「大規模な酒蔵ならではの生産力をいかして、全国に本格焼酎を流通させ鹿児島焼酎の飲み手の裾野を広げている一方で、ハンドメイドの心意気も持ち合わせたマルチプレーヤー」と評価するのは、岡田氏。限定生産の「蔵の師魂 The Green」は、ワイン酵母「ソーヴィニヨン・ブラン」から採取された酵母を使用して発酵、蒸溜した焼酎で、爽やかな香りと、まろやかなコクが特徴です。
「テクスチャーがまろっとしていてふくよかで、コクがある。メロンのような甘さ、程よい酸味のある味わいで、白ワインを感じるような香味もすばらしいですね」と岡田氏は続けます。
「世界的に活躍しているシェフのみんなが福岡に集ってイベントを開催できるのは、今回が最初で最後かもしれません」と話すのは、『合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―』の発起人、『La Maison de la Nature Goh』の福山 剛シェフ(一番右)。。会場となったのは、福岡天神に位置する『QUANTIC(クアンティック)』。
合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―「合餐」の再開と再会。今の自分たちに迷いはない。
去る11月某日。福岡にて、あるイベントが開催されました。
『合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―』。
発起人は、2021年「アジアのベストレストラン50」30位にもランクインする福岡の名店『La Maison de la Nature Goh(ラ・メゾン・ドゥ・ラ・ナチュール・ゴウ)』の福山 剛シェフです。
「振り返れば、自分が最後に大きなイベントをしたのは『DINING OUT RYUKYU-URUMA』でした。その後、色々なことを予定してみましたが、自粛や緊急事態宣言の繰り返しで全て実現が叶いませんでした。今回のメンバーは、公私ともに皆仲も良く、コースにおいても料理の流れではなく、人の流れが感じられたと思います。性格も出ていましたし(笑)。お客様にとって、自分たちにとって、何か前を向ける良いきっかけになれば、この上なく嬉しく思います」と福山シェフ。
6品目は、『デンクシフロリ』、『Villa aida』、『La Maison de la Nature Goh』が手がける「和牛シンシン カブと柿のサワークリームマスタード 赤ワインソース」。お肉は、清水シェフが担当。うちももの柔らかい部位、シンシンを約8時間(!)かけて火入れ。その火入れにセオリーはなく、感覚と直感で温度を調整する。添えてあるカブと柿のミルフィーユ仕立てとミカンは、小林シェフが担当。ミカンは皮ごと焼いて丸ごと食べられるように調理。塩と砂糖に浸け、最後に表面を黒く焼き、自家製の七味唐辛子を振る。ソースは福山氏が担当。
8品目のデザートは、『La Cime』、『Ode』、『La Maison de la Nature Goh』の合作。高田シェフが手がけたロールケーキには、奄美大島の砂糖や塩などの食材をふんだんに使用。それに、生井シェフが作った卵黄とコーヒーのフレーバーを効かせたコンブチャのソースと合わせる。 添えてあるアイスクリームは、福山シェフが担当。食材には、福岡の柿、秋王を使用。砂糖などは一切使用ぜず、自然の甘さのみで調理。料理にある『LA CIME』のロールケーキと『Ode』(系列店のカフェ『BGM』) のコーヒーは、各公式HPのオンラインストアでも購入可能。
合餐2021 ― 7Chefs in Fukuoka ―「合餐」が教えてくれたこと。それは、「進化」ではなく「深化」。
岩手県出身。保険会社のSEから日本酒に魅了されたことで飲食業界に転身。新宿の『日本酒スタンド酛(もと)』に入社後、利酒師の資格を取得。日本全国の酒蔵を訪ね、酒類総合研究所の研修などにも参加し、2015年に『GEM by moto』をオープン。化学的知見から一人ひとりに合わせた日本酒を提供する。口内調味やペアリングというキーワードで新しい日本酒体験を作り、日本のみならず海外のファンを魅了し続けるかたわら、様々なジャンルの料理人や専門家ともコラボレーションし、新しい日本酒のスタイルを日々模索する。2019年には日本酒や日本の食文化を世界に発信する「第14代酒サムライ」に叙任。。主な作品は、『日本酒に恋して』(主婦と生活社)、『最先端の日本酒ペアリング』(旭屋出版)など。出演作は、映画『カンパイ!日本酒に恋した女たち』(配給:シンカ)。https://www.marie-lab.com/
