現場でしか知り得ぬ環境、気候、生産者の思い。神保佳永シェフが訪ねた行方市の生産者たち。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/茨城県行方市]

なめがた ベジタブルキングダムOVERVIEW

2021年秋。
茨城県行方市に『HATAKE AOYAMA』の神保佳永シェフの姿がありました。旅の目的は、行方市の食材を見て、味わい、生産者と話し、その魅力の本質を知ること。厨房を飛び出し、食材生産の現場に立つことで、新たなレシピの切り口を見つけることです。

茨城県行方市のさまざまな野菜の魅力をお伝えしてきた「NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM」。我々『ONESTORY』は繰り返し行方市を訪れ、四季折々の野菜を探り、その生産者に話を伺ってきました。そしてそれら旬の野菜の魅力を、野菜料理のスペシャリストであり、いばらき食のアンバサダーも務める神保シェフが考案するオリジナルレシピでお伝えしてきました。

これまで1年間でお届けしてきたのは、春夏秋冬の8品目の旬野菜を主役にした8種類の料理。毎回、神保シェフの元には旬を迎えた野菜がどっさりと届き、シェフはそれを試食し、その魅力を感じ取った上で、その個性が際立つ料理を考案してくれました。

そんなあるとき、ふと神保シェフがつぶやきました。

「根っこの泥がきれいに落とされ、葉がぴったりと揃っている。きっととても真摯な生産者さんがつくった野菜でしょうね」

その言葉が今回の旅につながりました。
自身の店では、可能な限り生産者と直接話し、食材を理解してから使用するという神保シェフ。畑では率先して収穫を手伝い、その場で食材にかぶりつき、すぐに生産者と打ち解ける姿からも、生産者への敬意と食材への思いが窺えます。

果たして今回の旅で神保シェフはどんな食材と出合い、どんなレシピをひらめいたのでしょうか。

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

「武者修業」の延長戦。松本日出彦、クラフトジンの世界へ。

『尾鈴山蒸留所』にて、香りと味を入念に感じ取る松本氏。いくつもの原液をブレンドし、一本を形成するゆえ、その方程式は無限。

HIDEHIKO MATSUMOTO日出彦さん、僕とも酒を造ろう。名乗りを上げたのは、日本酒蔵ではなく焼酎蔵。

「百年の孤独」。

小説のタイトルとしても知られるその名は、明治18年創業の老舗焼酎蔵『黒木本店』が手がける人気銘柄です。

その五代目・黒木信作氏こそ、「自分も日出彦さんと一緒に酒が作りたい」と名乗りを上げた人物。

「日出彦さんとは昔から仲良くさせていただいており、ご自身の蔵を離れるかもしれないという話も伺っていました。まさか現実になってしまうとは……。その後の『武者修業』の活動はずっと見ていました。自分も日出彦さんと一緒に酒が作りたい、そう思っていました」。

そんな黒木氏は、宮崎の自然豊かな山奥で『尾鈴山蒸留所』というもうひとつの蔵も運営しています。そして今回、松本氏との酒造りに提案したのは、焼酎をベースにし、麹から生まれた新たな蒸留酒「ジン」。

『黒木本店』は、老舗でありながらアグレッシブ。黒木氏の父、敏之氏が生み出した銘酒が前出の「百年の孤独」であれば、息子、信作氏が生み出した銘酒は「OSUZU GIN」。雄大な自然に囲まれた『尾鈴山蒸留所』でそれを醸します。

歴史や伝統に寄りかかるだけでなく、最新最善を追求し、常にものをゼロから生み出す情熱は、酒種は違えど確実に受け継がれています。

「せっかく蔵を離れたのであれば、これまでと全く違うことに触れてもらいたかった」と黒木氏。

テーマは、ふたつ。香りとブレンド。

「日本酒を桶で貯蔵していた時代は、新しいロットと古いロットを切り替える際、味を安定させるためにブレンドしていたと言われています。しかし、現代においての解釈は少し異なり、意図的に味の違いや個性を出すためにブレンドさせることがあります。しかし、自分はそれをあまり好まず、米を混ぜることはしていました。加えて、香りを纏わせない日本酒造りもしてきたので、今回の取り組みは真逆の世界。だからこそ、学びがあると思いました」と松本氏。

秋田『新政』、栃木『仙禽』、滋賀『七本鎗』、福岡『田中六五』、熊本『花の香』と五蔵を巡り、ようやく仕上がった酒の余韻に浸ることなく、宮崎『黒木本店』へ。

「武者修業」の延長戦、スタートです。

※WAKOオンラインストア(上記バナー)では、松本日出彦×尾鈴山蒸留所「OSUZU GIN」とオリジナルの「OSUZU GIN」を10セット限定販売。
※2021年10月1日(金)にリニューアルした『和光アネックス』地下1階のグルメサロンでは、松本日出彦×尾鈴山蒸留所「OSUZU GIN」とオリジナルの「OSUZU GIN」の単品購入も可能です。

宮崎県の高鍋町に位置する『黒木本店』。重厚感のある建物には風格が漂う。屋号とともに掲げるのは「焼酎一筋」。

大小合わせ30以上とも言われる尾鈴山瀑布群を擁する山の奥深くに位置する『尾鈴山蒸留所』。森の木々に囲まれ、人里離れたこの地で『黒木本店』の酒は醸される。

『黒木本店』のある高鍋駅も走る列車。海の上を走る際は、ゆっくりと走行してくれるため、乗客は景色を堪能できる。そんな優しさも宮崎の人柄の良さ。「宮崎の人は、みんな優しいですね!」と松本氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO香りから感じる味の輪郭を表現したい。味の記憶は薄れても、香りの記憶は薄れない。

「武者修業」における松本氏の酒造りは、蔵の中だけでなく、蔵の外にも目を向けてきました。土地に触れ、環境を知ることによって、その蔵だからこそできる味と理由があるからです。

『黒木本店』においても、それらを学ぶために足を運びます。まず向かった先は畑。約40ヘクタールにも及ぶ広大な土地に広がるのは、原料となる芋。

「宮崎は、太陽と緑の国を謡うほど、日本の中でも長い日照時間を誇る県。小丸川の水とこの土地で育った芋で酒を造ることに意義があると思います。加えて、『黒木本店』は、土作りから携わり、循環も生んでいます。そんな背景こそ『黒木本店』の価値であり、だからこそ銘酒が生まれているのだと思います」と松本氏。

あまり知られていませんが、焼酎の製造過程で排出されてしまう焼酎粕は産業廃棄物に分類されます。『黒木本店』では、それを堆肥化させるシステムを数年かけて構築。土地の恵みから生まれたものを健全なかたちで土地に返す循環を生み出したのです。もちろん、松本氏が訪れた畑の土にもこの肥料は採用されています。

「昨今の世界的な情勢もあり、SDGsという言語を目にします。しかし、自然や土地と深い関わりを持ってきた我々にとって持続可能な環境を目指すのは当然の社会」とふたり。

そんな土地から生まれた芋・ジョイホワイトは、熟成させることによって独特な香りが生まれます。ライチのような優しい土の香りとふくよかな芋の香りは、嗅ぐ度、癒しへと誘われます。

「柑橘や薔薇と同じ香り成分も含まれています。癒しを感じるのはそのせいかもしれません」と黒木氏。「でも、日出彦さんにはこっちの言い方の方がしっくりくると思うのですがロウリュのアロマオイルなんかにも含まれている成分です(笑)」。

それを聞き、サウナ好きとしても知られる松本氏は、納得の笑みを浮かべながら「特に身と皮の間やヘタの部分がよく香る」と分析。

「この香りは、蒸留しても残ります」と黒木氏。

宮崎では、「疲れた」を「だれた」と話す方言があります。そのだれを止める(やめる)ために一杯呑むことを「だれやみ」と呼び、一日の疲れを癒すために晩酌することや焼酎を飲んで一日の疲れを癒そうという時に「だれやみしよう」と使用するのです。

つまり、焼酎とは癒し。そんな文化が根付いている土地こそ、宮崎なのです。

「今回は、香りから感じる味の輪郭を表現したい。味の記憶は薄れても、香りの記憶は薄れない。むしろ、同じ香りを嗅ぐことによって、その時の思い出や出来事がくっきり情景として浮かび上がる」と松本氏。

それを聞いた黒木氏は、ゆっくりと記憶を手繰り寄せるようにこう話します。

「今回の酒造りでは、ふたりの思い出の香りをジンで表現しようと思いました」。

黒木氏が運営する『甦る大地の会』が所有する畑は、広大な敷地面積。「風の通りも良く、作物が良質に育つ環境が整っていると思います。小丸川の水も合わさるため、まさにメイド・イン・宮崎の素材ですね」と松本氏。

芋の収穫は、まず葉を取り除き、芋を掘り起こし、その後、手作業で選別。この日も芋を積んだ『甦る大地の会』のトラクターがテンポ良く行き交う。

小丸川は、その源を宮崎県東臼杵郡椎葉村三方岳(標高1,479m)に発し、山間部を流下。渡川などを合わせながら木城町の平野部を貫流する。その後、下流部において切原川、宮田川を合わさり、日向灘に注ぐ幹川流路延長75㎞、流域面積474kmの一級河川。

焼酎生産で出た廃棄物を堆肥化して畑に戻すためのハウス。遡ること1998年に廃棄物を堆肥化する有機肥料工場を設立。2004年にはその肥料を使用し、焼酎の原料を栽培する農業生産法人「甦る大地の会」を立ち上げ、農場も運営。

焼酎粕が持つ酸性を中和するために石灰を合わせる。加えて、窒素を担うために鶏糞なども混ぜ、肥料化する。

土作りからしている畑で育った芋・ジョイホワイトの香りを確かめる松本氏。「丁寧な土の香り、美しい土の香りがします」。

ジョイホワイトを割るとより香りが広がる。「季節や天候などにもよりますが、概ね6日ほど熟成させています」と黒木氏。

酒造りは農業から。蔵の中だけでなく、蔵の外へも積極的に足を運ぶ黒木氏。「素材や環境を知らずして、良い酒造りはできません」と黒木氏。

 『尾鈴山蒸留所』の木桶は、地元の杉で造られる。「こうして土地で生まれた素材を正しい形に加工することは美しい循環。酒造りの道具は木材が多いため、林業とも密接な関係」と松本氏。

 ジョイホワイトと米麹のもろみ。「ステンレスだと、結露してしまったり、そこからカビが発生してしまうこともありますが、木桶は湿気を吸ったり、断熱作用があったりと理にかなっている。それに、人と同じで、ヒノキ風呂に入った方が気持ちいと感じるように麹もそう感じると思うんですよね!(笑)」と黒木氏。それを聞くと、もろみも喜んでいるように見える。

HIDEHIKO MATSUMOTO人と土地をブレンドすることによって、ふたりの思い出が蘇る。

『尾鈴山蒸留所』の焼酎・ジンは、地元の材料を多く使用しています。しかし、「今回は、宮崎の材料と日出彦さんの出身、京都の材料をブレンドしたいと思っています。その時にふと頭に浮かんだのがふたつありました」と言います。

ひとつは、昔、京都に訪れた際に紹介された松本氏の同級生が営む宇治茶の生産家『丸利吉田銘茶園』のほうじ茶。

もうひとつは、松本氏が蔵を離れることになった際、京都の『建仁寺』にて共に坐禅を行った際に見た庭園の松。

「確か坐禅をした後に飲んだお茶もほうじ茶でしたね」とふたり。

そんな黒木氏の計らいもあり、ブレンドに用意した材料は、宮崎のキンカン、生姜、山椒、ジェニパーベリー、そして、京都の松と『丸利吉田銘茶園』のほうじ茶。

「松とほうじ茶は、いずれもこれまでのOSUZU GINにはなかった材料なので初めての試み」と黒木氏。

そして、それぞれの香りと味を確認し、どうブレンドするかを考える松本氏。

実験と検証を繰り返し、「これは潔い。この味には意志を感じる。こっちはカウンターで飲んでるシーンが浮かぶ……。ストレートで飲むのか、ソーダで飲むのか、トニックで飲むのか……。うーん……」。初めてのブレンドゆえ、当然、なかなか決まりません。実は松本氏は、ジンラバーでもあります。プライベートでも松本氏と親交の深い黒木氏は、それを知っての提案でもありました。これまで飲み手だっただけに、造り手の想いだけでない、客視点の比重も大きいのです。

「きっとテイスティングした日や季節、天気、温度、湿度によって味の感覚は変わると思います」と黒木氏。

だかこそ、香りが重要なのかもしれません。

結局、この日は決まらず、また別の日に再度、ブレンドとテイスティング。しかし、その日にも決まらず……。

「ただ、方向性は見えた」と松本氏。

「自分であれば、絶対にこのブレンドはしない。これは完全に日出彦さんの味」と黒木氏。

だから、ブレンドはおもしろい。

ひとつ言えることは、ただ香りや味をブレンドしたものではないジンが醸されたということ。

なぜなら、これは土地をブレンドした酒であり、人をブレンドした酒、そして、ふたりの心をブレンドした酒だから。

そして、その香りは、黒木氏と松本氏にしか見えない情景を浮かび上げ、思い出を蘇らせるでしょう。ふたりだけの特権です。

果たしてどんなジンになるのか。仕上がりは、乞うご期待。

ミリ単位でブレンドしながら、細かく香りと味を形成していく。

ブレンドをしながら、自然と思い出話にも花が咲くふたり。「今回、信作とジンを造ることができたのは、蔵を離れたからかもしれません。辛いことも多かったですが、それ以上に人の想いとたくさんのギフト(体験)をいただきました」と松本氏。

今回のキーポイントとなる素材は、松の葉と宇治茶の生産家『丸利吉田銘茶園』のほうじ茶。

「実は、京都のおばんざいのローカルルールで、掛け合わせる食材は奇数と言われているんです。それを考えると……、何種合わせようか……」と松本氏。

大地の香水と形容できるクラフトジン「OSUZU GIN」は、伝統的な手仕事で造った本格焼酎に地元の素材を中心とした様々なボタニカルを漬け込んで蒸留。今回、松本氏が介在することによって、どんな化学反応を見せるのか!?

※WAKOオンラインストア(上記バナー)では、松本日出彦×尾鈴山蒸留所「OSUZU GIN」とオリジナルの「OSUZU GIN」を10セット限定販売。
※2021年10月1日(金)にリニューアルした『和光アネックス』地下1階のグルメサロンでは、松本日出彦×尾鈴山蒸留所「OSUZU GIN」とオリジナルの「OSUZU GIN」の単品購入も可能です。

住所:宮崎県児湯郡高鍋町大字北高鍋776 MAP
TEL:0983-23-0104
https://www.kurokihonten.co.jp
https://osuzuyama.co.jp/store/

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2010年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層の人気を集める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

鹿児島から生まれる世界基準の芋焼酎。若き蔵元の情熱に、鹿児島焼酎の革新と核心を見た。[World SAKE KAGOSHIMA/鹿児島県]

鹿児島本格焼酎を巡る旅OVERVIEW

焼酎王国、鹿児島。江戸時代中期に芋焼酎が広まり、現在、鹿児島県内では112軒の蔵元が焼酎造りをしています。すべての蔵の本格焼酎の銘柄をあわせると、その数は2000以上。どれも、鹿児島県内の各地域の風土や文化、酒蔵の個性がぎゅっと詰まった逸品です。

「近年、鹿児島の焼酎がますます洗練されてきて、全体的にフルーティーで香り豊かで飲みやすいものが増えています。かつ、蒸溜酒なので味わいがすっきりとしていて、食中酒にも最適。こんなに魅力的な飲み物なのに、日本酒やビールと比べるとほとんど注目されていない。どうしてもっと流行らないのだろうと、長い間不思議に思っていました」
と話すのは、日本屈指の美食家として知られる本田直之氏。日本全国のみならず、世界中を自分の足で歩き、各地の食や酒に精通してきた本田氏が「もっとたくさんの人に鹿児島焼酎の素晴らしさを伝えたい」と、焼酎蔵と手を組み、動き始めました。

そこで開催されたのが、東京都内の料理シーンを牽引する料理人を招いての蔵元巡り。事前に本田氏と、日本を代表するワインテイスターの大越基裕氏が30近くの銘柄のテイスティングを行い、「特に香り高くて、強い個性が表れている」と感じた5銘柄の造り手を訪ねました。

「酒蔵の人々の情熱に触れることで、より深く、焼酎に惚れ込むことができる。そして東京に戻ったら、自分で体感してきたストーリーを、お店でお客様に熱く語りたくなる。そんなふうに、焼酎の造り手と料理人の情熱と情熱を掛け合わせて、パワフルに焼酎の魅力を広めていきたい」という本田氏の言葉から始まった、今回の蔵元巡り。ツアーに参加した3人の料理人も、焼酎を味わい、造り手の熱量を知り、自身の店のドリンクメニューへのオンリストを想定。
それぞれの焼酎にどんな個性があり、造り手はどんな思いを込めているのでしょうか。その熱量に触れたら、きっとあなたも鹿児島焼酎に魅了されるはずです。

Photograph:YOHEI MURAKAMI(Digital Homeless)
Text:AYANO YOSHIDA

(Supported by 鹿児島県酒造組合 / think garbage)

若き蔵人が守り抜く伝統と歴史。鹿児島の大地が生んだ麗しき芋焼酎。後編[World SAKE KAGOSHIMA/鹿児島県]

いちき串木野市・白石酒造にて。

鹿児島本格焼酎を巡る旅鹿児島の自然をそのままボトルに詰める。自らさつま芋栽培をてがける杜氏。

「鹿児島の蔵人が焼酎にこめる熱い思いに直にふれてほしい」
十数年に渡り世界を旅しながら各地の食や酒に精通してきた美食家・本田直之氏のそんな願いから始まった、酒蔵巡り。目黒『鳥しき』の池川義輝氏、麻布十番『十番右京』の岡田右京氏、渋谷『酒井商会』の3名とともに、5軒の焼酎蔵を訪ねました。

「いま、鹿児島の若手蒸溜家たちは、なんとかして焼酎業界を盛り上げようと並々ならぬ努力を積んでいます。その表現方法のひとつとして、思いを味わいに変える技術を磨いている。事前に東京でテイスティングした際にも、一口飲んだだけで、酒蔵の熱量が伝わってくるんです。というのも、香りが華やかで洗練されているほど、酒蔵の努力が結実しているということだから。今回の蔵元巡りでは、その中でも特に個性の強かった5軒をピックアップしています」とは、今回の参加者の一人であり、ワインテイスターの大越基裕氏。

作り出す味わいや香りの表現方法は酒蔵によってさまざまです。小規模だからこそ実現できる手作業にこだわる造り手、大規模な敷地と工場を持つ強みをいかす蔵元。実際に訪問してみることで、そうした個性が見えてきます。

いちき串木野市の『白石酒造』の五代目当主の白石貴史氏は、10年ほど前から地域の休耕畑を借りて、自社で無農薬のさつま芋栽培に取り組み始めました。除草剤も肥料も使わない理由は、そうすることで畑の土や芋が野生化し、自分の力で生きようとするようになるから。すると、虫に食われにくい強い芋が育つのです。

「焼酎は、さつま芋や水、大地が融合したお酒。発酵具合も含めて、自然の産物としてできあがる飲み物なので、自分はなるべく手を加えずに、自然のままの味をとどけたい」と、白石氏。
ただし、白石氏の手法では、畑を休ませながら芋を栽培する必要があるため、生産量がごくわずかになってしまいます。農薬や堆肥などを使った、一般的な芋農家のつくり方に比べ、同じ面積の畑でとれる芋の量は半分ぐらいといわれています。採算が悪くてもこの方法にこだわるのは「自分のやり方で栽培したさつま芋のほうが果物のように甘くて味わいも豊かで、他の芋より圧倒的に美味しかったんです」という至極シンプルな理由。それゆえ、できあがる芋焼酎は心地よい芋の香りと風味があって、余韻も長く残るのは当然でしょう。小さな蔵だからこそ貫ける職人の手仕事。白石氏は、愚直なまでにそれを追求しています。

こうして完成した『白石酒造』の代表銘柄「天狗櫻」は果物感を感じる独特の風味があり、総甕壺仕込みによる丸みもあるのが特徴。「沁み渡るようなやわらかい飲み口ですね」と大越氏も、しみじみと味わっていました。

杜氏の白石氏が開墾した畑で、自然栽培したさつま芋。その芋で造る焼酎は甘く、香りも豊か。

テイスティングする池川氏。「無農薬、無肥料で栽培した芋で造る焼酎はテクスチャーがやわらかく、しみ入りますね」。

白石酒造の代表銘柄「天狗櫻」をモチーフにした外装。

鹿児島本格焼酎を巡る旅大規模な酒蔵の強みを生かし、鹿児島焼酎ファンの裾野を広げる。

一方、日置市の『小正醸造』は年間の焼酎の生産量約2万石を誇る大手酒蔵。100名以上の従業員とともに、全国大手スーパーに流通する焼酎を大量生産するかたわらで、限定生産のこだわりの焼酎まで幅広く造っています。仕込みの時期には1日に30〜50トンもの大量の芋を選別しますが、地域社会とのつながりを大切にしているのも『小正醸造』のこだわり。工場内のホワイトボードには、常に、その日に扱っている芋の生産者の顔写真と名前が掲示されているのです。

「大規模な酒蔵ならではの生産力をいかして、全国に本格焼酎を流通させ鹿児島焼酎の飲み手の裾野を広げている一方で、ハンドメイドの心意気も持ち合わせたマルチプレーヤー」と評価するのは、岡田氏。限定生産の「蔵の師魂 The Green」は、ワイン酵母「ソーヴィニヨン・ブラン」から採取された酵母を使用して発酵、蒸溜した焼酎で、爽やかな香りと、まろやかなコクが特徴です。
「テクスチャーがまろっとしていてふくよかで、コクがある。メロンのような甘さ、程よい酸味のある味わいで、白ワインを感じるような香味もすばらしいですね」と岡田氏は続けます。

さらに『小正醸造』では、地域の小中一貫校・日吉学園と手を組んで「My焼酎づくり」と称したプロジェクトも実施しています。これは、中学3年生の生徒が卒業記念に、自分たちで育てた芋を使い、焼酎を造り、ラベル・化粧箱もすべて手造りし、20歳になる日まで熟成させる、という内容。開始からすでに15年ほど続いているプロジェクトなのだそう。
「鹿児島には数多の焼酎があれども、やっぱり、自分が住んでいる地域の味を大事にしたい、という思いが強い。“おらが村の焼酎”という言葉は、その象徴。鹿児島の焼酎、と一緒くたにしてしまうのではなく、日置市には日置市の味がある、と地域の子ども達に認識してもらえる機会にしています」と、社長の小正倫久氏は話します。

広大な敷地を誇る『小正醸造』の日置蒸溜蔵。

蒸溜後の原酒を熟成させる貯蔵タンク。この工程を経て、焼酎の味わいがよりまろやかになる。

大規模な酒蔵の強みを生かした、豊富なラインナップ。中央の緑のラベルが「蔵の師魂 The Green」。

鹿児島本格焼酎を巡る旅鹿児島の若手蔵人の情熱に触れた2日間。

5蔵を巡ってみて見えてきたのは、江戸時代中期から続く芋焼酎の伝統と歴史を自分なりに解釈し、それぞれの「最高の焼酎」を表現しながら、若手蔵人たちが切磋琢磨しているということ。

日本酒造りの経験を活かし、その麹造りのノウハウを焼酎に持ち込んだり、焼酎業界のタブーに切り込みシェリー樽で熟成した焼酎を造ったり、ジン造りなども積極的に行い、香りに焦点をあて焼酎を造るなど、革新的な焼酎造りに挑む蔵がある一方で、さつま芋栽培から手掛けるテロワールを感じる焼酎造り、地元とのつながりを大切にしたプロジェクトを続ける、地域・風土を感じさせる焼酎造りを行う蔵もある。それぞれが違うベクトルを示しつつも、根底にあるのは美味しい焼酎を造ることであり、素晴らしき鹿児島の焼酎文化をより多くの人に知ってもらうこと。

こうした強い情熱を持つ5蔵を実際に訪問してみて、目黒『鳥しき』の池川氏は「5蔵の焼酎のいずれかをお店に入れさせてもらいながら、焼鳥と焼酎のより具体的なペアリングを提案していきたい」と言います。たとえば、フルーティーな香りがウリの焼酎には、焼鳥のなかでも特に脂の少ない部位と合わせてみるなど、焼酎のフレーバーが豊富で、酒蔵の個性も豊かになっているぶんだけ、ペアリングの楽しみ方も奥深くなっていくはず、と感じたそう。また、渋谷『酒井商会』の酒井氏も「お店では常時20種類ほど焼酎を揃えているので、5蔵のお酒のどれかを加えたいです」と、鹿児島焼酎の魅力を堪能した様子。麻布十番『十番右京』の岡田氏の「ソーダ割の爽やかさや、飲みやすさを、普段焼酎を飲まない人にも伝えていけるメニューを展開していきたいです!」と、感想を述べています。

世界中を旅してきた本田氏は、最後にこの言葉で今回の旅を締めくくりました。
「鹿児島はとにかく土地のパワーが強い。この地で育った人が、この土地で育った芋で焼酎を造るわけだから、できあがった焼酎もパワフルで奥行きの深いものになる。一口飲めば、味からその情熱が伝わってきます。これだけ鹿児島焼酎が盛り上がっているんだ、ということを、全国のみなさんにも飲んでいただき、ぜひ感じてみてほしいですね」

焼酎をソーダで割る飲み方も一般的になってきた。炭酸とともに弾ける焼酎の香りが鼻孔をかすめ、爽やかに飲める。

住所:鹿児島県いちき串木野市湊町1丁目342 MAP
電話:0996-36-2058
https://www.honkakushochu.or.jp/kuramoto/741/

住所:鹿児島県日置市日吉町日置3309 MAP
電話:099-292-3535
http://www.komasa.co.jp/

住所:東京都品川区上大崎2-14-12 MAP
電話:03-3440-7656

住所:東京都港区麻布十番2-8-8 ミレニアムタワー B1F MAP
電話:03-6804-6646
https://jubanukyo.localinfo.jp/

住所:東京都渋谷区広尾1-12–15 リバーサイドビル 1F MAP
電話:080-8040-4822
https://sakai-shokai.jp/

Photograph:YOHEI MURAKAMI(Digital Homeless)
Text:AYANO YOSHIDA
(Supported by 鹿児島県酒造組合 / think garbage)

鹿児島芋焼酎の新たな可能性。模索する若き蔵人たちの情熱に触れる旅。前編[World SAKE KAGOSHIMA/鹿児島県]

鹿児島本格焼酎を巡る旅日本酒蔵での修業で得た麹の知見。蔵に眠る種麹菌が焼酎造りを変える。

東京都内で活躍する料理人が、世界各地の酒と食に精通する美食家・本田直之氏と、日本有数のワインテイスターである大越基裕氏のアテンドで鹿児島の焼酎蔵を巡る2日間。その焼酎旅に参加したメンバーも、やはりすごい顔ぶれでした。目黒『鳥しき』の池川義輝氏、麻布十番『十番右京』の岡田右京氏、渋谷『酒井商会』の酒井英彰氏の3名という、いずれも東京を代表する名店の店主たちです。

この旅で最初に訪れた霧島市『中村酒造場』の新銘柄「Amazing」は、実は酒井氏がすでに『酒井商会』にボトルを置いている銘柄でした。ハロウィンスイート(オレンジ芋)という品種のさつま芋を使用し、グレープフルーツやライムのようなフルーティーな香りと、紅茶のアロマが重なった、繊細かつ華やかさが特徴の焼酎です。「飲み口がやわらかくて、かつ芋の香りと柑橘の香りが調和して清涼感があります。僕はこの味が大好き」と、酒井氏はこの焼酎が好きな理由を語ります。

では、その秘密はどこにあるのか。酒井氏が絶賛する「やわらかさ」を演出している要因のひとつに、1888年の創業時から使用している麹室に生息する「室付き麹」の存在があります。
六代目の中村慎弥氏は、東京農業大学醸造科学科で酒造りの科学的な側面を学んだ後、山形の日本酒蔵に弟子入り。2012年に蔵に戻り、2017年から杜氏(製造責任者)となり家業を継いだ際、「焼酎造りに、日本酒造りから学んだ麹造りの知恵を取り入れたら、蔵の新たな代表作を造れるはず」と志します。
そこで、多くの酒蔵が専門業者から種麹を入手しているところ、中村氏は蔵で一から種麹を育てるための研究を始めます。その矢先、『中村酒造場』の蔵にはすでに生の種麹菌が生息していることを発見、微生物を育て、発酵を経て、焼酎を造り上げることに成功しました。焼酎造りにおいて、芋の扱いにはどの蔵も力を入れていますが、芋と同じように麹にこだわる人はまだ少ない。
「麹をもっと重視することで焼酎の味わいがまろやかになるという“気付き”と、実は酒蔵に種麹菌が住んでいたという僕自身の“驚き・発見”にちなみ、『Amazing』と名付けました。飲んだ方がワクワクするような酒質を目指します」と、中村氏。

焼鳥職人の池川氏も「とてもなめらかで、口のなかで余韻が続くので、焼鳥の脂をきってくれる力もありそう」と、焼き鳥とのマリアージュに期待します。

『中村酒造場』の創業当時から使い続けている麹室にはオリジナルの種麹菌が生息していた。

渋谷『酒井商会』の料理人、酒井氏は、もともと「Amazing」の大ファン。

鹿児島本格焼酎を巡る旅もっと自由な芋焼酎造りを追求した“ユートビア”。

中村氏が麹を通じて焼酎作りに新たな風を送り込んでいるように、若手蔵人たちは芋焼酎の魅力を引き出しつつ、進化させる方法を模索しています。次に訪ねた『小牧醸造』の専務・小牧伊勢吉氏は、今秋、「あえて焼酎造りのタブーに踏み込んだ」という新作を発表しました。その名も「ユートピア」。『小牧醸造』の代表銘柄「一尚シルバー」をバーボン樽で 熟成させたあと、さらにシェリー樽で熟成させた原酒 を加えた芋焼酎です。原酒が持つスモーキーさと樽の 香りが相まってドライな風味を生み出し、かつ、甘味 とフルーティーさがやわらかく調和した力作だそう。

「焼酎造りにおいて、液体に色を帯びさせるのはご法度とされてきました。焼酎は透明でなければならない。でも、『ユートピア』は洋酒の木樽で熟成させて、ほんのりとした黄金色に仕上げているんです」
すると芋の香りがさらにまろやかになり、香りも豊かになるのだという。
「もっと自由に、もっと楽しみながら、もっと美味しい芋焼酎を造りたい。その理想郷としてこの焼酎がある」と、ネーミングに込めた思いを語ってくれます。

ただ、画期的な取り組みを行いながらも、芋焼酎の歴史とアイデンティティへの敬意も失っていません。『小牧醸造』では、通常の何倍もの時間と労力をかけて、芋の選定と水洗いを行っています。芋を水洗いし、人間が目視で芋の選定作業を行うのは、ほかの多くの蔵元に共通する工程ですが、『小牧醸造』では、さらに芋を3種類の機械に通して洗浄。そのうえでたわしを用いて人の手で細かな溝に入った泥を丁寧に落としていき、痛んでいる部分を取り除いていきます。
その徹底した仕事に対して、「ここまで手をかけることにより、雑味のない、クリアで洗練された味わいの焼酎に仕上がっていますね。ソーダ割にしたら、普段強いお酒を飲まない人にも好まれそう」と、岡田さんは話します。

蒸したばかりのオレンジ芋。フルーティな香りが特徴。

本田氏と大越氏を含めて、3人の料理人が木樽を熟成させる蔵の前でテイスティング。

右から3番目が「ユートピア」。アルコール度数が40度を超える銘柄は、透明のボトルを使用。

焼酎を熟成させる甕。地中に埋まっているスタイルが特徴だ。

鹿児島本格焼酎を巡る旅華やかな香りの焼酎を、シュワっとソーダ割で楽しむ。

ところで、お湯割にして飲むイメージが強い芋焼酎ですが、鹿児島焼酎の若手蔵人たちが最近お勧めしているのは、シュワシュワっとした爽快感や開放感が魅力のソーダ割。香り高い焼酎が増え、炭酸と相性の良さをウリにする銘柄も数多く誕生しています。そんな傾向に対してソムリエの大越基裕氏はこう語ります。
「なんといっても、焼酎はフレーバーを楽しむ飲み物。蒸溜させて造るので味わいやボディがすっきりと仕上がり、ほぼ無味に近くなる分、フレーバーの個性が際立ってきます。そのうえで、最近は各酒蔵が、いわゆる“芋臭さ”を取り除き、芋がもつフルーティーな香りやあまやかさを引き立てる造り方を極めてきています。銘柄の数だけフレーバーの選択肢が増えているといっても過言ではなく、自分のお気に入りのフレーバーの焼酎を見つける愉しさも生まれてきているのです」

焼酎は「香りを楽しむ飲み物」だと、もっと多くの人に知ってほしい。そんな思いから、指宿市『大山甚七商店』の専務・大山陽平氏は大胆なチャレンジを続けています。2021年に「お酒に振りかける香水」としてビターズ「PUSH BITTERS」を製造開始。さらに、今年夏には新ハイブリッド蒸溜機を導入。明治8年の創業以来培ってきた焼酎の蒸溜のノウハウを生かして、同じ蒸溜酒であるクラフトジン造りにも力をいれています。また、東京都内でシナモンやコーラの実を使ってクラフトコーラ造りをしている伊良コーラとコラボレーション。クラフトコーラのスパイスの風味と芋のフルーティーな香りを見事に融合させた「伊良コーラ酎」を販売しました。

「遊び心を盛り込んだ存在感のある焼酎で、まずは若い飲み手に親しみをもってもらう。それを入り口に、伝統的な芋焼酎の世界に興味を持っていただけたら」と話すのは、陽平氏の父であり、代表取締役社長の修一氏。
「当蒸溜所の理念は温故知新。スピリッツ・リキュールの製造といった新しい分野を開拓しながらも、先代から受け継いだ本格焼酎の秘伝の製法や味わいも守り抜いています」とその思いを語ります。

代表銘柄のひとつ「甚七」は、黄金千貫という品種のさつま芋を原料とし、黒麹で醸した銘柄。仕込み水は蔵のある宮ヶ浜から湧き出るミネラル豊富な地下天然水を使用し、初代から受け継いだ甕壺で仕込み、常圧蒸溜で蒸溜という伝統的製法で造っています。
「原酒をタンクで長期間貯蔵熟成することで、焼き芋のような香ばしさが引き出されている。また、黒麹特有のきめの細かい旨みがありながら、すっきりとキレの良い焼酎ですね」と酒井氏はコメントします。

修一氏は、若手たちの挑戦をあたたかく見守っています。
「20代、30代の造り手を中心に『焼酎業界をもっと盛り上げるぞ』という意気込みを感じています。私は63歳で、自分の近い世代の感覚としては、伝統的なお湯割の文化をもっと広めたいという思いもあります」
それと同時に、ソーダ割で飲んだり、フルーティな香りを強調したりといった、若い造り手たちの新しい感覚にも共感。
「焼酎の世界って、割と新しいものに対して柔軟なんです。酒税法の範囲内で遊ぶ分にはいいでしょ、って(笑)。作り手が楽しみながら生産した焼酎を、県外の人にも面白がりながら飲んでもらえるとを期待しています」

長期貯蔵所「甚七伝承蔵」。甕熟成、ステンレスタンク熟成、樽熟成を行う。

醸造所の脇にある事務所の一画にはバーカウンターが備えられ、テイスティングを行うことができる。

今年夏に導入した新ハイブリッド蒸溜機。中央には香りのもととなるボタニカル専用のバスケットを内蔵。

住所:鹿児島県霧島市国分湊915 MAP
電話:0995-45-0214
http://nakamurashuzoujo.com/

住所:鹿児島県薩摩郡さつま町時吉12番地 MAP
電話:0996-53-0001
https://komakijozo.co.jp/

住所:鹿児島県指宿市西方4657 MAP
電話:0993-25-2410
http://www.jin7.co.jp/

住所:東京都品川区上大崎2-14-12 MAP
電話:03-3440-7656

住所:東京都港区麻布十番2-8-8 ミレニアムタワー B1F MAP
電話:03-6804-6646
https://jubanukyo.localinfo.jp/

住所:東京都渋谷区広尾1-12–15 リバーサイドビル 1F MAP
電話:080-8040-4822
https://sakai-shokai.jp/

Photograph:YOHEI MURAKAMI(Digital Homeless)
Text:AYANO YOSHIDA
(Supported by 鹿児島県酒造組合 / think garbage)

「合餐」 これが私たちの正解。[Gohsan 7chefs in Fukuoka/福岡県福岡市]

「世界的に活躍しているシェフのみんなが福岡に集ってイベントを開催できるのは、今回が最初で最後かもしれません」と話すのは、『合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―』の発起人、『La Maison de la Nature Goh』の福山 剛シェフ(一番右)。。会場となったのは、福岡天神に位置する『QUANTIC(クアンティック)』。

合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―「合餐」の再開と再会。今の自分たちに迷いはない。

去る11月某日。福岡にて、あるイベントが開催されました。

合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―』。

発起人は、2021年「アジアのベストレストラン50」30位にもランクインする福岡の名店『La Maison de la Nature Goh(ラ・メゾン・ドゥ・ラ・ナチュール・ゴウ)』の福山 剛シェフです。

加えて、参加シェフにおいても世界レベル。

「ミシュランガイド東京2021」二つ星、2021年「アジアのベストレストラン50」7位、2021年「世界のベストレストラン」39位の『Floriege(フロリレージュ)』川手寛康シェフ。

「ミシュランガイド京都・大阪+和歌山2021」二つ星及び「グリーンスター」、2021年「アジアのベストレストラン50」64位の『Villa aida(ヴィラ・アイーダ)』小林寛司シェフ。

初台の名店『Anis(アニス)』を経て、現在は『傳』と『Floriege』が共同運営するレストラン『デンクシフロリ』の料理長を務める清水 将シェフ。

「ミシュランガイド京都・大阪+和歌山2021」二つ星、2021年「アジアのベストレストラン50」8位、2021年「世界のベストレストラン50」では惜しくも50以内からは外れるものの76位の健闘を見せた『LA CIME(ラシーム)』の高田裕介シェフ。

「ミシュランガイド東京2021」一つ星、2021年「アジアのベストレストラン50」27位の『Ode(オード)』生井祐介シェフ。

「ミシュランガイド東京2021」二つ星、2021年「アジアのベストレストラン50」3位、2021年「世界のベストレストラン」11位の『傳』長谷川在祐シェフ。

これまでの社会情勢により、シェフたちが顔を合わせるのも実にひさかたぶり。「大規模なイベントは約2年ぶり」と皆が口を揃えます。

イベントの再開、人との再会。様々な想いが交錯するも、「今の自分たちに迷いはない」。言葉にせずとも、厨房内で喜びを分かち合いながら料理を作る姿を見れば、容易にそれを感じ取れます。

合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―』(以下、合餐』)の幕が上がる。

厨房の中での福山シェフ(左)と長谷川シェフ(右)。互いの近況報告をし合いながら、和やかな空気が流れる。

コース料理の最後の皿、デザートを合作する生井シェフ(左)と高田シェフ(右)。久々の再会に笑顔が溢れる。

小林シェフ(中央)と長谷川シェフ(奥)が同じキッチンに立ち、同じ料理を作るという異色の風景が生まれるのも、このイベントの醍醐味。

清水シェフ(左)の火入れに興味津々の生井シェフ(右)。互いの料理を間近で見ることは、学びや技術の習得につながる。

合餐』では、7人のシェフ以外に福岡をはじめ、九州のレストランもサポートに入る。川手シェフ(中央)とともに皿を仕上げるのは、赤坂「こみかん」の拓ちゃんこと末安拓郎シェフ(手前)。

メインの肉料理(下記参照)は、『デンクシフロリ』、『Villa aida』、『La Maison de la Nature Goh』の合作。こちらは、その中のひとつ、『Villa aida』が手がけるカブと柿のミルフィーユ仕立て。

上記と同じく、メインの肉料理(下記参照)にもうひとつ添えるのは、焼いたミカン。こちらも『Villa aida』が手がける。

上記と同じく、メインの肉料理(下記参照)に使用する和牛シンシン。火入れの魔術師の異名を持つ『デンクシフロリ』の清水シェフが、驚異の約8時間をかけてじっくり火入れする。清水シェフの友人でもある台湾の原住民が作った石板の上に肉を置き、手で転がしながら指先で温度を感じ取り、真まで熱を伝える。

シェフ自らテーブルまで足を運び、料理をサーブする場面も。そんな自由もゲストを大いに楽しませた。

この日のドリンクは、全てペアリング。「ドン ペリニヨン」から糸島「田中六五」まで、バリエーションに富んだプレゼンテーションを披露。

合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―想いは人を強くする。連鎖を生んだ幸福と口福。

今回、供された料理は全8品。シェフがそれぞれ料理するものもあれば、合作もあり。様々な手法で舌と目を楽しませてくれます。

しかしながら、各シェフが『合餐』について語る際、「料理は味わっていただきたいのですが……」という開口が多く見られました。その理由は、改めて様々を見直した空白の2年間を生きた在り方にあったのかもしれません。

「これまでのレストランは、“個”がクローズアップされていたと思います。ですが、これからは、“個”から“全”へ。料理も大事ですが、今回のバックテーマは“全員で楽しむこと”。美味しかったよねよりも楽しかったよね。後に、そんな風に思い出していただけたら開催した甲斐があったなと思います。そして、それぞれの生活の中で当たり前だった様々なことを考え直す良い機会になるといいなとも。事実、当たり前だったイベントもできなくなり、『合餐』を開催できたことがこれほどまでに幸せな時間だったから」と川手シェフ。

「みんなと会うには久々。いや、久々でもないかな? どっちだろう(笑)。お客様には申し訳ありませんが、まず何より自分自身がこの日を一番楽しみにしていました。普段はひとりで料理していますが、今日は尊敬できるシェフたちと一緒にキッチンで過ごすことができる。本当に幸せ」と小林シェフ。久々の再会だったシェフたちでしたが、顔を合わせれば瞬時に距離は縮まり、結実。昨今、主流の「オンライン」では成すことができないグルーヴです。

「普段、実はシェフは孤独なんです。ですが、今日は、みんなで分かち合える。それが嬉しい。料理の手法や味、スタイル、哲学など、それぞれ違いますが、だからこそ共有できる。そんな自分たちの高揚感がお客様への満足にもつながると思っています。今日をきっかけに、またレストランの価値を向上させたいです」と清水氏。

「この約2年間では、色々考えることが多かったです。レストランの経営の仕方、シェフとしての在り方……。サスティナブルという言葉もよく耳にしますが、実際に自分たちがどうそれを行動できるのか。苦しかった分、強くもなれた。対応能力やできることも増えた。明日に追われてしまう日々もありましたが、もっと先を見ることができるようにもなった。今日、この『合餐』から、また新しい一歩を踏み出したい」と高田シェフ。

「人とのつながり、喜びの分かち合い、皆で場を囲むこと。当たり前にできていたことがこれほどまでに大事なことだったのかと再確認しました。楽しみ過ぎて、料理をお待たせしたこともありましたが、それも含めて熱量があった。『合餐』に参加していただいた全員に助けられたので、それが良い時間を生んでくれました」と生井シェフ。実際、生井シェフが担当だった料理の提供は、予定よりも約30分遅れ。しかしながら、ワクワクが止まらないゲストの表情を見れば、そんなハプニングや料理を待っている時間すら愛おしかったのかもしれません。

「このメンバーの中では、以前から何かやろうかという話は出ていたのですが、僕らが集まって何かやることによって多方面にご迷惑をかけてしまう可能性がある。そんなことから色々な件の実施を決断できずにいました。当たり前だったことが当たり前でなくなったと思う反面、今までが当たり前じゃなかったのだとも思うようになりました。食事においても、どこで誰と何を食べ、共有したいのかなど、レストランの在り方も問われてくると思います」と長谷川シェフ。

「振り返れば、自分が最後に大きなイベントをしたのは『DINING OUT RYUKYU-URUMA』でした。その後、色々なことを予定してみましたが、自粛や緊急事態宣言の繰り返しで全て実現が叶いませんでした。今回のメンバーは、公私ともに皆仲も良く、コースにおいても料理の流れではなく、人の流れが感じられたと思います。性格も出ていましたし(笑)。お客様にとって、自分たちにとって、何か前を向ける良いきっかけになれば、この上なく嬉しく思います」と福山シェフ。

それぞれの想いが幾十にも重なった『合餐』。ほんの数時間の出来事は、まるで夢のごとく幕を閉じました。

『LA CIME』が手がけた1品目、柑橘の果汁と魚を合わせたセビーチェ「魚介 ヘベナ 島唐辛子 ココナッツ さつまいも」。五島の石垣鯛や九州の柑橘、そして高田シェフの出身でもある奄美大島の島とうがらしなどを使用。柑橘は5種類ほど絞ってピューレにし、「虎のミルク」の意味を持つ「レチェ・デ・ティーグレ」と大阪に拠点を持つレストランということで、某球団をイメージした虎柄の生地も添えて。生地にはタイのアラ汁も練り込む。

2品目は、『Floriege』と『傳』の合作、「トマト チーズ 牛 スグキ」。発酵をテーマに、和洋を融合。上は、スグキを葉で発酵させ、チーズを加えたトースト。下は、トーストに使用したチーズの皮と牛乳を合わせ、もう一度発酵させたムースを経産牛のカルパッチョに添える。トマトのテリーヌとガスパチョのような味わいのソース、沖縄のバニラをアクセントに。

3品目は、『La Maison de la Nature Goh』が手がける「黒大豆 肝 黒無花果」。三層から成るそれは、福岡の朝倉、クロダマルの黒大豆のケーキ、黒イチヂクとチャツネ、フォアグラとコーヒーを合わせた前菜ケーキ。

4品目は、『Villa aida』が手がけた「かぼちゃみりん粕漬 ほうずき 柑橘ピール 卵黄」。カボチャを丸ごとローストし、皮を剥ぎ、実のみガーゼで包み、みりんとレモンチェッロに漬け込む。『Villa aida』横の畑で育てたほおずき、オレンジピールを添え、みりんと卵黄で作ったソースとともに。

5品目は、『Ode』が手がけた「ノドグロ 菊 ターメリック」。カボチャとノドグロを挟み込み、パイで包む。ソースにはシナモン、ハッカク、バニラに、乾燥させたカボチャのタネを野菜出汁で煮出し、香りを移したところに豆乳とターメリックで合わせる。全てのパーツに菊を採用しているため、まとまりのある味わいと香りもアクセントに。

6品目は、『デンクシフロリ』、『Villa aida』、『La Maison de la Nature Goh』が手がける「和牛シンシン カブと柿のサワークリームマスタード 赤ワインソース」。お肉は、清水シェフが担当。うちももの柔らかい部位、シンシンを約8時間(!)かけて火入れ。その火入れにセオリーはなく、感覚と直感で温度を調整する。添えてあるカブと柿のミルフィーユ仕立てとミカンは、小林シェフが担当。ミカンは皮ごと焼いて丸ごと食べられるように調理。塩と砂糖に浸け、最後に表面を黒く焼き、自家製の七味唐辛子を振る。ソースは福山氏が担当。

7品目は、『傳』と『Floriege』の合作、「桜海老ご飯 ビスクがけ」。桜海老の香り豊かな炊き込みご飯は、長谷川シェフが担当。それに、川手シェフが手がけた蟹の旨味を効かせたビスクを合わせる。添えられたミントは、『デンクシフロリ』清水シェフのアイディア。「最後に何か添えたいなと思っていたのですが、さりげなく、清水シェフが“ミントがいいんじゃない”とひと言。川手シェフと自分にはなかった発想でした。色々なシェフの感性が重ね合わせることによって、想像を超えた味になっていく楽しみは、合作の醍醐味」と長谷川シェフ。

8品目のデザートは、『La Cime』、『Ode』、『La Maison de la Nature Goh』の合作。高田シェフが手がけたロールケーキには、奄美大島の砂糖や塩などの食材をふんだんに使用。それに、生井シェフが作った卵黄とコーヒーのフレーバーを効かせたコンブチャのソースと合わせる。 添えてあるアイスクリームは、福山シェフが担当。食材には、福岡の柿、秋王を使用。砂糖などは一切使用ぜず、自然の甘さのみで調理。料理にある『LA CIME』のロールケーキと『Ode』(系列店のカフェ『BGM』) のコーヒーは、各公式HPのオンラインストアでも購入可能。

合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―「合餐」が教えてくれたこと。それは、「進化」ではなく「深化」。

今回、『合餐』のテーブルを彩ったのは、花人・赤井 勝氏です。特筆すべきは、そのプレゼンテーション。供されるコース料理の8品に合わせ、8つの花材をライブパフォーマンスで生けてゆき、8品目と共に作品が完成するという演出手法です。

シェフは食材、自分は花材。材は違いますが、自然からの恵みをいただいて表現している同じ立場として、シェフの方々をとてもリスペクトしています。自分自身、この2年間を経て、もう一度、仕切り直して花と向き合っていきたいと思っています。今回の『合餐』では、喜びが新鮮でした。人との触れ合いが新鮮でした。一輪ごとに生ける度、お客様の表情も変化してゆき、それを感じることができました。一品ごとに刺激を受け、お腹を満たすように花を通して心と目を満たしたいと思っていました」と赤井氏。

そして、司会を務めたのは、「アジアのベストレストラン50」及び「世界のベストレストラン50」の日本のチェアマンや『DINING OUT』のホストを務めるコラムニスト・中村孝則氏。

「世界中においてコロナ禍を経験し、レストランの価値も変わってきていると思います。美味しい以外に大切なことは、“JOYFULL”と“SHARE”。これは、国際的に議論されるレストラン業界でも話題に出るキーワードです。ただお腹を満たすだけでなく、人と分かち合う、喜びを感じる、そんな精神的な豊かさを享受できるレストランが必要とされるのではないでしょうか」と中村氏。

これからのレストランに必要なことは、「進化」ではなく「深化」なのかもしれません。より深く食材とつながり、より深く生産者とつながり、より深く地域とつながり、より深くお客様とつながり……、結果、より深いレストランになる。

今回、参加したシェフたちは、名だたるタイトルを受賞しているも、そこに驕りはありません。トップランナーであり続けるために大切なことは、シェフ力ならぬ人間力。

そんな7人だからこそ、『合餐』を決断できたのです。

以前ならば、何が正解で何が不正解かわからない。そう感じていたと思います。しかし、長い時間を経て、ようやくその難問の答えを得たのかもしれません。

だから、今ならはっきりと言えます。

これが私たちの正解。

より「深化」するレストランへ。

今回、独自の芸術的表現を見せた花人・赤井氏。作品が完成するまでのプロセスも含めたライブパフォーマンスにゲストも興奮。長谷川シェフとは、パリ『ルーブル美術館』にて開催された『JAPAN PRESENTATION in PARIS』でも饗宴。

苔の島にひとつの生態系が形成されたかのような世界。8品ごと8花が生けられたそれは、まるで8人の集いのようにも見える。

合餐』の司会を担ったコラムニストの中村氏。今回のシェフは、自身がチェアマンを務める「アジアのベストレストラン50」及び「世界のベストレストラン」にランクインするレストランばかり。一番側で苦しみも活躍も見てきただけに、「この日は感慨深かった」と話す。

『合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―』は、ただのイベントではなく、何か一歩を踏み出すきっかけやこれまでの節目、そして、新たなスタート。全ての料理を出し終え、シェフたちが舞台に集まるも、なぜか手をつなぐ!?場面も。そんなチャーミングな仕草からも、7人の深い絆を感じる。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:YUICHI KURAMOCHI

似ている味、同系統の香り、相反する要素。決まった答えがないから、ペアリングはおもしろい。[和光アネックス/東京都中央区]

千葉さんが提案するペアリングは、飲み物と飲み物の組合わせ。ミクソロジーすることによって、また違った味わいも堪能でき、2倍おいしい。

上記の品は、『富田酒造』龍宮原酒 らんかん 2016(¥3,520税込)、『川平ファーム』パッションフルーツジュース1 0 0 無糖(¥2,700税込)。

WAKO ANNEX力強い原酒を、華やかな味わいに。

2021年10月1日(金)にリニューアルした和光アネックス 地階のグルメサロンに『ONESTORY』は、そのプロデューサーとして参画しています。

「FIND OUT ABOUT NIPPON」をテーマに掲げ、日本全国から見つけ出した「おいしいニッポン」を集約。

日本酒ソムリエ・『GEM by moto』店主・第14 代酒サムライの千葉麻里絵さんや調布市『Maruta』のドリンクディレクターを務める外山博之氏らともコラボレーションし、これまでに類を見ない「食べ合せ」のプレゼンテーションも提案しています。

今回、千葉さんが提案するのは、ドリンクとドリンクの合わせ。『富田酒造』龍宮原酒 らんかん 2016と『川平ファーム』パッションフルーツジュース1 0 0 無糖です。

「ドリンクにドリンクを合わせる。意外性のある組合せですが、これもペアリングの楽しさのひとつ。熟成することによりねっとりと口に広がる黒糖の甘みと、パッションフルーツの酸味と華やかな味わいが抜群の相性。両方をロックにして交互に味わうのがおすすめ。ただし焼酎の原酒は強いので、氷を溶かしながら少しずつ味わうなど、好みに合わせて楽しんでください。さらにひと捻りするなら、焼酎、炭酸、ジュースを2:7:1で割ってもおいしく味わえます」と千葉さん。

そのまま合わせるも良し、ミックスさせるも良し。1+1の先にある答えは、楽しみ方次第で無限に広がるのです。

※今回、ご紹介した商品は、2021年10月1日(金)にリニューアルオープンした『和光アネックス』地階のグルメサロン及び和光オンラインストア(上記バナー)にて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、外山博之氏と千葉麻里絵さんがセレクトするペアリングをご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

石垣島でパッションフルーツを始め、トロピカルフルーツの加工品製造をしている『川平ファーム』パッションフルーツジュース1 0 0 無糖。自然の甘さは、果物を直接飲んでいるかのよう。南国らしい香りも口福を増す。

『富田酒造』龍宮原酒 らんかん 2016。奄美大島でも珍しい1次・2次とも甕仕込みによるこだわりの伝統製法によって醸された龍宮原酒を熟成させた黒糖焼酎。国産米を用いることで味わいにふくらみが増し、黒麹で仕込むことにより、甕仕込み特有のしっかりとした味にキレを加える。

WAKO ANNEX重ねて広がる香りの相乗効果。

続いて、外山氏が勧めるペアリングは、香りの合わせ。

『COPECO かたすみ』ブラッドオレンジのフルーツティー 3種セットと『道の駅 よって西土佐』四万十川天然鮎のコンフィです。

「砂糖や香料を使用せず、すっきりと仕上げたブラッドオレンジのフルーツティー。その爽やかな香りに、天然鮎の清流を思わせる青い香りや、ローズマリーをはじめとしたハーブの香りが優しく寄り添います。香りを起点にするペアリングでは、このように同系統の要素で、相乗効果を狙うのが王道。単体で楽しむ以上の香りの広がりをお楽しみください。さらにコンフィの旨みや塩味に対して、お茶の持つ天然素材の酸味が広がり、さっぱりとした後味を演出します」と外山氏。

果物の香り、お茶の香り、鮎の香り……。舌だけでなく、香りのペアリングは、外山氏ならではの提案。ぜひ、お試しあれ。

鮎とお茶。意外な組み合わせ提案は、さすが外山氏。コンフィの旨味とお茶の酸味が見事に結実する。

使用した品は、『COPECO かたすみ』ブラッドオレンジのフルーツティー 3種セット(¥1,080税込)、『道の駅 よって西土佐』四万十川天然鮎のコンフィ(¥2,646税込)。

オーブンで加熱することによって、より豊かな香りが広がる。添えられたハーブの香りもひらく。

ティーバッグをくぐらせると瞬時に色と香りが広がる。鮎のオイリーな味わいにお茶がバランス良く寄り添う。

※今回、ご紹介した商品は、2021年10月1日(金)にリニューアルオープンした『和光アネックス』地階のグルメサロン及び和光オンラインストア(上記バナー)にて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、外山博之氏と千葉麻里絵さんがセレクトするペアリングをご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

岩手県出身。保険会社のSEから日本酒に魅了されたことで飲食業界に転身。新宿の『日本酒スタンド酛(もと)』に入社後、利酒師の資格を取得。日本全国の酒蔵を訪ね、酒類総合研究所の研修などにも参加し、2015年に『GEM by moto』をオープン。化学的知見から一人ひとりに合わせた日本酒を提供する。口内調味やペアリングというキーワードで新しい日本酒体験を作り、日本のみならず海外のファンを魅了し続けるかたわら、様々なジャンルの料理人や専門家ともコラボレーションし、新しい日本酒のスタイルを日々模索する。2019年には日本酒や日本の食文化を世界に発信する「第14代酒サムライ」に叙任。。主な作品は、『日本酒に恋して』(主婦と生活社)、『最先端の日本酒ペアリング』(旭屋出版)など。出演作は、映画『カンパイ!日本酒に恋した女たち』(配給:シンカ)。https://www.marie-lab.com/

埼玉県出身。バーテンダーとしてレストランやホテルなどに勤務した後、ソムリエへ転向。以降、様々なレストランで経験を積み、2012年より代々木上原『Gris』(現『sio』」)」のマネージャーに就任。2018年より調布『Maruta』のドリンクを監修、2019年より京都『LURRA゜』のドリンクディレクションなど、ペアリングを行いながら活躍の場を広げている。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8  MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp

Photographs:SHINJO ARAI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(Supprtted by WAKO)

3品の合わせ技。発見、驚き、楽しさ。ペアリングとは未知なる体験。[和光アネックス/東京都中央区]

千葉麻里絵さんがお勧めするペアリングは、20年以上熟成された古酒にチーズとドライフルーツを組み合わせたおつまみ。チーズは軽く焼くことによって更に味わいをプラス。

上記に使用した品は、左より『手取川』純米大吟醸 古酒 梅舞花 -1996-(¥4,400税込)、『Fattoria Bio Hokkaido』イタリア職人がつくる カチョカヴァロ(¥3,024税込)、『Ami Nature』宝玉ピオーネのドライフルーツ(¥756税込)。

WAKO ANNEX古酒特有の熟成感と余韻を増幅。

2021年10月1日(金)にリニューアルした和光アネックス 地階のグルメサロンに『ONESTORY』は、そのプロデューサーとして参画しています。

「FIND OUT ABOUT NIPPON」をテーマに掲げ、日本全国から見つけ出した「おいしいニッポン」を集約。

日本酒ソムリエ・『GEM by moto』店主・第14 代酒サムライの千葉麻里絵さんや調布市『Maruta』のドリンクディレクターを務める外山博之氏らともコラボレーションし、これまでに類を見ない「食べ合せ」のプレゼンテーションも提案しています。

今回の面白さは、組み合わせの妙だけではありません。1+1のペアリングに加え、更に+1した3つのペアリング。

まず、千葉さんが提案するのは、『手取川』純米大吟醸 古酒 梅舞花 -1996-と『Fattoria Bio Hokkaido』イタリア職人がつくる カチョカヴァロ、『Ami Nature』宝玉ピオーネのドライフルーツです。

「このお酒は20年以上の時間をかけてじっくりと熟成させた古酒。その熟成感とドライフルーツの濃厚な風味、そして古酒の長く続く余韻とチーズの香り、それぞれのトーンを組み合わせました。カチョカヴァロチーズをフライパンで香ばしく焼き、その上にドライフルーツのピオーネを細かく刻んで振りかけてお酒と合わせてみてください」と千葉さん。

それぞれの個性が一体となった味わいと、長く続く香りの余韻が楽しめます。

※今回、ご紹介した商品は、2021年10月1日(金)にリニューアルオープンした『和光アネックス』地階のグルメサロン及び和光オンラインストア(上記バナー)にて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、外山博之氏と千葉麻里絵さんがセレクトするペアリングをご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

外山氏がお勧めするひとつ目のペアリングは、もはや料理! 味わい豊かなのり佃煮と大山こむぎを使用した香り豊かなタリアテッレを和え、濃厚なトマトジュースとともにいただく。

上記に使用した品は、左より『LaLaLa Farm』フルーツトマトジュース(¥3,240税込)、『大山こむぎプロジェクト』鳥取県産 大山こむぎ 大山パスタ タリアテッレ(¥378税込)、『三福海苔』佐賀有明 香味のり佃煮 65g(¥810税込)。

WAKO ANNEX山と磯の香り、その意外なる親和。洋梨×乳製品でチーズケーキのコク。

続いて、外山氏が勧めるペアリングは2種。こちらにおいても、3種の組み合わせになります。

まずは、『LaLaLa Farm』フルーツトマトジュースと『大山こむぎプロジェクト』鳥取県産 大山こむぎ 大山パスタ(タリアテッレ)、『三福海苔』佐賀有明 香味のり佃煮です。

「北海道ニセコ町『LaLaLa Farm』のトマトジュースは、完熟有機トマトを使ったフレッシュな香りが特徴。その青い緑の香り、いわば土の香りの成分に、あえて磯の香りを合わせてみました。香りの成分は似た系統のものだけではなく、一見、相反する系統のもの同士を合わせても、意外な魅力が引き出されることがあるもの。この組合せも、海苔の香りがトマトの香りと調和し、それぞれの旨みがいっそう引き出されます」と外山氏。

ふたつ目の食べ合わせは、『Le Verger ヤマヨ果樹園』ル レクチエジュースと『NORTH FARM STOCK』北海道クラッカー(プレーン)、『オオヤブデイリーファーム』ヨーグルトディップ プラスワンです。

「新潟県特産の最高級洋梨・ル レクチエをそのまま搾ったストレートジュース。まず着目したのはふわりと広がるその豊かな香りです。洋梨のフレッシュな香りと乳製品の発酵由来の香りが繋がり、口の中で調和します。味の面でも洋梨の甘みにヨーグルトディップの適度な塩気が加わり、まるでチーズケーキのような味わいに変化。北海道産小麦が香るクラッカーと合わせ、よりカジュアルに楽しむのもおすすめします」と外山氏。

食べ物と飲み物でもなければ、1+1でもない。食べ物と食べ物、はたまた料理にも近い合わせ。様々な視点から組み合わせ、食べあわせることによって、ペアリングの口福は倍増するのです。

外山氏がお勧めするふたつ目のペアリングは、ホームパーティにも最適。濃厚なヨーグルトをクラッカーに乗せた味は、まるでチーズケーキのよう。フレッシュなル レクチェのストレートジュースとともに。

上記に使用した品は、左よりLe Verger ヤマヨ果樹園』ル レクチエジュース 500ml (¥2,484税込)、『NORTH FARM STOCK』北海道クラッカー プレーン(¥405)、『オオヤブデイリーファーム』ヨーグルトディップ プラスワン(¥1,080税込)。

※今回、ご紹介した商品は、2021年10月1日(金)にリニューアルオープンした『和光アネックス』地階のグルメサロン及び和光オンラインストア(上記バナー)にて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、外山博之氏と千葉麻里絵さんがセレクトするペアリングをご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

岩手県出身。保険会社のSEから日本酒に魅了されたことで飲食業界に転身。新宿の『日本酒スタンド酛(もと)』に入社後、利酒師の資格を取得。日本全国の酒蔵を訪ね、酒類総合研究所の研修などにも参加し、2015年に『GEM by moto』をオープン。化学的知見から一人ひとりに合わせた日本酒を提供する。口内調味やペアリングというキーワードで新しい日本酒体験を作り、日本のみならず海外のファンを魅了し続けるかたわら、様々なジャンルの料理人や専門家ともコラボレーションし、新しい日本酒のスタイルを日々模索する。2019年には日本酒や日本の食文化を世界に発信する「第14代酒サムライ」に叙任。。主な作品は、『日本酒に恋して』(主婦と生活社)、『最先端の日本酒ペアリング』(旭屋出版)など。出演作は、映画『カンパイ!日本酒に恋した女たち』(配給:シンカ)。https://www.marie-lab.com/

埼玉県出身。バーテンダーとしてレストランやホテルなどに勤務した後、ソムリエへ転向。以降、様々なレストランで経験を積み、2012年より代々木上原『Gris』(現『sio』」)」のマネージャーに就任。2018年より調布『Maruta』のドリンクを監修、2019年より京都『LURRA゜』のドリンクディレクションなど、ペアリングを行いながら活躍の場を広げている。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8  MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp

Photographs:SHINJO ARAI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(Supprtted by WAKO)

奈良井宿のリアルな一瞬を切り取り、伝える。「季節感」という言葉に込められた料理人の思い。[BYAKU-Narai-/長野県塩尻市]

BYAKU -Narai-全体のコンセプトは、「リアルな季節感」を伝えること。

奈良井宿の老舗酒蔵『杉の森酒造』を再生して生まれた宿泊施設『BYAKU -Narai-』。その同じ屋根の下に、レストラン『嵓 kura』はあります。塩尻市でレストラン『ラ・メゾン・グルマンディーズ』を営んでいた友森隆司氏をシェフに迎え、『傅』の長谷川在佑氏が監修を担う店。今回はその料理の内容を紐解いてみます。

「リアルな季節感を伝える料理」。

『嵓 kura』の料理長・友森隆司氏に料理のコンセプトを聞くと、即答でそんな答えが返ってきました。

ただの「季節感」ではなく、「リアルな季節感」。それは山の斜面に見える植物であり、風に混じる香りであり、田舎の食卓に上る漬物のこと。秋だからキノコを食べるのではなく、キノコが出てきたから秋を感じるような、自然中心の考え方のこと。

友森氏はこのコンセプトを軸に、料理監修を担う長谷川在佑氏と協議を重ねます。そして導き出した結論。それは奈良井宿の伝統を踏まえつつ、極力シンプルな調理にすること。そしてそのシンプルさのために食材は徹底的に吟味すること。

食材にこだわる。ある意味ありふれた言葉ですが、友森氏の行動は想像の上を行きます。何しろ毎日5時間、車に乗って山を一周回るのですから。それもただ生産者の元で食材を集めて回るだけではありません。ある時は山に踏み込み野草を集め、ある時は畑で直接収穫を手伝い、ある時は長靴に履き替えて水をかき分ける。「厨房よりも野山にいる時間が長いかもしれません」と笑う友森氏ですが、これこそが友森氏。生産者と話す時間も、季節の変化を肌で感じる時間も、すべて『嵓 kura』の料理に生き生きと表現されているのです。

『嵓 kura』のメインホールは、かつて『杉の森酒造』だったころ、蔵として使われていた場所。

『嵓 kura』の対面式カウンター。眼前の窓から緑を望む心地よい席。手前の遺構が当時の面影を残す。

BYAKU -Narai-

素朴で力強く、素材感が際立つ。奈良井らしさが宿る8品。

「夏は植物が上に向かって伸び、繁り、実る季節。秋はその方向が逆になり、地中に向かって伸びるイメージ。だからキノコや根菜のように土を感じる素朴さ、力強さが中心になってきます」。

友森氏はそう言いました。

では、全8品の料理を見ていきたいと思います。

一品目「清香」は、信州の伝統野菜・松本一本葱と出汁だけで仕上げたすり流し。出始めである秋のネギの、甘みよりも爽やかな青みのある味わいを上品な出汁でまとめます。「まずは土に潜って行くネギで、物語の始まりを連想させる」という友森氏の狙いです。

続く一品は「暮らし」と名付けられた信州名物のおやきです。その名前は、おやきが長野において、生活の一部というほど一般的だから。その定番の料理に驚きをもたせるため、餡にアカヤマドリというキノコと信州ぎたろう軍鶏のミンチを使用しました。

「ポルチーニのような風味のあるアカヤマドリは洋食ではお宝のような存在。こうしたメニューが生まれるのも、和食の長谷川さんと洋食出身の私が一緒にやるおもしろさです」。

友森氏はそう話しました。

お造りはシナノユキマス。通年手に入る川魚に季節感を出すため、山で採った天然山クルミと柿を使用しました。川魚という定点に、季節の素材で味わいを添える。これもまたシェフの言う「リアルな季節感」のひとつです。

海のない長野県において、鯉は何よりも貴重なタンパク源でした。しかし、交通が発達し、遠方の食材が簡単に手に入るようになると、次第にその文化も失われていきました。今ではお祝いや産前産後の妊婦さんが栄養を摂るために食べる風習が残っている程度。その文化をなくさぬために、魚料理には鯉が登場します。

「地元に人に“え、これが鯉!?”と言わせたい」。友森氏はそう不敵に笑います。

地元で鯉が敬遠されがちな理由は、泥臭さと小骨の多さ。ここに料理人の技が光ります。身は1週間、ペーパーに水分を吸わせながら寝かせることで、水分とともに泥臭さも抜け、透明感ある味わいに変化。さらに小骨は鱧のように骨切りして食べやすくします。これを根菜と合わせて揚げ出しに。友森氏と長谷川氏はこの料理をあえて「伝承」と名付けました。

コースは中盤です。

「里山」と名付けた料理は、その名の通り、友森氏がその日に目にした里山の景色を皿の上で表現したサラダ。長谷川氏の店である『傅』の名物「傅サラダ」をベースに、それぞれの食材に最適な調理を施した上で盛り合わせます。無論、内容は日替わり。この日はホオズキやマイクロキュウリなど、15種の食材が盛り込まれました。

肉料理は友森氏が「秋口がおいしくなってくる」という鴨。松本で育てられるフランス原産のバルバリー鴨を治部煮に仕立てました。全身に血が回るように締めるエトフェという手法がとられる希少なフランス鴨。長野県の懐の深さを改めて感じさせる一品です。

食事は、長谷川氏が得意とする土鍋ごはん。7〜8種類のキノコをソテーし、出汁で炊いたご飯に混ぜて提供する秋らしい料理です。米、水、キノコ、すべてが地元産のため「水脈がつながっているため、味の調和が取りやすい。これは成分だけでは測れない部分」と友森氏。その繊細な感覚に訴える美味こそが、当地で食事を味わう醍醐味なのでしょう。

デザートは洋梨のパイ包み焼き。実は奈良井宿のある塩尻市は10種以上の品種が栽培される洋梨の名産地。季節の移ろいとともに使用する品種を使い分け、秋口の清涼感から晩秋、初冬の濃厚さまで季節の移ろいを感じてもらえるデザートです。

「レストランでは食後に帰宅しますが、ここは宿ですから食べたら部屋に戻るだけ。ボリュームや食後感も含め、やり尽くすことができます」友森氏はコース全体の流れをそう語りました。主食材が際立つ8品の料理それぞれはもちろん、コース全体を俯瞰することで、シェフが伝えたかった物語、この奈良井宿という場所の魅力が浮かび上がります。

ネギのすり流し「清香」と松本一本葱。辛味を抑えつつ、この時期のネギ本来の爽やかな風味を引き出した。

おやき「暮らし」と信州ぎたろう軍鶏、キノコのスープ。軍鶏とキノコをこの地の味噌が結びつける。

お造り「水明」とシナノユキマス。新鮮なシナノユキマスの透明感ある身を、クルミダレと柿のガリという2種の味付けで。

地元の鯉食文化の継承を目指す「伝承」と骨切りした鯉。この時期、味わいを増す里芋やカボチャとともに揚出しに。

野菜やハーブのサラダ「里山」と野菜たち。近隣農家の野菜やハーブを、それぞれに適した味付け、下処理をした上で盛り付けた。

鴨の治部煮「嵓シシ」とバルバリー鴨。旨みが濃縮されたフランス鴨を蕪の出汁や松本一本葱とともに炊いた一品。

土鍋ごはん「饗」とキノコ。水、キノコ、米をすべて地元産で揃えることで、バランスの取れたおいしさを実現。

「Mizu-Gashi」と洋梨。黒文字のシロップでコンポートした洋梨をパイ包みに。パイを使いつつ、洋梨の瑞々しさを残す。

BYAKU -Narai-

シンプルな料理を支えるのは、真摯な生産者の手による食材たち。

友森氏が食材の解説をしてくれる時、必ずそこに「誰々さんの」という冠が付けられていました。そしてまるで友人を自慢するかのように、その人のエピソードも教えてくれるのです。

「松本の笹井酒造の蔵人さんだった人が、突然鴨を育て始めたんです」。

「この一本葱はつむぐ農園のもの。まるで子どもを育てるように、丁寧に育てる方です」といった具合。

なぜこれほどまで、友森氏が地域に溶け込んでいるのでしょう。そのヒントは、視察に訪れた塩尻の自然栽培農園『with earth』で見えてきました。

1000年持続できるライフスタイルを目指し、東京から家族で移住して自然栽培に挑む『with earth』の大塚直剛氏は話します。

「たとえば米。人間の手で植えた米ですが、彼ら自身が生きようとします。その力に雑草たちがOKを出し、米は自然に育っていく。人ができるのは、その環境を整えること」。大塚氏の言葉は時に哲学的で、素人の理解が及ばない範囲にまで及びます。何とか理解しようとする取材陣を横目に、友森氏は言います。

「僕は知識がないから、どうすれば米や野菜がおいしくなるかわかりません。わからないから、飛び込んでいくしかない」。

例えば、大塚氏が「泥の柔らかさは赤ちゃんの肌が理想」と言えば、真っ先に靴を脱いで田んぼに入るのが友森氏。何度も足を運び、顔を合わせ、純粋な疑問を真っ直ぐにぶつける。そうすることで料理人と生産者という垣根がなくなり、いわばひとつのチームとして、良いものを生む好循環ができあがるのです。

友森氏が「相手が長谷川さんだから(シェフ就任の話を)受けたんです」という長谷川氏も同様。東京に店を構えつつ、時間が許す限り生産者の元をめぐる長谷川氏。実際に自分が会って、生産者と互いに納得するまで話すのが長谷川氏のスタイル。地域を大切にする気持ちが根底にあるからこそ、長谷川氏の表現する郷土料理は、単なる上辺の踏襲ではなく、地元の人さえ揺り動かす重厚感があるのでしょう。

シナノユキマスの養殖場『田川浦養魚場』のオーナー・百瀬陽一氏との関係値も同様。湧水を直接引いて、常に流れの中で魚を育てるこの養魚場。流れがあるから薬も使えず、自然に任せる養殖法は「運任せの部分もある」と百瀬氏。出荷まで3〜5年かかり通常の3〜5倍の餌を与えて育てるこの希少なシナノユキマスの養殖場を、友森氏は毎日訪れます。

「シナノユキマスは、この地域の宝物。ただ1日で鮮度が落ちてしまうから、使う分だけ毎日仕入れるしかない」と友森氏。それを横で聞いた百瀬氏は「毎日来る人なんて他にいないけどな」と笑います。そんな言葉にも、商売を超えた信頼関係が垣間見えました。

友森氏は、作った料理は生産者に食べていただくようにしているといいます。それは生産者の方々に、自身のやり方と食材に対して自信と誇りを持ってもらうため。

「あなたの食材にはこういう価値があります、ということをしっかりと伝えたい。そのためには僕自身がある程度の地位にいることが必要」。友森氏はそう語ります。

『with earth』を訪れた友森氏と長谷川氏。大塚氏の理念や情熱に真剣に耳を傾ける。

深い山々が連なる塩尻市。この山を駆け巡るのが友森氏の日課。

大塚氏の米作りは、自然本来の力を引き出す自然農法。都心からの移住者である大塚氏は試行錯誤しながら挑む。

雪解け水が地中で濾過された湧水は地域の財産。米も野菜も魚も肉も、この水によって支えられている。

撮影時は7月、眩しいほどの緑に囲まれていた塩尻も現在は稲穂の黄金色。訪れる度に景色が変わるのも、この地の魅力のひとつ。

湧水が流れ続ける『田川浦養魚場』の養殖池。水温は年間通して13〜15℃という冷たさ。

各地で養殖が試されたシナノユキマスだが、成功したのは一部。完全民間で営まれるのは、この『田川浦養魚場』のみ。

百瀬氏の話を聞く友森氏と長谷川氏。話はシナノユキマスの身質のみならず、餌や飼育方法にまで及んだ。

先代が亡くなり、一度はやめようと思ったという百瀬氏だが全国から要望が届き継続を決意。「水が出る限りやるしかない」と笑った。

BYAKU -Narai-

日々、刻々と移り変わる今を切り取り、食という体験に落とし込む。

「例えば、同じ10月でも、初旬のキノコと下旬のキノコは別物です。そして来年、同じ時期なら同じものがあるかといえば、それも違う。リアルな季節感とは、瞬間的なものです。だからその瞬間を、ストレートに体験していただきたい」。友森氏は言いました。自身の店の合間をぬって繰り返しこの地に足を運ぶ長谷川氏もその気持ちは同じ。食とは体験である。友森氏と長谷川氏がつくり上げた秋のコースからは、そんな思いを強く感じます。

夏、上に向かって伸びる力が秋になると地中に向かう。友森氏が言っていた秋の食材の特徴。さらに冬になると熟成し、滋味深い味わいが加わってくるのだとか。野山をフィールドにする友森氏の実感がこもった言葉に、改めてこの地の自然の美しさが感じられます。

『杉の森酒造』の跡地に生まれた『嵓 kura』では、やがてこの地の水で仕込んだ日本酒も生まれます。その酒樽を横目に見つつ、奈良井の「リアルな季節感」が込められた料理を楽しむ。それは訪れる人の心に長く残り続ける、体験となることでしょう。

フレンチと和食、地元と東京。異なる部分も多いが、地域に対する思いは同じという友森氏と長谷川氏。「ふたりだからこそできることがある」と友森氏。

住所:長野県塩尻市奈良井551 MAP
電話:0264-34-0001
受付時間 : 10:00〜17:00
https://byaku.site

Photographs:SHINJO ARAI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

奈良井宿のリアルな一瞬を切り取り、伝える。「季節感」という言葉に込められた料理人の思い。[BYAKU-Narai-/長野県塩尻市]

BYAKU -Narai-全体のコンセプトは、「リアルな季節感」を伝えること。

奈良井宿の老舗酒蔵『杉の森酒造』を再生して生まれた宿泊施設『BYAKU -Narai-』。その同じ屋根の下に、レストラン『嵓 kura』はあります。塩尻市でレストラン『ラ・メゾン・グルマンディーズ』を営んでいた友森隆司氏をシェフに迎え、『傅』の長谷川在佑氏が監修を担う店。今回はその料理の内容を紐解いてみます。

「リアルな季節感を伝える料理」。

『嵓 kura』の料理長・友森隆司氏に料理のコンセプトを聞くと、即答でそんな答えが返ってきました。

ただの「季節感」ではなく、「リアルな季節感」。それは山の斜面に見える植物であり、風に混じる香りであり、田舎の食卓に上る漬物のこと。秋だからキノコを食べるのではなく、キノコが出てきたから秋を感じるような、自然中心の考え方のこと。

友森氏はこのコンセプトを軸に、料理監修を担う長谷川在佑氏と協議を重ねます。そして導き出した結論。それは奈良井宿の伝統を踏まえつつ、極力シンプルな調理にすること。そしてそのシンプルさのために食材は徹底的に吟味すること。

食材にこだわる。ある意味ありふれた言葉ですが、友森氏の行動は想像の上を行きます。何しろ毎日5時間、車に乗って山を一周回るのですから。それもただ生産者の元で食材を集めて回るだけではありません。ある時は山に踏み込み野草を集め、ある時は畑で直接収穫を手伝い、ある時は長靴に履き替えて水をかき分ける。「厨房よりも野山にいる時間が長いかもしれません」と笑う友森氏ですが、これこそが友森氏。生産者と話す時間も、季節の変化を肌で感じる時間も、すべて『嵓 kura』の料理に生き生きと表現されているのです。

『嵓 kura』のメインホールは、かつて『杉の森酒造』だったころ、蔵として使われていた場所。

『嵓 kura』の対面式カウンター。眼前の窓から緑を望む心地よい席。手前の遺構が当時の面影を残す。

BYAKU -Narai-

素朴で力強く、素材感が際立つ。奈良井らしさが宿る8品。

「夏は植物が上に向かって伸び、繁り、実る季節。秋はその方向が逆になり、地中に向かって伸びるイメージ。だからキノコや根菜のように土を感じる素朴さ、力強さが中心になってきます」。

友森氏はそう言いました。

では、全8品の料理を見ていきたいと思います。

一品目「清香」は、信州の伝統野菜・松本一本葱と出汁だけで仕上げたすり流し。出始めである秋のネギの、甘みよりも爽やかな青みのある味わいを上品な出汁でまとめます。「まずは土に潜って行くネギで、物語の始まりを連想させる」という友森氏の狙いです。

続く一品は「暮らし」と名付けられた信州名物のおやきです。その名前は、おやきが長野において、生活の一部というほど一般的だから。その定番の料理に驚きをもたせるため、餡にアカヤマドリというキノコと信州ぎたろう軍鶏のミンチを使用しました。

「ポルチーニのような風味のあるアカヤマドリは洋食ではお宝のような存在。こうしたメニューが生まれるのも、和食の長谷川さんと洋食出身の私が一緒にやるおもしろさです」。

友森氏はそう話しました。

お造りはシナノユキマス。通年手に入る川魚に季節感を出すため、山で採った天然山クルミと柿を使用しました。川魚という定点に、季節の素材で味わいを添える。これもまたシェフの言う「リアルな季節感」のひとつです。

海のない長野県において、鯉は何よりも貴重なタンパク源でした。しかし、交通が発達し、遠方の食材が簡単に手に入るようになると、次第にその文化も失われていきました。今ではお祝いや産前産後の妊婦さんが栄養を摂るために食べる風習が残っている程度。その文化をなくさぬために、魚料理には鯉が登場します。

「地元に人に“え、これが鯉!?”と言わせたい」。友森氏はそう不敵に笑います。

地元で鯉が敬遠されがちな理由は、泥臭さと小骨の多さ。ここに料理人の技が光ります。身は1週間、ペーパーに水分を吸わせながら寝かせることで、水分とともに泥臭さも抜け、透明感ある味わいに変化。さらに小骨は鱧のように骨切りして食べやすくします。これを根菜と合わせて揚げ出しに。友森氏と長谷川氏はこの料理をあえて「伝承」と名付けました。

コースは中盤です。

「里山」と名付けた料理は、その名の通り、友森氏がその日に目にした里山の景色を皿の上で表現したサラダ。長谷川氏の店である『傅』の名物「傅サラダ」をベースに、それぞれの食材に最適な調理を施した上で盛り合わせます。無論、内容は日替わり。この日はホオズキやマイクロキュウリなど、15種の食材が盛り込まれました。

肉料理は友森氏が「秋口がおいしくなってくる」という鴨。松本で育てられるフランス原産のバルバリー鴨を治部煮に仕立てました。全身に血が回るように締めるエトフェという手法がとられる希少なフランス鴨。長野県の懐の深さを改めて感じさせる一品です。

食事は、長谷川氏が得意とする土鍋ごはん。7〜8種類のキノコをソテーし、出汁で炊いたご飯に混ぜて提供する秋らしい料理です。米、水、キノコ、すべてが地元産のため「水脈がつながっているため、味の調和が取りやすい。これは成分だけでは測れない部分」と友森氏。その繊細な感覚に訴える美味こそが、当地で食事を味わう醍醐味なのでしょう。

デザートは洋梨のパイ包み焼き。実は奈良井宿のある塩尻市は10種以上の品種が栽培される洋梨の名産地。季節の移ろいとともに使用する品種を使い分け、秋口の清涼感から晩秋、初冬の濃厚さまで季節の移ろいを感じてもらえるデザートです。

「レストランでは食後に帰宅しますが、ここは宿ですから食べたら部屋に戻るだけ。ボリュームや食後感も含め、やり尽くすことができます」友森氏はコース全体の流れをそう語りました。主食材が際立つ8品の料理それぞれはもちろん、コース全体を俯瞰することで、シェフが伝えたかった物語、この奈良井宿という場所の魅力が浮かび上がります。

ネギのすり流し「清香」と松本一本葱。辛味を抑えつつ、この時期のネギ本来の爽やかな風味を引き出した。

おやき「暮らし」と信州ぎたろう軍鶏、キノコのスープ。軍鶏とキノコをこの地の味噌が結びつける。

お造り「水明」とシナノユキマス。新鮮なシナノユキマスの透明感ある身を、クルミダレと柿のガリという2種の味付けで。

地元の鯉食文化の継承を目指す「伝承」と骨切りした鯉。この時期、味わいを増す里芋やカボチャとともに揚出しに。

野菜やハーブのサラダ「里山」と野菜たち。近隣農家の野菜やハーブを、それぞれに適した味付け、下処理をした上で盛り付けた。

鴨の治部煮「嵓シシ」とバルバリー鴨。旨みが濃縮されたフランス鴨を蕪の出汁や松本一本葱とともに炊いた一品。

土鍋ごはん「饗」とキノコ。水、キノコ、米をすべて地元産で揃えることで、バランスの取れたおいしさを実現。

「Mizu-Gashi」と洋梨。黒文字のシロップでコンポートした洋梨をパイ包みに。パイを使いつつ、洋梨の瑞々しさを残す。

BYAKU -Narai-

シンプルな料理を支えるのは、真摯な生産者の手による食材たち。

友森氏が食材の解説をしてくれる時、必ずそこに「誰々さんの」という冠が付けられていました。そしてまるで友人を自慢するかのように、その人のエピソードも教えてくれるのです。

「松本の笹井酒造の蔵人さんだった人が、突然鴨を育て始めたんです」。

「この一本葱はつむぐ農園のもの。まるで子どもを育てるように、丁寧に育てる方です」といった具合。

なぜこれほどまで、友森氏が地域に溶け込んでいるのでしょう。そのヒントは、視察に訪れた塩尻の自然栽培農園『with earth』で見えてきました。

1000年持続できるライフスタイルを目指し、東京から家族で移住して自然栽培に挑む『with earth』の大塚直剛氏は話します。

「たとえば米。人間の手で植えた米ですが、彼ら自身が生きようとします。その力に雑草たちがOKを出し、米は自然に育っていく。人ができるのは、その環境を整えること」。大塚氏の言葉は時に哲学的で、素人の理解が及ばない範囲にまで及びます。何とか理解しようとする取材陣を横目に、友森氏は言います。

「僕は知識がないから、どうすれば米や野菜がおいしくなるかわかりません。わからないから、飛び込んでいくしかない」。

例えば、大塚氏が「泥の柔らかさは赤ちゃんの肌が理想」と言えば、真っ先に靴を脱いで田んぼに入るのが友森氏。何度も足を運び、顔を合わせ、純粋な疑問を真っ直ぐにぶつける。そうすることで料理人と生産者という垣根がなくなり、いわばひとつのチームとして、良いものを生む好循環ができあがるのです。

友森氏が「相手が長谷川さんだから(シェフ就任の話を)受けたんです」という長谷川氏も同様。東京に店を構えつつ、時間が許す限り生産者の元をめぐる長谷川氏。実際に自分が会って、生産者と互いに納得するまで話すのが長谷川氏のスタイル。地域を大切にする気持ちが根底にあるからこそ、長谷川氏の表現する郷土料理は、単なる上辺の踏襲ではなく、地元の人さえ揺り動かす重厚感があるのでしょう。

シナノユキマスの養殖場『田川浦養魚場』のオーナー・百瀬陽一氏との関係値も同様。湧水を直接引いて、常に流れの中で魚を育てるこの養魚場。流れがあるから薬も使えず、自然に任せる養殖法は「運任せの部分もある」と百瀬氏。出荷まで3〜5年かかり通常の3〜5倍の餌を与えて育てるこの希少なシナノユキマスの養殖場を、友森氏は毎日訪れます。

「シナノユキマスは、この地域の宝物。ただ1日で鮮度が落ちてしまうから、使う分だけ毎日仕入れるしかない」と友森氏。それを横で聞いた百瀬氏は「毎日来る人なんて他にいないけどな」と笑います。そんな言葉にも、商売を超えた信頼関係が垣間見えました。

友森氏は、作った料理は生産者に食べていただくようにしているといいます。それは生産者の方々に、自身のやり方と食材に対して自信と誇りを持ってもらうため。

「あなたの食材にはこういう価値があります、ということをしっかりと伝えたい。そのためには僕自身がある程度の地位にいることが必要」。友森氏はそう語ります。

『with earth』を訪れた友森氏と長谷川氏。大塚氏の理念や情熱に真剣に耳を傾ける。

深い山々が連なる塩尻市。この山を駆け巡るのが友森氏の日課。

大塚氏の米作りは、自然本来の力を引き出す自然農法。都心からの移住者である大塚氏は試行錯誤しながら挑む。

雪解け水が地中で濾過された湧水は地域の財産。米も野菜も魚も肉も、この水によって支えられている。

撮影時は7月、眩しいほどの緑に囲まれていた塩尻も現在は稲穂の黄金色。訪れる度に景色が変わるのも、この地の魅力のひとつ。

湧水が流れ続ける『田川浦養魚場』の養殖池。水温は年間通して13〜15℃という冷たさ。

各地で養殖が試されたシナノユキマスだが、成功したのは一部。完全民間で営まれるのは、この『田川浦養魚場』のみ。

百瀬氏の話を聞く友森氏と長谷川氏。話はシナノユキマスの身質のみならず、餌や飼育方法にまで及んだ。

先代が亡くなり、一度はやめようと思ったという百瀬氏だが全国から要望が届き継続を決意。「水が出る限りやるしかない」と笑った。

BYAKU -Narai-

日々、刻々と移り変わる今を切り取り、食という体験に落とし込む。

「例えば、同じ10月でも、初旬のキノコと下旬のキノコは別物です。そして来年、同じ時期なら同じものがあるかといえば、それも違う。リアルな季節感とは、瞬間的なものです。だからその瞬間を、ストレートに体験していただきたい」。友森氏は言いました。自身の店の合間をぬって繰り返しこの地に足を運ぶ長谷川氏もその気持ちは同じ。食とは体験である。友森氏と長谷川氏がつくり上げた秋のコースからは、そんな思いを強く感じます。

夏、上に向かって伸びる力が秋になると地中に向かう。友森氏が言っていた秋の食材の特徴。さらに冬になると熟成し、滋味深い味わいが加わってくるのだとか。野山をフィールドにする友森氏の実感がこもった言葉に、改めてこの地の自然の美しさが感じられます。

『杉の森酒造』の跡地に生まれた『嵓 kura』では、やがてこの地の水で仕込んだ日本酒も生まれます。その酒樽を横目に見つつ、奈良井の「リアルな季節感」が込められた料理を楽しむ。それは訪れる人の心に長く残り続ける、体験となることでしょう。

フレンチと和食、地元と東京。異なる部分も多いが、地域に対する思いは同じという友森氏と長谷川氏。「ふたりだからこそできることがある」と友森氏。

住所:長野県塩尻市奈良井551 MAP
電話:0264-34-0001
受付時間 : 10:00〜17:00
https://byaku.site

Photographs:SHINJO ARAI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

コロナ禍でも攻め続け、木下威征であり続ける。そこに待ち受ける未来とは!?[Grand Bleu Gamin/沖縄県宮古島市]

グランブルーギャマンいつか宮古島へ。スタッフと交わした7年来の約束を実現。

実は宮古島に『Grand Bleu Gamin』というオーベルジュを出すに至ったのにはひとつのエピソードがあります。

あるとき、仕事で宮古島を訪れた木下氏は、帰京すると、宮古島の素晴らしさをスタッフに伝えます。
「こんなきれいなところあるんですか?」「いつか行ってみたいっすね」
写真を見せながら、宮古島の魅力を伝えると、当然スタッフは興奮しました。
しかし、その一方で「自分たちの給料じゃ全然いけないな~」との声もあがったそうです。
それに対し木下氏は、「じゃあ、今年の目標は宮古島に行くことにしよう。売上を上げてみんなで社員旅行で行こう!」と約束したといいます。
その場ではスタッフも喜ぶものの、みんなどこか半信半疑であったのも事実でした。

ただ、それを木下氏は話半分にすることはしませんでした。
「絶対にこいつらを信じさせてみせよう」
スタッフとともに必死に働き、店舗だけの利益では宮古島旅行はできないと見るや、休み返上で他の仕事もこなし、講演をこなしたり……。なんとか社員旅行の経費を捻出、念願の宮古島にこぎつけるのです。ただ木下物語はここで終わりません。

宮古島でのバカンスを楽しんだチーム木下のスタッフは「いつかこんなところで働いてみたい」という思いを抱くようになります。そして、木下氏はその場でスタッフにこう約束するのです。
「よし、だったら次の目標は、この宮古島に店を出すことな!」

それから7年。2020年2月、宮古島にオープンしたのが『Grand Bleu Gamin』なのです。

2020年2月にオープン。まさにコロナがじわじわと世界中に蔓延し始めたタイミングでの開業となった。

ディナーは『Grand Bleu Gamin』の真骨頂ともいえる鉄板焼のカウンターで。木下氏がカウンターに立てばそこは劇場と化す。

グランブルーギャマンコロナ禍も連日、満席、満室。攻めの姿勢が新たな客層を呼ぶ。

『ONESTORY』は今回の記事を制作するにあたり、コロナ禍をまたいだことで2度の取材を敢行しています。一度目は2020年2月のオープン直前、二度目は2020年12月。誰もが予想しなかった新型コロナウイルスが、観光産業に支えられる宮古島に与えた影響は小さいはずがありませんでした。しかし、木下威征がとった行動は、経営者として見事なものでした。

木下氏は4月からまずキャッシュの確保に奔走します。
「役員報酬は減らして、若手にはいままで通り、給料は全額支給する。なんとか2年間は耐えられる金額を集めました」
そのうえでもちろんスタッフを危険にさらすことはできません。2020年4〜5月は東京の店を閉め、満席が続いた宮古島だけ営業を続ける形に。

しかし、ふたを開ければ、コロナ禍で始めたYouTubeの料理教室も人が集まり、もともと通販を行なっていたノウハウをいかして、料理セットを販売するとこちらも好調。2店舗分くらいの収益を得たことで、借りたお金には一切手をつけず今まで来ることができたといいます。
さらに、このコロナ禍で、一番の想定外だったのが満席の続く店の客層でした。オープン当初は東京をはじめ県外から訪れるゲストがほとんどでしたが、コロナ禍では県外の客が5割、残り5割は島内の人々という比率に。
「YouTubeで強気にも課金性の料理教室をやったら、それでも人が集まってくれた。そこで繋がった人たちが宮古島に泊まりにきてくれたり、食事にきてくれたり。地元の人にとっても、いままで島内にこんなレストランがなかったから、特別な時間を過ごすのにきていただけるんです」

さらに、木下氏の攻めの姿勢は、コロナ禍で「新たに20人のスタッフを雇った」ということにも現れます。
「この状況だからもちろん閉めざるを得なくなったレストランも多い。そんななかで働き口を失った料理人たちが僕のところにやってくるんです。本来なら、どこも人を新たに雇える余裕なんかない。でも、知人から『木下さんのところならなんとかしてくれるかも』という話を聞いて助けを求めにやってくる人もいる。自分は面接をしたら基本的にみんな採用するんです。飲食業が大変ななか、仕事がなくなり、それでもうちにお願いしにくるということは、そいつは料理が好きでなんです。お客さんを喜ばせるこの仕事が好きだから頭を下げてやってくると思っている。『じゃあ、その好きな気持ちを、お客さんを喜ばせたいという思いを一緒にカタチにしていこうじゃないか』と。それだけなんです」

コロナでも攻め続けた木下氏。キャッシュを確保し、役員は減俸にしたうえで若手スタッフにはいままで通り全額支給を続けた。

レストラン2Fにあるバースペース。『Grand Bleu Gamin』で働くスタッフひとりひとりに木下イズムが浸透している。

グランブルーギャマン宮古島の開発エリアにプロデュース店オープン。さらには……。

そんな攻めの姿勢を続ける木下氏には新たな展開も待ち受けていました。いまとある企業から宮古島の新たな開発施設の目玉となるテナントプロデュースの仕事が舞い込んでいます。
これも実は木下氏の誠実な性格があってこそ実現したもの。

というのは、別業界で財を成した、とある企業の会長が飲食店展開に興味を持ち、木下氏に話しを持ちかけます。その会長とは、以前に別店舗のメニュー開発で関わりをもっていた木下氏は、新規飲食店の展開に対しこう助言します。
「会長、飲食は儲からないですよ。会長がやってきた業界との利益率とは桁がひとつ違います。絶対に止めたほうがいいですよ」
すると、その会長はこうきっぱりと返すのです。
「木下君ね、だからこそ、僕は君とやりたいんだ。いままで、こんな話をいろんなやつらにしてきたけど、全員うまいこといって、お金だけ釣り上げ、ちょろまかして消えていった。『儲からないからやめた方がいい』といってくれたのは君だけだ」

偶然にもそのときに、宮古島の新たな開発施設の目玉となるテナント運営の話を持ちかけられていた木下氏。しかし、そこを開くには数千万円単位のお金がかかる。そんなことを会長に告げると、「よし、じゃあ、それをやろう。運営はうちがやるから、木下くんはプロデュースをしてくれ」というのです。
それが、今後オープンする予定の『トリプルG』という名のカフェ。『Grand Bleu Gamin』に続く宮古島の第二章はすでに始まっているのです。

それだけではありません。極めつけは、2023年にフランスの南西、スペインとの国境にほど近いビアリッツという海沿いの街に店を出す予定もあります。
「留学時代、アジア人としてバカにされ、悔しい想いをしながらも料理の素晴らしさを教えてもらったフランス。そこで“日本”を売りにいくんです。メイド・イン・ジャパンの皿で、メイド・イン・ジャパンのお箸で、メイド・イン・ジャパンの食材で、フランス料理を表現する。そんな店です」

コロナ禍で飲食業界が悲鳴を上げるなか、こうして常に攻めの姿勢を続ける木下氏。それは無理をしているでもなく、背伸びをしているのでもありません。熱く、優しく、何事にも真っ直ぐに、真摯に向き合ってきた木下氏だからこそのいまであり、これからの物語も必然として紡がれていくのでしょう。

『Grand Bleu Gamin』のアイコン的に建物の目の前に停まるギャマン号。次に木下氏が目指す場所とは?

『Grand Bleu Gamin』の名は、伝説のダイバー、ジャック・マイヨールの生涯を追った映画『グラン・ブルー』に由来。

グランブルーギャマン宮古島でも受け継がれる、温かさに満ちた木下イズム。

実は、2度目の取材の前日、木下氏がいないことを知りながら、『ONESTORY』取材班は『Grand Bleu Gamin』をふと訪れました。すると、スタッフのひとりがわれわれを、温かくもてなしてくれるのです。旅行かばんも持っていませんから、われわれが宿泊客でないことは一目瞭然です。
しかし、そのスタッフはレストランやバーを丁寧に案内してくれて、『Grand Bleu Gamin』のパンフレットを見せてくれながら、真面目に、そして楽しそうに話をしてくれるのです。

翌日の取材でそのことを伝えると、木下氏はこういうのです。
「それは、みんなが『雇われ』という気持ちがないからだと思うんです。ひとりひとりが自分たちのホテル、自分たちのグループ、自分たちのゲストと思っている。全員がそういう捉え方をしてくれているんです。だからこそ来てくれた方には、全力でもてなしをしてくれる」
そんな言葉を聞いて改めて確信しました。これこそが木下威征という料理人の魅力なのだと。そのぶれない人間力のような、どっしりとした幹があるから、そこから多くの枝が伸び、葉が茂り、実がなっていくのだ、と。その木の隅々には当然、木下イズムが行き渡っています。
料理人である前に、サービスマンである前に、ひとりの人間であること。
そして、そこには温かさがないといけないということ。
木下威征という人間のまわりには、そんなの温かさが満ちていました。

キラキラと目を輝かせ、どこまでも真面目にまっすぐに。そんな人間としての魅力が、木下氏のまわりに人を呼び寄せる。

住所:沖縄県宮古島市平良字荷川取1064-1 MAP
電話:0980-74-2511
https://www.grand-bleu-gamin.com/

料理、空間、ディテールにまで落とし込まれた、ゲストを喜ばせたい思い。[Grand Bleu Gamin/沖縄県宮古島市]

グランブルーギャマンディテールの積み重ねが、日常からゲストを開放する。

『Grand Bleu Gamin』のオーベルジュという立ち位置を考えれば、もちろん宿としてのハードの説明が必要でしょう。
『Grand Bleu Gamin』があるのは宮古島の北部、大浦湾にほど近い海沿いにあります。畑と緑に囲まれ、生い茂った木々を抜けた先には、宮古ブルーの海が広がるプライベートビーチ。
南仏にあるような白亜の館を思わせる建物は、ワンフロアで構成されたスーペリアスイート、メゾネットタイプのデラックススイート、リビングと独立した2ベッドルームを備えたプレミアムスイートの3タイプ全5室で構成されています。そのすべての部屋にプライベートプールを備えるという贅沢な空間で、世界各地から厳選した最高級の麻を100%使うベッドリネン、ハンガリーホワイトダックのダウン85%、フェザー15%という2枚合わせの羽毛布団、ルームウェアには『JAMES PERSE』のパーカーとTシャツ 、パンツを用意。それだけではなく、無垢のピーチ材を使ったハンガーやブラシは、浅草橋にあるインテリア雑貨ブランド『clokee』とのダブルネーム……。
そうしたちょっとしたディテールに「ゲストを喜ばせたい」との心遣いが形となって表現されているのです。
「日常の喧騒を忘れてゆっくりと流れる島の時間に身を委ねてもらいたい」
そのコンセプトは、言葉にすれば簡単なことですが、小さなことの積み重ねのひとつひとつが、ゲストを日常から乖離させているのです。

ベッドリネンは、最上級麻を、羽毛布団はホワイトダックダウンとフェザーをかけ合わせ、睡眠の質を追求。

滞在時間をよりくつろいでもらうべく、ルームウェアにもこだわった。パーカー、パンツ、Tシャツスタイルがリラックスさせる。

ポーチも歯ブラシセットも『Grand Bleu Gamin』のロゴ入りオリジナル。こうした小さなこだわりが嬉しい。

グランブルーギャマン食材に乏しい宮古島。そのなかで宮古島バージョンにアップデート。

そして、『Grand Bleu Gamin』のハイライトとなるのが、もちろん食事の時間でしょう。その舞台は、『AU GAMIN DE TOKIO』のスタイルを踏襲したオープンキッチンのカウンターです。
ここで登場するのも当然、フレンチをベースとした鉄板料理で、そこには木下氏の「ゲストに喜んでほしい」という遊び心と、もてなしの心が詰まっています。

たとえば、『AU GAMIN DE TOKIO』でも出しているメニュー「サイフォントマトラーメン」。それを進化させた宮古島バージョンでは、カリカリに焼いて粉砕した宮古島産の車海老を鰹節とともにサイフォンに入れ出汁を抽出。カペッリーニと合わせ、島とうがらしを使って仕込んだ自家製ラー油を加えアクセントにしています。

一方で、木下氏のスペシャリテでもある「とうもろこしのムースと生うに」でも宮古島らしさを演出します。チップになるまで焼いて焦がす宮古島産の玉ねぎを練り込んだクッキーを添え、『Grand Bleu Gamin』仕立てへとアップデートしているのです。
「四季がない宮古島ではどうしても食材が限られています。皮肉にも一番観光客が集まるシーズンが、一番食材に乏しい。その中でいかに工夫してゲストに喜んでもらうか」
その言葉は、まさに木下氏が修業時代、三谷氏や福島氏から学んだ精神なのではないでしょうか。

木下威征といえばこれ。スペシャリテ「とうもろこしのムースと生うに」。ムースと生うにの絶妙なハーモニー。

すぐ近くにあるビーチの貝や砂をあしらった「イカともずくのアロエ和え-みょうがと大葉の薬味とともに-」。

サイフォンで出汁をとる。この一手間もまたカウンターのライブ感となってゲストを喜ばせるのだ。

グランブルーギャマンなければつくるまで。食材探しに奔走し、築いた生産者との信頼関係。

とはいえ、宮古島で料理をつくるのであれば、できるだけ島内の食材を使いたいのは当然です。しかし、それが一朝一夕でできるものでもありません。
「宮古島で食材を仕入れるとなると料理人が行き着くのは、やっぱり『あたらす市場』か『島の駅』になるんです。ただ、そうなると『この食材もどこかで見たことがある』『この食材はほかで食べたことがある』となってしまう。宮古島で他にはない何か特別なものを使うとなると、やり方も考えないといけなかった」と木下氏はいいます。

木下氏は『Grand Bleu Gamin』をオープンする1年前から宮古島を訪問し、食材探しに奔走、そこである答えに行き着きます。
「ないのなら、生産者から育てていくしかない」
オープンまでの間、木下氏は宮古島にある農園の住所を調べ、片っ端から生産者のもとを訪ね歩きました。
「『わたくし木下と申しますが、1年後、宮古島でお店を開きます。市場に出る前の食材をあなたにつくってもらいたいのです。一緒にやっていただけませんか?』とお願いしてまわりました」
ただ、宮古島ですでに栽培されている既存の食材をつくってもらうのではありません。生産者には、まだ宮古島ではつくられていない野菜を栽培してもらおうというのです。
「ルッコラやプンタレッラももともとは宮古島にはなかった食材でしたが、種を渡してつくってもらったんです。漁師にも魚を釣ったらバンバン甲板に投げるのでなく、『めんどくさいけど釣ったら一度神経締めにして、血抜きしたやつをクラッシュアイスにいれて、うちのだけでもいいから、このサイズがとれたら処理してまわしてほしい』とお願いしてまわりました」といいます。
それだけでなく、マンゴーやドラゴンフルーツなどをつくっている生産者には間引いていらなくなった果物を譲ってもらったり、宮古島では豆腐しか食べる習慣がないので、島豆腐の生産者には湯葉をいただいたり……。そうして、宮古島らしさを打ち出すために木下氏は準備をしてきました。

車海老の頭と鰹節を使いサイフォンでとった出汁にカペッリーニを合わせた「車海老のサイフォンスープ」。

マンゴー農家から仕入れるマンゴー。完熟を冷凍してデザートなどに使う。

マンゴーの生産者。カフェも営み、そこで出されるマンゴーカレーは、木下氏絶賛の一品。

グランブルーギャマンかつての常連の言葉が今に重なる。木下威征らしさを追求する。

そんな具合に生産者を含めてここ宮古島でチームをつくってきた一方で、料理についてはまだまだ進化の途中とも木下氏はいいます。
「今回お出ししている料理も、まだまだ自分らしくないと思っているんです。ここが開業するまで、ああでもない、こうでもないと思って、1年間スタッフとともに話をしてやってきたんですが、もっとライブ感があっていいと思っています。お客様に高いお金を出して来ていただく以上、『待たしてはいけない』とか『洗練された料理を出さないといけない』という思いが強くなるのは当然。でも、どこか縮こまっている。僕らしくないと自分では、感じているんです」

昔、『深夜食堂はなれ』という店をつくり、木下氏が和食に挑戦したときのこと。木下氏をよく知る常連客にこう評されたことがあったそうです。
「料理は素晴らしかったよ、素晴らしかったけど、おまえらしくないんだよね。『木下が和食をつくる』っていうから来てみたけど、あの料理だったらオレ、赤坂の料亭に行くよ。手が込みすぎていて、綺麗すぎて、いざ来てみたら全部仕込まれていて、後は盛り付けるだけの状態の料理だとは思わなかった。おまえなら、カウンターの目の前で最高級の明太子を串に打って、炭火でジリジリと炙って、『いまだ!』というタイミングで土鍋に落とし、『これがオレの最高の和食ですっ!』と来ると思っていた。そういうことを平気でやるやつだと思っていたから」

その言葉が木下氏を改めさせ、その後『深夜食堂はなれ』はコースをやめ、アラカルト中心で勝負するようになったそうです。それは、まさにいまの『Grand Bleu Gamin』にも重なっている。木下氏はそう感じているのです。
だからこそ、食材にも本気で向き合う。その日揃った食材を見て何をつくるか。そのくらいのライブ感があってこそ、木下威征なのではないかと自問自答するのです。

2回の取材を通して分かったこと。それは、木下氏とは逆境にこそ真価を発揮するシェフであり、その真価がさらなる進化へと繋がっていくことでした。
『オー・バカナル』時代のまかない事件の時も、それがきっかけでシェフの右腕に。福島氏との深夜のまかないセッションは、木下氏の真骨頂となるライブ感あふれる料理の礎になりました。そして、コロナ禍では、経営者として先頭に立ち、数手先をみこした行動でスタッフを守り、会社としては攻めの姿勢を崩しませんでした。
その結果、チーム木下の結束力は増し、木下イズムはより浸透したことは言うまでもありません。そして、それらが、空間、ファシリティ、料理、もてなしといった、何気ないすべてに散りばめられていることこそ、『Grand Bleu Gamin』の魅力なのです。

木下らしさとは何か? 今一度、宮古島でそれを追求する。もちろん、行き着く所はゲストを喜ばせることだ。

住所:沖縄県宮古島市平良字荷川取1064-1 MAP
電話:0980-74-2511
https://www.grand-bleu-gamin.com/

強く、優しく、熱い。木下威征という男の半生が、宮古島のオーベルジュの魅力を描き出す。[Grand Bleu Gamin/沖縄県宮古島市]

グランブルーギャマンOVERVIEW

1990年代に美食家の話題を集めた『MAURESQUE(モレスク)』のシェフを務め、独立した『AU GAMIN DE TOKIO』では鉄板フレンチとして一斉を風靡したシェフ・木下威征(たけまさ)氏。料理人として幅広く活躍する一方で、東京では『TRATTORIA MODE』『深夜食堂はなれ』を展開するなど、GAMINグループのオーナーとして店舗経営にも手腕をみせています。

そんな木下氏が次なる一手を打ったのが、2020年のこと。新たに選んだ場所は、東京ではなく観光バブル絶頂の宮古島でした。しかも、宮古島北部の大浦湾近くに土地を購入し、業種もレストランではなく、オーベルジュだというのです。

そう書けば、手広くやっている、ビジネスライクなシェフというイメージを描くかもしれません。しかし、実際の木下威征という料理人、木下威征という男は、その真逆にいく人間です。
人情に厚く、人に優しく、負けず嫌いで、自分のなかの正義に真っ直ぐに突き進む。一言で表現するなら、温かな料理人であり、人間です。
そのことは、これまで木下氏が紡いできた数々のストーリーが証明してくれます。

1度目の取材は2020年2月。4月に控えていた記事公開は、コロナ感染者の増加、緊急事態宣言の発令を受け見送りに。その後も未知なるウイルスとの向き合い方に多くの人が不安を抱えるなか、『ONESTORY』は記事公開の時期を模索していました。そして、そのコロナがやや落ち着きを見せた2020年12月、当時の状況をうかがうべく再取材したものの、その後にまたコロナ感染者が増加。容易に公開に踏み切れない状況は続きました。
それからおよそ10ヶ月、機を見計らっていた『ONESTORY』は、今しかないという決断を下し、この記事を公開します。

オープンからおよそ2年。『Grand Bleu Gamin』とはどんなオーベルジュなのか。それを紐とくにはオーナーである木下威征氏というシェフがどんな人間かを知る必要があります。
フランスでの修業時代、『オー・バカナル』『MAURESQUE』『AU GAMIN DE TOKIO』。木下威征が歩んできた道のりが、『Grand Bleu Gamin』の魅力を教えてくれました。

これは単なるオーベルジュの紹介記事には当てはまらないかもしれません。ここにあるのは木下威征というひとりの人間の物語。しかし、それこそが『Grand Bleu Gamin』というオーベルジュの魅力を顕にするのです。

住所:沖縄県宮古島市平良字荷川取1064-1 MAP
電話:0980-74-2511
https://www.grand-bleu-gamin.com/

強く、優しく、熱い。木下威征という男の半生が、宮古島のオーベルジュの魅力を描き出す。[Grand Bleu Gamin/沖縄県宮古島市]

グランブルーギャマンOVERVIEW

1990年代に美食家の話題を集めた『MAURESQUE(モレスク)』のシェフを務め、独立した『AU GAMIN DE TOKIO』では鉄板フレンチとして一斉を風靡したシェフ・木下威征(たけまさ)氏。料理人として幅広く活躍する一方で、東京では『TRATTORIA MODE』『深夜食堂はなれ』を展開するなど、GAMINグループのオーナーとして店舗経営にも手腕をみせています。

そんな木下氏が次なる一手を打ったのが、2020年のこと。新たに選んだ場所は、東京ではなく観光バブル絶頂の宮古島でした。しかも、宮古島北部の大浦湾近くに土地を購入し、業種もレストランではなく、オーベルジュだというのです。

そう書けば、手広くやっている、ビジネスライクなシェフというイメージを描くかもしれません。しかし、実際の木下威征という料理人、木下威征という男は、その真逆にいく人間です。
人情に厚く、人に優しく、負けず嫌いで、自分のなかの正義に真っ直ぐに突き進む。一言で表現するなら、温かな料理人であり、人間です。
そのことは、これまで木下氏が紡いできた数々のストーリーが証明してくれます。

1度目の取材は2020年2月。4月に控えていた記事公開は、コロナ感染者の増加、緊急事態宣言の発令を受け見送りに。その後も未知なるウイルスとの向き合い方に多くの人が不安を抱えるなか、『ONESTORY』は記事公開の時期を模索していました。そして、そのコロナがやや落ち着きを見せた2020年12月、当時の状況をうかがうべく再取材したものの、その後にまたコロナ感染者が増加。容易に公開に踏み切れない状況は続きました。
それからおよそ10ヶ月、機を見計らっていた『ONESTORY』は、今しかないという決断を下し、この記事を公開します。

オープンからおよそ2年。『Grand Bleu Gamin』とはどんなオーベルジュなのか。それを紐とくにはオーナーである木下威征氏というシェフがどんな人間かを知る必要があります。
フランスでの修業時代、『オー・バカナル』『MAURESQUE』『AU GAMIN DE TOKIO』。木下威征が歩んできた道のりが、『Grand Bleu Gamin』の魅力を教えてくれました。

これは単なるオーベルジュの紹介記事には当てはまらないかもしれません。ここにあるのは木下威征というひとりの人間の物語。しかし、それこそが『Grand Bleu Gamin』というオーベルジュの魅力を顕にするのです。

住所:沖縄県宮古島市平良字荷川取1064-1 MAP
電話:0980-74-2511
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いまも変わらない。強くて、優しくて、義理人情に厚い木下威征という男の原点。[Grand Bleu Gamin/沖縄県宮古島市]

グランブルーギャマン伝説的レストラン『オー・バカナル』でのまかない事件。

木下威征という男の半生を描けば、ここには書ききれないほどの物語に溢れています。
札付きのワルだった学生時代。悲しい思いをさせてしまった母親に対して変わった自分を見せようと邁進した調理師専門学校では、料理の知識がまったくなく入学したにもかかわらず、料理学校の東大といわれる調理学校を首席で卒業。フランス語がしゃべれないなか孤軍奮闘したフランス留学も木下氏に大きな影響を与えたのは間違いありません……。
そんななか木下氏の礎を築いたといってもいいのが、かの『オー・バカナル』でした。
『オー・バカナル』といえば、当時一世を風靡したレストラン。ブラッスリー、カフェ、ブーランジェリーが一体となり、料理はもちろん空気感、文化までもフランスそのものを再現したようなレストランで、閉店時(現在は他資本の経営で営業)にはテレビの生中継が入るほど、その人気は凄まじいものでした。

1995年、木下氏はそんな伝説的なレストラン『オー・バカナル』のオープンニングスタッフとして働き始めました。料理長を務めていたのは、今はなき『レスプリ ミタニ ア ゲタリ』の故・三谷青吾氏。当時21歳、スタッフ最年少の木下氏は、そこで70人ほどいる従業員のまかないを毎日のようにひとりつくっていたそうです。そこで木下氏が次の道を切り開く出来事が起こります。
当時、まかないはレストランの地下にあるパーティルームに用意していたそうで、トップの三谷氏から順にまかないを食べにいきます。すると、その地下からブザーが鳴り、こう言われるのです。
「おー、今日のまかないつくったやつ誰だ? こんなクソまずい料理つくりやがって」

それも、ある意味当然のことでした。他の先輩たちから頼まれる多くの雑用をこなしながら、調理に割く時間がない状況でまかないを仕込んでいたのですから。
木下氏も「与えられるのは30分くらい。その時間で美味しい料理なんてつくれるわけないだろと思っていた」と当時を振り返ります。

そして、ある時、木下氏は三谷氏から決定的なダメ出しを受けるのです。
「おまえの料理には愛情を感じない。人を喜ばせようとしている料理には思えない。今日のまかないはいらない、外で飯食ってくる」
「それが悔しくて、悔しくて……」とその一言が木下氏に火をつけることになるのでした。

『オー・バカナル』オープン当初は一番の下っ端。木下氏はまかないづくりで、自らの地位を確立していく

『オー・バカナル』で供されたのはいわゆるビストロ料理。そこで学んだ技術、精神は、木下氏の原点になっている。

グランブルーギャマン30分ちょっとで70名分のまかないづくり。どうやって美味しく?

