

今回のコラボレーションを通して、それぞれ多くの学びを吸収したふたり。進化、もとい深化した「瑞兆」と「ラチュレ」に、今後、期待が高まると同時に、2度目のコラボレーションを切望したい。

住所:住所:Rua do Tiro, Cotai, Macau
https://www.grandlisboapalace.com/en

TEL:+853-8881-1330
住所:Shop 302, Level3, THE KARL LAGERFELD MACAU
https://www.grandlisboapalace.com/en/restaurants-n-bars/zuicho

TEL:03-6450-5297
住所:東京都渋谷区渋谷2-2-2 青山ルカビルB1F
https://www.lature.jp/contents/category/chef/

五感で感じる季節の情緒。旬と滋養を愉しむ「栗」菓子。[和光アネックス/東京都中央区]

食欲の秋、到来。「WAKO ANNEX」地階グルメサロンでは、定番の味から地域の名物まで、秋の風物詩「栗」の名品を揃える。

WAKO ANNEX日本全国の栗の名産地から厳選。風土とともに味わいたい6品。

9月から11月に旬を迎える栗。香り高く上品な味わいは、秋の代表的な味覚です。今回は、日本全国より厳選し、長野、山口、茨城、熊本の栗を取り揃えました。

まず、大正12年(1923年)創業の老舗。長野県小布施町で菓子製造をはじめ、レストランや宿泊施設も営む「小布施堂」です。元々は、お茶や塩の問屋、酒造業などを行う商家。栗菓子を製造するようになったのは、昭和30年代ころだと言われています。

今回、ご紹介するのは、「小布施堂」の中でも人気の品をふたつ。「栗最中」と「栗鹿ノ子 羊羹」です。両者に欠かすことのできないものは、栗あんです。「小布施堂」がある小布施町は、栗の郷と呼ばれるほど気候や土壌が栗の育成に適しており、室町時代より栗栽培が始まったと言われています。収穫される栗は質が高く、江戸時代には「献上栗」として幕府に献上されていたほどです。

栗の収穫は秋、9月から10月にかけての約1ヵ月の間だけ行われ、収穫した栗を自社工場で加工。1年分の栗あんを製造します。余計なものを加えず、栗と砂糖のみで仕込んだ栗あんは、栗の風味をそのまま閉じこめたうぐいす色のなめらかなあんに仕上がります。

そんな栗あんの風味と香りを存分に満喫できる「栗最中」と「栗鹿ノ子 羊羹」。それぞれの味わいをお楽しみください。

そして、山口県岩国市の「がんね栗の里」の「栗のカケラ」と「がんね栗衛門」。社名にもある「がんね栗」とは、大正2年「全国栗品種名称調査会」で510種の中から、「他に類のない優秀品種」として評価され、農水省の優良品種として誕生。その際、審査員から名称を聴かれ、とっさに採種した集落名・岸根(がんね)と答えたために、この栗の品種は「岸根栗(がんねぐり)」になったと言われています。

がんね栗は晩生種で、例年10月5~10日頃を目安に収穫。果実は30g以上!もあり、栗の中では最大級の大きさです。大粒でつややかな実は、甘みが多く貯蔵性があり、「栗のカケラ」は、それを一粒一粒丹精込めて手作りした渋川煮を焼成したもの。気軽につまんでいただけます。「がんね栗衛門」においては、がんね栗を少量の砂糖だけで練り込んだ風味豊かな「栗きんとん」。深い甘味とまろやかな肉質を誇る逸品は、素材本来の味を存分に堪能できます。

次いで、茨城県笠間市の「あいきマロン」の「栗 甘納糖」。社名にもある「あいき」とは、新ブランド栗「愛樹マロン」のこと。加えて、この栗は、特許を取得した矮化(わいか)栽培で生まれたものでもあるのです。耳馴染みのない矮化栽培の特徴は、樹形にあります。主幹形で樹高を200cm程度にすることで、脚立などを使わず安全に作業ができることから、栗の大規模生産者や高齢者・女性にも手軽に管理作業ができます。主幹から結果母枝と結果枝の葉は樹冠全体を覆うため、葉で生産された同化養分は豊富。根に貯蔵養分が多いため、土壌中の養水分の吸収力が旺盛で簡単に樹勢低下しません。

また、10a当たりの収量は約200kgになり、慣行栽培の約2倍になります。収穫した果実は、3L以上の大きさに生育し、糖含有率は収穫時で11.27%。冷蔵保存1か月間で15.96%の非常に高い値も得ました。※茨城県工業技術センター調べ・平成24年10月29日

ゆえに、矮化栽培で生産された高品質な果実は、6次産業化を目指した地域特産物の開発に有利と考えられるのです。

「栗 甘納糖」を口の中に入れれば、素材本来の風味や濃厚な味わいはもちろん、そんなストーリーも感じられるのではないでしょうか。

最後は、水と空気が綺麗な山江村、熊本県球磨郡の「やまえ堂」の「栗きんとん」です。地域住民が手塩にかけて育てた、栗やゆずを農家から直接仕入れて作り上げるそれは、手作りゆえ、沢山の商品はできません。一つひとつ丁寧に皮をむき一つひとつ丁寧に味をつけ、ことこと煮込んでゆっくりと仕上げます。「栗きんとん」は、やまえ栗を100%使用し、材料は栗と砂糖、塩のみ。安心安全にお召し上がりいただけます。

全てにおいて共通しているのは、栗の名産地であり、専門的に栗の菓子を製造しているということ。各地の風土が活かされた味わいはもちろん、個性豊かな和洋の菓子をお楽しみください。

ご自身で味わうはもちろん、ギフトや手土産にも喜ばれること間違いないでしょう。

「小布施堂」の「栗最中」(5個入)。練りたての栗あんの風味と焼きたての皮の香ばしさが特徴。本当の栗最中の美味しさを追求した菓子職人の想いがカタチになったお品。

「小布施堂」の「栗鹿ノ子 羊羹」。栗の郷として名高い長野県小布施町の「小布施堂」の栗羊羹。栗餡と寒天で練った羊羹には栗の実が存分に入り、食べ応えも十分。

「がんね栗の里」の「栗のカケラ」。大粒で希少な山口県岩国市のがんね栗を使用した渋皮煮を焼成。上質なパウンドケーキにも使用され、和洋の品格が漂う味わいが魅力。

「がんね栗の里」の「がんね栗衛門」。その大きさだけでなく、深い甘味とまろやかな肉質を誇るがんね栗を使用。風味豊かに仕上げ、素材本来の味を満喫できるきんとん。

「あいきマロン」の「栗 甘納糖」。茨城県笠間市の愛樹マロン。その特殊な栽培方法は、特許も取得。口に広がる濃厚な味わいや素材本来の風味などのバランスも良い。

「やまえ堂」の「栗きんとん」。熊本県産やまえ栗を使用した栗きんとん。材料は栗と砂糖、塩のみ。濃厚な味わいだけでなく、安心安全にこだわる。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp


(Supported by WAKO)

日本文化の真実、二度とない茶会。特別名勝 栗林公園と茶事を解く、「Ritsurin Chaji」開催。

香川県高松市にあり特別名勝「栗林公園」にて行われる「Ritsurin Chaji」。そのガイドを務めるのは、東洋文化研究家であり、作家のアレックス・カー氏。

Ritsurin Chaji特別名勝「栗林公園」を舞台に、一流茶人、漆芸作家/人間国宝が邂逅する茶懐石。

国の特別名勝にも指定されている香川県高松市の特別名勝「栗林公園」は、「一歩一景」と称されるほど、歩くたび、豊かな景色を堪能でき、日本の美意識が凝縮された庭園として高い評価を得ています。

また、その知名度は国内に留まらず、2011年には、ミシュラン・グリーンガイドにて最高評価の三つ星も獲得。海外からも注目されています。

今回は、日本人はもちろん、外国人の方々にも本当の日本文化を体験していただくためにプログラムを構成。トラディショナルな茶道の一形態としてプレミアムな茶懐石を期間限定で開催。なぜ茶事なのか? それは、この地の歴史的背景にもつながります。

この庭園の存在は、日本のさまざまな領域を最終的に一つの国に統一した有名な将軍、徳川家康の孫である松平頼重公の保護によるところが大きいと言われています。

歴史的には、松平頼重公が、武者小路千家の宗主・一翁宗守を招聘して、茶道の指南役に置いて以来、高松松平家の茶道指南役は代々武者小路千家が務めています。また、武者小路千家の通称でもある「官休庵」の名も、一翁宗守が高松での職(官)を辞(休)して、京都に戻り、自身の茶の道に専念するという意味を込めたとも伝わっています。

そんな高松松平家が築いてきた特別名勝「栗林公園」のおもてなしそれを現代に再現したらどうなるのか。それをカタチにしたものが、「Ritsurin Chaji」と題したイベントなのです。

五代百年をかけて造営されたと伝わる特別名勝「栗林公園」に込められた日本の自然美・自然観をより享受するため、あえて異なる文化背景を持つ外国人に日本文化を伝えるエキスパートをガイドとして起用。その人物とは、日本をこよなく愛する東洋文化研究家であり、作家のアレックス・カー氏。主な著書「美しき日本の残像」など、日本人より日本に詳しい知見を持ち、かつ、外国人の目線だからこそ着眼する考察力は、我々日本人が発見を得ることも多いでしょう。

園に到着後、歴史的建造物「商工奨励館」に場所を移し、参加者をもてなすのは、香川の地が育んだ漆芸文化。漆芸作家/人間国宝・山下義人氏より、実際の作品を交えながら、直接解説いただきます。そして、アレックス氏との園内散策を挟み、お食事を召し上がっていただくのは、歴代の藩主が愛したという「掬月亭」。地元の老舗料亭「二蝶」による本格的な茶懐石も用意。日本文化の精神性を五感を通して体験いただきます。

「二蝶」は、2023年に開催された「G7香川・高松都市大臣会合」のウェルカムレセプションにて、ヴィーガン&ハラールに対応した和食も披露した実績を持ち、プラントベース料理にも取り組む稀有な老舗。料亭文化を継承しつつ、積極的に挑戦し、国内外を通して、様々なゲストに対応できるよう、世界基準の思想と文化を受け入れています。主人・山本亘氏もまた、茶事を嗜み、茶人でもある人物。「Ritsurin Chaji」の中核的存在でもあります。

歴史的にも文化的にも価値ある特別名勝「栗林公園」を貸し切り、これほどまでに趣向を凝らしたイベントを体験できる機会は、これまでも、これからも、きっとないでしょう。

改めて、問いたいと思います。

我々日本人は、本当の日本文化を知っているのでしょうか。外国の方々は、本当の日本文化に触れる体験をしたことがあるのでしょうか。

「Ritsurin Chaji」に、その答えはあります。

75万平方メートルの広さを有する特別名勝「栗林公園」には、「掬月亭」や「商工奨励館」など、歴史的価値を持つ建造物も並ぶ。

1946年創業、高松の老舗料亭「二蝶」。おもてなしの心と茶道の心、日本の粋を感じられる料理は、味だけでなく、総合文化体験として高い評価を得ている。

会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
人数:各日16名
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会

Ritsurin Chaji」の詳細やご予約は下記をご覧ください。

4人の知性が重なり合う、新たな茶の湯の世界。

今回行われる「栗林大茶会」を創造する主要メンバー4人。左上より時計回りに、茶道ディレクター・武井宗道氏、「ファロ」シェフパティシエ・加藤峰子氏、バーテンダー・南雲主于三氏、建築家・永山祐子氏。

栗林大茶会一歩一景。特別名勝「栗林公園」に創造される大茶会。

高松松平家が五代百年をかけて作り上げた世界があります。それは、香川県高松市にある特別名勝「栗林公園」です。75万平方メートルの広さを有し、1世紀にもわたる開発を経て、1745年に静養地及び散策地として完成されました。

日本の自然感と美意識がそこかしこに潜む名勝は、国内では知る人ぞ知る地。むしろ、国外の方が注目されているかもしれません。

この庭園の存在は、日本のさまざまな領域を最終的に一つの国に統一した有名な将軍、徳川家康の孫である松平頼重の保護によるところが大きいでしょう。松平は茶道を含む文化と芸術の愛好家であり、パトロンでもあったとも言われています。

今回は、そんな背景に想いを馳せ、この土地ならではの茶会を現代的に解釈し、「栗林大茶会」を開催します。

では、何が現代的なのか? 何が大茶会なのか? それをもう少し紐解きたいと思います。

まず、現代的という点では、参画するメンバーにあります。

茶道ディレクターは、武井宗道氏。武家茶道の茶人であり、日本を訪れた各国の国家レベルの賓客をもてなした茶会の主催をするほか、日本、東南アジア、ヨーロッパの観光地での来賓茶会の司会を務めてきた人物です。武井氏監修のもと、このイベントでは、格式ある伝統的な茶道を表現した「真」、伝統性と現代性がミクストした「行」、そして茶道の哲学を現代風に再解釈した「草」の3つの空間に、3つの異なる茶道のスタイルが提供展開されます。この空間デザインにおいては、数々の賞を受賞した建築家であり、武蔵野美術大学の客員教授でもある永山祐子氏監修のもと、三井嶺氏、VUILD、KASAの3名の若手建築家が設計します。

和菓子の監修は、「ファロ」のシェフパティシエ・加藤峰子氏が務めます。2024年アジアの最優秀パティシエ賞を受賞した菓子職人であり、独創性に富んだ才能に目を見張るものがあります。

また、今回の茶会は、茶だけにあらず。「FOLKLORE」のほか、都内やシンガポールにバーを展開するバーテンダー・南雲主于三氏が、特別名勝「栗林公園」の様々な景色を表現したテーマ別のカクテルのラインナップを考案し、茶人・武井氏の振る舞いのもと、お楽しみいただけます。

過去には、加藤氏はイタリア、南雲氏はイギリスでの活動経験を持つふたり。それぞれの感性が武井氏を中心にピボットし、新たな茶会の姿を描きます。

伝統的な体験はもちろん、ファッショナブルで革新的なものからポップで前衛的ものまで、大胆に再解釈した茶道を満喫いただけるでしょう。

特別名勝「栗林公園」のような魅惑的な会場で、これらのユニークな先見性と逸品が一堂に会すことは、これまでに類を見ない壮大な試み。まさに、大茶会。

「一歩一景」とは、この場所を称する言葉です。

文字通り「一歩ごとに眺望あり」という意ですが、「栗林大茶会」では、それに加え、一分、一秒ごとに、刺激的な体験、味わいを堪能できるに違いありません。目で、舌で、耳で、鼻で。心身に訴えかけるアヴァンギャルドな感性に触れることによって、参加者は新たな茶の湯の世界の証人となるでしょう。

一歩一景と称される園内の景色と和菓子のマリアージュを味わえる、現代的な茶会を演出。

芙蓉峰(ふようほう)」から北湖を望むと紅の橋である「梅林橋(ばいりんきょう)」の姿が。特別名勝「栗林公園」の絶景のひとつでもある。

香川県高松市にある特別名勝の日本庭園「栗林公園」は、17世紀前半に築庭が始まったとされ、長期間の庭作りと様々な変革を経て現在の形になったと言われる。

歴代の藩主が愛したと言われている茶屋「掬月亭」は、四季折々の表情を見せ、園内の風情も特に感じられる。

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会

「栗林大茶会」の詳細やご予約は下記をご覧ください。

力強く、澄んだ味わい。滋賀県産食材の魅力を伝える豪華ブッフェイベント、夏の陣。[SHIGA FINEFOOD DINING/東京都港区]

滋賀県産食材が主役のブッフェ、好評に応え再び開催。

食材の宝庫・滋賀県。

肥沃な土壌、豊かな自然、真摯で妥協なき生産者たち、そして琵琶湖の膨大な水資源。さまざまな要因に支えられた滋賀県産食材の質は高く、近年はプロの料理人たちも滋賀県の食材を積極的に取り入れています。

そんな滋賀県の食材の魅力をさらに知ってもらうため、『Dynamic Kitchen & Bar 響 品川店』を舞台にした限定ブッフェイベント「響×滋賀県 in SHINAGAWA」が開催されたのは、昨冬のこと。会場には超満員のゲストが詰めかけ、多彩な食材を使用したブッフェに舌鼓を打ちました。

前回の様子はこちら

そんなグルメイベントが、再び帰ってきました。2024年夏、第二回「響×滋賀県 in SHINAGAWA」が開催されたのです。

限定だったイベントが再度開催された理由は、一度では滋賀県の食材を伝えきれなかったから。いくらバラエティに富んだブッフェイベントであっても、季節や地域によってまだまだ眠る滋賀県の魅力を一度で伝えきることは困難。

そこで今回は「滋賀県の食材の魅力をブッフェで伝える」というテーマはそのままに、前回にはなかった食材や料理が多数登場しました。

今回も満員御礼となったそんなイベントの詳細をお伝えします。

大迫力の尾頭付きの刺し身盛り合わせ。艷やかなオレンジ色の刺し身が、主役のビワマス。

振る舞い酒に選ばれた、滋賀県の銘酒・萩乃露 プラチナラベル 純米大吟醸 原酒。

永源寺こんにゃくは、味噌田楽で。きめ細かく弾力のある食感と臭みのないおいしさに驚きが広がった。

多彩な料理で味わい尽くす滋賀の夏

さて、まずは気になる献立からご紹介しましょう。

ブッフェ台の中央で目を引くのは、旬を迎えたビワマスを中心とした刺し身盛り合わせ。ビワマスはとろける味わいと程よい歯応えが特徴の琵琶湖の固有魚。そのおいしさは地元で知られていましたが、近年、流通や保存技術の発達により他県でも味わえるようになってきました。

大鍋の中で湯気を上げているのは、滋賀県東近江市永源寺地域の特産品・こんにゃく。きめ細かく、プリッとした弾力があるこんにゃくですが、今回はなんと蒟蒻芋の生産から一貫して行うこだわりの生産者「もみじ農園 こんにゃく工房」の逸品が届きました。

シェフが切りたてをサーブしているのは、きめ細かい赤身と黒毛和牛の旨味を併せ持った「げんさん牛」のローストビーフ。近江牛を扱う老舗・元三フードが自信をもって送る、ローストビーフにぴったりの肉質です。

旬を迎えた琵琶湖の鮎のコンフィ、伊吹山麓の伏流水で育ったきんたろうしいたけのフリット、下田なすと海老の麻婆、旬野菜のサラダ。夏においしさの盛りを迎えるさまざまな食材が、彩り豊かな料理になって並びます。

さらに長浜地方の伝統食である焼き鯖そうめんや、えび豆、湖魚佃煮といった郷土料理も登場。滋賀の食材とともに、その食文化の豊かさも伝えるラインナップとなりました。

琵琶湖の夏の風物詩である鮎を、頭まで食べられるコンフィに。写真奥はげんさん牛のローストビーフ。

田楽味噌、柚子味噌を合わせた永源寺こんにゃくと、生ハムと「みなくちファーム」の野菜のサラダ。

焼き鯖とそうめんを炊き合わせてつくる焼き鯖そうめんは、滋賀県長浜地方の郷土料理。

会場を訪れた生産者も学びと発見の連続。

今回の料理の主役のひとつは、石釜で炊いたごはん。昨秋にデビューした滋賀県近江米の新品種「きらみずき」です。

艷やかで大粒でふっくらとした「きらみずき」は滋賀県が13年もの歳月をかけて開発した品種で、すっきりみずみずしい甘さがあり、噛むほどに豊かな甘味が広がるのが特徴。佃煮や漬物とともに味わうだけで、これ以上ないほど贅沢なごちそうです。

滋賀県からやってきたスタッフの熱意あるPRに、会場を埋めたゲストたちもしばし手を止めて聞き入っていました。

このように生産者と消費者を直接つなぐこともまた、今回のようなイベントの大きな使命。今回の会場には生産者も駆けつけ、ゲストと熱心に対話をしていました。

銀行を早期退職して蒟蒻芋の生産からはじめたという「もみじ農園 こんにゃく工房」の端修吾氏、信子氏の夫妻。挨拶では夫婦漫才のような掛け合いで会場をわかせながらも、その真摯な視線は料理とゲストに向かいます。

「今日のシェフは滋賀にまで来てくれて、こんにゃくづくりも体験してくれた。そういう思いが料理にこもっているんですね。勉強になることばかりでした」と、今日の日の収穫を語りました。

きんたろうしいたけの生産者である川村光世氏も、法被を着込んで会場を回りました。

「プロの手にかかると、知っている食材がこんな料理、盛り付けになるのかと驚きました。手塩にかけて育てた食材は、自分の子供みたいなもの。これほど素晴らしい料理にしてもらい感激です」

とこちらも大きな発見があった様子でした。

一升瓶を持って振る舞い酒で会場を回ったのは銘酒「萩乃露」で知られる福井弥平商店の蔵人・水野孝之氏。陽気な人柄でゲストとも気さくに話す水野氏ですが、やはりその内は真剣。

「萩乃露は県内流通が主体でしたが、現在は県外へも徐々に広がっています。こういった滋賀の食材と合わせるイベントでは、食事と酒のテロワールがうまく伝わってくれると思います」と今回の手応えを語りました。

大粒でさっぱりとした甘みがある「きらみずき」。食味テストではコシヒカリと同等の評価を受けている。

きんたろうしいたけの生産者・川村氏。シェフ謹製のしいたけフリットに「大事に育てた娘がシンデレラになりました」と感激。

「もみじ農園 こんにゃく工房」の端夫妻。こんにゃくづくりの苦労話も、笑いを交えて明るく紹介した。

蔵元のこだわりを話しながら各テーブルで酒を振る舞った水野氏。

生産者と消費者をつなぐ飲食店の大切な役割。

こうして大盛況のうちに幕を下ろした「響×滋賀県 in SHINAGAWA」。満足げな笑顔を浮かべて会場を後にしたゲストはもちろん、料理人にも大きな収穫をもたらしました。

「滋賀の食材は味が強い。それはただ主張があるのではなく、うまく料理に乗ってくるような強さです」

そう話すのはシェフ・三島真人氏。事前に滋賀県を訪れ、こんにゃくづくりや畑の見学などで食材と向き合いました。

「強さのある食材に対して、どうバランスを取って料理にするか。私にとっても大切な学びになりました」と、今回の収穫を語ります。

ホールを取り仕切った店長・高野基之氏も今回の成功の立役者のひとり。シェフとともに滋賀県を訪れ、生産者の生の声を聞いたことが、今回に活かせたといいます。

「滋賀県の生産者は皆、人柄があたたかい。そんな方々から生産の苦労話などを伺っていたため、お客様への説明も熱がこもりました」と振り返ります。生産者と消費者をつなぐ飲食店の役割を、より強く実感したことで、『Dynamic Kitchen & Bar 響』は、さらに食材の力をゲストに伝える名店になっていくことでしょう。

さて、このように滋賀県の食材の魅力を存分に伝えたイベント。この記事を読んでいる皆様も、ぜひご自身で体感したく思われることでしょう。もちろん、可能です。首都圏各地にて、滋賀県の食材を使用したレストランは続々増加中。さらに今後も続々とイベントも開催される予定です。気になる方はぜひ「SHIGA FINEFOOD DINING(リンク:https://shigafinefooddining.com/)をチェックしてみてください。

現地訪問が食材理解の深化に繋がったという三島シェフ。ゲストの質問にも淀みなく対応した。

店長の高野氏は、水野氏とともに振る舞い酒も担当。生産者の思いを代弁した。

会場内の特設コーナーでは、滋賀県の特産品の販売も行われた。

https://shigafinefooddining.com/

住所:東京都港区高輪4-10-18 京急第1ビル1F
電話:050-3199-1675
URL:https://www.dynacjapan.com/brands/hibiki/shops/shinagawa/



Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

美食の教養。それは、変人が生きた証。

現在の浜田岳文氏(左)と食へ興味を持ち始めたばかりの35年前の浜田氏(右)。この先、世界一の美食家となることを知る由もない純粋無垢な一枚は、フーディーとして生きる選択をした人生の分岐点でもあったに違いない。

美食の教養人生を豊かにする知的体験とは何か。

“文化的に食べる。「うまい」だけではない「美味しい」を追求する。これが本書の美食の再定義です”。

本書とは、「美食の教養」のことを指しています。著者は、世界一の美食家として名高い、浜田岳文氏。

美食の思考法や美食入門、世界の料理総まとめ、一流料理人の仕事など、本書は、第1章から第6章で構成されており、多角的な視点から美食を読み解いています。冒頭の一節は、プロローグでもある「はじめに」より抜粋した言葉であり、本書の特性を端的に言い当てています。

総ページ数は、驚異の391ページ。2冊にしてもおかしくない膨大な情報量は、果てしなく奥深い美食の沼。ゆえに、この場において全てを伝えることは難しく、「ONESTORY」が大切にしている「日本に眠る愉しみをもっと」の視点から、浜田氏に話を伺います。

まず、注目したいのは、第5章にも綴られている“「京味」が教えてくれた価値観”。

“僕が日本で最も長く通ったひとつに、京料理の名店「京味」があります。6年以上、月1回のペースで通っていました。僕の日本料理の原体験になっているのが「京味」なのですが、その魅力は、西健一郎さんという料理人にありました”(P.300より)

2019年に逝去した「京味」の主人・西健一郎氏。浜田氏が最も美食の教養を学んだひとりであることは間違いない。(浜田氏撮影)

高級食材以外にあった「京味」の素晴らしさ。

「京味は、京料理ですが、いわゆるファインダイニングではないと思っています。西さんのルーツでもある京丹後の郷土料理が軸足にあるものの、伝統的なものではなく、かしこまったものでもない。京都の料亭の流れを組む華やかな料理というよりは、家庭料理が根っこにある。語弊を恐れずにいえば、最高峰のうまいもの屋さん」。

「京味」に足を運んだ人ならばわかるかもしれませんが、春は山菜や舞鶴の鳥貝、秋は丹波の松茸、冬は津居山の蟹など、旬が供される時季に訪問を切望する人も多いでしょう。もちろん、それは「京味」の魅力です。しかし、浜田氏は、そんな高級食材以外に「京味」の素晴らしさがあったと振り返ります。

「1月の白味噌の雑煮、冬の海老芋、通年ある鮭ハラスごはん。強い食材がない月ほど、西さんの本領が発揮されていました。お父さまの音松さんから受け継いだ昔のレシピを再現してくれたり、炒飯や親子丼を作ってくれたこともありました。親子丼の時は、鶏肉がないので、近所の焼き鳥屋さんから買ってきて即興で作っていただいたり。中でも、名物、芋茎の吉野煮は、絶品でした。西さんは、本当に人を喜ばせたい人でした」。

でした。と言うのは、西さんは2019年に他界。ジビエを使わなかった西氏に何度も浜田氏がお願いし、念願叶って冬場に食べた鴨が最後のご馳走となりました。

西氏の話は尽きません。

「本書には書いていないのですが、思い出に残る西さんのエピソードがあります。以前、自分が某食サイトのアドバイザーを務めていた時、そのアワードで西さんがシェフズチョイスに選ばれたんです。西さんは、メディアに出ない方だったので、ご報告だけさせていただこうとお店に伺ったのですが、受賞式に出てくれることになって。登壇の際、若い料理人に向けて、熱いメッセージを送っていただき、皆が感動したのは今でも記憶に新しいです」。

そのメッセージとは、「京味」でも大切にしている「素材の声を聞く」、「変わったものと美味しいものは違う」、「レシピとして完成させるために時間がかかる」という内容でした。

「今思うと、西さんは、きっと伝えたかったのかなと思います。ただ、そのきっかけがなかっただけのかなと」。

その答えを聞くことも、西氏の料理を食べることも、今はもう叶いません。しかし、そんな記憶を大切に想い、今回のように語り継ぐこともまた、「美食の教養」のひとつ。食べるだけが美食から得る教養ではないのです。

“一緒に年を重ねて、一生付き合える料理人と出会えると、人生はより豊かになるのではないかと思います”(P.302より)

「生前、西さんは、“いつも、もう一度来てもらいたいと思って料理をしている”とおっしゃっていました。自分は、食事をしている時に西さんからたくさんのお話を伺ってきましたが、もっと他の料理人にも知ってほしいと常々思っていました。実際、登壇した西さんの声を聞いた料理人に感想を伺ったら、すごく喜んでいました」。

料理人は、自身のお店でほとんどの時間を過ごし、外に出ても仕入先がほとんど。基本的に情報をインプットする時間がなかなかないのが実情です。情報という視点では、本書にも興味深い内容があります。

同じく第5章。“作り手と食べ手の情報格差を埋める”です。

浜田氏曰く、「京味」は「最高峰のうまいもの屋さん」。華やかな八寸などはないが、一品一品が滋味深い。(浜田氏撮影)

作り手と食べ手の間にある、情報の非対称性。

「料理人がメニューを開発する際、相当な時間と労力をかけています。加えて、その料理に込めた想いやストーリーもあるでしょう。しかし、それがどれだけ食べ手に伝わっているか? おそらく、多くの人がほぼ理解できていないと思います」。

料理を生み出す作り手が費やしてきた長い時間に対し、食べ手は一瞬で食す。じっくりと味わい、能動的に意図を探ろうとしても、口内に残る時間も限られているため、多くの答え合わせをするのは至難の技でしょう。ましてや、誰かと食事ともなれば、会話しながらになるため、味だけに集中することも難しい。

“だから、食べ手としては、常に謙虚でいたいと思っています。料理人が込めた意図の一部しか理解できていないかもしれないことを、心に留めておくべきだと思うのです”(P.304より)

「音楽に例えれば、わかりやすいと思います。例えば、あるアーティストが新曲を出した場合、一回聞いて理解できるかというと、きっと無理でしょう。何度も聞かないとその曲の意味は理解できないと思います。食も本来はそう。ただ、音楽と食の違いは、録音できる音楽は何度も聞けますが、その場限りの食はそうはいきません。それだけ料理人は難しいことをやっている。そして、それを料理人は理解すべきだとも思うのです」。

“食べ手は1割も理解できていない、という前提のもと作られた料理と、9割わかっているはずだと思っている料理とは、全く別物になります。優れた料理人は、作り手と食べ手の情報の非対称性を踏まえたうえで、お客さんに伝わる料理を作っている。そんな印象を僕は持っています”(P.305より)

格差を埋める手法のひとつは、説明です。説明をしてくれる料理人やサービスの声に耳を傾け、料理を味わう。これはひと皿が生まれるまでに関わった料理人、生産者、食材、そして命への礼儀。星付き、トック、ランキング、はたまた、予約の取れない名店……。レストランに行くことがゴールではありません。大切なことは、その先にあるのです。

例えば、フランスでは、ノーベル賞を受賞する作家や芸術家とシェフが同じようなクラスとして扱われています。それに比べると日本はまだまだ発展途上。食が文化として進化するのは、優れた料理人だけでは構築することはできません。優れた食べ手も必要なのです。

下記、地方の中でも浜田氏が特異な目で見ている軽井沢のイタリアン「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ」。“シェフは加工業である”と語った、シェフ・小林幸司氏の言葉は、浜田氏の胸に深く刻まれた。(浜田氏撮影)

強烈な個性。ひとりの熱狂が地域を変える。

昨今、都心だけでなく、地方にも才能が分散している現象が起こっています。いくつかその事例を紐解いてみたいと思います。まずひとつは、強烈な個性。軽井沢のイタリアン「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ」のシェフ・小林幸司氏です。

「地方のレストランは、地産地消に取り組んでいるのが常だと思います。もちろん、これは食べ手としても楽しみのひとつ。しかし、小林シェフのお店は、地元食材へのこだわりは一切ありません。主にイタリアの食材を使用しています。原則として、自分は、その土地の背景を感じる料理を好みますが、小林シェフは例外。イタリアのものはイタリアで食べた方が鮮度も良いはずですが、そのハンディキャップを軽々乗り越えるアイディアと優れた技術を備えています。ぜひ、イタリアンの料理人にも食べていただきたいです」。

“シェフは加工業である”(P.307より)とは、小林氏の言葉。それを雄弁と料理で語り、一刀両断するのが、「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ」なのです。

また、点から面に派生するケースも。富山や静岡がその好例です。

「富山といえば、やはりレヴォ。谷口英司シェフは、大阪出身。つまりは、余所者です。しかし、余所者だからこそ、地元人では気づかないような視点で、その土地の魅力を引き出せるのかもしれません。そうでなければ、利賀村内の廃村だった集落跡に拠点を構えなかったのではないでしょうか。周辺の山々を熟知したからこそ堪能できる料理はジビエです。熊や狸、猪、蛙まで、これほどまでに多彩な天然のジビエをいただけるのは世界中でも稀有。また、点から面に広がり、料理人同士が交流し、チーム富山と呼ばれるくらいに団結して切磋琢磨している。地域全体として活性化させていることもまた、稀有な県だと思います」。

そして、静岡。ここでの点は、料理人ではありません。本書でもシェフ以外の人物に多く触れているのは、この人物だけ。「サスエ前田魚店」の前田尚毅氏です。

「料理人ではありませんが、(第5章)一流の仕事という意味でぜひご紹介したかったのが前田さんです」。

主に扱う魚は焼津周辺の駿河湾で取れる金目鯛、太刀魚、甘鯛、鯵、鯖などの魚介。高い技術の仕立ては、全国の名店からの信頼も厚く、前田氏の魚を起用した料理は、一線を画すといっても過言ではありません。

“僕が衝撃を受けたのが、鯵。地元焼津の人気割烹「温石」で食べたのですが、前田さんの鯵は、全く青魚特有の臭いがないのです。多分、目を瞑って口に入れたら、青魚とわからないかもしれない。それくらい澄んだ香りと味わいなのです。前田さんの鯵を食べて初めて、青魚の臭いは、劣化しているから出るものだとわかりました”(P.312より)と、本書でも浜田氏の実体験を語っています。

しかし、この文脈には続きがあり、前田氏の扱う魚介が素晴らしいもうひとつの理由が記されているのです。それは、漁師の八木真氏という人物の存在です。

「通常、定置網に入った魚は網ごと引き上げられ、市場に流される時点で死んでしまっています。前田さんは、定置網を海面まで引き上げた時、港まで魚を生かすために、タモですくってほしいと八木さんに依頼したそうです。もちろん、すんなり首を縦に振ってはくれなかったようですが、前田さんは八木さんが取った魚を扱うお店に八木さんを連れ、通常の魚と生きたまま港に届いた魚と食べ比べてもらい、説得したのです。八木さんもその体験から違いがわかり、やる価値があると考えてくれたそうです。前田さんの望むような取り方をしてくれたのは、ここ1年くらいだと伺っています。ようやく歯車が回り始めたようです」。

今回、注視するところは、料理人に頼まれて前田氏が八木氏を説得したわけではないということです。より良い魚を追求し、仕立て、それを料理人に広めたいという、自らの意志によって八木氏を説得したのです。また、これほどまでこだわりと味の違いがわかるのは「前田さん自身が、多くのレストランに足を運んでいるから」と浜田氏は分析します。

現在は、前田氏の仕事に惚れ込み、広島から「サスエ前田魚店」の側に店を構えた「馳走 西健一」や前出「温石」など、同町の輪が広がり始めています。

漁師、仲卸、料理人が一流の仕事を行い、機能している焼津もまた、富山同様、稀有な地域なのです。

そのほか、「自由人」の岩佐十良氏が発足した「新潟ガストロノミーアワード」も然り、ある特定の人物やレストランから沸き起こる、狂気にも似た熱狂が周囲を巻き込み、シーンを変えているのです。

「一流レストランと料理人に共通すること」で綴られている、浜田氏も感銘を受けた“三代で完結させるつもりだった”(P.298より)栃木の「オトワレストラン」や「僕が尊敬するシェフたち」に名を連ねる、金沢の割烹「片折」もまた、わざわざ訪れる価値のある名店。初めて訪れた際、遠慮して感想を述べなかった浜田氏に対し、粘り強く意見を求めた片折卓矢氏との掛け合いもつぶさに綴られています。

何れにしても、これらのエピソードは、料理だけに目を向けていたら知り得ない出来事。前述、「説明をしてくれる料理人やサービスの声に耳を傾け、料理を味わう」だけでなく、自ら興味や関心を持って「聞く力」、「探る力」を身につけることもまた、食べ手が得るべき教養のひとつなのかもしれません。

宿泊機能も備え、地方のレストランの理想ともいうべき「レヴォ」。「レヴォに訪れたら、チーム富山のひまわり食堂や御料理ふじ居なども巡ると旅も充実すると思います」と浜田氏。(浜田氏撮影)

「一代目で“三代で完結させるつもりだった”という考えを持つことがすごい」と浜田氏が唸った栃木の「オトワレストラン」。家族で営むからこそ、次世代に継ぐビジョンが明確であり、レストランとしても生き様を感じる。(浜田氏撮影)

金沢の名店「片折」。上記、片折卓矢氏とのエピソードは、信頼関係と緊張関係が絶妙なバランスで結実しているからこそ。美食の教養を学んだ先には、食べるだけではない奥深さがある。(浜田氏撮影)

本書は、35年の歳月を食に捧げて生きた証。

浜田氏が食と向き合うようになってから、約35年。食に捧げて生きた証が本書には様々綴られているのですが、驚くべきは、その記憶力。本人は「覚えている範囲で」と穏やかに微笑むも、詳細なディテールまで語り尽くせるのは、フーディーとして生きる覚悟も然り、「愛」ではないでしょうか。そんな浜田氏が地方に注目していることがあります。それは、第6章の「美食の未来予想図」でも触れている「郷土料理」です。

「地方において食に求めることは、まずはその土地ならではの旬の食材。もうひとつは、その土地でしか消費されない食材。前田さんの豆鯵などは、その好例です。そしてもうひとつ加えたいと考えているのが、郷土料理です。日本の郷土料理は廃れてしまう傾向にあると思っています。その理由のひとつは、美味しくないからではないでしょうか。昔は食べるものがなく、生きていくために生まれた郷土料理もあり、ゆえに、結果として地域性が色濃く出ているものもあります。それを料理人の技術を活かし、現代に再構築することに意義があるのではと考えています」。

これは、本書の推薦文を寄稿した「ノーマ」のレネ・レゼピ氏が“デンマークで廃れつつあった発酵と採取の伝統を再発見したのと同じ構図です”(P.370より)

「郷土料理は、郷土史家や料理研究家の方々が主に研究をされており、日頃、キッチンにこもりがちな実践型のシェフとは距離が遠く、交流がありません。研究と実践、その橋渡しができれば、より地域性を演出でき、わざわざ足を運ぶ価値も出るのではと思っています」。

浜田氏の口から郷土料理と聞くと、冒頭、「京味」で得た体験も作用したのかもと考え過ぎてしまいます。

“美食は、文化をまるごと食べること。いわば、食の文化人類学”(P.7より)

今年50歳を迎えた浜田氏もまた、著者でありながら、未だ美食の教養を学ぶ道の途中。

“なぜなら、10年前の僕は、今の僕から見たら何もわかっていなかった。ということは、10年後の僕は、今の僕を見て何もわかっていなかった、と振り返ることになるのが目に見えているからです”(P.386より)

今回、本書の表紙にもある、「人生をより豊かにする知的体験」に少しでも触れることができたのでしょうか。いや、そう易々と享受できるほど、甘くないでしょう。自らを“変人”(P.384より)と例える世界一の美食家が、35年の歳月をかけてたどり着いたわけですから。

「ONESTORY」では、日本に特化した視点で「美食の教養」を紐解いてみましたが、本書には、世界のレストランのことや食材のこと、サスティナブルな視点、そして、SNSのことや口コミサイトのこと、お店の空間からライティング、BGM、更には、礼儀、オーダー、常連とはなど、世界一の美食家が知っている多くのことが赤裸々に綴られています。

まだまだ言い足りませんが、プロローグ「おわりに」に綴られている「胃袋は有限」のごとく、この記事もまた有限。残念ながら、伝えられることには限りがあります。

そして、ここでは本書の魅力の1割も伝えきれていないことを正直にお伝えしておきます。

最後に。「美食の教養」について、唯一、わかった答えがあります。それは「学びは一生」ということです。

「僕らが口にするものには、多くの意味が隠れている(一部抜粋)」とは、世界No.1シェフと称されるコペンハーゲンの「ノーマ」率いるレネ・レゼピ氏(中央)が「美食の教養」に寄稿した言葉。この意味を読み解けるか否かは食べ手次第。「美食の教養」とは、「食べ手の教養」とも言い換えられるのだ。左は「ノーマ」で唯一の日本人シェフ・高橋惇一氏。(浜田氏撮影)

「美食の教養」は、ダイヤモンド社より発刊。全国の書店やオンラインにて絶賛発売中。

1974年兵庫県宝塚市生まれ。米国・イェール大学卒業(政治学専攻)。大学在学中、学生寮の不味い食事から逃れるため、ニューヨークを中心に食べ歩きを開始。卒業後、本格的に美食を追求するためフランス・パリに留学。外資系投資銀行と投資ファンドにてM&A・資金調達業務とプライベート・エクイティ投資に約10年間携わった後、約2年間の世界一周の旅へ。帰国後、資産管理会社(ファミリー・オフィス)社長を経て株式会社アクセス・オール・エリアを設立、代表取締役に就任。南極から北朝鮮まで、世界約127カ国・地域を踏破。一年の5ヶ月を海外、3ヶ月を東京、4ヶ月を地方で食べ歩く。2017年度「世界のベストレストラン50」全50軒を踏破。「OAD Top Restaurants(OAD世界のトップレストラン)」のレビュアーランキングでは2018年度から6年連続第1位にランクイン。国内のみならず、世界の様々なジャンルのトップシェフと交流を持ち、インターネットや雑誌など国内外のメディアで食や旅に関する情報を発信中。グルメサイト「食べログ」ではグルメ著名人、グルメキュレーションサービス「テリヤキ」ではキュレーターとして、世界の美味しい店を紹介している。株式会社アクセス・オール・エリアの代表としては、エンタテインメントや食の領域で数社のアドバイザーを務めつつ、食関連スタートアップへの出資も行っている。https://takefumihamada.com


Text:YUICHI KURAMOCHI

「イベントはやらなかった」孤高のシェフ。その殻を破った一夜の記録。

昨今、日常化したイベントにおいて、疑問視してきた「UOZEN」井上和洋シェフ。今回は、自身初となるイベントを開催。「UOZENではなく、このイベントだからこそ体験できる時間を創り上げたい」。

富井貴志×八海醸造×UOZENイベントをやる意義とは何か。

「イベントはやらなかった」。これは、新潟県三条市のレストラン「UOZEN」井上和洋シェフの言葉です。

もう少し補足すると、イベントをやる意義を感じるものが少ないため、「イベントはやらなかった」のです。

語弊を恐れずにいえば、井上シェフは、少し厄介な人物かもしれません。

狩猟から漁師、さらにはそれらを捌くことまで行うため、料理と向き合う時間が圧倒的に長く、シェフ・井上と個・井上の境目がありません。ここでいう料理とは、命とも置き換えられるでしょう。

ゆえに、井上シェフが創造する皿の中には、全てにおいて理由があるのです。

一般的には、調理法や季節、材と材の組み合わせなど、料理を美味しくするための理由はありますが、井上シェフの料理には、食材になる前、生物として生きていた命を知るため、陸海空という自然環境も含めたロジック、ビオトープ的思想の理由も構築されているのです。

この命とは、鮮度を保つために延命したものではなく、本来の生きる命を指します。

井上シェフにとっては、キッチンの中はあくまでも料理の後半戦。キッチンの外で行われる狩猟や漁師という前半戦から料理は始まっているのです。

「東京から新潟でお店を開業すると決めた時から、ひと皿一皿の本質を追求したいと思っていました。食材になる前のストーリーを大切にし、誰もが知るような美味しい食材でなく、美味しいのに流通されていない食材を自分のフィルターを通して伝えていくことが地方でやっていく意義だと考えています」。

イベントは、基本的に主催者やプロデューサー、ディレクターなど、実行するために取り仕切る個人や団体、機関などによって運営されます。

井上シェフのようなこだわりを持つ人物と結実すれば、濃厚な体験を生み出すことができる一方、運命共同体になることは容易ではなく、覚悟が必要です。こだわりが強いことは、時に人を遠ざけてしまうため、前出、「少し厄介な人物かもしれません」とは、こういった件からの見解です。

2024年7月。そんな井上シェフが、初のイベントを開催しました。

「イベントはやらなかった」孤高のシェフにどんな変化があったのでしょうか。

その理由を探ります。

当然、キッチンも「UOZEN」とは異なるため、勝手が悪い。しかし、「その都合の悪さや不便もイベントの醍醐味。やり辛いからやり甲斐が生まれる」と井上シェフ。

「UOZEN」の料理は出さない。そう決めていた。

井上シェフの初となるイベント開催の舞台は、新潟県の銘酒として名高い「八海山」を醸す、南魚沼市「八海醸造」。

一見、井上シェフと「八海山」は、対極の位置にいるようにも思えますが、このイベントにはもうひとりの主役が存在しています。その人物が井上シェフの殻を破るきっかけを与えたのです。新潟県長岡市で創作活動を行う、木工作家・富井貴志氏です。「UOZEN」でも富井氏の作品は起用されており、井上シェフとは旧知の仲。

富井氏は、元々、物理学者を志していましたが、海外留学時に木の魅力に取り憑かれ、木工作家の道へ。留学時に受け入れてくれた物理学者のホストファミリーの家は、立派な木で建てられており、冬は薪ストーブを囲み、森の中で日常を楽しむ毎日。自然と密接な暮らしは、富井氏に働くことではなく、生きることの豊かさを見出したのかもしれません。

そんな富井氏の生き方は、井上シェフの生き方とも、どこか通じる部分も感じます。

話を井上シェフに戻したいと思います。今回、井上シェフは、自ら「3つの制約を課した」と話します。

まずひとつは、「UOZEN」の精神性はそのままに、「UOZEN」の料理は出さないこと。ふたつ目は、富井氏の作品に合わせた料理のため、漆の器を傷つけないよう、シルバーを使わない料理に仕上げること。三つ目は、新しい挑戦をすること。

考え抜かれた料理は、「新潟彩々」、「狩漁」、「赤山鳥」、「共鳴」、「渓谷から俾睨」、「滋養」、「清流和協」、「豊壌」の8品。特に注目したいのは、「狩漁」と「共鳴」です。

「狩猟」ではなく、「狩漁」は、まさに「UOZEN」の精神性が宿る料理。井上シェフが佐渡沖で釣ったクロマグロとパプリカで巻いた中身には、鹿肉を昆布締めにしたタルタルを忍ばせ、旨味のある夏キノコ・タマゴダケを薄切りにし、お米のパフと和えたものを添えます。

そして、もうひとつ。クロマグロの骨に刺した先にはマグロの胃袋。漁師が釣って直ぐ捨てる内蔵は、実は調理次第で美味の部位に。香草バターと共に火入れしたそれは、前述、「美味しいのに流通されていない食材を自分のフィルターを通して伝えていくことが地方でやっていく意義」の好例です。

山の命から成る「狩」と海の命から成る「漁」の料理は、まず、ゲストが「UOZEN」をインプットする意味でも2品目に置いたのは、絶妙な構成。

そして、「共鳴」。山の王者・ツキノワグマと川の王者・スッポンのお椀には、食感のアクセントとして、ハナビラダケを加え、スッポンの出汁とコンソメで炊いた熊の旨味がひとつにまとめ上げます。

その名の通り、山と川が見事に共鳴する料理は、味もさることながら、注視すべきはスッポン。 養殖だからです。狩る、獲る、釣るところから始まるシェフの料理にとって、養殖を扱うことは極めて稀であり、新しい挑戦とも言うべきか、はたまたポリシーの変化か。しかし、なぜ?

「新潟でスッポンを育てている人がいることは随分前から知っていました。自分は、高級食材や人が作り上げたものに魅力を感じないため、それらの視点から養殖にも興味がありませんでした。ですが、近年の食材高騰によって、多くの養殖業が廃業するのを目の当たりにし、関心がないままにして良いのかと思うようになりました。このスッポンは、若い世代の方々が育てており、彼らはある意味、まだ未完成。そこにおもしろさと魅力を感じたのかもしれません。人の手が加わって完成されたものはつまらない。今回は、応援も兼ねて起用してみることにしたのです」。

養殖は、均一性が取れ、ある一定量の生産と品質を可能にします。一方、手仕事は、すべてが一点物。これは、富井氏の作品も同様です。だから、富井氏と井上シェフと共鳴するのです。しかし、養殖の○○ではなく、○○が育てた○○という、深い信頼関係を交わすことができれば、今後、井上シェフの心境を変化させる可能性はゼロではないのかもしれません。天然と養殖、どちらが正解でどちらが不正解はありません。温暖化や自然環境の変化を加味すると、一次産業において、ひとつの解を紡ぎだすことは難を極めます。

人間は、自然界における特殊な生物であり、食物連鎖の長ともいえるかもしれません。井上シェフは、それを知っているからこそ、人間がほかの生物の命とどう介在するべきなのかを熟考し続けながら、料理と向き合い、生きているのかもしれません。

ゲストのテーブルに置かれた今回のメニュー。料理に与えられた品名を見るだけで、創造力が掻き立てられる。お箸、スプーンを始め、このあとに供される器(グラスは除く)は、全てが富井貴志氏の作品。

「新潟彩々」は4品で構成。その1つは、魚沼湾の天然の鮎を丸ごとパテにし、キュウリで巻き、その上には干した鮎を。アクセントには、ねずの実のスパイスを添える。奥は、「瓶内二次発酵酒 白麹あわ 八海山」。

上記に次ぐ、「新潟彩々」の2品目。左、お米のチップの上には新潟県産の鴨を味噌漬けにし、生ハムのように仕上げ、「八海山」の酒粕で漬けたナスの粕漬けを包む。鮮やかな緑は、ウドの新芽。3品目、右は、新潟県産の南蛮エビと旬の桃を合わせ、涼しげな味わいに。料理の下に引いたお米の演出には、「八海醸造」への敬意を感じる。器の彫り込まれた幾何学的デザインは、物理学者を目指していた富井氏が顕微鏡で見た原子の配列がイメージソースであり、WE ARE ATOMSと名付けられたシリーズ。

「新潟彩々」の最後、4品目は、ジビエドッグ。黒ニンニクのソースを忍ばせ、枝を持っていただく野生的な料理。

「狩漁」。左、「UOZEN」でも起用する器には、クロマグロの骨に刺したマグロの胃袋。漁師が釣って直ぐ捨てる内蔵は、実は調理次第で美味の部位に。香草バターと共に火入れし、仕上げる。右、鹿肉を昆布締めにしたタルタルを井上シェフが佐渡沖で釣ったクロマグロとパプリカで包み、夏キノコ・タマゴダケを薄切りにし、お米のパフと和えたものを添える。

上記、「狩漁」に添えた夏キノコ・タマゴダケ。ナッツなど、コクのある味わいが料理を引き立て、生食できるのが特徴。

「赤山鳥」。鳥とあるが夏キノコの代表・アカヤマドリの料理。天然のそれをタルトにし、口溶けの良いツキノワグマのラルドを添える。左はコクと旨味が凝縮されたアカヤマドリのポタージュ。

上記、「赤山鳥」のアカヤマドリ。キノコの傘がヤマドリというジビエの羽に似ていることがその名の由来とされている。

「共鳴」。山の王者・ツキノワグマと川の王者・スッポンのお椀。食感のアクセントとして、ハナビラダケを加え、スッポンの出汁とコンソメで炊いた熊の旨味がひとつにまとめ上げる。合わせるお酒は、「八海山 自家用大吟醸」。このお酒には、「八海醸造」の並々ならぬ想いが込められている(後半参照)。

上記、「共鳴」のツキノワグマとスッポンを丁寧に炊き合わせる。スッポンは養殖であり、井上シェフが養殖を起用するのは極めて希。

上記、「共鳴」に合わせた天然のキノコ、ハナビラダケ。レースのような形とシャキシャキした食感が特徴。

「渓谷から俾睨」。天然のイワナ、クレソン、葉わさびのピクルス、鉄火味噌、エゴマなどを、魚沼のそば粉のクレープで巻いていただくガレット。イワナの卵を添えた山椒の風味のソースとともに。

「滋養」。古きより、栄養補給として重宝されてきたジビエ。今回は、イノシシのヒレをホワイヨ仕立てに。コンテチーズやナッツ、パン粉と焼き上げ、中央のマデラソースと上下のニラのソースでいただく品。曲線を活かしたハナニラは、自然の美しさを愛する井上シェフらしい演出。

上記、「滋養」の中央に配したハナニラは、蕾も茎も丸ごといただける食材。ただのニラではなく、蕾を備えたニラは、より自然美を感じる。このような生命を知るがゆえ、「人の手が加わって完成されたものはつまらない」という感覚が井上シェフに芽生えてしまうのは止む無い。もう少し噛み砕くと、つまらないのではなく、自然の力に人の力は敵わないという見解。

「清流和協」。新潟の清流といえば、魚沼湾。そこで捕れた鮎を半日コンソメで煮込み、その下には八海山の麓で営む「八海山 宮野屋」の蕎麦。熊のコンソメなどの出汁を活かしたスープとともに。奥は、「純米大吟醸 八海山 雪室熟成八年」とそれをソーダで割り、シソとキュウリで合わせたカクテル。

八海山の登山口に開業して100余年。四代に渡り、山に仕え、蕎麦を打つ「八海山 宮野屋」。今回は、このイベントのために、特別に仕込んでいただく。井上シェフとの絆の深さを感じるまさに和協の品。

「豊壌」は、2品で構成。まず1品目。新潟県のコシヒカリをガンジー牛乳で炊いたリオレにマスカルポーネチーズとルバーブのコンフィチュール、そしてレモン風味のメレンゲと合わせる。越後姫の夏イチゴのソースとともに。

蓋を開けた瞬間、旬のラベンダーの香りが一気に広がるもうひとつの「豊穣」。ブルーベリーと「八海山」の酒粕を使った羊羹。その隣にはチーズケーキを。

今回、供された「八海醸造」のお酒は、計9品。前述3品のほか、「Oharoジン スタンダード」、「利酒 No.591 春紫苑」、「八海山 ライスグレーンウィスキー」、「ライディーンビール ピルスナー」、「特別本醸造 八海山」、「瓶内二次発酵あわ 八海山」が井上シェフの料理とペアリングされた。

主要メンバーとともに、振り返る。

今回のイベントは、ただ食べるだけではありませんでした。舞台となる「八海醸造」を学ぶところから始まります。

「食べる前に知識を得ることによって、美味しい理由を感じて欲しかった」と井上シェフ。

実は、かく言う自身もまた、今回のイベントで学びを得たひとり。様々ある中、ふたつをフォーカスしたいと思います。

ひとつは、種類の多さ。多彩に仕込んだ日本酒のバリーエションだけでなく、焼酎、ジン、ビール、ウィスキー、本みりんなども醸造。「こんなに色々なお酒を醸造しているとは知りませんでした」と話し、「UOZEN」のマダム・真理子さんにおいても、「日本酒だけのペアリングであれば、緩急をつけ辛いと思っていましたが、この幅の広さによって、良いペアリングができました。きっと、八海山の新しい一面をお客さまも知ることができたのではないでしょうか」と続けます。

そのほか、運営する「魚沼の里」には、レストランやバー、菓子処やベーカリー、ショップなど、様々な店舗が並び、その敷地面積は、約7万坪。この驚愕の施設の存在を知る人も少ない。今回、ゲストは、敷地内の店舗「okatte」にて、会期中だった富井氏の展覧会を本人のアテンドとともに回遊。作家の想いを聞いた後にいただく料理は、器においても感慨深くなったに違いないでしょう。

そして、もうひとつは、「八海山 自家用大吟醸」の存在。その名の通り、一般には出回らない日本酒です。

「このお酒は、基本的には八海醸造で働く我々が元日にいただくお酒になります。おそらく、八海山のイメージは、一般酒、大衆酒だと思います。ここに一番ニーズがあり、私たちも安心安全を持って、その期待に応えなければいけないと思っております。これは、そういった消費者向けではなく、八海醸造として、さらなる高みを極めるために造っているもの。一番身近な家族や親族が集まる元日にこのお酒を振る舞うことで、日々の感謝を捧げ、同時に、造り手としてのプライドを再確認するために醸したお酒なのです」。

そう話すのは、杜氏・村山雅俊氏。「八海醸造」を学ぶために蔵を見学した際、解説してくれた一節です。

「私たちも蔵を巡り、村山杜氏の話を伺い、気持ちが入った」と、井上シェフ、真理子さん、富井氏は口を揃えます。

“一見、井上シェフと「八海山」は、対極の位置にいるようにも思えます”という見解が覆されたのは、このようなお酒が存在していることや酒造りと向き合う熱量に触れたからこそ、その距離が一気に縮まったのです。つまり、向き合うべきは、「八海山」ではなく、「八海醸造」だったのです。

「八海山 自家用大吟醸が一般の方々に振る舞われたのは今回が初。加えて、会場となった○○○○(建物の名前を要確認)を一般の方々に開放したのも今回が初。新しい挑戦でした。僕らは、造っているものを変えることはできない。今回は、井上シェフが自分たちのお酒に寄り添っていただけ、新たな可能性を見出していただいたイベントになったと思っています」と、「八海醸造」の取締役 副社長の南雲真仁氏。

大切なことは、まず相手やその対象を知り、学ぶこと。これは、本件に限らず、職種や年齢、キャリアに関係なく、全てにおいて共通することではないでしょうか。だからこそ、発見が生まれ、想像できなかった新たな道が開けるのかもしれません。

ゲストは食事をする前に蔵を見学。「八海醸造」がこだわる酒造りだけでなく、企業理念なども学び、舌だけでは感じることのできない知識を得るところから、今回のイベントはスタート。

蔵の見学をアテンドしてくれたのは、杜氏・村山雅俊氏。酒造りの工程や解説だけでなく、利き酒なども交え、体験型の蔵見学を実施。

「八海山 自家用大吟醸は、評価されるために醸しているお酒ではなく、八海醸造の存在意義を表現するために醸しているお酒。ゆえに、販売しているお酒ではありません。今回は、初めてそれを八海醸造以外の方々に振る舞う機会となりました」と南雲真仁氏。

広大な敷地面積を有する「魚沼の里」。レストランやバー、菓子処やベーカリー、ショップなど、様々な店舗が並ぶ。

「魚沼の里」の敷地内、「okatte」にて開催されていた富井貴志展。定番のリム皿、新作のボウル、パスタ皿などを展示。ゲストは富井氏とともに回遊し、作家の想いも得る。

「八海醸造」南雲氏(左上)、木工作家・富井氏(右上)、「UOZEN」井上シェフ(右下)、真理子さん(左下)を中心に、多くのスタッフ、関係者から構成された今回のイベント。決して構築されたものではなく、人間味溢れる時間を創造した。井上シェフの言葉を借りるならば、「完成されたものはつまらない。未完成だからおもしろい」イベントとなった。

2022年に100周年を迎えた「八海醸造」は、大正11年、南魚沼に創業。蔵人が「裏座敷」と呼ぶここは、迎賓館のような存在。一般の方々がこの空間に足を踏み入れるのは今回のイベントが初。

1mmでも向上するために。僕は好きを追求する。

初のイベントを終え、多くの経験を得た井上シェフ。元の姿でもある「UOZEN」のシェフへと還る前、これまでの自分を少し振り返る機会となりました。

「改めて思ったのは、自分みたいなシェフのスタイルは、他の人には勧められない。狩猟や漁は、やらなくてもレストランは成立します。シェフは料理に集中すべきだと考えることもあります。むしろ、自分のやっていることは自己満足なのかもしれません」。

ではなぜ、それでもやるのか。それは、「好きだから」です。少し角度は異なりますが、例えばワイン。「UOZEN」では、仕入れたワインをそのまま出すことは行いません。数年寝かすなどして、自分たちで飲み頃を見極めます。つまり、目の前に供されるものには、必ず「UOZEN」の意志が込められているのです。

「わかる人にはわかるかもしれませんが、ほとんどの人がわからない違いだと思います。それでも自分たちがレストランを営む意義を見出したい。1mmでも向上するために」。

井上シェフにとって、好きなことを追求することは、努力を凌駕するほどのエネルギーがあるのかもしれません。

「これが僕のライフスタイルですから」。

あえて聞きました。「もう一度、イベントはやりたいですか?」との問いには、「即答できません」と即答。

「ですが、もう少し時間が経ったら、ゆっくり振り返りたいと思います」。

その解を確かめるために、「UOZEN」の再訪を誓う。


Photographs:KENTA YOSHIZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

日本の地域に眠る究極のレストラン。すべてが異次元のスタイルの先に、目指すべき理想が。[sowai/岡山県瀬戸内市]

この地にあった店名を英文にしたのが店名の由来。店前の電信柱の看板に往時の残照が残る

牛窓accaの次のステージは同じく牛窓のsowai!

魚礁(そわい)とは、たくさんの魚が集まり、生きた魚が隠れ家や餌場として利用している岩のことを指します。そんな魚たちの楽園ともいえる地形を、ひっそりと店の名に冠した場所があります。岡山県牛窓。この場所を聞いた感度の高い人ならば、あるお店、ある料理人の顔が自然と浮かぶことでしょう。そう、東京広尾から牛窓へと移住&移転をし、瞬く間にほかにはない至高の店を作り上げた『acca』の林冬青氏その人です。ひっそりととは、まさに店の名のごとく。誰に知られることなく、ネットで検索してもその名を探すことは困難。牛窓港の目前で、静かにオープンした『sowai』。その後もSNSの発信やグルメサイトの掲載は断り続け、魚が集う魚礁のごとく、ただその場所でひっそりと美味を追求し続ける。そんな林氏にメディア初の取材を許可いただき、その真意を伺ってきました。

取材時も極力多くを見せたがらない林氏。その真意は後々わかることになるが、料理一品の撮影にも緊張感が張り詰める

お客様による携帯電話での料理撮影もお断りしている『sowai』。自身の真意とは違う方向で情報が発信されることを極力抑えていきたいと林氏

店のキャラクターの一つになっている巨大な薪窯。現状はオリジナル料理パーネのためだけに使用している

目前の前島とのフェリーが往来する牛窓港の目前。鄙びた漁港の目の前で静かに『sowai』は営まれている

ハガキのやり取りから繋がる店。それが『sowai』。

「コロナがあって店の状況も大きく変わったのが転機になりました。以前は県外からのお客様も多かったのですが、ピタッと止んだ。ただでさえ外出を自粛せざる得ない状況で、牛窓という田舎にわざわざ来ていただく意味を考えたんです。」
林氏は言葉少なにそう話し、さらにお客様と心の距離の近いお店を作れたらと考えたといいます。『acca』自体も奥様との二人三脚でやっていただけに、新たな店の構想をやるには『acca』を続けるのは事実上不可能。想いに突き動かされるように『acca』閉店をすんなりと決意し、その経験を元に、現在の林氏の想いを投影させたのが牛窓の海を望む『sowai』に凝縮されたというわけです。

スタイルも大きく変わりました。最初の予約は官製はがきでのやりとりになるのです。3週間以上先の予約希望日を記入いただき、『sowai』から予約完了の返信はがきを待って予約完了。電話もデジタルでの予約も受け付けず、まずはアナログでのやりとりからお客様の到着を待つのです。不便だと思う人もいるでしょう。それは仕方のないことです。でも、今の時代にあって、この面倒なやりとりを楽しむ。それこそが唯一『sowai』での食体験の入り口になるのです。時代遅れのこの予約は、たぶん恋文を待つようにいつくるか、いつくるかと心待ちにするのが正解。届いたときの喜びと、実際に訪れる来店の機会はまさに初回のデートのように心高ぶることでしょう。

「そんなに格好いいものではないんです。実際は妻が畑をやっているので、ひとりで店の仕込みをしている事が多く、仕込み中に電話が鳴ると仕事が中断してしまう。それではベストな状況でお出迎えが難しく、苦肉の策なんです。一度来ていただければ、その後はメッセージのやりとりなど、仕込みや営業に支障のない時間に返信させていただきます。」

林氏とはまさにそういう人なのです。過剰な味付けや華美な食材は使わず、最大限に食材のポテンシャルを引き出す。以前に『acca』を取材させていただいた際には修行僧のようだと形容しました。料理との向き合い方は当時と変わらず、さらに研ぎ澄まされた印象。SNS・グルメサイトなどネットの発信や、店舗の写真を禁止するのも、自分の想いとは違う方向で情報だけが独り歩きをするのが許せなかったといいます。やれることすべてを料理に投影させ、自分の想いや考えもきちんと発信できるまでは公表しない。それができればきっと分かる人には届く。それはまるで海中の楽園、魚礁そのものだと思わざる得ないのです。眼の前に広がる牛窓の豊かな海、その延長こそが林氏が求めた店のあるべき姿なのかもしれません。

アコウのヴァポーレ。このサイズくらいが旨味が強くエシャロットやニンニクなどの香味野菜とコラトゥーラのソース

穴子と牛肉にサルシッチャ、ハリイカのゲソをキャベツとともにオーブン焼きに。イタリアンパセリのソースで

今日取れた魚たちの朝どれサラダ。茹でたガラエビ、ベイカ、ヒラメ、蒸しモガニ、ハリイカ、新玉ねぎなどを玉ねぎとからすみのソースで

牛窓で捕れた魚介を、極力余計な調理は省き食膳へ。

もちろん料理も面白いのです。『acca』時代同様に、毎朝地元牛窓の鮮魚店から仕入れたこの場所でしか味わえない魚介の数々。雑魚や小エビ、小さな貝など、都市部の市場では扱えない魚介類を中心に、牛窓にいる恩恵を最大限に楽しませてくれるのです。◯◯産の本マグロもなければ、金賞を受賞した黒毛和牛もなし、その時期に牛窓で捕れた名前も知らない小さな魚が『sowai』では光り輝いているのです。林氏は「ベストな状態で出しただけ」と素っ気ない説明になるのですが、朝から晩まで仕込みに追われ、丁寧に丁寧に土地の食材を紡ぐ。ひとりで黙々と行うその労力がどれほどのものかは想像に難しくありません。仕入れた鮮魚に、ベストな塩を入れ、さまざまな方法で火を入れる。土地を理解するとそれがこれほどまでに味を引き出すのかと、教えてくれるのです。

さらに『sowai』での新たな試みは林氏がそわパーネと呼ぶ、オリジナルの小麦料理。パンのようでもあり、ピッツァのようでもあるその料理を生み出すことにここ数年は注力してきたといいます。

「イタリア時代、ピッツァを食べましたが、どうしても最後まで美味しい状態が続かない。熱々で、チーズがとろけるあの最初の状態を維持する一品を生み出したくなったんです。ピザ窯で、ベストな薪を起こし、それを焼き上げる。粉の配合や、具にする食材。どうしても満足行くものが生み出せず、ずっと試行錯誤してきたのですが、数年経ってようやく納得できるものができた。ピッツァの配合でパンの工程を作る感覚。平たく伸ばすのではなく、縦に積み上げていく。そうするとサクッ、シュワ、ふわっという感覚が重なるように押し寄せる。だから取材に来ていただきたいと思ったんです。」

見た目は焦げ目のついた、少し焼きすぎたパン。それが熱々のままテーブルに運ばれ、手でちぎれば湯気とともにチーズがとろけだす。具はイカ墨もあれば、からすみバターやボリート、もろみ、かに、チョリソーなど、その時期のとっておきの食材が彩ります。これが味わうと驚くほど軽く、味わいは深い。ペロッと平らげてしまうのですが、小麦粉と食材の余韻が口の中におだやかな幸福をもたらすのです。

パーネとはイタリア語でパンの意。「sowaiのパーネであるのでそわパーネとしています。」と林氏。写真はからすみとイカ墨のそわパーネ。コースの最後はパーネが登場する。黒い部分は、活きているイカからとったイカ墨のソース

前島産の小麦は、石臼挽きで製粉。全粒粉でふすまの風味が特徴

静かな波音がより静寂を強く感じさせる牛窓港の目の前

牛窓オリーブ園から瀬戸内海を望む。この絶景を見るだけでも心あらわれるひとときに

林氏が生み出した究極のピッツァ「パーネ」とは?

