伝統をもっと身近な存在に。しなやかな感性で津軽系こけしの明日を紡ぐ、親子2代の物語。[TSUGARU Le Bon Marche・阿保こけしや/青森県黒石市]

津軽系こけしを作り続ける父・阿保六知秀氏と子・正文氏。木材を成型する行程は同じ一室で横に並んで取り組む。

津軽ボンマルシェ・阿保こけしや津軽でずっと愛されてきた、こけしを今日も作る。

たった一片の木材がまるで魔法にかけられたように生気を帯びていく──。
『阿保こけしや』の工房で目の当たりにした流れるような一連の作業がそれです。刃の幅や刃の反り返る角度が異なる7本のノミを巧みに使い分け、あるときは真っ直ぐ、あるときは斜めから器用に押し当てて、一気に頭と身体を形作っていく。辺りには、木を削る摩擦音と、轆轤のモーターが低く唸る振動音だけが響き、緊張感が漲っています。最後はヤスリで白く、すべすべの肌に。成形が終わると、一気に空気が弛緩しました。

「人間は八頭身が美人だけど、こけしは四頭身。このバランスが良いんだ」
作業の最中からは一変、同じ人とは思えないほど、クシャクシャな笑顔と柔らかいオーラを放って阿保六知秀(むちひで)氏が笑いました。六知秀氏は半世紀以上のキャリアを誇る「青森県伝統工芸士」。黒石の温湯(ぬるゆ)温泉で明治の頃から愛されてきた、「津軽系伝統こけし」を作り続けています。傍らで同じオーラをまとって微笑む子息の正文氏もこけしを作る“工人(こうにん)”。父の工房に入ってすでに15年が経っています。
「色を付けるトコはお客さんに人気だな」と六知秀氏。今度は轆轤線を入れる作業を始めるよう。昨今、こけしは“こけ女”に象徴される通り、人気を博しており、この工房へ見学に訪れる観光客も増えたとのこと。そんな愛好家たちに好評な行程なのでしょう。真顔に戻り、塗料と絵筆を用意しました。

紫・黄・緑・赤・墨。この5つが伝統的に使われてきた色。轆轤を再始動して、ツーッと線を引いていきます。津軽系は「意図的に赤をメイン」にしてきた伝統があり、ほかにも、一本の木から作る、津軽藩の牡丹を映す、「ねぶた」や「だるま」に範をとった文様も描く、といった特徴があります。おかっぱ頭に、裾広がりの足元も津軽系の個性。
 「『飽きないの?』ってよく聞かれるけど、同じ行程を同じように繰り返しているわけじゃないんだ。いつも『色をちょっと変えたら、もっと自分のカラーが出せるかも』『形をちょっとだけ変えてみたら、どうだろう?』って考えながら作ってきた。日々の積み重ねの中で、少しずつ変えていくことで、『もっと売れるこけしが作れないか?』。そういうことをずっとやってきたんだよ」
常に上を目指してきた? そう六知秀氏に尋ねるとニコッと微笑んで、小さく頷きました。

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六知秀氏が作る津軽系伝統こけしのスタイルは基本的にこの5体。「このレギュラー5体は変えずに作っていくつもりです。やっぱり、伝統ものが一番のお薦めだから……」。

「マッコ」と呼ぶ棒状の道具を支点にノミを当てる。六知秀氏の轆轤は素足で踏んで回転数を調整するオールドスタイルだ。「踏むペダルはクラッチだね、車で言えば」。

父と同じようにマッコを支点にしてノミを当てる。正文氏の轆轤は「ツマミで回転数を調整する」タイプ。左右にペダルがあり、どちらを踏むかで回転する方向も変えられる。

粗く削る「あらい」のほか、反り返りの幅が狭く細い「仕上げ」、その中間、木材をカットする「切り落とし」など、作業内容によってノミを器用に使い分ける。

筆を当てて、一気に轆轤線を描く。「伝統的にはどのこけしも、同じ色が使われるけど、何色を多くするか、配色はどうするかでそれぞれの工人の個性が出る」と六知秀氏。

津軽ボンマルシェ・阿保こけしや伝統を守る一方で、創作にも果敢に挑戦。

もっと売れるこけしを。試行錯誤を繰り返す中で、六知秀氏はこれまで多くの「創作こけし」にも挑戦してきました。例えば、「似顔絵こけし」。依頼されれば、その人そっくりの顔で作るというこけしですが、元々は十数年前、知人の警察官から同僚の退官祝いに贈りたい旨のリクエストを受けて始めたものでした。団体旅行でフラガールの踊りを見た友人の要望に応えたのが「踊るこけし」。

「『地震が来ても倒れないこけしってないよね?』と言われたこともあって、何か、悔しくて。だったら、フラガールを映して、ユラユラと揺れるこけしを作っちゃえって(笑)」
御年69ですが、発想は驚くほど若々しく、柔軟。こけしと同様、伝統を守って作る工芸品に「だるま」がありますが、ビビッドな青で六知秀氏の代名詞ともなっている「阿保ブルー」のだるまは「日韓ワールドカップの年に『何か記念になるものを作ったらどうか?』と地元のサッカーファンに言われ」始めたものでした。虎柄のだるまは「阪神タイガースが優勝した年の記念」。このアイデアは以降、毎年の干支を移す「干支だるま」としてシリーズ化されていきます。
「青森は東北楽天イーグルスだから、いつ発注が来ても大丈夫なように、もう臙脂色は配合してあるんだ。今のところ、注文はないけど(笑)」
ニコニコしながら見せてくれた瓶には、あのクリムゾンレッドがありました。
創作する心は、正文氏にもしっかりと受け継がれています。弘前『green』で限定販売された月替わりのこけしは氏の代表作。今、正文氏は父よりも積極的に創作に取り組んでいます。

「元々は東日本大震災の後で客足が滞ったとき、何か、人目を引く方法はないかと始めたのがきっかけでした」と正文氏。その際、創り出したのが、りんごのこけし。津軽の特産品をベレー帽と足元にあしらった作品で、こけしの新しい魅力が表現されていると話題になり、今ではパンダやメロンなど、いろいろなモチーフを取り込むことで独自の世界観を築いています。
もの静かだけれど、芯の強さを感じる正文氏に「跡を継ぐ決心はいつから?」と聞くと、すぐに「小さい頃から」と答えました。それを聞いて六知秀氏も嬉しそう。しかし、「継がないかもって感じた頃もあったよ。ヤバいかもって(笑)」。そう振り返りました。

「創作だるま」も六知秀氏の若々しいセンスから生まれた大切な作品。右がサッカー日本代表のサムライブルーを表現したカラーで、左が阪神タイガースに因んだ虎柄。

正文氏が初めて手掛けた創作「りんごのこけし」。牡丹の花や文様など、伝統を活かしつつもりんごをあしらうことで現代的な雰囲気に。優しい顔は正文氏の性格を映すよう。

「パンダ」と「メロン」も正文氏が手掛ける。黒石『津軽こけし館』に月替わりで展示されるシリーズで、かなり大胆に遊んでいて、愛らしい。

津軽ボンマルシェ・阿保こけしや以心伝心。並んで黙々と作業する父子の強い絆。

「『継げ』って命じて、始めたあとで『言われたから継いだんだ』とは絶対に、言わせたくなかった」と六知秀氏。伝統を継承する親子2代の物語は六知秀氏が津軽系こけしの普及に生涯を捧げた故・佐藤善二氏の内弟子となった昭和41年に遡ります。12年の修行を終え、六知秀氏が自宅に工房を開いたのは昭和53年のこと。それから5年ほど経って正文氏は生まれました。

「小さい頃から絵を描くことは好きでしたし、父の仕事ぶりもずっと間近で見てきました」
早くから意志を固めていた正文氏でしたが、高校卒業後、「急に『大学に行きたい』と言い出した」ことで、六知秀氏は気を揉み始めます。
「入ったのが弘前大学ですよ。専攻した学問の実力を発揮したくなって、卒業後は東京に行きたいと言い出したら、どうしようって。回りにも、『何年かで必ず帰ってくる』と東京に行って、結局、戻って来ない長男もいるからね」
けれど、継ぐことは強要したくない。そこで、六知秀氏が講じた手段が「工人募集」の貼紙でした。

「卒業のタイミングであえて求人広告を出しちゃった(笑)」
六知秀氏は本当にチャーミングな人なのです。工人として一目置かれる存在でありながら、偉ぶることは少しもなく、笑顔でこけしの魅力を語り、楽しませるため、ジョークも発する。正文氏もきっと、そんな父の姿勢に共感し、敬愛の念を抱いてきたのでしょう。継ぐことは自然な流れでした。「三つ子の魂百まで」。そんな諺を思い出します。
ふたりが並んで轆轤を回し、ノミで削る、この工房はいわば第二段階の作業スペース。仕上げの第三段階は、個々で別の作業スペースを構えており、木を切り出す第一段階は、この工房の裏手にある作業所で主に正文氏が行っていますが、「仕事はいつも一緒にしている」意識をふたりで共有しています。「性格はよく似ていますよ」と父が言えば、息子も「父が何を言おうとしているのかは雰囲気でわかります」と答える。阿吽の呼吸とはまさにこのことで、今は父子が揃って始めて『阿保こけしや』なのだと実感しました。

成型する工房の裏手にストックされた原料は「イタヤカエデが最も多く、山桜もある」と正文氏。乾燥に最低1年はかかるそうで、すでに3年分ぐらいが保管されていた。

原料の木材を切り出して、保管するために一棟を設けている。この状態からさらに加工して、こけしを象る一片にする。「出た端材は薪ストーブ用にご近所に配っています」。

正文氏とのこれまでを楽しそうに語る六知秀氏。笑顔もチャーミングな工人だ。

津軽ボンマルシェ・阿保こけしや伝統の担い手として、父子で明日を見据える。

こけし作りもいよいよ最終段階。普段は「集中したいからあまり人に見せない」六知秀氏の仕上げを特別に見せてもらうことになりました。正文氏が絵付けを行うスペースは奥様やお子様と暮らす近所の自宅に設けていますが、六知秀氏の現場はこの工房の2階に。畳敷きの一室に専用の座卓が置かれています。
「目は今も一番、緊張する」
そう言って、真剣な面持ちになります。卓上には20本ほどの絵筆がズラリ。右手でおもむろに一本を取り上げて、筆先に軽く墨をつけたら、呼吸を整えます。スーッと小さく息を吸い、フーッと吐いてから息を止め、指先に神経を集中。静寂。まず目の輪郭を上、下と描きます。左ができたら右へ。今度は眉毛。同じように左から右へ流れるように筆を走らせたら、鼻と口。六知秀氏の眼光がますます鋭くなりました。最後は瞳。こけしに生命が宿る瞬間です。生まれた──漏れる、安堵の吐息。見ているこちらも思わず拳を握り締めていました。

「気分が乗っているときは、バーッと10体ぐらい、目を入れることもあるよ」
一変して、柔らかい笑顔。しかし、その目の奥で、揺るぎない誇りに似た何かが光っていました。
最初に木片を加工してから一週間。効率を図るため、成型する日と絵付けする日を別にして、計2日というワンセットを繰り返し、今は週に約70体を作っています。かなりの量産体制。すると、六知秀氏が言いました。
「『もったいぶるな』というのが私の師匠の教えなんですよ。2体で高価でなく、10体で安くが基本。そのために『8時間フル回転で作れ』。そう言われてきました。少しでも安くできれば、いろいろな人にこけしが買ってもらえる」

それが六知秀氏の根本的な思想でした。安く作り、できる限り多くの人にこけしに触れる機会を設け、こけしに慣れ親しんでもらう。創作に挑むのも、たくさん売りたいと願うのも、津軽系伝統こけしの底辺を広げたいから。それは正文氏も同じ。創作こけしに積極的であるだけでなく、もう10年も、黒石市が事業主体の『津軽こけし館』に出向き、館内で披露される製作実演を週に3、4回は手伝っているのです。すべては津軽系こけしの伝統のために。
「息子は伝統と創作を半々ぐらいの割合でやっているんじゃないかな。私は、ずっと作る伝統のスタイルが5体あって、その次の6体目に創作こけしという位置付け。創作こけしは6体目も買ってもらいたい一心で始めたこと」
ただ伝統を守るだけでなく、ずっと続く津軽系こけしの未来も見据えて。父子の物語はこれからも続きます。

右手に筆、左手にこけしを持ち、これから描く顔をイメージしながら、じっと凝視する。

躊躇うことなく、一気に顔を仕上げていく。最後に瞳。こけしに活き活きとした表情が生まれる。

黒石・温湯温泉の中心街。こけしは東北山間部の温泉地を中心に伝わるが、どこも湯治客を相手にした土産物として愛されてきた。

住所:青森県黒石市大字花巻字花巻34-3 MAP
電話: 0172-54-8865
営業時間:8:00〜16:00
定休日:無休


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

『加温熟成解脱酒』に着想を得たペアリングメニューの開発に、福岡フレンチの雄・福山剛シェフが挑む。[加温熟成解脱酒・La Maison de la Nature Goh/福岡県福岡市]

『フォアグラ 洋梨 八角をきかせたソース』。付け合せはビーツと赤タマネギのサラダ、奥は特製の干鴨。

ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ枠に囚われぬフレンチシェフが、未知なる日本酒とのペアリングに挑む。

古酒の香りとフレッシュな味わいを併せ持つ奇跡の酒『加温熟成解脱酒』。秋田の酒蔵『秋田酒類製造株式会社』が開発したその新たな酒にインスピレーションを得て、3名のシェフがペアリングメニューを考案してくれました。料理ジャンルも、歩んできた道も、活躍する地方も、そして料理へのアプローチも異なる3名。しかし確固たる独自の道を確立する3名。そんな料理人たちが、この『加温熟成解脱酒』からどんな着想を得て、どんな料理を組み立てたのでしょうか?

今回の登場は、九州で唯一2019年度の『アジアのベストレストラン50』に選ばれた福岡市『La Maison de la Nature Goh』の福山 剛シェフ。フランス料理を軸に据えつつ、枠に囚われない発想で自在な料理を生み出す九州の雄。そんな福山シェフは、『加温熟成解脱酒』をどう捉え、どんな料理と組み合わせるのでしょうか? 料理の至るまでの道筋とその胸の内に迫ります。

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味はもちろん、器や盛り付け、遊び心あるプレゼンテーションにも定評がある福山シェフ。料理の全貌はいかに。

ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ福山剛という料理人が、もっとも大切にすること。

福山シェフの料理をより多角的に理解するために、まずはその人となりを紐解いてみましょう。物心がついた頃から料理が好きで、小学生の頃の誕生日プレゼントに調理道具をねだるような子供だったという福山シェフ。高校在学中から福岡市のフランス料理店に勤め始めたのも、いわば当然の流れでした。初めて目にするプロのフランス料理のクリエーションに感激した福山シェフは、その世界に没頭。7年にわたりその店で腕を磨きます。

心境に変化が訪れたのは、中洲にあった馴染みのワインバーで働き始めたときでした。それまでは最先端のフランス料理、まだ世の中にない料理を作り上げることを目指していましたが、カウンター主体のワインバーでゲストの表情を見ながら料理をすることで、自分の理想とゲストのニーズのギャップに気づいたのだといいます。「それまでの“難しい料理を作る”という熱意は、いわば自己満足。シンプルで、お客さんが喜ぶ料理、それこそ自分が目指す道だと気づきました」

福山シェフ自身が「もっとも大事な経験」と振り返るこのワインバーでの気づきを経て、2002年に開いた『La Maison de la Nature Goh』。そこでは「お客さんが安心できる店、一度来た人が誰かを連れてきたくなる店」を目指しました。振る舞われる料理は、フレンチの技法をベースにしつつ、九州の食材や日本の調味料も取り入れた、気取らないもの。「自分が作りたいものよりも、お客さんが喜ぶもの」という福山シェフの言葉を証明するように、オープンから17年、すべてのゲストが食べたもの、飲んだもののリストがあり、それを元にコースを構成するのだといいます。

九州男児らしい豪快で、陽気で、温かい福山シェフ。その人柄から地元料理人からも慕われている。

「アジアのベストレストラン50」には2018年、2019年と2年連続で選出。九州勢唯一の快挙だ。

福山シェフが自身の店を開いたのは西中洲というややディープなエリア。「こんな場所に来てくれるお客さんですから、なおさら喜ばせたい」。

ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ

栄光を捨てて挑むさらなる挑戦も、ゲストの期待に応えるため。

少し遠回りですが、もう少しだけ福山シェフのことを紐解いてみましょう。開店17年を過ぎ、グルメの街・福岡でもトップクラスの人気を誇る『La Maison de la Nature Goh』は、2020年いっぱいで閉じられる予定です。それは福山シェフの、新たな挑戦のためです。

福山シェフには、互いに信頼し合う料理のパートナーがいます。その人物の名は、ガガン・アナンド氏。「アジアのベストレストラン50」で4年連続1位に輝いたバンコク『Gaggan』のシェフその人です。2015年にひょんな縁から出会った福山シェフとガガン氏。意気投合した二人はコラボレーションプロジェクト『GohGan』として年に3回ほどポップアップレストランを開催してきました。そしてそのコラボの集大成として、2021年夏頃を目処に『GohGan』を常設店として再スタートを切ることが決定しているのです。

九州でカリスマ的人気を誇る名シェフと、アジアのレジェンドシェフによるコラボ店の誕生。それは料理界を揺るがすビッグニュースでした。もちろん、来年50歳を迎える福山シェフにとっても大きな決断だったに違いありません。しかし福山シェフはこともなげにいいます。「みなさんが期待していることをしたいだけ。お客さんを喜ばせたいという気持ちは変わりません」どこで、誰と、何をしようとも、その福山シェフの根本だけは決して揺らぐことはないのです。

2002年に開いた店はカウンター中心の店。その後、店を拡張して現在に至る。

ワインバーでの経験から、ドリンクにも造詣が深い福山シェフ。ペアリングコースには日本酒や焼酎も取り入れる。

アジアの美食を牽引する二人の夢のコラボレーション。2021年の開店が待ち遠しい。

ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ表面的にはシンプル、口にすると奥深い。福山シェフの料理が酒を輝かせる理由。

「まず感じたのは、シェリーや紹興酒のニュアンス。日本酒というジャンルですが、シチュエーションを飛び越えて幅広い料理に合うと思いました」
『加温熟成解脱酒』を試飲した福山シェフは、まずそう感じたといいます。とりわけシェフの興味を引いたのは、紹興酒を思わせる角のない甘み。福山シェフはそのファーストインプレッションを信じ、中華のニュアンスを持つアプローチに決めました。さらに甘さを引き立てるためにフルーツを取り入れ、少しずつ料理は形になります。そもそも福山シェフのクリエーションは、食材や自身の経験を起点として生まれたイメージに肉付けしていく手法。料理書を参考にしないため、従来の枠は重要ではありません。大切なことは「食べた人が驚き、喜ぶ」というイメージだけ。

そうして『フォアグラ 洋梨 八角をきかせたソース』は完成しました。フォアグラと赤ワイン煮にした洋梨の甘みが『加温熟成解脱酒』に寄り添い、八角が醸すオリエンタルな香りが融合しかけた酒と料理を再び衝突させ、鰹節状にした干した鴨の日本料理的な旨みが再び酒と料理を歩み寄らせる。ただしその変化が時間差なくやってくるため、味は横幅ではなく縦に、つまり味の奥行きとして刻まれるのです。そして味の余韻が残る間に『加温熟成解脱酒』を口に含めば、フォアグラとソースの重厚感と酒の熟成感、フルーツの甘みと酒のフレッシュ感がそれぞれ合わさり、抜群の相性となるのです。

さらに福山シェフは、もうひとつの仕掛けを用意していました。それは料理ではなく『加温熟成解脱酒』側のアレンジです。シェフとソムリエが生み出したのは、『加温熟成解脱酒』をルイボス、ハイビスカス、ローズヒップなどをブレンドしたオリジナルハーブティーで割り、炭酸を少々加えたカクテル。解脱酒の持ち味である甘みと熟成感はそのままに、さらなる軽さと、華やかな香りを加えたのです。このカクテルもまた、料理と見事なペアリングを見せました。

福山シェフの経験と技、そして“おもてなしの心”が形となった『フォアグラ 洋梨 八角をきかせたソース』は、2019年冬のおまかせペアリングコースの1品として登場予定。これはフィナーレに向けてさらなる盛り上がりをみせる『La Maison de la Nature Goh』で重要な役割を担うことでしょう。ぜひその見事なマリアージュをご自身の舌で試してみてください。

「甘さはくどくなく、香りには余韻がある。素晴らしいお酒です」と『加温熟成解脱酒』を評した福山シェフ。

本来の魅力を削がず、持ち味を引き出したハーブティと『加温熟成解脱酒』のカクテル。

住所:〒810-0002  福岡県福岡市中央区西中洲2-26 MAP
電話:092-724-0955

1971年生まれ。福岡県出身。高校在学中、フレンチレストランの調理の研修を受け、料理人の道へ。1989年、フランス料理店『イル・ド・フランス』で研鑽を重ね、その後、1995年からワインレストラン『マーキュリーカフェ』でシェフを務めた。2002年10月、福岡市西中洲に『La Maison de la Nature Goh』を開店。2016年には、九州で初めて「アジアのベストレストラン50」に選出された。西部ガスクッキングクラブ講師などを務める。

『DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS』販売開始! [DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS/沖縄県うるま市]

ダイニングアウト琉球うるま

来る2020年1月18日(土)、19日(日)に「DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS」を沖縄県うるま市にて開催します。

爽快なエメラルドブルーの海を渡る「海中道路」など、国内屈指の絶景を擁するうるま市。

ダイニングアウト琉球うるま琉球王朝時代よりこの地に根付く「肝高(きむたか)」の精神性を紐解く。

今回のDINING OUTの舞台は、沖縄本島の中部に位置し、歴史ロマンと豊かな自然があふれる、沖縄県うるま市。雄大な歴史と文化を感じる、沖縄最古の城である世界遺産「勝連城跡」や、4つの島々を繋ぎ、東洋一の長さを誇る「海中道路」から臨む果てしなく澄んだ蒼い海など、沖縄らしい景色が広がる場所です。

琉球王朝時代、勝連城があった勝連周辺は、貿易船が各国から着港しやすいという地の利を生かし、海外交易によって、多くの富と繁栄がもたらされました。特に、10代目城主「阿麻和利」の時代に、中国をはじめ、東南アジア・当時の日本との活発な交易によって最盛期を迎えたと言われています。沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」には、海外との交易によって育まれた高尚な生活文化が称えられ、「気高さ・心豊かさ」を意味する「肝高(きむたか)」が勝連の美称になっているほどです。

なぜ、勝連は小国でありながらも、海外交易によって発展することができたのか。それは、常に異国と向き合う環境下にあった彼らだからこそ、異国の文化に寄り添い、受け入れ、時に自国の文化に取り込んで、自らを進化させることに長けていたからではないでしょうか。そうした外交の姿勢が、異国と対峙するのでも、服従するのでもなく、対等に互いを認め合う関係を築き、発展につながったのでしょう。今回のDINING OUTを通して、この土地で育まれ、今この地に生きる人にも受け継がれている、気高さの精神「肝高」を感じていただければと思います。

「果報(かふう)バンタ」のバンタは沖縄の方言で「崖」という意味を持つ。その名の通り標高約120mの崖の上からはとてもきれいなエメラルドグリーンの海を見ることができる。

ダイニングアウト琉球うるま全世界が注目するポップアップユニットが、満を持して「DINING OUT」に登場。

そんな壮大な舞台で料理を担当するのは、世界的なシェフ二人で構成されるポップアップユニット「GohGan」。

2010年に開いた「Gaggan」で、エグゼクティブシェフを務め、世界から注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurants」では4位を獲得したガガン・アナンド氏。そして、九州で唯一「Asia's 50 Best Restaurants」にランクインした「La Maison de la Nature Goh」の福山 剛氏。この世界の注目を集める両トップシェフによるポップアップユニット「GohGan」は、これまで日本やアジアで計11回に渡り、その土地の食材や調理法を反映させた料理を提供してきましたが、今回の「DINING OUT」を最後に、その歴史にピリオドを打ち、2021年、改めて、福岡にレストラン「GohGan」として蘇ります。

ディナーホストは、「The World's 50 Best Restaurants」の日本評議委員長を務め、過去8回のDINING OUTに出演し、食やカルチャーなどをテーマに活躍するコラムニスト、中村孝則氏。

世界で活躍するポップアップユニット「GohGan」が、琉球を舞台に繰り広げる最後のパフォーマンスに、ご期待ください。

福山シェフとガガンシェフで構成される、世界から注目を集めているポップアップユニット「GohGan」。

 ディナーホストは『DINING OUT』ではおなじみ、コラムニストの中村孝則氏。

今回もLEXUSがゲストの送迎に登場する。

【DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS 詳細】
開催日程 : 2019年1月18日(土)、19日(日) 
※1/18(土)は、全コンテンツ英語対応の、海外ゲスト向け開催日です。
※1/19(日)は、全コンテンツ日本語対応の、国内ゲスト向け開催日です。
募集人数 : 各日程40名、計80名限定
開催地  : 沖縄県うるま市
出演 : 料理人 GohGan 福山 剛 (La Maison de la Nature Goh) × ガガン・アナンド
   ホスト 中村孝則 (コラムニスト)
オフィシャルパートナー : LEXUS (http://lexus.jp)
後援:沖縄県(平成31年度 沖縄観光コンテンツ支援事業)
協力:うるま市、ハレクラニ沖縄

国定公園として半世紀以上にわたり守られてきた沖縄・恩納村の美しい海岸線で、ラグジュアリーの新時代を切り拓くホテル「ハレクラニ沖縄」がゲストの宿として全面サポート。

1971年生まれ。福岡県出身。高校在学中、フレンチレストランの調理の研修を受け、料理人の道へ。1989年、フランス料理店『イル・ド・フランス』で研鑽を重ね、その後、1995年からワインレストラン『マーキュリーカフェ』でシェフを務めた。2002年10月、福岡市西中洲に『La Maison de la Nature Goh』を開店。2016年には、九州で初めて「Asia's 50 Best Restaurants 」に選出され、2019年には24位にランクインを果たす。

インド コルカタ出身。2007年にバンコクへ移住し、その後レストランの料理長を務める一方、エルブジで研修を積む。2010年に開いたレストラン「Gaggan」では、エグゼクティブシェフを務め、Progressive Indian Cuisine(進歩的インド料理)を打ち出す。世界的注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurant」では4位を獲得。同年8月新たなチャレンジに向けてお店をクローズし11月に再始動をする。

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、TVにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を授勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士の称号も授勲。(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称))2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/

「令和」ゆかりの地で、日本の原風景を訪ねる旅を。[HOTEL CULTIA 太宰府/福岡県太宰府市]

由来は「CULTURE(文化)」から。太宰府はかつて文化が集まった地であり、その土地が文化を紡ぐという理念のもと名付けられた。

ホテル カルティア 太宰府万葉集で詠まれた「梅の宴」の舞台がある地にオープン。

「令和」という新しい時代が始まり、即位の礼が執り行われました。その新元号の名の由来となったのは、万葉集で大伴旅人が詠んだとされる「梅花の歌」。大伴旅人は飛鳥時代から奈良時代に活躍した歌人であり、大宰府長官も務めました。そんな令和ゆかりの地に10月オープンしたホテルが今、注目を集めています。

4室の客室を備える「古香庵」が10月4日に先行オープン。

ホテル カルティア 太宰府「通り過ぎる観光地」から「滞在し、暮らすように過ごす場所」へ。

大伴旅人が詠んだ「梅花の宴」が催されたのは大宰府政庁跡、坂本八幡神社付近と言われています。「ホテル カルティア 太宰府」は、そんな太宰府天満宮を中心に点在する江戸末期や明治期の建物をリノベートした分散型ホテル。大陸文化の玄関口となったこの場所は、奈良・平安時代の名残を感じさせ、歴史的・文化遺産が数多く残る地域。ただ、旅行客は日帰りが多く、大半が通過型観光になりがちであるという課題がありました。

それを解消するため、⻄⽇本鉄道など民間各社が共同設⽴した「太宰府Co-Creation」が事業主体となり、運営をバリューマネジメント社が行うことでホテルプロジェクトが始動。歴史的価値のある古民家を再生させ、太宰府のまちを一つのホテルと見立て、暮らすように泊まる体験を楽しめる施設を目指しました。

バリューマネジメント社は日本各地の歴史的資源を再生させ、後世に残す事業を手がける。

建物随所に昔の意匠を残し、刻まれてきた歴史を感じられる空間に。

ホテル カルティア 太宰府江戸期から活躍した絵師の邸宅をリノベーション。

ホテルとして生まれ変わった建物は、江戸末期から昭和にかけて 3代にわたって活躍した絵師の邸宅「古⾹庵」。明治 44 年建築の母屋を含む 3 つの古民家の外観・梁などを改修し、昔の佇まいを残しつつ、水回りやベッドなど宿泊に必要な機能を整備。家具や装飾には「梅花の宴」を始めとする万葉集の和歌の季語をモチーフとした伝統工芸品などを用い、昔ながらの趣とモダンを感じさせる上質な空間に仕上げました。

廊下を通り抜けたところに位置する「古香庵102」は45平米。定員2名。

ホテル カルティア 太宰府日本古来の暮らしを体験し、自分を見つめる場所。

先行オープンした客室は4室のみで、それぞれに趣が異なります。古香庵の中庭に位置する元蔵を改装した客室は、1階にはリビングスペース、2階にベッドルームを備えた一棟貸しの部屋。また、他の客室も36平米〜45平米とゆとりがある間取りで、四季折々に変わる中庭を望みながらゆったり過ごすことができます。歴史的な日本家屋の風情とそこに流れる時間をより体感してもらうようにとTVや時計、明るい照明はあえて用意していません。

「古香庵101」は58平米。定員1〜3名。

ホテル カルティア 太宰府九州と世界の食材が融合した料理をランチ、ディナー、ティータイムで。

レストランでは福岡・九州のブランド食材と国内外の高級食材を融合させた本格フレンチを楽しめます。料理を監修するのは、関西で活躍するフレンチ界の巨匠・石井之悠氏。食器にも九州の小石原焼や有田焼を使用し、目にも舌にも美味しいランチやディナーをコース仕立てで提供します。
 
10月のディナーの一例は、「鴨もも肉のコンフィとレンズマメのサラダ」「フォアグラと福岡の野菜 梅のディップ」「フグのベニエ 黒トリュフと地元野菜のピュレ」「博多和牛ロースのポワレ」など地元の食文化のエッセンスを効かせたメニュー。ランチコース2800円〜もあり、レストランのみの利用も可能です。

ディナーの内容は2カ月ごとに変更。写真はイメージ。

ティータイム(15 時~17 時)には「あまおう」づくしのアフタヌーンティーセットを提供。

ホテル カルティア 太宰府地元の風習もまるごと体感することで、一歩踏み入った旅を。

ホテル内だけでなく、周辺施設との連携した体験コンテンツも用意。例えば、太宰府天満宮神職による夜間特別参拝や九州国⽴博物館のナイトツアーなど、この地ならではのストーリー性のあるプランを計画。なおホテルは2020年頃に2〜3棟追加し、最終的に7〜8棟30室を展開する予定です。
 
バリューマネジメントが運営するホテルブランドVMG HOTELSのコンセプトは「まだ⾒ぬ時と出会う場所」。令和という時代の始まりに、古代の人々が築いた伝統やその地で守られてる風景に触れることで、日本の文化の豊かさを再発見する機会になるのではないでしょうか。

50席を擁するレストランは日本庭園が見える落ち着いた空間。

太宰府天満宮の目の前に位置。太宰府駅からも徒歩5分と便利だ。

住所:福岡県太宰府市宰府3丁⽬3-33 MAP
電話:0120-210-289(VMG総合窓口)
料金:33,000円~(税サ別)2名様1室 朝・夕付き 1名料金
ランチ:2800円〜(税別)、ディナー:6800円〜(税サ別)
HOTEL CULTIA 太宰府 HP:https://www.cultia-dazaifu.com/
写真提供:バリューマネジメント株式会社

飄々と楽しく。自然と共生する農家本来の暮らしを、令和の津軽で実践する。[TSUGARU Le Bon Marche・岩木山麓しらとり農場/青森県弘前市]

美しく実ったパプリカを前に、優しく微笑む白取克之氏。黄色くなった実は熟すにつれてオレンジ色に変化し、最後は赤くなる。収穫のタイミングをずらせば、色を変えて出荷できるから「重宝する品種(笑)」。

津軽ボンマルシェ・岩木山麓しらとり農場岩木山の頂を日々、仰ぎ見ながら。広大な大地で多くの品目を栽培。

風が吹けば、ザザーッとさんざめく木々。日中でもどこか仄暗い森の向こうに、その農場はありました。突如としてバッと開けた大地の涼やかな空気を嗅いだ瞬間、こんな言葉がふと脳裏を過ります。理想郷。ほどなくして手押しの農機がガタガタと大きなエンジン音を響かせて、こちらに近づいてきました。
「あれ? もうそんな時間かな」
浅葱色のポロシャツに白い長靴がよく似合う、この人こそが農場主。『岩木山麓しらとり農場』の白取克之氏です。
「まずは畑を見るかな」
誘われるがまま、後を追います。
「今、なっているのはインゲン、レタス……それから自家用だけど、プルーンとスモモ」

農場は名の通り、岩木山の麓に広がる北東の斜面にあり、面積は1町6反とのことですから、サッカーコートが優に2面は取れる広さ。40品目に迫る数の野菜や果物を育てています。中にはトマトなど、複数の品種を植える作物もあって、「全部で100種近くになるかもしれませんね」と白取氏。
「これはチェコのパプリカで在来種。チェコでビールを飲んだとき、ピクルスで出てきてスゴく美味しかったんですよ〜。これは『絶対に作らなきゃ』って今年、初めて作ってみました」。飄々と楽しげに語ります。

以前、『澱と葉』の川口潤也氏から「お会いしたことはないですけど、白取さんという津軽の農家さんの間ではカリスマ的な存在の方がいます」と聞いたことがあって、勝手に、無口で孤高な聖人をイメージしていましたが、実際は拍子抜けするほど、人懐っこくて温厚。サービス精神も旺盛でした。
「ほら、これ! 熊の足跡。今年はトウモロコシがやられちゃった。まだ会ったことはないけど、毎晩、出てるみたい」
そんな説明している間も笑顔を絶やしません。では、なぜ、白取氏は津軽の人々から尊敬されるのか? それは、農場のこれまでを知ると、よくわかるのです。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

岩木山の裾野に広がる農場の美しい夕暮れ時。

このパプリカもチェコの在来種。

白取氏を追って、ずんずんと農場の奥へ。こちらの畑ではジャガイモやサツマイモのほかに、「うどん用の小麦を作っています」。麦は麦茶用の大麦も栽培する。

津軽ボンマルシェ・岩木山麓しらとり農場理想の農場を作るために、木々が生い茂る原野を切り拓く。

「今、振り返ると必死だったんでしょうね」
目を細めて白取氏が周囲を見渡します。1町6反の農場は、何と、白取氏が自力で開墾した大地でした。
「丸6年かかりました。開墾だから当たり前なんだけど、妻と一緒に、朝早くから日暮れまでやっていた。木を1本1本、トラクターやスコップなんかで抜くんだけど、ノウハウがあって、全方向から少しずつ引っ張る。太い木だと1日に2〜3本が限界でした」。

開墾を開始したのは今から16年も前に遡る、2003年のことでした。始めるにあたって、大きな役割を果たしたのが白取氏の義父。
「岩木山で土地を探したら、ここしかなくて。ほら、遠くに森が見えるでしょ? ああいう状態。そしたら、あるとき、義父が来て『ここは良い。沢が流れている』って。妻も『良いんじゃない?』ですからね。やるしかないよ〜(笑)」
義父は戦後、北海道に入植した開拓酪農家。自身は水がない土地で苦労したから「水さえあれば何とかなる」。そう言ったそう。
そこまでして農家になりたかった理由を白取氏に尋ねると、間髪入れず「好きだから」と答えました。小学生の頃から就農しか、頭にありませんでした。
「小3ぐらいから家の花壇で土を耕してエンドウとか白菜とかを育てていましたよ。学校に行くより、野菜を眺めている方が好きだったなぁ」

志を抱いて大学の農学部に進みますが、座学も多く、「全然、農家になれないじゃん(笑)」と思って一年、休学。その間に研修で訪れた酪農場が北海道・旧瀬棚町にある義父のところでした。
「糞をスコップで一輪車に乗せて牛舎の外に出す作業も、私はね、『これがしたかった〜』って興奮しながらやってました(笑)」
そこで今の奥様と出会うわけですが、就農一本で真っ直ぐに歩んできた白取青年にとってもうひとつ、今を決定付ける出合いがありました。それが、一緒に働いていた女性スタッフの薦めで読んだ一冊の自然農の本。
「読んでみて、最初は本当かなぁって思いました。半信半疑だったから、現地まで見学に行くことにしたんです。そうしたら……衝撃を受けました」

原野を切り拓き、開墾した農場の全景。自宅の背後にも敷地は広がっており、かなりの面積がある。

敷地の縁に佇む。白取氏の後ろに広がる森がこの土地の元々の姿。この森をならしたというから驚く。

津軽ボンマルシェ・岩木山麓しらとり農場本来の美味しさを共有したい。固定種・在来種にこだわって栽培。

著者の川口由一氏は土を耕さずに野草や虫を味方につけ、自然の力を活かして作物を育てる「自然農」のパイオニア。見れば確かに、白取氏の畑にも緑が生い茂っていました。
「ここはブロッコリーだね。収穫を終えたら、そのまま伸ばしっ放しにして、勝手に生えてくる野草もそのままにして、時季が来たら全部、倒すんです。そうすると、草がカバーのようになって土の中の微生物やミミズを守ってくれる。草で土を肥やしていくという感じですかね」
自然農と並行して自家採種も実践しています。食べて美味しい物から種を採り、次世代として育て、また次の世代へ。そういうサイクルを繰り返してきました。今や果菜類はほぼ100%が自家採種で育てています。
「このトマトはね、就農二年目から勝手に生えてきたの。最初は大玉だったけど、代を重ねていったら、今はこんなミニトマトみたいなサイズになっちゃった」
瑞々しくて、味が濃い──そのトマトを試食して感想を伝えると、「でしょ〜」と白取氏も嬉しそう。

今度は足元のケースを指差しました。
「ほら、このキュウリ、全部、長くて真っ直ぐでしょう?」
整然と並ぶキュウリは大きく、黄色く熟れています。この実から種を採る。「こういう実だけを選別していたら全部、同じ形になりました。けどね、純系にし過ぎると、今度は発芽や成育がスゴく悪くなるんですよ。難しいよね。今は長くて真っ直ぐが10株なら、そこに1株だけ、普通のを混ぜるようにしています」

『しらとり農場』では自然農のほか、「草をできるだけ刈って」酒粕などが原料の肥料を与える有機栽培なども行っています。それは川口氏の『赤目自然農塾』を皮切りに、北海道・厚沢部の『須賀農場』、埼玉・小川町『霜里農場』など、早くから有機栽培に取り組む農家の下で、白取氏が研鑽を積んできたから。「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則氏の農園にも通って学んだ時期があります。その誰もが自然との共生を目指す、白取氏の師匠。いろいろな栽培法を学んできたから今があるのです。
「どんな野菜を、農場のどの場所で栽培するかに応じて変えています」。いろいろな栽培法を実践していますが、そうする理由はただひとつ。
「美味しいものを作るため!」

昔ながらの固定種だけを育てているのも、それが白取氏にとって理想的な美味しさを宿しているから。きっと、それは尊敬する師匠たちも同じだったのでしょう。
「有機って、安心・安全を一番に謳う場合が多くて、ウチも無農薬が大前提だから、安心で安全なんだけど、そんなことよりも、美味しいんですよ。きっと、私はただ自分が食べた感激を皆にも味わって欲しい、そう思ってるだけなんだろうなぁ」
夕暮れに染まる岩木山を眺めながら、今度は独り言のように呟くのでした。

熟したキュウリから種を採る。鎌で実を半分に割った瞬間、青い匂いが周囲に立ち込める。「いい香りですね〜」。

農場の端を流れる沢で、キュウリの種を覆うゼリー状の部分を洗い落とす。「こうして水を少しバケツに入れて、浮いてくる種はダメ。沈んでいれば、その種は充実している証拠」。

これは茶色く乾燥したニンジンの花。ここから種を採取して、次世代として育てる。

津軽ボンマルシェ・岩木山麓しらとり農場自然のサイクルの中に毎日があるという贅沢な暮らし。

すっかり暗くなり、辺りがシンと静まり返った頃。
今日の作業を終えた白取氏はリビングにいました。趣味はチェロ。夕食前のゆったりしたひとときにジーンと温かい音を響かせています。傍らでドカドカと元気に走り回るのは小学生の子供たち。同じ室内には黙々と読書をする若者の姿もありました。

彼らは白取氏を手伝う農業研修生。一年間、住み込む者、日中だけ通う者、スタイルも様々ですが、国籍もいろいろ。
「今は地元の子だけでなく、カナダとフランスからも来ていて、総勢で6名ほどが農作業だけでなく、就農に必要なノウハウまで学んでいます。」壁には炊事などの分担を、各人の名で曜日別に示すホワイトボードがありました。

「以前、イタリアの子が手伝いに来てくれていたことがあったんですけど、その子が『祖母直伝』って小麦を練るところから作ってくれたラザニア、あれ、旨かったなぁ。私ね、来た子たちから教わった秘伝の味をレシピ集にしてまとめているんですよ〜。あ!」
突然、思い出したように立ち上がります。
「今日は私が晩ご飯の当番だ!」
慌てて、キッチンに行き、あれこれ、今ある野菜を確認します。
「小松菜は炒めようかな?」
キッチンの一部に未完成と思われる部分があって尋ねると、農場の中央に建つ、この家も自らが作ったとのことでした。「いえいえ、全部じゃないですよ。柱と屋根は専門家に組み立ててもらって、あとは自分で作っているというだけです」
お米を研ぎながら答えます。
「料理を作りながら、ビールを飲む。これが最高の瞬間なんですよ〜」

自然の営みの中に自らを置き、美味しい作物を育てては皆で食卓を囲む。これこそが人間本来の生活なのかもしれません。そして、何より、楽しんで今日を暮らしている。やっぱり、ここは理想郷なのでした。

チェロは学生時代から続ける趣味。東北一円の農業関係者で構成される「東北農民管弦楽団」では代表を務めており、毎年一回、冬の終わりに「東北のどこかで」定期演奏会を開いている。今は農閑期に始まる合同練習に向けて準備する時季。第7回は来年3月に花巻でベートーベンの「第九」を演奏する。

採取したキュウリの種。バケツの中の水に沈んだ充実した種でこれらを古紙の上で乾かし来年、蒔く。

トマトを頬張る。できた作物はすべて個々で契約する会員に配送。

住所:青森県弘前市百沢東岩木山428 MAP
電話:0172-93-2523
岩木山麓しらとり農場 HP:higashiiwakisan.blog.fc2.com


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

野村友里が体験する「食べるシャンパン。」ペアリングによって生まれるマッチングの“妙”と余韻への意識。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・アンディ /東京都渋谷区]

(左から)『Andi』内藤千博シェフ、ワインテイスター、ソムリエのオーナー大越基裕氏、料理人でありフードディレクターとして活躍する野村友里さん。

アンディ×野村友里ワイン&フードシーンの第一線に立つトップランナーを迎えて。

「最高級クラスのブラン・ド・ブランの中でも、このシャンパーニュは香りの開きが秀逸です。抜栓後はカフェモカのようなコーヒー系のフレーバーがわずかに感じられ、ミルキーな香りも持ち合わせる。何よりハイクオリティなシャンパーニュには必ず感じられる、なめらかできめ細やかな泡も兼ね備えています」と饒舌に語る、大越基裕氏。東京・外苑前『Andi』のオーナーであり、ワインテイスター・ソムリエとして活躍する大越氏が「このシャンパーニュ」と讃えるのは、大手シャンパーニュ・メゾン『テタンジェ』が誇るトップキュベ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」。オーナー兼経営者であるテタンジェ・ファミリーの精神を継承し、シャンパーニュ地方の中でも最上クラスの土壌を誇る約288haもの自社畑で栽培され、テロワールを限りなく引き出したシャルドネ種100%。口当たりは極めてスムースで、生き生きとしたアロマ、グレープフルーツやスパイスのニュアンスを感じさせる洗練を極めた味わいは、料理とペアリングすることにより「食べるシャンパン」として新たな可能性をもたらしてくれます。

この「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」に合わせて、大越氏が提案した料理をシェフの内藤千博氏がアレンジ。テイスターにお迎えしたのは、料理人でありフードディレクターの野村友里さん。豊富な種類のワインとベトナム料理が評判のレストランで体験した新発想のペアリングが何をもたらすのか。美味しさの感動を呼び起こすアプローチに迫ります。

【関連記事】テタンジェ/「食べるシャンパン。」それは、ひとりでは完結しないシャンパーニュ。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」と「アワビの生春巻き」。

味わいのバランスが完成されたひとつの料理として、ライスペーパーを巻き込む。

ココナッツミルクと焼きナスのソースを。スモーキーなニュアンスもシャンパーニュを意識したもの。

アジア料理好きという内藤千博シェフ。フレンチの名店で磨き上げた経験と感性を注ぐ。

アンディ×野村友里ペアリングの新たなジャンルを拓いた、モダンベトナミーズの可能性。

東京・外苑前『Andi』は、ワインとヘルシーな東南アジア料理のペアリングが堪能できるモダンベトナミーズレストラン。長年フレンチをバックグラウンドにしてきた大越氏がなぜベトナム料理だったのか、その理由を明かします。
「最初からやりたかったというよりも、ペアリングの世界観をもっとたくさんの方々に楽しんで欲しかったのが理由です。世界的に料理がライト化し、オーガニックへの意識も高く、素材感を伝えるスタイルにシフトしています。料理も軽くモダンになっている中、何か新しいジャンルが提案出来ないかと考えた時、アジアが見えてきた。ベトナム料理は辛さも控えめで、野菜もたくさん使用するので、レストランレベルの料理に高めたら面白いと思ったのです」。

大越氏のビジョンや思いを料理で具現化するのが、西麻布のフレンチレストラン『レフェルヴェソンス』の元スーシェフで、アジア料理にも精通する内藤千博氏。使用する食材や調味料の9割が国内産。和の素材をメインに、洗練された料理と選りすぐりのワインで本国ベトナムに先駆ける現代的なスタイルを実現しています。
今回、大越氏と内藤シェフに「ひらめき」を与えたのは、プレステージ・シャンパーニュ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」。料理はベトナム料理の定番「生春巻き」を『Andi』流にアレンジ。レタス、ニンジン、オクラ、ミョウガのピクルスにマンゴー、ディルとミントといったハーブに、秋田県で作られる魚醤「しょっつる」と真空調理したアワビ、卵とオイルとで乳化させた肝のソースをライスペーパーで巻き込んだひと品。ココナッツミルクとナスのペーストもソースに添えました。

料理の意図について内藤シェフは「ライスペーパーで葉物を包む生春巻きは、水分が多く、味が繊細すぎてもぼやけてしまいます。主素材には味や香りがある程度強いものを加え、何を食べたかわかるようにしています」と話す。
「例えば、カニのように海の幸のフレーバーが強すぎても難しい。シャンパーニュはとても繊細なので、存在感はありながらフレーバーは強すぎないアワビのような食材がベストです。私たちは素材をただ巻いてソースで食べさせるのではなく、味のバランスを先に完成させてしまう。ひとつの料理を巻いているという感覚です」と、大越氏。「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」だからこそ結実したアプローチ。料理と合わせることで美味しさが倍増する「食べるシャンパン」が、クリエイションを掻き立てるようです。

「栓を抜いた時の香りの開きが素晴らしい」と大越氏が絶賛する、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」。

シャルドネ種100%、繊細でクリーミーな泡立ちも魅力の「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」。

大越氏の豊富で多彩なボキャブラリーによって、ワインのキャラクターや味わいが明確化される。

アンディ×野村友里味のバランスを図り、後味にシャンパーニュをいかに寄り添わせるか。

「シャンパーニュは香りが素晴らしいです。とても華やか。ふわっと気持ちが上がります。生春巻きは意外な組み合わせですが、すごく美味しい。ソースがなくても肝の苦みやアワビのテクスチャーが後味に感じられるし、素材感が増しますね」と言葉を紡ぐ、野村友里さん。

「あくまで、シャンパーニュに寄せるためのソース。ソースはソースで世界観を作っておくことで一体感が楽しめます。フレンチの場合、アミューズにテクスチャーのあるムースがあったり、酸のあるジュレ系があったり、チーズを混ぜたシュー皮・グージェールのようにクリスピーな食感だったり、シャンパーニュを意識した小料理が最初にサーブされます。今回の私たちもそういうアプローチ。"コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン"には少し塩気を感じさせるので、海の幸との相性がいいと感じています。焼きナスのピューレもスモーキー感が出ていて、イースティなシャンパーニュの風味を引き立てる。そういう部分でもシャンパーニュの雰囲気が作れれば」と語る、大越氏。

ペアリングの意図を聞き、納得の様子の野村さん。さらに言葉を続けます。
「この生春巻きのように包んで食べるのが好き。完結した料理がひと口で食べられる手軽さに、飲み物とも相性が抜群。それでいて、それぞれパーツをバラしても成立する。贅沢ですよね。今回改めて、面白いと感じました」。

「ペアリングは、料理を食べた後に何を合わせるか。後味のフレーバーにアプローチするのが基本ですね。例えば酸味に酸味を合わせる、逆に塩気に甘みを当てる、あるいは五味を揃える考え方もある。テクスチャーにしてもなめらかなもの、あるいは温かい料理には凝縮感のあるものやアルコールを感じさせるものに寄せるなど、ハーモニーが楽しめるようバランスを図ります。組み合わせはそれこそ無限に広がる」と、大越氏。最終的には違いを尊重するように仕上がっていればベスト。柔軟でありながら、確固たるフィロソフィがそこにはあるのです。

作り手のスタンスやビジョンにも理解が深い、野村友里さん。料理を起点に生産者とのつながり、場づくりにも力を注ぐ。

手に入りうる最高の食材でクリエイション。新感覚のモダンベトナミーズが生み出される。

手で味わえる気軽さも、生春巻きの魅力。一見シンプルに見えて、味のバランスが緻密に計算されている。

料理の後味が残っている間に「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」を口に含み、余韻を堪能。

アンディ×野村友里五味を超えた感動をも生み出す、プレステージ・シャンパーニュ。

上質なシャンパーニュは気分を高揚させ、人を饒舌にさせる効果もあるようです。
「大体、ひと口目で美味しいと感じるけれど、食べ終えた後がすごく大事。酸味なのか、鉄分なのか、あるいは油脂なのか。口の中に何が残るのか。意外なフレーバーが強みとなって残ることもある。料理の味だけで完結させるのではなく、後味に何を合わせるかでまた違う美味しさが開く。そこがペアリングの楽しさであり、面白さ。意外な感動があるので、どこに連れていってくれるのか、乗っかっていきたい(笑)」と微笑む、野村さん。

より深く、より広く、ペアリングの魅力を感じ取った野村さんの反応に、大越氏もレスポンスします。
「その通りです。後味に残る余韻は、必ずしも主食材とは限らない。料理の形態や食べ方によっても変わります。だからこそサービスも“ソースをたっぷりつけてお召し上がりください”という言葉が必要な時もある。楽しんでもらいたいのは、ペアリングの“妙”。料理だけでもワインだけでも築けない世界観を堪能することも、レストランにおける別の楽しみだと思っています」と、大越氏。

料理人として、見た目や食材の組み合わせだけでなく、後味にも重点を置くという野村さん。五感以外の部分を引き出し、食べ手がどう感じてくれるのか、料理とお酒を介したコミュニケーションも魅力であり「感性のやりとり」と言います。「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」によってもたらされた、マッチングの妙と後味への意識。ペアリングの新たな境地を拓く、充足した時間となりました。

オーナー大越氏のアイデアを再現性の高い料理で表現するシェフの内藤氏。これ以上ないペアリングはこのタッグがあってこそ。

「香りが素晴らしい。大越さんのように解説してくれると、より深く味わえます」と、野村さん。

料理とシャンパーニュ、それぞれの方向からペアリングについて闊達に語る3人。

住所:〒150-0001 東京都渋谷区神宮前3-42-12 1F MAP
電話:03-6447-5447
営業時間:18:00~23:00(L.O.)
※土曜・日曜:12:00~13:30(L.O.)/18:00~22:00(L.O.)
定休日:月曜
Ăn Đi HP: http://andivietnamese.com/

料理人。フードクリエイティブチーム「eatrip」主宰。長年おもてなし教室を開いていた母の影響で料理の道へ。主な活動はケータリングの演出、料理教室、雑誌の連載、ラジオのパーソナリティなど。日本の四季折々を表す料理やしつらえ、客人をもてなす心をベースに職を通じて、様々な角度から人や場所、ものを繋げ、広げる活動を行う。2012年には東京・原宿に『restaurant eatrip』をオープン。著書に『春夏秋冬おいしい手帖』(マガジンハウス)、『Tokyo Eatrip』(講談社)がある。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけてお掛けください。
お客様からいただきましたお電話は、内容確認のため録音させていただいております。

TAITTINGER HP:http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/


(supported by TAITTINGER)

映像作家・映画監督、中野裕之が撮る11島の11作品。それは未来に残したい日本の記録。[東京”真”宝島/東京都]

東京”真”宝島OVERVIEW

映像作家であり映画監督の中野裕之といえば、知る人ぞ知る、音楽業界のカリスマです。

国内外を問わず撮り続けた音楽クリップは、世界的にも高い評価を得ており、賞も多数受賞。日本人のアーティストでは、布袋寅泰氏や今井美樹さん、Mr.Children、DREAMS COME TRUEなど、錚々たるミュージシャンがその名を連ねています。そして、活躍の場は更に広がり、音楽界だけではなく、映画監督としても数多くの作品を世に生み、これもまた国内外で数多くの賞を受賞しています。映画「SFサムライフィクション」や「SF・Stereo Future」、「アイロン」、「TAJOMARU」「RED SHADOW」などはその好例です。

そんな中野監督の最新作は、2018年に公開された「PEACE NIPPON」です。美しい日本を主役として映像化した本作は、残念ながら前出の作品のような興行成績は得られませんでした。しかし、映画公開後も中野監督は日本中を駆け巡り、日々、日本を記録に残しています。

なぜ中野監督は、このような作品に挑んだのでしょうか?
今、最も日本を撮る映像作家がなぜ今回の「東京宝島」を撮るのでしょうか?

そこにはちゃんと理由があり、偶然ではなく必然であり、中野監督が日本の未来へ残したい記録というカタチのメッセージが込められているのです。

「東京宝島」の真の姿を描いた11の映像作品「Tokyo "Peace" Treasure Islands」を、ぜひご覧ください。

(supported by 東京宝島)
 

1958年広島県生まれ。早稲田大学卒業後、読売テレビに入社。その後1998年に「ピースデリック」を立ち上げ、’98年に初の劇映画『SF サムライ・フィクション』を監督。富川国際ファンタスティック映画祭グランプリ、毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞他、数々の映画賞を受賞。『SF Stereo Future』『RED SHADOW 赤影』、2009年の『TAJOMARU』(09)に続き、2014年には青森大学男子新体操公演のドキュメンタリー『FLYING BODIES』、そして『FOOL COOL ROCK! ONE OK ROCK DOCUMENTARY FILM』などを監督。また、米MTVアワード6部門にノミネートされたDeee-liteの 「Groove is in the heart」をはじめ、今井美樹さん、布袋寅泰氏、GLAYなどのミュージックビデオも多く手がける。その映像制作は、CM、映画、ドキュメンタリーなど、多岐にわたる。

畑を味わい、畑の中で眠る。農村を体感する田園レストラン。[EKARA/北海道三笠市]

地元の薪を使って火を起こす。この窯でふっくら焼き上げるピザは絶品。

エカラのどかな農村地帯に幻のように現れる、瀟洒な建物群。

三笠市萱野。札幌市内から1時間半ほど車を走らせると見えてくる、畑と田んぼが広がる農村地帯。「本当にここにレストランが?」とそろそろ不安になってきた頃、「EKARA」の褐色の建物が姿を現します。
 
大きな棟はレストラン、二つの小さな棟はコテージ。ここは、宿泊も可能な「滞在型レストラン」なのです。

刈り取りが終わった畑。「三笠すずき農園」では多種の野菜を育てている。

エカラ北海道開拓の要となった三笠。今はひそやかな田園地帯。

この場所がどのようなところなのかを説明すると、まず三笠市萱野が位置するのは札幌から旭川に向かう途中、岩見沢市を過ぎたあたり。北海道開拓の要となる石炭産業「幌内炭坑」にまつわる古い鉄道の駅舎や線路が残され、歴史深い場所です。周辺には田んぼや小麦・大豆の畑が広がりますが、近年では良いワイナリーも作られ注目を集めています。
とは言え、目立った観光名所もなく「人が訪れる場所」とは言い難いのが現状で、若者の人口流出や過疎も地域の課題となっていました。

レストランのアプローチ。戸を開けると明るく開放的な空間が広がる。

エカラ都会の消費者に、もっと農村を体験してもらいたい。

そんな地域の問題を解消しようと声を上げたのが、この地で農業を営む「三笠すずき農園」代表の鈴木秀利氏。3代前から北海道に入植し、米やタマネギ、カボチャなどを中心に生産していました。鈴木氏自身は約30年前から岩見沢市で八百屋を経営し、1年後に札幌に出店。「有機やさい アンの店」として自分の畑で採れた野菜や、仲間の生産物、加工品などを扱ってきました。

そうした都会での消費者との関わりの中で、「生産者から消費者へ食を届けるだけでなく、もっと農村や田舎を身近に感じてもらえることができないだろうか」と考えるように。三笠以外の人々との交流を通して地元を見た時、これまでと違った魅力があることに気付いたと言います。

気さくで親しみやすい人柄の鈴木氏。「農村に人を呼びたい」とひたむきだ。

エカラそれは1本のリンゴの木から始まった。

2017年、知人のイラストレーターやカメラマン、飲食店関係者、アウトドア関係者らと一緒に、三笠地域における「農」と「食」の連携推進協議会「MIKASA萱野プロジェクト」を立ち上げました。その中で柱となったのは「萱野にリンゴを植えよう」という計画。かつて、萱野エリアにはリンゴ畑があったそうですが、今は1軒もありません。再び萱野をリンゴの名産地にするという願いを込めて農園にリンゴの木を植え、それをプロジェクトのシンボルにしました。
 
その後は、一日限りの畑の中でのレストラン「オーチャードテーブル」や、田植えや草刈り体験、味噌つくり、豆腐づくり教室など、さまざまな参加型イベントを開催し、多くの人に三笠エリアの農と食を体感してもらう活動を実施。その集大成といえるのが「EKARA」です。宿泊施設と地域の食材を活かしたレストランという形によって、外から来る人に具体的に「農」と「食」を体験してもらいたいと構想を練り、2019年4月にオープンを迎えました。

まだ生育中のリンゴの畑。大きな木は桜。

エカラここから何を作るか、何ができるか。夢と可能性を秘めた場所。

EKARAとはアイヌ語で「~で~を作る(または~をする)」という意味。もともとのコンセプトである「三笠で豊かな食を楽しむ場を畑の中に作る」と、「この地で新しいチャレンジを作る」という意味を込めて付けた名前です。
 
建物の内部は北海道の木をふんだんに使い、古材も活かした温もりのある造り。窓を大きく取り、リンゴの木が眼前に望めます。設計は札幌の建築家・宮島 豊氏、建設は木を使った建物を得意とする武部建設が担当しました。

中央を貫く柱は古材を使用。岩見沢市にある武部建設は木を大切にする。

エカラ一枚の絵のように、田園風景を眼前に眺められるように。

こだわった点は二つあります。一つ目は、「カウンター席からも窓が全面に望めること」。オープンキッチンを囲む店内は窓際にテーブル席、キッチンを挟んでカウンター席がありますが、カウンター側が一段高くなっており、キッチンとテーブル席よりも高い目線から窓を正面に望むことができます。これは、ゲストの頭に遮られることなくリンゴ畑を眺められるようにという配慮からです。

居心地がよく、ランチスタートからラストまでのんびりする人が多いそうだ。

エカラ火は、人の心にも身体にもぬくもりを灯す。

そして二つ目のこだわりは、「火」。店のドアを開けるとまず、厨房に構えるピザ窯のあたたかな炎が目に飛び込んできます。「昔から、田舎の暮らしに火は欠かせませんでした。そして火のあるところに人は集まってきます。店に入ったら最初に火が見えるように、真正面にピザ窯を設置しました」と鈴木氏は話します。

どの席からも炎が眺められる。北海道の人にとって特に「火」は大切だ。

ピザはオーダー後に生地を捏ね、具材をのせて焼き上げる。

エカラ畑の食材と、生産者の想いをプレートに詰め込んで。

肝心の料理を作るのは、プロジェクトのメンバーで、札幌からこの店のために移住してきた金子智哉シェフ。鈴木農園で採れた野菜を中心に使い、3種のランチと予約制のディナーを提供します。ランチには、「農園のプレート」として季節の野菜を使った惣菜を6種ほど盛り合わせた皿が登場。メインをピッツァか肉料理を選ぶことができ、ピッツァも常時6種ほど用意しています。ピッツァの生地は、十勝産の小麦に鈴木農園で採れた米の米粉を混ぜ込むことで、もっちりした食感に。具やソースも、近くで作るチーズや自家栽培のトマトで作るソース、ジェノベーゼソースなど三笠の味を大切にしています。

鈴木氏と同じ想いを持って店に立つ金子シェフ。食材への愛を料理に込める。

ランチの「畑」はピザと農園プレートのセット。農園で採れた野菜のピザは季節替わり。

この日の野菜のピザは春菊。苦みやえぐみがなく、ルッコラのペーストと合う。

エカラインターネットもテレビもないからこそ、豊かな時間。

宿泊棟は「隣を気にせずゆっくりできるように」と2棟用意。1棟4人が宿泊でき、ベッド2台にダイニングテーブル、洗面、風呂、シャワールーム、トイレが完備されています。旭川の木で作られたテーブルや古材を使った柱など、こちらも地元の自然を生かしたインテリア。ベッドに掛けられている布は福祉施設のスタッフが手縫いし、飾られている絵も知人のイラストレーターによる作品です。

テレビもなく、Wi-Fiもつながらない。冬は雪の降る音さえ聞こえそうな静寂に身を委ね、夏は草のざわめきに耳をそばだてる。「都会で時間に追われるような生活をされている方が、何もない時間を豊かに過ごしてくれたら」と鈴木氏は願いを込めます。

2棟違った形に見えるが、実は同じ形の建物を方向違いで建てているそう。

建物はこぢんまりして見えるが、中は驚くほど広い。

シンプルなインテリア。「女子会にも人気です」と鈴木氏。

エカラいずれ、「三笠といえばシードル」と言われる日が来るかも。

現在、畑のリンゴはまだ3年ほどですが、鈴木氏には「いずれこの木が育ったら自家製シードルを作りたい」という計画があります。食を生産する農村としてだけではなく、人が憩い、拠りどころのような場所になる農村に。その夢は、リンゴの木とともに着実に育っています。

ビーツのドレッシング、エゾ鹿肉のコロッケなど。プレートの内容は季節によって変更。

自家製野菜で作ったマドレーヌやクッキーなどスイーツも販売する。

住所:北海道三笠市萱野158-1 MAP
電話:01267-2-5530
営業時間:
<夏季>  
 ランチ 11:00〜15:30 (ラストオーダー14:30)  
 ディナー 18:00〜20:30 (ラストオーダー19:30)
 定休日:火曜
<冬季>
 ランチ 11:30〜15:00 (ラストオーダー14:00)  
 ディナー 17:00〜20:00 (ラストオーダー19:00)
 定休日:月・火曜日 
EKARA HP:http://ekara.jp/

自然体で料理を創り、自分自身を表現する。津軽の大地で開花した無限大の可能性。[TSUGARU Le Bon Marche・澱と葉/青森県北津軽郡鶴田町]

『澱と葉』の川口潤也氏。物腰は柔らかいが、調理に入ると、一変して真剣な面持ちになる。左手に見えるキャニスターは松ぼっくりと大葉の塩水漬け、桃の蜂蜜漬け。

津軽ボンマルシェ・澱と葉土、蕾、花、水、草、実。エネルギーに満ちた自然を料理に置換。

それは、不思議な時間でした。
「土をつけたまま、お召し上がり下さい」
登場した茗荷のアミューズを見ると確かに土! 促されるまま口にすると、香ばしく炙った茗荷の鮮烈な香りが立ち上りました。シャキシャキの歯触りも快感。皿に塗られた土は各種野菜と魚介のドライパウダーを自家製味噌、米麹と合わせたペーストで、しっかりとした風味が茗荷の個性を際立たせています。ペーストの大地に可憐な彩りを添えているのはオイル漬けにした茗荷の花。

「茗荷は花が咲いてしまうと、普段、私たちが食べている蕾の本体はイガイガな味になってしまいますけど、花そのものは美味しいんです」
静かに、そして、柔らかいトーンで川口潤也氏が語りました。
ここ『澱と葉』は完全予約制で会員もしくは会員の紹介を受けた者だけに門戸を開く「茶寮」。主宰する料理人が川口氏で、お茶とお酒のペアリングを組み込んだ、おまかせコースが今、目の前で展開されています。
「ここにお客様がいらっしゃるのは月に1回、あるかないかですね。現状は知人の方だけって感じです」。これほどまで限定的な営業形態は東京でも稀。弘前から車で30分というのどかな鶴田町で、このスタイルを貫く事実にも驚きます。
町は以前、『ONESTORY』でも紹介した『KOMO』岡詩子氏の拠点。岡氏は『素のままproduct』で行動をともにするパートナーで、川口氏は販売する茶葉のセレクトやお惣菜の制作などを担当しています。

続く碗は卓上でスープを注いで完成。スープは昆布出汁に、大葉を漬け込んだ塩水、食べられる松ぼっくりを浸した塩水も加え、さらに煎茶の香味を移した日本酒で調えたもの。具材にホタテを使っていますが、主役はクレソン、ハルジオン、アザミなどの野草です。苦味や渋味、個性的な香りまで味方につけた清らかな一体感が見事。これまで食べたことがない、繊細でナイーブな美味しさに思わず吐息が漏れます。すると、また静かに川口氏が言いました。

「今朝、ご覧になった、あの風景を描いています」

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

「土から生える茗荷」をイメージしたアミューズ。茗荷は炭火で炙っている。自家製味噌に練り込んだのはゴボウやホタテのヒモ、ぶどうの葉などを乾燥させて擂ったパウダー。

クレソンのスープにあしらったアザミの花は素揚げにして、かすかな苦味や香りを封じ込めた。食材の個性に応じた、繊細な調理法が光る。

クレソンのスープ。野草とホタテを合わせた理由は「貝殻を畑の肥料として蒔くから」。日本酒は煎茶を漬けた八戸『八仙』の特別純米。清涼感ある味で、森の香りと色を表現。

津軽ボンマルシェ・澱と葉今日も森の中へ分け入って。自生する“食材”の実力を確かめる。

それは、不思議な時間の始まる数時間前のこと。川口氏の姿は、岩木山麓で営まれる『おぐら農園』にありました。
「ここに来ると元気が貰えます」
そう言って、慣れた様子で畑の奥に広がる自然の森の中へズンズン入っていきます。手には網かご。

「始まるわね、変態クッキング(笑)」。『おぐら農園』の小倉加代子氏もまた、当たり前のように川口氏の背中を見送りました。
「私たちが食材と思えないようなものに目をつけていつも採っていくの。ジュンヤくんは食材ハンターよ」
そう、この森は川口氏にとって食材の宝庫。「安心して食べられる美味しい雑草を求めて、ここに辿り着いた」と優しく微笑みます。『おぐら農園』は農薬不使用でりんごと桃を育てる生産者。りんごも桃ももちろん購入しますが、川口氏にとって、それと同等の魅力が森にはあるのです。

「本当に自由に採らせて下さる。ご夫婦のお人柄も好きで、ありがたいです」
気になった植物は、とりあえず食べてみる。それがいつもの採取法。
「これはアザミ。葉や茎は山菜で食べますけど、今日は花も使ってみようかな」。口に含むと笑顔になります。「花にはやっぱり甘みがあります」。今度はハルジオン。やはり匂いを嗅いで、試食しました。こうして山中を歩き回ること1時間。今日の食材で網かごがいっぱいになってきました。

「料理はいつも食材ありきで考えます。この葉や花がどんなところで咲いているか、それを踏まえて考える。それは生産者が育てる農作物もそう。どういう土壌でどういう気持ちで育てているか、そこを理解しないと料理は創れません」
最後に立ち寄ったのは清水が流れる森の北東。たくさんのクレソンが自生していました。リズミカルに響く水の音、ひんやりと引き締まった初秋の空気、青臭くて懐かしい森の香り。そうして思い出したのです。クレソンのスープを口にして、ありありと甦っていたのは、まさに、この光景でした。

アザミの花を試食する川口氏。長いときは3時間も山にこもっていることもあるという。「本当に良いのかなって思います。だって、小倉さんにとってお金にならない客だから(笑)」

茗荷を採取する大地はまさにアミューズで描かれた情景。茗荷は小倉氏が「家庭用と思って蒔いて採り損ねていた」もの。

群生するクレソンを使う分だけ採り、清水で洗う。

津軽ボンマルシェ・澱と葉無垢だから、気付いたこと。鶴田町だから、できたこと。

清らかな魂。川口氏と出逢って森へ行き、『澱と葉』に戻って料理を振る舞われる間、脳裏でずっと渦巻いていたのは、そんな言葉でした。私利私欲のためではなく、ましてや、料理人としての見栄や名誉、そんなものは遥かに超越して、川口氏は己の道を真っ直ぐに進んでいる。決して奇を衒っているわけではなく、森から受けたインスピレーションに従って、気負うことなく料理に仕立てている。
けれど、興奮するこちらを諌めるように、川口氏は言いました。
「私は料理人じゃないと思っています」

そして、真顔で続けます。
「だって、いろいろな人に合わせてちゃんと料理を出す、それが本当の料理人ですから。私はそういう料理人とはかけ離れたことをしている自覚があります」
青森市で生まれ、八戸市で育った川口氏が料理の道を志した理由は「イタリアの世界遺産を子供の頃に見て、イタリアに行きたいと思ったから(笑)」。東京のイタリアンレストランで働き始めました。しかし、慣れない大都会での新生活はいろいろな意味でストレスになったのでしょう。体調を崩して青森へ一旦、帰ります。今度は先輩の紹介で千葉のレストランへ。そこでも身体を壊してしまいました。
「本当は芸術系の勉強がしたかったんですけど、お金がなくて……ならば喰いっぱぐれないだろうと飲食に行ったというのもあります。そんな理由じゃダメになるに決まっていますよね(笑)」

事態が好転するのは千葉から戻ってすぐ。八戸の人気ビストロ『origo』を手伝い始めたことがきっかけでした。
「本当にお世話になりました。『origo』で料理の技術はもちろん、ワインやサービスに関してもしっかり学ぶことができました」
充実の3年間だったと振り返ります。しかし、そのうちに、「何か違うことにチャレンジしたくなって」独立を考えるようになっていきました。

独立するなら──普通のレストランやワインバーは自分に似合わない。自分らしさとは一体、何か──あれこれ模索する中で、価値観を一にする人に絞って、「私がいる」鶴田町が育んだ食材を提供する『澱と葉』のスタイルに行き着きました。『KOMO』岡氏の「食で表現する人になればいい」という声援にも背中を押されたと言います。
「鶴田町って本当に好き。何より、人があまりいないのが良い(笑)」
そうして『澱と葉』でこの一年とちょっと、料理を創り続けるうちに、「頭の中でいろいろ考えることが好き」な自分を再発見していったのでした。
「考えれば考えるほど、いろいろとやりたいことが湧いてくる。創作の楽しさに目覚めました」
そう聞いて、嬉々として森の草花と触れ合う川口氏の笑顔が思い返されました。

この日の収穫。アザミのほか、カタバミや虎杖の葉、「噛むとライムのような酸味がある」松葉の一種も採取した。りんごは「彩香」、桃は「さくら白桃」で『おぐら農園』産。

キッチンに持ち込んだ野草や木の葉、花は種類別に分け、頭の中で料理を組み立てていく。「どれもスーパーに売ってない食材で同じようなものはなく、創造力もかき立てられます」

森で出合ったウドの花と果実。これも採取して、熟した黒紫の果実のみ、クレソンのスープに浮かべた。「わずかにエグみはありますが、後から酸味も感じられます」

津軽ボンマルシェ・澱と葉環境と人に後押しされて辿り着いた、自由な表現者の境地。

川口氏は今、自分の料理をイベントでも積極的に披露しています。例えば、今年の春に東京で開かれた『食べる美術展 ─拾うと捨てる─』はそのひとつ。岡氏のほか、弘前のドライフラワー作家・草刈英花氏や、様々な“せかい”を食で表現する遠藤麻鈴氏といった若手クリエイターたちとタッグを組んで、循環をテーマに料理を手掛けました。ほかにも鶴田町初のワイナリー『WANOワイナリー』が主催した地元の津軽豚とワインの魅力を発信する野外ビュッフェイベント『ぶどう酒とぶた』でもケータリング料理を提供。川口氏のクリエイションを求めるファンも増え続けているのです。

さぁ、今日のコースも、いよいよメインです。
「主役は小倉さんのりんごです」
りんごの実を巻いた葉は『おぐら農園』の森で採取したサルナシ。じっくりと炭火で蒸し焼きにしています。りんごの枝をかたどった焼き菓子はりんごの皮をオイル漬けにした、そのオイルを練り込んでいます。皮の方は刻んでビネガーと合わせ、ソースに忍ばせました。添えたピュレはりんごの発酵エキス。発酵は「見知った人の違う側面を発見するようで好き」と昨今、多用する調理法のひとつ。本物のりんごの葉も飾られています。皿の上に、『おぐら農園』のりんごがすべて集約された印象。
「ジュンヤくんは将来も楽しみな存在なのよ。あるとき、りんごの枝が欲しいと言われて切り出したら、根元をチューチュー吸ってた(笑)。品種によって異なる枝の味がわかるみたい。そんなこと、凡人にはできないでしょ? 可能性を感じるから応援したくなるのよ」
小倉氏が言っていたように、その可能性は無限大です。そして、自然に恵まれた鶴田町という環境の効能を改めて知るのです。鶴田町があったから、川口潤也という個は、自分と向き合う楽しさを知り、自然体で表現する悦びを覚えた。

「最近、自分のことが少しわかってきたんですけど、自然が大好きなんですよね。中でも最近、心動かされるのは、ポツンとひとつある美学。りんごもそう。1個だけ落ちている、1個だけ木に残っている、そういうカッコ良さに惹かれます。自然界には、そういう光景って、ちょいちょいある」
清らかな魂は鶴田町の自然と暮らす人々からたくさんの栄養を貰い、ナイーブなままで、自由に楽しむ表現者となった。不思議な時間の終わりに、そんなことを思ったのです。

 

りんごのメイン。肉も魚も使うが、今日はあえて果実でメインを創造した。「今は信頼する生産者と繋がりができたからか、植物に興味が向いています」。印象的な器は岩手・久慈の陶工、泉田之也氏の作。

森に分け入る前に、『おぐら農園』の小倉慎吾氏、加代子氏夫妻にご挨拶。「私たちがいないときでも勝手に入っちゃっていいのよ」「いえ、さすがにそれは申し訳ないです……」

野外ビュッフェのイベント『ぶどう酒とぶた』で津軽豚を焼く。『WANOワイナリー』のぶどう畑の隣に特設会場を設置。訪れた人々の舌を喜ばせた。

『澱と葉』の名は愛するワインとお茶から着想。「ワインとお茶でなくて、澱と葉で縁の下の力持ちをイメージしました。そういう人間になりたいと常日頃から思っているんです」

澱と葉 HP:https://www.instagram.com/oritoha/


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

ワインテイスター大越基裕氏が解説。ディナーに華を添えた世界最高峰ソムリエのサービス。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

2004年当時最年少にてマスターソムリエとなった米国出身のロバート・スミス氏(左)が、『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』のドリンクを担当。体験した日本を代表するソムリエ大越基裕氏(右)がドリンクについて徹底解説。

ダイニングアウト輪島かつてない豪華な布陣。ワイン界のオーソリティ、マスターソムリエの参戦。

石川県輪島市を舞台に2019年10月5日、6日に開催された『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』は、17回の歴史を重ねる『DINING OUT』としても過去最高の布陣だと開催前から注目を集めました。

「漆文化の地に根付く、真の豊かさを探る。」というテーマの下、世界が注目するアメリカ人シェフ、ジョシュア・スキーンズシェフと、能登にルーツを持つ『AZUR et MASA UEKI』の植木将仁シェフの2人がコラボレーション。加えて、ドリンク担当として、世界のワインシーンに影響を与えてきたマスターソムリエ、ロバート・スミス氏が参加。更に、並行して進められた『DESIGNING OUT Vol.2』では、世界的建築家の隈 研吾氏がこの日のために輪島塗の器をプロデュースするという前代未聞の構成となりました。

2人のトップシェフの料理に、世界最高峰ソムリエが加わることで、どのような化学反応が起こったのか。ワインテイスター、大越基裕氏の視点を交えお伝えします。

【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS

食事を楽しみながら、ワインと料理とのペアリングについてテイスティングを行う大越氏。

金蔵地区の棚田が会場に。初日は雨模様だったが、2日は見事な月夜となった。

ダイニングアウト輪島また一歩、新境地へ。回を重ねるごとに成熟する『DINING OUT』の現在地。

日本とフランスを拠点に、世界各地のワイン産地や都市に足を運び、世界のワインの今を伝えるワインテイスターの大越基裕氏。レストランサービスから国際市場のワイン動向までを熟知し、日本のワイン界をリードする存在です。2016年佐賀県唐津市で開催された『DINING OUT ARITA& with LEXUS』にはソムリエとして参加をした経験も。今回、マスターソムリエのロバート・スミス氏のドリンクペアリング、ワインサービスをプロの目線で紐解きます。

「初のダブルシェフの競演、著名な建築家の隈研吾氏が関わる『DESIGNING OUT Vol.2』の同時開催と、マスターソムリエの参戦とかつてないコンテンツが揃った今回。野外で行われるハイエンドなレストランイベントというだけで十分にバリューだった『DINING OUT』ですが、ますますラグジュアリーさを増している。ここまで来たかと驚きを感じました」。
まずは今回の『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』について、大越氏はそのように話します。

2019年、日本に拠点を移したマスターソムリエのロバート・スミス氏については、かねてからその動向に注目をしていたと話します。
「日本ではいまだ認知度が十分とはいえませんが、イギリスにおけるマスター・オブ・ワイン(MW)、アメリカにおけるマスターソムリエ(MS)は、間違いなく世界最高峰のワイン資格。ロバート氏が日本に移住したことで、日本在住者では初となるマスターソムリエが誕生したわけで、今後、日本のワイン業界をどう刺激していくかに関心があります」。

今回、11皿の料理に合わせて用意されたのは、ワインを中心とした9アイテムのペアリングドリンク。大越氏は一体、そのうちのどんな点に着目したのでしょうか。

笑顔でテーブルを回るロバート氏。訊ねたことすべてに丁寧に答えながら、堅苦しさゼロのサービスも印象的。

『DINING OUT』史上初のダブルシェフの競演となった今回。『AZUR et MASA UEKI』の植木将仁シェフ(左)と、 アメリカ人として熾火料理で唯一三ツ星に輝いたジョシュア・スキーンズ氏(右)。

『DESIGNING OUT Vol.2』では、クリエイティブプロデューサーに世界的建築家の隈研吾を迎え、オリジナルの「輪島塗」の器を披露。その器に2人のシェフの料理が盛り付けられた。

ダイニングアウト輪島世界のガストロノミーの潮流と符合する「軽やかさ」が基調のペアリング。

「世界のガストロノミーのここ数年の動向として、料理が軽やかになっているという傾向があります。2人のシェフによる11皿のコースもやはり、その流れを汲むもの。ペアリングドリンクのセレクトも今の料理シーンをリスペクトしたスタイルであったことが、最初に感じた印象です」
ジョシュア氏の本拠地であるアメリカ西海岸のワインといえば、日照量豊かな恵まれた気候で育まれるぶどうを使ったリッチでボリューム感がある味わいが、まずは頭に浮かびます。が、ロバート氏のセレクトは「より洗練されたものだった」と、大越氏はいいます。

ペアリングの一例は以下の通り。アミューズにシャンパーニュ、仔牛のカルパッチョにナパ・バレーのロゼ、ラディッシュの一皿にはサンタクルーズマウンテンの複雑味のあるシャルドネ、鮑の炭火焼きに奥能登の自然栽培米を使った日本酒という具合です。

「ロゼはナパの中でも冷涼な地域のものですし、シャルドネも同じく涼しいエリアの重すぎないもの、ソノマのジンファンデルもフレッシュさが印象に残りました」と、大越氏。

「アメリカのワインがラインナップの半数を占めるペアリングは、我々、日本人ソムリエにはない発想。シェフとソムリエ、2人がアメリカ人だからこそ生まれた表現が、能登輪島の食材を使った料理と合わさる斬新さ。新たな視界が開けるようなペアリングでした」

ハイクオリティなシャンパーニュ造りを実践するRMの造り手「クラブ・トレゾール・シャンパーニュ」認定のシャンパーニュを、アミューズとともに。

ジョシュアシェフによる鮑の一皿。肝や炊いた際の出汁も余すところなく閉じ込めた凝縮感のある味わいには「自然栽培米の純米酒がぴったり」と、マーク氏。

植木シェフによる「ノドグロと藻屑蟹」にロバート氏が合わせたのは七尾市『布施酒造』の「大古酒5年」にふぐ出汁を加えたもの。

ダイニングアウト輪島テクスチャーの、旨みのトーンの重なりが、想像を超えたハーモニーを生む。

とりわけ印象に残ったペアリングについて大越氏に訊ねると、迷わず「植木シェフの仔牛のカルパッチョとアズール ロゼ」という答えが返ってきました。
「カルパッチョとはいえ、生ではなくガストロパックで加熱調理されたもの。野菜や発酵食品で味わいの層をつくった一皿です。通常のフレッシュなロゼでは負けてしまいますが、カリフォルニアのシラー、グルナッシュからつくるこのロゼは、フレッシュだけれど充実感ある味わいで、テクスチャー含め非常に相性が良かった」

さらにもう一点、ジョシュアシェフの「ラディッシュ」と、『Saison』が所有するワイナリーのシャルドネも味わい深かったと話します。
「味付けは、出汁のジュレとバターのソース。バターにシャルドネは鉄板の組み合わせゆえ、やや面白みに欠けると感じたのですが、このシャルドネ、味わってみるとバターっぽさがない。溌剌(はつらつ)さは残しながらも、口中に広がる酸化熟成のテイストが出汁の風味とが見事なマリアージュでした。ラディッシュ自体はフレッシュなのですが、最終的には凝縮感ある出汁の味が余韻に残る。酸化熟成から生まれる風味と旨みは、出汁と想像を超えるハーモニーでした」。

その精度もさることながら、日本の発酵食品がつくる味の複雑味や出汁の旨みについても研究し、セオリーを超えて考え提案されたペアリングに、大越氏も感銘を受けたようです。

植木シェフによる「仔牛のカルパッチョ」と、ロバート氏セレクトの「アズール・ロゼ」。「フレッシュさとは一線を画す味わいに、程よい厚みのあるロゼが寄り添う」と、大越氏。

ジョシュアシェフの「ラディッシュ」と、マーク氏が共同オーナーを務める『Saison』のワイナリーのシャルドネ。

ダイニングアウト輪島想像の枠外にあるドリンクサービスで、これまでにない体験を。

「我々はプロの集団ですから、料理の完成度やワインなどの提供も含めたサービスで、ゲストを満足させるのは当然です」
開催に先駆けて行われたインタビューで、ロバート氏は、そのように話していました。アジア以外の国からシェフを招いての開催は、初めてのこと。ゆえに、これまでの回とは違った体験を提供したいという気持ちも強かったといいます。

2日間のサービスを終え、今回のドリンクセレクトのプロセスについて、ロバート氏にも話を伺いました。
「今回、ジョシュアの料理に合わせるワインは、『Saison』の共同オーナーでソムリエ、ワインメーカーのマーク・ブライトが担当。春から一緒に仕事をしているマサ(植木シェフ)の料理に合わせるワインを、私が選びました。それぞれの現在のパートナーシップを活かして、よりよいものを、と考えた結果です」

ワイン以外のドリンクも、登場しました。例えばジョシュアシェフの「鮑の熾火焼き」には輪島市『白藤酒造』の「奥能登の白菊」。
「マークは自らワイナリーも所有していてワインづくりも行っています。マーク自身のワインをチョイスに入れたらどうかと提案しましたが、やはりローカリティにこだわりたい、と。元々、マークは年に一度は日本を訪れるほどの親日家で、大の日本酒好き。レストランには200アイテム以上をオンリストしています。その中で、ギリギリまで熟考を重ね、前々日に決まったのが輪島の酒蔵が自然栽培米で醸す純米酒でした」

それを聞いて、大越氏が続けます。
「もし日本人ソムリエが鮑料理のペアリングアイテムを考えたなら、日本酒というチョイスは正攻法過ぎて優先順位が下がる。でも、アメリカ人だからこそ、そこに日本の食文化に対するリスペクトという視点が生まれ、彼らの純粋な表現になる。『白藤酒造』は歴史を守りながら革新も続ける酒蔵で、このチョイスは素晴らしいと感じました」

「漆文化の地に根付く、真の豊かさを探る。」という今回のテーマは、ジョシュア・スキーンズシェフというアメリカ人のトップシェフが参加することにより、多角的な視点と立体的な表現が生まれました。ロバート氏、そしてマーク氏のワインセレクトは、その視点、表現をさらに確かにするものだったといえるでしょう。

「味わいの感想は人それぞれ。一般のお客様とプロの方でも異なる感想を抱かれるでしょう。ひとつの正解がない世界で私たちがお届けしたかったもののひとつは、さまざまな酒づくりに関わる方々の想いや仕事。それを2人のシェフとキッチンスタッフ、サービススタッフ全員から成るチームで、皆さんにお届けできたならば、何よりだと感じています」

ロバート氏は、そう話し2日間の、いや準備開始から約半年以上に渡る『DINING OUT』でのサービスを総括しました。

ゲストへ事前の紹介はなかったが、華のあるサービスで会場を盛り上げたマーク・ブライト氏。

左からロバート氏、大越氏、マーク氏。国境を超えて活躍するワインのプロフェッショナル同士の話は尽きることがなかった。

1971.2.9 生まれ。テキサス州ダラス育ち。家業が食に関わる仕事をしていたことで、幼いころからホスピタリティと料理に触れる。ネヴァダ大学ラスベガス校ホテルホスピタリティ学部卒。いくつかのブティックレストランを経て、1998 年ラスベガスの ホテルベラージオ入社。 ジェームスビアード賞を受賞したジュリアンセラーノ氏がシェフを務める、レストランピカソにてソムリエとして約 18 年間従事。2004 年に当時最年少にてマスターソムリエに合格。史上 149 人目の資格保持者となる。

1976年、北海道生まれ。国際ソムリエ協会  インターナショナルA.S.Iソムリエ・ディプロマ。2013年6月、ワインテイスター/ワインディレクターとして独立。世界各国を回りながら、最新情報をもとにコンサルタント、講師や講演、執筆などもこなしてワインの本質を伝え続けている。ワインだけでなく、日本酒、焼酎にも精通しており、ワインと日本酒を組み合わせた食事とのマリアージュにも定評がある。

ラスベガスのネバダ大学在学中に、Hotel Bellagioで勤務。そこでマスターソムリエの指導の下サーバーとして猛勉強し、サンフランシスコの有名レストランにてソムリエとして活躍。
2009年にジョシュア・スキーンズとパートナーシップを組み、Saisonをオープン。わずか5年でミシュラン三ツ星を獲得。現在はサンフランシスコとロサンゼルスに拠点を置くSaison Hospitalityのシーフードレストラン「Angler」のワインディレクター兼共同オーナーとして、Saison cellar wineのワイン醸造者として、そしてグループのソムリエとして活躍中。

見たことのない11の東京の姿。その真実に迫る、島旅の記録。[東京”真”宝島/東京都]

東京"真"宝島OVERVIEW

日本一の都市、東京に島があることをご存知でしょうか。しかも、その数は11島(有人の島)にも及びます。
大島、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島、父島、母島がそれです。人々は、この 11島を「東京宝島」と呼ぶも、その魅力はおろか、島によっては存在すら知られていないかもしれません。

この11島は、果たして「観光地」なのか? いや、そんなひと言で表現できるほど容易くはないと思います。では同じ「東京」なのか? 理屈ではそうですが、まるで別世界です。我々は、そんな島々の「真実」を探す旅に出たいと思います。「東京宝島」の真実、「東京“真”宝島」の旅へ。
伝統、文化、歴史、はたまた祭りや催事、風習……。島が持つ本来の空気や時間、そして島民の生き方……。姿を持たないこれらにその真実を形成する主が潜むゆえ、なかなか対峙することや体験することが難しいと思います。しかし、幸運にもそれに触れることができた時、ほんの少しかもしれませんが、島が大切にしてきたことと出合うことができるでしょう。

そして、それを一度でも体験すればきっとこう感じるに違いありません。ここには「未来」に残したい「日本の姿」、「地球の姿」が存在していると。ある意味、観光地化されすぎなかったからこそ、その「原型」を留めることができたのではないでしょうか。ゆえに、島自体が「作品」なのかもしれません。それはまるで「宝島」のように。
「島の資産」は「東京の資産」であり、「日本の資産」。更には「地球の資産」。それは進化でも変化でもない、「不変の価値」といっていいでしょう。

「今」を100年後も「今」のままで。
そんな願いを込めて、知られざる東京の旅をご案内したいと思います。


(supported by 東京宝島)

放置竹林という社会問題を、竹スイーツという新たな発想で楽しむ!10月28日(月)より10日間限定で限定発売。[LIFULL Table 地球料理-Earth Cuisine/東京都千代田区]

薬師神陸シェフが紡ぎ出した4つのバンブースイーツ。左より「竹のササート」「竹団子 白餡ショコラとともに」「葛豆腐 竹炭仕立て」「竹香る和ナンシェ」。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ食の新たな可能性を探る意欲的なイベントを開催。

2019年9月某日。江東区にある東京都現代美術館において、とある意欲的な驚きの食のイベントが開催されました。

ずばりテーマは“竹を食べる”!

いま日本全国で問題となっている「放置竹林」の竹を食べて竹害を防ぐことを目的にし、地球のためになる新たな食材を見つけるプロジェクトだというのです。このようなコンセプトを描き、プロジェクトを始動したのは「あらゆるLIFEを、FULLに。」をコーポレートメッセージに掲げる住生活情報サービス運営企業(株)LIFULL。地球上でまだ光の当たっていない素材にフォーカスし、その素材を食べることが地球と人のために、ひいては地球上にある新たな食材を見つけることになる。そんなコンセプトを持つ「地球料理-Earth Cuisine」プロジェクトの第二弾として開催されたのです。

昨年の第一弾では、間伐材を見事なフランス料理のフルコースにアレンジしてみせた、田村浩二氏が料理のクリエイションを担当。
そして今年、放置竹林に挑んだのは、海外からも注目を集める新進気鋭のシェフ・薬師神陸氏と、和菓子作家の坂本紫穗さん。それぞれ4品ずつ合計8品の竹スイーツをフルコース仕立てにし、ゲストを迎えた先行試食会を行ってくれました。
ONESTORYでは、その様子を昨年同様にレポート。食の新たな可能性を探る意欲的な試みに注目しました。

【関連記事】LIFULL Table Earth Cuisine/まず伝えたい「木は食べられる」という事実。杉でつくったケーキに乗せた思いとメッセージ。

屋外の会場には竹林をイメージした装飾を。竹の葉音が涼しさを演出。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌフレンチシェフが生み出す注目竹スイーツ。

最初に運ばれてきたのは、深い緑が抹茶を想起させるドリンク「竹のササート」でした。細い竹の枝をストロー代わりに使った遊び心あふれる演出。かと思いきや、ここにも世界的に問題となっているプラスチックストローの代替への意識を忍ばせているのです。そして、口当たり柔らかな竹ストローでひと口味わうと、抹茶とはまったく違う爽やかな苦味が喉を潤します。まだまだ日差しの強い晩夏のこの日にはうってつけ。聞けば、「笹の葉をライムと合わせ、さっぱりとしたモヒート風にアレンジしました」と薬師神氏。まったく新しい風味なのに、どこか味わったことのあるようなニュアンスは、和のエッセンスとして古くから用いられる竹という素材が持つ力なのだと教えてくれます。

さらに笹団子ならぬ竹団子を白餡仕立てにし、竹炭仕立ての葛豆腐を白味噌ソースで提案。〆にはフレンチの世界で活躍してきた薬師神氏ならではの竹香る和風フィナンシェという前半4品の構成に。
「何かを混ぜ合わせると個性が消え、何かを足さないと美味しくない。いきなり先制パンチを食らったような食材が竹でした。でもですね、こんな難問をひとつひとつクリアしていき、見えてきたのは「竹」って素晴らしいってことでした。面白い食材だと思います」と各ゲストを回りながら、竹の魅力を力説する薬師神氏が印象的でした。

ゲストからも次々と質問攻めにあう薬師神シェフ。

竹を使ったモヒート風のノンアルカクテルが「竹のササート」。次々とおかわりする人が続出。

どら焼きとフィナンシェの生地をあわせ、竹の幹そのものを25%使用したという「竹香る和ナンシェ」。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ和菓子作家が魅せた竹の可能性。

続く後半4品は、和菓子作家の坂本紫穂さんが担当。最初に運ばれた「黒羊羹 竹砂糖添え」は、竹炭を用い強い黒を表現した羊羹でした。たっぷりの竹の粉を添えることで「羊羹と似ているようで、何かが違う」という違和感が生まれるような構成に、会場からは次々とどよめきが起こり、ゲストの舌を喜ばせます。

「味覚はもちろんのこと視覚、嗅覚、そして触覚(舌触り)を通して、感覚的に竹や竹害を感じる和菓子を目指しました」とは坂本さん。
青竹の落雁、白きんとんの竹包みと、和菓子作家らしい印象的な竹スイーツは、竹害から生まれた和菓子という今回のテーマそのもの。一緒に添えられた、竹しずくという竹水を和三盆でやさしく味付けした甘露が、ふわりと疲れを癒やしてくれるのです。

坂本紫穂さん創作の4品。左より「黒羊羹 竹砂糖添え」「竹しずく」「青竹の落雁」「白きんとんの竹包み」。

「自然を見つめ直すことは、私たちの生き方を見つめ直すことでもある」と坂本さん。

ほのかに和三盆の甘さが広がる「竹しずく」は、女性に好評。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌバンブースイーツが、今秋、期間限定で一般販売開始!