そこで木下氏がとった行動が、マネージャーに店の鍵を借りること。当然、マネージャーには「お前、何やるつもりなんだよ」と詰め寄られます。
「毎日毎日、『まかないがまずい』って言われてムカつくんすよ。オレだって時間さえあればうまいもんつくれるんすよ。30分で70人前つくるなんて無理っす」
木下氏がそう迫ると、マネージャーは「やっとお前みたいなやつが出てきたか」と笑って鍵を預けてくれたそうです。

木下氏はレストランの営業が終わり、従業員が帰った後の深夜2時に再び店に向かいます。そこで翌日の70人分のまかないを仕込み始めるのです。
午前4時過ぎ、鍵を貸してくれたマネージャーが、店にやってきました。自宅でご飯を炊き、木下氏を鼓舞しようと大きなおにぎりを差し入れにきてくれたのです。
「木下な、いまのお前の気持ち忘れなんよ。見てくれる人は見てるからな。明日のまかない楽しみにしているよ」
そんな言葉とおにぎりだけを残し、そのマネージャーは帰っていったそうです。
木下氏は「この人を喜ばせるためにも、明日は美味しいまかないをつくろう」と改めて決心します。

翌日、ランチ営業後のまかないの時間。テーブルにずらりと並べた料理を、シェフの三谷氏から順に食べていきます。すると、いつものように地下のパーティルームからブザーが鳴りました。
「おー、今日のまかないつくったやつ誰だ?」
木下氏は「なんか、やっちまったかな?」と思ったそうです。
ところが、です。三谷氏は木下氏の目の前まで来て、深々と頭を下げてこう告げました。
「うまかった~、ごちそうさま! こういうまかないだったら、毎日食いたいな」

こうしてまかないづくりで名をあげた木下氏は、三谷氏の右腕として働くようになるのです。
単に負けず嫌いなだけではない。そこには人を喜ばせるためにどこまでも真面目である木下威征という男の芯の部分がありました。

語りきれないほどのエピソードは、それだけ木下氏が一瞬、一瞬に妥協なく人生に向き合ってきた証拠でもある。

『Grand Bleu Gamin』から木々の間を抜けていくと、その先にはプライベートビーチが待ち受けている。

グランブルーギャマンレストランプロデューサー・福島直樹氏とのまかないセッション

しかし、このまかないの物語には続きがあります。
三谷氏に認められるようになり、一番下っ端から一気に三谷氏の右腕になった木下氏でしたが、厨房の最年少であったため、日々まかないをつくり続けたそうです。そこからこの物語は新たな展開をみせるのです。

深夜のまかないづくりが続いたある日、午前2時になって店に誰かが入ってきました。その人こそ、当時の『オー・バカナル』の副社長であった福島直樹氏。後に『MAURESQUE』『AU GAMIN DE TOKIO』(後に経営権を木下氏に譲渡)、『酒肆ガランス』『焼肉ケニヤ』などを手掛けた、言わずと知れたレストランプロデューサーです。
当時の『オー・バカナル』といえば、まさに一世を風靡した“イケイケ”の時代でした。副社長という立場の福島氏も毎日が接待で夜中まで飲んでは、こうして近くにある自分の系列店に寝泊まりしにきていたそうです。

深夜の厨房に立つ木下氏は、事情を福島氏に説明します。すると、福島氏が一肌脱ぐのです。
「よし、じゃあオレも一緒に手伝ってやるよ!」

『オー・バカナル』では副社長という立場でしたが、もとを辿れば福島氏も料理人。しかも、かの三田『コート・ドール』の斉須政雄氏のもとで修業を積んだ方で、福島氏もまた熱い男でした。

そうして、木下氏と福島氏の真夜中のまかないセッションが始まります。
「キノヤン、ポロネギあるか?」「あります!」
「蒸し器もってこい!」「はい!」
「ポロネギは、蒸してからこうして水で締めてな……」
「これはな、『コート・ドール』の斉須さんと一緒につくった料理でさ……」

木下氏の熱い思いが、福島氏の料理人魂に火をつけたのです。ふたりの料理セッションはこの日だけでなく、この後も夜な夜な繰り広げられていくことになります。
そこで木下氏は、福島氏の姿を目の当たりにし、改めて料理人としての大切さを思い知ることになります。
「いままで料理するのが楽しかったはずが、『いつのまにか作業になっていたのでは?』と。とにかく時間に追われて、意地だけでやっていたのかもしれない、と気付かされたんです」
福島氏のとにかく楽しそうに調理する姿、材料が足りないとみるやその場にあるもので工夫しながら料理をつくる姿。暑い季節には、冷たいサラダを出すために、まかないにもかかわらずわざわざ冷凍庫で皿を冷やしておいたりもしたそうです。
「キノヤンな、ここまでやってサービスだからな」

木下氏は、福島氏のそんな一挙手一投足に感銘を覚えたそう。ここにも料理人木下威征の原型があるのは間違いありません。

『MAURESQUE』では、『AU GAMIN DE TOKIO』に通ずるライブ感あふれる鉄板料理の礎を見出した。

いかにゲストを喜ばせるか。シェフズテーブルという概念から、カウンターのライブ感を大切にする。

住所:沖縄県宮古島市平良字荷川取1064-1 MAP
電話:0980-74-2511
https://www.grand-bleu-gamin.com

歴史に泊まる宿、百にひとつの宿。奈良井宿に誕生。[BYAKU -Narai-/長野県塩尻市]

床の間や欄間だけでなく、梁や壁など、当時の材をできる限りそのまま残す。百五の客室より。

既存の建物、構造を活かした客室作りのため、それぞれ広さもスタイルも異なる。天井高が活かされた空間は、百二の客室より。

BYAKU -Narai-愛され続けてきた「杉の森酒造」に再び命が宿る。

知る人ぞ知る、日本最長の宿場町として名高い奈良井宿。しかし、その本質は長さだけでなく、町の風景にあります。

古き良き町並みを守り続けることは容易なことではありません。当時の面影を残す、もとい、そのままの姿を成しているのは、「作る」のではなく「直す」繰り返しをしてきたからこそ。まるで秘伝のタレのごとく、修復という名の継ぎ足し、継ぎ足しは、奈良井宿の味を変えず、保たれてきたのです。

それは、長きにわたり、住民ひとり一人がそのイズムを受け継いできたことを意味します。

しかし、歴史の中から消えてしまう灯火があるのも事実。2012年に幕を閉じた『杉の森酒造』もそのひとつです。

創業は、1793年(寛政5年)。200年以上、この町並みを象徴する建物として愛され続けていました。

今回、その『杉の森酒造』が再び息吹を取り戻します。2021年8月4日、大きな大きな杉玉をシンボルに『BYAKU -Narai-』として再生を迎えました。

酒蔵の再生(2021年秋頃開業予定)はもちろん、宿泊施設と温浴施設、レストランやバー(2021年秋頃予定)という新たな役目を備え、もう一度、街の風景を形成する一端となります。

もちろん、その姿はそのままに。

建物をそのまま残すことによって、奈良井宿が守ってきた風景を汚すことなく再始動させる。当時より『杉の森酒造』のシンボルは、ひと際大きな杉玉。『BYAKU -Narai-』においてもそれを採用。

実際に酒造りをしていた空間は、レストラン『嵓 kura』として再生。奥のガラス向こうは、2021年秋頃に酒造りを復活させる酒蔵。

BYAKU -Narai-

再生の条件は、「継ぐ」こと。決して、町の文脈から外れてはいけない。

『BYAKU -Narai-』の容姿は、『杉の森酒造』だった当時と変わりありません。

前述、大きな大きな杉玉においても、当時のシンボルを再現。建物の構造もできるだけ残し、もともとあった使用できるものにおいても再び役目を与え、『杉の森酒造』を継いでいます。

大きな梁や土壁、レストランに使用する食器の一部などはその好例。まさに泊まりながら歴史を体感できる宿なのです。

客室においては、全12室を用意。

「百一」から「百十」までの客室名によって構成されるそれぞれには、建物の既存が活かされています。

宿場町を目の前に中山道に面した「百二」、梁が露わになった「百三」、中庭を望む「百四」、蔵の中に設けた「百八」、天井高のある「百九」など、どれも個性豊か。

泊まる度、もとはどんな空間だったのかと想いを馳せるも良し。先人や過去の旅人と同じ景色を見ているのかもしれない時空を超えた邂逅体験は、必ずや特別な時間を紡いでくれるに違いありません。

客室は全12室。宿名にちなみ、百一から百十二までの数字を客室名に採用。

黒く煤けた太い梁が印象的な百三。当時より使用されてきた階段も客室に残す。飴色になった木の質感に歴史を感じる。

縁側から木曽の山々を眺める百四。元々茶室だった空間は半露天風呂として活用。

中庭に面した客室には、露天風呂も備える。景色を望みながらゆっくりと癒やされたい。百四の客室より。

土蔵だった場所も一棟まるごと客室に採用。天井高を活かし、メゾネットタイプに設計。2階をベッドルーム、1階をリビングに設計した百七・百八の客室より。

酒蔵だった当時の壁面。多く見られるひび割れや経年変化による土の質感は、過去を彷彿とさせる。

もともとあった『杉の森酒造』時代に使用されていた斗瓶をレストラン『嵓 kura』の照明に再利用。

『BYAKU -Narai-』のエントランス。ディスプレイには、 『杉の森酒造』にあったものを多く採用。過去を受け継ぎ、これからの時代を共に歩む。

BYAKU -Narai-

百にひとつの宿、それが「BYAKU -Narai-」。

『BYAKU -Narai-』には、温浴施設『山泉 SAN-SEN』も備えます。

ここにおいても町を継ぎます。湯の恵みは、信濃川の源流である山の湧き水を引き込み、旅人を癒します。

この湧き水は、古来より奈良井宿の生活を支え、今なお、その軌跡は宿場内に残っています。『BYAKU -Narai-』の前にある水場もそのひとつ。

奈良井川しかり、奈良井宿は、水とともに生きた町でもあるのです。

料理に使用する水や2021年秋頃再生予定の酒蔵における仕込み水もまた、同様の水を採用します。

宿、湯、食、酒……。それぞれの体験の向こう側には、必ず土地があり、歴史があり、文化があります。

『BYAKU -Narai-』の「BYAKU」とは、宿から得る「百」の物語を体感してほしいという願いを込め、「宿」の言語の中にある「百」から命名。

この宿には、この宿場町には、そこに身を置くからこそ感じる何かが潜んでいるのです。その何かとは、決してSNSやテクノロジーでは得られるものではありません。むしろ、真逆な世界。

百年の歴史をぜひ。
百味薬々のおもてなしをぜひ。
酒蔵の完成時には、百薬の長をぜひ。

百にひとつの宿、それが『BYAKU -Narai-』。

百分は一見に如かず。まずは、自分だけの百分の一の物語を探してみてください。

古くから奈良井宿を支え続けてきた山の湧き水。信濃川の源流であるそれを温浴施設『山泉 SAN-SEN』にも採用。日帰り入浴も2021年秋頃から開始予定。

『BYAKU -Narai-』のサインには、「百」の文字をモチーフに「100」も添える。ぜひ、多く物語を体験していただきたい。

住所:長野県塩尻市奈良井551 MAP
電話:0264-34-3001
受付時間 : 10:00〜17:00
https://byaku.site

Photographs:ROCOCOPRODUCE INC.&KOJI FUJITA(TOREAL)
Text:YUICHI KURAMOCHI

ミナ ペルホネン・皆川 明が体験する、創造的休暇。

紀寺の家「心が巡る時間」
文・皆川 明

 この度の創造的休暇というテーマでの宿泊体験のご依頼はそのコンセプトの面白さになるほどと思う納得感と同時に自分がその時間を得た時に実際そのような創造的な時間、又は出来事が起こり得るだろうかとやや疑問だった。

 このコロナ禍以前は毎年6月頃一ヶ月程北欧へ出かけてまさに予定無しの時間を過ごしていた。その期間でも一週間ほどは現地でのリズムが気ぜわしくて落ち着かないのですがその後ようやく場に漂う気のままの心持ちになってそこからは小さな出会いや気づきからアイデアが気泡のようにふつふつと湧き始める感じだ。そうなると心は好奇心のままに行動と結びつき無意味な躊躇は消え、目の前の出会いや機会に自然と向き合おうとし始めようやくそこからが休息の時間になる。そして目に映るものに能動的な態度が自然な形で現れ、思いつけばその場で航空券を予約して知らない土地へも移動を開始する。全ての好奇心が不安を越えて行動が自転していく感覚になっていく。ひとりで行くのはそのペースを保つ為だ。その方が心と会話しやすく疲労や思考と向き合いやすくなる。そんな時間をこのコロナ禍で過ごせなくなる中で今回のお話を頂いた。前述したように心持ちが整うのに少し時間がかかるからこの二、三日の旅程の中でその状態を作れるだろうかと思いながらそれでも意識的に創造的休暇と思って過ごしてみることに関心があった。

 初日は15時くらいに宿に到着して荷物を置いて先ずは散歩に出かけることにした。日常の仕事のリズムから離れる為にも。歩く速度も思考もゆっくりと。出会うという感覚は出会うべきものがそこにあるのではなく意識の隙間を通り抜けるカケラのようなものがたまたま脳裏に引っかかるようなものだと感じている。その引っかかったものをそっと摘んで眺めているとむくむくとそのカケラが頭の中の空想と繋がって今までの何かと結合しておぼろげな姿となるようなそんな感覚かもしれない。数ヶ月前に奈良に来た時に一度立ち寄ったカフェまでとりあえず歩いてその間に自分のこれからをぼんやり思いつくままに思い浮かべてみる。ただのんびりしてるだけでこれは創造的かと思いながらも今回何も起こらないのもまた私であると思いながら。目的がなくても動いていれば何かが起こり何かを思考し何かを想像する。カフェの店主のお母さまから手作りジャムを頂いた。小さな出来事も旅では澄んだ記憶になる。その足で駅の方へ向かい商店街を歩いていると白雪ふきんのオーナーの奥様とばったりお会いした。前回、奈良に来たのは白雪ふきんさんを訪ねる目的だったのでここでばったり会うのも変化の兆しだった。ひとりどこかで食事を済ませようと思っていたがオーナー夫妻に夕食にご招待いただき、その後遅くまで時間をご一緒させていただいた。お互いの仕事や考えを共有できたことは日頃の打ち合わせでは得難い時間で有り難かった。それでもこれが創造的休暇なのかと言えばそうではないのだろう。でもこの予定外の時間が生まれる場の中に入ってきた感覚は何だか面白いと感じた。

 そもそも創造的休暇とは何なのだろう。

 それを目的とした時にその答えが見つかるのだろうか? 抱いていた疑問がまた湧いてきた。でもその疑問はここへ来るまでとは少し違う穏やかでそして安気な気分の中にあった。翌日は朝食後に奈良公園へ散歩に出ることにした。1時間ほどベンチに腰掛けて本を読みこちらを見る鹿の親子と時折り目を合わせているうちに静かに流れている時間が身体に馴染んできたのがわかった。今日は只々歩いてみようと決めて心がこの静かなままに過ぎるように目に映るものをゆっくり見ては頭の中に反芻させてまた歩いた。通りすがる人も蝉の声も町の古い看板も微かに触れるように記憶されていくのがわかる。夕方に商店街のアーケードの2階にカフェがあるのに気づいて入った。そこにあった民俗学的な本を読み僅かなタイムトリップをしながらしばらく過ごした。このカフェに気づいたことで心がだいぶニュートラルになっているのがわかる。目的から解放された時に生まれる偶然を含んだ時間になっているのを感じたからだ。あと数時間で何か起こるだろうけどそれは創造的とはまた違うのだろう。それでも今のこの時間の延長線上にはもしかしたら創造的何かがあるのかもしれないとも思えた。帰り道、もう閉店時間間際のアンティークショップを見つけて滑り込んでみる。最初に目についたのが僕がコペンハーゲンのアンティークショップで見つけたジョージ・ジェンセンの鳥のペーパーナイフだった。お店にはそれ以外が概ね日本の骨董だったからそれが目に飛び込んだのかもしれない。それにしてもそのペーパーナイフは僕の北欧の旅で出会った中でも大切なものだったからこの奈良での出会いに驚いた。今回自分が北欧での休暇とどこかで比較していることがリンクしているような気がした。それでもあまりこじつけて意味を持たせたくなかったのでただ心地良さを素直に感じながら店を後にした。何故だか夕食を取る気にならずそのまま夕暮れの中をまたしばらく歩き紀寺の家に戻って風呂に入りぼんやりしながらこの二日間で企画していただいたような創造的な休暇には至らなかったけれど久しぶりに自分の心とずっと一緒に過ごせたような気がしてうれしかった。

 旅や休暇で大きな気づきやアイデアが浮かぶとは限らないけれどその時間が心を解(ほぐ)したり自由にしたりしてあげる事はできる。そうしたら心が目的に縛られずに思いもしないことと出会うかもしれない。これからそんな時間を人生でもっと持ちたいと思うに至ったのが今回の僕の奈良での時間だった。今日は15キロ歩いたようだ。歩いた分をなぞりながら日頃ならば見落としているだろう細かな町の表情が浮かんできた。この微細な景色がこれからどうやって記憶としてトレースされ仕舞われていくのか楽しみだ。もしそのことが何か大きな気づきとなった時にはぜひお知らせしたい。

1967年生まれ、東京都出身。1995年に『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』の前身である『minä』を設立。ハンドドローイングを主とする手作業の図案によるテキスタイルデザインを中心に、衣服をはじめ、家具や器、店舗や宿の空間ディレクションなど、日常に寄り添うデザイン活動を行っている。デンマークの『Kvadrat(クヴァドラ)』、スウェーデンの『KLIPPAN(クリッパン)』などのテキスタイルブランド、イタリアの陶磁器ブランド『GINORI 1735(ジノリ1735)』にデザインを提供し、新聞・雑誌の挿画なども手がける。
https://www.mina-perhonen.j

住所:奈良県奈良市紀寺町779 MAP
TEL:0742-25-5500(受付時間9:00~19:00)
http://machiyado.com

Photographs:HARUHI OKUYAMA

小説家・角田光代が体験する、創造的休暇。

紀寺の家 「人とともに生きる町」
文・角田光代

 奈良って奇妙なところだと、奈良を訪れるたびに思う。神社仏閣が多いのは京都や鎌倉と似ているけれど、それらの規模がいちいち大きい。公園や町に鹿がいるのもへんだし、夜がびっくりするほど暗くて、見たこともないのに、はるか昔にタイムスリップしたような気分になる。

 奈良は広く、テーマごとに異なるスポットへの旅ができる。私は以前、万葉の旅や古事記の旅をしたことがある。範囲が広いので、車で要所要所を訪ねる旅だった。奈良の中心街を、テーマも目的も決めずに、じっくりと歩いてまわるのは、だから今回がはじめてだ。歩いてみて抱くのは、やっぱり、奇妙な町だという印象である。

 宿泊した「紀寺の家」から一キロも歩かないうちに木々が頭上を覆う森が広がり、鹿が音もなく歩き、森の奥には春日大社があり、その向こうに原生林が広がる。春日大社から奈良公園を突っ切っていくと、大きな池があり、池を過ぎるとホテルや飲食店が増えてきて、あっという間ににぎやかな繁華街となる。繁華街のなかに小学校があり、神社がありお寺があり、長いアーケードがある。

 何を奇妙に感じるのか、考える。あ、そうか、人に必要なすべてが、ぜんぶ等距離にあることだ、と気づく。人、というのは、今を生きる私たちが必要としたものばかりでなく、何百年、何千年もの昔を生きていた人たちがかつて必要としてきたものも、すべて、新古の別なく、聖俗の隔てなく、大小も広狭も関係なく、ひとしく配置されている。こうして書くと、ごくふつうのことのようだが、でもそんな町はめったにない。世界遺産や国宝や重要文化財が、町の至るところにあるけれど、その数の多さは、旅館や飲食店や雑貨店の多さと、意味合いとしておんなじだ。どちらも、この町に生きる人たちが必要とし、暮らしを支えてもらっている、拠りどころだ。

 今と昔、それもはるか昔の暮らしが、違和感なく矛盾なく、ごくふつうに入り混じっている光景は、そのまま、未来の町をも浮かび上がらせる。奈良の町を歩きながら、私は未来を想像している。古きものと今のもののなかに、未来を生きる人たちが必要とするものも、ごくすんなりと入りこむのだろう。

 そのことを、もっとも体感できるのは、紀寺の町のある一角、ならまちとよばれる地域ではないだろうか。道路に面した格子扉と瓦屋根が特徴の町家が、重要文化財、登録有形文化財も交えながらずらりと並び、ある家はごくふつうの民家、ある家は資料館、ある家は昔ながらの漢方薬局、ある家はカフェ、雑貨店、酒店と、まさに今と過去が「町家」のかたちを借りて入り交じっている。細い路地の先、行き止まりに見えつつ、さらに細い路地が左右に走っていたりする。路地から路地を歩いていると、野良猫になった気分だ。時空を自在にいききできる野良猫だ。

 瓦屋根の上に広がる空がゆっくりとだいだい色に染まり、端から紺に変わっていく。私が見ている夕方は、百年前の、千年前の、もっと前の夕方ときっと同じだと確信する。

 百年以上も前の建物で、湯が沸き冷暖房が完備された今の暮らしを体験できる「紀寺の家」は、まさに奈良という町をあらわすシンボル的存在だ。障子からさしこむやわらかな朝日とともに目覚め、おいしい朝ごはんをいただいて、格子をくぐって外に出て、過去と現在と未来を自在に歩く。すべての人にとって、そんな時間は創造的休暇になるだろう。

1967年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学第一文学部卒業。1990年に「幸福な遊戯」にて海燕新人文学賞を受賞後、デビュー。以降、1996年「まどろむ夜のUFO」野間文芸新人賞、2003年「空中庭園」婦人公論文芸賞、2005年「対岸の彼女」直木賞、2006年「ロック母」川端康成文学賞、2007年「八日目の蟬」中央公論文芸賞、2011年「ツリーハウス」伊藤整文学賞、2012年「紙の月」柴田錬三郎賞、「かなたの子」泉鏡花文学賞、2014年「私のなかの彼女」河合隼雄物語賞を受賞。その他の著書には、「キッドナップ・ツアー」、「愛がなんだ」、「さがしもの」、「くまちゃん」、「空の拳」、「平凡」、「笹の舟で海をわたる」、「坂の途中の家」、「拳の先」など多数。近作は、新訳「源氏物語」(上中下)、連載小説「タラント」(読売新聞)。

住所:奈良県奈良市紀寺町779 MAP
TEL:0742-25-5500(受付時間9:00~19:00)
http://machiyado.com

Photographs:HARUHI OKUYAMA

写真家・石川直樹が体験する、創造的休暇。

紀寺の家 「順応と回復の地」
文・石川直樹

 一カ月近いネパール・ヒマラヤの旅から帰国し、初夏の奈良を訪れた。ヒマラヤでは森林限界を超えた標高4000メートル前後の空気の薄い山岳地帯に長く滞在し、ぼくは身も心も乾いていた。ヒマラヤでは高所順応が必要なように、日本に帰ってきたら低所順応をしなければならない。そんな疲れ果てた自分に、紀寺の家で過ごす日々はうってつけだった。

 ヒマラヤのロッジでは、小さく堅い木のベッドの上に敷いた寝袋にくるまって眠る。でもここでは、畳の上に敷いたふかふかの布団で眠れる。寝返りを打っても床に落ちることはない。

 ヒマラヤでは一週間同じ服を着続け、お湯で体を洗えるのも一週間に一回程度だった。それも、ちょろちょろと流れ落ちるだけの心もとないシャワーか、バケツに入れたお湯を体にかけるのみ。ここでは、タイル張りの五右衛門風呂にざぶんと浸かって、心ゆくまで体を温めることができた。

 ヒマラヤの朝食は、かちこちの冷たいトーストに真っ赤なゼリーのようなジャムをつけて食べていた。ここでは、釜に入った出来立てのごはんをいただいた。味噌汁に入っている油揚げを口に入れただけで、幸せな気持ちになった。自分で淹れるコーヒーもお茶も、口にするあらゆるものが内臓に染みた。

 朝、食事をしながら近くの学校のチャイムが聞こえた。縁側から庭を眺めていると、どこからともなく鳥の鳴き声が耳に入った。静かだけど、静かすぎないのがいい。誰かの生と隣り合わせに自分が在るということを思い出し、いま生きていることのありがたみを感じる。

 二泊したうちの一日は、大雨で、風もことのほか強かった。その日、ぼくは縁側から、強風にかしぐ庭の木を、屋根から滴り落ちる水滴を、木の壁を叩く横殴りの雨粒をただ眺めてばかりいた。寒くない。つらくない。息苦しくない。毎日、数百メートルの高低差のある山道を何キロもひたすら歩き続けていた日々とは対極の時間を過ごしながら、しかし、頭の中ではこの先に広がる旅への思いが渦巻き、新しい考えが次から次へと浮かぶ。何もしていないのに、思考が縦横に巡り続けている状態、こうした時間に身を浸すことこそが自分にとっての「創造的な休暇」というのだろう。

 厳しい遠征から帰った後は、生きていることを実感する特別な順応期間が必要で、紀寺の家はそれを十分にもたらしてくれた。またここに泊まりたい。そう思える空間がひとつ増えたことを、自分自身、喜んでいる。

1977年生まれ、東京都出身。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年「NEW DIMENSION」(赤々舎)、「POLAR」(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞、2011年「CORONA」(青土社)により土門拳賞を受賞。2020年「EVEREST」(CCCメディアハウス)、「まれびと」(小学館)により日本写真協会賞作家賞を受賞した。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した「最後の冒険家」(集英社)ほか多数。2016年に水戸芸術館ではじまった大規模な個展「この星の光の地図を写す」が、新潟市美術館、市原湖畔美術館、高知県立美術館、北九州市立美術館、東京オペラシティ アートギャラリーを巡回。同名の写真集も刊行された。2020年には「たくさんのふしぎ/アラスカで一番高い山」(福音館書店)、「増補版 富士山にのぼる」(アリス館)を出版し、写真絵本の制作にも力を入れている。
http://www.straightree.com

住所:奈良県奈良市紀寺町779 MAP
TEL:0742-25-5500(受付時間9:00~19:00)
http://machiyado.com

Photographs:HARUHI OKUYAMA

食を愛す人、モノ、コトが銀座でつながる。「FIND OUT ABOUT NIPPON」プロジェクト始動。[和光アネックス/東京都中央区]

WAKO ANNEX生まれ変わった「和光アネックス」。これまでになかった食の感動体験。

2021年10月1日(金)、「和光アネックス」地階のグルメサロンがリニューアル。

テーマは、「FIND OUT ABOUT NIPPON」です。

『ONESTORY』は、そのプロデュースとして参画。商品のキュレーションをはじめ、ソムリエや唎酒師らとの企画も展開し、これまでになかった多角的な空間の創造を目指します。

日本全国から見つけ出した「おいしいニッポン」は、アルコール及びノンアルコールのドリンクやデリカテッセンなど多種多様。しかし、本プロジェクトにおける特徴は、これまでに類を見ない食べ合わせのプレゼンテーションにあります。

「FIND OUT ABOUT NIPPON」と掲げたテーマのごとく、潜んでいた美味を見つけ出すことはもちろん、出合うはずのなかったドリンクと食品をペアリングすることによって、口福領域の拡張を提案します。

そんな表現を取り入れた空間は、ただ商品を「売る」場ではありません。グルメサロンというフロア名の通り、ここは、食を愛す人、もの、ことが一堂に会す、「集い」の場なのです。

私たちは、味だけでなく、一つひとつのモノやコトが生まれた物語を大切にしており、当然、その背景には人がいます。

「おいしい」には、必ず理由があります。その解を紐解き、様々が育まれた時間と共に、新たな食の感動体験をお楽しみください。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8  MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp

Photograph:SHINJO ARAI
Text:YUICHI KURAMOCHI

(Supprtted by WAKO)

飲む人も、飲まない人も、平等に楽しめる。香りを軸に思考する、論理的ペアリング。[和光アネックス/東京都中央区]

ノンアルコールのペアリングの礎を築いた外山氏の原点。

WAKO ANNEXノンアルコールのペアリングの礎を築いた外山氏の原点。

2021年10月1日(金)、『和光アネックス』地階のグルメサロンがリニューアルにあたり、日本の酒や食材の魅力に改めてスポットを当てるプロジェクト「FIND OUT ABOUT NIPPON」。

今回は調布市『Maruta』のドリンクディレクターを務める外山博之氏が、3種類の食品とドリンクの組み合わせを提案します。「香り」を軸にした独自のペアリングに定評のある外山氏は、果たしてどのような組み合わせを教えてくれるのでしょうか。

外山氏は、まずバーテンダーとして飲食界のキャリアをスタートしました。しかし、バーやレストランで働くうち、徐々にワインへ興味を惹かれ、その後、ソムリエに転身。カクテルとワインの知識という強みを手に入れ、次なる興味は料理とドリンクの組み合わせに向かいました。ただし、その対象は、アルコールだけに留まりませんでした。

「“すみません、お酒飲めないんです”。時々、耳にする言葉ですが、不思議ですよね。何も悪いことをしていないのに、なぜ謝るのか」。

そう話す外山氏。あるいはそれはバーテンダーやソムリエである外山氏への、気遣いの言葉だったのかもしれません。しかし、外山氏は決意します。

この無用な「すみません」をなくすこと。お酒を飲む人も飲まない人も、平等に食事を楽しめるようにすること。

それは、遡ること5、6年前、まだ「ペアリング」という言葉も今ほど浸透していなかった頃。 更に前例のないノンアルコールのペアリングは、いわば手探りの暗中模索でした。

そこで外山氏が立てた方針はふたつ。ひとつは、あくまで料理が主役であり、ドリンクは引き立て役に徹すること。もうひとつは香りを軸に組み合わせを考えること。

こうして外山氏は、アルコール、ノンアルコールを問わず、そして以前はタブー視されていた甘い酒やカクテルも食中のドリンクとして取り入れました。今でこそノンアルコールのペアリングや食中酒としてのカクテルはすっかり市民権を得ていますが、その礎に外山氏の挑戦の歴史が果たした役割は小さくありません。

※今回、ご紹介した商品は、2021年10月1日(金)にリニューアルオープンした『和光アネックス』地階のグルメサロン及びWAKOオンラインストア(上記バナー)にて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、外山博之氏がセレクトする18種の食品やお酒などをはじめ、9種のペアリングをご用意しております。WAKOオンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

「香り」を軸に組み合わさるペアリングは、単品では決して味わうことのできない口福が生む。

とにかく、香る。香る。香る。ソムリエでもある外山氏は、香りから本質と魅力を解読する。

WAKO ANNEXほんのり甘いハチミツ酒とスパイスの利いたピクルスの意外な相性。

そんな外山氏がまず選んだ酒はハチミツの醸造酒・ミード。外山氏が手にした愛媛県『完熟屋』の「ミサキミード」は、豊かな香りとほのかな甘みが特徴の上質な一本です。特に外山氏は、その香りに注目しました。

「マスカットのような爽やかな香りが特徴。酸味のバランスも良いため、甘いお酒が苦手な人にもぜひ飲んでもらいたい」。

そう話す外山氏が、組み合わせとして選んだのは、同じく愛媛県の『GOOD MORNING FARM』が作る「グリル野菜ピクルス」。旬の野菜をグリルしてからクミンとニンニクの利いたオイルに漬け込むことで、スパイスの香りと野菜本来の甘みを引き立てる逸品です。そして外山氏は、それらの香りの要素を、パズルのピースをはめるように寄り添わせました。マスカットの香り、発酵の香り、ニンニクの香り、クミンの香り。系統の異なるそれぞれの香りが一体となるのは、実は外山氏が明確な根拠をもって香りを合わせているから。

「食材の香りの成分を分析し、紐解いてみると、そこに隣接する香り、ぶつかる香り、増強する香りなど考えの方向性が見えてきます」。

これこそが外山氏のペアリングの特徴。単に感性と経験だけに頼るのではなく、香りの構成成分を見極め、科学的根拠のある相性を考える。だからこそ外山氏の提案するドリンクと食品は、まさに「腑に落ちる」説得力を持っているのです。

それは香りだけに限らず、味わいの組み合わせも同様。ミードの甘みとピクルスの酸味を合わせた根拠は、次の通り。

「一般的に人の舌は味を感じる順序があり、まず酸味、次に甘みを感じるようにできています。そしてこれらを口内調味で合わせることで感じる味にタイムラグが生まれ、伸びのある、余韻の長い味わいになります」。

まるで科学の授業のような論理的な説明です。

実験と検証を繰り返し、ペアリングの結実を導く外山氏。出合うことのなかったふたつが合わさる瞬間、感動が生まれる。

『完熟屋』の「ミサキミード」(右)と『GOOD MORNING FARM』が作る「グリル野菜ピクルス」(左)は、共に愛媛県のもの。香りを軸にしつつ、味わい、風味、余韻など、さまざまな相性を探る外山氏のペアリング。

一般的な海外産ミードのハチミツ含有量が35%ほどなのに対し、「ミサキミード」は60%。贅沢な原材料が、ふくよかな味わいを生む。

産地、原料、製法、度数。パッケージから読み取れる情報も、外山氏の貴重な判断材料。

WAKO ANNEX同系統の香りを合わせ増幅させる、王道のペアリング。

次いで外山氏が取り出しのたは、能登『松尾栗園』の「能登の焼き栗棒」。従来、栗といえば渋味を寄り添わせるために日本茶と合わせるか、あるいは洋菓子のようにブランデーなどの苦味と合わせるのが定説です。

しかし、外山氏が選んだのは、意外にもフルーティなシードルでした。シードルの酸味と栗の甘み。外山氏はこれをどう合わせるのでしょうか?

「そもそも栗にはバラ系の香りが含まれています。更に、こちらは焼き栗ということで、より重心の低い香りです」。

外山氏の言う「重心の低い香り」とは、ややスモーキーな、どっしりとした香りのこと。バラ系の成分に、焼くことで加わった硫黄化合物の香りが合わさり、バラの系統ではありつつ力強く、骨太な香りとなっています。

「一方で合わせるシードルも、複雑な香りの中にバラ系の香りを含みます。その共通項に注目しながら、まずは栗を口に含み、次いでシードルを口にしてみてください。同系統の香りが強固になり、非常にフルーティで華やかなおいしさが際立ちます」。

同系統の香りを合わせ、増幅させる。それは「自分がやり続けてきたセオリー」という、外山氏の十八番です。

『弘前シードル工房kimori』の「kimoriシードル」(右)と能登『松尾栗園』の「能登の焼き栗棒」(左)。それぞれに微かに潜むバラの香りが、合わせることで華やかに広がる。

糖度30度以上の焼き栗のみを丁寧にペーストにし、棒状に固めた「能登の焼き栗棒」は、しっとりと滑らかな食感。

「kimoriシードル」の主原料は、甘みと酸味のバランスが良いサンふじ。無濾過製法でリンゴそのままの風味を伝える。

WAKO ANNEX生ハムと番茶。ペアリングの伝道師が提案する新機軸。

最後の一品は、岩手県『肉のふがね』が丹精込めてつくる「長期熟成和牛生ハム いわて短角和牛Cesina」。

希少ないわて短角和牛を塩に漬け込んでから冷燻し、その後1年ほど熟成させるという手間暇かけた生ハムです。燻製香のある加工肉は、重い赤ワインだとタンニンで旨味が消えてしまい、フルーティ過ぎる白ワインだとえぐ味が出てしまう、というペアリング難易度の高い食品。

「定番はイタリアのちょっと甘口のスパークリングワインなどですね」と言いながら外山氏が合わせたのは、またも意外なことに、滋賀県『茶縁むすび』の「政所番茶」でした。生ハムと番茶。奇をてらったわけではありません。ここにも明確な根拠が隠れています。

「番茶と生ハムの共通項は、燻製香。両者の、個性は異なっても系統が同じ熟成香が非常にマッチし、ふくよかな香りをつくり出します」。

更に、味の上でも「番茶に含まれるミネラル分とスモーキーな渋みが、いわて短角和牛の旨味成分を際立てる」とか。

合わせ方はまず生ハムを咀嚼し、口の中にある状態で番茶を含むこと。「旨味が口の中にブワッと広がります。きっと驚くと思いますよ」と、外山氏は不適に笑いました。

甘いミード、フルーティなシードル、そしてノンアルコールの番茶で食品を引き立てた外山氏のペアリング。すべて科学的な、論理的な根拠に基づいた組み合わせですが、決して機械的なわけではありません。

例えば、最新のAIが香り成分と相性を完璧に分析し、今回のペアリングをはじき出せるかといえば、きっとそうではありません。なぜなら外山氏の発想は、その工程のなかに科学的根拠があろうとも、起点はいつも「誰かを驚かせたい、楽しませたい」という心だから。そもそもの原点が「お酒を飲む人も飲まない人も、平等に楽しんでほしい」という優しさだから。

「例えば、ホームパーティなら、お酒が大好きな人もいれば、好きだけど弱い人も、事情があって飲めない人もいる。でもせっかくのパーティなら、みんな楽しんでほしいじゃないですか」。

そう話す外山氏。これが、論理的思考に人の情が加わった最高のペアリングの形なのかもしれません。

『茶緑むすび』の「政所茶・平番茶」と『肉のふがね』の「長期熟成和牛生ハム いわて短角和牛Cesina」(左)は、意外なマリアージュ。香りの調和はもちろん、番茶が持ち上げる和牛の旨味も圧巻。

「甘いものはデザート、お茶は締め、という常識を一度忘れてください」と新たな組み合わせに挑む外山氏。

※今回、ご紹介した商品は、2021年10月1日(金)にリニューアルオープンした『和光アネックス』地階のグルメサロン及びWAKOオンラインストア(上記バナー)にて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、外山博之氏がセレクトする18種の食品やお酒などをはじめ、9種のペアリングをご用意しております。WAKOオンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

埼玉県出身。バーテンダーとしてレストランやホテルなどに勤務した後、ソムリエへ転向。以降、様々なレストランで経験を積み、2012年より代々木上原『Gris』(現『sio』」)」のマネージャーに就任。2018年より調布『Maruta』のドリンクを監修、2019年より京都『LURRA゜』のドリンクディレクションなど、ペアリングを行いながら活躍の場を広げている。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8  MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp

Photograph:SHINJO ARAI
Text:YUICHI KURAMOCHI

(Supprtted by WAKO)

料理人・谷口英司の叶えた夢と、芽生えた夢。新天地で再始動した富山『L’evo』。[L’evo/富山県南砺市]

富山県南砺市利賀村。春先でもなお道端に残る雪が、この地の過酷さを伝える。

レヴォかつて語った夢を、そのまま具現化した新生『L’evo』。

2017年夏。富山市街のリゾートホテル内のレストランにいた谷口英司氏は、自身の愛する富山県をつぶさに案内してくれました。食材の生産者を訪ね、工芸品の職人と話し、自然の中を歩く。その際に谷口氏の顔に浮かんだ、心底楽しそうで、誇らしげな顔が記憶に残ります。

【関連記事】深い海、高い山、豊かな自然、伝統工芸。富山こそ料理人が、最高に輝ける場所。[L’evo/富山県富山市]

やがて旅はさらに山奥に進み、深い森に囲まれる利賀村の山中に着いたとき、谷口氏はふとこう語りました。

「いつかこの場所に、店を開くことが夢なんです」

そこは曲がりくねった山道を車で1時間以上も走った先。45年も前に最後の住人が出ていってから、ずっと廃村となっている集落跡。冬は深い雪に閉ざされ外界と隔絶されてしまいそうな最果ての地。素人目にみても、ここが客商売に向いている場所には思えません。

しかし谷口氏は、夢を実現しました。
2020年12月、宿泊施設を併設したオーベルジュ『L’evo』が誕生しました。場所はあのとき谷口氏が夢を語ったまさにその地。
あのときの夢は、この地でどのように形を結んだのでしょうか。その姿を探るため、新生『L’evo』を訪ねます。

谷口英司氏の精悍さを増した顔がこの地の生活を物語る。

レヴォやりたいことをすべて詰め込んだ、料理人の楽園。

「ここはパン工房。専門店に負けない設備でしょう?」「こっちは肉の保管庫。ここでジビエを捌くために食肉販売業の免許も取ったんです」「ここの畑はスタッフみんなで切り開いたんですよ」「ここで羊を飼いたいと思っているんです」

新生『L’evo』の敷地内をつぶさに案内してくれながら、4年前のあの時と同じように谷口氏は心底楽しそうに笑います。

大きな窓とオープンキッチンが印象的なレストランは、木と石をバランス良く調和させた穏やかな空間。営業中はあえて音楽を流さず、キッチンから届く作業音をBGMにしています。
オーベルジュゆえ、宿泊施設としての客室は独立型のコテージが3室。現代的に洗練されたインテリアに、この地で使われてきた建具のリメイクで温かみを加えます。
先に紹介したパン工房は離れの中、肉の保管庫やワインセラーはレストランの下階。敷地内には「どうしても作りたかった」というサウナまで。

「ここには料理人の夢がぜんぶ詰まっているんです」

畑や山の仕事で精悍さを増した顔をほころばせ、谷口氏は言います。その夢とは突き詰めてみれば、おいしい料理、ここでしか味わえない体験を作り出すこと。アクセスという点においてはゲストに不便を強いるこの場所で、それ以上の驚きと感動を返すこと。

谷口氏はさらに言いました。
「ここが成功事例になって、こういうやり方もあるということを各地域の料理人に知ってほしい。そうして日本中に良いレストランができれば」

コテージタイプの客室は、窓を広く切った開放感のある造り。

「パン作りが好きなんです」と、パン工房には専門店さながらの設備を導入。

ワインセラーもこのスケール。富山県産のワインを中心に多彩なラインナップ。

段々畑の石垣も、スタッフ総出で積み上げたという。

レヴォ山奥の小さな村。この場所を舞台に選んだ意味。

メニューはコース1本。昼、夜ともに同内容で12皿ほどの料理が登場します。食材はほぼ富山県産。富山の食材による、富山の魅力の表現です。

もちろん店が山にあるからといって、山の食材だけに固執するわけではありません。「海のものを山に持ってきたら、どうなるのか」と言う谷口氏。この場所でやる意味を見失うことなく、しかし決して独りよがりではなく、あくまでゲスト本位で考えつつ、自分ができることを考え続けているのです。

繊細で前衛的で、しかし素材感が活きた料理。もともと谷口氏の持ち味であったそれらは変わりませんが、移転を経て変わったこともいくつかあります。

オープンキッチンでゲストの顔を見ながら配膳できるようになったこと、薪窯を導入し、よりやさしい火入れが可能になったことなどがそう。しかし谷口氏自身も感じる一番の変化は、水にあります。この『L’evo』では、パイプで直接引く山の水を100%使用。これにより食材のピュアな透明感、料理のやさしさがいっそう際立つようになったのです。

たとえばある日に登場したツキノワグマ。しゃぶしゃぶ風の火入れで、透明感がありつつ奥から湧き立つような力強い味わいも両立しました。
黒部のヤギのチーズのソースとあわせた富山名産・大門素麺は、アルデンテに茹でることで、パスタのようなもっちりとした食感に仕上げつつ、のどごしに爽やかさを残します。
ミズダコの料理は、輪切りではなく縦に薄くスライスし、薪窯でやさしく火入れ。この繊細な加減で、噛めば弾力があるのに脳はとろけて消えたと錯覚するような不思議な味わいを生み出します。

山の水が作り出す、ピュアで繊細なおいしさ。それが谷口氏がこの場所にレストランを開いた理由のひとつなのかもしれません。

スライスして薪火で炙ったミズダコは、大葉のオイル、梅肉のソースと合わせて。

赤身が多くあっさりとした春獲れのツキノワグマは、ウニや春野菜とともに。

ピュアな水とやさしい薪火が、谷口氏の繊細な技をさらに光らせる。

レヴォ地域のレストランが、やがて食文化そのものを変える。

食材やワインはもちろん、空間を彩るインテリアや家具も富山の職人の手によるもの。そしてスタッフも皆、富山出身。そして谷口氏は、スタッフたちにこう伝えます。

「富山を自慢しなさい」

富山のキレイな場所、自分の好きなもの、小さい頃の体験。自分たちが大好きな富山を、自信を持って“自慢する”こと。それが遠方から訪れるゲストに、もっとも響く言葉になる。そんな思いがあるのでしょう。

新生『L’evo』のオープンにあたり、11人のスタッフ全員が、利賀村に引っ越しました。人口350人の村に、新たにやってきた11人。そして山奥のこの村を目指してやってくるゲスト。人の流れが変わり、村の知名度が上がり、やがて人々の意識も変わっていくことでしょう。

かつてコペンハーゲンにレストラン『noma』が誕生し、世界屈指のレストランとなったとき、人々は『noma』の料理だけでなく、デンマークの食そのものを讃えたといいます。
同様に『L’evo』の成功は利賀村、富山県の評価を変え、意識を変え、やがて食文化そのものを変えていくことになるのかもしれません。

他に何もない、というロケーションこそが、最高の贅沢と気づかせてくれる。

“チームL’evo”として店を支えるスタッフたち。

食器やカトラリーのほか、メニューにも富山県の工芸品が使われている。

住所:富山県南砺市利賀村大勘場田島100 MAP
電話:0763-68-2115
営業時間:ランチ 12:00〜、12:30〜 ディナー18:00〜、19:00〜
定休日:水曜 ※2021年8月2日〜18日は夏季休業
http://levo.toyama.jp/

PhotographsJIRO OHTANI
TextNATSUKI SHIGIHARA

※この記事は2021年4月に取材したものです。

水に癒やされ、アートに触れ、食を楽しむ。多彩な魅力がつまった信濃大町の歩き方。[湧水とアートがうるおす町/長野県大町市]

写真でめぐる、信濃大町の豊富な見どころ。

北アルプスの雪解け水が河川となり、湧水となり、やがて街をうるおす。あちこちから湧き出す水は清冽で、大小無数の川には澄んだ水が流れる。長野県大町市の魅力の根底には、この豊かな水にあります。

しかし、いくら“水が豊か”といっても、現地での具体的な楽しみは想像しにくいかもしれません。そこで今回は豊かな水が織りなす大町市のさまざまな魅力を、写真とともにご紹介してみます。

折しも大町市では2021年11月21日(日)まで『北アルプス国際芸術祭2020-2021』も開催中。これからご紹介する町の魅力を知るごとに、きっと大町市に足を運んでみたくなることでしょう。

『北アルプス国際芸術祭』では40以上のアート作品が町の各所で鑑賞できる。(蠣崎 誓/種の旅)

町の魅力の根幹を支える、北アルプスの清冽な水。

豊富な水。その重量感、水底まで見える透明感、ひんやりとした温度、心地よい水音は、ただそこにあるだけでも心癒されるもの。大町市には水に触れ合えるスポットが多数存在しています。

たとえば『国営アルプスあずみの公園』は、自然そのままの地形を活かしながら、楽しみ、学び、くつろげる拠点。とくに園内の渓流クリエーションゾーンと名付けられたエリアでは、北アルプスの3000m級の山々から流れ出る水を身近に感じることができます。遊歩道の散策やピクニックなど楽しみ方はいろいろ。園内にはほかにデイキャンプ場やクラフト体験ができる施設なども揃っています。

さらに水の質量を感じたければ、ダムや湖を目指してみるのがおすすめです。大町市は「大町ダム」「七倉ダム」「高瀬ダム」という3つの大規模なダムを擁し、どれも見学可能。「高瀬ダム」は土や岩を盛り上げてつくる“ロックフィルダム”と呼ばれる構造で、偉大な人工物という観点からも見学の価値あり。さらに北へ向かうと「黒部ダム」へと続くルートに繋がります。

自然の湖も負けてはいません。大町市には二科三湖と呼ばれる3つの湖があります。湖底から清水が湧き出す巨大な「青木湖」、水上アクティビティが充実した「木崎湖」、フィッシングエリアとして知られる「中綱湖」。湖畔キャンプやSUP、ホタル観賞クルーズなど、楽しみもいろいろ揃っています。

市街地に戻り商店街を散策しても、水の豊かさに気づきます。町のあちこちには水路が通り、水をテーマにしたオブジェなども点在。道路一本挟んで硬度の異なる水が湧く「男清水」と「女清水」も、大町の水の豊かさの象徴です。

『国営アルプスあずみの公園』の渓流クリエーションエリア。雪解け水が渓流となって流れる。

自然そのままの姿を守る『国営アルプスあずみの公園』には、さまざまな野生動物も暮らす。

『大町ダム』の雄大な眺め。ダム周辺は芸術祭の会場にも指定されている。

二科三湖のひとつ「青木湖」には、芸術祭の作品も展示されている。

「男清水」と「女清水」は道路を挟んで正面。ぜひ両方を飲み比べてみたい。

水質の良さを証明する、透明感あるおいしい名物たち。

食の観点でも、水の存在は欠かせません。雪解け水をたっぷり蓄える野菜や果物、澄んだ水で育つ川魚をはじめ、大町名物の多くは水によって支えられています。

たとえば市内で十数件の店が味を競うそば。使用するそば粉や技術はさまざまですが、共通するのは透明感のある味わいと喉越しの良さ。古くから“水の良い場所のそばは旨い”と言われますが、大町市も例外ではありません。

水が決め手となる酒も同様。市内には3つの酒蔵があり、それぞれが高い評価を得ています。さらに近年は、市内初のクラフトビール醸造所『北アルプスブルワリー』もオープン。「地元の水の魅力を伝えるため、あえて水質調整をせずにそのままの水でつくる」というクラフトビールは、水の甘みが感じられるような素晴らしい出来栄えです。

お土産物も充実しています。日本屈指のフィッシングスポットとして多くのファンがいる『鹿島槍ガーデン』では、信州サーモンや希少なイワナの卵などを販売中。鹿島川の流れをそのまま利用した養殖場で育つ魚の、驚くほど臭みのない味わいを楽しめます。

『キハダ飴本舗』で販売中の「キハダ飴」は、キハダという木の実を煮出したエキスでつくる飴。ほろ苦く、香り豊かな飴は、一度味わうとクセになりそうな独特なおいしさ。『キハダ飴本舗』の敷地内でのびのびと育つキハダの木も、雪解け水によって支えられています。

名物のそばは、市内各所で味わえる。水の豊かさがおいしさの肝。

地元住民はそれぞれ贔屓のそば屋がある。写真は老舗そば処『タカラ』のざるそば。

フィッシングスポット兼養殖場の『鹿島槍ガーデン』。鹿島川から直接水を引いている。

「キハダ飴」は大町市以外では「七十七歳飴」として販売されている。

『キハダ飴本舗』の敷地内の沢。大町市内では随所でこのような光景が見られる。

町全体が巨大な美術館に。北アルプス国際芸術祭の見どころ。

さて、ここまで大町市の水の豊かさをご紹介してきましたが、もうひとつの柱であるアートも見逃せません。そもそも大町市には、赤い屋根が印象的な信濃大町駅の駅舎をはじめ、フォトジェニックなスポットがたくさん。

さらに現在開催中(2021年10月2日〜11月21日)の『北アルプス国際芸術祭』により、さながら街全体がひとつの美術館のような様相を呈しています。

伝統的な古民家や博物館を舞台にした作品、施設の壁や地面に描かれた作品、そして道路脇にそのまま展示される作品。町を歩くだけで、そこかしこでアートが目に飛び込んできます。作家の個性が光るさまざまな芸術作品が、古い家屋や山々の景色と調和する、いわばアートと自然の融合は、この町でしか楽しめない景観です。

作品数は絵画、立体物、建築、インスタレーション、パフォーマンスなど計42作品。会期中はシャトルバスも運行され、効率よくアートを鑑賞することができます。

自然との色彩のコントラストが美しいJR信濃大町駅の駅舎。

路上に直接展示されている作品も。(ジミー・リャオ/私は大町で一冊の本に出逢った)

古民家などを舞台にした体験型の作品もある。(ニコラ・ダロ/クリスタルハウス)

既存の建築物を活用したこの土地ならではの作品も多い。(淺井裕介/土の泉)

【期間限定】大町市の天然食材を五感で感じるディナーメニュ

大町の魅力を満喫したら、宿泊は北アルプスの懐に抱かれる『ANAホリデイ・インリゾート信濃大町 ホテルくろよん』へ。

400年以上の歴史を誇る「葛温泉」を贅沢にかけ流した露天風呂・大浴場、フィットネスジムや屋内温水プールなどの設備が充実。小さなお子様から大人までゆったりとお過ごしいただけるでしょう!

さらに10月末日までは、東京・青山の人気レストラン『HATAKE AOYAMA』神保佳永シェフとコラボしたスペシャルディナーが登場。

大町の野菜の魅力に惚れ込み、地元産食材を吟味してつくり上げた全5品のディナーコースは、『鹿島槍ガーデン』のイワナのオードブル、地元産椎茸パウダーが決め手のパスタ、レアに仕上げた信州サーモンのインパナート、地元が誇る信州黄金シャモの胸肉を低温調理したメインディッシュ。さらに、大町のそば粉100%のガレットと地場産リンゴのデザートという内容。

巧みなアイデアが組み合わさり生み出される逸品を、マウンテンリゾートという非日常の空間で、ご家族や大切な方と一緒にご満喫ください。

豊かな水に癒やされ、アートを愛で、食を楽しむ。長野県大町市でのひとときは、きっと誰しもの心に確かな足跡を残す体験となることでしょう。

暖炉を囲みながら感じる”非日常のリゾートステイ”

​自然の景色を見渡せるバルコニー付きデラックスツインルーム

限定ディナーコースの一品「大町産信州サーモンのインパナート 大町野菜のタルタル添え」。レアに揚げた信州サーモンの旨味と食感がポイント。

希少な信州黄金シャモを使うメインディッシュ「信州黄金シャモの低温調理 旬野菜のサルサ」。

デザート「倉科製粉所のそば粉のガレット 大町産リンゴキャラメルソース」。ほろ苦いソースが、香り豊かなそば粉のガレットと響き合う。


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 大町市)

目指すのは、おいしさの先にある「快楽」。シチュエーションまで考慮する3種類のペアリング。[和光アネックス/東京都中央区]

今回の考案にあたり、酒30種以上、食品50種以上を試した。無数の組み合わせから選んだ珠玉の3種にご期待を。

WAKO ANNEX家庭でのんびり楽しむ。シーンに沿った組み合わせの提案。

2021年10月1日(金)、『和光アネックス』地階のグルメサロンがリニューアル。テーマは、日本の酒や食材の魅力に改めてスポットを当てる「FIND OUT ABOUT NIPPON」です。『ONESTORY』は、その企画プロデュースとして参画しています。

日本全国から見つけ出した「おいしいニッポン」は、アルコール及びノンアルコールのドリンクやデリカテッセンなど多種多様。しかし、本企画における特徴は、これまでに類を見ない食べ合わせのプレゼンテーションにあります。

今回、そのセレクターとして登場するのは、第14代酒サムライであり、自身のお店『GEM by moto』を営む 日本酒ソムリエの千葉麻里絵さんです。

千葉さんが提案する酒と食品の食べ合わせの妙は、既存にはなかった視点や独自の感性にあります。

「お酒と料理を組み合わせて、互いを高め合う。それは素晴らしいことですが、そこにシチュエーションを考えることで、さらに幅が広がります」と、にこやかに語る千葉さん。

例えば、仕事の話の中なら会話を途切れさせない、寄り添うような組み合わせ。賑やかなパーティなら場を華やかにするコンビネーション。そして今回のように家庭でのんびり楽しむなら、心安らぐおいしさに加え気軽さ、手軽さも重視する。それが千葉さん流の考え方。

「おいしいのは当たり前。そこに驚きやシーンに合った工夫を加えることで、おいしさの先にある“快楽”を目指したい」。

果たして、千葉さんは、どのような提案をしてくれるのでしょうか。

※今回、ご紹介した商品は、2021年10月1日(金)にリニューアルオープンした『和光アネックス』地階のグルメサロン及びWAKOオンラインストア(上記バナー)にて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、千葉麻里絵さんがセレクトする19種のお酒や食品をはじめ、8種のペアリングをご用意しております。WAKOオンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

千葉さんが提案するペアリングは、ただのペアリングにあらず。概念を覆す驚きに満ちた食べ合わせは、おいしいはもちろん、楽しい場と時間も作り出す。

WAKO ANNEX酒、柿、山椒。3つの要素が相互に響き合う。

まず千葉さんが手にとった酒は『冨田酒造』の「七本鎗 武者修業 木桶仕込み」。滋賀県で500年近くも続く老舗『冨田酒造』と『松本酒造』の杜氏を退いた松本日出彦氏とのコラボレーションから生まれた一本。『和光アネックス』地階 グルメサロン及び『和光オンラインストア』限定の品です。

「『七本鎗』は無骨さ、土の温かさ、大地と米の恵みをどっしりと伝えるお酒。対して松本さんの持ち味はクリアな透明感。このコラボレーションでは見事に両者が表現されています」と、まずは酒を評した千葉さん。そして、「甘みの奥に、まるでタンニンのような、茶の渋みのような味を感じました。だから直感的に“柿が食べたい”と思ったんです」と続けました。

そしてその第一印象を頼りに、柿を探し始めました。もちろん柿ならどれでも良いわけではありません。千葉さんが大切にしているのは「お酒と料理のテンションを合わせる」こと。「ワインが油絵だとすれば、日本酒は水彩画や水墨画。そこに合わせて自然で優しい甘さを合わせたい」。

様々な柿を試食した千葉さんが決めたのは、奥能登『陽菜実園』が栽培からこだわる完全無添加ドライフルーツ「ひなみ柿」でした。

「甘みが自然で、ほんのかすかな渋みがあるこの柿が、お酒のテンションとぴったり。お酒の無骨な土っぽさにこの柿がすんなりと寄り添います」と千葉さん。

しかし酒の半分の魅力にだけ寄り添う千葉さんではありません。もう半分の魅力、松本氏の透明感。千葉さんはそこに『飛騨山椒』の「実山椒」を合わせました。しかも食品と酒の片側通行の組み合わせではありません。柿の甘さと山椒の爽やかな香り、山椒によってさらにキレが増す酒。三者がそれぞれ役割を果たしながら見事に調和する驚きの組み合わせです。

酒と食品はもちろん、実山椒と柿も好愛称。「実山椒と柿を交互に食べながらお酒を飲んでみてください」と千葉さん。

『冨田酒造』が満を持して挑んだ木桶仕込み。松本氏とのコラボレーションは、『和光アネックス』地階 グルメサロン及び『和光オンラインストア』のみ限定販売。

「味が形として見える」という千葉さんの発想は直感的。しかし、直感の影には膨大な知識の蓄積がある。

WAKO ANNEXまるで合わせ出汁のように、酒の余韻を持ち上げる。

続いて千葉さんが選んだ酒は石川県『吉田酒造店』の「手取川 山廃 純米大吟醸 百万石乃白」。最高の日本酒を造るため11年の歳月をかけて開発された酒米・百万石乃白を使い、『吉田酒造店』お得意のモダン山廃で仕込んだ酒です。

「山廃のしっかり味、と思いきや軽くてすっきり飲みやすい。マスカットのような香りと乳酸のようなクリーミーな後味です」とまずは酒の評価。そして千葉さんが着目したのは、後味の部分でした。

「後に残る味わいに、喉の奥にさらなる可能性を感じます。ここに旨味を合わせたらどうなるか、それを確かめたい」。そう言って千葉さんが手にしたのは『マルキチ阿部商店』の「リアスの詩 さんまこぶ巻」。旬の新鮮なサンマを昆布で巻き、醤油ダレで煮込んだ逸品です。

「山廃ですから光モノの魚が合うのは当然。さらに昆布の旨味がお酒のポテンシャルを引き出します」と千葉さんが狙ったのは、昆布のグルタミン酸により引き出され、持ち上げられる後味の余韻。煮物に酒を加えて食材の旨味を引き出すように、まるで合わせ出汁のような深みある旨味が長く尾を引きます。

単品ではすっきりだった酒が、フードと合わせることでふくよかで旨味ある味わいに変わる。組み合わせることでまったく別のキャラクターを引き出すのもまた、千葉さんの狙いのひとつです。

山廃仕込みと和の旨味を合わせる。王道のようだが、その裏には「余韻」という狙いが潜んでいる。

日本酒への愛ゆえに、ときに話は発酵や稲作の歴史の話まで。千葉さんの朗らかな人柄が、薀蓄を楽しい酒の肴に変える。

「口に含んだ瞬間のピリッとしたガス感が心地よい」と千葉さん。微発泡は搾ってすぐに瓶詰めした鮮度の証。

WAKO ANNEX甘酒にオイル。意外な組み合わせの先にある驚きの調和。

3つ目に千葉さんが選んだのは、甘酒でした。岩手の民宿『とおの屋 要』が造るナチュラルな甘酒は、実はもともと甘酒が苦手だったという千葉さんが「これは別格。上品で自然な甘さで毎朝飲んでいます」という愛飲の品。しかし単体で完結しているこの甘酒で、どのような組み合わせを狙うのでしょう。すると千葉さんが取り出したのは『アグリオリーブ』の「エキストラバージンオリーブオイル」。

千葉さんは、甘酒のテクスチャに注目していました。

「甘酒は、マットな質感が特徴。ここにオリーブオイルを少々垂らすと、まるでビシソワーズのような、クリーミーなスープのようになります」と千葉さん。

「上質な革を使ったカバンを磨いて艶が出るイメージ」。

千葉さんの言葉が、腑に落ちます。甘酒のしっかりとした質感にオイルが加わることでその味わいは滑らかに、艷やかになり、さらにオリーブのフレッシュな青っぽさが甘酒の甘みにさらなる深みを加えます。それから「ペアリングというより、料理ですね」と笑う千葉さんですが、驚きの組み合わせと味わいの変化を前にすれば、些細なこと。改めて酒と食品の組み合わせの奥深さを感じさせてくれました。

テンション、余韻、質感に注目して考案した3種類の組み合わせ。すべてに共通するのは、合わせることで未知なる魅力が立ち上がってくること。

「それぞれ単体でおいしいものばかりですが、そこに出合いを付け足すとそれは“体験”になります。体験することでおいしさ以上の楽しさ、快楽を見つけて頂ければ。そしてその楽しさを通して、日本の食の底力を改めて感じてください」そう総括した千葉さん。ぜひ今回の組み合わせを“体験”し、その驚きをご自身で体感してみてください。

どぶろくでも知られる『民宿とおの』は、米の栽培も手掛ける。この甘酒も白米の米麹から丁寧に仕込まれる。

甘酒にオリーブオイルをほんのひと垂らし。それだけで劇的に変わる味わいに驚かされる。

「ペアリングはパズルをはめる感覚」という千葉さん。そのピタリと合致する組み合わせはお見事。

※今回、ご紹介した商品は、2021年10月1日(金)にリニューアルオープンした『和光アネックス』地階のグルメサロン及びWAKOオンラインストア(上記バナー)にて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、千葉麻里絵さんがセレクトする19種のお酒や食品をはじめ、8種のペアリングをご用意しております。WAKOオンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

岩手県出身。保険会社のSEから日本酒に魅了されたことで飲食業界に転身。新宿の『新宿の『日本酒スタンド酛(もと)』に入社後、利酒師の資格を取得。日本全国の酒蔵を訪ね、酒類総合研究所の研修などにも参加し、2015年に『GEM by moto』をオープン。化学的知見から一人ひとりに合わせた日本酒を提供する。口内調味やペアリングというキーワードで新しい日本酒体験を作り、日本のみならず海外のファンを魅了し続けるかたわら、様々なジャンルの料理人や専門家ともコラボレーションし、新しい日本酒のスタイルを日々模索する。2019年には日本酒や日本の食文化を世界に発信する「第14代酒サムライ」に叙任。。主な作品は、『日本酒に恋して』(主婦と生活社)、『最先端の日本酒ペアリング』(旭屋出版)など。出演作は、映画『カンパイ!日本酒に恋した女たち』(配給:シンカ)。https://www.marie-lab.com/

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8  MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp

Photographs:植田 城維 (HYBRID FACTORY)
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(Supported by WAKO)

「武者修業」完結。仲間と醸した五蔵の酒、それは松本日出彦が生きた証。

左より、秋田『新政』、栃木『仙禽』、滋賀『七本鎗』、福岡『田中六五』、熊本『花の香』と造り上げた「武者修業」における五本。

 約9ヶ月に及ぶ「武者修業」を終えた松本日出彦氏。全身全霊を注ぎ込み、五蔵それぞれの酒を仕上げた。「自分の人生を変えた酒造りになりました。五蔵の皆様と支えてくれた家族、周囲の方々には、感謝しかありません」。

HIDEHIKO MATSUMOTO最も旨い「中汲み」を「直汲み」。魂を込めた五蔵のスペシャルエディション。

2020年12月31日。自身の蔵元である『松本酒造』を父親とともに去ることになってから約9ヶ月。

紆余曲折しながら「武者修業」という題を自らに課し、酒造りを再開した松本日出彦氏ですが、それを成すことができたのは、仲間の支えがあったからこそ。

秋田『新政』、栃木『仙禽』、滋賀『七本鎗』、福岡『田中六五』、熊本『花の香』。

五蔵の「武者修業」は、決して平坦な道のりではありませんでした。しかし、もう一度、酒造りに没頭できる環境は、すべてを失った松本氏にとって幸福な時間だったに違いありません。

それぞれ醸した酒は、仕上がった順に「別誂」としてリリースされましたが、即完売。しかし、「武者修業」の最後に酒造りを終えた『新政』に合わせ、五蔵「直汲み」という特別仕様こそ、今回の真髄。「武者修業」における五蔵の酒が一堂に会すのは、初になります。

その数は、各蔵限定75本のみ。

※「武者修業」における五蔵「直汲み」は、各蔵限定75本のみになります。2021年10月1日(金)にリニューアルオープンした『和光アネックス』地下1階のグルメサロン及びWAKOオンラインストア(上記バナー)のみ、購入可能になります。

自社圃場の保有、無農薬栽培の実現など、(佐藤)祐輔さんは有言実行。それを信じて酒造りをしているプロフェッショナル集団こそ、『新政』たるゆえん。“美味しい競争に興味はありません。自分は、文化的価値の高いお酒を目指しています”と話していた祐輔さんの思想は、これからの日本酒業界にも必要なことだと思いました」。

「『仙禽』といえば、自分の中では人生初のもと摺り。見た目は地味ですが、相当な労力、体力、忍耐力を要します。薄井(一樹)さん(右)から『武者修業』は『仙禽オーガニックナチュール』でと言われた時は、一番難しい造りが来た……と思いました。杜氏の(薄井)真人さん(左)との酒造りも学びが多かったです」。

「最初に訪れた『武者修業』先が『冨田酒造』でした。決して酒造りに向いているわけではない玉栄の米を使い続ける酒造りに地元の愛を感じました。不器用だけど真っ直ぐな冨田(泰伸)さんらしい決断と覚悟。そんな想いが『七本鎗』の味にも出ていると思います」。

「五蔵の中でも田中(克典)さんとは一番付き合いが古く、学生時代からの友人でもあります。『白糸酒造』が守ってきたハネ木搾りによって、『田中六五』は生まれているのだと感慨深い気持ちになりました。酒袋を槽(ふね)に積む作業は、本当に苦しかったです」。

「神田(清隆)さんとは、面識がある程度だったので、今回の一件でご連絡をいただいた時にはびっくりしました。『花の香酒造』が大事にしている産土(うぶすな)の精神と熊本の在来品種・穂増(ほませ)を復活させた熱量には、心が熱くなりました」。

松本氏の密着を始めてから、本人の手を定点観測。上段左より、「武者修業」前、『七本鑓』、『花の香』。下段左より、『田中六五』、『仙禽』、『新政』。

HIDEHIKO MATSUMOTOどうしても「直汲み」として形に残しておきたかった。「武者修業」は、掛け替えのない時間だったから。

「『直汲み』は、造り手にとって最も大切なお酒になります。搾り始める酒の最初と最後の荒い部分を除いた一番質の良い『中汲み』のみを厳選し、酒粕と清酒が離れる瞬間を酸化させずに直接手で汲み入れます。手間暇がかかるだけでなく、量産できないため、一般に流通できないのですが、今回は、どうしてもそれを形に残しておきたかったのです。今回お世話になった五蔵に限らず、日本酒造りは、非常に閉ざされた世界です。そんな環境の中に余所者の自分を受け入れてくれた五蔵の方々には感謝しかありません。何もかも失ってしまった自分に居場所を与えてくれました。役目を与えてくれました。大袈裟かもしれませんが、自分は生きていいのだと思わせてくれました。だから、その掛け替えのない時間を形に残しておきたかった。もちろん、このお酒の価値は、自分ではない誰かが決めることだと理解しています。我がままかもしれませんが、それでも残しておきたかった」。

酒造りは、基本的に全ての蔵が同じ時期に行うため、例え余所者を受け入れる許容ある蔵があったにせよ、職人同士が現場を共にすることは不可能。今回は、皮肉にも松本氏が蔵を失ったからこそ実現できました。

そして、それぞれにおける酒造りという長いシーズンを振り返り、松本氏は「楽しかった」と言います。

「仕込みながら微調整していくライブ感や目指すべき味の目線合わせをしていく緊張感。そして、シーズンを戦い抜くために命をかける魂のぶつかり合い。予測はできても状況判断は、現場にいなければできません。現実を受け入れられなかった当初は内に籠ってしまった時もありましたが、仲間のおかげで心が動いた。体が動いた。色々な物事には理論や理屈はあるけど、実際に行動した人にしか見ることができない景色があるのだと感じました」。

「直汲み」は、希少な酒です。しかし、語弊を恐れずに言えば、「武者修業」の価値はそこにありません。

昨今における世界的な情勢も手伝い、日常や当たり前は奪われてしまいました。働き方、暮らし方など、様々は一変。改めて、「生きる」ことは何かを深く考えた人も少なくないのではないでしょうか。

ゆえに、今回においても、ただ酒の「直汲み」にあらず。松本氏が酒職人として空白の時代を作らなかった「生きた証」なのです。

「『武者修業』のお酒を通して、ほんの少しでも誰かに生きる力を与えられたらなと思っています。この難局も手伝い、疲れてしまったり、元気をなくしてしまったり、先が見えなかったり……。おこがましいかもしれませんが、それでも前を向いて生きる意義を感じてもらえたら嬉しく思います」。

かく言う松本氏自身も「武者修業」を通して前向きになれたひとり。前出の「楽しかった」と振り返れた心境しかり、最後に残した言葉がそれを物語っています。

「すべてをひっくり返しても、先祖代々が大切に残してくれた酒蔵で酒造りをさせていただいた『松本酒造』には感謝しかありません」。

おそらく、これほどまでに人の想いと魂が込められた酒は、これまでも、これからもないでしょう。

「武者修業」を終えた松本日出彦は、今何を思う。

「やっぱり自分は酒が造りたい。それがちゃんと確信に変わった」。

松本日出彦の密着は、まだ続く。

「武者修業」をスタートさせる前、「酒造りをしている時は手が硬い。酒造りができていない今の手は、柔らかい。シーズン中にこんな自分の手を見るのはいつぶりだろうか……」と話していた松本氏。約9ヶ月後、すべての「武者修業」を終えた手は、酒職人の手になっていた。

※「武者修業」における五蔵「直汲み」は、各蔵限定75本のみになります。2021年10月1日(金)にリニューアルオープンした『和光アネックス』地下1階のグルメサロン及びWAKOオンラインストア(上記バナー)のみ、購入可能になります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2010年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層の人気を集める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

映画監督・河瀨直美が体験する、創造的休暇。

紀寺の家 「きおくと現実のはざまで」
文・河瀨直美

 紀寺で生まれ、紀寺で育った。紀寺はわたしの故郷である。この路地の先の長屋には、現実ときおくを行き来する空間がある。余分なものは一切無い。庭にある木々たちも、自らの場所をわきまえて存在している。枝葉を太陽に向かって伸ばしている姿は美しい。領域は無限だが、わきまえることで、その無限は無限たるに在る。季節ごとのしつらえも、あるがままに美しい。ひとりがこんなに贅沢なのは、物言わぬものたちが、その存在そのもので充分に豊かだからだ。それ以上でも以下でもない。比べることもない。私が私であって良いと彼らに存在を認めてもらっているような安心感が心を満たす。歩くこと、迷うこと、時間を気にしないこと、委ねること。丁寧に生きるとは、私の中の私を愛でることなのかもしれない。あたりまえに備わっている自分に感謝すること。もうひとつの目を持って、それらを見つめること。この空間は、そうして私を解放する。ああ、自由だ。風が心地よい。ささいな陰影が目に飛び込んでくる。細やかな物事がまるで奇跡のように思えたら、ここにある創造的休暇は、どんなことよりも贅沢だ。これでもかこれでもかとありとあらゆるものを自分の周りに置いて過ごしてみても、何やら孤独が押し寄せる夜は、ふっとこの路地の向こうを思い描いてみよう。そうすれば心の奥のほうに確かに存在しているあの日の自分を取り戻せるかもしれない。

 アテもない散歩、この辻を曲がれば何に出会えるのだろうと心弾ませていたあの日、私の笑顔はきっと穏やかで清々しい色をしていたに違いない。あの色にもう一度逢いにいく。でも、もう少し、だから、ここで頑張ってみる。そう思い、空を見上げるとまんまるなお月様がじっと私を見つめてくれていた。梢の向こうに輝くそれは、この地球に暮らす人々の上に等しく光を放つ。ああ、同じだね。大好きだよ。ここにいるよ。ありがとう。

1969年生まれ、奈良県出身。地元・奈良を拠点に映画を創り続ける。一貫したリアリティの追求はカンヌ映画祭をはじめ、各国の映画祭で受賞多数。代表作は、「萌の朱雀」、「殯の森」、「2つ目の窓」、「あん」、「光」など。映画監督のほか、CM演出、エッセイ執筆などジャンルにこだわらず表現活動を続け、故郷奈良において「なら国際映画祭」をオーガナイズしながら次世代の育成にも力を入れている。最新作「朝が来る」は、第73回カンヌ映画祭公式セレクション、第93回米アカデミー賞国際長編映画賞候補、日本代表として選出。第44回日本アカデミー賞では、6部門で優秀賞と新人俳優賞を受賞。また、東京2020オリンピック公式映画監督に就任。2025年大阪・関西万博のプロデューサー兼シニアアドバイザー。バスケットボール女子日本リーグの会長も務める。プライベートでは、野菜やお米も作る一児の母。
www.kawasenaomi.com

住所:奈良県奈良市紀寺町779 MAP
TEL:0742-25-5500(受付時間9:00~19:00)
http://machiyado.com

Photographs:HARUHI OKUYAMA

「紀寺の家」と「奈良」を通して、「創造的休暇」について考える。

紀寺の家自然と生きる。自然に生きる。

奈良には、自然が溢れています。『紀寺の家』からゆっくりとそれを目指すに連れ、町の風景から樹々の風景へと変化し、徐々に人の気配は消えてゆきます。中には1000年以上、地に根を張り続ける木のある森もあり、そこに身を置けば、人類の無力ささえ感じます。

また、霧や靄をまとった自然の姿は、生命力にみなぎり、野生を感じさせます。真の自然とは、ただ優しく、美しいだけではありません。時に狂気も孕みながら、神聖なる領域を維持しているのだと思います。

大地があり、種が落ち、芽生え、雨によって水を蓄え、植物は育ち、やがて森や林、山を作る。環境が備われば、生き物も暮らし、そこには生態系が創造されます。ただただ、圧倒されつつ、私たち人間はこの場所から生まれた恵みをいただいているのだと気付きます。

『紀寺の家』では田んぼを借り、苗から育てたお米でごはんを炊いています。苗は、山々から湧き出る水によって育ちます。私たち人間は、それを体内に取り入れます。自然に生かされているのです。日々の忙しさに感け、そんな当たり前を忘れてしまいがちですが、決して、当たり前は当たり前ではありません。

自然と生きるとは何か。自然に生きるとは何か。技術やテクノロジーが進化し続けるからこそ、考えなければいけないことだと思います。人類の本当の進化は、いつの時代も創造力から生まれていると信じているからです。

紀寺の家見えるものではなく、見えないことを知る。

奈良には数々の伝統行事があります。中には、1000年以上前より続くものもあり、その行事を知ることは、町の歴史や文化を知ることにもつながります。

日本各地に著名な行事は数多くありますが、ただ見るだけで終えてはいけないと思います。そこに深く根付いた理由や源に触れることに意味があると考えるからです。残り続けているからには、何か大切なメッセージが隠されているはずです。なぜ、なくしてはいけないのか。なぜ、なくならなかったのか。なぜ、想うのか、祈るのか、願うのか。

見えるものではなく、見えないことに本質は潜んでいます。創造力を膨らませ、考え続けるからこそ、応えが見つかるのだと思います。

紀寺の家ものの命は、人の命よりも長い。

『紀寺の家』は、100年余の歴史を刻む建物です。5棟の町家群を修復したそこには、独特の時間が流れていると思います。その理由を少し考えてみました。

修復するという行為は、実は、非常に時間と手間がかかります。いっそのこと、解体し、建て直してしまった方が効率良く建築物はできてしまいます。しかし、『紀寺の家』は、古き良き建物を残す活動を続けています。なぜなら、そうやってこれまでも誰かが守ってきたからです。

建物を残すということは、風景を残すことにつながると思います。それを先人たちが成してくれたおかげで、時空を超えた奈良町の邂逅体験を現代に与えてくれました。

『紀寺の家』では、長きにわたり生き続けている建物の呼吸を感じていただけると思います。使い込まれた床、撓んだ木材、圧倒的存在を放つ梁……。経年による老いは、深みを増し、美しい空間を形成しています。つまり、ここには、100年前の時間が残っているのです。

いつか、私たち人間は死を迎えてしまいます。しかし、建物は、その後も生き続けていくでしょう。『紀寺の家』がこれからできることは何か。それは、正しい人に正しくこの建物を引き継いでいくことです。

これから先、この建物には、どんな未来が待っているのだろうか。未来を創造するということは、過去を振り返るきっかけにもなるのです。そんな両輪的発想から何が生まれるのか。

ものの命は、人の命よりも長いです。100年後も『紀寺の家』が建つ奈良町の風景を創造しながら、今日もまたお客様をお迎えしています。そして、ほんの少しでも「創造的休暇」を感じるようなことがあれば、是非、『紀寺の家』の方々に教えてあげていただければと思います。

紀寺の家灯の数だけ、暮らしがある。

奈良町には、古い民家が建ち並ぶ風景が今なお残っています。旧市街地ゆえ、夜になると暗さが際立ちますが、それによって存在感を増すのが灯です。
路地に建ち並ぶ民家からこぼれ落ちる灯は、古き良き奈良町の風景だと思っています。

灯の数だけ暮らしがある。
灯の数だけ家庭がある。
灯の数だけおいしいごはんがある。
灯は創造力を掻き立てます。

風景は、心の奥にあった記憶を手繰り寄せてくれます。ある日、そんなことに想いを馳せながら散歩をしてみると、突如現れる異質な空間も愛おしく感じました。さらに歩を進めると、足元に百日紅。目の上に咲く花の美しさもあれば、散る美しさもある。

視点を変えれば、いつもの風景が全く違うものに映るかもしれません。

住所:奈良県奈良市紀寺町779 MAP
TEL:0742-25-5500(受付時間9:00~19:00)
http://machiyado.com

Photographs:HARUHI OKUYAMA
Text:YUICHI KURAMOCHI

10年という節目に迎えた試練。導かれた「創造的休暇」という応え。

紀寺の家私たちは何かを失っただけではない。そこから何かを得なければいけない。

2021年10月、「紀寺の家」は、10周年を迎えます。

「本来であれば、様々な計画を練るところでありますが、ご存じの通り、2020年より人類を脅かす世界規模の難局が訪れてしまいました。以降、「新型コロナウイルス」という言葉を、ニュースや報道などにおいて目にしない日は一日もありません」。そう語るのは、『紀寺の家』の主人、藤岡俊平氏です。

突如現れたそれは、瞬く間に人類から日常や当たり前を奪ってしまいました。『紀寺の家』も例外ではありません。

「空室が続き、宿屋としての存在価値を失ってしまい、経営面はもちろん、何よりお客様をお迎えできないことはこんなにも辛く苦しいことなのだという現実を知ることになりました。夢であったら覚めてほしいと思うも、夢ではありません」と言葉を続けます。

まるで役目を終えてしまったかのような『紀寺の家』には、ただただ静寂が漂っていました。どうしたらいいのか。残念ながら、時間はたっぷりあります。予定もありません。

もし、この問題が終息したとしても、日常は戻ってこないかもしれません。当たり前は、当たり前ではなくなっているかもしれません。色々なことが藤岡氏の頭の中で巡ります。

そんな時、まるで導かれるように藤岡氏は「創造的休暇」という言葉と出合いました。今まさに、その時と同じ現象が起きているのではないでしょうか。

17世紀、著名な学者、アイザック・ニュートンが経験したパンデミック。そして、ニュートンが故郷へ避難したからこそ「万有引力の法則」を発見できたように、『紀寺の家』でも何か発見できるのではないか。そんな能動的な思考が生まれたのです。

藤岡氏は、再度、誰もいない『紀寺の家』へ足を踏み入れてみます。すると、これまでにはなかった感性が芽生えている自分に気が付きました。

「昨今、急速なテクノロジーや技術の革新により、物事の良し悪しを“時短”で判断するという風潮を感じます。頼んだものがすぐ届く。検索すればすぐ見つかる。買いたいものがすぐ買える……。旅においても、美しい景色やおいしい食事は、インターネット上に溢れ、行ったつもり、食べたつもり、見たつもりなどの“つもり”現象もしばしば。もちろん、それらによって格段に便利になったこともあるでしょう。しかし、本当にそれが全て正しいのでしょうか。誰もいない『紀寺の家』には、正しい時間が流れていました」。

窓から差し込む朝日、日中には陽光が空間を優しく包み込み、徐々に染まりゆく朱色が夕刻の便りを届けてくれます。その残像による気配を片隅に、群青色から闇へとグラデーションしていき、やがて夜が訪れる。奈良の夜は暗いです。しかし、暗いからこそ、月明かりが美しく星が煌めいています。

ここには、1時間を30分にするような「時短」はありません。正しい時間が正しく流れています。

「忘れてしまった何かを感じました。我々は、正しい時間を正しく体感できているだろうか。正しい食材を正しくいただけているだろうか。正しいものを正しく使えているだろうか。正しい自然と正しく共存できているだろうか。そして、人として正しく生きられているだろうか」。

寄せては返す波のごとく、様々な自問自答を重ねました。もしかしたら、自己との対峙によってニュートンも何かを得たのかもしれません。

近道ではなく遠回りをしてみる。表側ではなく裏側を見てみる。角度を変えて物事と向き合ってみる。いつもの場所へひとけを避けて違う時間に訪れてみる。その対象は「紀寺の家」だけではありません。真夜中の社寺、誰もいない山頂、早朝の原始林……。

大袈裟なことではなく、ほんの少し視点を変えるだけで、これまで気付きを得ることがなかった何かに出合えるかもしれません。

庭にある木から落ちるりんごをヒントに着想を得たニュートンのように。

大地の鼓動、風の音、光の陰影、自然への敬意、そして、生きるとは何か。

無だからこそ見える景色、無だからこそ聞こえる音、無だからこそ得られる感受。

その先にある豊かさとは何か……。

「人類は、地球上の一生物に過ぎません。そんなことも、こんな時代になってしまったからこそ再認識するきっかけになりました。これも私にとっては、発見のひとつです」。

「創造的休暇」の応えは、人それぞれです。

「自身の心に耳を傾け、開眼した世界に気付きを得る体験こそ、“創造的休暇”なのだと思います。私たちは何かを失っただけではありません。そこから何かを得なければいけません。10年という節目。様々な想いを、ここに記しておきたいと思います」。

住所:奈良県奈良市紀寺町779 MAP
TEL:0742-25-5500(受付時間9:00~19:00)
http://machiyado.com

Photographs:HARUHI OKUYAMA
Text:YUICHI KURAMOCHI

切っても脂が滲まない、臭みと無縁の味。至高の淡水魚・信州サーモン。[鹿島槍ガーデン/長野県大町市]

北アルプスの雪解け水で育つ信州のブランド魚。

北アルプスの豊かな自然に囲まれ、力強くも澄んだ味わいの食材を生産する長野県大町市。そんな大町市で素晴らしい食材を探すべく、イタリアンの巨匠『HATAKE AOYAMA』神保佳永シェフが大町市を巡りました。
今回出合ったのは、研究者の探究心と生産者の熱意、そして長野の清冽な水が生んだ奇跡の淡水魚・信州サーモン。神保シェフは信州サーモンに何を感じ、そしてどんな料理を思いついたのでしょうか。

北アルプスの雪解け水を源とする鹿島川の水。夏でも15度以下という低い水温が特徴。

最新のバイオテクノロジーで誕生した信州サーモン。

時は20世紀の終わり頃。「信州ならではの食材を」との思いから長野県水産試験場で淡水魚の研究が始まりました。しかし新品種の開発はそう簡単には進まず、時間が流れます。そして約10年の歳月を費やし、ついに満足のできる種が誕生しました。
それは細心のバイオテクノロジーによってニジマスとブラウントラウトを交配し、両者の良いところを受け継いだ種。三倍体という遺伝子構造で雄しか存在せず卵を産まないため、産卵のエネルギーを脂の乗った肉厚な身として蓄えます。研究者はその輝く銀色の魚体から、この魚を“信州サーモン”のと名付けました。

特殊な技術によって生まれる信州サーモンの稚魚は長野県水産試験場で育てられ、そこから県内の各養殖場に出荷されます。そこから先は、熟練の魚飼いたちの出番。独自に餌を工夫し、環境に細心の注意を払いながら、それぞれが愛情を持って育てます。やがて同じ信州サーモンでも養殖場によって違いが生まれ、2〜3年後に成長しきる頃にはその生産者の自慢のブランドとして出荷されるのです。

銀色に輝く体からサーモンの名がついた信州サーモン。身は肉厚で鮮やかなオレンジ色。

クセがなく、適度な脂が乗った信州サーモンは、もちろん刺し身でも抜群のおいしさ。

水産試験場から出荷された稚魚を、各生産者が丹精込めて育て上げる。

鹿島川の清き水が育てる臭みのない魚。

名峰・鹿島槍ヶ岳の懐に位置する『鹿島槍ガーデン』は、そんな養殖場のひとつ。正確には広大な敷地の中に管理釣り場と養殖場を備えたフィッシングガーデンで、巨大なニジマスやトラウト、ときにはイトウまで釣れると釣り人たちの伝説として語られる名所です。

そんな『鹿島槍ガーデン』は、人生を川魚の養殖一筋に捧げてきた社長・矢野口千浪氏が1971年に開きました。安曇野穂高生まれの矢野口氏は、当時28歳。釣り場を開くことを夢見て、良質な水を探して長野中を歩き回りました。そしてとうとう見つけたのが、安曇野にもほど近いこの場所。「探していた場所がこんなに近くにあったんですね」矢野口氏は懐かしそうに振り返ります。

矢野口氏が惚れ込んだのは、鹿島川の水。北アルプスの雪解け水を源流とするこの水は、冬場は水温0度まで下がり夏場でも15度以下。川の水をそのまま引いている養殖場も、自然そのままの環境です。そしてこの厳しさが、結果としておいしい魚を育てました。

というのも冬場、極寒となる水中の魚たちは活動を止め、餌をまったく食べなくなります。ゆえに一般的な養殖場と比べ、成長まで2倍近くの時間がかかるのです。そしてゆっくり育てることで臭みが抜け、クリアなおいしさの身になるのだとか。さらに冷たい水は身を引き締め、脂を良質にします。自然に近い環境のため余分な脂は乗らず、身には旨味がギュッと凝縮されます。「鹿島川ほどおいしい魚のいる川はない」矢野口氏はそう胸を張ります。

実は以前に何度も『鹿島槍ガーデン』を訪れ、信州サーモンも料理に使用していた神保シェフ。つまりその品質は、すでにシェフのお墨付きです。それでも再びこの地を訪れ、矢野口氏と再会の挨拶を交わすと、すぐに養殖場の見学や試食などで変わらぬ品質を確認します。

鹿島川の水をそのまま引き込む『鹿島槍ガーデン』は、自然に近い生育環境。

『鹿島槍ガーデン』の矢野口氏。半世紀以上の月日を、川魚の養殖に捧げてきた。

『鹿島槍ガーデン』を見学する神保シェフと『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』 の泉田シェフ。

『鹿島槍ガーデン』では信州サーモンのほか、希少な岩魚の刺身や卵などを試食させてもらった。

濃厚な旨味と食感を、シンプルな調理で際立てるシェフの技。

「川魚特有の臭みが一切なく、身が引き締まっている。海の魚にも負けない味です」

そう言い切る神保シェフ。
そして神保シェフが『鹿島槍ガーデン』の信州サーモンも使って作ってくれたのは、意外にもシンプルなフライでした。

「鹿島槍ガーデンの信州サーモンは、揚げても身がしっかりと締まった肉のような身質ですから、レアのねっとりとした食感を味わってみてください」とフライに仕立てた理由を教えてくれた神保シェフ。
さらに「切ったときに赤い脂が滲んでこない。身に臭みがまったくない。いろいろと魚を食べてきましたが、ここまでクリアな味わいの川魚ははじめてです。多くの場合、臭みの原因は水質。だから鹿島槍ガーデンは、水質が本当に良いんでしょうね。何しろ岩魚を刺し身で食べられる養殖場ですから」と手放しの称賛を寄せました。

レシピはパン粉を付けて揚げる一般的なフライの作り方。イクラを添え、バジルオイルで香りを付け、仕上げにパプリカの粉を振れば、より本格的な味わいに。
内部をレアに揚げるコツは「2cmほどの厚みの場合なら冷蔵庫から出したての魚を、180度で2分ほど揚げる。表面がこんがりしてきたら、内側はちょうどレアになっています」と神保シェフ。

揚げたてを頂いてみると、衣の香ばしさとねっとりとした独特の信州サーモンの食感、ギュッと締まって旨味を湛えた身、イクラの塩気とタルタルソースの酸味が一体となった極上の味。一見、家庭料理のようですが、さまざまな小技で一体感を演出するのは、まさにスターシェフならではのテクニックです。

『鹿島槍ガーデン』のいくら(奥)と岩魚の卵(手前)。この希少な味も神保シェフのインスピレーションを刺激した。

フライといってもシェフが仕立てるのは、美しく盛り付けた洋食としての逸品。

中は見事なレア。衣の香ばしさとの食感の対比や濃厚な味わいが楽しめる。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)

切っても脂が滲まない、臭みと無縁の味。至高の淡水魚・信州サーモン。[鹿島槍ガーデン/長野県大町市]

北アルプスの雪解け水で育つ信州のブランド魚。

北アルプスの豊かな自然に囲まれ、力強くも澄んだ味わいの食材を生産する長野県大町市。そんな大町市で素晴らしい食材を探すべく、イタリアンの巨匠『HATAKE AOYAMA』神保佳永シェフが大町市を巡りました。
今回出合ったのは、研究者の探究心と生産者の熱意、そして長野の清冽な水が生んだ奇跡の淡水魚・信州サーモン。神保シェフは信州サーモンに何を感じ、そしてどんな料理を思いついたのでしょうか。

北アルプスの雪解け水を源とする鹿島川の水。夏でも15度以下という低い水温が特徴。

最新のバイオテクノロジーで誕生した信州サーモン。

時は20世紀の終わり頃。「信州ならではの食材を」との思いから長野県水産試験場で淡水魚の研究が始まりました。しかし新品種の開発はそう簡単には進まず、時間が流れます。そして約10年の歳月を費やし、ついに満足のできる種が誕生しました。
それは細心のバイオテクノロジーによってニジマスとブラウントラウトを交配し、両者の良いところを受け継いだ種。三倍体という遺伝子構造で雄しか存在せず卵を産まないため、産卵のエネルギーを脂の乗った肉厚な身として蓄えます。研究者はその輝く銀色の魚体から、この魚を“信州サーモン”のと名付けました。

特殊な技術によって生まれる信州サーモンの稚魚は長野県水産試験場で育てられ、そこから県内の各養殖場に出荷されます。そこから先は、熟練の魚飼いたちの出番。独自に餌を工夫し、環境に細心の注意を払いながら、それぞれが愛情を持って育てます。やがて同じ信州サーモンでも養殖場によって違いが生まれ、2〜3年後に成長しきる頃にはその生産者の自慢のブランドとして出荷されるのです。

銀色に輝く体からサーモンの名がついた信州サーモン。身は肉厚で鮮やかなオレンジ色。

クセがなく、適度な脂が乗った信州サーモンは、もちろん刺し身でも抜群のおいしさ。

水産試験場から出荷された稚魚を、各生産者が丹精込めて育て上げる。

鹿島川の清き水が育てる臭みのない魚。

名峰・鹿島槍ヶ岳の懐に位置する『鹿島槍ガーデン』は、そんな養殖場のひとつ。正確には広大な敷地の中に管理釣り場と養殖場を備えたフィッシングガーデンで、巨大なニジマスやトラウト、ときにはイトウまで釣れると釣り人たちの伝説として語られる名所です。

そんな『鹿島槍ガーデン』は、人生を川魚の養殖一筋に捧げてきた社長・矢野口千浪氏が1971年に開きました。安曇野穂高生まれの矢野口氏は、当時28歳。釣り場を開くことを夢見て、良質な水を探して長野中を歩き回りました。そしてとうとう見つけたのが、安曇野にもほど近いこの場所。「探していた場所がこんなに近くにあったんですね」矢野口氏は懐かしそうに振り返ります。

矢野口氏が惚れ込んだのは、鹿島川の水。北アルプスの雪解け水を源流とするこの水は、冬場は水温0度まで下がり夏場でも15度以下。川の水をそのまま引いている養殖場も、自然そのままの環境です。そしてこの厳しさが、結果としておいしい魚を育てました。

というのも冬場、極寒となる水中の魚たちは活動を止め、餌をまったく食べなくなります。ゆえに一般的な養殖場と比べ、成長まで2倍近くの時間がかかるのです。そしてゆっくり育てることで臭みが抜け、クリアなおいしさの身になるのだとか。さらに冷たい水は身を引き締め、脂を良質にします。自然に近い環境のため余分な脂は乗らず、身には旨味がギュッと凝縮されます。「鹿島川ほどおいしい魚のいる川はない」矢野口氏はそう胸を張ります。

実は以前に何度も『鹿島槍ガーデン』を訪れ、信州サーモンも料理に使用していた神保シェフ。つまりその品質は、すでにシェフのお墨付きです。それでも再びこの地を訪れ、矢野口氏と再会の挨拶を交わすと、すぐに養殖場の見学や試食などで変わらぬ品質を確認します。

鹿島川の水をそのまま引き込む『鹿島槍ガーデン』は、自然に近い生育環境。

『鹿島槍ガーデン』の矢野口氏。半世紀以上の月日を、川魚の養殖に捧げてきた。

『鹿島槍ガーデン』を見学する神保シェフと『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』 の泉田シェフ。

『鹿島槍ガーデン』では信州サーモンのほか、希少な岩魚の刺身や卵などを試食させてもらった。

濃厚な旨味と食感を、シンプルな調理で際立てるシェフの技。

「川魚特有の臭みが一切なく、身が引き締まっている。海の魚にも負けない味です」

そう言い切る神保シェフ。
そして神保シェフが『鹿島槍ガーデン』の信州サーモンも使って作ってくれたのは、意外にもシンプルなフライでした。

「鹿島槍ガーデンの信州サーモンは、揚げても身がしっかりと締まった肉のような身質ですから、レアのねっとりとした食感を味わってみてください」とフライに仕立てた理由を教えてくれた神保シェフ。
さらに「切ったときに赤い脂が滲んでこない。身に臭みがまったくない。いろいろと魚を食べてきましたが、ここまでクリアな味わいの川魚ははじめてです。多くの場合、臭みの原因は水質。だから鹿島槍ガーデンは、水質が本当に良いんでしょうね。何しろ岩魚を刺し身で食べられる養殖場ですから」と手放しの称賛を寄せました。

レシピはパン粉を付けて揚げる一般的なフライの作り方。イクラを添え、バジルオイルで香りを付け、仕上げにパプリカの粉を振れば、より本格的な味わいに。
内部をレアに揚げるコツは「2cmほどの厚みの場合なら冷蔵庫から出したての魚を、180度で2分ほど揚げる。表面がこんがりしてきたら、内側はちょうどレアになっています」と神保シェフ。

揚げたてを頂いてみると、衣の香ばしさとねっとりとした独特の信州サーモンの食感、ギュッと締まって旨味を湛えた身、イクラの塩気とタルタルソースの酸味が一体となった極上の味。一見、家庭料理のようですが、さまざまな小技で一体感を演出するのは、まさにスターシェフならではのテクニックです。

『鹿島槍ガーデン』のいくら(奥)と岩魚の卵(手前)。この希少な味も神保シェフのインスピレーションを刺激した。

フライといってもシェフが仕立てるのは、美しく盛り付けた洋食としての逸品。

中は見事なレア。衣の香ばしさとの食感の対比や濃厚な味わいが楽しめる。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)

苦いものは苦く、辛いものは辛く。自然そのままの環境で力強く育つ信濃大町の野菜。[アルプス八幡農園/長野県大町市]

野菜の魔術師・神保シェフ、本領発揮の野菜料理。

土壌や水質、寒暖差や日照時間。ある土地で育つ野菜には、その土地の風土がダイレクトに表れるもの。長野県大町市の野菜が各方面から高い評価を受けるのは、北アルプスの水、寒暖差のある気候、豊かな土壌などが野菜栽培に適していることの証明なのでしょう。
そんな大町市の野菜生産者を、『HATAKE AOYAMA』の神保佳永シェフが訪ねました。野菜料理に定評があり、“野菜の魔術師”の異名を持つ神保シェフ。そんなシェフに大町市の野菜は、どんな爪痕を残すのでしょうか。

豊かな水と肥沃な土壌が育む信濃大町の野菜。そのおいしさはプロの料理人の間でも高評価を得ている。

一家で移住して就農し、環境保全型農業に挑戦。

この国には時折、常識破りの生産者がいます。手間暇や合理性を度外視し、ただ作物のおいしさをストイックに追求する求道者のような人。土地の特性を理解し、その恩恵を最大限に活かすスーパー生産者。
北アルプス山麓、標高700mの場所で家族で営む『アルプス八幡農園』も、きっとそんな生産者のひとつ。

『アルプス八幡農園』の畑を訪れてみると、すぐに一般的な畑との違いに気がつくことでしょう。まず見た目が違うのは、畝の間に雑草が伸びていること。ここでは畑に住むさまざまな生き物が暮らしやすい環境を作るべく、無農薬無化学肥料で環境保全型農業を進めているのです。雑草も定期的に刈るのではなく、伸びすぎて作業に支障を来す状態になったら刈るだけ。さらに刈った雑草はその場に留め、やがて土に還ります。雑草があるから手を抜いているのだと思うなら大間違い。作付けの場所を計算し、害虫避けには虫が嫌うハーブを植えるなどの工夫を凝らし、むしろ普通以上の多大な手間暇をかけ、自然に近い状態を保持しているのです。

話を聞かせてくれたのは責任者の八幡大智さん、そして父の八幡博己さん。実は八幡一家はこの地の出身ではなく、農業も2010年に関西から移住し就農しました。

大智さんが農業に傾倒したきっかけは幼い頃に何度も訪れていた祖母の家での家庭菜園の記憶、そして父・博己さんに連れられて訪れた大自然の記憶。成長した大智さんは農業高校、農業大学に進学し、その後、研修センターで実践を積みました。そして「いよいよ自分の畑を」と考えていたちょうどその頃、会社を定年退職した博己さんも第二の人生を大好きな山を眺めながら過ごしたいと引っ越しを目論んでいました。そうしてふたりの意見が合致した結果、長野県大町市への移住を決意したのです。

3年ほど経験を積んだ後、いよいよこの地に『アルプス八幡農園』がスタートしました。しかし相手は自然。大智さんは家族みんなで団結しながら、少しずつ野菜の収穫量を増やしました。