当初はデュラム小麦などイタリア産小麦を独自の配合で生地にしていたのが、粘りや香りを追求していくうち、気がつけば対岸の前島で畑を借り、小麦作りから没頭。牛窓で、パーネのために、配合する小麦が最後のピースとなり、納得のいくパーネは完成したといいます。

「仕込みと店に追われているので僕が手伝えるのはほんの少し。小麦作りのリーダーは妻です。無農薬で雑草取りに励んでくれ、小さな島ですがイノシシなどの獣害もある。店の分だけの小麦といえど、かなり重労働なのはわかっているのですが、前島の小麦を加えることで、少し潮風を感じるパーネが生まれる。感謝しかありません。」

そう、小高い山の中腹にある畑からは、美しい牛窓の海が望め、穏やかに吹く海風と、晴れの国・岡山ならではの陽光がここでの小麦づくりに一役買っている。

目の前にあるものを大切に観察し、その良さを引き出す。のどかな牛窓の漁港の目前で、林氏の目に写ったもの。それこそが『sowai』の料理であり、そこから感じ取れるものが牛窓の恩恵。例えば、風光明媚な日本の至る地域でも、地形や食材は違えど同じようなことは可能だろう。ただ目の前にあるものをとことん慈しみ、深く理解し、最良のそして最低限の調理を加える。その所業が、いかに難しく、常人では計り知れないほどの努力の積み重ねであるか。たぶん、この『sowai』という場所は何も語らずに、一皿の料理だけでそれを教えてくれるのです。

住所:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3023
TEL:なし
営業:ランチ13:00〜、ディナー18:00〜(日曜は昼のみ営業)
休日:水曜・木曜(不定休あり)、基本的に金曜日は窯が休み、そわパーネの代わりにパスタを提供します(事情により変更の可能性あり)
※予約方法:ハガキにてご連絡下さい。名前、住所、電話番号、メールアドレス、人数、希望日(1〜3候補、昼夜の希望)、
 アレルギーや苦手食材を明記してください。中学生のお子様から
 昼は7,000円くらい〜、夜は9,000円くらい〜(仕入れにより多少変動あり)支払いは現金のみ
 店内にトイレはないので、お隣の公共トイレを利用。


Photographs:YASUFUMI MANDA
Text:TAKETOSHI ONISHI

ローカル線の沿線をまるごと体感する新たな旅体験『沿線まるごとホテル』いよいよ始動。[Satologue/東京都奥多摩町]

異例の開業前受賞。ジャパン・ツーリズム・アワード最高賞。

ツーリズムの拡大、発展に貢献する取り組みを表彰する「ジャパン・ツーリズム・アワード」。2023年に発表された「第7回 ジャパン・ツーリズム・アワード」では、最高賞である国土交通大臣賞に『沿線まるごとホテル』というプロジェクトが輝きました。

『沿線まるごとホテル』とは、JR青梅線の駅舎をホテルのフロントに、沿線集落の空き家をホテルの客室に、そして地域住民とともに接客、運営を行うという、まさに沿線をまるごと楽しむホテル。

しかし実は受賞時には、ホテルはまだ開業前でした。この“開業前の受賞”という偉業こそ、世界観と構想が高く評価されたことの証明なのです。

さて、そんな『沿線まるごとホテル』がいよいよ動き出しました。まず宿泊棟に先立って2024年5月に開業したレストランとサウナを備えた『Satologue』。
一足はやく体験させてもらった施設の体験レポートをお届けします。

2024年5月に先行オープンした『Satologue』は、沿線まるごとホテルプロジェクトの中核となる施設。宿泊施設開業までの期間限定で特別メニューを提供している

都心から1時間30分で到着する秘境。

中央線の立川駅から青梅線に乗り、青梅駅で奥多摩行きに乗り換えて鳩ノ巣駅まで。都心から1時間30分程度の道のりですが、いつしか車窓は豊かな緑に覆われています。平日で雨模様だったこの日、4両編成の下り電車の乗客は数えるほど。通勤ラッシュは遠い世界のように感じられます。

鳩ノ巣駅からの移動手段は、レンタル電動トゥクトゥク。無人駅である鳩ノ巣駅に設置された、電動トゥクトゥクと電動アシスト自転車が、観光の二次交通とするのも、『沿線まるごとホテル』の取り組みのひとつです。

到着した『Satologue』は、築130年の古民家をリノベーションした建物。元は養魚場だったという敷地を活かし、ビオトープや自家菜園、わさび田など外構も美しく整備されています。訪れたゲストは食事の前に、スタッフの案内でこの敷地を歩く“フィールド散歩”に出かけます。

この日、案内に立ってくれたのは   『沿線まるごと株式会社』の代表・嶋田俊平氏。

「ただ空き家を再利用するだけではありません。季節によって変わる自然の美しさ、この地で営まれてきた生活や文化、そういう地域そのものを体験してもらえる場を整えていきたい」

そう話す嶋田氏。

先程の次世代モビリティも然り、地元住民によるサービスも然り。ただ観光施設をつくるのではなく、点ではなく面で、地域として観光客を受け入れるという構造こそが、『沿線まるごとホテル』のおもしろさなのでしょう。

敷地内に築かれたわさび田は、奥多摩に移住してわさび栽培に挑む“わさびブラザーズ”こと角井仁氏、竜也氏兄弟による

地域の自然を再現したビオトープには、多摩川の水が引かれている。やがて虫や魚、鳥が集まってくることだろう

かつて養魚場だった場所は、土を積んで自家菜園に。レストランの料理にも自家栽培の野菜が使われている

地域の食材を、モダンなフレンチベースの料理にアレンジ。

『Satologue』内のレストランの名は『時帰路(TOKIRO)』。もちろんここでの食事も地域の食材をふんだんに取り入れた内容。それを気鋭のシェフの手により、フレンチをベースとしつつ、この地の風土や歴史を落とし込んだガストロノミー料理に仕上げています。

この日のメニューは、治助芋のヴィシソワーズからはじまり、山梨産のマスのマリネ、東京シャモと蕗味噌のリゾット、東京和牛のロースト、いちじくの葉のブランマンジェという構成。繊細で都会的なエッセンスと、素朴で力強い食材が融合した独自の料理です。

地域性があり、その地に足を運ぶ価値がある店を指すローカル・ガストロノミー。その独自性や希少性を、東京で味わえることに新たな、そして大きな食の可能性を感じさせます。

『時帰路』の店内は木のぬくもりを感じさせる、ゆったりとした設え

料理の一例。食材の旬に合わせて、メニューが入れ替わる。ドリンクはワインのほか、青梅の『小澤酒造』の酒や、奥多摩の『VERTERE』のクラフトビールも揃う

©︎Daisuke Takashige
料理を手掛けるのは駒ヶ嶺侑太氏(右から2人目)と高波和基氏(左から2人目)のふたりのシェフ。名店で修業を重ねた若きふたりが奥多摩に移住して腕を振るう

自然に癒やされる、至福のサウナ。

食後はいよいよ自慢のサウナ『風木水(FUKISUI)』へ。

客室が開業したあかつきには宿泊客専用の施設となりますが、現時点ではサウナだけの利用が可能です。古い蔵を改装した薪サウナ、専用の水風呂、自然の中の外気浴フィールド、そして窓の外に深い森を見渡すラウンジがすべて貸し切りで利用できます。

ここで特筆すべきは、外気浴のためのスペースでしょう。木々に囲まれた森の中にリクライニングチェアを並べた心地よい場所。

「ここは多摩川の本流と支流に囲まれた三角州。三方向から川のせせらぎが聞こえるんですよ」

そう嶋田氏に言われ耳を澄ますと、確かに多方向から重層的な水音が聞こえ、目を閉じるとまるで川に包まれているような気分になります。それはいうなれば、天然のサラウンド音響。包み込む川音に鳥や虫の声、木々のざわめき、ときおり遠くを走る電車の音。サウナ室の高温や水風呂の低温は人為的につくることができても、決して人工的にはつくれないシチュエーション。この最高の環境に身を置くことで、改めて“整う”の意味が腑に落ちることでしょう。

こうしてランチを味わい、サウナを満喫した『Satologue』のひとときは終了しました。帰り道は再び青梅線の駅へ。去来するのは「もっとこの地を知りたい、また来たい」という思いです。それは短い時間の中でこの地の生活や文化の一端に触れられたからか、あるいは濃密な森の空気に心癒されたからか。いずれにせよ今後は奥多摩が、週末の小旅行の行き先の有力な候補となることは間違いないでしょう。

この『Satologue』に代表される、地域との関わりが深まる仕掛けが随所に詰まった『沿線まるごとホテル』。まずはこの青梅線からはじまり、今後はJR東日本の他路線へと拡大していく予定だといいます。駅舎でチェックインして、地元住民と触れ合い、古民家に泊まる。そんな新たな旅の形が、ここから広がっていくのかもしれません。

©︎Daisuke Takashige
林業で栄えた歴史を持つこの地の薪を使った薪サウナ。水着(有料)やガウン、サウナハットの貸出もあるので、手ぶらで訪れることができる

©︎Daisuke Takashige
ロウリュはセルフで。ロウリュ用アロマウォーターもある

©︎Daisuke Takashige
自然に包まれる外気浴フィールドは、至福の環境。時間を忘れてくつろぐことができる

広々としたラウンジもサウナ利用者の貸し切り。書棚には奥多摩で活動する『おくたま文庫』が選書した「人の“ふるさと”」をテーマにした書籍。気に入ったら購入することも可能

住所:東京都西多摩郡奥多摩町棚澤1
電話:0428-85-9310 (9:00〜17:00)
休日:火曜・水曜 (祝日の場合は翌日平日)
https://satologue.com/


Photographs:Daisuke Takashige 
Text:NATSUKI SHIGIHARA

世界一の美食家が記録に残したかった、たった一夜だけの料理。

国内のみならず、世界の様々なジャンルのトップシェフと交流を持つ、世界一の美食家・浜田岳文氏。今回は、自身初となる書籍、「美食の教養 -世界一の美食家が知っていること-」の発刊と「UMAMIHOLIC」のローンチを記念し、イベントを開催。

読者が初体験した、美食の教養。

「OAD世界のトップレストラン」のレビュアーランキングで6年連続1位に君臨する世界一の美食家・浜田岳文氏の初となる書籍、「美食の教養 -世界一の美食家が知っていること-」が2024年6月に発刊。加えて、自身が主催するコミュニティ「UMAMIHOLIC」もローンチされ、双方を記念するパーティが開催されました。

ですが、今回フォーカスしたいのは、そのどちらでもなく、この日、たった一夜だけにクリエイションされた料理。構成は、大きくふたつのコンセプトに分かれ、前半は「未来の食材調理」、後半は「産地を守る食」。当日は、本書の読者を中心としたゲストが集い、まさに「美食の教養」を初体験することになります。

強いメッセージ性を感じる料理を手がけたのは、「イートクリエーター」。その名の通り、食を通したクリエイター集団です。所属するシェフ、「TOUMIN」井口和哉氏が前半を担い、「FUSOU」内田悟氏が後半を担います。

ふたりから生み出された料理は、社会に向けたテーゼが込められており、各料理が向き合う課題テーマは創造力を掻き立てる一方、一筋縄では解決できない難問ばかり。だからこそ、食べ手は学ぶ必要があるのです。全ての仕立てを俯瞰して見ると、それはまるで「美食の教養」のカリキュラム。講座名にも似た料理名を纏った全7品は、さながら1限目から7限目の授業のよう。

レッスン1、もとい、1品目は、「プラントベースキャビアのタルト」。フランス料理の伝統的なキャビアのタルトレットを海藻などから作ったヴィーガンキャビアで再現。プラントベースは、食資源の不足や環境保護の視点からも注目されており、植物性でも持続可能な美食を提案しています。

2品目は、「22世紀ひらめのマリネ」。22世紀ひらめというゲノム編集されたひらめは、少ない餌で大きく育つ環境に優しい品種。「水産業やタンパク質クライシスの問題を考えるきっかけになってほしい」という井口氏の願いも込められています。

3品目は、「固定種ビーツと発酵ハチミツ」。原料は、東京・青梅市でサステナブルな農業と養蜂を営む「OmeFarm」の白ビーツと非加熱ハチミツ。この畑では、農薬や化学肥料を使わず、植物性原料を中心とした堆肥作りを行なっており、都市型養蜂でミツバチの保護も支えています。ミツバチは、世界の食糧の1/3以上、全作物種数の約7割の受粉を支えている重要な存在。その命を守りながら作物を育てるという、循環型農業からこの料理は生まれているのです。

「こんなにも秀逸な観点で料理を構築できる若手シェフがいて、かつ美味しい。それが一夜限りで消え去られてしまうのはあまりにも惜しい。そして、悲しい。そう思ったのです」と浜田氏。

ゆえに、ここに記録として残す。そして、後半に続きます。

フランスの伝統的なキャビアのタルトレットをプラントベースで再現した「プラントベースのキャビアのタルト」。キャビアの代用は、海藻などから作られたヴィーガンキャビア。その下には発酵させた豆乳から作るクリームチーズにシブレットを混ぜたペーストを絞り、タルト生地には豆乳を原料とした卵やバターをたっぷり使用し、リッチな味わいに。植物性でも美味しい料理を通して持続可能な食のライフスタイルを提案。

22世紀ひらめというゲノム編集されたひらめを太白胡麻油と青柚子でシンプルにマリネした「22世紀ひらめのマリネ」。少ない餌で大きく育ち、旨味のある肉厚な身が特徴。「天然のひらめにも引けを取りません。未来の味がするかも!?しれない22世紀ひらめを通して、水産業やタンパク質クライシスの問題を考えるきっかけになっていただければ幸いです」と井口氏。

東京・青梅市でサステナブルな農業と養蜂を営む「OmeFarm」の白ビーツと非加熱ハチミツを使用した「固定種ビーツと発酵ハチミツ」。農園では、植物性原料を中心とした循環型農業を取り入れ、固定種野菜作りと全作物種数の約7割の受粉を支えるミツバチの保護も行う。

今回の会場は、「STEREO」。高層階から望むパノラミックな渋谷の絶景には、ゲストも高揚。

今回、提供されたメニュー表。まるで単語帳のようなデザインは、「美食の教養」を学ぶ意味でも抜群の演出。

浜田岳文氏の初となる書籍、「美食の教養 -世界一の美食家が知っていること-」は2024年6月に発刊。

料理になる前のストーリーに意志は宿る。

後半、「産地を守る食」は、4品目となる「上ミノのプロシェット カシューナッツのデュカ」からスタート。井口氏とはまた違った視点で、内田氏が魅せます。

この料理は、牛のゲップに含まれるメタンガス削減に貢献するためのもの。牛の餌にカシューナッツの殻液を混ぜることによって、メタンガスの発生を抑制できる成果が研究で確認されており、「畜産業の環境問題へのひとつの筋道になれば」と考案されました。

5品目は、「鰻と蕎麦粉のガレット」。この鰻は、栃木県那珂川で約60年間川魚店を営んでいる人物が養殖したもの。使用する水を温めるボイラーには、人の手が行き届かない山を自ら切り開いた間伐材を使用しています。川の環境を守るために山を整え、自然を維持し、その過程で雇用も生み、地域活性化にも結実させているのです。

6品目は、「鮎の青竹蒸し寿司」。この料理は、シェフとして竹の新しい活用法を生み出したいと思い、考案されたものです。筍農家は、年に一度、春に優良な筍を採るため、365日欠かさず竹林を整備するも、ベストなコンディションを保つにはコストがかかります。そんな生産者を支援するために青竹を価値化。また、放置竹林への問題意識を高めるきっかけにもなれればというメッセージも込められているのです。

7品目、最後の料理は、「経産ジャージー牛のチーズバーガー」。乳牛の肉は、市場価値が低く、加工肉用の肉として牛種関係なく処分されている現状があります。このバーガーは、ジャージー牛の肉とジャージー牛のミルクで作られたチーズで仕立て、調理の技術を通して乳牛の美味しさを存分に引き出します。前述、牛のゲップ問題も然り、畜産の現状が強く発信されたひと品です。

前半、後半、計7品で構成された今回の料理。レストランでは、極めて再現性の低いコンセプトの創造を具現化できたのは、一夜限りだったから。

自然の恵みは無限ではありません。有限の資源を活かし、環境にも配慮した料理の理解を深めることは、シェフだけでなく、食べ手にこそ必要なことではないでしょうか。

牛の第一の胃、ミノを香ばしく串焼きにし、カシューナッツとスパイスを合わせた「上ミノのブロシェット カシューナッツのデュカ」。餌にカシューナッツの殻液を混ぜ、牛のゲップに含まれるメタンガスを抑制。「この問題を広く知っていただき、現状、様々な問題の解決策が乏しい畜産業の環境問題に対し、ひとつの道筋になれればと思い、料理を考案しました」と内田氏。

鰻、チーズ、蓮根を組み合わせた「鰻と蕎麦粉のガレット」。使用する鰻は、栃木県那珂川で約60年間川魚店を営む人物が養殖したもの。水を温めるボイラーには間伐材を使用し、川と山の環境を守る循環を生む。

鮎の押し寿司を青竹の中で蒸し上げて蒸し寿司にした「鮎の青竹蒸し寿司」。筍農家への支援と放置林の問題、双方のメッセージが込められた料理。

ジャージー牛のお肉とそのミルクで作られたチーズで仕立てた「経産ジャージー牛のチーズバーガー」。市場価値の低い乳牛を調理の技術で補い、美味しく調理。その価値を向上させた料理。

前半の料理を担当した「TOUMIN」井口和哉氏(中右)と、後半の料理を担当した「FUSOU」内田悟氏(中左)。それぞれの料理に込めた想いを語る。

クリエイションを発揮できるシェフを応援したい。

浜田氏は、そう語ります。

「今回、このイベントを開催するにあたり、まずひとつやりたいと思ったことは、レストランではできない料理でした。シェフの満足度とゲストの満足度は、必ずしも等しくはありません。やりたいことを100%できているレストランは、限りなく少ないと思います。ですが、一夜限りなら思いっきりやれる。今回のアイディアは、井口シェフと内田シェフによるもの。彼らは、料理を通して常日頃から社会問題や環境問題などと向き合い、自分ごと化している。私は、こういったクリエイションを発揮できるシェフを応援したい」。

例えば、ニューヨークの「イレブン・マディソン・パーク」は、100パーセントヴィーガン。コペンハーゲンの「ゲラニウム」は、ほぼ野菜中心。そのほか、世界から注目されるレストランにおいてもプラントベースに移行しているところは少なくありません。これらは、「環境問題への関心の高さによるものが大きい」と浜田氏は分析します。

「シェフとして、芸術よりなのか、職人よりなのかによってスタイルは変わると思いますが、いずれにしても世の中や社会にコミットしなければいけないと考えます。海外のシェフは、日本と比べ、その感度が高い。しかし、これはシェフだけの問題ではありません。なぜなら、今回のような料理を提供しても、食べ手がいなければ、需要と共有は成り立たないからです。ゆえに、レストランだけの問題ではなく、食べ手の問題でもあるのです」。

つまり、高級食材を採用した料理を求め、予約困難店というバリューに期待している食べ手にこれらの理解を得られるかといえば、それは容易ではありません。なぜなら、繰り返しですが、ゲストの満足度と等しくないからです。

「今回は、本を読んでいただいたゲストをお招きした会のため、このような料理を理解いただけるであろうという前提をもとに表現することができました。 井口シェフや内田シェフのように、若い世代のシェフは、クリエイション能力はあれど、それを発揮できる場が少ないのだと思います。この才能を引き出せるのは、食べ手次第。時に、コンフォートゾーンから一歩外に出ることは、大事なことだと考えます」。

東京は、多くの優良なレストランがあるにも関わらず、予約困難店はわずか。これは、食べ手のゾーンが狭いということにもつながります。

「大切なことは、一つひとつを深く理解すること。優れたシェフと出会い、その人が何を大事にしているのかを考察する能力を養うことは、本当の意味でレストランを楽しむことにつながります。UMAMIHOLICなどを通して、そういったことも伝えていきたいです」。

「僕らが口にするものには、多くの意味が隠れている(一部抜粋)」とは、世界No.1シェフと称されるコペンハーゲンの「ノーマ」率いるレネ・レゼピ氏が「美食の教養 -世界一の美食家が知っていること-」に寄稿した言葉。この意味を読み解けるか否かは食べ手次第。

「美食の教養」とは、「食べ手の教養」とも言い換えられるのかもしれません。


Text:YUICHI KURAMOCHI

ペアリング次第で無限に広がる美味しさ。夏の定番、カレーとビール。[和光アネックス/東京都中央区銀座]

「和光アネックス」では、夏に向け、日本全国から探し出した、さまざまなカレーとビールを展開。※今回は、上記より6種をご紹介。

WAKO ANNEX夏に体が欲するカレー。それは、理にかなった欲望。

暑い季節に無性に食べたくなるのがカレー。実は、カレーの中に入っているスパイスには、夏バテ防止や熱中症予防にもなると言われています。不足しがちな栄養も、カレーであれば、米を含めた炭水化物、肉、野菜など、一度に摂取できるのもポイントです。

また、辛味のあるものであれば、血流が上昇し、体温が一時的に上がり、発汗。汗が蒸発する時に体の表面の熱を奪い、体が冷やされ、涼しく感じるのも特徴です。

ゆえに、夏に体が欲するカレーは、理にかなっているとも言えます。

整腸、食欲増進、消化促進などの効果も期待できるカレーは、夏バテ防止にも最適な最強フードなのです。

今回は、日本全国から厳選したカレーと、ぜひ、一緒に合わせたいビールをご紹介します。

今回ご紹介するのはカレー3種、ビール3種。左より、「ホンダロジコム」の「tororino(トロリノ)」、「愛媛海産」の「鶏手羽元のバターチキン」、「Mandrillus」の「ぶどう山椒をかけて食べるほうれん草キーマカレー」。そして、「サンクトガーレン」の「パイナップルエール」、「南信州ビール」の「Ogna(オグナ)」、「サンクトガーレン」の「YOKOHAMA XPA」。

懐かしの味からスパイスの効いたものまで。また食べたいと思わせる3選。

まず、ひとつ目は、「ホンダロジコム」が商品開発した「tororino(トロリノ)」の「国産きくらげ入り ごろごろ野菜の懐かし手作りカレー」。きくらげは、「ホンダロジコム」が開設したきくらげ農園「春日井ファーム」のもの。ここは、1年中、品質の安定した新鮮なきくらげを生育しています。味わいは、家で作ったようなコク深さが懐かしいカレー。きくらげをはじめ、ごろっとした国産具材は、食べ応えも十分です。

ふたつ目は、「愛媛海産」の「鶏手羽元のバターチキン」。愛媛県産の鶏手羽元を煮込み、豊かな香りが特徴のカルダモンやカスリメティを贅沢に使用しているのが味の特徴です。隠し味には、同じく愛媛県産のドライトマトをアクセントに効かせています。

最後は、「Mandrillus」の「ぶどう山椒をかけて食べるほうれん草キーマカレー」。ぶどう山椒の柑橘系の爽やかな香り、そして、穏やかな辛味としびれる刺激が旨みを引立てます。カレーはバターチキンのまろやかな味わいと後味のスパイス感が楽しめ、ほうれん草で色付けしています。ぶどう山椒の新たな魅力に気づくこと間違いなしの一品です。

さらに、カレーに合うお米「大嶋農場」の「咖喱米 カリー米」と合わせれば、その味わいは、一層広がります。

タイプの違うカレーは、毎日でも食べたくなる味。ぜひ、カレーとともに、暑い今夏を美味しく乗り切りましょう。

コンセプトは、美味しい食事でココロに「シアワセ」を。厳選した食材でカラダに「ウレシイ」を。小麦不使用、国産具材、国産きくらげ入りで、ヘルシーな「国産きくらげ入り ごろごろ野菜の懐かし手作りカレー」。きくらげが入ることにより、通常のカレーではなかなか摂取できない食物繊維やビタミンD、鉄分なども豊富。

ボリュームのある松山どりの鶏手羽元がふたつも入ったボリュームたっぷりの「鶏手羽元のバターチキン」。保存料や化学調味料を一切使用せず仕上げた品。

雛豆、ほうれん草、合挽きミンチなど、絶妙な配合が旨みを引き出す「ぶどう山椒をかけて食べるほうれん草キーマカレー」。和歌山県のぶどう山椒と合わせるとさらに美味しさがアップ。

日本では珍しい長粒米の「咖喱米 カリー米」。日本米のやわらかさとタイ米のパラパラ感があり、カレーはもちろん、チャーハンやパエリアにも最適。農薬や化学肥料に頼らず、安心安全な農法にもこだわる。

カレーといえばビール! 無敵のペアリングで、より美味しく。

カレーだけでももちろん美味しいですが、より味わいを複層的に楽しむお相手に選ぶのは、やはりビール。苦味から酸味を効かせた多彩なクラフトビールをご紹介したいと思います。

まずは、2022年、社名と同様だったブランド「南信州ビール」から新たなに生まれ変わった「Ogna(オグナ)」です。同社は、長野県第一号のクラフトビールメーカーであり、原材料をはじめ、仕込みから製造、出荷に至るまで、すべての工程において一切妥協することなく自分たちの手で造り上げ、南信州という土地の魅力とこだわっています。

豊富にあるラインナップの中から今回選んだのは、信州宮田村産ヤマソービニオン(山ぶどうとカベルネソービニオンのワイン用交配品種)ぶどう果汁を原料に使用した「YAMASO HOP」のフルーツビール。赤ぶどう特有の濃い鮮やかな紫色、酸味、果実由来の香りと重厚なフレーバーが特徴で、コクとまろやかな甘さを持ち合わせ、微かな渋味も感じられる味わいです。

次いで、日本人で初めてクラフトビールを作った岩本伸久氏が手がける「サンクトガーレン」。命名の由来は、 スイスの都市「ザンクト・ガレン」にあった「ザンクト・ガレン修道院」から引用してネーミングしています。「サンクトガーレン」のロゴマークのデザインも、ザンクト・ガレン修道院をモチーフにし、ビールを醸造する修道僧をイメージしています。

ここでは、数ある種類の中から、香り高く、最高に苦味の効いた「YOKOHAMA XPA」と夏季限定にて展開するフルーツビール「パイナップルエール」をお勧めしたい。

対照的なその味わいは、気分や天気によって選ぶのも良し。お好みのスタイルでお楽しみいただきたい。

今夏、ワンランク上の夏の定番、カレーとビールを満喫するのはいかがでしょうか。

「ogna(オグナ)」とは、長野(NAGANO)を構成する4つのアルファベット「N, A, G, O」を並べ替えた造語。これからも長野という自然豊かな土地の魅力が詰まったビールを作り続けていくという思いが込められている。「YAMASO HOP」は、信州宮田村産ヤマソービニオンぶどう果汁を原料にしたフルーツビール。

「YOKOHAMA XPA」は、ペリーが赤道を越えて日本に持込み、幕府にも献上したとされるビールの復刻版。使用するホップは通常の約4倍。柑橘を思わせる香りと、余韻にまで残る鮮烈なビター感がクセになる。仕込み水は、濁度0.0000という驚異の透明度を誇る横浜市のオフィシャル水「はまっ子どうし」。

約600kgのゴールデンパインを使用した夏季限定のフルーツビール「パイナップルエール」。果実はビールが発酵する前の麦汁に投入。果実と麦汁を一緒に発酵させることで、泡までほんのり甘いパイナップル風味に仕上げる。パイナップルは手作業で切ったものを使用。機械で切るのと比べ、香りの瑞々しさが違い、濃縮果汁や香料などの人工物は一切使用していないことも特徴。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp


Photographs:KENTA YOSHIZAWA
Styling:HIROKO TAKENAKA
(Supported by WAKO)

タブーなき料理とペアリング。最果てのウイスキー『HIGHLAND PARK』が刻む、新たな一歩。[HIGHLAND PARK LIMITED SESSION om AC HOUSE/東京都港区]

 最北の蒸溜所で200年以上続く『HIGHLAND PARK』の伝統と挑戦。

スコットランド最北端、大小70の島々からなるオークニー諸島。

強風が吹き荒れ、木々さえも生えないその厳しい環境の中に、1798年から続くウイスキー蒸溜所があります。

その蒸溜所で200年以上も変わらぬ製法でつくられるシングルモルトウイスキー・スコッチウイスキーが『HIGHLAND PARK』です。

過酷な環境が生み出す滑らかな風味、この島独自のピートに由来するアロマティックでフローラルな香り。その豊かな味わいは長きにわたり、世界中の人々を魅了し続けています。

変わらぬ製法、変わらぬおいしさ。

ならば『HIGHLAND PARK』は、ただ古きを守るだけなのか、といえばそうではありません。変わり続ける時代の中で、常にトップランナーであること。それは『HIGHLAND PARK』が常に新たな可能性を模索し、挑戦を続けてきたことを意味します。

そして今日もまた、『HIGHLAND PARK』は料理とのコラボレーションを通して新たな一歩に挑みます。お相手は西麻布『AC HOUSE』。イタリア各地で修業を重ねた後、ノルウェー・オスロで腕を振るった黒田敦喜シェフの経験を集約したレストランです。

自身が得た経験を糧に、伝統を打ち壊し、新たな視点とともに再構築するイノベーティブな料理。「おいしさがすべて。現代の料理にタブーはない」と言い切る黒田シェフの料理は、『HIGHLAND PARK』とどのように響き合い、どのような可能性を提示するのでしょう。

西麻布の路地に佇む一軒家レストラン『AC HOUSE』。“新北欧料理”と紹介されることも多いが、黒田シェフの中にジャンルのこだわりはない。

「北欧で技術や哲学を学びましたが、それを日本でそのままやる必要はない」と黒田シェフ。その土地に根ざし、食材を活かす調理を実践する。

 まずテイスティングで見極める『HIGHLAND PARK』の実力。

セッションは、『HIGHLAND PARK』12年、15年、18年の3種類のテイスティングから幕を開けました。ブランドマネージャーの藤井氏の解説とともに、それぞれ異なる個性を放つ3種の色を、香りを、味わいを確かめます。

柑橘系の香りとほのかな甘みが軽やかな12年、フレッシュなフルーティさと熟成感を両立する15年、滑らかな円熟味とアロマティックなピート香が際立つ18年。まずは各々の五感で『HIGHLAND PARK』を感じ取り、基準点を築く。そこから料理とのペアリングがスタートするのです。

次いで提供されたのは、3種のウイスキーに合わせた3つのフィンガーフード。12年には、枇杷のジャムを添えたブリオッシュ、15年にはルイボスのクリームのラングドシャ、18年にはブーダンノワール。料理を味わい、ウイスキーを口にすることで、先ほどとは異なる酒の表情が見えてきます。甘み、塩味、風味、香り、さまざまな要素が響き合う見事なペアリングに、さっそくウイスキーのさらなる可能性が感じられます。

3種の『HIGHLAND PARK』に合わせたフィンガーフード。ウイスキーは左から12年、15年、18年。

古民家をリノベーションした『AC HOUSE』。一階は白基調のモダンな設えだが見上げると古民家の梁が見える。その新旧の融合もまた黒田シェフらしさ。

ゲストに配られたパンフレットに記された『HIGHLAND PARK』の歴史と矜持。その重厚な物語が、味わいに深みを加える。

テイスティンググラスが置かれた皿は、実際に使用された樽を利用したもの。

色や香りを確かめるのもテイスティングの重要な工程。とくに香りは、味以上に多くの情報を含んでいるという。

 斬新な料理と合わせ次々と顕在化するウイスキーの未知なる側面。

続いての料理は、ウイスキーでマリネし、炭火で焼き上げた羊。白いんげん豆のピューレと羊の出汁のソースが添えられています。合わせるのは、柚子と甘夏で仕立てたハイボール。柑橘と炭酸の爽やかな味わいと『HIGHLAND PARK』のフルーティーなアロマが、力強い肉料理を軽やかに流します。

続いてはパスタ料理。黒田シェフがつくったのは、グランチャーレと桜のチップで燻製したチーズ、トマトソースを合わせた筒状のパスタ・パッケリ。そしてペアリングはなんと自家製クラフトコーラと『HIGHLAND PARK』でつくるウイスキーコーク。

実はこの料理のイメージはピザ。名シェフの料理と伝統のウイスキーの重厚なコラボレーションでありながら、シェフが「ピザとコーラのようなジャンキーな組み合わせ」と語る通りのカジュアルな印象です。

締めのデザートにもドリンクが添えられました。

デザートは、メロン。フレッシュメロン、メロンジュースの寒天、ライムが香るココナッツアイスの組み合わせは、ほのかな青みと甘みで食後を爽やかにまとめます。ドリンクは、ウイスキーで煮たタピオカを沈めたほうじ茶のタピオカミルクティー。ウイスキーでタピオカミルクティーを仕立てる発想はもちろん、それをフレッシュなデザートに合わせるのもまさに型破りです。

炭火焼の羊と柚子ハイボール。溢れ出す羊の旨味とコクと、柑橘の爽やかさ、『HIGHLAND PARK』のフルーティーなアロマが絶妙。

黒田シェフがチームと話し合って生まれたという『HIGHLAND PARK』のカクテル。本来の持ち味を活かしつつ、新たな魅力も提示する素晴らしい仕上がり。

『AC HOUSE』は厨房前のひとつの大きなテーブルにゲスト全員が着席するスタイル。会の進行とともに、テーブルには楽しい会話の花が咲いた。

トマトソースのパッケリと『HIGHLAND PARK』のウイスキーコーク。その間違いのない組み合わせはいわば、上質なジャンキー。

『HIGHLAND PARK』に合わせてスパイスをブレンドしてつくったクラフトコーラ。その複雑な味わいにゲストも驚きを隠せなかった。

常識や前例や伝統よりも「ただおいしいこと」を重視する黒田シェフのイノベーティブな料理は、瞬間的に脳に伝わるような力強いおいしさ。

メロンのデザートと『HIGHLAND PARK』の黒糖タピオカミルクティー。甘さ、香り、熟成感、ピート香、余韻。あらゆる要素が噛み合った組み合わせ。

寄り添うのではなく、互いに主張する高次元のペアリング。

3品の料理とペアリングで見えてきたのは、黒田シェフの独自の視点と発想、そしてそれらを受け止める『HIGHLAND PARK』の懐の深さです。

この日のペアリングの狙いを黒田シェフはこう話します。

「従来のペアリングは、香りや後味などの主体となるもに合わせ寄り添っていくことが王道。しかしそれでは面白くないので、違う視点で考えてみました。それは、料理の軸とドリンクの軸が交わるのではなく、ずっと平行してどちらも主張するペアリング。どちらかが引き立て役になるのではなく、どちらも主役として主張するようなものを目指しました」

それは『HIGHLAND PARK』の確固たる存在感と華やかなフレーバーだから実現できた、高次元のペアリングなのでしょう。黒田シェフの自由自在な発想を受け止める懐の広さ、どんな料理にも寄り添い、並走し、高め合う柔軟性。それこそが今回のセッションを通して改めて見えてきた『HIGHLAND PARK』の魅力かもしれません。

結びの挨拶で藤井氏が語ります。

「ハイランドパークの故郷であるオークニー諸島と黒田シェフが修業を積んだノルウェー。今回は北欧という接点で紡がれるものだと思っていましたが、実際に見てみるとジャンルではくくれないイノベーティブな料理の数々でした。ドリンクもウイスキーコークやタピオカミルクティーといった身近なものを新たな発想で仕立てていただき、私自身も勉強になることばかりでした」

長く『HIGHLAND PARK』を見つめ続けるブランドマネージャーに発見があるということ、それはこのウイスキーにはまだ見ぬ可能性が秘められていることを意味します。新たな料理と組み合わせるたび、新たな料理人と出会うたびに、次々と新たな境地を切り開く『HIGHLAND PARK』。その無限の可能性の一端を垣間見る素晴らしいセッションでした。

『AC HOUSE』の由来は、シェフのあだ名である“あっちゃん”から。まるで自宅に招かれたかのような和やかな時間が流れた。

会の最後には、テイスティングで種類を当てるクイズ形式のイベントも。ゲストは真剣に味や香りを確かめた。

司会進行を担当したブランドマネージャーの藤井氏。ゲストから飛び出すさまざまな質問にも淀みなく答える『HIGHLAND PARK』の生き字引。

住所:東京都港区西麻布2丁目7−7
電話:03-6419-7566
営業:ランチ12:00〜(土曜のみ)、ディナー19:00〜
休日:日曜・月曜
URL:https://www.instagram.com/ac_house_jp/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 三陽物産)

人と自然、共存の難しさ。それでも人は生きてゆく。

「ジャパンタイムズ」代表取締役会長兼社長の末松弥奈子さん(後列、右よりふたり目)をはじめ、「The Japan Times Destination Restaurants 2024」を受賞した面々と審査員の辻調理師専門学校 校長、辻調グループ代表の辻 芳樹氏、レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役社長の本田直之氏、株式会社アクセス・オール・エリア代表取締役の浜田岳文氏。

ディスティネーションレストラン花よりも花を咲かせる土になれ。

2024年5月、第4回となる「The Japan Times Destination Restaurants 2024」の受賞レストランが発表。「日本人が選ぶ、世界の人々のための、日本のレストランリスト」として発足されたそれは、「日本人の視点で、世界の人々に、日本の姿を伝える」をテーマに、日本各地に点在する10店を毎年選出しています。選考者は、3名。第1回から変わらず、辻調理師専門学校 校長、辻調グループ代表の辻 芳樹氏、レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役社長の本田直之氏、株式会社アクセス・オール・エリア代表取締役の浜田岳文氏です。

2021年・2022年の「Destination Restaurants」の記事はこちら
2023年の「Destination Restaurants」の記事はこちら

今回選ばれたレストランは、美食家やフーディーさえノーマークだった知る人ぞ知る店が連ね、まさに発掘の回となったのが大きな特徴のひとつ。「Destination Restaurants」が掲げる選考基準のひとつ、「地方で埋もれがちな才能の発掘を目指す」が最も色濃く反映されたのではないでしょうか。(そのほかの選考基準などは、上記の記事をご参照ください)

「2024年 The Destination Restaurants of the year」に輝いたのは、北海道中川郡豊頃町「Elezo Esprit」。自らを食肉料理人集団と謳い、生産・狩猟、枝肉熟成流通、シャルキュトリ製造、レストランの4ブランドを展開。人間は自然界における食物連鎖の長であることを理解し、命と向き合っています。

そのほか、受賞されたレストランは、石川県七尾市「一本杉 川嶋」、大分県由布市「JIMUGU(ENOWA YUFUIN)」、沖縄県うるま市「Mauvaise herbe」、三重県松阪市「松阪 私房菜 きた川」、新潟県村上市「割烹 新多久」、富山県富山市「海老亭別館」、群馬県利根郡川場村「VENTINOVE」、静岡県焼津市「馳走 西健一」、長野県茅野市「カエンネ」の計10店。

「Elezo Esprit」の佐々木章太氏は、受賞した心情を語るも、自身のレストランについては、ほどほどに、これまで体験してきた生産者への想いを言葉にしました。

「24歳で創業し、食肉の世界に入りました。勉強して技術や知識を学ぶはずだったのですが、歴史や文化、背景を知るに連れ、それらに従事する方々に興味を持つようになりました。私たち料理人は、お肉だけでなく、魚や野菜を作る人、さらには、自然を守る人たちの恩恵を受け、レストランを営んでいます。お客さまにおいても、その恩恵を受け、美味しい料理をいただいていると思います。しかし、その作り手たちの全てが報われているわけではありません。光の当たる人もいれば、ひた向きに影で努力を続けている人がいます。その影に光を与えられるような事業をこれからも続けていきたいと思います」。

花よりも花を咲かせる土になれ。

土があるからこそ、根が張れ、根があるからこそ、水を吸い上げ、そして、花が咲く。何が欠けても成立せず、そこには主役も脇役もありません。「Elezo Esprit」は、生産者や食材、自然にも光を当て、この土地なりの正しい食循環を生んでいるのかもしれません。なぜなら、佐々木氏は、花は咲かせてもらっていることを、きっと知っているから。

「Elezo Esprit」の佐々木章太氏。2022年10月にオープンしたオーベルジュ「Elezo Esprit」は、帯広空港から車で約1時間。宿泊棟とレストランだけでなく、豚や鳥などを育てるファームも備える。

毎回行われるトークセッション。巧みな進行を務める辻氏(左)。そして、「世界のレストランは日本に向いている。日本人シェフは、世界をリードしていると思います」と本田氏(中)と「どんなにシェフの才能があっても、食べ手としてそれを受け入れる美食の教養も必要」と浜田氏(右)。

ディスティネーションレストラン料理人人生の転機。ゼロから一歩を踏み出す勇気。

今回、受賞したレストランの中でも、移転をきっかけに現在のスタイルにたどり着いた3店に注目したいと思います。

まずひとり目は、「VENTINOVE」の竹内悠介氏。東京で約10年お店を営んでいましたが、店舗のあったビルの老朽化と立ち退きに合い、同時にコロナ禍に。当初は、東京で再スタートを考えていたそうですが、家族で話し合った結果、地元である群馬県利根郡川場村に拠点を構える選択をし、新たな挑戦を始めました。「東京では作りたい料理に合わせて食材を選んでいましたが、今は食材に合わせて料理を作る」という変化も芽生えたと話します。

ふたり目は、「馳走 西健一」の西 健一氏。広島出身の西氏ですが、ある人との出会いをきっかけに、静岡県焼津市に移住。その人物とは、「サスエ前田魚店」の前田尚毅氏。もともと、広島のお店でも前田氏の魚を取り扱っていたそうですが、現地でいただいた仕立てと鮮度の違いに驚愕。独立する際、前田氏の拠点でもある現在の地に店を構える決意をしました。

3人目は、「松阪 私房菜 きた川」の北川佳寛氏。実は、地元の三重県松阪市で開業するために帰郷したわけではありませんでした。もともと東京で修業していた北川氏は、途中、心が折れてしまい、精根尽き、「都落ち」と北川氏。その後、心身を癒し、ようやく外に目を向けられる時に、食材の豊かさと人々の優しさに改めて気付き、再スタートしました。

三者三様ですが、大きな決断、人生の岐路は、料理人として、人として、強くなったに違いありません。共通している点で言えば、皆、元の拠点から遠く離れ、ゼロからの一歩を踏み出したということ。そんな背景もまた、思考を開花させ、料理においても皿の上だけでは描けない深みをもたらしているのかもしれません。

2011年、東京の西荻窪に「trattoria29」をオープン後、2020年に閉店。25年ぶりに群馬県川場村に帰郷した「VENTINOVE」の竹内氏。再開においては、「当初の予定よりも長い時間がかかってしまったが、その分、環境や生産者を理解できることができた」と話す。

「サスエ前田魚店」の前田氏の仕立てに惚れ込み、2022年に静岡県焼津市に移転・移住した「馳走 西健一」の西氏。店舗においても、「サスエ前田魚店」から徒歩約5分ほど。

「松阪 私房菜 きた川」の北川氏は、ヌーベルシノワの達人と呼ぶに相応しいひとり。不便な立地でありながら予約困難、1日1組の中華料理の名店。スピーチでは、「妻である女将がいなかったら、今の自分はありませんでした。自分にとっては、ベスト オブ 女将」と感謝の気持ちも述べた。

ディスティネーションレストランアフターコロナからの能登半島地震の悲劇。改めて、自分は料理人で良かった。

今回、受賞された中には、元旦に襲った能登半島地震の被害にあったレストランもありました。「一本杉 川嶋」です。列席には、2022年に受賞した「ラトリエ ドゥ  ノト」の池端隼也氏の姿も。

授賞式は、能登半島地震により被災された人々へのお見舞いの言葉から開宴。池端氏があの日の出来事を振り返り、今の心境を語ります。

「お店に行ったのは、地震の翌日。荒れ果てたその状況を見て、すぐに炊き出しを行いました。それはなぜですか?と色々な人に聞かれるのですが、本能的な行動でした。今でも、街ですれ違う方々からその時のことへの感謝の言葉をいただき、改めて、料理人で良かったと思いました」。

電気もない。水もない。そんな状況が続き、絶望の中、料理は希望の光となったのかもしれません。「料理は誰かのためにある」と最後に残した言葉が温かくも重く、心を揺さぶりました。

「一本杉 川嶋」の川嶋 亨氏においても、その想いを語ります。

「今日、この場に立つべきか非常に悩みました。あの日、約1分足らずで、街は崩壊し、全てを失ってしまいました……」。

登壇の際、毅然とした態度で臨んでいましたが、口にして言葉にするたび、想いが込み上げ、涙が止まりませんでした。

「泣くなよ。格好悪いぞ」。池端氏の激励に応えるように、涙をこらえ、言葉を続けます。

「しかし、自分たちがこれまで築いてきたものは、なくなっていないと思っています。山も川もまだ生きています。悔しいこともたくさんありますが、かけがいのない仲間がたくさんいます。必ず、能登は復活します」。

「Destination Restaurants」の選考基準には、「その対象は東京23区と政令指定都市を覗く日本にあるあらゆるレストランだということ」という項目もあります。すなわち、より自然に近く、より自然とともに生きる環境だとも言い換えられます。ゆえに、人と自然、共存の難しさを体現している10店でもあるのです。

苦難、困難、災難……。長い暗闇をようやく抜けたコロナ禍の一難去ってまた一難。自然は人間を必要としないのか。そんなことすら頭をよぎりますが、地震や津波のような「有難い」災害が自然から生まれるものである一方、「有難い」食材もまた自然から生まれるもの。

「難」が「有」ることの意義をどう受け入れるべきなのか……。この難解の答えはすぐに出すことはできませんが、ひとつだけわかることがあるとすれば、それでも人は生きてゆくということ。

当日は、過去に受賞した多くのシェフが姿を見せ、それは、「2022年 The Destination Restaurants of the year」に輝いた「Villa Aida」の小林寛司氏の音頭によるものでした。

「池端シェフと話し、自分たちにできることは何かないかと伺いました。そうしたら、たくさんの人に会いたい、と。できるだけ多くのシェフに声をかけ、みんなで応援したいと思いました」。

「一本杉 川嶋」と「ラトリエ ドゥ  ノト」は、今なお営業は再開できず、見通しすら立っていません。今回、「Destination Restaurants」は、初の書籍を発行し、その売り上げの一部を能登半島地震の支援金として寄付。1日も早く、復興の日が来ることを願うとともに、「Destination Restaurants」は、ただレストランをリスト化する活動ではないという事実を、ここに記しておきたいと思います。

数々の名店で研鑽し、2020年にオープンした「一本杉 川嶋」の川嶋氏。能登半島地震直後、炊き出しも行い、被災者を食で支えた。「能登の復興の希望となれるよう、立ち上がりたい」と涙ながら話す。

能登半島地震を振り返り、「改めて料理人で良かった」「料理は誰かのためにある」と話す池端氏の言葉は、レストランの語源でもあるレストレの精神そのものだった。

「ラトリエ ドゥ  ノト」の池端氏(前列、右より3人目)と「一本杉 川嶋」の川嶋氏(中列、左より3人目)に元気を与えたいという気持ちで集結したシェフたち。

Photographs:Destination Restaurants
Text:YUICHI KURAMOCHI

都内初登場の奇跡。幻の芳醇ウィスキーケーキ[和光アネックス/東京都中央区銀座]

深い味わいと香りが特徴の「芳醇ウィスキーケーキ」。信州の素材にこだわり、それらを「明神館」のパティシエが丁寧に仕上げる。

WAKO ANNEX時が経つに連れ、生地とウィスキーが馴染み、極上な風味を醸す。

長野県・松本にある一軒宿「明神館」。日本の旅館ならではの風格が漂うそこは、一歩を踏み入れるだけで、まるで心が浄化される感覚を覚えるでしょう。

それもそのはず。この一帯は神様が湯治に訪れる場所とも言われており、温泉に浸かれば、神々しい力すら感じる聖地でもあるのです。

松本を中心とした美味は、舌だけでは感じることのできない土地のエスプリが宿り、訪れるゲストを密かに虜にしているのが、この「芳醇ウィスキーケーキ」なのです。今回は、特別に銀座・和光の食の館「和光アネックス」にて数量限定販売。

こだわりは、風味豊かな「マルスウィスキー」や黄身が綺麗なレモン色の軍鶏の卵など、信州の自然が育んだ地元の素材。それらを「明神館」のパティシエが絶妙に調和させ、ケーキを深く濃厚な味わいに仕上げています。

このウィスキーケーキが「明神館」以外の実店舗で販売されるのは、今回が初。この貴重な機会に、ぜひお楽しみください。

※「芳醇ウィスキーケーキ」は、アルコール分が含まれています。車を運転される場合や20歳未満の方、妊産婦や授乳期の方、アルコールに過敏な方は摂取をご遠慮ください。

※5月より約1ヶ月間、毎週水曜日に限定数量が入荷いたします。入荷時刻は前後する場合がございます。あらかじめ、ご了承ください。

原料として使用している「マルスウィスキー」は、2021年にWWAブレンデッド部門(12年以下)で部門最高賞を受賞する名品。生地には軍鶏の黄身を練り込む。

「マルスウィスキー」を製造する「本坊酒造」の駒ヶ岳蒸留所。見学体験も可能。

ご興味のある方は、ぜひ「明神館」にも訪れていただきたい。滞在中は、ただ自然に身を任せることが贅の極み。何もしない時間の中、本来の自分と向き合う旅を堪能できるだろう。

「芳醇ウィスキーケーキ」は、神々しい桐箱に収められる。手土産やギフトにも最適。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp


(Supported by WAKO)

南城、琉球うるま、琉球首里。沖縄3部作を全て見届けた中村孝則が「ダイニングアウト」を説く。[DINING OUT RYUKYU-SHURI/沖縄県那覇市]

ディナー会場が設えられたのは「瑞泉門」の前。1933年に国宝に指定されたものの沖縄戦で焼失。現在の姿は1992年に復元されたもの。

DINING OUT RYUKYU-SHURI首里城内で開催された空前絶後の晩餐。

「DINING OUT RYUKYU-SHURI」が2024年2月10日(土)から12日(月)まで、沖縄県・那覇市の首里城で開催された。今回、料理を担当するのは東京・南麻布の「茶禅華」の川田智也シェフである。ご存知の通り、首里城は2000年にユネスコの世界遺産にも登録され、約450年以上にわたり琉球王朝の中心であり続けた城(グスク)である。そして、記憶に新しいと思うが2019年10月に不慮の火災で正殿などが消失し、いま2026年の完成を目指して修復の真っ只中にある。今回の「DINING OUT」は、その首里城のしかも城壁内部を貸し切って開催されたのであったが、そのこと自体が大きな話題となった。世界遺産の敷地のどこで、どのようなレストランを作るのかと。もっとも「DINING OUT」の醍醐味というか魅力が、たんなる美食の饗宴でないことは、読者貴兄もよく知るところであろう。その土地の魅力を自然に触れ、文化あるいは、そこに住む人々の営みから紐解き、五感と知的好奇心を総動員して味わうが趣旨であるからだ。なので今回も、舞台となった首里城を隅々まで探索することから始まった。

 今回、案内を務めてくださったのは、琉球史研究家の上里隆史氏である。その上里氏の著書『尚氏と首里城』(吉川弘文館)によると、首里城の総面積は約4万7千平方メートル、東西約400メートル、南北約200メートルの楕円形の城郭であり、大別して内郭・外郭から構成されている。15世紀初頭、中山を掌握した尚巴志により本格的整備が開始され、やがて大規模な王宮へと変貌する。もっとも、それ以前の14世紀前半には、「京の内」と呼ばれる区画を中心にすでにグスクとして信仰儀式の場とされていたようである。なので今回の「DINING OUT」は、まさにその「京の内」から探索することとなった。多くのゲスト同様に、筆者もこの「京の内」の内部を歩くのは初めてだった。中世から大切に守られ、鬱蒼と南国の草木が生い茂り遊歩道のあちこちには、御嶽(うたき)などの信仰の場所があり、歩み進むうちに、徐々に琉球王朝の中世の時代にタイムスリップするような感覚になってゆく。やがて首里城の中枢部の、南殿・北殿・奉神門で囲われた御庭(うなー)に到達する。2019年に焼ける前の正殿は二層三階建て、赤瓦葺の入母屋造で、壁は弁瓦色で塗られ、で中央正面には豪華に装飾された唐破風(からはふ)が備わっていた。この建築様式は琉球独自のものであったが、火災で完全に焼け落ちてしまった。もっとも、この正殿は1453年を初めに、先の大戦の1945年まで過去に計4回消失しており、その都度、不死鳥のごとく再建されてきた歴史を持つ。いまはその再建の真っ只中にあり、今回の「DINING OUT」では、その再建中の骨組み内部まで拝見することができた。むしろ、それはゲストたちにとっては、今だけしか肉眼で見ることが出来ない貴重な機会となった。
 
 ゲストはいよいよメイン会場の入り口の歓会門へとたどり着く。首里城には幾つかの門があるが、“歓会”とはまさに、「DINING OUT」会場の入り口にふさわしい銘ではないか。その巨大な門は、合図と共にゆっくりと開けれ、導かれたその奥には、純白のテーブルクロスが張られたダイニングテーブルが用意されてた。その場所は、第一尚氏時代の正門である瑞泉門を望む広場になっている。美しい石垣は中世のそのままの趣を残し、厳かな空気に包まれていた。そして夕暮れとともにいよいよ、ダイニングがスタートをした。私たちは、まるで琉球王朝に招かれた、中世の各国の特使にでもなったように気分が高揚していた。実際に、今回のゲストは、海外のゲストも参加していたのだ。

首里城を案内する琉球史研究家の上里隆史氏。歴史の舞台を前に、琉球王国の信仰や精神性までを深く解説した。

2026年の復元を目指して作業が進められる首里城正殿。その作業工程の大部分は「見せる復興」として誰でも見学することができる。

首里城の代表的な門である「守礼門」。扁額の中の文字は「守礼之邦(しゅれいのくに)」。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味。

ゲストをディナー会場へと誘った「歓会門」。歓会とは「歓こんで迎える」の意で、かつて琉球王国に招かれた中国の特使を歓迎する意味で命名された。

通常、首里城は18時以降閉鎖され夜間の姿を見ることはできない。その幽玄な雰囲気の中で食事をするという稀有な体験だった。

DINING OUT RYUKYU-SHURIアジアの中で独自の地位を築いた琉球王朝の外交戦略と首里城。

ここで少し、琉球王朝時代の歴史についても触れておきたい。というのも、今回の「DINING OUT RYUKYU-SHURI」の料理の本質を紐解くための重要なヒントが隠されているからだ。琉球王朝は、14世紀末から16世紀にかけて、西南諸島のみならず、アジア諸国全域にかけて、広範囲な交易活動を行ってその地位を誇っていた。とりわけ中国(明・清)との交易は特別な関係を持ち、約500年続いた。琉球の交易は王府が運営する国営貿易であり、明朝への朝貢などと通じ特権的な地位を与えられ、明だけでなく南はいまのタイ国のアユタヤ王朝や、ベトナムの安南、マレー半島のマラッカ王朝とも広く交易をしていた。東アジア全域の貿易経済ネットワークを構築することで、独自の立ち位置を築いたのである。当時、琉球から明への主な朝貢品は、沖縄島北方にある硫黄鳥島の硫黄や馬だったと、さきの『尚氏と首里城』で上里氏は書いている。硫黄は、火薬の原料として明で珍重された。そして、琉球からは多くの馬が飼育され、明に輸出されたそうだ。当時の明は北方のモンゴル軍と対峙しており、琉球の馬たちは軍馬として供給されていたのだ。かわりに明からは陶磁器をはじめ最先端の品々を輸入し、それをアジア諸国に輸出した。また南方からは胡椒などの香辛料や象牙を、日本からは日本刀を輸入して、アジア全域の貿易センターとして富を得ていた。もうひとつ重要なことは、琉球王朝の文化的外交手腕である。当時、明王朝からは「冊封使(さっぽうし)」と呼ばれる、皇帝の使節団が定期的に明からやってきた。しかも彼らは大型ジャンク船で一度に4、5百人が訪れ、長い時には数ヶ月滞在したという。その歓待の舞台となったのが、この首里城である。彼らへのもてなしは、極めて洗練された琉球の文化––––音楽であり歌であり組踊りあり装束であり、城の中で作られた極上の酒、泡盛であった。そして何より冊封使たちが最も楽しみにしてたのは、料理であった。なので、今回の「DINING OUT」を読み解くカギは、琉球王朝の歴史を踏まえ、ゲストが“現代の冊封使だったら”、という見立から進めるのが分かりやすいのだと思う。

首里城正殿前に位置する礼拝所「首里森御嶽(すいむいうたき)」。この御嶽があるから首里城がこの場所に建てられたというほど格式高い聖地。

正殿横にある珊瑚の礫が敷かれたエリア。琉球王国では聖なる場所や墓所に珊瑚や海の砂を敷くという慣わしがあったため、おそらくここは神に仕える女性が儀式に使ったのではないかと考えられているという。

首里城内の聖地「京の内」には4つの御嶽があるが、その周囲を取り囲む御嶽林も琉球王国の歴史を元に復元されている。

御庭へ入る最後の門となる「奉神門」は、現在は有料エリアへの改札所となっている。朝の開門の儀式「御開門」を見ることができるのもこの門。

DINING OUT RYUKYU-SHURI琉球王朝最高のもてなし、「御冠船料理」とはなにか。

御冠船と書いて、「うかんしん」あるいは「おかんせん」と読む。明王朝の冊封使が琉球王朝の王を認める冠を持参する船であったことがその語源である。「御冠船料理」とは、有り体に言ってしまえば、冊封使を接待するための宴席料理である。そしてその内容とスケールが桁違いに凄い。赤嶺政信著『沖縄の神と食の文化』(青春出版社)によると、冊封使たちが滞在中に7回の大宴会を開催し、一回の宴席には一の重から5の重まで、合計30以上の珍味美味の料理が並んだと記している。これを「五段のお取り持ち」と呼び、近代まで首里の士族層の祝儀の料理に引き継がれたという。宴席には料理だけでなく、音楽や組踊などの演出も繰り広げられた。料理は南西諸島の海の幸、山の幸はもちろん、イラブウミヘビから、鹿肉やアヒルなどの肉類、日本からは干したナマコ、明からはツバメの巣といった珍味まで、さながら琉球版満漢全席(まんかんぜんせき)といった様相だ。中には、海馬もあったそうだ。海馬とはジュゴンのことである。ちょっと脇道にそれて恐縮だが、ジュゴンは近世までアジアの王侯貴族にとって、不老不死の究極の食材として垂涎の的だった。もちろん、現在ジュゴンは絶滅危惧種で食すことなどもってのほかだが、民俗学者の柳田国男や南方熊楠も、その美食の歴史にも触れ、辺見庸の『もの食う人々』では、1960年代のフィリピンのブスアンガ島で最後に食された記録ことも記述している。ちなみに昨年、沖縄の海では、ジュゴンのフンや海藻の食み跡が見つかっており、かつてジュゴンが琉球全域に生息してことを空想させる。話がつい脱線してしまったが、何が言いたいかといえば、今回の川田智也シェフが手がけた料理の裏テーマは、さながら現代版の「御冠船料理」ということに違いない。勉強熱心な川田シェフのことだから、当然「御冠船料理」の文献など紐解き、沖縄県内の様々な食材をくまなくリサーチしたに違いない。それを、往時と同じ首里城で味わえたということは、画期的な企画だと、あらためて思うのである。

コースは御冠船料理さながらの全15品。慣れない厨房でその品数を遅延なく仕上げたのは、川田シェフの采配とキッチンスタッフのチームワークの賜物。

キッチン、ホールともに現地スタッフではなく、東京からやってきた総勢20名の『茶禅華』スタッフが担当した。

DINING OUT RYUKYU-SHURI一際余韻を残したふたつの料理、長命海月と甲魚光貝の記憶。

現代の「御冠船料理」という見立ては、筆者の勝手な空想であるので、実際に総合プロデューサーの大類知樹氏から川田シェフにそのような指示があったのかはわからない。しかし、おそらく大類氏の中では、だいぶ以前から川田シェフと決めていたのではないだろうか。というのも、仮に「御冠船料理」を再現するとしても、この料理は単なる中華料理でもなければ沖縄料理でもないからだ。広大な東アジア全体の食文化の融合であり、日本料理、中華料理、そして東南アジア諸国の最高のレシピを融合し、高度に洗練されたものであると推測されるから。そもそも川田シェフは中華料理を基本にしつつも、「日本料理 龍吟」で日本料理も極め、中華料理と融合することで独自の境地を開拓し、「ミシュランガイド東京版」で中国料理として初めて三つ星を獲得した。中華圏のフーディーたちも、本国より美味しいと足繁く通うほどである。おそらく、このミッションに応えられるシェフは、川田シェフしかいなかったであろう。実際に15皿に及ぶ今回の料理はどれも素晴らしい内容だったのだ。ここで、筆者が特に印象的だった料理をふたつほどご紹介しよう。「長命海月」と名付けられた小さな料理は、クラゲに沖縄の長命草を和え、柑橘のタンカンで風味付けされたものだ。長命草とは、近年研究で優れた薬効が認められ、いわゆる「ぬちぐすい」という、沖縄流の医食同源の象徴の食材である。クラゲのコリコリとした食感と長命草の苦味、タンカンの酸味が合間って、沖縄らしい涼やかな風味一皿だった。「甲魚光貝」は、夜光貝と呼ばれる大きな貝とスッポンを、暖かなスープ仕立てにし、夜光貝の貝殻をお椀の器に見立て、手で持ち上げて飲む趣向。貝殻も温められており、スープの滋味だけでなく、手のひらからも美味しさが伝わってくる逸品だった。ちなみに夜光貝は琉球王朝時代に「螺殻(らかく)」と呼ばれ、琉球から明への主要な輸出品にひとつだと高良倉吉氏は『アジアのなかの琉球王朝』(吉川弘文館)で記している。この貝は、螺鈿細工の原料として珍重されたのだ。これも筆者の空想だが、もしかしたら実際に「御冠船料理」でも夜光貝が食されたかもしれない。もちろん食した後の貝殻は、冊封使が持ち帰ったのだろう。今でいうサスティナブルな料理である。なんていう見立ても川田シェフならではの美味しさのレシピになっているのであった。いずれにせよ、どの料理も洗練されて美味しいだけでなく、琉球王朝へのオマージュや王侯貴族たちの長旅の滋養強壮のもてなしを引き継いているところが、川田シェフの非凡なところである。おそらく、今回の料理のいくつかは、「茶禅華」のグランドメニューに加わるのではないだろうか。川田シェフの凄いところは、今回のような機会を得て、常に料理が進化しているところであるから。

「素材の背中をそっと押すような料理」と川田シェフが語る今回の献立。素材名を軸にしたシンプルなメニューが並んだ。

食感豊かなクラゲに、沖縄で古くから親しまれてきた野草である長命草と爽やかなタンカンを合わせたひと皿「長命草クラゲ」。上部は葱の風味、下には甘酢のジュレが敷かれている。

夜光貝とスッポンのスープ。手袋をはめて貝を直接持ち上げて口に運ぶという演出も、五感で味わう料理を探った今回の川田シェフの計算のひとつ。

DINING OUT RYUKYU-SHURI「ダイニングアウト」沖縄三部作。その集大成への道のり。

「DINING OUT」が沖縄本島で開催されるのは、今回を含めて合計3回におよんだ。2018年に南城市で開催された「RYUKYU-NANJYO」。2019年に、うるま市で開催された「RYUKYU-URUMA」。そして、今回の首里城の「RYUKYU-SHURI」である。いま振り返ると、いずれも琉球王朝時代から沖縄の各地に脈々と受け継がれる食材だけでなく、食文化の物語を提供していた。南城市では、樋口宏江シェフが、久高島の郷土食であるイラブウミヘビが、往時のマラッカ王朝を通じて日本の鰹節の原型であることをヒントに、日本と沖縄の食文化の融合を紐解いた。うるま市で担当したガガン・アナンドシェフは、自身のルーツであるインドのコルコタや、タイの食文化と沖縄の共通点を指摘し、独自のメニューを考案した。そして今回の首里城である。それぞれに物語があるだけでなく、この三部作を通じて、眠っていたあるいは知られざる琉球王朝時代の豊穣な食文化を掘り起こし、再現して示したのではないかと改めて思うのであった。これは、沖縄の未来のガストロミーを思索するうえでも、貴重な機会になったのではないだろうか。

初めて沖縄を舞台にした『DINING OUT RYUKYU-NANJO』は2018年に開催。ディナー会場となったのは、知念城跡。琉球王国時代から続く聖地巡礼の拝所のひとつで、切石組みのミーグスク(新城)と、自然石を積んだクーグスク(古城)から成り、国の史跡にも指定される。

『DINING OUT RYUKYU-NANJO』で腕をふるったのは、『志摩観光ホテル』総料理長を務める樋口宏江シェフ。特筆すべきは、「DINING OUT」史上初の女性シェフだったということ。樋口シェフは、2016年に行われた「伊勢志摩サミット」でも、各国の首相陣をうならせる料理を提供した実績を持つ。

DINING OUT RYUKYU-NAJO』のホストを務めた中村氏。土地の歴史や文化、料理など、様々な文脈を伝えるだけでなく、法螺貝のパフォーマンスなども披露。