成長が早く、繁殖力が高い竹は、放置すると周りの動植物の生態系への悪影響や、過密になると弱ったり枯死した地下茎が多くなり、浅根になる傾向があるため、土をかかえ留めることができず大雨の際には地滑り等の竹害を引き起こす可能性があります。そんな放置竹林の持つ課題を、見事に食材へと転化し、楽しみへと変えたふたりに、食後、会場からは惜しみない拍手が鳴り止みませんでした。

そんな新たなる食の体験で地球と向き合うことこそが、LIFULLが目指す「地球料理-Earth Cuisine」プロジェクト。食べることが地球のためになる、それは訪れた誰もが深く刻んだ食体験だったように思います。

そしてなんとこの記事を読んでいただいた方にも朗報です。 今回のスイーツの一部を期間限定で、LIFULLが運営する飲食店LIFULL Table(東京都千代田区)にて、10月28日より期間限定で一般発売。上記の竹を使った4品のスイーツが味わえることになりました。
食べておいしく、味わうだけで地球のために。そんな意欲的な挑戦をぜひ自身の舌でご体験あれ。

竹害から生まれた和菓子は、10月28日より期間限定で一般発売が決定。

辻調理師専門学校卒業後、同校のフランス料理講師としてスタート。2014年『SUGALABO』のシェフに就任し国内外で活躍。2017年にRED U-35 ​​​GOLD 受賞ほか、国内外のアワードを多数受賞。今夏独立し〝食のリテラシーを磨く〟をコンセプトにイベント企画、メニュー監修など幅広い料理人の働き方をしている。

和菓子作家。1982年栃木県宇都宮市出身。IT企業を退職後、和菓子作家としてオーダーメードの和菓子を作品とした制作・監修。和菓子教室やワークショップも行い、2016年にはミラノ・サローネにて和菓子のデモンストレーションおよび展示を手掛ける。〝印象を和菓子に〟をコンセプトに日々のあらゆる体験、印象を表現し続けている。

住所:東京都千代田区麹町1-4-4 1F MAP
電話:03-6774-1700
発売日:2019年10月28日(月)〜11月11日(月)平日のみ10日間限定
価格:各800円(税抜)
数量:風セット、凪セットそれぞれ1日10セット(イートインのみ)
LIFULL Table HP: https://table.lifull.com/earthcuisine/bamboosweets/

伝えたのは「食事は楽しむもの」という思い。ファインダイニングを舞台に繰り広げられた『1日だけのトラットリア』。[Courage/東京都港区]

フェデリコ・スィスティ氏と大井健司氏。二人のシェフの感性が、この夜だけの料理を生み出した。

クラージュ二人のシェフの競演による、特別なディナー。

2019年某日。麻布十番のイノベーティブレストラン『Courage』を舞台に、スペシャルな晩餐が繰り広げられました。『サンペレグリノ』のサポートで行われたこの晩餐の名は『1日限りのトラットリア』。ミラノ『アンティカ・オステリア・ディ・ロンケッティーノ』で腕を振るうフェデリコ・スィスティシェフが、『Courage』の大井健司シェフと手を組み、この一夜のためだけのコースを作り上げたのです。

東京を代表するファインダイニングを、あえてトラットリアに変え、大勢で、賑やかで、気さくな食事を楽しむ。そして登場するシェフ自身が、パートナーやゲストと自らの情熱を分かち合う。そんなコンセプトを持ったこの企画には、名店のシェフやフーディ、『Courage』の常連客などが集い、思い思いに楽しんだよう。素晴らしい料理と気さくな雰囲気で盛り上がったその様子をお伝えします。

会話と食事を楽しむカジュアルなトラットリア。東京を代表する名店のシェフたちも、その空気を楽しんだ。

クラージュカジュアルに、リラックス。醸し出されるトラットリアの世界観。

この特別な夜が実現したきっかけは、アジアを拠点に活躍する料理人やフーディのコミュニティ『ガストロノート・アジア』から自然発生的に生まれた声。誰が主催で、誰がスポンサーでという話が中心に進んだのではなく、フェデリコ氏の「ぜひ日本で活躍するイタリア料理人とのコラボをしたい」との熱意を、『Courage』のオーナーである相澤ジーノ氏と、同店の大井シェフが快諾したことが直接的な原動力でした。
「大勢の家族や友人が食卓を囲み、リラックスしながら食事をする。それがトラットリアの伝統的なスタイルです」とフェデリコシェフ。相澤氏、大井氏と揃いで「伝統は死なず」と書かれたキャップを被って、今日の日に臨みました。テーブルには、通常時の無地ではなく、ギンガムチェックのクロス。これもまた、気さくなトラットリアの伝統的なスタイルです。

フェデリコシェフと大井シェフが最初に決めたのは「テーブルを皿で埋め尽くそう!」というテーマ。それぞれが持てる技と知識を出し合い、何度も話し合いを重ねながら、今日の日の料理が完成しました。

前菜は両名のシェフがそれぞれ3品ずつ出し合いました。フェデリコシェフは「高価ではないけれどとても大切な食材」というタマネギのロースト、イタリアでポピュラーなトリッパのサラダ、メジマグロのタタキにテリヤキソースをあわせた料理の3品を用意。一方
大井シェフは「日本の和え物をイメージした」という淡路のサワラのジェノベーゼ和え、串に刺して燻製した北見のエゾシカの肉団子、自家製フォカッチャにアンチョビとモッツァレラを挟んだナポリの伝統料理モッツァレラ ディ カロッツァを仕立てました。
それぞれの個性が垣間見えつつ、全体の統一感もある。二人のシェフの間で交わされた会話が見えてくるような、魅力的な前菜が出揃いました。

ゲストも自分たちも楽しめるトラットリア」を目指したフェデリコシェフ。

日頃は「素材ファースト」のファインダイニングを率いる大井シェフが、カジュアルなトラットリアに挑む。

「伝統は死なず」はフェデリコシェフのキャッチフレーズであり、この日のテーマでもあった。

イタリアの食を知る日本人、日本の食を知るイタリア人。二人のシェフが3品ずつ仕立てた前菜。

クラージュ日本の食材、食文化をイタリアンにアレンジ。

料理はテンポよく、次々に登場します。メイン料理は、ピエモンテの郷土料理ボリート・ミストです。ボリートは「茹でる」、ミストは「いろいろ」、日本で言うおでんのようなこの料理。今回も牛ホホ肉、アキレス腱、仔牛のタン、スネにさまざまな野菜が盛り合わされています。ソースは3種。トラディショナルなサルサベルデは本来イタリアンパセリで作られるものが、今回はシソが使われました。パルミジャーノチーズがきいた白インゲンのピューレ・サルサビアンカ、甘酸っぱいサルサロッサ。さまざまな具材に、3種のソース、その組み合わせ方は自在です。

「伝統は大切ですが、そのまま再現する必要はありません。日本でやる意味を考え、このような形になりました」と大井シェフは振り返りました。
パスタは2皿。ひとつは手打ちタリアテッレ仔牛のラグーソース。骨髄の旨みが染み出したイタリアらしいパスタです。もう一方は、牛もも肉のタルタルとオカヒジキの蕎麦風パスタ。添えられた煮干しの出汁にくぐらせて、つけ麺のように味わいます。来日の度に日本料理を食べ歩き、さまざまなインスピレーションを得たというフェデリコシェフ。「日本の蕎麦をイメージした」と話し、大井シェフは「まんま蕎麦ですよね」と笑う。その明るい雰囲気もまた、料理のおいしさに影響するようでした。

デザートは、ホワイトチョコレートのムース カカオシュトロイゼルとパッションフルーツソース。デザートを得意とする大井シェフの技が随所に込められた逸品で、コースは締めくくられました。しかし料理が終わっても、ほとんどのゲストは会話に華が咲き、がなかなか席を離れようとしません。楽しい会話、心地よい雰囲気を誘発する料理。フェデリコシェフと大井シェフの目論見が見事成功したことは、この光景が物語っていました。

イタリア風おでんともいうべきメインのボリート・ミスト。シンプルかつ広がりのある味わいが魅力。 通常は冷製で提供されるミラノ伝統料理・ネルベッティがグリルされて、添えられた。

つけ麺スタイルの蕎麦風パスタ。柔らかく火を入れた牛もも肉のタルタルとともに出汁にくぐらせて味わう。「ヘルシーに進化させたボロネーゼです」とフェデリコシェフ。

もうひとつのパスタは、超正統派のラグーソース手打ちタリアテッレ。改めて両シェフの実力が垣間見える。

食感のバリエーションと味の多彩さを見事にまとめあげたデザートは、大井シェフの真骨頂。

クラージュゲストにもホストにも、意義のあった晩餐。

当日訪れたゲストの中には、日本のイタリア料理界を牽引するシェフたちの姿もありました。それぞれが今日のトラットリアを堪能し、そして何か得るものがあった様子。
最初に感想を聞かせてくれたのは、10年ほど前、フェデリコシェフとともに働いていた経験があるという『アマン東京』の総料理長・平木正和氏。「みんなで賑やかに食事を楽しむのは、本当に大事なこと。自分は今ホテルにいますが、なるべくホテルの型にはまらないよう努めています。その意味を改めて確認できました」と伝えてくれました。
遅れて参加した『HEINZ BECK』のエグゼクティブシェフ・カルミネ・アマランテ氏も、このディナーから学ぶことがあった様子。「時々忘れてしまいがちですが、郷土料理は本来、貧しい時代にどうおいしく食べ、どう楽しむかから生まれたもの。今日のディナーで改めて食事の楽しむことの大切さを思い出しました」

料理を終えた大井シェフとフェデリコシェフも、やはりリラックスした様子でした。
「純粋に楽しかった。日頃はジャンルレスなフュージョン料理が中心ですから、ここまでしっかりしたイタリア料理を、しかもイタリア人シェフと一緒にやれたことは刺激になりました」と大井シェフは振り返ります。「フェデリコとはとても気が合って、メールや電話でやりとりをしながらメニューを組み立てることも楽しかった。大変でしたけどね」そう爽やかな笑顔を見せる大井シェフ。最後に「イタリア修業から時間が経ち、忘れかけていたイタリア語を思い出せたことも良かった」と笑いました。

もちろんフェデリコシェフにとっても念願かなった素晴らしい体験となった様子。「ゲストが料理について興味を持ち、あれこれ尋ねてくれました。そのやりとり、フィードバックがまさにトラットリアの魅力。僕のキャッチフレーズは“伝統は死なず”。それを表現できた最高の場でした。大井シェフやジーノさんにも感謝です」
訪れたゲスト、迎えたシェフ、それぞれに気づきと出会いがあった今回の『1日限りのトラットリア』。これをひとつのプラットフォームとして、場所を変え、ジャンルを変えて、またどこかでこんな特別な晩餐が催されるかもしれません。

「僕のやりたいことと、方向性は似ています」と『アマン東京』の総料理長・平木正和氏。

「南イタリアを思い出して懐かしくなりました」と『HEINZ BECK』のエグゼクティブシェフ・カルミネ・アマランテ氏。

「リストランテ、トラットリアというくくりは無くなりつつあります。大切なことは作り手の感性です」と『ラパルメント ディ ナオキ』の横江直紀シェフ。

銀座『FARO』の能田耕太郎シェフは「イタリアを経験した日本人シェフと、日本の食にインスピレーションを得たイタリア人シェフ。2人のシェフの顔が出ている料理でした」

同店の加藤峰子パティシエは「料理も訪れた人もボーダーレス。現在の東京を表しているようでした」と振り返った。

フェデリコシェフと大井シェフ、二人の出会いがイタリアンの新たな世界を切り開くことになるかもしれない。

住所:東京都港区麻布十番2-7-14 1F MAP
電話:03-6809-5533
定休日:日曜・祝日(不定休)
Courage HP: https://courage-tokyo.com/

理想は高く、敷居は低く。津軽の「これまで」と「これから」を線で結んで「今」を表現するセレクトショップ。[TSUGARU Le Bon Marche・グリーン/青森県弘前市]

長身でカッコ良い『green』の主人・小林久芳氏。「天然繊維」「国内生産」の2点を条件にして仕入れるウエアを自ら着用している。

津軽ボンマルシェ・グリーン温かい気持ちになれるアイテムを求め、次々と訪れるファンたち。

午前10時30分。秋晴れの柔らかい光が射し込む店内に、早くもお客さんの姿が見受けられます。
「わー、この生地、フワフワで気持ち良いわ。触ってみて」
「本当だね」
開店直後に訪れた、この上品な壮年夫婦が手にしていたのは、オーガニックコットンのタオル。セレクトショップ『green』のある朝の情景です。
扱うアイテムは、テーブルウエアなどの日用品から化粧品、玩具、レディスのファッションアイテムまで多種多様。すべて「人と地球に優しい」をテーマにしています。こうした品々を集める主人が小林久芳氏。
「いらっしゃいませ」
今度は、若い女性がひとりで訪れました。穏やかな笑顔で小林氏が応対します。
「柄違いもお出しできますので、良かったらおっしゃって下さいね」

店はJR弘前駅から歩いて10分ほどの立地。隣接して以前、『ONESTORY』でも紹介した竹森 幹氏の『bambooforest』があり、その数十m先には姉妹店『green furniture』もあって、そちらでは、独自にリペアしたアンティークの家具や器を揃えています。
「弘前市って粗大ゴミは月2回、無料で回収してくれるんですけど、自転車でお店に通勤する途中、出されていたゴミを見かけて『それ、捨てちゃうの? もったいない』と思ったのがきっかけでした」。6年前、『green furniture』を開いた経緯を振り返ります。そして、10年前に遡る本家『green』の誕生にも、こうした小林氏の温かい視点がありました。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

白を基調とした『green』の店内。スペースの半分ほどをファッションアイテムが占め、残りのスペースには雑貨などを見やすくディスプレイ。一角には食料品や文房具も。

暖色系の光が灯る『green furniture』。脱穀機の歯車を転用した壁掛け時計など、小林氏のアイデアが活きたアイテムも。「想像した通りの仕上がりになったときが一番楽しい」

津軽ボンマルシェ・グリーン夢を追い続けた結果、スノボのプロから、ショップのプロに。

「実は、プロのスノーボーダーを目指していたんです」
驚きの過去を話し始めた小林氏。五所川原出身で、「実家が洋品店だった」から、今があると思っていたら、違いました。18歳で旅行添乗員を目指して上京。専門学校に通いましたが、卒業後は縁あって、横浜のホテルに就職します。そこで仕事仲間に誘われ、サーフィンと出合いました。スノーボードは、言ってしまえば、雪上のサーフィン。小林氏がスノーボードに目覚めるのは、きっと自然な流れだったのでしょう。
「ホテルを辞めてからは、プロを目指して世界各地を転戦していました」
日本の夏は南半球に、冬になれば北半球へ。そんな生活を3年ほど、続けたと言います。けれど、ずっと「24歳でプロになれなかったら諦めよう」と思っていたそう。青森に戻ってまず在籍したのは弘前にあるスノーボードウエアのショップでした。独立して自ら立ち上げたショップ『オトハネ』もメンズウエアの専門店。
「ですから、当初は今のように、女性服を扱うようになるとは夢にも思っていませんでした(笑)」

転機が訪れたのは、店を始めて8年ほどが過ぎた2009年。この頃、スノボ関係者の間では「このまま地球温暖化が進むと、いずれスノーボードができなくなるのでは?」という危機感が広まっていて、「地球環境に負荷をかけないライフスタイル」を実践するボーダーも増えていました。かつて、ともに切磋琢磨した仲間たちの意識変革は小林氏にとって、とても刺激的に映ったに違いありません。さらに、小林氏は当時、長女の出産を控えた時期でもありました。次世代のための地球。大袈裟かもしれませんが、そんな感情も沸き起こったことでしょう。

「ならば、いっそのこと、レディスで新しいお店を作っちゃおう」
そうして誕生したのが『green』でした。サスティナビリティなライフスタイルの提案にはファッション以外も必要と、雑貨や生活用品にまで、扱うアイテムの幅を広げ、今に到っています。
「けど……実は、アパレル業界で慣例の春と秋のセールを止めたくて、始めたっていう面もあるんですよ。良いと思って仕入れた洋服を、何で安く売らなきゃいけないのかって、ずっと思っていた。いきなりセールを止める勇気がなかったから、セールが最初からない、新しいお店を作っちゃった(笑)」
小林氏が少し照れたように付け加えました。

『green』は「元々、町の眼医者さんだったよう」と小林氏が言う洋館風の洒落た一軒家の1階にある。この2階が『オトハネ』。こちらのオープンは2001年のことだった。

『オトハネ』は今も基本的にはメンズウエア専門店。インドのサリーで使われていた生地をリユースしたジャケットなど、「環境に優しい」アイテムを全国から集めている。

『オトハネ』にて。ペンダントライトやテーブルなど、店舗を飾る什器にも小林氏の卓越したセンスが光る。

津軽ボンマルシェ・グリーン伝統を広めるだけでなく、実用性も見据えて展開したヒット作。

『green』の大ヒットアイテムのひとつに、「こぎん刺し」シリーズがあります。こぎん刺しとは津軽独特の刺し子技法。歴史は古く、江戸時代より続くとされています。元々は着物のほころびを直すために農家の間で育まれた技術で、藍で染めた麻の布地に、白い木綿糸で刺繍するのが伝統的なスタイル。目の粗い麻に縫い付けるから保温効果もあり、寒い津軽で広く親しまれてきました。
「津軽の人にとって、おばあちゃんのタンスを開けると何かしら必ず入っている、馴染み深いものです」

しかし、馴染みが深い分、古臭いものになっていたのもまた事実でした。そんなこぎん刺しを「地元の若い人にも使って欲しい」。そう思って、小林氏が取り組んだオリジナルこそ、こぎん刺しシリーズ。きっかけは、『弘前こぎん刺し研究所』に所属する刺し子さんが『green』の常連だったからでした。『弘前こぎん刺し研究所』とは、昭和初期から伝統工芸の存続を社会的使命と捉え、今も製品作りを通して魅力を伝える地元の企業です。

「試しに、その方にご相談したら、快く引き受けて下さいました」
最初は個人的な別注という形でスタート。今では、多くのアイテムが揃う『green』と『弘前こぎん刺し研究所』のコラボ作品として定着し、全国に多くのファンがいます。麻の布に木綿糸という仕様、ずっと描かれてきた定番の図柄という、2点の伝統をリスペクトした上で、名刺入れやがま口のほか、ブックカバー、ミニトートまで展開。ラインアップは拡大しています。
「この色、素敵ね」
「オレはこっちかな」
冒頭で紹介した夫婦も、この日、試しに身に付けたりしながらブローチを購入していました。

カラーリングも豊富になり、藍染色以外にも、漆黒色や山吹色、桜と銀鼠色など、現状で全8色を展開しています。色が変わっただけで、こぎん刺しの図柄ひとつひとつがモダンに浮かび上がってくるから不思議。一・三・五・七と奇数目で刺して規則性を生み、美しい幾何学模様を描く独自性も際立ちます。

「しかし」と小林氏。「刺し子さんは好きでなくてはできない仕事なんです」と続けました。こぎん刺しはすべて手刺し。例えば、ブックカバーで総柄にすると、キャリア10年の熟練でも丸2日はかかる。それでも、商品は5000円ぐらいの値付けにしないとなかなか売れません。『弘前こぎん刺し研究所』には現在、70人ほどの縫い子さんがいますが、後継者の問題もあるでしょう。古き佳き伝統を、現代的なセンスで世に広める。言葉にすると簡単ですが、現実にはいろいろとクリアしなければならない課題も多いのです。
「それでも、今は数を売っていきたい。続けることで顧客の裾野をもっともっと広げ、少しでもこぎん刺しの存続に貢献していきたい」決意表明のようにきっぱりと、小林氏は語るのでした。

「こぎん刺し」シリーズの一部。深緑色、山吹色など、どのカラーリングも素敵。アイテムはほかに、印鑑入れやポケットティッシュケースも。全部で十数種を展開する。

店内に設けられた、こぎん刺しコーナー。全国からファンが買いに訪れる。「こぎん」とは津軽で言う「野良着」のこと。元々は農作業で着た麻の服に施されていた。

津軽ボンマルシェ・グリーン埋もれた逸材を心から欲しいと思えるモノに仕立て、津軽から発信。

「これは、黒石の温湯温泉(ぬるゆおんせん)で伝統こけしを作る工人・阿保正文さんとコラボした作品です」
小林氏が指し示す棚には、手のひらサイズで配色もかわいい、こけしが横一列に並んでいました。12月ならサンタクロースと、月毎にテーマを替えて一年間だけ、作られたシリーズです。小林氏は今、津軽に残る様々な伝統工芸の掘り起こしにも積極的に取り組んでいます。「作る人、販売する人を訪ねてお声がけはいろいろしていますが、形にならなかったものもたくさんある(笑)」

それでもアプローチを続ける理由は、こうした活動が『green』の掲げるサスティナビリティの思想と連なっているからでしょう。伝統工芸を、これからもずっと愛される、生活に根付いた日用品へと昇華するため──。

「こぎん刺しは今、本当に人気で、聖地ツアーということで、全国から多くの方がいらっしゃいますが、『弘前こぎん刺し研究所』と『佐藤陽子こぎん展示館』くらいしか、弘前には触れられる場所がないんです。私自身、まだ何ができるかわかりませんが、裾野を広げるだけでなく、いかにして厚みを出していけるか。それが今後の使命だと思っています」
午後7時。辺りはすっかり日も暮れて、『green』も閉店の時間を迎えました。取材の帰りに『green furniture』の前を通ると、暖色系の灯りの中、リペアされて甦った家具たちが美しく輝いて見えました。
「とにかく、日常生活の中で使って欲しいですから、家具の値段はできる限り、安く抑えています」。小林氏の説明が脳裏に甦ります。

環境に優しいライフスタイルと、持続可能な伝統工芸の未来を見据えて。信念は崇高ですが、その理想を、頭でっかちな説諭で押し付けるのではなく、誰もが欲しいと思うモノに翻訳して、心に訴える。この姿勢があるから『green』は人気ショップなのだと実感しました。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

阿保正文工人とコラボした「季節のこけし」シリーズ。「造詣は深くありませんでしたが、こんなのがあったらかわいいなと思うものをデザインして頂きました」。残念ながら販売は一年で終了。

2階の作業スペースで「今日はお客様のコートのお直し」。自己流と謙遜するが、和装の直線裁ちで自ら洋服を作ることも。「生地全面をすべて使う知恵が素晴らしいと共感した」。

閉店間際の『green furniture』。暖色系の灯りの中、リペアされた家具がのぞく。

住所:青森県弘前市代官町22 MAP
TEL:0172-32-8199
営業時間:10時半〜19時
定休日:水曜日
green HP:otohane2.blog79.fc2.com

安藤桃子が体験する「食べるシャンパン」。あるがままの自然を受け入れるものづくりに共感。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・傳 /東京都渋谷区]

『傳』長谷川氏(左)と安藤さん。会うのはこの日が初めてだが、自然や食に関する価値観を共有。話が大いに盛り上がる。

傳×安藤桃子和食でも「食べるシャンパン」。自然に寄り添う造りが生む味わいを重ねて。

1734年の創業以来、ワインとガストロノミーに力を注いできたシャンパーニュメゾン、テタンジェ。料理や食文化に対する深い理解と情熱は途絶えることなく、今に至るまでそのスタイルを受け継がれています。テタンジェ社の至宝ともいえるトップキュヴェが「コント・ド・シャンパーニュ」。フレッシュで洗練された果実味、熟した果実の香り。滑らかで、生き生きとした躍動感があり、グレープフルーツとスパイスのニュアンスを感じるエレガントな味わいは、料理と合わせることで、ますます味わう楽しみが広がります。

テタンジェを、料理とのペアリングで、ワンランク上の味わいに。「食べるシャンパン」のさらなる可能性を日本料理で検証します。「コント・ド・シャンパーニュ」に合う一品を提案してくれたのは外苑前の日本料理店『傳』の長谷川在佑氏。スペシャルなマリアージュを、映画監督の安藤桃子さんが体験します。いわく「食の英才教育」を受けて育ったという安藤さんは、ロンドン、ニューヨークと海外で生活した経験も豊かで、現在は、高知県に拠点を持つライフスタイルにも注目が集まります。

『傳』はいわずと知れた、東京を、日本を代表する日本料理店。世界中のフーディーが注目するレストランランキング『世界のベストレストラン50』で日本人最高位の11位、アジア部門では2位を獲得し、不動の人気を誇っています。伝統を重んじながら、型に縛られない表現、プレゼンテーションにも定評あり。「食べるシャンパーニュ」では、どんな提案を見せてくれるのでしょうか。

【関連記事】テタンジェ/「食べるシャンパン。」それは、ひとりでは完結しないシャンパーニュ。

出汁の旨みはもちろん、きのこが持つ土の香りも「コント・ド・シャンパーニュ」の深い香りと相乗する。

4種類のきのこを合わせることで、旨み、複雑味が格段に増すと同時に「今日の山の味を伝えられる」と、長谷川氏。

きのこの産地の近く、静岡県産富士山麓で栽培されるにこまるという米を使用。

あえて固めに炊いて、きのこと一緒に咀嚼することで味が深まるように仕上げる。

米油で炒めることで、出汁の旨みにコクをプラスする。

シェフ自らが採ったきのこを惜しげもなくたっぷりと使用する。

炒めたときに付く焼き目も、炊きあがったごはんの味に複雑さをもたらしてくれる。

傳×安藤桃子重層的な味わいの中にある「旨み」ときのこの出汁のマリアージュ。

「上質なシャンパーニュは乾杯酒にあらず、コースを通して変化も楽しみたいもの」と、自らのシャンパーニュ観を話す長谷川氏。「コント・ド・シャンパーニュ」の味わいには、シャンパーニュに求めるものすべてが含まれていると話します。
「抜栓直後、キリッと冷やしたものを味わうと、グレープフルーツの香りやフレッシュな酸味が爽快な味わい。時間をかけ、少しずつ温度を上げていくと厚みや複雑さ、リッチなボリューム感が感じられるように。たとえ泡が消えても、上質な白ワインとして楽しめるんです」と、テイスティングの際の印象を話します。

「合わせたい料理はいくつもある」と、前置きしながら、今の季節に合わせて提案してくれたのは、土鍋で炊く「きのこの炊き込みごはん」です。
「コント・ド・シャンパーニュの重層的な味わいの中に、独特の“旨み”があることに気付き、これはきのこの出汁と相性がいいな、と思ったんです」。
毎年秋になると、可能な限り山へ出掛けるという長谷川氏。この日のきのこも、富士山麓の山で自身が採ってきたものだと話します。

「今日は“日本のポルチーニ”といわれるアカヤマドリ、ヤマドリダケモドキ、ヤマドリダケ、トランペットの4種を使っています。和食では松茸が王様のように扱われますが、ほかにも味のいいきのこはたくさんある。組み合わせによって変化する味わいも楽しんで頂きたいですし、複数のきのこを使うことで生まれる複雑さが、コント・ド・シャンパーニュとのマリアージュをより高めてくれるはずです」。

目でみて、香りを確かめて、まさに五感をフル稼働し食事を楽しむ安藤さん。

長谷川氏自らサーブ。安藤さんの期待値も最高潮に。

艶やかな炊き上がり。混ぜる間にも芳しい香りが広がる。

米油のコクをまっとったきのこが、米のひと粒ひと粒を包み込む。

コント・ド・シャンパーニュときのこの炊き込みごはんを文字通り交互に味わう安藤さん。

きのこの種類で異なる食感、香り、味わいを確かめならのテイスティング。

嬉しそうな表情から、味わいの満足度が伝わって来る。

立ち上る繊細な泡が生むスムースな飲み心地も、コント・ド・シャンパーニュの魅力。

長谷川氏。安藤さんの飾らない人柄、嘘のない言葉に触れ、リラックスした表情に。

「味わいはリッチ。厚みのあるボリュームもあり、今回のきのこの炊き込みごはんとも相性抜群!」と安藤。

傳×安藤桃子味わいが響き合い連なる好循環。温度帯の変化も合わせて。

「祖母が柳橋で料亭を営んでいたので、子供の頃から食や酒、宴席が近くにある環境で育ちました。“味を知れ”が家訓で子供の頃から、食体験の幅は広かった。成人してからはお酒も、もちろん。鍛えられましたね」。
芸能一家に育ち、両親そろってのおいしいもの好き。シャンパーニュやワインにも、若い頃から親しんできたという安藤さん。「コント・ド・シャンパーニュ」を味わって、奇しくも長谷川氏と同じ感想を抱いたと話します。

「シャンパーニュですが、味わいの軸はリッチな白ワイン。しっかりとしたボリュームもあり、味わいに充実感がありますよね」。
長谷川氏が用意した「きのこの炊き込みごはん」をひと口味わうなり「んっまい! 生きててよかったー!」と、一気にテンションが上がった様子。「このきのこは何ですか? こっちは食感がシャキシャキ!」と、話しながら、箸を持つ手が止まらなくなります。
「コント・ド・シャンパーニュを口に含むと、複雑なきのこの味がまた変化する。昔からお酒はワインに限らず、“食べながら飲む”派。お酒が料理を呼び、料理がまたお酒を呼ぶ循環が理想ですが、このシャンパーニュと長谷川シェフのきのこの炊き込みごはんは、まさにドンぴしゃな組み合わせです」。

話しながらも、さらに箸を進めます。「あー、生きてて良かった」と、話しながらおかわりまでして味わう安藤さんを見て、長谷川氏の表情も緩みます。
「お米の粒が立っていて、甘みもちゃんとある。米粒の間に、きのこの傘の下に、ときどき、はっとする塩味が隠れている。こんな緩急のある味の炊き込みごはんは初めて! 炊き立ても最高だったけれど、冷めてもおいしい。温度帯ごとの楽しみがあるコント・ド・シャンパーニュと共通しますね」

さまざまな土鍋は、素材やゲストに合わせて使い分ける。

長谷川氏のきのこ愛が伝わるコレクション。

レセプションに飾られた絵やオブジェのモチーフは、きのこだらけだ。

傳×安藤桃子自然の中で、その時あるもの全てを活かして、つくる味、生まれる作品。

「きのこを採る人じゃないと、つくれない味がある。長谷川シェフの炊き込みごはんを頂いて、しみじみそう感じました」。
安藤さんは、最後のひと口を愛おしむように味わいながら、そう話します。
「それは何よりうれしい感想です。僕自身、山に足を運んで気付かされることは、とても多いと感じているので」と、長谷川氏。
「相手は自然ですから、いつも同じものが手に入るわけではない。たくさん採れる日もあれば、そうでない日もあるし、目当てのものに出会えないときもある。でも、その状況の中で、あるものを活かしてどう料理するかが僕らの仕事だと思うんです」。
長谷川氏の言葉に、安藤さんは大きく頷きます。

「それは、シャンパーニュを始めとする、ワイン造りにもいえることですよね。ぶどうも農産物ですから、出来がいい年もそうでない年もある。ワインメーカーの方も、同じようにある状況を受け入れて、最高の仕事をされているはずです。料理もワインも自然ありき。そして自然との付き合い方が味に出る」と、長谷川氏。
「確かに、ごはんもシャンパーニュも大地の恵み。土地と人の手が繋がり、つくられたものを味わうと、素材が育まれた自然の情景が浮かびますよね」と、安藤さん。

東京から高知に拠点を移し、自然の中で暮らすようになって価値観が変わったという安藤氏は、次のように続けます。
「善悪ではなく、自分にとって自然か、そうでないかがすべての物事の判断基準になった。食でいうならオーガニックかそうでないか、などが気にならなくなったというか。情報や理屈ではなく感性が基準になるという。映画監督という仕事は、目にしたもの、触れたものすべてをいったん体の中に取り込んで、ミキサーで回してミックスジュースのような作品をつくる仕事だと思うんです。だから私自身がどんな環境で呼吸し、どんなものに触れているかで、“味が変わる”な、と。今回、長谷川シェフの料理をコント・ド・シャンパーニュと味わって、改めてそんなことを思いました。全部、つながっていますね」。


(supported by TAITTINGER)

安藤氏。身振り手振りを交えた話ぶりから、言葉に込める想いが伝わってくる。

料理やワイン、自然から仕事観まで、あらゆる話題で盛り上がるふたり。

長谷川氏。女性映画監督ときいて抱いていたイメージを完全に覆された様子だ。

ジャンルは違えど、プロフェッショナルとしての想いを共有したひと時に。

最後は、皆で記念に一枚。チームの良さが『傳』の特徴。この瞬間だけは、安藤桃子も「チーム 傳」の仲間入り。

住所:東京都渋谷区神宮前2-3-18 建築家会館JIA館 MAP
電話:03-6455-5433(受付時間12:00~17:00)
営業時間:18:00~23:00(最終入店20:00まで)
定休日:不定休
 HP: https://www.jimbochoden.com/

1982 年、東京生まれ。 高校時代よりイギリスに留学し、ロンドン大学芸術学部を卒業。 その後、ニューヨークで映画作りを学び、助監督を経て2010 年『カケラ』で監督・脚本デビュー。2011 年、初の長編小説『0.5 ミリ』(幻冬舎)を出版。2014年、同作を監督、脚本し、第39回報知映画賞作品賞、第69回毎日映画コンクール脚本賞、第18回上海国際映画祭最優秀監督賞などその他多数の賞を受賞。2018年 ウタモノガタリ CINEMA FIGHTERS project「アエイオウ」監督・脚本。高知県の映画館「ウィークエンドキネマM」代表。「表現集団・桃子塾」、塾長。現在は高知県に移住し、チームと共に映画文化を通し、日本の産業を底上げするプロジェクトにも力を注いでいる。情報番組「news zero」(日本テレビ系)ではゲストコメンテーターとしての出演や、森永乳業『マウントレーニア』のWeb CMにも出演するなど多岐にわたり活動の幅を広げている。

2019年11月2日(土)、3日(日)、4日(月・祝)、高知にて、文化人やクリエイターの感性とアイディアを子供たちへ届ける文化フェス「カーニバル00 in高知」を開催。安藤は大会委員長を務める。https://www.carnival00inkochi.jp/

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけてお掛けください。
お客様からいただきましたお電話は、内容確認のため録音させていただいております。

TAITTINGER HP:http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

異なる視点、アプローチで漆文化の国の真の豊かさと能登輪島の情景を皿に描く。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

『DINING OUT』史上初、2人のシェフのコラボレーションで完成したフルコースは、能登輪島の情景をゲストの眼前に映し出した。

ダイニングアウト輪島予定調和を超えて、11皿のストーリーを完成させたコラボレーション。

石川県輪島市を舞台に2019年10月5日、6日に開催された『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』。『DINIG OUT』史上初となるダブルシェフの競演となり、アメリカ人シェフと日本人シェフのコラボレーションであることも含め、開催前から大きな話題を呼びました。2009年サンフランシスコに開いた『Saison』で熾火料理の店として初めてミシュラン三ツ星を獲得した世界が注目するジョシュア・スキーンズシェフと、長きに渡り東京のレストランシーンの最前線を走り続けてきた『AZUR et MASA UEKI』の植木将仁シェフ。

それぞれの想いで準備を進めてきましたが、2人が真の意味でセッションをスタートしたのは、揃って現地入りをした本番開始のわずか1週間前。金沢出身で「大きな意味で能登は我が故郷」と話す植木シェフと、今回、初めて輪島を訪れたジョシュアシェフでは、輪島が誇る食材や食文化の見え方、捉え方も「漆文化の地に根付く、真の豊かさを探る」というテーマへのアプローチもそれぞれに異なります。本番ギリギリまで微調整を重ねて完成させたという11皿のコースは、1品1品も、コース全体の流れも、おおよそ想像の枠内に収まらないもので、時が進むごとにゲストを輪島の深淵なる食文化の世界へと導きました。

説得力と意外性、双方を持ち合わせた見事なコースをいかにして協創したのか。印象的な皿の解説とともに紐解きます。

【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS

藁の中身は出汁で炊いた米。サンフランシスコで2年前から取り組んでいた調理法。良質な金蔵の稲藁をふんだんに使えることに歓喜するジョシュアシェフ。

構成要素の多い料理を、レストランの厨房と同等の完成度で。真剣な表情の植木シェフ。

輪島の豊かさの象徴、金蔵地区に広がる棚田が会場に。ライトアップされた棚田が幻想的。オープンキッチンの左が今回の為だけに制作した特注の熾火台。

ダイニングアウト輪島能登への深い想いで現場をリードし、コースの骨格をつくった植木シェフ。

金沢出身で、自身の店でも北陸の食材を積極的に扱ってきたという植木シェフですが、今回の『DINING OUT』への参加を踏まえた事前取材で、改めて食文化を掘り下げ、気付きも多かったと話します。森、川、海が連なる里山、里海の環境が生む良質な食材はバラエティ豊か。寺社仏閣の行事がいにしえから今の時代まで暮らしの中に溶け込んでいます。浄土真宗の開祖・親鸞聖人の命日に行われる仏事・報恩講でふるまわれる地域色豊かな精進料理・報恩講料理。そこで用いられ、全国へと広がった輪島塗の文化と、北前船貿易がもたらした繁栄。それらが分かちがたく結びついているところに輪島の食の魅力があると植木シェフは話します。

今回のコラボレーションにあたり、北陸能登にルーツを持ち、日本を拠点とする自身が、リード役、サポート役をともに務めなければならないという気持ちは強くあったと話します。メニューを見ても一目瞭然。レセプションの2品に加え、ディナーコース11品のうち植木シェフが担当した5品は、ディナーの幕開けを告げるアミューズ、メインディッシュに加え最後のプティフールと、コース全体の流れ、骨格を形づくるもの。その一品一品に、食材と食文化のストーリーを込めました。

際立って印象的だったのは、魚料理「ノドグロと藻屑蟹」と、メインの肉料理「海を渡ったイノシシ」。どちらも並行して行われた『DESIGNING OUT Vol.2』で隈研吾氏がプロデュースした器の上に、能登の里山、里海の景色を描き出した料理です。

「ノドグロと藻屑蟹」では、「森から川へ、そして海へ」という能登の自然の巡りを表現。昆布だしを効かせて減圧加熱調理をした旬のノドグロに、くるみを加えたエスカルゴバターで森の彩りをプラス。ノドグロが旬を迎える秋は、海で産卵したモクズガニが河川の淡水域へ戻る時期でも。藻屑蟹とカメノテのビスクが、皿の上に川の流れをつくり出します。

「海を渡ったイノシシ」は、能登半島から七尾湾を泳いで渡ったといわれる能登島のイノシシを使用。海からの風が吹き渡るミネラル豊富な土壌で育まれるイノシシを金蔵の藁で藁焼きにし、イノシシが糧とするむかごや栗をあしらい、能登の里山、里海の秋を再現しました。朱一色の漆のプレートに盛り付けられたそれは、月夜を彷彿とさせるよう。輪島の秋が香り立ちます。

輪島で古くから親しまれるボラと海藻を使ったアミューズ2品。右『能登あんがと農園』のサンマルツァーノの中身はボラの卵巣でつくるカラスミ。左、味噌で炊いた蛸とロックフォールチーズで輪島の発酵食文化を表現した植木シェフ。輪島塗の「木地の器」を取り皿に。

アミューズ3品目。總持寺に伝わる精進料理を野草茶で楽しむ文化から、野草茶で蒸した松茸のリゾット。植木シェフはいしるで発酵食文化を掛け合わせた。

ガストロパックで調理したのは、このイベントのために輪島の自然の中で育てられた『タンポポファーム』の仔牛。コンカイワシ、いしるパウダーで発酵の旨みを添えて。山、大地、海を表現。「布着せの器」で提供。

甘エビやササエ、ノドグロの卵を詰めた小松菜のファルシに、ガストロパックで昆布の旨みを浸透させたノドグロを重ねた一皿。ノドグロはくるみ入りのエスカルゴバターでグラチネに。植木シェフが見た海と川、山が連なる輪島の秋の風景がここに。「中塗の器」で提供。

海風の影響を受け、肉質にミネラル感を感じる能登島のイノシシを金蔵の稲藁で香ばしい藁焼きに。同じ土地のむかごや栗のピュレ、高級原木椎茸「のと115」を添え、野趣あふれる里山の景色を皿の上に再現した植木シェフ渾身の皿。イノシシのジュに昆布出汁を合わせたソースで。「上塗の器」で提供。

予想を上回る料理の連続に、驚きと満足の表情で食事を楽しむゲストたち。

ダイニングアウト輪島ジョシュアシェフ。固定概念やルールを超え、点で引き出す素材の味の最高値。

「山、川、海が揃う輪島は、私が考える食の理想郷のひとつ。今回、初めて日本で料理をする機会を得て、その場所が輪島であったことは、運命にさえ感じます」
輪島という土地について、そう話すジョシュアシェフ。熾火料理というジャンルで初のミシュラン三ツ星を獲得し、スターダムを駆け上がった若きシェフは、ホームで愛用するものと同等の機能を備える巨大な熾火台を会場の厨房につくり、ゲストをあっと驚かせました。

ジョシュアシェフは、実証主義で自分だけの味を築き上げてきた世界的に見ても稀有な料理人。ひとつの食材を加熱時間や温度を変えて調理し、あまたの段階を食べくらべ、味わいだけでなく舌に触れる温度の心地よさ、アロマ、テクスチャーなどを細かく分析し、最高点の味、いわく「スイートスポット」を引き出します。今や食材を乾燥させる工程で、熾火を使うことはアメリカ西海岸や欧州各国のイノヴェイティブなレストランでスタンダードになっていますが、その技法を確立した先駆けでも。
「山から川を伝って海に注ぐ水が、魚介の深い味わいを育み、農作物は海風の影響を受けて滋味を帯びる。私がベースとするアメリカ西海岸は日照りが多いので、野菜や果物の味は濃く凝縮したものになりますが、輪島の食材はデリケートで繊細。魚介でも野菜でも普段、使っているものとは異なるアプローチが必要です」
座右の銘は「proof in the pudding(論より証拠)」。理論、技術もさることながら、味覚を中心とした自身の感覚がつくる味が、食べ手の五感にダイレクトに響きます。

植木シェフの料理がコースの骨組みであり輪郭ならば、ジョシュアシェフの料理は肉付けであり色彩。能登輪島の食材を絵の具に、型にハマらない手法で生み出した6皿が、コースに心地よい緩急をもたらします。とりわけゲストの関心をさらったのが、デザート前に供された「ブロス オブ グリルド ボーンズ」。奥能登の七面鳥や能登島のイノシシの骨で取ったブロスに、イノシシの骨の出汁を用いて藁で炊いたごはん、漬物や佃煮を添えたもので、一汁三菜のスタイルから、和の食文化へのリスペクトが伝わってきます。輪島産黒鮑をそのだしやイカスミとともに熾火でスモークした漆黒の一品では、輪島塗の漆を表現。器の上でイカスミの黒と漆の黒、深い黒が響き合います。

食感、みずみずしさ、辛みや甘みが微妙に異なる数種類のラディッシュを、それぞれの持ち味が最大限に引き出される切り方で。伝統製法を守る『谷川醸造』の醤油と海藻のジュレとの組み合わせも新鮮な、ジョシュアシェフの真骨頂ともいえる一皿。

鮑を炊いた出汁、肝と鮑の旨みを余すところなく使い、イカ墨で仕上げることで、漆を表現。「下地の器」で提供。

本番前日に試食会を開催し、料理の構成やシェフの想いをスタッフ間で共有。地元レストランのスタッフによる型にはまらないサービスも『DINING OUT』名物。

ダイニングアウト輪島対照的な料理だからこそ浮き彫りになる輪島の食材のポテンシャル。

輪島の食材と食文化のストーリーを緻密に積み重ね、フランス料理ならではの重層的な味をつくる植木シェフの料理と、初めて出会う素材の声に耳を傾け、その味の最高地点の味を引き出さんとするジョシュアシェフの料理。アプローチは対照的ですが、コースが進むにつれ、不思議な一体感が浮かびあがります。要因のひとつに、輪島産の昆布の存在があります。ジョシュアシェフはスペシャリテ、キャビアの温前菜「スキーンズ リザーブ キャビア」で、自家製の塩気がまろやかなキャビアに昆布の旨みを重ねました。植木シェフもノドグロを減圧加熱調理する際、ミルポワに昆布を加えたり、藁焼きで供するイノシシをあらかじめ昆布締めにしたりと、昆布を味のベースづくりに活用します。

植木シェフがもっとも驚いたと話すのが、ジョシュアシェフが「メイン料理の前に」と、用意した輪島の柑橘を昆布でマリネしたフルーツサラダ「シトラス」。
「柑橘を昆布でマリネするという発想自体目からウロコ。しかも広げた昆布のごく一部の、味の淡い部分だけを使うことで、フレッシュで甘酸っぱい柑橘の味に心地よい抑揚を生み出す。その昆布すらも、輪島中から集めた数種の中から吟味したもの。僕ら日本人の料理人にはない発想づくし。なるほどと、唸りました」
柑橘からイノシシへ。味を裏支えするグルタミン酸の旨みが味覚の橋渡し役に。植木シェフのメインから引き出した、ジョシュアシェフのコースをつなぐ一皿です。

コースの終盤で、熾火台にくべられた大量の稲藁で会場を沸かせたジョシュアシェフの「ブロス オブ グリルドボーンズ」は、植木シェフがレセプションで使ったのと同じ七面鳥と、メインのイノシシの骨を一度熾火で焼いたものを、大量の海藻と一緒に炊いて取ったブロスが主役。ディナーの始まりと終わりを一本の線で結びながら、熾火料理というアイディンティティを示しながら、日本の食への敬意を表現した料理は、深い感動を呼びました。

輪島の昆布に包まれて熾火台で温められた自家製キャビア。旨みの重なりと、絶妙な温度で促される味わいの広がりが楽しめる。

ジョシュアシェフのスペシャリテ「スキーンズ プライベート リザーブ キャビア」。たっぷりのキャビアにほうれん草と海藻すましバターを添えて。

ジョシュアシェフの一皿。昆布でマリネした柑橘で、輪島のミネラル豊かな大地を表現するとともに、植木シェフの昆布締めにしたイノシシを使ったメインディッシュに向けて味覚の橋渡し役に。

レセプション会場で輪島塗の貴重な椀でサーブされた七面鳥のブロス。ディナーのクライマックスの伏線となった。

会場中から歓声が上がったジョシュアシェフの「ブロス オブ グリルドボーンズ」。一汁三菜の主役はブロス。輪島の七面鳥と焼いたイノシシの骨、数種の海藻で取るブロスは、山海の滋味を凝縮したもの。ごはんは海南鶏飯に着想を得て、イノシシの出汁で炊いて藁で香り付けしたもの。

ダイニングアウト輪島重なり合う思想、響き合う「料理」の先にある想い。

2人以上の料理人がコースを担うコラボレーションディナーでは、使用する食材や調理法を綿密に分担し、持ち場を全うする方法が一般的です。しかし今回は、それぞれが使いたい食材、“皿の上で表現したい輪島”ありきで、料理が決められていったといいます。ときに譲り合い、ぶつかり合い、それでも力を出し合いながら最終的に本番の形が完成しました。
「イレギュラーな方法だったけれど、想いが合致して形が出来たときの快感はこの上ない。1+1の力が2に止まらず、10にも100にも膨らみ得るんだ、とワクワクしながらプロセスも楽しみました」植木シェフは「やり切った」という表情でそう話します。

「ディテールを決め込まず、それぞれの表現を優先させたことで、見えてきたものもある。ひとつの食材、例えば昆布に対して、2人がまったく別の方向からアプローチすることで、食材のポテンシャルはより浮き彫りになる。西洋人と東洋人、人種も年齢も、これまで歩んできた道も違う僕ら2人だから、なおさら意味があったと思います」
若くしてミシュランの三ツ星を獲得したジョシュアシェフですが、その栄誉に執着せず2017年には後進に『Saison』を譲り、現在はさらなる革新と経験のラボラトリーとして設立した『Skenes Ranch』をベースに活動をしています。『Skenes Ranch』は、循環型農業を実践しながら、農業に従事する人材を育てたり、自然と農と食を軸にあらゆることを行える場だといいます。奇しくも植木シェフも、約10年前から地方都市と関わりを持ち、料理人として食育や地域創生に尽力する活動を続けています。
「私はレストランでおいしものをつくって店を繁盛させることだけが料理人の仕事だと思っていない。その気持ちはマサ(植木シェフ)も同じと聞きました。山、川、海がある環境で、料理を通じて何ができるか。『DINING OUT』はそのひとつの表現として、かけがえのない経験になりました」

初のWシェフで開催された『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』。国境を超えたコラボレーションが示したのは、レストランを超えて、食ができることを実践し続けるシェフの思想と手法の今。それは広く日本全国の地域で、世界の各地で、再発見できるものであるはずです。

輪島産牛乳の雑味のないミルキーな味をダイレクトに楽しませる一皿。キャラメルサレとカカオニブがアクセントに。

輪島で無農薬の柿から干し柿をつくる柳田氏の干し柿に、チーズのような旨みのある能登の川魚・うぐいの熟れずしの飯の部分、フォアグラのアイスクリーム、甘エビのフォンを合わせて。五味を楽しませる植木シェフのスペシャリテを再構築したデザートに、輪島の山、川、海を映し出した。「加飾の器」は皿のふちに沈金の技法で描かれた一本の繊細で、料理の美しさを引き立てる。

隈研吾氏監修の輪島塗の器に合わせ、輪島塗の製造工程と棚田をイメージしてデザインされたメニュー。シェフ2人の直筆サイン入り。

真剣な表情で話すジョシュアシェフと植木シェフ。それぞれのアプローチで料理に向き合う本気さが人種や文化を超えたフルコースを生み出した。

1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』、銀座『RESTAURANT MASA UEKI』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。2016年世界料理学会イン有田と函館にてスピーカーとして登壇もしている。
AZUR et MASA UEKI HP:http://www.restaurant-azur.com/

2006年、『Saison』のコンセプトを産み出し、2009年にサンフランシスコにて1号店をオープン。
熾火料理を主とした料理スタイルで食材の自然のあるべき姿を尊重しながら、最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び,アメリカ人として熾火料理で唯一ミシュランの3つ星を獲得。「the world’s 50 best restaurant」、「Food & Wine’s 」のベストニューシェフ、「Elite Traveler Magazine’s」の次の世代を担う最も影響力のあるシェフ15名にも選出される。2016年、更なるイノベーションの促進と成長のプラットフォームを提供するために、『Saison Hospitality』 を設立。2017年には想いをLaurent Gras氏に引き継ぎ『Saison』の現場から完全に身を引き、さらなる革新と研究のラボラトリーとして『Skenes Ranch』を設立。同年、サンフランシスコ沿岸に Skenesの海に馳せる想いを込めた『Angler』をオープンさせると、 2018年 Esquire Magazineにて全米のベストニューレストラン、GQにおいても全米ベストニューレストランに選出され、ミシュラン一つ星を獲得。2019年にはビバリーヒルズに『Angler』 の2号店をオープン。今、世界が最も注目する料理人の一人である。

『DESIGNING OUT Vol.2』[DESIGNING OUT Vol.2/石川県輪島市]

デザイニングアウト Vol.2OVERVIEW

『DESIGNING OUT』とは、地場産業や伝統工芸に焦点を当てることで、地域の価値を再発見する新しいモノ作りプロジェクト。『ONESTORY』と、雑誌『Discover Japan』、そして地域に知見のあるクリエイターがチームを組み、地域の文化や自然、歴史などを積極的に取り入れた新しいプロダクトを開発、発信していきます。

『DESIGNING OUT Vol.2』のテーマは、国指定重要無形文化財の「輪島塗」です。クリエイターには、新国立競技場のデザインに携わったことも記憶に新しい、世界的な建築家である隈 研吾氏を迎え、「輪島塗」に新たな風を吹き込みます。

オリジナルの「輪島塗」のコンセプトを隈研吾氏は、「100 以上の工程を経て完成する輪島塗の器は、作業工程ごとに完全な分業体制が出来ている。職人から職人へと渡っていく器を見て、器の出来上がる過程を一連の食器としてデザインすることにした。コースで出される食体験の中に器が完成する時間軸を重ね合わせる事が出来た。」と話しました。

隈氏ならではのアプローチと、これまでにあり得なかった視点から生み出されるデザイン、その意匠を汲んだプロダクトに挑戦する輪島塗職人達がコラボレーションしたうつわは、去る2019年10月5日、6日に開催された『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』にてお披露目されました。
その器ひとつひとつに関わった全ての輪島塗職人たちをご紹介します。

写真家・小林紀晴と巡る南会津夏のツアー・レポート[NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/福島県南会津郡]

2019年9月7日から9月8日の1泊2日に開催された「夏の南会津ツアー」での1コマ。

ニュージェネレーションホッピング南会津そそる被写体を探しに、緑に縁取られた夏の南会津へ!

四季のある日本のなかでもひと際、季節の輪郭が色濃い南会津。ONESTORYでは、森林が9割を占める自然豊かなこの地を2018年から1年以上に渡り、ご紹介し続けてきました。今年は四季折々の魅力を体感していただくべく、地元を知りつくした料理人など4名をナビゲーターに迎え、少人数で巡る南会津ツアーを実施。2回目のナビゲーターを務めてくださったのは、写真家・作家の小林紀晴氏です。

浅草から特急リバティに乗り、乗り換えなしで到着したのは南会津の玄関口・会津田島。一同バスに乗り込み、昼食会場で小林氏と初顔合わせとなりました。「つゆじ」や「にしんの山椒漬け」など郷土の家庭料理が並ぶバイキングをいただいたのは会津田島祇園祭の資料館「会津田島祇園会館」。食後、小林氏よりオリエンテーションがありました。全国のディープな祭を巡って撮りためてきた写真と共に、祭撮影で実践している手法や心得が語られる貴重な機会です。「大切なのは、どんな写真を撮りたいかイメージを持つこと」といった言葉が繰り出されるたび、参加者が深く頷く場面もありました。

【関連記事】NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/写真家・小林紀晴と巡る南会津・夏のツアーを終えて。小林紀晴インタビュー

撮影前に行われたオリエンテーション。特殊環境下の撮影について、さまざまなテクニックが披露された。

まるでバスガイド?な小林氏。移動に使うバスで荷物を預かってもらえるため、撮影に集中することが出来た。

ニュージェネレーションホッピング南会津響き渡る会津田島太鼓に、重要文化財も共鳴。

最初の撮影会場は南会津の西側に位置する「大桃の舞台」。木々の間から覗く茅葺屋根に向かって歩を進めていると、ふいに空気を裂くような太鼓の音が鳴り響きました。事前に知らされていなかったのですが、地元の小学生や中高生、社会人で構成されている「辰巳会」の皆さんが、田島太鼓で我々を迎えてくださったのです。白虎隊を彷彿させる衣裳に身を包んだ打ち手が全身全霊を込めてバチをふるうたび、舞台全体が音響装置になったかのようにぐわんぐわん揺れているように感じました。参加者一同、勇壮な音のサプライズに驚いて一瞬立ちつくすもすぐ撮影モードに入り、思い思いの場所で演者の姿をカメラに収めていきます。

静かな鈴の音から笛の音へと続き、徐々に激しさを増していく創作曲『天狐白狐』は演者ひとりひとりが汗する姿が美しく、ひっきりなしにシャッター音が聞こえました。演奏が終わると、打ち手の皆さんは先ほどの凛々しい表情が嘘のようなあどけない表情です。ここで演者を特別に撮影できる「特撮」タイムが設けられました。参加者それぞれが演者に声をかけ、「バチを構えて、ここに立ってもらえますか?」「舞台に並んで座ってもらえますか?」と演出を施します。小林氏が先に伝えた「イメージを持つこと」を早々に実践した形です。

立派な杉に囲まれた駒獄神社の境内にある「大桃の舞台」は国指定の重要有形民俗文化財。

白虎隊をモチーフにした白と紺の衣裳が凛々しい「龍巳会」の皆さん。中央の打ち手が手にしている太いバチはその名も「バットバチ」。

距離を測り、己がイメージする写真を撮るべくシャッターを切る参加者一同。熱演&熱写。

演奏後の「特撮」タイム。狐面の打ち手にポーズをお願いして、渾身のポートレートを撮影。

光がキレイに入る木立の間に立つ巫女装束の演者。「ポートレートは光と背景でほぼ決まる」と小林氏。

ニュージェネレーションホッピング南会津シャッターチャンスの連続、秘祭「高野三匹獅子」。

18時半頃、本日のメインイベント「高野三匹獅子」の会場となる稲荷神社に到着しました。
辺りを照らすのは、神社から漏れる仄かな光と蝋燭をともした提灯のみ。神社の周囲には月明かりに照らされた水田が広がり、収穫を待つ黄色い稲が頭を垂れています。秋季例大祭の宵宮に舞われるこの「高野三匹獅子」は、日光東照宮建立の地固めに呼ばれた由緒ある舞ですが、それ以前から五穀豊穣や厄払いのために存在していたとされる発祥時期未定の土着的な秘祭。地元の関係者と我々以外の見物客は数えるほどしかおらず、参加者は貴重な一瞬を逃すまいと動線を確認し、暗い場所での撮影に備えました。

お神酒をいただき、神事が終わった19時半過ぎ、静かな笛の音に乗り、拝殿から腰に太鼓をつけた3匹の黒獅子がまろびでてきました。どうやら2匹の獅子が雌を取りあう設定のようです。ヤマと呼ばれる不思議な扮装の誘導役に続き、長い角を持つ雄2匹、雌1匹の黒獅子は境内の隣にある観音堂を参拝し、鳥居の前で「橋ほめ」の舞を披露、境内に設けられた舞殿でも舞を奉納。その間、静まり返った暗闇に笛の音と太鼓のリズムのみが響きます。最終的に選ばれた太夫獅子が弓をくぐる「弓くぐりの舞」は、「高野三匹獅子」のクライマックス。この瞬間を逃すまいという参加者の想いがひとつになり、一瞬、境内がフラッシュで真っ白になりました。

充実した撮影会の後には沁みる乾杯が待っています。会場の『Bar&Dining CAUDALIE』は、小林氏が南会津を旅する中で偶然見つけたワインバー。参加者一同、美味に舌鼓を打ちつつ、めいめいが2枚選んだ本日のベストショットを鑑賞しました。開口一番、「思った以上に皆さん上手で驚きました」と小林氏。その後、1枚1枚の写真に対する講評がありました。巫女の恰好をした少女をドリーミーに切り取った写真あり、三匹獅子の躍動感を影で表現した写真ありと、それぞれ着眼点が違うのも面白く、写真がモニターに映し出されるたびに歓声があがります。飲み放題のグラスが次々に空き、写真談議に花が咲きました。

拝殿のなかの黒獅子。「高野三匹獅子」は福島県指定の重要無形民俗文化財でもある。

3匹の立ち獅子たちを囲むようにカメラを構える参加者たち。記録用に動画を撮る関係者の姿も。

腰に太鼓をぶらさげた3匹の獅子は2時間近く踊り続けた。昨今は踊り手が少なくなり、祭の継承も危ぶまれているのだとか。

拝殿から弓とりが走り出てくるところからクライマックスが始まる。太夫獅子が弓をくぐるのはほんの一瞬の出来事だった。

撮影後はみなでテーブルを囲み、『Bar&Dining CAUDALIE』で乾杯。1日中動きまわったため、最初の一口は格別だった。

講評を行う小林氏。「写真は選択と集中」「写真は俳句に似ている」などメモりたい言葉のオンパレード。

ニュージェネレーションホッピング・南会津山頂の古堂から南会津を臨み、葱で蕎麦をたぐる。

翌朝は鎌倉初期(830年)建立とされる「左下り観音堂」に向かいました。ちょっとした登山?ほどの急坂を上った先にお目見えしたのは、岩を切り拓いて作られた横約9メートル、高さ約14.5メートルの木製三層構造のお堂です。清水の舞台を彷彿させる佇まいで、本尊のなかには頸無観音と呼ばれる顔のない秘仏が安置されていました。回廊を歩くたび、床がミシミシと音をたてるのですが、堂内から眺める田園とうねる阿賀川が絵画のように美しく、恐怖心を忘れてしまうほどです。

その後、大内宿で昼食となりました。会津藩が江戸への最短ルートを設けるため整備した下野街道沿いにある大内宿は、宿場の機能を失ってから養蚕や麻栽培を行う山間の農村集落として栄え、往時の景観が今も残る場所。茅葺屋根の『三澤屋』でお箸の代わりに長葱で蕎麦をたぐる「高遠そば」を楽しみ、1時間ほどのフリータイム。ファインダー越しに、青空に映える茅葺屋根や集落を流れるせせらぎなどを捉えました。

最後に立ち寄ったのは、100万年の歳月をかけて河食と風化を繰り返してきた景勝地「塔のへつり」です。柱状の岩肌は色濃い緑に覆われ、その姿を映し出しているからか川の水もエメラルドグリーンに見えます。吊り橋や対岸の舞台岩からひととおり撮影を行った後は、『塔のへつり こけし工房』を訪れました。ここでは渋くも可愛らしい奥会津こけしの販売や絵付け体験を行っています。木を削りだす職人の手元をズームで撮影した後、小林氏にサインを求める声があり、即席絵付けショーになりました。帰路、バスの中で小林氏より、「後日、僕が気にいった写真をプリントしてサインを入れて送ります」という嬉しいサプライズ発言がありました。南会津に根差したものやことにフォーカスしたディープな1泊2日。参加者のメモリーカードには、一期一会の貴い出会いが詰まっていることでしょう。


(supported by 東武鉄道)

「なぜこの場所に?」と古人に問いかけたくなる「左下り観音堂」。会津三十三観音巡りの二十一番札所として現在に伝えられている。

好天に恵まれた、「大内宿」では茅葺屋根と青空、日向と影のコントラストがくっきり。

集落のすぐ裏手にはこの時期しかみられない可憐な蕎麦の花が咲いていた。目ざとい参加者がその様をパシャリ。

塔のへつりの大舞台から対岸を捉える。ここは断崖の岩肌ひとつひとつに名前が付いている。

無垢の木からこけしの形を削りだす。削りたての木を触らせてもらうと、じんわり熱かった。

こけしに絵を入れる小林氏。レアなシーンを押さえようと参加者が集まり、シャッターを押しまくった。

1968年、長野県生まれ。東京工芸大学短期部写真技術科卒業。新聞社カメラマンを経て、1991年に独立。1995年に『ASIAN JAPANESE』でデビュー。1997年、『DAYS ASIA』で日本写真協会新人賞受賞。2013年、写真展『遠くから来た舟』で第22回林忠彦賞受賞。写真集に『kemonomichi』(冬青社)、『days new york』(平凡社)。著書に『父の感触』(文藝春秋)、『愛のかたち』(河出文庫)、『まばゆい残像 そこに金子光晴がいた』(産業編集センター)などがある。

鉄道遺産に泊まり、土地の味とぬくもりに触れる。新たなスタイルの旅の提案。[Classic Railway Hotel 人吉球磨/熊本県人吉市矢岳町]

熊本・宮崎・鹿児島の3県を繋ぐ「JR九州肥薩線」は開通から110年を迎えた。

クラシックレールウェイホテル 人吉球磨「駅でチェックイン、部屋までは列車でどうぞ」? 1日1組限定の不思議な宿。

チェックインは駅。“部屋”までは列車で移動し、ディナーも宿泊も駅で。そんなユニークなホテルが2019年8月2日、熊本県人吉市に誕生しました。その名も「Classic Railway Hotel 人吉球磨」。JR肥薩線がつなぐ3つの駅施設を一つの「ホテル」、線路を「廊下」と見立てて、レトロな鉄道遺産の中でのステイや宿泊を楽しんでもらおうという宿泊施設です。

切り文字の陰影が美しい照明サインは、ロートアイアン作家の樺山明氏が制作したもの。

ディナーの後は、クラシックな専用車で星岳・月岳まで送迎。

クラシックレールウェイホテル 人吉球磨日本の鉄道技術を集結させた、ファン垂涎の肥薩線。

鉄道ファンにも人気のJR九州肥薩線。明治42年(1909)に全線開通し、2019年に110年を迎えました。最後に開業した人吉駅〜吉松駅間は高低差が大きいため、円を描いて緩やかに前進するループ線やジグザグに前後進を繰り返すスイッチバックなどの鉄道技術が用いられ、明治時代の歴史を伝える貴重な鉄道遺産でもあります。そんな日本の鉄道技術の粋が集められた肥薩線を走る観光列車「いさぶろう・しんぺい」は、大畑駅や真幸駅のスイッチバック、大畑駅〜矢岳駅間のループ線、そして「日本三大車窓」のひとつに数えられる霧島連山の絶景を楽しめることで人気を博しています。

大場駅の裏山にある宮地嶽神社から眺めた人吉球磨。

吉松行きが「いさぶろう」、熊本・人吉行きが「しんぺい」。明治時代の鉄道の偉人にちなんだネーミング。

クラシックレールウェイホテル 人吉球磨土地の人々が大切にしてきたパーツを組み合わせ、新たな観光資源へ。

他にも温泉などの観光資源を数多く持つ人吉市は、「日本で最も豊かな隠れ里」として2015年、日本遺産に認定。しかし、ほとんどが観光列車で素通りするのみで、列車を降りて街に滞在する観光客はわずかでした。宿泊客は全体の1割にも満たず、少子高齢化、人口減少、集落の空き家問題、鉄道の運行本数の減少などから活力を失っていました。そんな現状に危機感を感じた地域住民が「自分たちの街を元気にしたい」と「株式会社NOTE人吉球磨」を設立。鉄道ファンからも人気が高い肥薩線の大畑駅周辺の活用を計画しました。

2017年8月には人吉市とJR九州、肥後銀行、NOTEの4社で協定を締結。「一度列車を降りて駅敷地内に足を踏み入れてもらう」ことを狙いとし、沿線全体を複合宿泊施設として再生させる「Classic Railway Hotel 人吉球磨」プロジェクトを始動。JR九州肥薩線沿線にある木造駅舎や旧駅長宿舎、駅周辺の古民家など、明治末期の歴史的建造物をホテルやレストランに再生する構想をスタートさせました。

大畑駅の駅舎内に名刺を貼り付けると立身出世するというジンクスがある。

クラシックレールウェイホテル 人吉球磨ノスタルジックな秘境駅の建物がキュイジーヌに。

まずは、日本で唯一、ループ線の中にスイッチバックが併設されている「大畑駅」の1909年築の旧国鉄保線区詰所を改装し、レストラン「囲炉裏キュイジーヌLOOP」として2018年9月にオープン。熊本県生まれでフランスや東京レザンジュなどで腕を磨いた後に人吉でレストランを経営していた中務雅章氏をシェフに迎えました。

料理は「人吉球磨の郷土料理とフレンチの融合」をコンセプトに、地元の肉や野菜、そして球磨焼酎など郷土の味をフレンチに仕立てた季節のコース料理を提供。ディナーは宿泊客のみですが、ランチでもくまもと黒毛和牛や地鶏などのメインに野菜パフェが付いた「囲炉裏フレンチBBQミニコース」を用意。また「季節の給水塔パフェ」「水源地珈琲」などカフェ使いできるメニューもあり、旅の途中に立ち寄れるカフェ&レストランとして話題を呼んでいます。

夜は1日1組、宿泊客限定のプライベートディナー。

クラシックレールウェイホテル 人吉球磨旧駅長宿舎をリノベーションし、地元の木材を生かしたホテルに。

そして2019年8月にオープンしたのが1日1組限定、一棟貸し宿泊施設の「星岳・月岳」。「星岳」は明治末期に建てられた国の登録有形文化財登録の「旧国鉄駅長官舎」で、全国的にも現存するものが少ない明治の鉄道官舎建築の一つです。建材に良質の杉を使用した外観は風格があり、館内には和室2室、床張りのベッドルーム、ダイニングキッチン、檜の浴槽を備えたバスルームをしつらえました。

家具は一勝地曲げ職人の淋正司氏が制作。球磨村の山から伐り出されたベニタブの木の端材をベッドボードに使用し、テーブルやキッチンカウンター、風呂桶なども木目が美しく、センスが光る空間です。離れの古民家を改装した「月岳」は今後オープン予定とか。

「星岳」は定員4名(102㎡)。田舎の古民家らしい風情と快適性を兼ね備えた空間に。

アメニティはガーゼのパジャマや、今治タオル、オーガニックソープなど手触りや心地よさを追求。

クラシックレールウェイホテル 人吉球磨その土地を走る鉄道、その土地で採れる食材が紡ぐ旅のストーリー。

実は「Classic Railway Hotel 人吉球磨」は、NOTE人吉球磨が古民家再生までを行い、その後は株式会社クラシックレールウェイホテル(仲島秀豊代表)が運営しています。目指すのは、その土地の暮らしや原風景に触れながら「宿泊」「飲食」「アクティビティ」を楽しむことができる新しい旅のスタイル。中島氏は「新たな滞在拠点となることで、観光列車で通過するだけでは知ることのできないディープな魅力を五感で味わってもらいたい」と話します。第2弾は熊本県の他地域で開業を検討中。また、今後は九州地域の鉄道沿線に同じコンセプトのホテル・レストランを展開する予定で、2025年までには九州7県すべてで拠点開発をし、九州をまるごと楽しめる鉄道一周ツアーを企画する構想もあるのだそう。
 
土地の歴史を伝える建物に泊まり、自然を目と耳で感じ、食を堪能する。そんな滞在こそ、その土地のストーリーを五感で味わう旅と言えるかもしれません。

周辺には同様の古民家が数多くあるという。「通り過ぎる駅」から、「泊まる駅」「楽しむ駅」へ。

【大畑駅レストラン「LOOP」&本部】
住所:熊本県人吉市大野町4301 MAP
電話:0966-23-1003
定休日:水曜日

【矢岳駅 古民家一棟貸し「星岳・月岳」】
住所:熊本県人吉市矢岳町字葭ノ本4762 MAP
電話:080-2131-3663

料金:2名 ¥80,000(ディナー・朝食付き1泊、JR人吉駅〜矢岳駅の電車代を含む、定員4名)
Classic Railway Hotel 人吉球磨 HP:http://www.crh1.jp/index.html
写真提供:Classic Railway Hotel 人吉球磨

移住で芽生えた愛と夢。工夫を重ねて高みを目指し、明日の津軽を思い描く。[TSUGARU Le Bon Marche・岩木山の見えるぶどう畑/青森県弘前市]

たわわに実ったぶどうを収穫する伊東竜太さん。出来の良さに、思わず笑顔。

津軽ボンマルシェ・岩木山の見えるぶどう畑岩木山を望む、美しい畑で大切に育てられるぶどう。

「ズラッと、ぶどうが実る、その向こうに岩木山。この光景が大好きで」。
柔らかい津軽のイントネーションで、朴訥と、伊東竜太氏が語ります。確かに、整然と並んで美しく実を結ぶぶどうと、今日も凛々しい岩木山のコントラストは見事です。

弘前市一町田(いっちょうだ)。
ここが伊東氏の『岩木山の見えるぶどう畑』です。「80アールある」と言いますから、広さはサッカーコートとほぼ同じ。2009年に開設されました。

ぶどうは、青森でおなじみの「スチューベン」という品種が多く、50アールほどの作付面積。そのほかは、皮ごと食べられて昨今、人気の「シャインマスカット」が10アール弱、残りの畑で「藤稔(フジミノリ)」や「サニールージュ」など、いろいろな品種を少しずつ、計20品種を育てています。「農業って、自分で考えて工夫できる楽しさがある」。そう言って、伊東氏が畑を案内してくれました。他県で一般的な「平棚(点在する木が茂って屋根のように上空を覆う)」ではなく、「垣根(等間隔で木が縦列する)」でぶどうの木を仕立てるのは雪の多い、津軽に合わせたスタイル。

「ヨーロッパでワイン用のぶどうを育てる仕立て方に似ています」。
畑には、以前に『ONESTORY』でも紹介した『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』の笹森通彰氏も見学に訪れたことがあるそう。伊東氏は、さらに工夫して、すべての木が同じY字型に伸びるよう、左右で一本ずつの枝を誘引し、余計な脇芽は摘んで整理しています。こうすると、風通しが良くなり、病気に罹りにくくなる。「光合成の効率も上がる」と言います。ほかにも、根をしっかりと張らせて幹を太くするため、植える木の本数を絞っていること、周囲に自生する草はあまり刈らずに残し、紫外線から土の中の微生物を守るためのカバーにして、健全な土壌を作ることなど、この10年で培った、良いぶどうを育てるための知見をあれこれ教えてくれます。
「田んぼだった土地を買って始めましたが、最初の2年は売れるぶどうが全然、できなかった(笑)」

聞けば、伊東氏は新規就農者。イントネーションから、ずっと津軽の人だと思っていたら、何と、出身は横浜でした。
「最近は両親にも『訛っている』と言われちゃいます」。そこまで、伊東氏が津軽に惹かれた訳とは?理由が知りたくて、これまでのこと、これからのことを聞きました。

名の通り、岩木山を背に作業する毎日。すべての枝を整えるのに一週間がかかり、終わる頃には「初日に手を入れた枝はもう伸びている」。畑を美しく維持するのも一苦労。

ぶどうの木は2.7mの間隔で縦列に並ぶが、足元を見れば、自然な状態で草花が生えている。「作業を考えると歩きにくいんですけどね(笑)」。この草花が健全な土壌を育む。

津軽ボンマルシェ・岩木山の見えるぶどう畑「買う」から「作る」へ。津軽で起きた、私的なパラダイムシフト。

「4年間が本当に楽しかったんですよね。あまりにも楽しかったから、卒業した途端、津軽を去ってしまうのはもったいない気がして。離れたくない。そう思ってしまった」。伊東氏は弘前大学の卒業生。環境問題を学びたいと進学を志し、「学費を考えれば国立」「どうせなら一人暮らしがしたい」と志望校を絞っていった結果の選択でした。
「受験で初めて、津軽に来ました。実際に住んでみたら、独特の良さがあると気付きました。雪が降って不便かもしれないけど、その分、ご近所同士で助け合う優しさがある。見返りを求めているわけではないですけど、雪かきを手伝えば、何か、くれる(笑)。雪があるから、津軽は良い」。農業に興味を持ったのは、「友人たちの元に届く、両親が育てた野菜や果物が魅力的に映ったから」。身近に、実家が農家という校友が多く、横浜時代は「ただ買うモノだった」野菜や果物が、急に「人が愛情を込めて作るモノ」に感じられたそう。「カッコよく言えば、食べ物の有り難さを初めて実感しました」。

横浜と津軽。都市で生活した実体験があったからこそ、津軽の素朴な人情も際立って映ったのかもしれません。農産物に愛を感じてから、就農を決意するまで、そう時間はかかりませんでした。学業の傍ら、旧浪岡町でりんごを育てる後輩の実家に毎週末、通うようになります。
「畑をちょっと見て終わりではなく、やるなら、農家の生活サイクルに入り込むべき。そう考えて一年間、通いました」
そのお父様は青森市が設定する青森農業委員。指導やアドバイスも的確だったのでしょう。そして、自分がこれまで続けてきた農作業に尊敬の念を抱き、懸命に手伝う若者の姿を見て、心底、嬉しかったに違いありません。
「いろいろなことを教えてくれました」。

卒業してからは、まず岩木山麓にある『森の中の果樹園』に就職しました。そこで、いろいろな作物を育てながら、自分に相応しい作物を模索。ぶどうに決めたのは「手間がかかってヘタをすればゼロにもなる果物ですが、しっかりと手をかければ、最高のモノができる。それが魅力」と実感したから。

そして、この土地と出合い、今に至るのです。
「この作物が育つ土地にはどんな景色が広がっていて、その作物はどういう風に実を結ぶのか。作物の育つ環境まで伝えたいんです」
『岩木山の見えるぶどう畑』という名は、そんな伊東氏の志の表明。語る横顔には、静かに燃える熱意のようなものが滲んでいました。

主力の「スチューベン」。昔の「デラウエア」と同じく種があり、果肉だけを食べるが、糖度はかなり高く、味は濃密。国内で生産されるスチューベンの約7割が青森県産だ。

ぶどう畑に巣を張る蜘蛛。「ウチの畑にとっては良いヤツ(笑)。虫を全部、食べてくれますから。食料事情がいいんでしょうね、ウチの畑の蜘蛛、太っているらしいです」

津軽ボンマルシェ・岩木山の見えるぶどう畑伝統のセリ栽培で改めて実感した、量より質の基本姿勢。

一町田は、古くからセリの栽培で有名な地区です。伊東氏がぶどうを育て始めて3年ほどが経った頃、近隣の農家から「セリの栽培もやってみないか?」という申し出がありました。
「名産地ですからね、自分も作ってみたいということは、ずっと周囲に伝えていたんですけど、お話を頂いたときは本当に嬉しかった」
申し出た農家は知人の実家。当初は「『ヨソから来たヤツにセリなんて、できるわけない』と思われていたはず」と伊東氏は言いますが、きっと、ぶどうを作る真摯な姿勢が知人を通じて伝わって、「この人ならできる」と確信したのでしょう。無償でセリ田を貸してくれました。今では、さらに自身でも田を購入して作付面積を増やし、所有する田だけで年間の収量「300〜400kgというレベル」のセリを育てています。
農業は工夫。

セリの栽培でも、伊東氏はこの考えを貫きました。「一本一本がしっかりしたセリを作りたい」。
そう決心して、辿り着いたのが根を抜き取って保管し、新芽と新根が出た「種セリ」を作って水のあるセリ田に蒔く方法。一町田では、根は田に残したまま成長を待ち、オフシーズンの夏、何度か、刈り込みを入れて、冬に力強い枝を育てるのが一般的でした。湧水が豊富で、周囲を巡る用水路からだけでなく、「掘った畑の壁からも水が湧く」一町田では「種セリを蒔くと湧水で流されてしまうから不向き」と思われていた栽培法です。宮城県のセリ農家から学んだ新しい知見でした。新しい知見を得たら、まずは試してみる。試行錯誤を繰り返しながら続けていたら、思い通りのセリが育つようになってきたので、今年からすべて、この栽培法に切り替えました。

しかし、それにしても、セリの栽培は重労働。例年、12月ぐらいから収穫が始まりますが、積雪も多く、極寒のその時季に腰まで水に浸かり、作業は屈んだ状態で。収穫だけでなく、成育のお世話も全部、手作業という過酷さです。「割に合わない」と伊東氏も笑いますが、「種を買って育てるのではなく、自分の株で育てる。それがセリ栽培の面白いところ」。

しっかりと育ったセリは収穫した後、一本一本、丁寧に外葉を取り除き、自宅に掘った井戸の水で「最も美味しい」根をキレイに洗って、収穫の何倍もの時間をかけて、出荷の準備をします。この行程は、最初にセリの栽培に誘ってくれた知人の実家から受け継いだ「私の師匠」の教え。「地元で、採ったその日に食べて欲しい」と思っていますが、最近は直に買ってくれる東京のレストランもできました。
「やっぱり量より質なんですよね。その方がお客様の反応も良く、やっていて良かったと本当に思います。これからも『お客様の口に入る食べ物を作っているんだ』という気持ちを大切にして、農業を続けていきたい」。今度は真顔でそう言い切りました。

取材は9月中旬。「種セリ」を蒔いて2週間ほどの頃で、根も定着。青葉も美しい。「成育に合わせて水位を上げていきます」。20cmの泥の上に、最深で30cmまで水を入れる。

新芽と新根が出た「種セリ」。畑から採取した根を乾かないように保管して1週間ほどで、この状態にする。山と積まれた種セリからは、早くも清涼感ある鮮烈な香りが漂う。

田の一角に前所有者から引き継いだ小屋があり、「かつてはセリの洗い場だったはず」。湧水のプールには絶滅危惧種のイバラトミヨも泳ぐそう。「代々、棲みついています」。

津軽ボンマルシェ・岩木山の見えるぶどう畑津軽は素晴らしい。移住者の実体験に基づくから説得力がある。

工夫を重ね、地道に前進を重ねてきた伊東氏は今、自宅の裏庭に、小さなぶどう畑を新たに設けています。ここは、新しい品種、新しい知見を試しに導入する挑戦の場。
「今年は、新しい試みとして、雨除けを設けてみました。あ、これが『竜宝』ですよ。瑞々しくて甘みもしっかり。個人的にも大好きな品種です。そして、これが『雄宝』。皮ごと食べられて人気です。で、こっちが『ピオーネ』。ぶどうの王様ですね。これは『シャイニーレディ』で……」。
ぶどうの話が止まりません。できたぶどうは全体の7割ほどを市場に卸し、あとは弘前の農業生産法人『ANEKKO』が運営する農産物直売所『野市里(のいちご)』と『オヤマ・アグリサービス』が営む直売所に毎朝、届けています。そして、去年より、自宅の脇に自前の直売所も設けました。
「ぶどうを買いたい人だけが来てくれる。これが理想かもしれません。買う気のない人に買わせるセールストークは苦手ですけど、ぶどうが好きな人にはいろいろ説明したくなる」。

週末限定ですが、今年も10月いっぱいまで、営業を続けます。そして、伊東氏には今、挑戦していることがもうひとつありました。それが、後継者の育成。『鶴田町地域おこし協力隊』に参加して、今は来春の津軽移住と就農を目指す埼玉の夫婦に、ぶどう作りを教えています。「人に教えると自分も勉強になります」。弘前実業高校には、年に8回ほど出向いて、ぶどう畑のことや、作業の実際を解説しながら実技も指導しています。

すべては「自分が津軽でしてもらった恩に報いるため」。そう聞いて、『岩木山の見えるぶどう畑』を案内してくれたときの言葉を思い出しました。
「畑を囲うネットは『森の中の果樹園』で一緒に働いていた深浦町の漁師の奥さんが畑を始めるとき、『もう使わないから』と下さった、漁のための網なんです」。
振り返れば、ぶどう畑の有機肥料を作る材料も、近隣の自然牧場や馬術協会などから家畜の排泄物を、津軽半島・蓬田村からは名産のホタテの貝殻を、安く、ときには「不要だから」と無償で提供してもらっていると言っていました。

こうした互助の精神に、津軽で幾度となく触れてきたから、伊東氏は津軽を愛し、津軽で農業に取り組みたい、そう強く思った──。
「10年、農家をやってきて培った技術や知識を、今度は私が広める番。そして、りんごや米だけではない、ぶどう作りの楽しさ、後継者が不足する伝統のセリ栽培の面白さを、津軽という環境も含めて発信していきたいんです」。
伊東氏の真っ直ぐなチャレンジ精神は周囲に伝播して、津軽で生まれた人、津軽に暮らす人、そして、津軽を目指す人、いろいろな人と繋がっていきます。

農産物直売所『野市里』の棚に、自らぶどうを陳列する伊東氏。これが毎朝の日課だ。「今日は4種で、『竜宝』『シャイニーレディ』『黄玉(おうぎょく)』『藤稔』」。

6年ほど前からりんご生産者『せいの農園』の清野耕司氏と作っている『ぐあばだびょん』はスチューベン×りんごのジュース。ラベルは東京の書家・田川悟郎氏が手掛けた三者のコラボだ。「グァバのよう」を意味する名は最初に飲んだ人の感想を津軽弁にしたもの。

自宅裏のぶどう畑で実っていた『雄宝』。「これでひと房900gぐらいですかね。1.2kgまで成長します」。さっぱりとした上品な甘さで、シャリシャリとした食感も心地良い。

住所:青森県弘前市一町田早稲田24-1 MAP
電話:0172-55-8543
岩木山の見えるぶどう畑 HP: www.facebook.com/iwakibudou

下越地方の職人気質な料理人たちの仕事に、新潟の食の未来を見る。~中村孝則編~[Niigata Gastronomique Journey/新潟県]

新潟ガストロノミックジャーニーOVERVIEW

4賢者のトップバッターとして登場するのは中村孝則氏。新潟市、村上市を中心とした下越地方で、フレンチ、割烹2軒、寿司と、40代の料理人・職人が腕を振るう4軒の店を巡ります。さらに初の試みとなる大規模なレストランイベント『NIIGATA プレミアムダイニング』にも参加。歴史的建造物を舞台に繰り広げられる、一夜限りのレストラン。下越地方の食シーンを牽引するシェフたちのコラボレーションを体験します。

「地産地消」がスタンダードとなった今、地方のレストランにはそれに頼らないアイデンティティが求められる時代。地域に根ざしながら、県外、海外からもゲストを呼ぶ店へと発展する可能性はどこにあるのか。『The World’s 50 Best Restaurants』の日本評議委員長も務める中村氏が、ワールドスタンダードな視点で、新潟の、下越地方の食の今を味わい尽くす、その旅に密着します。

【関連記事】Niigata Gastronomique Journey/風土に根ざした独自の美食が花開く新潟へ。4名の食の賢者が各地を旅し、その全容を本気で斬る!


(supported by 新潟県)

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。

http://www.dandy-nakamura.com/

風土に根ざした独自の美食が花開く新潟へ。4名の食の賢者が各地を旅し、その全容を本気で斬る![Niigata Gastronomique Journey/新潟県]

新潟ガストロノミックジャーニーOVERVIEW

全国屈指の豪雪地帯であり、荒波すさぶる日本海に、
米どころ・酒どころ、湯量豊富な温泉、花火大会と、
新潟と聞いて思い浮かぶイメージはたくさんあるでしょう。

それはもちろんどれも正しく新潟の魅力を表現しているのですが
実は今、日本各地の美食家たちが密かに注視しているのが
「新潟ガストロノミー」と呼ばれる新潟ならではの新たな地域資源。

そもそもガストロノミーとは料理と文化を科学的に考察する
フランスを起源とした食文化に向き合う考え方。
美食学や美食術などとも訳されることが多いのですが
料理を中心にして様々な文化的要素を取り込み
科学的に土地と料理と文化を考察しようという考え方であるのです。

であるなら、新潟×ガストロノミーとは
すなわち新潟の文化的要素を多彩に取り入れながら
独自に開花させた新潟ならではの美食学となるわけです。

南北に伸びる多彩かつ肥沃な大地を持つ新潟。
その地で今、先鋭的な料理や土地由来の美味を紡ぐ
世界が注目するレストランが次々と生まれているといいます。

今回、ONESTORYでは新潟×美食をキーワードに旅する
『新潟ガストロノミックジャーニー』を企画。
上越・中越・下越・佐渡と4つのエリアを
食の賢者4名にディープに味わう旅を楽しんでもらいます。

米どころ・酒どころだからこそ育まれた
新潟の新たなる美食の物語。
そんな美しき旅へ、4賢者とともに誘います。


(supported by 新潟県)

アレックス・カーが耳打ちする、本当は教えたくない亀岡案内。[京都府亀岡市]

亀岡で暮らすアレックス氏の居所。当初、煤けた状態だったこの古民家は尼寺を移築した社務所だったという。

亀岡市京の都の隣にあって、多くの偉人を輩出してきた亀岡。

日本有数の観光都市・京都から快速に乗ってわずか20分。蛇行する保津川を5回越えると亀岡駅に着きます。長閑な田園が広がるこの地で暮らすのは、東洋文化研究者であり作家のアレックス・カー氏です。

「亀岡は京都文化の圏内にありながら、豊かな自然と、田園風景と、城下町が残る場所。京都はいまオーバーツーリズムで落ち着いて過ごせる場所が減ってしまいましたが、亀岡には静かな佇まいの寺も多く、じっくり仏像を鑑賞することもできます。また、この地は一種のトラブルメーカーというか面白い人物を輩出しているんです。たとえば、明智光秀。足利尊氏もそう。彼が鎌倉幕府打倒の挙兵をした篠村八幡宮もまだ残っています。倫理学者・石田梅岩もそうですね。当時は『女性が学問なんて』という時代でしたが、彼は分け隔てをしない先駆的な人でした。そういう人物が亀岡から出ているのは、亀岡の誇りだと思います」。

今回は、そんな亀岡のなかでもあまり人に知られていないスポットをアレックス氏と共にご案内します。

【関連記事】離れ にのうみ/暮らすように滞在できる朝の光が美しい宿。

頭を垂れた黄金色の稲が一面に広がる亀岡。取材中、1羽のシラサギが飛び立った。稲につく虫を食べてくれるという。

長閑な田園風景が広がる亀岡。2020年には駅前に京都スタジアムが出来る。

亀岡市ちょっと不便、だけど美しい古民家での暮らし。

その前に、アレックス氏の亀岡での暮らしぶりを見せてもらいました。苔が艶々と光る、とある神社の境内。そのなかに佇む木造平屋の古民家がアレックス氏の住まいです。’77年にここを借りた当初、電気は通っておらず、トイレは汲み取り式で、水は井戸水を使っていました。そこから少しずつ改修を進め、「現在はこの通り」と、蛇口をひねって笑います。居間の襖や屏風には、建具屋に頼んだという古い書や自らしたためた書が貼られており、窓の外の奥庭は緑豊かな渓流に繋がっています。

「ここで友人にお手製の料理を振る舞いつつワインを飲んだり、本を読んだりして過ごしています。ここで寝た友人から『久しぶりによく寝れた』と言われたことも」。
国内外を問わず、多くの著作を手掛けるアレックス氏。細部まで美意識が行き届いたこの場所なら、執筆活動も捗るに違いありません。

板張りのキッチンも昔は土間だった。入口の日よけの簾には赤紫色の昼顔が咲いていた。

太く、力強い筆致に少し丸みをもたせた書はアレックス氏によるもの。照明器具も自ら古美術商を巡り、吟味した。

一目で気に入り、この場所を借りた当初は相当荒れていたという。アレックス氏には完成形が見えていたのだろうか。

渓谷に続く借景が美しい奥庭。カエルや虫はもちろん、小鳥や小動物もやってくるという。

亀岡暮らしに潤いをもたらす和の感性を磨いた「大本」。

次にアレックス氏が和の感性を磨いたという丹波亀山城跡を訪ねました。

大学卒業後の’77年、宗教法人「大本」国際部に文化スタッフとして採用されたアレックス氏は、これを機に日本での暮らしを本格化させます。その大本の本拠地がある場所こそ、明智光秀が丹波統治の拠点として築城した丹波亀山城跡なのです。
「教祖の出口王仁三郎は芸術に親しんだ人で、『芸術は宗教の母なり』という言葉を残しているんです。普通は逆ですよね。彼のクリエーションは芸術の世界にかなりインスピレーションを与えているんですよ。百聞は一見にしかず。王仁三郎が晩年に創作した“燿盌”という茶碗がギャラリーにあるので見てみましょう」。
残念ながら「ギャラリーおほもと」内は撮影できませんでしたが、手でひねりだした歪な形の碗に鮮やかな色彩が乗った茶碗は、とてつもなくエネルギッシュでした。

その後、小雨降る城内を歩きました。人気のない濡れた庭のあちこちに、万葉集にも謳われている可憐な野草が。本殿には立派な能舞台が設けられており、「懐かしい…」とアレックス氏が目を細めるシーンもありました。

丹波亀山城の石垣を見つめるアレックス氏。敷地内に入る際は大本本部のみろく会館で受付を。

玉砂利が敷き詰められた境内はチリひとつなく、水をうったような静けさ。

施設内にある能楽堂。文化スタッフとして務めていた頃、ここで多くの日本文化と触れあった。

亀岡市雨の「穴太寺」で庭を眺む。何もしない豊かな時間。

雨が本降りになるなか、穴太寺(あなおじ)に向かいました。慶雲2年(705年)に開創したとされる古寺だけあって、遠くからちらりと見える仁王門だけでも味わいがあります。訪れたのがたまたま地蔵盆にあたる日だったので、本堂も庭園も無料で拝観することができました。

「ここでぜひ、見ていただきたいものがあるんです」とアレックス氏。ずんずん前へと進むその後を追うと、布団がかけられた木彫りの釈迦涅槃像が安置されていました。
「自分の体の悪い所をなでると、病気がよくなると言われています。日本はもちろんアジアを見ても、これだけ古い木彫りの涅槃像にはなかなかお目にかかれません」。

もちろん、堂内は撮影禁止。是非とも亀岡に足を伸ばし、アジアの宝を拝んで頂ければと思います。「ここの雰囲気も大好きで」とアレックス氏に促されたのは緋毛氈が敷かれた縁側。その眼前には美しい庭園が広がり、池の向こうに多宝塔が見えます。どのぐらいその場所に居たのでしょうか__。

何でもない時間をかけがえのないものにしてくれる景色がここにありました。

亀岡屈指の古刹・穴太寺にある多宝塔。この日は地蔵盆のため無料だったが、普段は拝観料が必要。

趣のある本殿。安寿と厨子王丸の伝説に語られる逗子王丸肌守御本尊が祀られている。

「こういうところが好きなんです」とアレックス氏。巨木を傷つけぬよう、塀がくり抜かれていた。

多宝塔を借景にした庭園を眺めるアレックス氏。この光景自体が1枚の絵のようだ。

亀岡市風雪に耐えた巨木と石畳の参道が待つ「法常寺」。

翌日、「とっておきの場所にご案内します。本当は誰にも教えたくないんですけど(笑)」と語るアレックス氏と向かったのは、後水尾天皇ゆかりの寺院・法常寺。

府道を逸れ、山道をあがった場所にクルマを停めてしばし歩きます。石畳の参道には苔むした巨木が多く、木漏れ日が綺麗。歩いているだけで瞑想をしているような気分になりました。途中、谷川に架かった古い石橋や落雷によって幹が裂けたコウヤマキの巨木があり、その先の高い石垣を築いた山腹に本堂があります。拝観は要予約。この日は前から中に入れないと分かっていたので、外から美しい庭を眺めて法常寺を後にしました。

ガイドブックにない亀岡を巡るとき、拠点にしてほしいのが「離れ にのうみ」です。
その周辺を少し歩くだけで、瓦屋根に黒板塀の建物や酒蔵が目につきました。亀山城の外堀を活用した古世親水公園内には、野菜の洗い場もありました。この辺りは年谷川が形成した扇状地にあることから伏流水が多く、いたるところに湧水があり、昔の人は生活用水として活用していたそうです。

来春には、「アレックス・カーが案内する本当は教えたくない亀岡ツアー」を1泊2日で開催する予定です。詳細は後日、以下のサイトで発表の予定です。
離れにのうみ Facebook:https://www.facebook.com/kameokahanareninoumi/
森の京都 DMO HP:https://morinokyoto.jp/

亀岡で、暮らしの細部にまで巡らされた「日本の美」を感じる旅はいかがでしょう?

石畳の参道の両脇に巨木が立ち並ぶ。一帯は府指定文化財環境保全地区に指定されている。

勅使門。ここを右手に見ながら本堂へと進む。本堂には後水尾天皇直筆の手紙などの重要文化財が収められている。

参道の石畳も石垣も厚い苔で覆われている。歩きやすい靴で行くのが吉。

古い街並みを散策するのも楽しい。付近には酒蔵や醤油蔵、旧山陰街道があった。

古世親水公園内にある野菜の洗い場。豊富な伏流水を水源とする亀岡の上水道は、日本屈指の「おいしい水」とされている。

住所:〒621-0851 亀岡市荒塚町内丸1 MAP
電話:0771-22-5561
営業時間:9時~16時
アクセス:JR嵯峨野線「亀岡」駅下車、徒歩約10分

住所:〒621-0029 京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46 MAP
電話:0771-24-0809
拝観時間:8:00〜17:00
アクセス:JR亀岡駅下車 京阪京都交通バス穴太寺循環(59, 34系統)、京都学園大学行(60系統)、穴太口下車徒歩10分
穴太寺 HP:https://saikoku33.gr.jp/place/21

住所:亀岡市畑野町千ヶ畑藤垣内1 MAP
電話:0771-28-2243
アクセス:バス停「千ヶ畑」から約5分/亀岡ICから約30分

1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。

暮らすように滞在できる朝の光が美しい宿。[離れ にのうみ/京都府亀岡市]

亀岡駅から徒歩15分、亀岡I.C.からクルマで約5分の場所に『離れ にのうみ』はある。

離れ にのうみ官民一丸となって生まれ変わらせた築100年の古民家。

苔むした石垣に刻まれた家紋を探したり、木彫りの涅槃像に触れてみたり。古き良き城下町・亀岡観光を満喫した後は、静かな興奮を胸に眠りたいもの。そんな滞在を可能にしてくれるのが、築100年の古民家を改装した『離れ にのうみ』です。亀岡がある丹波では、春や秋に昼夜の寒暖差から深い霧が発生します。朝方、乳白色の濃い霧が朝日に染まる様子を、古人は「丹の海」と表現しました。

何とも風流な名を冠したこの宿、もともとは京都の老舗薫香商の所有。一時期、アレックス氏が借りて事務所にしていたこともありました。その後、荒れるままになっていた建物を亀岡市が引き取り、地方創生の一助となるスペースにできればと生まれ変わらせたのです。今回、監修を担ったアレックス氏に宿の見どころを聞いてみました。
「この計画が持ち上がったのが2016年のこと。一部改修が入れば2017年にはオープンできるねと話していたのですが、思いのほか朽ちている箇所があり、昨年の秋にオープンした形です。その分、古い蔵など昔ながらの風情をいかす形での素晴らしいリノベーションになりました。もともとは母屋だった建物を2ブロックに分け、そこに離れをいれた3つの棟には、それぞれ『応挙』『了以』『梅岩』と亀岡が生んだ偉人の名がついています。早速、お部屋を見てみましょう」。

江戸時代の絵師・円山応挙の名を冠した『応挙』は、宿の中でもっとも大きな棟。情緒溢れる光で目を覚ますことができるベッドルーム、日本庭園と中庭に面したリビング、古き良き城下町を臨む2階の和室からなり、5名までの利用が可能です。どの部屋も古民家特有の趣を湛えつつ、キッチンやお風呂などの水回りは現代的に設え、快適なステイが可能になっています。地元食材を自分好みに調理し、地酒で一杯いきたいタイプに嬉しい調理器具や食器一式はもちろん、大型の冷蔵庫も。タオルや浴衣などのアメニティーもひと通りそろっているので、小さな荷物で「暮らすように過ごす」ことができます。

【関連記事】京都府亀岡市/アレックス・カーが耳打ちする、本当は教えたくない亀岡案内。

『応挙』のリビングで寛ぐアレックス氏。濃い緑と石灯篭の日本的な美に彩られた中庭を臨む。

広々としたダイニングキッチンがあれば、旅先の自炊がグッと楽しくなる。

無機質なホテルにはない温かみが宿るベッドルーム。「いつもよりよく眠れた」という旅人も多いのだとか。

リビングとベッドルームを繋ぐ回廊にも力強い書が。至る所に日本の美が張り巡らされている。

『応挙』には2階がある。少し急な階段を登ると、その先にもご褒美のように書が掛けられていた。

周辺には瓦屋根のお宅も多い。「ここからの景色が大好きで」とアレックス氏。

離れ にのうみ行燈の灯りに先人を想い、ウッドデッキで星光浴を。

戦国時代を生きた京都の豪商・角倉了以は、亀岡の一大観光・保津川くだりの礎を築いた人物。その名を冠した『了以』は離れにあります。天井の高いベッドルームとリビング、その先の日本庭園が地続きになっているこの部屋は、すりガラスから入ってくる美しい光で目覚めることが出来ます。また、全ての部屋にアレックス氏秘蔵の書や軸が掛けられています。『了以』のベッドルームには保津川の軸が掛けられており、旅情が掻き立てられます。

「行燈などの間接照明もほとんど私が持ち込んだもの。照明の位置にもこだわりました」とアレックス氏。柔らかな間接照明は闇の神秘性と光の有難さを際立たせます。

亀岡駅構内にも座像がある江戸時代の思想家・石田梅岩の名を持つ『梅岩』は、リビングから蔵が見える部屋。広いウッドデッキもあり、サンチェアに寝そべって読書に耽るなど、自由な使い方が出来ます。

離れにある『了以』は母屋とお隣の畑の間にある小路の先にある。天井の高い開放的な空間だ。

広々としたダイニングキッチンから日本庭園を臨む。右奥のベンチには、古い囲碁盤が置かれていた。

古民家ならではの味わいを享受することが出来、それでいて水回りはぐっと現代的なのが嬉しい。

ひとり~3人で宿泊できる『梅岩』。シングルベッド2つとソファベッドを利用する形だ。

建具とダイニングテーブルの相関関係に和の美を感じる。ここでゆっくり地酒の杯を交わすのもいい。

趣のある蔵。「一時は取り壊す話もありましたが、反対したんです」とアレックス氏。『離れ にのうみ』のシンボル的存在に。

離れ にのうみ外出せずとも味わえる地元の名店の美味。

ここで気になったのが食事のこと。自炊派は旅先の道の駅や近くのスーパーで食材を調達すればよいのですが、外食派は? その辺りも抜かりありません。地元の名店からのケータリングが可能なのです。亀岡は昼夜の寒暖差があり、野菜や米が美味しいことで有名ですが、そんな地元食材を使った懐石料理を堪能するなら『京懐石 雅』を。お部屋のキッチンで盛りつけをするので、出張料理のような贅沢気分を味わうことが出来ます。仕出し料理屋の『八百捨』では、『離れ にのうみ』オリジナル料理をご用意。旬の食材を多用した洗練の京料理を味わうことができます。

こだわりの生産者から直接買い付けた食材を使ったイタリアンなら『クッチーナ トラスクア』を。また、『コーヒースタンド ブラッキー』にはトーストやサンドイッチと美味しいコーヒーのセットの用意があるので、ゆっくり朝の時間を過ごすこともできます。

『京懐石 雅』の「花」コース。旬の亀岡の食材を取り入れた一番人気のメニューだ。

『クッチーナ トラスクア』では、地元食材を使ったパスタや煮込み料理が楽しめる。

離れ にのうみ地域活性の礎としても期待される滞在型の宿。

官民一丸となって生まれたこの施設では、移住促進のイベントも行っています。今年6月には『タルマーリー』の渡邉 格氏を迎え講演会を開催。渡邉氏は、鳥取県智頭町で、野生酵母で作るパン、クラフトビール、カフェの3本柱で事業を展開しながら、資源の地域内循環や地域活性化に尽力している人物。この時、講演会は『離れ にのうみ』のそばにある稱名寺(しょうみょうじ)本堂で行われ、その後の懇親会は『離れ にのうみ』で行われました。

参加者は地域活性や古民家再生・景観保存を考える人から亀岡移住を考えている人までさまざま。なかには東京や大阪からの参加者もおり、次のステップを考えている皆さんにとって、この宿が多くのインスピレーションを与えたことは間違いありません。

この秋は、リピーターの多さを誇る『離れ にのうみ』で、100年先も残したい日本の良さを体感できる旅はいかがでしょう?