『アルプス八幡農園』の若き代表・八幡大智氏。大学で体系的に学んだ知識と実践で得た経験が武器。

父・博己氏は定年退職してこの地へ。ホームページやデータ管理なども博己氏の仕事。

一見、雑草が伸びてワイルドに見える畑だが、その実各所に細やかな計算が潜んでいる。

新鮮で瑞々しく、味の濃い無農薬野菜たち。

現在『アルプス八幡農園』で育てられるのは年間60品種ほど。家族経営のため大幅に収穫量を増やすことはできませんが、少量多品種、そして抜群のおいしさでリピーターをがっちりと掴んでいます。

そんな『アルプス八幡農園』の野菜の一番の特徴は、食感と甘み。シャキッと瑞々しい食感は、北アルプスの清冽な水をたっぷりと吸って育つから。口に広がる野菜本来の優しい甘みは寒暖の差が大きい大町市の気候特性をうまく使いこなしているから。そして何より、自然に近い環境を作り出すことで野菜に適度なストレスがかかり、植物が本来持つ力強い生命力が揺り起こされるから。

つまりここの野菜のおいしさは、この大町市という土地で、八幡一家の熱意なしでは育たないもの。ただ無農薬野菜といえばシンプルですが、その裏には真摯においしさを追求する一家の思いがこもっているのです。

そして“野菜の魔術師”たる神保シェフは、畑を訪れてすぐにその本質を見抜きました。
「畑を見るとワイルドな自然のままの姿に見えます。そしてひとつひとつの野菜に目を凝らしてみると、それがのびのびと生命力に満ちているのがわかります。どれも本当においしい野菜です」

神保シェフの考える野菜のおいしさとは、野菜本来の個性がはっきりと見えること。甘さやみずみずしさだけでなく、苦味や青臭さといった要素も野菜のおいしさの一貫だといいます。
「大根なら苦味と辛味、カブならみずみずしい甘み、ピーマンは苦味と青臭さ。それぞれの個性がはっきりと主張する素晴らしい野菜です」

少量多品種が『アルプス八幡農園』の方針。西洋野菜などの珍しい品種も作られている。

畑で博己氏の解説を聞く神保シェフ。栽培方法に関する鋭い質問も飛び出した。

許可を得て畑の隅々まで見て回る神保シェフ。宝物を見つけた子供のような好奇心に満ちた姿が印象的だった。

細かな技で野菜の魅力を引き出すバーニャカウダサラダ。

神保シェフは『アルプス八幡農園』の個性際立つ野菜に敬意を表し、その個性をより引き出したバーニャカウダサラダを作りました。一見シンプルなサラダですが、それぞれに手の込んだひと手間が加えられています。

ししとうは、素揚げ。揚げることで生のえぐ味を少し抑え、甘みとほのかな酸味を加えます。小カブは皮付きのままゆっくりと茹で、甘みを引き出しました。色による味のわずかな違いまで伝わる繊細な火入れです。ズッキーニは下茹で、大根は薄切りであえて生のまま。レタスは中心部を使い、赤タマネギは赤ワインビネガーでマリネ。

「イメージは八幡農園のあの畑。ワイルドな印象でありながら、ひとつひとつは繊細な手入れがされている。そんな様子を一皿で表現しました」

ソースは『アルプス八幡農園』のニンニクを牛乳で茹でこぼし、オリーブオイルとアンチョビを加えてミキサーへ。ビネガーを少々加えることで、野菜が引き立つ軽やかな味わいにしました。仕上げのパウダーは、キャベツとグリーンカールを茹でてから乾燥させて砕いたもの。抹茶のようなほろ苦さと青い香りが、サラダに奥行きを加えました。

「あの畑を訪れ、直接見ていなければ生まれなかった料理です」神保シェフの言葉には野菜と生産者への深い敬意が込められていました。

『アルプス八幡農園』から届いた野菜。「水が良いのでしょう。食感が瑞々しく、日持ちも良い」と神保シェフ。

野菜ひとつひとつに合わせた下ごしらえ。素材を見極め、その魅力を際立てる引き出しの多さはさすが。

「単体だとアクやクセが目立つ野菜を集合させて、全体のバランスを取る」ことがサラダのコツだという。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)

ストレスなく育つことで、旨味を凝縮する長野のブランド鶏・信州黄金シャモ。[松下農園/長野県大町市]

真摯に、実直に、地鶏と向き合うひたむきな生産者。

豊かな自然と清冽な水に恵まれ、この土地ならではの食材を多数擁する長野県大町市。そのクリアな味わいは、イタリアンの巨匠たる『HATAKE AOYAMA』神保佳永シェフを唸らせました。
街を巡り、生産者と会話を交わしながら、食材を見極め、料理のイメージを膨らませた神保シェフ。そのイメージが形となり、後に神保シェフは3つの料理を仕立てました。野菜、魚、肉、それぞれが主役となる3皿。その食材と料理から、信濃大町の食材の魅力が伝わります。

北アルプスの澄んだ水が、信濃大町産食材のおいしさの源。

信濃大町が誇る食材を、名シェフが美皿へと昇華。

「こんなバカなこと、やっている人はいないだろうね」

長野県のブランド鶏・信州黄金シャモを育てる『松下農園』の松下豊弘氏は、そう笑いました。それは決して自嘲などではなく、誇りに満ちた笑顔でした。

信州黄金シャモとは、父鶏に旨味の強いシャモ、母鶏に弾力とコクがある名古屋種という在来種2種をかけ合わせた信州生まれの地鶏。それぞれの長所を受け継いだ、適度な弾力と濃厚な旨味を兼ね備えた鶏です。
さらに血統のみならず、一般的な地鶏が75日以上に対し120日以上と定めた飼育期間、1平米5羽以下とする飼育環境など、厳しい基準を定め品質の保持に務めています。

それほどまでに徹底して旨味を追求する信州黄金シャモですが、『松下農園』は、さらに上を行く飼育をします。それが、家畜に心を寄り添わせ、ストレスのない飼育を目指すアニマルウェルフェアの追求です。松下氏は厳しい基準をさらに越える飼育環境や、米を中心とした飼料など、考えうるさまざまな飼育方法を実践。つまり松下氏のいう“バカなこと”とは、採算を度外視しブランドの基準を大きく越える手間暇をかけて鶏を育てること。

愛情をいっぱいに受けて、ストレスなく育った『松下農園』の信州黄金シャモは、品種特性である歯を押し返すような弾力がありながら、そこから少し顎に力を込めるとさっくりと噛み切れる柔らかさも併せ持っているのです。

一般的な地鶏の飼育基準が1㎡10羽以下に対し、信州黄金シャモの基準は1㎡5羽以下。

『松下農園』の松下豊弘氏。実直な人柄で、手間ひまかけた飼育を実践する。

飼育日数もブロイラーの3倍近い120日以上を基準。じっくりと時間をかけて育てる。

最後の出荷を終え幻となった地鶏。

在来種100%の魅力を受け継ぐ品種特性と、さらに徹底したこだわりで育つ『松下農園』の信州黄金シャモ。アミノ酸のなかでも旨味成分であるアスパラギン酸とグルタミン酸がとくに豊富で、塩焼きにするだけでも溢れる旨味が感じられます。もちろん、そんな逸品をプロの料理人たちも放っておきません。焼き鳥屋から洋食店まで、地元のみならず首都圏からも引き合いがあり、松下氏は鶏舎を増築しながら常時1000羽以上の雛を育てていました。

しかし多大な手間隙をかけ、プロの料理人向けに作っていた鶏だけにコロナ禍による飲食店休業の打撃は、松下氏にダイレクトに響きました。丹精込めて育てても廃棄となってしまう。松下氏は苦渋の決断として鶏の飼育を休止し、卵の販売に切り替えることにしました。かつて1000羽いた雛も70羽にまで減少。もちろん、状況が落ち着けば再開予定ですが、現状、『松下農園』の信州黄金シャモは、幻の鶏となってしまいました。

『松下農園』を訪れた『HATAKE AOYAMA』の神保佳永シェフも、松下氏の話に神妙に聞き入っていました。そして、最後に残っていた信州黄金シャモを譲り受け、料理を仕立てます。料理人にとって、食材や生産者への最大の敬意は、おいしく料理すること。

イメージはすでに固まっていました。味の軸は信州黄金シャモの適度な弾力の中から溢れ出す濃厚な旨味。それを引き出すのは、同じく信濃大町で出合った香り豊かな行者にんにく。そして神保シェフの頭の中にあった料理が、形を成します。

松下氏と会話を交わす神保シェフ。生産者の苦境に料理人としてできることを模索する。

大町市『キハダ飴本舗』の行者にんにく。旬に収穫し、オリーブオイルと塩で漬けたもの。

『キハダ飴本舗』の行者にんにく畑は、全国有数の規模を誇る。

信州黄金シャモのソテー 行者にんにくのソース

信州黄金シャモは、皮目に熱したバターを繰り返し流しかけながらじっくりと火を入れる。こうすることで、皮目はパリッと香ばしく、身はしっとりやわらかいという食感のグラデーションが生まれます。そして高温のバターで閉じ込められた鶏自体の旨味が、口の中で溢れ出すのです。
添えるソースはオイル漬けにした行者にんにくに、さらににんにくを利かせたもの。強くなりすぎて鶏の旨味を消さないよう、レモンをたっぷり絞って軽やかさを加えます。添えたのは信濃大町の野菜のグリルと、仕上げの白トリュフ。香りに特徴のある食材たちが、まるでパズルのピースのようにぴたりとはまり、見事に調和した風味となっています。

バター、オイル、地鶏、トリュフという重量級素材でありながら、鶏の食感や旨味がはっきりと感じられるのは、レモンが透明感を加えるから。あっという間に作り上げた料理でありながら、まるでコースのメインディッシュのようにテーマと味わいのはっきりした料理。その重層的な味わいの中で、いっそう信州黄金シャモの存在感が際立っていました。

熱したバターを繰り返し表面にかけて火を入れるフレンチの技法で、皮を香ばしく焼き上げる。

ソースは主張し過ぎず、けれども弱すぎず。信州黄金シャモの持ち味を理解しているからこその絶妙な加減。

肉、ソース、添えた野菜。すべてが過不足なく、一体となっておいしさを伝える。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)

その味わい、軽やかにして、濃醇。輝き始めた石川県独自の新品種酒米「百万石乃白」。前編[Bon appétit Ishikawa !/石川県]

ずらりと並んだ石川県の日本酒を前に、ワインテイスターの大越基裕氏。どれも原料に新品種酒米・百万石乃白を使った、デビュー間もない日本酒だ。
※写真の百万石乃白を使った日本酒は、2021年2月時点で入手できたものです。

百万石乃白新しい酒米「百万石乃白」で醸された未知なる日本酒の数々。

日本酒の新酒の搾りが最盛期を迎えた2月、とある共通点をもった日本酒が一堂に集められました。ずらりと並んだ21種の日本酒はすべて、石川県にある酒蔵が酒米「百万石乃白」を原料に使って醸したもの。2020年から本格的な醸造が始まったばかりの、まだあまり世に知られていない1本が勢ぞろいしています。

これらを一挙に唎(き)いてみようというのは大越基裕氏。フランスでワイン醸造を学び、グランメゾンでシェフソムリエを務めた経験を持つ、日本のトップソムリエのひとりです。現在は、モダンベトナム料理とファインワインの店『An Di』を経営しながら、ワインテイスターとしてレストランや飲料メニューの監修やプロデュース、商品開発などで活躍中。日本酒にも精通しており、国際的な日本酒コンクールでの審査員の経験もあります。造り手、レストランサービス、カスタマー…さまざまな視点で酒類を見つめることができるプロフェッショナルです。

「21本を一気にテイスティングすることによって、まだベールに包まれた百万石乃白という新しい酒米の輪郭が浮かび上がってくることでしょう」と、大越氏は期待します。1本につき酒、水、酒と2回の試飲で一口の酒をじっくりと味わいながら、パソコンに素早くメモを打ち込んでいきます。時折、酒を口に運ぶや否や大越氏の目の色が変わるような瞬間が見られました。そのような銘柄では、とりわけ入念にテイスティングを行われていきます。

試飲しながら、香りの種類や味わいの特徴、バランス、持っている世界観などを素早くメモしていく。

『ONESTORY』フードキュレーターの宮内隼人も大越氏と共にすべての酒を唎いた。

百万石乃白通底する “軽やかさ”、きらりと光る個性。

テイスティングを終えた大越氏は開口一番、率直な感想を語ります。
「全体としては、ミッドパレット(最初に感じる味わいの次に感じる中間部の味わい)から余韻に向かって軽やかなイメージがあるように思います。旨口系のリッチな口当たりの酒を主に造っている蔵であっても、うま味とともに軽やかな終わり方をしてくれる 。心地よい抜け感がある“軽やかなお米”という印象を受けました」

百万石乃白の特長の一つが、他の酒米と比べて元々のタンパク質含有量が少ないこと。このことにより、雑味の原因となるアミノ酸が少なくなり、雑味の少ないきれいな酒を造りやすくなります。もう一つの特長は、高精白できること。玄米の表面をたくさん削っても割れにくく、雑味の元となるアミノ酸が多く含まれる表層部分を取り除くことができる。この二つの特長の相乗効果で、さらに、他の酒米に比べアミノ酸が少なくなり、すっきりした味わいに仕上げやすい酒米と言えます。大越氏は百万石乃白のポテンシャルを次のようにまとめています。

「百万石乃白は、軽やかさが光る一方、おそらくタンパク質含有量が低いことにより、主にミッドパレットの厚みが控えめになりがちという傾向もあるように感じました。厚みを出すためにうま味を無理に出そうとすると、キレが損なわれて味わいが重くなりがちです。軽やかな印象はそのままに、うま味は優しく広がり、輪郭が整っている。心地よくキレていく余韻と共に全体がうまくまとまっている。これが百万石乃白のポテンシャルを高次元に発揮させたお酒のイメージではないかと思います」

以下、大越氏の具体的なコメントとともに4本を紹介します。

天狗舞 COMON 純米大吟醸
精米歩合:50%
アルコール度数:15%
車多酒造

「元々味わいをきっちり出すことに長けている蔵元。天狗舞らしいキャラメル系やシリアル系の香り、完熟したバナナのような芳醇な香りを出しつつも、味わいにフレッシュ感を残していて軽やか。うま味と爽やかさのバランスが秀逸です。一般的には純米大吟醸の酒では明確な酸味が出てこないことが多い中、心地いい酸も感じられる。この酸があるおかげで、うま味のキレもよくなっています。天狗舞らしい力強い味わいと百万石乃白のデリケートさを見事にクロスさせています」

手取川 純米大吟醸原酒 百万石乃白
精米歩合:50%
アルコール度数:15%
吉田酒造店

「グリーンアップルに加えてほんのりストロベリーのような香りが印象的なのですが、手取川の素晴らしい点は、この香りの出し方をきちんと抑制し味わいとバランスを取っていること。グリーンアップル系の香りを出す場合、日本酒はやや甘い味わいの印象に仕上げられることが多いので、このような軽やかさが持ち味のお米とバランスを取るために、香りのコントロールがひときわ重要となります。この手取川は香りが絶妙に抑えられていて見事に軽やかであり、ミネラリーなニュアンスまである。香り、軽やかさ、ミネラル感が1本の線にうまくまとめられていて、非常にタイト、ピュア、そしてエレガントなストラクチャー(骨格)に仕上がっていると感じました」

奥能登の白菊 百万石乃白 純米吟醸
精米歩合:55%
アルコール度数:15%
白藤酒造店

「どこまでも、とことん穏やか。蒸しあげたお米やバナナのやさしい香り。口に入れた瞬間からソフトで、ミッドパレット、余韻に至るまでやさしく穏やかで、軽やかなタッチで終わっていきます。前出の手取川とは対照的に、明確な味わいのストラクチャーが出現するのではなく、ふんわりとやさしい世界観に包まれます。百万石乃白の酒米としての本質、純粋な部分を、もしかすると最もうまく捉えている造りなのかもしれません」

遊穂 生もと 純米 百万石乃白
精米歩合:68%
アルコール度数:14%
御祖酒造

「今回の21本の中で最も個性的と言えます。キャラメル系、シリアル系、完熟バナナ、パン・デピス(香辛料が入ったライ麦パン)などの香りが感じられます。非常に強いうま味と酸味のコントラストが表現されています。うま酸っぱさが際立つ世界観でありながら、最後は穏やかにキレていく。遊穂はうま酸っぱい世界観を極めて高度につくり上げる蔵です。もっとうま味や酸味を押し出した酒もありますが、このように極めて軽やかに終わっていくのは、百万石乃白という酒米ならではの個性が生かされているからでしょう。強く、芳醇な味わいを押し出す遊穂スタイルが、百万石乃白によってライトに表現されているという点で、新たなとても魅力的な仕上がりになっています」

百万石乃白を使った日本酒のテイスティングを通じて、「日本酒は農作物である」という認識を新たにしたと大越氏は話します。
「こうして百万石乃白を共通項に横断的に味わったことで、各蔵が元々持っている個性の奥に、百万石乃白が生み出す世界観が浮かび上がってきました。石川県産の独自の米を地元の蔵がみんなで使い、さまざまな日本酒が生み出されていく。これにより、石川の土地で、石川の米で、石川の水で、石川の人の力で醸された日本酒は、なんとなくこんなおいしさであると提示できたのです。元来、日本酒は農作物であり、その土地の恵みが凝縮されたもの。その個性を味わう喜びをあらためて実感しました」

「百万石乃白は軽やかな世界観を展開する酒米という本質が見えてきた」と大越氏。

1976年、北海道生まれ。国際ソムリエ協会インターナショナルA.S.Iソムリエ・ディプロマ。渡仏後2001年より『銀座レカン』ソムリエ、2006年より約3年間フランスにてブドウ栽培・ワイン醸造を学ぶ。帰国後同店シェフソムリエに就任。2013年、ワインテイスター/ワインディレクターとして独立。2017年にモダンベトナム料理店『An Di』オープン。世界各国を回りながら、最新情報をもとにコンサルタント、講演、執筆などを通じてワインの本質を伝えている。日本酒や焼酎にも精通しており、ワインと日本酒を組み合わせた食事とのマリアージュにも定評がある。

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県、公益財団法人いしかわ農業総合支援機構)

石川県食のポータルサイト
いしかわ百万石食鑑
https://ishikawafood.com/

その味わい、軽やかにして、濃醇。輝き始めた石川県独自の新品種酒米「百万石乃白」。前編[Bon appétit Ishikawa !/石川県]

ずらりと並んだ石川県の日本酒を前に、ワインテイスターの大越基裕氏。どれも原料に新品種酒米・百万石乃白を使った、デビュー間もない日本酒だ。
※写真の百万石乃白を使った日本酒は、2021年2月時点で入手できたものです。

百万石乃白新しい酒米「百万石乃白」で醸された未知なる日本酒の数々。

日本酒の新酒の搾りが最盛期を迎えた2月、とある共通点をもった日本酒が一堂に集められました。ずらりと並んだ21種の日本酒はすべて、石川県にある酒蔵が酒米「百万石乃白」を原料に使って醸したもの。2020年から本格的な醸造が始まったばかりの、まだあまり世に知られていない1本が勢ぞろいしています。

これらを一挙に唎(き)いてみようというのは大越基裕氏。フランスでワイン醸造を学び、グランメゾンでシェフソムリエを務めた経験を持つ、日本のトップソムリエのひとりです。現在は、モダンベトナム料理とファインワインの店『An Di』を経営しながら、ワインテイスターとしてレストランや飲料メニューの監修やプロデュース、商品開発などで活躍中。日本酒にも精通しており、国際的な日本酒コンクールでの審査員の経験もあります。造り手、レストランサービス、カスタマー…さまざまな視点で酒類を見つめることができるプロフェッショナルです。

「21本を一気にテイスティングすることによって、まだベールに包まれた百万石乃白という新しい酒米の輪郭が浮かび上がってくることでしょう」と、大越氏は期待します。1本につき酒、水、酒と2回の試飲で一口の酒をじっくりと味わいながら、パソコンに素早くメモを打ち込んでいきます。時折、酒を口に運ぶや否や大越氏の目の色が変わるような瞬間が見られました。そのような銘柄では、とりわけ入念にテイスティングを行われていきます。

試飲しながら、香りの種類や味わいの特徴、バランス、持っている世界観などを素早くメモしていく。

『ONESTORY』フードキュレーターの宮内隼人も大越氏と共にすべての酒を唎いた。

百万石乃白通底する “軽やかさ”、きらりと光る個性。

テイスティングを終えた大越氏は開口一番、率直な感想を語ります。
「全体としては、ミッドパレット(最初に感じる味わいの次に感じる中間部の味わい)から余韻に向かって軽やかなイメージがあるように思います。旨口系のリッチな口当たりの酒を主に造っている蔵であっても、うま味とともに軽やかな終わり方をしてくれる 。心地よい抜け感がある“軽やかなお米”という印象を受けました」

百万石乃白の特長の一つが、他の酒米と比べて元々のタンパク質含有量が少ないこと。このことにより、雑味の原因となるアミノ酸が少なくなり、雑味の少ないきれいな酒を造りやすくなります。もう一つの特長は、高精白できること。玄米の表面をたくさん削っても割れにくく、雑味の元となるアミノ酸が多く含まれる表層部分を取り除くことができる。この二つの特長の相乗効果で、さらに、他の酒米に比べアミノ酸が少なくなり、すっきりした味わいに仕上げやすい酒米と言えます。大越氏は百万石乃白のポテンシャルを次のようにまとめています。

「百万石乃白は、軽やかさが光る一方、おそらくタンパク質含有量が低いことにより、主にミッドパレットの厚みが控えめになりがちという傾向もあるように感じました。厚みを出すためにうま味を無理に出そうとすると、キレが損なわれて味わいが重くなりがちです。軽やかな印象はそのままに、うま味は優しく広がり、輪郭が整っている。心地よくキレていく余韻と共に全体がうまくまとまっている。これが百万石乃白のポテンシャルを高次元に発揮させたお酒のイメージではないかと思います」

以下、大越氏の具体的なコメントとともに4本を紹介します。

天狗舞 COMON 純米大吟醸
精米歩合:50%
アルコール度数:15%
車多酒造

「元々味わいをきっちり出すことに長けている蔵元。天狗舞らしいキャラメル系やシリアル系の香り、完熟したバナナのような芳醇な香りを出しつつも、味わいにフレッシュ感を残していて軽やか。うま味と爽やかさのバランスが秀逸です。一般的には純米大吟醸の酒では明確な酸味が出てこないことが多い中、心地いい酸も感じられる。この酸があるおかげで、うま味のキレもよくなっています。天狗舞らしい力強い味わいと百万石乃白のデリケートさを見事にクロスさせています」

手取川 純米大吟醸原酒 百万石乃白
精米歩合:50%
アルコール度数:15%
吉田酒造店

「グリーンアップルに加えてほんのりストロベリーのような香りが印象的なのですが、手取川の素晴らしい点は、この香りの出し方をきちんと抑制し味わいとバランスを取っていること。グリーンアップル系の香りを出す場合、日本酒はやや甘い味わいの印象に仕上げられることが多いので、このような軽やかさが持ち味のお米とバランスを取るために、香りのコントロールがひときわ重要となります。この手取川は香りが絶妙に抑えられていて見事に軽やかであり、ミネラリーなニュアンスまである。香り、軽やかさ、ミネラル感が1本の線にうまくまとめられていて、非常にタイト、ピュア、そしてエレガントなストラクチャー(骨格)に仕上がっていると感じました」

奥能登の白菊 百万石乃白 純米吟醸
精米歩合:55%
アルコール度数:15%
白藤酒造店

「どこまでも、とことん穏やか。蒸しあげたお米やバナナのやさしい香り。口に入れた瞬間からソフトで、ミッドパレット、余韻に至るまでやさしく穏やかで、軽やかなタッチで終わっていきます。前出の手取川とは対照的に、明確な味わいのストラクチャーが出現するのではなく、ふんわりとやさしい世界観に包まれます。百万石乃白の酒米としての本質、純粋な部分を、もしかすると最もうまく捉えている造りなのかもしれません」

遊穂 生もと 純米 百万石乃白
精米歩合:68%
アルコール度数:14%
御祖酒造

「今回の21本の中で最も個性的と言えます。キャラメル系、シリアル系、完熟バナナ、パン・デピス(香辛料が入ったライ麦パン)などの香りが感じられます。非常に強いうま味と酸味のコントラストが表現されています。うま酸っぱさが際立つ世界観でありながら、最後は穏やかにキレていく。遊穂はうま酸っぱい世界観を極めて高度につくり上げる蔵です。もっとうま味や酸味を押し出した酒もありますが、このように極めて軽やかに終わっていくのは、百万石乃白という酒米ならではの個性が生かされているからでしょう。強く、芳醇な味わいを押し出す遊穂スタイルが、百万石乃白によってライトに表現されているという点で、新たなとても魅力的な仕上がりになっています」

百万石乃白を使った日本酒のテイスティングを通じて、「日本酒は農作物である」という認識を新たにしたと大越氏は話します。
「こうして百万石乃白を共通項に横断的に味わったことで、各蔵が元々持っている個性の奥に、百万石乃白が生み出す世界観が浮かび上がってきました。石川県産の独自の米を地元の蔵がみんなで使い、さまざまな日本酒が生み出されていく。これにより、石川の土地で、石川の米で、石川の水で、石川の人の力で醸された日本酒は、なんとなくこんなおいしさであると提示できたのです。元来、日本酒は農作物であり、その土地の恵みが凝縮されたもの。その個性を味わう喜びをあらためて実感しました」

「百万石乃白は軽やかな世界観を展開する酒米という本質が見えてきた」と大越氏。

1976年、北海道生まれ。国際ソムリエ協会インターナショナルA.S.Iソムリエ・ディプロマ。渡仏後2001年より『銀座レカン』ソムリエ、2006年より約3年間フランスにてブドウ栽培・ワイン醸造を学ぶ。帰国後同店シェフソムリエに就任。2013年、ワインテイスター/ワインディレクターとして独立。2017年にモダンベトナム料理店『An Di』オープン。世界各国を回りながら、最新情報をもとにコンサルタント、講演、執筆などを通じてワインの本質を伝えている。日本酒や焼酎にも精通しており、ワインと日本酒を組み合わせた食事とのマリアージュにも定評がある。

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県、公益財団法人いしかわ農業総合支援機構)

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いしかわ百万石食鑑
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11年の歳月をかけて誕生した酒米「百万石乃白」の秘めたるチカラ。後編[Bon appétit Ishikawa !/石川県]

百万石乃白を使って3回の醸造を経験した吉田酒造店の社長で杜氏の吉田泰之氏。山田錦に匹敵する県産酒米の登場を喜ぶ。

百万石乃白「石川県産米で大吟醸酒を」の願いに応えるために。

冬場の寒冷な気候や白山水系の清冽(せいれつ)な地下水脈など酒造りに適した環境に恵まれる石川県。日本の代表的な杜氏集団のひとつである能登杜氏を擁する酒どころで、37の蔵が酒造りを連綿と続けています。百万石乃白は県内の蔵元や杜氏たち待望の酒米。その誕生の秘密を探るために、金沢市才田町にある石川県農林総合研究センター農業試験場を訪ねました。百万石乃白の品種開発の歴史は、2005年までさかのぼります。

当時は、日本酒の消費量が減少していく中、地域の独自性を打ち出した付加価値の高い日本酒を造るために、地域固有の酒米を求める声が大きくなってきた頃。石川県内で造られる大吟醸酒は、ほとんどが兵庫県産山田錦を使ったものでした。米の表面を50%以下に削って使うことが条件となる大吟醸酒。大粒で割れにくい山田錦は、「酒米の王様」として吟醸酒カテゴリーに君臨しています。新品種開発のスタートは、石川県酒造組合連合会からあらためて「石川県産の酒米で大吟醸酒を造りたい」との要請を受けたのがきっかけ。「50%まで精米しても割れにくいこと」と明解な育種目標が掲げられました。

百万石乃白の開発を担当した石川県農林総合研究センター農業試験場 育種グループ主任研究員・畑中博英氏。

農業試験場では毎年約50組の米の交配を行なっていると、育種グループ主任研究員・畑中博英氏は話します。
「米の中心にある白い部分を心白といいますが、この部分がもろいため、大吟醸酒を造る時は心白近くまで削るのでどうしても割れやすくなってしまいます。この問題を克服するために、交配ではとにかく心白が小さいものを選抜していきました。有望な交配の組み合わせを入念に検討しても、その結果が出るのは1年後。優良な組み合わせが見えたら、試験醸造を行いながら、さらに選抜を繰り返していくので、長い年月がかかります。割れにくくても、収穫量が少なかったり、酒にした時の味がいまいちだったりという問題もありました。結局、百万石乃白の開発には実に11年を要しました」

大粒の酒米「ひとはな」と大吟醸酒向けの酒米「新潟酒72号」との掛け合わせにより、石川県独自の酒米「'05酒系83」が誕生。これに山田錦を交配することで、のちに百万石乃白と命名される理想形「石川酒68号」の産出に至りました。肝心の“割れ”について農業試験場の分析では、50%精米時で割れるのは1割以下と、山田錦の2割以下を凌ぎます。さらに、収穫量も山田錦を上回り、草丈は山田錦よりも1割ほど低いことから台風などで倒れにくく、石川県での栽培にも適しています。

「実は私は体質的にお酒が飲めないので、香りをチェックすることしかできないのですが、試験醸造で『良い酒ができた』という声が上がった時には、本当にうれしかったですね。ようやく一人前の酒米に、うまい酒に育ったんだなと」

2018年に石川県内10の蔵が百万石乃白の使用を開始し、2019年には20蔵、2020年には24蔵に拡大。多くの酒蔵が百万石万白の醸造に挑戦しており、今後、県産酒米としての定着が期待されています。

精米後の百万石乃白。公募によって決まった愛称の由来は、その美しい白さ。

百万石乃白適切な栽培法を確立するために、田んぼでの奮闘は続く。

古来、米作りが盛んな加賀平野。そのほぼ中央に位置する白山市山島地区で、稲作・麦・大豆の農業を営む林勝洋氏は、酒米作りにも積極的に取り組んでいます。夏場、この地では、手取川が冷涼な空気を運ぶことで夜から朝にかけての気温がぐっと下がり、良質な米ができる条件である昼夜の大きな寒暖差が生まれています。酒米として山田錦に次いで全国2位の収穫量のある五百万石、吟醸酒向けに先行開発された石川県独自の酒米・石川門に加え、3年前からは百万石乃白の作付けも開始。2020年7月に設立された生産者団体「百万石乃白」研究会の会長も務めています。百万石乃白の4作目となる今年は、3.3ヘクタールに田植えしました。品種の特性が少しずつわかってきたと話します。

「百万石乃白の稲は軸が太いのが特徴です。そして軸は根元から広がり気味に伸びて、穂がつく頃には一株の束がバサッと広がっています。石川門や五百万石よりも収穫期が1ヵ月ほど遅い晩生(おくて)の品種なので、実のつまり方もしっかり。稲穂の形としてはやや不格好ですが、そのおかげで強い風でも倒れにくく、高い収穫量をもたらしています」

「百万石乃白」研究会では、25の生産者が、より適切な栽培方法や収穫後の管理方法などについて情報交換しながら栽培しています。目下の課題は、肥料の選定と施肥のタイミングの見極めです。酒蔵が百万石乃白を安心して使えるように、栽培地域や生産者による品質のブレをなくし、いち早く安定供給できる体制を整えることを目指しています。

林氏は、夏場は米作り、冬場では近隣にある吉田酒造店の蔵人として酒造りに従事した経験もあります。酒米を作るには、それを使う現場を知りたいという思いがあったからだと話します。
「我々百姓ってのは、ついつい自分が作りたいもんばかり作ってしまうもんで。それを意識的に変えていかんと。何が求められて、どんな農業をしていかねばならんのか? そこにちゃんと向き合って挑戦するのがおもしろい。新品種の酒米を作るのは正直、農業経営的にはまだ割りに合わなくて、厳しいものがある。でも、やる。なぜなら、おもしろいからですよ」

林勝洋氏に百万石乃白の田んぼを案内してもらうonestoryフードキュレーターの宮内隼人。極力農薬を使わず、土壌改良に能登産牡蠣の殻を利用するなど、そこに隠れた工夫や手間ひまの一端を知った。

百万石乃白は軸が太く、広がって伸びるのが特徴。成長しても草丈が短く、倒れにくい点も評価が高い。

26歳の結婚を機に農業指導員から脱サラ就農した林氏。農業指導を行う中で、白山市は全国屈指の稲作の好適地と判断。「ここでやっていけなきゃダメ」と農家への転身を決断したという。

百万石乃白ここにしかない水、ここでしかとれない米、ここにしかない酒造りの技を。

霊峰白山を間近に望む穀倉地帯、手取川扇状地で150年に渡って酒を造り続ける吉田酒造店。大越基裕氏も高く評価した「手取川 純米大吟醸原酒 百万石乃白」を醸す酒蔵です。迎えてくれたのは、昨年7代目社長に就任した吉田泰之氏。山形の出羽桜酒造で修行し、10年前から家業での酒造りに取り組み、現在は杜氏も務めています。

酒米には伝統的に山田錦と五百万石を使い、2008年からは県産の石川門、そして2018年からは百万石乃白を積極的に使って酒造りをしています。酒米は、精米時の割れやすさもさることながら、発酵によって溶けて味や香りが出るかどうか、雑菌に対する強さなど特徴は千差万別。吉田氏は、酒米の個性について学校のクラスを例にして話します。

「山田錦はスーパースター。勉強は一番、スポーツ万能、健康優良児の人気者。五百万石は成績は上位だけど、苦手教科も少しある、体育も脚は速いけど球技は苦手みたいな。でも、サポート役としては非常に優秀で、山田錦が学級委員長なら、五百万石は副委員長として力を発揮してくれる。実際、麹米として使うと素晴らしい働きをしてくれます。石川門は割れやすいため、雑菌に汚染されやすく、日本酒ではタブーとされるスモーキーな香りを発しやすい酒米。勉強も運動も苦手で気難しい生徒ですが、実はアートや音楽の才能がずば抜けている天才肌。扱い方によって大化けするタイプです。そして、百万石乃白は注目の転校生。勉強でもスポーツでもみんなをあっと驚かせているけれど、まだミステリアスな存在。どの子も、それぞれにかわいいんですよ」

銘酒「手取川」と「吉田蔵」を醸す吉田酒造店。山廃仕込みを中心とする伝統的な酒造りを守り、2020年に創業150周年を迎えた。

吉田酒造店では、蔵人たちが蔵周辺の田んぼで酒米を育てている。初夏、百万石乃白は青々とした葉を広げつつあった。

吉田酒造店では、兵庫県産山田錦のほか、石川県産の五百万石、石川門、百万石乃白の4種の酒米を使用。自社精米によって最適な磨き方も追求している。

この10年ほどで、全国的に日本酒の味は格段に向上したと吉田氏。しかし、その背景を知っていると、手放しでは喜べないと話します。酒造りから流通に至るまでの冷蔵技術の発達、発酵を促進させる添加物の使用、水質を醸造しやすい構成に変えるテクノロジーなど、多大なエネルギーを要し、地域で培われた酒造りの伝統技術を否定する手法も少なくないからです。極端な話、優れた酒米を取り寄せ、水質を調整し、最新技術と電力をふんだんに使えば、東京都心のビルでも高品質な酒は造れます。でも、果たしてそこに地酒としての価値はあるのでしょうか。何を大事にして、何を変えていくべきか? 吉田酒造店は原点回帰しながら、地域に根差す蔵としてのあるべき姿を模索しています。

「私たちにとって水は命。かつて暴れ川と呼ばれた手取川が山の岩石を平地に運んだことから、この地でくみ上げる地下水はミネラル感豊富な中硬水となります。この水を守っていくためには、森や田んぼが健全に保たれていくことが必須です。田んぼが次々と工場やショッピングモールに変わっていく状況に危機感を覚え、7年前に地元の酒米をさらに積極的に使っていくようになりました。百万石乃白はこの地の気候風土に適しているので、持続可能性の観点でも理想的です。そして、百万石乃白を使った3回目の造りを経て、この地の水や私たちが大事にしている伝統的な製法との相性のよさも見えてきました。ここにしかない水、ここでしかとれない米、ここにしかない酒造りの技で、次世代の地酒を造っていきたいと思います」

いまだ謎めく転校生、百万石乃白の真価が問われるのは、これからです。

百万石乃白や石川門を使った最新の酒をテイスティング。アルコール度数を13%程度に抑えた食事に寄り添う酒の開発に注力している。「百万石乃白のバランスのよさ、石川門の自然でやさしい甘味、どちらも甲乙つけがたい」と宮内。

工場内の貯蔵庫などには冷たい地下水を利用した井水式クーラーを導入して、極力電力を使わない操業を追求。今年、全電力は再生可能エネルギー由来に変えた。「アイデンティティである水、米を見つめ直し、持続可能な酒造りを目指していきたい」と吉田氏。

住所:石川県白山市安吉町41 MAP
電話:076-276-3311
https://tedorigawa.com/


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県、公益財団法人いしかわ農業総合支援機構)

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11年の歳月をかけて誕生した酒米「百万石乃白」の秘めたるチカラ。後編[Bon appétit Ishikawa !/石川県]

百万石乃白を使って3回の醸造を経験した吉田酒造店の社長で杜氏の吉田泰之氏。山田錦に匹敵する県産酒米の登場を喜ぶ。

百万石乃白「石川県産米で大吟醸酒を」の願いに応えるために。

冬場の寒冷な気候や白山水系の清冽(せいれつ)な地下水脈など酒造りに適した環境に恵まれる石川県。日本の代表的な杜氏集団のひとつである能登杜氏を擁する酒どころで、37の蔵が酒造りを連綿と続けています。百万石乃白は県内の蔵元や杜氏たち待望の酒米。その誕生の秘密を探るために、金沢市才田町にある石川県農林総合研究センター農業試験場を訪ねました。百万石乃白の品種開発の歴史は、2005年までさかのぼります。

当時は、日本酒の消費量が減少していく中、地域の独自性を打ち出した付加価値の高い日本酒を造るために、地域固有の酒米を求める声が大きくなってきた頃。石川県内で造られる大吟醸酒は、ほとんどが兵庫県産山田錦を使ったものでした。米の表面を50%以下に削って使うことが条件となる大吟醸酒。大粒で割れにくい山田錦は、「酒米の王様」として吟醸酒カテゴリーに君臨しています。新品種開発のスタートは、石川県酒造組合連合会からあらためて「石川県産の酒米で大吟醸酒を造りたい」との要請を受けたのがきっかけ。「50%まで精米しても割れにくいこと」と明解な育種目標が掲げられました。

百万石乃白の開発を担当した石川県農林総合研究センター農業試験場 育種グループ主任研究員・畑中博英氏。

農業試験場では毎年約50組の米の交配を行なっていると、育種グループ主任研究員・畑中博英氏は話します。
「米の中心にある白い部分を心白といいますが、この部分がもろいため、大吟醸酒を造る時は心白近くまで削るのでどうしても割れやすくなってしまいます。この問題を克服するために、交配ではとにかく心白が小さいものを選抜していきました。有望な交配の組み合わせを入念に検討しても、その結果が出るのは1年後。優良な組み合わせが見えたら、試験醸造を行いながら、さらに選抜を繰り返していくので、長い年月がかかります。割れにくくても、収穫量が少なかったり、酒にした時の味がいまいちだったりという問題もありました。結局、百万石乃白の開発には実に11年を要しました」

大粒の酒米「ひとはな」と大吟醸酒向けの酒米「新潟酒72号」との掛け合わせにより、石川県独自の酒米「'05酒系83」が誕生。これに山田錦を交配することで、のちに百万石乃白と命名される理想形「石川酒68号」の産出に至りました。肝心の“割れ”について農業試験場の分析では、50%精米時で割れるのは1割以下と、山田錦の2割以下を凌ぎます。さらに、収穫量も山田錦を上回り、草丈は山田錦よりも1割ほど低いことから台風などで倒れにくく、石川県での栽培にも適しています。

「実は私は体質的にお酒が飲めないので、香りをチェックすることしかできないのですが、試験醸造で『良い酒ができた』という声が上がった時には、本当にうれしかったですね。ようやく一人前の酒米に、うまい酒に育ったんだなと」

2018年に石川県内10の蔵が百万石乃白の使用を開始し、2019年には20蔵、2020年には24蔵に拡大。多くの酒蔵が百万石万白の醸造に挑戦しており、今後、県産酒米としての定着が期待されています。

精米後の百万石乃白。公募によって決まった愛称の由来は、その美しい白さ。

百万石乃白適切な栽培法を確立するために、田んぼでの奮闘は続く。

古来、米作りが盛んな加賀平野。そのほぼ中央に位置する白山市山島地区で、稲作・麦・大豆の農業を営む林勝洋氏は、酒米作りにも積極的に取り組んでいます。夏場、この地では、手取川が冷涼な空気を運ぶことで夜から朝にかけての気温がぐっと下がり、良質な米ができる条件である昼夜の大きな寒暖差が生まれています。酒米として山田錦に次いで全国2位の収穫量のある五百万石、吟醸酒向けに先行開発された石川県独自の酒米・石川門に加え、3年前からは百万石乃白の作付けも開始。2020年7月に設立された生産者団体「百万石乃白」研究会の会長も務めています。百万石乃白の4作目となる今年は、3.3ヘクタールに田植えしました。品種の特性が少しずつわかってきたと話します。

「百万石乃白の稲は軸が太いのが特徴です。そして軸は根元から広がり気味に伸びて、穂がつく頃には一株の束がバサッと広がっています。石川門や五百万石よりも収穫期が1ヵ月ほど遅い晩生(おくて)の品種なので、実のつまり方もしっかり。稲穂の形としてはやや不格好ですが、そのおかげで強い風でも倒れにくく、高い収穫量をもたらしています」

「百万石乃白」研究会では、25の生産者が、より適切な栽培方法や収穫後の管理方法などについて情報交換しながら栽培しています。目下の課題は、肥料の選定と施肥のタイミングの見極めです。酒蔵が百万石乃白を安心して使えるように、栽培地域や生産者による品質のブレをなくし、いち早く安定供給できる体制を整えることを目指しています。

林氏は、夏場は米作り、冬場では近隣にある吉田酒造店の蔵人として酒造りに従事した経験もあります。酒米を作るには、それを使う現場を知りたいという思いがあったからだと話します。
「我々百姓ってのは、ついつい自分が作りたいもんばかり作ってしまうもんで。それを意識的に変えていかんと。何が求められて、どんな農業をしていかねばならんのか? そこにちゃんと向き合って挑戦するのがおもしろい。新品種の酒米を作るのは正直、農業経営的にはまだ割りに合わなくて、厳しいものがある。でも、やる。なぜなら、おもしろいからですよ」

林勝洋氏に百万石乃白の田んぼを案内してもらうonestoryフードキュレーターの宮内隼人。極力農薬を使わず、土壌改良に能登産牡蠣の殻を利用するなど、そこに隠れた工夫や手間ひまの一端を知った。

百万石乃白は軸が太く、広がって伸びるのが特徴。成長しても草丈が短く、倒れにくい点も評価が高い。

26歳の結婚を機に農業指導員から脱サラ就農した林氏。農業指導を行う中で、白山市は全国屈指の稲作の好適地と判断。「ここでやっていけなきゃダメ」と農家への転身を決断したという。

百万石乃白ここにしかない水、ここでしかとれない米、ここにしかない酒造りの技を。

霊峰白山を間近に望む穀倉地帯、手取川扇状地で150年に渡って酒を造り続ける吉田酒造店。大越基裕氏も高く評価した「手取川 純米大吟醸原酒 百万石乃白」を醸す酒蔵です。迎えてくれたのは、昨年7代目社長に就任した吉田泰之氏。山形の出羽桜酒造で修行し、10年前から家業での酒造りに取り組み、現在は杜氏も務めています。

酒米には伝統的に山田錦と五百万石を使い、2008年からは県産の石川門、そして2018年からは百万石乃白を積極的に使って酒造りをしています。酒米は、精米時の割れやすさもさることながら、発酵によって溶けて味や香りが出るかどうか、雑菌に対する強さなど特徴は千差万別。吉田氏は、酒米の個性について学校のクラスを例にして話します。

「山田錦はスーパースター。勉強は一番、スポーツ万能、健康優良児の人気者。五百万石は成績は上位だけど、苦手教科も少しある、体育も脚は速いけど球技は苦手みたいな。でも、サポート役としては非常に優秀で、山田錦が学級委員長なら、五百万石は副委員長として力を発揮してくれる。実際、麹米として使うと素晴らしい働きをしてくれます。石川門は割れやすいため、雑菌に汚染されやすく、日本酒ではタブーとされるスモーキーな香りを発しやすい酒米。勉強も運動も苦手で気難しい生徒ですが、実はアートや音楽の才能がずば抜けている天才肌。扱い方によって大化けするタイプです。そして、百万石乃白は注目の転校生。勉強でもスポーツでもみんなをあっと驚かせているけれど、まだミステリアスな存在。どの子も、それぞれにかわいいんですよ」

銘酒「手取川」と「吉田蔵」を醸す吉田酒造店。山廃仕込みを中心とする伝統的な酒造りを守り、2020年に創業150周年を迎えた。

吉田酒造店では、蔵人たちが蔵周辺の田んぼで酒米を育てている。初夏、百万石乃白は青々とした葉を広げつつあった。

吉田酒造店では、兵庫県産山田錦のほか、石川県産の五百万石、石川門、百万石乃白の4種の酒米を使用。自社精米によって最適な磨き方も追求している。

この10年ほどで、全国的に日本酒の味は格段に向上したと吉田氏。しかし、その背景を知っていると、手放しでは喜べないと話します。酒造りから流通に至るまでの冷蔵技術の発達、発酵を促進させる添加物の使用、水質を醸造しやすい構成に変えるテクノロジーなど、多大なエネルギーを要し、地域で培われた酒造りの伝統技術を否定する手法も少なくないからです。極端な話、優れた酒米を取り寄せ、水質を調整し、最新技術と電力をふんだんに使えば、東京都心のビルでも高品質な酒は造れます。でも、果たしてそこに地酒としての価値はあるのでしょうか。何を大事にして、何を変えていくべきか? 吉田酒造店は原点回帰しながら、地域に根差す蔵としてのあるべき姿を模索しています。

「私たちにとって水は命。かつて暴れ川と呼ばれた手取川が山の岩石を平地に運んだことから、この地でくみ上げる地下水はミネラル感豊富な中硬水となります。この水を守っていくためには、森や田んぼが健全に保たれていくことが必須です。田んぼが次々と工場やショッピングモールに変わっていく状況に危機感を覚え、7年前に地元の酒米をさらに積極的に使っていくようになりました。百万石乃白はこの地の気候風土に適しているので、持続可能性の観点でも理想的です。そして、百万石乃白を使った3回目の造りを経て、この地の水や私たちが大事にしている伝統的な製法との相性のよさも見えてきました。ここにしかない水、ここでしかとれない米、ここにしかない酒造りの技で、次世代の地酒を造っていきたいと思います」

いまだ謎めく転校生、百万石乃白の真価が問われるのは、これからです。

百万石乃白や石川門を使った最新の酒をテイスティング。アルコール度数を13%程度に抑えた食事に寄り添う酒の開発に注力している。「百万石乃白のバランスのよさ、石川門の自然でやさしい甘味、どちらも甲乙つけがたい」と宮内。

工場内の貯蔵庫などには冷たい地下水を利用した井水式クーラーを導入して、極力電力を使わない操業を追求。今年、全電力は再生可能エネルギー由来に変えた。「アイデンティティである水、米を見つめ直し、持続可能な酒造りを目指していきたい」と吉田氏。

住所:石川県白山市安吉町41 MAP
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Photographs:SHINJO ARAI
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石川の風土と人々の情熱が生んだルビーの輝き。奇跡のブドウ、ルビーロマン。前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

ルビーロマンミステリアスな郷里の食材の産地を訪ねて。

夏のある日、石川県内のとあるブドウ畑。広がるブドウ棚の下には、大きな体をかがめ、たわわに実る房を入念に観察する世界的シェフの姿がありました。パティシエ、ショコラティエの辻口博啓(ひろのぶ)氏です。

辻口氏は、史上最年少23歳での「全国洋菓子技術コンテスト大会」優勝を皮切りに、パティシエのワールドカップと称される「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」など国内外の大きな大会で栄冠に輝いた希代の逸材。東京・自由が丘に『Mont St. Clair(モンサンクレール)』をオープン後、世界初のロールケーキ専門店『自由が丘ロール屋』やショコラトリー『 LE CHOCOLAT DE H(ル ショコラ ドゥ アッシュ)』、和スイーツ専門店『和楽紅屋』など10以上の業態の店を展開。精力的な活動を続けています。

大きな一粒の皮を半分ほどむき、一気に頬張った辻口氏は、開口一番、「やっぱりみずみずしさが違うね、ルビーロマンは」と興奮気味です。もう一粒じっくり確認するように味わい、「この上品な甘みとジューシーさは、ルビーロマンにしかない魅力なんだよなあ」とうなります。
そう、ここは石川県特産の高級ブドウ「ルビーロマン」の畑。収穫の最盛期を迎え、ピンポン球大の粒をみっちりとつけた巨大な房が連なっています。

辻口氏の生まれ故郷は石川県七尾市。現在も金沢市で料理学校を運営するなど石川県との関係は深く、月に数日間は県内で仕事をこなしているといいます。県内の食材探しにも熱心で、七尾市の崎山いちごや加賀野菜のさつまいも・五郎島金時などはお気に入りです。しかし、石川県産食材に明るい辻口氏であっても、ルビーロマンのほ場に入るのは初めてとのこと。極めて希少性の高いルビーロマンは、種苗の流出防止対策として生産者のほ場が徹底管理されています。ルビーロマンは14年の歳月を費やして開発された、世界でも石川県だけで産出される最高級ブドウなのです。

ルビーロマンの認定基準をクリアしているとおぼしき一房を収穫する辻口氏。粒と房がいかに大きいかがわかるだろう。

もぎたてのルビーロマンを試食する辻口氏。あふれる果汁にあらためて驚く。

ルビーロマン大粒で、赤い。新しい高級ブドウ品種を。

石川県内のブドウ農家たちの強い要望を受け、石川県農林総合研究センターが新しいブドウ品種の開発計画をスタートさせたのは1995年(平成7年)のこと。当時、県内のブドウ栽培は、数十年にわたってデラウエアが多くを占めていました。デラウエアはアメリカ原産の紫色で小粒の品種。かつては高い商品力があったものの、1970年代から単価は低迷。巨峰など大粒の高級品種の台頭もあって、デラウエアに変わる新しい品種を求める声が大きくなっていました。

辻口氏にとってもデラウエアはとても身近な果物だったといいます。
「夏のプールや部活の後のおやつといえば、キンキンに冷えたデラウエア。夏祭りの締めも決まってデラウエアでしたね。冬場のこたつのみかんのように、夏場にはデラウエアは必ず各家庭に常備されていて、いつでも好きなだけ食べていいものでした。大好物でしたが、確かにありがたみは薄かったかもしれません。美味しいブドウではあるけれど」

石川県農林総合研究センターの主任研究員・井須博史氏は、開発の経緯をひも解きます。
「高級感のある新しいブドウ品種がほしい。大粒で、しかも赤いブドウはできないかと。生産者からはそのような要望が上がっていたと聞いています。赤いブドウなら巨峰と差別化できるし、巨峰やマスカットと詰め合わせにすれば、赤・黒・緑のセットにできて付加価値も上げられるからと。そこで、研究センターは全国から赤いブドウの品種を8種ほど集めて実際に植えてみました。しかし、ほとんどの品種は色づきません。ある品種は良い色になったものの、一雨降っただけで実が割れてしまいました。最終的に、風土に合う品種を人工交配によって開発するしかない、という結論に達したのです」

ルビーロマン研究会の大田昇会長(右)に質問する辻口氏。3代にわたってブドウをつくり続けてきた大田氏にとっても、ルビーロマンはまだ分からないことばかりだという。

ルビーロマン理想高き未知の品種を探す荒波への船出。

石川県のブドウ産地は昼夜の気温差が大きくありません。既存の赤い品種が育ちにくいのは、そこに原因がありそうでした。大粒の品種に、赤い品種を掛け合わせてはどうかと考え、当時、国内最大と言われた黒くて大粒の藤稔(ふじみのり)を母親に選びました。担当スタッフは5人。ブドウの花が開く前にマッチ棒の先のようなつぼみをピンセットで一枚ずつはがし、おしべを取り除いて、綿棒でめしべに花粉を付けていきます。ブドウの開花時期は短く、2日ほどが勝負。休日返上でビニールハウスにこもり、棚から下がる小さな花をヘッドルーペを通して凝視しながら緻密な作業を何時間も続けました。

リンゴやナシであれば、一つの果実に10粒近くの種が入りますが、ブドウは入っても1粒か2粒。この人工交配によって採れた種は、わずか40粒でした。

「翌年、その40粒に加え、藤稔の種400粒を育苗箱にまきました。もしかすると藤稔も自然交配によって赤い実をつけるかもしれない。万に一つの可能性にも賭けてやってみようと考えたからだったそうです。人工交配の種から育った苗10本、藤稔の種から育った苗70本をビニルハウスに植え替えました。当時、研究センターの一番奥にある目立たない場所が選ばれました。というのも、上司や他のスタッフからは『そんなモノになるかわからない作業に時間をつかわずに、もっとやるべき仕事があるだろう』という圧力が強かったからとのこと。プロジェクトはこっそり進められていったのです」(井須氏)

幼木は3年目から実がなり始めます。結果は意外なものでした。80本のうち4本の木に赤い実がつきました。4本もついたことが予想外でしたが、その4本すべてが藤稔の種から育ったもので、人工交配のものではなかったのです。結果的に、人工交配は狙い通りにはいきませんでしたが、わずかな可能性があるならばと植えた機転が生きました。当時、研究センターには数十種類のブドウが栽培されていて、そのブドウのどれかの花粉が空中を漂って藤稔にたどり着き、自然交配して赤い実をならせたと考えられています。万に一つの奇跡が現実化しました。

ルビーロマン開発の歴史を紹介する石川県農林総合研究センターの主任研究員・井須博史氏(中央)。同センターにとってもルビーロマンは先輩たちから受け継いだ大切な財産だ。

粒がそろい、全面が鮮やかな赤色であることも必須。しかも房として整っていなければならない、と越えるべきハードルは非常に高い。

一般的に農地に求められる地力があり過ぎても、雨に恵まれ過ぎてもルビーロマン栽培はうまくいかない。収量をあげようと枝を広げ過ぎても粒が大きく育たない。

ルビーロマン人工交配の努力は一蹴された。しかし奇跡は起きた。

4本の幼木のうち、最も味がよく、かつ鮮やかな赤色の実をつけ、栽培のしやすい木が原木に絞り込まれました。品種登録申請の準備を進める一方、名称を公募し、600以上の案の中から「ルビーロマン」と命名されました。
原木から取った枝を接木(つぎき)して大切に木を増やしていき、2005年(平成17年)には県内5生産地で50本の現地栽培試験を開始。翌2006年(平成18年)には、生産者らによるルビーロマン研究会が発足しました。会長に就任した大田昇氏は当時を振り返ります。
「ルビーロマン研究会では議論すべきことが山のようにありました。栽培方法の情報交換だけでなく、ルビーロマンを高級ブドウとして育てるためには流通のルールも決める必要があります。農作業後、夕方5時に集まって夕食の弁当を食べながら話し合いますが、議論が紛糾して深夜に及ぶことも多々あった。早朝からの農作業と深夜までの話し合いにイライラが募り、大きな声が飛び交うこともありました。ですが、ここで妥協せずに議論を尽くしたことがよかった。生産者全員が納得するまで話し合い、一丸となって取り組んだことで、ルビーロマンというこれまでにないブドウを生み出せたのだと思います」

議論の主題は、栽培にも流通にも深く関係し、営農のあり方も左右する「ルビーロマンの基準」でした。出荷基準は次のとおりです。
・一粒あたりの重さ概ね20g以上
・糖度18度以上
・粒の色が専用のカラーチャートで基準を満たしたもの

JAの検査員によってこれらの基準をすべて満たすものだけがルビーロマンと認定され、認証タグが取り付けられます。そして、専用の出荷箱には生産地と生産者が記載されたシールが添付されます。いくら大粒になっても、すべての粒がきれいな赤色でなければ、そして房として整っていなければいけないのです。この基準を満たす商品化率は、50%の実現も難しいと推定される中、極めて厳格なルールが設けられました。

2008年8月、ルビーロマンは金沢市中央卸売市場で初競りを迎えました。一房に数千円、1万円という値が付くのを確認し、大田氏はほっと胸をなで下ろしたといいます。そして、最後にうれしいサプライズが待っていました。
「10万円!」の一声。場内がどよめきます。初売りにはご祝儀相場が付き物とはいえ、一粒あたりの換算で3,000円にもなる高値は大きな話題となり、ルビーロマンの名が全国に一気に知れ渡るきっかけになりました。苦節14年、石川県農林総合研究センターで延べ20名ほどの関わったスタッフ、ルビーロマンと真剣に向き合った農家の方たちの努力が報われた瞬間です。

2011年の初競りでは、一房50万円の最高値を記録しました。落札者は、何を隠そう、辻口氏だったのです。

一房ずつ丁寧に袋がけされるルビーロマン。手間はかかるが、単価も高いことから、営農の発展に大きく貢献する。

石川県のブドウ産地はエリアによって、砂地、粘土、赤土と土壌の性質が異なる。地域によって品質の差が生じないための栽培方法の確立が模索されている。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

本記事は、ONESTORYと石川県が共同で企画し、取材は石川県農林総合研究センターにおいて、県職員立ち会いのもと特別に行ったものです。

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ルビーロマン×パティシエ・辻口博啓氏。奇跡のブドウが巨匠渾身のスイーツに。後編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

ルビーロマンを素材にパティシエ・辻口博啓氏がつくり出したオリジナルのヴェリーヌ「ルビーロマン」。

ルビーロマン石川出身者としてパティシエとして、ルビーロマンへの想いを胸に。

石川県発の高級ブドウ「ルビーロマン」は現在、加賀市、小松市、金沢市、かほく市、羽咋(はくい)市、宝達志水(ほうだつしみず)町で栽培されています。ルビーロマンは辻口博啓氏にとってひときわ思い入れの深い果物です。2011年(平成23年)の東日本大震災の発災後、辻口氏はパティシエとして復興支援に何か貢献できないかと考えました。被災した宮城県の中学生を郷里である石川県七尾市和倉温泉の旅館『加賀屋』に招待し、ルビーロマンを振る舞いました。その一房を初競りで、50万円で競り落としたのです。そこには1日も早い復興への願いと、地元石川県への感謝の気持ちを込めたといいます。

「日本一とも言われる美味しいブドウを味わって、少しでも気持ちが明るくなってほしい。そして、初競りが話題となりルビーロマンの認知度が上がれば、ブドウ農家の方々の日頃の苦労が少し報われるかもしれない。そんな思いがありました。初競りはあくまでご祝儀相場ですが、近年は高値の更新が続き、今年は一房140万円の値がついたとか。卸売価格も巨峰の2.5倍程度を維持しているそうで、洋菓子店を営むいち消費者として応援してきた僕にとっても、とても感慨深いものがあります。正直、高級過ぎてお菓子の材料としては手を出しにくいというのが悩ましいところではありますが(笑)」

辻口氏は、ルビーロマンの畑で受けたインスピレーションを持ち帰り、ルビーロマンを使った新しいスイーツづくりに取り組みました。お菓子づくりの技術によって素材本来のエレガントさを引き出し、果実をそのまま味わうのとはまた違った表情に昇華させます。そんな辻口氏渾身の作は、その名も「ルビーロマン」。期間限定で実際に購入することもできます。

ルビーロマンを一粒一粒、果肉の具合を確認し。愛おしむようにカットする辻口氏。

ルビーロマン

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・商品名 ルビーロマン
・価格  1,200円
・販売期間 9月下旬までの予定(収穫により前後あり)
  ※毎日数量限定発売
・発売店舗
 Mont St. Clair/モンサンクレール
 東京都目黒区自由が丘2-22-4
 03-3718-5200
 https://www.ms-clair.co.jp/
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ルビーロマンのみずみずしさ、皮に秘められた旨みも丸ごといただく。

辻口氏の新作スイーツ「ルビーロマン」は、ルビーロマンをふんだんに使ったヴェリーヌ(ガラス製の器に入れたデザート)です。主役であるルビーロマンは乱切りにした生の果実のほか、さまざまな形で盛り込まれています。ジュレ、コンフィチュール、赤ワインとカシスのギモーブ(マシュマロ)にもルビーロマンの果汁がアクセントに。これらにライムが香るリコッタチーズのクリームとシャンパンのジュレ、ココナッツのメレンゲが花を添えています。
ポイントは皮の旨みだと辻口氏は話します。

「みずみずしいルビーロマンを皮ごと炊いてコンフィチュールにしています。渋みも含めた皮本来の美味しさを出すと味わいに深みが出て、加熱し濃縮することで果肉の甘みも増します。フレッシュでジューシーな生の果実と濃縮したコンフィチュールを掛け合わせることで、みずみずしさと味わい深さの双方が一層際立ちます。同じブドウ由来であるシャンパンのジュレは風味にシナジーをもたらし、みずみずしさと相性のいいリコッタチーズのコクは味を立体的にしてくれます。果実のプルンとした喉越し、ギモーブのモチモチ感、メレンゲのサクサク感、いろんな食感も楽しみながら、ルビーロマンのエレガントな風味を堪能していただきたいです」

ルビーロマンを皮ごと炊いてコンフィチュールに。皮の渋みも旨みに変え、ルビーロマン本来の味わいを一層引き立てる。

ルビーロマンのジュレ、リコッタチーズのクリームなどを重ね、ルビーロマンの果実も大胆にあしらう。

合わせるココナッツのメレンゲも繊細そのもの。

ルビーロマン食材が育まれた歴史、生産者の情熱もひと皿に。

ONESTORYフードキュレーター・宮内隼人は、試作品を夢中で完食すると、「さすが……」とため息を漏らしました。
「ルビーロマンという食材が完璧に辻口さんらしい“フランスのお菓子”になっている。グラスの中のどこをすくうかによって、味わいが変わって、そのひとさじひとさじがどれもたまらなく美味しくて楽しい。ルビーロマンくらい素材として力のあるフルーツなら、たとえばアイスクリーム主体のパフェなど無難に仕上げることもできるでしょう。でも辻口さんは、さまざまな技術と緻密な計算を凝らして、ある意味クラシカルなスタイルでまったく新しい美味しさを提示してくれました。トップパティシエの真骨頂を見た思いです」

辻口氏は今回、ルビーロマン栽培の現場を視察できた意義の大きさについて話します。
「ブランドを一からつくり上げ、守っていく。生産者の方々の並々ならぬ情熱を肌で感じました。種苗の流出に対する危機意識も想像を超えたものでした。商品化率が50%を超えた年は過去たった2回だけ。29%に低迷した年もあるそうで、いまだ栽培方法は試行錯誤が続いているといいます。そういう意味では、まだ進化している、そして今後も常に進化し続けていく。奇跡的に生まれたブドウ、ルビーロマンはこれからも神秘的な存在であり続けるのだと思います」

そのルビーのごとき珠玉の味わい。年に一度の旬を確かめるのは、日本に暮らしているからこそ体験できる口福と言えるでしょう。

それぞれの素材の配置、バランスを試行錯誤しながら最終形へと向かう。

パティシエとしての修業経験もあり、辻口氏を尊敬するONESTORYフードキュレーター・宮内隼人。「どこをすくって味わってもプロフェッショナリズムが感じられる」と感服。

丹精込めて育てられたルビーロマンと辻口氏渾身のスイーツ「ルビーロマン」。気高いルビーの輝き。

辻口氏独立の出発点となり、今なお旗艦店として絶大な人気を誇る自由が丘『Mont St. Clair』。


Photographs:SHINJO ARAI
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経験したことのない、圧倒的な風味、余韻に酔う。後編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

『片折』にて、「のとてまり」が炭火焼きに。焼いているそばから、いかにも旨みの詰まった香りが立ち込める。

のとてまり奥能登の自然と共に生きる人々の知恵で育まれた椎茸栽培。

奥能登原木しいたけ活性化協議会初代会長の新五十八氏は、珠洲市で20歳の時から椎茸農家を50年間続けてきた、奥能登の椎茸栽培の草分け。取材班が訪れると、奥能登の椎茸の歴史を紐解いてくれました。

新氏は目ぼしい作物のない奥能登で営農する苦肉の策として、椎茸を選んだと話します。平地の少ない奥能登では米作りは難しい。今でこそ交通の利便性は上がったが、50年前は野菜を作っても新鮮なうちに遠い消費地へ運ぶことはできなかった。酪農を始めるには資金がない。そこで目をつけたのが干し椎茸だったといいます。

「干し椎茸なら交通事情にあまり影響されず、年間を通じて出荷できます。奥能登には塩田の文化があったので、塩を煮炊きするため薪や炭が大量に必要だったことから、山にはスギやヒノキは植林されず、コナラを中心とした雑木林が保たれていました。塩田の衰退に伴い薪の需要は落ちている中、このコナラを原木に活用することもできる。それで友人とお金を出し合って椎茸栽培を始めました」

一般的に、椎茸栽培には半島が適していると言われているそうです。強い風が吹き抜け、適度な湿度があり、1日の寒暖差が大きい。能登では良質な椎茸が育ちました。石川県民はきのこ好きであることも相まって干し椎茸生産は順調に成長し、1980年代半のピーク時には椎茸農家は約200軒近くに、生産量は100トンにも達しました。ところが、中国産干し椎茸の台頭により、国産ものは暴落。椎茸を諦める農家は後をたたず、生産量はほどなく1トンにまで落ち込みました。

新氏は根気強く椎茸栽培を続け、1990年代から新しい菌種であった115を使った生鮮用椎茸の出荷に力を入れ、JAらと一緒に「のと115」のブランド化に取り組んできました。そのフラッグシップとして誕生したのが「のとてまり」だったのです。

「ご祝儀相場とはいえ、我が子のように育ててきた『のとてまり』が初出しで十数万円もの値がついたときは、さすがにようやくここまで来れたな、と思ったね」と新氏。「のとてまり」は生産者の思いを一身に受けて、大きく成長してきたのです。

珠洲市の森の中で長年、椎茸の露地栽培に取り組んできた新五十八氏。数年前に病気をしてからは、自家消費用に少量の栽培を続けている。「コナラとアカマツが混在する奥能登の森は、雨をゆっくりと土に浸透させる、椎茸には最高の環境」と話す。

定年退職後、椎茸栽培に取り組む山方正治氏。1回3時間も要する丁寧な水やりなどによって、収穫される椎茸はどれも高品質と評価が高い。

山方氏は水道工事用のミラーを愛用。傘の裏側の巻き具合のチェックにも余念がない。

農場の見学には、ONESTORYフードキュレーターの宮内隼人(右)も同行。片折氏と共に、山方氏がつくった「のとてまり」認定間違いなしとおぼしき椎茸に圧倒された。

山方氏の「のと115」栽培用ハウス。積雪による安定した水分供給や風による刺激が椎茸の成長を促すとみられ、大雪や台風の自然災害が多い年は豊作になることが多いという。

のとてまり「のとてまり」の高い発生率の秘密は、丁寧な水やりにあり。

穴水町を流れる小又川の最上流にある集落で、「のと115」の栽培に取り組むのは山方正治氏。定年退職後に実家がある当地で就農し3年目になります。

標高150mほどのところにあるほだ場は、ハウスの中でも底冷えのする寒さで凛とした空気が漂っています。山方氏は、管理している原木は1650本と少なめではあるものの、「のとてまり」の発生率がひときわ高いと、他の生産者からの注目も集めています。同氏が栽培において最も配慮しているのは水やり。霧状に噴出できるホースを使い、椎茸には直接水が吹きかからないように気をつけながら、原木1本1本に丁寧に水やりしていきます。1回の水やりにかかる時間は3時間ほど。

「清冽な山の水を引いて、とにかくきめ細かな水やりを徹底しています。まだまだ手探りですが、温度と散水管理が出来や収穫量をかなり左右することがわかってきました。作業は大変ですが、椎茸は手をかけた分だけ美味しくなってくれる。自分でもバター醤油炒めにしたりしてよく食べますが、本当に美味しい椎茸だな、と感動しますね」

焼いてもまったく縮まないと片折氏も驚く。強火の遠火で、旨みを閉じ込めたままじっくり焼かれる。

最高にシンプルで、最高に贅沢な一品が完成。この時味わった全員に、無邪気な笑みがこぼれた。

のとてまり手に取り、料理をし、鳥肌の立つ、類まれな食材。

高森氏、室木氏、山方氏からわけてもらった「のとてまり」を、片折氏は早速試食してみました。鰹出汁と濃口醤油で作った出汁醤油を塗りながら、炭火で焼いたごくシンプルな焼き椎茸。火入れはあえて浅めにして、余熱で中心部まで火が入るかどうかの焼き立てをいただく。一口味わった片折氏は、思わず唸ります。

「うまい。ものすごいですね、椎茸の香りと旨味の強さが全然違う。上品な食感は蒸し鮑のよう。風味の余韻もずっと続きます……また鳥肌が立ってきました」

「一般的な和食では、椎茸は肉や魚の添え物になることが多いのですが、『のとてまり』はもちろん『のと115』も主役を張れる食材です。懐石の中に、その場で焼いたり炊いたりしただけの椎茸そのものを味わっていただく一品を挟んで、生産者の思いを豊かな風味と一緒に伝えていきたい。そう思います」

稲作を営むにも多大な苦労が伴う過酷な自然環境が、椎茸栽培の進化を促した。


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能登の風土が育む至宝「のとてまり」と、究極のストイック系料理人・片折卓矢がついに出逢う。前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

もぎたての椎茸を入念に確認する片折氏。「めちゃくちゃ重い。香りも豊かですね」

のとてまり石川の秀逸な食材を求める片折氏、今狙う注目の椎茸とは?

金沢、浅野川の畔に佇む日本料理『片折』。
毎日たった7席のために、店主の片折卓矢氏を筆頭に4名の料理人が日の出前から奔走する、金沢を代表する、いや今や日本を代表する和食の名店です。その食材への飽くなき追求は果てしなく、七尾市の藤瀬霊水を汲みにいき、県内や隣県の魚市場をめぐり、山菜や野草を摘みに山へ分け入る。その日にしか出合えない季節の食材を、全力をかけて調達し、ごくシンプルな調理法で供す店なのです。
そう、究極の地産地消を体現する、今、最も注目される日本料理の一店です。そんな片折氏が特に思いを込めて常に目を光らせる食材に石川県特産の椎茸「のと115」があります。115とは全国で栽培されている椎茸の菌種の品番。能登で原木によって栽培されるものは、風味と食感がよいと評判で、「のと115」という名で知られるようになってきました。一定の規格を満たすことで認められる「のと115」の中でも、特に高品質なものは「のとてまり」と呼ばれ、料理人の羨望の的になっています。

今回、片折氏はその謎めいた原木椎茸「のとてまり」を求めて、能登の生産者たちを訪ねました。

「のとてまり」づくりの名人と称される高森正治氏。同氏の腕をもってしても、「のとてまり」と認められるのは収穫全体のわずか1%。

「のと115」は味わいの評価もさることながら、きのこらしい美しいフォルムも魅力。

のとてまり森からハウスへ。そして再び森へ。原木椎茸は手間ひまの賜物で生まれる。

能登湾に面する穴水町は、きのこ栽培が盛んな地域のひとつ。その山間で高森正治氏は、約10年前から「のと115」の栽培に取り組んでいます。

「のと115」は能登に自生するコナラを原木に利用して栽培されています。露地とハウス、2通りの栽培方法がありますが、色・形よく育てることができ、市場価格が高い時期に出荷できるハウスでの栽培が一般的です。ハウス栽培といっても、年間を通して原木をハウスの中で管理するわけではありません。森から伐り出され、玉切りされた原木は、植菌されて1年の多くを森の中で過ごします。「のと115」が出始める直前の11月にハウスに移動し、3月いっぱいまで収穫され、また森へと戻されます。その日、高森氏のハウスは収穫の最盛期を迎えていました。

「椎茸は気温にとても敏感に反応します。気温が上がると一斉に傘が開いてしまうので、急いで収穫しなければいけません。先日、急に暖かくなったもんで、この数日はもうバタバタ。袋がけも追いついていなくて」と高森氏。椎茸は、500円玉大になったところでひとつひとつビニール袋をかけていきます。袋がけには、椎茸の傘に傷がつくのを防ぐと共に、袋内の湿度が一定に保たれることによって、適切な成長を促す効果があります。合掌組みで並べられたほだ木は、1本1本360度あらゆる方向に付いている椎茸を常にチェックし、ほだ木を回転させながら、見込みのある椎茸を特に手をかけながら大切に育てます。水やり、収穫にと、気を抜けない日々が続きます。
「袋がけ作業がいちばん楽しい。大きくなれよと期待を込めながら作業します。実は収穫は全然楽しくないんだよ。すでに結果が出てしまっているからね」

大きく育ったひとつを収穫させてもらった片折氏は、愛おしむように両手で包み込み、ひだの香りを確認します。
「鳥肌が立ってしまいました。これだ、と思える食材を手にできた時、なぜか全身がぞくっとするんです。水分をしっかり蓄えて、ずしりと重く、原木椎茸ならではの香りも強い。これは間違いない。焼いたら、絶対に美味い」と笑顔が綻びます。

室木芳憲氏は工場勤務の脱サラ後、就農支援の研修を経て、夏はミニトマト、冬は椎茸を栽培する農家となった。

「のとてまり」の判定は奥能登管内のJAにて実施。大きさはノギスを使って正確に計測。規格外のものは生産者へ返品される。

のとてまり「のとてまり」の称号は、厳格な基準を満たした最高峰の証。

肉厚でしっとりとしている「のと115」は、焼いても縮むことがなく、ほどよい弾力と滑らかな舌触り、濃厚な風味を楽しむことができます。収穫された「のと115」のうち特に大きく形のよいものは、JAの検査場に集められ「のとてまり」の判定試験を受けます。

「のとてまり」は次のような厳格な判定基準が定められています。
・傘の直径8cm以上
・肉厚3cm以上
・傘の巻き込み1cm以上
・形状が優れていること

検査場に持ち込まれるのは優れた「のと115」ばかり。それでも晴れて「のとてまり」と認定されるのは、3割程度とのこと。「のとてまり」栽培の名人と称される高森氏でさえも、「のとてまり」生産の割合は1%足らずといわれています。いかに「のとてまり」が希少な椎茸であるかがわかります。

就農3年目の室木芳憲氏は、穴水町のハウス3棟に5,500本の原木を管理しています。収穫期の作業は朝7時から夜7時まで。「のとてまり」の候補として出せるのは、最盛期で週に60個ほどとのこと。やはり一筋縄ではいきません。
「この3年間でも、収穫量は年によって随分と違いました。今年はまずまずですが、昨年は厳しかった。気温や雨量などが影響しているようですが、そのメカニズムは謎が多く、まだまだ経験が必要です。地道にやっていくしかないですね」と室木氏は穏やかに話します。


生産現場をつぶさに見た片折氏は、感慨深げ。
「菌床栽培(おが屑ブロックなどでの人工栽培)に比べて、原木栽培の椎茸の方が味も香りも圧倒的に濃くて食材としては格段に優れています。でも、原木栽培がこれほど大変とは知りませんでした。原木のほだ木は太いものだと15kgにもなるとか。それを森からハウスへ、ハウスから森へ何千本も移動させる重労働は聞いただけで気が遠くなります。『のと115』への愛着が一層強まりましたね」

大勢の生産者が産出した「のとてまり」は大きさが揃えられて箱詰めされる。この一箱にも、複数の農家の努力が詰まっている。

「のとてまり」は同じ大きさの箱に、大きさ別に詰められ、8玉入り、6玉入り、5玉入り、3玉入りの4種で出荷される。


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名酒を生む名手たるゆえん。最強チームに加わる最後の武者修業。

最後の「武者修業」先、『新政』にて感謝の祈りを捧げる松本日出彦氏。「酒造りだけではなく、それを取り巻く地域や環境との共存、自然の偉大さを学びました。そして、人としてどうそれと介在し、生きていくのか。生涯を通して考え続けなければいけないことなのだと思います」。

HIDEHIKO MATSUMOTO「新政」の厳格なルールのもと、松本日出彦が介在する意味は何か。

2021年2月より密着している松本日出彦氏の武者修業。

滋賀『富田酒造』、熊本『花の香酒造』、福岡『白糸酒造』、栃木『仙禽』と巡り、最後の蔵は、全ての酒造りおいて生酛を採用する秋田の『新政酒造』(以下、新政)です。

2021年4月。この日の仕込みは、蒸したお米を冷却する埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業。速醸造りであれば、一気に冷却しますが、生酛造りは一足飛びにはいきません。米の表面を適度に乾かし、ひと晩じっくり保湿しながら米を寝かせます。この工程は、今後の米の溶け具合に影響するため、重要な作業のひとつ。以後、半切桶に籠らせ、冷やしたそれを翌日に手で混ぜていきます。

生酛造りは複雑な発酵を操るため、多くの知識が必要な製法です。また、速醸酒母と比較にはならないほどの労力がかかります。しかしこれらの労力は、簡単に機械にとって代えられるようなものではありません。

添加物や最新の醸造機器などから距離をとり、ただひたすらに生酛製法の真髄を継承し、品質を向上させるため『新政』では常に試行錯誤が行われています。

「地元の水をどう活かしていけるのか。そこを大事にしています。生酛の際は何日も置いた水を使ったり、色々なアイディアを取り入れて挑戦しています」と話すのは、蔵人の福本芳鷹氏です。福本氏は、生粋の蔵人ではなく、北海道札幌の名店『鮨 一幸』出身。異例の人物です。しかし、『新政』を提供する側にいた貴重な知見は、酒造りに活かされています。

そして、水の扱い方は米の扱い方にもつながります。

「蒸した米をひと晩じっくり冷やし、半切桶に仕込み、寄部屋(よせべや)と呼ばれる空間で籠らせます。1日2回手で混ぜ、寝かし、低温で雑菌の活動を鈍らせながら水に含まれる硝酸を還元し、更に不要な微生物を死滅させるための亜硝酸を生み出します。使用する仕込み水には、役目を終えた木桶の破片を漬け、それを“継ぎ足し”ながら使用しています」と酛屋の佐々木 公太氏。

生酛造りにおいて重要な「硝酸還元菌」と呼ばれるそれは、またの名を「亜硝酸生成菌」とも言い、仕込み水に木桶の破片を漬ける理由は「木の穴や隙間、凹凸に、亜硝酸が住み着く環境を作るため」と佐々木氏。加えて、まるで秘伝のタレのような「継ぎ足し」という水の発想においても『新政』独自の着眼とも言えます。

「良い水を他所から引っ張ってくるのではなく、地元の水を最大限良くしていくために知恵を絞るという行為は、人が自然に介在する意味があると思います」と松本氏。

別日、半切桶に寝かした米20kgに対して麹10kgを均一になるよう混ぜ合わせます。一見、シンプルな作業に見えますが、計30kgのそれを手で掻く作業は重労働。武者修業における最後の生酛造りに全身全霊で松本氏は取り組みます。

「自分と松本さんでは混ぜる回数や具合が異なるため、それだけでも味に変化が生まれると思います」と佐々木氏。

日本酒とは造り方だけでなく、人によって味が変わるのです。

その後、暖気部屋(だきべや)へ移し、乳酸菌を増殖させます。ここまでにかかる日数は、約2週間。次に酵母を増やすための部屋へ移し、酒母を造っていきます。作業をしやすいように個別に設計された3つの部屋を通してそれを成すも、伝統の酒造りを独自のやり方で創造していく姿は、生酛造り、もとい、『新政』造りと言って良いでしょう。

『新政』の酒造りは、厳格なルールのもと、成り立っています。そこに「武者修業」だからというイレギュラーや特例はありません。与えられた環境の中、何を学び、何を得て、何を造るのか。

全ては、松本日出彦次第。

もくもくと立ち上がる湯気。周囲は蒸し立ての米の香りが充満し、蔵人たちが戦闘態勢に入る。

「水の温度、米の状態、両者を見極め、132%吸わせた米を蒸してる最中に9%吸わせて、141%に……」など、本日の蒸米に関して議論する福本芳鷹氏(左)と松本氏(右)。

切り返しを行い、蒸し立ての米に空気を含ませ、温度を下げていく。

切り返しをした米は、ひと晩寝かせてから、寄部屋(よせべや)へ仕込む。

「『新政』の洗米機は、先端の機器。細かいジェット噴射が精度の高い洗米を手伝います」と松本氏。

この日は、10.5度の水にひと袋17分漬け、洗米した米に水を36%吸わせる。

埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業を行う酛屋の佐々木 公太氏(奥)と松本氏(手前)。「2014年から生酛造りに舵を切りましたが、うまく行かないことも多かったです。工夫を繰り返しながら、ようやく近年では安定的に造れるようになりました」と佐々木氏。

寄部屋に仕込んだ半切桶に合わせる酛。表面を適度に乾かし、保湿しながら米を寝かせる。この作業によって米の溶け具合が変わり、今後の作業に影響する。

継ぎ足し継ぎ足しをしている仕込み水。中には、使わなくなった木桶の破片を漬ける。

半切桶に寝かした米20kgに対し、麹10kgを均一になるよう、仕込み水を加えながら混ぜ合わせていく。

仕込みを終えたら、寄せて寝かせる。寄部屋との名称はこれに由来するも、業界用語ではなく『新政』用語。

仕込み終えた半切桶。これからどんな化学反応を起こすのか、期待が高まる。

HIDEHIKO MATSUMOTO自社圃場を持つ意義。酒造りを通して地域を発展させる。

蔵のある秋田県秋田市大町から車で走ること約1時間。同市内河辺の鵜養(うやしない)に『新政』は自社圃場を保有しています。

「酒米の郷」にすべく地元農家にも協力を仰ぎ、無農薬栽培を実現。2015年から始まり、現在の面積は32町歩(約32ha)にも及びます。それを担う酒米責任者の古関 弘氏は、元醸造責任者という驚愕のコンバート。蔵の中で酒造りをしていた時代は、生酛造りや木桶の採用へ転換する改革を8代目蔵元・佐藤祐輔氏とともに取り組み、今の『新政』の礎を築きました。

「醸造責任者は言わば杜氏。責任のある立場の方が米を作るということは、農家さんにとっても『新政』が本気だということの意思表示になると思います。加えて、この活動は、酒造りだけではなく、地域の発展はもちろん、美しい日本の田園風景を守ることにもなり、生態系を維持することにもつながります」と松本氏。

「稲を育てることによって微生物の循環を再生させ、田んぼが乾き切ってしまったがために細くなってしまった自然の生育サイクルを太くさせてあげたいなと思っています」と古関氏。

田園風景が広がる中には、かつて不耕地帯だった田んぼもありましたが、約4年かけて地道に育て、今では一番収穫できるまでに。

育てる米は、陸羽(りくう)132号を始め、酒こまち、美郷錦の3種。主である陸羽は、童話作家・宮沢賢治が推奨していた水稲品種であり、約100年前に秋田県大曲市にて育種開発されたもの。親に「亀の尾」と「愛国」を持つことから「愛亀」の愛称としても親しまれています。

「(佐藤)祐輔さんは、“自分たちの目が行き届く範囲やこだわって田んぼを始めるには、このサイズがちょうど良いが、盆地で湿気が溜まりやすく、正直、栽培には適していない”とおっしゃっていました。(前述の)仕込み水の追求の仕方しかり、もともとあるベストな環境に乗るではなく、例え負の要素があったとしても、自分たちの工夫と努力を添えればベストな環境を作れるという発想から理想に持っていくのは、実に『新政』らしく、そのイズムはチームにも受け継がれていると思います」と松本氏。

では、この土地が勝負できると感じたものは何か? それは、水でした。


「上流に何もないため、水が美しく、無農薬に適していると思いました。それに、必ずしも良い環境が良いものを生むとは限らないと思います。例えば、シャンパーニュ地方は寒く、湿気も多い。加えて、雪も降ります。しかし、そんな環境でも素晴らしい造り手はいますし、オーガニック栽培をするワイナリーもあります。負の要素を好転させ、価値を持たせることができるか否かは人の問題」と佐藤氏。

「ワインを愛する前に土地を愛せ」と、謳われているかは知らずとも、シャンパーニュ地方にこだわるからこそ、愛するからこそ、造り手はシャンパーニュに夢を見るのかもしれません。

祐輔さんのおっしゃる通り、近くには大又川が流れ、斜面から湧き出す水は土地が持つ豊かな恵みを象徴しています。水量もふんだん、透明度も高く、悠々と泳ぐイワナを見れば、良質な清流だということは言うまでもありません。日本酒は米と水からできていますが、その水は仕込み水だけに限りません。こうして米が育つ水もまた酒造りの水。米を造るということは水を守ること、山を守ることにつながります。今回、さまざまの蔵を回って、蔵の中だけでなく、蔵の外、環境を体感できたことは、本当に学びになっています」と松本氏。

松本氏が言う「山を守ること」は、木桶を自社で造る構想を持つ稀有な『新政』にとって深く向き合ってきた環境問題でもあります。

その中心人物は、設計士の相馬佳暁(よしあき)氏です。蒸米を広げる木製の作業台、更には麹室や木桶蔵まで設計をしています。

「自分は、大阪の木桶職人に教えていただきました。実は、今年もその方のもとへ修業に行ってきます。大阪で作っているため、素材は吉野杉ですが、『新政』の木桶の理想は、秋田で作り、秋田杉を使用することです。しかし、まず、木桶に使える杉は、約120年の樹齢がないと難しいと言われています。秋田県内では、それがほぼ国有林や保護地区にしかなく。これは農林水産省や国の許諾がないと伐採できないため、非常に難しい問題です。自社圃場を有する鵜養に木桶の制作工場も作りたいと思っており、色々、活動を進めているところです」と相馬氏。

米、水、道具など、ルーツも含め、全量秋田にこだわる『新政』の第1フェーズが生酛造りへの転換であれば、第2フェーズは自社圃場の保有。この木桶作りと製作工房の実現は、第3フェーズなのかもしれません。

「ステンレスや琺瑯を採用する蔵も多いですが、やはり酒造りの道具に木材は欠かせません。つまり、酒造りをすることは林業にも向き合うことになるのです。木桶作りまでを自社で行う『新政』であれば、なおのことダイレクトにそれと対峙することになります。国有林や保護地区と言えば一見聞こえは良いですが、数百年、数十年前に植えられた木は、必ずしも残し続けることが良いわけではありません。天災によって土砂崩れや倒木の恐れもあります。更には、風の抜けを妨げ、気候や環境を変えてしまうことすら起こってしまいます。現代においては、ほどよく伐採し、“植える”だけでなく“整える”必要があり、それは、今、生きる我々の責任だとも思います」と松本氏。

伐採され、姿形を変えても、正しい命を吹き込めば、木は新たな生き方を手に入れます。『新政』の木桶として生きる道は、必ずや正しいそれになるでしょう。

米、水、そして木。林業に松本氏がじっくり向き合うことができたのは、『新政』だからこそ。

良い酒は、良い酒造りだけにあらず。

良い地域造り、良い秋田造りこそ、『新政』にとって良い酒なのです。

松本氏は、4月(写真)と5月に田んぼを訪れ、土の状態と水を張った状態を観察。鵜養(うやしない)の環境について酒米責任者の古関 弘氏(左)から学ぶ、松本氏(右)

「以前は、沼のような状態のところもありました。土壌作りから始まりましたが、今では水捌けも良くなり、今年の米も楽しみです」と古関氏。努力の甲斐あり、今では美しい田園風景を成す。

大又川が流れる舟作と呼ばれるポイント。その由来は、川の流れによって掘って削られた岩盤の滝が舟の形をしていたことからその名が付いたと伝わる。

この土地の神様、「辺岨(へそ)神社」。「岩見神社」という由緒ある古社の境内に秋田の中心地=へそという意味を持って創設。「岩見神社」では、五穀豊穣などを願う湯立神事も執り行われる。松本氏もこれまでの各所への感謝及び武者修業の無事を祈願。

設計士の相馬佳暁(よしあき)氏(左)と松本氏(右)。木桶を通して環境問題について議論。「森林と向き合うことは行政と向き合うことにもつながります。色々課題は多いですが、土地とともに酒造りをしたい」と相馬氏。

高さ、直径ともに約2mの木桶。材を仕入れ、削り、組み立てる。木材を乾燥させるだけでも1年かかるため、その労力は計り知れないが、『新政』では、それを相馬氏がたったひとりで担う。

相馬氏は、『新政』の木製の道具も制作。それぞれ異なる職人を有する総合力こそ、『新政』の強み。

「良い酒だけ造るだけであれば、美味しいだけに留まってしまう。『新政』では、文化的価値を創造したい」と8代目蔵元・佐藤祐輔氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO価値ある酒とは何か。武者修業の解はそこにある。

「美味しい競争に興味はありません。自分は、文化的価値の高いお酒を目指しています」。そう語るのは、『新政』8代目蔵元・佐藤祐輔氏です。

そのために生酛造りへ転換し、木桶を採用し、米を全て秋田産に変え、自社圃場を構える変革をしてきました。前述、醸造責任者だった古関氏を酒米責任者へ就任させたことにおいても「農家さん“が”作る米ではなく、農家さん“と”作る米でなければいけない」と言葉を続けます。

農家さん“が”、農家さん“と”。言葉にすれば一文字異なるだけですが、その内容には大きな違いがあります。

ゆえに「自分で作る技術を得られる高い能力の人材が必要だった」のです。

この能力とは、仕事の能力だけでなく、人間の能力も指します。農家と阿吽の呼吸で作業を行うことや信頼関係を結ぶことは、それだけ難しいのです。

「祐輔さんの行動には、全て理由があり、全て当を得ている」と松本氏。

そのような哲学は、さまざまな基準や当たり前を見直す機会にもなります。

「例えば、吟醸酒は美味しい正解なのか? もちろん答えは正解ですが、それだけが日本酒の正解ではありません。精米歩合は判断基準のひとつですが、それが価格とイコールではありません。『新政』が採用している扁平精米は、米の中心部分である心白を残しながら不要を除去し、デンプンを残すことが可能なため、秋田産のお米には適しています。業界の正解は、各蔵の正解とは限らないのです。それぞれの土地にはそれぞれの特性があり、その特性を活かすことによって個性が生まれ、地酒が生まれるのです。蔵の数だけ味があり、土地があり、人がある」と松本氏。

酒を飲むのではなく、地域を飲む、風土を飲む、文化を飲む、そして人を飲む。

「我々の良くないところは、そういった伝え方をできていなかったこと」と佐藤氏は言うも、逆に飲み手は、そういった理解を得る心が必要とされます。つまりは、それが価格に比例されるべきであるも、ほぼ成されていないのが現状。生活圏で言えば、酒屋の陳列にも飲食店のメニューにも、そんな物語の記載を目にする機会は少ない。

自らやるしかない。その有志によって立ち上がったのが『一般社団法人 J.S.P』です。ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォームの頭文字から成るその団体の代表理事を務めるのも佐藤氏です。

「新型コロナウイルスによって、全てが一変してしまいました。緊急事態宣言や酒類の提供停止、自粛などによって飲食店への販路は、ほぼ皆無。ましてや、世界同時の難局なため、海外への輸出も絶たれてしまいました。自分も含め、酒を届けるタッチポイントを再考していかなければならない」と佐藤氏。

以前のタッチポイントは飲食店や酒屋でしたが、これから必要とすべきことは、直接、お客様と酒の関係性を結ぶ環境造りなのかもしれません。もっと追求すれば、酒の先にある地域、造り手などと結ばれることこそ理想形。

「タッチポイントという点では、『新政』のラベルはそれに一役買っているのではないでしょうか。芸術家、書道家、漫画家、グラフィックデザイナーなど、数々のクリエイターと協業することによって、これまで日本酒業界では得ることができなかった接点との結実、アプローチだと思います」と松本氏。

日本酒業界と比べてどうかではなく、他所のクリエイティブと比べてどうか。この価値基準の競争においては、良い効果を生むでしょう。

「僕は飽きっぽいので、すぐ変えちゃうんです。ラベルもそうですし、造りもそう。どんなに苦労して長い道のりをかけてたどり着いた味でも、ほぼ定番にはしない。これは成功したので、また次の挑戦をしましょうというタイプ」と佐藤氏が言う隣では「現場は大変ですよね(苦笑)」と松本氏。

飽き性とは、言い方を変えれば、あぐらをかかないこと。これは、歴史や伝統を盾に進化しない蔵では衰退してしまう危惧によるものなのかもしれません。

そういった意味も含んでか、佐藤氏は松本氏にこう話します。

「日出彦は、蔵を抜けて良かった」。

1852年(嘉永五年)に創業した『新政』。歴史や伝統に満足することなく、挑戦し続ける蔵としてその名を馳せる。

現存する市販清酒酵母中では最古となる「きょうかい6号」の発祥蔵『新政』。1号から5号までは、西日本で生まれたが、6号は1930年(昭和5年)に『新政』のもろみから分離され、誕生。

今回、松本氏とともに造るのは「ラピス」。東北を代表する酒米「美山錦」の性質を良く表しながらも軽快な酒質に仕上げる定番作品。『新政』の基本的な味わいを表現する「定点観測」的なモデルでもある。

HIDEHIKO MATSUMOTO何のしがらみもない中、思いっきり酒を造れ。

2020年末、様々な事情によって松本氏は自身の蔵を離れることになり、この「武者修業」は始まりました。当時、佐藤氏は松本氏にすぐに連絡し、色々思いを伝えるも、その声は震えていました。怒り、悔しさ、悲しみ、様々込み上げる感情は、言葉に表すことはできません。

「色々なやり方で残ることもできたかもしれない。もしくは、残った方が楽だったかもしれない。でも、そこに自分が信じる日本酒があるかと言えば、なかったかもしれません。別のものを造らなければいけないのであれば、ゼロから始めて、自分が信じるものを造った方が日出彦らしい。造りたいものを造る。一見シンプルなようだけど、造り手にとってこれほど幸せなことはない」と佐藤氏。

「守るべきものは、たくさんあると思うのですが、本当に守らなければいけないものは、土地や建物ではなく、日本酒を造る魂。一度は、それを失いかけましたが、祐輔さんを始め、みんなに支えられて大事なものを失わずに済みました」と松本氏。

今回の「武者修業」は、蔵や職人同士の付き合いだから始まったものではありません。ましてや情けや助けでもありません。これまで培ってきた人と人との絆が衝動的に心を動かした結果論なのだと思います。

また、「武者修業」で得たことは、もしかしたら蔵の中で得たことよりも、蔵の外で得たことの方が大きく作用したかもしれません。

酒造りだけではない環境への配慮。地域や自然との対峙。向き合うべき問題や課題。磨くべきは技術よりも心。そして、職人である前にひとりの人間としてどうあるべきか……。

松本日出彦の酒造りとは何か? 日本酒とは何か?

それは「生き方」。

その証は、きっと厳格なルールのもと造られた『新政』の酒にも息づいているに違いないと信じます。

これから先、松本氏がどうなるか分かりません。しかし、皆が望んでいることはただひとつ。

「思いっきり酒を造れ」。

『ONESTORY』は、もう少し松本日出彦を追いかけたいと思います。

 各蔵で手を撮り続けた今回の「武者修業」。当初「酒造りをしている時は手が硬い。酒造りができていない今の手は、柔らかい。シーズン中にこんな自分の手を見るのはいつぶりだろうか……」と話していたが、最後は職人の手になれたか!?

「コロナ禍もあり、今までの100年とこれからの100年は、全く違う100年。これからの日本酒業界も変わらなければいけない」と佐藤氏(右)と松本氏(左)。

住所:秋田県秋田市大町6-2-35 MAP
TEL:018-823-6407
http://www.aramasa.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

名酒を生む名手たるゆえん。最強チームに加わる最後の武者修業。

最後の「武者修業」先、『新政』にて感謝の祈りを捧げる松本日出彦氏。「酒造りだけではなく、それを取り巻く地域や環境との共存、自然の偉大さを学びました。そして、人としてどうそれと介在し、生きていくのか。生涯を通して考え続けなければいけないことなのだと思います」。

HIDEHIKO MATSUMOTO「新政」の厳格なルールのもと、松本日出彦が介在する意味は何か。

2021年2月より密着している松本日出彦氏の武者修業。

滋賀『富田酒造』、熊本『花の香酒造』、福岡『白糸酒造』、栃木『仙禽』と巡り、最後の蔵は、全ての酒造りおいて生酛を採用する秋田の『新政酒造』(以下、新政)です。

2021年4月。この日の仕込みは、蒸したお米を冷却する埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業。速醸造りであれば、一気に冷却しますが、生酛造りは一足飛びにはいきません。米の表面を適度に乾かし、ひと晩じっくり保湿しながら米を寝かせます。この工程は、今後の米の溶け具合に影響するため、重要な作業のひとつ。以後、半切桶に籠らせ、冷やしたそれを翌日に手で混ぜていきます。

生酛造りは複雑な発酵を操るため、多くの知識が必要な製法です。また、速醸酒母と比較にはならないほどの労力がかかります。しかしこれらの労力は、簡単に機械にとって代えられるようなものではありません。

添加物や最新の醸造機器などから距離をとり、ただひたすらに生酛製法の真髄を継承し、品質を向上させるため『新政』では常に試行錯誤が行われています。

「地元の水をどう活かしていけるのか。そこを大事にしています。生酛の際は何日も置いた水を使ったり、色々なアイディアを取り入れて挑戦しています」と話すのは、蔵人の福本芳鷹氏です。福本氏は、生粋の蔵人ではなく、北海道札幌の名店『鮨 一幸』出身。異例の人物です。しかし、『新政』を提供する側にいた貴重な知見は、酒造りに活かされています。

そして、水の扱い方は米の扱い方にもつながります。

「蒸した米をひと晩じっくり冷やし、半切桶に仕込み、寄部屋(よせべや)と呼ばれる空間で籠らせます。1日2回手で混ぜ、寝かし、低温で雑菌の活動を鈍らせながら水に含まれる硝酸を還元し、更に不要な微生物を死滅させるための亜硝酸を生み出します。使用する仕込み水には、役目を終えた木桶の破片を漬け、それを“継ぎ足し”ながら使用しています」と酛屋の佐々木 公太氏。

生酛造りにおいて重要な「硝酸還元菌」と呼ばれるそれは、またの名を「亜硝酸生成菌」とも言い、仕込み水に木桶の破片を漬ける理由は「木の穴や隙間、凹凸に、亜硝酸が住み着く環境を作るため」と佐々木氏。加えて、まるで秘伝のタレのような「継ぎ足し」という水の発想においても『新政』独自の着眼とも言えます。

「良い水を他所から引っ張ってくるのではなく、地元の水を最大限良くしていくために知恵を絞るという行為は、人が自然に介在する意味があると思います」と松本氏。

別日、半切桶に寝かした米20kgに対して麹10kgを均一になるよう混ぜ合わせます。一見、シンプルな作業に見えますが、計30kgのそれを手で掻く作業は重労働。武者修業における最後の生酛造りに全身全霊で松本氏は取り組みます。

「自分と松本さんでは混ぜる回数や具合が異なるため、それだけでも味に変化が生まれると思います」と佐々木氏。

日本酒とは造り方だけでなく、人によって味が変わるのです。

その後、暖気部屋(だきべや)へ移し、乳酸菌を増殖させます。ここまでにかかる日数は、約2週間。次に酵母を増やすための部屋へ移し、酒母を造っていきます。作業をしやすいように個別に設計された3つの部屋を通してそれを成すも、伝統の酒造りを独自のやり方で創造していく姿は、生酛造り、もとい、『新政』造りと言って良いでしょう。

『新政』の酒造りは、厳格なルールのもと、成り立っています。そこに「武者修業」だからというイレギュラーや特例はありません。与えられた環境の中、何を学び、何を得て、何を造るのか。

全ては、松本日出彦次第。

もくもくと立ち上がる湯気。周囲は蒸し立ての米の香りが充満し、蔵人たちが戦闘態勢に入る。

「水の温度、米の状態、両者を見極め、132%吸わせた米を蒸してる最中に9%吸わせて、141%に……」など、本日の蒸米に関して議論する福本芳鷹氏(左)と松本氏(右)。

切り返しを行い、蒸し立ての米に空気を含ませ、温度を下げていく。

切り返しをした米は、ひと晩寝かせてから、寄部屋(よせべや)へ仕込む。

「『新政』の洗米機は、先端の機器。細かいジェット噴射が精度の高い洗米を手伝います」と松本氏。

この日は、10.5度の水にひと袋17分漬け、洗米した米に水を36%吸わせる。

埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業を行う酛屋の佐々木 公太氏(奥)と松本氏(手前)。「2014年から生酛造りに舵を切りましたが、うまく行かないことも多かったです。工夫を繰り返しながら、ようやく近年では安定的に造れるようになりました」と佐々木氏。

寄部屋に仕込んだ半切桶に合わせる酛。表面を適度に乾かし、保湿しながら米を寝かせる。この作業によって米の溶け具合が変わり、今後の作業に影響する。

継ぎ足し継ぎ足しをしている仕込み水。中には、使わなくなった木桶の破片を漬ける。

半切桶に寝かした米20kgに対し、麹10kgを均一になるよう、仕込み水を加えながら混ぜ合わせていく。

仕込みを終えたら、寄せて寝かせる。寄部屋との名称はこれに由来するも、業界用語ではなく『新政』用語。

仕込み終えた半切桶。これからどんな化学反応を起こすのか、期待が高まる。

HIDEHIKO MATSUMOTO自社圃場を持つ意義。酒造りを通して地域を発展させる。

蔵のある秋田県秋田市大町から車で走ること約1時間。同市内河辺の鵜養(うやしない)に『新政』は自社圃場を保有しています。

「酒米の郷」にすべく地元農家にも協力を仰ぎ、無農薬栽培を実現。2015年から始まり、現在の面積は32町歩(約32ha)にも及びます。それを担う酒米責任者の古関 弘氏は、元醸造責任者という驚愕のコンバート。蔵の中で酒造りをしていた時代は、生酛造りや木桶の採用へ転換する改革を8代目蔵元・佐藤祐輔氏とともに取り組み、今の『新政』の礎を築きました。

「醸造責任者は言わば杜氏。責任のある立場の方が米を作るということは、農家さんにとっても『新政』が本気だということの意思表示になると思います。加えて、この活動は、酒造りだけではなく、地域の発展はもちろん、美しい日本の田園風景を守ることにもなり、生態系を維持することにもつながります」と松本氏。

「稲を育てることによって微生物の循環を再生させ、田んぼが乾き切ってしまったがために細くなってしまった自然の生育サイクルを太くさせてあげたいなと思っています」と古関氏。

田園風景が広がる中には、かつて不耕地帯だった田んぼもありましたが、約4年かけて地道に育て、今では一番収穫できるまでに。

育てる米は、陸羽(りくう)132号を始め、酒こまち、美郷錦の3種。主である陸羽は、童話作家・宮沢賢治が推奨していた水稲品種であり、約100年前に秋田県大曲市にて育種開発されたもの。親に「亀の尾」と「愛国」を持つことから「愛亀」の愛称としても親しまれています。

「(佐藤)祐輔さんは、“自分たちの目が行き届く範囲やこだわって田んぼを始めるには、このサイズがちょうど良いが、盆地で湿気が溜まりやすく、正直、栽培には適していない”とおっしゃっていました。(前述の)仕込み水の追求の仕方しかり、もともとあるベストな環境に乗るではなく、例え負の要素があったとしても、自分たちの工夫と努力を添えればベストな環境を作れるという発想から理想に持っていくのは、実に『新政』らしく、そのイズムはチームにも受け継がれていると思います」と松本氏。

では、この土地が勝負できると感じたものは何か? それは、水でした。


「上流に何もないため、水が美しく、無農薬に適していると思いました。それに、必ずしも良い環境が良いものを生むとは限らないと思います。例えば、シャンパーニュ地方は寒く、湿気も多い。加えて、雪も降ります。しかし、そんな環境でも素晴らしい造り手はいますし、オーガニック栽培をするワイナリーもあります。負の要素を好転させ、価値を持たせることができるか否かは人の問題」と佐藤氏。

「ワインを愛する前に土地を愛せ」と、謳われているかは知らずとも、シャンパーニュ地方にこだわるからこそ、愛するからこそ、造り手はシャンパーニュに夢を見るのかもしれません。

祐輔さんのおっしゃる通り、近くには大又川が流れ、斜面から湧き出す水は土地が持つ豊かな恵みを象徴しています。水量もふんだん、透明度も高く、悠々と泳ぐイワナを見れば、良質な清流だということは言うまでもありません。日本酒は米と水からできていますが、その水は仕込み水だけに限りません。こうして米が育つ水もまた酒造りの水。米を造るということは水を守ること、山を守ることにつながります。今回、さまざまの蔵を回って、蔵の中だけでなく、蔵の外、環境を体感できたことは、本当に学びになっています」と松本氏。

松本氏が言う「山を守ること」は、木桶を自社で造る構想を持つ稀有な『新政』にとって深く向き合ってきた環境問題でもあります。

その中心人物は、設計士の相馬佳暁(よしあき)氏です。蒸米を広げる木製の作業台、更には麹室や木桶蔵まで設計をしています。

「自分は、大阪の木桶職人に教えていただきました。実は、今年もその方のもとへ修業に行ってきます。大阪で作っているため、素材は吉野杉ですが、『新政』の木桶の理想は、秋田で作り、秋田杉を使用することです。しかし、まず、木桶に使える杉は、約120年の樹齢がないと難しいと言われています。秋田県内では、それがほぼ国有林や保護地区にしかなく。これは農林水産省や国の許諾がないと伐採できないため、非常に難しい問題です。自社圃場を有する鵜養に木桶の制作工場も作りたいと思っており、色々、活動を進めているところです」と相馬氏。

米、水、道具など、ルーツも含め、全量秋田にこだわる『新政』の第1フェーズが生酛造りへの転換であれば、第2フェーズは自社圃場の保有。この木桶作りと製作工房の実現は、第3フェーズなのかもしれません。

「ステンレスや琺瑯を採用する蔵も多いですが、やはり酒造りの道具に木材は欠かせません。つまり、酒造りをすることは林業にも向き合うことになるのです。木桶作りまでを自社で行う『新政』であれば、なおのことダイレクトにそれと対峙することになります。国有林や保護地区と言えば一見聞こえは良いですが、数百年、数十年前に植えられた木は、必ずしも残し続けることが良いわけではありません。天災によって土砂崩れや倒木の恐れもあります。更には、風の抜けを妨げ、気候や環境を変えてしまうことすら起こってしまいます。現代においては、ほどよく伐採し、“植える”だけでなく“整える”必要があり、それは、今、生きる我々の責任だとも思います」と松本氏。

伐採され、姿形を変えても、正しい命を吹き込めば、木は新たな生き方を手に入れます。『新政』の木桶として生きる道は、必ずや正しいそれになるでしょう。

米、水、そして木。林業に松本氏がじっくり向き合うことができたのは、『新政』だからこそ。

良い酒は、良い酒造りだけにあらず。

良い地域造り、良い秋田造りこそ、『新政』にとって良い酒なのです。

松本氏は、4月(写真)と5月に田んぼを訪れ、土の状態と水を張った状態を観察。鵜養(うやしない)の環境について酒米責任者の古関 弘氏(左)から学ぶ、松本氏(右)

「以前は、沼のような状態のところもありました。土壌作りから始まりましたが、今では水捌けも良くなり、今年の米も楽しみです」と古関氏。努力の甲斐あり、今では美しい田園風景を成す。

大又川が流れる舟作と呼ばれるポイント。その由来は、川の流れによって掘って削られた岩盤の滝が舟の形をしていたことからその名が付いたと伝わる。

この土地の神様、「辺岨(へそ)神社」。「岩見神社」という由緒ある古社の境内に秋田の中心地=へそという意味を持って創設。「岩見神社」では、五穀豊穣などを願う湯立神事も執り行われる。松本氏もこれまでの各所への感謝及び武者修業の無事を祈願。

設計士の相馬佳暁(よしあき)氏(左)と松本氏(右)。木桶を通して環境問題について議論。「森林と向き合うことは行政と向き合うことにもつながります。色々課題は多いですが、土地とともに酒造りをしたい」と相馬氏。

高さ、直径ともに約2mの木桶。材を仕入れ、削り、組み立てる。木材を乾燥させるだけでも1年かかるため、その労力は計り知れないが、『新政』では、それを相馬氏がたったひとりで担う。

相馬氏は、『新政』の木製の道具も制作。それぞれ異なる職人を有する総合力こそ、『新政』の強み。

「良い酒だけ造るだけであれば、美味しいだけに留まってしまう。『新政』では、文化的価値を創造したい」と8代目蔵元・佐藤祐輔氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO価値ある酒とは何か。武者修業の解はそこにある。

「美味しい競争に興味はありません。自分は、文化的価値の高いお酒を目指しています」。そう語るのは、『新政』8代目蔵元・佐藤祐輔氏です。

そのために生酛造りへ転換し、木桶を採用し、米を全て秋田産に変え、自社圃場を構える変革をしてきました。前述、醸造責任者だった古関氏を酒米責任者へ就任させたことにおいても「農家さん“が”作る米ではなく、農家さん“と”作る米でなければいけない」と言葉を続けます。

農家さん“が”、農家さん“と”。言葉にすれば一文字異なるだけですが、その内容には大きな違いがあります。

ゆえに「自分で作る技術を得られる高い能力の人材が必要だった」のです。

この能力とは、仕事の能力だけでなく、人間の能力も指します。農家と阿吽の呼吸で作業を行うことや信頼関係を結ぶことは、それだけ難しいのです。

「祐輔さんの行動には、全て理由があり、全て当を得ている」と松本氏。

そのような哲学は、さまざまな基準や当たり前を見直す機会にもなります。

「例えば、吟醸酒は美味しい正解なのか? もちろん答えは正解ですが、それだけが日本酒の正解ではありません。精米歩合は判断基準のひとつですが、それが価格とイコールではありません。『新政』が採用している扁平精米は、米の中心部分である心白を残しながら不要を除去し、デンプンを残すことが可能なため、秋田産のお米には適しています。業界の正解は、各蔵の正解とは限らないのです。それぞれの土地にはそれぞれの特性があり、その特性を活かすことによって個性が生まれ、地酒が生まれるのです。蔵の数だけ味があり、土地があり、人がある」と松本氏。

酒を飲むのではなく、地域を飲む、風土を飲む、文化を飲む、そして人を飲む。

「我々の良くないところは、そういった伝え方をできていなかったこと」と佐藤氏は言うも、逆に飲み手は、そういった理解を得る心が必要とされます。つまりは、それが価格に比例されるべきであるも、ほぼ成されていないのが現状。生活圏で言えば、酒屋の陳列にも飲食店のメニューにも、そんな物語の記載を目にする機会は少ない。

自らやるしかない。その有志によって立ち上がったのが『一般社団法人 J.S.P』です。ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォームの頭文字から成るその団体の代表理事を務めるのも佐藤氏です。

「新型コロナウイルスによって、全てが一変してしまいました。緊急事態宣言や酒類の提供停止、自粛などによって飲食店への販路は、ほぼ皆無。ましてや、世界同時の難局なため、海外への輸出も絶たれてしまいました。自分も含め、酒を届けるタッチポイントを再考していかなければならない」と佐藤氏。

以前のタッチポイントは飲食店や酒屋でしたが、これから必要とすべきことは、直接、お客様と酒の関係性を結ぶ環境造りなのかもしれません。もっと追求すれば、酒の先にある地域、造り手などと結ばれることこそ理想形。

「タッチポイントという点では、『新政』のラベルはそれに一役買っているのではないでしょうか。芸術家、書道家、漫画家、グラフィックデザイナーなど、数々のクリエイターと協業することによって、これまで日本酒業界では得ることができなかった接点との結実、アプローチだと思います」と松本氏。

日本酒業界と比べてどうかではなく、他所のクリエイティブと比べてどうか。この価値基準の競争においては、良い効果を生むでしょう。

「僕は飽きっぽいので、すぐ変えちゃうんです。ラベルもそうですし、造りもそう。どんなに苦労して長い道のりをかけてたどり着いた味でも、ほぼ定番にはしない。これは成功したので、また次の挑戦をしましょうというタイプ」と佐藤氏が言う隣では「現場は大変ですよね(苦笑)」と松本氏。

飽き性とは、言い方を変えれば、あぐらをかかないこと。これは、歴史や伝統を盾に進化しない蔵では衰退してしまう危惧によるものなのかもしれません。

そういった意味も含んでか、佐藤氏は松本氏にこう話します。

「日出彦は、蔵を抜けて良かった」。

1852年(嘉永五年)に創業した『新政』。歴史や伝統に満足することなく、挑戦し続ける蔵としてその名を馳せる。

現存する市販清酒酵母中では最古となる「きょうかい6号」の発祥蔵『新政』。1号から5号までは、西日本で生まれたが、6号は1930年(昭和5年)に『新政』のもろみから分離され、誕生。

今回、松本氏とともに造るのは「ラピス」。東北を代表する酒米「美山錦」の性質を良く表しながらも軽快な酒質に仕上げる定番作品。『新政』の基本的な味わいを表現する「定点観測」的なモデルでもある。

HIDEHIKO MATSUMOTO何のしがらみもない中、思いっきり酒を造れ。

2020年末、様々な事情によって松本氏は自身の蔵を離れることになり、この「武者修業」は始まりました。当時、佐藤氏は松本氏にすぐに連絡し、色々思いを伝えるも、その声は震えていました。怒り、悔しさ、悲しみ、様々込み上げる感情は、言葉に表すことはできません。

「色々なやり方で残ることもできたかもしれない。もしくは、残った方が楽だったかもしれない。でも、そこに自分が信じる日本酒があるかと言えば、なかったかもしれません。別のものを造らなければいけないのであれば、ゼロから始めて、自分が信じるものを造った方が日出彦らしい。造りたいものを造る。一見シンプルなようだけど、造り手にとってこれほど幸せなことはない」と佐藤氏。

「守るべきものは、たくさんあると思うのですが、本当に守らなければいけないものは、土地や建物ではなく、日本酒を造る魂。一度は、それを失いかけましたが、祐輔さんを始め、みんなに支えられて大事なものを失わずに済みました」と松本氏。

今回の「武者修業」は、蔵や職人同士の付き合いだから始まったものではありません。ましてや情けや助けでもありません。これまで培ってきた人と人との絆が衝動的に心を動かした結果論なのだと思います。

また、「武者修業」で得たことは、もしかしたら蔵の中で得たことよりも、蔵の外で得たことの方が大きく作用したかもしれません。

酒造りだけではない環境への配慮。地域や自然との対峙。向き合うべき問題や課題。磨くべきは技術よりも心。そして、職人である前にひとりの人間としてどうあるべきか……。

松本日出彦の酒造りとは何か? 日本酒とは何か?