沖縄2回目となるDINING OUT RYUKYU-URUMAは、うるま市にて2019年に開催。舞台となったのは、県南東部のうるま市に残る世界遺産・勝連城跡。

DINING OUT RYUKYU-URUMA』のシェフを務めたのは、タイ・バンコク『Gaggan Anand』のオーナーシェフ、ガガン・アナンドシェフと福岡『La Maison de la Nature Goh』の福山 剛シェフによる『GohGan』。現在は、同ユニット名のレストランを福岡で運営する。

DINING OUT RYUKYU-URUMA』でもホストを務めた中村氏。レセプション会場、浜比嘉島にて、「阿麻和利」の衣装でゲストを迎えた。

DINING OUT RYUKYU-SHURIガストロミー・ツーリズムにおける高付加価値化とはどういうことか。

現在、観光庁が地方における高付加価値なインバウンド観光地づくりを推進し、沖縄を含めて全国11地域をモデル観光地として選定している。その最大の課題は、人数ではなく高単価高付加価値観光にある。特にインバウンドに関しては、訪日客ひとりあたり、1回100万円以上と定義して推進している。ところが現実は、ひとりあたり約10万円と大きな隔たりがある。

日本各地には沖縄だけでなく、素晴らしい食材や食文化が数多く眠っている。それを掘り返すだけでなく、いかに高価値、高価格で提供するかが課題なのだが、単に“美味しい”だけでは舌の肥えた彼らを満足させることは出来ないだろう。美味しいものは、どこでも作れるからだ。打開策を端的にいえば、美味しさの奥にある、“美味しさの物語”を体験として、どう表現し伝えるかということに尽きると思う。彼らは、五感的な美味しさだけでなく、文化的な美味しさに高い対価を払う傾向にあるからだ。文化的な美味しさというのは、学ぶことによって初めて知ることができる美味しさと言い換えてもいいだろう。それは、単に高級食材や珍奇な食材を使うということではない。大事なことは、ゲストの脳のなかに新たな味覚ゾーンを作ることだ。自覚的にせよ無自覚にせよ、いまの富裕層やフーディーたちが、各地を旅する原動力になっているのは、自分の脳のなかに目覚める、新たな味覚ゾーンへの快感ではないかと思う。そのためには、文化としての美味しさを物語にかえて、演出を含めた総合的な体験として提供することが必須なのだ。その意味で今回の三部作を含めた集大成ともいえる「DINING OUT RYUKYU-SHURI」の試みは、今後の日本のガストロノミー・ツーリズム戦略を練るうえでも、貴重なショーケースになったと改めて思うのである。


Text:TAKANORI NAKAMURA

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。

主催:沖縄県文化観光スポーツ部 観光振興課
企画・プロデュース:ONESTORY
協力:沖縄美ら島財団
販売:ハレクラニ沖縄
協賛:オリオンビール、CHAMPAGNE TAITTINGER、瑞泉酒造、T GALLERIA、ホシザキ沖縄  *五十音順
 

精神を受け継ぎながら時代に合わせた琉球文化を。ふたりの文化伝承人が願う、ひとつのこと。[DINING OUT RYUKYU-SHURI/沖縄県那覇市]

琉球史研究家の上里隆史氏(左)と琉球音楽師範の山内昌也氏(右)。琉球文化を伝える役割として、ともに仕事に携わることもあるという。

DINING OUT RYUKYU-SHURIゲストの心を一瞬で捕らえた、現代に蘇った宮廷音楽の響き。

「琉球王国のおもてなし」をテーマに、『茶禅華』川田智也シェフが腕をふるった『DINING OUT RYUKYU-SHURI』。コースも半ばを過ぎた頃、琉球王朝式のおもてなしとして、歌三線と琉球舞踊のパフォーマンスが披露されました。

それは不思議な瞬間でした。

酒も入り、思い思いに会話を楽しんでいたゲストたちが、まるで申し合わせたように一斉に手を止め、話を止め、息までも止めるように、その演奏と舞に見入ったのです。それは芸能の持つ力を改めて垣間見る瞬間でした。

三線の音は儚く、音数も少なく、ごくごくスローなテンポ。合わせる舞も、注視していなければ静止しているものと間違えるほど、ゆったりとした動き。派手さはありません。賑やかさもありません。しかしその幽玄な響きと舞は、確実にゲストの心に届いたのです。

それは、一般的に想像されるような賑やかに歌い踊る沖縄民謡とはかけ離れていました。演者は、山内昌也氏。琉球古典音楽の師範であり、沖縄県立芸術大学音楽学部長でもある山内氏がその理由を教えてくれました。

「琉球古典音楽という、約450年続いた琉球王国が明治12年に滅亡するまで首里城の中だけで上演されていたものが、今日ご覧頂いた音楽です。その明治12年以降、首里城で演奏していた方々が自分が食べるために各村を回って庶民に宮廷音楽を見せていく。それを聞いた方々が生活のリズムと調和するような、自分たちで歌ったり、踊ったりできるように変えていったものが、現在の沖縄民謡の基礎になっています」。

レとラのない独特の音階の由縁、三線という楽器の起源、ロックやジャズを取り入れて変わりつつある沖縄音楽の今。教職者でもある山内氏の言葉はわかりやすく、琉球音楽の歴史を伝えてくれます。

しかし、自身が古典音楽の担い手である山内氏は、その変化を否定するわけではありません。
「武力ではなく、文化芸術を通して外交をしていたのが琉球王国。さまざまな要素を取り入れながら発展させてきたことこそ、先人たちの強い力ではないでしょうか」。

そう穏やかに山内氏。そして、ひとつの例を話します。

「今日ご覧頂いた歌三線の演者ひとり、女踊りひとりというパフォーマンスを開発したのが私なんです。それまでは大人数でやるスタイルが主流でしたが、これを10年ほど前に開発して、他の演者の方も取り入れはじめ、今では“次世代にこの形を伝えていっても良いのではないか”ということになっています」。

この1対1という革新的な取り組みは、それ自体がグッドデザイン賞を受賞するなど、高い評価を得て、現在では定着しつつあるといいます。

「私は復元と再現は別なのではないかと思っています。復元とは昔のものを昔のまま、それこそお客さんも着物を着て見るようなこととして伝えていくこと。対して再現は昔のものの理念をうまく活かしながら新しくデザインしていくこと。この時代に合わせた感覚が大事なのではないかと、個人的には考えています」。

奇しくも今回の「ダイニングアウト」を終えた川田智也シェフが「伝承と伝統」という言葉で語った思いと、とても良く似た理想を持つ山内氏。そして最後にこう話しました。

「そういう意味でも、今回のダイニングアウトで、それも今、再興の途にある首里城で、皆様方に琉球古典音楽を感じてもらえたことには大きな意味があると思います」。

紅型を着て踊る女踊りは、基本的に恋心がテーマ。この日の踊りは切ない恋心を踊りに託したもの。

現在でも首里城正殿の中で演奏できるのは宮廷音楽のみ。時代の変化だけでなく、正統な文化を継承していくこともまた山内氏の役割。

「かつて中国からの使者をもてなした同じ場所で、現代的な解釈によるもてなしの晩餐が開かれたことに大きな意義がある」と山内氏。

DINING OUT RYUKYU-SHURI目に見えぬ琉球王国の精神を伝えるホストとしての役割。

今回の『DINING OUT RYUKYU-SHURI』では、“琉球王国のおもてなし”という精神性が大きな意味を持ちました。そしてその目に見えぬものを深く、わかりやすく伝えてくださったのが、琉球史研究家の上里隆史氏でした。

首里城に到着したゲストを迎え、案内に立った上里氏。その上里氏が最初にゲストを導いたのは、首里城の観光順路から外れた「京の内」という場所でした。

「京の内は知らなければ何もない場所なんです。その何もないところに琉球の精神文化が秘められているということを知って頂いてそこから食事に入るということが意味を持っていたと思います。当然ながら食事は舌で味わうものですが、歴史であったり、この座っている場所がどういう場所かというのも踏まえた上であれば、いっそうおいしく、興味深く味わえるものなんですね」。

当時は城跡だった首里城を見つめて育ち、琉球文化を研究し続ける上里氏にとって、この場所で開かれるダイニングアウトには、ひときわの意味を持っていたのでしょう。そしてそんな上里氏にとっても、今回の晩餐は大きな意味を持っていたといいます。

沖縄文化や観光振興の有識者会議の委員もつとめた上里氏の願いは、時代に合わせた歴史、文化を今の人々が紡いでいくこと。

「歴史をただ歴史として学ぶのではなく、それを現代にアレンジして今を生きる人たちが当たり前に触れられる存在にすること。このダイニングアウトは、ただおいしいごはんを食べる、ただ世界遺産できれいだから使用する、ということではなく、土地の文化、風土、歴史を踏まえて現代の解釈で琉球王国の伝統を伝えた。そのことに価値があると思います」。

ここにもまた、川田シェフや山内氏と同じ思いが垣間見えます。

さまざまな文化を取り入れながら発展してきた琉球文化だからこそ、ただ守るのではなく、時代に合わせた“現在の文化”を伝えたい。

3名が異なる言葉で語ったひとつの思いこそ、琉球文化の本質なのかもしれません。

そして上里氏の思いは、現在、再建に向けて作業が進む首里城に向かいます。修復の作業を誰でも見学できるようにし公開し、ボランティアなども広く募りながら“見せる復興”として進む今回の再建。

「前回の復元はブラックボックスの中で、気付いたら首里城が完成していた。ところが今回は、こうして“見せる復興”が進んでいる中で、沖縄の人たちが参加していくという動きがあります。それをきっかけにかつて琉球文化があったこと、現在の復興に多くの人達が一生懸命努力しているということが広がっていく。皮肉なことですが、燃えてしまったことで、そこに目が向き始めた。沖縄の文化や伝統に目を向ける機会は、実は今なんです」。

御嶽と呼ばれる聖域が無数にある首里城内「京の内」。ここに込められた意味や由来を上里氏がわかりやすく解説した。

“見せる復興”の途にある首里城正殿。この方式が、沖縄の若い世代にも琉球文化への興味を持たせたという。

Photographs:RYO ITO
Text:NATSUKI SHIGIHARA

主催:沖縄県文化観光スポーツ部 観光振興課
企画・プロデュース:ONESTORY
協力:沖縄美ら島財団
販売:ハレクラニ沖縄
協賛:オリオンビール、CHAMPAGNE TAITTINGER、瑞泉酒造、T GALLERIA、ホシザキ沖縄  *五十音順
 

自然の恵みが凝縮されたハーブの癒し。[和光アネックス/東京都中央区]

ハーブの優しい香りは、アロマテラピーのような効果をもたらし、心も穏やかに。大切な人や自身を労り、癒しの時間をお楽しみいただきたい。

WAKO ANNEXほっとひと息、心身をリラックス。ハーブティー3種セット。

独自の焙煎技術によって、品質や味にこだわった3種のハーブティー。

まずひとつ目は、有機グリーンルイボスティー。素材は、その名の通り、農薬や化学肥料は一切使用していない有機原料。自然の恵みを生かして栽培されているグリーンルイボスです。グリーンルイボスは、一般的な赤いルイボスとは異なり、非発酵の茶葉を100%使用しており、緑茶に近い香りとスッキリと清涼感のある味わいが特徴です。

ふたつ目は、桑の葉茶。原料となる桑の葉は、鳥取県産のものを使用。まろやかな口当たりになるよう焙煎しているため、ほのかな甘味を感じます。

3つ目は、エキナセアティー。桑の葉同様、原料となるエキナセアは、鳥取県産。

癖のない草木の自然の香りが漂い、穏やかな味わいを満喫できます。

全てノンカフェインのため、体に優しいのも嬉しい点。加えて、便利なタグ付ティーバッグは、気分に合わせ、お手軽にティーバッグをお楽しみいただけます。

日々の気分や体調に合わせ、心身をリフレッシュしてみてはいかがでしょうか。

左より、有機グリーンルイボスティー、桑の葉茶、エキナセアティーの原料を栽培する畑の風景。自然の恵みを生かし、安心・安全にこだわる。

有機グリーンルイボスティー、桑の葉茶、エキナセアティーの3種のハーブティー。単品(個包装のティーバッグ10袋入り)はもちろん、3種セットも用意。ティーバッグの素材は、環境に優しいものを使用。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

意志ある未来は、人間力が切り開く。第二回「新潟ガストロノミーアワード特別版」開催。

若手シェフに焦点を当てた第二回「新潟ガストロノミーアワード特別版」。302店中、30店を厳選。熟考した審査の結果、大賞、審査員特別賞、特別優秀賞、女性Chef賞に輝いた面々(前列)。そして、審査員たちと総合プロデューサーの岩佐氏(後列)。

新潟ガストロノミーアワード生みの苦しみの次なる必須は、継続の力。それを叶えたアワード。

「新潟ガストロノミーアワード」は、2023年2月に発足。主な取り組みは、地域の風土、歴史や文化を料理に表現するローカルガストロノミーの理念を体現している県内の飲食店や宿泊施設、特産品などを発掘することにあります。

記念すべき第一回は、発足直後の2023年3月に開催。「ONESTORY」の記事では、最後にこう締めくくらせていただきました。

「生みの苦しみの次なる必須は、継続の力」。

当時、本アワードの総合プロデューサーである岩佐十良氏は、SNSで記事をシェア。この言葉に対してコメント添え、投稿を締めくくっていました。

「まだ未確定でありますが、新潟ガストロノミーアワードは2年に一度の開催ベースで、そして隙間の1年は情報発信をベースに、新人シェフ&新店の支援、さらにサブアワード的なことをしていきたいと考えています」。

それから約1年後、2024年3月。第二回となる「新潟ガストロノミーアワード特別版」が開催。これからの新潟の食文化を担う40歳以下にスポットを当て、テイスト、プレゼンテーション、ローカリゼーション、サステナビリティなど、様々な項目を審査。302店中、30店がノミネートされ、大賞、審査員特別賞、特別優秀賞、女性Chef賞が発表されました。

特筆すべきは、もちろん大賞なのですが、受賞したのは異例の2店。35歳以上(Over 35)で完成度を評価するものと、35歳未満(Under 35)で将来性を期待するものと、基準を分け、ダブル受賞に。その理由について、特別審査委員長の中村孝則氏は、こう話します。

「大賞を選定するにあたり、審査を進める中、一番議論になったのが、完成度の高さを求めるのか、それとも将来性を求めるのかの2点でした。そのどちらも評価できるよう熟考した結果、30歳から40歳は、料理人人生の中で一番伸びる時期ということもあり、35歳未満と35歳以上に分け、O-35とU-35、ふたつの大賞を設定することにしました」。

O-35を受賞したのは、燕市「日本料理 魚幸」渡邉雄太シェフ。U-35を受賞したのは、新潟市「SAISON」ミドルミス怜シェフです。渡邉シェフは、京都の老舗料亭「菊乃井本店」や新潟市の「日本料理 蘭」などで研鑽を積んだ人物。ミドルミスシェフは、パリ「クラウンバー」で渥美創太シェフのもとやニューヨーク「ブランカ」で経験してきた人物。前述の通り、年代の違いはあれど、それ以上に、これだけスタイルの異なるシェフを比較し、甲乙を付けるのは困難を極めます。ゆえに、ふたつの受賞形態を設けたのも頷けます。しかし、人間として共通する点は多く、「ふたりは変化を恐れない」とは、副審査員である青田泰明氏の言葉。

変化とは恐怖にも置き換えられるのかもしれません。恐怖とは、何かを得た後に起こる心情とも言えます。その何かとは、今回で言えば、大賞です。より世界が広がれば、星、トック、ランキング……。得る喜びに伴う、失う怖さに恐れず、と言いたいところですが、少なくとも現状は心配ご無用。物怖じせず、大舞台に登壇した、ふたりの堂々たる様を見れば、まだまだ大いに暴れてくれるでしょう。
 

会場となったのは、新潟市内に位置する「りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館」内「能楽堂」。桧床の舞台、檜皮葺き屋根など、伝統的な形式を持つ。

左より、O-35を受賞した燕市「日本料理 魚幸」渡邉シェフ。U-35を受賞した新潟市「SAISON」ミドルミスシェフ。

繁華街でも大通りでもない場所に店を構える「日本料理 魚幸」。元々、「魚行」だったそこは、祖父は商売を、父が仕出しを、そして、3代目として渡邉シェフが「魚幸」として日本料理を営む。現在、店舗向かいに「UOYUKI SOUP CURRY」を父が営む。

新潟市、西堀通添いにある「SAISON」は、2023年6月に開業したばかり。ミドルミスシェフとサービスマネージャーの斎藤陽介氏のふたりで営み、彼らは幼馴染でもある。

「これだけ多くの優秀な若手シェフが新潟にいることにまず驚きました。日本はもちろん、世界中から注目されるガストロノミーツーリズムとして、新潟が発展していくアワードに育てていきたいと思います」と、特別審査員長の中村氏。

新潟ガストロノミーアワード前回と今回の違いに見る、私的「新潟ガストロノミーアワード」。

テーマや部門、審査員など、第一回と第二回の違いは多数ありますが、ふたつの視点から考察したいと思います。

まずひとつは審査員。メンバーの変更はあれど、大きな違いは、第一回にはシェフが参画していたという点です。その名に連ねていたのは、和歌山「Villa AiDA」小林寛司シェフ、大阪「La Cime」高田裕介シェフ、福岡「GohGan」(当時「Goh」)福山剛シェフ。トークセッションでは、「もっともっと食材に向き合うべき。今が限界なのか、もう一度考えてほしい(一部抜粋)」と、小林シェフは熱弁。もし今回の若手シェフがそんな声を聞くことができたら、大きな刺激になったのではと考えます。

加えて、授賞式翌日に訪問した特別優秀賞を受賞した新発田市「鮨 登喜和」でいただいた握り、柑橘の果汁で〆たメダイに極限まで薄くスライスした古漬けの白菜も印象的でした。そのアプローチについて、三代目・小林宏輔氏に聞くと、「小林シェフのアドバイスから生まれた一品」だと話してくれました。これは、料理人同士だからこそ生まれたケミストリー。もし高田シェフが渡邉シェフの料理を食べたらどんな言葉を発したのか。はたまた、もし小林シェフや福山シェフとミドルミスシェフが邂逅した先には新たな料理が生まれたのか。そんな「もし」の世界を想像してしまうのは、自分だけでしょうか。

逆に、第一回になく、第二回にあったもの。それは、生産者のフォーカス。実は、この生産者に主意を見ます。ローカルガストロノミーでは、地産地消が当然の条件。しかし、新潟の食材を県外で食べられないかといえば、そうではありません。神経〆、血抜き、冷凍、真空、乾燥、保存、そしてインフラなど、様々な技術とテクノロジーの発展によって、品質を保ったまま、県外でいただける条件は向上し続けています。このような状況の中、どう差別化させるのか。それは、生産者とシェフが一体になった意志あるガストロノミー、「Gastronomy “Will”」のアクションなのではないでしょうか。もう少し解説すると、大切な食材は県外に出さないという意志を生産者とシェフが連携し、新潟に行かなければ食べられない食材があるという環境を作ることに、次なる地産地消の形があると思うのです。

それを構築するには、当然、需要と供給がなければ成立しないため、シェフは新潟の食材を学ぶ必要があり、それを使いこなす技術も必要とされます。生産者においては、新潟の土地を最大限活かした食材を作り、引く手数多になるかもしれない食材を地元シェフだけに提供する覚悟も必要とされます。

現状における各地においても、その土地に訪れなければ食べられない食材は存在しますが、それは、食材の鮮度や消費量など、物理的に無理というものがほとんどでしょう。かく言う本件は、そうではなく、人の意志によって、外に出さないものを作るということです。しかし、トップシェフや一流レストランでは、情報戦にも長けているため、どこよりも早くコンタクトし、高価格帯においても仕入れるという構図があるのも事実。一例として、豊洲に集まることも理解できます。これは、生産者だけでは解決できなければ、シェフだけでも解決できません。地域一体となった意志ある有志たちの総力戦で向き合わなければいけない問題だと考えます。

今回のトークセッションでは、地元野菜や寄居蕪などの在来種の作付けにも取り組んでいる「宮路農場」宮路俊幸氏も参加。奇しくも、宮路氏は、渡邉シェフと同級生。

「宮路は、こだわりのある生産者。例えば、アスパラガスを30本欲しいと注文した際、そのアスパラガスは一回で30本使うのかと聞かれました。自分は、少ない本数を都度配達してもらうのが申し訳ないと思い、まとめて納品してもらおうと思ったのですが、都度、納品した方が質が良いと言い、数本単位で、毎回届けてくれるんです」と渡邉シェフは、話します。

そんな関係の連鎖が拡張すれば、新潟は各県のケーススタディになる、一歩先をゆく地産地消の形を構築できるのでは、と感じたのでした。

受賞式後に開催されたトークセッション。左より、特別審査員長の中村氏、大賞を受賞した「SAISON」ミドルミスシェフ(U-35)、「日本料理 魚幸」渡邉シェフ(O-35)、そして、生産者を代表して「宮路農場」宮路氏、副審査員長の青田氏が登壇。

新潟ガストロノミーアワード「点ではなく面」、そして「ガストロノミーツーリズム」。幾度となく登場したふたつの言葉。

「新潟がストロノミーアワード特別版」において、頻繁に登場した言葉があります。それは、「点ではなく面」。その意図について、副審査員長の青田氏は、サンセバスチャンを例に伝えていました。

「サンセバスチャンのシェフたちは、レシピを自分たちのレストランだけのものにするのではなく、料理をオープンソース化することによって世界一の美食の街と呼ばれるまでに成熟しました」。まさに、点ではなく面の好例です。

授賞式後の懇親会では、はじめましての方も多く、皆、積極的にコミュニケーションを図り、情報交換。様々を吸収できる柔軟な若手シェフに、このような機会を提供していることもまた、このアワードの特筆すべき点。

しかし、広大な新潟は、サンセバスチャンのように軒を連ねているところばかりではなく、街並みや風景も含め、視覚的にトリップできる地域が全てはありません。ゆえに、点と面の概念こそ取り入れるにせよ、新潟流の手法も模索しなければいけません。前述「Gastronomy “Will”」は、その手法のひとつとして脳裡によぎったものであり、地域一体となった意志ある有志たち(点)の総力戦(面)においても同様です。

一方、強烈な点に魅かれる事実も。前回、飲食部門の特別賞・特別優秀賞を受賞した三条市「Restaurant UOZEN」です。井上和洋シェフは、自らの手で狩猟を行い、漁に出て、畑で野菜を育てています。「これには敵わない」とは、東京の某有名シェフの言葉。井上シェフの料理は、キッチンの外から始まっているのです。

そして、もうひとつ頻繁に登場した言葉が「ガストロノミーツーリズム」。これは、世界中が取り組んでいる観光戦略ですが、特に日本は注目されているのではないでしょうか。しかし、ローカルガストロノミーの成熟がガストロノミーツーリズムの成熟に比例するかといえば、似て非なるもの。それは、宿泊の問題です。

これだけ多くの実力派レストランがあるのであれば、素泊まり需要さえあるのかもしれません。ほんの少し気の利いた客室、デザイン、湯、サウナ、サービス……。ホスピタリティにおいても、至れり尽くせりは不要。ハイクラスのホテルでなくとも、シームレスな快適性もまた、趣向の異なるラグジュアリーなのではないでしょうか。

もちろん、岩佐氏が運営する「里山十帖」などや第一回に旅館・ホテル部門で大賞を受賞した三条市「Snow Peak FIELD SUITE SPA HEADQUARTERS」は、それとはまた別の概念。いずれにしても、ローカルガストロノミーとガストロノミーツーリズムは運命共同体。ここにおいても、点ではなく面の概念が必要とされるのかもしれません。

「Where there is a will, there is a way」。

「意志あるところに道は開ける」とは、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの言葉。

ガストロノミーの概念はシェフ力によって補えるものですが、ガストロノミーの意志は、人間力が必要とされると考えます。

シェフの意志はどこにあるのか。生産者の意志はどこにあるのか。そして、新潟の意志はどこにあるのか。自然豊かな食の宝庫・新潟だからこそ、その未来は、人の意志に託されているのではないでしょうか。


Text:YUICHI KURAMOCHI


LATEST

伝統、文化、食材、精神。沖縄の今をシェフに伝えた二人のキーマンが振り返るDINING OUT。[DINING OUT RYUKYU-SHURI/沖縄県那覇市]

ミクソロジストの中村智明氏(左)と琉球料理人の屋比久保氏(右)。ともに沖縄の食材や食文化に深い知見を持つ人物。

DINING OUT RYUKYU-SHURI地元の知識をシェフにインプットする重要な役割。

首里城を舞台に開催された『DINING OUT RYUKYU-SHURI』は、川田シェフが率いる『茶禅華』のオールスタッフが参加し、チームワークを発揮しました。しかしもちろん沖縄で開催するからには、地元の文化や伝統、食材をシェフに伝え得る人物は必要。今回その役割を果たしたのは、沖縄で店を営む2名の人物でした。

ひとりは沖縄伝統料理の店『月桃庵』のシェフ・屋比久保氏。もうひとりはバー『アルケミスト』のミクソロジスト・中村智明氏。沖縄を知り、沖縄を愛する二人は川田シェフに何を伝え、また何を学び取ったのでしょうか?

当日はゲストとして着席し、コースを堪能した屋比久氏。自身が関わってきた料理だけに、その感慨もひとしおだった様子。

中村氏は今回のチームで唯一の現地スタッフとしてドリンクサーブを担当。鮮やかな手際でドリンクを仕上げた。

DINING OUT RYUKYU-SHURI伝承人としての責務と、今を生きる沖縄人としての責任。

古式に則った琉球料理『月桃庵』で腕を振るい、また伝統的な食文化を伝える「琉球料理伝承人」としても活動する屋比久保氏。しかし意外にもそのキャリアの大半は西洋料理でした。

ホテルのレストランで、総料理長まで務めた屋比久氏。そんな氏のもとに、あるとき、アメリカで開催される日本食フェアで沖縄の郷土料理を振る舞う依頼が入りました。日本各地から料理人が参加したそのフェア。そこでの体験が転機となりました。

「京都の料理人は、京都の伝統を知り、京都に誇りを持っていました。対して自分は沖縄で生まれ育っていながら、伝統もほとんど知らず、良いところもぜんぜん話せない。それで帰国してすぐに、琉球料理を学び直すことにしました」。

とはいえ歴史的資料の多くは戦争で失われ、伝統料理を研究する先達もご高齢の方が数名だけ。それでも屋比久氏は少ない資料や先達を頼りながら、琉球料理の見識を深めていきます。琉球料理の起源は宮廷料理。必然的に歴史や地理や文化の知識も深まります。

やがて琉球料理を自身の道と定めた屋比久氏はホテルを退職し『月桃庵』の料理長に就任。
2019年に開催された『DINIG OUT RYUKYU-NANJO』では調理スタッフとしてキッチンに入り、野外レストランの現場を知り、また現地シェフならではの知見を共有してくれました。

そして今回の『DINING OUT RYUKYU-SHURI』では、『DINING OUT』の本質と沖縄の過去から現在まで、両方を知る料理人としての知見を活かし、川田シェフに琉球伝統料理や琉球漆器等をインプットする役割を担いました。当日はゲストとして着席した屋比久氏は話します。


「沖縄料理というのはイラブーなら汁、ヤギなら刺し身というように食材に対する調理法が固定されている傾向があります。しかし川田シェフはそこを飛び越え、食材自体に問いかけるように新たな料理に挑んでくれました。地元の料理人たちも旅に来た方々に、地元食材の新たな魅力を提案していかなければいけない、と強く感じました」

そう話す屋比久氏は、そして未来へと向けた決意も語ります。

「実はいまの若い子たちは方言もあまり話さない。このままでは方言のような身近な伝統さえも、失われてしまう危険があるのです。私は伝承人でもありますので、伝統的な文化をそのまま伝えることも必要。しかしやはりそれだけではなく、時代や環境に合わせ、需要を捉えた文化も発信していきたい」。

琉球漆器のコレクターでもある屋比久氏は、貴重な漆器も保有。東道盆(ツンダーボン)と呼ばれる宮廷料理の器(右)は数が揃わず実現しなかったものの、川田シェフから今回の晩餐に使用したいとの希望があったという。

琉球王国時代の14〜15世紀から続く琉球漆器の伝統。屋比久氏の紹介によって用意された琉球漆器の器が、おもてなしの心を伝えた。

泡盛を飲むための沖縄伝統の酒器・カラカラと、伝統料理の豆腐よう。こちらも屋比久氏の活躍でコースに並び、ゲストを喜ばせた。

東道盆はかつては旧家などでも保有されていたが、現在は失われつつある。状態の良いものは市場にほとんど出回らない。

DINING OUT RYUKYU-SHURI料理の背中をそっと押す繊細なカクテル。

沖縄の素材を使い、香りや味のレイヤーを意識した五感で楽しむカクテル。
バー『アルケミスト』の中村氏が目指すのはそんな一杯。

2020年『DINING OUT RYUKYU-URUMA』にドリンクメーカーとして参加した中村氏。その縁もあり、今回の食材視察に沖縄を訪れた川田シェフが中村氏の店『アルケミスト』に立ち寄ったのがことの始まりでした。
その日、中村氏が川田シェフのために作ったのは、県産の旬の素材をふんだんに使用し、沖縄を表現したこだわりのカクテル。
その味を川田シェフが気に入り、コースに合わせるペアリングカクテルを担うことが決まりました。『DINING OUT RYUKYU-SHURI』ではただひとりの現地スタッフとして参加した中村氏。中華料理とのペアリングということもあり、合わせるカクテルの考案は困難を極めたことでしょう。

中村氏が作り上げた5種類のカクテルは、川田シェフをして「料理に寄り添うのではなく、後ろからそっと背中を押してくれるような素晴らしいカクテル」と言わしめる完成度でした。


では中村氏はどのようなステップで、このカクテルの完成に至ったのでしょう。

「まず使う食材や料理の構成を伺ってから試作に入りました。川田シェフの料理は淡い、繊細という話を聞いていましたが、そうは言っても中華料理ですから、それなりの濃厚さがあると思っていました。一般的な中華が10だとするなら、6とか7くらいの繊細さ。そんなイメージの元で試作を作っていたんです」。

そう振り返る中村氏。しかし実際に味わう川田シェフの料理は事前に想像していた以上でした。

「その後、『茶禅華』を訪れて実際にコースを試食させて頂きましたが、その繊細さは想像以上。6や7どころか1だったんです。繊細で薄味なのに、ゆっくり噛みしめると奥行きがあり、旨味と香りに繊細さがある料理。それで急いで沖縄に戻ってすぐさますべて作り直しました」。

中村氏がとくに気をつけたのは濃度。

「淡い味の中に風味を探しながら楽しむ料理だと感じたので、その風味を壊さないよう料理よりも少し下の濃度になるように調整しました」。

中村氏のカクテル作りは、わずかな香りや風味の変化にも妥協しない細やかな作業。たとえば泡盛にレモングラスのジンを合わせたカクテルには、ボトムのトーンを加えるためにオールスパイスで香りをつけた芳香蒸留水を少々。それもスポイトで0.5mlと1.0mlの2パターンを加えて飲み比べてみる、といった具合。ほんの数滴の差にこだわる仕事ぶりに、『DINING OUT』のドリンクを担う責任感が垣間見えます。

泡盛をはじめ、金木犀やアップルバナナ、月桃や地元のクラフトジン。沖縄の食材の魅力も、カクテルを通して伝えた中村氏。終演後の感想を伺うと

「甘さではなく香りの層で風味を感じていただく今回のカクテルで、自分自身が大きく成長できたと感じています。また『茶禅華』チームと共にサービスに当たれたことで、本当にハイレベルな連携なども多く学ばせてもらいました」。

そう自分自身の収穫を語る中村氏。しかしそれだけではなく、ひとりの沖縄県民として、今回の『DINING OUT RYUKYU-SHURI』自体が大きな収穫だったといいます。

「3年前の火災で、改めて首里城が沖縄のアイデンティティの中心だったと気づきました。いま、復興に向いた段階の中で、こういうイベントができるというアプローチができたことが非常に大きなことだと思っています」。

元保育士という異色の経歴を持つ中村氏。本格的にバーテンダーとして始動してから、4年間で18個ものコンペティションで受賞や優勝を果たした実力派。

甘酢醤油の風味が繊細に広がる長命草クラゲに合わせたのは、変化系の泡盛水割り。減圧蒸留の泡盛に月桃のジン、レモングラスのジンでトップのトーンを合わせ、ボトムの風味にはオールスパイスの香りをつけた水を微量加えた。

独特なスパイスと唐辛子の香りが鮮烈なハリセンボンの料理には、アニスの香るカクテル。白ワインに8種類の香りをつけた自家製ベルモットにソーダ、華が開き種になる寸前のイーチョーバーというハーブをプラス。

金木犀とアップルバナナのデザートは、中村氏が「今回もっとも感動した料理」。そのさまざまな香りが弾ける料理に合わせ、ライチの香りをつけた水出し紅茶とクラフトジンのカクテル。柑橘感とライチの香りを紅茶で広げ、金木犀アップルバナナに合わせたイメージ。

主催:沖縄県文化観光スポーツ部 観光振興課
企画・プロデュース:ONESTORY
協力:沖縄美ら島財団
販売:ハレクラニ沖縄
協賛:オリオンビール、CHAMPAGNE TAITTINGER、瑞泉酒造、T GALLERIA、ホシザキ沖縄  *五十音順

Photographs:RYO ITO
Text:NATSUKI SHIGIHARA

琉球王国の伝統を、和魂漢才の哲学に昇華する『茶禅華』川田智也シェフの挑戦。[DINING OUT RYUKYU-SHURI/沖縄県那覇市]

『茶禅華』川田智也シェフ。全15品におよぶコースで、現代的解釈による琉球王国のおもてなしを表現した。

DINING OUT RYUKYU-SHURIDINING OUTを終えて、川田智也シェフが思うこと。

『DINING OUT RYUKYU-SHURI』の終演直後。

まだ晩餐の熱気も冷めやらぬ会場で、川田シェフは今回のイベントを振り返りました。沖縄の食材を使った中国料理。自身の哲学である“和魂漢才”の具現化。いつもの論理的な話の節々に、少しだけやり遂げた達成感と興奮をにじませて、川田シェフは話します。

2018年、「神仏習合」をテーマに国東半島の文化と食材と向き合った『DINING OUT KUNISAKI』に続き、2度目のDINING OUTとなった今回。川田シェフはどんな思いを込め、どんなロジックで料理を組み立てたのでしょうか。

『茶禅華』の全スタッフによるチームは、野外レストランならではの不測の事態にもすぐさま順応。

直筆のサインを入れた沖縄産和紙・芭蕉紙のメニュー表など、気持ちを込めたおもてなしが随所に見られた。

DINING OUT RYUKYU-SHURI沖縄のイメージに重なったカラキという食材。

沖縄の歴史や食材への見聞を広めると同時に、自身の哲学、精神性を深く掘り下げる。川田智也シェフの、そんな2軸の思考を象徴するのが、カラキという食材なのかもしれません。

「首里城」でゲストを出迎えたレセプション。

最初に手渡されたウェルカムドリンクは、沖縄に自生するクスノキ科の常緑樹・カラキのスパークリングティーでした。そしてその後、ディナー会場に移動し、全15品に及ぶコースを締めくくったのは、カラキの団子。カラキに始まり、カラキに終わる。その真意を問うと、川田シェフは言いました。

「シナモンのようでいて、より洗練された香りもある。さらに記憶を辿っていくと、子どもの頃に駄菓子屋にあったニッキ飴のようでもありました。そのフレッシュ感とどこか懐かしい感じが、自分自身が持っていた沖縄のイメージとぴたりと重なったんです。そしてさらに調べてみると、カラキは防風林として沖縄を守ってきた木でもあった。その歴史も含め、沖縄を表現するのに最適だと感じました」。

歴史、風土、そこに暮らす人の想いまで汲み取って料理に落とし込む川田シェフらしい発想です。

レセプションにて、到着したゲストが最初に口にしたのがウェルカムドリンクのカラキのスパークリングティー。シナモンのような独特な香りが広がる。

写真の大根餅を包んだ月桃の葉のほか、葉付きのパッションフルーツやヤギ肉に添えた蓮の葉などさまざまな植物が料理に彩りを添えた。

食材、香辛料、酒、調理法。本土では馴染みの薄い味が揃う沖縄は、シェフにとって宝の山。

まぶしたココナツにもカラキの香りをまとわせたカラキ団子。15品のコースの最後を締めくくった。

DINING OUT RYUKYU-SHURI料理構築の根本は、食材、人、土地への敬意。

先のカラキのように、沖縄の伝統食材や伝統料理に向き合い、その背景やそこに至った必然性を深く考え、自らの料理に落とし込む。そんな難題に対し、川田シェフはいくつかの視点からアプローチしているようでした。

ひとつは料理そのものを解析、分解し、再構築する方法。

「沖縄で、豚肉に黒ゴマをまぶして蒸し上げる“ミヌダル”という琉球料理に出合いました。非常にシンプルな料理ですが、沖縄の豚と黒ゴマの相性が非常に良く、たっぷりゴマをまとわせているのにくどさがない。これを自分の料理に取り入れるならどうなるだろう、と考えました」。

そうしてさまざまな料理を試作した末に到達したのは、『茶禅華』のスペシャリテである雲白肉に黒ゴマを振りかけた一品。

「雲白肉はそれ自体で完成しているようでいて、いろいろな要素を許容する余白があるんですね。それで黒ゴマならどうだろう、と試してみたらミネラル感、ゴマの少し炒った香り、そして雲白肉に足りない苦み、これらが非常に共鳴したんです」。

こうして料理は完成しましたが、川田シェフの思案はここで終わりません。食材同士の相性が良いとき、それが「なぜ合うのか」を突き詰める。今回の黒ゴマと豚肉について熟考を重ねていくと、ゴマを絡めて食べる四川の水餃子に行き当たりました。

「自分の記憶のどこかに、その味があったのかもしれません。“なるほど”と腑に落ちる感覚ですね。そういう意味では、いままで経験してきたことが、ひとつの点に集約されたような料理になりました」。

もうひとつのアプローチは、食材を軸にした発想。それはメインディッシュに登場したヤギに顕著でした。

「ヤギは古くから地元で大切にされている食材。生産者の方を訪ねても、非常に愛情を持って、丁寧に育てていることが伝わりました。一方で沖縄料理はさまざまな要素を取り入れながら、現在も変わりつつあります。そんな伝統、現在、未来がうまく整うような料理を目指しました」

そう話す川田シェフは、揚げたヤギ肉に沖縄の島コショウ・ピパーチを合わせました。ヤギとピパーチという伝統的な沖縄食材を使いつつ、四川料理の技法を取り入れ、“川田智也の料理”に昇華したメニュー。島の食材への敬意、伝統への理解を踏まえた上で、未知なる境地へと挑むような一品でした。

黒ゴマをまぶすことでミネラル感と香りに広がりが生まれた『茶禅華』名物の雲白肉。

ピパーチをあわせたヤギ。添えてあるソースは、柔らかい酸味が効いた四川伝統の「魚香」と呼ばれるもの。

揚げ上がり温度を1℃単位まで厳格に見極め、ヤギの優しい味わいを表現。

夜光貝も川田シェフが沖縄で出合い、感銘を受けた食材のひとつ。紹興酒漬け、スープ、リゾットで部位による味と食感の違いを伝えた。

沖縄が誇る食材たち。川田シェフをして「これからも学びがあるであろう沖縄には今後も通い続け、もっともっと勉強したい」と言わしめた。

DINING OUT RYUKYU-SHURI琉球王国のおもてなしの伝統から学んだこと。

琉球王国が他国の使者を迎えたおもてなしの伝統。とくに琉球王国にとってもっとも大切な隣国であった中国の特使“冊封使”を迎える際には、地元の食材で中国料理を仕立てる最上級のもてなしの席が設けられたといいます。そんな“琉球王国の宮廷料理とおもてなしの心”という今回のテーマを聞いたとき「本当にワクワクしました」と川田シェフは語ります。

「前回の国東半島でのDINING OUTは“神仏習合”というテーマのもと、その文化を深く料理に取り入れました。今回は、前回以上に私の哲学と合致するテーマで、ただ伝統を再現するのではなく、伝統、現在、未来という時系列が整った料理を目指しました。実は“もしいま皇帝からの使者が来たら、自分はどんな料理を出すのだろう?”というのは日頃から考えていることでもあります。中国から伝来した料理を日本でやる意味、日本でしかできないこと。それが私が信念とする“和魂漢才”の本質です」

それは伝統を踏まえた上で、現在でしかできない表現を料理に落とし込み、未来へと繋ぐという壮大かつ精密な狙い。国東半島での「DINING OUT」から5年半。料理人としての実力を着実に蓄えている川田シェフの現在を出し切ったような料理です。
そして5年半という時間は、川田シェフの料理人としてのステージも変えました。自身がオーナーシェフとなり、若い料理人を教え、導くことに前回以上の熱量を持っていたのです。

今回の『DINING OUT』には、そんな川田シェフたっての希望で総勢20名の『茶禅華』スタッフ全員が参加しました。そこで改めて伝えたかったこともあったのでしょう。

「沖縄に入って1日目はバタバタしていましたが、2日目、3日目とどんどん良くなっていった。とくに若手が伸びたな、という感覚はありますね。管理されたお店の中でおいしい料理を作るのはもちろんですが、こういう放り出されたような環境の中の危機感が人を大きく育てるのですね。非常に良い機会を与えてもらえたと思います」。

そう今回の収穫を語った川田シェフ。
さらに今回のテーマを通して、得たものも多かった様子。というのも実は現在の『茶禅華』の厨房で働くスタッフは、中華料理人が半分、もう半分は西洋料理人。外国の料理を日本でやる意味が、琉球王国のおもてなしの心から見えてきたのだといいます。

「中華料理に限らず、西洋料理であっても、日本人が日本でやっていくことにデメリットはあります。しかしそれでも日本人の精神、すなわち食材を尊重し、自然を尊重し、料理を精密に作っていくという部分は非常に優れていると思うんです。そんな日本の精神に海外の料理をどう調和させていくか。海外の文化を受け入れて、それをどう昇華させていくかが重要です。地元の食材、文化、精神性を取り入れた上で他国の特使をもてなす料理を仕立てるという琉球王国のおもてなしについて深く考えることで、スタッフたちにも私自身にも大きな学びがありました」。


沖縄の食材、沖縄の生産者、おもてなしの伝統。多くの発見があり、そこから多くを学びとったという川田シェフ。『DINING OUT RYUKYU-SHURI』を終えた直後にはもう「明日からの営業が楽しみです」と心底楽しそうに笑いました。

サービススタッフも『茶禅華』のメンバー。厨房との意思疎通も良好で、食材や料理の説明も淀みない。

気心の知れた厨房スタッフ。全15品のコースを遅延なくスムーズに作り上げた。

前回川田シェフが参加した『DINING OUT KUNISAKI』の伝説を耳にしていた若手スタッフたち。実際に現場に入ったことで多くの学びと成長があったという。

主催:沖縄県文化観光スポーツ部 観光振興課

企画・プロデュース:ONESTORY
協力:沖縄美ら島財団
販売:ハレクラニ沖縄
協賛:オリオンビール、CHAMPAGNE TAITTINGER、瑞泉酒造、T GALLERIA、ホシザキ沖縄  *五十音順

Photographs:RYO ITO
Text:NATSUKI SHIGIHARA

「水がきれい。だから食材の味もきれい」。滋賀県産食材を主役にしたフェア開催。[SHIGA FINEFOOD DINING/東京都港区]

滋賀を味わい尽くす1日限りのビュッフェイベント。

日本最大の湖・琵琶湖を擁する滋賀県は、素晴らしい食材に恵まれた食材王国。琵琶湖の豊かな水資源が育む農産物、その澄んだ水に棲む湖魚、京都の台所としての歴史が育てた畜産物や加工品。そんな素晴らしい食材の数々がいま、注目を集めています。

このほど、そんな滋賀県産食材を思う存分満喫できる限定ビュッフェイベント「響×滋賀県 in SHINAGAWA」が開催されました。舞台は、食材にこだわったワンランク上の居酒屋料理で人気の『ダイナミックキッチン&バー 響 品川店』。当日はどんな食材が、どんな料理として提供されたのでしょうか? 当日の模様を覗いてみましょう。

会場となった『ダイナミックキッチン&バー 響 品川店』。

イベントは滋賀県農政水産部長の岡田英基氏の挨拶でスタート。熱量を持った滋賀県愛のトークが会場を温めた。

ビュッフェ台にずらりと並んだ滋賀県が誇る食材たち。

ビュッフェ台に並んだのは、目にも鮮やかな15種類ほどの料理。その中心には、尾頭付きの刺し身が鎮座しました。その中でもひときわ目を引くのが、鮮やかなオレンジ色のビワマスです。

ビワマスはその名の通り、琵琶湖にだけ棲息する淡水魚。クセがなく上品な脂が乗ったとろける味わいは、海の魚にまったく引けを取りません。これまでは鮮度や流通の問題で滋賀県外に出回ることが少なかったこのビワマスが、近年の保存技術や流通の発達でようやく各地でも食べられるようになったのです。一度食べれば、清冽な水のような澄んだ味わいの虜になることでしょう。

滋賀県を代表する食材といえば近江牛。400年以上続く日本最古のブランド牛で、日本三大和牛のひとつにも数えられています。しかし滋賀県が誇る牛肉はい近江牛ばかりではありません。

この日メニューに並んだ「げんさん牛」は、近江牛を扱う老舗・元三フードが、「いくらでも食べられるおいしい牛肉を」との思いでつくる、黒毛和牛と国産牛をかけあわせた牛。きめ細かい赤身と黒毛和牛の旨味を併せ持ち、適度な脂でさっぱりと味わえるのが特徴です。ビュッフェではそんな「げんさん牛」の内モモを使ったローストビーフが登場。その上質なおいしさでゲストを魅了しました。

雪の下で甘みをたくわえたニンジンやカブ、豊かな水に育てられたほっくりとしたレンコン、辛味が特徴の伊吹大根を添えた伊吹そば、旨味と歯ごたえが自慢の近江黒鶏など、バラエティ豊かな料理が並びます。

さらにこの日は、ドリンクに滋賀県が誇る日本酒「七本槍」もラインナップ。水と歴史が育んだ銘酒と地元食材のテロワールに、料理のおいしさもいっそう際立ちました。

揚げ物、煮物、刺し身、焼き物。さまざまな調理法で食材の魅力を伝える。

きめ細かく、旨味にあふれた近江げんさん牛のローストビーフは、目の前でカットして提供。

キリッとした辛味がある伊吹大根は、伊吹山の麓で古くから栽培されてきた伝統野菜。そばのほか、刺し身に添える薬味としても使用された。

琵琶湖産子持ちワカサギの天ぷら、『古株牧場』のチーズ入りオムレツ、『比叡ゆば本舗ゆば八』の比叡ゆば入りコロッケなどバラエティに富んだ料理。

近江八幡の特産である赤こんにゃくと牛すじの味噌煮込み。

滋賀県長浜市で450年以上続く老舗『冨田酒造』の七本槍。この日は「しぼりたて生原酒」も振る舞い酒として提供された。

滋賀県の魅力を味わう多彩なフェア、首都圏各地で開催予定。

「水がきれいだから、食材も味がきれいなんですね」

そう滋賀県の食材の印象を語るのは今回の料理を考案した小野寺清彦シェフ。このイベントに先立ち、現地を訪れ、生産の現場を巡りました。滋賀県の環境や生産現場を目にしたからこそ、今回の食材を活かす料理の数々が生まれたのでしょう。

「おいしい野菜をつくるために荒れ地を畑に開墾した方、市の職員を辞めて伝統野菜をつくる人、手間暇を惜しまずおいしさを追求する畜産のプロ。滋賀県で出会った生産者のこだわりや熱意を伝えるのが私の仕事。今回の料理も素材そのものの魅力を楽しんでもらえるように心がけました」

そんな言葉通り、主役となる食材が明確で、その味わいが際立つ料理の数々は、滋賀県食材の魅力を余す所なくゲストに伝えました。

さあここまでお読みいただいて、滋賀県産食材の魅力は伝わったでしょうか?

食材の話だけに、ご自身で味わってみたいと思われる方も多いかもしれません。

どうぞご心配なく。滋賀県産食材は数多くの料理人を魅了し、首都圏のさまざまなレストランで続々と滋賀県産食材のフェアが実施される予定です。

『SHIGA FINEFOOD DINING』のWEBサイトで実施中のフェアを探し、ぜひご自身で滋賀県産食材の実力を確かめてください。

小野寺シェフ(左)とともに滋賀県を訪れ、生産の現場を視察した『ダイナミックキッチン&バー 響』営業本部の寺沢英一氏(右)。

滋賀県の自然や環境とともに「生産者の人柄や物語が印象に残った」と語る小野寺シェフ。

「生産者の思いに付加価値を付けて提供するのが当店の役目。滋賀県の熱意ある生産者たちの思いを伝えたい」と寺沢氏。

会場の一角には滋賀県の特産品や加工品を販売するブースも設えられ盛況をみせた。

https://shigafinefooddining.com/

住所:東京都港区高輪4-10-18 京急第1ビル1F
電話:050-3199-1675
URL:https://www.dynacjapan.com/brands/hibiki/shops/shinagawa/

食べる愉しさ、歓び、そして幸福。愛情を包む。

「WaiWai 水餃子」の特徴は、モチモチとした食感をの皮。具は、サイズの異なる豚肉とタマネギ、ショウガなど、シンプルに仕上げる。

WaiWai水餃子「傳」長谷川在祐が初めて臨む、冷凍食品への挑戦。

本当の価値とは何か、本当に大切なものは何か。

2022年、感染症対策を踏まえ、コロナ禍において開催した「DINING OUT KISO-NARAI」のシェフを務めた「傳」の長谷川在佑氏。約2年半の空白の時を経た「DINING OUT」は、その「何か」と向き合う時間となりました。

そして、2024年。長谷川氏は、奇しくも木曽奈良井と同じ長野県塩尻市に拠点を構える「美勢商事」とともに新たな食品開発に望んでいました。それが、この「WaiWai水餃子」です。

「美勢商事」とは、餃子、饅頭、焼売など、中華点心類を中心に、多くの冷凍食品を展開している企業。「家庭の食卓にあるもの」を基本姿勢に、機械化してもお母さんの手作りの味を守りたい。そして、自信を持ってお客様に届けられる本物の商品を作る理念を大切にしています。

それは、長谷川氏が料理人を目指すきっかけにもなった母親の存在とも重なり、今なお大切にしている料理の基本、作り手が食べ手を思いやる家庭料理にも似ます。

そんな「WaiWai水餃子」のおいしさの秘密を「美勢商事」営業企画部商品開発課・共同開発担当マクロビオティック料理講師・雑穀マイスターの平林葉子さんが語ります。

「まず、ひとつ目は、もちもち食感の皮。金トビ志賀の愛知県産小麦・きぬあかりを使用し、丁寧に練り上げた生地が具の旨味を引き立てます。ふたつ目は、肉汁がジュワッと溢れるジューシーな味わいです。豚肉は刻み肉とサイズの異なるひき肉を組み合わせ、食感もお楽しみいただけます。野菜はシンプルに玉ねぎと生姜のみ。お肉のジューシーな味わいを存分に感じることができます。3つ目は、こだわりの製法です。お肉はひと晩寝かせ、しっかりと下味を馴染ませています。また、具材の存在感を楽しめるように、それぞれの具材を合わせるタイミング、練り時間、温度にこだわりました」。

「自分が一番こだわったのは、皮。いくつか試食した中で、この金トビ志賀の愛知県産小麦・きぬあかりが理想的でした」と長谷川氏も続けます。

長谷川氏の言う理想的は、味や食感はもちろん、冷めてもおいしいことにありました。しかし、できたてが美味しい料理の世界で、なぜ冷めても美味しいにもこだわるのか。それは、「こどもにも食べてほしかったから」。

「昔、自分の甥っ子や姪っ子と水餃子を食べた時、できたては熱くてこどもが食べられなかったんです。できたてはもちろん、冷めてもおいしい水餃子にするには、冷めてももちもちした皮が重要だったんです」と長谷川氏。

金トビ志賀は、もともと皮作りでなく、うどん粉を中心に麺作りをしている企業。ゆえに、コシ、艶、香りなどが非常に豊か。長谷川氏の理想的に好相性だったのかもしれません。
冒頭、「DINING OUT KISO-NARAI」で向き合った、本当の価値とは何か、本当に大切なものは何かを「WaiWai水餃子」に置き換えると何か。

それは、長谷川氏と平林さんの会話の中に何度も登場した言語なのかもしれません。

お客様への「愛情」、生産者への「愛情」、地域への「愛情」、家族への「愛情」、そして、こどもへの「愛情」……。

「WaiWai水餃子」に包まれているのは、単にこだわった美味だけではありません。たっぷりと大きなサイズのそれは、溢れんばかりの「愛情」が包まれているのです。

「コロナ禍では、人と会えなくなり、会話することも難しくなっていました。商品名の通り、家族や大切な人、そして、こどもたちと、ワイワイ食卓を囲んで水餃子のお鍋を楽しんでいただきたいと思って作りました」と長谷川氏。「商品開発に1年を費やし、ようやく完成しました。これまでの冷凍餃子の概念を覆す水餃子の味わいをご堪能いただければ幸いです」と平林さん。

ポップなパッケージの中には、冷凍水餃子12個入りが3袋。長谷川氏にとって初の冷凍食品であり、EC商品の「WaiWai水餃子」。「もともと冷凍は保存食として、昔から日本の文化としてあるもの。それが技術とかけ合わさることによって、安心安全にもつながり、同時にここまで進化していることに驚き、自分自身の学びにもなりました」と長谷川氏。


Text:YUICHI KURAMOCHI

古都京都・伝説の寿司職人が愛娘に伝えた究極の鮓酢。[和光アネックス/東京都中央区]

伝説の寿司職人と呼ばれた辻與兵衛(よへえ)氏の鮓酢を受け継ぐ、愛娘の佐和子さん。「日本のみならず、海外にも鮓酢を通して日本の食文化を拡げていきたいと考えています」。

WAKO ANNEX辻與兵衛の言葉、「寿司のうまさはシャリがすべて」から生まれた鮓酢。

「與兵衛の鮓酢」は伝説の寿司職人、辻與兵衛(よへえ)氏が50年の歳月をかけて辿りついた究極の鮓酢(すしず)です。

2017年、73歳で他界した與兵衛氏から鮓酢を引き継いだのは、愛娘の上田佐和子さんです。

「“辻與兵衛の寿司はシャリがうまい”。その昔、辻與兵衛が京都で営む寿司屋に通う、味に厳しい常連のお客様のこの言葉から生まれたのがこの與兵衛の鮓酢です。日本の伝統的な食文化を支える寿司、その寿司の“あの味”を支えるのは鮓酢であり、鮓酢が日本の伝統的な食文化を支えてきたとも言えます。寿司は今や世界中で食することができる日本を象徴する食べ物です。日本だけではなく世界中の飲食店、世界中の食卓で、多くの皆さまに究極の鮓酢である與兵衛の鮓酢を味わっていただき、そのおいしさとこだわりのみならず、日本の食文化を感じていただければと思います」。

「寿司のうまさはシャリがすべて」とは、辻與兵衛の言葉。

「與兵衛の鮓酢」は、日本の生産者の方々がこだわりをもって作り上げた素材と味醂を使用しているのが特長です。

例えば、香り豊かで上品な甘みは、竹糖(細きび)から抽出されたサトウキビから作られる香川県産の和三盆糖を使用。ほどよい塩加減は、清らかな海水を100%使用し天日と平釜による日本の伝統製法で作られた伝統海塩。米のみを主原料として醸造した国産の米酢に加え、米一粒一粒に味がしみ込みやすく、深いコク、旨みと艶をだす味醂を使い、水や添加物は一切使っていません。

今回は、そんな鮓酢をよりお楽しみいただけるよう、鮓酢を最大限に引き立たせる米と海苔をセットにした「京都よへゑの手巻きセット」をご案内。

鮓酢に加え、お米と海苔をセットにして用意(詳細は下記参照)。原材料はすべて生産者の顔が見える国産にこだわる。「香り豊かで上品な甘みと、ほどよい塩加減が織りなす風味で、皆さまの食卓にこれまで味わったことのない幸せをもたらすことができればと思います」と佐和子さん。

WAKO ANNEX鮓酢に寄り添う、米と海苔。食卓に本格的な手巻きの味を。

「父・辻與兵衛が営んでいた京都の寿司屋では、新潟、佐渡、山形、滋賀産のお米を使用していました。今回は、試食に試食を重ね、與兵衛の鮓酢を合わせた日の翌日まで美味しく味わえるお米を選びました。海苔は、與兵衛の鮓酢に合わせたシャリと相性がよく、甘めに仕上がるシャリと海苔の両方のおいしさが際立つ風味の豊かな有明産の極上の海苔を焼き上げてご用意しています」。

前述のように、「寿司はシャリが命だ」を口癖のように言っていた辻與兵衛氏が、生前に鮓酢のレシピと作り方を佐和子さんに託したのは、0000年。「多くの方々に「鮓酢」を通した食のよろこびを広げ、「美味しい!」のひと言のために、この味を後世に残したいと考えました」と言います。以降、2016年、京都に「扇酒屋堂株式会社」を設立。「すべては美味しい!のひと言のために」、「すしの旨さは『しゃり』にあり」をモットーに日夜走り続けています。

「四季のある日本には多様で豊かな自然があり、日本人は深くその自然と関わってきました。日本の伝統的な食文化もまたその自然に寄り添うように育まれ、そして時代の変化に合わせ多様な姿をみせてきました。およそ200年の歴史がある鮓酢は、その日本の伝統的な食文化を支える万能な調味料として寿司職人たちが長いあいだ受け継いできた技法をもとに作られてきました。父辻與兵衛から引き継いだ與兵衛の鮓酢が、100年、200年先の飲食店や食卓でも愛していただける鮓酢となるよう育ててまいります」。

日本の生産者がこだわりをもって作り上げた原材料のみで作り上げた鮓酢。米一粒一粒に味がしみ込みやすく、深いコク、旨みと艶を出す味醂、水や添加物を一切使用していないのも特長。

お米は、「佐渡相田ライスファーミング」の「相田家佐渡スーパーコシヒカリ」を使用。與兵衛の鮓酢を合わせた日の翌日まで美味しく味わえるお米を厳選。

有明産の極上の海苔を焼き上げた、風味の豊かな「東京蒲田守半海苔」を使用。與兵衛の鮓酢に合わせたシャリとの相性も抜群。食卓での手巻きに最適な大きさにカットしてあるのも嬉しい。

「是非、與兵衛の鮓酢を使った酢飯をお好みの具材で手巻にしてご堪能いただけましたら幸いです」と佐和子さん。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

現代の文脈で蘇る、滅亡した王国のおもてなしの心。[DINING OUT RYUKYU-SHURI/沖縄県那覇市]

1879年に滅亡するまで、約450年にわたり存在した琉球王国。首里城はその政治、経済、文化の中心地。

DINING OUT RYUKYU-SHURI再建の途にある「首里城」を舞台にした晩餐。

不思議なほどに、静かな夜でした。

それは音がないのではなく、心に波が立つような不協和音のない時間。2月の沖縄の風は優しく、暗闇に浮かび上がる首里城・瑞泉門は厳かに佇む。厨房から漂うスパイスの香りさえも、まるで自然の一部のようにすんなりと受け入れられます。あらゆる要素が、腑に落ちる感覚。これこそが最上級のおもてなしである、と誰もが確信できるような素晴らしい晩餐でした。

2024年2月、沖縄、「首里城」。

正殿が焼け落ちた数年前の火災の記憶も新しいこの場所で、なぜいま「DINING OUT」が開かれたのか。そしてこの日の晩餐は何を伝え、何を残したのか。

「DINING OUT RYUKYU-SHURI」の意味と意義を、その模様とともにお伝えします。

首里城・瑞泉門の前に設えられた野外レストラン。那覇の2月の平均気温は約17.5℃。

DINING OUT RYUKYU-SHURI郷土史研究家の案内でたどる、琉球王国のおもてなしの意味。

2019年10月31日、炎に包まれて焼け落ちた「首里城」。

その衝撃的な映像が記憶に残っている人も多いことでしょう。

沖縄の人々の多くは、失ってはじめて首里城がいかに心の支えとなっていたのかに気付かされたといいます。それゆえに首里城はすぐさま、再建の準備が進められました。現在の首里城は2026年の再建に向けた工事の最中にあります。

今回の「DINING OUT」の舞台は、そんな首里城でした。

レセプション会場でウェルカムドリンクを傾けるゲストの前に琉球史研究家の上里隆史氏が登場し、静かにこの王宮の歴史を語り始めました。

首里城の一帯を巡りながら上里氏が語るのは、琉球王国の歴史、文化、信仰、そして精神性。点在する御嶽(うたき)と呼ばれる聖地を前に、琉球王国の信仰の一端を垣間見ます。城壁の内部を巡り、最後にゲストが到着したのは「歓会門」の前。ここはかつての琉球王国が他国からの特使を王宮に迎えた門。その木の扉が厳かに開かれます。夕暮れに浮かぶ城壁、閉園時間を過ぎ静まり返ったこの場所が、本日の晩餐の会場です。

「軍事力を持たぬ琉球王国にとって、他国の特使をもてなし、良い条件を引き出すことは必要なことでした。つまりおもてなしは琉球王国の文化そのものなんです」。

上里氏はそう語ります。そして琉球王国にとってとりわけ大切な存在であった中国の特使を迎えるとき、最上級のおもてなしとして地元の食材を中国料理の技法で調理する膳が供されたのだといいます。

いま、その伝統を再現するのに、彼ほどふさわしい人物が他にいるでしょうか。「和魂漢才」、すなわち「日本人ならではの心と技術で表現する中国料理」を哲学とする稀代の料理人、「茶禅華」川田智也氏その人です。

木曳門前のレセプション会場。ウェルカムドリンクとアペリティフでゲストを迎えた。

分解した皮蛋に海ぶどうを重ねて手渡すアペリティフ、ウェルカムドリンクは川田シェフが「沖縄でもっとも印象深い食材のひとつ」というカラキのお茶。

上里氏の案内で巡る「首里城」。ここは海の向こうにあるニライカナイから神々が訪れるといわれる聖域・御嶽が点在する京の内。

京の内の展望台。那覇の街を一望のもとに見渡すことができる。

正殿前に鎮座する首里森御嶽は、七大御嶽のひとつに数えられる聖域。この御嶽があるからこそ、この場所に首里城が建立されたという。

DINING OUT RYUKYU-SHURI琉球王国の伝統と響き合う「和魂漢才」の哲学。

日本で唯一、中国料理でのミシュラン三つ星獲得。

そんな栄誉に輝いてもなお、川田シェフの物静かな佇まいは変わりません。南麻布『茶禅華』は、中国料理と日本料理の修業を重ねた川田智也シェフが、日本人らしい精神性、美意識、世界観のなかで中国料理を組み立てる店。シェフが哲学とする「和魂漢才」とは、和の心で仕立てる中国料理を意味しています。つまり、地元の食材と歓迎の心で賓客を迎えた琉球王国のおもてなしの伝統と、この上ない親和性を持っているのです。

川田シェフは今回の場所とテーマを聞いたとき「ぜひともやらせて頂きたい」と即答したといいます。そして多忙の合間を縫って沖縄を訪れ、地元の食材、そして琉球王国の歴史と文化をインプットしていったのです。

そのインプットの集大成として完成したこの日の料理。コースの皿数は15品にも及びました。地元の伝統料理や郷土料理を丁寧に紐解き、「その料理になった必然性」を考察し、要素を抽出し、自身の技とともに中国料理に昇華する。そんな地道な作業を繰り返した末の、この皿数なのでしょう。

地元では刺し身で食べられることが多い夜光貝は、紹興酒漬けやスープ、肝のリゾットで部位による味や食感の違いを表現、汁にするのが一般的なヤギは揚げて、四川料理の伝統的なソースとともに、海ぶどうは台湾の高山茶を使った出汁でお茶漬けに。

どれも意表を突くようなプレゼンテーションでありながら、口に運ぶと納得させられる味わい。それはこの地の自然や、この地で大切にされてきた食材への敬意が貫かれているからでしょう。

「外からのお客様を出迎えるにあたり、やはり自然というものは一番大切な要素。それらの自然を尊重し、最低限のそっと背中を押すような料理を目指しました」。

それこそが、川田シェフが「琉球王国式のおもてなし」として出した答えでした。

それは、王国に伝わるものをそのままの姿で見せることではありません。現代の気候、環境、社会、文化。それらに合わせて再構築された、現在のおもてなし。もし現在も琉球王朝が続いていたら、このような晩餐で賓客をもてなしたのだろう。そんな確信めいた想像が湧き上がる料理です。

メニュー表には、沖縄独特の芭蕉(バナナ)を使った手漉き和紙・芭蕉紙を使用。海外からのゲストもいた今回の「DINING OUT」。メニューは英語併記、レセプションやディナー中にも通訳が帯同した。

乾杯のグラスはシャンパーニュの貴婦人ことコント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン。「クラシカルな哲学を守り続けるシャンパン」と「茶禅華」ソムリエの上野和寛氏。

「共通するミネラル感、そして貝の食感と泡のリズムが調和する」とソムリエ上野氏が太鼓判を押す夜光貝とコント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランのペアリング。

沖縄のビールといえば、やはりオリオンビール。オリオンザ・プレミアムの澄んだ旨味は、このスパイスをまぶしたマッドクラブの春巻きのような機微に富んだ料理とも響き合う。

鮮烈な苦みを中華の白湯でまろやかにまとめあげた夜光貝の肝のリゾット。

ゲストの視線の先には、ライトアップされた城門。普段は見ることのできない貴重な眺めが食事に彩りを加えた。

使用する食材を見せるためにテーブルをまわるのも、食材や地元文化への敬意の表れ。

沖縄の食材を知り尽くした地元のミクソロジスト・中村智明氏のカクテルが料理に寄り添う。写真は唐辛子風味のハリセンボンの唐揚げに合わせた自家製ベルモットのカクテル。

客席横に設えられたオープンキッチンで腕を振るう川田シェフ。約20名の「茶禅華」チームのチームワークも見事。

ディナー中盤に披露された琉球舞踊と歌三線。これも琉球王国が賓客をもてなすときの伝統。

琉球王朝時代に中国から伝わった発酵食・豆腐よう。伝統的な酒器であるカラカラで味わうのは、首里城瑞泉門から命名された酒蔵・瑞泉酒造の泡盛「おもろ18年」。豊かに醸成した古酒の香りが深みある豆腐ようと好相性。