『離れ にのうみ』のすぐ側にある稱名寺。境内には平安時代の女流歌人・和泉式部の墓と伝わる五重宝篋印塔がある。

2019年6月に行われた講演会『タルマーリーに学ぶ~地域の資源を活かす暮らし方』での1コマ。

多くの参加者で賑わった講演会のあと、『離れ にのうみ』で催された懇親会でも熱い意見が飛び交った。

住所:京都府亀岡市西竪町15 MAP
離れ にのうみ  HP:https://www.hanare-ninoumi.jp/

1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。

輪島塗の産地、奥能登・輪島を舞台に。初のWシェフのコラボレーションが実現した第17回目の『DINING OUT』。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

石川県輪島市の金蔵エリアの棚田に突如、現出した幻のレストラン。

ダイニングアウト輪島「漆文化の地に根付く、真の豊かさを探る」をテーマに、日米2人のシェフが競演。

10月5日(土)、6日(日)に『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』が開催されました。初の試みとなるダブルシェフのコラボレーションで、開催前から注目を集めた通算17回目の『DINING OUT』。しかも、石川県にルーツを持つ西麻布『AZUR et MASA UEKI』の植木 将仁シェフと、世界のレストランランキングやアワードで高い評価を受けるアメリカ人シェフ、ジョシュア・スキーンズ氏、国境を超えた2人のタッグというニュースが、さらなる話題を呼びました。テーマは「漆文化の地に根付く、真の豊かさを探る」。

詳細については、例によって開催当日まで一切ベールに包まれたまま。10月初旬の輪島に現れた二夜限りのレストランは、一体どのようなものだったのでしょうか。その全貌をお知らせします。

【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS

『DINING OUT』史上初のコラボレーションディナーを担った植木 将仁シェフ(左)と、ジョシュア・スキーンズシェフ(右)。

ホスト役には、「アジアベストレストラン50」の日本評議委員長も務め、『DINING OUT』8回目の登場となるコラムニスト中村孝則氏。

ダイニングアウト輪島能登の歴史を今に伝える重要文化財「時國家住宅」がアペリティフ会場に。

「一門にあらざらん者は皆、人非人なるべし(平家にあらずんば人にあらず)」。
『平家物語』でも有名なこの言葉で、平家の盛隆を称えたのが平大納言時忠。平安末期、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、能登の地に配流され生涯を終えた人物です。

送迎のLEXUSが向かった先は、この平大納言時忠から24代に渡り一族の暮らしの場であった「時國家住宅」。茅葺入母屋造りの木造平屋建築は、江戸時代に3代50年をかけて建てられたもので、当時の暮らしを今に伝える貴重な建造物として、国の重要文化財に指定され、一般にも公開されています。前庭に到着し、ウェルカムドリンクを楽しむゲストの前に現れたのは、コラムニストの中村孝則氏。ホスト役は今回で8回目という“Mr.DINING OUT”が、歓迎の挨拶に続けた「あらゆる意味で過去、最大規模のDINING OUTになるでしょう」という言葉に、ゲストの期待がさらに高まります。

建物に入ると約40坪もの土間が広がり、そこがアペリティフ会場に。植木シェフによるフィンガーフードとともに、能登産のワインやサイダーを楽しむゲストに、中村氏が一人の女性を紹介します。平大納言時忠の末裔、25代目当主の妻の時國純子さんです。
「江戸時代は加賀藩の年貢米の取り立てや、輪島の塩田でつくられる塩の検査などを生業にしていたといわれています。この家に使われているのは、半径500メートルの地域で手に入れた建材のみ。45センチ角の大黒柱は、ケヤキ材の通し柱で、同じ山の斜面で伐採されたという松材の梁を通しています」
今回、時國さんの特別の計らいで、通常の見学時には見ることができない室内を見学できることに。上段の間、大茶の間、中の間と、奥へと案内されるたび、立派な梁や欄間の意匠、ビルの数フロア分に相当する屋根の高さや、庭園の借景に、ゲストの間からため息が漏れます。

立派な神棚や北前船交易で使われた船箪笥などは、人々の暮らしに根付く信仰心とこの地の繁栄の象徴にほかなりません。能登の豊かさの源流、その一端に触れる貴重なひとときを過ごし、ディナーの本会場へと向かいます。

今回も、唯一無二の体験『DINING OUT』の移動をサポートするLEXUS。

国の重要文化財『時國家』がレセプション会場に。この後、ホストの中村孝則氏が登場。

時國家の土間でアペリティフがスタート。時國さんの説明に真剣な表情で耳を傾けるゲストたち。

能登では「ギバサ」と呼ばれるアカモク(海藻)を囲炉裏で焼く郷土料理「串目」をアレンジした植木シェフによる一品。

塗師屋が行商に出ていく時に持っていった、輪島塗の技術の結晶である「行商椀」は大崎漆器店から特別に貸し出して頂いた。

アペリティフの2品目は、植木シェフによる七面鳥のブロス。ひとつひとつ形や色が異なる行商椀から、好きなものを選ぶスタイルで。

ダイニングアウト輪島棚田の真っ只中に浮かび上がる、二夜限りのレストラン会場へ。

「時國家住宅」を後にし、いよいよディナーの本会場へと向かいます。緩やかな斜面に、どこまでも広がる棚田の景色。その景観の中に、忽然と現れた幻のように、ディナー会場の灯りが見えてきます。世界農業遺産にも認定された棚田の里・金蔵集落。「日本の里100選」「美しい日本の歩きたくなる道500選」に数えられる能登の里山が、二夜限りのレストランの舞台となります。金の鶴が舞い降りたという伝説が残る金蔵集落は、古くから稲作が盛んに行われた、奥能登地域でもっとも豊かな集落のひとつ。5つの寺があり、室町時代には収穫した米を年貢ではなく仏供米として収めたという、信仰の地でもあります。

空が暮れゆくにつれ、ドラマティックに浮かび上がる棚田の景色とともに、ゲストの目を奪ったのは、テーブルの前にしつらえられた巨大なオープンキッチン。その一部は、多くのゲストが初めて目にするであろう熾火台が据えられています。2009年、サンフランシスコに開いた『Saison』で、熾火料理を柱にした料理で初めてミシュランの3つ星に輝いたジョシュアシェフ。今回、自ら考案した熾火台を、金蔵のディナー会場に再現したのです。植木シェフサイドの厨房もフルスペック。プランチャからサラマンダーまで、まるで西麻布のレストランの厨房をそのまま運んできたかのようです。シェフが2人ならば、スタッフも2倍。チーム・ジョシュア、チーム・植木がそれぞれのリズムでディナーの準備に動き回るアシンメトリーな眺めが、会場に独特のグルーヴと熱気をもたらします。

今回の『DINING OUT』は、平行して進められてきた『DESIGNING OUT Vol.2』も大きな話題に。地場産業、伝統工芸に独自のクリエイションを加え、新しいプロダクトを開発する本プロジェクトを世界的建築家の隈 研吾氏が監修。製造されたオリジナルの輪島塗の全貌が、このディナーを通じて明らかになるからです。

世界農業遺産の金蔵集落の使われていない休耕田を利用し、まるで田んぼと一体になったような錯覚に陥るディナー会場。

棚田の段を利用し見下ろす形に配置された、巨大なオープンキッチンと今回の為に特別に制作した熾火台。

世界的な建築家の隈研吾氏がデザインした輪島塗の器にどんな料理が盛られるのか注目が集まった。

ダイニングアウト輪島能登の自然、食文化を、それぞれのアイデンティティで表現。

ディナーのはじまりに、中村氏からまず『DESIGNING OUT Vol.2』についての説明があります。輪島塗は、木地づくりから沈金、蒔絵などの装飾まで124もの工程があり、その工程を分業することが大きな特徴。隈氏が地元の職人とともにつくり上げた6枚の皿は、完成品を手に取っただけでは知り得ない、輪島塗の製造工程を可視化したものだといいます。

供されたのはアミューズからプティフールまで、全11皿。植木シェフ、ジョシュアシェフの掛け合いのようにディナーが進んでいきます。どの皿もそれぞれのアプローチで、能登輪島の食文化を再構築したもの。植木シェフによる「松茸のリゾット」は、禅の発祥ともいわれる総持寺で、精進料理を野草茶ともに食す習慣から着想を得て、野草茶で蒸した金蔵の棚田米を使用。ジョシュアシェフのシグニチャーでもある自家製のキャビアを使った「スキーンズ プライベートリザーブキャビア」は、能登の昆布や輪島の海藻類を使ったハイブリッドバージョンで登場します。

ダブルシェフによる料理、隈氏監修の器に加え、ペアリングドリンクの監修をロバート・スミス氏が担当。ワイン資格の最高峰といわれるマスターソムリエとしてアメリカのワイン文化を牽引してきたロバート氏が、ドリンクのセレクトのみならず、自ら会場に立ってゲストへワインやノンアルコールドリンクをサーブ。テーブルを回るロバート氏の姿を見て、レセプション会場で「あらゆる意味で過去、最大規模の『DINING OUT』」と話した中村氏の言葉を、今一度思い出したゲストも多いはずです。

7皿目、植木シェフが「森から川、そして海へ」という能登の自然のあり様を表現した「ノドグロと藻屑蟹」は、中塗りの器でサーブされます。その頃には、厨房の熾火台から立ち上る煙が、ひときわ勢いを増します。火の上に置かれているのは、稲わら。「中には一体何が?」というざわめきが、クライマックスへの序章に。「能登の里山里海」をテーマに、ジョシュアシェフが生みだしたのは「ミネラル」に着目した柑橘の一皿。メインへの橋渡しの意味も込めた皿に、植木シェフは、里山海山の景色をそのまま描き出したかのようなイノシシ料理で応えます。続いて登場したのが、ジョシュアシェフがメインのイノシシの骨を使ってとったブロススープ。そこに稲わらの香りを纏ったごはん、漬物、佃煮が添えられます。藁で焼かれていたのが米という驚きに加え、精進料理のようなプレゼンテーションもまた、ゲストの感動を呼びます。

ともに海藻やイノシシ、地元の醤油やいしるといった発酵調味料など、地域の食材、食文化を核としながら、表現は実に対象的。和の食文化、食材に魅せられてきたアメリカ人シェフと、「和魂洋才」のスピリッツでフランス料理をつくり続けてきた日本人シェフ。それぞれのアイデンティティが、コースの全体を通じてくっきりと浮かび上がりました。

メニューブックは輪島塗の色彩を重ねるイメージと棚田の段を表現したもの。テーブルにセットされた皿が、隈氏の作品の一枚目となる。

植木シェフによるアミューズ。右、トマトに輪島のイバラノリとからすみを詰めた一品と、味噌で炊いたタコとロックフォールチーズ。左のココットの中は、野草茶で蒸した松茸のリゾット。

「スキーンズ プライベートリザーブキャビア」は、能登産の昆布にくるまれた大量のキャビアをゲストの眼の前で豪快に盛り付ける驚きの一品。

まずは上に乗せられたキャビアだけで食し、その後は下に敷かれたほうれん草を一緒に混ぜると口から、そして鼻から芳醇なバターの香りが抜ける。

マスターソムリエのロバート・スミス氏がワインの監修、セレクトのみならず自らもサービスに立ち、テーブルを回った。外国人のゲストも多く、会場はグローバルな雰囲気に包まれた。

魚料理は、植木シェフが「森から川、そして海」をイメージしてつくった「ノドグロと藻屑蟹」。能登の食の豊かさを一皿に描き出した。

植木シェフのメインディッシュの前にジョシュアシェフが用意した「シトラス」。能登の柑橘を能登の昆布でマリネしたという驚きの一品。

一週間前に輪島入りし、不眠不休の準備に明け暮れた植木シェフ。最後の一皿を盛り付けに力が入る。

植木シェフによるメインディッシュ「海を渡ったイノシシ」。イノシシが山で食すむかごや栗などを添えて。

オリジナルの熾火台とジョシュアシェフ。藁の中身は一体何なのか、会場が盛り上がった瞬間だ。

ジョシュアシェフの一品「ブロス オブ グリルドボーンズ」。植木シェフがアミューズで使用した七面鳥の骨とメインで使用したイノシシの骨をブロススープに。藁で焼いたごはんと漬物を合わせたプレゼンテーションにゲストが沸いた。

ダイニングアウト輪島輪島から世界へ、二夜のコラボレーションを未来へ。

コースの中盤、ディナー会場の上手から発せられた奇声に、一同がテーブルの後方を振り返る一幕も。スポットライトが照らすのは、髪を振り乱しながら太鼓を叩く男たち。輪島市名舟町に伝わる伝統芸能・御陣所太鼓。さまざまな鬼面を被った演者の気迫あふれるパフォーマンスが、すっかり暮れた景色の中でライトアップされる棚田の景色と相まって、神秘的な空気を漂わせます。

地元の人々と一体となり、地域に眠る宝を世界に向けて発信する。『DINING OUT』のコンセプトに共鳴し、以前から参加を切望していたという植木シェフ。2日間のサービスを終えて「感無量です」と、声を詰まらせました。その言葉には、石川県金沢市出身、広くとらえれば能登地方にルーツを持つ料理人として故郷の魅力を発信することができた満足感、そして能登の食材を知る日本人シェフとして、可能な限りジョシュアシェフを含めたチームをリード、サポートするという自らに課した重責から解放された安堵感が滲みます。
「ジョシュアとの協働は、年齢や国籍を超えて、非常に学びが多かった。と、同時に、地元スタッフの高い経験値とプロ意識にもたくさんの刺激をもらった。この2日間は、能登輪島の、ひいては日本の地方のための、大きな一歩になったと感じています」と、充実の表情で振り返ります。
「山、川、海が連なる輪島という土地は、今の自分が思い描く食の理想郷。ほぼ白紙の状態で訪れましたが、数々の食材、食文化から大きな影響を受け、今となっては運命がこの地に導いてくれたようにさえ感じています。マサ、ロバート、そしてサポートしてくれた全スタッフに感謝を伝えたい」
ジョシュアシェフも、短い言葉で感動を伝えます。

雨に見舞われ、テントを張っての開催を余儀なくされた初日。空は晴れ上がったものの、日没後一気に気温が下がった2日目。自然の中で開催されるレストランは、空の気まぐれに翻弄されます。それでも最後に、固い握手を交わす2人のシェフと、周りを囲むスタッフ全員に惜しみない拍手を贈るゲストたち。中村氏は「この地まではるばる足を運んで下さり、幸せな時間をともにつくってくれたゲストの皆様一人一人が、今宵の金蔵に舞い降りた金の鶴なのかもしれません」と、伝説になぞらえ、宴を締めくくりました。

日米2人の料理人のコラボレーションに加え、世界的建築家が監修する器、トップソムリエによるドリンクサービスと、かつてない豪華な内容で、また新たな地平へと歩みを進めた『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』。二夜の光景は、輪島の未来に、そしてこの先も続く『DINING OUT』の歴史に大きな足跡を残すことになりそうです。

輪島市名舟町の伝統芸能・御陣乗太鼓の迫力のパフォーマンス。太鼓の音が暗闇に響き渡る。

『DINING OUT』では、地元の飲食店から集まったスタッフがサービスを担当。地域の自然や食材の説明を交えながら料理をサービスした。

二日目のディナーには隈研吾氏も参加。器の制作秘話と簡単な説明が聞ける一幕も。

1日40人のゲストに対し、スタッフは総勢約100名。このサービスも『DINING OUT』ならではのもの。

互いをたたえ合い、成功を祝福するジョシュアシェフと植木シェフ。ともに充実の表情だ。

1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』『RESTAURANT & BAR J』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。
AZUR et MASA UEKI HP:http://www.restaurant-azur.com/

2006年、『Saison』のコンセプトを産み出し、2009年にサンフランシスコにて1号店をオープン。
熾火料理を主とした料理スタイルで食材の自然のあるべき姿を尊重しながら、最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び,アメリカ人として熾火料理で唯一ミシュランの3つ星を獲得。「the world’s 50 best restaurant」、「Food & Wine’s 」のベストニューシェフ、「Elite Traveler Magazine’s」の次の世代を担う最も影響力のあるシェフ15名にも選出される。2016年、更なるイノベーションの促進と成長のプラットフォームを提供するために、『Saison Hospitality』 を設立。2017年には想いをLaurent Gras氏に引き継ぎ『Saison』の現場から完全に身を引き、さらなる革新と研究のラボラトリーとして『Skenes Ranch』を設立。同年、サンフランシスコ沿岸に Skenesの海に馳せる想いを込めた『Angler』をオープンさせると、 2018年 Esquire Magazineにて全米のベストニューレストラン、GQにおいても全米ベストニューレストランに選出され、ミシュラン一つ星を獲得。2019年にはビバリーヒルズに『Angler』 の2号店をオープン。今、世界が最も注目する料理人の一人である。

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。

http://www.dandy-nakamura.com/

1954年生。東京大学建築学科大学院修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。現在、東京大学教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。

りんご畑の真ん中で、そこそこ真面目に津軽クラフト談義。[TSUGARU Le Bon Marché・特別対談/青森県弘前市]

今回の参加者は、左から『YOAKEnoAKARI』安田真子さん、『グラフ青森』小田切孝太郎氏、『Snow hand made』佐々木亮輔氏、『bambooforest』竹森 幹氏、『Snow hand made』葛西由貴さん。対談はりんごの実がほのかに色づき始めた8月に行われた。

津軽ボンマルシェ・特別対談盛り上がるクラフトブームの裏の本音を、津軽のみなさんに聞いてみた。

津軽のクラフト。そう聞いて思い浮かべるのは何ですか? 県外在住の人からすると、こぎん刺しや津軽塗りといった伝統工芸のイメージが強いのではないでしょうか。しかし「津軽ボンマルシェ」チームが現地に通って実感したのは、津軽のクラフトシーンのジャンルの幅広さと、志の高い若手作家の多さです。

対談企画第二弾となる今回ご登場いただくのは、以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した草木染のニット作品を手掛けるユニット『Snow hand made』の佐々木亮輔氏、葛西由貴さんのふたりと、弘前市のセレクトショップ『bambooforest』のヒゲもじゃ店主こと竹森 幹(かん)氏、竹森氏の店で作品を扱うキャンドル作家『YOAKEnoAKARI』の安田真子さん、40年以上青森県の魅力を発信し続けてきた出版社『グラフ青森』の編集者・小田切孝太郎氏の5人。作家として、またそれを支えるショップやメディアとして、津軽の今のクラフトシーンについて語ってもらいました。

ちなみに会場は既に「津軽ボンマルシェ」ではおなじみ、『弘前シードル工房 kimori』のテラス。りんご畑を眺めつつ緩~く進んだ対談の雰囲気が、少しでも伝われば幸いです。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

bambooforest』の店頭に並ぶ『Snow hand made』の作品。亮輔氏と由貴さんのふたりは、日本各地のクラフトイベントに出店している。

kimori』の自社畑で収穫したりんごのジュースを飲みつつ対談。『Snow hand made』亮輔氏は1980年神奈川県横浜市出身、由貴さんは1983年弘前市出身。沖縄県波照間島で染織工房を立ち上げたのち、由貴さんの実家のある弘前市へ移住した。

津軽ボンマルシェ・特別対談津軽人はクラフト好き? ここ10年、各地でイベントが大盛況。

竹森:津軽には色々なクラフトイベントがあるよね。『Snow hand made』や『YOAKEnoAKARI』がずっと出店してる「津軽森」(注:毎年5月に開催される青森県内最大規模のクラフトイベント)のほかにも、「クラフト小径」とか「A-line」とか。そういえば来年「C-POINT」が10年ぶりに復活するって。僕は行ったことないけど、もうみんながすごいイベントだったって話す伝説のイベント。

佐々木:しかも、どのイベントもすごく人が集まる。僕と由貴は全国各地のイベントに行くけど、津軽で開催されるイベントは売上がいいんです。関東のイベントで、現地の作家さんに「何でこっちまで来るの? 東北の方が売れるでしょ」って言われるくらい。

安田:そうみたい。ギャラリーとかでの展示販売で、高価なものでも売れるって聞いたことがある。

葛西:弘前はいいもの知ってる人が多いっていうか、みんないいものにはちゃんとお金使う気がしない?

佐々木:やっぱり元々城下町だし、基本の文化度が高いんじゃないかな。横浜生まれの自分から見てもそう思う。沖縄の波照間島で活動していたときも、やるなら波照間か弘前だなとずっと思っていて、結局こっちに引っ越してきた経緯もあるし。

竹森:うちの店は作家さんの作品も多く置いてるから、イベント開催中はお客さんがみんなそっち行っちゃって暇ですもん(笑)。終わると「行ってきました~」って報告に来てくれるけど。同じ青森県内でも、八戸とか南部エリアの主宰者から誘われて津軽の出展者が参加するケースも多いかも。

小田切:確かに大きいイベントは津軽の方が多いですよね。

葛西:県内のイベントだと同じお客さんが来てくれることも多いけど、みんな服装もバラバラだし、自分に似合うものを知ってる人たちなんだなって思う。あと結構いるのが「誰誰が着けてたあのアクセサリーください」って買いに来るお客さん。求心力のある人が持ってるものは、みんなも「それが欲しい」ってならない? 雑誌見ても東京の店まで行けないし、それよりも身近にいる人を参考にする方が間違いないって感じがあるのかも。

1981年、南津軽郡藤崎町に生まれた『YOAKEnoAKARI』安田さん。現在は日本各地の雑貨店、ミュージアムショップなどでの作品販売と、キャンドルや植物を使った装飾の仕事を中心に活動している。

bambooforest』で取り扱う『YOAKEnoAKARI』のキャンドル。津軽で採れたりんごや県産ラベンダーを乾燥させ、中に閉じ込めている。一番右はミツロウを使ったタイプ。

津軽ボンマルシェ・特別対談津軽のクラフト界を牽引してくれる人、募集中。

佐々木:(安田)真子ちゃんみたいに色んなイベントで一緒になる津軽の作り手も多いし仲もいいけど、だからといって「みんなで津軽を盛り上げよう!」という感じじゃないんだよね。みんな生きるのに必死だから(笑)。

葛西:私たちって別に副業があるわけでもないし、結構生活も厳しいんです。毎回これ売れなかったらどうしようって。周りの作家さんもみんなそうだと思う。

安田:あるね。クラフト展で会うと「大丈夫? 生きてる?」って言い合うみたいな。

葛西:うんうん。作り手同士お互いの大変さも分かるし、自分だけ稼ぐんじゃなくてみんなでがんばろうねって感じ。コラボで作品作ったり、竹森さんのお店で個展してもらったり、こっちにもあっちにも利益があるようにとは考えてやってるよね。だから余裕がない分、誰か津軽のクラフトを盛り上げてくれる人いないかなって(笑)。

竹森:それうち相当言われるもん! 「いや、こっちもそんな余裕ないです」って返すけど(笑)。

小田切:うちの出版社もすごく言われてます(笑)。でもそれって、今の青森県全体の業界に共通してて。みんなまず自分のことをおろそかにできなくて精一杯だから、繋いでくれる人や盛り上げてくれる人を常に求めている気がします。先達になりたくない津軽人の気質もちょっとあるかもしれない。何か新しいことをやると、出る杭は打たれがちという。

葛西:でも県外のイベントに出店すると、弘前で活動していてよかったなって思うんですよ。たとえば桜の木で染めた糸だったら、「弘前の桜染め」というだけで付加価値が付くじゃないですか。出店時はりんごジュースを持参して、お客さんに飲んでもらうんです。話も盛り上がるし、人も集まってくれるし。「青森出身です」とか「青森行きました」とか、わざわざ声を掛けてくれるお客さんも多いよね。

安田:逆に私は、来週引っ越していいって言われたら引っ越せる。津軽への執着心はあんまりないかも。余裕があったら、次はどこの土地へ行こうかなってすぐ旅の計画を立てちゃう。青森は嫌いじゃない、でも熱くは語れないかも。

一同:へー!そうなんだ!

葛西:でもそれはそれでいいと思う。津軽にも色んな作り手がいるし。

安田:津軽のいいところは……何だろう……、あ、食べものが美味しい。これは一番ですね。あとは、平仮名で縦書きにしたときの「つがる」という字面が、すごくきれいです。

竹森:めちゃくちゃ絞り出したね(笑)。でも安田さんらしい。

bambooforest』竹森氏は1981年弘前市出身。結構やんちゃな10代を過ごしていたとの噂。21歳で上京、東京・高円寺の古着屋で店長を務め、会社勤めを経て弘前へUターン、念願の独立を果たす。

bambooforest』店内。竹森氏の審美眼が光る商品セレクトで、老若男女に人気。『Snow hand made』や『YOAKEnoAKARI』などの若手作家の作品もいち早く取り扱い、紹介する役割も担ってきた。

津軽ボンマルシェ・特別対談作家、職人、アーティスト。その狭間を行き来しながら。

佐々木:今って「作家」という表現がよく使われるよね。「クラフト作家」とか。自分も「職人」という表現よりは、「作家」の方がしっくりくる。たとえば藍染めなら、目指す青色に向かって染めていくのが職人で、きれいな青がでたら、その色で何作ろうって考えるのが作家という感覚。うちの工房は後者に近いから。

葛西:職人は同じものを作り続けることができるけど、作家はそのときそのときで色んなものに挑戦できるイメージかな。

佐々木:でもきちんとしたことは分からない。そもそもクラフト、工芸、民芸の違いも、みんな認識してない気がする。こぎん刺しは伝統工芸といわれるけど、工芸というより民芸だと思いません? 津軽の厳しい気候風土から生まれて、元々は庶民の持つ服を補強するための技術だから、何着も“創作”するようなものではないし。

安田:今の話を聞くと、今現在の私は職人に近いんだなって思いました。作家というよりはメーカーというか、同じものを毎日同じように作って、完成度を追求するみたいな。前はもっと作家らしかったと思うけど、今はお店へ卸している商品数の方が多い分、「どうしたらお店の人が陳列しやすいか」とかパッケージについてまで考えているから。でも、たまに「頭の中がアーティスト」だっていわれることがあります。それはキャンドルや植物を使った装飾のお仕事もしているからだと思うのですが。確かに伝統的な工芸品の技術はすごいけど、自分がやりたいと思うことではない。探求すること自体が楽しくてこの仕事をしているから、単純に今の自分の好みの問題だと思う。

竹森:それは作品からもすごく伝わる。始めた当初と、頭の中変わっちゃってるなって思うもん。今はキャンドルのクオリティも上がったけど、包装とか装飾とか、キャンドル以外の世界観もすごい。みんな驚くよね。

小田切:どこからヒントを持ってくるんですか?

安田:それもあるから県外に行くんですよ。いつも同じ人に会わないで、見慣れない風景を見る。県外に友達がいるのかっていったら、そんなにいないんです。同じものを作り続けていると、私は自分のキャラに飽きちゃう。だから見慣れない風景を求めて、5年後はまったく違うことしてるかも。

佐々木:それ、僕も同じことを思ってました。よく由貴に「10年後は全然違う仕事してる気がする」って言ってるんです。

小田切:たとえば津軽塗りとか工芸の人たちは、最初から「津軽塗りをやろう」と思ってその道に入っているから、一生それをやり続ける印象を受けますよね。でも安田さんや佐々木さん、葛西さんたちは生き方から入っているというか、「こう生きたい」という結果選んだツールがたまたまキャンドルや草木染めのアクセサリーだったという感じ。だからやりたいことを見つけたら、もしそれが今と違うことでも一生懸命になれるんだろうなという気がします。

竹森:本当だ! なるほどね、僕の周りを見てもそういう人が多いかもしれない。

小田切:かっこいいですよね。自分で自分の道を作れる生き方、いいなって思います。

青森市に拠点を置く出版社『グラフ青森』の編集者となって7年、青森各地の現場を取材してきた小田切氏。落ち着いた物腰ながら、1988年青森県平川市生まれと今回最年少。

『グラフ青森』の原点でもある雑誌「青森の暮らし」が初めて発刊されたのは、なんと44年前。一貫した現場目線で青森各地の文化や暮らしを紹介してきた素晴らしい媒体だ。缶詰や煮干しがテーマの号もあり、結構攻めている。

津軽ボンマルシェ・特別対談今が過渡期? 津軽のクラフトブームを考察。

安田:ここ数年のSNSの普及は、かなり大きいと思います。作家として世に出やすくなりました。

佐々木:知り合いの職人さんが、今は初心者だった人がカルチャースクールで習った程度の知識ですぐ作家と名乗って活動しだすと批判していて。僕はみんなが作家を名乗っても別にいいんですけど、結局真剣にやっていかないと、長く続かないし生活もできないよって気持ちもあります。

竹森:昔は少なかったけど、今は津軽でキャンドル作ってる作家さんもすごい数いますからね。安田さんのみたいに中にりんごが入っていたり、安田さんのみたいな帯のデザインしていたり(笑)。クオリティが全然違うんだけど。

安田:(笑)。それに興味スイッチは入らないです。今は県内だけじゃなく関東や関西にも卸していて、そこでの競争率の方がかなり高いですし。もっともっとストイックに自分の表現したい景色を出していかないとと思ってます。

葛西:私たちも真似されることあるけど、そうされたら追い越されないようにしようとかもっと頑張れるからいい効果もあるなって。だからどうやって作るか聞かれたら、全部教えるようにしてる。

佐々木:やってみなよって思うよね。でも1個作るならできるかもしれないけど、10個、20個を同じ時間内に同じクオリティで作れるからこっちは生活できるのであって。相手がすぐできちゃうようなら、自分たちがまだまだってこと。だから作品の写真は撮らないでとか、コピーしないでとかは言いません。でも藍染めの染液の建て方も、茜染めの方法も、今まで教えて欲しいという人がいたからびっしり詳しく書いた資料を渡したけど、誰もやらなかったですよ。

小田切:自分はものづくりできないけど、取材先の職人さんも全部教えてくれるんですよね。多分佐々木さんたちと同じスタンスだと思います。数こなさないと見えないものがあるし。

葛西:今活躍している作家の人だって、少なからず何かに影響されてるはずだし。ちゃんと作る人が増えれば、津軽のクラフトのレベルも上がるしね。

安田:クラフトブーム、どうなるんですかね。

佐々木:来年復活するイベント「C-POINT」で、津軽のクラフトがどうなっていくのかが垣間見えるんじゃないかな。ちょっと飽和状態になってきている今この段階での復活だから。今後のことはそれを見てから考えようと思ってるけど、これからは自分の作品より、人に依頼される仕事の割合を増やしていきたい。クラフトブームには期待していないです。

小田切:残るところは残りますもんね。

竹森:じゃあ、ここからがおもしろいじゃん。僕らから下の世代の作家って、今はあまりいないじゃない? でもみんなのものづくり見て、真剣にやり始める人も出てくるはずだから。5年後の津軽がどうなっているかは分からないけど、ここにいる人は絶対残ると思う。ずっと近くで見て来て、そう確信するよね。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

由貴さんと一緒に保育園から帰ってきた息子の悠慎(ゆうしん)君。『YOAKEnoAKARI』のキャンドルの幻想的な灯りを覗きこむ。

ちなみに、みなさんが座っている椅子とテーブルは「津軽ボンマルシェ」で紹介した『Easy Living』葛西康人氏が『kimori』のために手掛けたもの。りんごの木箱を使った素朴な雰囲気が魅力。

場所協力:弘前シードル工房 kimori
住所:弘前市大字清水富田字寺沢52-3 (弘前市りんご公園内)
電話:0172-88-8936

理想の美しさを巧みに表現した、南会津のトリップムービー第二弾。[南会津ショートフィルム/福島県南会津郡]

南会津ショートフィルム/佐藤英和報道、ドキュメンタリー制作の巧者、佐藤英和が示す夏の南会津。

四季折々の南会津の姿を、4人の映像作家の作品を通じて紐解いていく「南会津ショートフィルム」。その2作目となる「Mysterious Minami-aizu sketch of summer」が公開されました。指揮を取るのは、報道やドキュメンタリーといったテレビ番組や、企業のビデオパッケージなど多彩な作品を手がける映像ディレクター、佐藤英和氏です。近年ではNHK・Eテレで放送されたドキュメンタリー「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」を担当し、猫と作家の愛おしい日々を綴った番組は、大きな話題になりました。

南会津での撮影が行われたのは残暑の頃。日本列島を揺るがせた大型台風が通過する中、深い自然に分け入り撮影された映像は、副題の「sketch of summer」の通り、南会津の夏、その名残の断片を素描するように紡がれていきます。

空の雲や霧はダイナミックに捉えられる一方で、地上では泡沫や葉脈といった詳細な自然が切り取られ、マクロとミクロという正反対の視点がテンポよく展開される構成が印象的です。
「レンズを向けたものの多くは、光や動きが作り出す不定形で流動的なものです。移ろいやすいもの、消えていくものに惹かれるのは僕の癖です」と語る佐藤氏。

陽光と陰影、水に風、躍動する生命の息吹は、カメラを媒介して、あるいは再生スピードや色を変え、逆再生し、万華鏡や分割といった加工がなされ、純粋な記録とは異なる映像に昇華されています。それは目で視たものが脳や神経を経由し、指先から紙へとアウトプットされるデッサンのように、写実的でありながらも虚構であり、それを臆面もなく示すことこそが、佐藤氏が選んだ表現の形です。

「そもそも過去のいくつかのことは、僕の中でも理想化されて記録されたりしていると思うのです。個人的な話で恐縮ですが、祖母が認知症を患った時、子供の頃に覚えた歌を楽しそうに歌っていたことが印象に残っていて。もしこの時、頭になにかの映像が浮かんでいるとすれば、それは多幸感に満ちた風景だったのでしょう。今回の映像にあるのも、ある種の理想化された南会津であり、欲望が生み出した美しい風景です。肉眼で知覚するものを、よりフィクション化することで、作られた風景だということを強調しています」。

【関連記事】南会津ショートフィルム/ひとりの少女が日常と非日常を交錯する、南会津のトリップムービー。

雲や霧が南会津の低山を通り過ぎていく。残暑ある南会津の断片がダイナミックに描かれている。

水面に映る南会津の景色。ゆらゆらと揺れては消える一瞬の姿は、佐藤監督が惹かれるポイント。

南会津ショートフィルム/佐藤英和見る者の感性に委ねる「言葉であらわせない表現」

SNSの流行などで写真や映像の加工が当たり前となった昨今、人々の記憶に残る風景の現実と虚構の境目が持つ危うさは、より顕著になってきています。今回は人の頭の中で作られる「閉じられた映像」で創作することが、佐藤氏が南会津と対峙し導き出した解でした。

「理想としては毎回、カメラが初めて発明された時に戻るように真新しい気持ちで、『この映像と音声を記録する装置を使い、どのように世界と向き合うか』を考えること。そこで大切なことは、自分の頭で考えたことを世界に当てはめないということ。印象派の画家オーギュスト・ルノワールの息子で映画監督のジャン・ルノワールは父についてこう書いているんです–––『彼は想像力というものを信じていなかった。想像力とは傲慢さの一形態だとみなしていた。「われわれの頭脳だけから生じたものが、われわれのまわりに見られるものより価値があると思うには、たいへんなうぬぼれが必要だよ。想像力などでは、たいして遠くまで行けやしないが、この世界はこんなに広いんだ。一生のあいだだって歩き続けられるし、それでもまだ終りは見えないんだよ。」(わが父ルノワールより引用)
表現は世界に『敗北』し続ける。常にそう考えていて、今回は南会津の豊かな自然に対する敗北の記録だと思います」。

映像には手を加えている反面、音響にはほとんど加工を入れていないのも今回の作品の特徴です。目を閉じれば、裸の「南会津の音」が優しく鼓膜を揺らします。そこには映像と音による「言葉で表せない表現」が、実践されています。

南会津の自然が紡ぐ音と、佐藤氏の内なる理想が具現化された美しい映像が邂逅した今回の作品に、何を感じ、何を思うのか。珠玉のショートムービーが、あなただけの南会津との出会いをもたらしてくれるに違いありません。


(supported by 東武鉄道

1958年生まれ、京都府宇治市出身。報道やドキュメンタリーを中心にNHK、民放各社のテレビ番組のほか、「積水ハウス」「ロッテ」「横浜美術館」といった企業のビデオパッケージ、ONESTORYでは「DINING OUT ARITA&」の映像制作を担当。

奇跡の酒『加温熟成解脱酒』が、料理人の創作意欲を刺激する。大阪・中国料理『AUBE』東 浩司シェフの場合。[加温熟成解脱酒・AUBE/大阪府大阪市]

中華料理の東浩司シェフが、『加温熟成解脱酒』の複雑な味わいに寄り添う料理に挑む。

オーブ現在と未来が交錯する新たな日本酒の世界。

銘酒『高清水』で知られる秋田の酒蔵『秋田酒類製造株式会社』が世に送り出した『加温熟成解脱酒』。それは、古酒のような色と香りを放ち、しかし口にしてみればフレッシュかつすっきりとした喉越しという不思議な日本酒でした。

熟成感とフレッシュ感、現在と未来が交錯する奇跡の酒。かつて、日本を代表するスーパーソムリエ・大越基裕氏は、この酒を「新しい味のスタイル、新しい世界観です」と言い切りました。日本に先駆けて展開されたパリでは数々の名シェフの心を掴み、多彩なジャンルの料理との相性も証明してみせたこの『加温熟成解脱酒』。

そんな新たな酒のさらなるポテンシャルを探るべく、今回、日本を代表する3名のシェフが、特別なペアリングメニューを考案してくれました。拠点とするエリアも料理ジャンルも異なる3名が、それぞれ『加温熟成解脱酒』をどう捉え、どんなペアリングを見せてくれるのか興味がつきません。

まず最初のひとりは、大阪で中華料理を追求する東 浩司氏。2011年に開業した『Chi-Fu』をわずか1年でミシュラン星獲得に導いた才気あふれる料理人です。そんな東シェフは『加温熟成解脱酒』をどう捉え、どんな料理と合わせたのでしょうか? その様子をお伝えします。

【関連記事】加温熟成解脱酒/パリで話題! ベールを脱いだ『加温熟成解脱酒』という新たなる日本酒の挑戦。

半年間の熟成で十年物の古酒のような深みを生み出すまったく新たな酒。

オーブワインにも造詣が深い東シェフによる『加温熟成解脱酒』のインプレッション。

東シェフは大阪で『Chi-Fu』、『Az/ビーフン東』、そして2018年に開いた『AUBE』の3店を手掛ける人物。伝統の味を受け継ぐ『Az/ビーフン東』、洋食やエスニックの技法も取り入れ、中華料理のベクトルを横方向に広げる『Chi-Fu』、中国の伝統料理をブラッシュアップし、新たな解釈で提供する『AUBE』とそれぞれ趣向が異なりますが、すべてに共通するのが食材の追求。とくに『AUBE』は日本の食材、食文化を深く掘り下げることをテーマにしているため、食材や郷土料理を探して自ら日本各地を巡ることが東シェフのライフワークになっているのだといいます。

そんな東シェフは今から8年前「おそらく世界で初めて」という中国料理のコースとワインのペアリングを開始。ソムリエ資格も持ち、料理と酒の相性に関しては一日の長がある人物です。そんな東シェフが『加温熟成解脱酒』を試飲し、料理の構想に入ります。

「熟成感とフレッシュ感の共存は、唯一無二の個性。ワインで例えれば、赤と白の中間の位置づけ。オレンジワインのニュアンスもあり、蒸し鮑のようなヨード感のある料理に合いそうですね」と印象を語る東シェフ。さらに「フレッシュな味は、白身の肉、豚しゃぶや蒸し鶏なんかも合いそうです。甘みも嫌味にならない程度で、アイデアが広がります」とイメージを語ります。そんな東シェフは、豊富な知見と湧き上がるアイデアで、どんな料理を作り上げたのでしょうか。

2018年に開店した『AUBE』では、日本各地の食材を中華料理にして提供する。

料理と酒のペアリングを知り尽くす東シェフをして「新しい酒」といわしめた。

東シェフは深いワインの知識をいとぐちにこの「初めての酒」の解読に挑んだ。

オーブ

細部まで工夫を凝らし、酒と料理を共鳴させる。

「着想の出発点は、紹興酒と上海蟹という伝統的な組み合わせ。それを踏襲しつつ、現代的な酒にどうアプローチするか考えながら組み立てました」そういって東シェフが差し出した料理は、「上海蟹の茶碗蒸し 百合根餡かけ」。上海蟹の出汁と卵で茶碗蒸しを作り、ほぐした蟹の身と具材を入れる茶碗蒸し。モクズガニを崩して汁にする山口県の郷土料理もヒントになっているそう。そして一見シンプルに見えるこの料理、実は『加温熟成解脱酒』と合わせる数々の工夫が潜んでいるのです。

「解脱酒のクリアな味に合わせるため、塩を一切使っていません」と、いきなり驚きの情報を教えてくれた東シェフ。さらに複雑味のある解脱酒のそれぞれのニュアンスに、多彩な味と香りをあわせています。たとえば解脱酒の米のニュアンス、ほのかに甘い香りに合わせてキンモクセイの花を、熟成感ある香りには甘酢漬けの新生姜を。おこげの香ばしさや銀杏の風味、全体を引き締めるラー油も、それぞれが酒に寄り添います。12~13度で提供する解脱酒の滑らかなテクスチャに合わせ、茶碗蒸し自体の口当たりにもこだわりました。

そしてさらなる仕掛けはその後。ある程度食べ進めたら、東シェフは菊の花びらを一枚、酒に浮かべるよう勧めました。「蟹と菊を楽しむのは、古くから中国の粋人の嗜み。いわば詩の世界の話です」と語る東シェフですが、実は解脱酒の故郷である秋田県は、食用菊が好まれる地域。同郷の酒と花を合わせて味わうという、なんとも粋な楽しみ方は、各地の食材や伝統に造詣が深い東シェフならではの発想です。

キンモクセイ、銀杏、おこげ、ラー油など多彩な香りが立体的なおいしさを演出。

複雑な酒のニュアンスに合わせ、とくに香りは重層的な要素をちりばめた。

オーブ社長も脱帽した、料理の味、テクスチャ、そして粋な試み。

この日は『秋田酒類製造株式会社』の社長・平川順一氏、営業部課長の嶋嘉洋氏も大阪を訪れ、東シェフが仕立てる料理と、『加温熟成解脱酒』の調和を楽しみました。
「おいしいの一言。味もそうですが、茶碗蒸しの滑らかさと解脱酒の舌触り、テクスチャの部分でも相性が良く、するりと入ってくる印象でした」と感激した様子の平川氏。嶋氏も「菊花の苦味と解脱酒の相性は新発見でした。しかも秋田の菊を使ってくれたことが本当にうれしいですね。我々の期待の一手、二手先を返してくれるような、素晴らしいマリアージュでした」と手放しの称賛を寄せていました。

『AUBE』は2ヶ月に1度メニューが変わり、東シェフが訪れ、心打たれた食材や食文化を反映した料理が10品ほどのコースで登場します。そして2019年10月半ばからのコースには、この「上海蟹の茶碗蒸し 百合根餡かけ」が登場します。それだけこの料理と酒の調和は、東シェフの心に響いたのでしょう。
「もちろん、合わせるのは『加温熟成解脱酒』です。唯一無二の酒と、そこに寄り添う料理。かつてない味の調和をお楽しみください」


(supported by  秋田酒類製造株式会社)

「料理の深い味わいが解脱酒と非常にマッチしています」と平川社長。

予約制、6席のみのエレガントな店『AUBE』に、解脱酒と今日の料理が並ぶことが決まった。

東シェフが調和の軸に据えたのは香り。複雑な酒の香りに寄り添わせるために、多彩な食材を料理に潜ませた。

住所:大阪府大阪市北区西天満4-4-8 2F MAP
電話:06-6940-0317

1980年、大阪府生まれ。新橋の名店『ビーフン東』の家に生まれ、若くして料理人を志す。赤坂の維新號グループで修業を積んだ後、新橋『ビーフン東』の料理長として6年間研鑽を積む。2011年、大阪で『Chi-Fu』と『Az/ビーフン東』の2店を開業、『Chi-Fu』はミシュランガイド2013で1つ星を獲得。2018年には新たに『AUBE』を開業、さらにカフェプロデュースやメニュー開発など活躍の場を広げている。ソムリエ資格も持ち、ワインスクールアカデミー・デュ・ヴァン銀座校で講師も務めた。

福岡から世界へ。日本茶の価値を高め、可能性を示す場を。[万/福岡県福岡市]

OVERVIEW

お茶を飲んだことがない人はいないのに、お茶について考えたことがある人は少ないかもしれません。ここで言う「お茶」は、日本茶のこと。日本で育ち、日本に暮らす者にとって、あまりに身近で「当たり前」のもの。それゆえに、「考えて」「関わる」機会がないまま、時代とともに生活様式が変わる中で、少しずつ、日常の生活の中から失われつつあるものでもあります。

徳淵 卓氏は、一服の玉露の、あまりのおいしさに導かれ、「茶」を自らの進む道と決めたと話します。福岡市中央区赤坂に7年前に構えた『万』は、現代の茶室をイメージしたカウンター中心の茶酒房。そのあり様は、かつて存在した「日本茶カフェ」とも「バー」とも異なります。

茶と茶菓と、酒を等しく扱うこれまでになかった店。「湯を汲む」「茶を淹れる」行為で一滴の液体に価値を付加し、思考を促す場。深い知識と日々のたゆまぬ研鑽が生む味わい、それを決して前には出さぬおもてなしを求め、全国から、そして海外から炉を囲むカウンターにゲストが集います。このユニークな「現代の茶室」はいかにして誕生したのか。いま、徳淵氏の視線の先にあるものとは。福岡で話を伺ってきました。

住所:〒810-0042 福岡市中央区赤坂2-3-32 MAP

電話:092-724-7880
営業時間:
1階 [ 万 ]午後3時〜深夜まで
2階 [ 分室 ]正午〜不定 ※予約制
定休日:日曜日
万 yorozu HP:http://www.yorozu-tea.jp/

自然と建築、人と人との絆を強める坂 茂デザインの隠れ家リゾート。[ブティック・リゾートししいわハウス/長野県北佐久郡軽井沢町]

風光明媚な場所と調和する、環境にも優しい造り。世界トップレベルの現代アート作品を随所に配し、全てがラグジュアリーな「一流」となっている。

ししいわハウス建築×自然×現代アートの競演! 「一流」の協奏が至高の滞在に導く。

日本の建築は、自然素材の代表格である木と、それを育んできた四季折々の自然との調和が神髄です。そんな「木」と「自然」との競演を、更に非伝統的に進化させたリゾートが、都心から約1時間半の中軽井沢にオープンしました。
 
『ブティック・リゾートししいわハウス』。建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した、坂 茂(ばん・しげる)氏が設計し、全10室の隠れ家的リゾートとして設立されました。建物、インテリア、アメニティの全てにプライドが光る佇まいは、軽井沢の自然にナチュラルに溶け込みながらも、際立った個性を放っています。

有機的な曲線を描く館内には、厳選された最高級のアメニティと世界トップレベルの現代アート作品を配置。各界の「一流品」をオーナー自らがチョイスした(ウッドデッキから見た「グランド・ルーム」)。

ししいわハウス世界最先端の建築と、広大で豊かな自然と、心を潤す現代アートに浸る。

『ししいわハウス』のコンセプトは、「非伝統的かつ独特の建築美」。木造2階建ての建物は、周囲の森の木々に寄り添うような曲線を描いており、坂氏の建築技術へのたゆまぬ探究心が表れています。
 
そして内部は、国内最大級の木枠のガラス扉を備えた「ライブラリー」、フィンランドの著名な建築家、アルヴァ・アアルト氏デザインの家具を配した中庭へとつながる「グランド・ルーム」、各クラスターにひとつずつ完備された「キッチン」と、全10室の客室を擁する3つのクラスターから成っています。
 
工法は、ホテル建築では初の採用となった「木造パネル工法」。木材を合板で挟み込んだ「構造モジュールフレーム」を、現場に運んで組み立てる工法で、独特のフォルムが柔らかさと温かみを醸しています。
 
「このプロジェクトでは、ホテルの美しいロケーションにふさわしい、独自のデザイン工法を生み出したいと思いました」とは坂氏の言。「ここにしかない特別な雰囲気」を創造するため、全てが綿密に計画されています。

客室内には開放感溢れるスペースを生み出し、客室にいながらにして庭の美しい眺めを楽しめ、屋外にも簡単にアクセスできる構造(1階ゲストルーム)。

「ライブラリー」の内観。ここでチェックインした後は、四季折々の景色を眺めたり、「グランド・ルーム」で交流したり、予約して軽井沢のシェフによるケータリングを楽しんだり、「キッチン」でプライベート・ディナーを作ったりすることができる。

ししいわハウス建築とアメニティのハーモニーが極上の居心地を叶える。

館内のデザインは、全て坂氏が監修。家具やインテリアも自らセレクトしています。そして坂氏の真骨頂ともいえる「紙管」を駆使した建築は、『ししいわハウス』でも余すところなく発揮されています。特に寝室とパブリック・スペースに多く取り入れられており、ナチュラルな素材感の中に風格を漂わせています。
 
そしてオーナー自らが慎重に選び抜いたアメニティたちが、そのしつらえを完成させています。食器は日本の伝統を真摯に汲んだ「深山(みやま)」製で統一し、寝具、タオル、バスローブなどのリネン類は世界的に著名な「プロー(Ploh)」を採用。更にバス・アメニティは、ドイツの「ストップ・ザ・ウォーター・ホワイル・ユージング・ミー!(Stop The Water While Using Me!)」の100%天然由来かつ生分解性の製品で、美しい軽井沢の自然にどこまでも配慮しています。

自然に溶け込む建築、インテリア、アメニティ類が、訪れるゲストに心地よいひと時をもたらす(ヒノキ風呂付、2階ゲストルーム)。

控えめな、それでいて確かな個性を放つアメニティたちは、オーナー自らが最高と見なしたもののみを厳選。

ししいわハウス「具体美術」の粋を集めたアート群が空間を更にアップグレード。

また、『ししいわハウス』を更に特別なラグジュアリー・リゾートとしているのは、日本と世界の名だたる現代アーティストたちによる作品群です。
 
1960年代に「具体美術」のリーダー的存在であった巨匠・吉原治良氏をはじめ、今井俊満氏、鷲見康夫氏、元永定正氏、山田正亮氏など、前衛的でありながら格調高いアート群を取り揃えています。
 
また、ザオ・ウーキー(Zao Wu Ki)氏、イ・ソンジャ(Seundja Rhee)氏、ギュンター・フォルグ(GüntherFörg)氏、ベルナール・ベネ(Bernar Venet)氏など、やはり著名かつ個性豊かな海外アーティストたちの原画を館内に陳列。これらは『ししいわハウス』のシンプルかつ上質なインテリアを、更にエレガントに際立たせています。

建築、自然、芸術の融合が創造的かつ知的な滞在体験をもたらす。

柔らかく温かみのある佇まいの中で、クリエイティブな可能性が育まれる。

ししいわハウス都会の喧騒から距離を置いたロケーションで、知的創造の建築空間を提供。

典型的なホテルとは一線を画した「ソーシャル・ホスピタリティ」の概念を取り入れている『ししいわハウス』。その特異性はプライベートな空間だけに焦点を当てるのではなく、客室の外においても新たな発見やつながりを見出せるように設計されている点からもうかがえます。
 
『ししいわハウス』のオーナーであるシンガポールの『HDHキャピタル・マネージメント(HDH Capital Management)』の最高経営責任者、フェイ・ホアン氏は、これらのポリシーについてこう語ります。
 
「『ししいわハウスは都会の喧騒から距離を置いたロケーションにて、知的創造の建築空間を提供したいという思いから誕生しました。この隠れ家的ブティック・リゾートは、訪れるゲストがエネルギーを取り戻し、新たなひらめきを生み出せるような場所になることを目指しています。また、企業、地域社会、様々な人々と、世界中で起こっている事象やトレンドについて意見交換、あるいは議論を交わす場としての機能も果たすでしょう。このホテルは、当社が提案するホスピタリティ・コンセプトの最初の施設であり、今後も同様の自活的かつサステイナブルなプロジェクトを世界各地で生み出すことを目標にしています」。
 
個人でも団体でも、快適に滞在しながら交流とプライベートを重んじられる造り。そして坂氏による圧倒的な建築美が織り成す空間は、世界を変革させる新たな潮流をも生み出していきます。

発想しだいで自由自在な滞在がかなう、自らの創造性とともに遊べる場所。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町長倉2147-646 MAP
電話:080-7691-6020
ししいわハウス HP:http://www.shishiiwahouse.jp/

豚も鶏も人間も、自然体が一番。みんなをストレスフリーにする魔法の牧場。[TSUGARU Le Bon Marché・長谷川自然牧場/青森県西津軽郡鰺ヶ沢町]

ノリノリで撮影に応じてくれた長谷川光司氏、洋子さん夫妻。誰もが一瞬で心を開くに違いない、チャーミングな魅力の持ち主のふたり。

津軽ボンマルシェ・長谷川自然牧場名物は豚? それとも牧場主夫婦? 全国的な知名度を誇る津軽の牧場。

青森県西部、日本海に面した鯵ヶ沢町。特産のイカの生干しが海風にそよぐ「イカのカーテン」を横目に内陸へ10分ほど車を走らせると、とある牧場が現れます。以前紹介した弘前市の食材店『ひろさきマーケット』や県内の百貨店の食品売場をはじめ、弘前市のフランス料理の名店『レストラン山崎』、『帝国ホテル』や『ザ・リッツ・カールトン』といった全国の高級ホテル、都内の有名レストランにいたるまで、多くの店から名指しで取引を求められるその牧場こそ『長谷川自然牧場』。そしてここを一躍有名にしたのが、「自然熟成豚」と名づけられた豚肉です。「自然熟成豚」の一番の特徴は、なんといっても脂の美味しさ。ひと口食べると、豚肉とは思えないほど細かいサシがふわりとほどけ、口の中に上品な甘さが広がります。一流シェフをも魅了するその品質はどのように生まれるのでしょうか。

牧場を訪れた私たちをまず歓迎してくれたのは、敷地内を自由に走り回る鶏たち(警戒心ゼロ!)とまだおぼつかない足取りでこちらに向かってくる子犬、子犬を見守る母犬。その近くを悠々と猫が通り過ぎます。たくさんの動物が思い思いに過ごしている様子にほっこりしていると、飛び切りの笑顔で登場したのが牧場主である長谷川光司氏と洋子さんの夫妻。「よぐ来たね~!」という歓迎のあいさつ後、すぐに始まる弾丸世間話に、こちらもついつい取材を忘れてお喋りしてしまいます。そう、「自然熟成豚」と並ぶこの牧場の名物がこの長谷川夫妻。相手の心の扉を開くのが天才的にうまい、津軽のとっちゃ(お父さん)とかっちゃ(お母さん)です。

ふたりに案内してもらい豚舎へ行くと、豚たちが一斉に集まってきます。洋子さんにブヒブヒと話しかける豚もいれば、取材班ににっこり(?)ほほえみかける豚も。それぞれの豚にちゃんと個性を感じるのは、豚たちがのびのびと育てられているからに他なりません。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

ひなびた漁師町の風情をいまだ残す鯵ヶ沢の海岸沿い、干されたイカの向こうに日本海が見えた。ブサかわ犬「わさお」の故郷としても知られる町だ。

様々な動物がのびのびと、思い思いに過ごす。そんな光景が、『長谷川自然牧場』の居心地の良さを象徴している。

人懐っこい豚は、突然の取材班の訪問にもこのカメラ目線。いきいきとした彼らの様子を見ていると、長谷川夫婦からの愛情を受けて育っていることがわかる。

津軽ボンマルシェ・長谷川自然牧場美味しさの秘密は、土地の恵みから生まれる独自の飼料。

「自然熟成豚」の美味しさの理由はたくさんあります。まずは通常半年ほどで出荷されるところ、10ヵ月育てるという飼育期間の長さ。そして独自に作る発酵飼料です。牧場の片隅に積まれたジャガイモやニンジン、リンゴにスイカといった農作物は、日々近隣の農業協同組合や加工場、生産者から届くもの。規格外のものや廃棄される部位を受け入れ、豚の餌にします。更にユニークなのは、パンやうどん、弁当など、様々な理由で廃棄される色々な食べものを引き取り、農作物と混ぜて餌に利用していること。

発酵飼料を作るのはなかなかの手間。まずは集められた材料を腐葉土やもみ殻、米ぬかなどと混合し、微生物に分解させて発酵を促しますが、ここで重要なのが「鯵ヶ沢の海水」と光司氏。ミネラル分の補填のため、様々な場所の海水を混ぜて実験を行った結果たどりついたのが、世界遺産・白神山地からの水が流れ込む、鯵ヶ沢・赤石地区の海水だったそう。光司氏曰く「他の場所の水じゃうまくいかねんだ」。地場の生産物に加え、豊富なミネラル分が証明された白神山地の水と赤石の海水があってこそ生まれる『長谷川自然牧場』の発酵飼料は、津軽の土地がもたらす恵みの一部ともいえるでしょう。こうしてできたほかほかの発酵飼料は豚の大好物。彼らの腸内環境が良好なため、たい肥の臭いが少ないのもこの牧場の特徴です。たい肥は餌の調達に協力してくれる地域の生産者に還元。地域の中での循環型農業を目指し、それを実現していることに驚きます。

今でこそ独自の先進的な取り組みで知られ、各地から同業者が視察に訪れる『長谷川自然牧場』ですが、そうなるまでには並々ならぬ苦労があったといいます。それは夫妻の明るい笑顔からは想像もつかないような歴史でした。

近所の「海の駅」や直売所などで販売する「しょうが焼き丼」などの加工品は、肉の切れ端まで使い切るための工夫のひとつ。敷地内の工房で手作りする。

規格外とはいえ、農作物は旬のものばかり。こちらの立派なスイカは「豚にも鶏にもあげるけど、人も食べるよ(笑)。うまいっきゃ」と洋子さん。

県内のパン工場から、食パンの端や賞味期限切れのコッペパンなどが集荷された。餌のほとんどを津軽エリアの食品残さでまかなうシステムが高く評価されている。

臭いの少ない豚舎。豚の腸内環境を整える以外にも、いぶしたもみ殻を散布するなどの工夫で臭いを抑えている。消毒効果も期待できるそう。

津軽ボンマルシェ・長谷川自然牧場35年間、ふたり一緒に手探りで追い求めた理想の農業の形とは。

夫婦は以前、葉タバコ農家でした。しかし度重なる農薬散布により光司氏が農薬中毒に。農薬を使わずに、安心して人に食べてもらえるものを作りたい。そう考えた時思い浮かんだのが、小さい頃に食べた豚や鶏の美味しさだったといいます。「昔はどこの農家も家畜を飼って、ホルモン剤や抗生物質なんて使わず余った野菜や人間の食べ残しを与えて、ゆっくり育ててたでしょ。とにかく昔のやり方で、そう思ってまずは鶏、それから豚も飼い始めたの。でも当初は食品残さで育てるなんて前例がないから大変で。仕事が終わった夕方から各地へ残飯集めに行って深夜さ帰って、また早朝から仕事。なんでこんなことしてるんだろ? って泣いた(笑)」と洋子さん。

「残飯豚」。そう呼ばれたこともあった豚肉の美味しさにまず気付いたのは、料理人たちでした。レストランから直接注文が入るとしだいに周囲の評価が変わり、国内有数の食品加工メーカーから契約の依頼が舞い込んだことで売り上げが安定するように。葉タバコから畜産に転向して、実に20年近く後のことでした。

農薬中毒の実体験から、自然農法に大きく影響されたという長谷川夫妻。現在も一貫して薬品を使わない飼育方法を実践しています。しかし人間の食べものの残さには食品添加物が使用されているのも事実。ふたりも一時期それに悩んだそうです。「人の食べものをあげても“自然”と言えるのか。んだばって、ここに運ばなかったらパンも弁当もゴミになるべ」と洋子さん。結局、添加物の入った食品も一部使い続けることを選びますが、その代わり進化したのが、微生物の力を利用した発酵飼料作りの技術と飼料の質でした。現在は畜産を始めて35年目。地域と連携した循環型農業が確立していったこの年月は、ふたりが取捨選択をしながら仕事に向き合ってきた日々でもあります。「色々したばって、好きな人と一生懸命やってたら、なんもできんだな、夫婦ってすごいなって」。洋子さんはそういって、ニコニコとのろけました。

国内外の視察を欠かさないふたり。時に、理想としていた農場の現実に落ち込むことも。結果「自分たちは自分たちのやり方でいい」という考えにいたったそう。

オレイン酸を多量に含み融点が低い『長谷川自然牧場』の豚肉。脂身も消化されやすく、身体に負担が少ないという。丁寧に作る発酵飼料がその理由だ。

米ぬかやトウモロコシ、くず米に炭を混ぜて発酵させた餌を食べて育つ鶏。敷地内を好き勝手に動き回り、産みたい時に卵を産む。卵は全て有精卵。

ぷっくりと盛り上がった新鮮な卵の黄身は、楊枝を刺しても箸ですくってもなかなか割れない。そのままで十分に味が濃いグルメな卵。「海の駅」などで販売される。

津軽ボンマルシェ・長谷川自然牧場多くの人の拠り所になる、そんな牧場を作りたい。

取材時、印象に残った話がありました。もともと洋子さんは動物が苦手。畜産を始める際には光司氏とひと悶着あったとか。しかし、初めて豚の出産に立ち会った時のこと、「生まれたての子豚がめんこくてめんこくて」、それ以降豚に夢中になってしまった洋子さん。今では毎日豚とのスキンシップを欠かさないそうです。そして現在、長く畜産という命の現場に関わってきた彼女が力を入れるのは食育です。「命とは何かを教えたい。今って学校で“殺す”とか“殺される”とか言っちゃダメって聞いて、危機感を覚えて。豚は食べられるために生まれて殺される。食べる人が無関心なことほど、豚にも生産者にも悲しいことはないよ」と洋子さん。

洋子さんが農場内に体験施設を作ろうと言い始めた時も、通信で食育免許の勉強をし始めた時も、60歳を過ぎてからグリーンツーリズムの資格を取得するといい出したときも、光司氏は最初「なんもそんなこと」と止めたのだとか。しかし妻が好きな岩木山を望む立派な体験施設を作り、インバウンドの受け入れを見越して英語を特訓中なのは、何を隠そう光司氏。「なんだかんだで一緒に好きなことやってるんだ」と洋子さんは笑います。

14年前から洋子さんが自主的に始めた農業体験の受け入れは、今では地元の小中学校から直接依頼がくるように。現在は地元・鯵ヶ沢の高校の生徒たちと地域資源を活用した商品開発に取り組み、それを何よりも楽しんでいます。「いつかこの街から出て行く子たちに、地元の魅力を持っていってほしい。都会でダメになっても、地元の良さを知っていたら逃げ場ができるから」と話します。そして洋子さんはこう続けました。「夢はたくさんの人がここで動物を見たり散歩したり、野菜やハーブを摘んだり、お茶したりしてくこと」。

一見、普通のとっちゃとかっちゃに見えるふたりは、津軽が誇るスーパー夫婦。肉や卵の美味しさ、そして牧場の幸せな空気感を体験すれば、きっとあなたにもその理由がわかるはずです。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

敷地からは、洋子さんが大好きな岩木山が見える。ふたりの悲喜こもごもを見守ってきた雄大な姿は、頼もしく美しい。

7年前に法人化し、現在牧場スタッフは10人に。夫妻を中心としたチームは、いつも和気あいあい。

住所:青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字北浮田30 MAP
TEL:0173-72-6579

その時、その場所でしか味わえない体験を。『DINING OUT』をサポートし続ける『LEXUS』の「ビジョン」。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

『LEXUS』グローバルブランディングマネージャー・岡澤陽子氏。

ダイニングアウト輪島

1989年、日本発のラグジュアリーブランドとして誕生した『LEXUS』。世界90カ国で展開するグローバルブランドとなった現在でも、デザインやものづくりの精神を大切にしながら、さまざまな分野のサポートを続けています。

第2回からオフィシャルパートナーとして参画する『DINING OUT』もそのひとつ。そんな『LEXUS』が描くビジョン、そして『DINING OUT』に寄せる期待とは? 『LEXUS』グローバルブランディングマネージャー・岡澤陽子氏に話を伺いました。

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オフィシャルサポーターの『LEXUS』はドライビングプログラムや会場送迎などでゲストにラグジュアリーな体験を提供。

ダイニングアウト輪島2019年7月に開催された『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』を振り返って。

かつて個人的に青森を訪れたとき、その自然の深さに感動したことを覚えています。そして『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』で再び青森を訪れ、そのときの気持ちを再確認しました。とくに今回の訪問は初夏。冬を堪え抜き、力を溜めた自然が一斉に夏に向かうタイミングでしたから、自然の力強さもいっそう明確に感じられました。

『LEXUS』は『DINING OUT』をサポートする中で、移動の部分を担います。車の窓を開け、その土地の空気を感じる。メインのディナー会場に向かいながら、山と海、青森の魅力を体全体で味わう。そういった、この瞬間、この場所でしか味わえない唯一無二の時間をお客様に体験頂けたのではないかと思っています。それこそ、「LEXUS」が大事にしている提供価値です。

そして目黒浩太郎シェフのクリエーションも含めた『DINING OUT』の全体像としても、素晴らしい回でした。ディナーだけで3時間以上あったにも関わらず、それをまったく感じさせない料理の演出。アミューズから始まり、メインに向かって盛り上がる中で、出される間や、それぞれの料理の濃さ、青森の食材の個性が絶妙なバランスで構成され、時間的な長さを感じさせなかったのでしょう。またLEXUSに乗り、陸奥湾を照らす夕陽を見ながら会場に到着。日没、暗闇と景色が変わり、花火が上がり、満天の星空も眺められるという時間の移ろいも野外イベントならではの贅沢な時間でした。そしてこれほどの時間がたった2日という限られた日程しかないこと。これもまた特別な、唯一無二の体験となった一因だと思っています。

『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』を通して、確かな手応えを感じたと語った岡澤氏。

刻々と表情を変える陸奥湾の風景。雄大な景色も『DINING OUT』の魅力。

レセプション会場からディナー会場までの送迎では、丁度、夕景を眺めながら移動できるように時間までもデザインした。

魚介のスペシャリスト・目黒浩太郎シェフの技が陸奥湾の魚介を輝かせた。

「個性が強い食材だからこそ、少量多皿の構成が際立った」と岡澤氏。

ダイニングアウト輪島地方の魅力の伝え方と、「THE VISION」という新たな試み。

『DINING OUT』は、地方のまだまだ伝えきれていない魅力を再発見、再構築して伝えていくイベントです。しかしワンショットでその場のラグジュアリーな体験を伝えても、それで終わりでは意味がありません。その土地の人は、これからもそこで生きていくわけですから、いかに継続的に魅力を作り、伝えるかの方が大切なのです。『DINING OUT』がただ通り過ぎるだけの存在ではなく、本当の意味で地元への刺激となり、今回関わった大勢の方々の変化に繋がることを願っています。

今回、『LEXUS』が制作した「THE VISION」という映像ストーリーにも、その願いが込められています。『LEXUS』は 「LEXUS DESIGN AWARD」で若手のクリエイティブを応援し、「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」で、ものづくりに取り組む若き匠を支援するなど、ブランドとして、クリエイティビティを尊敬、尊重しています。
それは『DINING OUT』という特殊な環境下で最高のパフォーマンスを目指すシェフの挑戦も同様です。目黒浩太郎シェフは、柔和な人柄の中に明確なビジョンと強い芯を持たれた方。そんなシェフの心の中の静かな、熱い情熱とそれに共感する『LEXUS』の思いを、青森の力強い自然を舞台に映像に収めました。ぜひ、映像を通し、『LEXUS』を通して、シェフの熱量を感じて頂きたいです。そして動画を見た方に、何か伝わるものがあれば良い。そんな願いが今回の「THE VISION」には込められています。
DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS「THE VISION」の動画記事はこちら

「DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS」のオールスタッフ。この日集まったメンバーが刺激を受けて、今後どのように浅虫を盛り上げていくかが重要。

岡澤氏にインタビューした、日比谷『LEXUS MEETS』では『LEXUS』と同じ想いを持つ作家や職人の作品や、「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」のアイテムを展示、販売もする。

ダイニングアウト輪島目前に迫った『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』の見どころとは?

準備のために輪島市に入って驚いたことは、まず歴史です。それは、ただ史跡や寺社があるのではなく、昔から脈々と受け継がれるものが人々の生活に自然に溶け込んでいることでした。お話した地元の方々も、歴史に誇りを持ち、守っていこうという気概を持っていらっしゃいました。土地に対する愛がある場所。それが輪島への第一印象です。
そのような物との向き合い方、生活の仕方、時間の捉え方などが訪れるお客様にも伝われば良いと思います。きっと歴史的建造物を見学するよりも、ずっと深い体験となるはずです。

そして体験の軸にあるのが輪島を代表する漆文化であり、「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」を通してもご縁のある隈研吾氏の存在です。今回は『DESIGNING OUT Vol.2』として隈氏と輪島塗の職人とで、輪島塗の新たなプロダクト開発を進めています。
伝統工芸は、とても美しいものです。しかし、守る部分と変えなくてはならない部分はあります。そのなかで漆器の残すべきことはなにか、どう発信すれば漆器の魅力をいままで触れてない方々に伝えられるかといった観点で、未知の物が制作されることと思います。ここがまずお客様に期待して頂きたい部分。

そしてもちろん、ダブルシェフによる料理にもご期待ください。植木将仁シェフは石川出身で土地の食材、風土への理解も深い方。ジョシュア・スキーンズシェフは、サステナビリティも意識しながら素材の力を引き出すことを目指される方。共通項はあるといっても、クリエイターとしてぶつかる部分もあるかもしれません。それはきっと一人で料理するよりも大変なこと。しかしそのような刺激の中でしか生まれない世界というものもあるはず。おそらくシェフ両名ご自身も想像しえない化学反応の料理、未知の世界です。

輪島には深い歴史があり、棚田や塩田など日本の原風景ともいえる里山・里海が残っています。そのような土地で、新しい輪島塗が生まれ、二人のシェフによる新しい料理が創り出されます。まさに、他にない特別な時間と空間です。「LEXUS」に乗って、輪島と唯一無二の時間を五感すべてで体験頂きたい。そこに「LEXUS」のビジョンがあります。

地場産業や伝統工芸など、プロダクトに焦点を当てることで、地域の「価値」を再発見するプロジェクト『DESIGNING OUT』に隈研吾氏を迎え、新たな輪島塗を制作。

『DINING OUT』史上初のダブルシェフのコラボレーションが実現。(左:ジョシュア・スキーンズ氏、右:植木将仁氏)

ダブルシェフや隈研吾氏など世界的なプレイヤーが一同に会す『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』の化学反応に注目して欲しい、と岡澤氏は語った。

1999年、トヨタ自動車入社。調査部にて自動車市場分析、将来予測シナリオ策定を担当。2014年より現職。レクサスのグローバルブランド戦略や、デザイン関連などの体験型マーケティング施策にかかわる。

津軽から、本気で世界一を目指す。進化を続ける「自給自足レストラン」の今。[TSUGARU Le Bon Marché・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ/青森県弘前市]

弘前市郊外のぶどう畑で、力を入れているネッビオーロ種の生育具合をチェックする笹森通彰氏。ワインの話になると熱が入り、饒舌になる。

津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ津軽からその名をとどろかせる、超有名イタリアンレストラン。

それは弘前市のセレクトショップ『bambooforest』のヒゲもじゃ名物店主・竹森 幹氏にお勧めのレストランを聞いた時のこと。「やっぱり笹森さんの店はすごいです。もしかして、まだ『津軽ボンマルシェ』で紹介してないんですか?」と竹森氏。そう、弘前には津軽のみならず日本全国にその名を知られる有名シェフがいるのです。そして今回、満を持してご紹介するのが『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』のオーナーシェフ、笹森通彰氏その人。昨今地産地消を目指すレストランは数多く存在するものの、2003年にオープンした同店のスタイルは、もはや地産地消を通り越した別次元のもの。使う食材のほとんどが青森県産というだけでなく、自らの畑で野菜を育て、肉からは自家製のコッパやサラミや生ハム、牛乳からはチーズを仕込み、更には自分たちで育てたぶどうからワインまで造るという驚愕の「自給自足」式レストランです。

笹森氏は弘前市出身。高校時代からイタリアの車やサッカーリーグを愛する「イタリアおたく」だった笹森氏が料理人を志すことになったのは、仙台の専門学校に通っていた頃、レストランでのアルバイト経験(もちろんイタリア料理店)がきっかけでした。20歳で料理の道を歩むと決め、本格的に調理の基礎を身につけるためレストランに就職。その時感じた想いこそ、今の『オステリアエノテカ ダ・ サスィーノ』の原点です。

「弘前の実家の横には祖母の畑があって、いつもそこで採れた新鮮な野菜を食べていました。レストランに就職した時改めて気付いたのは、それまで意識しないで食べていた実家の野菜がいかに美味しかったかということ。その後働いた東京の高級店でも、全然野菜が美味しいと思えなくて。独立するなら実家の畑がある弘前でと考えるようになりました」と笹森氏。今でこそジャンルを問わず多くのシェフたちから支持される笹森氏のスタイルは、故郷・津軽の自然の恵みが育んだものなのです。

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昔は祖母が耕していた実家の隣の畑で、50種近い作物を栽培。その日の営業で使う野菜やハーブ類は、毎日ここから調達される。

栽培方法は「植えっぱなし。何にもしない」と笹森氏。「とう」が立ちえぐみの増したハーブなど季節によって変化する味わいも、そのまま料理に生かす。

ワインの主軸に据えるのは、津軽と気候の似た北イタリアの土着品種ネッビオーロ。国産ネッビオーロ種は全国的にも珍しい。写真はまだ色づく前の状態。

岩木山を望むぶどう畑。現在は笹森氏の他、ワイン専門の社員がひとりついて管理を行う。ワインの生産量は現在年間1,000本程度。今後増産予定だ。

津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ真の「ご馳走」とは何か。東京の高級店ではできない大切なこと。

東京の高級店で経験を積んだ後、28歳でイタリアへ渡った笹森氏。そこで出合ったのが「カンパニリズモ」という考え方でした。朝夕、街中に響き渡る鐘楼(カンパニーレ)の鐘の音。その音はイタリア人に自分の故郷、人生のステージを想起させるものでもあります。つまり「カンパニリズモ」とは、故郷を想う郷土愛のこと。独立するなら弘前で、そう考えていた笹森氏にとって、漠然と目指すスタイルが見えてきます。「向こうでは、朝近所のおじちゃんが店に山羊を連れてきたと思ったら、料理人たち自ら捌いて肉を加工し熟成させる。衝撃を受けました。時間がある時は、農場まで店で使うミルクを搾りに行ったり。日本ではレストランで生きた家畜を捌くことはできないけれど、ジビエだったらできるかなとか、色々なことを考えましたね」と笹森氏。

約2年半のイタリア修業ののち帰国、30歳の若さで故郷に『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』をオープン。当初はイタリアからの輸入食材も積極的に使っていましたが、地元の生産者とのつながりができるとともに減り、反比例するように生ハム、チーズの自家製率が上昇。現在ワインの生産量も増えたことで、店で提供する食材の実に9割以上が青森県産となりました。

「僕は“ご馳走”という言葉が大事だと思っているんです。あちこち走り回って調達したもので料理をこしらえて食べてもらう、それが本来の意味じゃないか、それが食材と料理人と食べ手の自然な距離感じゃないかと。東京では、日本各地から届く高級食材を使った高額な料理がご馳走かもしれない。でも同じことを青森でやる意味はありませんよね」。そう語る笹森氏は、自らの醸造所に『ファットリア・ダ・サスィーノ』と名づけました。ファットリアとはイタリア語で農場のこと。そこからは、毎朝畑へ行くことから一日が始まる笹森氏の、料理人であると同時に農家であるという覚悟がうかがえます。

ワイン造りはほとんど独学。酵母はイタリアからネッビオーロ種に適したものを取り寄せ、収穫時は腐敗果粒を徹底的に取り除くなど、丁寧なワイン造りを心がける。

世界一を目指す主力ワイン「弘前ネッビオーロ」。笹森氏の愛車「フィアット アバルト」のオマージュであるサソリマークがアイコン。

店のワインセラーで熟成中なのは、「十和田ガーリックポーク」の生ハムなど。チーズもこのセラーの中で熟成させる。

弘前が誇るグルメスポットには、夜な夜な美食家が集う。その約8割は県外からの訪問者。「フルスウィングの料理を出したい」と、メニューは1コースのみ。

津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノ飽きっぽい性格も武器に? 次なる目標は世界一のワイン。

「店を始めた頃は、ワイン造りなんて無理だと思っていました」と笹森氏。ネックだったのが、年間6,000リットル以上の製造能力がないと免許が取れない国の制度。しかしたまたまニュースで見た「どぶろく特区」の話題が、笹森氏の背中を押すことになります。「どぶろく特区」とは、地域活性化を目指す国の施策のひとつ。生産量が少なくても、地域の生産者が地域の材料で作るなどの条件を満たせば酒類製造免許が取得できる制度です。「弘前が特区になればいいじゃないか」。そう考えた笹森氏、なんと自ら役所へ出向き、この地域を「ハウスワイン特区」にすべきだとかけ合ったそうです。自宅横の実験畑で様々なぶどう品種を栽培し、弘前の土地に合った品種を探しながら、2010年からは晴れて醸造をスタート。初めて「いけるかも」と思えるワインができたのは2012年。その後、年々レベルが上がる『サスィーノ』のワインは各方面で話題となります。最近では、水はけが良くぶどう栽培に適した斜面の土地を新たに購入。畑は3.4haにまで広がりました。

「何だってやってみないとわからない。ワインだけじゃなく、常にそんな感じでやってきた。それに僕は飽きっぽいから、何か達成すると他のことをやりたくなっちゃうんです (笑)」。そう話す笹森氏は、きっぱりとこう続けました。「目指すワインは世界一。多くのワインラバーの方々から、超高級ワインと比べても負けていないと評価して頂く。自分でもそう思っていますし、今は世界一のワインができると確信しています」。

ワインへの情熱は、地域のぶどう生産者を増やす活動にもつながりました。現在は弘前市と協働し、3年間『サスィーノ』で研修したスタッフの独立も支援。『サスィーノ』はいわば津軽のワインの旗振り役。今後津軽が国産ワインの一大産地になる、そんな日も近いかもしれません。

笹森氏自ら釣り上げた黒マグロをドライトマトやハーブと合わせタルタル仕立てに。下に敷くのは『白神アグリサービス』のりんごの薪をスライスしたプレート。

笹森氏のシグネチャー的なひと皿であるウニの冷製パスタは、熟成黒ニンニクのペーストで和えて香り豊かに。ドライトマトの酸味が心地よい。

火入れの妙が際立つ、七戸町(しちのへまち)『金子ファーム』の「健育牛」のサーロインのビステッカ。添えられた野菜やハーブはもちろん朝採れ。

料理人としての評価だけでなく、チーズやワイン、シードルの造り手としても数々の賞を受賞。40代半ばにして、同業者の多くからリスペクトされる笹森氏。

津軽ボンマルシェ・オステリアエノテカ ダ・サスィーノイタリア料理を愛するからこそ、決めているルールがある。

『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』の料理にはひとつのルールがあります。それは、たとえ青森県産の食材でも、イタリアで使われていないものは使用しないこと。「イタリアは地域ごとにはっきりと異なる食文化があります。つまりイタリア料理とは各地の郷土料理の集まり。そして郷土料理は郷土の食材ありきです。今は昆布出汁などを多用するシェフも増えていますが、僕は使わない。そのルールに自分なりのイタリアへのオマージュを込めているつもりだし、伝統的なイタリア料理を濁さないようにしたいんです」と笹森氏。力強い言葉には、少年時代から続くイタリアへの愛が覗きます。

仕事中、どんな時にテンションが上がりますか? そんな質問をした時、笹森氏は顔をほころばせながらこう答えました。「最近だと『大きいマグロがようやく沖に入ってきた』と連絡が来た時かなぁ。『釣りに行きたい!』ってテンションが上がるんですよ。これから秋になればりんごも米も出てきて、津軽は食の宝庫の場になる。楽しみですよね」。

野菜を育て、魚を獲り、加工品やワインも手がける。日本でまだ誰もしていないことを15年かけて成し遂げた笹森氏。実際に話をするまでは、黙々と挑戦を続ける孤高のシェフのイメージでした。しかし畑やワイン醸造所に同行して垣間見えたのは、孤高という言葉の孤独で崇高な印象に反し、一生懸命かつ誠実に仕事と向き合いそれを楽しむ、人間味溢れる笹森氏の一面。素直に「この人が作る料理を食べたい」と思わせる、ひとりの料理人の姿です。これからも『オステリアエノテカ ダ・サスィーノ』は、津軽、そして日本屈指の店であり続けるに違いない。そう確信し取材を終えたのでした。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

「うちは料理もサービスもそこそこ。総合力で勝負できればいい。でもワインは世界が見えてきている」と笹森氏。熱中するワインの話となると、目に力が宿る。

クラシックカーのランイベント「ツール・ド・みちのく」に出場するほどの車好き。愛車のミラー越しに、少年時代の笹森氏の面影がうかがえるような笑顔を見せた。

住所:青森県弘前市本町56-8
TEL:0172-33-8299
オステリアエノテカ ダ・サスィーノ HP:http://dasasino.com/

海山の産物が織り成す、能登の味わい深さに迫る。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

能登の情景や素材を紐解き、料理に落とし込むべく奮闘する植木シェフ。

ダイニングアウト輪島大自然に秘められた、未知の食材を探す旅。

2019年10月5日(土)、6日(日)に開催される『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』。舞台は北陸、能登半島北部の石川県輪島市です。

今回シェフを務めるのは、アメリカで活躍するジョシュア・スキーンズ氏と、石川県金沢市出身、現在は東京にレストラン『AZUR et MASA UEKI』を構える植木将仁氏。植木シェフは、「日本の伝統野菜や伝統工芸、歴史や文化を、フレンチを通して世界に発信する」ことを哲学としています。中でも、特に自身のルーツである北陸についての思い入れや知識は人一倍です。

「いつも店では北陸の食材を積極的に使い、歴史的な背景や土地の情景が浮かぶような料理を考え、提供しています」という植木シェフ。しかし、大いなる海と山に抱かれた能登半島には、まだ見ぬ自然の恵みが眠っているはずです。

そこで、新たな食材との出合いを求めて、能登の地へと降り立った植木シェフ一行。ちょうど北陸地方の梅雨明けが宣言されたこの日、青空の下、燦々と降り注ぐ陽光に照らされながら歩き回る中で、なんとも滋味溢れる食材の数々に魅了されることとなりました。

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海に囲まれた能登半島の食は、多種多様な魚介類が魅力。

ダイニングアウト輪島能登が誇る海の幸、バラエティ豊かな海藻を求めて。

日本海に突き出した能登半島。当然、新鮮な魚介類に期待が高まりますが、今回スポットを当てるのは海藻です。石川県では、一年を通して約30種類の海藻がとれるそう。昔は家の近所の浜辺で海藻をとって夕食に使うなど、地域の人々にとっては最も身近な食材の一つとして親しまれてきました。また、祭りや仏事、神事などの伝統料理や精進料理でも、海藻は欠かせないもの。海藻を主とした、豊かな食文化が育まれてきたのです。

そこで訪ねたのが、海藻の研究者である、石川県水産総合センターの池森貴彦氏。能登町の九十九湾に面した施設『のと海洋センター』で待ち合わせた一行は、挨拶もそこそこに、早速池森氏と共に藻場へ。実際に海へ入り、さまざまな海藻のレクチャーを受けました。

イシモズクやナツモズク、イバラノリやアオノリなど、初夏の海は海藻の宝庫。目の前でとれたてのモズクを口にした植木シェフは「美味しい! 全然しょっぱくないし、すごくシャキシャキしていますね」と唸り、ノリには「すごい! きちんと海苔の味がします」と感嘆の声を上げていました。特に現場が湧いたのが、フサイワズタ(うみぶどう)です。プチプチとした食感、ほんのり塩気のある自然の旨みは野生ならではと、一同絶賛。また、ウミゾウメンにも注目が集まりました。その名の通り細く長く、独特のプルプルとした食感が美味な珍味です。「ツルっとしていて、磯の香りの糸こんにゃくみたい」とは植木シェフ。さらに、マクサ(てんぐさ)も発見しました。そのままでは無味ですが、地元の人々はこれで自家製のところてんを仕込むのが常となっています。

「海藻がこれほど味わい豊かとは思いませんでした」と感動しきりの植木シェフ。ですが、気になるのは『DINING OUT』本番となる、10月初旬の状況。海藻はその多くが秋に芽吹き、冬~夏に旬を迎えるのです。しかし、「旬のものを生で味わうのは格別ですが、地域の人々は海藻を様々に加工することで、一年中食してきました。現代では、冷凍保存が一般的。今のうちに必要な海藻をキープしておけば大丈夫ですよ」と池森氏。安堵すると共に、この地では自然の恵みを大切にいただくため、様々な工夫や技術も育まれてきたことを知りました。

池森氏から説明を受けつつ、足元に漂うとれたての海藻をそのまま実食。

まずは海藻をとりに藻場へ。少しの間にこれだけの成果が。

海から上がると今度はしゃぶしゃぶで、一味違う旨さを堪能。

ダイニングアウト輪島山奥で見つけたのは、丁寧な仕事が光る七面鳥と猪。

海の幸を楽しんだあとは、一気に門前町の山奥へ。けたたましい鳴き声が響くそこは、七面鳥の飼育場です。出迎えてくれたのは、『阿岸の七面鳥』の名で1988年からこの地で営む大村正博氏。鶏舎の中を覗くと、300羽を超える七面鳥がいました。

美しい水と空気、そしてコシヒカリを餌にのびのびと、ストレス無く育て上げるという七面鳥。贅沢な環境はもちろん、ここの七面鳥が絶品と評判な理由は、その飼育期間の長さにあるといいます。通常は数ヵ月のところ、『阿岸の七面鳥』は1年半もの歳月を経て出荷。「長い時間をかけて育てる分、肉質も味も全然違う。脂が乗り切った七面鳥は格別で、独特の弾力と旨みがあります」と木村氏。試食した植木シェフも、「外国産の七面鳥はパサついていてあまり味がない印象で、正直料理に取り入れるイメージはなかったんです。でも、『阿岸の七面鳥』は柔らかくてしっとり。ジューシーで脂が美味しくて、本当に驚きました」と絶賛していました。

一方、能登はジビエも豊富。特に能登島には、美味しい作物をかぎつけて能登半島から泳いで渡ってきたという猪が、大量に繁殖しています。そうした猪を仕留め、丁寧な処理を施し、上質な猪肉を提供しているのが、すでに植木シェフご用達の、能登島にあるジビエ肉専門店『山本ジビエ』。道中、10月初旬の状況を確認すべく立ち寄ったところ、店主の通称チャーリー氏から「ちょうど9月末から脂が乗ってくる」と吉報がもたらされました。さらに、猪肉にシイタケとイチジクを練り込んだというソーセージを試食。また一つ新たな美味しさに出合いました。

全国にコアなファンを持ち、オーダーが絶えない『阿岸の七面鳥』。

猪肉を使った『山本ジビエ』のソーセージは、豊かな山の味わい。

ダイニングアウト輪島ありのままに育てられ、自然体の美味しさを秘めた野菜と果実。

さらにもう1軒、植木シェフご用達の農園にも寄り道。中能登町の『あんがとう農園』です。延べ3haもの広大な敷地で、年間300種類を超える野菜やハーブ、花を栽培しています。少量多品種栽培の畑は色とりどり。よく目を凝らすと見慣れない品種も多く、中には日本でまだここだけでしか栽培されていないものもあります。

しかも、当農園は完全無農薬栽培であることも特徴。基本的に肥料どころか水やりも行いません。土が本来持っている栄養力と野菜が持っている生命力を生かし、太陽の光と雨水のみで生育する作物は、どれも力強い大地の味がします。

ここでも一行は、その場でとれたてを食す、贅沢なひとときを満喫。一方、園主の明星孝昭氏と植木シェフは園内を散策しつつ、トマトやナスなど、秋に旬を迎える野菜やハーブのチェックに余念がありません。当日は一体どのような野菜が並ぶのか、農園を見渡しながら想像が膨らみます。

続いて、秋の味覚の代表格でもある柿の農家も見学。3年前から能登町で『陽菜実園』を営む、柳田尚利氏です。2.6haの農園一面で柿の完全無農薬栽培を実現しており、糖度は破格の50度超え。この日は保存されていたペーストや干し柿を試食しましたが、驚愕の甘さに、一同の頬は緩みっぱなしでした。また、昨年から新たに柿渋づくりにも挑戦中とのことで、植木シェフも何やら画策。上手くいけば当日テーブルのどこかで、柿渋染めの「何か」が見られるかもしれません。

野菜は植木シェフが絶大な信頼を寄せる『あんがとう農園』産を使用。

『陽菜実園』に青々と実る柿も、秋にはちょうど食べ頃に。

ダイニングアウト輪島自然の営みをそれぞれの解釈で、ふたりのシェフが魅せる。

また、能登島で塩づくりを行う、源内伸秀氏も訪問。港のそばに建てた小屋の中に釜を設え、薪火で海水を煮詰める方法で塩を作っています。特に、四季折々に3~4種類の海藻を使って作る『ももも塩』がユニーク。「通常の藻塩よりも海藻を多く使うから『ももも塩』(笑)」というその塩は、舐めてみると納得。「ものすごく海藻の味がする。でも塩辛くなくて、いい塩梅です」と植木シェフも確かな手ごたえを感じていました。

さらに源内氏の案内で、すぐそばの裏山を散策。山に生育する植物の説明を受けながら登ると、ふいにぱっと開けた場所に出ました。そして、天気が良ければ海越しに立山連峰、まれに佐渡島が見えることもあるという絶景がお目見え。能登の里山から望む里海と田園、集落が一続きになった景色は壮観で、この地の素晴らしさを改めて感じることとなりました。

能登半島を縦断し、様々な食材を発掘した今回の旅。「今までよく理解していたつもりでしたが、まだまだ新しい発見がたくさんありました」と目を輝かせる植木シェフは、「山から川、そして海へ。それぞれの土壌で育まれる食材をピックアップし、自然の流れをイメージしつつ、この地で培われた食文化も融合しながら形にしていきたい」と意気込みを語ります。

また、今回は『DINING OUT』初のダブルシェフが実現。もう一人のシェフであるジョシュア・スキーンズ氏とのコラボレーションについても期待が高まります。

「私自身、すごくワクワクしています。ジョシュアシェフにも、彼なりに能登を感じてもらって、彼なりの表現をしてもらえれば良いなと思いますし、基本的には自由にやっていただいて。それに対して寄り添いながら、私が感動した自然や歴史、文化、神事といったものを上手く取り入れて、全体を構成していきたいと思っています」。

史上初、あらゆる人、モノ、コトのコラボレーションにより、輪島という土地の魅力を余すことなく体感できるであろう今回の『DINING OUT』。その予感はこの旅の途中で、確信へと変わりました。今秋、最も豪華な究極のダイニングが繰り広げられることは、間違いありません。

海水を煮詰めるための大きな釜が鎮座する、塩の工房。

ほんのり赤く、海藻の風味が凝縮された藻塩。

まるで自然と一体になったかのような錯覚に陥った裏山散策。

視界が開けた瞬間、目に飛び込んできた絶景。

山のふもとを流れる小川には様々な魚が見られ、思わず目を奪われた。

1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』『RESTAURANT & BAR J』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。
AZUR HP:http://www.restaurant-azur.com/

古来より輪島の地で育まれる自然と文化、そこに脈打つ魂をたどって。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

日本初の世界農業遺産に認定された『能登の里山里海』を愛でる植木シェフ。

ダイニングアウト輪島植木シェフと巡る、知られざる輪島の姿。

日本各地に息づく歴史や文化に光を当て、新たな価値を創出している『DINING OUT』。次回2019年10月5日(土)、6日(日)に開催が決定した『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』では、史上初のダブルシェフが実現します。

一人目は、東京・西麻布「AZUR et MASA UEKI」植木将仁氏。そして、二人目は、2009年にアメリカ・サンフランシスコで熾火料理を主としたスタイルのレストラン「Saison」を立ち上げ、現在は、ローラン・グラス氏に「Saison」を引き継ぎ、絶え間ない革新の為 「Saison Hospitality」を創設。また、更なる発展の為の研究ラボラトリー「Skenes Ranch」シーフードコンセプトの「Angler」などをオープンし、 今世界が最も注目するシェフのジョシュア・スキーンズ氏です。

そんな究極のダイニングの舞台は、日本海に突き出した能登半島北部に位置する、石川県輪島市です。

輪島といえば、日本が誇る伝統工芸品・輪島塗の産地というイメージが強いでしょう。しかしこの夏、アメリカにいるジョシュア氏に先立ち、石川県金沢市出身の植木シェフとともに現地を訪れてみると、そこには輪島塗だけに留まらない、多様な歴史や文化が混在。さらに見渡せば、誰もが不思議と懐かしさを感じる、人と自然が造り上げた美しい里山や里海の風景が、大切に育まれていたのでした。

そうして見出された、来たる『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』のテーマは、「漆文化の国(japan)の精神の源流を紐解き、真の豊かさを探る」。

今回は、この地に脈々と流れる魂をたどることとなった視察の旅の模様を通して、一足早く、魅力あふれる輪島の地へと誘います。

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日本の原風景ともいえる美しい光景に心洗われるよう。

ダイニングアウト輪島今も昔も活気溢れる街の中心、輪島市街エリアへ。

日本海に沿って北東から南西へと長く伸びる輪島市。そのちょうど中央にあたるのが輪島市街地であり、最も活気溢れるエリアです。街の朝は早く、午前8時を過ぎると、エリア中心部を貫く350mの通りに、輪島港に揚がる鮮魚から魚介の干物、野菜、民芸品の店まで、約200軒の露店が出現。街の名物『輪島朝市』のオープンです。この朝市は、遡ること平安時代、寺社の祭礼日に人々が物々交換をしていたことが始まりと伝わっています。