それは「生き方」。

その証は、きっと厳格なルールのもと造られた『新政』の酒にも息づいているに違いないと信じます。

これから先、松本氏がどうなるか分かりません。しかし、皆が望んでいることはただひとつ。

「思いっきり酒を造れ」。

『ONESTORY』は、もう少し松本日出彦を追いかけたいと思います。

 各蔵で手を撮り続けた今回の「武者修業」。当初「酒造りをしている時は手が硬い。酒造りができていない今の手は、柔らかい。シーズン中にこんな自分の手を見るのはいつぶりだろうか……」と話していたが、最後は職人の手になれたか!?

「コロナ禍もあり、今までの100年とこれからの100年は、全く違う100年。これからの日本酒業界も変わらなければいけない」と佐藤氏(右)と松本氏(左)。

住所:秋田県秋田市大町6-2-35 MAP
TEL:018-823-6407
http://www.aramasa.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

生産者の想いは熱く、その味は洗練の極みに。珠玉の石川食材、めくるめく。[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

OVERVIEW

北陸、石川。

日本海沿岸、本州のほぼ中央に位置する石川県の形を、思い浮かべることはできますか?
南北約200kmに細長く伸びる縦長の県土は、南部には広大な原生林と共に屹立する霊峰白山を擁し、北部は能登半島となって日本海に突き出ています。

荒波に削られた岩礁と断崖が続く能登外浦。それとは対照的に穏やかな能登湾に臨む能登内浦。多様な自然資源に恵まれた能登の里山里海は、土地の環境や生物多様性を生かした農業、農村景観が維持されている地として世界農業遺産に認定されました。今も息づく農村文化は、世界からの注目の的です。
白山に降り注いだ雨は河川となって広範囲に栄養豊富な水をもたらし、加賀平野や手取川扇状地など肥沃な穀倉地帯が形成されています。
クルマで、電車で、小一時間も移動してみると、きっと気づくはずです。海、山、川、平野が織りなす千変万化の風景に、石川がいかに多様な表情を持っているかを。

多彩な石川の風土は、実に多様な農産品を生み出してきました。

ブランド椎茸の最高峰との呼び声も高い「のとてまり」。
希少性と高い品質で注目高まる幻のブランド牛「能登牛」。
満を持して醸造が始まった石川県オリジナルの酒米「百万石乃白」。
“石川の宝”とも称される高級ぶどう「ルビーロマン」。

今回、『ONESTORY』では、フードキュレーター・宮内隼人が、数々の石川の味覚からあらためて、これら4つの逸品に着目。究極の地産地消を実現する金沢市の日本料理店「片折」の片折卓矢氏、最も注目を集めるイノベーティブレストランの一店である小松市の「SHÓKUDŌ YArn(ショクドウヤーン)」の米田裕二氏、日本が誇るトップソムリエである「An Di(アンディ)」の大越基裕氏、世界的パティシエとして知られる「Mont St.Clair(モンサンクレール)」の辻口博啓氏、4人の食のスペシャリストと一緒に、4つの食材の知られざる魅力を徹底追求していきます。

さあ、のぞいてみましょう、深淵なる石川食材の世界を。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

これまでにない圧倒的な旨さ。ネクストレベルの和牛を求めて、能登牛の進化、着々と。後編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

『能登牧場』専務の平林将氏(左)とONESTORYフードキュレーター宮内隼人(右)

能登牛兵庫系の旨い肉質と鳥取系の体格のよさを兼ね備えた能登牛。

石川県のブランド和牛「能登牛(のとうし)」は、1995年に「能登牛銘柄推進協議会」による認定制度がスタートした、ブランド和牛としては比較的新しい銘柄です。しかし、そのルーツは、明治期にまで遡るといいます。能登半島の日本海側である外浦一帯で製塩業が発展したのに伴い、大量に必要となった薪を搬出するための役牛を繁殖したのが始まりとされています。明治時代に兵庫県但馬地方から、大正時代に鳥取県から種牛が導入されて掛け合わされ、農耕を目的として四肢とりわけ前脚が屈強な牛が繁殖されていきました。種牛の導入は毎年計画的に行われていましたが、昭和初期、霜降りが入った上質な肉ができる資質型の兵庫系と、体が大きくなる体積型の鳥取系を交配した和牛一代雑種が、資質と体積を両立した和牛として生産が推奨されるようになりました。さらに交雑を進めたところ、体積は当初より小さくなり、霜降りも若干少なくなったものの、肉質のよさは引き継がれ、他の有名ブランド和牛よりもサシが比較的少ない赤身であることが個性となり、一定の支持を得るようになっていったといいます。

外浦のほぼ中央、志賀町に拠点を構える『寺岡畜産グループ』は、能登牛の品揃えに強みをもつ精肉店や卸、直営レストランを展開する肉一筋の企業。1904年(明治37年)に創業した精肉店『寺岡精肉』を母体とする、能登の食肉の歴史と共に歩んできた会社です。代表取締役社長を務める寺岡才治氏に話をうかがいました。

「運送業などを営んでいた祖父が、明治時代に何を思ったか牛肉専門の肉屋を始めました。牛肉食は都会では広まっていたとはいえ、当時としては先進的だったでしょうね。1995年に能登牛と名乗るためのルールが策定されましたが、当社ではそれまでもずっと地元産の和牛の美味しさを伝えたいと、販売チャンネルの開拓はもちろん、繁殖にも取り組んできました。ノトウシではなくノトギュウと呼んでいましたけどね。今では能登牛の知名度はかなり上がりましたが、まだ流通量は少なく、県外からは“幻のブランド和牛”と言われることもあります」(寺岡氏)

能登牛の魅力はなんといっても脂の融点が低いことによる口溶けのよさ。寺岡氏は比較的サシが控えめで、くどさがなく、赤身の肉質や香りがよい点を高く評価しています。
「こんなに口当たりのいい、胃もたれしない牛肉はないですよ。かといってA5ランクのサーロインステーキを200g食べたら、さすがに誰でも飽きるでしょう。要は部位や霜降り具合に応じて適切な切り方、調理をすることが大切なんです。私たち販売者にもそれを啓蒙する責任があると考えて、能登牛を使った料理教室も積極的に開催しています。家庭の調理器具でもコツさえ掴めば驚くほど上手に焼けるし、能登牛入りの細切れを使えば、牛丼もびっくりするほど美味しくなる。各部位が相応の値段で無駄なく消費されれば、農家はコストをかけてより美味しい肉の生産に取り組める。その好循環をつくっていくことが大事なんです」(寺岡氏)

最後に、寺岡氏のおすすめの食べ方を聞きました。能登牛を知り尽くす男は一体どのようにして能登牛を味わっているのでしょう?
「私ですか? そりゃもう刺身ですね。シンプルに醤油か塩で。能登牛のもも肉の刺身は絶品です。焼肉の場合もそうですが、能登牛を食べる際は、ぜひいつも使っている調味料で召し上がっていただきたい。美味しさがはっきりとわかりますからね」と寺岡氏は微笑みました。

グループ企業の精肉店『寺岡精肉』にて『寺岡畜産』の寺岡才治社長。ハレの日のごちそうに欠かせない「てらおかさんのお肉」として地元民に愛されている。

能登牛穏やかな牛の表情が物語るストレスフリーの生育環境。

能登半島北東部の能登町。富山湾に面する内浦から内陸山間地へと標高を上げていくと、人里を離れた原生林の中に、ぽっかりと牧草地が広がる開放的なエリアが出現します。能登牛を肥育する『能登牧場』です。2014年開業と歴史は浅いが、石川・福井合同肉牛枝肉共励会では最高位のグランドチャンピオンを5年連続で獲得した実力派。石川・福井の両県からそれぞれ数十頭出品される牛が、重量や霜降り具合、光沢、肉質などが審査され、各県の最高賞である知事賞を選出。グランドチャンピオンは、その2頭のうちより優れた牛に与えられるもので、最高峰の能登牛を輩出した証しでもあります。同牧場専務の平林将氏に牛舎を案内していただきました。

現在飼養している牛は4棟の牛舎で約1100頭、2020年3月末に4棟目が完成しました。第一に心がけていることは、牛にストレスを与えないこと、「牛の生活している空間へお邪魔しているのだ」という気持ちを持つことだと話します。
「ひとつのユニットの広さが32㎡。そこで最大4頭を飼養します。農林水産省が推奨する基準は1頭あたり6㎡ですから、ゆとりあるスペースと言えるでしょう。スタッフ間で再三確認しているのは、大声を出さないこと。無闇に牛に触らないこと。走らないこと。どれも牛を刺激しないためです。そもそも必要がなければ、極力牛舎に立ち入らないようにしています。人間のことが好きな牛もいれば、嫌いな牛もいる。嫌いな牛にとっては、人間の姿が目に入るだけでストレスになりますから」(平林氏)

ONESTORYフードキュレーター宮内隼人は、牛舎内に漂う穏やかな空気を感じ取りました。全国各地の牧場を見てきた彼ですが、これほど臭いもなくクリーンな環境が保たれ、牛が静かに過ごしているのは珍しいと指摘します。牛たちがみなとてもやさしい顔をしていると。
「それはうれしいですね。確かに、劣悪な環境で育った牛は険しい顔になると言われています。うちの牛たちは、言い方は悪いけど、間抜けな表情のものが多い。でも、それはリラックスして過ごせている証拠だと判断しています」(平林氏)

牛舎は基本的に西から東へ吹く偏西風が抜けるように設計されている。気温34℃にもなる夏場でも、自然風と換気によって牛舎内は快適。

珍しい取材班の登場に、好奇心旺盛な牛たちが寄ってきた。極力刺激しないように配慮する。

平林氏はハットがトレードマーク。深いブルーのユニフォームがよく似合う。科学的根拠に職人の勘による知見も織り交ぜながら、飼養法を解説してくれる。

能登牛豪州とも米国とも違う、しっかりした味付けの狙いをもって育てる独自の肥育

平林氏の実家は、全国的にも名高い黒毛和牛牧場である群馬県『赤城畜産』。『能登牧場』と『赤城畜産』は資本関係のないグループ会社で、平林氏は『赤城畜産』で会計を担当するかたわら飼養管理の基本を習得し、『能登牧場』の立ち上げから参画しているそうです。『赤城畜産』入社前はと聞くと……。
「ニートだったんですよ。大学院まで行って会計を勉強して、資格浪人していたんですけど、何年も落ち続けて。いいかげん働けと最後通告を受けた形で」とはにかみます。そのバックグラウンドがあるからか、どんな質問にも平林氏はロジカルに明解な答えを返してくれます。能登牛の特長であるオレイン酸についての説明も非常にわかりやすい。

「オレイン酸の含有率が高いこと=美味しい、とは限りません。脂肪酸の一種であるオレイン酸は脂の融点を下げる働きがあります。脂が溶けやすいと、食感が向上します。食感がよいことも美味しさの大切な要因ですが、味そのものはほかの脂肪酸や旨味成分であるアミノ酸が主要因となります。ですから、美味しい肉にするためには、オレイン酸を高くするだけでなく、きちんとした狙いをもって肉にしっかり味を付ける必要があります」(平林氏)

味付けに作用するのは配合飼料。牛のエサには大きく牧草とトウモロコシや麦などからなる飼料の2種類がありますが、ざっくり言えば、牧草は繊維質で飼料は糖質です。牧草で育つオーストラリア産牛肉は赤みが多く、どこか繊維を感じる硬い食感で、草っぽいニュアンスが感じられます。一方、飼料で育つアメリカ産牛肉も赤みが多く硬めながら、適度に脂もあります。

「日本での和牛の肥育は、単に無駄な脂を付けて太らせるのではなくサシを入れる独自の飼養法。牧草でしっかり内臓環境を作ってあげてから、飼料で肥育するいわばハイブリッドの方法なのです。内臓がしっかりしていると、飼料の効果も大きくなる。当牧場ではオレイン酸を高めるために、たとえば飼料に生米糠を混ぜ、味付けのための配合にもいろんな工夫をしています。内容は秘密なのですが」(平林氏)

牛床は、雌牛、去勢牛などの違いに応じて、餌台や水の高さも適切に設定され、年間を通じてエサの内容や水温が一定になるように配慮されている。すべては牛にストレスを感じさせないためだ。

ユニフォームの背筋には「能登牛」の金刺繍。能登牛の肥育専業牧場としての矜持が感じられる。

能登牛オレイン酸と格付けが生む矛盾への挑戦。能登牛の旨さを届けるために前進あるのみ。

メリットばかりに見えるオレイン酸には実はビジネス上のデメリットもあるといいます。オレイン酸が高いと格付けが下がる。オレイン酸と格付けがトレードオフになる傾向があるとか。『寺岡畜産』の寺岡氏も、その問題点を指摘していました。

「格付けは食肉処理した後に審査員によって行われるのですが、脂の融点が低い能登牛の場合は食肉処理してから数日間冷やさないと脂が固まってサシがはっきりしてこないため、BMSという霜降りの格付けが低くなりがちです。格付け後に、冷蔵が進んできれいなサシが浮かび上がってくることが多い。この現象を我々は『肉が化けた』と呼びます。能登牛は、肉が化けるんですよ」(寺岡氏)

脂の融点の低さは販売時にも露呈しがちだと平林氏は話します。
「オレイン酸が高く脂が溶けやすいと食味はよくなりますが、見栄えとして脂が溶けることが良しとされないケースも多々あります。典型的なのがスーパーマーケットの販売コーナー。一般的な食肉展示用の照明は肉の赤色を自然に演出するために色が調整されているので、能登牛のように脂が溶けやすい肉は発色が悪くなり、肉がダレた印象を受ける消費者もいます。格付け的には評価が低くなる恐れがあるというのは、そのあたりが理由となります。本来、品質とは関係のないことなんですけどね」(平林氏)

現在、『能登牧場』では、オレイン酸含有率の高さはそのままに、脂が白く見栄えする肉の研究を続け、オレイン酸と格付けの矛盾を克服するために奮闘中です。さらに、平均28カ月で出荷するところを30カ月以上飼養する、長期肥育にも取り組んでいるそうです。もうこれ以上大きくなりにくい牛をなぜ手間ひまかけて肥育するのでしょうか。

「これは科学的には完全にはわかっていないことなのですが、30カ月から33カ月で脂が一気に美味しくなるということが職人の経験則でわかっています。今後はその検証も含め、いわゆる1000日肥育にもチャレンジしていきたい。一般的には雌牛の方が食味がよいとされているので、まずは雌で長期肥育を行い、能登牛の圧倒的な美味しさを世に知らしめたい。旨い肉は何よりも雄弁です。能登牛の知名度は、揺るぐことのない美味しさから広げていきたいです」

和牛の品質向上への挑戦は大変な時間と労力を要する。しかし、その歩みは、牛歩のごとく着実で力強いものでした。

能登牛のおいしさを最大限に発揮させるためには、よく餌を食べることが必要だと語る。飼料には糖蜜などによって牛の嗜好性を高める工夫がされている。

非常に清潔な印象の牛舎。牛たちは、穏やかな雰囲気の中で、横になり、牧草を食んで思い思いに過ごしていた。

住所:石川県羽咋郡志賀町富来領家町甲-26(増穂浦ショッピングモール アスク内) MAP
電話:0767-42-0012

住所:石川県鳳珠郡能登町泉ろ12 MAP
電話:0768-72-0622

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

ローカルガストロノミーの求道者『SHÓKUDŌ YArn』が惚れ込む、稀少なブランド和牛とは?前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

能登牛を使った『SHÓKUDŌ YArn』のスペシャリテ。一体どんな味なのか?

能登牛気鋭の料理人と評価高まる能登牛の邂逅。

地域の気候風土、歴史、文化を料理に表現する「ローカルガストロノミー」。この理念を独自の発想と遊び心で体現し、国内外のフーディたちから熱視線を浴びるレストランが、石川県小松市の郊外にあります。その名は『SHÓKUDŌ YArn(ヤーン)』。英語で「糸」を意味する「yarn」を冠する店は、かつて撚糸工場だった建物をリノベーションして2015年にオープンしました。どこか北欧をイメージさせるストイックなデザインの建物に入ると、オーナーシェフ兼ソムリエの米田裕二氏、パティシエールの亜佐美氏夫妻が屈託のない笑顔で迎えてくれました。

亜佐美氏はここ小松市、裕二氏は隣の能美市の出身。ふたりは高校の同級生。高校卒業後、それぞれ大学に進みますが、大学卒業後は共にほどなく料理の道へ。裕二氏はイタリアで星付きの店を渡り歩いて修行を重ね、店を任されるようになります。亜佐美氏も少し遅れてイタリアでの修行を開始。その後、ふたりは世界で最も予約の取れない最先端のレストランと言われた「エルブジ」での研修が許され、さらなる研鑽を積みます。そんなふたりがいつしか自分たちの店をと、熟慮の末に選んだ地が、地元の小松でした。

リノベーション前の撚糸工場は元々、亜佐美氏のお祖父さんが運営していたもの。『YArn』には、糸を紡ぐように地域の文化や歴史を紡いでいきたい。裕二のYと亜佐美のAで理想の店にしていきたいといった想いが込められているといいます。

『YArn』で使う食材は小松市をはじめとする石川県産の新鮮な海山の幸が多くを占めています。全ての調理に使う水も、能美市仏大寺にある遣水観音山霊水堂の水をわざわざ汲みに行くこだわりよう。そんな米田夫妻のお気に入りの食材のひとつが石川県産のブランド和牛「能登牛(のとうし)」です。同店では、能登牛のA5ランクに格付けされたものの中でも、オレイン酸の含有量など一定条件をクリアして最上級ランクの評価を得た「能登牛プレミアム」を使用しています。裕二氏は能登牛の魅力について話します。
「塊の状態を見ただけ、触っただけで、これは本当にいい肉だなとわかるんです。うれしくなってくる。赤身とサシのバランスが絶妙。常温で脂が溶けて肉がいい具合にしっとりして、いい弾力になってきます。口当たりがやさしく、旨味や香りが強いけれど、後味はすっきり。胃もたれするような重さはまったくありません。料理人として創造性をめちゃくちゃ刺激される食材ですね」

この日、能登牛の類まれな魅力から生まれたスペシャリテ2品を作っていただきました。どちらも、想像の斜め上をゆく、驚きと感動の皿でした。
 

撚糸工場だった建物を曳家工事を行って大胆にリノベーション。住宅街で静かに異彩を放つ。

オーナーシェフ兼ソムリエの米田裕二氏とパティシエールの亜佐美氏夫妻。温かく気さくな人柄に惹きつけられる。

建物中央の中庭にすっくと立つのはスペインから運ばれたオリーブの木。樹齢200年から300年と推定される古木が、客席やキッチンを見守っているかのよう。

「能登牛プレミアム」のヒレ(左)とイチボ(右)。融点の低い脂、赤身とサシのバランスのよさが魅力だという。

能登牛先進的かつ懐かしい。斬新すぎる能登牛の牛すじ煮込み。

『YArn』では、客席からガラス張りのオープンキッチンでの仕事ぶりを見ることができます。さらに、ひとつのコースで15品ほど提供される料理の多くは、テーブルで仕上げが施され、そこに驚きと歓喜の瞬間が生まれます。

「牛すじ煮込みです」と運ばれてきた木皿には、よく味のしみていそうな大根がひとつ。そして、目の前に出された料理に、その場でアイスクリームがのせられました。それはなんと能登牛の牛すじ煮込みのアイスクリーム。「大根と一緒にどうぞ」と促されても、狐につままれたような感覚です。

さて、その味は……熱い大根のおでんと冷たい牛すじアイスが口の中で渾然一体となり、出汁で丁寧に炊き上げられた牛すじ煮込みがふわりと広がります。上品な旨味の余韻の中に、どこか懐かしさも沸き起こってきます。

「懐かしい。そう言ってもらえることが多いんです。これは居酒屋でインスピレーションを受けたメニュー。うちの店はイノベーティブとかフュージョンとかに分類されることが多いのですが、自分たちでそう言ったことは一度もないんです。私たちの経歴からスペイン料理やイタリア料理をイメージして来られる方も多いですね。でも実際、うちは家庭や居酒屋の料理が基本。だから“SHÓKUDŌ”とうたっているのです」(裕二氏)

驚きの牛すじアイスクリームは客席でサーブ。アイスクリームメーカーを客席に持ち込むための木枠も形がユニークな特注品。プレゼンテーションへの細やかな配慮が行き届いている。

能登牛を使ったスペシャリテ「牛すじ煮込み」。合わせるのは、奥能登にある数馬酒造の限定醸造品「NOTO純米88 無濾過生原酒」。精米歩合88%の超旨口の食中酒が、滑らかな牛すじ煮込みと共に花開く。

能登牛遊び心の中にしっかりと込められた技術とエッセンス。

裕二氏は7年のヨーロッパ生活を経て帰国すると、日本料理店へ入って修行を始め、夫婦共に茶道に入門しました。日本で生まれ育ったのに、日本のことを知らなさ過ぎる。イタリアやスペインで現地に溶け込んで仕事をする中で、そんな思いを募らせていったからだと亜佐美氏は修行時代を振り返ります。

「日本人の料理人はみんな刺身が引けるし、和食はなんでも作れると思われていました。『アサミ、モナカの皮を作ってよ』とか当然のように頼んでくるけど、こちらは作った経験もなければ、材料すらあやふや。日本料理を学ぶイタリア人が全員ピザを焼けるかといったら違いますよね(笑)。でも、考えてみたら、襖の正しい開け閉めも知らないし、海外での経験を活かすためにも、日本の文化をきちんと知らないと。そんな想いを強くしていきましたね」(亜佐美氏)

「料理には母国のエッセンスが必要と感じる事も多くなっていました。イタリアで、店を任せられていた時に、伝統的な猪の煮込みを食べたいという依頼があり、その店のオーナーのお母さんからレシピや作り方をきちんと教わり、料理を作ったのですが、やはり微妙なところで味が違うと、彼らが言ったのです。 やはり、そこにはうまれ育った場所で昔からお祖母ちゃんやお母さん、その地域の方々が作る伝統料理を食べてきたからこそ分かる微妙なエッセンスの違いがあるという事です。日本で言えば、たとえば味噌汁。外国人が日本料理をひと通り学んでも、日本人が作る味噌汁の味にはなかなか到達できない。この現実に直面した時に、それを悲観するのではなく、自分の料理をよりよいものにするために、日本の、特に身近な料理のエッセンスを込めるべきだと考えました。そんな試行錯誤によって、今の店の骨格ができていったのです」(裕二氏)

『YArn』の献立には、奇妙奇天烈な名前が並びます。ダジャレ、パロディ、中には読めない記号であることも。たとえば、「見た目ウザくない」は、一見そうは見えない「うざく」。「茶碗無視」は文字通り、茶碗の形状にとらわれない茶碗蒸し。蟹がぶくぶくと泡を吹いている「バブルカニシスターズ」は、甲羅を裏返すと香箱蟹が出現し、泡状の蟹酢をつけながらいただく、という衝撃的なメニューです。非日常の食事を堪能してほしい。美味しさはもちろん、店でしか体験できない驚きと楽しさを提供したい。そんな気持ちが、『YArn』にしかない自由な発想の料理を生み出しているのです。

本物の石と混ぜて提供される石そっくりのチョコレートも、『YArn』らしい遊び心いっぱいの一品。ちなみに、黒光りしている粒がチョコレートとは限らない。

能登牛能登牛本来の滋味が豊かに広がる唯一無二のカツとじ。

驚きと楽しさを提供するために、常にギャップを大切にしていると夫妻は話します。
「ヘンテコな名前のメニューが、風変わりではあるけれど、そこに伝統や馴染みある要素が盛り込まれていることがわかると、料理って妙に納得できて、不思議なことに懐かしさを強く感じるんです。これってギャップですよね」(裕二氏)

「一方、牛すじ煮込みのように名前は普通なのに、出てきた料理はなんじゃこりゃ!? というのもやはりギャップ。メニュー名も調理法もどちらも風変わりだと、そこにギャップは生まれませんよね。常連さんは、普通の名前の料理には何か仕掛けがあるぞと察するようになっていますが(笑)」(亜佐美氏)

「イタリア時代の経験が大きいですね。オリジナルのアイディアで、ティラミスをお客の目の前で盛り付けてみたところ、こんなプレゼンテーションは初めてで、ベストティラミスだとものすごく喜んでもらえて。それから、調理の基本は崩さずに、地元のイタリア人は決してやらないような食材の組み合わせや提供の仕方にどんどんチャレンジしていきました。自分は現地で異邦人であったからこそ、常識にとらわれずに自由に発想できた。この感覚を忘れずに和食に持ち込んで、楽しい料理を作っていきたい。ギャップの根っこには、そんな基本スタンスがあります」(裕二氏)

2品目の能登牛メニュー「牛ヒレカツとじ」がやってきました。一般的なカツとじとは似ても似つかぬ形状。ステーキのような肉の上に卵焼きのような塊がのっています。亜佐美氏がその正体を解き明かしてくれました。肉は能登牛のヒレ肉を真空低温調理したもの。あらかじめ2面を昆布〆することで水分を適度に抜くと同時に昆布の旨みとほのかな塩分をプラスしています。上にのっているのは、パンにたっぷりの卵と出汁をしみ込ませてフライパンで焼き目をつけたフレンチトースト。ふたつの間には三つ葉が挟んであります。「食べた人はたいてい変な笑顔になるんですよ」と裕二氏が補足します。

その時、きっと取材班も一様に変な笑顔になっていたことでしょう。口の中にあるのは、まさしく牛カツとじそのもの。いや、むしろ、肉、衣、卵が見事に調和しながらも、能登牛の滋味がググッと迫り、普通の牛カツとじでは味わえない肉の存在感を満喫できます。

美味しさの余韻に浸る取材班を夫妻はニコニコと見守っています。能登牛の恐るべきポテンシャル、それを遊び心と共に最大限に引き出す発想と技術。食べに行く価値があれば、人はどこからでもやってくる。ローカルガストロノミーの真髄を垣間見ました。

牛ヒレカツとじに使うフレンチトーストには焼き目をつけて香ばしさをプラス。

牛カツとじの肉は揚げずに低温調理。「とんかつの本質は蒸し料理。だから肉を素揚げしたり、焼いてしまって、とんかつのニュアンスがなくならないに試行錯誤しました」と裕二氏。

牛カツとじと合わせるのは、フランス・ローヌの「シャトーヌフ・デュ・パプ」。「枯れた感じの深い風味が、カツとじの濃厚な旨みとよく合います」(裕二氏)。

大阪の三ツ星店『HAJIME』などで経験を積んだONESTORYフードキュレーター宮内隼人は、独創的な『YArn』のスタイルに興味津々。料理談義は尽きることがない。

住所:石川県小松市吉竹町1-37-1 MAP
電話:0761-58-1058
https://shokudo-yarn.com/

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

北アルプスの懐に抱かれる信濃大町。豊かな水が育む、澄んだ味わいの食材を探しに。[湧水とアートがうるおす街/長野県大町市]

    OVERVIEW

絵のように美しい町。
信濃大町駅に降り立つと、まずそんな思いが頭をよぎります。その絵は淡い水彩画ではなく、厚く塗り込めた油絵。3000m級の北アルプスの山々の威容、山の稜線でくっきりと区切られた空、豊かな緑の色彩、そして清冽な水。質量があり、奥行きがあり、現実感がある力強い美しさが、訪れる人を圧倒するのです。

命の源たる水が豊かで澄んでいるとうことは、そこで育つ食材もまた豊かであることを意味します。たっぷり水分を蓄えた野菜や果物、生き生きと育つ魚、瑞々しい飼料で育つ鶏や豚、水そのもののおいしさが伝わる酒やビール。自然の恵みと、自然の中で暮らす人々の営み。両者がバランス良く調和することで、この地の個性が色濃く表れた、澄んだ味わいの食が形成されています。

そのクリエイターを刺激する美しい景観から、「北アプルス国際芸術祭」の舞台ともなっている大町市。自然に触れ、アートを鑑賞し、食を満喫する、この町でしかなし得ない唯一無二の体験。そんな長野県大町市の魅力をさまざまな角度から紐解きます。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)

イタリアン×フレンチ、長野×東京。個性の異なるふたりの料理人が挑むコラボレーションメニュー。[食育・料理体験イベント/長野県大町市]

畑を見学する泉田シェフ(奥)と神保シェフ(手前)。食材を前にプロの料理人らしい専門的な会話が交わされる。

    まだ見ぬ食材を探し、初夏の信濃大町をめぐる2日間

2021年7月某日。立山黒部アルペンルートの玄関口であるJR大糸線信濃大町駅に、多くの登山客に紛れ、ひとりの人物が降り立ちました。数々のメディアでおなじみのその顔は『HATAKE AOYAMA』の神保佳永シェフ。とりわけ野菜の本質を見極め、その魅力を引き出す料理から“野菜の魔術師”と呼ばれるイタリアンの巨匠です。

今回、神保シェフが信濃大町を訪れた理由は2021年9月5日(日)に『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』で開かれる「食育・料理体験イベント」の準備のため。これは同ホテルの料理長・泉田康晴シェフとともに神保シェフが考案したコラボレーションメニューを、参加する子供たちと一緒に作る体験イベント。さらにイベント以降9月6日から10月31日までは、ふたりが考案したメニュー全5品が、同ホテルのレストランに登場します。子供たちには、食の楽しさと大切さを、大人には大町の食材の豊かさを、それぞれ伝える大切な仕事です。

今回の訪問の目的は、大町市内の食材生産者を巡り料理の構想を練ること。さらにこの地らしい料理のアイデアのため、10月から開催予定の『北アルプス国際芸術祭』の作品なども見学する多忙な工程です。東京で腕を振るう神保シェフは、この信濃大町でどんな食材と出合い、どんな料理を生み出すのか。信濃大町を拠点とする泉田シェフは神保シェフに何を伝え、どんなコラボレーションを目指すのか。駆け足で訪れた1泊2日の信濃大町視察の様子をレポートします。

黒部ダムへの長野側の玄関口であり、市内には大町ダム、七倉ダム、高瀬ダムを擁する大町市。豊かな水はさまざまな食材を育む。

山麓の農場で味わう、自然の力を凝縮した野菜

「このあたりの土は火山灰と腐葉土の混じった黒ボク土。寒暖差もあるから旨味の濃い野菜が育つんです」そう話すのは『勝本農園』をひとりで切り盛りする勝本あけみさん。山麓にあり、12月から3月は雪に埋まってしまいますが「先祖代々の畑だから」と、心を込めて丹念に手入れします。
泉田シェフの『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』では、以前から勝本さんにお世話になっているとか。外国で買い付けた苗を育ててくれるなど柔軟な作付けにも対応し、この地のレストランにはなくてはならない存在。

手入れが行き届いた農園で、採れたての野菜をかじる神保シェフと泉田シェフ。その口からは「苦いですね」との言葉。誤解がないように補足するなら、シェフによる「苦い」は最上の褒め言葉。加熱方法や味付けにより、苦味やえぐ味を減らすことはできる。しかし野菜本来の持ち味を後から付け足すことはできない。だから苦味を含む味の濃い野菜は、料理人にとって良い食材である、というわけです。

勝本さんの案内で農園を見学。作物の出来はもちろん、農園の自体の手入れの行き届いた美しさがふたりのシェフを惹きつけた。

栄養をたっぷりと湛えた黒土と昼夜の寒暖差が、旨味の濃い野菜が育つ理由。

シャイな勝本さんの露出はここまで。自然体の人柄だが、言葉の随所に農業への強い思いが垣間見える。

「色が濃く、葉がしっかりとしている」と好評価。その場で試食させてもらい、その味わいを確かめた。

    野菜、魚、肉。多彩な食材がシェフの感性を刺激

続いて訪れた『八幡農園』は、若き代表の八幡大智さんが、家族5人で無農薬有機栽培に挑む農園です。大智さんは農業大学を経て実務経験を積み、2010年にこの地に移り、自身の理想とする農業を実践する人物。
その理想とは、自然に近い状態を保ち、作物本来の力を引き出すこと。雑草はやみくもに刈らず、落ちた葉はやがて地面にかえり栄養となる。作付けする位置や組み合わせを工夫することで農薬ではなく自然のサイクルで作物を育てる。それはいわば、膨大な手間暇をかけて、一周回って自然に近い状態にすること。明確な目標とロジカルな戦略がなければなし得ないことでしょう。そしてそんな自然の力を凝縮した野菜の数々には、“野菜の魔術師”神保シェフも心動かされた様子でした。

北アルプスの懐に抱かれる『フィッシングランド鹿島槍ガーデン』では、信州サーモンやイワナを視察しました。実は以前にも何度かここを訪れ、実際にこちらの魚を使用したこともあるという神保シェフ。「味わいの透明感が段違い。臭みはなく、上質な脂が乗っています」と絶大な信頼を寄せています。
養魚場を見学した後、社長のご厚意で信州サーモンやイワナの刺し身と卵を試食した一行。身質に自信があるからこそ出せる刺し身、黄金に輝くイワナの卵などには、同行した泉田シェフも驚きを隠せない様子でした。

もちろん肉も負けてはいません。視察に訪れた『松下農園』は、長野県のブランド鶏・信州黄金シャモを育てる農園。この『松下農園』では飼料に米を混ぜることで、さらに上質で柔らかい肉質を実現しています。残念ながらコロナ禍において生育数は縮小していますが、また素晴らしい鶏を届けてくれることでしょう。

なお『八幡農園』の野菜、『鹿島槍ガーデン』の信州サーモン、『松下農園』の信州黄金しゃもの3つの食材をそれぞれ主役に、後日神保シェフが3種の料理を仕立ててくれました。その詳細については、後日別記事にてお知らせします。

家族5人で営む『八幡農園』で父・八幡博己さんに話を聞く神保シェフ。

『鹿島槍ガーデン』にて。魚体はもちろん、環境や餌など細かい点を確認する。

試食の際のふたりのシェフは真剣そのもの。味の特徴を見極め、料理の構想を練る。

信州黄金シャモは、シャモと名古屋系のかけあわせ。適度な弾力と噛むほどにあふれる旨味が魅力。

『北アルプス国際芸術祭』に向け、市内随所に展示される作品。個性的なアートがシェフに刺激を与える。

屋外アートや触れて体験できるインスタレーションなど、市内には多数のアートがあふれる。

   澄んだ水に育まれる美味を伝えるコラボレーションメニュー

大町市の多様な食材は、肉、魚、野菜にとどまりません。
続いて一行が訪れたのは『キハダ飴本舗』。その名の通り、柑橘の一種であるキハダの実のエキスを使った飴の店ですが、実はそれだけではありません。
「ここで食堂をやっていて、長野らしい食材として山菜をつけていたのですが、わざわざ山に採りに行くのは大変でね。だったら育ててみよう、と」そう聞かせてくれたのは、社長の古川孝雄さん。神奈川で大手企業に勤めていましたが54歳で早期退職し、奥様のトミコさんとともに大好きな鹿島槍ヶ岳が見えるこの地に移ってきました。それから20余年。ふたりが作る山菜畑はいまや1ヘクタール。とくに行者ニンニクの出荷量は全国有数の規模にまで成長しました。
ふたりが試行錯誤をしながら時間をかけて育てた行者ニンニク。取材時はシーズンオフで生はなく、オイル漬けを試食させて頂きましたが、神保シェフは「素晴らしい香りで、かつ甘みがあります。料理に取り入れてみたら良いアクセントになりそうです」と強く興味を惹かれた様子でした。

さらに、この地ならではの味を追求するためにあえて水質調整をせず、湧き出したままの水で仕込む『北アルプスブルワリー』、道路一本を挟んで硬度の異なる水が湧く『男清水』『女清水』、地元の水とそば粉に山芋を混ぜてつるりとした食感を生む老舗蕎麦処『タカラ』など、水の素晴らしさを伝えるスポットの数々も、シェフに多大な影響を与えました。

「産地に足を運ぶ意味は、生産者の顔を見て、直接話をするだけではありません。その土地の水を味わい、文化を知り、名物を食べる。そうすることで、イノベーティブが生まれるのだと思います。私は野菜を軸に料理をしますが、そこに現地に伝わる発酵を加えたり、地元の漬物を取り入れてみたり、といった具合。普段お店でお出しする料理とはかけ離れていきますが、それもまたこうして地域に入り、イベントをする意味だと思います」視察後、神保シェフはそんな言葉でイベントへの思いを語ってくれました。

泉田シェフも「身近にある地元の食材を改めて見たことで、初心に戻った気分です。私はホテルの料理人として、フランス料理をベースにしつつ、アレンジし過ぎず食材そのものの魅力が伝わる料理を目指していますが、その中で地元食材の価値を改めて伝えていきたい」と決意を語ります。

およそ一ヶ月後に控えた、ふたりのシェフのコラボレーションによる『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』の料理。東京から訪れたイタリアンシェフと、地元大町で活躍するフレンチシェフ。ふたりのクリエーションがどんな化学反応を起こし、どんな料理が誕生するのか。期待は高まるばかりです。

『キハダ飴本舗』では、広々とした山菜の畑を見学。

苦味と独特の香りがあるキハダ飴だが、神保シェフに大ヒット。いくつも口に運んでいた。

併設の醸造所で作られる『北アルプスブルワリー』のビール。この地でしか味わえないビールをテーマに、水の特徴を押し出して醸造される。

『北アルプスブルワリー』の松浦周平さんは、大町市内でコーヒー店も経営。多角的に大町の水の良さを伝える。

老舗『タカラ』の蕎麦。地元名物を味わうことも、視察の重要な工程。

ホテルに戻り、泉田シェフの料理も試食。相互理解を深め、コラボレーションメニューの構想を練る。

厨房で意見を交わすふたりのシェフ。泉田シェフの地元食材の知識、神保シェフの野菜の知見が互いの料理を高める。


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 大町市)

真のファーマーズ王国。付加価値でなく、美味しさを追求する生産者たち。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

ローカルファインフードフェア滋賀シーズン外れだからこそ発見できた食材の新たな魅力。

東京都内で活躍する料理人やパティシエが、滋賀県産の食材を使った料理をそれぞれの店で提供する期間限定のフードフェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。滋賀の食材を探求すべく、4人のシェフとバイヤーによる生産者巡りも2日目へ。一体、どんな食材との出会いが待っているのでしょうか。

2日目は、土砂降りのなか、ワイン原料のイメージが強いマスカットベリーAを「黒蜜葡萄」として生産する東近江市『aito budo labo』の訪問からスタート。
ここでは、漆崎厚史氏が深刻な後継者不足を抱えていたブドウ畑を受け継ぎ、8年前ほど前から黒蜜葡萄を栽培しています。
「シャインマスカットのように皮ごと食べられたりするわけでもなく、粒が大きいわけでもないですが、黒蜜葡萄は圧倒的な糖度とコクがあって、昔ながらのワイルドな味わいなんです」と漆崎氏がその特徴を説明。土壌もよく、昼夜の寒暖差のあるこの地域だからこそ、このようなブドウが育つのだと教えてくれます。
とはいえ、8年前に引き継いだブドウ畑の樹木は樹齢およそ50年。そこから糖度を上げて「黒蜜葡萄」として出荷するには、2~3つの房がなるひとつの枝に対してひと房に間引いていく必要があります。さらに、ひと房70~80粒くらいになるように摘果していかなければなりません。

シェフたちが訪れたのは7月上旬、まさにその摘果のシーズンでした。出荷は8月下旬とあって黒蜜葡萄はまだ色づいていない状況。しかし、そこにまた物語が生まれるのです。
「摘果したブドウは食べられるんですか?」
そう尋ねたシェフたちは、まだ淡い黄緑色をしたブドウを味見させてもらいます。すると、それがシェフたちを釘付けにするのでした。実はまだ固く、甘さは一切ありません。とりわけ酸味が主張するのですが、後藤氏はこの酸味を気に入ったよう。
「摘果したブドウにこんな酸味があると正直思いませんでした。お菓子を作っていても酸味がほしいと基本的にはレモン果汁を使います。すると、どうしてもレモンの風味ものってしまうけど、この摘果した黒蜜葡萄は、癖のないきれいな酸味。酸味の調味料としてアイデアの幅を広げてくれると思います。自分としては樹齢50年のブドウの樹木を引き継いでやっていること、そのブドウの樹木の雰囲気も好き。ここに来なければ分からなかった発見です」
これには漆崎氏もにっこり。
「摘果したブドウはブドウじゃないと思っていました。ものすごく量が出るので、これが商品になるのであればすごく嬉しいですね」

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7月上旬、摘果シーズンの黒蜜葡萄。ここから摘果、間引きして8月下旬の出荷まで糖度を蓄えていく。

漆崎氏と談笑する後藤氏。果実だけでなく樹木の話まで、後藤氏は黒蜜葡萄にくびったけ。

ローカルファインフードフェア滋賀600年もの間変わらぬ、栽培方法。珍しい焙煎茶に一同感嘆。

続いて訪れたのは、同じ東近江市にあっても愛知川の最上流部、標高500mほどの場所に位置する政所(まんどころ)町。ここで政所茶を生産するのは、『茶縁むすび』の代表・山形蓮さんです。
政所茶は600年以上の歴史を持つ、いまや希少となった在来種のお茶。全国的には品種改良が進み、お茶全体に占める在来種の割合は2%以下になっているそうですが、政所は古くからこの在来種を守ってきた地域だといいます。栽培にこだわり、この集落の生産者たちは「人の口に入るものに、わざわざ農薬なんて使わんでいい」という信念で茶畑を育ててきました。事実、ここでの栽培方法は、600年間ほとんど変わっていないそうなのです。
冬は雪が降り積もり、マイナス15℃くらいまで冷え込む気候、昼夜の寒暖差があり、霧が立ち込める風土、そしてお茶に対する信念が詰まった生産者の思いが、最上のお茶を生み出すのです。 
ここで試飲してシェフたちを驚かせたのは、山形さんが「これは変わり種なんですが……」といって煎れてくれた焙煎茶。このお茶が、普通のお茶ではありませんでした。

「このお茶のもとになっているのが、樹齢100年くらいの樹木そのもの。といっても、樹齢が古く生産力の落ちた樹木を地際部より切り取って、残った地上部や地下部の芽の生育を促す『台刈り』をしたもの。その樹木の幹や葉っぱ、枝などすべてを薪でじっくりと焙煎して煮出しました。つまり、お茶の木そのものを味わいます」

味わえば、お茶とは思えない複雑なニュアンス。つくださんが「ウイスキーみたいな雰囲気があるし、甘みがある」といえば、薮崎氏は「ピートのような香りもある」。山本氏は「焼き芋みたいな甘みも感じられる」。後藤氏はただただ「これは素晴らしいな~」と感嘆。
さらに、つくださんは「シンプルに寒天で固めて、そのままを味わってもらえたら面白そう。最後までお茶の樹木を無駄にしないというストーリーもすごくいいですね」

『茶縁むすび』の代表・山形さんの説明を受けながら茶畑を視察。集落の合間に茶畑が広がる。

こちらが、一同を驚かせた焙煎茶。幹、枝、葉など茶樹全体を味わうという発想も素晴らしい。

『茶縁むすび』の向かいにある光徳寺の本堂階段にて、一同に振る舞ってくれたお茶にテロワールを感じる。

右が収穫時期によって味わいが異なる平番茶。左は手摘みした煎茶。いずれも湧き水で煎れてくれた。

ローカルファインフードフェア滋賀牛肉×明日葉!? 滋賀食材のコラボレーションが誕生?

政所町からもほど近い、『永源寺マルベリー』でも新たな発見がありました。ここでは、馬糞を敷き詰めて、牛糞、鶏糞、自然の堆肥を使ったオーガニック圃場で、桑、明日葉、モリンガなどの植物を栽培。それをパウダー状に加工して、お茶や青汁などの原料として出荷しています。このパウダーにシェフたちのアンテナが反応しました。
「パウダーは粉物に練り込んでもいいですし、明日葉のパウダーなんかは、スパイスのかわりに塩に混ぜて使ってもいい。肉を焼くときに、胡椒のかわりにふってみても面白いかもしれない。それこそ昨日いただいた近江牛に使っても美味しいと思う」と薮崎氏。さらに、「さっきの政所茶に桑の葉や明日葉のパウダーを少し混ぜてお茶にしてみてもいい」と次々とアイデアが生まれます。
パウダーこそ味わえなかったものの、一行は栽培中の明日葉の葉を畑からちぎってそのまま試食。薮崎氏は早速店でも使ってみたいと言います。

モリンガの畑にて。鶏糞や馬糞、牛糞といった有機肥料にて土壌をつくっている。

『永源寺マルベリー』の上田長司さん。土砂降りにも関わらず丁寧に説明をしてくれた。

明日葉の茎を折ると黄色く出液。カルコンといい植物では明日葉にしかないフィトケミカルの一種。

ローカルファインフードフェア滋賀伝統野菜に課した厳しい規格基準。B品の行方は?

次は、東近江市から南下し、甲賀市にある生産者の元へ。ここ甲南町杉谷では江戸時代から伝わる近江の伝統野菜が栽培されていました。『杉谷伝統野菜栽培部会』の部会長を務める上杉広盛氏は、ここで「杉谷なすび」「杉谷とうがらし」「杉谷うり」の3種の伝統野菜を継承して育てています。
伝統野菜といえば、聞こえはいいかもしれません。しかし、実際にはこの伝統野菜を守るのにも苦労が絶えません。たとえば、杉谷とうがらし。その特徴といえば、実の先が曲がりくねった形になりますが、それがまっすぐだったり、曲がりすぎていたりすると「杉谷とうがらし」を名乗ることができません。さらに大きさ、柔らかさにまで厳しい規格基準が課せられます。少しでも実に傷があっても同様で、実際に収穫した6割は「杉谷とうがらし」の条件を満たさず、廃棄してしまうのだそう。しかも、これらを「杉谷とうがらし」として出荷できるのは、杉谷で栽培されたもののみといいます。
そんな話を聞き、一行が注目したのは、その廃棄されてしまうB品でした。見た目は「杉谷とうがらし」の基準を満たさずとも、辛さが一切なく、唐辛子ならではの風味とみずみずしい味わいという特徴は変わりません。
「杉谷なすび」「杉谷うり」も同様で、伝統野菜を名乗る厳しい基準をクリアしたものだけが出荷されています。
お土産に杉谷うりをもらった一行。これは後日談ですが、滋賀から帰京した数日後、つくださんは自身のフェイスブックにこの「杉谷うり」を使ったコンポートの写真をアップ。伝統野菜を使ったお菓子作りに勤しんでいたようでした。

杉谷とうがらし。辛味成分は一切なく、齧るとみずみずしい風味が広がる。

杉谷なすびの畑にて。ソフトボール大の大きさになるまで手間暇かけて栽培される。

杉谷うり。種を取ってスライスしサラダにして食べても美味しいのだそう。

ローカルファインフードフェア滋賀無農薬は付加価値にあらず。美味しさを追求した朝宮茶

そして、滋賀県食材視察の最後も、素晴らしい生産者との出会いがありました。
それが、甲賀市信楽町で1200年の歴史を誇る、日本でも最古級といわれる「朝宮茶」の生産者、『かたぎ古香園』7代目、片木隆友氏です。
ここには標高400m前後というロケーション、年間の大きな温度差、川筋に発生しやすい霧が茶葉を乾燥から守るなど、茶づくりには最高の環境が整っています。そればかりか、『かたぎ古香園』では、50年ほど前から無農薬栽培を実施。茶畑に菜種と胡麻の圧搾した油粕などの有機肥料を施肥すだけでなく、畝間の土を掘りおこし、刈りとった笹や茅などを樹の根元に敷きつめるなど、手間と時間をかけた茶づくりを信条としています。
とはいえ、片木氏の信念は決して無農薬栽培だけにあるわけではりません。
「無農薬だからいいわけでありません。われわれにとって無農薬は当たり前。それが付加価値になってはいけないんです。一番は美味しいお茶をつくることです」
その言葉にはつくださんが反応します。
「無農薬でお茶を“美味しい”というところまでもっていけている生産者は意外と少ない。正直、片木さんのお茶には、ちょっと感動しました」
それに呼応するように薮崎氏が「レストランではティーペアリングをやっているところも多いけど、国産のお茶でこれだけの種類があって、畑違いのお茶を出せるのなら、ここに料理を合わせこんでペアリングしていくのも面白い」といえば、後藤氏は、「畑で違ったりとか、加工の仕方でいろいろなタイプがあるので、単純にお茶として楽しむというより、ひとつの食材として使ってみたいです」とも。
山本氏は「これだけのお茶があるのなら、煎茶の“ロマネ・コンティー”が飲んでみたい」とダジャレを込めて賛辞を送ります。

山本氏もその多種多様なお茶にぞっこん。香り、味わい、すべてにおいて料理人を魅了した。

茶葉をそのまま味わえば、まるでスナック菓子のよう。風味、香りが秀逸。

悪天候で茶畑は巡れなかったものの、『かたぎ古香園』の事務所にてじっくりと話を聞いた。

ローカルファインフードフェア滋賀2日間で見えてきた滋賀県の生産者と食材に宿る本質。

2日間を通して、出合ってきた滋賀の生産者と食材。こうして振り返るとあるひとつの共通事項が浮かび上がってきました。
それは、滋賀県には無農薬、有機栽培をはじめ、自然に配慮して食材を育てる生産者が実に多いこと。それは、滋賀県民の心の底に、“海”の存在があるからなのではないでしょうか? 豊かな水系が流れ込み琵琶湖という“海”を形成している。そして、その琵琶湖がまた滋賀県特有の食文化を生み出す。だからこそ、その海を、農薬などを使うことで自分たちの手で汚したくないという思いが根底にあるのではないでしょうか。

食材の素晴らしさとともに、その生産者たちの思いは確実に今回視察に参加した4人に届いたことでしょう。
今回の視察で巡った生産者の食材を使った料理は、8月2日~10月31日まで開催されるLocal Fine Food Fair SHIGA』で味わうことができます。きっと、美味しさとともに、生産者の熱き思いまでも届けてくれるに違いありません。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

(supported by 滋賀県)

料理人が滋賀の食材と真っ向に向き合う2日間。滋賀食材のポテンシャルを知る。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

『みなくちファーム』にて。健全な環境で育つ多彩な野菜を前にシェフたちの話に花が咲く。

ローカルファインフードフェア滋賀中華の料理人が「蓮の葉」の新たな可能性を見出す。

東京都内で活躍する料理人やパティシエが、滋賀県産の食材を使った料理をそれぞれの店で提供する期間限定のフードフェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。その食材を探すべく、4人のシェフとバイヤーが1泊2日で滋賀の生産者のもとを訪ねました。

米原駅に到着した一行が、まず向かったのは車で15分ほど走った長浜市布勢町。そこで待っていたのは、3ヘクタールもの見事な蓮畑でした。蓮は午前中に花を咲かせ、数時間で萎んでしまうものの、午前10時に到着した一行を、蓮はその花の甘い香りで出迎えてくれました。

ここは、NPO法人「つどい」による農園事業である『きんたろう村農園』。いまは一帯に見事な蓮畑が広がっていますが、もともとは耕作放棄地であり、現在執行役員を務める川村美津子さんがわずか10アールほどの田んぼの一部を借りて5年前に蓮を植え始めたのがきっかけとなり始まったそう。

「蓮の栽培は、1000年以上の歴史があるのに、開花や水あげのシステムなど、まだまだ解明されていないことがたくさんあります。なかなか流通しにくい食材でもあるんです」

そんな川村さんの言葉に、南青山で薬膳中華『Essence』のオーナーシェフ薮崎友宏氏がいち早く反応します。そう、蓮といえば中国料理には欠かせない食材。しかし、薮崎氏が喜んだのはただ、この蓮が“国産”であることだけが理由ではありません。蓮畑を歩いた薮崎氏はあることに気づいたのです。それが蓮畑の状態でした。

「雑草を駆除するのに除草剤を使うとイネ科の植物だけが残るんです。でも、ここの畑を見ると他の小さな雑草もあるでしょ。ちゃんと除草剤を使わずに無農薬で蓮を管理している証拠です」

自身でも栃木県足利市に農園を持つ薮崎氏ならではの目の付け所。それを聞いた川村さんも「土壌改良剤と卵の殻を土には与えていますが、無農薬、無肥料。基本的には雑草との戦いです」と笑います。

『きんたろう村農園』では、そんな蓮の花をつかったジャム、蓮の葉のパウダーなども商品化していますが、やはりシェフたちの注目は蓮の葉そのもの。

「中華ではちまきに使ったり、チャーハンを詰めて蒸したり、スープにしたりします。ただ日本に流通する蓮の葉は、乾燥された中国産がほとんど。これが商品化できるなら自分だけで使うのでなく、いろんな中華の料理人にすすめていきたい」
薮崎氏だけでなく、和菓子と日本酒のマリアージュを提案する『薫風』のつくださちこさんや、幡ヶ谷『Equal』のシェフパティシエ・後藤裕一氏も興味津々。イタリアンの元料理人でもある食材バイヤーの山本敦士氏は、「どうやって蓮を、食材として流通させるか」に考えを巡らせていました。

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3ヘクタールの広大な蓮畑。わずか10アールの耕作放棄地から『きんたろう村農園』は始まった。

蓮に一番興味を示していたのが薮崎氏。食材に向き合う好奇心は視察1軒目から大いに発揮されていた。

川村美津子さん。ご覧の笑顔で、シェフとの距離感を感じさせない対応。『きんたろう農園』ではしいたけの菌床栽培も行う。

ローカルファインフードフェア滋賀独特の食材と食文化を育む、滋賀県の“海”。

滋賀県といって忘れてはならないのが、琵琶湖。地元の人はこの琵琶湖を“海”と呼ぶほど、母なる湖に特別な思いがあります。その理由のひとつは、この“海”が滋賀県独特の食材や食文化を生み出していることでしょう。

琵琶湖の北岸の大浦漁港にある『西浅井漁協』で、一行はビワマスと小鮎を試食、琵琶湖独特の淡水魚の話に聞き入ります。
「ビワマスは、一般的なマスと異なり、海に出ず、一生を淡水域で終える魚です。サケ科であるもののサーモンとは異なり、その脂は上品で、今日はお刺身で食べていただきます。もちろん煮ても、焼いても美味しいんです」とは、漁協の代表理事を務める礒崎和仁氏。

また、“小鮎”と呼ばれる鮎も琵琶湖の特産。渓流で藻などを餌とする鮎とは異なり、主にプランクトンを食べて育つ“小鮎”は、成魚でも体長は10数センチほど。頭から尾までまるごと天ぷらにしていただくと、渓流で育つ鮎とはまた違った印象。その味わいに、薮崎氏が口を開きます。
「薬膳には、『一物全体』という言葉があります。食べ物にはすべての部分にそれぞれの栄養があるという意味です。この時期に鮎の体のところにだけ皮を巻いて春巻きとして出しているんですが、その料理にこの小鮎を使ってもいいかもしれません」

その後も、独特の食文化、琵琶湖ならではの淡水魚の話に耳を傾ける一行。ビワマス、小鮎を試食しながらの食談義に花を咲かせます。

ビワマス。漁の最盛期は7月だが、琵琶湖の水温が下がる1~2月が脂がのってより一層美味しくなるとか。

昼食を兼ねた試食ではビワマスの刺身と小鮎の天ぷらを。ここでも薮崎氏は何かアイデアがわいた様子。

『みなくちファーム』にて。奥様の水口良子さんを囲み、後藤氏とつくださんがハーブ談義。

ローカルファインフードフェア滋賀就農わずか8年。シェフも納得のトップレベルの野菜を栽培。

次に一行が向かったのは、琵琶湖の北西、高島市にある『みなくちファーム』。ここは、農薬や化学肥料を使わずに、持続可能な循環型農業を実践する農場です。現在でこそ10ヘクタールの畑を擁して年間100種以上の野菜を栽培しますが、就農した8年前はわずか25アールほどの畑から『みなくちファーム』は始まったといいます。
「荒れ果てた耕作放棄地を借りて、妻と一緒に手で石を拾い、ユンボを使って開墾。25アールの畑になるまで半年かかりました」と笑うのは代表の水口淳氏。

その畑を案内してもらうと気づくことがあります。きれいに除草されている箇所もありますが、一部は雑草と野菜が混在。しかし、それこそが『みなくちファーム』の野菜づくりにおける信念でもあります。
「どうしても草むしりをしないといけないときはやります。でも、草にまみれて育つ野菜もある。なるべく自然の形態を壊さぬよう、野菜本来の力を発揮できる環境で育てることが一番です」
そんな話を聞き、シェフたちは俄然前のめりになります。とりわけ、菓子作りが専門となるつくださんと後藤氏は、ハーブに注目しました。
「ハウスものより力強さが全然違う。ブッシュバジルはすごく印象的だったし、フェンネルシードも本来は乾燥され加工されたものが流通していますが、こうして生のシードを見られるのも産地を訪れたからこそ。フェンネルの花も甘くて美味しい。フランス修業時代は夏場によく使っていたので、さっぱりした何かを作れたらいいですね」
そう後藤氏がいえば、店では野菜を使った和菓子も多く手掛けるつくださんは、滋賀で古くから栽培されてきたまくわうりに対して「むかしのマスクメロンのようなイメージ。ウリですけど、ほんのりと甘みがあって、シンプルにコンポートにしてみてもいいかも」と想像をふくらませます。

一方で、山本氏は「日々、市場でも野菜を見ていますし、いろんな産地の農家さんにも足を運びますが、ここの野菜はトップレベル。水口さんは新しいものへのチャレンジ精神もあるし、こうした間違いない野菜はバイヤーとしていろんなシェフに紹介していきたい」といいます。

雑草と共生するレモングラス。できる限り自然の形を崩さず栽培している。

バイヤーの山本氏。「土がいいから、土のままいける!」とサラダゴボウをそのままがぶり。

後藤氏が気に入っていたフェンネルの花。食べるとハーブらしいさわやかで、ほんのりとした甘さ。

ローカルファインフードフェア滋賀滋賀といえばこれ! 日本三大和牛のひとつ近江牛の生産者のもとへ。

そして、1日目の最後に訪れたのが、循環型畜産で滋賀が誇るブランド牛・近江牛を育てる『千成亭ファーム』。その牛舎のひとつにシェフたちは足を運びます。

見渡す限りの田園地帯に囲まれた牛舎を訪れ、シェフたちが口々に言うのは「牛舎が清潔」であること。それは牛たちにいかにストレスを与えず育てるかを大切にした『千成亭ファーム』のこだわりでもありました。
風通しが良いように設計された牛舎、一頭あたりの7平米のスペースを確保し、寝床に清潔なおがくずを敷いた飼育環境などがそうさせるのでしょう、いわゆる“牛舎”特有の匂いも気になりません。

そうした環境で仔牛から育て、成長過程に合わせて飼料を変え、30ヶ月の月齢を目安に育て上げることで、より上質な肉質を目指して出荷するのだといいます。
そんな話を聞いたシェフたちにこの日の最後のご褒美が。それが『千成亭』が営む『せんなり亭 心華房』での夕食。
サーロイン、カイノミ、イチボ……。近江牛の美味しさを鉄板焼で体感したのでした。
野菜、魚、肉。滋賀県のさまざまな食材を間近にした1日。翌日はどんな生産者、食材との出会いがあるのか。シェフたちは、2日目の視察にも期待に胸を膨らせます。

とにかく清潔な牛舎。成長過程に合わせ異なる飼料を与えるなど、牛たちの生育環境にこだわる

職人としての生産者の感覚と、PCによる個体監視を実施し、牛の状況を常に把握している。

近江牛のサーロインの鉄板焼。サシは多いものの、きめ細やかな肉質でくどさは一切ない。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

(supported by 滋賀県)

美味しいひと皿ではなく、感動するひと皿。大切なことは、キッチンの外にある。[SUGINOMORI REVIVAL/長野県塩尻市]

 「奈良井には、昔からあるひとつ一つのものに“誇り”を感じます。それは、きっと住民の方々が大事に受け継いできたからだと思います。町を知り、学ぶことによって、それをどう料理に活かせるのかを追求していきたいです」と『嵓 kura』の料理長、友森隆司氏

友森隆司インタビュー同じ塩尻でも奈良井は特別。ここだけにしかない、誇りがある。

そう話すのは、宿泊施設『BYAKU』に内包するレストラン『嵓 kura』の料理長、友森隆司氏です。

友森氏は、同じ塩尻にある大門にて自身のレストラン『ラ・メゾン・グルマンディーズ』を構えるシェフです。2011年に『トムズレストラン』として開業し、2015年に現在の店名に改め、10年の節目を迎えた2021年。レストラン『嵓 kura』の料理長として、新たな料理人人生を歩む決断をしたのです。

「パリや東京、横浜、そして松本など、さまざまな国と地域でフランス料理を学んできました。そんな中、ご縁で訪れた塩尻の野菜の魅力に惹かれ、お店を構えるならこの地域でと思い、2011年に開業しました。しかし、お店を成功させることだけでなく、当時から “塩尻の食文化を伝える”ことを目標に掲げていました。その期限は、20年」。

そのゴールは、「塩尻の食文化を“日本全国、世界へ”を伝えること」。自らロードマップを描き、達成までに設けた期限は20年と決めていました。着々と目標に向け、レストラン以外にも活動を開始。料理教室やイベントを通して地域や住民、生産者との交流を図り、食材の仕入れにおいても畑まで足を運びます。農家から余った野菜をいただけば、無駄にせず、出張マルシェも展開。塩尻の食文化を伝えることを通して、雇用も生んできたのです。

「実は、自分の出身は広島なんです。そんな余所者を受け入れてくださった塩尻の方々は、本当に優しく、温かい心を持っています。それに恩返しをしたいと思って始めたのが、“塩尻の食文化を伝える”活動でした。10年続け、塩尻の中では浸透してきたのですが、次は外に向けて発信したいと思っていました。しかし、それを成すには、『ラ・メゾン・グルマンディーズ』という個人のお店では難しさを感じていました。そんな時にレストラン『嵓 kura』のご縁をいただいたのです。しかし、正直悩みました。自分のお店を置いて奈良井に行くことも然り、歴史ある『杉の森酒造』の再生に自分が務まるのか、奈良井の方々に受け入れていただけるのか……」。

大きな分岐点にもなる2度目のご縁。様々、思いを巡らせるも、決断した決め手は初志貫徹、“塩尻の食文化を伝える”ためでした。

「このプロジェクトに参画することになってから、奈良井に足繁く通っていますが、本当に知らないことばかり。同じ塩尻でも『ラ・メゾン・グルマンディーズ』で仕入れていたものが仕入れられるかといえばできませんし、勝手も全く違う別世界。食文化においても、漬物や発酵、おやきなど、飾り気のないものが多いですが、そんな素朴の中に“誇り”を感じます。実は、奈良井でそば粉を打っているお母さんのところへ遊びに行かせていただく機会があったのですが、そこで食べさせていただいたキュウリのお漬物が本当に美味しくて。もちろん、プロの料理人の方ではなく、家庭で育てたキュウリを家庭で漬けたものなのですが、自分には出せない味でした。こうした体験に『嵓 kura』で表現すべき料理のヒントが隠されていると思いました」。

記憶に残る旅とは、地域らしさを一番色濃く享受できる時間。それは、地域にとって当たり前であればあるほど、日常であればあるほど、ゲストにとっては新鮮であり、唯一無二の体験となるのです。

しかし、地域の人間でない友森氏がそれを表現するのは至難の業。まずは、地域に受け入れていただく料理人になるために、人間になるために。大門に受け入れていただけるよう努力した日々を、もう一度、ゼロから奈良井でスタートさせます。

 店名の『嵓 kura』とは、山稜の下に眠る岩などの意味。古くから奈良井宿を支えてきた奈良井川の源は、山から流れる水。そんな自然からの恵みを料理の起点と捉え、「蔵」の呼び名をそのままに「嵓」として引き継ぐ。

『杉の森酒造』だった当時、酒造りをする「蔵」として活気に満ち溢れていた空間をレストラン『嵓 kura』として再生。奥のガラスの向こうでは、酒造りも復活させる。

友森隆司インタビュー『嵓 kura』の料理に必要なことは、理由のある料理。

奈良井宿は山々に囲まれ、そこから流れ出る水が奈良井川の源。日本最長、約1kmにも及ぶ宿場には、古くは鳥井峠を行く人、来る人の喉を潤わせてきた水場も点在し、今もなお、水と密接に関わる暮らしが形成されています。

「今回、料理の監修を担っていただく長谷川(在佑)シェフが大事にしている食材のひとつにお米があります。ご存知の方も多いですが、ご自身のレストラン『傳』と言えば、土鍋ご飯。『嵓 kura』でもそれを取り入れたコース料理を考案しており、塩尻の西条という地域で育ったお米を使用しようと思っています。理由は、奈良井と同じ分水嶺から育つお米だからです。土鍋ご飯の試作では、その具材に同じ尾根から流れ出る水で育ったシナノユキマスやイワナとも合わせてみました。食材たちが生まれた環境は違えど、同じ水から育ったもの同士、自然と馴染みが良い」。

長谷川氏が『嵓 kura』で大切にしたいことは、「この町が生きてきた自然のものやことを自然なかたちで活かした料理」。前述のキュウリの漬物やお米選び、水との関係にもつながります。

「奈良井に来てから、地元の方々には本当に良くしていただいており、とても感謝しております。町を歩いていると、すれ違いに「山菜持っていきな!」、「フキ持っていきな!」など、声をかけていただくことも多いです。大門では、食材をご一緒する生産者は農家さんのみでしたが、奈良井では地元の方々も生産者のような存在。皆さん、山を熟知されているので、どこに何が自生しているかの知識も豊富。クレソン、キノコ、セリ、三つ葉、ミョウガ、イタドリ、山椒、ウド……。数え切れません。今日、芽が出た。今日、実った。今日、咲いた……。これまで経験したことのない産地の近さ。そんな日々の旬、本当の意味での採れたてをどう料理に活かしていくのか。しかし、同時に自然との近さと運命共同体のため、険しい環境もあります。それを含め、奈良井のことを『嵓 kura』のチーム全員が知り、学ぶことが必要だと思っています」。

また、環境だけでなく、『ラ・メゾン・グルマンディーズ』との違いのひとつに、スタッフの人数が挙げられます。友森氏は、これまで料理をほぼひとりで担ってきたため、自身が表現したいことを自身の手でかたちにしてきましたが、『嵓 kura』はチームで共有し、かたちにしていきます。よって、足並みや目線合わせは非常に重要になります。

「『嵓 kura』に必要なことは、高級な食材を使用したフルコースではないと思っています。例えるなら、美味しいひと皿よりも感動するひと皿。長谷川シェフは、皿に乗った料理よりも、調理の技術よりも、その前の出来事に時間を費やし、丁寧に向き合い、真摯に理解しようとしています。つまり、本当に大切なことは、キッチンの外にあるのだと思います。皿の上だけでは表現できないことに大切なことがあるのだと思います。感動は、そんなプロセスから生まれるのだと考えています。ひと皿一皿、味の記憶だけでなく、なぜそれが生まれたのかを伝え、皿の上では表現できない、見えない物語が記憶に残る料理にしたい。それには、ひと皿が生まれた理由が必要であり、その理由を生むには、背景を学ばなければいけません。奈良井の方々に愛される『嵓 kura』になれるよう、全力を尽くしたいと思います」。

やるべきことはわかっている。やらなければいけないこともわかっている。なぜなら、一度、余所者を経験しているから。10年かけて大門に必要とされるお店になれたように、シェフになれたように、人間になれたように、友森氏は、奈良井でもそれを目指します。

料理監修を担う『傳』の長谷川在佑氏(右)と試作を続ける日々。『BYAKU』に訪れて良かった、『嵓 kura』に訪れて良かったではなく、奈良井に訪れて良かったと思える料理を目指す。

『嵓 kura』では、『傳』のような土鍋ご飯もコース料理に採用予定。お米は、奈良井と同じ分水嶺、塩尻の西条で育つものを使用。

キッチン、サービス含め、塩尻を中心にスタッフは構成。長谷川氏を中心に、日々、トレーニングを重ね、開業までに精度を上げる。


Photographs:SHINJOH ARAI
Text:YUICHI KURAMOCHI

地域と向き合う覚悟。学び続けることによって答えを探し続ける責務。[SUGINOMORI REVIVAL/長野県塩尻市]

「お客様はもちろん、地元の方々に美味しいとおっしゃっていただけるような料理にしたい。開業して良かったと思っていただけるようなレストランにしたい」と『嵓 kura』の料理監修を担う長谷川在佑氏。

長谷川在佑インタビュー自分はこの町に何を残せるだろうか。どんな責任が果たせるだろうか。

約1kmにわたる日本最長の宿場町、「奈良井宿」。そんな歴史ある町並みに200年以上身を構えていたのが『杉の森酒造』です。

2012年、惜しまれつつ閉業してしまったその建物は、宿泊施設『BYAKU』として再生され、2021年8月4日に開業を迎えます。

宿泊機能だけでなく、レストラン、バー、温浴施設、そして、酒蔵も内包。中でも注目したいのは、レストラン『嵓 kura』です。料理を監修するのは、日本のトップシェフとして知られる『傳』の長谷川在佑氏。

「今回のプロジェクトで初めて奈良井宿の存在を知りました。インターネットでどんな町か調べてから現地入りしましたが、実際は想像以上に美しく、現代において忘れ去られていた“正しい時間”が流れている町だと感じました。昨今、テクノロジーの技術が発達し、そのスピードは日に日に早くなっていると思います。SNSであれば、写真やコメントが瞬時にアップでき、時間差なく世界中の人と交流できてしまいます。そんな情報過多の仮想世界は、行ったつもり、見たつもり、食べたつもりなど、“つもり現象”が起こることもしばしば。流通においても、欲しいものを検索し、翌日にはそれが届いてしまう。ものを見て判断することや足を運んで探すプロセスは省かれ、愛着や手間隙という概念は崩壊寸前。先ほどの通り、自分も奈良井宿をインターネットで調べましたが、そこで得たものは一刀両断されました。独自の空気感は、画面上では決して感じることはできず、何もない町のようで“何か”ある、そして、その“何か”は生きる上で必要な“何か”、大切な“何か”だと本能的に身体で感じたのです」。

太陽が昇り朝は訪れ、陽が沈めば夜が訪れる。明るい時間は明るく、暗い時間は暗い。語弊を恐れずに言えば、決して便利な町ではありません。しかし、自然に抗うことなく暮らしが形成されているこの町には、正しい時間が流れています。

長谷川氏が感じた“何か”とは何か。難問の答えはすぐに解けるわけもなく、奈良井宿はそんな容易い町ではありません。

江戸時代から守り続けられた町並みを一歩一歩歩きながら、その建築様式に目を凝らし、「きっと多くの旅人の休息を叶えてきたのだろう」と様々な思いを巡らせるも「感傷に浸っている時間はない」とひと言。

「料理の監修は、『傳』の新メニューを考案することよりも、『傳』の新店を作ることよりも、ほかの何よりも一番難しい」。

レストラン『嵓 kura』は、元々、酒蔵だった空間を再生。できる限り、既存の部材を残し、奥のガラスの向こうでは酒造りも復活させる。

「美味しく仕上げる食事よりも、この町で暮らすには必要だった生きるための食事を学び、料理に活かしていきたい」と長谷川氏。

長谷川在佑インタビュー

料理監修は料理だけにあらず。チームの監修、人間力の向上こそ、絶対条件。

「この町には、高級料理や希少食材は、必要ないと思っています。なぜなら、今の時代、高級料理はどこに行っても食べることはできますし、希少食材も手に入れようと思えば世界中から取り寄せることも可能ですから。それよりも、この町が生きてきた自然のものやことを自然なかたちで料理に活かし、表現したいと思っています。もしかしたら、それは必ずしも“美味しい”が答えではないかもしれません」。

例えば、山々に囲まれた奈良井宿で一級の海鮮を供すことに意味を成すのか? それよりも、ここでは身近に自生する山の幸に意味があるのです。しかし、そんな山の幸も奈良井宿の険しい冬には敵いません。ゆえに、保存食が必要とされ、発酵に意味があるのです。

「レストランに行く。美味しい料理が出る。一見、当たり前のように思うかもしれませんが、果たしてこれは旅先に必要なことでしょうか。美味しい料理=体験とは限らないと考えます。これまで、ありがたいことに様々な国へ足を運ばせていただくことがあります。当然、各地で食事もするわけですが、実はあまりレストランへ行きません。なぜかというと、その土地で生まれたその土地の料理を味わいたいからです。自分が思うそれをいただけるところは“お母さん”が営むお店なのです。そこで地元の味、家庭の味をいただき、調理法を教わり、会話をする。自分にとっては、そんな時間が旅を豊かにしてくれるのです」。

奈良井宿の豊かさは、予約が取れないレストランに行くことやガストロノミーをいただくこととは異なります。それと同じ舞台で勝負する必要もなければ、比べる必要もありません。ランキングや星の数よりも大切なことが『嵓 kura』には必要であり、だからこそゲストを体験へと導くのです。

「そのポテンシャルは、ある。あとは、“我々”の問題」。

「自分の問題」ではなく、「我々の問題」と指す意味は、「料理監修は料理だけにあらず。チームの監修、人間力の向上こそ、絶対条件」につながります。

「実は、メニューを開発することは、さほど難しくはありません。キャリアのある方であれば、技術に関しても自ずと身に付いていくと思います。しかし、本当に大切なことはそこにはないと思っています。地域を理解する心、そこに住まう方々を知る心、そして何より、地域に受け入れていただける人間になること。これは料理人として、レストランに関わるスタッフとして云々以前の問題です。この監修という仕事が難しいと感じる一番の理由は、“土地に自分が居続けることができないこと”にあります。自分が伝えたいことは、常駐するスタッフがどのようにこの土地と介在するべきなのかの意義。おそらく、開業時には未熟な状態です。自分もまだまだ足りないと自覚しています。もっと地域から学ばなければいけない。住民の方々から学ばなければいけない。更に言えば、学んだ先に答えは見つからないかもしれない。それでも『嵓 kura』のみんなで学び続けることが大切なのだと思います」。

なぜ学び続けるのか。それは、奈良井の一員にさせていただくためのほかなりません。

長谷川氏の言う通り、『嵓 kura』は未完成であり、もしかしたら、生涯、未完成のままかもしれません。

ひとりで難しいこともチームで乗り超えていく。チームの価値とは、苦しい時は助け合い、分散し、喜びは共有でき、倍増することにあります。それを成すために必要なことは、これを分かち合える人間になれるか否か。

学ぶことは人間力の向上。そのプロセスには、テクノロジーの技術を駆使した一足飛びはありません。この町同様、正しい時間をかけて正しく身につけていくことが重要なのです。

「料理を作ることだけがレストランではない。お客様のために何ができるか。“良かったよ!”、“また来るね!”ではなく、次の約束をできるような満足をお届けしたい。そのために自分たちに何ができるか。それは“準備”しかありません。準備して、準備して、準備して。それでも反省は生まれてしまいます。しかし、後悔するようなことをしてはいけません。かたちだけのストーリーはいらない。実は、以前、地元の方から鯉を食べる文化のお話を伺ったのですが、その時に“鯉は骨が多くて食べづらいんですけどね”とおっしゃっていて。自分に文化を作ることはできませんが、料理人としての技術を生かして、その鯉を食べやすくすることはできると思いました。学ぶことによっていただいたものを新しいものにしてこの町に残していけるようにしたい。地元の方々が歩んできた時間を大事にしたい。奈良井宿に喜んでいただけるような場所にしたい。心技体を持って、奈良井宿と向き合いたいと思っています」。

自然と暮らしが密接な関係で結ばれている奈良井宿。『BYAKU』の付近に自生している山の幸を摘む長谷川氏とレストラン『嵓 kura』の料理長を担う友森隆司氏。

塩尻を中心に新鮮な野菜などを起用して料理を考案。良い料理作りは、まず地域を知ることと、食材を知ることから始まる。

長谷川氏が地元の方から「鯉を食べる文化はあるも、骨が多く食べづらい」という話を聞き、骨切りを施し、食べやすく試作。

作っては試し、また作っては試し。開業ギリギリまで試作は続く。『傳』でお馴染みの土鍋ご飯は、塩尻のお米を使用してレストラン『嵓 kura』でも提供予定。

レストラン『嵓 kura』のスタッフ。「このチームで様々を乗り越え、何としても良いかたちにしたい。この町に認めてもらえる場所にしたい」と長谷川氏。


Photographs:SHINJOH ARAI
Text:YUICHI KURAMOCHI

壱岐の魅力を詰め込んだクラフトジンがいよいよ完成![IKI’S GIN PROJECT/長崎県壱岐市]

壱岐の海をイメージしたブルーボトル。白砂が印象的な筒城浜海水浴場の岩場に置いてみると海の色と同化するほど、壱岐の海の色を再現。

壱岐ジンプロジェクト取材した生産者の顔が次々と浮かぶ、壱岐だからこそ生まれたこだわりのジン!

何はともあれ、まずは出来上がったばかりのジンをストレートで味わってみました。
すると、ファーストアタックで驚くほどイチゴの甘い香りが鼻腔に広がったのです。
「あ〜、取材をさせてもらったイチゴ農家の松村春幸さんの畑でにんまりとしたあの甘い香りと同じだ」。取材時の出来事が鮮明に思い出されます。
次に、香りで押し寄せたのは柚子。柚子の皮むき工場を訪れた際に教えてもらった『壱岐ゆず生産組合』の長嶋邦明氏の言葉が浮かびます。「もったいないけど、皮以外は全て捨ててしまうんですよ。でも、いい香りでしょ」。
それがしっかりとジンの個性に乗り移り、こんなに豊かな和の香りを生んでいるとは。
その後もジンを口に含むと、複雑なアスパラガスの味わいから、モリンガのほのかな苦味、ニホンミツバチから採取したという希少な壱岐産ハチミツの甘い香りまで、次々と取材で出会った生産者の顔が思い浮かぶのです。

昨年、コロナ禍で始まった長崎県壱岐島でのクラフトジン造り。壱岐を代表する焼酎蔵と、壱岐唯一の5つ星ホテルがタッグを組んで、壱岐でしか造れないジンを生み出そうと動き出したプロジェクトは、2021年5月末、「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」という名のクラフトジンの完成をもって初回の生産を終えました。そして今回、現地にうかがいジン造りの過程を見守ってきた我々『ONESTORY』も、壱岐発のジンの完成の一報を受け、再び壱岐を訪れたというわけです。群雄割拠のクラフトジン業界で壱岐発のジンはどう映るのでしょうか。今回は、壱岐の料理と合わせるペアリングディナーも体験し、忖度なしにその魅力に迫ってみたいと思います。

夕日に照らされた「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」。ボトルには、約700年近く受け継がれてきた伝統と歴史を持つ壱岐の神事芸能・神楽をデザイン。

干潮時のみ参道が現れる小島神社。そこかしこに広がる壱岐の美しさをボトルで表現した。 

少しの傷で廃棄されてしまっていた果実などを、壱岐の生産者を巡って説明し、譲り受けてジンの素材に。

壱岐ジンプロジェクト何度となく頓挫しそうになったジン造り。その情熱はクラウドファンディングで支援を募り結実。

まずはジン造りの経過報告から。
プロジェクト当初は、『壱岐リトリート 海里村上』の若きホテルマン・貴島健太郎氏と、その熱意にほだされ、壱岐で酒を醸し続ける『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋福太郎氏がタッグを組んだジン作り。島から若者が減る一方、高齢化は進み、雇用の確保など、島としての課題も山積み。愛する島と焼酎がこのまま廃れるのは何よりも悲しいと、ふたりは奮い立ったのです。

ですが、コロナ禍という特殊な状況の中、壱岐発のクラフトジン造りは紆余曲折。なかなか思うように進まず、約1年の時を経てクラウドファンディングで支援者を募る形をとり、予定していた3月の完成よりも2ヵ月遅れた5月末にようやく完成したといいます。
今回のジン造りのキーマンふたり、『壱岐リトリート 海里村上』でホテルマンとして働く貴島氏と、『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏は、それでも良かったと笑います。(詳しい紹介はこちらにて。)

「実は、会社の事情で僕が突如、壱岐から神奈川の箱根へ転勤が決まり、暗雲が立ち込めてしまったりしました。でも、『壱岐リトリート 海里村上』の支配人とソムリエが全面バックアップしてくれ、その後フィニッシュまで持っていってくれたんです。本当にハラハラしました」と貴島氏。
「コロナと同じで、状況が逐一変化していく中で、それでもこのプロジェクトは壱岐の焼酎文化の発展のためには諦められなかった」と石橋氏。
当初のチームが形を変えていく中でも、連携し、協力しあい、ジン造りの灯火を消さずに乗り越えてきたことで、ジンが完成したといいます。
実際、クラウドファンディングでの支援の輪は目標額を大きく上回り、目標100万円の200%以上の支援額を達成。更には、ふたりがかかげてきたフードロスの問題や、麦焼酎発祥の地である壱岐の焼酎をベースに使うこと、そして壱岐の水と壱岐産のボタニカルで香りと味を生み出すなど(詳しい紹介はこちらにて。)、課した課題は全てクリアしたといいます。せっかくやるなら妥協しない。そんなふたりの想いの強さから造られたジン。発売が遅れたのは必然だったのかもしれません。構想から約1年を費やしたジン造りでしたが、少数精鋭、貴島氏と石橋氏が島を走り回り、生産者一人ひとりの理解を求め、廃棄されてしまう食材に再び光を与える。発売の遅れは妥協を許さなかったという証であり、壱岐の海を連想させるブルーボトルの中に壱岐らしさをたっぷりと詰め込んだのです。
「まさに壱岐の情景!」。アルコール度数40%のストレートをぐびりと呷(あお)った、まさにそれが我々編集部の第一印象でした。

「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」とペアリングするディナーを待つ間に、目前に広がる穏やかな海を眺めつつ、ふたりの奔走を思い出しながらジンの完成を讃え、ほくそ笑むのでした。

壱岐の景勝地・猿岩を前にインタビューに答えて頂いたキーマンふたり。『壱岐リトリート 海里村上』のホテルマン・貴島健太郎氏(左)と『壱岐の蔵酒造』代表・石橋福太郎氏(右)。

『壱岐リトリート 海里村上』の総支配人であり料理長の大田誠一氏(左)。

『壱岐リトリート 海里村上』のソムリエ大場裕二氏。総支配人と大田氏とともに最終的な味の監修に参加。

壱岐ジンプロジェクト壱岐の料理と、壱岐の素材だけで造ったジン。スペシャルなペアリングディナーを体験。

「飲み飽きない味。実際、私は毎日晩酌で飲んでいるんです。華やかなフルーツの香り、一番はイチゴと柑橘ですね。更にハチミツが入っている分、独特の甘さも。薬草っぽい木の芽、モリンガもほのかに感じますね」と話すのは、『壱岐リトリート 海里村上』の総支配人であり料理長の大田誠一氏。
「ベースのボタニカルサンプルが24~25種類。その中で配合を組み合わせたジンです。全て壱岐の食材であり、石橋さんと貴島の方で味の設計図はしっかりできていたので、調えるのはそれほど難しくはなかったですよ。私の印象ではイチゴの香りが突出していたので、調和させるために調えたくらい。更にこのジンは、香りは強いけど米由来の甘さがある。それこそが壱岐焼酎らしさ。より甘さを引き出すなら氷で少しずつ溶け出すと甘くなりますし、焼酎由来なのでお湯割りにも合う」と話すのは、『壱岐リトリート 海里村上』のソムリエ・大場裕二氏。『壱岐リトリート 海里村上』の料理とお酒、味の統括をする番人ふたりがジンの最終的な監修をしたことで、更に「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」は、壱岐らしさの息吹を注ぎ込まれたといいます。

ペアリングディナーの最初の前菜盛り合わせでは、長崎の郷土料理の呉豆腐や自家製の唐墨大根を受け止めるべく、まずはストレートで提供。ジン本来の力強さを楽しませながら、しっかりと塩味の効いた前菜と調和させます。
かと思えば、アワビやアスパラガスの天ぷらではソーダ割り。
シンプルな壱岐牛の炭火焼きではお湯割り。クラフトジンは壱岐の料理と合わせると、変幻自在、いかようにも表情を変えていく印象です。

「壱岐の素材だけで造ったジンですから、壱岐の料理に合わないわけがない。これはやはり壱岐で飲むべきジンです」と言って大田氏が笑えば、「まさに壱岐のテロワールを凝縮したお酒です。僕からしたら手のかからないペアリングです」と大場氏もセリフをかぶせます。

若者の焼酎離れを危惧し、同じ蒸溜酒ながら全く異なるジンを生み出した今回のプロジェクト。味の番人ふたりはいとも簡単にジンのみで楽しませるペアリングディナーを完成させたそうです(こちらのペアリングディナーは、現時点ではクラウドファンディングのリターンとして提供)。

最後のスイーツは壱岐産日本蜜蜂の自家製アイスクリーム。
これにストレートのジンを合わせると、得も言われぬ多幸感を生み出すのです。あの希少なハチミツの香りが、アイスにかかったハチミツと合わさると追い鰹の要領で膨らみ、旨さを増幅させていくのです。しばし、恍惚としながらも、壱岐の豊かさを感じるペアリングディナーはゆっくりと心地よく終演を迎えました。

壱岐で生み出された料理と、壱岐の素材だけで造ったクラフトジン。それを壱岐の5つ星ホテルで味わう同企画。クラウドファンディングのリターンで8名のみが手にしたこの愉悦は、ぜひ今後、ホテルの名物企画になることを切に願います。

唐墨大根、呉豆腐、玉子味噌漬け、トマト蜜、貝ウニの前菜盛り合わせはストレートで。

黒鮑、烏賊、アスパラガス、南京を天ぷらで。モリンガ塩で味わう。こちらはすっきりとしたソーダ割りがマッチ。

肉料理は壱岐牛炭焼き。こちらは壱岐の柚子塩で味わう。お湯割りがじんわりと壱岐牛の脂を溶かし、旨味が広がっていく。

白眉は壱岐産日本蜜蜂の自家製アイスクリーム。アイスの上にさらにハチミツがかかっており、ちびちびとストレートで味わうとハチミツ由来の甘さが膨らむ。

住所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520 MAP
電話:0120-595-373
http://ikinokura.co.jp/

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2 MAP
電話:0920−43−0770
https://www.kairi-iki.com/

想いはひとつ、壱岐の美しさを詰め込むのみ。キーマンふたりが振り返るジン造り。[IKI’S GIN PROJECT/長崎県壱岐市]

小牧崎にて、日本海に沈む夕日。ジン造りの最後のインタビューはこんな絶景の中で行われた。

壱岐ジンプロジェクト焼酎蔵の代表と若きホテルマン。ふたりが出会いジン造りが動き出す!

若者の焼酎離れを危惧する『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋福太郎氏と、仕事で初めて壱岐を訪れることになった『壱岐リトリート 海里村上』の若きホテルマン・貴島健太郎氏。そんなふたりがタッグを組み生み出したのは、壱岐発祥の麦焼酎をベースに使ったジン。年齢も経歴も全く違うふたりが、壱岐の素晴らしさを伝えたいという一心で結びつき、壱岐でしか造り得ないジンを完成させたのです。

全てを壱岐にちなんだものにしたいと、まずふたりが取り組んだのは、焼酎をベースにしながら、廃棄されてしまう壱岐の食材などを蒸溜し、香りをつけるというもの。当然、仕込み水も壱岐の水。ボトルデザインも壱岐出身者が行い、壱岐の海の色を鮮やかに表現しました。1年に及ぶジン造りの最後のインタビューでは、キーマンふたりの視点から「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」というジンについての想いを語って頂きました。

光り輝く「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」。紆余曲折を経てキーマンふたりを中心についに2021年5月末に完成。

壱岐のそこかしこに広がる絶景に、すっとなじむブルーボトルのクラフトジン。

壱岐のモンサンミッシェルとも呼ばれる小島神社。美しい風景が日常に溶け込んでいるのが壱岐という島だ。 

壱岐ジンプロジェクト壱岐を代表する焼酎蔵が目指した、新たなチャレンジとは?