沖縄県産ミルキークイーンと海ぶどう、台湾茶をあわせたお茶漬け。

DINING OUT RYUKYU-SHURI時代に合わせて進化する伝統。

「伝承というものは元の姿のまま一言一句変えることなく伝えていくこと。対して伝統というものは時代に合わせ、その瞬間で最高のものを統一して次に伝えていくことだと考えています。自分が目指しているのは、この伝統の部分。常に変化している人々にアジャストし、楽しませ、喜ばせることです」。

終演後、川田シェフはそんな言葉で、今回の「DINING OUT」を振り返りました。滅んでしまった王国、焼失してしまった王宮。いま再び建て直している首里城だからこそ、未来へ向けて伝える言葉が力強い現実感を帯びています。

2026年に再建される「首里城」正殿は、以前とまったく同じ姿で復元されるわけではありません。新たに見つかった資料、新たに発見された塗料、新たに使用される木材、作業を手掛ける沖縄の若き職人たち。そうして少しずつ変わりながら、「首里城」は沖縄とともに在り続けるのです。

そして同時に沖縄の人々は、やんばるの森にイヌマキの木を植樹しました。この木の成長に、未来への願いを託して。その木が育つのは100年後か200年後か。きっといま生きている人々は、その生育を見届けることはできません。それでも植えるのです。これから生まれてくる子どもたちに、沖縄の歴史を、文化を、想いを伝えるために。

正殿再建の様子は見学が可能。今しか見ることができない貴重な場面でもある。

キッチンとサービスは、東京からやってきた総勢約20名の「茶禅華」チーム。その仲間たちへと伝えたかったことも、言葉にせずとも伝わった。

終演後の疲労感と達成感のなかで想いを語る川田シェフ。穏やかな言葉の中に、揺るがぬ哲学が潜む。

主催:沖縄県文化観光スポーツ部 観光振興課
企画・プロデュース:ONESTORY
協力:沖縄美ら島財団
販売:ハレクラニ沖縄
協賛:オリオンビール、CHAMPAGNE TAITTINGER、瑞泉酒造、T GALLERIA、ホシザキ沖縄  *五十音順

Photographs:RYO ITO
Text:NATSUKI SHIGIHARA

現代美術家・舘鼻則孝が表現する、Rethinkを起点とした伝統産業。

江戸東京リシンク展 -旧岩崎邸庭園でみる匠の技と現代アートの融合-」のディレクターを務める現代美術家の舘鼻則孝氏。

EDO TOKYO KIRARIコロナ禍を経てのリベンジ。旧岩崎邸庭園」の開催。

江戸東京の伝統に根差した技術や産品などを新しい視点から磨き上げ、世界へと発信していく「江戸東京きらりプロジェクト」。その活動の一環として、展覧会「江戸東京リシンク展 -旧岩崎邸庭園でみる匠の技と現代アートの融合-」を開催。

ディレクターを務めるのは、国内外を通して活躍する現代美術家の舘鼻則孝氏です。

本展覧会は 2021 年より毎年継続して開催されており、東京都の伝統産業事業者のコラボレーターとしても舘鼻氏を迎え、「日本文化の過去を見直し現代に表現する」という舘鼻氏の創出プロセスである「Rethink(リシンク)」を起点とし、歴史ある伝統産業の価値や魅力を新たなかたちで提案しています。

参画する伝統産業事業者は、計7者。江戸うちわ/江戸扇子「伊場仙」、江戸刷子/東京手植ブラシ「宇野刷子ブラシ製作所」、江戸組子「建松」、新江戸染「丸久商店」、和太鼓「宮本卯之助商店」、東京くみひも「龍工房」、金唐革紙「金唐紙研究所」(特別協力)の出展事業者とともに、江戸東京の伝統ある技や老舗の産品といった「東京の宝物」の新たな価値を伝えます。

会場は、展覧会名にもある「旧岩崎邸庭園」。1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられ、往時は約1万5,000坪の敷地に20棟もの建物が並んでいました。現在は3分の1の敷地となり、現存するのは 洋館・撞球室・和館の3棟。木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドルの設計によるものであり、近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。館内の随所に見事なジャコビアン様式の装飾が施され、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが往事のままの雰囲気を漂わせ、それが今回の作品とも共鳴し、美しい空間を形成しています。

振り返ること2022年。実は、旧岩崎邸庭園」でこの展覧会の開催を予定していましたが、コロナ禍により、オンライン上での展示演出に。今回は、そのリベンジも果たします。

アートピースだけでなく、江戸・東京に受け継がれる伝統産業品や工芸品の展示、また、貴重な資料の展示から伝統産業の歴史にも触れることができるのも見どころのひとつ。それら全てを作品としてお楽しみいただきたい。

現代美術家 舘鼻則孝×東京くみひも 龍工房

現代美術家 舘鼻則孝×江戸うちわ・江戸扇子 伊場仙

現代美術家 舘鼻則孝×和太鼓 宮本卯之助商店

現代美術家 舘鼻則孝×新江戸染 丸久商店

上段左より、江戸うちわ・江戸扇子「伊場仙」、江戸刷子・東京手植ブラシ「宇野刷子ブラシ製作所」。中段左より、江戸組子「建松」、新江戸染「丸久商店」。下段左より、和太鼓「宮本卯之助商店」、東京くみひも「龍工房」。

会場となる「旧岩崎邸庭園」洋館の内装には、金唐革紙(きんからかわし)の装飾が施された空間もあり、工芸的な内装も展示作品(下記)と共鳴する。

現代美術家 舘鼻則孝×金唐革紙 金唐紙研究所

ジョサイア・コンドルの設計の洋館は、17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に見られ、イギリス・ルネサンス様式やイスラーム風のモティーフなどが採用される。

EDO TOKYO KIRARI道具から作品へと昇華した、ふたつの伝統産業の声。

今回、現代美術家・舘鼻則孝氏とコラボレーションした伝統産業の中から、「道具が作品へと昇華した」と喜びをあらわにしたのは、「宇野刷毛ブラシ製作所」と「江戸組子 建松」です。

隅田川のほとりに小さな工房を構える「宇野刷毛ブラシ製作所」は、創業1917年(大正6年)より刷毛作りで培われた技術をもとに、刷毛・ブラシの製造販売を行っています。現在は、三代目・宇野千栄子さん、四代目・三千代さんの母娘が伝統の手業を守り、従来の刷毛やブラシはもとより、時代のニーズに応じてデザイン性に富んだブラシを生み出しています。

「絵画作品を作るために使うブラシを製作していただきました。これまでは、それぞれの伝統産業と直接的に作品としてコラボレーションしてきましたが、今回は、道具のコラボレーション。使用している絵の具が粘り気の強いペースト状のため、あえて左官ブラシをお願いしました」と舘鼻氏。

製作した左官ブラシは、弾力性のある馬の毛を使用した長さ60cmの特別仕様。左官ブラシを絵画作品の仕上げに転用し、新たな作品を誕生させました。画面上で左官ブラシを引くことによって生じる、縞状の痕跡を意匠として活かすことを意図した技法研究が成され、絵画の世界では筆致と呼ばれる筆遣いとして画面に刻まれています。

また、ブラシの柄に装飾を施した舘鼻氏の創作に、四代目・三千代さんは「左官ブラシを作品作りの道具に起用する斬新な発想に驚きましたが、本来、見えることのない道具も作品として仕上げていただき、感動しました」と話します。

次いで、組子細工による伝統的な幾何学文様と舘鼻氏がアクリル絵の具で雷雲を描いた作品のコラボレーションは、「江戸組子 建松」によるもの。

組子工芸とは、平安末期に生まれた襖や障子などのいわゆる日本建築の建具のことであり、釘を一切使用せず、小さな木片を手作業で組み合わせ、様々な模様を編み出していく伝統的な木工技術です。

「普段は、障子や欄間を作っています。本来、木に着色することはないので、今回のように着色した組子は、私たちにはない発想です。実用品とは違った世界を見せていただきました」と、2代目田中孝弘は話します。

昨今、伝統産業は、後継者不足や暮らしの変化などから、危機的状況が囁かれることがあるも、「宇野刷毛ブラシ製作所」は東京手植ブラシとして海外からも人気を博し、「江戸組子 建松」においても、2024年の注文は受け入れできないほど、求める声が後をたたない。この違いは何か。

「伝統工芸は変わっていないという見方をされる方もいらっしゃいますが、変わっています。変わる勇気とその変わり方次第で、未来は大きく変わるのはないでしょうか」と田中氏。

しかし、ひとつ問題があるとしたら、「宇野刷毛ブラシ製作所」「江戸組子 建松」ともに「雇用」だと言います。給料、保険料など、支出と収入のバランスが崩れては、産業も崩壊してしまいます。人の増が技術の増に直結するわけではなく、時間、労力、資金の投資が伴います。

「これに関しては、まだ糸口が見つからず、解決していません」とふたり。

絶やさず、日本の文化をどう残していけるのか。その環境は、当事者だけでなく、国民全体で向き合うべき問題なのかもしれません。

現代美術家 舘鼻則孝×宇野刷毛ブラシ製作所。古くから職人に愛用されてきた「左官ブラシ」を絵画作品の仕上げに転用することによって、新たな作品が誕生。

現代美術家 舘鼻則孝×江戸組子 建松。雷雲のモチーフがレイヤーとなり、上から順に、桜亀甲、二重麻の葉、桔梗亀甲、雪型亀甲と並ぶ文様は、春夏秋冬を表現。

EDO TOKYO KIRARI東京だけでなく、日本の伝統産業のために。

今回に限らず、現代美術家・舘鼻則孝氏は作品を製作するにあたり、必ず職人に会い、工房に足を運び、作品作りに必要な表現アプローチが実現可能かを確認する手法を取っています。

「今回、自分が担う役割は、アーティストとして表現することはもちろんですが、それを通して伝統産業をより多くの人々に知ってもらうメッセンジャーになること。伝統産業を過去のものではなく、未来として魅せること。芸術という文化的な側面から伝統産業を価値化させることだと思っています」。

その価値化とは、舘鼻氏が創出プロセスの起点として大事にする「Rethink」でもあり、本展を主催する「江戸東京きらりプロジェクト」のコンセプトでもある「Old meets New」ともリンクします。

東京に限らず、日本全国の伝統産業と造形の深い舘鼻氏は、今の状況をどう見ているのでしょうか。

「東京と地方の伝統産業を同じフィールドで語ることは難しいと思っています。例えば、東京は、マーケットがあり、伝統工芸が産業工芸として成立できる環境にあります。地方の場合は、そうはいきません。どんなに高い技術を持っていても、外的要因に左右されることがあります」。

東京の場合、工房、店舗、さらには観光まで、一連につながる環境も少なくありません。その好例が浅草と言ってよいでしょう。しかし、それが高いクオリティとつながるかは別物。「伊勢神宮の式年遷宮ではありませんが、難度の高いテーマに挑戦し、それ乗り越えることによって今の技術を超えられるのではないでしょうか」。

今回になぞれば、そのテーマが、舘鼻氏が出展事業者に求めたものだったのかもしれません。だからこそ、伝統産業が輝くアートピースへと昇華したのでしょう。

海外に目を向ければ、現代彫刻家のアニッシュ・カプーアが漆を起用し、照明デザイナーのインゴ・マウラーが団扇を起用したように、日本の伝統産業は、世界レベルの芸術とも高い関係性を持っているのです。

また、地方といえば、元旦に襲った能登半島地震は、今なお、被害を受けています。漆や木地など、輪島をはじめとした伝統産業も焼失、全壊、半壊、倒壊など、日本の宝物が危機的状況に直面しています。

舘鼻氏もまた、石川の漆や蝋色での作品制作をした親交のある地域です。

「被害状況も地域によって様々。自分に何ができるかを言葉にするのは難しい。しかし、サポートしなければ、再起できない帰路に立たされていることは言うまでもありません。東京だけでなく、日本の伝統産業のために何ができるのか。常にRethinkしながら、向き合っていきたいと思います」。

失ってからでは手遅れ。我々もまた、Rethinkしなければいけない。

角度を変えて表現することによって、伝統産業が道具から作品に創出されたように、物事の見方も角度によって様々な想像力を掻き立てます。

Rethinkの思考を持って、改めて本展覧会と対峙すれば、そこには美化された作品群の展示だけでなく、様々なメッセージを訴えかけてくるようだ。


Photographs:©Edo Tokyo Kirari Project, Photo by GION
Text:YUICHI KURAMOCHI

江戸東京リシンク展
期間:2024年3月1日(金)〜3月10日(日)
時間:9:00〜17:00
料金:一般400円ほか(旧岩崎庭園への入園料)
主催:東京都・江戸東京きらりプロジェクト
共催:公益財団法人 東京都公園協会
会場:重要文化財 旧岩崎邸庭園
展覧会ディレクター:現代美術家 舘鼻則孝
出展事業者:江戸うちわ/江戸扇子「伊場仙」、江戸刷子/東京手植ブラシ「宇野刷子ブラシ製作所」、江戸組子「建松」、新江戸染「丸久商店」、和太鼓「宮本卯之助商店」、東京くみひも「龍工房」、金唐革紙「金唐紙研究所」(特別協力)
公式HP https://edotokyokirari.jp/news/life/edotokyorethink2024/

舘鼻則孝 NORITAKA TATEHANA
1985年、東京都生まれ。東京藝術大学美術学部工芸科染織専攻卒。卒業制作として発表したヒールレスシューズは、花魁の高下駄から着想を得た作品として、レディー・ガガが愛用していることでも知られている。現在は現代美術家として、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも精力的に取り組んでいる。作品は、ニューヨークの「メトロポリタン美術館」やロンドンの「ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館」などに永久収蔵されている。
公式HP https://www.noritakatatehana.com/ja/

現代美術家・舘鼻則孝が表現する、Rethinkを起点とした伝統産業。

江戸東京リシンク展 -旧岩崎邸庭園でみる匠の技と現代アートの融合-」のディレクターを務める現代美術家の舘鼻則孝氏。

EDO TOKYO KIRARIコロナ禍を経てのリベンジ。旧岩崎邸庭園」の開催。

江戸東京の伝統に根差した技術や産品などを新しい視点から磨き上げ、世界へと発信していく「江戸東京きらりプロジェクト」。その活動の一環として、展覧会「江戸東京リシンク展 -旧岩崎邸庭園でみる匠の技と現代アートの融合-」を開催。

ディレクターを務めるのは、国内外を通して活躍する現代美術家の舘鼻則孝氏です。

本展覧会は 2021 年より毎年継続して開催されており、東京都の伝統産業事業者のコラボレーターとしても舘鼻氏を迎え、「日本文化の過去を見直し現代に表現する」という舘鼻氏の創出プロセスである「Rethink(リシンク)」を起点とし、歴史ある伝統産業の価値や魅力を新たなかたちで提案しています。

参画する伝統産業事業者は、計7者。江戸うちわ/江戸扇子「伊場仙」、江戸刷子/東京手植ブラシ「宇野刷子ブラシ製作所」、江戸組子「建松」、新江戸染「丸久商店」、和太鼓「宮本卯之助商店」、東京くみひも「龍工房」、金唐革紙「金唐紙研究所」(特別協力)の出展事業者とともに、江戸東京の伝統ある技や老舗の産品といった「東京の宝物」の新たな価値を伝えます。

会場は、展覧会名にもある「旧岩崎邸庭園」。1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられ、往時は約1万5,000坪の敷地に20棟もの建物が並んでいました。現在は3分の1の敷地となり、現存するのは 洋館・撞球室・和館の3棟。木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドルの設計によるものであり、近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。館内の随所に見事なジャコビアン様式の装飾が施され、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが往事のままの雰囲気を漂わせ、それが今回の作品とも共鳴し、美しい空間を形成しています。

振り返ること2022年。実は、旧岩崎邸庭園」でこの展覧会の開催を予定していましたが、コロナ禍により、オンライン上での展示演出に。今回は、そのリベンジも果たします。

アートピースだけでなく、江戸・東京に受け継がれる伝統産業品や工芸品の展示、また、貴重な資料の展示から伝統産業の歴史にも触れることができるのも見どころのひとつ。それら全てを作品としてお楽しみいただきたい。

現代美術家 舘鼻則孝×東京くみひも 龍工房

現代美術家 舘鼻則孝×江戸うちわ・江戸扇子 伊場仙

現代美術家 舘鼻則孝×和太鼓 宮本卯之助商店

現代美術家 舘鼻則孝×新江戸染 丸久商店

上段左より、江戸うちわ・江戸扇子「伊場仙」、江戸刷子・東京手植ブラシ「宇野刷子ブラシ製作所」。中段左より、江戸組子「建松」、新江戸染「丸久商店」。下段左より、和太鼓「宮本卯之助商店」、東京くみひも「龍工房」。

会場となる「旧岩崎邸庭園」洋館の内装には、金唐革紙(きんからかわし)の装飾が施された空間もあり、工芸的な内装も展示作品(下記)と共鳴する。

現代美術家 舘鼻則孝×金唐革紙 金唐紙研究所

ジョサイア・コンドルの設計の洋館は、17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に見られ、イギリス・ルネサンス様式やイスラーム風のモティーフなどが採用される。

EDO TOKYO KIRARI道具から作品へと昇華した、ふたつの伝統産業の声。

今回、現代美術家・舘鼻則孝氏とコラボレーションした伝統産業の中から、「道具が作品へと昇華した」と喜びをあらわにしたのは、「宇野刷毛ブラシ製作所」と「江戸組子 建松」です。

隅田川のほとりに小さな工房を構える「宇野刷毛ブラシ製作所」は、創業1917年(大正6年)より刷毛作りで培われた技術をもとに、刷毛・ブラシの製造販売を行っています。現在は、三代目・宇野千栄子さん、四代目・三千代さんの母娘が伝統の手業を守り、従来の刷毛やブラシはもとより、時代のニーズに応じてデザイン性に富んだブラシを生み出しています。

「絵画作品を作るために使うブラシを製作していただきました。これまでは、それぞれの伝統産業と直接的に作品としてコラボレーションしてきましたが、今回は、道具のコラボレーション。使用している絵の具が粘り気の強いペースト状のため、あえて左官ブラシをお願いしました」と舘鼻氏。

製作した左官ブラシは、弾力性のある馬の毛を使用した長さ60cmの特別仕様。左官ブラシを絵画作品の仕上げに転用し、新たな作品を誕生させました。画面上で左官ブラシを引くことによって生じる、縞状の痕跡を意匠として活かすことを意図した技法研究が成され、絵画の世界では筆致と呼ばれる筆遣いとして画面に刻まれています。

また、ブラシの柄に装飾を施した舘鼻氏の創作に、四代目・三千代さんは「左官ブラシを作品作りの道具に起用する斬新な発想に驚きましたが、本来、見えることのない道具も作品として仕上げていただき、感動しました」と話します。

次いで、組子細工による伝統的な幾何学文様と舘鼻氏がアクリル絵の具で雷雲を描いた作品のコラボレーションは、「江戸組子 建松」によるもの。

組子工芸とは、平安末期に生まれた襖や障子などのいわゆる日本建築の建具のことであり、釘を一切使用せず、小さな木片を手作業で組み合わせ、様々な模様を編み出していく伝統的な木工技術です。

「普段は、障子や欄間を作っています。本来、木に着色することはないので、今回のように着色した組子は、私たちにはない発想です。実用品とは違った世界を見せていただきました」と、2代目田中孝弘は話します。

昨今、伝統産業は、後継者不足や暮らしの変化などから、危機的状況が囁かれることがあるも、「宇野刷毛ブラシ製作所」は東京手植ブラシとして海外からも人気を博し、「江戸組子 建松」においても、2024年の注文は受け入れできないほど、求める声が後をたたない。この違いは何か。

「伝統工芸は変わっていないという見方をされる方もいらっしゃいますが、変わっています。変わる勇気とその変わり方次第で、未来は大きく変わるのはないでしょうか」と田中氏。

しかし、ひとつ問題があるとしたら、「宇野刷毛ブラシ製作所」「江戸組子 建松」ともに「雇用」だと言います。給料、保険料など、支出と収入のバランスが崩れては、産業も崩壊してしまいます。人の増が技術の増に直結するわけではなく、時間、労力、資金の投資が伴います。

「これに関しては、まだ糸口が見つからず、解決していません」とふたり。

絶やさず、日本の文化をどう残していけるのか。その環境は、当事者だけでなく、国民全体で向き合うべき問題なのかもしれません。

現代美術家 舘鼻則孝×宇野刷毛ブラシ製作所。古くから職人に愛用されてきた「左官ブラシ」を絵画作品の仕上げに転用することによって、新たな作品が誕生。

現代美術家 舘鼻則孝×江戸組子 建松。雷雲のモチーフがレイヤーとなり、上から順に、桜亀甲、二重麻の葉、桔梗亀甲、雪型亀甲と並ぶ文様は、春夏秋冬を表現。

EDO TOKYO KIRARI東京だけでなく、日本の伝統産業のために。

今回に限らず、現代美術家・舘鼻則孝氏は作品を製作するにあたり、必ず職人に会い、工房に足を運び、作品作りに必要な表現アプローチが実現可能かを確認する手法を取っています。

「今回、自分が担う役割は、アーティストとして表現することはもちろんですが、それを通して伝統産業をより多くの人々に知ってもらうメッセンジャーになること。伝統産業を過去のものではなく、未来として魅せること。芸術という文化的な側面から伝統産業を価値化させることだと思っています」。

その価値化とは、舘鼻氏が創出プロセスの起点として大事にする「Rethink」でもあり、本展を主催する「江戸東京きらりプロジェクト」のコンセプトでもある「Old meets New」ともリンクします。

東京に限らず、日本全国の伝統産業と造形の深い舘鼻氏は、今の状況をどう見ているのでしょうか。

「東京と地方の伝統産業を同じフィールドで語ることは難しいと思っています。例えば、東京は、マーケットがあり、伝統工芸が産業工芸として成立できる環境にあります。地方の場合は、そうはいきません。どんなに高い技術を持っていても、外的要因に左右されることがあります」。

東京の場合、工房、店舗、さらには観光まで、一連につながる環境も少なくありません。その好例が浅草と言ってよいでしょう。しかし、それが高いクオリティとつながるかは別物。「伊勢神宮の式年遷宮ではありませんが、難度の高いテーマに挑戦し、それ乗り越えることによって今の技術を超えられるのではないでしょうか」。

今回になぞれば、そのテーマが、舘鼻氏が出展事業者に求めたものだったのかもしれません。だからこそ、伝統産業が輝くアートピースへと昇華したのでしょう。

海外に目を向ければ、現代彫刻家のアニッシュ・カプーアが漆を起用し、照明デザイナーのインゴ・マウラーが団扇を起用したように、日本の伝統産業は、世界レベルの芸術とも高い関係性を持っているのです。

また、地方といえば、元旦に襲った能登半島地震は、今なお、被害を受けています。漆や木地など、輪島をはじめとした伝統産業も焼失、全壊、半壊、倒壊など、日本の宝物が危機的状況に直面しています。

舘鼻氏もまた、石川の漆や蝋色での作品制作をした親交のある地域です。

「被害状況も地域によって様々。自分に何ができるかを言葉にするのは難しい。しかし、サポートしなければ、再起できない帰路に立たされていることは言うまでもありません。東京だけでなく、日本の伝統産業のために何ができるのか。常にRethinkしながら、向き合っていきたいと思います」。

失ってからでは手遅れ。我々もまた、Rethinkしなければいけない。

角度を変えて表現することによって、伝統産業が道具から作品に創出されたように、物事の見方も角度によって様々な想像力を掻き立てます。

Rethinkの思考を持って、改めて本展覧会と対峙すれば、そこには美化された作品群の展示だけでなく、様々なメッセージを訴えかけてくるようだ。


Photographs:©Edo Tokyo Kirari Project, Photo by GION
Text:YUICHI KURAMOCHI

江戸東京リシンク展
期間:2024年3月1日(金)〜3月10日(日)
時間:9:00〜17:00
料金:一般400円ほか(旧岩崎庭園への入園料)
主催:東京都・江戸東京きらりプロジェクト
共催:公益財団法人 東京都公園協会
会場:重要文化財 旧岩崎邸庭園
展覧会ディレクター:現代美術家 舘鼻則孝
出展事業者:江戸うちわ/江戸扇子「伊場仙」、江戸刷子/東京手植ブラシ「宇野刷子ブラシ製作所」、江戸組子「建松」、新江戸染「丸久商店」、和太鼓「宮本卯之助商店」、東京くみひも「龍工房」、金唐革紙「金唐紙研究所」(特別協力)
公式HP https://edotokyokirari.jp/news/life/edotokyorethink2024/

舘鼻則孝 NORITAKA TATEHANA
1985年、東京都生まれ。東京藝術大学美術学部工芸科染織専攻卒。卒業制作として発表したヒールレスシューズは、花魁の高下駄から着想を得た作品として、レディー・ガガが愛用していることでも知られている。現在は現代美術家として、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも精力的に取り組んでいる。作品は、ニューヨークの「メトロポリタン美術館」やロンドンの「ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館」などに永久収蔵されている。
公式HP https://www.noritakatatehana.com/ja/

芸術大学で食を学ぶ。京都芸術大学食文化デザインコース開設。

通信制で日本の食文化を知る、新たな学びの場。

2024年春。

日本の食文化の、新たな扉が開きます。

京都と東京にキャンパスを構える芸術大学『京都芸術大学』の通信教育部に「食文化デザインコース」が開設されるのです。

これまでにも日本の大学において「食」を軸にした講義はありました。

しかし芸術大学において、完全オンラインで文化・芸術として食を学ぶ学士課程は日本唯一(※)の試みとなります。

このコースで履修した学生が卒業後に得られるのは芸術学士。それは料理人以外にも食に関わる人たちが、体系的にそのあり方を学ぶことができる場。文化・芸術という視点から食を考え、企画し、伝え、実践することができるよう、多角的に学ぶための場。この新たな試みは、日本の食文化の発展、継承、発信のための大きな一歩となることでしょう。

そうはいっても、「食文化デザイン」がイメージしにくい方もいるかもしれません。もう少し踏みこんで、このコースについて紐解いてみましょう。

※出典:令和4年度全国大学一覧(文部科学省)


 

食文化デザインという名前に込められた食への思い。

2023年秋。

東京・外苑前にある京都芸術大学のキャンパスにて、この「食文化デザインコース」開設の記者発表が行われました。

舞台に上がったのは、同大学学長の吉川左紀子氏、副学長の小山薫堂氏、そして講義を受け持つ講師陣。講師は研究者だけに留まらず、ツーリズム、メディア、ビジネス、フードテックなど幅広い分野のスペシャリストが集結しました。これは“デザイン”という軸を通し、食文化を多角的な視点から学ぶため。

食は生きるために必要な日々の営みであると同時に、文化・芸術でもあります。単なる“おいしさ”や“料理人の技術”だけではなく、科学、美学、地域デザインなどさまざまな切り口から学ぶことで、その文化・芸術を深く理解する食文化の担い手を育成するのがこのコース。

登壇した小山薫堂氏は言います。

「変化する時代の中で、食というものは人を変えていけるくらいの根源的な力を持ちます。だからその食を支えている方のリテラシーをさらに上げていくために、教育的視点で食を考えていきたい」

おいしく作る人、おいしくたべる人、おいしく伝える人。

作り手や食べ手はもちろん、食材生産やその流通、販売の担い手も含め、食に関わるすべての人が食文化を体系的、多角的に学ぶことで、日本の食文化をさらに発展させることが目標です。

小山薫堂 ✕ 大類知樹対談〜日本の食文化の今と未来。

各分野のスペシャリストが集まるバラエティ豊かな講師陣の中には、株式会社ONESTORY代表・大類知樹の名もあります。担当する講義は「食の地域価値共創」。DINING OUTをはじめとした事業で蓄積した、食を通じて地域の価値を高めるための知見を伝えます。

そんな講義に先立ち、京都芸術大学副学長の小山薫堂氏と大類知樹が、食の現在と未来、そしてこの食文化デザインコースの意義について語り合いました。メディアを通して食を見つめてきた二人のプロフェッショナルの会話から、日本の食の未来が見えてきます。

小山:「食は日本に残された最後の資源ではないかと思っています。食によって人が動き、人と人が繋がる。料理に携わる方々が非常に積極的に環境に目を向けたりしている。つまり食によって、社会が動いたり、社会の波が起こるような時代。かつては、“おいしさ”というものがすごく大切だった時代もあったと思うんですよね。 皆さんがおいしいを求めていた。けれども、今はそのおいしさを越えて、そこから食から広がっていく価値に人々が注目している、そういう時代かなと思ってます」

大類:「そうですね。“食べる”という本来日常的なはずのことが、 地球環境や人類の未来にまでに繋がっている。その中で、おいしさだけではなく、さまざまな別の要素を帯びてきているというのが、今の食を取り巻く環境だと思います。そして誰しもが毎日食べるものだからこそ、未来を考える一番のきっかけ、入り口になりやすいのかもしれませんね」

小山:「そこが食文化デザインコースの意義です。人はいろいろな学問を学びますよね。けれども法学部に行った人が全員法律家になるわけではない。そう考えると、食文化を学ぶことは、ものすごく毎日にフィードバックされると思うんです」

大類:「そもそも芸術大学の中に食のコースを作ろうと思った意図はどんなものだったんですか?」

小山:「10年ほど前に文化庁の文化芸術基本法に食文化が明記されたときから、食は学問になるべきという思いはあったんです。さまざまな厨房を見てきた中で、料理人の方というのはやはり“おいしいものを作る”が第一義なんです。そのおいしさを追求するために、技術だけで食材と向き合う人が多い。そういう料理人の方がもっと幅広い見識を持つために学び直せるような、それで学位が取れるような場があるといいな、というのがスタートです」

大類:「それが通信教育ということでターゲットがさらに広がりましたね。より幅広い層が、より手軽に食を学ぶことができる。食をビジネスにするためだけではなく、食べることの意味を考えるかもしれないし、新しい趣味ができるかもしれないし、新しい人との出会いがあるかもしれない。地域を元気にするとか、新たな企画を考えるとか」

小山:「そうですね、人生を豊かにするためのコースだと思います」

大類:「それと“食文化デザイン”という名前ですね。今の時代、食を文化として考えるとき、デザインという言葉と掛け合わさないことには全体像が捉えられない。その現状をすごく言い当てた薫堂さんならではのコース名だなと思いました」

小山:「ありがとうございます。本当にいろいろな案があったんですよ。でも本当に食は健康にも直結しているし、もっとも実益ある学問ですよね。食を学ぶことで、もっとお米食べようという子どもが増えるかもしれないし、ちゃんとしたお店で買おうという意識で経済も変わるかもしれない。季節や地理の意識も。だから食というのはすべてが集約されている領域なんですね」

大類:「芸術的なこととも噛み合ってきますね。文学や日本の精神性とも親和性が高い。皿やカトラリーなど食を取り巻くものも重要になってくる。それこそ数えたらきりがないほどさまざまな要素を帯びているのが食なんです。そしてそれを最終的に体内に入れるというダイナミズムがあります」

小山:「大切なことは、細分化された学問を順番に修めていくことではなく、ある領域は角度を変えたらどう見えるか、という視点の獲得だと思うんです。食文化というものは付帯する要素が多い分、違う視点を見つけやすい」

大類:「講師もバリエーションに富んでいますね。全然分野の違う方々がいて、すごく面白い」

小山:「面白いですよね。僕だって学びたいくらい。大類さんだって他の講師の方の授業見たいんじゃないですか?」

大類:「本当、見たいですよ。それにこのコースは学生同士のコミュニティもおもしろくなりそうな気がしますね。修学旅行じゃないけれど、みんなでテーマを決めて食べ歩くとか。僕も『食の地域価値共創』にちなんだゼミを開催してみたいと考えています」

小山:「どんな形になっていくのか、いまから楽しみですね」

2024年4月入学生 出願受付中
https://www.kyoto-art.ac.jp/t/

食文化デザインコース特設サイト
https://tenohira.kyoto-art.ac.jp/foodculturedesign/

香りを起点に引き立てる野菜の魅力。モダンインド料理のシェフが向き合う、宮崎県産有機野菜。[MIYAZAKI DINING/宮崎県・東京都港区]

有機野菜の産地・宮崎県が新たな一歩を踏み出す。

宮崎県が日本屈指の有機農業産地であることをご存知でしょうか。

1988年に全国初の「自然生態系農業推進条例」を制定した宮崎県綾町をはじめ、県や市町村が有機農業を促進し、生産者がそれに応える。それは宮崎県が豊かな自然に囲まれ、温暖な気候に恵まれ、そしてその自然を愛する人々が暮らしているからこその結果でしょう。そんな宮崎県で2023年、「みやざき有機農業拡大加速化事業」が始まりました。それは有機農業の草分けとして歩んできた宮崎県の新たなスタート。いわば今年は宮崎県の「有機元年」となるのです。

その記念すべきスタートを後押しすべく、ひとりのシェフが立ち上がりました。

六本木のモダンインド料理店『ニルヴァーナ ニューヨーク』を率いる若きシェフ・引地翔悟氏です。日頃から食を通して健康になることを意識し、素材にこだわる引地シェフが、宮崎県の有機野菜をさらに輝かせることでしょう。

現地の生産者を訪ね、交流し、さまざまな有機野菜を試食し、新たなメニューを考案した引地シェフ。その旅の様子をお伝えします。

宮崎県綾町の風景。いち早く自然保護と自然栽培への取り組みがはじまった地。

有機栽培の根幹を支えるのは土。生産者は試行錯誤しながら栄養に満ちた土作りに挑んでいる。

ポリフィルムで覆い、夏場の太陽熱で雑草の種を除く太陽熱消毒という手法。農薬を使わない有機栽培にも、さまざまなアイデアが潜む。

形は不揃いでも味は抜群。有機野菜の正しい価値に多くの人が気づき始めている。

宮崎県を訪れて出合った、大地の香りがする野菜。

安心安全、栄養価が高い、味が濃い。一般的に有機野菜に対して、こんなポジティブなイメージがあることでしょう。それらに加えて宮崎の有機野菜が引地シェフを惹きつけた要素は、香り。ナチュラルでクリアで力強い香りが、シェフの心を捉えました。

実は引地シェフは学生時代に認知心理学を専攻し、香りが人にどのような影響を及ぼすかを学んでいた人物。料理人となった現在も、その香りに対する知見はシェフの武器として、独自のインド料理の土台を支えています。もちろん今回訪れた宮崎県でも、興味は香りに向かいます。

たとえば宮崎市田野にある『AKASAKA farm』では、この地区の冬の風物詩である大根やぐらを見学。

「干して凝縮された大根の力強い香り。食べる前からおいしいことがわかります」

と話した引地シェフ。さらに次々と県内の生産者のもとをめぐり、畑を見学。糖度が10を越えるというニンジン、抜いたばかりのネギ、瑞々しいケールやほうれん草。そこでさまざまな野菜に出合うたびに、引地シェフは鼻を寄せて香りを確かめ、その場で味を確かめます。

「どの野菜もナチュラルで透明感ある土の匂いがします。これが野菜の本来の香りなんでしょうね」

次々と生産者のもとを訪れるごとに、引地シェフの宮崎県への興味は強くなっていくようでした。

宮崎県の田野、清武地域に多く見られる巨大な大根やぐら。この大根やぐらをシンボルとした地域の農業システムは「日本農業遺産」に認定されている。

「産地を訪れるたびに発見があり、学びがある」と語る引地翔悟シェフ。今回の旅にも、今後に繋がる出会いがあったという。

訪問先で振る舞われた料理。地元に伝わる漬物や郷土料理にも、食材を活かすヒントが隠されている。

綾町の『シードカルチャー』のにんじんジュース。ただ絞っただけのジュースがフルーツ以上に甘いことで、有機野菜のポテンシャルを感じさせる。

有機栽培という難題に果敢に挑む生産者たち。

味だけでなく香りも起点にして料理を構築する引地シェフ。しかしそればかりではありません。数日間、ともに旅をしてみると、引地シェフの興味が生産者、つまり人に向いていることがわかります。

どこで誰と会っても、しっかりと目を見つめ、真剣に話を聞く引地シェフ。その真摯な姿を見て、生産者も自身が手塩にかけた食材を託そうと思えるのかもしれません。とくに有機農業という、自然と向き合いながら生産者の思いがそのまま作物となるような農法ならば、なおさら。

2011年の東日本大震災を契機に、植物本来の力に任せる自然栽培に取り組みはじめた『AKASAKA farm』。親子で農業に向き合いながら、次世代に繋ぐ有機栽培を拡大する『宮崎アグリアート』、有機栽培先進地である綾町の個性豊かな生産者たち、科学的な論拠をもとに自然栽培有機農業に向き合う『本坊農園』。引地シェフは、それぞれの生産者のストーリーをしっかりと胸に刻みます。

「素晴らしい食材の魅力を、料理を通してお客さまに伝える。それは料理人の責任です」

大根やぐらで語らうシェフと『AKASAKA farm』の野﨑氏。野﨑氏は自然栽培にかける夢を語ってくれた。

『宮崎アグリアート』の松本慎一郎氏。懇親会でもさまざまな話題でシェフと語り合っていた。

ひょうきんなトークでシェフを笑わせた『シードカルチャー』の奥誠司氏は元教師。有機農業をするために綾町に移住してきたという。

『グリーンファーム綾』の園田雄一氏。その美しい畑を見るだけで、いかに愛情を込めて丁寧に手入れしている様子がわかる。

『本坊農園』の本坊照夫氏。千代子氏夫妻。ふたりの溌剌とした姿が、有機農業がいかに体に良いかを物語る。

有機野菜の魅力を落とし込んだ圧巻のインド料理。

後日『ニルヴァーナ ニューヨーク』の引地シェフのもとに、宮崎県から野菜が届きました。野菜を見ただけで生産者の顔が浮かぶような、思いのこもった有機野菜たち。

「退色したり萎れたり、香りが弱まることもなく、現地で見たままの姿で届きました。これも有機栽培の力かもしれません」

そう話す引地シェフ。

「口に含んだときに弾けるような野菜本来の香り、土の香り、自然の香り。皿の上でこの野菜の存在が薄れてしまわないように意識します」

そうして生産者の熱意や覚悟と正面から向き合い、有機野菜の本質をしっかりと理解してから考案された引地シェフの料理。

ネパールの山椒を効かせたサラダ、ほうれん草と合わせたインド風炒り卵エッグブルジ、干し大根からアプローチした酸味が決め手のリッチテイストなカレー、ケールを加え食べるだけで元気になるような一皿を目指したほうれん草のカレー。

どの料理にも明確な指針と哲学と生産者への敬意が満ちた引地シェフらしい有機野菜料理です。

「味わいも香りも力強く、スパイスでその魅力が消えてしまうこともありません。さらに食べて健康を目指すのはアーユルベーダ由来のインド料理の基本。その点でも有機野菜とインド料理との相性は間違いないと思います」

引地シェフ渾身の料理と宮崎県の有機野菜の魅力を満喫できる「MIYAZAKI DINING」は2024年2月22日〜3月10日まで、『ニルヴァーナ ニューヨーク』にて開催されます。

厨房の引地シェフ。多彩なスパイスを使いこなし、食材本来の味わいを引き出す技がシェフの真骨頂。

綾町から届くお任せBOXのサラダ。白菜は必須だがその他野菜はランダム。シェフは切り方や下処理で味を均一に整える。

野菜の香りをまとったエッグブルジ。卵にしっかりと火を通すのがインド流。

シェフ自身が一番好きなカレーというチキンチェティナードラッサムをアレンジ。鶏油がコクを加えつつ、全体をまとめあげる。

ほうれん草のカレーはスタンダードだが、味わい豊かな本坊農園のほうれん草にケールも加え、より力強いおいしさに。

住所:東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリアガーデンテラス1F
TEL:03-5647-8305
https://nirvana-newyork.jp/
https://www.instagram.com/nirvana_newyork/

(supported by 宮崎県)

次代のローカルガストロノミーを担うコンビが共鳴し、美術館に飾るような器に表現を解き放つ。「USEUM SAGA」開催レポート。[佐賀県佐賀市]

スパイス料理の雄、オキナワンフレンチの雄が手を組み佐賀食材を探求する。

400年以上受け継がれる有田焼をはじめ、数々の焼き物の産地を擁する佐賀県。透き通るように白い地肌と華やかな絵付けが印象的な磁器は、伊万里港から各地へ輸出され、世界中の人を魅了してきました。

風土に目を向けると、佐賀がいかに豊かで変化に富んだ環境にあるかがわかります。北を玄界灘、南を有明海に接する大地は、北部の山地、南部の山岳地、東部の平野、西部の丘陵地の4つに大別され、それぞれに特徴のある地質が分布しています。玄界灘のイカやエビ、青物、有明海の海苔や牡蠣といった魚介の数々。温暖な気候が育むみかんやイチゴ、多種多様な野菜、トップレベルの黒毛和牛と称される佐賀牛、きれいな味わいの日本酒……。魅力的な食材は枚挙にいとまがありません。

器と食材。佐賀が誇るこのふたつの要素に、気鋭の料理人がローカルガストロノミーの技術とアイデア、たぎる情熱を加えて化学変化を起こすというユニークなイベントが「USEUM SAGA」です。それは、美術館に飾るような人間国宝などの器で佐賀の美食を堪能できる、数日間だけのプレミアムレストラン。待望の第5弾が2023年12月、佐賀市内で開催されました。

今回は、共に個性的な料理人ふたりがタッグを組むことで大きな注目を集めました。佐賀市で完全予約制・コースのみのスパイス料理をすべてたったひとりで提供している『カレーのアキンボ』の川岸真人氏。そして、“沖縄県宮古島の風土や食文化を100年後に繋げる琉球ガストロノミー”を提唱する元『エタデスプリ』のシェフ・渡真利泰洋氏です。

いずれも個性派の両名は、一体どのようなコースをつくり上げたのでしょう?

……それは、驚きに満ちたものでした。

コースのスタートに先駆けて川岸真人シェフ(左)と渡真利泰洋シェフが挨拶。意気込みを語った。

コースのスタートを飾った「水イカのパフェ」。ロゼのシャンパンと共に。

有明海の牡蠣と発酵させたカブを合わせた「カキトカブ」。牡蠣のそのままの風味を楽しめるように味付けを最小限に抑えた。器は陶磁器を焼く工程で成型の土台として使われる「ハマ」を使用。本来は一度きりで廃棄される素材を有効活用した点も画期的。

料理が届くたびに、意外性のあるプレゼンテーションに驚きの声が上がり、口に運んでは感嘆の声が漏れた。

全皿を合作によってつくりあげることで、単独での料理では成し得ない高みへ。

色絵磁器の最高峰ともうたわれる今右衛門窯の透き通るほど薄手の小鉢。そこに盛られているのは佐賀のアオリイカや菊芋、沖縄のパパイヤです。なんとも目に鮮やかな「水イカのパフェ」からスタートしたコース料理は、デザートを含む全12皿が展開されました。

2名のシェフがコラボするイベントの場合、それぞれのシェフが単独でつくった料理が交互に供されるのが一般的です。ところが、ふたりは全品を合作するスタイルを選びました。

その背景について渡真利シェフは話します。

「これまでもコラボイベントには何度も取り組んできましたが、交互に提供するとどうしてもコースとしての完成度が高まらないため、もどかしく感じていました。せっかく複数のシェフがコースを組み立てるなら、一皿の中でも一方が基本の調理で一方が仕上げ、または一方がメイン食材の調理で一方が付け合わせの調理など、セッションしたほうがいつもとは違った料理を生み出せるし、コースとしての流れもダイナミックなものになると思うんです。合作は強くこだわった部分ですね」

川岸シェフはその狙いに共感し、渡真利シェフの胸を借りるつもりで臨んだと話します。

「渡真利シェフは佐賀の生産者を回ってリサーチし、僕は宮古島を視察させてもらい、LINEや電話で連絡を取り合いながらメニューを組み立てていきました。ところが、開催日が近づいてそれまでなかった旬の食材が登場すると、渡真利シェフは『これ旨いじゃん。こっちにしよう』と簡単に変更してしまいます。しかも、僕としてはいい感じの料理になっていると思ったものも『まだクリエイティブじゃない』と一蹴されてしまう。周りにいくら迷惑をかけようが、クリエイティビティを最大にするために突き進む人なんです(笑)。そのエネルギーには本当に刺激を受けました。決してマネはしませんよ。僕は他のスタッフに無理を言いたくなくて自分一人でやっているくらいですから。でも、今回、渡真利シェフのリードについていくと決めてからは、そんなふうに振り回されるのが楽しくてしょうがなかったですね」

妥協を知らない合作のスタイルは、ふたりにとっても想像以上の力が発揮された逸品を生み出しました。酔っ払い蟹として使用するはずの渡り蟹に、生で提供するには引っ掛かるわずかな疑義が発生。ふたりはメニューの変更を決断します。蟹の出汁を抽出し、急遽、川岸シェフがカレーに仕立てる作戦に。提供のタイミングギリギリまで味が決まらず、ふたりで押し問答を続けましたが、「サフランがある!」と目を見合わせ、予想通りに味がバシッと決まったとのこと。「いやあ、あれには痺れましたね」と川岸シェフが振り返ると、渡真利シェフは「厨房で今日イチ盛り上がったわ。だからセッションした方がおもしろいんだよ」とカラカラ笑います。性格はまるで違うようですが、ふたりの間には妙に心地いいグルーブ感が生まれています。

不測の事態からのリカバリーとして即興的につくり上げたカニと豆腐ようのスープ。沖縄の豆腐ようと佐賀県産のサフランが味の決め手。

九州の郷土料理である「がめ煮」を鶏肉の代わりにスッポンでつくり、沖縄名産の田芋(タウム)を使った沖縄伝統の煮物「ドゥワルカシー」と一体化。見事な調和を見せる。器は人間国宝の青磁作家・中島宏氏の作品。

ドリンクは元『エタデスプリ』のソムリエ・新川友稀氏によるペアリングがアルコール、ノンアルコール共に用意された。フランス・イタリア・中国のワイン、佐賀の日本酒、宮古島の泡盛、旬のフルーツを使ったカクテルなど多彩な内容。

スパイスのかぐわしさと鮮烈な味わいで会場を沸かせたのが「イラブチャー」。沖縄の食用魚の代表イラブチャー(ナンヨウブダイ)をタイカレーペーストに漬け込み、月桃の葉に包んで蒸し焼きに。今回は宮古島の食材も積極的に採り入れられた。

ローカルに根差すからこそ、料理人としての表現の可能性は広がる。

川岸シェフと渡真利シェフは共に39歳。東京や海外での活躍を経て、生まれ故郷で地域に根差したレストランを一からつくることを選んだという共通点があります。川岸シェフの『カレーのアキンボ』は東京で人気店の地位を確立していましたが、なぜ佐賀へと移転したのでしょうか。

川岸シェフは当時を振り返ります。

「店があった墨田区は昔からずっと住んでいる人が多く、自分と同じ年代も小中学校から一緒につるんでいたり、祭りを大事にしていたり、東京にあってもローカルな雰囲気の強い地域。結構、佐賀に似ていると思います。僕の中で東京はいろんな人が集まっているファンタジー的な場所だと思っていたのですが、墨田区ではむしろ、自分だけが地に足が着いていないようなちょっと居心地の悪さを感じたんです。それで5年で佐賀へ戻ってやってみようと決めていました」

佐賀に帰ってみると、自分に思わぬ変化が訪れたと話します。

「佐賀の食材の豊かさとその美味しさには驚きました。ここにはなんでもある。これは佐賀の食材でやらない手はないと、東京でのスペシャリテだったラムのキーマカレーもやめ、佐賀の食材の持ち味を生かす調理にシフトしていきました。とにかく食材そのものが美味しいので、調理技法はどんどんシンプルになっていきました。そうして自分のオリジナリティが固まっていったのです。カレーという調理法はあまりにも味の骨格がしっかりしているので、極端な話、ダメな食材でもそこそこ食べられるものに生かすことができます。それは逆に、優れた食材の持ち味を殺すことにもなり得ます。カレーやスパイスを使いながらいかに優れた食材を生かす引き算の料理ができるか? 佐賀に来たからこそ、その追求にたどり着くことができたのです」

渡真利シェフは、面白さを求めたからこそ宮古島に帰るという決断をしました。

「沖縄人である自分が東京でフレンチをやる。フランス産のフォアグラを使うかもしれない。沖縄の食材も使うかもしれない。でもそんな他の人でもできることで誰が楽しんでくれるんだろう? 自分にはイメージできなかった。何より、それじゃ自分がワクワクしないと思いました。みんなに面白がってもらえて自分も心から面白いと思える料理は、自分のルーツである宮古島にこそあるという確信が強まっていったんです」

宮古島ではレストランを人気店へと着実に育てながらも、この地で何をすべきかという問いにはまり込んだ時期もあったそうだ。

「視界がパッと開けたのは、実はonestoryのおかげです。onestoryのイベント『DINING OUT』に関わり、ガガンシェフの仕事を間近で見たことで、ものすごく刺激を受けました。彼はB級と見なされていたインド料理を、世界と渡り合えるファインレストランの域まで押し上げた人。自分も沖縄でやっていけると勇気づけられました。沖縄は“食の不毛地帯”なんてことも言われたりしますが、歴史を振り返っていくと、実はかつては美味しいとされるものはあったんですよ。それって面白くないですか?」

ガガン氏はタイ・バンコク『Gaggan Anand』のインド人オーナーシェフ、ガガン・アナンド氏のこと。インド伝統料理を斬新な手法で高級コース料理に仕立てた伝説的な料理人です。

「ガガンシェフのように物事をとことん面白がる姿勢があれば、フレンチだとか料理のジャンルさえどうでもよくなります。自分は琉球ガストロノミーを追求すればいいんだと。それからは気持ち的にラクになりましたね」と渡真利シェフは話します。

本番の前日まで試行錯誤を続けた「ポーポー」。300年以上の歴史を誇る佐賀の手漉き和紙である名和和紙に包んでサーブ。合わせる酒は、宮古島の泡盛「多良川」の16年古酒樽仕込みをハイボールで。

有明産の佐賀海苔をたっぷり使った雑炊「ジューシー」。ペアリングは佐賀の銘酒「光栄菊 幾望2021」。すっきりとした甘みがジューシーに見事に調和する。

本番の直前まで、クリエイティビティの追求に妥協してはならない。

渡真利シェフの奔放さは今回もいかんなく発揮されました。たとえば「ジューシー」。本来、ジューシーは沖縄で炊き込みご飯のことを指しますが、渡真利シェフは有明海で獲れた海苔をたっぷりと使った雑炊に仕上げました。上に敷き詰めたのはキュウリのスライス。そう、これはかっぱ巻きを再構築したジューシーなのです。

そして、やはりクレープのような沖縄伝統のお菓子「ポーポー」も存在感を放っていました。スパイスをまとったカツオのなまり節をくるんだポーポーを頬張ると、変化に富んだ食感と共に、なまり節の旨みとポーポーの甘み、多彩な香りとほどよい酸味が口の中で渾然一体となって立体的に広がります。こちらも渡真利シェフが「まだクリエイティビティが足りない」と前日まで川岸シェフに発破をかけながら試行錯誤を続けた労作だといいます。

川岸シェフの最後の瞬発力には舌を巻いたと渡真利シェフ。

「最終的に彼は大根の葉っぱをヴィネガーで和えてポーポーに巻き込みました。この斬新な旨さには唸りましたね。酸味を加えたいという時に、酸のある素材をプラスするのでもなく、そこにレモンを搾るのでもなく、ヴィネガーをそんなふうに使うのかと驚きました。彼のヴィネガーの使い方、それからオイル漬けの手法、スパイスの使い方は本当に勉強になりました。沖縄には保存食の文化があまりありません。つまりそこには発展の余地があるということ。川岸シェフからの学んだことをプラスして料理の可能性を広げていきたいと思います」

一方、川岸シェフは、渡真利シェフの食材に対するビビッドな反応に感化されたと話します。
「食材本来のおいしさに対して正直に向き合い、その持ち味を最優先する姿勢には驚かされました。そして、周りに迷惑かけると言いましたけど、実はめっちゃくちゃやさしい。生産者の方がくださる野菜は、何でも『ありがとうございます!』と受け取って、どうにか料理に盛り込もうと工夫するし。迷惑はかけるけど、やさしい男です(笑)」

沖縄では祝い事に欠かせないヒージャー(山羊)を使ったケバブ、沖縄そば、カレーのたたみかけで会場の空気は一気にクライマックスへ。ゲストとスタッフ、会場にいる全員がオリオンビールで乾杯し、大団円を迎えました。

閉幕のスピーチで、感極まった川岸シェフは言葉を詰まらせました。

「東京で850円のランチから始めて……カレー屋のくせに予約取るなんて何様だと言われ続けていた僕が……今日は、本当に、ありがとうございました」と言葉を振り絞る川岸シェフ。その横で肩を揺らして面白がる渡真利シェフ。でも見つめる目は、とことんやさしい。やり抜き、泣き、笑う。充実感に満ちたふたりの姿が、イベントの成功を何よりも雄弁に物語っていました。

「祝いの山羊」ケバブ。佐賀県産のローゼルのアチャールなどと一緒に味わう。皿は「柿右衛門窯」から。

「祝いの山羊」の2品目は、山羊の濃厚な出汁を堪能できる沖縄そば。器は「中里太郎右衛門陶房」から。

「祝いの山羊」のラストは、川岸氏の真骨頂であるカレーライス。器は「李荘窯業所」から。

オリオンビールを片手に会場の全員で乾杯。

オリオンビールの風味を効かせたアイスクリームに、佐賀のみかん、佐賀の唐辛子を使ったチュイール、海ぶどうを合わせた独創性あふれるデザート。オリオンビールと共に。

1984年佐賀県佐賀市生まれ。佐賀県立佐賀北高校普通科芸術コース卒業。日本大学芸術学部美術学科卒業。都内の寿司屋で3年修業を積み、2010年、東京・錦糸町に「カレーのアキンボ」をオープン。2015年に佐賀へ戻り、完全予約制・コースのみのスタイルにリニューアル。週に一度は生産者を訪ね、その時々で出会った食材をベースに料理を組み立てる。「ミシュランガイド2019福岡・佐賀・長崎版」ビブグルマン獲得。「ゴ・エ・ミヨ2023」では佐賀県内7店舗の1店に選ばれる。

1984年沖縄県宮古島市生まれ。20歳で上京、イタリア料理を学ぶ。その後、数店のフレンチで修業を重ね、渡仏。「Joel Robuchon」をはじめとしたパリの名店にて研鑽を積み、帰国後31歳で伊良部島にある「Restaurant Etat d’esprit(エタデスプリ)」総料理長に就任した。ジャパンタイムズキューブの日本人が選ぶ、世界の人々のための、日本のレストラン「The Japan Times Destination Restaurants 2021」の10選に選出。フランスのグルメ雑誌「ゴ・エ・ミヨ2022」で沖縄県内最高得点の15.5点獲得。2019年には次世代を担う実力派シェフとして全国15人の1人に選出。

https://www.useumsaga.com/

木曽伝統の発酵食「すんき」、木曽漆器、塩尻ワイン。宿場町・奈良井宿がつなぐ地域の新たな「食」体験

江戸時代の宿場町の面影を残す奈良井宿から、地域に根ざす文化財と食を掛け合わせた新プロジェクトが始まる。

このプロジェクトは、令和5年度観光庁が実施する「地域の資源を生かした宿泊業等の食の価値向上事業」の実証事業の一環として、「ONESTORY」が事務局となり地域の方と協同して行う取組です。「文化財」をテーマとする実証先として、奈良井宿を起点とする長野県塩尻市の奈良井地域が選定されました。

奈良井宿は、江戸時代に整備された五街道のひとつである中山道(東京・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ500kmを超える街道)のちょうど中間、34番目に位置します

かつて多くの旅人を迎えた町の賑わいは「奈良井千軒」と謳われるほど。奈良井川に沿っておよそ1kmにわたり続く日本最長の宿場町として木曽路で一番賑わっていたといいます(※1)。街道沿いに旅籠屋形式の町屋が連なり、江戸時代の面影を色濃く残す町並みは、1978年に文化庁の「重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

長い歴史の中で守られてきた景観や町並み、地域に伝承される漆器・曲物の伝統工芸なども含めた奈良井宿の「文化財」と、山々に囲まれた気候風土が育んできた発酵食などの地域の「食」を掛け合わせて、奈良井地域の「食」の価値向上に向けたプロジェクトが始動しました。

地域が守り伝承してきた発酵食文化「すんき」に光を当てる。

奈良井宿がある長野県塩尻市は、明治時代からぶどう栽培が盛んな桔梗ヶ原を中心に15ものワイナリーが集まる日本ワインの生産地(※2)。奈良井宿への玄関口ともいえる塩尻駅にも、塩尻ワインのワイナリー巡りを楽しむ観光客が多く訪れます。一方で、駅周辺や中心部に飲食店が少なく、ワイナリーを目指す人や奈良井宿を目指す人の通過点となってしまっていることが地域全体の問題となっていました。

また、奈良井宿においても、国内外から多くの観光客が訪れる一方、その大半が街歩きメインでの滞在。宿泊施設や飲食店の数が限られていることもあり、「食」という点から奈良井宿の魅力をなかなか提案できていないことが地域の問題でもありました。

そこで今回のプロジェクトが目指したのは、奈良井宿を起点とし、木曽漆器・奈良井の曲物といった工芸と、山深い木曽地域に伝承される発酵食と、塩尻のワインを活用して、奈良井宿の豊かな食文化を一連となった食体験として提供することです。

豊かな地域資源がありながらも、それらがバラバラに点在している現状に対して、地域の魅力を一体として感じられる、地域資源をフル活用したペアリングメニューを開発し、地域全体で「食」の価値を発信していけることを目指します。

メニュー開発の強力なアドバイザーとしてお迎えしたのは、「食の外交官」ともいわれる公廷料理人として、日本食の伝統や地域文化と向き合い、地域の資源を「和食」としてアウトプットするプロフェッショナルである出張料理人の工藤英良シェフです。過去にパリ、カナダ、中国において公廷料理人としてグローバルに和食を提供し日本文化を踏まえた「おもてなし」に尽力されてきた経験や、岐阜県飛騨市の「食の大使」として地域独自の食の魅力向上やブランディングに取り組まれた経験があり、文化を踏まえ地域の工芸や歴史的建造物の雰囲気を用いた食の提供を行うことへの知見が豊富であることから、今回のプロジェクトのアドバイザーを依頼することとなりました。工藤シェフと地域の料理人が伴走しながら、「文化財」を切り口とした地域の食のアップデートに向けて検討を進めました。

奈良井を訪れた工藤シェフが様々な地域食材の中から注目したのが、木曽地方に古くから伝わる保存食「すんき」。すんきは、木曽地域の在来品種である赤カブの葉を、塩を一切使わずに植物性乳酸菌で発酵させた漬物で「すんき漬け」とも呼ばれて、地元では刻んで味噌汁に入れたり、鰹節と合わせたり、そばに乗せたりして食べられています。

深い山間にある木曽地域で塩がとても希少だった時代、塩を使わずに、厳しい冬の間も野菜を保存するための知恵として生まれた保存食でした。生きるための知恵として受け継がれ、どの家庭でも作られてきましたが、独特な酸味もあり、最近では地元の若い人にとってはあまりなじみのない食材ともなっていました。

その独特な癖のある味わいに引き込まれたという工藤シェフは「乳酸発酵させたすんきと、乳酸発酵させた樽熟シャルドネとのペアリングは、すんきの可能性を感じさせる素晴らしい組合せでした。木曽の食文化と塩尻のお酒が組み合わさることによって、新たな価値を見い出せると確信しました」と振り返ります。「すんきと白ワインが合う」という工藤シェフのアイデアをきっかけに、地域の料理人と一緒に、すんきを軸にしたワインに合うおつまみの開発が進みました。

工藤シェフとともにメニュー開発を行ったメンバーの一人、奈良井宿の宿「BYAKU -Narai-」のレストラン「嵓 kura」の料理長・友森隆司シェフは、こう話します。

「メニューを考える上で、なぜこの土地ですんきが生まれたのか、そしてなぜ今若い人にはあまりなじみがなくなってしまったのかとか、そういう背景を大事にしました。すんきは、冬の貧しい時期を過ごしていくために生まれた食材。すんきそばがあるのも、他に食材がなかったから。そういったバックグラウンドを考えると、すんきが主役だからといって、華やかに盛大に『かき揚げ』とか作るのは、そもそものすんきの在り方とかけ離れていてバランスが崩れてしまうなと。外の方が驚くメニューよりも、地域の方が『こんな使い方もできるのか。今度家でも漬けてみよう』ってすんきの良さに気づいてくれることが大事かなと思いました。だからこそ、誰でも作れる親しみやすいメニューになるように意識しました。」

「酸っぱくてちょっと苦手なもの」という先入観が無くなり、「食べやすいもの」という気づきが生まれることで、地域の人にとってもすんきがより身近なものになる。そのことが、地域の「食」の価値を向上させ、その魅力を外へと発信する原動力にもつながっていきます。この土地ならではの工夫から生まれた守るべき食文化を、特別なメニュー開発で盛り上げるのではなく、継続して地域に根ざして発展していけるメニューとして再構築する。

試行錯誤を経て完成したのは、4つのおつまみ。「すんきポテトサラダ」「漬物テリーヌ」「市田柿とクリームチーズとすんきの生ハムロール」「鯖缶タルタル」です。メニューの詳細は塩尻市観光ガイド時めぐり「伝統食の新しい提案ー木曽のすんきを活用したレシピー」をご覧ください

実証実験の第一弾として11月26日(日)・27日(月)の二日間、塩尻駅の駅前広場で、開発した4つのおつまみにそれぞれ塩尻ワインをペアリングし、木曽漆器に盛り付けて提供するイベントが開催されました。

毎年秋に、塩尻駅前に特設される芝生の上で塩尻ワインを味わえる屋外イベント「ワインテラス」とのコラボイベントとして開催された実証実験。「ワインテラス」を主宰する、塩尻駅構内のワインバー「アイマニ」のご協力をいただき、グラスワインを注文された方に、それぞれのワインに合わせたおつまみを、木曽漆器に盛り付けて提供しました。ワインはもちろん全て塩尻ワインです。

おつまみを盛り付けた木曽漆器は、「木曽漆器青年部が行う漆器の貸し出しサービス「かしだしっき」のワッパ皿。奈良井発祥の曲物の技術を使い、曲げわっぱのお弁当の蓋の部分を裏返したような形で日常に使いやすく、木の肌を残した木地にすり漆で仕上げた表面もナチュラルで暮らしになじみやすい印象です。

塩尻のワイナリー「ドメーヌ・スリエ」のすっきり清涼感のあるシャルドネ白ワインと合わせたのは「漬物テリーヌ」。すんき、赤カブの浅漬け、ワサビの葉、白瓜の粕漬けを白菜漬けで巻いて美しいテリーヌに仕上げた一品。様々な味わい、食感、香りの漬物が合わさった複雑な美味しさで、すんきがナチュラルになじみます。

つづいては塩尻で一番古い(※3)ワイナリー「五一わいん」のソーヴィニヨン・ブランの白ワインと合わせたのは「鯖缶タルタル」。すんきのつけ汁と卵と油で作った「すんきマヨネーズ」に、刻んだすんきと鰹節を加えてタルタルソースを作り、市販の鯖缶と合わせた一品。こっくり濃厚な鯖の味噌煮の旨さに、すんきの酸味が効いた爽やかでありながらコクのある仕上がりの「すんきタルタル」がぴったりはまります。

通常、すんきを絞った時に出る汁は切って捨てていたもの。その、すんきの旨みをたっぷり含んだ汁を「酢」の代わりに活用するというアイデアがメニュー開発の肝となりました。乳酸を含んだすんき汁特有のコクが、酢とは違うやわらかくまろやかな味わいを生み出すとともに、塩みも抑えられる。すんきが料理をマイルドな味わいに整えるとともに、乳酸の味わいとワインの相性が非常に良いということが、シェフたちにとっても大きな発見となりました。

3品目は、塩尻「井筒ワイン」の軽めの辛口赤ワイン、マスカット・ベリーAに合わせた「すんきポテトサラダ」。すんきマヨネーズで作ったポテトサラダの上に、さらにすんきで作ったドレッシングをかけたすんき尽くしの一品。ザクザクとした食感が楽しいすんきの酸味と、鰹節の旨み、すんきマヨネーズのコクが癖になる味わいです。

4品目は塩尻「サンサンワイナリー」の重めの赤ワイン、メルローと合わせた「市田柿とクリームチーズとすんきの生ハムロール」。生ハムとクリームチーズの塩味と、長野県の名産品である市田柿の優しい甘みと香りを、すんきの酸味がつなぎ、複雑な味わいのハーモニーが美味しい一品です。

会場には、今回提供されたメニューの紹介とともにレシピを紹介するウェブサイトへのQRコードが記載されたポップが用意され、その場でおつまみのレシピも知ることができる仕組み。実際に食べて美味しいと興味を持った人に「自分でも作ってみよう」と思ってもらうこと、地域の店舗の方が自由にアレンジして展開してもらえることを狙っています。土日の2日間で地元の方や観光客の方など50人以上がおつまみを試食し、評判は上々。「食べやすかった」「すんきはどこで買えるんですか?」とさっそくすんきに興味を持つ方もいました。

「今まですんきは地元の人でも若い世代にはなじみのない食材。扱うのも難しいイメージがあって、アレンジしてみようという発想もありませんでした。でも今回のおつまみはお客さんの評判も良くて美味しかったですし、レシピをアレンジしながらぜひお店でも使っていきたいなと思いました。奈良井宿と塩尻、それぞれの場所で活動している地域のプレイヤー同士が同じプロジェクトに取り組むこともこれまでなかなかできなかったこと。僕らが奈良井に行ったり、奈良井でやっている企画を塩尻に持ってきたり、一緒にプロジェクトをやれると、いろいろな可能性が広がるなと感じました」と、イベントに協力してくださった「アイマニ」のオーナー田中 暁氏。

新しいものをゼロから生み出すのではなく、もともとあった地域の資源を掘り起こし、地域に根ざし継続的に発展させていく今回のプロジェクト。今年は奈良井宿の宿「BYAKU -Narai-」でのおつまみのテスト提供ほか、塩尻のワイナリーでの提供も検討中です。誰もが知っているすんきという伝統食材が絶妙なバランスで他の食材と調和しマイルドなまとまりを作り出してくれるように、すんきを軸に、町並みも工芸もワインも、地域の持つ豊かな文化財が一連の体験としてまとまり、プロジェクトの具体的な取組について検討するための素地が整いました。長い冬のシーズンを迎える深い山間の木曽地域、今後の新たな取組についてじっくりコミュニケーションが始まるのはこれからです。