岩手県出身。保険会社のSEから日本酒に魅了されたことで飲食業界に転身。新宿の『日本酒スタンド酛(もと)』に入社後、利酒師の資格を取得。日本全国の酒蔵を訪ね、酒類総合研究所の研修などにも参加し、2015年に『GEM by moto』をオープン。化学的知見から一人ひとりに合わせた日本酒を提供する。口内調味やペアリングというキーワードで新しい日本酒体験を作り、日本のみならず海外のファンを魅了し続けるかたわら、様々なジャンルの料理人や専門家ともコラボレーションし、新しい日本酒のスタイルを日々模索する。2019年には日本酒や日本の食文化を世界に発信する「第14代酒サムライ」に叙任。。主な作品は、『日本酒に恋して』(主婦と生活社)、『最先端の日本酒ペアリング』(旭屋出版)など。出演作は、映画『カンパイ!日本酒に恋した女たち』(配給:シンカ)。https://www.marie-lab.com/
そして、『Grand Bleu Gamin』のハイライトとなるのが、もちろん食事の時間でしょう。その舞台は、『AU GAMIN DE TOKIO』のスタイルを踏襲したオープンキッチンのカウンターです。
ここで登場するのも当然、フレンチをベースとした鉄板料理で、そこには木下氏の「ゲストに喜んでほしい」という遊び心と、もてなしの心が詰まっています。
たとえば、『AU GAMIN DE TOKIO』でも出しているメニュー「サイフォントマトラーメン」。それを進化させた宮古島バージョンでは、カリカリに焼いて粉砕した宮古島産の車海老を鰹節とともにサイフォンに入れ出汁を抽出。カペッリーニと合わせ、島とうがらしを使って仕込んだ自家製ラー油を加えアクセントにしています。
1990年代に美食家の話題を集めた『MAURESQUE(モレスク)』のシェフを務め、独立した『AU GAMIN DE TOKIO』では鉄板フレンチとして一斉を風靡したシェフ・木下威征(たけまさ)氏。料理人として幅広く活躍する一方で、東京では『TRATTORIA MODE』『深夜食堂はなれ』を展開するなど、GAMINグループのオーナーとして店舗経営にも手腕をみせています。
1990年代に美食家の話題を集めた『MAURESQUE(モレスク)』のシェフを務め、独立した『AU GAMIN DE TOKIO』では鉄板フレンチとして一斉を風靡したシェフ・木下威征(たけまさ)氏。料理人として幅広く活躍する一方で、東京では『TRATTORIA MODE』『深夜食堂はなれ』を展開するなど、GAMINグループのオーナーとして店舗経営にも手腕をみせています。
深夜のまかないづくりが続いたある日、午前2時になって店に誰かが入ってきました。その人こそ、当時の『オー・バカナル』の副社長であった福島直樹氏。後に『MAURESQUE』『AU GAMIN DE TOKIO』(後に経営権を木下氏に譲渡)、『酒肆ガランス』『焼肉ケニヤ』などを手掛けた、言わずと知れたレストランプロデューサーです。
当時の『オー・バカナル』といえば、まさに一世を風靡した“イケイケ”の時代でした。副社長という立場の福島氏も毎日が接待で夜中まで飲んでは、こうして近くにある自分の系列店に寝泊まりしにきていたそうです。
岩手県出身。保険会社のSEから日本酒に魅了されたことで飲食業界に転身。新宿の『新宿の『日本酒スタンド酛(もと)』に入社後、利酒師の資格を取得。日本全国の酒蔵を訪ね、酒類総合研究所の研修などにも参加し、2015年に『GEM by moto』をオープン。化学的知見から一人ひとりに合わせた日本酒を提供する。口内調味やペアリングというキーワードで新しい日本酒体験を作り、日本のみならず海外のファンを魅了し続けるかたわら、様々なジャンルの料理人や専門家ともコラボレーションし、新しい日本酒のスタイルを日々模索する。2019年には日本酒や日本の食文化を世界に発信する「第14代酒サムライ」に叙任。。主な作品は、『日本酒に恋して』(主婦と生活社)、『最先端の日本酒ペアリング』(旭屋出版)など。出演作は、映画『カンパイ!日本酒に恋した女たち』(配給:シンカ)。https://www.marie-lab.com/
辻口氏は、史上最年少23歳での「全国洋菓子技術コンテスト大会」優勝を皮切りに、パティシエのワールドカップと称される「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」など国内外の大きな大会で栄冠に輝いた希代の逸材。東京・自由が丘に『Mont St. Clair(モンサンクレール)』をオープン後、世界初のロールケーキ専門店『自由が丘ロール屋』やショコラトリー『 LE CHOCOLAT DE H(ル ショコラ ドゥ アッシュ)』、和スイーツ専門店『和楽紅屋』など10以上の業態の店を展開。精力的な活動を続けています。
昨年、コロナ禍で始まった長崎県壱岐島でのクラフトジン造り。壱岐を代表する焼酎蔵と、壱岐唯一の5つ星ホテルがタッグを組んで、壱岐でしか造れないジンを生み出そうと動き出したプロジェクトは、2021年5月末、「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」という名のクラフトジンの完成をもって初回の生産を終えました。そして今回、現地にうかがいジン造りの過程を見守ってきた我々『ONESTORY』も、壱岐発のジンの完成の一報を受け、再び壱岐を訪れたというわけです。群雄割拠のクラフトジン業界で壱岐発のジンはどう映るのでしょうか。今回は、壱岐の料理と合わせるペアリングディナーも体験し、忖度なしにその魅力に迫ってみたいと思います。
夕日に照らされた「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」。ボトルには、約700年近く受け継がれてきた伝統と歴史を持つ壱岐の神事芸能・神楽をデザイン。
全てを壱岐にちなんだものにしたいと、まずふたりが取り組んだのは、焼酎をベースにしながら、廃棄されてしまう壱岐の食材などを蒸溜し、香りをつけるというもの。当然、仕込み水も壱岐の水。ボトルデザインも壱岐出身者が行い、壱岐の海の色を鮮やかに表現しました。1年に及ぶジン造りの最後のインタビューでは、キーマンふたりの視点から「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」というジンについての想いを語って頂きました。
光り輝く「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」。紆余曲折を経てキーマンふたりを中心についに2021年5月末に完成。
自粛や緊急事態宣言に伴い、企業においてはテレワーク推奨、飲食店に関しては酒類提供禁止など、様々が停滞する中、それぞれに店を構える『GEN GEN AN幻』と『櫻井焙茶研究所』も対岸の火事ではりません。そんな中、「自宅でお茶を楽しむ人にも本格的なお茶を届けたい」という想いから、実は最初に声掛けをしたのは櫻井氏。
「(前出の通り)余分な茶葉、廃棄問題に対して何とかしたいと考えていた時期だったので、『櫻井焙茶研究所』としてもこれまでやってこなかった表現へ着手しようと考えていました。具体的にはふたつ。ひとつはオンライン販売。もうひとつは、セカンドブランド『さくらいばいさけんきゅうじょ』の立ち上げです。実は、そのラインナップには、ティーパックという発想もあったのです。とはいえ、ティーバッグに前向きかつ拘りを持って取り組んでいる丸若さんとの交流がきっかけとなって実現したと思います。まずはじめに自社の商品作りを行い、今回のGEN GEN AN幻のティーバッグ作りへとつながるのですが、丸若さんでなければお断りしていたと思います。茶人として、ひとりの人として、きちんと丸若さんに触れることができたので、新しい挑戦を一緒にしてみようと決断をできました」と櫻井氏。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
そんなリオネル氏にとって、九州、とりわけ大分県竹田市は特別な場所です。2014年に開催された『DINING OUT TAKETA with LEXUS』でこの地を訪れたリオネル氏。豊かな自然、ここで生きる人々と触れ合うことで「主張すべきは料理人の個性ではなく、素材そのもの」という現在の料理哲学に至ったのです。
旅先で目覚めた朝は、本当においしいシンプルな食事で胃を満たしたいもの。『MARUYO HOTEL Semba』では、全てにおいてこだわった朝食を提供しています。搾りたてのオレンジジュースは、近隣にある大正時代創業の青果店からとったものを使用。そのお店は創業時バナナ屋だったそうで、当時のバナナがどれほど高級品だったかを考えると、桑名という街の豊かさが感じられます。また、豆乳ヨーグルトにかける蜂蜜は、転地養蜂を営む4代目が採取した桑名にある天然記念物のモチの木の単花蜂蜜。さらりとした優しい味わいです。
このビジョン策定にあたり、前橋市は『一般財団法人 田中仁財団』からの提案を受け入れ、都市魅力アップ共創(民間協働)推進事業として連携を諮ります。 策定に向けた具体的な作業は、前橋に偏見のない外部の視点で分析してもらうため、同財団が『ポルシェ』や『アディダス』などのブランド戦略を手掛けるドイツのコンサルティング会社『KMS TEAM』に依頼。2016年2月には「Where good things grow(良いものが育つまち)」という分析が成されました。
1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
川田氏が腕を振るった『DINING OUT KUNISAKI』の開催は2018年5月。それから3年近い月日が流れ、ミシュランガイド3つ星獲得、数々のメディアへの登場など、川田氏を取り巻く状況も変わりました。しかし久々にお会いする川田氏は、かつてと変わらぬ穏やかな笑顔。物静かなのに存在感がある、凪いだ湖面のような人柄はまったく同じです。
1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
そして今回参加する料理人は、昨年末にミシュラン三ツ星を獲得、今もっとも注目を集める『茶禅華』川田智也氏。過去『DINING OUT KUNISAKI』のシェフも担当。食材を徹底的に吟味し、研ぎ澄まされた感性でかつてない中華料理を生み出す川田氏に提案するとあって、2名のフードキュレーターも気合十分です。
この言葉は、『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』が「2021 Spring/Summer Collection after rain」を発表した際に添えられたメッセージでデザイナーの皆川明氏が書いたものです。
その「不思議な時間」を指す主は、新型コロナウイルスによる様々な変化。
今なお、その渦中にありますが、この難局をただの難局だったという過去にしてはいけません。
「after rain」……、止まない雨はない。雨上がりの先には、一体どんな景色が待っているのか。
皆川氏と共に、考えていきたいと思います。
「2021 Spring/Summer Collection after rain」より。自然に溶け込むテキスタイルやデザイン、柔らかな質感が美しい。Photographs:Hua Wang Hair & Make-up:Yoshikazu Miyamoto Model left:Marianna Seki Model right:Kamimila
「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。
旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。
それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。
「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。
旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。
それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。
2020年12月、突如、『銀座ソニーパーク』に誕生した『GEN GEN AN幻 in 銀座』。
ミニマルなカウンターがメインの背景には、整然と並ぶ桐箱が静かに鎮座します。
そのデザインを手がけるのは、猿山 修氏です。
猿山氏と『GEN GEN AN』を主宰する丸若裕俊氏が出会ったのは約7年前。『GEN GEN AN』の前身『丸若屋』からの付き合いになります。
ものづくりの関係性はもちろん、ふたりは不思議なご縁で結ばれています。
「元々、元麻布に『さる山』という古道具や古陶磁、作家が手がけた陶磁器などを扱う店舗兼ギャラリーを運営していました。2019年に閉めてしまったのですが、その後、丸若さんの事務所に(笑)。自分は場所を持たなくなったため、東京を離れようと思っていたのですが、ご縁あって今は浅草の千束に拠点を構えています。その話を丸若さんにしたら、丸若さんまで千束に拠点を移されて(笑)。不思議なお付き合いです」と猿山氏。
猿山氏と丸若氏が構える互いの拠点は、徒歩にして数十秒圏内。仕事のパートナーであり、ご近所でもあります。
今後、この茶香炉を体験する場や、合わせて二人が考える茶室型のGEN GEN AN幻プロダクトを『銀座ソニーパーク』と言う場所を起点に考えています。『GEN GEN AN』のお茶、『Kouro#01』の香り、その他、この空間だからこそできる見立ての準備を現在、進めています。
「『GEN GEN AN幻 in 銀座』は、自分たちだけの場所ではないと思っています。様々な実験の場でありたいですし、誰かや何かをつなぐ場でありたい。こんな時代だからこそ、みんなが表現できるきっかけや発信できる機会を作っていきたい。そんな時間をみんなで過ごしたい」と丸若氏。
1966年生まれ。元麻布で古陶磁やテーブルウェアを扱う『さる山』や『ギュメレイアウトスタジオ』を主宰してきたデザイナー。食器のデザインを中心に、国内の手工業者から作家まで幅広い作り手と手を組み、機能美に長けた美しいプロダクトを創造する。グラフィック、空間、プロダクトなど、多岐にわたるデザインに携わり、『東屋』と一緒に多くのプロダクトを作っている。今回、発表する『Kouro #01』は、2020年より『GEN GEN AN幻』がスタートさせた『MABOROSHI』プロジェクトより展開。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
「世界という広義に見れば、ヨーロッパや中南米の現状は日本よりも逼迫していると思います。ほかの国が困っている時ほど助け合う精神が必要だと思います。今なお、不安な日々が続いていますが、自分は自分にできることをやるだけ。『LA CASA DI Tetsuo Ota』へ訪れてくださるお客様がほんの束の間、安らいだ気持ちになってくれる場所でありたいと思います」。