まずは『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏が次のように話します。
「プロジェクトの構想自体は、実はジンありきでスタートというわけではなかったんです。こんな大変な時代だからこそ、何か面白いことをやりたいという想いから始まり、方針がなかなか定まらず4~5ヵ月が経過。そうこうしていたところに、若きホテルマンの貴島さんがジンを提案してくれたんです。初めは焼酎蔵に『ジンを造ってみませんか?』と大まじめに語る彼をどうかしていると思ったほどです。でも、熱心な彼の想いに耳を傾けると、壱岐愛がビンビンと伝わってきた。そうして僕も覚悟を決めたんです(笑)。それからは試行錯誤の連続。なんせお酒はお酒でもジャンルが全く違いますから。まずはスピリッツ免許を取らないとでした。それでも貴島さんとユズにイチゴ、ニホンミツバチ、アスパラガス、各種柑橘、モリンガなどなど、20以上の生産者を回るうちに、色々と協力者も増えてきて、少しずつ形になっていくのが楽しかった。2020年の3月からプロジェクトが始まり、約1年3~4ヵ月でようやく形になったわけです。『壱岐の蔵酒造』としても新たな事業であり、僕自身も年甲斐もなくワクワクしていたんだと思います」。
若者の焼酎離れを危惧していた矢先、新型コロナウイルス感染症の蔓延により、壱岐発祥の麦焼酎は大打撃を受けます。そんな中、起死回生のチャレンジとして、石橋氏はジンという新たな手法で挑戦を始めたのですが、ご本人曰く楽しかったと、感想は実にシンプル。自らが愛する焼酎に食材を漬け込み、香りを移すために蒸溜するジンの製法にも可能性を見出したといいます。
「ベースの焼酎から、いくらでも違った味わいを生み出せるのが面白い。壱岐のボタニカルでまだまだやれる可能性を感じましたね」と石橋氏は続けます。
クラウドファンディングで支援を求めると、目標の100万円をたやすく達成し、更に倍額の200万円も達成。クラフトジンの需要が会社の一事業として見えてきたといいます。
「初回ロットは1,000本のみ。どのくらい出るかが未知数で不安で小規模でやってみたんですが、予想以上に出た。嬉しい悲鳴ですが、もう少し造れば良かったなぁ」と石橋氏。
すでにトライアルで生産された1,000本の行き先はほとんどが決まったそうで、次の生産計画も立てやすいとのこと。
そんな1年に及ぶジン造りを振り返る石橋氏の目は、少年のように輝いて見えました。更に石橋氏の頭の中は、すでに次の蒸溜のことでいっぱいのようにも。来期の仕込みではいったいどんな生産者のボタニカルを使うのでしょうか。この経験を生かしたいという想いが言葉からも溢れていました。

『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏。焼酎蔵の代表自らがジン造りを牽引。

自社の麦焼酎に様々な果実や野菜、ボタニカルを漬け込み、壱岐らしさを探ってきた。

『壱岐リトリート 海里村上』の貴島氏とともに、様々な生産者のもとを訪れ、廃棄される運命にあったボタニカルを再利用したいと訴え続けてきた。

壱岐ジンプロジェクト純粋に壱岐が素晴らしいから、ジンにその想いを詰め込んだ若きホテルマンの挑戦。

「売れ残ってしまったらどうしようというのが、正直な気持ちでした。とにかく、しっかりと売れてくれてひと安心です。クラウドファンディングの支援者などからも『壱岐にこんなのあったんだね』や『とても楽しみです』など、感慨深いとコメントももらえて、チャレンジして本当に良かったです」と、ジン造りの発案者・貴島氏。
20代の貴島氏を中心としてスタートしたプロジェクトですが、『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏や、『壱岐リトリート 海里村上』の総支配人であり料理長の大田誠一氏など、貴島氏と議論を重ねたのは、年齢を重ねた人生の大先輩ばかり。気後れせずにいかに自分の想いを表現できたのかが気になります。
「とにかく僕にとって壱岐は新鮮だった。僕の感じた壱岐の魅力を詰め込もうと、素直に発言しただけなんです。壱岐の人にとっては、それが都会の感覚と感じてもらえたようなんですが、今壱岐にある美しい風景や美味しい食材は、本当にかけがえのないもの。僕にしたら、皆さんの普通はとてつもなく贅沢だと伝えたかったんです」と貴島氏は話します。
そんな一途な想いこそがこのプロジェクトの骨子。真っ青に輝く「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」は、まさに壱岐の魅力そのものなのかもしれません。
「お勧めは、お湯割りです! ジンなのにお湯割りが美味しかった! 焼酎文化の島らしさで香りが立つのが特徴です。ジンはもちろん、焼酎以外のお酒ではなかなかこうはいかないのかも。それもこのジンが持つ壱岐らしさです」と貴島氏。
更に、貴島氏はこのまま終わらせたくないともいいます。第2弾、第3弾と、バリエーションを加えてやっていけたらと話してくれました。
「ハチミツが、最初はここまで香りがするとは思わなかった。とても貴重なニホンミツバチのハチミツなので、そこまで量を使えなかったのが悔しい。もうワンランク上のプレミアムジンを造れば、思う存分使えるかも」。そんな発想も貴島氏ならではのものなのかもしれません。

壱岐という小さな島で巻き起こった、クラフトジンプロジェクトは、一旦、最初の挑戦を終えました。

麦焼酎発祥の島だからこそ、なし得たジン。
海風が吹き抜ける島でなくては造れなかったジン。
柑橘の島だからこそ生み出せる香りを持つジン。
コバルトブルーに輝く海があったからこそ出来上がったジン。
「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」には、そんな壱岐の魅力が溢れています。初回ロットは1,000本。そのうち最後に残された約200本が2021年8月10日(火)より一般発売されます。壱岐を感じてほしい、そんな挑戦者たちのクラフトジンは、様々な壱岐の方々の顔が浮かぶジンとなりました。
壱岐を訪れたことのない人ならば、美しい海と豊かな食材の香りに思いを馳せ、壱岐を訪れたことのある人ならば、再訪したような錯覚を感じるやもしれません。それほど、このクラフトジンは壱岐なのです。壱岐を感じてみたい、旅気分を味わってみたいという方に、『ONESTORY』は「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」を強くお勧めしたいと思います。

『壱岐リトリート 海里村上』のホテルマン・貴島健太郎氏。壱岐の様々な生産者と会話を繰り返し、想いを伝えてきた。

持ち前のチャレンジ精神で、様々な食材を自ら試食。食べごろ前の柑橘など、まだ苦味しかない状態でも味わってみたいと貴島氏。

完成したクラフトジンのボトルを手に持つ貴島氏。いよいよ最後の200本が2021年8月10日(火)に一般発売される。 

住所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520 MAP
電話:0120-595-373
http://ikinokura.co.jp/

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2 MAP
電話:0920−43−0770
https://www.kairi-iki.com/

暮らすように滞在する。京都・東山から提案するホテルの新たなスタイル。[東山 四季花木/京都市東山区]

東山に誕生した『東山 四季花木』。伝統美を表現しつつ、余計な装飾を削ぎ落とした引き算の美学が光る。

東山 四季花木建築家とインテリアデザイナーの夫婦が手掛けたラグジュアリーホテル。

荘厳な寺社の数々、行灯が照らす古都の町並み、ゆったりとした鴨川の流れ。一般的にイメージされる“京都らしさ”の多くが詰まった京都市東山区。そんな東山区の中心部、東西線東山駅のほど近くに2019年秋、一軒のラグジュアリーホテル『東山 四季花木』が誕生しました。

客室は、わずか8室。宿泊施設の建設ラッシュが続く京都にあって、ともすると見落としてしまいそうな小さなホテルです。しかし足を踏み入れるとそこは、訪れる人のことを考え抜いた数々のホスピタリティに満ちた、唯一無二の存在でした。

ホテルを手掛けたのは、建築家の夫とインテリアデザイナーの妻のご夫妻。二人の言葉を通して、ホテル誕生の物語と、館内の随所に仕掛けられた穏やかに過ごすための工夫を紐解いてみましょう。

1階のアプローチ。正面奥には『唐長』十一代目・千田堅吉の作品が出迎える。

東山 四季花木京都人夫妻が考えた「二人で行くなら、こんなホテル」

石畳の敷かれた三条通り沿いの、五階建ての建物。
どっしりと重厚な石の質感と大きなガラスが醸す怜悧さに、門口の坪庭や親子格子が添える温かみ。複数の建材がバランス良く融合し「街に溶け込んでいるのになぜか目を引く」という不思議な現象を引き起こします。あえて言葉にするならば“和モダン”ですが、それだけでは伝えきれない存在感です。

それもそのはず、設計を担当したオーナー・川上隆文さんは、これまでに数々のホテル、住宅、公共施設などを設計してきた人物。そんな川上さんがとくに意識してきたのは、住まい手、使い手のことです。土地の価値を最大限に活かす建物を設計すると同時に、「たとえば飲食店なら客席が何席で何回転するのか」という、いわば設計士の担当範囲外のことまで考え続けてきたといいます。

そして依頼としての設計を手掛けながら、「自分で作るならこうしたい」という思いを温めてきたのです。言うなれば、“構想数十年”。無駄のない美しさは、建築家としてのキャリアの集大成であり、夢の結晶なのかもしれません。

インテリアデザイナーである妻・北山ますみさんも、理想のベクトルは同じ。仕事として照明、クロス、調度品などを配置するにとどまらず、「実際に利用する人がどう感じるか」という部分まで想像しながらインテリアデザインを手掛けてきました。

「経営のことまで考える建築家は聞いたことがない」と北山さんが言えば、川上さんも「女性目線がありながら、業界の慣例に収まらない芯の強さもあります」と北山さんを評価。そんな互いにリスペクトを抱く二人が「二人で行くなら、こんなホテルが良い」と導き出した答えこそが、この『東山 四季花木』なのです。

北山ますみさん(左)と川上隆文さん(右)のオーナー夫妻。旅好きな二人の思いが、ホテルの随所に込められる。

「旅館のホスピタリティとホテルの快適性の良いとこ取り」を目指したという。

ルーフトップテラスからは京都市内の夜景なども一望。部屋を離れて思い思いに過ごすことができる。

東山 四季花木ゲストの目線で徹底的に考え抜かれたホスピタリティ。

構想を温め続けた二人ですが、実は開業を決めてこの物件を探したわけではありませんでした。単に投機的な目線だけでみれば、これまでに何度も良い物件もありました。しかし二人の心は動きません。それは京都人として、自分たちの大好きな京都をどう表現できるのか、というアーティストの目線での妥協ができなかったのでしょう。

しかしあるとき、縁のあった不動産関係者に、知り合って3日目にこの場所を紹介されます。場所を見た瞬間、二人の心は決まりました。祇園、平安神宮、南禅寺などが徒歩圏内でありながら、市街地の喧騒からは離れた立地。目の前は歩道があり、電柱も地中。東山の緑を望む眺望。「ここでならやりたかったことが表現できる」それがこの土地に決めた理由。
事業として必要に迫られてはじめたホテルではないため、経営においても売上や効率以上に大切にする点があります。
それは、ゲストの満足度。訪れた人が満足し、また来たいと思えることを、ホテルの最高優先度に据えたのです。

ホテルの設えやホスピタリティの方向性は、そんな思いを起点に考えられました。おいしい料理屋と素晴らしい寺社がある京都で、ホテルにまでパワーのある空間に身を置くことが必要か。見どころの多い京都ではホテルの滞在時間が短くなる。それなら広めの客室でゆったりくつろげる時間を提供しよう。夫婦で旅行していたら一人になる時間も必要。ならば露天風呂や屋上テラスを設えよう。夕食は日本料理を食べる方が多いから、朝食は胃に軽く京野菜中心の洋食が良いのではないか……。じっくりと考え抜かれるホテルの方針。

それは京都旅行というストーリーの中でホテルが主役になるのではなく、たとえば親戚の家を訪れたような穏やかな安心感を提供すること。
「外から眺めたパッケージとしての京都ではなく、京都に暮らすようにゆるやかに滞在してもらいたい」そんな思いが、ホテルの中に詰まっているのです。

ウェルカムティーは日本最古の茶園『丸利 吉田銘茶園』の煎茶を季節の和菓子とともに。

チェックイン、チェックアウト、滞在中のくつろぎスポットとして利用できる『茶論』は館内2階。

朝食は京野菜を中心に、はなかごパンや自家製スロージュースとともにヘルシーな内容。名店で料理長も務めた坂辻亮シェフのオリジナル。

東山 四季花木京都らしく、しかし主張し過ぎず。中庸こそがホテルの美学。

ガラスの扉を抜けて内部へ。1階は重厚な石造りのエントランスには、寛永元年創業『唐長』の唐紙やタイルが出迎えます。
チェックインは2階の「茶論(サロン)」へ。土壁や網代天井を施した畳敷きの空間は、滞在中のくつろぎ空間としても利用できます。

客室はすべて26㎡〜54㎡のラグジュアリースタイル。京都らしさ、おだやかなくつろぎを感じさせつつ、決して押し付けにならないインテリアは、北山さんの本領発揮。アメニティや茶器にまで行き届くこだわりも、くつろぎの時間を演出します。開放的で心地よい露天風呂と、360度の眺望が自慢のルーフトップテラス。チェックアウトを12時に設定しているのも、滞在をゆったりと楽しんでもらうための心配りです。

京都の魅力を伝える一貫として、おだやかな時間を提供するホテル。
「丁度良い、といわれるのが何よりうれしい」と北山さんは話しました。「京都は宝石箱のような街。食べ物、工芸、職人の技。京都にはまだまだ知られていない魅力が山ほどあります。そんな京都の魅力を体感してもらうために、ホテルとして“丁度良い”空間と時間を提供したい」

旅において、宿泊施設に望むものは人それぞれ。しかしこの『東山 四季花木』のように出すぎず、引きすぎず、おだやかで、かつ存在感のあるホテルは、これからの京都旅行の新たな過ごし方を提案してくれます。

客室「庭玉」はプライベート庭園付き。部屋からは比叡山や平安神宮の鳥居なども望む。

美術品や盆栽などオーナー夫妻のこだわりが光る客室「遠州」。檜風呂のバスルームも完備。

ルーフトップから望む東山。屋上からは大文字の送り火も煙が届くほどの至近距離で眺められる。

住所:京都市東山区三条通白川橋西入ル今小路町85-1 MAP
料金:1泊朝食付き(1室あたり)60,000円~(税・サ込)
アクセス:地下鉄東西線東山駅より徒歩1分
https://www.shikikaboku.jp/

“メイド・イン・ジャパン”の追求と回帰。「美味しい」の先に踏み込んだ鮨と日本酒のペアリング。

1806年(文化3年)創業の『仙禽』11代目蔵元・薄井一樹氏(右)、『鮨えんどう』店主の遠藤記史氏(左)。 

恵比寿 えんどう × 仙禽日本固有の食材、伝統製法にもう一度光をあてる。 

海洋資源をはじめとした自然環境の維持に努め、新型コロナウイルス感染症の影響を受けつつも、鮨と日本酒のペアリングで食文化の発展に貢献してきた『恵比寿 えんどう』の店主・遠藤記史氏。革新的な酒造りで知られる『新政』に続き、今回ペアリングを試みたのが、栃木の銘酒『仙禽』です。 
 
「『仙禽』はこれまで何度も蔵見学をしていて、蔵元の薄井一樹さんも来店いただいています。今回のペアリングは、鮨と日本酒の相性がいいことは大前提。そこからさらに思想や表現方法、合わせ方の視点にまで踏み込んで見ました」と語る、遠藤氏。 
 
ペアリングにあたり、遠藤氏がコンセプトに掲げたのは「メイド・イン・ジャパン」。国内はもとより海外でも人気の高く、日本の食文化の中で最も「メイド・イン・ジャパン」を標榜しているとも言える鮨ですが、今あえてテーマとした意図はどこにあるのか。 
 
「イギリスに6年間留学していた経験があるのですが、現地で感じたのは英語が話せることが国際人としての必要条件ではなく、あくまで十分条件ということ。むしろ日本語や日本の文化を理解しているかどうかが、国際人としての必要条件だと感じました。今、食の世界はボーダーレスで、日本料理でもトリュフやキャビアを使い、和食にワインを合わせることも一般的。フレンチでも昆布出汁を使うし、三ツ星のレストランで日本酒が当たり前に振舞われる。より自由になった一方で、文化が必要以上に混ざりすぎると個性や特徴が失われる。7色ある色も全て混ぜれば黒になるのと一緒です。トリュフやキャビアもそれはそれで美味しいけれど、鮨に握るとどうしても陳腐になってしまいます。日本料理らしいことが個性であり特徴なのであって、これからの国際社会では際立ってくる。つまり、大切なのは“メイド・イン・ジャパン”であること。そこを表現するには、その土地に存在する固有の個性=テロワール(土地)が大事になってきます。そのテロワールに最もこだわっている蔵元が『仙禽』です。僕自身、日本固有の素材にこだわっていきたいし、どのように表現していくか、それが今回ペアリングをやる意義でもあります」。 
 
遠藤氏が考えるペアリングの意義を受け止めるのが、『仙禽』11代目蔵元の薄井一樹氏。遠藤氏が追求する「メイド・イン・ジャパン」を誰よりも理解を示し、自ら実践してきた唯一無二の酒造りについて語ります。 
 
「『仙禽』では、この土地でなければ生まれない“ドメーヌ”、昔ながらの農業に原点回帰する“ルーツ・オーガニック”、木桶仕込み、生酛酒母、古代米(亀ノ尾)使用、米を磨かない精米機も酒造好適米も存在しなかった頃の超古代製法を再現する“ナチュール”を3本の柱に酒造りをしています。“ドメーヌ”も“オーガニック”も“ナチュール”も昔は当たり前のことだったのに、モノを大量生産・大量消費することが世界の常識となり、便利さを追求していく時代の中で失われてしまった。酒造りは便利に走れば走るほど機械工業になり、酒自体も有機質なもの無機質なものになっていきます。日本酒だけでなく、味噌や醤油、器だってそう。失われてしまった伝統文化や製法が多い中で、僕らは日本の優れた技術を継承し、後世の人たちに残していかなければなりません」と、その使命感を薄井氏は語ります。 
 
「古ければ良いという訳ではありません。残すべき製法は守りつつ、味はモダンでなければ。自分の土地で収穫された農作物を加工して、製品にすることをフランスでは“ドメーヌ”と言いますが、一次産業と二次産業の架け橋も担っています。本来はそれが自然なことなのに、流通が発達したからといって、地元と縁もゆかりもない風土の違うものを買って酒造りしたのでは意味がありません。その土地のテロワールが感じられる原料を使って加工すれば、自ずと相性はいいもの。“オーガニック”も同様です。近代農業は化学肥料により、土壌が地球規模で汚染されています。本当にいいものは贅沢品でも何でもなく、素朴で野性味があるもの。とりわけ日本酒では顕著に現れます。“ドメーヌ”も“オーガニック”も“ナチュール”も、時間の針を昔に戻しているだけ。ただの回帰主義でなく、物理的に失われた大事なものを取り戻すための手法なのです」と言葉を続けます。 

水産資源の減少に危機意識を高めるシェフ約30名が加盟する『シェフス・フォー・ザ・ブルー』のメンバーとして活動する遠藤氏(左)。高い酸と濃醇な甘みの「甘酸っぱい」酒で日本酒業界に新風を吹き込んだ薄井氏(右)。 

恵比寿 えんどう × 仙禽東京の鮨が抱える矛盾。鮮度というハードルを超えて。 

ペアリングのテーマ「メイド・イン・ジャパン」を表現するための考え方のひとつ「オーガニック」を象徴するのが、「朝締めの鯛」です。この日届いたのは、愛媛産の鯛で、店に届く数時間前に締めたもの。遠藤氏は「日本一」と称賛します。 
 
この鯛を扱うにあたり、様々な産地を頻繁に訪れ、魚が育つ環境を肌で感じてきた遠藤氏だからこそ抱いた「矛盾がある」と言います。 
 
「今年は例年になく真イワシが多い年だったのですが、“鰯”は読んで字のごとく弱りやすい魚で何より鮮度が大事。漁船の上で食べる機会があったのですが、驚くほど旨かった。でも、この旨さはどうやっても東京では表現できません。産地での味を100点とすると、東京は80点。産地と張り合えるのは、せいぜいマグロくらいでしょう。東京でしかできない表現を考えた時、鮨には熟成というアプローチもあります。ですが、旨味の数値は上がったとしても、食感や香りはブラインドで食べたら何の魚かわからない。熟成するとどれも似たような食感になり、香りはどうしても損なわれます。産地や個体ごとの香りや風味、食感は、鮮度の良い魚の方が圧倒的に表現できる。熟成と鮮度についてはどちらが美味い不味いという話ではなく、ここから先は哲学の問題。ただ僕は新鮮な魚に魅力を感じていて、鮮度を表現するためにもなるべく素材をいじりすぎず、化粧しないよう本来の持ち味をそのままに生かし、単一素材にフォーカスした鮨を追求しています」。 
 
遠藤氏の意図を受け、薄井氏が合わせた日本酒は「朝搾り」。市販されていないため、この日この時にしか味わうことの出来ない希少な酒です。 
「おめでたいイベントですから、当日に上層(醪を搾って液体の酒と酒粕に分ける工程)した日本酒です。鮮度がかなり高いのでガス感もあり、角が立っているけれど若々しさがある。遠藤くんの鯛も朝締めということなので、鮮度と鮮度を掛け算するイメージ。口の中で魚と日本酒のフレッシュ感を合わせることにより、ペアリングのトーンが揃います」と、薄井氏は語ります。 

朝締めしたその日に届いた愛媛産の鯛に、朝搾りのフレッシュな日本酒を合わせて。 

鯛は成長に伴いメスからオスに性転換し、「一部は成長してもメスのままの個体がいる」と遠藤氏。この日はオスを選んだが、捌いたところメスだったそう。オスの力強さとメスの脂が乗った柔らかな身質のどちらも持ち合わせている。 

恵比寿 えんどう × 仙禽ペアリングで捧げる日本の伝統製法と国産原料へのオマージュ。 

ペアリングのもうひとつの考え方「ドメーヌ」を象徴するのが、「富山産ホタルイカ」です。ホタルイカ自体、日本の固有の品種でまさに「メイド・イン・ジャパン」と言える食材ですが、遠藤氏が着目したのは「もろみ」。 
 
このコロナ禍で輸出入を含む流通が一時ストップし、原料である小麦や大豆の生産を海外に依存してきたことに遠藤氏は危機感を感じたといいます。 
 
「“メイド・イン・ジャパン”にこだわった時に一番難しいと感じたのが、醤油と味噌です。日本の伝統的な食文化であり、日本料理には欠かせない核でありながら、原料の多くは海外に依存していて国産でない。それではどうやってもテロワールは表現できません。今回は現地でボイルしたホタルイカに和えたのは、鹿児島県長島町にある石元淳平醸造の『cocoromiso』。醸造所から100km圏内で収穫された国産大豆と『仙禽』のように蔵付き麹を使用しており、江戸時代と同じ作りでテロワールも表現されています。付加価値をつける意味でも、自国の食文化にはしっかりと向き合っていきたい」と、遠藤氏は表情を引き締めます。 
 
このホタルイカに合わせたのは、「クラシック仙禽 雄町」。生酛と呼ばれる伝統的な製法で作られていると、薄井さんは語ります。 
 
「明治以降に登場した簡略的な酒造りとは違い、昔から受け継がれてきた“メイド・イン・ジャパン”を象徴する職人技が凝縮しています。醤油の原料も今や日本産が珍しい時代。大量生産・大量消費の時代の流れで忘れ去れている技法がある中、昔ながらの日本の食材・技術を大事にした掛け合わせです」。 

富山産ホタルイカ×「クラシック仙禽 雄町」。日本固有種のホタルイカに伝統的な手法で醸された日本酒を合わせて。大豆と小麦の穀物感を残したもろみは、「クラシック仙禽 雄町に丁度良い」と、薄井氏。

国産の大豆と小麦を使用したもろみを使用。ホタルイカは叩いて肝ともろみ和えることでいい出汁が出るとのこと。 

恵比寿 えんどう × 仙禽自然の豊かさを実感。生命力×生命力のペアリング。 

ペアリングの考え方の3つ目が「ナチュール」。ここで遠藤氏が選んだのが、「オーガニック ウナギ」です。これまで鮨ダネでアンタッチャブルな食材だったといいますが、あえてチャレンジしたい食材でもあると遠藤氏。今まで扱ってこなかった理由には、「文化的背景もあります」と話します。 
 
「理由はたくさんあるのですが、まず鮨自体が発酵食品であり屋台のファーストフードだったことが大きいと思います。うなぎは当時から高級料理で、焼くための炭どころが必要でした。パッと食べてサッと帰る鮨では、そこまで設備も出来ないしコストもかけられない。江戸前寿司の文化に浸透してこなかった歴史が長いのはそのためです。現代の鮨はファーストフードではなく、きちんとした設備もあり、価格の問題もない。時代背景が変わってきた中で、ネタとして取り込んでもいいと僕は考えています」。 
 
一時期は稚魚が減少し、漁獲量の低下が懸念されたウナギ。遠藤氏は、鹿児島大隅半島の養鰻家・横山柱一氏が育てた「横山さんの鰻」にこだわりがあります。 
 
「自然豊かな環境で、飼育期間で抗生物質を使用せず、良質の自然の餌でストレスなく育てています。このウナギに合わせる日本酒は、おりがらみの日本酒『雪だるま』。僕にとってもチャレンジングな試みでした」と遠藤氏。 
 
オーガニック・ウナギに寄り添う日本酒は、「造り方も自然に寄り添った“江戸スタイル”」だと、薄井氏。ペアリングの考え方にも説得力があり、改めて意義を伺い知ることができます。 
 
「原料の米はオーガニックの亀ノ尾。ほとんど磨いていません。雑味が多く、パンチが効いているとイメージされがちですが、原料の米自体にエネルギーがあるので、自然な造りをすると体液みたいにナチュラルに体に入って来る。味わいも野性味がありつつ繊細です。今回の“横山さんの鰻”も生命力がある。野性味に溢れた生命力溢れる日本酒とウナギを掛け算したペアリングです」と薄井氏は話します。 

「横山さんの鰻」×「仙禽オーガニック ナチュール2020」。生命力溢れるウナギと生命力溢れる日本酒の掛け合わせ。サクサク、トロッとしたテクスチャーのマリアージュも楽しめる。 

「この手法でないと表現できない」と、炭火で焼き上げる。原始的な調理法もまた遠藤氏の揺るぎないポリシー。 

恵比寿 えんどう × 仙禽親交を深めることで無理のない掛け算が成立する、唯一無二のペアリング。 

本来であれば昨年実施されるはずだったペアリング。新型コロナウイルス感染症の影響で今年に延期になったことが、むしろ良い効果を生み出しました。 
 
「去年の時点で僕の中でこうしたいというイメージがあって、延期によってブラッシュアップできました。日本酒では嫌われていた酸をポジティブに取り入れて、シグネチャーとして打ち出したのは『仙禽』が最初。酸があると料理との相性がいいし、日本酒単体での味のバランスもいい。温故知新の発想や伝統をアップデートしている酒造りはインスパイアされました」と遠藤氏。 
 
日頃から親交があり、「ペアリングのためのペアリングではない」と断言する遠藤氏。薄井氏も「家庭料理のペアリングであれば、僕ひとりで考えれば十分。ですが、プロとプロがやる場合はそうはいきません。栃木の蔵と恵比寿の店を毎月のように行き来しているので、いいところも悪いところも知っている。そうでもないと本当の意味でのペアリングは生まれません。ただ、そうしたことを抜きにしてもペアリングしやすい料理と日本酒ではあります」と話します。 

薄井氏が「肉として捉える」というスッポンの照り焼き×熟成した酸とアミノ酸の数値が高い「仙禽オーガニック ナチュール2020」が支える。福島産のキュウリ塩麹×『仙禽』の中でもアルコール度が低く、重心が軽い日本酒「線香花火」。ひとつ前に出されるうなぎの脂を断ち切る。うなキュウをイメージ。

ウナギ×「ユナイテッドアローズ 雪だるま」。オーセンティックな哲学をベースにするユナイテッドアローズとコラボが実現した銘柄。 

「これは鉄板」と二人が声を揃えるあん肝×「ナチュール貴醸酒」、カラスミ×爽やかな酸味のナチュールや熟成された豊かな甘みの貴醸酒をアッサンブラージュした「初代ユナイテッドアローズ」。 

味がぼやけないよう皮目を炙り、食感のコントラストと旨味が立ったメジマグロ×焦げた風味と旨味を受け止める「仙禽 愛山10年熟成」。アミノ酸の数値が高い金目鯛昆布締め×「モダン仙禽 無垢」。 

丁寧に包丁を入れた脂ののりがいい中トロ×ドメーヌ・さくら山田錦を35%まで磨き上げ、甘味とクリアな酸味を備えた「仙禽 一聲2021」のペアリングは、甘味と甘味の掛け算。

血の風味があり食感もコリコリとした赤貝×テクスチャーの相性がいい「全麹仕込み バーボン樽」、大トロ×高いアルコール度数で大トロの脂を支える「仙禽ナチュール2020(お燗)」。 

酢で締めすぎない、青身の小魚らしさが特徴の小肌×おりが絡んだフレッシュ感のある味わいの「さくら」、イカらしいサクサク感のある朝締めのアオリイカ×亀ノ尾、山田錦、雄町をアッサンブラージュした「Hope! 希望」を冷で。 

肉と似た重心のあるクジラ×「温度が低いと支えられず、お燗ではネガティブな部分が顔を出す」と常温で提供する「仙禽ナチュール2021」。 

温かい状態で握りにする鹿児島県甑島の車海老×古代米「亀ノ尾」の個性が発揮された「クラシック仙禽 亀ノ尾」をお燗で。ネタの中でもっとも油が乗っているというノドグロ×山田錦、亀ノ尾、雄町の3品種の酒を黄金比でブレンド=アッサアンブラージュした「醸」の甘さが引き立て合う。 

磯の風味が際立つホタテの磯辺焼き×「赤とんぼ」、淡白な旨味のあるサヨリ×酸度が高く、上品な貴醸酒の甘みがある「七夕物語」。 

トリ貝×「仙禽ナチュール2021」食感が柔らかく甘味が強い、これからが旬のトリ貝。ミネラル燗のある手巻きのトロたく×ひやおろし「赤とんぼ」。 

恵比寿 えんどう × 仙禽人間同士のペアリングが可能性を生む。矛盾を抱えてもなお模索する「東京でしか表現できない鮨」。 

今回のペアリングを通して、ふたりが表現したかった「メイド・イン・ジャパン」。鮨と日本酒を掛け算することで、今後も見据えるテーマがより明確になりました。 
 
「遠藤さんは元々ペアリングに長けている鮨職人です。“線香花火”や“赤とんぼ”のように普通なら敬遠されがちな古いヴィンテージも平気でペアリングに呼び込んで、当ててくる。本当に勉強になります。今回のペアリングは、ふたりして蔵で厳密にテイスティングしながら決めました。僕ひとりでは絶対に完成できなかった。料理を作る人、酒を造る人が人間同士もペアリングして初めていいものが生まれるもの。そこを外すと、ボーダー柄にチェックのズボンを履くようなもの。かみ合わなくなりますからね」と薄井氏。 
 
ペアリングというアプローチで様々な視点を通し、食文化の発展と課題と向き合う遠藤氏もまた、今後に向けてさらなる意欲を燃やします。 
 
「『仙禽』とはペアリングに対する考えも方向性も共通しています。あえて寄せる必要はなく、あるがままでいい。現在の東京のフードシーンはデジタルな情報発信が主流ですが、デジタルやオンラインでは表現に限界があるとも感じています。やはり今回のペアリングのように体感してみないしないことには、本当の価値はわかりません。東京にはモノもヒトも情報も集まるけれど、東京でしか食べられない鮨を追求しづらくもある。食文化の分岐点にある今、そうした矛盾を捉える段階まできた。引き続き、模索していきたいです」。 

住所:東京都渋谷区恵比寿南1-17-2 Rホール4F MAP
電話:03-6303-1152

住所:栃木県さくら市馬場106 MAP
電話:028-681-0011
http://senkin.co.jp​​​​​​​


Photographs:JIRO OHTANI
Text:MAMIKO KUME

芸能界屈指のラーメン通・田中貴氏が見る、ロングセラー袋麺「サッポロ一番」のさらなる可能性。[サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen/東京都港区]

田中貴氏とマッキー牧元氏。音楽を通して出会った旧知のふたりが、「サッポロ一番」を挟んで語り合う。

サッポロ一番劇場『虎ノ門横丁』に誕生した「サッポロ一番」の期間限定レストラン。

虎ノ門ヒルズ内のシックな空間に、26の人気店が集う『虎ノ門横丁』。その一角に、ひときわ個性を放つポップアップレストランが誕生しました。暖簾に描かれるのは「サッポロ一番」のロゴ。そう、発売以来半世紀以上、袋麺のトップブランドとして君臨し続けるあの「サッポロ一番」です。この『サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen』は、「サッポロ一番」に、文字通り“ひとてま”加えたオリジナルメニューが味わえる店なのです。

発売元のサンヨー食品は「サッポロ一番」にひと手間、ひと工夫を加えることで、さらに美味しく、栄養バランスもアップするアレンジレシピを提案してきました。ここでは、そのアレンジレシピの味を再現するだけでなく、さらにタベアルキスト・マッキー牧元氏を監修に迎え、その味をブラッシュアップして、ここでしか味わえない逸品として提供されます。牧元氏といえば、『超一流のサッポロ一番の作り方』(2018年/ぴあ株式会社刊)などの著作がある、大の「サッポロ一番」フリーク。さらに、2020年10月に同所で開催された『サッポロ一番劇場』もプロデュース。中華とイタリアンの名シェフに「サッポロ一番」をカスタムしてもらい、コース仕立てでアレンジメニューを提供しました。今回も、そんなおなじみの「サッポロ一番」が牧元氏の手でどのように生まれ変わるのか、各所で話題を集めています。

さて、今宵はそんな『サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen』に、ひとりのお客様がやってきました。穏やかな笑みを浮かべつつ、カウンター内の調理を鋭い目で見つめるその顔は、いまや芸能界一のラーメン通として知られるサニーデイ・サービスのベーシスト田中貴氏です。自身を「評論家ではなく、ただのラーメン好き」という田中氏に、はたして牧元氏がアレンジした「サッポロ一番」は、どのように響くのでしょうか?

『虎ノ門横丁』の一角に誕生した期間限定のレストラン。オープンで入りやすい雰囲気が魅力。

調理法、アレンジ、盛り付けなどで、最高の状態の一杯を提供。「サッポロ一番」の未知なる可能性を伝える。

「サッポロ一番」公式サイトなどで提案するアレンジレシピを、マッキー牧元氏がさらにアレンジ。今だけ、ここだけのメニューが登場する。

サッポロ一番劇場冷やすことでキリッと締まった麺が、田中氏を唸らせる。

『サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen』は2021年7月1日(木)〜7月18日(日)までの期間限定オープン。メニューは7月9日までの前半が「レモンの冷やし塩らーめん」「冷麺風冷やしごま味ラーメン」「じゃがいものみそまぜそば」の3品、後半7月10日〜7月18日が「冷やし台湾風みそラーメン」「かぼすの冷やししょうゆ味」「豚キムチの旨辛みそラーメン」というラインナップです(メニューはいずれも700円)。

田中氏は着席すると、さっそく前半メニューの3品をオーダー。牧元氏はキッチンで田中氏を迎えます。
実はふたりは牧元氏の前職であるビクターエンタテインメント時代からの旧知の仲。田中氏にとって牧元氏は「大先輩です」という間柄ですが、ことラーメンに関しては話が別。妥協を許さぬ意見が期待されます。

届いた料理を、真剣な面持ちで味わう田中氏。傍らではその姿を牧元氏が見つめます。しばしの沈黙の後、田中氏から飛び出したのは「美味しいですね」の一言でした。そして田中氏が最初に着目したのは、麺について。

「味によって麺が違うんですね」

「そう、そこがサッポロ一番のすごいところ。味噌ならリングイネのような楕円形の麺、塩なら喉越しの良い丸麺といった具合に、味によって麺を使い分けているんです」

「それぞれ味の絡みも良いし、冷やして締めているから食感も良い。生麺に近づけるという発想ではなく、乾麺ならではの良さを引き出していると思います」

カウンターを挟んで交わされる会話。音楽を通して出会ったふたりが、食というフィールドで語り合う。しかしそれは、妥協を許さず、ひとつの事象を掘り下げるアーティストの姿そのものでした。

いつもにこやかな田中氏も、ラーメンを前にすると真剣。忌憚のない意見が飛び出す。

7月9日までの限定メニューのひとつ「レモンの冷やし塩らーめん」。「サッポロ一番塩らーめん」をベースに、さっぱりとした味わいに仕上がっている。

「ホクホクじゃがいものみそまぜそば」は、「サッポロ一番みそラーメン」がベース。キタアカリの甘みやバターとチーズのコクがアクセント。

サッポロ一番劇場多彩なアレンジで、おなじみの「サッポロ一番」が驚きの味に。

その後も、田中氏の核心を突くコメントが次々に飛び出します。
「じゃがいものみそまぜそばは、鶏挽き肉が合いますね。ちょうど良く旨みが足されています」と田中氏がいえば、「豚だと脂が出すぎてしまうから、あえて鶏を選びました」と牧元氏。
さらに、「ラーメンにじゃがいもを合わせるというのも珍しい。崩して混ぜると甘みが足されて味が変わってきますね」とのコメントには、「トッピングで味変しながら楽しむ、エンターテイメントとしてのメニューですね」と牧元氏。
この軽快なやり取りもラーメン通である田中氏の経験値の豊富さと、牧元氏との関係性があってのこと。

さらに、田中氏が「一方で、レモンの冷やし塩らーめんは、サラダチキン、水菜、糸唐辛子など、主張の強すぎないトッピングで、非常にわかりやすい美味しさですね」というと、牧元氏は「こちらは味変ではなく、食べ進めながら食感に変化をつけて楽しむイメージです」と勘所をついたコメントと答えが返ってきます。

まさに、ラーメン通の田中氏の知識と経験は、「サッポロ一番」相手にも遺憾なく発揮された様子でした。

帰り際には「サッポロ一番の見方が変わりました」と感慨深げに語った田中氏。
「家でも袋麺を食べるときは必ず何らかのアレンジをしていましたが、冷やすという発想はありませんでした。生麺とは別ジャンルの乾麺の可能性をあらためて感じるメニューでしたね」と、感想を伝えてくれました。

アレンジの監修を務めたマッキー牧元氏。自身の経験とサッポロ一番への愛を、メニュー開発に込めた。

キムチやキュウリを添えて冷麺風にアレンジした「冷麺風冷やしごま味ラーメン」。

3種のアレンジメニューを味わい「サッポロ一番の印象が変わった」という田中氏。「自宅でもアレンジに挑戦したい」と語ってくれた。

1955年生まれ。立ち食いそばから割烹、フレンチからエスニック、スィーツから居酒屋まで、日々飲み食べ歩く(年間約600食)。まさに、「食べるグルメマップ」。「味の手帖」「食楽」「銀座百点」など多数の雑誌やWebで連載中。

1971年生まれ。サニーデイ・サービスのベーシスとして1994年、成蹊大学在学中にメジャーデビュー、2000年に解散するも2008年に再結成。現在もライブは即日ソールドアウトとなるなど、その人気ぶりは健在。ラーメン愛好家としても知られている。

住所:東京都港区虎ノ門1-17-1虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー3F 虎ノ門横丁  MAP
開店期間
7月1日(木)~7月18日(日)
営業時間
ランチ 11:30~15:00 (LO 14:30)売り切れ終い
ディナー17:00~20:00 (LO 19:30)売り切れ終い
https://www.toranomonhills.com/toranomonyokocho/

Photographs:KOH AKAZAWA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by サッポロ一番)

松本オーガニックナチュールの誕生。そこには自然体の日出彦がいた。

生酛造りにおいて最も大切な「もと摺り」に励む松本日出彦氏。奥は、『仙禽』の杜氏、薄井真人氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO人生初のもと摺り、生酛造りの洗礼。激しく辛い作業だったが、身体は喜んでいた。

2021年4月某日。武者修業中の松本日出彦氏の姿は、栃木『仙禽』にありました。

蔵に足を踏み入れると、静寂な空気の中に響いていたのは酒造りの作業唄。

この作業唄は、明治後期から江戸時代にかけ、先人たちが酒造りの仕事中に唄ったと言われているものです。しかし、機械化が進む昨今においては、儀式として使用されることはあるも本来の役目を果たすことはほぼありません。

『仙禽』は、その唄の役目を現代に受け継ぐ数少ない蔵です。その理由は、この時期においても酒造りをしていることにも紐付きます。

「『仙禽』は、“速醸酒造り”ではなく、伝統的な酒造りの手法、“生酛造り”を採用しています。(前者と後者の)違いは様々ありますが、特筆すべきは酒母造り。人工的に作り出す乳酸を使用して発酵を促すのか、自然に発酵を促すのか。当然、後者の方が時間と手間はかかり、酒造りにおける期間も長い」。

そう話す松本氏がこの日勤しんでいるのは、「もと摺り」。生酛の酒母造りを指すそれは、蒸米、麹、水を櫂棒で丹念に摺り合わせる作業。午前中の「一番摺り」に始まり、数時間ごとに「二番摺り」、「三番摺り」と続け、1回約30分、「六番摺り」まで行います。前出の作業唄の尺は、約30分。唄うことによって、先人たちはもと摺りの時間を計ってきたのです。

見た目は地味ですが、相当な労力、体力、そして忍耐力を要するもと摺り。松本氏の額には汗が滲み、腕は震え、呼吸も荒い。天を仰ぐ数は、回を追うごとに増え、その過酷さを物語ります。人生初となったもと摺りは、想像をはるかに超える辛さ。

まさに「武者修業」と言いたいところですが、「修業」のみ切り離された苦行の絵図。

それを横で見守るのは、『仙禽』の薄井一樹氏とその弟であり杜氏の真人氏。

「全身の筋肉が泣いていました。悲鳴をあげていました。まさか『仙禽』で人生初のもと摺りをするとは夢にも思いませんでした」と話す松本氏ですが、一拍起き、「ただ……、不思議と身体は喜んでいました。初めて田んぼに入った時の感動に近いような。江戸時代に酒造りをしてきた先人は、こうやって仕事をしていたのだと身を持って体験することによって胸に込み上げてくる職人としての魂を感じました」と言葉を続けます。

「日出彦は、本当に真っ直ぐで不器用な人。でも、誰よりもぶれない芯を持っています。それは今も変わらない」と一樹氏。

今回、共に酒造りをする品目は、『仙禽』の代名詞とも言えるシグネチャー、「仙禽オーガニックナチュール」です。

「日出彦に決めさせなかった。日出彦を試したかった。日出彦に挑戦してもらいたかった。そして、日出彦の造る『仙禽オーガニックナチュール』を見てみたかった」。一樹氏は、そう話します。

「よりによって一番難しい造り。『仙禽』ブランドにも、薄井兄弟にも、そして、『仙禽』のお客様の期待にも応えるべく、自分の全てを出し切りました」と松本氏。

―――
「ナチュール」という思想は、あらゆる異なるジャンルの壁を超え、「つながる」ことができます。 
―――『仙禽』HPより抜粋

果たして、『仙禽』と松本日出彦は、どう「つながる」のか。

米の原型もある状態からここまでペースト状になるまで摺る。地道な作業が旨い酒を造る。

「四番摺り」後の松本氏。疲労困憊であることは、表情を見れば一目瞭然。

手の皮は剥け、腕の筋肉は悲鳴を上げる。「先人は本当に努力して酒造りをしてきたのだと感じます」と松本氏。

この日、偶然にも『仙禽』に訪れていた『白糸酒造』の田中克典氏。松本氏と共に「もと摺り」を行うも、「これはキツイ!」とひと言。松本氏曰く、「『白糸酒造』で体験したハネ木搾りの時も身体が喜んでいた」と話す。「もと摺りと同じく辛かったですが……汗」。

「うちの哲学が凝縮している『仙禽オーガニックナチュール』をどう日出彦が料理するのかという興味がありました。技術力の高さを知っているだけに、生酛造り、自然任せな酒造りに挑戦してもらいたかった」と一樹氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO「味」は体を表す!? 搾り立てをひと口。ちゃんと日出彦の酒だった。

「“柔らかさ”、“旨味”、“酸味”を活かしたいと思っていました。それを表現するにあたり、今回、主役として活躍してくれたのはお米だったような気がしています。『仙禽』が使用しているのは、米の先祖とも言える古代米の亀ノ尾。生酛造りとの馴染みが非常に良く、しっかり合わさっている」と松本氏。

6月初旬、醪のテイスティングが行われました。当然、その時点での醪は、経過の途中段階。完成形は想像するしかありませんが、「良い仕上がりだった」と真人氏と松本氏は振り返り、「どぶろくとしても良いレベル」と続けます。

そして何より、「もと摺りを頑張って良かった(笑)」と松本氏。

酒造りは、全ての仕事が連動しているため、何かひとつでも欠けてしまったり、判断を誤ってしまえば、良い酒はできません。

2021年6月中旬。関東甲信を始め、全国的に梅雨がやや遅く、暑い日が続きました。気温と湿度は、醪の経過に大きな影響を及ぼします。生酛造りであれば尚更。搾る日の見極めも良い酒の絶対条件。急遽、予定より早く搾り、荒走りをひと口。

「松本さんの思い描いていたイメージが、お酒に出ていると感じました」と真人氏。その具体の詳細を聞くと「通常の『仙禽オーガニックナチュール』と一番異なる点を感じたのは、味に丸みが帯びており、穏やか。優しいナチュールでした」。

「まさに『松本オーガニックナチュール』。松本日出彦というひとりの人間の自然体が味に出ている」と一樹氏と真人氏。

「今回、『仙禽』の中に日出彦が入ってきて、良い酒ができないわけがないという大前提が自分の中にあったので、そこに全く不安はありませんでした」と話す一樹氏の横で「僕は不安でしたけど(笑)」と松本氏。更にその横にいる真人氏は、「松本さんは、日本で一番、速醸酒造りに長けている職人だと思っています。そんな方と『仙禽』の酵母無添加のナチュールを一緒に造ることで、速醸造りの技術が生酛造りと良い相乗効果を生むのではないかと感じていました。そして、同じ職人として勉強にもなりました。細かい数値の取り方、予知の感など、技術の高さはもちろん、何より酒造りに対する確固たる哲学に一番刺激を受けました。ここまで考えてるんだ、こういう角度から考えてるんだという、酒造り全体に対しての想いの強さが一番刺さりました。自分たちの領域を超えたものを造っていく楽しみとその醍醐味を通して、全てが学びの時間でした」と話します。

実は、真人氏と松本氏は、今回が初対面。しかし、時間の長さが人間関係を構築するとは限りません。職人関係にあるふたりは、瞬く間に共鳴し、一気に距離を縮めます。

今回の酒は、『仙禽オーガニックナチュール』という円と松本日出彦という円の交点から創造された楕円部分の作品。

その作品の質を高めるためには、蔵だけでなく、土地を知ることも松本氏にとって大切な知見のひとつ。『仙禽』と同じさくら市にある氏家の田んぼへも足を運びました。

「ここは、約10年お付き合いのある田んぼです。関東平野のど真ん中。風の抜けも陽当たりも良く、昔から稲作が盛んな土地でした。水源を辿ると日光は鬼怒川の伏流水。柔らかいテクスチャーは滑らかで喉に引っかからずスムーズな飲み心地ですが、低アルコールで仕上げた酒の場合に物足りなさを感じる人はいるかもしれません。ですが、これが我々の水ですから。この土地で生きる『仙禽』が造る酒は、この水だからできる酒」と一樹氏。

「平らな土地のようでゆるやかな勾配があり、水の流れも生まれています。標高も約160mとバランスも良く、米作りに適した寒暖の差もある。『仙禽』の仕込み水と同様のため、まさにこの土地の恵みを持って生まれたこの土地だからこそできる酒。逆を言えば、この土地でなければできない酒でもあります」と松本氏。

「環境を知るだけでなく、農家さんを知ることも大切だと思っています。『仙禽』では、11名の契約農家さんにお米を育てていただいておりますが、それぞれ個性があり、味も違います。農家さんたちも『仙禽』の造り手のひとり」と真人氏。

田んぼなくして酒造りは成立しません。幸い、この地域ではそれを受け継ぐ次世代の農家はいるも、全国的に見れば後継者不足であることは間違いありません。

「我々、酒を造る人間たちも自分ごと化し、真摯に向き合わなければいけない深刻な問題」と3人。

そんな農家さんたちとのコミュニケーションを深めると同時に自然への敬意を表すため、「毎年、田植えに参加させていただいています」と一樹氏、真人氏。

米に触れる前に、土に触れ、水に触れ、農家に触れる。蔵の外から酒造りをしている蔵、それが『仙禽』なのです。

「酵母無添加、生酛造り、90%までしか削っていない亀ノ尾。今回、お世話になっている五蔵の中でも一番ダイナミックな醪になるのではと思っています」と松本氏。

醪のテイスティング。良い経過具合に安堵する松本氏。昨今は、温暖化も進み。気象の変化も激しいため、温度管理やいつ搾るのかの見極めにも高い技術と判断力が必要とされる。

ヤブタ式と呼ばれる自動圧搾ろ過機によって搾る。ひと口含み、「松本さんらしさ、出ていますね!」と真人氏。

『仙禽』の蔵の中にある井戸水。水質は柔らかく、源流は日光の鬼怒川から下ってくる伏流水。

「透明度も高く、見た目だけでなく味も綺麗」と松本氏。この水が地域を支え、『仙禽』を支える。

『仙禽』と同じさくら市に位置する田んぼへ。美しい田園風景が平野に広がる。

田んぼは生態系も生む。水を張れば蛙が鳴き、花が咲けば、蝶が花粉を運ぶ。田んぼはただ米を作る場所ではなく、自然を循環させる。

田植えの時期、『仙禽』の蔵人は総出で参加。「農家さんと田植えを共にすることによって、より良い酒造りができる」と一樹氏、真人氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO日出彦は蔵を失い、世界はコロナ禍に陥った。日本酒はどう生きるか。

一樹氏が『仙禽』に戻ってきたのは、2004年。以前は、東京でソムリエ講師をしていました。

「自分は、子供のころからこの町が好きじゃなかった。だから、ソムリエの道を歩んだのかもしれない」。

しかし、「今のままでは『仙禽』は生き残っていけない」という危機感を覚え、帰還。2015年には、100%ドメーヌ化を成し、『仙禽』のスタイルを確立させます。ある意味、転身とも言える本業へコンバートは、ソムリエで培ってきた手腕を発揮させたのです。それは、外の視点。

「日本酒の中だけでものごとを考えてはいけないと思っています。更には、ワインや酒類、飲料の中だけでもいけない。いわゆる一般企業と当たり前のように競争しないといけない。しかし、『仙禽』も業界もまだ対等に戦えるレベルではありません。コロナ禍になってから、より会社の中を強くしたいという思いがあります。業界にではなく、世界に置いていかれないようにしたい。常に優良企業についていけるような会社にしていきたい。そうでなければ、会社も自分も成長できない。日出彦に関して言えば、そんな大変な年に蔵まで失ってしまった」と一樹氏。

2020年2月。世界に新型コロナウイルスという言語が露出以降、1日たりとも報道からそれが消えた日はありません。

「自分は、新型コロナウイルスの感染拡大の年に蔵も失い、本当に色々ありました。一樹さんの言うように、客観視する目は必要だと思います。しかし、それは蔵にいる時には分からなかった。厳密に言えば、分かったつもりだった。皮肉なことに、蔵を失ったから気付くことができた。それは、ある意味、業界から外れたから。他人になったから。一般人になったから。ゼロになった時、何ができるのか自問自答し続けました。これからの酒蔵の在り方、人間としての生き方、これまでになかった心境の変化が芽生えました。考え抜いた先にひとつの答えが生まれたならば、それを実現させる努力をしなければいけない。せっかく次のステップに進む機会をいただけたのですから、最高のものを作りたい」と話す松本氏。しかし、難問の答えは、そう易々と導き出せません。

自粛、時短営業、緊急事態宣言、さらには酒類の提供禁止。長く暗いトンネルの光は未だ見えず、『仙禽』も一時、酒造りを中断した時期があったと言います。

「2020年5月。一度だけ酒造りを止めた時がありました。全くお酒が売れなくなるのではないかという恐怖心からです。しかし、ありがたいことに、この状況下においても出荷が落ちることはなく、すぐに再開しましたが、何とも言えない感情が入り混じったままです。しかし、下を向いてばかりいられない。発見したこともありました。ナチュールを筆頭に酒造りをする中、我々は、当たり前のように麹菌、酵母菌など、目には見えない菌と共存してきたことに改めて気付きました。新型コロナウイルスもまた目には見えません。コロナ禍において、人の力ではどうにもならないこともたくさんありました。自然も、発酵も、逆らわず、寄り添う必要性、必然性を感じました。まだまだ自分たちにできる、技術だけではない日本酒造りがあると思いました。新たなもの作り、ものの売れ方、売り方を熟考し、再考していきたい。スイッチを入れ替えて変化していきます」と真人氏。

「新型コロナウイルスに恐怖を覚えない人は、世界中どこにもいないと思います。しかし、新型コロナウイルスに教えてもらったこともあるはず。ポジティブに転換しなければいけない。例えば、一次産業や農業のことをもっと考えないといけない。日本酒においてはお米ですが、飲食店においてはそれが広義に。停止してしまえば、魚、肉、野菜などの産業も死活問題です。『仙禽』では、2020年より多くお米を買うようにしました。何かを学ばなければ、空白の2年になってしまう。そういう意味では、先ほど、杜氏(真人氏)からも話が出た通り、経営は新型コロナウイルス前と変わらずに済みましたが、思考は変えなければいけない。これは、おそらく神のお告げなのかもしれません。そして、たったひとつわかることがあるとすれば、蔵元、蔵人として生きる長い人生の中、一番ターニングポイントになった2年だということ」と一樹氏。

神という言葉を聞き、ある風景を想像します。それは蔵の中にある神棚です。その隣には、上部を失った痛々しい煙突。

「3.11、東日本大震災の時に煙突が崩れ落ちてしまいました。破損した瓦礫が飛び散る中、奇跡的にすぐ横に祀った松尾様の神棚だけ、被害がなかったのです」と真人氏。

「神は細部に宿る」とは、ドイツの美術家や建築家から生まれた言葉。ディテールにこだわった丁寧な作品は作者の強い思いが込められており、まるで神が命を宿したかのごとく不朽の作品として生き続けるという意味を持ちます。

日本酒やお米においても、作り手の強い思いが込められており、まるで神が命を宿したのごとく生まれます。

酒造りの神様、松尾様は、『仙禽』が生き続けるために、蔵を守ってくれたのかもしれません。

「蔵の背景、地域性、水、米。全て大切ですが、誰が造るのかも大切。人の個性、哲学が凝縮された味の楽しみ方を普及させるために、どう伝えていくのかを考える必要があると思います」と松本氏。

「自分たちの蔵や日本酒周辺のことだけでなく、この町を盛り上げたい」と話す一樹氏の行間には、「この町をちゃんと好きになった」愛を感じる。

「新型コロナウイルスによって、人が踏み入れられない領域を感じたと同時に抗えない自然の力を再認識しました。生酛造り、ナチュールを始め、これからの酒造りに活かしていきたいと思います」と真人氏。

3.11、東日本大震災の時に崩れた煙突は、補強され、今尚、残る。昔の写真と比べると、屋根を突き抜け、この町の風景の一部だったことがわかる。

創業は江戸時代後期の文化3年(1806年)。現在は、11代目蔵元の薄井一樹氏と弟であり杜氏の真人氏を中心に蔵を支える。

『仙禽』とは、仙人に仕える鳥「鶴」を意味する。現在のシンボルロゴは、愛情の赤、伝統の白、革新の黒を表現。その全てが響き合う時、ほかにはない唯一無二が生まれる。

HIDEHIKO MATSUMOTO守破離を超えろ。もう一度、日出彦が自分の日本酒を造ることを信じている。

たかが一年、されど一年。職人にとって酒造りをできない年があるということは、大きなブランクと空白を生んでしまいます。

年々、いや日々、発達するテクノロジーや技術によって加速する時代の変化に「日出彦の存在を置き去りにしてほしくなかった。日出彦が造る日本酒が世界からなくなってほしくなかった」と一樹氏は話します。

前述、真人氏と松本氏の出会いは今回の酒造りが初対面と記しましたが、一樹氏においてもその付き合いは2年足らず。

「すごい凝縮した2年(笑)」と一樹氏、松本氏。

「薄井さんにお会いする前、最初に『仙禽』のお酒を飲んだ時は、かなり際どいところを攻めてくる人たちがいるなと思いました。アグレッシブな蔵元という印象。それが年を追うごとに余計なものが削がれ、良い意味で煮詰まり、時代ともフィットしてきて。日本酒という今までの当たり前の流れを良いかたちで堰き止めたとのではないでしょうか」と松本氏。

松本氏が話す「時代ともフィットしてきて」の時期とは、『仙禽』が100%ドメーヌ化した年。「時代にアジャストしていくことは重要」とは、一樹氏の言葉。

それからは、互いの酒を飲み交わし、食事をし、旅をし、哲学や想いを共有し、自然と同じ時間を共にするようになります。「そんな仲間がピンチになったら、そりゃ助けるでしょ。深い意味はないです」と一樹氏。

「これから日出彦がどうなっていくのかはわからない。ただ、もう一度、日出彦が自分の日本酒を造ることを信じている。一番の理想は、製造場が変わっただけにしてもらいたい。日出彦は、良い意味でも悪い意味でも人に迎合しない高いプライドを持った職人。酒造りのポリシーは変えずにいただきたい。歴史上、この『武者修業』というプロジェクトほど、人間にフォーカスしたお酒はないと思います。しかし、この『武者修業』も、できれば早く終わってほしい。続いてしまう現象があるとすれば、まだ日出彦が宙に浮いた状態ということですから。1日も早く安住の地を見つけてほしい。そして、『武者修業』という五蔵を巡った財産を新しい自分のブランドにきちんとフィードバックできるようにしていただければと思っています。みんなの思いを無駄にしてほしくない。前の日出彦よりも、今の日出彦の方がきっと強い」と一樹氏。

「ヤブタ(自動圧搾ろ過機)から搾られたお酒を松本さんと一緒に飲んだ時の満面の笑みが忘れられません。僕の願いは、たったひとつ。あの笑顔を自分の蔵で1日も早く見せてほしい」と真人氏。

技術はある。仲間もいる。応援者もいる。守破離を超えろ。自分を超えろ。

搾りを終えた後、ほっとひと息。とはいえ、3人が話す内容は日本酒のことばかり。志の高い職人たちによって、日本酒というものは価格を超えた価値になり、日本の伝統工芸品と肩を並べるのかもしれない。「異なる点は、飲んでしまえばなくなること。でも、だからおもしろい」と一樹氏。

『仙禽』の顔とも言える、『仙禽オーガニックナチュール』。いにしえの技法により造られる超自然派日本酒。完全無添加(米・米麹・水)は、古代米の亀ノ尾のエネルギーを十分に引き出す。

住所:栃木県さくら市馬場106 MAP
TEL:028-681-0011
http://senkin.co.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

対談vol.1 お茶について考える。自分たちが止まってはいけない。希望を失わないために。[GEN GEN AN幻/東京都中央区]

「あえて、これまで表現してこなかったティーパックは、自分の世界にはなかった挑戦でもありました」と櫻井氏(左)。「私たちのブレンダーでは創造できなかったお茶が完成しました」と丸若氏(右)。

櫻井氏と『GEN GEN AN幻』が共同制作したティーパックは「ブラックホール」と「コメット」の2種。遊び心のあるパケージデザインにおいても、宇宙を彷彿させる。

GEN GEN AN幻きっかけはインスタライブ。コロナ禍によって加速した新たな表現と挑戦。

2020年12月より2021年9月まで、10ヶ月間限定の条件付きで『銀座ソニーパーク』に開業した『GEN GEN AN幻』。

周知の通り、開業当時においても新型コロナウイルスによる難局の渦中。しかし、主宰する丸若裕俊氏は、「まずやってみよう」という実にシンプルな考えを持って、規模の大小に関わらず「今だからできる」活動を続けています。

今回のプロジェクトもそのひとつ。『櫻井焙茶研究所』と共同制作をした「ティーバック」です。

『櫻井焙茶研究所』は、櫻井真也氏が南青山に店舗を構える茶屋。ミニマルな空間には、日本の美が凝縮され、静寂な空気が漂います。スタッフは皆、白衣に身を包み、店名の通り、まるで研究所のよう。美しい道具、所作と共に供される茶は、味だけでなく、席に座った瞬間から「時間」が総合演出され、それを体験することが『櫻井焙茶研究所』の醍醐味であり、価値。なすがまま、操られるような心地良い時間に身を委ねれば、快感さえ覚えます。

そこでひとつ疑問が浮かびます。そんな『櫻井焙茶研究所』がなぜ「ティーパック」?

きかっけは、『GEN GEN AN幻』の丸若氏、『櫻井焙茶研究所』の櫻井氏に加え、福岡の茶屋『万 yorozu』の徳淵 卓氏によるインスタライブでした。発起人は、丸若氏。

じっくり話してみたい。何か生まれるかもしれない。一緒にお茶について考えてみたい。

「まずやってみよう」。

GEN GEN AN幻自分の考えるお茶の世界には、ティーパックの表現はなかった。

そう話すのは、櫻井氏です。

「2014年に『櫻井焙茶研究所』を開業して以来、お茶の高みを目指してきました。空間様式や所作にこだわることも然り、上質を表現し続けることによってお客様にお茶の魅力を伝える活動をしています。玉露はもちろん、ほうじ茶においても焙煎の幅を持たせ、浅煎り、中煎り、深煎りと、最適な淹れ方をします。ゆえに、自分の世界にはティーパックはありませんでした」。

そんな活動をし続け、約5年後に訪れたのが、新型コロナウイルスでした。そして、同時にある問題にも対峙していました。それは、余分な茶葉の廃棄。

「自分たちは、店舗でお客様をおもてなしするだけでなく、お茶の製造から茶葉の販売もしています。その中で、どうしても企画に乗らない余分な茶葉が発生してしまうのです。わずかではあるのですが、5年も続けていればそれなりの量になります。廃棄されてしまう茶葉をなんとかしたいと思っていました。そんなことを考えている時、丸若さんからインスタライブに声をかけていただきました。自分とは異なるお茶に対する思考を知ることができたと同時に『EN TEA』への想いや丸若さんの人となりも知ることができました」と櫻井氏。

「実際に櫻井さんと面識ができたのは2015年ですが、その以前より『櫻井焙茶研究所』にはお邪魔させていただいており、常に刺激を受けていました。櫻井さんが表現するお茶は、体験する度に発見と学びがあります。独自の世界観とスタイルは、誰にも真似できないと思います。インスタライブへのお声がけは、単純に自分自身が櫻井さんの想いを知りたかったから。今この状況をどう考えているのか、今の社会に対してお茶はどうあるべきなのか。自分たちにできることは何か」と丸若氏。

テーマの具体もなければ、ゴールもない。発起人・丸若氏らしい!?場当たり的なインスタライブではあったものの、視聴者は約3,000人。

「たかが3,000人、されど3,000人。ご覧いただいた皆様がどのように感じたかはわかりませんが、そのうちの10%だけでもお茶に興味を持っていただければ非常に嬉しく思います」と丸若氏。

自粛や緊急事態宣言に伴い、企業においてはテレワーク推奨、飲食店に関しては酒類提供禁止など、様々が停滞する中、それぞれに店を構える『GEN GEN AN幻』と『櫻井焙茶研究所』も対岸の火事ではりません。そんな中、「自宅でお茶を楽しむ人にも本格的なお茶を届けたい」という想いから、実は最初に声掛けをしたのは櫻井氏。

「茶葉にこだわる人が増えてほしい。そういう想いは常にありました。しかし、そのような方々は、ティーパックを嫌う。世間的な印象として、ティーパックは、手軽、簡単などといった言語から脱却できていないのだと思います。自分はティーパックに否定的ではなく、むしろ発明品だと思っています。もちろん、腕の良い茶人、道具、淹れ方、温度など、全ての条件が揃ったお茶の魅力は素晴らしいです。その真似をするのではなく、ティーバッグだからこそ出来る理想の味わいがあると確信しています。だからこそ、櫻井さんから相談を受けた時に嬉しい気持ちと、ディーバッグに拘ってきて良かったと思いがありました。」と丸若氏。

「(前出の通り)余分な茶葉、廃棄問題に対して何とかしたいと考えていた時期だったので、『櫻井焙茶研究所』としてもこれまでやってこなかった表現へ着手しようと考えていました。具体的にはふたつ。ひとつはオンライン販売。もうひとつは、セカンドブランド『さくらいばいさけんきゅうじょ』の立ち上げです。実は、そのラインナップには、ティーパックという発想もあったのです。とはいえ、ティーバッグに前向きかつ拘りを持って取り組んでいる丸若さんとの交流がきっかけとなって実現したと思います。まずはじめに自社の商品作りを行い、今回のGEN GEN AN幻のティーバッグ作りへとつながるのですが、丸若さんでなければお断りしていたと思います。茶人として、ひとりの人として、きちんと丸若さんに触れることができたので、新しい挑戦を一緒にしてみようと決断をできました」と櫻井氏。

しかし、丸若氏からのオーダーは、『EN TEA』の茶葉を使用したもの。櫻井氏にとって、不慣れもあるティーバッグ作りを、他社の茶葉で作ることになったのです。

テーマは、「コメット」と「ブラックホール」。……極めて難解です。

茶缶の形状にも実は意味があり、湿気から茶葉を守るためにある。四角い缶だと衝撃が加わった時に変形し、蓋と容器に隙間ができてしまうが、丸い缶であれば衝撃が加わる点は1か所のみ。凹みはできても、蓋との噛み合わせは維持できる。

「以前、ゆず農家さんにお話を伺った時、タネが大量に廃棄されてしまうとおっしゃっていました。以降、ゆずの種をブランドしたお茶も開発し、環境への配慮にも目を向けています」と櫻井氏。

「櫻井さんは表現者だと思っています。うちの茶葉、原材料を使っていただくことによって、どんな化学反応が起きるのか楽しみでした」と丸若氏。

GEN GEN AN幻絶対条件は、美味しいこと。答えのない問題の解を見出す。

「まず、コメットもブラックホールも訪れたことがないので、どうしようかなぁと……。更に、表層から入ったテーマなので、ここには味のイメージもないわけです。世界のないものを作らなければいけないのですが、絶対的に必要なことは、美味しくなければいけないこと。いくつか茶葉を用意したもらった中から選び、ブレンドしてみましたが、最初はうまくいきませんでした。おそらく、自分のやり方で作っていたからだと思います。『櫻井焙茶研究所』は、季節や旬をつなげることを大切にしています。ゆえに、多数ブレンドすることはしないのですが、2回目は、その概念を覆し、あえて多数ブレンドしてみたのです。通常の自分であればあり得ない作り方です」と櫻井氏。

『さくらいばいさけんきゅうじょ』のさくらいは、『櫻井焙茶研究所』の櫻井を継承しているもうひとりの人格。そう考えれば、既存を壊す選択も腑に落ちます。

試行錯誤の結果、国産の茶、レモンの皮、月桃の葉、枇杷の葉、レモングラス、ラベンダーをブレンドして「コメット」を仕上げ、国産の茶、みかん皮、生姜、ローズレットペタルをブレンドして「ブラックホール」を仕上げました。

「『GEN GEN AN幻』では、これほどの種類をブレンドした経験はありません。得意不得意でいうと不得意な技術と言えます。しかし、櫻井さんは見事にまとめ上げました。これまでの『GEN GEN AN幻』にはなかった味です」と丸若氏。

その味わいを丸若氏に訪ねると、「『コメット』は、彗星のごとく、スッと抜ける感じ、動いてる感じ。『ブラックホール』は、ゆらぎ。人によって味の感覚が異なり、角度によって変化する要素もあるかもしれません」。……もはや問いから外れたその解説は、ふたつのテーマのごとく、捉えどころのない宇宙。

地球から宇宙までの距離は、約100kmと言われています。しかしながら、その厳密な境はなく、大気がほぼなくなる100km先の世界が宇宙と呼ばれているそうです。

今回の味においても、厳密に提唱することは野暮なのかもしれません。

まずは、ご賞味あれ。

「ブラックホール」の茶葉は、国産の茶、みかん皮、生姜、ローズレットペタルをブレンド。

急須に入れたティーパックは、その名の通り、まるで「ブラックホール」のような世界を形成する。じわじわと色が変化する様も神秘的。

「コメット」の茶葉は、国産の茶、レモンの皮、月桃の葉、枇杷の葉、レモングラス、ラベンダーをブレンド。

自由な思考でお茶を提案する『GEN GEN AN幻』では、ビーカーに淹れて楽しむのも一興。まるでお茶の実験のよう。

GEN GEN AN幻コロナ禍において、唯一できなかったこと。それは農家からたくさん茶葉を仕入れることができなかったこと。

「これまでやらなかったオンラインや『さくらいばいさけんきゅうじょ』など、新しい試みはしましたが、新型コロナウイルス前も後も大きな変化はありません」。

櫻井氏は、そう淡々と話します。

「自分が『櫻井焙茶研究所』を開業する前、和食料理店『八雲茶寮』と和菓⼦店『HIGASHIYA』にいました。『HIGASHIYA』では、お茶を楽しむお客様で賑わっていましたが、お茶業界ではお茶が売れない、お茶が飲まれないと言われており、真逆の状況に矛盾を感じていたのです。そこから、自分の働いている環境だけでなく、全体の環境に対して視野を広げ、危機感を持つようになりました。独立したきっかけは、自分の表現の仕方で何か農家さんや業界に貢献したいと思ったからです。新型コロナウイルスの感染拡大よりも前に、危機は訪れていたため、今回の難局だから特別に危機を感じることはありませんでした」と言葉を続けます。

実際、ゲストは激減するも、例年通り、二十四節気も作り続け、いつもと同じようにお茶と対峙します。「売れる売れないに関わらず、自分たちは表現し続けなければいけない」と櫻井氏。

しかし、「唯一できなかったことがある」と言います。それは、「お茶農家さんからお茶をたくさん買うことができなかったこと」。

新型コロナウイルスによる影響は自然界に関係なく、新芽も待ってくれません。

「お茶農家さんたちを発展させるには、自分たちが発展しなければいけません。自分たちが止まってしまったら、お茶に関わる全ての人たちが止まってしまう。周囲に希望を失わせないようにもっともっとお茶を表現していかなければいけないと思っています」と櫻井氏。

「お茶を作る人、道具を作る人、お茶を淹れる人。自分たちの活動を通して、若い人たちが魅力を持ってもらえる職業にもしていきたい」と丸若氏。

昨今、気候変動の影響も手伝い、寒暖の繰り返しによる霜と雨によって茶葉の収量が減っていると言います。2021年においてもやや遅い梅雨入りとなり、コントロールできない自然と運命共同体のため、未来も予測不能。

そんな中、たった一杯のお茶飲むことやたったひとつのティーパックを淹れることによって、何かが少しずつ循環し、好転していくのかもしれません。

日本の文化を守る一旦は、誰にでもできる身近な行為の繰り返しなのです。

「自分たちが活動し続けることによって、茶葉を育てていただいている農家さんにも希望を与えたい。これから、もっともっと茶葉も仕入れたいと思います」と櫻井氏。「現在の社会情勢などによって、生まれたオンラインやティーバッグの可能性をこれからも模索していきたいと思っています。そして、リアルな場だから体験できることも引き続き取り組んでいきます」と丸若氏。

櫻井焙茶研究所所長。和食料理店『八雲茶寮』、和菓⼦店『HIGASHIYA』のマネージャーを経て、2014 年独立。東京・南青山に日本茶専⾨店『櫻井焙茶研究所』を開業。お茶と食事のマリアージュ、お茶とお酒の融合など、お茶を通して様々なメニューの企画・提案を行うほか、国内外にて呈茶やセミナーも開催。日本茶の魅力をより多くの人に伝える活動を続ける。

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park B1F MAP
https://www.ginzasonypark.jp/
https://en-tea.com/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

日本最長の宿場町に眠った「杉の森酒造」再生物語。[SUGINOMORI REVIVAL/長野県塩尻市]

Suginomori Revival歴史ある『杉の森酒造』を再生すべく、『傳』長谷川在佑、『ラ・メゾン・グルマンディーズ』友森隆司、酒職人・松本日出彦が立ち上がる。

長野県塩尻市、この地には古き良きという言葉では表せない「日本」を知る場所があります。

「奈良井宿」です。

中山道にあるそこは、「木曽の大橋」のかかる「奈良井川」沿いを約1kmにわたって町並みを形成している日本最長の宿場。ここには、世界も驚愕する「日本」の時の営みが積み重ねられているのです。

江戸時代より続く中山道沿いにある「奈良井宿」は、かつて行き交う大勢の旅人で賑わっていたと言われます。その町並みは、「奈良井千軒」と謳われ、今なお、旅籠の幹灯や千本格子などがその面影を残しています。

ただ、ただ、歩いているだけで風格と誇りを感じるのは、そんな要素が凝縮されているせいかもしれません。

そして、場所だけでなく、風景が守られてきたことこそ、「奈良井宿」が他の宿場町と異なる特筆すべき点。それが現代においても成されているのは、歴史の数だけ受け継いできた人々の努力があってこそ。住民なくしては、これまでも、これからも、「奈良井宿」の歴史を語ることはできません。

偶然ではなく必然。意志ある人々によって歴代守られてきた風景が持つ価値は、昭和53年(1978年)に「重要伝統的建造物群保存地区」として国から選定されたことに裏付けされています。以降、平成元年(1989年)には国土交通大臣表彰の「手づくり郷土賞」、平成17年(2005年)には「手づくり郷土大賞」、平成19年(2007年)には「美しい日本の歴史的風土百選」、平成21年(2009年)には社団法人日本観光協会「花の観光地づくり大賞」なども受賞。

いつの時代においても、町づくりに懸ける想いが脈々と受け継がれているのです。

しかし、一方でそんな長い歴史の中で姿を消してしまったものもあります。

そのひとつが、古い軒先に一際大きな杉玉が飾られていた酒蔵『杉の森酒造』です。

創業は、寛政5年(1793年)。200年以上、町の風景に溶け込んだ酒蔵は、平成24年(2012年)に惜しまれながらも長い歴史に幕を下ろしました。

今回、『ONESTORY』は、そんな『杉の森酒造』を再生するプロジェクトに参画。

宿泊施設、温浴施設などを備える建物の中、我々は、蔵だった場所をレストランとバーに再生。復活させる酒蔵と共に地域の発展に取り組み、一度止まってしまった時を再び元に戻します。

料理のプロデュースには、日本を代表する料理人、『』の長谷川在佑氏を迎え、現場は塩尻の名店『ラ・メゾン・グルマンディーズ』の友森隆司氏が牽引します。更に、酒造りの監修を担うのは、松本日出彦氏。

名手を揃えるも、過度な演出をすることはありません。

「奈良井宿」だから味わえること、『杉の森酒造』だったから体感できることを大切にします。

それは、町との共生も意味します。

江戸時代を彷彿とさせる原風景に身を委ねれば、必ずや忘れかけていた日本の豊かさに気付かされるでしょう。

建築様式に目を凝らし、風景に想いを馳せる。連なる店に訪れ、ものに触れ、人に出会うことによって、この町の魅力を最大限に享受できるのです。

見るもの、感じるもの、その全てに歴史が感じられ、タイムスリップしたかのような錯覚に陥る地域一帯の体験時間こそがこの町の醍醐味。

一歩一歩、歩を進めることによって旅の奥行きは更に増していきます。

日本人こそ知るべき日本の風景の蓄積がここにはあります。
日本人こそ知るべき日本の時の流れがここにはあります。

果たして『杉の森酒造』は、どんな形で再生するのか。その全貌を追います。

※ご予約は、下記のHPにてご確認ください。
https://byaku.site

標高950mに位置する「奈良井宿」の桜は、ほかの地域と比べるとやや遅く、4月下旬から5月下旬が見頃。本数こそ少ないが、「奈良井川」沿いに咲く桜は、住民の癒やしでもある。

新緑が美しい夏の「奈良井宿」は、「鎮神社例大祭」 (例年8/12、宵祭り8/11)も開催。そのほか、木曽漆器祭・奈良井宿場祭」(例年6月第1金曜・土曜・日曜に開催。2021年は新型コロナウイルスにより、中止)も行われ、期間中には、宿場内にある漆器店、工芸品店にお値打ちの品が数多く並ぶ。

「奈良井宿」を囲む圧巻の紅葉は、例年、10月から11月が見頃。朱色、黄色に染まる風景は、樹齢300年以上の総檜造りの太鼓橋「木曽の大橋」などとも相性が良く、ノスタルジックな世界を形成する。

冬の「奈良井宿」は、雪化粧をまとい一面に銀世界を形成する。厳しい寒さを伴うが、その静寂は美しく、この時期だからこそ堪能できる美味もある。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

「食」のおいしさ、楽しさ、喜びを語り合い、体験価値が増幅するコミュニティ。みんなの「愛すべき食」がつなぐ食の未来。[GOOD EAT CLUB]

食のエモーション・コマース「GOOD EAT CLUB」が2021年1月21日よりサービススタート。

グッドイートクラブ社会が変われば、コミュニティの形も変わる。新時代に求められるECの可能性。

2021年1月、新しい食の楽しみを提案するECサイト『GOOD EAT CLUB(グッドイートクラブ)』が始まりました。初夏からの本格始動に先駆けて、まずはβ版サービスのスタート。

仕掛け人は、これまで数々のコミュニティを創出してきたカフェ・カンパニー代表の楠本修二郎氏。

楠本氏がNTTドコモとタッグを組み、「GOOD EAT=愛すべき食」をコンセプトに、地域の食文化、地元の名店、尊敬する生産者など日本中に息づく「愛すべき食」を未来につないで、世界にも広げていこうというプロジェクト。従来のECサイトとは一線を画し、2021年初夏の本格ローンチからは、オンラインとオフラインを融合させた食のマーケット&ファンクラブへと展開していく予定です。

そして『ONESTORY』も、この新しい食の取り組みに賛同。
これまで日本各地で開催してきた『DINING OUT』を通じて出会った素晴らしい食文化、地域の食材、生産者、シェフ――。さまざまな「愛すべき食」を、キュレーションしてお届けしていきます。

さまざまな人にとっての「愛すべき食」が集まり、新しい食の楽しみを広げていく『GOOD EAT CLUB』。はたしてこれからどのようなメディアとなっていくのでしょうか。

仕掛け人の楠本氏に、『GOOD EAT CLUB』への思いやこれからのことを伺いました。

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『GOOD EAT CLUB』では、食の偏愛者たちを「Tabebito」と呼び、それぞれの言葉で食品を紹介している。

グッドイートクラブ人類がいまだかつて経験したことのない美味しい時代を、どう楽しむか。

「カフェはメディアである」の言葉どおり、時代の変化に合わせたさまざまなコミュニティの場を提案し続けてきた楠本氏。

2021年、地球規模での大きな社会変化の中、どのような思いで『GOOD EAT CLUB』をスタートさせたのでしょうか。

「社会の変化に応じて求められるコミュニティも変わるし、コミュニティの形態そのものも変わっていく。コロナを機に、これから先のオンラインビジネスは電子商取引という機能面だけではなく、真剣に、顧客体験価値の増幅を生活者視点でやり切ることがとても重要だと思っています。それは、カフェ・カンパニーが今まで創ってきたコミュニティの発想と一緒。楽しくて自然に参加していくことから地域や社会との繋がりが生まれ、その人の生活が本当の意味で豊かになっていくというようなユーザー体験をいかに創出していけるか、ということです。

食は誰にとっても欠かせないものであるはず。そして、日本の未来にとっても大切な生活文化でもあります。だから、オンラインとオフラインを行ったり来たりできるようなプラットフォームを食を中心に作り出せたら、ECの可能性はすごく大きくなると思っています」。

楠本氏が掲げるのが「エモーション・コマース」という概念。

単なる売買のためのマーケットではなく、これまでカフェというリアルな場で繰り広げられてきたような、人々が集まり、食の楽しさや喜びを語り合うコミュニケーションが生まれていくオンラインの場。美味しさだけでなく、未来につなげていきたい味の応援などの「感情」も価値化して、双方向のやりとりが生まれていく場所。

「たしかにコロナによって社会の変化は一気にやってきたけれど、それよりも前からずっと日本が直面していたのが少子高齢化の進行と人口減少という課題です。これからの10年、ますます世界が変化していく中で、どれだけ日本の食産業を強くできるか。世界に勝負をかけていけるか。そのことに本気で向き合いたいという思いはずっと持っていました。

これまで、日本の食産業は、外食なら外食、食品メーカーなら食品メーカー、食品加工業…と、ずっと縦割りで、それぞれがそれぞれで頑張ってきました。でも、コロナ禍が落ち着いた時、変化した社会に対して今まで通りの“通常運転”をしていていいのだろうか。食産業をどんどん横軸で連帯させて、強いブランドを生みだしていくようなプラットフォームが必要なんじゃないかなと」。

コロナ禍をきっかけに本格始動した、食産業全体を盛り上げる業界横断型のプラットフォームという発想。その思いをさらに強固にした背景には、確実に広がっていた「中食(なかしょく)」の需要がありました。

「これまではレストランに行くということは家での食事とは別の大きな楽しみだったと思います。コロナ禍においてはこの楽しみが少なくなってしまった。とはいえ、ルーティンとしての家での食事ももちろんいいのだけれど、この、『外食する楽しみ』が家の中にも拡張されたら生活ももっと素敵になるのではないかな、と思うんです。たとえば、今週末は地方の名店の鍋セットにビオワインが合わせて届いて、それをお気に入りの音楽をかけながらみんなで食べるという経験は、これまでの飲食店だけでは経験できなかった『中食」の楽しみ方。料理もお酒もデザートも、音楽も、着る服も、シチュエーションも、家だったら楽しみ方は無限大なんですよね。

日本の食の素晴らしさは、クオリティはもちろんだけど、そのバリエーションにもあります。とある方が、『世界からも賞賛される日本の美食とその多様性は、ルネッサンス以来の人類の発明だ』とおっしゃっていました。それぐらい、いま僕らは美味しい時代を生きている。ありとあらゆる掛け合わせができる食体験をオンラインとオフラインの融合によって提供して、もっと“食べること”を豊かに、楽しくしていきたいです」。

『GOOD EAT CLUB』を運営する、株式会社グッドイトーカンパニーでもCEOを務める楠本修二郎氏。

楠本氏が『GOOD EAT CLUB』で販売中の商品でオススメするのは、胡麻専門店「和田萬」の商品達。写真は和田萬5代目・店主の和田武大氏。

一度、和田萬を食べたら「ほかの胡麻製品にはもう戻れない!」と楠本氏が太鼓判を押す。写真は「焙煎職人の極上胡麻3点セット」。(1,652円税込) ※他に送料がかかります。

グッドイートクラブ「おいしい」記憶は、風景に宿る。みんなの「愛すべき食」を、風景の記憶ごとシェアできる場所

『GOOD EAT CLUB』の中でひと際気になるのが「Tabebito(たべびと)」という存在。お笑い芸人の又吉直樹氏や、「OAD」世界のトップレストランNo.1レビュアーの浜田岳文氏、ワイン漫画『神の雫』の原作者・亜樹直氏などバラエティ豊かな顔ぶれの「Tabebito」たちが、偏愛たっぷりに熱量高く推薦する「愛すべき食」が特集記事で紹介されるだけでなく、実際に購入することもできる仕組みです。

「オーソリティによる権威づけももちろんいいのですが、GOOD EAT CLUBでは、もっと僕たちに寄り添ってくれるような、自然体で等身大の『これいいよね〜」という声も伝えていきたい。自分がいいと思ったことを、素直な言葉で表現してくれる旅人のような軽やかさと自由さがある人たちがTabebitoです。誰かの『これ好きなんだよね」が集まって、シェアしたり共感したり、そういうことがどんどんスパイラル状に広がってつながっていくといいなあと思っています」。

気のおけない仲間同士が集まった時に交わされる会話の延長線のような、力の入っていない自然体なやりとり。そんなところにこそ、格好つけない本音が隠されていたりします。

「『あの時のあれ美味しかったな」という記憶って、その時の風景なんですよね。トライアスロンで倒れそうになって完走した後に仲間から分けてもらったバナナの美味しさが忘れられないとか。美味しかったのは、そのもの自体よりも、情景や気持ちが相関する風景として記憶してる。『美味しい」って風景と記憶なんです。だから、「愛すべき食」というのは本当に人それぞれ違う。だからこそ、その中に本質的なものがあると思うんです。そういうものをきちんとつないでいくことで、未来に本当に良いものが継承されていくんじゃないかな』

人それぞれが大切にしているさまざまな「愛すべき食」。その気持ちごと可視化して、シェアをして広げていく。それが『GOOD EAT CLUB』の目指すマーケット&ファンクラブの形。「お店や作り手に対しての共感や共鳴は、チップのような応援の仕組みとして実装します。場合によってはクラウドファンディングなども立ち上げることも」。

「食品加工業のエキスパートとシェフ、老舗と食品メーカーなど、これまで出会えなかった食のプレイヤーたちがつながり、共鳴して、それぞれの掛け合わせ、響きあわせの中で強いブランドが生まれていくような場所にもしていきます。チャレンジがどんどん生まれていくラボのようなイメージです。そのために僕らがオーケストレーターとなって、いろんなプライヤーたちをつないでいく。まさに『ONESTORY』が得意なことですよね。そういう活動を、これからますます『ONESTORY』と一緒に取り組んでいきたいと思っています!」と、楠本氏は熱を込めて語りました。

『ONESTORY』が主催する幻の野外レストラン『DINING OUT』チームが最初にお届けする商品は、過去開催地から厳選した「日本茶」6選。商品の詳細は『GOOD EAT CLUB』で是非ご覧ください。

『DINING OUT』第一弾の商品は、日本各地から厳選した茶葉のセット。『GOOD EAT CLUB』で絶賛販売中。

早稲田大学政治経済学部卒業後、株式会社リクルートコスモス、大前研一事務所を経て、2001年カフェ・カンパニー株式会社を設立、代表取締役社長に就任。2019年GYRO HOLDINGS株式会社を設立、代表取締役に就任。コミュニティの創造をテーマに店舗の企画・運営、地域活性化事業、商業施設プロデュースを手掛ける。内閣府クールジャパン等の政府委員や東日本の食の復興を目的とした東の食の会代表理事等も歴任。

幻の野外レストラン「DINING OUT」を通して出合った、日本各地の美味しさを自宅で。第一弾「厳選日本茶6選」販売開始![GOOD EAT CLUB/宮崎県・広島県・静岡県]

2017年5月に宮崎県宮崎市で開催された『DINING OUT MIYAZAKI』。この地でも素晴らしいお茶生産者と出会った。

グッドイートクラブ様々な地域をプレミアムに表現してきた『DINING OUT』チームがお届けする新企画。

2021年初旬よりスタートした、「GOOD EAT=愛すべき食」をコンセプトに新しい食の楽しみを提案するECサイト『GOOD EAT CLUB(グッドイートクラブ)』。

『ONESTORY』も、この取り組みに賛同し、これまで日本各地で開催してきた『DINING OUT』を通じて出会った素晴らしい食文化、地域の食材、生産者、シェフ――。さまざまな「愛すべき食」を、キュレーションしてお届けしていきます。

第一弾は、「日本茶」。

『DINING OUT』で開催地域の食材や生産者の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝えてきたフードキュレーターの宮内隼人が、これまで出会った素晴らしい生産者と相談しながら6つの茶葉を厳選しました。

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『DINING OUT』で食材生産者とシェフを繋ぐ役割を務めるフードキュレーターの宮内が、第一弾の商品を担当。

宮内は自身のiPadを駆使して、生産者から聞いた食材情報を分析した上で、『DINING OUT』独自の食材データベースに収録していく。その数すでに3000種類を超えている。

グッドイートクラブ朝起きてから夜眠るまで。一日のバイオリズムに寄り添って「旅するように」楽しむ日本茶セット。

「美味しさはもちろんだけれど、日本各地にそれぞれの文化があって、楽しみ方の幅もとにかく広い。新しい食の楽しみの扉を開ける『GOOD EAT CLUB』で「楽しみ方」を提案するのに、日本茶はうってつけのテーマだなと思いました」と、今回のキュレーションを担当した宮内。

これから毎回ひとつのテーマを決めて、『DINING OUT』を切り口にキュレーションをしていく“GOOD EAT”。
第一弾は、日本各地の生産者さんのお茶を「旅」するように味わう楽しみに加えて、朝起きてから夜眠るまで、一日のバイオリズムに寄りそうお茶体験も楽しんでいただけるように、宮内が生産者さんと綿密に相談しながら6種類の日本茶を厳選しました。

選んだのは、静岡県のお茶問屋・マルモ森商店さんのフレーバーティ2種(煎茶+レモングラス、焙じ茶+クローブ)、宮崎県のお茶生産者・宮崎茶房さんの発酵茶2種(みねかおり白茶、みなみさやか紅茶)、そして広島県のお茶問屋・今川玉香園茶舗さんの緑茶(八女上陽さえみどり)と玄米茶。

「日本茶」と言えども、茶樹が育つ標高の違い、茶葉の摘み方の違い、蒸したり炒ったり発酵させたりといった製法の違い、あらゆる要素の掛け合わせで、緑茶も紅茶も烏龍茶も、さまざまに展開していく日本茶の奥深さ。その奥深さを体験できるセットです。

「マルモ森商店さんも宮崎茶房さんも今川玉香園茶舗さんも、もちろん日本茶と聞いて真っ先に思い浮かべるような緑茶も作っているんですが、その上で、皆さんそれぞれ三者三様のキャラクターがあって、唯一無二の取り組みをされている。いろいろな日本茶のバリエーションに出会って、このセットをきっかけにお茶の楽しみが広がっていくスターターキットにしていただけたらいいなと思っています」。

マルモ森商店が運営する茶葉専門店『chagama』の店長の天野裕太氏(左)、フードキュレーター宮内(右)。『chagama』の店舗では、静岡産を中心に100種以上のお茶を取り揃える。

「宮﨑茶房」の茶畑で、代表の宮﨑亮氏(写真中央)に詳しく生育方法を聞く。

広島県尾道『今川玉香園茶舗』の今川智弘氏。明治11年から続く老舗のお茶問屋。

グッドイートクラブこの国には、日本茶のプロフェッショナルがいる。食材が教えてくれる文化と技。

まだまだ自身もお茶のことは勉強中だという宮内。日本茶に興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか。

「『DINING OUT』で日本各地を回っていく中で、各地にその土地の風土や文化にあったお茶があるということを知りました。また、『DINING OUT』の現場では、シェフたちが十人十色、さまざまなお茶の楽しみ方を提案をしていて、それがすごく楽しいし、何より美味しかった。それから次第にお茶への興味が湧いていきました」

なかでも、大分・国東半島の『DINING OUT KUNISAKI』で見事なお茶のペアリングを提案した『茶禅華』川田シェフからの影響が大きかったという。

「川田さんは中国茶に対する知識もとにかく深いんです。一度、川田さんのお店でいただいた金萱茶(きんせんちゃ)という中国茶があまりにも美味しくて感動して、同じものを日本中探したことがあるんですが、どんなに探しても同じ美味しさのものに出会えなくて…。川田さんにお話ししたら、生産者さんによって味が全然違っていて、この生産者さんでないと出せない味なんだと言うことを教えていただきました。それ以外でも、お茶の温度や出し方まで徹底的に研究して実践されていらっしゃることを知り、僕自身のお茶への興味も深まっていきました」。

極めればどこまでも広がっていくお茶の世界。完璧な美味しさを追求するガストロノミーなお茶の楽しみもあれば、日常に寄り添って「ケ」の食としての楽しみもある。身近にこんなにも包容力のあるお茶の世界が広がっていたのにもかかわらず、私たちはあまりにも日本茶のことを知らないのかもしれません。

「今回いろんな方にお会いするまで、お茶問屋さんってお茶の流通の部分を担う仲介役だと思っていたんです。でもそれはお茶問屋さんの仕事のほんの一部。彼らはお茶に対するものすごい知見を持って、その人の好みや要望に合わせたお茶を提案してくれるお茶のキュレーターのような存在なんです。真骨頂はブレンドの技。お茶のブレンドのことは「合組(ごうぐみ)」と言うんですが、オーダーに応じて茶葉を選んでブレンドして、炒るところまで様々な変数を調整してお茶の味を整えていくところまでやってしまう。本来お茶はオーダーメイドに楽しめるということだったり、それを実現するものすごい審美眼と技術を持つお茶のプロフェッショナルがいるということを、このお茶を通じて知ってもらえたら嬉しいですね」。

食と出会うことが、その食を取り巻く匠の技や、生まれた地域の文化を知るきっかけになる。それはまさに『DINING OUT』の発想、そして「愛すべき食」でもあります。

これまで日本各地、18カ所で開催してきた『DINING OUT』。そこで出会ってきた数々の素晴らしい食材、食文化を、よりたくさんの方に体験いただけるような第二弾、第三弾の「愛すべき食」も計画中です。

「いろんな思いが詰まっていますが、とにかく美味しいので、まずはそれを体験していただきたいですね」。

今回ご紹介した第一弾「日本茶セット」の詳しい情報は『GOOD EAT CLUB』に掲載中。同時に販売も行っておりますので、この機会に是非ご賞味ください。

宮内が紹介したお茶のセットは『GOOD EAT CLUB』で販売中。セレクトの考え方や、生産者の想いなど詳しく紹介しています。

茶葉それぞれの抽出温度や、飲んで欲しいシーンも詳しく紹介しているので併せてお楽しみください。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。

LEXUSを駆って旅に出た、ある料理人の物語。高原を駆け抜け、自然の声に耳を澄まし、やがて一皿の料理が生まれる。[The Vision/大分県竹田市]

Lionel Beccat × LEXUS LC Convertible

フランス人料理人リオネル・ベカ氏がLEXUS LC Convertibleで九州を駆ける。

銀座のフランス料理店『ESqUISSE』のエグゼクティブシェフを務めるリオネル・ベカ氏。“唯一無二”と評される氏の料理は、自然と人との繋がりを大切にし、食材それぞれが語りかけるような存在感を放ちます。

そんなリオネル氏にとって、九州、とりわけ大分県竹田市は特別な場所です。2014年に開催された『DINING OUT TAKETA with LEXUS』でこの地を訪れたリオネル氏。豊かな自然、ここで生きる人々と触れ合うことで「主張すべきは料理人の個性ではなく、素材そのもの」という現在の料理哲学に至ったのです。

「自分を変えてくれた場所」リオネル氏は竹田市をそう評します。

そして2021年春、リオネル氏は再び九州を訪れます。
旅の相棒に選んだのはLC Convertible。オープンエアで風を感じ、自然の力をダイレクトに感じるこの車。優れた運動性能とエレガンスを兼ね備えた唯一無二の存在感。「最初からその姿だったような自然で流麗なデザイン」リオネル氏はLC Convertibleの美しさに、自身の料理との共通項を見出します。

LC Convertibleのハンドルを握り、高原を走り出すリオネル氏。ルーフをオープンにして、山の風を肌で感じます。「車と一体になるようなフィーリング」そんなドライビング体験はやがて、リオネル氏に料理のインスピレーションを与えます。

東京に戻り、厨房に入ると、リオネル氏は一皿の料理を仕上げました。それはあのとき心に浮かんだ風景を、そのまま落とし込んだような美しい一皿。九州の自然を駆け抜けた経験なくしては生まれ得なかったその料理を通し、リオネル・ベカという稀代の料理人の心の内側が少しだけ覗けるかもしれません。

※LEXUS公式サイトにてスペシャルコンテンツ公開中

くじゅう高原を駆け抜けるLC Convertible。そのドライビング体験が、料理人にインスピレーションを与えた。

LC Convertibleとリオネル氏。その流れるようなデザイン性も、リオネル氏の創造力を刺激する。

旅の経験を、一皿の料理に昇華。そこには深いメッセージが込められていた。

玄界灘に突出した半島で醸す。人生初、松本日出彦は「槽」に乗る。

『田中六五』で知られる『白糸酒造』へ。江戸時代から続く酒造りの技法「槽搾り」を体験する松本日出彦氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO『田中六五』の本気。その情熱に食らいつく。

「槽(ふね)」に乗る。

聞き慣れない言葉の意味は、江戸時代の伝統的な酒造り「上槽(じょうそう)」という工程にある槽搾りとハネ木搾りにあります。これは、『田中六五』を造る福岡県糸島市の『白糸酒造』が創業した安政2年(1855年)より守り続けている技法です。

「上槽」とは、発酵を終えた醪を搾り、濾過する作業のことを指します。その工程にある酒と酒粕に分離するために用いる道具の形が舟に似ているところから、搾ることを「槽に乗る」と呼ぶのです。

この日、松本日出彦氏は、人生初の槽に乗ります。

「4月5日に仕込んだ醪を今日(5月1日)は搾ります。通常、横型の油圧圧搾機を採用しますが、『白糸酒造』は昔ながらの搾り方の槽搾り。更には、全てハネ木搾りというこだわり。特に時間と労力を費やします。これまで酒造りをしてきた自分も初めて経験する搾り方です。」と松本氏。

この日、搾る醪は、1,900ℓ。それを酒袋に一つひとつ詰め、槽に積んでいきます。交互に並べることによって不安定な袋同士が支え合う姿は、まるで長屋の構造のよう。更にそれを積み上げることによって自然の圧がかかり、濾過されるのです。袋の数は、370枚。同じ作業をひたすら繰り返すそれは、見た目以上に過酷です。

松本氏の額には汗が滲み、徐々に息が荒くなります。震える腕と指先、背中や腰の乳酸の疲労は限界を迎え、筋肉も悲鳴を上げるが、必死に食らいつくしかありません。

約2時間を有し、作業を終えるも「やや遅い」と隣で囁くのは、『白糸酒造』8代目の杜氏であり、『田中六五』の生みの親、田中克典氏。

「しかし、早ければ良いわけではありません。醪の溶け具合によって搾られる量を想定しながら積んでいくため、早過ぎて重ねた袋が崩れてしまったり、中から醪が溢れてしまっては意味がありません。そういった視点で見れば、日出彦さんは勘が良い」と言葉を続けます。

自然の圧に身を任せた搾りを待つこと約3時間。その後、一滴残らず搾り切るために行うのは、『白糸酒造』が誇る伝統「ハネ木搾り」です。

原始的な手法のそれは、数々の改革を起こしてきた田中氏が唯一守り続けていることでもあります。

「ハネ木搾り」を知らずして、『田中六五』を飲むべからず。

温故知新とも言える「ハネ木搾り」は「故」であり「個」。『白糸酒造』の「故」から生まれた『白糸酒造』の「個」こそ、『田中六五』なのです。

『白糸酒造』8代目杜氏・田中克典氏とともに松本氏が仕込んだ醪。「数値、経過など、自分の思い通りに仕込ませていただきました」と松本氏。

ホースから出てくる醪を一つひとつ酒袋に詰め、槽と呼ばれる箱に並べ、積み、仕込んでいく。

この日は、1,900ℓの醪を370枚の酒袋に詰める作業を行う。一袋に入れる量は、約5ℓ。それを体感で行う。

酒袋に詰めた醪を、槽の中へ交互に並べ、積み重ねていく。少しでもバランスを崩してしまうと醪が溢れてしまうため、「慎重に、丁寧に、かつスピーディに」と田中氏。

槽にひたすら醪を詰めた酒袋を並べ、積み上げる松本氏。その頭上には、堂々たるハネ木がそびえる。

創業は安政2年(1855年)。歴史ある『白糸酒造』の酒蔵には、「ハネ木による手しぼり」と記される。それは、令和3年(2021年)になった今なお、変わらない。

『白糸酒造』のシンボルとも言える煙突。現在はその役目を終えたが、風景としてその姿を残す。「変えてはいけないものは、技術や伝統だけでない」と田中氏。

「杜氏になってから唯一変えなかったことがハネ木搾りです。逆を言えば、それ以外は全て変えました」と田中氏。

「『田中六五』は、土地の原料が活かされた糸島にしかできない日本酒。味は革新的ですが、造りは伝統的なのは、田中さんだから成せる業だとおもいます」と松本氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO現代とは真逆の世界。「ハネ木搾り」は、時短ではなく長時の酒造り。

「槽」の上を見上げれば、梁のような大木が天に浮き、その出番を待っています。

「槽とハネ木を備える旧蔵は、約100年前に建てられたのですが、このハネ木はその時からあると聞いています。素材はカシの木でとても丈夫ですが、さすがに今はひび割れも多く、鉄で補強しながら現役で使っています」と田中氏。

この大木をテコの原理で槽に圧をかけ、最後の一滴まで搾ります。その調整を測るのは、十数個の石。小さいもので約20kg、大きいもので約80kgある石を槽とは逆側に吊るし、徐々にその数を増やしていきます。最終的には、約1.2tに及ぶも、更に驚くべきは、それにかける日数。3日間かけて、「ハネ木搾り」は行われるのです。

昨今、圧搾機などを用いて「ハネ木搾り」と謳う蔵も少なくありませんが、正真正銘の全量「ハネ木搾り」は、日本全国の中でも『白糸酒造』のみと言って良いでしょう。逆を言えば、それだけ現代の技術は発達しているため、機械に頼ることもできますが、あえて手造り、手作業にこだわっているのです。

3日間かけて搾られた酒は、サーマルタンクに移され、−3.5度まで冷やし、一週間寝かせます。その後、生の状態で瓶詰めし、まるでプールのように水を張った釜にそれを並べ、徐々に65度まで温度を上げ、瓶燗火入れを行います。

「生酒を除くお酒は、通常、“火入れ”という工程を経て店頭に並びます。香りや味を安定させるだけでなく、雑菌を死滅させ、おいしいまま長期保存をできるようにするためです。しかし、『白糸酒造』では、急激な温度変化で風味を崩さないよう、あえて時間と手間のかかる“瓶燗火入れ”を採用しているのです」と松本氏。

「それによってお酒のストレスも軽減でき、味がおいしくなる(はず)」と田中氏。

『田中六五』の酒造りには、現代における時短の世界はありません。むしろ、1時間のことに3時間費やし、1日のことに3日費やすような長時の世界。しかし、「時間をかければおいしくなるわけではないことも、伝統を守り続ければおいしくなるわけでもないことも理解しています」と田中氏。

2014年より杜氏に就任以降、既存の方針を変えてばかりいた田中氏だっただけに、変えなかったことへの想いは一入。「結果が全て」と言葉を続ける田中氏は、変えなかった造りを持って『田中六五』を創造したのです。

「六五」とは、その名の通り、糸島産の山田錦を65%精米して仕上げた純米酒です。そのきっかけになったのは、佐賀県姫野市が誇る『東一』の勝木慶一郎氏が手がけた65%精米して仕上げた純米酒との出合いでした。奇しくも、勝木氏は、松本氏の前蔵の顧問であった人物であり、今後は『白糸酒造』の顧問を務めます。

「原料に勝る技術はない」とは、勝木氏が師から得た言葉であり、松本氏にも残した言葉。

今、松本氏が最も重要視する原料、それは「水」です。

「そう感じることができたのは、今、ご一緒している『冨田酒造』、『花の香酒造』、『白糸酒造』、『仙禽』、『新政酒造』の五蔵と同時に酒造りをさせていただいているからこそ、改めて気づくことができたのだと思います。各蔵、発酵のさせ方や醪の数値など、自分なりに味のイメージを持って仕込ませていただいており、最初の口当たりや印象もその通りにできていると感じています。しかし、後味や奥行き、旨味の重心は、必ず各蔵が持つ美点が活かされた味になっている。ここで搾った荒走り(搾りの最初に出てくる酒)を飲んだ時にそう確信しました。そして、その理由は、原料の水にあると思ったのです」。

ハネ木に石を吊るす作業も人力。3日間かけ、大小の石を数十個吊るし、搾る。石の総重量は、最終的に1tを超える。

ハネ木に吊るす大小の石たち。結んだロープは、舟で漁師が使用しているものと同様。「実は、以前の杜氏が漁師町に住んでおり、そこから分けていただいています。上槽、櫂入れなど、海にまつわる文言が酒造りに多いのも不思議ですね」と田中氏。

ハネ木の重さで沈んでいく酒袋との間を微調整していくのは、大小の木の板と角材。これもまた、古くから使用され、素材はイチョウの木。

 左側に石を吊るし、テコの原理で右側の槽に積んだ酒袋に圧をかけ、搾る。鉄で補強しながら使い続けて約100年。

醪による自然の圧、ハネ木搾りで搾りきった酒は、サーマルタンクへ。−3.5度まで冷やす。

酒袋に醪を積み重ね終わった後、荒走りをひと口。「自分が介在した味は感じるも、しっかり『田中六五』になっている」と松本氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO原料に勝る技術はない。水に触れ、水を知り、水について考える。

たかが水、されど水。水を表現することは難しい。

水を化学式で表すとH2O。つまり、ふたつのH(水素)とひとつのO(酸素)が結びついてできている化合物です。しかし、学式だけでは表せないことが味や風土にあると思います」と松本氏。

田中氏とともに向かった先は、糸島の水源とも言える「白糸の滝」。

約24mある滝の高さは、水しぶきが飛ぶほど近くまで足を運ぶことができます。ふたりは、流れる水をひと掬い。

「ミネラルが適度に含まれる中硬水。蔵の井戸水とは若干違う味とテクスチャー。うちのは、もう少しもったりしているというか、とろみがあるというか。ウエットな感じ」と田中氏。

「きっと、ここから流れ落ちる間に水質も変わるのではないでしょうか。岩肌から滲み出るのか、冬に溜まった雪解け水なのか。地形によって同じ水源でも異なる素材になるのだと思います」と松本氏。

「そういう意味では、このあたりは岩盤が近く、それに付着していれば鉄分も含まれているかもしれません。滝は上から流れ落ちる水ですが、井戸は下から汲み上げる水。地下水が帯水する地層に含まれる成分も関係しているのかもしれません」と田中氏。

例えば、ここ「白糸の滝」を内包する「羽金山」の雨水の行方を検証してみると、地中への染み込みは約50%、蒸発は約25%、地表面への流れは約25%(全て、裸地を除いた数字)。森林は、水の命を蓄えているのです。

さらに水について追求を進めれば、「羽金山」を始め、周囲の山々から流れ落ちる水から育った米で『田中六五』は造られています。水は酒造りだけでなく、米作りから重要な役割を果たしているのです。『田中六五』の原料となる山田錦もまた、糸島の山北地区の田んぼで育てられています。

「標高は約80mの低山。面積が確保され、程良くゆるやかに傾斜もあり、水の通りも良い。海に抜ける風道もあるため、寒暖の差もあり、米作りには非常に適した環境だと思います」と松本氏。

糸島は、全国的にも有名な山田錦の産地であり、福岡全域は、地域の酒造組合を中心にお米が管理されています。全量米、つまり昔の配給米の仕組みです。ゆえに、田中氏が直接農家とやりとりすることはありません。今では珍しい仕組みであり、ある意味、健全な地域の証拠ではありますが、一方で変化を生みにくい面も備えます。

「いつか米作りから農家さんとご一緒したいと思っています。そのために、農家さんの信頼を得られる酒造りをしたい」と田中氏。

信頼を得られる酒造りとは、生産数を上げ、たくさんのお米を仕入れることにあります。直接、関係を持てなくとも『白糸酒造』と『田中六五』の勢いを仕入れる量の多さで認知させ、いつかのための準備をしているのです。

「歴史ある日本酒業界の方針を変えるのは難しいですが、選択肢は増やすべきだと思います。自分たちも既存の仕組みに否定的ではありません。しかし、年々減っている酒蔵の数や低下している日本酒の摂取量という結果を真摯に受け入れた時、新しい仕組みも必要なのではないかと考えています。なぜなら、日本酒は、間違いなく日本のお米を支えているから。日本酒の数が減れば、田んぼも減り、農家さんもいなくなってしまいます。そうなる前に何とかしなければいけません」とふたり。

酒造りは蔵から始まるのではありません。原料が生まれる蔵の外から始まっているのです。

「レストランやお客様はもちろん、世の中は常に進化している。日本酒においても時代に応じた進化が必要。当たり前を見直し、変化を恐れてはいけない」とふたりは言葉を続けます。

伝統や歴史があるものは、時代との呼応を相容れないことがあるのかもしれません。

本当に大切なことは変えない。しかし、変えるべきことは変える。

『白糸酒造』のように。『ハネ木搾り』のように。『田中六五』のように。

全てにおいて、「守破離」を繰り返すことによって、物事は卓越していくのです。

 羽金山の中腹530mに位置する「白糸の滝」。文字通り、岩肌を白い糸のように流れる。その美しい景観は、県指定名勝にも選ばれる。しばし、滝の景色と音に癒される松本氏と田中氏。

「白糸の滝」から流れる清流は透き通るほど美しく、ヤマメも泳ぐ。

「酒を知るには土地を知ることが大事。土地を知るには水を知ることが大事。水が酒を決める」と松本氏。

『白糸酒造』から湧き出る井戸の水。「うちの水は少しとろみがあります。実は、最初はこの水があまり好きではありませんでした。しかし、この水によって馴染んでいく味がうちの日本酒であり、個性。大事な原料であり、自然からの大切な恵みです」と田中氏。

『田中六五』のお米は、糸島の山北地区で育った山田錦。「水が豊か、広く平らな土地、土の水はけも良い、昼夜の温度差もある。米作りには最適な環境だと思います」と松本氏。「農家も田んぼを守らなければいけない。誰に預けるのか、どの蔵に預けるのか。そういった問題にも一緒に向き合いたい」と田中氏。

上記よりも更に上空から望んだ糸島らしい景色。山があり、海があり、田園風景が広がる。

HIDEHIKO MATSUMOTO決して人助けではない。頼まれたわけでもない。ただ、一緒に酒造りをしようぜ。

実は、松本氏と田中氏の付き合いは長く、共通点も多い。

「最初の出会いは大学時代。ただ、その時は別に仲が良かったわけではない(笑)」とふたり。

卒業後、松本氏は『九平次』を造る名古屋『萬乗醸造』と『東一』を造る佐賀『五町田酒造』へ。田中氏は、広島『酒類総合研究所』を経た後、松本氏同様、佐賀『五町田酒造』へ。

同じ大学、同じ修業先。そして、前述の通り、ふたりを結ぶ勝木氏の存在。しかし、何より一番の共通点は、「お互い社交性が低い……。だから、仲良くなれなかった(笑)」とふたり。

では、いつからその距離は縮まったのか?「最近(2020年)ですかね(笑)」とふたり。

加えて、年齢が近い職人同士の輪は広がり、会えば夜な夜な熱い話をする日々。そんな矢先に起こった出来事が松本氏の蔵問題だったのです。

「過去は変えることはできない。変えることができるのは未来だけ。ですから、不謹慎かもしれませんが、変化と進化するチャンスだと思いました。助けようだなんて思っていません。そんな大それたことは自分にできませんから。ただ、日出彦さんは、大好きな友達だから。遊びも一緒にしたいし、勉強も一緒にしたい。だから……、ただ、一緒に酒造りをしようぜ」。田中氏は、そう振り返ります。

一方、そんな誘いを受けた松本氏でしたが、「当時の自分は、すぐに気持ちの切り替えはできず、うちに篭っていました」と話します。

「“それでもいいから、待ってるよ。酒造りがしたくなったら、一緒にやろうぜ”。田中さんは、そう言ってくれました」。

「他の友達が同じ状況になっても同じことをしたと思います。日出彦さんだって、逆の立場だったらそうしたんじゃないですかね。一緒に酒造りをしてみて感じたことは、攻めの数値。醪の経過も強気ですし、これは性格ですかね?(笑)」と田中氏。

「確かに、バランス良く酒造りをしている田中さんから見たら、そう映るかもしれませんね(笑)。吟醸酒作りではなかった自分にとっては、いつも通りなのですが……」と松本氏。

「日出彦さんの造っていた日本酒は、ガスを効かせ、熟成にも勝るフレッシュさもありました。その製法に関して話には聞いていましたが、あくまで口頭から得た想像の世界。今回、一緒に酒造りをすることによって、色々、理解できたことも多かったです」と田中氏。

一方、酒造りをさせてもらうことによって、松本氏は多くの発見を得ることができました。

「自分の魂はどこにあるのか。自分の酒造りは何だ。生きる営みこそ酒造りであり、それを表現するために、自分は再び酒造りの世界へ戻りたい。そう思いました。田中さんは、審美眼に長け、感度も高い。有言実行、変えるところはとことん変え、守るところはとことん守る」と松本氏。

事実、以前の『白糸酒造』は、難局を迎えていましたが、田中氏の杜氏就任後、さまざまな改革によって蔵は持ち直します。

「でも、新しい蔵を作る時には、反対されましたけどね(笑)」と田中氏。

酒造りはチーム。『白糸酒造』が守り続ける「上槽」のごとく、杜氏は言わば船頭。

「船頭(杜氏)は、一番強い風を受けなければいけません。その後ろで櫂を漕ぐ人間(職人)に同じ風当たりを理解してもらうのは難しい。どんな舵を切るのか、どんな海に向かうのか、それは穏やかなのか、荒波なのか。全ては田中さんにかかっている。『白糸酒造』は、みんな田中さんを信じて航海している素晴らしいチームだと感じました」と松本氏。

そんな航海の仕方は、日本酒業界においても同様かもしれません。

これがうまいとされる味をなぞれば、造りも原料も似てしまう。ある意味、安心安定の穏やかな海への航海ですが、結果、各々が持つ地域性や蔵の個性は失われてしまいます。特性を活かすためには、群から外れた荒波への航海の選択をしなければいけません。しかし、群が生んだ味の正解、造りの正解、原料の正解ではない、新しい正解を受け入れてもらうのは至難の業です。

「味を決めるのはあくまで消費者ですが、その責任を果たす義務が我々にはあると思います。自分たちの都合で変わらないのは良くない。逆にそれによって守れないものも出てくる。もはや、自分たちだけの問題ではありません」とふたり。

その問題はさまざま。解決するためには、どんな航海をするべきなのか。これからの松本氏の人生も例外ではありません。むしろ、波風のない平穏な海への航海はないでしょう。

「心を燃やして酒造りをするしかない。その種火は、他所から持ってきては意味がない。自分で起こすしかない」とは田中氏の言葉。

自分の正しいと思うコンパスを信じて、舟に乗る。

田中克典と過ごした時間から松本日出彦が学んだことは、酒造りだけではありません。そんな情熱を学んだのです。

「初めて一緒に酒造りができて、お互い良い経験になった」と田中氏。「今回、お世話に立っている5蔵の中で一番自由に酒造りをさせていただきました。仕上がりが楽しみです」と松本氏。

2016年に田中氏が建てた新たな蔵(手前)。モダンなコンクリート建築は、まるで美術館のよう。伝統的な「ハネ木搾り」を行う旧蔵(奥)とは対象に、ここではテクノロジーを駆使し、味の数値化やデータ管理する機能を備える。「変えないところはかえない。変えるところは変える。このバランス感覚と行動力に田中さんは長けている」と松本氏。

新旧の建物が並ぶ『白糸酒造』。「田中」とは田中家の姓であるとともに、「“田”んぼの“中”にある酒蔵で醸された」という意味も込められている。まさにそれを可視化した風景。

糸島産山田錦のみを65%精米して仕上げた純米酒『田中六五』。「『田中六五』が目指すは、オンリーワンでもナンバーワンでもありません。本当に伝えたいお酒を作り続けることによって、定番になることを目指したい」と田中氏。

住所:福岡県糸島市本1986 MAP
TEL:092-322-2901
http://www.shiraito.com

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

間伐材、竹林に続き、カカオ廃材! 食べることが地球のためになるサステナブルスイーツ。[LIFULL Table Earth Cuisine/東京都千代田区]

江藤氏が手掛けた「ECOLATE CARE」。こちらは“廃材らしさ”をいかに残して美味しさを追求するかに身を粉にした。Photograph:株式会社LIFULL

上妻氏が考案した「ECOLATE TABLETTE」。廃材を使いながらチョコレートらしい食感を追求した。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ「地球料理 -Earth Cuisine」第三弾のテーマはカカオ廃材。

食べることが地球のためになる。いままで目を向けられていなかった、社会問題や環境問題の要因となる素材にフォーカスし、「食べる」という新たな可能性を見出す。そして、持続可能な社会を叶える未来へ……。

そんな理念のもと2018年に動き出したのが、「地球料理 -Earth Cuisine- (アース・キュイジーヌ)」。 「あらゆるLIFEを、FULLに。」を掲げ、住生活情報サービスなどを運営する企業、株式会社LIFULLの飲食事業  「LIFULL Table」が手掛けるプロジェクトです。  2018年10月、その第一弾として「Eatree Plates」が始動し、2019年3月には間伐材を食材として使用したパウンドケーキ「Eatree Cake 〜木から生まれたケーキ〜」を発売。続く2019年9月には放置竹林をテーマにした「Bamboo Sweets -竹害から生まれた和菓子-」を発表すると、2020年2月には放置竹林の竹と笹を使用した「Bamboo Galette(バンブー ガレット) -竹害から生まれたガレット-」を世に送り出したのです。
そして、今回がその第3弾。間伐材、竹に続き、「地球料理 -Earth Cuisine-」が目を向けたのは“カカオ”でした。

イベントでは、試食に先立ち株式会社LIFULLのCCOである川嵜剛平氏が挨拶。今回のプロジェクトへの想いを語った。

フーズカカオ株式会社代表取締役の福村 瑛氏。数々の現場を見てきた福村氏の言葉にカカオが抱える問題の深刻さを思い知らされた。

会場は、虎ノ門にある『Social Kitchen』。イベントは密にならぬよう、細心の注意を払い開催された。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ差し迫るチョコレート危機。カカオは絶滅の危機にある!

カカオといえば、誰もが知っているようにチョコレートの原材料になる植物です。では、なぜそのカカオに今回焦点が当てたのか。日本人において一番身近にあるスイーツのひとつといっても過言ではないカカオ。事実、日本におけるチョコレート市場はここ10年で35%成長したというデータもあります。しかし、その一方で、問題とされているのが、原料であるカカオ生産における社会問題。大量生産・大量消費にともなう価格低迷を背景に、カカオ農家の貧困問題や児童労働といった問題が浮き彫りになり、さらには需要増による生産地拡大が環境破壊を引き起こしているといいます。それだけではなく50年ほどで収穫力が低下するというカカオ樹の高齢化、昨今の気候変動によるカカオ樹が罹る病気の脅威もあったりと、深刻なカカオ不足が叫ばれ、このままでは2050年までにチョコレートづくりに使われているカカオ豆が絶滅する可能性すらあるといわれ、いずれチョコレートが食べられなくなってしまう恐れまであるというのです。

だからこそ、「地球料理 -Earth Cuisine-」はカカオに目を向けたのです。無論、使うのは一般的にチョコレート製造に用いられるカカオマスやココアバターといったものではありません。使うのはなんと「カカオの廃材」。これまで食材として見向きもされなかった、カカオ豆の殻であり、カカオ樹の葉であり、枝なのです。
名付けて「ECOLATE」。

“カカオの廃材”を食べることで、差し迫る“チョコレート危機”に対して、カカオが抱える問題について、今一度考えてもらおうというのです。

消費者が普段見ることのない生産の現場。カカオ生産における社会的、環境的問題はいまだ多い。Photograph:株式会社LIFULL

一般的にチョコレートに使われるのはカカオマス。それ以外のおよそ70%のカカオ部位は廃棄されるという。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌカカオ廃材を使ったスイーツづくりにふたりのパティシエが挑む!