※1 「奈良井宿観光協会」
※2 「塩尻市観光ガイド時めぐり - 塩尻市のワイナリー」
※3 「五一わいん - ワイン醸造100年を越えて」


■開催概要
観光庁では、令和5年度「地域の資源を生かした宿泊業等の食の価値向上事業」において、 地域資源と地域食材の積極活用等により食の価値を高め、宿泊業の付加価値向上を進めると同時に、地域経済への裨益効果を増大させる取組のあり方について検証を実施いたしました。 
これにともない、本事業の取組内容を発表する事業成果報告会を開催することとなりました。 
観光産業関係者の皆様(宿泊事業者、自治体の観光部門担当者、DMO、観光協会、観光事業者)をはじめ、ご関心のあるすべての方のご参加をお待ちしております。
 
■日程
令和6年2月20日(火)15:00-17:00
■参加費
無料
■開催方式
オンライン(Zoom)

あたりまえの風景の中に見つけた地域の宝。4つのホテルから広げていく北海道・層雲峡温泉、上川そばの可能性

神々の遊ぶ庭、原始の雄大な自然に囲まれた層雲峡温泉ならではの「食」を求めて。

このプロジェクトは、令和5年度観光庁が実施する「地域の資源を生かした宿泊業等の食の価値向上事業」の実証事業の一環として、「ONESTORY」が事務局となり地域の方と協同して行う取組です。「温泉その他の地域観光資源」をテーマとする実証先として、北海道上川町の層雲峡温泉が選定されました。

層雲峡温泉は、北海道のほぼ中央、先住民であるアイヌの人々が「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」と呼んでいた原始の雄大な自然が広がる「大雪山国立公園」の中にあります。

日本最大級で約23万ヘクタールの広大な国立公園内には、今もなお活動を続ける活火山を含んだ2,000メートル級の山々が連なり、壮観な景色を作っています。その中の一つ、黒岳の麓にある層雲峡温泉では、大自然が織りなす四季折々の圧倒的な景観を間近に楽しむことができ、夏は登山、秋は美しい紅葉、冬はライトアップされた幻想的な氷のオブジェが立ち並ぶ「氷瀑祭り」を目指して多くの観光客が訪れます。

石狩川を挟み約24kmにわたり断崖絶壁が続く渓谷に大型のホテルが集まり、北海道有数の温泉地として昔から団体のツアー客をはじめ多くの観光客を迎え入れてきた層雲峡温泉。いまも北海道内、道外からの観光客のほか、海外からも多くの人が訪れています。

季節ごと、ここでしか出会うことのできない景観を求め多くの観光客が訪れる一方、紅葉が終わる11月ごろから、「氷瀑祭り」が始まる1月末までの間は閑散期で、年間を通しての集客に大きく波があり閑散期の来訪目的となるようなコンテンツ開発が求められていました。

そのような地域の課題に対して、「層雲峡観光協会」を中心に層雲峡温泉の複数の宿泊施設が連携をとり、「温泉×食」という切り口で、紅葉や氷瀑祭りなどのイベント時に限らずに「食」においても旅の目的地となることを目指し、新たな取組をスタートしました。

外からの視点で再発見する、埋もれていた地域食材。

昔から団体客を多く迎え入れてきた層雲峡温泉では、部屋数が200以上という大型のホテルも多く、食事スタイルはビュッフェが中心です。100種類以上のメニューが並んだり、オープンスタイルのキッチンで出来立ての料理を提供したり、それぞれのホテルが独自に趣向を凝らしたビュッフェメニューを展開。北海道産の食材を使うメニューは各ホテルが特に力を入れており、宿泊客からの満足度が高い部分でもあります。

しかし、層雲峡温泉ならではのキーとなるメニューがなく、道内の他地域と「食」における差別化ができていないこと、「食」を目的とした集客が行えていないことが地域全体としての問題になっていました。

温泉地らしいビュッフェスタイルを生かしたキーディッシュを開発し、温泉街一体で提供することで、イベントのないシーズンにも年間を通じて“層雲峡ならではの食”を目的にこの場所を訪れる人々が継続的に増えること、そして、それによって地域全体の経済効果も高めることが本プロジェクトの目標です。

メニュー開発の心強いアドバイザーとしてお迎えしたのは、管理栄養士、食生活アドバイザー、アンチエイジング料理スペシャリスト、東京・赤坂のレストラン「ルリール」オーナーシェフ、「ちさこ食堂」での商品開発など多岐にわたり活躍する食のプロフェッショナル・知佐子氏。これまでに、アイヌの食文化にも通ずる「発酵と熟成」をテーマとしたレストラン「GINZA 豉 KUKI」のプロデュースや、徳島県の新祖谷温泉にて郷土料理をアレンジした会席料理コースのプロデュースを行うなど、食材や料理についての幅広い知見を持ち、素材を生かした調理アレンジやメニュー開発の経験が豊富であることから、今回のプロジェクトのアドバイザーを依頼することとなりました。堀氏と地域のメンバーが集まり、地域食材の洗い出しを行うところからプロジェクトは始まりました。

堀氏とのディスカッションを通じてメンバーが注目した地域食材は「そば」です。

北海道は実は、日本全国の作付面積の4割弱を占める国内最大のそば生産地(※1)。中でも道北エリアでの生産が盛んで、上川町もその一つ。旭川空港から層雲峡温泉へと向かう道中にはそば畑が広がり、地域メンバーにとってもそば畑のある風景は、幼少期から見慣れた景色でもありました。しかし、それゆえにそばを特別なものとして見たことがなかったと「層雲峡観光協会」の岩本昌樹氏は振り返ります。主に出荷用に生産されていたということもあり、地元産のそばの存在は皆が知っているものの、これまであまり意識されてこなかった食材でした。

堀氏が地域に入り外からの視点によって再発見された、埋もれていた上川の名産品。上川産のそばをキーにしたメニュー開発へと一気にプロジェクトは動き出しました。

上川産そば粉と層雲峡の清らかな水で作る十割そば。

これまでも各ホテルのビュッフェでは、数あるメニューの一つとして北海道産そばはおなじみでしたが、宿泊客からの評判は賛否両論。茹でたてのタイミングで食べた方からは高評価があったものの、時間が経つと乾燥して味が落ちてしまい低評価になることもあったといいます。そこで堀氏が提案したのが、緻密な製粉技術でそば粉100%使用した「そば玉」を作るというアイデア。

地元で採れた上川産のそばを高度な製粉技術で微細分化してそば粉に加工、層雲峡の大雪山系伏流水と合わせてそば玉を作り、そのそば玉を手動式の製麺機に入れて十割そばに仕上げます。そば玉にすることにより鮮度が維持しやすくなるとともに、製麺したての状態で茹でるので出来立てを提供しやすく、また手動で製麺を行うのもエンターテイメント性が高くビュッフェに向きます。

手動式の製麺器として使うのは、お菓子のモンブランを作る際に使ういわゆる「モンブランマシン」。10cmほどの大きさのそば玉を製麺機に通すと、お椀に約一杯分のそばがすぐに製麺されます。つなぎを使わずそば粉と水だけで作る分、ぼそぼそしたり切れてしまうこともある十割そばですが、高度な製粉技術によって加工した上川産そば粉100%のそば玉で作る十割そばは、切れることなく滑らかな仕上がり。

「上川産の十割そばをビュッフェで提供できるのはすごく可能性を感じます。モンブランマシンを使うことで、そばの麺の太さを変えられるのも特徴が出せてメニューの幅が広がります」と各ホテルの料理長も手応えを感じている様子。

単にそばをメニュー化するのではなく、温泉地ならではのビュッフェスタイルの食体験として印象付けるということは、メンバーが特に意識したことでもありました。

さらに今回こだわったのが「つけ汁」です。「層雲峡観光協会」の呼びかけによりプロジェクトに参加することとなったホテル大雪」層雲閣」朝陽亭」朝陽リゾートホテル」の各料理長が主体となり、ホテルオリジナルのつけ汁を開発。

層雲峡温泉にあるホテルはそれぞれに個性があり、訪れる観光客の層も少しずつ異なります。インバウンドのツアー客を多く迎え入れるホテルや、ファミリー層が多いホテル、50-60代のご夫婦が多いホテルなどさまざま。それぞれのホテルが、個性を生かしたオリジナルのつけ汁を考案し、上川産そばの可能性を広げていきます。

地元の人が自信を持って美味しいと思う、地域に愛される「食」を目指す。

12月1日(金)、プロジェクトの第一弾となる実証実験として、地域内の関係者などが集まり、今回開発したそばの実演と各ホテルのつけ汁をお披露目する試食会が開催されました。

モンブランマシンを使って目の前で製麺される上川そばに、参加者のみなさんも興味津々。40秒という短い時間であっという間に茹で上がるのも魅力です。茹でたてのそばとともに、各ホテルのつけ汁を試食します。

ホテル大雪からは温かい「酸辛湯スープ」と、冷たい「肉蕎麦(豚肉トッピング)」の2種類のつけ汁。酢と醤油と塩をベースに鶏ガラで出汁をとったとろみのある「酸辛湯スープ」がそばとよく絡み、そば×中華のハーモニーが面白い一品。ニラと豚肉をトッピングしたピリ辛の冷たい「肉蕎麦」スープは細麺との相性が良く食欲をそそります。

層雲閣からは温かい「かも南蛮」。旨みたっぷりの出汁にゴロリと鴨肉をトッピングさせた温かいつけ汁と、しっかりコシのある十割そばがよく合います。

「朝陽亭」のつけ汁は温かな「エゾシカ肉入り紅葉けんちん蕎麦」。地場産の野菜と北海道産のエゾシカのバラ肉を甘めに炊いた、具沢山のけんちん汁。北海道産メニューに力を入れている朝陽亭ならではの提案です。

「朝陽リゾートホテル」のつけ汁は「煎りおからトッピング塩だれで食べる雪見蕎麦」。利尻昆布でとった出汁のきいたつゆでさっぱりといただけるつけ汁は朝ごはんを意識したメニュー。数種類のトッピングをお好みで加えていただきます。

地域のみなさんや各ホテルの料理長がざっくばらんに話しながら、つけ汁と茹でたての上川そばを試食。「おいしい!」「これが一番好き」「温かいつけ汁には太麺が合うね」など意見が飛び交う賑やかな試食会となりました。

12月6日(水)から各ホテルでの提供が始まることに先駆けて、集まったホテルの皆さんがモンブランマシンでの製麺をどのようなオペレーションで行うかなどを話し合うシーンも。30分に1回、お客様の席にワゴンサービスでモンブランマシンを使った製麺を実演するアイデアなど、具体的なアイデアが交わされていました。

これまでホテルのオーナー同士の交流はあったものの、料理人の方まで含めて一同に集まるという機会はなかなか実現してこなかったとのこと。このプロジェクトをきっかけに、初めて実現した「食」におけるホテル同士の連携。以前よりもスムーズにディスカッションが行われるようになったことで、同じ目的に向かって地域一体での取組も、より動きやすくなっていきます。

会場となったホテル大雪西野目晃正常務は「今回のプロジェクトをきっかけに埋もれていたそばの価値を再発見し、地域が一体となって取組を始めることができた。そば以外にも上川・層雲峡温泉ならではの素材がまだまだあるはず。これからも地域の魅力を広げていきたい」と今回の試食会を締めくくりました。

麺の太さとつけ汁の相性、上川産の素材を活用したつけ汁のバリエーションやトッピング、ホテル同士を行き来してつけ汁を味わえる仕組みや、お土産の物販など、今後も地域一体での様々な展開の可能性が広がりそうな上川そば。なぜこの町にそばがあるのか。そもそもの地域食材の歴史を紐解きながら、その魅力をさらに深掘りし、上川そばブランドをじっくりと醸成していくのはこれから。

「大切なのは私たち自身が自信を持って美味しいと思うこと。インナーマーケティングが大事であると思っています。層雲峡温泉で働く私たちが、上川の町のひとが、みんなが好きになるものだからこそ外に向かって発信をしていけるし、地域の食の価値としても高まっていきます。まずは時間がかかっても、その思いを醸成していき、地域に愛される食を作っていきたい」と、「層雲峡観光協会」の西野目智弘理事はシビックプライドの大切さを強調します。
外からの視点をきっかけに再発見された、地域の方自身が気づいていなかったその土地の魅力。その魅力を一層輝かせ、広げていくのは地域の中からの力です。

層雲峡温泉という大きな地域資源をベースに、地域が一体となり「温泉地×食」を切り口とした「食」の価値向上を検討していくプロジェクトはまだ始まったばかり。それぞれに個性的な地域のホテルが連携を深めていくことで、層雲峡温泉ならではの「食」はより深掘りされるとともに、地域全体としての食体験の豊かさや経済効果も向上し、ますます多様に彩られていくのではないでしょうか。

※1 「農林水産省 - 令和元年度産 耕地面積・主要農作物市町村ランキング」


■開催概要
観光庁では、令和5年度「地域の資源を生かした宿泊業等の食の価値向上事業」において、 地域資源と地域食材の積極活用等により食の価値を高め、宿泊業の付加価値向上を進めると同時に、地域経済への裨益効果を増大させる取組のあり方について検証を実施いたしました。 
これにともない、本事業の取組内容を発表する事業成果報告会を開催することとなりました。 
観光産業関係者の皆様(宿泊事業者、自治体の観光部門担当者、DMO、観光協会、観光事業者)をはじめ、ご関心のあるすべての方のご参加をお待ちしております。
 
■日程
令和6年2月20日(火)15:00-17:00
■参加費
無料
■開催方式
オンライン(Zoom)

伝統製法「灰干し」が広げる地域の新たな「食」。和歌山県・和歌の浦で目指す記憶に残る絶景ロケーションダイニング

万葉の頃より愛される景勝地、和歌の浦の絶景を舞台に始まった「食」プロジェクト。

このプロジェクトは、令和5年度観光庁が実施する「地域の資源を生かした宿泊業等の食の価値向上事業」の実証事業の一環として、「ONESTORY」が事務局となり地域の方と協同して行う取組です。食の価値向上を目指すにあたり「文化財」「自然の風景地」「温泉その他の地域の観光資源」という3つの地域資源に焦点を当て実証先を検討し、「自然の風景地」をテーマとする実証先として、和歌山県和歌の浦地域が選定されました。

和歌の浦は、古くから和歌の聖地として和歌の神様が祀られ、多くの歌人たちがその美しさを詠ってきた由緒ある景勝地です。大阪から車や電車で1時間半ほど、今でも、穏やかな和歌山湾が目の前に広がる大パノラマの絶景に出会うことができます。平成29年には「絶景の宝庫 和歌の浦〜詠い継がれる、美しき風景として、文化庁が認定する「日本遺産」にも登録されました。

2023年夏、古来より人々の心を動かしてきた和歌の浦の絶景という資源を最大限に生かし、ダイナミックな地形が生み出す景観と地域の食を掛け合わせた、地域一体となるロケーションダイニングを開発するプロジェクトが立ち上がりました。

「和歌浦温泉 萬波MANPA RESORT」代表の坂口宗徳氏を中心に、和歌の浦観光協会、和歌浦漁業協同組合、地域の宿泊施設や飲食店が連携し、目指したのは新たな“和歌の浦ならでは”の食体験、この場所でしか出会うことのできないロケーションダイニングです。

おなじみの地域食材と伝統製法「灰干し」の掛け合わせが拓く、和歌の浦の新しい「食」。

和歌の浦地域は、雑賀崎漁港、和歌浦漁港、田ノ浦漁港という3つの漁港があり、地元では紀州「足赤えび」と呼ばれる希少な「クマエビ」のほか、「和歌しらす」の名で親しまれる和歌の浦で獲れるしらす、雑賀崎漁港名物の鱧や、高級魚のクエなど、地元で水揚げされる新鮮な魚介が豊富です。

漁港から直送される獲れたての新鮮な魚介はお造りなどで提供されることが多く、それはもちろん絶品で和歌の浦の誇る味でもあります。魅力的な旬の食材が豊富にあり、それらを生かしたメニューもあるものの、この地域ならではの「食体験」としての提案ができていないこと、そして、和歌の浦を代表する名物料理として際立ったキーディッシュがないことが、地域の抱える課題でありました。

こうした課題に対して、「絶景×食」という切り口で、食を楽しむシチュエーションも含めた体験的な価値として、“和歌の浦ならでは”の食を探るのが本プロジェクトの目標でした。

メンバーの話し合いの中で、和歌の浦の絶景と「屋外」での調理や食体験は親和性が高く、特にバーベキューのような火を使った調理は和歌の浦のロケーションを生かした工夫をさまざま考えられるのではないかと、「屋外」での取組への可能性が検討されていました。そこで一般的なバーベキューではなく、素材を引き立たせる火入れ技術である薪火・熾火調理に注目し、そのエキスパートである横浜の薪火ダイニング「SMOKE DOOR」に今回のプロジェクトのアドバイザーを依頼することとなりました。ロケーションを生かした調理ができ、さらにそれが素材の良さを引き立てる技術であることが和歌の浦地域の目指す方向性と非常に相性が良く、メニュー開発だけでなく調理技術についてもプロのレクチャーを受けることで、地域に新たな技が根付くことが期待されました。こうした経緯でタッグを組むこととなった「SMOKE DOOR」代表の雨宮 龍氏、シェフのタイラー・バージス氏、小出 浩史氏の強力なサポートのもと、地元の料理人たちとともに新たな“和歌の浦ならでは”のメニュー開発が進められました。

地元の方の協力により地域食材の洗い出しが行われ、それらの食材をより深く知るために「SMOKE DOOR」チームはさまざまな生産者のもとを訪れました。その中で特に注目したのが、地域に伝わる「灰干し」の製法です。和歌の浦に60年以上続く「灰干乾燥製法」による水産物の加工業者「西出水産」を訪れ、その工程を視察した際に大きな可能性を感じたといいます。

灰干しとは、高い吸湿性を持つ火山灰の中で魚を乾燥させる技法のこと。水分を通す特殊なセロファンで魚を包み、灰の中で空気と紫外線に触れさせずに水分を抜いていくため、魚を酸化させずに旨みと良質な脂を閉じ込めた鮮度の高い干物に仕上がります。和歌山県では江戸時代、紀州でさんま漁が盛んだったことから、古くからさんまは地域の食材として根付いており、いまでも「灰干しさんま」が特に親しまれています。そのほかにもアジ、鯖、鯛などいろいろな魚介の灰干し干物があり、地元でもなじみの深い食材です。天日干しされた干物と比べて、焼くと身がふっくらとやわらかく凝縮された良質の脂と旨みが口の中に広がります。

この、地元の人にとってはなじみ深く昔から大切に継承されてきた製法が、新たな和歌の浦の食を考えるキーとなりました。これまでは魚介を扱う技として発展してきた製法ですが、「SMOKE DOOR」チームが発案したのはその製法を肉で実践するというアイデアでした。
「西出水産さんからセロファンと火山灰を提供いただいて、灰の中に入れる時間などいろいろ試行錯誤を繰り返してみたのですが、予想以上の仕上がりになり驚きました。素材のみずみずしさを残したまま熟成を行うことができるので、焼き上げた時に表面はカリカリッと中はジューシーに、お肉の色もキレイに、まさに理想的な完璧な仕上がりでした。全国的に見ても灰干しのお肉を作っているところはあまりないので、これは“和歌の浦ならでは”のメニューになりうるのではないかと可能性を感じました」と「SMOKE DOOR」の雨宮氏は評価しました。

「こんな考え方もあるのかと勉強になった」と和歌の浦のホテルの料理長が振り返るように、“灰干し×肉”という組み合わせは、地域の方にとっても新鮮な視点でした。まだまだ考えられることがある、地元食材と改めて向き合い新しい価値を引き出していこうと、みなさんも大いに刺激を受けたといいます。さらに、和歌の浦の名産でもある高級魚クエを灰干しにしたことも今回の挑戦のひとつです。シェフたちと「西出水産」との協同により、干物を作る時よりも短めの時間で灰干ししたクエを使った一品も開発されました。

地域に元からある食材と製法を、これまでとは視点を変えて掛け合わせることによって、新しい地域の可能性が広がっていく。シェフの斬新な発想で、メニュー開発は加速しました。

記憶に残る食体験を。この場所で味わうからこその価値。

去る11月15日(水)17時30分より、美しい夕陽に照らされた和歌の浦の浜辺で、地域の関係者を招いて絶景ロケーションでのコースディナーをモニター体験する実証実験が行われました。
和歌の浦の海を一望できる高台に建つ「和歌浦温泉 萬波 MANPA RESORT」が旗を振り、建物横の県有地となっている蓬莱ビーチを会場にコーディネート。まずはロビーに和歌の浦地域の宿泊施設や飲食店、漁業関係者など30名ほどが集まりました。

1品目は「足赤エビのトースト」です。「足赤エビ」は正式には「クマエビ」と呼ばれる和歌の浦の名産品で、プリプリとした柔らかな身と甘みが特徴です。サクサク、ジュワ、プリプリ、ねっとり、さまざまな食感が口の中に広がります。足赤えびのトーストに合わせて選ばれたのが、和歌山の蔵元「平和酒造」の「紀土」です。地域の酒と食のペアリングを楽しむこともこのロケーションダイニングの狙いです。

その後、蓬莱ビーチにセッティングされたメイン会場へ移動します。静かな浜辺に焚き火のはぜる音が心地よく響くロケーションで、夕方から夜へと刻々と表情を変える和歌の浦の美しい風景も一緒に味わうダイニングがスタートしました。

2品目の、「梅素麺と灰干しクエ」は、和歌山名産の紀州梅が練り込まれたピンク色の梅素麺と、生食用に軽めに灰干ししたクエを合わせた一品です。梅の酸味がきいた素麺のさっぱりした味わいに、ほのかな塩味と甘みを感じるクエの美味しさが重なりあい美味しさが広がります。こちらのメニューに合わせたのがオリジナルのレモンサワー。15時間かけて香りづけしたスモーキーな木の香りが鼻に抜け、引き締まった灰干しクエの風味とぴったりのマリアージュが楽しめます。

3品目は「布引大根のサラダ 胡瓜、山椒、金山寺味噌」。江戸時代より続く大根の名産地である和歌の浦の布引地域で採れた大根を、生のまま、薪で焼いたもの、1週間薪の上で燻したものの3種類のかたちでサラダにした一皿です。パリパリとした食感や、スモーキーな香り、やわらかな歯応え、大根のさまざまな魅力が引き出されます。サラダに合わせるのはクラフトビール。1品目に合わせた地酒「紀土」を製造する蔵元「平和酒造」による「平和クラフト」のホワイトエール。2022年には、「World Beer Cup」で金賞に輝き世界一にもなったクラフトビールです。

4品目は「アワビの地中焼き、肝のソース」。砂浜に掘った穴の中に昆布締めしたアワビを詰め、その上に載せた鉄板の上で焚き火を燃やし、2時間蒸し焼きにして仕上げました。会場の焚き火の下で、エンターテイメント性を持たせながらメインディッシュが調理できるという工夫は、砂浜を会場にしたロケーションならではの演出です。砂浜から、しかも焚き火の下から、アワビが取り出される様子にゲストのみなさんも興味津々でした。蒸し焼きにしたアワビに濃厚な肝のソースがかかり、磯の香りとアワビの旨みを凝縮した贅沢なメニューにペアリングされたのは熱燗です。夜になり気温も下がってきた浜辺でいただくアワビと熱燗の相性は、言うまでもありません。

つづく5品目は、「灰干しにした紀州和華牛の熾火焼き、梅山椒、山葵、赤柚子胡椒」です。12時間灰干しした和歌の浦の和華牛を熾火焼きで火入れし、表面をカリッと中をジューシーに焼き上げたもの。熾火焼きとは、「SMOKE DOOR」チームが得意とする調理方法で、直火で焼き上げるのではなく、薪を焚いて作った炭の熾火を使い、うちわであおぎ温度調節をしながら火入れをしていく技です。カリカリの表面と、灰干しして乾燥熟成させた牛の旨みと脂がぎゅっと凝縮された柔らかな身のコントラストが格別な美味しさを引き出します。「和歌山湯浅ワイナリー」の赤ワイン「和 メルロー木樽 2022」をペアリングしました。

6品目は、「薪焼きシラス丼、鶏出汁」。和歌の浦名産のシラスを豪快に薪火焼きした香ばしくウッディーな香りのシラス丼は新鮮な味わいです。お好みで鶏の身から丸ごととった濃厚なお出汁をかけていただきます。

7品目はデザート「温州みかんプリン 柿」です。和歌山県はみかん、柿ともに生産量全国一位を誇ります(※1)。旬の果物のデザートでディナーは締めくくりとなりました。

和歌の浦が誇る食材を新鮮な視点で新たに捉え直すメニューと、和歌山のお酒のペアリングしたコースは、地域が育んできた様々な資源の魅力を再発見する食体験の提案となり、地元の方たちも一皿ごと新鮮な驚きを感じた様子でした。使われている食材やお酒について、テーブルの上での会話も弾みました。

和歌の浦湾をバックに夜の砂浜で行われたロケーションダイニングは、静かな波の音と薪のはぜる音を聞きながら、和歌の浦の新しい食体験を提案する試みとなりました。

「とても手応えを感じています。今日がはじまりとして、ひきつづき皆さんと一緒に継続して事業をブラッシュアップできればと思っています」と、プロジェクトを主導する「MANPA」代表の坂口宗徳氏は意欲を語ります。

1月18日(木)はこの日の参加者の方や地域の飲食店や宿泊施設の方が集まり、レシピ講習会が開催され、実際の作り方や食材の加工などをSMORK DOORチームに質問しながら、理解を深めていました。

和歌の浦のプロジェクトはまだ始まったばかり。今回行われたロケーションダイニングで提案されたエッセンスをヒントに、それぞれの施設が主体となり、独自のダイニングやメニューを企画・実践していくことが次なるフェーズです。

この日に提案された7品の料理と食体験を元に、たとえばアワビのソースをヒントにオリジナルのメニューを開発したり、灰干しを使った料理を展開したり、浜辺で行う地中焼きを別の素材に発展させたり……、今回の実証実験をきっかけに、オリジナリティ溢れる新たな和歌の浦の味、ロケーションダイニングが各所から生まれていくことが期待されます。

※1 「和歌山県 - 果実収穫量の全国順位一覧」


■開催概要
観光庁では、令和5年度「地域の資源を生かした宿泊業等の食の価値向上事業」において、 地域資源と地域食材の積極活用等により食の価値を高め、宿泊業の付加価値向上を進めると同時に、地域経済への裨益効果を増大させる取組のあり方について検証を実施いたしました。 
これにともない、本事業の取組内容を発表する事業成果報告会を開催することとなりました。 
観光産業関係者の皆様(宿泊事業者、自治体の観光部門担当者、DMO、観光協会、観光事業者)をはじめ、ご関心のあるすべての方のご参加をお待ちしております。
 
■日程
令和6年2月20日(火)15:00-17:00
■参加費
無料
■開催方式
オンライン(Zoom)

命を「いただく」意味を考え抜き探し求めること。そこに精進料理の本質がある。[DINING OUT HIEIZAN/滋賀県大津市]

仏教について意見を交わし交流を深めてきた「比叡山金台院」住職・礒村良定氏(右)と翻訳家・ピーター・J・マクミラン氏(左)。

DINING OUT HIEIZAN「比叡山金台院」住職・礒村良定、翻訳家・ピーター・J・マクミランの対話から見えたそれぞれの答え。

「少し疲れが溜まっていたのですが、驚くことに小林さんの料理をいただくとそれが回復したのです」。

「ヴィラ アイーダ」小林寛司氏の料理哲学である「僕の料理を食べてくれる人が健やかでいて欲しい」を聞くと、今回、「ダイニングアウト比叡山」の翻訳を務めたピーター・J・マクミラン氏は感慨深げにそう呟きました。

医学的根拠はないものの、小林氏の料理は、心身に染み渡る何かがあるのかもしれません。

普段は寺社仏閣と縁が遠く、恐らく仏教に馴染みのない外国人ゲストが多く参加した2回目の「ダイニングアウト比叡山」。「仏教施設を初めて訪れる方もいらっしゃるかもしれません。そういった方にも少しでも理解の一助となるように、専門用語は極力使わず、基本的なことからお伝えするよう努めました」と「比叡山金台院」住職・礒村良定氏は言います。

さらに、万全の態勢を整えるために礒村氏と協力するのは、前述、かねてから親交のあるピーター氏。母国・アイルランドで哲学を修め、「万葉集」など和歌や日本の古典文学にも精通し、「比叡山」の歴史や仏教の教えにも造詣が深い人物です。

日本の伝統文化への深い知識と理解、リスペクトが根底にあることが伝わるピーター氏の言葉は、時に外国人としての視点にも寄り添い、礒村氏の解説を絶妙に補足します。結果的には、日本人ゲストにとっても「何となくわかるけれど、正確には理解しきれない」仏教の知見を深める貴重な体験となりました。

「日本人が食事の前に口にする”いただきます”という言葉。これは仏教に基づく宗教行為ですが、”特定の宗教を持たない”と自認している日本人の生活習慣に根付いている現象は興味深いです」とピーター氏。

礒村氏によると、「いただきます」とは「あなたの命を私の命に変えさせていただきます」という意味の短縮語。食事を摂ることで心身を維持するという、自分の使命を果たすための修行のひとつです。

仏教の観点からいうと、教えに基づき植物性の食材だけで調える精進料理は修行のひとつですが、外国人の目線に立つと、「今世界中で注目されているプラントベースの料理である」とピーター氏は言います。

「AIが予測したモデルによると、2024年から世界的にプラントベースへの移行が始まり、2075年までに世界中のほぼすべての人口がヴィーガンになるそうです。日本料理はかつお出汁を使うものもたくさんあるため、プラントベースとはかけ離れていると日本人でも思っている人もいますし、外国人も日本ではヴィーガン料理を見つけるのは難しいと思っている場合も多いです。ところが、日本には世界でプラントベースがトレンドになる1200年以上も前から、脈々と受け継がれてきた精進料理があります。小林氏が創りあげたような感動するほど美味しい精進料理は、これから世界に貢献するコンテンツになるでしょう」と、持論を述べます。

そんなピーター氏の言葉を聞き、「小林氏が精進料理の新しい可能性を開拓してくれた」と言うのは礒村氏です。

「本来の仏様の教えでは、肉や魚を食べてはならぬと禁止されてはいらっしゃらないのです。自分が暮らす土地がもたらす恵みを最低限だけありがたくいただき、あますところなく自身の身体に取り込み、その生命で各自の使命をまっとうするというのが本懐です。仏教の”殺生を禁ずる”という教えが”万物に神が宿る”という日本人独特の宗教観と融合して、現在の戒律ができました」。

食事という行為を修行のひとつとして捉える僧侶は、自身の食事には美味しさを求めないと礒村氏は言います。

「自身が美味しいものを食べたいという欲に流されないことも修行のひとつです。どうやって美味しく食べるかを考えるより、どういただけば生命をもっとも大切にしたことになるかを毎日考えること自体が修行です」。

一方、毎日、最澄様にお供えする食事は、限られた食材を使い切りながらも、可能な限り美味しく作って差し上げたいと自身の持ちうる限りのクリエイティビティを発揮します。これもまた修行のひとつ。これは、自分が美味しさを楽しみたいという利己的な考えではなく、食事を差し上げる方を最大限におもてなししたいという利他的な考えによるものといって良いでしょう。つまり、これもまた、修行。

「例えば私たちが椎茸を手に入れることができたら、まず乾燥させて出汁を取り、その出汁ガラを料理していただきます。今回のメニューの中にも椎茸を使用した料理があったのですが、同じ食材でも小林氏の手にかかるとこうも変わるのかと驚きました」と礒村氏が話したのは、生の椎茸の玄米寿司「薬菜」。

人それぞれが自分の中心に、自身の中に仏様を見い出すための宝石のような種を持っている。それが「一隅を照らす」という考え方。そうであるならば、食事もまたそれぞれが向き合って考え抜いたその先にそれぞれの答えがあってよいのかもしれません。

戒律に従い日々自己と向き合うのが礒村氏の精進料理。

「食べ手の心身を健康的に整えたい」という自然と融合した利他的な料理が、小林氏の精進料理。

そして、仏教の教えや精進料理を十分に理解しながらも「プラントベースを中心に、肉や魚を少量だけいただく”フレキシタリアン”という柔軟な食事を選択している」というマクミラン氏。

「それぞれの食事に、正解も不正解もありません。これが”一隅を照らす”ということです」と礒村氏は総括します。

生命をいただくことの感謝。それは、食材が生きてきた時間や育成から料理に関わるすべての人たちの時間=人生をいただくことでもあるのです。

小林氏の精進料理はもちろん、「滋賀院門跡」、「浄土院」、「根本中堂」、「日吉大社」、「式包丁」など、全ての体験が「ダイニングアウト比叡山」。まだまだその魅力は尽きません。

礒村氏が未来に繋がる精進料理の可能性を感じたという「ヴィラ アイーダ」小林寛司氏の「一隅を照らす」精進料理のひとつ、椎茸の玄米寿司「薬菜」。

主催:比叡山観光再始動協議会
企画・プロデュース:ONESTORY

旅行企画:第一観光

特別協力:天台宗総本山 比叡山延暦寺
協 力:宇佐国東半島を巡る会・文殊仙寺、小嶋商店、中村ローソク、日本航空、日本庖丁道清和四條流、日吉大社


Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHIFUMI ETO

滋賀の食文化の先には、必ず「比叡山」があった。「ひさご寿し」川西豪志が極める「式庖丁」。[DINING OUT HIEIZAN/滋賀県大津市]

神が降臨したような気配さえ感じさせる気迫に満ちた神前の儀式「式庖丁」を披露してくれたひさご寿し」川西豪志氏。

DINING OUT HIEIZAN命と向き合い、聖なるものとつながる、もうひとつの精進料理。

自身の心臓の音すら体内から聞こえるほど、静寂な世界。風や葉の音を除けば、無音。唯一響き渡るのは、刃音。

冬の陽光を映し輝く刀が迷いなく振り下ろされると、その切っ先から溢れる静かな気迫が周囲を圧し、日吉大社「宇佐宮」拝殿は水を打ったように静まり返りました。伝統装束に身を包み、神前で聖なる儀式「式庖丁」を披露したのは、滋賀県近江八幡市「ひさご寿し」料理長の川西豪志氏。寿司職人として、琵琶湖のほとりで寿司を握る意義を問い、滋賀の食文化を掘り下げ、琵琶湖の湖魚と淡水魚を研究し続ける人物です。

「世界において寿司は日本の食文化の象徴のひとつです。私は寿司屋ですから、寿司を通して日本の食文化を若い世代や海外の人たちに伝えたいと考えました。美味しい寿司をお出しする寿司屋は全国にたくさんあると思いますが、それをこの地で私がやっても意味がありません。湖の恵みを受けるこの土地で寿司屋を営む意味、美味しさの先にあるものは何なのか。それを寿司としてどう表現するのか。発信することの難しさに直面していた時に、まさにアウトプットの場としてふさわしい「ダイニングアウト比叡山」とのご縁をいただきました」。

川西氏の哲学は、「ダイニングアウト比叡山」に限らず、「ダイニングアウト」が大事にしていることにも通じています。それは、「食体験」ではなく、「文化体験」であるということです。

一般的に寿司種としてはあまり使われない淡水魚を寿司に落とし込んだ集大成が、1日目のランチとして「滋賀院門跡」で供された「湖魚にぎり8種」です。例えば、琵琶湖だけに生息する固有種の「岩床鯰(イワトコナマズ)」は、新鮮な切り身を握り、煎り酒(日本酒と梅干しを煮込んだ日本最古の調味料)に浸した粒辛子を添えます。同じく琵琶湖固有種の淡水貝「丸だふ貝」は、日本酒・みりん・塩で軽く煮てから握り、醤油とみりんを煮詰めて葛でとろみをつけたタレを塗り、生姜を添えました。

その寿司は、鮮度の良い魚を切りつけて食べさせる、いわゆる「漁港寿司」とは別もの。言わずもがな、一貫ずつに丁寧な仕事が施されていますが、その仕事が寿司の域を超え、一貫の寿司が完成された料理として考え抜かれて構築されていました。

「一つひとつを料理として仕上げて、8貫を組み合わせることで琵琶湖を表現する。「ダイニングアウト比叡山」に挑戦をしたことで、淡水魚をより美味しく調理する技術を高め、自身も成長することができたと思います」。

寿司を構成するのにもうひとつ欠かせない要素が米=シャリです。「ひさご寿し」が伝統的に使ってきたのが、2年間16℃の定温熟成させた滋賀県産「近江米日本晴」の古古米。米についても知見を深めたいと学んでいくと、その歴史は「比叡山」とクロスオーバーしていました。

「米が貨幣としての価値を持っていた江戸時代までの中近世、今で言う「日本銀行(日本の中央銀行)」のような役割を担っていたのが「比叡山 延暦寺」でした。滋賀県は「比叡山」のお膝元。日本料理人として食文化を掘り下げていくと、「比叡山」にたどり着かずにはいられなかったのです」。

20代のころは、少しでも技術を高めて美味しい料理をつくりたいと、目の前の仕事をがむしゃらに取り組んでいたという川西氏。目の前の湖で揚がる魚をきっかけに、川や山の生態系、自然のサイクルから生まれた自然崇拝へと思いは繋がり、まるで導かれるように自然と「比叡山」へと縁が結ばれました。その縁の先にあったのが「式庖丁」との出合い。「自分の中ではゆるやかな流れの中で「式庖丁」へと繋がっていったと感じています」と話すも、これは必然の結実。

精進は、仏道修行のために厳しい戒律が定められていますが、仏陀の教えは「生命を繋ぐために最低限の食物をあますところなくすべていただく」こと。淡水魚である鯉を儀式として神前に捧げます。

人はもちろん、食材にも命があります。その命は、木や花などにおいても、平等に与えられています。

川西氏にとっては、「湖魚にぎり」もまた、聖なるものと繋がる精進なのです。

昼食会場は、川西氏が生まれ育った「滋賀県」の名前の由来ともいわれている「滋賀院門跡」。

琵琶湖の恵みを寿司に落とし込んだ「湖魚にぎり」全8貫。後列左から、岩床鯰(イワトコナマズ)、丸だふ貝、琵琶鱒白子、中列左から、公魚(ワカサギ)、本諸子(ホンモロコ)、前列左から、琵琶鱒(ビワマス)、鰻(ウナギ)、真近(マヂカ)。とりわけ白子は、外国人ゲストは初めて口にした人も多かった。

それぞれの文化風習をバックグラウンドに持つグローバルなゲストたち。各自の文化に照らし合わせながら湖魚を口にするうちに少しずつ打ち解けて空気がほどけていった。

昼食時には日本料理人としての顔を見せた川西氏。「琵琶湖の面積は地球規模から見たら極めて小さいものですが、ここで育つ魚を見つめ続けることは、湖の先にある川、山、海、環境を大局的に理解することに繋がる」と語る。

雅楽の調べに合わせて「式庖丁」を行う一行が境内に入ると、まるで祝福を受けるかのように後光が降り注いだ。

「式庖丁」は「比叡山」の麓に佇む「日吉大社」の「宇佐宮」拝殿で執り行われた。

この日「式庖丁」で裁き神前に備えたのは天然の鯉。右手に庖丁刀、左手に俎箸を持ち、魚体に手を触れずに解体する。

導かれるように「式庖丁」と出合い、現在では技術を磨き次世代に継承することに使命を感じていると語る川西氏。彼にとって「式庖丁」と向き合うことが「一隅を照らす」行為。

主催:比叡山観光再始動協議会
企画・プロデュース:ONESTORY

旅行企画:第一観光

特別協力:天台宗総本山 比叡山延暦寺
協 力:宇佐国東半島を巡る会・文殊仙寺、小嶋商店、中村ローソク、日本航空、日本庖丁道清和四條流、日吉大社


Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHIFUMI ETO

己を照らし、料理を照らす。「ヴィラ アイーダ」小林寛司が精進料理と再び向き合う。[DINING OUT HIEIZAN/滋賀県大津市]

二度目の「ダイニングアウト比叡山」に臨む「ヴィラ アイーダ」小林寛司氏。

DINING OUT HIEIZAN第1回目の余韻をそのままに。第2回目は、敢えて「白椀」から始まった。

料理に願いと思いを託すー。

そんな料理哲学を持つ「ヴィラ アイーダ」小林寛司氏が、1回目の余韻をつなぐように供した一品目は、前回同様の「白椀」。寒い冬の山の夜に熱々のお椀で心身を温めてもらいたい。混じりけのないピュアな素材を身体に取り入れることで心身を調和して、健やかに食の喜びを享受して欲しい。言葉数の少ない彼が日ごろから伝えたいそんな願いが、口にした瞬間にくっきりと解像度が上がり、文字通り腑に落ちていきました。

2023年2月に開催された1回目の「ダイニングアウト比叡山」では、「精進料理の基礎を学ぶところから始め、規律を遵守しながらの初挑戦は難しかったですが、既存のイメージとは違う、自分に求められた創造性のある精進料理が完成しました」と語っていた小林氏。終演後、本人も「やりきった、出し切った」と話していましたが、再び挑戦。同年12月に開催された2回目の「ダイニングアウト比叡山」で供された精進料理は、進化したものではなく、深化したもの。技術の向上だけでは表現できない、精神が強化されたようなもの。それは、儚くも静謐で奥深く、穏やかなものでした。

テーマは、「一隅を照らす」。

料理名にも想いが込められた献立。流麗な筆跡は「比叡山金台院」住職・磯村良定氏の手によるもの。

今回のテーマとなった「一隅を照らす」。お品書きには季節の寒椿の葉がひと枝添えられていた。

1品目「白椀」。滋賀の酒蔵「冨田酒造」の名酒「七本鎗」の仕込み水と大津「九重味噌」の白味噌だけで仕上げた椀(右)。柚味噌とハーブを乗せたライスチップ(左)を合わせた。

会場となった「大書院」。刻一刻と日没へ向かうに連れ、創業江戸寛政年間「小嶋商店」の提灯に記された「齋」のインスタレーションが闇に冴え冴えと浮かび上がった。

DINING OUT HIEIZAN深化できた理由。それは、1回目の終了後に養われた旅という名の修行。

1200年以上の歴史を誇る「精進料理」という壮大なテーマを心の一隅に抱きつつ、1回目の終了後、小林氏は、これまでの人生で最も多くの旅を重ねてきました。

アメリカや南米、フランスやオーストリアなどのヨーロッパ、香港やシンガポールといったアジアの身近な国々まで世界中を飛び回り、料理人と知見を交わし、各地の食文化と対峙した時間。日本の食文化を国内外から複眼的に捉え直した体験。前述、技術の向上だけでなく、精神を強化できた理由は、そんな時間が小林氏を養ったのかもしれません。言い換えれば、それは修行とも言うべきか。培った経験は、今回の料理にも存分に発揮されました。

例えば、韓国「白羊寺」の尼僧、チョン・クワンさん手ずからの韓式精進料理との出会いがそのひとつです。

1回目は、伝統ある精進料理らしさに敬意をはらうあまり「今思うと豆腐や湯葉といった大豆の力に頼った部分もあった」と感じていた小林氏をもてなすため、山の味覚を携えて山から降りてきてくれたチョンさんの料理は野菜やハーブ、野草などを自在に使い、優しい味わいで盛り付けも大らかなものでした。

「その時その土地にある一期一会の恵みを、素材本来の持ち味を大切に自由な発想で使い切る。つまり普段から自分がやっていることと基本的には同じ考え方でした」と小林氏。

それが表現されたのが「地下茎」。この季節にはよく用いられる根菜にフォーカスしながらも、ビーツや紅芯大根、紫にんじんといった視覚を楽しませる彩りを揃え、チコリコーヒーのソースで苦味と風味を加えました。地下茎といえばほっこりした料理。そんなステレオタイプのイメージを軽々と超えていく、即興性があり自由で風通しがいい料理。そんな小林氏らしさが色濃く映し出されていたと思います。

また、技術的には、プラントベース宣言をして話題を集めたニューヨーク「イレブン・マディソン・パーク」やコラボイベントを行って厨房で意見を交わしたオーストリア「ティエン」といった世界的に著名なプラントベースのファインダイニングからも学びを得ました。

小林氏自身は植物をメイン食材としながらも「その土地のものをバランスよく食べることが食べ手の心身の調和に繋がる」と考え「ヴィラ アイーダ」では動物性の食材も使っています。そのため100%植物のブロス(出汁)を、スモークしたり発酵させたりと工夫を凝らすことでファインダイニングのクオリティに引き上げる手法に関心を持ったのかもしれません。

ここから生まれたのが、きのことレモングラスのブロス「煎椀」。あまりの馥郁とした芳醇な清らかさに一同がしんと静まり返った名作となりました。

今回、イタリアやアイルランドなどヨーロッパ、アフリカ、中国といった多国籍な外国人ゲストが参加していたのが1回目と2回目が大きく違うところのひとつ。料理の解説においても、有巳さんが英語でスピーチを行い、ゲストへの理解度を深めます。世界各地での人種を超えた交流の中で見つめ直した自身のアイデンティティ。日本古来の文化の美しさと小林氏らしい繊細な表現力が調和したのが、「想いの欠片」でした。

温めた石皿の上にカリフラワーや湯葉、百合根といった白い食材を中心に描いた雪降る里山の風景。水墨画を思わせる静けさに満ちたひと皿は、外国人ゲストに日本らしさを伝えるだけでなく、日本人にとっても日本の自然の尊さを再認識させるものでした。

その「想いの欠片」が供されるころ。夕暮れ時、わずかな明かりに包まれた堂内では、旋律や抑揚をつけて経文を唱える声明が始まりました。宗教的に異なる背景を持つ外国人ゲストにおいても、料理とメロディが聖なるものであることは、伝わったのではないでしょうか。イタリアのナポリや南アフリカ、中国といった「普段は非常に賑やかに音楽と食事と会話を楽しんでいます」と語るゲストも、和やかながらも厳かに晩餐に向き合っていました。

日本文化に親しみ、自分たちなりに理解し、リスペクトしてくれていた外国人ゲストたち。そんな彼らだけでなく、日本人ゲストも感嘆したのが締めくくりのデザート「蕪と柚子」。

カブと柚子といえば冬の定番の組み合わせ。何の変哲もない素材同士のありふれた組み合わせから、目の覚めるような味わいを創り出すのは、小林氏の得意とするところです。儚く繊細な甘さが重なっていて、すぐに消えそうなのに余韻が長い。「アンビリーバブル…」。ひとりの女性がそう囁きました。

「旅先での出会いや体験は、今回取り入れてみたものもあれば、消化するのに時間がかかるものもありますが、すべてこれからの僕の料理に活きてくるはずです」。

これからの小林氏の料理を変える可能性を持つ旅。例えば「人生最高の旅になりました」というペルーでは、インカ帝国時代の農業遺跡のほとりにある「ミル」を訪れ、食と生命と信仰が直結する少数民族の食文化に触れました。

また、「ガーデン(自家菜園)と料理を一体化する世界観を日本でもっとも体現している日本人料理人」として招かれた南仏マントンにある三つ星店「ミラズール」では、地形を生かして美しい風景の一部となっているパーマカルチャーのガーデニングに刺激を受けました。

これらの体験は、まだ小林氏が消化できていないものもあります。時間をかけ、結実された時、小林氏の料理はさらなる高みへと昇るのかもしれません。そんな小林氏が再び精進料理と向き合った時、どんな表現を成すのか。

「かつては季節の野菜をガストロノミーに昇華したいとクリエイティビティを追究した時期もありましたが、今は僕の料理を食べることで自然を感じて心身が整い、食べてくれる人が健やかでいて欲しい。そう願って料理しています」。

そんな願いとアイデンティティが2回目の「ダイニングアウト比叡山」には込められていたのです。

国内外において、イベントなどの出演依頼が引きも切らない現在。「自分が成長して料理をさらに深く向き合う」ことを大切に一つひとつに取り組んできた小林氏。「ダイニングアウト比叡山」では、「自分に求められた役割を考え抜き、期待を上回るをクリエーションを披露することが使命」と話します。

それが今回のテーマである「一隅を照らす」への現時点での小林氏のアンサー。

もし、3回目の「ダイニングアウト比叡山」があったとしたら……。

「僕がやらなければ誰がやるというのでしょう」。

ピュレ、チップス、ソースとさまざまに形を変えるビーツを主役に紅芯大根や紫にんじんといった根菜を合わせた冬らしいひと皿「地下茎」。。チコリコーヒーのソースがさらに土の香りを膨らませていた。

雪景色を思わせる繊細な「時を捉える」。食材の切り方にも独自の世界観を持つ小林氏らしく旬のカブを大ぶりにカットして、白和えをイメージした異国情緒のあるフムスをまとわせ、極薄の干瓢シートをひらひらと遊ばせた美しいひと皿。

特別な晩餐を締め括るのにふさわしい「蕪と柚子」。冬の京都ではごくありふれた見慣れた食材の組み合わせから、小林氏のほかに誰がこの味を創造できるだろうか。

旋律や抑揚をつけながら経文を唱える「声明」は、静かながらも力強く低音が増幅して響き、厳かな雰囲気によく似合っていた。

「ヴィラ アイーダ」でも日ごろから小林氏の想いを代弁しているマダムの有巳さん。会場ではペアリングワインのセレクトと接客で活躍した。

新潟「里山十帖」料理長で2023年に「世界のベスト女性ベジタブルシェフ賞」にも輝いた桑木野恵子さん(左)、京都でミシュランガイド一つ星を持つ「KOKE」オーナーシェフ・中村有作氏(右)のほか青森・北津軽のデスティネーションレストラン「澱と葉」シェフ・藤田潤也氏、淡路島「寿司割烹 源平」三代目・吉田光佑氏と錚々たる料理人たちが小林氏を慕って駆けつけ抜群のチームワークでサポートした。

極限まで色調を抑えて陰影で日本の原風景を描いた「想いの欠片」。百合根、豆腐、小巻ゆば、カリフラワーといった白く淡い食材のグラデーションをふわふわとやわらかく重ねながらケールや柚餅子で苦味や酸味を加えるのが食べ手の予想を常に超える小林氏らしさ。

野菜料理だけでなくスープ(汁もの)にも定評のある小林氏らしさが最も現れていた「煎椀」。たっぷりのきのこから取った出汁にほうじ茶、レモングラス、陳皮で複雑味を加え、キャベツと干し芋のラビオリを浮かべ、揚げたケールの葉を添える。磯村氏と通訳を務めたピーター氏も絶賛したひと品でもある。

「延暦寺」では出汁を取るために乾燥させて干し椎茸として使う椎茸をフレッシュなまま寿司ダネに見立て、くっきりと酸味の立った玄米と合わせた椎茸寿司「薬菜」。ガリをそのままではなく、隠し味に使ったマスタードリーフのサラダと共に。

サポートメンバーの「寿司割烹 源平」三代目・吉田光佑氏と共作の「塩と風」。細めに打った「息吹在来そば」に極細にカットした野菜のかき揚げを乗せ、刻んだ春菊で苦味を加え、オリーブオイルと大根おろしで味わう。一般的にイメージするかき揚げそばとは別次元の世界。

「日吉大社」とのご縁により甦った日本最古の茶園といわれる「日吉茶園」のお茶。ヴィラアイーダ特製のラムネ、柚子の琥珀糖、甘みを抑えてふっくらと炊いた黒豆。

小林氏を中心に厨房でのサポートメンバーから接客を担当したスタッフまでチームワークのよさが見てとれた特別な一夜に、ゲストは惜しみない称賛を送った。

主催:比叡山観光再始動協議会
企画・プロデュース:ONESTORY

旅行企画:第一観光

特別協力:天台宗総本山 比叡山延暦寺
協 力:宇佐国東半島を巡る会・文殊仙寺、小嶋商店、中村ローソク、日本航空、日本庖丁道清和四條流、日吉大社


Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHIFUMI ETO

超絶人気の生ドレッシング。糸島野菜とあまおうの季節限定品。[和光アネックス/東京都中央区]

たっぷりのあまおうに糸島産の玉ねぎをプラス。あまおうの酸味と甘味が感じられる生ドレッシング。

WAKO ANNEX新鮮な糸島野菜をそのまま擦り下ろした生ドレッシング。

福岡の中心地から車でわずか40分ほど。自然溢れる景観が今なお残る糸島。そんな糸島の食材を使用し、無添加の商品を製造しているのが福岡県糸島市「糸島正キ」です。人気のシリーズは、「糸島野菜を食べる生ドレッシング」。

全て手作業で作られる品々は、糸島の野菜を皮ごとたっぷり使い、容器の半分以上は野菜が詰まっています。見た目のインパクトはもちろん、その美味しさにリピーターが続出。糸島だから美味しい、生だから美味しい、だから選ばれる連鎖が生まれています。

今回、ご紹介する品は、季節限定の「あまおうドレッシング」。2023年度第1回「ドレッシング選手権」最高金賞、地域の味ベスト賞を受賞のそれは、苺の王様、博多あまおうの苺の香りとフレッシュな酸味がくせになる美味しさです。

サラダにかけるだけで贅沢料理に。そのほか、生ハムやモッツアレラチーズとも相性抜群。フルーティーな甘さと酸味が食欲をそそる。調味料として使用もお勧め。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

栃木が誇る新種の苺をたっぷり使用した「とちあいか」ジュース。[和光アネックス/東京都中央区]

ビタミンCを多く含み、ジュースだが健康にも配慮。食事のバランスを保ってくれる品。

WAKO ANNEX1本にとちあいか約1パックの果汁が入った贅沢なジュース。

栃木県小山市。先祖代々、農業と結城紬を営んでいた父の代。結城紬をやめ、現代表の荒井聡氏が就農するとともに露地野菜から苺の栽培に切り替え。以降、農業の新たな収入源として6次産業を考え設立されたのが「新日本農業」です。ゆえに、自社加工所によって、すべての生産から加工、販売までを行います。

今回、ご紹介する品は、栃木の新種の苺とちあいかを使用した「とちあいか」ジュース。

とちあいかは、とちおとめよりも糖度が高く、酸度は低めなのが特徴。香料、砂糖を加えずに、とちあいか本来の香りと甘さを活かしたストレートジュースは、1本にとちあいか約1パックの果汁が入った贅沢な品です。

そのままストレートはもちろん、牛乳や炭酸水、カルピス、甘酒、酒類などで割って飲むのもお勧め。また、通な使い方は、ゼリーなどのお菓子作りにもぜひ。

いちご本来の甘さをと香りを楽しみたい方、甘すぎないお酒を楽しみたい方にはもちろん、添加物が気になる子育て世代の方や低糖質ダイエット中の方にもおすすめです。ビタミンCを多く含み、健康にも配慮しているのも嬉しい品です。

ストレートも美味しいが、牛乳や炭酸水、酒類と割っても楽しめる。自分好みの飲み方を見つける楽しさも。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

西洋と日本、江戸と令和が交わる歴史の地で催された、特別なガストロノミーイベントへ。[長崎県平戸市]

歴史的建造物を舞台に大塚瞳が特別コースを!

皆さま、突然ですが問題です。

九州本土の西北端、日本で初めて西洋貿易が行われた場所がどこかご存知でしょうか?ヒントは1609年(慶長14年)に和蘭船が入港し、1641年(寛永18年)長崎出島に移転するまでの約33年間、我が国唯一のオランダ貿易港として賑わった場所です。島の形はタツノオトシゴにも形容され、北は玄界灘、西は東シナ海を望む風光明媚な港町でもあります。小学校の教科書でフランシスコ・ザビエルとともに、この地を覚えた記憶がある方も多いでしょう。

そう、その地こそが今回ご紹介する平戸です。

街の中心・平戸地区は、旧平戸藩松浦氏の城下町で、鎖国が行われる以前、江戸時代初期までは中国、ポルトガル、オランダなどとの国際貿易港として発展。今なお街を歩けば、教会と寺院が隣り合わせ、フランシスコ・ザビエルの史跡や隠れキリシタンの集落、平戸城やオランダ橋、そここそに西洋文化と日本が初めて出会った痕跡が辿れるのです。

そんな歴史ある地区で、歴史的建造物を舞台にしたガストロノミーイベントが開催されました。平戸ガストロノミー2023「Firando Restaurant」と命名されたイベントは、11月に3度に亘り、平戸の食材を使ったスペシャルディナーが振る舞われたのです。

第1回の会場は「平戸城」、第2回の会場は隠れキリシタンの里として知られる春日集落「かたりな」、第3回は「平戸オランダ商館」。様々なジャンルの料理人がそれぞれに描いた平戸のメニューはこの地をよく知る人にも初めてだった人にも大いに喜ばれたという訳です。

今回は、第3回「平戸オランダ商館」×旅する料理家・大塚瞳さんの食事に密着。歴史とともに発展を遂げた平戸ならではの食事の様子をお届けできればと思います。

別名亀岡城と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城。現在の平戸城天守閣は、1962年(昭和37年)復元。

地元・志々伎漁協婦人会有志の方々と大塚瞳さん。早朝より続々と届く平戸の魚介類をテキパキと仕込む。地元のホテル厨房にて。

隠れキリシタンがクリスマスを祝った際のイラスト入りの貴重な文献。会場には他にも数多く平戸の食文化資料が展示されている。

イベント開始直前、各々のテーブルを最終チェックしていく大塚さん。三段重の結び目ひとつとっても丁寧に、そして美しく。

30人がひとつのテーブルを囲む晩餐会のようなスタイルで会場を設営。平戸オランダ商館の2階の特別室が会場に。

旅する料理家・大塚瞳による“長崎に近か料理”とは?

「今回は平戸オランダ商館という歴史的な建造物で、初めて料理をお出しするイベントに声をかけていただいたということに感謝しています。事前に平戸に保管されている絵巻や文献などを拝見しました。隠れキリシタンの方々がクリスマスをお祝いした料理の絵付きレシピや、東南アジアから平戸を玄関口に渡ってきた香辛料の資料などから壮大な歴史の流れを感じることができました。あぁ、我々が今普通に口にしている味付けや少し洋風のものは全て平戸から広まったのだと思うと震えました。自分が生きている年月はほんのわずかで、はるか昔に起こった出来事が今この時を作っているのだと思うと感動的です。ご飯を食べるということだけでない空間と物語を味わっていただけたら嬉しいです」

そう切り出した大塚瞳さん。最初の打ち合わせでは、ディナーのみ開催予定でしたが、彼女がたどり着いたのは、昼・夜の2回の開催と別々のコース料理。平戸を解釈するにはそれでも足りないけれどせめてものことだったそうです。この地の食事とは、いわば世界と日本をつなげた窓口であり、現代の料理へつながる橋渡し。そう考えるとさまざまな側面からこの地を表現したいというものでした。昼のコースでは地元・志々伎漁協婦人会有志の方々と平戸の郷土料理をアレンジしてくれました。

「長崎の料理は甘いと一言で表現されることが多いです。これは当時貴重だった砂糖が食文化に深く関係しています。ただ甘いではなく、この味付けは長崎に近か、これは遠かと表現します。せっかくならただ甘いといって不得意なものと認識するのではなく、自分の慣れ親しんだ場所の味を基準にすると長崎に近づいているという、この地ならではの素敵な表現を感じてもらえたら嬉しいです」

料理は二段重の器に盛られた魚介中心の前菜にはじまり、地元の老舗菓子舗のどら焼きの皮に出来立ての平戸豚と無花果を挟んだ酢豚サンド、長崎の肉じゃがは鯨で作られることから着想を得たというおでんは、郷土料理のエソのすり身揚げの中にゆで卵が入っているアルマードと共に。どれもが独創的ながら、すべて地元に根づいた食文化を再構築したもの。会場に訪れたゲストからも自然と「長崎に近かね」「アルマードがこんな素敵な料理になるのね」と次々に驚きと称賛の声が寄せられていきます。知らず知らずのうちに会場が和気あいあいとなるよう、長崎に近かという表現一つで地元の方を親しみやすく導く。そんな気遣いも大塚さんならではなのでしょう。

さらに驚いたのは実は歴史的建造物という会場の規制により、館内での火気の使用は禁止。それでも温かいものは温かいうちに、できたてをすぐに提供したいと、会場から数キロ離れたホテルの厨房で仕込みをした後、平戸オランダ商館の外で炭を起こし、屋外厨房で仕上げを行っていたというダイナミックさ。

火の使えない会場での平戸の郷土料理の再構築。そんな難題も軽々超える味わいに、昼の部は惜しみない拍手に包まれて、無事終了したのです。

牛蒡餅で有名な地元の熊屋謹製のどら焼きの皮を使った酢豚サンド。砂糖と酸味の利いた味わいに「長崎に近か」という表現が続出した。

地元ではそのまま味わうという郷土料理の練り物・アルマードをクジラを使った肉じゃがと共におでんにして提供。出汁もこの地方ならではのアゴで。

会場では杵と臼を使った餅つきも行われ、できたての餅を使って平戸特産の生からすみ餅に。

テーブルにはガラスの装飾かと思いきや、熊屋オリジナルの琥珀糖。この日のための色味は染付の青と白で。1部と2部で色も味も変えた。

会場の進行に合わせて、屋外の調理場では急ピッチで煮る、焼くなどの調理が行われ、火気の使えない会場で熱々の料理を提供。

デザートは、地元・熊屋と佐世保出身の菓子研究家・田中博子さんによる共演。1部、2部で全く装いの違うデザートが振る舞われた。

地元民を巻き込んでこその食イベント。大塚瞳が平戸で表現したかったのは?

昼とは一転、夜の部では“生日前祝”と名付けられたディナーコースが振る舞われました。2024年に生誕400年を迎える鄭成功の“前祝”をテーマに平戸の食材を台湾風にアレンジした創作料理が食膳を彩ったのです。

鄭成功とは、平戸に生まれ、台湾に渡り鄭氏政権の祖となった、いわば台湾の英雄。国際都市であった平戸の持つ国交も魅力の一つであり、またしても平戸の食文化に繋がります。

「大好きな台湾とその料理。中でも台南が一番好きです。今回、鄭成功のことがあり平戸食材を台南料理中心に作る理由ができたことを嬉しく思います。また、夜の部は北松農業高校の生徒達がアシスタントを務めてくれます。先ほど初めて会ったばかりですが、料理のサービスなど即興のチームで行います」と大塚さん。

一日限り、一夜限りの体験であってもできることを精一杯やってもらう。そんな彼女の精神は、最初は引っ込み思案であった学生たちをも動かします。たどたどしいながらもプロの現場を体験することで、自ずと自主的に料理を運び、互いに指示を出し、フォローし合う姿が印象的でした。

地元を巻き込んでこその料理イベント。午前の部の志々伎漁協婦人会も夜の部の北松農業高校の学生も、平戸に根付いた風土や歴史、そして食文化の素晴らしさを自らの体験で再認識できたことでしょう。

日本の地域もまだまだ捨てたもんじゃない。いや、地域の魅力の再発見こそが、これからの日本の力になる。

歴史の街・平戸で行われた1日限りの食イベント。大塚瞳が表現したかったのは、きっと日本の食文化の豊かさであり、脈々と各地で受け継がれてきた郷土の風土や歴史なのです。国際港であった平戸の食文化の深さと、多様性。それを秋の木枯らしが吹き抜けるがごとく、刹那の爽やかな風のように表現した1日は、今後も平戸に語り継がれていくのではないでしょうか。

夜はライトアップされる平戸オランダ商館。通常は国指定史跡「平戸和蘭商館跡」復元建造物として、博物館になっている。

1部と2部ともに長いテーブルを飾ったテーブルクロスは、美術作家・中村眞弥子さんとの協業。高いところから見ると1部は「平戸」2部は「器」という文字をベースにデザインされている。コックコートもこの日のための特別制作。

「得意不得意がありますから、できる人ができることをやろうね」そんな言葉をやさしくかけ、瞬時に学生を導く大塚さん。

縁起良く様々な願いを込めていただく獅子頭鍋を発酵白菜と共に鍋仕立てに。すっかり暗くなり寒さが増しても、お客様のために温かいものをと野外調理は続く。

オランダ人が描かれた屏風の向こうには、家常菜というおかず料理が並ぶ。陣笠と呼ばれる貝の燻製、布豆腐を平戸の野菜で和えたもの、考麩・どんこ・木耳を炊いたもの、エソのすり身揚げなど。平戸と郷土料理と台南の家庭料理のおばんざいビュッフェ。

昼に好評だったどら焼き酢豚を急遽夜にも振る舞うことに。食べ切れるのか、とのお客さまの心配を他所に、目の前に銘々置かれた3段重以外にも次から次へと料理が運ばれる。

今回の空間装飾のテーマの経緯や、歴史文化、料理のことを質問されひとつひとつ説明している大塚さん。「理解して食べると美味しさが増す」とお客様が口々に言う。

平戸牛イチボの味噌漬け・鮑と蕪あえもの肝ソース・炙り平政緑ソースの前菜。

うちわ海老と豆豉がぎっしり詰まった春巻にカボスを絞って。急遽、山から柿の葉をとりあしらう。

餅米に黒米、平戸豚の粽。

下地をつけた九絵を台南から送ってもらった破布子と共に蒸魚。

瞬間瞬間を大切に、その場でチームを作ってしまうのも旅する料理家・大塚瞳さんの真骨頂。

この会を作り上げたチームとともに。中村眞弥子さん・平戸オランダ商館館長 岡山芳治さん・平戸市役所後藤彰文さん、熊屋誠一郎さん・渡邊航一さん、台所ようは 秋山梨砂さん・中野和さん。

Photographs:KENTA YOSHIZAWA
Text:TAKETOSHI ONISHI
(supported by 平戸ガストロノミー実行委員会)

阿蘇くじゅう国立公園内の大自然と絶景のもと、特別な食体験を味わう2日限りの絶景レストラン「Skyward Party」開催レポート。[DRUM TAO✕ONESTORY/大分県久住町]

阿蘇くじゅう国立公園内の標高1036mに位置する「野外劇場TAOの丘」の舞台が、2日間限りのレストランに!

野外劇場の舞台がレストランに!?