東京都内、第一線で活躍するシェフが、滋賀県の素晴らしい食材の産地と生産者をめぐり、その魅力を伝えるオリジナル料理を提供する期間限定の滋賀食材フェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。2021年2月のフェア開催に先立ち、東京・日本橋にある滋賀県の情報発信拠点『ここ滋賀』の『日本橋 滋乃味』にて、レセプションイベントが開かれました。
イベントの目的は、『Local Fine Food Fair SHIGA』に向けてメニューを考案するシェフやパティシエに、まずは滋賀県の食材の多様性を知ってもらうこと。いわば挨拶代わりの試食イベントですが、次々と登場する滋賀県産食材のクオリティに、足を運んだシェフたちも驚いた様子。近江の伝統野菜、琵琶湖の湖魚、そして近江牛。古くから京都の食を支えてきた近江の伝統と誇りが詰まった食材が、料理人の心を捉えたことでしょう。
そんな海に育まれた交流の歴史に学ぶため、佐賀県は1976年から開催されている『North Sea Jazz Festival』に着目。明治維新から150年経つ節目の2018年より『SAGA SEA』と題したイベントを展開し、音楽を通してオランダとの再会、新たな文化の創造、そして地域の活性化を図ります。
「僕は過去との矛盾がない生き方をしていきたい。そういう意味では、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』が開催できたことは、新型コロナウイルス以前から継続してきた『SAGA SEA』の取り組みとも矛盾がなかったものだと思っています。今できる感染予防対策と今できる音楽表現、その両者のベストは尽くしました。もちろん改善点はありましたが、それによって未来を見ることもできました。過去の自分への反逆のようにならないために、矛盾しない生き方を自分はしていく」。
矛盾のない生き方、それは松永誠剛が奏でる見えないシンフォニー。
姿形こそないものの、その音は、生涯、胸の中で響き続けるのです。
1984年、福岡生まれ。幼少期を義理の大叔父である作家・大西巨人の本に囲まれて過ごす。17歳の夏をボストンの音楽院にて過ごし、その後、ニューヨークにてマシュー・ギャリソン、コペンハーゲンでニールス・ペデルセンのもとで音楽を学ぶ。これまで南アフリカからインドまで世界各国で演奏を行い、エンリコ・ラヴァ、カイル・シェパード、ビアンカ・ジスモンチ、ビリー・マーティン、ティグラン・ハマシアンなどと共演、活動を行う。宮古島の古謡との出会いをきっかけに世界各地の古謡の研究を始め、宮古島の歌い手、與那城美和と共に「Myahk Song Book」、「IMA SONG LINES」の活動を行う。写真家・上田義彦氏の主宰する「Gallery 916」を舞台に写真と大鼓の大倉正之助氏とのコラボレーションや舞踏作品の音楽、プロデュースや演奏活動だけでなく雑誌や新聞連載など執筆なども行い、その活動は多岐にわたる。2017年、“自然との再会を通じた、人間の再生”をテーマに屋久島の森を舞台に「Homenaje Project」を開始。沖縄「宜野座村国際音楽祭」、佐賀「SAGA SEA」など、数々の音楽祭のアーティスティック・ディレクターも務める。現在、畑と田んぼに囲まれる福岡の古民家「SHIKIORI」を拠点に、世界中から集まる人々との対話を重ねている。 http://www.shikiori.net
「Yumehaku Art & Food in RURIKOJI」と銘打ち、アートと食を通して山口という土地そのものの表現を試みたイノベーティブな本イベント。一般客を招く今年の開催に向けて、2020年10月31日、本番さながらのリハーサルが行われました。演出を手掛けたのは、その土地土地の文化やアート、デザインを融合させた料理で独自の食空間を創り上げ、世界各地で活躍する船越雅代さん。今回そのプレゼンテーションの舞台として選ばれたのが、瑠璃光寺五重塔を仰ぎ見ることができる芝生広場、“満月の庭”だったのです。
料理家であり、アーティストでもある船越さんが、自身のフィルターを通して「山口」をどう分解して再構築し、なおかつ空間表現×味覚として具現化させるのか。未知なる世界を一足早く体験した取材班が、その一部をご紹介します。
2021年7月から12月にかけて開催される「山口ゆめ回廊博覧会」。山口市、宇部市、萩市、防府市、美祢市、山陽小野田市、そして島根県は津和野町の7市町からなる、山口県央連携都市圏域の自然や文化、伝統など多彩な魅力を全国に発信するというプロジェクトです。各市町の特性を芸術・祈り・時・産業・大地・知・食の7つの観点から紐解き、「7色の回廊」と称してそれぞれのテーマに合わせたイベントを実施。そのなかで、「Yumehaku Art & Food in RURIKOJI」は「食の回廊」の中核を担う目玉企画なのです。