今回、「ECOLATE」を開発するにあたって、その大事なファクターを担ったのが、インドネシアの農園により今回の廃材を仕入れ、東南アジア各国のカカオ豆および製菓材料の提供などを行うフーズカカオ株式会社。代表の福村 瑛氏はこう話します。
「話を聞いて、カカオの木を食べることで未来のカカオ生態系をつくれるこのプロジェクトの可能性にとてもワクワクしました。農家さんが木や葉っぱも食品として扱い、農薬を使わずに育ててくれるとカカオ豆自体の農薬問題解決の一助にもなります。これをきっかけに『カカオの木を食べる文化』が発展することを期待しています」。

そして、今回のプロジェクトで最も大切な2人が、カカオの廃材でスイーツを開発したパティシエの江藤英樹氏と、上妻正治氏でしょう。江藤氏は『DOMINIQUE BOUCHET TOKYO』『SUGALABO』といった名店でシェフパティシエを務めた後、現在は虎ノ門『unis』でシェフパティシエを『Social Kitchen』でプロデューサーを務める人物。一方で上妻氏は『Social Kitchen』ディレクターであり、「ジャパンケーキショー」にて3度の金賞を受賞した経歴の持ち主です。
とはいえ、消費者への問題提起、さらにはサステナブルな未来を築くための一助になるという使命があるにせよ、「ECOLATE」が食品である以上、大前提に“美味しい”ことが大切であることは言うまでもありません。カカオの廃材を活かし、江藤氏、上妻氏が考案した「ECOLATE」。いったいどんなスイーツに仕上がっているでしょうか。

「ECOLATE CARRE」を手掛けた江藤氏。殻だけでなく、葉、枝を使いながらスイーツにすることに苦心した。

ひと口サイズの3種のチョコレートが楽しめる「ECOLATE CARRE」。農園の雰囲気まで目に浮かぶ味わい。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌまずは美味しいありき、江藤氏と上妻氏考案の「ECOLATE」。

まず、江藤氏が考案したのは、「ECOLATE CARRE」という3種のひと口チョコレート。茶色のキャレは、カカオ豆の殻を50%使用し、ビターな香ばしさを引き出したさっくりとした食感。江藤氏曰く「殻を細かくしすぎず、あえて粗めに残すことで、“廃材っぽさ”を感じてほしかった」といいます。キャメル色のキャレに使ったのはカカオの枝。20%の含有量で、独特の食感に“木の質感”を感じとることができます。そして、印象的だったのはモスグリーンのキャレ。こちらは、カカオ豆の殻、枝、葉を30%ほど混ぜたもの。実は、カカオの葉は伐採してそのまま地面に放っておくと、湿気がたまりカカオ樹の病害の原因にもなるそう。サクサクとしたなかにもしっとりした“やや湿度を感じる食感”には、そんなカカオ農園の姿までもイメージさせてくれました。しかも、これらのキャレには、廃材と糖分、油脂分しか使われていないというから驚きです。江藤氏も「現場には本当に殻、枝、葉そのものの状態で届くんです。それをいかにスイーツにするか。難題でしたが、『廃材でここまでできるんだ』ということを少しでも表現できれば」と話します。

次に上妻氏の「ECOLATE TABLETTE」。こちらはカカオ豆の殻の使用率を33%にまで高めながらも、チョコレートらしい滑らかな質感にこだわったと上妻氏はいいます。
「最大限のハスク(殻)の量を入れてどこに着地させるかが難しかったですね。「ECOLATE TABLETTE」には33%のハスクを使用しましたが、形状、テクスチャーは問題ありませんでした。しかし、問題は渋さだったんです」。
そこで上妻氏は、一般的な砂糖に比べ甘味の強い果糖やキビ糖などをブレンドして加え、その“渋さ”とのバランスを取ったそう。カカオとココナッツが織り成す豊かな風味、ほろ苦さと甘さのなかに、感じる絶妙な酸味のバランスに、チョコレート好きは目を白黒させることでしょう。

いずれにせよ、すごいのはカカオの廃材を使ったチョコレートながら、コンセプト重視にならず、食べてしっかりと美味しく、それでいてカカオの新たな一面をしっかりと食べ手に訴えかけてくる点。よもや廃材として捨てられていた素材が、このような素晴らしきチョコレートになろうとは思いもよらなかったのではないでしょうか。
「ECOLATE CARRE」と「ECOLATE TABLETTE」は、下記にて限定販売中。そして、ぜひ食べることで、カカオという食材の裏に隠れる社会問題に考えを巡らせてみてください。それがカカオの生産者が抱える問題を解決する一助となり、はたまた地球の未来をも守ることにもなるのですから。

上妻氏。江藤氏とともに試食中は、イベント参加者に作り手としての想いを熱心に語っていた。

「ECOLATE TABLETTE」。甘味、苦味、酸味がまさに三位一体となった味わい。テクスチャーも絶妙だ。Photograph:株式会社LIFULL

住所:東京都千代田区麹町1-4-4 1F MAP
電話:03-6774-1700
LIFULL Table HP:https://table.lifull.com/
ECOLATEの購入はこちら

辻調グループフランス校卒業。フランス・ラナプール「L’OASIS」カンヌ「villa des Lys」にて修行。「BEIGE Alain Ducasse TOKYO」にて経験を積み、「DOMINIQUE BOUCHET TOKYO」「SUGALABO」「THIERRY MARX」等、数々の名店でシェフパティシエを歴任し、2020年「unis」のシェフパティシエ「Social Kitchen」プロデューサーに就任。

東京都製菓専門学校卒業後、パティスリーキャロリーヌ、クリオロでチョコレート部門責任者を務め「Social Kitchen」ディレクターに就任。ジャパンケーキショーにて計3度の金賞受賞、World Chocolate Masters国内予選チョコレート部門1位、総合3位など受賞多数。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

コンセプトの破綻、料理長交代、リニューアル……。オープン10ヶ月の、激動を経て……。[美会/東京都中央区銀座]

個室に設けられたカウンターから、ビア氏が料理のプレゼンテーションを行う。リニューアル後の新しい試みのひとつだ。

美会コロナ禍のオープン。すべてが変わった『美会』の10ヶ月。

2020年6月、銀座7丁目の路地裏に一軒のワインバーがオープンしました。店の名は『美会(びあ)』。銀座の中心にあって、夜中でも人が集えて美味しい料理と酒に出会える店。そんなコンセプトを店名に込めた店は、実に前途多難の船出となりました。オープンしたのは1回目の緊急事態宣言が解除された直後。どの飲食店にも苦しい状況は変わりませんが、こと『美会』に関しては、新型コロナウイルスの影響で店のコンセプトすら崩壊しかねない状況でした。

それでも『美会』は、確実に前を向いて進んでいきます。日本を代表する名店とのコラボ弁当の販売、アラカルトを止めコースの一本化。さらに、料理長の交代、オープン半年にして店の大胆なリニューアル、日本一予約が取れない焼鳥店として知られる『鳥しき』とのコラボランチの開始……。あらゆる手を打ち、店を存続させてきた店が、2021年3月にひとつの決断を下します。

「こんなときだからこそ、飲食店として、『美会』としてやらないといけないことがある、やるべきことがある」。

それがコンセプトの一新でした。オープンよりおよそ10ヶ月。激動の時を経て、コロナ禍だからこそ自分たちがやるべきことを突き詰めた『美会』のいまに迫ります。

ビア氏と『鳥しき』の店主・池川義輝氏。「カオマンガイ」の試作・試食を重ね、アイデアをひねり出す。

1階入り口には、オープン時に全国のレストランから届いたお祝いの札。ビア氏の愛され具合が分かる。

美会料理人の間でも愛される美食家が『美会』を開くまで。

『美会』という店を紐解くにあたり、まずこの店のオーナーの存在を知る必要があります。その人物こそ通称ビア、本名をピーラゲート・チャロンパーニッチといいます。料理人の間ではその名の知れた美食家でもあるビア氏は、タイ・バンコクの出身。幼い頃から日本の文化に興味を持ち、2006年に来日すると立命館アジア太平洋大学に入学、卒業後は日本の貿易会社、トリップ・アドバイザーでの勤務を経て、通訳や翻訳業のフリーランスとして活躍するようになります。そのビア氏に転機が訪れたのはおよそ10年前。あの『すきやばし次郎』の映画『二郎は鮨の夢をみる』がきっかけでした。ビア氏は、アメリカでも極めて高い評価を得たその映画を見た海外の友人から、こんな依頼をされたそうです。

「『すきやばし次郎』の予約をとってくれないか」

ビア氏は朝一番で並んで『すきやばし次郎』のプラチナシートを予約したといいます。すると、今度は「『鮨さいとう』が食べてみたい」「『すし匠』も行ってみたい」「『都寿司』も(移転前の『日本橋蛎殻町すぎた』)」とオファーが舞い込むようになったといいます。

「もともと自分は日本の文化が大好きで来日したんですが、いろんな店に一緒に食べにいくようになって、職人の仕事そのもの、特に寿司や日本料理の料理人の仕事に惹かれるようになったんです。自分のなかでは、はじめは“食べに行く”というより、職人さんに“会いに行く”ようなイメージ。僕のレストラン巡りはここから始まりました」。

それからおよそ10年、現在では全国の名店をめぐり、日本を代表する美食家となったビア氏。ではなぜ、そのビア氏が『美会』をオープンしたのかといえば、「それは本当に偶然だった」といいます。

ビア氏が、現在の『美会』のある物件と出会ったのは2019年12月のこと。知人から「銀座にいい物件があるんだけど、何かやってみない?」との何気ないひとことが引き金となりました。銀座といえば、ビア氏にとっても憧れの地。銀座に空いた物件の話が表に出てくること自体が珍しく、しかも、7丁目の路地裏にある一軒家という奇跡的な条件。ビア氏は考え抜いた末、この話を引き受けることにしました。

銀座といえば日本の一流の店が集まる美食街ながら、ビア氏が納得できるような、夜中まで美味しいものに出会える店は少なかった。ビア氏はそこに目をつけました。

「銀座には一流の料理人さんの友達がいっぱいいます。そんな料理人が仕事帰りに美味しい料理とお酒にありつける店にしたかったんです。夜な夜な料理人が集まってきて、みんなと一緒になってワイワイ楽しめる店にしたかった」

料理は、ビア氏ががこれまでに全国を食べ歩いて築き上げてきた、料理人や生産者とのパイプを活かし、全国の名だたる食材を使用したアラカルト。深夜でもワイン一杯から楽しむことができ、誰もが気軽に通える。いわゆる古臭い言葉ですが、味を知る大人の社交場のような店にしたかったのだそう。

2階の店内。2020年11月にリニューアルされ、よりゆったりと寛げる空間に生まれ変わった。

『美会』があるのは、コリドー街の一本裏手の路地裏。銀座の一軒家という奇跡的なロケーション。

『鳥しき』とのコラボで誕生した限定ランチメニュー「カオマンガイ」。現在は終売したが、復活を望む声も多い。

美会前途多難。皮肉にもオープン予定日は、緊急事態宣言発令日。

しかし、新型コロナウイルスがすべてを台無しにしたのです。そもそも当初予定していたオープン日が2020年4月7日。皮肉なことに、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言が発令された日でした。当然オープンは先延ばしになります。それでもビア氏には「オープンしたらなんとか客がやってきてくれるだろう」という気持ちもあったといいます。ところが蓋を開ければ、緊急事態宣言解除後も元には戻りませんでした。とりわけ、日本の他のエリアに比べても夜の銀座は、劇的に人通りが少なくなったのですから当然のことでした。それだけではありません。当初掲げたコンセプトからして、withコロナの時代には逆行するものになってしまいました。銀座の料理人が仕事終わりにワイワイ楽しめる店、深夜でも美味しい料理と酒にありつける店というコンセプトは、時短営業が余儀なくされ、密が避けられる状況では破綻しています。

さらに追い打ちをかけたのは、『美会』が新店であること。営業自粛、時短営業をしても、前年の売上実績がない『美会』には国からの協力金が支払われないのです。かさむ人件費、大きな負担になる家賃。オープン直後の6~7月は、店を開ければ開けるほど赤字になりました。迎えた9月には、今度は料理長の持病が悪化し、新たな料理長に交代することになります。当然ながらそこで料理も変更せざるを得ませんでした。

ところがこのあたりから、少しずつ『美会』の巻き返しが始まります。料理長の交代を機に、日本料理の王道をリスペクトしながら、日本全国の最高級の食材をかけ合わせた、ここでしか味わえない料理を提供するように。11月には店舗を思い切ってリニューアルすると、徐々に客足も戻ってくるようになります。そして、ビア氏は次なる一手を打ちます。

日本一予約が取れない焼き鳥店『鳥しき』とのコラボランチを始めるのです。それこそが現在の『美会』のコンセプトにも通じる「カオマンガイ」の提供でした。これがスマッシュヒットとなり、『美会』の大きな道標となりました。

「カオマンガイ自体はタイ料理ですが、『鳥しき』さんや日本料理の技術、食材を活かすとすごく洗練された味になり、人気が出た。だったら僕の目線でほかのタイ料理も、『日本の食材を使った日本でしか食べられない料理にしたらどうだろうか』と考えたんです」。

ビア氏が巡るのはレストランだけにあらず。生産者のもとへも足を運ぶ。写真は、兵庫県西脇市の『川岸牧場』にて。

「生春巻」は鴨肉の旨み、野菜のフレッシュさと食感に、ジュレ仕立ての爽やかなタレが絡み合う。

「トムヤムクン」は、香り、酸味、辛味は抑えられているものの、出汁による優しくも力強い旨みが印象的。

美会日本の食材を活かした新しいタイ料理のあり方。

そして、『美会』は新たな道を進むことになります。

夜遅くになっても美味しい料理と酒にありつける店ではなく、『美会』でしか味わうことができないタイ料理を追求すること。岐阜のジビエ、気仙沼の鱶鰭、豊洲『やま幸』のマグロや、『旭水産』の白身魚、『川岸牧場』の神戸牛……。これまでビア氏が全国を食べ歩いてきたなかで築き上げた料理人や生産者とのパイプ・ネットワークを活かして仕入れる、日本全国の最高級の食材をタイ料理に。取材日、『美会』で供されたのは、まさにここでしか味わえないタイ料理になっていました。

たとえば、コースの幕開けとなる生春巻き。つけダレは、和の出汁にわずかにナンプラーを加え、コブミカンの葉で香りをのせてジュレ仕立てにしています。巻かれているのは黄色人参、新生姜、キュウリ、鴨肉など。しかも、この鴨肉がただの鴨ではありません。ミシュランの星付きフレンチなども使う、岐阜のハンターから直接仕入れる極上の鴨肉だというのです。「トムヤンクン」に使われる魚介類も、日本を代表する名店のものと同じ。豊洲『旭水産』より仕入れる天然蛤や車海老、鯛が、丁寧に取られた魚と蛤の出汁に。レモングラスやガランガル(タイの生姜)、コブミカンの葉といったハーブのニュアンスを感じさせながら、実に優しいトムヤムクンに仕上がっています。

「タイは暑い国だから、日本のようによい食材がとれない。だから、ハーブやスパイス、辛さや甘さを重ねた料理ができたとぼくは思っています。それを日本の本当にいい食材を使うと、まったく料理に対するアプローチが変わってきます」。

これでもかという素材を活かしつつ、香草を加えたり、スパイスでアクセントを足したり、和の調味料や技法を交えたり、緩急自在に『美会』の料理にタイのエッセンスを纏わせる。ありそうでなかった新しいタイ料理の形。『美会』でしか楽しむことができない味がそこには確かにありました。

「キンメダイ」は、細かくしたタイの香草を取り入れ、食感と香りのアクセントに。銀餡で和のニュアンスも出した。

店内に飾られた写真の中には、生産者や職人とのツーショットも。『日本橋蛎殻町 すぎ田』の杉田氏とは、前身となる『都寿司』時代からの付き合いで、ビア氏に仕入先を紹介するほどの仲。

美会雨降って地固まる。激動の10ヶ月がビア氏の心を変えた。

オープンから激動の10ヶ月。コロナ禍でコンセプトが変わり、人が変わり、料理が変わった『美会』。そして、コロナが変えたもうひとつのことがありました。

「生産者さんを助けないといけないという思いも芽生えました。そのためにも店をやっている自分こそ、この状況を乗り越えないといけない。そして、タイ料理を通してタイという国を知ってもらうことで、自分の故郷にも恩返ししていければいいですね。いろんな料理人さんが気遣ってくれてアドバイスしてくれて手を差し伸べてくれました。そんな方々のためにも頑張らないといけません」。

最後に、コロナが落ち着いたら、またもとの『美会』のコンセプトに戻るのか? と尋ねると、きっぱりとビア氏は答えてくれました。

「この店をもとのようにすることはありません。この料理でタイ料理の素晴らしさを知ってもらえたらいいですね」。

コロナ禍でコンセプトが覆され、絶体絶命の危機を迎えた『美会』。もちろん、料理、サービス、プレゼンテーションなど、完成度でいえばまだまだ改善の余地があります。それはビア氏自身が一番感じているところ。しかし、進むべき道が見えたいま、裏を返せばそれは前進していくしかないことを意味します。

雨降って地固まる。新生『美会』がこれからどんな形でタイ料理を昇華していくのか、期待は高まるばかりです。

『やま幸』の山口幸隆氏との一枚。この愛されキャラがビア氏の真骨頂。多くの料理人、生産者、仲買人などに愛される所以だ。

住所:東京都中央区銀座7-3-16 MAP
電話:03-3572-5599
営業時間:11:30〜22:30(23:00)
定休日:日曜・祝日

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

深まる郷土への想い。コロナ禍で見出した、宮古島で料理をつくる本当の意味。[Restaurant État d’esprit/沖縄県宮古島市]

Restaurant État d'esprit  宮古島OVERVIEW

われわれONESTORYが沖縄に面白いレストランがあると聞き、取材のための情報収集を始めたのがおよそ2年前のことでした。
その店は宮古島の北西に浮かぶ伊良部島の片隅にあり、『紺碧 ザ・ヴィラオールスイート』のメインダイニング。シェフは生まれも育ちも地元・宮古島。東京やフランスの名店で修業し、さらにはバスク地方のレストランで研鑽を積んだ人物だといいます。そんなシェフがつくるのは、フレンチの技法を駆使して沖縄の食材を昇華させる「琉球フレンチ」……。
きっとそこにはこの店でしか楽しめない体験が待っているに違いない。
そんな確信を胸に、ONESTORYはその店への取材に挑むことになりました。
店の名は『Restaurant État d'esprit』。フーディなら一度は耳にしたことがある名前かもしれません。

ONESTORYが『Restaurant État d'esprit』を取材したのは2020年2月。新型コロナウイルスの脅威が日本各地に広がりはじめた頃でした。
しかし、取材は済ませたものの、3月~4月に設定していた記事公開は先延ばしになります。当然ながら取材した情報の鮮度は公開が遅れるほど落ちていきます。
そんななかで2020年11月、われわれは記事の公開時期を相談、宮古島の現状を聞くべく、シェフの渡真利泰洋氏にコンタクトを取ると……。
初めての取材からおよそ10ヶ月後。よもやONESTORYが再び宮古島を訪ねることになろうとは!

コロナ前とwithコロナの時代。観光産業が主軸となる宮古島という場所で、揺れ動く世の中でもがくレストランが見つけた答え。そして、2回の取材を通して見えてきた『Restaurant État d'esprit』の魅力とは一体何か? 
決して大げさではなく、そこには沖縄料理の未来がありました。

住所:沖縄県宮古島市伊良部字池間添1195-1 MAP
電話:0980-78-6000
営業時間:18:00〜22:00
定休日:不定休
http://www.konpeki.okinawa/

Photographs:YASUFUMI MANDA
Text:TAKETOSHI ONISHI

歴史深い桑名の魅力を垂直方向に掘り下げた宿の決意。[MARUYO HOTEL Semba/三重県桑名市]

『MARUYO HOTEL Semba』の外観。白地の暖簾に踊るは、ここが材木商「丸与木材」だった頃の屋号。

マルヨホテル東海道唯一の海上路・桑名に生まれた一棟貸しの宿。

東海道五十三次の42番目の宿場にあたる桑名宿。かつて多くの旅人を癒してきたこの場所は、東海道唯一の海上路・七里の渡しで宮宿(現在の名古屋市熱田区)と結ばれ、伊勢参りの玄関口として栄えてきました。また、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が合流する桑名には流通の拠点として発展してきた側面や、米相場(江戸期の先物相場)が置かれたことで相場師が集まり、経済の拠点として発達してきた側面もあります。

そんな歴史を刻んできた桑名市船馬町にこのほど誕生したのは、明治創業の材木商の建物をリノベ―ションした1日1組(4名まで)限定の1棟貸しホテル『MARUYO HOTEL Semba』。オーナーは、先の材木商・丸与木材創業者の玄孫にあたる『MIWA Holdings』代表の佐藤武司氏です。

「9年ほど前からパリで日本文化をご紹介する『Pavillion MIWA』という会員制倶楽部を運営しているのですが、そこで出会った方々が日本にいらした時に泊まれる場所をということで、2018年に京都の北区に『The Lodge MIWA』という長期滞在型の宿泊施設を造りました。自然に恵まれた長閑な場所なのですが、過疎化が進んでいて、そこへ旅行者が来るようになったことで村の方が自信を取り戻していくのを間近で感じたんです。一方、桑名には私の実家があり、曾祖父から受け継いできた場所が空いていて、父から『(桑名も)京都のようにできないか?』と相談されたことがきっかけです」。

オーナーの佐藤武司氏と、妻でギャラリストの正木なおさん。夫妻の美意識が貫かれた宿になっている。

マルヨホテルアートと滞在の場が自然に溶け合う空間作り。

最初は長期滞在者向けの宿を考えていた佐藤氏でしたが、3年前にギャラリストの正木なおさんと結婚したことで、1泊だけで特別な体験ができる宿へとプロジェクトは変化していきました。

現代アートと工芸を扱うギャラリー『Gallery NAO MASAKI』を営むなおさんは、「生活とアートがどういうところで接点を持ってくるのか?」を十数年に渡って追求してきた人物。そんな奥様と二人三脚で手掛けた宿は、現在と過去、東洋と西洋、アートと工芸の境を超越し、全てが滑らかに融合した空間になったのです。

「桑名は伊勢の入口であり、経済の拠点となってきた時代や明治以降に多くの西洋文化が流入してきた歴史があります。そんな土地が持っているイメージを感覚的に味わっていただきたくて、アンティークの要素を強く持ってくることを意識しました。まず建物自体が古い木造建築で、中に入ると西洋風の格子が表れます。ラウンジは和室なのに石張りという他にはない内装になっていて、この宿を象徴する空間になっています」となおさん。

興味深いのは、具体の堀尾貞治氏の作品や城所右文次氏のバンブーチェアと並列して飾られた江戸時代の蔵に使われていた引き戸。経年による風合いはまるで現代アートのよう。「ここに訪れたゲストからも“この作品の作家はどなたですか?”といった質問をされます」となおさんは言います。古いものがアートに見え、いつしか空間そのものがアートになっていく……。本来、自分から出て来ようもない感覚が引き出され、新しい自分を発見したような気分になれるのは、この宿ならではかもしれません。

「“〇〇の作品がある宿”といったマーケティング的視点ではなく、自分たちが居る空間に自然にアートが在るようにするには、元の建物をどのように改修していくかも重要。例えば、予算ありきで工務店に丸投げする方法では、“予算内に収めるためクロス張りにしましょう”というように、本来自分たちがやりたかったこととのズレが生じてしまいます。そこで、工務店を入れずに現場を直接見ながら、“ここにはアンティークの桧の扉を使いたいので、それに合わせて開口部を仕上げてください”というように、僕と大工さんとで少しずつ改修を進めていきました」と佐藤氏。

通常ではありえない現場は、20歳で宮大工に弟子入り後、数寄屋建築の名門・中村外二工務店で研鑽を積んで独立した相良工務店の相良昌義氏が担当。土壁や漆喰の質感ひとつからも古の息遣いが聞こえてきそうな空間が誕生しました。また、電気工事など専門知識が必要な部分はその都度、佐藤氏自ら専門の職人を手配。調度はもちろん照明の碍子ひとつまでこだわった空間にいると、まるで美の胎内にいるかのような心地よさを感じることができます。

白い漆喰と黒漆喰の対比、オーナー自ら買い付けた照明、選び抜かれたリネン……。非日常のスイッチが入る「room1」の主寝室。

墨を混ぜて作る夜の海の色のような黒漆喰、一輪差しの花、工芸品の棚の配置の妙が、アートな空間を作り出す。

珍しい網代の扉は、佐藤氏自らアンティーク家具店で買い付けてきたもの。「この扉が使えるように開口部を設計してもらいました」。

ジョサイア・コンドルをオマージュした洋室「room 0」。フランスのアンティークの扉から中庭に出るのもいい。デスクに飾られているのはアート作品ではなく、蔵の窓。

マルヨホテル往時の宿場町の面影を残す老舗・名店で夕食を。

名古屋からわずか1駅とアクセスのよい桑名ですが、あえてお勧めしたいルートがあります。それは、名古屋の熱田から桑名まで「七里の渡し」を船で渡るクルーズプランです。

『熱田神宮』をお参りし、湾内のゆったりした波に2時間ほど揺られれば、伊勢の玄関口を象徴する「一の鳥居」が見えてきます。海から伊勢の国に入る体験は、江戸期の旅人と共鳴する特別な体験になることでしょう。

川沿いに佇む築70年以上の古民家の敷居を跨げば、しっとりとした和の美を纏った空間。1階は読書やお茶など、ゆるりとした時間を過ごせるラウンジ。2室ある客室の1室は、黒漆喰の床の間が夜の海を彷彿させる空間で、戸外には桧の露天風呂が設えられています。もう1室は、近隣にある明治時代の洋館「六華苑」を手掛けたジョサイア・コンドルをオマージュした美しい洋室になっています。

また、こちらの宿はB&B(ベッド&ブレックファスト)方式なので、夕食は桑名や名古屋の名店で好みの食事をいただくスタイル。

「宿場町として栄えたきた桑名には、老舗や名店がとにかく多いんです」と佐藤氏が語るように、宿の近辺には蛤料理の『日の出』に松坂牛の鉄板焼き、しゃぶしゃぶの『柿安 料亭本店』、明治10年創業のうどん店『歌行燈』が。こだわりのご夫婦が営まれている『朔』は1日6名限定でランチのみ営業の日本料理店で、店で出す器は全て奥様が手掛けていらっしゃいます。名古屋方面へクルマで30分もいけば、ミシュラン一つ星のフレンチ『壺中天』や、デザートをコース仕立てにしていただける一軒家レストラン『Le Dessert』といった名店も。旅先で美味を堪能したい向きは、希望を伝えつつ、行先を相談してみるのもよいでしょう。

長閑な景色、昔ながらの設えが旅の疲れを癒してくれる2階のダイニングルーム。語らいや食事の場として利用することができる。

宿の近所にある船溜まり。その昔、東海道を船で渡った旅人を思いながら、近場を散策するのも楽しい。

マルヨホテル街の魅力ひとつ一つにスポットが当たることによって、街は底上げされてゆく。

旅先で目覚めた朝は、本当においしいシンプルな食事で胃を満たしたいもの。『MARUYO HOTEL Semba』では、全てにおいてこだわった朝食を提供しています。搾りたてのオレンジジュースは、近隣にある大正時代創業の青果店からとったものを使用。そのお店は創業時バナナ屋だったそうで、当時のバナナがどれほど高級品だったかを考えると、桑名という街の豊かさが感じられます。また、豆乳ヨーグルトにかける蜂蜜は、転地養蜂を営む4代目が採取した桑名にある天然記念物のモチの木の単花蜂蜜。さらりとした優しい味わいです。

「パンは焼きたてのクロワッサンとパン・オ・ショコラをお出ししています。これも宿を始めることでお付き合いのできた街のパン屋さんに“チョコレートはもう少し甘さを控えてください”など、細かいお願いをして今のカタチになりました。先方からも、“やりがいがあります”とおっしゃっていただいて、グラノーラもこちらにお願いしています。グラノーラに使う米油はそもそも桑名が発祥で、400年ぐらいの歴史がある油屋さんのものを使っています。こだわり始めたら、地元のよいものに目がいくようになりました。そこから新たな出会いやプロジェクトが生まれ、自分も楽しみながらこの仕事をやらせてもらっていますし、お客様にも桑名の凝縮された魅力や歴史を感じ取っていただけるはずです。いまは気軽に海外に行けない時期。そんな時だからこそ、水平方向ではなく垂直方向へ、その地域の時間を遡っていくような旅を楽しんでいただけたらと思います」と佐藤氏。

また、「ミニバーに置く水ひとつやタオル1枚にも最良を追求し、新たなプロジェクトが幾つも進行中」と言葉を続けます。

街が持つあらゆる場所や店にスポットを当て、その魅力を我々に伝えてくれる『MARUYO HOTEL Semba』は、桑名という街にとって灯台のような存在なのかもしれません。

全て桑名産か桑名の名店で仕入れた朝食。搾りたてのオレンジジュース、曳きたてコーヒー、焼きたてのクロワッサン、豆乳ヨーグルトとグラノーラにはもちの木のはちみつをかけて。

数ある海苔の品種のなかでも希少なアサクサノリを長い月日をかけて復活させ、90%以上使用した「幻の海苔」は風味抜群。パッケージの題字は陶芸家の内田鋼一氏。桑名発祥の米油を使ったオリジナルグラノーラ、天然記念物のモチノキの蜂蜜も合わせて旅のお土産に。

住所:三重県桑名市船馬町23 MAP
料金:1泊朝食付き33,000円〜 (1室2名の一人あたりの税抜料金。1室2〜4名)
アクセス:名古屋駅より近鉄特急で16分、桑名駅からタクシーにて5分。名古屋駅からタクシーにて30分。
撮影:志摩大介(adhoc)
https://www.maruyohotel.com/
 

Text:MAO YAMAWAKI

ビジョンがなければ地域創生はできない。前橋から日本を元気にしたい。[白井屋ホテル/群馬県前橋市]

「『白井屋ホテル』は、想いの塊。地元をはじめ、国内外のみんながこの場所のために協力してくれました。感謝しかありません」と田中 仁氏。

白井屋ホテルなくしてはいけない風景があった。誰かが守らないといけないと思った。

創業は江戸時代。群馬・前橋にある老舗旅館『白井屋』は、2008年に300年以上続いた歴史に幕を閉じました。以降、廃業していましたが、2020年12月に『白井屋ホテル』として再生。

その救世主は、アイウエアブランドブランド『JINS』の創業者、田中 仁氏です。

田中氏は前橋出身であり、地域創生に取り組むため、2013年より自ら代表理事を務める『一般社団法人 田中仁財団』を設立。本プロジェクトは、その活動の一環です。

「財団設立の目的は、地元・前橋の活性化です。『群馬イノベーションアワード』と『群馬イノベーションスクール』を立ち上げ、文化・芸術の振興と起業支援などを行ってきました。そんな時、『白井屋』が東京のマンション業者に売りに出されてしまうかもしれないという話を伺いました。街の中心地にそれができてしまったら、風景が失われるだけでなく、前橋の街が廃れてしまうのではと危惧しました」と田中氏は話します。

何とかしなければいけない。

一般社団法人 前橋まちなかエージェンシー』の代表理事・橋本 薫氏や『アーツ前橋』の館長・住友文彦氏もまた、田中氏と同じ思いを抱いていた人物です。

「2013年に開館した『アーツ前橋』のシンポジウムに登壇させていただいたのですが、そこで橋本さんとお会いしました。館長の住友さん含め、ほか数人にも今回の件を相談されました。“田中さん、何とかしてもらえませんか……”と。それならば!と自分も意を固め、『白井屋』を残すための活動を始め、元オーナーより譲っていただきました」。

とはいえ、田中氏は、ホテル業は素人。専門業者や大手ゼネコンに委託を打診するも「ほとんどの方々にお断りされてしまいました」と言います。なぜか?

「田中さんの“ビジョン”では難しい。皆にそう言われました。前橋でホテルを運営するのであれば、低単価・高回転のビジネスホテル以外は無理というのが理由でした。しかし、そこに“ビジョン”はないと思ったのです。自分でやるしかない。そう思いました」。

ここから全てが始まります。

【関連記事】群馬・前橋から世界へ。創業300年の老舗旅館『白井屋』が新たにめぶく。[白井屋ホテル/群馬県前橋市]

「僕は、前橋の“点”だけでなく、“面”を活性化させたいと思っています」と田中氏。『白井屋ホテル』周辺には様々な点がめぶき、面になりはじめている。街の芸術・文化活動の支援・振興施設として2013年に出来た芸術文化施設「アーツ前橋」もそのひとつ。館長・住友文彦氏とも親交が深い。Photograph:前橋観光コンベンション協会

「何かを創造する時、街との共存は大前提」と田中氏。前橋には「水と緑と詩のまち」という、まちづくりのキャッチフレーズが存在する。『白井屋ホテル』が位置するエリアのすぐ隣にも利根川が流れるなど、豊かな水源によって育まれたものは多い。街中にも川は点在し、特に「広瀬川」は住民から愛されている。

「広瀬川」を歩き進めると萩原朔太郎の記念館などもあり、「水」「緑」「詩」のすべてが広瀬川を歩けば体感できる。そして、記念館をぬけて、間も無くすると目に見えてくるのが「太陽の鐘」。「世界的な芸術家・岡本太郎さんによる作品です。元は静岡県内のレジャー施設に設置されていましたが、同施設閉園後、姿を消した幻の作品と言われていました。2018年に官民連携事業により、市民の新たな活動のシンボルとして、市の中心部を流れる広瀬川河畔に移設し、新たなシンボルとして親しまれています」と田中氏。Photograph:MMA+SHINYA KIGURE

白井屋ホテル前橋はめぶく。『白井屋ホテル』もめぶく。そう信じている。

めぶく。

この言葉は、行政と民間によって生まれた前橋ビジョンです。

「前橋ビジョンは、民間の視点から前橋市の特徴を調査・分析し、本市の将来像を見据え、“前橋市はどのようなまちを目指すのか?”を示す街作りに関するビジョンを共通認識できるよう言語化したものです」。

このビジョン策定にあたり、前橋市は『一般財団法人 田中仁財団』からの提案を受け入れ、都市魅力アップ共創(民間協働)推進事業として連携を諮ります。 策定に向けた具体的な作業は、前橋に偏見のない外部の視点で分析してもらうため、同財団が『ポルシェ』や『アディダス』などのブランド戦略を手掛けるドイツのコンサルティング会社『KMS TEAM』に依頼。2016年2月には「Where good things grow(良いものが育つまち)」という分析が成されました。

この英文を同じく前橋出身の糸井重里氏が新しい解釈に基付き、日本語で表現したものが「めぶく。」です。

「『白井屋ホテル』は、ビジョンを第一優先に考えたホテルです。そこには“めぶく”があるのか? ないのか? “めぶく”ためには、自分は何をしたらよいのか? そんなことから創造された場所です」。

とはいえ、最初から足並みが揃っていたわけではありません。大きなことから小さなことまで摩擦と反発は日常茶飯事。理解してもらえないことも多々ありました。市長と築いた関係も任期が変わってしまえばゼロからのやりなおしもしばしば。一貫性を保つことすら困難をきたします。

「それでもめげずにやってきました」。

田中氏は、本件以前より、商店街の活性化にも注力しています。ポートランドからパスタ屋を展開させるほか、地元住民が始める店舗の支援など、徐々に輪を広げ、地域との関係性、信頼を築いてきました。

「信頼を得るには時間がかかります。そこは丁寧にじっくりと積み重ねていくしかありません。『白井屋ホテル』完成後、まず最初に『白井屋』の元オーナーさんにいらしていただきました。この場所を残したことや屋号をそのまま採用したことをとても喜んでくれて。それが何より嬉しかったです」。

再生による創生。歴史を分断せず、引き継ぐために“めぶく”場所。
それが『白井屋ホテル』なのです。

創業当時の『白井屋』。「街のシンボルでもあった『白井屋』の歴史を途絶えさせてはいけないと思いました」と田中氏。

「多様な人やモノ、活動を受け入れ、巻き込み、巻き込まれながら、前橋の街とともに『白井屋』がこれからも変化し、成長していくことを願っている」と『白井屋ホテル』の再生を手がけた建築家・藤本壮介氏。Photograph:SHINYA KIGURE

白井屋ホテル藤本壮介からジャスパー・モリソン、群馬の芸術家まで。連鎖した想いの集結。

『白井屋ホテル』の再生は、建築家の藤本壮介氏が担います。その作りはもちろん、注目すべきは、4つの客室と様々に配されたアート、レストランのクリエイティビティです。

「客室には、元々あった建物をリノベーションしたヘリテージタワーと隣に新設したグリーンタワーから成り、全25室あります。中でも是非体験していただきたいのは、ジャスパー・モリソン、ミケーレ・デ・ルッキ、レアンドロ・エルリッヒ、藤本壮介が手がけたスペシャル・ルームです。それぞれに個性があり、ほかにはないホテルライフをお過ごしいただけると思います」。

錚々たる面々の空間は、まさに泊まるアート。

「実は、彼らはみんな僕の知り合いなのですが、ほぼボランティアで参画してくれています。ジャスパーに限っては、“自分が客室を手がけるのはこれが最初で最後”と言っていました。本当に感謝しかありません。また、25室中8室には群馬出身のアーティスト牛嶋直子、小野田賢三、木暮伸也、鬼頭健吾、竹村 京、白川昌生、村田峰紀、八木隆行の作品が飾られています。世界の一流と肩を並べる環境は良い共鳴を生むと思っています。彼らはこれがきっかけで東京『フィリップス東京』でも個展を開きました(すでに終了)。そうやって派生していくのも良いモデルケースになったと思います」。

国内外の一流は、田中氏の情熱に引き寄せられ、『白井屋ホテル』を起点に広がりも見せています。

そのほか、外観をローレンス・ウィナー氏のメッセージが彩り、パブリックスペースには、杉本博司氏、ライアン・ガンダー氏、宮島達男氏などの作品がそこかしこに点在。美術館級のオリジナル作品が贅沢なまでに配されています。

内包される『the RESTAURANT』は、『ミシュラン東京ガイド』二つ星を獲得する『フロリレージュ』の川手寛康氏が監修。

「『フロリレージュ』は、自分が大好きなレストラン。是非ご一緒したく、川手さんにご相談したところ、快く引き受けてくださり、『the RESTAURANT』の片山シェフの研修もさせていただき、川手さんの人脈でほかのレストランでも学ばせていただく環境も整えてくれました。ゆかりのない前橋にも足を運んでくださり、生産者の元へも巡り、どうすれば前橋の食をより良く表現できるのかを熟考してくださいました」。

片山シェフは、『群馬イノベーションスクール』出身の人物でもあります。川手シェフとともに地域食材を独自の解釈で再構築させ、上州キュイジーヌとして提供します。

「世界の一流を前橋で体験できるということは、この街にとって価値あることだと思っています。地域には雇用を生み、住民にはコミュニティを生みます。“前橋のリビング”だと思って、老若男女いつでも遊びに来ていただきたいです。僕は、小さなころから建築が好きなのですが、それは実家が100年以上続いた建物に住んでいたからだと思っています。小さなころから本物に触れることは、未来の感性を養うことにつながるのではないでしょうか。そういう意味では、小さなお子さま連れも是非。また、今回はホテルを作りましたが、自分が目指すべきは“点”が“めぶく”ことによって“面”が“めぶく”こと。前橋は人口34万人の中核都市です。この中核都市は、日本に85ヶ所あると言われています。きっと同じような悩みをかかえている街も多いのではないでしょうか。前橋がひとつのロールモデルになれれば良いなと思っています」。

前橋の“めぶく”芽、才能、人は、大地に眠っています。それを開花させるための地均しと水やりこそ、田中氏の使命であり、活動の核なのかもしれません。

「古今東西、どの地域を見ても一番大切だと思うことは“学育”ではないでしょうか教育は教えて育むものですが、学育は学んで育むもの。学ぶ場を作りたくて『群馬イノベーションスクール』も立ち上げました。個が養われていけば、地域はもっと良くなると思いますし、きっと強くなるとも思います。前橋から日本を元気にしたい」。

「『白井屋ホテル』の中で自分が一番好きな景色は、ジャスパー・モリソンが手がけた客室から見る景色」と田中氏。Photograph:SHINYA KIGURE

「ヘリテージタワー1階の吹き抜けにある螺旋階段も好きな景色です。支柱なく作れる技術は非常に高度なのです。是非、館内を色々回遊して多角的な景色をお楽しみいただければと思います」と田中氏。

1963年、群馬県前橋市生まれ。アイウエアブランド『JINS(ジンズ)』代表取締役社長。1981年『前橋信用金庫(現・しののめ信用金庫)』に入庫。1986年、服飾雑貨製造卸会社に転職し、1987年、個人にて服飾雑貨製造卸業の『ジンプロダクツ』を創業。1988年、『有限会社ジェイアイエヌ(現・株式会社ジンズ)』を設立。2001年より、アイウエアブランド『JINS』を展開。2006年、ヘラクレス市場(現・JASDAQ市場)に上場、2013年、東京証券取引所 市場第一部に上場。2014年、慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程を修了。故郷・群馬県内での地域活性化活動を目的に田中仁財団を設立し、代表理事に就任。

住所:群馬県前橋市本町2-2-15 MAP
電話:027-231-4618
https://www.shiroiya.com

Photograph:KENTA YOSHIZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

日出彦さんのお酒を一年でも市場からなくしてはいけない。そう思った。

切り返しをする『花の香酒造』6代目、神田清隆氏(右)と松本日出彦氏(左)。一緒にお米に触れ、酒造りをすることによって、より絆は強固に。

HIDEHIKO MATSUMOTO心と体が同時に動いた。すぐ熊本から京都に向かった。一緒に酒造りをするために。

「“守破離”は、本当に好きなお酒だった」。

そう感慨深く話すのは、熊本県北の『花の香酒造』6代目、神田清隆氏です。

「2020年12月、SNSで(松本)日出彦さんが『松本酒造』を辞することを知り、衝撃を受けました。同時に涙が止まりませんでした」と言葉を詰まらせます。

『花の香酒造』もまた、1902年創業の老舗酒造。伝統を背負う自身と重なり合う部分があったのかもしれません。

もし逆の立場だったら……。そう考えるも、あまりに想像を絶するため、「第三者の自分ですら全くその事実を受け入れることができませんでした」。

神田氏は、すぐに松本氏に連絡。想いを伝えるために京都へ向かいます。

「日出彦さんが造る日本酒のファンは多い。自分もそのひとり。日出彦さんのお酒を一年でも市場からなくしてはいけない。そう思いました。酒造りを辞めてはいけない。いや、辞めないでほしい。だから、一緒に酒造りをしよう」。

驚くべきは、当時のふたりの関係。「互いの存在は知るも、面識がある程度でした」と神田氏。それでも「遠慮している場合ではない。心と体が同時に動いた」と言葉を続けます。

「神田さんからご連絡をいただいた時にはびっくりしました。本当に皆さんに支えられて今があります。感謝しかありません」と松本氏。

同じ酒造りをする職人同士は、あっという間にその距離を縮め、2021年3月には同じ現場に立っています。

「蔵も免許も失った自分は、進むも地獄退くも地獄。どちらも地獄ならば、進むしかない。その背中を押してくれたのは、昔からお世話になっている方々や仲間、家族の存在でした。もちろん、神田さんもそのひとり」。

地獄の先にはどんな景色が待っているのか。

「それを確かめるために、今できる酒造りを精一杯やらせていただきます」。

午前10時。もくもくとした湯気が酒蔵を包み、お米の香りが充満していきます。

「お米の香りを吸い込んだ時、胸に色々なことが込み上げてきた。涙が出そうになった」。そう話す松本氏は、日々の武者修業を通じて鍛錬を積み重ね、身体を覚醒してきます。

蒸しあがりと同時に神田氏が叫びます。

「日出彦さん、今日の仕込みを始めましょう!」。

蒸しあがった釜の蓋が上がる瞬間、濃い湯気が立ち込め、同時にお米の香りが広がる。

「地域が変わればお米も変わる。例え同じ品種だったとしても同じ味、同じ香りはありません」と松本氏。

種麹ひとつ取っても、それぞれの蔵のスタイルがある。『花の香酒造』が使用するのは、『樋口松之助商店』の吟醸用種麹ヒグチモヤシ。100kgのお米に対して40gを推奨。

 シャッ、シャッ、シャッ、シャッとリズム良く種切りをする神田氏と松本氏。息の合った音は、まるで錫杖のように心地良い響き。

手際良く蒸したお米の熱を下げていく『花の香酒造』のスタッフたち。松本氏も『花の香酒造』の一員として、ひとつ一つの工程に携わる。

生酛場にてお米を冷やす。室温は5℃に設定され、お米も同様の温度まで下げる。

この日は、お米を34℃に設定。蒸し立てのお米に空気を含ませ、温度を下げていく。

HIDEHIKO MATSUMOTO酒造りは酒造りだけにあらず。『花の香酒造』が目指すは、産土の精神。

この日の仕込みは、朝から麹米を蒸し、引き込み、切り返し、種切り、床もみ、盛り上げ。『花の香酒造』では、昔ながらの生酛造りを大切にしています。

野性味溢れる味わいは、酒母の力強さゆえ。自然が成す深い厚み、複雑さ、コクは、その手法の好例でもあります。時間と手間がかかる生酛造りは、続けている酒蔵も少なく、そう言った意味でも『花の香酒造』は貴重な存在です。

しかし、「一番のこだわりは“香り”。飲んだ瞬間、お米が持つ本来の香りを大事にしたい」と神田氏は話します。

そんな酒造りにおいて欠かせない原料、水とお米にも『花の香酒造』らしい哲学があります。

日本酒のテロワールとなる「産土」です。
(ウブ・産、ス・土、ナ・地の統合したもの。生まれた土地、生地、本居/広辞苑より)

「今回の武者修業で大切にしていることは、地域の環境を知ることです。この土地だから、この原料が生まれ、この酒ができる。余所者の自分は、まず学ぶことが始まり。それを理解しなければ、酒造りに参加する資格はないと思っています。技術云々は、その後」と松本氏。

熊本県玉名郡和水町にある『花の香酒造』は、丘陵地に囲まれた盆地と周囲の田園に流れる川沿いにあります。しかし、自然と寄り添うゆえ、避けて通れないのは天災。2016年の熊本地震や2020年の熊本豪雨では、酒蔵前に流れる川壁を大きく抉り、その傷跡は、今も残っています。熊本のシンボル、阿蘇山もまた、美しさの中に脅威を孕んだ自然の産物。

「熊本と言えば、阿蘇山。約9万年前に噴火した地盤の下には幾十も層が重なり、そこから染み出している岩清水を使って酒造りをしている。それだけで特別だと思います。そして、何より素晴らしいのはお米。これには神田さんの並々ならぬ努力と熱量を感じます」と松本氏。

それは、熊本在来品種「穂増(ほませ)」です。

「以前、お米の勉強をしようと、佐賀県唐津市にある『菜畑遺跡』に伺ったのです。日本最古の稲作発祥地として知られるそこには資料館も併設され、発掘された遺跡からは炭化したお米が発見されたとありました。それは、山形の“亀ノ尾”、静岡の“愛国”、滋賀の“旭”、兵庫の“神力”、岡山の“雄町”、そして熊本の“穂増”の6種。熊本にこんなお米があったのか!? 恥ずかしながら、初めて知りました。しかし、“穂増”だけ子孫が途絶えてしまい、詳細が不明でした。その後、調べを続けると、江戸時代に天下一のお米と言われた名米だったことがわかったのです。これは熊本の宝だと思い、 “穂増”をもう一度育て、それで酒造りをする決心をしたのです」と神田氏。

そこから「穂増」の復刻劇が始まります。まず、熊本の農家複数によってプロジェクトは立ち上がり、あらゆる手を尽くして種子を手に入れるも一筋縄にはいきませんでした。神田氏は3年目から加わり、そのための田んぼを作るべく山林も購入。環境ごと作ってしまったのです。前出の松本氏が言う「神田さんの並々ならぬ努力と熱量」とは、このことを指しています。もちろん、「穂増」で酒造りをしているのは、『花の香酒造』のみ。

2017年から苗を植え、収穫し、「穂増」のお米で酒造りを始めるも「まだ特徴を掴みきれていない」と神田氏。2020年は作付けから携わり、酒蔵の前段階より酒造りに勤しみます。2014年より杜氏に就任した神田氏の経歴から考えれば、スピード感に長けた脅威の行動力。

この土地唯一の造り酒屋『花の香酒造』は、神田角次、茂作親子が妙見神社所有の神田を譲り受けてお米を作り、神社から湧き出る岩清水で酒造りを始めたのが原点です。『神田酒造』として誕生した蔵が『花の香酒造』へと名前を変えたのは1992年のことでした。歴史を振り返っても、大きな決断をした年だと思います。そして、酒造りから100年の節目を迎えた2014年には、日本の伝統酒としてだけでなく、世界へ羽ばたく“Sake”を目指すべく、私たちにとって新しい酒造りの幕が開けました。何かを成すには常に判断と決断が迫られます。いつの時代にも挑戦、イノベーションが『花の香酒造』にはあり、その精神も自分は受け継がなくてはいけないと思っています」と神田氏。

「今、まさに挑戦とイノベーションの渦中にいるので、より勉強になります。以前、日本酒業界は、高度成長期のように、みんな同じようなものを作って、同じように売っている時代もありました。当時の流れでは自然だったのかもしれませんが、今は違う。いかに地に根差しているかはとても重要」と松本氏。

「実は、新型コロナウイルスの影響によって2021年に酒造りをしない蔵が結構あります。理由のひとつは、在庫過多です。緊急事態宣言や自粛によってレストランをはじめとした飲食店の休業、時短は私たちにとって死活問題。決して、『花の香酒造』も余裕があるわけではありませんが、酒造りをしなければ農家さんの生活を守れない。田んぼを維持できない。色々な問題が発生してしまいます。だから、酒造りを続けています」と神田氏。

酒造りは、雇用を始め、自然環境や生態系を循環する一部なのです。また、迎えてしまった難局においても前を向き、「田んぼの不耕起栽培の下地作りやスタッフとのコミュニケーションを強固にする時間に費やした」と言葉を続けます。

「次に必要なことは、その熱量と取り組みをどう可視化と言語化をして社会と共有していくか。日本酒を飲んでみたいけど、どんな味がわからない方々は、是非、背景を飲んでほしい」と松本氏。

その背景を伝えるためにはどうしたらよいのか。それをシェアしていくことが、これからの日本酒業界には必要なのかもしれません。

それ以外にも、蔵の構造の質疑、道具、機械設備、米の検査基準の現状まで、会話が尽きません。

「こうやって議論をしたり、情報交換をできるのは、現場にいるから。一緒に酒造りをしているから」とふたり。

「それにしても、端正込めて育てたお米で酒造りをしていると、お米の表情も喜んでいるように見える。そう思いますよね、日出彦さん!」。

視線の先には、笑顔で頷く汗だくの松本氏の姿がありました。

 酒造りだけでなく、蔵の中をくまなく回遊する松本氏。「日出彦さんには、酒蔵の改装の相談にも乗ってもらおうと思っています」と神田氏。

「酒造りの流れを効率良く作業するためには、機械や道具の配置も重要」と松本氏。神田氏にヒアリングしながら、『花の香酒造』にとっての最適をイメージする。

 「お米の等級検査の機械って…」、「あれはお米が表か裏かによって…」、「なるほど、じゃあ数回通してチェックして…」。立ち話の時間も常に酒造りの話。「お米の格付けをする制度の話をしていました。非常にマニアックな内容ですね(笑)」と松本氏。「日出彦さんは、知識が豊富」と神田氏。

 お米の肌触り、温度、香り。「手の感覚も徐々に戻ってきた」と松本氏。

切り返し、種切り、そして、盛り上げを行う松本氏に「日出彦さん、お米が喜んでるでしょ!」と神田氏。目で微笑み返す松本氏を見た神田氏は、「日出彦さんは、やっぱり現場が似合う」とこっそり呟く。

熊本地震で崩れ、復旧するも2020年の豪雨で再び崩壊した川壁の跡。豊かな自然環境に身を置くゆえ、その恩恵を受けられるも、天災とも運命共同体。

手前の川沿いに連なる建物が『花の香酒造』。その右手にある中央の円形の山が新規に購入した土地。田んぼを作り、「穂増」を育てる。

HIDEHIKO MATSUMOTO目の前の問題に背を向けてはいけない。日本の宝が失われる前に何とかしなければいけない。

「酒造り以外も議論させていただいているのですが、やはり田んぼの環境問題、維持問題、後継者問題、資金問題は深刻。それは、前回お世話になった『冨田酒造』でも感じたことです。幸い両蔵は、ちゃんと地域と繋がり、関係性を構築できていますが、全蔵がそうゆうわけではありません。廃業してしまったり、枯れ果ててしまったりと、深刻化されています。しかし、そんなことを報道やニュースで取り上げるメディアは中々ありません。きっと自分ごと化している人が少ないのかもしれません」と松本氏。

しかし、「もし日本から田んぼがなくなったら? もし日本からお米がなくなったら?」と考えてみれば、全国民で向き合うべき問題だという意識が芽生えるのではないでしょうか。

「世界的に見ても、これほどまでに良いお米ができる国は稀有だと思います。しかも、日本は大陸から少し離れた島国。外国人にとっては、まるで秘境のように映っているのではないでしょうか。そんな秘境の中にある地域。そして、地域ごとに生まれる日本の国酒・日本酒。地域性があればあるほど、きっと魅力的に感じるのではないでしょうか。そんなふうに物事を俯瞰して客観視できるようになったことも外に出たから。この感覚を大事にし、業界と共有し、社会と共有し、日本酒を取り巻く全てに貢献したい」と松本氏。

「酒造りに費やしてきた時間は、自分とは比べものにならないくらい向き合ってきた人。それが日出彦さん。酒造りも含め、一緒に過ごす時間は非常に勉強になっています」と神田氏。

「これまでは、自分の考えをもとに酒造りに没頭してきましたが、今は誰かのために酒造りをすることに喜びを感じています。それは、自分のこと以上に力が漲る。人の生き様を享受できるのは本当にありがたい。日本酒は生き様ですから。『花の香酒造』に対しても、これから一生をかけて恩返しをしていきたいと思っています」と松本氏。

皮肉なことに、「一生」という言葉の重みは、新型コロナウイルスによって増したかもしれません。

「今なお猛威を振るう新型コロナウイルスによって、医療従事者の方々は本当に大変な立場で国民を救ってくださっていると思います。これは日本だけの問題ではなく、世界の問題。未だロックダウンを繰り返す国や地域も少なくありません。ではなぜ、人類は、このウイルスを恐れるのか。それは、人を死に追いやる感染症だからです。それによって、人は“生きる”ことと“死ぬこと”を現実として受け入れるようになりました。生きていることは、当たり前ではない。今、生かされていることに感謝し、今、酒造りをさせていただけることに感謝し、これからの道を探していきたいと思います」。

前述、地獄はもう見た。あとは這い上がるだけ。

今、松本氏が歩んでいる道は、進化ではなく、深化。

酒職人として、人として、深く、より深く、必死に生きる。

熊本県玉名郡和水町の蔵元『花の香酒造』。明治時代に神田角次と神田茂作の親子で始めた酒造りは、内に梅の香りが漂うことから「花の香」という酒名が付いた。1992年には『神田酒造』から『花の香酒造』に社名も変更。

『花の香酒造』の中庭と蔵の建つ川沿いには、美しい梅の花が咲く。世界が新型コロナウイルスに翻弄される中、季節は変わらず訪れ、花は咲く。改めて、自然の偉大さを感じる。

「自分はもちろん、『花の香酒造』全体で日出彦さんをバックアップするつもりです」と神田氏。「神田さんをはじめ、『花の香酒造』の皆さんには感謝しかありません。自分はここでどんな貢献がでいるのか、精一杯考えてご一緒させていただきます」と松本氏。

「日出彦さん、初めて仕込んだ木桶のしぼりです。ちょっと試飲してみてください」と神田氏。「うん、うん……。もろみ23、アルコール15、酸1.46、アミノ酸0.56……」。味と数値を確認する松本氏。「なるほど。柔らかい岩清水の特徴とミネラルの香りも出ていていいですね」。

住所:熊本県玉名郡和水町西吉地2226-2 MAP
TEL:0968-34-2055
https://www.hananoka.co.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

霞ヶ浦と北浦の豊かな水が育む、爽やかな初春の香り。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM・セリ/茨城県行方市]

なめがた ベジタブルキングダムOVERVIEW

春の七草のひとつとして知られるセリ。

川に生える野ゼリは初春の風物詩ですが、ここ行方市での出荷時期は10月中旬から4月下旬まで。12月から2月のセリは葉が柔らかく爽やかな香り、以降は食感も香りも強くインパクトのある味わい、と季節による違いが楽しめます。

そんな長期にわたる収穫を可能にしている要因が、水の豊かさです。

霞ヶ浦と北浦に挟まれ、豊富な地下水を湛える行方市で主に水稲との二毛作栽培で育てられるセリは全国有数の出荷量。

さらに首都圏から約70kmというアクセスの良さ、収穫後に急速に冷やして鮮度を保つ予冷の徹底などで、食卓に新鮮なままのセリが届くのです。

鼻に抜ける爽やかな香りで、春の訪れを告げるセリ。

その栽培の様子を探るため、行方市を訪れます。

【関連記事】NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

300種に及ぶ品種は、先人たちの努力の結晶。小さなイチゴに潜む、たくさんの物語。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM・イチゴ/茨城県行方市]

なめがた ベジタブルキングダムOVERVIEW

赤く色づく小さなイチゴ。

その甘酸っぱいおいしさから一般的にはフルーツに分類されますが、樹木ではなく茎に実がなる草本性であることから、性質上は野菜とされることも。これほど老若男女誰しもに愛される野菜というのも珍しいかもしれません。

そしてもうひとつイチゴならではの特徴が、その品種の多さにあります。

とちおとめ、女峰、とよのか、紅ほっぺ、あまおう、章姫……。少し考えるだけでも10や20の品種がすぐに思い浮かびます。

一説には日本国内にあるイチゴの品種は300種以上といわれています。

そしてこの種類こそ、イチゴ栽培の歴史。「もっと甘いイチゴを」「もっとおいしいイチゴを」という先人たちの努力の結果にほかなりません。

イチゴ栽培面積全国7位の茨城県にも、そんなストーリーが潜んでいました。小さなイチゴに潜む、大きな夢。今回はそんな物語を探しに、行方市『森作いちご園』に向かいます。

【関連記事】NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

味の決め手は内包する水分の透明度。フードキュレーターと『茶禅華』川田智也シェフがめぐる浜松の食材。[静岡県浜松市]

山間にある古刹・大福寺にて。この寺に伝わる納豆が、川田氏の心を捉えた。

ファインド アウト 静岡山間の古寺に受け継がれる門外不出の納豆。

食材のプロフェッショナルであるフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、それをトップシェフにプレゼンする。そんな二段構えの構成でお届けしている今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

プレゼンする相手は、中華料理で国内唯一のミシュラン三つ星を獲得する『茶禅華』の川田智也シェフ。そしてフードキュレーターが対象エリアとして選んだのは、中華に適した食材が数々眠る浜松エリアです。

視察の1日目では静岡の歴史を起点に、この土地ならではの食材をプレゼン。2日目となるこの日は、果たしてどんな食材との出合いが待っているのでしょうか。

この日、一行がまず向かったのは三ヶ日町の山間にある大福寺。創建平安前期、鎌倉時代に建立された山門が出迎える古刹です。宝物館に収蔵される貴重な古文書や室町時代に作られた庭園も見どころですが、この日の目的は、この寺に代々伝わる大福寺納豆。およそ400年前から門外不出の製法で作られる名物です。

「いまから400〜500年ほど前、中国(明)の高僧が禅寺に持ち込み、植物性のタンパク質しか摂れない寺での栄養源として広がったのが寺納豆の起源です」

そんなご住職の話に耳を傾ける一行。

かつては徳川将軍家にも献上されていたが、あるとき納期が遅れ、家康が「浜名の納豆はまだ来ぬか」と催促したことから“浜名納豆”の呼び名が定着。それが縮まり“浜納豆”となり、戦後は大福寺の名を冠し“大福寺納豆”の名を正式に採用した。そんな名前の変遷からも、悠久の歴史を感じます。

フードキュレーターのふたりは、2015年に静岡県日本平で開催された『DINING OUT NIHONDAIRA』でこの大福寺納豆と出合い、ぜひ川田氏にご紹介したい、と考えていたといいます。一方の川田氏も、その名は聞き及んでいました。

「中華で豆鼓(トウチ)というと京都の大徳寺納豆やこの大福寺納豆のようなもの、とまず教わります。浜納豆をみるのは初めてですが、まさに豆鼓に近いですね」

その後、ご住職の好意で大福寺納豆を試食させて頂く一行。

川田氏は「やさしい、柔らかい味わい。口に入れた瞬間はやさしいけれど、そこから広がり、奥行きが出て立体的になります。とてもきれいなおいしさですね」と、噛みしめるように味わいます。そしてしみじみと「中国で生まれたものが海を越えて伝わって、大切に守り続けられている。感慨深いものがありますね」とつぶやきました。

ご住職が画像付きで解説する納豆の製法を、身を乗り出して見る3名。

大福寺納豆。粘りはなく、やさしい味の後に、複雑な広がりがある。

製法は門外不出だが、できる限り詳細に大福寺納豆の作り方を教えてくれたご住職。

開創は875年、1207年に現在地に移ったと伝わる由緒正しき寺。

ファインド アウト 静岡

天然か養殖かではなく、調理法との相性で食材を考える。

次の目的地に向かう前に、昼食の時間。浜松といえば、やはりウナギが外せません。浜名湖は100年以上前から続く日本のウナギ養殖発祥の地。そのため人口あたりのウナギ料理屋の軒数は静岡県が日本トップ。浜松をはじめとした近隣エリアでも、無数の専門店がしのぎを削っています。

一行が訪れたのは、そのなかでもナンバーワンとの呼び声高い『あつみ』。明治40年の創業以来、浜名湖産のウナギにこだわる名店です。
川田氏が『茶禅華』で出すウナギは、身は焼き、皮は蒸してから揚げる中国式。別物なのかと思いきや「皮目の香ばしさ、身の柔らかさなど勉強になることばかり」とか。そして「やっぱりおいしいですね」と感嘆のような感想を漏らしていました。

昼食を済ませた一行の続いての目的地は、浜名湖畔でスッポンの養殖を営む『服部中村養鼈場』。ここはフードキュレーターのふたりが、日頃からスッポン料理を手掛ける川田氏にぜひ紹介したかったという施設。

そして実は川田氏自身も、かねてから訪れたかったという場所でもあります。

「以前、和食の料理人さんから、“焼きスッポンをやるなら服部中村養鼈場”と伺ったことがあります。煮る、揚げるという調理には身の締まった天然物が最適ですが、焼くなら適度な脂がある方が良いのです」と川田氏。服部征二社長の案内で養殖池を見学しながら、早くも料理のイメージを考えているようです。

服部社長によれば、こちらの創業は1879年(明治12年)。除草剤や抗生物質を使用せず、餌は魚のミンチ。自然に近い状態で3〜4年かけてじっくり育てることで、旨味濃いスッポンになるのだといいます。

「日照時間が長く甲羅干しも含めて天然の環境に近づけやすいことが、浜松がスッポン養殖に適している理由です。ストレスなく育つことで、天然と比べて身が柔らかく、臭みなどが一切ないスッポンになります」と服部社長。

冬眠をして脂を蓄える10月から3月が旬、4月以降は動き回るため身が締まってくる、との話も興味深く聞きながら川田氏は「ぜひここのスッポンで焼きスッポンをやってみたい」とすでに決意している様子でした。

浜名湖産のウナギを備長炭で焼き上げる『あつみ』のウナギ。平日でも行列必至の人気店。

中華料理と日本料理。異なるジャンルであろうと、常に何かを学び取ろうとする姿勢の川田氏。

訪問時はスッポンは冬眠中だったが、養殖場の環境などをつぶさに見学。

服部社長がこだわりを持って育てるスッポンは、京都の名門料亭をはじめ、各地にファンが多い。

脂が乗り、身が柔らかい旬のスッポン。川田氏はすでに料理のアイデアまで考案していた。

ファインド アウト 静岡噛むごとに旨味があふれ出す、フランス原産の上質な鶏。

最後の目的地は『フォレストファーム恵里』。ここは全国でも珍しいフランス原産の鶏・プレノワールを飼育する農場。代表の中安政敏氏が丹精込めて鶏を育てています。

実はフードキュレーターのふたりは、先の事前視察で訪れた浜松駅前商店街のマーケットイベント『浜松サザンクロスほしの市』で、プレノワールの焼き鳥屋台を出店する中安氏と出会い、再訪を約束していました。

一行を快く迎える中安氏。さっそく鶏舎を案内しながら、自慢のプレノワールの解説を聞かせてくれます。

フランス農水省が優良品質の品目を認定する「ラベルルージュ」に選ばれるプレノワール。独特の歯ごたえがあり、コクと旨味のある肉質は高級レストランでも重宝される名品ですが、飼育に手間がかかるため全国でも生産者は数えるほど。「おそらく静岡県ではうちだけです」という希少な鶏です。

開け放たれた鶏舎では200羽ほどのプレノワールが、のびのびと育っていました。さらに中安氏は、自家配合の飼料など、独自の工夫でさらにプーレノワールの魅力を引き出しています。「飼料は湯葉カスや地元ブリュワリーからもらうビールの麦汁、米、大麦、小麦、糠。そこに玄米の乳酸菌と酵母菌を加えます。化学飼料はもちろん、動物性タンパク質も一切入れないことで、臭みを抑えています」と中安氏。さらにその場で炭を起こし、焼き鳥にして試食をさせてくれました。

「独特の食感ですね。決して固いわけではないのですが、旨味が出てくるのでずっと噛みたくなる味です」と川田氏。さまざまな鶏を食べて比べてきた川田氏にしても、さらなる発見があったようです。

「本当に良い経験をさせてもらいました」

東京への帰路、川田氏はそう話し始めます。「東京にいても多くの食材は手に入りますが、やはり現地に赴かないとわからないことがある」といいます。そして今回、浜松で感じ取ったことを次のように語ってくれました。

「中国料理は火の料理、日本料理は水の料理です。そしてその両者を現在という時間軸を考えた上で取り入れる“和魂漢才”が私の料理のテーマ。静岡の食材は、野菜も魚も肉もお茶も、本当においしかった。そのおいしさを紐解いていくと、中にある水分のクリアさに行き着きます。水分がクリアだから味に透明感があり、立体感があります」

コロナ禍で、ライフワークとしていた中国訪問ができない分、日本に目が向いているという昨今。改めて“水の料理”たる食材に触れ、その素晴らしさを再確認しているのだという川田氏。
「静岡の食材、それも植物性だけのXO醤を作ってみたらおもしろいかもしれませんね。根菜やネギ、豆、それにお茶の油。静岡の豊かさをうまく表現できそうです」

行く先々で、食材が発する小さな声に耳を澄ますように、真摯に食材と向き合っていた川田氏。その心の中に、浜松の素晴らしい食材たちは確かな足跡を残したようです。

開放的な環境でストレスなく育てることもプレノワールのおいしさの一因。

竹炭作りで全国に弟子も持つ中安氏。プレノワールの飼育でも、独自のおいしさを追求する。

シンプルな塩味の焼き鳥で、肉のおいしさが際立った。

住所:静岡県浜松市北区三ヶ日町福長220-3 MAP
TEL:053-525-0278
https://hamamatsu-daisuki.net/

住所:静岡県浜松市中区千歳町70 MAP
TEL:053-455-1460
定休日:火曜、水曜
http://unagi-atsumi.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

味の決め手は内包する水分の透明度。フードキュレーターと『茶禅華』川田智也シェフがめぐる浜松の食材。[静岡県浜松市]

山間にある古刹・大福寺にて。この寺に伝わる納豆が、川田氏の心を捉えた。

ファインド アウト 静岡山間の古寺に受け継がれる門外不出の納豆。

食材のプロフェッショナルであるフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、それをトップシェフにプレゼンする。そんな二段構えの構成でお届けしている今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

プレゼンする相手は、中華料理で国内唯一のミシュラン三つ星を獲得する『茶禅華』の川田智也シェフ。そしてフードキュレーターが対象エリアとして選んだのは、中華に適した食材が数々眠る浜松エリアです。

視察の1日目では静岡の歴史を起点に、この土地ならではの食材をプレゼン。2日目となるこの日は、果たしてどんな食材との出合いが待っているのでしょうか。

この日、一行がまず向かったのは三ヶ日町の山間にある大福寺。創建平安前期、鎌倉時代に建立された山門が出迎える古刹です。宝物館に収蔵される貴重な古文書や室町時代に作られた庭園も見どころですが、この日の目的は、この寺に代々伝わる大福寺納豆。およそ400年前から門外不出の製法で作られる名物です。

「いまから400〜500年ほど前、中国(明)の高僧が禅寺に持ち込み、植物性のタンパク質しか摂れない寺での栄養源として広がったのが寺納豆の起源です」

そんなご住職の話に耳を傾ける一行。

かつては徳川将軍家にも献上されていたが、あるとき納期が遅れ、家康が「浜名の納豆はまだ来ぬか」と催促したことから“浜名納豆”の呼び名が定着。それが縮まり“浜納豆”となり、戦後は大福寺の名を冠し“大福寺納豆”の名を正式に採用した。そんな名前の変遷からも、悠久の歴史を感じます。

フードキュレーターのふたりは、2015年に静岡県日本平で開催された『DINING OUT NIHONDAIRA』でこの大福寺納豆と出合い、ぜひ川田氏にご紹介したい、と考えていたといいます。一方の川田氏も、その名は聞き及んでいました。

「中華で豆鼓(トウチ)というと京都の大徳寺納豆やこの大福寺納豆のようなもの、とまず教わります。浜納豆をみるのは初めてですが、まさに豆鼓に近いですね」

その後、ご住職の好意で大福寺納豆を試食させて頂く一行。

川田氏は「やさしい、柔らかい味わい。口に入れた瞬間はやさしいけれど、そこから広がり、奥行きが出て立体的になります。とてもきれいなおいしさですね」と、噛みしめるように味わいます。そしてしみじみと「中国で生まれたものが海を越えて伝わって、大切に守り続けられている。感慨深いものがありますね」とつぶやきました。

ご住職が画像付きで解説する納豆の製法を、身を乗り出して見る3名。

大福寺納豆。粘りはなく、やさしい味の後に、複雑な広がりがある。

製法は門外不出だが、できる限り詳細に大福寺納豆の作り方を教えてくれたご住職。

開創は875年、1207年に現在地に移ったと伝わる由緒正しき寺。

ファインド アウト 静岡

天然か養殖かではなく、調理法との相性で食材を考える。

次の目的地に向かう前に、昼食の時間。浜松といえば、やはりウナギが外せません。浜名湖は100年以上前から続く日本のウナギ養殖発祥の地。そのため人口あたりのウナギ料理屋の軒数は静岡県が日本トップ。浜松をはじめとした近隣エリアでも、無数の専門店がしのぎを削っています。

一行が訪れたのは、そのなかでもナンバーワンとの呼び声高い『あつみ』。明治40年の創業以来、浜名湖産のウナギにこだわる名店です。
川田氏が『茶禅華』で出すウナギは、身は焼き、皮は蒸してから揚げる中国式。別物なのかと思いきや「皮目の香ばしさ、身の柔らかさなど勉強になることばかり」とか。そして「やっぱりおいしいですね」と感嘆のような感想を漏らしていました。

昼食を済ませた一行の続いての目的地は、浜名湖畔でスッポンの養殖を営む『服部中村養鼈場』。ここはフードキュレーターのふたりが、日頃からスッポン料理を手掛ける川田氏にぜひ紹介したかったという施設。

そして実は川田氏自身も、かねてから訪れたかったという場所でもあります。

「以前、和食の料理人さんから、“焼きスッポンをやるなら服部中村養鼈場”と伺ったことがあります。煮る、揚げるという調理には身の締まった天然物が最適ですが、焼くなら適度な脂がある方が良いのです」と川田氏。服部征二社長の案内で養殖池を見学しながら、早くも料理のイメージを考えているようです。

服部社長によれば、こちらの創業は1879年(明治12年)。除草剤や抗生物質を使用せず、餌は魚のミンチ。自然に近い状態で3〜4年かけてじっくり育てることで、旨味濃いスッポンになるのだといいます。

「日照時間が長く甲羅干しも含めて天然の環境に近づけやすいことが、浜松がスッポン養殖に適している理由です。ストレスなく育つことで、天然と比べて身が柔らかく、臭みなどが一切ないスッポンになります」と服部社長。

冬眠をして脂を蓄える10月から3月が旬、4月以降は動き回るため身が締まってくる、との話も興味深く聞きながら川田氏は「ぜひここのスッポンで焼きスッポンをやってみたい」とすでに決意している様子でした。

浜名湖産のウナギを備長炭で焼き上げる『あつみ』のウナギ。平日でも行列必至の人気店。

中華料理と日本料理。異なるジャンルであろうと、常に何かを学び取ろうとする姿勢の川田氏。

訪問時はスッポンは冬眠中だったが、養殖場の環境などをつぶさに見学。

服部社長がこだわりを持って育てるスッポンは、京都の名門料亭をはじめ、各地にファンが多い。

脂が乗り、身が柔らかい旬のスッポン。川田氏はすでに料理のアイデアまで考案していた。

ファインド アウト 静岡噛むごとに旨味があふれ出す、フランス原産の上質な鶏。

最後の目的地は『フォレストファーム恵里』。ここは全国でも珍しいフランス原産の鶏・プレノワールを飼育する農場。代表の中安政敏氏が丹精込めて鶏を育てています。

実はフードキュレーターのふたりは、先の事前視察で訪れた浜松駅前商店街のマーケットイベント『浜松サザンクロスほしの市』で、プレノワールの焼き鳥屋台を出店する中安氏と出会い、再訪を約束していました。

一行を快く迎える中安氏。さっそく鶏舎を案内しながら、自慢のプレノワールの解説を聞かせてくれます。

フランス農水省が優良品質の品目を認定する「ラベルルージュ」に選ばれるプレノワール。独特の歯ごたえがあり、コクと旨味のある肉質は高級レストランでも重宝される名品ですが、飼育に手間がかかるため全国でも生産者は数えるほど。「おそらく静岡県ではうちだけです」という希少な鶏です。

開け放たれた鶏舎では200羽ほどのプレノワールが、のびのびと育っていました。さらに中安氏は、自家配合の飼料など、独自の工夫でさらにプーレノワールの魅力を引き出しています。「飼料は湯葉カスや地元ブリュワリーからもらうビールの麦汁、米、大麦、小麦、糠。そこに玄米の乳酸菌と酵母菌を加えます。化学飼料はもちろん、動物性タンパク質も一切入れないことで、臭みを抑えています」と中安氏。さらにその場で炭を起こし、焼き鳥にして試食をさせてくれました。

「独特の食感ですね。決して固いわけではないのですが、旨味が出てくるのでずっと噛みたくなる味です」と川田氏。さまざまな鶏を食べて比べてきた川田氏にしても、さらなる発見があったようです。

「本当に良い経験をさせてもらいました」

東京への帰路、川田氏はそう話し始めます。「東京にいても多くの食材は手に入りますが、やはり現地に赴かないとわからないことがある」といいます。そして今回、浜松で感じ取ったことを次のように語ってくれました。

「中国料理は火の料理、日本料理は水の料理です。そしてその両者を現在という時間軸を考えた上で取り入れる“和魂漢才”が私の料理のテーマ。静岡の食材は、野菜も魚も肉もお茶も、本当においしかった。そのおいしさを紐解いていくと、中にある水分のクリアさに行き着きます。水分がクリアだから味に透明感があり、立体感があります」

コロナ禍で、ライフワークとしていた中国訪問ができない分、日本に目が向いているという昨今。改めて“水の料理”たる食材に触れ、その素晴らしさを再確認しているのだという川田氏。
「静岡の食材、それも植物性だけのXO醤を作ってみたらおもしろいかもしれませんね。根菜やネギ、豆、それにお茶の油。静岡の豊かさをうまく表現できそうです」

行く先々で、食材が発する小さな声に耳を澄ますように、真摯に食材と向き合っていた川田氏。その心の中に、浜松の素晴らしい食材たちは確かな足跡を残したようです。

開放的な環境でストレスなく育てることもプレノワールのおいしさの一因。

竹炭作りで全国に弟子も持つ中安氏。プレノワールの飼育でも、独自のおいしさを追求する。

シンプルな塩味の焼き鳥で、肉のおいしさが際立った。

住所:静岡県浜松市北区三ヶ日町福長220-3 MAP
TEL:053-525-0278
https://hamamatsu-daisuki.net/

住所:静岡県浜松市中区千歳町70 MAP
TEL:053-455-1460
定休日:火曜、水曜
http://unagi-atsumi.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

フードキュレーターが『茶禅華』川田智也シェフを誘う浜松食材探求。産地を訪れ、生産者と対面する、という意味。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県浜松市]

食材の表面ではなく、背後に潜む歴史や生産者の思いにまで意識を向けるのが、川田智也シェフの食材の接し方。

ファインド アウト 静岡歴史を紐解き食材の本質を探る、浜松エリアの食材探求。

ONESTORYのフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、その魅力をシェフに伝える今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

前回の視察で、浜松にフォーカスして食材を徹底的に掘り起こしたふたりが、今回、『茶禅華』の川田智也シェフを迎え、いよいよプレゼンに臨みます。

川田氏が腕を振るった『DINING OUT KUNISAKI』の開催は2018年5月。それから3年近い月日が流れ、ミシュランガイド3つ星獲得、数々のメディアへの登場など、川田氏を取り巻く状況も変わりました。しかし久々にお会いする川田氏は、かつてと変わらぬ穏やかな笑顔。物静かなのに存在感がある、凪いだ湖面のような人柄はまったく同じです。

「浜松は旅行で数回訪れたことがありますが、食材探しという視点では初。非常に楽しみです」と川田氏。事前のイメージは「首都圏に近く、汎用性の高い食材が多い一方で、個性的な、尖った食材も多い印象」といいます。果たして、ふたりのフードキュレーターのプレゼンは、川田氏にどのような爪痕を残すのでしょうか。

しかし、最初にふたりのフードキュレーターが案内したのは、浜松のシンボル・浜松城。もちろん、ただの観光ではありません。

食材の味や香りだけではなく、そこに潜む歴史や物語を紐解き、深く理解するのが、川田氏の食材との接し方。そこで、この地の歴史を肌で感じてもらうことを目的に、まずはここを目的地としたのです。

さらにここは歴史好きな川田氏が「もっとも好きな戦国武将」という徳川家康ゆかりの城。
「家康は中国から伝来したさまざまな物や制度を、日本という土地に合わせて再構築しました。禅の教えや静岡に縁の深いお茶もそうですね。ただ模倣するのではなく、本質を読み解いた上で、場所や時代にあわせて再現する。それは私の料理の目指すところでもあります」
実際、川田氏は資料館となっている城の内部で歴史地図を見ながら、こんな話を聞かせてくれました。

「いまフグを扱っているのですが、外皮と身の間にある部分を“遠江(とおとうみ)”と呼ぶんです。この地図を見てください。三河地方の隣にあるのが遠江地方。身と皮(=三河)の隣だから遠江。洒落がきいた名前ですよね」

知識として知っていても、その場に立つことで新たな発見がある。ここからはじまる浜松の旅は、幸先が良さそうです。

浜松城を望む川田氏とふたりのフードキュレーター。在りし日の家康に思いを馳せる。

ファインド アウト 静岡

中国を起源とする豚が、静岡の地で新たな魅力を放つ

今回の視察に同行するふたりのフードキュレーターは、川田氏に食材をプレゼンするため、数日前にも浜松を訪問済み。さまざまな情報のインプットも済ませているだけに、移動中の道中も食材の話は尽きません。

立ち寄った『ファーマーズマーケット三方原』で川田氏がメロンに興味を示せば「通年でメロンが出るのは、静岡や熊本などごく限られた産地。なかでもダントツが静岡です」と返し、川田氏が国産の良いキウイを探しているといえば「静岡は日本におけるキウイ栽培発祥の地。ちょうど先週訪問したキウイパークでは、そこにしかない品種もあります。サンプルを送りますね」と打てば響くような反応。

続いてランチを兼ねて訪れたのは、豚肉料理『とんきい』。ふたりのフードキュレーターが推薦する、自社牧場で生産した豚肉の料理が楽しめるレストランです。

三和畜産が運営する『とんきい牧場』は、1968年に母豚5頭で養豚業をスタート。トウモロコシ、米、大豆などオール穀物の自社配合飼料で育てる豚は、臭みがなくドリップが少ないのが特徴。さらにこちらでは、浙江省の金華豚を起源とする「プレミアム金華バニラ豚」も飼育されています。

三和畜産の鈴木芳雄社長の話を聞き、レストランでトンカツを試食する川田氏。

「弾力があり旨味もあるのに、脂は澄んだ味わい。どうしてこれほど脂がキレイなんでしょう?」そんな川田氏の疑問に「飼料のためだと思います。とくに米を混ぜるようになってから、目に見えて脂が良くなりました」と鈴木社長。

さらに豚舎近くを見学させてもらいつつ、豚糞を利用するバイオガス発電施設の話なども伺う川田氏。

「豚への愛情が伝わってくる方ですね」

しみじみとつぶやく川田氏の言葉が印象的でした。

道中で立ち寄った『ファーマーズマーケット三方原』にて。ふたりのフードキュレーターの深い知識が川田氏に披露される。

豚コレラの懸念で豚舎の見学はできなかったが、鈴木社長の話に耳を傾ける3人。

『とんきい』には精肉店も併設。きめ細かい肉質が、川田氏の興味を惹いた。

『とんきい』のトンカツ。豪快な厚切りでありながら、脂のしつこさとは無縁。

ファインド アウト 静岡生産者の人柄が品質に表れる。お茶という農産物の不思議。

そこでふたりのフードキュレーターは、まず川田シェフを『ふじのくに茶の都ミュージアム』にご案内しました。ここは静岡県のお茶栽培の歴史から、世界のお茶事情まで、幅広く体験できる施設。家族で楽しめるスポットではありますが、食材のプロたちも多くを学べる本格的な展示資料もいろいろ。とくに世界の茶葉が一堂に会するコーナーでは川田氏も熱心に見入っていました。

続いて前回の視察でもお世話になった製茶問屋『マルモ森商店』の森宣樹社長にご案内を頼み向かったのは、島田市のお茶農家『永田農園』です。
ここは、国内のお茶の審査でもっとも権威のある「全国茶品評会」で、親子二代で最高賞の農林水産大臣賞を受賞する農園。それは、森社長によれば「お茶農家の分母からいえば、甲子園で優勝するよりも難しいこと」という快挙です。

代表の永田英樹氏の案内で茶畑を歩く川田氏。日本茶にも強い興味がある川田氏だけに、その表情も真剣です。

「物腰柔らかく、穏やかな人柄。まさにお茶に相通じる方」後に尋ねると、川田氏はそう話しました。「畑も手入れが行き届いている。いまは時期ではありませんでしたが、生産者の顔と畑の様子をみればどれほど丁寧に、愛情を持ってやられているかがわかります」

これもまた、産地を訪れて得られる収穫のひとつなのかもしれません。

フードキュレーターのふたりは事前リサーチでも『ふじのくに茶の都ミュージアム』を訪れ、静岡の茶の歴史をインプットした。

『ふじのくに茶の都ミュージアム』では、世界の茶葉を実際に手に取り、香りを感じることができる展示も。

作地面積日本一を誇る静岡の茶畑。この風景に川田智也シェフは何を見出すのか。

『永田農園』の茶畑で永田氏の話を伺う。収穫期でなくとも、現地で聞くことには大きな意味がある。

土に手を伸ばし、香りを嗅ぎ、自身が納得するまで深く学ぶ。それが川田氏の食材探求。

『永田農園』は自社製茶場も併設する自製自園。ここでも手順やこだわりの話を永田氏に伺う。『chagama』の森社長も同席してくれた。

『永田農園』の深蒸し煎茶を試飲する川田氏。

ファインド アウト 静岡若き日本料理人に学ぶ、産地ならではの料理表現。

この日の夕食は浜松の日本料理店『勢麟』へ。こちらの店主・長谷部敦成氏と共通の知人がいることから「ぜひ来てみたかった店」という川田氏。ゆえにその顔には、ただ夕食を楽しむというより、一切を見逃さずに吸収しようという真剣味が宿ります。

コースは御前崎の漁港や、地元浜松の舞阪漁港に長谷部氏自ら赴いて目利きした魚や在来種の野菜など、静岡ならではの食材が主役。それを長谷部氏の日本料理の技で、クリアでありながら奥行きがある引き算の料理に仕立てます。

長谷部氏が自身の店を「料理屋ではなく、食べ物屋です」と標榜するのは、この食材自身に調理法を尋ねるような、素材重視の料理に起因するのかもしれません。

川田氏も「素材の水分が擦れていない、水が生きている。ここまでクリアさを追求するのは、中国料理にはない視点です」と、早々に何かを掴み取った様子。コースを食べ終えた後には「全部食べてひとつのお料理を頂いたような気分です。伝統、現在、未来という3つの時間軸がキレイに整った料理という印象。本当に素晴らしい」と手放しの称賛を寄せていました。
試食の際は、食材の声に耳を傾けるように深く味わい、生産者と話す際はまっすぐ目を見つめる。川田氏のストイックな修行僧のようなその姿勢は、産地の情報を余さず吸収しようという思いの現れなのかもしれません。

こうして『茶禅華』川田智也シェフにより浜松食材視察の1日目は終了しました。次回は2日目の様子をお伝えします。

食材に魅せられてこの地に移り住んだ『勢麟』の長谷部氏。

水と醤油だけで炊いた『勢麟』のオコゼ。鰹も昆布も使わず、素材の持ち味だけで勝負する。

1品ごとに交わされる会話は、ときに深い食材談義に発展した。

えぼ鯛は味噌漬けにして炙り、地元で採れたからし菜と合わせた。

メジは地元で“ひっさげ”と呼ばれるサイズ。朝採りの大根おろし、長谷部氏が山で採取した柚子と合わせて。

住所:浜松市中区元城町100-2 MAP
TEL:053-453-3872
https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/

住所:静岡県浜松市北区細江町中川1190-1 MAP
TEL:053-522-2969
https://www.tonkii.com/

住所:静岡県島田市金谷富士見町3053-2 MAP
TEL:0547-46-5588
https://tea-museum.jp/

住所:静岡県浜松市中区元城町222-25 MAP
TEL:053-450-1024
http://seirin-hamamatsu.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

滋賀県木ノ本『冨田酒造』へ。額に汗かき、己を鍛え直す。

 お米をほぐし、かき混ぜることで酸素を送り込む。高温な室内に加え、重労働な切り返しは、酒造りにおいて重要な作業。

HIDEHIKO MATSUMOTO再び酒職人として生きるために。松本日出彦の武者修業が今、始まる。

まるで蒸気機関車のような煙を吐き出している現場では、衛生管理上、身につけているヘアキャップと新型コロナウイルスによるマスク着用も手伝い、個人を認識するのは難しい。

そんな中、まるで雲の切れ間から射す光のごとく、煙の切れ間から声が射します。

「あと何分!」、「蒸しあがりの具合は!」、「量は!」、「今、何度!」。

その主は、『七本鎗』で知られる『冨田酒造』15代目蔵元の冨田泰伸(やすのぶ)氏です。

対して、スタッフたちは間髪入れずに的確な数値を返します。

「温度が全て」とは、冨田氏の言葉。

この日の仕込みは、2種。麹米と醪(もろみ)を木桶で仕込むための掛米。

「この木桶は、日出彦君と一緒に仕込んでいます」。

木桶に目を移すと、かい入れ(もろみを混ぜる作業)をしている松本氏の姿がありました。

ここでの会話も「今、何度?」、「7.5℃です」、「氷入れる?」など、温度確認。この日の気温は15℃。通常よりもやや高めだったため、木桶の温度をより冷やすか否かの議論を繰り返します。

「日本酒の温度管理にはいくつかの法則があります。例えば、今回、もろみの温度を7℃にしたいとします。もし、木桶の中が5℃であれば、2℃の差があります。その差異である2℃×4=8℃に5℃を足し、13℃のお米を入れれば7℃になります。当然、その逆も然り。お米の温度に合わせて木桶の中の温度も調整します」と冨田氏。

麹においてもそれは同様。種切りの温度は各蔵によって様々ですが、この日『冨田酒造』が合わせたのは32℃。もちろん、麹米の量に対し、種麹の量をどうするかも重要です。「お米100kgに対して種麹80gを推奨しており、今日はお米94kgなので、種麹80g×0.94=75.2gの量で種切りをします」。

この方式を瞬時に弾き出し、1℃、いや0.5℃、1g、いや0.5gの微調整を数十秒ごとに確認し合います。それを成せるのは、松本氏が見習いではないから。

「今の日出彦君には、蔵も免許もありませんが、技術や経験を失ったわけではありません。同じ酒職人としての学びも多いです。これまでの『冨田酒造』にはなかった発想の提案や一緒に酒造りをすることによって生まれる化学反応にも期待しています」と冨田氏。

「酒造りはあくまでチーム。自分のような余所者を受け入れてくださり、感謝しかありません。冨田さんとは、これまでも酒造りに関して会話することはありましたが、一緒に酒造りをすることは今回がはじめて。それが実現できたのは、今の自分に蔵がないからということと『冨田酒造』が自分にチャンスを与えてくださったから。同じ現場をご一緒させて思うことは、ただお米を洗ったり、触ったりするだけでも、その感覚をリアルタイムで意見交換できることは非常に貴重。何気ない会話の中にもみんなの考えや哲学があります。それぞれの蔵が持つ当たり前も他では当たり前でないこともしばしば。違いを共有することによって生まれる発見もあります。酒造りは、工夫の連続。当然、『冨田酒造』には『冨田酒造』のやり方があり、その酒造りに則りながら、自分は何を貢献できるのか。日々、そんなことを考えながら取り組ませていただいています」と松本氏。

引き込み、切り返し、種切り、床もみ。そして、かい入れ。額や腕には汗が滲み、体で酒造りの感覚を取り戻していきます。とはいえ、息切れや二の腕の震え、時折、天を仰ぐ姿には、ブランクを感じざるを得ません。そんな今の自分を全身全霊に受け入れているのは、松本氏自身だということは言うまでもなく、それだけ酒造りは甘くない。

そして、そんな松本氏をチームに受け入れる決断をした冨田氏をはじめ、『冨田酒造』の職人たちの懐の大きさを感じた瞬間でもありました。

「今、酒造りができないのならば、うちに来ればいい」。ただ、それだけ。

理由はひとつ。仲間だから。

熱々のお米を手でひねりつぶし、蒸し具合と温度を確認する松本氏。その行為のごとく、「ひねりもち」と呼ぶ。

この日は、木桶の温度を7℃にすべく、かい入れをするたび、温度を計り、小まめに調整をする。

松本氏と仕込む木桶。「まだ仕込みの段階ですが、これからのもろみの育て方によってどんな化学反応が起きるのか、楽しみです」と冨田氏。

「今は温度計で計れる時代ですが、昔は米の中に手を入れて肌感覚で温度を計っていた。そんな感覚は圧倒的に先人たちの方が研ぎ澄まされている」と冨田氏。「切り返しひとつ取っても酒蔵によって様々。全ての作業が勉強になります」と松本氏。

「日出彦君、お願いします」と冨田氏。シャッ、シャッとリズム良く種切りをする松本氏。

 某名言「考えるな、感じろ」よろしく、『冨田酒造』の酒造りのひとつ一つを体に刻み込む松本氏。その目は、酒職人。

HIDEHIKO MATSUMOTO本当の意味で地酒を愛する人に愛される日本酒、それが『七本鎗』。

酒造りにおいて大切な素材、それは、水と米です。

うまい地酒を作りたいのか? うまい日本酒を作りたいのか?

作り手によって味の個性は大きく変わるも、素材だけにフォーカスすれば、このどちらを目指すのかは大きな分かれ道と言ってよいでしょう。

『冨田酒造』は前者であり、『七本鎗』はその好例です。

「『冨田酒造』では、滋賀県産のお米を4種使用していますが、中でもメインは“玉栄”。全体の75%を占めています。水は、古くから蔵にある井戸水を汲み上げています。奥伊吹山系の伏流水の水質は中軟水で、我々の酒造りには欠かせない自然からの恵みです」と冨田氏。

前述、木桶の氷のくだりは、この井戸水を冷やしたものになります。

「この関係性が素晴らしい。できそうでできている蔵は少なく、本来、日本酒はそうあるべきだとも思います」と松本氏は言います。

特にお米に関しては、山田錦や五百万石などのメジャー級な酒米があるため、他府県の良質な作り手から仕入れ、うまい日本酒を作ることは可能です。しかし、『冨田酒造』が目指すのは、うまい地酒。地元のお米、地元の農家、地元のお水を使い、地元の蔵で作るからこそ意味があるのです。

「自分が蔵に戻ってきた時、実は、県産ではないお米に頼っていました。しかし、これは間違っていると思い、地酒の“地”に根ざすことをコンセプトに大きく舵を切りました。その後、ご縁をいただいた篤(とく)農家さんと今もお付き合いさせていただいています」と冨田氏。

しかし、「玉栄」は、酒造りにおいてはやや難しい品種。例えば、雑味の原因にもなってしまうタンパク質が少ない酒米にとって、「玉栄」はやや多く、一般的には好まれません。それでも「僕らの技術で補えば良い」と2001年から契約。酒造りと米作りを行う長浜市を通して、「湖北」としての地酒を発信することに務めています。

「これは、一見簡単そうに感じますが、実は非常に難しく、覚悟がないとできません。お米、農家、地域。真っ向から向き合う精神が必要とされます」と松本氏。それは、冨田氏が今にたどり着くまで何年もかかった過去を振り返れば理解できます。

「最初は、全然“玉栄”を活かせなくて。寝かせないと味が乗らなく、在庫過多の時もありました。その当時は、華やかな日本酒が流行だったので、自分の酒造りは極めて稀有で地味でした。今は勘所も掴め、早出しもできるようになりました」と冨田氏。これは、冨田氏のたゆまぬ研鑽もしかり、品質向上のために二人三脚で歩んできた農家との絆が生んだ賜物。時間と労力は、ほかの日本酒よりも何倍もかかりましたが、「湖北」でしかできない日本酒を追求し続けたからこそ生まれたのが今の『七本鎗』なのです。

「ここに来て感じたことは、まず何と言っても日本一大きな湖の琵琶湖があるということです。滋賀県のほぼ中央に位置し、約1/6の面積を占めているほど水の宝庫。標高においても120mありますが、旧街道のため、昔から水と人が密接に関わってきたことがわかります。この環境の中で育ったお米を22ヘクタールも『冨田酒造』は使っている。それは、地酒を作ることにこだわるだけでなく、田んぼを守り、それによって生態系を維持し、更には農家の雇用も生んでいます。地域の人が地域を諦めてしまったらお終いです。正しい循環のもと、正しく作られている地酒が『七本鎗』なのだと思います。それは冨田さんだからできたこと。事実、“玉栄”をメインに使用する酒蔵は、『冨田酒造』ただひとつ」と松本氏。

日本には、約1,300社(国税庁・清酒製造業の状況・平成30年度調査分)の酒蔵があると言われています。

「各蔵がそれぞれ地酒に特化すれば、日本酒はもっとおもしろくなる」とふたり。

そんな同じ未来に向かって熱く語ることができるのは、同じ蔵で同じ時間を過ごしながら酒造りをできたからかもしれません。

同じ時間、同じ場所で酒造りを共有するからこそ発見できることも多い。「今この状況をどうするかなどの議論は、一緒に酒造りをしているからこそ」とふたり。

 蒸しあがったばかりのお米。香りも豊かで艶もある。同時に、ここからスピード勝負と温度調整の戦いが始まる。「飲んだ時、グッと力強い当たりがあるも、輪郭がはっきりしているので、綺麗にサッと抜ける。それは、“玉栄”だからできる」と冨田氏。

「今も変わらず井戸から水が沸き続けている。本当に自然は偉大です。水は酒造りにおける生命線。この水が『冨田酒造』を支えているんですね」と松本氏。

「日本酒はただの液体だけではありません。環境、作り手、想いなど、酒造りを取り巻く全てがこのボトルの中には凝縮されています。酒造りの出所は、狭ければ狭い方が濃く、おもしろい。しかし、表現は広く。地域は移動できませんが、ボトルは世界中に移動できる。様々な想いがひとりでも多くの方に届けられるよう、これからも精進していきたいです」と冨田氏。

HIDEHIKO MATSUMOTOこれから何を目指すのか。何をすべきか。同士だから語り合えた。

前出の通り、日本には、約1,300社の酒蔵があると言われています。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれですが、約1,800社あった平成15年から比べると、減少傾向にある業界であることは言うまでもありません。

「言わずもがな、日本酒業界は狭い世界です。まず、蔵元でないと蔵がないことや免許取得の難しさなどもあり、新規参入のハードルが高いのです。自分は、今まさに新規参入しようとしている最中ゆえ、それを肌で感じています。ありがたいことに伝統も経験させてもらっているので、両側面から客観視し、これからの日本酒業界にとって何ができるのかを考えていければと思っています」と松本氏。

「日出彦君と話して一番印象的だったのは、外に出たからこそ分かったことや見えたことがあったということでした。ハッとさせられました。伝統はバイアスにもなりかねない。そう思いました。これは、伝統を持った人間と失った人間にしか理解できないこと」と冨田氏。

『冨田酒造』もまた、460年余年の歴史を刻む伝統的な酒蔵。その15代目蔵元の冨田氏は、家業を継ぐ前に東京のメーカーに勤務し、その後、フランスのワイナリーやスコットランドを巡った経験も持ちます。各地域で得た世界の酒造りは、今の『七本鎗』に大きな作用をもたらせたに違いありません。

そんなふたりは、これからの日本酒業界に何が必要だと感じているのか? そのひとつにタッチポイントをあげます。

 作業終了後、酒職人の表情から友人の表情に。酒造りや日本酒業界の未来についてなど、真剣な話から他愛もない話ができるのは、ふたりの関係だから。

 江戸期に建てられた酒蔵は、登録有形文化財でもある。「守るべき部分は変えず、変革する部分は果敢に挑戦している冨田さんは素晴らしいです」と松本氏。「守るべき部分で言えば、まさにこの酒蔵。建物を守ることも酒造りのひとつだと思っています」と冨田氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO全ての難局を今後に生かすために。新型コロナウイルスと青天の霹靂から得たもの。

「新型コロナウイルスによって、『冨田酒造』も大きな打撃を追いました。いかに、飲食店に寄りかかっていたのかも如実に出ました。これは反省として生かし、これまで届けられなかった場所や人にどうすれば届けられるのかを考えるきっかけにもなりました。しかし、ただ消費量を増やしたいわけでもありません。本質の伝え方を今一度考える必要があると思いました」と冨田氏。

「そんな広げ方の工夫は、これからの自分の課題のひとつだと思っています。タッチポイントを増やすということは、我々が伝える言語を相手に理解してもらえるように合わせなければいけません。自分目線ではなく相手目線になるコミュケーション能力は、これからの日本酒業界には必要だと感じています」と松本氏。

「そんな新しいポジションの確立もまた、日出彦君ならできると思います」と冨田氏。

新しいポジションの確立……。もしそれを成すことができれば、前述にある新規参入の難しさの改善にもつながるかもしれません。

また、新型コロナウイルスによる影響によって好転したことも。

「個人的には、色々立ち止まって考えるきっかけになりました。『冨田酒造』では、よりチームの結束を強くするために、様々を見える化し、コミュニケーションを深く取るようにしました。それは今なお続けており、以前以後と比べても格段に現場の空気が良くなりました。周辺環境においても美点はあり、中でも琵琶湖では数年ぶりに全層循環が確認されました」と冨田氏。

全層循環とは、湖面と湖底の水が混ざり合い、水温と酸素濃度がほぼ同じになる現象を指します。「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれるそれは、近年において発生しなかった冬もありましたが、2021年は、1月22日に確認されており、これは過去10年の中で最も早い日でもありました。

「湖底の酸素濃度が低くなると生物が生息しにくくなり、生態系にも好ましくない影響が及ぶと危惧されます。2020年より難局を迎え、各々が様々な苦悩を迎えていると思います。しかし、唯一、自然界にとっては本来の姿を取り戻したのではないでしょうか」と言う松本氏に続き、「今冬は、本当に雪がすごく降りました。自分が生まれてからこんなに寒い冬は初めてかもしれません。その豊富な雪解け水が全層循環にもつながったと思います」と冨田氏。

「地酒」にこだわる『冨田酒造』ゆえ、地域の環境問題も切実。好転を喜ぶだけでなく、今後、持続していくことも課題になっていきます。しかし、「好転したことは自然だけでありませんでした」と冨田氏は話します。

「2020年末、青天の霹靂のような知らせを日出彦君から受けました。想像を超える苦しみも味わったと思います。でも、今(2021年3月)こうして、一緒に酒造りをしている。このスピード感は、新型コロナウイルスによって、より結束力が増した時期でもあったからだと思います」。

「冨田さんをはじめ、『冨田酒造』の皆さんは、自分に生きる場所を与えてくれました。こんな自分でも、また酒造りをしていいんだと立ち上がる勇気を与えてくださいました」と松本氏。

「よしっ! では午後の仕込みを始めましょう!」。

冨田氏の号令に皆が動きます。もちろん、その群の中には松本氏の背中も。

武者修業は、まだ始まったばかり。さぁ、これからだ。

酒蔵内を右往左往。歩きながらも細かい確認作業を欠かさないふたり。どんな日本酒が生まれるのか、これから期待が高まる。

『冨田酒造』のタンクに書き込まれた松本氏のサイン。「いつの日か、こんなこともあったなぁと笑い話にできればいいな」とふたり。

住所:滋賀県長浜市木之本町木ノ本1107  MAP
TEL:0479-82-2013
http://www.7yari.co.jp/index2.html

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

食べて、知り、伝える仕事。食材のプロたるフードキュレーターが浜松を味わい尽くす。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県]

フードキュレーター2人が『茶禅華』の川田シェフに食材を提案する為に選んだのは浜松エリア。写真は浜松のシンボル・浜名湖。ここにもさまざまな食材が眠っている。

ファインド アウト静岡浜松が誇る美味を駆け足でめぐる旅

まだ見ぬ素晴らしい食材を探し、日々全国を飛び回るONESTORYのフードキュレーター・宮内隼人と吉岡隆幸。2人が静岡県の食材を掘り起こし、トップシェフにプレゼンテーションする今回の企画。
プレゼンテーションする相手は、ミシュラン・ガイド三つ星を獲得し、いまや日本を代表する中華料理のシェフとなった『茶禅華』の川田智也シェフ。事前にリサーチを重ねた結果、最初の目的地は浜松エリアに決定。海、山、平地、湖が揃い、中華料理にふさわしい食材が見つかるであろうこのエリアへ、すでに繋がりがある生産者や地元料理人から情報をかき集めた上で、リサーチに向かいます。

フードキュレーターの大事な役割のひとつが、地域に眠る食材を見つけ出し、伝えていくこと。だから最初のアプローチは、とにかく食べることとなります。まず食べて、生産者と話し、そこに潜む思いやこだわりを聞き取り、一遍の物語を紡ぐ。そのために食べて、食べまくるのです。
畑で、港で、店で、イベントで。食材のプロたるフードキュレーターは、何を食べ、何を話し、何を感じたのでしょうか。

とにかく食材なら何でも口に運び、体験してインプットしていくフードキュレーター吉岡(左)、宮内(右)。浜松エリアではどんな食材と巡り合えるのか。

ファインド アウト静岡フードキュレーターを驚かせた、農園レストランの野菜たち。

「このあたりは赤土ですね。今は新タマネギの時期。土が良いから大きく育っています」

浜松の車窓を流れる景色を見ながら、吉岡が言いました。野菜に造詣が深い吉岡にとって、ただのどかな風景も宝の山に見えているのでしょう。だからランチに訪れてみた農園レストラン『農+ ノーティス』でも、吉岡のテンションは上がりきりです。

「野菜が本来の形のまま出せるのは、農園レストランならでは。きっとまず野菜が中心にあって、そこからどう料理をするか考えられているのでしょう」

それが吉岡が野菜が主役のランチコースを味わった感想。食材卸売会社も経営する吉岡ならではの視点です。

一方で料理人の経験もある宮内は「野菜愛があり、ただの料理人とは違うアプローチ。しかしシンプルだけどしっかりと構成が考えられている印象です。そしてとんでもなくリーズナブルですね」とこちらも絶賛。

食事後、急な訪問を侘びながら、店主の今津亮氏に話を伺うふたり。聞けば埼玉県に生まれた今津氏は、高校生の頃から農業に興味を持ち始め、東京農大、農業開発の企業を経て2017年にこの店を開いたのだといいます。

浜松を選んだ理由は「狭いエリアの中に赤土と黒土があり、そしてさまざまな野菜の栽培南限と北限に位置することから、より多彩な野菜を育てられます。今は年間120種ほどを育てています」と今津氏。

土の話、品種の話、流通の話。短い時間の中で有意義な会話を交わす今津氏とフードキュレーターのふたり。帰り際、畑で採れたばかりの大根をもらったふたりは、今津氏と再会を約束して店を後にしました。

この日の前菜は駿河軍鶏とロマネスコ 柑橘オランデーズソース。力強い野菜の存在感が際立つ。

店に隣接する畑にはさまざまな野菜が育っていた。

今津氏が惚れ込んだ浜松の土。吉岡氏もその質に強い興味を示した。

突然の来訪でも快く畑を案内してくれた今津氏。野菜への強い思いが言葉の端々に潜む。

今津氏と奥様が営む小さな店だが、いまや予約必須の人気店。

ファインド アウト静岡キウイの奥深い世界に触れる、キウイテーマパーク

続いての目的地は『キウイフルーツカントリーJAPAN』。ここは1978年にアメリカに渡った先代が、現地で出会ったキウイの種を譲り受けて持ち帰り、独学で築き上げた日本最大のキウイ農園。現在は62品種1200本のキウイの木が育つほか、観光農園としてBBQやクラフト体験など、さまざまな楽しみを提供しています。

ここでは食べ頃を迎えた8品種を試食しながら、平野氏の話に耳を傾けるふたり。
化学肥料を入れず、魚カスや堆肥を使用すること、天然の傾斜と暗渠(あんきょ)排水設備を利用して排水性を高めていること、雑草は一度長く伸ばして土の中に空気を入れてから刈り取ることなど、栽培の秘密を伺います。
「途方もない手間をかけて、自然に近い状態を作っている。おいしさの秘密が垣間見えました」と感しきりの宮内。
以前から平野氏とつきあいのある吉岡も、改めて農園に足を運んだことで、さまざまな新発見があったといいます。

様々な種類のキウイを育てるキウイフルーツJAPANで、この日は9種のキウイを食べ比べ。見た目も様々でこんなに違いがある事も発見。今回頂いたのはどれも完熟のキウイ達で、酸味、甘み、旨味、それぞれ異なる個性が光った。

宮内の資料には品種特性や感想が細かく書き込まれていく。

味わうことがふたりの仕事。深く考えながら、じっくりと味わう姿が印象的。

羊、茶畑、BBQ広場。さまざまな見どころがある観光農園。この丘からはキウイ畑全体が見渡せるが取材時は収穫後、また実りの季節に再開する事を約束した。食材だけでなく、生産者とのつながりを築くことも大切。

昼食は浜名湖名産のうなぎ。ここでも真剣に味を確かめるふたりの姿があった。

途中で立ち寄った『ファーマーズマーケット浜北店』では、種類豊富な柑橘に注目。

ファインド アウト静岡街の活気を創出する、浜松唯一のクラフトビール

夜になっても食の探求は終わりません。ディナーを兼ねてふたりが出かけたのは、浜松唯一のクラフトビールパブ『OCTAGON BREWING』。ここで代表の平野啓介氏と醸造責任者の千葉恭広氏の話を伺います。

平野氏の夢は、浜松をもっと盛り上げること。千葉氏の夢は雑味がなくクリアな味わいの、独自のビールを造ること。ふたりの思いが合致して生まれた醸造所兼ビアパブのこの店は、連日多くの客で賑わいます。そんな心地よい賑わいをBGMに、千葉氏の言葉を聞くフードキュレーターのふたり。

千葉氏は大阪生まれで、学生時代からビール造りを夢見て、ドイツに渡りました。そしてミュンヘン工科大学ビール醸造工学部で学び、実地研修を経てディプロム・ブラウマイスターの資格を取得。帰国後は若手醸造家の技術指導にあたってきたといいます。

しかしその華々しいキャリアよりもなお印象的なのは、千葉氏の輝く目。「とにかくビールが好きでたまらない」という千葉氏の言葉は、ときに専門的な領域にまで及びますが、フードキュレーターのふたりもまた食の専門家。ときに鋭い質問を飛ばしながら、白熱した講義は続きました。

千葉氏に醸造のこだわりを伺うふたり。その評定は真剣そのもの。

色、香り、テクスチャ。宮内の興味は、食の深い部分にまで及ぶ。

シトラス、マンゴー、パインなど華やかに香る「ブレイクアウェイIPA」など、オリジナルの地ビールが常時数種類楽しめるビアバー。

平野氏(左)と千葉氏(右)。ふたりの夢が形をなしたブリュワリーは、いまや浜松になくてはならない店。

ファインド アウト静岡少しずつ見えてきたフードキュレーターふたりの個性。

2月14日、日曜日。この日は月に1回、毎月第2日曜日に開催される『浜松サザンクロスほしの市』の日でした。
もちろん“市”と聞けば、フードキュレーターのふたりがじっとしているはずはありません。

そもそもこの市は、浜松駅南口のシャッター商店街に賑わいを取り戻すことを目的に、2018年から開かれているマーケットイベント。出店店舗は公募型ではなくスカウト型で、浜松に縁があるハイクオリティなショップやアーティストが揃うことで話題を集めました。現在の出店数は35店舗。はじめた当初は800人ほどの人出でしたが、徐々に知名度を高め、コロナ禍前のピーク時には2000〜2500人もの人で賑わいました。

「少しずつ商店街の方にも認めてもらえ、先日はようやくシャッター街に一軒新しい店も開きました」そううれしそうに語るのは、『浜松サザンクロスほしの市』を主催する(株)浜松家守舎CONの 鈴木友美子氏。大勢の人で賑わい、目に見える効果も出る、地方創生イベントの成功例を前に、ショップで次々と食べ物を試食していたフードキュレーターのふたりも強く興味を惹かれた様子でした。


旅はまだまだ続きます。
名物料理を食べ、養鶏場を見学し、農産物直売所の品揃えをチェックし、ハーブティーを試飲する。
食べて、話し、考え、また食べて、考える。そうしているうちに少しずつ、ふたりのフードキュレーターの個性もみえてきます。

食材卸売会社も経営している吉岡は、とくに野菜の知識が豊富。土壌の質や成分、野菜の品種、作柄、旬など、生産者と同じ目線での会話を通し、その魅力を引き出します。そして仲卸として、流通や価格にも気を配ります。

料理人の経験がある宮内は、ジビエも含めた肉、魚から加工品まで総合的な深い知識を有します。そして元料理人らしく、意識するのは口に入る瞬間のこと。加熱するとどうなるか、保存する方法はどうか、味の成分はどうか。料理としての完成形をイメージした食材探求が持ち味です。