そんな朝市の周辺に軒を連ねるのは、輪島塗の工房や販売店、関連施設の数々。ここが漆の里だということを実感させられます。輪島塗は、この地でしか採れない『地の粉』と呼ばれる良質な珪藻土の粉を使用すること、『布着せ』と呼ばれる補強の工程を踏むことなど、独自の素材や製法で高い強度を誇っています。また、沈金や蒔絵などを施すことで、その美しい見た目を実現。実用性と芸術性を兼ね備えた、唯一無二の伝統工芸品として在り続けているのです。

輪島塗の歴史もまた古く、現存する最古のものは、室町時代の1524年(大永4年)作と言われている朱塗扉。輪島市河井町にある重蔵神社の旧本殿にあります。その後、現在まで続く輪島塗の技術が確立したとされるのが、江戸時代前期。さらに、江戸中期の亨保(1716~1735年)には沈金の技術が、江戸後期の文政(1818~1829年)には蒔絵の技術が伝わったと言われています。この頃から、生産工程は完全な分業化が進み、木地作りから塗り、加飾まで、120以上にものぼる工程それぞれに専門の職人が生まれることに。故に、町中に多くの工房が点在しているのです。

『輪島朝市』は千葉の勝浦、岐阜の高山と並ぶ日本三大朝市のひとつ。

現存する最古の輪島塗とされる、重蔵神社旧本殿の朱塗扉。

木地作りを専門とする工房『四十沢木材工芸』を見学。

木くずの良い香りに「これは食材を燻すのに使えそう」とイマジネーションを広げる。

輪島市街地から少し離れた山間にある『能登仁行和紙』の工房も訪問。

周辺の杉の木と草花を生かす和紙作りに「素晴らしい!」と感動しきり。

ダイニングアウト輪島歴史的建造物が数多く残り、かつての繁栄を今に伝える門前。

そんな輪島市街エリアを抜けて南へ進むと、街の喧騒から離れ、霊験あらたかな門前エリアへ。ここは、鎌倉時代の1321年(元亨元年)、曹洞宗の本山・總持寺が創建された場所なのです。明治時代の大火の後、本山は横浜市へ移されましたが、移転するまでの約600年間、全国15,000寺の本山として発展。現在も『大本山總持寺祖院』として存在し、往時の繁栄を伝えています。

總持寺では、その歴史や荘厳な建物の素晴らしさに触れたのはもちろん、僧侶の間で何百年も受け継がれる「食」の作法があることを知り、ひときわ深い感銘を受けていた人物が……。そう、今回の『DINING OUT』における「食」の一翼を担う、植木シェフです。「食べることは、命をいただくということ。そして食という字は、人に良いと書きます。そういったことをきちんと理にかなった作法とし、実践され続けていることにとても感動しました」。

また、山中の總持寺から海側へ出ると、海岸沿いに広がるのは統一感のある佇まいの家屋が密集する『黒島地区』。ここは、江戸時代末期から明治にかけて活躍した北前船の寄港地であり、船主や船乗りの居住地として栄えました。北前船とはいわゆる交易船。海産物などとともに輪島塗もこの船に乗って、全国各地へ広まったといいます。やがて黒島は伝統的建造物群保存地区に指定されたことで、今も当時をしのばせる街並みが残っているのです。

一方、海岸沿いを北へ進むと、斜面に並ぶ1004枚の棚田から成る『白米千枚田』や、荒波が造り出した奇岩『窓岩』など、輪島随一の景勝地が見られます。そして背後にそびえる岩倉山のふもとに広がるのは、源平合戦で敗れた平家の武将・平時忠の子孫が移り住んだことからその名が付いた『平家の里』。山奥にひっそりと、往時の繁栄を伝える屋敷が残されています。霊山である岩倉山周辺は、奥能登を代表するパワースポットなのだとか。植木シェフや、今回のホスト役を務める中村孝則氏も「この辺りに来ると、不思議と空気が変わったように感じる。凛とした雰囲気が漂っていますね」と感想を漏らしていました。

脈々と受け継がれる伝統と精神に触れ心震えた『大本山總持寺祖院』。

2018年には日本遺産のひとつにも認定された『黒島地区』。

海に向かって広がる『白米千枚田』は、輪島を代表するスポット。

荒波によって岩の中心に2mの穴が開いたという『窓岩』。

かつて栄えた『平家の里』の儚い歴史に思いを馳せる。

ダイニングアウト輪島美しい日本の原風景と寺文化が大切に残る集落、金蔵。

さらに『平家の里』を山奥へと進むと、山間の傾斜地に美しい棚田が並ぶ『金蔵地区』が広がります。ここは『日本の里100選』『美しい日本の歩きたくなる道500選』にも選ばれた、美しい棚田の里。能登の里山を代表する景観の一つとなっています。

折しも、石川県に梅雨明けの知らせが届いたこの日、ひときわ青々と光輝く棚田を見渡しながら、「忘れていた大切な何かを思い出すような風景ですね」と、目を細める植木シェフと中村氏。視線を落とせば、道端には野生のミントやヨモギが見られ、爽やかな香りを放っています。そんな野草狩りも楽しみつつ、「秋にはきっと、稲刈りを終えた後に干された藁の良い香りがするんでしょうね」と、五感を研ぎ澄ませ、景色を堪能していました。

また、この地区には5つもの寺が密集していることも特徴。651年の『金蔵寺』開基をはじまりに、1300年代の頃から寺を中心として栄えてきた集落なのです。当時の寺は、今でいう役所や公民館のような存在であり、時には劇場や病院の役目を果たすなど、地域の人々の拠り所となっていました。そして今なお、そうした文化の一部は大切に継承され、様々なイベントの会場として寺が開かれているといいます。

その最たるものが『お講』の習慣。毎月1回、地域の人々が山でとれた山菜や木の芽、畑でとれた野菜などを持ち寄り、皆で経をあげた後、精進料理に仕立てて輪島塗の膳で食べるというものです。ここには、昔ながらの寺を中心とした人のつながり、『お講料理』と呼ばれる食文化が、大切に守られているのです。これには植木シェフも興味津々でした。

里山を見渡しインスピレーションが湧き上がる植木シェフと中村氏。

あちらこちらに野生のハーブが見られ、思わず手に取る。

『金蔵寺』では、木目が美しい一刀彫の不動尊に感服。

『正願寺』の大広間には『お講』をはじめ事あるごとに人々が集う。

ダイニングアウト輪島刺激的な出会いを経て、植木シェフが見出した輪島の魅力とは。

前述の通り、植木シェフは石川県金沢市の出身。そういう意味では少なからず馴染みの土地である一方、新たな発見や驚きもたくさんあったといいます。

「特に強く感じたのが、輪島は自然と神仏の融合の地であるということ。ずっと昔から、お寺を中心に、自然と一体となって生活してきたんですよね」と植木シェフ。自然の恵みをお供えし、豊かな実りへの感謝、穏やかな暮らしへの願いを胸に、祈りを捧げる……。この地の人々の生活は、こうした寺文化をベースに育まれてきました。それこそが、輪島の素晴らしさなのだと、植木シェフはいいます。「今回その事実を目の当たりにして、とても感動しました。今後、自分もこういう気持ちでやっていこうと、思いを新たにする体験になりましたね」。

日本の原風景である素晴らしい里山や里海を愛で、時を超えてこの地を守り続けてきた總持寺や金蔵の寺の数々をめぐることで、奇しくも食と向き合う料理人としての原点に立ち返ることとなった植木シェフ。自然の恵み、神仏の恵みに感謝しながら、この地で育まれた食材をどのような料理にアレンジし、どのような文化体験に乗せて届けてくれるのか。期待が高まります。

この地で大切に育まれた寺文化、信仰心も今回の重要なキーワードに。

1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』『RESTAURANT & BAR J』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。
AZUR HP:http://www.restaurant-azur.com/

あなたの「心地いい暮らし」って、何ですか? 津軽の家具職人と探すものづくりの原点。[TSUGARU Le Bon Marché・イージーリビング/青森県弘前市]

初対面の印象は「朴訥(ぼくとつ)な職人肌」。シャイな葛西康人氏だが、時折見せるくしゃっとした笑顔に優しい人柄がにじむ。

津軽ボンマルシェ・イージーリビングスタンダードジャズの名曲の名がついた、弘前の家具工房。

青森県弘前市内を流れる土淵川(つちぶちがわ)のほとり、壁の木目が目を引く1軒の工房があります。ジャズのスタンダードナンバーの曲名を店名に冠した『Easy Living』。この工房で、家具や木工品のデザインから製作までをひとりでこなすのが葛西康人氏です。

実はこれまで紹介してきた「津軽ボンマルシェ」の記事の中には、葛西氏が手がけた作品が数多く登場しています。『弘前シードル工房 kimori』にあるりんご木箱を使ったテーブルとスツール、『キープレイス』のショールームで展示されていた家具「又幸 matasachi」シリーズ、『蟻塚学建築設計事務所』の蟻塚 学氏が手がけた日本建築家協会による「JIA東北住宅大賞」を受賞した「冬日の家」のための家具……。その他県内の飲食店やギャラリー、ショップなど、津軽のあちこちに作品が置かれる人気家具職人が葛西氏です。

葛西氏の作品には共通の要素があります。木のぬくもりが伝わる柔らかなフォルムや、余計な装飾はないけれど、ちょっとしたこだわりが見て取れるさり気ないディテール。実際に触れてみるとハッとさせられる、なめらかで心地よい仕上がり。もしたくさんの家具が並ぶ中に置かれていたら、すぐにはその魅力に気付けないかもしれません。でもじっくり向き合えば、その味わい深さをしみじみと感じられるはず。いうなれば、高級フレンチの華やかさはないけれど毎日食べたくなる、出汁の利いたお惣菜といったところでしょうか。家庭料理がその家ごとの味であるように、人々の暮らしに寄り添いその一部になるような包容力を感じる家具なのです。

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工房の目の前を土淵川が流れる。小さい頃からこの川で遊んでいたという葛西氏。「朝晩、決まった時間にカワセミが飛ぶのを、時々眺めていました」。

手前は『弘前シードル工房 kimori』にも納品した、りんご木箱を座面に使ったスツール。奥はころんとしたフォルムがかわいい子供用の椅子。

キープレイス』の姥澤 大氏、『蟻塚学建築設計事務所』の蟻塚 学氏と共同で製作する「又幸 matasachi」は、使い古されたりんご木箱の風合いを生かしたシリーズ。 

仕事中のBGMは地元FM局。「もともとエンジニア畑だから、作業場の汚さが気になっちゃって」と話す葛西氏。使いやすさを考慮して整頓された美しい工房だ。

津軽ボンマルシェ・イージーリビング「やってみないと何も進まない」。30歳で決意した異業種への転身劇。

今でこそ津軽各地で作品を見かけるようになった葛西氏ですが、職人としてのスタートは30歳になってから。私たちが職人と聞いて思い浮かべるキャリアより、だいぶ遅咲きです。弘前市で生まれ育ち八戸(はちのへ)の工業大学を卒業した葛西氏が最初に就いた職業は、工業製品のエンジニア。仕事に面白さを感じながらも、世の中の消費のスピード感に合わせて仕事をすることに違和感を覚える日々の中、ふと思い出したのが、学生時代に好きだったインテリアショップに並んでいた木製の家具だったといいます。

働きながら、休日を利用して弘前市の隣・大鰐町(おおわにまち)にある木工工房『わにもっこ』の講座に通い出した葛西氏。『わにもっこ』主宰の山内将才氏は、津軽の里山の木々から様々な作品を作る傍ら地域の森林を守る活動でも知られる、地域を代表する木工職人です。「山内さんは常に先を見ながら、今のことも地道にきちんとやる人。色んな木工品を手がけているけど、どれも作っている間は本気でその作品に向き合わないといけないじゃないですか。黙って考えているだけじゃ続けられない、手を動かさなきゃ何も進まないということを体現している気がして。職人として憧れている人や目標とする人はあまりいないけど、山内さんにはいつも『やってみたら?  やらないの?』と問われている気がします」と葛西氏。

やっぱり木工の道を目指そう。そう決意し8年勤めた会社を退職したのは、『わにもっこ』に通い出して5年が経った頃。「やってみないと何も進まない」。葛西氏が大きく一歩を踏み出した瞬間でした。『わにもっこ』での数ヵ月間の住み込み修業を経て、独立したのは2004年。当初はエンジニア時代のつながりも多かった青森市で開業しましたが、子供が小学校に上がるタイミングで故郷へ。実家からほど近い今の場所を見つけ、職人の街・弘前で工房を設けることになったのです。

無造作に置いてあったのは、クライアントへの提案などにも使うデザイン画。色鉛筆で着色され、温かみのあるタッチが目を引く。

これまでに作った椅子やスツールの5分の1スケールの模型が並ぶ。左端は、赤ちゃんが生まれた時の身長と同じ高さの箱に納めるオーダーメイド積み木「ベビートール」。

弘前市内の雑貨店や津軽出身デザイナーと共同製作した「りんごのセンヌキ」は、津軽らしい素材で作った初めての作品でもある。

津軽ボンマルシェ・イージーリビング特別でドラマチックな何かより、日常と向き合う。

津軽といえばりんご。現在では『弘前シードル工房 kimori』の家具や「又幸 matasachi」シリーズなど、りんご木箱を使った「津軽らしい」作品でも知られる葛西氏ですが、一方で「普段は地域性とか津軽らしさとか、あまり意識していないんです」と話します。「外から見ると津軽らしい存在のりんごも、ここでは日常のもの。だからこそ、産地が抱える色々なことも見えるんです。畑を続けることに悩む農家の知り合いもいますし、『りんご箱なんて見たくない』と冗談めかす知り合いもいる。津軽の外で発信されているりんごと、中にいると見えてくる現実はちょっと違うと思います」と葛西氏。

葛西氏が初めてりんごの木を木材として使ったのは、2012年、青森市・青森駅前にある複合施設『A-FACTORY』の依頼で手がけたりんごの木の栓抜きでした。その後、件のりんご木箱のシリーズなど様々な作品を手がけるように。最近では地域色の強い仕事の依頼も増加。弘前大学構内にある市の有形文化財「旧制弘前高校外国人宣教師館」がカフェにリノベーションされた際に納品したテーブルと椅子は、津軽のシンボルでもある岩木山のシルエットをさり気なく配したデザインです。

「でもそれらの作品は、依頼を受けたものに家具店として応えた結果の“津軽らしさ”。普段作る普通の家具にそれは意識しません。りんご農家の実情を知っているのはそれだけりんごが日常のものということで、それと同様に自分の作る家具も日常のものでありたい。そこには特別な想いもドラマチックなこともないんです。家具店は向かいの青果店や隣の理髪店と同じ、街のいち要素で、普通の存在でありたいというか。ただやっぱり津軽は自分のホーム。りんごも岩木山も大好きだし、アイデアもある。だから作ってほしいといわれる機会が増えたのは、単純に『仕事を続けてきて良かったな』と思いますね」と葛西氏。

弘前大学構内にある「弘大カフェ 成田専蔵珈琲店」。大正時代に建てられた歴史的建造物になじむ家具を、弘前大学の教授とともに考案した。

「弘大カフェ 成田専蔵珈琲店」の椅子の背もたれをよく見ると、岩木山のシルエットが。建物の階段の手すり部分のディテールを盛り込むなど、工夫を凝らした。

「仕事柄、自分で色々作れるのって単純にいいですよね。普通はみんな、手を動かすまでが大変だから」と葛西氏。なんだかんだで、ものづくりが大好き。

最近では『弘前シードル工房 kimori』のシードルの廃棄瓶とりんごの木の枝を加工した「お守り」を製作。『弘前シードル工房 kimori』の畑の研修生の卒業記念に贈られる。

津軽ボンマルシェ・イージーリビング「心地いい暮らし」に寄り添う、誠実な職人が作る誠実な家具。

自ら家具店の道を選び転身を果たした葛西氏。しかし、当初はなかなか安定しない生活が続いたといいます。曰く「既製品より価格が高いからどうせ受け入れられないだろうとか、安くて似たようなデザインのものもあるしとか、自分で仕事の価値に制限を設けて、どこかで人のせいにしていた気がします」。しかし「最近は、自分の仕事を素直にいいじゃんと思えるようになってきた」と葛西氏。長く付き合いが続くお客さんとの関係性も、そう思える理由のひとつです。

「最初は座卓として納品した家具を、転勤で引っ越す時に脚をつけてテーブルにして、今度はそれに合う椅子を作って。ライフスタイルに合わせて家具を考えてくれるそんなお客さんがいてくれるのが、いいなあって思うんです。他の家具はいくらだとか、そういうことではなくて、お客さんは私に話をしに来てくれている。自分の仕事が必要とされる場面はやっぱり確かにあるんだと、今更ながら気付かされたんです。結局大事なのは、目の前にあることを淡々と、きちんとやっていくことなんですよね」。葛西氏が語るそんな境地は、15年間ブレずに仕事をしてきた結果に他なりません。

店名にした曲名『Easy Living』について、「ジャズには詳しくないけれど“心地いい暮らし”ってなんだかいいなと思って」と葛西氏。「『あなたの心地いい暮らしは?』って聞かれると、自分自身も『まだ探してます』って感じなんだけど(笑)、結局はそこに立ち返らせてくれる言葉でもあるんです」。取材を終えた後心に残ったのは、模索しながらも自分の生きる道を見つけた、ひとりの職人の誠実さでした。決して安いものではないオーダー家具や手作りの木工品。だからこそ、作品にも作り手にも「これからもよろしくね」といえる、長く付き合えるものであれば何より幸せではないでしょうか。そして津軽は、そんな作品と作り手が待っている場所なのです。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

葛西氏の初期の作品の使いやすさをきっかけに、長年家具をオーダーしている顧客宅にお邪魔した。リビングにあるのは、ほとんどが葛西氏の作品。

葛西氏の作品の良さを聞くと「ちょうどいいサイズ感とあずましさ(津軽弁で“心地よさ”)」との答えが。椅子の背もたれの革は、家族それぞれの身体になじむ形に変化していた。

取材の最後、「まだこの辺では誰もやっていないものを作ってみたい」とつぶやいた葛西氏。「何を作りますか?」と聞くと「それは秘密」と笑った。

住所:青森県弘前市百石町44-1 MAP
電話:0172-35-8320
Easy Living  HP:https://www.easyliving.jp/

あなたの「心地いい暮らし」って、何ですか? 津軽の家具職人と探すものづくりの原点。[TSUGARU Le Bon Marché・イージーリビング/青森県弘前市]

初対面の印象は「朴訥(ぼくとつ)な職人肌」。シャイな葛西康人氏だが、時折見せるくしゃっとした笑顔に優しい人柄がにじむ。

津軽ボンマルシェ・イージーリビングスタンダードジャズの名曲の名がついた、弘前の家具工房。

青森県弘前市内を流れる土淵川(つちぶちがわ)のほとり、壁の木目が目を引く1軒の工房があります。ジャズのスタンダードナンバーの曲名を店名に冠した『Easy Living』。この工房で、家具や木工品のデザインから製作までをひとりでこなすのが葛西康人氏です。

実はこれまで紹介してきた「津軽ボンマルシェ」の記事の中には、葛西氏が手がけた作品が数多く登場しています。『弘前シードル工房 kimori』にあるりんご木箱を使ったテーブルとスツール、『キープレイス』のショールームで展示されていた家具「又幸 matasachi」シリーズ、『蟻塚学建築設計事務所』の蟻塚 学氏が手がけた日本建築家協会による「JIA東北住宅大賞」を受賞した「冬日の家」のための家具……。その他県内の飲食店やギャラリー、ショップなど、津軽のあちこちに作品が置かれる人気家具職人が葛西氏です。

葛西氏の作品には共通の要素があります。木のぬくもりが伝わる柔らかなフォルムや、余計な装飾はないけれど、ちょっとしたこだわりが見て取れるさり気ないディテール。実際に触れてみるとハッとさせられる、なめらかで心地よい仕上がり。もしたくさんの家具が並ぶ中に置かれていたら、すぐにはその魅力に気付けないかもしれません。でもじっくり向き合えば、その味わい深さをしみじみと感じられるはず。いうなれば、高級フレンチの華やかさはないけれど毎日食べたくなる、出汁の利いたお惣菜といったところでしょうか。家庭料理がその家ごとの味であるように、人々の暮らしに寄り添いその一部になるような包容力を感じる家具なのです。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

工房の目の前を土淵川が流れる。小さい頃からこの川で遊んでいたという葛西氏。「朝晩、決まった時間にカワセミが飛ぶのを、時々眺めていました」。

手前は『弘前シードル工房 kimori』にも納品した、りんご木箱を座面に使ったスツール。奥はころんとしたフォルムがかわいい子供用の椅子。

キープレイス』の姥澤 大氏、『蟻塚学建築設計事務所』の蟻塚 学氏と共同で製作する「又幸 matasachi」は、使い古されたりんご木箱の風合いを生かしたシリーズ。 

仕事中のBGMは地元FM局。「もともとエンジニア畑だから、作業場の汚さが気になっちゃって」と話す葛西氏。使いやすさを考慮して整頓された美しい工房だ。

津軽ボンマルシェ・イージーリビング「やってみないと何も進まない」。30歳で決意した異業種への転身劇。

今でこそ津軽各地で作品を見かけるようになった葛西氏ですが、職人としてのスタートは30歳になってから。私たちが職人と聞いて思い浮かべるキャリアより、だいぶ遅咲きです。弘前市で生まれ育ち八戸(はちのへ)の工業大学を卒業した葛西氏が最初に就いた職業は、工業製品のエンジニア。仕事に面白さを感じながらも、世の中の消費のスピード感に合わせて仕事をすることに違和感を覚える日々の中、ふと思い出したのが、学生時代に好きだったインテリアショップに並んでいた木製の家具だったといいます。

働きながら、休日を利用して弘前市の隣・大鰐町(おおわにまち)にある木工工房『わにもっこ』の講座に通い出した葛西氏。『わにもっこ』主宰の山内将才氏は、津軽の里山の木々から様々な作品を作る傍ら地域の森林を守る活動でも知られる、地域を代表する木工職人です。「山内さんは常に先を見ながら、今のことも地道にきちんとやる人。色んな木工品を手がけているけど、どれも作っている間は本気でその作品に向き合わないといけないじゃないですか。黙って考えているだけじゃ続けられない、手を動かさなきゃ何も進まないということを体現している気がして。職人として憧れている人や目標とする人はあまりいないけど、山内さんにはいつも『やってみたら?  やらないの?』と問われている気がします」と葛西氏。

やっぱり木工の道を目指そう。そう決意し8年勤めた会社を退職したのは、『わにもっこ』に通い出して5年が経った頃。「やってみないと何も進まない」。葛西氏が大きく一歩を踏み出した瞬間でした。『わにもっこ』での数ヵ月間の住み込み修業を経て、独立したのは2004年。当初はエンジニア時代のつながりも多かった青森市で開業しましたが、子供が小学校に上がるタイミングで故郷へ。実家からほど近い今の場所を見つけ、職人の街・弘前で工房を設けることになったのです。

無造作に置いてあったのは、クライアントへの提案などにも使うデザイン画。色鉛筆で着色され、温かみのあるタッチが目を引く。

これまでに作った椅子やスツールの5分の1スケールの模型が並ぶ。左端は、赤ちゃんが生まれた時の身長と同じ高さの箱に納めるオーダーメイド積み木「ベビートール」。

弘前市内の雑貨店や津軽出身デザイナーと共同製作した「りんごのセンヌキ」は、津軽らしい素材で作った初めての作品でもある。

津軽ボンマルシェ・イージーリビング特別でドラマチックな何かより、日常と向き合う。

津軽といえばりんご。現在では『弘前シードル工房 kimori』の家具や「又幸 matasachi」シリーズなど、りんご木箱を使った「津軽らしい」作品でも知られる葛西氏ですが、一方で「普段は地域性とか津軽らしさとか、あまり意識していないんです」と話します。「外から見ると津軽らしい存在のりんごも、ここでは日常のもの。だからこそ、産地が抱える色々なことも見えるんです。畑を続けることに悩む農家の知り合いもいますし、『りんご箱なんて見たくない』と冗談めかす知り合いもいる。津軽の外で発信されているりんごと、中にいると見えてくる現実はちょっと違うと思います」と葛西氏。

葛西氏が初めてりんごの木を木材として使ったのは、2012年、青森市・青森駅前にある複合施設『A-FACTORY』の依頼で手がけたりんごの木の栓抜きでした。その後、件のりんご木箱のシリーズなど様々な作品を手がけるように。最近では地域色の強い仕事の依頼も増加。弘前大学構内にある市の有形文化財「旧制弘前高校外国人宣教師館」がカフェにリノベーションされた際に納品したテーブルと椅子は、津軽のシンボルでもある岩木山のシルエットをさり気なく配したデザインです。

「でもそれらの作品は、依頼を受けたものに家具店として応えた結果の“津軽らしさ”。普段作る普通の家具にそれは意識しません。りんご農家の実情を知っているのはそれだけりんごが日常のものということで、それと同様に自分の作る家具も日常のものでありたい。そこには特別な想いもドラマチックなこともないんです。家具店は向かいの青果店や隣の理髪店と同じ、街のいち要素で、普通の存在でありたいというか。ただやっぱり津軽は自分のホーム。りんごも岩木山も大好きだし、アイデアもある。だから作ってほしいといわれる機会が増えたのは、単純に『仕事を続けてきて良かったな』と思いますね」と葛西氏。

弘前大学構内にある「弘大カフェ 成田専蔵珈琲店」。大正時代に建てられた歴史的建造物になじむ家具を、弘前大学の教授とともに考案した。

「弘大カフェ 成田専蔵珈琲店」の椅子の背もたれをよく見ると、岩木山のシルエットが。建物の階段の手すり部分のディテールを盛り込むなど、工夫を凝らした。

「仕事柄、自分で色々作れるのって単純にいいですよね。普通はみんな、手を動かすまでが大変だから」と葛西氏。なんだかんだで、ものづくりが大好き。

最近では『弘前シードル工房 kimori』のシードルの廃棄瓶とりんごの木の枝を加工した「お守り」を製作。『弘前シードル工房 kimori』の畑の研修生の卒業記念に贈られる。

津軽ボンマルシェ・イージーリビング「心地いい暮らし」に寄り添う、誠実な職人が作る誠実な家具。

自ら家具店の道を選び転身を果たした葛西氏。しかし、当初はなかなか安定しない生活が続いたといいます。曰く「既製品より価格が高いからどうせ受け入れられないだろうとか、安くて似たようなデザインのものもあるしとか、自分で仕事の価値に制限を設けて、どこかで人のせいにしていた気がします」。しかし「最近は、自分の仕事を素直にいいじゃんと思えるようになってきた」と葛西氏。長く付き合いが続くお客さんとの関係性も、そう思える理由のひとつです。

「最初は座卓として納品した家具を、転勤で引っ越す時に脚をつけてテーブルにして、今度はそれに合う椅子を作って。ライフスタイルに合わせて家具を考えてくれるそんなお客さんがいてくれるのが、いいなあって思うんです。他の家具はいくらだとか、そういうことではなくて、お客さんは私に話をしに来てくれている。自分の仕事が必要とされる場面はやっぱり確かにあるんだと、今更ながら気付かされたんです。結局大事なのは、目の前にあることを淡々と、きちんとやっていくことなんですよね」。葛西氏が語るそんな境地は、15年間ブレずに仕事をしてきた結果に他なりません。

店名にした曲名『Easy Living』について、「ジャズには詳しくないけれど“心地いい暮らし”ってなんだかいいなと思って」と葛西氏。「『あなたの心地いい暮らしは?』って聞かれると、自分自身も『まだ探してます』って感じなんだけど(笑)、結局はそこに立ち返らせてくれる言葉でもあるんです」。取材を終えた後心に残ったのは、模索しながらも自分の生きる道を見つけた、ひとりの職人の誠実さでした。決して安いものではないオーダー家具や手作りの木工品。だからこそ、作品にも作り手にも「これからもよろしくね」といえる、長く付き合えるものであれば何より幸せではないでしょうか。そして津軽は、そんな作品と作り手が待っている場所なのです。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

葛西氏の初期の作品の使いやすさをきっかけに、長年家具をオーダーしている顧客宅にお邪魔した。リビングにあるのは、ほとんどが葛西氏の作品。

葛西氏の作品の良さを聞くと「ちょうどいいサイズ感とあずましさ(津軽弁で“心地よさ”)」との答えが。椅子の背もたれの革は、家族それぞれの身体になじむ形に変化していた。

取材の最後、「まだこの辺では誰もやっていないものを作ってみたい」とつぶやいた葛西氏。「何を作りますか?」と聞くと「それは秘密」と笑った。

住所:青森県弘前市百石町44-1 MAP
電話:0172-35-8320
Easy Living  HP:https://www.easyliving.jp/

『DINING OUT』史上初となるコラボレーション。アメリカ人として熾火料理で唯一三ツ星に輝いたジョシュア・スキーンズシェフ×能登半島をルーツに持つ植木将仁シェフが登場。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

ダブルシェフでの開催は『DINING OUT』史上初。「あるがままの自然、風土を活かした料理を」という理念を共有する2人が、二夜限りの宴でセッションする。

ダイニングアウト輪島『DINING OUT』史上初、ダブルシェフによる奇跡の饗宴が実現。

2019年10月5日(土)、6日(日)に『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』が開催されます。舞台は日本を代表する漆器「輪島塗」の産地である石川県輪島市。美しい棚田と海岸線が連なる日本の原風景ともいえる里山、里海の景色が今も残り、曹洞宗大本山である總持寺祖院をはじめとする社寺仏閣が人々の生活に根付く信仰の地でもあります。
回を重ねるごとに新しい試み、挑戦に取り組みながら、進化と深化を重ねてきた『DINING OUT』ですが、今回は『DINING OUT』史上初、ダブルシェフのコラボレーションに挑みます。

一人はサンフランシスコより来日するジョシュア・スキーンズシェフ。2009年にオープンした薪火料理の店『SAISON』でミシュランガイド三ツ星を獲得。現在は更新ローラン・グラス氏に店を譲り更なる発展の為の研究ラボラトリー「Skenes Ranch」などをベースに活動をする、世界が注目する料理人です。

もう一人は乃木坂『AZUR et MASA UEKI』の植木将仁シェフ。「和魂洋才」をコンセプトに、日本の優れた食材を使ったオリジナリティあふれるフランス料理に定評あり。食を通じた日本各地の地域興し、一次産業や伝統工芸の復興に携わり続けてきた自他ともに認める“行動派”の料理人です。
さらにドリンクサービスは、ワイン資格の最難関といわれるマスターソムリエのロバート・スミス氏が指揮をとります。

テーマは「漆文化の国(japan)の精神の源流を紐解き、真の豊かさを探る」。並行して『DINING OUT ARITA& with LEXUS』以来約3年ぶり二度目となる『DESIGNING OUT Vol.2』プロジェクトが始動しています。『DESIGNING OUT』は、『ONESTORY』と雑誌『Discover Japan』、そして卓越したクリエーター三者のタッグにより、地場産業、伝統工芸に独自のクリエイションを加え、新しいプロダクトを開発するプロジェクト。今回は世界的建築家の隈研吾氏が輪島塗のオリジナル漆器を作成します。
かつてない豪華な布陣はいかにして実現したのか。輪島の地に賭ける想いを伺いました。

【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS 

たくさんの重要伝統的建造物群保存地区を擁する輪島市が今回の舞台。

植木シェフも訪れた、曹洞宗大本山である總持寺祖院は2021年をもって開創700年を迎える。

ダイニングアウト輪島ぴたりと重なったビジョン。「能登出身の料理人だから出来ること」で、プロフェッショナルの集団を率いる。

「能登のことはだいたい知っているつもりだったけれど、まだまだ新しい発見があり、歴史と文化の奥深さに改めて驚きました」。
輪島への視察の旅を振り返りそう話す植木将仁シェフは、石川県金沢市出身。これまで『AZUR et MASA UEKI』でも能登の魚介や加賀野菜など、北陸の食材を紹介し続けてきました。
「以前から一料理人として『DINING OUT』に強い関心を抱いていたので、故郷である北陸・石川県で開催される回に参加できることは、本当に嬉しい」。
身振り手振りを交えて話す様子から、『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』に賭ける熱い想いがひしひしと伝わってきます。

植木シェフはフレンチから料理の世界に入り、3年間のフランス修業から帰国した1994年、時代に先駆けた店を次々とオープンしレストランシーンを席巻していた『グローバルダイニング』に入社しました。若くして代官山『タブローズ』の副料理長に抜擢され、1998年白金台『ステラート』開業時の料理長に就任。その間、ロサンゼルスにも赴任するなど、スターシェフ街道をひた走りながら、東京の一時代を築いてきた料理人です。大都市・東京の食のシーンのど真ん中で、アメリカ西海岸を中心に海外の食文化を時差なく体感しながら、華やかなりし時代の恩恵を享受してきた植木シェフですが、いつの頃からか、意識が日本のローカルへと向かい始めたといいます。

「理由は複合的なものでした。ひとつには、自身のルーツである北陸、金沢などを見ていて、在来種の野菜や伝統工芸が廃れていくことに危機感を感じ始めたのです。それと前後して、独立後に表参道で開業したレストランを軽井沢に移すのですが、北陸以外のどの土地にも、やはり素晴らしい風土や歴史、文化があることを再認識させられて。もっと様々な土地のことを知りたい、と日本各地を巡る旅がライフワークになりました」
食を通じて地域のためにできることはないか。数年前から各地の自治体などに働きかけ、地方創生や食育の事業に携わることを自身へのミッションとし、さまざまな活動をしてきました。
「『DINING OUT』を知ったのも、その頃。理念に共感し、継続的に実現されていることに非常に感銘を受けたんです」。
故郷・金沢のある北陸、能登エリアは、自身にとって一番身近で、かつ思い入れの深い地方でもあります。『AZUR et MASA UEKI』で北陸産の食材を使うにとどまらず、ときにゲストへのサービスに立って、ときに講演やイベントを通じ、土地の食文化の魅力を積極的に伝えてきました。

「能登は江戸から明治にかけて北前船による交易で発展した土地。港を中心に栄えた食文化は今も色濃く受け継がれています。もうひとつ、江戸よりはるか昔、室町時代から能登国の大本山として信仰の中核を成した總持寺祖院をはじめ、数々の社寺仏閣があり、ともに栄えてきた輪島塗という伝統工芸がある。信仰を重んじながら自然とともに生きてきた土地の人々の生活のあり様。北前船と輪島塗は、北陸人のアイデンティティ。『DINING OUT』でも、私たちがつくる料理に欠かせないテーマになると考えます」。

『DINING OUT』史上初となるダブルシェフ体制、ジョシュアシェフとのコラボレーションというスタイルについても「ワクワクする」と、非常に意欲的です。
「カリフォルニアという土地が育むものに根ざし、薪火を軸に自然を活かした料理をつくるジョシュアの仕事に深い共感を抱いています。外国人の目線で、北陸・能登をどう捉え、表現してくれるのか非常に楽しみ。今回、ご一緒できることは僕自身にとって、そして日本にとっても必ず意義あるものになると確信しています」。

テーブルサイドでスペシャリテを完成させる植木シェフ。ふだんから積極的にテーブルを回り、ゲストを会話でリラックスさせながら、料理や食材のストーリーを伝えている。

能登の岩牡蠣。75℃の低温で約30分スチームした岩牡蠣は、フレッシュさと凝縮感を併せ持つ絶妙な仕上がり。輪島『上田農園』のトマトのガスパチョとゆべしを加えたフロマージュ・ブランを添えて。

シェフ自らがテーブルで完成させる、皿ではなく紙に「描かれた」スペシャリテ。6時間コンフィにしたフォアグラの甘みとキャラメリゼにした部分の苦み、旬のフルーツの酸味、海老と海老からつくるパウダー塩の塩気。五味を一皿で味わえる。

ブルターニュ産仔羊のロースト。軽くスモークしてからローストすることで、香りよく、よりしっとりとした仕上がりに。仔羊のジュと輪島産バイ貝のだしを焦がしバターでつないだソースで。

ダイニングアウト輪島世界最高峰ソムリエの覚悟。食材、プロダクト、人、輪島の魅力に光を当てて、継続的な交流の礎をつくる。

植木シェフとともに厨房に立つジョシュアシェフの話の前に、もう一人、重要な人物に話を伺わなければなりません。今回、ドリンクサービスを仕切るロバート・スミス氏。世界でもわずか250人しかいない最難関のワイン資格・マスターソムリエがまだ150人に満たなかった15年前、当時の史上最年少の34歳でその資格を取得。ラスベガスを拠点にホテル、レストランのワインディレクターとして活躍する傍ら、長きに渡り後進の教育に務め、アメリカの、そして世界のワイン文化の向上に寄与してきたプロフェッショナルです。『Saison』の共同オーナーも、ロバート氏の門下生の一人。さらに縁あって現在、ロバート氏は『AZUR et MASA UEKI』の経営母体で、ワイン輸入業も手掛ける『マッシュフーズ』とパートナーシップを結び、ワイン事業の監修を行っています。そう、実はアメリカ西海岸を代表する料理人・ジョシュアシェフと植木シェフの縁を結んだのがロバート氏というわけです。

ロバート氏は、2019年春に日本へ移住。東京で暮らし始めたばかりです。東京の、そして日本の印象を尋ねると、わずか数か月で「信じられない体験をいくつも経験した」と、目を輝かせます。
「東京のフードシーンには驚くばかり。カジュアルからハイエンドまでいろんな業態があって、カジュアルさえも大手のチェーンから、とんかつ、うなぎなどの100年続く老舗まで細分化される。加えてローカルが素晴らしい」。
「ローカル」というのは、先に『DINING OUT』の視察のために足を運んだ能登・輪島のことにほかなりません。
「食材のクオリティの高さもさることながら、土着の食文化、そして人の温かさ、何もかもが素晴らしい。忘れがたい寿司を食べたし、そう、炭焼きにしたイカとその墨を使った料理も感動的だった」。

話しながら、目を輝かせます。ワインのオーソリティと聞くと、どこか気難しいイメージを抱きがちですが、ロバート氏はその片鱗も感じさせません。未知の食文化に対する素直な感受性と、ワインのプロとしての確固たるビジョンがあるのみ。どんな質問にもわかりやすく、説得力のある回答をにこやかに返してくれ、ワインのプロフェッショナルはサービスのプロフェッショナルであることを改めて思い出させてくれます。

『DINING OUT』への意気込みについては、次のように語ってくれました。
「我々はプロの集団ですから、料理の完成度やワインなどの提供も含めたサービスで、ゲストを満足させるのは当然です。『DINING OUT』では、その一歩先を目指しています。素晴らしい食材、プロダクトがあり、心温かな人々が暮らす輪島という土地を、食事という体験を通じしっかり可視化させていくこと。土地と我々と、訪れて下さった方々の関係が、一回限りではなく、継続的なものとして発展していく“仕掛け”をつくりたいのです」

日本のワインシーンについて「著しい成長期にあり、大きなポテンシャルを秘めている」と話すロバート氏。世界最高峰のワインのプロによるドリンクの提案も今回の目玉だ。

『AZUR et MASA UEKI』のウェイティングルームには、『AZUR』の名を冠したワインがずらりと並ぶ。

ダイニングアウト輪島素材を活かしきる熾火料理のスペシャリストが挑む、「輪島」を表現する料理とは。

『DINING OUT』史上初のダブルシェフのコラボレーション。全米、全世界に名を轟かせるジョシュア・スキーンズシェフだという知らせは、『DINING OUT』ファンのみならず、世界のガストロノミーに関心を抱く人々を驚かせたことでしょう。

2006年、『Saison』のコンセプトを産み出し、裏路地の一角に、ポップアップレストラン『SAISON』をオープンし、2009年からサンフランシスコにて1号店をオープンし、ジョシュア氏の快進撃が始まります。熾火料理を主とした料理スタイルで食材の自然のあるべき姿を尊重しながら、最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び,アメリカ人として熾火料理で唯一ミシュランの3つ星を獲得。「the world’s 50 best restaurant」、「Food & Wine’s 」のベストニューシェフ、「Elite Traveler Magazine’s」の次の世代を担う最も影響力のあるシェフ15名にも選出されました。

米国外でイベントに参加すること自体初めての、ジョシュア・スキーンズシェフが、日本の、しかも東京ではなく能登・輪島で開催される『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』に参加する事に、期待は高まるばかりです。

日米二人のシェフによって描き出される「皿の上の輪島」は、一体どんな景色なのか。マスターソムリエとの協働により、どんな食時間が創出されるのか。すべては約2週間後、秋深まりゆく奥能登で、明らかになります。

フォーマルかつモダンな『AZUR by MASA UEKI』の店内。壁一面のワインのディスプレーもインテリアのアクセントに。

1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』『RESTAURANT & BAR J』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。
AZUR HP:http://www.restaurant-azur.com/

2006年、『Saison』のコンセプトを産み出し、2009年にサンフランシスコにて1号店をオープン。
熾火料理を主とした料理スタイルで食材の自然のあるべき姿を尊重しながら、最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び,アメリカ人として熾火料理で唯一ミシュランの3つ星を獲得。「the world’s 50 best restaurant」、「Food & Wine’s 」のベストニューシェフ、「Elite Traveler Magazine’s」の次の世代を担う最も影響力のあるシェフ15名にも選出される。2016年、更なるイノベーションの促進と成長のプラットフォームを提供するために、『Saison Hospitality』 を設立。2017年には想いをLaurent Gras氏に引き継ぎ『Saison』の現場から完全に身を引き、さらなる革新と研究のラボラトリーとして『Skenes Ranch』を設立。同年、サンフランシスコ沿岸に Skenesの海に馳せる想いを込めた『Angler』をオープンさせると、 2018年 Esquire Magazineにて全米のベストニューレストラン、GQにおいても全米ベストニューレストランに選出され、ミシュラン一つ星を獲得。2019年にはビバリーヒルズに『Angler』 の2号店をオープン。今、世界が最も注目する料理人の一人である。

奇跡の夜の感動が再び。鳥取県八頭町にて地元主体で行われる、もうひとつの『DINING OUT』。[DINING OUT TOTTRI-YAZU REVIVAL/鳥取県八頭町]

来る、11月16日(土)、17日(日)の2日間限定で開催が決定した、地元だけで作り上げる『DINING OUT TOTTORI-YAZU REVIVAL』。

ダイニングアウト鳥取八頭リバイバルチームの強い結束を生んだ、土砂降りのダイニングアウト。

2018年9月、鳥取県八頭町で開催された『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』を、覚えている人も多いことでしょう。二度目の『DINING OUT』登場となった徳吉洋二シェフのクリエーション、シェフ自身の故郷でもある鳥取への思い、そして会場を包んだ豪雨とそれを乗り越えたスタッフたち。八頭を舞台に行われた『DINING OUT』は、数々の「史上初」を積み重ね、訪れたゲストたちにかつてないほど鮮烈な印象を刻みました。

雨の『DINING OUT』が遺したは、ゲストへのインパクトだけではありませんでした。天候という避けられぬトラブル、瞬時の判断によるリカバリー。大きなハードルを越えた地域スタッフたちの顔つきは、イベントを通して目に見えて変わりました。そして同じ目標に向かい、困難を乗り越えたスタッフたちの間には、かけがえのない絆も芽生えたのです。

その絆の芽は1年を経て大きく育ち、そしていま、花を咲かせようとしています。『DINING OUT TOTTORI-YAZU REVIVAL』、地元スタッフの力だけで行う、もうひとつの『DINING OUT』。それが2019年11月に開催される運びとなりました。感動を呼んだ奇跡の一夜が、ついに甦るのです。

【関連記事】DINING OUT TOTTRI-YAZU with LEXUS

降りしきる雨の中で開かれた昨年の『DINING OUT』。その過酷な環境は、チームの連帯感を生んだ。

11月、1年でもっとも星が美しい季節に、あの奇跡の晩餐が甦る。

ダイニングアウト鳥取八頭困難を乗り越えて生まれた絆が、新たな『DINING OUT』を実現。

昨年の『DINING OUT』に参加したある地元スタッフはあの夜、言いました。「これだけの素晴らしいイベントを、一度きりの打ち上げ花火で終わらせたくない」。それはイベントの成功とスタッフの成長を間近に見た上での、本心の吐露だったのでしょう。たった一度の盛り上がりで終わってしまうのでは意味がない。この成功を起点に地元が団結し、継続的に八頭の魅力を発信してこそ、本当の成功である、と。

そしてその言葉に偽りはありませんでした。一年の時を経て、甦った『DINING OUT TOTTORI-YAZU REVIVAL』は、企画、運営まですべてが地元主導。八頭を愛し、鳥取を誇る地元スタッフだからこそできる情報発信を、地元の力だけで組み上げたのです。

もちろん、その“地元スタッフ”の名の中には、徳吉洋二シェフの名もあります。鳥取で生まれ育ち、地元の食材と風土を知り尽くした徳吉シェフ。子供の頃に食べた料理、学生時代に通った店、世界に名を轟かせた今もなお心惹かれる食材。そんな地元の食への思いがミラノ仕込みの技と混ざり合い、唯一無二の料理を生み出してくれることでしょう。

開催時期や会場にも、鳥取の魅力を伝えたいという思いが強く表れています。開催される11月は、一年のうちで星空がもっとも美しい時期。どこからでも天の川が見られるほど空気の澄んだ鳥取、八頭の魅力を、これほどダイレクトに伝えられる季節はないでしょう。
レセプション会場には、花御所柿の畑が選ばれました。八頭町が誇る、この地でしか採れない花御所柿。木に実がなると葉が落ち、木には橙色に染まった実だけが残るのが、花御所柿の特徴。その不可思議な光景の中で、ディナーが幕を開けるのです。

そしてメインの会場は、深い自然に囲まれた『大江ノ郷リゾート』内、閉校になった小学校をリノベーションし今年新たにオープンした宿泊施設『OOE VALLEY STAY』です。
たしかに八頭の魅力はまず自然。しかし、その自然と寄り添い、現在あるもの、古くから伝わるものを大切にしながら、変わらぬ景色を守るマインドもまた、八頭らしさ。この会場は八頭の自然と思いの両者を描く象徴的な場所でもあるのです。

地元スタッフが、打算よりも熱意に突き動かされて生み出す『DINING OUT TOTTORI-YAZU REVIVAL』。そこにはきっと、地元を知り、地元を愛するスタッフだからこそ伝えられる魅力がたっぷり詰まっていることでしょう。

地元スタッフ、地元の食材、地元出身の徳吉シェフ。すべてが揃って表現される魅力は未知数。

各スタッフが自ら考え、実行に移す。数々のトラブルは、スタッフのポテンシャルを引き出した。

「OOE VALLEY STAY」古いものと新しいアイデアが混ざり合い、新たな価値を生み出す。それが八頭の魅力。

廃校をリノベーションしたとは思えない客室や、レストラン、バーまで完備する「OOE VALLEY STAY」はこれからの八頭町の名所となるでしょう。

たわわに実った花御所柿の畑がレセプション会場。ここでしか見られない光景だ。

ダイニングアウト鳥取八頭地元を知り、地元を愛するスタッフが送る、八頭の魅力満載のイベント。

今回の『DINING OUT TOTTORI-YAZU REVIVAL』の実現は、八頭出身の若きイノベーター・古田琢也氏の存在なしには語れません。廃校を利用したシェアスペース『隼ラボ』の立ち上げなどを通して、八頭の未来を描く古田氏。昨年の『DINING OUT』でも地元スタッフの調整などを一手に引き受け、イベントを成功に導いた影の立役者でもあります。あの夜「打ち上げ花火で終わりたくない」と話してくれたのも、実はこの古田氏でした。

「昨年のダイニングアウトでは、スタッフひとりひとりが本当に良い顔をしていました。個人の成長はもちろん、チームワーク、一体感を通して、改めて地元にプライドを持つきっかけになったと思っています。自分達だけでは気づけない八頭の良さを改めて再認識できた2日間。一回で終わりにするのではなく、この熱狂や地元を誇れる想いをこれからも繋いでいきたいと強く感じました」そう昨年を振り返る古田氏。その言葉には、一年経ってもなお止むことのない、強い思いが宿っています。

『DINING OUT』を通して得た体験や思いを、遺し繋げること。それこそがあのイベントの本質的な価値である。それが古田氏が、今回のリバイバルに踏み切った理由。もちろん企画、運営の経験がない中で行う初のイベントですから、トラブルも苦労も多いことでしょう。しかしそういった経験さえも、後に繋げる糧となるに違いありません。
「八頭には、世界遺産や文化財、凄い観光資源があるわけではありません。しかし日本の素朴な素直な田舎、昔から変わらない原風景が残る地域です。そして古くからの風土や自然、文化を大切にしながらも、新たな視点やチャレンジが融合し多くの魅力が生まれてもいます」そう八頭の魅力を伝える古田氏。

そして主役となる食の観点からも、二度目の『DINING OUT』の見どころを教えてくれました。「鳥取は質の高い食材の宝庫であり、無農薬で育てられた新鮮野菜、質の良い肉、自然のエネルギー溢れるジビエ、この土地でしか収穫できない郡家花御所柿や大山ブロッコリー、平飼いでのびのびと育てられた鶏から生まれる天美卵、そして、開催される11月には、日本でも有数の漁獲量である蟹がシーズンを迎えます。そんな素晴らしい食材を、地元を知り尽くした徳吉シェフが料理する。鳥取の食材や風土を紡ぎ再編集した料理の数々をご期待ください」と古田氏。

雄大な自然に包まれ、大地のエネルギーに包まれる地元主体の『DINING OUT』。それは昨年、感動を呼んだあの日と同じように、再び私達に奇跡の一夜を見せてくれるかもしれません。

株式会社トリクミ 代表取締役社長CEOの古田氏は1986年生まれ。若い世代の発想と実行力が八頭を盛り立てる原動力。

スタッフ同士が繋がり、地元だけで『DINING OUT』を実施しようと、プライドを持てたことが一番の発見と、古田氏は語りました。

開催日程:①2019年11月16日 (土) / ②2019年11月17日 (日) ※2日間限定
開催地:鳥取県八頭町
出演 : 料理人  徳吉洋二 (ミラノ「Ristorante TOKUYOSHI」 )
協力:鳥取県八頭町

『Ristorante TOKUYOSHI』オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された『THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS』では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで『Ristorante TOKUYOSHI』を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。
Ristorante TOKUYOSHI HP:http://www.ristorantetokuyoshi.com

隈研吾氏、輪島の職人に出逢う。見えてきた新たな輪島塗のかたち。[DESIGNING OUT Vol.2/石川県輪島市]

輪島塗の製造工程を椀で表現する輪島塗会館の資料展示室で。

デザイニングアウト Vol.2隈 研吾氏、輪島塗の技術に触れる旅へ。

地場産業や伝統工芸など、プロダクト(モノ)に焦点を当てることで、地域の「価値」を再発見する、『ONESTORY』と雑誌『Discover Japan』の共同プロジェクト『DESIGNING OUT』。
第2弾のテーマとなる伝統漆器「輪島塗」に新たな風を吹き込むモノづくり『DESIGNING OUT Vol.2』の現場を、連載でお届けします。

今回は、プロダクトデザインを手がける隈研吾氏が、クリエイションのヒントを求めて輪島を訪ね、輪島塗の職人たちとの対話を通じて見えてきた“新しい輪島塗”のかたちをレポートします。

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日本海に面して小さな田が海岸まで続く棚田「白米千枚田」。

デザイニングアウト Vol.2海路によって栄えた、厳しくも自然豊かな輪島。

能登半島が新緑に包まれ、山には薄紫色の山藤の花が揺れ、田植えを終えた田んぼの水が陽の光を受けて煌めく5月下旬。隈 研吾氏が輪島市を訪れました。

東京から空路を使った場合、2003年に開港した、のと里山空港まで約1時間のフライトですが、かつて輪島への主要交通手段は海路でした。中世に「三津七湊」と呼ばれた日本の十大港湾の一つに「輪島湊」があり、「親(おや)の湊」とも呼ばれ、日本海航路の重要な拠点だったのです。また、輪島塗の技術や行商スタイルが確立した江戸時代には、輪島は北陸以北の日本海沿岸から下関を経由して、瀬戸内海の大阪へと向かう北前船の重要な寄港地として栄えました。
「日本に数多くある個性的な土地の中でも、輪島は文化や自然の条件が濃い場所だと思います。古くから日本の伝統文化のマグネットになった地域なのです」と、隈氏は話します。
輪島塗の漆器を背負った塗師屋は、こうした海路を使って全国を行商してまわり、日本中に輪島塗の名を広めていったのです。

そんな輪島の歴史に思いを馳せながら、まず、輪島港にほど近い輪島漆器商工業協同組合が運営する「輪島塗会館」を訪れました。

輪島塗会館は、普段使いの塗り箸から豪華な加飾で彩られた装飾品まで、市内約60軒の漆器店の商品を展示販売するほか、輪島塗の工程や職人の世界、歴史文化を紹介する資料展示室があります。隈氏は、第1展示室の入り口に設けられた、木地から塗り、加飾に至るまで124工程とも133工程とも言われる多様な職人技の一つひとつを、133個の椀工程見本で表現した展示に静かに見入っていました。

輪島塗会館には、輪島塗の歴史民俗資料約4,000点がある。

1階の輪島塗SHOPには、市内60以上の専門店の商品が展示販売されている。

椀一つひとつに職人の技術と心がこもる。

デザイニングアウト Vol.2輪島塗職人の技と“時間のパワー”に触れる。

次に足を運んだのは、江戸・文化年間の1813年に創業した塗師屋「輪島屋善仁」です。「職人は人格崇高たるべし」との家訓のもと、200年以上、職人の技術向上を求めて輪島塗に向かい合っています。今回の『DESIGNING OUT Vol.2』で、隈氏と輪島の職人たちのコーディネーター役を担う中室耕二郎氏が、9代目として采配を振る工房でもあります。

輪島屋善仁では、まず、椀の縁や高台などの木地が薄く割れやすい部分や箱の継ぎ目などに漆で布を貼って補強する「布着せ」の工程を見学しました。隈氏は「この布の幅はもっと狭くできる?」と職人に尋ねたり、興味深そうに写真を撮ったり。
続く「研ぎ」の工程は、研ぎものロクロや研磨紙、砥石などを使ってうつわ全体を磨いていく仕事です。輪島塗は、漆を塗っては研ぎ、研いでは塗りを繰り返すことで、強く艶やかなフォルムを生み出しますが、研ぎによって、次に塗る漆の密着性を高めるだけでなく、うつわの微妙なかたちを整えていくのです。輪島の研ぎ職人は、ほとんどが女性だそうです。“研ぎもののかーちゃん”などと呼ばれ、重要な役割を担っています。

さらに、刷毛やヘラを使って中塗漆をうつわ全体に塗る「中塗」は、塗りの最終工程となる「上塗」のひとつ手前の工程で、「塗りムラや刷毛目を残さずに素早く、かつ丁寧な職人技が求められます。塗り上げたうつわは、漆が垂れないように反転させながら乾燥させる「回転風呂」と呼ばれる部屋に移されます。ここでも隈氏は、職人に「上塗は、何年くらいでできるようになるの?」「漆を乾かす温度は何度くらい?」と熱心に質問をしていました。

そして、隈氏が最後に見学したのが「加飾」の工程。塗りの堅牢さに加えて、「蒔絵」や「沈金」の美しい装飾も輪島塗の大きな特徴です。

「蒔絵」は、和紙に描いた下絵を転写した置目に添って漆で文様を描き、金銀粉などを蒔き付け、さらに漆を塗り固めるなどした後に、研磨して金銀の光沢を出します。「沈金」は、沈金ノミという道具を使って紋様を掘り、そこに薄く漆を塗り込み、余分な漆を和紙で拭き取った後に、金銀の箔や粉を紋様に押し込んで定着させる技法です。
輪島塗は、歴史的には庶民の実用漆器だったため、「御蒔絵」と呼ばれるような豪華な蒔絵よりも、沈金の技術が発達したそうです。ともに江戸時代に完成した技法ですが、明治時代に日本各地の御用蒔絵師が維新によって職を失い、輪島に移住してきたことで蒔絵も盛んになったという経緯があります。

こうした輪島塗の職人たちの仕事に触れ、輪島屋善仁を後にした隈氏は口元に笑みを浮かべてこう話しました。
「日本の技は“時間”がつくる産物であることが多いのです。もちろん高い技術力に裏打ちされた上での話ですが、輪島塗にも“時間のパワー”を感じます。漆液の採取も、塗りも、乾燥も、十分かつゆっくりとした時間が必要です。そこが輪島塗の面白さだと思います。今回のプロジェクトでは“時間”を感じられるデザインをしたいと考えています」

「輪島屋善仁」の工房で職人の話をじっくりと聴く隈氏。

「研ぎ」と「塗り」を何度もくりかえして出来あがる輪島塗。

塗りのあとは漆が垂れないように反転を続ける。

蒔絵の美しい装飾も輪島塗の特徴のひとつ。

隈氏のデザインイメージと職人の技術をすりあわせる。

デザイニングアウト Vol.2“輪島六職”をうつわで表現。

実は、輪島市を訪れる前から、隈氏には一つのアイデアがありました。
隈氏といえば、今年5月に“自然素材を生かした設計で建築文化に寄与”したことが評価され、紫綬褒章を受章したことが記憶に新しい建築家です。設計に携わった新国立競技場も、外周の軒庇に47都道府県から調達された木材を配置するなど、木をふんだんに使った設計が特徴となっています。そして輪島塗もまた、能登の自然が時間をかけて育てた森のアテやケヤキなどの木を原材料とし、木の恵みである漆を塗り重ねることで出来上がります。

「木地の状態から124工程とも133工程とも言われる多様な輪島塗の職人技を、うつわとして表現できないか」――。

そこで、『DESIGNING OUT Vol.2』のプロジェクトが動きだした昨年の秋冬から、輪島屋善仁の中室耕二郎氏と都内で幾度となくミーティングを重ね、このアイデアの実現にむけて検討を進めてきたのです。そして、今回、隈氏が実際に職人たちの仕事にふれ、意見をきくことで、江戸時代から続く“輪島六職”と呼ばれる「椀木地」「指物木地」「曲物木地」「塗師」「蒔絵」「沈金」の分業システムにちなんで、製造工程を6つのうつわで表現する方向性が決定しました。

もう一つ、隈氏が話すように、輪島塗は、完成までに長い時間を要するものです。さらに、毎日触れて、使っていくうちに味わいが出てくるほか、修理(なおしもん)して世代を超えて使用し続けられる道具です。100年成長した木は、100年使ってあげたい。そんな思いが輪島塗にはこめられているのです。

隈氏は、インタビューに答えるかたちで、「モダニズム建築は、でき上がった時点が最高の状態であり、あとは劣化していくという時間の概念を持っています。このモダニズム建築の持つ時間の概念、あるいは哲学に対して、これからの建築は、でき上がった時点よりも後になると、逆に良くなるという建築であると僕は思います」と話しています。(『隈研吾という身体 自らを語る』大津若果著、NTT出版、2018年、P248)

「時間が経つと、どんどん良くなるという時間の概念を持ち、これからの工業化社会以降の人間は生きていくことになる」。(同、P249)「これからの人間は、歳を取るほど良くなるという生き方をするでしょう。少子高齢化社会の時間の概念は、エイジングを善きものとする概念です」。(同、P250)

まさに、エイジングによってよくなるのが輪島塗の伝統なのです。この伝統の技を隈氏が咀嚼し、表現する「新しい輪島塗」のうつわ。その全貌は、10月の『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』で明らかになります。

輪島塗の工程に焦点をあてた「新しい輪島塗」のうつわ制作にむけて議論する。

プロトタイプの制作を経て、完成版へとブラッシュアップ。

1954年生。東京大学建築学科大学院修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。現在、東京大学教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。

探るのは、農家の無限の可能性。津軽のからきじとっちゃ、今日も行く。[TSUGARU Le Bon Marché・白神アグリサービス/青森県西津軽郡]

自社のりんご畑で。いかにも農家のおっちゃん的な飾らない風貌ながら、話す言葉の端々に聡明さがにじむ木村才樹(さいき)氏。

津軽ボンマルシェ・白神アグリサービス農家のようで農家でない? 幅広く活躍する「鯵ヶ沢の木村さん」。

「からきじとっちゃ」とは何ぞや。これは津軽弁で、「わがまま父さん」といった意味です。今回はるばるとっちゃに会いに行ったのは、青森県鯵ヶ沢町。ブサかわ犬「わさお」で一躍有名になったこの町は、西に日本海、南に世界遺産の白神山地と津軽の霊峰・岩木山を有する恵まれた土地でもあります。津軽のちょっとした有名人でもあるとっちゃの名は木村才樹(さいき)。ある人にとっては「日本一大きなりんご農家の木村さん」、またある人にとっては「干しりんごの木村さん」、更には「バイオマスに取り組む木村さん」「学生の受け入れをしている木村さん」……。とにかく色々な顔を持つのが木村氏です。

多岐にわたるその活動をまとめてみましょう。まずはりんごをはじめとして、米、小麦、大豆、玉ねぎ、じゃがいも、洋梨、柿、ブルーベリーなどありとあらゆる農作物を栽培する『風丸農場』の事業。『風丸農場』では、津軽各地の道の駅や土産店で販売される大ヒット商品「農家が干したリンゴ」やジャム、ジュースなどの加工品も製造・販売しています。冬になると本格化するのが、りんごの剪定枝などを薪や細かいチップにして販売するバイオマス事業。そして『みんたば!』なるプロジェクトでは、外部団体の田畑のオーナー制度を導入。定期的に企業や学生グループを受け入れ、土に触れ収穫を楽しみながら環境問題を考えるきっかけをつくってもらう取り組みです。

鯵ヶ沢で代々続く農家の長男として生まれた木村氏。今でこそ界隈のトップランナーとして知られるものの、「昔は農業なんて大嫌いでさ(笑)」と話します。若者が家業を嫌うのはよくある話ですが、現在の多彩な活躍にいたるまでに、いったい何があったのでしょうか? 気になる経緯を聞けば聞くほど、木村氏のセンスと才覚、そしてお茶目な人柄にノックアウトされる取材となりました。


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日本最大級の広さのりんご畑を有する『風丸農場』。りんご畑は全て国のGAP認証を取得するなど、先進的な取り組みでも知られる。写真は早生品種「ジェネバ」。

中まで赤いことがわかる「ジェネバ」の断面。そのまま食べると渋みがあるが、ポリフェノールが豊富で加工用として人気。料理人にも卸している。

ジュースやジャムなどの加工品も豊富に製造。津軽ではおなじみの商品が多く、特産品として親しまれているのがわかる。弘前市『ひろさきマーケット』でも購入可能。

津軽ボンマルシェ・白神アグリサービスここにもあった! やってまれ精神。行動に移すことが実績につながる。

学生時代からりんごの木の剪定などを担っていた木村氏が、父から事業を任されるようになったのは37歳の時。課題となったのが、厚い雪に覆われる冬場の農家の暮らし方でした。「利益を出すために法人化して人を雇ったけど、結局冬は彼らのやることがなくてまずいなと思って。冬になると大量に廃棄されるりんごの剪定枝を燃やすの、もったいなくない?って気付いたんだよね」と木村氏。近隣の農家からも剪定枝を買い入れ、薪やチップに加工し販売すると、燃料として好評に。「仕事もできるし、循環型農業につながって環境にもいいし。でも結局販売を始めてから2年後に国が間伐材のペレットに力を入れ出して、そっちの方が売れちゃったんだけど(笑)」と言う木村氏ですが、以前紹介した『木村木品製作所』が製造するりんごの木工品の加工原材になるなど、今では活用の幅も広がりつつあります。

現在津軽でよく見かけるようになった干しりんごの加工品も、木村氏がパイオニア。地域一帯に降った雹(ひょう)によって傷がつき売れなくなったりんごを、農家が昔から食べていたおやつに加工したのが始まりです。予想外のヒットを受け、洋梨や柿、プルーンなどのドライフルーツも製品化。更に中まで赤いりんごとして有名になった「ジェネバ」という早生品種は、20年前から栽培に取り組んでいます。「日本一早かったんじゃない? 最初は誰も興味を持ってくれなくて、10年間全く売れなかった」と木村氏。一方、いち早くグリーンツーリズム事業にも参画。「天候が悪くて野菜が育たず価格が高くなれば、農家が文句をいわれる。商品価値の低さが農業の一番の問題点でしょ。食べる人に本当の価値を知ってもらいたくて」というのがその理由です。

「他にも思いついた商品をどんどん作ったり、つながりのある学生に加工品のパッケージデザインを頼んだり、とりあえず何でもやった。時期尚早で失敗することも多かったよ(笑)」と木村氏。……これはもしや、津軽の「やってまれ」精神? 木村氏の話からは、以前取材した建築設計事務所の蟻塚 学氏からも感じた「とりあえずやっちゃえ!」な津軽人気質がむんむん漂います。ちなみに、息子さんは蟻塚氏の建築設計事務所に勤務しているそうです。

バイオマス燃料のりんごの木のチップ。事務所にほど近い加工場に、近隣から出た剪定枝が集められる。昨今は廃業する農家から丸太を買い取ることも増えた。

砂糖などを加えず自然な風味が楽しめる「農家が干したリンゴ」。りんご品種別に10種ほどのラインナップを用意する。「煎り毛豆」は表示どおりの素朴な味わい。

グリーンツーリズムの一環である『みんたば!』プロジェクトで作業を行う学生たち。『みんたば!』の名称は「みんなの田畑」を略したものだ。

津軽ボンマルシェ・白神アグリサービス農業体験を通じ、津軽が都会の若者の「ふるさと」に。

「やってまれ!」な勢いで広げた取り組みで、津軽を代表する農家となった木村氏。中でも『みんたば!』のプロジェクトは、津軽と県外をつなぐパイプとして機能してきました。当初は東京の広告代理店などと年間契約、年数回の農業体験で栽培した米を提供するオーナー制度としてスタートしたこのプロジェクトでしたが、そこに興味を持ったのが東京大学や日本女子大学、法政大学といった首都圏の大学に通う学生たち。今や彼ら自身が自主的に農業体験を企画し、毎月誰かしらが滞在するほどのつながりができています。

青森の伝承料理を守る『津軽あかつきの会』の取材時に若手として活躍していた吉田涼香さんは、この『みんたば!』がきっかけで青森県に移住。木村氏は、現在つがる市で暮らす彼女の新規事業計画にも関わります。他にも青森県庁に就職した学生がいたり、今度木村氏のもとへ就職する学生がいたり。農家の高齢化が進む中、次世代を担う若者が自ら津軽へやってくる、そんないい流れがここでは自然と生まれていることに驚きます。

ただ学生と農作業をともにするだけでなく、加工品を考案させる、地元小学校のレクリエーション企画や祭りに参加させるといった幅広い活動が『みんたば!』の特徴です。「畑は生産物を作るためだけの場所じゃない。畑の空気感に癒されることもあると思うんだよね。都会の生活に悩みを抱えている子も多いけど、『大人とうまくいかない』と言っていた子が、通ううちに『大人を見直した』って言ってくれるようになる。俺がすぐ学生にちょっかい出すから、それも楽しいみたい(笑)」。そう話す木村氏は、学生たちにとって津軽のとっちゃです。

行政や学校を通さず、学生たちが自主的にやってくるのが『みんたば!』のすごさ。長い時は1週間ほど滞在していくそう。彼らの存在がまた木村氏に刺激を与える。

空き家を改装し宿泊施設『古民家風丸』に。吉田さんによる津軽伝承料理も提供する。「レジャー事業として成り立てば、若い奴らの仕事ができるから」と木村氏。

木村家の鎮守の森の中には、オーナー制度で運営する手作りのピザ窯も登場。企業の福利厚生に活用してもらう他、学生たちには無料で開放する。

『古民家風丸』で吉田さんたちが作った料理を囲みながら、家族やスタッフに突っ込まれて苦笑する木村氏。いっとき仕事を離れると、終始笑いの絶えないチームだ。

津軽ボンマルシェ・白神アグリサービス直面するのは厳しい現実。それでも向き合うのは好きだから。

アイデアを次々と具現化する木村氏ですが、もちろんそれには相当の労力と負担が発生します。最近では、日本に1台しかないというオランダ製のりんご収穫用マシンを個人輸入で導入。「日本では“手をかける”ことがよしとされるから、りんご栽培はいまだに手作業中心。でも農家はどんどん廃業するし、高齢の働き手は後5年もすれば仕事ができなくなる。10年くらい前から、収穫も機械化しないと農家が持たないと考えてたわけ。高額だし小規模の農家が買えるものではないから、いずれは地域の他の農家の収穫もこれでやることになるだろうね」と木村氏は話します。

これまでも耕作放棄地を買い取り畑にするなど、積極的に地域に貢献してきた半面、「それもこれも、環境に配慮した農業を考えたらうちだけでやれることじゃないから、周りを巻き込んでいるだけ。『みんたば!』も収益のために始めたし、学生の受け入れだって『うちに入社してくれるかな』という下心もあったしね(笑)」と木村氏。その話からは、綺麗事では済まされない、地方の農家の現実が見えてきます。

それでもなお、毎日農業と正面から向き合い、新しいアイデアを形にする理由をたずねると、「農家って、何やってもいい職業だと思ってて。りんご作っても米作っても、エネルギー作ってもいいし、人助けだってできる。無限の可能性を感じるというか。自分は他人のことは気にしないし、他人の意見も聞かない。すっげーわがままなの(笑)。だから自分が新しいことしたい、面白いことしたいって考えてるだけなんだよね」。そう語った木村氏は、取材の最後にこうつけ加えました。「農業が嫌い嫌いといってるけど、本当は好きなんだと思うね」。いつもエネルギッシュで真剣、そのわがまま=「からきじ」ぶりと本気度で周囲を巻き込んでいく木村氏。その勢いはまだ止まりそうもありません。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

映画やバイクなど多趣味。「バイタリティー溢れる」という表現がしっくりくる御年58歳の木村氏。現在は代表を務める弟の農也(あつや)氏とともに会社を切り盛りする。

住所:青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字建石町字大曲1-1 MAP
電話:0173-82-5421
風丸農場 by白神アグリサービス HP:http://www.kazemaru-nojo.com/

「輪島塗」に新たな風を吹き込むプロジェクト 『DESIGNING OUT Vol.2』が始動。[DESIGNING OUT Vol.2/石川県輪島市]

日本を代表する漆器「輪島塗」は、国の重要無形文化財に指定されている。

デザイニングアウト Vol.2世界的建築家の隈 研吾氏を迎え、『DESIGNING OUT Vol.2』始動。

地場産業や伝統工芸など、プロダクト(モノ)に焦点を当てることで、地域の「価値」を再発見する、『ONESTORY』と雑誌『Discover Japan』の共同プロジェクト『DESIGNING OUT』。日本に眠る伝統的なデザインに最先端のクリエイションを加え、新しいプロダクトを開発、発信していきます。
Vol.1のクリエイターには日本の伝統工芸に新しい価値を加えて世の中に発信し続ける『丸若屋』代表の丸若裕俊氏を迎え、創業400年という有田焼の歴史とその起源を回顧し、有田、伊万里、唐津の3地域より、13名の窯元・作家とともに12のスペシャルな器をつくり上げ『DINING OUT ARITA& with LEXUS』にて発表しました。

そして、満を持して迎えたVol.2の伝統工芸は、国指定重要無形文化財の「輪島塗」です。クリエイターには世界的な建築家である隈 研吾氏を迎え、「輪島塗」に新たな風を吹き込むモノづくり『DESIGNING OUT Vol.2』をスタート。『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』にてお披露目致します。

今回は、1944年の設立以来、輪島塗の啓もう活動や販売窓口を担ってきた「輪島漆器商工業協同組合」を訪ね、輪島塗の歴史を紐解きながら、輪島塗の特徴や現代の課題、『DESIGNING OUT Vol.2』への期待を伺ってきました。

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能登半島の北部に位置する輪島には、日本の原風景が広がる。

輪島漆器商工業協同組合の日南尚之理事長(左)と、隅 堅正事務局長。

デザイニングアウト Vol.2輪島塗の強さの秘訣は、門外不出の「地の粉」。

日本海の中央に大きく突き出した能登半島の突端に位置する石川県輪島市は、県都・金沢から車で約2時間かかる人口約3万人の小さな町です。東京からも大阪からも決して近いとはいえない場所ですが、漆器「輪島塗」の産地として、多くの人にその名を知られています。いったいなぜなのでしょうか。
「この“遠さ”が輪島塗の繁栄に一役買ったのです。遠いがゆえに競争力をつけるため、“丈夫である”という他産地との差別化を図るようになったのです」。輪島漆器商工業協同組合理事長の日南尚之氏はこう説明します。

輪島塗の包み紙には、「大極上 布着せ 本堅地」と判が捺されています。これは、丈夫な品質の保証表示のようなものです。輪島塗の堅牢さの理由は、いくつかありますが、まずは上質な漆を惜しみなく多量に使うこと。塗っては研ぎ、研いでは塗りの繰り返しによって、艶やかで丈夫な肌になります。また、「布着せ」とは、椀の縁や高台などの木地が薄く、割れやすい部分や箱の継ぎ目などに漆で布を貼って補強する技術です。これも輪島塗のうつわの強さの秘訣です。

「もっとも大事なのは、輪島の“地の粉”と呼ばれる特殊な土を漆に混ぜて、下地塗りに使うことです」と日南氏。続けて「江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に、輪島で“地の粉”を使うという技術が生まれました。地の粉とは、輪島で採れる珪藻土のことなのですが、これを焼いて粉砕し、漆に混ぜて下地を作ります。粉砕の粒子の大きさによって一辺地粉、二辺地粉、三辺地粉と呼びますが、これらを数回塗り重ねることで強さを出します。珪藻土は、日本全国にありますが、不思議なことに輪島の珪藻土でなければ、輪島塗の強さと緻密さは生まれないのです。輪島地の粉は、輪島塗の丈夫さと優美さの秘訣ですので、現在でも、輪島の職人しか使うことができませんし、輪島から持ち出すことはできません」。

こうして江戸時代にその技術が確立した輪島塗は、「塗師屋」と呼ばれる企画デザインや販売を担う専門職の行商によって、地方の豪商や網元、旅館、料理屋などを中心に全国に広がっていったのです。

輪島塗に欠かせない「地の粉」は大切に管理されている。

江戸時代初期に「地の粉」が発見されたことで輪島塗の技術が確立した。

現存する最古の「輪島塗」は、室町時代の1524年(大永4年)作と言われている輪島市河井町にある重蔵神社の旧本殿の朱塗扉。

デザイニングアウト Vol.2街全体が工房のように結びつく分業システム。

日南氏は、「もう一つ、忘れてはならない輪島塗の大きな特色は、高度に専門化した分業システムにあります」と言います。

商品が出来上がるまでに100以上の工程があると言われている輪島塗は、製造工程ごとに専門の職人がいます。「塗師屋」がある商品を作ろうとすると、まずは「木地師」に木地の制作を依頼します。できあがった木地は、「下地塗」や「研ぎ」「上塗り」などの塗り・研ぎを専門とする職人によって塗り上げられ、さらに「沈金師」「蒔絵師」などの職人の手によって加飾がほどこされ、完成品として塗師屋の元に届けられます。つまり、職人たちの手から手へと製品が渡り、まるで輪島の街全体がひとつの工房のように結びついているわけです。
「工程を細分化することで、それぞれの作業の精度が高まり、職人の腕も磨かれていきます。職人たちは、前後の工程を担当する職人の仕事に敬意をこめ、自分の仕事を完成させます。こうした輪島の分業システムは、江戸時代後期には出来上がっていたそうです。かつては、『椀木地』『指物木地』『曲物木地』『塗師』『蒔絵』『沈金』の6職種を“輪島六職”と呼んでいましたが、現在はさらに細分化が進んでいます」と日南氏。

江戸時代から変わらない分業システムは、現代においては一見、非効率のようにも思えます。しかし、お客さんの注文によるオーダーメイドや、「なおしもん」(修理)をして長く使い続ける輪島塗の技術は、それぞれの工程にたずさわる職人が、長年にわたって試行錯誤を繰り返していまに伝えてきたものです。この技術力こそが、他の産地の追随を許さない名漆器「輪島塗」を生み出したのでしょう。

ロクロをひいて丸い木地をつくる「椀木地師」職人の技は、「輪島六職」のひとつに数えられる。

「地の粉」を混ぜた漆を塗る「下地塗」。丈夫でキメ細かい塗肌をつくる。

「中漆り」は素早く丁寧に。塗っては研ぎ、研いでは塗りをくりかえして艶やかな肌をつくる。

文様を彫る「沈金師」の技。厚く塗り重ねる輪島塗だからこそ、深く彫りこめる。

9代続く塗師屋「輪島屋善仁」の中室耕二郎氏。輪島漆器商工業協同組合理事も務め、隈氏と職人たちの間をとりもつコーディネート役を担う。

デザイニングアウト Vol.2輪島塗だからこそできる「新しい漆器」づくり。

海外で「ジャパン」とも呼ばれ、日本を代表する伝統工芸品の漆器。なかでも、全国の漆器産地で初の国の重要無形文化財の指定を受けた輪島塗は、間違いなく日本の漆器のトップランナーです。それは「通常、御用聞きは家の裏口にまわるが、輪島の塗師屋は表玄関から招かれた」などの逸話があることからもよくわかります。

そんな輪島塗ですが、日本人の生活様式の変化や食の西洋化などに伴って、生産額や職人数の減少が課題となっているのも事実です。輪島漆器商工業協同組合・輪島塗会館の事務局長の隅 堅正氏は「輪島塗の生産額の推計は、1991年の年間180億円をピークに年々減り続けていて、2018年は38億円まで落ち込んでいます。輪島塗にかかわる職人などの数も、ピーク時の半分以下になっています」と言います。

求められる商品にも変化があるそうです。バブル期までは、絢爛豪華な蒔絵を施した商品がよく売れていましたが、90年代半ばからは無地やシンプルなデザインが好まれる傾向にあります。また、私たちの食生活も変わり、椀や重箱だけでなく皿やワイングラスといった食器も求められるようになってきました。

「塗師屋は、行商のなかで流行やスタイルを探っていきます。一見、世間話のようなお客様との話が、お客様の好みを知り、世の中の動きを知る手立てなのです。これが、輪島は全国のみなさんの情報や教育で成り立っていると言われるゆえんです」。
こう話すのは、輪島漆器商工業協同組合理事の中室耕二郎氏。中室氏は、今回の『DESIGNING OUT Vol.2』で、クリエイターの隈 研吾氏と輪島の職人たちのコーディネーター役を担っています。また、1813年創業の「輪島屋善仁」の9代目で、1年の約半分は輪島の地を離れ、全国を行商してまわる昔ながらの「塗師屋」でもあります。

かつて輪島の塗師屋は、分業システムによって作り上げた輪島塗を背中に、全国の客先を一軒一軒訪ねて商売をする行商制度を守っていました。塗師屋ごとに決められた担当地域をまわり、客先でじっくりと話し合って注文を受け、納得してもらえる高品質の漆器を納める――。こうした行商先で出会う情報や客の厳しい目によって、輪島の塗師文化が栄え、輪島塗の技術が磨かれてきたわけです。

中室氏は「江戸時代から塗師屋は、外の風を輪島に引き込む役割を担ってきました。今回、隈 研吾さんという外部のクリエイターとともにモノづくりをすることは、輪島に新しい風をとりいれることです。職人たちが新しい風を感じながら、それぞれの技を駆使する素晴らしいプロジェクトになると期待しています」と話します。

『DESIGNING OUT Vol.2』のプロダクトの全貌は、まだ明らかになっていませんが、理事長の日南氏は「これまでの輪島塗にはない“新製品”が出来上がる予定です。ほかの産地では不可能な、輪島塗だからこそできるデザインになると思います」と笑顔で話します。

隈氏と輪島塗の職人たちが共に開発する新しい輪島塗とは!?

1954年生。東京大学建築学科大学院修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。現在、東京大学教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。

2人のキーマンが振り返る『DINING OUT』を通して青森浅虫温泉に残したこと。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

ダイニングアウト青森浅虫

2019年7月初旬、青森県青森市浅虫温泉にて、初の東北開催となる『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』が開催されました。

青森といえば、三内丸山遺跡や縄文土器にはじまり、暗闇の中に華やかなねぶたがまちを練り歩く「青森ねぶた祭」、北の青い空に力強い墨線と色彩で舞い上がる「津軽凧」などで知られています。芸術風土の色濃いこの北の大地からは、強烈な個性を持った芸術家や作家が多数輩出されています。

冬は深い雪に覆われる豪雪地であり、荒々しくも多くの生命を抱く陸奥湾や、力強くそびえる八甲山と雄大な自然に囲まれた青森市。冬の真っ白な雪と青い空の対比や、夏に芽吹く緑などの四季の強い彩、ねぶたや津軽凧の強い色彩の荒々しさも彼らの芸術の精神的源泉となったのではないでしょうか。

そんな、昔から今に至るまで青森に宿るアートの感性にフォーカスし、青森の地域性を読み解いてみたいと考え掲げられたテーマは、「Journey of Aomori Artistic Soul」。

このテーマに挑戦した料理人は、代官山「abysse」の目黒浩太郎シェフ。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化したフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得している、新進気鋭の若手料理人です。

ホスト役には、初期の『DINING OUT』から携わり7回目の登場となる、アレックス・カー氏。東洋文化研究家であり作家としても活動し、国内の昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っています。

携わった2人のキーマンが、青森の風土や食材について、また今回の『DINING OUT』を通して地元に残せた'あること'について語って頂きました。

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1985 年、神奈川県生まれ。祖父は和食の料理人、母は栄養士という環境で育つ中で自然と料理人を志す。服部栄養専門学校を卒業後、都内複数の店で修業後、渡仏。フランス最大の港町マルセイユのミシ ュラン三ツ星店「Le Petit Nice」へ入店し、魚介に特化した素材の 扱いやフランス料理の技術を習得。帰国後には日本を代表する名店 「カンテサンス」にて、ガストロノミーの基礎ともなる、食材の最適 調理や火入れなどさらに研鑽を積んだ。2015 年、「abysse」をオープ ン。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化し たフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得している。
abysse HP:https://abysse.jp/

1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。

正反対のふたりと津軽の四季、その素敵な化学反応。美しき草木染めアクセサリーの故郷へ。[TSUGARU Le Bon Marché・スノーハンドメイド/青森県弘前市]

染め上げた藍製品を天日干しする佐々木亮輔氏(右)と葛西由貴さん(左)。風に揺れる草木染めの布が工房の目印だ。

津軽ボンマルシェ・スノーハンドメイド南から北へ。日本縦断の末たどりついた、手仕事の街・弘前。

「取材には少なくとも3、4時間かかると思います。それでも良ければ」。初めて『Snow hand made』の佐々木亮輔氏に連絡した時返ってきた言葉からは、作り手としての熱意が伝わってきました。実際にかかった時間は6時間ほど。どれだけ話しても話し足りない、本気のものづくりがそこにありました。

これまで紹介してきた『パン屋といとい』の成田志乃さんや『bambooforest』の竹森 幹氏、『Flower Atelier Eika』の英花さんなど、多くの人から「すごい作り手がいるからぜひ記事に」と推薦されたのが、草木染めでアクセサリーや織物を制作する夫婦ユニット『Snow hand made』。満を持して向かった工房は、青森県弘前市郊外の古びた一軒家でした。「これは藍、こっちは日本茜と紫紺。紅花もありますよ」。染料を栽培する庭を案内してくれたのは、主に染色を担当する夫の亮輔氏。亮輔氏が天然の植物染料で染めた糸や布を使い、アクセサリーなどの作品を作るのが妻の葛西由貴さんです。

亮輔氏と由貴さんが出会ったのは、沖縄県波照間島(はてるまじま)でした。神奈川県横浜市出身、生粋の浜っ子ながら沖縄の環境や人に魅せられ移住を決めた亮輔氏と、青森県弘前市出身、知り合いを訪ねてやってきた沖縄の心地よさに惹かれた由貴さんは、著名染織家・石垣昭子さんに師事した後仲間と染織工房を立ち上げ、波照間島を拠点に6年ほど活動。ふたりで独立を考えた時思い浮かんだのが、沖縄と真逆に位置する弘前だったといいます。「彼女の実家があるので、それまでも弘前には来ていたんです。城下町だった弘前は沖縄と違い、塗り物や焼き物など色々な工芸があって、クオリティも高い。やるならここでと決めました」と亮輔氏。2015年5月に波照間島を出発、各地の友人や世界遺産などの名所を訪ね歩きながら、6,500kmの距離を47日間かけて新天地・弘前へやってきました。

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亮輔氏が古来の染織方法を用いて生み出す繊細な色合いと、手仕事とは思えないほど正確で緻密な由貴さんの技術から、世界でひとつのアクセサリーが誕生する。

庭では様々な染料の植物を栽培。日本茜は夕日のような茜色を生み出す希少な染料。黄色い根が、時間の経過とともに鮮やかな赤色へと変化する。

今は少なくなった「正藍染め」という古いやり方で藍染めを行う。染めの作業に重要なのが水質。井戸水を使えることが、引っ越し先の第一条件だった。

染料の中で藍に一番惹かれるという亮輔氏。甕から引き上げた糸が水や空気に触れることで、さっと透明感のある青色が現れる瞬間がたまらないという。

津軽ボンマルシェ・スノーハンドメイド津軽の四季の移ろいを宿す草木染め。その豊かな表情に魅せられて。

亮輔氏のものづくりの原点は、「波照間島の自然の色の美しさを何か形にしたい」という想い。今も力を入れるのは海の色=青を生み出す染料・藍です。「色々な染料がある中で、やっぱり藍をえこひいきしちゃうんです(笑)」と亮輔氏。どっしりと濃い青、軽やかで淡い青……独特の奥行きを感じさせる様々な青を生み出すのが、室町時代に確立した「正藍染め(しょうあいぞめ)」と呼ばれる古い技法です。

藍の乾燥葉を発酵させた原料「すくも」から染液を作る藍染めですが、現在一般的に使われる石灰や日本酒、蜜やブドウ糖などを使わず、木灰汁(もくあく)のみを加えて染液を建てるのが「正藍染め」。発酵を促す添加物を入れないため難しいとされる一方、「淡い青や抜けるような青が表現できるんです」と語る亮輔氏。2016年からは自ら藍の栽培も始め、津軽ならではの藍の表現を探ります。藍の他、日本茜や紫紺、紅花は、自分で栽培したものと青森県内の生産者のものを混ぜて染料に。他にも近隣の山で採れるオニグルミや竹、弘前市内の桜の枝なども使用する亮輔氏の作品には、津軽のパワフルな自然が育む豊かな彩りが宿ります。

藍には化学的処理をいっさい用いない亮輔氏ですが、染料や素材によっては化学的に中和させて色を出す「農染処理」を施すことも。「『古いやり方を守りたい』というのとは違う。『正藍染め』も色が美しくて色落ちしづらく、何よりシンプルなのが良くて。伝統的なものと近代的なもの、それぞれの特徴を天秤にかけ、使う使わないを判断しています」と語ります。自身を「なぜそうなるのか常に深掘りする面倒くさい性格(笑)」と分析するだけあって、何を聞いても瞬時に的確な答えを返してくれる亮輔氏。感覚的なものづくりを追求しつつ、論文や資料から得られる科学的な裏付けも理解する。そんなバランス感覚が、作品の根幹を支えます。

古い染液と新しい染液を混ぜて使い独特の青を表現する。通常は3ヵ月ほどで使えなくなる染液だが、「正藍染め」の染液は寿命が長く、2年近く使用可能だそう。

工房から車で5分ほどの所にある畑では、しゃんと伸びた藍の葉が収穫を待っていた。10月には採取した葉を100日ほど発酵させる「すくも」作りが始まる。

どこか穏やかさを感じさせる色の糸たち。橙色はりんご、黄色は竹の葉、青は藍、ピンクとグレーは桜が染料。その艶やかな発色にも驚く。

津軽ボンマルシェ・スノーハンドメイドビッグメゾンも認めた、マシンメイドのごとき緻密な手仕事。

亮輔氏が染める美しい布や糸を使い、芸術的な作品に仕上げるのは由貴さんの役目。亮輔氏曰く「彼女はとにかく集中力がすごい。それに、なんでその形にしたの?と聞いても『なんとなく。特に意味はない』って(笑)。自分は物事にいちいち意味を求めるタイプだけど、彼女は感性でどんどん動くタイプ。作品作りには、彼女の感覚がないとダメだと思います」。

小さい頃からひとりでスケッチブックを抱えて出かけては、目に入るものを描いていたという由貴さん。「絵を描いたり編み物をしたりするのが大好きでした。でも小学校の授業では、みんなと同じものを描いても自分だけ違っていて、先生に『もっとよく見て描いてね』と言われる。何をしても人と違うから、ずっと自分に自信がなくて……。初めて『由貴ちゃんはそのままでいいよ』と言ってくれたのが、亮さんと波照間島の仲間だったんです」と話す由貴さん。ありのままでいい、そう気付けた由貴さんにとって、『Snow hand made』の仕事は天職に他なりません。

鉤針で細い糸をレース状に編み込んだモチーフが揺れるピアスや、天然石や貝をくるむように編み込んだリングやネックレス。波照間島時代から使い続ける、「原始機(げんしばた)」と呼ばれる古い機織り機で織り上げた紐やストラップ。由貴さんの手がける作品のクオリティの高さは、近づいてじっくり眺めれば一目瞭然。機械編みや機械織りのような正確さと緻密さ、由貴さんならではのデザインの独創性が評価され、2017年からは世界的なアパレルブランドに依頼され、ブランドの商品のためのサンプル制作も行います。新作のアクセサリーを出すたび購入してくれる熱心なファンのため、「毎年デザインを変更するし、色や素材の組み合わせも全部変えています」と由貴さん。同じものはない、唯一無二の作品が揃います。

自宅兼工房の2階、畳敷きの6畳間が由貴さんの作業部屋。床にぺたりと座って黙々と作業するのが、由貴さんのいつもの制作スタイルだ。

繊細な動きを繰り返す針先は、まるで精巧なマシンを見ているよう。感性の赴くまま、驚くようなスピードで作品を仕上げていく。

最も原始的な機織りの方法とされる「原始機」で紐を織っていく。糸の一端を織り手の腰につなぎ、腰の力で張り具合を調整しながら織るのが特徴。

波照間島時代から、伝統柄にはない鳥やヤモリといった自然界のリアルなモチーフを取り入れる。手前はふろしきに結びつけるとバッグのように持ち歩ける「ふろしきハンド」。

津軽ボンマルシェ・スノーハンドメイド尊重し補い合う。ふたりと津軽をつなぐ心地いい関係。

理論的に物事を捉える亮輔氏と、感覚的にものづくりと向き合う由貴さん。正反対の性格のふたりですが、纏う雰囲気は不思議とそっくり。「由貴のセンスと技術力は本当にすごい。それに絶対に手を抜かないんです」と亮輔氏が言えば、「自分は一から説明してもらわないと理解できないタイプ。お客さんに商品を説明するのも難しくて。でも亮さんが私の想いをうまく伝えてくれるんです」と由貴さん。信頼関係で結ばれたふたりの関係からは、あるものとないものを互いに補い合う、理想のコミュニケーションの姿が見えてきます。

弘前で活動を始めてから5年目。ふたりのコミュニケーションは、工房内から地域へと広がりつつあります。「すくも」作りに必要な木灰汁の原料は、近所のりんご農家の畑から譲り受けた剪定木や古木。灰汁を取り終えた灰は板柳町の陶芸家の手に渡り、釉薬として再利用されます。「別の職業の人から受け取ったものを、また次の職業の人に回せるのが嬉しくて。弘前には色々な職人がいるからこそ、こうした循環が可能なんだと実感しています」と亮輔氏。

今ふたりが取り組むのは、自ら育てた弘前産の藍だけで染める「弘前藍」の製品化。現在は自社畑の藍に徳島産の「阿波藍」を混ぜていますが、今後は栽培量を増やし自家栽培率100%に変える他、藍染めに使う資材全てを県産にすることを目指しているそうです。実は戦前まで、藍は津軽の主要産業のひとつでした。この取り組みが、消滅の危機にあるといわれる津軽の藍産業に刺激を与えるだけでなく、工芸の街・弘前全体を盛り上げることは間違いありません。

横浜と弘前から沖縄へ、そしてそこから再び弘前へ。各地を巡った後たどりついたここ津軽で、ふたりの活動は、よりオープンでローカルなものに変化しつつあるようです。「来年は洋服やバッグも製品化したい。ものづくりに関わる友人たちと、何か一緒に作ることができれば」と亮輔氏。自信と期待に満ちた晴れやかな表情に、津軽の工芸の明るい未来が見えた気がしました。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

由貴さんが長年描きためてきた絵を「これからはもっと外に出してあげたい」と亮輔氏。絵をモチーフにしたバッグなどの雑貨を販売する計画も。

りんご畑に囲まれた藍畑で、息子の悠慎(ゆうしん)君と。今後畑の規模を広げ、「弘前藍」のブランド化を進める予定だ。自宅の庭では種の採取用の藍も栽培する。

https://www.pictame.com/user/ykks58/1192408397
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スノーハンドメイド HP:http://snow-hand-made.com/

海のない街・奈良の盆地で続いてきた貝ボタン作りの軌跡。[トモイ/奈良県磯城郡川西町]

『トモイ』の3代目を担っている伴井比呂志氏。

トモイ

奈良県北部、奈良盆地のほぼ中央に位置する磯城郡川西町。ここに、国内シェア約50%を誇る、日本有数の貝ボタンメーカー『トモイ』の工場があります。後編では、貝ボタンとともに発展してきた街の歴史と『トモイ』の歩みをたどり、更なる展望に迫ります。

【関連記事】トモイ/確かな品質と技術に裏打ちされた、世界に誇る貝ボタン。

見渡す限りのどかな田園風景が広がる川西町。

トモイ豊かな自然と歴史文化に抱かれた、貝ボタンの街・川西町。

豊かな自然が残る奈良県北部の街、磯城郡川西町。盆地らしく、周囲を山に囲まれた平坦な土地に田畑が広がり、所々に集落や工場が見られます。また、立派な前方後円墳の『島の山古墳』をはじめ、千年以上の歴史を誇る『糸井神社』や『比売久波(ひめくわ)神社』など、歴史遺産も多く残っています。

一方、古くから貝殻を原料としたボタン作りが盛んに行われ、「貝ボタンの街」の異名も持つ同町。ですが、奈良は四方を他県に囲まれた、いわゆる海なし県です。にも関わらず、なぜこの街で貝ボタンが作られるようになったのでしょうか。それには、海ではなく川の存在が重要な鍵となりました。

『トモイ』のすぐそばにある巨大な『島の山古墳』。

古墳の隣には歴史ある『比売久波神社』が。

トモイ川の流れに乗ってもたらされ、瞬く間に製造の一大拠点に。

川西町にはその名のとおり、昔から大きな川が5つも流れています。そのため、舟運が主流だった時代には、大阪と結ぶ集散地として発展。様々なものが船で運ばれてきたその中に、貝ボタンもあったのです。

貝ボタンの製造技術は、明治時代半ばの1887年頃にドイツから兵庫県神戸市へと伝来。その後、1897年頃には大阪府の河内地方へ。更に、1905年頃には奈良県の川西町まで伝わったとされています。当時から原料の貝は南太平洋から輸入されていたため、製造場所が海沿いであるかどうかは問題ではありませんでした。

ちょうどこの頃、川西町では木綿織物や養蚕業が衰退し、農家では綿加工業が苦境に立たされていました。そのため、副業として貝ボタン製造が始められることに。以降、町内の人々が続々と参画し、大正時代初めの1914年には業者数50戸にまで拡大しました。

その後、昭和になっても繁栄を続け、最盛期を迎えたのは1945年頃から1955年頃にかけて。「昭和20年~30年代は、このあたりの400世帯のうち、300世帯は貝ボタン関連の仕事をしていました。当時は、ぬき屋、擦り屋、穴あけ屋、磨き屋などボタン作りは分業で、それぞれの工房があちらこちらにあったんです。まるで、町全体が工場のようでした」と『トモイ』代表取締役社長の伴井比呂志氏は振り返ります。

当時から原料は、南太平洋で育った貝が使われていた。

町内を流れる川で最も大きな一級河川『大和川』。

トモイ他を圧倒する独自の取り組みで活路を開いた『トモイ』の歴史。

『トモイ』の創業は、大正時代初めの1913年。初代は伴井氏の祖父で、貝殻からボタン生地をくり抜くぬき屋として商いを始めました。その後、川西町全体の発展とともに、『トモイ』も事業を拡大。やがて、貝ボタン製造の全工程を、一貫して自社工場で行うまでになりました。

更に、2代目である伴井氏の父は、新たな技術も導入。ボタンに様々な文字や模様を施せるNC彫刻機を考案しました。滑らかな仕上がりが特徴のこの機械は、約30年前に導入した最新式のレーザー彫刻機と併用しつつ、今も現役で活躍中。「速くて正確なレーザー彫刻機が主流ではありますが、ボタン全体を彫り込むようなデザインの場合や、レーザー彫刻機だと焦げてしまうような材質のボタンを彫る場合は、NC彫刻機を使います。やはり、仕上がりの際の独特の滑らかさは、この機械ならではだと好評です」と伴井氏は話します。

また、2代目は新たな販路も開拓。創業当時、貝ボタンは真珠と並ぶ輸出品のひとつとして、安定した売り上げを誇っていました。しかし、更なる成長のためには国内で販路を開拓する必要があると考え、奈良の工場を初代である祖父に任せると、幼かった伴井氏を連れて一家で上京。寝る間も惜しんで働いた結果、一気に受注量が増えたといいます。更に高度経済成長期の追い風もあり、東京から奈良に戻って以降、従業員は70名を数えるまでになりました。

川西町全体で見ると、貝ボタン生産は1955年頃をピークに、徐々に縮小。特に1965年頃からは、安価で大量生産可能なポリエステル製のボタンが本格的に流通し始めて急速に衰退し、最終的には数軒しか貝ボタンの業者は残りませんでした。『トモイ』はその中の貴重な1軒。他に類を見ない製造規模と、創業当時からこだわっている確かな品質、更に新たな技術で生み出すバラエティ豊かなラインナップを武器に、独自に成長を遂げた結果です。
 

100余年にわたり貝ボタン製造を続ける『トモイ』。

本社工場内には、製造途中のボタンが山のように。

短時間で正確に彫ることができるレーザー彫刻機。

滑らかな仕上がりが特徴的な、2代目考案のNC彫刻機。

トモイ本場イタリアの技術や感性を持ち込むことで、更なる発展を実現。

『トモイ』の3代目である伴井氏は、1961年生まれ。幼い頃から両親の背中を見て育ち、早い段階から後継ぎとしての自覚があったといいます。ビジネス系の専門学校で経理を学んだ後は、製造技術習得のために、貝ボタン発祥の地であるヨーロッパへ留学。修業先は、ボタンメーカーが数多くあるイタリア・ベルガモの中でも、世界的メーカーである『ボネッティ』社です。ここで、本場の職人技を1年かけて学びました。

例えば、伴井氏が持ち帰った技術のひとつが、艶出しの方法。『テッポウ』と呼ばれる木桶の中にボタンと熱湯を入れ、薬品を少しずつ点滴のように垂らしながら、約1時間回転させるという手法です。伴井氏曰く、「以前は、10分程度の短時間で済ませていた作業。悪く言えば、薬品でごまかしていたようなところもあったと思うんです。でも、これを1時間かけてじっくり行うと、貝が持つ本来の艶を引き出すことができる。木桶を使うというのもポイントで、木なら錆びないですし、ボタンに傷がつきにくいという利点があります」。

また、細かい点では、ボタン生地に穴を開ける『窄孔(さっこう)』に用いる針の研ぎ方ひとつにも違いがあったのだとか。本場の職人からその技を習得した伴井氏は、『トモイ』の製造工場でも生かすことで、より高品質で多種類の貝ボタンを製造できるようになりました。更に、日本にはない多彩なデザインに触れられたことも、大きな学びになったといいます。

その後、1994年に伴井氏は3代目に就任。歴史を受け継ぎ、更に発展させることで、国内シェア約50%を誇る、日本有数の貝ボタンメーカーへと『トモイ』を押し上げました。

丁寧に研がれた針で正確に穴を開ける『窄孔』作業。

工場の片隅には、艶出し用の大きな木樽が置かれている。

艶出し後は、ロウを付着させた籾で磨きをかける。

丁寧な艶出しと磨きで、手触りの良いボタンが完成。

イタリアでは多様なデザインを知り感性も磨かれた。

トモイ貝ボタンの魅力を大切に、更に研ぎ澄ませ広めていくために。

貝ボタン作りに携わって25年。改めて伴井氏に貝ボタンの魅力を聞くと「やはり天然素材である貝ならではの深い輝き、滑らかな手触りは格別ですね。また、ポリエステル製のボタンは軽いですが、貝ボタンは適度に重さがある。そのため、例えばシャツの一番上のボタンを外して着ても、ボタンの重さで襟元に自然と美しいカーブが生まれる。それも、貝ボタンならではだと思います」と笑顔で話します。

そして近年は、国内はもとより、海外へと販路を拡大している伴井氏。「特にイタリアとの取引を拡大中です。修業時代にも感じたことなのですが、やはりイタリアの方々はセンスが磨かれているので、きちんと上質な貝ボタンを求めてうちに声をかけてくださいますし、どんどん新しいデザインのオーダーを頂くのも刺激的なんです」と話す伴井氏。「デザインファーストというか。例えば、日本の場合は縫製のしやすさを重視してボタン穴を大きくするよう依頼されることがあるのに対して、イタリアの場合はあくまでデザイン重視。そんな違いも勉強になります」と続けます。

より高いレベルを求める相手と向き合い、丁寧な仕事をしながら斬新なデザインにも果敢に挑戦することで、自らの幅を広げている『トモイ』。今度は逆に日本でもその姿勢を貫くことで、国内市場がもっと盛り上がれば……。そう考える伴井氏は、貝ボタンの更なる未来を見据えています。

1913年創業、奈良県磯城郡川西町に本社工場を構える貝ボタンメーカー『トモイ』の3代目。ビジネス系専門学校卒業後、単身イタリアへ留学。ボタン機器の世界的メーカー『ボネッティ』社で貝ボタンの製造工程を学んで帰国し、1994年より『トモイ』の代表取締役社長に就任。確かな品質と技術、高いデザイン性を誇る日本随一の貝ボタンメーカーとして、国内はもとより、海外の名ブランドからもオーダーが絶えない。

住所:〒636-0204 奈良県磯城郡川西町唐院201 MAP
電話:0745-44-0066
トモイ HP:https://www.shellbuttons-tomoi.jp/

地銀×地域×自治体。地方創生の未来を拓く、新たな関係性。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

地銀、地域、自治体が結託する初の取り組みとなった『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI』。

ダイニングアウト浅虫浅虫温泉で実現したかつてない『DINING OUT』の形。

地域に眠る魅力を掘り起こし、新たな価値を見出す――そんな思いの元、過去15回開催された『DINING OUT』。その音頭を取ったのは地域に根づく企業、あるいは自治体。そこに地元を愛する有志たちが集い、それぞれに魅力を持つ、その土地ならではの『DINING OUT』を開催してきました。

しかし16回目となる青森市浅虫温泉の『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』は、少し違いました。地域と自治体、住民と地域、それらを繋ぐ橋渡しとして、まず青森の地方銀行の『みちのく銀行』が立ち上がったのです。そして地元の旅館がそこに賛同し、さらに青森市が影から支える。そんなかつてない形で実現したのが、今回の『DINING OUT』だったのです。そしてその成功から、地域創生の在り方、温泉街の活路、これからの地方銀行の重要性が見えてきました。

【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS

2019年7月に浅虫温泉で開催された『DINING OUT』の一場面。

ダイニングアウト浅虫町に溶け込む支店長が、銀行の取り組みの象徴。

北の温泉地・浅虫温泉に数日も滞在すると、必ずどこかで目にする人物がいます。地元住民とにこやかに挨拶を交わし、道路のゴミを拾い、日曜でもイベントとあれば真っ先に駆けつける。今回の『DINING OUT』でも率先して雑務をこなしていたその人物こそ、『みちのく銀行 浅虫支店』の支店長・工藤秀樹氏です。「浅虫のことなら、まず工藤さんに聞けば間違いない」地元住民が話すそんな言葉は、決して冗談ではありません。2016年に支店長として浅虫に入って3年、工藤支店長は地元に不可欠な存在になっていたのです。

もちろんそれは、工藤氏の明るい人柄による部分も少なくありません。しかし『みちのく銀行』のなかにあって、そんな工藤氏は決して「変わった人材」ではないのです。工藤氏の前任の浅虫支店長・鶴岡真治氏(現・地域創生部 参与)も、たびたび浅虫を訪れては住民たちと旧友のように語り合います。それはきっと『みちのく銀行』という地方銀行の在り方そのものが、地域とともに歩むことを目指しているから。銀行として資金面だけで地方を支えるのではなく、もっとも根本的な部分である人々の活気や熱意も下支えする。それが今回の『DINING OUT』の原動力となった『みちのく銀行』なのかもしれません。

その誠実な人柄で地元住民の信頼も厚い『みちのく銀行』浅虫支店長・工藤秀樹氏。

地元のサービススタッフ達がお客様に接客している中、工藤支店長は、ゲストが食べ終わった料理の皿を洗い場へ運ぶなど陰ながら『DINING OUT』を支えた。

ダイニングアウト浅虫若き頭取が語る、これからの地方銀行の在り方。

そんな予想を確かめ、そして浅虫での『DINING OUT』の開催の理由を探るため、『みちのく銀行』本店を訪ねました。出迎えてくれたのは若き頭取・藤澤貴之氏。朗らかでユーモアあるその人柄からも、この銀行の在り方が垣間見えます。

浅虫温泉に『DINING OUT』を招聘した理由を尋ねると「銀行はお金を預かり、貸す仕事。しかしそれだけではなく、地域のためにできることをして元気にしていきたいという思いがあります。とくに浅虫支店は90年以上前から続く当行で4番目に古い支店。それだけ長い付き合いのある温泉街が、果たしてこのままで良いのかという問題提起として『DINING OUT』の実現にこぎつけました。“主人公”はあくまでも地元。そこにサポートできることがあるか模索した結果です」との答え。その言葉にも、地元の発展を心から願う姿が垣間見えます。

さらに藤澤氏のそんな思いを、タイミングも後押ししました。「2017年、地域が抱える課題に金融機関のノウハウを活かして望む“地域創生プラットフォーム”を創設しました。ダイニングアウトの話が上がったのは、まさにその頃でした」。そして続けます、「これからの地方銀行の在り方は、もっと地域に入り込み、住民や商売を営む方々と共に街を元気にさせなければいけないと思っています」。

熱意とタイミングにより実現した『DINING OUT』。その結果について「地元の人が当たり前に受け入れていた浅虫の魅力に改めて気づかせてくれたイベントでした。これは外からの知見、目線があってはじめてわかったこと。大きな収穫だと思います。今後は近すぎて見えなかった魅力をどう育て、発信していくか。本番はこれからです」と藤澤氏。さらに「今回の浅虫をひとつのモデルとして、さまざまな場所に広げていきたいと思っています」との展望も語ってくれました。

『みちのく銀行』の若き頭取・藤澤貴之氏。その柔軟な発想は地銀の在り方を変えていくのかもしれない。

『みちのく銀行』本社の入り口に掲げられる、墨痕鮮やかな企業理念。

レセプションで地元の思いを伝えた青森県立美術館館長・杉本康雄氏は元『みちのく銀行』会長(現・相談役)。今回の『DINING OUT』実現にも腕をふるった。

ダイニングアウト浅虫地方銀行の思いに応える、地元の若き経営者たち。

藤澤氏が語った“タイミング”は、実は『みちのく銀行』内の話だけではありません。もっと広い視野で、青森市に革新のタイミングが訪れていたのです。それは、地方創生の中心となる人たちの若返りでした。藤澤氏が『みちのく銀行』代表取締役頭取となったのは2018年、52歳の頃。同じ頃、浅虫温泉の旅館組合や観光協会も、トップが若い世代に変わりました。さらに2016年に青森市長になった小野寺晃彦氏も現在44歳の若さ。こうして青森市や浅虫温泉の未来は、若い世代へと託されたのです。

2017年には浅虫温泉活性化に向けて浅虫温泉若手経営者の有志が「青森MOSPAプロジェクト」を始動。そこに小野寺市長も加わり、歯車が少しずつ動き始めました。「ピーク時は30万人以上の観光客が訪れ、“東北の熱海”とも呼ばれた浅虫温泉。映画館もあり、芸者さんもたくさんいました。しかし元に戻そうとは思っていません。今あるものを受け入れてどう活用するかを考えていきたい」とは「MOSPAプロジェクト」も主導する『ホテル秋田屋』の代表・佐藤方信氏。同じく「MOSPAプロジェクト」に参加する浅虫温泉辰巳館の戸嶋竜一常務も「当初は明確なビジョンがありませんでしたが、それが少しずつ変わってきました」といいます。

そんな折、『みちのく銀行』から『DINING OUT』を浅虫温泉で実施する話が持ち上がったのです。「最初に(ダイニングアウトの)話が来たのは2年前。当初は“やってみたいけど、お金はどうするの?”という段階でした。そこから毎月会議をして、みちのく銀行がサポートしてくれることとなり、実現に動き出しました」そう振り返る佐藤氏。「板前やサービススタッフが参加して、刺激を得られた。それだけでもやった価値は十分。浅虫の“食”のレベルがぐっと上がると思います」と『DINING OUT』の収穫を語ってくれました。戸嶋氏も「町が一丸となったことが、目に見えない最大の効果」と振り返ります。

地銀が音頭を取り、地域が動き、行政を巻き込んで町が再生する。これは今後、課題を抱える地方の創生におけるモデルケースとなるのかもしれません。

左から、『みちのく銀行』浅虫支店・工藤支店長、『辰巳館』の戸嶋常務、『ホテル秋田屋』の代表・佐藤氏。ホテル秋田屋のロビーに飾られた、青森を象徴するねぶたの前にて。

『ホテル秋田屋』は飲み処や土産店も備えた大型施設。しかしホテルで完結せず、町を周遊して欲しいと佐藤氏は願う。

風情ある佇まいの『辰巳館』。若い世代の客も少しずつ増えているという。

小野寺市長も『DINING OUT』の会場に二夜連続でゲストを迎え、青森の魅力を伝えた。

魚介とアートを五感で堪能した饗宴『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』スペシャルムービー公開。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

ダイニングアウト青森浅虫

DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』(2019年7月開催)の感動を、スペシャルムービーとフォトギャラリーでお届けします。

『DINING OUT』第16弾となる舞台は、初の東北地方・青森県青森市浅虫。強烈な個性を持った芸術家や作家が多数輩出されている芸術風土の色濃い土地にて、昔から今に至るまで青森に宿るアートの感性にフォーカスし、青森の地域性を読み解いてみたいという想いから導き出したテーマは、「Journey of Aomori Artistic Soul」。
4つの違った特性の海を擁する青森の魚介だけを使ったフルコースと、演出全体でひとつのアート作品として、五感全てでご堪能いただく究極のダイニングをぜひ体感してみてください。

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森とともに変化していく、小さな町の大きなお祭り。[飛生芸術祭/北海道白老町]

日暮れと共に点火されるキャンプファイヤー。森を敬い、森に感謝する祭りの幕開けだ。©︎Asako Yoshikawa

飛生芸術祭2019わずか10世帯ほどの集落が一年に一度、にぎわいに包まれる日。

北海道の小さなまちで開かれている芸術祭。限りなく自然に近く、限りなく自由なお祭りと言えるかもしれません。
 
飛生は北海道・白老町にある小さな集落です。新千歳空港から1時間ほどの距離に位置し、住民はわずか10世帯ほど。最寄り駅はないに等しく、国道から山深い道を車で20分ほど走ると辿り着く、ひっそりと静寂に包まれた場所です。

このまちに年に1度、全国から1000人以上の人が訪れ、歌や音楽、ダンスやアートイベントで盛り上がる日があります。それが「⾶⽣芸術祭」。スタートは2009年、2019年に11回目を迎えます。

「飛生橋(Bridge of Tobiu)」(永田まさゆき)。飛生芸術祭では、森そのものが作品の一部になる。©︎Asako Yoshikawa

「TOBIU CAMP」では、森の一昼夜のドラマが繰り広げられる。©︎Asako Yoshikawa

飛生芸術祭2019閉校を機にアーティストにバトンを渡された小学校。

飛生芸術祭の説明をする前に、ここがどのような場所なのかを紹介しましょう。芸術祭が行われる「飛生アートコミュニティー」は、約30年前に閉校になった飛生小学校の建物をそのまま利用した施設です。ここは現在、アーティストの共同アトリエとして活用されており、主に作品の制作や展覧会、イベント、プロジェクトなどが行われています。1986年に最後の卒業生4人が巣立つのを機に、地元から「アーティストの方々に活用してもらいたい」と札幌の彫刻家・國松明日香氏らに維持を委ねられ、その後校舎と教員住宅にメンバーが住んだり、週末に通うなどして創作活動を行ってました。現在は、明日香氏の息子である希根太氏が受け継ぎ、飛生アートコミュニティーの代表を務めています。

飛生に若いアーティストたちが訪れるようになる中で、2007年、初めてのイベントであるアイヌのトンコリ奏者OKIによる「TOBIU meets OKI」が開催されます。そうしたことがきっかけで地元の人々やアーティスト同士の交流も深まり、2009年から飛生アートコミュニティーの1年の成果の発表の場として「飛生芸術祭」がスタートしました。

飛生小学校は1949年創立。子供達は「鳴き声で鳥の種類が分かる」ほど自然に親しかったという。©︎AKITAHIDEKI

「木が育ち、管理しないと荒れてしまう。森づくりに終わりはないんです」と希根太氏。

飛生芸術祭2019黒い鳥が守る森を、再び子供達の笑顔あふれる場所に。

2011年には「飛生の森づくりプロジェクト」が始まります。実は飛生アートコミュニティーの裏には昔の学校林が広がっていましたが、閉校し人の手が入らなくなった後は、笹が伸び放題で荒れ果てた放置林となっていました。それをアーティストたちが再び子供達が自然に触れ合い、遊び、学び、集える森として再生しようと整備に取り掛かりました。まずは背丈ほどもある笹を刈って散策路を作り、2013年には高さ10mのトーテムポール「Tupiu TOWER」を立てました。

これは、「飛生」という地名の由来の説が二つあり、一つはアイヌ語で「ネマガリダケ(トップ)の多い(ウシ)所(イ)」、もう一つは「Tupiu」という黒い鳥の多い地であるという神話に基づくことからの着想です。アーティストたちはこの森を、Tupiuという黒い鳥が存在する「"森の住人"の暮らす世界」と想定し、人と自然が共生できる場所として一つずつ形作っていきました。森の住人の家「Tupiu HOUSE」や、森の住人のピザ窯「Tupiu OVEN」、菜園「Tupiu FARM」などを完成させ、2016年には森の主Tupiuを迎える「Tupiu NEST」も登場しました。

黒い鳥の栖が森に出現。「Tupiu HOUSE」(木木木人)©︎Kai Takihara

"根曲がり竹”を素材にした森のトンネル空間「Topusi」(石川大峰)は拡張し続ける。

飛生芸術祭2019飛生芸術祭の始まりの合図は、キャンプファイヤーで。

2011年、森づくりとともにスタートしたのが「TOBIU CAMP」。飛生芸術祭のオープニングとして2日間、一昼夜行われるキャンプイベントです。校舎や森のあちらこちらで音楽、アート、ダンス、演劇とさまざまなパフォーマンスが開催され、森のワークビレッジでは、アイヌ伝承楽器ムックリづくりといったワークショップが開かれます。またTOBIU CAMPの楽しみの1つはフードにあると言われるほど、道内から選りすぐりの手作り料理のブースが集います。広大な牧草地でキャンプをしながら、自分も森の住人になって、思うままに自然の中で過ごすことができる2日間です。

写フードを楽しみに来る人も多い。地元からも道内からも多彩な店が参加。©︎Asako Yoshikawa

飛生芸術祭2019今年も歌と踊りとアートで、森への敬意と感謝を示す。

10周年を迎えた昨年は北海道胆振東部地震の影響で中止になりましたが、その分、今年のTOBIU CAMP・飛生芸術祭はさらに盛大に開催されます。2016年から参加している奈良美智をはじめ、後藤正文+古川日出男、相川みつぐなど総勢90組が登場。白老町との連携企画も加わって、音楽、ダンス、パレード、朗読と音楽の劇、夜学、展覧会と様々な催しが繰り広げられます。

8年かけて整備してきた森そのものが一つの作品となり、舞台となり、交流の場となる飛生芸術祭。今年も小さなまちが、大きな感動と賑わいに包まれることでしょう。

期間:2019年9月7日(土)〜15日(日)
時間:10:00-16:00(9月7日、8日はTOBIU CAMPに準じる)
会場:飛生アートコミュニティー校舎と周囲の森<北海道白老郡白老町字竹浦520(旧飛生小学校)>
入場料:ドネーション制(期間中会場に募金箱を設置)、高校生以下無料
※9月7日、8日は、飛生芸術祭のオープニングイベントとして、キャンプイベント「TOBIU CAMP 2019 森と人との百物語」を開催。この期間は、別途「TOBIU CAMP」の入場チケットが必要になります。
写真提供:飛生アートコミュニティー

会期:2019年9月7日〜8日
時間:7日は開場12:00/8日は閉場14:00 ※時間は予定
入場料:一般前売 4500円(7月5日よりローソンチケット、Peatixで発売開始)、当日5500円、9月8日6:00以降の入場1500円
飛生芸術祭2019 URL:https://tobiu.com/

できることなら、野生に染まりたい。あるドライフラワーアーティストの生き方。[TSUGARU Le Bon Marché・Flower Atelier Eika/青森県弘前市]

「Flower Atelier Eika」を主宰する英花さん。森の中で花材を集める姿がまるで妖精のようで、つい見とれてしまう。

津軽ボンマルシェ・フラワーアトリエエイカ津軽生まれ、独特の「間」を持つドライフラワーアレンジメント。

初めて彼女の作品と対面したのは、『津軽ボンマルシェ』の視察で立ち寄った弘前市のショップ『bambooforest』。ナチュラルな雰囲気を持つ、小ぶりのドライフラワーのスワッグが印象的でした。次に対面したのは、同じく弘前市にある『パン屋といとい』の取材時。天井からダイナミックに吊るされたツル科の植物や看板に添えられた大ぶりのスワッグが、小さな店を数倍大きく見せていました。どの作品にも共通していたのは、さり気ない佇まいなのに強い主張を感じること。そしてぐるり360度、どこから見ても独特の「間」があり、その「間」が一筋縄ではいかない奥深さを感じさせることでした。

手がけたのは、『Flower Atelier Eika』の屋号で活動する弘前在住のドライフラワーアーティスト・英花さん。様々なイベントでアレンジメントを販売する他、市内の店の装花を担当するなど活躍の場を広げる、津軽の注目クリエイターのひとりです。実は活動を始めてまだ3年ほどという英花さん。それ以前は、「ドライフラワーとプリザーブドフラワーの違いも知らない主婦」だったと話します。

「長い間ずっと自分探しをしていて。でも花と出合ってから、最近はどんどん自由になっているのがわかるんです。自分の名前に『花』という字が入っているのも、ちょっと運命的でしょう(笑)? なんだか花に導かれている気がします」と英花さん。作品から感じ取った世界観と彼女の生き方に深いつながりがあるような気がして、まずは生い立ちから聞くことにしたのでした。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

『bambooforest』で販売中の「ゆらゆらスワッグ」(2800円~)。初めて作品の販売を始めたのもこの店という、英花さんにとってゆかりの深い場所だ。

林での植物採取に同行。即興で、周辺に生える植物からブーケを作る英花さん。野趣と繊細さが同居する美しい作品ができあがっていく。

蜘蛛の巣に黄色い葉が揺れているのを見て、「こういうのがたまらないんです」と笑顔を見せた英花さん。偶然生まれる自然の造形美を見逃さない。

津軽ボンマルシェ・フラワーアトリエエイカ「こじらせ系女子」が40歳になってたどりついたライフワーク。

「自分は相当のこじらせ系」だという英花さんは弘前市出身。超がつくほどの人見知りだった幼少期は、いつもひとりで虫を眺めたり、何でも分解したり、寝食を忘れて好きなことに熱中するタイプだったそうです。高校卒業後に進学した仙台の体育大学でついた異名は、某人気漫画の刀の名手から「五ェ門」に。曰く「また人を斬ってしまった、みたいな(笑)。コミュニケーションがすごく一方的で、みんなを傷つけてしまって。人付き合いが苦手な器の小さい人間でした」。

その後大学を卒業し、そのまま仙台で好きだったアパレル系の仕事に就職。さすがに人との会話に慣れたものの、自分が着たくない服でも売らなければいけないことに疲れ果て、「結局自分は好きな服が着たいだけなんだ」と気付いた英花さんは、故郷・弘前に帰ります。花との出合いは、結婚、出産を経て主婦をしていた頃。友人に誘われ何気なく参加したプリザーブドフラワーの講習会でした。

「それまで花に興味を持ったことはなかったのに、植物が持つ独特の陰影や形の魅力に気付いた途端、どうしようもなく惹かれてしまって。でもプリザーブドは色も形状も人工的な部分があって、それに違和感がありました。そこでドライならいいかもと、生花を自宅で乾燥させて自己流のドライフラワーを作り始めたんです」と英花さん。昔から好きになったらとことんハマる反面、何をやっても長続きしなかったという英花さんが、初めて情熱を持って取り組める花というライフワークに巡り合ったのは、40歳になってからでした。「うまく生きられなかった昔の私の人生を、今取り戻している感覚かも」。英花さんはそう言って笑います。

弘前市にオープンする『cafe36(カフェミチル)』の店内装花を担当。オーナーであるりんご農家『みかみファーム』代表・三上優作氏の畑で、花材を集める。

剪定したりんごの枝の山から、装花に使うものを選んでいく英花さん。枯れた葉、曲がった枝……木の歴史が滲む部分に積極的に手を伸ばす。

この日の装花のため、英花さんが持参した花材の数々。市場で購入し乾燥させた植物と、自分で採取してきた植物を織り交ぜ制作する。

津軽ボンマルシェ・フラワーアトリエエイカ朽ちたり、曲がったり。自然体の花の姿に自分を重ねて。

生け花の講座に出向いたり、フラワーアレンジメントの本を読んだりと、花の勉強を始めた英花さん。しかし「どれも合わない」と感じ、人に師事することも、流派に属することもせずに作品を作り始めます。「私には“型”や“順序”に沿って作るのが合わなくて。森に行って、1本の蜘蛛の糸から垂れ下がった葉っぱを見ると“自然のモビール”みたいと感じる。そういう光景がインスピレーションを与えてくれるんです。今は“自然が先生”でいいと思えるようになりました。何か最初に始める人はみんな独学だったはず、と自分に言い聞かせてやっています(笑)」と英花さん。

手つかずの自然の植物は、英花さんに多くの学びを与えてくれるそうです。例えば木に絡んだツル科の植物を見ると、他の何かに絡まないと生きていけない生態が見えてきます。「ただ花材としてツルを飾るのではなく、そういうツルの生き方を作品で表現したい」と英花さん。

当初、生花よりドライフラワーを扱うことを選んだのは、扱いやすく長持ちするという理由もあったという英花さんですが、今はそれ以上の意味を見出し、その意味こそが彼女の作品に大きな影響を与えています。「春いっせいに咲いた花が朽ちていく、その姿は人間の一生のようでたまらなく魅力的。枯れたり折れ曲がったりしている花にも、自分を重ねてしまうんです。だから花を乾燥させる時も、綺麗に整えて形を作るより、自然に近い姿になるように気を付けます。くたっとして枯れていく、それが命、それが人生だろ!って思いながら(笑)」と英花さんは語ります。

「ひとつ作品を作るのに、すごく時間がかかるんです」と英花さん。花材をひとつ加えては離れて眺め確認し、ゆっくり対話するように制作していく。

オーナーの三上夫妻とカフェの空間からインスピレーションを受け、作り出したアレンジメント。独特の存在感とダイナミズムが宿る。

カフェの窓際に揺れる繊細なスワッグも英花さんの作品。余白のある空間にたゆたう植物の「間」を表現したいと、アトリエ設立当初からスワッグを制作し続ける。

津軽ボンマルシェ・フラワーアトリエエイカ花と向き合う日々から、もっと外へ、次なるステージへと舵を切る。

作品作りを始めてから約3年。様々なイベントに呼ばれるなど人気クリエイターとなった今、英花さんは次の一歩を踏み出そうとしています。きっかけとなったのが、知人に誘われて参加した県外の小さなフェスティバルイベント。当初、会場装花はできればやってみるというスタンスでハサミと紐だけ持参した英花さんでしたが、実際現地に赴くと、会場周辺の植物がそのまま花材となることに感動したといいます。「今の世の中、花は店で買うのが普通。でもその時、身近にある植物でも十分人を癒すことができると思いました。プロの生産者が生み出す花の美しさはすばらしいけれど、野生が持つ美しさにも改めて気付かされて。今はその両方をもっと知りたくて、より外へ意識が向くようになってきました」と英花さん。

寒くなると葉が枯れ、木々のシルエットが浮かび上がる津軽の冬。自然に身を置くことで、故郷の冬の長さと美しさを実感したという英花さんは、今後、日本全国の春夏秋冬を感じながら会いたい人に会う、インプットの旅に出る予定だそうです。「期間も決めず、様々な自然の姿や人々の考え方に触れていきたい。色んなイベントに呼んでもらえるのはもちろんうれしいけれど、今はいっぱい売るための作品を作るより、自分の世界観を大切にしたくて。これからの活動がどうなるか、自分でも予想がつかないんです」と英花さんは話します。そんな英花さんがいつか津軽に戻ってくる時、私たちが目撃するのは、きっと何倍にもパワーアップした英花ワールド。花という伴侶を得た彼女の更なる成長が、驚きを与えてくれるはずです。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

以前からの友人でもある三上ファミリーと英花さん。津軽の同世代の仲間として、お互いの世界観をリスペクトし合う仲だ。

しばらく各地を旅しながら、引きだしを増やしたいと英花さん。様々な風土に触れることで、今後どう作品が変化していくのか楽しみだ。

Flower Atelier Eika(フラワーアトリエエイカ)
https://www.instagram.com/ei_hana/

確かな品質と技術に裏打ちされた、世界に誇る貝ボタン。[トモイ/奈良県磯城郡]

貝ボタンメーカー『トモイ』の代表取締役社長を務める伴井比呂志氏。

トモイ

奈良県北部、奈良盆地のほぼ中央に位置する磯城郡川西町。ここに、国内シェア約50%を誇る、日本有数の貝ボタンメーカー『トモイ』の工場があります。前編では、『トモイ』を率いる伴井比呂志氏に、貝ボタンの特徴や、同社のものづくりにおけるこだわりについてうかがいます。

1913年に創業し、貝ボタン作りを牽引する『トモイ』。

トモイ奈良の片隅で脈々と受け継がれてきた、美しき貝ボタン。

明治の終わり頃に貝ボタン作りの技術が伝わって以降、日本随一の生産地として発展してきた奈良県磯城郡川西町。ポリエステル製ボタンの台頭とともにその規模は縮小していったものの、現在も歴史をつなぎ、地道なものづくりを続けているメーカーがあります。それは、伴井氏が代表取締役社長を務める『トモイ』です。

貝ボタンとは、その名のとおり貝殻を原料として作られたボタンのこと。主に高瀬貝や黒蝶貝、白蝶貝など、南太平洋産の貝が使われます。深みを感じる光沢がなんとも上品で、触れればつるりと滑らか。適度に重厚感もある独特の質感は、ポリエステル製のそれとはひと味違う心地よさで、装いに程よいアクセントを加えてくれます。

天然素材ならではの自然な風合いが魅力の貝ボタン。

南洋の美しい海に育まれた貝殻が原料に。

トモイ良質な素材のみを厳選して扱う、正直なものづくり。

『トモイ』が創業時から一貫してこだわっているのが、原料となる貝殻の質。貝は生き物であり、当然ながら鮮度の善し悪しが、貝殻の質にも関わってきます。死んだ貝の殻はもろい上に、白っぽくぼけた色をしており、丈夫さにも見た目の美しさにも欠けるもの。そのため『トモイ』では、採取されるまで生きていた貝しか使いません。

また伴井氏曰く、「黒真珠の母貝である黒蝶貝はもうひとつ注意が必要」。近年、真珠養殖の技術が上がった結果、以前は1回真珠を抱いたら処分されていた黒蝶貝が、3~4回繰り返し用いられるようになっているといいます。真珠作りには喜ばしいことですが、何度も真珠を抱かされた貝は疲れ、ストレスを抱えてしまうのだとか。その結果、生きてはいるものの質の低下した貝が多く存在するようになっており、そこには十分な見極めが必要となっているのです。

更に、海外などで安価に作られる貝ボタンは、コストダウンのために貝殻のもろい皮の部分まで使うこともあるのだとか。すると、弱くて割れやすいボタンに仕上がってしまいます。また伴井氏は、「例えば黒蝶貝であれば、その特徴である美しい黒色をした部分は貝殻全体の6割のみ。本来であれば残りの4割にあたる白っぽい色味の部分は使うべきではありませんが、こちらもコストダウンのために混ぜて使っているメーカーも存在します」と話します。

対して『トモイ』は、生命力に溢れた強く美しい貝殻の、肉厚で丈夫な部分のみを選んで使用。黒蝶貝の場合ももちろん、きちんと黒い部分だけを採用しています。「貝殻は天然素材なので、手を抜こうと思えばいくらでも抜けるんです。でも、うちは絶対に手抜きやズルはしません」と伴井氏。多少手間やコストが削減できたとしても、粗悪品を提供してトラブルが起これば、そこで終わり。品質に徹底的にこだわることで、何にも代えがたい信用を得てきたことが、今日の『トモイ』につながっていることは間違いありません。

上質な貝であることを大前提に、質の良い部位を活用。

高瀬貝は渦巻に沿って螺旋状にくり抜かれ生地が作られる。

黒蝶貝のボタン生地。天然の色味が味わい深い。

トモイ随所に職人の手仕事が光る『トモイ』クオリティ。

上質な素材を上質なボタンに仕上げる高い技術力もまた、『トモイ』の魅力のひとつ。チップ状のボタン生地を厚さ別に選り分ける『ロールかけ』に始まり、仕上がりから逆算して生地の裏表を砥石(といし)で削り、最終的にちょうど美しい層が現れるよう厚みを調整する『すり場』、生地をボタンの形に彫る『型付け』、ボタン穴を開ける『窄孔(さっこう)』など、ある程度ボタンの形になるまで、いくつもの工程を踏みます。

それぞれ専用の機械を用いるものの、動かすのは人の手。各工程に担当者が付き、慣れた手つきで機械を操り、狂いなく均一に仕上げていく様には、熟練の技が垣間見られます。また、こうした機械のメンテナンスにも確かな勘が必要なのだとか。故に、職人たちの重要な仕事のひとつになっているといいます。

その後、ボタンの角に丸みをつけるには、『化車(がしゃ)』と呼ばれる木箱の中にボタン、水、磨き砂を入れ、3~4時間ひたすら回転させるのですが、この時間調整も勘が頼り。回しすぎると角が取れてデザインが損なわれるので、微妙なラインを手繰り寄せます。

更に続く艶出しの作業では、同様に『テッポウ』と呼ばれる木桶の中にボタンと熱湯を入れ、薬品を少しずつ点滴のように垂らしながら約1時間回転させます。ここでも、気温や水温、ボタンの大きさに合わせて微妙な調整が必要とされます。

そして最後は、貝ボタンの要である光沢を追求する、磨きの工程。八角形の木箱に、ボタンとロウを付着させた籾を入れ、約1時間回転させます。こちらも、ちょうど良いタイミングで動きを止めることで、抜群の手触りに仕上がるのです。

こうして完成した貝ボタンは、最終関門へ。ベテランスタッフによって検品作業が行われます。小さなボタン一つひとつを手に取り、1等品か2等品かに選別。「少しでも迷うものは2等品に仕分ける」という高いハードルで、厳しく選り分けられます。

『型付け』には各ボタンに合わせて専用の刃を作る。

繊細な素材の『型付け』は手動で。絶妙な力加減。

素早く丁寧な検品は、まさに熟練スタッフのなせる業。

トモイ豊富なコレクションに見る、貝ボタンの大いなる可能性。

厳選した素材と、熟練の技術で生み出される『トモイ』の貝ボタン。そのラインナップは、定番品だけでなんと6万種類ほどにも上ります。それぞれの貝ごとに、大きさ、厚さ、デザイン違いで何パターンも展開。バラエティの豊かさも『トモイ』の魅力なのです。

中でも最も種類が多いのは、高瀬貝のボタン。高瀬貝は比較的安く、安定供給されるために採用されやすく、全体の約半数を占めています。その色味を生かしたオフホワイトのボタンは、まさに貝ボタンといわれて多くの人がイメージするもの。永遠のスタンダードです。

他にも、グラデーションが美しい絶妙な黒さを生かした黒蝶貝のボタン、天然の柔らかな茶色い色味を生かした茶蝶貝のボタンなど、見本帳には多種多様な貝ボタンがずらり。その様はただただ圧巻のひと言です。

これらに加え、世界の有名ブランドからのオーダーも多数。ブランド名やロゴを彫刻した別注品は、ひときわ輝いて見えます。

白く輝く高瀬貝のボタンは、定番中の定番。

個性的な色味を生かし、バラエティに富んだ黒蝶貝のボタン。

ナチュラルな雰囲気が魅力的な茶蝶貝のボタン。

海外の一流ブランドの名が刻まれた別注品も。

最近はコーティングして色染めしたものも人気。

 ボタンのみならず、ピアスなどアクセサリーにも。

トモイ伝統を守りつつ、時代に合わせた工夫や挑戦も大切に。

シンプルなものから凝ったデザインのものまで、様々な貝ボタンを生産している『トモイ』。そこにはやはり、その時々のトレンドも関係してくるといいます。

「例えば、クールビズが流行り始めると、少し厚みのあるデザインの貝ボタンが好まれるように。それは、ネクタイを締めず、第一ボタンを開けた状態でシャツを着用する場合、厚みのあるボタンが程よい重さとなり、襟元が綺麗に開くからです」と伴井氏。

また最近では、黒蝶貝の白い部分をコーティングしてカラフルな色に染めたデザインや、塗装してレーザー彫刻を施すデザインの貝ボタンが流行。ヨーロッパ発祥の技法とのことで、『トモイ』でもいち早く取り入れています。

一方、ボタン生地をピアスなどのアクセサリーにアレンジしたことも。あくまで地域の伝統産業を盛り上げるイベントの一環として取り組んだに過ぎないそうですが、若い女性を中心に注目を集め、新たな出合いを創出しました。

次回の後編では、貝ボタンとともに発展してきた街の歴史と『トモイ』の歩み、更なる展望に迫ります。

1913年創業、奈良県磯城郡川西町に本社工場を構える貝ボタンメーカー『トモイ』の3代目。ビジネス系専門学校卒業後、単身イタリアへ留学。ボタン機器の世界的メーカー『ボネッティ』社で貝ボタンの製造工程を学んで帰国し、1994年より『トモイ』の代表取締役社長に就任。確かな品質と技術、高いデザイン性を誇る日本随一の貝ボタンメーカーとして、国内はもとより、海外の名ブランドからもオーダーが絶えない。

住所:〒636-0204 奈良県磯城郡川西町唐院201 MAP
電話:0745-44-0066
トモイ HP:https://www.shellbuttons-tomoi.jp/

人々に芽生えた小さな可能性が、きっと街を変えていく。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

「DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS」に関わった5人の対談が行われた。左から、レクサスグローバルブランディングマネージャー:岡澤陽子氏、一般社団法人 浅虫温泉観光協会会長:中村彰利氏、東洋文化研究家:アレックス・カー氏、『DINING OUT』総合プロデューサー大類知樹、『Discover Japan』編集長:高橋俊宏氏。

ダイニングアウト浅虫初の東北開催、陸奥湾の海の幸と青森が生んだアートをテーマにした16回目の『DINING OUT』を振り返る。

2019年7月初旬に開催された『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』。16回目にして初の東北開催は、本州最北端の青森県の浅虫温泉から。太平洋、日本海、津軽海峡、陸奥湾という4つの海の豊富な魚介に恵まれ、また数々の偉大な芸術家、文豪、アーティストを輩出した青森を舞台に、二夜限りのプレミアムな野外レストランは大成功のうちに幕を降ろしました。終了した翌日、5名の関係者が会し、今回のイベントを振り返りました。

大類:16回の『DINING OUT』の中で、 準備に2年間という膨大な時間をかけたのは初めてなのでとても感慨深いですね。2年前に浅虫での開催を打診された時のことはいまでもはっきりと覚えています。えっ、来年じゃなくて、再来年なの?と。浅虫の熱量やレベルを上げて行くには時間が必要。だが、ぜひやりたいから付き合って欲しいと頼まれました。その間、地元だけでも22回も会議をやっている。それだけ準備を重ねて、地元の人も徐々にレベルを上げていったから、今回は素晴らしいチームワークでできました。

中村:大類さんに「やります」と言った後も、本当にやれるのか?という不安がずっと付きまとっていました。レクサスに乗って『DINING OUT』に参加するようなゲストに浅虫は本当にふさわしい場所なのか、お客様に感動してもらえるのかと。それが、あの『DINING OUT』の光景を見た瞬間に、思わず「浅虫じゃないみたい」と言ってしまった。自分たちが気づかない浅虫のよさを掘り起こしていただいたことへの感謝でいっぱいです。今回の会場となった護国寺は、地元でもあまり馴染みのない場所で、私自身もほとんど行ったことがない。それが、あんなに素晴らしい場所だったとは。

大類:期待通りです!何十回と場所探しをして、とにかく浅虫でやるなら、湯の島との関係性を外すことは考えられませんでした。棟方志功のあのポスターの原画のアングルをどうしてもイメージさせたくて、それなら護国寺しかないと。

アレックス:目黒シェフの料理もよかった。彼の料理は静かな料理。子守歌のような魅力がある。

高橋:18品もあることを感じさせないフルコースでした。重くもなく食べ切れた。メインのイシナギが出て来てから、グッと盛り上がりましたね。

中村:陸奥湾に焦点を当てたのは新鮮でした。魚の豊富さは地元の人にとっては特別ではありません。それにお客様が感動してくれることが意外でした。

岡澤:海もそうですが、この季節の青森はものすごく緑が濃く、匂いも濃い。この地に降り立って、初めて感じる匂いや色の濃さが印象的。今回のテーマ「アート」の背景のひとつに、厳しい冬を越えてきたからこその色彩の華やかさ、山や海の表情の豊かさ、土地の力強さがある。

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メイン会場の護国寺の境内から、陸奥湾上空に上がった大輪の花火を見る。木々を「手入れ」して素晴らしいビューを実現した。

棟方志功の貴重な作品「浅虫観光ポスター原画」と同じ景色をお客様に見せたかったと大類氏。

魚介フレンチのスペシャリスト目黒シェフが考えた、16品の魚介フルコースが滞りなく提供できたのは、地元スタッフのチームワークの賜物。

緑の濃い季節に開催された浅虫温泉での『DINING OUT』。レクサスは、今回も送迎を担当し、ゲストに青森の自然を五感で体験してもらえるようにサポートした。

ダイニングアウト浅虫青森にはアートを生む、DNAが秘められている。

大類:『DINING OUT』はテーマ設定が命みたいなところがあって、浅虫のテーマをどう着地させるのかに相当悩みました。ところが青森全体に幅を広げて考えた時に、この土地はとてつもない才能を輩出していることに気がつきました。太宰治、寺山修司や棟方志功はもちろん、写真家の澤田教一、小説家・評論家の長部日出雄、ウルトラマンをデザインしたことで有名な成田亨、ナンシー関や矢野顕子。それもかなり強烈な個性の人たちがこんなにたくさん。そうなってくると青森の土地にそのDNAがあるとしか考えられない。冬は雪が深くて、寒くて暗い。それが夏になった瞬間にドッとエネルギーが溢れ出す。それこそが青森らしさ。これだけのアーティストを排出していることを、まずは美術館で見てもらう。そしてディナー会場に行くと、貴重な棟方志功の本物の原画が展示してあるというサプライズが待っている。だからこそ美術館から始めようと。

高橋:青森でアートと、普通に考えると意外かもしれないが、三内丸山遺跡もそうですし、「ねぶた」や「津軽凧」など、今回体験して、青森とアートというテーマがピタッとはまりました。

岡澤:青森県立美術館は、時代や作風ではなく、〝人のつながり〞をテーマにして展示しているところが独特で、楽しめました。そしてアートの世界からディナー会場へ移動して、料理は本当にアートなのだと感じました。18品が完成するまで時間さえも作品だと。レクサスは会場と会場をつなぐ 役割を担っているので、それぞれの場所での感動を壊すことなく、ラグジュアリーな余韻が最後までつながるといいなと思っていました。レセプション会場からディナー会場に向かう途中、トンネルを抜けてなだらかな坂を下りると、急に視界が切り替わって陸奥湾と湯の島の夕陽が目に飛び込んで来た。その瞬間は最高に贅沢な時間をつくれたと思います。

大類:最初の頃のダイニングアウトはバス移動でしたが、バスとレクサスでは降りた瞬間のゲストの顔が全然違う。バスの中では、どうしても〝パブリック〞の顔をしなければならないが、レクサスだと快適な空間で〝プライベート〞のままでいられます。

岡澤:プライベートな空間が少しでもあると、ホッとできます。リラックスして移動を楽しめるのは車ならではかもしれませんね。

青森を代表するアートのひとつだと高橋氏が指摘した三内丸山遺跡。受け継がれるアートのDNAの原点かもしれないと大類氏も指摘した。

レセプションの会場となったのは、青森県立美術館。青森出身のアーティストの作品がまるでそれぞれの個展のように分けられたスペースを、今回のために考えられた特別なコースで回った。

レセプション会場からの移動時間も『DINING OUT』の一部。丁度、夕暮れの時間にディナー会場に着くように、時間までも設計した。

ダイニングアウト浅虫「手入れ」をすることで、魅力ある「場」を得られた。

大類:これまでは、できるだけ既にあるものを、見立てを変えて見せてきました。それが今回は、初めて会場に手を入れました。場所をつくるために、人工的に手を入れることにかなり抵抗がありましたが、実際、あの環境をつくったことで、いままで地元の人も足を踏み入れなかった場所に、みんなが注目した。手を加えたのではなく、「手入れ」をしたと考えると、こういうのもありなのかと。箱物をつくるのとは違う、あるものにきちんと手入れをすることで、付加価値を付ける。景観を整えるのは躊躇しましたが、いまでは、手入れしてよかったと感じています。

アレックス:「手入れ」という考え方はとてもいいですね。

高橋:いやすごくよかった。開墾というのもいい。いままでは、もともとある場所、名所、旧跡等をうまく見立てていました。それが、景観を整えて、新しい観光名所をつくるなんて、巨匠黒明監督か、大類さんかというくらいですよ。(笑)

中村:このような機会がなければ、あんな素晴らしい場所をつくることはできませんでした。協力した地元の人たちも、会場をつくり上げたことは誇りにしていると思います。せっかくあれだけ素晴らしい場所ができたのだから、それを活用していくのは、自分たちの役目。湯の島には、弁天様を祀っていて、大切にしてきた歴史かがあります。掘り起こせば色々なストーリーを見つけられると思いますし、土地の食材を使ってまたあのような料理を提供できる機会をもちたいと思っています。今回参加させてもらったスタッフの顔つきも本当に変わった。自信が付いて、なんだかカッコよくなった。彼らが活躍できる場をまたつくりたいと思います。

高橋:ロケーション、料理、サービスがどう変わっていくのか…。個人的な趣味ですが、青森は雪質がいい。パウダージャンキーが東北に集まってきているし、八甲田のブナ林を滑るのはとても気持ちがいいですよ。スキーして降りてきて、浅虫にきてお寿司屋さんで海の幸を食べるなんて楽しい。これからもまた体感しに来たいです。

岡澤:青森は萱野高原や陸奥湾など、雄大な自然を有しています。是非たくさんの方に訪れていただき、ドライブも楽しんでほしいですね。

アレックス:大きな刺激を受けた浅虫が、よい方向に変わり始めています。自分たちは去ってしまいますが、地元の人たちが協力して変えていってくれることを期待しています。

大類 終わってしまった寂しさとともに、この場所を託していく喜びがある。今回、手入れをしたところがどう変わって行くのか気になって、また浅虫に来てしまうと思います。

会場探しを重ねた上でようやく見つけた護国寺の境内は、木が鬱蒼と生えた丘だった。住職や地元の人たちで何度も話し合い、その場所を「手入れ」することに決定。

地元の有志の協力のもと、景観を整えたディナー会場を、今後、浅虫の新たな観光の拠点として活用していく。

『DINING OUT』本番に合わせて発足した「あじさい募金」で、護国寺の周りにアジサイの花を増やし、地元の人たちでイベントを行うことなどを検討中。

ダイニングアウト浅虫浅虫の課題と歩ける街づくりの提案

アレックス:少し厳しい話になりますが、浅虫温泉を散策してみて、ここは“歩けない街”だと感じました。多くの温泉街には、“街歩き”という楽しみがあります。例えば、町おこしの成功例である城崎温泉も街を歩く楽しさを提供しています。浅虫の場合、まず海岸に幹線道路を通したことで、海と温泉が遮断されてしまった。このことは致命的なダメージだと思います。

大類:なるほど、そういう見方もできますね。

アレックス:あの道路を通る車のほとんどは、浅虫に直接関係のない貨物車ばかり。車を迂回させて山道を通ってもらうとか、大胆なことをやらないかぎりなかなか街は変えられない。道路を閉鎖して、木を植えて、ライトアップして、プロムナードができるようにして、人々が街を楽しめるようにするとか。例えばヨーロッパでは、街の中心街から車を完全にシャットアウトするという動きがあります。サンフランシスコも街と海を遮断していた高速道路を撤去しました。最近ブロードウェイの中心部もクルマを入れないようにしていますね。

高橋:道路は石畳にするといいとも言いますよね。スピードも出せないですし。

アレックス:浅虫の象徴ともいえる湯の島も、もったいないと思いますね。ここ海扇閣は、屋上に上がれば海を眺めることができるけれど、街の多くの旅館からは、海が見えないから、陸奥湾も湯の島も存在感がなくなってしまう。

大類:確かに浴衣を着て海を見に行きたいと思っても、道路を渡ろうとすると車通りが多い。道路で温泉と海が遮断されている感じもします。お客さんのニーズと合っていないのは確かかもしれません。

アレックス:歩けない街だから街が発展しない。人が歩けるようになると店に入るようになるから、レストランや土産物屋など楽しめる店が増える。そうすれば、自然と商店街が生まれ変わります。宿以外の街の楽しみ方をどう築き上げるかが大切ですね。

岡澤:車で移動するのと歩くのでは楽しむスピードが違う。歩くからこそ見えてくる街の景色、楽しみってすごくありますよね。

アレックス:世界的な傾向としては、アクセスの不便さをよしとしている。世界一予約が取れないレストランと言われた「エル・ブジ」もかなり不便なところにありましたし、今話題のフェロー諸島のレストラン「コクス」も、島に渡るだけでも大変なのに、島の奥地のさらに不便なところに移転しましたから。

大類:最近、海外のトップレベルのレストランはそういう方向にシフトしてますね。

アレックス:「秘密感」、「スペシャル感」、どこかへ旅したという満足感。それがあれば、不便でもお客さんは集まります。

高橋:浅虫は、名前にもインパクトがありますし、地形的にも恵まれています。海があって、島があって、美しい自然があって、そして温泉もある。アドバンテージはあるはず。どう楽しむのかを提案できて、外に向けて情報発信できると変われると思います。

アレックス:ナポリでは昔からの伝統で、夕方になると湾岸沿いの道路から車をシャットアウトして、夕焼けを楽しめるようにしている。人が歩けるから、屋台も出たりして、毎日がお祭り気分ですね。浅虫の景色は、ナポリの美しい風景に似ています。日本のナポリといってブランディングしてもいいくらいですよ。

大類:確かに浅虫再生の提案のひとつとして面白いですね。『DINING OUT』を経て、この町がどう変わっていくのか、もちろんサポートできる事はしていきますが、ここからは地元の方々のやる気がとにかく大事。あのディナーの時のチームワークがあれば、必ず素敵な町づくりができるはずです。

東京と青森を繋ぐ国道4号線は、高度成長の象徴だったが、結果的に、浅虫温泉の旅館と海を分断してしまった。

唯一と言ってもよい町歩きスポット「足湯」も、周囲に土産物屋や飲食店がないとなかなか回遊してもらえない。

アレックス氏は、「歩ける街」を実現した海外の事例も交えて、浅虫再生の提案をした。

1999年、トヨタ自動車入社。調査部にて自動車市場分析、将来予測シナリオ策定を担当。2014年より現職。レクサスのグローバルブランド戦略や、デザイン関連などの体験型マーケティング施策にかかわる。

2008年に日本の魅力の再発見をテーマにした雑誌『Discover Japan』を創刊、編集長を務める。2018年11月に株式会社ディスカバー・ジャパンを設立し、雑誌を軸に、イベントなどのプロデュース、デジタル事業や海外展開など積極的に取り組んでいる。

1952 年生まれ。東洋文化研究家。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

㈱南部屋旅館 代表取締役社長。浅虫温泉の山・海・温泉を活かしたイベントなどを通して、その魅力を国内外に発信する「浅虫温泉MOSPAプロジェクト」を創設。浅虫の活性化に取り組んでいる。

1993年博報堂入社。2012年に新事業としてダイニングアウトをスタート。16年4月に設立された、地域の価値創造を実現する会社『ONESTORY』の代表取締役社長。

全棟がプライベートな特等席。人と自然とが呼応するビーチフロントヴィラ。[伝泊 The Beachfront MIJORA/鹿児島県奄美市]

奄美の海をプライベート・ビーチ感覚でひとりじめ。自由気ままに過ごせる癒しのひとときを。

伝泊ザビーチフロントミジョラ奄美の伝統建築に敬意を表した、モダンかつ極上のリゾート。

いつの季節も人々を惹きつけてやまない、コバルトブルーの海に囲まれた南国の島々。中でも独自の島文化がより色濃く残り、地域や集落ごとの個性も際立っている奄美大島は、旅好きの人々を強い魅力で誘ってくれます。
そんな奄美大島に、自由なスタイルで滞在できるハイエンド向けのビーチフロントヴィラ群が誕生しました。それは『伝泊 The Beachfront MIJORA』。

その名のとおり、全13棟の客室全てが海に面して建てられており、一歩踏み出せばそこはもうビーチ!
大人の休日にふさわしい贅沢なロケーションで、あなたを日本離れしたリゾートに浸らせてくれます。

奄美の伝統が漂うしつらえの中で、空・海・大地との一体感を味わう。

伝泊ザビーチフロントミジョラ奄美の自然と文化を肌で感じられるヴィラ。

『伝泊』とは、「“伝統的な建築と集落と文化”を次の時代に伝えるために、古民家を再生して作られた宿泊施設」の総称です。
その仕掛け人は、国内外で高く評価されている建築家の山下保博氏。奄美大島出身の山下氏は、住宅やリゾートホテル等の豊富な設計経験を生かし、ゲストのニーズを取り入れながら、より心地よく、上質な空間へと『伝泊』を進化させ続けています。
 
この『伝泊 The Beachfront MIJORA』は、その集大成ともいえるもの。奄美大島を中心に加計呂麻島(かけろまじま)や徳之島に展開している『伝泊』の建物群の中で、初めて一から造られた建物となりました。
 
それでいて、随所に奄美の伝統を感じさせるしつらえが満載。特に屋根は、奄美の「高倉(たかくら/伝統的な穀物倉庫)」の中にいるような心地よさと懐かしさを感じさせる構造となっており、奄美の貝殻をモチーフとしたデザインも、窓のすぐ外から聞こえる潮騒の音とあいまって、胎内回帰のような落ち着きを感じさせてくれます。
 
更に、建物が周囲の景観を損なわないように、全棟を低めの平屋としています。そのため目の前の海にも、背後の森にも、自然に溶け込んで一体化しています。

ビーチに張り出した開放的なデッキが、極上のリラックスを感じさせる場に。

デッキ上にはハンモックやラタンのハンギングチェア等が設置されており、寄せては返す波の音に浸りながら空と海との一体感を味わえる。

オーシャンビューを堪能できる全面1枚ガラスの窓と、禅の空気を醸すコンクリートの内装とのコントラストが秀逸。

伝泊ザビーチフロントミジョラ伝統に包まれながら、最新の快適性に遊ぶ。

全13棟のリゾートヴィラは、定員各2名のゆとりある空間となっています。更にベッドのサイズやキッチンの有無等で全5タイプに分類され、好みの滞在スタイルによって、最適な空間を選ぶことができます。
 
それらを演出する調度は、沖縄伊平屋島(いへやじま)の民具をモダンにアレンジした『種水土花』のかご製品や、新潟県燕三条市の『玉川堂』の銅製品、『中川政七商店』の布製品など、全国各地の逸品を厳選。更に『バルミューダ』の家庭用電気製品や『エレクトロラックス』のIHヒーター、『イソップ』のボディケア製品など、最新の家庭用電気製品やアメニティを配置して快適性を高めています。

余分な装飾を削ぎ落としたコンクリートの内装と、控えめな存在感を放つ手仕事の品々が、奄美の自然や景観とゆるやかにマッチする。

ランドスケープとの一体感を味わわせてくれる造りは、どんな天気でも「奄美」を満喫させてくれる。

デッキから直接泳ぎに出ることもでき、ビーチフロントのホテルが意外と少ない奄美の中で、極上のビーチフロント・リゾートとなっている。 

伝泊 ザビーチフロントミジョラ至れり尽くせりのサポートで、波に身をまかせるような滞在を。

このように、「余分なもの」を排してありのままの奄美を感じられる『伝泊 The Beachfront MIJORA』。ですが、その分サポートは行き届いています。チェックインは車で約5分の別棟『伝泊ホテル』にて行い、コンシェルジュとともに宿泊棟へと移動。その後は自由気ままに過ごせますが、『伝泊ホテル』にはレストラン・物販・ライブラリーなどが完備されており、ディナー(送迎あり)や、その他のサポートを随時受けることができます。
 
『伝泊ホテル』のレストランは、開放的な広場に設けられたオープンスペース。そこで奄美の島料理をアレンジしたコースディナーをゆったりと味わえます。朝食もやはりこちらで供されて、新鮮な島野菜や魚介類たっぷりのメニューは「奄美の自然を食べているみたい!」と大好評です。
ディナーはバーベキューでの提供も行っており、宿泊棟の目の前のビーチで食べることができます。こちらはケータリング形式で後片付けまで行ってくれるので、手ぶらでアウトドア気分が味わえます。

刻々と表情を変える景色で視界を満たせる。

伝泊ザビーチフロントミジョラ奄美の「人」ともディープに触れ合える!

こうした「滞在」を満喫するのはもちろん、奄美ならではの文化や習俗も体感できます。奄美に根ざした『伝泊』ならではのネットワークで、地元の人しか知らないお祭りに参加したり、伝統工芸の泥染めや藍染めを楽しんだり、機織り・踊り・歌・島料理・菓子作りなどを体験できるのです。
 
これらのディープな体験は、コンシェルジュがご案内。今後は9月に催される奄美伝統の祭事『八月踊り』など、奄美の「シマッチュ」と触れ合うことや、彼らが暮らす集落の素の姿を垣間見ることができます。
 
更に2019年の秋以降には、敷地内に交流広場を設ける計画も。ゲストと奄美の「シマッチュ」の両方が集える場を作ります。例えば三味線や焼酎を手に夕涼みに訪れた「シマッチュ」と、気さくな会話や晩酌で盛り上がれるかも? より深く奄美の姿に触れられる、またとない場となりそうです。

奄美の人々の暮らしに溶け込める「体験プログラム」も見逃せない。

伝泊ザビーチフロントミジョラ日々是好日。一期一会の「奄美」を楽しむ。

『伝泊 The Beachfront MIJORA』の自慢は、なんといってもその素晴らしいロケーション。それを最大限に引き立てるシンプルかつ贅沢なしつらえによって、雨の日でも風の日でも、ここにしかない「奄美」を感じることができます。
 
「奄美の手つかずの自然を感じられた」「まるで天国に来たような気分!」「こんな家を建ててみたい」といったゲストの感想が表すように、晴れでも雨でも、夏でも冬でも特別な体験が待っています。
 
奄美の悠久の歴史と風景が、ゲストを深い懐に包み込むひと時――「残念ながら滞在中ずっと雨でした」と言うゲストも、「ずっと室内にいましたが、雨の音や香りなどの風情が非常に心地よく、奄美の自然とひとつになれた気がしました」という声を寄せてくれたそうです。
 
まるで人の心を写し取るかのような雄大な大海原と対峙して、新たなスタイルの「リゾート」に浸ってみてはいかがでしょうか?

気ままに寛ぎ、泳ぎ、休み、眠る休日。心がどこまでもほどかれていく。 

光と陰の鮮やかなコントラストが、全ての存在を浮き上がらせていく。

旅に物語を求める人々のために、様々な「出会い」を提供。 

住所:
Villa #1 – 7 鹿児島県奄美市笠利町外金久861-4
Villa #8 – 13 鹿児島県奄美市笠利町外金久988-1 MAP
電話:0997-63-1910(「伝泊ホテル」フロント)
営業時間:
チェックイン 14:00~19:00
チェックアウト 8:00~11:00
料金:38,000円~(2名様、朝食付、税込)
伝泊 The Beachfront MIJORA HP:http://www.den-paku.com/beachfront
写真提供:奄美イノベーション株式会社

今日も不思議と人が集まる、ヒゲもじゃ店主の小さなよろず屋。[TSUGARU Le Bon Marché・バンブーフォレスト/青森県弘前市]

小さいながらも個性的な外観が目を引く『bambooforest(バンブーフォレスト)』。店がある弘前市代官町は、こじゃれた雑貨店が点在するエリア。 

津軽ボンマルシェ・バンブーフォレストキッズからお年寄りまで、全世代がお得意様の「雑多屋」。

JR弘前駅から歩いて10分ほどの場所、絶えず車が行き交う通り沿いにありながらひっそりと出しゃばらず、それでいて不思議と存在感を放つショップがあります。「竹森」さんが営むから『bambooforest(バンブーフォレスト)』……そんなわかりやすい店名に反し、どんなジャンルにもカテゴライズしづらいのがこの店の特徴。

例えば、以前『ONESTORY』でも紹介した『木村木品製作所』が手がけるりんごや桜の木工品の横には、マニアックなストリート系ファッションブランドのTシャツやキャップ、トートバッグが。津軽の若手作家の草木染めのアクセサリーや、ドライフラワーアーティストの作品が並んでいるかと思えば、ドイツやタイから輸入された安全素材のキッズ用おもちゃも。棚には全国津々浦々からセレクトされた無添加の食品がずらりと揃い、地元の農家が作る旬の無農薬栽培の野菜が納品されてくるといった塩梅です。

地元の子連れママ、こじゃれた若者、中年男性、青森土産を買いに来た他県からの観光客……客層も、それはもう様々。「ちょくちょく酒のつまみを買いに来る飲兵衛のおばあちゃんもいますよ」と笑顔で話すのは、豊かなヒゲがトレードマークの店主・竹森 幹(かん)氏です。自身の店を雑貨屋ならぬ「雑多屋」と表現する竹森氏。言い得て妙ですが、こうした業態の店は津軽においてかなり少数派。それでも人が絶えないのは、竹森氏のセレクトが魅力的だからに他なりません。

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外観からは何屋かわからないが、センスの良さが伝わってくる。勇気を出して扉を開ければ、気になるものが必ず見つかる場所だ。

竹森氏の先輩が営んでいた洋服店の跡地を居抜きで借り受けた大切な場所。小さなスペースに、様々な商品がぎっしりと詰まる。 

本や雑誌、音楽CD、更には植物の種まで並ぶコーナー。ジャンルは異なるが、どれも一貫したテーマやポリシーが感じられるものばかり。

津軽ボンマルシェ・バンブーフォレストキャンプ場が近く、温泉は銭湯感覚。津軽の環境がUターンの決め手に。

竹森氏は弘前市出身。21歳で上京、ずっと好きだったアパレル業界を目指して高円寺の古着屋に入り、店長も務めます。その後、独立を念頭に企業の法人部へ転職、3年ほど働きネットショップを立ち上げた頃に起こったのが、東日本大震災でした。小さな子供を抱えながら、安全な水や食料の確保に不安と疑問を感じる日々。竹森氏は、故郷・津軽へ帰ることを決意します。

「まだ子供が生まれる前、奥さんを連れて1週間帰省したことがあって。その時、津軽の色んなことが再発見できたんです。岩木山ってこんなに格好良いんだとか、キャンプ場にもすぐ行けるじゃんとか(笑)。アウトドアが好きなので当時は何時間もかけてキャンプしに行っていたけれど、片やこっちでは温泉も銭湯感覚(笑)。帰ってきたきっかけは震災でしたが、やっぱり津軽の環境に惹かれたのもありますね」と竹森氏。

最初はインターネットをメインに、その後商業施設のチャレンジショップとして店舗を構え営業。当初はアート感覚で楽しめる海外製のおもちゃを個人輸入し販売していましたが、今の物件に出会い2014年に移転、路面店として新たなスタートを切ります。商品ラインナップが増えだしたのは、その頃から。子供が舐めたり噛んだりしても安全な木のおもちゃや、出所がはっきりわかる原材料で作られた食料品……「そもそも、そういうものを置いている店がこっちは少なくて。まずは自分が使っている、信頼の置けるものから始めようと思いました」と竹森氏。

初期から取り扱うタイの『プラントイ』社のおもちゃ。廃材となる無農薬栽培のゴムの木を再利用し、環境と安全性に配慮した商品を作る世界的メーカーだ。 

路面店を構えてからの5年間で一番充実したのが食料品。都内の自然食品店でもあまり見ない、東北の小さなメーカーのものなども見つかる。

県内の若手農家『わらふぁーむ』が生産する無農薬栽培の米は、玄米の状態で量り売り。購入客には、持ち帰り袋の持参が浸透しているという。

津軽ボンマルシェ・バンブーフォレスト「無添加」という言葉は後づけ。美味しさの共感こそが人を呼ぶ。

現在の『bambooforest』で最も売り場面積が広いのが食料品。知る人ぞ知るメーカーの調味料から、都内でも置いている店が少ないレアなスパイスやお茶、気軽につまめるおやつやレトルト食品まで、独自の品揃えを誇ります。そして目移りしながら気付くのは、その多くが無添加のいわゆる「自然食品」だということ。でも「ことさら“自然派”を謳うことはしないんです」と竹森氏。そこには、ちゃんと日常の食卓に喜びを与えてくれる、美味しいものだけをお勧めしたいという自負が覗きます。

「自然食品と呼ばれるものの中には、身体には優しいけれど正直味がいまひとつな商品があるのも確か。せっかく興味を持っても最初の入口がそれでは、自然食品自体がだめになってしまう人もいますよね。うちでは商品を家族全員で試しますし、毎日使っているものもたくさんある。実は自分、店をやっているのに、言葉で伝えるのが苦手なんですよ(笑)。でも自分が美味しいことを知っているからこそお客さんとも話せる。“自然派”“無添加”は後づけでいいんです」と語る竹森氏。

店で観察していると、買い物帰りの主婦や散歩途中の男性など様々な人が次々と来店し、竹森氏とお喋りしながら商品を購入。しかも、なんだか皆さんとても楽しそうです。「売るなら自分でも作らないと」と5年前から畑も始めたという竹森氏。そんな真摯な姿勢が、確実にリピーターを増やしている様子です。

弘前市『前田りんご園』から無農薬栽培の野菜が到着。「価値をわかってくれる店に卸したい」と話す代表の前田祥吾氏は、互いの考え方に共感し合う同世代の仲間だ。

『前田りんご園』の朝採れの夏野菜たち。前田氏曰く「みんながやらない品種も積極的に作っていきたい」。手前は香りの強い津軽の在来種「岩木在来にんにく」。

近所の居酒屋『南国食堂shan2(シャンシャン)』オリジナルの調味料シリーズも人気の商品だ。店は竹森氏の行きつけで、「何を食べても旨い!」と絶賛。 

津軽ボンマルシェ・バンブーフォレスト楽しさの連鎖反応で人々をつなぐ、津軽のハブを目指して。

この場所で営業を始めて5年。『bambooforest』は単にモノを売るだけにとどまらない、違う側面を持つ場所となりました。キャンドル作家の『YOAKEnoAKARI』、ドライフラワーアーティストの『Flower Atelier Eika』、ニット作家の『Snow hand made』など、現在津軽エリアで活躍するクリエイターたちの作品をいち早く扱い、紹介する役割を担ってきたのです。「扱ううちに有名になる作家さんもいる。それを見据え、若手の作家さんには、商品について感じたことを良いことも悪いこともはっきりといいます。店の売り上げを上げるためでもあるし、彼らの収入や知名度を上げるためでもある。だからこそ互いの信頼関係が築けるのだと思っています」と話す竹森氏。

「ほら、うちの店ってめちゃくちゃフライヤーを置いているんですよ」と竹森氏が指さす所には、ライヴやイベント案内、店紹介などがずらり。「この店に来るといい情報があるねっていわれたくて(笑)。若手の作家さんを紹介するのもそうですが、人と人をつなぎたいんです。みんなが楽しそうなのを見ると、自分も楽しいから」。そう言いながら笑う竹森氏の今後の展望は、なんと「角打ち」。そのために酒類販売免許を取る準備をしているのだとか。竹森氏曰く「昼から飲めたら最高じゃないですか? 弘前にはそういう店がないんですよ(笑)」。

「自分が出会った人とモノから影響を受け、変化してきたのが『bambooforest』。自分ひとりでは商品も作品も作れないけれど、脳内で考えていることを表現できているのがこの場所だと思います」と竹森氏。「変化」という単語はそのまま「進化」に置き換えてもいいでしょう。ヒゲもじゃ店主の脳内には、まだまだ楽しい目論見がいっぱい詰まっているようです。その進化が止まることは当分なさそうです。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

弘前市で活動するキャンドル作家『YOAKEnoAKARI』の作品には、本物の津軽のりんごやラベンダーが閉じ込められている。

プライベートでは親ばかを自認、家族で外遊びするのが好きという竹森氏。音楽やカルチャーにも詳しく、本人の自己評価に反し話し上手だ。竹森氏に会いに訪れる客も多い。

住所:青森県弘前市代官町20-1 MAP
電話:0172-35-4520
定休日:毎週火曜日 第2・第4月曜日  
バンブーフォレスト HP:http://www.bambooforest.jp/

紫舟が体験する「食べるシャンパン。」クリエイターの感性が共鳴し、実現した「タブー」への挑戦。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・La Cime/大阪府大阪市中央区瓦町]

やや緊張した面持ちの『ラシーム』オーナーシェフ高田裕介氏(左)と、終始リラックスムードの書家でありアーティストの紫舟さん(右)。

ラシーム×紫舟上質なマリアージュを糸口に、料理とワインが華開く感動。

上質なマリアージュを糸口に、料理とワインが華開く感動。

偉大なるシャンパーニュハウスの中でも、世界を代表する一大シャンパーニュ・メゾン『テタンジェ』。その名をかかげるように、テタンジェ家がオーナーとして経営を受け継ぎ、揺るぎない精神と確固たるスタイルを今に継承しています。「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」は、テタンジェ社が誇るトップキュヴェ。シャンパーニュ地方で最良の土壌を含む288haもの自社畑を所有し、自然環境に配慮した最先端の減農薬栽培「リュットレゾネ」を採用。テロワールを最大限に尊重したシャルドネ種100%で、繊細かつフレッシュなアロマ、スムースな口当たり、グレープフルーツやスパイスのニュアンスを感じさせ、多くの人々を魅了します。

シャンパン単体のポテンシャルはもちろんのこと、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」は、料理に合わせることで更に魅力を増す、いわば「食べるシャンパン。」ガストロノミーの可能性をも広げる味わいを、いかにしてクリエイションに生かすのでしょうか。プレステージ・シャンパーニュと相思相愛のペアリングを実現したのは、大阪府・瓦町『ラシーム』のオーナーシェフ・高田裕介氏です。
「稽古照今(けいこしょうこん)」の精神でフレンチをベースに古典を深める一方で、現在進行形の技術を追いながらひらめきを皿上に表現する——―。そんな高田氏が導き出す料理をテイスティングするのは、書家でありアーティストの紫舟さん。上質なマリアージュを糸口に、料理とワインが組み合わさることで生まれる感動と可能性をクリエイターの視点から語ってもらいました。

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「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン2007」。夏のカブを主題に、アルカリ性のりんごのジュースで食欲を減退させる紫に挑戦。

清々しい香りをもたらすライムのピールをあしらって。息をのむほど緻密な工程。

青い星型の花が印象的なボリジを周囲に、白く小さな花を咲かせるコリアンダーの花を中央に据え、芸術的な仕上がりに。

2種類の花を組み合わせ、まるで一輪の花のよう。紫舟さんの名前にもある「紫」色のりんごジュースを注いで。

当初は精進料理を予定していた高田氏。当日は更に一歩踏み込んで、野菜を主役にしたひと皿を完成させた。

ラシーム×紫舟それはタブーか!? 書家・紫舟にシェフ・高田が供する料理は、その名のとおり、紫のひと皿。

フレンチとイタリアンの双方で研鑽を積み、渡仏経験によって確かなベースを築き上げた高田氏。「古典」と「先端」を捉えながら、ひらめいた料理を新旧のテクニックを駆使し、アレンジするといいます。
素材はもちろん、インスピレーションを源泉にする高田氏に「ひらめき」を与えたのは、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン2007」。夏カブを主題にしたひと皿は、昆布とローストして乾燥させた冬カブの出汁と、りんごに含まれるアントシアニンを調整したりんごの皮の青い色素とりんごジュースを合わせ、夏カブに煮含めたもの。
「木の芽のジャムをしのばせ、ライムのピールで香りをプラスしています。暑い季節にはぴったりな爽やかな風味です。上にはエディブルフラワーのボリジ、セロリの花をあしらって仕上げました」と高田氏。
驚くべきは、その色の演出。紫色のそれは、料理界ではある意味タブー。食欲を減退させるといわれる寒色系にあえて挑戦しています。
「見た目のわかりやすさをまず裏切ってみました。ビジュアルすなわち視覚と味覚のミスマッチが“驚き”をもたらします。テクスチャーも同様に、サラダのようであり、煮物のようでもある」と語る、高田氏。

プレステージ・シャンパーニュ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」の存在を意識したからこそクリエイティビティが刺激され、実現したひと皿といえます。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン2007」の香りを愛おしくかぐ紫舟さん。

紫舟さんはナイフを入れながら、「どこから頂いたらいいのか。食べてしまうのが惜しいほど」とも。

「こうしてシルバーのスプーンですくった方がより色が綺麗に見えます」という紫舟さん。絵画の研鑽を積むアーティストとしての一面を覗かせる。

作品の制作期間中はお酒を控え、食事制限も厭わないという紫舟さん。ストイックさから解放され、笑顔が。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン2007」が、繊細な料理の味わいを引き立てる。

料理についてあらかじめ解説することなく、ゲストの感じ方に委ねるという高田氏。

ラシーム×紫舟今回の体験も書や絵画と同じ。大事なことは自分で感じること。

サーブされた小さなブーケのように美しい料理を見つめ、「シェフは繊細な料理が得意なのですね」と、紫舟さん。
「とてもクリエイティブですね。野菜のような、フルーツのような、和食のような、でも最後に紅茶を飲んでいるような感じもある。色々な香りと多彩な味わいがあって、ひと言では表現できないほど複雑。それなのにどこか安心感がある」と語り、しみじみと堪能。
「カブの自然な甘み、りんごやライムといったフルーティーな味わいがあるので、爽やかでキレのある“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”に合うと思いました。ボリューム感もあり、口の中でよりフルーティーさが際立ちます。自分では考えもつかないような表現を頂き、素直に嬉しいですね。美味しさの感じ方は人それぞれ。正解がないので、あえて説明はしません。感じてもらうことが一番」と、高田氏。笑顔を覗かせながら、紫舟さんの言葉を受け止めます。
「書にしても絵画にしても、感じることは大事。日本では芸術作品と向き合うと、まずテキスト情報と照らして確認しながら、答え合わせをするように鑑賞します。フランスなどでは作品のタイトルですら小さく表示するほど。それでも壁の奥まで鑑賞するくらい、一般の人であっても作品を味わう力を持ち合わせ、鑑賞力が高い」と、紫舟さん。

言葉を紡ぎながらグラスを傾け、「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”は本当に良い香り。“澄み渡る”という印象を受けます。料理を味わった後、シャンパンがもう一度美味しさを楽しませてくれます」と、絶賛します。

紫舟さんが蒔絵の技法で書を施したシャンパングラス。『ラシーム』の店名につながる「照らす」、今回の「ご縁」にも紐つく。

「シェフもぜひ書道を。柔らかく不安定な筆で書くと集中しますし、心の平穏が保てて解放されます」と、アドバイス。

ラシーム×紫舟想像できないから面白い。ふたりのクリエイターに起こった化学反応。

「和食の経験はありませんが、最近はよく出汁を取り入れています。日本料理店のようにはいきませんが、羊肉と組み合わせるなど、違うステージでパフォーマンスのひとつと捉えています」と、高田氏。
ジャンルの異なる素材やテクニック、あるいは料理とシャンパンという組み合わせにより互いに引き立て合う美味しさを実感した、紫舟さん。
「書と絵画を組み合わせることもあります。絵画の中に造形として書を組み入れると、言葉の意味が宿るので存在感がまるで違ってくる。特に日本の芸術はシンプルなので難しくもあります。書と絵画、それぞれ向き合う集中力やエネルギー量は違いますが、鍛えている段階です」と紫舟さんは話します。

その言葉を受けて、高田氏も「調理工程は複雑でも、見た目はシンプルな方が好きですし、落ち着きます。料理や味わいを言語化する努力もしていますが、僕は作ることでしか表現できない。そんな中でこれほどのシャンパーニュがあると創作意欲を掻き立てられるし、モチベーションのステージも一段上がります」と言います。

それぞれの世界で第一線をゆく、ふたりのクリエイターを刺激した「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」。感性豊かな人と美味との出会いが思いがけない化学反応を起こし、新しいつながりが生まれたひと時でした。


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住所:大阪府大阪市中央区瓦町3-2-15瓦町ウサミビル 1F MAP
電話:06-6222-2010
※受付時間①9:30〜11:30 ②16:00~18:00
営業時間:ランチ12:00~15:30(L.O13:00) /ディナー18:30~23:00(L.O20:00)
定休日:日曜・月1回不定休・夏季・年末年始
La Cime HP: http://www.la-cime.com/

書家・アーティスト。幼少より書や日本舞踊などの教養を身につけ、奈良・京都で幅広く和や伝統美の研鑽を積む。日本では当時の天皇皇后(現・上皇上皇后)両陛下が御成りになり「紫舟展」を御覧。世界ではフランス・ルーヴル美術館地下会場、フランス国民美術協会展において金賞と審査員賞金賞をダブル受賞。イタリア・ミラノ国際万博日本館の作品を担当、金賞受賞。http://www.e-sisyu.com
また、今後は耳の聞こえない方々にも届くようにJ-POPのラブソングから珠玉のフレーズを集め、紫舟がアート作品で表現した作品展「Feel Love Project」 (2019年9月21日~10月20日)を「三井2号館1階 特設ギャラリー」にて開催。https://feellovepj.jp

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけてお掛けください。
お客様からいただきましたお電話は、内容確認のため録音させていただいております。

TAITTINGER HP:http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

人と人とのつながりだけで広がる世界──ホームタウンの豊かな暮らしに寄り添う、世界基準の美しきものたち。[CARGO/富山県富山市]

カーゴOVERVIEW

北陸新幹線の開通とともに、都心からのショートトリップのディストネーションとして、すっかり定着した感のある富山・金沢エリア。片道2時間弱の移動距離は、心のスイッチの切り替え、あるいは駅弁など旅情あふれるグルメを愉しむ時間としても最適なものといえそうです。ただ、古都ならではの情緒たっぷりな町並みや景色、金沢21世紀美術館など話題のスポットが充実し活況を呈す金沢に比べ、“隣駅”富山の印象は決して華やかとはいえません。実際、観光客の数も新幹線開通以降はうなぎ登り、とはいっていない様子。「ほとんどの人は富山を素通りして金沢へ行っちゃうからね」と苦笑いを浮かべる、駅前でつかまえたタクシードライバーの横顔が印象的でした。

富山駅を離れ、タクシーの車窓から眺める市内は、実に静かで長閑というより他にありません。駅近くの巨大なボーリング施設「富山地鉄ゴールデンボウル」を除けば、特に目を引く建造物だって見当たりません。南南東に下ること15分ばかり、比較的交通量の多い国道に入ると唐突に、そのショップは現れました。無機質な空間を埋めるように、自由に並べられた有機的な家具やオブジェ、雑貨や植物たち。生活を彩るさまざまなジャンルのアイテムを、まるでギャラリーのようにセンスよく散りばめたこのインテリアショップこそ、今回の旅のディスティネーションである「CARGO」です。

「CARGO」のオーナーである野村晃二朗氏は、富山市の隣町であり漁師町として知られる射水市(旧新湊市)出身。生花市場やフラワーショップで働き、一度は地元を離れて造園業に従事したこともあるという元高校球児が、いかにして再び故郷の富山に根を下ろすことを決意し、インテリアショップを開業するに至ったのか。さらに、なぜ県外・国外から多くの人々を引き寄せるほどになったのか──。人気作家の作品を数多く取り扱いつつも、決して「デザインマニアではない」と語る野村氏。その素朴な人柄やライフスタイル、ショップを通じた提案に触れ合い話を聞くことで、美しく暮らす作り手による、美しい作品が持つ本質的な価値、そして本当の意味で“豊かに暮らす”ことの大切さを、改めて思い知ることになるのです。

住所:〒939-8006 富山県富山市山室27 MAP
電話:076-422-5755
営業時間:12:00〜19:00
定休日:水曜日
CARGO HP:http://cargo27.shop-pro.jp/

グロテスクで魅力的な縄文文化と、神秘的な原始林。アレックス・カーが見た北の温泉地・浅虫の魅力と課題。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

三内丸山遺跡にて。「本当に素晴らしい遺跡です」と感動した様子のアレックス氏。

ダイニングアウト青森浅虫アートと温泉という視点から『DINING OUT』を振り返る。

2019年夏、『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』が開催されたのは、青森市浅虫温泉。青森といえば三内丸山遺跡に代表される縄文文化から、近代版画の巨匠・棟方志功、現代アートの奈良美智まで、アートの感性が脈々と息づく土地。青森の象徴であるねぶたもそうです。だから今回の『DINING OUT』のテーマは「Journey of Aomori Artistic Soul」。今回、ホスト役を務めた東洋文化研究家のアレックス・カー氏は「このアートの在り方がひとつの鍵になったわけですね。」と語りました。

一方で浅虫温泉は、国内各地の温泉街と同様に、解決すべき課題を多く抱えた街です。『DINING OUT』を通して見えた魅力と課題、それらをどうこれからに活かしていくか。そのビジョンが大切になります。アートと温泉街、その両面から『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』をアレックス氏に振り返って頂きます。

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『DINING OUT』のホストとして、ゲストに青森の神秘的な魅力を伝えた。

ダイニングアウト青森浅虫誰しもの心の奥にある、縄文文化の影響。

実はかつての私は、縄文文化にさほど興味がありませんでした。それは弥生時代以降の繊細で行儀の良い文化と比べ、縄文の遺物が“キレイなもの”ではなかったからかもしれません。しかし最近、その文化になぜか心惹かれるのです。縄文文化は、いびつで、グロテスクで、そして神秘的で、かつ面白さがある。世界最古級の縄文土器が出土する青森を訪れて、その思いはいっそう確かになりました。

人間の歴史の中には、あるとき突然、飛び抜けたデザインが生まれることがあります。円空の木彫り仏、室町の茶碗や江戸時代の書も、安藤忠雄の建築もそうです。コム・デ・ギャルソンも同様です。そこに共通するのは、完成された美ではなく、不完全でアンバランスでグロテスクな美。そのアンバランスを愛でるのは日本人の美しい心であり、その源流は縄文文化に通じるのかもしれません。そのように歴史の中にポロッと生まれて世界を驚かせるアートの源流に縄文文化があるのであれば、その遺跡が生活圏にある青森は、やはりアートの感性を受け継いだ地といえるのではないでしょうか。青森生まれの成田亨が手掛けた「ウルトラマン」の怪獣デザインは、まさにグロテスクで突飛な縄文文化です。

そして私はこの縄文文化の痕跡が、誰しもの心の奥の方にあるものだと思っています。日本文化をひとつの「家」に例えるなら、縄文文化は最奥の部屋にいる座敷童子のようなもの。住んでいる人はなんとなくその存在を意識してはいても、直接的に見たり、考えたりするわけではない。心の片隅で意識しつつ、決して捨ててしまうことができない。それが縄文文化だと思うのです。三内丸山遺跡という素晴らしい遺跡を歩きながら、私はそんなことを考えていました。不気味な土偶からなぜか目が離せなくなるのは、そこに美しさだけでなく、ある種のシンパシーが感じられるからでしょう。

とくにアレックス氏の心を捉えた土偶。どこか不気味なフォルムは「不完全の美」の象徴。

三内丸山遺跡の資料館には、世界最古級の貴重な出土品が多数展示されている。

目には見えないけれど、誰しもの心の奥にあるもの。アレックス氏は縄文文化をそう捉えた。

ダイニングアウト青森浅虫大自然の魂を宿した神秘的な巨木の存在。

そんな縄文の流れを汲む文化や原色のアートが目を引く青森にあって、浅虫温泉は少し雰囲気が違います。浅虫温泉を最初に訪れたとき、とくに印象的だったのは巨木です。『DINING OUT』の会場となった陸奥護国寺の裏山を登っていくと、アカマツの巨木があります。何万年も前から人間文化が受け継がれているのと同様、木の文化も同じ年月を受け継がれているのです。その時間の流れを象徴するのが、あのアカマツだったのです。

浅虫温泉に限らず、青森は多くの原始林を抱えた土地です。抱えるほどのマツや原始のままのブナ林があり、それが青森の当たり前の風景になっている。巨木には大自然の魂がありますから、その魅力をもっともっと打ち出しても良い。青森に住んでいる人には当たり前に思えても、都会や海外から来た人には新鮮に映るものがたくさんあります。陸奥湾の魚介だってそうですよね。そこを客観的に捉えて、発信することが、青森のこれからを切り開きます。

だから今回の『DINING OUT』はそのきっかけになるといいですね。東京からやってきたシェフが青森の素材を料理して、同じく遠方からのゲストがそれを味わう。凛とした冷たい空気や美しい星空にも、ゲストは感動していましたね。そういった地域の財産を、もう一度見つめ直すことに繋がるといいですね。

アレックス氏は、マツやブナなどの原始林、神秘的な巨木など、豊富な観光資源がまだまだ眠っている青森を客観的に捉えることが大切だと語りました。

地元の人にとって当たり前のものこそが観光の目玉になり得る、とアレックス氏。

ダイニングアウト青森浅虫浅虫温泉がやがて周遊する街に変わるために。

素晴らしい魅力も持っている浅虫温泉ですが、課題も抱えています。それは観光客の滞在が各旅館内で完結してしまうことで、街を周遊する人口が増えないことです。その問題を端的に表しているのが、海と温泉街を分断する国道4号線です。たしかにかつて道路は経済発展の象徴でした。アクセスが便利なことが観光地の第一条件と考えられていたのですね。しかしその時代は終わりました。現在求められているのは、利便性よりも街そのものの魅力です。そしてその魅力は、街を歩くことでのみ伝わるのです。

たとえば京都の四条通りは車線を減らし歩道を拡張することで賑わいを取り戻しました。東京の銀座や谷中銀座も、歩行者の優遇によって街が活気づいていますね。温泉地でいえば城崎や有馬も成功例でしょう。海外に目を向ければさらに顕著です。スペインは300もの都市で旧市街から自動車をシャットアウトしていますし、イギリスでも同様の試みが急ピッチで進められています。ニューヨークでもブロードウェイのメイン交差点を数年前に閉鎖しました。これにより、マイナスの効果がどれほど出るでしょうか? 近辺までは自動車で十分に行けるのです。目的地の目の前まで自動車で行くのではなく、外縁部に停めて歩いて向かうだけでいい。それにより経済効果もありますし、街の個性も引き立ってきます。

浅虫温泉ならば、国道4号線を閉じて、そこに木を植えれば良い。海沿いの木、その向こうの湯の島。これは浅虫だけの素晴らしい景観になるはずです。あるいは海近くにアートを並べても良いかもしれません。アートと木という財産を持つ青森の温泉地なのですから、その魅力を最大限に伝えることが、この場所の活路です。不可能な話だと思いますか? しかし決して夢物語ではありません。サンフランシスコやシアトルは高速道路を撤去しましたが、目立った問題は報告されていません。幹線道路、産業道路の幻想を一度忘れ、たとえばイベントとして数日間でも周遊する街を生み出してみれば、その効果が見えてくるはずです。

今回の『DINING OUT』は、イベントとしてみれば文句なしの成功を収めました。完成度という点なら過去でベストかもしれません。しかし、本当の成功か否かは、浅虫のこれからにかかっています。この経験を地元の人がどう捉え、どう活かしていくのか。『DINING OUT』はひとつの問いかけです。それに浅虫温泉がどう答えるのか。期待を持って見守っていきたいと思います。

会場でゲストを迎えた青森市長・小野寺晃彦氏。「行政が積極的であったことも成功の一因」とアレックス氏。

すぐに結論が出せずとも、地域住民が問題意識を共有し、行動することが大切、とアレックス氏は言う。

1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。

岡山で、「蛇」の意味を考えてみる。[岡山芸術交流2019/岡山県岡山市]

言語を題材に制作するローレンス・ウィナーが、映画館シネマ・クレール 丸の内の壁面に新作として発表した「1/2 BEGUN 1/2 FINISHED WHENSOEVER」。©Lawrence Weiner, Courtesy of TARO NASU, Photo:S.U.P.C uchida shinichiro

岡山芸術交流2019「後発組」の芸術祭が面白いと評価される理由とは。

今、日本では全国各地で芸術祭が開かれていますが、後発組ともいえる『岡山芸術交流』が美術ファンの間で注目を集めています。2016年に初めて行われ、2019年に2回目を開催。絶賛の意味を込めて「あまりにも独自路線」と評価される『岡山芸術交流』の面白さはどこにあるのでしょう。

ライアン・ガンダーによる「摂氏マイナス261度 あらゆる種類の零下」。風船を手放してしまった子供の喪失感を表現したインスタレーション。©Ryan Gander, Courtesy of TARO NASU, Photo:S.U.P.C uchida shinichiro

岡山芸術交流2019地元作家にこだわらない。招くのは、世界トップクラスのアーティスト。

『岡山芸術交流』の会場となるのは、岡山城周辺の岡山市立オリエント美術館、旧内山下小学校など、徒歩15分圏内のごく限られたエリア。2016年は31組のアーティストが参加し、大型インスタレーションや映像、立体など現代美術の作品を展示しました。

特徴的なのは、『岡山芸術交流』が「地元に根ざした作家」にこだわっていないことです。かといって無作為に作家を集めているのではありません。第1回のアーティスティックディレクターを務めたのは、イギリス出身でニューヨークを拠点に活躍するアーティスト、リアム・ギリック氏。作品の内容や形式よりも「関係」を重んじる芸術作品を創り出す「リレーショナル・アート」の代表的な作家として世界的に知られています。

会場のひとつ、林原美術館は前川國男による設計。岡山城天守閣を東に望む、旧二の丸屋敷対面所跡に位置する。

コンセプチュアル・アートの代表作家・ダン・グラハムが岡山神社に展示した「木製格子が交差するハーフミラー」。©Dan Graham, Courtesy of Taka Ishii Gallery, Photo:S.U.P.C uchida shinichiro

岡山芸術交流2019岡山の日常に、様々なアーティストの思考や言葉が出現する。

そして参加作家は、フリーズ・アーティスト・アワードも受賞したレイチェル・ローズや、サイモン・フジワラ、ライアン・ガンダーなど16ヵ国から招聘(しょうへい)されました。実はこれらの作家はギリック氏によって選定され、集められました。彼がかかげた「開発」というテーマのもと、アーティストたちは岡山を舞台に作品を作り上げ、日常風景の中に現代アートが出現する超次元的な光景を岡山の街に出現させたのです。

ここにこそ『岡山芸術交流』の独自性があります。世界的に活躍する現代美術家をアーティスティックディレクターとし、彼(彼女)自身がテーマを立て、それをもとに作家を集め、展覧会を構成するのです。作家は岡山の地を事前に訪れるなどしてインスピレーションを得て、どのように岡山の地を生かして表現するかを考え、それぞれのスタイルで形にします。地元作家が岡山を表現するというある種の「血のつながり」がある作品ではなく、岡山と縁もゆかりもない世界的な作家が岡山をどう見たのか、その目を通して表現されたものが、地元の人に新たな気付きや発見をもたらす。この芸術祭にはそんな面白みがあるのです。

前回のアーティスティックディレクターであるリアム・ギリックが街の中心部にあるシンボルタワーをカラフルに変身させた「Faceted Development」。©Okayama Art Summit 2016, Courtesy of the artist and TARO NASU, Photo: Yasushi Ichikawa

岡山芸術交流2019岡山を、「通り過ぎる場所」から「滞在する場所」に。

そもそも、なぜ岡山なのでしょうか。実はこの芸術祭を立ち上げた石川文化振興財団の理事長・石川康晴氏は、岡山発祥の企業でアパレルブランド「アースミュージック&エコロジー」などを展開する株式会社ストライプインターナショナルの社長。石川氏は、2016年に財団をつくり、世界の優れた美術品をコレクションしたり、「オカヤマアワード」を実施したりするなど岡山の地にアートを根づかせるために貢献。その芸術文化支援事業のひとつとして、『岡山芸術交流』をスタートさせました。「芸術祭が定着した瀬戸内には人が来るようになったが、岡山は滞在せず通り過ぎる場所。この地に世界レベルのアーティストを呼んで、経済の活性化を図りたい」と石川氏は考えました。

ピーター・フィッシュリ ダヴィッド・ヴァイスの「よりよく働くために」はタイの工場で実際にかかげられた10ヵ条を作品にした。©Okayama Art Summit 2016, Courtesy of the artists and Galerie Eva Presenhuber, Photo: Yasushi Ichikawa

岡山芸術交流2019美術界で最も注目されるピエール•ユイグ氏が舵を切る。 

その理念のもと行われる第2回では、アーティスティックディレクターにフランス出身で現在ニューヨークを拠点に活動するピエール・ユイグ氏を迎えました。ユイグ氏はロンドンの現代アート誌「アートレビュー」が毎年発表する「アート業界で最も影響力のある人物トップ100」で第2位に選ばれたトップアーティスト。世界各地の美術展やミュージアムでスケールの大きな作品を発表し、今最も注目される美術家として知られています。その彼が選んだのは17組のアーティストです。テーマ名は、かなり斬新です。

前回は作家として参加したユイグ氏が、今回は初めてアーティスティックディレクターに。

岡山芸術交流2019「もし蛇が」。その後に続くのは……?

今回のテーマは「IF THE SNAKEもし蛇が」。思わず二度見するほど奇抜なキーワードですが、その意は彼の制作活動の根本にある考えとリンクしています。もともと科学に興味を持ち、生物学を学んでいたユイグ氏の作品には、生物と無生物、科学と自然の境界線がなく、有機と無機が融合した精神が根づいています。「この世界は人間が中心となって文化をつくってきたが、本当に人間だけが中心なのか」。そんな問いかけを込めた「もし蛇が」なのです。ただ、そこから先は観る人それぞれの解釈に委ね、「蛇が」どうなのか、何なのかを考えてもらう。謎かけのような余韻を残すテーマです。

ミュンスター彫刻プロジェクトで元アイスリンク場を舞台に展示された、ピエール・ユイグの「これからの人生のあと」(2017) © Skulptur Projekte 2017 Photo by Ola Rindal

岡山芸術交流2019芸術祭を開くことで、地元に還元されるもの。

この芸術祭には、地元の人材育成という目的もあります。岡山の人々が自分たちの街で繰り広げられる世界的な美術にボランティアとして携わることで、芸術への経験値が上がるだけでなく、様々な考えや表現に触れ、視野を広げることができるのです。それが結果的に地元アーティストの成長や若い人の意識向上につながり、経済活性化をもたらすことが期待できます。

世界的アーティストが岡山に集まるこの秋。ぜひ足を運んで会場を散策しながら、「もし蛇が」の先に続くものについて、じっくり思案してみてはいかがでしょう。

ヤン・ヴォーによる「我ら人民は(部分)」。自由の女神を300近いパーツに分解し、原寸模刻した作品。©Dahn Vo, Courtesy of Galerie Chantal Crousel, Photo:S.U.P.C uchida shinichiro

開催期間:2019年9月27日(金)~11月24日(日)[51日間] 
休館日:月曜日(10月14日(月・祝)、11月4日(月・振替休日)は、翌日の火曜日休館)
開催場所:旧内山下小学校 岡山県天神山文化プラザ 岡山市立オリエント美術館  岡山城 林原美術館 ほか
主催:岡山芸術交流実行委員会(岡山市・公益財団法人 石川文化振興財団・岡山県)
岡山芸術交流2019 HP:https://www.okayamaartsummit.jp/2019/
写真提供:岡山芸術交流実行委員会

津軽発・話題のクラフトビールの快進撃に、リミットなし。[TSUGARU Le Bon Marché・ビーイージーブルーイング/青森県弘前市]

稼働して3年目を迎える醸造所内に立つギャレス・バーンズ氏。片手には、桜咲く春の弘前城が描かれた愛用の津軽三味線。

津軽ボンマルシェ・ビーイージーブルーイング今日も全国から人が訪れる、弘前市郊外のビール醸造所。

もしあなたが大のクラフトビール好きで、津軽を訪れる予定があるなら、伝えておきたいことがふたつあります。ひとつはちょっぴり残念なニュース、そしてもうひとつはそれを補ってあまりある素敵なニュース。まず前者は、2019年現在、津軽エリアでクラフトビールを扱う飲食店はかなり少なく、醸造所にいたっては1軒しかないということ。そして後者は、その1軒が、全国的に知られる『ビーイージーブルーイング』というユニークな醸造所であること。

『ビーイージーブルーイング』の醸造所とタップルームがあるのは、弘前市の中心部から少し離れた住宅地。それでもオープンの時間になると、次々とお客さんが訪れ賑わい始めます。「始めは、こんな場所では人が来ない、もっと繁華街じゃないとだめだとみんなに言われました。でも今は、わざわざここを目指して人が来てくれる。それも青森だけじゃない、日本のあちこちからだよ」。そう話してくれたのは、代表のギャレス・バーンズ氏。多くのクラフトビールファンから「ギャレス」と呼ばれ親しまれるアメリカ人醸造家です。

「2016年にここを始めてから、売り上げは毎年伸びていて、2019年は前年比1.7倍。周りの人たちは今、ここを見てびっくりしているはず」とバーンズ氏。「青森はいつか、ビールで有名になる」。バーンズ氏はかねてから、そんな確信を持っていたといいます。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

JR弘前駅からは徒歩15分以上。それでも開店後、タップルームの席は次々と埋まる。休日ともなると、そのうちの数割が県外からの訪問者だ。

常時取り換えられる12種のうち、ほとんどが自社醸造のビール。ロゴマークと社員の名前が刻まれたタップハンドルに、「チームギャレス」の絆が感じられる。

ビールは290mlで550円~、400mlで650円~と相場に比べて破格の安さ。「本当はもっと高くしたいけど、青森の人に飲んでもらいたいから」とバーンズ氏。

津軽ボンマルシェ・ビーイージーブルーイング元軍人、津軽三味線奏者、ローカルタレント。多彩な肩書の歴史とは。

バーンズ氏は、青森県ではちょっとした有名人でもあります。ローカル局で番組を持ち、津軽弁を自在にあやつるタレントとしてのキャリア、また津軽三味線奏者としてのキャリアは、醸造家のそれより長いほど。様々な肩書を持つバーンズ氏が最初に来日したのもまた意外な理由。高校卒業後に入隊した米国空軍の一員として、三沢基地に配属されたことがきっかけでした。

軍での所属は、なんと爆弾処理班。「昔から、やるんだったら難しい道を選ぶ性格」と言うバーンズ氏。数十人の希望者のうち数人しかパスしない、難関の試験を乗り越えて掴んだポストでした。「爆弾処理の仕事はすごくいい経験だった。だって19歳の自分がFBIと一緒に、来日するアメリカ大統領が泊まるホテルをチェックするんだよ。自信も得たし、技術的なこと、人生への考え方、様々なことを学んだと思います」とバーンズ氏。

22歳で退役し、日本のことをもっと知ろうと米軍の街・三沢から城下町の弘前へ。既に通信制の大学院も卒業し、軍ではそれなりの専門的ポストにもいたため、当初は1年ほどで帰国し関連組織に戻るつもりだったそうです。が、英語講師として働く傍ら津軽三味線に興味を持ち、大会に出場するほど熱中、その演奏をきっかけにテレビの仕事が来るように。元来の性格ゆえ「まだ足りない、まだやれる」と帰国を先延ばしていたバーンズ氏。4年が経つ頃に、定住を決意します。「リミット(limit)がないことをしたくなるんだよね」と言うバーンズ氏は、晴れて津軽人となったのでした。

タップルームの店名は『ギャレスのアジト』。チームギャレスの隠れ家は、店主の思惑どおり、いつ行っても美味しいビールと人々の笑顔で溢れている。

「どさゆさ」、「うだで」……呪文のようなビール名が並ぶメニュー。これらは津軽弁で、意味はそれぞれ「どさゆさ」=「どこ行くの?」「温泉だよ」。「うだで」=「すごい」。

オリジナルボトルでの持ち帰りも好評。最近ようやく都市部で浸透してきたビールの持ち帰りシステムが、津軽で受け入れられていることに驚く。

「お金を儲けて高いものを買うとか、本当に興味がなくて」と話すバーンズ氏。取材中一番いい表情を見せたのは、『ギャレスのアジト』のお客さんと話している時。

津軽ボンマルシェ・ビーイージーブルーイング醸造所実現の原点は、爆弾処理の仕事にあった!?

その後、自身で英会話教室を設立。ひとりで80名ほどの生徒を指導し経営を軌道に乗せたバーンズ氏でしたが、「やれることはやりきった」と感じて、次の段階へ進むことを決意します。それが、以前から好きだったビールの醸造でした。バーンズ氏曰く「当時はよく東京のクラフトビール専門店に飲みに行っていました。でも青森に戻って『クラフトビールを造りたい』と話しても、誰にも相手にされない。前例がないからと、銀行の融資を立て続けに断られたことも。話さえ聞いてもらえなくてつらかったね」。

しかし冒頭に書いたように、既にこのプロジェクトの成功を確信していたバーンズ氏。根底にあったのは爆弾処理の仕事で培った考え方でした。「やっぱり仕事とはいえ、爆弾を前にしたら怖いよ。でも目の前の怖いものをきちんと理解し、安全な方法で処理さえすればクリアできる。そのことがわかってから、実は世の中の全てが同じ、すごくシンプルで、難しいことは何もないと気付いたんです」とバーンズ氏は話します。

英会話教室の仕事と並行しながら、まずは1年かけて銀行を説得し融資を獲得。醸造用の機材や配管も自分で海外から取り寄せ、インターネットで調べながら、数ヵ月かけて組み立てたそうです。「数百万円かけて業者に施工を頼んでも、壊れたらどうする?また頼むしかない。でも自分で組めば仕組みがわかるから壊れても直せるし、また醸造所を作れといわれても、問題なく同じものが作れるよ(笑)」とバーンズ氏。醸造技術も、2週間ほど山梨県の『アウトサイダーブルーイング』で研修を受けた以外は、ほぼ独学。シンプルにこつこつと時間をかけ、まさに「手作り」で醸造所を築き上げたのでした。

弘前市『カフェデュボワ 上白銀店』にて。右にあるのが、青森県限定ビール「青森エール」のサーバー。県内20店舗の飲食店に卸す限定ビールだ。

2018年から始めた平川市の自社農園では、無農薬で野菜を栽培。『アジト』の料理に利用する。カスケードというアロマ系ホップも育て、収穫祭も行った。

料理のメニューは数ヵ月ごとに変わる。左は「野菜スティック 味噌マヨディップ」650円、中央は「3種の自家製ソーセージ」950円。

津軽ボンマルシェ・ビーイージーブルーイングビールを通して伝えたい、フリーな生き方がある。

完成したビールは、早くから好評に。最初は東京や大阪といった都市部で、その後一気に日本中へ広がりました。ファンの間でよく話題になるのは、『ビーイージーブルーイング』の不思議な商品名。「あずまし」(心地いい)、「けやぐ」(友達)などの津軽弁から「青森の認知度を高めたい」とバーンズ氏が命名しました。「色々言っているけど、結局は青森が好き。自分のソウルは青森県民なんです」。そう話すバーンズ氏が2019年から始めたのが、ご当地ビール「青森エール」の取り組み。もっと地元の人にクラフトビールを知ってほしいという思いから生まれた、県内20店舗の飲食店のみで提供される限定ビールです。

バーンズ氏とご近所仲間で、以前「津軽ボンマルシェ」でも紹介した『ユイットデュボワ』オーナーの井上信平氏は、「青森エール」を発売当初から提供。「クラフトビール初心者にも飲みやすい味わいでリーズナブル。彼自身が冷蔵庫を改造したサーバーも無料で貸し出してくれる。地元のために採算度外視でもの作りをする姿勢に頭が下がる思いです」と話します。

「青森は住みやすくて安全で、冬はスノーボードし放題、春は桜が最高(笑)。でも14年住んでいると、精神的に安定しない人が多いのも、所得が低いのも実感する。自分はできないと言われたことをやって、雇用と地域の名産品を作ったけれど、それを見たみんなが『やれるんだ』と真似してくれればいい」。そう話すバーンズ氏は、笑いながらこう続けました。「信頼できるスタッフがいて、全国のビールファンとつながっていて……忙しいけど、今が一番フリーで気持ちがいいね」。ひとつずつ難題をクリアしながら津軽で生きる場所を勝ち取ったその姿は、頼もしくも自然体。第二、第三のギャレスの誕生が、今から待ち遠しくなりました。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

『アジト』に飾られている岩木山の絵には「Be Easy」の文字。社名であると同時に、バーンズ氏の生き方そのものを示す言葉だ。

妻、娘と暮らす自宅から自社農園までは、車で数分の距離。田んぼと畑に囲まれた一帯は、バーンズ氏が毎朝犬と歩くお気に入りの散歩道でもある。

住所:青森県弘前市松ヶ枝5-7-9  (2F「ギャレスのアジト」) MAP
電話:0172-78-1222
ビーイージーブルーイング HP:https://m.beeasybrewing.com/

アートラバーが世界から集う”聖地”。縄文文化の歴史をリスペクトした北川原温の傑作建築に身を委ねる。[ホテルキーフォレスト北杜/山梨県北杜市]

ホテルキーフォレスト北杜OVERVIEW

中央高速道路の小淵沢インターを降りて、クルマで5分ほどの距離にそのホテルはあります。東京からクルマや電車でも2時間あまり。これまで紹介して来たホテルの中でも、抜群に便利なロケーションであることは間違いありません。小淵沢から清里方面に抜ける幹線道路に面するこの奇抜な建物を見て、ホテルだと想像する人はあまりいないかもしれません。「ここはどんな施設なんですか?」と、わざわざ立ち寄る人も多いのだそうです。

その名は「ホテルキーフォレスト北杜」。小淵沢アートヴィレッジと総称される複合施設の迎賓館的存在として2015年に開業されました。広大な敷地を誇るホテルの隣には「中村キース・ヘリング美術館」という、世界でも類を見ないアメリカの現代アートを代表する人物のプライベートミュージアムもあります。その名を冠する館長の中村和男氏は、キース・ヘリング作品の世界的なコレクターとしても知られる実業家です。中村氏は、生まれ育った山梨県への恩返しという意味も込めて、一代で小淵沢アートヴィレッジを作り上げて来ました。

その情熱は、ホテルキーフォレスト北杜にも余すところなく注がれています。このホテルを設計したのは、現代日本を代表する建築家の一人である北川原温氏。デザインのコンセプトは、大自然とアートとの調和。山梨県一帯は縄文時代中期には、日本の中心として栄えていたのだそう。縄文時代の土偶の1割以上が、山梨から出土されており、国宝指定された5体のうち2体が山梨県で発見されたことからもその歴史が伺えます。中村オーナーと北川原氏の二人三脚で生み出された建築物のデザインは、縄文文化からインスパイアされたものだと言います。豊かな自然の中に不思議と調和しているコンクリート造りのホテルの魅力をたっぷりとお伝えしたいと思います。

住所:〒408-0044 山梨県北杜市小淵沢町10248-16 MAP
電話:0551-36-8755
ホテルキーフォレスト北杜  HP:https://www.kob-art.com/facility/

カウンターでレモンを1杯、が尾道の旅のスタンダードになる?[HOK STAND/広島県尾道市]

商店街の端に突如現れるスタイリッシュな空間。

ホック スタンドレトロな商店街に登場したのは、カフェ? バー?

尾道駅から国宝浄土寺に向かって1.2kmほど続く尾道本通り商店街。尾道市街を東西に貫く、ゆったりとした空気が流れるレトロな雰囲気の街並みです。銭湯や喫茶店、呉服店などが軒を連ねる通り沿いに、黒いファサードが目を引くスタイリッシュな店舗が現れます。ここは、6月30日にオープンした「HOK STAND」。瀬戸内レモンを使ったレモネードが楽しめるレモネードスタンドという、この界隈では珍しいお店です。

店内は、120年前の素材を生かしつつもインダストリアルな空間に。

ホック スタンド地元が誇る食材+デザインの力で街を元気に。

オーナーは尾道出身のグラフィックデザイナー櫻武千彰氏。高校卒業後は専門学校の進学とともに上京し、アパレルブランド「TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.」でデザインを担当するなど幅広く活躍していました。2013年の独立後、東京や横浜を拠点としながら「大好きな尾道で、地元食材とデザインで地元を活性化したい」という思いとともに、尾道にも事務所を構えました。商品ブランディングの相談に乗るなど、東京で見てきたものや経験したことを生かして、街をクリエイティブ面から元気にしようと活動。東京ではレモネードのブームが来ていましたが、「せっかくレモンの産地なのだから、その美味しさを伝える専門店を作ろう」とこのお店をオープン。観光客が尾道のレモンの魅力を知り、街の人も新しい文化を感じられる空間を目指しました。

櫻武氏がパッケージデザインを手がけた商品。他にもロゴデザインなど多数。

ホック スタンド古民家をリノベーション。新旧が交差する温かな空間。

建物は1894年(明治27年)築の古い商店をリノベーション。内装は「ユナイテッドアローズ」などの店舗デザインを手がけるSMALL CLONEの佐々木一也氏が担当しました。柱や梁などもともとの建材を生かしながらも、カウンターにはベルギーの旧邸館で使われていたアンティークパネルを用いるなど和と洋の素材を調和させ、木のぬくもりがありつつ現代的な店舗に仕上げました。

アンティークパネルの裏側を使ったカウンター。明治期の古民家にしっくりくる。

ホック スタンド農家のレモンに込めた想いも余すところなく、大事に搾って。

メニューは実にシンプルで、レモネードの他、コーヒーとビールのみ。ですが、このレモネードこそ櫻武氏が渾身の力を注いだ看板メニューなのです。使っているのは尾道市の向島(むかいしま)や瀬戸田の農家から直接仕入れるノンワックスの瀬戸内レモン。温暖な気候とたっぷりの太陽で育つ瀬戸内レモンは、他の産地のレモンに比べて香りが良く味に丸みがあるのが特徴です。何より、Non-wax (ノンワックス)、Non-GMO(遺伝子組み換えではない)が最大のポイント。その果汁に、複数の砂糖を配合した特製シロップとスパイスを加え、甘みを抑えてレモンの風味を最大限に生かしたオリジナルの味わいに。農家の丁寧な手仕事を大事にし、地場産品に誇りを持ち、その価値を地元の人や全国から訪れる観光客に伝える1杯です。

カップのデザインは櫻武氏が担当。テイクアウトもイートインも可。

ホック スタンドレモンの味とともに、こんなお土産もいかが?

ベーシックな「尾道レモネード」の他、ピリッと生姜が利いた「ジンジャーレモネード」、キウイの角切りが入った「キウイレモネード」など、レモネードにはバリエーションがあります。いずれも炭酸、水、お湯など割り方を選ぶことが可能です。またコーヒーは櫻武氏が東京で実際に飲んで吟味した「ONIBUS COFFEE」の豆を丁寧にハンドドリップで淹れます。

また、カップやショップカードの洗練されたデザインにも櫻武氏のセンスが表れています。スタッフが着用しているエプロンは「DRESSSEN」に特別注文したもの。店内でお土産として販売されています。

レモンの産地で味わう本格的なレモネード。尾道散策のおともや休憩の際に、ぜひ一度味わってみてください。

オーナーが好きな「When life gives you lemons, make lemonade」(災い転じて福となす)の言葉が入ったエプロン。販売も行っている。

住所:広島県尾道市久保1-2-24 MAP
電話:0848-29-9527
営業時間:11:00–17:00 
休日:木曜
料金:尾道レモネード450円、ジンジャーレモネード550円、キウイレモネード550円他
HOK STAND  HP:https://www.hokstand.com/
写真提供:HOK STAND

アートを通じ土地の魅力を再発見する「大地の芸術祭」の里 越後妻有2019夏 開催。[「大地の芸術祭」の里 越後妻有2019年夏/新潟県十日町市]

マ・ヤンソン/MADアーキテクツ『Tunnel of Light』は、2018年に開催された第7回展を代表する作品。

「大地の芸術祭」の里 越後妻有2019年夏越後妻有発世界へ。世界的アートイベントに成長した地域芸術祭の企画展。

8月10日から9日間、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の通年プログラム、『「大地の芸術祭」の里 越後妻有2019年夏』が開催されます。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」は、2000年より3年に一度開催されている地域芸術祭の先駆けにして、世界最大級の国際芸術祭。舞台となるのは新潟県十日町市、津南町にまたがる広大な地域で、里山に200点もの作品が点在しています。トリエンナーレの合間の年に開催されてきた通年プログラム。今夏は、空き家や廃校作品を含む15作品を会期中限定で公開。常設の野外作品と併せて楽しめるほか、さまざまなイベント、オフィシャルガイド付きのツアーなども開催されます。

日本有数の豪雪地帯で、過疎高齢化が進む地域をアートで再生しようとスタートした「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」。今や世界最大級の国際芸術祭として国内外から来場者を集め、7回目にあたる2018年は約54万人を動員しました。この成功例は、全国の自治体やアート関係者を刺激し、2010年に第1回が開催された「瀬戸内国際芸術祭」をはじめ、全国各地に地域芸術祭の文化を根付かせてきました。総合ディレクターの北川フラム氏は、次のように語ります。

内海昭子『たくさんの失われた窓のために』。屋外の大きな窓枠を通じ、越後妻有の里山の風景の美しさを再発見できる。

イリヤ&エミリア・カバコフ『棚田』。稲作の情景を読んだ詩を、棚田の風景に重ねた彫刻作品。

日本のアートシーンと地方創生のあり方を変えてきた総合ディレクターの北川フラム氏。

「大地の芸術祭」の里 越後妻有2019年夏アートを通じ、土地の自然、歴史、文化に触れる。

「ここでのアートは大地をキャンバスに創られる、越後妻有という土地の表現。作品を見ることを通じ、土地の背景や自然環境、文化や歴史が見えてくる。アートという仕掛けを通じ、都市にはない面白さが田舎にあることに多くの人が気付いたんですよね。作家も、来場者も、そして地元の人たちも。現在、飛び抜けたコンテンツのない日本のアート業界を、芸術祭が牽引している状況。現代美術のファンは増え続け、シーンを活性化している。インバウンドの唯一の成功例ともいわれています。現在、中国をはじめとしたアジア諸国も本格的な取り組みを始めているところです」

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」のもうひとつ大きな特徴に、第1回目の開始時から、地域の食にフォーカスしてきたことにあります。豊かな自然が大地の恵みをふんだんにもたらしてくれる一方で、雪に覆われた長い冬を過ごすことを余儀なくされた土地。地域で親しまれてきた料理には、自然が色濃く映し出され、暮らす人々の知恵が詰まっています。

「食はものすごく重要なコンテンツのひとつ。なぜならば食文化は土地と分かちがたく結びついているから。来場者アンケートを見ても、満足した点として“地元の食事が食べられた”と答えている人はとても多い」

棚田米の新米でつくるおにぎりのおいしさ。水がいい場所で食べるへぎそばの本物の味。春の山菜に、さまざまな野菜でつくられる漬物。「郷土の味」「家庭の味」を地域の資産として価値化する試みにおいても先駆的で、その流れは地域芸術祭とセットで、あるいは単独で各地方へ広がりつつあります。『越後まつだい里山食堂』や『うぶすなの家』、『Hachi Café』など6軒のカフェ&レストランで提供される食事も、今や、アート作品同様に「大地の芸術祭」の里の重要なコンテンツになっていて、もちろん『「大地の芸術祭」の里 越後妻有2019年夏』期間中も味わうことができます。

『農舞台』2階にある『越後まつだい里山食堂』では地産の野菜を使ったランチをブッフェスタイルで楽しめる。

『越後まつだい里山食堂』のランチの一例。野菜の煮びたし、ひじきや山菜の煮物、漬物、ライスコロッケなど。ランチブッフェは11:00~14:00。(水休、8/14は営業)

種子を包み込んだ薄い鉛の板で描かれた「種子の周囲に」。河口龍夫の1990年から1993年にかけての作品。

体育館棟に展示された河口のインスタレーション作品。水をたたえた黄色い蜜蝋が塗られたボウルが北極星、北斗七星の位置に配置された「関係-地上の星座・北斗七星」などダイナミックな作品が多い。

「大地の芸術祭」の里 越後妻有2019年夏企画展、会期中限定公開作品で、現代美術の世界の今を体感。

『「大地の芸術祭」の里 越後妻有2019年夏』の目玉のひとつが、磯部行久記念 越後妻有清津倉庫美術館[SoKo]で開催される企画展『河口龍夫 - 時の羅針盤』です。日本を代表する現代美術作家として50年来、第一線で活躍する河口は、北川フラム氏とも親交が深く、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」には第1回目から参加している越後妻有の里を代表するアーティストの一人。物質と人間や時間との「関係」をテーマにした作品は絵画からインスタレーションまで多岐に渡り、今回の企画展では60年代の作品から代表作まで約60作品を見ることができます。

会期中限定の作品として注目したいのがクリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマンの『最後の教室』。廃校となった旧東川小学校を利用し、2006年に完成したこの作品は、世界的アーティストの日本における代表作として知られています。床に稲藁が敷き詰められたほの暗い体育館、心臓音が響く教室、かつての生徒たちの持ち物が展示されたロッカーなど、場の「記憶」を空間の中に閉じ込めた作品。2018年に新たなインスタレーション『影の劇場~愉快なゆうれい達~』も加わり、アートファンの関心を集め続けています。

もうひとつが、塩田千春の『家の記憶』。2階建ての古民家を一軒使ったインスタレーションで、天井から屋根裏まで黒い毛糸を張り巡らせ、その中に地域の人々から集めた衣類や家財道具などを閉じ込めました。
現在、六本木の森美術館で、塩田の過去最大の個展「魂がふるえる」が開催中ですが、2009年に完成した『家の記憶』は、ベルリンを拠点に活動する塩田の日本国内での知名度を飛躍的高めたという意味で注目すべき作品です。奇しくも、新国立美術館ではクリスチャン・ボルタンスキーの大回顧展「Lifetime」が開催中。併せて楽しむ、またとないチャンスです。

ほかにも絵本作家・田島征三が集落の人々とともにつくった恒久作品『鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館』では、創立10周年記念企画展が、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]のレアンドロ・エルリッヒ作品の周りでは「水あそび博覧会」が開催されるなど、重要な作品を会場にした企画展、体験型イベントなども目白押し。

訪れる季節ごとに、あるいはその日の気候や時間帯でも見え方が変わり、都度、発見があるのがサイトスペシフィックアートの魅力。棚田も山の緑も濃い緑に輝く夏の越後妻有を舞台にしたアートを巡る特別な9日間が、間もなく幕を開けます。

床に干した稲藁が敷き詰めてあり、多数の電球と扇風機が配された『最後の教室』の体育館。

『影の劇場~愉快なゆうれい達~』。コウモリや骸骨、天使など、生死の間にあるものたちが浮かび上がる。

塩田千春『家の記憶』。過疎化する集落で空き家や廃校を使った作品は、「大地の芸術祭」の里ならではの作品。

『家の記憶』。地域の人々から要らなくなったものを集め、モノに染みこんだ記憶を空き家空間に編み込んだ。

水面に映る景色をプールの床に描いたレアンドロ・エルリッヒの『Palimpsest:空の池』。

会期:2019年8月10日~18日
会場:新潟県十日町市、津南町
問い合わせ:025-761-7767 (「大地の芸術祭の里」総合案内所)
「大地の芸術祭」の里 越後妻有2019年夏 HP:http://www.echigo-tsumari.jp/

母なる山に導かれて。津軽の人気ハンバーガー店が紡ぐ、奇跡のストーリー。[TSUGARU Le Bon Marché・ユイットデュボワ 八幡崎店/青森県平川市]

『ユイットデュボワ 八幡崎店』店内、自身が描いた作品の前に座る井上信平氏。絵の持つ力強さが、空間に明るさをもたらす。

津軽ボンマルシェ・ユイットデュボワ材料はほぼ青森県産。毎日でも食べたい「田舎のハンバーガー」。

「『デュボワ』のハンバーガー食べた? めちゃくちゃ旨いよ」。私たち取材班にそう教えてくれたのは、2018年取材した『弘前シードル工房 kimori』の代表・高橋哲史氏。その後、私たちは津軽のあちこちでその店の名前を聞くことになりました。「他にはない味わいにハマった」、「オーナーのこだわりがすごい」。多くの人がそう絶賛するハンバーガーとはいったいどんなものなのでしょうか? 対面すべく向かった先は、弘前市中心部から車で15分ほどの平川市。田んぼが広がるのどかな景色の中、突然こじゃれたカフェが姿を現したのです。

ここ『ユイットデュボワ 八幡崎店』は、弘前市にある『カフェデュボワ 上白銀店』の姉妹店として、2019年2月にオープンしたばかり。青森県産牛100%のパティや青森県産の野菜、弘前市内のパン店に特別に注文したバンズを使用するなど、とことん「青森」にこだわったグルメバーガーの美味しさで、既に根強いファンを持っています。「グルメバーガーといっても、東京の人気店で出すようなリッチなタイプとは違うんです」と話すのは、オーナーの井上信平氏。曰く「目指すのは、僕がアメリカの地方都市に住んでいた頃毎日のように食べていた“田舎のハンバーガー”。シンプルであっさりしているから、もの足りないという人もいます。でもひとつ食べたら『しばらくいいや』と思うようなハンバーガーより、健康的だしホッとできる。食が細い人も、うちのハンバーガーはぺろっと食べてしまいますよ」。

津軽エリア内に2店舗を経営し、地元産食材にこだわる井上氏ですが、生まれも育ちも兵庫県の関西人。実はデザイン事務所の代表を務め、画家という顔も持っています。井上氏がなぜ津軽へ移り住み、活動を続けているのか。その話こそが、今回の記事のドラマチックな主題です。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

平川市は「気の流れがいい」と話す井上氏。店舗の2階は自身が運営するデザイン会社に。社名の『0172』は一帯の市外局番から拝借したそう。

青森県産牛の赤身肉の風味を生かすため、味付けは潔く塩・こしょうのみ。平川市の店では炭火でパティを焼くが、炭も香りがよく長持ちする近隣の大鰐町(おおわにまち)産を使う。

「濃厚プレミアムチーズバーガー」1,280円。それぞれの食材の味がしっかりと伝わってくる、記憶に残る美味しさだ。特別注文のバンズはイーストフード不使用。

店内で飲める他、ボトル販売も行う「自家製ジンジャーエール」(右)と青森県産カシス使用の「自家製カシスジンジャーエール」(左)。井上氏の奥様がレシピを開発。

津軽ボンマルシェ・ユイットデュボワきっかけは、津軽の情熱的な色彩。夢をかなえるため北国へ。

井上氏が津軽と出合ったきっかけは、意外にも海外での出来事でした。高校卒業後、デザインを学ぶためアメリカに留学した井上氏。当時のアメリカはインターネット黎明期、とにかく色々なものをインターネットで検索するうちに、たまたま見つけた青森ねぶた祭の写真に衝撃を受けたといいます。「こんなにカラフルで独特な色合いが生まれる場所には、いったいどんな文化があるんだろう、いつか住みたいと青森に憧れを持ちました」と井上氏。しかし帰国後は地元企業に就職、結婚し子供にも恵まれ、いつしか年齢は20代後半に。「中学生の頃の夢は人間国宝(笑)。それはまだしも、20歳になってから決めた『青森に住む』という夢さえかなえていない。ふと、それまで何も成し遂げていない自分が嫌になったんです」と井上氏は話します。

そうして井上氏は一念発起し、津軽移住を決意。印刷会社のデザイン部門に就職が決まり、家族で弘前市へやってきた27歳の時、井上氏の人生に影響を及ぼすもうひとつの出合いがありました。「道の駅の駐車場に車を停めて視線を上げたら、大きな岩木山がドーン!と見えて。不思議と『ようこそ』と言われた気がしたんです。その瞬間、自分はずっとこの山に会いたかったんだと確信しました」と井上氏。

苦節8年、ようやく独立しデザイン会社を設立。そんなある日、井上氏は岩木山の絵を描き始めます。時に激しいエネルギーを感じさせる原色で、時に優しげな淡い色調で、自分の中の岩木山を無心に描く……。まるでミューズを見つけたアーティストのように創作意欲を爆発させた井上氏は、やがて岩木山だけを描く画家としても知られるようになります。

平川市某所にある井上氏のアトリエには、大小様々な岩木山の絵が。先入観を持たずありのままに絵を感じてほしいと、全てタイトルはつけていない。

「店ではニコニコしているけど、普段は眉間にしわが寄ってます(笑)。仕事でも店のメニューでも『次はどうやってみんなを驚かせよう』って考えちゃって」と井上氏。

「自分はこの山に呼ばれて津軽に来た」。井上氏が直感的にそう直感したという岩木山は、津軽の人々の心の拠り所。今も山岳信仰の対象として知られる霊峰だ。

津軽ボンマルシェ・ユイットデュボワハンバーガーも絵も自己表現。表現の仕方を津軽が教えてくれた。

「それまではいくら絵を勉強したところで、絵が楽しいとも、自分から描きたいとも思えなかった。でも岩木山を描き始めたら気持ちががらりと変わって、とにかく描きたい時に描きたいだけ、作品を作るようになりました」。そう語る井上氏が、初めてのハンバーガー店『カフェデュボワ』をオープンしたのは2015年、移住から13年目のこと。長年広告デザインの仕事に携わる中、自分が店を経営すれば、より依頼者の気持ちに寄り添うことができると考えたのがその理由です。「例えば八百屋の店主が『旨い野菜を作っても売れない』と悩んでいたら、解決方法を一緒に考えるのがデザインの仕事。だったら自分が毎日食べ歩くほど好きだったハンバーガーでそれをやろうと思って」と井上氏。

デザインの仕事を生かす場として始めたハンバーガー店ですが、店作りの方向性や提供するハンバーガーについては「絵と同じ、自己表現」なのだと井上氏。「おかげさまで今は、絵を買いたいと言ってくださる方がたくさんいます。それって、『僕の捉える岩木山はこうですよ』という表現が、受け入れてもらえているということ。ハンバーガーも、4年も店が続いているのは、『僕はこういう食べものが好きなんです。あなたはどう?』という投げかけに、賛同してくれる人がいるからだと思っています」と続けます。

「津軽に来てわかったのは、感じたことをそのまま表現するのが大切だということ。住みたい所に住めばいいし、絵が描きたいなら描けばいい。なんだか、津軽に来てからすっかりスピリチュアルな感じになっちゃって(笑)。今、僕のライフワーク自体が自己表現なんです」。そう言い切る井上氏。津軽の地と岩木山に導かれ感性を開花させた井上氏には、少しの迷いも見えません。

最近は『ユイットデュボワ 八幡崎店』の横の空き地で、自然農法の畑もスタート。自家栽培の野菜を使ったメニューの提供も視野に入れ、目下農業を勉強中とか。

弘前市にある1号店の『カフェデュボワ』は、2017年、同じ弘前市内に移転。市役所や弘前公園に近いビルの2階で『カフェデュボワ上白銀店』として営業している。

『カフェデュボワ 上白銀店』店内。店の入り口脇では、近所の福祉施設から届く朝採れ野菜やジャムなどの加工品の販売スペースも。

津軽ボンマルシェ・ユイットデュボワ津軽に暮らし続けたい。その想いが地域貢献につながる。

ライフワーク=自己表現と語る井上氏ですが、その裏には常にひとつのテーマがあります。それが「青森の発展に寄与する」こと。青森県産食材を使うこともそのひとつですが、例えば『デュボワ』の2店舗では、働き口を見つけづらい子育て中の母親を積極的に採用。子持ちスタッフが多いことを考慮して夜営業は予約のみで受けつけるなど、働きやすい環境を整えています。また代表を務めるデザイン会社は、若手クリエイターの受け皿に。「働く場所があれば他県への人口流出も防げますし、県外からの移住者を助けることもできる。経営規模を大きくすることが、自分ができる地域貢献だと思います」と井上氏。

2019年『ユイットデュボワ 八幡崎店』を郊外の平川市に作ったのは、自身が弘前市から平川市に引っ越したことがきっかけ。もともと近所同士のつながりが非常に強い地域のため、「若い人を含め、もっと人が行き交える場所を」と2号店の出店を決意したそうです。オープン時には地元の人たちを招待し、今ではハンバーガーを楽しみに通う70代の常連客を持つなど、地域に愛される店となってきました。
地域に根差した理由を聞くと、「津軽の人口が減少して街がなくなるようなことになったら、岩木山のそばに住めなくなるじゃないですか」と笑う井上氏。しかし、その根底には、自身の生き方を変えてしまうほど強いエネルギーを持った、津軽への並々ならぬ愛情が感じられます。1枚の青森ねぶた祭の写真から動き出した、井上氏と津軽を巡る物語。画家活動、ハンバーガー店経営、そしてその次は? 岩木山に導かれ、勢いが止まりそうもない井上氏のこと、今後ますます肩書を増やしながら活躍を続けるに違いありません。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

チラシやポスター、ウェブデザインなどの制作を請け負う会社『0172』のオフィスで、若手スタッフと談笑。畑の作業も、スタッフみんなで行っているそう。

地元の小学校などで絵の講師も務め、「いつか津軽に美術学校を開きたい」と語る井上氏。「感じたまま描こう」と教える教室では、子どもたちの自由な感性が羽ばたく。

住所:青森県平川市八幡崎松枝42-1 MAP
電話:0172-40-2838
ユイットデュボワ 八幡崎店 HP:https://8dubois.com/

住所:青森県弘前市上白銀町1-10 MAP
電話:0172-88-6812
カフェデュボワ 上白銀店 HP:http://dubois-cafe.com/

『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』販売開始! [DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

ダイニングアウト輪島

来る2019年10月5日(土)、6日(日)に「DINING OUT WAJIMA with LEXUS」を石川県輪島市にて開催します。

輪島市内中心部から車で約20分の場所に広がる棚田「白米千枚田」は、エリア屈指の景勝地。

ダイニングアウト輪島自然と共に生き、漆文化を大成させた地・輪島とは。

今回の『DINING OUT』の舞台は、日本海に突き出した能登半島北部に位置する、石川県輪島市です。門前町から続くのは、実り豊かに育まれた美しい棚田や海岸線に、のどかな里山や里海の景色。ここには、誰もが懐かしさを感じずにはいられない、人と自然が共生する日本の原風景が大切に残されているのです。また、曹洞宗大本山總持寺祖院をはじめ、多くの神社仏閣が点在。今なお、人々の暮らしに密接して存在しています。

そして、この地を代表する伝統工芸といえば、言わずと知れた「輪島塗」。漆器のことを英語では「japan」とも訳されます。陶磁器を「china」と呼ぶのと同様に、国名と同じ名をもつ漆器は、まさに日本を代表する伝統工芸品です。16世紀後半、日本に渡来したヨーロッパ人は、神社仏閣の建築装飾から日常生活の調度品に至るまで、日々の暮らしの中に漆芸品が溢れている様を見て、「この国は漆を精神の拠り所としている漆文化の国(japan)」と認識したそう。そんな日本の中でも輪島は、最も高度かつ広汎に漆文化が花開いた舞台なのです。

では、つい最近まで、日本人の生活文化に根づいていた、日本人が愛していた漆文化とは、一体何なのか? なぜ、輪島に最大の漆文化が花開いたのか? その答えを辿った先には、輪島スタイルともいえる、自然とアートと生活を融合させる感性がありました。

今回の『DINING OUT』は、そんな輪島という土地で、「漆文化の国(japan)の精神の源流を紐解き、真の豊かさを探る」というテーマをかかげ、開催します。

トータルで124にも及ぶ細かい工程を経て作られる「輪島塗」の漆器。

ダイニングアウト輪島史上初のダブルシェフ&ダブルホスト! 豪華メンバーが共演

今回の料理では、『DINING OUT』史上初の試み、ふたりのシェフのコラボレーションが実現します。
ひとり目は、東京・西麻布「AZUR et MASA UEKI」の植木将仁シェフ。日本の優れた食材をフランス料理の技法で調理する「和魂洋才」をコンセプトにした、オリジナリティ溢れる料理で定評があります。石川県の出身であり、能登半島の食材の知識も豊富です。

ふたり目は、ジョシュア・スキーンズ氏。2009年に熾火料理を主としたスタイルの「Saison」をオープン。最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び、熾火料理では唯一ミシュランの3つ星を獲得。現在は、ローレント・グラス氏に「Saison」を引き継ぎ、更なる革新の為 「Saison Hospitality」を設立。さらなる革新の為のラボ「Skenes Ranch」、シーフードコンセプトの「Angler」などをオープン。今、世界が最も注目するシェフの一人です。

一方、ホスト役も2名がスタンバイ。ディナーホストを務めるのは、『DINING OUT』ではおなじみ、7回目の登場となるコラムニストの中村孝則氏。ツアーホストには、東洋文化研究家のアレックス・カー氏を迎えます。

東京・西麻布「AZUR et MASA UEKI」の植木将仁シェフと、ジョシュア・スキーンズシェフ。

ディナーホストは『DINING OUT』ではおなじみ、コラムニストの中村孝則氏。ツアーホストは東洋文化研究家のアレックス・カー氏が務める。

ダイニングアウト輪島「輪島塗」の歴史を塗り替えるプロジェクト『DESIGNING OUT Vol.2』も共に。

そして、今回は更なるサプライズをご用意。「輪島塗」に新たな息吹をもたらすプロジェクト『DESIGNING OUT Vol.2』も同時開催します。

『DESIGNING OUT』とは、『ONESTORY』と雑誌『Discover Japan』、そして地域に知見のあるクリエイターがチームを組み、地場産業や伝統工芸に焦点を当てたモノ作りを行うことで、地域の価値を再発見するプロジェクト。その土地の文化や自然、歴史などを積極的に取り入れた、新しいプロダクトを開発、発信します。
DESIGNING OUT Vol.1』では、創業400年という有田焼の歴史とその起源を回顧。有田、伊万里、唐津の3地域より、13名の窯元・作家が集い、12のスペシャルな器を作り上げました。

そして今回、『DESIGNING OUT Vol.2』が始動。クリエイティブプロデューサーとして、新国立競技場のデザインを手がけたことも記憶に新しい、世界的な建築家である隈研吾氏を迎えてお送りします。
隈氏と輪島塗職人が共に開発する、新しい輪島漆器とは? 植木シェフとジョシュアシェフのコラボレーション料理が盛り付けられることで完成するその全貌を、ぜひ究極のダイニングで確かめてください。

また、『DINING OUT』をサポートし続ける『LEXUS』は、その日その時しか経験できない唯一無二の体験に共感し、『LEXUS』車による送迎とドライビングプログラムを提供。美しい棚田や海岸線、門前町や里山など、日本の原風景が残る輪島を、『LEXUS』とともにご体験ください。

今だかつてない豪華メンバーを結集させた『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』。どうぞご期待ください。

『DESIGNING OUT WAJIMA』のクリエイティブプロデューサーを務める隈研吾氏。

今回もフラッグシップモデルLSをはじめとしたLEXUSがゲストの送迎に登場する。

開催日程:2019年10月5日(土)、6日(日) ※2日程限定
募集人数: 各日程40名、計80名限定
開催地:石川県輪島市
出演 : 料理人 植木 将仁 (AZUR et MASA UEKI) × ジョシュア・スキーンズ (Chef/Founder)
        ホスト 中村 孝則(コラムニスト) × アレックス・カー(東洋文化研究家)
オフィシャルパートナー:LEXUS (https://lexus.jp/brand/dining_out/
オフィシャルサポーター:輪島市、わじまFUNCS、輪島漆器商工業協同組合(DESIGNING OUT)

1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』『RESTAURANT & BAR J』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。
http://www.restaurant-azur.com/

2006年、『Saison』のコンセプトを産み出し、2009年にサンフランシスコにて1号店をオープン。
熾火料理を主とした料理スタイルで食材の自然のあるべき姿を尊重しながら、最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び,アメリカ人として熾火料理で唯一ミシュランの3つ星を獲得。「the world’s 50 best restaurant」、「Food & Wine’s 」のベストニューシェフ、「Elite Traveler Magazine’s」の次の世代を担う最も影響力のあるシェフ15名にも選出される。2016年、更なるイノベーションの促進と成長のプラットフォームを提供するために、『Saison Hospitality』 を設立。2017年には想いをLaurent Gras氏に引き継ぎ『Saison』の現場から完全に身を引き、さらなる革新と研究のラボラトリーとして『Skenes Ranch』を設立。同年、サンフランシスコ沿岸に Skenesの海に馳せる想いを込めた『Angler』をオープンさせると、 2018年 Esquire Magazineにて全米のベストニューレストラン、GQにおいても全米ベストニューレストランに選出され、ミシュラン一つ星を獲得。2019年にはビバリーヒルズに『Angler』 の2号店をオープン。今、世界が最も注目する料理人の一人である。

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャー、グルメ、旅やホテルなど、ラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、TVにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を授勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士の称号も授勲した。(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称) 2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/

1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始した。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が、外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年には徳島県三好市祖谷にて、NPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。

打ち上げ花火で終わらないために。祭りのあとの浅虫に、遺されたもの、変わったこと。[DINIG OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

陸奥湾に浮かぶ湯の島を中心に、さまざまな魅力を持つ浅虫温泉。その価値の再発見こそが、この『DINING OUT』の使命。

ダイニングアウト青森浅虫課題も抱える北の温泉街、その変化と今後の目標とは。

2019年7月に開催された『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』。青森の豊かな海の幸を、魚介フレンチのスペシャリト・目黒浩太郎シェフが類まれなセンスで伝えた2夜限りの晩餐は、いつまでも鳴り止まぬ拍手とともに幕を下ろしました。

もちろんこの成功は、目黒シェフの料理だけではなく、青森の食材や浅虫温泉という土地の魅力、地元スタッフの連携などさまざまな要素の結果。そして終演後、誇りに満ちた晴れやかな顔の地元スタッフを見るにつけ、この『DINING OUT』がひとときの盛り上がりではなく、地元を変える第一歩となるであろうことを確信するのです。

そう、『DINING OUT』の理念は、地域に眠る魅力を掘り起こし、そこに新たな価値を創出すること。晩餐の終盤に陸奥湾に上がった打ち上げ花火のようにただ消えていくのではなく、今後も継続的に地元が発展する、そのきっかけとなることを目指しているのです。

地元住民の熱意はあるものの、全国の多くの温泉地と同様に、数々の課題も抱える浅虫温泉。では今回の『DINING OUT』は浅虫に何を残し、浅虫はどう変わっていくのでしょうか? 

【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS 

イベント当日だけではなく、その後の変化もあっての『DINING OUT』。目黒シェフもその思いを地元に伝えた。

ダイニングアウト青森浅虫地域に根付いた見えざる絆。それこそが最大の収穫。

浅虫温泉は、陸奥湾に沿って弓状に伸びる海岸線に10軒ほどの温泉旅館が連なる小さな温泉街。しかし娯楽施設や土産物売り場を併設した大型の旅館が多く、別の旅館で働くスタッフ同士の繋がりは生まれにくい状況でした。

しかし、『DINING OUT』に参加し、同じ目標に向けて邁進したスタッフ同士は、もはや仲間。サービススタッフとして参加したある旅館の番頭さんは「顔は知っているけど話したことがない方々と知り合うことができました。これは街の活気に繋がる財産だと思います」と話しました。キッチンスタッフとして腕を振るった板前さんも「料理人同士で意見交換できるようになったことが、想像以上の収穫です」と言います。

過去の『DINING OUT』においても、この“参加した地元スタッフの交流”が大きな効果を生んでいます。なかには知り合ったスタッフ同士が声を上げ、地元だけの力で行う野外レストランイベントが開催されることも。数夜限りの『DINING OUT』ですが、そこで生まれた絆は、変わることなく地元に残されるものなのでしょう。

時間とともに表情に自信が見えたサービススタッフ。シェフもその姿を見守った。

ひとつの目標に邁進したこれほどの仲間がいることが、浅虫の今後の力になる。

各旅館の料理人たちも厨房スタッフとして参加し、互いに認めあった。

ダイニングアウト青森浅虫晩餐の会場を、今後も続く新たな観光名所に。

今回の『DINING OUT』が残したものは、目に見えないスタッフの絆ばかりではありませんでした。形として浅虫に残り、これからも続くもの。そのひとつが、今回の晩餐に使用された会場です。

過去15回開催された『DINING OUT』ですが、その多くの舞台は史跡や名勝が使用されました。本来食事をする場所ではなく、しかしその土地を象徴するような会場。そこで楽しむディナーだからこそ、特別な時間を演出し、その地の魅力を改めて伝えるのです。

そして今回の会場に選ばれたのは浅虫温泉の高台に建つ陸奥護国寺でした。起源をたどれば鎌倉時代中期にまで遡る歴史ある密教寺院の境内が、晩餐の会場です。しかも今回は、ただ機材を運び込むだけではありません。生い茂る木々が視界を遮り、凹凸のある地面は足を取る。そこで、ご住職の理解を得たうえで、この地を手入れし、今後も地元の名所となるような展望を蘇らせたのです。

会場を作り出すために現場に手を入れることは、『DINING OUT』で初めての試みです。イベントのために土地に手を入れることに、賛否はあるかもしれません。しかし手入れをして今後も継続的に使用される場所を生み出すことに、未来への希望を託しました。同時に「あじさい募金」を発足し、この会場への道に咲く美しいあじさいを守り、さらに増やす試みも始められています。現在はまだ小さな活動ですが、やがてこのあじさいの小径が浅虫を代表する名所となり、またこの会場が浅虫の消えない情熱の象徴となることを目指して。

手を入れる前の陸奥護国寺境内の様子。木々に遮られ、眺望は望めない状況だった。

護国寺の住職や地元の方々と何度も話し合い、景観を整える事で、遮るものなく湯の島を一望できるようになった境内は、今後は浅虫名所として活用される予定。

石段の脇や境内までの通路脇に咲く紫陽花。今後、紫陽花名所として知られることになるかもしれない。

ディナー終了後に「あじさい募金」を募り、今後も継続的に使用できる名所づくりの協力を仰ぎました。

ダイニングアウト青森浅虫浅虫の財産を活かすために、シェフから手渡された朝食のレシピ。

「浅虫は、なまじ素材が良いものだから、手間をかけた料理が少ないのかもしれません。そのまま刺身にすれば十分おいしいわけですからね」とある老舗旅館の旦那は、そう話しました。たしかに目の前に広がる陸奥湾の恵みは四季折々。鮮度抜群で豊富な魚があれば、凝った料理は不要なのかもしれません。しかし温泉という非日常に踏み入れたゲストにとって、「食」が印象を左右する重大な要素であることも事実。そんな浅虫温泉に、目黒シェフから贈り物がありました。それは陸奥湾の魚介をシェフのアイデアでアレンジする朝食のレシピです。

その料理は、青森でよく食べられる山菜であるミズを細かく刻み、同じく刻んだアジの刺身や薬味とともに貝のスープと合わせる冷たい魚介スープ。魚や野菜を入れ替えれば通年作ることが可能で、さっぱりとした中に魚介の旨味がしっかりと詰まった浅虫の朝食にふさわしい一品です。見えないところに手間暇をかけることで、さらに輝く陸奥湾の魚介。あまりに近くにあり過ぎて、地元の人は気づかなかった財産に改めて気づいてほしい。そんなメッセージを込めた、シェフからの贈り物でした。

このレシピを伝える場には、各旅館の大女将や社長も参加。もちろん旅館ごとに置かれる状況は異なり、そのままのレシピで提供し続けることは難しいかもしれません。しかし、目黒シェフの思いはしっかりと伝わった様子。「素晴らしいシェフが、浅虫のために考えてくれた料理。これをこれから変わっていくきっかけにしないとね」とある女将のそんな言葉が印象的でした。

シェフが遺した山菜と魚介のスープ。これからも「浅虫の朝食」として受け継がれる予定。

旅館によりアレンジや盛り付けは異なるが、そこに込められた思いは同じ。

目黒シェフの話に聞き入る旅館の社長や大女将。その真剣な眼差しは、浅虫の未来を思えばこそ。

1985 年、神奈川県生まれ。祖父は和食の料理人、母は栄養士とい う環境で育つ中で自然と料理人を志す。服部栄養専門学校を卒業後、 都内複数の店で修業後、渡仏。フランス最大の港町マルセイユのミシ ュラン三ツ星店「Le Petit Nice」へ入店し、魚介に特化した素材の 扱いやフランス料理の技術を習得。帰国後には日本を代表する名店 「カンテサンス」にて、ガストロノミーの基礎ともなる、食材の最適 調理や火入れなどさらに研鑽を積んだ。2015 年、「abysse」をオープ ン。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化し たフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得している。
abysse HP:https://abysse.jp/

ひとりの少女が日常と非日常を交錯する、南会津のトリップムービー。[南会津ショートフィルム/福島県南会津郡]

南会津ショートフィルム/高橋健人木村カエラから南会津まで、独自の映像を創造する高橋健人の世界。

感性も手法も異なる4人の映像作家の作品を通じて、様々な角度から南会津の魅力をお伝えする「南会津ショートフィルム」。1作目として、ミュージックビデオや舞台映像演出、CMなど多方面で活躍する映像ディレクター、高橋健人氏による「escape/regain南会津」が公開されました。東京で暮らす女の子が着の身着のまま南会津へと逃避行し、自然や人の営みに触れてゆく中で明日への活力を取り戻すーーそんな小さな物語を、「雑然として騒々しい見慣れた東京」と「雄大な自然に囲まれた閑静で美しい南会津」という、相対するシーンを重ねながら表現しています。

「自分も含めて都会に暮らす人にとっては、南会津の雄大な景色だけを見ても非日常に感じられてしまうと思いました。でも実際は東武鉄道で3時間半、乗り換えなしでふらっと行けてしまうという事実があって。意外と近い南会津をどう表現したら身近に感じてもらえるだろう、そこを考えることから始まりました」。

そうして高橋氏が出したキーワードは「リアリティ」。非日常的な場所(=南会津)が身近にあるという「リアル」に気づいて欲しいと高橋氏が選んだのは、多くの人が身近に感じるであろう東京の景色からストーリーを始めるということでした。「見慣れた東京の日常があることで、非日常の南会津の風景も自然なものとして入ってくるのではないかと。理屈ではなく、感覚的に『身近さ』を感じられる作品になっていると思います」。

作品づくりにおいては、「予想と真逆のことを必ず盛り込む」ことを大切にしているという高橋氏。例えばミュージックビデオなら、激しい曲調にあえて止まった画をあてるなど、一見相反する要素を入れることで対象の魅力を強調させたり、盛り上げることができる、と語ります。今回の作品もまさにこういった表現方法が全編通して使われているのですが、さらに印象的なのは、全く異なる東京と南会津の風景に共通点を見出し、対比させていること。独自の視点で切り取られた風景の対比をテンポよく表現することで、視聴者はより強くその世界に引き込まれていきます。

【関連記事】NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

あるひとりの少女が旅をする南会津のショートムービー。この「観音沼森林公園」を始め、様々なスポットが映像の舞台になっている

南会津の風景の特徴は、連なる低山と雲との交錯。この街だからこそ形成できる自然の描写も、高橋監督のこだわったところ。

南会津ショートフィルム/高橋健人秘めたる自然と人の営みが示す、実直に生きる尊さ。

「南会津のメジャーなスポットももちろん素晴らしくどれも画になるのですが、それより心惹かれたのは、そこへ向かう道中で見た田んぼ道や、地元の人しか訪れないであろう奥まった場所にある神社など、ありのままに守られてきた風景でした」と語る高橋氏は、南会津の人々による、質素で、丁寧で、真面目な営みに心打たれ、それもまた南会津の魅力のひとつだと思えたそうです。作品にはこうして偶然出会った美しい風景たちが、随所にちりばめられています。

地域の人々が丁寧に管理し守ってきたものに触れていく中で、自身も丁寧に真面目に毎日を過ごそうと思えるような、「心がしゃんとする」気持ちを感じたという高橋氏。それは「癒し」とは少し異なる「回復する」感覚であり、作品には「escape/regain南会津」というタイトルが付けられました。物語の中でとりわけ印象的なのが、主人公が水中に飛び込むシーン。南会津の清らかな水が体を包み込み、流れに身をまかせるようなアクションに、回復していく気持ちの切り替えを表現したといいます。

「何気ない風景に感じる南会津の魅力を盛り込んだ作品になったのは、少しひねくれた自分らしい視点だと思っています。しかし南会津はどこを撮ってもいい景色で、『リアリティーのある身近な』というさじ加減がすごく難しかった。ものすごく贅沢な悩みでした」。

思考を超えた、感覚的な視点から見る南会津の風景は、心にどう映るのか。感性を解放した先にたどり着くのは、この物語のように清らかで、慈愛に満ちた世界かもしれません。


(supported by 東武鉄道

宮城県仙台市出身。 音楽と密接にリンクしたグルーヴ感のある映像表現を得意とし、 andropや木村カエラのミュージックビデオや、TVCM、ステージ演出、VJなど 幅広いジャンルでの演出を行い、2012年には「映像作家100人」に選出されている。

監督 高橋健人
編集 磯部今日平
編集協力 平澤里奈
撮影監督 武田浩明
撮影助手 土井陽
音楽 宮﨑雨水男
マネージャー 吉田彩乃

プロデューサー 植田 城維、北代 武士
制作 原田 大誠、川嶋紀貴、政岡 祐子
スチール nasatam
車両 佐藤 学
南会津コーディネーター 瀬田恒夫

出演 ウハラ

撮影協力
クライミング ホンダタツ、さいとうゆき、金田 英俊

大内宿
只浦 豊次、佐藤 顕、安倍ユミ子

ひとりの少女が日常と非日常を交錯する、南会津のトリップムービー。[南会津ショートフィルム/福島県南会津郡]

南会津ショートフィルム/高橋健人木村カエラから南会津まで、独自の映像を創造する高橋健人の世界。

感性も手法も異なる4人の映像作家の作品を通じて、様々な角度から南会津の魅力をお伝えする「南会津ショートフィルム」。1作目として、ミュージックビデオや舞台映像演出、CMなど多方面で活躍する映像ディレクター、高橋健人氏による「escape/regain南会津」が公開されました。東京で暮らす女の子が着の身着のまま南会津へと逃避行し、自然や人の営みに触れてゆく中で明日への活力を取り戻すーーそんな小さな物語を、「雑然として騒々しい見慣れた東京」と「雄大な自然に囲まれた閑静で美しい南会津」という、相対するシーンを重ねながら表現しています。

「自分も含めて都会に暮らす人にとっては、南会津の雄大な景色だけを見ても非日常に感じられてしまうと思いました。でも実際は東武鉄道で3時間半、乗り換えなしでふらっと行けてしまうという事実があって。意外と近い南会津をどう表現したら身近に感じてもらえるだろう、そこを考えることから始まりました」。

そうして高橋氏が出したキーワードは「リアリティ」。非日常的な場所(=南会津)が身近にあるという「リアル」に気づいて欲しいと高橋氏が選んだのは、多くの人が身近に感じるであろう東京の景色からストーリーを始めるということでした。「見慣れた東京の日常があることで、非日常の南会津の風景も自然なものとして入ってくるのではないかと。理屈ではなく、感覚的に『身近さ』を感じられる作品になっていると思います」。

作品づくりにおいては、「予想と真逆のことを必ず盛り込む」ことを大切にしているという高橋氏。例えばミュージックビデオなら、激しい曲調にあえて止まった画をあてるなど、一見相反する要素を入れることで対象の魅力を強調させたり、盛り上げることができる、と語ります。今回の作品もまさにこういった表現方法が全編通して使われているのですが、さらに印象的なのは、全く異なる東京と南会津の風景に共通点を見出し、対比させていること。独自の視点で切り取られた風景の対比をテンポよく表現することで、視聴者はより強くその世界に引き込まれていきます。

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あるひとりの少女が旅をする南会津のショートムービー。この「観音沼森林公園」を始め、様々なスポットが映像の舞台になっている

南会津の風景の特徴は、連なる低山と雲との交錯。この街だからこそ形成できる自然の描写も、高橋監督のこだわったところ。

南会津ショートフィルム/高橋健人秘めたる自然と人の営みが示す、実直に生きる尊さ。

「南会津のメジャーなスポットももちろん素晴らしくどれも画になるのですが、それより心惹かれたのは、そこへ向かう道中で見た田んぼ道や、地元の人しか訪れないであろう奥まった場所にある神社など、ありのままに守られてきた風景でした」と語る高橋氏は、南会津の人々による、質素で、丁寧で、真面目な営みに心打たれ、それもまた南会津の魅力のひとつだと思えたそうです。作品にはこうして偶然出会った美しい風景たちが、随所にちりばめられています。

地域の人々が丁寧に管理し守ってきたものに触れていく中で、自身も丁寧に真面目に毎日を過ごそうと思えるような、「心がしゃんとする」気持ちを感じたという高橋氏。それは「癒し」とは少し異なる「回復する」感覚であり、作品には「escape/regain南会津」というタイトルが付けられました。物語の中でとりわけ印象的なのが、主人公が水中に飛び込むシーン。南会津の清らかな水が体を包み込み、流れに身をまかせるようなアクションに、回復していく気持ちの切り替えを表現したといいます。

「何気ない風景に感じる南会津の魅力を盛り込んだ作品になったのは、少しひねくれた自分らしい視点だと思っています。しかし南会津はどこを撮ってもいい景色で、『リアリティーのある身近な』というさじ加減がすごく難しかった。ものすごく贅沢な悩みでした」。

思考を超えた、感覚的な視点から見る南会津の風景は、心にどう映るのか。感性を解放した先にたどり着くのは、この物語のように清らかで、慈愛に満ちた世界かもしれません。


(supported by 東武鉄道

宮城県仙台市出身。 音楽と密接にリンクしたグルーヴ感のある映像表現を得意とし、 andropや木村カエラのミュージックビデオや、TVCM、ステージ演出、VJなど 幅広いジャンルでの演出を行い、2012年には「映像作家100人」に選出されている。

監督 高橋健人
編集 磯部今日平
編集協力 平澤里奈
撮影監督 武田浩明
撮影助手 土井陽
音楽 宮﨑雨水男
マネージャー 吉田彩乃

プロデューサー 植田 城維、北代 武士
制作 原田 大誠、川嶋紀貴、政岡 祐子
スチール nasatam
車両 佐藤 学
南会津コーディネーター 瀬田恒夫

出演 ウハラ

撮影協力
クライミング ホンダタツ、さいとうゆき、金田 英俊

大内宿
只浦 豊次、佐藤 顕、安倍ユミ子

標高1,200mの絶景の中に拓かれた、日本初の山岳リゾート。[Snow Peak FIELD SUITE HAKUBA KITAONE KOGEN/長野県北安曇郡白馬村]

世界有数の絶景スポット・白馬の八方尾根の中でも最もダイナミックな景観を誇る北尾根高原に、snow peakが総合監修したグランピング施設が誕生。

スノーピーク フィールドスイート 白馬・北尾根高原北アルプスの絶景と大自然を独り占め!

夏のリゾートといえば高原! 暑さが増すにつれて山に惹かれる「山派」には、心浮き立つ季節の到来です。
そんな山を愛する人々垂涎(すいぜん)の、爽快なグランピング施設が白馬に誕生しました。
 
その名は『Snow Peak FIELD SUITE HAKUBA KITAONE KOGEN(スノーピーク フィールドスイート 白馬・北尾根高原)』(以下『FIELD SUITE』)。
標高3000m超の北アルプスの頂上から、標高800mの山麓までを一望できる、日本初の「山岳リゾート」。標高差2000m以上にも及ぶ、白馬のダイナミックな絶景を独り占めできます。

アウトドアのトップブランド・snow peakのプロデュースによる至れり尽くせりのグランピング体験。

白馬の大自然を貸し切り感覚で満喫できる!夜の星空から明け方まで、何もかもが美しい。

スノーピーク フィールドスイート 白馬・北尾根高原全てのコンテンツがゴージャスな「特別」。

『FIELD SUITE』の自慢は3つの「日本初」。下記の「他にはない」特別で、訪れたゲストを魅了してくれます。
 
まずは何度強調しても足りない白馬の絶景。海外からの観光客も目を見張る、日本離れした眺望が楽しめます。
 
次に専任のコンシェルジュが常駐していること。
国内最高単価(1泊あたり7~11万円)のグランピング施設にふさわしく、最大16名(8室×2名)のゲストに対して、それを超える20名以上のスタッフがおもてなし。リゾートホテル並みのホスピタリティーで、準備がいっさい不要な極上のアウトドア・リゾートを演出してくれます。
 
最後は、料理の質も重んじるオーベルジュ・スタイルであること。
食事はテントルーム内で供しつつ、クロス敷きのテーブルにカトラリーやワイングラスを並べた、高級リゾート並みのコースディナーとなっています。イタリアの星つきレストランで約6年間修業したシェフのハイレベルな料理は、長野の豊かな食材と相まって、極上の充足感をもたらすでしょう。

大自然の中でラグジュアリーな晩餐を堪能(写真はディナーテーブルのセッティング)。

約50㎡の空間と、同じく約50㎡のデッキを備えた「テントルーム」の内部。写真はテストイベント時の撮影のため、オープン後は更にゆったりしたしつらえとなる。

全天候型で快適さを追求した「住箱スイート」。約100㎡のウッドデッキをリビングルームにすることができ、「フィールドスイートルーム」と呼ぶにふさわしい佇まい。

スノーピーク フィールドスイート 白馬・北尾根高原2タイプの客室で優雅な休日を過ごす。

『FIELD SUITE』の客室は、特別に開発された7室の「テントルーム」と、1室の「住箱スイート」で成り立っています。
 
グリーンシーズン(5月~11月)は、テントルームで白馬ならではの大自然とアウトドアを満喫。そしてスノーシーズン(12月~4月)は、日本屈指の建築家・隈 研吾氏の設計によるモバイルハウス「住箱-JYUBAKO-」をアレンジした「住箱スイート」で、静寂に満ちた白銀の世界に佇むことができます。
 
優れた断熱性能を備え、エアコンも完備したこの「住箱スイート」は、「ゲストに白馬の醍醐味であるパウダースノーを暖かく快適にお楽しみ頂きたい」というスタッフの心遣い。更にスキー場内に設置されているので、朝一番にバージンスノーを滑降することもできます。
 
人里離れた高山の懐(ふところ)は、日常を忘れられる異空間。夕方からは一般客も去り、物音ひとつしない静寂の世界が広がります。

刻々と暮れなずむ空から、満天の星、ご来光まで、ここに滞在しないと見られない絶景がたっぷり!

パーティスタイルのディナー。白馬の魅力を知り尽くしたスタッフや、他のゲストたちとの語らいも楽しめる。 

空が燃えているのような白馬のご来光。雄大な北アルプスを染めるモルゲンロートは、白馬が最も美しく輝く瞬間(鑑賞期間:4月下旬~11月上旬)。

「住箱スイート」は現在1室のみだが、将来的には8室まで増やす予定。

スノーピーク フィールドスイート 白馬・北尾根高原気の向くままに、フリーダムに。白馬の自然を遊び尽くす! 

これだけ贅沢な空間ゆえに、「何もしない贅沢」もお勧めですが、白馬・北尾根高原の大自然を満喫できるエクスペリエンス(体験)も見逃せません。
 
爽やかなブナ林を散策できる、片道約30分の『森のトレイル』(5月下旬~11月上旬)。白馬三山を眺めながら入れる『高原の露天温泉』。200種類を超える山野草が広大な原野にさざめく『ネイチャーフラワーパーク』など、白馬を満喫できる体験が目白押し!
懇切丁寧なコンシェルジュのサポートで、やはり準備不要の快適なアウトドア体験ができます。

身も心も解きほぐされる、客室デッキでの『高原マッサージ』。

オプションの『カヌーランチ』。期待以上の忘れられない休日が待つ。

常駐の専属シェフによる大満足のディナー。

スノーピーク フィールドスイート 白馬・北尾根高原降るような星空のもとで、ゴージャスなディナーとドリンクに酔う。

一日のフィナーレを飾るディナーは、常駐の専属シェフによる贅沢なコースメニューです。
 
長野県内の牧場から仕入れた牛肉や乳製品、寒暖差で甘さと旨味を蓄えた野菜やエディブルフラワーなど、高品質な地元産にこだわった料理と、やはり長野県産の希少なワインとのマリアージュが楽しめます。
 
更に朝食は、のんびりゆったり味わえるルームサービス・スタイル。白馬の絶景を望める客室内で、やはり手間ひま不要のグルメを堪能できます。加えて、チェックアウト後のアクティビティに持参できるランチボックスもサービス。滞在中のドリンクは全てインクルーシブ(宿泊料金に込み)で、ソフトドリンクからアルコールまで好きなだけ飲むことができます。

オールフリーのドリンクカウンター『カモシカラウンジ』には、信州特産の希少なワインや地ビールなどが盛りだくさん(14:00~16:30 / 7:00~10:00)。

ディナー後から22:00までオープンの『焚き火バー』では、こだわりのおつまみも提供。

雪上の『焚き火バー』。冬には冬の楽しみが待つ。

スノーピーク フィールドスイート 白馬・北尾根高原静寂漂う大人のリゾートと、あらゆる層へのホスピタリティを両立。

「グラマラス(魅惑的な)」+「キャンピング」を組み合わせた造語であり、ホテル並の快適なサービスを旨とする「グランピング」。その中でも『FIELD SUITE』は、ご紹介したとおりの数ランク上のサービスを味あわせてくれます。

白馬という唯一無二のフィールドを舞台に、手ぶらでホテル並みの快適なアウトドア体験を。そんな“オールインクルーシブ”な大人向けのスポットですが、今後はさらにサービスを充実させていくそうです。
 
「基本的にはお子様をお断りし、大人がゆったり過ごせる空間を提供してまいりますが、今後はテーマを設けてファミリーウィーク・スパイベント・ワインイベント・デジタルデトックスなど、お客様に合わせた付加価値を提供していきたいと考えております」とのこと。
 
オープン直後から進化を続ける、ラグジュアリーな新スポット。
ここにしかない「特別」を求めて、多くの人々が訪れそうです。

アフリカのサファリパークやカナダの国立公園内のグランピングにも負けないレベルを目指す(写真はシェフズテーブルによる朝食)。

全てを表現する大自然の中で、心も高みに導かれていく。

住所:長野県北安曇郡白馬村 白馬・北尾根高原内 MAP
電話:090-2524-4555
休日:なし
料金:7万円~(おひとり様あたり・1泊3食/ドリンク・送迎等オールインクルーシブ)
FIELD SUITE HAKUBA KITAONE KOGEN HP:fieldsuite-hakuba.com

日本食文化の一大潮流「アマゾンカカオ」。その仕掛け人のシェフが軽井沢にレストランを開くまで。[LA CASA DI Tetsuo Ota/長野県軽井沢町]

ラ カーサ ディ テツオ オオタOVERVIEW

2019年6月、軽井沢の別荘地にある1軒の瀟洒(しょうしゃ)な建物で、とあるレストランの開店準備が進められていました。完成したばかりの看板には『LA CASA DI Tetsuo Ota』の文字。この「太田哲雄」という名に聞き覚えのある方も多いことでしょう。アマゾン産の高品質なカカオ「アマゾンカカオ」を世に送り出し、レストランの現場から少し離れた現在も日本の外食シーンに多大な影響を及ぼし続ける人物です。

そんな太田氏が、満を持して作り上げたレストラン兼カカオラボこそ、この『LA CASA DI Tetsuo Ota』なのです。長野県白馬村で生まれ、自然に囲まれながら育った太田氏。海外の名だたる店で腕を磨き、料理人としてだけではない多彩な視点で食を見つめる太田氏が、新天地・軽井沢で刻む新たな一歩です。

一方で、「長野県人として、軽井沢だけにフォーカスしたくない」とも。長野県全域から食材を探し、更に自身のキャリアの中で出合った各国の食材も積極的に使用。もちろんアマゾンカカオも重要な食材として登場します。太田氏が標榜するのは食材の消費だけでなく、地域全体の食の底上げによる「地産地消の一歩先」。そんな言葉に込められた思いを紐解きます。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町大字発地342-100 MAP

電話:0267-41-0059

「情の時代」に直面している問題を「情」により打ち破ることを目指し、現代社会の課題に挑む。[あいちトリエンナーレ2019/愛知県名古屋市・豊田市]

国内外から92組以上のアーティストを迎え、現代美術に66組、映像プログラムに14組、そして舞台芸術に9組、更に音楽プログラムに3組が登場。ゴージャスなラインナップで人々を魅了する(2019年7月8日時点の発表)。

あいちトリエンナーレ2019今、この時代にこそ問いかけるべき課題を多様なアート群で表現。

現代アートと社会問題。それは切っても切り離せない関係にあります。なぜなら時代の課題をアーティストならではの視点で切り取り、そこに浮かび上がってきたイメージを具現化することこそが、現代アートの本質であり、また、目標でもあるからです。
 
そんな現代アートの本領発揮ともいえる芸術祭が、2019年の夏、愛知県で盛大に催されます。
それは『あいちトリエンナーレ2019』。
3年に1度行われる国内最大規模の国際芸術祭で、今回のテーマは「情の時代」。メイン会場の名古屋市に加え、毎回変わる開催都市に、世界有数の工業都市・豊田市を選定。インダストリアルな要素も加味し、美術館・文化施設・まちなか・商店街などを舞台に75日間の祭典を繰り広げます。
 
現代美術の展示はもちろん、映像プログラムや舞台芸術、そして今回初となる音楽プログラムも実施。更にゲストの鑑賞体験をより豊かにするために、ラーニングプログラムも充実させました。加えてアート・プレイグラウンド(各会場にテーマを設けて来場者の創造性や主体性に着目したプログラムを行う)も実施する他、これまでに、アーティストを県内の小学校へ派遣してのワークショップなども行われました。
 
年代・性別・立場を超えて、あらゆる人々がシームレスにアートを楽しめる場――そんな理想を実現するために、随所に革新的な試みがなされています。

【関連記事】あいちトリエンナーレ2019/アート界と芸術祭の在り方に一石を投じる、未来への変革を目指す。

会場のひとつ『愛知芸術文化センター』。愛知県美術館と愛知県芸術劇場などからなる、国内屈指の総合芸術文化施設。

様々なジャンルの「アート」を複合的に取り上げ、35歳以下の若手アーティストも積極的に登用。瑞々しい感性を多くの人々に知ってもらう場としている。
青木美紅 Aoki Miku《1996》 2019
Photo: Tetsuya Matsushita

多様な表現を横断する、最先端の芸術作品に出会える。
津田道子 Tsuda Michiko《あなたは、翌日私に会いにそこに戻ってくるでしょう。》 2016、「オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス」NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、東京

毎回変わる芸術監督には、2019年はジャーナリストの津田大介氏が就任。ジャーナリストならではの視点で現代の諸問題に切り込む。

あいちトリエンナーレ2019テーマは「情の時代」。ジャーナリストの芸術監督が現代社会の病理に着目。

現在、世界は共通の悩みを抱えています。その源泉にあるのは、先行きが見えず、「我々はいわれなき危険に晒されているのではないか?」という曖昧模糊(あいまいもこ)とした不安です。「わからない」ことは人々に不安をもたらし、本来はグレーであるものにまで明確な答えや対立軸を求めるようになってしまいます。

そんな「情」報化社会ならではの病理は、反面、人本来の「情」である「なさけ」や「思いやり」によって解決できます。このような理想をテーマにかかげ、様々な対立軸の中庸(ちゅうよう)を探りながら「アート」本来の領域を取り戻していく――それが『あいちトリエンナーレ2019』のテーマに込められた思いだそうです。
 
「アート」の語源はラテン語の「アルス」や、ギリシア語の「テクネー」だといわれています。これらは「古典に基づいた教養や作法を駆使する技芸」一般を指すそうですが、このような先人たちの指針に倣い、我々現代人も「情」によって「情」を飼いならす「技」を身につけなければならないのではないか? それこそが本来の「アート」の目的ではないのか? といった啓発が、この国内最大規模の芸術祭には込められています。
 
舞台は国内屈指の「技」によって日本のモノづくりをリードする、都市であり、また地方でもある「あいち」。ここで繰り広げられる本物の「アート」の祭典は、きっとあなたの意識に変革をもたらすでしょう。

全世界で参加型プロジェクト《The Clothesline》を展開するモニカ・メイヤー、越後正志、サカナクションといった著名なアーティストから、新進気鋭の若手アーティストにいたるまで、国内外の意欲的なアーティストたちが厳正な選考を経て集結。
越後正志 Echigo Masashi《火のないところに煙は立たず》 2013
Photo: Keisuke Yunoki
Courtesy of the artist

本来の「アート」の再生や文化芸術の日常生活への浸透を目指しながらも、誰もが親しみやすく、楽しめるアプローチを実現。
アイシェ・エルクメン Ayşe Erkmen《On Water》 2017
Photo: Roman Mensing/Münster

綺羅星(きらぼし)のようなめくるめくアートが「あいち」を彩る。
和田唯奈(しんかぞく)《Empty and Poke》 2018
Photo: Hideto Nagatsuka

あいちトリエンナーレ2019理想は高くとも親しみやすく。町と日常を彩るエンターテイメント。

とはいえ、『あいちトリエンナーレ2019』は決して難解でも親しみにくいイベントでもありません。それは主催の愛知県が提唱する、『あいちトリエンナーレ』を「“ここ”で開催する意義」を紐解くとわかります。
 
その第一は、「世界の文化芸術の発展に貢献」するため。上質かつ国際的にも通用する作品群の展示を大前提としながら、「文化芸術の日常生活への浸透」を目指しています。更に地元の人々やアートに興味のない人々にもなじみやすく、アーティスト自らのガイド等によって、より作品の世界にディープに浸ることもできます。
 
加えて、「地域の魅力の向上」を目指し、「あいち」にもともと備わっている魅力を深く掘り下げるという使命も。そのため旅やイベント好きの人々もライトに楽しめる、気さくでポジティブな「お祭り」となっています。

アートと現代の課題を複合的に組み合わせながらも、エンターテイメントに満ちたイベントとなっている。
ジェームズ・ブライドル James Bridle
《ドローン・シャドー002》2012、イスタンブール(トルコ)

芸術祭は夕方に終わることが多いが、展示・舞台芸術ともに20時まで見られるように調整。朝から夜まで楽しめる「お祭り」としている。
高山 明 (Port B) Takayama Akira (Port B)
『ワーグナー・プロジェクト ―「ニュルンベルクのマイスタージンガー」―』2017、KAAT神奈川芸術劇場、神奈川

あいちトリエンナーレ2019参加型のプログラムでより現代アートに親しむ!

また、世代や条件を問わないバリアフリーなプログラムによって、アートやアーティストたちと気軽に触れ合うことができます。例えばキュレーターらの解説を聞きながら楽しめる「ベビーカーツアー(要事前申込・抽選)」。愛知芸術文化センター・名古屋市美術館・豊田市美術館の各展示で申し込むことができ、生後18ヵ月までのお子様とともにアートを鑑賞できます。
 
次に紹介するのは、古着を材料として芸術監督やアート・プレイグラウンドの参加者たちのための「ユニフォーム」を作るイベント。更に「対話型アート鑑賞」ができるツアーや、アーティスト自身が作品の見所を紹介してくれる『アーティスト「と」みるツアー』などなど、鑑賞体験をより深められるプログラムが目白押しです。

日比野克彦《DNA RIVER》 2006 個展「HIBINO DNA AND-日比野克彦 応答せよ!!- 」岐阜県美術館、岐阜

今津 景 Imazu Kei《ロングタームメモリー》 2019、「六本木クロッシング2019展:つないでみる」森美術館、東京
Courtesy of ANOMALY

バルテレミ・トグォ Barthélémy Toguo《Water Dance》 2015、WOMAD、チャールトン・パーク、マルムズベリー(英国)
© Courtesy Galerie Lelong, Paris & Bandjoun Station, Cameroon

あいちトリエンナーレ2019アート界特有の問題も改善。

更に『あいちトリエンナーレ2019』は、アート界がはらむ諸問題にも着目しています。いわゆる「ガラスの天井(能力や実績に関わらず、性別やマイノリティ等の本人に因(よ)らない要素によって、組織や業界内での評価や昇進が妨げられること)」のせいで男女比がいびつになっていた参加アーティストの内訳を、ほぼ半々にしました。加えてアーティストの制作費用を支援する体制をつくり、クラウドファンディング方式で一般からの支援も公募。著名なアーティストや中堅アーティストが中心だった従来の芸術祭とは、一線を画す芸術祭となっています。
 
こちらの続きでは、それらの変革を成し遂げた芸術監督の津田大介氏にインタビュー。よりディープに『あいちトリエンナーレ2019』が目指す境地に迫ります。

目に見えないもの、知らずのうちに目をそらしてしまっているものに意識を注ぐ。
鷲尾友公 Washio Tomoyuki《seven years one day》 2014、「粟津潔、マクリヒロゲル 1 美術が野を走る:粟津潔とパフォーマンス」金沢21世紀美術館、石川
Photo: Atsushi Nakamichi / Nacása & Partners
Courtesy of 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa

エキソニモ exonemo《Kiss, or Dual Monitors》 2017
「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城
Photo: Niko

75日間の祭典の中であなたは何を見る?
袁廣鳴(ユェン・グァンミン)Yuan Goang-Ming《日常の演習》 2018、「明日の楽園-袁廣鳴個展」TKG+、台北(台湾)
Courtesy of the artist

開催期間: 2019年8月1日(木)~10月14日(月・祝) [75日間]
会場:愛知芸術文化センター
   名古屋市美術館
   名古屋市内のまちなか(四間道・円頓寺)
   豊田市(豊田市美術館及び豊田市駅周辺)
あいちトリエンナーレ2019 HP : http://aichitriennale.jp/
写真提供:あいちトリエンナーレ実行委員会

『CAFÉ JI MAMA』五十嵐氏を通してみる素顔の南会津。前編。[NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/福島県南会津郡]

2019年6月29日から6月30日の1泊2日限定で開催された南会津ツアーでの1コマ。

ニュージェネレーションホッピング南会津特急リバティに乗って、改札さえない小さな無人駅へ!

2018年から1年以上かけて南会津のリポートを行ってきたONESTORYが、今年4回に渡って四季それぞれの南会津の魅力を詰め込んだオリジナルツアーをプロデュース。その皮切りとなるツアーが6月最後の週末に開催されました。ナビゲーターを務めたのは、会津田島にある『CAFÉ JI MAMA』のマスター・五十嵐大輔氏。2010年より有志がボランティアで企画・運営を行う野外音楽フェス「大宴会in南会津」の中心人物でもあります。

ちなみに店名の「ジーママ」は沖縄の方言で「自由気まま」という意味。今回のツアーも「自由気まま」を軸に、ガイドブックにはない秘密のスポット、心尽くしの郷土料理や地酒、地元を盛り上げる面白い人達との触れあいが楽しめる趣向になっています。

五十嵐さんというフィルターを通した1泊2日の南会津の旅は、名所を点と点で辿る旅とは異なる表情を見せてくれました。その模様を前後編に分けてリポートします。まずは初日の様子をご覧ください。

【関連記事】NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/『CAFÉ JI MAMA』五十嵐氏を通してみる素顔の南会津。後編。

浅草を朝9時に出発し、特急リバティに揺られて3時間あまり。南会津にある完全無人の「会津山村道場」駅に到着。

ニュージェネレーションホッピング南会津動物が遊びに来る森の中で、じっくり煮込んだ無水カレーを。

奇跡的な梅雨の晴れ間、浅草から3時間余りで特急リバティが着いたのは無人駅「会津山村道場」。小さな駅には改札すらなく、「本当にこの駅でよかったの?」と少し心配に。そんな不安を一瞬で吹き飛ばしてくれた笑顔のスタッフに促され、用意されていたバスに乗り込みます。5分程で着いたのは緑が気持ちいいオートキャンプ場。柔らかな下草の上を歩き、ふと前を見ると紅白幕に「大宴会」の文字。その傍らには人懐っこい笑顔の人物が立っています。「ようこそ、いらっしゃいました。私が五十嵐です」。実はここ、ローカルならではの温かみが人気の野外音楽フェス「大宴会in南会津」の会場にもなっている場所で、開催時には1000人ほどの人が押し寄せるそう。

促されるままに草原を進むと、特設キッチンと大きな木製テーブル。火にかかった寸胴からは芳ばしい匂いが漂ってきます。「今日は地元で採れたサラダにオリジナルチキンカレーを召し上がって頂きます」。ほろほろと繊維がほどけるまで煮込まれたチキンと野菜の旨みが溶け合ったルーは堪らない美味しさ。「もしかしたら、カモシカが見られるかも?」とは五十嵐氏の奥様・史織氏。この辺りは動物が多く、兎やたぬき、鹿がやってくることもあるのだとか。珍客の登場を待ちつつ、配られた白いカップを手に取ります。ぽってりとした白磁のカップは少し青みがかっており手馴染みも抜群。これは、会津本郷焼の『工房 爽』のもの。丁寧にハンドドリップで淹れて頂いたコーヒーを飲んでいると、ホッと気が弛みます。午後からは、ほどけた心に何が飛び込んでくるのでしょうか?

着いた先は、音楽フェス「大宴会in南会津」の会場と同じ會津山村道場。紅白幕の前で参加者を出迎えてくれたのは、編み笠をかぶった五十嵐氏。

會津山村道場の入口には2010年から始まった「大宴会in南会津」のポスターが貼られている。名だたるアーティストに「あ、この人も来たんだ!」という声が方々から挙がった。

森のなかに設えられたランチ会場。愛らしいガーランドで飾り付けられた森のダイニング。机やキッチンの上には紫色のカラーや野草が活けられていた。

木製玩具のブランド「マストロ・ジェッペット」の動物があしらわれた名札。参加者はこの裏に名前を書き、互いの名前を呼び合った。

玉ねぎやトマトなど野菜から抽出した水分のみで2日間煮込んだ無水カレー。複雑な旨みながら胃に優しい味わい。

総勢11名がサラダやカレーに舌鼓を打った。「7月になれば、名産の南郷トマトが出てきますよ」と五十嵐氏。

コーヒーをサーブする史織氏。豆はコーヒーの栽培から製造、販売まで手掛ける茨城県の名店「サザ・コーヒー」のものを使用。

ニュージェネレーションホッピング南会津心地いい風を受けて、爽快サイクリング。

食後のアクティビティはサイクリング。初めての電動アシスト自転車はひと漕ぎでグンと距離が伸び、アップダウンの多い地形でも快適です。先陣を切って走るのは、生粋のサイクリスト・野田雅之氏。地元の方が考えたコースを走っていると、ただの情報が実感として立ちあがってくるのを感じます。例えば、「南会津の80パーセントは山林」という数字。自転車で走っていると、常に山が周囲を取り囲み、豊かな自然に包まれている感覚を覚えます。都内近郊に比べて稲がまだ赤ちゃんサイズなのも、東北の春は少し遅れてやってくること、ゆえに田植え時期が遅いことの証左。

田んぼで虫を食むサギや鴨を眺めつつペダルを漕ぎ続けると、一帯が見渡せる小高い丘で、野田氏が自転車を止めました。「私はここから見る風景が大好きで。春は新緑、夏は緑と空の青さのコントラスト、一帯が金色に染まる実りの季節は最高です。ここらは有数の豪雪地帯ですが、一面が真っ白になる冬もいいものです」。四季の移り変わりを感じとれる自分だけの場所を持っている野田氏がうらやましくなった瞬間でした。その高台の奥に小さな神社があります。鳥居をくぐった瞬間、結界を越えて神の領域に足を踏み入れたような厳かな気持ちになりました。土地の方が祈りを捧げる場所だからでしょうか。敷地内には男杉、女杉と呼ばれる樹齢数百年のご神木があり、迫力ある佇まいに圧倒されます。

「まだ梅の実ほどの大きさでしょ」と言われて触ったりんごの可愛らしさ、「あそこだけ木がないでしょう? 実はわらび園なんですよ」と指さされてみた山肌のコントラスト。近景も遠景も、野田氏や五十嵐氏の言葉と一緒にメモリーに刻み込む事で、思い出の彩度がよりあがった気がします。

ヘルメットをかぶり、電動アシスト自転車を物色する参加者一同。簡単な説明で初心者でもすぐに乗れるようになった。

隊列をナビゲートするのはサイクリストの野田氏。自転車でこの地を訪れた際に人の温かさに惚れこみ、千葉の松戸から移住を決めた人物。

この辺りの田植えの時期は5月末から6月頭にかけてと少し遅い。伸び始めた稲が風になびくなかを駆け抜ける。

サイクリング後、地元の若者が営む農園の100パーセントりんごジュースが配られた。渇いた喉に優しい酸味と甘みが嬉しい。

ニュージェネレーションホッピング・南会津専用鎌を使って、アスパラの収穫体験。

自転車を降り、次に向かった先はビニールハウス。生い茂った葉はフワフワしていてフェンネルっぽいけれど、どこか違う。これは一体!? 実はここ、湯田浩史・久美夫妻が営むアスパラのビニールハウス。よく見ると、土からポコポコとアスパラが顔を出しています。「収穫シーズンが終わったアスパラの茎をそのまま伸ばしていくと、葉が出てこのような姿になります。しっかり世話をして根を張り巡らせておくと、来年の春にはそこから新しいアスパラが芽を出すんです。雪解け水が土を浄化するので春先のアスパラは最高に美味しいですよ」と湯田氏。

刃先がギザギザになったアスパラ専用の鎌(!)をお借りし、サクリと一振り。収穫したてのアスパラは、切り口からぽたぽたと水が滴り落ちる瑞々しさです。

湯田夫妻。収穫体験ができるよう、シーズン終わりの貴重なアスパラをたくさん残してくださっていた。

アスパラ専用というニッチな鎌を持ってパシャリ。「ここでしか撮れない記念写真を」、とばかりに皆シャッターを押しまくった。

両サイドに屹立するアスパラの森(!?)。太くて美味しそうな個体を探し、真剣モード。

気持ちいいほどまっすぐに伸びたアスパラたち。「収穫したては味が違いますよ」と湯田氏。

ニュージェネレーションホッピング南会津地酒に地ビール・・・地元尽くしの「ミニ大宴会」。

しばしのフリータイムのあと、夜のミニ大宴会へと向かいました。ミニなのに大とはこれいかに? 実は「大宴会in南会津」終了後にアーティストと地元の方が一緒にお酒を飲む打ち上げが楽しいと評判なので、それのミニ版を体験してもらおうというのがディナーの趣旨。会場となったのは『南会津マウンテンブルーイング/Taproom Beer Fridge』の裏庭です。オーナーの関根健裕氏はひとりで地ビール「アニービール」の醸造を行っており、この日はIPAとコーヒーを使ったフレーバーのクラフトビールが振る舞われました。降りしきる雨のなか、タープが張られた会場には次々に地元の方が集まってきます。大人数の乾杯で幕を開けたこの宴会、五十嵐氏や関根氏のお母様による郷土料理の差し入れや、『トポリーノ』の舟木久美子氏が手掛けるイタリアン前菜とビールの相乗効果で早々に打ち解けたムードになり、至る所で笑い声が響きました。

ビールをたっぷりいただいたところで、日本酒に移行しました。なんといっても南会津は全国有数の「酒どころ」。数多の酒蔵が切磋琢磨しあう環境にあり、そのひとつ「山の井」や「會津」を擁する『会津酒造』の専務・渡部裕高氏も参戦。県外には出回らないレア酒を注いでくださいました。クリアな飲み口でズンと胃の腑に届く旨みに思わずクーッという声にならない声が漏れます。場が温まったところで登場したのは先ほどのアスパラ。軽く塩をしただけなのに、味が凝縮したアスパラの美味しいこと! 

名物と旨い酒をしっかり腹に収めたところで、とっておきの場所に案内すると五十嵐氏。案内してもらわなければ気後れして入れなかったであろうスナックで二次会を楽しみ、夜は更けていったのでした。

【夏のツアーの詳細はこちら】「夏」のツアーは、写真家・小林紀晴氏と巡る、南会津写真紀行。地域の価値ある風景を撮る旅へ。


(supported by 東武鉄道

関根氏が醸造した「アニービール」で乾杯! ホップの鮮烈な香りが駆け抜けるIPAに「ビールは農作物なんだなぁ」としみじみ。

会津地方の祝いの席に欠かせない「こづゆ」を田島地方では「つゆじ」と呼ぶ。貝のお出汁が堪らないこの一品は五十嵐さんのお母様の差し入れ。

各家庭により味付けが異なる郷土料理の「ニシンの山椒漬け」も旨い。こちらは関根氏のお母様が差し入れて下さった。

参加者のアレックス氏は炭酸の立ち上り具合に興味津津。これはいいね!と、早々に一杯目を飲みほしてしまった。

会津酒造の渡部氏。参加者には南会津の名産・杉で作った枡が配られ、一同、香り高い器でクリアな酒を楽しんだ。

周囲を山に囲まれた南会津は寒暖差が激しく、豊富な雪解け水を持つ米どころでもある。旨い酒が生まれる条件が整っているのだ。

五十嵐氏の同級生・室井崇氏も登場。会場に活けられたカラーなどの花々は、花卉農家の室井氏が育てたもの。

出荷の際、長いアスパラは規格を揃えるため下部を切り落とすが、「採り立ては下の方ほど旨い」と湯田氏。そんな知恵を授かることができるのも、参加者と地元の方の距離が近いツアーならでは。

旨みを閉じ込めるためカットせずに焼いたアスパラをそのままガブリ。迸る瑞々しいエキスに方々から「うまい!」とため息が毀れた。

南会津では昔から味付けマトンがソウルフードとして根付いている。地元で評判のお店「目黒食肉店」で地元の味を満喫。

ビールの話になるととまらなくなる関根さん。いま、アメリカで評判の貴重なビールも冷蔵庫から出して下さった。

ほろ酔いの一行が辿りついた二次会会場は『アルフィー』という喫茶兼スナック。個人旅行で入るにはなかなか敷居が高い佇まいだ。

店内の壁には隙間なく貼られた古いポスターがびっしり。BGMはマスターが録りためた昔のラジオ番組。乾杯の発声はサイクリストの野田氏。

厚めのピザにタバスコをたっぷりかけて。酔っている時ほどジャンクな飯が旨い。なかにはクリームソーダを頼む参加者も。

住所:〒967-0004 福島県南会津郡 南会津町田島上町甲4004 MAP
電話:0241-62-8001
http://ji-mama.com/

料理人と魚屋、二人のプロフェッショナルの信頼関係が描き出した、常識を覆す全15品の魚料理。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

青森の魚介の豊かさを表現した小ポーション多種のアミューズ。

ダイニングアウト青森浅虫コースの前に登場した10種の小さな魚料理。そこに秘められた思いとは。

2018年7月6日、7日、青森県浅虫温泉で開催された『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』は、大成功で幕を下ろしました。とりわけゲストを感動させたのは、魚介フレンチのスペシャリト・目黒浩太郎シェフが描き出した魚介料理の多様性。三方を海に囲まれた青森の豊かさを、コースのなかで見事に表現してみせたのです。

実は本番に先立ち食材視察のため訪れた青森で、目黒シェフは陸奥湾の魚介をみてつぶやいていました。「これほど豊かな魚介、当たり前のコースではとても表現しきれません」と。その言葉通り、本番で披露されたコースは、それぞれ異なる魚介を主役に据えた、15種類にも及ぶ料理。とりわけレセプションで供された2種のアペリティフ、そして常識を覆す8品ものアミューズは、一口サイズの小さな料理で魚介の個性を明確に伝える技と工夫が光りました。そこで今回はその10種の小さな料理の詳細と、そこに込めた目黒シェフの思いを紐解いてみましょう。

【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS 

魚介フレンチに特化した目黒シェフが、青森のバラエティ豊かな魚介に挑んだ。

ダイニングアウト青森浅虫レセプション会場で待っていた青森を象徴する2つの魚介。

青森空港に降り立ったゲストが最初に向かったレセプション会場は、青森県立美術館でした。そこにはウェルカムドリンクとともに、2種のアペリティフが準備されていました。

1つ目はバフンウニ。「ちょうど旬を迎えたバフンウニの素晴らしい旨味をダイレクトに伝えたかった」という料理は、バフンウニと乾燥させた卵黄を、米糠のチップスに乗せたフィンガーフード。卵黄の濃厚な味わいが、同じく濃厚なウニの風味と重層的に響き合います。

続く2つ目は「青森といえばやはりこれ」と、マグロの赤身を主役にしました。合わせるのはビーツ。同じ色調の素材を合わせながら複雑な味わいを描き出すのは、目黒シェフが得意とする手法です。旨味ととともに爽やかさも併せ持つ夏のマグロに、ビーツの土のニュアンスが別の表情を加えます。

どちらも“わかりやすい”魚介を使いつつ、未知の表情やアクセントを演出する料理。目黒シェフの技と、魚介への深い理解が窺えるスタートです。

軽く摘めるフィンガーフードに魚介の魅力を凝縮した。

ウニと卵黄。濃厚というキーワドをで同方向に向く特徴を合わせて相乗効果を狙う。

マグロとビーツは、異なる特徴同士をぶつけることで味の広がりを演出。

ダイニングアウト青森浅虫さまざまな要素が絡み実現した、常識破りの8品のアミューズ。

会場へ移動していよいよ晩餐の開始。ここでも意表をつく展開が待っていました。先述の8品におよぶアミューズでの幕開けです。そもそもフレンチのアミューズは、コースの前のおもてなしとして、1~2品が登場するのが一般的。それを計8品。それ自体をひとつのコースのように、緩急をつけ、素材感を出し、それでいて満腹になってしまわないようにテンポよく提供する。青森の魚介、シェフの技と知見、地元スタッフのサービスなど、さまざまな要素がかみ合って実現したものでした。もちろん、その内容も圧巻です。

たとえば一品目のホヤ。「どれも甲乙つけがたい魚介ですが、しいて言うならもっとも印象に残った食材」と目黒シェフを惹きつけた陸奥湾のホヤ。それは透明感ある味わいと力強い磯の香りを併せ持ち、目黒シェフをして「いままでのホヤのイメージが覆りました」といわせる逸品。シェフはここにリンゴ酢とハチミツ、スパイスの淡いソースを合わせ、そのクリアな持ち味を際立てました。

続くホタテは、青森の郷土料理である貝焼き味噌を目黒シェフの解釈で再構築し、軽いスナックに仕立てました。訪れた地元ゲストは「ホタテそのものよりもホタテの風味が濃い」と笑いました。青森ならではの食材・フジツボは、甲殻類のような風味を活かしベシャメルソース仕立てのエッグタルトに。フジツボが食べられることさえ知らなかった多くのゲストにとって、驚きの一品となったことでしょう。

アミューズはまだまだ続きます。甘みの濃いムラサキウニは、じっくりと炒めた新タマネギと合わせて甘みの相乗効果を狙います。ナマコの卵巣を重ねて干した珍味バチコは、油で揚げて香りを引き出すべく、なんとチュロスになりました。旬のカワハギはラベンダーのアイスパウダーを添えて、脂の乗ったアイナメはソーセージに、ワタリガニはビスクに。

次々と届く料理を口にするごとに、ゲストは陸奥湾の豊かさを感じます。シェフはあえて陸奥湾の豊かさを説明することはありません。ただ次々と登場する料理、それぞれの魚介の個性、心に響くおいしさを感じるにつけ、ゲストは目の前の海の豊かさを自然と思うのです。料理が、言葉よりも雄弁に真実を語った瞬間でした。

眼前に広がる陸奥湾。その海の恵みをテーブルの上に再現した。

ホヤ。水、リンゴ酢、ハチミツの淡いソースが、その味わいを引き立てた。

郷土料理に着想を得たホタテのチップス。地元への理解と敬意がゲストを感動させた。

フジツボのエッグタルト。フジツボと卵黄のモルネーソースをパイ生地とともに。

ムラサキウニと新タマネギを、丸ズッキーニに詰めた一品。

珍味のバチコを、意表を突くチュロス仕立てで。バチコの風味がふわりと立ち上がる。

肝と和えたカワハギのクリーミーさを、ラベンダーのアイスパウダーで強調した。

脂の乗った旬のアイナメをソーセージに。魚のソーセージは代官山『Abysse』でも定番。

ワタリガニと香味野菜のビスクを、かたやきせんべいとともに味わう趣向。

ダイニングアウト青森浅虫魚介料理を影で支えた、ひとりのプロフェッショナルの存在。

役となる魚介の魅力と個性を見抜き、それを引き立てる素材と調理法を確実に見つけ出す。それにより、スプーンで一口ほどのサイズでありながら、はっきりと素材の存在感が立つ料理となる。その圧倒されるほどの品々、もちろん目黒シェフの実力を改めて思わずにはいられません。しかし、これらの料理の影には、ひとりの力強い助っ人の存在もありました。
「今回の一番の驚きは、15種の魚介がひとつとして欠けずに揃ったこと」目黒シェフは今回の成功をそう振り返りました。それは同時に、すべての魚介の仕入れを一手に担当した『塩谷魚店』店主・塩谷孝氏への感謝の言葉でもあったのです。

塩谷氏は陸奥湾の魚介を知り尽くした魚のプロフェッショナルであると同時に、北日本神経〆師会会長として、料理に合わせたオーダーメイドの魚を提供する人物。視察のタイミングから繰り返し行動を共にし信頼関係を築いた目黒シェフと塩谷氏は、料理のイメージを共有し、あのアペリティフとアミューズを実現しました。すべての魚介を「どの浜のどんな漁師が、どんな思いで獲ったか」まで伝える塩谷氏。そんな熱意がシェフに伝わり、それぞれの魚介がいっそう輝いたのかもしれません。

『DINING OUT』当日、料理を堪能した塩谷氏はしみじみと話しました。「驚きもあるし、おいしいというのもある。でも一番は“うれしい”って気持ちですかね。目黒さんが青森の食材や伝統に敬意をもってくれているのが伝わりますから。漁師のみんなもきっと喜ぶと思います」

魚のプロフェッショナルと、魚料理のプロフェッショナル。二人の思いが合致し、陸奥湾の豊かさを描ききった料理。2品のアペリティフと8品のアミューズの裏には、そんな二人の友情にも似たストーリーが隠されていました。

青森の魚介を知り尽くす『塩谷魚店』の塩谷孝氏(写真左)。強面だが、青森の発展を願う心優しい人物。目黒シェフは自身の店でも塩谷氏の魚の使用をはじめた。

終演後の目黒シェフと塩谷氏。互いを認め合う二人の会話は途切れることなく続いた。

料理人と魚屋、二人のプロフェッショナルの信頼関係が描き出した、常識を覆す全15品の魚料理。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

青森の魚介の豊かさを表現した小ポーション多種のアミューズ。

ダイニングアウト青森浅虫コースの前に登場した10種の小さな魚料理。そこに秘められた思いとは。

2018年7月6日、7日、青森県浅虫温泉で開催された『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』は、大成功で幕を下ろしました。とりわけゲストを感動させたのは、魚介フレンチのスペシャリト・目黒浩太郎シェフが描き出した魚介料理の多様性。三方を海に囲まれた青森の豊かさを、コースのなかで見事に表現してみせたのです。

実は本番に先立ち食材視察のため訪れた青森で、目黒シェフは陸奥湾の魚介をみてつぶやいていました。「これほど豊かな魚介、当たり前のコースではとても表現しきれません」と。その言葉通り、本番で披露されたコースは、それぞれ異なる魚介を主役に据えた、15種類にも及ぶ料理。とりわけレセプションで供された2種のアペリティフ、そして常識を覆す8品ものアミューズは、一口サイズの小さな料理で魚介の個性を明確に伝える技と工夫が光りました。そこで今回はその10種の小さな料理の詳細と、そこに込めた目黒シェフの思いを紐解いてみましょう。

【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS 

魚介フレンチに特化した目黒シェフが、青森のバラエティ豊かな魚介に挑んだ。

ダイニングアウト青森浅虫レセプション会場で待っていた青森を象徴する2つの魚介。

青森空港に降り立ったゲストが最初に向かったレセプション会場は、青森県立美術館でした。そこにはウェルカムドリンクとともに、2種のアペリティフが準備されていました。

1つ目はバフンウニ。「ちょうど旬を迎えたバフンウニの素晴らしい旨味をダイレクトに伝えたかった」という料理は、バフンウニと乾燥させた卵黄を、米糠のチップスに乗せたフィンガーフード。卵黄の濃厚な味わいが、同じく濃厚なウニの風味と重層的に響き合います。

続く2つ目は「青森といえばやはりこれ」と、マグロの赤身を主役にしました。合わせるのはビーツ。同じ色調の素材を合わせながら複雑な味わいを描き出すのは、目黒シェフが得意とする手法です。旨味ととともに爽やかさも併せ持つ夏のマグロに、ビーツの土のニュアンスが別の表情を加えます。

どちらも“わかりやすい”魚介を使いつつ、未知の表情やアクセントを演出する料理。目黒シェフの技と、魚介への深い理解が窺えるスタートです。

軽く摘めるフィンガーフードに魚介の魅力を凝縮した。

ウニと卵黄。濃厚というキーワドをで同方向に向く特徴を合わせて相乗効果を狙う。

マグロとビーツは、異なる特徴同士をぶつけることで味の広がりを演出。

ダイニングアウト青森浅虫さまざまな要素が絡み実現した、常識破りの8品のアミューズ。

会場へ移動していよいよ晩餐の開始。ここでも意表をつく展開が待っていました。先述の8品におよぶアミューズでの幕開けです。そもそもフレンチのアミューズは、コースの前のおもてなしとして、1~2品が登場するのが一般的。それを計8品。それ自体をひとつのコースのように、緩急をつけ、素材感を出し、それでいて満腹になってしまわないようにテンポよく提供する。青森の魚介、シェフの技と知見、地元スタッフのサービスなど、さまざまな要素がかみ合って実現したものでした。もちろん、その内容も圧巻です。

たとえば一品目のホヤ。「どれも甲乙つけがたい魚介ですが、しいて言うならもっとも印象に残った食材」と目黒シェフを惹きつけた陸奥湾のホヤ。それは透明感ある味わいと力強い磯の香りを併せ持ち、目黒シェフをして「いままでのホヤのイメージが覆りました」といわせる逸品。シェフはここにリンゴ酢とハチミツ、スパイスの淡いソースを合わせ、そのクリアな持ち味を際立てました。

続くホタテは、青森の郷土料理である貝焼き味噌を目黒シェフの解釈で再構築し、軽いスナックに仕立てました。訪れた地元ゲストは「ホタテそのものよりもホタテの風味が濃い」と笑いました。青森ならではの食材・フジツボは、甲殻類のような風味を活かしベシャメルソース仕立てのエッグタルトに。フジツボが食べられることさえ知らなかった多くのゲストにとって、驚きの一品となったことでしょう。

アミューズはまだまだ続きます。甘みの濃いムラサキウニは、じっくりと炒めた新タマネギと合わせて甘みの相乗効果を狙います。ナマコの卵巣を重ねて干した珍味バチコは、油で揚げて香りを引き出すべく、なんとチュロスになりました。旬のカワハギはラベンダーのアイスパウダーを添えて、脂の乗ったアイナメはソーセージに、ワタリガニはビスクに。

次々と届く料理を口にするごとに、ゲストは陸奥湾の豊かさを感じます。シェフはあえて陸奥湾の豊かさを説明することはありません。ただ次々と登場する料理、それぞれの魚介の個性、心に響くおいしさを感じるにつけ、ゲストは目の前の海の豊かさを自然と思うのです。料理が、言葉よりも雄弁に真実を語った瞬間でした。

眼前に広がる陸奥湾。その海の恵みをテーブルの上に再現した。

ホヤ。水、リンゴ酢、ハチミツの淡いソースが、その味わいを引き立てた。

郷土料理に着想を得たホタテのチップス。地元への理解と敬意がゲストを感動させた。

フジツボのエッグタルト。フジツボと卵黄のモルネーソースをパイ生地とともに。

ムラサキウニと新タマネギを、丸ズッキーニに詰めた一品。

珍味のバチコを、意表を突くチュロス仕立てで。バチコの風味がふわりと立ち上がる。

肝と和えたカワハギのクリーミーさを、ラベンダーのアイスパウダーで強調した。

脂の乗った旬のアイナメをソーセージに。魚のソーセージは代官山『Abysse』でも定番。

ワタリガニと香味野菜のビスクを、かたやきせんべいとともに味わう趣向。

ダイニングアウト青森浅虫魚介料理を影で支えた、ひとりのプロフェッショナルの存在。

役となる魚介の魅力と個性を見抜き、それを引き立てる素材と調理法を確実に見つけ出す。それにより、スプーンで一口ほどのサイズでありながら、はっきりと素材の存在感が立つ料理となる。その圧倒されるほどの品々、もちろん目黒シェフの実力を改めて思わずにはいられません。しかし、これらの料理の影には、ひとりの力強い助っ人の存在もありました。
「今回の一番の驚きは、15種の魚介がひとつとして欠けずに揃ったこと」目黒シェフは今回の成功をそう振り返りました。それは同時に、すべての魚介の仕入れを一手に担当した『塩谷魚店』店主・塩谷孝氏への感謝の言葉でもあったのです。

塩谷氏は陸奥湾の魚介を知り尽くした魚のプロフェッショナルであると同時に、北日本神経〆師会会長として、料理に合わせたオーダーメイドの魚を提供する人物。視察のタイミングから繰り返し行動を共にし信頼関係を築いた目黒シェフと塩谷氏は、料理のイメージを共有し、あのアペリティフとアミューズを実現しました。すべての魚介を「どの浜のどんな漁師が、どんな思いで獲ったか」まで伝える塩谷氏。そんな熱意がシェフに伝わり、それぞれの魚介がいっそう輝いたのかもしれません。

『DINING OUT』当日、料理を堪能した塩谷氏はしみじみと話しました。「驚きもあるし、おいしいというのもある。でも一番は“うれしい”って気持ちですかね。目黒さんが青森の食材や伝統に敬意をもってくれているのが伝わりますから。漁師のみんなもきっと喜ぶと思います」

魚のプロフェッショナルと、魚料理のプロフェッショナル。二人の思いが合致し、陸奥湾の豊かさを描ききった料理。2品のアペリティフと8品のアミューズの裏には、そんな二人の友情にも似たストーリーが隠されていました。

青森の魚介を知り尽くす『塩谷魚店』の塩谷孝氏(写真左)。強面だが、青森の発展を願う心優しい人物。目黒シェフは自身の店でも塩谷氏の魚の使用をはじめた。

終演後の目黒シェフと塩谷氏。互いを認め合う二人の会話は途切れることなく続いた。

「五感」と「出会い」のミュージアム。[大分県立美術館/大分県大分市]

夜の闇に浮かぶ大分県立美術館。切子細工や寄木細工を連想させる木材のスクリーンが印象的だ。©Hiroyuki Hirai

大分県立美術館開かれた空間が内包する大分から芸術を発信する次世代の文化基地。

大分県立美術館は、2015年に開館した新しい美術館です。大分には、芸術の発信地として長らく愛されてきた県立芸術会館がありました。しかし、開館から40年近くが経って老朽化が目立つように。そこで、いわばバトンを引き継ぐかたちで、大分県立美術館が新たに建設される運びになりました。

設計は坂 茂(ばん・しげる)が手掛け、話題になりました。大分県出身の世界的建築家である磯崎 新(いそざき・あらた)に師事し、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞した気鋭の建築家です。坂は、閉じられた空間になりがちな美術館をもっと多くの人に楽しんでもらいたいと考え、設計に反映しました。そのコンセプトと設計は高く評価され、2015年度JIA日本建築大賞を受賞しています。

1階アトリウム。ガラスを多用し、特に道路側のファサードは開閉可能とし、オープンな外観を実現。道路を挟んで向かいにはiichiko総合文化センターもあり、ともに大分の新しい文化・芸術の発信地を担う。©Hiroyuki Hirai

ミュージアムショップやカフェは、展示室に入場せずとも誰もが日常的に利用できるつくりになっている。©Hiroyuki Hirai

ファサードのスクリーンと同じく、大分県産の木材を使った天井が印象的な3階ホワイエ。幾何学的な模様は別府名産の竹細工のようでもある。©Hiroyuki Hirai

大分県立美術館日本画の巨匠・髙山辰雄をはじめとする約5000点の至宝。

コレクションは、旧県立芸術会館が37年間かけて収集してきた作品や資料を引き継いだものです。その数は約5000点にのぼります。
大分は、江戸時代以降、数多くの美術家を輩出している土地でもあります。南画(文人画)の田能村竹田(たのむら・ちくでん)、日本画の福田平八郎や髙山辰雄、抽象画の宇治山哲平、彫刻の朝倉文夫、そして竹工芸で初の人間国宝になった生野祥雲齋(しょうの・しょううんさい)といった偉大な芸術家が、ここ大分の地から世界に名をとどろかせています。作品はコレクション展をはじめ、国内外の企画展でも紹介され続けています。

さまざまな「出会い」をテーマにした展覧会や事業を通して、大分県民のみならず、日本中、世界中の人々が五感で楽しみ、新たな発見や刺激をもたらす美術館を目指しています。

洋画のコレクション展示室。©Hiroyuki Hirai

エントランス。OPAMのネーミング、シンボルマークデザイン等のデザイン監修は、「コミュニケーションデザイン研究所」の平野敬子、工藤青石が手がけた。©Hiroyuki Hirai

住所: 大分県大分市寿町2-1 MAP
電話: 097-533-4500
開館時間: 10:00~19:00 ※金曜日・土曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)
休館日: 原則無休(館内点検等による臨時休館を除く)
観覧料: コレクション展 一般 300(250)円 大学生・高校生 200(150)円
※( )内は20名以上の団体料金
※中学生以下は無料
※高校生は土曜日に観覧する場合は無料
※県内の小学・中学・高校生(これらに準ずる者を含む)とその引率者が教育課程に基づく教育活動として観覧する場合は無料
※学生の方は入場の際、学生証をご提示ください。
※障がい者手帳等をご提示の方とその付添者(1名)は無料
※企画展は別料金
写真提供:大分県立美術館、写真AC
大分県立美術館(OPAM) HP:http://www.opam.jp/

ソリマチアキラが体験する「食べるシャンパン。 」マリアージュを通じて感じとる「継承」の役割。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・FARO/東京都中央区]

『FARO』の設えに合わせたかのような爽やかな装いのソリマチアキラ氏とシェフパティシエの加藤峰子さん。 

ファロ×ソリマチアキラデザートで「食べるシャンパン。」味わいの可能性を確かめる試み。

1734年の創業以来、フランス国内はもとより、世界中で愛され続けているシャンパーニュ・テタンジェ。経営するファミリーの名を社名にかかげる、大手では希少な家族経営のシャンパーニュメゾン。約288haの畑を所有し、自社で栽培を手がけているのも大きな特徴です。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」は、テタンジェ社の至宝ともいえるトップキュヴェ。使用するぶどうは、厳選した区画で栽培されるシャルドネ種100%。フレッシュで洗練された果実味、熟した果実の香り。口当たりは滑らかで、生き生きとした躍動感があり、グレープフルーツとスパイスのニュアンスを感じる洗練された味わいです。

世界中のレストランで広く親しまれていることが示すように、料理と合わせると更に味わいが広がります。言わば「食べるシャンパン。」重層的な味わい、厚みを持ち、幅広い料理に寄り沿う「コント・ド・シャンパーニュ」ですが、デザートとのペアリングは成立するのでしょうか。銀座『FARO』のシェフパティシエ・加藤峰子さんに、このシャンパーニュとともに楽しみたいひと皿を提案してもらいました。2018年10月、イノベーティブイタリアンとして生まれ変わった『FARO』は、毎日、日本各地から取り寄せる約150種の食材を駆使し、オリジナリティあふれる食体験を発信。イタリア在住歴が長く、元編集者という異色のキャリアを持つ加藤さんのクリエイティビティ溢れるデザートも話題を呼んでいます。

テイスターとしてご登場頂くのは、イラストレーターのソリマチアキラ氏。日常的に飲むワインは、白ワインかシャンパーニュ。中でもブラン・ド・ブランが好きと、ワインとの付き合い方にも独自のスタイルをお持ちです。
原料から製法、味わいまで洗練された上質なシャンパーニュだからこそ完成するマリアージュ。「美味しい」を超えた表現の可能性についておふたりに話をうかがいました。

【関連記事】テタンジェ/食べるシャンパン。それは、ひとりでは完結しないシャンパーニュ。

「山に降る幸せのミルク」。牛乳の風味が生きた軽いスポンジ、ホイップバターを使った牛乳のアイスクリームに、葛粉で作る牛乳チップス、カプチーノの泡をドライにしたメレンゲを添えて。艶やかな黒のプレートに白一色の世界が鮮烈に浮かび上がる。

葛切りの製法を応用してつ作る牛乳チップス。

寒天と葛粉で固めた優しい味わいのパンナコッタ。

加藤さんのデザートは、まさに皿の上のアート。ビジュアルも心を惹きつける。

「生産者のアンバサダーでありたい」と話す加藤さん。味づくりはまず、食材ありき。全国を隈なく歩き、生産者を訪ねる旅を続けている。

リッチなシャンパーニュと、ピュアなミルク。相反するようにも思える両者を、加藤さんは「大地と命」という共通点で結びつけた。

ファロ×ソリマチアキラ最上区画のブドウ由来の自然な「甘み」の豊かさを、味づくりの鍵に。

学生時代からをイタリアで過ごし、卒業後は現地のファッション誌のエディターに。デザインやアート、ものづくりへの関心をより深めるため食の道を選んだという加藤さん。クリエイティビティ、メッセージ性を多分に盛り込んだデザートは、「ひと皿のアート」といった趣で、ガストロノミー界でも注目を集めています。「ヨーロッパで育ったのに、ワインに疎くて」と話す加藤さんですが、大学時代は仲間が集まればシャンパーニュで、今もレストランで食事をする際のワインはほぼシャンパーニュ一択とのこと。
「シャルドネ100%のプレステージ・シャンパーニュと聞いて、最初にイメージしたのは日本ミツバチの蜂蜜やレモンの花、ブリオッシュなどでした。それらで構成すれば、蜜っぽい甘さや爽やかな香り、トースト香などがマリアージュするはず、と思ったのです」と加藤さんは話します。

ところが実際に「コント・ド・シャンパーニュ」をテイスティングして、考えが180度変わったといいます。白一色で構成された「山に降る幸せのミルク」は、「皿の上の絵画」といった印象。
「躍動感溢れる酸味、乳酸発酵に由来する味の複雑さ。“生きたワイン”というワードが頭に浮かびました。ただ繊細に作ったデザートでは、この力強さ、生命力に負けてしまう。あらゆる素材を吟味してたどりついたのが牛乳でした」と加藤さん。

使用したのは岩手県岩泉町で放牧飼育を基本とした「山地酪農」を実践する『なかほら牧場』の牛乳。

「自然交配、自然分娩、母乳哺育。牛が食べるのは草のみ、しかも飼料として栽培した牧草ではなく、野シバや木の葉で育ちます。志高き生産者が見据えているのは、100年、いやもっと先の世代の酪農。牛乳は、雑味なく味わいです」と加藤さんは話します。

カプチーノの泡をドライにしたメレンゲ、牛乳でつくったチップス、アイスクリーム、スポンジ。様々なテクスチャー、温度、甘み、香りの余韻の中から、牛乳という食材に宿る「命」が浮かび上がるようです。

ソリマチ氏。ファッションにも造詣が深く、この日のシアサッカーのスーツは「batak」のビスポーク。

シャンパーニュにも一家言あり。普段から「ブラン・ド・ブラン」派。

「ブラン・ド・ブランに対して抱くイメージを新たにする味わい」と、コント・ド・シャンパーニュについて語る。

まずは美しい盛りつけをじっくりと堪能し、確かめるように「食べるシャンパン。」を体験。

牛乳瓶を手にソリマチ氏のテイスティングの様子を見つめる加藤さん。感動を与えてくれる食材が、クリエイションの原動力になっている。

『なかほら牧場』の牛乳。乳脂肪分が高いことで知られるジャージー種(交雑種含む)を通年昼夜完全放牧で飼育。ノンホモ・低温殺菌で臭みなくさらっとした味わいに仕上げる。

牛乳のバリエーション、白一色の皿に鮮烈なグリーンのアクセント。奈良の山奥で、自然農法で栽培されたミントで作るソースは、色合い同様、風味もビビッド。

ファロ×ソリマチアキラ生命力のある味わいに潜む「優しさ」が相乗効果を生み出す。

格式高いレストランで味わうシャンパーニュもいいけれど、自宅で蒸し暑い日などにラフに楽しむことが多いというソリマチ氏。とりわけ、すっきりした中に華やかさのあるブラン・ド・ブランが大好きだといいます。が、「コント・ド・シャンパーニュ」を飲んだ時にまず感じたのは「優しさ」とのこと。
「上品で、複雑でありながら何ものも突出しない“円”のような味わい。口当たり、喉越し、全てが穏やかで、上質なシルクのような印象を受けました」とソリマチ氏は語ります。

紳士的でダンディなソリマチ氏らしさがにじむコメントです。
加藤さんによる「山に降る幸せのミルク」がテーブルへ運ばれて来ると、一瞬ハッと息を呑んだ表情を見せたソリマチ氏。しばしその盛りつけの美しさに見入り、ひと口、ふた口と静かに味わいます。

「非常に優しい味です。牛乳の甘みがピュアに感じられ、それがシャンパーニュとぴったり。事前に単体で飲んだ時は“穏やかさ”が印象に残りましたが、このデザートと合わせると、優しさの中から生き生きとした果実の生命力が姿を現したように感じます。まさに“引き立て合う”という表現がぴったり。力強いミントのソースは、牧草のイメージそのものですね」とソリマチ氏はコメントします。

ソリマチ氏のコメントに、嬉しそうな表情を見せる加藤さん。

「単なる“美味しい”を超えた感動を味わった」と、満足気なソリマチ氏。

「食べるシャンパン。」を通じ、大切なものを共有したふたり。ジャンルを超え、創作に込める想いを語り合う。

ファロ×ソリマチアキラ遥かな時を想う仕事で大切な何かを「継承」する。

「食べ終えて頭に浮かんだのは、生まれたての、裸のままの赤ん坊のイメージです。真っ新で、柔らかく、優しく、尊い。そこにミントが加わることで、自然と命を感じる一皿に。草原に誕生した新しい命のイメージです」とソリマチ氏。

ソリマチ氏の感想を聞いて「私が一番感じて頂きたいと思っていたこと。そのまま言葉にして頂けてとても嬉しいです。作り手にとって、最高のコメントです」と、加藤さんは話します。

「『なかほら牧場』は通年昼夜完全放牧で、栽培した牧草さえ使用せず、太陽と雨、土の中の微生物が育てる野シバで牛を育てていらっしゃる。牛の命の根源を大地と捉えていらっしゃるんですよね。そうすることで、100年先を見据えたサステイナブルな食と社会のあり方を考えておられる。健やかな大地は時代を超えて継承されるべきもの。土を想うことは、未来を想うことなんですよね」と加藤さん。

静かに頷きながら、加藤さんの話に聞き入っていたソリマチ氏も「シャンパーニュを造るブドウも、何万年と堆積された土壌が育む。共通するところがありますね」と、話します。自分が受けた感動を、自分の仕事、表現を通じて、多くの人と分かち合う。加藤さんの職人としての姿勢にも心を打たれたようです。

「私も約30年、職業として様々な絵を描いていますが、やはり自分自身が美しいもの、格好良いと憧れるものを見た時の感動、心の躍動を、自分の絵を通じて伝えたいなと考えます。感動を受けるものは、その時々において様々。若い頃は1950年代の欧米の雑誌に掲載される1コマ漫画に憧れましたし、浮世絵にハマった時期もある。そうした感動の末に生まれる私の作品もまた、その時代のエッセンスを、文化を、何らかの形でこれからの人に伝えていくきっかけになるものであってほしいと。コント・ド・シャンパーニュと加藤さんのデザートのマリアージュを体験して、その想いを新たにしました」とソリマチ氏はコメントしてくれました。​​​​​​

(supported by TAITTINGER

住所: 東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル 10F MAP
電話:0120-862-150/03-3572-3911
※電話予約受付は11:00~22:00、2ヵ月先の月末分まで。
営業時間:火〜土:18:00~20:30(L.O) ランチ/12:00~13:30(L.O)
定休日:月曜・日曜・祝日・夏季(8月中旬)・年末年始
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1966年東京生まれ。1991年よりフリーランスのイラストレーターとして活動。雑誌の挿絵や書籍の装丁、アパレルメーカー等の広告など幅広い分野で活躍する。長身でスタイリッシュ、ファッションにも造詣が深く、ファッションに関するインタビューや対談等でのメディア出演も多い。

お問い合わせ:サッポロビール株式会社 お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土・日・祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけてお掛けください。
お客様からいただきましたお電話は、内容確認のため録音させていただいております。

TAITTINGER HP:http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

歌川豊春が誘う大分ならではの江戸浮世絵展。[The Ukiyo-e 歌川派―豊春から国芳、広重まで/大分県大分市]

歌川豊国「市川八百蔵」(島根県立美術館所蔵)。前期展示。

浮世絵 歌川派豊後国(大分)ゆかりの浮世絵師・歌川豊春を知る展覧会。

2015年にオープンした「大分県立美術館」は、大分県出身の世界的建築家・磯崎 新(いそざきあらた)に師事した、同じく世界で活躍する気鋭の建築家・坂 茂(ばんしげる)の設計で話題になりました。その美術館で今年9月20日から10月27日までの約1ヵ月間、浮世絵の企画展が開催されます。浮世絵界の一大勢力である歌川派にフォーカスした展覧会です。
 
歌川派の開祖・歌川豊春は謎の多い人物で、出生地も3つの説があります。しかし近年、新しい資料が提示されたことで、豊後国臼杵説が有力視されつつあります。その流れの中での展覧会となります。

歌川豊春「観梅図」(大分県立美術館所蔵)。臼杵藩ゆかりの作品で、豊春の代表作と称される傑作。全期間展示。

浮世絵 歌川派浮世絵を俯瞰して江戸の町人文化に思いを致す。

浮世絵は江戸時代の日本画の一ジャンルです。「浮世」とは現代風、好色といった意味があり、浮世絵はその時代の暮らしや風俗などを描いたものです。浮世絵には肉筆画と木版画があります。一点物である肉筆画からはじまって、木版画の出現でより多くの人が楽しめるようになったのです。
 
江戸時代は、日本史上はじめて町人が文化の担い手になった時代です。絵師が描く世俗の暮らしを切り取った絵、人物画、風景画などは庶民に愛され、次々と名絵師が誕生していきました。
 
豊春は、奥村政信らがはじめた西洋透視図法を取り入れた浮世絵の風景画を進化させ、名を馳せました。その後一点物の肉筆美人画や大画面屏風などの大作に取り組み、歌川派をけん引するとともに、浮世絵の黄金期に実力を知らしめました。

歌川豊春「浮絵 紅毛フランカイノ湊万里鐘響図」(太田記念美術館所蔵)。ヴェネチア風景の銅板画を参照してつくられた浮絵。前期展示。

浮世絵 歌川派総勢12名の浮世絵師によるのべ約140点の多彩な展示。

今回の展示では、歌川豊春の肉筆美人画を筆頭に、優れた弟子として歌川派の発展を支えた豊国と豊広、さらに幕末の浮世絵界できらめく才能を発揮した国貞、国芳、広重と、歌川派作品を系統的に紹介していきます。
 
同時代のライバル的存在だった葛飾北斎や喜多川歌麿の作品も展示され、題材は美人画、役者絵、武者絵、風景画など多岐にわたり、浮世絵を俯瞰できる内容になっています。
 
展覧会は前期と後期に分かれており、作品の入れ替えも。どちらもそれぞれの絵師の特徴がわかるように作品が選ばれる予定です。ぜひ見ておきたい豊春の肉筆美人画や、のぞきメガネで見る浮絵、さらに国芳の武者絵、広重の東海道や江戸名所の風景版画は会期を通して楽しめます。

歌川広重「名所江戸百景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」(山口県立萩美術館・浦上記念館所蔵)。前期展示。

歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」(島根県立美術館所蔵)。前期展示。

浮世絵 歌川派当地ならではの切り口で謎に包まれた絵師をひもとく試み。

近年、豊春の豊後国臼杵出身説の有力な裏付けとされているのは、臼杵藩の御用絵師・土師(はじ)権十郎と豊春が同一人物ではないかという仮説です。臼杵藩主稲葉家の公式記録『御会所日記』に書かれた代々絵師だった土師家の動向や、『宝暦以来小侍部分明細記』で権十郎が家を出て江戸に行ったと推測される記述などが、その根拠とされています。
 
今回の展覧会では、臼杵の史料や臼杵藩に伝わった豊春の絵画資料などから、豊春のバックグラウンドの検証を試みるという、当地ならではの企画も予定されています。
 
会期中は、講演会やワークショップ、ギャラリートークも開催される予定で、浮世絵や歌川派を多角的に知ることができるようになっています。

歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」(山口県立萩美術館・浦上記念館所蔵)。前期展示。

浮世絵 歌川派豊春と大分の魅力を味わう秋に。

大分は、湯布院や別府などの有名温泉地をはじめ、のんびりした空気に身を浸せる魅力に満ちた観光地です。豊春の出生地と推測される臼杵は、海に面した歴史ある城下町で、落ち着いた大人のための観光地としても楽しめます。
 
大分県立美術館は近年、大分の文化創造・発信でなにかと話題の注目スポットになっています。近くのJR大分駅は2015年に商業施設やホテル、シネコンなどが入る駅ビルが完成し、大規模に再開発され、街の風景は一新。伝統と新しさを感じながらの街歩きもまた、楽しいものです。
 
この秋は、当地ならではの浮世絵展を目玉に、大分観光を楽しむ旅はいかがでしょうか。

開催期間: 2019年9月20日(金)~10月27日(日)
[前期]9月20日~10月6日  [後期]10月8日~10月27日
開館時間:9:00~19:00 ※初日の一般入場は10:00から
※ラグビーワールドカップ期間中(9/20~11/2)は9:00開館
※金曜日・土曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)
開催場所:大分県立美術館 3F展示室B
アクセス: JR大分駅府内中央口(北口)から徒歩15分、大分ICから車で10分
休展日:2019年10月7日(月) ※展示替え
観覧料: 一般800(600)円、大学生・高校生500(300)円
※( )内は前売りおよび20名以上の団体料金
※大分県芸術文化友の会 びびKOTOBUKI無料(同伴者1名半額)、TAKASAGO無料、UME団体料金
※障がい者手帳等をご提示の方とその付添者(1名)は無料
※学生の方は入場の際、学生証をご提示ください
大分県立美術館 HP: http://www.opam.jp/exhibitions/detail/503
写真提供:大分県立美術館、写真AC

住所: 大分県大分市寿町2-1 MAP
電話: 097-533-4500
開館時間: 10:00~19:00 ※金曜日・土曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)
休館日: 原則無休(館内点検等による臨時休館を除く)
観覧料: コレクション展 一般 300(250)円 大学生・高校生 200(150)円
※( )内は20名以上の団体料金
※中学生以下は無料
※高校生は土曜日に観覧する場合は無料
※県内の小学・中学・高校生(これらに準ずる者を含む)とその引率者が教育課程に基づく教育活動として観覧する場合は無料
※学生の方は入場の際、学生証をご提示ください。
※障がい者手帳等をご提示の方とその付添者(1名)は無料
※企画展は別料金
写真提供:大分県立美術館、写真AC

五感に刺激を受け、躍動する夏のTOKYOの核心に触れる。[SIX SENSES TOKYO/東京都八王子市高尾]

高尾山ケーブルカーで高尾山へ。急勾配を登った先に黄金色の夏が待つ。

シックスセンス東京OVERVIEW

夏は躍動のとき。

木々の緑はいよいよ深さを増し、力強く茂る様子に、確かな生命力を感じます。
人々の生活もますます活発になれば、
涼を求めて、どこかへ出かけたくなります。

高尾は、今日も多くの人で賑わっています。
中には、高尾山のビアガーデンで、都心の遠景を肴に、ビールを楽しむ人の姿も。山特有の爽やかな風が吹き抜ける、そこは最高の別天地です。
『京王電鉄』では、今年からビアガーデンを目指す人におすすめの『京王ライナー』の運行も開始していました。

そして、『うかい』にとっても、夏は特別な季節。

『うかい鳥山』の「ほたる狩り」は半世紀近くも続く恒例行事で、ゲストを幻想の世界へと誘っています。
それから、鮎。今の時季でしか味わえない繊細な滋味に、夏の有り難さを思うのです。
ONESTORYが、躍動する夏の高尾を訪ねました。

(supported by うかい京王電鉄)

陸奥湾の豊かさと青森のアート精神を伝えた、東北初の『DINING OUT』。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

青森市浅虫温泉にある寺の境内に、数夜限りのレストランが出現した。

ダイニングアウト青森浅虫魚介のスペシャリストが青森の魚介の素晴らしさを描く

2019年7月6日、7日。青森県青森市浅虫温泉にて、初の東北開催となる『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』が開かれました。

この青森は、強烈な個性を持った芸術家を多数輩出した土地。独特の世界観と色彩感覚で今また脚光を浴びる棟方志功、文学界に偉大な足跡を残した太宰治、“写真界のミレー”と称された小島一郎、現代美術の巨人・奈良美智など、青森出身の芸術家は枚挙に暇がありません。もはやこの土地が育んだとさえ思える、青森のアート魂。そこで今回は「Journey of Aomori Artistic Soul」として、この地のアートの源流をたどるテーマが設けられました。

同時に青森は、太平洋、日本海、津軽海峡、陸奥湾という4つの海を擁する土地。その豊かな海の幸を、魚介フレンチのスペシャリストである目黒浩太郎シェフが素晴らしいコースに仕立てます。さらにホストには東洋文化研究家のアレックス・カー氏が7回目の登場。この地に息づくアート精神と神秘性を伝えることで、料理にさらなる深みを添えました。

天気にも恵まれ、食材も揃い、サービスにも抜かりのない最高の晩餐に、会場は感嘆の声に包まれました。文句なしの大成功で幕を閉じた16回目の『DINING OUT』、その全貌を速報でお届けします。

【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS

ダイニングアウト史上指折りの若さで挑んだ34歳の目黒浩太郎シェフ。

ホストを務めたアレックス・カー氏の言葉が、地域の歴史と魅力を伝えた。

ダイニングアウト青森浅虫秘密のレセプション会場から、アートを巡る旅へ出発。

青森空港から送迎の『LEXUS』に乗り込んだゲストが向かう先は、秘密のレセプション会場。行く先はまだ、知らされていません。車窓の景色を眺め、行く先に思いを巡らせるゲストを乗せて、滑らかに街を走り抜けます。

やがて見えてきた白い建物の裏手に回り、地下のアプローチへ。そこではホストのアレックス・カー氏が出迎えました。ここは青森が誇るアートの殿堂・青森県立美術館。そう、今回の『DINING OUT』は、この美しい美術館で幕を開けるのです。
アレックス氏の乾杯とともに、ウェルカムドリンクと2品のアペリティフを楽しんだゲストは、『DINING OUT』専用に設定されたコースで美術館を鑑賞します。

実は青森県立美術館は、まず四層吹き抜けのホールに飾られるマルク・シャガールの巨大な舞台背景画「アレコ」を鑑賞し、次いで作家別に展示される青森縁の芸術作品を巡るのが通常コース。それをあえて逆にたどることで、まず青森が生んだ芸術家の息づかいを感じ、最後に世界的大作で締めることで、青森という土地がたどったアートの旅の追体験をしてもらうことが狙いです。
今回のテーマである「Journey of Aomori Artistic Soul」青森のアート魂を巡る旅は、そんな特別な体験からスタートしたのです。

見学を終えたゲストが美術館から向かう先は、メイン会場となる浅虫温泉。青森市街を抜け、海沿いの道を走り、徐々に角度を落とす太陽で黄金に輝く陸奥湾の眺めは、ゲストにさらなる期待を抱かせたことでしょう。

送迎の『LEXUS』が到着した青森県立美術館。これから始まる晩餐への期待が高まる。

ウェルカムドリンクとともに、ウニとマグロを使った2種のアペリティフが登場。

通常の見学順路を反対からたどる、この日のためだけに設定された特別コース。

まるで部屋ごとに別の個展が開催されているかのように、作家別に作品を展示するのが青森県立美術館のスタイル。

シャガールの舞台背景画は青森県立美術館の目玉のひとつ。ホストのアレックス・カー氏は、シャガールと棟方志功の色彩感覚には、ある種の共通点があると話しました。

ダイニングアウト青森浅虫名画の中に入り込むような驚きのディナー会場。

浅虫温泉に到着したゲストは、とある寺の山門の前に到着。ここから100段ほどの石段を登った先、浅虫温泉を見下ろす高台に建つ名刹・陸奥護国寺。その境内こそが、今回の会場なのです。それもただの境内ではありません。今回に向けて地元の方々で決意し、住職と相談しながら特別に整備、かつてない景観を確保した一角に、数夜限りのレストランが作り出されていたのです。

着席したゲストへアレックス氏が伝えた最初のサプライズは、会場左手に飾られた棟方志功の作による浅虫観光ポスターの原画。青森が生んだ世界的巨匠、世界のMUNAKATAの貴重な作品が会場を彩りました。

そして次なるサプライズは、眼前に広がる景色。浅虫温泉のシンボルである湯の島を眼前に望む光景、この構図がたった今目にしたポスターとそっくりなのです。会場は今回整備されたわけですからあり得ないことですが、まるでここからの景色を描いたかと錯覚するほど瓜二つの光景がゲストを迎えたのです。まるで名画の中に入り込んだかのようなこの場所で、今宵の晩餐が始まります。

紫陽花の咲く坂道を登り、境内へ。その先が、今宵の晩餐の会場となる。

この日のために設えられた特設会場は、浅虫温泉の象徴・湯の島を望む最高のロケーション。

目の前の景色と瓜二つの名画。いつもは旅館『椿館』に飾られる貴重な作品が、特別に貸し出され展示された。

青森市長・小野寺晃彦氏の挨拶。地元愛にあふれる若き市長の言葉が胸を打った。

ダイニングアウト青森浅虫常識を覆した計8品の魚介のアミューズ。

ディナーのスタートは、アミューズから。フレンチのコースにおいて前菜前のおもてなしとして登場するアミューズは1〜2品が一般的。しかしこの日、次々と登場したアミューズを数えてみると、なんとその数全8品。それもすべて異なる魚介を主役に据えた品々です。レセプションで登場した2品と合わせ、計10品のフィンガーフードで、魚介フレンチのエキスパートである目黒シェフは、陸奥湾の魚介の幅広さを描き出したのです。

8品のアミューズで、まるでひとつのコースのような満足感を演出し、続く本編のコースへの期待も高まる中、ゲストの前にはひとりの女性が登場しました。名は石井頼子氏。棟方志功研究家であり、実の孫でもある石井氏が、貴重な書画とともに、棟方志功の作品と人物像を解説します。研究家として知見と洞察だけでなく、幼い頃から見つめた祖父の後ろ姿、耳に残る木を彫る音といった温度のある言葉が、遠い世界の偉人であった棟方志功を、ひとりの人物として浮かび上がらせます。そして青森のアート魂をたどる旅は、さらに深くゲストの心に刻まれるのです。

フレンチの常識を覆す8品のアミューズ。すべて異なる陸奥湾の魚介を使い、個性豊かに仕上げられた。

アミューズの小さな皿の上にも、目黒シェフの大胆な発想と緻密な計算が潜む。

料理が次々と提供されるテンポの良さも、この日のディナーの大切な要素。

棟方志功の実の孫である石井頼子氏が、作品の魅力と貴重なエピソードを伝えた。

ダイニングアウト青森浅虫メインのコースもすべてが陸奥湾の魚介。

後半戦、コース本編の前菜は、もずく。もちろんただのもずくではありません。青森近海で採れるもずくのうち、この時期しか取れず、そして最も食感豊かな木もずく。そこにアイスプラントや枝豆、多肉植物で食感を重ねたのです。複雑な食感とライムジュースの爽やかな香りが、これから始まる後半戦への期待を高めます。

続いてはスルメイカの塩辛とジャガイモのニョッキを合わせた一品。「アイデアの起点は、蒸したジャガイモに塩辛を乗せる青森の食べ方。初めて見たその料理を再構築しました」と目黒シェフ。カジュアルな居酒屋料理でさえ、目黒シェフのフィルターを通過するとスタイリッシュな一品へと姿を変えるのです。

3皿目、一般的なコースで魚料理に当たる料理にはイシナギ。クエに似た旨みとゼラチン質があり、地方によっては幻の魚とも呼ばれるこの魚。シェフがまず惚れ込んだ素材のひとつですが、実はこの料理が卓上に並ぶまでには、ある物語が隠されていました。
目黒シェフが全幅の信頼を寄せ、使用する魚介すべての仕入れを託したのは、青森市にある『塩谷魚店』の塩谷孝氏。イシナギに関しては、サイズまで細かく指定して依頼していました。塩谷氏のルートを持ってすれば、決して不可能ではない依頼でした。ところが『DINING OUT』の本番を控えた1週間前から海が荒れに荒れ、一本たりとも上がらない日が続いたのです。そして仕入れの当日、この日に揚がらなければ別の魚を使用するしかない、というその日に塩谷氏の携帯電話にイシナギが上がった報せが届きます。それもシェフが指定するぴったりのサイズでした。「ワンチャンスで揚がりましたからね、やっぱり目黒さんは“持っている人”なんでしょうね」

しかしこれで終わりではありません。というのもイシナギは、火入れひとつでおいしさが大きく変わる魚。とくに火が入りすぎるとパサついてしまい台無しになってしまいます。使い慣れない特設の厨房でその繊細な火入れが可能なのか。しかし、目黒シェフという才能が、そんな心配を軽々と飛び越えてくる姿を目にするのです。

「最初に皮目の香ばしさ、次に皮裏のゼラチン、次いで身の甘み、そして最後にすべてが混ざり合う。火入れに起承転結があるんですね。見事です。本当においしいです」目黒シェフのイシナギを口にした塩谷氏はそう話しました。自らが探し回って届けた魚だけに、その感動もひとしおだったのでしょう。

食感が際立つもずくは、ディルオイルとライムジュースでさっぱりとした味わいに。

ジャガイモのニョッキとスルメイカの塩辛を合わせた一品。燻したバターのソースが香ばしさをプラス。

味と食感が際立つギリギリの一点を見極めたイシナギの火入れに、目黒シェフの技が光る。

イベントを通して友情にも似た信頼関係を築いた目黒シェフと塩谷氏。

眼下に望む浅虫温泉の街明かり。この特別な場所が料理の魅力をいっそう引き立てた。

ダイニングアウト青森浅虫花火とともに幕を降ろす魚介のフルコース。

コースのメインディッシュには陸奥湾のマグロが登場しました。きめ細かく脂がのった中トロの表面を香ばしくグリエし、黒にんにくのペーストとポルチーニのソースを合わせた一皿。牛肉のように濃厚な旨みがあり、しかしマグロ特有の風味と軽やかさも併せ持つ。この料理にもまた、目黒シェフの火入れ技術の高さ、そして味のバランス構成の妙が遺憾無く発揮されていました。

そして最後の料理は蝦夷鮑。陸奥湾の豊富な海藻を食べることで豊かな香りを蓄える、青森が誇る食材です。目黒シェフはそこに貝の出汁で炊いたリゾット、鮑の肝とバターのソース、山菜のソテーを添えることで、鮑のポテンシャルを極限まで引き出して見せました。緩急をつけて繰り広げられたコースが、マグロと鮑で盛り上がりの頂点を迎えたのです。
その後、魚介の余韻を残しながら、リンゴのアイスクリーム、バニラ風味のくずきり、真珠に見立てたホワイトチョコレートという3 品のデザートで締めくくられました。

そしてデザートと同時に振る舞われたのが、陸奥湾に浮かぶ湯の島を照らす打ち上げ花火でした。借景ではありません。今日のゲストのためだけに、湯の島の桟橋から打ち上げた花火。それはもちろん、『DINING OUT』の会場から最も美しく見えるよう計算されています。このサプライズの中、夜空に残光を描く花火と同じく、ゲストはコースの、そしてアート魂を巡る旅の余韻に浸ったのです。

表面をグリエしたマグロ中トロに、ポルチーニのソースを合わせた一品。青森県の郷土食である黒にんにくなど、地元の食文化へのリスペクトが随所に潜む。

最後の料理は蝦夷鮑。下には自然米とシッタカという貝で仕立てたリゾットが潜む。

大胆にして繊細な火入れが、陸奥湾の魚介の味わいをひときわ輝かせた。

地元スタッフによる心の通ったサービスも、ゲストの心を捉えた。

ワイン、日本酒、カクテルなど多彩なペアリングもピタリとはまった。

打ち上げ花火で浮かび上がる湯の島。この場所からしか見えない唯一無二の光景。

ダイニングアウト青森浅虫移動を旅の楽しみに変える『LEXUS』の存在。

料理と演出により「Journey of Aomori Artistic Soul」を描き出した『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』の晩餐。その限られた場所、限られた時間だけの特別な体験はゲストの心に忘れがたい印象を刻んだに違いありません。そしてその大成功は、『LEXUS』の存在抜きに語ることはできません。

実はドライバーによる空港送迎だけではなく、「LEXUS DRIVING PROGRAM」として、風光明媚な青森の道をLEXESで走る体験もゲストに提供されていたのです。緑萌える山の道を、輝く水面を望む海沿いを、ラグジュアリーな車体を駆って走るひととき。それは五感すべてで青森を体験することで、いっそう強い特別感を描き出しました。
モビリティを、ただの移動ではなく、喜びに変えること。それは目的地での体験への期待を高め、旅そのものをいっそう明るく彩ること。『DINING OUT』と『LEXUS』の共演は、旅の時間すべてを特別なものとし、唯一無二の体験を描き出すためにあったのです。

ただの移動手段ではなく、旅の楽しみそのものとなったLEXUSのモビリティ体験。

ダイニングアウト青森浅虫料理を通してシェフが伝えた青森の伝統とアート。

今宵の晩餐を振り返ったとき、やはり印象的な点は料理の多様性でしょう。すべてが魚介料理という制約がありながら、味わい、食感、香り、そしてコースの中での役割まで、それぞれが明確に主張し、存在感を発揮していたました。どの皿も決して外すことはできず、どの皿も個性があり、しかしそれぞれがコースという全体像を構成するピースとしても存在していたのです。そしてこの構成こそが、目黒浩太郎という類い稀なシェフが描き出したアートに他ならなかったのです。

「今回の一番の奇跡は、15種類の魚介がすべて揃ったこと」目黒シェフはまずそう振り返りました。「自然の産物が相手ですから、希望の食材が手に入らない事態は日常茶飯事。陸奥湾という限定された地域だけの魚介をピンポイントで15種類、事前に描いた通りの料理をお出しできたことに胸をなで下ろしています」と目黒シェフ。

ホストのアレックス氏も「『DINING OUT』史上トップクラスの大成功」と言いました。「目黒シェフの料理、陸奥湾をはじめとした豊かな自然、縄文時代から続く青森の精神性、少しシャイだけどあたたかい地域の人たち。いろいろな要素が上手に絡み合った『DINING OUT』でしたね」。

その料理のおいしさと構成は、ゲストの心を捉えました。会場からの景観やアートを主題としたテーマ、さまざまな演出や心のこもったサービスも、素晴らしい時間を彩りました。あるゲストは「夢の中みたい」とつぶやき、また別のゲストは「人生で一番のディナー」と話しました。それだけこの時間が、特別な体験となったのでしょう。

「青森にこれほど素晴らしい魚介があることを知れたことがひとつ。そしてその多彩な魚介を使ったことで自分自身の幅が広がったことがひとつ。今回『DINING OUT』に参加できて本当に良かったと思います」目黒シェフはそう締めくくりました。初の東北開催となった『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』。それはゲストに、地元スタッフに、そして目黒シェフ自身の心に深い印象を刻み込みながら幕を下ろしました。

本番中、キッチンの中は張り詰めるような緊張感に包まれた。目黒シェフを支えた地元のキッチンスタッフと地元サービススタッフの連携無くして成立しなかった奇跡の晩餐。

厨房とサービスを支えた地元スタッフ。チームが一丸となり、今宵の晩餐を成功へと導いた。

1985 年、神奈川県生まれ。祖父は和食の料理人、母は栄養士とい う環境で育つ中で自然と料理人を志す。服部栄養専門学校を卒業後、 都内複数の店で修業後、渡仏。フランス最大の港町マルセイユのミシ ュラン三ツ星店「Le Petit Nice」へ入店し、魚介に特化した素材の 扱いやフランス料理の技術を習得。帰国後には日本を代表する名店 「カンテサンス」にて、ガストロノミーの基礎ともなる、食材の最適 調理や火入れなどさらに研鑽を積んだ。2015 年、「abysse」をオープ ン。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化し たフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得している。
abysse HP:https://abysse.jp/

1952 年生まれ。東洋文化研究家。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

京の家具文化を支えた町家が、新たな役割を担って甦生した。[Nazuna 京都 御所/京都府京都市]

京都御所の南西、観光地の喧騒から離れた場所に佇む「Nazuna 京都 御所」。

ナズナ 京都 御所柏餅、葛切り、串団子。これは何の名前?

海外・国内を問わず誰もが憧れる京都。近年では、京都旅行が初めてという人は少なくなっているのではないでしょうか。何度目かの京都なら、今度はいつもと少し違った旅をしてみたいと考えている人も多いはず。そんな時には、「宿に泊まることを目的とした旅」を提案します。

2018年冬、京都御所近くにオープンした「Nazuna 京都 御所」。もともと材木屋として使われていた家屋をリノベーションした、伝統的な町家建築と現代モダンが融合した旅館です。ユニークなのは、客室に「柏餅」「葛切り」「串団子」といった名前が付けられていること。そう、この宿全体のテーマは「和菓子」。京都が誇る和菓子文化の伝統と歴史を、五感で堪能できる新しいコンセプトの宿なのです。

和菓子をテーマに制作したアートワークやインテリアを各部屋に。こちらは「串団子」。

ナズナ 京都 御所ただ泊まるだけでなく、文化を体感できる宿。

運営会社の「Nazuna」は、全国の町家や武家屋敷といった伝統的建築物が取り壊しや存続不能の危機に陥いる中、日本の文化や美を継承するべく宿泊施設として再生させる事業を行っています。単に宿泊するだけでなく、地元の風土やものづくりを感じてもらうため、客室を全10室以下に限定し、すべて違ったテーマやしつらえにするなど工夫を凝らしています。

この宿に先駆け、二条城すぐの場所にオープンした「Nazuna 京都 二条城」のテーマは、「お茶」。客室に「玉露」「抹茶」などと名付け、お茶を味わうだけでなく肌で感じられる宿として話題に。「Nazuna 京都 御所」はその第二弾となります。

土壁や天井の梁を活かし、ぬくもりがありながらスタイリッシュなデザインに。

ナズナ 京都 御所家具の街・夷川。もと材木屋だった建物に刻まれた歴史。

宿からほど近い夷川通は、古くから京都一の建具・家具屋街として栄え、現在でも数多くの家具屋が並ぶ場所。宿の前身の材木屋は京の建具・家具文化を長い間支え、その役割を終えて空き家となっていました。京都では町家再生プロジェクトが活発ですが、この宿のような大型の町家は維持・改修の費用負担が大きいことなどから、やむを得ず取り壊される場合も多いのだとか。Nazunaでは、京都の発展を支えてきた歴史的・文化的価値の高い建造物を後世に残したいという想いを原点に、旅館として再生させるプロジェクトに取り組んだのです。

ふたつの町家を繋ぐ中庭。奥はダイニング。

ナズナ 京都 御所町家2棟を結合。斬新なリノベーションで蘇った伝統的空間。

「Nazuna 京都 御所」は、大型の京町家2棟を改修した全7室の構成。足を踏み入れると、木材の保管場所であった名残を感じさせる高い天井のロビーが迎えます。日本庭園があり、その奥にはもう一つの町家。ここでは朝食を楽しんだり、夜はワインや焼酎などをいただきながらくつろげるラウンジとなっています。

高い技術を持つ職人たちが土壁や梁・建具などを丹精込めて甦らせた館内は、至るところに昔の面影を残しながらも、全室に床暖房など最新の設備を備え、快適性を重視した空間。7室ある客室は、それぞれのモチーフとなる和菓子をテーマに飾り付けられています。

寝具は全て睡眠の快適性を追求した「大東寝具」製。

ナズナ 京都 御所専用浴室で心おきなく湯浴みを。庭には緑が輝く。

1階に位置する「柏餅」は、専用の庭に面した縁側付きの居間を備えた65平米のラグジュアリーキングルーム。数十年もの歴史が刻まれた土間や、庭の松の老木など「侘び・寂び」を感じさせる京町家の佇まいに、優しい風合いの緑色のインテリアがアクセント。同じく1階
ラグジュアリールームの「葛切り」は半露天のヒノキ風呂を備え、浴室や寝室の大きく開放的な窓から庭を眺められる雰囲気が魅力です。

他にも、デラックスツインルームの「八つ橋」、デラックスキングルームの「串団子」「最中」「落雁」「羊羹」があり、いずれもテーマとなる和菓子からインスピレーションを得て制作された現代的なアートワークが部屋を彩ります。

プライベートな浴室でいつでも湯浴みを楽しめる。

半露天風呂付きラグジュアリールームの「葛切り」。

和の情緒を色濃く残す「柏餅」。

ナズナ 京都 御所京都の食のポテンシャルを感じさせる朝食。

「和菓子」が宿全体のテーマとなっているだけあり、チェックイン後にはウエルカム和菓子とお茶を用意。さらに、ラウンジではお酒やソフトドリンクなどの飲み物と軽食が無料でいただけるという嬉しいサービスも。また朝食も素晴らしいと評判です。主菜を肉か魚から選ぶことができ、囲炉裏で炭火を使って網焼きして提供。香ばしく焼き上げられた四季折々の食材を味わえば、京都の魅力は「食」にもあることを再確認できるはずです。さらに、炊きたてのご飯は京都の米料亭「八代目儀兵衛」の厳選したお米。器や盛り付けにもこだわった目にも美味しい食事に、朝からパワーチャージできそうです。

「Nazuna 京都 二条城」、「Nazuna 京都 御所」、ぜひ二つの宿に滞在して「お茶」と「和菓子」という京都が誇る伝統文化を体感してみてください。

食材は季節によって変わる。四季折々の京都の味を楽しめる。

「八代目儀兵衛」のご飯で贅沢な朝の目覚めを。

八ツ橋や団子など、チェックイン時には可愛らしい和菓子がお出迎え。

住所:京都市中京区花立町255-1 MAP
電話:075-708-6870
料金:2名1室 5万100円~(朝食付)
Nazuna 京都 御所  HP:https://www.nazuna.co/ja/property/nazuna-kyoto-gosho
写真提供:Nazuna 

「羊をめぐる冒険」から生まれた、客室3室だけのささやかなホテルを造るという新しい冒険。[青い星通信社/北海道中川郡美深町]

『青い星通信社』全景。青い夕暮れが舞い降りると、石煉瓦積みの壁が光の中に浮かび上がる。

青い星通信社OVERVIEW

美深(びふか)町——「美しく深い町」という、どこかリリカルな名を持つ町が、北海道の北部にあります。北海道の中心である旭川市と北端である稚内市の、ちょうど中間地点。面積は東京23区全てを合わせたよりもやや広く、対して人口は東京ドームの収容人員の1/10にも満たないという、道北の田舎町です。豪雪地帯対策特別措置法における特別豪雪地帯に指定され、1931年(昭和6年)には日本の気象観測の歴史における最低気温の記録となっているマイナス41.5℃を計測した、豪雪•極寒の地でもあります。

この町の名前をご存じの方がいらっしゃるとするなら、その方はもしかしたらかなりの村上春樹ファンかもしれません。というのも美深町は、村上春樹初期の代表的な長編小説『羊をめぐる冒険』の舞台である架空の町「十二滝町」のモデルではないか、といわれている土地だからです。「札幌から道のりにして二六〇キロの地点」にあたり、「大規模稲作北限地」であるなど、小説に現れる記述とさまざまな点で符合します。小説では主人公は「全国で三位の赤字線」の列車に乗って目的地に到着しますが、美深町にはかつて、「全国一の赤字線」と呼ばれた旧国鉄美幸線(びこうせん)が走っていました(『羊をめぐる冒険』が発表された3年後の1985年に廃線となったそうです)。

そんな美深町の町はずれにこの6月、一軒のホテルがオープンしました。客室数はわずかに3。スタッフもオーナーとパートナーのふたりだけという、それはささやかなホテルです。掲げたコンセプトは「草原の中の書斎」。二棟の石煉瓦造りの建物をつなげた構造の館内は、そのうちの一棟がまるまるライブラリー・ラウンジにあてられ、ゲストは書物たちのささやき声が聴こえるようなその空間で、食事を味わったり酒を楽しんだり。そこはいわば、物語が生まれた地で物語の空気を実感するための場所なのだそうです。しかし、こんな過疎の町の、それも町はずれの草原の中にあるホテルに、本当にゲストはやって来るのでしょうか? それを確かめようと、『ONESTORY』はその小さなホテル『TOURIST HOME & LIBRARY 青い星通信社』を訪ねてみました。そこで見た意外性に満ちたシーンの数々を、ここではご紹介したいと思います。

ちなみに「美深町」という町の名前。実は「石の多い場所」という意味のアイヌ語である「ピウカ」という言葉に、この文字をあててつけられたのだそうです。かつては宗谷本線美深駅の駅名標にも「美深」という漢字の下に「ぴうか」という読み仮名が振られていたといいますから、つまりは石ばかりの、『羊をめぐる冒険』の十二滝町のように開拓には不向きな土地だったということなのでしょう。詩情の裏には、この厳しい環境の地に生きた人々の苦労の記憶が秘められているのかもしれません。

住所:北海道中川郡美深町紋穂内108 MAP
電話:080-9002-7724
 青い星通信社 HP : http://aoihoshi.co.jp

ユニークな試み、応募CG動画から選ばれたイメージを実際の花火で再現。[前橋花火大会/群馬県前橋市]

屋台が並ぶエリアには食欲をそそられる香りが漂っていました。

前橋花火大会地元のグルメを堪能する。

『前橋花火大会』は正田醬油スタジアム群馬近くの利根川河川敷にて開催され、2019年で第63回を迎える歴史ある花火大会です。観覧場所となる大渡橋南北河川緑地は芝生の手入れが行き届いた広々とした公園です。家族連れの観覧客が多い印象です。広い芝生にシートを敷いて観覧するのもいいですし、ゆっくりと食事を召し上がりながら観覧したいという方には椅子だけでなくテーブルも用意された有料観覧席もあります。

前橋市の名物は豚肉料理だそうです。「TONTONのまち前橋」というキャッチコピーもあるほどです。『前橋花火大会』ではそんな前橋名物の豚肉料理を提供する食のブースが設けられ、各店舗一番のお勧めの豚肉料理を楽しむことができます。2018年は15件もの露店が軒を連ね、猛暑日を乗り切るためのパワーの源となっていました。露店は他にもたくさんあり、かき氷やたこ焼きなど定番の屋台グルメも楽しめます。

打ち上げ場所が近いので迫力満点でした。

前橋花火大会応募CG動画を再現。

『前橋花火大会』のプログラムはバラエティーに富んでいます。オープニングは、迫力満点の幅800mにも及ぶワイドスターマインで華やかに、その後もテンポの良いスターマインや音楽とともに打ち上げる音楽つき花火、尺玉(10号玉)の迫力と美しさを堪能できる単発打ち上げなど約1時間、天空に咲く大輪の花々を愛でることができます。利根川にかかる大渡橋に仕掛けられた全長300mのナイアガラ花火も見事です。打ち上げを担当されているのは地元前橋市の上州花火工房(有限会社蟻川銃砲火薬店)さんです。

『前橋花火大会』ではプログラムのひとつに2019年で4回目となる世界WEB花火大会と題したユニークな試みをされています。CGで制作した花火のイメージ動画を募集、YouTubeにアップし人気投票を行います。その中から最も人気のあったCG動画を実際の花火で再現するというものです。世界中どなたでも応募できるようですが、2019年は既に募集期間が終了していますので、ご興味のある方は2020年にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。様々な企画に挑戦することは花火大会に特徴を出し、そこでしか見られない花火という特別感を演出する上で素晴らしい試みだと思います。

広範囲で打ち上がるワイドスターマインは見応え充分でした。

前橋花火大会出逢いに感謝。

2018年に私は花火写真仲間とともに『前橋花火大会』を訪れました。日頃から仲良くして頂いている気心の知れた2人です。2人と明るい時間からカメラや写真についての会話を楽しんでいると、一眼レフカメラを抱えたひとりの青年が近づいてきて、その青年から花火についていくつかの質問を受けました。会話をしているうちに気さくで朗らかなその好青年と私たちは花火の話で盛り上がり、すぐに打ち解けました。一緒に来ていた笑顔が魅力的な彼女も合流し、一緒に花火を見ようと意気投合。もちろん青年は私のことなど知る由もありません。それから花火大会が始まるまでの時間を花火やカメラ、また花火写真について語り合い、本当に楽しく有意義な時間を過ごすことができました。

花火写真仲間にはもちろんのこと、あの時出会った素敵なカップルにも心から感謝したい気持ちです。どこの花火大会に行ったのか、どんな花火を見たのか、それらも大事な思い出ですが、「誰と見たのか」も大切な思い出だと花火を見るたびに感じています。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

場所:利根川河畔大渡橋南北河川緑地
日時:8月10日(土) 19:00〜
前橋花火大会 HP:http://maebashihanabi.jp/

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

滞在することが旅の目的になる、ワンランク上の宿。[Nazuna 京都 二条城/京都府京都市]

「抹茶」と名付けられた客室。伝統的な町家造りの趣とモダンが融合した空間。とカフェ。

ナズナ 京都 二条城「お茶」がテーマの、京町家の宿。

玉露、玄米茶、抹茶、焙じ茶……。これ、何かというと、部屋の名前です。京都・二条城のすぐ東、閑静な小路に佇む『Nazuna 京都 二条城』は、「お茶」をテーマにした京町家旅館。客室は先に紹介した部屋と「別邸」のわずか5室で、日本の伝統を味わいながら現代人の感覚に合った寛ぎの時間を満喫することができます。

宿を運営するのは、日本の伝統的な建築物を利活用することで、地域の活性化や日本文化の伝承を目指す「Nazuna」。地方に古くから残る町家や武家屋敷などが誰にも利用されることなく減少していくのを目のあたりにし、日本の良き文化・風景の荒廃を食い止めようと、ユニークな宿泊施設への再生に取り組んでいます。コンセプトは「泊まることが旅行の目的になるような空間づくり」。京都では『Nazuna 京都 二条城』に続き「Nazuna 京都 御所」、一棟貸しの「季楽」他、宮崎の城下町・飫肥(おび)にも一棟貸しの宿をオープンさせました。

高級旅館「七十七 茶の宿 二条邸」をリブランドし、『Nazuna 京都 二条城』としてオープン。

ナズナ 京都 二条城全室で異なるしつらえ。気に入った家具は購入も可能。

『Nazuna 京都 二条城』の部屋は、日本の伝統的な木造建築に現代的なスタイルを取り入れ、快適性を重視。広々とした造りに、全てシモンズ製マットレスや伏見の老舗寝具店の布団を採用しています。また使用している調度品はあえて昔の雰囲気を残したもので、部屋ごとに違った家具を用意。宿泊中に実際に触れて使い心地を確かめることができ、気に入った場合は、購入も可能です。

部屋の名が異なるとおり、しつらえも各室によって異なります。まず一番広い90平米の「玉露」は、昔ながらの雰囲気を残し、和の風情を最も楽しむことができる部屋。浴室は半露天のヒノキ風呂。壁にアート(光壁)を仕込むなど工夫を凝らしています。

「玄米茶」は和の雰囲気を残しつつ、洋のイメージを融合させたスタイリッシュな部屋。浴室には信楽焼の露天風呂をしつらえ、心おきなくプライベートな湯浴みを堪能できます。

6名まで宿泊可能。最も和の雰囲気が残る「玉露」。

開放感があり、広々とした「玉露」の浴室。

4名まで宿泊可能な「玄米茶」。現代的でスタイリッシュなインテリア。

信楽焼の露天風呂を備えた「玄米茶」の浴室。

ナズナ 京都 二条城メゾネットタイプや一棟貸しなど様々なスタイルで。

「抹茶」は縁側から庭を楽しめ、簾を吊るした寝室が雰囲気を引き立てる部屋。京都の伝統的な町家造りに現代的なスタイルを取り入れた、しっとり落ち着ける空間です。

「焙じ茶」は完全プライベートな庭を楽しめる、唯一のメゾネットタイプの部屋。広々とした露天風呂で自分だけの贅沢なバスタイムを満喫でき、露天風呂から眺める庭も格別です。

紹介したきた4つの部屋とは別に、「別邸」があります。こちらは町家造りの2階建てを、一棟丸ごと貸し切り。梁を生かした天井や坪庭の露天風呂など、和の趣と現代的なデザインが融合し落ち着きのある空間で、家族での利用にぴったりです。

縁側から庭を眺められる「抹茶」。

65平米のゆったりとしたメゾネットタイプの「焙じ茶」。

「焙じ茶」の浴室もヒノキ風呂。全室24時間いつでも入浴可能。

2階建ての町家を一棟丸ごと貸し出す「別邸」。家族や両親の記念日にも。

ナズナ 京都 二条城囲炉裏で調理した食材による、目にも美しい朝食。

そして驚くのが朝食。「Nazuna」では旅の楽しみとして「京都ならではの食の魅力を堪能して頂きたい」と、ボリュームのある豪華な朝食を用意しています。京都のおばんざいから始まり、季節の野菜、そしてメインは肉か魚の好きな方を選び、スタッフが囲炉裏で焼いて提供。京野菜など四季折々の素材の風味を生かした、彩りも豊かな料理が並びます。またお米にもこだわり、厳選した品種を炊きたてで提供。まるで夕食のような品揃えで、これを楽しみに泊まるゲストも多いそうです。

旬の野菜から魚、肉まで、贅を尽くした朝食。

炭火でシンプルに網焼きすることで、食材の旨みが引き出される。

ご飯はおひつで提供。彩り豊かなおかずに、つい箸が進む。

ナズナ 京都 二条城お茶を感じ、味わい、お茶に癒される。

また、「お茶」がテーマの宿だけあって、無農薬・無肥料で育てたこだわりの宇治茶を、スタッフが部屋でたててくれるウエルカム抹茶のサービスも。ルームサービスも可能です。そして各室に備えられたお風呂では「Nazuna」オリジナルの茶葉を浮かべた「お茶風呂」が楽しめ、美白・美肌効果があると女性客に好評です。

更に京文化を体験したい人は、オプションで用意されている建仁寺の僧侶が案内する早朝特別拝観ツアーもお勧めです。普段は一般開放していないエリアまで僧侶自らが案内し、建仁寺の名作鑑賞はもちろん、通常ではできない座禅、茶道も体験できます。

この宿を訪れて、ワンランク上のラグジュアリーな京都時間を過ごしてみてはいかがでしょう。

「お客様との出会いを大切に」。スタッフは心を込めて抹茶でおもてなし。

好みの6種のお茶をルームサービス。茶葉は契約のお茶屋さんのもの。

住所:京都市中京区薬屋町580 MAP
電話:075-253-6877
料金:2名1室 5万5,600円~(朝食付)
Nazuna 京都 二条城 HP:https://www.nazuna.co/ja/property/nazuna-kyoto-nijojo
写真提供:Nazuna 京都 二条城

時間軸で見る日本の美意識。『LEXUS』が『DINING OUT』を通して伝えたいこと。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

Lexus International Presidentの澤 良宏氏。

ダイニングアウト青森浅虫『LEXUS』がオフィシャルパートナーとして『DINING OUT』をサポートする理由。

1989年、日本人の手で世界に通用する高級車をつくりたい、という想いから誕生した日本発のラグジュアリーブランド『LEXUS』。現在、世界90ヵ国で展開するこのグローバルブランドは、第2回目の『DINING OUT』からオフィシャルパートナーとして参画し、サポートを続けています。『LEXUS』が『DINING OUT』に寄せる期待、サポートの意義とは? Lexus International President・澤 良宏氏に話を聞きました。

『LEXUS』はモビリティブランドですから、もちろん個性的な、魅力的な商品を開発することが第一義です。しかし昨今の市場は、ラグジュアリーなプロダクトを所有することから、豊かな時間や経験を得ることにニーズがシフトしています。そういう時代において、ただ魅力的なプロダクトを提供するだけでは、お客様の思いにお応えすることができません。そこで車を軸にしつつ、私達の精神と親和性の高い分野でさまざまな活動も行なっています。それが日本発のラグジュアリーライフスタイルブランドとしての『LEXUS』です。

そして豊かな時間として、まず考えられる要素に食事があります。『DINING OUT』は気鋭のシェフを招き、その日限りの食事を提供するイベントですから、そもそも私達のお客様ニーズに即しているといえます。また、特別な史跡や風光明媚な景勝が舞台となることも大切な点。そういった本来食事をする場所ではない場所で、その土地の食材を使い、数日間限定のレストランを開く。それはまさに唯一無二の体験、豊かな時間を提供することにほかなりません。

さらに、舞台が特別な場所であることは、その食事に必ず旅、移動が伴うことも意味します。移動=モビリティの喜び、そして到着から先の豊かな時間というものをセットで考えることができるわけです。つまり、モビリティとライフスタイルという『LEXUS』の両側面と非常に親和性が高いわけです。これが私達が『DINING OUT』をサポートする理由です。

【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS 
【関連サイト】LEXUS OFFICIAL SITE

満点の星空の下、大自然を感じながら食事を楽しむ唯一無二の時間。(『DINING OUT NISEKO』・2017年開催)

重要伝統的建造物群保存地区に指定される路上を利用した内子町での一幕。(『DINING OUT UCHIKO』・2017年開催)

歴史的建造物そのものを舞台とするシーンも。史跡や建築物を“見る”ものから“体感する”ものへと変える。(『DINING OUT ONOMICHI』・2016年開催)

移動(=モビリティ)と、食事に代表されるラグジュアリーなライフスタイル。両者の親和性こそが『LEXUS』と『DINING OUT』の関係の柱。

ダイニングアウト青森浅虫旅と食事が生む唯一無二の時間。『DINING OUT』ならではの体験価値とは。

日本人には時間軸で物事を捉えるカルチャーがあります。“移ろい”や“侘び寂び”という古くから言われる日本の価値観は、時間軸を大前提にした美意識。たとえば“虫の声”。これをアメリカでは、ノイズあるいはサウンドといいますが、日本では“声”や“歌”と言う。それはおそらく“虫の声”が聞こえる時間そのものを表現しているからでしょう。また、欧米は空間そのものを静的に捉え、黄金分割的なバランスを好みます。一方で日本人はあえてアンバランスを取り入れ、そこに時間軸のなかで変化する移ろいを楽しむのです。これは我々独自の文化だと思います。

その側面から考えると『DINING OUT』の価値が浮かび上がってきます。『DINING OUT』は参加が決定した時点から楽しみがスタートします。プランを考える、服装を悩む、パッキングをする、車に乗って移動を楽しむ、車窓の景色を眺める。そして目的地に到着し、そこで特別なメインイベントが待っている。そういう時間軸をベースに非日常を連続的に演出することで、一層の特別感が生まれます。そしてこの日常からの距離の遠さこそが、『DINING OUT』で皆様に体験して頂きたい価値となります。

さらに『DINING OUT』は、さまざまな演出によって非日常の時間を生み出します。たとえば過去には密法修行のひとつである護摩行や地元に伝わる能といった、訪れたゲストのためだけの特別な演出が行われ、『DINING OUT』という時間を彩りました。単に“野外で食事をする”という体験だけではなく、食事に至るまでの時間軸を演出によって肉付けすることが、いっそうの非日常感を醸し出すのです。

もちろん、世界中のトップシェフが、地元の食材を使い、地元の伝統を取り入れながらその日のためだけに仕立てる食事、それ自体が唯一無二であることは言うまでもありません。その日、その瞬間しか味わうことができないもの。これが『DINING OUT』の価値の芯となっていることは間違いないでしょう。

そしてもうひとつ大切なこととして、『DINING OUT』において、ゲストを迎えるのが地元のスタッフであることが挙げられます。スタッフが皆、それぞれに地元愛を持ち、心を込めてゲストを迎える。もちろん、レストランのプロフェッショナルのサービスと比べれば、劣る部分もあるかもしれません。しかし、それらを踏まえた上でなお心に響く“おもてなし”の心が伝わる。それが『DINING OUT』の非日常をいっそう明確に描き出すのです。

このように、時間軸に即しながら連続的に非日常を演出する。そうして生まれる唯一無二の時間が、『DINING OUT』で他にはない体験価値を得られる理由なのです。

時間軸に則る「非日常」と「唯一無二の体験」こそが『DINING OUT』の価値であると澤氏。

時間の移ろいとともに羊蹄山の山肌に、ニセコアンヌプリの影が映し出されたニセコでの一場面。地元スタッフも見たことがないという奇跡のような景観に会場が沸いた。(『DINING OUT NISEKO』・2017年開催)

水面を照らす夕日、響く波音。眼前の海が昼から夜へと刻々と変わる様子がゲストの心を捉えた。(『DINING OUT MIYAZAKI』・2017年開催)

神仏習合の地・国東半島での『DINING OUT』では、伝統の護摩祈祷でゲストの願成就を祈願した。(『DINING OUT KUNISAKI』・2018年開催)

伝統ある能舞台で舞われた幽玄な薪能。その地に伝わる伝統に新たな価値を創出することもまた『DINING OUT』の使命。(『DINING OUT SADO』・2013年開催)

世界が認めるスターシェフが、その土地の食材を使い、その夜のためだけの料理を仕立てる。その特別感こそが『DINING OUT』の価値。(『DINING OUT ARITA』・2015年開催)

地元料理人さえもその本質を知らなかった地元食材にスポットを当てる料理。料理を通して地元の魅力の再発見に繋がることも。

食材や調理はもとより、器やプレゼンテーションでも地元らしさを演出する料理が『DINING OUT』の特徴。

ダイニングアウト青森浅虫ライフスタイルブランドとしての『LEXUS』の未来。

ライフスタイルブランドを掛け声だけにせず、お客様の生活のなかで『LEXUS』との関わりを増やしていくことが目標です。プロダクトだけでは、どうしてもお客様との接点が“点”になってしまいます。その関係性を“線”にするために、「INTERSECT BY LEXUS」のようなブランドの世界観を体感できるスペースを作るなど、さまざまな体験を提供し続け、『LEXUS』と関わる生活の豊かさを伝える活動を続けています。

心を揺さぶるような体験を生み出すには、相手のことをとことん慮り、考え抜き、その人以上に思いを馳せることが大事です。LEXUSでは、このような考え方を“CRAFTED”と呼んでいます。その根本にあるのは、日本らしいおもてなしの文化。日本発信のラグジュアリーブランドとして、そういった日本的な精神を世界に広げたいと考えています。

『DINING OUT』でも、お客様が何らかの告知を知って、アクセスをして、そこから関係がはじまるという、数々の接点でのつながり、体験が終わるまで私達はお客様の体験を陰ながらサポートしていく立場にあります。現在は空港や駅などからのご試乗、送迎でゲストに『LEXUS』を体験して頂いていますが、今後はさらに移動中の楽しみや驚きを増やしたい。また、「LEXUS NEW TAKUMI PROJECTの活動として各地の工芸作家や匠の皆様をサポートしているなかで、かなりの人脈もできていますから、そういった方々も取り込みながら、世界観の輪を広げていきたいと思っています。

東京・南青山にある「INTERSECT BY LEXUS – TOKYO」では、デザイン、アート、ファッション、カルチャーなどを通じて『LEXUS』の世界観を体感できる。

『LEXUS』が取り組む「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」。地域の特色を活かしながら、新しい視点でモノづくりに取り組む「匠」をサポートし、その世界観の輪を広げる。

「『DINING OUT』は『LEXUS』にとって欠かせない存在」と澤氏。

ダイニングアウト青森浅虫目前に控えた『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』の楽しみ方。

過去に5回の『DINING OUT』に参加し、どの回も優劣のつけられない魅力を感じました。たとえば2016年の『DINING OUT ARITA&』は雨でした。一般的に野外イベントにとって、雨はネガティブな要素です。しかし雨の幕がかかったことで、有田焼と料理のハイテンションなコラボ、料理人の思い、ドリンクとのマリアージュなどに集中して対峙できました。あの緊張感を持って愛でるという時間は、雨でなければ実現しないことだったと思います。一方で2017年の『DINING OUT MIYAZAKIや2018年の『DINING OUT NISEKOは晴天に恵まれました。光の移ろいや温度変化といった野外ならではの魅力が感覚を刺激してくれたことを覚えています。五感を研ぎ澄ませるという喜び。これもまた、他に代えがたい体験です。

そして今回、初の東北開催となる『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』。テーマは「Journey of Aomori Artistic Soul」、青森という地に代々受け継がれる「アート魂をたどる旅、という視点での回となります。実は『LEXUS』はかねてより、「LEXUS DESIGN AWARD」で気鋭のデザイナーの発掘や「MEDIA AMBITION」への参画、各地の匠とのコラボレーションなど、アート、デザインへの接点を多く設けています。つまりアートという切り口は、『LEXUS』にとって、これまで以上に親和性の高いテーマとなります。私たちの世界観と『DINING OUT』、そして青森という地のアート性がリンクし、これまでになかった価値が生まれるのではないかと期待しています。

ですから今回、『DINING OUT』に参加される方は、どんな天候でもすべて唯一無二の特別な体験だと、五感をフルに使って楽しんでください。『LEXUS』で現地に入り、車の乗り心地も含めて楽しみつつ現地まで気持ちを高め、そしてアートという側面を感じながら、唯一無二の時間を体感してください。他にない特別な時間を、五感すべてで感じること。それこそが『LEXUS』というブランドの思いそのものでもあります。

料理と器のコラボレーションにより、いっそう深い印象を刻み込んだ唐津での『DINING OUT』。(『DINING OUT ARITA&』・2016年開催)

瑞々しく息づく自然、雨音、料理との対峙。雨の中でこそ生まれる価値もまた『DINING OUT』の魅力。(『DINING OUT TOTTORI-YAZU』・2018年開催)

『LEXUS』による送迎。そのラグジュアリーなモビリティ体験が、非日常へと誘う。

気鋭のクリエイターを発見し、育成・支援することを目的とした国際コンペティション「LEXUS DESIGN AWARD」を2013年に創設。数々の名クリエイターを世に送り出している。

目前に控えた『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』への期待が高まる。

京都工芸繊維大学意匠工芸学科卒業。1980年入社。カローラなどの小型車外形デザインを担当。米国駐在、内外装デザインを経て、異色のデザイナー出身チーフエンジニアとして、アイゴの開発を担当し、2017年4月にLexus International Presidentに就任。エンジニアリングからデザイン、商品企画まで、自動車事業の様々な側面を率いてきた経験をもとに、クルマに留まらない驚きと感動の提供を目指す『LEXUS』の商品・ブランド活動の両面において陣頭指揮を執る。

深く長い歴史を持つ世界遺産・平泉の伝統と文化に酔う。[平泉倶楽部~FARM & RESORT~/岩手県西磐井郡平泉町]

平安末期に奥州藤原氏のもとで栄え、「黄金の都」と呼ばれた世界遺産・平泉の歴史と文化を体感できるプレミアム・リゾート。

平泉倶楽部世界遺産の里に佇む、1日1組限定の古民家リゾート。

東西に長く、多様な風土と、それに育まれた多彩な文化を誇る国・日本。
いまだにその魅力が知られていない地も多く、旅やそこで得られる体験を愛する人々には、まだまだ探求の余地があるといえるでしょう。
 
そんな「旅の通」にお勧めしたいのが、ここ奥州の平泉です。
かつて「黄金の都」と称えられ、陸奥の豪族・奥州藤原氏のもとで3代100年にわたって隆盛を極めた地。平安末期に築かれた寺院や史跡、連綿と受け継がれてきた文化や習俗などが色濃く残っています。
 
そんな悠久の歴史を見守ってきた束稲山(たばしねやま)の山麓に、2018年7月、『平泉倶楽部~FARM&RESORT~』が誕生しました。築150年の日本家屋をリノベーションした、1日1組限定・一棟貸しのプライベート・リゾートです。

美しい田園風景と緩やかな時間の移ろいの中で、ラグジュアリーかつプライベートな時間を過ごせる。

延べ床面積約170㎡の一軒家を一棟貸し。二世帯でも三世帯でも同じ空間で寛げる。

南部鉄器で頂く白湯、秀衡塗(ひでひらぬり)で味わう食事、一関の京屋染物店が手染めした作務衣(さむえ)など、平泉の伝統工芸を五感で楽しめる。

平泉倶楽部歴史と文化を育む「風土リゾート」を目指して。

『平泉倶楽部~FARM&RESORT~』の特徴は、贅沢なゲストハウスであると同時に、かつて「黄金の都」として栄えた平泉の歴史や文化、伝統工芸などを体感できるショールームにもなっている点です。
 
中尊寺金色堂をはじめとする複数の世界遺産や、有形無形の文化遺産を数多く擁する平泉は、古くから多様な文化や伝統が出合い、影響を与え合いながら発展してきた地でした。今なお残るそれらの賜物は、あまたの伝統工芸や伝統芸能となって息づいています。

それらを集めた館内には、南部鉄器・岩谷堂箪笥(いわやどうたんす)・秀衡塗(ひでひらぬり)などの伝統工芸品が随所に配置されています。いずれもゲストが自由に利用でき、貴重な一流の工芸品にじかに触れられます。

平泉の歴史と伝統を映したしつらえが、充足感を与えてくれる。

キッチンにはIHコンロ、バスルームには最新の水回りと自動お湯はり機能などを完備。古民家の風情はそのままに、快適に過ごせる。

平泉倶楽部平泉の振興と発展を目指して。

平泉は年間200万人もの観光客が訪れる、一大観光地です。ですが、景観条例などによって高層ホテルや大規模な宿泊施設の建設が困難、という課題がありました。そのため平泉に訪れても、そのまま別の観光地に流れる、という人々が多く、現地に泊まる人は年間わずか4万人(観光客全体の2%)に留まっていました。
 
そんな課題を解決するために、『平泉倶楽部~FARM&RESORT~』は造られました。更に郷土食作りや伝統芸能の鑑賞、近隣農家での農業体験などの「体験」も用意して、世界遺産・中尊寺金色堂や近隣の名所へのツアーガイド、毛越寺(もうつうじ)での座禅体験などもオプション化。平泉の魅力をより堪能できる拠点として、注目を集めています。
 
特に「一棟貸し」の贅沢かつプライベートな空間で愉しめる体験は、地域の人々とのディープな交流に最適! ただ泊まるだけでなく、「ここに再び訪れたい」という動機づくりになっています。

ゲストのためだけに舞われる「南部神楽」を、広い庭先で鑑賞できるオプション(料金:1回5万円~)。

地元のお母さんに郷土料理を教わりながら、自ら作って味わう楽しみ。

近隣農家での農業体験は、平泉の空気と風土にダイレクトに触れられる(料金:1名あたり5,000円~)。

平泉倶楽部非日常の空間で過ごす、上質な休日

こうした体験や滞在で味わえるのは、まるで田舎に帰ってきたかのような懐かしい空気。都会の喧騒とは無縁の環境と、何ものにも縛られない緩やかな時間の中で、心ゆくまで寛げます。
 
長い縁側や、広々とした畳の部屋で、足を伸ばして寝転がるひと時。庭のハンモックに揺られたり、竹林を吹き渡る風の音に耳を澄ましたりと、時間を忘れて過ごせます。

季節によって表情が変わる風景に、極上の寛ぎを実感。

寝室は洋室と和室があり、洋室は施錠できる。

自慢のヒノキ風呂は、まるで森林浴をしているかのような爽やかな芳香に癒される。

平泉倶楽部平泉の風土を詰め込んだ「食」でこの地の神髄を知る。

そして日が暮れたら、囲炉裏を囲んで昔ながらの団欒(だんらん)が愉しめます。更に5つのプランから選べるバラエティ豊かな夕食が、その団欒に更なる満足感をもたらしてくれます。
 
まずは料理人を派遣してもらい、和洋折衷やフレンチなどの特別なコース料理を作ってもらえるプラン(料理人派遣料2万円(税抜)+料理1人前5,000円(税抜)~)。次に地元のお母さんに教わりながら作る、一関や平泉の郷土料理(1名あたり3,000円(税抜))。更に地元の飲食店『KABURAYA』から届けられる、地域の食材をふんだんに使ったケータリング(夕食1人前4,000円(税抜)~/朝食1人前1,500円(税抜))。そしてアメリカ製の「weber®2バーナーガスグリル」で焼き上げる、手軽でありながらも本格派のバーベキュー(機器レンタル5,000円+食材1名分1,500円~4,000円)です。いずれもここでしか味わえない、驚きと感動をもたらしてくれます。
 
また、持ち込みフリーのキッチンで自ら調理する楽しみもあり、これが5つ目のプランとなります(無料)。好みに合わせて古民家ステイの晩餐を愉しんでください。

朝食の一例。地場産の食材を小粋なアレンジで堪能できる。

山麓からの眺めも素晴らしい、野趣溢れるバーベキュー。

平泉倶楽部素晴らしいロケーションを心に焼き付けて。

平泉は東を北上川、北を衣川、南を太田川の3本の川に囲まれて、西に小高い山々が連なる牧歌的な地です。ですが、その中央には東北の大動脈だった「奥の大道」が通っており、岩手の要衝として発展してきました。
そのため今も東京から新幹線で2時間という利便性を誇り、かつての「黄金の都」の面影に気軽に触れることができます。
 
そして棚田や森に囲まれて、須川岳(栗駒山)や焼石連峰を望める絶景も見逃せない魅力です。歴史に想いをはせながら、深く多彩な文化に浸り、それらを受け継いできた人々と交流するひと時――これらの体験は、間違いなくあなたの心に刻まれるでしょう。
 
「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として、地域全体が世界遺産に指定されている平泉。いまだ知られざるその魅力に、心ゆくまで浸ってみてください。

関東からもアクセスが良い「奥の大道」の要衝。

この地に息づく「良いもの」を集めた、平泉の風土の結晶。

住所:岩手県西磐井郡平泉町長島字前林78-1 MAP
電話:0191-26-0015
受付時間:9:00~18:00
料金:一泊 10万円(税抜)
※宿を一棟まるごと貸切となります(1日1組限定/9名まで)
チェックイン:15:00~21:00
チェックアウト:~10:00
平泉倶楽部~FARM & RESORT~ HP:https://hiraizumi-club.jp/
写真提供:平泉倶楽部~FARM & RESORT~

沖縄の離島に点在する、日本の住居における歴史的な場所。[うるま市の島々/沖縄県うるま市]

自然の洞穴を囲い込んだ「アマミチューの墓」。比嘉集落のノロ(神を拝む人)が中心になり、多くの島民が参加して五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄を祈願する。

うるま市の島々開発の手が及ばない、本島に近い離島の古民家。

沖縄本島の中部に位置するうるま市には、海中道路でつながる4つの離島「平安座島」「浜比嘉島」「宮城島」「伊計島」に、高速艇で15分ほどの所にある「津堅島」があります。沖縄には伝統的な古民家が立ち並ぶ、「竹富島」の重要伝統的建造物群保存地区のように観光地化されている例もありますが、本島に近い所ほどそれらが失われつつあります。ところがこのうるま市の場合、本島の一部と思えるほど近い場所にありながら、沖縄の伝統的な古民家がたくさん残されているのです。

うるま市にある古民家の特徴のひとつは「石の塀」。どの家の前にも必ずあって、悪い気を止める役割があるようです。もうひとつは「シーサー」。それぞれの屋根に取りつけられており、どの家も造りやデザインが違って、それだけでも見る価値はあります。沖縄の古民家は非常に貴重な存在で、うるま市も保存に関心はあるようですが、保存に関する動きは鈍く、空き家が増えているようです。後数年したらなくなってしまうという危機的な状況にあります。

沖縄県うるま市の島々に残る古民家。本島近くに残されているのはまれで、赤瓦の屋根が特徴的。

屋根や門扉の上に取りつけられているシーサー。家ごとにデザインや設置場所が異なる。

うるま市の島々聖地に残された、守るべき沖縄の伝統建築。

離島のひとつ「浜比嘉島」には、琉球王国時代に国家的な祭事が行われ、世界文化遺産に登録された沖縄を代表する大自然の聖地「斎場御嶽(せーふぁうたき)」があります。また、宇比嘉の東海岸にはアマンジと呼ばれる岩屋の小島があり、そこには琉球開びゃく伝説で有名なアマミチューとシルミチューの男女二神を祀った、洞穴を囲い込んだ「アマミチューの墓」もあります。太平洋に面しており、小さいけれど、とても神秘的な霊場です。「浜比嘉島」の集落には沖縄料理の古民家食堂『てぃーらぶい』があり、若い店主が場を盛り上げて賑わいを生み出しています。このように、島にもっともっと若い世代やクリエイターが入ってくれるといいなと思います。減少しているとはいえ、うるま市には幸い古民家が残っています。日本の住居の歴史の中でも大事な場所であり、このままなくなってしまってはあまりに寂しいので、いい状態で残っていってほしいです。そう願ってやみません。

「浜比嘉島」比嘉地区の東海岸に突き出したアマンジと呼ばれる小島にある「アマミチューの墓」。

「浜比嘉島」で親しまれている古民家食堂『てぃーらぶい』。昔ながらの造りをそのままに沖縄料理の店を営む。

住所:沖縄県うるま市

1952 年生まれ。東洋文化研究家。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

スタイル、ペアリング、全てが圧倒的にユニーク。宮崎から地方鮨のあり方をアップデートする。[一心鮨 光洋/宮崎県宮崎市]

一心鮨 光洋OVERVIEW

「宮崎に『一心鮨 光洋』あり」。
全国を食べ歩く食通たちは、そう口を揃えます。宮崎駅から徒歩で10分前後の場所にある創業46年の鮨店は、この4~5年にその名を全国区にし、県外から、そして海外からもゲストを集める人気店に成長しました。全国的に見ても、鮨の市場は近年「バブル」といわれるほどの活況ぶり。海に囲まれた日本では、魚介は農作物以上に土地を表す食材ゆえ、「その土地ならではの味」を求めて全国を食べ歩く人々が、鮨にプライオリティを置くのも納得です。しかしながら、そうした鮨店におけるゲストの均質化が、サービスの多様化につながっていることも否めません。熟練の食べ手ほど「どこに行っても高級江戸前スタイル」と嘆きます。
そんな中、『一心鮨 光洋』が持つオリジナリティの根源はどこにあるのでしょうか。キーパーソンは、父が築いた店を継ぐ代表の木宮一光氏。職人ではなく、サービスマンが店の顔となる鮨店は、地方鮨隆盛の今でも、そして年間100軒を超える新店が誕生している東京でも、例がありません。

ただ、初めから今のスタイルを目指して上りつめてきたわけではありませんでした。苦労も予期せぬ事態もありましたが、その時々の判断で、妥協することなくベストを探り続け、『一心鮨 光洋』は他に例を見ないスタイルをつくり上げてきたのです。鮨業界の未来を照らし、新しいあり方を指し示す意味でも注目すべき1軒。その物語を紐解きます。

住所:宮崎県宮崎市昭和町21 MAP

電話:0985-60-5005

都市に在りながらも清涼な静寂を感じられる、ヨーガン レールの美意識を映した空間。[マルダ京都/京都府京都市]

ポーランド生まれのドイツ人デザイナー・レール氏のブランド『ババグーリ』のプロダクトや世界観を体感できるホテルとカフェ。

マルダ京都『ババグーリ』の世界観と「生活哲学」に浸る。

厳選された天然素材と緻密な手仕事によって、デザイナー・ヨーガン レール氏の美意識を凝縮したものづくりを追究し続けるブランド『ババグーリ』。その根底に流れる哲学と深く共鳴したホテルとカフェが、京都は姉小路通の地、『ババグーリ京都』と向かい合うスペースにオープンしました。

レール氏が好んで用いる素材のひとつに、インドの西ベンガルの地名に由来する絹糸「マルダシルク」があります。その黄金色の繭から名前を戴いた『マルダ京都』は、丁寧に紡がれる糸のようにしなやかで、素朴でありながらも美意識溢れる滞在を実現できるスポットとなりました。

『マルダ京都』を構成するのは、1日3組限定・1部屋3名までの贅沢なホテルと、併設のカフェです。
ここで体感できるのは、全てがシンプルでありながら、人・物・環境などと真摯に向き合って生み出されてきた衣食住のコンテンツたち。真摯かつ丁寧に生きていくための方法を探求してきた『ババグーリ』の「生活哲学」を、五感で堪能することができます。

『ババグーリ』が空間からサービスにいたるまでの総合ディレクションを、建築家の藤本氏とリノベーション集団『coto』が内装と運営を手がける上質な空間。

1フロアに1部屋という贅沢なプライベート・ホテルは、全3部屋のそれぞれにテーマカラーを設けている。

マルダ京都ヨーガン レールが築き上げてきた精神性を衣食住で体現。

『マルダ京都』の発端は、『ババグーリ』と建築家の藤本信行氏との出会いでした。
藤本氏は、レール氏が東京や石垣島で暮らしたり、世界各国を旅したりする中で、「自然や人為的なものとどのように向き合っていくべきなのか」と思索してきた軌跡に圧倒されたそうです。
「それらが独自の“生活哲学”となり、『ババグーリ』のものづくりに確かに息づいていることに、更に感銘を受けました。『マルダ京都』は『ババグーリ』の“生活哲学”が織り成すコンテンツ群に多大な影響を受けた私たち・MALDAチームが、食や生活道具、空間やサービスを体感して頂くことをひとつのきっかけとして、ゲストご自身の暮らし方を見つめ直すための“気付き”を得られる場を設けたい、という想いから始まったのです」と藤本氏は語ります。

例えば、素足で歩くと意外なほど気持ち良い洗い出しの床。それを体感して「自宅もこんな感じにリフォームしてみたい」と思ったり、野菜中心の素朴な朝食を味わって「こんな食事も悪くないな」と気付いたり。
他にもアメニティグッズの使い心地や、カフェのしつらえに快適さと落ち着きを見い出すなど、『マルダ京都』の価値観に少しでも共鳴して、そこから何らかの「気付き」を得て頂きたい、藤本氏はと考えているそうです。

3階の「青(AO)」。全部屋にツインベッド・デイベッド・ダイニング・キッチン・バスタブ・トイレを備えており、その全てが『ババグーリ』の商品を含む厳選したインテリアで彩られている。

2階の「赤(AKA)」。日常の雑念や雑事を忘れられる気遣いにあふれている。

マルダ京都確かな哲学を漂わせながらも、自由なスタイルで過ごせる懐の深い場所。

京都には、カフェもホテルも過剰なほどに溢れています。そんな中で、それでも『マルダ京都』を立ち上げた藤本氏とMALDAチームは、「豊かな人間性を湛えたライヴ感のある空間とサービスを、この価値観に共感して頂ける人々に向けて丁寧に提供すること」を目指しているそうです。

ゲストの目の前で毎日砂糖・卵・乳製品を使わない焼き菓子を焼き、ランチタイムには、ヨーガンレール社の社員食堂から受け継いだレシピをベースにした特製のベジタリアンカレーを供するカフェ。そして少人数限定のプライベートな宿でありながら、多くの人々の共感を得られるであろう、真摯な価値観を示したホテル。特にホテルは、ホテルらしいアメニティグッズやその他の備品、サービス等をできるだけ排して、自分自身とゆったり向き合える場所となっています。

オーガニックコットンのタオルが備えられたバスルーム。キッチン・洗面所ともに浄水が出る。

手織りコットンの部屋着とベッドクロス。『ババグーリ』こだわりのファブリックは、肌にも心にもしっくりとなじむ。

芳香が素晴らしいハーブ・ジャタマンシの精油入りのシャンプーとリンス、マートルとベチバーの精油入り石けんなど、『ババグーリ』こだわりのアメニティグッズにも癒される(これらのみ持ち帰り可)。

マルダ京都ヨーガンレール社の社員食堂の精神を受け継いだカフェ。

また、大きな窓が姉小路通に面した開放的なカフェも、ヨーガンレール社の社員食堂のしつらえやレシピを受け継いでいます。
柔らかなフォルムのチーク材の丸テーブルや、できる限り無農薬で栽培された食材を用いた焼き菓子とカレー。ホテルと同様に心地よい空間で、豊かな時間をもたらしてくれます。

いつでも焼きたてが味わえるマフィンやクッキーは、お土産や贈り物としても好評。更にオリジナルブレンドの豆茶・自然派ワイン・石垣島のヨーガンレール農園から届いたフレッシュフルーツを使ったソーダ等のドリンクなどもあり、心身に潤いを与えてくれます。

ヨーガンレール社の社員食堂で長く愛用されている、『ババグーリ』定番の家具に囲まれて。

ランチタイムで供される、季節の野菜たっぷりのベジタリアンカレー。

テイクアウトやお土産の販売もあり。

マルダ京都丁寧で素朴な食が何よりのご馳走。

もちろん、宿の部屋食として供される朝食にも同様の心尽くしが詰まっています。
素材は京都産の有機野菜や、石垣島のヨーガンレール農園から届いた旬の野菜や果物。それらで丁寧に作られた料理を戴く器は、漆作家の宮下智吉氏によるセンの木のプレートで、『ババグーリ』の食器もいろどりを添えます。

こちらの朝食も、カフェと同じくヨーガンレール社の社員食堂直伝のレシピ。作り手自らが部屋まで届けてくれることもあって、より贅沢な気分に浸れます。

これを目当てに訪れるゲストも多い、こだわり尽くしの朝食。

マルダ京都スタッフとの会話でより深く『マルダ京都』の世界観に浸る。  

このように、全てのコンテンツが「ゲストに心地よく過ごして頂けるように」と整えられている『マルダ京都』。
その神髄を堪能するために、スタッフにも積極的に話しかけてほしいそうです。

「と申しますのも、ホテルやカフェのしつらえからメニュー・アメニティグッズ・スタッフのユニフォーム等にいたるまで、全ての衣食住において我々がどのようなモノ・コトを心地よいと感じるかという視点に立って、ヨーガンレール社の皆さんと一緒に考えてたどりついた空間やサービスだからです。ご質問やご興味を持って頂けたことがありましたら、どんどん話しかけてください」と藤本氏。

さらに『マルダ京都』の向かいには、ホテルやカフェのしつらえやアメニティグッズの一部が購入できるショップ・『ババグーリ京都』もあります。ここにもぜひ立ち寄って、気に入ったアイテムを入手したいものです。

『ババグーリ京都』の外観。京都の街並みに溶け込みながらも、確かな存在感を見せる。

『マルダ京都』で触れたアメニティグッズや布製品を、想い出とともに連れて帰れる。

マルダ京都じっくり、ゆっくり、この世界を育む。

「『MALDA 』のホテルやカフェを他の都市に増やしていく計画は、現在のところはありません」と藤本氏。
更に藤本氏は、「なぜなら、まだまだいたらない点や十分でない部分があり、『MALDA』も我々ももっと進化していかなくてはならない、と考えているからです。そのためにも、今後もスタッフ全員で衣食住について研鑽を続け、より上質な癒しと寛ぎを実現して参ります。将来はカフェでのイベント等も企画し、ご宿泊やご来店の動機となるコンテンツを多数用意していきたいと思っております」と続けます。

多くの人々に支持されながらも、更なる高みを目指して真摯に励み続ける『マルダ京都』。その素朴でありながらも極上の満足感を与えてくれるおもてなしに、身も心も浸ってみたいものです。

確かな哲学を漂わせながらも、訪れる人々が自在なスタイルで過ごせる懐の深い場所。

住所:京都府京都市中京区堺町通御池下る丸木材木町684 MAP
ホテル予約専用電話:080-1456-5967(9:00~18:00)
電話(カフェ・マルダ):075-606-5385
カフェ営業時間:10:00~19:00(L.O.18:30)
休日(ホテル):年中無休
休日(カフェ):無休(メンテナンス日、年末年始を除く)
料金(ホテル):1泊2名1室朝食つき 36,000円~(税込)
マルダ京都 HP:www.maldakyoto.com
写真提供:マルダ京都
写真撮影:影山優樹(マルダ京都)・坂下智広(ババグーリ京都)

スターシェフが揃い踏み!次々と繰り出される夢の料理に福岡の夜が湧いた![DREAM DUSK/福岡県福岡市]

写真左より、『La Maison de la Nature Goh』福山剛氏、『イチリンハナレ』齋藤宏文氏、『日本料理たかむら』高村宏樹氏、総合プロデューサー・本田直之氏、『初音鮨』中治勝氏、『FARO』能田耕太郎氏、『The SG Club』後閑信吾氏、ビバレッジディレクター・大橋直誉氏、『ザ・ルイガンズ.』ゼネラルマネージャー・水口丈史氏。

ドリームダスク夢に見た料理が、目の前でコースに!

福岡『La Maison de la Nature Goh』による鰻と胡瓜のガスパチョを皮切りに、お次は秋田『日本料理たかむら』の白海老と蕨のすりながしが喉を潤し、胃袋が少し刺激されたところに資生堂『FARO』のジャガイモのスパゲティキャビアのせが美酒とともに追い打ちを……。
仏、和、伊の異なる料理が連鎖していく味わったことのない体験。通常は相まみえることのない名作料理が協奏曲のように抑揚をつけながらコースを組み立てていく不思議。
合わせるのはこちらも既成概念にとらわれない斬新なペアリングばかり。2008年のドンペリでの乾杯に始まり、「Gravner 2007 Bianco Breg」が供されたかと思えば、「而今 純米吟醸」や「即墨老酒」などなど、料理に合わせ話題のレストランプロデューサー・大橋直誉氏が驚きのペアリングンを体験させてくれるのです。

この夢のような料理体験、フーディーがお腹をすかせて夢想でもしているのかと思いきや、すべては現実なのです。

世界を食べ歩くフーディーである本田直之氏が仕掛け人となり、氏が“名店をはしごできたら”という夢のような願望をひとつのコースとして実現してしまったのです。もともとは、本田氏とリゾートホテル『ザ・ルイガンズ.』のゼネラルマネージャー・水口丈史氏が「なにか一緒にできたら、いいね」というところから始まったという同イベント。であるなら、これまでにない食のイベントであり、海を前にした抜群のロケーションや立地を持つ『ザ・ルイガンズ.』だからこそ出来ることを。そんなどこにもないイベントとして産声を上げたといいます。毎年、発売するとまたたく間にソールドアウトしてしまうという、食の祭典“DREAM DUSK”。

福岡きってのリゾートホテル『ザ・ルイガンズ.』で催された令和初、第4回の“DREAM DUSK”を、ONESTORYでは編集部自らが体験し、その感動とともにレポートをお届けしたいと思います。

「横山さんの鰻と胡瓜のガスパチョ」。

ドリームチームの空気を盛り上げるムードメーカー。『La Maison de la Nature Goh』の福山剛氏。

「白海老に蕨擂りをのせて」。

チームの兄貴分的な存在。『日本料理たかむら』の高村宏樹氏。

「魚醤風味のジャガイモのスパゲティ キャビア載せ」。

ミラノ仕込み、緩急自在の独創的なアイデアで他を驚かせる『FARO』の能田耕太郎氏。

ドリームダスク終盤は幸福感と寂しさが織り交ざり、独特な熱気を帯びた。

6月初旬、福岡きってのリゾートホテル『ザ・ルイガンズ.』で催された食の祭典“DREAM DUSK”。前段では、そのさわりを紹介させていただいたのですが、夢ではないと書いたのは間違いかもしれません。そう、総合プロデューサーである本田直之氏が夢の料理体験を具現化したのですから、夢を現実にした食イベントといって差し支えないのです。

ミシュラン星付きレストランを始め、某グルメサイトで全国トップクラスに名を連ねる有名店、半年先まで予約困難な人気店まで、日本屈指の5名の料理人が一堂に介し、ひとつのコースを組み立てていくのです。

『La Maison de la Nature Goh』の福山剛氏、『日本料理たかむら』の高村宏樹氏、『FARO』の能田耕太郎氏と、出だしの3品を供した料理人の名を聞いただけでも、食にうるさい読者であるならば、このドリームチームは推して知るべしでしょう。
さらには鮨の名店・蒲田『初音鮨』の中治勝氏と、中華の概念を覆す『イチリンハナレ』の齋藤宏文氏。仏・和・伊のほか鮨に中華というジャンル違いのシェフで構成されたドリームチームが食膳を彩るのです。
さらにビバレッジディレクターとして大橋直誉氏がペアリングのドリンクを統括する他、World's 50 best bars Asia's 50 best barsにおいて上位に名を連ねるバーを複数展開する『The SG Club』の後閑信吾氏によるスペシャルカクテルや『而今』の蔵元杜氏・大西唯克氏による特別な日本酒の提供など、飲み物までが緻密な計算のもと、驚きと感動をもたらす構成に。

ちなみにコース中盤、『イチリンハナレ』齋藤氏によるよだれ鶏は、なんと三変化で提供。まずは四川ベースの辣の効いた蒸し鶏を味わったあとに、残ったタレに熱々の焼餃子を投入。仕上げには中華麺を絡め四川の真髄を楽しませてくれるのです。さらに続く『初音鮨』では謹製の本鮪三種丼が供され、大将の中治氏自らが壇上でシャリきりのパフォーマンスも披露。そのどれもがスペシャリテのような存在感を放ちながらも、コースの流れを意識する抑揚やボリュームは、まさに一流シェフの共演だからこそ成せる技なのかもしれません。

コースは折り返しを過ぎてもなお続く、怒涛のスペシャル料理ながら、食べ進むうち、その刹那、ふと寂しささえ沸き起こるのです。二度と巡り合うことのない、夢のコース。お腹が満たされ、幸福感に浸りながらも、今後この5人が再びキッチンを共有し、再び料理を供することは不可能に近いと気づいてしまったのです。

それほどまでに料理人、空間、食材、さらにはスタッフやゲストが一体となり、この幸せな時間は生み出されていたのです。150人前以上の料理を滞りなく供する厨房での連携然り、本田氏や各シェフによるトーク然り、それを盛り上げながらも次の料理を温かく心待ちにするゲスト然り、会場全体が熱気を帯びながらもある種、独特な仲間意識が芽生えていたのです。

満腹かつほろ酔い、そのすべてがスペシャルな料理とドリンクで構成された、幸福感に満たされた夜。日本各地から訪れたゲストたちは、食のイベントという範疇だけでははかりきれない体験を共有。そう、夢を具現化した食体験を密かに共にしたことで、背徳感さえ芽生える幸せを共有したのかもしれません。

「よだれ鶏 餃子 山椒麺」。

冷静沈着に物事を分析する『イチリンハナレ』の齋藤宏文氏。

「初音の本鮪三種丼 飯尾醸造 富士酢プレミアムのシャリ」。

ドリームチーム最年長のベテラン鮨職人、『初音鮨』の中治勝氏。

『FARO』のシェフパティシエ加藤峰子氏によるデザート「明浜みかんが忘れた色」。

ドリームダスクDREAM DUSKのもうひとつのお楽しみ、スペシャルランチも大盛況!

さらに二夜に渡り繰り広げられた、5人のシェフによる特別コースには続きがありました。ディナーとディナーの間となる2日目ランチには、海を目前にした『ザ・ルイガンズ.』の屋外スペースを使ってのスペシャルランチが用意されていたのです。こちらは一般入場も可能。屋台村感覚で、地元福岡の大人気店約10店舗が集結。まさに一気に人気店をハシゴするという、ここだけでしかあり得ない体験を用意していたのです。

『餃子のラスベガス』『三原豆富店』『秀ちゃんラーメン』『ピッツェリア・ダ・ガエターノ』『TADASHI』『藁焼 みかん』『めしや コヤマパーキング』『二◯加屋長介』『清喜』『大重食堂』『スナックアポロ』など、そのどれもが福岡きっての人気店であるのに、当日限りのスペシャル屋台メシを考案し、訪れる人を魅了。気軽に、楽しく、格安で“DREAM DUSK”を体感できる空間を用意していたのです。

はじめて会った者同士でも乾杯し、気軽に盛り上がれる。メインのディナーを供するシェフたちも仕込みの合間を見つけては、ふらりと訪れ、ゲストと交流し、そこかしこで笑い声や写真撮影が行われる。それは食を通して人と人がつながる瞬間。日本を代表するフーディー・本田直之氏による本気の遊び、手を抜かない大人の文化祭は、訪れる誰もを笑顔にしてしまう、そんな究極のランチイベントだったのです。

2日合計、過去最高約600人のゲストで盛り上がった今年度の“DREAM DUSK”。イベント終了後、総合プロデューサーの本田直之氏は自身のSNSにて、こう発表しました。

「同じことを続けるのではなく、常にリセットして、新たな事にチャレンジしていくのが僕の哲学。最高潮のときに最後にして、記憶に残る会にしたい」

そう、来年第5回の“DREAM DUSK”が最終回であることを明言したのです。夢を実現した究極の食イベント。2020年のプラチナチケットは争奪戦になることは必至。我こそは、究極の食いしん坊を自負するならば、この有終の美を見届けて欲しい。

芝生の広場の中に特設の屋台村が出現したランチ会場。

福岡を代表する人気店が一堂に集いランチメニューを提供。

焼き立てをすぐに提供してくれる、餃子のラスベガスにも行列が。

総合プロデューサーであり、イベントの仕掛け人・本田直之氏。

日米のベンチャー企業への投資育成事業を行いながら、年の5ヶ月をハワイ、3ヶ月を東京、2ヶ月を日本の地域、2ヶ月をヨーロッパを中心にオセアニア・アジア等の国々を旅し、仕事と遊びの垣根のないライフスタイルを送る。これまで訪れた国は61ヶ国220都市を超える。
毎日のように屋台・B級から三ツ星レストランまでの食を極め、著名シェフのコラボディナーなどのプロデュースも手がける。日本ソムリエ協会認定ソムリエでもある。
著書は累計300万部を突破し、韓国・台湾・香港・中国で翻訳版も発売。

1963年 東京蒲田に生まれる。
1984年 東京銀座の日本料理店に入社し5年で「煮方」まで昇格。
1994年 家業であった蒲田 初音鮨の4代目親方に就任。
2007年 女将の病をきっかけに、今までの献立を一新しカウンター8席、握りのみのコースの提供を開始。
2008年 ミシュラン東京の創刊で2つ星を獲得、以降11年連続で獲得中。
2015年 食べログ評価点数で全国2位に。
2018年 女将の病が再発し無期限休業に。
2019年 新生、蒲田 初音鮨を再開。8席のみのカウンターで全身全霊を込め鮨の感動体験を提供中。

1971年生まれ、47歳。高校卒業後、江戸料理の老舗・東京目白太古八にて修行し24歳で板長に。28歳で秋田にて独立。今年で20年。
食べログ2018,2019年、2年連続ゴールド受賞。
2017年農林水産省料理マスターズブロンズ受賞。
JR東日本トランスイート四季島にて料理担当。

1976年 静岡県に生まれる。
2008年 赤坂四川飯店にて12年修行後、株式会社ウェイブズ勤務。
2016年 総料理長に就任。
2013年3月 築地「東京チャイニーズ一凛」店主に就任。
2017年4月 鎌倉に一凛の離れである「イチリンハナレ」を開店に至る。

1999年に渡伊。2007年までイタリアの名店で修業を積み、その後、現地でシェフとして活躍。2013年、「ノーマ」(コペンハーゲン)など最高峰の北欧料理店での研修を経て再びイタリアへ。自身が共同経営するローマの「bistrot64」では、ネオビストロのスタイルで人気を支える。2016年11月『ミシュランガイド・イタリア 2017』 にて二度目の一ツ星を獲得。イタリア料理のシェフとして二度の評価を得るに至った初の日本人となる。2017年には「テイスト・ザ・ワールド(アブダビ)」の最終コンペティションにローマ代表として出場し優勝。「ファロ」では、風情や旬を大切にする日本文化の中、イタリアで培ってきたことを東京・銀座で発揮し、自身の感性とチーム力で“お客さまが楽しむレストラン”を創り上げていく。

1971年 2月26日生まれ。
1989年 高校卒業後 地元フランス料理店に就職。
2002年 福岡 西中洲「La Maison de la Nature Goh」開店。
2016,2018,2019年 アジアベストレストラン50 入賞。

菊地成孔が体験する「食べるシャンパン。」 マリアージュのアプローチは「選曲」とも通じ合う。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・アルドアック/東京都渋谷区]

カウンターを挟んで向き合う菊地成孔氏(右)と『アルドアック』酒井 涼氏。 

アルドアック×菊地成孔「食べるシャンパン。」料理とともにあるメゾンのスタイルを体現する試み。

『テタンジェ』を、料理とのペアリングで、ワンランク上の味わいに。「食べるシャンパン。」を検証すべく、代々木八幡のスペイン料理店『アルドアック』の酒井 涼氏に「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」に合う一品を提案してもらいました。この特別なマリアージュを体験するのは、音楽家であり作家の菊地成孔氏。ジャズミュージシャンとしての音楽活動に軸足を置きつつ、演奏、著述だけに止まらない多彩な活動を展開。食とお酒についても造詣が深く、無類のグルマンとしても知られています。

『テタンジェ』は、創業以来、ワインとガストロノミーに力を注いできたシャンパーニュメゾン。高品質な料理に対する深い理解と情熱をもとにそのスタイルが確立され、今に至るまで受け継がれています。「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」は、そんな同社の至宝ともいえるトップキュヴェ。フレッシュで洗練された果実味、熟した果実の香り。滑らかで、生き生きとした躍動感があり、グレープフルーツとスパイスのニュアンスを感じる洗練された味わいは、料理と合わせることで、おいしさが何倍にも増幅します。それが「食べるシャンパン。」たる所以。

『アルドアック』は、スペイン各地の伝統と日本の四季を盛り込んだガストロノミックな料理を楽しめるカウンター・スパニッシュ。コース料理に合わせたワインペアリングにも定評があります。料理とワインサービスを一人でこなすシェフと、音楽を軸にジャンル越境的表現活動を続けるミュージシャン。プレステージ・シャンパーニュの味わいを巡って、料理とお酒、お酒と音の話が白熱します。

【関連記事】テタンジェ/食べるシャンパン。それは、ひとりでは完結しないシャンパーニュ。

「鮎のピンチョス モホ・ベルデソース」。パクチーを使ったモホ・ベルデソースのほか、シェリーが香る肝のソース、鮎魚醤のソースを添えて。

普段からシャンパーニュに親しんでいる菊地氏。テイスティングコメントも明解。

オープンキッチンで腕を振るう酒井シェフ。

フィレは皮目をパリッと香ばしくソテーに。

ソテー、トウモロコシ粉を使った軽いフリット、頭の素揚げと、一尾丸ごとを、異なる仕立てで。

あさりダシで炊いた新たまねぎ、クレソンの新芽などを重ねて味を構築。

盛り付けは、新緑から徐々に緑が濃くなる初夏の風景をイメージ。フィレのソテーは、スパイシーなバナナブレッドを重ねてピンチョススタイルで。

菊地氏の「音と酒のマリアージュ論」に興味深く耳を傾ける酒井氏。

アルドアック×菊地成孔いきいきとした味わいから導き出した鮎とハーブソースのひと皿。

「お店で提供するワインはスペインワイン中心ですが、休日に楽しむワインはもっぱらフランスワイン。とりわけシャンパーニュが大好きです」と言う酒井氏。
「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」について、「プレステージ・シャンパーニュならではの厚みや複雑さ、ボリューム感はありつつ、グレープフルーツの香りや酸味がフレッシュ。思った以上にいきいきとした味わいだと感じました」と、その印象を語ります。
今回、提案してくれたのは「鮎のピンチョス モホ・ベルデソース」。鮎の身はソテーとフリットに、頭は素揚げに。肝とシェリーのソース、鮎魚醤のソース、そしてパクチーを使った爽やかなモホ・ベルデソースと、3種のソースを添えて仕上げています。

モホ・ベルデソースは、スペインの中でもアフリカ北西岸に浮かぶカナリア諸島に伝わるソース。
「私自身が着目したコント・ド・シャンパーニュの味わいの軸は“いきいきとしたフレッシュさ”。だから、鮎にはあえて炭の香りを付けず、ハーブを使って爽やかな余韻を相乗させました。和食と違い、部位ごとに異なる調理法で、一尾の鮎から味わいのバリエーションを引き出せるのがスペイン料理の強み。鮎のさまざまな調理法も、シャンパーニュの味わいの厚みや複雑さに呼応させています」。

まずは香りを楽しみ、確かめるようにそれぞれの部位を味わう菊地氏。

「コント・ド・シャンパーニュ」と料理のマリアージュに陶然とした表情。

菊地氏は、実は無類の鮎好き。素揚げの頭をうれしそうに手で口へ運ぶ。

「コント・ド・シャンパーニュ」とのマリアージュの感想を語る菊地氏。

アルドアック×菊地成孔食感、旨みの濃淡、香り。立体的なマリアージュの官能。

ライブの終演後は、シャンパーニュでの乾杯が「お約束」。音楽を離れても、シャンパーニュは「生活になくてはならないもの」と話す菊地氏。グラスサービスの行き届いたレストランでは2~3種類を味わい、時に食前、食中、食後までシャンパーニュで通すこともあるほどのシャンパーニュラヴァーだと言います。

「コント・ド・シャンパーニュは、まずこのボトルデザインに惹かれますよね。味わってみると、香りの複雑さ、凝縮感などテタンジェのスタンダード・キュヴェと共通する雰囲気、魅力を持ちながら、さらなる奥行、深みがある。何より驚いたのは、高めの温度でもしっかりとしたキレ、シャープネスがあり、ふくよかさと見事にバランスしていることです」。

テイスティングコメントにも、膨大な経験値と知見がにじみ出ます。
酒井氏が「鮎のピンチョス モホ・ベルデソース」の皿を差し出すと、「毎年、この時期になると自分で鮎ごはんを炊くほどの鮎好きなんですよ」と、表情をほころばせながら告白する菊地氏。ソテーしたフィレの部分から味わった瞬間「ううん、これは旨い!」と、唸るような声をもらしました。

「3つのソースがシャンパーニュとの最高の橋渡し役になっていますね。日本の鮎魚醤は初めて頂きましたが、ニョクマムなどと違って強い旨みがありながら後味が上品。ニンニクやクミンなど香りの強い食材を使ったモホ・ベルデソースも、シャンパーニュを口に含むことでフレッシュさがくっきり際立つ。いやぁ、楽しいひと皿でした」。

鮎の一皿に大満足の表情を見せる菊地氏。味わいの余韻にシャンパーニュを合わせる。

菊地氏の賛辞を控えめな受け答えをしながら、嬉しそうな酒井氏。

菊地氏。ひとつひとつの食材、ソースの香りを真剣に確かめながらマリアージュを楽しんだ。

アルドアック×菊地  成孔限りある時間を、より豊かなものにするための遊び心のある「足し算」。

「部位で異なる食感の繊細さ。凝縮感のある鮎魚醤や肝ソースからハーブソースまで、味わいの幅広いグラデーション。さまざまな要素を含みながら、まとまりがよく、非常に洗練されている。皿のあり様自体が、コント・ド・シャンパーニュというワインに通じるように感じましたね」。
味わいの余韻に浸りながら、菊地氏は話します。

「それは嬉しいですね。マリアージュの理論も大事だけれど、シンプルに“一緒に味わってより美味しかった”という食後感も大事に考えた料理ですから」。
そう話す酒井氏、実はひっそり、プレートも『有田焼 吉右衛門窯』の泡モチーフのものをセレクトしたのだと言います。それを聞いた菊地氏は、大いに納得という表情で言葉を重ねます。

「時は必ず過ぎゆき、終わりが来るけれど、ひと皿を味わう時間がどれだけ楽しいかを重要視する酒井シェフの姿勢には深い共感を覚えます。私も例えばライブで、同じ数曲を聴く時間をより豊かに過ごして頂くために、あれこれ考えるほうなので」と菊地氏は話します。

時に出演するジャズクラブの支配人やソムリエと相談し、プレイする曲と合わせて楽しんで欲しいワインを提案することも。こんな企てができるジャズミュージシャンは、菊地成孔氏を置いてほかにはいないはずです。

「元々、選曲の仕事もしているので、“シチュエーションに相応しい音”というテーマも常に頭の中にある。日本で食事をしていると、イタリアの大衆食堂風の店でオペラが流れていたり、フレンチレストランでちょっといいブルゴーニュを開けようと思ったときにミュゼット(フランスの地方の民族音楽)がかかっていたりで、興が冷めることがままあるんですが(笑)、良いレストランでここぞというグランヴァンを飲む時に、荘厳な交響曲などが流れているとバシッとハマる。国や料理ジャンルといったカテゴリーだけでなく、大衆的でフレンドリーなものか、はたまた高尚なものかという軸もあるわけで、そういう意味でも今日味わったコント・ド・シャンパーニュと鮎の一皿は、自分の頭の中で見事に共鳴し、気持ちを高揚させる組み合わせでした」。

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電話:03-3465-1620
営業時間:月・火・木〜日18:00~21:30(LO)  ランチ/土・日:12:00~13:00(LO)15:00(CLOSE)
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1963年千葉県生まれ。ジャズミュージシャンとしての活動に軸足を置きながら、選曲家、クラブDJ、映画やテレビドラマの音楽監督と幅広く活動。テレビ、ラジオ番組のナビゲーター、コメンテーターとしても、音楽のみならず映画、服飾、食文化、格闘技とジャンルを超えて独自の視点を貫いた批評、論説で人気を博す。文筆家でもあり、雑誌をはじめ数々のメディアに寄稿。

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三方を海に囲まれた、国内屈指の魚介天国。青森県で出合った食材に、目黒浩太郎シェフが思うこと。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

「使ったことはない」という青森の魚を前にし、その質に驚く目黒シェフ。

ダイニングアウト青森浅虫

2019年7月6日(土)、7日(日)に開催が決定した『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』。初の東北開催となる今回の舞台は青森県中央部、陸奥湾に突き出す夏泊半島基部にある温泉地・浅虫温泉です。

そんな青森の地に目黒浩太郎シェフが降り立ったのは、まだ肌寒さも残る初夏。目的は、本番で使用する食材探し。魚介フレンチのスペシャリストたる目黒シェフの目に、青森県の食材はどのように映るのでしょうか――

三方を海に囲まれ、豊富な水産資源に恵まれた青森の魚介に、魚介フレンチのスペシャリストが挑む。

ダイニングアウト青森浅虫青森の魚介の質を保証する、ひとりの鮮魚店店主。

「青森県に来るのは初めて。実は青森県の魚介も使ったことはありません。まったく未知の状態です」と話す目黒シェフ。魚介に特化したフレンチレストラン『Abysse』を率いる目黒シェフの料理は、素材が命。未知の青森産魚介に対しては、期待だけではなく、不安もあったかもしれません。しかしそんな懸念は、シェフを出迎えたひとりの人物により、簡単に取り払われました。魚介そのものを見るまでもなく、「この人がいるなら大丈夫」と思わせるほどの人物です。

その魚介のプロフェッショナルの名は、代表・塩谷孝氏。青森市中心部にある『塩谷魚店』でシェフを出迎えた塩谷氏は、さっそく魚介が揚がる浜へと案内してくれました。場所は陸奥湾の西岸、津軽半島の中ほど。車で2時間ほどかかる道中、目黒シェフは塩谷氏のトラックに同乗し、青森の魚介についてレクチャーを受けます。

そもそも三方を海に囲まれた青森県は、国内有数の魚介天国。太平洋側を南下する寒流、日本海を北上する暖流、それらが入り交じる津軽海峡、時化が少なく養殖にも適した陸奥湾。それぞれに特徴の異なる海からは、実に多彩な魚が揚がります。魚介特化の目黒シェフといえども、学ぶことは多いようです。

とくにシェフが注意深く訪ねていたのは、季節による魚介の状態について。「魚がどういうものかを知っていても、(『DINING OUT』が開催される)7月にどういう状態であるかはこの地のプロフェッショナルにしかわかりません。本当に勉強になります」と目黒シェフ。塩谷氏お手製の資料を元に、数カ月後の魚の状態をイメージしながら、料理の構想を練り上げていました。

『塩谷魚店』の塩谷孝氏。いかにも浜の男を思わせる風貌だが、穏やかで温かい人柄。

移動中のトラックの中、塩谷氏と目黒シェフの魚に関する話は尽きない。

塩谷氏の手による資料には、青森の魚介に関する知識が詰まっている。

浜で目にする魚介に関して、次々と質問を投げかける目黒シェフ。

ダイニングアウト青森浅虫神業の神経締めで仕上げるオーダーメイドの鮮魚。

場面は津軽半島から、再び青森市内の『塩谷魚店』へ。浜で魚介そのものの姿をインプットした次は、この地の魚介に適した締め方を見学します。まず塩谷氏が取り出したのは、イカ。
「血管だけを切って、殺さずに、けれども足が動かない状態にします。それで水に入れれば心臓の動きで血が抜けていきます」そう話しながらも、イカを捌く塩谷氏。あっという間にできあがったイカ刺しは、反対側が透けるほど透明で、しかし甘みと食感も残る驚きのクオリティでした。

続いて披露されたのは神経締め。これは魚を締める際に中枢神経を壊し、魚体の硬直を遅らせる手法です。そして『北日本神経〆師会会長』の肩書も持つ塩谷氏の技は、まさに神業。7種のワイヤーを使い分け、カメラで追えないほどの速さで魚を締めていきます。しかし塩谷氏の凄みは、この作業の速さ、正確さだけではありません。
「マスなら香りを残すために緩めに締める。白身は旨みの減少を防ぐために脳を破壊する“脳殺”という作業が優先。アイナメは臭みが出ないよう、血液を抜く“放血”が優先。どんな魚かはもちろん、どう料理して、どう食べるかまで想定して締めています」と塩谷氏。つまり料理の形から逆算して、そこに適した魚に仕上げる。いわば料理に合わせたオーダーメイドの魚こそが、塩谷氏の真骨頂なのです。

「漁師、魚屋、料理人。みんながチームになってやれば旨いもんができるからね」と笑う塩谷氏。同じく魚を追求する者同氏、意気投合した目黒シェフも「魚が良いのは一目瞭然。あとはそこにどう向き合うか。塩谷さんの存在は心強い」と信頼を寄せていた様子。「塩谷さんと話した驚いたこと、感動したことが、そのままゲストに伝わる料理にしたい」と決意を新たにしていました。

塩谷氏の手にかかり、イカもまるでガラスのような透明度で締められる。

魚種に合わせて使い分けるワイヤーさばきは圧巻。

捌きたての魚介を試食。そのクリアでありながら濃厚な味わいは驚きの連続。

ダイニングアウト青森浅虫市を挙げてもり立てる野菜と、全国に名を轟かすハーブ。

主役となる魚介は、文句なしの逸品が届く目処がつきました。しかしそれだけでは料理は完成しません。続いて目黒シェフが探すのは野菜。そしてここでもシェフはうれしい驚きに出合います。実は青森市は、野菜にも力を入れている市なのです。

青森の野菜事情を象徴するのが、市が運営する「あおもり魅力野菜プロジェクト」。地元シェフのニーズに応える西洋野菜、伝統野菜を地場で生産し、より身近に感じてもらおうと官民一体となって進められています。「アオベジ」と名付けられたこれらの野菜は、青森の冷涼な気候に支えられ、現在は県外にも広く出荷されています。「アオベジ」生産者のひとりである『雲谷ト森山農園』代表・森山知也氏やプロジェクトの会長を務める小泉憲一氏に話を聞いた目黒シェフ。生産者の思いを受け止め、料理のイメージを膨らませていました。

さらにフランス料理に欠かせないハーブに関しても、青森は事欠きません。なにしろ、全国的に名を知られ、各地の名だたる名店で利用される『大西ハーブ農園』があるのですから。150種ほどのハーブが栽培されるそのハーブ農園を訪ね、八戸に向かった目黒シェフ。完全無農薬、無化学肥料で育てられるハーブを前に「実際に見て、香りをかいで、食べてみて初めてわかることがあります。来てよかった」と笑顔をみせていました。

『森山農園』にて、昨年の収穫状況を確認する森山氏と目黒シェフ。

「あおもり魅力野菜プロジェクト」会長・小泉氏とともに、7月の収穫を予想。

『大西ハーブ農園』にて。味と香りを確かめるように、さまざまなハーブを試食した。

ダイニングアウト青森浅虫伝承料理や酒から固まりつつある料理構想。

着々と揃う食材、シェフの頭の中でも料理のイメージが徐々に固まりつつある様子。そんな中、昼食に訪れた『津軽あかつきの会』も重要なインプットになりました。

お膳の上にずらりと並べられた津軽の伝承料理。ひとつひとつにこの地に受け継がれる理由があり、物語がある。そんな料理に箸を伸ばしながら、料理を仕立てるお母さんたちに次々と質問を投げかける目黒シェフ。地域に眠る魅力を掘り下げ、新たな価値を創出することが『DINING OUT』の根幹。パワフルなお母さんたちの姿に、そのヒントを見出したのかもしれません。「次回は店のスタッフたちも連れて来たい。学ぶことも多いでしょうし、何よりおいしい」と話す言葉に、目黒シェフの感動が滲んでいました。

さらにペアリングドリンクも探しに、訪れたのは銘酒「陸奥八仙」「陸奥男山」で知られる『八戸酒造』。伝統の日本酒のほか、新たな試みの酒も試飲した目黒シェフ、とくに目を引いたのはスパークリング日本酒でした。「ワインと日本酒の中間といったイメージ。もしシャンパンと言われて出されたら気付かないかもしれません。魚介料理とは間違いなく合います」と絶賛。目黒シェフのペアリング手法は「料理の特徴と酒の特徴をぶつけ、互いに高め合う」こと。その思いにも、『八戸酒造』の酒は合致したのでしょう。

3日間かけて青森を巡った目黒シェフ。「その場でどう感じるかを大切にするため、あえて余計なイメージを持たずに来た」というシェフがまず抱いたのは「イメージがなかった分だけ鮮烈な印象が刻まれました。食材は素晴らしいクオリティ。そこに携わる方々も素晴らしい人達。ご縁があった方々のためにも、地元になにかを残せる料理を作りたい」と決意を新たにしていました。頭の中の構想も少しずつ形になってきた様子。その詳細は秘密といいながらも「陸奥湾の7月は最高の条件で、とても10皿ではおさまらない。少ポーション多種にするなど、驚きのある料理を考えています」と不敵な笑みを浮かべていました。

青森の伝承料理が味わえる『津軽あかつきの会』の昼食。滋味深い味が印象的。

『津軽あかつきの会』のパワフルなお母さんたちから話を聞く目黒シェフ。

『八戸酒造』にて、料理をイメージしながらじっくりと試飲を重ねる。

味や香りだけでなく、その裏側の製法にまで目黒シェフの興味は向かう。

棟方志功氏が描いた浅虫温泉のポスターを眺める目黒シェフ。青森という地をどう料理で表現するか、そして浅虫に何を残せるのか、期待が募ります。

1985 年、神奈川県生まれ。祖父は和食の料理人、母は栄養士とい う環境で育つ中で自然と料理人を志す。服部栄養専門学校を卒業後、 都内複数の店で修業後、渡仏。フランス最大の港町マルセイユのミシ ュラン三ツ星店「Le Petit Nice」へ入店し、魚介に特化した素材の 扱いやフランス料理の技術を習得。帰国後には日本を代表する名店 「カンテサンス」にて、ガストロノミーの基礎ともなる、食材の最適 調理や火入れなどさらに研鑽を積んだ。2015 年、「abysse」をオープ ン。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化し たフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得している。
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目を奪う色彩、凄みさえ感じる力強い表現力。北の町に受け継がれる芸術精神をたどる旅。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

棟方志功記念館で作品を見学する目黒シェフ。

ダイニングアウト青森浅虫

2019年7月6日(土)、7日(日)に開催が決定した『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』。舞台は青森市浅虫に決定しました。本州最北端の青森県で厳しい冬を耐え抜き、短い春夏を謳歌する北の温泉地・浅虫。その名さえ初耳という人も多いかもしれません。

知られざる地域の魅力を発信し、新たな価値を創出すべく出発した『DINING OUT』のスタッフは、最果ての小さな温泉街、そして青森市を知るために繰り返し現地に足を運びました。そして、徐々に見えてきた本質。まるで山肌の雪が解け色彩が現れるように、少しずつ見えてきた答え。それはこの地に根付く、熾烈なまでのアート性でした。

そして今回の『DINING OUT』に設定されたテーマは、「Journey of Aomori Artistic Soul」。青森の芸術精神をたどる旅。この記事では、まずはその序章へとご招待します。

【関連記事】DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS

浅虫温泉のシンボル・湯ノ島と陸奥湾に沈む夕日。この景色も多くの芸術家の心を動かした。

ダイニングアウト青森浅虫白銀世界が一変する色彩の春。青森の土地柄が育む鮮烈な色彩感覚。

4月中旬、天気は晴れ。青森市はまさに目覚めの最中にありました。
道端にはまだ雪が残っています。桜はまだつぼみのまま。それでも雪解け水で流れを速める小川や、明るい色になりつつある陸奥湾、芽吹き始めた若葉が、待ちわびた春の訪れを告げてくれました。冬の間、モノクロだった景色に、今年も色彩が戻ってきたのです。
青森の「Artistic Soul」、まずはこの色彩から紐解いてみましょう。

青森といえば、思い出すのは「青森ねぶた祭り」。ねぶた祭りの起源は奈良時代にまで遡り、この地に受け継がれていた習俗が中国から伝来した七夕祭が混交して誕生したといわれています。暗闇の中を色とりどりのねぶたが練り歩く様子は、誰もがどこかで目にしたことがあるでしょう。その鮮やかでいて、どこか凄みのある色彩は、青森を代表する“アート”といえるでしょう。

あるいは江戸時代から作られる伝統工芸品である津軽凧。浮世絵の影響を受けたという図柄は、赤、青、緑といった原色が目を引く鮮やかな色彩。これもまた青森のアート性を象徴するものでしょう。

時代をさらに巻き戻して見てみましょう。
青森市にある三内丸山遺跡は、青森市にある日本最大級にして最古の縄文遺跡。同地にある資料館には、遺跡から出土した土偶や土器のほか、漆器や翡翠の工芸品も展示されています。その見事なまでに繊細な太古の遺産、縄文時代前期~中期に作られたと推測されるそれらの出土品を見るに、この地に息づく創造性は7000年以上も前から受け継がれているとさえ思えてくるのです。

雪に閉ざされる冬が長いからこそ、春に芽吹く色彩をより目に焼き付けるからでしょうか。青森には、時代を超え見事なまでの色彩感覚が受け継がれているのです。

闇夜に浮かぶ鮮烈な色彩こそ、青森に受け継がれる芸術精神の象徴。

三内丸山遺跡の『縄文時遊館』には、遺跡から出土した貴重な土器が展示される。

悠久の歴史と受け継がれる魂に思いを馳せる目黒氏。

ダイニングアウト青森浅虫共通項がないことが、唯一の共通項。偉大な先人たちに見る青森のアート。

続いて、青森が輩出した偉大な先人たちについて見てみましょう。

まず思い浮かぶのは“世界のムナカタ”と呼ばれた青森出身の板画家・棟方志功でしょう。その力強く生命力にあふれた作品で知られる20世紀を代表する世界的芸術家。極度の近視のため板に顔がくっつくほど近づいて彫る鬼気迫る姿を思い出す人もいるかもしれません。昭和50年(1975年)に没するまで彫り続け、摺り続けた作品のなかには、きっと青森の血脈が息づいているのです。

あるいは文豪・太宰治も青森の人。自伝的小説『津軽』のなかでは、今回の舞台である浅虫温泉についても、「自分の故郷の温泉だからこそ思ひ切つて悪口を言ふ」と酷評しつつも、「私には忘れられない土地である」と描いています。

写真の分野では生まれ故郷の青森を被写体にし、“写真界のミレー”と称された小島一郎も、
ベトナム戦争を写し、34歳で戦場に散るまでの短い人生のなかで、鮮烈な印象を残したピューリッツァー賞の報道写真家・沢田教一も青森県出身。現代美術では独特なタッチのなかに深いメッセージが隠れる画家・彫刻家の奈良美智、ウルトラマンの怪獣の生みの親、デザイナー・成田亨もいます。詩人・秋田雨雀や連続テレビ小説でもおなじみの三浦哲郎、アングラ文化を牽引した寺山修司や、毒舌でありながら愛されたナンシー関を思い出す人もいるかもしれません。

枚挙に暇がないほどの文化分野の偉人たち。誰もが個性的で共通項を探すことはできませんが、実はこれこそが唯一の共通項。未開の地を切り開き、独自の道を進むことこそが、青森の「Artistic Soul」の形なのでしょう。
もちろん土地の力がすべてではありませんが、内に向かうパワー、自らの心に問いかけ、それを形にする力は、この青森という土地とどこか似ていると思えてなりません。

青森県立美術館には、青森に縁の深い芸術家の作品も数多く収蔵されている。

シャガールの舞台美術をはじめ、国内外の貴重な美術品が鑑賞できる青森県立美術館。

棟方志功記念館にて。目黒氏も作品から伝わるエネルギーに心打たれた様子。

棟方志功が度々訪れた浅虫温泉『椿旅館』は、同氏の作品も多数所有している。

ダイニングアウト青森浅虫魚介フレンチという手法で、独自の皿を描く

「Journey of Aomori Artistic Soul」、青森に宿るアートの魂をたどる旅。芸術家たちを惹きつけ、その内にあるパワーを爆発させる青森の土壌が、少しだけ見えてきたでしょうか。

そしていま、その青森の地で、そして料理という分野で、アートを描かんとする人物がいます。それが今回の『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』を担当する若きシェフ・目黒浩太郎氏です。

目黒氏の代名詞は、魚介を主役にしたフレンチ。日々刻々と入れ替わる魚介を相手に、自身の持てる技術と知識を駆使して、考え得る最高の表現を目指す。それはたとえば、青森の四季を切り取る写真家や、青森の機微を描く作家と同様のアプローチなのかもしれません。

今回の視察で、初めて青森を訪れたという目黒氏。その場で湧く感情を大切にするために、あえて事前にインプットをせずに青森に向かったといいます。そして湧いたのは「豊かな自然と食材、少し控えめだけど懐の深い人たち、テンションが上がるような素晴らしい美術。本当に良いところですね」という言葉。「料理の構成や表現はこれから考える」と言いつつも、数々のインスピレーションが湧いた様子で「不安は一切ありません」と言い切りました。

アートを掲げたテーマについても、すでに考えはある様子。「たとえばここで見た素晴らしい美術に引っ張られて派手な色彩を取り込んだとしたら、それは僕の表現になりません。僕の料理は、あくまでも食材ありき。魚の色は地味ですが、そこに青森の色彩を落とし込むことができれば、それがきっともっとも自然で、もっとも美しいものになると思います」

誰の真似でもなく、ただ自分のやりかたを貫く。それが何より青森らしさの表現につながることを、目黒氏はいち早く確信していたのかもしれません。

浅虫温泉の湯に浸かる目黒氏。青森の空気を感じながら、料理の構想を練る。

八甲田山や陸奥湾など、芸術の元となった豊かな自然も料理の原動力。

34歳の若き才能・目黒シェフが、どう青森を表現するか期待が募る。

1985 年、神奈川県生まれ。祖父は和食の料理人、母は栄養士とい う環境で育つ中で自然と料理人を志す。服部栄養専門学校を卒業後、 都内複数の店で修業後、渡仏。フランス最大の港町マルセイユのミシ ュラン三ツ星店「Le Petit Nice」へ入店し、魚介に特化した素材の 扱いやフランス料理の技術を習得。帰国後には日本を代表する名店 「カンテサンス」にて、ガストロノミーの基礎ともなる、食材の最適 調理や火入れなどさらに研鑽を積んだ。2015 年、「abysse」をオープ ン。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化し たフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得している。
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1年間の密着最終章。遂に完成した『mitosaya 薬草園蒸留所』のファーストリリース。[mitosaya 薬草園蒸留所/千葉県夷隅郡]

『mitosaya 薬草園蒸留所』のお酒のラインナップ。100mlのボトルで¥1,800〜¥2,200。

mitosaya薬草園蒸留所実験と検証の繰り返し。「ミトサヤらしい」1本ができるまで。

2018年2月より密着を開始した『mitosaya 薬草園蒸留所』。まだ何もなかったそこには立派な蒸留所ができ、ようやく酒造りの環境が整ったのは同年10月くらいのこと。そこからようやく待望の酒が完成しました。

そのラインナップは、千葉県鴨川の『古泉農園』で採れた温州みかんを丸ごと使用したフルーツブランデーや山形県南陽市のワイナリー『グレープリパブリック』のナイアガラとマスカットのポマース(絞りかす)を使用したグラッパなど全6種。
「ものにもよりますが、基本的に果物は仕入れ、それに『mitosaya 薬草園蒸留所』や『苗目』で採れたハーブを組み合わせ、お酒を作っています」。

初めての酒造りは、「実験と検証の繰り返し」だと江口氏は話します。
「例えば、ワームウッド(ニガヨモギ)のお酒。アブサンでは他のハーブなども混和することも多いのですが、『mitosaya 薬草園蒸留所』では単体でやってみたいと思いました。普通は干したドライなものを使用しますが、ここと苗目でも栽培しているゆえ、フレッシュなものにこだわりました。秋に刈り取ってその日のうちに仕込み、春まで漬け込みました。春が訪れれば当然新芽が出るので、それをまた一晩だけつけて。全てフレッシュなものだけで作るワームウッドのお酒は珍しいと思います」。

これもまた「実験と検証」から生まれた味。それぞれ個性は異なりますが、全てに共通していることは芳醇な香りの豊かさ。また、お酒以外にも商品化されたものがキャンドル。
「蒸留後のもろみに残る色やほのかな香りを抽出しています。無駄なものを出さない“実(み)”と“莢(さや)”から生まれた『mitosaya 薬草園蒸留所』らしいひと品です」。

その1本が完成した日が、蒸留家・江口宏志氏が誕生した日なのかもしれません。ゼロからスタートした家族のプロジェクトは、ようやく大きな一歩を踏み出したのです。

【関連記事】mitosaya 薬草園蒸留所/書店主から蒸留家を目指す、人生の挑戦。その1本ができるまでを完全密着。

レモンとワームウッドを使用したキャンドル。お酒以外のプロダクトも楽しみ。

園内で採れたワームウッド。常に自然と暮らすことができる環境もまた、この場所の良いところ。

偶然はない。実験と検証を繰り返し、ベストな配合で酒造りは始まる。

mitosaya薬草園蒸留所酒造り以外も全て手作り。これもある種の編集作業。

「ボトルのラベルは表紙みたいなものだと思います」と言う表現は、実に編集的視点であり、江口氏らしい。

「ラベルに起用しているビジュアルは、画家・クサナギシンペイ氏の作品です。果物や植物を使ったお酒ゆえ、そのもの自体を具体的にパッケージにしてしまうとイメージが限定されてしまいます。抽象的な彼の作品の力を借りることで、想像力を掻き立てられるようなラベルになったと思います」と江口氏。
読む前に本のイメージを形作るのが表紙であれば、飲む前にお酒のイメージを形作るのがラベル。「本は読み切らなければ表紙との答え合わせができませんが、お酒は飲めばすぐに答え合わせができるのがおもしろいと思います」。

また、そのラベルを貼る作業や箱詰め、刻印など、お酒造り以外も全て自ら作業を行い、前出の編集的視点になぞれば、まるでZINEやリトルプレスのよう。もしくは、最初の1本となれば、創刊号と言えるのかもしれません。
「こんなことずっとやっていて大丈夫かなぁ(笑)」と江口氏。しかし、少量生産だからこそできる人の手で作られた温もりを感じます。

ナンバリングの数字は手書き。ラベル貼りも自ら行う。全ての工程がほぼ手作業。

ラベルのデザインは、国内外で活躍する画家・クサナギシンペイ氏の作品。

パッケージの「み」サインも、もちろん手押し。「地味な作業です(苦笑)」と江口氏。

mitosaya薬草園蒸留所理由がないものは造る意味がない。理由があるものを造りたい。

「今、すでに新しいお酒造りを始めています。これはネーブルオレンジを使って蒸留しているところです」と江口氏。そのネーブルオレンジとの出合いは、熊本のワインショップ「クルト」の古賀拓郎氏との出会いから生まれました。

「古賀さんは元々、幡ヶ谷のワインバー『キナッセ』を営業していた後、今は地元の熊本で『クルト』というワインショップを営んでいます。古賀さんから熊本県宇城市、江口農園で作るネーブルオレンジを紹介して頂き、実際に味わってみたらすごくフレッシュで。身も皮も全部使ってお酒を作ってみたいと思いました」と江口氏は話します。

それ以外にも、「園内にカラタマオガタマが植わっているのですが、びっくりするほど香りがバナナそのものなのです。昔、タイでバナナの蒸留酒を飲んだことを思い出し、バナナのお酒も作ってみたいと思っていたら、成田のあるバナナ農家さんとの出会いがあり。そこのバナナと『mitosaya 薬草園蒸留所』のカラタマオガタマを使ったお酒を造る予定です」。

人との出会いから果物の出合いが生まれ、酒造りにつながっていく……。造る理由とは、このような連鎖のことであり、それが「ミトサヤらしさ」なのです。

園内で採れたカラタマオガタマ。実際に匂いを嗅ぐと、本当にバナナの香り。

蒸留中は見て嗅いで飲んで、常に状況をチェックする。

ネーブルオレンジは、用途に応じて実と皮を使い分ける。

小さなボトリングマシンで充填作業を行う。

セラーには、試作品を始め、これから出荷されるお酒が並ぶ。

mitosaya薬草園蒸留所これからの『mitosaya 薬草園蒸留所』のこと。自分のこと、家族のこと。

ようやく最初の1本が完成した『mitosaya 薬草園蒸留所』。これからが本当のスタートであり、始まり。今後、どうなっていくのか。

「流通・販売の方々から生産者さんまで、ありがたいことに様々な方面からお声を頂いております。そのほか、園ではオープンデーの開催やインベントの実施なども行い、今では多くのお客さまと接する機会も増えてきました。そういう意味では、人の輪が拡張しているような感じです」という現状を話しつつ、これからのことについては一言、「常に小さな発見をしていきたい」と江口氏。

「自然相手ゆえ、環境に応じて自分が前へ出過ぎず、歩幅を合わせ、真摯に酒造りやもの作りをしていきたいです」と江口氏。その生き方は、まるで植物のよう。
「そうなれると良いですね(笑)。一番の理想かもしれません」。

蒸留機から出てきたばかりの液体をティスティング。

住所:千葉県夷隅郡大多喜町大多喜486 MAP
mitosaya 薬草園蒸留所 HP:http://mitosaya.com
e-mail:info@mitosaya.com

困難をポジティブに乗り越えて、それぞれが成長できるプロジェクトに。[mitosaya 薬草園蒸留所/千葉県夷隅郡]

内を散策する江口宏志氏と奥様の祐布子氏。互いに尊敬しあえるからこそ、新たな挑戦も理解し合い、乗り越えられる。

mitosaya薬草園蒸留所妻として、母として、ひとりのクリエイターとして。イラストレーター・山本祐布子が想うmitosaya薬草園蒸留所』。

mitosaya薬草園蒸留所』を最初に取材した際、江口宏志氏は「これは僕ひとりのプロジェクトではなく、家族のプロジェクト」と話していました。

書店主から蒸留家への転身、ドイツへの移住。大多喜での新生活……。この数年、激動ではありましたが、ずっと家族は一緒でした。奥様であり二児の母、そしてイラストレーターとしても活躍する山本祐布子さんは、これまでの歩みをどう感じているのでしょうか。
「一番は子供たち。ありがたいことに子供たちは色々な変化を楽しんで受け入れてくれたと思います。ドイツに行く時、私自身にとっても良い経験になると思いました。家族一丸となって始めたプロジェクトではありますが、江口さんは江口さん、子供は子供、私は私、それぞれの立場で成長できると思いました」と話します。
「ただ、今振り返ると、大多喜の場所に生活を移すようになってからは、住居も整わないまま始まったので、辛い数年ではありましたが(笑)」。

確かに植物園だったそこには人が住まう設備はほぼなく、今も万全とは言えません。しかし、丁寧にその記憶を辿ろうとする表情や紡がれる言葉選びには、予測不能な環境をポジティブに乗り越えてきた「強さ」を感じます。『mitosaya薬草園蒸留所』との関わりでは、園内のイラストを手がけたことに始まり、現在はお酒以外のプロダクト監修も担います。
「絵の仕事以外でも私が単独で動くプロジェクトが増えてきています。シロップやお茶などがそれです」。

また、現在はオープンデーなども開催している『mitosaya薬草園蒸留所』。様々な人が集う場所で祐布子さんは表現してみたいことがあると言います。
「多くの方々がこの場所に足を運んで頂ける機会が増えました。それに伴い、家族だけではなく大人数で食事をすることが増えていきました。スタッフや友人なども一緒にという家での食事であればもちろん私が料理を作りますが、例えばイベントであれば料理家さんを招待してお客様に振舞っていました。ですが、これからは自分でやってみようかと思っているのです」と祐布子さんは話します。
「やりたいことは、決して華美ではありません。何気ないものをみんなで楽しく食卓を囲むような……。プロが作る料理はもちろん良いですが、自分たちだからできる “ミトサヤらしい”ことを食を通して表現してみたいです」。

お酒造りはもちろん、ラベル貼りからサインの刻印、ボトルのナンバリングから箱詰めなど、『mitosaya薬草園蒸留所』の一本一本は、江口氏が自らその作業を行なっています。祐布子さんが話すこともしかり、ふたりに共通していることは「手作り」を大切にしていること。

そして、これからのmitosaya薬草園蒸留所』と江口家はどうなっていくのでしょうか。
「私たちにもわかりません。ただ、やっぱり子供たちには私たちがやっている活動や世界を見て、何かを見つけてほしいと思っています」。
江口氏と祐布子さんの働く姿、いや生きる姿は、子供ながらに何かを感じ、得ているのではないでしょうか。
「先ほどお話した通り、家族以外にも大人数で過ごす機会もあり、その場に応じて江口さんにも私にもそれぞれ立ち居位置があると思います。もちろん、それは子供も例外ではなく、子供は子供の立ち位置があって。そんな感覚が育っていくと良いと思っています。ここでは何かを与えてくれる人はいませんし、自分から何かを見つけていかないと何も得ることができません。東京のようにじっとしていても刺激があれば良いですが、そんなことはありません。家族も社会ですし、皆で集まることも社会。規模の大小ではなく、この場所を通して社会の一員になることを学んでもらえたら嬉しいです」。

妻として、母として、ひとりのクリエイターとして。我が子をひとりの個として見る姿も祐布子さんならでは。
江口氏、祐布子さん、ふたりの子供。それぞれが「自分らしく」生きることが「ミトサヤらしく」を創造するのです。

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様々な困難を乗り越えてきた江口家。蒸留所の成長はもちろん、今後、どうなっていくのか楽しみな家族。

住所:千葉県夷隅郡大多喜町大多喜486 MAP
mitosaya 薬草園蒸留所 HP:http://mitosaya.com
e-mail:info@mitosaya.com

風景のうつろいを映す、静寂の宿。[ゆふいん 山荘わらび野/大分県由布市]

宿は賑やかな観光エリアから少し離れた、閑静な場所に建つ。

ゆふいん山荘わらび野森に溶け込む、美術館のような佇まい。

緑に覆われた森の中に現れる、モダンな建物。こんなところに美術館が?と思いきや、ここは旅館。約3,500坪の敷地に、7つの客室棟、レセプション棟、レストラン棟が周囲の自然と呼応するように融け合い、点在しています。ここ『ゆふいん 山荘わらび野』は、懐かしく温かい、この土地の文化と風土を体感できる“由布院の風景”を纏う宿として、2019年2月にオープンしました。

木のようなコンクリートのような、不思議な建材のファサードが目を引く。

客室は一棟一棟が離れており、プライバシーを守ることができる。

ゆふいん山荘わらび野震災で3年休業ののち、モダンに生まれ変わった。

実は宿の歴史は長く、1988年開業した小さな旅館が原点。現支配人・高田陽平氏の両親が山野に植木をして切り拓き、7室の旅館からスタート。以降も和風旅館として親しまれてきました。ところが、2016年の熊本地震により休業を免れない状態に。一度全て建物を取り壊し、3年という長期の閉館後、それまでの趣とは全く違ったスタイリッシュないでたちで生まれ変わったのです。

客室は全13室で、すべて専用風呂とキッチン付き。写真はメゾネットスタイリッシュスイート。

ゆふいん山荘わらび野日田の石と木材を建物の随所に。現代アート作品のような空間。

陽平氏を支えるマネージャー的存在の弟・淳平氏は「他の宿では得られない、ゆったりとした“由布院時間”を過ごしてほしい」と話します。主となる建築デザインは『植原雄一建築設計事務所』。景観と一体化し土地に馴染んできたかつての「山荘わらび野」の思考を取り入れ、地元の材料を使い、ゲストがここにしかない極上の時間を過ごせるラグジュアリーな空間を演出しました。

レセプションのエントランスには杉の板にコンクリートを流した珍しい建材を使用。コンクリートでありながら、木の風合いが感じられ、柔らかさを醸しています。建物全体にも日田の石貼りを基調とし、家具はチーク材で統一。部屋の窓は縁取りを大きくして庭を一枚の絵画のように眺められる設えにしました。

床や壁には日田の石を使用。床暖房付きで、夏はひんやり、冬は温か。

部屋は4タイプ。写真はスタイリッシュスイート。

1組限定のメゾネットラグジュアリースイート。2階に露天風呂と、由布岳を望むテラスを備える。

ゆふいん山荘わらび野自家米や野菜、地元の海山の幸。五感を満足させる「食」。

ユニークなのは、ウエルカムスイーツとして供されるカヌレ。こちらは淳平氏が震災後に妻とともにオープンしたカヌレ専門店『カランドネル』のものです。

そして中屋敷のレストランでいただく食事は、近海産の魚介類、豊後牛、由布院野菜といった旬の素材、自家米を使った創作料理。室内に備えられたTANNOYのスピーカーからまるで生演奏のような音楽に身を委ねながら、優雅な食の時間を満喫できます。

カヌレは栗やリンゴ、湯布院の茶葉を使ったものなど多彩。

以前は部屋食だったが、レストランにしたためできたての料理を提供できるように。

夕食の一例。豊後牛、地元の魚介など山海の幸を盛り込んだ和の創作料理。

料理は一品一品供されるコーススタイル。

ゆふいん山荘わらび野建物を壊すことよりも、人を切ることが辛かった。

もちろん、震災から再興し、ここまでの空間を作り上げるのは容易なことではありませんでした。膨大な再建費用や再生にかかる労力はもちろんですが、何よりも辛かったのは、閉館する際にそれまで勤めていた従業員を解雇せざるをえなかったことだと言います。30年の歴史の中で共に支え合ってきた15人の社員は、事情を受け入れ、「解散」となりました。しかし、高田一家の「地震で由布院を終わらせない」という気概と、地域の人々の支えにより宿を再開。リニューアルオープンのセレモニーでは多くの人が喜びを分かち合い、戻ってきた従業員の顔も並びました。また昔のメンバー以外にも、アパレル系など全く違う分野に勤めていたスタッフも加わったことで、よりサービスや企画の幅が広がったと言います。

レセプション棟の2階にはシックな雰囲気のバーもある。

源泉掛け流し。由布院の湯は臭いやクセがなく、さらっとした湯触りが特徴。

ゆふいん山荘わらび野高級だけど、気取らない。家族のように温かく。

震災前に比べて宿泊料金の単価も上げ、敢えて高級路線に舵を取った「山荘わらび野」。宿泊客から多いのは、「ホスピタリティが素晴らしかった」という感想だと言います。スタイリッシュで現代的な空間ながら、アットホームで心の通ったサービス。それは、淳平氏が若いスタッフたちに「ゲストを自分のお母さんやおばあちゃんだと思って、喜んでもらえるようなおもてなしを」と常々伝えていることから生まれるのです。

これからの時期、由布院は一層緑が輝く季節です。木々に覆われた密やかな宿で、上質な食と自然を味わう、贅沢なひととき。そんな都会とは流れが違う、ゆったりした「由布院時間」を感じに行ってみてください。

レセプション1階には由布院の作家による竹かごのバッグなどを展示販売するショップがある。

周りには何もない。だからこそ、ここでの時間が濃厚で充実したものになる。

住所:大分県由布市湯布院町川北952−1 MAP
電話:0977-85-2100
営業時間:チェックイン15:00~、チェックアウト12:00
料金:1泊2食 38,000円〜
ゆふいん 山荘わらび野 HP:http://www.warabino.net/
写真提供:ゆふいん 山荘わらび野

魚介フレンチの若きスペシャリスト・目黒浩太郎が挑む、魚介とアートの『DINING OUT』。[DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

29歳で独立し、約1年でミシュラン一ツ星を獲得した目黒浩太郎シェフ。

ダイニングアウト青森浅虫北の温泉地を舞台にした東北初開催の『DINING OUT』。

2019年7月6日(土)、7日(日)に開催される『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』。初の東北開催となる今回の舞台は、青森市浅虫温泉。陸奥湾の海岸線沿いに佇む歴史ある温泉地です。そしてこの地理的特徴が、今回の『DINING OUT』の肝となりました。

そもそも海に囲まれた青森県は、国内でも屈指の魚介天国。西に暖流が北上する日本海、東に寒流の親潮が南下する太平洋、それらが混じり合う津軽海峡に、大型の内湾である陸奥湾。個性の異なる海は豊富な魚種を育み、時化の少ない湾内ではホタテなどの養殖も盛ん。これほど豊かな魚介を、料理に活かさない手はありません。

そしてもうひとつ。青森県、そして浅虫温泉は数々の偉大な芸術家、文豪、アーティストを輩出したアート県でもあります。土地に眠る魅力を発掘し、新たな価値を創出する『DINING OUT』には、この地に受け継がれるアート魂も大切な要素でした。そこで設定されたテーマは「Journey of Aomori Artistic Soul」。料理を通して、青森に息づく芸術精神を紐解くことを目指します。

青森県の魚介を活かし、青森県の芸術を紐解く。そんな『DINING OUT』の新たな挑戦、担当するシェフはもうあの人しかいません。

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魚種、旬、捌き方、調理法。魚介への深い知識で挑む若き料理人が抜擢された。

ダイニングアウト青森浅虫料理人を目指した少年が、魚介フレンチに目覚めるまで。

魚介とアート。この概要が決まった時点で、目黒浩太郎シェフが選ばれるのはもはや必然でした。自身の店『Abysse』の意味は、深海。日々入れ替わる魚介の本質を見抜き、その魅力を本場仕込みの確かな技で昇華する、魚介フレンチのスペシャリストです。
そしてこだわり抜いた器や繊細な盛り付けはもちろん、インテリアや調光、サービスも含めた空間すべてで表現する料理は、いわばアート。今回のテーマにこれほどふさわしいシェフは少ないでしょう。そこで今回は、そんな目黒シェフのうちに秘めた思いを掘り下げてみます。

青森県に降り立った目黒シェフの風貌は、スマートでハンサムな“今どきのお兄さん”。人当たりも柔らかく、気難しい雰囲気はありません。しかし青森県のアートと食材を見て回るうちに、その視線に、生産者に投げかける質問に、その言葉の端々に、料理人としてのこだわりと矜持が垣間見えました――。

目黒シェフは1985年生まれ。祖父が日本料理の料理人、母親が栄養士だったため、自然な流れで料理人を目指すようになったといいます。料理専門学校を出て、都内のフランス料理店で修業。その後渡仏し、マルセイユの三ツ星店『ル・プティ・ニース』に入ったことが、その後の道を決定づけました。

「実は自分から望んで魚介フレンチを選んだわけではありません。たまたまマルセイユでの修業先が魚介に強い店だったんです。季節どころか日によって、時間によってさえも食材の特徴が変化する魚介の料理にゴールはありません。それを追求し続けるうちに、自然と魚介専門になっていました」と目黒シェフ。ありえないほど高い場所に目標を定め、それをストイックに追求することで、自然と進むべき道が決まったのでしょう。
その後、フランスから帰国し、品川の名店『カンテサンス』の門を叩きます。岸田周三シェフの元でさらに技術を磨きながら「30歳までに独立する」ことを夢見ながら修業を続けます。

『カンテサンス』で2年半を過ごし、若くしてスーシェフまで任されるほどに。そして、兄貴分と慕う川手寛康シェフ(『DINING OUT MIYAZAKI with LEXUS』を担当)の店『フロリレージュ』の移転に伴い、2015年その跡地に『Abysse』を開店。その時、目黒シェフ29歳。かねてからの夢を実現したのです。

しかし目黒シェフにとって開店はゴールではなく、スタート。その後、『Abysse』は開店1年足らずでミシュラン一ツ星を獲得、さらに2019年には店を代官山に移し、新たな挑戦を続けます。進化を止めることのない若きシェフ。その次なるステップが、今回の『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』にあるのです。

『ル・プティ・ニース』の修行時代、このお店との出合いが現在の「abysse」のテーマに続いている。

料理人だった祖父の背中に憧れたという目黒シェフ。幼い頃からの思いを実現した。

初めて訪れる青森で、名所や旧跡を巡りながら青森の歴史や地域性をインプットした。

視察で巡った美術館などのアートスポットも、シェフのインスピレーションの源泉に。

ダイニングアウト青森浅虫2回目の『DINING OUT』だからわかる難しさと楽しさ。

2016年、広島県尾道市で開催された『DINING OUT ONOMICHI with LEXUS』。その会場の厨房には、目黒シェフの姿がありました。尾道の『DINING OUT』は、レストランプロデューサー・大橋直誉氏の元に6名の気鋭のシェフが集った会。そのとき、チームの一人として挑んだ経験があるからこそ、今回への思いもひとしお。一度体験したからこそ、その素晴らしさと同時に、難しさも感じていたのです。

「ずっとやりたいと思っていました。でも一昨年の自分にはまだ早かった。去年の自分はできたかもしれませんが、まだ迷いがあったと思います。でも今の自分ならば間違いなくできる。野外でやる意味、地方でやる意味、チームで挑む意味。そういうことも含めて、出し切れる自信があります」

『DINING OUT』を「地域のためではあるけれども、料理人側にも大きな収穫がある」と言い切る目黒シェフ。生産者、スタッフ、さまざまな協力者。数多くの現地の方と力を合わせ、新しい物語を作ること。その意義、そして何よりその楽しさを誰よりも感じていたのです。

2016年の『DINING OUT ONOMICHI』に参加した目黒シェフ。

ダイニングアウト青森浅虫毎年進化を続ける魚介が主役の料理たち。

目黒シェフにはスペシャリテがありません。理由は2つ。ひとつはもちろん、魚介という自然が相手のため年間通して同じ料理を提供することができないから。そして2つ目の理由は、目黒シェフ自身が進化を続けているからです。

「たとえば穴子なら、今までは天火で焼いていました。その良さを残しつつ、もっと香ばしさを出したくなり今年は炭火に変えました。いつでもその時考えうる最高のものを出していますが、やりながら湧いたアイデアや改善点を、同じ魚介の次の旬のときに取り入れてみるのです」

小田原の大イサキは昨年知った素材。イサキの独特な香りに山菜の苦味や旨みを合わせました。山菜に合わせた緑色のソースとピスタチオを添えた一皿は、今年が初めてのお披露目です。

初夏が旬のトリ貝は、昨年は貝のスープとハーブを合わせていましたが、今年はじゅんさいと煎茶のソースで。「トリ貝は見た目に反して淡白な味。すっきりとした煎茶と合わせて、さっぱりとした味と季節感を表現しています」と目黒シェフ。

この季節感の表現もまた、目黒シェフの持ち味のひとつ。「見ただけでどの季節かわかるような料理」、その表現は日本料理と通じるところがあるかもしれません。

昨年出合い「イサキの旨さを再発見した」という小田原産大イサキの一皿。

煎茶、じゅんさいと合わせたトリ貝。統一感のある色彩も、目黒シェフらしい。

進化し続けるからこそ、同じ料理は登場しない。それが『Abysse』の持ち味。

ダイニングアウト青森浅虫器や空間も含めて魅せる魚介のアーティスト。

素材に同系色のソースを合わせるなど、料理の色彩、形も重視する目黒シェフ。もちろん、そのこだわりは器にも及びます。「器は料理の一部というくらい本当に大切です。店では作家さんにイメージを伝えて作ってもらっています」。それは色や形や厚みや手触りだけでなく、サイズも大切な要素。「コースの中で緩急をつけるために、皿のサイズも微妙に変えたい。そうするとやはり既成品では足りなくなります」といいます。その色彩感覚や造形への追求はいわばアーティストの領域です。

さらに目黒シェフの思いは器を越えて広がります。「料理は皿の上にあるだけではありません。テーブルの上にあり、グラスの隣にあり、レストランという空間にある。器が料理の一部であるのと同様、料理はレストランの一部というわけです」そう話す目黒シェフ。レストランという空間を総合的に見て、料理を組み立てるのが目黒シェフのやり方なのです。

ならば『DINING OUT』という野外では、空間をどう捉えるのか。目黒シェフは青森という空間的な広がりに、歴史や伝統という時間的な積み重ねを見つめ、考えます。「もちろん主役は魚介。それは揺らぎません。そこに青森らしさをどう加えていくか。今回初めて青森を訪れ、いろいろな場所を訪れ、いろいろな方と話し、その方法が少しずつ見えてきました」そう目を輝かせた目黒シェフ。魚介を掘り下げ、伝統を取り入れ、色彩を切り取る若き才能。その料理の全貌が明らかになるまであと少しです。

深海を意味する『Abysse』の店内。窓のないこの空間も、料理を味わうための要素。

作家に特注する器は、サイズを細かく指定。卓上での器の存在感まで計算に入れる。

『Abysse』には“深海”のほかに「奥深い」という意味も。魚料理の奥深さを表現している。

1985 年、神奈川県生まれ。祖父は和食の料理人、母は栄養士とい う環境で育つ中で自然と料理人を志す。服部栄養専門学校を卒業後、 都内複数の店で修業後、渡仏。フランス最大の港町マルセイユのミシ ュラン三ツ星店「Le Petit Nice」へ入店し、魚介に特化した素材の 扱いやフランス料理の技術を習得。帰国後には日本を代表する名店 「カンテサンス」にて、ガストロノミーの基礎ともなる、食材の最適 調理や火入れなどさらに研鑽を積んだ。2015 年、「abysse」をオープ ン。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化し たフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得している。
abysse HP:https://abysse.jp/

「江戸時代から続く住吉神社例大祭」。[おのみち住吉花火まつり/広島県尾道市]

住吉神社の前で数隻の提灯船が準備をしていました。

おのみち住吉花火まつり尾道水道を渡御する提灯船。

旧暦の6月27日前後の土曜日に毎年開催されるおのみち住吉花火まつりの歴史は古く江戸中期に遡ります。正式名称は住吉神社例大祭。尾道水道に面した場所に建立された港の守り神である住吉神社に商売繫盛や海上交通の安全を祈願する奉納花火として行われています。
花火が打ち上げられるのは住吉神社を正面に臨む海上となります。花火会場までは尾道駅から徒歩圏内と近く、尾道水道は幅が狭い為、対岸の向島からも観覧が可能です。

花火開始前にはチャンリギ囃子というお囃子が奏でられ、尾道水道では神聖な儀式である提灯船の渡御が行われます。夕闇迫る海上を航行する提灯船を夕焼けが幻想的に浮かび上がらせます。山型、鳥居、御幣、火船、御座船を表した提灯船は全部で5隻。山を登り、鳥居をくぐり、神様にお参りする様子を表しているそうです。

尾道水道に浮かべた台船から花火を打ち上げます。

おのみち住吉花火まつり華やかな水中花火は最大の見せ場。

花火大会は4部構成。尾道水道に浮かべられた台船から打ち上がり、スターマインと早打ちを交互に観られるようなプログラムとなっています。また音楽花火も見どころの一つです。

そして何より最大の見せ場は水中花火ではないでしょうか。水中孔雀という優美な名前が付けられた水中花火とスターマインの饗宴は華やかで美しく海面に映る花火と相まって一層の輝きを魅せてくれます。打ち上げを担当されているのは埼玉県の金子花火さんです。

昨年私はSetouchi PHOTO写真教室さまの企画として花火大会撮影セミナー講師のご依頼を受けました。セミナー参加者の皆様と一緒に和気藹々とした雰囲気の中で観覧・撮影させていただいた楽しい思い出は約一年経った今も心に残っています。

水中孔雀(水中花火)と打上花火が組み合わされた色鮮やかなスターマイン。

おのみち住吉花火まつり追善供養、復興祈願、花火の意味を考える。

昨年は開催時期直前に広島県のみならず近隣の県にも甚大な被害をもたらした豪雨災害が発生しました。まつりの実施は不可能ではないかという危機に直面し、県内外の被害状況を鑑みての開催への賛否、おそらく幾度となく行われた話し合いなど、主催者さまの苦悩は計り知れないものがあったことは想像に難くありません。神事であるという原点に立ち返り、亡くなった方への慰霊と災害からの復興を願って開催を決定されたと聞いております。

日本で開催される花火大会がお盆に多い訳、それは故郷に帰省する人が多いからという理由もあるでしょう。しかし大きな理由の一つとして亡くなった方に向けての追善供養という意味があります。そのような花火の意味を考えれば江戸時代からの歴史を誇るおのみち住吉花火まつりが開催された意義があったと考えます。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

場所:広島県尾道市 土堂二丁目 住吉神社 地先 (尾道水道海上) MAP
日時:7月28日(土) 19:30~20:30 ※小雨決行 荒天の場合順延 29日(予定)
おのみち住吉花火まつり HP:http://onomichi-cci.or.jp/hanabi/

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

洞爺湖を借景にした部屋で、「何もしない」贅沢な時間を。[We Hotel Toya/北海道虻田郡]

レストラン『EZO Cuisune』では、洞爺湖を眺めながら北海道の食の恵みを堪能できる。

ウィ ホテルトヤ自然を満喫するラグジュアリーなホテルが2018年オープン。

北海道に来たらあれを食べてこれを見て……と忙しい旅の計画を立てる人も多いでしょう。ですが、「何もしない時間」を過ごすことも北海道の旅の醍醐味だということをご存知でしょうか?

札幌から車で2時間ほどの位置にある洞爺。湖や温泉、美しい自然にも恵まれ、食の宝庫でもあるこの地に、2018年11月、その魅力を存分に満喫できるリゾートホテルが誕生しました。

木の香りがゲストを迎えるエントランス。

ウィ ホテルトヤ「和の大家」隈 研吾氏がデザインを監修。

『WE Hotel Toya』は、世界的に知られる建築家・隈 研吾氏がデザイン監修を手がけたデザイナーズホテル。洞爺湖を目前に望む施設は地上6階建て。露天風呂付きの客室55室のほか、レストラン2店、バー2店を備えています。

隈氏がデザインのインスピレーションを得たのは「洞爺湖の豊かな自然」。ファサードにも木材をふんだんに用い、整然とした木組みやシックで落ち着いた色使いで現代的な「和」を表現しました。またレストランの大樹を思わせるダイナミックな内装や、日本酒バーの天井にあしらわれた樽のようなオブジェなど、それぞれのスペースにテーマ性を際立たせつつ、統一性のあるシンプルなデザインが特徴的です。

共有スペースからも湖を望み、開放感に溢れたデザイン。

森の中にいるような、幻想的な雰囲気の『EZO Cuisune』。

ウィ ホテルトヤ全室に露天風呂付き。癒しも快適性も備えた空間。

ホテルのコンセプトは、「洞爺湖の静謐な空気に包まれ、心身をリフレッシュする」。37㎡の客室はすべて洞爺湖に面し、全客室のバルコニーに檜の露天風呂が備えられています。

全55室のうち12室がトリプルルームなので、家族やグループでゆったりと過ごす旅行にもおすすめ。慌ただしい朝も快適に過ごせるよう、2つの洗面台を設けたダブルベーシンスタイルです。

もちろんインテリアにもこだわり、木の椅子やテーブルを配し、自然のもたらすぬくもりと現代モダンが調和した空間にしつらえました。大きな窓にはまるで借景のように、洞爺湖の朝夕の景色が映し出されます。

レイクビューキングルームには幅200cm x 長さ203cmのキングサイズベッドが1台。

幅110cm x 長さ203cmの広めのシングルベッドを2台備えたレイクビューツインルーム。

湯はカルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉。露天風呂からも内風呂からも洞爺湖を望める。

ウィ ホテルトヤ目にも舌にも美味しい北海道フレンチを。

最も楽しみなのが、やはり「食」です。レストラン『EZO Cuisune』では「地元の恵みを美味しく」をコンセプトに道内産の食材を多用したフレンチを提供。ディナーは3種のコースがあり、北海道ならではの素材を活かした四季折々の料理が楽しめます。

例えば冬のコースでは「プロシュートと北海道産野菜と温玉とカスベの前菜」「北海道産牛のエマンセ」などが登場。5,000円からコースを用意しており、宿泊者以外も利用できるのが魅力です。

朝食は基本的にビュッフェスタイルで、新鮮な野菜や卵料理、フルーツなどが並びます。

10,000円のコースでは肉料理、魚料理の両方を味わえる。

道産牛や近海産の魚など、北海道のプレミアムな食材を厳選。

朝食に使う食材も一つ一つ選び抜いたものばかり。

ウィ ホテルトヤ道内を中心とした各地の逸品を紹介。

また館内にはラーメンやパスタを揃えたカジュアルなレストラン『Pasta Collection La Saison』や、道内から全国の日本酒をセレクトしたカウンターバー『TARU Bar the Hokkaido』、ウイスキーとシガーを楽しめる『The Cigar Bar』もあり、大人の贅沢な夜の時間を満喫できます。そのほか、ギフトショップでは日本各地の陶器やクラフトを展示販売。地元洞爺の優れたガラスアートに触れることができます。
 
ホテルの近辺はお店や施設がほどんとなく、観光名所までも車で20分と、決して便利な立地ではありません。しかしだからこそ、このホテルで過ごす時間がさらに特別なものになるはず。もちろん、素晴らしいアートやものづくりが息づく洞爺の町を探索するのもおすすめです。できれば2泊滞在し、1泊は外を楽しみ、1泊はホテルにおこもり、というちょっぴり贅沢なスタイルが理想的ではないでしょうか。

酒蔵をイメージした『TARU Bar the Hokkaido』では各地の日本酒をいただける。

北海道グルメといえばはずせない、味噌ラーメンも用意。

日の落ちた洞爺湖も美しい。部屋の露天風呂に浸かりながらゆったりと。

住所:北海道虻田郡洞爺湖町洞爺町293-1 MAP
電話:0142-89-3333
We Hotel Toya HP:https://wehoteltoya.com/
写真提供:WE Hotel Toya

仙台から中華料理で全国に名を轟かす。それは宮城の食文化に挑むシェフの、苦悩の末にたどり着いた境地。[楽・食・健・美-KUROMORI-/宮城県仙台市]

気仙沼にてフカヒレを空にかざす黒森氏。こちらは皮や骨を取り除かずに干された原ビレ。

楽・食・健・美-KUROMORI-OVERVIEW

仙台駅から車で15分ほど。広瀬川を見下ろす崖の上に中華料理店『楽・食・健・美-KUROMORI-』はあります。地方都市の、駅から離れた場所にありながら、遠方から訪れるゲストで2ヶ月先の予約まで埋まるこの店。手がけるのはオーナーシェフ・黒森洋司氏です。
黒森氏は、東京都内の正統派広東料理の店で腕を磨いた人物。その腕前に疑いはありませんが、正統派とはつまり尖った個性もないということ。ではなぜ多くのグルマンたちは、新幹線や飛行機に乗ってまでこの店を目指すのでしょうか?

その答えが、黒森氏が試行錯誤の末にたどり着いた地産地消にあります。
「宮城県は中華の五大乾物のうちフカヒレ、鮑、ナマコの3つが揃います。さらに魚介も肉も野菜も豊富。いわば日本中でもっとも中華に適した場所というわけです。東京の後追いではなく、宮城でしかできないことをしたい」
そう語る言葉の通り、この店で味わえるのは、宮城という場所の魅力を凝縮したような、素材感際立つ料理の数々。お金ではなく“足を運ぶ”という手間を支払って味わうべき、唯一無二の味なのです。

しかし黒森氏は、地産地消という答えを簡単に見つけたわけではありません。見知らぬ土地で悩み、迷い、やがて大きな決断に至る。そんな黒森氏のストーリーをお届けします。

住所:〒982-0841宮城県仙台市太白区向山2-2-1 MAP

電話:  022-211-0306

東北は問いかける。「生きる術を持っているか?」[Reborn-Art Festival/宮城県石巻市]

Reborn-Art Festivalのアイコン的作品である名和晃平氏の『White Deer(Oshika)』。

リボーンアート フェスティバル失われてはじめて、「あった」ことに気づいた。

2011年の東日本大震災で、私たちは不可抗力の自然の猛威により多くのものを失いました。命、建物、文化、歴史。しかしその災害は「喪失」だけを私たちに与えたのではありません。逆説的ですが、震災で全てが失われたことをきっかけに「あったものは何か」を認識するようになったのです。

被害を受けた東北地域には、人の手の加えられていない自然が多く残され、人の営み、地域の伝統芸能、豊かな食と暮らしがありました。同時に、私たちにはかつて「生きる術」があったことに気づきました。思想家・人類学者の中沢新一氏によると、生きる術とは、食や住や経済などの「生活の技」、アートや音楽やデザインの「美の技」、地域の伝統と生活の「叡智の技」、これらを発見し、地域が繁栄していけるよう子孫に受け継いでいくための道筋であると言えます。

「Reborn-Art Festival」とはすなわち、「Art=人の生きる術」を「Re・born=蘇らせる」総合芸術祭。東北だけではなく、全国各地で今、私たちが失いつつある「生きる術」を、被災地である石巻でもう一度取り戻し、未来へ繋げよう—。そんな想いから2017年にスタートしたイベントです。

中沢新一氏は今回、市街地エリアでのキュレーターを務める。

リボーンアート フェスティバル東北の地で、人々がアートと音楽と食で繋がる。

立ち上げたのは、音楽プロデューサーの小林武史氏と、Mr.Childrenの櫻井和寿氏、坂本龍一氏の3名が拠出した資金をもとに設立された環境保護などを行う非営利団体「ap bank」。実行委員長は小林氏が務めます。中心となるのは、「アート」「音楽」「食」を軸とした様々なプロジェクトで、石巻市の牡鹿半島を中心に、国内外のアーティストが地域や地元の人々と触れ合いながら作品を制作・展示し、音楽フェスを開催するほか、各地から集まった有名シェフたちが地元の食材を活かした料理を提供。初回は名和晃平、ルドルフ・シュタイナー、宮島達男らのほか、音楽でもエレファントカシマシ、Chara、スガ シカオら著名アーティストが参加しました。

「10年という長いスパンでRAF(Reborn-Art Festival)を企画している」と小林氏。

リボーンアート フェスティバル今回は新たに「マルチキュレーター制」を取り入れ、より多彩に。

プレイベントとなる昨年の「TRANSIT! Reborn-Art 2018」を経て今年、盛大に2回目が開催されます。テーマは「いのちのてざわり」。小林氏は「現代社会の状況は、人が生きることの本質からどんどん遠ざかりつつあるように思える。石巻でしか生まれ得ない『いのち』という我々の根源に深く触れることのできる作品を、そこで新たなポジティブをみつける未来に向けたダイナミズムを、ぜひ体感していただきたい」と語っています。

今回のポイントは、新たにマルチキュレーター制を取り入れ、6つのエリアで7組のキュレーターがそれぞれのテーマをもとに作家をセレクトし、作品を展開すること。例えば桃浦エリアでは小林氏がキュレーターとなり、草間彌生氏、増田セバスチャン氏、パルコキノシタ氏、村田朋泰氏の作品で展示を構成。「リビングスペース」をテーマに、震災によって居住空間が変貌したものの、強烈な過去の記憶も残る牡鹿半島・桃浦で「現在進行形でのリビングスペース=生きる場とは何か」を探るアートプロジェクトです。

世界的アーティスト集団「WOW」と小林氏がコラボした『D・E・A・U』。

貝殻で埋め尽くされた荒涼とした白浜に、名和氏の『White Deer(Oshika)』は佇む。

リボーンアート フェスティバル今年も、牡鹿半島を和多利夫妻や草間彌生らが彩る。

また前回のメインキュレーターだったワタリウム美術館の和多利恵津子・浩一氏が牡鹿半島の先にある網地島にアートによる「楽園」を作るなど、初年度に参加した有名アーティストたちが牡鹿半島の各エリアをそれぞれの思いで彩ります。普段はキュレーションをしない作家もどのような展示を繰り広げるか、国内外のアート業界から注目を集めています。

牡鹿半島の先端「御所番公園」に展示された草間氏の『真夜中の花』。

リボーンアート フェスティバルいにしえと現代を融合させたライブや舞台作品も。

もちろん音楽イベントも前回同様のボリュームを予定しています。8月3日、4日に行われるオープニングイベントでは、様々な時代の名曲を映像とともに視覚化させ表現するライブを開催。また、7月13日と9月22・23日には宮沢賢治の作品をベースに中沢新一氏が脚本を書き下ろし、小林氏がオペラに仕上げた「post rock opera『四次元の賢治』」を公演。キャストには俳優の満島真之介氏、コムアイ(水曜日のカンパネラ)、Salyu、ヤマグチヒロコ氏を配し、異色の舞台作品となる予定です。

『四次元の賢治』は2017年バージョンからキャストも新たに加わった。

リボーンアート フェスティバル東北は食の宝庫。海、山、野の自然をテーマに「食を冒険」する。

また、今回は「食」をより充実させています。前回に続き、牡鹿半島の明るく元気な浜のお母さん達の浜の営みを感じられる食堂「はまさいさい」と、荻浜を眺めながら地元の食材を楽しめるレストラン「Reborn-Art DINING」が登場するほか、地域の食材や自然をテーマにしたツアーに参加し、ゲストシェフがその食材に関する体験をお皿で提供する「石巻フードアドベンチャー」などを実施。フードディレクターはパリ出身の料理人兼アーティストであるジェローム・ワーグ氏と、ジェローム氏とともに神田に「the Blind Donkey」をオープンした原田慎一郎氏が務めます。

浜の母さんたちの味が楽しめる「はまさいさい」。

名和氏の鹿を眺めながら、東北ならではのスペシャルな料理をいただく。

リボーンアート フェスティバル復興への足取りを、一歩一歩。

「Reborn-Art Festival」は単なる音楽フェスではなく、より地域との結びつきが強く、よりアート性が高い、まさに総合芸術祭という名にふさわしいイベントです。前回の来場者は51日間の会期中延べ26万人にのぼり、その経済効果は22億円と言われています。
日本の名だたるミュージシャンやアーティスト、ものづくりに携わる人々が、東北の未来、そして日本のこれからを真剣に考えると、これほどに壮大なムーブメントを起こせるのか—。音楽ファンならずとも、その強く真摯なメッセージに心を動かされることでしょう。

2017に行われたSalyu×小林武史Live。今年の音楽イベントも楽しみだ。

住所:宮城県石巻市(牡鹿半島、市内中心部)
開催期間:2019年8月3日~9月29日
提携会場:牡鹿半島、網地島、石巻市街地、松島湾(石巻市、塩竈市、東松島市、松島町、女川町)
Reborn-Art Festival HP:http://www.reborn-art-fes.jp/
写真提供:Reborn-Art Festival

伯州綿の歴史を受け継ぎ、未来への可能性を広げていく。[伯 HAKU/鳥取県境港市]

伯州綿産業復活の立役者である『伯 HAKU』の木村氏。

ハク

日本海に面した港町、鳥取県境港市。木村正明氏が率いる『伯 HAKU』は、この地で栽培される和綿の在来種・伯州綿を使った、オーガニックコットンブランドです。後編では、伯州綿の歴史や、『伯 HAKU』にかける木村氏の想い、未来への展望を追います。

【関連記事】伯 HAKU/地域固有の和綿を育みながら、新たな魅力を織り成す。

趣向を凝らした『伯 HAKU』のタオルやハンカチ。

ハク豊かな自然と文化が息づく街・境港に根差したものづくりを一筋に。

鳥取県西部の日本海沿いに位置し、古くから貿易や漁業が盛んな港町として栄える境港市。一方、漫画家・水木しげる氏の出身地でもあり、米子駅から境港駅を結ぶJR境線には代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターがデザインされた『鬼太郎列車』が走っています。また、境港駅前から約800mに渡って延びる通り『水木しげるロード』には、177体の妖怪ブロンズ像が点在。さらに、道沿いに立ち並ぶ交番や郵便局、ATM、公園なども漫画の世界観を映し出したかのような装飾が施され、妖怪たちの住む世界へと誘われます。

そんな「さかなと鬼太郎のまち」を謳う境港市で1954年に創業したのが、木村氏が代表を務める株式会社きさらぎ。先代が創業した当時は、カメラやフィルムの販売と写真の現像を中心としており、次第に文具や事務用品の販売、山陰地方最大級の大型文具専門店『ぶんぶん堂』の運営、オリジナル文具・雑貨の企画、山陰地方物産品の販売・卸売と、事業を広げていきました。また、1995年には『水木しげるロード』の観光地化を契機に『ゲゲゲの鬼太郎』のライセンスを取得。鬼太郎グッズの企画・製造・卸売をスタートすると、流れに乗ってグッズショップやイベント運営も手掛けるなど、その領域は年々広がり続けてきました。

こうして長年、地域に根差した商いを続けてきた株式会社きさらぎ。そして2013年からは新たに『伯 HAKU』を立ち上げ、境港市の特産品である伯州綿を使った事業を展開することとなったのです。

境港駅を降りると、すぐ裏手に境港が広がります。

駅前から延びる見どころ多彩な『水木しげるロード』。

通り沿いの公園にも、妖怪の気配がそこかしこに。

境港市中心部に構える株式会社きさらぎの社屋。

ハク江戸から明治に一時代を築いた、境港市の歴史的遺産。

『伯 HAKU』の立ち上げは2013年ですが、伯州綿の始まりは遡ること江戸時代前期、300年以上の歴史を誇ります。

鳥取県西部、現在は境港市・米子市のある弓浜半島一帯の「伯耆の国(ほうきのくに)」、別称「伯州」で栽培され始め、その名が付いた伯州綿。この土地特有の砂地と日差しの強さ、潮風による風通しの良さが綿栽培に適していたことから、瞬く間に広まっていきました。

さらに、江戸時代から明治時代にかけては、東北・北海道地方から大阪までの間を港伝いに往復する北前船で出荷されたことによって、全国に知れ渡ることに。良質な伯州綿は特産品として高く評価され、町の発展に大きく貢献しました。

こうして、最盛期には一大産地を形成し、当時の鳥取藩の財政を支えた伯州綿産業。しかし、1896年(明治29年)の綿の関税撤廃をきっかけに、インドやアメリカ、中国、ネパールなどの安価な外国産綿が続々と台頭することに。その勢いに押され、伯州綿は一気に衰退していきました。

昔からこの地を作る砂地と潮風が綿栽培に好適。

一面に綿花が咲き誇る美しい夏の風景も街の魅力。

ハク110余年の時を越えて復活を遂げ、加速する伯州綿栽培。

明治以降は、江戸時代から続く伝統織物・弓浜絣(ゆみはまがすり)の主原料であることから、その作り手たちによって細々と栽培されていたにすぎなかった伯州綿。そんな伯州綿が再び脚光を浴び始めたのは、2008年のことでした。

境港市農業公社によって、市内で増え続ける耕作放棄地対策と地場産業振興の一環として、伯州綿の復活を目指す取り組みが始動。荒れ果てた畑を利用する形で、再び大規模な栽培がスタートしたのです。初年度は500㎡の面積で60㎏を収穫。翌2009年度からは栽培面積を10,000㎡に拡大して栽培を本格化し、668㎏を収穫しました。

以降、翌2010年度には15,000㎡で1,350㎏と、年々その規模は拡大。収穫された伯州綿は「おくるみ」と「ひざかけ」に加工され、境港市の新生児と100歳を迎える方へ贈呈されるようになりました。

細々とかろうじて守られていた歴史が見事に復活。

ハク栽培から製品化まで手掛けることで、現代における新たな担い手に。

順調に収穫量を伸ばす伯州綿。栽培の基盤が整ったところで、今度は収穫した綿を活用した製品化が課題となり、白羽の矢が立ったのが株式会社きさらぎでした。

「これまで地域に根を下ろして様々な商いをやってきた実績を買われ、声をかけられたのが2012年の秋。最初はとまどいましたが、最終的には『地域へのこだわり』『トレースできるものづくり』をテーマに、人と環境に優しく、地域の、ひいては地球の未来に繋がるような取り組みとして始めようと決意して。新たな事業部を立ち上げ、せっかくなら栽培からやってみよう!ということで、事務所の近くに600坪程の自社畑を設けました。そこで農業公社の指導のもと、一からスタートしたのです」と木村氏。

5月に種をまくと、7~8月頃に開花。農薬や化学肥料を使わないため夏は雑草との闘いとなり、在籍する事業部を問わず社員一丸となって草取りに励んだそう。全員で成長を見守り、無事9月~11月頃に収穫期を迎えると、皆で弾けたコットンボールを一つひとつ丁寧に手摘みしました。「幸い、初年度から順調にいって。すくすく育つのが嬉しくて、しょっちゅう畑に様子を見に行っていました」と木村氏は笑います。

こうして自社栽培による伯州綿をベースに、オーガニックコットンの権威と共同研究を重ねた結果、正真正銘、和綿をブレンドしたオーガニックの糸を国内で初めて開発することに成功。その糸『シーブリーズコットン』を製品化するにあたり、古来の地域名からブランド名は『伯 HAKU』と名付けられ、タオルの製造・販売が始まりました。

夏になると美しい黄色の花が咲き乱れます。

花が散るとコットンボールと呼ばれる実がなります。

コットンボールが弾けたら、いよいよ収穫。

希望者には境港市農業公社から種を送る取り組みも。

ハク様々なアプローチで、未来に向けて広がる伯州綿の輪。

境港市農業公社と『伯 HAKU』の取り組みによって、現在は再び国内随一の和綿の産地となった境港市。伯州綿の存在とその価値は、地元で見直されたのはもちろん、時を越えて今また全国区となり、求めに応じてその種と栽培手法は各地へ広まっています。

木村氏曰く「地元の小学校では授業で伯州綿を取り上げる他、茎で工作をしたり、枝木で紙すきをして賞状を作ったり、中綿が伯州綿の枕を使ったり。様々な形で子供たちが伯州綿に触れ、その歴史と魅力を感じる機会が増えています。また、県内には伯州綿の布団を提供している宿もありますし、伯州綿の畑には全国から様々な方が視察に来られていて。裾野は確実に広がっていますね」。

また、一般市民向けの「伯州綿栽培サポーター」制度も設立。これは、境港市農業公社が整備した畑の一部を担当し、そこで種まきから収穫まで、一年を通して伯州綿の栽培を担う制度です。収穫した綿は農業公社が買い取り、新生児誕生祝いの「おくるみ」や100歳祝いの「ひざかけ」に加工されます。最低1畝(20㎡)から始められる手軽さと、伯州綿栽培は重度の肉体労働ではなく管理も楽で育てやすいことから、2018年度のサポーターは約120名に上ったそう。境港市を中心に、周辺の米子市や松江市からも、退職者層を筆頭に30~40代の子育て世帯から20代の若者まで、幅広い人々が参加しました。こうして市民も巻き込んだ良いサイクルが生まれ、伯州綿を支える輪は、どんどん大きくなっているのです。

一方、今後はさらに「種から取れる油を活用したハンドケア商品など、新たな分野の商品開発も考えています」という木村氏。丹精込めて育てた伯州綿を魅力的な製品に仕上げ、広く流通させることでその価値をさらに高める取り組みは、まだまだ広がりを見せます。

鳥取県境港市を拠点に、文具の流通小売業をはじめ、地域にゆかりの深いゲゲゲの鬼太郎グッズの企画、製造、販売などを行う、株式会社きさらぎの代表。2013年には、地元産の和綿・伯州綿で作るオーガニックコットンブランド『伯 HAKU』を立ち上げ、伯州綿の栽培から、商品の企画開発、販売を手掛けている。既成概念に捉われない斬新なアイデアの数々で多彩なアイテムを展開。伯州綿の認知と可能性拡大の一翼を担っている。

住所:〒684-0021鳥取県境港市馬場崎町211-1 MAP
電話:0859-44-3535
営業時間:9:00~18:00(土曜~17:30)
定休日:日曜・祝日
伯 HAKU HP:http://haku-cotton.jp/

海側の賑わいを山側にも。地方創生の先進都市で世界的建築家が手掛けた宿泊交流施設。[LOG/広島県尾道市]

ログOVERVIEW

広島県尾道市は、2000年代から「尾道空き家再生プロジェクト」などを核とした町づくりをスタート。町に暮らす人々と町を訪れる人々、双方に魅力ある町づくりを推し進め、全国的に注目を集めている地方創生の先進都市です。その尾道市に2018年12月、宿泊施設を含む新しい多目的スペース『LOG』が誕生しました。

昭和30年代に建てられたアパートメントを改装した空間には、ダイニング、カフェ&バー、ショップやライブラリー、ギャラリーがあり、6つの客室からなる宿泊施設も備えています。町の人々も宿泊客以外の観光客も自由に訪れることができる多目的スペースは、千光寺に通じる石段を上った丘の中腹にあり、訪れるまでに坂道と路地が入り組み、猫がそこかしこでくつろぐ尾道の山手らしい景色に出会うことができます。利便性とは真逆のロケーションですが、高台から見下ろす尾道水道の景色もまた一興です。

『LOG』はインドの『スタジオ・ムンバイ・アーキテクツ』が設計を手掛けたことで、建設中から注目を集めてきました。スタジオ創設者のビジョイ・ジェイン氏は、あるものを活かしつつ、人の「手の力」を取り入れた建築に定評があり、『LOG』もまた、尾道の町と調和する場としてつくられています。世界的建築家をこのプロジェクトに引き寄せたものは何だったのか。そしてオープンから約4カ月で、どのように町に根付きつつあるのか。ビジョイ氏が開業後、二度目の来日をはたした3月下旬に、尾道を訪ねました。

住所:〒722-0033 広島県尾道市東土堂町11-12 MAP
電話:0848-24-6669
 LOG HP:https://l-og.jp/