和太鼓で世界中の人々を魅了する「DRUM TAO」。1993年に結成され、1995年には「阿蘇くじゅう国立公園」を有する大分県竹田市久住町に拠点を移し、国内外での活動を展開してきました。2000年には「阿蘇くじゅう国立公園」の中央に位置する4万平米の土地に、音楽制作や舞台制作を行なう複合施設「TAOの里」を建設。そして2020年9月、約5年間の準備期間を経て、阿蘇五岳の絶景をバックに「DRUM TAO」のライブが楽しめる野外劇場「TAOの丘」がオープンしました。

「阿蘇くじゅう国立公園」と「TAOの丘」。この場所を、この舞台を、世界中の人々にもっと知って欲しいという想いから、今回、TAO文化振興財団の森藤麻記さんがホストとなり、2023年11月7日と9日の2日間、「Skyward Party」が開催されました。今回は、その様子をレポートします。

竹田市出身の大久保シェフ(写真中央)にとって、ここは子どもの頃からこの周辺の山に登ったり、ピクニックをしたりしていた思い出の残る場所なのだそう。

2014年に開催された「DINING OUT TAKETA」を受け継ぐ

「絶景レストラン」のシェフを務めたのは、ここ竹田市出身で、現在は「TOMO Clover」(大分市)のオーナーシェフである大久保智尚氏。2014年にここ竹田市で開催された「DINING OUT TAKETA」にもサポートメンバーとして参加した経験の持ち主です。実は、このときの「DINING OUT TAKETA」では、「DRUM TAO」もパフォーマンスを行なっており、「DRUM TAO」とも縁のある方です。

「生まれ育った竹田という土地で、それも素晴らしい絶景が望める「TAOの丘」で開催されるこのような企画にお声掛けいただき、とても光栄でした。今回のチームには、「DINING OUT TAKETA」を経験したメンバーが3人いましたが、それ以外のメンバーは経験していないので、LINEグループを作って数ヶ月に渡り情報や想いを共有しながら準備を進めました」と、大久保さん。

大分は海や山に囲まれており、肉も野菜も魚も豊富に揃う豊かな土地。その食材や生産者を知り尽くした大久保シェフによって、どのようなコースが繰り広げられるか、自ずと期待が高まります。

受付を済ませたゲストたちはTAO HOUSE内のウエルカムスペースに案内され、ウエルカムドリンク&フードを楽しみました。

フィンガーフードは大分産のすっぽんのエキスと白きくらげで作った「コンソメコラーゲンゼリー」、椎茸の旨みが追いかけてくる「しいたけのパイ(産山村のしいたけ)、大久保シェフが営む「TOMO Clover」の定番となっている「グジェール」(竹田の豆・にんにく・トリュフオイル)の3品。ペアリングには八鹿酒造の日本酒スパーリング「虹」を合わせました。

晴天に恵まれ、11月にしては温かい絶好のシチュエーション。TAO HOUSEから、ランチ会場となる野外劇場へと向かいます。

阿蘇五岳を背景にした天空の舞台。

竹田出身のシェフによる地域の食材を味わうコースを堪能

「私たちにとって舞台は神聖な場所。舞台を公演以外の用途で使うことに、当初は心理的なハードルがあったことも事実です。けれど、この『阿蘇くじゅう国立公園』の絶景を皆さんに見て欲しいという想いで舞台にテーブルを置き、食事をしていただくことを決めたんです。調理環境も十分ではない中で、大久保シェフ率いるチームの皆さんがあれだけのクオリティのコースを提供してくださり、ゲストの皆さんも大変満足されていましたし、ここですることを決断してよかったと想いましたね」と、森藤さん。

それでは、そのコースを振り返ってみましょう。

1皿目のスープとして供されたのは「さつまいものスープ」。

「竹田は水がとてもキレイなところ。その名水を使ってつくる豆腐をどこかで使おうと思っていました。一方、フランスでの修行時代、フランスでのさつまいもの認知度がまだ低かったものの、さつまいものスープを作ったら評判が良くて。このスープをメインに、今回、ここに来る直売所で野菜を購入した季節の野菜を使ってさまざまな食感が楽しめる一皿に仕上げました」。

日頃からお付き合いのある阿蘇郡産山村の生産者に用意してもらったエディブルフラワーが華やかな印象を演出。

2皿目の前菜は、「大葉のシート 竹田名水のヤマメ」、「大根の竹田田楽 ゆずの香り 大分の伊勢海老」、「大分冠地どり ラタトゥイユペースト トマトファルシー」の3品。

「大分でヤマメはエノハとも呼ばれます。私自身、子どもの頃から釣って遊んでいましたし、身近な川魚です。竹田のキレイな湧き水で育っているので、生でも食べられるんですよ。数年前、フランス料理で大葉がブームになったことがあって、三ツ星のシェフたちがこぞって使っていたりもしたものです。

2014年に行なわれた「DINING OUT TAKETA」で、シェフを務めた「ESqUISSE(エスキス)」(東京・銀座)のリオネル・ベカ氏も使っていたこともあって、リスペクトを込めてヤマメを使いました。

田楽に使った柚子は父が採ってくれたもの。また、9月から11月にかけて、大分県佐伯市から宮崎県延岡市の街道沿いでは、「伊勢えび祭り」を開催しています。そこで、山や川の食材だけでなく、海の食材も使おうと考えたんです。

また、ラタトゥイユは南フランスの郷土料理。現地では菜津に食べられる料理ではありますが、大分の夏は暑すぎて、ラタトゥイユに使うトマトやナス、ズッキーニは秋に入ってから美味しくなってきます。大分においてラタトゥイユは秋の食べ物なんですよね」

阿蘇くじゅう国立公園は紅葉シーズン真っ只中。その風景を一皿に表現しました。

そして、メインディッシュは「久住高原大地の牛のトリロジー」、「芳醇なコンソメ出汁」、「名水の里 竹田の産山のお米 日本一のサフランライス」です。

トリロジーとは、元々フランス語の“三部作”という意味。産山村で育ったあか牛の頬肉、久住高原牛のカイノミとミスジという3つの部位を使用した一皿です。

「高原の気候は変わりやすく、ときに強風も吹くので、温かい料理をそのまま温かいままにお召し上がりいただくことは難しいと思っていました。また、竹田は日本一のサフランの生産地。今回、スタッフとして参加してくれたメンバーの一人は米農家なのですが、その土地の湧き水で炊いたお米をサフランライスにしました。そこに注ぐコンソメは、SDGsも意識してこの日使った食材の端っこをすべて使って出汁をとったものなんですよ」。

温かい料理を温かいままに提供できるよう、さまざまな工夫が施された一皿です。

阿蘇くじゅう国立公園の絶景を眺めながら、その土地の豊かな食材を存分に楽しめるこの日のコースにゲストの皆さんは大満足! 最後に大久保シェフが登場すると、自然にスタンディングオベーションが起こり、会場は温かな雰囲気に包まれました。

「スタンディングオベーションを受けたのは人生で2回目。1回目はフランス時代でしたから、日本でしていただいたのは初めてでした。生まれ育ったこの土地でこのようなことができたことはとても嬉しかったですし、天候にも恵まれ、正直ホッとしましたね。「DINING OUT TAKETA」のときに言われていたのが、「大人の文化祭」。あのときの「大人の文化祭」を再び!という気持ちで挑みました」。

この後、再び場所を移し、「絶景茶会」を開催。この茶会は竹田市を拠点に活動を展開する美術ユニット「オレクトロニカ」が企画を担当、大分市生まれの尾込真貴子さんが茶亭主を務め、竹田の湧水で淹れた3杯のお茶と茶菓子を提供しました。

「絶景茶会」の会場の背景はくじゅう連山が。この素晴らしい大自然の中で、静寂と自然の調和を楽しみました。

「絶景茶会」を楽しんでいる間に、それまでレストランになっていた舞台が整えられ、最後はDRUM TAOのライブが繰り広げられました。約800名を収容する野外劇場で、たった20名のゲストのためだけに演奏され、そのスペシャルな体験にゲストの皆さんは感動しっぱなし。終演後には、DRUM TAOのメンバーと会話をしたり、記念撮影をしたりといった時間が設けられ、余韻を楽しんでいました。

たった20名のゲストのために演奏をする特別な時間。

終演後、舞台上にてDRUM TAOアーティストの皆さんとのふれあいの時間。感動もひとしおです。

「DRUM TAOは、3〜12月初旬までこの野外劇場「TAOの丘」でライブを開催しています。屋外に劇場が常設しているのは世界的にも珍しいですし、多くの皆さんにお越しいただきたいですね。また、今回のようにライブだけではない特別な体験をしていただけるよう、今後もさまざまな企画をカタチにしながら、地域の皆さんと「阿蘇くじゅう国立公園」を盛り上げていきたいと思っています」と、ホストの森藤さん。

これからのさまざまな活動に、期待が高まります。

Photographs:SAKURA TAKEUCHI、YASUKA FUJISHIMA
Text:AYUKO TERAWAKI
協力:竹田市、産山村、環境省阿蘇くじゅう国立公園管理事務所

消滅した王朝、焼失した世界遺産。「茶禅華」川田智也がささげる食と祈り。[DINING OUT RYUKYU-SHURI/沖縄県那覇市]

DINING OUT RYUKYU-SHURI王朝の「うとぅいむち」。ガストロノミーの再考と原点回帰。

来る、2024年2月。「DINING OUT RYUKYU-SHURI」を開催。その舞台は、約450年にわたり、日本の南西諸島に存在していた「琉球王国」の中心地として威容を誇った「首里城」です。

海に囲まれた地形を活かした王朝は、古くから貿易の拠点として繁栄。室町時代、15世紀には、日本、中国、朝鮮、東南アジア諸国との交易や外交を通して王制の国として発展してきましたが、17世紀初頭に薩摩藩の武力により制圧。江戸幕府の支配下となり、明治時代には日本に併合され、「琉球王国」は消滅しました。

長い歴史の中、その発展に寄与したひとつとして挙げられるのが「うとぅいむち(おもてなし)」の文化です。国と国とが対峙する場において、舞踊や儀式、酒宴など、来賓へのおもてなしは、人種や宗教などの垣根を超え、人と人との縁を取り持ってきたと言って良いでしょう。

その名残は、「首里城」の王殿へ繋がる門にも表れます。外門には、「守禮門」があり、「守禮之邦」の扁額を提示。城内の第一門「歓会門」には同一名の扁額が掲示され、おもてなしの心を感じ取ることができます。これは、賓客への礼節を重んじ、歓待する心も表しています。

そんな「首里城」が突然の火災という悲報に接したのは、2019年10月。1992年に復元された建物とはいえ、世界遺産の多くを焼失した出来事は、奇しくも同年に起きたパリ「ノートルダム大聖堂」の大規模火災に次ぐ、世界にとって大きな損失となりました。

現在は、正殿をはじめ、北殿、南殿などの復元に向けて着手。2026年の完成を目指します。つまり、「DINING OUT RYUKYU-SHURI」の舞台は、未完の「首里城」。料理を手がけるのは「茶禅華」川田智也シェフです。

今回は、「食べる」という表現ではなく、「いただく」という表現が正しいかもしれません。「いただく」には、「敬意を表して高くささげる」、「頭上におしいただく」という意味があり、世界的にも稀な器を持って食す日本人にとって「いただく」ことは、「祈り」と同義でもあるからです。

食を通して命を想い、おかげに感謝し、そして「首里城」復興を願い、全てに祈りをささげる。

本来、ガストロノミーとは、「食事と文化の関係を考察すること」にあります。予約が取れないレストラン、星、トック、ラインキングされる美食ではありません。「DINING OUT RYUKYU-SHURI」では、ガストロノミーの再考による原点回帰にも向き合います。


Text:YUICHI KURAMOCHI

日程:2024年2月10日(土)、11日(日)、12日(月)
人数:各日25名
宿泊:ハレクラニ沖縄
会場:首里城
出演:茶禅華 川田智也
主催:沖縄県(観光再始動事業)
企画・運営:ONESTORY

一隅を照らす。真の心を開き発こす目覚め。[DINING OUT HIEIZAN/滋賀県大津市]

今回、テーマとなったのは、「比叡山延暦寺」(天台宗)の開祖、最澄が残した「一隅を照らす」という言葉。

DINING OUT HIEIZAN地上を知ることによって、天上を知る。

前回と今回の「ダイニングアウト比叡山」の違いのひとつは、地上の体験です。改めて認識しておきたいことは、延暦寺」とは、約1,700ヘクタールある「比叡山」の境内地に点在する約100の堂宇の総称です。つまり、「延暦寺」という一棟の建造物があるわけではありません。

今回は、その堂宇のひとつ、「滋賀院門跡」を舞台に「ひさご寿し」の料理をいただくところから始まりました。手がけたのは、川西豪志氏です。川西氏は、滋賀の食文化の研究している第一人者でもあります。特に琵琶湖の川魚を探求し続け、この日、供してくれた品は「湖魚のお寿し」。

琵琶湖流域の年間降水量は、約1,700ミリと言われており、「比叡山」をはじめとする約460本の河川から琵琶湖へと流れ込んでいます。山の恵みを持って育った湖魚をいただく体験は、風土のつながりを理解することによって、舌で感じる旨味を超え、天上と地上をつなぐための意識を高める時間になったといえるでしょう。

そこから更に上を目指します。向かう先は、前回訪れた「浄土院」。

「ここは、伝教大師最澄廟がある境内で最も神聖な場所と言われています。この廟の中では最澄が今なお生きているかのように、毎日食事が捧げられ、落ち葉ひとつないほど掃き清められています」。そう話すのは、前回もホストを務めた比叡山金台院住職・礒村良定です。

その後、一般公開されていない修行の場「にない堂」へ。「にない堂」においても「浄土院」同様、前回巡った場所でもあり、このふたつは「比叡山」を体験する上では欠かせません。何度訪れても、無垢のような清らかな初心に還ることができ、ディナー会場「大書院」に足を踏み入れる前の儀式と言っても過言ではありません。

「この常行堂では90日間念仏を唱えながら時計回りに堂内を歩き続けるという修行が行われています。休憩できるのは食事、厠、沐浴の時間のみ。睡眠時間の設定さえなく、ひたすら暗い堂内を歩くという想像を絶する修行です」。

当然、礒村氏もその修行を積んだひとり。

壮絶なノンフィクションは、ゲストの身を引き締めるも、朗らかな語りによって距離を縮めてくれるのは、村氏の心遣いによるもの。
前回、村氏が話した最後の言葉が思いをよぎります。

「延暦寺を好きになっていただき、またいつか遊びにきてください」。

この想いは、今回においても変わることはありません。

まず最初に訪れた「滋賀院門跡」では、「ひさご寿し」の「湖魚のお寿し」を食し、学ぶ。食後は、堂内を回遊。ホストを務めるのは、前回同様、比叡山金台院住職・礒村良定氏。今回は、多くの外国人ゲストも参加。

料理を担う「ひさご寿し」の川西豪志氏。「美味しいだけでは、この土地でなくても良い。歴史や文化の側面からの理解を深め、それを伝えることによって、この土地で食す意義とその価値として伝えられると思っています」。

湖魚のお寿し」。今回は、多くの外国人ゲストが参加したことも大きな特徴。初めて湖魚を食べた人も少なくなく、その体験に驚きを隠せない様子も。同時に、川西氏の解説に真摯に耳を傾ける。

伝教大師最澄廟がある境内で最も神聖な場所「浄土院」では、廟の中に最澄が今なお生きているかのような話を聞く。解説後、「石庭を歩いても良いのか」という外国人らしい質問も。「どうぞ」と村氏が伝えると、その感触を確かめるかのように、ゆっくりと歩いていた風景が印象的だった。

「にない堂」では、修行を疑似体験。薄暗い闇の中、坐禅では出しい組み方を学び、最後は堂内をゆっくりと一周。

DINING OUT HIEIZANもう一度、精進料理と向き合った「ヴィラ アイーダ」小林寛司の挑戦。

シェフは、前回腕を振るった「ヴィラ アイーダ」小林寛司氏。自身のレストラン「ヴィラ アイーダ」では、隣接する畑にて300種以上の野菜を育て、「ファーム・トゥ・テーブル」を体現しています。

「ミシュランガイド京都・大阪・和歌山」二つ星もさることながら、グリーンスターやアジア最高位の「世界ベストベジタブル レストラン」など、野菜に関して多くの賞を受賞。世界から見ても、これほどまでに野菜に精通しているシェフは他に類を見ません。

そんな小林氏を持ってしても、前回はこんな言葉を残しています。

「本当に難しかった」。

そう言わしめたのは、精進料理の制約です。仏教の教えに基づく肉類や魚類を使わない植物性の精進料理と野菜を中心とした料理とは、似て非なるもの。この制約の中、「美味しい」を追求できるシェフは、日本において、もとい、世界において、小林氏以外考えられません。

1回目の開催後、イベントなどのため、精力的に世界各地を巡るも、「頭には常に精進料理があった」と振り返ります。「調理の技法や文化的視点から見た料理の哲学、食材の組み合わせ方など、旅をしながら無意識に精進料理に活かせるものを探していました。そんな中、あるシェフが発酵やスモークさせた野菜から出汁を取る手法を取り入れており、これは自分にはなかった発想でした。視点を変えれば、まだまだ精進料理の可能性はあると感じました」と言葉を続けます。

そして、2回目の開催。1回目の料理との違いは、まず演出に見られました。その好例が1品目「白椀」に添えたひと品です。

ライスチップに柚味噌とハーブを乗せたものを手でいただくそれは、まるで寺から愛でる庭園のよう。苔と石を採用した風景のようなひと皿は、ある意味、小林氏らしくないもの。

その理由は、前回は全て日本人ゲストに対し、今回は多くの外国人ゲストが参加したことにありました。「外国人のお客様が多くいらっしゃっているので、味だけでなく、目でも日本らしさを楽しんでもらいたかった」。

今回、小林氏の料理において、特にフォーカスすべきは、「食材」と言ってよいでしょう。例えば、大根。前回の開催は2月、今回の開催は12月。季節でいえば同じ冬にくくられますが、「冬に向かう食材と春に向かう食材は、別物」。さらにそれを、名残の食材と走りの食材と合わせることによって、情緒が漂い、尊い料理に仕上げます。

今回のテーマは、「一隅を照らす」。

「大根という食材は、既に光り輝く才能を持っています。それにきちんと向き合い、磨き、美しく仕上げる。それがシェフの仕事」。

食べ手は既に光を持った料理を供されるため、光を探す能力は、自身が能動的に働きかけなければ探し当てることはできません。

「小林シェフの料理は、自己を満たすものではなく、利他をもてなすための美味への追求。これは、おもてなしの心です。私たちも仏様に差し出す料理は、どうすれば美味しくなるか、どうすれば限られた食材を活かせるか、華やかにできるかなどを考えています。精進料理の可能性を引き上げてくださいました」と村氏は話します。

シェフ小林ではなく、人間小林の本質を探るような分析力は、小林氏の周囲を取り巻くフーディーにはない視点。

最後に。「本当に難しかった」と応えた前回と同じく、今回の振り返りを聞いてみました。

「成長できました」。

このひと言だけで全てを汲み取ることはできませんが、あえて続きは聞きませんでした。しかし、その表情からわかること。まだまだ伸び代はある。

ディナー会場「大書院」は、通常非公開の場。皇室の方々や内外の賓客をもてなすために建てられた「比叡山延暦寺」の迎賓館的な存在の建物。

1品目「白椀」。奥にあるのは、滋賀の酒蔵「冨田酒造」が醸す「七本鎗」の仕込み水を使用し、大津の「九重味噌」の白味噌を使った椀。手前にあるのは、ライスチップに柚味噌とハーブを乗せたもの。一見、小林寛司氏らしくない演出は、「外国人ゲストを喜ばせるため」。ここは「ヴィラ アイーダ」ではない。そんなメッセージも感じられる料理。

礒村氏と今回通訳として参加した翻訳家のピーター・J・マクミラン氏に、今回特に印象的だった料理は?と聞くと、奇しくもふたりとも同じ料理をあげたのが、4品目「煎椀」。「揚げたケールの苦味がアクセントとなり、徐々に溶け出す油がよりコクを増し、味が進化しているようだった」とピーター氏。

今回のキッチンでは、サプライズが。小林氏(中央)をサポートするために、新潟「里山十帖」料理長・桑木野恵子さん(左)と京都「KOKE」オーナーシェフ・中村有作氏(右)が参画。ドリームキッチンが生まれた。

2日間のみ、ディナー会場と姿を変えた「大書院」。移築後100年近くが経ってもなお色褪せぬ威風堂々たる姿は、ただただ感動。

礒村氏の話のほか、旋律をつけて経文を唱える声楽曲・声明の披露も。重厚な建築の内部に満ちる、荘厳な空気が漂う。

美味しいはもちろん、一連を通した文化体験として、堪能いただいたゲストたち。積極的に村氏に質問している姿も。

蝋や芯など、すべてが植物性原料の京都 伏見 京蝋燭「中村ローソク」。温かなオレンジ色の揺らぐ炎は心も癒す。

風景の主役は、創業江戸寛政年間「小嶋商店」の提灯。「京都南座」の提灯から「フランクミュラー」の装飾まで、幅広く手がける。炎のように常に火を絶やさず、次代に明かりを繋ぎ続ける「不滅の法灯」は、現代社会においても深いメッセージを感じる。

最後の挨拶では、キッチンスタッフが全員登場。キッチンでは小林氏が指揮を取り、会場では有巳さんが指揮を取り、阿吽の呼吸でひとつの世界を生んだ。

DINING OUT HIEIZAN風景や文化は、当たり前のように残らない。

2日目は「根元中堂」へ。ここでは、一般公開されていない、修繕・修復現場を巡ります。現在、「天台宗総本山 比叡山延暦寺」では、国宝の「根元中堂」ならびに重要文化財の廻廊を2016年から約10年をかけ、大改修中。

完成してからでは決して至近距離から見ることはできない木彫の装飾やこれまで建物を支えてきた建材などは、例え小さな部品でさえ、圧倒的な存在感を放っていました。

「修繕するにあたり、建設当時の部材が残っていることがわかり、今回活かせるものは再利用し、未来に残していきたいと思っています」と話す村氏は、実は、根元中堂保存修理事業事務局幹事も担っています。

一方、役目を終えた建材・部材も。法案に沿ったこれらの行き先を知り、国も含め、日本の資産をアーカイブする働きや改正も必要なのでは……と、勘案すると同時に、日本人こそ、こうした現状を知るべきなのかもしれません。

そして、「ダイニングアウト比叡山」を締めくくる最後の儀式へ。

舞台となる「日吉大社」は、「比叡山」の麓に鎮座。約2,100年前、崇神天皇7年に創祀され、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮でもあります。

「宇佐宮」拝殿にて行われるのは、平安時代から宮中で節会等のおめでたい日に行われてきた、食の儀式「式庖丁」です。

これは、大きな俎板に乗せた魚や鳥を、直接手を触れず、庖丁刀と俎箸で切り分け、瑞祥というめでたい形を表すものであり、平安中期、藤原道長の時代に宮家より伝わり、約1,100年の歴史を持つ儀式です。それを務め上げたのは、前日に「湖魚のお寿し」を供してくれた「ひさご寿し」の川西氏。前述、滋賀の食文化の研究を進める中、30歳の時に「式庖丁」に出合い、以降、15年以上、研鑽を積んできました。

「美味しいを伝えるだけでは、海外のお客さまに日本を伝えることはできません。もっと言えば、日本人こそ、日本の文化や歴史、伝統を学ぶべきであり、そう思って造形を深くしていきました」と川西氏。

静寂な空気の中、迷いなく刃を入れる様は、まるで演舞を観劇しているかのよう。そして、命とは何かを無言で訴えてくるようにも思えます。

「仏の教えとして、必要な生を取るために最低限の生物を摂取することは許されています。前日、湖魚のお寿しにおいては、魚類を摂らない精進料理ではありませんが、仏の概念としてはつながった体験となったのではないでしょうか」と川西氏。

形としての建造物、形のない文化。いずれにしても、今を生きる人が継いでいかなければ後世に残すことはできません。現代においてそれらを学べることは、先人たちが残してくれたからこそ。

1日目から2日目まで、全てがひとつにつながる総合体験こそ、「ダイニングアウト比叡山」。それを結実させたものは、「一隅を照らす。」という教えでした。

―――
一隅とは、今、あなたがいる、その場所です。あなたが、あなたの置かれている場所や立場で、ベストを尽くして照らしてください。あなたが光れば、あなたのお隣も光ります。町や社会が光ります。小さな光が集まって、日本を、世界を、やがて地球を照らします。(天台宗 一隅を照らす運動HPより引用)
―――

今回訪れたゲストをはじめ、携わった全ての人々、そこに生きる生物や自然も含め、「ダイニングアウト比叡山」という「一隅」に照らされた光は、決して消えることはないでしょう。

2日目の朝は「根元中堂」へ。通常、「仏様は、高い位置に祀られ、見上げるのが一般的ですが、ここでは参拝者がお参りする床の高さと仏様の高さが同じです」と礒村氏。難しい文脈を通訳するピーター氏は、「比叡山」の造詣が深く、慎重に単語をチョイスし、外国人ゲストに伝える。

現在、国宝の「根元中堂」ならびに重要文化財の廻廊を2016年から約10年をかけ、大改修中。ここもまた一般公開されていない場所であり、屋根などを間近で見る機会は、極めて貴重。

「日吉大社」の「宇佐宮」拝殿にて行われた食の儀式「式庖丁」。平安時代から宮中で節会等のおめでたい日に行われてきたと言われる。

「式庖丁」を務めたのは、「湖魚のお寿し」を供してくれた「ひさご寿し」の川西氏。継ぐ人間がいるからこそ、文化は後世に残る。

DINING OUT HIEIZAN此れ即ち国宝なり。言葉の続きを学び、考え続け、生きる。

「一隅を照らす。」という言葉には続きがあり、それが「此れ即ち国宝なり。」です。

この意味は、「その人こそが、なくてはならない国宝の人である。」と言われています。

これは、2日目に訪れた「根元中堂」に表現されています。通常、仏様は、高い位置に祀られ、見上げるのが一般的ですが、ここでは参拝者がお参りする床の高さと仏様の高さが同じです。

経の文句、「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」とあるよう、生きているもの全てが仏になる素質を持つことから、「平等」を「同じ高さ」で表現しているのです。ただし、地続きではなく、3mの掘り下げた空間は、仏になるまでの険しい道のりを意味し、真っ暗な世界に輝く法灯は正しい道標となります。

「ダイニングアウト比叡山」を迎えるまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。「一隅を照らす。」のごとく、ベストを尽くして照らしたからこそ、次の言葉、「此れ即ち国宝なり。」にほんのわずか少し近づくことができるのかもしれません。

「もちろん、これを成したからと言って私が国宝になれるわけではありません。この教えを大切にしながら一生をかけて学ぶことこそ、修行」と礒村氏。

では、一般社会に暮らす私たちには何ができるのか。それは、「考え続けること」。

自身に対して、周囲に対して、自然に対して、社会に対して。そして、生きることに対して……。

「人は考える能力を持つ生き物です。歩みを止めず、考え続けた先には、きっと何かが見つかるはずです。それもまた修行」。

「比叡山」では、毎年に発する言葉があります。令和5年の言葉は、「開発真心(かいほつしんしん)」。

―――
真心とは、嘘偽りの無い心。それは私たちの「真実の心」にほかなりません。真心を込めれば相手にも通じます。相手にも通ずるこころ、それは皆に具わっている「仏性」ほとけごころです。お互いの仏性を、開き発こして、目覚めさせましょう。(天台宗総本山 比叡山延暦寺HPより引用)
―――

人は考える能力を持つ一方、弱い生き物でもあります。真実の心を持ち続けるという修行もまた、人生と並走し、果てしなく長い道のりになるでしょう。

今回、日本人はもちろん、参加した外国人ゲストは、何を感じ取ってくれたのか。日本人ですら難儀のテーマを、国や人種、文化、宗教の異なる外国人へ伝えることは、より難儀。加えて、英語は意味を明確に持つ単語が多い世界ですが、日本語は趣を持つ単語が多い世界。言葉の壁も大きい。どう伝えれば正しく伝わるのか。分かり易くしても良くない、難しくしても良くない。我々、主催者側が一番熟考した件でもあり、その答えは、今なお得られていません。

答えのない答えを考え続けることもまた、修行。

改めて原点に還ります。

「一隅を照らす。此れ即ち国宝なり。」

「ダイニングアウト比叡山」は、これからもこの言葉と向き合い続けます。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

一度だけでは、真実を知ることはできない。再び比叡山へ。[DINING OUT HIEIZAN/滋賀県大津市]

DINING OUT HIEIZAN前回はプロローグに過ぎなかった。長い物語の第1章は、ここから始まる。

前回、「ダイニングアウト比叡山」が行われたのは、2023年2月。雪舞う極寒の季節、白く染まった山々に色を添えた朱の建物。その厳粛な風景は、今なお目に焼き付いています。

当時、開催するにあたり、その精神性を「光」を「観」ることとしました。これは、現代における表層的な「観光」ではなく、その言語の起源と言われている、中国の古典・易経にある「国の光を観る、もって王に賓たるに利し」の意によるものです。

「比叡山」の「光」とは何か。

体験したゲストは、何かを感じ取ってくれたかもしれませんが、それを言語化できる人はいないでしょう。なぜなら、前述の精神性を綴った言葉の後には、こう続けており、それが解を得ることのできない理由です。

「但し、一度の体験で全てを得られるわけはなく、そう易々と本質を享受できるほど甘くはありません。まるで沼のごとく、知れば知るほど深くなり、底という名の解を求め、人は再訪を誓うのではないでしょうか」。

ゆえに、再び比叡山へ。

唯一、「光」の先にたどり着いたもの。それは「比叡山延暦寺」(天台宗)の開祖、最澄が残した「一隅を照らす」という言葉との出会いでした。

振り返れば、前回はプロローグに過ぎなかったのかもしれません。「ダイニングアウト比叡山」という長い物語の第1章が、今始まります。

前回開催されたのは、2023年2月。凛とした空気の中、雪舞う「比叡山延暦寺」が美しかった。

今回もディナー会場となったのは、一般公開されていない「大書院」。ただ足を踏み入れるだけでも貴重な場に、2日間のみ、「ダイニングアウト比叡山」という奇跡が起こる。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

見たことがあるようで、ここにしかない絶景と美味。太平洋一望のグランピング場で感じた想い。[高知県芸西村]

 最大限に海と語り合う時間。それこそがこの施設の醍醐味。

眼前には遮るもののない太平洋の大海原。
風はどこまでも穏やかで、聞こえるのは潮騒と鳥のさえずりのみ。
彼方に走る外国船籍まで見える水平線。
きらめく陽光は次第に光を強めて西の海へと沈みゆく。

一度は見たことがある太平洋が、この高台から望むとこんなにもドラマチックに感じるのか。見飽きることのない、絶景とはまさにこんな場所のことを指すのではないか。

11月某日、高知県芸西村で産声を上げた『NAMITERRACE GEISEI (ナミテラス芸西)』は、思う存分、海と会話を楽しむグランピング施設として生まれました。

オープニングレセプションパーティ当日、ONESTORY取材班は、朝の準備から参加し、昼のパーティから、夕景、夜の部まで1日を通して変わりゆく景色を目の当たりにし、冒頭のように感じたという訳です。

全国津々浦々、さまざまな地域で海を見て、撮影してきましたが、時間とともにこれほどまでに表情を変える海はなかなか出合うことがありません。

時に活力を与えてくれ、時に穏やかに寄り添ってくれる。
大海原の力を感じる場所……

「そうなんです。この海とともに大人が集える隠れ家が作れたらなぁと。そんな想いでプロジェクトはスタートしました」とはプロジェクトの共同代表を務める和建設の中澤陽一氏。
「施設のシンボルであるフランス船籍のヨットを購入したのが始まりだったんですよね。いやー、ワクワクしたけど構想から3年以上は長かった」とはもうひとりの共同代表・石川共栄不動産の石川泉氏。

ヨット購入をきっかけに友人であったふたりのひらめきと企ては、いつしか周りを巻き込み大きな夢になっていきます。宿泊用コンテナやサウナを計画し、離れの一軒家も増築するなど次々にアイデアは膨らみ、いつしか穏やかな海沿いの村に海外リゾートを彷彿させる施設の誕生が期待され始めたのです。さらに話は広がり、地元・芸西村までを巻き込み、クラウドファンディングのプロジェクトとしてグランピング場という形に落ち着きます。そうして3年以上の月日をかけて完成したのが、太平洋を望むグランピング施設『NAMITERRACE GEISEI』なのです。

話は膨らむ一方で、プロジェクトの骨子である“雄大な海を望む大人の隠れ家”は代表のお二人の強い希望で、いつも変わらずに守られていきました。

そう、この場所は海と語らう場所。
いよいよオープンした、新たな大人の隠れ家の誕生を、ONESTORYではいち早くお伝えできればと思います。

オープニングパーティは海を望む芝生の広場が舞台。この日のために、旅する料理家・大塚瞳チームが料理を担当した。

コンテナを繋げて構築したとは思えない、ラグジュアリーなデザインの客室。

広大な太平洋を一望する高台に誕生したグランピング施設『NAMITERRACE GEISEI』。

朝昼晩、四季折々、さまざまな表情が移ろう太平洋は目前に。

共同代表の和建設の中澤陽一氏(左)と石川共栄不動産の石川泉氏(右)の挨拶からパーティは幕を開けた。

 この日のための旅する料理家・大塚瞳チームによる一期一会のコース料理

『NAMITERRACE GEISEI』のオープニングパーティには、地元の名士はもちろん、国会議員やアーティスト、全国の食いしん坊など、さまざまな人々が駆けつけました。お目当ては、旅する料理家・大塚瞳さんによるこの日のためだけに用意された特別料理のフルコース。

今までに畑の中や断崖、サーキット、列車に、登り窯跡と、国内外問わず、その土地の料理を数日限りの特別な食空間でもてなしてきた彼女。食空間演出家でもある大塚さんがこの海をどう楽しませるか? 来場者の期待は自ずと高鳴ります。

ゲストがいきなり驚かされたのが、施設の中央に位置する芝生広場を大胆に使ったタープ型の屋外テーブルだったのです。さらに目を凝らすと彼女が用意したのは、海と並行するように伸びる一本になったビッグテーブルだったのです。これはさながら屋外のターブルドット。フランスなどでホテルや宿の主人が、客人を自らの料理でもてなすスタイルで、大きなテーブルを囲みつつ、皆が同じ料理と時間を共有するというもの。海を望むこの空間で、全員が同じテーブルを囲む、ひとつの大きな輪を作り出したのです。

生シラス、土佐の通称“どろめ”を使ったブルスケッタは、ダジャレで“ドロスケッタ”と名付けるほか、季節の野菜やキノコを使った5種類のアペタイザーからスタート。

30名のゲストがひとつのテーブルを囲むスタイルで料理は提供された。この日のために設計された炭台付きテーブル。銘々に置かれた白い球体は料理の盛られた3段重になっており特別に製作されたもの。

食材名だけが記されたメニューを配る大塚さん。このメニューは彼女独自のもの。たまに読み方の難しい漢字などが書かれていて、隣に座った知らない人同士でも質問しあったりして、話すきっかけづくりのひとつになればという。

屋外に作られたキッチン。外の厨房のほとんどがキャンプ用のギアでまかなってしまった。

 絶景までも料理の一部。大塚瞳が高知で表現したかったのは?

世界中を旅して、その地で出会った風土や歴史、そこに根付く食文化を掘り下げてメニューに落とし込む大塚瞳さん。
高知での屋外パーティーでも、やはりこの地で出会った食材とそれを生み出す人達がメニューを彩ってくれました。

「まずいつも思うことですが、この場所でごはんが食べられたら嬉しいかなという空間づくり。今回も海が見える素敵な立地を思う存分味わってほしくて屋外を選びました。料理は高知の皆様が普段食べている食材や郷土料理が中心。それを私流のいつもとは少し違う味付けでご用意しました。いっぱい食べて、絶景とともに楽しんでくださいね」

そう言って始まった酒宴は、昔ながらの製法で作られる堅豆腐を紹興酒漬けにしてチーズのように楽しませたり、四方竹と菊芋のピリ辛炒めだったり、チャンバラ貝を燻製にした前菜からスタート。確かに地元で根付いた食文化を取り入れながらも、食べたことのない味わいばかり。驚いたのは、見知らぬゲスト同士もお互い目で確かめ合いながら食べたことのない美味に驚き、自然と会話に花が咲いている光景でした。

さらに、食事中にドラム缶を使い藁でいぶしたカツオのたたきは麻辣の味付け、うなぎの白焼は水キムチやターサイ、サンチュで巻いて味わう韓国スタイル。締めのご飯は、米の専門家、古田さんとの出会いによって決定したというすきやき丼。こちらは炭火で焼いた土佐のあか牛をすき焼き丼のスタイルで提供してくれたのですが、あか牛のジューシーさもさることながら、会場から上がった声は「ごはんがおいしい!」「卵が濃厚!おかわりしたい」と脇を固める食材たち。
そうなのです。大塚さんはこの日のために、あか牛のすき焼きに合うお米を食べ比べ、ヒノヒカリ、にこまる、コシヒカリの3種類を、精米したて、1週間後、2週間後と選びに選んでいたというのです。食べ合わせが決まるまで、古田さんが惜しみなく協力してくれたと言います。さらには平飼いの土佐ジローの生卵が追い打ちを。すき焼きの甘辛タレとあか牛のエキスが、これでもかとご飯と卵を誘います。

気がつけば焼き芋のデザートまで怒涛の2時間30分。ゲストは大いに食べて語り合い、この絶景と美味を享受したのです。
2日間に亘り開催された『NAMITERRACE GEISEI』のオープニングパーティはこうして無事に幕を閉じました。

最後に感じたのは、絶景までも料理に取り入れる大塚瞳さんの凄みと、旅する料理家を魅了したこのグランピング施設の絶景。おいしい料理と絶景があれば、人は知らずに幸福に包まれているのです。

『NAMITERRACE GEISEI』の今後が益々楽しみに!

テーブルに置かれた陶器の丸い球体は三段重。一の段は、郷土料理と地元に根付く食材を中心の前菜に。

二の段はうなぎの白焼きを、サンチュやアマランサス、ターサイなど高知の野菜と水キムチ、自家製の山椒味噌のペーストで巻いて味わう。

空の状態で提供される三の重。ここに羽釜で炊いたにこまる、炭火で焼き上げたあか牛のヒレとサーロイン、土佐ジローの卵を乗せてすきやき丼に。

大塚さんが地元の福岡から連れてきたスタッフは3名のみ。残りのその他大勢は、地元の学生や主婦、建築業者などが即席でチームを結成。

NAMI TERRACE GEISEI
住所:高知県安芸郡芸西村西分乙59-2
電話:070-4433-2859
営業:2024年1月グランドオープン予定
休日:なし
URL:https://namiterrace-geisei.com
 

Photographs:KENTA YOSHIZAWA
Text:TAKETOSHI ONISHI
(supported by 合同会社芸西プロジェクト)

2023年、最も売れた「おいしいニッポン」トップ10[和光アネックス/東京都中央区]

日本全国から「おいしいニッポン」を「和光アネックス グルメサロン」から発信し続けてきた「FIND OUT ABOUT NIPPON」。2023年、最も反響のあったベスト10を総まとめ。

WAKO ANNEX手軽に本格料理を。あの名品をもう一度。

一年を通して見つけ出した「おいしいニッポン」。今回は、多くのお客様からご好評をいただいた中から、トップ10を総まとめ。特に人気だったのは、イタリアン。「共栄食糧」の「島のパスタソース」シリーズにおいては、トマト、ジェノベーゼ、ペペロンチーノと3種もランクイン。まとめ買いはもちろん、一度購入したお客様が「他の種類も!」とリピーターが続出した品です。

また、さらに上級者は、麺も同社の「オリーブパスタ」をチョイス。凹凸とした形状の麺は、手延べ製法で作られているため、ソースがよく絡み、存分にその味わいを堪能できます。オリーブオイルも練りこまれているため、風味も豊か。ソースを一番美味しくいただくにはこの麺、麺を一番美味しくいただくにはこのソース。ふたつあってこそ、料理本来の味わいが完成されるのです。

続いては、知る人ぞ知る名店「ピッツァ ストラーダ」のピザ。「水牛モッツァレラのマルゲリータ」と「クアトロフォルマッジ」は、お店でも人気とあって、「あの味を家でも食べられる!」と、ファンはもちろん、新たに知ったお客様も虜に。

10品のうち、イタリアンが6品も占めるという結果になりました。

ごろっとトマト、プチっと刻んだオリーブが美味。かけるだけで本格イタリアン。

大分県産バジルと北海道産チーズを使用した無添加ソース。かけるだけで贅沢な料理に。

国産ニンニクに唐辛子、オリーブを加え、豊かな風味に。リピート率の高い品。

デュラム小麦粉に香川県産小麦粉をブレンド。モチモチした凹凸の麺が新食感。上記3種のパスタは、この麺を使用。

水牛モッツァレラチーズを贅沢に使用し、トマトやバジルを利かせたピザ。

スモークモッツァレラチーズ、ゴルゴンゾーラ、タレッジオ、ペコリーノの4種のチーズを使用したピザ。

WAKO ANNEXまるでシェフが手がけたような料理の味わい。進化し続ける食品群。

そのほか、これからの寒い時期、鍋のお供に最適な「丸正酢醸造元」の「生しぼり橙ぽん酢」や自分好みの割りものが楽しめる「球磨川アーティサンズ」、そして、まるで果物を食べているような「日本総合園芸」の「伊予柑ジュース」もランクイン。

全てに共通していることは、簡単・手軽だということ。働く人や子育てなど、忙しい方々には、ほっとひと息、暮らしに豊かさを。はたまた、パーティーや大切な人との集いには、気の利いた手土産としても最適です。様々なシーンにおいて上質な時間を演出してくれることもまた、10品に共通している人気の秘訣なのかもしれません。

それは、見えない作り手のたゆまぬ努力とより多くの人においしいを届けたいと思う情熱から生まれているのです。

瀬戸内の新鮮な天然真鯛を加工。炊飯器で炊くだけで本格的な愛媛の郷土料理に。

新鮮な橙の果汁をたっぷり使用。鍋はもちろん、様々な料理に合う万能調味料。

熊本県琉磨地方の香り豊かな炭酸割がおすすめ。

まるで食べているような果汁100%ジュース。甘味、酸味、苦味の調和が絶妙。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

花と木。光と影。食は林業と向き合えるか。

Delicious Journeys in Matsumoto」のフラワーアートを手がけた花人・赤井 勝氏(右)と地元で家具などを手がける「アトリエ・エムフォオ」前田大作氏(左)。

国宝松本城チャリティーガラディナー 語られなかった物語。だが、知るべき真実。

「Delicious Journeys in Matsumoto」の終盤、風景に彩りを添えたのは、花人・赤井 勝氏です。完成した作品は実にダイナミックで華やか。客席側からは、ライトアップされた作品を背景に「国宝 松本城」がそびえ立ち、圧巻の景色を創造しました。しかし、前記事同様、ここにも光と影が存在しており、その影を知る人は少ない。影とは、作品の基礎となったカラマツです。

松本に限らず、信州長野は、多くのカラマツが植林されています。樹齢は約70年。戦後に植えられ、当初は40年ほどで伐採し、その利用目的は土木用の資材でした。しかし、時代は変わり、鉄筋コンクリートの建物の乱立によって木造建築は激減。カラマツは放置。自生したものではなく、人が植林したもののため、人が解決すべき問題。それに約20年向き合い続けているのが、カラマツをはじめとした針葉樹などで家具やプロダクトを作る「アトリエ・エムフォオ」前田大作氏です。

「針葉樹というサステナブルな素材が日本の伝統工藝の文化によってラグジュアリーなプロダクトに変貌することに挑戦を続けてきました。持続可能な世界が決して単調ではなく人の活動で多様に輝けることの魅力を世界へ発信し共有したいと考えています。日本の木工家業を継ぎ、針葉樹を生かす文化を身につけた意味を、その使命と役割を、この数年で強く感じています」。

実は、カラマツは家具には不向きな材。老木であれば、目が詰まり、適用できますが、樹齢サイクルが40年程度になればより理想的。「若いカラマツは家具製作には不向きですが、そこに挑戦し、循環を作っていきたい」と言葉を続けます。

人の都合でもの作りをするのではなく、カラマツの成長に合わせてもの作りをする。それはなぜか。繰り返しですが、人が植えたものだから。足りないものや不便は、人の技術や知恵で補う。それが定め。しかし、カラマツにはちゃんと価値がある。その好例は、「伊勢神宮」に見られます。式年遷宮では20年に1度神殿を新築する営みが1300年もの間繰り返され続けおり、これは、成長の早い針葉樹だから実現できる持続的な営み。

「この地域に生息するカラマツの現状を知って欲しかった」。

そんな話を伺い、カラマツに新たな魂を吹き込んだのは赤井氏です。

「国宝 松本城」と同じく、堂々とそびえるフラワーアート。華やかな装飾はもちろん、その基礎として支えるカラマツこそ、今回の表現には欠かせない重要なファクター。

国宝松本城チャリティーガラディナー 命に関わるもの同士の共鳴。この人が言うことは信じる。

「若いころは、どうすれば美しくなるか。どうすれば面白くなるか。そんな表現をしていました。ですが、年齢も重ね、様々な時代を経て、出会いに重きを置くようになりました」と赤井氏は話します。

出会いとは、花や植物、自然はもちろん、人、地域、もの、こと、食、風景など様々。花材だけでなく、その出会いも見えない材となり、創造力を掻き立てるのかもしれません。

「様々な出会いの中でも人との出会いは特別。なぜなら、声を聞くことができるから。それによって、魅力を感じ、興味が湧く。初めて前田さんにお会いした時、もの作りをしている人だって、すぐにわかりました。いつもであれば、こちらからリクエストすることもあるんですが、今回は、すべてお任せ。前田さんが用意してくれるカラマツなら自分は良い表現ができる、そう思いました」。

長く前田氏はカラマツを見続けているため、「主観的になってしまう自分を危惧している」と話していました。ゆえに、「客観的に見る赤井さんにカラマツがどう映るのか。ここに不安と期待がありました」。前述の赤井氏の言葉を聞き、前田氏は、外の世界との目線合わせも確認できたのではないでしょうか。そして、今回のコラボレーションによって、確認は自信にも繋がったのではないでしょうか。それは、赤井氏がゲストに作品を発表するときに発した一言に表れています。

「今回のメインの花材は、カラマツです」。

Delicious Journeys in Matsumoto」に彩りを添えた作品は、ただ美しいだけではなく、そんなふたりの想いが込められているのです。海がない信州長野においては、「海を守るために山を守る」ではなく、「川を守るために山を守る」。その逆もまた然り。山々の恵みと林業は、運命共同体。カラマツを通して、食は林業と向き合えるか。これは、今を生きる我々にとって、思案すべき重要なテーマなのではないでしょうか。

「カラマツ利用の魅力は、針葉樹を植えてきた日本の民族の魅力だと思っています。それを誇りにしたい」と前田氏。

「前田さんと話していると、この人の言うことを信じれば必ず良い表現ができる。そう思っていました」と赤井氏。それはなぜか。

「“人”の“言”を“信”じる州、信州。そんな前田さんの言葉だから」。

Photographs:YOICHIRO KIKUCHI
Text:YUICHI KURAMOCHI

地域の光と影。「ルレ・エ・シャトー」9人のシェフが教えてくれたこと。

「本丸庭園」に設えられたレストラン「Delicious Journeys in Matsumoto。「国宝 松本城」にて食のイベントか開催されるのは今回が初。

国宝松本城チャリティーガラディナー 「ルレ・エ・シャトー」だから結実できた幻の2日間。

去る10月16日、17日。長野県松本市を拠点にホテル・宿を運営する「扉ホールディングス」主催のもと、Delicious Journeys in Matsumoto」が開催。

料理を担うのは、「ルレ・エ・シャトー」より厳選された9名のシェフです。日本からは、金沢「日本料理銭屋」の髙木慎一朗シェフ、宇都宮「オトワレストラン」の音羽和紀シェフ、大阪「柏屋」の松尾英明シェフ、松本「扉温泉明神館」「ヒカリヤニシ」の田邉真宏シェフ、大阪「ラ・ベカス」の渋谷圭紀シェフ、京都「要庵 西富家」の美坂昌希シェフ、神戸「神戸北野ホテル」の伊井野昌洋シェフ、沖縄「ジ・ウザテラス ビーチクラブヴィラズ」の喜納正智シェフが招集され、海外からは、フランスより、「オーベルジュ・バスク」のセドリック・ベシャドシェフが来日。この2日間だけのチームが結成されました。

会場となったのは、「国宝 松本城」。まだ空の青が残る静謐な空気の中、一般の入場を終えた時間から会の幕が上がります。合図となったのは、穏やかに鳴り響いてきた神々しい雅楽。その音色は、耳に優しいだけでなく、心身も浄化してくれるような感覚を覚えます。旋律が消えた瞬間、重く大きな「黒門」の扉が開き、ゲストは境界の向こう側へと足を運びます。

一体、どんな世界が待っているのか。いよいよ始まります。

※「Delicious Journeys in Matsumoto」の参加費の一部は、文化財でもある国宝「松本城」の保全、保存、保護のために寄付されます。

「黒門」の前に響き渡る雅楽の音色。澄んだ音色は、まるで空気を辿り、旋律が奏でられ、心の奥底まで響きわたる。

国宝松本城チャリティーガラディナー 文化、歴史、伝統を舞台に、シェフ、サービス、そしてゲストのパッションが交錯。「国宝 松本城」に新たな景色を創造する。

「黒門」をくぐってすぐ。早速、美食の旅が始まります。

まず、アペリティフとして用意されたのは、3品のカナッペ。京都「要庵 西富家」の美坂シェフが手がける「ブラックダイヤと京都丹波栗・信州味噌チーズもなか」と神戸「神戸北野ホテル」の伊井野シェフが手がける「シナノユキマスのコンフィ 松本一本葱の柑橘キャビア」、そして、沖縄「ジ・ウザテラス ビーチクラブヴィラズ」の喜納シェフが手がける「石垣牛とりんご 長野県産野菜のカナッペ 本わさび風味」です。

信州味噌やシナノユキマス、松本一本葱など、地元食材を使用することはもちろん、京都丹栗や石垣牛など、それぞれのシェフがレストランを構える地元食材と掛け合わせている妙は、料理を通した旅そのもの。スタンディング&フィンガーフードスタイルですが、料理のクオリティは、グランメゾン。しかし、本当の舞台はこれから。さらに歩を進めた先にある「本丸庭園」に設えられた舞台が今宵のディスティネーションです。「国宝 松本城」を間近に望む舞台は、すべてがプラチナシートと呼ぶに相応しい特等席。

ゲストが着席するころ、辺りは朱に染まり、マジックアワーに。今回のホストを務める「扉ホールディングス」代表兼「ルレ・エ・シャトー」日本・韓国支部長の齊藤忠政氏がその想いを語ります。

「国宝 松本城は、これまでに数多くの取り壊しの危機があり、都度、先人たちが守り続けてくれたお城です。この宝を残してくれた全ての方に感謝いたします」。

現代において、「国宝 松本城」と邂逅できる奇跡に想いを馳せ、やがて闇の帳が降り、宴が始まります。

まず1品目、もとい、4品目は、大阪「ラ・ベカス」の渋谷シェフの前菜「松本まみれの小鹿」。サヤインゲン、カラフル人参、クリタケ、シイタケ、市田柿、ピオーネ、シナノスイート、鹿、信州味噌、リンゴ酢、豆腐、オニグルミ……。全て松本の食材。黒いソースは鹿の出汁、白いソースはオニグルミ。あえて例えるならば、白和えのような味わいとでも言うべきか。食材を細かく刻み、混ぜ込むことによって、口内で見頃に調和。「ポール・ボキューズ」、「ジョエル・ロブション」、「アラン・シャペル」という3人の巨匠のもと、研鑽を重ねてきた技術は、まさに本物。その料理観が見事に表現され、食材はもちろん、渋谷シェフの人生も大いにまみれたひと皿。「ラ・ベカス」においては、同行したサービスの質も高さも特筆すべき点。渋谷シェフの料理だけでなく、他のシェフの料理においての理解度も高く、決して大きくはないレストランだからこそ結束されたおもてなしは、実に心地良く、その姿においても、堂々と美しい。

5品目は、金沢「日本料理銭屋」の髙木慎一朗シェフの前菜「鯉に上下の隔てなし」。海のない信州長野では、魚といえば川魚の文化。中でも鯉は郷土料理の代表的な食材です。

「信州長野の食材を考えた時、真っ先に考えたのが鯉でした。中国の古事によると、鯉は急流を登る唯一の魚。登りきった鯉は龍になったと伝えられ、幸運な魚としても崇められています」。

昨今の難局を経た激動の時代は、まさに急流のよう。それを登りきり、今回のような体験ができたゲストは、まさに幸運だったに違いない。

特設テントに厨房を設置し、9人のシェフとそれぞれのスタッフが総出で調理する。

アペリティフ、3品のカナッペ。左より、神戸「神戸北野ホテル」の伊井野シェフが手がける「シナノユキマスのコンフィ 松本一本葱の柑橘キャビア」、沖縄「ジ・ウザテラス ビーチクラブヴィラズ」の喜納シェフが手がける「石垣牛とりんご 長野県産野菜のカナッペ 本わさび風味」、京都「要庵 西富家」の美坂シェフが手がける「ブラックダイヤと京都丹波栗・信州味噌チーズもなか」。

左より、神戸「神戸北野ホテル」、沖縄「ジ・ウザテラス ビーチクラブヴィラズ」、京都「要庵 西富家」。

大阪「ラ・ベカス」の渋谷シェフの前菜「松本まみれの小鹿」。

大阪「ラ・ベカス」の渋谷シェフ(左)とサービスの小河友最香さん(右)。料理だけでなくスタッフのサービスも光る。個性豊かなキャラクターも「ラ・ベカス」らしさ!

金沢「日本料理銭屋」の髙木慎一朗シェフの前菜「鯉に上下の隔てなし」。

「今回の料理は、佐久出身のスタッフ・萩原彩音と共に作りました」と話す言葉が印象的だった金沢「日本料理銭屋」の髙木シェフ。食材だけでなく、人の想いも地域に寄り添う。

夕刻から夜にかけ、刻一刻と風景が変わる刹那の感動も野外の醍醐味。多彩に表情を変える「国宝 松本城」の絶景もまた、ゲストの満足を高める。

今回の会場には多くの外国人ゲストが参加したことも特徴すべき点。「素晴らしかった」「こんな経験をしたことはない」「Amazing experience」など多くの感動の声が寄せられた。

国宝松本城チャリティーガラディナー 味だけでは語れない。物語があるからこそ、その料理は人生のひと皿になる。

6品目は、大阪「柏屋」の松尾英明シェフの「ニジマスとホタテと木の実の真蒸 松茸、蕪、銀杏芋、紅葉人参、松葉柚子」の煮物椀。この日、初の温かな品は、野外ゆえ、より格別に舌と身体を喜ばせます。香りもサイズも一級の信州松本の松茸は、まさに贅の極み。

ニジマスや前述の鯉は、「雄大な山々から流れる清らかな水が育んだ食材であり、その恵みによって里山文化が生まれました」とは、ホスト・齊藤氏の言葉。美味に歴史を重ねることによって、料理に奥行きを与えます。

7品目は、フランス「オーベルジュ・バスク」のセドリック・ベシャドシェフの魚料理「マルミタコ 漁夫の帰郷」。マグロのロース(背中)を信州長野の醤油でマリネしたものとマグロの腹部位をタタキにしたもの、2種のマグロマグロをトマトとスパイシーなソースで味わう品。万願寺とうがらしが味に締まりを与えます。

8品目は、宇都宮「オトワレストラン」の音羽和紀シェフの肉料理「信州牛のロティ 長野県産の伝統発酵食品すんきのベアルネーズ 秋の茸と落花生のピティヴィエ」。柚餅子の柑橘や味噌の風味を纏わせた信州和牛には、長野の落花生と伝統発酵食品すんきの酸を活かしたベアルネーズソースで。また、フランスの菓子、ピティヴィエをアレンジした添えものも秀逸。長野県のキノコと鶏肉のムースを合わせ、料理の完成度をより高みへと誘います。音羽氏は「ルレ・エ・シャトー」の「シェフ・トロフィー2019」のほか、「ゴ・エ・ミヨ」や「ディスティネーションレストラン」など、様々な賞を受賞しています。しかし、「オトワレストラン」といえば、家族愛ではないでしょうか。和紀氏をはじめ、厨房には長男の元氏、サービスには料理人でもある次男の創氏、マネージメントなどには長女の香菜さん。この日も、サービスには香奈さんの姿が。

「小さい頃から、両親が料理をする姿を見て育ってきました。歌舞伎と同じように、物心ついた時からレストランに接してきました」と話します。

例えば、フランスのシャトーにおいても、多くの銘酒はあれど、一族経営というと分母は激減。ファミリーで営むことがどれだけ難しいかを物語っている一方、継承し続けることによって生まれるのは確固たる文化。「オトワレストラン」(の家族)には、星や順位、ランキングだけでは計れない、本当に必要とされるファインダイニングとは何かの答えが潜んでいるのではないでしょうか。

9品目は、松本「扉温泉明神館」「ヒカリヤニシ」の田邉真宏シェフのデザート、「小布施栗のモンブラン 洋梨とベルベーヌのスープ 白トリュフ添え」とミニャルディーズ「琥珀糖 最中と小豆のマカロン 豚のレーズンサンドシャインマスカット」です。

唯一の地元のシェフでもあり、「ふんだんに地元食材を起用しました」と田邉シェフ。デザートのモンブランには、シャモの卵と信州長野県のブランデーを使い、モンブランの中にもドライフルーツを使ったヌガーグラッセが。鼻から抜ける栗とトリュフの香りのマリアージュも実に爽快。

9人のシェフと9つの料理。それぞれの個性をまとめ上げるのは、「ルレ・エ・シャトー」のヴィジョン、「料理とおもてなしで世の中に貢献する」の指針にあるのかもしれませんが、この日、さらにそれをひとつの世界に仕上げたのは、「国宝 松本城」の存在かもしれません。

「Delicious Journeys in Matsumoto」の時間、常に側で見守ってくれていたのは「国宝 松本城」です。野外レストランは、ロケーションで決まる。大げさかもしれませんが、圧巻の風景は、それほどまでに説得力に満ち溢れ、力強く、優しく、全てを抱擁した豊かな時間を育んでくれました。

今回、Delicious Journeys in Matsumoto」に携わったメンバーは、総勢80名。この2日間のために、一致団結し、最高の時間を創出した。

大阪「柏屋」の松尾英明シェフの「ニジマスとホタテと木の実の真蒸 松茸、蕪、銀杏芋、紅葉人参、松葉柚子」の煮物椀。

お客様一人ひとりのメニューにサインをする大阪「柏屋」の松尾シェフ。他8名のシェフのサインも綴られたものがテーブルに配される。

フランス「オーベルジュ・バスク」のセドリック・ベシャドシェフの魚料理「マルミタコ 漁夫の帰郷」。

フランス「オーベルジュ・バスク」のセドリックシェフ。「松本の街はコンパクトで自然とのバランスが良い。バスクに似ており、愛着が湧きます。ぜひ、また訪れたい」。

宇都宮「オトワレストラン」の音羽和紀シェフの肉料理「信州牛のロティ 長野県産の伝統発酵食品すんきのベアルネーズ 秋の茸と落花生のピティヴィエ」。

シェフ同士の交流も生んだ「Delicious Journeys in Matsumoto」。松本「扉温泉明神館」「ヒカリヤニシ」の田邉真宏シェフ(左)、右より宇都宮「オトワレストラン」の音羽ファミリー長女の香奈さん、和紀シェフ。

松本「扉温泉明神館」「ヒカリヤニシ」の田邉シェフのデザート、「小布施栗のモンブラン 洋梨とベルベーヌのスープ 白トリュフ添え」とミニャルディーズ「琥珀糖 最中と小豆のマカロン 豚のレーズンサンドシャインマスカット」。

国宝松本城チャリティーガラディナー 地産地消だけではないシェフからのメッセージ。そして、地域と向き合う光と影。

Delicious Journeys in Matsumotoでは、地産地消×シェフだけではない料理の在り方について、いくつか発見がありました。

今回は、松本での開催のため、当然、松本をはじめとした信州長野の食材を起用し、各シェフが自らの技術と感性を活かした料理に仕上げています。そんな中でも、異色を放っていたのが、大阪「柏屋」の松尾シェフとフランス「オーベルジュ・バスク」のセドリックシェフでした。

松尾シェフは、持続可能な食の創出を目指す「リレーションフィッシュ」としての顔も持ち、近畿大学とともに研究を重ね、海洋資源に向き合っています。

「ルレ・エ・シャトーは、SDGsという言葉が世に出る前から海洋資源の問題に向き合ってきました。今回使用した帆立貝は、貝の中に稚貝を入れ、自然に近い環境で育てた養殖です。もうひとつ使用した貝、二枚貝は、海水をろ過し、プランクトンなどを餌とすることによって海水を浄化する役割を果たしてくれます。料理人は環境、海洋資源を考えながら、希少なものを大切に、足りないものは人の知恵をもって補う。そんな考えが大切だと思います」。

松尾シェフの腕の中には、海の生態系も描かれ、地球上にある食材は無限ではなく有限であるという社会問題への強いメッセージも込められているのです。

「お店で魚を提供するとき、“天然の○○です。”と言っても“養殖の○○です。”とは言わず、ただ“○○です。”とだけお伝えするのが現状です。“天然もの”というブランドに頼っています。“天然もの”という看板をおろしたら、今まで通りにお客様の満足は得られるのか? 悩んでしまいます。また、未利用魚についても同じ事が言えます。海洋資源の枯渇は深刻さを増しています。このままでは天然の魚介類は、お店で使えなくなってしまいます。養殖魚を取り入れて行かなければ、続けていけません。気候問題、環境問題、食糧事情、人口増加などを知る必要もあると思います。そしてそれぞれの立場から、私たちは料理人としての何ができるか? 何を伝えていかなければならないのか? こういうことを意識していきたいと考えています」。(リレーションフィッシュ公式HPより一部抜粋)

そして、セドリックシェフ。特筆すべきは、海なし県におけてマグロを起用したことの違和。これについて本人に尋ねると、作為のない実に素直な想いによるものでした。

「16年バスクでシェフをしています。こうしたイベントも含め、私がバスク以外で料理をする時は、バスクの文化を伝えたいと思っており、必ず作る料理が郷土料理のマルミタコなんです。もちろん、信州長野の醤油などを起用して仕上げていますが、あくまでも私は皆さんにバスクを知っていただきたい」。

地域で行われるイベントにおいては、あくまでもその地域の特性(食材、文化、歴史、伝統など)を主軸にシェフがどう表現できるかというのが常ですが、セドリックシェフにおいては真逆。自身の地域の特性を主軸に乗り込んだ先の地域の特性をどう活かせるか。9品ある中、この1品だけは、松本や信州長野ではなく、間違いなくバスクでした。そんな話の流れから、面白いエピソードを話してくれました。

「松本の滞在中、お蕎麦屋さんに行ったんです。そこで七味唐辛子を初めて知ったのですが、素晴らしい調味料ですね! 今回のイベントのために、バスクを代表する香辛料、ピマンデスペレットを持ってきていたのですが、次回は、七味唐辛子を使って作ってみたいです!」。

まず、セドリックシェフが七味唐辛子を知らなかったことに対して驚きを覚えましたが、国や文化が違うため、当然といえば当然のことなのかもしれません。「知らなかった」という点では、「オトワレストラン」の音羽シェフもすんきを知らなかったと話しています。ある人にとっては「当たり前」でも、ある人にとっては「有り難い」。そう考えると、シェフたちにとっても刺激的な発見があったのではないでしょうか。

セドリックシェフに話を戻すと、醤油や七味唐辛子が海を渡り、松本や信州長野の魅力がバスクから広がる可能性を秘めていると視点を変えれば、前述の違和は、意義のあるひと皿へと見解が変わります。

最後に、ホスト・齊藤氏は「Delicious Journeys in Matsumoto」についてこう語ります。

「現在、伝統野菜をはじめ、歴史を紡いできた資産、資源が途絶えてしまいそうなものもあります。どうすれば次の世代に残せるのかを考えなければいけない」。

改めて目を上げると、光と影をまとった「国宝 松本城」がそびえます。華やかな美食、煌びやかなイベントの光だけに目を向けず、影とどう対峙できるか。無言でそう問われているようです。あえて、前回の記事と同じ締めくくりをしたいと思います。

世界中は難局を経て、人は何を学んだのか。食べることとは何か。料理とは何か。レストランとは何か。そして、生きることとは何か。「ルレ・エ・シャトー」のメンバーとともに「松本城」で過ごす時間は、きっと大切な何かに気づかせてくれるに違いないでしょう。

今回は、あくまでもきっかけに過ぎません。美しい日本を守り続けることができるのは、我々、日本人なのです。

今回のホストを務めた「扉ホールディングス」代表兼「ルレ・エ・シャトー」日本・韓国支部長の齊藤忠政氏。「今回をきっかけに、ルレ・エ・シャトーに加盟するレストランの地域でもDelicious Journeysを開催したいと思います」。

Delicious Journeys in Matsumoto」のために集まった9人のシェフと「扉ホールディングス」代表・齊藤氏。

Photographs:YOICHIRO KIKUCHI
Text:YUICHI KURAMOCHI

地域の光と影。「ルレ・エ・シャトー」9人のシェフが教えてくれたこと。

「本丸庭園」に設えられたレストラン「Delicious Journeys in Matsumoto。「国宝 松本城」にて食のイベントか開催されるのは今回が初。

国宝松本城チャリティーガラディナー 「ルレ・エ・シャトー」だから結実できた幻の2日間。

去る10月16日、17日。長野県松本市を拠点にホテル・宿を運営する「扉ホールディングス」主催のもと、Delicious Journeys in Matsumoto」が開催。

料理を担うのは、「ルレ・エ・シャトー」より厳選された9名のシェフです。日本からは、金沢「日本料理銭屋」の髙木慎一朗シェフ、宇都宮「オトワレストラン」の音羽和紀シェフ、大阪「柏屋」の松尾英明シェフ、松本「扉温泉明神館」「ヒカリヤニシ」の田邉真宏シェフ、大阪「ラ・ベカス」の渋谷圭紀シェフ、京都「要庵 西富家」の美坂昌希シェフ、神戸「神戸北野ホテル」の伊井野昌洋シェフ、沖縄「ジ・ウザテラス ビーチクラブヴィラズ」の喜納正智シェフが招集され、海外からは、フランスより、「オーベルジュ・バスク」のセドリック・ベシャドシェフが来日。この2日間だけのチームが結成されました。

会場となったのは、「国宝 松本城」。まだ空の青が残る静謐な空気の中、一般の入場を終えた時間から会の幕が上がります。合図となったのは、穏やかに鳴り響いてきた神々しい雅楽。その音色は、耳に優しいだけでなく、心身も浄化してくれるような感覚を覚えます。旋律が消えた瞬間、重く大きな「黒門」の扉が開き、ゲストは境界の向こう側へと足を運びます。

一体、どんな世界が待っているのか。いよいよ始まります。

※「Delicious Journeys in Matsumoto」の参加費の一部は、文化財でもある国宝「松本城」の保全、保存、保護のために寄付されます。

「黒門」の前に響き渡る雅楽の音色。澄んだ音色は、まるで空気を辿り、旋律が奏でられ、心の奥底まで響きわたる。

国宝松本城チャリティーガラディナー 文化、歴史、伝統を舞台に、シェフ、サービス、そしてゲストのパッションが交錯。「国宝 松本城」に新たな景色を創造する。

「黒門」をくぐってすぐ。早速、美食の旅が始まります。

まず、アペリティフとして用意されたのは、3品のカナッペ。京都「要庵 西富家」の美坂シェフが手がける「ブラックダイヤと京都丹波栗・信州味噌チーズもなか」と神戸「神戸北野ホテル」の伊井野シェフが手がける「シナノユキマスのコンフィ 松本一本葱の柑橘キャビア」、そして、沖縄「ジ・ウザテラス ビーチクラブヴィラズ」の喜納シェフが手がける「石垣牛とりんご 長野県産野菜のカナッペ 本わさび風味」です。

信州味噌やシナノユキマス、松本一本葱など、地元食材を使用することはもちろん、京都丹栗や石垣牛など、それぞれのシェフがレストランを構える地元食材と掛け合わせている妙は、料理を通した旅そのもの。スタンディング&フィンガーフードスタイルですが、料理のクオリティは、グランメゾン。しかし、本当の舞台はこれから。さらに歩を進めた先にある「本丸庭園」に設えられた舞台が今宵のディスティネーションです。「国宝 松本城」を間近に望む舞台は、すべてがプラチナシートと呼ぶに相応しい特等席。

ゲストが着席するころ、辺りは朱に染まり、マジックアワーに。今回のホストを務める「扉ホールディングス」代表兼「ルレ・エ・シャトー」日本・韓国支部長の齊藤忠政氏がその想いを語ります。

「国宝 松本城は、これまでに数多くの取り壊しの危機があり、都度、先人たちが守り続けてくれたお城です。この宝を残してくれた全ての方に感謝いたします」。

現代において、「国宝 松本城」と邂逅できる奇跡に想いを馳せ、やがて闇の帳が降り、宴が始まります。

まず1品目、もとい、4品目は、大阪「ラ・ベカス」の渋谷シェフの前菜「松本まみれの小鹿」。サヤインゲン、カラフル人参、クリタケ、シイタケ、市田柿、ピオーネ、シナノスイート、鹿、信州味噌、リンゴ酢、豆腐、オニグルミ……。全て松本の食材。黒いソースは鹿の出汁、白いソースはオニグルミ。あえて例えるならば、白和えのような味わいとでも言うべきか。食材を細かく刻み、混ぜ込むことによって、口内で見頃に調和。「ポール・ボキューズ」、「ジョエル・ロブション」、「アラン・シャペル」という3人の巨匠のもと、研鑽を重ねてきた技術は、まさに本物。その料理観が見事に表現され、食材はもちろん、渋谷シェフの人生も大いにまみれたひと皿。「ラ・ベカス」においては、同行したサービスの質も高さも特筆すべき点。渋谷シェフの料理だけでなく、他のシェフの料理においての理解度も高く、決して大きくはないレストランだからこそ結束されたおもてなしは、実に心地良く、その姿においても、堂々と美しい。

5品目は、金沢「日本料理銭屋」の髙木慎一朗シェフの前菜「鯉に上下の隔てなし」。海のない信州長野では、魚といえば川魚の文化。中でも鯉は郷土料理の代表的な食材です。

「信州長野の食材を考えた時、真っ先に考えたのが鯉でした。中国の古事によると、鯉は急流を登る唯一の魚。登りきった鯉は龍になったと伝えられ、幸運な魚としても崇められています」。

昨今の難局を経た激動の時代は、まさに急流のよう。それを登りきり、今回のような体験ができたゲストは、まさに幸運だったに違いない。

特設テントに厨房を設置し、9人のシェフとそれぞれのスタッフが総出で調理する。

アペリティフ、3品のカナッペ。左より、神戸「神戸北野ホテル」の伊井野シェフが手がける「シナノユキマスのコンフィ 松本一本葱の柑橘キャビア」、沖縄「ジ・ウザテラス ビーチクラブヴィラズ」の喜納シェフが手がける「石垣牛とりんご 長野県産野菜のカナッペ 本わさび風味」、京都「要庵 西富家」の美坂シェフが手がける「ブラックダイヤと京都丹波栗・信州味噌チーズもなか」。

左より、神戸「神戸北野ホテル」、沖縄「ジ・ウザテラス ビーチクラブヴィラズ」、京都「要庵 西富家」。

大阪「ラ・ベカス」の渋谷シェフの前菜「松本まみれの小鹿」。

大阪「ラ・ベカス」の渋谷シェフ(左)とサービスの小河友最香さん(右)。料理だけでなくスタッフのサービスも光る。個性豊かなキャラクターも「ラ・ベカス」らしさ!

金沢「日本料理銭屋」の髙木慎一朗シェフの前菜「鯉に上下の隔てなし」。

「今回の料理は、佐久出身のスタッフ・萩原彩音と共に作りました」と話す言葉が印象的だった金沢「日本料理銭屋」の髙木シェフ。食材だけでなく、人の想いも地域に寄り添う。

夕刻から夜にかけ、刻一刻と風景が変わる刹那の感動も野外の醍醐味。多彩に表情を変える「国宝 松本城」の絶景もまた、ゲストの満足を高める。

今回の会場には多くの外国人ゲストが参加したことも特徴すべき点。「素晴らしかった」「こんな経験をしたことはない」「Amazing experience」など多くの感動の声が寄せられた。

国宝松本城チャリティーガラディナー 味だけでは語れない。物語があるからこそ、その料理は人生のひと皿になる。

6品目は、大阪「柏屋」の松尾英明シェフの「ニジマスとホタテと木の実の真蒸 松茸、蕪、銀杏芋、紅葉人参、松葉柚子」の煮物椀。この日、初の温かな品は、野外ゆえ、より格別に舌と身体を喜ばせます。香りもサイズも一級の信州松本の松茸は、まさに贅の極み。

ニジマスや前述の鯉は、「雄大な山々から流れる清らかな水が育んだ食材であり、その恵みによって里山文化が生まれました」とは、ホスト・齊藤氏の言葉。美味に歴史を重ねることによって、料理に奥行きを与えます。

7品目は、フランス「オーベルジュ・バスク」のセドリック・ベシャドシェフの魚料理「マルミタコ 漁夫の帰郷」。マグロのロース(背中)を信州長野の醤油でマリネしたものとマグロの腹部位をタタキにしたもの、2種のマグロマグロをトマトとスパイシーなソースで味わう品。万願寺とうがらしが味に締まりを与えます。

8品目は、宇都宮「オトワレストラン」の音羽和紀シェフの肉料理「信州牛のロティ 長野県産の伝統発酵食品すんきのベアルネーズ 秋の茸と落花生のピティヴィエ」。柚餅子の柑橘や味噌の風味を纏わせた信州和牛には、長野の落花生と伝統発酵食品すんきの酸を活かしたベアルネーズソースで。また、フランスの菓子、ピティヴィエをアレンジした添えものも秀逸。長野県のキノコと鶏肉のムースを合わせ、料理の完成度をより高みへと誘います。音羽氏は「ルレ・エ・シャトー」の「シェフ・トロフィー2019」のほか、「ゴ・エ・ミヨ」や「ディスティネーションレストラン」など、様々な賞を受賞しています。しかし、「オトワレストラン」といえば、家族愛ではないでしょうか。和紀氏をはじめ、厨房には長男の元氏、サービスには料理人でもある次男の創氏、マネージメントなどには長女の香菜さん。この日も、サービスには香奈さんの姿が。

「小さい頃から、両親が料理をする姿を見て育ってきました。歌舞伎と同じように、物心ついた時からレストランに接してきました」と話します。

例えば、フランスのシャトーにおいても、多くの銘酒はあれど、一族経営というと分母は激減。ファミリーで営むことがどれだけ難しいかを物語っている一方、継承し続けることによって生まれるのは確固たる文化。「オトワレストラン」(の家族)には、星や順位、ランキングだけでは計れない、本当に必要とされるファインダイニングとは何かの答えが潜んでいるのではないでしょうか。

9品目は、松本「扉温泉明神館」「ヒカリヤニシ」の田邉真宏シェフのデザート、「小布施栗のモンブラン 洋梨とベルベーヌのスープ 白トリュフ添え」とミニャルディーズ「琥珀糖 最中と小豆のマカロン 豚のレーズンサンドシャインマスカット」です。

唯一の地元のシェフでもあり、「ふんだんに地元食材を起用しました」と田邉シェフ。デザートのモンブランには、シャモの卵と信州長野県のブランデーを使い、モンブランの中にもドライフルーツを使ったヌガーグラッセが。鼻から抜ける栗とトリュフの香りのマリアージュも実に爽快。

9人のシェフと9つの料理。それぞれの個性をまとめ上げるのは、「ルレ・エ・シャトー」のヴィジョン、「料理とおもてなしで世の中に貢献する」の指針にあるのかもしれませんが、この日、さらにそれをひとつの世界に仕上げたのは、「国宝 松本城」の存在かもしれません。

「Delicious Journeys in Matsumoto」の時間、常に側で見守ってくれていたのは「国宝 松本城」です。野外レストランは、ロケーションで決まる。大げさかもしれませんが、圧巻の風景は、それほどまでに説得力に満ち溢れ、力強く、優しく、全てを抱擁した豊かな時間を育んでくれました。

今回、Delicious Journeys in Matsumoto」に携わったメンバーは、総勢80名。この2日間のために、一致団結し、最高の時間を創出した。

大阪「柏屋」の松尾英明シェフの「ニジマスとホタテと木の実の真蒸 松茸、蕪、銀杏芋、紅葉人参、松葉柚子」の煮物椀。

お客様一人ひとりのメニューにサインをする大阪「柏屋」の松尾シェフ。他8名のシェフのサインも綴られたものがテーブルに配される。

フランス「オーベルジュ・バスク」のセドリック・ベシャドシェフの魚料理「マルミタコ 漁夫の帰郷」。

フランス「オーベルジュ・バスク」のセドリックシェフ。「松本の街はコンパクトで自然とのバランスが良い。バスクに似ており、愛着が湧きます。ぜひ、また訪れたい」。

宇都宮「オトワレストラン」の音羽和紀シェフの肉料理「信州牛のロティ 長野県産の伝統発酵食品すんきのベアルネーズ 秋の茸と落花生のピティヴィエ」。

シェフ同士の交流も生んだ「Delicious Journeys in Matsumoto」。松本「扉温泉明神館」「ヒカリヤニシ」の田邉真宏シェフ(左)、右より宇都宮「オトワレストラン」の音羽ファミリー長女の香奈さん、和紀シェフ。

松本「扉温泉明神館」「ヒカリヤニシ」の田邉シェフのデザート、「小布施栗のモンブラン 洋梨とベルベーヌのスープ 白トリュフ添え」とミニャルディーズ「琥珀糖 最中と小豆のマカロン 豚のレーズンサンドシャインマスカット」。

国宝松本城チャリティーガラディナー 地産地消だけではないシェフからのメッセージ。そして、地域と向き合う光と影。

Delicious Journeys in Matsumotoでは、地産地消×シェフだけではない料理の在り方について、いくつか発見がありました。

今回は、松本での開催のため、当然、松本をはじめとした信州長野の食材を起用し、各シェフが自らの技術と感性を活かした料理に仕上げています。そんな中でも、異色を放っていたのが、大阪「柏屋」の松尾シェフとフランス「オーベルジュ・バスク」のセドリックシェフでした。

松尾シェフは、持続可能な食の創出を目指す「リレーションフィッシュ」としての顔も持ち、近畿大学とともに研究を重ね、海洋資源に向き合っています。

「ルレ・エ・シャトーは、SDGsという言葉が世に出る前から海洋資源の問題に向き合ってきました。今回使用した帆立貝は、貝の中に稚貝を入れ、自然に近い環境で育てた養殖です。もうひとつ使用した貝、二枚貝は、海水をろ過し、プランクトンなどを餌とすることによって海水を浄化する役割を果たしてくれます。料理人は環境、海洋資源を考えながら、希少なものを大切に、足りないものは人の知恵をもって補う。そんな考えが大切だと思います」。

松尾シェフの腕の中には、海の生態系も描かれ、地球上にある食材は無限ではなく有限であるという社会問題への強いメッセージも込められているのです。

「お店で魚を提供するとき、“天然の○○です。”と言っても“養殖の○○です。”とは言わず、ただ“○○です。”とだけお伝えするのが現状です。“天然もの”というブランドに頼っています。“天然もの”という看板をおろしたら、今まで通りにお客様の満足は得られるのか? 悩んでしまいます。また、未利用魚についても同じ事が言えます。海洋資源の枯渇は深刻さを増しています。このままでは天然の魚介類は、お店で使えなくなってしまいます。養殖魚を取り入れて行かなければ、続けていけません。気候問題、環境問題、食糧事情、人口増加などを知る必要もあると思います。そしてそれぞれの立場から、私たちは料理人としての何ができるか? 何を伝えていかなければならないのか? こういうことを意識していきたいと考えています」。(リレーションフィッシュ公式HPより一部抜粋)

そして、セドリックシェフ。特筆すべきは、海なし県におけてマグロを起用したことの違和。これについて本人に尋ねると、作為のない実に素直な想いによるものでした。

「16年バスクでシェフをしています。こうしたイベントも含め、私がバスク以外で料理をする時は、バスクの文化を伝えたいと思っており、必ず作る料理が郷土料理のマルミタコなんです。もちろん、信州長野の醤油などを起用して仕上げていますが、あくまでも私は皆さんにバスクを知っていただきたい」。

地域で行われるイベントにおいては、あくまでもその地域の特性(食材、文化、歴史、伝統など)を主軸にシェフがどう表現できるかというのが常ですが、セドリックシェフにおいては真逆。自身の地域の特性を主軸に乗り込んだ先の地域の特性をどう活かせるか。9品ある中、この1品だけは、松本や信州長野ではなく、間違いなくバスクでした。そんな話の流れから、面白いエピソードを話してくれました。

「松本の滞在中、お蕎麦屋さんに行ったんです。そこで七味唐辛子を初めて知ったのですが、素晴らしい調味料ですね! 今回のイベントのために、バスクを代表する香辛料、ピマンデスペレットを持ってきていたのですが、次回は、七味唐辛子を使って作ってみたいです!」。

まず、セドリックシェフが七味唐辛子を知らなかったことに対して驚きを覚えましたが、国や文化が違うため、当然といえば当然のことなのかもしれません。「知らなかった」という点では、「オトワレストラン」の音羽シェフもすんきを知らなかったと話しています。ある人にとっては「当たり前」でも、ある人にとっては「有り難い」。そう考えると、シェフたちにとっても刺激的な発見があったのではないでしょうか。

セドリックシェフに話を戻すと、醤油や七味唐辛子が海を渡り、松本や信州長野の魅力がバスクから広がる可能性を秘めていると視点を変えれば、前述の違和は、意義のあるひと皿へと見解が変わります。

最後に、ホスト・齊藤氏は「Delicious Journeys in Matsumoto」についてこう語ります。

「現在、伝統野菜をはじめ、歴史を紡いできた資産、資源が途絶えてしまいそうなものもあります。どうすれば次の世代に残せるのかを考えなければいけない」。

改めて目を上げると、光と影をまとった「国宝 松本城」がそびえます。華やかな美食、煌びやかなイベントの光だけに目を向けず、影とどう対峙できるか。無言でそう問われているようです。あえて、前回の記事と同じ締めくくりをしたいと思います。

世界中は難局を経て、人は何を学んだのか。食べることとは何か。料理とは何か。レストランとは何か。そして、生きることとは何か。「ルレ・エ・シャトー」のメンバーとともに「松本城」で過ごす時間は、きっと大切な何かに気づかせてくれるに違いないでしょう。

今回は、あくまでもきっかけに過ぎません。美しい日本を守り続けることができるのは、我々、日本人なのです。

今回のホストを務めた「扉ホールディングス」代表兼「ルレ・エ・シャトー」日本・韓国支部長の齊藤忠政氏。「今回をきっかけに、ルレ・エ・シャトーに加盟するレストランの地域でもDelicious Journeysを開催したいと思います」。

Delicious Journeys in Matsumoto」のために集まった9人のシェフと「扉ホールディングス」代表・齊藤氏。

Photographs:YOICHIRO KIKUCHI
Text:YUICHI KURAMOCHI

最果てのスコッチウイスキー『HIGHLAND PARK』とベトナム料理の出合い。圧巻のペアリングで示された無限の可能性。[HIGHLAND PARK presents WILD HARMONY SESSION in An Di/東京都渋谷区]

 北限の蒸溜所で200年以上続く、伝統のスコッチウイスキー。

スコットランドの北端、北海と大西洋が交わる境界。

ここに浮かぶ大小70の島々からなるオークニー諸島。かつてヴァイキングの拠点であり、今なおその誇り高き魂が受け継がれる島。常に強風が吹き荒れ、木々すらも生き残れないという過酷な島。

そんなオークニー島の蒸溜所で作られるウイスキーが『HIGHLAND PARK』です。厳しい環境が生み出す、最果てのシングルモルト・スコッチウイスキー。200年以上も変わらぬ製法が守られ続ける、ロマンあふれる酒。

ならば変わらぬことこそが『HIGHLAND PARK』の誇りなのかといえば、そうではありません。製法とともに受け継がれる“ヴァイキングの魂”が目指すのは、常に戦い挑戦し続けること。新たな道を切り開き、未知なる栄光を掴むこと。

そんな『HIGHLAND PARK』の可能性を探るイベントが、都内で開催されました。第2回目の開催となる『HIGHLAND PARK presents WILD HARMONY SESSION』。舞台となるのは、モダンベトナム料理の名店・外苑前『An Di』です。コースを通してウイスキーとのペアリングを楽しむ今宵の挑戦。スパイスが香るアジアンフードと、ウイスキーの相性はいかに。

青山の路地裏にひっそりと佇むモダンベトナム料理『An Di』が今回の舞台。

卓上に置かれた冊子には、『HIGHLAND PARK』の歴史と揺るがぬ哲学が記されていた。

当日は満員御礼。開場前から着々とドリンクの準備が行われた。

 まずはテイスティングで味わう『HIGHLAND PARK』の力強いフレーバー。

ベトナム料理とスコッチウイスキーのペアリング。想像もつかない取り合わせですが、心配は無用。何しろこの『An Di』には素材感を活かす巧みなスパイス使いに定評のある内藤千博シェフ、そして日本を代表するドリンクディレクター・大越基裕氏がいるのです。

ソムリエとして知られる大越氏ですが、キャリアのスタートはバーテンダーから。ウイスキーの知見も深く、『HIGHLAND PARK』も古くから親しんでいた酒。そんな大越氏と内藤シェフは、はたしてどんなペアリングを見せてくれるのでしょうか。

さてディナーは、『HIGHLAND PARK』のブランドマネージャーである藤井氏の挨拶で幕を開けました。まず語られる『HIGHLAND PARK』の歴史や誇り。その物語を証明するかのように次に登場したのは、『HIGHLAND PARK』のシニア・ブランドアンバサダーを務めるマーティン・マークバードセン氏です。

「ウイスキーテイスティングのルールは2つだけ。1つは今までに見聞きしたルールをすべて忘れること。もう1つは、ただ楽しむこと」

参加者にそう語りかけるマーティン氏。その穏やかでユーモアに富んだ語り口、そして誇り高き『HIGHLAND PARK』を擬人化したかのような風格ある風貌に、ゲストたちはたちまち惹きつけられます。

そんなマーティン氏が熱く語る物語を聞きながら、最初の料理が登場します。『HIGHLAND PARK』の12年、15年、18年のそれぞれのヴィンテージに合わせる3種類のフィンガーフードから。3種のなかでもっともエレガントで軽やかな12年には柑橘と海苔の香りを添えた牡蠣、香りに深みがありフルーティな15年には発酵茶葉とコリアンダーのクッキー、味わいにコクがある18年には本枯節のジャーキー。

大越氏のロジカルな解説により、味わうべきポイントが明確になった『HIGHLAND PARK』は、漫然と味わうよりもいっそうその個性的なフレーバーと深みを主張します。

風格ある佇まいの『HIGHLAND PARK』シニア・ブランドアンバサダーのマーティン・マークバードセン氏。

マーティン氏と藤井氏のアドバイスに従いながら、まずは色や香り、味わいをテイスティング。

最初に登場した、3種のヴィンテージの『HIGHLAND PARK』に合わせる3つのフィンガーフード。

大越氏のイメージを形にする内藤シェフ。経験に裏付けられた確かな技術が光る。

 さまざまな角度からウイスキーを楽しむ多彩なペアリング。

料理に合わせ、考え抜かれたペアリング。圧巻のメニューが次々と登場します。

炙り秋刀魚を使った揚げ春巻きと、ソーダを加えた12年。アジア料理に多用されるタマリンドの香りが、ウイスキーとの接点となり調和を促します。ソーダとウイスキーを一対一で割ることで、爽快感ではなく香りの広がりを演出。

鯖の味噌煮を巻いた生春巻きには、1年間蜂蜜に漬け込んだ金木犀を加えた18年。これはなんとウイスキーをペアリングのドリンクではなく、料理のソースとして味わうという発想。熟成感ある金木犀とウイスキーが、味噌の風味にいっそうの奥行きを加えます。

魚料理はヒラメ。卵黄を使ったムース状のソース・サバイヨンを添えたヒラメに、バジルティーで割った15年を合わせ、テクスチャをつけたソースとウイスキーの調和を狙います。

次々に繰り出されるアイデアたっぷりのペアリングで、これまでにないウイスキーの側面に光を当てる大越氏。それは悠久の歴史が作り上げた『HIGHLAND PARK』の伝統の先に、まだ新たな可能性が秘められていることを証明するかのようでした。

ソーダで割った『HIGHLAND PARK』12年に合わせた「揚げ春巻き 炙り秋刀魚 燻製じゃがいも タマリンドコーラ 七味」。

熟成した金木犀を加えた18年と「生春巻き 鯖の味噌煮 甘酒」。添えられた甘酒をソースとして味わう。

大越氏がテーブルをまわり、料理やペアリングについて解説した。

「ヒラメ サバイヨン コブミカンオイル ブルーベリー」。テクスチャをつけたソースとバジルの香りを加えた15年が絡み合う。

ペアリングは深淵でも、会場はいたって和やか。こんな空気を醸し出すのも、ウイスキーの魅力。

 ベトナム料理とスコッチウイスキーの驚くべき調和。

メインディッシュの肉料理は、子羊。焦がしパイナップルを添えたこの料理に、大越氏はストレートの15年を合わせました。

「ウイスキーのようにアルコール度数の高いドリンクを料理と合わせる方法は3つ。ひとつは先程の生牡蠣のように味わいをミックスすること、2つ目は魚料理のときのようにテクスチャをつけること、そして3つめが油分と合わせること。その油分の部分がこの子羊です」

と明快に解説する大越氏。

食べ方はしっかりと料理の油分を口に入れた上で、舐めるようにウイスキーを味わうこと。アルコール度数40度のウイスキーでも、こうすることで十分にペアリングを楽しむことができるのです。

「3種類のヴィンテージの中でもっともフルーツ感のある15年と、パイナップルのソースがクロスオーバーするイメージ。味だけでなく、香りも力強い『HIGHLAND PARK』ですので、香りのハーモニーを意識しました」

最後の料理は、おなじみのベトナム料理であるフォー。大越氏が「最初からウイスキーとの相性を感じていた」という鰹節の出汁に、落花生やバニラを加えたクリーミーでコクのあるスープに合わせるのは、『HIGHLAND PARK』18年のお湯割り。18年の深みある味わいをコクのあるスープで受け止めつつ、温度感を合わせて一体感を出す狙いです。

フルコースで大満足の内容でしたが、最後のデザートにもまだ見ぬペアリングが待っていました。ココナッツミルクプリンの中には『HIGHLAND PARK』18年を混ぜ込み、そこに15年を合わせて味わうのです。異なるヴィンテージのウイスキーを同時に味わうという革新的なペアリング。しかしプリンに添えられた甘夏のフルーティな緩衝材となり、それぞれの個性を持つ18年と15年が、見事に絡み合いました。

ベトナム料理とウイスキーのペアリングという未知への挑戦は、こうして大きな拍手とともに幕を下ろしました。

「今回の挑戦のなかで感じたのは『HIGHLAND PARK』の個性、とりわけフレーバーの力強さ。今回のベトナム料理だけでなく、本当に世界のいろいろな料理と合わせられる可能性を秘めていると感じました」

大越氏は、内藤シェフとともに作り上げたコースを振り返りそう語ります。さまざまなペアリングを伝えてきた二人にとっても、今回のウイスキーのみでのペアリングコースは大きな挑戦であり、新たな発見があったのでしょう。

挨拶に立ったマーティン氏も

「35年間ウイスキーに関わってきた中で最高の夜でした」

と、興奮気味に語りました。

こうしてアジア料理との相性も見事に証明した『HIGHLAND PARK presents WILD HARMONY SESSION 』。200年以上におよぶ『HIGHLAND PARK』の歴史は、常に未知への挑戦の歴史。その物語に新たな1ページが加えられた特別な夜でした。

「フォー 落花生 本枯節」。ライスヌードルのフォーにまでウイスキーが合うという驚きの体験。

「ココナッツミルクプリン with Highland Park 18y」をヴィンテージの異なる15年とともに。

「世界中でペアリングイベントをしてきたなかで、最高のディナーでした」とマーティン氏。

内藤シェフ、大越氏、マーティン氏、藤井氏。イベントの仕掛け人たちに、会場から惜しみない拍手が送られた。

住所:東京都渋谷区神宮前3-42-12
電話:03-6447-5447
営業:12:00〜13:30(土曜、日曜のみ)、18:00〜23:00
休日:月曜
URL:http://andivietnamese.com/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 三陽物産)

美と健康を食卓から変えていく。ちさこ食堂の食選力。

「ニューノーマルという生活習慣の中、欲しいものを適切にあてがえる食の提案と提供が必要です。食べたもので身体は作られているという現実と何をどう食べれば良いのかを伝え続けることが私の役割と思っています」と堀 知佐子さん。

WAKO ANNEX大事なことは、食選力(しょくせんりょく)。それは、食を選ぶ力。

管理栄養士、食生活アドバイザー、アンチエイジング料理スペシャリスト。京都の老舗料亭「菊乃井」常務取締役、デパート向けの惣菜開発、東京・赤坂「ルリール」オーナーシェフ……。

ひと言で言い当てるのは非常に難しいその人物は、堀 知佐子さんです。

生まれは、群馬県桐生市。実家は染色業で工場の中に住まいがあり、忙しい両親の元に育った堀さんの食事は、祖母の手料理だったと言います。

食の道に歩み始めたきっかけは、そんな体験を経た高校卒業の頃。父から言われたひと言でした。

「特に料理が嫌いじゃないのだから、お母さんがなりたかった栄養士になってあげれば?」。

その後、食品メーカー、調理師学校の助手、京都での修行、さらには「吉野家」から「菊乃井」まで、幅広い食の世界を経験。

2007年には、「食べ物が身体を作る」をコンセプトにしたアンチエイジングレストランを東京・、三田に開業し、フードロス問題の解決や食の大切さを世間に広めるようになりました。
「ちさこ食堂」が開業したのは、2021年のこと。食堂と謳うも、飲食店の営業はほぼせず、「美と健康を食卓から変えていく」をテーマに商品を開発しています。

今回は、そんな「ちさこ食堂」の逸品が、「和光アネックス」地階のグルメサロンに初展開。

「新型コロナウイルスという感染症で、私たちの生活が大きく変わった今日、消費行動も大きく変わりました。食べたもので身体は作られているという現実を広く伝え、何をどう食べれば良いかを伝え続けていくのが、私の役割と思っています。ニューノーマルという新習慣の中で、食の楽しさ、喜びを感じてもらえるよう発信し続けたいと思います」。

「自分で勉強する気がないとどこに行っても会得できない。誰かに何かを教わりたいだけで行くのなら行かないほうがいい」、「自分でやらなかったら何もやったことにならない」とは堀さんの父の教え。「人としての考え方についても父の教えが救いになったことは間違いありません」。

「料理のことはあの人に聞いたら大体のことは答えてくれる。そんな人になりたい“だけ”」と堀さん。

WAKO ANNEX自分の健康を自分でジャッジメントできるような食の提案。

これは、堀さんの言葉です。

「モノがたくさんのこの時代に、自分の健康を自分でジャッジメントできるようになることはとても大切。 食を通してお伝えしたい。 食べたものが明日のカラダになるからこそ、 食選力(しょくせんりょく)=食を選ぶ力がとても大事。 選ぶ道を間違えると行きたいところに辿り着けないのです」。

今回、展開されるものは、パエリヤ、アクアパッツァ、ブイヤベースの3品。いずれも「ちさこ食堂」の人気メニューであり、簡単にフライパンひとつで美味しくできるというのが特徴です。

「フライパンでできる海の幸パエリア」は、アサリやエビ、ムール貝、イカなど、瀬戸内の海鮮をたっぷり盛り込んだパエリアの素。白身魚のアラをメインに香味野菜と一緒に煮込み、凝縮された魚介の旨味が食欲をそそります。

「フライパンでできる瀬戸内真鯛のアクアパッツァ」は、瀬戸内の天然真鯛とドライトマト、オリーブ、ケッパーで仕上げたセット。市場に出にくい小サイズの魚を有効活用し、フードロスを無くす取り組みの一環ながら、豪華な味わいが魅力です。

「フライパンで煮込み海の幸ブイヤベース」のベースの味は、ハーブを利かせた魚ダシ。メインのタラをはじめ、たっぷりのトマトとネギ、玉ねぎだけで味を整えたお品。あっさりとした風味は、素材の旨味を存分に堪能できます。

「さぁ、自分を俯瞰で見てみませんか?生産者さんから食を通じてつながる、明日のカラダへ。やさしくおいしい料理をどうぞ」。

堀さんが全て監修した3品。「フライパンでできる瀬戸内真鯛のアクアパッツァ」(左)、「フライパンで煮込み海の幸ブイヤベース」(中)、「フライパンで煮込み海の幸ブイヤベース」(右)。どれもフライパンひとつで簡単に美味しく調理できるのが特徴。

健康と美容を食卓から変えていく「ちさこ食堂」。「食べる前にいただきますと言うのは、食材となった様々な生物の命をいただくという考えが原点。だからこそ食べ物に対して、プロである私たちは愛情を持たなければいけません。ちさこ食堂では食材を無駄にしないようフードロス削減に力を入れています。できる限り手作りにこだわりました」と堀さん。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

美と健康を食卓から変えていく。ちさこ食堂の食選力。

「ニューノーマルという生活習慣の中、欲しいものを適切にあてがえる食の提案と提供が必要です。食べたもので身体は作られているという現実と何をどう食べれば良いのかを伝え続けることが私の役割と思っています」と堀 知佐子さん。

WAKO ANNEX大事なことは、食選力(しょくせんりょく)。それは、食を選ぶ力。

管理栄養士、食生活アドバイザー、アンチエイジング料理スペシャリスト。京都の老舗料亭「菊乃井」常務取締役、デパート向けの惣菜開発、東京・赤坂「ルリール」オーナーシェフ……。

ひと言で言い当てるのは非常に難しいその人物は、堀 知佐子さんです。

生まれは、群馬県桐生市。実家は染色業で工場の中に住まいがあり、忙しい両親の元に育った堀さんの食事は、祖母の手料理だったと言います。

食の道に歩み始めたきっかけは、そんな体験を経た高校卒業の頃。父から言われたひと言でした。

「特に料理が嫌いじゃないのだから、お母さんがなりたかった栄養士になってあげれば?」。

その後、食品メーカー、調理師学校の助手、京都での修行、さらには「吉野家」から「菊乃井」まで、幅広い食の世界を経験。

2007年には、「食べ物が身体を作る」をコンセプトにしたアンチエイジングレストランを東京・、三田に開業し、フードロス問題の解決や食の大切さを世間に広めるようになりました。
「ちさこ食堂」が開業したのは、2021年のこと。食堂と謳うも、飲食店の営業はほぼせず、「美と健康を食卓から変えていく」をテーマに商品を開発しています。

今回は、そんな「ちさこ食堂」の逸品が、「和光アネックス」地階のグルメサロンに初展開。

「新型コロナウイルスという感染症で、私たちの生活が大きく変わった今日、消費行動も大きく変わりました。食べたもので身体は作られているという現実を広く伝え、何をどう食べれば良いかを伝え続けていくのが、私の役割と思っています。ニューノーマルという新習慣の中で、食の楽しさ、喜びを感じてもらえるよう発信し続けたいと思います」。

「自分で勉強する気がないとどこに行っても会得できない。誰かに何かを教わりたいだけで行くのなら行かないほうがいい」、「自分でやらなかったら何もやったことにならない」とは堀さんの父の教え。「人としての考え方についても父の教えが救いになったことは間違いありません」。

「料理のことはあの人に聞いたら大体のことは答えてくれる。そんな人になりたい“だけ”」と堀さん。

WAKO ANNEX自分の健康を自分でジャッジメントできるような食の提案。

これは、堀さんの言葉です。

「モノがたくさんのこの時代に、自分の健康を自分でジャッジメントできるようになることはとても大切。 食を通してお伝えしたい。 食べたものが明日のカラダになるからこそ、 食選力(しょくせんりょく)=食を選ぶ力がとても大事。 選ぶ道を間違えると行きたいところに辿り着けないのです」。

今回、展開されるものは、パエリヤ、アクアパッツァ、ブイヤベースの3品。いずれも「ちさこ食堂」の人気メニューであり、簡単にフライパンひとつで美味しくできるというのが特徴です。

「フライパンでできる海の幸パエリア」は、アサリやエビ、ムール貝、イカなど、瀬戸内の海鮮をたっぷり盛り込んだパエリアの素。白身魚のアラをメインに香味野菜と一緒に煮込み、凝縮された魚介の旨味が食欲をそそります。

「フライパンでできる瀬戸内真鯛のアクアパッツァ」は、瀬戸内の天然真鯛とドライトマト、オリーブ、ケッパーで仕上げたセット。市場に出にくい小サイズの魚を有効活用し、フードロスを無くす取り組みの一環ながら、豪華な味わいが魅力です。

「フライパンで煮込み海の幸ブイヤベース」のベースの味は、ハーブを利かせた魚ダシ。メインのタラをはじめ、たっぷりのトマトとネギ、玉ねぎだけで味を整えたお品。あっさりとした風味は、素材の旨味を存分に堪能できます。

「さぁ、自分を俯瞰で見てみませんか?生産者さんから食を通じてつながる、明日のカラダへ。やさしくおいしい料理をどうぞ」。

堀さんが全て監修した3品。「フライパンでできる瀬戸内真鯛のアクアパッツァ」(左)、「フライパンで煮込み海の幸ブイヤベース」(中)、「フライパンで煮込み海の幸ブイヤベース」(右)。どれもフライパンひとつで簡単に美味しく調理できるのが特徴。

健康と美容を食卓から変えていく「ちさこ食堂」。「食べる前にいただきますと言うのは、食材となった様々な生物の命をいただくという考えが原点。だからこそ食べ物に対して、プロである私たちは愛情を持たなければいけません。ちさこ食堂では食材を無駄にしないようフードロス削減に力を入れています。できる限り手作りにこだわりました」と堀さん。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

風土から読み解き、日本の栗を知る。

皇室献上品として名高い熊本県球磨郡山江地方の大きくて甘い栗。※下記にてご紹介する「球磨川アーティサンズ」の「No.04 Chestnut Butter with Honey はちみつ入り栗バター」に使用する栗の産地より

WAKO ANNEX約5千500年前より、人々の暮らしを支えてきた栗。和栗は、飽くなき美味への追求。

まさに旬を迎えている栗。和栗は、西洋、中国、アメリカと並び、世界四大の栗のひとつであり、果実が大きく豊かな風味が特徴です。甘さも品が良く、深みのある黄色い実は、古くから食卓を彩り、愛されてきた食材といって良いでしょう。

一説によれば、栗の歴史は古く、青森県「三内丸山遺跡」など、各地の遺跡から炭化した栗が見つかり、その原始的な形態は、縄文時代から栽培が行われていたと考えられています。それが事実であれば、約5千500年以上も前から人々の暮らしを支え続けていたのです。

現在の日本の栗は、美味を追求した品種改良が重ねられたものであり、その多くはタンニンが強く、渋皮は剥がれにくいですが、逆に食用部分のアクが少なく、水分を多く含んでいるため、上品な味わいが楽しめると言われています。また、栗は果樹の中でも育てやすい部類と言われており、暑さにも寒さにも強く、肥えた土壌と日光を好みます。

現在においては、各地の風土を活かした栗の生産も盛んになり、最も多く収穫されているのは、茨城県。次いで、熊本県、愛媛件、岐阜県などが連ね、この4県が収穫量の約5割を占めています。(2022年農林水産省 作物統計 参照)

しかし、生産量では圏外でも、作り手のこだわりや少量だが高品質なものなどもあるため、煮る、蒸す、焼くなど、目的=料理に適したものかどうかという基準が重要なのかもしれません。

昨今においては、和の域を超え、様々な調理法によって上質な料理も多く供されています。

(文中には諸説ある中の一説もございます)

イガの部分が皮、鬼皮(堅い茶色の皮)の部分が果肉、中身と渋皮の部分が種。普段食べている部分を果肉と思いがちだが、実は違うということはあまり知られていない栗の豆知識。※下記にてご紹介する「球磨川アーティサンズ」の「No.04 Chestnut Butter with Honey はちみつ入り栗バター」に使用する栗の産地より

WAKO ANNEXごはんからデザートまで。様々な栗を進化させた4つのスタイル。

「和光アネックス」地階のグルメサロンにて添加される和栗の品の中から、バリエーションに富んだ品を4つご紹介。どれも栗の旨味と特性を最大限に活かしたものばかりです。

茨城県笠間市「あいきマロン 」の「栗おこわ」は、茨城県笠間市で採れた栗を使い、国産もち米とふっくら炊き上げた品。添加物を使用しない自然な美味しさが心身に染み渡ります。

江戸時代に旅館として創業した兵庫県豊岡市「みなとや 」の「栗羊羹」は、上質な小豆と丹波の栗が絶妙な味わいがリピーター続出。明治時代以降は菓子並びに土産として愛されてきた名品です。

熊本県人吉市「球磨川アーティザンズ」の「Chestnut Butter with Honey はちみつ入り栗バター」の栗は、地元の球磨栗を使用。手作業で皮を剥き、雑味のない味を実現。バターが栗の味を引き立てます。

東京都新宿区「自然栗本舗」の「マロンブランテ」は、熊本県産の和栗を厳選。渋皮栗を紅茶とブランデーに漬けこんだ「マロンブランテ」は、栗の甘みとアールグレイの豊かな香りは、ただ美味しいだけでなく、心身も癒されます。お茶はもちろん、お酒とも好相性な品です。

そのほか、2階ティーサロン及び1階ケーキ&チョコレートショップにて、マロンパイやマロンパフェも展開。ぜひ併せてお楽しみください。

「あいきマロン」の「栗おこわ」(左上)、「みなとや」の「栗羊羹」(右上)、「球磨川アーティザンズ」の「Chestnut Butter with Honey はちみつ入り栗バター」(左下)、「自然栗本舗 」の「マロンブランテ」(右下)。今が一番美味しい旬の時季にぜひお召が上がりを。

そのままで美味しい「みなとや」の「栗羊羹」(上)、「球磨川アーティザンズ」の「Chestnut Butter with Honey はちみつ入り栗バター」(右上)は、パンに塗って朝食やブランチにいただけば、上質な時間を演出。「自然栗本舗 」の「マロンブランテ」(右下)は、ギフトにも最適。「あいきマロン 」の「栗おこわ」(左下)は、ほくほくした栗がたっぷり。食べれば口いっぱいに旬が広がる。

2階ティーサロン及び1階ケーキ&チョコレートショップでは、大きな渋皮栗をふんだんに包み、細かく刻んだ黄栗と栗ペーストをぎっしり詰めた「マロンパイ」(右)や細かく砕いた栗、マロンクリーム、マロンアイスクリームをカシスソースやアールグレイゼリーと合わせた「マロンパフェ」(左)も展開。
 

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

風土から読み解き、日本の栗を知る。

皇室献上品として名高い熊本県球磨郡山江地方の大きくて甘い栗。※下記にてご紹介する「球磨川アーティサンズ」の「No.04 Chestnut Butter with Honey はちみつ入り栗バター」に使用する栗の産地より

WAKO ANNEX約5千500年前より、人々の暮らしを支えてきた栗。和栗は、飽くなき美味への追求。

まさに旬を迎えている栗。和栗は、西洋、中国、アメリカと並び、世界四大の栗のひとつであり、果実が大きく豊かな風味が特徴です。甘さも品が良く、深みのある黄色い実は、古くから食卓を彩り、愛されてきた食材といって良いでしょう。

一説によれば、栗の歴史は古く、青森県「三内丸山遺跡」など、各地の遺跡から炭化した栗が見つかり、その原始的な形態は、縄文時代から栽培が行われていたと考えられています。それが事実であれば、約5千500年以上も前から人々の暮らしを支え続けていたのです。

現在の日本の栗は、美味を追求した品種改良が重ねられたものであり、その多くはタンニンが強く、渋皮は剥がれにくいですが、逆に食用部分のアクが少なく、水分を多く含んでいるため、上品な味わいが楽しめると言われています。また、栗は果樹の中でも育てやすい部類と言われており、暑さにも寒さにも強く、肥えた土壌と日光を好みます。

現在においては、各地の風土を活かした栗の生産も盛んになり、最も多く収穫されているのは、茨城県。次いで、熊本県、愛媛件、岐阜県などが連ね、この4県が収穫量の約5割を占めています。(2022年農林水産省 作物統計 参照)

しかし、生産量では圏外でも、作り手のこだわりや少量だが高品質なものなどもあるため、煮る、蒸す、焼くなど、目的=料理に適したものかどうかという基準が重要なのかもしれません。

昨今においては、和の域を超え、様々な調理法によって上質な料理も多く供されています。

(文中には諸説ある中の一説もございます)

イガの部分が皮、鬼皮(堅い茶色の皮)の部分が果肉、中身と渋皮の部分が種。普段食べている部分を果肉と思いがちだが、実は違うということはあまり知られていない栗の豆知識。※下記にてご紹介する「球磨川アーティサンズ」の「No.04 Chestnut Butter with Honey はちみつ入り栗バター」に使用する栗の産地より

WAKO ANNEXごはんからデザートまで。様々な栗を進化させた4つのスタイル。

「和光アネックス」地階のグルメサロンにて添加される和栗の品の中から、バリエーションに富んだ品を4つご紹介。どれも栗の旨味と特性を最大限に活かしたものばかりです。

茨城県笠間市「あいきマロン 」の「栗おこわ」は、茨城県笠間市で採れた栗を使い、国産もち米とふっくら炊き上げた品。添加物を使用しない自然な美味しさが心身に染み渡ります。

江戸時代に旅館として創業した兵庫県豊岡市「みなとや 」の「栗羊羹」は、上質な小豆と丹波の栗が絶妙な味わいがリピーター続出。明治時代以降は菓子並びに土産として愛されてきた名品です。

熊本県人吉市「球磨川アーティザンズ」の「Chestnut Butter with Honey はちみつ入り栗バター」の栗は、地元の球磨栗を使用。手作業で皮を剥き、雑味のない味を実現。バターが栗の味を引き立てます。

東京都新宿区「自然栗本舗」の「マロンブランテ」は、熊本県産の和栗を厳選。渋皮栗を紅茶とブランデーに漬けこんだ「マロンブランテ」は、栗の甘みとアールグレイの豊かな香りは、ただ美味しいだけでなく、心身も癒されます。お茶はもちろん、お酒とも好相性な品です。

そのほか、2階ティーサロン及び1階ケーキ&チョコレートショップにて、マロンパイやマロンパフェも展開。ぜひ併せてお楽しみください。

「あいきマロン」の「栗おこわ」(左上)、「みなとや」の「栗羊羹」(右上)、「球磨川アーティザンズ」の「Chestnut Butter with Honey はちみつ入り栗バター」(左下)、「自然栗本舗 」の「マロンブランテ」(右下)。今が一番美味しい旬の時季にぜひお召が上がりを。

そのままで美味しい「みなとや」の「栗羊羹」(上)、「球磨川アーティザンズ」の「Chestnut Butter with Honey はちみつ入り栗バター」(右上)は、パンに塗って朝食やブランチにいただけば、上質な時間を演出。「自然栗本舗 」の「マロンブランテ」(右下)は、ギフトにも最適。「あいきマロン 」の「栗おこわ」(左下)は、ほくほくした栗がたっぷり。食べれば口いっぱいに旬が広がる。

2階ティーサロン及び1階ケーキ&チョコレートショップでは、大きな渋皮栗をふんだんに包み、細かく刻んだ黄栗と栗ペーストをぎっしり詰めた「マロンパイ」(右)や細かく砕いた栗、マロンクリーム、マロンアイスクリームをカシスソースやアールグレイゼリーと合わせた「マロンパフェ」(左)も展開。
 

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

箱根に新たな名物を。そんな想いで動きだした、ある酒づくりの物語。

OVERVIEW

箱根はその全国的な知名度に対して、揺るぎない名物が少ないのではないか――。

ある人物のそんな思いから、この物語は動き始めます。

その人物の名は、貴島健太郎。

自身も神奈川で生まれ育ち、現在は箱根・仙石原の温泉ホテル『箱根リトリート före』を手掛ける『温故知新』で働くホテリエです。

「箱根に来たお客様が、箱根らしさを感じられる新たな名物を」

貴島氏の熱い想いは徐々に協力者を集め、そして夢は少しずつ形になり始めます。

心強い味方のひとりは、茅ヶ崎市で地元神奈川らしい酒造りを追求する『熊澤酒造』の杜氏・五十嵐哲朗氏。もうひとりの味方は、箱根の伝統的工芸品である箱根寄木細工に新たな風を吹き込む職人・清水勇太氏。ふたりの強力な助っ人とともに、挑むのは、箱根らしさを感じる何かしらの酒をつくること。

しかしこの物語は、まだ動き始めたばかり。

現在決まっているのは、何かしらの酒をつくるということだけ。

2024年春頃の完成を目指し、今まさにさまざまな可能性を追求している最中です。

ONESTORY編集部は、この工程に密着。いまだどうなるかわからない酒造りを追いかけます。

皆様もぜひこのチャレンジに注目し、まるで一緒に酒造りをするかのように物語の行く末を見守ってみてください。

なぜ人のいない土地で料理を作るのか。ふたりのシェフが食を通して辿り着いた答え。

廃校をもとに造られた「Auberge “eaufeu”(オーベルジュ オーフ)」。人が離れつつあった土地で、新たな食の魅力を模索する。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA

地元市民からも忘れられた土地で、挑戦しようと決意した。

2022年の7月に、石川県小松市でオープンした「Auberge “eaufeu”(オーベルジュ オーフ)」。日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」にて、当時史上最年少のグランプリを獲得した経験を持つ、糸井章太氏をシェフに迎え、廃校となった「小松市立旧西尾小学校」の校舎を改築。あらたにオーベルジュとして生まれ変わりました。

「このプロジェクトが始まるまで、小松という土地に来たことはありませんでした。『オーフ』があるのは、小松の中でもさらに山の方。最寄駅で乗ったタクシーの運転手に、地名を伝えてもわからないぐらい、外からの人がやってこない土地でした」と糸井氏。

しかし、小松の土を踏み、直感で「ここなら良い料理ができる」と感じたと言葉を続ける。

「初めて小松に来たのは冬の時季。凛とした空気が満ちていて、とても静かでした。山に囲まれている風景が、父の生まれ育った京都の三重町に似ていたこともあって、良いイメージがどんどん湧いてきました」

「オーフ」を立ち上げる際、コンセプトや厨房のディレクションに携わった日本料理人、稗田良平氏も、小松の風土に魅力を感じたと語ります。

「僕が小松を訪れたのは夏でした。田園が綺麗な緑色をしていて、風でバーっとなびいていた景色を覚えています。小松市の山に近い場所で野菜を作っている、『西田農園』で食べたトマトの味にも驚きました。皮が薄くて、繊細で澄んだ旨味を感じて。綺麗な水と、栄養価の高い土壌があるんだと思いましたね」と稗田氏。

1992年、京都府生まれの糸井章太氏。教師の両親のもとに生まれ、京都・大山崎町で育った。

1981年、長崎生まれの稗田良平氏。19歳で料理の道へ進み、台湾の「祥雲 龍吟」の料理長を務め上げた経歴を持つ。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA

自分が作る料理で、いい土地にするんです

「オーフ」がオープンして間もなく、糸井氏の料理が評判を呼び、小松市民さえ忘れかけていた土地に、国内外から人が訪ねるようになります。

「人のいない土地で料理をするのは、簡単なことではありませんでした。とにかく、最初は集客が大変で。でも、簡単なことだったら誰かがすでにやっていたと思うんです。僕は料理を突き詰めるのと別軸で、自分が料理する意味を求めていました。自分の料理で人を呼んで、食を中心に街づくりができることに、面白みとやりがいを感じました」と語る糸井氏。

2023年11月、台湾にオープンする「盈科 EIKA」の料理長を務める稗田氏も、「人のいない土地だからいいんです」と、糸井氏の言葉に共感します。

「都市部だから、いい店として続く訳ではないと思っています。料理、サービス、空間。全てをトータルして、素晴らしいものが提供できたら、どんなに遠くても人は来てくれる。世界を見ても、実現する店はいくつもあります。自分も、そういった店を目指したいですね」と稗田氏。

「いい土地で料理をするのではなく、自分の料理でいい土地にするんです」と続ける糸井氏の目には、力強い光が宿っていました。

糸井氏が作る「トマトパイ」。小松産のミディトマトをくり抜き、中に天然のスッポンを詰め、パイ生地に包んで焼き上げる。

小松で採れる大麦を使った料理。食材は、近くにある道の駅で仕入れることが多い。朝採れの野菜などを生産者が持ち寄ってくるそうだ。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA本当にいい料理ってなんだ?

「オーフ」のオープンから1年が経ち、特別企画として糸井氏と稗田氏による「4-Hands Dinner(フォーハンズディナー)」が開催されました。ふたりのシェフが互いのチームを連れ、ひとつの厨房内で料理したことにより、それぞれの先を見据える発見があったと、ディナーが行われた4日間を振り返り、語ります。

糸井氏は、稗田氏がつくったナスの料理から、料理人としての志を再確認したと言います。

「稗田さんが作ったナスの料理には驚きましたね。ソースにキャビアを使っているのですが、あの料理の主役は間違いなくナスでした。ナスを食べるために、キャビアが脇役として存在していたんです。食材の特徴を的確に理解していなければできない料理です。食材の個性に合わせて、調理法を考える。そんな柔軟な思考の料理人になりたい、とあらためて思いました」と糸井氏。

稗田氏は、今回のコラボディナーから、新しくオープンする店の理想像が見えてきたそうです。

「糸井さんが仕切るチームの雰囲気は、素晴らしかったです。すごくレベルが高いことを求めているのですが、難しく考えさせないムードを、糸井さんの人柄が作っていました。僕は台湾からスーシェフを2人連れてきていたのですが、彼らにとっても良い刺激になったはずです。11月にオープンする店がスタートダッシュできて、日本の料理人が悔しがるぐらい、良い日本料理をしたいなと思います」と、稗田氏は言葉に決意を滲ませます。

昨今、糸井氏と稗田氏のように、都市部ではなく、信念に合った地方で店を営む料理人が増えています。そして、多くの食べ手も、本当の美食体験が日本各地に存在していることに気づき始めています。

今まで注目されていなかった土地と食に光があたり、新たな価値が続々と誕生する。そんな世の中が、すぐ近くまでやってきているのかもしれません。

稗田氏が特別ディナーで披露した「茄子 白麹 キャビア」、素揚げした皮を剥いた茄子は、驚くほど瑞々しい。ソースには台湾麹、オイルには四川山椒をしのばせている。

道端に生えている植物が持つ個性にも、感性を巡らせる糸井氏。「オーフ」の2年目では、さらに小松の風土と向き合い、高みを目指していく。

1992年生まれ、京都府出身。「Auberge “eaufeu”(オーベルジュ オーフ)」シェフ。調理師専門学校を卒業後、2014年に「メゾン・ド・ジル 芦屋」に入店。2016年に渡仏して、ブルゴーニュの1つ星「レストラン・グルーズ」を経て、2017年より「メゾン・ド・タカ 芦屋」に勤務。2018年には、料理人コンペティション「RED U-35」にて、当時史上最年少のグランプリを獲得。2022年「Auberge “eaufeu”」シェフに就任。2023年、「ゴ・エ・ミヨ 2023」にて「期待の若手シェフ賞」を受賞。

1981年生まれ、長崎市出身。19歳から京都でキャリアをスタート。2009年にはミシュラン3つ星レストラン「日本料理龍吟」に入社。2013年は、サンフランシスコの3つ星フレンチレストラン「Benu」、「Manresa」で経験を積み帰国。2014年には、台湾に開業した「祥雲 龍吟」の料理長に抜擢される。その後、5年連続でミシュラン2つ星を獲得。2019年より「アジアベストレストラン50」にランクイン。2023年11月に台湾でオープンする「盈科 EIKA」の料理長を務める。

住所:石川県小松市観音下町口48
https://eaufeu.jp

Text:DAIJIRO KAWANO

小松の里山風景は世界へ繋がっている。廃校が生まれ変わったオーベルジュの志

廃校となった「小松市立旧西尾小学校」の校舎を改築した「Auberge “eaufeu”(オーベルジュ オーフ)」。1階の玄関にはレセプション兼テイクアウトもできるカフェ、奥へ進むとかつては職員室だったレストラン空間がある。2階、3階にある宿泊用の客室は、元教室だった間取りを生かし、現代芸術家の小川喜一郎が描いた絵画などが装飾された、使い勝手の良い仕様になっている。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA

国内外から人を呼ぶ、若き料理人の挑戦。

想像してみてください。これは東京から本州を横断する日本の旅。目的地は、一軒のオーベルジュです。あなたにとって、約500kmの移動さえも高揚を感じさせる旅の原動力とは、どんなものでしょうか−−。
 
石川県の南西に位置する小松市で、2022年の夏にオープンした「Auberge “eaufeu”(オーベルジュ オーフ)」。このオーベルジュの周りには、虫や動物の気配が隆盛している里山の風景が、見渡す限りに広がっています。人が盛んに行き交う様子は見当たりません。廃校となった校舎をもとに造られたという背景からも、「オーフ」は人が離れつつある里山で、日々を営んでいるということが窺い知れます。
 
シェフを務めるのは、日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」のグランプリを、当時史上最年少で受賞した糸井章太氏。日本とフランスの名店で磨き上げた技術と、新しい可能性に満ちた自由な感性で、小松・観音下(かながそ)の里山が育んだ食材の魅力を引き出しています。糸井氏がつくる料理は瞬く間に評判を呼びました。今では、「オーフ」での体験を目的に、県外のみならず国外からも、山に挟まれるように佇むこの場所へ、多くの人が訪ねてきます。

1992年、京都府生まれの糸井章太氏。26歳の時に「RED U-35」のグランプリを、当時最年少で受賞。

「オーフ」のオープン時から、コースで供しているという「赤いか ホエー にら」。小松産の蜂蜜を入れた酢で赤いかをマリネし、加賀蓮根のピクルスに重ねる。ソースには、ホエーと、にらのオイル。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA

特別なディナーコースは農道から幕を開けた。

2023年の晩夏、1周年を迎えた「オーフ」では、店の成り立ちにも関わっていた台湾で活躍する日本料理「盈科 EIKA」 (2023年11月オープン予定)の料理人、稗田良平氏を迎え、糸井氏との特別な「4-Hands Dinner(フォーハンズディナー)」が開催されました。ディナーのために集まった客が、まず案内されたのは、テーブルではなく「オーフ」の建物脇に伸びている農道。眼前には風に揺られる稲穂が一面に広がっています。
 
「みなさん。ようこそ、いらっしゃいました。雲が近づいてきているので、湿度を高く感じるかもしれませんが、夜に雲がスッと流れると、澄んだ空気の中で満天の星空が見えるんです。小松の風土を感じてもらうには、ぴったりな気候です」と、糸井氏。里山の広大な風景を前に深呼吸をすると、しっとりとした空気と共に、風に揺れる稲穂の香りが鼻を抜け、耳をすませば鈴虫や蛙の鳴く声が聞こえてきます。
 
「新米の時季ということで、小松で獲れた蛍米の炊き立て、煮えばなを味わっていただきます。『オーフ』の裏手にある窯で炊きました。小松の名産であるトマトと、糸井シェフが漬けた梅干しで作ったトマト梅麹で召し上がってください」と続けるのは、稗田氏。手元にある土鍋の蓋を開けると、甘くほっこりとした香りの湯気が立ち上ります。ピカピカに炊き上がった蛍米の登場です。
 
農道のベンチに腰掛け、足元から広がる小松・観音下の自然を眺めながら、炊き立ての蛍米を口にします。甘味と共に感じる、粒立ちの良い米の舌触り。澄んだ水、肥沃な土壌、生産者の弛まぬ努力が、目の前のこの風土にあることが、米の味わいから確かに伝わります。「オーフ」1周年の特別なディナーは、小松・観音下を五感すべてで感じるプレゼンテーションから幕を明けました。

ディナー客のために、農道の状態をチェックする厨房スタッフ。一番右が、稗田氏。

炊き立ての蛍米とトマト梅麹。蛍米とは、蛍が飛び交い、清流が流れる山間地で収穫される栽培地限定のコシヒカリ。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA料理人が表現する小松の風土と魅力。

農道でのオープニングを終えた一行は、厨房で今宵の調理スタッフたちと顔を合わせ、校舎をコンバージョンした「オーフ」の中へと足を踏み入れます。内装の所々には小学校の面影が残っています。かつて生徒や職員が過ごしていた温もりを感じ、テーブルへ着席したところへ、アミューズが運ばれてきました。
 
糸井氏から料理の説明があります。

「僕と稗田さんの料理を、小松市で産出された日華石の上で合い盛りにしました。焼酎で酔っぱらわせた西俣どじょうの素揚げ、蓬(よもぎ)を使ったシフォンケーキ、白かじきを燻製した生ハムには、赤キャベツのチャツネを乗せています」。

『オーフ』の近くで獲れた山や川の幸がふんだんに使われ、日華石の上で存在感を放っています。
 
稗田氏の料理は、小松の食材と台湾の食材を掛け合わせているとのこと。

「潤餅(ルンビン)という小麦粉で作った薄い皮で万願寺唐辛子を巻いたもの、発酵させたキュウリとパクチーのソースに浮かべた岩牡蠣です」
 
揚げたての旨味たっぷりなどじょう、蓬の香りがどこか懐かしさを感じさせるシフォンケーキ、発酵させたことで爽やかな酸味とコクが生まれたキュウリの味わいなど、ひとつずつ工夫を凝らしたテクスチャーに、一行は思わず頬が緩みます。
 

「オーフ」1周年のディナーでコラボした厨房スタッフ。「オーフ」のスタッフは、糸井氏以外20代。稗田氏は2023年11月にオープンする「盈科 EIKA」で共に働く、2人のスーシェフを連れてきた。

アミューズで供された「西俣どじょう 蓬 潤餅」。料理を盛りつけてあるのは、小松で産出される日華石。国会議事堂の主要内装材のひとつとしても使われている。

「オーフ」1周年のディナーで振る舞われた料理たち。小松の食材と台湾の食材。糸井氏の料理と稗田氏の料理。ジャンルと国を超えた様々な魅力が入り乱れた特別なコース。

SHOTA ITOI×RYOHEI HIEDA高級食材を取り合うのではなく、食材の魅力と料理する意味を理解したい

続々と繰り出される糸井氏と稗田氏の料理。丁寧に趣向を凝らした味わいは、どれも美味しさの極地に達しているような仕上がりです。
 
糸井氏は、今宵の料理をこのように語りました。

「今日使った野菜、魚、肉に、高級なものは、ほとんどありません。僕は、自分の手が届くところにある米や野菜を、最高の料理として表現したい。料理人の役目は、高級食材を取り合うのではなく、そばにある食材の魅力と料理する意味を理解することだと思っています。小松の風土とさらに向き合って、2年目も『オーフ』らしい料理を表現していきたいです」。

土地と食材にどこまでも真摯であろうとする糸井氏。小松・観音下でしか表現できない唯一無二の料理が、「オーフ」にはあります。健やかな風土が生み出した食材、思慮深く真摯に向き合う料理人、食材を育んだ大いなる里山の空気、三位一体によって比類なき魅力を放つのです。酒蔵で杜氏の言葉を聞き、酵母の気配を感じながら飲む酒がひときわ輝くように。

「世界で見てきたレストランや食材が恋しくなることはありませんか」という問いかけに、「どこにいても、僕がすることは変わりません。ここが世界へ繋がっているんです」と自信に満ちた笑顔を浮かべる糸井氏。
 
場所を選ばず美食を楽しめるようになった今の時代。その場所の空気や、背景に流れるストーリー、人の想いを肌で感じることで、美食体験はレストランのテーブルから飛び出し、さらにその先の感動へ繋がっていきます。都市部から離れた土地だからこそ味わえる。そんな料理が小松の里山風景に生まれ、育まれていました。

フランスにいても、アメリカにいても、日本にいても、自然体であり続ける。教師である両親のもとに生まれた糸井氏が、廃校となった場所を舞台に新たな可能性に挑戦している。

住所:石川県小松市観音下町口48
https://eaufeu.jp

Text:DAIJIRO KAWANO

これぞのどぐろ三昧。ふっくらとした身と濃厚なだしが織りなすうまみの共演を存分に。[和光アネックス/東京都中央区]

一般的な白身魚と異なり脂がのっているのどぐろは、加熱してもふっくらとしたまま、身が固くならないのも魅力。

WAKO ANNEX白身魚の王様・のどぐろを、余すことなく炊き込みご飯で。

白身魚らしい上品な味わいの中に、脂のうまみもしっかり感じられる国産ののどぐろを、松山あげやにんじん、生姜と合わせた具沢山の炊き込みご飯のもと『本格具材のどぐろ御飯』。食べやすく一口大にした身に、焼いたアラと昆布からとった濃厚な「のどぐろだし」を加えた、のどぐろ三昧のひと品です。のどぐろだしは「たれ」として具材と別添えにすることで、炊き上がりの際の具材の色合いの美しさや、風味のよさにもこだわりました。

保存料、化学調味料不使用で、素材そのものの味わいと安心感をお届けします。口の中でほろりと崩れ、広がるのどぐろのうまみと、奥行きのあるだしの風味をお楽しみください。

手掛けたのは、瀬戸内の小さな港町・愛媛県今治市来島で、海の恵みと真摯に向き合ってきた『愛媛海産』。愛媛県、瀬戸内海で獲れる新鮮な地魚をはじめ、地域の食材を新鮮なうちに加工した品々は、食卓を彩り豊かにしてくれることでしょう。

高級魚としても名高いのどぐろを、手軽に食卓に取り入れられるのは嬉しい。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

山形の風土に育まれた、選ばれしブランド牛の旨みを凝縮。老舗の独自技術が光る珠玉の缶詰。[和光アネックス/東京都中央区]

温める際は湯煎で。缶のまま沸騰したお湯に入れ、4〜5分程度温めることで適度に脂が溶け、肉質もやわらかくなるという。

WAKO ANNEXすね肉の濃厚な旨みが、とろりとした食感とともに広がる。

1957年創業の『木の屋石巻水産』は、自然豊かな石巻の地で水産加工品を数多く手掛けてきました。中でも独自の製法と国産調味料にこだわり、素材の味を大切にした缶詰は、食卓のお供や贈答品として全国の食通達に親しまれています。

『山形牛すね肉和風醤油煮込み』は、“夏暑く・冬寒く”四季が移ろい、また昼夜の寒暖差が大きい山形県の風土の中で、丹精込めて飼育された黒毛和種のすね肉のみを厳選。山形牛の名を冠する3等級以上の肉質、かつ旨みの強いすね肉を特製和風醤油ダレで甘辛く煮込みました。

歴史ある山形牛が誇るきめ細やかな肉質、深い味わい、まろやかな脂に加え、すね肉をじっくりと圧力をかけて煮込むことにより実現した、ふんわり、とろとろの食感をそのまま閉じ込めた逸品は、熱々のご飯にも、お酒にも合う味わいです。

高級感あるパッケージは贈答用としても人気。個包装のためプチギフトにも。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

干し柿の概念が覆る。独自手法で美味しさと安心安全を追求する、唯一無二の逸品。[和光アネックス/東京都中央区]

実るまでも、加工の過程も、全てに驚くほどの手間をかけて作られる。

WAKO ANNEX柿本来の甘みと風味を、低温乾燥でじっくりと引き出す。

おいしさと安心安全を第一に、子どもにも心配なく食べさせられる柿を。そんな思いから石川県鳳珠郡能登町にて無肥料での柿栽培にこだわり、植物ホルモンを最大限に活かす手法「垂直仕立て」により、通常よりも2度も高い平核無柿を実らせることに成功した『陽菜実園』。「ひなみ柿」と名付けられたこの柿を、丸ごと干し柿にした『ひなみ柿ムームー』もまた、砂糖や漂白剤、燻蒸など、一般的な干し柿に使われる添加物を使用せず、その代替として、酸化、劣化を防ぎ可能な限り栄養素を壊さない低温乾燥でじっくりと乾燥し作られています。

「丸ごと」ならではの肉厚な果肉は、外側はドライ、中心はしっとりとしたセミドライの食感。噛めば自然の甘味、風味が口いっぱいに広がります。柿自体の糖度が高く、ドライにすることでさらに凝縮された濃厚な甘みが味わえます。滋味あふれるおやつとしてそのまま頂くことはもちろん、チーズ等と合わせ、おつまみとして楽しむのもおすすめです。

ねっとりとしたセミドライの食感と濃厚な甘みが、フレッシュチーズによく合う。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

肝は圧倒的な採油スピード。酸度0.3%以下を実現した、至高のエキストラバージンオイル。[和光アネックス/東京都中央区]

フルーティな中に爽やかな辛味も感じる、早穫ならではの魅力が凝縮。遮光性に配慮した漆黒のパッケージも美しい。

WAKO ANNEX陽光と潮風に抱かれて。小豆島産オリーブオイルの最高峰。

日本のオリーブ栽培発祥の地である香川県・小豆島。瀬戸内の温暖な気候風土と、100年を超える歴史の中で育まれたノウハウが成熟し、今では「ミッション」「マンザニロ」「ルッカ」「ネバディロ・ブランコ」の4品種が主に栽培されています。

個性豊かな小豆島のオリーブ農園の中でも、収穫から採油までベストなタイミングを見極め、丁寧にオリーブオイルを作っているのが『アグリオリーブ小豆島』です。こちらの手がけるエキストラバージンオイルは、香りや味を決定付ける指標である「酸度」が、国際オリーブ協会の規定である「0.8%以下」よりも遥かに低い「0.3%以下」と最高レベル。独自の濾過技術や収穫より24時間以内に採油処理を行うといったスピード感の賜物です。

『早穫ルッカ小豆島産100% シングルエステートエキストラバージンオイル』は、ルッカ種限定でシーズン初期に手摘みで採取されたグリーンオリーブを、短時間で採油し遮光性の高い瓶に閉じ込めました。若草の香りがやさしくフルーティーで、苦みと辛味のバランスが良いため、食材を選ばずさまざまな料理に活躍します。

風味、食味を楽しむには、熱を加えず生食用としていただくのがベスト。刺身やカルパッチョに岩塩とオイルでシンプルに、またサラダやトーストと合わせるなど、味わいは多彩です。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

3名のシェフが滋賀県産食材を調理。個性豊かな料理が伝える琵琶湖が育む透明なおいしさ。[SHIGA FINE FOOD DINING/東京都港区]

ローカルファインフードフェア滋賀3名のシェフによる夢のコラボレーションディナー。

琵琶湖の水と豊かな自然に囲まれた滋賀県は、食材の宝庫。古くから京都の美食を支えた伝統もあり、自然、文化、歴史のあらゆる面において上質な食材を生み出す環境が整っているのです。近江牛や近江鴨に代表される肉、肥沃な土壌と水に育まれる野菜、豊かな水が育む湖魚とバリエーションも多彩で、近年は多くのプロ料理人たちも滋賀県に熱い視線を注いでいます。

2023年8月某日。

そんな滋賀県産食材の魅力をさらに広く伝えるため『SHIGA FINE FOOD DINING』が開催されました。3名のトップシェフが滋賀県産食材を使い、それぞれの料理を披露するコラボレーションディナーイベントです。

今回はディナー本番を前にインフルエンサーを招いて開催されたダイジェスト版の様子とともに、それぞれのシェフの料理と滋賀県産食材の魅力を紐解いてみましょう。

左から『酛TOKYO』佐久間氏、『ニルヴァーナ ニューヨーク』引地氏、『Opuses』十楚氏。

ダイジェストイベントに参加したインフルエンサーの皆様。それぞれの視点で料理を堪能した。

ローカルファインフードフェア滋賀ビワマスの透明感ある味わいをダイレクトに伝える握り寿司。

最初に登場したシェフは『酛TOKYO』の料理長・佐久間佑吾氏。素材の持ち味を引き出す繊細な技術に定評がある佐久間氏が選んだ食材は、滋賀県産のビワマスです。

その名の通り、日本中で琵琶湖にしか生息しないビワマスは、サケ科に属する魚。鮮やかなサーモンピンクの身にしっとりと適度な脂をまとい、なめらかで口溶けの良いおいしさが魅力です。

「滋賀県を訪れてもっとも感動したのが、このビワマス。澄んだ水のような透明な味わいで、脂のキレも抜群」

と佐久間氏も絶賛します。

さらに佐久間氏はこのビワマスの魅力を最大限に引き出すため、現地で魚体の鮮度を守る“神経抜き”をしてもらうよう依頼。その熱意に生産者が応え、これまで以上に状態の良いビワマスが届くようになったのです。

「何をしてもおいしくて料理人がいらないくらいです(笑)」

そう笑う佐久間氏がビワマスの味わいを伝えるために仕立てたのは、シンプルな寿司。赤酢を使って米の旨味を引き出し、かつまろやかな酸味で、ビワマスの透明感をいっそう際立てる。シンプルな中に細やかな計算が潜んだ寿司は、佐久間氏が言う“透明感”を饒舌に伝えてくれました。

ゲストの前で料理を仕上げる佐久間氏。丁寧に食材を引き立てる技術が光る。

身の厚み、赤酢を使うシャリの塩梅、全体のバランス。シンプルな中にさまざまな技が込められる。

脂にクドさがないため「いくつでも食べられる」との声が会場から聞こえた。

ローカルファインフードフェア滋賀一羽まるごと使用して鴨の魅力を伝える料理。

2人目のシェフは、『ザ ロイヤルパークキャンバス銀座8』のオールデイダイニング『Opuses』の十楚武志氏。フレンチベースのモダンシーフードグリルを得意とする十楚氏が、この日は近江鴨の料理を披露しました。

近江鴨は、琵琶湖沿岸の高島市で育てられる滋賀県初のブランド鴨。水、餌、環境、細部にまでこだわり抜いて育てられた鴨には、多くの料理人が絶大な信頼を寄せています。近江鴨の魅力はそれだけではありません。

「処理や梱包といった細やかな点が本当に丁寧。それだけで生産者の思いが伝わります」

と十楚氏。手塩にかけた食材を、消費者の手元に届くまで大切に扱う。そんな基本を真摯に守り続けることも、近江鴨の魅力となっています。もちろん、味も一級品。

「国産鴨はいろいろ使ってきましたが、これは良い意味で“獣っぽさ”が少ない。雑味がなく食べやすく、それでいて味わいはしっかりとあります」

そんな鴨への敬意も込めて、十楚氏は鴨のすべてを使い切る料理を考案しました。

胸肉はキャラメルビネガーでじっくりとローストし、近江鴨の豊かな味わいを引き出します。添えられるソースや付け合せも、テロワールを感じる滋賀県産食材。濃厚な風味と酸味を持つ発酵黒蜜葡萄のソースが鴨肉の旨味を輝かせ、滋賀県伝統のみずくぐり味噌が、アクセントを加えます。

さらに料理はもう一品。モモ肉、ハツ、レバー、砂肝のラビオリです。鴨の風味が溶け込んだコンソメと、もっちりとした皮の中に鴨の複雑な旨味を凝縮したラビオリ。まるごと余すことなく使用することで、近江鴨のポテンシャルを最大限に引き出した十楚氏らしい料理でした。

熟練の技術はもちろん、その明るい人柄でも厨房内で存在感を示した十楚氏。

近江鴨を2種の調理法で提供。胸肉のキャラメルビネガーロースト(左)と、もも肉・ハツ・レバー・砂肝のラビオリとコンソメ(右)

近江鴨以外の食材も滋賀県産にこだわった十楚氏。ゲストの前に立ち、その思いを伝えた。

ローカルファインフードフェア滋賀絶妙なスパイス使いで引き出す野菜のポテンシャル。

最後はイベントの会場となった『ニルヴァーナ ニューヨーク』を率いる若き料理長・引地翔吾シェフの登場です。引地氏の持ち味は、本場のインド料理に対抗するのではなく、スパイスの力で日本の繊細な食材の持ち味を引き出すこと。魔法のようなスパイス使いで、食材の透明感を保ちながら香り豊かな料理を仕上げます。この日の引地氏の料理の主役は、杉谷なすびです。

杉谷なすびは、滋賀県甲賀市で育てられる野菜。丸々と大きな形と緻密で甘みある味わいで、古くから地元で愛されている伝統野菜です。不思議なことに甲賀市杉谷地区以外ではこのサイズに育たないという特性を持っています。地区の特性と伝統を引き継ぎながら、大切に育てられている野菜です。

現地の甲賀市を何度も訪れ生産者とも交流のある引地氏が作るのは、そんな生産者の思いまでを伝える料理。

「皮が薄く、中はトロリと柔らかい。そんな野菜の持ち味がスパイスを越える料理を意識しました」

そう話す引地氏は、杉谷なすびをじっくりと焼き上げ、絶妙な調味料と合わせた焼きなすのカレー・ベイガンバルタを仕上げました。複雑なスパイスの香り、ほのかにスモーキーなフレーバーが広がりながら、杉谷なすびの甘みと風味もはっきりと感じられる味わい。カレーという枠の中で食材が持ち味を光らせる技ありの逸品です。

合わせたのはスパイスが香る滋賀県産チーズを使うチーズナン。単なる足し算ではなく、味の広がりや余韻までを計算したスパイス料理が、杉谷なすびの可能性をさらに感じさせました。
3名のシェフそれぞれの個性と技術で、3種の滋賀県産食材の魅力を伝えた『SHIGA FINE FOOD DINING』。3名のシェフが口を揃えたのは、滋賀県産食材に共通する「透明感ある味わい」でした。琵琶湖の豊かな水が育む、クリアなおいしさの滋賀県産食材。どんな調理法にもマッチし、かつ明確な存在感を示すその上質なおいしさを改めて感じるイベントでした。

イベントでご紹介した料理や、その他のトップレストランでも『SHIGA FINE FOOD DINING』を首都圏で開催中。
詳しくはこちら

「SHIGA FINE FOOD DINING」の公式インスタグラムにて随時情報を更新中。
公式インスタグラム

食材への理解と、その食材を活かす技術の幅。引地氏の感性が冴え渡る。

杉谷なすびの一般的なインドカレーとは一線を画すクリアなベイガンバルタ。

滋賀県『古株牧場』のスパイスチーズ・ハードエピスを使ったチーズナン。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

【関連記事】料理人たちによる視察の様子は、こちらから

国宝松本城でのガラディナー開催。そして、私たちは、ルレ・エ・シャトーの本質を知る。

信州の中央に位置し、400年以上の歴史を誇る都市として栄えてきた松本。北アルプスの品格ある山々と鮮やかな四季が培った美的感性は、食や芸を育み、様々な文化を継承。歴史的建造物も多く、その最たるシンボルこそ国宝「松本城」。今回は、イベントを通し、「松本城」の保全・保護に寄与する。

国宝松本城チャリティーガラディナー 「料理」「おもてなし」を通し、国宝「松本城」を守り、継ぐ。

「ルレ・エ・シャトー」と聞いて、その本質を語れる人が日本にどれだけいるだろうか。残念ながら、多くはないのが現実だろう。

「ルレ・エ・シャトー」の歴史は、パリとニースを結ぶ国道7号線上にある8つのオーベルジュのオーナーたちがパートナーシップを結び、1954年に創設した「レ・ルレ・ド・カンパーニュ(田舎の宿)」からスタート。その後、「ラ・ルート・デュ・ボヌール(幸福の道)」という名称のキャンペーンを展開し、フランス全土に広がりました。

1956年以降、加盟メンバー数は8軒から25軒、ついで80軒と発展。さらに、スペイン、オランダ、ドイツ、オーストリア、スイスのホテルが加盟し、国境を越えた最初のフランスのホテル組織に。そして、1961年には、初のヨーロッパガイドブックも刊行されました。

ロアンヌの著名なレストランのオーナーシェフ、ピエール・トロワグロが中心となり、トップ・シェフたちが集まりルレ・グルマンを創設。今では、世界65カ国、580のホテルとレストランが加盟しています。

新規加盟には厳格な審査があり、「ルレ・エ・シャトー」の価値を共有できる個性あるホテル・レストランのみが認められます。加盟するメンバーは、お客様ひとり一人との一期一会を大切にし、本物のリレーションシップを築くという情熱を共有しています。

そんな「ルレ・エ・シャトー」の価値とは何か。そのひとつは、2014年11月にユネスコで宣言したヴィジョンにあります。

「料理とおもてなしによる、より良い世界を構築するために」掲げられた3つの行動領域、「世界の優れた料理を守るために」「美しさと美味しさの情熱を分かち合うために」「より人間的な世界で生きるために」は、離れた地で活動するメンバーたちの指針となり、同じ人道的なゴールを目指しています。

国や文化、言語は違えど、互いに違いを認め合う人間同士。料理という共通から結実されたメンバーには、次世代へ継承するふたつの伝統があると言います。それは「料理」と「おもてなし」です。このふたつの伝統は、常にアール・ド・ヴィーヴル(人生を豊かにする術)と世界平和に貢献してきました。料理とおもてなしは、世界共存という概念の中で本質的な役割を果たすために、今まで通り、これからもずっと守られ、更なる進化を遂げなければならないのです。

そんな「ルレ・エ・シャトー」が日本でガラディナーを開催。招集する主催は、長野県松本市を拠点にホテル・宿を運営する「扉ホールディングス」です。会場は、同じく松本市、誰もが知る国宝「松本城」。「ONESTORY」は、その運営と演出を担います。

目的は、文化財の保全、保存、保護。参加費の一部は、「松本城」に寄付され、それに当てられます。

今回は、国内外の「ルレ・エ・シャトー」メンバーより厳選し、9名のシェフが参加。

海外からは、フランスより、「L‘Auberge Basque」のCédric Béchadeシェフが来日。日本からは、金沢「日本料理銭屋」の高木慎一朗シェフ、宇都宮「オトワレストラン」の音羽和紀シェフ、大阪「柏屋」の松尾英明シェフ、松本「扉温泉明神館 ヒカリヤ ニシ」の田邉真宏シェフ、大阪「La Bécasse」の渋谷圭紀シェフ、京都「要庵 西富家」の美坂昌希シェフ、神戸「神戸北野ホテル」の伊井野昌洋シェフ、沖縄「ジ・ウザテラス ビーチクラブヴィラズ」の喜納正智シェフたちが腕を振るいます。

料理には、信州の歴史、松本の暮らし、自然環境や食文化が取り入れられ、おもてなしには、伝統芸能や工芸も採用。「ルレ・エ・シャトー」が大事にする、「料理」「おもてなし」を松本スタイルに発展させ、国宝「松本城」を守り、継ぐことに貢献します。

国宝や伝統と名の付く物事は、当たり前のように続いているわけではありません。世界と比べ、日本においては文化への投資がまだ明るくなく、それらを維持する費用の問題は切実。国や地域だけでなく、国民全員で向き合う局面を迎えていると言っても過言ではありません。

「Delicious Journeys in Matsumoto」は、ただの美食のイベントではありません。

世界中は難局を経て、人は何を学んだのか。食べることとは何か。料理とは何か。レストランとは何か。そして、生きることとは何か。「ルレ・エ・シャトー」のメンバーとともに「松本城」で過ごす時間は、きっと大切な何かに気づかせてくれるに違いないでしょう。

今回は、あくまでもきっかけに過ぎません。美しい日本を守り続けることができるのは、我々、日本人なのです。

「ルレ・エ・シャトー」よりより9名のシェフが参加。「料理」と「おもてなし」を軸に、建築、音楽、工芸といった様々な地域文化を表現する。

豊かな清流と海風に抱かれて。ふくよかに実ったフルーツの恵みを存分に。[和光アネックス/東京都中央区]

食感を残したブラッドオレンジの豊かな風味に白桃のやさしい甘さが調和した、癖の少ない味わい。

WAKO ANNEX地域のフレッシュな美味を閉じ込めたコンフィチュール。

清流球磨川を抱く熊本県人吉球磨地方。かつて司馬遼太郎氏に「もっとも豊かな隠れ里」と言わしめた自然あふれるこの場所で、おいしさと豊かさを届ける綜合地域ブランドとして、『球磨川アーティザンズ』は生まれました。

手がけるのは、地域の美味をつかったジャムやスプレッド、シロップといった加工品の数々。『ブラッドオレンジと桃のコンフィチュール』は、2種の果実の見事な調和を感じられるひと品です。

ブラッドオレンジは、南九州を代表する清流・球磨川の流れ出る不知火(しらぬい)海の海風を受けて育った「タロッコ種」をセレクト。紫色を帯びた濃いオレンジ色の皮に包まれた実は、弾けるようにフルーティー。フルーツの里、球磨郡錦町で育ったみずみずしい白桃ピューレを合わせ、オレンジそのままの食感とさわやかな風味を感じられる、上品なコンフィチュールに仕立てました。

パンやヨーグルトのお供として、またチーズとあわせておつまみにも。食卓を彩るフルーツの恵みを家族みんなでお楽しみください。

どこか懐かしさを感じさせる素朴でやさしい味わいと、とろりとした食感も魅力。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

愛好家を唸らせるウイスキー『HIGHLAND PARK』。最北の蒸溜所のスコッチと、薪火料理が響き合う夜。[HIGHLAND PARK presents WILD HARMONY SESSION in Maruta/東京都調布市]

 最北の蒸溜所から届いたスコッチウイスキー。

スコットランドの北端、大小70の島々で構成されるオークニー諸島。

そのなかのひとつであるメインランド島に、最北端のスコッチウイスキー蒸溜所、ハイランドパーク蒸溜所があります。

かつてヴァイキングの拠点であったこの島でヴァイキングの子孫によって受け継がれる、変わらぬウイスキーの製法と島の誇り。

ロマンあふれるシングルモルト・スコッチウイスキー「HIGHLAND PARK」は、世界中のウイスキー愛好家から高い評価を得ています。

常に強風が吹き荒れ、木々すらも生き残れないというオークニー島の厳しい自然の中、200年以上も変わらぬ製法が貫かれている『HIGHLAND PARK』。

しかし伝統とともに受け継がれるヴァイキングの魂は、“ただ守り続けること”を許しません。その誇り高き魂が目指すのは、常に戦い、挑戦し続けること。

さて、そんな『HIGHLAND PARK』をさらに楽しむために、ある夜、開かれたイベント。会場となったのは、調布『Maruta』。環境重視の店づくり、ローカルファーストの食材調達、そして薪火という調理法を通して、常にレストランの新たな可能性を模索し続ける名店です。

果たしてそんな『Maruta』のスピリットは、『HIGHLAND PARK』の哲学とどう共鳴するのか。まだ見ぬコラボレーションに期待が尽きない一夜限りのスペシャルディナー『HIGHLAND PARK presents WILD HARMONY SESSION in Maruta』の開幕です。

2018年のオープン以来、食通の支持を集める『Maruta』の薪火料理。ウイスキーとのペアリングに期待が高まる。

会場となった『Maruta』は、木々が生い茂る庭園を併設。料理やカクテルに使われるハーブの多くも、この庭園で育つ。

火の通りが柔らかく、燻製のような香りもまとう薪火料理。原始的だが、可能性に満ちた調理法。

 まずはテイスティングで、シングルモルト本来の味と香りを堪能。

さて、いよいよ幕を開けたスペシャルディナー。

ウイスキーと薪火料理のペアリングへの期待が高まりますが、その前にまずはテイスティングでシングルモルト・スコッチウイスキーそのものの味を確かめます。

ゲストの前に用意されたのは、『HIGHLAND PARK』12年、15年、18年の3種のヴィンテージ。それぞれの特長を、ブランドマネージャーである藤井氏が解説します。グラスを掲げて色を見て、鼻を近づけて香りを感じ、そして口に含んで味と余韻を確かめる。そうして正面からしっかりと向き合うことで、改めて『HIGHLAND PARK』の魅力が見えてきます。力強いのに角のない味わい、ほのかにスモーキーな独特のピート香、ハチミツを思わせる柔らかな甘み。それぞれのヴィンテージによる個性も、藤井氏の言葉とともに実感を伴って染み込みます。厳しい自然環境と悠久の歴史が作り上げた、唯一無二のフレーバー。その独自性は、勇敢に挑み続け積み重ねた伝統の証。そんな重厚な物語を身近に感じられた瞬間でした。

続いてはいよいよ料理の登場です。

『Maruta』のシェフ・石松一樹氏とマネージャー・外山博之氏が最初に用意したのは、12年、15年、18年の『HIGHLAND PARK』それぞれに合わせるフィンガーフードでした。

香りを起点にしたペアリングに定評がある外山氏の今回の狙いは、ウイスキーの香りにクローズアップすること。12年のオレンジのような軽やかさには、香草を加えた干し柿で作ったサラミ、15年にはパイナップルのような甘みにはイチゴのアイスクリーム、18年はナッツやチョコレートを思わせる風味と熟成感には牛脂のクッキー。調和するのではなく、ウイスキーの個性を伸ばすことを意識した素晴らしいペアリングでした。

ブランドマネージャーの藤井氏。地理や歴史、製法など、『HIGHLAND PARK』のあらゆる情報を知る人物。

左から12年、15年、18年。じっくりと向き合うことで味や香りはもちろん、色味や粘度の違いも見えてきた。

「自由に楽しむ、という前提ですが」と前置きしつつ藤井氏がプロのテイスティング方法もレクチャー。ウイスキーの楽しみ方の幅を広げてくれた。

香りの中から柑橘やバニラなどの要素を感じとると、ウイスキーはいっそう味わい深くなる。ただし度数が高いため、鼻の近づけ過ぎに注意。

テイスティングから静かに幕を開けたイベントは、時間の経過とともに徐々に和やかな雰囲気に。

それぞれのヴィンテージに合わせた3種のフィンガーフード。香りを起点に、ウイスキーの個性を引き出した。

「HIGHLAND PARKのストーリーとMarutaの料理に高い親和性を感じた」というマネージャーの外山氏。

 炎で仕上げる料理と、ヴァイキングの魂を継いだウイスキーの調和。

続く料理の前に、ここからは趣向を変えてスタンディング形式に。大皿の料理をブッフェスタイルで取り分け、『HIGHLAND PARK』はバーカウンターで好みの飲み方を注文するスタイルです。

カウンターに立つのは、『Maruta』の外山氏と、ゲストバーテンダーである世田谷代田『Quarter Room』の野村空人氏。2人のドリンクのプロフェッショナルが、アレンジを加えてさらなる『HIGHLAND PARK』の魅力を引き出します。12年ならソーダ割り、15年は水割り、18年はロック。そこに自家製の発酵飲料や『Maruta』の庭に茂るハーブを加えて、仕立てるさまざまな味わい。力強い味わいの『HIGHLAND PARK』にハーブの香りが加わって生み出される軽やかさ、奥深さ、まろやかさが、改めてウイスキーの無限の可能性を感じさせます。

合わせるのは石松シェフの真骨頂である薪火料理。

薪火で炙った枝豆に、薪の香りをまとわせたクリームを合わせる一品。神経締めの鯛は香草たっぷりのリゾットとともに。焼き茄子とともに味わうスープ、経産牛の熟成感に薪火で香ばしさを加えたステーキ。薪火でカラメリゼした洋酒のケーキは『Maruta』のスペシャリテですが、今日は特別に『HIGHLAND PARK』を使用して香りをつけています。

薪火という原始的な調理法で仕立てられた野趣あふれる料理と、最北の蒸溜所で生まれたウイスキー。それらが響き合い、混ざり合い、『HIGHLAND PARK』と『Maruta』の料理それぞれに、さらなるポテンシャルを引き出させたのでしょう。

「料理人の使命は、常に新たなことに挑戦し続けること。今回もウイスキーを起点に料理を考案する、という未知への挑戦でした。スモーキーなHIGHLAND PARKと薪火料理の相性は想像以上。そのなかで料理とウイスキーそれぞれをどう記憶に残すかを心がけました」

と振り返る石松シェフ。

「料理との共鳴、そしてハーブを加えた新たな飲み方。HIGHLAND PARKは歴史とロマンの酒。200年以上も変わらぬ製法を続けているにも関わらず、今回のように新たな発見があることに驚きました。“ウイスキーはロックで飲むもの”という時代は終わりました。これからは今回のように、より自由に楽しめる酒として広く伝えていきたい」

藤井氏もそんな言葉で、今回のイベントを振り返りました。

時間の経過とともに、賑やかな雰囲気に包まれる会場。背後に薪火が燃えるその様子は、ヴァイキングの伝統である火祭りを彷彿とさせるよう。受け継がれる伝統を守りつつ、新たな挑戦も続ける『HIGHLAND PARK』と、革新を続ける『Maruta』。そんな両者の哲学が響き合い、未知なる魅力へと昇華された稀有なる夜でした。

和やかな雰囲気に包まれたブッフェスタイルの第二部。この雰囲気を醸成するのもウイスキーの魅力のひとつ。

炭酸割りや水割りの仕上げに、ハーブなどを追加。加える素材により、『HIGHLAND PARK』は実にさまざまな表情を見せる。

野菜料理は豪快に薪で炙った枝豆。クリームにも薪の香りをまとわせている。

旨味が濃厚な経産牛。表面をクリスピーに焼き上げ、旨味を内部に凝縮するのは、石松シェフの技術の賜物。

ウイスキーで香りをつけるスペシャリテのケーキ。今回は贅沢に『HIGHLAND PARK』を使用。

ゲストバーテンダーの野村氏。見事な手際で、次々とドリンクを仕上げた。

扱いが難しい薪火の熱を自在に操る石松シェフ。オープンキッチンでのシェフの巧みな調理にも注目が集まった。

炎、自然、伝統。さまざまな要素が絡み合い、相乗効果を発揮した『HIGHLAND PARK』と『Maruta』の料理。

住所:東京都調布市深大寺北1-20-1
電話:042-444-3511
営業:ランチ11:30〜、ディナー17:30〜
休日:ランチ土曜・日曜・月曜、ディナー土曜・日曜のみ営業
URL:https://www.maruta.green/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 三陽物産)

気鋭のトップランナーふたりが競演。信濃大町の名水から生まれた「幻のかき氷」と「大人のカクテル」。

 信濃大町最大の特産品である「水」を使った新名物を。

「水の日」の8月1日、豊かな森に囲まれた木崎湖の畔はにわかに活気づいていました。木崎湖は、北アルプスの麓、立山黒部アルペンルートの長野側の玄関口として知られる信濃大町の憩いの場であり、多彩なアクティビティが楽しめる水清き湖。そこに多くのメディアが集まり、ある発表会が開かれようとしていたのです。

主役は飲食業界で今を時めくふたり。『あずきとこおり』の店主・堀尾美穂氏と、『BAR GOYA』のマスター・山﨑剛氏です。

堀尾氏はミシュラン二つ星を獲得し「アジアのベストレストラン50」にて3位に輝くフレンチレストラン『Florilege』でパティシエを6年間務めたあと、2022年にかき氷専門店『あずきとこおり』をオープン。日替わりで提供される多種多様なかき氷は1杯3,000円程度と破格ながら、予約枠が受付開始後に数分でいっぱいになる超人気店となっています。“ゴーラー”と呼ばれる筋金入りのかき氷ファンから厚い支持を受けるその一杯は、かき氷の概念を覆すラグジュアリー・スイーツともいうべき、斬新な発想と厳選された素材、卓越した技術が詰まった逸品となっています。

山﨑氏は銀座の名門『スタア・バー』に13年間勤めた後、2018年に独立し『BAR GOYA』をオープン。2007年に第1回シェリー・カクテル・コンペティションでグランプリを、2008年にはベネンシアドール公式称号資格認定試験で最優秀賞を獲得し、シェリー界でただひとりの二冠王者となった人物。2019年、「第46回全国バーテンダー技能競技大会」で総合優勝に輝くなど、日本のバーテンダーを牽引する実力者です。

この日、ふたりは信濃大町にちなんで考案したオリジナルのかき氷とカクテルを披露しました。共通するテーマは「水」。屹立する北アルプスの山嶺に降り注ぎ、豊かな大地に磨かれて信濃大町に湧く天然水を“食材”と捉え、清冽な水によって育まれた信濃大町の特産品を盛り込んで、唯一無二のかき氷とカクテルが開発されました。
さて、一体どのような一品が生まれたのでしょうか?

牛越徹大町市長の挨拶を皮切りに、発表会がスタート。

木崎湖の畔に登場した特設カウンターで、かき氷とカクテル作りが始まった。

堀尾氏のかき氷は、まるで羽毛のように薄く繊細な氷がふんわりと積み上げられていくのが特長。氷を三層に分けて盛り、その間に多彩なクリームやトッピングが仕込まれていく。

信濃大町の天然水で特別に作った氷で実演。氷がカクテルにとっていかに大切な食材であるかを解説する。

数多くのメディアが集まり、その注目度の高さがうかがえた。

 蕎麦を使った唯一無二のかき氷、誕生。

木崎湖をバックに設えられたカウンターはテレビメディア4社、新聞3社、ラジオ、雑誌の記者たちに囲まれています。みんなが見守る中で大型のかき氷機がシャッ、シャッ、シャッ、シャッと軽快なリズムを刻み、まるで羽毛のようにふんわりと薄く削られた氷は見る見る間に積み上がっていきます。使用する氷は、大町市の水道に使われているものと同じ水を源流で汲み上げ、特別に製氷したブロック氷です。

削り出した氷の山を幾たびか両手でやさしくまとめ、ソースや具材を加えながら層を作っていくことで、うずたかくこんもりとした堀尾流のかき氷が完成します。

コーヒー色のクリームや多彩なトッピングをまとったそのかき氷は、名付けて「そばとこおり」。そう、信濃大町の特産品の一つである蕎麦を使ったかき氷です。

試食する記者たちからは驚きの声が上がります。

「こんなかき氷は食べたことがない」

「もはやまったく新しいスイーツだ」

氷はシャリシャリとした小気味よい食感がありながらも、口溶けはさっと軽く、心地よい涼をもたらします。そこに蕎麦の豊かな香りと、蕎麦を使ったクリームやトッピングの上品な甘みが寄り添い、なんとも言えない余韻を残す……。頭がキンとするようなことは一切なく、思わずもう一口もう一口と食べ進めたくなる不思議な美味しさです。

一見シンプルないでたちですが、そこには数々の手間と創意工夫が隠されています。氷にプラスする蕎麦を使ったパーツは7種ほど。蕎麦ミルクに蕎麦クリーム、蕎麦茶クッキー、蕎麦寒天、蕎麦味噌、蕎麦茶メレンゲ……もちろんそのすべてがオリジナルの手作りです。

堀尾氏は今回のかき氷を開発するにあたり、信濃大町の各地を視察しました。地域が美味しい水に潤う理由について学び、その水を生かして産物をつくり出す生産者たちを訪ねました。ブルーベリー、イチゴ、日本酒、牛乳、クラフトビールなどなど。蕎麦の製粉工場で見つけたアイデアの種を、試行錯誤しながらじっくり育て、「そばとこおり」へと結実させたのです。

多種多様な食材をかき氷に仕立ててきた堀尾氏ですが、蕎麦のかき氷は想像以上にむずかしかったと話します。

「水の美味しさが伝わり、そしてやはり清らかな水によって栽培される蕎麦の豊かな風味が伝わるかき氷を目指しました。蕎麦の香りはとても繊細なので、氷のように冷たい状態だとあまり感じられなくなってしまいます。信濃大町の水で作った氷は、普段使っている氷よりもクリアな印象で、氷らしい冷たさがストレートに感じられるような気がします。そのピュアな氷と繊細な蕎麦という素材をいかにマッチングさせるかがポイントとなりました。蕎麦粉だけでなく蕎麦茶も使うことで蕎麦の豊かな香りを盛り込み、寒天やメレンゲなどでいろんな食感を楽しめるようにしました。蕎麦の風味がいろんな表情を見せてくれると思います」

炎天下、湖面を渡ってくる涼やかな風を浴びながらいただく堀尾氏特製のかき氷。信濃大町ならではの幻のかき氷が生まれた瞬間でした。

信濃大町の氷と蕎麦をふんだんに使ったかき氷「そばとこおり」。

かき氷の開発にあたっては、信濃大町の水や特産品のリサーチを入念に行った。

夏に旬となるブルーベリーは信濃大町が誇るフルーツの一つ。

近年栽培を開始するや、その豊かな風味から人気を集めている夏秋イチゴのハウスも訪ねた。

日本酒、酒粕もかき氷の素材として豊かなポテンシャルを秘めている。伝統的な製造の現場を視察。

堀尾氏も初めて見学するという蕎麦の製粉工場。蕎麦の食材としてのおもしろさに開眼する機会となった。

木崎湖とその先の市街地を見下ろす。北アルプスの麓に広がる平野に山で磨かれた地下水が集まっていくことが、ここから景色を一望することで腑に落ちる。

 信濃大町の魅力を一杯のグラスの中に。

「バーの世界ではよく、我々にとって氷は鮨屋にとってのシャリのようなものだと話します。なくてはならないものだし、その品質がカクテルの良し悪しを大きく左右します。きれいな水で作られたよく締まった氷は溶けにくく、その表面からゆっくりしみ出す水がよい働きをしてくれます。カクテルはベースとなるお酒と割り材、香料となるフルーツなどの組み合わせですが、水がそれらをつなぎ、全体をまとめてくれるのです。それだけに、氷、ひいてはその源となる水の品質は極めて重要なのです」

山﨑氏は信濃大町の水で作られた氷を愛用の菜切り包丁とハンマーで丁寧に割りながら話します。

昨年から信濃大町の様々な生産者を訪ね、交流を重ねてきた同氏は、4種類のカクテルを生み出しました。

#1「破砕ヒート」

スペイン・アンダルシア地方で飲まれるレブヒートから着想したという一杯。レブヒートとは辛口のシェリー酒を7UPなどの炭酸飲料で割った、キリッと飲みやすいカクテルです。「破砕ヒート」は信濃大町特産の日本酒をご当地サイダー「ハサイダー」で割り、ほのかにレモンの香りを加えたもの。日本酒の香りがふわりと立ち上がり、口当たりのよい一杯です。

「黒部ダムに通じるトンネル内の破砕帯の湧水で作られるハサイダーは、まろやかでとてもいい甘みを持っています。その甘みと穏やかな発泡性が持ち味をぐっと引き立ててくれます。私は大町市産美山錦を59%精米で使った白馬錦純米吟醸をベースに選びました。日本酒はお好みのものを選んでいただければと思いますが、精米歩合が低い、つまりあまりお米を削っていないお酒の方が、日本酒らしい風味を引き出せるのでおすすめです」(山﨑氏)

#2「大町アップルハイボール」

信濃大町特産のリンゴジュースとリンゴのスライスを乾燥させたリンゴチップのマリアージュを楽しめる一杯。ウイスキーとリンゴジュース、ソーダを絶妙な配合で組み合わせており、リンゴの爽やかさが感じられる非常に飲みやすいカクテルに仕上がっています。おもしろいのはリンゴチップを添えて提供するところ。

「リンゴチップは少しやわらかいセミドライタイプがおすすめ。リンゴチップをハイボールに5秒ほど浸けてから食べてみてください。水分を吸って一瞬生のリンゴのようなパリッとした食感を楽しめます。リンゴジュースとリンゴチップという加工品から一年を通じて信濃大町の新鮮なリンゴを擬似的に味わえるユニークなカクテルになったと思います」(山﨑氏)

#3「ブルー破砕」

信濃大町の名物「破砕ロック」の原形をオマージュしながら現代的にアレンジした一杯。破砕ロックとはアルコール度数35%の甲類焼酎をワインで割った飲み物で、黒部ダムの工事作業員たちに「安くすぐに酔える」と愛された飲み物です。山﨑氏はウォッカと白ワインを合わせ、大町産のブルーベリーを浮かべました。

「ネーミングは定番カクテルのブルーハワイのパロディですが、そこには破砕ロックへのリスペクトを込めさせていただいています。ウォッカは他の素材の持ち味を膨らませてくれるのが特長。使用する氷や水のよさもビビットに反映してくれます。白ワインは特に高級なものでなくて構いません。シャルドネなどで個性がしっかり出ているリーズナブルなワインを使ってもらうと、より日常的に親しめる一杯になると思います」(山﨑氏)

#4「be with…」

前出の3種はジャンルを問わず様々な料飲店での提供を念頭に入れて開発したもの。それらとは一線を画してバー仕様カクテルとして生み出されたのがこちら。木崎湖、青木湖と並び仁科三湖の一つに数えられる中綱湖。絶景と呼び声の高いオオヤマザクラが中綱湖に映る風景をイメージしたジンの水割りカクテルです。グラスを真上から見ると、氷を通して桜の花びらが一幅の絵に目を楽しませてくれます。

「ライトブルーにピンクの桜が映えます。仕上げにレモンを数滴垂らすことでブルーピンクを帯びた色に変化するので、バーカウンターではその工程からお客様に楽しんでいただけます。私が選んだ『六ジン』には桜の花や葉のエキスも使われています。さらにそこに信濃大町特産のハチミツを溶かして穏やかな甘みをプラス。私はリンゴの風味が感じられるリンゴハチミツを使いました。いつも暮らしのそばにある水への思いを込め、また、蜂のBeeにも感謝の気持ちを込めて名付けました。ジンの水割りはお酒好きの間で注目されつつある飲み方。信濃大町の水の魅力を堪能できるカクテルです」

かき氷とカクテルを味わった牛越徹大町市長は感慨深げに話します。

「大町市には優れた季節の産品がございます。そしてあらゆる産品を育む根源となっているのは、我が市最大の特産品である水です。産品の新しい魅力を引き出し、また、水の美味しさを存分に生かしたかき氷とカクテルには心から感服いたしました。これらが信濃大町の新たな名物となるように取り組んでいきたいと思います」

山﨑氏考案のカクテル。左から「破砕ヒート」「be with…」「ブルー破砕」「大町アップルハイボール」。

昨年、リンゴの最盛期には峯村農園を訪ねた。その素朴な美味しさに感銘を受けたアップルジュースは「大町アップルハイボール」に生かされた。

大町市内にある日本酒3蔵すべてを訪ね、蔵元や杜氏にインタビューした山﨑氏。清冽な水で醸された日本酒も大切な素材となった。

「信濃大町のリンゴの魅力をお酒で伝えたい」と大いなる刺激を受けたというハードサイダーの醸造所。

 いざ新名物を市内各所へ。至高のレシピを直伝。

堀尾氏と山﨑氏は発表会の別日に、大町市内の飲食店向けにレシピを伝授するレクチャー会を開催しました。

堀尾氏の会場には、地元のパティスリーやカフェ、レストランなどの店主や料理人たちが集まりました。堀尾氏のかき氷は夏限定の季節メニューではなく、通年で楽しまれています。人々を惹きつけるそのかき氷の技を直伝してもらえるとあって、会場は不思議な熱と緊張感を帯びています。

蕎麦粉や蕎麦茶を使った各パーツ作りのレクチャーに加えて、キモとなるのは氷の削り方と盛り付け方。均一に固まっているように見える氷でも、部位によって密度や硬さに違いがあるそうです。機械の方にもゆらぎがあります。それらのわずかな変化を見極め、レバーを常に微調整しながら同じ薄さの氷を均等にこんもりと盛っていく。マンツーマンの実践指導を通して、堀尾氏が独自に培ってきた技術を伝授しました。

パティシエである参加者からは「機械任せで削るのではなく、職人の勘によってあの繊細なかき氷が生まれていること知り、さらに興味を惹かれました。店で提供するには様々なハードルがありますが、新たなメニューに加える道を模索していきたい」という声が聞かれました。

今後、堀尾氏考案の「そばとこおり」は、秋から大町市内の飲食店での提供を目指して、さらなる調整が進められていきます。

一方、山﨑氏のレクチャー会には、地元のバーをはじめ、居酒屋、和洋の食事処の店主らが参加しました。初めこそ、銀座からバーテンダーの日本チャンピオンがやってきたと参加者には緊張の面持ちが浮かんでいたものの、山﨑氏の軽妙なトークによって場はすぐに和んでいきました。

「私が自分の店で出す場合のレシピを今日はお伝えしますが、ベースのお酒の選定もお好みのもので結構ですし、配合比率もお店で出されている料理や客層などに合わせて変えていただいて構いません。今日は4種のカクテルのコンセプトをしっかりとお伝えしますので、みなさんにとっての最適な解釈で一杯を完成させてもらえたらうれしいです」

そう山﨑氏は、各店にフィットしたアレンジを促します。

また、オーセンティックバーのような専門店でなくても無理なく継続的な提供ができるようにと、材料の入手のしやすさへの配慮やコスト面の留意点などについても忌憚のないアドバイスを行いました。

「今回、私自身はサントリーホワイトや六ジンなどあえてサントリー製のお酒を積極的に使いました。というのも、大町市にはサントリーの天然水の工場があるので、できるだけ地元に貢献している企業のものを使いたいという意識からです。地域の有力企業を味方につけることは経営的なメリットとしても見過ごせません」

発表会を終えて、堀尾氏は山﨑氏の大町アップルハイボールで、山﨑氏は堀尾氏の「そばとこおり」でひと息つきました。互いに「うまっ!」と驚きの声を上げています。

充実した達成感と共に山﨑氏はふと「信濃大町には自然、水、農産物、お酒とか本当に魅力的なものがいっぱいだけど、いちばん驚いたのは、いろんなことにこだわっている人が多いことだったね。会った人はみんな圧倒されるほどの情熱にあふれていて」と話ししました。

そして、うん、うんと強く頷く堀尾氏。そんなふたりの姿が印象的でした。

氷を削るノウハウを丁寧にレクチャーする堀尾氏。徹底的に反復し、氷や機械のクセを体感的に理解することが大切。

盛り付けの要点をその理由と共に惜しみなく伝授する堀尾氏。参加者からは質問が絶えなかった。

大町市内のバーを借りて山﨑氏のレクチャーは行われた。さすがはトップバーテンダー。流れるような手作業とよどみないおしゃべりはお手のもの。

一杯、一杯、じっくりと味わう参加者たち。スルスルと気持ちよく飲める山﨑氏のカクテルにほどなくみないい酔い心地に。舌も滑らかになり、和やかで活発な意見交換がなされた。

「be with…」は、レモンを絞って色が変わると、「おおぉ」と歓声が上がった。

いずれも斬新な4種類のオリジナルカクテルの作り方が伝授された。

発表会を終えて、かき氷とカクテルで乾杯。水が欠かせない仕事に携わるふたりにとっても、ひときわ思い出深い「水の日」になったことだろう。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 大町市)

京懐石を生業とする料理人が監修。すべての素材が調和した珠玉の味わい。[和光アネックス/東京都中央区]

味付けは、こだわりの一番出汁と海産物と相性の良い淡路島産の藻塩のみ。良質な素材本来の味わいが楽しめます。

WAKO ANNEX京料理の味をご自宅で。丁寧な仕事が光る混ぜご飯の素。

風情ある伝統建築に艶やかな石畳、京都の夜を彩る裏路地にある京都先斗町通りに店を構えて三十余年。京懐石『先斗町ふじ田』の料理人が成す珠玉の味わいを閉じ込めた「京の缶詰」シリーズは、保存が効く缶詰にすることで本格的な京料理をさまざまなシーンで楽しめるようにという思いから作られました。

中でも『鯛のまぜご飯の素』は、懐石を生業とする料理人ならではの手仕事が光るひと品。国産真鯛を丁寧に下処理し、一度焼き上げて香ばしい風味と旨みを引き出した身をほぐし、乾煎りして擦った胡麻と細切りの昆布、大根葉を加え、奥深い味わいに仕上げています。

1〜1.5合の炊いたご飯に混ぜるだけで、本格的な鯛ごはんが完成。素材の香りたつ鯛ごはんは冷めてもおいしく、おにぎりにしても。また、あえてご飯に混ぜずにそのままおつまみとして楽しむのも一興です。

手軽に使えて保存もきくという理由から、缶詰という保存形態にもこだわって作られました。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

そこにあるのは、みずみずしい河内晩柑の果汁とフレッシュな香りだけ。[和光アネックス/東京都中央区]

本当に美味しい果実のみを選定し、そのまましぼった無添加100%ストレートジュース。

WAKO ANNEXその時々でベストな河内晩柑を、柑橘ソムリエが厳選

愛媛県宇和島市を拠点に、柑橘をよりおもしろくする取り組みを繰り広げる団体「柑橘ソムリエ」が手がけるみかんジュースの数々。混じり気なし、旬の美味を閉じ込めた個性豊かな味わいは、多くの柑橘好きを魅了しています。

「河内晩柑」は、奥ゆかしい甘味とすっきりとした酸味を基本に、和製グレープフルーツとも称される鼻をぬけるほろ苦さもあり、バランスのとれた爽快な味わいが特長。多様な愛称を持つことでも知られ、そのひとつであるジューシーオレンジという名の通り、果汁をたっぷりと含んだ肉厚な食感も魅力のひとつです。

そんな河内晩柑を贅沢に100%ストレートでジュースにした『河内晩柑ジュース』は、果実本来の味わいをダイレクトに感じられるひと品。キンと冷やして飲むのはもちろん、焼酎やリキュールでカクテルにするなど、多彩にお楽しみいただけます。

果実の食べごろは3月末ごろから7月。息が長い分、時季や収穫方法によって味や食感は異なるのだそう。“一期一会”の出会いもまた味わい深いもの。ソムリエが厳選した柑橘の世界の奥深さをじっくり堪能してみては。

搾りたてをボトリングした無添加で、子どもも安心して頂けます。果実本来の味わいをお楽しみください。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

人と自然と美味が織りなす唯一無二の魅力。世界的ワイン銘醸地・余市を、実際に訪れるべき理由。[北海道余市町]

まだ見ぬ余市と出会う旅 名前は知っているけれど……。北海道余市町の真実の姿。

北海道余市町。

日本随一のワイン醸造地として、かのニッカウヰスキーの故郷として、あるいは国内で初めてリンゴが民間栽培された地やソーラン節の発祥地として、その名を耳にしたことがある人は多いことでしょう。

しかし知名度の高さと旅先としての魅力度はイコールではありません。

魅力的な観光地が多い北海道のなかで、旅の目的地としてはたして余市が入り得るのか? 結論からいえば余市は、訪れてこそ素晴らしさがわかる理想的な町でした。

景色、美食、人、宿、名産、肌に触れる空気や町の雰囲気。余市にあふれる数々の魅力を、2023年の夏に余市町の主催で行われたツアーの流れに沿ってご紹介します。

余市町のシンボルであるシリパ岬。標高295.8メートルのシリパ山の頂が海に突き出すようにして岬を形成している

まだ見ぬ余市と出会う旅 余市の魅力に触れる1泊2日のツアーへ。

バスに乗って新千歳空港から余市へ。

2018年に開通した高速道路のおかげで、約1時間30分の道のりです。

今回のツアー参加者は、さまざまなフードビジネスを仕掛けるプロデューサーであり、日本屈指の食通として知られる本田直之氏、世界的な注目を浴びる博多の名店『Goh』の福山剛シェフ、ミシュラン二つ星を獲得する大阪『La Cime』の高田裕介シェフ、海外の富裕層向けのツアーを企画するレイチェル氏など錚々たる面々。世界各地の一流の味を体験してきたゲストたちが、余市の旬を巡ります。

余市町に到着し、まずはランチ。主役の食材は、余市町で2023年9月から売り出されるというからすみ「北琥珀」です。

このからすみは地元の水産加工会社『北海道吉田屋』が町のバックアップを受けて打ち出す新ブランド。最大の特徴はじっくりと熟成させた後、香り付けに余市で生産されたウイスキーを使用することにあります。

濃厚な旨味とチーズのような熟成感があるからすみが、サラダ、パスタ、リゾットなど多彩な料理で登場し、ゲストたちを唸らせました。酒肴にも最適なからすみの存在は、ワインとウイスキーの町という余市のイメージをより印象づける効果がありそうです。

「北琥珀」の開発の経緯、こだわりなどを話す『北海道吉田屋』の吉田卓司氏。

異なるウイスキーで仕上げた2種のからすみは、余市町のふるさと納税返礼品としても提供される予定。

料理を手掛けたのは札幌の人気イタリアン『マガーリ』の宮下照生シェフ。

まだ見ぬ余市と出会う旅 北海道でも指折りのフルーツ王国。

次いで一行が向かったのは『ニトリ観光果樹園』。その名の通り、株式会社ニトリの似鳥昭雄社長が、 “地元発展のために”との思いで前オーナーより引き継いだ果樹園で、春から晩秋の間さまざまな果実狩りを楽しむことができます。この日、食べ頃を迎えていたのはサクランボ。似鳥靖季氏の案内で広大な園内を歩きながら、ゲストたちは赤く色づいたサクランボを口に運びます。

実は余市は明治時代にアメリカから持ち帰ったリンゴの苗木が、はじめてこの地で実をつけたという日本におけるリンゴ発祥の地。さらにサクランボ、イチゴ、桃、ブルーベリーなどさまざまな果物が育てられるフルーツ王国。次いで訪れた『アイケイファーム余市』ではさまざまな品種が栽培されるブルーベリー畑の見学と試食を体験し、フルーツ王国の実力を改めて実感した一行。香り豊かでみずみずしいフルーツの存在は、北海道の中で比較的温暖で、豊かな大地に恵まれた余市の象徴といえそうです。

次なる目的地はミニトマトを栽培する『有限会社カワイ』。ハウスの中で色づくトマトに反応を示したのは、福山氏と高田氏のふたりのシェフでした。

生産者の川合秀一氏に品種、特徴、栽培方法など次々と質問を投げかけるふたり。それほど質問をぶつける理由は、トップシェフのふたりが驚くほど、川合氏のトマトがおいしかったから。

「香りが良く、旨味も強い」

とトマトを称賛するシェフ。各地の食材を知り尽くすシェフの称賛は、川合氏にとっても励みになったかもしれません。

『ニトリ観光果樹園』にて、似鳥靖季氏の案内で園内を巡るゲストたち。

『ニトリ観光果樹園』では、たわわに実ったサクランボが食べ頃を迎えていた。

『アイケイファーム余市』のブルーベリー。およそ3万5000本のブルーベリーが栽培されている。

コンポートや冷凍にしても香りと甘みが損なわれない『アイケイファーム余市』のブルーベリー。

『有限会社カワイ』の色づくトマト。甘みと香りが強いミニトマト「小鈴スィート」という品種が中心。

『有限会社カワイ』のミニトマトに強い関心をふたりのシェフ。

まだ見ぬ余市と出会う旅 余市ワインの底力を知る“余市の審判”がスタート。

この日のディナーと宿泊は、余市駅前にあるホテル『Yoichi LOOP』にて。“ワインを楽しむホテル”として設計されたホテルで、素材感を活かしたシンプルな客室と、豊富なワインストックを備えたダイニングが魅力です。

ディナーはそんな『Yoichi LOOP』のダイニングにて、料理長・仁木偉氏が腕を振るうコース。『京都吉兆』で日本料理を学んだ後にフランス料理に転向し、さらにスペインに渡りガリシアやバスクの星付き店で修業を重ねた仁木氏が、地元食材を使ったコースを仕立てます。

そして合わせるワインは、余市町長・齊藤啓輔氏の発案により、ボトル全体を覆って隠したブラインドテイスティング方式に。それぞれの料理に合わせる2種のワイン、方や世界の銘醸地のワイン、方や余市のワイン。それを参加者が楽しみながら当てていく、という趣向。

それは言うなれば、いまから40数年前、フランス産だけが本格ワインといわれていた常識をカリフォルニアワインが覆した通称“パリスの審判”の余市版といえる試みでした。

ディナーには地元のワイン醸造家も同席し、緊張感ある晩餐になるかと思いきや、そこはワインと余市の穏やかな空気の力。テーブルは終始和やかで、ワインを囲む食卓の楽しさを改めて伝えてくれました。

しかしいずれもワインの造詣には自信のあるゲストたち、テイスティングには本気。シャンパーニュか余市か、ブルゴーニュか余市か、じっくりとグラスを傾けながら、真剣に吟味します。

結論は、発案者である齊藤町長も驚くほどに、見事なまでの真っ二つ。全問正解者はひとりとしておらず、それぞれの飲み比べでも、ほぼ半数ずつが余市産ワインをフランスワインと間違える結果に。それは余市産ワインが世界基準に達していることを証明する、歴史的なシーンとなりました。

『LOOP』のダイニングにて開催されたディナー。名だたる食通たちが席に着いた。

ワインエキスパート資格を持つ齊藤啓輔町長がゲストたちをもてなした。

料理1品に対して、フランス産と余市産のワインが登場。ゲストたちは忖度なしに味について話し合った。

供されるワインはすべてラベルを隠したブラインドテイスティング。

和食、フランス料理、スペイン料理と多岐にわたる経験を積んだ仁木シェフが、北海道の食材の魅力を引き出した。

メインディッシュは帯広牛。しっとりときめ細かい肉質と、甘みある脂のバランスが絶妙。

グルメインフルエンサーであるフォーリンデブはっしー氏もこの笑顔。

YOICHI LUXURY TOURISMワインづくりの現場で聞いた、醸造家の本音。

一夜明けて翌朝。

この日はまず、昨夜のディナーでゲストたちを驚かせたワイナリーを見学します。日本ワインを語る上で必ず名の挙がる醸造家・曽我貴彦氏の『ドメーヌ タカヒコ』と、そこで2年間修業を積んだ後に独立した山中敦生氏の『ドメーヌ モン』。いまや日本を代表する2軒のワイナリーを巡り、試飲と解説を受けます。

曽我氏と、曽我氏の教えを受けた山中氏がともに目指すのは、農産物としてのワイン。特別な技術や道具を使って醸すのではなく、ブドウ生産者が真似できるようなワイン。それは決して雑につくるというのではなく、農産物のように自然や環境に任せながらつくるということ。

「町中のブドウ農家が、見様見真似でワインづくりに挑戦してほしい。そこからさらにおいしいワインが生まれてくる」

曽我氏はワインづくりやワインの未来を熱く語りながら、そう話します。

「プラタンクにブドウを房ごと入れて、農作業が落ち着いたらプレス。そこから自然発酵でワインはできます。テクニックはその先の話」

そう語る山中氏も思うことは同じ。余市がつくるワイン、余市だからできるワイン。余市が誇る二人の醸造家は、そんなワインが世界を席巻する日を夢見ています。

『ドメーヌ モン』のブドウ畑は有機栽培。適度な傾斜がおいしいブドウを育てる。

「自然のサイクルを少しでも理解することで、感覚が研ぎ澄まされる」と有機栽培に挑む理由を語る『ドメーヌ モン』山中敦生氏。

出荷される『ドメーヌ モン』のワインに添えられる手書きのカード。「気持ちが入っている」と本田直之氏も心打たれた様子。

『ドメーヌ モン』の試飲風景。強い思いを秘めてはいても、終始穏やかな山中氏と会話も弾む。

日本におけるワイン文化を牽引する『ドメーヌ タカヒコ』曽我貴彦氏。

『ドメーヌ タカヒコ』でもワインを試飲。いまやなかなか手に入らないワインを飲み比べる貴重な機会となった。

『ドメーヌ タカヒコ』の樽の中で熟成されるワイン。写真はピノ・ノワールだが、曽我氏はさまざまな品種に挑戦している。

まだ見ぬ余市と出会う旅 ゲストたちが共通して感じた、余市のさらなる将来性。

農産物の話が続きましたが、日本海に面した余市町は当然、海産物も豊富。ワインやフルーツのイメージが強いかもしれませんが、実は余市町は新鮮なウニを塩水とともにパック詰めする「塩水ウニ」の発祥の地。古くからニシン漁が盛んで、豊富に揚がる魚介を無駄にしないために同時に発展した保存方法のひとつとして、「塩水ウニ」が考案されたのです。

そんな余市の魚介の実力を確認すべく、ランチに向かったのは『うに専門店 世壱屋』。さまざまなウニを食べ比べられる丼はその大迫力のボリュームだけでなく、繊細で甘み豊かな味わいでもゲストたちを驚かせました。

一行の最後の目的地は、余市の象徴でもある『ニッカウヰスキー余市蒸溜所』。いまも現役で稼働するウイスキー生産の現場であり、同社の理念を伝える大切な場。“日本のスコットランド”とも称される余市の自然、初代・竹鶴政孝がこの地を選んだ理由、ウイスキーづくりにかけた思い。重要文化財である蒸溜所を歩きながらゲストたちは改めて余市の魅力に感じ入っていました。

「人と自然と食がうまく繋がっている町。さらに新しいもの、未知のものを受け入れる気概もある。現状も良い町ですが、さらなる未来を感じることができる町です」

ツアーに参加した本田直之氏は2日間を振り返り、そう話しました。二人のシェフやインバウンドのプロフェッショナルも、同じように「さらなる将来性」に言及しました。これほどの魅力あふれる余市ですが、まだここはスタートライン。これから年を重ねるごとに、さらなる魅力と見どころが増していくことを予感しているようでした。

ウニが旬を迎える時期だけに『世壱屋』の店内は多くの観光客で賑わっていた。

余市産、奥尻産、利尻産など5種のウニを食べ比べる「五大ウニ食べ比べ丼」はこの迫力。

重要文化財に指定される『ニッカウヰスキー余市蒸溜所』。

蒸溜釜は石炭で加熱する昔ながらのスタイル。変わらぬ製法で変わらぬ味を守る。

蒸溜所見学では歴史や製法を学べるだけでなく、試飲も可能。

大きさ、重さともに群を抜く幻の枝豆を、無添加の塩麹でシンプルにいただく。[和光アネックス/東京都中央区]

一粒一粒に凝縮したあけぼの大豆そのものの甘みと、塩麹の優しい甘みが重なり深い味わいに。

WAKO ANNEX限られた地域で大切に育てられる「あけぼの大豆の枝豆」。

国内で400を超える品種の枝豆が栽培されている中、栽培地域の限られる在来種、かつ出荷量も少ない幻の逸品として知られるあけぼの大豆の枝豆。山梨県身延町の標高300~700mの高地で栽培された種子を使用し、身延町内で栽培されたものだけが、その名を冠することができるといいます。

大きさ、重量ともに群をぬくボリュームと、じっくり時間をかけて栽培される極晩成品種ならではの、強い甘みと深みのある味わい。唯一無二の品質は、地域の多角的な要因の中で育まれる、品質、社会的に評価されるべき産品の名称を、地域の知的財産として保護する制度「農水省GI」に、山梨県で唯一認定されるほどです。

そんなブランド大豆の栽培に注力する『あけぼの農園』より、その魅力を余すことなく味わい尽くせる『極上枝豆塩麹漬け』をご紹介。あけぼの大豆の枝豆を材料に、甘めにブレンドした無添加の特製塩麹で漬け込んだシンプルなひと品は、優しい甘みとフレッシュな風味に、塩麹のうま味が重なる、バランスのとれた味わいです。

そのままちみちみとつまんでもよし、炊きあがったご飯に混ぜれば、簡単に絶品の豆ごはんができあがります。お好みでゴマやワサビを添えるなど、好みの食べ方を探求してみるのもよさそうです。

ポテトサラダと混ぜれば、簡単に満足感の高い副菜が完成。艶やかで鮮やかな見た目も食欲をそそります。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp
 

Photographs:JIRO OHTANI
(Supported by WAKO)

自然資源の保護と利用の好循環を目指すネイチャーポジティブ経済とは。国立公園の未知なるポテンシャルを紐解き、自然と人の未来を語る。

左から、「NewsPicks Re:gion」編集長・呉 琢磨氏、環境省職員の山﨑 大輔氏、森川 政人氏、服部 優樹氏、岡野 隆宏氏。

環境省 国立公園満喫プロジェクト官民の枠組みを超え、国立公園は変わろうとしている。

環境省が中心となり、日本の国立公園を世界水準のナショナルパークとしてブランド化することを目指す『国立公園満喫プロジェクト』。自然資源の「保護」に加え、官民の垣根を超えた「利用」、そのふたつの好循環がもたらす「ネイチャーポジティブ経済」の実現に向け、様々な取り組みが行われています。

国立公園の名を冠することが許されるのは、圧倒的な自然と景観を有すること。それらの保護に徹するのがこれまでの環境省の立場であった中で、今、どんな変化を遂げようとしているのでしょうか。去る2023年6月、「NewsPicks Re:gion」編集長の呉 琢磨氏が聞き役となり、環境省職員を招いたトークセッションが行われました。

トークセッションは、2023年6月24日(金)、25日(金)の二日間にわたり開催された一般向けの展示イベント「北アルプス×尾瀬National Park Mountain Fes」に先駆けて行われた。

環境省 国立公園満喫プロジェクトネイチャーポジティブ経済の確立、それは前人未到のアクション。

「美しい自然や生物多様性を守る“保護”、最高の自然体験フィールドやコンテンツによる“利用”、このふたつの好循環により、訪問者には上質なツーリズム体験を、周辺地域は経済活性できるよう、広く繋がり、ぜひ一緒に新しい未来を作っていきたい」そう語るのは、環境省 自然環境局国立公園課 国立公園利用推進室 室長の岡野 隆宏氏です。

ネイチャーポジティブ(Nature Positive)とは、生物多様性の損失を止め、反転させるという考え。国際的な合意のもと、2030年までの気候変動対策や循環経済移行を、社会経済活動総動員のミッションとして掲げています。国内においては、125兆円の経済効果、43兆円のビジネス機会の創出、930万人の雇用効果を目標に、全国に34箇所ある国立公園がそれぞれに創意工夫を凝らしながら、官民の垣根を超えて大きなうねりを起こしていくという、前人未到のアクションです。

「日本の国立公園の特徴は、自然の中に地域の人の暮らしが息づいていること。自然とともに歩んできたからこそ形成された、地域独自の歴史・文化がそこにはあります。多様な自然風景と生活・文化・歴史が凝縮された物語を知ることで、唯一無二の感動体験ができる、私たちのブランドメッセージである“その自然には、物語がある。”にも通じる、日本にしかない魅力です」。

上質なツーリズム体験とは、自然にもう一歩踏み込み、自身の目で見て学ぶこと。アドベンチャートラベルやロングトレイルなど、各国立公園ごとの個性豊かな自然を余すことなく楽しみ尽くすコンテンツの提供を目指す。

「自然自体が守りづらくなる中で、地域と協力しながら新しい考えを取り込んでいきたい」と岡野氏。国立公園のメリットは、ハイクオリティな自然環境に加え、職員が現場におり人的リソースがあることで、地域の声が届きやすく、コーディネーションもしやすくなることだという。ハードとソフトの掛け合わせがあるからこそ、トップレベルの自然体験提供の可能性が高まる。

環境省 国立公園満喫プロジェクト世界中の旅人に選ばれる存在になるために。

全世界が競合となるインバウンドに選ばれるためには、日本独自の優位性が必須。しかしその実現方法として、保存と利用、ともすれば相反するようにも思えるふたつの要素を掛け合わせるのはなぜなのでしょうか。「生物多様性のダウントレンドを上向きにするときに、人が入ることでその機会が減ってしまうのではないか?」という呉氏による指摘は、もっとものように思えます。

「利用の数ではなく、質を変えること。例えば人数を限定し、長期滞在で楽しんでもらいながら地域の価値を伝えていく。さまざまな体験を通して地域のファンになっていただくような利用のあり方、経済効果も生みながら保全につながる仕組みを考えていければ」。
国立公園という開かれたフィールドでマネタイズに踏み込んでいくことが、結果的に全体としてよい環境、地域活性に繋がる。そんな考えのもと、すでに11の国立公園では、宿泊、土産、飲食、交通、そして観光と、地域に根差した企業と連携し、協議会やコンテンツ醸成、ツアーの企画といった取り組みが始まっています。

「地域の資産を遠方の会社が運営しても、地域に経済循環は起きない。国立公園が地域と連携してマネタイズに取り組むことで、経済地域の資産として新しい地域経済圏の循環を作っていくためのひとつの拠点になっていく、そんな変化が起こせるんじゃないか」と呉氏。

環境省 国立公園満喫プロジェクト「松本高山Big Bridge構想」の事例から見る、国立公園のポテンシャル。

セッション後半では、呉氏、岡野氏に加え、国立公園事務所所属の自然保護官3名を交え「ネイチャーポジティブ経済の実現に向けてのハードルは何か」をテーマにトークが繰り広げられました。

「国立公園はネイチャーポジティブ経済が実践できる最適のフィールド」と語るのは、環境省 中部山岳国立公園管理事務所 所長の森川 政人氏です。

生物多様性の損失や過疎化による文化消滅の危機といった、国立公園の価値が問い直されるような状況、かつコロナ禍という逆境の中、約80kmのロングルートを自由に楽しめる「松本高山Big Bridge構想」のキーマンとして、岐阜・長野の2県を跨いだ地域連携による、新たな観光圏の確立に力を注いでいます。

「中部山岳国立公園が位置する上高地は、元々は点の魅力でも成り立っていた場所。しかしコロナ禍で来訪者数がガタンと落ち、未来を考えると県境関係なく連携すべきという意識がありました」と森川氏は続けます。

歴史的な街並みに3000m級の山岳、温泉、里山……。北アルプスと松本高山という2つの中都市が集結したエリアという地の利を最大限に生かしながら、アドベンチャートラベルやゼロカーボンパークの設立など、総合的に循環する観光源の実現を目指しています。

2020年、コロナ禍の只中で中部山岳国立公園に着任した森川氏。「やるからには一番を取りたい」と高いモチベーションを抱きながら、プロジェクトを推進している。

環境省 国立公園満喫プロジェクト「新・尾瀬ビジョン」のファンベース戦略に見る、現代のニーズに寄り添った価値創造。

一方、過疎や設備の老朽化、シカによる植物の食害といった深刻な課題と向き合い、これからアクションを起こそうとしているのが「尾瀬国立公園」です。「歴史の長い尾瀬は、過去のオーバーツーリズムや開発行為において、地元が一丸となり自然を守り続けてきたという自負があります」とは、環境省 関東地方環境事務所 桧枝岐自然保護管事務所の山﨑 大輔氏。

ネイチャーポジティブ経済のためのアクションプラン『新・尾瀬ビジョン〜「あなた」と創る「みんな」の尾瀬〜』でもファンベース戦略を基盤としており、そこには深い絆で地域や人と関わりたいという強い意志が垣間見えます。

「かつては教科書にも載っていた尾瀬ですが、来訪者数は1996年をピークに3分の1程度に減少し、今の若い世代に知ってもらう機会がありません。楽しくないと来てもらえないですし、経済効果を考えるとロングツーリズムの視点も必要。多くの人に尾瀬の魅力に気づいてもらうこと、確実に楽しいと感じてもらうこと。そのためには尾瀬の価値を伝えるプラットフォームを整備し、現状は4県にわたり分散している情報を集めたり、人や企業をつないだりできる仕組みを作っていきたいですね」と、環境省 関東地方環境事務所 片品自然保護管事務所の服部 優樹氏も語ります。

世界中の来訪者から選ばれる存在になるために。収入源だけの話でいえば、入山料を徴収するという方法もあるでしょう。しかし他に大切にしていくべきことがあると服部氏は続けます。
「老朽化が深刻な尾瀬の木道の保全でいえば、まずは管理者側で最適化を図り、コストを削減することを考えます。その上でどうしても皆さんの支援が必要となったときに、入園料や協力金の議論をさせていただくのかなと」。

自然の恩恵を全力で体感し、楽しみ、消費したお金を使ってまた自然を守り育てていく。「日本の過疎地の基幹産業になりうるポテンシャルを感じた」という呉氏の言葉の通り、保護と利用の循環がもたらす明るい未来の姿を想像できる時間となりました。
理想のまま終わらせてはいけない。国立公園の今後に注目が集まります。

尾瀬は生物多様性の課題が山積し、維持も難しくなっている現状だが、長い歴史の中で蓄積された知恵やルールは確固たる指標として受け継がれている。楽しい体験コンテンツだけでなく、保全活動にも気軽に参加できる受け皿、体制作りが急務となる。

レンジャーとも呼ばれる自然保護官の3名。自然と人に丁寧に向き合いながらプロジェクトを推進する姿が印象的だ。「職員はビジネスの経験はないが、自然が好きで、その楽しみ方や感動は知っている。民間事業者の方達と一丸となり、お互いの得意・不得意を組み合わせ、パートナーシップを大切にしていけたら」とは岡野氏の弁。