それぞれ得意分野を持つフードキュレーター宮内隼人と吉岡隆幸。ふたりが意見を交わしながら食材を見つめることで、より立体的にその魅力が際立ってきます。

次回はいよいよ、今回のリサーチの経験を元に、川田智也シェフにふたりのフードキュレーターが浜松の食材をプレゼンします。
食材ひとつひとつとまっすぐ向き合い、まるで語り合うように食材の本質を読み解く川田シェフ。果たしてふたりのフードキュレーターは、そんな名シェフにどんな食材を、どう見せるのか。次回の記事をぜひお楽しみに。

『浜松サザンクロスほしの市』にはパンやスイーツから蜂蜜、チーズ、焼き鳥まで多彩なグルメも出店。

午前中から大勢の客が詰めかける。コロナ禍を乗り越え、再び活気が戻り始めた。

鈴木氏(中央)をはじめとした『浜松サザンクロスほしの市』実行委員会の3人。

静岡の地鶏・一黒しゃもを育てる『鳥工房かわもり』にて、代表・河守康博氏の解説を受ける。日本古来の黒しゃもの系統であるしずおか食セレクション認定地鶏・一黒しゃも。上質な脂と力強い弾力が魅力。

新鮮な一黒しゃもをその場で塩焼きにする河守氏。「コクがあるのに、臭みがない」(宮内)、「脂がすっきりとしている」(吉岡氏)とともに高評価。

ハーブティーやアロマを扱う『チムグスイ』にて。香りもまた、美味を司る大切な要素。

住所:静岡県浜松市浜北区四大地9-1178 MAP
電話:053-548-4227
定休日:月曜・水曜
https://notice-vegetable.storeinfo.jp/

住所:静岡県掛川市上内田2040 MAP
電話:0537-22-6543 (9:00~17:00)
定休日:木曜日 (1/10~3/20は水・木)
https://kiwicountry.jp

住所:静岡県浜松市中区田町315-25 MAP
電話:053-401-2007
定休日:火曜日
https://octagonbrewing.com/

住所:静岡県浜松市中区砂山町 砂山銀座商店街 MAP
開催日:毎月第2日曜日
開催時間:10:00~15:00 (8月のみ16:00~20:00)
https://hoshinoichi.com

住所:静岡県浜松市浜北区新原6677 MAP
電話:053-586-5633
営業時間:8:30~16:30
https://life.ja-group.jp

電話:0537-86-2538 (9:00~18:00)
http://torikoubou-kawamori.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 静岡県)

軽やかに、しなやかに。新たな時代の「食」の可能性を広げるキュレーションの力[FOOD CURATION ACADEMY]

料理通信社・編集主幹の君島佐和子さん(左)と、日本におけるフードキュレーターの一人として君島さんが名前を挙げる『H3 Food Design』代表の菊池博文氏(右)。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー「フードキュレーション」は、食の未来に何をもたらすか。

「食」の総合プロデューサーを目指す、すべての人に向けて『ONESTORY』が提案する学びの場『FOOD CURATION ACADEMY』。

2020年末の開講以来、多くの方にご視聴いただいている本講座を、より深く楽しんでいただくための特別インタビュー。

2回目となる今回は、講座にも登壇いただいた料理通信社・編集主幹の君島佐和子さんと、全国でさまざまな「食」のプロデュースを行っている『H3 Food Design』代表の菊池博文氏にお話を伺いました。

長年にわたり「食」を取り巻く世界の動きを間近で見つめ、その最前線を伝え続けてきた君島さん。そして、国内外のトップシェフとローカルを結ぶなど、早くからフードキュレーションを実践されてきた菊池氏。おふたりはいま、「食」の未来をどのように見据えているのでしょうか。

地球環境、テクノロジー、価値観、あらゆることが急速な変化にさらされる中、これからの社会に対してフードキュレーションが貢献できることとはいったい何なのか。その可能性を探っていきます。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー社会が期待する「食」の推進力。ビジョンを持った指南役が求められている。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座 #1で、「食」に対する社会の目線の変化を的確な分析で提示した君島さん。

人口爆発や気候変動による食糧危機など、地球全体が直面する大きな社会課題に対して、その解決の推進力を「食」が担うことが期待されるようになってきた、と君島さんは言います。

「“推進力”というとかなりポジティブで、その中に“意図”とか“意思”とかが含まれてきますよね。でも、そもそも人間がものを食べるということ自体が、意図せずともさまざまなことに影響をしていく作用があります。意図とは関係なく、“食”がどういう作用を及ぼすのかというところまで意識を向けることがすごく重要」。

生産から消費まで、どこかの部分だけを切り取るのではなく、一連の流れとして人間の「食べる」という行為が及ぼす影響を把握すること。動植物の循環、地球規模での循環として「食」を考えることが大前提になっています。そんな複雑な社会状況の中で、人間が「食」とどう向き合うべきか、何をどう食べたらいいのか、どう生産したらいいのか。私たちの向かうべき未来へのビジョンを提示する指南役が求められています。

「”食”を俯瞰して全体を見えていないとビジョンは描けない。そういう意味においても、フードキュレーションというのは本当に必要な概念だなと思います」。

「食」への目線の変化は、新たな「食」へのアプローチももたらします。

「昨年、東京・上野の国立科学博物館で『和食~日本の自然、人々の知恵』が企画されましたが(新型コロナウイルスの影響で開催中止)、そもそも博物館で食の展覧会を開くこと自体がこれまでなかったこと。日本各地の地質と水の硬度の関係を示す展示から始まっていたのもとても面白かったです。食と自然との関係はいまさら言うまでもありませんが、食と地域という論点も当たり前になってきて、より深く入ろうとすると、地理・地形・地質と食との関係の探求が必要になってくる。時代がそういう食への探求に向かっているのを感じます。まさに、講座 #3 の地質と食の対談のテーマですね。この対談は、ぜひ私もご一緒したかった(笑)! PCに張り付いて聞き入りました」。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座の第1回「フードキュレーションとは何か」に登壇した君島さん。『フロリレージュ』オーナーシェフの川手寛康氏、『楽農研究所』代表の菊池義一氏、『ONESTORY』のフードキュレーター宮内隼人とともに、「食」業界のいまとこれからを掘り下げた。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビューフードキュレーションは「食」のリベラルアーツ。自らを起点に学びの枝葉を広げていく。

刻々と変化する地球規模での社会課題に対し、いつも感覚を研ぎ澄まし、広範な視野を持って知識をブラッシュアップし続けていくということは並大抵のことではありません。

「私たち取材する側も一緒で、知らなければならないことがたくさんありすぎて、“こういうことを知らないといけないんだよね”って思うと同時に、息苦しさみたいなもの感じていました。課題解決の推進力である”食”という面ばかりが強調されると、タイトで寛容さがなくて。正しさばかりが求められていくことはむしろ怖かったりもします。そう考えると、講座 #1で『ONESTORY』として提案されていた、“フードキュレーションは食のリベラルアーツである”という捉え方がとてもしっくりきます」。

人文科学、自然科学、社会科学。それぞれの分野と「食」との関わりをもっと広く深く理解していこう、考えていこうというフードキュレーションの学び。それは、確固たるフードキュレーションという概念を掲げ、その下に自分を当てはめていくのではなく、「自分にとってのフードキュレーションって何?」と自身を起点として学びを広げていくことではないかと君島さん。

「自分は何のために”食”の仕事をしているのか。その問い直しをしていくことで、自ずと、個々の人のフードキュレーター像が見えてくるのだと思います。目的に対して、より充実させるべきこと、補完すべきことは何なのか、自分が知らなければいけない領域が恐ろしく広がっているということに気付き、視野が広がり、活動の世界も広がっていきます」。

自分はどんな目的意識を持っているのか、何ができるのか、何がしたいのか。そのために、自分の持っている力をどう機能させていくか。そんな自分起点の発想が、領域を超えて活躍するマルチプレイヤーを生み出していくのです。

「『H3 Food Design』の菊池さんはご自身のお店を持たないからこそ、活動がより社会的になっているように思いますし、一方でお店を持っている方には、お店があるからこそできることがあります。目黒でイタリア料理店『Antica Braceria Bell'italia』を営む井上裕一シェフが不動前に開いたワインショップ『ワインマンストア』はワインだけでなく、井上シェフの人脈で、チーズもジェラートも、消毒液も置いてある都市のキオスクみたいなお店。お店もありながらオリジナルのワインも作っていて、5月末にはワイナリー付きの新店舗に移転される予定です。それぞれの立場で、自身が持っている機能を360度全方位で生かそうって考えていくと、自然と領域を超えてさまざまな分野とつながっていく。皆さんの取り組みをみていると、それを強く実感します」。

フードロス、海洋資源の枯渇、そして新型コロナウイルス。地球規模での様々な課題を前に、「この数年で、日本においても料理を作る人の思考が自然に広がっているのを実感する」と、君島さん。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー地方、食、生産者を軸に活動したい。ターニングポイントとなった震災。

君島氏が講座#1の中で、日本で活躍するフードキュレーターの一人として名前を挙げた、『H3 Food Design』の菊池博文氏。菊池氏は自身の仕事を、どのように位置付けているのでしょうか。

立場や関わり方は違えど、根本的にはずっと同じことをやっているなと思っています」と菊池氏。いまに繋がる菊池氏の仕事の原点は、「星野リゾート」に在籍していた2009年ごろから取り組んだ『軽井沢ブレストンコート』の『ブレストンコート・ユカワタン』のプロジェクトでした。

「日本を代表するローカルガストロノミーを真剣につくろうということで、コンセプト設計から開業、そして運営までマネージャーとして担当しました。器やカトラリーも日本の伝統工芸品で揃えたいという思いから、食材よりも工芸品をキュレーションするプロジェクトが先行したのですが、その中でも福井県の龍泉刃物さんとの出会いは、ボキューズ・ドール用のカトラリーの開発にもつながり大成功しました。この経験は僕の中で一つの自信にもつながりました。産地と一緒になって何かを生み出していくことは、今も変わらず続けていることですね」。

2011年3月『ユカワタン』がオープンして数日後、東日本大震災が発生。岩手県の三陸沿岸は菊池氏の故郷でした。「地方とガストロノミーと経済の様々な効果を探っていくことは、むしろ自分自身の故郷が必要としていること、この頃から考えるようになりました」と菊池氏。そんな思いを抱きつつも、2014年にはフランスの三つ星シェフ、レジス・マルコン氏を招き1泊2日の『ユカワタン』のバックステージツアー。ローカルガストロノミーの最前線を学ぶとともに、地域の伝統の食文化や食材を紹介するプログラムは、その後テーマを変えながら全3回行われました。

「食はディスティネーションの目的です。その魅力は、まるで宝物の様に足元に眠っていると思います」。

2016 年、地方と食と生産者という軸でもっと仕事を深めていきたい、そして三陸に特化した仕事に携わりたいという思いから独立。日常の食にフォーカスした拠点として、東京・池袋『もうひとつのdaidokoro』を立ち上げたほか、2019年には念願の三陸での取り組みとなる、『三陸国際ガストロノミー会議2019 立ち上げに参画し、講演プログラムのキュレーションを行いました。

君島さん曰く「社会が菊池さんを共有している」。

その言葉のとおり、菊池氏の視点や感覚が、人と人、人と地域を縦横無尽に結び、地域に新しい風を吹き込んでいくのです。

現在は長野県に暮らす菊池氏。日本各地の「食」における課題解決を実践するギルド的集団『H3 Food Design』の代表として、生産者と国内外のトップシェフ、食のジャーナリストをつないでいる。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー土地の文化を発信しながら文化を再解釈する。「よそ者」が拓く、これからのガストロノミー

そして2021年。いま、菊池氏はどのようなことに取り組んでいるのか。

「今は地方のホテルを変えたいと思っています。ホテルがもっと地元と密着して行ったらどんなことができるんだろうと考えていた時、ちょうど『旧軽井沢KIKYOキュリオ・コレクション・バイ・ヒルトン』の相談を受けたのがはじまりです」。

粉やパティからすべて地元産の食材を使ったハンバーガーを企画して、四季折々の食材を使ったガストロノミーレストランをプロデュース。食材の仕入れ先のほとんどを、地元産に変更しました。

「レストランでの提供に限らず、加工品などのECやイベントやツーリズムなど、ホテルが地元のハブ的な存在になることで、大きな経済効果や雇用をもたらす事が可能です。また、災害時にはダイナミックな購買力やマンパワーを発揮する事が可能です」。

いま、新たに菊池氏が手掛けているホテルは長野県の「松本十帖」と滋賀県「ロテル・デュ・ラク」の2つ。

「地元に新しい風を吹かせるためには、むしろよそ者の方がいいんじゃないかなって思うんです。風土という言葉を分解した時に、"土"は伝統、その土地にずっと受け継がれてきたもの。でもきっとこれまでの歴史の中で、地域のさまざまな街道で、旅人や商人が行き交うことで、その土地に新しい"風"が入って変化が起きていた。革新の"風"と伝統の"土"。新しいガストロノミーの進化を作れるのは"風"を吹かせる旅人なんだっていうのが、僕の中の"風土"の解釈です。『DINING OUT』もまさにそうですよね。今、日本もいろいろな意味で閉塞感から脱しようとしている時期。ガストロノミーの世界も同じです。僕のアプローチは風をもう一度吹かせるというところです。地元の生産者さんと一緒にやっていくのは言わずもがな。一緒に取り組みながら成長して、価値を高めていくということがキュレーションの意味でもあると思います。それが結局のところサステナビリティなんじゃないかなというのが、僕の軸になっています」。

よそ者がもたらす「風」の力を信じながら、もう一つ大切にしているのが「健康」というテーマだという。

「文化から文明に変わり、大量生産、工業生産になっていろいろな食の危機が起こっている。でも日本の地方には、まだまだ大切な食文化がたくさん残っています。そのあたりを紐解くことが次のガストロノミーのヒントになるんじゃないかなと思っています。命を守るとか、家族を大切にするとか、健康を一番に思う”母性”に、ガストロノミーが戻ってきている。文化を発信しながら文化を再解釈していくことが、これからのガストロノミーの中心になってくるんじゃないかなと思っています」。

軽やかに、しなやかに。寛容さを失わない風のような存在が、「食」の未来を切り拓いています。

スペイン・ガリシア地方でシェフのコラボレーションイベントを企画した際に、サンチアゴのシェフの案内で生産者を訪問した時の様子。離れている価値をつなげ、新しい風を吹かせていく。

『信州ガストロノミーツアー(主催:長野県)』を企画運営した際、地元のお母さん世代や招待シェフと共に野沢菜漬けを体験。「これからのガストロノミーのヒントは、地方の食文化にある」と菊池氏。

栃木県生まれ。早稲田大学第一文学部演劇専攻卒。株式会社パルコ、フリーライターを経て、1995年『料理王国』編集部へ。2002年より編集長を務める。2006年6月、国内外の食の最前線の情報を独自の視点で提示するフードマガジン『料理通信』を創刊(2021年1月号をもって休刊)。編集長を経て、2017年7月から編集主幹に。“食で未来をつくる・食の未来を考える”をテーマとする「The Cuisine Press」(Web料理通信)では、時代に消費されない本質的な「食の知」を目指して様々なコンテンツを届ける。辻静雄食文化賞専門技術者賞の選考委員。日経新聞の日曜朝刊「NIKKEI The STYLE/」に寄稿。デザイン専門誌『AXIS』、マガジンハウス『アンド プレミアム』でコラムを連載。著書に『外食2.0』。

岩手県・山田町出身。軽井沢を拠点に、「地方から地方へ」をテーマにローカル× ガストロノミーの各種イベント企画等を展開中。 ANAホテル 東京、フォーシーズンズホテル東京、グッチ・ジャパンを経て、2001年に星野リゾート参画。デンマーク 『NOMA』のレネ氏が来日した際『NOMA TOKYO Mandarin oriental Tokyo⻑野ツアー』を担当。星野リゾート料飲統括ユニットへ参画後、2016年に独立。『H3 Food Design』として日本各地においてガストロノミーを起点とし たソーシャルデザインを行っている。J.S.A認定ソムリエ、 調理師免許、フードツーリズムマイスター取得。

 

シェフとフードキュレーターがめぐる静岡。食のプロたちを驚かせる、海、山、畑の宝物。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県]

ファインド アウト 静岡OVERVIEW

静岡県。ここは日本一高い山と日本一深い海を持ち、肥沃な大地と豊富な水と温暖な気候に恵まれた地。関東と関西の中間に位置し、多彩な食文化が行き交い、混ざり合う地。そして東西長約155kmという広さの中に驚くべき多様性を秘めた地。

伊豆、静岡、焼津、藤枝、浜松、それに富士山の麓や海沿いの港町。エリアが変わる度にまったく異なる様相を呈する静岡県の食材たち。

今回は、まず徹底的に食材や食文化をリサーチして掘り起こし、そして見つけ出した食材を一流料理人にプレゼンテーションして評価していただく、という二段構えの構成で、静岡県の食材の豊かさをお伝えします。

題して「FIND OUT SHIZUOKA」知られざる静岡の一級食材をフードキュレーターが探し出す。

食材リサーチを担当するのは、宮内隼人と吉岡隆幸というONESTORYの2名のフードキュレーター。
フードキュレーターとは、まだ見ぬ素晴らしい食材を探し日本中を飛び回る食材のプロフェッショナル。ある食材の製法の科学的根拠や土地柄、歴史背景までを紐解きながら、その内に潜む物語を探る探究家。食材と人、食材と食材、人と人を結び、新たな価値を創出する食のプロデューサー。
そして2名とも、過去開催された『DINING OUT』で一流のシェフと食材生産者の間に入り、食材の価値を料理人にわかりやすく伝えていく、いわば翻訳者的な役割もこなしてきました。

そして今回参加する料理人は、昨年末にミシュラン三ツ星を獲得、今もっとも注目を集める『茶禅華』川田智也氏。過去『DINING OUT KUNISAKI』のシェフも担当。食材を徹底的に吟味し、研ぎ澄まされた感性でかつてない中華料理を生み出す川田氏に提案するとあって、2名のフードキュレーターも気合十分です。

さて、2名が今回向かったのは、浜松を含む静岡県中西部エリア。浜名湖の恵み、海の幸、こだわりの豚や鳥など、中華料理に役立ちそうな食材が多い事が予測された為、まずはこのエリアが選定されました。
この食材の宝庫でふたりはどんな生産者と出会い、どんな食材を見つけ出すのでしょうか。そして、発掘した食材を川田シェフはどう見つめ、何を感じ取るのでしょうか。その様子をお伝えします。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 静岡県)

「このままでは地域から希望の光が消えてしまう。それはあってはならない」Zenagi/岡部統行

オーナーの岡部統行氏はホテル業界とは無縁の人だが、人の縁に導かれ『Zenagi』を開業。新型コロナウイルスによって苦しい状況が続くも、自らの理念である“100年後の日本を作る”ことに向け、前を向く。

旅の再開は、再会の旅へ。100年後の日本を作ることを考えれば、これも必要なステップなのかもしれない。

長野県木曽郡南木曽町(なぎそまち)。ほぼ岐阜との県境に位置し、人口はわずか4,000人あまり。奥深い山中にあるそこは、「日本で最も美しい村」連合にも認定されており、中山道妻籠宿(つまごじゅく)という江戸時代の風情を色濃く残す古い宿場町でもあります。

そんな日本人すら知る人が少ないこの町へ、実は感度の高い外国人が足繁く訪れていました。
しかし、新型コロナウイルスによって海外の行き来はなくなり、国内の移動においても困難に。自粛や緊急事態宣言によって、人と人のコミュニケーションは遮断され、日常は奪われてしまいました。

「何とか耐えている状況です」。そう切実に語るのは、『Zenagi』の岡部統行氏です。

2019年4月、突如誕生したそこは、世界基準とも言えるハイクラスなホテル。これは高価格という意味だけでなく、文化的な感度の高さを表します。

「オープン以降、世界中の旅行代理店や海外メディアにたくさん来ていただき 何とか“種播き”の1年目を越え、“収穫”の2年目へと向かおうとしている中、新型コロナウイルスの問題が起きました。お客様の7割が欧米からのインバウンドだったこともあり、言葉にできないほど大きな打撃を受けました。自分たちの力ではどうしようもない事態を前に、ただただ無力でした。しかし、そんな中でホテルを支えてくださったのは、日本人のお客様たちでした。今は、リピーターやファンの皆さまに応援をいただきながら、なんとか“耐えている”状況です」。

南木曽町田立(ただち)という、和紙の里でもある棚田の最上部に立つホテルの部屋数は、わずか3室。12名が宿泊人数の上限です。江戸時代後期から明治初期に建てられたという古民家を改装して開業したそこは、単なる古民家ではありません。材木取引などで大きな財を成した豪農が所有していた建物は、内部空間の梁を見るだけで、その贅を尽くした造りに圧倒されます。新設した開口部からは広大な自然を望み、空間には、木曽地方の木材やそれを使用した家具、漆器などの伝統工芸が配されます。上質と文化が交錯する時間は、ここだから体験できる特別。

「新型コロナウイルスの前から考えていた計画なのですが、ホテルを“1日1組限定のプライベート・リゾート”にすることにしました。もともと1組のお客様のために10名近いスタッフが力を合わせて、“最高の休日”を演出することに魅力を感じていました。ご家族やパートナー、友人たちとの“一生の思い出”をご提供差し上げることが我々の仕事だと思っています。先日もリピーターのご家族が来た際、“ここにだけは、新型コロナウイルスでも変わらない素敵な世界がある”と笑顔をいただいたことが心に残っています。また、お客様がホテルやレストランに来られない間にも“お客様とつながる方法”がないか思案する中、わたしたち自身のことを発信できる自社メディアを立ち上げる計画をしています。そこで地元の生産者さんの食材や職人さんの工芸作品などの販売もしていく予定です。いつもお世話になっている地域の方に、わたしたちにできることです」。

苦しい時こそ、自分たちは地域にどんな貢献ができるのか。それは、開業前より、町や人とのつながりを常に大切にしてきた岡部氏だからこそ思うことでもあります。それでも、歯止めなく押し寄せる様々な問題に不安を募らせます。

地域の皆さんが希望を失いかけていると思います。新型コロナウイルス前から地方の衰退はとても激しいものがありました。人口4,000人の消滅可能性都市で毎年50〜100人ずつ人口が減っていくのは、本当に恐ろしいことです。そこに、突然、今回の難局が降りかかり、町の唯一の希望だった観光業が壊滅的な被害を受けています。このままでは、地域から希望の光が消えてしまいそうで、不安でなりません」。

地域にもよりますが、自粛や緊急事態宣言は、人々の生活を大きく変えました。飲食業は時短営業を強いられ、保証や支援があるも、抱えている問題はそれぞれ異なり、一律で解決できない現状もあります。

「ホテルやレストランは、新型コロナウイルスによって一番被害を受けている業界と言われています。私自身、その通りだと実感をしています。しかし、こんな時だからこそ“ホテルやレストランにできること”もあると考えています。ホテルやレストランは、夢や価値観を皆さんと共有できる場所です。コロナ禍によってライフスタイルや価値観が大きく変化する時だからこそ、“新しい夢”、“新しい価値観”を皆さまと共有できる時なのだとも思います。我々の会社の理念は、“100年後の日本を作る”ことにあります。地方の衰退も人口減少もコロナの危機も乗り越え、どんな100年後の日本を夢見るのか? 自分たちが考えていることや日々取り組んでいることを、今後、少しずつでもお伝えしていきたいと思っています」。

100歳時代と謳われる昨今、100年後は近いか遠いか。しかし、ひとつわかることがあるとすれば、その未来のために今何ができるのかを真摯に向き合い、この難局をただの過去で終わらせてはいけないということではないでしょうか。様々な難局を先人たちが生き抜いてきたように。

「こういう時は、近くだけでなく遠くを見ることが大事だと思っています。例え、今は辛くても、100年後の日本を作ることを考えれば、これも必要なステップなのかもしれません。我々は、遠くを夢見て、今日も一歩一歩進んでいきます。一緒に乗り越えましょう! そして、皆様と再会できることを楽しみにしています」。

ライトアップされた『Zenagi』の全景。シルエットになっている山が伊勢山だ。インバウンドへの火付け役とされているのは、2016年にイギリスBBCで放送された『ジョアンナ・ラムレイが見た日本』という番組だった。

現代では到底採れないような材木の柱や梁が巡らされたロビー空間。天井には見飽きることのない静岡の竹細工職人による照明の「光と陰」。

元はお蚕場だった2階が客室に改装されている。眺めが一番良い「松」の間。

妻籠に迫る夕闇。妻籠の風景に欠かせない伊勢山が遠く霞む。『Zenagi』は、山の反対側に位置する17時にはほとんどの店が閉まってしまうが、そこから江戸の風情が湧き上がる。

住所:長野県木曽郡南木曽町田立222  MAP
https://zen-resorts.com/

Text:YUICHI KURAMOCHI

「自分ではない誰かのために」人を思う心こそが、ものづくりの原動力。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・Restaurant MOTOÏ/京都府京都市]

面識はあったが語り合うのは初めてのふたり。話は深く、心の内にまで及んだ。

MOTOÏ × 堀木エリ子町家、フレンチ、シャンパーニュ。複雑に絡み合う3つの要素。

和紙デザイナー・堀木エリ子さんが『テタンジェ』のトップキュベ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のペアリングを体験する「食べるシャンパン」。

今回の舞台は、京都の路地に暖簾を掲げる『Restaurant MOTOÏ』です。

築100年の町家をリノベートした重厚な空間で供される、前田 元シェフのモダンフレンチ。それは空間の品格から想像するよりも自由奔放で、ときにフレンチという枠にさえ収まりきらない独自のスタイル。2012年のオープンから1年を待たずしてミシュランの星を獲得した事実は、このスタイルが単に奇をてらうのではなく、確かな技術とロジックに裏付けられていることの証明かもしれません。

堀木さんの事務所からもほど近く、過去にも何度か訪れたことがあるというこのレストラン。前田シェフは「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」にどのような料理を合わせ、堀木さんはそこに何を見出すのか。

未知なるマリアージュが始まります。

【関連記事】NEW PAIRING OF CHAMPAGNE/深まる「ご縁」、湧き上がる「パッション」。和紙デザイナー・堀木エリ子が体験する「食べるシャンパン」。

窒息させて血をとどめるエトフェという技法で、濃厚な旨味を湛える七谷鴨(ななたにかも)が主役のひと皿。

フレンチのほか、10年に渡る中華料理の経験も持つ前田シェフ。その技法は随所に活かされる。

温度を確かめるのは手。「熱いのですが、集中していると不思議と熱くないんです」と前田シェフ。

MOTOÏ × 堀木エリ子特別な時間を彩る、特別なレストラン。

「以前、友人にこの店で誕生日を祝ってもらったことがあります。その印象もありますが、私にとってここは特別な時に利用する、特別なお店です」。

中庭を臨むテーブルに着き、堀木さんはそう話しはじめました。そして口をつぐみ、しばし店内を見回します。

築100年超、かつて呉服商の邸宅だったというこの空間。庭木がもっとも美しく見えるよう一段下げられた床、重厚な天井を支えるように整然と並ぶ梁、いまや希少な大正ガラスを通し少し波打って見える木々。

京都を拠点に活躍する堀木さんにとって、この新旧が違和感なく調和する空間はきっと馴染み深いものなのでしょう。しばしの無言は決して居心地の悪いものではなく、むしろこの空間に浸っている時間だったのかもしれません。

やがて前田シェフの手で料理が運ばれてきました。

「京都・亀岡の七谷鴨です」という前田シェフの言葉通り、それは上質な鴨肉を余すところなく盛り込んだ一皿。胸肉はロースト、内臓はパテ、モモ肉はミンチにしてコンソメを取り聖護院大根に染み込ませています。添えられたクレソンは、シェフが早朝に清流の中から摘んできたもの。

このコンセプチュアルな料理は、果たしてどのように「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」と響き合うのでしょうか。

中華の技法で取ったコンソメなど、随所に中華料理の経験も持つ前田シェフらしさが光る。

店の考え方を出さず、自由に楽しんでもらうことが前田シェフの信条。

料理に潜ませた山椒や胡椒が「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」と響き合う。

MOTOÏ × 堀木エリ子食べる順序で味わいが変わるひと皿は、「まるで魔法」。

運ばれてきた鴨を口に運んだ堀木さんは、しばし咀嚼し、「おいしい。って当たり前ですけど、やっぱりその言葉が出てしまいますね」と笑います。それから「甘みがあり、臭みははく、鴨の旨味が凝縮されています。つまり、おいしいんです」と付け加えました。

次いで「大根はいわばソース代わりです」という前田シェフの説明を聞き、大根をひと口。

「上品でふくよかな“ソース”ですね。最初に山椒が香り、最後に胡椒の余韻が残る。鴨の旨味がいっそう引き立ちます」と称えました。

そして待ちわびたようにグラスに手を伸ばし、「本当にぴったり。料理の余韻をシャンパーニュが優しく包んでくれるような印象です」と堀木さん。さらに今度はパテを味わい、再びシャンパーニュをひと口。

「今度はシャンパーニュが口の中で弾けます。鴨、大根、パテ。食べる順番を変えるだけで味の感じ方が一変し、続くシャンパーニュの印象も違ってきます。一皿の料理とは思えない、まるで魔法です!」と驚きの表情を浮かべます。

前田シェフは我が意を得たりと微笑み、料理の種明かし。

「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”は、エレガントかつスパイシーという複雑な味わい。そのさまざまな要素を引き出せるよう、料理も皿の中で多様性を持たせました。クレソンは水温が低い今の時期は、ワサビのような辛味がありますので、これで口の中をリセットして多彩な味わい方をお楽しみ頂けます」と複雑な計算が潜んでいることを教えてくれました。

「フランス料理には型があるが、ここにはそれがない。それこそ前田シェフの本質」と堀木さん。

「自分が行かないと嘘になる」と毎朝5時過ぎに市場に通う前田シェフ。

料理と和紙。ジャンルは違うが、ものづくりに挑む姿勢は驚くほど共通していたふたり。

MOTOÏ × 堀木エリ子誰かを思う心が、思いがけない力を生む。

これまでに何度か堀木さんが店を訪れ、互いに面識はあったふたり。実はそれ以前にも、ふたりが交差したタイミングがありました。それは前田シェフがかつて働いた期間限定レストランでのこと。

「レストランとして使っていた空間に、堀木さんの作品が飾られていたんです。光の加減によって見え方が変わる和紙。こんな美しいものを見ながら仕事ができるなんて、と幸せに思っていたことを覚えています」そう振り返る前田シェフ。

「誰かに見てもらうこと、誰かを喜ばせること、それがものづくりの基本ですから、そのお言葉はとてもうれしいです。そして前田シェフもきっと同じなのだと思います。先日“餃子”を食べて確信しました」。

堀木さんが話す「餃子」とは前田シェフが手掛け、2020年11月にオープンしたばかりの新店、その名も『モトイギョーザ』のこと。

「はじめはフレンチの前田シェフが餃子と聞いて驚いたのですが、お話を聞いて納得しました。家族のために家で作っていた餃子が起点なんですね」。

「その通りです。この社会情勢のなかで何かできることはないか、と考えていたときに、前から娘のために作っていた餃子を思い出しました。いつも早朝から仕入れに出かけ、帰るのは深夜。もっと娘の笑顔が見たいと、毎晩、娘の好きな餃子を試作しました。ニンニクを使わず、好物のパクチーとエビを入れて、もちろん無添加で。それが形になったのが『モトイギョーザ』です」と前田シェフ。

誰かのためになら、もっとがんばれる。そんな堀木さんの思いは、目の前のグラスを満たすシャンパーニュにも及びます。

「シャンパーニュも同じですね。十字軍で遠征したエルサレムで兵士が口にしたブドウ酒。それがおいしくて、故郷の皆にも伝えたい、と苗木を持ち帰ったのがシャンパーニュのはじまりですから。自分のためではなく誰かのため。それが思わぬ力を生むのかもしれませんね」。

「京都でやる、イコール京都の文化を伝えていくこと。その部分は大切にしたい」と前田シェフは語った。

空間設計にデザイナーは入れず、すべて前田シェフの思い描いた通りに設えたという。

フランス料理、和紙、シャンパーニュ、町家。どれも伝統を守り、今の時代に合わせて表現し、伝えていくもの。

MOTOÏ × 堀木エリ子なぜ? を考え続けることが次へのステップに。

偶然も必然も含め、幾度も互いの歩みが交差した前田シェフと堀木さん。同じ京都を拠点とし、そしてものづくりに向き合う姿勢にも多くの共通点がありました。

たとえば、今回堀木さんが手掛けた「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のギフトパッケージは、熨斗のように箱を包む形。これは「紙で包むことにより物を浄化して人に差し上げる」という日本古来の文化を取り入れた表現です。

一方、前田シェフのコースに箸を使う料理が登場する際、箸はゲストの正面に横向きに置かれます。これも結界を意味する日本古来の作法。「なぜそうするのか、を常に考えます。他のレストランに行くときも、食材の組み合わせやソースを“なぜ”使っているのか、と考えます」という前田シェフの言葉に、堀木さんも深くうなずきます。

「例えば、居心地の悪い喫茶店があったとして、普通ならもう行かなければ良いだけのことですよね。でも私は友人と話しながら頭の片隅で、“なぜ居心地が悪いのか”を考えてしまうんです。そして“自分だったらこうしてみよう”というアイデアが生まれる。常に考え続けること、それが思いの深さなのでしょう」と堀木さん。

京都という特別な地を舞台にする理由。受け継がれる伝統の捉え方と、その上に成り立つ革新の意味。今の時代を反映し、未来につなげるものづくり。

深く深く掘り下げていく似た者同士のふたりの会話は、まるで自分自身に問いかけているようでもありました。

愛情、おもてなし、思いやり。ふたりの間で多くの言葉が語られたが、その本質はどれも「誰かを思う心」で共通していた。

住所:京都市中京区富小路二条下ル俵屋町186 MAP
TEL:075-231-0709
https://kyoto-motoi.com/

1962年京都生まれ。高校卒業後、4年間の銀行勤務を経て、京都の和紙関連会社に転職。これを機に和紙の世界へと足を踏み入れる。以後、「成田国際空港第一ターミナル」到着ロビーや「東京ミッドタウン」などのパブリックスペース、さらには、旧「そごう心斎橋本店」や「ザ・ペニンシュラ東京」など、デパートやホテルの建築空間に作品を展開。また、「カーネギーホール」(ニューヨーク)での「YO-YOMAチェロコンサート」舞台美術や、「ハノーバー国際博覧会」(ドイツ)に出展した和紙で制作された車「ランタンカー‘螢’」など、様々な分野においても和紙の新しい表現に取り組む。「日本建築美術工芸協会賞」、「インテリアプランニング国土交通大臣賞」、「日本現代藝術奨励賞」、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」、「女性起業家大賞」など、受賞歴も多数。近著に『和紙のある空間-堀木エリ子作品集』(エーアンドユー)がある。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
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Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

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「人類は地球を制御できない。今こそ、人類のサイクルから地球のサイクルへ」デザイナー・皆川 明

「コロナ禍において、日常は奪われてしまいましたが、一方で何気ない日常の有り難さを再考できました」と皆川 明氏。Photograph:Shoji Onuma

皆川 明 インタビュー不思議な時間の中、もの作りは進んでいった。

「このシーズンは、私たちにとって不思議な時間の中でものづくりが進んでいきました。今在る不安はどこまで続くのか、それはどのように晴れていくのか。その中で浮かぶ風景は雲の合間から、刺す光の景色や生き物が微かに、しかし途切れることのない繋がりを持つようなイメージでした。そして過去の様々な困難を乗り越えてきたこと、それが次の世界へと繋がる扉であることを信じる気持ちが湧いてきました。デザインは、マイナスの要因がある時こそ大切な拠り所になりたいと思います。このシーズンが皆さまの日々の暮らしの新しい喜びのひとかけらとなることを願いながら」。

この言葉は、『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』が「2021 Spring/Summer Collection after rainを発表した際に添えられたメッセージでデザイナーの皆川明氏が書いたものです。

その「不思議な時間」を指す主は、新型コロナウイルスによる様々な変化。

今なお、その渦中にありますが、この難局をただの難局だったという過去にしてはいけません。

「after rain」……、止まない雨はない。雨上がりの先には、一体どんな景色が待っているのか。

皆川氏と共に、考えていきたいと思います。

「2021 Spring/Summer Collection after rain」より。自然に溶け込むテキスタイルやデザイン、柔らかな質感が美しい。Photographs:Hua Wang Hair & Make-up:Yoshikazu Miyamoto Model left:Marianna Seki Model right:Kamimila

皆川 明 インタビューゼロイチだけではない。イチ以降も蓄積されるデザイン。

『ミナ ペルホネン』の特徴は、オリジナルの図案によるファブリックを作るところから服作りを進めることにあり、その表現はファッションの領域を超え、多岐にわたります。

インテリアでは、アルヴァ・アアルトやハンス J・ウェグナー、アルネ・ヤコブセンなどが手がける名作家具とのコラボレーションを発表。坂倉準三や柳宗理、剣持勇などで知られる『天童木工』やジョージ・ナカシマで知られる『桜製作所』では、椅子などのデザインを自ら手掛けます。そのほか、デンマークの『Kvadrat(クヴァドラ)』、スウェーデンの『KLIPPAN(クリッパン)』といったテキスタイルブランドやイタリアの陶磁器ブランド『GINORI 1735 (リジノ1735)』へのデザイン提供、テーブルウェアや雑貨のデザイン、新聞や雑誌の挿画の制作、更には、香川県豊島の一日一組の宿『UMITOTA(ウミトタ)』ではディレクションを担います。

その全てのデザインを可能にするのは、前述にある「ファブリックを作るところから服作りを進める」哲学にあると思います。つまり、ゼロからの創造です。しかし、それだけではないのが『ミナ ペルホネン』。

例えば、一般的なファッションブランドは、各年の春夏・秋冬の発表からシーズン後のセールという定常に対し、『ミナ ペルホネン』は同じデザインの服を何年も作り続けています。また、皆川氏が手掛けた『金沢21世紀美術館』のスタッフユニフォームにはパッチワークを採用。その理由に「穴が空いたり破れたりしても補修が目立たず、長く着ることができるデザインを考えました」と話します。ゼロイチから創造されたものは、イチ以降も蓄積を重ね、歳と共に生きていきます。いや、それ以上かもしれません。なぜなら、「ものは人の命よりも遥かに長く生き続けるから」です。

昨今、サスティナブルという言葉が市民権を得ましたが、皆川氏は、もっと以前より、その思考を持って『ミナ ペルホネン』をスタートしていたのです。

『Fritz Hansen(フリッツ・ハンセン)』社により作られている「Series 7」の60周年を記念して誕生したラインナップ。アルネ・ヤコブセンが「Series 7」のために選んだ色から皆川氏がインスピレーションを得て、経年変化を楽しめるテキスタイル「-dop-」から6色を選択。パッチワークにて仕上げた作品。Photograph:Kotaro Tanaka

桜製作所と共に製作した「lotus stool」。「公園の池に揺られる背の高い蓮からインスピレーションを受け作りました」と皆川氏。Photograph:Koji Honda

デンマークの『クヴァドラ』(左)やスウェーデンの『クリッパン』(右)にもテキスタイルデザインを提供。Photograph left:Patricia Parinejad

香川県豊島の一日一組の宿『ウミトタ』では、ディレクションを担う。『ミナ ペルホネン』のテキスタイルに囲まれて過ごす時間は、より一層特別な宿泊体験となるだろう。設計は、『シンプリティ』の緒方慎一郎氏が手がける。Photograph:L . A . TOMARI

皆川 明 インタビュー
天然資源には限りがある。地球の循環を理解し、100年先も「つづく」社会へ。

『ミナ ペルホネン』の前身となる『ミナ』を創設したのは1995年。「せめて100年つづくブランドに」という思いから始まったその歩みは、2020年に25周年を迎えました。2019年11月16日から2020年2月16日まで『東京都現代美術館』にて開催された『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』は、その集大成と言って良いでしょう。

その会期終了間際に世界を震撼させたのが新型コロナウイルスだったのです。「まさかこんなことになるなんて……」。今なお「つづく」誰もが予想しなかった難局と同年に周年を迎えた『ミナ ペルホネン』は、今後、どう「つづく」のか。

同展覧会にはこれまでの歩みも年表として描かれ、その最後は、創設から100年先の2095年という未来に向けられています。その項目には、「過ぎた100年を根としてこれからの100年を続けたい」というメッセージが綴られていました。

人類は、新型コロナウイルスから何かを学び、それを根にできるのか。そして、100年後には、どんな世界が続いているのか。

「ものを作るということは、それを伝えるということまでを含んでおり、その伝えるという方法が新型コロナウイルス後は大きく変化したと思います。それについては、新たな方法を考える喜びになっています。生活は、海外への渡航がなくなり、未知の土地や文化の体験ができないようにも感じていましたが、身近な人との新たな関係や日々の小さな要素からの気づきが増えたと思います。どんなに世界が変わってしまっても、大切なことは変わりません。デザインによって暮らしの喜びは生まれ、そこから更に生まれる記憶が人生に幸福感をもたらすと信じています」。

消費するものではなく、生産するもの。
作る先にある、直すことまで目を向ける。

ある意味、人類は地球を支配してしまったのかもしれません。いや、支配できたと勘違いしてしまったのかもしれません。

それに気づきを与えたのが、新型コロナウイルスだったのではないでしょうか。

これから人類は、どう生きるべきか。

「地球の変化に耳を傾け、人間の作ったサイクルを地球全体のサイクルと整合させていく必要があると思います。それには、肥大した欲の制御と本質的な幸福感への理解が必要されるのではないでしょうか」。

2019年11月16日から2020年2月16日まで『東京都現代美術館』にて開催された『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』は、『ミナ ペルホネン』と皆川氏の集大成とも言える展覧会。テキスタイル、ファッション、インテリアなど、ありとあらゆる作品が一堂に会した。写真は、2020年7月30日から11月8日まで『兵庫県立美術館』にて開催された特別展『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』の「雲セクション」展示風景。Photograph:L . A . TOMARI

産地、手仕事、職人を大切にしている『ミナ ペルホネン』。どんなにテクノロジーが発達しても、丁寧なもの作りに勝るものはない。Photograph:L . A . TOMARI

皆川 明 インタビュー
全世界が同時に恐怖を知った。その真実を人類は生かさなければいけない。

新型コロナウイルスの特徴は数あれど、人類が迎えた難局の特徴はひとつ。それは、この問題が世界同時に発生したということです。日本のみ、アジアのみ、アメリカのみ、ヨーロッパのみなど、ある特定の国や地域で発生する件であれば、これまでもしかり、今後も可能性としてはありうると思います。しかし、全世界が同時に恐怖を知る難局は、これからの事例としても稀有なのではないでしょうか。

「全世界、同時に問題が発生したことを人類は未来に生かさなければいけないと思います。人類は地球をコントロールできるという認識を改め、経済性グローバリズムの次の世界を見つける機会と捉えるべきだと思います」。

地球環境は、ファッションとは切り離せない世界。コットンやリネン、ウールなど、原料となるほとんどは、自然から生まれます。

「多くの天然素材が使われるファッションは、その原料となる自然物を保護し、その環境を守りながら利用させていただかなければいけません。それは量だけではなく、生態系のバランスへの配慮も必要です。生産量は、許容される範囲に絞り、経済合理性による環境破壊をしてはいけません」。

人の活動停止により、自然は生命力が漲りました。澄んだ空気、透き通る海や運河、希少な生き物における繁殖率の増加など、世界各地で好転現象は見られています。皮肉なことに、新型コロナウイルスによって窮地に立たされているのは、人類のみ。

一方、コミュニケーションのためにテクノロジーの進化を加速させました。SNSやオンラインなどは、その好例ですが、同時に進化するスピードに使い手は追いつけず、モラルや道徳心も必要とされます。

「テクノロジーを正しく取り入れることにより、人と人をつなぎ、互いのプラスをつなぎ、より良い社会は創造できると思います。例えば、デザイナー、製造業、職人を適正にするシステムを世界的につなぐことができれば、人の特性をより生かし、テクノロジーが人を生かす社会も作れると思います」。

もちろん、そこには想いや心、愛は必要不可欠であり、いつの時代においても普遍的な価値は命から生まれます。

「デザインとは、作り手において作るという喜びを、使い手において使うという喜びを、同時に創造する行為だと思います。それが自分にとってのデザインです。コロナ禍において、日常は奪われてしまいましたが、一方で何気ない日常の有り難さを再考できました。何のために活動し続けるのか、表現し続けるのか、その先にあるものは何か……。色々、考えるきっかけにもなりました。自分は、喜びの循環と物質的循環の両輪を思考し、具体化することをデザインで表現したい。その先には、経済的価値から生きることの意味に向き合う未来があると信じているからです」。

1967年生まれ。1995年に『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』の前身である『minä』を設立。ハンドドローイングを主とする手作業の図案によるテキスタイルデザインを中心に、衣服をはじめ、家具や器、店舗や宿の空間ディレクションなど、日常に寄り添うデザイン活動を行っている。デンマークの『Kvadrat(クヴァドラ)』、スウェーデン『KLIPPAN(クリッパン)』などのテキスタイルブランド、イタリアの陶磁器ブランド『GINORI 1735 (リジノ1735)』へのデザイン提供、新聞・雑誌の挿画なども手掛ける。
https://www.mina-perhonen.jp
 
Text:YUICHI KIRAMOCHI

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うこと。それはコロナ禍においても変わらない」SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE/山中大介

「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。

旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。

それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うことでした。一次産業の衰退、労働人口の流出に伴う少子高齢化と全国の地方都市の例にもれず、鶴岡も多くの問題を抱えています。それらをひとつずつ解決しながら、魅力溢れる鶴岡を次世代に継承したい」と山中氏。

『スイデンテラス』は、そんな町づくりの中核施設としての役割も担っているのです。

その名のとおり、水田に浮かぶかのようなホテルは、総客室数119室。開業当時と比べ、大きな違いは団体客の激減。理由は周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

「以前は、団体旅行の方も多くいらっしゃっていましたが、新型コロナウイルス後は、より個人や少人数、小グループの旅行へと変化していきました。 また、遠方からおいでになる方が減った一方で、山形県内や東北、新潟などの隣県から訪れていただけるお客様が増えました。中でも、同じ庄内エリアにお住まいの方が、わざわざお泊りに来ていただけたことも、特徴的でした」。

『スイデンテラス』に限らず、ゲスト特性の変化は各地で見られます。地元や近県からの来訪者が増えているのは、その最たる例と言えます。

一方、ホテル側は万全の感染症対策を実施。安心安全に最善を尽くしています。とりわけ、『スイデンテラス』においては、細部にわたり徹底。食事のスタイルから設備投資など、早い判断力と行動力は、山中氏の手腕が光ります。

「コロナ禍でも、安心して滞在いただけるよう、食事の提供方法の見直し、滞在空間でのコロナ対策を徹底しています。特に、食事の部分では、個別に食事を取っていただけるように個室レストランを新たに設け、夜の食事は、お重に入れて個別に提供し、希望する方は、客室で食事が取れる形に変えました。また、昼ごはんは、テイクアウト可能なメニューを開発し、そのまま、お弁当として持ち帰れるようにしています。そのほかの施設面では、同居家族や友人家族のグループ利用に対応するため、コネクティングルームを新設しました。細かなところですが、ご案内や精算等の積極的なデジタル化にも取り組み、感染予防に努めております。新たな旅行の形にも対応し、ワーケーションの取り組みも始めました」。

以前、『ONESTORY』の取材時、山中氏は、地方創生のあり方のひとつとして「当事者になることが大切」だと話しています。これは、地方創生に限らず、今回の新型コロナウイルスに関しても同様なのではないでしょうか。この難局にどう当事者意識を持てるのか。自分ごと化できるのか。決して、対岸の火事ではありません。

「まず、新型コロナウイルスそのものを理解することは必要だと思っています。中国武漢での感染者確認から丸一年以上が経過しており、一定の信頼ある統計データが取れると思います。是非、感染者や死亡者の傾向を分析し、冷静な情報として社会に還元し、適切な対策を施していただきたいと思います」。

しかし、世界を難局にもたらした正体を知ること以上に恐れていること、それは人間が持つ本性による社会の歪みかもしれません。

「人が受ける差別が一番怖いと感じています。経済も命であり、若者の自殺者数の増加に心を痛めています。With/afterコロナ社会など、様々言われていますが、私は人間らしい生活を求め続けたいと思います。必要なことは、自らの免疫を高め続けることと、未来に希望を持つことです。『スイデンテラス』も、コロナ禍の影響を乗り越え、ハード/ソフト両面で進化し続けます。少し今の生活に疲れてしまったら、是非、山形庄内に人間らしい時間を求め、遊びにいらしてください。みんなで一緒に頑張りましょう!」

夕暮れ時、室内の光を漏らす建物が空模様とともに水盤に映る様子は、ため息が出るほどの美しさ。正面がフロントやレストランなどがある共用棟、その左が客室棟。左端のドーム型の建物がスパ&フィットネス棟。

田園ビューテラス付きダブルルーム(22㎡)
特徴的なピクチャーウィンドウからは、四季折々の風景が一望できる。

ファミリー(87㎡)のリビング。大人5名様まで宿泊できるため、ファミリーやグループでの利用がおすすめ。

米どころ・庄内平野に立つロケーション。実りの秋は、見渡す限りの水田が黄金色に染まる。人類がどんなに新型コロナウイルスに翻弄されようと、自然界のサイクルは変わることなく季節は訪れる。むしろ、人の活動停止によって自然は元気になったのかもしれない。

鶴岡に移住した後、2児に恵まれ、3人姉妹の父親となった山中氏。前回の取材時では「課題は解決するためにある」と話すも、新型コロナウイルスによって新たな課題も山のように浮上。しかし、常に山中氏は前向き。「またお客様と再会できるのを楽しみにしています。我々は、安心してお泊まりいただけるよう、万全の準備をしてお待ちしております」。

住所:山形県鶴岡市北京田字下鳥ノ巣23-1 MAP
電話:0235-25-7424
https://www.suiden-terrasse.yamagata-design.com

Text:YUICHI KURAMOCHI

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うこと。それはコロナ禍においても変わらない」SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE/山中大介

「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。

旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。

それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うことでした。一次産業の衰退、労働人口の流出に伴う少子高齢化と全国の地方都市の例にもれず、鶴岡も多くの問題を抱えています。それらをひとつずつ解決しながら、魅力溢れる鶴岡を次世代に継承したい」と山中氏。

『スイデンテラス』は、そんな町づくりの中核施設としての役割も担っているのです。

その名のとおり、水田に浮かぶかのようなホテルは、総客室数119室。開業当時と比べ、大きな違いは団体客の激減。理由は周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

「以前は、団体旅行の方も多くいらっしゃっていましたが、新型コロナウイルス後は、より個人や少人数、小グループの旅行へと変化していきました。 また、遠方からおいでになる方が減った一方で、山形県内や東北、新潟などの隣県から訪れていただけるお客様が増えました。中でも、同じ庄内エリアにお住まいの方が、わざわざお泊りに来ていただけたことも、特徴的でした」。

『スイデンテラス』に限らず、ゲスト特性の変化は各地で見られます。地元や近県からの来訪者が増えているのは、その最たる例と言えます。

一方、ホテル側は万全の感染症対策を実施。安心安全に最善を尽くしています。とりわけ、『スイデンテラス』においては、細部にわたり徹底。食事のスタイルから設備投資など、早い判断力と行動力は、山中氏の手腕が光ります。

「コロナ禍でも、安心して滞在いただけるよう、食事の提供方法の見直し、滞在空間でのコロナ対策を徹底しています。特に、食事の部分では、個別に食事を取っていただけるように個室レストランを新たに設け、夜の食事は、お重に入れて個別に提供し、希望する方は、客室で食事が取れる形に変えました。また、昼ごはんは、テイクアウト可能なメニューを開発し、そのまま、お弁当として持ち帰れるようにしています。そのほかの施設面では、同居家族や友人家族のグループ利用に対応するため、コネクティングルームを新設しました。細かなところですが、ご案内や精算等の積極的なデジタル化にも取り組み、感染予防に努めております。新たな旅行の形にも対応し、ワーケーションの取り組みも始めました」。

以前、『ONESTORY』の取材時、山中氏は、地方創生のあり方のひとつとして「当事者になることが大切」だと話しています。これは、地方創生に限らず、今回の新型コロナウイルスに関しても同様なのではないでしょうか。この難局にどう当事者意識を持てるのか。自分ごと化できるのか。決して、対岸の火事ではありません。

「まず、新型コロナウイルスそのものを理解することは必要だと思っています。中国武漢での感染者確認から丸一年以上が経過しており、一定の信頼ある統計データが取れると思います。是非、感染者や死亡者の傾向を分析し、冷静な情報として社会に還元し、適切な対策を施していただきたいと思います」。

しかし、世界を難局にもたらした正体を知ること以上に恐れていること、それは人間が持つ本性による社会の歪みかもしれません。

「人が受ける差別が一番怖いと感じています。経済も命であり、若者の自殺者数の増加に心を痛めています。With/afterコロナ社会など、様々言われていますが、私は人間らしい生活を求め続けたいと思います。必要なことは、自らの免疫を高め続けることと、未来に希望を持つことです。『スイデンテラス』も、コロナ禍の影響を乗り越え、ハード/ソフト両面で進化し続けます。少し今の生活に疲れてしまったら、是非、山形庄内に人間らしい時間を求め、遊びにいらしてください。みんなで一緒に頑張りましょう!」

夕暮れ時、室内の光を漏らす建物が空模様とともに水盤に映る様子は、ため息が出るほどの美しさ。正面がフロントやレストランなどがある共用棟、その左が客室棟。左端のドーム型の建物がスパ&フィットネス棟。

田園ビューテラス付きダブルルーム(22㎡)
特徴的なピクチャーウィンドウからは、四季折々の風景が一望できる。

ファミリー(87㎡)のリビング。大人5名様まで宿泊できるため、ファミリーやグループでの利用がおすすめ。

米どころ・庄内平野に立つロケーション。実りの秋は、見渡す限りの水田が黄金色に染まる。人類がどんなに新型コロナウイルスに翻弄されようと、自然界のサイクルは変わることなく季節は訪れる。むしろ、人の活動停止によって自然は元気になったのかもしれない。

鶴岡に移住した後、2児に恵まれ、3人姉妹の父親となった山中氏。前回の取材時では「課題は解決するためにある」と話すも、新型コロナウイルスによって新たな課題も山のように浮上。しかし、常に山中氏は前向き。「またお客様と再会できるのを楽しみにしています。我々は、安心してお泊まりいただけるよう、万全の準備をしてお待ちしております」。

住所:山形県鶴岡市北京田字下鳥ノ巣23-1 MAP
電話:0235-25-7424
https://www.suiden-terrasse.yamagata-design.com

Text:YUICHI KURAMOCHI

ものを結び、人を結び、ことを結ぶ。意志あるところに道は拓ける。

「全てが急務なのは、日本だけでなく全世界共通。『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトがスピード感を持って遂行できたことは、コロナ禍だったからだと思います。この感覚は、今後の社会にも活かすべきだと思います」と鈴木さん。

困ったときほど美味しいものを!

大阪=食の街? くいだおれの街? それならば、困ったときほどおいしいを貫く。

2020年2月より、新型コロナウイルスは、世界中に感染拡大。今なお、終息の目処は立たず、困惑する日々が続いています。

テレワーク、自粛、緊急事態宣言など、これまで経験したことのない生活は、人々から日常を奪い、それによって経済は破綻。苦難する業界は多々あるも、メディアの報道も手伝い、飲食業界がそのひとつであることは周知の通りです。

政府による保証や支援があるも、状況は店によって異なるため、一律では解決できない問題もあります。飲食店の難局は、一次産業の難局にもつながるため、出口の見えない不協和音は拡がる一方。

しかし、手放しに営業や集客を正義と見せるのは困難を極め、やはり医療現場の改善こそ急務を要します。

飲食店も応援したい、医療従事者も応援したい。何かできないか。

そんな時に立ち上がったのが、大阪を活動拠点に置く『Office musubi』代表の鈴木裕子さんです。

鈴木さんは、食を通して様々を結び、日本初のフードビジネスインキュベーター『OSAKA FOOD LAB(大阪フードラボ)』も運営。シェフや料理を通してチャレンジしたい人々の場を創造し、大阪のフードシーンに活気をもたらせている人物です。

大阪といえば、名レストラン『HAJIME』の米田 肇シェフが行った署名活動は記憶に新しく、鈴木さんは、同活動における影の立役者でもありました。

そして、同時進行していたプロジェクトこそ、今回の主である『困ったときほど美味しいものを!』だったのです。

2020年5月、「食を通して医療従事者を支援できないか」と同プロジェクトを立案。『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動させます。内容は、同機構が各飲食店より食事を買い取り、医療従事者の方々へおいしい食事を無償で届ける活動です。

「医療従事者に元気になってもらいたい。せめて、おいしい食事を食べて欲しい。そんな想いから始めた活動ですが、続けられる仕組みがないと一過性のものになってしまうと思いました。『困ったときほど美味しいものを!』は、食事を買い取ることによって飲食店への支援にもつながり、一次産業の支援にもつながります。更に、このプロジェクトは、本件だけでなく、今後起こりうる災害時などにも有用できると思っています」。

実は、立案から本格始動の間は、『Office musubi』の持ち出しで食事の買い取りを行い、医療現場へ配達。そこまでしても「早急にやるべき」だと鈴木さんは判断したのです。

「色々な方々にアドバイスをいただきながら、複数の医療機関にもコンタクトを取り、手探りから始めました。通常であれば、立ち上げまで時間がかかっていましたが、様々な機関と共にスピード感を持って遂行できたのは、コロナ禍だったからだと考えます。今やらないと間に合わない。時間をかけては意味がない。今は、そんなことが受け入れられている時期。これは社会全体として今後も活かすべきだと思います」。

その情熱は、飲食店にも連鎖。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々が参画します。

さらには、一次産業にも連鎖。

大阪だけでなく、近県へと輪は拡がり、「是非、応援したい!」、「今回のプロジェクトのために使ってください!」、「医療従事者のためなら!」と、新鮮な食材が届きます。

京都府右京区『吉田農園』の棚田米。和歌山県日高郡由良町『数見農園』の清見オレンジ、甘夏みかん、八朔。和歌山県みなべ町『なかはや果樹園』の梅干し、ミニトマト。和歌山県有田郡湯浅町『善兵衛農園』の三宝柑、和歌山県田辺市龍神村『Tofu&Botanical Kitchen LOIN(ルアン)』の豆腐、しいたけ。和歌山県和歌山市『小川農園』のフェンネル、生姜、菜の花……。

「『困ったときほど美味しいものを!』は、自分たちの想像をはるかに超えたものになっていると実感しています。大阪は、“食の街”、“くいだおれの街”と謳われていますが、それならば、困ったときほどおいしいを貫くべき。どんな時でもおいしいものを提供したい、おいしいものを食べられる街にしたい。そんな食の仕組み、インフラが今回のプロジェクトです。これで終わりではありません。まだまだこれから。大阪の食を、日本の食を、世界に結ぶために、私は活動し続けます」。

取材当日に送られてきたのは、京都府右京区『吉田農園』の棚田米。鈴木さん、シェフだけでなく、「おいしい」の裏側には様々な人の想いが込められている。

 取材後、鈴木さんのもとに送られてきた果物は、和歌山県日高郡由良町『数見農園』の清見オレンジ、甘夏みかん、八朔。主催側から支援を募るでもなく、SNSや周囲の活動を知り、自ら連絡をしてくる生産者たち。

 食材を支援していただいた生産者たちをメモし、参画するシェフとも共有。「シェフたちも、どんな生産者が作った食材なのかを理解して料理する方が気持ちは入ります。少しも無駄を出さず、使わせていただいています。本当に感謝しかありません」。

困ったときほど美味しいものを!

私は世界を目指している。それまでのことは、全て通過点。

大学時代、海外への留学経験を持つ鈴木裕子さんは、「振り返れば、あの時に私の生き方は形成されたのかもしれません」と自身を振り返ります。

アメリカはコロラド州デンバーへ。半年の留学のつもりが結局、卒業まで。その後、帰国するかと思いきや就職まで。

鈴木さん曰く、「計画型ではなく、展開型(笑)」の性格は、やや場当たり!? ライブな進路は、帰国後も続きます。

「海外での仕事を経験してきたので、英語を活かせる業務や各国へも行き来できる大手外資系に勤めました。最初は、いわゆるキャリアウーマンとしてバリバリやっている毎日に充実していましたが、ある時、ふと思ったのです。私、歯車の一部になっていないかな?と」。

一度、そう思うと後に引けなくなる性分の鈴木さんは、転職先も決めず、すぐに離職。次は、極端に人数の少ない10人以下の会社を探します。

「最後、どちらか悩んだ2社があったのですが、安定ではなく挑戦している会社を選びました。リスクを取って私も挑戦してみたかったのです」。

その中で、鈴木さんは大きな変化を感じます。

「企業名ではなく、個人名で仕事をしている方々に出会い、能力のある個人は活躍できるのだと知りました。この企業に発注したいのではなく、この人に発注したい。その経験は、今の自分の基礎になっていると思います」。

しかし、その後、業務過多と様々あり、体調を壊してしまい、離職。結婚し、働く環境から身を離れた田舎で専業主婦をしていたことも。しばしの時を経て「ゆっくりこれからのことを考えよう」と思っていた時、以前、付き合いのあった経産省より一本の連絡が。新たに発足するプロジェクトのメンバーへの誘いです。

それは、『2005年日本国際博覧会(The 2005 World Exposition, Aichi, Japan)』、通称『愛知万博』を視野に立ち上がった『グレーターナゴヤイニシアティブ』でした。

愛知県は、鈴木さんの故郷でもあります。

「今もそうですが、本当に周囲に支えられています。『グレーターナゴヤイニシアティブ』には、約2年間携わりました。その後、これからどうしようかと思っていたら……。今度は、同プロジェクトにも参画していた『JETRO(ジェトロ)』より声をかけていただき、民間アドバイザーとしてご一緒することになりました。当時の『ジェトロ』は、車や機械ばかりを取り扱い、なぜ食をやらないんだろうなと漠然に思っていました。そんな時、政府が農水産物輸出を強化していく指針を発表し、私も食を中心に海外日本誘致も取り組んでいました。そこでレストランや食関係の方々と多く出会うようになったのです。みんなピュアな人たちで、ただおいしいものを作りたい、誰かに食べてもらいたい。喜ぶ顔を見たい。そう思っているシェフや生産者の働く姿や生きる姿を見て、自分の価値観が変わりました。働くことは生きることだと思います。であれば、好きな方々とご一緒したい。時間を過ごしたい。そう思いました」。

『ジェトロ』では、約2年半勤務。シェフでもない、農家でもない、生産者でもない鈴木さんは、どうすれば食を通して社会に貢献できるのか考えます。

「これまでの経験を活かし、食専門のマーケティングならできるかも!と思いました。最初は周囲に反対されましたが、反対されるってことは誰もやってないということですし(笑)」。

反対……。誰かが良いと判を押したものに良いと言える人はいても、最初の一歩を踏み出す人がいないのは日本人特有の性格。鈴木さんにそれがないのは、豊富な海外経験が他所と大きな差を生みます。

2009年独立、2011年『Office musubi』設立。

「会社設立後、最初のお客様は2社。どちらも『ジェトロ』の時に出会った方です。実は、今でもお取り引きさせていただいています」。

あの時、感じたことが頭をよぎります。「企業名」ではなく、「個人名」として、働く、生きる、その一歩を踏み出したのです。

近年では、前述の通り、大阪市北区中津の阪急高架下に『阪急電鉄』主催の『大阪フードラボ』を運営。飲食店の開業・起業や新規事業立ち上げに必要なノウハウを習得できる「育成プログラム」や「ビジネスマッチング」の機会を提供しています。

一見、多様なイベントスペースのように見紛うも、全てに共通していることは「挑戦」。日本初のフードビジネスインキュベーターの場こそ、『大阪フードラボ』なのです。

知名度を一気に上げたのは、ニューヨーク・ブルックリンで人気の移動型ファーマーズマーケット『SMORGASBURG(スモーガズバーグ)』の誘致でした。

「何事も徹底的にやらないと気が済まない性分で(笑)。『困ったときほど美味しいものを!』は、こんな難局を迎えても、シェフの活躍する舞台を作りたかった。自分たちでも医療従事者の方々を救えるんだという自信にも繋げてほしいと思った。お店を開けない、予約がない。みんなの苦しい姿を見ていますが、待っていても先が見えるわけではありません。であれば、掴みにいくしかない。私は私で、今回のプロジェクトをきっかけに、日が当たらない部分とより向き合うことができ、学びも多かったです。どこか一遍だけを切り取ってもいけない。何に基づいて活動しているのか、発信しているのか。何に基づいて大変なのか、苦しいのか。『大阪フードラボ』も考え方は同じです。受け身ではない、挑戦したい人が集う能動的な場所。日本はガラパゴスゆえ守られてきたものはありますが、人種や国境を超えてコミュニケーションしていく仕組みや戦い方は、まだ未成熟だと感じています。日本の当たり前は世界の当たり前ではない。安心感で群れることも良くないと思います」。

世界では、ひとつの街に様々な人種が暮らし、働き、生きる環境が形成されています。ゆえに各々が生まれた国や街への文化、歴史に対しての経緯が生まれ、多様性が創造されるのです。一方、地域によっては格差社会がはっきりしている現状もありますが、それでも真っ平らに同じ目線でいられる場所があります。それは「食卓」です。

「食卓を囲めば、みんなにこやか。世界共通、おいしいものを食べて嫌な思いする人はいませんよね? 性別や役職などは取り払われ、ファーストネームで呼び合える関係すら築けてしまうこともあります。おいしいは理屈じゃない。言語を超える。食べることは生きること。それは人としての本能。原動力にもなっている」。

『Office musubi』には、ものを結ぶ、人を結ぶ、ことを結ぶなど、「結ぶ」という想いを込めていますが、実はもうひとつメッセージが隠されています。それは、あえて大文字で記した頭文字の「O」と「musubi」を合わせた「おむすび」です。

「日本の食を世界に発信したいところから始まっているので、何かそれを彷彿させるネーミングにしたくて。私にとって日本の食といえばおむすび。実際、私の会社名は外国で“オムスビ”と呼ばれます。その時におむすびの説明をしてあげると会話も弾みますし、おむすびを通して、日本の文化や郷土を伝えてあげることもできる。もちろん、ご一緒する方々とは、実を“結ぶ”までやり遂げたいです」。

好きに勝るものはない。夢中に勝るものはない。

そんな心が鈴木さんを動かし、また周囲を動かしているのかもしれません。

食を通して挑戦する場として運営されている『大阪フードラボ』。これまで卒業した6名の中、開業できた事例もあれば、コロナ禍によって計画変更せざるを得ない事例もある。「彼らのためにも、一刻も早く日常が戻ることを願います」と鈴木さん。

『大阪フードラボ』は、大阪市北区中津の阪急高架下に位置。何もなかった場所に空間を生んだだけでなく、挑戦する人の人生も生んでいる。


Photograohs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

食べることは生きること。今こそ、誰かのために自分たちは生きる。

左より『リヴィ』山田直良シェフ、『ディファランス』藤本義章シェフ、『アニエルドール』藤田晃成シェフ。3人は同世代。常日頃から料理について語り合ってきたライバルであり、親友。今回は、それに戦友という絆も生んだ。

Part.2/Chef Interviews

ひとりではできないことも、3人ならできる。おいしいを信じることができた。

2020年2月より、急遽、世界中を襲った新型コロナウイルス。感染拡大に比例して深刻化されるのは、医療現場の崩壊です。

何とかしなければいけない。自分たちに何ができるのか。

そんな想いから発足されたのが、『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトです。

発信元は、食の都・大阪。

名シェフたちが手がけるお弁当を医療従事者に無償で届けるその活動をオーガナイズするのは、『Office musubi』代表の鈴木祐子さんです。

2020年5月にプロジェクト立案後、『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動。同機構が各飲食店より食事を買い取り、医療従事者の方々へおいしい食事を無償で届けるその活動は、今なお続いています。

参画するのは、星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

中でも、初期より携わっているのは、『アニエルドール』藤田晃成シェフ、『ディファランス』藤本義章シェフ、『リヴィ』山田直良シェフの3名です。

同世代の彼らは、常日頃から結束は強く、今回の件も三枝教訓状、三本の矢の教えのごとく、口を揃えます。

「ひとりではできないことも、3人ならできる」。



鈴木さんのおかげで、自分たちは料理人として誇りを持つことができた。

今回、3人が『困ったときほど美味しいものを!』に参画するきかっけは、プロジェクトの立案者でもある『Office musubi』代表、鈴木祐子さんの呼びかけでした。

「鈴木さんに声をかけていただき、料理で医療従事者の方々を元気にさせることができるならば、むしろ、是非、参加させてください! そんな想いでした」と3人。

日本有数の繁華街・大阪は、新型コロナウイルスによって観光客は激減。追い討ちを抱えるように自粛や緊急事態宣言も発令され、飲食業界への補償問題は、救われる人と救われない人が二極化。未だその打開策は見えずとも、「料理人は料理を作りたい」、「料理で誰かを幸せにしたいの」です。

「自分が料理人になったきっかけは、人に喜んでもらうためでした。コロナ禍において、それができなくなってしまった。自分たちに何ができるのか、何をするべきなのか。未だ何が正しいのかその正解は分かりませんが、一番良くないことは何もしないこと。医療従事者の方々においしいお弁当で元気になってほしい。そんな気持ちで作らせていただきました」と山田シェフ。

「おいしいものを作ればお客様にいらしていただける。そう思っていました。しかし、そのおいしいものすら作ることができる日が来るなんて、考えたこともありませんでした。医療従事者の方々にお弁当を作らせていただける環境を与えられたのは本当にありがたく、レストランという環境以外でシェフが社会と関わるきかっけは、自分自身にとっても得ることが大きかったです」と藤田シェフ。

「改めて思ったのは、自分から料理を取ったら何も残らなかったんです。医療崩壊に関しては、ニュースや報道では目にしていましたが、あくまで想像の世界。入院すらしたこともない自分にとっては病院という場所もどこか遠く、今回のプロジェクトに携わるまでは、“わかったつもり”だったという“気付き”も得ました」と藤本シェフ。

藤本シェフの言う「気付き」。それは3人に共通する「気付き」でもあります。その「気付き」とは何か? 得られたきかっけは何だったのか?

「自分たちで作ったお弁当を直接、医療現場へお届けできたことでした」。

3人は、「手渡しできて本当に嬉しかった」、「喜んでいる人の顔を見ることができて、こちらが元気をいただいた」、「料理人で良かった」と、その時のことを振り返ります。

しかし、医療従事者という特定された職種や逼迫した労働環境、酷使された肉体や極限の精神状態の相手に供する料理とレストランで供する料理は、全く異なります。どうすれば「ゲスト」に「おいしい」と感じてもらえるのかではなく、どうすれば「医療従事者」に「おいしい」と感じてもらえるのか。

「まず、栄養をたくさん摂っていただきたいと思い、野菜を多めに取り入れたメニュー構成を考えました。あとは、いつ食べられるかわからないため、冷めてもおいしいもの。お弁当としておいしい料理は何か? 今、医療従事者の方々に必要な食事は何か? を考えました」と藤本シェフ。

「ある医療従事者が食事に関して投稿しているSNSを見たのですが、そこには、“疲れている時は塩分がほしい”、“硬い料理だと疲れてしまうので、柔らかい料理は嬉しい”、“味は濃いめだと今はおいしく感じる”などが綴られていました。やっぱり、自分たちが“おいしい”と思っている料理と今の医療従事者の方々が“おいしい”と感じる料理は違うんだとわかったんです」と山田シェフ。

「せっかくプロの料理人が作るので、普段では食べられないようなお弁当で元気になってもらいたいなと思いました。自分はフランス料理のシェフなので、創作性を加味し、例えば、黒オリーブを使った炊き込みご飯なども作りました。それを見て“わぁ!”って思ってもらえれば、その瞬間だけでも仕事を忘れ、心を癒していただければと。"新鮮な食材"を使うことも心がけました」と藤田シェフ。

前述の通り、自粛、緊急事態宣言、時短営業などによってレストランが厳しい状況であることは容易にしてわかります。そう考えるならば、藤田シェフの言う「新鮮な食材」の起用は一見難しいように感じますが、なぜ実現できるのか。それは生産者からの協力があるからです。

「『困ったときほど美味しいものを!』は、医療従事者へお弁当を届けるという目的から始まりましたが、その領域を超えて大きな輪が広がり始めていると実感しています。何も言わずとも、“是非、参加させてください!”と手をあげてくださるシェフ、“是非、使ってください!”と提供してくださる一次産業の皆さま。大阪の枠を超え、近県の方々にもお力添いをいただき、様々な連鎖が起きています」と鈴木さんは話します。

「レストランも一次産業の方々も、もっと言えば、そうでないほかの色々な業種の方々も、今、みんな辛い。大変だと思います。それでも誰かのために何かしたい。何かしなければいけない。その“誰か”は、今回に関して言えば医療従事者。間違いなく、日本のために身を粉にしてくれています。それに対して各々が“何か”を働く。そんな思いで必死に生きているんだと思います。それが『困ったときほど美味しいものを!』なのかもしれません」と4人。

「なのかもしれません」とあるのは、想像を超えて大きなものになり始めているから。

「困ったときほど」とあるも、みんな困っているはず。しかし、「もっと困っている人がいるから、その人のために」という精神によって、このプロジェクトは成り立っているのです。



料理人としての価値観は変わった。この難局から得るものはあったのか。

新型コロナウイルスによって、人と人とのコミュニケーションは遮断され、人類の日常は奪われてしまいました。そんな中、世界中に好転現象を見せているのは自然界です。

食材は、大地や海から生まれ、日々それと向き合う料理人は密接な絶対関係で結ばれています。

「本来であれば獲れるものが獲れなかったり。またその逆も然り。そういった収穫、漁獲状況を見ると自然に無理が生じていると思います。以前は、この食材と決めたもの一生懸命探して仕入れていましたが、今考えるとそれも無理があったのかもしれません。獲れないわけですから。それよりも、獲れるもので何ができるのか。獲れたものを無駄にしないようにできる料理は何か。そんな視点に変わりました」と藤田シェフ。

「発酵はまさにそれ。今獲れるものでどう長持ちするかを考える。先人たちの知恵ですよね」と山田シェフ。

季節の旬よりも今日の旬。自然の恵みは、人の都合ではコントロールできません。

「頭ではわかっているつもりでも、都会にいるとどこか麻痺してしまう。今回、レストランの営業ができなくなり、料理を作る環境まで失いかけてしまった。料理を作る感謝や生産者さんたちが送ってきてくれる食材への感謝。医療従事者の方々への感謝。様々な感謝によって価値観が変わったと思います。少しくらい歪な食材も無駄にしたくありませんから」と藤本シェフ。

『困ったときほど美味しいものを!』は、困ったときほど、発見をもたらす効果もあったのかもしれません。

「新型コロナウイルスによって、世界中の人が苦しい思いをしている。日本においては、これまで阪神大震災、東日本大震災などの強烈な天災を迎えたこともありました。その都度、考えるべき機会はありましたが、これまでと今回の大きな違いは、日本をはじめ、全世界で同時に難局を迎えたことにあると思います。我々は、同じ時代、同じ時間に、何か考えるきかっけになったのではないでしょうか。全員が当事者。何かを学び、次に生かさなければならない。そんなことも今回のプロジェクトで学ばせていたました」。3人は、じっくりと噛みしめるようにそう話します。

いつかの日常が戻った時、『アニエルドール』、『ディファランス』、『リヴィ』は、確実に深みを帯びたレストランになっているでしょう。

料理としての深み、シェフとしての深み、そして、人としての深み。

それは、困ったときに真摯に向き合った人のみ得られるギフト。

困ったときだからこそ得られたのかもしれません。

Photograohs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

まだ終わっていない。戦い続ける医療従事者へ、困ったときほど美味しいものを!

食を通して、医療従事者を元気にしたい。ただ、その想いだけで集まった『困ったときほど美味しいものを!』のプロジェクトメンバー。

Part.1 Chef Interviews

食の都・大阪の団結。星やランキングでは計れない、おいしい価値。

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中は難局に陥りました。約0.1ミクロンのそれは、人々から日常を奪い、政治、経済などを根底から覆しました。

人類史上、経験したことのない猛威は、一瞬にして暗い影を落とし、それによって医療現場は逼迫。2021年2月、日本ではワクチン接種が始まるも、未だその正体は明らかにされていません。

その渦中、なんとか医療従事者を応援したい、元気にしたいと立ち上がったのが、大阪を活動拠点に置く『Office musubi』代表の鈴木裕子さんです。

鈴木さんは、食を通して様々を結び、日本初のフードビジネスインキュベーター『OSAKA FOOD LAB』も運営。シェフや料理を通してチャレンジしたい人々の場を創造し、大阪のフードシーンに活気をもたらせている人物です。

そして、2020年5月、「食を通して医療従事者を支援できないか」と『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトを立案。『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動させます。内容は、医療従事者の方々へおいしいお弁当を無償で届ける活動です。

この企画に食の都・大阪の飲食業会も立ち上がります。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々が参画。

しかし、大阪にも自粛の波はもちろん、緊急事態宣言も発令。時短営業など、飲食店も苦しい状況を強いられています。

では、なぜ参画するのか。目的はただひとつ。食を通して医療従事者を元気にしたい。

利己ではなく利他に。これは大会でもなければコンクールでもありません。

そこには、競い合う「シェフ」ではなく、助け合う「人」の姿がありました。

食だからできることがある。食にしかできないことがある。

「今回のプロジェクトは、今後、起こりうる災害時においても同様の取り組みが実施できるよう、継続的な構築を目指しています」と『Office musubi』鈴木裕子さん。

Part.1 Chef Interviews

落ち込んでいる場合ではない。自分たちよりも救わなければいけない人がいる。

「正直、自粛や緊急事態宣言の発令もあり、飲食店はどこも大変な状況が続いていました。しかし、落ち込んでいても何も始まらない。今できることをしなければ、ただ苦しかっただけで終わってしまう。全て前向きに向き合いたかった。『困ったときほど美味しいものを!』も前向きなプロジェクトなので、是非参加させていただきました」。

そう話すのは、取材日にお弁当作りに励む『市松』店主、竹田英人氏です。しかし、実際にやってみてわかることもしばしば。「美味しいもの(お弁当)は難しい!」と言葉を続けます。

「最初はおいしいものを入れればおいしくなると思っていたのですが、全然違いました。火入れや味付けはお店で出すものとは異なり、出来立て焼き立てと冷めてもおいしいは別問題。試行錯誤しました」。

そんな本日のお弁当は、鶏めしの上におかずがびっしり。つくね、うずら、手羽先、芽キャベツ、ししとう、生姜のきんぴら……。開けた瞬間、おもわずニヤリとしてしまうスマイルマークは「ほんの少しでもホッとしてもらえたら」と、ちょっとしたひと手間。

「お弁当を作ることによって、医療従事者だけでなく、一次産業も救える。生産者を守るには、まずは自分たちが料理を作り続けなければいけない。25年間、大阪で商売をしてきました。今も大切なお客様のおかげでこの店を支えていただいています。だから、今度は自分が誰かを支える番。今、自分にできることで恩返しをしていきたいと思っています」。

 スマイルマークに思わず頬がほころぶお弁当。「火入れや煮込み加減、味付など、お弁当だからおいしくなる工夫を凝らしました」と『市松』竹田英人氏。

『市松』と言えば、つくね。店内で食べる時と同様、竹田氏がひとつ一つ心を込め、丁寧に焼く。

「次また同じようなことがあった時、どうすれば強くなれるかを今回で吸収しなければいけない。試練を乗り越え、強くなりたい」と竹田氏。

Part.1 Chef Interviews

おいしいだけでなく、お弁当を通して季節や移ろいを感じて欲しい。

「こんな時だからこそ、みんなで力を合わせられれば。一致団結することによって医療現場を少しでも救えれば」と話すのは、日本料理の老舗『柏屋』主・総料理長、松尾英明氏です。

「医療従事者の方々は、常に患者と向き合い、昼夜を問わず現場で戦い、身を粉にしています。おそらく、空を見上げることや景色を見る余裕もないかと思います。2020年2月より、新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、約1年。春夏秋冬が過ぎてしまいました。当然、その間には、お花見、クリスマス、年末年始などの催事もありますが、きっとそれらもお楽しみいただけなかったと思います。せめて、お弁当で季節も感じていただけたら。そんな想いで作らせていただきました」。

ごはんに彩りを添える蕗は、まさに旬。そんなおもてなしの心は、お座敷でもお弁当でも変わりありません。

「実は、“毎日、お弁当が楽しみでモチベーションが上がった!”という声を医療現場よりいただきまして。元気を届けるつもりで作ったはずが、逆に元気をいただいてしまいました。せめてお弁当を食べている時だけでも、医者や看護師という立場から離れ、素の自分に戻って、おいしく召し上がっていただければ何よりです」。

「ただおいしいだけでなく、食材や盛り付けで季節も感じていただければと思い、作らせていただきました」と『柏屋』松尾英明氏。

 日頃の感謝の気持ちをきちんと言葉に。お弁当の外側には医療従事者の方に向けたメッセージも添えられる。

 ひとつ一つ丁寧に梱包し、お弁当を箱に詰める。「おいしいお弁当で少しでも元気になってもらえれば嬉しく思います」。

「医療従事者の方々よりお礼の言葉も頂戴しました。結果、我々が元気をいただいています」と松尾氏。

店内には薬の神様で知られる『少彦名神社』のおまもりを飾る。この地域では、江戸時代のコレラも防いだ言い伝えも。

Part.1 Chef Interviews

おいしい日常を一流に。お弁当をひとつのギフトとして届けたい。

「ちょうど今日、お弁当箱の試作が届いたので、是非ご覧いただけますか?」。そう声をかけてきたのは、『楽心』店主、片山 心太郎氏です。

今回のプロジェクトを始め、コロナ禍によって始めたテイクアウト用に作った二重の印籠弁当は、面取りも成された職人技が光ります。更には、箱のサイズに合わせた袋まで特注!まさに二重の驚きです。

「お弁当の器まで喜んでいただきたかったというのはあるのですが、簡易的なものだと結露してしまったり、中身が傷んでしまったりしてしまうと思いました。いつ食べられるかわからないため、保存性も加味し、思い切って作ることに。これなら蓋を開ける楽しさもあると思いますし、そんな行為によって、少しでも笑ってもらったり、癒してもらったりしていただければと。お弁当の中身は、これから考案しますが、シンプルにお母さんが作るようなお弁当や日常の味を一流に仕上げられればと考えています」。

まるで、手土産のようなそれは、たくさんの人の想いが詰まったギフトのようです。

「お弁当なので、もちろん料理人が作りますが、その背景には、生産者がいて、お弁当箱を作ってくれた職人がいて、みんなの想いが詰まっています。おいしいだけでなく、そんな心も届けられたらと思っています」。

「お弁当をギフトのように医療従事者の方々へお届けできればと思っております」と『楽心』片山 心太郎氏。

 職人技が光る印籠弁当箱。開ける楽しみも嬉しいそれは、二重構造に。箱にあった袋も特注で製作。

Part.1 Chef Interviews

直接、医療従事者にお弁当を渡すことができた。店舗では得られない感動は、この先も心に刻まれる。

「実は以前、自主的に医療従事者への食事提供を試みたのですが、部外者が入るのは難しく、断られてしまったのです。その後、鈴木さんに声をかけていただき、今度こそ!」と、その想いを話すのは、『一碗水』南 茂樹氏です。

「お弁当に関しては、緊張感のある医療現場によって疲労困憊のため、体に優しいメニューを意識的に考えるようにしました。個人的に一番の体験は、医療従事者の方々へ、直接お弁当をお渡しできたことでした。また、作って届けるという行為は、店舗でお客様をお迎えするだけの行為とは異なり、能動的な活動。これは、飲食店を強くするヒントがあるかもしれないとも思いました」。

今回、医療従事者を支援する活動をするも、飲食業界も危機的状況。時短営業は客足を遠のけ、売り上げは激減しているところも多いですが、それでも南氏は「頼るだけでなく自立できる経営を飲食店は考えなければならないと思います。給付金も出ず、もっと困っている業界もありますから」と話します。

そんな自らの業界を客観視するも、取材中に料理を作る手は止めません。

「お店を閉めても料理を作らせてもらえる環境があるのは、大変ありがたいと思っています。今回のプロジェクトはビジネスではなく想いを届けるために参加させていただいております。医療従事者の方々もまた、ひとりでも多くの命を救いたいという想いで必死に働いてくださっています。自分にできることは料理しかありませんが、ひとりでも多くの方々においしいを届けたいと思います」。

「作ったお弁当を医療従事者の方々に直接お届けできたことは、今まで経験したことのない感情が湧き上がりました。皆様に感謝するとともに、自分も料理の世界で社会に貢献できればと思っています」と『一碗水』南 茂樹氏。

Part.1 Chef Interviews

お菓子で百薬の長を。おいしい本質は、心の健康にある。

「ビーツは栄養を吸収し、余計なものを輩出するスーパーフードでもあります。中身には、酸味を利かせたフランボワーズを忍ばせ、疲労回復にも効果的です。今の医療従事者の方々には適した食材かと思い、こちらを本日お届けします」。

そう話すのは、『餅匠 しづく』店主、石田嘉宏氏です。

「誰かに食べ物を提供する時は、論理的でなければいけないと考えます。なぜこの材料を使用しているのか、なぜこの色なのか、その理由を大切にします」。

おろし金で剃ったビーツは白布で濾し、絞った汁を使用。驚くべきは、その鮮やかな色もしかり、白布のその後にあります。

「真っ赤に染まった白布は、水で洗うと真っ白に戻るのです。理由は、着色料でなく、自然の色だから。つまり、この原理は体内でも同じことが起きているのです。安心して食べられるおいしさこそ、本当のおいしさ。そんなお菓子を医療従事者の方々に召し上がっていただければと思っています」。

もともと、石田氏が『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトに参加するきっかけは、鈴木さんのSNSの投稿でした。会わずともつながることができる環境においては、テクノロジーの進化による利点と言えます。最先端の技術革新は想いを結実させ、理に適った自然物の起用は、体に正しい効果を生みます。

「医学の父と呼ばれる偉人、古代ギリシアの医師のヒポクラテスは、“汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ”という言葉を残しています。我々が目指すのは、“お菓子で百薬の長を”。心の健康にこそ、おいしい本質はあると信じています」。

 ビーツで染めた求肥、フランボワーズを忍ばせ、しろあんで包んだ「フランボーワズ大福」。

 『餅匠 しづく』石田嘉宏氏自らドライバーに届け、各医療機関に。「医療従事者の方々を想い、丹精込めて作りました。想いは味に乗るのがお菓子です」。

「“お菓子で百薬の長を”。体にも良く、安心して食べられるおいしさこそ、本当の美味しさであり、心の健康」と石田氏。

Part.1 Chef Interviews

おいしいは、正義だと思っている。だから、おいしいを届けたい。

「お客様のご家族に医療従事者の方がいらして。色々お話を伺い、その過酷な状況を直接知りました。そんな時に思い出したのは、東日本大震災のことでした」。

そう話す『ル・シュクレ・クール』岩永 歩氏は、震災時に女川町にも訪れ、支援活動をした経験を持ちます。当時、改めて気付かせてもらったことは、日常の豊かさと食の力。

「仮設住宅や家電など、設備は整っているものの、そこには生きる感覚がないと言うか……。どんどん消しゴムで色が消されていくようにモノクロの世界が広がっていました。そんな時、あるおばあちゃんに赤いビーツのパンを差し上げたら、泣きながら食べてくれて。“生きてて良かった”っておっしゃったんです。この言葉の重みが今も忘れられなくて」。

当たり前が失われた時、何気ない日常の豊かさに気づかされます。トーストを焼く匂い、コーヒーの香り、窓を開ければ肌を撫でる風……。

「今の医療従事者の方々は、我々以上に日常の豊かさを奪われてしまったと思います。食べているほんの少しの時間だけでも心身を解放してくれれば。そんな思いでパンをお届けしています」。

今回、誤解してはいけないことは、炊き出しではないということです。

「僕たちは、ただお腹を満たすだけの食料を作っているわけではありません。もしそうであれば、食べている時もずっと仕事のことを考えてしまいます。そうなってしまったら、プロとしての価値はありません。僕たちの料理は、食べて思わず言葉が出てしまったり、笑顔になったり。変わった味や具材があったら、なんだろう!ってワクワクしたり。食べている時だけでも日常に戻してあげたい。僕らの立場に置き換えると、疲弊している時にお客様から“おいしかったです!”って、ひと言言われるだけで頑張れる。力がみなぎる。誰かが見てくれていることや応援してくれることは、とてもエネルギーになると思います。僕たちは、医療従事者の皆さんが頑張ってくださっていることを、ちゃんと知っている。ちゃんと見ている。心から応援している。せめて、それだけでもこの活動を通じて伝えることができたなら、そう願っています」。

それはまるで、マラソンの掛け声のよう。「がんばれ!」、「 あと少し!」、「 みんな待ってるぞ! 」。沿道から飛び交うそれは、ランナーを後押しします。おいしいで医療従事者を後押しするプロジェクト、それが『困ったときほど美味しいものを!』なのかもしれません。

「医療は医療のプロとして国民を救ってくれています。我々は食のプロとして、救える人を救いたい。それが使命だと思っています」。

「大それたことはできないかもしれない。まずは目の前にいる人に元気になってもらいたい」と『ル・シュクレ・クール』岩永 歩氏。

Text:YUICHI KURAMOCHI

「より料理と向き合う時間になった。より地元と向き合う時間になった」Ristorante RE/三沢 賢

「こんな状況下においても変わらず営業できていることに感謝しております。とにかく、この状況が早く収まることを願うばかりです。1日も早く皆様と再会できることを楽しみにしております」と三沢シェフ。

旅の再開は、再会の旅へ。いつでも万全に準備している。その時が来たら、是非お越し頂きたい。

『沖縄美ら海水族館』のある街に『Ristorante RE』はあります。

店名に掲げる「Re」の意味は、Refresh、Relax、Resort。

ランチ、ディナー共に1日1組のみ、『Ristorante RE』の体験を求め、県外からも多くの人が訪れていました。

「『Ristorante RE』のある本部町は、観光客の多い地域ですが、コロナ禍によって町は一気に閑散としてしまいました。沖縄県全体でもそうですが、本部町は特に厳しい状況なのではないでしょうか」。そう話すのは、シェフの三沢 賢(まさる)氏です。

「町は静かになってしまいましたが、私たちは今も変わらず、1日1組のスタイルで営業させていただいております。こんな状況のため、お客様をお迎えできない時期もありましたが、今では地元の方々にお越しいただけるようになりました。大きな移動が控えられるようになった中、沖縄のお客様にお越しいただき、大変助けられました。もちろん、沖縄の魅力をたくさんの人に知っていただくのは嬉しいですが、地元に地元の魅力を再発見してもらえることは、とても嬉しいです。そして、こうして地元に支えられながら営業できることに私たちは恵まれていると痛感します」。

そんな中、ある変化を感じたと三沢シェフは言います。

「新型コロナウイルスの感染拡大によって、否応がなしに以前と比べて時間ができました。これからのことや未だ続くこの難局に悩みはつきませんが、そんな中、料理と向き合う時間を多く作りました。これは、前向きな変化だと思っています。それを続けた結果、自分でも感動するほどの新レシピも開発できたのです。もちろん、お客様に提供する料理はどれも自信を持って提供していますが、数年に一度できるかできないかのレシピだと自負しております。パイナップルを使った料理なのですが、自由に移動ができるようになったら、是非、お召し上がりに来ていただきたいです!」。

前回、取材に訪れたのは2020年1月。新型コロナウイルス直前のことでした。

当時、三沢シェフは、「開店から10年経ち、ようやく立てたスタート地点に立てた」と話していましたが、その直後に世界中が難局に陥ることを知る余地もありませんでした。

良きレストランが増え、良き生産者が育ち、沖縄の食文化は新たなステージへ。一朝一夕でなく、「長いスパンで考え、現状と向き合うことが自分も含めてやるべきこと」だと言葉を続けていた三沢シェフは、この「現状」とも真摯に向き合います。

自粛や緊急事態宣言は発令されては解除。解除されては発令と行ったり来たり。時短営業による支援金、給付金はあるも、状況はそれぞれ異なるため、全てが満足できるかというと難しい問題です。個人、企業問わず、死活問題は未だ続いています。

「政府の動きが遅いとか、対策が曖昧いといった意見を聞きますが、確かに完璧な対応ではなかったと思います。しかし、政府の方々も今まで経験したことのない状況の中で精一杯やってくれているのではないでしょうか。もちろん、個人的にはもっと飲食店を支援して欲しいと思いますが、違う立場だったら違うことを思っているはずです。色々な立場や考え方の人がいる中で、うまくバランスをとっていただければと思います」。

一刻も早く願うこと、それは世界中に平穏な日々が戻ることに尽きます。

「とにかく、この状況が早く収まることを願うばかりです。県外からよく来てくださっていたお客様もいます。そういった方々が気兼ねなく訪ねて来られるように早くなってほしいです。ともあれ、“来てください!”と、堂々と言えないのはお店をやっている身としては寂しいのが本音です。いつでも万全の状態でお客様をお迎えできるように準備しているので、その時が来たら是非お越しください。そして、地元の人でも感じたことのない魅力を表現できるように、これからも精進したいと思います」。

店内はテーブル席とカウンター席があるのみ。三沢氏が接客も行い、まさにシェフズテーブルともいうべき空間。換気も整い、気持ち良い風が吹く。

沖縄らしい絶景が広がる。このロケーションが更に料理を美味しくするのは言うまでもない。

店へ向かう道中に案内板はない。駐車場の前にある看板だけが頼り。その階段を上った先に立つ白亜の建物が『Ristorante RE』。

奥様のしずえさんと。別の部屋では奥様がエステティックサロンを経営。『Ristorante RE』の「Relax」の部分を大いに担う。

住所:沖縄県国頭郡本部町具志堅717 MAP
電話:0980-48-2558
http://www.fiori-rossi.com/

Text:YUICHI KURAMOCHI

忘却された時間の愛おしさ。心の豊かさは、不要不急なことから生まれる。[GEN GEN AN幻/東京都中央区]

「新型コロナウイルスによって、生き方の姿勢やデザインと向き合う精神がより研ぎ澄まされた。今できる最上を行い、誰かのためにものを作り、社会に貢献したい」と猿山 修氏。 

猿山 修 インタビュー世界中が不安な中、ゆっくりと、落ち着いて、心身を整える。 

2020年12月、突如、『銀座ソニーパークに誕生した『GEN GEN AN幻 in 銀座。 
ミニマルなカウンターがメインの背景には、整然と並ぶ桐箱が静かに鎮座します。 
そのデザインを手がけるのは、猿山 修氏です。 

猿山氏と『GEN GEN AN』を主宰する丸若裕俊氏が出会ったのは約7年前。『GEN GEN AN』の前身『丸若屋』からの付き合いになります。 
ものづくりの関係性はもちろん、ふたりは不思議なご縁で結ばれています。 
「元々、元麻布に『さる山』という古道具や古陶磁、作家が手がけた陶磁器などを扱う店舗兼ギャラリーを運営していました。2019年に閉めてしまったのですが、その後、丸若さんの事務所に(笑)。自分は場所を持たなくなったため、東京を離れようと思っていたのですが、ご縁あって今は浅草の千束に拠点を構えています。その話を丸若さんにしたら、丸若さんまで千束に拠点を移されて(笑)。不思議なお付き合いです」と猿山氏。 
猿山氏と丸若氏が構える互いの拠点は、徒歩にして数十秒圏内。仕事のパートナーであり、ご近所でもあります。 

今回、そんなふたりが関わる香炉『Kouro #1を発表。 
「今こそ、忘れ去られてしまった感覚を取り戻したい」と猿山氏。 
不要不急と言われる中、幸せはどうやって生まれるのか? 心を豊かにするにはどうしたら良いのか? 本当の価値とは何か?  

『Kouro #1』は、丸若裕俊氏とミュージシャンの山口一郎氏がディレクターを務める『MABOROSHI』による初プロダクト。香りも音も、見えない豊かさが人を幸福に誘う。

『GEN GEN AN幻 in 銀座』にも装飾展示されている桐箱。丁寧な仕事がなされたものは、周囲に凛とした時間も育む。 

猿山 修 インタビュー利己ではなく利他に。見立てから学ぶ、相手を想う気持ち、おもてなしの心。 

「新型コロナウイルスが感染拡大してから約1年経ちました。世界中を恐怖に陥れたそれは、当たり前だった日常を奪い、孤立した生活が余儀なくされました。混乱した世間に向けた報道は、より不安を助長させ、昨今では当然になったインターネットでの情報収集は、その量の多さに真実を見失うこともしばしば。どうすれば自分たちは安心できるのか? 一度、冷静になって考える時間を設けました」と猿山氏。 
考える時間……。その行為は、テクノロジーの進化の一端によって省かれてしまったのかもしれません。時短することが高度な技術とも見紛う発展は、日本人が大切にしてきた何かを失ってしまったのかもしれません。

「そんな時、“古”と向き合うことによって、様々を再認識することができたような気がします」と猿山氏。 
「茶屋として活動する『GEN GEN AN』が最も大切にすることは、時(とき)と間(ま)です。そこに介在する人、もの、ことが幾十にも味を育み、特別な時間を創造するからです。茶湯の世界で言う見立ては、相手を想う気持ちやおもてなしの心から生まれますが、今こそ、そんな精神が必要とされるのではないでしょうか」と丸若氏。 
「こんな時代になってしまったからこそ、利己ではなく利他に。支え合う心が必要だと思います。今はまだ、自宅で過ごす日々が続いているため、お茶を飲んで気持ちがホッとするように、お茶の香りで落ち着いた時間を感じて頂ければと思い、『Kouro #01』を作りました」とふたりは話します。 
香る茶葉や小さくくゆる炎は、しばしの間、心身を整え、「無」にさせてくれるでしょう。茶香炉のデザインは、実に猿山氏らしい美しさが漂いますが、見えない時間のデザインこそ、『Kouro #01』が持つ本来の美しさなのです。それは、まさに「幻」。 

「この茶香炉は、過度な演出は一切せず、伝統的な技法を用いています。直火になる皿は陶器、受けは磁器です。共に長崎県波佐見の職人が手がけ、受けの型は佐賀県有田の原型師・金子哲郎さんによるものです。実は、千束に拠点を構えるきっかけのひとつに、未だ残るものづくりの文化に惹かれました。そして、周囲は再開発が進む中、この一角だけは、古き良き街並みも残っている。正しい時間の流れを感じたのです。古い道具と付き合ってきた時間が長いせいか、そういった経年に魅力を感じます。自分は、美術などで評価が決まっているものや誰かのお墨付きと言われるものよりも、どうしてこれが世間に評価されないのだろう?というものに価値を見出してきました。時代が変われば用途も変わるため、それによって想像力が膨らむのは、まさに見立ての世界。そんなものと過ごす時間は、本当に愛おしいです」。そう話す猿山氏は、約200年前のグラスを手に持ち、言葉を続けます。 
「約200年前のものということは、世代を超えて様々な人が残そうという意志を持っていたからこそ、現代まで受け継がれています。経年変化によってヒビは入ってしまっていますが、それでも捨てずに大切に扱ってきたという過去が汲み取れます。技術の発達は、破れない、割れない、壊れない、汚れないなど、現状を維持できるものも増えていますが、人間と同じようにものが歳を取らないことは不自然。歳を取るからこそ美しさが増す。ものの命は人の命よりもはるかに長い。
道具で言えば使い道も限定するのではなく、持ち主によって楽しみ方も自由。今回の香炉も同様にエッセンシャルオイルを使用したり、家庭にある月日が経過してしまった茶葉で楽しむ事も人それぞれ。コロナ禍によって、デザインとの向き合い方や生き方が研ぎ澄まされたような気がします」と猿山氏。

今後、この茶香炉を体験する場や、合わせて二人が考える茶室型のGEN GEN AN幻プロダクトを『銀座ソニーパーク』と言う場所を起点に考えています。『GEN GEN AN』のお茶、『Kouro#01』の香り、その他、この空間だからこそできる見立ての準備を現在、進めています。 
「『GEN GEN AN幻 in 銀座』は、自分たちだけの場所ではないと思っています。様々な実験の場でありたいですし、誰かや何かをつなぐ場でありたい。こんな時代だからこそ、みんなが表現できるきっかけや発信できる機会を作っていきたい。そんな時間をみんなで過ごしたい」と丸若氏。 

古きを学び、新しきを得る。そんな温故知新を茶香炉は教えてくれるのかもしれません。 
 

「『Kouro #01』を通して、見立てという知恵から生まれる楽しみも体験していただければと思っています」と丸若氏。 

「これまでお茶の味覚に関わるプロダクトは手がけてきましたが、嗅覚に関わるプロダクトは初。デザインを精進し続けることによって、誰かを幸せにしたい。ものづくりや社会に貢献したい」と猿山氏。 

香りはもちろん、隙間から覗く炎もまた、心身を穏やかにさせる。お茶を嗜むように、香りも嗜みたい。 

猿山氏が見せてくれた約200年前のフランス製のグラス。「多くの人がこのグラスを残そうとする意志がなければ残らなかったはず。人の思いや当時の技術など、古いものの考察は、ものを作る人にとって必ず何か得ることがある」と猿山氏。 

今後、『銀座ソニーパーク』でも展開予定の茶室の設計図。「DIYで作ることができる茶室がテーマ」と猿山氏。

1966年生まれ。元麻布で古陶磁やテーブルウェアを扱う『さる山』や『ギュメレイアウトスタジオ』を主宰してきたデザイナー。食器のデザインを中心に、国内の手工業者から作家まで幅広い作り手と手を組み、機能美に長けた美しいプロダクトを創造する。グラフィック、空間、プロダクトなど、多岐にわたるデザインに携わり、『東屋』と一緒に多くのプロダクトを作っている。今回、発表する『Kouro #01』は、2020年より『GEN GEN AN幻』がスタートさせた『MABOROSHI』プロジェクトより展開。

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park B1F MAP
https://www.ginzasonypark.jp/
https://en-tea.com/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

島にたどり着いたからこそ出会える景色を求めて。「東京さんぽ島」を歩く。[東京さんぽ島・利島]

阿豆佐和気命(あずさわけのみこと)本宮の宮司・梅田成彦さんとともに集落内を歩く。急な下り坂の向こうには海が広がっていた。

東京さんぽ島・利島歩くスピードだからこそ見えてくるもの。心奪われる風景を目に焼き付ける。

東京の離島・伊豆大島の次に位置する利島(としま)は、人口300人あまりの小さな島。しかし、そんな小さな島には島じゅうを覆い尽くすように、約20万本もの椿の木が植わっているといいます。椿の見どころは12月中旬〜2月いっぱいまで。冬に咲く満開の椿の花を求めて、東京・竹芝桟橋から大型客船で約9時間、夜出て朝着く夜行便に乗り込み、利島へと向かいました。「今年の椿は見事」と島の人々が口をそろえるほど、島のいたるところで目にする椿の花はすでに満開を迎えていました。

「椿の花が咲く時期は、海も荒れ、船が着かないことが多くなります。“近くて遠い島”とよくいわれますが、なかなかたどり着けないからこそ、島に上陸できた時は喜びもひとしお。外から島を見ても、椿が咲いているかどうかはわかりませんが、島に着いて島をめぐってみると、こんなにも椿に覆われていたのだと気づくはずです」と利島村役場の荻野 了さん。

なかなかたどり着けない小さな島ゆえ、民宿や飲食店も限られ、決して観光向けの島ではありませんが、何もないからこそ、自分から“何かを見つけにいく”ことで、新たな発見や、自分だけの風景を見つけることができるはずです。たとえば、自然のかたちに合わせた曲がりくねった道。集落内は細い路地が多く迷路のようで、「この先には一体何があるんだろう?」と歩みを進めたくなります。島の中央にそびえる宮塚山のふもとに家が集中しているため、集落内は坂だらけ。だからこそ、どこから見ても海や山が見え、景色の抜けの良さに驚かされます。

「小さな島を歩くだけで、どこもかしこも椿に出会えます。各家の庭にも椿がありますし、島のどこを歩いても椿が目に入ってきます。伊豆諸島の中でも、そんな島は利島ぐらいでしょう。椿と生活が密接につながっているのを感じてもらえると思います」(荻野さん)

利島めぐりの醍醐味。それは島を歩いて回ること。小さい島じゅうに咲く椿の花の存在と箱庭のような島の景観は、歩いているからこそ楽しめる風景です。ピンク色した椿の花に誘われ、気の向くまま、風に吹かれるまま、小さな島を歩いてみてください。

利島のいたるところで目に飛び込んでくるピンク色のヤブツバキの花。落ちた花が広がる様は、花の絨毯のよう。

2020年に新しくなった大型客船「さるびあ丸」。突き出た桟橋に着岸するのは至難の技で、冬は風が強く吹くため、島へたどり着くことができるかどうかは海況次第。

可憐な花をつけるヤブツバキは、もともと島に自生していたものを種から育てて植林。今の森は約100年かけてできあがったもの。

島を歩いてみると、何気ない風景に心奪われ、ふと足を止めてしまう。

東京さんぽ島・利島冬しか見られない、ピンクの椿の花がお出迎え。

島で手に入れた「東京さんぽ島」のマップには、「椿コース」「神社コース」「ビューコース」など、おすすめのルートが記載されていました。このルートは島の人たちが作ったもの。そのひとりである、利島勤労福祉会館の長谷川竜介さんはビューコースのガイドを担当。「集落内を回るコースになります。利島の人は、普段いつもこんな景色を見ながら暮らしているんだ、ということがわかっていただけると思います」(長谷川さん)

「椿ルート」は、椿農家の前田千恵子さんと一緒にめぐりました。島のどこにいても存在感を感じる宮塚山に向かってぐんぐんと坂を登っていきます。堂山神社の脇にある遊歩道を歩いていると、時折、木々の間から光が差し込み、聞こえるのは、鳥のさえずる声と風にざわめく葉擦れの音だけ。光、風、音を全身で受け止めながら「五感で感じてみて」と前田さん。島の人にとっては見慣れた当たり前の風景でも、外から来た私たちには、何もかもが新鮮に映るのです。

もともとは防風林として植えられていた椿。江戸時代、島ではお米が育てられない代わりに、椿油を年貢として納めていました。秋頃、実をつけ、それを油にし、灯りや食用油、髪や肌などにつけたりと、暮らしの中で活用してきました。今も変わらず、利島では椿油を生産しており、その量は日本一、二を誇ります。

「利島の人々は、椿とともに生き、椿とともに暮らしてきました。利島の椿の特徴は生産者と土地、畑が紐づいていること。その強みを生かしてオーガニック認証も取得しました。夏は下草刈り、秋から冬にかけては椿の実拾いと、島の方は一年中、畑にいます。椿の畑は、農家さんが代々大切にしている場所なのでなかなか入ることはできませんが、作業されている農家さんがいたらあいさつしてみてください。畑をのぞかせてもらえるかもしれませんよ」と、東京島しょ農業共同組合 利島店で働く加藤大樹さん。

初冬から咲き始め、初春まで長く楽しめるのも椿の良さ。ウグイス、メジロ、ヒヨドリなどの小型の鳥が花をついばみ、花粉を運んでくれます。木の上を注意深く見てみると、黄色い花粉を口ばしにつけた小鳥を目にすることができるでしょう。

「等間隔に植林され、椿の実を拾いやすいようにと下草を刈って丁寧に手入れされている椿の畑は、畑というよりも庭園に近い。しかもそれが島の一部ではなく、島全体にある。世界中探してもこんな場所はないそうです。人間の手が入っているからこそ美しい椿畑をぜひ見ていただきたいですね」(長谷川さん)

太陽の光が椿の葉に当たり、濃い緑から銀色にキラキラと輝いた時、あまりの美しさに思わず足を止めました。ピンクの椿の花が咲き誇る姿ももちろん美しいですが、そんなふとした瞬間を目にした時、自分だけの風景のようで、目に焼き付けたくなるのです。

長谷川さんによれば、大正時代に椿の値段がぐんと上がったそうで、それを受けて国が椿の植林を推奨し、椿畑がどんどん増えていったのだとか。

中にたっぷりと油を含んだ椿の実。ぷっくりとふくらんで、はじけて下に落ちた椿の実を、一つひとつ丁寧に拾っていく。

農家さんから持ち込まれた椿の実を搾油して瓶詰め。原料の採取から製造まで、すべてが島内で一貫して行われる。

雨上がり、椿の花が落ちている風景さえも、美しかった。

枯葉や下草、小枝などを集めて燃やすのも冬の風物詩。いたるところで山から煙が上がる。

東京さんぽ島・利島島の風景に残る様々な痕跡が、島の歴史を知るきっかけに。

見どころがまとまり、島を体感できるビューコースは、宿などが多く集まる集落の中心部からすぐに回ることができます。集落内でところどころ目にするのが、形のそろった美しい玉石の石垣です。その昔、利島に上陸した人は、椿畑と玉石の敷きつめられた集落内の様子が印象的だったという話も残っているのだとか。

「昔は、村の人たちが毎朝ひとつずつ玉石を持って浜から上がってきたそうです。子供も老人も関係なく、最低でもひとつ。持ってくるとお駄賃がもらえたそうですが、かなりの重さなので、大変だったろうと思います。そうした労力によって積み上がったものがこの石垣です。昭和初期までは輓牛もいませんでしたから、動力はすべて人間だったんです」(長谷川さん)

その後、車が走るようになり、玉石が敷きつめられていた道はコンクリートで舗装されてしまいました。しかし、注意して見ていると、堂山神社の参道など、集落の所々に玉石が残っている場所を見つけることができるはずです。

また、集落内で各家庭の庭にあるコンクリートの箱状のものは「タメ」と呼ばれる、雨水を貯める場所でした。昭和39年、利島に水道が通るまで、生活用水は雨水だけでした。

「このタメをよく見てみると、番号が記載されているんですよ。郵便局の向かいにある〈まるみ〉というお店の近くにあるので見つけてみてください。あとは、屋根が広いのも利島ならではだと思います。屋根から雨樋を伝って雨水が入るので、雨を受けるために屋根が広いんです。雨樋がどんなふうにタメにつながっているかを見るのもおもしろいですよ」(長谷川さん)

少しずつ暮らしは便利になり、島の景色は変わっても、その痕跡はいたるところに。日常の中に潜む歴史に思いを馳せる。

集落の北側、坂の上にある堂山神社。参道には玉石が敷きつめられており、昔の名残を感じることができる。

玉石の石垣。荒波にもまれ丸くなった石を一つひとつ積み上げたもの。苔むして自然の一部となっていた。

集落の屋根を見てみると、たしかに広く傾斜がゆるいのがわかる。雨水を受けやすいようにという島ならではの知恵。

東京さんぽ島・利島いい景色を見つけたら、それは自分だけのものになる。

「利島は自然の傾斜を生かして作られた道が多いので、くねくねと曲がっていて、まっすぐな道がないんです。細い道も多いので、この先はどうなっているんだろうと思う場面が多々ある。先を見通せない分、少し寄り道したり、道草を食っても、小さい島なので迷うことはないので、おもしろそうだなと思う方向へ誘われてみてほしいですね。コースにこだわる必要はなくて、見たいところ、知りたいところを自由に回ってみてください」(長谷川さん)

この道はどこにつながっているのか、どういう景色が待っているのか、好奇心の赴くままに、あてもなく歩いてみると、いろいろ発見があるはずです。回った後、あるいは前に郷土資料館へ行ったり、島の人に話を聞いたりするのもいいでしょう。島の歴史や風習、暮らしを知ったうえで、もう一度島を回ってみると、さっきまでは気づかなかった景色や今まで見えなかったものが見えてくるはず。そして、もう一度、島を回りたくなるのです。

「せっかく島に来ていただいたなら、より深く知ってもらいたいんです。知っているか知っていないかで見える景色が変わってくるんですよね。島の歴史や椿油を身近に感じてもらえたら」と加藤さん。決められたコースから外れたところにある発見、気づきは、あなただけのもの。その思い出は、自分で見つけた喜びとともに記憶に深く刻まれるでしょう。

「ビューコースと設定していますが、利島はどこでもビューがいいのが自慢です。集落があって、椿があって、その奥には海があって、さらにその先には伊豆半島や富士山が見えて、と立体的な景色が楽しめるのは利島の急坂だからこそ。学校の上にある道からの景色もすごくいいんですよ。学校の芝生、校舎の向こう側には海、どこまでも広がる空が見渡せます。平らな島では見えない景色です」(荻野さん)

のんびり、気の向くままに歩くことこそ、散歩の醍醐味。集落を回るだけでも十分楽しめるのが利島の良さ。自分のペースで自由に気ままに島を歩く。いい景色を見つけたら、それは自分だけのものになる。その風景を誰かに教えたくなって、そしてまた訪れたくなる。そんな場所が、東京から行ける離島・利島にありました。

郷土資料館にある椿の木でできた愛らしい入れ物。貴重な映像や展示品など、島の歴史や風習を知ることができる。

朝、散歩していると、港の近くにある漁協で、伊勢海老を出荷するところに遭遇。大きくて立派な伊勢海老は利島の特産品。

港から島を見上げる。中央にはなだらかで美しい形の宮塚山。そのふともには集落。島の周囲は約8kmと3時間あれば回れる大きさ。

島に移住したという隅愛子さん家族と。誰かとすれ違うと、島の人は必ず会釈したり挨拶するのも島ならではの風景。後ろには大島がくっきり。

https://ja-toshima.jp/sanpojima

Photographs:TETSUYA ITO
Text:KAYO YABUSHITA

(supported by 東京さんぽ島 利島)

発展させる食文化、対峙すべき環境問題。鮨と日本酒を通して、おいしい以外を考える。

様々な視点から食に関する問題意識と向き合うペアリングを試みた『恵比寿 えんどう』店主の遠藤記史氏(左)と『新政』の福本芳鷹氏(右)。

恵比寿 えんどう × 新政酒造「個性溢れる」鮨と日本酒とのペアリング。その先にある世界とは何か。

新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、全国の飲食店や生産者が厳しい状況にある中、「この時期でもあえて」と鮨と日本酒のペアリングに挑戦した『恵比寿 えんどう』店主・遠藤記史氏。パートナーは、「古今に渡る清酒醸造法を詰め込み新たな味わいを目指し醸されている」と言われる『新政』。

「秋田の『新政酒造』を訪れた際、非常においしい酒で感銘を受けた一方、高級ワイン同様に一般的な鮨には合わせずらい酒質だと感じました。『新政』が発祥となる6号酵母を使ったり、生酛づくりや木桶仕込みなど伝統製法に基づいているので特徴的な酸味や甘みがあり、日本酒としての魅力ではあるけれど、現代の鮨に合うかといえば難しいとも感じました。それは代表の佐藤祐輔さんも同じ認識でした。私自身、酒に合う鮨は握りたくないし、佐藤さんも食事に合うことを優先とした酒造りはしていない。だからと言って“合わない”と結論づけてしまうとこの先には何も発展しないため、互いが目指すベクトルを理解しながら、ペアリングを探っていこうと始めた試みでした。実は、一年前にも同様のペアリングを試みたのですが、課題はあるものの、まだはっきりと見えている訳ではありません。鮨も日本酒も去年と今年とでは違いますし、ブラッシュアップされているので、模索する過程に新たな発見がある」と、遠藤氏。

しかし、それ以前にどうしても中止したくなかった理由がありました。

「今回のペアリングの意義は、味ではなく、様々な問題に向き合いたかった」。

「新たな味わいの日本酒を目指し醸されている」新政とのコラボレーションにあえて挑戦することにより、互いの発展を模索する。

恵比寿 えんどう × 新政酒造自然環境の維持に努めつつ、食文化の発展を模索する。

水産資源の減少に危機意識を高めるシェフ約30名が加盟する『シェフス・フォー・ザ・ブルー』の活動に参加するメンバーのひとりである遠藤氏。『新政』の酒造りに惚れ込むだけでなく、今年もあえてペアリングに挑戦したのには、食文化と自然環境への危機意識がありました。

「これまでの漁業は網や一本釣りなどアナログな方法が一般的でしたが、テクノロジーが発達した現代では獲ろうと思えばいくらでも魚は獲れてしまいます。日本の漁業は危機的な状況にあると言えます。科学技術の進歩と食文化の発展は、単純には比例しないものです。そこには倫理観が絶対に必要で、取り放題になっている漁業は今後、規制しなければならない時代に来ていると思います」と表情を引き締める遠藤氏。

魚の王様とも言われ、鮨の花形でもあるマグロの中でも、世界中で乱獲が進み絶滅危惧種に指定された太平洋クロマグロについて「ほかの魚を代用するのは正解ではない。イナゴが別の畑に行くようなもので、結局は次のマグロやウナギを生むだけ。現状に対しての解決策になっていません」と、遠藤氏。

フレンチやイタリアンと比べ、魚を主役としている鮨店でサステナブルな活動を続けることは難しい立場に立っていると言えます。

「水産資源と環境に配慮した漁業で獲られた天然の水産物であるMSC認証の基準に照らしたら、鮨に使える魚はほとんどありません。けれど魚を一番使う鮨屋だからこそ、自然環境の維持に努めながら食文化の発展を模索するべきだと思っています。新型コロナウイルスの影響を受け、飲食店はどこも厳しい状況にあります。そうした中、仮にマグロの漁獲量が増えたとしても、何もしないでいたら食文化史には空白の時間ができてしまう。自然も食文化も一度消えてしまったら、復活させるのは困難です。いつの日か新型コロナウイルスが終息し、過去を振り返った時、食文化を発展させたことを証明するためにも足跡(ペアリング)を残す意義があると思ったのです」と、語ります。

様々な産地へ訪れ、魚が育つ環境を肌で体感する遠藤氏。「ただおいしい魚を仕入れるだけではいけない。自然の変化に耳を傾け、自らの目で見て確認することが大切」と遠藤氏。そして「マグロの漁獲量にしても身質にしても新型コロナウイルス後の方が明らかに向上している。人の活動が停止したことによって海の環境は向上した」と、遠藤氏。

約15年ぶりの大雪に見舞われるなど、2021年はとりわけ寒さが厳しい秋田。Photograph:SHINGO AIBA

生酛造りに挑戦するなど、昔ながらの日本酒造りに回帰する一方、クリエイターとのコラボレーションにも意欲的な『新政酒造』。Photograph:SHINGO AIBA

すべて純米作りに転換し、酒米は全量「秋田県産米」、昭和初期に5代目蔵元・佐藤卯兵衛が自蔵で発見した現存する最古の市販清酒酵母「6号酵母」にこだわる。Photograph:SHINGO AIBA

創業1852年の『新政酒造』従来の常識を覆す革新的な酒造りのトップランナー。Photograph:SHINGO AIBA

恵比寿 えんどう × 新政酒造志へのオマージュを込めた、パッションのペアリング。

この日実現した鮨と『新政酒造』のペアリングは、スッポンからスタート。次々と料理が供された後、握りにもそれぞれの個性を捉えた『新政』が登場します。

遠藤氏の傍らで瓶を片手に差配を振るうのは、『新政酒造』の福本芳鷹氏。北海道札幌市の名店『鮨 一幸』にて腕を磨いた後、酒造りの道へ転向した異色の経歴を持つ人物です。ゆえに、鮨職人の想いを一番知る酒人と言っても過言ではありません。

鮨と日本酒、どちらも作り手の立場をよく理解する福本氏はフランスのあらゆるワイン産地で活躍するワイン仲介業者の「クルティエ」のように、提供者として酒蔵と飲み手との関係を繋ぎます。

例えば、柑橘類や三杯酢を合わせる蟹料理には、白麹仕込の純米酒「亜麻猫」を。白麹に含まれるクエン酸で甘酸っぱいニュアンスを柑橘類や三杯酢の酸味に置き換えるなど、福本氏の発想とアプローチは眼を見張るものばかり。温度帯の変化があるのも、日本酒ならではと言えます。

「飲食店で日本酒を扱うには更に掘り下げる必要性があると感じ、酒造りの現場でより本質を知るために『新政酒造』の門を叩きました。遠藤さんのように理解のある人と組めるのは、非常にありがたいです」と、福本氏。

「冒頭でもお話ししたように、『新政』は伝統や地域性を表現することを目的としているために、食事に合うことを優先とした酒造りはしていない。しかし秋田の風土にこだわり、それを大切にして酒造りをしているところにこそ惹かれました。日本酒も鮨も、自然を抜きにしては成り立ちません。味そのものの相性というよりも、志へのオマージュを込めたパッションのマリアージュができれば良いと思いますし、それが伝わって欲しい」と、遠藤氏は語ります。

スッポン×2018年収穫米より木桶仕込みがはじまった「涅槃龜(にるがめ)第7世代」、蟹×「見えざるピンクのユニコーン2016」。

左より、あん肝×EXILE橘ケンチ氏とコラボによる「陽乃鳥 橘(ひのとり たちばな)」、キュウリの塩麹漬け×「農民藝術概論2019」。

左より、ウナギ、カラスミ×「紫八咫2013(むらさきやた)」、金目鯛、メヒカリ×酒米の陸羽132号を使用した無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

和歌山県串本産の鰆×『新政』の中でもスタンダードな銘柄「生成 2019 -Ecru-」。

金目鯛の握り×秋田市鵜養地区産美郷錦100%使用の無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

「異端教祖株式会社2016」には、マグロ中トロと赤貝を合わせる。

くじら×脂がのったクジラに合わせて、オーク樽貯蔵したお酒で仕込んだ貴醸酒「陽乃鳥」。

マグロの赤身×「異端教祖株式会社2016」。

左より、イカ×「亜麻猫 改」、海老×飯米の陸羽132号を使用した無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

左より、ノドグロ×菩提酛で醸した「翠竜(すいりゅう)」、ホタテ×「生成 2019 -Ecru-」。

左より、締め鯖×「異端教祖株式会社2016」、穴子×「紫八咫2013(むらさきやた)」。

手巻きのトロたく×秋田市鵜養地区産美郷錦100%使用の無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

美味の締めくくりに供されるお椀。クリアな旨味と温かみで食後の余韻も長い。

恵比寿 えんどう × 新政酒造現代生活の向上と自然環境の維持、目指すは「両立」。

2020年より世界を難局に迎えた新型コロナウイルスをきっかけに、遠藤氏は「様々な分野での両立が大切」だと語ります。

ペアリングの締めくくりでもあるマグロについては、「自然環境の保護と食文化の発展」。新型コロナウイルスについては、「感染予防と飲食店の営業」。「それぞれを両立させなければいけない」と、遠藤氏は話します。

「地球温暖化が進み、台風の発生回数も年々増えていますが、このコロナ禍で人の移動や経済が止まったことにより、自然環境への負担が減り生態系にはプラスになった。マグロに関して言えば、新型コロナウイルス以降の方が漁獲量も身質も圧倒的に向上しています。とは言え、人間は文明がなかった石器時代には戻れません。現代生活の向上と自然環境の維持が選択肢としてどちらもある以上、両立を目指すべきだと考えます」と、遠藤氏。

音楽の仕事で渡ったニューヨークで日本酒に開眼し、帰国後、酒造りにも携わることになった福本氏は、日本酒業界をグローバルな視点で客観視します。

「日本酒に対しては、海外の方がより柔軟に楽しまれています。日本の食文化がグローバル化し、世界に広がる中、本物を追求するなら日本にわざわざ求めにくる。それほどの価値を構築しなければならないと思っています。『新政』に在籍して3シーズン目になりますが、秋田は約15年ぶりに寒波に見舞われるなど今年は特に寒い。温暖化の影響か自然環境の変化も実感しています。新型コロナウイルスの影響で社会は目まぐるしく変化していますが、酒造りはもともと人間の都合より微生物の都合が優先。翻弄されているのは常に人間の方です。遠藤さんが海の生態系や自然環境に問題意識を持つのと同様、例えば、お酒づくりの工程で副産物として大量に出る酒粕をエネルギーに転換できないか、蔵人たちも考えています。新型コロナウイルスによって日本酒や鮨、ひいては日本の食文化について考える機会を与えられたと思い、これからもシンクロしながらペアリングの意義を深めていきたいです」と語ります。

外食応援のプロモーションとして、あるいは集客や収益アップを目的としたイベントも数多く見受けられる中、食文化の発展や環境問題と向き合うことを目的にした『恵比寿 えんどう』×『新政』のペアリング。

ただおいしい、ただ食べるという行為を超えたその意義は、来年、再来年、更にはそれ以降もやり続けることによって解が見出されるのかもしれません。

住所:東京都渋谷区恵比寿南1-17-2 Rホール4F MAP
電話:03-6303-1152

住所:秋田県秋田市大町6-2-35 MAP
電話:018-823-6407
http://www.aramasa.jp


Photographs:JIRO OHTANI
Text:MAMIKO KUME

全てを失った酒職人の人生に密着。松本日出彦、もう一度立ち上がる。

松本日出彦原動力は心。酒造りは生きること。

2020年12月31日。

自身の蔵である『松本酒造』を父親と共に去ることになった松本日出彦氏。

予告ない報告となってしまったその急転直下に周囲はもちろん、一番現実を受け入れられなかったのは松本氏本人だったと思います。

「冬に酒造りの現場を離れることは、酒造りに携わってから初めてのこと。まるで悪い夢を見ているようだった」。

しかし、残念ながらその夢から覚めることはありませんでした。

以来、内に篭ってしまい、心を閉ざしてしまった松本氏ですが、家族や仲間の支えもあり、もう一度立ち上がる決意を魅せます。

「スパンと断ち切った。自分の意志で、もう一度酒造りをしたい」。

『松本酒造』も『澤屋まつもと』も『守破離』も、全てを失った松本氏には何もありません。

「失ったからこそ、得るものがあった。気づけたことがあった。ただの不幸に終わらせるわけにはいかない。この出来事をどう捉えるかは自分次第」。

その原動力は、どこから湧き上がるのか。

「心」です。

場所や環境を奪われたとしても、心までを奪うことはできません。

「何もかもなくなった時、心の中に何が芽生えるのか向き合うことができた。自分は何がしたいのか。自分は何者なのか」。

絞り出されたその答えは、自分は酒造りがしたい。自分は酒職人として生きたいということでした。

もう恐れない。怖いものは何もない。あとは這い上がるだけ。

「その一歩は、踏み出した」。

松本日出彦が奮起する人生に密着します。

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photograph & Text:YUICHI KURAMOCHI

予測不能な時代に立ち向かう、「食」の未来を拓くプロデューサーに求められる「学び」とは。 [FOOD CURATION ACADEMY]

フードキュレーター・宮内隼人(左)とワインソムリエの大越基裕氏(右)。得意とする領域は違えど、幅広い食への探究心と知識を活かし活躍するふたりが、「学び」をテーマに語り合う。 

特別インタビューなぜいま「学び」が必要か。新たな視点で「食」を見つめ直すために。

2020年12月、『ONESTORY』は新しい学びの場をスタートしました。

その名も、『FOOD CURATION ACADEMY(フードキュレーションアカデミー)』。

この10年で私たちが暮らす世界は大きく変わりました。特に、この1年で勢いはますます加速。「食」を取り巻く世界もまた、環境問題や食糧危機といった地球規模の問題から、フードテックの進化、そして新型コロナウイルスがもたらすさまざまな制約まで、従来の常識をアップデートしていかなければ対応できないような大きな変化の中にあります。広く柔軟な視野で、今までとは違ったアプローチで「食」を捉えなおす発想力が必要です。

『FOOD CURATION ACADEMY』は、これからの時代に求められる「食」領域を横断的にプロデュースする力を「フードキュレーション」という概念で捉え、この概念を様々な方と共有し、深め合い、高めていくための場です。

コロナ禍のため、まずはトライアルとしてオンライン動画配信で4つの講座を開講。世界を舞台に最先端のクリエイションを実践するトップシェフと、アカデミックな分野の専門家による対談という『ONESTORY』ならではのペアリングで、「食」分野の旬のトピックを深掘りしていきます。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座をより有意義に楽しんでいただくために、『ONESTORY』のフードキュレーター・宮内隼人と、日本を代表するソムリエ・ワインディレクターとして多岐に活躍する大越基裕氏へのインタビューを行いました。

「食」業界で横断的に活動をする二人は、日々どのように自らをブラッシュアップしているのか。『FOOD CURATION ACADEMY』では何を学べるのか、そして「食」の未来を切り拓くために必要な「学び」とは何なのか。 

「食」のプロフェッショナルが実践する「学び」について迫ります。

料理人を経てフードキュレーターへ転身した宮内。料理人として培ったセンス、豊富な食材知識、日本各地を巡り様々な生産地で深めてきた経験をもとに、次々と新たなクリエイションを仕掛ける。 

特別インタビュー体系化できない「食」の学び。だからこそ予測不能な出会いが必要。

宮内は、テーマの選定や登壇者の人選など『FOOD CURATION ACADEMY』講座の立ち上げから中心メンバーとして携わってきた一人。

今回のオンライン講座のテーマである「ウェルネスフード」「ローカルガストロノミー/地質学」「香り」は、今まさに宮内自身が深掘りしたいトピックスでもありました。

「食を体系化することって本質的には無理だと思っています。理系にも文系にもあらゆる学問が食と関係しているし、領域をはみ出せばビジネス論やマーケティングにも広がっていく。カリキュラムを一つ一つこなしていくというよりは、新しいことを知っていくところにフードキュレーションの学びがあると考えています」と宮内。

「食」に求められる領域が急速に拡張されているからこそ、フードキュレーターに必要となるのは、貪欲に新しいことを学びつづけること、知りたいと思う好奇心であるとも言えます。

「「地質学」は、これまで一切触れたことがない人も多い分野じゃないかなと思っていて、だからこそ、そんな未知な分野とガストロノミーを掛け合わせて語れる先生がいると知ったとき、「これは面白い!」と興奮しました。ローカルガストロノミーの最前線で戦うシェフの実践的な話を、先生のアカデミックな話で裏付けできたらめちゃくちゃ勉強になるなと確信しました」

『FOOD CURATION ACADEMY』が一番こだわったのは人選。とにかく何ヶ月もかけて『ONESTORY』でなければできない登壇者の組み合わせが徹底的に検討されました。本を読めばわかる学びではない、ある種どうなるのか予測不能な、知と知の掛け合わせこそが『FOOD CURATION ACADEMY』講座の最大の特徴です。

「今回の4つのテーマはあくまで抜粋であって、もちろん全てではありません。幸いにも動画を見てくださった方には、こういうことも「食」と関係があるんだっていう興味関心を持っていただいて、次のアクションにつなげていっていただけたらと思います。普段のルーティンの中にはない出会いや気づきがあるはずです」

『DINING OUT』で、宮内は食材のリサーチを担当。開催の半年前から現地に足を運び、生産者との深いつながりを築きながら、何百という食材を見つけ出していく。 

特別インタビューあらゆる「学び」は食につながる。フードキュレーター・宮内隼人の「学び」の原点。

「料理人だった時は勉強をしたいという気持ちは強くあっても、やり方もわからないし時間もお金もない。当時はSNSもありませんでしたから、新しいことを知ることのハードルがすごく高かった。料理を本から学びたいと思って本屋に行っても、料理のコーナーにはレシピ本ばかり。料理とは全然別の本棚で偶然見つけた「食品学」の本に、こんな世界があるんだという発見が詰まっていました」

学びたいという意欲があっても、知らないと広がらない世界がある。本棚での新しい知識との出会いの衝撃が、宮内の「学び」への意欲をますます高めていきます。さらに転機となったのが、『DININGOUT』への参加でした。

「レストランの外に出て、視点の高さを上げたところに設定して俯瞰すると、ものすごく世界が広がった」と宮内。世界が広がると、自然と学ぶべきことも明確になっていく。その後、『ONESTORY』に入社しフードキュレーターとして活動するようになると、地方ではヒヤヒヤするほど刺激的な野菜や面白い生産者の方に出会い、「学び」の幅は縦横無尽に広がっていきます。

本から得る学びだけでなく、現場で知る学び。オタクになるための勉強ではなくて、血肉にしていくための学び。

「フードキュレーターは、専門家でも研究者でもなくて、何かと何かを掛け合わせて新しい価値を作っていくプロフェッショナル。知っていることが多いほど、いろいろアプローチが考えられるだろうし、スピード感も違います。終わりがないからこそ、まずは自分の興味があるところから広げて補完していくのがいいのかなと思います」

では、宮内自身は今どのようなことに興味を持っているのか。聞いてみれば、「今はUXデザインのことを勉強していて、簡単なCADを作ってみたり、ブランディングについて深掘りしたり、海外のレシピ本からナチュラルなベーコンの作り方を学んだり、この本も面白かったですね……」と止まらない。その時々のプロジェクトに応じて、あらゆる方向に「学び」を自在に拡張させていくことはなんだかとても面白そう。

「以前『茶禅華』の川田シェフにお会いしたときに、孔子の兵法についての分厚い本を読んでいらして、探究心の深さに衝撃を受けました。最近も「今年は茶道と蕎麦について学びたい」と仰っていて、とにかく一番時間がないはずのトップシェフたちが一番勉強をしている姿を日々、目の当たりにしています」

新しく知ることが新しいクリエイションへとつながっていく面白さを実感するからこそ、「学び」への意欲は尽きることがないのだろう。

宮内にとって、日本各地で出会う食材生産者との対話は何よりの楽しみであり最大の学び。 

現場には、市場に流通する野菜からは想像もつかないような世界が広がっている。 

特別インタビュー能力をアウトソースしあい新たな価値を作っていく。フードキュレーターが創る「食」の未来図

学び続けているプロフェッショナルといえばもう一人、宮内が気になっている人がいました。
ソムリエ、ワインディレクターとしてさまざまなプロジェクトに携わり、自身でも2つのお店を経営されている大越基裕氏。

大越氏は『FOOD CURATION ACADEMY』講座をどのように見たのか。

「僕が目指してやってきたこと、今ちょうど興味を持っていることの延長線上にあって、そのことがすごくうれしくて共感することも多かったですね。食の業界を「飲」と「食」に分けて考えたとき、「食」の世界は僕らのいる「飲」の世界よりも進んでいるなと改めて感じました。講座 #1での君島さんの提案も素晴らしかった。「食」に対して世の中から必要とされていることが、レストランの中だけで完結することではなくなってきている以上、そこまで考えるのが当然だよねって。でも「飲」はまだそこに追いついていない感じがしています。この10年、僕がかなり力を入れてペアリングをやってきたのも、そういう思いがあったから。シェフとレストランが、社会にまで思いを馳せて表現をしているのに、僕らがワイン選びで流れを断ち切ってしまったら意味がない。味と味のペアリングももちろん重要だけど、バックグラウンドにある思いを結んでいくためのセンスを磨いていかないといけないと改めて強く感じました」

「飲」と「食」をつなぐ新たな価値の提案をしてきた大越氏の活動はフードキュレーターそのもの。フードキュレーターとしての自身の実践と重ね合わせて、他にもこんな気づきがあったと言います。

「シェフだけでなく、講座 #1に登壇されていた菊池さんのお仕事もすごく面白かった。間を取り持って価値をつくっていくまさにフードキュレーションの仕事。さまざまな分野にフードキュレーションの能力を持つ人間がたくさんいて、互いの強み同士をアウトソースしあえるということにすごく未来を感じました。今までのプロフェッショナルは自分の分野のことだけに特化していて、他の分野のことは考えてもいなかった。でもフードキュレーターは違う。フードキュレーターという職業が将来的にもっと広がって、プロジェクトごとにチームを再編成していけば、食業界にもいろいろな可能性が出てくるだろうなと感じました」

日本を代表するトップソムリエの大越氏。自身が経営する『Andi』『An Com』ではそれぞれモダンベトナミーズとワイン、日本酒とのペアリングを提案している。 

特別インタビューワインディレクター・大越基裕が考える、これからの「学び」


レストランを飛び出し、かつて誰も歩んでこなかった新しい道を切り拓いていった大越氏。ターニングポイントは何だったのでしょうか。

「二十歳になるまで海外に行ったことがなかったのですが、二十歳のときに初めてフランスに行って、こんなにも得るものが大きいのかと衝撃を受けました」と大越氏。帰国後しばらくして再びフランスへ留学に。

「1回目よりも2回目に行った時の方が圧倒的に得るものが大きかったです。それは、何を得るために行くのか自分で明確に理解していて、計画を立てていたから。いま世界が変わってきている中で、僕らに求められることも変わってきています。情報も圧倒的に得やすくなっている分、ただ海外にいけば良かったという時代ではもうなくて、だから何ができるのか?ということが求められる時代。言ってしまえば、海外に行かなくともできることはたくさんありますし、学び方も変わってきている」

漫然と「学ぶ」のではなく、何かを得たいという自覚を持って「学ぶ」ことの大切さ。また、情報が簡単に手に入るようになったことで「人とのつながり」が希薄になっているとも大越氏は指摘します。

「どんなビジネスも信頼があってのこと、人と人のつながりが根本にあります。でもデジタルが進んで、コロナになって、その大切な部分が希薄になってきている気がします。そこをもう一度見直す必要がある。僕らのお店でもファンがファンを作ってくれている。ファンベースを作りましょうということを常々スタッフにも話しています」

「人を思う」ことは、決してサービスに対してだけ言えることではない。それぞれの立場から、生産者に思いを馳せ、シェフの思いを汲み取り、現場の声を知る。人と人、知と知をつなげていくフードキュレーションには、相手のことを考え、想像力を働かせることが不可欠。

「ワインのことばかり勉強していてはフードキュレーターにはなれない。シェフがどんな思いで料理を考えているのか、食材を選んでいるのか、生産者はどうか。そのマインドまで想像力を働かせること、相手のことを考えることができて初めてキュレーションが成り立つ」と大越氏。

「僕はワインを輸入しているわけでも、作っているわけでもないし、葡萄を作れるわけでもありません。僕ができることは、そこをつないで行って、最後にちゃんと「食」の喜びにつなげていくことだけ。責任と誇りを持って、クオリティを高いものに完成させていくことが僕らの責務です。その落とし込みをするのがフードキュレーターの仕事の一つだと、講座を見てさらに感じました」

血肉となる「学び」は机上では完結しない。世界に目を向け、人に触れ、未知と出会い、思いを巡らせる中に、いくつもの種が散らばっているはず。『FOOD CURATION ACADEMY』講座もそのとっかかりの一つ。
世界を見るシェフたちが今何を思うのか、その言葉に耳を傾けることからはじまる「学び」があります。

世界各地で、さまざまな生産現場、生産者と出会ってきた大越氏。自然と共存することが求められる生産者の姿に、これまでたくさんの影響を受けてきた。 

「僕らのやっている仕事の基本は人と人。人とのつながりをもっと大切にしないといけない」と大越氏。 

1976年、北海道生まれ。ワインテイスター / ソムリエ International A.S.I Sommelier Diploma WSET Sake Level3 & Educator 『銀座レカン』シェフソムリエを経て、2013年6月にワインテイスターとして独立。世界各国のワイナリーやレストラン、蔵元を周りながら、最新情報をもとにコンサルタント、講師や執筆、IWCなど国際品評会の審査員などもこなす。ロジカルなペアリング技術にも定評があり、ワインだけではなく、日本酒や焼酎を和食以外のレストランで提案したパイオニアの一人である。自身でも外苑前『An Di』、広尾『An Com』を経営し、最先端なアジア料理と共に世界中の様々なスタイルのワインと国酒を提供している。地元北海道では農業にも携わっており、幅広い分野で活躍している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。

Text:AYANO URATANI

壱岐らしさって何だ? 壱岐を伝える酒のために壱岐でとことん本質を探す。[IKI’S GIN PROJECT/長崎県壱岐市]

壱岐島の最高地点・岳の辻展望台からの夕景。静かな島には神秘的な風景がそこかしこに広がる。

壱岐ジンプロジェクト壱岐を知ることから始まったジン造り。

コロナ禍に長崎県の離島・壱岐で始まったクラフトジン造り。
それは島の美しさを若い人にもどうにか届けたいと願う若きホテルマンの情熱と、壱岐を代表する焼酎蔵の強いこだわりがタッグを組むことで動き出しました。まだまだ試行錯誤の連続ですが、『ONESTORY』では2021年3月の完成を目処に調整を重ねるジン造りに密着。ジンという新たな酒で、小さな島に巻き起こる奇跡を目撃しに、寒風吹きすさぶ冬の壱岐をキーマンふたりと回ったのです。
(キーマンふたり、『壱岐リトリート 海里村上』でホテルマンとして働く貴島健太郎氏と『壱岐の蔵酒造』代表・石橋福太郎氏の詳しい紹介はこちらにて。)

ずばりテーマは壱岐らしさを表現すること。
壱岐を発祥とする麦焼酎に壱岐で採れる野菜や植物などを漬け込み、それらを再蒸溜します。ベースに使う麦焼酎の仕込み水も壱岐の地下水。更には焼酎の素となる麦や米も壱岐産ということで、まじりっ気なしの壱岐のジンを目指すといいます。それは壱岐の素材にこだわり続けた『壱岐の蔵酒造』だからこそ、なし得た酒。焼酎造りの根幹でもある、メイド・イン・壱岐をジン造りに惜しげもなく使うと『壱岐の蔵酒造』代表の石橋福太郎氏は明言しています。

ただし、素材をただ壱岐産にすればいいというわけではありません。ジンを構成する大切な要素の香りと味も壱岐らしさが出るものにしたい。そうしてふたりがまず訪れたのが『壱岐ゆず生産組合』でした。

「壱岐はね、ゆずの一大産地なんです。柚子胡椒などがとても有名で、冬の時期にはたわわに実るゆずが島のあちこちで見られるんです。ウチでもゆずリキュールがとても人気で、その知識をジンにも活かしたいと思います」とは、壱岐の蔵酒造代表の石橋福太郎氏。

「ゆずって柑橘の中でも独特の和の香りがあると思いませんか? 日本らしさというか、他の柑橘にはない爽やかさ、それを壱岐のジンの主要な香味のひとつにできたら素敵ですよね」と壱岐リトリート海里村上の貴島健太郎氏。

ジン造りのキーマンふたりは、すでにゆずの使用は決めている様子。そして『壱岐ゆず生産組合』の加工場を訪れるとすぐに嬉しい悲鳴を上げたのです。

【関連記事】IKI’S GIN PROJECT/やっかいもののゴミを酒に変える!壱岐の豊かさを知った若きホテルマンが焼酎蔵へジン造りを依頼する。

江戸時代には、平戸藩統治下の重税のため、島民は米でなく麦が主食だったそう。その余った麦を蒸溜した自家製の焼酎と、米麹を融合させたものが、壱岐の麦焼酎の原型。

皮を剥いたゆず。これがすべて廃棄されている現状に驚かされる。

ゆずの畑も訪れたふたり。黒ずんだ実は、そのまま落下まで完熟させて捨ててしまうと聞いて、それも欲しいと懇願。

壱岐ジンプロジェクト廃棄物の数々こそが壱岐を表現する重要アイテムに。

「えー、これ全部廃棄に回っちゃうの? それは勿体なさすぎる! 全部欲しい!」。声の主は石橋氏でした。出くわしたのは、ゆずの皮むきの工程。専用の皮むき機を使い数秒でゆずひとつが丸っと剥かれていくのですが、なんと皮以外の中身は捨てられてしまうというのです。とても勿体ない話ですが、ゆずの生産量に作業量が追いついていないのと、皮の価値ほど中身に需要がないのがその理由だと、『壱岐ゆず生産組合』の長嶋邦明氏は教えてくれます。

「これ、そのまま漬けたらすごい贅沢ですね。この部屋に充満するゆずの香りがそのままジンに引き継がれるわけですから」と貴島氏も興奮気味です。

更には少し黒ずんだもの、果汁を搾った後の搾りカスなども見て回り、それら全てが現状では廃棄に回ることを知り、それぞれを漬けてみたいとふたりの声は熱を帯びたのです。
長嶋氏もまた、持て余していた壱岐のゆずが生まれ変わるならば好きなだけ持っていってくださいと、笑って言ってくれました。

壱岐を代表する柑橘のゆず。その新たな使い道に手応えを感じたふたりは、その足で『JA壱岐市柑橘部会』会長の馬場勝利氏のもとも訪れます。
「2020年は台風の影響などで2~3割しか出荷できないかもしれない……」。話は「麗紅(れいこう)」というみかんに関してです。「清見」と「アンコール」の交配で生まれた系統に「マーコット」を交配した品種で、同じ交配により生まれた別の品種に人気の「せとか」があるなど、その味は折り紙付きで、近年めきめきと人気を上げる品種がなんと大ダメージを受けているというのです。
「木にはこんなにたわわに実っているのに、出荷できないなんて」と驚く貴島氏。

「ちょっとしたことなんだけど、色が悪かったり、傷ついていたり、成長が遅かったりで大部分が基準以下なんですよ。くやしいけど仕方ない」と馬場氏。
そんな中、貴島氏は許可を得て、出荷できない麗紅をもぎ、その場で齧(かじ)ってみました。
「苦いし、酸っぱい! でもすごい強い香りです(笑)」と貴島氏。
「そりゃそうだよ、まだ完熟前なんだから」と馬場氏が笑います。その笑顔につられるように、冬の圃場に温かい空気が満ちていくのです。

「これも絶対に試してみよう。他にも壱岐にはたくさんの柑橘があるから、チェックしないとだな」と石橋氏。事情を説明した『JA壱岐市柑橘部会』の馬場氏も大いに頷き、出荷できない麗紅の漬け込みはもちろん、壱岐の柑橘もテストさせて頂くことに。

これらと同じように廃棄される果実や野菜はまだまだあると、その日生産者巡りをアテンドでしてくれたJA壱岐市の松嶋 新氏は教えてくれました。
アスパラガス農家の西村善明氏の元では、出荷時には大きさを揃えるために一番美味しい根元の部分は切ってしまうと聞かされ、更にその量が壱岐だけでも年間3トンに及ぶと聞き、驚愕させられます。
イチゴ農家の松村春幸氏のハウスでは、ちょっとした傷があるだけで、傷みの早いイチゴはスーパーマーケットに並ぶ際にはその傷が傷みになってしまうので、出荷できないと教えてもらいました。

「全部美味しく味わえるのに、世に出せないものがこんなにあるんですね」と貴島氏。
「だからこそ、そういう廃棄される野菜や果物でもジンにすれば無駄なく使える」と石橋氏。
廃棄される野菜や果物を少しでもお金に換え、島の農家をサポートできるジン造りは、今、世界中で叫ばれるSDGsの活動そのもの。持続可能な島の農業の一助となるかもしれません。

台風の被害で傷ついた麗紅。収穫前だが、2020年は出荷を断念する実が多数ある。

『JA壱岐市柑橘部会』会長の馬場氏の話を聞きつつも、傷ついた実に興味津々の貴島氏。

上記は全て出荷の段階でハネられた傷物イチゴ。本当に小さな傷があるだけで出荷は見合わせられてしまうという。

壱岐ジンプロジェクト最後は心意気まで酒に詰める。それが壱岐のジンの形に。

「壱岐らしさってなんですかね? もちろん柑橘やイチゴは絶対に美味しいのですが、それらだけで壱岐のジンって言えますかね?」と話す貴島氏。ホテルマンの貴島氏は出来上がったジンをホテルの夕食時にペアリングで出せたらと夢見ます。その際に、更に「壱岐」を感じてもらえるような圧倒的な個性が欲しいと望むのです。
翌日訪れたのは、壱岐で幻のニホンミツバチではちみつを作る冨山一子さん。
「壱岐の季節の花々の蜜がウチのはちみつの素。味わえば、壱岐を感じてもらえると思いますよ」と冨山さん。
現在、ほぼひとりで作業を行う冨山さんのはちみつは、無農薬で育てられた花の蜜。それは味わうとすーっと身体に染み入るものでした。しかし生産量はごくわずかで、一般にはなかなか流通せず、高価です。

「実際に価格が高いので、とても材料として使えるはちみつではないんですが……」と前置きしつつ、冨山さんはこう続けます。「でもですね、今回、お世話になっている『壱岐リトリート 海里村上』さんと壱岐を代表する『壱岐の蔵酒造』さんが壱岐の名物をと動いているのを知り、何かお役に立てればと思っているんです」。
蜜を搾った後のハチの巣を提供してくれるというのです。ひとりでの作業が追いつかず、冷凍庫に眠るハチの巣は、実際には引く手あまただというのですが、ご自身で保存している分を壱岐の未来のために分けてくれるというのです。

「季節の壱岐の花を使ったはちみつ、すごいですね」と貴島氏は喜び、「これはすごい後押しです」と石橋氏は恐縮します。

更に北インド産のスーパーフードとして注目されるモリンガを壱岐で作る松本マサ子さんの元を訪れ、試させてほしいと懇願。ふたりの熱意にほだされて松本さんも頷いてくれたのです。

我々『ONESTORY』も、こうしたふたりの動きが、確かに島の生産者さんに着実に伝播していく瞬間を目撃。新たなものを生み出す障壁を軽々と飛び越えるのは、人を動かす情熱なのだと教えてもらったのです。
他にも試してみたのは、ウニの殻、温泉の結晶など、壱岐で思い浮かぶもの色々。いよいよ次回は完成のタイミングに立ち会います。果たして味や香りはどうなるのでしょうか? 更にはラベルにボトル、ジンのネーミングまで? 壱岐らしさを追い続けたクラフトジンが、ついにお目見えです!

冨山さんの養蜂場にて。年間を通して花が咲くのが壱岐のいいところだそう。

ちょっとした談笑ですら、息を呑むほどの絶景の中にて。これこそが壱岐らしさなのかもしれない。

壱岐でモリンガを生産する松本さん。年齢を聞いて思わず聞き返してしまうほど若々しさに溢れている。「それはモリンガのおかげよ」と松本さん。

住所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520 MAP
電話:0120-595-373
http://ikinokura.co.jp/

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2 MAP
電話:0920−43−0770
https://www.kairi-iki.com/

「地域には地産地消だけではない循環の仕組みが必要。そして、地球の資源・水を守りたい」LA CASA DI Tetsuo Ota/太田哲雄

「地産地消は当たり前だと思います。自給自足率を少しでも上げ、地域にお金を循環させる仕組みをつくるべき」と太田氏。

旅の再開は、再会の旅へ。今も昔も同じ。派手なことをやるつもりはない。長野に根ざしたお店作りを地道に続ける。

2019年6月、軽井沢の別荘地にある1軒の瀟洒(しょうしゃ)な建物に『LA CASA DI Tetsuo Ota』はオープンしました。

その主人は、太田哲雄氏です。

ご存知の方も多いと思いますが、太田氏と言えば「アマゾンカカオ」。アマゾン産のカカオの中でも厳選した高品質なそれを世に送り出し、日本のレストランシーンに多大な影響を及ぼしています。

ゆえに、ここはレストランでもあり、カカオラボでもあります。

軽井沢の店ですが、軽井沢だけにフォーカスしたくはありません。僕は白馬に生まれ、自然に囲まれて育ちました。長野県人として、長野全体のために何ができるかを考えたい」と言う通り、その食材は多彩。白馬の川魚も信州牛や北信州のそば粉、あるいはイタリアのハムやチーズ、ペルーのカカオもしかり、自身が知りうるあらゆる手段を使い、太田哲雄というシェフの半生を料理に表現していきます。

地元と地元以外。その両輪のバランスが、やがて太田氏が「地産地消の一歩先」と語る地域創生を実現するのかもしれません。

開店後、早々に予約困難の人気店に。この「家」を訪ねるためだけに旅をする人も少なくありません。2020年に世界に難局をもたらしたコロナ禍においても「集客に大きな影響はありませんでした」と話します。

「緊急事態宣言が出てしまった時には約1ヶ月お店を閉めましたが、以降は日数を減らして夜営業をできるだけ昼営業にしていました。その分、お菓子(TETSUキャラメルポップコーン)の製造に力を注いでいました。卸販売が基本ですが、個人受付も始めました」。

しかし、全てが『LA CASA DI Tetsuo Ota』のような状況ではありません。代表的な観光地・軽井沢はどのように変化したのでしょうか。

「軽井沢は誰もが知る観光地ですが、元々の地の方々は閉鎖的です。観光業を生業とされている方とそうではない方の県外からのお客様に対しての向き合い方が違います。観光業の売り揚げは全てに差が出過ぎてしまっています。流行っている場所やお店は何も特に変わらず、反対に昨年よりも売り上げを伸ばしています。一方、集客に困っていたところは状況が更に酷くなっています。地域に密着しながら、軽井沢だけではなく、長野県全体的な関わりを考えながら共に歩んで行くことが大切だと思います」。

今、地域に必要なこと何か。それは、「循環の仕組み」だと太田氏は言います。

地産地消は当たり前だと思います。自給自足率を少しでも上げ、地域にお金を循環させる仕組みを作ってもらえると嬉しいです。そして、一番の願いは、日本の資源を守る対策。中でも水源は切に思います」。

水は人の命に必要不可欠な源であることはもちろん、他種の生命体や植物を始めとした自然においても大切な源であり、地球の資源。

また、太田氏が実行する循環の仕組みは、食に限った話ではありません。お菓子の製造ラインには地元の高校生や高齢者も積極的に採用し、雇用の循環も積極的に行っています。

「派手なことをやる必要はありません。地道に長野県に根ざすお店作りを目指しています」。

地道――。未だ世界中に暗雲は立ち込めていますが、歩むべき正しい道は、それぞれが根ざした「地」と真摯に向き合い、生きる「道」なのかもしれません。

「世界という広義に見れば、ヨーロッパや中南米の現状は日本よりも逼迫していると思います。ほかの国が困っている時ほど助け合う精神が必要だと思います。今なお、不安な日々が続いていますが、自分は自分にできることをやるだけ。『LA CASA DI Tetsuo Ota』へ訪れてくださるお客様がほんの束の間、安らいだ気持ちになってくれる場所でありたいと思います」。

7つのパーツに分かれ、それぞれに異なる有用性があるカカオ。「食材を生かすということは、食材を知ること。生産者に胸を張れる料理であること。それを模索するのはシェフの務めです」と話す太田氏。

アマゾンカカオを使ったオリジナルポップコーン「TETSUキャラメルポップコーン」も販売し、好評を博している。

「得度を受け、定期的に高野山に上がっています」と言う太田氏。「高野山」にもお菓子を納め、カカオと湧き水を合わせて精進の世界でも受け入れられるお菓子作りも始めている。

「得度受けてからの変化は、癒しを求めに来られるお客様が増えました」と太田氏。湧き水の水源も毎回整える。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町大字発地342-100 MAP
電話:0267-41-0059

Text:YUICHI KURAMOCHI

響き合い、混じり合い、影響し合う。文化におけるコラボレーションの意義。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・焼鳥 市松/大阪府大阪市]

活躍する場は違えど、多くの共通項があり、共感する話題が多いふたり。話題は料理を越え、互いの仕事への思いにまで及んだ。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子丁寧な空間づくりから伝わる、料理人の姿勢。

和紙デザイナー・堀木エリ子さんが『テタンジェ』のトップキュベ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のペアリングを体験する「食べるシャンパン」。

第2回目の舞台は、大阪の焼き鳥店『焼鳥 市松』です。

もちろんただの焼き鳥店ではありません。店を率いるのは、焼き鳥一筋の名人・竹田英人氏。比内地鶏にこだわり、そのおいしさを伝えるために研ぎ澄まされた技。素材への敬意と産地への思い。そして焼き鳥という、ある意味でフォーマットが固定された料理に見出すさらなる可能性。

ミシュランの星獲得という事実を取り沙汰するまでもなく、ここで振る舞われる至高の焼き鳥は、美食家たちを虜にしてきました。

そんな『市松』の純白の暖簾をくぐり、堀木さんがやってきます。カウンターに座り、柔らかく微笑むと、こう切り出しました。
「磨き抜かれたカウンター、さりげない季節の花、箸置きは鳥の鎖骨。シンプルですが、しっかりと謂れのあるもので飾られています。空間すべてが丁寧なんです。こんな空間を作る人の料理は、間違いなく丁寧。食べる前からそれが伝わってきますね」。

それから自己紹介を経て、こう続けます。
「たかが紙、されど紙。私の仕事は、この“されど”に価値を見出すことです。そして語弊を恐れずに言うならば、竹田さんの焼き鳥もきっと同じなのではないでしょうか。されど焼き鳥。どんなものが頂けるのか楽しみです」。

【関連記事】NEW PAIRING OF CHAMPAGNE/深まる「ご縁」、湧き上がる「パッション」。和紙デザイナー・堀木エリ子が体験する「食べるシャンパン」。

竹田氏は「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」に合わせて2品の料理を考案。写真は2品目に登場したカカオと山椒をあわせたつくね。

竹田氏の仕事は一言でいうならば、実直。自身が惚れ込んだ比内地鶏の魅力を引き出すべく、持てる技を駆使して丁寧に焼き上げる。

つなぎを入れず、比内地鶏のミンチだけで仕立てるつくね。形を整え、ジューシーに焼き上げる秘訣は、繊細な力加減だけ

串に使用するのは、黒文字というクスノキ科の木。「手で触れるものだから」と質感にまでこだわる。

背筋が伸びるような、凛とした佇まいの店内。焼台を囲むカウンターが特等席だ。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子シンプルな中にさまざまな計算が潜む、掴みの一品。

事前に「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」を試飲した竹田氏は、そこに合わせる2品の料理を考案してくれました。

そして先に種明かしとして教えてくれたのは、その2品が単品で完結するのではなく、流れとしてつながっていること。1品目を食べ、シャンパーニュを味わい、2品目を食べ、またグラスを傾ける。その一連の流れに、竹田氏の狙いが潜んでいるのです。

竹田氏はまず1品目の比内地鶏の生ハムと鶏キンカンの醤油焼きを差し出し、「ひとくちでどうぞ」と伝えます。言葉に従い、料理を口に運ぶ堀木さん。その顔に見る間に笑みが広がります。

「キンカンがプチっと弾けた瞬間に、旨味が口の中に広がります。次いでタレの旨味、そして噛むごとに湧く肉の甘み。これは間違いなく“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”に合いますね。飲む前からわかります(笑)」。

そう笑いながらグラスを口に運び、再び笑顔を見せる堀木さん。
「シャンパーニュを口にすると、途端に味の広がり方が変わります。これはきっと料理にパンチがあるからこそでしょうね。シャンパーニュの華やかさが、料理の余韻でグッと押し広げられたような印象です」。

この料理での竹田氏の狙いは、まず冷たい料理で、冷たいドリンクとの温度差をなくすこと。そして口内で弾けた卵黄のコクを、爽やかな酸味で流し次の料理につなげること。さらに料理の下に潜ませた大根おろしは口直しの役割も果たし、いっそう続く料理への期待を高めるのです。

「掴みの一品として、ここまで印象深い料理があるとは」。

堀木さんのコメントにも、驚きが満ちていました。

1品目の比内地鶏の生ハムと鶏きんかんの醤油焼き。生ハムの弾力と、卵黄の弾ける食感の対比も狙いのひとつ。

日頃から焼き鳥を食べる際は「最初から最後までシャンパーニュ」という堀木さん。この日のマリアージュにも、ファンならではの視点で切り込んだ。

炭の香ばしさと、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のスパイシーな味わいが、絶妙に調和する。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子新たな文化を紡ぎ出す、コラボレーションの魔力。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」が心を溶かし、いつしか饒舌に話すふたり。話題は竹田氏が以前、シンガポールを代表するスターシェフ、モダンフレンチ『アンドレ』のアンドレ・チャン氏とコラボレーションしたことに及びます。

「竹田さんがアンドレ氏とコラボしている記事を興味深く拝見しました。出会いによって新たなものが生まれる。そこがコラボレーションのおもしろさですね。今日のシャンパーニュと焼き鳥との出会い、そしてこのテタンジェと和紙の出会いもいわばコラボレーションですから」。

堀木さんはコラボレーションの魅力を「必ずどちらにも発見があり、そこから新しいものが生まれる」ことと言います。そして「僕は学ぶことばかりです」と謙遜する竹田氏の言葉を否定し、偉大な音楽家の言葉を伝えました。

それは世界的チェリストのヨーヨー・マ氏のカーネギーホールでのコンサートのときのこと。その舞台美術を手掛けた堀木さんに、ヨーヨー・マ氏本人の口から出た言葉。

――クリエイターは場所と場所、人と人、時間と時間をつないで、影響し合うことが何よりも大切です――

そんな印象的な言葉を引き合いに出しつつ、堀木さんはこう続けます。
「このパッケージデザインのお話は、実は最初は箱を作るよう依頼されたんです。そこに日本の“おもてなしの心”を込めて、熨斗として包むという形態を選びました。やがてこのシャンパーニュを通して、そのおもてなしの文化がフランスに伝わります。するとその文化に影響を受けた人が、また新たな発想をする。そうして新しいものが生まれていくのでしょう」。

誰か、何かと影響し合いながら、新しいものを紡いでいく。その繰り返しが、必ず誰かに影響を与える。料理然り、伝統然り、芸術然り。互いに同じ思いを抱くふたりだからこそ、コラボレーションの重要性を深く語り合っていました。

京都生まれ、大阪育ちの堀木さん。生粋の大阪っ子の竹田氏ともあっという間に打ち解けて語り合った。

炭に向かう顔は寡黙な職人に見える竹田氏だが、話してみるといたって気さく。端々に冗談を挟む大阪人らしい一面も。

素材について、仕事について、天職という考え方について。話題は尽きず、ふたりの話は多岐に及んだ。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子複雑な要素が絡み合い、調和する。職人の技が発揮された見事な串。

まるで旧知の仲のように話すふたり。頃合いを見て、竹田氏が2品目の料理に取り掛かります。それは山椒とカカオを合わせた焼き鳥です。

「焼き鳥も山椒もカカオも、それぞれは絶対にシャンパーニュに合うと思います。だけど3つすべてをあわせるとなると、どういう効果が生まれるのか……」。

そうもらす堀木さん。期待と不安の入り混じった視線を受けながら、竹田氏は料理の仕上げにかかります。

そして完成したのは、さらに複雑な要素を兼ね備えた一品。比内地鶏だけで作ったつくねに、カカオニブとカカオバター、山椒とライムの皮を加え、特製のタレで仕上げた奥深い焼き鳥です。

「構成要素が多いので、できればこれも一口でお召し上がりください」そんな言葉に促され、串を口に運ぶ堀木さん。しばしの沈黙。最初に堀木さんの口を割ったのは「なるほど」というつぶやき、そして次のような言葉でした。

「味と香りに立体感があり、しかし驚くほど調和しています」。

続けて「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」を口に運び、また沈黙。次の言葉は、笑顔とともに飛び出しました。

「カカオのさりげないコク、肉の脂の濃厚さを、山椒と柑橘が爽やかにしてくれています。そこで合わせるドリンクとの調和がまた見事。スパイシーでパンチがあり、かつ爽やかな香りがある“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”と兄弟のような存在。料理内のさまざまな要素同士、そしてシャンパーニュと。今までに感じたことがないほどの見事な調和です」。

竹田氏によればこの料理は試飲して、すぐに出てきた答えとのこと。フレッシュなスパイス、炭でシャンパーニュの香りを引き立て、脂とカカオのコクでキレを際立たせる。ただし構成要素が多い料理なので、全体のバランス調整にはかなり気を使ったといいます。

「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”を飲んでこの料理を思いつくのは、すごい発想力。“されど焼き鳥”の本質を見ました」。
そんな称賛を寄せる堀木さんの姿が印象的でした。

料理を食べ終えても、ふたりの話は終わりません。リラックスして「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」を傾けながら、会話は続きます。

話題はふたりに共通する「自然の素材と向き合い、そこに作為を加えていく」という点。

「100%自分の思い通りにしてやろう、と思うと良いものはできません。3割くらい偶然性を活かし、支配しようとしないこと。自然本来の良いものを見つけ、作為の中で落とし所を見つけること。きっとそのバランスを“感性”と呼ぶのでしょう。料理も同じではないですか?」。

堀木さんが訪ね、竹田氏が答えます。

「そうですね。頑固ではいけない、と思います。たとえば海外でイベントをするときに、思い通りの食材が集まらないこともあります。その隙間を作為で埋めるのが料理人だと思います」。

異なるフィールドに立ちながら、ものづくりという点で共通するふたり。やはり共感する部分は多いよう。そしてもちろん、今日の日のもう一つの主役である「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」にも。

「私たちはまだ作為によって調整ができますが、シャンパーニュはもっと大変でしょうね。雨は止められないし、日差しは増やせない。どうすることもできない自然を相手に、できることを真摯にやり続けるしかない。そしてこの“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”は、そんな中で生まれた奇跡のようなシャンパーニュ。料理や和紙とのコラボで、この奇跡のシャンパーニュがまたどこかに影響を与えてくれるのでしょう」。

香りを接点にしたマリアージュを狙うのも竹田氏の手法。2品目のつくねにも、多彩な香りを潜ませて、シャンパーニュとの総合的な調和を狙う。

上辺の社交辞令を言わない堀木さん。「また寄らせてもらいます」という言葉に、この日の満足感が表れていた。

住所:大阪府大阪市北区堂島1-5-1 エスパス北新地23 1F MAP
TEL:06-6346-0112

1962年京都生まれ。高校卒業後、4年間の銀行勤務を経て、京都の和紙関連会社に転職。これを機に和紙の世界へと足を踏み入れる。以後、「成田国際空港第一ターミナル」到着ロビーや「東京ミッドタウン」などのパブリックスペース、さらには、旧「そごう心斎橋本店」や「ザ・ペニンシュラ東京」など、デパートやホテルの建築空間に作品を展開。また、「カーネギーホール」(ニューヨーク)での「YO-YOMAチェロコンサート」舞台美術や、「ハノーバー国際博覧会」(ドイツ)に出展した和紙で制作された車「ランタンカー‘螢’」など、様々な分野においても和紙の新しい表現に取り組む。「日本建築美術工芸協会賞」、「インテリアプランニング国土交通大臣賞」、「日本現代藝術奨励賞」、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」、「女性起業家大賞」など、受賞歴も多数。近著に『和紙のある空間-堀木エリ子作品集』(エーアンドユー)がある。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by TAITTINGER)

農産物に凝縮される、水と土のパワー。シェフたちを驚かせた滋賀食材の豊かな味わい。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

近江八幡市、安土信長葱の畑にて。手入れの行き届いた畑はおいしさの証。

ローカルファインフードフェア滋賀肥沃な土壌と豊かな水が育んだ滋賀県の農産物をめぐる。

東京都内で活躍するシェフが滋賀県の食材の魅力を伝え、オリジナル料理を提供する期間限定の滋賀食材フェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。2021年2月のフェア開催に先立ち、シェフたちが冬の滋賀県を訪ねました。
湖魚、野菜、和牛の生産者のもとをめぐった1日目から一夜明けた2日目、この日はカブ、ネギ、トマト、お茶、イチゴの生産者を訪ねます。豊富な水と豊かな土壌が育む、滋賀県の農産物。シェフたちはそこで何を見出し、どんな料理のアイデアを練るのでしょうか。

【関連記事】湖魚、和牛、伝統野菜。まだ見ぬ至高の食材を探しに、雪の舞う冬の滋賀県へ。

琵琶湖の南北でがらりと変わる気候が、多彩な農産物を育む。

ローカルファインフードフェア滋賀蘇った伝統野菜と、新たに生まれた野菜。

滋賀県食材視察ツアー2日目。
雪が振り続けていた初日から一転、この日は気持ちの良い晴天が広がっていました。
実はこの天気の変化は上空の大気の状況もありますが、視察の場所が琵琶湖の南側に移ったのも大きな要因。同じ滋賀県内でも北部は日本海側の気候で冬は雪が積もりますが、南部は比較的温暖。この地域差が気候の違いを生み、さまざまな食材を育むのです。

そんな滋賀県の多様性を象徴する食材のひとつが、カブです。
大カブ、小カブ、白カブ、赤カブから、日野菜、北之庄菜、赤丸かぶ、万木かぶなどの伝統野菜まで、滋賀県で栽培されるカブは実に多彩。そこでこの日の一軒目は、滋賀県を象徴する伝統野菜・守山矢島かぶらを目指し、守山市の産地を訪ねました。
地元とゆかりの深い戦国武将・織田信長の伝説も残る伝統的地野菜・矢島かぶら。しかし生産者の高齢化にともない、生産者がいなくなってしまった時期があったそう。そんな中、地元の有志が立ち上がり、伝統を守り、未来につなぐために再び生産をはじめたのが、この守山矢島かぶらです。紫と白の美しいグラデーション、小ぶりながらたっぷりと水分を蓄えた扁平なフォルム。日本中でここだけでしか採れない希少な野菜に、シェフたちも興味津々です。
とくに興味をそそられていたのは、『湯浅一生研究所』の湯浅氏とバイヤーの山本氏。茎や葉も食べられるか、旬はいつ頃か、地元でどのように食べられるかなどを次々と尋ねていました。

続いては、こちらも滋賀県ならではの農産物、その名も安土信長葱。生みの親のひとりである井上正人氏の元を訪れ、お話を伺いました。
インパクトのあるネーミングが印象的なこのネギ、関西圏の料理人を中心に近年評判を呼んでいるのですが、実は世に出たのは今からわずか13年ほど前のこと。井上氏らが「太くて甘いネギを作ろう!」と立ち上がり生まれたブランドです。

「ここ安土町下豊浦地区は、もともとネギ栽培に適した地。その利を活かし、とにかくインパクトのあるネギを作ろうと思いました」と井上氏が胸を張るこの安土信長葱。葉鞘(ようしょう)と呼ばれる白い部分が27cm以上、重さは1本100g以上、糖度はスイカ並みの14度以上という、とにかく驚きだらけのネギ。

これには素材感をシンプルに伝える鉄板焼フレンチ『ahill』の山中氏、スパイスで素材の魅力を引き出すインド料理『ニルヴァーナ・ニューヨーク』の杉山氏ともに強く興味を惹かれた様子。とくに山中氏は「表面に隠し包丁入れて焼いて、ナイフがすっと入るようにして出したい。ネギが主役になる料理ですね」とすでに具体的な構想まで浮かんでいるようでした。

白と紫の美しいグラデーションが、守山矢島かぶらの特徴。

訪問時はちょうど旬を迎え、畑には多くの守山矢島かぶらが実っていた。

安土信長葱の生産者・井上氏。後ろに見えるのは安土城跡のある安土山。

青ネギが主流の関西圏で、白ネギの安土信長葱の存在感が際立つ。

ローカルファインフードフェア滋賀滋賀の陽光を浴び、ハウスで育つ2種類の赤い宝石。

昼食を挟んで一行は、滋賀県南東部の日野町にあるトマト農園『FARM KEI』を目指します。
受粉のための蜂が飛び回る穏やかなハウス内で、たっぷりのミネラルを吸収しながら育つのは、赤、オレンジ、緑、紫など色とりどりのイタリアン・トマト。こちらではジュエリートマトと名付け、直売や加工品販売を展開、もぎとり体験などを行っています。
「鈴鹿山脈のミネラルたっぷりの伏流水で育つトマトは、フルーツのような甘み。そのままでもおいしいですが、加熱するとさらにおいしくなります」と胸を張るのは、代表の井狩けいこ氏。自身がおいしく食べられるトマトの品種を探すうちに、現在の9品種に落ち着いたのだといいます。
ハウス内を見学しながら、ひときわ目を輝かせていたのはフランス料理店『シュヴァル ドゥ ヒョータン』の川副藍氏。「ただ甘いだけでなく、それぞれの品種にしっかりと個性がありますね」と称賛を寄せていました。

滋賀県が誇るミネラルたっぷりの農産物といえばイチゴも欠かせません。
一行が訪れた『farmハレノヒ』でも、噂に違わぬ素晴らしいイチゴが出迎えてくれました。
こちらで採用されているのは、少量の土の中に根を張らせ、そこに養液を巡らせて育てる滋賀県が開発した養液栽培システム・少量土壌培地耕。これにより高品質のイチゴが安定して収穫できるようになったといいます。「環境への意識や生産者の思いなど、食材の背後に潜む物語も大切」という湯浅氏にとっても、この農場はかなり刺激になった様子でした。
こちらで育てられるのは、章姫(あきひめ)とやよいひめという2品種。この日、とくに一行を驚かせたのは、やよいひめでした。
「やよいひめは当園が栽培するイチゴでもっとも実が固い品種で、食感があります。この時期のやよいひめは酸味と甘味のバランスが良いのですが、3月に近づくにつれて糖度がどんどん増していきます」という代表の川立裕久氏の話を聞きながら採れたてのイチゴを試食する一行。「甘すぎず、酸っぱすぎず、おだやかなおいしさ。優しいお二人だから、優しい味になるのかな」と杉山氏は語ります。

さらに川立氏は、現在開発中という滋賀県のオリジナル品種のイチゴも試食させてくれました。口々に感想を述べるシェフたちと「シェフの声を聞きながら調整していきたい」という川立氏の言葉に、シェフと生産者の理想的な関係が垣間見えました。

『FARM KEI』の井狩氏。「元はトマトが苦手だった」という井狩氏が甘いトマトを探し、現在の9品種に行き着いた。

各地の食材に造詣が深い杉山氏も、ジュエリートマトには驚きを隠せなかった。

『FARM KEI』のハウスを歩く川副氏。実のなり方、育ち方まで熱心に見つめた。

『farmハレノヒ』の川立夫妻。穏やかな人柄でシェフたちを出迎えてくれた。

いつもユーモアたっぷりの山中氏も試食の際は真剣そのもの。

滋賀県が開発した少量土壌培地耕で、安定した品質のイチゴが育つ。

背後にある物語を紐解くように、じっくりと試食をする湯浅氏。

ローカルファインフードフェア滋賀長い歴史を誇る近江の茶が象徴する滋賀県のものづくり。

肉、魚、野菜、果物とまわってきた滋賀県食材視察ツアーですが、滋賀県には忘れてはならない名産がもうひとつあります。それが、お茶です。
平安時代、天台宗の開祖である最澄が唐の国から種子を持ち帰り、比叡山の麓に撒いたことが起源と伝わるお茶。以来、1200年以上の歴史を誇るのが、ここ近江のお茶なのです。

そんな滋賀県の中でも最大の産地が、甲賀市土山町(旧土山町)。滋賀県全体で300haある茶畑のうち、200haが土山にあると聞けば、その規模が窺えることでしょう。
「渋味が少なく、旨味が強いのが特長」と、栽培から製造、販売までを手掛ける『グリーンティ土山』の竹田知裕氏は、そう胸を張ります。土地の気候や土壌、伝統、それらを大切にする生産者の熱意。すべてが揃うことで、そんな素晴らしいお茶が生まれるのでしょう。
広大な茶畑や加工場を見学しながら湯浅氏は「たとえばパスタに練り込むなど、当たり前じゃない使い方もしてみたい」とイメージを膨らませていました。

一泊二日の視察を終え、参加したすべてのシェフとバイヤーから聞こえてきた共通の感想は「生産者が熱い」という言葉。
「皆さん、真摯な気持ちで作っているのが伝わりました。真剣に自然と向き合う生産者の姿。店に戻ったらサービススタッフと共有し、その思いまで含めてお客様に伝えられれば」と振り返るのは川副氏。「ビワマスをみなくちファームのハーブと合わせて、近江牛はあえて脂の少ない部分を使って、それぞれの上品なおいしさを表現したい」と、フェアに向けての構想を聞かせてくれました。

山中氏も「今回たまたまなのか、土地柄なのか、素晴らしい人ばかりと出会えて幸運でした。畑の作り方や話した生産者の人柄をみれば、どう梱包してどういうものを送ってくれるかもわかりますから」と同意します。フェアに向けては「いろいろな野菜を知っているつもりでしたが、カブでもネギでもトマトでも、新たな発見がありました。今は野菜中心にやりたいという思いが湧いています」と話します。同時に「生産者の方が突然お店に来られても、胸を張って出せる料理を作りたい」と決意もみせていました。

「味覚って記憶になるんですよね。何かをきっかけに、そのとき食べた場所や情景が浮かんでくるように。そういう意味では、これからも記憶に残り続ける土地になると思います。そしてその記憶をお客様に追体験してもらうイメージで料理とプレゼンテーションを考えたい」とは湯浅氏。それぞれの食材についても「今までのやり方、セオリーを少し外してもおもしろいと思える食材に出会えました。コースの中に“丸ごと滋賀の一皿”が登場するようなイメージで、この土地のストーリーを伝えたい」といいます。

試食の際にもっとも大きなリアクションで感想を伝え、生産者にもっとも質問を投げかけていた杉山氏。「スパイスは、食材を長期間保存したり、安い食材をおいしく味わえるようにするためのものだと思われがちですが、本来は薬として、人々の生活に根付いてきたもの。だから良い食材はなるべく手をかけず、少しのスパイスでおいしさを引き立てることを考えます」と食材ありきのインド料理を考える杉山氏。そこに加える今回出会った土地や人のストーリーを「これもスパイスです」と笑い、滋賀県の魅力が伝わるインド料理を考案したいといいます。

夕刻、それぞれが思いを胸に東京への帰路につきました。
今回、口々に生産者の熱意と滋賀食材のクオリティを語ったシェフたち。はたしてフェア本番でその思いが、どのような料理になるのでしょうか。
『Local Fine Food Fair SHIGA』に参加するレストランに足を運び、ぜひ生産者の情熱と、シェフの思いを体感してみてください。

一面の茶畑が広がる土山エリア。比較的温暖な気候が茶の栽培に適している。

『グリーンティ土山』の竹田氏(右)と、同じく土山茶農家の『中村農園』中村氏(左)が、茶の栽培や加工について細やかに解説。

製造から販売まで、すべて自社でこだわりを持って行う『グリーンティ土山』。

東京で開催された試食会でも『グリーンティ土山』のお茶は参加者の興味を惹いた。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

「熟成師だけでなく、もうひとつの肩書きも視野に。これからも家畜と生きる」焼肉 旬やさい ファンボギ/高橋伸由企

「(2020年12月現在)まだ街は閑散としています。しかし、未来に向けた準備も着々と進めています」と高橋氏。岐阜や肉への想いは、より強固に。

旅の再開は、再会の旅へ。

日本本州のほぼ中央に位置する岐阜県。その中心部である岐阜駅からごく数分の商店街に、全国から肉マニアが足を運ぶ焼肉店があります。

『焼肉 旬やさい ファンボギ』です。

店主の高橋伸由企(のぶゆき)氏は、自身の肩書きに「熟成師」の冠を付けるほか、「MANIAC BEEF LABO」という屋号でディープな精肉販売の業務も行っています。このふたつの件からわかるよう、いわゆる普通の焼肉店ではありません。

しかし、新型コロナウイルスによって自由に行き来できる旅は奪われてしまい、全国からのゲストが激減してしまった状況は、今なお続いています。

ニュースでは様々な報道がされていますが、必ずしも皆当てはまるわけではありません。補償制度もしかり、地域の数だけ、人の数だけ、問題視される状況は異なるのです。

「思うような仕込みと仕入れが出来ず、熟成の計画とリズムが崩れてしまい、大変困惑しております」。

しかし、高橋氏が一番困惑する理由は、扱う「命」に対して。飛騨牛を始め、鶏、馬、羊はもちろん、狩猟シーズンを迎える冬季以降は、猪、鹿、熊、鴨、野鳥……。それらはすべて、その時々に完璧なピーク状態を迎えるよう、適切な熟成とカットが施されています。おいしく、というのは、大前提としてありますが、「命」をいただく限り、「命」を全うさせなければいけません。

そんな高橋氏は、「生産者になる準備を進めている」と言います。

「5年後は自社生産の牛を出荷する予定です。家畜としての天命を全うする中、家畜としての幸せを考えた生産をするつもりです」。

以前の取材時、高橋氏は、「感謝の気持ちは、思いだけでなくカタチにも替えて実践する」と話しています。

今、高橋氏が実践すべきカタチが「生産者」なのかもしれません。

また、お店に関しても「何もしなければ前には進めない」と歩を進め、思い切ってリニューアル。

「新たな空間では、カウンターの在り方がかわり、カウンターに来店のお客様は肉を焼くことなく、目の前で焼かれた肉を召し上がれます。そのスタイルは“焼肉”から“肉料理”となり、色々な味付けのスタイルをお楽しみいただけるよう、今後も進化を進める予定です」と高橋氏。同時に、店頭では小売りやランチのテイクアウト、オンラインでは取り寄せや贈答品の販売も開始。(https://fanbogi.stores.jp)

『焼肉 旬やさい ファンボギ』として、高橋伸由企として、生きた証を残したい」。

「熟成師」と「生産者」の肩書を持った高橋伸由企氏になれたあかつき、より「岐阜愛」は増し、「使い切る」だけではなく「生き切る」を全うした情熱の肉と出合えることでしょう。

ベストコンディションに熟成をかけられた肉は、七輪の上で艶かしくも美しく昇華される。立ち上る複雑で奥深い香りも極上。

前回の取材時にて提供されたタンはただのタンではなく、(上より) タンの顎、タン先、中央、付け根と部位で提供。衝撃の食感、味わいの差に誰もが驚くはず。

「どんな時も命を扱っているという気持ちを忘れません」と話す高橋氏。感謝の意を熟成という形で返し、ゲストに最高の肉を提供できるよう務める。

2012年より始まった、繁殖家、肥育家、そして高橋氏によるプロジェクトで、育成された飛騨牛を、2016年に雪中熟成。こんな画は、想像の範疇を超えている。

新たな空間では、肉や野菜、お酒の販売スペースも設置。食べるゲストだけでなく、買うゲストの往来も増え、生産者とのつながりも強固に。

リニューアルされた空間。「店内の換気は、1時間に17回入れ替わります。ぜひまた皆様にお越しいただける日を楽しみにしています」と高橋氏。

住所:岐阜県岐阜市住田町2-4 南陽ビル1F MAP
電話: 058-213-3369
https://fanbogi.stores.jp

Text:YUICHI KURAMOCHI

湖魚、和牛、伝統野菜。まだ見ぬ至高の食材を探しに、雪の舞う冬の滋賀県へ。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

海と見紛う広大な琵琶湖と深い山々が織りなす独特の地形。多様な食材を育む滋賀に5人の料理人が訪れた。

ローカルファインフードフェア滋賀レセプションで披露された滋賀食材のダイジェスト。

東京都内、第一線で活躍するシェフが、滋賀県の素晴らしい食材の産地と生産者をめぐり、その魅力を伝えるオリジナル料理を提供する期間限定の滋賀食材フェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。2021年2月のフェア開催に先立ち、東京・日本橋にある滋賀県の情報発信拠点『ここ滋賀』の『日本橋 滋乃味』にて、レセプションイベントが開かれました。

イベントの目的は、『Local Fine Food Fair SHIGA』に向けてメニューを考案するシェフやパティシエに、まずは滋賀県の食材の多様性を知ってもらうこと。いわば挨拶代わりの試食イベントですが、次々と登場する滋賀県産食材のクオリティに、足を運んだシェフたちも驚いた様子。近江の伝統野菜、琵琶湖の湖魚、そして近江牛。古くから京都の食を支えてきた近江の伝統と誇りが詰まった食材が、料理人の心を捉えたことでしょう。

さらに会場は中継で各食材の生産者と繋がれ、生産者本人の説明を聞きながら試食できるという試みも。各生産者の熱意のこもったPRに、シェフたちの顔も真剣そのもの。ひとつひとつの食材を噛み締め、画面の向こうの生産者に質問を投げかけ、味の記憶を刻み、イメージを膨らませる。和やかでありながらどこか引き締まったレセプションの空気は、そんな思いの表れだったのかもしれません。

しかしこれはあくまで序章たるレセプション。この翌週、シェフたちはさらに滋賀県の食材を深く知るべく、冬の滋賀県へ向かうのです。

【関連記事】滋賀食材フェア/産地を巡り、生産者と語り、本質を知る。滋賀県の食材の魅力を伝える都内レストランフェア開催。

レセプションで提供された料理は、滋賀の食材を日頃から知り尽くす滋乃味の高島シェフが担当。

滋賀県庁や生産者とオンラインで繋ぎ、リアルタイムで食材に関する質疑応答が行われた。

社会情勢を鑑みて試食はフェイスシールドをつけて。味はもちろん香りや色味も真剣に確かめる。

ローカルファインフードフェア滋賀冬の琵琶湖から一本釣りで揚がる、ここだけ、今だけの美味。

この冬一番の寒気がやってきた12月のある日、シェフと食材バイヤーが滋賀県に降り立ちました。

今回のメンバーは繊細なスパイス使いに定評があるインド料理『ニルヴァーナニューヨーク』の杉山幸誠氏、絶妙な火入れで食材の魅力を引き出す鉄板焼きフレンチ『Ahill』の山中昌昭氏、古典と革新の融合が話題を呼ぶフランス料理店『シュヴァル ドゥ ヒョータン』の川副藍氏、こだわり抜いた日本の食材を卓越した技術で調理するイタリアン『湯浅一生研究所』の湯浅一生氏、元料理人でソムリエの資格も持つバイヤー・山本敦士氏の計5名。食材に強いこだわりを持つ5名が、それぞれの視点で滋賀県の生産者のもとをめぐり、美味なる食材を探求します。

東京から滋賀へと向かう道中、岐阜県を過ぎた頃からちらつき始めた雪が見る間に強まり、米原駅を降りるとあたりは一面の銀世界。琵琶湖の北側の山間は日本海側の気候に近く、例年かなりの雪が積もるのだそう。そんな山間部と沿岸部、琵琶湖の東西により異なる気候こそ、滋賀県の多様な食材を育むのです。

凍える寒さに震えながら一行がまず向かったのは、琵琶湖北端の西浅井漁協。琵琶湖の固有種であるビワマスの見学が目当てです。出迎えてくれた漁協の代表理事・礒崎和仁氏が、さっそく詳細を解説します。

漁の最盛期となる夏が旬のビワマスですが、冬場は夏とはまた違った濃厚な味わいになるのだといいます。また、琵琶湖の水温が下がり広く泳ぎ回る冬は、刺し網にかかりにくく、一本釣りが主体。そのため漁獲量が減る代わりに魚体に傷がつかず、鮮度も保たれるのだとか。

漁協で用意してもらった刺し身を味わい、新鮮なビワマスの味を確認した一行。その味に各々の口から驚きの声が上がります。
杉山氏は「上品な脂と、甘みが抜群。これからさらに水温が下がれば、凝縮したきめ細かい脂がのってきそうです」と絶賛し、東京への輸送方法まで細かく確認していました。

脂の乗った冬のビワマス。さっぱりとした夏に対し、冬は濃厚な旨みが詰まっている。

重さ、旬、処理方法、輸送方法。シェフたちの質問は多岐にわたった。

淡水魚特有のクセがなく、脂がほのかに甘いため、刺し身でおいしく味わえる。

礒崎氏の解説とともにビワマスを試食。シェフたちはメモを取りながら真剣に聞き入っていた。

ローカルファインフードフェア滋賀故きを温めて新しきを知る、若き生産者との出会い。

続いて訪れたのは、琵琶湖北部の高島市にある『みなくちファーム』。7年前に異業種から就農した水口淳氏、良子氏夫妻が手掛ける無農薬野菜と原木椎茸の農場です。
「シンプルに焼いただけであれほど甘みが出るニンジンに興味がありました」と、レセプションで試食したときから川副氏がもっとも楽しみにしていたのがこちらの訪問。実際に水口夫妻にお会いし、話すことで、料理のイメージもより明確になったようです。

ファッション業界から、未知なる農業の世界に飛び込んだ水口夫妻。野菜は路地栽培で、基本的には水も与えず自然のままに育てることで、野菜本来の力強い味を引き出します。そんな古からの野菜づくりを目指す一方、発注などはシェフとLINEグループを作って直接対応するなど若き二人らしさも。センスの良い服をまとい、心底楽しそうに野菜について語る二人の姿は、これからの農業の進むべき道なのかもしれません。

さらにここでも一行は採れたての野菜や原木椎茸を試食させてもらいます。まずバイヤーの山本敦士氏は、フリルレタスに興味を惹かれた様子。「手でちぎる“パキッ”という音だけで水分量と品質が伝わります。土の栄養が行き渡って水耕栽培のものよりも長持ちもしそうです」とバイヤーらしい視点で評しました。

続いてキッチンに立ったのは山中氏。鉄板焼きのプロの血が騒いだのか、フライパンを手にじっくりと椎茸を焼き始めました。「肉厚で、火を入れても水分が浮いてこないため水っぽくなりません。非常に良い椎茸ですね」と日々野菜と向き合うシェフらしいコメント。ちなみに山中氏が焼いた椎茸は、水口夫妻さえも驚かせた様子でした。

『みなくちファーム』の若き生産者。独学で失敗を重ねながら無農薬栽培に挑む。

少量多品目、伝統野菜からハーブまで幅広い野菜を育てる。

椎茸のホダ場を案内する水口氏。ここでも自然本来の力を生かした栽培を目指す。

豪雪地帯の高島市。この時期の大根は深い雪の下から掘り出す。

急遽キッチンに立った山中氏。プロの技は生産者をも驚かせた。

バイヤー山本氏は食材自体の質に加え、保存性や輸送方法まで吟味する。

ローカルファインフードフェア滋賀明治創業の老舗で学ぶ、滋賀県が誇るブランド和牛。

日も暮れかけたこの日の最後の目的地は、近江牛の『大吉商店』。明治29年の創業から近江牛一筋にこだわってきた老舗です。
近江牛はおよそ400年の歴史を誇る滋賀県を代表する名産品。案内してもらった牛舎では、丹精込めて育てられた牛たちが暮らしていました。とくにシェフたちの興味を惹いたのは飼料の藁の話。「餌に混ぜる藁は近隣の米農家にもらい、代わりに堆肥を譲ります。つまり地域内で循環しているんです」という方式は、地域と世界の未来につながる話。
日本各地の素晴らしい食材を探求する湯浅氏は「ただおいしいだけではなく、背景にストーリーがある食材であることが大切。この近江牛にはそれがあります」と話しました。

もちろん物語だけではなく、重要なのは味。そのおいしさを確かめるべく、この日の夕食は『大吉商店』が手掛ける『農家レストランだいきち』を訪れました。豪勢な近江牛焼き肉に舌鼓を打つ一行ですが、これも視察の一環。おいしく味わいつつも部位や卸値の鋭い質問も飛び出します。「霜降りですがくどくなく、肉の旨みが感じられます」という湯浅氏に、「脂に嫌味がなく、食後感が良いですね」と川副氏も同意していました。

こうして魚、野菜、肉をめぐった滋賀県食材視察の1日目。食事中は調理法や食材選びの意見も交わされ、少しずつシェフたちの頭の中でフェアに向けての構想が固まりつつあるようでした。

『大吉商店』の牛舎にて。シェフたちの興味は背景に潜むストーリーに向かう。

見事なサシが入る近江牛。融点が低く、ベタつかないのが上質な脂の証。

シンプルな焼き肉が、部位の個性を端的に伝えてくれる。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

見えないシンフォニー。過去との矛盾がない生き方が未来を創造する。

「今、この時代に音楽家として何ができるのか。未来のために、そのかたちを記録(記事)として残したかった」と松永誠剛氏。

SAGA SEA 2020音楽家として。人として。松永誠剛が奏でる生きる音。

去る2020年12月20日。『佐賀県立宇宙科学館』にて、極めて実験的な音楽プログラムが開催されました。

それは、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』です。

本企画は、「佐賀とオランダの再会が22世紀の文化を作る」というコンセプトのもとに構成。その根幹は、約400年前にオランダの東インド会社によって伊万里港から海を渡り、ヨーロッパに伝わった有田焼にあります。

佐賀との出会いをきっかけに、オランダは長い年月をかけて多様性のある暮らしへと発展し、成熟された現代においても国籍などの垣根を超えた様々な人種が行き交う風景が形成されるようになりました。

そんな海に育まれた交流の歴史に学ぶため、佐賀県は1976年から開催されている『North Sea Jazz Festival』に着目。明治維新から150年経つ節目の2018年より『SAGA SEA』と題したイベントを展開し、音楽を通してオランダとの再会、新たな文化の創造、そして地域の活性化を図ります。

アーティスティック・ディレクターを担うのは、音楽家・松永誠剛氏です。

世界で活躍する松永氏は、福岡生まれ。近県である佐賀とは馴染みも深く、現在も福岡の郊外、宮若市芹田に拠点を構え、山々に囲まれた畑と田んぼの間に佇む明治初期に建てられた日本家屋『SHIKIORI』にて音楽と向き合います。

驚くべきは、この場所にワールドクラスの演奏家が集い、コンサートホールと化すことです。席数は、わずか60席。「想いが帰る庵」と呼ばれるそこは、音楽の桃源郷として世界中の音楽家から愛されています。

そんな松永氏は、異端の人生を歩んできました。

幼少期は、義理の大叔父である作家・大西巨人氏の本と共に過ごし、学校へは行かず、自宅や大叔母の家で学問に向き合っていました。

「学校よりも、自宅よりも、大西巨人の本がある大叔母の家が一番心地良い場所でした。耳を澄ませば竹林の音も奏でられ、裏山も背負う建物で、僕はこどもながらに世間と距離を置いていた」。

当時の松永氏は本に救われ、以降、青年の松永氏は音楽に救われます。

17歳の夏をボストンの音楽院で過ごした後、ニューヨークやコペンハーゲンに拠点を移し、マシュー・ギャリソン氏、ニールス・ペデルセン氏のもとで音楽を学びます。

2020年は、言わずもがな世界中が難局に陥りました。自粛や緊急事態宣言などによって日常は奪われ、それに伴い、コミュニケーションの遮断や隔離された生活を余儀なくされました。

イベントの中止も相次ぐ中、「新たな眼差しで未来を表現したかった」と、松永氏は『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』を振り返ります。

「全ては、音楽の未来のために。佐賀の未来のために」。

雄大な自然に囲まれ、風光明媚な場所に位置する『佐賀県立宇宙科学館』。以後、宇宙と音の親密な関係が話題に出るほど、会場との相性は抜群。

SAGA SEA 2020ニューヨークと佐賀。ピアニストがいない会場に響く、生の音。

日本・佐賀は、2020年12月20日、午前10:00開演。
アメリカ・ニューヨークは、2020年12月19日、午後8:00開演。

『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』の会場には、ピアニストはいません。無人のステージに鎮座しているのは、『Disklavier(ディスクラビア)』。

『ディスクラビア』とは、『YAMAHA』が開発した自動演奏機能付きピアノです。このピアノを以て、ニューヨークの演奏がリアルタイムで佐賀に音を奏でることを可能にします。

公演名の通り、パフォーマンスを担うのは、ダン・テファー氏。世界的に活躍するピアニストです。

フランス生まれのダン氏は、オペラ歌手の母とジャズピアニストの父を持ち、幼少期からクラシックピアノを学びます。その後、ニューイングランドの音楽院にてダニーロ・ペレス氏に師事。以降、ニューヨークに拠点を移し、リー・コニッツ氏との共演で一躍有名になった人物です。

その実力は折り紙付きですが、特筆すべきは、音楽家でありながら天体物理学の学士号を取得した経歴を持つ専門家であるということです。

その才こそが、今回の企画を唯一無二に仕立て上げる要でもあります。

それは、『Natural Machines(ナチュラル・マシーン)』。

「『ナチュラル・マシーン』とは、自然の歩む道と機械の歩む道の交差点を音楽で探るプロジェクト」とダン氏。

『ディスクラビア』上での演奏と自作のコンピュータープログラムが自動生成する音楽・映像データを融合させたインタラクティブ・マルチメディアプロジェクトのそれは、率直に言えば解読難儀。高度な研究と哲学のもとに具現された音の創造のため、学び得るのは至難の業です。脳内に「?」が何個も浮かびます。

「実は、2020年上半期の『SAGA SEA』では、オランダで活動する『ヨーロピアン・ジャズ・トリオ』の公演を予定していました。それが、新型コロナウイルスによって中止になってしまい……。しかし、何か形にできないかと思い、アムステルダムと佐賀をつないだオンライン配信を行いました」と松永氏。

しかし、会場に束縛されないコンサート体験の共有という良い発見があった反面、もし演奏家として参加した身に置き換えると「悲嘆も感じた」と話します。この悲嘆とは、今後、向き合う未来への不安や課題を指します。

理由は、「コントラバスの“振動”が伝わらなかったから」です。

「“オンライン配信”という新たな体験は、自分にとって大きな分岐点になりました。この体験でオーディエンスが満足してしまうのであれば、今後、果たして自分はステージに戻る必要があるのか……。実は、某オンライン配信のフェスティバルにアーカイブ映像で“出演”した際、そのチャットにはたくさんの良い書き込みがありました。しかし、“過去と現在の同時進行”が成された現実を見る僕は、ステージではなくパソコンの前にいる……。それは、何とも不思議な体験でした」。

過去と現在の同時進行――。その意味は、通信によるタイムラグです。数秒から数十秒、配信先や経路によって発生してしまう遅延は、厳密にはリアルタイムではありません。ゆえに、現在の映像のようで数秒過去の映像が流れる現象が生まれてしまいます。アーカイブ映像に関して言えば、さらにもうひとつ時系列が加わり、3つの時間軸が交錯してしまうのです。

「病院や老人ホームなど、会場に足を運ぶことが困難な方々と音楽の共有ができるという意味でオンライン配信は可能性を持っていますが、感動の瞬間の誤差が生まれる課題もあります」。

様々な葛藤を経た今回、その手法に選んだのが、『ディスクラビア』を採用したライブだったのです。

「ダンにニューヨークから日本のピアノを弾くことはできる?と連絡したら即答で“YES!”。それを皮切りにプロジェクトはスタートしました。一緒に制作を進めていく中、ダンから『ナチュラル・マシーン』を提案されました。そして、彼は今回の演奏のために新たなコンピュータープログラムまで作ってしまった。そんな音楽家は、ほぼいません」。

プロジェクトを推進していくにあたり、松永氏はダン氏からある本を勧められたと言います。それは、アメリカの理論物理学者、ブライアン・グリーン氏の『エレガントな宇宙 ― 超ひも理論がすべてを解明する』です。

同書の主題でもある「超ひも理論」は、「超弦理論」とも言われ、相対性理論と量子力学の対立という物理学最大の難問を解決するといった内容です。

「科学の発展は、“見えないもの”を想定し、その実態を解明することにあったと思います。宇宙物理学や理論物理学においても未だいくつもの“見えない”候補があります。“ひも=弦”もそのひとつです。世界は点粒子で構成されているのではなく、“弦”のような要素で構成されており、それらは“スーパーストリング=超弦”というつながりの中にあるだろうと予想されています。例えば、惑星の軌道は、寸分の狂いなく調和しています。もしそれが崩壊されれば、僕ら人間にとって死を意味します。超弦理論的視点で考察すると、マクロの世界にもミクロの世界にも”弦“が鳴り響いていて、人間もコンピューターも共鳴するものがあるのではないか。と思ったのです。その体験に挑戦してみたことが『ディスクラビア』であり『ナチュラル・マシーン』。自分が感じたことをみんなにも感じてほしかった」。

この見解は、音だけの世界に限らず、今の社会情勢の視点でも同様なのかもしれません。

「例え、人間社会が不安定になったとしても、調和、原理の中に生きていることが宇宙を観察することで理解できます。それによって、少しでも日常を安心して過ごせると思うのです。昔の見聞から、宇宙の観察から、暦を知り、畑を耕し、種を植える季節を学び、収穫に喜んできたように。広い視野や眼差しを得ることも『ディスクラビア』から学びました。実は、最初に音のテストをした時、ダンの演奏よりも一生懸命にダンの奏でる音を弾こうとしている『ディスクラビア』の音に感動している自分がいました。アルゴリズムや『ディスクラビア』が人間の伴奏や道具ではなく、人間や自分自身を映す鏡でもあるように感じています。ダンと『ディスクラビア』の演奏のように、“お互いの声”に耳に傾けることから、豊かな未来があるように感じます」。

『ディスクラビア』は、ダン氏の演奏をリアルタイムで感知。対話するように生の音を奏でます。それと同時に生の映像もつながる会場では、『ナチュラル・マシーン』によって見えない音の軌道も可視化。『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』は、様々な哲学とテクノロジーを駆使し、そこに人間の想いを重ねた新たな音楽体験を創造したのです。

そんな美しい音色が響く会場には、ちゃんと「振動」が存在していました。

今回、『ナチュラル・マシーン』という革新的な手法を採用してパフォーマンスしたダン・テファー氏。手に持つ幾何学的なものは、可視化した音の軌道を3Dプリンターで現実の物体として作り出したもの。Photograph:Josh Goleman

映し出された映像には、ダン氏の音の軌道を可視化。それを可能にするのが『ナチュラル・マシーン』。

日本が誇る音楽メーカー、『YAMAHA』が開発した『ディスクラビア』。独自の高精度デジタル制御システムにより、鍵盤やペダルの動きを正確に再現する自動演奏機能を搭載。

SAGA SEA 2020未来を担うこどもたちへ。22世紀に解を得る、音のチケット。

前述の通り、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』の特徴は、『ディスクラビア』と『ナチュラル・マシーン』にありました。

しかし、もうひとつ特筆すべきことがあります。それは、観客の多くが「こども」だということです。

「こどもたちに“入口”を作りたかった」。

この入口とは、可能性という言葉にも置き換えられると思います。
「こどもたちに難しいことを伝えようと思っているわけではありません。ただ、楽しんでくれればそれでいい。このコンサートに触れることによって、何か感じてくれればそれでいい。その何かが10年後、20年後の未来に役立てばそれでいい」。

『佐賀県立宇宙科学館』という地域のシンボル的な場での開催は、より多くの方々のインターフェイスになりました。それは、『SHIKIORI』で開催する意義とは、また別の意義を見出したと言ってもいいでしょう。

「僕は、幼少期に大西巨人の本によって色々な“入口”と出会えることができました。(前述)学校にも行かなかったという件のみ掬い上げられると、一見、閉ざされた世界のように受け入れられがちですが、自分は開けた世界にいたと思っています。実は、両親が共に教育関係の仕事をしていたのですが、ふたりは僕に学ぶ場を選ばせてくれました。大切なことは“何を学ぶか”であり、“どこで学ぶか”は重要ではないと思います。僕は、学ぶ場所を学校ではなく家を選びましたが、日本はアメリカのようにホームスクーリングの概念が育まれなかったため、異端のように見えたでしょう。学びの場にあった大西巨人の本は、僕に居場所を与えてくれました。それだけではなく、広い世界への入口や生きていく上で必要な視野も広げてくれました。それはまるで “どこでもドア”のような存在だったのかもしれません。当時、難しい本の内容を理解できたわけではありませんが、その体験が今の自分の人間形成を養ってくれたことは間違いありません。だから、今回のコンサートでも、何かの“入口”と出会うきっかけになれば良いなと思っています」。

失礼を承知で申し上げれば、大西巨人は売れない作家。松永氏は不登校児。異端のふたりは自然と共鳴し、大切な何かを育んだのかもしれません。血の繋がりはなくとも、家族以上の関係を築いたのです。

「実は大人になってから、2度お会いました。そのうちの1回は東日本大震災の時でした。当時の社会の流れに疑問を持ち、悩んでいたので、救いを求めるように巨人さんに会いに行きました。 “疑問を持つだけで正しい。我々は同志だ”と笑顔で言葉をかけられました。それが巨人さんとの最後の会話でした」。

2014年3月12日、大西巨人は他界。享年97歳。

そして現在、新型コロナウイルスに翻弄される日々が続くも、松永氏が思うことはあの時と同じ「社会への疑問」。言われた通り、「疑問を持つだけで正しい」教えを守り、考え続けます。

何かにぶつかった時、悩んだ時、松永氏にとって大西巨人に還ることは、人生のプリンシプル。中でも、大西巨人の代表作『三位一体の神話』にある言葉、「目の前の問題に戸惑うことなく永遠の問題を考え続ける精神が存在していることを願う」は、遺言のように心に刻まれていると言います。

「僕たちは、新型コロナウイルスから何を学ぶのか? ウイルスによって働き方や経済を変えることを学ぶのではなく、ウイルスとは何かを学ばなければいけない。今、まさに新型コロナウイルスに戸惑っている。過去を振り返っても、音楽家のヨハン・ゼバスティアン・バッハや理論物理学者のアルベルト・アインシュタイン、哲学者、思想家、経済学者、革命家など、様々な顔を持つカール・マルクスたちは、各々の想いと本質を理解されないまま、本人の願いとは違う形で後世に伝わっていることもあるように思います。過ちを繰り返してはいけない。フランスの経済学者であり思想家のジャック・アタリの言葉にもあるよう、例えこの騒動が鎮火しても、ただ元に戻ってはいけない。何かを学んでから元に戻らなければいけない。ネガティブな理由を理解し、ポジティブに転換できる精神を身につけなければいけないと思っています」。

老若男女集う会場には、多くのこどもも参加。「今回の音楽体験を通して、こどもたちの未来の入口、可能性を増やせるインターフェイスになれればと思っています」と松永氏。

SAGA SEA 2020逆算して人生を考える。音楽家である以上、死ぬまでに楽器を発展させたい。

「師匠であるマシュー・ギャリソン、ニールス・ペデルセンはコントラバスを発展させてきました。自分もいつかはそうなりたい」。

そのいつかは、「40歳と決めている」と松永氏は言います。

「自分はベーシストとしてふたつの目標があります。ひとつは、バッハの無伴奏チェロ組曲をコントラバスで弾くこと。もうひとつは、コントラバスでピアノを弾くこと。それを40歳までに成し、以降はコントラバスを発展させることに注力したいと思っています」。

後者の目標に関して補足すれば、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』で享受したテクノロジーの発展によって音楽の可能性が拓けたゆえの発想になります。それは、不可能を可能にする自己との対話、松永氏が奏でるコントラバスのアルゴリズムが鏡のように映し出されるピアノとの「デュエット」を指します。

目標の創出、40歳までという期限。まるで人生を逆算するかのようなロードマップは、新型コロナウイルスによる社会的影響が理由の主ではないにせよ、活動の停止によって『SHIKIORI』で過ごした長き時間は、その考察に作用しているのかもしれません。

「2020年は、ほぼ全てのツアーがなくなりました。通常であれば、一年の半分以上は海外なので、これほどまでに『SHIKIORI』で長く過ごした年は初めてだったかもしれません。ただ、その分、本を読み、音楽制作に没頭し、更には自然の美しさや地域の人の温かさも再認識しました」。
ある種、自由を手に入れた松永氏は、音楽家としてではなく、人間として己の身体を預けられたのかもしれません。

「『SHIKIORI』にいる時は、毎朝、作曲やレコーディングをしています。ほぼ同じ時間に鳥たちがそれぞれの縄張りを音で示すために鳴くのですが、僕が音を鳴らすと彼ら(鳥たち)が寄ってくることがあるのです。以前、屋久島の森でも同じような体験をしました。コントラバスを弾いた時、低音を雄の求愛の声と勘違いして鹿が寄ってきたのです。おそらくそれは音域にあると思い、そんな体験も含め、音と自然は非常に近い関係にあると感じています。例えば、地球の公転周期は365.26日に対して火星は686.98日。この太陽系の比率を音楽の視点で見ると、ほぼオクターブに近く、少し低い長7度(“ド”から“シ”)の響きに聞こえるのです。これは、人間が心地良いと感じるメジャーセブンスの響き。どちらも調和しているのです。だから、このふたつの音の調和には生き物が安心を得られるのかもしれません。しかし、音が悪影響を及ぼすこともあります。ヘリコプターなどの音は有害で、上空を通過すると、田んぼのカエルたちは振動を感じて、鳴くことをやめます。再び彼らが鳴き始めるまでには1時間くらいの静けさが必要になります。“ラブソング”が歌われないと、生殖活動に影響を与え、生態系を崩してしまうことが孕んでいるのもまた音、振動なのです。そういった事情を原理としても証明したいです」。

自然の音、生き物の音、人工の音。
太陽系の距離、速度、時間。
そこに人類はどう共存していくのか。

「僕は過去との矛盾がない生き方をしていきたい。そういう意味では、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』が開催できたことは、新型コロナウイルス以前から継続してきた『SAGA SEA』の取り組みとも矛盾がなかったものだと思っています。今できる感染予防対策と今できる音楽表現、その両者のベストは尽くしました。もちろん改善点はありましたが、それによって未来を見ることもできました。過去の自分への反逆のようにならないために、矛盾しない生き方を自分はしていく」。

矛盾のない生き方、それは松永誠剛が奏でる見えないシンフォニー。

姿形こそないものの、その音は、生涯、胸の中で響き続けるのです。

 

1984年、福岡生まれ。幼少期を義理の大叔父である作家・大西巨人の本に囲まれて過ごす。17歳の夏をボストンの音楽院にて過ごし、その後、ニューヨークにてマシュー・ギャリソン、コペンハーゲンでニールス・ペデルセンのもとで音楽を学ぶ。これまで南アフリカからインドまで世界各国で演奏を行い、エンリコ・ラヴァ、カイル・シェパード、ビアンカ・ジスモンチ、ビリー・マーティン、ティグラン・ハマシアンなどと共演、活動を行う。宮古島の古謡との出会いをきっかけに世界各地の古謡の研究を始め、宮古島の歌い手、與那城美和と共に「Myahk Song Book」、「IMA SONG LINES」の活動を行う。写真家・上田義彦氏の主宰する「Gallery 916」を舞台に写真と大鼓の大倉正之助氏とのコラボレーションや舞踏作品の音楽、プロデュースや演奏活動だけでなく雑誌や新聞連載など執筆なども行い、その活動は多岐にわたる。2017年、“自然との再会を通じた、人間の再生”をテーマに屋久島の森を舞台に「Homenaje Project」を開始。沖縄「宜野座村国際音楽祭」、佐賀「SAGA SEA」など、数々の音楽祭のアーティスティック・ディレクターも務める。現在、畑と田んぼに囲まれる福岡の古民家「SHIKIORI」を拠点に、世界中から集まる人々との対話を重ねている。
http://www.shikiori.net

Photographs:TAKUYA TABIRA(Live Venue)&YUICHI KURAMOCHI(Portrait)
Text:YUICHI KURAMOCHI

地元食材が織りなす「山口」そのもの。五重塔の下で繰り広げられた月夜の晩餐会。[Yumehaku Art & Food in RURIKOJI/山口県山口市]

山口ゆめ回廊博覧会国宝・瑠璃光寺五重塔を眼前に創り上げる独自の食空間。

奇しくも満月の夜。まばゆい月光と、円卓に灯されたほのかな灯りを頼りに、一夜限りの晩餐会が開かれました。眼前にそびえるのは瑠璃光寺の五重塔。ライトアップされた池面のゆらめきが反射して、幽玄な雰囲気を漂わせています。

「Yumehaku Art & Food in RURIKOJI」と銘打ち、アートと食を通して山口という土地そのものの表現を試みたイノベーティブな本イベント。一般客を招く今年の開催に向けて、2020年10月31日、本番さながらのリハーサルが行われました。演出を手掛けたのは、その土地土地の文化やアート、デザインを融合させた料理で独自の食空間を創り上げ、世界各地で活躍する船越雅代さん。今回そのプレゼンテーションの舞台として選ばれたのが、瑠璃光寺五重塔を仰ぎ見ることができる芝生広場、“満月の庭”だったのです。
料理家であり、アーティストでもある船越さんが、自身のフィルターを通して「山口」をどう分解して再構築し、なおかつ空間表現×味覚として具現化させるのか。未知なる世界を一足早く体験した取材班が、その一部をご紹介します。

2021年7月から12月にかけて開催される「山口ゆめ回廊博覧会」。山口市、宇部市、萩市、防府市、美祢市、山陽小野田市、そして島根県は津和野町の7市町からなる、山口県央連携都市圏域の自然や文化、伝統など多彩な魅力を全国に発信するというプロジェクトです。各市町の特性を芸術・祈り・時・産業・大地・知・食の7つの観点から紐解き、「7色の回廊」と称してそれぞれのテーマに合わせたイベントを実施。そのなかで、「Yumehaku Art & Food in RURIKOJI」は「食の回廊」の中核を担う目玉企画なのです。

暗がりのなか、わずかな月明かりと卓上の灯りを頼りに目の前に運ばれる、地元食材を使った料理の数々。

光が反射して美しい陰影を放つガラスは、山口県出身のガラス作家・伊藤太一さんの特注品。

山口ゆめ回廊博覧会キーワードは“水”と“滲透”。暗闇と静寂のなか供された料理、果たしてその内容とは?

演出と監修から料理の提供まで、すべてを託された船越さんは現在、京都在住。自身のアトリエ兼茶楼・ギャラリー・プライベートレストラン『Farmoon』を営んでいますが、その合間を縫いリサーチのために数ヶ月にもわたって山口県の圏域を回ったといいます。

「山口のイメージは“水”。巨大な秋芳洞の鍾乳洞、切り立った断崖の須佐ホルンフェルス、コバルトブルーの神秘的な別府弁天池……みんな長い長い時間をかけて水が浸透し、水によって育まれた美しい自然の造形物です。水のミクロの視点、浸透していく細胞に意識を巡らせられるようなしつらえを心がけました」

その船越さんの言葉通り、テーマは「OSMOSIS 滲透(しんとう)」。まさに山口の自然の恵みを享受した食材が、ゲストの身体の隅々にまで染み渡っていく感覚です。その演出に一役買っているのが暗闇と静けさ。いくら満月が煌々と輝いてはいても辺り一面真っ暗で、料理の全貌を目で捉えることはできません。卓上には手元を照らすわずかな灯りのみ。そこに料理を運んできてくれるのは、白い衣装に身に包んだサーバーたち。戸惑うゲストを前に、水の入ったグラスをその灯りにかざしてみるようにとジェスチャーで指し示してくれました。言うに及ばずサーブまでもがパフォーマンスのうちなのです。促されるがままにグラスに灯りを当ててみると、光が乱反射して皿上の料理がちらちらと見え隠れ。その陰影も美しいのですが、やはり内容はおぼろげにしか分かりません。そんなもどかしさとともに、円卓を囲んだ20名のゲストはみな手探りで箸を運びつつシャクシャク、パリパリと小気味いい音を響かせながら一様に「これは何の魚の素揚げだろう……?」「このピューレの味は?」などと味覚、嗅覚、記憶をフル回転。見えたら視覚からの情報に頼ってしまう。もちろん見えた方がキレイに違いないのですが、もっと意識のベクトルを内へ内へ、感覚を研ぎ澄ませて食材を細胞にまで行き渡らせるように味わってほしいという船越さんの思惑がそこにはあるのです。

少々種明かしすると、魚の素揚げは地元では「金太郎」と呼ばれるヒメジという魚種で、あまり聞き慣れませんが萩市ではお馴染みの食材。白身ながら濃厚な甘みがあり、刺し身や干物として人気の魚だそう。こちらではふっくらと揚げてありましたが、そこにも魚本来の水分を中に閉じ込め、“滲透”させるという企みが潜んでいるのでしょう。その他にもスープには、宇部市で栽培する永山本家酒造場の自然栽培酒米「山田錦」の香ばしいお焦げを忍ばせたり、水には山口市の名水「柳の水」を使用したりと、随所に圏域の滋味深い食材を散りばめたラインナップです。

空間全体を使ったパフォーマンスも見どころの一つ。寄る辺ない静寂の中、ややもすると闇の中に溶け込んでしまいそうになる意識をグッと引き戻してくれるのが、サーバーと同じく真っ白な衣装をまとったパフォーマーのMAMIUMUさん。独自の発声法による声、グラスハープ、金属の鳴り物などを使った表現を生業とする彼女が、時にはトライアングルのような楽器を奏でて回ったり、時には「水の精」として水甕を掲げてヨーデルのような声を響かせたりと、ゲストを幻想的な世界へと誘います。

ここまででも盛りだくさんの内容ですが、ラストにもちょっとしたサプライズが。こちらはぜひ、ご自身で体験してみてください! とはいえ、今回は1年後に向けてのリハーサルなので本番ではどのような進化を遂げているか、予測は不可能です。悠久の時を重ねる五重塔と、すべての生命の源であり絶えず変容し続け流動する“水”とのコントラスト。それはとりもなおさず動と静、新旧をないまぜにした山口の姿そのもの。この饗宴のみならず、「山口ゆめ回廊博覧会」は万華鏡のようにきらめく多様性に満ちた山口の今の形を見せてくれるに違いありません。

パフォーマーのMAMIUMUさんは、その細い身体からは想像できない、地の底から響くような力強い声でゲストを圧倒し「水の精」として空間に溶け込んでいた。

萩市で獲れた金太郎の素揚げや宇部市の自然栽培酒米「山田錦」のお焦げ入り津和野の干し鮎の出汁など、山口の清廉な“水”が育んだ食材を余す所なく盛り込んだ料理にゲストも舌鼓。

写真両端がサーバーを務めた山口県在住の谷紗矢乃さんと樋渡弘崇氏。右から演出と監修を担当した料理家の船越雅代さん、そしてパフォーマーのMAMIUMUさん。

住所:
電話:083-934-4152
https://yumehaku.jp/

Photographs:AKITAKE KUWABARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA