木々が伸び伸びと立ち並ぶ、守るべき美しきシンボルロード。[けやき並木/群馬県前橋市]

群馬県 JR前橋駅前の北口から県庁方面にまっすぐに伸びるけやき並木。

けやき並木木が汚い存在になりつつある日本の誇るべき街路樹。

全国各地にけやき並木はあるけれど、群馬県前橋駅前の北口から県庁方面にまっすぐに伸びるけやき並木は、幹の太さ、高さも群を抜いています。1950年に戦災復興事業として植樹されたもので、枝ぶりが伸び伸びとしており、あまりに立派で、その美しさには驚きました。樹齢も長いし、これだけ幹が太く、高い木になるのにはどれだけの歳月が必要か。しかしながら、最近は落ち葉の処理問題から、枝落としをして殺風景にしてしまう傾向にある。せっかく植樹して木を育てても、緑のある景色はどんどん失われているのです。日本は「木」が嫌いな国と思わざるを得ません。

幹が太く、伸び伸びと枝葉が伸びる。樹齢の長い、ケヤキの木。

高く伸びたケヤキの木。1950年に戦災復興事業として植樹されたもの。

けやき並木世界的都市にも負けない、美しきシンボルロード。

世界を見渡せば、代表的な都市には素晴らしい街路樹があります。ロンドンやバルセロナ、上海にも、素晴らしい並木道がある。枝葉を伸ばした木々の木陰は市民の憩いの場。高く伸び伸びとした木々とビル群に溶け込んでいるというのは、喜ばしい景色です。木が汚い存在という発想では、救われません。前橋市役所の方から聞いた話では、このけやき並木も切ってしまえというクレームが出ているそうです。そうした市民の声が上がっても、決して切ったりせず、負けないで愛し続けて欲しい。大事なことを大事にする。そうした姿勢を貫いて欲しいと思います。このけやき並木を見るためだけに、もう一度、前橋に行きたい。行って励ましたい。このシンボルロードを大事にして欲しい。そう切に思える景色なのです。

ビルとけやき並木が街に共存する。四季折々で移り変わる、都市の守るべき美しき景色。

住所:群馬県 JR前橋駅北口周辺

1952 年生まれ。東洋文化研究家。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

本屋でも図書館でもなく、旅館でもない、新しい未来への物語が始まる場所。[ブックホテル箱根本箱/神奈川県足柄下郡箱根町]

本と暮らしが密着した心地よい空間で、本を読む楽しさを満喫。

ブックホテル箱根本箱未来へと文化を紡ぐ「本との出会いの空間」。

昔ながらの本屋さんが日々廃業し、街中で本に出会える機会がめっきり減ってしまった昨今。人々の「本離れ」も加速して、良き本と出会える場所は驚くほど少なくなってしまいました。

そんな「本離れの時代」に、人と本との幸せな出会いを叶えてくれるホテルができました。
箱根の強羅に佇むブックホテル『箱根本箱』。その名の通り、ホテル全体に多彩な分野の本がぎっしり詰め込まれた、夢のような空間です。

新刊・古書・洋書あわせて約1万2,000冊を所蔵。まさにホテル全体が「本箱」となっている。

興味を惹かれた本を広げながら、秘密基地のように「おこもり」してみたい。

ブックホテル箱根本箱「本との出会いの場を作りたい」という想い。

『箱根本箱』は、「本との出会い」「本のある暮らし」をコンセプトにしています。ゲストと本との距離をぐっと縮める仕掛けや、本と一緒に暮らしたくなる提案を随所に配置。一冊の本から始まる「新しい物語」と「新しい旅」を体感させてくれます。

それでいて、決して本好きの人だけに向けた施設ではなく、むしろ「あまり本を読まない人にこそ読書の楽しみを再発見して欲しい」という気遣いがたっぷり。館内の本はすべて購入でき、出会えた本を日常に持ち帰ることができます。

本との上質な時間を過ごしてもらうために、構造にもしつらえにもこだわりがたっぷり。

本もインテリアも、ひとつとして同じ客室はない。

ブックホテル箱根本箱心ゆくまで本の世界に浸れる。

もちろん、ホテルとしてのクオリティの高さも見逃せません。上質な読書体験を叶えるために、客室も館内も隅々まで心地よく整えられています。

すべての客室には、各界の著名クリエイターが選書した「あの人の本箱」を設置。さらにゆったりくつろげる温泉露天風呂もあり、読書で疲れたら、思う存分リラックスできます。

一番人気の客室は、箱根外輪山が望める2Fのマウンテンビューですが、ファミリーやグループには、緑に癒されるグリーンビューが人気。そしておひとり様には、静かに籠もれる1Fのテラスツインが人気だそうです。

こうしたしつらえや気遣いによって、訪れたゲストの評判も上々。2018年8月のオープン以来、リピーターが絶えないそうです。さらに、「こんな面白いホテルがあったよ!」という口コミでも広がりが。一冊の本が多数の読者に愛されるように、『箱根本箱』も多くの人々に支持されています。

大浴場では乳白色の硫黄泉と、無色透明の「美肌の湯」が楽しめる。

ブックホテル箱根本箱本の流通を担う会社の保養所が、“人と本を繋げる場所”として再生。

そんな『箱根本箱』をプロデュースしたのは、株式会社自遊人の代表取締役で、かつ雑誌『自遊人』の編集長でもある岩佐十良(いわさ・とおる)氏です。『箱根本箱』全体のクリエイティブディレクターとして、コンセプト・設計デザイン・料理等のディレクションをすべて手がけました。

「この建物は、もともと書籍と雑誌の流通を担う日本出版販売株式会社(日販)の保養所だったんです。それを『新たな形で活用したい』とのご相談を受け、“本の流通を手広く手がける会社の保養所”という由来に着目し、“本がテーマのホテル”としてプランニングしました」。

とはいえ、当の日販はホテルとして活用することは想定外だったそうです。「面白い企画だけれど……」と当初は難色を示されたものの、岩佐氏は損益やキャッシュフローの計算から、事業計画書の精査までも徹底。発案から着工まで約3年の歳月を経て、極上の「人と本との出会いの場」を創り上げました。

「あの人の本箱」は館内の随所にも配置。歩み、目を留めるたびに新たな本と出会える。

ブックホテル箱根本箱“駅前の本屋さん”で体験したような、本との出会いや触れあいを再び。

「『箱根本箱』は、“どうして本が売れなくなってしまったのか?”という大きな課題に対する提案です。昔はどんな町にも“駅前の本屋さん”があり、人と人との待ち合わせや、電車の待ち時間にふらりと立ち寄るなどして、本と出会える機会がたくさんありました。ですが、現在は多くの駅前書店がなくなってしまい、本を手にとったり、自然に目にする機会が激減してしまいました。私はこれが、人々の本離れの根本的な原因ではないかと考えています。そこで、本に心ゆくまで浸れる『箱根本箱』をディレクションしたのです」。

そう岩佐氏が語るように、『箱根本箱』がオープンする以前は、「そこで出会えた本を買えるホテル」は無かったそうです。その点を大きなウイークポイントだと考えた岩佐氏は、『箱根本箱』のすべての本を買えるようにしました。現在、同種のホテルもでき始めてはいますが、本とホテルが完全に融合した上で、その世界に浸れる構造となっているのは、『箱根本箱』だけだそうです。

本に関わる部分のコンセプト立案・選書・システム管理などは日販のブックディレクションブランド『YOURS BOOK STORE』が担当。

暮らしを彩る「衣」「食」「住」「遊」「休」「知」の6ジャンルを中心に、館内のあらゆる箇所にシームレスに本を配置。

ブックホテル箱根本箱“本のプロ”が見立てたバラエティ豊かな本達。

『箱根本箱』館内のブックディレクションは、『YOURS BOOK STORE』のプランニング・ディレクターである染谷拓郎氏が担当。本を単なるインテリアや舞台装置ではなく、共にくつろげる友人や、新たな世界の扉を開いてくれる案内人にしています。

「私が『YOURS BOOK STORE』と染谷氏にお願いしたのは、ただひとつ。“気軽に手にとれて、知識の導入となる本を選んでください”という点です」と岩佐氏。

たとえば写真集・絵本・入門書・読み物などなど、極力手にとりやすい本を例示したそうです。その方針を受けて決まったのが、「衣」「食」「住」「遊」「休」「知」という6つのテーマ。チェックインからチェックアウトまで、約20時間の滞在時間を知の快感で満たしてくれます。

レストランももちろん本尽くし。常に知的好奇心をくすぐってくれる。

ディナーの一例。箱根と箱根を取り巻く地の恵みをふんだんに。

ブックホテル箱根本箱本で心を満たされて、グルメで体を満たされる。

本で心を満たされた後は、箱根ならではの滋味で体も満たしてくれます。
やはり本にこだわったしつらえが白眉のレストランでは、「オーガニック&クレンジング」をテーマに、自然派イタリアンを提供。ミラノの人気店『アンティカ・オステリア・デル・ポンテ』や、弘前の『オステリアエノテカダ・サスィーノ』で修行した佐々木祐治氏が、フードディレクターを務めています。

相模湾や駿河湾の魚介、神奈川や静岡産の有機野菜や柑橘などで、“箱根のローカルガストロノミー”を表現。
これもまた、『箱根本箱』でしか味わえない“特別”です。本と共に過ごす時間がより豊かに広がっていきます。

フードディレクターの佐々木祐治氏。豊富な経験で“箱根のローカルガストロノミー”を供する。

レストランは箱根の山並みを望めるオープンキッチンスタイルのカウンターと、プライバシーを保てる個室に分かれている。

ブックホテル箱根本箱“本をテーマにしたインタラクティブ・メディアホテル”は、新たな境地へ。

独自のスタイルで熱い支持を得ている『箱根本箱』ですが、今後はそれをさらに進化させていくそうです。
「2020年の3月をめどに、お子様にもご満足頂ける新たな『本箱』を、信州の松本にオープンさせます。こちらのテーマは“子供の教育”と“大人の生涯学習”。お子様はもちろん、大人の方にも様々な知識に触れていただけて、新たな興味の扉を開いていただける施設を目指します」。

ほかにも数ヶ所の『本箱』を企画中。人と本とが親しめる幸せな空間が、日本の各地に広がっていきます。

現在、お得な“オープン記念プラン(1泊2食)”を実施中。お子様と一緒に楽しめる“こども本箱”なども企画中。

住所:神奈川県足柄下郡箱根町強羅1320−491 MAP
電話:0460-83-8025
ブックホテル箱根本箱 HP:http://hakonehonbako.com/

プレステージ・シャンパーニュからはじまるプロフェッショナルの対話。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・abysse/東京都渋谷区]

鄭氏(左)と、目黒氏。共通の知人がいる2人の、念願の初対面が叶った。  

アビス × 鄭秀和ガストロノミーの可能性を広げる「食べるシャンパン」。

厳選された区画のシャルドネ種100パーセントでつくる「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」は、テタンジェ社の至宝ともいえるトップキュヴェ。フレッシュで洗練された果実味、熟した果実の香り。口当たりは滑らかで、生き生きとした躍動感があり、グレープフルーツとスパイスのニュアンスを感じる洗練された味わいで、多くのワイン好きを魅了し続けています。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」は、世界中のさまざまなレストランで親しまれているプレステージ・シャンパーニュでもあります。単体ではもちろんのこと、料理と合わせることでさらに味わいが広がる「食べるシャンパン」。堂々たる風格を持ちながら、料理に寄り沿い引き立て合う懐の深さを検証すべく、代官山『アビス』の目黒浩太郎氏に、このシャンパーニュとともに楽しみたい一皿を提案してもらいました。2019年3月、外苑前から代官山に移転した『アビス』は、魚料理にフォーカスしたレストランとして、トップガストロノミーの世界でも国内外から注目を集める存在です。

特別なマリアージュを体験するのは、『インテンショナリーズ』代表の鄭秀和氏。建築家、デザイナーとして家具、家電からランドスケープまで手掛ける稀代のクリエーター。自他ともに認めるワインラヴァーで、なかでもシーンを選ばず飲むのがシャンパーニュだと話します。

上質なシャンパーニュだからこそ実現できるマリアージュ。料理とワイン、2つのものを合わせて完成する味の話は、やがて味の土台づくりやそのアプローチ方法、ひいてはものづくり全般の話まで広がっていきます。

【関連記事】テタンジェ/食べるシャンパン。それは、ひとりでは完結しないシャンパーニュ。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン2007」。クラシックでエレガントなエチケットだが、モダンなファインダイニングのテーブルにも映える。

ピゼッリ(イタリア産グリーンピース)は、野菜のだしで甘みを最大限に引き出す。

この日は小田原産、2キロ超えの金目鯛が主役。赤、白、グリーンと彩りも豊か。

「金目鯛、桜えび、グリーンピース」。レモン果汁とヴァンジョーヌビネガーで酸味を加え、ハーブオイルとエディブルフラワーを添えて。

目黒シェフ。料理にまつわるビジョンを明確に言語化できる数少ない料理人だ。

アビス × 鄭秀和シャンパーニュのリッチなボリューム感が、脂の旨みが豊かな魚の温前菜とマッチ。

『アビス』目黒氏の代名詞である魚料理はシャンパーニュと好相性。前菜からメインまでのお料理と合わせて楽しむために、目黒氏自らもソムリエとともにセレクトに加わっているといいます。

そんな目黒氏ですが「今回、最初に頭に浮かんだのは魚のマリネなどの冷前菜でした」と、話します。
「でも、コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランをひと口飲んで、すぐに方向転換しました。ブラン・ド・ブランはドライでシャープな印象がありますが、このシャンパーニュは、ふくよかでエレガントなボリューム感がある。温かい料理のほうが、味わいがふくらむと考えたのです」

厨房から運ばれてきたのは、金目鯛と桜えび、グリーンピースでつくった温かい前菜。脂乗りのよい金目鯛を、低温のだしでゆっくり火を入れ、香ばしく素揚げした桜えびと、野菜のだしで炊いたピゼッリを添えた一皿です。

「金目鯛を使ったのは、白身魚の中でも旨みに甲殻類のニュアンスを感じる魚だから。シャルドネ種のリッチなワインと甲殻類の相性は鉄板です。コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブランから感じるトースト香に素揚げの桜えびを合わせ、グレープフルーツなど柑橘のニュアンスとも相乗するよう、レモンジュースとヴァンジョーヌの酸味のあるソースで仕上げています」

鄭氏は、家具、家電から建築、ランドスケープまで、ジャンルを超えて「時代」をデザインしてきた。

「これまでにないペアリング」と、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」と合わせ料理を味わう。

『テタンジェ』は、その名を社名に掲げるテタンジェ家が、今尚オーナー兼経営者である希少な大手シャンパーニュ・メゾン。「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」は、そのトップキュヴェだ。

シャンパーニュ選びの際も、鄭氏が重要視するのは「素材やつくりの良さ」だと話す。

アビス × 鄭秀和百戦錬磨の食通を驚かせた、シャンパーニュペアリングの新たな可能性。

自宅地下のワインセラーに貯蔵するワインは百本以上。とりわけシャンパーニュは「少なからずのパーセンテージを占める」と、話す鄭氏。和食店や寿司屋にも好きなシャンパーニュを持ち込む偏愛ぶりで、自宅でも日常的に楽しむとのこと。自身も進んでキッチンに立つばかりか、魚は築地(現豊洲)市場トップクラスの仲卸から仕入れるなど、シャンパーニュをはじめとするワインと料理の「味わいの追求」には、「仕事と同じくらいエネルギーを注いでいる」と、笑います。

シャンパーニュは、飲んだ種類や量をきけばプロが驚くほど。長年の経験で培われた好みははっきりしているなか、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」を改めて味わい「お世辞抜きで、つくりのいい、旨いシャンパーニュだなと思います」と、実感を込めて話します。

「こんなに美味しかったかな(笑)。端正でバランスがよく、深い味わいがある。これだけでも十分、満足感がありますね」
淡々とした鄭氏の表情が変わったのが、目黒氏が用意した「金目鯛、桜えび、グリーンピース」の料理を「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」とともに味わった瞬間でした。

「これは素晴らしい組み合わせですね。ここ数年、重い味を避けてフレンチの店で食事をする機会は減ってしまっていたけれど、ワインと食事を合わせる楽しみを思い出させてくれるような完璧なマリアージュ。料理の素材はどれもとびきりだけれど、印象に残るのはだしの旨み。この味わいの芯の部分が、上質な原料ぶどうの味わいが核となるシャンパーニュと、ぴたりと重なるように感じます」

「難しいことは抜き、旨いもの同士ならば必ず美味しい」というシンプルな理論を、日々の食生活を通じ誰よりも実践してきた鄭氏が、「食べるシャンパン」を通じて、再びフレンチに、いや、新たに出会った目黒氏の料理に強く惹きつけられた瞬間でした。

目黒氏が料理について話す言葉に、注意深く耳を傾ける。

料理とシャンパーニュの提案に関する鄭氏の惜しみない賞賛の言葉に、嬉しそうな表情を見せる目黒氏。

ジャンルを超えた仕事論で共感し合い、二人はすっかり意気投合した様子だ。

アビス × 鄭秀和インパクトではなく、「表に現れないもの」がものづくりの核になる。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」と目黒氏の料理から、フレンチにおける料理とワインのマリアージュのセオリーを超えた「何か」を感じ取った鄭氏。

「なぜ、魚料理をご自身の料理のメインに据えたのですか」と、目黒氏に尋ねます。
「日本の魚は世界トップレベル。世界に向けて何かを発信したいならば、武器にしない手はないと思ったのです。和食でもフレンチでも、だしは味の核となるもの。私の料理にとっても重要です。でも、魚とだしに重きを置くからといって、和食を意識しているかといわれれば、それは違う。レデュイール(煮詰める)などフランス料理ならではの技法を使って、繊細でありながらしっかりとした凝縮感のあるだしで、自分の料理の核を作っていきたいと考えているからです」

感心した表情で話を聞いていた鄭氏は、「実は常々私のデザインも、きわめてだし的だと思っているんですよ」と、嬉しそうに話します。
「インパクトのあるものはアイコニックでわかりやすいけれど、すぐに飽きが来る。そうではなく、しっかりとしたいい素材と自分の経験の基礎からつくる、目には見えづらい部分にこそ、廃れないデザインの要になる何かがあると考えるからです」

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」に言及し、鄭氏は話しを続けます。
「シャンパーニュにしても、抜栓したての、キンキンに冷えたものより、こうしてグラスで少し置いた、温度も高めのもののほうが、真価がわかるじゃないですか。ひと口目のインパクトより、味わえば味わうほど、しみじみその本質的な良さが染みてくる。セオリーより、そういう部分で、目黒シェフの料理と合うと感じたのかもしれない。自分の仕事も、改めてそうありたいと思いますね」

住所:〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西1-30-12 ebisuhills 1F MAP
電話:03-6804-3846
営業時間:月・火〜土:18:00~20:30(L.O) ランチ・日曜日のみ12:00~13:00(L.O)
※水曜日定休日
abysee HP:https://abysse.jp/

1968年神奈川県生まれ。建築家、デザイナー。有限会社インテンショナリーズ代表。建築のみならず、インテリア、家具と幅広いデザインを手掛ける。『HOTEL CLASKA』のリノベーション、『ユナイテッド・シネマ豊洲』のインテリアデザインなどが代表作。近作としては民泊新法施行における総本山寺院の宿坊第一号案件である園城寺(三井寺)を手がける。
HPhttp://www.intentionallies.co.jp/

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけてお掛けください。
お客様からいただきましたお電話は、内容確認のため録音させていただいております。

TAITTINGER HP:http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

地域固有の和綿を育みながら、新たな魅力を織り成す。[伯 HAKU/鳥取県境港市]

伯洲綿ブランド『伯 HAKU』の代表を務める木村氏。

ハク

日本海に面した港町、鳥取県境港市。木村正明氏が率いる『伯 HAKU』は、この地で栽培される和綿の在来種・伯州綿を使った、オーガニックコットンブランドです。前編では、全国に名を馳せる伯州綿の特徴と、それを生かした『伯 HAKU』のアイテムが持つ魅力に迫ります。

上質なコットン生地のタオルやハンカチを展開。

ハク境港市から全国へ、和綿文化を発信するトップランナー。

江戸時代前期、鳥取県境港市で盛んに栽培されていた伯州綿。当時は和綿の一大産地として、全国にその名を馳せていました。明治維新による時代の変化と共に一時は衰退したものの、2008年に境港市の主導で復興に着手。見事に息を吹き返し、現在では再び日本最大級の生産地にまで発展しています。

そして、2013年よりこの伯州綿を生かし、タオルやハンカチといったオリジナル商品を開発。全国に和綿文化を発信しているのが、長年地元で文具やキャラクターグッズを企画、製造、販売してきた、株式会社きさらぎの代表を務める木村氏です。きさらぎ内に新たな事業部を立ち上げ、『伯 HAKU』というブランド名の下、展開しています。

自社の畑をはじめ、市内各地の畑において農薬・化学肥料不使用で有機栽培された伯州綿に、良質な外国産オーガニックコットンをブレンドし、紡績。この地域特有の日本海から吹き抜ける穏やかな潮風にちなみ『シーブリーズコットン』と名付けたオリジナル綿糸は、オゾン漂白など環境に優しい加工法で漂白・染色され、国内屈指のタオルの産地で最高技術をもって織り上げられています。

5月の種まきに向けて準備が進められている綿畑。

秋には収穫を迎え、良質な綿糸へと加工されます。

ハクオリジナルの綿糸で紡ぐ、心地良さにこだわったタオル。

『伯 HAKU』の第一弾商品として発売されたのは、バスタオル、フェイスタオル、ミニハンカチの3アイテム。適度なコシと肌への優しさを併せ持つしっかりとした質感で、おろしたてでもよく水を吸い、使い心地は抜群です。しかも、使うほどに肌に馴染んでいくという嬉しい特性もあります。

その秘密は、『シーブリーズコットン』の配合。伯洲綿に、ペルー産とアメリカ産のオーガニックコットンをブレンドしていることにあります。伯洲綿は、弾力性に富み、保温性のある素材。しかし、繊維が太く短く切れやすいため、これだけでは細やかな糸を引くことができません。そこで、繊維が長く柔らかで高品質なアリゾナ産の綿などを加えることで、しなやかさのある綿糸に仕上がっているのです。

「『シーブリーズコットン』は、国内外の有名ブランドに信頼されるオーガニックコットンの第一人者に協力を得ながら、約半年かけて完成しました。ブレンドの割合は、伯洲綿が20%、伯洲綿とよく似た風合いでその特性を引き立てるペルー産の綿が20%、そして最近ではスーピマコットンと呼ばれ重宝されている、アリゾナ産の綿が60%。伯洲綿のふんわり感を残しつつ、使い心地の良さを追求した結果、このバランスに辿り着きました。撚りの加減にも試行錯誤しましたね」と木村氏。

こだわりの詰まった綿糸は、『今治タオル』で有名な愛媛県今治市で織られ、タオルやハンカチに。和綿で作られた希少性と、オーガニックで肌に優しく使い勝手が良い、機能性の高さで人気を博しています。

伯洲綿(左)とアリゾナ産の綿(右)を比較。

国内初の和綿素材によるオーガニックの糸を開発。

定番商品3種はそれぞれ白練、薄桜、露草の3色展開。

ハク枝葉から生まれた新たな色味で、さらなる未来を染め上げる。

スタンダードな3アイテムをリリース後、『伯 HAKU』の世界はさらに拡大。ミニハンカチに、綿木染で生み出された、新たな彩が加わったのです。綿木染とは、伯洲綿の枝葉を染料とした染色方法のこと。枝や葉からイメージされる茶色や緑色に留まらず、オレンジ、ピンク、赤、ベージュと、色とりどりの6色が揃います。
木村氏曰く「畑で枝と葉を集め、ちょっと試すつもりで特殊加工ができる染色工場に依頼したところ、予想外の色が出て。さらに、どれぐらいの太さの枝を使うか、どれぐらいの色合いの葉を使うか、枝と葉の分量はどうするかといったことから、煮出す時間や浸染時間、温度など、細かい調整をすることで、ここまで色のバリエーションが生まれました」。

この結果には、染色工場も驚いたそう。こうして、世界初の綿木染が誕生したのです。「当初は、綿の枝や葉で染めるのか?と、不思議がられました。普通は考えつかない発想みたいで。でも、私はずっと文具や雑貨の企画開発をしてきたため、綿についてもタオルについても素人。だからこそ、専門家にはない、枠にとらわれないアイデアが生まれて、この独特な色に出合えました」と木村氏は話します。

自然の恵みから生み出された色には、雛鳥、とき羽、焦空、伯洲緑、陽光、白茶と、それぞれの色から連想するイメージに沿ったネーミングがされているのもポイント。いずれも人工的な色味とは一線を画す、味わい深い仕上がりとなっています。

自然の温もりと深みを感じる染め上がりで魅了。

ハク高い機能性を追求して生まれた、一歩先行くスポーツシリーズ。

ブランド誕生から6年経った2019年4月、『伯 HAKU』に新たなシリーズ『HAKU SPORTS』 が加わりました。2017年の暮れに「これまでよりもリーズナブルながら高機能なスポーツタオルを作ろう!」という構想が掲げられて以降、地道な開発が続けられ、この度満を持して発表されたのです。

従来通り『シーブリーズコットン』を使うものの、より細く作られた糸を使用。さらに、『泉州タオル』で名高い大阪・泉州地域で守られる後晒(あとざらし)織りを採用しつつ工夫を加えることで、より軽やかで柔らかく、吸水性が高い上に乾きやすいという、理想的な仕上がりとなっています。

「スポーツタオルとして、軽さ、速乾性、吸水性にこだわって開発を進めました。今回、縁あって泉州タオルの産地にて製造できることとなり、新たに議論を重ねて。使い始めの段階から非常に高い吸水性を誇り、さらに洗えば洗うほどパイルが詰まってふんわりする、高い機能性を実現できました」と木村氏。

さらに、本シリーズのタオルは、抗菌・消臭加工が施されている点も大きな魅力の一つ。それには、境港産のカニの甲羅から取った天然由来の成分、キトサンが使用されています。
「せっかくならば地元のものを生かして抗菌・消臭加工を付加したいと思い調べたところ、カニの殻の成分が使えると分かって。境港には多くのカニが水揚げされるので、これは良い!と思いました」と話す通り、新シリーズでは伯洲綿とカニという、境港市の特産品が見事な融合を遂げているのです。

現在、ロングタイプのスポーツタオルと、ハンドタオルを一回り大きくしたぐらいのウォッシュタオルの2種類があり、それぞれ鮮やかなマリンブルーとローズレッドの2色を用意。スポーツタオルは、一般的なフェイスタオルよりも長めに設計されており、首からかけた際に短すぎず長すぎない、絶妙なサイズ感も使い勝手の良さにつながっています。

新商品のスポーツタオルとウォッシュタオル。

アイデア溢れるユニークなパッケージにも注目。

タオルには本物の伯洲綿の種が同封されています。

ハク伯洲綿の魅力をダイレクトに伝える、斬新なパッケージ。

スポーツタオルとしての機能性をとことん追求した『HAKU SPORTS』シリーズですが、パッケージにもこだわり、これまでとは全く異なるものに。箱は自然への優しさも意識したエコタイプの段ボール製で、大きく実ったコットンボールをデザイン。弾けた実の部分がくり抜かれ、白い綿ならぬ赤と青のふんわりとしたタオルが顔を覗かせています。

そして、もう一つの小窓から見えるのは、本物の伯洲綿。しかも綿毛の中には種が包まれており、プランターや鉢を用意すれば、そのまま各家庭で育てることができます。育て方は、パッケージに記載されたQRコードからアクセスすることで簡単に確認可能。

「種付きの伯洲綿をセットにすることで原料の魅力を伝え、さらに育てる楽しみも味わっていただければと思い企画しました。これも、普通にはない発想として面白がっていただいています」と笑顔の木村氏。オリジナリティ溢れる試みで、伯洲綿の魅力は加速度的に全国各地へ広まっています。

次回の後編では、江戸時代から現代までの伯洲綿の歴史と、『伯 HAKU』にかける木村氏の想い、そして未来への展望を紹介します。

鳥取県境港市を拠点に、文具の流通小売業をはじめ、地域にゆかりの深いゲゲゲの鬼太郎グッズの企画、製造、販売などを行う、株式会社きさらぎの代表。2013年には、地元産の和綿・伯洲綿で作るオーガニックコットンブランド『伯 HAKU』を立ち上げ、伯洲綿の栽培から、商品の企画開発、販売を手掛けている。既成概念に捉われない斬新なアイデアの数々で多彩なアイテムを展開。伯洲綿の認知と可能性拡大の一翼を担っている。

住所:〒684-0021鳥取県境港市馬場崎町211-1 MAP
電話:0859-44-3535
営業時間:9:00~18:00(土曜~17:30)
定休日:日曜・祝日
伯 HAKU HP:http://haku-cotton.jp/

「新潟県内で一番早い夏のお祭り」。[まき夏まつり/新潟県新潟市]

高い建物が無いため打上場所の周囲360度どこからでも観覧できます。

まき夏まつり三日間に渡って開催されるイベント目白押しのお祭り。

新潟県内の夏祭りで最も早く開催されるのがまき夏まつりだそうです。6月中旬の週末、三日間に渡り巻神社大祭として開催され、新潟のお祭りの代名詞ともいえる民謡流しも各団体が揃いの浴衣に身を包み町の本町通りで繰り広げられます。また江戸時代からの歴史を持つ神輿渡御、越王太鼓など、まき鯛車商店街を中心に様々なイベントが行われます。この商店街の名前の由来は巻に古くから伝わる郷土玩具である鯛車から来ているそうです。

祭りの二日目には地元の小中学生による吹奏楽パレードや木遣り、子供山車や大人山車で大いに盛り上がり、夜には花火が上がります。花火の様子は地元FMラジオで生中継されますのでラジオ持参で観覧するのもよろしいかと思います。

三日目には米百俵パレードや子供山車パレード、地元の高校生よる楽器演奏やダンスパフォーマンス、夜にはやかた竿燈、越王太鼓、総おどり、諏訪神社ではカラオケ大会が開催されるなど盛りだくさんです。今年はディズニーリゾートからディズニーの仲間たちがパレードに参加するとのことで例年以上の華やかさと人出が予想されます。

巻神社前の祭りの様子。

まき夏まつり童心に帰って地元の屋台を楽しむ。

巻神社や仲江通りには多くの露店が軒を連ねます。中でも細長い蒸しパンのようなポッポ焼きは新潟のお祭りには欠かせません。焼き器がポーポー鳴る事からポッポ焼き、焼き器から蒸気が上がる事から蒸気パンとも呼ばれているようですが名前の由来は諸説あるそうです。花火好きな知人から薦められ、体質の都合で食べられない私に代わって妻が試したところ、たいそう気に入ったらしく10本程度をペロリと完食するほどでした。黒砂糖の優しい甘さがくせになるどこか懐かしさを感じるお菓子だそうです。体質が改善したら是非とも食べてみたい屋台グルメの一つです。

まき夏まつりには数回訪れていますがいつも子供たちの元気な様子が印象的です。屋台の並ぶ道路には子供たちが溢れていますし、祭りのプログラムを見ても小中高生の子供たちの活躍無しでは成り立たない活気のあるお祭りだと感じます。

田んぼの中に花火が設置されています。

まき夏まつり花火大会は二日目に開催。

まき夏まつりの花火は決して大規模ではありません。花火大会としてはどちらかと言えば小規模でしょう。しかしながら周りを田んぼに囲まれたのどかな場所で約1時間かけて丁寧に打ち上がる花火は巻の町のどこからでも良く見え、打ち上げ数としても多くはないかも知れませんが多種多様な花火が楽しめる私の大好きな花火大会の一つです。ゆっくり打ち上がる単発打ち上げや早打ちを中心に、時折スターマインが盛り込まれています。打ち上げを担当されているのは地元新潟県の新潟煙火工業さんです。

これは私の持論ではありますが花火大会というのは、大規模が良い、大きい花火が上がる方が良い、というものでもないと思うのです。確かに大規模で見応えのある花火大会は素晴らしいです。しかし、例え規模は小さくとも地元に根付き、地元の皆さんが楽しみにしている花火大会にも素敵な花火大会がたくさん存在しています。もしかしたら皆さまのお近くでもそんな素敵な花火大会が存在しているかも知れませんよ。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

場所:新潟市西蒲区竹野町(矢川公園) MAP
日時:6月15日(土) 20:00~21:00 ※雨天中止の場合順延16日、17日(予定) 
まき夏まつり  HP:http://maki-niigata.com/matsuri.html 

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

隈 研吾氏デザインのエシカルな空間で味わう、体験型のドーナツファクトリー。[koe donuts/京都府京都市]

身体にも環境にも優しい素材による、出来立ての「ドーナツ」をナイフ&フォークで楽しむ。

コエ ドーナツカジュアルなストリート・フードをオーガニックなご馳走に!

身近なおやつとして、リーズナブルに味わえる軽食として、誰もが慣れ親しんできたお菓子・ドーナツ。

その人気に支えられて、様々な商品やチェーン店が展開されていますが、それらはいずれもカジュアルなもの。「美味しいおやつ」とは思われていても、「特別なご馳走」や「わざわざ足を運んでまで食べたいもの」といったイメージはあまりないかもしれません。

でも、こちらの『koe donuts (コエ ドーナツ)』は違います。
多数のクリエイターがつくるゴージャスかつ和の格式を漂わせる店舗と、厳選された極上の素材による京都ならではのテイスト。

「安価なスナック」や「ハイカロリーなフード」といったイメージを払拭(ふっしょく)して、ドーナツをカジュアルなストリート・フードから、「じっくり味わえる特別なご馳走」へと進化させました。
確かなブランディングと真摯(しんし)な製法によって、ドーナツの新たな境地を目指す『koe donuts』。
その多面的な魅力をお伝えします。

京都の伝統的な「六ツ目編み」の竹かごを、572個も連ねた壮麗な空間。

コンセプトは「life happens, donut helps」。地球環境・素材・製造方法にこだわり抜いている。

コエ ドーナツドーナツを通じて食と環境の問題を改善。

『koe donuts』をプロデュースするのは、株式会社ストライプインターナショナル(本社:岡山県岡山市・代表取締役社長:石川康晴氏)が展開するグローバル戦略ブランド『koe (コエ)』です。

ファッション・ホテル・レストラン・音楽イベントなどなど、多業種への展開と高い文化性で注目されていますが、『koe donuts』はそんな『koe』ブランド全体のフィソロフィー(哲学)である「エシカル」を、更に前面に打ち出しています。

「エシカル」とは、「倫理的な」という意味。そしてそれをブランディングに適用した場合は、「その商品を買ったり消費したりすると、環境や社会問題をより良い方向に改善していける」という意味になります。
そんな理念に基づいた『koe donuts』は、素材選びから製造過程の全てにおいて、地球環境と人々の健康に配慮。「オーガニック」「天然由来」「地産地消」という3つのキーワードによって、低カロリーかつオーガニックな、身体にも環境にも優しいスイーツとなっています。

世代や国々を超えて親しまれている定番のおやつを、健康志向の高まりに答えて「ウェルネス」をテーマとしたコンテンツに昇華。

コエ ドーナツ隈 研吾氏による京の粋が漂う店舗を、最先端のデザインが彩る。

『koe donuts』を訪れると、まずはその独特かつアーティスティックな内装に目を奪われます。

ドーム状に連なる竹かごに覆われた暖かな空間は、日本を代表する建築家で、国内外のあまたの建築賞を受賞した隈 研吾氏のデザイン。竹かごの素材は成長過程で伐採しなければならなかった京都嵐山産の竹で、ここにも環境への配慮が生きています。

デザインのテーマは「奥へと導く竹かごの空間」。572個もの竹かごを通して降り注ぐライトが、絶妙な陰影を描きながら人々をいざないます。

また、ショッパーやナプキンなどを飾るポップでありながらもクラシカルな印象を与えるイラストは、人気イラストレーター・長場 雄氏によるもの。世界中のドーナツ好きの人々の気持ちを表現したメインキャラクター・「ドーナツ博士」は、誰もが親しみを覚えるデザインです。

更にパッケージとグラフィックのデザインは、『koe』全体のブランディングを手がける『artless Inc.』の川上シュン氏によるもの。こうした一流のクリエイターたちによって、新たなドーナツの世界観とカルチャーを表現しています。

繊細でありながらたくましい京都の台所文化を、竹かごを通して表現。

メインキャラクター・「ドーナツ博士」を中心に、ポップなイラストがアイテムを彩る。

コエ ドーナツ味にもビジュアルにもこだわり抜いた「京都産ドーナツ」。

『koe donuts』の最大の特徴は、ドーナツの製造工程を見ながら味わえる「体験型ドーナツ店」であることです。素材と製造方法に自信があるからこその、安心・安全を実感できるスタイルです。

粉を石臼で挽き、丁寧に混ぜ合わせた材料をオリジナルのベルトコンベヤー式のフライヤーで揚げる。一つひとつ手作りで焼き上げられるドーナツは、いずれもキュートで愛らしい外見です。

更にほうじ茶や抹茶、金ごまや赤紫蘇などの和の食材、京人参や白味噌、黒豆などの京都産の原料も使用。こうした地域性の高いドーナツは、京都ならではのお土産としても好評だそうです。

オーガニックかつ無添加で、希少糖や玄米油などの厳選された原料を使用したヘルシーなドーナツ。

京都産のお茶やレインフォレスト・アライアンス認証のコーヒー、オリジナルのタピオカティーなど、こだわりのドリンクも提供。

コエ ドーナツ誰からも愛されるドーナツを通して、新しい食の楽しみ方を発信。 

京都はインバウンド需要が非常に高く、国際的な発信力を持つ土地です。そこに『koe donuts』の1号店を構えたのは、「新たなスタイルのドーナツを世界に広げていきたい」という想いがあったからだそうです。

ジャンク&ハイカロリーといった固定観念を払拭し、ヘルシー&エコロジーなご馳走に。誰からも愛されてきたお菓子・ドーナツを通して、新しい食の楽しみ方を世界に発信していきます。

『koe』ブランドが提案する新たなサードプレイスとして、京都を訪れるあらゆる人々に、安らぎのある空間と安心できる食を提供。

住所:京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町五五七番地(阪急京都線「河原町」駅 9番出口より徒歩約1分) MAP
電話:075-748-1162
営業時間: 8:00~20:00
koe donuts kyoto(コエ ドーナツ キョウト) HP:https://donuts.koe.com/
写真提供:koe donuts

山形の地から「世界が憧れるウイスキー」を目指す。[遊佐蒸溜所/山形県飽海郡遊佐町]

年間の気温差が40℃にも及ぶ遊佐(ゆざ)町で「本物」のウイスキー造りに挑む。

遊佐蒸溜所東北では3ヶ所め、山形県では初となる、注目のウイスキー蒸溜所。

世界的に人気が高まる一方のジャパニーズ・ウイスキー。それに応えるかのように、日本各地に土地ごとの風土と歴史を反映させたウイスキー蒸溜所が誕生しつつあります。

2018年の10月に稼動した『遊佐蒸溜所』も、そんな新鋭のひとつ。とはいえ、その母体となっているのは、1950年に酒田・飽海(あくみ)地区の日本酒メーカー9社が設立した『株式会社金龍』です。属する9社は、いずれも高い技術と品質を誇る老舗たち。日本で最も権威ある日本酒の品評会「全国新酒鑑評会」で金賞を連続受賞したり、世界最大規模のワイン品評会IWCの「SAKE部門」でトロフィーを受賞したりするなど、その実力は世界的にも認められています。

そんな「品質本位」の精神と、「最高の酒を造る」という情熱を受け継いだ『遊佐蒸溜所』。そこで醸されつつあるのは、いったいどんなウイスキーなのでしょうか?

鳥海山(ちょうかいさん)の豊かで清らかな伏流水と、美しく澄んだ空気に恵まれた遊佐町は、ウイスキー造りに最適な地。

遊佐蒸溜所老舗の地位に安住せずに、時代を見据えて大胆に挑戦。

『遊佐蒸溜所』の母体である『株式会社金龍』は、日本酒用の原料アルコールを蔵元に提供する会社としてスタートしました。それと同時に焼酎の製造と販売も開始し、以来、山形県で唯一の焼酎専門メーカーとして親しまれてきました。

しかし、年々進む過疎化の影響で、30年後には山形県の人口が30%以上も減少するとの予測が浮上。そんな厳しい未来を直視して、新たな切り札とすべくウイスキー業界への参入を決めたのです。

幸い、山形県はウイスキー造りに適した地でした。
ウイスキー造りには、良質かつ豊富な水と、清澄かつ冷涼な空気、そしてほどよい湿度が欠かせません。それらの条件に従って選ばれた遊佐町は、山形県の北方に位置する名峰・鳥海山(ちょうかいさん)の麓にあり、国土交通省が認定する『水の郷百選』にも選ばれるなど、町のそこかしこに美しい湧水が溢れる水と空気の理想郷です。

四季折々に表情を変える、豊かな自然に恵まれた地。そんな遊佐町から、日本酒造りの経験を生かしつつも、本場スコットランドの伝統製法に準じたウイスキーを製造・発信していくそうです。

5つある発酵槽は、全てカナダ産のダグラスファー(ベイマツ)を使用。日本の業者に材質選びから頼み、製作した。

『株式会社金龍』の社長・佐々木雅晴氏。自ら蒸溜所の設備のチェックやテイスティングも行う。

遊佐蒸溜所小規模蒸溜所だからこそ実現できる、「世界にひとつのジャパニーズ・ウイスキー」を目指す。

『遊佐蒸溜所』のウイスキー造りのコンセプトは、「Tiny(ちっぽけな)、Lovely(かわいい)、Authentic(本物の)、Supreme(最高の)」だそうです。これらの頭文字をとって「TLAS(トラス)」と呼称し、小規模ながらも本格的かつ最高級の品質を目指しています。

蒸溜所の面積は約620㎡、敷地面積は約4,550㎡と、ウイスキー蒸溜所としてはミニマム。ですが、だからこそ隅々まで目が行き届き、品質に責任が持てるのです。

そんな日本らしい丁寧な「ものづくり」にこだわりつつも、本場スコットランドの伝統的な工程・原料・貯蔵方法を踏襲。焼酎や日本酒造りで培った「酒づくり」の精神で、細部までこだわった『遊佐蒸溜所』ならではの味を探求しています。

そんなストイックさを象徴するかのように、製造スタッフは3名という少数精鋭。うち2名は女性で、一人ひとりが重要な役割を担っているそうです。更に全員が若年層という、世界的にもまれな構成。新たな若い力で、既存の色に染まらないウイスキーを醸しています。

ポットスチル(蒸留器)は本場スコットランドの世界的メーカー・フォーサイス社製。原料の麦芽もスコットランドから輸入。

3年から5年の期間を見込んでじっくりと熟成中。

遊佐蒸溜所焦らずじっくりと、最善を目指す。

『遊佐蒸溜所』が目指すのは、あくまで最善かつ最高。そのため蒸溜中のウイスキーは、シングルモルト以上でお披露目することを予定しているそうです。ニューポットやニューボーンは販売せずに、最低でも3年は熟成。蒸溜所の稼動が2018年の秋のため、最短のお披露目で2021年の秋となります。味と品質に納得がいかない場合は、更にプラス2年して2023年の秋の発表も見込んでいるそうです。

自ら定めた「TLAS」のコンセプトにそむかず、本格的かつ最高級のウイスキーを志向。本場スコットランドの伝統的な工程・原料・貯蔵方法を踏襲しつつも、それによって醸されるのは、あくまで山形発のジャパニーズ・ウイスキーです。

「神は細部に宿る」というものづくりの精神と、「MADE IN JAPAN」であることの誇り。それを忘れずに真摯(しんし)に取り組み、世界で評価されることを目標としています。

実際、そのように先駆けた他のジャパニーズ・ウイスキー蒸溜所も、高い評価を得ています。『遊佐蒸溜所』がそれらの蒸溜所と並んで評価されるのも、そう遠い未来ではないでしょう。

しっかりとしたボディでありながら、スムーズかつフルーティーな香りのあるウイスキーを目指す。

遊佐町には吹浦(ふくら)漁港の岩牡蠣など、世界に通じるポテンシャルを秘めた地域資源が多数。将来的にはそれらとのペアリングも視野に入れている。

住所:山形県飽海郡遊佐町吉出字カクジ田20 MAP
Facebookページ:https://www.facebook.com/yuza.disty
遊佐蒸溜所 HP:https://yuza-disty.jp
※一般見学は受け付けておりません

覚醒のときを五感で知覚し、第六感で観照する。高尾で出逢い、堪能する長きTOKYOの春。[SIX SENSES TOKYO/東京都八王子市高尾]

シックスセンス東京OVERVIEW

春は覚醒のとき。
美しく芽吹く草花はその象徴で、桜を始めとする多様な花々が美しさを競い合います。

高尾も、覚醒のとき。
高尾山の頂から、東に向かって緩やかに下りつつ広がる高尾の町は、高低差がある分、同じ花でも開花するタイミングが異なります。

つまり、それだけ春が長く続くということ。

新宿と高尾を真っ直ぐに結んで優れた利便性を誇る『京王電鉄』の京王線で西を目指すと、そのことがよくわかります。沿線では様々な場所で様々な桜が咲き誇り、春のうららかな日差しの中、長い眠りから目覚めた町にも生気が甦ってきたよう。

一方、半世紀近くもの間、高尾山麓でゲストをもてなしてきた『うかい竹亭』にも、同様に、春は訪れていました。
『うかい鳥山』が誇る庭園では鳥が朗らかにさえずり、春の到来を祝福しています。今の季節でしか味わえない料理も用意しているといいます。

ONESTORYが覚醒する春の高尾を訪れました。


(supported by うかい京王電鉄)

五感に響くことで研ぎ澄まされる第六感。都心から60分のTOKYOに顕在する本物の四季。[SIX SENSES TOKYO/東京都八王子市高尾]

シックスセンス トーキョーOVERVIEW

四季を五感で知覚し、心の糧を得る。
こうした感動は、日本という国に暮らしているなら、きっと誰もが経験しているに違いありません。しかし、大都会の新宿から、わずか1時間足らずの土地に、日常を遥かに超越した素晴らしい四季がある、と聞いたら、多くの人は驚くのではないでしょうか。

東京都八王子市高尾。
昨今は、『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で3ツ星の評価を保持する高尾山を目指して、インバウンドのツーリストも急増しているエリアですが、魅力は山のみに留まりません。町に、料亭に、人に、駅に、訪れるべき価値があるのです。

春に芽吹いた草花は、夏になれば万緑のときを迎え、秋、冬へと静かに移ろい行く。
そのドラマティックなプロセスは、高尾を訪れる度に、旅人の感性を刺激し続けることでしょう。

非日常の四季を求めて、ONESTORYは、これから一年をかけて高尾の春夏秋冬を追いかけます。
五感だけでなく、理屈を超越した、第六感に訴えかける格別な時間を求めて…。


(supported by うかい京王電鉄)

『DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS』開催決定![DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS/青森県青森市]

ダイニングアウト青森浅虫

来る2019年7月6日(土)、7日(日)に「DINING OUT AOMORI-ASAMUSHI with LEXUS」を青森県青森市浅虫温泉にて開催します。
※お申込み受付は、5月7日(火)18:00より開始いたします。

陸奥湾に浮かぶ釣鐘型の小島・湯ノ島は浅虫温泉のシンボル。

ダイニングアウト青森浅虫青森に受け継がれる芸術精神をたどる旅。

今回の舞台は『DINING OUT』初の東北、本州最北端の青森県に位置する、青森市浅虫です。青森といえば、三内丸山遺跡や縄文土器にはじまり、暗闇の中に華やかなねぶたがまちを練り歩く「青森ねぶた祭」、北の青い空に力強い墨線と色彩で舞い上がる「津軽凧」など、芸術風土の色濃い土地です。

この北の大地からは、強烈な個性を持った芸術家や作家が多数輩出されています。 独特の世界観を確立し今また脚光を浴びる板版画家の棟方志功をはじめ、写真界のミレーと称される小島一郎、ピュリッツアー賞を受賞したフォトジャーナリストの沢田教一、ウルトラマンの怪獣の生みの親である成田亨、 60 年代のアングラ文化を牽引した詩人かつ劇作家の寺山修司、作家では、菊池寛賞の石坂洋次郎、芥川賞の太宰治、直木賞の長部日出雄、そして現代芸術で国内外に圧倒的な支持を集める奈良美智など。

彼らを惹き付け、その強い自我と時代を捉える鋭い視点を育み、そして開花させる芸術精神あふれた土壌が、青森にあるとしか思えないほど、本当にバラエティーにとんだ、錚々たる顔ぶれです。

冬は深い雪に覆われる豪雪地であり、荒々しくも多くの生命を抱く陸奥湾や、力強くそびえる八甲山と雄大な自然に囲まれた青森市。冬の真っ白な雪と青い空の対比や、夏に芽吹く緑などの四季の強い彩、ねぶたや津軽凧の強い色彩の荒々しさも彼らの芸術の精神的源泉となったのではないでしょうか。

今回は、そんな、昔から今に至るまで青森に宿るアートの感性にフォーカスし、青森の地域性を読み解いてみたいと考え、テーマは、「Journey of Aomori Artistic Soul」といたしました。今回の『DINING OUT』も青森の一つのアート作品として五感でご堪能いただければ幸いです。

魚介のフレンチを探求する若き才能・目黒浩太郎シェフが青森の食材と向き合う。

ホストを務めるアレックス・カー氏。日本各地の歴史、文化にも造詣が深い。

ダイニングアウト青森浅虫若き料理人、ホスト、サポートのLEXUS。青森で交わる多彩な個性。

今回料理を担当するのは、「abysse」のシェフ目黒浩太郎氏。2016年、6名のシェフが集って行われた『DINING OUT ONOMICHI with LEXUSで、類まれな個性を発揮してくれた人物でもあります。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化したフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得しています。そんな目黒シェフが挑む、東北初の『DINING OUT』。「(尾道で)一度体験しているので、気負いや不安はありません。魚介をはじめとした青森の素晴らしい食材を、どう調理するか。いまは楽しみでいっぱいです」と不敵な笑みを浮かべます。

ホスト役には、東洋文化研究家であり作家としても活動し、国内の昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っているアレックス・カー氏。「これまでの『DINING OUT』はほとんど日本の中南部で行われました。今回は初の東北、壮大な自然を誇る青森で開催されます。縄文の深い歴史の地で、巨木が聳え立つ山と魚介類豊かな海が浅虫温泉に接しています。とても楽しみにしています。」とコメントしました。

また、『DINING OUT』をサポートし続ける『Lexus International President』の澤良宏氏は「Lexusは、五感で感じる豊かな時間と空間を提案し続けるブランド。目黒シェフと青森の力強い大地、そしてレクサス車によるドライビング体験が創りあげる唯一無二の世界をお楽しみください。」とコメントしました。青森の土地や食材とLEXUSの世界観がどのように融合するかも見どころとなりそうです。

ひとつのアート作品として、五感でご堪能いただく、究極のダイニングにどうぞご期待ください。

今回もフラッグシップモデルLSをはじめとしたLEXUSがゲストの送迎に登場する。

開催日程:2019年7月6日(土)、7日(日) ※2日限定
募集人数: 各日程40名、計80名限定
開催地:青森県青森市浅虫
出演 : 料理人  目黒浩太郎「(abysse」シェフ)/ホスト  アレックス・カー(東洋文化研究家)
オフィシャルパートナー:LEXUS https://lexus.jp
オフィシャルサポーター:青森市、株式会社みちのく銀行、浅虫温泉旅館組合
協力 : 浅虫温泉地域創生実行委員会

※お申込み受付は、5月7日(火)18:00より開始いたします。

1985 年、神奈川県生まれ。祖父は和食の料理人、母は栄養士とい う環境で育つ中で自然と料理人を志す。服部栄養専門学校を卒業後、 都内複数の店で修業後、渡仏。フランス最大の港町マルセイユのミシ ュラン三ツ星店「Le Petit Nice」へ入店し、魚介に特化した素材の 扱いやフランス料理の技術を習得。帰国後には日本を代表する名店 「カンテサンス」にて、ガストロノミーの基礎ともなる、食材の最適 調理や火入れなどさらに研鑽を積んだ。2015 年、「abysse」をオープ ン。日本で獲れる世界トップクラスの魚介類を使用し、魚介に特化し たフランス料理を提供し、ミシュラン東京では一つ星を獲得している。
abysse HP:https://abysse.jp/

1952年アメリカで生まれ、1964年に初来日。イエール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県東祖谷で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後茅の吹き替え等を通して、地域の活性化に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、ちいおり有限会社設立。執筆、講演、コンサルティング等を開始。1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人ちいおりトラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)を執筆。現在は、全国各地で地域活性化のコンサルティングを行っている。

4人のナビゲーターとともに巡る旅。春夏秋冬、1年を追いかけた南会津のツアーを開催![NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/福島県南会津郡]

ニュージェネレーションホッピング南会津OVERVIEW

『ONESTORY』は、2018年から1年以上にわたり、南会津とその周辺を旅してきました。
【関連記事】NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

写真家であり作家の小林紀晴氏との旅は、春夏秋冬を巡ったゆえ、桜、新緑、紅葉、雪景色と、同じ街とは思えないほど豊かな風景と出合うことができました。小林氏の実体験の写真紀行は、自身も発見の連続だったそうです。更には、取材以外でも足しげく通い、写真を撮り続けていたと言います。特に祭りと雪山には虜にされたようです。

そして、東洋文化研究家であり作家のアレックス・カー氏の旅は、世界を見てきたアレックス氏ならではの視点から南会津の価値を見出してきました。観光地として有名な『大内宿』はもちろん、日本の伝統でもある茅葺きは、アレックス氏をして「日本中、いや世界中探してもこんな立派な茅葺きはない」と言わしめたほどです。

また、旅する中で出会った地域の人々と深い関係を築いていけたのも、1年以上通い続けたからだと思います。中でも、南会津のCAFE JI*MAMA』店主の五十嵐大輔氏と会津若松のイタリアン『ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ』店主の矢澤直之氏の存在は大きかったです。彼らから輪が広がり、この特集が成立したと言っても過言ではありません。

五十嵐氏は、お店を営む傍ら、地元を活性化させるために「大宴会」という音楽イベントを主催し、矢澤氏は、地元の食材をできる限り取り入れ、地元とのつながりをつくっています。

両人に共通していることは、地域を活性化させるために自ら率先して行動しているということです。地元を盛り上げたい。ただその一途な思いがそうさせているのです。
今回は、小林紀晴氏、アレックス・カー氏、五十嵐大輔氏、矢澤直之氏の4人がそれぞれナビゲートする春夏秋冬の会津のツアーを実施!

日本はもちろん、世界中を旅する達人から地元のエキスパートまで。彼らが伝えたい街の魅力とは何か!? 案内したい会津とはどこなのか!? そして、それは一体どんな旅になるのか!?
ぜひこの機会にご参加頂きたいと思います。



(Supported by 東武鉄道

「何もしない」という過ごし方が、どんな体験よりも印象に刻まれる。人気雑貨店が手がけたオーシャンビューのゲストハウス。[bbb haus/福岡県糸島市]

スリービーハウスOVERVIEW

2018年2月、福岡県糸島市の海沿いにゲストハウスが誕生しました。客室はわずか5室。しかしそれぞれの部屋はもちろん、ラウンジやダイニングからも日本海を一望する館内は、すべての場所が特等席。この気持ちの良い空間でゲストは日常を離れ、思い思いの時間に浸ることができるのです。

このゲストハウスを手がけたのは福岡市薬院にある人気雑貨店『B・B・B POTTERS』。1991年のオープンから機能的で日常に取り入れやすい雑貨だけをセレクトし続け、街の発展にも一役買った名店です。

しかし実際に糸島を訪ねてみると、その事前情報から想起するイメージとは若干異なりました。雑貨店が手がけたゲストハウスだからといって、おしゃれな雑貨を並べて表面を取り繕っただけの宿ではありません。海と木々と素敵なモノに囲まれ、日常を離れた時間に浸る。そんな特別な体験を提供すべく、無駄を省きシンプルにまとめられた施設なのです。

ただ波の音に包まれるだけの穏やかな時間。ローカルな海の景色を眺めながら味わう地元の食材。“何もしないこと”を誰に咎められるでもないという贅沢。忙しい毎日との落差があるほど、より心に刻まれる体験。誰しもの人生において、きっと何かのきっかけとなりそうなゲストハウス、その魅力をご紹介します。

住所:〒819-1323 福岡県糸島市志摩小金丸1897 MAP
電話:092-327-8020
bbb haus HP:http://www.bbbhaus.com/

国産檜の香りに包まれながら、至福の眠り体験を、奈良で。[奈良の森ホテル/奈良県奈良市]

吉野産を筆頭に、国産檜を100%使用したエントランス。熟練の宮大工の技術で「奈良の森」を表現。

奈良の森ホテル「和の造り」にこだわったハイグレードなカプセルホテル。

せっかく旅に出るなら、優雅で快適な宿に泊まりたい。でも出費はなるべく抑えたいし、スタッフにあまり構われずに自由気ままに過ごしたい――そんな今時の旅のニーズに応えてくれるホテルが、近鉄奈良駅から徒歩2分の好立地にオープンしました。

『奈良の森ホテル』。国産檜(ひのき)をふんだんに使用した、至福の眠り体験が味わえるカプセルホテルです。吉野産を筆頭とした国産檜を、寝室・エントランス・廊下の天井などに贅沢に使用。檜の爽やかな香りに包まれながら、オーダーメイドベッドをはじめとする様々な快眠グッズを取り揃えた空間で、ゆったりくつろげます。

カプセルフロアは男女別になっているほか、1~2名用の個室やグループで貸しきれるドミトリーもあるので、プライバシーが気になる人も安心。さらに、旅ならではの交流を楽しみたい人や、気さくに情報交換をしたい人は、旅館のラウンジのような共用休憩エリアもあります。

お望みのスタイルでくつろげる、新感覚の「高級カプセルホテル」。奈良公園や東大寺などの観光スポットにも近く、奈良の観光に最適です。

柔らかな灯りに照らされた心地よい空間(フロント・共用休憩エリア)。

防虫・殺菌作用に優れた檜が快適な眠りをもたらす(カプセルフロア)。

ゆったりとした特注のベッドはふかふかの寝心地(100cm×197cm×13cm)。

奈良の森ホテル奈良の建築を象徴する檜をふんだんに使用!

檜には、優れた防虫・殺菌作用があります。古くから建材や家具に使われてきた歴史があり、近年では、“フィトンチッド”と呼ばれる香り成分によるリラクゼーション効果も注目されています。そんな国産檜を随所に使用した『奈良の森ホテル』は、まるで森林浴をしているかのように安らげる空間です。

世界最古の木造建築として知られ、1300年以上もの歴史を誇る五重塔にも檜が使われています。同じ奈良にオープンした『奈良の森ホテル』も、その和の技術と精神を受け継いでいるのです。

随所に凝らされた和の意匠が心身の落ち着きをもたらす。

1名用の個室(男女混合フロア)。小さめのデスク付きで施錠もできる。

奈良の森ホテル設備やアメニティも充実! 手ぶらで気軽に泊まれる利便性。

もちろん、宿泊に必要なアメニティや設備も充実しています。

ナイトウェア(館内着)・タオル・バスタオルが各1点ずつ支給されるほか、男女別のシャワールームには、シャンプー・コンディショナー・ボディーソープを設置。やはり男女別のパウダールームのうち、女性用にはクレンジング・洗顔フォーム・化粧水・乳液まで完備しています。
その他、歯ブラシやカミソリ・櫛などのアメニティ類は、フロントでお一人様各1セットずつもらうことができます。

さらに大型の荷物を置けるバゲージスペース(ケーブル錠付き/数に限りあり)や、貴重品を安心して預けられるセキュリティーBOXもあり、奈良観光を手ぶらで満喫することができます。
なお、ベッド数は合計69床で、最大70名を収容可能。個人でもグループでも気軽に予約できます。

やはり木のしつらえにこだわった、清潔感あふれるシャワールーム(4F・男性専用)。

女性用のパウダールームには、化粧水や乳液も完備。

1~4名が一律料金で泊まれるお得なドミトリー。家族やグループでの利用がおすすめ。

奈良の森ホテル忙しい朝もゆったり落ち着いた朝食を。

スピーディーで行動的な旅を楽しみたい人には、食事の有無も大きなポイントのひとつです。忙しい朝やゆったり過ごしたい夜にレストランを探して街をさまようのは、大きなタイムロスになりかねないからです。

その点も、『奈良の森ホテル』なら安心! 1階に鮨や天婦羅を楽しめる食事処『魚いち』があり、宿泊と食事のセットプランも用意されています(朝食はジャパニーズスタイルかアメリカンスタイルのブッフェを選択/7:00~9:00)なお、夜は奈良の地酒や各種アルコールと共に、職人が手ずから握る鮨や、贅沢な定食、丼もの、一品料理などを味わえます。

また、気候が暖かくなる頃には、奈良市初の屋上ビアガーデン『やまとの空』をオープンする予定。歴史ある古都の風情あふれる夜景を眺めながら、爽快な屋上BBQを楽しめます。

1Fの食事処『魚いち』。宿泊者のみの朝食タイム(7:00~9:00)に加えて、10~14時、17~20時に営業している(年中無休)。

奈良の森ホテル日本ならではの木造文化の良さを、多くの人々に感じてほしい。

『奈良の森ホテル』を運営するのは、奈良で建築・飲食業・観光旅行業などを営む『Motoike-Trading Company』です。同社の社長・元池千弘氏が、「出身地でもある奈良県・吉野町の檜をふんだんに使ったホテルを造り、日本の木造文化の良さを多くの人々に感じてもらうことで、吉野地域の活性化につなげたい」という想いで企画したそうです。

その想いを体現するかのように、『奈良の森ホテル』には、エントランスからラウンジ、客室からシャワールームに至るまで、内装の約9割に吉野産を中心とした国産檜を使用。ヒノキチオールに代表される“テルペン類”という芳香を放つ檜は、目に美しいだけでなく、心身ともにリラックスさせてくれます。

旅に疲れた体に、日本ならではの木造文化の癒しを与えてくれるホテル。利便性に富みながらも、心ゆくまでくつろげる空間です。

旅の利便性を叶えながら、心豊かなくつろぎの時間を過ごせる。

住所:奈良県奈良市角振町31−1 モトイケビル(受付3階) MAP
電話:予約専用ダイヤル:0742-23-0840(受付時間:10:00~20:00)
ホテル代表電話:0742-24-1170(受付時間:10:00~20:00)
料金:大人1名 1泊 4,600円〜
チェックイン:15:00~
チェックアウト:6:00~10:00(1時間毎に1,000円(税別)にて最大2時間(昼12時まで)延長可)
※全室、小学生以下のお子様はお泊り頂けません。
※清掃などの管理のため、10:00~15:00までは寝室エリアへの立ち入りはできません
(連泊であっても一旦外出をお願いいたします)
(1F宿泊者専用ロッカーのご利用は可能ですので、お荷物のお預けにご利用ください)

祐真朋樹が体験する「食べるシャンパン」。プレステージ・シャンパーニュが叶える掛け算のおいしさ。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・すし㐂邑/東京都二子玉川]

『すし 㐂邑』の木村康司氏(左)と、スタイリストの祐真朋樹氏。味づくり、スタイリングにかける想いを語り合う。

すし 㐂邑 × 祐真朋樹料理との組み合わせで、味わいが膨らむ「食べるシャンパン」。

『テタンジェ』の至宝ともいえるトップキュヴェ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」。フレッシュで洗練された果実味、熟した果実の香り。滑らかで、生き生きとした躍動感があり、グレープフルーツとスパイスのニュアンスを感じる洗練された味わいは、料理と合わせることで、おいしさが何倍にも増幅します。いわば「食べるシャンパン」。

『テタンジェ』を、料理とのペアリングで、ワンランク上の味わいに。「食べるシャンパン」を検証すべく、二子玉川の『すし 㐂邑』の木村康司氏に「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」に合うひと品を提案してもらいました。『すし 㐂邑』は熟成により旨みを最大限に引き出す熟成鮨のパイオニアであり、食通たちが通う予約至難の名店。ひと品、一貫に合わせた酒の提案にも定評があります。

至福のマリアージュを体験するのは、スタイリストの祐真朋樹氏。雑誌や広告のスタイリングディレクションのほか、有名タレントのスタイリングも数多く手掛けるトップスタイリスト。シャンパーニュには一家言ある、大のシャンパーニュラヴァーでもあります。

それぞれが上質であること、「合わせる」ことで生まれる「1+1=2」以上の可能性。ふたりが感じたコント・ド・シャンパーニュの魅力から、ペアリングの話、食の枠を超えた仕事論まで、話は盛り上がります。

【関連記事】テタンジェ/食べるシャンパン。それは、ひとりでは完結しないシャンパーニュ。

1734年の創業以来、フランス国内はもとより、世界中で愛され続けているシャンパーニュ『テタンジェ』は、経営するファミリーの名を社名に掲げる、大手では希少な家族経営のシャンパーニュメゾン。「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」はシャルドネ100%でつくられるトップキュヴェ。

ワタリガニのシャンパーニュ漬け。ワタリガニを生きたまま4日間塩漬けし、塩抜きして少し乾燥させてから、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」とグラッパを8対2で合わせ、フェンネルシードを加えた地に16日間漬け込む。

味噌や内子などの濃厚な旨みを丸ごと。余韻は長いが、キレ味もあり、香り、味わいともに「コント・ド・シャンパーニュ」と寄り沿い合う。

決して人の仕事を真似ず、自分自身で考え、試行錯誤を経て完成させるつまみやにぎりはワン・アンド・オンリーの味わい。

すし 㐂邑 × 祐真朋樹上質なシャンパーニュの熟成感、厚みのある味わいが濃厚なつまみと相乗。

「『コント・ド・シャンパーニュ』を味わったときに感じたのは、熟成の長いプレステージ・シャンパーニュならではの味の深み、奥行き、そして余韻の長さ。これなら私が作るつまみ、そして熟成鮨にもマッチすると確信しました」と、話す木村氏。

今回、提案してくれたのは、「ワタリガニのシャンパン漬け」。活けのワタリガニを塩漬けにし、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」と少量のグラッパを合わせた地に漬け込んだ贅沢なひと品です。

「隠し味に加えたフェンネルシードのスパイシーさが、シャンパーニュの複雑味とマリアージュします。少量のグラッパを合わせることで味わいの輪郭がしっかりし、シャンパーニュの甘みを引き出してくれます」。
「良い酒は、温度変化に柔軟」が木村氏の持論。純米酒を燗酒メインで提供するように、シャンパーニュも「冷やしすぎない温度帯」を推します。

「造りのいいシャンパーニュは、少し高めの温度で、香り、味わいがいい状態に開きます。少し高めの温度のほうが、濃厚な味わいと、いっそうマリアージュするはずです」。

「シャンパーニュはただ美味しいだけではなく、気分も高揚させてくれる特別なお酒です」と、話す祐真氏。

グラスの中で美しく立ち上るきめ細やかな泡が、滑らかでスムースな口当たりを叶える。

木村氏のクリエイティビティが生きたつまみに、終始うなりながら、箸を持つ手が止まらない祐真氏。

すし 㐂邑 × 祐真朋樹ペアリングで開かれた、シャンパーニュの新しい味わいの扉。

コレクションウィークのカクテルパーティーに参加することも多い祐真氏は、大のシャンパーニュ好きを自称します。「シャンパーニュには、人との距離を縮めてくれる潤滑油的な役割があると思います」とも。国籍や言葉が異なる人々が一同に会する場面でも、「シャンパーニュがあればコミュニケーションが成り立ちます」と話します。
「『コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン』は、口当たりが滑らかで、とても上品かつリッチな味わい。スタイリストだからワインやシャンパーニュの“ジャケ買い”は常だけれど、シックなボトルやラベルのデザインにも惹かれます」。

また、祐真氏がテタンジェで思い出すのは、映画『007』シリーズのあるエピソードだといいます。
「トム・フォードが衣装を担当した回で、主人公が愛飲するシャンパーニュが『テタンジェ』。以降、テタンジェがより思い入れのあるシャンパーニュになりました」。

とは言え、「フレンチ以外の料理で味わう経験は、これまでにあまりありませんでした」とも話します。『すし 㐂邑』の「ワタリガニのシャンパーニュ漬け」を味わい、「これ、止まらなくなります!」と、絶賛する祐真氏。
「江戸前鮨とシャンパーニュの相性って正直どうかな……、合うとしても淡泊な白身魚くらいかなと思っていたので、これは驚きです。味わいが深いところで響き合います。もうこれ以外の組み合わせがないと思えるほど!」と、再び、「コント・ド・シャンパーニュ」のグラスを口元へ。新しい味覚の扉が開かれたようです。

フィールドは違えど、高いプロ意識を仕事に貫くふたり。話もおのずと響き合う。

すし 㐂邑 × 祐真朋樹造り手や背景のストーリーを知ることで、仕事の精度を上げていく。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」と木村氏の鮨やつまみは、「上質な素材」と「惜しみなくかけられた手間」に加えて、「熟成」という時間の概念がぴたりと重なり合います。技術だけではできない、「時を味わう」愉楽が共通するのです。

至福のマリアージュを体験し、木村氏の仕事に感銘を受けた祐真氏は、料理と酒の合わせ方について、改めてその極意を木村氏に尋ねます。

「味わいに関しては、酒単体ではなく、つまみやにぎりと合わさることで、味わいを高めてくれるものが大前提です。今回の“食べるシャンパーニュ”と同じですね。加えて、知名度や世間の評価に関係なく、自分で味を見て、造り手の人となりを知って選んだものを自分の鮨にどう合わせるかを常に考えています」と木村氏。
共感を示すように、祐真氏は大きくうなずきます。

「“造り手を知る”ことは、私の仕事においても重要。なぜこの生地を、ディテールを選択したのか。調べて、あるいは実際に会って言葉を交わして知ることで、スタイリングのアプローチが変わります。それが結局何のためか、と問われれば、着せる相手を喜ばせるため。木村さんが、食べ手のことを考えて、鮨をにぎり、酒を選ぶように」と祐真氏。

気鋭の鮨職人とトップスタイリスト。「食べるシャンパン」を通じて生まれた交歓から、お互いの仕事論を確かめ合うひと時となりました。

 

(supported by TAITTINGER

住所:〒158-0094 東京都世田谷区玉川3-21-8 MAP
電話:03-3707-6355
営業時間:[火・木~土]17:30~19:30 19:30~22:00(2部制) [水・日]12:00~14:00 17:30~19:30 19:30~22:00(3部制)
※日曜営業
すし 㐂邑 HP:http://www.sushikimura.tokyo/

1965年京都府産まれ。雑誌・広告のタレントを手がけるファッションエディター。21歳で上京し、アシスタントの後スタイリストとなる。雑誌『POPEYE』や『MEN'S NON NO』などのディレクションから、広告タレントのスタイリングも手掛ける。
祐真朋樹 HP:http://www.sukezane.net/

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけてお掛けください。
お客様からいただきましたお電話は、内容確認のため録音させていただいております。

TAITTINGER HP:http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

岐阜LOVE、飛騨牛LOVE。日々“適切な熟成”を緻密かつマニアックに、愛した肉の旨さを全身全霊で極限まで引き出す焼肉店。[焼肉 旬やさい ファンボギ/岐阜県岐阜市]

飛騨牛にはじまり、豚、鶏、馬、羊やジビエなどさまざまな肉を、しかも部位ごと、状態ごとに熟成を変えて“育てて”いる。

焼肉 旬やさい ファンボギOVERVIEW

日本本州のほぼ中央に位置する岐阜県。その中心部である岐阜駅からごく数分の商店街に、全国から肉マニアが足を運ぶ焼肉店があります。その名は、『焼肉 旬やさい ファンボギ』です。

店主の高橋樗至(のぶゆき)氏は、自身の肩書きに“熟成師”の冠を付けるほか、“MANIAC BEEF LABO“という屋号でディープすぎる精肉販売の業務も行っているほど。いわゆる普通の焼肉店ではないオーラを全面に打ち出しているのです。

しかしそれは、取り扱う肉の種類を聞いただけで、早くも納得せざるを得ないラインナップ。
牛肉は地元・岐阜の飛騨牛を中心に、豚・鶏・馬・羊も居並びます。また狩猟シーズンを迎える冬季以降は、猪・鹿・熊・鴨・野鳥各種といったジビエも豊富に出揃うというのです。しかもそれらはすべて、その時々に完璧なピーク状態を迎えるよう、適切な熟成とカットが施されています。

そんな、あまりにマニアックな高橋氏の肉愛は、なんといってもダントツで飛騨牛に注がれています。生まれ育った岐阜を愛し、その地で育った飛騨牛を心底愛するというのは、地元愛の強い人ならばごく自然なこと。しかし実は、かつてはまったくと言ってもいいほど、ことブランド牛には関心がなかったとか。それがとある人物たちとの出会いや繋がりから、いまや全身全霊をかけて応援するほどの飛騨牛伝道師へと生まれ変わったのです。果たして高橋氏に、いったい何が起きたのでしょうか。

今回のONESTORYでは、高橋樗至という人物が、普通の焼肉店店主から一転、“変態肉マニア”などと愛を持って呼ばれるようになった今日までの軌跡と、型破りなまでのやんちゃすぎる挑戦を、お伝えしたいと思います。

住所:〒500-8843 岐阜県岐阜市住田町2丁目3 南陽ビル MAP

電話: 058-213-3369

「こども達が5月5日を待ち望むような花火大会を目指して」。[土佐横浜みなと未来祭り/高知県高知市]

色鮮やかな花火や最新式の時間差(時差式)花火も上がっています。

土佐横浜みなと未来祭り遠い夏の日にタイムスリップ。

今年5回目を迎える土佐横浜みなと未来祭りは5月5日子供の日に開催され子供たちが待ち望むような花火大会を目指しているそうです。この花火大会に興味を持ったのは私の出身地である神奈川県横浜市と同じ横浜という地名です。高知県にも横浜があると知り親近感がわき行ってみたくなりました。そこは南国らしい穏やかな風が気持ちの良い静かな港町でした。花火大会の会場には自転車で友人と連れ立ってやって来る中学生や高校生くらいの若い人達で溢れていました。高校2年の夏休みに友人と行った花火大会で初めて花火を間近で観て衝撃を受けた瞬間を思い出す、そんな雰囲気を感じました。会場を散策していると地元のお年寄りが声をかけてくださいました。その方はずっとこの地に住んでおられ、子供の頃はあの島まで泳いで行ったものだと少し離れた小さな島を指さしました。泳ぎの苦手な私にとってはかなりの距離に感じましたが懐かしそうに話す姿はその方にとっての武勇伝のようでした。

花火が設置してある玉島。

土佐横浜みなと未来祭り地形を生かした打上場所。堤防、島、台船。

土佐横浜みなと未来祭りは昨年まで灘漁港会場と仁井田臨海会場の二ヶ所を会場として開催されていましたが、今年から三里地区の仁井田臨海会場のみの開催に変更になったそうです。正午よりお祭りが始まり、高知県の代名詞とも言えるよさこい踊りなどのイベントが行われます。地元の名産品がいただける屋台もあります。土佐あかうし、しまん豚、土佐はちきん地鶏などお肉好きにはたまりません。

打ち上げ場所は堤防、少し離れた島、海に浮かべた台船の三ヶ所です。明るい時間に双眼鏡で島を見ると多くの打上筒が設置してある様子が確認できました。

花火はスターマインを中心に一ヶ所から打ち上がったり、時には華やかなワイドスターマイン、またレーザー光線を使用した演出もあり見応えがありました。会場アナウンスで丁寧に玉名を紹介しながらゆっくりと単発打ち上げで芸術玉を楽しめる贅沢な時間も見逃せません。打ち上げを担当されているのは鹿児島県の太洋花火さんです。

エンディングは錦冠菊花火や銀冠菊花火を幅広く豪華に打ち上げていました。

土佐横浜みなと未来祭り祭りの後の方がキレイを目標に。

ここでは「祭り前より祭り後の方がキレイになるお祭り」を目標にしていらっしゃるそうです。なんて素敵な考え方だろうと思いました。実際に花火大会後の会場がゴミだらけという場面によく遭遇します。そんな姿を見る度に悲しい思いになります。美しい花火を見せてくれた街を汚して帰るなんて悲し過ぎます。花火大会を開催するという事は本当に大変です。準備段階から様々な困難を乗り越えて開催にこぎつける。開催後も後片付けなど作業が山積みです。多くの方々が関わり努力の末に開催される花火大会。出来ればその花火大会や開催地の街を応援する気持ちをお持ちただけたら嬉しいです。その街を大切に思い、好きになっていただけたら幸いです。そんな気持ちを表す一つの方法が会場を汚さないこと、ゴミを出さないことではないでしょうか。これは土佐横浜みなと未来祭りに限らず何処の花火大会でも同じです。花火大会毎にゴミのルールは違いますので各々ご確認の上ご対応いただければと思います。綺麗な会場で気持ちよく花火を観覧出来ればきっと良き思い出としていつまでも心に残ることでしょう。それがひいては子供たちが待ち望む花火大会へと発展して行くのではないかと考えます。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

場所:三里地区 仁井田臨港会場(グリーンパワー周辺の海岸沿い) MAP
日時:5月5日 19:30~20:45 ※お祭りは12:00スタートです。
土佐横浜みなと未来祭り HP:http://kochi-minatomirai.com/

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

東京からわずか2時間弱の絶景グランピング! たまには、何もない贅沢を。[妙義グリーンホテル&テラス/群馬県富岡市妙義町]

妙義山の「モルゲンロート」。曙光(しょこう)がまず尾根筋を照らし、赤く、鮮やかに山全体を染め上げていく。

妙義グリーンホテル&テラス日本離れした雄大な景観と、快適なアウトドア体験の両立。 

雄大な景色、野原を吹き渡る風、自然と存分に触れ合いながらのBBQ――そんなアウトドアの醍醐味に心惹かれながらも、準備の大変さや設備の不便さを気にしている方は多いかもしれません。

そんな気がかりを解消した上で、極上のアウトドア体験をかなえてくれる施設が群馬に誕生しました。
日本三大奇景のひとつ、妙義山の麓(ふもと)にオープンした『妙義グリーンホテル&テラス』。山水画を思わせる妙義山の絶景を望みながら、爽快な大自然の中で存分に寛げる「グランピング場」です。

グランピングとは、「グラマラス(魅惑的な)」と「キャンピング」を掛け合わせた造語。アウトドアの大きなハードルである不便さを解消して、充実した設備と至れり尽くせりのサービスにサポートされながら、自然の素晴らしさを満喫できます。

近年、全国各地にオープンしているグランピング場。その中でも際立った景観を誇る『妙義グリーンホテル&テラス』の魅力を、余す所なく探ってみました。

テントでありながらホテルのように快適な設備(「スタンダードテント」の内部)。

キャンピングトレーラーの最高峰として名高い「エアストリーム」も設置。

「ラグジュアリーテント」のパーゴラから妙義山を望む。

妙義グリーンホテル&テラス準備や後片付けに悩まされない極上のアウトドア体験。

「グランピング」の魅力は、充実した設備と行き届いたサービスにあります。
アウトドア・レジャーの一種でありながら、ホテル並みの快適さを実現。思い立ったら即サービスを受けられ、手ぶらで楽しめます。

『妙義グリーンホテル&テラス』も、もちろんこの快適さを実現。
テントやキャンピングトレーラー内にはベッド・テーブル・ダイニングセット・ドレッサー等の家具を設置し、冷暖房も完備しています。更に、これらの宿泊棟は広大な敷地の中にわずか10棟しかないという贅沢さ! 観光地にありがちな喧騒に悩まされることなく、週末や連休でもゆったりと寛げます。

ラグジュアリー・タイプの夕食BBQ。希望や連泊時の選択によってホテルでのディナーも可能。

目覚めの体に優しい朝食ボックス。爽快な空気と共に味わいたい。

妙義グリーンホテル&テラスアウトドア・グルメの良いところ取り! ケータリング感覚で楽しめるBBQ。

また、夕食はケータリング感覚で楽しめるBBQとなっています。アメリカ製のBBQグリル「ウェーバー」を使う本格派でありながら、準備や後片付けはスタッフにおまかせ! 「焼いて食べる」というアウトドアの醍醐味だけを、存分に楽しめます。

食材は上州牛や上州もち豚をはじめ、群馬産を基本に旬の野菜やデザートを提供。更に、それらに適したワインもオプションでつけられます(2019年4月中旬から実施)。メニューは季節ごとに変わるため、何度訪れても新鮮に味わえます。

妙義山の「モルゲンロート」を鑑賞した後の朝食は、焼きたてのパンと野菜たっぷりのスープやサラダがボックスで届けられます。爽やかな朝の空気の中で、かぐわしいコーヒーとともに味わえます。希望や天候によっては、夕食ともどもホテルでのバイキングやディナーに切り替えることもできます。

気になる入浴や洗顔は快適なシャワー棟で。

約1km離れたホテルの天然温泉を自由に利用できる(徒歩約15分/19:30〜21:30は送迎バスあり)。

バー併設のレセプション棟。チェックインやアウト、観光案内などのほか、ソフトドリンクやアルコールの提供も行っている。

妙義グリーンホテル&テラス曇りや雨でも快適! 妙義山というロケーションの恩恵。

また、天候やシーズンに左右されない快適さも、グランピングと『妙義グリーンホテル&テラス』の魅力です。

宿泊・入浴ともに充実した設備を利用でき、併設のホテルの設備も利用できます。更に少々の雨では損なわれない妙義山の魅力も、アウトドアの満足感を与えてくれます。

雲を纏い、雨にけぶる景色も、まるで日本画のような美しさ。森閑としたわび・さびはどんな天気でも失われません。時間や季節によって万華鏡のような表情を見せてくれる山と向き合い、眺めることで、まるでメディテーション(瞑想)のような充実感が得られます。

ダイナミックかつ多面的な魅力を見せてくれる妙義山を視界に独り占め!

刻々と変化する姿に心を奪われる。

妙義グリーンホテル&テラス絶景と非日常の体験に存分に浸る。

更に敷地内だけでなく、周辺の楽しみも豊富です。
車で約1時間以内の圏内にあらゆるレジャースポットや観光スポットが存在。年齢やグループの構成を問わずに、心ゆくまで遊び尽くせます。

ウォーキングや登山に最適な妙義山はもちろん、その麓にあるパワースポットの妙義神社、効能豊かな妙義温泉、様々なショップやアウトレット等が豊富な軽井沢、世界遺産に登録された富岡製糸場など、何日滞在しても飽きません。

また、春は近場の『森林公園さくらの里』など、桜の名所も多数。夏は妙義山・軽井沢・浅間山・鬼押し出し園などでのアウトドア、秋は眼前の妙義山や碓氷峠(うすいとうげ)が彩られる紅葉など、オールシーズン楽しめます。

更にペットと泊まれる「ペットテント」も2棟あり、大切な家族とともにリラックスできます。

グランピング場の外にもバラエティ豊かなレジャーが待つ。

妙義グリーンホテル&テラス自然と親しむだけでなく、人と人との関係を結びなおす場としても。

「抜群のロケーションに恵まれたグランピング場ですので、訪れたお客様には目に見えるもの、見えないものを含めて自然のパワーをたっぷり感じて頂きたいですね」と総支配人の古澤 忍氏は語ります。「素晴らしい“モルゲンロート”の瞬間の空気、古くから人々を癒してきた妙義温泉、群馬の豊かな食材を使ったBBQ、これら全てからパワーをチャージして、新たな日常にお帰り頂きたいと願っています」とのこと。

更に当初の予想以上に様々なゲストが訪れたため、思いもよらなかった楽しみ方をしている人々もいるそうです。
「女子会・卒業旅行・歓送迎会・社員旅行など、想定を超えたグランピングの魅力をお客様から教えて頂いています。BBQやキャンプを通じて交流すると、人と人との距離を一気に縮める効果があるようです。そんなコミュニケーションの場としてもご利用頂けており、望外の喜びを感じております」と話す古澤氏。

発想しだいで無限の楽しみ方ができるグランピング。ただ自然と親しむだけでなく、人と人とが向き合う場としてもお勧めです。

見る人の想いを様々に映し出す威容。

妙義グリーンホテル&テラスアウトドア・シーズンに向けてプランとサービスも充実。

本格的なアウトドア・シーズンを前にして、新たなプランや企画も準備中とのこと。
5月からは、妙義山を望みながらの爽快な「朝ヨガ」を実施。既に何度かトライアルで行っており、とても好評だそうです。

その他にも、周辺の多彩なレジャースポットを含めた楽しみ方は無限大。それでいて、妙義山の雄大な懐に抱かれながら「何もしない・何もない贅沢」に浸るのも一興です。

訪れる人々に、新たな自分に出会うきっかけを与えてくれる場所。ただ眺めるだけでもマインドフルネスな想いに浸れる妙義山と向き合って、心地よい時間を過ごしてみてはいかがでしょうか?

何もしない・何もない贅沢にも浸ってみたい。

住所:群馬県富岡市妙義町菅原2678 MAP
電話:0274-73-4111(電話受付時間:9:00~19:00)
料金:1泊2食 15,000 円~(1名/1室4名利用時)
妙義グリーンホテル&テラス HP:https://www.accordiahotel.com/myogi/glamping/
写真提供:妙義グリーンホテル&テラス

東京からわずか2時間弱の絶景グランピング! たまには、何もない贅沢を。[妙義グリーンホテル&テラス/群馬県富岡市妙義町]

妙義山の「モルゲンロート」。曙光(しょこう)がまず尾根筋を照らし、赤く、鮮やかに山全体を染め上げていく。

妙義グリーンホテル&テラス日本離れした雄大な景観と、快適なアウトドア体験の両立。 

雄大な景色、野原を吹き渡る風、自然と存分に触れ合いながらのBBQ――そんなアウトドアの醍醐味に心惹かれながらも、準備の大変さや設備の不便さを気にしている方は多いかもしれません。

そんな気がかりを解消した上で、極上のアウトドア体験をかなえてくれる施設が群馬に誕生しました。
日本三大奇景のひとつ、妙義山の麓(ふもと)にオープンした『妙義グリーンホテル&テラス』。山水画を思わせる妙義山の絶景を望みながら、爽快な大自然の中で存分に寛げる「グランピング場」です。

グランピングとは、「グラマラス(魅惑的な)」と「キャンピング」を掛け合わせた造語。アウトドアの大きなハードルである不便さを解消して、充実した設備と至れり尽くせりのサービスにサポートされながら、自然の素晴らしさを満喫できます。

近年、全国各地にオープンしているグランピング場。その中でも際立った景観を誇る『妙義グリーンホテル&テラス』の魅力を、余す所なく探ってみました。

テントでありながらホテルのように快適な設備(「スタンダードテント」の内部)。

キャンピングトレーラーの最高峰として名高い「エアストリーム」も設置。

「ラグジュアリーテント」のパーゴラから妙義山を望む。

妙義グリーンホテル&テラス準備や後片付けに悩まされない極上のアウトドア体験。

「グランピング」の魅力は、充実した設備と行き届いたサービスにあります。
アウトドア・レジャーの一種でありながら、ホテル並みの快適さを実現。思い立ったら即サービスを受けられ、手ぶらで楽しめます。

『妙義グリーンホテル&テラス』も、もちろんこの快適さを実現。
テントやキャンピングトレーラー内にはベッド・テーブル・ダイニングセット・ドレッサー等の家具を設置し、冷暖房も完備しています。更に、これらの宿泊棟は広大な敷地の中にわずか10棟しかないという贅沢さ! 観光地にありがちな喧騒に悩まされることなく、週末や連休でもゆったりと寛げます。

ラグジュアリー・タイプの夕食BBQ。希望や連泊時の選択によってホテルでのディナーも可能。

目覚めの体に優しい朝食ボックス。爽快な空気と共に味わいたい。

妙義グリーンホテル&テラスアウトドア・グルメの良いところ取り! ケータリング感覚で楽しめるBBQ。

また、夕食はケータリング感覚で楽しめるBBQとなっています。アメリカ製のBBQグリル「ウェーバー」を使う本格派でありながら、準備や後片付けはスタッフにおまかせ! 「焼いて食べる」というアウトドアの醍醐味だけを、存分に楽しめます。

食材は上州牛や上州もち豚をはじめ、群馬産を基本に旬の野菜やデザートを提供。更に、それらに適したワインもオプションでつけられます(2019年4月中旬から実施)。メニューは季節ごとに変わるため、何度訪れても新鮮に味わえます。

妙義山の「モルゲンロート」を鑑賞した後の朝食は、焼きたてのパンと野菜たっぷりのスープやサラダがボックスで届けられます。爽やかな朝の空気の中で、かぐわしいコーヒーとともに味わえます。希望や天候によっては、夕食ともどもホテルでのバイキングやディナーに切り替えることもできます。

気になる入浴や洗顔は快適なシャワー棟で。

約1km離れたホテルの天然温泉を自由に利用できる(徒歩約15分/19:30〜21:30は送迎バスあり)。

バー併設のレセプション棟。チェックインやアウト、観光案内などのほか、ソフトドリンクやアルコールの提供も行っている。

妙義グリーンホテル&テラス曇りや雨でも快適! 妙義山というロケーションの恩恵。

また、天候やシーズンに左右されない快適さも、グランピングと『妙義グリーンホテル&テラス』の魅力です。

宿泊・入浴ともに充実した設備を利用でき、併設のホテルの設備も利用できます。更に少々の雨では損なわれない妙義山の魅力も、アウトドアの満足感を与えてくれます。

雲を纏い、雨にけぶる景色も、まるで日本画のような美しさ。森閑としたわび・さびはどんな天気でも失われません。時間や季節によって万華鏡のような表情を見せてくれる山と向き合い、眺めることで、まるでメディテーション(瞑想)のような充実感が得られます。

ダイナミックかつ多面的な魅力を見せてくれる妙義山を視界に独り占め!

刻々と変化する姿に心を奪われる。

妙義グリーンホテル&テラス絶景と非日常の体験に存分に浸る。

更に敷地内だけでなく、周辺の楽しみも豊富です。
車で約1時間以内の圏内にあらゆるレジャースポットや観光スポットが存在。年齢やグループの構成を問わずに、心ゆくまで遊び尽くせます。

ウォーキングや登山に最適な妙義山はもちろん、その麓にあるパワースポットの妙義神社、効能豊かな妙義温泉、様々なショップやアウトレット等が豊富な軽井沢、世界遺産に登録された富岡製糸場など、何日滞在しても飽きません。

また、春は近場の『森林公園さくらの里』など、桜の名所も多数。夏は妙義山・軽井沢・浅間山・鬼押し出し園などでのアウトドア、秋は眼前の妙義山や碓氷峠(うすいとうげ)が彩られる紅葉など、オールシーズン楽しめます。

更にペットと泊まれる「ペットテント」も2棟あり、大切な家族とともにリラックスできます。

グランピング場の外にもバラエティ豊かなレジャーが待つ。

妙義グリーンホテル&テラス自然と親しむだけでなく、人と人との関係を結びなおす場としても。

「抜群のロケーションに恵まれたグランピング場ですので、訪れたお客様には目に見えるもの、見えないものを含めて自然のパワーをたっぷり感じて頂きたいですね」と総支配人の古澤 忍氏は語ります。「素晴らしい“モルゲンロート”の瞬間の空気、古くから人々を癒してきた妙義温泉、群馬の豊かな食材を使ったBBQ、これら全てからパワーをチャージして、新たな日常にお帰り頂きたいと願っています」とのこと。

更に当初の予想以上に様々なゲストが訪れたため、思いもよらなかった楽しみ方をしている人々もいるそうです。
「女子会・卒業旅行・歓送迎会・社員旅行など、想定を超えたグランピングの魅力をお客様から教えて頂いています。BBQやキャンプを通じて交流すると、人と人との距離を一気に縮める効果があるようです。そんなコミュニケーションの場としてもご利用頂けており、望外の喜びを感じております」と話す古澤氏。

発想しだいで無限の楽しみ方ができるグランピング。ただ自然と親しむだけでなく、人と人とが向き合う場としてもお勧めです。

見る人の想いを様々に映し出す威容。

妙義グリーンホテル&テラスアウトドア・シーズンに向けてプランとサービスも充実。

本格的なアウトドア・シーズンを前にして、新たなプランや企画も準備中とのこと。
5月からは、妙義山を望みながらの爽快な「朝ヨガ」を実施。既に何度かトライアルで行っており、とても好評だそうです。

その他にも、周辺の多彩なレジャースポットを含めた楽しみ方は無限大。それでいて、妙義山の雄大な懐に抱かれながら「何もしない・何もない贅沢」に浸るのも一興です。

訪れる人々に、新たな自分に出会うきっかけを与えてくれる場所。ただ眺めるだけでもマインドフルネスな想いに浸れる妙義山と向き合って、心地よい時間を過ごしてみてはいかがでしょうか?

何もしない・何もない贅沢にも浸ってみたい。

住所:群馬県富岡市妙義町菅原2678 MAP
電話:0274-73-4111(電話受付時間:9:00~19:00)
料金:1泊2食 15,000 円~(1名/1室4名利用時)
妙義グリーンホテル&テラス HP:https://www.accordiahotel.com/myogi/glamping/
写真提供:妙義グリーンホテル&テラス

時間をかけて紡いだ糸の先に、かけがえのない喜びが生まれる。[Sartoria Cavuto/石川県七尾市]

日本の建築美を感じる、こだわりのアトリエにて。

サルトリア カブート

日本海に突き出た石川県の能登半島。その中心に位置する七尾市の一角に、イタリア・フィレンツェ帰りのテーラー・甲 祐輔氏によるオーダースーツの名ブランド『Sartoria Cavuto(サルトリア カブート)』のアトリエがあります。後編では、イタリアでの修業時代をはじめ、甲氏の経歴をたどります。

【関連記事】Sartoria Cavuto/フィレンツェの仕立てを独自に進化させた、唯一無二の1着。

本場仕込みの技術とセンスが光る甲氏の仕立て。

サルトリア カブート城下町の風情を大切に残しながら、新たな風を吹き込む。

能登半島にあり、日本海に面した七尾市。甲氏はこの街で生まれ育ち、東京、イタリアでの生活を経て、再び戻ってきました。現在アトリエがあるのは、七尾駅から徒歩10分ほどの場所。駅前こそビルが立ち並び、交通量も多く賑やかですが、少し歩いて川を渡ると趣が変わり、風情漂う街並みが広がります。

特にメインストリートは『一本杉通り』と呼ばれ、情緒たっぷり。登録有形文化財にも指定されている古民家が軒を連ね、かつて城下町だった歴史を今に伝えています。

近年は、甲氏と同世代の若手たちが、古い町家や蔵を改装して雑貨屋やカフェ、飲食店をオープン。歴史ある建物を大切に残し、生かしていこうという動きが広まっています。築130年の古民家をリノベーションした甲氏のアトリエも、その一翼を担っているといえるでしょう。

七尾駅から少し歩くと、大きな川が流れています。

アトリエまでの道中にある、通称『一本杉通り』。

かつて城下町だった歴史が今に息づく街並み。

古風な佇まいで、街に溶け込んでいるアトリエ。

港町でもあり、少し歩けば日本海が広がります。

サルトリア カブート夢を追い求め、七尾から東京、そしてフィレンツェへ。

甲氏がアパレルの世界に惹かれたのは、高校生の頃。当初はモード系の洋服に興味を持ち、休日は金沢へショップ巡りに出かけていました。しだいに都会への憧れと、将来はデザイナーになりたいという夢が膨らみ、卒業後は東京の服飾専門学校へ進学。モード系デザインの勉強を進めていましたが、2年経った頃、その興味が大きく転換する出合いがありました。

「東京でもショップ巡りをしている中、ある日何気なく入った古着屋が、とてもお洒落で。モードなものもクラシックなものも置いてあったのですが、特にクラシックなスーツのジャケットが目に留まり、興味を惹かれました」と甲氏は振り返ります。そこから店長と話したり、雑誌などで掘り下げて調べたりするうちに、イタリアスーツの仕立てに魅了されていった甲氏。「イタリアの名立たるサルトリアの仕立てほど格好良いものはない!」と、デザイナーからテーラーへと夢が変わりました。

そして、服飾専門学校を卒業して2ヵ月後の2003年5月、甲氏は単身イタリア・フィレンツェへ。「本当はナポリ仕立てに惹かれていたのでナポリに行きたかったのですが、以前旅行でフィレンツェを訪れた際、治安の良さや、小ぢんまりとした街の規模、歴史、雰囲気が良いと感じたので、まずはフィレンツェに行くことにして。とりあえず最初の1年間は現地の語学学校に通う手続きをし、日本を発ちました」と甲氏。

卒業間近でサルトの世界に一気に魅了された甲氏。

サルトリア カブート偶然が重なりスタートした、名門工房での修行の日々。

フィレンツェに渡ると、毎日午前中は語学学校、午後は街を散策してウィンドウショッピングを楽しむ日々。そんな中で2ヵ月が経った7月のある日、1軒のサルトリアと出合います。

「現地の仕立て屋はマンションの一室でやっているような店が多くて、偶然通りかかるということはないんです。でもこの店は路面店で、入りやすい雰囲気。窓から店内を覗くと洒落たスーツや小物が並んでいるのが気になり、足を踏み入れました」と甲氏。その店こそ、世界に誇るイタリア・サルト界の名店『LIVERANO&LIVERANO(リヴェラーノ&リヴェラーノ)』だったのです。

商品を見て回り、ネクタイを3本購入したところで、意を決した甲氏。まだ片言のイタリア語を駆使し、唐突ながら「ここで働きながら勉強させてほしい」とスタッフに切り出しました。すると、店主のアントニオ・リヴェラーノ氏が現れ、幸運にも翌日から雇ってもらえることに。この即決は、実はその頃、同じく見習い志望で熱心にメールを送り続けていた日本人男性がおり、その人物と勘違いされたことに始まります。ただ、誤解は翌日すぐに解消。それでも甲氏が採用されたのは、真摯な態度に店主が胸を打たれたからに他なりません。
工房では60歳前後のテーラー4名ほどが働いており、仕切っていたのは、ナポリ郊外カゼルタ出身の、フランチェスコ・グイーダ氏。2年に1度開催される、イタリア中の州の代表が参加する仕立てのコンクール『フォルビチドーロ(金の鋏賞)』にて、2006年度に優勝した名サルトです。甲氏が入ってからは、彼がつきっきりで一から仕込んでくれました。「本当に基礎の基礎、例えば裁縫の際に中指につける指貫の使い方から。ベテラン職人というと厳しくて堅物なイメージがありますが、フランチェスコは優しい人柄でしたし、『見て学べ!』ではなく説明しながら丁寧に、少しずつステップアップする形で教えてくれました。おかげで、毎日工房に行くのが楽しみでしたよ」と甲氏は話します。

しかも、始めは端切れを使ってひたすら練習の日々……と思いきや、決してそんなことはなかったそうです。「初っ端から実際にお客様に納品するスーツの製作工程の中に入らせてもらい、実践しながら学ばせてもらいました。いつも練習だけど本番という(笑)。恵まれた環境でしたね」と甲氏は言います。

また、休日もフランチェスコ氏の自宅に招かれ、彼が個人的に受注していた仕事の手伝いに従事。そこで包み隠さず教えてくれる彼から、『LIVERANO&LIVERANO』では用いることがないナポリの技法や、様々な縫製の技術を学びました。「多種多様な経験と技術を持つフランチェスコから色々と教われる環境で、もっと彼から技術を習得したいという思いが膨らむ中、いずれはナポリへ行きたいという当初の思いは、自然と頭から離れていきました」と甲氏。

突然始まった名店での修行は、それから実に7年間にも及びました。

偶然の巡り合わせで始まった修行が現在の糧に。

文字通り一から全てを仕込んでもらいました。

重みがあり美しく仕上がる現地のアイロンは今も必需品。

サルトリア カブートフィレンツェで自身のサルトを開き、故郷へ錦を飾る。

あらゆる技術をマスターした甲氏は、『LIVERANO&LIVERANO』に入って約7年後の2010年、ひと足先に退職していたフランチェスコ氏を追って同店を退職。その後は彼の新たな職場で仕事を手伝い、大手アパレルのビスポーク部門にも約2年勤務しました。また、並行して個人的なオーダーも増えていき、合間を縫って日本に帰国すると、噂を聞きつけた日本人客からも依頼が来るように。

そして2012年、満を持して独立を果たし、自身のブランド『Sartoria Cavuto』を立ち上げたのです。そこから3年ほどフィレンツェで店を営み、帰国したのは2015年のことでした。

「実は当初の計画では、10年ぐらいイタリアで修業を積んだら帰国して、東京に出店しようと考えていたんです。でも、フィレンツェで生活する中で、価値観も変わってきて。あの街には、本当に古い建物が、昔のままの姿で残っているんですよ。地図も昔と全然変わっていませんし。そんな環境で暮らすと、体感的に古いもの、歴史あるものの良さを知り、惹かれるようになるんですよね。それこそ高校生の頃は田舎が嫌で、大都会・東京に憧れていたのに。そうやって古き良きものを大切にする街を好きになると、まさに七尾ってそういう街だということに気付いて(笑)今にいたります」と甲氏は語ります。

若い頃は何の思い入れもなかったという、古民家が軒を連ねる七尾の街並み。そこに、価値を感じるようになったことで、甲氏は晴れて故郷に凱旋することとなったのです。

広々とした空間は、時間の流れもどこかゆっくり。

名刺には石川県輪島市で作られる、紅花入りの和紙を使用。

壁には製作中のスーツがずらりと並んでいます。

サルトリア カブート時間をかけて丁寧に、喜びや感動を生む1着を仕立てる。

『Sartoria Cavuto』を立ち上げて7年。甲氏の仕立てに魅了された者は国内外に数知れず、ファンは増え続けています。甲氏曰く、「手縫いにこだわって一つひとつ丁寧に仕立てるため、どうしても1年半程かかるような状況なのですが、たくさんのお客様にオーダーいただき有難いですね。今は24時間いつでも買い物ができて、何でもすぐに手に入る便利な時代。だからこそ、逆にお客様方は、お金を払ってもすぐには手に入らないものに価値を見出してくださったり、待つ喜びを感じてくださったりしているようです」。

今後も「規模を大きくしたいなどとは思わず、自分の手で一つひとつ、丁寧なものづくりをやっていきたい」という甲氏。今日も七尾の街の片隅で黙々と、待つ楽しみ、所有する喜びを感じられる一着を、静かにゆっくりと作り上げています。

1981年石川県七尾市生まれ。東京の服飾専門学校を卒業した2003年、テーラーを志し、イタリア・フィレンツェへ。名店『リヴェラーノ&リヴェラーノ』にて、師であるFRANCESCO GUIDA(フランチェスコ グイーダ)氏の元、約7年間修行。後に、フランチェスコ氏が移籍した大手アパレルのビスポーク部門にも、師を追って約2年勤めた後、2012年に独立。『Sartoria Cavuto』を立ち上げた。2015年には帰国し、故郷に工房を開設。フィレンツェスタイルをベースに、甲氏ならではの技とセンスに溢れた一着を求め、国内外から依頼が絶えない。

住所:〒926-0808 石川県七尾市木町19-1 MAP
E-mail:cavutosartoria@gmail.com

まず伝えたい「木は食べられる」という事実。杉でつくったケーキに乗せた思いとメッセージ。[LIFULL Table Earth Cuisine/東京都千代田区]

小麦粉は使わず、杉のパウダーとアーモンドプードルで仕立てた「Eatree Cake~木から生まれたケーキ~」。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌプロジェクトの起点は、奥多摩の森を舞台にした「木を食べる」野外レストラン。

地球のため、未来のため、持続可能な食を考える――。それは単なるお題目ではなく、現代に生きる私たちすべての、危急の問題となっています。乱獲により年々漁獲高を減らす水産資源、高齢化が顕著な農林業、環境破壊やフードロス。そんな数々の問題へ切り込む第一歩として2018年10月、奥多摩の森を舞台に、LIFULL Table Presents「地球料理‐Earth Cuisine‐」プロジェクト第一弾「Eatree Plates」と銘打った野外レストランイベントが開催されました。

【関連記事】持続可能な社会を叶える未来へのひと皿。「間伐材」を味わうレストラン「Eatree Plates」開催。

プロジェクトを企画したのは、「あらゆるLIFEを、FULLに。」をコーポレートメッセージに掲げる住生活情報サービス運営企業(株)LIFULL。地球上でまだ光が当たっていない素材にフォーカスし、未来を見据えた食材の探求を目的としたこのプロジェクト。今回テーマに選ばれたのは、日本全国の山林で問題となっている間伐材でした。
奥多摩の森の中という環境、料理を担当した田村浩二氏のクリエイション、そして「木を食べる」という大胆なアプローチにより、イベントは参加者の心を動かし、社会への問題提起を果たし、喝采とともに幕を下ろしました。しかしプロジェクトはそれで終わりではありません。より多くの人に「Eatree Plates」の世界観を伝え、より多くの人の考えるきっかけをつくる。そんな思いのもと、間伐材である杉を使った前代未聞のパウンドケーキ「Eatree Cake~木から生まれたケーキ~」を世に送り出したのです。

ケーキづくりは「地球料理-Earth Cuisine-」を通して「自身の視野も意識も変わりました」と語る田村浩二氏が担当。そこでそんな田村氏と、同プロジェクトのチーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めるLIFULL川嵜鋼平氏の話を軸に、この「木のケーキ」の意義と魅力を考えてみましょう。

「LIFULL Table Earth Cuisine」プロジェクトの第一弾は間伐材を食べる「Eatree Plates」。

森の中で木のフルコースを食べる稀有なる体験。会場を照らす照明も間伐材でつくられた。

一品目は木のパウダーを使った「樹皮のスナック」。木の幹を器にしたプレゼンテーションで。

屋外キッチンで腕を振るう田村氏。その飛び抜けた発想と技術はゲストを唸らせた。

杉のパウダーをベースにポルチーニ茸や昆布出汁を合わせた「木と土のコンソメ」。

3品目の「牡蠣のポシェ」。牡蠣にニョッキと杉パウダーを合わせ、海老をベースにしたソースで味わう。

ローストした鳩に、松茸、木のパウダーで作ったシート状のチュールをあしらった「鳩のロースト 薪仕立て」。

デザートには杉と檜、ラベンダーの香りをつけた「大地のブランマンジェ」が登場した。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌプロジェクトの仕掛け人が、木のケーキに込めたメッセージ。

日本の国土の約3分の2は森。そしてその森の約40%は人工林。この人工林は間伐をしないと、環境が悪化してしまう。しかし間伐した木材の行き場はない。ならば新しい使い道として食べてみてはどうか。それが、「Eatree Plates」の出発点でした。

「手付かずの問題を、可能性に変える。それが弊社のコーポレートメッセージ達成への方策でした。そしてその解決を、誰しもに身近で、楽しい“食”に求めました」と、LIFULLの川嵜氏。「地球料理-Earth Cuisine-」プロジェクトのチーフ・クリエイティブ・オフィサーとして、間伐材の問題に、食べるという方向から挑みました。

「食とは、味だけではなく五感で感じるもの。本物の森林で木を口に入れるという、いわば内外から木を感じる森林浴は、強い印象を残せると思いました」川嵜氏が目指したのは、“木を食べる”というインパクトを起点に、やがて環境問題へ目を向けてもらうこと。つまりただおいしい食事を楽しむのではなく、「Eatree Plates」の世界観を共有することを目標にしていたのです。そしてその世界観をさらに広げるため、次なる一手としてケーキの開発に着手したのです。

「もちろん“木を食べる”ということに、多少の抵抗はあると思います。しかし『杉ってどんな味なんだろう?』という疑問を持たれたら、とりあえずこのケーキをお試し頂ければと思います。田村シェフは小さなパウンドケーキのなかに、ギュッと森を閉じ込めてくださいました。その感覚を初体験してください」田村氏と意見を交換しながら完成した「Eatree  Cake」をそう評する川嵜氏。

さらに川嵜氏はこのケーキの意義を「このEatree Cakeには、1本あたり約20%木が使われています。そして木の約70%は可食部分。つまり“木は食べられる”という事実の周知と同時に、間伐材消費という実際のソリューションにもなっているわけです」と語りました。世にも珍しい、木のケーキ。その存在を知り、実際に食べることは、そのまま私たちの地球と未来へと繋がるのです。

サステナブル(持続可能)な食の探求を目指すチーフ・クリエイティブ・オフィサーの川嵜氏。

「木のケーキ」はインパクトだけではなく、間伐材問題の具体的な解決策としても期待される。

「Eatree Cake」は期間限定で麹町「LIFULLテーブル」でも販売され好評を博した。現在はECサイトでのみ販売中。(店頭販売は終了)

ライフルテーブル/アースキュイジーヌおいしさか、メッセージか。名シェフが苦心の末に出した結論とは。

「最初は困惑しました。木を使った料理は、自分でもはじめての挑戦でしたから」奥多摩で開催された「Eatree Plates」をそう振り返る田村氏。しかし見事に木のフルコースをつくりあげた経験は、自身の意識にも大きな変化を生んだといいます。「林業の問題を知ると同時に、大きな気づきがありました。それは環境や道徳というだけではなく、何よりもまず“木は食べられる”というシンプルな事実です」。

そんな気づきを胸に、次なるハードルであるケーキづくりに挑んだ田村氏。もちろんそれは簡単な道ではありませんでした。「料理人として、おいしさの追求はもちろん大切。しかし今回もっとも伝えたかったのは、“木は食べられる”という事実。食材としての“木”のストーリーを伝え、まず知ってもらうことが大きな一歩になると考えました」そう語る田村氏。そして伝えることを第一に考えた結果、何よりもまずわかりやすい形であることを念頭に開発に着手したのだといいます。

田村氏の頭にあった着地点は、最初のひと口で“木を食べている”と伝わり、かつ香りの余韻も“木”で終わること。そこで通常はコーンスターチを使う部分を、杉からつくるウッドパウダーに置き換えました。その含有量は実に20%。しかし杉のパウダーは、舌に残り、ともするとザラつきを感じさせてしまう。ならば全体をしっとりとした食感に仕上げることで、ザラつき自体を楽しませよう。また、杉自体は香りは良いものの、ケーキにしては重さがあり過ぎる。柑橘の香りで軽やかさを演出してはどうか。杉の苦味をもっとも引き立てる甘さのバランスはどこか……。

田村氏の試行錯誤は続きました。元ミシュラン星付き店のシェフである田村氏にとって、単に“おいしいケーキ”をつくるのは難しいことではないのかもしれません。しかし、田村氏の頭にあるのは、おいしさ以上に大切な“伝える”ということ。「たとえ味に賛否両論が出ようとも、ただ“おいしいものを食べた”ではなく、“木を食べた”という印象を刻みたかったんです」。

持続可能な水産資源を考える「Chefs for the Blue」への参画など、積極的に食と未来を考える田村氏。

味とメッセージ性の両立を、見事なバランスで実現したパウンドケーキ。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌこれが木の味! 前代未聞の「木のケーキ」、ぜひお試しを。

シェフの思いと、LIFULLのメッセージを乗せて完成した「Eatree Cake~木から生まれたケーキ~」。ひと口食べると、力強い木の香りが口中に広がります。しかしその味わいは、しっとり水分を含んだ上質なケーキ。その食感とほのかな苦味、複雑な香りを楽しみながら嚥下すると、口中に木ならではの名残とともに、また森の香りが広がります。

目を閉じて味わえば、大げさではなく本当に森林浴の風景が浮かぶような力強い木の香り。ケーキとしてのおいしさと、“木を食べている”という事実が、見事なバランスで成り立った一品に仕上がっているのです。それはおそらく誰しもが経験したことのない、未知なる味。そして長く記憶に刻まれるような、深みある味。それは背景にあるストーリーとメッセージを知ることで、さらに印象深くなることでしょう。

この「Eatree Cake~木から生まれたケーキ~」は現在、ECサイトにて限定販売中。地球を思い、未来を考える第一歩として、そしてシンプルに「木ってこんな味」と知る経験として、ぜひお試しください。そして味わったケーキの感想と間伐材の問題を、ぜひ身近な方と話し合ってみてください。

「食べることで社会と繋がる、食べることで環境を考える。そんなケーキになりました」と語る田村氏。

「Eatree Cake~木から生まれたケーキ~」はLIFULL TableのECサイトで限定販売中。

住所:東京都千代田区麹町1-4-4 1F MAP
電話:03-6774-1700
LIFULL Table HP:https://table.lifull.com/

ケーキの予約はこちらhttps://table.lifull.com/eatreecake/?nx_id=table_top_eatreecake

開店わずか2ヶ月でミシュラン1つ星を獲得したフレンチレストラン「Tirpse」元シェフ。 世界のベストレストラン50のDiscovery seriesアジア部門選出、 ゴーエミヨジャポン2018期待の若手シェフ賞受賞。 持続可能な魚食を広める活動「Chefs for the blue(シェフズ・フォー・ザ・ブルー)」の 参画メンバーであり、複数の事業を手掛ける事業家、経営者としても活躍。 .science株式会社 取締役、Tanpan.CO事業開発部 執行役員。

花見の名所から穴場まで。時代を超えて受け継がれる、人と桜の物語。[2019年春、桜の旅。/人と桜]

例年4月中旬から下旬に見ることができる「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」と桜の共演。2本の柳の木のうち玉垣に囲まれている方が「遊行柳」で、何代にもわたって大切に植え継がれている。

人と桜文化や研究に寄り添った桜景色。その尊さを今に残す美しき風景。

満開の桜を仰ぎ見る時、あるいは、舞い散る花びらを手のひらにおさめる時、誰にでもひとつは桜にまつわる思い出が浮かぶのではないでしょうか。明るく楽しい記憶もあれば、切ない出来事が想起される、という人もいるかもしれません。2019年のお花見特集、最終回は、人と桜が寄り添い紡いだ物語と、人がつくり上げた優れた桜景色にスポットを当てます。桜に思いを寄せることで生まれた文化や祈り、決意。そしてそこから始まり時を経て、今を彩る素晴らしい風景をご覧ください。

かつては奥州街道の宿駅として栄えたという栃木県那須郡那須町。ゆったりとした時間が流れる山間にある『鏡山温泉神社(上の宮)』の参道脇でひっそりと葉を揺らすのは、「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」です。室町時代より語り継がれる逸話が残されたこの柳の木は、能楽や謡曲の題材となり、西行や与謝蕪村、松尾芭蕉らが感銘を受け作品を残すなど、見る者の心を掴んで離さない不思議な魅力を宿しています。春になると隣に植えられた桜が開花し、柳の葉の新緑や周囲の田んぼの風景と相まって、いっそう情緒ある雰囲気に。時代を超えて多くの人々の琴線に触れ、記憶に残り、愛され続ける、一度は見ておきたい絶景です。

生涯で約40万点もの植物標本を収集し、新種や新品種など1,500種類以上の植物を命名した植物学者の牧野富太郎氏が、最も好んだ植物は桜だったといいます。その思いは牧野氏が故郷の高知県高岡郡佐川町に「ソメイヨシノ」の苗を寄贈したエピソードからも知ることができ、その思いに応える形で、桜を植樹し、牧野氏の名前を冠して誕生した『牧野公園』は、知る人ぞ知る花見スポットです。標高200.7mの『古城山』の山腹に位置する園内には現在24種類の桜が植樹され、3月下旬から順次開花し山肌を鮮やかに染め上げます。自然の偉大さ、尊さを感じられる、稀代の植物学者が愛した桜の数々は必見です。

【関連記事】時代を超えて人々の琴線に触れ、記憶に残る、柳と桜が織り成す美の共演。
【関連記事】日本植物分類学の基礎を築いた、牧野富太郎氏ゆかりの桜と出会う。

園内には「オオシマザクラ」、「センダイヤザクラ」、「ワカキノサクラ」など、牧野氏が命名した品種も。

人と桜祈りの形が具現化された、温かな思いが宿る桜の名所。

人生の節目に、思いを込めて行う植樹。自身や近しい者への祈りを木々に託し、その成長を見守るということは、過去の人々にとっても大きな意味を持つものだったのでしょう。毎年4月、山間に「桜の雲海」と称される桜の絶景が広がる『不動尊一心寺』の桜も、そのひとつです。初代住職が病気がちな奥様の快気を願い桜の木を植えたのが始まりとされ、そんな温かな思いを体現するかのように、現在では希少な品種を含む約15種の桜が優しく咲き誇り、多くの人々の目を楽しませています。

神奈川県鎌倉市に位置する『鶴岡八幡宮』の参道「段葛(だんかずら)」も、夫の妻への思いが結実した、愛の結晶とも呼べる場所です。鎌倉幕府の初代征夷大将軍、源頼朝(みなもとのよりとも)が、妻・北条政子の安産を祈念して自ら指揮をとり建設したとされ、1918年より少しずつ桜の木が植えられてからは、県内有数の花見の名所としても人気を集めています。2014年から2016年には整備工事が行われ、177本の若木が新たに植樹されました。ふたりの絆を祝福するかのように咲く若い桜の姿もまた、新たな魅力に溢れています。

【関連記事】薄紅色や淡黄色、緑色など、色とりどりのヤエザクラが埋め尽くす「桜の雲海」。
【関連記事】武家源氏の守護神らしさに満ちた、栄華極まる花道を散策する。

参道から境内を望む。谷間の風に乗り舞い上がる桜吹雪もまた儚く美しい。開花の時期には「ぼたん桜 雲海祭り」も開催。

葛石(かずらいし)を積み周囲より一段高くなっている「段葛」。現代では若宮大路の『二の鳥居』から『三の鳥居』までの約500mを指す。

人と桜故郷への思いを込めて植樹した桜が、今年も華麗に咲き誇る。

生命力溢れる若木に故郷の繁栄を重ね、植樹したという物語も各地に残されています。長野県伊那市の『高遠城址(たかとおじょうし)公園』の桜の木は、1875年、荒れ果てた城跡をなんとかしたいと考えた旧藩士たちが、高遠藩が管理していた「桜の馬場」より木を移植したことが始まりとされています。地域の固有種である「タカトオコヒガンザクラ」をはじめ、4月上旬から中旬にかけて約1,500本の桜が開花し、その美しさは「天下第一の桜」と称されるほどです。

4月上旬から中旬にかけて、「一目千本桜」の名にふさわしい景色が広がるのは宮城県柴田郡の『白石川』の堤沿いです。1923年、東京で成功を収めていた大河原町出身の実業家、高山開治郎氏が故郷のためにと、約1,000本の桜の苗木を植え込んだことが始まりとされ、その桜は樹齢約90年となった今も見事な花を咲かせます。温かな思いと時間が築き上げた桜の絶景は、時を重ね、新たな世代へと受け継がれてゆきます。(文中には諸説ある中の一説もございます)。

【関連記事】淡い紅色の桜が視界を埋め尽くす。「天下第一の桜」と称される絶景がここに。
【関連記事】ある実業家が故郷を思い植樹した桜が、時代を超えて地域を豊かに彩る。

城跡内に架かる『桜雲橋(おううんきょう)』の眼下に広がる「タカトオコヒガンザクラ」。小振りで淡く赤みを帯びた花弁は愛らしく上品な佇まい。

桜並木と『白石川』、蔵王連峰が絶妙に調和した『韮神堰(にらがみぜき)』付近の風景。現在は約1,200本の桜を見ることができ、開花時期に開催される「おおがわら桜まつり」は多くの人で賑わう。

美しい自然と人間が交錯し、交響してきた瀬戸内の島々に活力を取り戻す。[瀬戸内国際芸術祭2019/瀬戸内海]

春・夏・秋の3シーズンにわたって開かれる瀬戸内×現代アートの祭典(リン・シュンロン(林舜龍)「国境を越えて・海」/Photo:Yasushi Ichikawa)。

瀬戸内国際芸術祭2019瀬戸内の文化と魅力を映して、世界へ魅せる。

さんさんと降りそそぐ陽光。それを穏やかに照り返す凪いだ海。“内海”と呼ぶにはあまりに広大な水面に浮かぶ島々と、そのひとつひとつに息づく独自の文化――そんな珠玉の宝石箱のような瀬戸内で、今年も3年に一度の芸術祭が開かれます。

『瀬戸内国際芸術祭2019』。それぞれが特別な個性を放つ瀬戸内の島々と、それらを繋ぐ港などを舞台に、国内外から多数のアーティストが参加。色とりどりの現代アートが島々の歴史や文化を映し出しつつ、それらの再生と継承を謳います。

ただ外からアートを持ち込むのではなく、瀬戸内という地域と、そこで育まれた文化や歴史と協奏。さらにそこに住まう人々とも響きあい、瀬戸内の魅力を魅せてくれます。

個性豊かな現代アートに惹かれて、世代や地域を超えた人々が集う。すべてが協奏して地域の再生につなげる(瀬戸内国際芸術祭2016の様子/Photo:Shintaro Miyawaki)。

テーマは「海の復権」。人が訪れる“観光”を、島の人々の“感幸“にする(ジャウメ・プレンサ「男木島の魂」/Photo:Osamu Nakamura)。

瀬戸内国際芸術祭2019無数の歴史がきらめく瀬戸内の復権を。

『瀬戸内国際芸術祭』の一貫したテーマは、「海の復権」です。美しい自然と人々が共存してきた瀬戸内の島々に活力を取り戻し、瀬戸内が地球上のすべての地域の「希望の海」となる――それが目指す目標だそうです。

そのために欠かせないのが、訪れる人々の“観光”が島の人々の“感幸“となること。それを象徴するコンセプトが、「アート・建築」「民俗」「生活」「交流」「世界の叡智」「未来」「縁を作る」の7つです。いずれも瀬戸内の島々と人々が育んできた遺産を、未来に繋げることを目的としています。

豊島の唐櫃岡に設けられた半屋外のレストランで、島の女性達と丸ノ内ホテルのシェフが協働(安部良氏「島キッチン」/Photo:Osamu Nakamura)。

直島に暮らす人々や、島を訪れた人々の憩いの場とすべく約130本の桜を植樹。一時の“展示”に留まらず、未来への遺産となる(安藤忠雄氏「桜の迷宮」/直島・ベネッセハウス周辺/Photo:Yasushi Ichikawa)。

瀬戸内国際芸術祭2019季節と共に移りゆく、めくるめくアート。 

『瀬戸内国際芸術祭2019』は、大きく3つの会期に分かれています。
特定の会期にしか鑑賞できないアートや、特定の季節にしか行われないイベントもあるので、是非すべての会期に訪れてみたいものです。

まずは「ふれあう春」。4月26日(金)~5月26日(日)の31日間で、命が目覚めて華やぎはじめる春に、瀬戸内とそこを訪れる人々の交流がスタートします。

そんな始まりの季節にふさわしい展示が、女木島を舞台とした“「島の中の小さなお店」プロジェクト”。総勢8名のアーティスト達が、地元の旅館を活用したお店を開き、カフェ・ヘアサロン・的屋・卓球場など、様々な形でゲストを迎えます。

実際に利用したり体験したりできる、参加型のアート。あなたも瀬戸内の一員となって、その風土や空気に触れてみてはいかがでしょうか?

また、上記のアートは全シーズンを通じて展示されますが、春にしか見られない作品もあります。
まずは沙弥島を舞台とする“ピボット”。マデライン・フリン氏とティム・ハンフリー氏の共作で、会話ができるAI搭載のシーソーで遊びながら、与島地区5島の昔話が聞けます。

さらに、金氏徹平氏による“S.F(Smoke and Fog)”。高松の屋島と、そこから望む瀬戸内の風景に着想を得た、大型看板型の写真作品等によるインスタレーションを展示します。

使われていない倉庫を活用した、シアター仕立ての絵画と映像によるインスタレーション(依田洋一朗氏「ISLAND THEATRE MEGI『女木島名画座』」/Photo:Yasushi Ichikawa)。

瀬戸内国際芸術祭2019新たな作品が続々と登場。どの期間も見逃せない。

次の「あつまる夏」は、7月19日(金)~8月25日(日)までが会期。陽光きらめく瀬戸内の魅力が、ひときわ高まる38日間です。

ここで初めて登場するのが、高松港の北浜地区に展示される“北浜の小さな香川ギャラリー 空間デザイン”。建築家の家成俊勝氏と赤代武志氏による『ドットアーキテクツ』の作品で、「瀬戸内の地域資源」に焦点を当てています。伝統文化の香川漆芸や、高松市特産の銘石・庵治石(あじいし)などを用いたアートで、瀬戸内の地域資源の魅力を現代アートによって掘り起こします。

最後の会期は「ひろがる秋」。9月28日(土)~11月4日(月)の38日間にかけて、有終の美を飾ります。
この時のみ見られる作品は、大島を舞台とするクリスティアン・バスティアンス氏の“大切な貨物”。映像インスタレーションとライブ・パフォーマンスによって、かつて大島に強制移住させられたハンセン病患者達の物語を再生し、人間の尊厳を問いかけます。複雑で重層的な視覚効果によって、社会構造を露わにする氏の作風が、目をそらしてはならない歴史を浮かび上がらせます。

このように、瀬戸内の様々な側面をアートによってクローズアップ。見て、触れて、参加するごとに、あなたの中に様々なものを残すでしょう。

約200年前に築かれたとされる、小豆島特有の“猪鹿垣”を再築。前回2016年からの展示で、今回は新たにピラミッド型の石積みを構築する(齋藤正人氏「猪鹿垣の島」/Photo:Yasushi Ichikawa)。

瀬戸内国際芸術祭2019多種多様な文化と風土を、アートによって浮かび上がらせる。

『瀬戸内国際芸術祭』の魅力は、瀬戸内の美しい風景とそこに配されたアートを鑑賞しながら、独自の文化や歴史に触れられることです。個性あふれるアート達が映し出すのは、そこで生きてきた人々と、その暮らしから紡ぎだされた有形無形のもの。風土も成り立ちも異なる島々を巡るたびに、瀬戸内という土地の魅力が心身に染み渡っていきます。

また、瀬戸内に住まう人々との交流も醍醐味。著名なアーティストや、特定の作品を目当てに訪れた人も、「島の人達と話せたのが一番楽しかった!」という声を残して帰っていくことが多いそうです。
まさに自ら参加して、瀬戸内という土地の一員になれるイベント。お遍路さん文化の“お接待”が根付いている瀬戸内で、温かなホスピタリティに送迎される体験も、単なるアート鑑賞以上の満足感を与えてくれます。

これも瀬戸内の“資源”の一側面。空き缶やペットボトルなどのゴミや、家庭の不要品を集めてつくったチヌ(クロダイ)のオブジェ(淀川テクニック「宇野のチヌ」/Photo:Osamu Nakamura)。

瀬戸内国際芸術祭2019お勧めは、お得に効率良く巡る「作品鑑賞パスポート」。

そんな魅力たっぷりの『瀬戸内国際芸術祭』ですが、瀬戸内とそこに浮かぶ島々という、広大なロケーションを舞台にしたイベントなだけに、多くの作品を効率良く見て回るのは、少々難しくもあります。
そんな困難を解決するために、お得な『作品鑑賞パスポート』や『オフィシャルツアー』も用意されています。是非うまく活用して、3年に一度のアートの祭典を存分に楽しみましょう!

まず『作品鑑賞パスポート』は、すべての会期で有効な『3シーズンパスポート』と、特定の会期のみ有効な『1シーズンパスポート』の2種類があります(一部対象外の作品や施設もあり/別途料金が必要)。

次に『オフィシャルツアー』は、2019年の新規作品を中心に鑑賞しながら、チャーター船で島々を巡れるガイド付きのツアーです。効率的にアートを巡りアートの鑑賞ポイントや、島々の魅力も知ることができる、お得なツアーです。

旅するように楽しめる、大規模かつ地域性にあふれた芸術祭。上記を活用して、存分にその魅力を味わいましょう!

ここを訪れてこそ知ることができる魅力(妹島和世氏+西沢立衛氏 /SANAA「海の駅『なおしま』」)。

瀬戸内国際芸術祭2019「島のおじいさん、おばあさんの笑顔を見たい」

豊かで穏やかな海に囲まれた、広大な瀬戸内。そこに浮かぶ島々を『瀬戸内国際芸術祭』を鑑賞しながら巡ることで、農・工・商が共栄していた原初の人びとの営みを知り、この先も地球上にそれらが続いていくことを知ることができます。

「海の復権」というテーマに沿って人々を呼び込み、そこに住まう人々を元気にしていくイベント。ゲストがとりどりのアートに感激するほどに、島に住むおじいさん、おばあさん達も自らの故郷に誇りを感じて元気になっていきます。

瀬戸内の島々と人々が生み出したものを、アートという形で万華鏡のように映し出す芸術祭――そこで讃えられる魅力が、今後も新たな人々を惹きつけていきます。

瀬戸内×アートの協奏で、世界から人々を呼び込む(瀬戸内海風景/Photo:Osamu Nakamura)。

開催期間:ふれあう春:4月26日(金)~5月26日(日)、あつまる夏:7月19日(金)~8月25日(日)、ひろがる秋:9月28日(土)~11月4日(月)
開催場所:瀬戸内海(直島・豊島・女木島・男木島・小豆島・大島・犬島・沙弥島(春)・本島(秋)・高見島(秋)・粟島(秋)・伊吹島(秋)・高松港周辺・宇野港周辺)
瀬戸内国際芸術祭2019 HP:https://setouchi-artfest.jp

フィレンツェの仕立てを独自に進化させた、唯一無二の1着。[Sartoria Cavuto/石川県七尾市]

『Sartoria Cavuto』の代表兼テーラー甲氏。

サルトリア カブート

日本海に突き出た石川県の能登半島。その中心に位置する七尾市の一角に、イタリア・フィレンツェ帰りのテーラー・甲 祐輔氏によるオーダースーツの名ブランド『Sartoria Cavuto(サルトリア カブート)』のアトリエがあります。前編では、甲氏が仕立てるスーツの特徴や魅力に迫ります。

針と糸があしらわれ、手縫いの温もりが感じられるロゴ。

サルトリア カブート故郷・石川の街に溶け込む、イタリア帰りのサルトリア。

22歳で単身イタリアに渡り、フィレンツェの名店で9年間腕を磨いたテーラー・甲氏。2012年に満を持して独立し、現地で『Sartoria Cavuto』を立ち上げました。以来、丁寧な手仕事から生み出される甲氏のテーラードスーツは、まるで身体に吸いつくようなフィット感と、オリジナリティの光るデザイン性で話題を呼び、国内外の紳士たちを魅了しています。

2015年には帰国し、拠点を置いたのは生まれ育った石川県七尾市。街の中心部に構えたアトリエを訪ねると、意外にも和の風情たっぷりの佇まいに驚かされます。古き良きものを愛するという甲氏らしく、ベースとなる建物は築130年の、大きな白壁の蔵を備えた古民家。その趣を存分に生かしつつ、アトリエへとリノベーションした空間に、甲氏セレクトのビンテージ家具がセンス良く配置されています。

年に数回、東京・大阪・神戸に出向いて受注会を実施。そこでオーダーを取りまとめると、後はこのアトリエで右腕となるスタッフ1名とともに、日々黙々と作業に没頭しているのです。

最後に旅館として営まれて以降空き家だった建物を改装。

昔ながらの立派な梁などはそのまま生かされています。

和の静寂が漂い、フィッティングルームもこの雰囲気。

大きな窓に囲まれた作業スペースは、明るく開放的。

サルトリア カブート丁寧な手仕事で生み出す、身体に吸い付くような極上の着用感。

『Sartoria Cavuto』のスーツは、正真正銘のフルオーダー。丁寧な採寸で依頼主の体型を細かく把握し、その人専用となる型紙を一から作成。それに合わせて生地を裁断し、2度の仮縫いを経て、依頼主にぴったりと寄り添う1着に仕上げます。

しかも、縫製に要する時間の99%は手縫いによるもの。早く楽に縫えるミシンに極力頼らないのは、「例えば、身体の関節にあたる部分は糸を引っ張りすぎないようにして縫うなど、その都度細かく加減できるのが、手縫いの良さなんですよね」と甲氏が話すとおり、最高の着心地を追求した結果です。確かによく見ると、運針に適度なゆとりがあるため、手縫いの服は柔らかく身体になじむことがわかります。

「もともとテーラーを目指したのは、一流の職人による丁寧な手仕事の美しさに惹かれたから。だから、いつも初心に立ち返って、志を忘れず、妥協のない仕事を追求しています」と甲氏は語ります。それは、決して目に見える部分だけではなく、裏地の中までもきっちりと。「私が仕立てたスーツでも、ちょっとしたお直しであれば、私以外のテーラーに依頼されることがあると思うんです。その時、同業者が中を空けて『この仕立てはすごい!』と思うものになっているかどうかも、自分の中でのひとつの基準になっていますね」と甲氏は続けます。

故に、甲氏が手がけるスーツは1着45万円~、製作期間は1年半を要します。しかしながら、根強いリピーターと、噂を聞きつけた新規顧客からの依頼が後を絶ちません。

採寸から型紙作り、生地の裁断、縫製まで全て手作業。

直実に当たり前の手間をかけて仕立てています。

アトリエの随所で、緻密な仕事ぶりが垣間見られます。

サルトリア カブートまるでフィレンツェの風を纏うかのような、本場仕込みのスーツ。

スーツのスタイルは、主にイギリスとイタリアの2大系統に分けられます。更に、イタリアスーツにおいては、ナポリ、ミラノ、ローマ、フィレンツェなど、都市ごとに異なる特徴が見られます。

当ブランドのスーツは、基本的には甲氏のルーツであるフィレンツェスタイル。芯が軽く、ショルダーラインは緩やかで、山なりに弧を描いて肩に落ちるような様で、上襟は隙間なく首回りに沿います。ゴージは返り線の高い位置から、なだらかに湾曲しながらノッチに向けて下っていきます。幅広にとられたラペルは、第2ボタンの少し上からふわりとノッチに向かって伸び、内から外へと弧を描き立体的に返るのが特徴です。

更に、大胆にラウンドした裾もさることながら、印象的なのが省略されたダーツ。通常は前身ごろの胸部から腰ポケットにかけて入る、縦に長い縫い目のラインのことですが、アイロンワーク等の技術を用いて省略しながらも、腰回りのフィット感を持たせています。パッチポケットの仕様でも柄のずれは解消され、正面から見た時によりすっきりと優美に見せます。

こうした独特のディテールにより、全体的に曲線の連続で紡がれ、柔らかさを感じさせるシルエットが特徴的なフィレンツェスタイル。そこに甲氏は、「ウエストはやや絞り気味でよりグラマラスに、フィレンツェのスタイルよりも若干着丈は長めにしています。フロントカーブも、ラペルからのつながりを重要視し、美しい弧を描くように仕上げています」と話し、独自のアレンジをプラス。優雅な丸みと軽やかさに、華やかさと上品さも兼ね備えた、魅惑的なフォルムの1着を生み出しているのです。

立体的で美しく仕上げられたフロント部分が特徴的。

サルトリア カブートブランドの個性を印象付ける、ボタンホールとバルカポケット。

甲氏の仕立てたジャケットを間近で見ると、更に細かな部分に目が留まります。そのひとつが、ユニークな作りのボタンホール。甲氏曰く、「一般的なものはもう少し幅が長いと思いますが、私はそれがあまり好みではないので、短くしています。玉のない、細かい仕上げと、直線ではなくティアドロップ型なのも特徴ですね」。

このボタンホールは、『Sartoria Cavuto』における一種のアイコン的存在に。これを見ると、甲氏の仕事だと認識する人も多いそうです。

そして、少し視線を落とすと、これまた目を引くスタイルのチェストポケットが。口布の形状が船形に湾曲している、いわゆるバルカポケットですが、右上がりに描かれた美しいカーブに、甲氏独特のセンスと技術が感じられます。また、このポケットはデザインのアクセントになるのはもちろん、バストが体型にそって丸みを持ち、立体的で美しいシルエット作りにもひと役買っているのです。

「もちろんポケットについては、バストを体型に合わせて立体的に膨らませているので、ポケットを置いた際に内外差が生じ、柄が合わなくて当然。ですが、アイロンワークを用いて、地の目を周囲としっかり揃えて製作しています」と甲氏。

確かに、柄がひと続きになっているため、後から取ってつけたような、変に浮いた感じはなく、あくまでデザイン性の高さが際立って見えます。ここにもまた、丁寧な仕事ぶりが光っているのです。

遊び心を感じる、ティアドロップ型のボタンホール。

独特なカーブを描き美しい仕上がりのバルカポケット。

生地は主にイギリスのビンテージものを使用。

色柄が豊富な生地のストックから、好みのものを選べます。

サルトリア カブート独自の風合いに欠かせない、重厚感のあるビンテージ生地。

一方、甲氏には生地選びにも独自のこだわりがあります。主に用いるのは、イングランドやスコットランドのビンテージ生地。「生地においては、軽いものは好きではなくて。ヘビーウエイトの、素朴で重みのある生地を好んで使っています」と甲氏は話します。

アトリエの棚には、イタリア在住時に自らあちこち歩いて買い求めたという、厳選された生地のストックが。無地のものも、チェックやストライプなどの柄物も、ビンテージならではの気品と風格を醸し出しています。

フィレンツェスタイルの丸みを帯びた軽やかな仕立てでありながら、こうした重厚感のある生地を使うことで、よりいっそう曲線美の構築的なラインを描き、立体感を生み出している『Sartoria Cavuto』。丁寧な手仕事と絶妙なバランス感覚で、着心地の良さとデザイン性の高さを両立し、多くの人を虜にしているのです。
次回の後編では、甲氏の経歴、イタリアでの修業時代のエピソードなどを紹介します。

1981年石川県七尾市生まれ。東京の服飾専門学校を卒業した2003年、テーラーを志し、イタリア・フィレンツェへ。名店『リヴェラーノ&リヴェラーノ』にて、師であるFRANCESCO GUIDA(フランチェスコ グイーダ)氏のもとで、約7年間修業。後に、フランチェスコ氏が移籍した大手アパレルのビスポーク部門にも、師を追って約2年勤めた後、2012年に独立。『Sartoria Cavuto』を立ち上げた。2015年には帰国し、故郷にアトリエを開設。フィレンツェスタイルをベースに、甲氏ならではの技とセンスに溢れた1着を求め、国内外から依頼が絶えない。

住所:〒926-0808 石川県七尾市木町19-1 MAP
電話: 03-5579-9403

統括編集長が選ぶ! 歴史と文化が宿る日本ならではの桜、絶景5選。[2019年春、桜の旅。/歴史と桜]

『三多気の桜』は標高の低い所から高い所に向かって順に開花していくため、4月上旬から中旬まで比較的長く楽しめる。

歴史と桜里山の風景や伝統文化に寄り添う桜とともに、日本らしい花見を。

極東の小さな島国ゆえ、大陸諸国とは異なる独自の文化が開花した日本。太古より人々の目を楽しませてきた自然、四季とともにこの国が歩んだ歴史は、全国各地で史跡、あるいは名勝となって、美しい景色を今に留めています。過去から現在、そして未来へと受け継がれる絶景の条件とは、何でしょうか。歴史的な価値は言わずもがな、目に焼きつくような華やかさ、日本的な侘び寂び、あるいは圧倒的な迫力……それだけではないような気がします。放っておけば朽ちていってしまうものを、残したい、残すべきだと強く願う人の思いがそこにはあるのです。桜の季節もいよいよ本番。日々、取材や撮影で全国を旅する『ONESTORY』の統括編集長、倉持裕一が、数多ある桜の名所から、これだ!という絶景を選びました。日本にいるなら一度は見ておきたい、歴史と文化、美意識が宿る桜をお楽しみください。

奈良を起点としたお伊勢参りの最短ルートとなる『伊勢本街道』が通る三重県美杉町三多気(みたけ)地区。霊場『真福院(しんぷくいん)』へと向かう参道沿いに植樹された約500本の「ヤマザクラ」や「シダレザクラ」が開花を迎えるころ、日本古来の里山の風景に、鮮やかな桜の花が彩りを添えます。『三多気の桜』と呼ばれ国の名勝にも指定されているこの風景を特別なものにしているのは、手入れの行き届いた棚田に、茅葺き屋根の家。多くの人にとってなじみがないはずの景色なのに、不思議と懐かしさを感じます。私たちが無意識に求める心の故郷が、そこにあるからなのかもしれません。

もうひとつ、最近目にすることが少なくなった季節の風物詩といえば、大きな鯉のぼりではないでしょうか。愛知県岩倉市で約400年前から続く伝統工芸の鯉のぼり作り。その工程のひとつである糊を川の水で落とす「のんぼり洗い」を、桜とともに見ることができるのが、愛知県の『五条川』です。川沿いの堤防道路の両岸に植えられた約1,400本もの「ソメイヨシノ」の開花と時を同じくして、色とりどりの鯉のぼりが川面を鮮やかに彩ります。水面にたゆたう鯉のぼりと花筏の共演は美しくノスタルジック。日本の美意識が集約された絶景です。

▶詳細は、ヤマザクラと棚田の共演がもたらす、温かさに満ちた懐かしい日本の姿。
▶詳細は、清水の川面にゆらゆらと浮かぶ、桜の花びらと色鮮やかな鯉のぼり。

『五条川』周辺で3月下旬から4月初旬に開催される「岩倉桜まつり」では、「のんぼり洗い」の実演や山車(だし)の巡行など、春の訪れを盛大に祝うイベントも行われる。

歴史と桜史跡と桜の華麗なる共演。歴史が宿る絶景を満開の桜が彩る。

鎌倉時代から江戸時代まで、約700年続いた武士の時代。盛者必衰の厳しい時を生きた武将たちが残した城は、かつては2万5,000以上あったとされていますが、現在、天守が現存する城は12を数えるのみといわれています。中でも圧倒的な大城郭を有し、白漆喰(しろしっくい)で塗られた城壁から「白鷺城」とも呼ばれる『姫路城』は、日本の城の歴史的価値、そして美しさを世界に知らしめる存在です。城の周辺、約55.2haを整備し造られた『姫路公園』には、約1,000本の桜が植えられ、4月上旬に見頃を迎えます。様々な桜の風景が楽しめるのは、広大な面積を有する都市公園ならでは。白亜の城を背景に咲く満開の桜を愛でながら、日本が誇る歴史と自然の華麗なる共演を楽しみたいものです。

城と同じく、歴史的価値を内包する史跡といえば古墳です。ミステリアスな部分も多く、歴史のロマンを感じさせる古墳はとりわけ九州に多く存在しているといわれ、宮崎県西都市に位置する『西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)』は、日本で初めて本格的な学術調査が行われた地として知られます。総面積約68.5haの中に311基の古墳が点在し、その周辺に整備された『御陵前広場』は、のどかでありながら、そこはかとなくスピリチュアルな雰囲気が漂います。春には約2,000本の「ソメイヨシノ」に加え、約30万本の菜の花も開花し、祭りの開催も相まって賑やかな雰囲気に。広大な春景色、その規格外のスケールは古墳という史跡あってのもの。いにしえの営みに感謝しつつ、自然が織りなす風景に身を委ねてみてください。

歴史という視点から桜を見る時、環境ではなく桜そのものに宿る歴史も忘れてはならないでしょう。「国内最古」のひとつとされる『山高神代桜(やまたかじんだいざくら)』は、全身で歴史を体現し続けている貴重な存在です。山梨県北杜市に位置する『実相寺』の境内にあり、品種は日本の古来種「エドヒガン」、推定樹齢はなんと1800年から2000年! その始まりは神話の時代に遡り、武将・日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折にお手植えになったという伝説が残されているというのだから驚きです。春には毎年欠かさず花をつけ、四季を巡り、いくつもの時代を見送った、その事実に思いを馳せながら見る誇り高くたくましい姿は、感動必至です。(文中には諸説ある中の一説もございます。)

▶詳細は、日本古来の美意識を見事に体現した、白亜の城と桜の共演。
▶詳細は、咲き誇る桜と菜の花に青い空。豊かな色彩のコントラストで魅了する。
▶詳細は、神話の時代より時を重ね、今年も花開く。生命力と存在感に満ちた国内最古の桜。

『姫路公園』の『三の丸広場』は絶好のビューポイント。「平成の大修理」を経て生まれ変わった『姫路城』と桜の共演を楽しみたい。

『西都原古墳群』近隣では3月下旬から4月上旬に「西都花まつり」を開催。幻想的な桜のライトアップも。

樹齢、根回りともに日本最大級。悠久の時間を生きてもなお生命力に溢れる姿は尊く、思わず手を合わせる人も。

“食べるシャンパン。” それは、ひとりでは完結しないシャンパーニュ。[テタンジェ]

テタンジェOVERVIEW

ファミリーの名をブランドに冠する今日では数少ない家族経営のシャンパーニュ・メゾン『テタンジェ』。
創業は1734年、長きにわたりテタンジェ家が培ってきた伝統と品質は、フランス大統領の主催する公式レセプションにも用いられるほどです。

そんな『テタンジェ』は、もちろん単体で飲むだけでもそのクラスを感じることをできますが、料理と合わせることによって、更にその味の奥行きやポテンシャルを発揮します。

そして、当主の長男であり、『テタンジェ』の取締役輸出部長のクロヴィス・テタンジェ氏は、「大切な人と飲むシャンパンが一番美味しい」と話します。

大切な人の横にはいつも『テタンジェ』がいる。美食の横にはいつも『テタンジェ』がいる。
それが『テタンジェ』のスタイルなのです。

ひとりでは完結しないシャンパーニュは、その相手次第で変幻自在に美食へと昇華します。
今回は、その魅力に迫りたいと思います。

 

(supported by Taittinger

旅の装いを楽しむラグジュアリーなハイブリッド・ホテル。[MOGANA/京都府京都市]

「MOGANA(もがな)」とは、「こうでありたい/こうであったらな」という期待や願望を表す古語。訪れる人々の期待に応える体験が待つ。

モガナゲストの期待に応え、ゲストの願望を叶えるホテル。

高まる一方のインバウンド人気におされて、日々新たなホテルがオープンしている京都。街ゆく人々のにぎわいも増す一方で、そんな世情の中で、ゆとりある時間と空間を確保するのは至難のわざに思えます。
ですが、新進気鋭でありながら極上の格式と豊かさを兼ね備えたホテルが、中京区・二条城の近くにオープンしました。

その名は『MOGANA』。“鰻の寝床”と呼ばれる京町屋独特の造りを、建築家・山口隆氏の再解釈によって再現。東西に長い敷地を生かした38mの廊下と、坪庭に見立てた壁面緑化でゆとりある空間とラグジュアリーさを演出しています。また、京町屋の坪庭に見たてたクチナシの壁面緑化を、6階~8階に設置されたMOGANAルーム3室から眺めることができます。

山口隆氏の設計により、京町家独特の長い廊下や緑の癒しをモダンに再現。

「装い」という言葉には、「外見を美しく整える」「趣や佇まい」「出発の準備をすること」の3つの意味がある。1・2はもちろん、3つ目の意味も大切にしている。

モガナ「旅の装いを愉しむ」という信念。

旅とは、滞在する土地にただ泊まるだけでなく、食を愉しみ、文化を愉しみ、滞在時間そのものを愉しむことです。そんな「旅の装いを愉しむ」体験を提供することが、『MOGANA』の信念だそうです。
それは、旅という非日常において、“特別なもの”を演出することでもあります。

「ホテル=泊まる場所」という定義にとらわれず、「旅の装い」を愉しむためのあらゆるコンテンツを創造・提供。旅人の滞在時間そのものを、より特別に、より豊かにできるようにホテルの内外をプロデュースしています。

京都の地で“日本の伝統”や“美意識”を漂わせつつも、新たな気づきを与えてくれる場所。

モダンなセンスと調和のとれたブランドミックスによって、ホテル全体がオリジナリティあふれるハイブリッド型コンテンツとなっている。

8メートルの一枚板からなるカウンターと、金沢の金箔職人による24金の天井パネルが美しい2階のバー。

モガナすべての「モノ」と「コト」には一貫したストーリーがある。

『MOGANA』のコンテンツに共通しているのは、「日本の美意識を現代的にデザインおよび再解釈して、大人の知的欲求と精神的充足感を満たすこと」です。

ひとつひとつを日本各地のアーティストや職人と共に創り上げており、時には素材選びやデザイン起こしから構築。それらすべてが『MOGANA』という存在を体現するオリジナルとなっているのです。

それらの「モノ」や「コト」に、『MOGANA』ならではの想いとストーリーを加味。そこから得られる気づきが、旅を終えた後の日常まで変えるムーブメントとなるのです。

たとえば、山口隆氏による建築は、京町屋の特徴を備えながらも、素材感・陰影・垂直と水平が織り成す美などを重視した上で、新たな価値観やデザインを創造。静謐(せいひつ)にたたずみながらも、何かを訴えかけてくるかのような能動性を持っています。

さらに灯火や採光といった光は、パネルや格子等を用いて詩的で抽象的なものに演出。うねりや非対称性を加えて、木漏れ日のような温かさをかもし出しています。

そしてさり気なく漂う音の演出は、空間に息吹を吹き込むと同時に、四季や時間の変化を表現しています。情感あふれる癒しの空間です。

計算され尽くしたデザインに散りばめられた、伝統×現代テクノロジーの競演。過去と未来の日本文化が交錯する。

オーガニックコスメブランド『SHIGETA』とコラボした『MOGANA』にしかないアメニティ。

モガナひとつひとつ、すべてのコンテンツにこだわり抜いて。

そしてアメニティは、フランス生まれの先駆的なオーガニックコスメブランド『SHIGETA』とのコラボ。「アンチ」や「隠す」といった後ろ向きの手法には頼らない、「自ら持てる美をより輝かせる」という高い意識を現しています。

「ホテルのアメニティは手がけない」という『SHIGETA』を、「それでも洗練された大人をターゲットとする『MOGANA』のアメニティにしたい」という想いで説得。『MOGANA』のコンセプトを真摯に伝えた上で、コラボの承諾を得たそうです。

『SHIGETA』のアメニティを備えているホテルは、世界でここ『MOGANA』だけ。まさに唯一無二のコンテンツです。

客室のクッション・部屋履き・歯ブラシはファッションブランド『matohu』とコラボ。着物に着想を得たデザインが独自の存在感を放つ。

『matohu』のアイコニックアイテムである“長着”の展示もしており、購入が可能。

かつては京都の朝廷にも献上されていた淡路島の食材が、伝統と機能美を両立させた器で供される。

モガナ日本の美意識が漂う朝食を“FUKIYOSE”という様相で供する。

食の愉しみが豊富な京都において、『MOGANA』は常時の夕食は供していません。
その一方で、歴史と伝統を体現した朝食“FUKIYOSE”を、部屋食でゆったり愉しむことができます(ゲストが指定した時間から、チェックアウトの12時まで)。

“FUKIYOSE(ふきよせ)”とは、色とりどりの木の葉や木の実が、風でひとところに吹き寄せられた様を表す言葉。和歌に詠まれ、絵に描かれ、着物の文様にも用いられてきた美しい形です。

それを織り成す食材は、かつては京都の朝廷に食材を献上していた「御食国(みけつくに)」だった淡路島産。そしてその食材を戴くのは、同じく淡路島発の陶器ブランド『Awabi ware』と『樂久登窯(らくとがま)』の器です。

驚くべきことに、これらの器は釉薬からデザインまで『MOHANA』にしかないオリジナル。“MOGANAグレー”と名づけられた格調高い色彩が、“FUKIYOSE(ふきよせ)”られたとりどりの食材を引き立てます。

また、「より充実した時間をお部屋で過ごしていただきたい」との想いのもとに、夜食のルームサービスも用意。こちらは大人のゲストがヘルシーに空腹を満たせるように、「和の薬膳」を提唱する『国際薬膳学院』の監修を受けています。多彩な薬膳の食材を取り入れた、滋味あふれるメニュー。胃腸に優しいだけでなく、美と健康にも配慮しています。

『国際薬膳学院』の監修による夜食。夕食は自由に外食できるほか、提携の割烹・料亭・カフェなどで味わえる“MOGANA特選メニュー”をコンシェルジュが案内。

多数のブランドとのコラボによる「ここでしか出会えない」プロダクトや空間設計の数々。

モガナ「泊まって眠る場所」という枠を超えたコンテンツを提供。

『MOGANA』が目指すのは、「旅」という非日常的で特別な時間そのものの演出です。その中において、“宿泊”は滞在時間のほんの一部にすぎない――その考えのもとに、旅の動機自体を創造および提供することを目指しています。

それを象徴するのが、『MOGANA Experience』と名づけられたオリジナルイベントの数々。「エクスペリエンス=体験」という言葉の通り、『MOGANA』でしか味わえない体験が待ち受けています。
例えば、4月7日(日)に開催される『京都の高台寺 早朝特別拝観 〜 春の装いを愉しむ湖月庵 “清明会”』。普段は一般非公開の茶室で、『京懐石 瓢樹』の春めく朝食を頂けます(1名7,000円(税込・宿泊料金別)/ツアーのみ参加の場合は1名10,000円(税込))。

そして4月13日(土)には、紅葉で有名な『永観堂』の大広間で、特別な法話を聞きながら『割烹 木乃婦』の昼食を頂ける『青楓会』を開催予定。世界遺産の『天龍寺塔頭 宝厳院』を舞台に、普段は一般非公開の場所と時間で至極の京割烹料理と中国古筝の演奏を愉しめます。

また、ゴールデンウィークの5月2日~5月6日にかけては、淡路島の名店『綾乃』の3代目当主・小野孝太氏を招いた“『MOGANA 綾乃』の割烹付きプラン”を実施。1日6限定で、2階のバーを舞台に催されます。
鱧(はも)、由良うに、蛸、穴子、鰆(さわら)などなど、淡路島の旬の食材をその日の水揚げを見ながら提供。食通が集う芦屋や大阪北新地にも出店している『綾乃』の日本料理を、心ゆくまで堪能できるチャンスです(1名20,000円(税込・宿泊料金別))。

『MOGANA 綾乃』の割烹付きプラン(5月2日~5月6日)。通が足しげく通う淡路島の名店を京都に招聘!

モガナ『MOGANA』プロジェクトは京都を超えて。世界を視野に据えて「ホテルの革新」を目指す。

単なる一ホテルに留まらず、その在り方やポリシーまでもコンテンツとして確立しつつある『MOGANA』。「この意義と存在を京都以外でも展開していきたい」という想いのもとに、今後は『MOGANA』自体をひとつの“プロジェクト”として、世界をも視野に据えて広げていくそうです。

「MOGANAの使命は、旅という時間そのものをプロデュースすることです。単なるハードアセットとしてのホテルではなく、ソフトコンテンツに重きを置いて、その延長上にある新しい存在でありたい、と考えています」とは、『MOGANA』の母体・株式会社ブレイブマンホスピタリティ&リゾーツの代表・繁田氏の言。
海外で人気の個性的なブティックホテルのように、オーナーのこだわりと、それに賛同したアーティストや職人達とのコラボによって、唯一無二の“プロジェクト”を形成していきます。日本発の個性的かつ革新的なホテルが、世界各所で見られる日もそう遠くないかもしれません。

伝統をモダンに革新する「MOGANA」の挑戦。

住所:京都市中京区小川通御池下ル壺屋町450 MAP
電話:075-606-5281
料金:1室50,000円(2名1室利用時)~
MOGANA HP:https://yadomogana.com/
写真提供:MOGANA

違う職業だけど、同志です。ざっくばらんに語る津軽人あれこれ。[TSUGARU Le Bon Marché・特別対談/青森県弘前市]

「津軽ボンマルシェ」で取り上げてきた、津軽のキーパーソンたち。左から、「素のままproduct」「澱と葉」川口潤也氏、「蟻塚学建築設計事務所」蟻塚学氏、「弘前シードル工房kimori」高橋哲史氏、「素のままproduct」「KOMO」岡詩子氏。

津軽ボンマルシェ・特別対談「津軽ボンマルシェ」に登場した4人が津軽の「繋がり」について特別対談。

これまで多くの津軽人を紹介してきた「津軽ボンマルシェ」。取材を続けて気付いたのは、あちこちで何度も耳にする名前があったり、思いもよらない人と人が旧知の仲だったりと、繋がりが非常に強い地域だということです。そこで、10記事を公開した節目にお届けしたいのが今回の対談企画。これまで「津軽ボンマルシェ」にご登場いただいた職業も年齢もバラバラな4人「弘前シードル工房kimori」高橋哲史氏、「蟻塚学建築設計事務所」蟻塚学氏、「KOMO」岡詩子氏、岡氏と「素のままproduct」を共同し、完全予約制・紹介制サロン「澱と葉」も運営する川口潤也氏に、地元・津軽と、津軽人の繋がりについて語ってもらいました。“繋がり”がテーマということで、会場として借りたのは弘前市内のカフェ「集会所indriya」。イベントや教室を開催し、地域の人々を繋げるコミュニティスポットです。居心地のいい空間の中、笑いの絶えないひとときとなりました。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

「kimori」高橋氏が手掛けるシードルは、昨今首都圏でも人気上昇中。自社畑や近隣農家から届く規格外のりんごを使って造られる“農家のシードル”。

弘前市郊外の「りんご公園」に佇む、蟻塚氏設計の「kimori」の工房。今や公園のランドマークとして、多くの人に親しまれる存在だ。

さまざまな色のリネン生地を揃える「KOMO」のアトリエ。大判のストールは温かい空気を溜め込み、津軽の冬の厳しい寒さにも対応する。

岡氏と川口氏が主宰する「素のままproduct」の瓶詰め。2人で営む鶴田町の店「回」では、これらとともにお茶や自然派ワインも提供。

津軽ボンマルシェ・特別対談津軽人の気質は、“どんと構えた博打打ち”?

高橋:蟻塚さんと最初に会ったのは8年前くらい。蟻塚さんの手掛けた「王余魚沢(かれいざわ)倶楽部」の建物がとてもよくて、知り合いを通じて紹介してもらったんです。「王余魚沢倶楽部」はひとりの建築家が手掛けるというより、地域の人を巻き込んで一緒にやっているイメージで。僕もまだ構想中だった「kimori」のシードル工房を人が集まる場所にしたかったから、彼に設計を依頼したのが始まり。

蟻塚:「kimori」が建ってからも、それで終わりの関係にはならないなという予感はありましたよね。誘い合って飲みに行くことはないけれど、誰かに呼ばれて行った場所に高橋さんがいるのはしょっちゅう。最近はSNSで面白そうなことしている人がいるなと思っていたら、その後自然とどこかで会うということも多いです。

高橋:逆に詩子と会ったのは、“変態飲み会”がコンセプトの会が最初(笑)。津軽の変態をたくさん呼んで飲もうという。

岡:変態は褒め言葉ですもんね。都会は何もしなくてもたくさんの人と関わりを持てるけど、青森では人が少ない分、変態同士気が合う! と思える人がいると、もうそこでがっちりと繋がって面白いことが始まる感じがあります。

川口:僕は津軽エリアの青森市で生まれて、南部エリアの八戸で育ったのですが、2つのエリアの違いをバリバリに感じるんですよ。津軽は割と明るくて、居心地がいいです。南部は日中静かに仕事をして、夜に飲み屋で弾ける人が多いイメージ。歴史も天候も違うし、まったく違う国!

高橋:津軽の農家はりんご専業が多いのですが、南部の農家は色々作っているところがほとんど。こっちより天候が厳しいからリスク分散が必要なんです。逆にりんご一本だと、台風が来れば一発でダメになっちゃう。津軽は博徒(笑)。博打打ちが多いんですよ。“じょっぱり”(津軽弁で「豪快」の意味)ですよね。

岡:それでこそ津軽! みたいなのはあるかも。あとうちの実家は、いまだに鍵をかけないんですよ。で、家に帰ると誰が持ってきたのか分からない野菜が置いてある。野菜の形から、「これは〇〇さんの畑のだ」みたいな(笑)。

高橋:あるねー(笑)。

岡:私は“お付き合い貯金”って呼んでいるんですけど、代々培ってきた近所同士の繋がりがあるから、最悪何かあっても生きていける。だから思い切りがいいのかなとも感じます。その貯金は、自分も受け継いでいきたい。

蟻塚:自分は弘前市の街中で育ったシティボーイなので、うちには鍵も付いているし野菜も届かない(笑)。津軽の中でも地域差はあります! でもやっぱり、じょっぱり気質は感じますね。

今回最年長、1973生まれの高橋氏。東京で映像の仕事に従事した後2003年に帰郷、りんご農家に。2014年「弘前シードル工房kimori」をオープン。後進の育成にも意欲的に取り組む。

蟻塚氏は1979年弘前市生まれ。広島大学を卒業後、広島の設計事務所に勤務ののち「蟻塚学建築設計事務所」を設立。2008年に帰郷、北国の風土に根ざす建築を目指し、JIA東北住宅大賞2012、同賞2016など受賞歴多数。

里山の廃校を地域活性に活用している「王余魚沢(かれいざわ)倶楽部」。蟻塚氏が手掛けたのは、校庭脇の物置小屋のリノベーションだ。

津軽ボンマルシェ・特別対談元城下町・弘前を抱える津軽。文化度の高さに自覚あり。

川口:気質もそうですが、文化も全然違うのが津軽と南部。八戸は喫茶店より居酒屋の数が断然多いですが、津軽に来ると喫茶店がたくさんあって、みんなコーヒーが大好き。本をたくさん読むし、アートやデザインの感度も高い。

蟻塚:文化度の高さみたいなものは、やっぱり意識しますよね。僕に設計の仕事を頼んでくれる地元のお客さんたちは、暮らしの質が高い方が多いなと実感しています。街を歩けば文化的な史跡もたくさんあるし。ただ建築の意匠性への理解など、まだまだな部分もあって。もっと掘り起こしていきたいとは思います。

高橋:自分としては、津軽はイノベーティブなことを受け入れる土壌があると思いますよ。元々弘前が城下町というのもありますが、ちょっと特殊な話をすると……ここでは死が身近なんですよね。少し前まで、亡くなった親戚をイタコのような女性に呼び下ろしてもらうことも普通でした。一歩先は死の世界だから、死ぬ前に後悔しないよう、やれることはやれと考えるというか。でも一方で、目立ちたくないという気質もある。

岡:分かる! 私の場合、周りが表に出す機会をくれてこれまでやってきたけど、自分では目立たないように生きているつもりなんです(笑)。もちろん商品を売るのに必要な発信はしますが、「見て見て!やってるよ!」というスタンスとは違う。これ、津軽のほかのクリエイターさんを見ていても思うのですが、表に出てくる人ほど、ベースの部分はその人の中で完結している。

川口:目立つかどうかに頓着していないよね。でも「あの人おもしろいよ」って、ほかの人が発信するという。

高橋:やりたいことはやるけど、目立ちたくない津軽人(笑)。詩子が話したみたいに隣近所との心理的距離が近いから、変なことできないというのもあるのかも。

1988年北津軽郡鶴田町生まれの岡氏。東京で会社員を経験後、帰郷。リネンブランド「KOMO」など、さまざまな活動に従事。パートナー川口氏と立ち上げた「素のままproduct」も話題。

今回最年少の川口氏は、1993年青森市生まれ。東京、八戸の飲食店で経験を積み、現在は鶴田町在住。完全予約制・紹介制サロン「澱と葉」主宰。「素のままproduct」では瓶詰めの惣菜などを手掛ける。

岡氏、川口氏と親交の深い「パン屋といとい」店主・成田志乃氏も、岡氏の話す“表に出てくる人ほど、ベースはその人の中で完結している”を体現する存在だ。成田氏の活動や人となりについては、以前紹介した「といとい」の記事に詳しい。

弘前の象徴的存在といえば弘前城。1611年に津軽藩主により築城された、国の重要文化財だ。当時の城下町の名残は、今も街のあちこちで見受けられる。

津軽ボンマルシェ・特別対談違うアプローチで、同じ山頂を目指す。だからみんなどこかで交わる。

高橋:さっき津軽と南部の違いが出ましたが、津軽の中でも地域の捉え方に結構差があると思います。

岡:そうですよね。私は高校が弘前市だったし親戚もいるので、鶴田も弘前も同じエリアという感覚だけど、鯵ヶ沢や深浦など日本海側のエリアは遠いイメージ。鶴田から車で15分くらいで行けるのに(笑)。

高橋:狭い範囲の中に色んな気候風土があるから、実際の距離と心理的な距離が違う。県外の人が見る津軽の地図の範囲と、僕らが暮らしながら感じ取っている範囲は、全然違うと思います。後は、みんな地元から見る岩木山の形が一番好きだから、津軽人同士、市町村単位で喧嘩になる(笑)。つい悪気はないのに「裏側から見たら」とかいっちゃって(笑)。ただね、最近は自分の中で、エリアの感覚が変わってきたんですよ。「kimori」の10年計画としては、弘前と並行してニュージーランドにも畑を持ちたい。

一同:おお!海外!

高橋:津軽はそもそもりんご栽培に向かない気候でやってきたので、その分農家の技術力がすごいんです。この技術力があれば、世界のどこでも美味しいりんごを作れるし、北半球と南半球に畑を持てば、1年を通じて出荷できる。鮨と同じですよ。昔は海外で鮨といえばカリフォルニアロールだったけれど、今はちゃんとした江戸前鮨が主流になってきた。りんごはこんなに美味しいものだと世界が分かれば、津軽のりんごがスタンダートになる。日本と海外と行き来しながら暮らすのも楽しそうですし(笑)。

蟻塚:逆に自分は弘前から動かないかな。もちろんほかのエリアからの仕事も受けますが、建築業界っていまだに東京ベースの考え方が根強くて、それが悔しいんですよ。建築専門誌でさえ、雪国ならではの建築の在り方を共感してくれるところは少ないです。こっちに帰ってから、割と早い段階でそれに気付いてあきらめていたんですけど……。でもこれからは、津軽に根差した建築をちゃんと発信していくべきだなと。たとえば竣工写真って、普通は青空に木々の緑が映えるような、いい気候の時期に撮るんです。でも津軽なら、あえて真冬の一番厳しいときに撮るのがいいじゃん、て。

岡:みなさん素晴らしい。自分はずっとそんな立派な目標は立てずに生きてきて……これからも多分変わらないのですが、新しい働き方の提案はできるかなと思っています。私の職業は青森県内だとすごく特殊。作っているのは工芸でも趣味の手作り品でもなくて、本業が分からない(笑)。でも仕事はひとつじゃなくていいと思うんです。私たちの世代は生まれたときから不景気だから、上からずっと「大変だね」といわれてきて。「これって大変なんだ」と思い込んでいる子も多いと思うんですけど、安定したものがなくても生きていけるよ、私はこうやって鶴田で8年やってきたよと伝えたい。川口さんと一緒に「素のままproduct」を始めたのも、飲食の人の働き方を探りたいと思ったから。

高橋:飲食は本当に大変だよね。休めばロスが出るし、利益率も低いし。

岡:そうそう。料理をまったくしないので、もう作ってくれる人に感謝しかない!

川口:自分は「素のままproduct」でも、会員制で自然派ワインやお茶と料理を出している「澱と葉」のイベントでも、料理人とは名乗っていなくて。職人的な料理人って毎日作り続けないと感覚が鈍るといいますけど、そこまでやれる自信もないし、僕はそこからリタイアした人間。でも、だからこそやれることを考えました。日々インプットしておけば、即興的にアウトプットできる場さえあれば活動できる。僕も岡さんも社会不適合者なのですが(笑)、自分の命を守りながら人の役に立つことを考えて、実行していきたいと思います。

岡:東京だとできないことがやれるのも鶴田だし、実験しやすい地に生まれてラッキーでした。鶴田で実現できるなら、日本のどこでも実現可能なはず。

高橋:こうやって話を聞いていると、やっていることはバラバラでアプローチも全然違うんだけど、共感するしずっと聞いていられる。一緒に仕事をする人でも、ビジネスだけの関係ならこんなに盛り上がらないじゃないですか。フィールドは違っても同志なんだなと感じます。形は違うけど、見ているものは同じ。

一同:あ! これって……岩木山みたいじゃない!?

高橋:みんな違うルートで登って、頂上で会う感じですね(笑)。

りんごの生産量が国内第1位の青森県。高橋氏曰く、津軽のりんごは海外のどの名産地のものより質が高いそう。培われた栽培技術は、それ自体が津軽の宝だ。

背後の岩木山の形を連想させる「kimori」の三角屋根。蟻塚氏がこだわったという白い色は、畑の緑に映えるだけでなく冬の雪に溶け込み、景色の一部となる。

古い店舗をセルフリノベーションした「回」。りんご木箱を無造作に置いて自由にくつろげるスペースにしたのは、津軽のりんご畑へのオマージュでもある。

津軽富士とも呼ばれる岩木山は、津軽の人々の心の拠り所。古くから山岳信仰の聖地とされ、今も豊穣祈願を願い山頂に詣でる「お山参詣」という習わしが残る。

既に何度も飲み交わしている友人だったり、人づてに聞いて知っている存在だったりと、共通点も多い4人の津軽話は大盛り上がり。対談後は引き続き、弘前市内の人気居酒屋へ! 第二部の爆笑トークはまた別の機会に。

場所協力:集会所indriya 
住所:青森県弘前市紙漉町4-6 MAP
電話:0172-34-6858

授賞式の裏側で。アジアが注目する日本食材。そして、順位では評価できない思想と哲学。[ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS 2019/マカオ]

ボ氏は、「塩」を通して、食べるだけではない文化や環境問題に対しても熱く語り、シェフとしてだけではなく人としての生き方も見せた。

アジアのベストレストラン50 2019大会が全てではない。シェフの生き方こそ、レストランを形成し、社会と結ぶ。

授賞式の前日に「#50 BEST TALKS」と題し、今回エントリーされた4人のシェフたちによるトークショーが開催されました。テーマは、「Vital Ingredients 必要不可欠な食材」。登壇したシェフは、日本から『傳』の長谷川在佑氏と『Il Ristorante luca Fantin』のファブリツィオ・フィオラーニ氏、バンコクから『Gaa』のガリーマ・アローラ氏と『Bo.Lan』のボ・ソンヴィサヴァ氏です。長谷川氏のテーマは「SOUL 心」、ガリーマ氏のテーマは「SPICE 香辛料」でしたが、『ONESTORY』が注目したのは、ファブリツィオ氏とボ氏。

その理由は、両者が日本の食材に関心を持ったプレゼンテーションが多かったからです。例えば、ファブリツィオ氏が話す「必要不可欠な食材」は、「SUGAR 砂糖」。和三盆を使用した料理の事例や、自ら食材を求め、波照間島へ黒糖を探す旅を映像も踏まえてユニークに演出。畑や工場を巡り、生産者と出会い、そこで獲れた黒糖を使用した黒蜜を仕入れ、自身の料理に用いていると言います。

また、ボ氏のテーマは、「SALT 塩」。島の塩、海の塩、山の塩……。料理に合わせ、使い分けることはもちろん、驚くべきは日本の「相撲」の塩まきの文化までをも一例とし、食べるだけではない塩の扱われ方について話します。

そして最も熱く語っていたことは、塩を通して考える環境問題について。例えば、前述の海の塩。「今、世界中の海は、ゴミの問題に直面しています。ペットボトル、タバコ、ビニール袋……。この問題は、塩だけではなく、海から生まれる生命体に大きな影響を及ぼしています。まずは自分たちが問題視し、アクションを起こし、地球を救い、次の世代に受け継いでいかねばならないと思います」。

他国のシェフから日本の食材や文化に興味を抱いて頂き、このような場でそれを発表してもらえることは、日本人として嬉しい体験でした。

レストラン同様、日本の生産者が生み出す食材もまた資産価値が高く、それは確実に世界レベルだと実感した瞬間でもありました。

▶詳細は、ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS 2019/一言で表すならば「番狂わせ」。果たして、勝利の女神は微笑んだのか!?

ファブリツィオ氏のテーマは「砂糖」。日本は波照間島の黒糖を絶賛し、自ら産地にも足を運び、畑を巡る。

「塩」をテーマに様々なプレゼンテーションを行ったボ氏。その一例に、日本の「相撲」の塩まきも一例として紹介。

ガリーマ氏は、「香辛料」をテーマにプレンゼンテーション。今大会では「elit™ Vodka Asia’s Best Female Chef」も受賞。

『傳』は、唯一チームとして出演。お客様の顔が見えなくても、予約の電話があった時からおもてなしの「心」は始まっていることを表現。

アジアのベストレストラン50 2019際どいテーマを恐れず語る。その姿勢は、シェフとして勇気ある行動。

「#50 BEST TALKS」の次に行われたのが、「THE PANEL」のトークセッションです。テーマは、「SUSTAINABILITY 持続可能性」。ここで言う持続可能性とは、環境問題、生物的システムの持続可能性と言っていいでしょう。

参加するのは、チリの『BORAGO』ロドルフォ・グズマン氏とミラノの『Wood*ing』ヴァレリア・モスカ氏、日本の『L'Effervescence』生江史伸氏、そして先ほど「#50 BEST TALKS」にも登場したボ氏です。この日一番白熱し、料理のテーマを超え、学校や教育まで。最後は「『ASIA’S 50 BEST SUSTAINABILITY』を開催したら!」と話しは尽きず。

現代社会を生きる上で、避けては通れない環境問題や食問題。考え方は人それぞれかもしれませんが、いかに自分事化し、何ができるのかを考え、どう生きていくのかが問われていると思います。

美味しい、楽しい、幸せ。もちろん、そんな華やかな世界がレストランであり、その記念すべき祭典こそ『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』です。

しかし、その裏側では、食べることや料理することを通し、しっかり社会の一員として更に一歩先のレストランのカタチを目指しているシェフもいるのです。そんな姿を可視化できるのもまた『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』なのです。

思想や哲学は順位で表せないかもしれませんが、これもまた「ベストレストラン」だと思うのです。

白熱した「THE PANEL」のトークテーマは「SUSTAINABILITY」。答えに正解がないだけに、個人の生き方が問われる。左から司会者、ヴァレリア氏、ロドルフォ氏、ボ氏、生江氏。

受け継がれる名工の技と心、終わりなき挑戦と革新の系譜。[Grand Seiko/長野県塩尻]

精緻な作業に没頭する中田克美氏。“現代の名工”“黄綬褒章”をともに受賞するほどの名工。

グランドセイコー信州の山々に囲まれた地で出合った、清廉実直なウォッチメーカー。

水温む3月も半ばに、新宿駅から中央特急あずさ号に揺られること凡そ2時間半。諏訪湖畔の岡谷駅を過ぎ全長6kmにもおよぶ塩嶺トンネルを抜けるとそこには、新緑の尾根と雪に覆われた平野という、私たちの予想を裏切る美しいコントラストが広がっていました。
「2,3日前にドカ雪が降ってね。春の立ち上がりは毎年こうだからさ」

塩尻駅からタクシーに乗り込み、見るからに人のいいベテランドライバーの運転で10分も掛からず到着した、セイコーエプソン塩尻事業所。訪ねたのは、その一角にある「信州 時の匠工房」です。

「信州 時の匠工房」は、スイスの名門ブランドをも凌駕するといわれるグランドセイコーを中心とした、高級腕時計を専門に製造するマニュファクチュールです。一般的にムーブメント(駆動装置)から自社で開発、製造する時計メーカーをマニュファクチュールと呼び尊ぶ傾向にある時計業界ですが、「信州 時の匠工房」はムーブメントはもちろん、ケースや文字盤、針などの主要部品を一貫して自社の同じ工場内で製造、組み立て、出荷検査まで行う、真のマニュファクチュール。これは世界広しといえども、非常に稀で、それほど希少でハイレベルな叡智が凝縮された“創造”の場であることを意味します。

そんな「信州 時の匠工房」が担うのは、グランドセイコーのなかでもクオーツ式とスプリングドライブという機構を採用したモデルの開発や製造。我々がお会いしたかったのは、そんな「信州 時の匠工房」を構成する主要部門のひとつ、複雑時計や最高級品を手がける専門工房である「マイクロアーティスト工房」の時計技能者として“道”を極めんとする、中田克美氏です。

▶詳細は、Grand Seiko/技術は想いから創造される。日本が誇る時のブランド「グランドセイコー」。

「信州 時の匠工房」からほど近い、高ボッチ高原から望む塩尻の町。このエリアの清涼な気候こそ、高級時計に代表される精密機械製造発展の要因。

グランドセイコー地元で支える、世界に誇るグランドセイコーのものづくり。

塩尻は冷涼な気候と清らかな水源に恵まれ、また中山道の宿場町でもあったこともあり、古くから交通の要所あるいは製造業の拠点として栄えてきました。現在でも多くの精密機械メーカーが軒を連ね、また伝統的な木曽漆器工房や古き良き奈良井宿の町並み、世界的評価を高めているモダンなワイナリーなど、見どころの多い土地でもあります。中田氏はそんな塩尻にほど近い、諏訪郡原村で生まれ育ったのだといいます。

「地元の諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン)に入社した1982年頃、爆発的なクオーツの普及によって、ゼンマイ駆動の機械式グランドセイコーは高精度機械式時計としての役目を一旦終えていました。しかし80年代後半にグランドセイコーを復活するというプロジェクトがスタートし、その専用キャリバーであるクオーツ式の『9587』の組み立てに携わることになったんです。それが私とグランドセイコーとの馴れ初めです」

世界初のクオーツ式腕時計である「クオーツアストロン」、またその後の特許技術の公開によって世界中へクオーツ式時計の普及を進めていたセイコーは、88年に発売したグランドセイコー初のクオーツモデル「95GS」によって、巷のクオーツ時計を大きく引き離す年差±10秒という圧倒的精度を実現。グランドセイコーの名声と技術水準の高さを、改めて世界に轟かせたのです。

諏訪精工舎といえば、ぜんまいで駆動しながらも驚異的な高精度を実現した、スプリングドライブというセイコー独自の駆動方式が生み出された場所。そんなイノベイティブな環境で、若き日の中田氏は研鑽を積んでいくことになります。
「決して趣味とは言えませんが、子どもと一緒に家の近くの阿弥陀岳に登山に行ったりします。実は高所恐怖症なので下山が大変なんですけどね(笑)。諏訪大社の御柱祭は完全に地元で上社側。松本の工場勤務だった時代を除いては、いつも参加させてもらっているんですよ。……正直、家と職場の往復しかしてないので、塩尻のことはあまり知らないんです」

そう申し訳なさそうに話す中田氏にとって、この地域は慣れ親しんだ“当たり前”にあふれた土地だということなのでしょう。

バーゼルワールド2019で発表された最新作「SBGZ001」。

最新作「SBGZ001」、「SBGZ003」のムーブメントも、意外なほどアナログな工具によって磨きや組み立て、調整がなされる。0.01mmの誤差も許されない超精密な作業だからこそ、熟練した技能士の感覚だけが頼り。

グランドセイコーテクノロジーではなく技術者の進化が、製品を進化させる。

世界最大の腕時計見本市・バーゼルワールド2019にて発表されたばかりの新作「SBGZ001」、「SBGZ003」は、スプリングドライブの誕生20周年を記念した新開発の手巻きムーブメント「9R02」搭載モデル。構想から商品化まで、実に27年という月日を要したセイコー独自のスプリングドライブは、ぜんまいのトルクで駆動しながらクオーツ式時計と同等の驚異的な高精度を実現した独創の機構です。しかし常に自らを進歩させ、時計技術の進化と発展を目指して挑戦し続ける中田氏とそのチームは2016年、最大約8日間(192時間)、つまりは1週間以上の連続駆動を可能とする新ムーブメント「9R01」の開発を成功させてしまいます。つまりは“機能”を飛躍的に進化させたわけです。

「最新の『9R02』では、新たに開発した“デュアル・スプリング・バレル”と“トルクリターンシステム”という機構によって、エレガントでコンパクトなケースと最大約84時間の駆動時間を両立させることができました。これで金曜日に時計を外しても、月曜日にまだ余裕で駆動し続けていることになります。たとえ高すぎる壁に見えても、研究と試行錯誤を繰り返し乗り越える方法を探し出すことで、もっと高い領域を目指さなければなりません。2011年に発表したミニッツリピーター(鐘の音で時刻を知らせる超複雑時計)のように、今まで自分達が作ったことのない、まったく新しい機能をもった製品をいつの日か作ってみたいですね」

最先端のテクノロジーが凝縮されたグランドセイコーであるはずなのに、その組立や調整、仕上げをする中田氏の仕事ぶりを見ていると、実にアナログで前時代的であるとすら感じられるときがあります。
「部品仕上げの精度と美しさを追求するために、さまざまな文献を調べてみたり、スイスの著名な独立時計士であるフィリップ・デュフォーさんを訪ねて教えを乞うたこともありました。科学的なアプローチも色々試した結果、最終的に以前から使っていた柳箸で磨き上げるような、最もクラシックな道具と手仕事がベストという結論に立ち返ったんです。もちろん、現時点でのものですけどね。」

故きを温ね新しきを知るとはよくいいますが、“故き”にこそ真理があるというのもまた、真理なのかもしれません。

地元・諏訪の出身の中田克美氏。スプリングドライブをベースとしたコンプリケーションウオッチの組み立てなどに腕を振るう傍ら、新製品の開発も。

中田氏の手首に巻かれているのは、「繊細なデザインと、細い手首にしっくりくるサイズ感が気に入っている。特別なときにしか付けないんですけどね」という、名機「9Fクオーツ」を搭載した「SBGX005」(販売はすでに終了)。

グランドセイコー技術の継承と後進の指導は、つくり手としての義務なんです。

「クレドールという高級ブランドでは、スプリングドライブをベースとしたコンプリケーションウオッチである国内初のミニッツリピーターをマイクロアーティスト工房のメンバーで製作しました。茂木正俊が設計を、私が組み立てや調整を担当しましたが、複雑時計というのは仮にどんなに精巧な設計図であったとしても、そのまま組み上げただけではちゃんと動いてくれません。必ず誤差というものが生じるからです。0.01mm以下という僅かな誤差であっても、ミニッツリピーターのような機構は正しく動作しなくなってしまうんです」

そこでは長年培った知識と技術と勘により、その誤差を“調整”してうまく動くようにするという作業が、絶対に必要になってきます。
「これは自分の力だけでは不可能だし、先輩に教えてもらうだけでも不可能です。だからこそ技術の継承というものが、なによりも大切なんです。最高の技術と知識が求められる製品を販売し続けることで、我々技能者は常にそのような製品に触れ合い、己の技術を磨くことが出来ます。また先輩の技術を学ぶことが出来ます。このような環境が、グランドセイコーが常に最高峰の腕時計として君臨し続けていられる理由であり、セイコーの、引いては日本の時計づくりという文化のさらなる進化をもたらす要因なんだと思うんです」

自分の好きな時計を設計から仕上げまで、好きなように作り上げる独立時計師が羨ましく、憧れる気持ちもある、という中田氏。
「でもつくり手にとって、技術の継承は義務のようなもの。後進の指導を含めてじっくりと取り組むことのできる『マイクロアーティスト工房』での仕事は、私にとって理想的なのかもしれません」

図面には現れない、決して数値化できない“見えない壁”は、決して人工知能や機械に越えることはできません。そして知識や技術に加えて情熱までも、世代を超えて受け継いでいけるのは、我々人間だけだと思うのです。スプリングドライブならではの水面を滑るようにスムースに動く秒針は、決して途切れず止まることのない“時”の流れを象徴するかのよう。

「ゴルフが好きでよく行くんですが、強いバックスピンが掛かったボールは、地面に落ちてくるのがとてもゆっくりに感じられますよね。その動きを眺めていると、“時”の流れを強く感じるんです。あと鏡に写った自分が、いつのまにか白髪交じりになっていることに気づいた時も(笑)」

グランドセイコーのコンセプトである“Nature of Time”とは、移ろい、流れ続ける“時”の永続性を意味するもの。目を凝らし、耳を澄ませば、わたしたちの身のまわりでも本当にたくさんの“Nature of Time”を見つけることができるでしょう。
 

(supported by Grand Seiko

中田氏だけでなく、すべての技能士が自分の手と感覚に合うよう自らカスタマイズした工具を使用。また常に同じ使用感を得るようにするため、日々の手入れも欠かせない。

グランドセイコーとして初のマイクロアーティスト工房製のモデルとなった「SBGD201」。その長く、大きく、スムースに回転する秒針が、スプリングドライブならではの時の“流れ”を体現。

「SBGD201」に搭載されたキャリバー「9R01」シリーズは、塩尻の風景を見事にデザインへと昇華。受けの輪郭で富士山、パワーリザーブが諏訪湖、ルビーやネジは街の灯りを象徴。

高ボッチ高原に立てば、眼下に広がるのは美しい諏訪湖と諏訪の街。キャリバー「9R01」と見比べれば、その再現性の高さは一目瞭然。これこそまさに、Made in Japanの圧倒的技術力と美意識の発露。

お問い合わせ:0120-302-617 ※グランドセイコー専用ダイヤル(通話料無料)
受付時間:月曜日~金曜日 9:30~21:00
土曜日・日曜日・祝日・年末年始 9:30~17:30
グランドセイコー HP:https://www.grand-seiko.com/jp-ja

一言で表すならば「番狂わせ」。果たして、勝利の女神は微笑んだのか!?[ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS 2019/マカオ]

今回も大いに湧いた『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』。興奮冷めやまぬ受賞後のシェフたち。

アジアのベストレストラン50 2019初入賞の2店に加え、大会過去最多となる12店の日本レストランが受賞!

今年もマカオで開催された『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』。一言で表すとしたら「番狂わせ」。予想外の大会となりました。

今回、『ONESTORY』では3人のシェフに注目していました。ひとりは『傳』の長谷川在祐氏。ふたり目は『Florilege』の川手寛康氏。3人目は『茶禅華』の川田智也氏です。前者のふたりは、昨年2位、3位。あと1歩まできたその先の順位は、今大会のランキングで最大に注目すべき点でした。そして、川田氏。初エントリーな上、参加した日本人シェフの中では最年少。『ミシュラン』では二つ星を獲得しているものの、『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』は、また別物。世界的に見てもトップレベルのあのティーペアリングは、どう評価されるのかが着眼したい理由でした。

そして、この3人を含む全ての日本人シェフの順位はこのようになりました。

3位『傳』、5位『Florilege』、8位『NARISAWA』、9位『日本料理 龍吟』、14位『La Cime』、18位『Il Ristorante luca Fantin』、23位『茶禅華』(初入賞)、24位『La Maison de la Nature Goh』、25位『鮨さいとう』、26位『L'Effervescence』、45位『Quintessence』、47位『Sugalabo』(初入賞)。

加えて、「Chef’s Choice Award」には『傳』が、「American Express Icon Award」には『日本料理 龍吟』が受賞。

気になる1位はシンガポールの『Odette』、前回1位だったバンコクの『Gaggan』は2位という結果でした。
(全リストは公式HPのhttps://www.theworlds50best.com/asia/en/をご参照ください)

3位に受賞した『傳』は、シェフの投票により選ばれる「Chef’s Choice Award」も受賞。「本当に僕でいいの?」と長谷川氏がジェスチャーしていたのも印象的。

5位に受賞した『Florilege』の川手寛康氏。今後も更なる活躍が期待される日本を代表するシェフのひとり。

23位に受賞した『茶禅華』。「中国料理の素晴らしさと日本の豊かさを伝えることに貢献したいです」と川田氏。

アジアのベストレストラン50 2019順位では測れない、本当に大切なことは何か。

この『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』は、美味しいだけではない「何か」が必要なのかもしれません。それは、他の大会やガイドでは着目されないようなエンターテインメント性や面白さ、時に奇抜さなど。そして、高い順位を得るには、他国のシェフとコラボレーションなども行い、国外の人々に認知される機会を積極的に設ける活動も必要とされるでしょう。果たして何が大切なのか。

そんな中、日本人シェフ全員が話す「一番」大切なことは、「お店に来て頂くお客様を幸福にすること」だと言います。そして、そんな日本のシェフ同士の結束力は高く、おそらく『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』に参加する国の中でも「一番」絆が深いと思います。自分の順位よりも仲間の順位を気遣い、共に喜び、共に称え合い、共に涙する姿は、相手を思う気持ちがあってこそ。このふたつの「一番」には決して「番狂わせ」はありません。

更にその絆は、横のつながりだけではありません。前述の「American Express Icon Award」を『日本料理 龍吟』が受賞した場面がそれを象徴しています。

司会者が「RYUGIN!!」とコールし、山本征治氏が壇上に登ると旗を持った4人が突如走り出し、同じ壇上に。その4人は、今回31位にランクインした台湾の『捷運 龍吟』稗田良平氏、50位にランクインした香港の『TA ViE』佐藤英明氏、そして『Il Ristorante luca Fantin』のルカ・ファンティン氏と『茶禅華』の川田智也氏。そう、全員山本氏の弟子です。

4人は自分の受賞よりも師匠の受賞に歓天喜地し、「龍吟」と書かれた旗を目一杯振り続けました。
「突然でビックリしました(笑)。彼らは皆優秀なので、それがこうやってアジアでも評価されることは自分の受賞よりも嬉しいです」と山本氏。

師匠は弟子を想い、弟子は師匠を想う姿は、会場中を感動に包みました。それが日本のシェフであり、チーム日本なのです。

順位は結果であり、本質は人にあります。その本質を、今大会では日本のシェフは魅せてくれたと思います。

『傳』『 Florilege』、『La Cime』、『La Maison de la Nature Goh』のシェフを始めとした4チーム。シェフ同士の結束はもちろん、各店のスタッフとの絆も強い。

「American Express Icon Award」を『日本料理 龍吟』が受賞した場面。4人の弟子も歓喜。

アジアのベストレストラン50 2019改めて、『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』を振り返って。

チェアマンを務めた中村孝則氏は大会を振り返り、「今回、ランクインされた日本のレストランは12店と過去最多であり、熾烈なアジアの中で『茶禅華』と『Sugalabo』のニューエントリーがふたつもありました。それはとても誇らしいです。評価されるので順位はありますが、おそらくその全てが僅差だったと思います。そして、僕自身、改めて行ってみたいレストランの発見もありました。現代はSNSやインターネットの急速な発達により、社会は情報に溢れています。ゆえに、見たつもり、聞いたつもり、行ったつもり……と、錯覚を起こしてしまうこともあります。そんな時代だからこそ、“体験”は“価値”だと思います。その価値がレストランにはあり、レストランは体験が全てなのです。『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』を通して、ぜひ皆様にもその体験をして頂けたら嬉しいです」と話します。

今回、『ONESTORY』は3人のシェフに注目しましたが、ランクインされたレストランは全て素晴らしい「ベストレストラン」です。人は体験することで感動が生まれます。是非、シェフと出会い、料理に歓喜し、ご自身でその感動を味わっていただければと思います。

そして、2020年はどうなるか!? 誰がランクインし、どこで開催されるのか!? 母国日本での開催はあるのか!? 早くも次回に期待が高鳴ります。

授賞式前夜の一枚。この笑顔が物語るように、日本のレストランの絆は強く深い。それがチーム日本。

ふたりの作家が回想する、南会津で出逢った美しき景色、人、伝統・文化。[NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU]

福島県南会津への玄関口となる、東武東上線浅草駅のプラットホームで談笑するアレックス・カー氏(左)と小林紀晴氏(右)。

ニュージェネレーションホッピング南会津ふたりの作家による待望の対談が実現。テーマは「南会津の旅」。

福島県の南西部にあり、東北地方の南の玄関口「南会津」。手付かずの自然と山間の環境に守られながら、独自の伝統文化が育まれたこの地域には、他の地域では失われつつあるプリミティブな景色が広がり、訪れた誰をも魅了します。東武鉄道株式会社と共に、1年間をかけて南会津を見つめ直す旅を続けた『ONESTORY』。その主役でありナビゲーターを担ったのは、ふたりの作家です。ひとりは写真家であり、作家の小林紀晴氏。そしてもうひとりは、東洋文化研究家であり作家のアレックス・カー氏。旅の起点となる東京・浅草駅でそれぞれの旅を思い返しながら、南会津の魅力を語っていただきました。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

アレックス氏は春冬の2回、小林氏春夏秋冬を通じ6回も南会津を訪れた。片道3時間強の旅も、東武鉄道の新型特急「リバティ会津」なら快適そのもの。

1年にわたる「南会津」の企画に共に携わり、初対面を果たしたおふたり。旅の話題ですぐに打ち解けた。

ニュージェネレーションホッピング南会津圧倒的な大自然、季節の景色、人、茅葺き、祭り。通うほど惹かれる「南会津」。

それぞれ別々に南会津へ訪れた写真家であり作家の小林紀晴氏と東洋文化研究家であり作家のアレックス・カー氏。ふたりの作家には、この街がどう写り、どんな言葉を紡いだのか。それぞれの独自の視点がありましたが、どこか繋がっている感性を持つもの同士にも見えます。

小林紀晴氏(以下、小林。敬称略)
「春夏秋冬を通じて、計6回訪れました。これまで会津若松には何度か足を運んだことがあったのですが、南会津は初めて。まったくの未知の場所でしたので、正直ピンときませんでしたが、通いながら地域をつぶさに見ていくと、祭りや風習も興味深く、次第に魅了されていきました。四季それぞれの景色も、コントラストが鮮やか。特に春と冬は素晴らしかったですね。昨年の冬は雪が2メートルも積もるほどで圧倒されましたが、春には雪が溶けてなくなり、同じ場所とは思えないほど。非常に印象的な体験でした。」

アレックス・カー氏(以下、アレックス。敬称略)
「私は冬と春で2回ほど訪れました。一番の目的は「大内宿」です。山間に40戸160名が暮らす小集落で、築300年の古民家が整然と並んでいる。その町並みを勉強するつもりで、まず行ってみたい場所のひとつでした。全国的に見ても、茅葺き屋根の古民家が1箇所だけ残され、重要伝統的建造物群保存地区に指定はされているものの、周囲には何もないというのはありがちですが、南会津は違います。大内宿だけではなく旧街道や前沢曲家集落、昭和村とあちこちに点在している。茅葺き屋根の家々があれだけ広範囲に建ち並び、文化としてきちんと残っている地域は、日本広しといえど他にありません。非常に貴重な財産なのです。現在、どれだけ力を注いでいるかはわかりませんが、南会津や福島県が今後もきちんと整備をして活用すれば、かなりの財産になると思いました。」

長野県諏訪出身の小林氏も南会津の豪雪には圧倒された様子。冬でしか撮影できない景色をカメラに収める。

国選定重要伝統的建物群保存地区「大内宿」。茅葺き屋根の古民家にカメラを向ける小林氏。

「大内宿」の茅葺き屋根に厚く降り積もった雪と青空を切り取った小林氏の作品「雪そら」。

旅の目的のひとつだった「大内宿」を訪れたアレックス氏。茅葺きのオーソリティーとして知見をさらに深めた。

「規模といい保存状態といい、茅葺き屋根の古民家がこれほど美しく残されているのは日本広しといえど珍しい」と、アレックス氏。

ニュージェネレーションホッピング南会津ふたりの視点を通じて紐解かれる「南会津」ならではの知られざる魅力。

小林紀晴氏とアレックス・カー氏。ふたりの共通点は、作家ということだけではありません。両者は、国内外を問わず旅する旅人なのです。様々な国や街を見てきたふたりには、この南会津という地域の何に価値を見出し、何に惹かれたのでしょうか。

アレックス「新潟県・佐渡の田舎を思い出しました。水田が物凄くきれいに広がっていて、集落がちょこちょこと点在する。まだまだ開発されておらず、のどかな雰囲気が残されている。そんな佐渡と南会津に共通点を感じました。」

小林「南会津ほど雪は降りませんが、僕の地元である長野県諏訪にどこか似ていると思います。実家は甲州街道沿いの宿場町にあり、子供の頃は旅籠の格子など面影がかろうじて残っていて、お寺も茅葺き屋根にトタンがかかっていた。諏訪では南会津にあるような昔懐かしい景色はもはや失われているので、寂しさを感じます。」

アレックス「茅葺き屋根はトタンをかけてくれれば、茅だけでなく柱や梁なども残り、構造自体が守られます。先入観として茅葺きは補修にお金が掛かり難しいと思われているようですが、実は耐用年数や費用的にも、木造などとさほどかわらない。日本では茅葺きイコール江戸時代のイメージですが、海外はそうではありません。デンマークやオランダなどヨーロッパでは近代美術館や新築住宅でも茅葺きが増えています。形も独特で、造り方によっては彫刻的な造り方ができる。茅葺き職人が世界に出て、学ぶ時代です。クリエイティブで建築家も興味を持つ分野、エコの面でも存在意義はとても大きい。日本では取り壊して新築にしてしまうところも多い中、南会津では保存されている。兵庫の有馬にも何百件と残っていますし、京都の美山でも補助金で吹き替えを行なっています。南会津は周辺の自然や田んぼも美しいまま残されている。四季折々の景色もあり、全てが揃っているんです。これは大きなチャンスだと思います。」

小林「僕はこれまで日本全国の祭りを巡り、特に「奇祭」と呼ばれる地域ごとの小さなお祭りを撮影し続けています。南会津ではまだ行けていないのですが、「高野三匹獅子」など興味深い祭りがあるそうです。ぜひ行ってみたいのですが、近づかないと日程がわからない(笑)。新潟・佐渡などの祭りは曜日に関係なく、決まった日にちに開催されますが、南会津では土日に開催するらしい。地元の方からしたらわざわざ遠方から観光客が来るはずがないと思っているのかも知れませんが、価値や素晴らしさに気づいていない。とてももったいないし、そこは工夫する余地があるとも思います。」

思い入れのある京都・亀岡や新潟・佐渡と比較し、考察するアレックス氏。小林氏も故郷の長野・諏訪との共通点を語ってくれた。

春に訪れた「南会津」の旅でアレックス氏が宿泊した湯の花温泉の民宿「ふじや」も茅葺きの文化を継承する。

デンマークにある草葺き屋根の家屋。ガラスなどと組み合わせ、建築としての新しい可能性を示す好例。茅葺きは建材として世界的にも注目されている。

独自の視点を語るアレックス氏に共感する、小林氏。「南会津」でのそれぞれの経験を共有するひと時となった。

故郷の長野・諏訪ではすでに失われてしまった景色の面影や伝統文化を南会津に見た、小林氏。

ニュージェネレーションホッピング・南会津アレックス氏と小林氏それぞれが認め、勧める「南会津」の魅力。

この対談企画では、ぜひ聞いてみたいことがありました。それは、「それぞれが相手に勧めたい南会津の魅力」です。なぜならば、互いに共通点を持つふたりならば、必ずや興味も引かれ合うと思ったからです。

小林「駒嶽神社の境内にある「大桃の舞台」は見所のひとつです。最初、冬に行ったのですが雪が深くて近づけなかった。春か夏がいいでしょう。国の重要有形民俗文化財に指定されている茅葺き屋根の農村舞台で、一時期は途絶えていたそうですが夏に農民歌舞伎をやるそうです。観光化されていないし、手作り感が魅力。地元の楽しみとして親しまれています。もうひとつは、会津町「左下り観音(さくだりかんのん)」。山の斜面の岩盤を切り開いてお堂が建てられ、観音様を祀っている。京都の清水寺や佐渡の清水寺(せいすいじ)、鳥取の投げ込み寺にも似ています。自然の中にどうやって、何のために作られたのか興味深く、迫力があります。やや荒れている印象を受けたほど、観光客はほとんどいないし、地元でもあまり知られていないようです。」

アレックス「難しい選択ですね。観光客が来ないと地域再生できませんが、一方でやたらと観光地化されるのも困ります。誰も行かないという魅力もあるように思います。私が小林さんに勧めるのは、昭和村。全体的にトタンが掛かった茅葺き屋根の集落なのですが、規模も大きく、周囲の田んぼがとにかく美しい。周囲の山々も植林をしていない自然の山。秋は特に綺麗だと思います。」

小林「「昭和村」は行ったことがありますが、冬だけ。他の季節は撮れていませんし、山ばかりを見て集落を見ていませんでした(笑)。」

アレックス「小林さんのモノクロの写真を見て、すぐに惹かれました。ふたりとも同じところを見ているのですね。強烈な印象でした。この周辺の山々は木が違う。幹が細くてデリケートなのです。杉の下手な植林から免れたのか、理由はわからないのですが、あのエリアはブナやナラなどの原生林が残っている。非常に珍しいですね。日本各地でも、九州・四国・京都の周辺もだめ。あったとしてもパッチワーク状態。杉が増えると暗いし、山は死んでしまう。最近の日本の山は本当につまらなくなった。景色に四季がない、三季です。明るい自然な山々を見て、とても嬉しかったし安らぎを感じました。私が特に惹かれた理由もそこですね。」

小林「地元の長野ではもうこういう風景は撮れないですね。杉が増えてしまって。南会津の冬の山々こそ、モノクロで撮りたくなる。来年もう一度、個人的に撮りに行こうと思っています。」

小林氏の夏の写真紀行で祭りを取材。地元の人のみで行う郷土芸能「大桃夢舞台」の演者を撮影した一枚。

小林氏がアレックス氏にお勧めしたのが「大桃の舞台」。苔むして草が生えた茅葺き屋根を鮮明に切り取る。

岩盤に沿って建てられた「左下観音」も小林氏がぜひ訪れるべき、と勧める場所のひとつ。

南会津に点在する茅葺きの集落を探訪したアレックス氏。今後も「通い続けたい」と抱負を語った。

小林氏がモノクロで撮影した冬の南会津の山。「手付かずの自然が残っていて、南会津の山は明るい。感動しました」とアレックス氏。

「白と黒が反転したかのような冬景色に惹かれます」とは、小林氏。

ニュージェネレーションホッピング南会津旅の印象をさらに深めた、新しい出会い。人と人との縁が、再訪につながる。

今回の旅では、風景や催事、店や観光地など、様々な場所に訪れましたが、その数だけ人との出会いも多くありました。出会いの数だけ物語やエピソードが生まれ、その時間は、彼らの南会津の旅をより一層豊かにしてくれました。中でも、特に印象に残った人の話を両者から伺います。

アレックス「手打ち蕎麦を提供する『こめや』の主人であり、茅葺き職人でもある吉村徳男さん。吉村さんは公務員を辞めて、茅葺き職人に転身された方。茅葺きの技術と伝統を守るために廃校を再利用して伝習施設を造り、若い世代に手ほどきしています。古材を集めている只浦豊次さんも再会したい方のひとり。全国的にも地域住民は無関心なものです。各地域には吉村さんや只浦さんのように伝統文化を再認識させてくれる、中心的リーダーがいる。彼らが中心となって地域に貢献してくれるからこそ、街に活気がもたらされるのです。」
▶詳しくは、心に語りかける、民話の風情も色濃い茅葺き民家を訪ね歩く。

小林「飲み屋の方々は印象に残っています。僕は旅先でふらりとお店に入って、地元の人から古い風習など話しを聞くのが好きなのです。『ビアフリッジ』の関根健裕さん、『カフェ ジーママ』の五十嵐大輔さんとも出会いがありました。戊辰戦争の話、新しい靴をおろした時のならわしの話、大火の話、剣道の試合の話など。お酒を飲みながら、生の声が聞ける。普段は酔うと次の日にどんな話をしたか忘れたりするのですが、記憶に残っています。『会津酒造』9代目の弟に当たる渡部裕高さんは若いながら「ご先祖様のおかげです」とごく普通に、それも度々口にするのが印象的でした。」
▶詳しくは、小林紀晴 冬の写真紀行「反転の雪」。

「こめや」のご主人であり、茅葺きの担い手として活躍する吉村氏と。集落にある茅葺き伝承施設には、遠方から実習に訪れる人も少なくない。

「大内宿」にある蕎麦処『三澤屋』を経営する只浦氏(写真中央)。古材を集め、活かす、アイデアマンだ。

南会津をクラフトビールで盛り上げるべく、自宅のガレージを改造し、店と醸造所を造ったという『ビアフリッジ』の関根氏。

会津田島の町でカフェを営む『カフェジーママ』の五十嵐氏。1000人以上の集客を誇る南会津ローカルの野外フェス「大宴会in南会津」を立ち上げた発起人でもある。

『会津酒造』にて。入口近くに広がるスペースが、小林氏のお気に入り。歴史と伝統を感じさせる佇まい。

ニュージェネレーションホッピング南会津春夏秋冬、2度3度と足を運びたくなる「南会津」の吸引力とは。

何度も足を運んだ南会津。回数を重ねるごとに愛情も増し、街の歴史や文化に触れることによって、今まで知らなかった街の姿と出合っていきます。もし再び南会津に訪れるとしたら、お互いどこへ向かうのだろうか。

アレックス「私は秋に南会津を訪れてみたいですね。なぜなら、山が美しいから。京都のお寺に行けば庭に秋を感じるかもしれませんが、今の日本には秋がない。どこに行ってもつまらない。だから南会津で秋を満喫したいですね。」

小林「僕はやはり「祭り」。「高野三匹獅子」が気になっています。関東の場合、関東にも一人立ちの獅子舞は多いのですが、会津も一人立ち。何かしらの関係があるのか、ないのか....とても気になります。南会津はなかなか知られていない場所。だからこそ、自然や古くからの集落が残ったとも言えます。色々な人との出会いの中で、変わらないことの良さ、変えないことに誇りを持っていると気づかされました。去年と今年が何も変わらないことに価値がある。そうした考えは本当に素晴らしく、これからも通い続けたいと思いました。」

アレックス「東京近郊にありながら開発されず、手付かずの自然があり、伝統文化が継承された美しい田舎の町がある。これは特別なことだと感じています。都心からラグジュアリーな電車で快適にアクセスできるのに、行ったことがある人は少ないなんて。一大皮肉です(笑)。南会津はまだまだ可能性があり、知られていない魅力があります。今後も色々な季節に、様々な場所へ何度でも足を運びたいと思います。」


南会津の旅を通して記憶の軌跡と価値観が交わった、ふたりの作家。『ONESTORY』では今後も南会津に目線を向けながら、知られざる魅力を引き続きご紹介していきます。ご期待ください。

今回の対談で「南会津」への思いを新たにしたふたりの作家。今後も旅はまだまだ続きそうだ。

1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。2000~2002年渡米(N.Y.)。写真制作のほか、ノンフィクション・小説執筆など活動は多岐に渡る。東京工芸大学芸術学部写真学科教授、ニッコールクラブ顧問。著書に「ASIAN JAPANESE」「DAYS ASIA」「days new york」「旅をすること」「メモワール」「kemonomichi」「ニッポンの奇祭」「見知らぬ記憶」。

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

暖色の灯火に浮かぶのは、華美なき美しさ。暮らしに根ざす鳥取の民芸。[COCOROSTORE/鳥取県倉吉市]

夕暮れ時、温かい暖色系の灯りが手招きする店。外からでも中の様子は一目瞭然、ついつい立ち寄りたくなる造りに。

ココロストアランダムに見えるアイテムはすべてが鳥取の民芸という線で結ばれる。

倉吉市の旧市街を流れる玉川沿い、漆喰の白壁土蔵と赤瓦が印象的な白壁土蔵群は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定される鳥取県きっての観光名所です。そんな風情ある歴史地区からすぐの場所に、今回目指す『COCOROSTORE』は佇んでいます。

昔ながらの土産店や呉服店などが軒を連ねる地区にあり、オープンして7年。驚くほど街並みに溶け込む佇まいは、以前その場所で呼吸をしていた店舗をほぼ居抜きで使用しているからだと、店主の田中信宏氏は穏やかに笑います。

そして店に入ると陶器にアクセサリー、食品にお菓子、包丁などのキッチンツール、衣類もあれば、バッグやガラス工芸まで、雑然と並ぶそれらすべてのアイテムが、妙にしっくりと馴染んでいることに、これまた驚くのです。

思わず「ここは何屋ですか?」と質問したくなる店、それこそが『COCOROSTORE』。

すると田中氏はひと言。「鳥取を中心とした民工芸を扱う店とでもいいましょうか」と微笑みます。一見するととりとめのない商品構成に見えるそれらすべてが、鳥取の民芸というキーワードにより結ばれることで、違和感なく溶け込んでいるのです。

そう、『COCOROSTORE』とは、華美でなく、削ぎ落とされた日常の中の暮らしを見つめる道具が揃う店なのです。

店内に入ると様々なコーナーに鳥取の作家の民芸品が所狭しと並ぶ。

あくまでも芸術ではなく、暮らしの中で使われて魅力を発揮するアイテムがズラリ。

ココロストア家具職人から、民芸店へ、想いを乗せて転職。

ではなぜ、田中氏は鳥取の民芸を集めた店を作り出したのか?

「もともとは家具職人になりたかったんです。それで大学卒業後、都心の家具の小売店へ就職そこで営業を経験しました。その後、家具職人を目指す為、長野県松本市の家具製造会社へ再就職したんです。でもですね、いざ職人の道へ入るといろいろ見えてくることもありました」

職人の道は年功序列。経験こそが大切であり、仕事を覚えるには長い年月がかかること。ゆくゆくは地元へ帰り家具を作りたいという思いがあったこと。さらには全国各地で家具販売会スタッフとして現場を経験するうちにある思いが芽生えてきたのです。
「松本の会社で作っていた自社の家具と、自分が知る鳥取の職人が作る家具がとても類似点があり、民芸のルーツとして鳥取はとても重要な場所であるんです。松本で作る家具ももちろん素晴らしいのですが鳥取出身の自分には鳥取の家具や鳥取の民芸のことを紹介したいという思いが強くなりました。であるなら、生まれ育った地元の民工芸の素晴らしさを伝える仕事がしたいと思うようになったんです」

松本の民芸が嫌だったのではありません。たぶん田中氏は全国どの場所でもなく、やるならば鳥取の民芸を、そう思ったとき、自ずと足は地元へ向かっていたのです。27歳、裸一貫地元へ戻り、一から場所探しに始まり、店に置く民芸の数々も自らが職人や作家の元へ足を運び、お願いして回りました。
「地元でお店をするからですかね、皆さんとても協力的で無理も聞いてくださいました」

今では田中氏、そして『COCOROSTORE』を媒介にコミュニティの場が醸成される場所に。それこそが田中氏が目指す、この店の理想形なのかもしれません。

店内に貼られたPOPは作家の紹介はもちろん、お店を作った思いなども紹介されている。

ココロストアある鍛冶職人との出会いにより地元での出店へ舵を切ることに。

最後に田中氏は、ある職人の道具への想いを教えてくれました。
「まだ、自分が松本にいた時代に、工房を訪れて仕事を見学させてもらったのが『大塚刃物鍛冶』さん。初めて使用した大塚さんの包丁は恐ろしいぐらいに切れ味が良く驚嘆したのを今でも覚えています。こちらに戻ってお店を開く際も大塚さんには、鳥取で仕事をする気概を教えてもらうとともに、快く、開店に向けて包丁を取り扱わせてもらうことなったんです。わけのわからない若造を支援してくれ、本当に感謝しかありません」

鍛冶職人として全国から注文のある『大塚刃物鍛冶』のアイテムは、オープンから今でも『COCOROSTORE』を象徴する、鳥取を代表する民芸品であり、その気持ちに応えたいと田中氏は言います。
「日本に、いや世界に誇る民芸が鳥取にはたくさある。その素晴らしさを伝える一役に少しでもなれたらと思ったアイテムの1つなんです。本当に実直に、とことん研ぎ澄まし、使うことだけを目指した包丁。皆さんにぜひ切っていただきたいですね」

レジ横の特等席を占める『大塚刃物鍛冶』の包丁シリーズは、今なお田中氏の指針であるといいます。

レジ横の特別コーナーに陳列されている『大塚刃物鍛冶』の包丁シリーズ。

『The Wonder 500™』にも認定されるテーブルナイフは店を代表する人気アイテム。

住所:〒682-0821 鳥取県倉吉市魚町2516 MAP
問合せ先:COCOROSTORE
電話:0858-22-3526
COCOROSTORE HP:https://cocoro.stores.jp/
E-mail:cocorostore.1@gmail.com

『西宇和みかん』を巡る旅を通じて体感した、別格の魅力と新たな可能性。[TERROIR OF NISHIUWA/愛媛県西宇和]

昨年末に「西宇和みかん」だけを使ったスイーツコースを創り上げたパティシエールの中村樹里子氏。

テロワールオブ西宇和

風土を肌で感じ、生産者と語り合うことの意義を実感。

急な斜面を埋め尽くすように広がる、みかん畑。太陽の光に照らされた橙色の実は、輝くように美しく、青く澄んだ空と感動的なコントラストを成しています。眼下には、どこまでも凪いだ紺碧の海。『西宇和みかん』は、ほかに類を見ない絶景の中で育ちます。このみかん畑を訪れたパティシエールが中村樹里子氏でした。

▶詳細は、未知の『西宇和みかん』デザートコースを創造するため。現地を巡って体感した、西宇和の風土、生産者の志。

「それまで、みかん畑に行ったことがなかったので、本当に感動しました。こんな風に、みかんってなるんだなぁって。段々畑に、みかん色が一面に広がっていて、キレイでした」と中村氏。

『西宇和みかん』でフルコースを作る。
かつて『KIRIKO NAKAMURA』で、デザートだけのコース料理を提供し、世のグルマンを感動させた、中村氏の新たな挑戦。昨年末、期間限定で実現しました。クリエイションのヒントを得ようと西宇和も視察した中村氏。生産者と交流を深めることができ、『西宇和みかん』を作る喜び、苦労も知れたと振り返ります。

「ギュッと寒くなったとき、みかんの糖度が上がるのに、今年は昼夜の寒暖差があまりなく、苦労されているというお話でした。それと、印象深かったのは酸度のこと。酸味ってみかんにとって、とても大切で、酸度が上がらないと傷みやすくなるそう。そういうお話も聞けて良かった。みかんの成育には、水はけの良さが重要ということでしたけど、西宇和は段々畑になっていて、特に水はけがが良いということも、行ってみて実感できました。勉強になりました」

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の西宇和みかんで進む、新たな価値観の創造。

太陽の光をいっぱい浴びて美味しい『西宇和みかん』は育つ。

真穴地区で『西宇和みかん』を育てる宮本定氏と語る中村樹里子氏。

試食して、甘酸のバランスが良い『西宇和みかん』の魅力を実感。

テロワールオブ西宇和『西宇和みかん』の特性があって初めて創れたデザートコース。

「『西宇和みかん』は3つの太陽が美味しさの秘密」と地元の人は言います。段々畑の石垣は、3つめの太陽。白い石垣が陽光を受けて反射し、『西宇和みかん』の実を照らすのです。降り注ぐ太陽の光、陽光を受けて輝く海、そして、段々畑の石垣。美しく組まれた石垣は、現在の生産者の先代、先々代が山を耕し、積み上げていった大切な遺産。土壌も、牡蠣殻や塩抜きした海藻などを使って彼らが作ったと言います。今日では、マルチシートを敷き込むことで、4つめの太陽まで獲得。産地によっては農園内に、舗装道路を整備。5つめの太陽とする場合まであります。

恵まれた環境を活かして巧みに応用し、さらに、考えられうる知見も積極的に導入して、「もっと美味しい」を指向する。執念にも似た生産者の魂が込められているから、『西宇和みかん』は格別な美味しさに育つのです。味わってみましょう。

ひと房を包む、じょうのうは薄く、とろけるような食感。強い甘みだけでなく、わずかに酸味も感じられて、食べた瞬間、すぐに美味しいと直感します。溢れ出す豊かな果汁には、陶然となるほど。

「じょうのうが薄く、その分、ジュースが多いことは、現地で試食させてもらったとき、実感しました」中村氏も感じた、じょうのうが薄いという『西宇和みかん』の特性は、コースの中で登場した「roast」で存分に活かされていました。「じょうのうが付いたまま、『西宇和みかん』の実をローストしたんですが、もし、じょうのうが厚かったら、口に残ってしまい、食感も悪くなってしまったはず。ローストすると水分が抜ける分、生で食べるより、じょうのうを強く感じるんです。けれど、『西宇和みかん』はスッと口に入って違和感のない仕上がりになった。roastは『西宇和みかん』だから、うまくいったと思います」

▶詳細は、『西宇和みかん』が見せた、様々な表情。ついに完成した『KIRIKO NAKAMURA』の期間限定デザートコース。
※期間限定コースは終了しました。

美しく積み上げられた石垣に、先人たちの苦労が忍ばれる。地面に敷かれているのがマルチシート。

期間限定で復活した『KIRIKO NAKAMURA』の一品、「roast」。『西宇和みかん』を焼くことで、味を凝縮。

「温州みかんは使いやすい素材」と実感したと語る中村樹里子氏。

テロワールオブ西宇和『西宇和みかん』の魅力をもっと広く伝えるべく、カフェ・カンパニーも協力。

復活版『KIRIKO NAKAMURA』で提供された『西宇和みかん』のフルコースのほかに、今回は、中村氏とカフェ・カンパニーのコラボレーションも実現。
渋谷『WIRED TOKYO 1999』、表参道『発酵居酒屋5』、『フタバフルーツパーラー銀座本店』という3つの店舗で、『西宇和みかん』期間限定スペシャルメニューも登場しました。カフェ・カンパニーでPRを担当する加藤菜緒氏が振り返ります。

▶詳細は、『西宇和みかん』の可能性を伝えるスペシャルスイーツを、スイーツジャーナリスト・平岩理緒氏が実食。
※期間限定メニューは終了しました。

「街も、お店のキャラクターも、いらっしゃるお客様の層やモチベーションも全く異なる3店舗でしたが、総じて、お客様の反応は良く、ときにはオーダーが集中するほどの人気になりました。何より、私たちが重要と考える、お客様とのコミュニケーションが円滑に図れて、本当に良かったと思っています。

『西宇和みかん』が『どういう場所で採れて、どういう人たちが育てていて、今回、こういう人たちと一緒にメニュー開発しています、だから、ぜひ食べてみて下さい』というストーリーが語れた。ストーリーが語れるって、サービスするスタッフにとって、大きな武器になることを再確認しました」

渋谷と銀座のフレンチトーストはどちらもボリューム満点で、ランチとして食べる若い女性もいたそう。みかんは、冬になると家に普通にあって、コタツに入って食べる身近な存在で、身近過ぎるために、外食としてはどうなのか? という意見も社内にはあったそうですが、中村氏のクリエイションと、カフェ・カンパニーのサービス精神が功を奏して、見事、成功を収めたのでした。

「ただフレッシュで食べるだけでは感じられない、みかんの美味しさがあることを知りました。温めるのもアリだなって個人的には思いましたし、紅茶と柑橘の組み合わせを、オレンジでなく『西宇和みかん』でやってしまったというのも面白かった」と加藤氏。

「当たり前にあるものを、ちょっと視点を変えて、提供することの可能性」も感じたという加藤菜緒氏。

『WIRED TOKYO 1999』で提供された「西宇和みかんのデニッシュフレンチトースト」。渋谷の街のイメージに合わせて、可愛らしく仕上げた。

『フタバフルーツパーラー銀座本店』では「西宇和みかんとみかん蜂蜜のフレンチトースト」を提供。フレンチトーストからは紅茶が香る。

テロワールオブ西宇和挑戦することで見えてきた、『西宇和みかん』の新たな可能性。

煌めく海を眺めながら、みかん畑に立っていると、「平和」という言葉が自然と脳裏に浮かびます。温かくて心地良い。温暖な気候は、人も穏やかにするのでしょう。西宇和で出逢った生産者やJA関係者、それから、食堂や道の駅のスタッフ、誰もが一様に笑顔で、取材班を見つけると、人懐っこく話しかけてきます。

「どっから来たん?」「何しとるん?」

取材班に、同じ愛媛県の松山市内で生まれ育った人間がひとりいましたが、西宇和人の笑顔を見ながら、言いました。「南予の方々は特に人懐っこいかもしれませんね。闘争心のようなものがまるでない(笑)」

『西宇和みかん』が格別に美味しいのは、こうした人たちが作り、温暖な風土が育んできたからにほかなりません。そして、『西宇和みかん』を美味しいみかんとしてだけでなく、ひとつの素材として捉えたとき、可能性は大きく広がることを、中村氏やカフェ・カンパニーを通じて知ることもできました。

「『西宇和みかん』は、強さと優しさが1個の中に共存しているから、コースの中に強弱が作れる。それは、今回、トライしてみて初めて気付いたこと。皮の香りは強くしっかりありますけど、実は優しくてジューシー。そのまま食べても美味しいし、煮詰めれば変化が出て、また違った味わいになる。優しい分、ほかの素材とも合わせやすいですし、逆に、皮は炭化させても、あれだけの香りが残る強さがあった。これまで、1つの素材でフルコースというのは考えたことがなかったので、新鮮で、いろんな発見もありました」中村氏の話を聞いて、「carbonization」の鮮烈な香りが甦ります。

『西宇和みかん』の可能性を感じたのは加藤氏も同じでした。「今回のデザートはもちろんわかりやすくて良かったんですけど、もし、もう一度、やらせて頂けるなら、食事系の料理で『西宇和みかん』を使っても面白んじゃないかと思います。ポテンシャルをスゴく感じました」

さらに、中村氏は、こうも言っていました。「お客様の反応は本当に良かったですから、今年も何かやってみたいですね。コースはちょっと難しいかもしれませんけど、一品とかなら考えたいし、使いたいです」

『西宇和みかん』を巡る旅は、まだまだ続きそうです。

中村氏のコースより、「carbonization」。黒いパウダーが『西宇和みかん』の皮を炭化させたもの。鮮烈な香り。

「西宇和みかんはじょうのうが薄いから、皮も身も両方美味しく調理する事ができた。またチャレンジしたい」とコースを振り返った中村氏。

「スタッフのモチベーションもあがった良い取り組みだったので、西宇和みかんのコラボレーションは是非またやりたい」とカフェ・カンパニー加藤氏。

西宇和は一年を通して、柑橘王国。温州の『西宇和みかん』に続いて、中晩柑の『西宇和かんきつ』も栽培される。

大阪出身。関西の洋菓子店などを経て、29歳で単独渡仏。パリではシェフパティシエとして「L’Instant d’Or(ランスタン・ドール)」を1年でミシュラン1ツ星に導いた。帰国後は、東京・白金台の『TIRPSE (ティルプス)』に参加。軽やかでいて深みのあるデザートの味わいには国内外からの評価も高い。2015年7月8日より『TIRPSE』のランチタイムを1年間限定で『KIRIKO NAKAMURA』とし、6品の季節感あふれるデザートだけのコースを企画。
今回、目黒Restaurant『Kabi』にて、KIRIKO NAKAMURAデザートコースを2週間限定で復活させる。

桜の季節にこそ訪れたいスポットへ。お花見と厳選宿で地域を知る旅。[2019年春、桜の旅。/宿と桜]

度重なる天変地異においても朽ちることなく、約400年の時を経て成長した『一心行の桜』。枝の差し渡しは最大約26mにもなる。

宿と桜『阿蘇山』がもたらす壮大な景色と、豊潤な恵みを満喫。

心身ともに能動的になる桜の季節は、桜の名所だけでなく、少し時間をかけて、その場所にしかない景色に出合う旅に出かけてみてはいかがでしょうか。『ONESTORY』ではこれまで多くの宿泊施設をご紹介してきましたが、そのどれもが、単なる箱としての宿にあらず。地域ならではの魅力を追求し、それぞれの解釈で表現し伝え続けている名宿ばかりです。そんな宿をこの春はぜひ、旅の目的地のひとつに。桜が織りなす絶景とともに、地域に触れ、地域を深く知る、忘れ得ぬ体験が待っています。

大きく開いた枝ぶりに、可憐な花が咲き誇る山桜。熊本県阿蘇郡南阿蘇村に立つ山桜『一心行の桜』は、遡ること約400年前、戦に散った城主を弔うための菩提樹として植樹されたといわれています。訪れる人の心を癒し続けてきた春の風物詩の見頃は3月下旬から4月上旬、今年も見事な花を咲かせてくれることでしょう。

2016年に起こった熊本地震で被害を受けた地域ですが、一部の道路は復旧が完了し、『阿蘇山』を中心とする豊かな自然を体感できるドライブルートも開通しています。『草千里ヶ浜』をはじめとする壮大な風景を楽しみながら、車を北へ走らせること約1時間30分。国内屈指の温泉地であり、2009年には「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にて2つ星の評価を得た「黒川温泉」に到着します。その一角、温泉街から少し離れた山間の地を切り拓き、2016年にオープンした『月洸樹』は、深緑の中に8つの離れが佇む湯宿です。廃材などを巧みに取り入れた昔懐かしい雰囲気の内装に、全室内風呂・露天風呂付き。それぞれの部屋におけるテーマの異なるアプローチで、ゲストを非日常の世界へと誘います。

▶詳細は、戦国の世に散った武将を偲ぶ菩提樹。子孫代々守り続けてきた見事な山桜。
▶詳細は、10代の頃から憧れ続けた黒川温泉で、ついに手にした夢のカタチ。

円形露天風呂から客室を眺められる『月洸樹』の客室「夢見」。にじり口のある茶室も設けられている。

宿は黒川温泉街の中心地から歩いて10分ほど。敷地からは阿蘇の外輪山や、条件が重なれば雲海を望めることも。

宿と桜春の瀬戸内がもたらす、多島美と桜の絶景と日常を逸脱した体験。

島国・日本の多彩な海の景色の中でも、屈指の絶景は『瀬戸内海』から望む多島美ではないでしょうか。愛媛県今治市、『瀬戸内海』に浮かぶ『伯方島(はかたじま)』の北側に位置する『開山(ひらきやま)公園』は、春になると「ソメイヨシノ」を中心に約1,000本の桜が開花します。穏やかな海に浮かぶ島々とそこに架かる橋、美しく花開いた桜の共演はまさに風光明媚。山の景色とはまた違う春の姿がそこにあります。ゆったりとした時間を過ごした後は、『瀬戸内しまなみ街道』から隣の大島を経由し、四国へと入りましょう。海山が迫る四国ならではの景色を楽しみながら、車で約1時間15分。山間に突如として現れる、打ちっぱなしのコンクリート壁に包まれた建物は、約3,500㎡の敷地に7室のスイートルームのみを有する『瀬戸内リトリート 青凪』です。設計は安藤忠雄氏。愛媛に本社を構える大王製紙が、訪れるゲストをもてなすために贅を凝らして造ったというゲストハウスは、モダンかつ洗練された雰囲気。日常を逸脱する空間がそこにはあります。その立役者は建築だけにあらず、豊かな自然も忘れてはなりません。テラスへ出て『瀬戸内海』を眺め、大きく深呼吸すれば、身も心も瀬戸内の自然に溶け込んでいくようです。

▶詳細は、麗らかな春の陽射しの中で、瀬戸内の多島美と桜との見事な調和を楽しむ。
▶詳細は、圧倒的スケールと感嘆の建築美。日常を逸脱する安藤忠雄建築のスモールラグジュアリー。

波穏やかな『瀬戸内海』に浮かぶ島々が美しい『開山公園』展望台からの風景。

森に突き出すように延びる『瀬戸内リトリート 青凪』の象徴的なデッキプール「THE BLUE」。時間帯により様々な表情を見せる。

天井高約8m、広さ約170㎡を誇る最上級の客室「THE AONAGIスイート」。標高450mのロケーションから一望する瀬戸内のパノラミックな海は、息を呑むほどのスケール感。

宿と桜『富士山』と『伊豆高原』、静岡が誇る魅力を余すことなく体験する旅。

桜は日本のアイコン的な存在ですが、それと同じく、いやそれ以上に日本を代表するものといえば、『富士山』をおいて他にないでしょう。そんな『富士山』と桜が見事な共演を見せるのが、一級河川『潤井川(うるいがわ)』の下流に位置する『龍巌淵(りゅうがんぶち)』です。桜の本数は約50本と多くはないものの、まるで絵画のように完璧な構図の風景は圧巻のひと言。まさに「日本の春」を体現する景色です。ここでしか出合えない景色に身を委ねた後は、静岡が誇るもうひとつの観光地『伊豆半島』へ。『龍巌淵』のある静岡県富士市より約1時間30分のドライブで到着する『伊豆高原』は、『大室山』の麓から『城ヶ崎海岸』まで広がる海山の自然豊かな地。その一角の別荘地に佇む1日1組限定のオーベルジュ『レピアーノ』は、栄養士の資格を持ち、オーナーシェフや経営など様々な経験を重ねた店主の加藤明子氏が、満を持してオープンさせた夢の館です。建築家の岸本和彦氏が設計を手がけた居心地の良い落ち着いた空間に、信頼する生産者や業者から仕入れた食材を使って作る、フレンチのコース。そしてコーヒーやワインとともに、デッキテラスで味わう、静かで贅沢な時間。オーナーの温かなもてなしとともに、穏やかで優しい、伊豆の夜は更けていきます。

▶詳細は、これぞ日本の春。まるで絵画のような印象の、完璧な構図。
▶詳細は、夢を追いかけるのに年齢は関係ない。62歳にして手にした夢の館。

隠れた名所、穴場の絶景ポイントとして地元では知る人ぞ知る『龍巌淵』。写真は近隣に架かる『龍巌橋』からの景色。桜の見頃は3月下旬から4月上旬。『富士山』は晴れた日の午前中が見えやすいとか。

森の中に佇む『レピアーノ』の外観。左手が寝室、右手がダイニング。ダイニングの奥にはティールームも。

デッキからダイニングを見る。立地条件から窓はあえて下方に設け、採光や視界に工夫を凝らしている。

宿と桜加賀藩ゆかりの町並みや温泉郷を、桜とともに楽しむ。

豊富な観光資源が多くの人を惹きつけてやまない石川県。江戸時代、前田利家を藩祖に繁栄した加賀藩ゆかりの史跡や文化が色濃く残る金沢市では、桜の季節になると、現代に受け継がれた華やかな美意識に裏打ちされた町並みと桜の花との美しい共演が見られます。前田氏の居城として使われた『金沢城』、その城跡に整備された『金沢城公園』も、そのひとつ。敷地内には約350本の桜の木があり、中でも国の重要文化財に登録されている『石川門』や、多種多様な桜が植樹された『桜の園』では、かつての繁栄ぶりを彷彿させる、美しく華やかな風景が広がります。周辺には日本三大庭園のひとつ『兼六園』や古い町並みが今なお残り、今回ご紹介する宿のひとつ、『東山のオーベルジュ 薪の音 金澤』は、重要伝統的建造物群保存地区に指定される「東山ひがし茶屋街」に位置します。1日2組限定、北陸の旬食材を余すことなく盛り込んだ料理へのこだわりはもちろん、ロケーション、部屋、ホスピタリティと、全てにおいてゲストの心に刻まれる、他に代えがたいひと時がここにはあります。

もう1軒、福井県に隣接する石川県加賀市の宿をご紹介しましょう。金沢市中心部より北陸道で西へ約50km、藩政時代より守り伝えられる伝統工芸や湯量豊富な温泉、秘境『加賀東谷』に代表される史跡など、見所が多い町、加賀市。中でも北陸随一のいで湯の郷として知られる「山代温泉」の中心地、かつて温泉寺の寺領で「薬師山」と呼ばれていた丘陵地に立つ『べにや無何有』は、3,000坪もの敷地に客室はわずか17室と、シンプルに贅を尽くした極上の宿です。客室からは山庭が眺められ、全ての部屋には露天風呂がついています。室内にいても山代の自然を身近に感じられる意匠に、細やかなホスピタリティ。連泊してゆったりとこの地に身を委ねたくなる、無為こそが究極の贅沢と感じられる特別な体験が、心身を充実感で満たしてくれます。

▶詳細は、重厚な史跡に満開の桜が映える。加賀藩の栄華を彷彿とさせる艶やかな風景。
▶詳細は、情緒漂う茶屋街に生まれた2部屋だけのオーベルジュ。旅の本質を思い出させる、名宿の秘密。
▶詳細は、山代温泉『べにや無何有』を拠点に、北前船の歴史と秘境の山郷をたどる加賀の旅。

『金沢城公園』の『石川門』は1788年に再建。櫓と櫓を長屋でつないだ造りが特徴で、重厚な雰囲気に桜が華やかさを添える。

『東山のオーベルジュ 薪の音 金澤』のある「東山ひがし茶屋街」。日没後の色気漂う茶屋街を気軽に訪れられるのは、この宿のゲストの特権。

『東山のオーベルジュ 薪の音 金澤』の客室「HIGASHI」の全景。窓に向けてベッドを配したイレギュラーな設え。

『べにや無何有』の客室は、表情のある土壁や焼き物など、温もりある意匠が随所に。広縁で自然美溢れる山庭を眺めているのは、取材で訪れたアレックス・カー氏。

宿と桜歴史と文化、自然を訪ねて、国宝と世界遺産を旅する。

前述の『金沢城公園』然り、城跡を公園として整備、開放している場所は日本各地にありますが、島根県松江市の『松江城山公園』は史跡の価値、眺望ともに別格といえる場所のひとつです。国宝であり、日本唯一とされる「現存正当天守閣」を有する『松江城』を中心に、市民の憩いの場として開放されたのは明治初期。歴史と文化、そして自然に寄り添いながら楽しむお花見は風情に溢れています。松江市街地には『堀川』や『宍道湖(しんじこ)』など水辺の風景もたくさんあり、水の都としての一面も。春の息吹と水辺の煌めきを眺めながらゆったりと観光するのもお勧めです。一方で、島根が誇るもうひとつの観光地といえば、2007年にユネスコの世界遺産に認定された『石見銀山(いわみぎんざん)』。銀山の採掘で栄えた豪商の住宅をはじめ、江戸時代の武家屋敷や代官所跡といった歴史的な建造物や文化財が並ぶ、銀山の街・島根県大田市に、今回最後にご紹介する宿『他郷阿部家』はあります。もともとは『石見銀山』の地役人だった阿部清兵衛の武家屋敷を、アパレルブランド『群言堂』を立ち上げた松場大吉・登美夫妻が住みながら少しずつ修復。13年の歳月を費やして新たな命を吹き込みました。文明を排除した古民家で楽しむ、故郷に帰ったような温かなもてなしと、地元で受け継がれてきた郷土の味を、若いスタッフが新しい感性で仕立てる料理の数々。都会のラグジュアリーホテルやリゾートでは決して味わえない、和やかで親密なひと時が過ごせるはずです。

▶詳細は、国宝・松江城を望みながら、歴史と文化、自然に寄り添うお花見を。
▶詳細は、『他郷阿部家』を起点にした世界遺産・島根県『石見銀山』の旅。

『松江城山公園』では3月下旬から4月上旬に約360本の桜が見頃を迎え、同時期に「お城まつり」も開催される。

立派な梁が印象的な『他郷阿部家』2階の洋間。客室のしつらえは端切れをモチーフにしている。

主と宿泊客がともに食卓を囲み、一緒に食事を楽しむのがこの宿の習わしであり、魅力のひとつ。

「競馬場を一夜限りの花火劇場に」。[京都芸術花火/京都府京都市]

ワイドスターマインは割物花火と噴出花火を組み合わせ夜空のスクリーンにバランスよく開花していました。

京都芸術花火指定席で心ゆくまで堪能する花火エンターテインメント。

文化庁京都移転決定記念事業として昨年初めて開催された京都芸術花火は、東西に宇治川と桂川が流れる淀駅近くの京都競馬場を舞台に行われます。特徴の一つとして全席有料でそのほとんどが指定席という点が挙げられます。従来の花火大会というより劇場でのお芝居、野外ステージでのライブを観るという感覚です。京都競馬場という巨大な劇場の舞台で花火たちが時に激しく時に可憐にパフォーマンスを繰り広げます。サブタイトルとして謳っているように「選び抜かれた音楽、磨き抜かれた花火」を目や耳だけでなく体全体で感じられる、心に響く花火エンターテインメントです。

競馬場内に花火打ち上げ場所と観覧席が設置されています。

京都芸術花火夜空のスクリーンを鮮やかに彩る世界に誇れる日本の芸術作品。

芸術花火と銘打っているだけに数多くの芸術玉も観ることができます。世界的に最も美しいと称される日本の割物花火(球型に開く花火)はどこから見てもまん丸です。同心円状に幾重にも円が重なる割物花火はまるでコンパスで描いたかのように美しく広がってゆきます。また近年格段の進化を遂げている独創的な割物花火はイルミネーションのように次々と色を変えたり、時間差で開いたり、あたかも回転しているかのように見えたり、色のバリエーションも豊かで観覧席からは必ずや感嘆の声が上がるでしょう。

割物花火以外も虎の尾と呼ばれる噴出型の花火などを競馬場の地形を活かした配置で打ち上げるため奥行きのある演出を楽しむことができます。夜空のスクリーンにバランスよく開くように設置されています。一番手前に設置される花火は観覧席に飛び込まんばかりの迫力で光り輝くオーロラのように降り注ぎます。京都芸術花火は全編音楽と共に打ち上がります。音楽をBGMとして曲調のイメージに合わせて打ち上げたり、音楽と花火を寸分違わずシンクロさせ見事な調和と圧巻の演出で楽しませてくれます。花火は打ち上げてから開くまでにタイムラグがあります。そのタイムラグを加味した上で音楽に合わせて開くように計算し尽くされプログラミングされているのです。しかもタイムラグは花火の大きさ(打ち上がる高さ)によって違ってくるのです。

エンディングで美しい割物花火(尺玉)を一発づつ丁寧に打ち上げていました。

京都芸術花火最後の一発まで目が離せない。

今年初の試みとして事前チケット購入にて参加可能な日本酒飲み比べイベントや花火弁当を楽しむこともできるようです。お弁当は地元京都の老舗の味を堪能できる品揃えです。美味しいお酒を嗜みながらお弁当を味わい、贅沢な花火を堪能する。和食文化京都を感じさせる心憎い演出です。

プログラムの最後は各煙火業者選りすぐりの割物花火を一発一発丁寧に打ち上げます。それはエンドロールのように感じられ先程までの激しい花火に興奮していた気持ちを少し落ち着かせてくれ心地良い余韻を楽しませてくれます。花火大会に行くと混雑を嫌って途中で帰る人を見かけますがここは競馬場です。常日頃から大勢のお客様を誘導する事に慣れています。どうぞ安心して最後の一発まで見逃さず堪能してほしいと感じます。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

場所:京都市伏見区葭島渡場島町32 MAP
日時:5月29日(水) 花火打上スタート19:50〜 荒天時、翌日30日(木)に順延 
※事前にチケット購入が必要です。

参加煙火業者(予定):アルプス煙火工業(長野県)、安藤煙火店(山形県)、伊那火工堀内煙火店(長野県)、柿園花火(宮崎県)、國友銃砲火薬店(京都府)、野村花火工業(茨城県)、ハナビランド(静岡県)、響屋大曲煙火(秋田県)、ワキノアートファクトリー(福岡県)
京都芸術花火 HP:https://www.kyoto-hanabi.com/

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

日本の美を紡ぎ出す時計が、人の想いによって生まれるまで。[Grand Seiko/長野県塩尻]

ケースの歪みのない面は、手仕事により磨き込まれた品格ある光沢で、ほれぼれする美しさ。

グランドセイコー他の時計とは何かが違うと気付く、グランドセイコーとは?

シンプルなデザインなのに、他の時計とは何かが違うと気付くのは、ケースや針のきらめきに目を奪われるからです。グランドセイコーは、緻密な日本の職人による完璧な磨きとシャープで美しい稜線が、輝きを生み出しています。1本1本が日本の職人の手仕事だからできる、海外の高級時計にはない、日本独自のものづくりの証です。

セイコーが初代グランドセイコーを発売したのは1960年。“偉大な”という名を冠するにふさわしい存在感で、高額モデルながらも絶賛されました。なぜこの時、高品質な国産時計が求められたのか。その理由の一つは、1961年に腕時計の輸入自由化を控えていたからです。大量に日本へ入ってくる高品質のスイス時計に負けない、世界と戦える高精度時計を目指して生まれたのがグランドセイコーでした。

世界の腕時計市場に追いつき、追い越すブランドを作るには、精度の向上が不可欠でした。理想の時計作りのため、素材開発やパーツ製造など、研究を重ねて難題を一歩ずつクリアしていきます。長い年月をかけた試行錯誤の結果、グランドセイコーは高精度な機械式、クオーツ式ムーブメントの製造だけでなく、セイコー独自のムーブメントとなるスプリングドライブを開発しました。ぜんまいのトルクで駆動しながらも驚異的な高精度を実現した、画期的な機構です。
グランドセイコーは、壁を乗り越え挑戦を続けてきた、人の手による賜物なのです。

▶詳細は、Grand Seiko/技術は想いから創造される。日本が誇る時のブランド「グランドセイコー」。

1960年に発売された初代グランドセイコー。ここからすべてが始まりました。

グランドセイコー日本の美を紡ぎ出した「セイコースタイル」。

グランドセイコーの時計には、「セイコースタイル」と呼ばれる、デザインの文法があります。「正確さ、美しさ、見やすさ」、そして「長く愛用でき、使いやすいこと」を腕時計の本質と捉え、追求し続けているのです。この「セイコースタイル」を確立したモデルがあります。1967年に発表された「44GS」です。多くの人の心を動かす「燦然と輝くウオッチ」を目指した「44GS」は、「多面カットのインデックス」、「鏡面研磨されたケース平面で光沢を作る」など、9つの要素を規定してデザインされ、高い理想を実現化しました。

また、セイコースタイルは、日本の美を紡ぎ出したデザインとも言えます。直線と平面で構成され、屏風や障子など和の様式を思わせる、稜線の造形美を体現しながら、光と影が織り成す無数の表情を生み出しています。私たち日本人は「光」に心を配り、光と影の間に無数のグラデーションを感じ取ります。その美しさを、古来より建築や食器など身近なものに取り入れてきたのと同様に、日本の様式を大切にしたデザインなのです。

1967年に誕生した傑作「44GS」は、2013年に限定モデル「SBGW047」としてデザイン復刻。(数量限定品につき完売。)

表情豊かなデザインには、折り曲げた陰影が空間に奥行きをもたらす屏風や、多面カットで眩い輝きを放つダイヤモンドの観点が採用されている。

グランドセイコー製造地への敬意が込められた、特別モデル。

グランドセイコーは、2つの拠点で作られています。長野県塩尻市「信州 時の匠工房」にて、クオーツモデルとスプリングドライブモデルを製造。岩手県雫石町「雫石高級時計工房」では、機械式モデルを製造しています。どちらもマニュファクチュールならではの高い精度を誇る自社製ムーブメントを搭載したモデルには、製造地への敬意を込めた、特別な仕上げを施しているモデルが存在します。

スプリングドライブモデル「SBGA211」は文字盤に、塩尻の「信州 時の匠工房」から望む穂高連峰に積もった雪をイメージした、通称「信州の雪白(ゆきしろ)ダイヤル」を採用しています。信州の美しさを表現したいというデザイナーの一念から開発がスタートし、厳しい寒さが生むザラザラした雪面を表した質感が特徴です。一方、機械式モデル「SBGJ201」は、「雫石高級時計工房」から見える、名峰岩手山の山肌に刻まれた無数の尾根を文字板上で表現した、「岩手山パターンのダイヤル」。どちらも製造地への想いが表現されたダイヤルとなっている。

時計産業は、工場がある地域の人々を多く雇用しており、親子何代も同じ工場に勤めることも珍しくありませんでした。「郷土の誇り」として製造してきたからこそ、グランドセイコーもそれぞれの伝統に敬意を払い、このような物語のあるモデルが生まれたのです。

製造者の想いがプロダクトに伺えるのも、グランドセイコーの魅力のひとつ。

「信州の雪白(ゆきしろ)ダイヤル」の着想元となった、穂高連峰に積もった雪。

Grand Seiko独立ブランドとして、その哲学と人の想いを伝えていく。

1960年に初代グランドセイコーが生まれてから、現代にその哲学は引き継がれてきました。そして2017年3月、グランドセイコーは新たなスタートを切ります。これまでの「実用時計の最高峰」というコンセプトからさらなる高みを目指すため、セイコー傘下の1ブランドから離れて、グランドセイコーという独立ブランドへ。世界最大の時計見本市「バーゼルワールド」で宣言し、グローバルブランドとして歩み出しました。

新生グランドセイコーは、まず初代へのオマージュを込めた限定コレクションを発表し、2018年の昨年はグランドセイコーの機械式史上、最高精度を誇る「V.F.A.」モデルを復活。更に「ミラノデザインウィーク 2018」に初めて出典。そして2019年の今年、どんな展開が披露されるのか、世界的な評価が高まる中、「ミラノデザインウィーク 2019」 (4月9日〜14日)にもグランドセイコーとして出展することを発表しました。時は刻むだけでなく流れるものとするテーマ「THE NATURE OF TIME」を打ち出し、ブランドはより強くメッセージを発信しています。

世界で戦える時計を作りたいという、人の想いから生まれたグランドセイコーには、多くの局面と課題を乗り越えてきた、物語が詰まっています。日本のものづくりの息吹を受け継ぎ独自性を追求して、何度も自身を超えてきた時計だからこそ、長く手元に置きたいと思うのかもしれません。

※出典:グランドセイコー「10の物語」

(supported by Grand Seiko

1969年に誕生した、高精度を誇る「V.F.A」。

お問い合わせ:0120-302-617 ※グランドセイコー専用ダイヤル(通話料無料)
受付時間:月曜日~金曜日 9:30~21:00
土曜日・日曜日・祝日・年末年始 9:30~17:30
グランドセイコー HP:https://www.grand-seiko.com/jp-ja

何度噴火があろうと、何度でも甦る。エネルギーに満ちる美しき再生の島。[東京“真”宝島/東京都 三宅島]

東京"真"宝島OVERVIEW

三宅島といえば、言わずと知れた活火山の島。ならば三宅島は、噴火を前に為すすべもないのだろうか──訪れてみれば、そのイメージが大きな間違いだと気づくことでしょう。

春にはみずみずしい緑、秋には黄金のすすきが一面を覆う景色、青く澄んだ海と空、どこにいても耳に届く野鳥の声、豊かな自然に囲まれ穏やかに生きる人々。三宅島は人も自然も生き生きとした活力にみなぎり、訪れる人々を出迎えます。

それは繰り返す自然災害を乗り越えてきた人たちのパワーなのかもしれません。何度も甦ってきた自然の息吹なのかもしれません。しかしどちらであれ、三宅島を訪れた人は、過去の災害ではなく現在進行形の再生にフォーカスを当てながら、この島の魅力を目の当たりにするのです。

ここは美しき再生の島・三宅島。その力強いエネルギーは、訪れる人の心の有り様さえも変えてしまうかもしれません。

【関連記事】東京"真"宝島/見たことのない11の東京の姿。その真実に迫る、島旅の記録。

(supported by 東京宝島)

開店日は月に数日。シンプルな生き方を体現する、津軽の小さなパン店。[TSUGARU Le Bon Marché・パン屋といとい/青森県弘前市]

元々天然酵母のパン店だった場所を借り、「といとい」を営む成田氏。オープンと同時に人があふれる店を、ときに談笑しながら手際よく切り盛りする。

津軽ボンマルシェ・パン屋といとい

美味しいから、伝えたくなる。住宅街に人を呼び込む自家培養野生酵母のパン。

弘前市の中心地から少し離れた静かな住宅街。月に数日だけ、多くの人でにぎわう一画があります。昨年11月にオープンした「パン屋といとい」。店主の成田志乃氏がひとりで営む小さなパン店です。撮影しているとお客さんから「取材? ここのパン、美味しいよ」、「おすすめはぶどうパン。ほかのお店のものより、断然好きなの」と声を掛けられました。中には「色んな人から評判を聞いて、ようやく来られました」という人も。「やっとこの日が来た!」。キラキラしたそんな表情を見るだけで、この店がどれだけ愛されているかが伝わってきます。

ケースに並ぶ10数種類のパンは、どれも旬の果物や野菜から起こした自家培養の野生酵母、国産の小麦粉、有機栽培の穀物などを使い、しっかりと焼き込まれたもの。飾りっ気のないハードパンが次々と売れていく光景に、地方ではふわふわの食べやすいパンが主流だろうという先入観が吹き飛んでいきます。しかも印象的なのは、お客さんがみんな「天然酵母だから」「国産素材だから」よりも、何より「美味しいから来る」と口を揃えること。

「といとい」では店頭でも、公式SNSの書き込みでも、天然素材や国産素材へのこだわりついて、ことさら“安心・安全”を謳いません。そう、彼女の中でそれらの素材を使うのは、特別でもなんでもない、普通のことなのです。「贅沢なパンを作るのは、ほかの人に任せていいと思ったんです」と成田氏。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

小さいけれどとびきり居心地のいい空間は、友人たちの協力で作り上げた。「自分で誂えたものは、実は少なくて。本当にありがたいと思います」と成田氏。

「といとい」に並ぶのは、しっかりと目の詰まった重量感のあるパン。噛みしめるたび、奥の方から味と香りが湧いて出てくるような感覚を覚える。

秋から春はりんごの自家製酵母。そのほか梅、桃、ぶどう、柑橘類など、旬の果物から野生酵母を育てる。トマトやとうもろこしといった野菜や、花を使うことも。

津軽ボンマルシェ・パン屋といとい「毎日食べられるものを作りたい」。そんな想いが転機に。

「リッチで美しいクロワッサンみたいなパンとか、大好きでした」。そう語る成田氏のキャリアは東京から始まりました。専門学校卒業後、菓子や総菜も置くフランスのブーランジェリーさながらの店や、本格派ドイツパンを揃える店に5年ほど勤務。出身地である黒石市に戻った後は、弘前市で一、二を争う人気パティスリーのパン部門に就職し、正統派のフランスパンを焼くパン店でも働きます。

安定してパン製造に関わる日々はそれから10年近く続きました。が、店頭にたくさんの人が訪れるのを見るうち、ある考えが成田氏の頭に浮かびます。「みんな、日常的にリッチなパンやケーキを食べ過ぎじゃない?って。バターがたっぷりのクロワッサンは美味しいけれど、365日毎日食べたら体を壊して死ぬかもしれない。だったら私は、毎日食べてもらえるパンを焼いていきたいな、と。美味しいと感じるもの作るだけじゃない、食べてくれるお客さん自身にも責任を感じ始めたんです」と成田氏。店でリッチなパンを焼くかたわら、プライベートでは国産や有機の材料を探してみたり、果物から野生酵母を培養してみたり。今までしてきたことと真逆のパン作りの難しさはまた、成田氏を魅了しました。

「砂糖も牛乳もバターも、今は毎日いくらでも食べられる。そういうものをたくさん使った特別なパンは人に任せて、私はうまい具合にお客さんを“騙す”ことができれば(笑)」。ウィットに富んだ成田流の表現を体現するのが、原料の安心感よりもまず“美味しい”が先に来る、「といとい」のパンたちなのです。

現在使う小麦粉は北海道産、有機栽培の北米産が中心だが、最近は青森県産ライ麦(左)も使い始めた。パンに使う“あん”も、地元産小豆(右)で自ら炊く。

最初に成田氏を知ったのは、「弘前シードル工房kimori」高橋哲史氏の「“変態”なパン屋さんがいるよ」という紹介。いい関係を築くふたりだからこその褒め言葉だ。

クロックムッシュやフォカッチャなど、旬の作物をアレンジした限定パンも。「そのうち、すべての食材をオーガニックのものにしたい」と成田氏。

津軽ボンマルシェ・パン屋といとい「繋がりたい」から「繋げたい」へ。弘前に根を下ろす理由。

その後、1年の引継ぎ期間を経てパン店を退職することを決めた成田氏でしたが、「我慢できなくて(笑)」、独自に販売を始めます。中でも大きな機会となったのが、弘前のコーヒーショップ「時の音(ね)ESPRESSO」で開催した企画<パンナイト>。「ここは商売の地盤作りをしてくれたところ。店のスペースを貸し出し、たくさんの人にパンを食べてもらえる機会を作ってくれました。これきっかけに『自分のやりたいことは、弘前でも受け入れてもらえるかも』と考えるようになったんです。」と成田氏。

そしてこの<パンナイト>の後、成田氏に別の人気カフェから声が掛かります。成田氏が「憧れの存在だった」と話す「zilch studio」(現在は弘前市から青森市へ移転)。店のイベントでパンを使いたいという連絡が、成田氏にとって初めての外部からのオーダーでした。交流はさらに広がり、以前「津軽ボンマルシェ」でも紹介した『弘前シードル工房 kimoriや『KOMOなどと一緒にイベントに出店したりするうち、口コミで人気が広がった「といとい」。会場には行列ができ、開始早々に売り切れてしまうことも。そんな形態を3年続け行きついたのは、「そろそろ“ホーム”を持とう」という決意だったと成田氏は語ります。

「津軽人の気質なのかは分かりませんが、私も周りも『あの人素敵だな』、『何か一緒にやりたいな』と思うと、みんなすぐ会いに行くし繋がっちゃう(笑)。『kimori』の高橋さん、『zilch studio』の東千鶴さん、『KOMO』の岡さん、『時の音ESPRESSO』平野秀一さんみたいに発信力のある人たちともそうやって繋がれて、みんなに引き上げてもらったのが『といとい』なんです」と成田氏。移動販売のスタイルをやめ“ホーム”の店舗を構えた今、新たに見据えるのは、これからの「といとい」の役割です。「青森中の色々な場所でお世話になってきました。今度はその分腰を据え、私が人を繋げる側に回りたい」と成田氏は笑顔を見せました。

最近販売を始めた「トスサラダの素」は、満足のいかない仕上がりのパンを利用し、チーズやオリーブオイル、チリ、雑穀などとローストした商品。

店では「素のままproduct」の瓶詰めも販売。響きが印象的な「といとい」という店名は、“土のかたまり”を意味するアイヌ語から命名した。

津軽ボンマルシェ・パン屋といとい人生に“不必要”なものだからこそ、きちんとパンに向かい合う。

自身を「納得できないことはしないし、理由がないとできない」タイプと分析するだけあり、どんなことを聞いても、的確な答えを返してくれる成田氏。同時に「パンは人生を豊かにしてくれるけれど、必要不可欠なものじゃない。医療のように人の命は救えません。でもだからこそ理由を落とし込むことが大事だと考えています」と語ります。日々その理由を探り続けるパン屋という職業は、彼女にとって天職なのかもしれません。

取材中、小さな黒板の文章に目が留まりました。<自店舗でのタグ付けやめました>というその張り紙には、原材料詳細を記したタグの添付をやめる代わりにその労力を別に向けたいこと、でも希望者には渡せることが、成田氏らしい言葉で丁寧に綴られています。「これまでは、なるべく細かく説明したくてタグを付けていたんです。でも、最近はお客さんとの信頼関係ができてきたから、外していいかなと思って」と成田氏。

シンプルに営むことを続けてきた結果成田氏が得たのは、営業日が少なくても説明を省いても、自分のパンを食べたいといってくれるお客さん。津軽の小さなパン店は、商業主義のサイクルから軽やかに距離を置く、強く自立した店でもありました。そして素敵なのは、「美味しい!」という幸せな感情こそが、その自立の根幹であること。津軽へ行くなら、まずはぜひ、「といとい」の営業日をチェックをして。予定が合えばラッキー、あなたもきっと幸せになれるはずです。

さまざまなインフォメーションが書かれた小さな黒板。誰もが読み込むものではないだろうが、成田氏らしさが顕著に現れた部分でもある。

看板や店内に飾られたドライフラワーのアレンジは、知人のアーティストに依頼。ナチュラルな中に主張を感じる独特の雰囲気が、「といとい」の空間に馴染む。

住所:青森県弘前市城東中央4-13-10 MAP
不定期営業、11: 00~無くなり次第閉店
※営業日はInstagram、Facebook等で告知
https://www.instagram.com/panya_toitoi/
https://www.facebook.com/panyatoitoi/

明治、大正にタイムスリップできる呑ん兵衛の憩いの場。[SHIMOIMAICHI HOPPING・叶/栃木県下小代]

ぴたりと閉じられた木戸の向こうはタイムスリップしたかのような空間。

下今市ホッピング・叶貴重な蔵出し品が目に楽しい街のお休みどころ。

日光街道と会津西街道が交わる下今市の要所に、とても気になる建物がありました。ぴたりと閉じられた木戸の中央には茶室のにじり口のような入口があり、よく見ると「OPEN」と書かれた札が下がっています。実はここ、創業1868年の味噌蔵で、現在は県内よりすぐりの味噌や醤油、不動産を取り扱う『日野為商店』。ルーツは滋賀県近江の日野町です。創業150周年を機に2018年7月にコーヒーやスイーツが楽しめる『お休み処 叶』を併設し、10月には試験的に夜の営業を開始。その翌月には酒場として本格的に機能しはじめました。

屋号を染め抜いた半纏でにこやかに迎えてくださったのは店主の内田隆氏。この商店を営む社長の従兄にあたる方で料理からサービスまで担っています。ジャズが静かに流れる店内を見回していると、「そこにトロッコの跡があるでしょう?」。内田さんが指さす先を見てみると、店内の床にトロッコの跡が。当時はトロッコを使って運搬しなければならないほどの生産量だったのでしょう。この他にも、火鉢席を囲むようにして寒さ厳しい冬に着たのであろう熊の毛皮や明治期の荷札、重厚な旅行鞄に番傘など、明治の頃の貴重な生活用品や蔵出し品が並びます。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

藍色に「叶」の文字を染め抜いた暖簾。味噌に醤油、甘酒や漬物も販売している。

『お休み処 叶』夜の部で腕をふるうのは店主の内田隆氏。

寒い時期に人気の火鉢席。その向こうには火消し半纏や重厚な金庫が。

下今市ホッピング・叶炙った肴でちびちび。締めは優しい味わいの温めんで。

「店内のリフォームは社長の奥さん(福田暢子氏)と私とでほぼ手作業で仕上げました。このテーブルも手作りなんです」と内田氏。テーブル席にはあらかじめ七輪がセッティングされており、エイヒレにアタリメ、油揚げにアスパラなど、呑兵衛的にはたまらない肴を自分で炙っていただくスタイルです。「エイヒレはマヨネーズに七味をつけて。油揚げはこの再仕込み醤油で食べてみてください。九州系のたまりのように少しトロッとしていて美味しいですよ」。この他、自家製焼き味噌や巾着納豆、しょうが味噌でいただく地元の北野屋商店特製の杉並木ノンボイルこんにゃくなど、素朴だけど食べ飽きず、酒がすすむ肴が揃っています。特に、「叶一(かのーいち)」印の晃山味噌の美味しさは特筆もの。ブレンドやしょうが味噌も、この味噌を使わないと味が決まらないそうです。締めは裁ち蕎麦か温めんを。玉子あんかけにした温かな素麺が、酒を飲んだ胃に優しくすべりおりていきます。

日本人の琴線に触れるラインナップもあってか、客は若いカップルから80代のおじいちゃんまで。その横で、家族と一緒に来たお子さんが甘味に夢中になっていることもあるそうです。メニューもあってないようなもので、店主のきまぐれでまかないの激辛麻婆豆腐を出すこともあれば、「こんなものが食べたい」といったリクエストに応えることも。「とはいえ、特に料理の修業をしたことはないんです。とにかく飲むことが好きで、東京に居た頃は銀座、新橋、赤坂、六本木周辺をうろうろ。調理や盛り付けはそのときに目で見て覚えました(笑)」。日本酒は『渡邊佐平商店の「清開」をはじめ、開当男山酒造のものを取り扱っています。実は男山酒造の当主は再従兄弟にあたる方だそう。以前は日光・鬼怒川・今市でも気軽に飲めた男山。現在、この地域では数軒の酒屋さんが扱うのみの希少なお酒となっており、ご年配のお客様のなかには「懐かしい」とちびちび飲む方も。内田氏はそんな言葉を聞くのが堪らなく嬉しいのだとか。

奥のベースは内田さんの私物。現在、ご近所仲間と練習中なのだとか。お披露目も近い!?

取材中「これが人気で」と、この笑顔で男山の辛口を出してくださった。

炭火で炙った油揚げに旨い醤油をひとたらし。それだけでご馳走になる。

「叶一」印の味噌を使った焼き味噌は酒がすすむ。「自家製焼き味噌」200円。

「おでん」300円。玉子、大根、杉並木ノンボイルこんにゃくは味噌をつけていただく。

「温めん」500円。玉子あんかけにした温かな素麺。締めに最適。

火鉢席で暖を取りながら、コーヒー(400円)をいただくのもいい。

下今市ホッピング・叶ゆくゆくはギャラリーや個室も。数年おきに訪れたい酒場。

現在、店舗と飲食スペースからなる『日野為商店』ですが、味噌を作る工場として使われていた奥は現在使われておらず、覗かせていただくと京都のうなぎの寝床のように奥行きがありました。「ゆくゆくは、奥の10畳を貸し切りの個室として利用して、予約のみ受け付けようかと考えているんです。テーブル席の横にある小上がりはギャラリーとして使えたら。蔵を探っていると、まだまだ貴重なものがたくさん出てきますので」。まるで生き物のように変貌していく時が刻まれた建物と食べ飽きない肴と酒。初めてなのに、こんなに穏やかな気持ちにさせてくれる酒場は、なかなか見つかるものではありません。

お昼のカフェは笑顔の素敵な暢子さんが担当。

「叶一」ブランドの味噌は元蔵みそや麹みそなど種類も豊富。コンクリートむき出しの部分がトロッコ跡。

県内の美味しいものを取り揃えている。お土産を物色しに出かけるのもいい。

奥まで続く敷地。昔はここで味噌を作っていた。

住所:栃木県日光市今市473 MAP
電話: 0288-21-0014
定休日:水曜日
営業時間:10:00~17:00、18:00〜22:00

天然鮎がとれる清流のほとりで蕎麦をたぐる。[SHIMOIMAICHI HOPPING・山帰来/栃木県今市]

屋根の傾斜やシンプルな構造により、背景に聳える里山と一体感がある。

下今市ホッピング・山帰来自家栽培、自家製粉、手打ちにこだわった珠玉の蕎麦。

下今市からクルマで20分ほど走った山間地にある小来川。山里の深い緑と清流に包まれたこの一帯は、全国屈指の蕎麦どころでもあります。蕎麦農家も多く、初夏になると畑一面が白い花に包まれ、それは見事だそう。そんな長閑な山里で目を惹くのは、蕎麦処『小来川 山帰来(おころがわ さんきらい)』です。山帰来とは蔓性の落葉低木のこと。ハート型の葉が特徴で、晩秋に真っ赤な実をつけます。花言葉は「休息」「不屈の精神」。その名のとおり、天然鮎が獲れるほど清らかなせせらぎのほとりで蕎麦をいただけば、最高の休息になること請け合いです。

『小来川 山帰来』では、自家栽培した玄そばを別棟で保存し、その日使う分のみを自家製粉しています。手打ちにこだわった蕎麦は十割と二八の2種。存在感のある十割蕎麦をはんなりと上品なつゆにくぐらせて口に運べば、蕎麦の香りがぱっと口中に広がり、鼻腔をも満たします。可憐な薄紫色の辛味大根を使った「辛味大根おろし蕎麦」は、みずみずしい蕎麦の喉越しの後から爽やかな辛味が追いかけてくる一品。日光名物の新鮮な汲み上げゆばの刺身を二八蕎麦の上に乗せ、さらにゆばの天ぷらを乗せた「ゆば蕎麦」も人気です。そんな蕎麦の美味しさを倍増させてくれるのは、山帰来や桜など、山間地の樹木を象嵌の技法で表現した器たち。すべて、益子の陶芸家・佐伯守美氏によるオリジナル作品です。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

ログハウスの伝統的な工法の集大成ともいえる構造体。窓からは小来川が見える。

鮮度の高い挽きぐるみのそば粉を使用した「もりそば『山帰来』十割」1200円。

「辛み大根おろしそば」1300円。ツンとした爽やかな辛みがクセになる。

「ゆばそば(冷)」1500円。温ゆばそばもあり。大盛りは300円プラス。

「ゆばと季節の天ぷら」500円(奥)、「ゆばのおさしみ」500円。

自然から受けた感動を作品に込め、独自の世界を表現する佐伯守美氏の器たち。

「桜」を象嵌の技術で表現した佐伯氏の器。手に持った時の温かな感触も印象的。

蕎麦もつなぎも地元のものを使用。十割蕎麦は限定なので予約がベター。

元パティシエという細やかな感性を生かし、そば粉を練ってゆく。

別棟の粉挽き棟内に設けられた打ち場。職人の手作業を外から見ることができる。

下今市ホッピング・山帰来都会と里山を繋ぎ、地域を活性化させる『小来川 山帰来』。

オーナーの星野光広さんは、地域資源の活用や野生鳥獣被害対策支援など、街づくりのコンサルタント的会社の代表を務める人物。未来に小来川の集落を残すべく「山帰来プロジェクト」を展開しています。そのコアな活動が、食を通して都心と里山を繋ぐ『小来川 山帰来』なのです。建物や粉挽き棟に使用されているのは、樹齢80年以上の地元の杉。切りだした杉160本をハンドカットし、組み上げたのは、現代ログハウスの神様、アラン・マッキーの薫陶を受けた日本屈指のログビルダーたちです。梁に丸太を使用しているので骨太な印象ですが、漆喰と組み合わせることでしっとりと落ち着いた空間に。「地域活性化を謳った論文や書籍は多いですが、実践してみないと説得力がありませんから」と星野さん。この他、『山帰来』では敷地内にひいた清流で山葵を育て、調理師免許を持つ地元の若者を雇用して蕎麦職人として育成。付近の耕作放棄地約3haで蕎麦を栽培するなど、地域活性化の一端を担っています。

夏場は裏の小来川に渓流釣りやBBQを楽しむ方がいらして、それは賑やかですよ」と星野さん。

取材中、見かけたのはノスリだったか? 悠々と空を旋回していた。

下今市ホッピング・山帰来過疎地の隠れた宝に光をあて、地元を自立させる。

もともとご実家は畜産農家だったという星野さん。周辺の農家が次々に廃業するなか農家に転業。『山帰来』で出している辛味大根もご実家で作っているものです。一方で、大きな悩みも抱えています。「この辺りは鹿が多く、食害が深刻です。対策として電気柵の導入に踏み切りましたが、保持していくにもお金がかかります。しかし、国の補助金が出るのは5年間だけ。ですから、ゆくゆくは自立した形で鳥獣対策ができるよう自分達で炭を作り、商品化のうえ販売を考えているんです」。店からクルマで5分ほどいった山のふもとに手造りの素朴な炭焼き小屋がありました。一帯に只ひとり炭を焼くことができる方がいたそうで、みんなで炭焼きを教わったそうです。試験的に焼いたというさまざまな樹種の炭を打ちならしてみると、キンと澄んだ音が響きました。「庭の手入れが出来ないと嘆いている高齢者の方も多いので、そんな方々のお手伝いをする代わりに、炭の材料になる枝をいただくような仕組みも考えているところです」。先人の知恵を継承し、活用先や調達先を自分達で作りだせば、無駄のないサイクルが生まれる――。星野さんが考える地元の再生は、あくまで自立が基本です。

今回、店内を取材させていただくなかで真っ先に目についたのは、温かな炎が揺れる薪ストーブでした。その話をすると、「では次は薪を切るところをご覧になりますか?」と星野さん。先の炭焼き小屋とは違う方角にクルマを走らせること数分。ついた先には大ぶりの丸太がごろごろと転がっています。「この辺りの間伐材を薪にしているんです。毎日、相当量を使いますので、とても買ってなんていられません。薪を割るのも自分達です(笑)。チェーンソーを使うところなんて、なかなか見る機会はないでしょう?」。刃に詰まったチェーンソーオイルを取り除き、混合燃料を注入してスイッチを入れれば、青空に勢いよくブルン、ブルン、チュイィィィンという音が響きます。大地に種をまき、採れた実から蕎麦を作る。それに付随する作業も全て自分達で行う。その知識を身につけている星野さんを見ていると、こういうことが真に豊かということでは?と思えてなりません。

星野さんと周辺の農家の方々による手作りの炭焼き小屋。何でも作ってしまうバイタリティーに脱帽。

試作品の炭。全て手作業のため、形や大きさはバラバラだが、燃焼時間は抜群。

ログハウスの伝統的な工法の集大成ともいえる構造体と日本的な漆喰を組み合わせた。大きな窓からは小来川が見える。

チェーンソーの爆音が長閑な山間地の空に溶けてゆく。

丸太を切るための道具。「これを人力でやろうと思ったら大変です」と星野さん。

星野さんの後ろに広がるのは蕎麦の畑。初夏は蕎麦の白い花でいっぱいになるという。

住所:栃木県日光市 南小来川395-1 MAP
電話: 0288-63-2121
定休日:火曜日
営業時間:11:00~15:00
山帰来 HP:http://www.t-upc.com/sankirai/

世帯数40戸の里山に人を呼び寄せるイタリアンの新鋭。[SHIMOIMAICHI HOPPING・GLYPH/栃木県根室]

東京の荻窪と栃木の根室の2拠点生活の渡辺氏。「運転が好きなので苦にならないんです」。

下今市ホッピング・グリフ教員免許を3つ持つ異色の飲食店オーナー。

冬の寒さが厳しい今市はスケートをはじめウインタースポーツが盛んな街。市街にある今市青少年スポーツセンターにはスケートリンクが併設されています。そのほど近く、畑沿いの未舗装路の先に、口コミでじわじわ人気を集めている『GRYPH』というイタリアンカフェがあります。靴を脱いで店内に入ると広い窓の向こうに雑木林が広がっており、思わず深呼吸したくなるほど。荻窪でレストランを経営しながら、縁もゆかりもなかったこの地に2店舗目をオープンさせたのはオーナーの渡辺圭太氏。1年前のオープン当初は日曜のみの営業でしたが、少しずつ体制が整い、現在は日、月、火の営業となっています。

「僕は茨城の出身で、日光には小学生の頃に修学旅行で来たことがあるぐらい。ところが大人になってきてみたらなぜかこの辺りが好きになってしまって、年に数度は訪れていたんですね。一方、荻窪のお店が落ち着いて余裕が出来てきたので、今後どうしようかなと思っていたタイミングで、もともと蕎麦屋だったという安くていい感じの物件を見つけたんです。すぐに電話して、次の日に見に行き、1週間後には契約していました」。とにかく即断即決の渡辺さん。見た瞬間、ウッドデッキを作りたいなあと、カウンター、エントランス、バードウォッチング用の櫓まで自分たちで作ってしまいました。荻窪のお店も築60年の古民家を仲間と一緒にリノベーションしたそうです。

「もともと飲食関係の仕事をしようと思っていた訳じゃないんです。学生時代に教員免許を取ったんですけど、卒業してもまだ“人様の子供を預かる”ということがピンとこなくて。子供の頃から絵が好きだったので、一度きちんと絵の勉強をしないと後々悔いが残るなと思って美術大学に入りなおしたんです。学費のためにアルバイトをしたのが飲食店で、美大を卒業してもまだ先生って気になれなかったのと、物件を紹介してもらったタイミングが重なって、独立しちゃいました。教員免許を3つ持っているので、まだ先生になることを諦めたわけではないんですけど(笑)」。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

平屋の可愛らしい建物。高く掲げられたイタリアンの国旗が目印。

バードウォッチング用に建てた櫓だが、今はすっかり子供たちの遊び場に。

旅先で靴をぬいで食事をすることで、肩の力を抜いて寛ぐことができる。

メインダイニングの向こうに小鳥や小動物がやってくる雑木林が広がる。

下今市ホッピング・グリフ地野菜と武蔵野野菜をふんだんに使ったヘルシーイタリアン。

そんな渡辺氏が手がける料理はほっこり和めるイタリアン。現在はランチのみの営業で、ディナーは予約のみ受け付けています。ランチ時に供される大ぶりの前菜プレートにはさつまいものポタージュや白モツのトマト煮込み、キノコのマリネなど季節によって変わる7種ほどの前菜が盛り込まれており、ボリュームたっぷり。メインはお肉や魚、パスタなど5種ほどから選べるようになっています。使う野菜は地野菜をメインに、荻窪店で出している爽やかな辛みのルッコラなど武蔵野野菜も。逆にこの地で購入したものを荻窪でも出しているそうで、渡辺さんの2拠点生活を媒介に小さな循環が生まれています。

「パスタセット」ドリンクバー、サラダ、スープ、デザートがついて1,200円。

「グリフ日光セット」ドリンクバー、前菜プレート、デザートがついて1,500円。

盛りだくさんの前菜プレート。ランチビールやランチワインの用意も。

下今市ホッピング・グリフ今夏、レストラン併設のキャンプ場としても稼働。

実は渡辺氏、今年の夏にはここでキャンプ場を開く予定なのだとか。「この物件を借りようと思った動機の50%は森もついてくるということ。物件を見に来た時、アウトドアウエディングを企画している仲間のことが思い浮かんで、この広い敷地を使えば何かしらできるかなと思ったんです。まずは1日1組限定で、キャンプ場とレストランと隣の小屋を使いたい放題のプランを作る予定です」。自分達で整備したというキャンプ場は直火が使えるため、薪が爆ぜる音を聞きながらお酒を飲むといった贅沢な時間を過ごすこともできます。さらにキャンプ場以外の事業も進行中なのだとか。「デザインの仕事も少しずつ始めていまして。うちのスタッフにパンやお菓子を作れる子がいるので、別のスタッフを知り合いのデザイナーのところに派遣して、勉強してもらっています。ゆくゆくは自社パッケージのお菓子を作れたらと」。

レストランも、キャンプ場も、デザインも。3つの事業を擁するとなるととても大変な印象ですが、渡辺氏にはそんながむしゃら感を感じません。「レストランだからとか、キャンプ場だからという風にジャンルで分けて考えたくなくて、人が生活する上でこれがあるといいなという事業を作っていきたいと思っているんです。自治会長も『まさか、東京から若い男がやってきて、店を開くなんて思いもしなかった。よく、こんな40世帯しかない田舎に店を出してくれた』と喜んでくださって」。自治会長からは、店の目の前に広がる大豆畑にも「来年は好きなものを植えていいよ」と言ってもらっているそうです。

この店で働く3人のスタッフも地元の方。渡辺氏が必然的に雇用を作りだしたことになります。「最初からここに興味を持ってくれて、一緒にお店作りをしてくださる方って募集したんです。ウッドデッキとかもみんなで作って、半分みなさんの店にしてくださいって。何千万円もかけられる予算もないし、僕にはそれしかやり方がありませんから」。商売に関してあまり貪欲ではなく、常にニュートラルな渡辺氏。最後に店名に込めた意味を聞いてみました。「GLYPHって“絵文字”という意味なんです。まだ文字がなかったころ、ラスコーの洞窟とかに残されている絵文字を最初に描いた人って、描かずにはいられなかったってことじゃないですか。僕もそういう純粋な気持ちで仕事をしていけたらと思っているんです」。

キャンプ場用にテントの貸し出しも行っている。ワインを飲みながらの焚火は最高!

お店のロゴは風見鶏のマーク。美大出身の渡辺氏がデザインを手がけた。

アンティークショップで見つけたという風見鶏が青空に映える。

住所:栃木県日光市根室105 MAP
電話: 03-6383-5448(予約は荻窪店にて)
営業日:日曜・月曜・火曜 11:30〜L.O.14:30

人と人、人と場所を繋ぐコネクター的ローカルコーヒーショップ。[SHIMOIMAICHI HOPPING・日光珈琲 玉藻小路/栃木県今市]

玉藻小路に立つ風間氏。すれ違う人の肩と肩が触れ合うほどの小さな小路。

下今市ホッピング・日光珈琲 玉藻小路3年に及ぶセルフリノベーションを支えた原動力。

今市地区の中心に位置する「道の駅 日光」。その裏手にある玉藻小路はドーナツ屋や花屋が居並ぶ味わい深い小路です。その最深部にあって、多くの人を惹きつけてやまないのが『日光珈琲 玉藻小路』です。木製サッシの窓から毀れる光、ノスタルジックな調度、穏やかな空間に流れるコーヒーの香り……オープンと同時に店内はこの空間を愛してやまない人々で満たされます。

この場所に惹かれ、自ら改装を手掛けたのは、県内で5店舗の『日光珈琲』を運営する風間教司氏。「僕は隣町の鹿沼出身なんですけど、今市に叔父がいて、ちょこちょこ遊びにきていたんです。昔は、ちょうど今お店がある裏手が飲み屋街で、子供心に『ここは大人の場所だ』と思っていました。その後、お店を1軒作ったあたりで、叔父から『あそこを駐車場にするために買ったから、建物を解体しようと思う。ついては建具やテーブルで欲しいものはあるか?』と連絡があったんです。その時、初めて中を見たんですけど、まるでお化け屋敷(笑)。どうやら昔は連れ込み宿だったらしい、なんてことを聞きながら辺りを物色していると、欄間にちょっとした飾りがついていたりして面白いんですよね。気が付いたら叔父に、『このまま貸してくれない?』と言っていました。それまで、もう1軒店を出すつもりもなければ、お金もなかったんですけど」

この日から3年間に及ぶセルフリノベーションが始まります。休日を使って埃を落とし、古い壁紙をはがし、床を張り替え……。「精神的にも肉体的にもしんどい時期はありましたが、発見のワクワク感が勝りました。例えば、ボロボロになった壁紙をはがすとその下から明治時代の荷札が出てきたりするんです。それが滋賀から日光へ届いた東照宮改修の道具だったりして」。そもそも今市は日光へ向かう日光街道、会津に至る会津西街道、中山道と繋がる日光例弊使街道と3つの街道が交わる交通の要所です。「今市は多くの旅人が交流を深めた宿場町。いろんな文化が融合してきた歴史を持っています。ですからここにもう一度、いろんな人が集い、交流する場所が作れたらという思いが芽生えてきたんです」

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

『日光珈琲 玉藻小路』のエントランス。ツートンカラーの壁が愛らしい。

朝の陽光が差し込む開放的な店内はノスタルジックな空間。

店内はキッチンから流れ出るかぐわしいコーヒーの香りに満たされている。

地元民と観光客が同じ空間で思い思いの時間を過ごす。

小さな階段を上ったところにある半個室。市松模様の壁紙が目に鮮やか。

年季の入った梁と新しい構造がナチュラルに融和している。

過去にさまざまなルートを辿った旅人がのぼったであろう階段。

壁紙をはがしたあとに出てきた荷札などをそのまま残している。

下今市ホッピング・日光珈琲 玉藻小路自然に広がっていくコミュニティーの中心に。

風間氏がこのお店を開いてから、次々に新しいコミュニティーが生まれています。「この小路にお店を出しているのは、別の場所でお店をやっていて、『2軒目を出すなら玉藻小路で』と言ってくれた元々の知り合いが多いんです。向かいの2階では僕より若い男の子がゲストハウスをやっていて、気付いたらウチのスタッフと仲良くなって、結婚していました(笑)。この場所がきっかけで、あとは自然発生的に繋がっていく。そういうのが面白いじゃないですか」

この日、店内奥の小部屋には「KENTA STORE」と書かれた黒板がさがっていました。なかには鹿児島の生醤油を使ったパスタソースや九州産の丸大豆を使った大豆バターなどが売られています。なぜ、栃木で鹿児島なのでしょう? 「この出張ストアを運営するヤマシタケンタさんは鹿児島の離島から鹿児島の美味しいものを発信している人。たまたまコミュニティーが広がっていく中で知りあいました。もちろんセレクトもいいし、人もいい。何より今市で鹿児島のものっていうのが面白いでしょう? 宿場ってもともとそういう機能があったのかなと思うし、現代においてもそういう部分を残していきたいんです」

▶詳細は、山下商店/食べたら島に行きたくなる、豆腐屋のバターとは。

店内奥にあるショップinショップ。この日は鹿児島の美味しいものが大集結。

「ここで鹿児島の商品に触れた人が、鹿児島を旅するきっかけになれば」と風間さん。

下今市ホッピング・日光珈琲 玉藻小路コーヒーを介して生まれた師匠と弟子の絆。

目に見えるものも、見えないものも。今市が持つ歴史に目を向け、現代に残すべく尽力する風間氏ですが、その肩書は珈琲焙煎士。「高校生の頃から喫茶店に行くのが好きだったんです。年齢も職業も違う人同士が趣味の話で盛り上がっている。そういう話ができるのが大人だなって。その後、バックパッカーとして世界を回るなか、どの国にもカフェがあって、人が集って、情報拠点にもなっている。カフェって世界中で親しまれる場所なんだなと改めて思ったんです。大学卒業後は普通に就職したんですけど、面白くなくてやめてしまって。大学まで出してもらった親の手前、バイトばかりもしてられないし、自分で店を持てば冷たい目をむけられないですむかなと地元で喫茶店を始めたんです。最初はどこかで修行するでもなく、ただ買ってきた豆でコーヒーを入れていました。そうすると、味にうるさいおじさま方が色々と教えてくださるんです」

コーヒーに夢中になっていくなか、風間氏はあるブログと出会います。「コーヒーについて書かれたその人の文章がいちいちすっと腑に落ちるんです。『一度会ってみたい』と思って軽井沢まで会いに行くと、『そんなに色々考えているなら自分で焙煎してみたら?』と。それから、休日は軽井沢に通い始めました。コーヒーってワインと同じで、作り手によっても、ブレンドによっても味が変わるんです。そうすると、これは男体山のイメージだなとか、自分なりの味が出来てくるわけです」。時を経て、自分で焙煎した豆を「日光珈琲」というブランドにしようと決めた風間さん。今でもその師匠とはいい関係が続いています。

ブランドを作る──。大きな決意を胸に、向かった先は男体山でした。「日光といえば男体山。だったら自分で焙煎したコーヒーを頂上で飲んでみようと、男体山の水を詰めたペットボトルと豆と道具を持って男体山に登ったんです。そこで味わったコーヒーが本当に美味しくて。でも地上に降りてくると、そこまでではないんですよね。あれは何だったんだろう?と考えるうちに、標高で沸点が変わること、使った道具に起因していることに思い至るわけです」。一度気になったら研究を重ねずにはいられない性分は、メニュー開発にも及びます。「スープカレーを出そうと思った時は札幌に1週間滞在して50軒ほどスープカレーを食べ歩きました。先日はクラフトビールの醸造を学ぶため岩手まで。スタッフにはよく、『また社長は思いつきでどこかへ行って』って言われるんですけどね(笑)」。そんな日光珈琲のスタッフは半分が県外出身。栃木に面白い業態のカフェがあると聞きつけ、近県からこの地に移住してくるそうです。

今年11月、風間氏の新たな挑戦が始まります。「ありがたいことにお話をいただいて、日光に2軒ほどお店を出す予定です。そのひとつが甘味とお茶のお店。コーヒーをやっている人間からみた日本茶ということで、ブレンドも考えてみたいですね。違う分野のものが合わさった時にどんな化学反応が起きるかと考えるとワクワクします」順風満帆にみえる風間さんですが、全てが成功しているわけではないとおっしゃいます。「実は昨年、京都にお店を出す話があったんですけど、最終的にまとまらなかったんです。これはまだまだ地元の掘り下げが足りないということなのかなと。自分が出来る範囲は限られていますし、全てが叶う場所も存在しない。だったら僕が作るカフェが、人と場所を繋げるコネクターとして機能すればいいのかなと思っています」

適正温度でドリップできるよう選ばれたケトルで丁寧にコーヒーを淹れる。

ステンレスのソーサーで供されるコーヒー。この質実剛健さがいい。

爽快な「木いちごソーダ」648円。ほんのり甘酸っぱい人気のメニュー。

鹿沼の豚、地野菜、地元の蕎麦粉を使った「さつきポークの具だくさんガレット」ドリンクセット1,600円。

「特製スープカレー」1600円。ドリンクとのセットは1950円。

クリームチーズのアイスを添えた「キャラメルシフォン」ドリンク付きで1080円。

地元のフルーツを使った「果実のタルト」ドリンク付きで1080円。この日はりんご。

日光連山が描かれた「リキッドアイスコーヒー」850円。側面を繋ぎ合わせると風景が浮かび上がる。

エチオピアのイリガチャフ地区のものなど焙煎した豆の販売も行っている。

「この後はかき氷用の氷を仲間たちと切り出しに行くんです」と風間氏。

住所:栃木県日光市今市754 MAP
電話: 0288-22-7242
営業時間:11:30〜20:00(LO./19:30)
定休日:月曜、第1.3火曜(祝日の際は翌日休み)
日光珈琲 HP:http://nikko-coffee.com/cafe

スローライフの実際を体感し、新たな価値観を築く。白い宿が気付かせる、上質な暮らし。[白のMINKA/静岡県浜松市]

白のMINKAOVERVIEW

静岡県浜松市都田(みやこだ)。市内の中心から車で30分ほど、山間部に向かって北上したところにある町で、東西を貫くのは単線のローカル鉄道、天竜浜名湖線。なだらかな山の稜線も近くに望める、のどかなエリアです。

『白のMINKA』は、この町にある唯一の宿として、2016年11月にオープンしました。佇まいは日本の古民家風ですが、外壁は真っ白。そんな一軒家が二棟ある、この宿は外見からして、すでにコンセプチュアルなムードを漂わせています。

宿のある一帯は「ドロフィーズキャンパス」として整備されており、カフェやレストラン、インテリアショップ、ブックストアなどが点在。どこも、北欧家具やオーガニックフードといった、先鋭的なアイテムを扱っています。週末ともなると、多くの観光客で賑わい、「過疎の町だった」とは思えない盛況ぶりに驚かされます。

この宿とドロフィーズキャンパスは、地元の一企業、都田建設が手掛けています。宿が掲げるテーマは「日本文化の深化と北欧デザインの融合」。少し、難しく聞こえますが、そこには、上質なスローライフの在り方を提案する宿の姿勢がありました。
これは、晩冬の都田で取材班が感じ取ってきた物語です。

住所: 静岡県浜松市北区都田町10087番1 MAP
電話: 053-428-6111
白のMINKA HP:http://dlofre.jp/shironominka/

【お花見・東日本編】『ONESTORY』流、桜と美食をつなぐ旅。[2019年春、桜の旅。/食と桜]

毎年4月20日から5月5日(予定)に行われる「角館(かくのだて)の桜まつり」では、町内で様々なイベントが開催される。

食と桜江戸や京都から遠く離れた地で、その隆盛の息吹に触れる。

桜咲く名所に加え、『ONESTORY』が過去に取材したレストランから厳選し、ご提案する「桜と美食をつなぐ旅」。第2弾となる東日本編は、厳しい冬を乗り越え、雪解けを迎える東北・北陸地方を中心にお届けします。芽吹きの春、色彩は豊かに、味覚の幅もぐっと広がる季節の訪れを、目で、舌で味わう旅をお楽しみください。

在りし日の城下町の賑わいを今に残す武家屋敷が並ぶ、秋田県仙北市角館(かくのだて)町。江戸時代初期、京都に縁のあった角館初代所預・佐竹義隣(よしちか)や2代・義明の働きにより京都風の文化や地名が根づき、「みちのくの小京都」と呼ばれる風雅な街並みが生まれました。県下屈指の観光地に春の訪れを告げるのは、約450本もの「シダレザクラ」。見頃となる4月下旬から5月上旬には、白色と淡紅色の桜の花と武家屋敷が共演する、美しい景色が広がります。小京都の華やかな風情を楽しんだら、次は「粋」が息づく江戸文化を感じに、「JR角館駅」から秋田新幹線に乗り、秋田市街へ。繁華街から少し離れた住宅地の一角に佇むのが、日本で唯一とされる、正統派江戸料理を提供する『日本料理たかむら』です。料理長の高村宏樹氏は、今はなき江戸料理の老舗「太古八」にて料理長を務めた後、独立。数々の料理人や食通が認める俊英であり、JR東日本が運行する豪華寝台列車「TRAIN SUITE 四季島」で供される特製弁当を手がけるなど、名店の魂を受け継ぎながら、新たな挑戦を続けています。江戸や京都から遠く離れた地で、江戸時代が創り上げた隆盛、栄華に触れる、貴重な体験が、秋田の地にはあります。

▶詳細は、LANDSCAPE/「みちのくの小京都」と称される街並みと桜。歴史を重ねた情緒溢れる風景。
▶詳細は、RESTAURANT/スタイルは変えない、でも新しい。秋田で出会った、日本唯一の江戸料理店。            

「江戸料理はスタイル。“粋”であること。食べ方、飲み方、そして生き方に通じるもの」と高村氏。

朝市場で仕入れた山菜の女王“ひでこ”を使った天ぷら。現地でしか味わえない、旬の楽しみ。

食と桜地域の人々のために。揺るぎない思いがつながる。

日本の桜景色の代表格ともいえる、「ソメイヨシノ」の桜並木。地域の人々が春を楽しむ姿を想像しながら植樹した先人たちの優しい思いは、毎年可憐な花を咲かせる桜の姿と重なって、受け継がれ続けます。新潟県燕市に位置する『大河津分水(おおこうづぶんすい)』の桜並木も、そのひとつ。1922年、長年住民を悩ませてきた水害を防ぐ堤防工事の完成を記念して植樹された「ソメイヨシノ」は、現在はその数なんと約3,000本に。4月中旬には10kmもの区間に満開の桜が続き、水と桜の美しい共演が楽しめます。春めく分水堤防沿いから車で約40分。燕市とともに日本屈指の工業地域として知られる三条市で、揺るぎなき地元愛のもと、他業種も巻き込みながら地域を盛り上げているのが、『Restaurant UOZEN』のシェフ・井上和洋氏です。東京では今でこそ当たり前となったヘルスコンシャスなフレンチにいち早く取り組み、新潟に活躍の場を移した今では、野菜はもちろん、肉や魚を自身で調達することも。更にはこの地で出会った仲間たちと切磋琢磨しながら、包丁からインテリアにいたるまでメイド・イン新潟のアイテムを採用。世界に誇るクラフトの街で、独自のプレゼンテーションのあり方を追求しています。

▶詳細は、LANDSCAPE/豊潤な水辺に咲き誇る桜のアーチと、「分水おいらん道中」の艶やかな共演。
▶詳細は、RESTAURANT/LOHASブームの東京から新潟・三条市へ。海から、大地から掴み取った味を届ける。

開花の時季には「つばめ桜まつり 分水おいらん道中」を開催。時代絵巻を表現した「分水おいらん道中」は必見。

シェフの井上氏。新潟の海や山、自然の中へと食べ手を導く、滋味溢れる料理でたちまち評判に。

ゼラチンで濃度をつけたコンソメで海老をコーティングした「佐渡産ボタン海老のブイヤベース仕立て」。

食と桜熱い地元愛を持って、富山県の魅力を最大限に引き出す。

もうひとつ、人の手によりつくられた桜並木が織りなす絶景をご紹介しましょう。富山県下新川郡朝日町、日本海と北アルプスに面した自然豊かな場所に流れる『舟川』沿いの桜並木、通称「あさひ舟川・春の四重奏」です。両岸約1.2kmにわたって咲く約280本の桜並木は、1957年に地域の人々によって植えられたものとされ、現在では桜が開花する4月中旬に合わせて、名産のチューリップと菜の花を一緒に栽培。背後にそびえる残雪の北アルプスも相まって、4つの色彩による壮大な花のキャンバスが姿を現します。自然がもたらす色彩の調べを堪能した後は、アルプスの山々を横目に車に乗って北陸道で西へ。1時間ほどで富山市内へと入りますが、今回の目的地は市街地から離れた緑豊かな山あいの地。ラグジュアリーホテル「リバーリトリート雅樂倶」内にあるレストラン『L'évo(レヴォ)』がその場所です。シェフの谷口英司氏は大阪出身でありながら、富山の豊かな食材と文化、伝統に魅了されたひとり。アートを彷彿させる洗練されたフレンチであるだけでなく、郷土料理の力強さも感じさせる料理には、徹底した地産地消が貫かれています。更には器やメニュー、ファブリックにいたるまで、富山県内で活動する企業や作家の作品を厳選。地方創生がかかげられ幾年月。地域に根ざした店は数あれど、地域を深く愛し、その愛をつないでいる店はいくつあるでしょうか。そんなレストランこそが、地域の本質的な魅力を伝えることができるのです。

▶詳細は、LANDSCAPE/整然と美しい桜並木に加え、自然がもたらす鮮やかな色彩が目を楽しませる。
▶詳細は、RESTAURANT/深い海、高い山、豊かな自然、伝統工芸。富山こそ料理人が、最高に輝ける場所。

『舟川』の桜並木。残雪の山々を仰ぎ、花々のキャンバスが広がる絶景は、「この世の楽園」とも言われています。

「食材の持ち味を引き出すのは料理人の責務」と語るシェフの谷口氏。富山の魅力を伝えることに人生をかける。

アミューズ(写真は3人分)。個性的なフォルムの器に負けぬ存在感を放つ料理は全て富山の食材。

食と桜地域の中でひっそりと。印象的な存在感を放つ。

一本桜が数多く存在する岩手県にあって、隠れた名勝と名高い『上坊牧野の一本桜』。開花は5月中旬〜下旬、しとやかな風情を醸し出す「カスミザクラ」の淡い桜色と残雪の『岩手山』の美しい共演は、人々の目を大いに楽しませ、心を癒します。そんな印象的な存在感を放つ一本桜のように、凛と咲き、誠実な姿勢で人々を幸福へと導くのは、岩手県遠野市にある『とおの屋 要(よう)』の佐々木要太郎氏です。岩手山麓より南へ車で約1時間40分、河童伝説や座敷わらしといった民話が伝わる地でひっそりと、国内外の料理人や酒販関係者らがこぞって賞賛する独創的な料理を提供しています。佐々木氏は遠野市初の宿「民宿 とおの」に生まれ、お父様とともに民宿を盛り上げた後、2011年に自身の力だけで勝負する場を、と考えて和のオーベルジュ『とおの屋 要(よう)』をオープン。住民の知恵が育んだ保存食や、自家栽培の無農薬米から醸造するどぶろくなど、遠野の時間と気候、風土までを味わい尽くすディープな食の体験は、まさに「唯一無二」です。

▶詳細は、LANDSCAPE/儚いカスミザクラと残雪の岩手山がつくる、優しい、絵画のような景色。
▶詳細は、RESTAURANT/自家製発酵料理×自家醸造どぶろく。『要(よう)』でしか味わえない遠野キュイジーヌ。

「カスミザクラ」の名の由来は、遠くから見るとぼんやりと霞(かすみ)がかかっているように見えることから。

21歳の若さで遠野に戻り、どぶろく醸造のキャリアは14年に。供される料理は仕込みから仕上げまで、佐々木氏がひとりで行う。

「秋の終わり 冬の始まり」 地鳥 山栗 アマレッティ 花穂。佐々木氏曰く「鶏刺しの『要(よう)』的表現」。タラの芽の塩漬けと栗、アマレッティと花穂しそを添えて。

食と桜独創的な景色と食と。新たな驚きに出合える旅。

「桜と美食をつなぐ旅」東日本編の最後は、独創的な桜景色と美食の旅をご紹介します。山形県の英雄、伊達政宗生誕の地であり、古くは5氏の大名が居城したという『米沢城』。その城跡に整備された『松が岬公園』では、4月中旬から下旬にかけて約200本の「ソメイヨシノ」が開花します。かつては上杉家の城主のみが渡ることを許されていたという『菱門橋』や、上杉謙信を祀る『上杉神社』、上杉家伝来の品々を収蔵する『稽照殿(けいしょうでん)』など、敷地の中には上杉氏の栄華を偲ばせる華やかさがそこかしこに。米沢の地と人が歩んだ歴史に思いを馳せ、ゆっくりと景色を楽しんだら、米沢市の中心部から東北道を約50km北上し、1時間10分ほどのドライブを経て山形市内へ。ここで体験できるのは、イタリアンに欠かせない「ハム」。シェフの佐竹大志氏がイタリアでの修業時代に学んだ本場のハム作りに独自の手法を加え、山形の風土に合わせて育てるそれらは、圧倒的な種類の多さだけでなく、味や風味も幅広く、次々と新鮮な驚きをもたらします。日本中からその味を求めて人が集まる「ハムずくめ」の店、山形に来たならば必ず訪れたい名店です。(文中には諸説ある中の一説もございます。)

▶詳細は、LANDSCAPE/四方を堀で囲まれた城跡ならではの水辺を、約200本の桜が鮮やかに染め上げる。
▶詳細は、RESTAURANT/ハム、ハム、ハム、ハム…。これでもかと自家製ハムで攻め立てる。不器用シェフの特化型イタリアン。

堀の延長は約800m。水辺が美しく、『菱門橋』の赤い欄干が、桜の季節にはよりいっそう印象的に映る。

シェフの佐竹氏。地元の山形へ戻り独立し、独自の道へ。不遇の時代が長かったというが、今やイタリアンの巨匠たちからも認められ、ハム作りの第一人者に。

切りたての薫り高いハムに心を奪われる。圧倒的な種類とボリュームは衝撃的。

たゆたうように、建物の歴史と人の営みをつなぐ宿。[滔々/岡山県倉敷市]

自然の素材で作られた建物は、年月を重ねるごとに趣を増す。

滔々約100年の歴史と記憶が刻まれた倉敷の町家。

滔々。豊かでよどみなく、水が流れるさまを表す言葉です。建物と場所に宿る歴史を力強く、次の世代へつなげる。そんな意味を込めて、この宿は名づけられました。

岡山県倉敷市の美観地区、大原美術館の南側。土蔵造りの白壁が並ぶ町並みに溶け込むように、『滔々 倉敷町家の宿』はひっそりと佇んでいます。ここは、築約100年の町家を活用した宿泊施設&ギャラリー。木造2階建ての建物は一棟貸しの宿で、隣接のコンクリート2階建ての近代的な建物がギャラリースペースです。

山の上から倉敷を見守る総鎮守、阿智神社へと続く坂道。

白壁と瓦屋根が特徴的な『滔々』。

滔々場所を愛し、ものづくりを尊ぶ。その想いとともにバトンを受け取った。

宿として改修した町家はもともと民家で、30年以上にわたって作家の手仕事を大切にし地元内外から愛されてきた『クラフト&ギャラリー幹』の貸しギャラリーとして使用されていました。2017年4月、オーナーの三宅幹子氏が事業を退くことを決意。岡山市内の不動産会社、菱善地所有限会社の宮井宏社長に「この建物と場を託したい」と相談しました。宮井氏は、毎年5月に開催されるクラフト作家の祭典「フィールド オブ クラフト 倉敷」の実行委員長を努めており、岡山を中心に全国のクラフト作家とのつながりも多いことから、この宿を手工芸をコンセプトとした宿泊施設にするプロジェクトを計画。建物と三宅氏の想いや歴史を引き継ぎ、次の時代につなぐ「場」とすることを目指しました。

エントランスの土間は吹き抜けになっており開放的な空間。

高橋氏によるソファや、田澤祐介氏によるローテーブルが建物になじむ。

滔々人が、時が、通過した「証」を残して。

コンセプトは、「豪奢ではないが良質であること、人の意図や配慮が感じられること、年月を重ねるごとに趣をましていく素材を用いること」。建物は築後数十年の間に、住む人が代わり、使い方が変わり、幾度か改修を重ねられた跡がありました。きちんと製材されていない曲がった柱や、漆喰で仕上げられていない土壁。そういった庶民の生活の場であった記憶を失わず、現代の快適さも兼ね備えた空間をつくり上げることを念頭に、設計は倉敷の建築事務所『TT Architects, Inc.』の高吉輝樹氏、施工は倉敷木材株式会社と、地元のチームで改修が進められました。

観光地だが裏道にあり、通りはひっそりしている。

滔々確かな手仕事で、作りつけられた家具たち。

特徴的なのは、家具は全てオーダーメイドであるということです。「眠りを誘うソファ」というオーダーのもと生まれたリビングの「futon sofa」は、『さしものかぐたかはし』高橋雄二氏の作。クッション部分は名古屋の『丹羽ふとん店』の綿の布団、張り地はデンマークのクヴァドラ社のウール100%、木部は広島県産の山桜を使用しています。またオーディオチェストは北海道の木工作家・内田 悠氏が蝦夷桜を用いて造ったもの。キッチンの桜のカウンターは倉敷木材の板蔵から選定、『さしものかぐたかはし』高橋氏のデザインによって設えられました。どんな家具がこの建物に合うのかを、素材やフォルムから一つひとつ考え、クリエイターの力を結集させて作りました。

他にも、吹き抜けのランプシェードは伊藤 環氏(岡山)、土間の備前焼のスツールは森本 仁氏(岡山)、備中和紙を使った床の間の壁紙は丹下直樹氏(岡山)と、地元を中心とした全国の作家がこの宿のために誂えたインテリアや建具に囲まれ、まるで宿一軒が工芸美術館のようです。

キッチンの食器やカトラリーもギャラリーで購入可能。

滔々旅人と地域をつなぐ2つのギャラリー。日常であり、非日常でもある場でありたい。

ギャラリーは2つあり、「滔々 gallery 1」は宿で使用している作家の作品を展示販売。「上質で、贅沢すぎず、日常使いできるもの」を意識し、手の届きやすい価格帯の器や雑貨をセレクトしています。企画展も行い、全国の手仕事を紹介しています。
「滔々 gallery 2」はレンタルギャラリーとして、地元作家を中心とした展示を行っています。

宿とは雰囲気が違い、スタイリッシュなデザインのギャラリー。

「何かいいものあるかと思って」と気軽に立ち寄る近所の人も多いという。

滔々日常であり、非日常でもある場でありたい。

『滔々』は宿でありギャラリーという2つの要素を持つ施設ですが、「地元の方にも開かれた場所でありたい」とマネージャーのァースト理恵氏は話します。「一棟貸しの宿なので、特別な日に仲間と集まって心おきなく語らったり、夫婦の記念日にのんびり寛いだり。また、ギャラリーも気張らない空間なので、散歩がてらに覗いてもらえれば嬉しいですね」と話します。

5月には新たに、1~2名で利用できる宿泊スペースを設ける予定だとか。30年の間、人と人、人とものが出会う空間だった場が、これからは人が安らげる場としての機能も持ち、更に次の時代へとつながる。この宿に滔々と受け継がれるもの――それは歴史であり、記憶であり、「縁」でもあるといえるでしょう。

シンプルだが、丁寧に作られた作品が並ぶ。

ぬくもりのある佇まいに、「ただいま」と帰りたくなる。

住所:岡山県倉敷市中央1丁目6-8 MAP
電話:086-422-7406
料金:平日1名1万1,600円~1万9,720円
滔々 HP:https://toutou-kurashiki.jp/
写真提供:滔々
撮影:杉野圭一、森本美絵

北国の暮らしに寄り添う家は、複雑なパズルを解いたその先に。[TSUGARU Le Bon Marché・蟻塚学建築設計事務所/青森県弘前市]

物静かで落ち着いた印象の蟻塚氏だが、実は野球部出身の体育会系。高校では「ひろさきマーケット」代表・高橋氏とチームメート。その縁で、高橋氏の店の設計を多く手掛ける。

蟻塚学建築設計事務所津軽から南へ。カープ好きの少年は広島を目指す。

津軽から南へ。カープ好きの少年は広島を目指す。
日本有数の豪雪地、津軽。厳しい気候条件の中、人々の生活を包み、守るのが住宅です。北国ならではの工夫が建築物にも求められるここ津軽で、地元に根差し活躍する弘前出身の若手建築家がいます。『蟻塚学建築設計事務所』代表・蟻塚 学氏。2012年に日本建築家協会による「JIA東北住宅大賞」を受賞した個人邸「冬日の家」と、2016年に再び同賞を受賞した「地平の家」は、建築専門誌にも取り上げられ注目を集めました。

蟻塚氏が建築家を志したのは、意外にも早く小学生の時。といっても、「自宅の改修に来た大工さんが高倉 健さんのような人で。寡黙で男らしい仕事ぶりに、格好良い!と痺れちゃって」という無邪気な憧れからでした。高校で進路を決める際は、なんと大好きな広島カープの地元という理由で、広島大学へ。「このあたりから建築学部へ進むとしたら、普通は北海道大学か東北大学の工学部。だから推薦枠も空いていたんです」と蟻塚氏。一見物静かで生まじめな印象だった蟻塚氏ですが、どうやら思っていたより情熱的。そういえば津軽弁には「やってまれ」(標準語で「やってしまえ」)という言葉があるそうですが、これが「やってまれ精神」なのでしょうか。

しかし「行っちゃえ! 広島」の勢いでやって来たカープの街は、実は建築家の街でもあったそうです。「建築学科のある大学が6つもあって、巨匠のような建築家も多いんです。個人のお客さんでも、若手に頼みたいという人がいっぱいいて、独立したばかりの建築家が活躍できる土壌がある。運が良かったと思います」と語る蟻塚氏も早くから独立を見越し、広島の建築設計事務所へ入所。晴れて6年後に独立を果たします。が、せっかく条件のいい広島にいるにも関わらず、「でも」と話す蟻塚氏。「広島に住み始めた時から、ずっと地元・弘前に帰りたいと思っていました」と続けます。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

書類を送る際の封筒や図面の端にちょこんと押されるアリのマーク。ふと和んでしまうこんな遊び心に、蟻塚氏の人柄が滲む。

事務所の外壁を見ると、様々な素材が使われているのがわかる。「実験住宅」と命名されたこの場所では、名前どおり、建材などの実証実験を行って提案に生かしている。(Photo by Akira Misawa)

蟻塚学建築設計事務所各地を回ってようやく気付いた、地元・弘前の心地よさ。

弘前には仕事がないだろうし、帰らない方がいい。一度東京に行ってみたらどうか。多くの人からのそんな助言があっても、蟻塚氏がUターンを決めた理由。それは、離れてみて初めて気付いた地元・弘前の心地よさでした。「学生時代、日本各地や海外に行って様々な街を見た時、弘前は全然負けてない、むしろいいじゃないかと思えたんです。コンパクトで趣きがあって、ここにしかない文化もある。一方で商店街が寂れてきたと聞いてさみしい気持ちもありました。『仕事は何とかなるだろう』と、心地よさという自分の感覚を優先したんです」と蟻塚氏。「やってまれ精神」、再び。弘前へ戻ったのは2008年、28歳の時でした。

当初、仕事は閑古鳥が鳴く状態だったそうですが、蟻塚氏は徐々に「地域の中の建築家の在り方」について考え始めます。例えば、地元のNPO法人が主導した駅舎のプロジェクト。田んぼのど真ん中、りんご畑と岩木山を望む場所にある弘南鉄道の無人駅・柏農(はくのう)高校前駅を、地元の人々と一緒に綺麗にするという内容でした。「このあたりの人には当たり前だけど、他にはなかなかない素晴らしいロケーション。『蟻塚くん、設計やってるの? じゃあ、塗装の色選べるの?』という感じで依頼されて(笑)、すごくローカルでお金にもならないけれど、みんなで一緒に場所を作っていくのが本当に楽しかったんです」と蟻塚氏は話します。

それまで広島でやってきたのは、「クライアントに自分の作品を売り込む」仕事。津軽に戻った蟻塚氏は、駅舎のプロジェクトなどを経て、地方で生きる建築家として違うアプローチがあるのではと気付き始めたといいます。

天井に壁紙を貼り、壁を塗り替えた。収益のないボランティア活動だったが、ローカルコミュニティの中で建築家が担う役割について教えられたと蟻塚氏。

天井に壁紙を貼り、壁を塗り替えた。収益のないボランティア活動だったが、ローカルコミュニティの中で建築家が担う役割について教えられたと蟻塚氏。

蟻塚学建築設計事務所デメリットがメリットになる。行きついた北国ならではの形。

転機が訪れたのは、前述の「冬日の家」を設計した時のこと。それまでの営業スタイルとは違う、「作品を売り込まない」設計に挑戦したのがこの物件です。「クライアントの説得のため、わりと嘘というか、大げさにメリットを伝えがちなのがずっとジレンマで。クライアントの言うことを全部聞いたらストレスがないんじゃないかと思ったら、本当にストレスがなくなったんですよ。条件を全部クリアした上で格好良いものを作ろうとしたら、すごく感動してもらえて。賞を受賞して雑誌に載るなど評価も頂き、あの物件を境に世界が変わりました」と蟻塚氏。

寒さや雪といった北国の気候条件に挑戦したのが「冬日の家」。施主の希望を踏まえた上で蟻塚氏が提案したのは、大きなガラス窓が印象的な平屋でした。熱を逃がしてしまうため、通常北国ではデメリットとされる大窓。しかし蟻塚氏は「広島ではいくつもガラス張りの建物を作っていたのに、こっちだと避けられるのが悔しくて」と、建物の南面に二重のガラスで遮ったサンルームを設けることで問題を解消します。冬は採暖だけでなく、洗濯物の物干し場や、ふっとひと息つくためのリビングに。夏は開け放てば通風口に。デメリットをメリットに転換させたアイデアであるサンルームは、蟻塚氏の代名詞となりました。

大きな窓はまた、津軽の四季の美しさを家の中まで届けてくれる存在でもあります。しんしんと雪が降る事務所の外の景色を眺めながら、蟻塚氏は「暗いイメージの雪国ですが、実際は光が雪に反射して明るいでしょう? 一番暗いのは12月、雪が降る前。でも降った途端周囲がすごく明るくなる、そんな劇的な空間の変わり方も、津軽らしくていいなと思うんです」と話しました。

ちょうど右端の寝室部分。サンルームの機能も採用当初に比べ多様化し、向上しつつあるそう。(Photo by 阿野太一)

「冬日の家」内部。サンルーム部分のガラス窓を開けると、リビングがそのまま庭側へ拡張され、開放感のある子供の遊び場となる。(Photo by 阿野太一)

その後、多くの物件でサンルームを取り入れている蟻塚氏。この模型で示すと、ちょうど右端の寝室部分。サンルームの機能も採用当初に比べ多様化し、向上しつつあるそう。

蟻塚学建築設計事務所名実ともに津軽に根差す、若手建築家のこれから。

北国における建築の制約は、特殊な気候条件のみならず。全国的に見ても所得額が低い青森県では、コストを抑えることも大きなテーマです。「そこはもう工夫するしかなくて。でも制約がある分、経験値は上がります。すごく複雑なパズルを解いているようで、楽しさもあるんです」と蟻塚氏。色々な物件を手がけてパズルの攻略を続けるうち、やはり自分は津軽の建築家だという意識が強くなったそうです。

蟻塚氏が故郷・津軽を最も強く感じた物件は、2014年に「グッドデザイン賞」も受賞した、りんご畑に佇む「弘前シードル工房 kimori」。蟻塚氏曰く「やっぱり、りんごは津軽の象徴ですから。青森に帰る前から、りんご畑というロケーションで何かやりたいと思っていました」。ちなみに、「弘前シードル工房 kimori」内に置かれたテーブルやスツールは、蟻塚氏が弘前市内のアート関連のNPO法人を通じて知り合った、家具工房「Easy Living」代表・葛西康人氏に依頼したもの。更に最近では、りんご木箱のメーカー「キープレイス」代表・姥澤 大氏、葛西氏との3名で、木箱を再活用する家具プロジェクト「又幸」を始めるなど、津軽エリアに根差した活動を精力的に続けます。

目下の大仕事は、津軽の海の顔となる大型の建築物。青森港新中央ふ頭に完成予定のクルーズ船ターミナルです。「この規模を手がけるのは初めて。ボロボロになりながらやっています」と笑う蟻塚氏ですが、故郷に帰って丸10年、蟻塚氏の存在は既に、地域の若きキーパーソンのひとりとして知られているようにも思えます。「青森に限らず、色んな場所の仕事をしていきたい」と語る蟻塚氏。でもきっと、津軽が蟻塚氏を放っておかないはず。日本や世界が注目する名建築が、この地に誕生する日も近いかもしれません。

弘前シードル工房 kimori」。代表・高橋哲史氏のことを「すごく想いが強い人」と表現する蟻塚氏。その想いに寄り添うような包容力を持つ建築を造り上げた。

雪の降る中庭を事務所内から眺めて。蟻塚氏に言われ、津軽の雪景色は明るいことに改めて気付く。大きなガラス窓が、四季の移ろいを屋内に届ける役目を果たしている。

住所:青森県弘前市南城西2丁目1-9 MAP
電話:0172-88-5620
蟻塚学建築設計事務所 HP:http://www.aritsuka.com/

大谷川の伏流水と地元の米で作る生粋の地酒。[SHIMOIMAICHI HOPPING・渡邊佐平商店/栃木県下今市]

渡邊康浩氏。外国人観光客の酒蔵見学も受け付けているそうで英語もペラペラ。

下今市ホッピング・渡邊佐平商店扇状地によってろ過された清らかな水を使って。

標高400メートルに位置し、日光連山から吹き下ろす風で夏も涼しい今市。このエリアを上空から見下ろすと、見事な扇状地になっています。岩や石が堆積してできた扇状地は水はけがよく、蛇行しながら流れる大谷川(だいやがわ)の水は地下に染み込んで流れています。この清らかな伏流水と冷涼な気候を生かしながら、1842年の創業より実直に日本酒を造り続けているのが渡邊佐平商店です。蔵に併設されている店舗のすぐ脇には小さな水車があり、豊かな水が流れ出ています。「そもそも、杉がよく育つ場所にはいい酒ができると言われているんですよ」と、代表の渡邊康浩氏。確かに日光へと伸びる杉並木は約37キロに及び、世界一長い単一樹種の並木としてギネスにも認定されています。

酒蔵に入ってすぐに渡邊氏から普通の米と酒米を見せていただきました。特に「純米吟醸日光誉」は今市の農家に特別にお願いして作ってもらった五百万石を使用。この他の酒も純米酒にこだわり、醸造アルコールや糖類は使わず、目指す酒質によってできるかぎり県内産にこだわった良質な酒米を使っています。杜氏は岩手県出身の南部杜氏。純米酒のよさを知りつくした職人で、ここに務めて20年以上。その指導のもと、岩手と地元の蔵人が丹精込めて酒を醸しています。

次に普段は蔵人しか入れないという酒母室へ。入口には紙垂を取りつけた注連縄がかけてあり、酒造りに作用する全ての菌への敬意が伝わってきます。「いま、いまここで仕込んでいるのは古代米を使った『朱』というお酒のもろみ。特別純米のにごり酒とブレンドする予定です」。温度管理が重要という酒母室には暑過ぎたり、冷え過ぎたりしないよう、扇風機やストーブまで置いてありました。仕込まれたもろみはもろみタンクに移し、およそ20日から30日間発酵させます。「耳を近づけてみてください。音が聞こえるでしょう?」。にこにこ顔で促されて耳を寄せると酵母の奏でる微かな音が。渡邊氏は時折、音のサンプリングを行い、タンクのなかの状態をチェックしているそうです。

そんなもろみタンクの中を見せて頂くべく、酒蔵の2階へあがりました。壁には杉の間伐材が貼られており、蔵のなかの温度を一定に保っています。床のところどころに八角形の穴があり、そこからタンクの中身が見えるようになっています。「これは、日本酒用の麹と酵母を使ったウチの焼酎です。よかったらかきまぜてみますか?」。櫂棒を受け取り、タンクの中をひとかきしてみます。ふつふつと盛り上がるもろみの上面を見ていて、つくづくお酒は生き物なのだなと感じました。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

大谷橋から日光連山をのぞむ。大谷川は扇状地にある川らしく、水量が少ない。大きめの石がゴロゴロしていた。

長い杉並木。このなかには戊辰戦争の時に砲弾を撃ち込まれた杉や桜が咲く桜杉など名物杉が混ざっている。

大吟醸用に45%まで磨いた山田錦と普通に精米したこしひかり。ここまで粒の大きさが変わるのかと改めて。

磨かれた流暢な説明。そのことからも酒造りに対する熱い思いが伝わってくる。

広々とした酒蔵の2階。穴の空いているところからタンクの中の発酵具合を確認できる。

櫂棒をタンク内に入れて見本を見せてくれる渡邊氏。鮮やかな手つき。

日本酒用の麹と酵母を使ったマイルドな地酒焼酎「日光誉」。発酵が進んでいる。

ずらりと並んだタンクに近寄って耳を澄ませると、酵母が奏でる音が聞こえる。

古代米を酒母タンクにいれ、もろみを仕込む。ほんのり赤みのついた酒は祝いの席で重宝される。

酒蔵の2階に設えられた立派な神棚。渡邊氏は毎日ここで手を合わせている。

下今市ホッピング・渡邊佐平商店お酒もオーディエンス? 酒蔵でジャズコンサート。

実は渡邊氏、少しでも多くの人に酒蔵の仕事ぶりや日本酒について知ってもらおうと、8年前から春か秋に酒蔵でコンサートを開いています。「うちは11月から3月までが仕込みの時期なのですが、ちょうど発酵が終わったぐらいの時期に蓋をしめまして。昨年はピアノトリオによるジャズコンサートを行いました。60人ぐらい入ったのかな。この杉の壁がちょうどいい具合に反響するらしく、お客様にも演者の方にも喜んでいただきました」。もしかすると、タンク内で音楽を聞いていたお酒たちも喜んでいたかもしれません。

ピアノ、ベース、ドラムのトリオで行われたジャズコンサートの様子。(渡邊康浩氏撮影)

場所は道の駅・日光の向かい。100年以上前に建てられた建物部分が店舗になっている。

水車で汲み上げた伏流水。今市は兵庫県淡路島に並ぶ線香の産地で、酒蔵から車で5分ほどの杉並木公園では多くの水車が見られる。

背中に刻まれた「日光の地酒蔵」の文字に蔵人の矜持を感じる。

下今市ホッピング・渡邊佐平商店ちばてつやが惚れこみ、作品に登場させた「日光誉」。

発酵が終わったもろみを絞って酒と酒粕に分離すれば香り高い新酒のできあがりです。この状態の生酒を62度から65度で加熱して火入れを行い、貯蔵タンクで熟成させればまろやかな味わいの日本酒に。土地の名前を冠した「日光誉」の純米吟醸は、舌触りなめらか。低温長期発酵の吟醸作りのため、香りがよく、喉ごしもすっきりしています。『あしたのジョー』でお馴染みのちばてつや先生もよく召し上がっているそうで、相撲マンガ『のたり松太郎』にも「日光誉」が登場するほど。「自然醸 清開」は取材中、市内のさまざまな飲食店に置かれていた純米酒。いつの間にかなくなってしまう飲み飽きないタイプの食中酒で、冷も燗もいけます。

渡邊佐平商店ではお酒を使った今市の名産品を生みだすべく、地元の菓子店とのコラボ商品も開発しています。「清開」の酒粕を使ったバームクーヘン「清開棒夢」をいただいてみると、しっとりした口あたりと高貴な香りに頬が弛みます。「酒粕の風味を出すのに相当苦労したようです」と渡邊さん。この先、栃木の新しいお米「夢ささら」を使った「日光誉」をリリース予定の他、海外への輸出にも力を入れています。愛する今市の風土が育んだ純米酒をより広くアピールすべく、渡邊さんの挑戦は続いていきます。

お話を伺いながらふと店舗内を見ると、3組の美しい平盃が目に留まりました。盃にはそれぞれ雪の男体山、桜、月が描かれています。「この盃は画家の中村豪志氏とひろみ氏のご夫婦に描いて頂いたものなんです。中村先生は熊本の方なのですが、たまたま今市にいらした時に車が故障したそうで。待っている間、見上げた日光連山がよくて、こちらに越してらしたんです」。感性豊かな画家をも魅了する美しき日光連山とその地より流れ出る伏流水。地元の米とそこにいきる人々と。どのパーツが欠けても生まれないこの酒こそ、生粋の地酒といえるでしょう。

日光山麓(晃麓の里)の水田で作られた五百万石を使用して醸す「日光誉」。

徳利詰めの「きざけ 日光誉」。飲み終わった後の徳利とぐい呑みが使えるのも嬉しい。

店舗には酒や焼酎のほか、酒器の販売も。SNSで話題を呼んだうぐいす徳利もある。

SEIKOが精工舎だった時代に造られた大きな柱時計。この場所で長く時を刻み続けている。

渡邊氏が開発に関わった酒粕入りバームクーヘン「清開棒夢」。お土産にもぴったり。

一瞬にして旅人を魅了した今市の風景。街のいたるところで、こんな風景に出会える。

住所:栃木県日光市今市450 MAP
電話: 0288-21-0007
営業時間:9:00~16:00(酒蔵見学は要予約)
渡邊佐平商店 HP:http://www.watanabesahei.co.jp/

作曲家・船村徹が愛した創業108年の老舗うなぎ割烹。[SHIMOIMAICHI HOPPING・魚登久/栃木県下今市]

焼き場に立つ相賀昭二氏。難しい備長炭の火加減を調整する際は真剣そのもの。

下今市ホッピング・魚登久名物・肝焼きで一杯やりつつ、うな重を待つ。

上方の古典落語に「始末の極意」という演目があります。ここに登場するのは、食事時になると隣のうなぎ屋が蒲焼を焼く匂いをおかずにしてごはんだけ食べる吝嗇家。たしかに、このお店の香りならおかずになるかも……。そう思わせるのは、下今市駅にほど近い大正元年創業の『魚登久』です。使用するうなぎは静岡県吉田町の川尻より直送。旬の時期(9月~12月)は浜名湖産天然うなぎの予約も受け付けています。「今市は水が美味しい街で、大手の食品メーカーが工場を建てるほど。うちでは、30メートルほど地下から水を汲み上げた立て場に静岡から生きて届いたうなぎを1週間ぐらいつけておくんです。そうすると、泥を吐いてくさみがとれ、キュッと身が引き締まる。我々の専門用語で“うなぎを締める”っていうんですけどね」と、三代目の相賀昭二氏。

早速、焼き上がったばかりのうな重をいただきます。蓋を取ると、その下には半紙が1枚。これは、「パリッと焼きあがったうなぎの表面が水蒸気でしんなりしないように」という嬉しい配慮から。口に運ぶと、焼き色のついた表面の香ばしさと旨み、秘伝のタレ、山椒の爽やかな香りが混然一体となった重層的な旨みがぐわっと押し寄せます。「このタレは創業以来、継ぎ足し、継ぎ足しで使っているので、うなぎの旨みがたっぷり溶け込んでいます。ちょっとやそっとでは出せない味なので、先代からも『火事があったら、まずタレを持って逃げろ』と教えられました」と相賀氏。たまりではなく生醤油を使ったタレは甘すぎず、ふくよかな味わい。ごはんも一粒一粒がキレイに立っていて、パワフルなうなぎの旨みをしっかり受け止めてくれます。

うなぎが焼けるのを待ちつつ日本酒をちびちびやりながら、つまみを頂く。そんな楽しみ方をしたい人向きに嬉しい酒の肴も充実しています。名物の「うなぎの肝焼き」は、一度湯通しして血合いを取り除いた肝を冷たい水で締めてから焼きあげます。ひと手間かけた肝は8匹分でやっと1串。ぷりぷりした食感で、苦みがなく、甘みさえ感じるほど。関西風に蒸さずにそのまま焼きあげた「地焼き」の表面のカリッと感もいいですが、関東風に20分程蒸してから焼きあげた「白焼き」も乙なもの。こちらはわさびか塩麹でいただきます。「なかには、『蒲焼も関西風に焼いてくれ』という方もいらっしゃるんですよ」と相賀氏。そんなリクエストにも柔軟に応えてくれるとは嬉しい限り。扱うお酒は渡邊佐平商店の「清開」。同じ大谷川の伏流水を使った日本酒とうなぎ。合わないはずがありません。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

「うな重」3,850円。ごはんにもあらかじめタレが絡んでいる。

「うなぎ肝焼き」900円。つやつやした質感がうなぎの状態の良さを物語っている。

「うなぎ肝吸い」350円。「うな重」にもついてくる。澄んだ吸い地から水の良さが伝わってくる。

「うまき」1800円。ふっくらと柔らかく焼き上げた卵とうなぎの旨み。ビジュアルもそそられる。

「うざく」1300円。きゅうりとわかめの酢の物といただく蒲焼は、味の濃淡が沁みる一品。

「白焼」3300円。うなぎそのものの味をダイレクトに感じたいなら白焼きを。塩麹をつければよりまろやかな味わいに。

「魚登久まぶし」4200円。最初はそのまま、次に薬味をのせて、最後に出汁をかけていただく。

下今市ホッピング・魚登久この道何十年の職人が捌いたうなぎを秘伝のタレで。

「うなぎを捌くところと焼くところも見てみますか?」と相賀氏。さっそく、厨房に入らせていただきます。うなぎ専用のまな板はとても分厚く、目打ちした部分の凹みが歴史を物語っています。「うちで使うのは1キロで4匹のサイズのうなぎ。蒸して使うので、少し小さめです」。鮮やかな包丁捌きのなせる技か、勢いよく跳ねるうなぎは背開きにされてもしばらく動いています。「うなぎを捌く職人さんも全国的に減ってきています。うちの職人は、何十年も務めている人ばかりです」と相賀氏。

一方の焼き場には香ばしい香りが立ち込めています。タレを塗っては焼き、塗っては焼きを繰り返すことで、こぼれおちたタレとうなぎの脂がじゅうっと焼ける香りです。使うは紀州の備長炭。「火力が調整しにくく、焼きムラがでないように焼くのは難しい。その分、タレや脂がこぼれて出る煙がうなぎを包みこみ、香ばしさが増すんです」。『魚登久』のうなぎが美味しい理由はここにもありました。

切れ味鋭い包丁で一気呵成に捌いていく。この状態でも少し動いていた。 

重厚なまな板についた亀裂がこの店の歴史を雄弁に語ってくれる。

備長炭のはぜる音とタレが焦げるじゅうっという音が焼き場に響く。

創業時より使用の秘伝のタレ。生醤油を使っているので垂れ具合はあっさりとして見えるが、味わいはふくよか。

下今市ホッピング・魚登久清らかな今市の地下水が招く心地よい空間。

飴色の杉材を贅沢に使った店内は落ち着いた空間。靴を脱いで寛ぐ本館1階は個室食堂式になっていて、2階は6名から35名まで入れる座敷席です。面白いのは、焼き場を見ながら食事ができるカウンター席。ガラスで隔てられているので煙たさはなく、タレがこぼれるたびに舞い上がる煙を見ながらうなぎを待つことで期待値が高まります。この席を愛する常連さんは多いそうで、作曲家として初めて文化勲章を受章した船村徹さんもそのひとり。出身地を愛してやまなかった先達に思いを馳せながら食事をするのも旅の醍醐味です。

2011年にお目見えしたのは、本館となりの別館『うなぎのねどこ』。大きな木彫りのうなぎを横目に歩を進めると、和洋全5部屋の個室が用意されています。テーブル席はもちろんテラスのついた個室もあるので、用途に合わせて使い分けたいもの。また、別館の入口には調理やうなぎを締めるのに使う地下水が湧きでています。清らかな今市の水をいかした美味。旅の途中で開けた赤いお重は、さながら玉手箱のようでした。

常連さんが愛してやまないカウンター席。ここから調理場が一望できる。

杉材を贅沢に使用した本館1階。節目がびしっと揃っていて気持ちいい。

別館「うなぎのねどこ」エントランス。ちょうど暖簾の左側から湧き水が出ている。

別館の個室テーブル席。家族やグループでの旅行の際に利用したい。

堂々たる門構え。街の人から「大事な接待の際は『魚登久』さんを使います」と聞いた。

住所:栃木県日光市今市467 MAP
電話: 0288-21-0131
営業時間:11:30~14:00、17:00~21:00
定休日:月曜、第3日曜
カード使用可
魚登久 HP:http://uo-toku.jp/

地物と熟練の技を駆使してみんなが好きなものを。ジャンルレスなレストラン。[SHIMOIMAICHI HOPPING・Café&Bar Baum/栃木県下小代]

水下氏と奥さまのちひろ氏。お2人のいらっしゃる空間には柔らかな空気が。

下今市ホッピング・カフェ&バー バウム元『二期倶楽部』のシェフが営む無人駅のレストラン。

下今市駅から栃木方面に2駅すすんだ下小代駅。地元住民に愛されてきた旧木造駅舎が、現在の駅舎のすぐ側に移築されている無人駅です。なんとも長閑な夜道を行けば、近くの民家からは食事の支度をする美味しそうな匂いが漂ってきます。ほんの数分で、蔦の絡まる建物からオレンジ色の光が洩れているのが見えてきました。ここは、『Café&Bar Baum』。大きなガラス戸を引いて中に入ると、木の勢いを活かした空間に油絵や手織りのテキスタイル、変わった形の木の実、ドライフラワーに多肉植物……と、あらゆるものが有機的に絡みあって心地いい空気を作りだしています。

「こんな場所に、こんなお店が!」と驚きつつ、メニューが書かれた黒板を眺めると、「那須山牛サーロイン」「トルティーヤ ビスマルク」といったそそられるメニューのなかに、「バウム風肉どうふ」「バウム風焼きうどん」といったB級グルメ的メニューが。いったい、ここは何屋さんなのでしょう?

「有志がここに集まって、定期的に『小代ルネッサンス』というマーケットを開催しているんです。そこで出すメニューが好評だったので、メニューに昇格させていくうちに何のお店だかわからなくなって」と笑うのは、オーナーの水下佳巳氏・ちひろ氏ご夫婦。那須高原の『二期倶楽部』でシェフを務めていた佳巳氏はそこでちひろ氏と出会い、ご結婚。ちひろ氏の生家であり、後に木工作家のお父様のギャラリーになったこの場所を初めて訪れた時、「いつかこの場所でお店を開きたい」と思うほど心惹かれたそうです。お父様にその旨を訊ねてみたところ、あっさり承諾。現在、地元の美味しいもの好きが集う店になりました。もしかすると、場所と人がお互いを呼び合ったのかもしれません。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

下小代の旧駅舎。住民運動によって現在の駅舎の傍に移築保存されている。

街灯も少ない場所で、オレンジ色の光を放つ『Baum』。

木の勢いを活かしたテーブル。その傍らには気になるメニュー満載の黒板。

出窓には絵本や写真集が。たんぽぽの綿毛のオブジェも手作り。

下今市ホッピング・カフェ&バー バウムジューシーな肉汁迸る希少な那須山牛でワインを。

水下ご夫婦の確かな技術から紡ぎだされる洋食に地元の皆さんが美味しいと思うもの。そんなジャンルレスなお店でまず頂きたいのが、焼き立てパンに野菜や具材を挟んで頂くセルフスタイルのサンドイッチです。ちひろ氏が店内のオーブンで焼いた自家製酵母のパンは外がカリッと香ばしく、香り豊か。この日の酵母はりんごだそうで、なかはむっちり、ほんのりした甘みがたまりません。

外せないのは那須山牛のサーロイン。「前の職場でご縁があって、お客様にも評価をいただいていたので、ぜひ皆さんにも食べて頂きたくて」と佳巳氏。絶妙な火入れのサーロインは断面がルビー色にツヤツヤと輝いています。エサや肥育にこだわって育てられた那須山牛は風味豊か。脂も少なめで、噛みしめる度に赤身からジューシーな肉汁が迸ります。ピリッと辛みの効いたわさび菜と共に頂くのがバウム流。気が付くと、ワインのボトルが次々に空いていきます。「チリやアルゼンチン、スペインなどニューワールド多めですが、イタリアや日本のものも。グラスワインはその都度おすすめのものをご用意しています」と佳巳氏。

付け合わせ野菜の美味しさも特筆もの。濃厚な味わいのじゃがいも・マチルダは那須の成澤菜園、舞茸は鹿沼産、人参は喜連川のものと地物や県産品にこだわっています。なかでも印象に残ったのが、肉厚で葉先まで生命力が詰まった葉物野菜。新たまねぎとクミンのドレッシングをかけた気まぐれサラダは、心身が喜ぶ美味しさです。「実はこのお野菜、近所の農家さんが作ったものなんですよ」とちひろ氏。お願いして、お店から車で数分の農園『美味しい野菜研究所』を訪ねました。

周囲はしっかり、中心部はレア気味に火を入れる。熟練の技が冴える。

「那須山牛サーロイン」3900円。塩胡椒のみで味付けした地野菜のシンプルローストと共に。

ハウスワイン的に出しているのはイタリアの「プリミティーヴォ」(左の2本)。グラスは650円から、ボトルは3300円から用意。

阿吽の呼吸で左右対称の動きになるお2人。

きれいにクープが開いたバゲット。自家製酵母は酒かすやレーズンなどさまざま。

「自家製天然酵母のパンと柴田さんの野菜達 セルフスタイルのサンドイッチで」1380円。

ムースやシャーベットも自家製の「喜連川 碓氷さんのとちおとめ シャーベットパフェスタイルで」750円。

セルバチコやロメインレタス、ケール、赤水菜など7種が入った「気まぐれサラダ」。

下今市ホッピング・カフェ&バー バウム植物性肥料を使ったこだわりの土が、美味しい野菜を育む。

ビニールハウスに入ると、まだ肌寒い季節なのにとても温かく、微生物が活発に活動しているのか、いきいきとした土の香りが鼻腔をくすぐります。色濃く茂ったズッキーニの葉影には、これまた色濃く育ったツヤツヤのズッキーニ。この農園を営むのは柴田正直氏。以前はニラを育てる単一品目農家でしたが、2013年の記録的な大雪でビニールハウスの多くが倒壊。それを機に多品種栽培に切り替えて現在に至ります。「正直、単一品目のほうが儲かるのですが、今の方が断然楽しい。新しい野菜作りに挑戦するのはワクワクしますし、Baumに『今度はこんな野菜を作ってよ』と頼まれて作った野菜は美味しい料理になりますから」。そんな柴田氏のこだわりは土。肥料は動物性のものではなく、おからや糠、この地域の特産品・蕎麦殻などをブレンドしながら使っています。「植物性の肥料を使った方が野菜にエグみが出ないんです」。小さな生き物たちにも、この温かな土のよさがわかるのでしょうか。取材中、どこからかハウスに入り込んだ猫が昼寝をしたり、カエルが嬉しそうに畝を横切るシーンに出くわしました。

ちひろ氏は営業の前にこの農園を訪ね、その日使う野菜を柴田氏と一緒に収穫しています。「赤水菜にビーツ、からしな、ケールはその辺りを」と指さし、一番いいものをハサミでパチリ。産地直送とは耳慣れた言葉ですが、ここまで収穫からキッチンが近い例もなかなかないのではないでしょうか。「私としても、毎日採って、新鮮なものを食べてもらった方が嬉しいんです」と柴田氏。和物から西洋野菜まで常に60種類ほどの種を常備し、リクエストに応えられるようにしているそうです。

本日の野菜を収穫するちひろ氏と柴田氏。ハウスの中は初夏のような暖かさ。

ぐわっと葉を広げたズッキーニ。成長段階が少しずつ違うハウスが他に2つあった。

葉先がきれいにカールしたケール。グリーンだけでなく紫色のケールも栽培している。

ビーツを抜いて、泥を落とす。「なかにはうずまき模様の入ったビーツもあるんですよ」とちひろ氏。

「ちょうどこの辺りがいいかな」と使う分のサニーレタスをカット。

「これは売り物にならないから」と柴田氏のお母様が間引いたケールをくださった。

収穫した野菜をカゴに入れて、本日の畑作業は終了!

下今市ホッピング・カフェ&バー バウム感性が宿った場所と料理が人や物を引き寄せる。

美味しい料理と居心地のいい空間が溶けあった『Baum』の隣に、気になる建物が建っています。ちひろ氏のお父様の木工アトリエ『森のふくろう』です。「父はいま仕事で出かけているのですが、よろしかったらご覧になりますか?」というお言葉に甘えて、主不在のアトリエにお邪魔しました。1階の作業場には様々な樹種の板や木材が所狭しと立てかけられています。「切った木はかなり縮むので、10年以上寝かせてから使うそうです。この仕事をしていると、『こんな板があるから持っていかんか?』『よかったら使って』と向こうから集まってくるみたいで」。

うってかわって2階は大人の秘密基地。お父様が滑車で木材を引き揚げ、時間をかけておひとりで増築した空間には、古いレコードやプレーヤー、壁には民族調のタペストリーやエドワード・ゴーリーのポスターが。小さな小窓からは時折、猫が遊びにやってくるそうです。感度が高く、それでいて心ほぐれる抜け感のある空間。お会いしたこともないのに、そこここに浮かび上がる主の内面に触れたような気がしてほっこりします。「わが父ながら、相当センスはいいと思います」と笑うちひろ氏。場所や料理に宿ったよき感性は、よき人や物を引き寄せる──そんなことを思わずにはいられない場所が無人駅のすぐそばにあります。

『森のふくろう』の2階。ここで「小代ルネッサンス」が開催されている。

ちひろ氏のお父様は中央の滑車で木材を引き揚げ、ひとりでこの空間を作り上げた。

再訪を誓いたくなる笑顔。ちなみにこの引き戸もお父様の作品なのだとか。

住所:栃木県日光市小代260-5 MAP
電話: 0288-25-7210
営業時間:12:00~23:00(L.O.22:00) 月曜定休
Cafe & Bar Baum HP:https://nikko.city/baum/

【お花見・西日本編】『ONESTORY』流、桜と美食を繋ぐ旅。[2019年春、桜の旅。/食と桜]

火山の溶岩流によりできた『屋島』。地学上でも秀峰とされるこの場所には、展望台など花見スポットも点在。

食と桜花霞に覆われた春の『屋島』で興じる、絶景と美食。

3月下旬から4月上旬にかけて、多彩な絵の具をパレットの上で溶かしたように、様々な色が山肌を埋め尽くすのは、香川県高松市の海岸林『屋島』です。その正体は自生している「ヤマザクラ」。淡い花霞が幻想的な雰囲気をつくり、観賞用の桜とはひと味違う、野性味ある桜の景色が楽しめます。その『屋島』の東側、檀ノ浦の海岸沿いに店を構えるのが、中国料理界の重鎮として知られる長坂松夫氏です。東京『麻布長江』の料理長としてスターシェフへと上り詰め、輝かしい未来が約束された立場にもかかわらず、2010年に弟子に店を譲り、現在の場所へ。別荘地の中にひっそりと、看板も出さずに立つ『長江SORAE』は、長坂氏が悩み、考えた末に行きついた「自然の中でその美しさ、心地よさを感じる。それを大切な人と共有しながら、食べる料理とその時間。それに勝るものはない」という答えを体現したレストランです。対岸に庵治(あじ)の町を望む風光明媚な場所が、その答えの最たるもの。俊才の料理人が行きついた究極のレストランを、美しい桜景色とともに体験してみてください。

▶詳細は、LANDSCAPE/秀峰と名高い溶岩台地を埋め尽くす、ヤマザクラの花霞。
▶詳細は、RESTAURANT/中華のスターシェフを移転に踏み切らせた「最高のレストランとは!?」

テラス席にて仲睦まじく微笑む長坂氏と奥様。後ろには「ソメイヨシノ」が。取材班が訪れたのも春先だった。

サヨリとイイダコとアスパラガスのトリオ。その味を優しくまとめ上げるのが貝柱のスープだ。

食と桜桜景色と甘美なスイーツがもたらす、めくるめくひと時。

桜の名所と絶品スイーツを巡る甘美なハシゴ旅ならば、福岡県へ。「筑前の小京都」と呼ばれる街並みが残る朝倉市の『甘木公園』は、3月末頃から4月上旬にかけて、敷地内の約4,000本の「ソメイヨシノ」が満開になり、多くの人で賑わいます。そこから福岡市の中心部までは車、電車ともに1時間ほど。『甘木公園』の最寄り駅「甘木駅」を始発とする「甘木鉄道」の沿線には花の名所が多く、またこの後訪れる店は、スイーツとお酒のマリアージュを専門とするゆえ、電車での旅が断然お勧めです。時間が許せば途中下車して春の花々を楽しみつつ、終点の「基山駅」からJRに乗り換えて、博多まで。福岡市中央区にある『WINE & SWEETS tsumons(つもん)』に向かいましょう。そこは、スイーツとワイン、両者がひとつになって初めて完成を見る、めくるめく世界。パティシエールでありソムリエールの香月友紀氏が提供するシグネチャーメニュー「スフレ」は、オーダーが入ってからメレンゲを泡立て始めるため提供まで時間がかかりますが、非日常を感じさせるインテリアに囲まれながら、その鮮やかな手さばきを眺める時間もまた、素晴らしいものです。

▶詳細は、LANDSCAPE/丸山池を中心に、約4,000本のソメイヨシノが咲き誇る。
▶詳細は、RESTAURANT/ワインとスイーツのマリアージュでオンリーワンの世界観を魅せる。

ほぼ中央に『丸山池』を有することから「丸山公園」とも呼ばれる『甘木公園』。美しい水辺は近隣住民のオアシス。

香月氏のスペシャリテ「きょうのもやしスフレ」。「もやし」とは「燃やし」のこと。運ばれてきた瞬間はゲストから感嘆の声が上がる。

コクと酸味が感じられるチョコレートのアイスクリームはなめらかで軽やか。これに合わせるバニュルスは、フレンチでいうところのソースの感覚。

食と桜山里から海へ。「孤高」の姿を訪ねる。

「桜と美食をつなぐ旅」西日本編の最後は、その姿、姿勢が「孤高」という言葉に通じる二者を訪ねる旅をご紹介します。岡山県北部、のどかな山里に春をもたらす『醍醐桜』は、第96代天皇・後醍醐天皇が称賛したという逸話が残る、県下一の一本桜です。空に向かってそびえ立ち、堂々とした姿が見る者を圧倒する「唯一無二」の存在。そんな姿と重なるレストランが、『醍醐桜』のある岡山県真庭市から南へ約100km、瀬戸内海に面した岡山県瀬戸内市牛窓町にあります。店の名は『acca(アッカ)』。かつて、東京都渋谷区広尾にあったリストランテ「acca」のシェフ・林 冬青(とうせい)氏が、牛窓の土地に惚れ込み、信頼できる人や食材を得てオープンさせました。林氏は若かりし頃、本場の味を求めてイタリアへ渡り、広尾に開いた店は数ヵ月間予約の取れない人気店へと成長。しかし諸事情により突然の閉店、それでもと掴んだ牛窓での再出発……。常に自身と向き合い、自分の信念に忠実に行動するその姿は、まさに「孤高」。静かに、しかし確実に毎年花を咲かせる『醍醐桜』のように、誠実でひたむきな林氏の姿勢に、料理に、私たちは心を動かされるのです。(文中には諸説ある中の一説もございます。)

▶詳細は、LANDSCAPE/後醍醐天皇が賞賛した逸話から名づけられたという、稀代の一本桜。
▶詳細は、RESTAURANT/牛窓で捕れた活魚。ひと手間加え料理にするのがaccaマジック。

『醍醐桜』の見頃は毎年4月10日前後。種類は「アズマヒガン」で、樹齢は700年とも1000年ともいわれる。

Tシャツ姿で厨房に立つ林氏。いつしか料理は至極シンプルに。最高の食材を、必要最低限の調理で提供。

その日に揚がった活けの小魚をアーリオ・オーリオで。運ばれてきた瞬間に海の香りが広がる。

海に面した雄大な風景の中に、新たなスタイルのウイスキー蒸溜所が誕生。[嘉之助蒸溜所/鹿児島県日置市]

鳥取砂丘や遠州大砂丘と並ぶ「日本三大砂丘」のひとつ、吹上浜(ふきあげはま)に隣接。

嘉之助蒸溜所「熟成焼酎」の元祖がウイスキー造りに挑む!

鹿児島県日置市。雄大な東シナ海に面し、矢筈岳(やはずだけ)や諸正岳(もろまさだけ)を背負う風光明媚な地に、2017年11月、新たなスタイルのウイスキー蒸溜所が誕生しました。

その名は『嘉之助蒸溜所』。1883年創業の老舗の焼酎メーカーで、熟成焼酎の先駆けとなった『メローコヅル』を生み出した小正醸造株式会社が、その経験と知識を生かして満を持して設立したウイスキー蒸溜所です。60年以上にもわたる本格焼酎の樽貯蔵・熟成の経験を、同じくオーク樽を用いるウイスキー造りで発揮。クラフトウイスキー蒸溜所としては、世界的にも珍しい3基の蒸溜器を備え、独自の価値と味を創り出しています。

なぜ焼酎で名をはせた老舗が、ウイスキー造りを始めたのでしょうか? そしてなぜ、この日置の地に拠点を構えて、業界でも珍しいスタイルのクラフトウイスキー蒸溜所を築いたのでしょうか?
その想いとポリシーを余すところなくうかがってみました。

日本で唯一海沿いに築かれた、開放的なロケーションのウイスキー蒸溜所。

蒸溜所の名前は日本初のオーク樽熟成米焼酎「メローコヅル」を生み出した2代目・小正嘉之助氏の名にちなんでいる。

嘉之助蒸溜所135年以上もの焼酎造りの経験を、ウイスキー造りに生かす。

焼酎はウイスキーやブランデー・ジンなどと同じ「蒸溜酒」のカテゴリーに属します。小正醸造株式会社は、1883年の創業以来、代表銘柄である『小鶴』を中心に鹿児島の地に根ざした焼酎造りを行ってきました。そして2代目に就任した小正嘉之助氏が、「庶民の酒として親しまれてきた焼酎の価値を上げたい」と一念発起。そして迎えた1957年 、かつてなかった樽熟成焼酎『メローコヅル』を発売したのです。以来、日本国内だけでなく海外にまで販路を広げ、約30ヵ国に輸出してきました。

そしてウイスキーの魅力が幅広く浸透し、日本でも愛好者が増えてきた昨今。「これまで培ってきた本格焼酎の技術を、同じ蒸溜酒であるウイスキーに生かしたい」と思い立ち、更なるステージへ進出したのです。
「60年以上積み重ねてきた本格焼酎の樽熟成の技術で、世界中の人々を魅了したい」――その想いのもとに、本格焼酎における発酵や蒸溜・熟成やブレンド等のノウハウを、ウイスキー造りに応用。老舗の焼酎メーカーならではのウイスキー造りに取り組み始めました。

本格焼酎で培った知識と経験が、斬新でありながらも老舗の風格を漂わせるウイスキーを生み出す。

お披露目を待ちながら大切に熟成されていく「嘉之助ウイスキー」。

嘉之助蒸溜所3基の蒸溜器が織り成すバラエティ豊かなウイスキー。

『嘉之助蒸溜所』のウイスキーのコンセプトは、「Mellow Land, Mellow Whisky」。「ジャパニーズウイスキーを更に豊かに、まろやかに」というポリシーのもとに、眼前に広がる東シナ海と吹上浜(ふきあげはま)の雄大な風景を望みながら、精魂込めてウイスキーを製造しています。500年以上もの歴史を誇る鹿児島の本格焼酎の技術を基盤に、鹿児島でしか成せない、小正醸造株式会社独自のウイスキー造りに挑んでいます。

その証拠に、『嘉之助蒸溜所』はクラフトウイスキー蒸溜所としては大変珍しい個性を持っています。小規模蒸溜所には通常2基しかないポットスチル(蒸溜器)を、3基設置しているのです。

通常、ウイスキーは2度の蒸溜を行いますが、2度目の蒸溜の際に、ネックの形状や上部のラインアームの角度が異なるポットスチルを用いることで、原酒の香りや味わいをより豊かに変化させることができるのです。
3基のポットスチルから生み出される、バラエティ豊かな酒質。『嘉之助蒸溜所』ならではの魅力です。

『嘉之助蒸溜所』の独自性を象徴する3基のポットスチル。赤銅色の輝きが造りへの誇りを物語る。

オリジナルグッズを取り揃えたショップ。単なる生産拠点に留まらず、ウイスキーが生み出した文化をも発信。

海を一望しながらテイスティングできる『THE MELLOW BAR』も併設。

嘉之助蒸溜所『ランドスケーププロダクツ』の監修によるハイセンスな建築も必見!

『嘉之助蒸溜所』の個性は、それだけではありません。

蒸溜所でありながら広く人々を受け入れ、見学だけでなく、実際にウイスキーをテイスティングできる『THE MELLOW BAR』も併設。更にオリジナルアイテムを取り揃えたショップも併設しており、ウイスキーを取り巻く文化まで発信しています。

そんな『嘉之助蒸溜所』のデザインを監修したのは、『ランドスケーププロダクツ』代表の中原慎一郎氏。中原氏と小正醸造株式会社代表の小正芳嗣氏は、以前から親しくしていた関係だそうです。小正氏がウイスキーの製造に進出しようと決めた際に、中原氏の経験と実績を見込んで依頼しました。
ともにスコットランドのウイスキー蒸溜所を巡り、意見を出し合ったという優美かつ機能的なデザイン。

吹上浜をイメージさせるベージュを基調にした温かな木調は、ぬくもりと落ち着きを醸し出しています。更にデザイン性のみならず、開放感と居心地の良さも実現。「訪れる人々にメローな気持ちになって頂きたい」という両氏の願いのもとに、爽やかな趣を漂わせています。

醸造所を取り巻く景観も白眉。恵まれた環境が美味なウイスキーを生む。

併設のショップでは「NEW POT(200ml 2,500円(税抜))」と「嘉之助 ニューボーン 2018(200ml 3,000円(税抜))」の2種類を販売。前者はオンラインショップでも購入可能。

嘉之助蒸溜所ウイスキー造りをもっと身近に感じてほしい。

『嘉之助蒸溜所』は、クラフトウイスキー蒸溜所としては大変珍しい3基の蒸溜器をはじめ、糖化槽や発酵槽などの製造設備を、見学者が間近で見られるように設計されています。これは「小正醸造株式会社が培ってきた技術で、『嘉之助蒸溜所』が発展させていくウイスキー造りを、五感で感じ取って頂きたい」という想いによるものだそうです。

そして見学ツアーの最後には、東シナ海を一望できる『THE MELLOW BAR』で、熟成中のウイスキーのテイスティングと風景を楽しめます。こうした一連の体験を通じて、蒸溜所の成り立ちと、独自のウイスキー造りに込められた想いをぜひ感じ取ってみたいものです。

ウイスキー造りは年単位に及ぶ熟成期間が必要。我慢に我慢を重ねていく仕事。

ウイスキーの熟成期間は一般的に3年。2018年に設立された『嘉之助蒸溜所』のウイスキーは2021年春頃にリリース予定。

嘉之助蒸溜所待望の3年熟成「嘉之助ウイスキー」は2021年春頃にリリース予定!

こうして丁寧かつ愛情豊かに育まれている「嘉之助ウイスキー」は、2021年春頃にお披露目を予定しています。それまでは、鹿児島産大麦モルトで仕込んだ地産地消のウイスキー、『嘉之助蒸溜所』独自の醸造に挑んでいくそうです。

鹿児島の地で生まれた「嘉之助ウイスキー」を、世界の人々に愛されるブランドに――ウイスキー愛好家たちの新たな喜びや癒しになることを願って、決して急ぐことなく、日々堅実にウイスキー造りと向き合っています。

東シナ海を望む爽快なロケーションを生かし、イベントのための敷地提供を行うなど、地域に根差した活動も予定。 

老舗の技術と誇りで新たな境地に挑む。

住所:鹿児島県日置市日吉町神之川845 3 MAP
電話:099-201-7700
営業時間:10:00~1700
休日:毎週月曜・火曜・年末年始
臨時休業あり(※月曜・火曜が祝日の場合は営業)
※見学は要予約(4日前まで/サイトのお申し込みフォームより)
※ガーデン部分、ショップは予約不要・入場無料
嘉之助蒸溜所 HP:https://kanosuke.com/
写真提供:小正醸造株式会社 嘉之助蒸溜所

「普通じゃない」を「売り」にする。津軽の“陸の孤島”で生まれる絶品野菜とは。[TSUGARU Le Bon Marché・サニタスガーデン/青森県黒石市]

黒石市のハウス前に立つ山田氏。さらさらのパウダースノーが舞う津軽らしい風景は、見惚れるほど美しい。

津軽ボンマルシェ・サニタスガーデン「何これ!?」と声が出るほど甘いじゃがいも。育ての親は、津軽の豪雪。

その日、取材に向かった私たちは猛吹雪の中にいました。場所は八甲田山南麓、沖揚平(おきあげだいら)。日本屈指の豪雪地・酸ヶ湯の目と鼻の先にあるこの場所で、人生初のホワイトアウトにおののきながら必死の思いで撮影したのは、こんもりとした雪の山でした。雪山の正体は、じゃがいもを保管する雪室。それもただのじゃがいもではありません。通常の倍程度、10度前後の糖度を誇る甘いじゃがいもが、この雪室の中で大切に貯蔵されているのです。

雪室を所有するのは、このエリアで農業を営む企業『サニタスガーデン』。「外がどんなに寒くても、室の中は常に温かいんですよ」と話すのは、代表の山田広治氏です。味見用に素揚げしたじゃがいもを試食し、一同びっくり。その甘さたるや、思わず「これ本当にじゃがいもですか?」と聞いてしまうほど。「リピーターの購入が多いです。皆さん、やっぱり味を気に入ってくださって」と山田氏。

じゃがいもがこれほどまでに甘くなるのは、雪室内部の温度が常に0℃前後に保たれているからだそうです。氷温下で凍るのを避けるため、じゃがいも自らデンプンを糖に変えるのだとか。まさに豪雪地だからこそ生み出される美味。先ほど取材陣が洗礼を受けた津軽の冬の厳しさが、一方では、こんな贈りものをもたらしてくれるのです。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

訪れたのは2月。前日までの快晴が一転、山から吹き下ろす「山背」の吹雪に見舞われた。映画「八甲田山」を思い出し、背筋が凍ったのはここだけの話。

山田氏(右)とスタッフの山﨑氏(左)。2人の右横にある雪室はすっかり埋没。懸命の作業もむなしく、この日は中に入るのを断念。

秋に収穫し雪室で熟成させた後、例年2月頃から出荷を開始する雪室じゃがいも。現在作っているのは、左からさやあかね、メークイン、はるか、キタアカリの4種。

津軽ボンマルシェ・サニタスガーデン冬は何もできない。そんな暮らしを卒業したら、苦労の先には楽しさが。

我々取材チームが『サニタスガーデン』の存在を知ったのは、弘前市のショップ「フレッシュファームFORET」でした。ちょうど納品に来ていたスタッフの山﨑健氏の持つ豆もやしに興味を引かれたのです。首都圏では見たことがない、ひょろっと細長い独特の形状のこれも、聞けば、寒い時期しか栽培できないものだそうです。名湯・温湯(ぬるゆ)温泉がある地元・黒石市の温水を使った栽培方法で、栽培が難しく「幻の豆」ともいわれた黒千石という大豆を使用。シャキシャキとした歯触りの「噛むもやし」です。

雪室じゃがいもも黒千石の豆もやしも、冬季限定の野菜。しかし、もともと山田氏が栽培に取り組んでいたのは、レタスなどの葉物の夏野菜でした。神奈川県で生まれ、関東で農業に従事していた山田氏が青森に移住したのは2005年のこと。「当時、畑が雪に埋もれる冬場は完全にオフでした。でも今後の地域の農業を考えた時、通年で収入を得て人を雇用するには、冬も出荷できるものを始めるべきだと思ったんです」と山田氏。

きっかけは、農業仲間が自家消費用として雪に埋めていたじゃがいもの美味しさ。普通の農業では太刀打ちできない津軽の気候のデメリットを、メリット=売りに転換する――そんな方法に「これだ!」と活路を見出した山田氏。しかし、初めてのじゃがいも栽培は失敗の連続だったそうです。「無農薬栽培に挑戦して全滅させたり、雪室に入れる前に腐らせてしまったり……これがもう、本当に色々ありました。でもハウスで葉野菜を栽培するより、ここならではのもの、面白いものを作る方がやっぱり楽しい。テンションが上がるんですよ(笑)」と、もの静かな印象の山田氏が話した時、熱い挑戦者としての一面がちらりと垣間見えた気がしました。

栽培を始めて苦節6年、ようやく今年生産が安定したという黒千石の豆もやし。土と温水の両方を使う独自の方法で、自慢の味が完成した。

すくすく成長中の黒千石の豆もやし。栄養豊富で旨みが強いのが特徴だ。シャキシャキした独特の食感は、津軽弁で「しない」と表現されるそう。

現在、豆もやしの栽培を担当する山﨑氏。豆を発芽させてから出荷までは8日ほど。温水の熱気がこもるハウスの中での作業が続く。

雪室がある沖揚平から豆もやしの栽培場所までは、車で15分ほど。もともと育苗用だったハウスを再利用した施設だ。

津軽ボンマルシェ・サニタスガーデン農業に対する考え方を大きく変えた、フィリピンとアフリカでの出来事。

山田氏の人生の転機は、意外なことにフィリピンとアフリカでの出来事にありました。フィリピンを訪れたのは、国際政治を学んでいた大学時代。海外実習で現地の畑作業を手伝った時の鮮烈な記憶が、山田氏の農業の原点です。「水牛を引いて耕すような原始的な農業でしたが、そのなんともいえない心地よさが衝撃的で。いつか自分も農業を、と心に決めました。それと同時に、先進国の豊かさは途上国の貧困の上にあることを目の当たりにしました。日本へ輸出する木をあちこちで伐採していましたが、利益の恩恵を受けるのはごく一部の人。幸せの陰には、誰かの犠牲がある。だから今でも、『みんなが幸せになれる野菜作り』をテーマにしています」と山田氏。

アフリカへ向かったのは、青年海外協力隊の隊員として。大学卒業後に農業大学へ再入学して日本各地で研修を受け、既に知識も実績も得てからのことでした。が、ボツワナの大規模農場の運営に携わる中で、山田氏は壁にぶつかります。山田氏曰く「こちらは日本の優れた技術を伝えようと行くわけです。でも日本とは風土が違うからうまくいかない。それに日本では技術のことが中心で、販売のことまで勉強していませんでした。しかし、売ることまで考えて、初めて農業になるのだと知ったんです」。

帰国後に山田氏が入社したのは、日本各地の野菜の販売と生産者の就農支援を行う群馬県の企業でした。「独立だけでなく、様々な地域での就農を応援してくれる会社です。今の日本の農業は、産地間の競争になりがち。でもこれからは、各地の気候や風土を生かしつつ共存しながら野菜を売るべきだ、という考え方に共感したんです」と山田氏。ここでノウハウを学んだレタス栽培を実践できる場として、冷涼な津軽へ向かうこととなるのです。

すくすくと白菜が育つ、夏の沖揚平の光景。現在はほかにレタスやキャベツをを栽培、大手外食チェーンなどにも野菜を卸す。

雪室に入れるじゃがいもの収穫は10月頃からスタート。雪が降り始める前に行う、大仕事のひとつだ。

津軽ボンマルシェ・サニタスガーデン津軽の暮らしはアフリカより大変? 今だから言える地域への「恩返し」。

立っていられないほどの風と寒さ。実際に沖揚平の地吹雪の中に立つと、この地で暮らしてきた人々の執念を感じます。「山を開拓した先達たちは、大変な苦労をしたそう。昔は冬になると遭難しないよう互いの身体を紐でつなぎ、平地の集落まで買い物に行ったと聞きました。“陸の孤島”といわれた場所なんです」と山田氏。群馬の企業から独立し、津軽へやって来た山田氏を迎えたのは、そんな壮絶な暮らしを生き抜いてきた地元のプライドでした。

見ず知らずの若者から突然、農業用の土地を貸してくれと頼まれた沖揚平の人々からすれば、訝(いぶか)しむのも当然かもしれません。「今なら気持ちがよくわかる。でも当時は何も知らなくて……地元の方との距離を縮めるのは、正直、アフリカの土地になじむよりも大変でした(笑)」と話す山田氏も、この地に就農して丸15年。「雪室じゃがいもと豆もやしをこの地の特産品にすることで、皆さんに恩返しができたら」と語る山田氏もまた、今や沖揚平を愛してやまない地元民のひとりです。

厳しい自然をかけがえのない地域の宝ものに変えた『サニタスガーデン』の野菜作り。風土に根ざしながら、みんなが幸せになる農業を目指してきた山田氏の夢は、この地で結実したように見えます。「ここならではのもの、面白いものを作る方が楽しい」と言って笑った山田氏のことですから、もしかしたら、もう次の段階に進みつつあるのかもしれません。新たな津軽の名産品の登場を、楽しみに待つとしましょう。

 

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

雪をかき分けながら、豆もやしの栽培用ハウスへ向かう。日が落ちると一気にしんと冷え込む、津軽の冬の景色。

住所:青森県黒石市大川原蛭貝沢201 MAP
電話:0172-54-8116
サニタスガーデン HP:https://www.sanitas.jp/

鍛冶職人が生み出す、鋭利かつ粘りある包丁が切れる![大塚刃物鍛冶/鳥取県智頭町]

包丁の種類は60種類以上という『大塚刃物鍛冶』のラインアップ。

大塚刃物鍛冶気に入らない時は一切仕事は受けない唯一無二の刃物職人。

刺し身やトマトを切った際、驚くほどストレス無く包丁が走り、切った後の刃離れもスッと音なし。鳥取県八頭郡智頭町にて代々鍛冶の家系にある大塚義文氏が打つ『大塚刃物鍛冶』の包丁は、希少価値の高い安来のたたら製鉄で作られた鋼を熱して地鉄に挟み製作される一級品。堅さと柔らかさ、強度と粘りを併せ持つ刃物です。
「見ての通り、鍛冶屋ですから、一丁一丁地鉄に鋼を挟み、叩いてはのばす。その繰り返しです」

因美線の無人駅、土師駅からすぐの工房で毎朝8時過ぎから作業は始まり、昼食などの休憩をはさみつつも、決まって終了は深夜24時近く。そこから夕食と少しのアルコールで英気を養い、また翌日には8時過ぎに作業場へと向かうと言います。隙間風の吹く工房で、重労働といえる鍛冶の単調な作業を長時間。正直、ひとりでつらくないのか伺うと、予想に反した応えが返ってきました。
「ストレスはまったくなし。むしろ、まだ発見があるから面白い。こうしたらいい、ああしたらいい。今年に入ってからもまた切れるようになったと思う」

30年以上に渡り刃物鍛冶の仕事のみを追い求め、ここ2〜3年でようやくある程度納得のいく商品ができるようになったと大塚氏は笑います。
「ストレスなしと言ったけど、本当に気に入らない時は一切仕事は受けない。もし、反りの合わない人の注文を受けてしまうと決まっていいものはできないんです。それくらいメンタルと好奇心が重要な仕事」

使う人の姿を思い浮かべ、自らの気持ちを鼓舞しながら打ち込む刃物と、誰のために作っているのか見えない刃物では雲泥の差が生じてしまうのです。さらに用途や環境を思い浮かべながら作業することで、「こうしてやろう、ああしたら喜ぶな」という好奇心が生まれ格段に精度は上がると言います。

ひとつとして同じものがない『大塚刃物鍛冶』の包丁は、“世界にまだ知られていない、日本が誇るべきすぐれた地方産品”を発掘し海外に広く伝えていくプロジェクト『The Wonder 500™』にも認定されるなど、今、世界からも注目を集めています。

専用の炉から素早い動きで、地鉄を取り出す大塚氏。

地鉄はすぐさまハンマーで叩く。金属を叩く高音が辺りにこだまする。

真っ赤に熱せられた地鉄と鋼。これをのばし刃物になっていく。

大塚刃物鍛冶30年を超え、ようやく納得のいく仕事にたどり着く。

炎をあげるコークスの中に、ふいごで風を送り、さらに900度まで温度をあげていくと地鉄や鋼は赤々と色を変化させます。その状態までもっていき素早く取り出し、ハンマーで叩く。すると徐々に鉄はのびていきます。それを何度も何度も繰り返すことで、鉄の塊は大塚氏の手により、刃物としての意思を帯びていくのです。
「適切な温度で鍛造することが大切。これにより元々の粗い金属粒子が壊され、金属の再結晶が新たに起こるのです。それを叩くことでより細かい緻密な微粒子に変化。安来鋼特有の強靱で耐久性がある性質に生まれ変わります」

さらに水で急冷することで鋼を硬化させ、その鋼が持っている性質の最も硬い状態へと変化される焼入れ。硬化した鋼を油につけることで粘りを加える焼戻し。古来より受け継がれる作業により、堅さと柔らかさ、強度と粘りを併せ持つ刃物は生まれていくのです。
「実は34年前かな、家業を継ぐため実家に戻った際、親父は1年しないうちに倒れてしまって、一緒に働けたのはわずかだったんです。その後は見よう見まねでひとり働きつつも、各地の鍛冶家になかば弟子入りするような状態でいろいろな仕事を学んだんです」

日本各地の鍛冶屋の仕事を見て学び、その良い部分を取り込んだ大塚氏の仕事。ひとつひとつの優れた部分を納得いくまで追求し、ものにする時間こそが、もっとも過酷で孤独な戦いだったのは推して知るべし。実に30年以上をかけてようやく納得のいく仕事になってきたというのも、あながち嘘ではないのかもしれません。

ふいごで空気を送ることで炉内は900度を超える。

作業工程ごとに形を変える地鉄。左から右へ徐々に包丁の姿に。

鉄は熱いうちにの言葉通り、高速ハンマーで素早く叩く。

大塚刃物鍛冶使い手の手の形までに考慮した包丁を生み出す。

切味無双。
そう、表現される大塚氏の包丁。その切れ味を実現する重要な要素のひとつに、使う人それぞれの癖を理解するというものがあります。

鍛造所を訪れた人は、挨拶がてらかならず大塚氏と握手をすることになるのですが、この一瞬の握手こそが切れ味を大きく左右すると氏は言うのです。
「無意識で握った際の、握力。手のひら、指のどの部分に力を入れる人なのか。さらには手の大きさや指の長さなど、握手にはいろいろな情報が詰まっているのです」

大塚氏が例えで教えてくれたのは、大人と子供では、食材に包丁を入れる角度は全く違うというもの。大人は背の高さを活かし、まな板の上から包丁を入れることができますが、子供は身長が足りておらず、まな板の横から包丁を入れることになります。それを理解し、その人に合った柄の長さや柄の角度を調整することが大切。
「個人の情報があってこそ使いやすい包丁になる。ですから、もし自分にあった包丁をお求めでしたら、やはり足を運んでもらうのが一番。もし難しければ手形を取って送ってもらうだけでもだいぶ違います」
使う人のことを思い、叩き、のばし、磨かれ、柄を取り付ける。
切味無双、その包丁は十人十色、自分に合った切れ味は唯一無二の切れ味なのかもしれません。

オーダーを受けたお客様の手形。これが包丁づくりのパーソナルデータとなる。

大塚氏の右手親指は、力強くハンマーを叩くいた結果、指の形が変形。

住所:〒689-1434 鳥取県八頭郡智頭町三吉28-4 MAP
体験不可・訪問時は要連絡
問合せ先:COCOROSTORE
電話:0858-22-3526
E-mail:cocorostore.1@gmail.com

小林紀晴 冬の写真紀行「反転の雪」。

 再び冬。

 私はまた、南会津へ向かう。一年前のことが自然と頭に浮かぶ。それまでその地を訪れたことはなかった。まず雪の深さに驚いた。雪深いことも、流れる川は太平洋ではなく新潟を経て日本海へ流れ込むことも、知らなかった。私はその直前まで一週間ほどタイを旅して戻って来たばかりだったこともあり、まったく違う時空間へ放り出されたような感覚をおぼえた。雪の世界に圧倒された。色、質、その量。

 あれから一年をかけて、4つの季節を巡った。

 そして、再びの冬。

 5つめの季節と呼びたくなる。同じ冬は二度とないと感じるからだ。昨年の冬は恐ろしいまでの積雪量だった。想像を超えていた。道路は除雪されていたが、道の端には雪の壁ができていて、どこまで進んでも雪、また雪だった。世界は美しかった。

 一年前に決めたことがある。翌年の冬、写真を撮るために必ず再訪しようというものだ。もちろん理由があって、それは山のかたちに深く繋がる。

 南会津の山の特徴は、平地から急に始まることだ。山深い部分はもちろんあるのだが、人が多く暮らす地から見える山々は唐突に、それもかなりの角度をもって立ちはだかっている。そこに強く惹かれた。
 
 妙な理由だとは自覚している。地元の方は別として、旅で訪れる者にとってその形状は、直接の関わりがないだけに本来、重要ではないだろう。ただ、私にとってはそれが魅力となった。

 6、7年ほど前から生まれ育った長野県諏訪地方で冬の山を撮ることを続けている。冬だけに限って撮影するのは、葉が落ちた山々を撮りたいからだ。シノゴと呼ばれる大型カメラを駆使し、モノクロフィルムによって雪に覆われた雪の山を撮影する。初期は藪などを中心に撮影した。写真展を一度開催して一段落すると、次は山の斜面全体を広く撮ることにした。しかし、なかなか思うようにはいなかった。困難を極めた。なかば諦めかけていたといってもいい。

 うまくいかなかった理由のひとつは山のかたちにある。諏訪では平地から突然山が始まることがないからだ。八ヶ岳の裾野や南アルプス山系の端の山々を被写体としたのだが、山が深すぎて視界が開けず、山の斜面を撮るには反対側の山の斜面からカメラを向ける必要があるのだが、そんな場所は本当に限られているし、自分が立っている斜面の木の幹や枝などが邪魔をして反対側の斜面がクリアに撮れないことも多い。さらにカメラが大きいので操作に時間がかかる、レンズの長さが足りない、といったハードルが立ちはだかっていた。

 そんな時、思いがけず南会津の山々に出会った。里から山肌を撮りやすい。それに雪も多い。行き詰まっていた撮影が打開される確信を得た。

 まず丸3日間を山の撮影だけにあてた。おおよそのあたりをつけて、ほうぼうを車で走った。よさそうなところがあると車を降り、歩いて撮影する。途中で吹雪かれ、人生で初めてホワイトアウトを経験することにもなった。

 最も目星をつけていたのは国道352号線に架かる銀竜橋の上。大きなカーブとなっている。春、夏、秋、どの季節もここからの眺めに惹かれた。

 冬の日は短い。

 暮れると同時に撮影は終わる。

 そこからの楽しみはお酒を飲むことへ緩やかにスライドする。地方ロケに行った時、私は特別な理由がない限り必ずお酒を飲む。それを趣味としている。カメラは携えない。純粋にその地のお酒や料理を楽しみたいからだ。

 外は凍えるほどに冷えて雪が降っているけれど、自分のまわりはほっこりと穏やかに暖かい。雪で作られたカマクラを連想する。外は寒いけど、なかは暖かい。寒暖のコントラスト。反転。そんな空間が好きだ。心底、幸福な気持ちに包まれる。

 秋に初めて訪れた「Bar & Dining CAUDALIE」へ再び向かう。

 “季節のジントニック”。
 以前、訪れた時にうかがった、午後に新しい靴を下ろす際は鍋ブタに靴をつけるという話をまた聞く。場所が変わると微妙にそれが変わる話も重ねて。鍋ブタではなく、鍋底につける場所もあるという。

 さらに雪の量や除雪といったことについて。時々、まったく知らない国の話を聞いているような気持ちになる。

 私はいったん東京へ戻り、10日後にまた南会津へ向かった。雪の季節は限られている。当然ながら、雪の山は冬にしか撮れない。だからできるだけ撮りためておきたい。10日前より雪が少なくなっていた。あれ以来、雪は降っていないようだ。昨年と比べると相当に少ない。

 南会津を代表する酒蔵のひとつ、『会津酒造』へ向かう。ここもまた一年前に訪れていて、二度目の訪問となる。

 玄関の軒下、頭上に巨大な杉玉。一年前にカメラを向けたことを思い出す。記憶がよみがえる。あの時は青々としていた。いまは青くはない。茶色く染まったそれ。またカメラに収める。

 玄関を開けると土間が広がっていて、奥に座敷が見える。やはり一年前に訪れときと同じだ、なにもかも。

 あたかも時を止めたかのように映る。建物は100年余り前に再建されたものだという。それ以前の建物は火災で焼失したらしい。酒蔵自体は元禄年間に創業され、およそ330年の歴史を持つ。

 9代目の弟にあたる渡部裕高さんにお話をうかがった。この地で生まれ育った裕高さんは東京で5、6年のあいだ別の仕事をしていたのだが、数年前に戻り家業を手伝っている。
「水はとても大切です」

 その言葉を何度も口にした。
「日本酒のほとんどは水なんですよ」

 例えばワインは水を一切加えずに果汁だけで作るのに対して、日本酒は水の度合いがかなり高いという意味からだ。
「このあたりの水は全国でトップテンに入るくらいの超軟水です。ミネラルなどの不純物がほとんど入っていません」

 軟水でお酒を作ると、どんな味になるのですか?
「口に含むと、舌に溶け込んでくる感じ……といいましょうか」

 水は地下40メートルから汲み上げている。その水を飲んでみたいと思った。お酒ではなく、まずは水を。
「どうぞ、こちらへ」

 建物のすぐ外に蛇口があった。酒造りに使っているのと同じ地下水だという。口に含んでみた。

 ふわっ、つるっ。

 最初に抱いた感覚だ。
「この水があったから、ご先祖さまはここで酒造りを始めたのだと思います」
 なるほど、そういうことか。水が始まりなのだ。水が不動不死であることに気がつく。

 天井に近い柱の部分に神棚みたいなものが見えた。かなり古いものだろう。昨年来たときも見上げた記憶がある。
「あれはなんですか?」
「さあ、なんでしょう?」

 意外な答え。
「全然わからない……いじったことも気に留めたこともなかったです。なんなんですかね」

 そう言って笑った。

 よく見ると、神棚に収められた紙に「水」と書かれているのがわかった。

 柱のすぐ下には井戸がある。建物を再建する以前から井戸の場所は変わっていないという。井戸には現在は蓋がされているが、いまでも水をたたえているはずだ。「水」という文字は井戸と何かしらの関係があるのかもしれない。
 変わらないこと、変えないことに価値の重きを置く。おそらく一年後、またここを訪れても、杉玉の色以外何一つ変わっていないはずだ。
「ご先祖様のおかげです」

 この言葉を、何度も耳にしたのが印象的だった。

 写真を撮るうえで、大切なことはいくつかある。そのひとつは撮影以前に仕上がりのイメージを明確にもてるかどうか。冬の山を撮るときのそれは、白と黒が反転した世界を表現したい、というもの。

 次の晩は「Taproom Beer Fridge」へ向かう。

 このお店を訪れるのは桜の季節以来のことだ。あのとき昼間は日差しも強く、かなり暖かかったのだが、日が暮れると急に気温が下がった。随分と遠い昔のことに思えるのは、冬の景色がそう思わせるのだろうか。妙に懐かしく感じられる。

 最初に“モモ”という、福島県・梁川で採れた桃を使ったクラフトビールをいただく。私は梁川という言葉に反応した。実は昨年、一昨年とその地へ自主映画を撮影するために何度も通っていて、桃畑で桃の花も撮影したことがあるからだ。桃畑を撮影したのは、確か5月半ばだっただろうか……。記憶を手繰りよせる。

 オーナーの関根健裕さんは偶然にも、昼間訪れた会津酒造の裕高さんが小学生の頃の剣道教室の先生だったという。
「相当シゴキましたよ。だからあの頃、教えた子たちは今でもオレのこと、そうとう怖がっているんじゃないかなぁ(笑)」

 私は幼い頃から冬の山が気になってしかたがなかった。360度、それに囲まれて育ったからだが、見たいような見たくないような、冬の山を前にすると相反する感情がふつふつと湧いてくる。

 足のつま先にできた霜焼けがコタツの中で暖かくなると、かゆくなってゆく感じに似ている。心地よさと、うっとうしさが同居しているような感覚。それが私にとっての原風景ともいえる。

 東京で暮らすようになっても、冬の山をときどき思い出す。厳しい季節の記憶だからこそ、深いところに刻まれているのだろう。南会津の風景も似ている。だから親しみを覚える。

 白と黒。ネガとポジ。

 山を撮ることでそれを表現できるのか。少なくとも、みっつの条件が同時にそろわなくてはならない。
——落葉樹の葉がすべて落ち、山肌が露わになること。
——山肌に雪が残っていること。
——木の幹や枝に積もった雪は落ちていること。

 最後の夜はピザが食べられる「アルフィー」へ向かった。昭和59年にオープンし、34年がたつという。店内に入って驚いた。昭和で時が止まっているかのようだったからだ。古い雑誌が置かれ、さまざまなポスターが貼られている。地元のお祭りのものも、女優さんが写ったお酒のポスターもある。

 心地よい。遠い日のFM放送が流れているからだ。

 どうやらNHKのそれらしい。カセットテープに録音したものを店内で流しているようだ。
「2月18日……テンプテーションズ……」

 MCの声がささやく。もちろん今日は2月18日ではない。何年前のその日なのか……。

 しばらくして『CAFE JI*MAMA』のマスター五十嵐大輔さんもやってきた。私は五十嵐さんにも地元に伝わる風習について聞いてみたくなる。酒に酔うと、どうしてもその傾向がある。
「12月12日に『十二月十二日』と書かれた紙を、子供たちが家々をまわって配ります」

 ハロウィンでお菓子をもらいに、各家を回る感覚に近いのだろうか。
「ここ田島では大きな火事が過去に二度ありました。ひとつは約100年前……」

 会津酒造で耳にした、以前の建物が約100年前に焼失したという話が、こんなところでつながってゆく。
「もう一回は昭和に入ってからです」

 その二度の火事により会津田島の街並みは焼け落ち、かつての姿をほとんど留めていないという。
「だから火事に敏感なんだと思います。冬の始まりに用心のために『十二月十二日』と書いた紙を配るようになったのだと思います」

 正確な起源はわからないようだ。
「この紙を上下逆にひっくり返して、台所に貼ります」

 ひっくり返す?
「どうしてかわかりますか?」

 まったく想像がつかない。
「逆から読むとヒ・ニ・トウ・ク・ツキ・ニ・クイと読めるからです。最後の“クイ”は十の文字の形を杭に見立てたものですね」

 なるほど。ちょっと感動した。畏れとともにユーモアを感じさせる。

 お酒を飲みながら、こんな話を聞く時間が私はやはり好きだ。いまを生きる人を通して、遠い過去に生きた人たちの意思や感情に触れることができるからだ。そして雪の山に囲まれた南会津は、そんな話を聞くのにうってつけの土地なのだ。

(supported by 東武鉄道

1968年長野県生まれ。写真家・作家。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。2000~2002年渡米(N.Y.)。写真制作のほか、ノンフィクション・小説執筆など活動は多岐に渡る。東京工芸大学芸術学部写真学科教授、ニッコールクラブ顧問。著書に「ASIAN JAPANESE」「DAYS ASIA」「days new york」「旅をすること」「メモワール」「kemonomichi」「ニッポンの奇祭」「見知らぬ記憶」。

ミラノの鬼才・徳吉洋二氏が、自身の“分身”を描く。神保町の路地裏に誕生した新店『Alter Ego』。[Alter Ego/東京都千代田区]

徳吉氏と平山氏。この二人の関係こそがこの新店の肝となる。

アルテレーゴあの徳吉洋二シェフが、満を持して東京に新店をオープン。

2019年2月4日、神保町の路地裏に『Alter Ego(アルテレーゴ)』という名のレストランがオープンしました。食に詳しい方ならば、かつてまさにこの場所にあった名店『傅』の名を思い出すかもしれません。あるいは重厚なメタルの扉と、その先に広がる深いグリーンの壁紙に、どこか既視感を覚えるかもしれません。そして、エントランスを抜け、オープンキッチンに立つ人物を目にして、全てが腑に落ちるのです。何しろそこに立って笑顔でゲストを迎えるのは、ミラノ『Ristorante TOKUYOSHI』のオーナーシェフ・徳吉洋二氏と、その右腕たる平山秀仁氏なのですから。

そう、ここはイタリアで日本人オーナーシェフとして初のミシュラン一つ星を獲得した徳吉氏が満を持して東京に開いたレストラン。徳吉氏自身も、月の半分は東京に戻り、可能な限りキッチンに立つといいます。しかしこの店の主役は日本の食材であり、シェフを担う平山氏なのです。店名を、例えば『TOKUYOSHI TOKYO』のように知名度やブランド力を生かすものではなく、あえて『Alter Ego』とした理由も、そこにあります。徳吉氏が東京を舞台に描く夢、重責を担う平山氏の思い。二人の言葉から、この『Alter Ego』の在り方を紐解いてみましょう。

『Alter Ego』のエントランス。メタルの扉と深いグリーンのテーマカラーはミラノ『Ristorante TOKUYOSHI』と同じ。

アルテレーゴ味、食材、ペアリング。重視するのは全ての「バランス」。

「いつか日本でやりたいとは思っていました。イタリアで日本人としてやっている自分が、日本でイタリアを表現したらどうなるか」と徳吉氏は話します。しかし、同じ徳吉氏の手がける店であっても、ミラノと東京ではコンセプトからして根本的に異なります。

それは、徳吉氏の料理が常に土地や歴史とともにあるから。徳吉氏は常々「伝統料理を学ぶのではなく、伝統そのものを学ぶ」と話します。ある土地の地理、歴史、食材、人物を深く知り、そこから流れの中で伝統料理へと到達する。例えば「カルボナーラは卵とチーズで作る」ことを学ぶのではなく「なぜ卵とチーズで作られたのか」という背景を理解し、その必然性をたどって料理に落とし込むのです。結果として、日本で日本の食材を使う『Alter Ego』では、ミラノではできない料理が登場するのです。

そんな東京で徳吉氏が打ち出したテーマは「エクイリブリオ(バランス)」でした。日本とイタリアのバランス、食材の味のバランス、ペアリングのバランス。そういったバランスを丁寧に組み立てることで、よりなじみやすい味を目指したのです。

土地の伝統を知り、それを再解釈することで生まれる徳吉氏の料理。必然的に食材は日本各地のものが中心となる。

徳吉氏も月の半分は東京にいるが、この店では「裏方に徹するつもり」だと言う。

基本は日本の食材だが、生ハムは徳吉氏のこだわりで欧州の一級品をセレクトした。

アルテレーゴ徳吉氏が自身の分身たる平山氏に寄せる思い。

「秀ちゃん」「洋二さん」と呼び合う徳吉氏と平山氏。平山氏は長く『Ristorante TOKUYOSHI』のスーシェフを務めてきましたが、その関係は師弟というよりは、親友同士や仲の良い兄弟に見えます。そしてこれこそが、徳吉氏が店名に込めた思い。『Alter Ego』の意味は、分身。「時には言い合いもしますし、僕が彼から学ばせてもらったことも多くあります。ここでは彼にしかできないことをやってほしい」と、徳吉氏は弟を見るような優しい目で話しました。

対する平山氏は「以前に『傅』があったこの場所と『TOKUYOSHI』の名前。もちろんプレッシャーはあります」と言いながらも、「しかしそこであれこれ考えるよりも、純粋に美味しいものを作ることに注力していきたい」と自然体で話します。29歳でイタリアに渡り、ひょんなことから徳吉氏と出会い、3年にわたってともに働いてきた二人は、きっと言葉では言い尽くせぬ絆で結ばれているのでしょう。

ちなみにオープンキッチンのカウンターで、誰でも、少しでも話せば伝わるのが、誠実で穏やかで、ユーモアもある平山氏の人柄の良さ。この店のペアリングワインのセレクトを担当した大橋直誉氏も「秀ちゃんだからこの仕事を請け負ったんです」と、平山氏の人柄に惚れ込んだひとり。こうして周りを惹きつける魅力もまた、オープンキッチンのカウンターに立つ上での才能といえるでしょう。

「洋二さんは天才肌で、答えが頭にパッとひらめくタイプです。僕はどちらかといえば細かく積み上げて答えを見つけるタイプ。しかし道筋は違っても、最終的に同じ答えにたどりつければ良いと思います」と話す平山氏の言葉に、気負いはありません。

シェフを務める平山秀仁氏。『リストランテ・ヒロ』を経て、29歳でイタリアに渡った。

『Ristorante TOKUYOSHI』では長くスーシェフを務めた平山氏が、徳吉氏の思いを料理に落とし込む。

北海道産の花咲蟹をはじめ、日本各地の一流の食材が届く。

アルテレーゴ場所が変われども燦然と輝く、おなじみの徳吉イズム。

場所が変わり、コンセプトが変わり、食材が変わり、シェフが変わりました。しかしそれでもなお、料理の根底にある徳吉氏らしさの輝きは失われません。ゲストを驚かせる仕かけがあり、食材の組み合わせの妙があり、ブレることのない美味しさの芯があり、どこかアートの香りが潜む。そんな徳吉イズムは、ここ『Alter Ego』でも健在です。

鴨の絵を描いた皿に盛られた鴨肉、エディブルフラワーが美しく飾られた前菜。少しの遊び心と大胆な発想で、まずは見た目で驚かせる料理の数々。マグロのヅケにスライスしたての生ハムを合わせたひと皿は、異なる方向性を持つ山海の「旨味」を、絶妙に調和させてみせました。イノシシ肉を包んだラビオリにはスッポンのスープを合わせ、日本とイタリアの高次元の融合を演出しました。ミラノでイタリアの食通たちを魅了した徳吉氏らしさは、ここ『Alter Ego』でも遺憾なく発揮されているのです。

食材には徳吉氏が2017年、2018年と2年続けて参加した野外レストランイベント『DINING OUT』のコネクションが生かされています。例えばアペリティフで登場する「デリバリーピザ」は、徳吉氏自身の故郷である鳥取で開かれた『DINING OUT TOTTORI-YAZU』でゲストを驚かせた一品。「子供の頃のデリバリーピザの箱を開ける時のワクワク感」を形にした、米粉生地と多彩なハーブ、エディブルフラワーのピザです。また、トリュフを合わせたポテトチップスに使うジャガイモや、バターと合わせたカニは、『DINING OUT NISEKO』の際に発掘したもの。そして徳吉氏は今後も、イタリアと日本を往復しながら日本各地を巡り、食材を探していく予定だといいます。

540日間熟成して甘みを引き出す北海道産ジャガイモ「五四〇」を使用した「ポテトチップスとトリュフ」。

かつてこの場所にあった『傅』で出されていたスッポンのスープを、ラビオリと合わせた一品。

サプライズやワクワク感を形にした「デリバリーピザ」はコースの幕開けに登場する。

ゲストの前で作るリコッタチーズで仕上げる「カンノーロ」。美しいプレゼンテーションが徳吉氏らしい。

「生ハムとマグロ」はマグロのヅケと生ハムの旨味が複雑な美味しさを奏でる『Alter Ego』を象徴する一品。

アルテレーゴワインとスープ。2つのペアリングが料理を輝かせる。

料理と並び『Alter Ego』の看板となるのが、2つのペアリングでしょう。

ひとつはワインペアリング。セレクトを担当したのは、オープニングのアドバイザーを務めた大橋氏です。徳吉氏とも親交のある大橋氏は「(徳吉さんは)イタリアンというジャンルにとらわれない、自由な発想がある人。料理が解放されているから、ワインも国を限定せずに、純粋に綺麗でエレガントな料理に合わせてセレクトできました」と話します。ワインと合わせていっそう輝きを増す料理は、更に深い印象をゲストに与えることでしょう。

そして徳吉氏が『Alter Ego』で仕かけたもうひとつのペアリングが、スープです。実はミラノの『Ristorante TOKUYOSHI』では、それぞれの料理を小さなブロード(出汁)と合わせて提供されています。そこから更に一歩踏み込み、コースの中のそれぞれの料理とスープを合わせるのが、今回の試み。香りを寄り添わせる、味の隙間を埋める、余韻を残す、油分を補うなど、様々な視点から仕立てられるスープが、料理にひときわ深みを加えてくれるのです。

『Alter Ego』の料理は全6~8品の日替わりコース1本。数々の挑戦を込めた徳吉氏のアイデア、若き平山氏の技、これからも日々増加するであろう食材たち、そして2つのペアリング。様々な要素が絡み合い、かつてない店となりそうなこの店。「行列のできる店よりも、また来たくなる店にしたい」と徳吉氏が語る展望は、そう遠くないうちに現実となるに違いありません。

鴨の絵皿に盛りつけられた鴨肉に、大橋氏セレクトのワインが優しく寄り添う。

徳吉氏をよく知る大橋氏だからこそ「味の着地点を想像して選びます」と言う息の合ったペアリングが実現。

徳吉氏と平山氏、タイプの異なる二人の才能が組み立てる新たな味に期待が尽きない。

住所:〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2丁目2−32 MAP
電話: 03-6380-9390
Alter Ego HP:https://www.facebook.com/alterego.tokyo/

一度は行きたい桜の名所。春色に染まる絶景、2019年決定版![2019年春、桜の旅。/列島の桜]

吉野山・下千本展望所の景色は「一目千本」そのもの。一生に一度は自身の目で見て、その圧倒的な光景を記憶に残したい。

列島の桜沖縄から北海道へ。南北に列島を旅する桜前線。

日本では少なくとも数百万年前から自生していたとされ、古くは万葉集にも記載があったとされる桜。平安時代には「花」といえば桜を指すことが多くなり、数多の文化人がその可憐な姿に思いを馳せ、時に自身の思いを重ね、後世に残る作品を創出してきました。また農業開始の指標としての活用や、老若男女、身分や立場を超えて楽しむ花見が春の風物詩として定着するなど、人の暮らしや歴史に寄り添う花として、愛され続けています。

南北の長さが約2,787kmあり、地域により大きく気候が異なるこの国では、桜の開花も南から北へ。例年1月下旬に開花を迎える沖縄を皮切りに、九州、四国、本州と桜前線は北上し(一部の早咲き品種の桜を除く)、北海道で見頃を迎える4月下旬まで、実に約3ヵ月もの間、日本中が桜色に染まります。古くより品種改良が盛んに行われ、その数は今では600種ともいわれる桜。現代では多くが江戸末期に出現した「ソメイヨシノ」ですが、約200種、3万本の桜を有する奈良県吉野郡『吉野山』の「シロヤマザクラ」や、沖縄県国頭郡の『今帰仁城跡(なきじんじょうあと)』に咲く「カンヒザクラ」に代表される古代種や原種も、まだまだ残されています。

▶詳細は、LANDSCAPE/約200種類、3万本。世界でも類を見ない「一目千本」の絶景。
▶詳細は、LANDSCAPE/やんばるの地を見守る城跡を背景に、南国の太陽に照らされた桜が輝く。

沖縄屈指の桜の名所である『今帰仁城跡』。「カンヒザクラ」は休眠打破の気温が15℃と高めのため、沖縄で広く分布するようになったそう。

列島の桜人の暮らしに寄り添い、魅了する。日本を代表する桜「ソメイヨシノ」。

一方、日本の桜として一番にイメージするのは、やはり「ソメイヨシノ」です。気象庁が指定する、開花を知らせる標本木もこの品種であり、地域を問わず、公園や街路樹、河川敷などの広い範囲に植えられています。花見の名所は数あれど、人の暮らしに寄り添う桜の情景こそ、園芸品種として誕生した「ソメイヨシノ」の真骨頂。瀬戸内海に面した高台に咲く桜の先に、関門海峡や市街地が広がる山口県下関市の『火の山公園』や、土塁に沿うように植えられた桜が星形要塞の見事な形をいっそう浮かび上がらせる北海道函館市の『五稜郭公園』は、市街地にいながらスケールの大きな絶景が楽しめます。一方、人の手がつくり上げた絶景として圧倒的な存在感を放つのが、埼玉県幸手市の『幸手権現堂桜堤』。約1kmの間に約1000本の「ソメイヨシノ」が植樹され、堤の手前に広がる農地には、シーズンに合わせて作付けされた菜の花が咲き誇ります。(文中には諸説ある中の一説もございます)

▶詳細は、LANDSCAPE/穏やかな瀬戸内海や下関市内を眼下に、桜咲く圧巻のパノラマビュー。
▶詳細は、LANDSCAPE/春限定の美しさ。希少な星型要塞を桜色で彩る、約1,600本ものソメイヨシノ。
▶詳細は、LANDSCAPE/桜と菜の花、青空が三位一体となった、春爛漫の大パノラマ。

高台に位置する『火の山公園』。関門海峡に架かるトラス吊り橋『関門橋』を背景に、「ソメイヨシノ」が咲き誇る。

五稜郭タワーの展望台から見下ろした『五稜郭公園』。夜間には桜の時季限定でライトアップが実施され、美しい夜景も楽しめる。

「ソメイヨシノ」と菜の花、そして澄み渡る青空。3つの色彩が織り成す景色が、絵画のように美しい『幸手権現堂桜堤』。

愛媛県西宇和は、一年を通じて、柑橘王国。[TERROIR OF NISHIUWA・三崎柑橘共同選果部会/愛媛県八幡浜市]

三崎でスクスクと育つ中晩柑の『清見』。急な斜面だからこそ、太陽の光と海からの反射光がたっぷりと降り注ぎ、美味しい『西宇和かんきつ』になる。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会愛媛県西宇和は、一年を通じて、柑橘王国。

『西宇和みかん』は、強い甘みと幽かな酸味のバランスが素晴らしく、薄い“じょうのう”ゆえに、とろけるような食感の温州みかんでしたが、収穫が始まるのは早生で秋頃から。最盛期は11月に迎えます。しかし、西宇和には年が明けて以降、旬を迎える柑橘類もあります。

それが、中晩柑。総称して、『西宇和かんきつ』と呼ばれています。品種はいろいろあり、旬を迎える時季も様々。『伊予柑』に始まり、『デコポン』『清見』と続き、新甘夏の『サンフルーツ』は5月いっぱいまで。食べ頃はずっと続きます。

こうした中晩柑のみを作る西宇和の一大産地が旧三崎町。伊予灘と豊後水道を分けて細長く突き出た、佐田岬半島の先端に位置します。急な斜面を下った先は、紺碧の海。絶景の中に広がる三崎の生産現場を訪ねました。

▶詳細は、TERROIR OF NISHIUWA/特徴的な地形が育む、伝統の西宇和みかんで進む、新たな価値観の創造。

青い海と緑の斜面。降り注ぐ太陽も眩しい、佐田岬の光景。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会祖父母を師と仰ぎ、今日も園地で『清見』と向き合う。

眞田稜太氏は、27歳の若さながら、およそ1.5haの園地と日々、向き合う生産者。祖父母がこの土地で、すっと中晩柑を育てており、東京の短大で農業を学んだ後、帰郷して7年前に跡を継ぎました。
「中学生の頃から、すでに将来の夢のひとつに、農業があった」と眞田氏。

今日は『清見』のチェックに訪れています。『清見』は園地の約5割を占める、眞田家の主力品種。園地は標高100mを超える頂から、急な勾配で下っており、石垣もあちこちに見られる、段々畑になっていました。
頂から高さで30mほど下って今、立っている舗装道路の下に広がる斜面にも「ウチの畑がある」と言います。杉を刈り込んだ防風垣も、斜面の所々に見られ、地面には、太陽光に照らされて白く輝くマルチシート。これは、反射光によって着色が向上するだけでなく、地中の水分を外に逃がして雨を遮断し、糖度を上げる役割も担っています。

「今年は堆肥を増やしたことが一点。それから、マルチを敷く時期を1カ月ほど前倒しして早めに水分を断つ工夫もしました」
こうした試行錯誤は毎年のこと。
「これで良いと思う年は今まで、一度もありません」
三崎で、これほどまでしっかりとマルチシートを敷設する後継者は少ないそう。マルチシートは収穫後に回収せねばならず、手間がかかるのです。そのため、眞田氏の園地の多くは各生産者が共同で運営する「三崎柑橘共同選果部会」から「特選園地」に認定されています。
「マルチを始めたのは、じいちゃん。それから、風のことは、ばあちゃんに聞きます。このふたりは僕にとって、誰よりも大切な先生。それから、ほかの生産者の方々の話を聞いたり、『JAにしうわ』に指導を仰いだりと、知見を蓄えている最中です」

眞田氏がずっと目指しているのは、「日本一の清見を作りたい」ということ。そのためには、マルチシートだって丁寧に敷くし、風や雪、鳥などの被害を防いで、より美しい果皮にするためのサンテ(=果実袋)を『清見』一個一個にかけることも厭いません。先人たちが築いた段々畑と防風垣に甘えることなく、常に今、できるベストを指向する。それは、子供の頃からずっと接してきた三崎の中晩柑を誇りに思っているから育まれた志なのでしょう。

祖父母から園地を受け継いだ眞田稜太氏。『清見』のほかに『デコポン』も育てている。キャップに記された「プライド」の文字も、どこか誇らしげに映る。

「特選園地」に指定されている眞田氏の園地はマルチシートもしっかりと敷かれ、『清見』一個一個にサンテもかけられている。丁寧な仕事ぶりが窺える。

杉の防風垣と石垣。「ウチは杉が多いですけど、じいちゃんに聞くと、槇がいいって時代もあったようです」と眞田氏。ベストを目指す試行錯誤も受け継がれている。

絶景の中、作業は進められる。「『清見』はそうですね……120〜130本ぐらいの木があると思います」。眞田氏を含め、20代の後継者は5名ほどいるそう。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会大切に育てられた『西宇和みかん』を、最先端のテクノロジーで出荷。

「三崎の『清見』は日本一。私も、故郷に帰ってきて、改めて実感しました」
収穫した中晩柑を一カ所に集積して出荷する「三崎柑橘共同選果部会(三崎共選)」で、共選長を務める寺﨑文人氏は言います。

寺﨑氏は一度、都会に出てサラリーマンとなった後、帰郷した異色のキャリアの持ち主。兼業農家として中晩柑を育ててきた両親の跡を継ぎました。
「こっちでの生活はストレスがなく、山海の美味が揃うからでしょう。サラリーマン時代は52、3kgしかなかった体重があっという間に増えて、60kgを超えました」。そう言って、朗らかに笑います。

三崎で中晩柑の栽培が始まったのは、明治時代。山口県萩から夏みかんが移植されたのが始まりで、時代が下るに連れて『清見』、『デコポン』と、品種を増やしてきました。今や代表的な品種だけで十を超す中晩柑が生産されています。

寺﨑氏が「三崎共選」の選果場を案内してくれました。
「今日は『デコポン』の選果をしています」
カゴ一杯に詰まった『デコポン』は美しく輝き、眞田氏を始めとする生産者が、丹誠込めて育てたことがわかります。どのぐらいの量が持ち込まれたか、生産者ごとに重さを量ったら、『デコポン』はベルトコンベアへ。一個一個が静かにレーンを進んで行きます。

「まず、傷や痛みがないか、目視で2回、チェックします。それから、アポグレーザーと呼ばれる機械で一個のみかんを6面から一瞬でカラー撮影して、着色などの外見、サイズを測っていきます」

その後、10年ほど前に導入されたという最新の光センサーで、糖度と酸度を瞬時に測定。“秀”や“優”などの等級と、MやLといった階級ごとに分けられていきます。箱詰めされる直前には、もう一度、目視で不具合がないか、チェック。こうしてようやく、出荷を待つストレージスペースへと向かいます。

「この選果場が設立されたのは今から18年ほど前。それまでは海沿いにありましたが、場所も移して大きくしました。作業効率は格段に上がったと聞いています」。人が心を込めて育てた中晩柑を、最新鋭のテクノロジーで的確に消費者の下へ。こうした取り組みも『西宇和みかん』の強みです。

三崎の各生産者から今日もたくさんの中晩柑が選果場に届く。

共選長の寺﨑文人氏。「今年はどの中晩柑も出来が良いです。『デコポン』なら糖度13以上で十分良いのに、今年は14以上も搬入されてくる」

センサーで糖度と酸度を測られた『デコポン』は等級と階級別に自動でそれぞれのレーンを進み、箱へと集められていく。

約18年前に新装された「三崎共選」の選果場。山の中に建つが、通称「メロディライン」と呼ばれる国道197号線沿いにあり、交通は至便。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会農業には夢がある。そう言い切れるだけの魅力がこの土地にはある。

選果場に続いて訪れたのは斉藤誠二氏の園地でした。斉藤氏は兵庫県出身ですが、母の故郷が三崎だったため、幼い頃から、ここは「知った土地だった」と言います。

地元の兵庫で「たまたま(笑)」農業大学に進学し、そこで「土いじりの楽しさ」に開眼。卒業後は農業研修でアメリカに行く機会も得て「はっきりと就農を決意しました」。三崎にIターンという形で向かったのも「偶然」とのこと。「三崎共選」が窓口になって農作業支援者を募集していることを、やはりたまたま、知ったからでした。

「大学の先生からは『大変だから、やめておきなさい』なんて言われましたけど、やっぱり、どうしても農業がしたかった。この園地は借地ですが、僕の熱意が通じたのかもしれません。三崎で支援活動を続けているうちに、持ち主の方から『ウチの畑はどう?』という話があり、ならば『やってまえ!』と(笑)」

きっと、斉藤氏はこの土地と強い縁で結ばれていたのでしょう。「子供の頃から風景が美しくて好きだった」三崎で今は『清美』と『デコポン』、それから、『サンフルーツ』を育てています。

今日は『サンフルーツ』の収穫。3月でもコタツが欠かせない北海道で特に「おこたでみかん」のみかんとして愛されている中晩柑です。適度な酸味は今や懐かしいと感じる、古き佳き夏みかんのそれ。収穫してから3週間ほど、倉庫で貯蔵し、余分な水分を飛ばしてから選果場に運びます。

念願の農業を自分で始めて早4年。「まだまだ課題は多い」と語る斉藤氏ですが、「好きな農業で得た結果が収入になる」と楽しそう。そして、きっぱりとこう言い切りました。「農作物の生産はその土地に何代も根付く、ひとつの産業。その基盤を今、自分が作っているんです」。その自負があるからこそ、「農業には夢がある」と斉藤氏は語るのです。

三崎にIターンし、念願の就農を果たした斉藤誠二氏。約1.2haの園地で『サンフルーツ』『デコポン』『清見』を育てている。

『サンフルーツ』を収穫する。例年は年明けすぐ収穫できるようになるが、今年は状態を見極めて2月から開始。貯蔵し、酸味を落ち着かせてから出荷する。

「まだ酸っぱいですよ(笑)」と斉藤氏は言うが、もぎ立ての『サンフルーツ』を試食させてもらうと、懐かしい酸味が口いっぱいに広がる。ジューシーで美味しい。

収穫を終えた『サンフルーツ』をカゴに積み込む。「まだ環境づくりが優先という状況ですけど、将来は加工や販売にも挑戦したい」と斉藤氏は意欲的。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会『西宇和みかん』『西宇和かんきつ』を次世代に。着実に実を結ぶ『JAにしうわ』の取り組み。

三崎にIターンした斉藤氏は良い例ですが、就農を支援する活動は『JAにしうわ』でも積極的に行われています。背景にはあるのは生産者の減少。例えば、三崎なら、1998年には508軒あった農家が今は228軒と、およそ20年間で半数以上も減ってしまっている現実があります。

地元が誇る特産品『西宇和みかん』『西宇和かんきつ』を次世代に。

『JAにしうわ』が2014年に設立した「西宇和みかん支援隊」は、次世代に繋ぐ活動の一翼を担う組織です。そのために、まず取り組んだのは農繁期の労働力の確保。『西宇和みかん』を収穫・選別する時期には多くのアルバイトが必要で、長期間の滞在が不可欠ですが、廃校を有効活用して宿泊施設にリノベーションするなど、援農者の快適で安全な生活をサポートし、リピーターになってもらうための様々な手段を講じています。
それから、もちろん、将来の担い手を育成することも忘れていません。都市部で就農セミナーを開く、農家に短期滞在してもらって実際の農業と暮らしを体感してもらう、受け入れる生産者側に担い手を育成する実践チームを作る。こちらでも、様々な取り組みが行われています。

こうした活動が功を奏して、真穴地区ではアルバイトで訪れた3名が、西宇和のことを気に入り、そのまま就農を目指して、『JAにしうわ』が実施している研修制度に参加したという実績も生まれています。努力は着実に実を結んでいるのです。

真穴地区で「みかんアルバイター」として農繁期を支えたアルバイトの方々も、この笑顔。

テロワールオブ西宇和・三崎柑橘共同選果部会素晴らしい土地だからこそ、美味しい『西宇和かんきつ』は育まれる。

急峻な斜面に広がる段々畑。たわわに実った『清見』は青い海と美しいコントラストを成しています。ここは、先に訪れた眞田氏の園地。凪の海をよく見ると、遠くで煌めく水面を滑るように、大きなフェリーが進航していました。
「あれが西宇和と大分を結ぶ船」
眞田氏がそう言います。アルバイトで訪れた若者が、この光景を見て就農を決意する。その気持ちもよくわかります。本当に美しい。

今日、訪ねた、もうひとりの生産者である斉藤氏の言葉も脳裏に浮かびました。
「この光景が子供の頃から好きでした」
眞田氏をふと見ると、その横顔からは中晩柑を作り続ける決意とプライドが漲っているように感じられました。

「あの辺りをフェリーが行くのを見ると、『あ、もう10時半になったか。そろそろお腹が空いてきたな』。そう思うんです(笑)」。『西宇和かんきつ』は郷土を愛する人々で大切に育まれている。『西宇和かんきつ』は、これからも自慢の特産品であり続けます。


(supported by JAにしうわ

何とも美しい三崎の『西宇和かんきつ』畑。サンテがかけられた『清見』の木々が煌めく海に照らされている。洋上には大分を目指して進むフェリーの姿も。

『JAにしうわ』が展開する特産センター「柑柑日和」では今、様々な品種の中晩柑がズラリ。『西宇和みかん』のブランドロゴ、Nマークも輝いて見える。

住所:愛媛県西宇和郡伊方町二名津1693 MAP
電話:0894-54-2188
三崎柑橘共同選果部会 HP:http://ja-misaki.com/index.html

ワイン×旅。富良野の新たな滞在スタイルを提案。[ホテル&コンドミニアム一花/北海道富良野市]

白銀の雪に覆われた富良野の冬景色。カラマツ林が整列する。

ホテル&コンドミニアム一花富良野に誕生した新たなコンセプトのホテル。

北海道のスキーリゾートといえばニセコが有名ですが、パウダースノーでニセコを超えるとされる雪質の富良野は、「次のニセコ」といわれているそうです。夏だけでなく冬も魅力がある観光地として世界的に注目を集めています。

そんな富良野に新たなスタイルのホテルが誕生しました。それは、「ワイナリーを訪れたゲストのための別荘」というコンセプトの『ホテル&コンドミニアム一花』。ワイナリー「ドメーヌ・レゾン」は2019年始動予定ですが、それに先駆けて、2018年12月にオープンしました。

運営するのは、全国で農園やレストラン、リゾートなどを展開する『レゾングループ』。山梨県国府市には日本最古のワイナリーとされる『マルキワイナリー』やそのワイナリーが営む体験農園「木漏れ日の葡萄園天謝園」、沖縄県糸満市には観光農園「うちなーファーム」などを所有。自社圃場(ほじょう)で原料づくりから行うことで、その土地のポテンシャルを生かした観光資源の創出に取り組んでいます。

ホテルが位置するのは富良野スキー場から1分の「北の峰地区」と呼ばれるエリアで、国内外の富裕層が訪れる場所。そうしたハイエンドな客層に向け、「暮らすようにゆったりと滞在し、富良野の風景と食を体験してほしい」という願いから開業しました。

ライブラリーラウンジでは直営ワイナリーのワインやコーヒーを提供。

山荘をイメージしたビストロで、北海道の素材にこだわった夕朝食を。

ホテル&コンドミニアム一花十勝岳連峰を一望できる絶景ルームも。

客室は全33室で、滞在スタイルに合わせて4タイプを用意しています。全部屋にシモンズ製ベッドを備え、スーペリア以上はキッチンやカトラリーつき。外で食事をしたり、家族と自宅のように過ごしたり、仲間とパーティをしたりと、思い思いに過ごすことができます。なおホテルでは宿泊客に地元を楽しんでもらいたいとの思いから、スキー場へはもちろん、富良野市街地へのバスでの送迎も回数を多めに行っています。夕方から夜にかけての時間帯は、富良野市街地まで運行。スーパーマーケットで地元食材を購入できるだけでなく、飲食店やバー巡りなど、夜の富良野を地元人感覚で楽しむことができるのが魅力的です。

スタンダードトリプル。素泊まり3,936円~とかなりリーズナブル。

スーペリアハリウッドツイン。キッチンつきで別荘のように過ごせる。

バルコニーから十勝岳連峰を望めるデラックス。

2ベッドルームとリビングを備えたスイート。バルコニーつき。

ホテル&コンドミニアム一花北海道素材のポテンシャルを最大限に引き出した「食」。

地元での外食も良いですが、ホテル内で「食」を満喫するのもお勧め。館内には山荘をイメージしたデザインのレストラン「閑坐(KANZA)」があり、朝食とディナーを頂けます。富良野といえば北海道の中でも特に美味しい食材に恵まれた地域。こちらでは地元の食材のポテンシャルを最大限に引き出し、富良野産にこだわったアミューズ・オードブル・メインプレート・デザートのプリフィクスコースを用意。肉厚なホタテに「インカのめざめ」というジャガイモで作ったグラタンを添えた「枝幸産ホタテの香草バター焼き」や、「上富良野産豚バラ赤ワイン煮込み」など、北海道の海と山の幸を盛り込んだメニューを頂けます。

もちろん、2019年開業のワイナリーのワインとのマリアージュを考えた料理ばかりですが、開業前は山梨県に所有する『マルキワイナリー』でブドウから栽培・自社醸造したワインをソムリエがチョイスしてくれます。

コースだけでなくアラカルトもある。予約なし(素泊まり)でも利用可能。

ホテル&コンドミニアム一花北海道の食材ビュッフェで、朝からパワーチャージ。

朝食は1,000円とリーズナブル。温かくボリュームのあるアメリカンスタイルかコールミート中心のコンチネンタルスタイルの2種からプレートを選べ、更にサラダ・パン・ドリンクを好みで頂けるビュッフェ形式です。メニューはフレッシュ野菜のサラダバー、温野菜、日替わりの卵料理、北海道産粗挽きソーセージ、ベーコンなどに加え、好きなものを挟んでカスタマイズできるホットドッグ、自家製ヨーグルト、パンなど品数豊富。富良野のアクティビティを楽しむためにエネルギーを十分にチャージできそうです。

ちなみに同じ富良野町内には同系列のチーズ工房「プレスキル・フロマージュ」があり、ここでは山羊チーズのスペシャリストであるロバート・アレキサンダー氏が山羊の飼育から生産まで一貫して監修し、チーズを製造。レストランではこちらで作られたチーズや山羊ミルクを使った料理も楽しめます。

北海道、特に富良野産にこだわった素材のメニューが並ぶ朝食ビュッフェ。

焼きたてパンやマフィン、ワッフルに、ジャムなど多種用意。

ハムや野菜を挟んで自分だけのホットドッグを楽しめる。

フレッシュジュース、スムージー、ミルク(ふらの牛乳)、自家製ヨーグルトなども。

ホテル&コンドミニアム一花ワインをフックにした旅の楽しみが広がる。

ワイナリー「ドメーヌ・レゾン」の開業後は、ブドウ狩り体験ができるワイナリーツアーなども実施する予定。自社圃場のブドウを使ったワインの醸造は2019年秋にスタートし、2020年の春には製品としてリリースされる見込みだそうです。今後は富良野に、風景、スキー、食の他に「ワイン」という素敵な誘惑が増え、ますます注目を集めることでしょう。

「ワイン」を求めて富良野を旅するのもまた良いかもしれない。

住所:北海道富良野市北の峰町23-10 MAP
電話:0167-23-8778
料金:スタンダードトリプル素泊まり3,936円~(3名利用時)
ホテル&コンドミニアム一花 HP:http://hotel-hitohana.com/
写真提供:ホテル&コンドミニアム一花

消費者と生産者を、幸せに。津軽のうまいものハンターの夢。[TSUGARU Le Bon Marché・ひろさきマーケット/青森県弘前市]

日々、生産者から採れたての野菜が届く「フレッシュファームFORET」。代表の高橋氏にとって、そのどれもが思い入れのあるものだ。

ひろさきマーケット右にも左にも、青森県のおいしいものがずらりと並ぶマーケット。

青森県・津軽エリアの中心地、弘前。JRの駅から歩いてすぐの所にある商業施設「ヒロロ」の地下に、『フレッシュファームFORET』という店があります。もしあなたが県外からの訪問者なら、この店での滞在時間は総じて長くなるはず。なぜなら、この店の棚という棚には、青森県中の名産品がぎっしりと並んでいるからです。野菜をはじめ、調味料やお菓子といった加工品から惣菜までが揃い、少々マニアックな品もあちこちに。店舗面積は決して広くないのに、まるで青森の食の見本市のような充実ぶりに驚きます。

「ここに来れば、青森を一周したような気分になれる。そんな店にしたくて」と語るのは、この店を運営する『ひろさきマーケット』代表の高橋信勝氏です。「ここに並ぶ商品の条件は2つ。ひとつ目は、青森県産もしくは青森県の事業者の生産物であること。2つ目は、自分たちで食べてみていいと感じたもの。産地にも極力足を運び、加工品の材料もなるべく青森県産、無添加のものを選んでいます」と高橋氏。

話している間もひっきりなしに訪れるお客さんを見れば、そのほとんどが地元・弘前の人。青森のものばかりを置いているけれど、観光客向けの店にあらず。高橋氏が「日々の食卓に寄り添う店でありたい」と話すように、地域に根差す場所として、すっかり認知されていることが伝わってきます。

 
▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

次々と地元客が訪れる『フレッシュファームFORET』。POPの説明を読みながら、じっくり商品を選んでいく人が多い。

この日いちおしの野菜は、温泉水を使って栽培を行う弘前市「小堀農園」のもの。小規模な生産者が多く、他にない野菜も多数扱う。

昔ながらの造り方を守る地元の蔵「加藤味噌醤油醸造元」の味噌などが並ぶ冷蔵ケース。調味料をはじめとする加工品も充実する。

ひろさきマーケット食料自給率100%を超える青森。その豊かさに心動かされて。

高橋氏は生まれも育ちも弘前。両親ともに飲食店勤めということもあり、昔から食への関心は高かったものの、25歳で就職したのは青森市の運送業者でした。主に食品の配送に従事するうち、高橋氏はあることに気付きます。「実は青森って、すごく食が豊かなんだと。米、野菜、魚介や肉に乳製品も豊富で、食料自給率は100%を超えている。県内を回ると、それまで気付かなかった津軽と他のエリアの食文化の違いも見えてきて、これは面白い!と思いました」と高橋氏。

三方を日本海、太平洋、陸奥湾という異なる海流の海に囲まれ、八甲田山や岩木山といった山があり、四季を通じて寒暖差の激しい青森県。豊かな自然が育む食の多様性に触れた高橋氏はやがて、それらを多くの人に届ける仕事を始めようと決心したそうです。

「配送業務で実感したのが、足の悪いお年寄りや子連れの方は、雪が降る冬場の買い物が本当に大変だということ。だから最初は、買い物代行業もできればと思っていました。でも配達は信頼関係が大事なので、どこの誰かもわからない僕にはなかなか注文が入らない。ならば顔と顔を突き合わせて売るしかない!と、野菜と惣菜の店を始めることにしたんです」と高橋氏。スタートは、弘前市内の小さな市場にある空きスペース。こうして2011年、フランス語で幸せを意味する「ボヌール」という店が誕生しました。

生産者の話になると、止まらない高橋氏。造り手のこだわりだけでなく、人柄を知ることができるのも直接仕入れの店ならでは。

真冬のこの時期一層美味しさを増すのが、雪室で保存することで甘みを乗せたにんじんやじゃがいも。地元の人々にも人気の、雪国の味だ。

津軽ではポピュラーな甘いいなり寿司やおはぎなど、素朴な惣菜にも手が伸びる。ちなみにこちらの2品、高橋氏の義理の母が手がけている。

ひろさきマーケット生鮮食品×お洒落なデザイン。小さな野菜&惣菜店が注目を集める。

業態変更により3年ほどで閉店した1号店「ボヌール」ですが、当時は地元にちょっとした衝撃をもたらしました。昔ながらの渋いアーケード「弘前中央食品市場」内に誕生した店は、高橋氏の同級生でもある若手建築家・蟻塚 学氏が手がけたモダンでシンプルなインテリアに、マルシェ風の陳列。野菜はフィルムで包まず、ナチュラルな雰囲気に積み上げたり、クラフト紙と麻紐で包装したり。

「当時の弘前には、まだそういう売り方をする店がなくて」と高橋氏。更に、接客や試食販売にも注力。「例えば、実力のある生産者さんが、珍しい野菜の栽培に挑戦してくれたとします。でも道の駅で売っても、消費者が使い方を知らないから全然売れない。一方で、ちゃんと使い方を示したり、試食してもらったりすると、みんな喜んで買ってくれる。こだわって作られたものを買いたいという土壌は、弘前にもきちんとあるんです」と高橋氏は話します。

「初めての小売り、惣菜の販売。当時は本当に必死でしたよ(笑)」と言う高橋氏ですが、この場所で大きな手ごたえを感じることに。工夫を凝らしていいものを売れば、きちんと反響がある。それを生産者に伝えると、彼らのモチベーションが上がる。更に高橋氏自身が青森県中の産地を訪れる中、様々な生産物の品種や味の違いなどに感動し、それがまた自分の仕事のモチベーションにもなっていったそうです。その後、『フレッシュファームFORET』の前身である青果店の業務委託を依頼された高橋氏。惣菜部門はより進化し、バル形態の営業に。青森のいいものを多くの人に届けたいという想いが、地域を巻き込み循環し始めたのです。

「弘前中央食品市場」内に登場した「ボヌール」(現在は閉店)。高橋氏も小さい頃から通ったという、市民にはおなじみの庶民的な市場だ。

ひろさきマーケット生産者と消費者の双方を繋ぎ、双方の幸せが交錯する場所。

現在、バイヤーとして青森中を回る日々を送る高橋氏。店という基盤を確立したからこそ、見えてきた次なる課題もあります。それを実現する場が、2018年12月にオープンした飲食店『Local Food Buffet そらにわ』。こだわったのは、旬の野菜をバイキング形式でたっぷりと提供することでした。高橋氏曰く「こんなにたくさん野菜を扱えるようになったのに、それをもりもり食べてもらえる場所がない!と思って」。

同時に、「生産者から直接生産物を仕入れる販売代理店」という『ひろさきマーケット』の立場を、よりブラッシュアップしていきたいという想いも強くなったそうです。「私たちには、生産者の想いをより詳しく消費者に伝える役割があります。一方、生産者側からは消費者側が見えづらい現状もある」と高橋氏。『Local Food Buffet そらにわ』の営業が落ち着いてきたら、と前置きしつつ、「生産者の方々に代わるがわる『Local Food Buffet そらにわ』に立ってもらい、直接お客さんと話ができる場にしたい。もっとライヴ感のある演出ができれば」と語ります。実現すれば、おそらく日本初のレストランになるはずです!


この日、偶然「フレッシュファームFORET」へ野菜の納品に来ていた黒石市の生産者、「サニタスガーデン」のスタッフ山崎氏が、私たちにこう話してくれました。私たちが「この野菜を作り始めた頃から扱ってくれて、応援してくれて……高橋さんには感謝しかない。足を向けて寝られません」と。その横では、夕飯前の買い出しでしょうか、スタッフにあれこれ聞きながら、ニコニコと笑顔で惣菜と野菜を買い込む常連客が。この店ではおなじみであろうその光景を見た時、頭に浮かんだのは、高橋氏の原点である1号店「ボヌール」の店名の意味、「幸せ」という言葉でした。生産者にも、消費者にも、幸せを。高橋氏の作る幸福な食のサイクルは、今後ますますたくさんの人を巻き込み、発展していくことでしょう。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

新店『Local Food Buffet そらにわ』では、長年培った惣菜の製造・販売スキルを活用。農業の専門知識も備えた店長をはじめ、若いスタッフが元気に切り盛りする。

『Local Food Buffet そらにわ』のブッフェ料金は、中学生以上1,500円、小学生850円、5歳未満300円、3歳以下無料と良心的。既に女性やファミリー層から大人気だ。

弘前市の繁華街に近い商業施設「ルネスアリー」1階、広い窓から景色を見渡せる開放的な場所にある『Local Food Buffet そらにわ』。

『Local Food Buffet そらにわ』に納品された様々な野菜。価値を理解できる人の手で、きちんと価値を生かされて使われる、幸せな野菜たちだ。思わず「美味しい料理になってね」、と心の中で呟いた。

電話:0172-55-8711
ひろさきマーケット HP:https://hirosaki-m.com/

住所:青森県弘前市駅前町9-20 ヒロロ B1F MAP
電話:0172-55-8711

住所:青森県弘前市土手町78 ルネスアリー1F MAP
電話:0172-55-5980

『DINING OUT』に刺激された革新の遺伝子が、やがて新たな潮流を生む。八頭町のイノベーターたちを追ったスペシャルムービー公開![鳥取県八頭町]

八頭町PRムービー『DINING OUT』を支え、成長し、やがて新たな潮流を生む。八頭に息づくイノベーターたちの挑戦。

鳥取市の南側、山々に囲まれた中山間地域に位置する鳥取県八頭町。古からの神話と雄大な自然が残される一方、高齢化や過疎化、就業機会の減少といった”日本の田舎“が抱える多くの課題に、この八頭町も例外なく直面しています。しかしひとつだけ、八頭町が一般的な田舎町と異なっていることがあります。それは、これらの課題に対してただ悲観するのではなく、アクションを起こしていること。たとえば自動運転やICTの導入、あるいは廃校となった学校を拠点とした起業やイベントのバックアップ。革新的な技術を積極的に取り入れながら、八頭町は走り続けているのです。
八頭町の取り組みはこちら

そのアクションの中心に立つのは、4人の若きイノベーターたち。県の廃校を利用した活動拠点『隼Lab. 』のプロデューサー・古田琢也氏は、シェアオフィスやコワーキングスペース、誰でも使えるコミュニティスペースの提供を通して、市民のアイデアを形にすることを後押しします。柿農家の『岡崎ファーム』岡崎昭都氏は、高齢化が続く八頭町の農業の救世主。Uターンで八頭町に戻り、「カッコ良く楽しく」をモットーとした農業で、特産の柿づくりだけでなく、農業のPRにも一役買っています。ガーデンニングショップ『OZ GARDEN』の遠藤佳代子氏は、庭というフィルターを通して、八頭を囲む自然の魅力を再発見できる道を探ります。そして年間30万人が訪れる八頭名所『大江ノ郷自然牧場』を作り上げた小原利一郎氏は、数々の企画を通して“若者たちが誇れる地元づくり”を目指します。

そんな八頭町を舞台に2018年9月、『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』が開催されました。もちろん、その会場にはこの4人の姿がありました。地元スタッフが一体となり、数々の困難を乗り越え、そして大盛況で幕を閉じた『DINING OUT』。小原氏は「どこに出しても恥ずかしくない、八頭の底力を再確認した」といいます。古田氏は「地元で横のつながりができたことが大きな成果。一時の盛り上がりで終えたくない」と語りました。『DINING OUT』の成功は八頭町のイノベーターたちを刺激し、新たな、力強い潮流を生み出しはじめたのです。

古田氏の言葉は偽りではありませんでした。そう、2019年秋、八頭町では、地元だけで行うもうひとつの『DINING OUT』が開催されるのです。『DINING OUT』で火が付いた八頭町のイノベーションが、やがて大きな流れとなり、町全体を巻き込む一大イベントとなる。そんな八頭町の情熱を、町の魅力を発信する八頭町のイノベーターたちにフォーカスしたスペシャルムービーでお届けします!

住所:〒680-0493 鳥取県八頭郡八頭町郡家493番地 MAP
電話:0858-76-0201
鳥取県八頭町役場 HP:http://www.town.yazu.tottori.jp/

湯と食で満喫。温泉宿でプチ湯治。[御宿 友喜美荘・ おやど あんと/大分県竹田市]

「日本一の炭酸泉」と名高い長湯温泉の湯。温浴効果が高く、湯治客に人気。

御宿 友喜美荘・おやど あんと湯治文化が根付く長湯の地。

温泉地に長期滞在し、温泉で治療や保養、休養を行い、心身の療養を行う「湯治」。竹田市直入町にある長湯温泉でも、昔から湯治が行われてきました。雄大な山々に囲まれた自然美溢れる長湯温泉は、世界でも有数の炭酸泉が湧く温泉地。今回は長湯温泉の中でも、温浴効果が高い「湯」を持つ温泉宿と、「食」へのこだわりを持つ湯治宿、2つの宿をご紹介します。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

平成5年に開業した平屋造りの温泉宿『友喜美荘』。

御宿 友喜美荘・おやど あんと山懐に佇む安らぎの温泉宿『御宿 友喜美荘』。

まず訪れたのは長湯温泉の中心部から車で5分。静けさに包まれた長湯湖のそばに『御宿 友喜美荘』はあります。『友喜美荘』は7室だけの小さな隠れ宿。ここでは季節の野菜を中心に湧水で仕立てた創作会席が楽しめる他、自家源泉から湧く炭酸泉の露天風呂が評判を呼んでいます。

『友喜美荘』には家族風呂がひとつと、露天風呂つきの大浴場があります。日によって褐色だったり、緑がかっていたり、白く濁っていたりと、異なる表情を見せてくれる『友喜美荘』の湯。この日は緑がかった湯が迎えてくれました。

泉質は美肌泉質の代表格ともいわれる炭酸水素塩泉。自家源泉から湧く湯は高温のため、炭酸泉特有のガスが溶け出し、身体にしゅわしゅわと気泡がつくことはありませんが、炭酸泉が持つ高い効能は変わらず。内湯にも露天風呂にも湯船には湯の花がたっぷりと浮かび、温泉成分の濃さを物語っています。

宿の露天風呂は、先代の社長が手造りしたという岩風呂。こぢんまりとしているものの、屋根がない露天風呂に浸かりながら見上げれば、青く澄んだ空と豊かな緑が迎えてくれ、開放感は十分。小鳥のさえずりや風に揺れる木々の音をBGMにゆったりと浸かることができるのです。ひんやりとした空気に包まれる山あいの露天風呂でも、血液の循環が良くなる炭酸ガスの影響で浸かっているとすぐに身体の芯からポカポカと温まってきました。刺激が少なく、さらりとして柔らかい湯は、皮膚病や神経麻痺、冷え性に効果がある他、不要な角質や毛穴の汚れを取り除いてくれるためツルツル肌が手に入るといわれています。湯に入っていながらも滑らかな肌を実感できる美肌の湯は、さっぱりとした清涼感も得られ、ずっと浸かっていたくなるほどの心地よさ。更に湯冷めしにくいため、湯温が低いことで知られる長湯温泉の中でも冬にお勧めしたい温泉なのです。

先代の社長が手造りした露天風呂。朝は6時から、夜は23時まで入浴できる。(立ち寄り入浴は14時から20時まで)。

湯船にたっぷり漂う湯の花。内風呂の奥に露天風呂がある。

家族風呂。窓からは庭園を眺めることができる。

御宿 友喜美荘・おやど あんと満天の星が迎える露天風呂。

爽快感のある湯に感動していると、オーナーが「この湯を楽しむのに、もっと良い時間帯がある」と教えてくれました。それが夜の露天風呂。静まり返った山懐の空には満天の星だけが輝き、美しい天体ショーが見られるのだといいます。あたりに街灯がないため、冬の時期は陽が沈むとすぐに星たちが顔を出すという『友喜美荘』。立ち寄り入浴をするなら宿泊客の夕飯時が狙い目だと聞き、18時過ぎにお風呂へと向かいました。

大浴場は、運良く貸切。内風呂を抜けて露天風呂への扉を開けると、黄金色の温泉が待っていました。夜のとばりに包まれた空間には源泉かけ流しの湯の音だけが静かに響き、湯気の向こうにはキラキラと無数の星が煌めきます。ここは日々の喧騒から離れた別世界。頰をかすめるひんやりとした外気の冷たさと湯加減の塩梅がちょうど良く、身体を優しく包む湯に身を任せていると、現れたのは夜空を切り裂く流れ星。突然のサプライズがよりいっそう、幻想的な入浴体験を高めてくれました。

鳥のさえずりや木々のざわめき。自然に抱かれた場所で癒され、心も身体もリフレッシュすることができました。昼の爽快感溢れる湯と、夜の幻想的な星空に出合える露天風呂。昼も夜も、1日中静けさに包まれた空間で癒しの湯治体験がかなう温泉宿です。

空気が澄んでいる冬こそお勧めの星空露天。

宿の上には満天の星が輝く。

御宿 友喜美荘・おやど あんとビーガン料理のシェフが営む湯治宿。

次に紹介するのは2018年7月、直入町にオープンした『おやど あんと』。 重度のステロイド依存症皮膚炎に苦しんだ過去を持つオーナーの赤嶺貴仁氏が「同じ悩みを抱える方の救いになれば」と始めた宿は、「食」から始める健康について一緒に学べる場にもなっています。

幼少期から軽度のアトピーを発症していた赤嶺氏は、長年ステロイドの薬を使い続けたことで10年前にステロイド依存症皮膚炎を発症。その後症状は瞬く間に悪化し、一時は死を覚悟するほどに苦しんだといいます。そんな過酷な病に対し赤嶺氏は、温泉に浸かって湯治をしながら食事制限をすることで治癒。その経験が、宿を始めるきっかけになったそうです。

「道の駅ながゆ」の近くにある『おやど あんと』。徒歩圏内に多くの温泉がある。

御宿 友喜美荘・おやど あんと病に悩んだ経験を、宿を通じて誰かのために。

「病に苦しんでいた当時は温泉つきの物件を借りて、1日5回くらい温泉に浸かっていました。それからいろんな本やインターネットでステロイド依存症皮膚炎について調べていると、乳製品や肉、魚がアトピーを悪化させるということを知って。そこからビーガン料理に興味を持つようになったんです」と赤嶺氏は話します。

8年間療養を続け、食事の大切さを実感した赤嶺氏は、ベジフードを取り入れているフレンチシェフやイタリアンシェフの下で料理を研究。フレンチやイタリアンのみならず、ラーメンやハンバーガー、カツ丼などのジャンクフードもベジフードを使って挑戦。様々なアレンジを楽しんでいると、今度は「自分と同じように、食べたいけど食べられずに苦しんでいる人に向けて料理を発信したい」と、ケータリングが中心の「vegan食堂minneola」を立ち上げました。自分のための料理から、誰かのために。赤嶺氏の料理は、「一般的なビーガン料理では味が薄く物足りない」と敬遠していた人たちからも支持を集めるようになり、各地でビーガン料理を披露するようになりました。

料理人として活動を続けているうちに、赤嶺氏の興味は自然と食材へと向かいます。
「一時は病で死ぬ思いをして。命と向き合う経験をしたからこそ、食材の命をもらうということにはすごく敏感になっていたんです。“生産者の思いが込められた食材を感謝しながら食べる”ということの大切さを多くの人に知ってもらいたいから、自分で田んぼと畑を作って。そこで子供たちと一緒に昔ながらの手植えをしたり、野菜を作ったりするようになりました」と赤嶺氏は言います。

田んぼや畑で無農薬の野菜作りや米作りをしたり、大豆を作って味噌を作ったり。食材はもちろん、調味料にいたるまで、自らの手で作るようになった赤嶺氏。そうして昔ながらの丁寧な暮らしを楽しみ始めた赤嶺氏は、「自分が送っている豊かな暮らしを伝えることで、誰かの力になれたら」と、宿という場の提供を始めたのです。

宿では宿泊をするだけでなく、ビーガン料理の作り方を教えてくれる料理教室や、野菜作りや米作りの体験も行っています。食材から自分で作ることの楽しさを知り、そしてそれを美味しく頂くことで、体内から療養を促してくれるのです。また宿泊客のオーダーによって、田植え作業から登山、料理教室にいたるまで、様々な体験を赤嶺氏がプロデュースしてくれるのもこの宿の特徴。徒歩圏内にある温泉を巡りながら、身体に優しいビーガン料理と自然を満喫できるアクティビティで癒される稀有な宿です。

「自然を一緒に楽しむことで療養につながれば」と話す赤嶺氏。

燦々と日が射し込む宿からは、雄大な長湯の山々を見渡せる。

取材に訪れた日は赤嶺氏に教わりながらビーガン料理作りを体験。無農薬の野菜を使った「ベジラーメン」。

おやつに頂いた干し柿も赤嶺氏が育てた柿から作ったもの。

住所:大分県竹田市直入町長湯7497-1 MAP
電話:0974-75-3000
御宿 友喜美荘 HP:http://www.yukimiso.com/

住所:大分県竹田市直入町大字長湯8024番地 MAP
電話:0974-70-5299
おやど あんと HP:https://910anto.localinfo.jp/?fbclid=IwAR1SmD-iAvyIWqJGJDhOS31Z4bHLp_3q6qssXKlp4Ju0XjM3RP8UPZjA6bU

日本最古の巡礼地。須弥山を抱く西国屈指のパワースポット。[穴太寺/京都府亀岡市]

京都府の登録文化財にも指定されている仁王門。ここをくぐると正面に本堂があり、左手には多宝塔がある。

穴太寺塀を割る巨木と気品ある涅槃像(ねはんぞう)。

京都府亀岡市に位置する『穴太寺(あなおじ)』は、西国三十三所巡礼のひとつ。四国八十八ヶ所霊場も有名ですが、西国三十三所の歴史は更に古く、なおかつ参拝者も多いのです。『穴太寺』は第21番の札所であり、非常に歴史のある古刹。境内にある大きなムクノキは特徴のひとつで、塀と塀の間を割るようにして生えています。本堂裏にある樹齢400年のイチョウも素晴らしく、亀岡の名木にも選定されているほど。

もうひとつの特徴は、本堂に安置されている仏像です。『穴太寺』の仏像は横たわっている「釈迦如来涅槃像」。東南アジアには数多く見られますが、日本では木に彫刻されている涅槃像は珍しく、全国に6例しかないという貴重な仏像です。檜材を用いた寄木造りで鎌倉時代に作られたとされており、気品に満ちて温かみがあり、実に優しい顔の仏像です。冬になると仏像にお布団がかけられ、自分の病と同じ所を撫でると病気平癒のご利益があるとされるため、参拝者は皆お布団をめくって仏像に触れています。その雰囲気がとても可愛らしいのです。

太い木の幹に沿って形作られた白塀。「とても素晴らしく、見どころのひとつです」とアレックス氏。

撫で仏として有名な涅槃像。自分の身体の悪い所と同じ所を撫でてお願いするとご利益があるとされている。

穴太寺庭園を借景にして建つ多宝塔。

更なる見所は「庭園」です。江戸中期から末期にかけて作庭された名園で、奥には池もあります。池の周りに石があり、塀があって、その後ろに見えてくるのが多宝塔です。1804年に再建された亀岡市唯一の木造であり、丸みを帯びた柔らかい佇まいをしています。まるで池に浮かんでいるようで、ある意味「須弥山(しゅみせん)」を拝むようでもあります。『穴太寺』の魅力は、木、涅槃像、そして庭園と多宝塔。どれも素晴らしく一見の価値があります。四国八十八ヶ所霊場遍路よりも古い巡礼コースは、西国のパワースポットとして訪れてみるのもいいでしょう。

庭園を借景にする多宝塔。柱は円柱で東西南北には四神(玄武・白虎・朱雀・青龍)の彫刻が施されている。

住所:京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46 MAP
電話:0771-24-0809
拝観時間8:00〜17:00
穴太寺 HP:https://saikoku33.gr.jp/place/21

1952 年生まれ。東洋文化研究家。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

郷土芸能とコンテンポラリーダンスが出会い、どんな化学反応が起こる?[三陸国際芸術祭/青森・岩手・宮城県]

宮古市で行われた三陸国際芸術祭オープニング。花輪鹿子踊りや現代ダンスなどが披露された。

三陸国際芸術祭郷土芸能は、何と美しく、強いのか。

人間を“観る”芸術。歌舞伎や能、ダンスや演劇など、人が自らの身体を使い、言葉を諳んじ、唄い、もしくは謡う舞台に、なぜ私たちはここまで惹きつけられるのでしょうか。もしかしてそれは、私たちのDNAの中にある神や自然に対する畏敬が、音色や躍動によって呼び覚まされ、情動を起こすからかもしれません。神楽や太鼓、獅子舞、舟唄、盆踊りといった郷土芸能の音や風景にどこか懐かしさを感じる。そんな経験が誰にでもあるはずです。

小さめの鹿頭で勇壮活発に舞う「永浜鹿踊り」(大船渡市)。幕や袴に用いた「波に白兎」の図は非常に珍しい。

三陸国際芸術祭一つの集落に一つの郷土芸能。その数2000以上。

三陸国際芸術祭は、福島・宮城・岩手に受け継がれる「郷土芸能」に焦点を当て、その魅力の発信と、芸能を通じた国内外との交流を目的に、2014年から毎年開催されているイベントです。

なぜ、三陸なのか。実は福島・宮城・岩手の三県には2000以上の芸能団体があると言われ、各地域にはその文化を守る保存会が形成されています。日本各地に郷土芸能は息づいていますが、三陸沿岸に残る郷土芸能の種類の多さは日本でも他に例を見ないほどです。

しかし、2011年の東日本大震災で三陸沿岸地域は多くの建物や町並みを失うと同時に、こうした「文化」「芸能」といった形のないものもダメージを受けました。芸能団体も、道具が流され、メンバーを失い、自然や社寺といった芸能を捧げる対象すらも失いました。

そこで、震災からの「文化・芸術による復興」を目的に始まったのがこの芸術祭。開催に至るまでには多くの試行錯誤や準備段階を経て、ようやく今の形にコンセプトや方向性が定まってきたと言います。

東日本大震災では全団体が被災するも、再び結束。矢車、跳虎、笹喰み、甚句踊り、手踊りなどで構成される「虎舞」(大槌町)。

テンポが速く敏捷活発、独特の「ぶっこみ」(打ち込み)や、役踊り、礼踊り、先祖供養の回向などがある「笹崎鹿踊り」(大船渡市)。

三陸国際芸術祭芸能は、かっこいい。三陸の若者が継ぐ理由とは。

本芸術祭のプロデューサーを務める佐東範一氏は、NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワークの代表です。震災で被害を受けた東北の地において、「文化・芸術で何かできることはないか」と思案した佐東氏は、2011年5月、ダンスアーティストを募り、被災地の人々の心身をほぐすため「復興支援プロジェクトーからだをほぐせば、こころもほぐれるー」と銘打った体操のワークショップイベントを行いました。

しかし佐東氏は「支援する側」と「支援される側」という関係性が構築されることにジレンマを抱いたと言います。むしろ、滞在するうちに、三陸には自分たちの想像をはるかに超える優れた踊りや歌などの郷土芸能が数多く残り、人々が息を吸うように自然に、その文化を受け入れていることを目の当たりにしました。

こうした地域では、若者も子供の頃から地元の郷土芸能に参加していると言います。なぜ踊るのか、と佐東氏が尋ねたところ、返ってきたのは「かっこいいから」という言葉。もはや彼らにとって伝統芸能は常にそばにあり、自然発生的に受け継ぐべき文化として認識しているのです。また大人でも、普段は漁師だったり、農家だったりと、特に神職ではない地元の人でも、踊りや歌と向き合う時は全身全霊で臨みます。生命や神への畏敬、弔い、供養の気持ちを、集落に伝わる音色や言葉をもって表現する。その力強く神々しいさまは、憑依でもあり、祈りです。「世界の中でもこれほど地域によって芸能が分かれているのは日本ぐらいではないでしょうか。特に三陸地域はそれが顕著で、東南アジアに同じような地域が見られます」と佐東氏は話します。

「伝統芸能の魅力を世界へ伝えたい」と語る佐東氏。

オープニングでは振付家でダンサーの中村蓉氏による現代ダンスのパフォーマンスも行われた。

三陸国際芸術祭まずは盆踊りを習うことから始まった。

身体表現に取り組む者として、この三陸には自分たちが学ぶべきことが数多くある。そう考えたことから、2013年、まずは地元の盆踊りをコンテンポラリーダンサーや制作者ともに踊る「習いに行くぜ!東北へ!!」プロジェクトをスタートしました。その2か月後には第二弾を実施。金津流浦浜獅子躍、末崎七福神(大船渡市)、金澤神楽(大槌町)、小府金神楽(住田町)、小鯖神止り七福神、浜甚句(気仙沼市)といった郷土芸能を学び、ダンサーのセシリア・マクファーレン氏は「踊りを習っただけでなく、日本の有り方や歴史をも習った」と感想を述べています。

そうして、この優れた郷土芸能を日本国内、そして世界に発信しようと国際フェスティバルという形で始まったのが「三陸国際芸術祭2014」です。“世界の中の三陸”という位置づけで郷土芸能を発信し、国内外の人に向けて自分たちの文化を紹介する目的でリスタートを切りました。

大漁成就、海上安全を願う「末角神楽」をインドネシアのグループが体験する“交換芸能”も。

三陸国際芸術祭2019年度が開催中。“ジャティラン”も来る!?

そして2019年度は2月9日から開催されており、「宮古」「八戸」「大船渡」を主会場とするプログラムのほか、三陸広域でのアート・防災等の交流プログラム「三陸×アジア」など規模を拡大して繰り広げられています。

特に、今年の見どころはインドネシアの芸能ジャティラン2団体が三陸沿岸を巡り、各地の芸能と交流する「ジャティラン 三陸縦断の旅」。ジャティランとは、竹で編んだ馬を使う踊り手や仮面を被った踊り手による舞踏で、大槌町の伝統芸能「虎舞」などと似ていると言われています。このジャティラングループが三陸沿岸7市町村を南下し、地元の芸能団体や子供たちと触れ合います。

「三陸海鮮弁当」を味わいながらジャティランのレクチャーを体験できる「三陸芸能列車」。今年初めてモデル企画として実施。

商家・東屋の旧酒蔵では、川内鹿踊のドキュメンタリー映画『鹿踊りだぢゃい』の上映やインドネシア舞踊が行われた。

三陸国際芸術祭これから芸術祭後半。観て、踊って、触れ合って。

3月以降にも多彩なイベントがあります。大船渡の駅前商店街のさまざまな場所を“劇場”と見立て、地元やインドネシアの芸能、そして現代ダンスなどを上演する「大船渡駅前劇場」や、地域の人々に街の記憶を聞きながら歩く「語り部+まち歩きツアー」、酒場でダンスやパフォーマンスを観ながらダンサーや参加者が語り合う「大交流会」などなど。まだまだ盛り上がりを見せそうです。

「かつて日本は、世界に例を見ないほどの文化大国だったと思うんです。これまでコンテンポラリーダンスは、どちらかと言うと欧米を見てきた。しかし、自分たちの足もとにこんな文化が眠っていたことを、震災が気付かせてくれたと言っても良いでしょう。郷土芸能とコンテンポラリーダンスをつなげることで、人々の内に宿る『芸能』を未来へ受け渡していく、そんな下地を作れるような芸術祭にしていきたいです」と佐東氏。
三陸にはまだ知らない文化が眠っている。それは自分達の住むまちにもかつてあったものである。この芸術祭は、そんな日本の宝に気付かせ、郷土を誇る気持ちを呼び起こしてくれることでしょう。

インドネシアのジャティランが鉄道の中で披露されたのは後にも先にも初めてである。

旧酒蔵で演舞された「川内鹿踊り」は、旧川井村から出たことのない貴重な芸能だという。

開催期間:2019年2月9日(土)~3月24日(日)
開催場所:八戸市、階上町(青森県)、久慈市、田野畑村、宮古市、大槌町、大船渡市、住田町、陸前高田市(岩手県)、気仙沼市(宮城県)
料金:イベントにより異なる
三陸国際芸術祭 HP:https://sanfes.com/
写真提供:三陸国際芸術祭事務局

完成までは約1年半!時代を逆行する万年筆専門店が、世界の愛好家を鳥取へと導く。[万年筆博士/鳥取県鳥取市]

万年筆博士OVERVIEW

使い勝手に合わせた軸の長さ、重さ、重りの位置、ペンポイントの調整、素材、クリップやリングの位置……。数え上げればきりがないほど、とことん個人の趣味趣向に合わせて作られる万年筆。それこそがカスタムオーダーメイドで生み出される『万年筆博士』というショップの万年筆です。

鳥取駅からすぐの商店街に店を構える同店は、見た目はごく普通のステーショナリー専門店に見えることでしょう。ただし、一歩店に足を踏み入れると、どこか張り詰めた空気に違和感を覚えてしまうはずです。

店の中央には大きな接客用のテーブルが2つ、最奥には店主・山本 竜氏が1日の大半を過ごす工房が設えられているのです。もちろん、ショーケースには国内外の有名ブランドの万年筆やボールペンも置かれてはいるのですが、基本的には山本氏とじっくり話し合い、カウンセリングを受けて商品をオーダーするのがこの店の流儀。なんと訪れるゲストの95%以上が、店には並べられていない、山本氏が生み出す万年筆を求めて足を運ぶのです。

現在、海外からの受注は50%を超え、なんと商品の受け渡しまで約1年半待ち。筆を走らせると、まるで何十年も時間をともにしてきた相棒のように、しっくりとなじむ書き味は、唯一無二の存在として多くの文筆家を虜にしているといわれています。

鳥取という場所で、類まれなる万年筆で勝負し続ける専門店。山本氏が筆跡、書き癖などをカルテに起こし、手作りする至高の万年筆。世界中から愛好家を引き寄せる、その魅力を取材させて頂きました。

住所:〒680-0831 鳥取県鳥取市栄町605 MAP
万年筆博士 HP:https://fp-hakase.com/

「スノーリゾートに色鮮やかな花火」。[苗場冬花火/新潟県南魚沼郡]

色鮮やかな花火を使用したスターマイン。

苗場冬花火海外からのお客様で賑わう日本のスキー場。

近年日本ではインバウンドツーリズムに力を入れていますが、その努力があってか海外からのお客さまが大挙して押し寄せている場所があるといいます。それは日本各地のスキー場だそうです。スキーやスノーボードを楽しまれる訪日客ももちろん多いのですが、それだけではないようです。ではなぜスキー場が賑わいを見せているのか?それは「雪を見る」というお客さまだそうです。雪の降らない国々から雪を見るために日本を訪れているのだそうです。

各スキー場ではそんな訪日客のみなさんに楽しんでもらうべく様々な工夫をされています。スキーやスノーボードは敷居が高いという方にも手軽に雪と触れ合っていただける雪遊び。例えば雪だるま作りや雪合戦などです。雪はお土産として持って帰ることは出来ませんが見て触れて感じていただく体験に価値を見出すことに適しているのだと思います。そんなスキー場で昨今増えてきているのが冬花火です。白銀のゲレンデを鮮やかに染める美しい花火。ぜひ訪日客のみなさんにもそして日本のみなさんにもご覧いただきたい花火です。

苗場冬花火は苗場スキー場で開催されます。

苗場冬花火炎色反応で美しい色を表現。

苗場スキー場の冬の花火の特徴の一つとして花火と観覧場所の距離が近いことが挙げられます。更にスキー場という立地のため傾斜がありホテル上層階の窓から観覧すれば花火が目の前に打ち上がってくるような感覚を体験できるのではないでしょうか。3/16開催の苗場冬花火は三ヶ所から打ち上がり、時には一ヶ所からゆったりと丁寧に、時には三ヶ所同時にワイド感たっぷりに豪華に打ち上げられます。スターマインを中心に展開されますのでテンポの良い楽しく華やかな印象の花火です。打ち上げを担当されているのは球屋北原煙火店さんです。

真っ白な雪を幻想的に染め上げながら打ち上がる色鮮やかな花火たち。この美しい色は金属などを炎の中に入れると金属元素特有の色を出す炎色反応の原理で発色しています。例えば昔ながらの和火といわれる深いオレンジ色の花火は硝酸カリウム。これは線香花火の色と同じです。また、赤(花火では紅と表現します)はストロンチウム化合物、緑は硫酸バリウム、黄色はナトリウム、青は酸化銅などが代表的な物になります。もちろんその他にも様々な金属や薬剤が煙火店ごとに違う独自の配合で調合されています。近年ではパステルカラーやレインボーカラーなど色の開発はとどまることを知りません。更に年々明るく進化していると感じています。

エンディングは錦冠菊花火が3ヶ所から打ち上がりました。

苗場冬花火今冬で計23回の花火打上。

巨大なリゾート施設で贅沢なひと時を過ごせる苗場スキー場では今回ご紹介した「苗場冬花火」の日以外にも規模の差こそあれ今冬で計23回の花火打上が行われています。機会があればぜひ訪れてみてください。広大な駐車場も完備されていますのでお車でも安心です。もちろん事前に道路状況を十分ご確認いただき雪対策万全でお出かけいただくことをオススメします。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

場所:〒949-6292 新潟県南魚沼郡湯沢町三国 MAP
日時:3月16日(土)

その他:2月【全6回】2(土),5(火),9(土),10(日),16(土),23(土)
    3月【全4回】2(土),9(土),23(土),30(土)
苗場冬花火 HP:http://www2.princehotels.co.jp/ski/naeba/event/detail_hanabi_taimatsu.html/

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

「泊まれる酒蔵」で日本酒の世界に酔いしれる。[NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち/奈良県奈良市]

「本当に良いお酒をたくさんの人々に楽しんでもらいたい」という蔵元の想いを体現。

NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち趣ある酒蔵を1棟まるごと宿に改装!

人生の大きな楽しみのひとつに、お酒を位置づけている人は多いかもしれません。日常でも旅でも、良きお酒は心と身体を潤わせてくれます。

そんなお酒の世界を満喫できる宿が、日本酒発祥の地・奈良にオープンしました。
その名は『NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち』。創業150年の歴史を誇る『奈良豊澤酒造』の酒蔵を、洗練されたしつらえにリノベーション。お酒と古都の魅力に酔いしれることができる宿として、2018年11月に歩み始めました。

奈良は、米による酒造りが始まった地だと伝えられています。中でも元興寺(がんごうじ)の旧境内、江戸から大正期の街並みが残る『ならまち』には、春日大社から流れ出る水脈に沿って多くの酒蔵が立ち並んでいました。
『NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち』のベースとなったのは、そんな酒蔵のひとつ。今も手造りの酒造りにこだわり続ける蔵元の想いを受け継いで、様々な日本酒の愉しみ方を提案しています。

 
▶その他のNIPPONIA HOTELは、篠山城下町ホテル NIPPONIA/江戸時代から続く城下町が「ひとつのホテル」になった!

全8室ある客室は、いずれも酒蔵の造りを生かした個性的なしつらえ(客室名:HINOTO 101)。

NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち平城京の外宮として栄えた『ならまち』の酒蔵に泊まる喜び。

『NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち』の魅力は、とことん「お酒」にこだわった造りとシチュエーションです。
明治時代に造られた酒蔵を改装した客室は、一つひとつが異なる趣。歴史を重ねた風合いを残しながらも、現代的な快適さを追求しています。

例えば『HINOTO 101』は、重厚な漆喰(しっくい)の扉にまず圧倒されます。さらに木製のはしごで昇るロフトのベッドルームや、もともと設置されていた箪笥(たんす)などのインテリアも、非常に風情を醸しています。
他にも米蔵の梁や天井をそのまま残した『KANOE 105』、2部屋の続き間が離れとなっている『KINOTO 106』など、いずれも確かな個性を放っています。
なお、2階建てのうち、1階の全室には檜風呂を併設。要予約・無料の「酒粕の巾着」を浸せば、美容と健康に良い『酒粕風呂』が楽しめます。

「現代の名工」に選ばれた杜氏が醸す『奈良豊澤酒造』の日本酒は、東大寺や春日大社をはじめ多くの寺社に奉納されている。

茶室と水屋の意匠を生かした客室『KANOTO 108』。

往時のままの欄間や、縁側から望める通り庭に癒される『KINOE 103』。

NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち奈良の美酒と美食を堪能。

とことんお酒にこだわる『NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち』は、食においてもお酒との相性を追求しています。併設の『レストラン源郷』では、搾りたての日本酒や朝どれの日本酒、ここでしか味わえない限定の地酒など、希少な日本酒と料理とのペアリングが楽しめます。

関西フレンチ界の巨匠・石井之悠(いしい・しゅう)氏を監修として迎えたメニューは、奈良の食材を生かしたフルコースフレンチ。それなのに一品一品が日本酒と絶妙にマッチするという、計算し尽くされたマリアージュを奏でています。

大きなシェフズカウンターに座って、目の前で調理された料理を味わうというライヴ感も魅力。大和野菜や大和牛など、奈良の豊かな食材をモダンなアレンジで堪能できます。
なお、お子様向けのコースやワンプレート料理もご用意。ご家族でも安心して宿泊できます。

目にも美味しいフレンチは、奈良の素材をフルコースで提供。

一品一品がお酒との相性を考え抜かれている。

土間だった場所を梁や天井をそのままにリノベーションしたレストラン。吹き抜けのような開放感がある。

NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち建物が最も輝いていた時代の趣や風情を取り戻す。

『NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち』は、日本全国に展開しつつある『NIPPONIA』プロジェクトの一翼です。『NIPPONIA』とは、全国各地に残る古民家を、その歴史性を尊重しながらリノベーションした上で、土地ごとの文化や歴史を実感できる施設として再生していく取り組み。地域の歴史や食に溶け込む新たな旅が体験できます。

歴史的な建築物を、可能な限り姿を保ちながら活用していこうというプロジェクト。『NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち』も、もちろんこのポリシーを継承しています。奈良の伝統的な町家造りを生かしながら、当時の生活を感じられるように仕上げ、手を加えた部分も原状回復できるように心がけています。

空き家となってしまった古民家を、時代の空気とともに再生。

NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまちタイムスリップしたかのような街で、奈良と日本の歴史を体感。

建物の周辺には、世界遺産などの名所旧跡が目白押し。徒歩圏内に多くの観光スポットがあるので、そぞろ歩きも楽しめます。

著名な興福寺をはじめとするお寺を巡るのもよし。奈良公園とその周辺スポットや、美術館や博物館を巡るのもよし。観光のコンシェルジュも務めてくれるスタッフが、見所を教えてくれます。

「奈良の有名スポットには行き尽くした」というリピーターなら、『奈良町資料館』や『奈良町にぎわいの家』といった、往時の暮らしと文化を体感できる施設がお勧め。もちろん施設内でゆったり過ごすのもよしで、様々な滞在を楽しめます。

奈良の中心部にあり、利便性は抜群。

館内の景趣に浸ってゆったり過ごすのもよし。

NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち見逃せない、オープン記念のお得なキャンペーン。

現在『NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち』では、オープン記念としてお得なキャンペーンを実施しています。様々な宿泊プランが全日程で30%OFFになるなど、見逃せない充実ぶり。この機会にぜひ訪れてみたいものです(予約受付期間:2019年2月27日まで)。

更に、今後も日本酒への造詣を深められるプランや、街の人との共同ワークショップなどを企画。日本酒についての「学び」の機会を提供し、奈良ならではの日本酒にまつわるアクティビティを増やしていきます。
とことん日本酒にこだわる「泊まれる酒蔵」。日本酒に触れ・味わい・体験できる場として、お酒好きの人々をいざなってくれます。

奈良と日本酒との深い繋がりを知り、実感できる場。

住所:奈良県奈良市西城戸町4 MAP
電話:0120-210-289(NIPPONIA 総合窓口 11:00~20:00)
料金:2名1室利用時/ 1泊2食付28,000円~(税・サービス料別)
お料理:ランチ/ 5,000円~(税別)
ディナー/10,000円~(税・サービス料別)
写真提供:NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち
NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち HP:https://www.naramachistay.com/

ついにベールを脱いだ奇跡の酒・『加温熟成解脱酒』。試飲会場を包んだ驚嘆の声の理由とは。[加温熟成解脱酒/秋田県秋田市]

パリの地で高い評価を得る加温熟成解脱酒が、いよいよ日本でも話題に。

加温熟成解脱酒フランスを席巻した酒が、いよいよ日本で本格展開。

高清水で知られる秋田の酒蔵『秋田酒類製造株式会社』が世に送り出した『加温熟成解脱酒』。それは熟成に伴う深い香りを持ちながら、同時にフレッシュな味わいも併せ持つ奇跡の酒。『ONESTORY』はそのポテンシャルに惹かれ、繰り返し記事でご紹介してきました。

数々のソムリエを虜にし、一足先に届けられたフランスでは名だたるスターシェフの称賛を浴びたこの酒が、日本でもついに本格展開が開始されました。

そしてそんな『加温熟成解脱酒』のポテンシャルをいち早く見抜いた人物がいました。その人物こそ、外苑前『An Di』のオーナーソムリエ・大越基裕氏。名店『銀座レカン』のソムリエとして活躍した後、フランスに渡り栽培と醸造を学び、帰国後はワインテイスター、ワインディレクターとしても活躍する、日本を代表するこのスーパーソムリエです。

「熟成酒特有のメイラード反応の甘やかさとフレッシュさの共存。これが第一印象です。香りは冷やすと弱まります。しかしこの酒は元の香りがしっかりしているため減退が少ない。また冷しても酸味は強くならず甘みと、いいバランスが保たれます。そしてピュアな香りはよりその個性を強調します。このような甘さ、香り、そして酸のバランスでできる世界観をお伝えしたい」と大越氏。

そうして『加温熟成解脱酒』に魅せられた大越氏が、その魅力を伝えるべく考えたのが、料理とのマリアージュを楽しむテイスティングイベント。そして去る2019年1月、都内の『An Di』にて、メディア関係者、フードジャーナリスト、フーディなどをゲストに迎えた試飲会が開催されました。その模様と、会場を包んだ歓声の理由を余すところなくお伝えします。

▶詳細は、加温熟成解脱酒/パリで話題! ベールを脱いだ『加温熟成解脱酒』という新たなる日本酒の挑戦。

『An Di』のソムリエ大越氏とシェフ内藤氏。細やかな計算で驚きのマリアージュを見せてくれた。

加温熟成解脱酒温度に着目し、酒のポテンシャルを引き出す。

イベントはナビ―ゲータを務める『An Di』シェフソムリエ・大越基裕氏の挨拶で幕を開けました。『An Di』のシェフ・内藤千博氏の料理3品と『加温熟成解脱酒』のマリアージュを楽しむこと、それが今回の試飲会の骨子です。しかし、ただ料理と酒を合わせるだけではありません。大越氏が着目したのは、酒の温度。温度帯により実に多様な表情を見せる『加温熟成解脱酒』の持ち味を、料理と合わせることでいっそう明確に際立てることを狙ったのです。

最初に届けられた『加温熟成解脱酒』は7度。ワイングラスに注がれた深い琥珀色の液体は、まごうことなき熟成酒に見えます。大越氏は料理と合わせる前に、まず一口、この酒を味わうことを勧めました。そして、しばしの沈黙。やがて会場にはざわめきが広がります。
見た目の印象、つまり熟成酒のずっしりとした重さとは無縁の、フレッシュで軽やかな味わい。しかし鼻に抜ける香りには、確かに熟成酒特有の複雑な深みが備わっているのです。

「従来のどんな日本酒とも違います」日本酒専門メディア『SAKETIMES』編集長・小池 潤氏は言いました。「一般的に酒は熟成すれば複雑味が増し、それにつれて重厚感が出るもの。しかしこの酒は複雑味がありながら、軽やかな飲みごたえ。つまり相反する要素が共存しているのです」

合わせてサーブされた料理は『An Di』の人気料理でもある生春巻き。今回は煮穴子やジャバラみかん、パイナップルなど多彩な要素を潜ませ、タマリンドのソースを合わせました。大越氏と内藤シェフが繰り返し話し合い、導き出した冷やの『加温熟成解脱酒』に合わせる最適解です。

「この酒は少し冷やすことで甘さのバランスがとても良く、フレッシュな味わいが楽しめますから野菜との相性は間違いありません。しかし元の香りがしっかりしているため、冷やしてもその香りは失われない。そこでフレッシュな野菜の中に穴子を加えることで、酒との距離感を縮めることを目指しました」大越氏の明快な解説により、料理と酒の相性もいっそう明らかになります。会場のあちこちから、このマリアージュを称賛する声があがりました。

「本当に日本酒なの?という印象。新しい味、新しいジャンル」とは『JAPAN CRAFT SAKE COMPANY』のレベッカ・ウィルソンライ氏の言葉。「素晴らしいお酒ですね。各国の料理と合わせるアイデアがいろいろ浮かびます」と、早くもその可能性を見出した様子でした。

経験豊かなソムリエの視点で、『加温熟成解脱酒』の魅力を伝えた大越氏。

「穴子の生春巻き」煮穴子の甘み、野菜のフレッシュ感などが冷やした解脱酒に寄り添った。

『SAKETIMES』の小池編集長の豊富な知見をして「未知なる酒」と言わしめた。

「ポテンシャルのあるお酒が飲めてうれしい!」と率直な感想を伝えてくれたレベッカ氏。

加温熟成解脱酒最高のバランスを持つ、『加温熟成解脱酒』の最適温度。

しかし驚くのはこれから。続いては36~38度のぬる燗の酒が登場しました。「単体で飲むならば、この温度が間違いなく一番」大越氏がそう言い切る、『加温熟成解脱酒』の最適温度です。「温度を上げると香りが際立ちますが、酸も立ちます。その香りと味わいのバランスがベストになるのが、この人肌の温度です」大越氏の言葉通り、キャラメルやハチミツのような香りと、口当たりの柔らかいテクスチャーが絶妙な塩梅で交差します。

そのテクスチャーを見抜いて内藤氏が仕立てたのは「イカのソテー」。繊細な包丁で柔らかく仕上げたアオリイカは酒と絶妙に共鳴し、添えられた柑橘の香りが酒の酸味に寄り添います。アクセントとして皿に散らしたアニス、キャラウェイの香りも、酒のフレーバーに呼応しました。「1皿目がフレッシュ感を軸に合わせたのに対し、この2皿目はテクスチャーで寄り添わせました」と大越氏。

単体で最高の飲み心地となる酒に、テクスチャー側から寄り添わせる料理。その緻密な計算にゲストは心奪われた様子。「不思議なお酒、という印象です。熟成香とフルーティさ、つまり現在と未来という時間が同時にある。タイムスリップを体験したような気持ちです」フリーアナウンサーの近藤淳子氏は、そんな素敵な言葉で感想を伝えてくれました。

フレンチとエスニックの要素が詰まった「イカのソテー」。ぬる燗の解脱酒とともに。

独特の観点で解脱酒の魅力を伝えたフリーアナウンサーの近藤氏。

会場には『加温熟成解脱酒』の開発者も訪れ、その様子を見守った。

加温熟成解脱酒上燗でいっそう際立つ、『加温熟成解脱酒』の香りと酸。

フレッシュ感とテクスチャー。異なる視点からマリアージュを提案した大越氏が最後の1皿で目指したのは「油と酸による呼応」。そう言って大越氏が準備した酒は45度ほどの上燗、そして料理は黒ニンニクを添えた「鴨胸肉のロースト」。「温度を上げることで出る強いキャラメル香、強い酸、そして深い香り。そこを後押しするために、構成要素を同じにする料理を合わせました」

「炭で皮目を焼ききった鴨の重厚感。添えた黒ニンニクは熟成させることで、臭みはなくフルーティな味わいに。周囲にハチミツ漬けのキンモクセイとベトナムのショウガの甘酢漬けを散らし、清涼感と複雑なニュアンスを加えています」フレンチ出身の内藤氏が醸す重層的な味わいが、複雑味のある『加温熟成解脱酒』と共鳴し、高め合ったのです。

鴨の脂を洗い流すようなしっかりとした酸。黒ニンニクにも負けない強い香り。複雑な料理の甘みと寄り添うキャラメル香。上燗にした『加温熟成解脱酒』の持つすべての要素を、ひとつひとつ塗りつぶすような料理。その緻密な計算により生まれた、圧巻の調和でした。

2018年『ミス日本酒』の須藤亜紗実氏も「従来の日本酒の概念に収まらない味」と驚きを隠せない様子。「温度の違い、合わせるお料理によって見せる表情の変化があまりに幅広く、印象的でした」と伝えてくれました。

「鴨胸肉のロースト」。温めた解脱酒が放つ明確な存在感に負けぬ重厚な味わい。

内藤氏はフレンチの名店『レフェルヴェソンス』出身。フランスとベトナムの接点を探り、独自の料理を生み出す。

香り、酸、味わい、甘み。温度により実に多彩な表情を見せる『加温熟成解脱酒』。

「日本酒の新たな可能性を感じることができました」とミス日本酒の須藤氏。

加温熟成解脱酒日本酒のこれからを担う、新たなジャンルの酒。

フレッシュな冷や、バランスの良いぬる燗、力強い上燗。異なる温度帯で、『加温熟成解脱酒』の可能性を味わい尽くした試飲会。「フレッシュだけどシンプルではない。ここまで味をクリーンにして、ここまでの香りを出せる日本酒はいままで見たことがありません。新しい味のスタイル、新しい世界観です」大越氏はこの酒を、そう総括しました。

参加したゲストも同様に、日本酒の新たなステージを感じた様子。「最初は酒精強化ワインに近いニュアンスかな、と感じました。しかし味わうほどに、より軽く、よりすっきりしている。日本酒という範疇を飛び越える、新しいジャンルのお酒だと思います」コラムニストの中村孝則氏はそう話しました。「新しい発見です。温度感による酸味のバリエーションが多彩。酸味の面からみても、さまざまな料理と合わせられるポテンシャルがありそうです」とは『ヒトサラ』編集長・小西克博氏。『料理通信』編集主幹・君島佐和子氏は「絶妙なバランスの上に成り立つ異なる要素の共存。技の酒、という印象です。シルクやカシミアのような、柔らかく滑らかで温かい、そんな感触が心地よかったです」と称賛を寄せました。

『秋田酒類製造株式会社』の平川順一社長も「このイベントを通して、日本酒の未来が見えてきました。本当にうれしく思います」と顔をほころばせました。複雑な深みとフレッシュ感。対極にある要素がバランスよく調和するまったく新たな酒。これからの日本酒の未来を切り拓く、見逃せない酒となることでしょう。


(supported by  秋田酒類製造株式会社)

「軽やかだけど、軽いわけではない。かなり高度な酒ですね」と『料理通信』君島氏。

海外の食事情にも詳しい『ヒトサラ』小西編集長は、『加温熟成解脱酒』と各国料理との相性にも大小判。

ワインに造詣が深いコラムニスト・中村氏は『加温熟成解脱酒』を「新たなジャンルの酒」と言い切った。

会場の熱気を肌で感じ「新たな世界の入り口に立った」と平川社長。『加温熟成解脱酒』のさらなる発展を目指す。

1976年、北海道生まれ。国際ソムリエ協会  インターナショナルA.S.Iソムリエ・ディプロマ。2013年6月、ワインテイスター/ワインディレクターとして独立。世界各国を回りながら、最新情報をもとにコンサルタント、講師や講演、執筆などもこなしてワインの本質を伝え続けている。ワインだけでなく、日本酒、焼酎にも精通しており、ワインと日本酒を組み合わせた食事とのマリアージュにも定評がある。

住所:東京都渋谷区神宮前3-42-12 1F MAP
電話:03-6447-5447
An Di HP:http://andivietnamese.com/

住所:〒010-0934 秋田県秋田市川元むつみ町4-12 MAP
電話:018-864-7331
秋田酒類製造株式会社 HP:http://www.takashimizu.co.jp/

2人のキーマンが振り返る『DINING OUT』史上最も神聖な地を舞台に繰り広げられた幻の晩餐。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

ダイニングアウト琉球 南城

2018年11月、琉球はじまりの地と言い伝えられる沖縄県南城市で開催された『DINING OUT RYUKYU - NANJO with LEXUS』。

琉球神話の中では、はるか昔、「アマミキヨ」という女神が海の向こうの理想郷といわれた神の国「ニライカナイ」からやってきて琉球の島々や祈りの場「御嶽(うたき)」を創り、南城市の離島・久高島に降り立ったと伝えられています。 今なお「神の島」と呼ばれる久高島は、琉球王朝時代に国王が巡礼した島で、現代までその信仰と伝統が守られてきた沖縄で最も神聖な場所です。そして、沖縄の人々の生活や心にはいつも、神への祈りと、大自然への感謝があります。

そんな生命の起源でもあり、琉球を創成した「アマミキヨ」のゆかりの地で開催された今回の『DINING OUT』のテーマは、「Origin いのちへの感謝と祈り」。

このテーマに挑んだのは、『DINING OUT』初の女性シェフとなる志摩観光ホテル樋口宏江氏。2016年5月に行われた伊勢志摩サミットで、各国の首相陣をうならせる料理を提供し話題になりました。伊勢神宮のお膝元で地元の食材を深く探求してきた樋口シェフと、沖縄の神に対する祈りの精神性や食文化が見事マッチングしたフルコースは、ゲストを感動へと導きました。

そしてホスト役は、「世界のベストレストラン50」の日本評議委員長を務める中村孝則氏が登場。沖縄独特の文化や歴史背景を多岐に渡る深い知識で伝え、料理とドリンクの解説まで二夜のプレミアムな時間を彩りました。

日本最後の聖域といっても過言ではない土地で、「祈りと感謝」の神秘的な饗宴を2人のキーマンの言葉で振り返ります。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU - NANJO with LEXUS

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテル HP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、TVにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を授勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士の称号も授勲。(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称) 2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/

北国らしいライフスタイルや大地の恵みをバッグに詰め込んで。[KEETS/北海道札幌市]

北海道に根差したバッグブランド『KEETS』の後藤氏。

キイツ

北海道の一大都市として賑わう札幌市。その中心部からほど近い場所にありながらも、緑豊かでのどかな雰囲気が漂う宮の森円山地区の一角に、北海道らしさを追求するバッグブランド『KEETS』のアトリエショップが佇んでいます。前編では代表の後藤 晃氏に、『KEETS』のオリジナリティとものづくりのこだわりについて聞きました。

アトリエショップは、お洒落な看板が目印。

キイツ追い求めたのは、北海道のメーカーならではのものづくり。

2015年に誕生したバッグブランド『KEETS』。北海道で生まれ育った後藤氏が、北海道ならではのものづくりを追求し、企画、デザインから製造まで、自ら手がけたバッグを展開しています。レザーと帆布を中心に様々な種類のバッグがありますが、一貫してかかげるコンセプトは、「シンプル・ミニマル・ユニーク」です。

「北国の暮らしは、ひと言で表現するならシンプル、ミニマルという言葉が似合うと思っていて。だから、自分のものづくりもシンプルに、ミニマルに。意味のない装飾などは施さず、余計なものを削ぎ落とした必要最小限のデザインでありながら、それでいて安っぽくないこと。そしてしっかりと機能性が高く、使い勝手が良いことを大切にしています。その上で、少しの遊び心、ユニークさを加えているんです」と後藤氏は話します。

更に、一部のバッグのパーツには、北海道産の木材やエゾシカ革などを採用。北海道の暮らしにも通じるコンセプトと、北海道の大地で育まれた素材をかけ合わせることで、「らしさ」溢れるオリジナルのプロダクトを生み出しているのです。

トートバッグやリュックサックなど、様々なバッグが並ぶ。

全てショップ併設のアトリエにて作られている。

キイツ北海道産の素材が織り成す、軽くて丈夫なリュック。

『KEETS』の代表的なアイテムのひとつが、リュックサックの『WAKKO』。ボディには、北海道に生息する野生のエゾシカの革が使われています。エゾシカ革は、軽量で柔らかい上、耐久性の高さが特長。近年、繁殖しすぎて駆除対象となっているエゾシカですが、こうした優れた点が生かされ、新たな命が吹き込まれているのです。

また、各部の留め具には、北海道産のナラ材(どんぐりの木)から切り出した、オリジナルの木製パーツを使用。ナラ材は家具にも使用される、堅く丈夫な木材です。北海道旭川市の木工職人の手で丁寧に仕上げられており、使い続けることで自然な風合いの変化も楽しめます。ちなみに、フロントには大きなリングがついていますが、こうした輪の形状のものを、北海道地方の方言では「ワッコ(輪っこ)」というそうです。商品名の『WAKKO』は、これに由来しています。

「レザーのリュックサックというと重くなりがちですが、『WAKKO』は軽さが魅力のエゾシカ革を採用し、金具よりも軽い木製パーツを使っているため、手に取るとその軽さに驚かれることも多いです。しかもそれぞれの素材が丈夫なので、耐久性も十分。実は『WAKKO』は、息子が1歳になる記念に考案したものなのですが、最終的に子供から大人まで、ずっと使える、一緒に使えるリュックサックに仕上がっています」と後藤氏。

というのも、ベルト部分は簡単に取り換えられる仕様。別売りの短いベルトをつければ子供用、長いベルトをつければ大人用として使うことができるのです。更に、ベルトを1本取り外すことで、斜め掛けのメッセンジャーバッグにアレンジすることも可能。『WAKKO』には、実に様々な魅力が詰まっています。

全体に約1頭分のエゾシカ革を使用しています。

野性味溢れるエゾシカ革の中で、良質な部分を厳選。

象徴的な「ワッコ(輪っこ)」をはじめ、パーツはナラ材。

キイツシンプルながらもさりげない遊び心が溢れるトートバッグ。

もうひとつ、『KEETS』の代表格となっているのが、「シンプルな布バッグを作りたい」という思いから生まれた、『WALTON Tote』。こちらは、ボディに岡山県倉敷産の帆布、ハンドルなどにはイタリア産の牛革が使われています。厚手でハリがあり、耐久性に優れた倉敷帆布をベースに、負荷のかかる部分は何重にも縫製。さらに厚手の底板と5個の底鋲(そこびょう)を加えることで、丈夫で長持ちするトートバッグとなっています。

そして、中を開くと外見とのギャップに驚き。中生地には、北海道の冬景色をイメージしたオリジナルプリントが施されているのです。プリントされている北海道の山には、なじみ深いカラマツの森に、よく見るとキタキツネやエゾシカが隠れています。「カラマツは、針葉樹でありながら落葉する珍しい木。冬には枝に雪が積もり、綺麗な雪花を咲かせます。その光景がとても美しく北海道らしいなと思い、中生地で再現しました」と話す後藤氏。

更に、附属のチャームもユニーク。北国の贈り物の定番「新巻鮭(あらまきじゃけ)」をかたどったチャームです。後藤氏曰く、「シャケ特有の遡上は、努力の象徴であるとされていて。運気を上向きにする縁起物という意味でも、このシャケのチャームをつけています」。
一見とてもシンプルながら、しっかりとした機能性と、遊び心が見え隠れする。それが『WALTON Tote』なのです。

ブランド名も入り、『KEETS』のアイコン的存在。

カラー展開は生成りやブラック、ネイビーなど全10色。

表とは裏腹に、オリジナルプリントが施された中生地。

点在する森の動物に、思わず笑みがこぼれます。

革製のシャケのチャームは、一つずつアトリエで製作。

キイツトレンドのサコッシュバッグも、『KEETS』らしい提案で。

一方、最近では『WALTON Tote』から派生した、新たなアイテムが人気を博しています。それが『WALTON Sacoche』。トレンドのサコッシュバッグです。トートバッグと同じく、ボディは倉敷帆布。ユニークな中生地とチャームも同様です。

「ちょうど流行り始めるタイミングでサコッシュのことを知り、自分でも作ってみようと思い開発しました。必要最低限の荷物が入る、無駄なくコンパクトなサイズ感と、背中や脇腹に密着する動きやすさ、軽さにこだわっています」と後藤氏が話すとおり、サッと肩にかけて出かけられる手軽さ、便利さが備わっています。
また、全30色の豊富なカラーバリエーションも魅力。スタンダードな生成りやブラックなら洋服を選びませんし、鮮やかなピンクやブルー、グリーンならコーディネイトのアクセントに。文字通り、色とりどりのものが揃う中から、好きな色を選べます。

ちなみに、別売りのベルトをつけ足すことで、長めのショルダーバッグとして利用することも可能。スタイルや気分に合わせて、ちょっとした変化も楽しめます。

大きすぎず小さすぎない、絶妙なサイズ感。

全30色の生地の中から、好きな色でオーダー可能。

高級感のあるエゾシカ革バージョンもお目見え。

長めのショルダーにも変化する2WAYも人気のポイント。

こちらも手軽に使える、新作の『ICHIYOUポシェット』。

キイツ新たな北海道産素材との出合いで生まれたポシェットも注目。

2018年冬、エゾシカ革、ナラ材に続く、北海道ならではの素材を使った新しいバッグが登場しました。サコッシュよりも更にコンパクトで軽量な『ICHIYOU ポシェット』です。使用されているのは、北海道の代表的な針葉樹のひとつ、アカエゾマツの枝葉で染めた、草木染め帆布。北海道釧路市のメーカーが手がけています。

「通常、間伐されたアカエゾマツは建材や製紙用チップなどに使われ、一部の枝や葉は精油した後、アロマオイルなどに利用されます。そして、精油後の残渣(ざんさ)は廃棄されます。そんな、本来捨てられるだけの残りかすを、染色に活用して生まれたのがこの布。だから“ICHIYOU”という名には、一つの葉も無駄にしないという想いが込められています」と後藤氏。自然の恵みを余すところなく生かしたバッグは、独特の風合いを醸し出し、コンパクトながらも印象的な存在。新しい表現として目を引いています。

次回の後編では、後藤氏の経歴やアトリエショップの様子、最新の取り組みなどを紹介します。

北海道紋別郡遠軽町生まれ。鞄職人。2009年に独学でレザークラフトを開始し、2013年には札幌市内にレザークラフトショップ『Atelier BARBUTO』をオープン。その後、新たなスタイルと環境を求めて宮の森円山地区に移転し、『KEETS』を立ち上げた。北海道産木材やエゾシカ革、帆布などの素材を使用し、北国の暮らしに通じる「シンプル・ミニマル・ユニーク」をキーワードとしたバッグを、一つひとつ丁寧に作り上げている。

住所:〒064-0944 北海道札幌市中央区円山西町1-3-7 MAP
電話:011-699-5360
営業時間:10:00~17:00
定休日:水曜(不定休あり)
KEETS HP:http://keets.co.jp/

北国らしいライフスタイルや大地の恵みをバッグに詰め込んで。[KEETS/北海道札幌市]

北海道に根差したバッグブランド『KEETS』の後藤氏。

キイツ

北海道の一大都市として賑わう札幌市。その中心部からほど近い場所にありながらも、緑豊かでのどかな雰囲気が漂う宮の森円山地区の一角に、北海道らしさを追求するバッグブランド『KEETS』のアトリエショップが佇んでいます。前編では代表の後藤 晃氏に、『KEETS』のオリジナリティとものづくりのこだわりについて聞きました。

アトリエショップは、お洒落な看板が目印。

キイツ追い求めたのは、北海道のメーカーならではのものづくり。

2015年に誕生したバッグブランド『KEETS』。北海道で生まれ育った後藤氏が、北海道ならではのものづくりを追求し、企画、デザインから製造まで、自ら手がけたバッグを展開しています。レザーと帆布を中心に様々な種類のバッグがありますが、一貫してかかげるコンセプトは、「シンプル・ミニマル・ユニーク」です。

「北国の暮らしは、ひと言で表現するならシンプル、ミニマルという言葉が似合うと思っていて。だから、自分のものづくりもシンプルに、ミニマルに。意味のない装飾などは施さず、余計なものを削ぎ落とした必要最小限のデザインでありながら、それでいて安っぽくないこと。そしてしっかりと機能性が高く、使い勝手が良いことを大切にしています。その上で、少しの遊び心、ユニークさを加えているんです」と後藤氏は話します。

更に、一部のバッグのパーツには、北海道産の木材やエゾシカ革などを採用。北海道の暮らしにも通じるコンセプトと、北海道の大地で育まれた素材をかけ合わせることで、「らしさ」溢れるオリジナルのプロダクトを生み出しているのです。

トートバッグやリュックサックなど、様々なバッグが並ぶ。

全てショップ併設のアトリエにて作られている。

キイツ北海道産の素材が織り成す、軽くて丈夫なリュック。

『KEETS』の代表的なアイテムのひとつが、リュックサックの『WAKKO』。ボディには、北海道に生息する野生のエゾシカの革が使われています。エゾシカ革は、軽量で柔らかい上、耐久性の高さが特長。近年、繁殖しすぎて駆除対象となっているエゾシカですが、こうした優れた点が生かされ、新たな命が吹き込まれているのです。

また、各部の留め具には、北海道産のナラ材(どんぐりの木)から切り出した、オリジナルの木製パーツを使用。ナラ材は家具にも使用される、堅く丈夫な木材です。北海道旭川市の木工職人の手で丁寧に仕上げられており、使い続けることで自然な風合いの変化も楽しめます。ちなみに、フロントには大きなリングがついていますが、こうした輪の形状のものを、北海道地方の方言では「ワッコ(輪っこ)」というそうです。商品名の『WAKKO』は、これに由来しています。

「レザーのリュックサックというと重くなりがちですが、『WAKKO』は軽さが魅力のエゾシカ革を採用し、金具よりも軽い木製パーツを使っているため、手に取るとその軽さに驚かれることも多いです。しかもそれぞれの素材が丈夫なので、耐久性も十分。実は『WAKKO』は、息子が1歳になる記念に考案したものなのですが、最終的に子供から大人まで、ずっと使える、一緒に使えるリュックサックに仕上がっています」と後藤氏。

というのも、ベルト部分は簡単に取り換えられる仕様。別売りの短いベルトをつければ子供用、長いベルトをつければ大人用として使うことができるのです。更に、ベルトを1本取り外すことで、斜め掛けのメッセンジャーバッグにアレンジすることも可能。『WAKKO』には、実に様々な魅力が詰まっています。

全体に約1頭分のエゾシカ革を使用しています。

野性味溢れるエゾシカ革の中で、良質な部分を厳選。

象徴的な「ワッコ(輪っこ)」をはじめ、パーツはナラ材。

キイツシンプルながらもさりげない遊び心が溢れるトートバッグ。

もうひとつ、『KEETS』の代表格となっているのが、「シンプルな布バッグを作りたい」という思いから生まれた、『WALTON Tote』。こちらは、ボディに岡山県倉敷産の帆布、ハンドルなどにはイタリア産の牛革が使われています。厚手でハリがあり、耐久性に優れた倉敷帆布をベースに、負荷のかかる部分は何重にも縫製。さらに厚手の底板と5個の底鋲(そこびょう)を加えることで、丈夫で長持ちするトートバッグとなっています。

そして、中を開くと外見とのギャップに驚き。中生地には、北海道の冬景色をイメージしたオリジナルプリントが施されているのです。プリントされている北海道の山には、なじみ深いカラマツの森に、よく見るとキタキツネやエゾシカが隠れています。「カラマツは、針葉樹でありながら落葉する珍しい木。冬には枝に雪が積もり、綺麗な雪花を咲かせます。その光景がとても美しく北海道らしいなと思い、中生地で再現しました」と話す後藤氏。

更に、附属のチャームもユニーク。北国の贈り物の定番「新巻鮭(あらまきじゃけ)」をかたどったチャームです。後藤氏曰く、「シャケ特有の遡上は、努力の象徴であるとされていて。運気を上向きにする縁起物という意味でも、このシャケのチャームをつけています」。
一見とてもシンプルながら、しっかりとした機能性と、遊び心が見え隠れする。それが『WALTON Tote』なのです。

ブランド名も入り、『KEETS』のアイコン的存在。

カラー展開は生成りやブラック、ネイビーなど全10色。

表とは裏腹に、オリジナルプリントが施された中生地。

点在する森の動物に、思わず笑みがこぼれます。

革製のシャケのチャームは、一つずつアトリエで製作。

キイツトレンドのサコッシュバッグも、『KEETS』らしい提案で。

一方、最近では『WALTON Tote』から派生した、新たなアイテムが人気を博しています。それが『WALTON Sacoche』。トレンドのサコッシュバッグです。トートバッグと同じく、ボディは倉敷帆布。ユニークな中生地とチャームも同様です。

「ちょうど流行り始めるタイミングでサコッシュのことを知り、自分でも作ってみようと思い開発しました。必要最低限の荷物が入る、無駄なくコンパクトなサイズ感と、背中や脇腹に密着する動きやすさ、軽さにこだわっています」と後藤氏が話すとおり、サッと肩にかけて出かけられる手軽さ、便利さが備わっています。
また、全30色の豊富なカラーバリエーションも魅力。スタンダードな生成りやブラックなら洋服を選びませんし、鮮やかなピンクやブルー、グリーンならコーディネイトのアクセントに。文字通り、色とりどりのものが揃う中から、好きな色を選べます。

ちなみに、別売りのベルトをつけ足すことで、長めのショルダーバッグとして利用することも可能。スタイルや気分に合わせて、ちょっとした変化も楽しめます。

大きすぎず小さすぎない、絶妙なサイズ感。

全30色の生地の中から、好きな色でオーダー可能。

高級感のあるエゾシカ革バージョンもお目見え。

長めのショルダーにも変化する2WAYも人気のポイント。

こちらも手軽に使える、新作の『ICHIYOUポシェット』。

キイツ新たな北海道産素材との出合いで生まれたポシェットも注目。

2018年冬、エゾシカ革、ナラ材に続く、北海道ならではの素材を使った新しいバッグが登場しました。サコッシュよりも更にコンパクトで軽量な『ICHIYOU ポシェット』です。使用されているのは、北海道の代表的な針葉樹のひとつ、アカエゾマツの枝葉で染めた、草木染め帆布。北海道釧路市のメーカーが手がけています。

「通常、間伐されたアカエゾマツは建材や製紙用チップなどに使われ、一部の枝や葉は精油した後、アロマオイルなどに利用されます。そして、精油後の残渣(ざんさ)は廃棄されます。そんな、本来捨てられるだけの残りかすを、染色に活用して生まれたのがこの布。だから“ICHIYOU”という名には、一つの葉も無駄にしないという想いが込められています」と後藤氏。自然の恵みを余すところなく生かしたバッグは、独特の風合いを醸し出し、コンパクトながらも印象的な存在。新しい表現として目を引いています。

次回の後編では、後藤氏の経歴やアトリエショップの様子、最新の取り組みなどを紹介します。

北海道紋別郡遠軽町生まれ。鞄職人。2009年に独学でレザークラフトを開始し、2013年には札幌市内にレザークラフトショップ『Atelier BARBUTO』をオープン。その後、新たなスタイルと環境を求めて宮の森円山地区に移転し、『KEETS』を立ち上げた。北海道産木材やエゾシカ革、帆布などの素材を使用し、北国の暮らしに通じる「シンプル・ミニマル・ユニーク」をキーワードとしたバッグを、一つひとつ丁寧に作り上げている。

住所:〒064-0944 北海道札幌市中央区円山西町1-3-7 MAP
電話:011-699-5360
営業時間:10:00~17:00
定休日:水曜(不定休あり)
KEETS HP:http://keets.co.jp/

シャクッと崩れ、旨みの余韻を残し、消える衣。天ぷらの歴史に新たなページを刻む、静岡の名店。[板前てんぷら成生/静岡県静岡市]

独学で積み上げた『成生』の天ぷらは、唯一無二の味と食感。

板前てんぷら成生OVERVIEW

日本一高い山と、日本一深い湾を擁する静岡県。温暖な気候と豊かな土壌は数々の作物を育て、無数に流れる川は土地を数々の水系に分け、多様性を生む。そんな静岡県を「料理人にとって天国のような場所」と言い、毎日いきいきと飛び回る料理人がいます。それが新静岡駅近くに暖簾を掲げる『板前てんぷら成生』の主人・志村剛生氏です。

いまや予約は数ヶ月待ち。県外からも連日多くのゲストが訪れる名店ですが、志村氏のスタンスは、はじめて店を開いた頃のまま。「生産者を訪ねれば、毎日なにか発見があります」そう言って店が休みの日でさえも、自らハンドルを握り、県内を飛び回るのです。

もちろん、恵まれた食材を生かすのは、志村氏の技。師に教えられた技術ではありません。独学で試行錯誤を繰り返し、少しずつ、着実に積み重ねた技の結晶。それが『成生』の味の根幹なのです。

「わざわざ静岡に天ぷらを食べに来る理由」志村氏が繰り返し語ったその言葉。食材探しに同行し、仕込みを見学し、話を伺ううちに、その答えが見えてきました。

住所:〒420-0839 静岡県静岡市葵区鷹匠2-5-12 MAP

電話: 054-273-0703

半島に残る歴史遺産を活かす。俵ヶ浦半島での暮らしを守るために動き始めた次世代。[九十九島/長崎県佐世保市]

明治33年(1900年)に完成したままの姿で山中に眠る小首堡塁跡。

九十九島知られていなかった俵ヶ浦半島の魅力に、触れてもらうことが第一歩。

佐世保市街地から南西に車でおよそ20分。北や西に九十九島(くじゅうくしま)湾、東に佐世保港を望む俵ヶ浦半島。庵浦町、野崎町、下船越町、俵ヶ浦町の4つの町からなる自然豊かなエリアです。俵ヶ浦半島で最も有名なスポット九十九島湾の絶景を見下ろす展望台『展海峰(てんかいほう)』ですが、今回はもっと奥まで足を伸ばしてみます。

そこで見えてきたのは、俵ヶ浦半島に残る原風景、人々の暮らし、半島が刻んできた100年以上の歴史でした。
まず話しをうかがったのは、俵ヶ浦半島の有志からなる『チーム俵』のメンバーの一人、山口昭正氏。同グループのトレイル部部長です。
「俵ヶ浦半島には4つの町があり、それぞれで『歴史遺産トレイル』、『お遍路トレイル』、『ごちそうトレイル』、『水神山神トレイル』というテーマでルートを整備しています。基本的には各町に元々あった生活道路を活かしたルート。整備の一例でいうと、ルート上に地域住民で手作りした道標を掲げたり、草刈りをしたり」と山口氏。

▶︎詳細は、SASEBO TIMES/多島美を有する海を舞台に、守るべき文化と新時代の叡智が共存する。

トレイル部部長としてトレイルルートの整備に取り組んだ山口氏。美しい九十九島湾を見ながら、俵ヶ浦半島の魅力を語ってくれた。

『展海峰』から眺望する九十九島湾。『世界で最も美しい湾クラブ』に加盟認定されたことも納得の絶景が広がる。

九十九島交流人口を増やし、雇用を生み出す。最終目標は定住者を増やすこと。

トレイルルートを新たに作るきっかけはなんだったのでしょう。
「いろいろなことが複雑に絡み合っているから…」と前置きした上で、山口氏は「まず、過疎化が進んでいることが大きな課題でした。小学校が廃校になったり、中学校も統合されるなど、子どもたちの数が減っているんです。つまり僕らぐらいの若い世代がこの地区から離れてしまっているということ。全国的に問題になっていることですが、ここもまた年々高齢化が進んでいます。それに歯止めをかけるには、俵ヶ浦半島に雇用を生み出し、定住を促す必要がある。ただ、大きな雇用を生む事業を僕らが立ち上げるのは現実的に難しい。そこで、まずは観光による交流人口を増やすために、トレイルルートを整備することにしました。その際、ご協力いただいたのが九州大学の景観研究室の樋口准教授でした。樋口准教授の“俵ヶ浦半島には多くの人々を感動させる風景が残っている”という言葉が大きなきっかけになりましたね。そこから地域の人々が一体となって道標を手作りし、この俵ヶ浦半島を歩いてもらう仕掛けを作りました」と教えてくれました。

山口氏の家業は代々続く農家。俵ヶ浦町でタマネギやキャベツ、カボチャなどを栽培している。

九十九島地域住民が一体となってプロジェクトに取り組むことが大切。

漁村や農村などで全国的に問題になっている過疎化に歯止めをかけるための一つの手。今までも当たり前にそこにあった風景にスポットを当て、道標を作るなどして、歩きやすい環境を整える。しかも、それを地域住民が自分たちの手で行う。この手段なら、コストがそこまでかからない上、地域が一体となって同じベクトルでプロジェクトを進めることができます。俵ヶ浦半島における、トレイルルートの整備はまさにその成功モデル。

ただし、そのプロジェクトを進めるにあたり、誰かがリーダーにならなければいけません。その一人が山口氏というわけです。
2014年ごろから始まったこの取り組みにより、『展海峰』からさらに半島の奥へと足を伸ばしてくれる観光客も少しずつですが増えてきたと山口氏は話します。

どんな風景に出会え、歩き終わったあとにどんな思いを感じられるのか。4つあるルートのうち、俵ヶ浦半島はもちろん、軍港として栄えた佐世保の歴史まで紐解けるという、俵ヶ浦町のトレイルルート『歴史遺産トレイル』を実際に歩いてみました。

地域住民が手作りした道標。道は住民用の生活道路で幅が狭いため、車でのアクセスは難しい。歩いてしか出会えない風景がこの先にある。

九十九島半島の南端に残る歴史遺産を巡る。それは佐世保市のルーツを探る旅。

俵ヶ浦半島の南端に位置する俵ヶ浦町は、軍港として開港した佐世保港を護るために、明治期に設置された砲台や観測所、江戸時代に海域の警備のために置かれた船番所、中世の山城跡が今なお残っています。
そんな俵ヶ浦町のトレイルはのどかな漁村の風景が広がる俵ヶ浦港からスタート。車だと一瞬で過ぎ去ってしまう風景も、歩いてみるとよりその素晴らしさを実感することができます。

道すがら、山中に「陸」と書かれた石標が多数あることに気づきます。これは明治時代、この地が旧陸軍によって管理されていた証です。トレイルルートとなっている道もかつて要塞を築く際に、港からトロッコに石やレンガなどを積んで上った道だそうです。山中には石垣なども残されており、自動車や重機がなかった時代に、こんな大規模な要塞を築いたことに驚かされます。

どんどん道を上っていくと、最初の目的地である『旧陸軍佐世保要塞丸出山堡塁観測所跡(きゅうりくぐんさせぼようさいまるでやまほるいかんそくじょあと)』に到着。ここは丸出山堡塁(まるでやまほるい)に設置された28cm榴弾砲の砲戦指揮のために建設されたもので、測遠機で敵艦との距離や弾着地点を観測して砲台に連絡する施設だったそうです。観測所の周囲に濠が掘られており、海から観測兵の動きが見えないように工夫されており、今もその形は残っていました。

のどかな原風景が広がる俵ヶ浦港一帯。ここに暮らす人々の生活も垣間見える。

トレイルルートはアスファルト舗装された道なので、スニーカーでも十分に歩けます。

『旧陸軍佐世保要塞丸出山堡塁観測所跡』は標高125mに位置し、九十九島湾を一望。現在では穏やかな風景が広がるのみだが、戦時下、佐世保は日本西部防衛における要所だった。100年を超える遺構越しに見る九十九島にそんな思いを馳せる。

敵弾を防ぐために備えられた装甲掩蓋。日本国内では丸出山と和歌山県の由良要塞友ヶ島第一砲台に残されているのみだ。

装甲掩蓋の中に入ると四方が見られるように窓があることに気づく。現在では木々が成長して海は見えないが、当時はこの場所から海を観測していたと推測できる。

九十九島かつてここが要塞だったことを示す、旧陸軍関連の遺跡群。

道標に沿って歩き、2つ目のハイライト『旧陸軍佐世保要塞小首堡塁跡(きゅうりくぐんさせぼようさいこくびほるいあと)』へ。ここは1900(明治33)年に築かれた砲台で、『丸出山堡塁』と同じく、接近する敵艦船との長時間の砲戦を想定した砲戦砲台です。24cmカノン砲4門を主兵装とし、副兵装として15cmカノン砲2門を装備した砲台で、太平洋戦争開戦後の1942(昭和17)年まで存続したそうです。

今回のトレッキングに同行してくれた地域おこし協力隊の久米川泰伸氏は、俵ヶ浦半島の魅力をこう話します。「地域おこし協力隊として2018年7月に佐世保市にやってきました。まず俵ヶ浦半島に来て感じたのが、地域の人同士の繋がりが強いこと。この一体感があってこそ、トレイルコースを整備することができたんだと実感しました。実際に歩いてみて、やはり感動するのは景色です。『丸出山堡塁』など絶景スポットもありますが、ほかは正直そこまでシンボリックな風景はありません。ただ、逆に原風景ともいえるそんな景色こそが、俵ヶ浦半島の魅力だと思っています。ぜひ、佐世保市を訪れた際は、のどかな時間が流れる俵ヶ浦半島まで足を伸ばしてほしいですね」。

『旧陸軍佐世保要塞小首堡塁跡』の掩蔽壕(えんたいごう)。全6室と、規模は『丸出山堡塁』より大きい。天井のコンクリートの厚さは1m以上ある。

洞窟のようにひんやりとした掩蔽壕内。佐世保要塞では実戦が行われなかったことから当時の姿そのままに現存している。

俵ヶ浦半島の地域おこし協力隊、久米川氏。佐世保市に来る前は京都でゲストハウスを起業・経営。

農業が盛んな俵ヶ浦半島。随所でのどかな原風景に出会える。

九十九島半島の自然・歴史=財産と捉え、地域住民が一体となって未来へ進む。

俵ヶ浦半島は佐世保市街のように食事やショッピングが楽しめたり、観光スポットが充実しているエリアではありません。ただ、軍港として栄えた佐世保のルーツが眠る地であり、今でも『丸出山堡塁観測所跡』『小首堡塁跡』など、その証ともいえる遺跡が随所に残っています。

2018年4月には『展海峰』にあった直売所が、カジュアルでオシャレな『半島キッチン ツッテホッテ』としてリニューアルオープンするなど、『チーム俵』の動きはますます活発になっています。
半島の南端に位置する『白浜海水浴場』に代表される美しい自然、『チーム俵』として地域を盛り上げる若きリーダー、そして彼らの活動に賛同し、協力を惜しまない地域住民たち。これら3つが組み合わされば、俵ヶ浦半島の未来は明るい。実際にトレイルルートを歩いてみて、その思いを強くしました。
山口氏がふと話していた、「キレイな海があるし、レジャーとして釣りとかを楽しめるようにしたいんですよね。きっと、もっとやれることはたくさんある」という言葉もまた、頼もしい限りです。

美しい砂浜と透明度の高い海水が魅力の白浜海水浴場。夏は多くの海水浴客で賑わう。

『チーム俵』のオリジナルTシャツ。「ヒトがオモテ」のキャッチコピーからも人の温かみを感じられる。

『展海峰』にオープンした『半島キッチン ツッテホッテ』。俵ヶ浦でとれた魚介や野菜を使った軽食を味わえる。俵ヶ浦半島のトレイル情報なども発信。

『半島キッチン ツッテホッテ』の名物メニュー『俵コロッケ』(4種セット600円)。アオサ入りクリームソース、ヒジキのライスコロッケなど地元の特産を活用している。

チーム俵 HP:https://tawara99.com/

“食”の力で金沢の未来を切り拓く。[とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO/石川県金沢市]

とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO金沢ならではの美味に出会える「現代版屋台村」。

その土地ならではの食材や食文化は、旅の醍醐味。ですが、慣れない土地で見知らぬ美味を求めてさまようのは、少々大変かもしれません。

そんな旅人にも、また、地元に住まう人々にも、すぐに見つけられる「食のステーション」とでもいうべき存在が、金沢の中心街に誕生しました。
その名は『とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO』。かつて金沢の中心街・片町にあった天神様・お稲荷様・金比羅様の三神を祀っていた小橋菅原神社にちなんで、天神様の参道を示す「とおりゃんせ」の名を冠しました。

わらべうたの歌詞として有名な「とおりゃんせ」は、「ここをお通りなさい」という意味。訪れる人々への歓迎の想い、ここを通過点として大きく羽ばたいてほしい、という出店者への想いなどなど、この場から様々なムーブメントを起こしたい、という希望が込められているそうです。

現在テナントとして入っているのは、フレンチ・季節のおばんざい・イタリアン・炉端焼き・燻製とラム酒のバー・海老専門店・中華・ラーメン店の8店舗です。いずれもモダンな個性を漂わせながらも、金沢の食材と食文化を満喫できるラインナップです。

北陸随一の繁華街・片町に、金沢の食をモダンに味わえる「現代版屋台村」がオープン。

フレンチに和食の要素を取り入れた『和ビストロ 久遠』。2月からはコース料理も提供。

とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO金沢の食文化を守りながら新たな形に発展・活性化させる試み。

まずは『和ビストロ 久遠』。「和の素材に洋の技、2つを結ぶ一皿」をキャッチコピーとして、大野醤油や塩麹・抹茶などの和の素材を取り入れた「金沢フレンチ」のお店です。鰤(ブリ)や香箱蟹などの、石川ならではの食材もふんだんに使用。盛り付けの美しさにも注目です。
次は『季節のおばんざい 中にし』。「小鉢で感じる四季のうつろい」をテーマに、冬至にはカボチャ、節分にはイワシなどなど、日本人が大切にしてきた「季節のこころ」を漂わせる料理が並びます。「ほっとするような場所」を目指しているとのことで、身体に優しい金沢の家庭料理を、懐に優しい価格でふんだんに味わえます。

『季節のおばんざい 中にし』。誰でも温かく迎え入れてくれる、深夜食堂のような場所を目指している(営業は夕方から)。

海老だけの刺身盛りやユッケなど、とにかく海老づくしの『海老専門店 九代目 海老翔(えびしょう)』。

とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO1ヵ所で楽しめる金沢のグルメ巡り!

続いて『海老専門店 九代目 海老翔(えびしょう)』。徹頭徹尾、海老ざんまいのお店で、日本海の荒波にもまれた多種多様な海老が味わえます。津幡(つばた)の老舗の酒蔵・久世酒造の久世嘉宏氏と、東京で飲食店をプロデュースする坂田和文氏の共同出店で、新鮮な車海老をその場で日本酒に漬け込んだ「酔っ払い海老」が目玉。もちろん金沢名物の「白海老」の料理もあり、日本酒の豊富なラインナップも魅力です。

そして『燻し屋らむ』。フランス人の兄弟が営む燻製料理とラム酒のお店です。アナゴやサバ・煮卵などの燻製とラム酒とのハーモニーが、ここにしかないエスプリを奏でます。チップの種類や燻す温度で変わる燻製の奥深さを楽しめる他、果物やコーヒー豆を漬け込んだ多彩なラム酒も多数。和食器を用いたデコラクティブな盛り付けも必見です。

旅先だからこそ味わいたいラーメン店もあります。『Kanazawa ramen WAKA』は、はんなりと上品な鶏出汁のラーメンに、生産量日本一を誇る金沢産の金箔が浮かびます。また、近年人気の「鶏白湯(とりぱいたん)」ラーメンも人気。とかく豪快・濃厚なイメージがあるラーメンですが、金沢ならではの風雅な一品が楽しめます。

『magazzino38 fatto a mano(マガジーノ38 ファット・ア・マーノ)』は、あらゆる食材がオリジナルかつ手作り!

料理とシェリー酒の新たな関係を探り、金沢ならではの中華を供する『中国料理とシェリー酒 西華房(さいかぼう)』。

とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO溢れる個性を全店制覇したくなる。

『とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO』は、開放感のある2階建てです。2階にあるのは、以下の3店舗。
まずは『magazzino38 fatto a mano(マガジーノ38 ファット・ア・マーノ)』。食材を命と考えるイタリアンで、ハムもチーズも手作りです。金沢特産のサツマイモ「五郎島金時」をニョッキにするなど、金沢の恵みもフル活用。しかも日替わりメニューでパンやチーズ、シャルキュトリーまで手作りしています。もとは加工食品の工房で、出店の動機は「お客様の反応を直接見たい」だったそうです。妥協のないおもてなしが魅力です。

続いては『中国料理とシェリー酒 西華房(さいかぼう)』。紹興酒のように味わえるというシェリー酒と、中国料理とのコラボレーションが醍醐味。餃子や炒飯などの中華の定番から、石川の食材「堅豆腐」を使った山椒麻婆豆腐、能登豚の中華風スペアリブなどの変わり種まで取り揃えています。シェリー酒は、常時数種類を用意。飲みやすいものから個性的な輸入物まで、幅広く味わえます。

最後の『旬楽(しゅんらく)』は、「輪島の魅力を炙り出す」炉端焼きのお店。輪島直送の新鮮な魚介の一夜干しを、手ずから炙りながら地酒や焼酎とともに頂きます。他にも岩もずく・甘エビの塩辛・ホタルイカの沖漬けなどなど、石川の珍味が多数。締めはノドグロ出汁のお茶漬けでスッキリしましょう。

輪島直送の一夜干しを炉端焼きで焼肉のように堪能できる『旬楽』。

「LABO=実験室」という名が示すとおり、何が起こるかわからないワクワク感が魅力。

とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABOコンセプトは「実験」。金沢の中心部を“食文化の中心地”にする。

『とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO』は、金沢の中心部を「食文化の中心地」にするという挑戦でもあり、実験的なプロジェクトでもあるそうです。

北陸の豊かな食材をどう生かすのか。器とどう組み合わせるのか。お客様をどう楽しませるのか――出店者たちはそれらに悩み、挑みながら腕を磨いています。飲食店を志す人々のロールモデルの場ともなっていて、あらゆる「食の実験」に取り組んでもらうことを目指しています。

更に、入れ物となっている場所自体にも実験的な要素が多数。
まずは支払いを電子マネーとカードのみにして、ゲストの手間と店舗の事務作業を軽減する「キャッシュレス経済」。ゲストは複数の店舗をはしごしやすくなり、店舗は締め作業や帳簿付けなどの負担が激減して、ワンオペレーションや少人数経営が多い飲食店に大きなメリットをもたらしました。

また、テナント契約を2年限定にして、新たな業態や新規出店を「実験」しやすい環境を提供。あらゆる食のカテゴリーを集めて食のトレンドや楽しみ方を発信するという、大本のコンセプトの賜物です。

個性豊かな飲食店を気軽にはしご。

とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO第一のターゲットは金沢市民。地域の食の魅力を再発見。

観光スポットとしても魅力的な『とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO』ですが、そのターゲット層は第一に金沢市民だといいます。

「片町は金沢一の繁華街で、県外や海外から多くの観光客が訪れます。ですが、住人は逆に郊外に流れ出しており、ドーナツ化現象が進んでいるんです。この問題を解消するために、改めて金沢市民が憩える場を作りたい――それが一番の願いでした」と、事務局・プランナーの中神 遼氏は語ります。

「金沢は豊かな食材と食文化を誇る、海のものも山のものも美味しい土地です。それを更に発展させたいという気概を持った料理人たちに、チャレンジの場を提供していきたい。そして、金沢の人々に足しげく通って頂ける場所にもしたい。金沢の食の魅力を再発見できるスポットにして、ここに来れば新しい金沢の食が楽しめる、という場にしていきたいんです」と中神氏は続けます。

歴史ある観光地が抱える負の側面。それを改善して未来につなげる活動でもあるのです。

地域の人々にこそ愛される場所を目指す。

とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO本格始動に向けてイベントが目白押し!

『とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO』のテナント数は現在8店舗ですが、キャパシティは全部で12店舗。残り4店舗も徐々にオープンしていき、4月には本格的に始動します。その全てが異なるカテゴリーで、料理も個性も様々。それらが連携するイベントやキャンペーンも、積極的に行っていくそうです。

2月には「バレンタインキャンペーン」として、各店舗で特別なメニューやお土産を用意。そして厳しい北陸の冬が明ければ、中央の共有スペースを立食スペースとして開放。夏にはビアガーデンなどのイベントの場としても活用していきます。

金沢の豊かな食文化を、地域の人々とともに発展させていきたい――そんな『とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO』の理想は、新進気鋭の料理人たちの夢を後押ししながら広がっていきます。

いつ訪れても、何度訪れても楽しめる場所。

住所:石川県金沢市片町2丁目23-6 MAP
問い合わせ:contact@touryanse.info
※各店舗の詳細はホームページをご覧ください
とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO HP:https://touryanse.info/
写真提供:とおりゃんせ KANAZAWA FOODLABO

たとえクレイジーだといわれても、津軽にしかない木工製品を。[TSUGARU Le Bon Marché・木村木品製作所/青森県弘前市]

代表の木村氏(中央)を囲む工房の製作チーム。それぞれの職人が、得意分野を生かしながら働く。

木村木品製作所その木工品は、千年という名の街で生まれる。

弘前市郊外に「千年」という街があります。「千年」と書いて読み方は「ちとせ」。とても美しいこの名前は、江戸時代、霊峰岩木山を見渡せるこの地をお茶や花火を楽しむ一大行楽地にしようと、津軽藩の藩主によって名づけられたそうです。そんな風流ないわれを持った地に、小さな木工製品の工房『木村木品製作所』はあります。

事務所にずらりと用意されたサンプルは、木のぬくもりを感じるものばかり。木目の美しさと木肌のきめ細かさが際立ち、思わず触れたくなるような仕上がりです。現在代表を務める木村崇之氏は、木工屋の4代目。実は木村氏の代から、『木村木品製作所』の名前は飛躍的に知名度を上げました。そのきっかけとなったのが、津軽の名産品・りんごの木を使ったシリーズ。箸や器、バターベラなど食卓で活躍するアイテムから、ソープディスペンサーといったバス用品、アクセサリーやインテリア小物まで、ラインナップは実に多彩です。

通常、木工品の工房では、加工用の木材を仕入れて手を加えることがほとんど。しかし驚いたことに、ここで使われているりんごの木は、農園から伐採して製材にし、長い時間をかけて乾燥させるという工程を、全て自分たちで行っているというのです。「後からヒビが入ったり虫が出てきたりして、使えるのは全体の半分程度」と木村氏。りんごのイメージが強い津軽ですが、木村氏が手がけるまで、りんごの木を使った木工品はほとんどありませんでした。更にいえば、『木村木品製作所』の商品が知られるようになった今でも、追随する商品はごくわずか。その理由は、そもそもりんごの木が加工に適さないからなのだと木村氏。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

工房の近くにある「千年」駅。「昔はりんご畑と田んぼばかりの場所でした」と木村氏。現在周辺は住宅街に。

看板もよく見ると木製。曾祖父が始めた会社が現在の「木村木品製作所」となったのは、木村氏の父の代から。

ほとんどの作業を職人が行う。「機械制御でやると思われがちですが、人の感覚で削っているんです」と木村氏。

木村木品製作所苦労の末、銘木として生まれ変わったりんごの木。

りんごは硬いことで知られるバラ科の植物。特に収穫しやすいよう剪定して背丈を低くする津軽のりんごは、幹が曲がりくねってこぶも多く、通常の製材機械ではすぐに刃がだめになるほど加工が難しいのだとか。「りんごの名産地は海外にもありますが、りんごの木を木材にしている所は世界的にも聞いたことがない」と木村氏。が、その一方で、役目を終えたりんごの木が毎年大量に廃棄されるという現状がありました。

りんごは地域の宝もの。実だけでなく、木本体も活用したい……。知人の畑から廃棄用のりんごの木を譲り受けたことがきっかけで、商品開発を始めた木村氏。「周りの同業者からは、クレイジーだといわれるようなこと。自分たちでも、やってみて初めてその大変さがわかりました」と語ります。ところが、試作品がメディアで紹介されると大きな反響が。展示会での評判も上々で、しだいに応援してくれる人が増えていきました。りんごの木工品が、りんごの木という新たな津軽の地域資源に光を当てたのです。

「思った以上の反応も嬉しかったのですが、作っている私たちも、りんごの木は海外の銘木にも負けない素材だと実感できたんです。ほら、深みのある色合いと質感が、本当に綺麗でしょう?」と木村氏。改めて感じたその魅力を生かし、満を持してリリースされたアクセサリーブランドに、木村氏は「CHITOSE」という名をつけました。ここ千年の地で1000年続くブランドになるように、そして津軽のりんご文化が、これからも長く久しく続くようにという願いを込めて。

「CHITOSE」のりんごをモチーフにしたアクセサリー。一部に金粉を施し、ユニークでモダンなフォルムに。

伐採、剪定されたりんごの木が並ぶ乾燥室。ヒビや節などを除くと、使えるのは約5割という歩留まりの悪さ。

使い込まれた工具があちこちに。ちなみに、りんご用の製材機械は自作したそう。りんごの木が硬すぎて市販品は使えないのだとか。

木村木品製作所弘前の四季を彩る木々が、日常のかたわらにある楽しみ。

広々としたりんご畑の他に、弘前を代表するもうひとつの景色といえば、それは全国有数の名所として知られる弘前公園の桜でしょう。そう、『木村木品製作所』は、この桜を使ったアイテムでも人気を博しているのです。きっかけは、りんごのシリーズで知られるようになった後、弘前の資源を再利用する企画の一環として、市から剪定木を譲り受けたこと。それまで産業廃棄物として捨てられていた剪定木は、今、『木村木品製作所』を通して様々な姿に形を変え、人々の日常に溶け込んでいます。

弘前公園にある約2,600本もの桜の木が剪定されるのは、毎年2月。限られた時期に限られた量しか手に入らない素材ゆえ、現在は生産量を確保しづらいのが悩みだとか。「でもやっぱり、他の桜の木ではだめ。弘前公園のあの桜だから作る意味があるんです」と木村氏。

弘前公園の桜は、覆い被さるように広がる見事な枝ぶりや花数の多さで知られますが、そこには津軽のりんごの剪定技術が応用されていることをご存知でしょうか。そして木村氏の曾祖父が木工製品を作り始めたのは、青森ヒバを使ってりんご農家の作業用のはしごを作ったことがきっかけだとか。りんご、桜、青森ヒバ……。木村氏の話を聞いていると、津軽を取り巻く木々が不思議とつながり、縁となって、『木村木品製作所』を支えているような気がしてきます。

弘前公園の桜を使った名刺入れは、木村氏自身も愛用。中にバネが仕込まれ、スムーズに名刺を取り出せる仕掛け。

青森ヒバで作った赤ちゃん用ラトル。一番奥が完成品。中にビーズを入れて木を貼り合わせ、手で削って仕上げる。

りんごと青森ヒバを組み合わせた「Ringoスツール」。曾祖父が手掛けたはしごへのオマージュを込めた。

木製の子ども用玩具や遊具でも知られる存在。弘前駅前にある商業施設内のキッズスペースも手がけた。

木村木品製作所世界に届く「青森のものづくり」を目指して。

国内外の大規模な展示会で商品を発表するなど、順調にも思える『木村木品製作所』のキャリア。しかし、木村氏が代表を引き継いだ頃は、今とは事情が違いました。当時は店舗用の建具や什器(じゅうき)など、受注生産の大型品の製造がほとんど。直接お客さんの手に届く木の小物を作りたいという木村氏の思いは、反発を受けることもあったそうです。「でも、間違っていなかった、やっぱりやって良かった。今はそう思えます」と、木村氏は笑顔で話します。

お客さんのリアルな感想が届く喜びは、スタッフの仕事の原動力に。メディアに紹介されたことで、コンセプトに共感して仕事の依頼をしてくれる人が現れ、販路も広がりました。りんごの木の加工に挑戦したことで技術力が上がっただけでなく、細かな作業を要する小物作りは、若手が経験を積めるため育成の土台にもなりました。小物や大型什器だけでなく、受注生産も自社生産もできる今の『木村木品製作所』は、ひとつにまとまったチームの強さを感じさせます。

現在力を入れているのが、青森ヒバに始まり、りんご、桜とつながってきた工房の原点・県産材を使った可動式プロダクトの企画です。ライフスタイルに合わせて好きな場所に動かせ、棚にも机にも間仕切りにもなる自由度の高いプロダクトだそうです。そんな新しいチャレンジについて語る時、木村氏の目は一段と輝きを増しました。「こんな小さな木工屋が、たくさんの人に知ってもらえるようになったのはありがたいこと。これからは世界に知られるブランドになっていきたい」と木村氏。青森の木々が世界各地で活躍する光景が、彼にはもう見えているのかもしれません。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

大学で空間デザインを学び、東京で施工デザインの仕事もしていた木村氏。大きな組織に属するより家業を継ぐことを選んだのは、ものづくりを愛する職人気質から。

住所:青森県弘前市千年4-3-17 MAP 
木村木品製作所 HP:http://www.kimumoku.jp/

見渡す限りの畑、湖上を走る漁船。数々の“美味しい”に満ちた行方市の風景。[茨城県行方市]

茨城県行方市土地は産物を育み、人はその土地を誇る。繰り返される行方市の好循環。

これは行方の財産です──とあるサツマイモ農家の方は、行方の土壌をそんな言葉で語りました。

関東ローム層の土壌は年間60品目にも及ぶ作物を育て、栄養を湛えた霞ヶ浦の水は日本一の呼び声も高いシラウオやエビを育む。豊かな土地は町に恵みをもたらし、ここで土地とともに生きる人々はそんな行方を誇りに思う。繰り返されるそんなサイクルが、行方市の生産物に他の追随を許さぬ美味しさを加えているのです。

土地と人、その両輪が育む美味しさ。今回の映像では、きっとそんな行方市の美味しさの理由がお届けできることでしょう。見渡す限りの畑、早朝の湖上を走る漁船、目にも美味しそうな生産物の数々。美しい土地と住民の誇りに満ちた、行方の風景をご覧ください。

▶詳細は、NAMEGATA TIMES/年間60品目以上の農産物と豊かな水産物。霞ヶ浦の東岸に広がる、豊穣の大地。

下関の魚の王様として君臨し、天然物は最高級!トラフグ、その真の魅力とは?[Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI・トラフグ/山口県下関市]

フィッシャーマンズワーフ 下関・トラフグOVERVIEW

KING of FUGU!

トラフグといえば、数あるフグの中でも味も値段も最も高いと言われるフグの王様。その天然物ともなれば最高級品として驚くほどの高値で取引される日本屈指の高級魚です。
そんなトラフグの日本最大の集積地こそ、ご存知・下関なのです。

実はトラフグは各地を回遊する魚であり、黄海から東シナ海、日本海の能登半島、さらには瀬戸内海、遠州灘、伊勢湾まで広く分布しています。
下関産のトラフグも東シナ海や日本海で漁獲されたものを「外海産」、瀬戸内海、遠州灘、伊勢湾で漁獲されたものを「内海産」と呼び取引されているのです。

ではなぜ、実に8割もの天然物が下関へと集まり水揚げされているのか?
その答えは諸説あります。

例えば、初代総理大臣の伊藤博文が下関でフグ食を解禁したことが発端だとか、
関門海峡が交通の要所であったことだとか、さらに下関が面する3つの海(日本海、瀬戸内海、関門海峡)がともにフグの好漁場であったことなども。
さまざまな時代背景や地理的要因、加えて地域のバックアップもあり、
戦後、下関は一躍フグの街へと発展していったと言われているのです。

トラフグの取扱量日本一の南風泊(はえどまり)市場より、日本各地へと運ばれるトラフグ。そしてフグの街のイメージが強い下関。今回は改めて下関の地で、キングオブフグの魅力を紐解いていきます。

▶詳細は、FIsherman's Wharf SHIMONOSEKI メインページ/豊かさの再発見。改めて知る海峡の街・下関へ。

(supported by 下関市)

これぞ津軽の至宝。伝承料理を未来へつなぐ、頭巾姿のスーパーウーマンたち。[TSUGARU Le Bon Marché・津軽あかつきの会 /青森県弘前市]

この日腕を振るってくれたメンバーの皆さん。会長の工藤氏宅の横を通る弘南鉄道の車両が、いいタイミングで通り過ぎた。

津軽ボンマルシェ・津軽あかつきの会きっかけは、「今やらねば」という危機感から。

目にも留まらぬ早業とはこのことなのでしょうか……。総勢7名の女性たちが、わいわいと調理中の厨房の光景。他愛ない話に笑い合いながらも、手元では次々と料理が仕上がっていきます。それにしても見事な連携プレイ。あっという間に、全10品がのったお膳が完成しました。

ここは弘前市郊外の石川地区。料理を作っているのは、津軽の伝承料理を継承する活動をしている『津軽あかつきの会』のメンバーです。この場にいない人も含めて全部で29名の会員をまとめるのが、会長の工藤良子氏。工藤氏が会を立ち上げたのは今から23年前のこと。地元の道の駅で販売する餅や漬物などの商品開発や製造管理を担当する「友の会」のメンバーだった時でした。「新しい料理を考えるため、地域の高齢者の方に話を聞きに行くことになりました。そこで、津軽の保存食はすごいということに気付いたんです」と工藤氏。

冬場、厚い雪に閉ざされる津軽。農産物が何も採れなくなる中で発展したのが、干す、発酵させるといった工夫を凝らした保存食でした。春までの間を今ある食材でつなぎつつ、栄養的にもそん色なく提供するにはどうしたらいいか。昔の人の知恵が詰まった料理の数々に触れた工藤氏は、「そうした料理を集めて記録しよう。今やらないとなくなってしまう」と危機感を感じたといいます。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché メインページ/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!へ。

全員、おそろいのりんご柄の頭巾で厨房へ。茶目っ気たっぷりにおしゃべりを繰り広げつつ、着々と仕事を進める。

献立表を確認。レシピは基本、メンバーの頭の中に。作って食べて、「津軽あかつきの会」の味を覚える。

取材するこちらも巻き込まれるほど、笑いの絶えない厨房。生き生きとした津軽弁が行き交い、心地いい。

津軽ボンマルシェ・津軽あかつきの会毎日活動し、書籍も刊行。津軽のお母さんたちの執念。

今の時代、少し移動すればスーパーマーケットがあり、コンビニエンスストアがあります。四季を問わず多くの食材が手に入る現代の日本で問題になっているのが、食品ロス。私たちは豊かになった一方、大きな矛盾を抱えながら生きています。『津軽あかつきの会』が作る伝承料理は、スーパーマーケットもコンビニエンスストアもなく、ごく限られた食材しか手に入らなかった時代に、農家のお母さんたちによって作られていたもの。時代の流れの中、人知れず消えていってしまう料理にもう一度光を当てたのが、工藤氏たちでした。

「友の会」の仲間たちで高齢者の自宅を訪ね、料理とその調理方法をひとつずつ聞いて記し、実際に試食してみる。そんな地道な作業を続ける中、レシピは膨大な数になりました。2006年にはレシピをまとめた書籍も刊行。現在もほぼ毎日活動し、日中に集まって試食や食材の下ごしらえ、保存食作りに勤しみます。週に数日は、予約制の食事会を開催。工藤氏の自宅のダイニングで、貴重な料理の数々を味わえます。

「危機感から始めた会ですが、作っていると発見がたくさんあって本当に楽しい。ほとんどボランティアのような活動でお金にはならないけれど、楽しいからこそ続いてきましたし、みんなで楽しんで作る料理だからこそ健康にいいのかなとも思います」と工藤氏。地域のいいものを発掘して広める――。我々『ONESTORY』が目指すのも同じです。そんな活動を20年以上も前から個人的に続け、心から楽しむ工藤氏たちの姿勢には、編集に携わる立場として頭が下がる思いでした。

近所の国道沿いから、雪を被った津軽富士・岩木山の姿を眺めて。冬の津軽らしい風景が広がる一帯だ。

大根やにんじん、ごぼう、山菜、大豆をすった“ずんだ”を入れた「けの汁」。津軽ではおなじみの伝承料理。

厨房に干された大根と、大根の葉“しぐさ”。しぐさは干した後に茹で、軟らかくしてから刻んで汁の具にする。

津軽ボンマルシェ・津軽あかつきの会北国の知恵が詰まった滋味深い料理たち。

目の前に並ぶ食べ切れないほどの料理。津軽出身ではない人も、「初めて食べるのにどこか懐かしい」と感じるのではないでしょうか。使う野菜はメンバー宅で栽培したものを持ち寄るか、近所の道の駅や直売所で購入したもの。魚も地元のもので、味噌なども自家製です。もちろん化学調味料は不使用、肉や油も極力使っていません。

茹でたサメと大根を合わせ酢で和えた「さめなます」。塩蔵しておいたフキノトウの茎「ばっけのとう」を塩抜きしてサバのほぐし身と和えた「ばっけのとうとサバの酢味噌和え」。サツマイモやにんじんをほのかに甘く炊いた「練り込み」は、砂糖が贅沢品だった頃のおもてなしの料理だそうです。ニシンを塩3:麹5:米8の割合の「三五八(さごはち)漬け」にした「ニシンの飯寿し」は、濃厚で酒に合いそうな味わい。まだ寒風が吹く3月から4月にニシンを1ヵ月ほど干した後に漬け込む、津軽の代表的な保存食です。

春は山菜、ニシンやホッケなどの魚、秋は根菜や秋魚……。食材がなくなる冬のため、他の季節は保存食の仕込みで大忙し。更に、大根は葉や皮の部分も乾燥させ、刻んで汁ものに入れたり煮て切り干しにしたりと、食材を全て使い切る工夫を凝らしています。驚くのは、その深く優しい味わい。「昔の農家は肉体労働だったから塩気を強くしていたけれど、今は違いますから。塩は味を締める程度にしています」と工藤氏。昔の料理をそのとおりに作るだけでなく、時代に合わせ、食べ手の健康を考える。一過性の再現にとどまらず、受け継がれ、作り続けられることを見据えるのが、『津軽あかつきの会』のやり方なのです。

ずらりと小鉢が並ぶお膳は圧巻! 10品のおかずの他、黒豆ご飯や高菜の粕汁、漬物、甘味などが揃う。

春に塩蔵しておいた「ばっけのとう」は、丸1日水に浸し塩抜きする。保存食を使うには、前準備が必要だ。

ひと通り調理が終わると、にぎやかな試食タイムが始まる。この日は、工藤さんのご主人も一緒に食卓を囲んだ。

津軽ボンマルシェ・津軽あかつきの会明るく楽しく自然体。だから人が集まる。

長年活動を続けてきた工藤氏に、一昨年に嬉しいことがありました。それが、20代の若手メンバー、吉田涼香氏の加入です。千葉県出身の吉田氏は、城下町らしい文化が残る弘前に魅了されて移住。地域おこし協力隊の活動の一環として週4日ほど『津軽あかつきの会』に参加し、今ではすっかりレギュラーメンバーに。お母さんたちの早業のような動きにも難なく溶け込み、津軽弁の会話に加わります。

「ここにいると、津軽の食文化は本当に豊かだと感じます。自分が感銘を受けた『津軽あかつきの会』の考え方を多くの人に伝えることで、もっと多彩な津軽の文化を知ってほしい。でも、一番はこうやってみんなで作って食べるのが美味しくて。楽しいからご飯も美味しい、そんなことを改めて感じます」と吉田氏。吉田氏曰く「東北の人は閉鎖的といわれますが、ここのお母さんたちはすごく明るい! みんなで東京のイベントに遠征した時は、遠足みたいな楽しさでした。道の駅の『友の会』は、今はもっと若手に任せていて、きちんと後進に受け継ぐことができています。そんな風通しの良さも、いいなあと思うんです」。

よく「昔は貧しくて、何もなかった」と話す人がいます。でも手をかけ、食べる人のことを考えた『津軽あかつきの会』の料理を食べると、こういった伝承料理にこそ、歴史や風土に根差した真の豊かさがあることをはっきりと感じられます。それと同時に、地方の団体で若手不足が叫ばれる今、いとも自然体で後進を育てるお母さんたちの手腕に学ぶことがたくさん。「みんな、ここが好きで来てくれる人たちだから」。そう言って笑った工藤氏に、津軽の女性の強さを感じました。

吉田氏と談笑する工藤氏。吉田氏の参加を、「今までやってきたことが前進したようで、本当にうれしい」と話す。

住所:青森県弘前市石川家岸44-13 MAP
電話:0172-49-7002
1食1,500円~ ※活動は木、金、土、日の12:00~14:00。4名から受付、3日前までに要予約。

本当の沖縄を誰も知らない。ホスト・中村孝則が見出した、島の可能性と女性シェフの未来。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

琉球王朝時代の使節団を饗す時をイメージした衣装で、ゲストを迎えたホスト中村孝則氏。

ダイニングアウト琉球 南城沖縄は美食をテーマに、観光の高級化を目指せ。

今回の『DINING OUT  RYUKYU-NANJO with LEXUS』の開催を終えて私が感じたことは、「沖縄は“美食コンテンツの宝庫”である。」ということだった。生物多様性を背景にした海の幸や森の幸の豊饒さだけでなく、琉球王朝時代から育まれた、ユニークで深い食文化、あるいは「ヌチグスイ(命の薬)」という言葉色濃く引き継がれる医食同源のコンセプト。沖縄は健康長寿の土地として知られるが、それはまさに食文化が支えたことである。

それだけではない。『DINING OUT』でも使った、英国紳士ジョンさんの手作りチーズや、国頭村安田のアダ・コーヒーなど、アルチザン的な高級食材の生産者が、沖縄でトライしていることにも驚かされた。それだけでも、世界中のフーディーズたちの食指をくすぐるに十分であると思う。今後、彼らを含めた富裕層を誘致するためには、そうしたコンテンツは欠かせない要件だと思う。

沖縄の美食ブランディングを考える上で、仮に「アジアベストレストラン50」のアワードを沖縄に誘致すると仮定してみよう。断っておくと私は同アワードの日本評議委員長(チェアマン)で直接的に運営に関わる立場ではないが、一人のジャーナリストとしての仮説として聞いてもらいたい。現在このアワード・セレモニーは、毎年一回アジア各都市を巡覧するシステムになっている。過去には、シンガポールやバンコク、マカオで開催され、今年度は3月26日にマカオ開催が決定している。2020年以降の開催地は、現時点では未定だが、かねてより日本開催を望む声は大きい。

日本の地方都市の多くが候補になっているが、将来的には沖縄は有力候補になりうる可能性を秘めた土地だと思うのである。食の多様性という意味では、今回の『DINING OUT』が示した通りだ。しかもアジアの玄関口としての那覇空港は、現在拡張中で、近い将来年間1200万人の受け入れが可能だという。県内には、イベント開催の舞台に相応しい歴史的施設も数多くある。何より、歴史的に琉球王朝は、中国や朝鮮半島だけでなくアユタヤ王朝やマラッカ王朝など、東南アジア広域にわたり交易をした歴史を持つ。アジアの美食の中心としての、ストーリー展開やイメージ戦略も立てやすいに違いない。

もし「アジアベストレストラン50」が沖縄で開催されることになれば、アジアはもとより、世界中から1000規模で、一流シェフや食の専門家やジャーナリストが訪れ、彼らが国内外に発信する情報の影響は計り知れないだろう。彼らを呼び寄せるためにはラグジュアリーなアコモデーションが不可欠になるが、今年7月にはハワイの超高級ホテル「ハレクラニ」の姉妹ホテル、「ハレクラニ沖縄」も開業する。そういったラグジュアリー・ホテルが増えつつあるのも、追い風になると思う。課題は、トータルでいかにラグジュアリーな体験として表現するのかだが、今回の『DINING OUT  RYUKYU-NANJO with LEXUS』は、その好例を幾つも示したのはないだろうか。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

2018年11月末に2夜限りで行われた『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』では、ホスト中村孝則氏の多岐にわたる深い知識とユーモアで会場を盛り上げた。

今回の『DINING OUT』でも「ぬちぐすい」と名付けられた、沖縄の精神性や食文化を象徴する一皿が登場した。

イギリスから移住して沖縄素材でチーズを手作りする、ジョン・デイヴィス氏のチーズに今回の『DINING OUT』のシェフ樋口氏も感銘を受けた。

今回の『DINING OUT』のフルコース最後に登場した、「アダ・ファーム」の安田珈琲は、国産唯一のスペシャルティコーヒー認定を受けており、年間50kgしか収穫できない貴重な珈琲。

中村孝則氏がチェアマンを務める「アジアベストレストラン50」は、日本人シェフの選出が近年著しいが、まだ日本で開催した実績は無い。

ダイニングアウト琉球 南城『DINING OUT』史上初の女性シェフ、樋口宏江シェフ登場!

樋口宏江シェフの起用に関して、色々な意味でこれほどベストタイミングはなかったと思う。『DINING OUT』総合プロデューサーの大類氏も、かねてから女性シェフ起用のタイミングを計っていたに違いない。女性料理人の活躍は、これからの料理業界全体の最大のテーマだからである。もっとも、女性シェフの起用が単なるダイバシティへの配慮だけでは、『DINING OUT』本来の理念や活力に結びつくとは限らない。シェフの人選そのものが結果的に必然であった、という物語を導くのが『DINING OUT』の醍醐味だからである。

テーマと彼女がどう結びつくのか?そこが鍵となるのだが、今回はそのテーマ性と彼女の必然性が巧みに結びついていたと思う。今回のテーマ「Origin いのちへの感謝と祈り」の“オリジン”は、琉球創生神話の女神のアマミキヨがモティーフだが、樋口シェフの起用は理想郷のニライカナイからやってきたその女神に引き写された、と聞かされた時は、いい意味で「してやれた!」と思った。しかも樋口シェフは、御食国(みけつくに)の伊勢志摩をベースに活躍するシェフである。ある意味で、日本の食の“オリジン”の場所から、食の女神を引き抜いたと見立てられなくもない。これは、面白いぞと。

私は、それとは別の意味で樋口シェフの起用は、ベスト・マッチだと直感した。樋口シェフは、「志摩観光ホテル」のフランス料理の伝統を受け継ぎつつも、昨年から「伊勢志摩ガストロノミー」と銘打って、知られざる地元の食材を積極的に掘り起こして、新たな料理に挑戦していたからだ。個人的な感想なのだが、樋口シェフは素材の野性味を嗅ぎ分け、その持ち味を引き出すことに長けているシェフだと常々感じていた。取材で何度か地元の伊勢海老の漁師や生産者、あるいは蔵元などにご一緒したことがあるが、現場の彼女は厨房の中とはまた別の好奇心の感性が目覚めているようであり印象的だった。その好奇心は、今回の南城市や久高島でも発揮されるに違いないと確信はしていたが、出来上がった料理はその想像を超えたものだった。

これも個人的な見解だが、今回の彼女の起用の必然性を語る上で加えたいのが、久高島の名産のイラブーである。いわゆるイラブーとは、コブラ科のエラブウミヘビの燻製のことである。琉球王朝時代から、久高島で作られてきた伝統の食材であり、神事にも用いれれてきた大切な存在である。久高島では古代より、選ばれた島の女性のみが素手での捕獲を許され、島の中の燻小屋のみを使い燻製にされている。実は、最近の研究によると、この久高島のイラブーこそ、日本の鰹節の原型であるという。

その新しい学説によると、そもそもこのイラブーの燻製技術は、琉球王朝時代のマラッカとの交易で、久高島にもたらされたものだという。マラッカとは、現在のマレーシアの世界遺産の街だが、当時は王朝があり、琉球王朝との交易もあったことは文献などが証明している。当時の琉球人は、マラッカで初めて鰹節の原型とも言える魚の燻製に出会うのだが、その燻製はモルディブで作られ、マラッカにもたらされたというのだ。モルディブには昔からカツオを干して料理する技術があり、琉球王朝の船乗りによって久高島に渡り、それを海蛇に応用してイラブーの燻製技術となり、それが巡り巡って鰹節の原型となったという。これこそがまさに“鰹節のモルディブ起源説”なのである。

ちなみに、伊勢志摩の波切村は、昔から鰹節の生産地として知られ、最盛期は200軒を超える燻小屋があったそうだ。いわば御食国の象徴であるが、「かつおの天白」は今でも波切に「燻小屋」を持ち、昔ながらの薪による鰹節の燻を行なっている。樋口シェフは何度もこの小屋を訪れ、ここの鰹節を料理にも使っているのである。今回、彼女は久高島のイラブーを料理に仕立てたが、私には鰹節を巡る「オリジン」のストーリーとも読み解けるのである。

「御食国」である伊勢志摩で食材を深く掘り続ける、志摩観光ホテル総料理長樋口宏江シェフが抜擢された事は必然だったと中村氏は振り返った。

沖縄産の大きなマングローブ蟹を大胆に炊き込んだジューシーは、「イセヒカリ」という伊勢神宮で見つかった米を使用し、伊勢と沖縄を結んだ。

沖縄人にとっての饗しの食材である「豚」は、わざわざ持ち込んだ伊勢志摩備長炭でじっくりと火入れした。見えない部分でも伊勢と沖縄を繋いた樋口シェフの想いが詰まった一皿。

郷土料理イラブー汁を再構築した「イラブーのシガレット」。皮の燻香、身、そして旨みたっぷりのだし。全てを使い一杯のイラブー汁をこのシガレットで表現した。

イラブーは古代より選ばれた女性だけが捕獲する事が許され、燻製したイラブーを磨く人もまた選ばれし男性だけで受け継がれてきた伝統食材。

ダイニングアウト琉球 南城女性シェフの活躍は、世界的なテーマである。

さて、先ほどダイバシティの話にも触れたが、せっかくなので女性シェフの課題について少しお話して締めくくりたいと思う。飲食業における女性シェフの参画は、日本国内だけでなく、いま国際的な課題でもある。私がチェアマンを務める「世界ベストレストラン50」でも、最も重要なテーマになっている。このアワードでは、各国のチェアマンたちによる国際会議を定期的に開催するのだが、女性の参画について深く議論を重ねてきた。

例えば、現在の「世界ベストレストラン50」のランキングでは、女性シェフの店は50店舗のうち、たったの4店舗である。これでは、ダイバシティという観点で、あまりに不公平だというわけである。もちろん、恣意的に女性シェフを増やすことになっては、自由な投票によるランキングという理念そのものや、公平性という意味でも逆差別になりかねない。そもそもダイバシティは、女性だけの問題でもないだろう。

そこでアワードの本部が取り組んだのは、世界に1040人いる投票者の半分を女性にする、という試みである。つい先日、オフィシャルのウェブサイトに発表されたので、興味ある方はそちらもご覧いただきたいが、2019年度の「世界ベストレストラン50」の投票から反映されることになるはずだ。投票者の女性の割合を増やせば、女性シェフのお店のランキングが増えるのか?というツッコミの余地も残るのだが、少なくとも世界的な食のアワードですら、レストラン業界に女性の参画を含めたダイバシティを求めていることがわかってもらえると思う。
「世界ベストレストラン50」投票の詳細はこちら

ひるがえって日本は、料理業界においては女性の参画がもっとも遅れている国の一つであることが、しばしば国際的な舞台で指摘されている。女性の社会参画は、日本全体の課題でもあるが、料理業界あるいはレストラン業界が、内側から変わろうとしない限り大きな変革は難しいだろう。その意味で、今回の『DINING OUT』の樋口シェフの起用は、大きな意味と価値があったと思う。樋口シェフは、志摩観光ホテルの総料理長であり、伊勢志摩サミットを担当したシェフということも含め、名実ともに日本を代表する女性シェフであるのだから。昨年3月には、マカオで開催された「アジアベストレストラン50」のアワードにおいて日本人女性シェフとして初のパネリストに選ばれ、国際的にも注目され始めた。今後は、世界に向けてますます活動の幅を広げて欲しいと願っている。

日本の料理業界のこれからの課題として、女性シェフの躍進は欠かせないと中村氏。今回の『DINING OUT』の経験を活かし、樋口シェフの世界進出を願った。

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/

海深くに散らばる赤い宝石。下関が誇るノドグロという美味。[Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI・ノドグロ/山口県下関市]

フィッシャーマンズワーフ 下関・ノドグロOVERVIEW

今や日本屈指の高級魚として知られ、焼いても、煮ても美味。白身でありながら脂ののりが抜群にいいことから、白身のトロなどとも称されているのがノドグロです。
2014年にはプロテニスプレイヤーの錦織圭氏が全米オープン準優勝の凱旋時に「ノドグロが食べたい」と発言したことで、急激にその人気が高まり、一躍時の魚になったことも。
ノドグロの名はアカムツの別名であり、口内が黒いことに由来するのはあまりにも有名です。

そして、ここからが本題。トラフグやアンコウの水揚げでその名を轟かす下関ですが、実はノドグロも下関漁港でたくさん水揚げされているのです。

下関沖、沖合底びき網漁業で水揚げされる下関のノドグロは、他の魚種以上に厳重な品質管理が施され、その味も質も国内屈指。漁業関係者を持ってして、ノドグロと言えば下関というのは、周知の事実と言われているのです。では、下関沖のノドグロがなぜにこれほど旨いのか? エサであるのか、海域の違いであるのか、それらはまだまだ解明されていない部分が多いと言います。

謎多き、下関の美味なる魚。それこそが今回ご紹介するノドグロなのです。

伝統は、心地よい。技の美に包まれる京都の粋な隠れ宿。[SOWAKA/京都府京都市]

京都の老舗料亭が、古今の職人の意匠を結集した空間に生まれ変わった。

そわか京都の伝統を次の世代に。老舗料亭が生まれ変わった。

そわか――薩婆訶。インドのサンスクリット語で「幸あれ」「祝福あれ」といった意を込めて、仏教の経典の最後にもしばしば唱えられる語です。京都・八坂で100年の歴史を刻んだ元老舗料亭が2018年11月、次の時代へ新たなバトンをつなぐラグジュアリーホテルに生まれ変わりました。それが『そわか(SOWAKA)』です。

祇園・八坂神社から徒歩3分という立地にある『SOWAKA』。

ロビースペースは伝統とモダンが融合されたシックな空間。

そわか数寄屋建築の息吹が感じられる本館と、現代的な和風意匠の新館。

数寄屋建築の息吹が感じられる本館と、現代的な和風意匠の新館。
祇園・八坂神社の南に位置し、街中でありながら京情緒溢れる静寂に包まれたエリア。ここで100 年続いた元老舗料亭の数寄屋建築を大規模にリノベーションして誕生した『SOWAKA』は、本館11室と新たに建てられた現代的な和風意匠の新館12室の計23室からなるスモールラグジュアリーホテルです。

2018年11月23 日より本館は週末限定で営業を開始し、新館と合わせて2019年3月25日にグランドオープン予定です。このホテルの最大の魅力は、客室全ての趣がそれぞれ異なること。「SOWAKAを通じて職人さんとの出会いを」という想いのもと、魚谷繁礼氏が設計を手がけました。魚谷氏は、京都の歴史的文脈を踏まえつつ創造性の高い建築作品を表彰する「京都建築賞(藤井厚二賞)」など数々の受賞歴があり、京都の伝統的な町家の改修実績も豊富。今最も注目される建築家のひとりです。

数寄屋建築は茶の湯に端を発する。館内には茶道の美意識がそこかしこに。

「数寄」の語源は「好き」。数寄屋建築は「好みに応じて作った家」という意味もある。

そわかひとつとして同じ部屋はない、「好きずき」に造られた空間。

本館は、大正後期から昭和初期にかけて建てられた数寄屋建築。「ほら貝の間」や「ひょうたんの間」など、もともと部屋ごとに欄間や小窓などの意匠、素材が異なり、職人の高い技術と遊び心を感じられる造りです。その基本構造やディテールを生かしつつ、快適性を追求してリノベーションした客室は、専用の庭園を備えた部屋、茶室つき、離れ町家スタイルなどバリエーションに富んだ構成。現代に合わせた京都の伝統美を取り入れ、襖は唐紙を用いた独自のデザインや色彩で襖や壁紙を制作する「野田版画工房」、漆塗りは建築やプロダクトデザインなど様々な分野で新しい漆の可能性を探るアーティスト・東端 唯氏が担当。伝統美を留めながらもアート感覚を取り入れた、これまでにないスタイルで寛げる空間に仕上げました。

新館は、杉目模様が美しい3階建ての建物。部屋と部屋が接することのないようゆとりを持ったレイアウトで、プライバシーを守るための配慮がなされています。こちらも、吹き抜けでバルコニーを備えた部屋や、畳敷きの小部屋を備えた部屋、半露天風呂つきの部屋などそれぞれにユニークな特徴があり、本館とはまた違った「現代の数寄」を体感することができます。

かつて「ほら貝の間」と呼ばれたスイートルーム。『SOWAKA』自慢の主庭を上から眺めることができる。

東山を望むかつての大広間は、デラックスツインの客室として生まれ変わった。

そわか旅の記憶をより艶やかに彩る、ミシュランの名店。

部屋の他に、『SOWAKA』の魅力は食にもあります。新館に併設されたレストラン『ラ・ボンバンス』は、2008年から10年連続でミシュランガイドで星を獲得した東京・西麻布の名店。確たる日本料理店でありながら、時にはジャンルを奔放にまたいだ新感覚の日本料理で美食家を魅了してきました。京都の食材をふんだんに使い、『SOWAKA』の世界観を表現した創作料理をモーニングからランチ、ディナーまで味わうことができます。ランチとディナーは宿泊者以外も利用できるのが嬉しいですね。

クリエイティブな日本料理を楽しめる『ラ・ボンバンス』。

館内には小さなバーも。数寄屋建築の佇まいを感じながらカクテルを味わえる。

そわか1日限定、高台寺貸し切り付きプラン。

そして、『SOWAKA』には驚くような宿泊プランが用意されています。なんと、宿から徒歩6分ほどの場所にある高台寺を3月30日の1日のみ貸し切りにして春の夜間特別拝観を楽しめるプランがあるのです。2018年の本館オープン時も貸し切りで秋の特別拝観付きプランを実施したところ大好評だったとか。桜の名所である高台寺を貸し切りでゆっくり堪能し、ホテルに帰って余韻に浸る……そんな贅沢をかなえてみてはいかがでしょうか。

桜と紅葉が有名な高台寺。ライトアップ時には幻想的な光に包まれる。(写真提供:高台寺)

住所:京都市東山区下河原通八坂鳥居前下ル清井町480 MAP
電話:075-541-5323
料金:本館(一泊一室料金)スタンダード:27㎡ 30,000円~/新館(一泊一室料金)スタンダード:35㎡ 35,000円~ ※新館は2019年3月25日(月)オープン
『SOWAKA限定 夜の高台寺「貸切」拝観付宿泊プラン』
 2019年3月30日(土) 68,000円~(2名1室利用 / 税サ・宿泊税別)
SOWAKA HP:https://sowaka.com/
写真提供:SOWAKA

さらり、ふわり。一度触れると忘れられない、癒し系リネン小物の生みの親。[TSUGARU Le Bon Marché・リネン作家 岡詩子/青森県鶴田町]

ボブヘアがトレードマークの岡氏。リネン作家の他、イベントのプロデューサー、専門学校講師など、活躍の場を広げている。

津軽ボンマルシェ・リネン作家 岡詩子でこぼこや不規則な繊維があるから、リネンが愛しくなる。

津軽エリアで取材を進めていると、ちょくちょく耳にする名前があります。「ウタちゃんのアトリエにはもう行った?」「ウタコがまた面白そうなこと始めたの、知ってる?」――青森県で開催されるイベントにはひっぱりだこ、講演会に呼ばれたり、地域で活躍する女性に贈られる内閣府の賞を受賞したり。これまで「TSUGARU Le Bon Marché」でも紹介してきた「キープレイス」姥澤 大氏や「弘前シードル工房kimori」高橋哲史氏など、津軽エリアで活躍するキーパーソンたちとも顔見知り。多くの人が注目する気鋭の若手クリエイターこそ、岡 詩子(おか・うたこ)氏その人です。

くりっとした大きな目にくるくるとよく変わる表情。岡氏と話していると、小さな身体から溢れ出すチャーミングな魅力に圧倒されます。そんな彼女が一転して黙り込み、集中する瞬間。それが、大好きなリネン生地と向き合うひと時です。「リネンの表面をよく見ると、ほら、こんな風に小さくぽこっと出ている“ネップ”があって、1本ずつの繊維も細い部分と太い部分があって……生地自体にデザインがあるというか、絵画みたい。綺麗に整いすぎていない感じがいいんです。……あ、ごめんなさい! 私、リネンが好きすぎて、リネンの話になると止まらないんです(笑)」と岡氏。

彼女が生まれ育ったのは、弘前市から車で北へ30分ほどの北津軽郡鶴田町。現在もこの街に暮らしアトリエを構えていますが、リネンに魅了されたのは、東京でひとり暮らしをしていた学生時代でした。当時は小物を作っては自分で使ったり、人に配ったりする程度。まさか自分がリネン作家になろうとは、夢にも思わなかったといいます。

▶詳しくは、TSUGARU Le Bon Marché メインページ/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!へ。

アトリエがあるのは、ハクチョウ飛来地の近く。冬は、頭上を飛んでいくハクチョウの鳴き声が寒空に響く。

ナチュラルなブランドの世界観が伝わるアトリエの内装。この畳の上に直に座って作業をするのが、岡氏定番のスタイル。

岡氏が「絵画のよう」と表現するリネンの独特の風合いには、予定調和にならない不思議な魅力が。

津軽ボンマルシェ・リネン作家 岡詩子好きなものだから、迷うことなく仕事にできた。

転機は大学卒業後。岡氏曰く「新卒で事務職に就きましたが、これが合わなくて。そもそも私、“なぜやるのか”とか“何が目的か”とか、全ての行動に理由がないと動けないんです。でも初めての就職で、理由を理解するにも時間がかかるし、人一倍仕事も遅くて。結局1年ほどで退社し、実家に戻りました」。家でできることをやろう。自分が好きなもので、やる理由もあること――そう、リネンです。

幸い、リネンには人一倍、いや二倍も三倍も思い入れが。「リネンは速乾性、吸湿性があって、雑菌が繁殖しづらいので衛生的。ストローのような構造が体温を溜め込むから、風さえ通さなければ冬でも快適なんです。実際に自分がリネンの大判ストールで吹雪の鶴田の冬を乗り切った体験談も添え、“冬リネン”としてインターネットで売り出しました」と岡氏。更にもうひとつ、岡氏のリネンを世に広めたのが、「縫い目の見えない手縫い」作品でした。「リネンの生地の世界観を壊さないよう、どんなに小さい縫い目も外に出したくない」と、縦糸と横糸が重なる部分にくぐらせて縫う独自のやり方を考案。縫い目が見えないアイテムを作り、反響を呼びました。

小さな街で、とにかくリネンが大好きな23歳の女の子が立ち上げたブランド「KOMO」の揺るぎない世界観は徐々に評判に。セレクトショップから注文が入ったり、イベント出店を依頼されたりと、青森県中に広まっていきました。

長く通う東京・日暮里の問屋で仕入れたリネン地。「本当に綺麗」と呟く岡氏の表情には、リネンへの愛がにじむ。

実際に触れてみると、様々な感触のリネンがあることがわかる。ウールのように温かな風合いのものも。

布の端は数センチ幅で糸を抜いてフリンジを作り、ほつれないようにする。無縫製ゆえ、肌当たりがいい。

津軽ボンマルシェ・リネン作家 岡詩子考え事に明け暮れた子供時代が原点?

世の中にゴマンとあるリネン生地の中からこれぞというものを探し出し、下処理をして形を整え、無縫製ストールに仕立てるのが、現在の「KOMO」の主な作業。そんな作品作りの工程も、岡氏にかかれば愛情たっぷり、ユニークなものに。例えば、「地直し」という下処理ならこんな具合です。「生地をひと晩水に浸けてから乾かすと、生地に柔らかさと風合いが出るんです。ちょうど『整列ー!』となっている繊維を『休め~』にする感じ。生地をちょっと自由にしてあげるんです」。

彼女の魅力にもなっている、独特の視点や解釈。それらは小さい頃から育まれた筋金入りのもののよう。「ひとり遊びが好きで、『タライはなぜ地面に落ちるのか』をずっと考察するような子でした。結局、地球はタライのことがめっちゃ好きなんだという結論に達して。当時はよくボーッとしていたから、親は心配だったと思いますよ」と笑う岡氏。布と自分だけの世界に没頭できる作品作りの時間は、子供時代のひとり遊び同様、今も自身にとってたまらないひと時なのです。

「理由がないと動けない」分、好きなものには一直線。しかし、そんな岡氏唯一の例外が、故郷の鶴田という街への想い。「どんな地域に行っても『いい所だな』と思うのに、帰ると不思議と『鶴田が一番』と感じるんです。もちろん家族も友人もいる大切な場所だけれど、なぜ一番なのか、確かな理由は自分でもわからない。だからこそ、この街に居続けるのかも」と話します。代表を務める「つるた街プロジェクト」では、地元開催のキャンドルナイトやハンドメイドイベントを企画。作家活動にとどまらない活躍ぶりで、今や地域を引っ張る存在となっています。

新たなブランド「素のまま」では、瓶詰めの惣菜などを販売。野菜の色を生かした彩りが美しい。1瓶500円~。

「素のまま」のプロダクトの他、ワインやお茶を販売するテイクアウトショップ「回」。こちらもセルフリノベーション。

人々が気軽に立ち寄れるコミュニティスペースにしたいと、あえてラフにりんご箱を置いたイートインエリア。

津軽ボンマルシェ・リネン作家 岡詩子衣食住にまつわる活動で、津軽に新たな風を吹かせる。

昨年、新たにリネン服のブランド「UTAKO OKA」を立ち上げるとともに、鶴田町の中古一軒家をセルフリノベーション、アトリエとした岡氏。更に今年、料理人でもあるパートナーの川口潤也氏と一緒に、「素のままproduct」というプロダクトブランドをスタートしました。「素のまま」と書いて読み方は「そのまま」、テーマは「質素は贅沢に引けをとらない」。リネンのあるがままの表情を生かした「KOMO」のストール同様、食材本来の自然な味わいを大切にした瓶詰めの総菜やお茶などを製造し、美しいパッケージに包んで販売しています。

11月には鶴田の街中にテイクアウトショップ「回」をオープンし、「素のまま」のプロダクトの他、日本各地のお茶や世界中から選りすぐった自然派ワインを提供。今後はアートイベントの開催や、自身のものに限らない様々なクリエイターの雑貨販売を予定しているそうです。「いいものを人に言わずにはいられない性格なんです。これまで出会ったクリエイターさんの作品や自分たちが好きなものを、単純に『見て見て!』って知ってもらいたくて。ある意味自分勝手な場所なんですよ(笑)」と岡氏。

彼女がいう自分勝手とはつまり、自分に正直ということ。自らの感情に耳を傾けて「好き」を拾い、素直に従う、そんなことの積み重ねが「KOMO」であり、街おこしイベントであり、「素のまま」や「回」であるのでしょう。自宅のリビングでリネンストールを作り始めてから丸8年、岡氏の活動は、ライフスタイル全般・衣食住にわたるものとなりました。もう8年、でもまだ8年。津軽エリアのこれからを考えた時、彼女の存在感はますます増し、更に多くの人々が口々に言うはずです。「ウタコがまた面白そうなこと、やってるよ!」と。

川口氏お手製のスイーツを食べながらひと息。アトリエでは、不定期で川口氏による予約制・会員制茶寮「澱と葉」も開催され、話題を呼んでいる。

住所:青森県北津軽郡鶴田町鶴田前田10-6 MAP  ※訪問は予約制
KOMO HP:https://komo.stores.jp/

住所:青森県北津軽郡鶴田町鶴田生松89 MAP  
定休日:不定休

琉球神話はじまりの地に降臨した女性シェフが織りなす幻の饗宴『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』スペシャルムービー公開。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

ダイニングアウト琉球南城

DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』(2018年11月開催)の感動を、スペシャルムービーとフォトギャラリーでお届けします。

『DINING OUT』第15弾となる舞台は、琉球神話の聖地であり、琉球のはじまりの土地、沖縄県南城市。はるか昔、「アマミキヨ」という女神が海の向こうの理想郷といわれた神の国「ニライカナイ」からやってきて琉球の島々や祈りの場「御嶽(うたき)」を創り、南城市の離島・久高島に降り立ったと伝えられています。「Origin いのちへの感謝と祈り」をテーマに、琉球を創成した「アマミキヨ」のゆかりの地で開催された今回の『DINING OUT』。『DINING OUT』史上、最も聖なる場所で琉球の古くから受け継がれてきた神聖なパワーを表現した祈りの宴、ぜひ体感してみてください。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

松葉がにのことだけを想い冬を戦う稀有なる専門店。夏・冬計4回伺い、知った底知れぬ矜持とは。[かに吉/鳥取県鳥取市]

松葉がにについて話し始めると止まらない店主・山田達也氏。

かに吉OVERVIEW

鳥取県鳥取市、鳥取駅前の商店街の2階にひっそりと店を構える『かに吉』はその名の通り松葉かに専門店です。しかし、鳥取市内いや日本全国広しといえど、この店ほど特種かつ情熱的な、かに料理専門店を我々ONESTORY取材班は出会ったことがありません。

鳥取県との県境、松葉がにの水揚げ全国一位を誇る兵庫県の浜坂漁港の仲買でもある大将・山田達也氏と母・満子氏が、11月〜3月のシーズン中、競りが行われる日は毎朝浜坂漁港へ向かうところから一日は始まります。そして、その日一番の特上の松葉がにを競り落とし、すぐさま店へ運び下拵え。さらに営業中は厨房の満子氏と客前の山田氏の連携によるめくるめくパフォーマンスで、余す所無く松葉がに尽くしを楽しませてくれるのです。「シーズン中は松葉がにの夢ばかりみます」と笑う山田氏。冗談かと思いきや、メラメラと燃える眼差しと、重い言葉の圧力に、初めてならば尻込みするほど。それほどまでにこの店は松葉がにだけのことを思い、ひと冬を過ごすのです。では松葉がにのない夏は、どうなるのか? そんな疑問も沸き起こり、取材班は夏の鳥取へも。

そこにはもうひとつの驚くべき『かに吉』がありました。取材申し込みから1年以上。計4回の訪問の末、辿り着いた『かに吉』の全貌。今回は、松葉がに専門店『かに吉』だからこそ成し得るワンストーリーをお届けします。

住所:〒680-0833 鳥取県鳥取市末広温泉町271 2F MAP

電話: 0857-22-7738
かに吉 HP:http://www.kaniyoshi.com/

琉球神話始まりの聖地で開かれた幻の野外レストラン。ドキュメンタリー番組「奇跡の晩餐」1/27(日)ついに放送。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

ダイニングアウト琉球南城『LEXUS presents 奇跡の晩餐 〜ダイニングアウト物語〜 沖縄 南城篇~』1/27(日)放送。

沖縄県南城市で開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』(2018年11月開催)の準備段階から密着したドキュメンタリー番組『LEXUS presents 奇跡の晩餐 〜ダイニングアウト物語〜 沖縄 南城篇』が1/27(日)19:00からBSテレ東で放送されます。

番組では『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』の準備段階から密着した至極のドキュメンタリーをお楽しみ頂けます。
番組の詳細はこちらから

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

放送日時:1月27日(日)19:00~
番組ホームページ:https://www.bs-tvtokyo.co.jp/official/diningout13/

春ではなく冬こそが美味。下関の鰆とは冬に味わい、春を待ちわびる美味なのです。[Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI・鰆/山口県下関市]

フィッシャーマンズワーフ 下関・鰆OVERVIEW

魚偏に春と書く鰆。

実は脂が乗って一番おいしいのは10月〜1月にかけてのシーズンだと言うのをご存知でしょうか?
ある漁師は、「春の時期は産卵のために近海に集まってくるので、昔は漁獲量があがったこの時期が旬と言われていたんだ」と笑います。

また、ある鮨屋は「船にエンジンがなかった時代は、その時期しか近海で取れなかったから春の魚と言われているんだ」と教えてくれました。

そして、ある加工業者は「春を告げる魚。鰆が陸に近づくのが昔は季節の知らせだったのだと思います」と風情あるコメントを。

そして誰もが口を揃えて言ったのは、下関の鰆は冬が一番だというのです。
サバ科でありサバにやや似た姿をしていて、歯は驚くほど鋭い。小さい魚を餌として食べる肉食魚であり、その成長とともに名前が変わる出世魚でもあります。全長50cm以下のサゴシにはじまり、70cm以下のヤナギ、そして70cmオーバーの鰆へと呼び名は変わり、冬の時期に獲れる1mを超えた大物は、寒鰆(かんざわら)と呼ばれ重宝。うっすら桜色に輝く淡白な身質に脂が乗り、味わうたびに上品な旨味が口いっぱいに広がるのです。

冬こそ味わって欲しい下関の冬の醍醐味。この美味を味わい春を待ちわびる、そんな楽しみが下関では冬の食膳を彩るのです。

▶詳細は、FIsherman's Wharf SHIMONOSEKI メインページ/豊かさの再発見。改めて知る海峡の街・下関へ。


(supported by 下関市)

土壌と気候と技術が生んだ、最上級の香り。お茶の概念を覆す国産有機栽培釜炒り茶。[宮﨑茶房/宮崎県西臼杵郡]

農産物の最高栄誉である天皇杯も受賞した『宮﨑茶房』のお茶3種セット。

異なる茶葉の特徴を最大限に引き出した烏龍茶、紅茶、釜炒り茶のセット。

宮﨑茶房

地域に眠る食材を、国内外のトップシェフが調理する野外レストラン『DINING OUT』。その準備の過程で出合った素晴らしい食材の数々を、『ONESTORY』読者の皆様に数量限定でご紹介する準備が整いました。ご紹介するのは生産量や流通の関係で市場に出回らない、けれども超一級の名品たち。その知られざる魅力を、日々食材探しに勤しむ『ONESTORY』のフードキュレーター・宮内隼人とともに辿ります。
▶︎詳細は、地方に眠る食材を発掘し、その物語とともに届ける。フードキュレーター・宮内隼人の挑戦。

「日本のお茶の魅力」といえば、まずどんな要素を思い浮かべるでしょうか。玉露に代表される蒸し茶の出汁のような旨味。あるいは口中を洗い流すような上品な苦味。そして何よりも、脳の中枢に届くような芳しい香り。

今回ご紹介するのは、その「香り」に特化した逸品『宮﨑茶房』の釜炒り茶です。お茶の香りが増幅される高地で栽培され、無農薬栽培でより透明感ある香りを育て、伝統の釜炒り製法でさらに豊かな香りを引き出す。その驚くべきクオリティは農産物の最高栄誉である天皇杯も受賞し、日本各地を飛び回り、日々食材を探し回る『ONESTORY』のフードキュレーター・宮内隼人をして「文句なしに国内最高峰の香りと飲みやすさ」と惚れ込ませた逸品。口中を満たし鼻孔から抜ける、瑞々しく華やかな香り、どんな食事にも合い、また単体でもゴクゴク飲めるすっきりとした味わいは、体験すれば誰しもを虜にすることでしょう。

さらに今回は特別に用意して頂いた生産量の少ない手摘み“たかちほ”烏龍茶と、3年熟成の“みなみさやか”紅茶、手摘み“つゆひかり”釜炒り茶の3種セットでお届け。いずれも香りが命の『宮﨑茶房』を象徴する逸品で、このタイミングでしか手に入らないプレミアムなセットです。お茶の概念を覆す圧倒的な香りを、ぜひご自身でお確かめください。


▽手摘み五ヶ瀬烏龍茶/釜炒り茶/熟成紅茶 3種セット(宮崎茶房)
価格:7,560円(税込) 容量:各25g

※販売業務は「株式会社 果実工房」に委託しております。

極上の香りの根源は何よりも、お茶にかける生産者の熱意。

宮﨑茶房悠久の歴史を持つ五ヶ瀬。その底力をお茶作りに活かす。

「ここ宮崎県五ヶ瀬町は九州発祥の地。この地から順に地表が隆起して、九州が生まれたのです。周辺からは4億年前の化石が出土することもあるんですよ」取材に訪れた『宮崎茶房』の工房で、代表・宮﨑亮氏はそんな話を聞かせてくれました。もちろんそれは歴史講義ではなく、お茶の話。ここに悠久の歴史を刻む特別な土があること、そして隆起により標高が高くなったことが、宮﨑氏のお茶づくりの肝になっているのです。

まず肥沃な土壌は、有機農法を可能にしました。『宮﨑茶房』では先代の頃、昭和58年から農薬を一切使わず、有機肥料のみでお茶を育てる有機農法に切り替えました。これは当時としては異例で、周囲から「変わり者」と笑われることもあったといいます。しかし「毎日飲むお茶ですから、安心して楽しみたい」と有機農法を貫く宮﨑氏。さらに地質を活かし、施肥を最低限に絞ることで、すっきりとした味わいのお茶が育つのだといいます。

そして500m~800mという標高。一般的に旨味ある茶を育てるには、温暖な土地が適しているといわれています。しかし標高が高く寒暖の差が大きいと、旨味成分が増加しない代わりに、香り高くすっきりとしたお茶が育つのです。つまり、「すっきり感」と「香り」に振り切ったお茶を目指すなら、ここほど適している土地はないのです。

さて、ここまでが『宮崎茶房』を取り巻く環境の話。しかし「日本最高峰の香り」のお茶はまだ生まれません。キーとなるのはもちろん、宮﨑亮氏の存在です。

宮﨑市内から3時間ほど。高千穂の山が、香り高いお茶作りの舞台。

現在ではこの地のお茶作りを学びに、多くの研修生が『宮﨑茶房』を訪れる。

宮﨑茶房運命のいたずらにより、偶然生まれた最高の烏龍茶。

昭和初期から続くお茶農家に生まれた宮﨑氏。しかしかつては家業を継ぐ気もなく、普通科高校から宮崎大学に進学しました。ところが農学を専攻し、ある時、菊の花の開花の実験をしていた宮﨑氏に、徐々に「農業っておもしろい!」との思いが芽生えたのです。そして卒業後に研修を経て、家業を継いだ宮﨑氏。もちろん、農学と実際の農業は似て非なるもの。それでも「植物と真摯に向き合い、論理的思考で最適解を探す」という姿勢は、今も変わらずに貫かれています。

そんな宮﨑氏にひとつの転機が訪れます。あるテレビ番組で台湾茶の特集を見た際、ほんの思いつきで烏龍茶を作ってみることにしたのです。早速、手探りでの烏龍茶作りに着手した宮﨑氏。そもそも『宮﨑茶房』のお茶の最大の特徴は、お茶を蒸さずに釜で煎って、茶葉から出る水分によって酵素を失活させ、発酵を止める手法。そしてこの手法が、香りが命の烏龍茶作りにマッチしたのでしょう。翌年完成した烏龍茶は、すっきりした味わいとクチナシの花のような香りを持つ、最高の出来栄えだったのです。

「なんだ、簡単じゃないか」当時の宮﨑氏はそう考えました。そして翌年、その考えが間違いだったことに気づくのです。どう頑張ってみても、最初の年のあの味ができない。そこから宮﨑氏の試行錯誤の時代が始まります。

「今だからわかりますが、あれはさまざまな偶然が重なった結果でした」宮﨑氏はそう振り返ります。日照時間、気温、雨の降るタイミング、湿度、選んだ品種、茶摘みの時期、熟成期間などがすべて揃い、最初の烏龍茶は素晴らしい品質になっていたのだといいます。まるで神様のいたずらのような偶然。そして偶然できた烏龍茶の記憶が、宮﨑氏を烏龍茶作りに駆り立てたのです。

『宮﨑茶房』の宮﨑亮氏。農業を論理的に検証し、日々時代に合ったお茶作りに取り組む。

取材に訪れた宮内隼人とともに。会話は品種特性など、深い部分にまで及んだ。

宮﨑茶房トライ&エラーを繰り返しながら、手探りで挑む烏龍茶作り。

宮﨑氏は記憶の中の烏龍茶を再現するために、さまざまな試みを続けました。あるときは文献を紐解き、またあるときは農業試験場に足を運び、烏龍茶の本場・台湾に赴くこともしばしば。そうして少しずつ調整を重ね、あのときの烏龍茶は徐々に形になりはじめます。そればかりか、試行錯誤の日々は烏龍茶以外のお茶の香りの向上にも繋がりました。やがて『宮﨑茶房』のお茶は、農林水産大臣賞、そして農産物の最高栄誉である天皇杯を受賞。おそらく、現在ではあのとき偶然にできた烏龍茶の品質は、とっくに越えていることでしょう。それでも宮﨑氏は言います。「自然が相手の農業にゴールはありません」

早くから有機農法に切り替えていたことも、ここで良い結果をもたらします。無農薬であるから、ここのお茶は病気や虫に弱い。そのため、ひとつの事態で全滅とならぬよう、さまざまな品種を育てていました。その数、実に20種以上。そこに烏龍茶や紅茶といった発酵茶の技術が加わったことで、無数の味のバリエーションが生まれました。さらにそれぞれの品種特性をもっとも活かす発酵で、その魅力を引き出すことにも成功。こうして『宮﨑茶房』の香り高いお茶は、その名を全国に轟かせるのです。

乾燥や熟成、発酵もすべて手探り。味の記憶を頼りに、最高の烏龍茶作りに挑む。

蒸さずに釜炒りすることで、透明感、すっきり感を生み出すのがこの地域のお茶の特徴。

宮﨑茶房烏龍茶を起点に改めて考える、お茶のおいしさ。

家庭でのお茶の消費量が減少傾向にある現状も、宮﨑氏にとっては大きな問題ではありません。「時代に敏感に感じ取りながら、今の時代に合うお茶を作ればいい」その熱意と絶え間ない研究により、『宮﨑茶房』は実にさまざまなお茶を世に送り出しています。共通するのは、上質な香りとすっきり感。どれを飲んでも、かつて経験したことのない透明感ある香りを堪能できることでしょう。

そのなかでフードキュレーター・宮内隼人は今回のご紹介のメインにこの地域の在来種である“たかちほ”という品種の茶葉を用いた烏龍茶を据えました。「『宮﨑茶房』を最も象徴するお茶です。ハーバルな青さのある香りは、茶畑のある高千穂の山を思わせるよう。お茶だけでなく宮﨑さんという人物の凄みを伝えるために、この烏龍茶を選びました」と宮内。おいしさが大前提にありつつ「お茶の概念を覆す驚きと感動があった」ことが選定の理由だといいます。

そしてセットにしたのはより深い香りのある紅茶と、フレッシュ感のある釜炒り茶。烏龍茶を基準にそれぞれを味わってみれば、お茶の魅力とポテンシャルをいっそう深く楽しめることでしょう。今回ご紹介するのは、生産量の少ない手摘み“たかちほ”烏龍茶と、3年熟成の紅茶、手摘み釜炒り茶の限定セット。気温や天候の影響を受けやすい繊細なお茶の世界で、宮﨑氏が「素晴らしい出来栄え」と胸を張るセットは、今だけ、ここだけでしか手に入らない希少品です!日本が誇る最高のお茶の香りを、ぜひご自宅でお楽しみください。

▽手摘み五ヶ瀬烏龍茶/釜炒り茶/熟成紅茶 3種セット(宮崎茶房)
価格:7,560円(税込) 容量:各25g

※販売業務は「株式会社 果実工房」に委託しております。

試飲させてもらった数々のお茶。それぞれに明確な個性がある。

異なる魅力を放つ多彩なお茶のなかで、やはり宮内の心を捉えた“たかちほ”の烏龍茶。

「いつでも、何度でも飲めるお茶」と自身のお茶を評する宮﨑氏。


▶その他の商品は、
▽スペシャルティコーヒー2016年(アダファーム)
詳しくは、<年間収穫量はわずか50kg。沖縄の自然と向き合い、大切に育てられる国産唯一のスペシャルティコーヒー。

吟選台湾高山青茶(茶禅華)
詳しくは、<透明感ある味わいと、ふくよかな乳香。名店『茶禅華』川田智也シェフが惚れ込んだ、幻の台湾茶。

住所:〒882-1202 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字桑野内4966 MAP
電話:0982-82-0211 FAX.0982-82-0316
株式会社 宮﨑茶房 HP:http://www.miyazaki-sabou.com/

透明感ある味わいと、ふくよかな乳香。名店『茶禅華』川田智也シェフが惚れ込んだ、幻の台湾茶。[茶禅華/東京都港区]

味と香りの絶妙な調和が楽しめる台湾茶は、食中でも単体でも存分に楽しめる。

茶禅華

地域に眠る食材を、国内外のトップシェフが調理する野外レストラン『ダイニング アウト』。その準備の過程で出合った素晴らしい食材の数々を、『ONESTORY』読者の皆様に数量限定でご紹介する準備が整いました。ご紹介するのは生産量や流通の関係で市場に出回らない、けれども超一級の名品たち。その知られざる魅力を、日々食材探しに勤しむ『ONESTORY』のフードキュレーター・宮内隼人とともに辿ります。
▶︎詳細は、地方に眠る食材を発掘し、その物語とともに届ける。フードキュレーター・宮内隼人の挑戦。

2017年2月、麻布に開店した中華料理店『茶禅華』は、近年話題に上らぬ日のない注目店。開店からわずか9ヶ月でミシュラン2ツ星を獲得、店を率いる川田智也シェフの深く、真摯で、誠実な人柄、そして日本の心を中国の技法を重ねる「和魂漢才」の哲学のもと、日々食通たちの舌を魅了し続けています。2018年5月には大分県国東市を舞台にした『DINING OUT KUNISAKI』を担当。土地と食材への深い理解と、凄みさえ感じさせるクリエーションで、訪れたゲストを魅了しました。

そう、ご紹介するのは、そんな名店『茶禅華』から。けれども料理ではありません。川田シェフが、料理と同様の情熱を傾ける台湾茶。それも川田シェフが台湾修業時代に出合って惚れ込み、以来『茶禅華』でも提供し続ける『吟選台湾高山青茶』のご紹介です。フードキュレーター・宮内隼人もが「お茶ときいて思い浮かべるイメージを、確実に覆します」と語る未知なるお茶。日本では『茶禅華』のみで楽しむことが可能な、この至高の味と香りを今回特別にご案内します。

▽吟選台湾高山青茶(茶禅華)
価格:12,960円(税込) 容量:100g

※販売業務は「株式会社 果実工房」に委託しております。

2018年に開催された『DINING OUT KUNISAKI』でも腕を振るった川田シェフ。

『DINING OUT KUNISAKI』の舞台でも、お茶が重要なファクターとなった。

茶禅華料理人として捉える、食材としてのお茶。

日々国内を飛び回り、さまざまな生産者の元を訪れるフードキュレーター・宮内隼人。しかし国内の食材に精通するものの「台湾茶はほぼ知らなかった」と振り返ります。そんな宮内がある日、『茶禅華』を訪れて料理と台湾茶のペアリングを体験し、胸を撃つような衝撃を受けました。日々さまざまな食材と触れ合う宮内を驚かせ、そして台湾茶の奥深く、果てしない道へと誘ったお茶。それが今回ご紹介する『吟選台湾高山青茶』です。その知られざる魅力を、川田シェフの言葉から紐解いてみましょう。

料理専門学校在学中に、「料理を学ぶならここしか考えられない」と思い定めた名門中華料理店『麻布 長江』で料理人としての第一歩を踏み出した川田智也シェフ。師からの最初の教えで「まずはお茶を煎れなさい」とあったことが、川田シェフとお茶の出合いでした。さらに「そもそもお酒があまり強くないので、その興味がお茶に向かったのかもしれません」と、少しずつお茶に傾倒しはじめた川田シェフ。しかし、学んでも学んでも、奥深く、先の見えない世界。川田シェフのお茶探求はやがてライフワークになります。

その後、日本の食材を学ぶために、川田シェフは日本最高峰の名店『日本料理 龍吟』の門を叩きます。さらに数年後、台湾に開かれる『祥雲龍吟』立ち上げへの参加したことが、ひとつの転機になりました。台湾茶の本場で川田シェフは、時間を見つけてはお茶の生産者を訪ね歩いたのです。「料理人として、お茶を食材のひとつとして考えました。どのような土壌で、どのような育て方をされているのか。どう育てられ、どう摘まれ、どう運ばれているのか。料理と同様に、学ぶことは数多くありました」

『茶禅華』ではアルコールペアリングのほか、お茶とのペアリングコースも用意される。

店内に並ぶ素晴らしい茶器からも、川田シェフのお茶にかける思いが伝わる。

料理人として、料理との相性も見極めながらお茶を考える川田シェフ。

茶禅華台中の高山で偶然出合った、至高の一杯。

「人間の叡智で、調味料を足さずに味の円を作るのがお茶の魅力。塩分、糖分が介在せずに、ひとつの料理として完成しているのです」川田シェフはお茶の魅力をそう語ります。さらに川田シェフの話は、お茶の文化そのものにまで広がります。

「日本の水は世界的に見ても上質です。しかし水が良いだけに、お茶の文化はシンプルになりました。中国や台湾では水の質を補うように多彩な発酵の技術が生まれたのではないでしょうか」そして技術として発展した発酵茶を、日本の水で楽しめる現在は、これまで以上に素晴らしいお茶が楽しめるようになっているのだといいます。

さらに産地を巡ると同時に、煎れ方も学び続けた川田シェフ。試行錯誤を繰り返しながら理想に近づけるのは、料理人としての川田シェフの職人気質の賜物。「水は1度から100度までしかありません。ならば全部試してみればいい」と本人は笑いますが、それが気の遠くなるような道のりだったことは想像に難くありません。そうして本場台湾で生産者を訪ね、自身の技術も磨いた川田シェフ。そんななか、川田シェフはついにあるお茶と出合います。

「台中のとある生産者のもとで出合い、とにかく驚きました。“ふくよか”と“清らか”という相反する要素を併せ持ったお茶。口にした瞬間は透明感ある清らかな味わい、そこからふくよかに味わいが広がります。こんなお茶はそれまで知りませんでした」

聞けば標高1200m~2000mの高地で栽培され、収穫後は真空にして温かい場所で寝かせる工程があるのだとか。台湾茶の中でもかなり珍しいこの工程により、アーモンドのような優しい乳香と透明感ある飲み口を実現しているのです。

川田シェフが台湾で出合った高山茶。日本では『茶禅華』でのみ楽しめる。

おすすめは浄水にかけた水道水。日本の水質の良さが、お茶のおいしさにも作用する。

茶禅華1杯ごとに趣が異なる、奥深き台湾茶の世界。

川田シェフは以降もその生産者と連絡を取り合い、『茶禅華』の開店後は店の目玉としてこのお茶を提供。今では川田シェフの料理に欠かせない存在となっているのだといいます。「甘い物やフカヒレのようなまろやかな料理など、どんな料理にもよく合います。また白米との相性も良く、たとえばご飯と海苔の佃煮のようにシンプルな食事に、深みと広がりを加えてくれます」と川田シェフ。もちろんお茶単体でも、存分にその魅力が楽しめるといいます。

家庭で楽しむ場合は温めた急須に沸騰した湯を注ぎ、1分ほど。さらに1回で何度も楽しめるのもこのお茶の魅力。「1回目は香り、2回目は味、3回目は香りと味のバランス、4回目は余韻。それぞれに異なる良さが楽しめるはずです」

水出しの場合は800ccの水に10gの茶葉を入れて、冷蔵庫で1日待てば完成。これもまた、異なる香りと味わいが堪能できます。
まろやかな乳香がありながら、透明感と清らかさもある。まさに奇跡のような台湾茶。フードキュレーター・宮内は「後から香りを足す着香だと、口にした際に味と香りが分離してしまいます。その点、このお茶は、ほのかな余韻を残して消えるまで味と香りの最適なバランスが続きます。日本のお茶しか知らない方は、絶対に驚くと思います」と胸を張りました。川田シェフも「温かくても、冷たくても、どんなタイミングでもおいしいお茶。ご家庭でお気軽に楽しんで頂けると思います」と自信を見せます。

予約の取れない名店『茶禅華』で、訪れたゲストにだけ振る舞われている『吟選台湾高山青茶』。ご家庭で楽めるこのチャンスを、ぜひお見逃しなく!

▽吟選台湾高山青茶(茶禅華)
価格:12,960円(税込) 容量:100g

※販売業務は「株式会社 果実工房」に委託しております。

アーモンドような香りから、杏仁豆腐やココナッツ団子とも絶妙な相性。

お茶に造詣が深い川田シェフが自信を持って推薦する今回の逸品。

『DINING OUT KUNISAKI』の準備期間も行動を共にし、さまざまな意見を交換した川田シェフと宮内。

徐々に茶葉が開いていくごとに、異なる趣の味わいが楽しめる。


▶その他の商品は、
▽スペシャルティコーヒー2016年(アダファーム)
詳しくは、<年間収穫量はわずか50kg。沖縄の自然と向き合い、大切に育てられる国産唯一のスペシャルティコーヒー。

▽手摘み五ヶ瀬烏龍茶/釜炒り茶/熟成紅茶 3種セット(宮崎茶房)
詳しくは、<土壌と気候と技術が生んだ、最上級の香り。お茶の概念を覆す国産有機栽培釜炒り茶。

住所:〒106-0047 東京都港区南麻布4丁目7−5 MAP
電話: 050-3188-8819
茶禅華 HP:https://sazenka.com/

1982年栃木県生まれ。東京調理師専門学校卒。物心ついた頃から麻婆豆腐等の四川料理が好きで、幼稚園を卒園する頃には既に料理人になる夢を抱く。2000年~2010年麻布長江にて基礎となる技術を身につけ、2008年には副料理長を務める。その後日本食材を活かす技術を学ぶべく「日本料理龍吟」に入社。2011年~2013年の間研鑚を積んだ後、台湾の「祥雲龍吟」の立ち上げに参加、副料理長に就任し2016年に帰国。中国料理の大胆さに、日本料理の滋味や繊細さの表現が加わった独自の技術を習得する。2017年2月「茶禅華」オープン。わずか9カ月でミシュランガイド2つ星を獲得すると言う快挙を成し遂げる。和魂漢才という思想の元、日本の食材を活かした料理の本質を追求し続けている。

年間収穫量はわずか50kg。沖縄の自然と向き合い、大切に育てられる国産唯一のスペシャルティコーヒー。[アダ・ファーム/沖縄県国頭郡]

ほぼ市場に出回ることがない希少なコーヒーを今回特別に用意。

果実由来の適度な酸味と豊かな香りが特徴。

アダ・ファーム

地域に眠る食材を、国内外のトップシェフが調理する野外レストラン『DINING OUT』。その準備の過程で出合った素晴らしい食材の数々を、『ONESTORY』読者の皆様に数量限定でご紹介する準備が整いました。ご紹介するのは生産量や流通の関係で市場に出回らない、けれども超一級の名品たち。その知られざる魅力を、日々食材探しに勤しむ『ONESTORY』のフードキュレーター・宮内隼人とともに辿ります。
▶︎詳細は、地方に眠る食材を発掘し、その物語とともに届ける。フードキュレーター・宮内隼人の挑戦。

今回ご紹介するのは、沖縄・やんばるの森で育てられた至高のコーヒー。国産で唯一スペシャルティコーヒーに認定されるものの、その生産量の少なさから本州ではほぼ口にすることができない幻の一杯です。それも日本初のスペシャルティコーヒー認定記念ロットである「2016年ヴィンテージ」というコーヒーファン垂涎の逸品です。

▽スペシャルティコーヒー2016年(アダファーム)
価格:16,200円(税込) 容量:40g

※販売業務は「株式会社 果実工房」に委託しております。

『DINING OUT RYUKYU-NANJO』のコースの締めに登場した安田珈琲。その芳醇な香りでゲストを驚かせた。

「アダ・ファーム」代表・徳田氏自らが、当日のドリンク担当としてコーヒーを抽出した。

アダ・ファーム沖縄本来の自然に近づける環境作り。

2018年11月に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO』。沖縄県南城市を舞台に、日本を代表する女性料理人である志摩観光ホテル・樋口宏江シェフが腕を振るった晩餐は大盛況で幕を下ろしました。沖縄の食材を使ったフルコースは圧巻の一言。そしてその締めに登場し、ゲストを恍惚へと導いたのは、琥珀色をした一杯のコーヒーでした。それが今回ご紹介する「アダ・ファーム」の安田珈琲です。

沖縄の風土、気候を凝縮したような独自の味わいから、国産唯一のスペシャルティコーヒー認定を受ける安田珈琲。しかし丁寧な作業を要するがゆえに、年間の生産量はわずか50kg程度。毎年の販売を心待ちにする熱心なファンも多く、一般にはほぼ流通することはありません。そんな希少なコーヒーにはいったいどんな思いが込められ、どんなおいしさが秘められているのでしょうか。幻のコーヒーの秘密を探りに、沖縄を訪ねました。

「遠いところへようこそ」代表の徳田泰二郎氏と優子氏は、笑顔で取材班を出迎えてくれました。「アダ・ファーム」があるのは沖縄本島最北端に近い国頭村安田地区。観光農場ではなく見学者を受け入れるわけではありませんが、防風林に囲まれた農場は沖縄の原風景を思わせる心地よい雰囲気に包まれています。

二人に案内されて農園を歩くと、その印象はいっそう強まります。直射日光を避けるシェードツリーは沖縄の在来種であるウラジロエノキ。足元がフカフカなのは刈り取った枝や落ち葉を堆肥と混ぜ、有機質にしているため。ときに甚大な被害をもたらす台風でさえ、ミネラルを運ぶ大切な栄養源です。

「土を本来の山に近づける作業です」徳田氏はそう言います。海外のコーヒー産地のやり方を真似るのではなく、その土地ならではの方法を探る。「沖縄には沖縄にしかできない方法があるはず」徳田氏は試行錯誤を繰り返しながら、ここでしか作れないコーヒーを模索し続けているのです。

「アダ・ファーム」の徳田泰二郎氏と優子氏。絵に描いたような沖縄の風景が印象的。

土が本来持っている力を引き出す森林農法。相手が自然だけに決まった答えがなく、挑戦の連続。

アダ・ファーム海外を真似るのではなく、この土地を活かすこと。

ここで少し、徳田氏のコーヒー作りの背景を紐解いてみましょう。徳田氏は東京出身。成人してすぐに沖縄に渡った理由を「環境問題へ取り組みたいという思いが半分、世の中への不満や怒りが半分」と振り返ります。その後、知人の伝手でパパイヤ栽培を開始。しかしそれがハウスでの鉢植え栽培だったことから「もっと自然の中で、答えのない農業に取り組みたい」との思いが募り、2008年にこの地にコーヒー農園を開きました。

当時は沖縄にコーヒー農園も少なく、また自身にも経験がない手探りの状況。徳田氏は文献をあさり、論文を読み、コーヒー栽培の基本を学びます。しかし実践してみると、それらが役に立たないことに気づきます。失敗しては修正し、また挑戦する。そんなことを繰り返すうちに、徳田氏はひとつの結論に思い至りました。それは「答えは全部、目の前の農園にある」ということ。

日々さまざまな研究がなされ、進化し続けるコーヒー作り。しかしそれらをもっとシンプルに農業として捉えるならば、木々と正面から向き合い、必要な手入れを丁寧に続ける以外に方法はないことに気づいたのです。「健康な木から、良い果実を収穫すること。それがすべてです」

「自分が作りたいコーヒーではなく、この土地が作りたがっているコーヒー」を目指す徳田氏。

品種はスタンダードなブラジル系。12月から2月にかけて収穫期を迎える。

日照時間、気温、雨のサイクル。自然に挑むかのような挑戦が続く。

アダ・ファーム果実の香りを豆に移す、世界で唯一の製法。

現在、8000坪の農園にあるコーヒーの木は、「責任を持って、気持ちを込めて育てられる限界」という800本。これは「アダ・ファーム」が手作業での収穫方法を採っているため。一粒ずつ指先で摘んで熟し具合を確認しながら、丁寧に手で撚りもいでいくのです。

また収穫後の工程にも、大きな特徴があります。コーヒー豆とはそもそも果実に包まれた種の部分。通常は収穫してすぐに豆と果実を分別します。しかし安田珈琲はこの果実部分と豆を、出荷する直前まで一緒にし、全行程を分別せずに行うのです。

まずは水分をたっぷり溜め込んだ最盛期に果実を収穫し、機械で皮むき、そして3日間の乾燥。そこから短くとも2~3ヶ月熟成させる間も、豆は常に果実とともにあります。「収穫した果実が持っているものを、どれだけ豆に入れ込めるか」そんな徳田氏の狙い通り、ドライフルーツのような、あるいはバラのような果実の香りが豆に移り、コーヒーに華やかさを加えるのです。

話を聞くとメリットしかないように思えますが、実はこの方法、機械脱穀しながら分別するのではなく、乾燥後に手作業で分別するため、膨大な手間がかかるのです。ゆえに徳田氏が知る限り、世界中で「アダ・ファーム」だけのやり方だといいます。

熟成期間中も果実と豆を一緒にする独自の方法により、豊かな香りが生まれる。

「ミツバチとコーヒーが会話して、良い方向に向かうかもしれない」と新たに養蜂も開始。手探りの挑戦が続く。

アダ・ファーム希少な記念ヴィンテージを限定販売。

徳田氏の視線が向くのはいつも、カップに入った液体のコーヒーではなく、農産物としてのコーヒー。ゆえに「アダ・ファーム」では基本的に焙煎はせず、生豆のみを販売します。「焙煎も抽出も、専門の職人が一生をかけて追求する仕事。僕がやるべきことは生産者として堂々と渡せる豆を作ること」そのために農業としてできることは、まだまだあるといいます。

スペシャルティコーヒーの認定についても「沖縄という土地の良さを証明できた。素直に嬉しいです」と喜びながらも「もっと大切なことは、毎年楽しみにしてくれる人がいること」と徳田氏。そんな頑固で真摯で実直な人柄を知るにつけ、一杯の安田珈琲の味わいは、いっそう深く感じられることでしょう。

安田珈琲に惚れ込んだフードキュレーター・宮内は「苦味、酸味、コクの絶妙なバランスで成り立つ想像以上の味。抽出物でありながら、飲み物として完成されている印象です」と太鼓判。また安田珈琲の大きな特徴として「通常のコーヒーでは考えられませんが、これは冷めていくなかで、ワインのように経時変化も楽しめます。きっと驚かれると思います」と語ります。そして産品としてのコーヒーだけではなく、これほどのコーヒーを生み出す沖縄という土地のポテンシャルも含めてお伝えしたい、との思いも強く、今回のご紹介に至ったのです。

さらに今回、限定販売されるのは、希少な安田珈琲のなかでも日本初のスペシャルティコーヒー認定を受けた「2016年ヴィンテージ」。もう二度と飲むことができない最後のロットです。果実の香りと沖縄の土の力、そして生産者の思いが詰まった幻のコーヒーを家庭で楽しめるまたとないチャンス。どうぞこの機会をお見逃しなく!

▽スペシャルティコーヒー2016年(アダファーム)
価格:16,200円(税込) 容量:40g

※販売業務は「株式会社 果実工房」に委託しております。

「衝撃的な味と香り」と安田珈琲を振り返る『ONESTORY』宮内と徳田氏。

有機農法を追求し、2016年にはJASオーガニックの認定も受けた。

生産者の熱意と物語が、一杯のコーヒーに深みを添える。

徳田氏のこだわりを凝縮した安田珈琲。深いコクと華やかに広がる香りに圧倒される。


▶その他の商品は、
吟選台湾高山青茶(茶禅華)
詳しくは、<透明感ある味わいと、ふくよかな乳香。名店『茶禅華』川田智也シェフが惚れ込んだ、幻の台湾茶。

▽手摘み五ヶ瀬烏龍茶/釜炒り茶/熟成紅茶 3種セット(宮崎茶房)
詳しくは、<土壌と気候と技術が生んだ、最上級の香り。お茶の概念を覆す国産有機栽培釜炒り茶。

住所:非公開
電話:非公開
営業時間:非公開
アダ・ファーム HP:http://farmthefuture.jp/

吉野と高野山を結び、次の時代の交差点となる城下町。[五條新町/奈良県五條市]

JR五條駅と二見駅の間、吉野川沿いに広がる五條新町。時代を感じさせる歴史的な街並みで、おみやげ処や食事処もあり。

五條新町美しく保たれた伝統的建造物群保存地区。

伊勢街道の要所にあり、奈良県・吉野と高野山のちょうど間に位置する奈良県五條新町。江戸幕府が成立してすぐ、1608年(慶長13年)に城下町として建設されました。奈良県(大和)内には伝統的な町屋や歴史的な街並みを有する地区が数多く存在しますが、多くは開発によって姿を変えてしまった。その点、この五條新町は150軒ほどの家々があり規模が大きく、美しい状態が保たれている。様々な年代の建築様式が残されており、歴史的景観は国内でも有数で、重要伝統的建造物群保存地区の指定も受けています。

この町には保存に力を入れる団体があり、指定も受けて整備がされていますが、当初は観光客も多くはありませんでした。町並みは美しいかもしれないけれど、人歩きが見られなければ、このままでは少しずつ死んでいく。買い物するところやカフェなどの飲食店がないと人は呼べません。

建築年代の判る民家では日本最古を誇る、重要文化財の栗山家住宅など、見所も数多く点在する。

元禄の大火以降に建てられ、防火策が厳重に施された特徴的な建築も目にすることができる。

五條新町京都に変わる観光と散策に適した城下町。

人を呼び込もうと築250年の商家を改築し、日本料理レストラン『五條 源兵衛』を立ち上げました。修理やデザインを手がけたこともあり、この町には思い入れが強いのです。かなり老朽化が進んでいて、構造上大変な作業となり、チャレンジングな物件でした。部屋も広々としていて、現在はいい料理人が腕を振るっている。遠方からもツアーでお客が足を運ぶほど成功していると聞いています。最近ではこのレストランがオープンしたのを機に、新しいお店も次々とオープンしているよう。携わったものとしては嬉しい限りです。

五條新町は伊勢、大和、紀伊を結ぶ交差点であり、マーケットタウン。五條市は金剛山と吉野山地に囲まれ、近くには吉野川も流れて景色も美しい。近隣の京都は観光ブームに沸き、人が多すぎる。嵐山なども観光どころではなくなってしまいました。街並みを眺めながらの散策を楽しむなら、五條新町をお勧めします。とはいえ、五條もまだまだ課題を抱えていて、素晴らしい酒蔵もまだまだ残されています。さらなる可能性があり、望みもある。また奈良にはこうした歴史ある街並みが点在し、可能性を十分に感じさせます。かつて奈良と高野山を結ぶ交差点だった五條新町。また次の時代の交差点になることを願うばかりです。

向かいにある一棟貸しの宿「やなせ屋」に宿泊も可能。オーベルジュとして滞在できる、レストラン『五條 源兵衛』。

住所:奈良県​​​​​​奈良県五條市本町2-5-20 MAP
五條新町 HP:http://gojo-sin.info/index.html

1952 年生まれ。イエール大学で日本学を専攻。東洋文化研究家、作家。現在は京都府亀岡市の矢田天満宮境内に移築された400 年前の尼寺を改修して住居とし、そこを拠点に国内を回り、昔の美しさが残る景観を観光に役立てるためのプロデュースを行っている。著書に『美しき日本の残像』(新潮社)、『犬と鬼』(講談社)など。

「完成形のない生きたホテル」が京都の旅を変える。[ENSO ANGO/京都府京都市]

暮らすように泊まれる「分散型ホテル」。従来のホテルでは叶わなかった体験が待つ(photo by Satoshi Asakawa)。

エンソウ アンゴ個性あふれる5棟が「ひとつのホテル」を形成。

2018年10月。稀(まれ)な個性としつらえを併せ持ったホテルが、京都の中心地に誕生しました。
その名は『ENSO ANGO(エンソウ アンゴ)』。四季折々に異なる表情を見せ、訪れるたびに新鮮な驚きを与えてくれる京都にふさわしい、多面的な魅力を持つホテルです。

そのキャッチコピーは“完成形のない生きたホテル”。徒歩で巡れる5棟の建物を「1つのホテル」に見立て、京都の歴史と風土を大切にしながらも、ここでしか味わえない体験を取り揃えています。

5つの棟は京都の中心地・四条通りと五条通りに挟まれたエリアに点在。いずれの棟でもチェックインができ、各棟の施設を自由に利用できます。

5棟のホテルを自由に回遊して、 住まうような、暮らすような感覚で旅ができる(photo by Tomooki Kengaku)。

5棟それぞれが独特の表情・特徴・機能を持つ。各棟のラウンジ・テラス・バーなどではゲスト同士の交流や情報交換も可能(photo by Tomooki Kengaku)。

エンソウ アンゴ「分散型ホテル」という斬新な形態の意義。

『ENSO ANGO』を構成する5棟は、それぞれ目をみはるような個性を備えています。揺るぎ無いコンセプトによる統一感を漂わせながらも、各棟の装飾や空間デザインは、全て異なるアーティストが担当。しかも、いずれも超一流の芸術家達です。まるで美術館のようなしつらえと存在感は、単に泊まる以上の満足感をもたらしてくれるでしょう。
さらに、今後も新たな棟が加わって、京都という歴史ある古都を舞台に広がっていく可能性を秘めています。通常は1棟で完結してしまうホテルに、「発展」と「進化」という魅力的な可能性を付加。そして、同じく発展と進化を続ける京都の街とも一体化していく――そんな分散型ホテルという新しい宿泊モデルが持つ、旅人と地域の無限の可能性を示すコンセプトが、“完成形のない生きたホテル”というキャッチコピーなのです。

千年の歴史を誇る京都の街と、そこに溶け込む5棟を巡ることで、自らの気づきや発展も得られる(photo by Satoshi Asakawa)。

京都の暮らし・行事・ものづくりなどとも触れ合い、生きた旅を実感したい(photo by Tomooki Kengaku)。

「FUYA II〈麩屋町通Ⅱ〉」のエントランス。日本の精神文化を象徴する茶道の要素を散りばめている(photo by Tomooki Kengaku)。

エンソウ アンゴ連携しながらも異なる個性を奏でる。

そんな個性豊かな5棟をディレクションしたのは、世界的なインテリアデザイナーとして知られる内田繁氏が創設した『内田デザイン研究所』。建築・インテリア・家具デザインなど、隅々まで『ENSO ANGO』ならではのスタイルと格式を打ち出しています。
その確たる基盤に彩りを添えるのは、先述したように、各棟ごとに異なる一流アーティスト達。客室・ラウンジ・ロビーなどの空間デザインを手がけ、個性と創造性の競演を見せてくれます。

まずは全棟のディレクションと同じく、『内田デザイン研究所』が担当した『FUYA II〈麩屋町通Ⅱ〉』。
テーマは「伝統と現代を行き来する場の精神性」で、『ENSO ANGO』の名の由来ともなった“日本の精神文化”と京都の路地の魅力を具現化しています。

その象徴とも言えるのが、茶室と立礼席(椅子とテーブルのお茶席)の設けられたロビー空間です。インテリアデザインの一時代を築いた内田氏と、その理想を継承した内田デザイン研究所のセンスで創り上げられた空間は、「茶の湯」「侘び寂び」といった日本の美意識を体現しつつも、『ENSO ANGO』ならではの凛とした装いを見せてくれます。
ほかにもメディテーション(瞑想)を行なったり法話を聞いたりできる畳サロン、庭園を眺めながら汗を流せるジムなど、自らの内面を見つめながら精神を高められるスペースを備えています。

「FUYA II〈麩屋町通Ⅱ〉」にしつらえられた茶室。己の内面とゆったり向き合ってみたい(photo by Tomooki Kengaku)。

ホテルには珍しい畳敷きのサロン。広々とした空間でメディテーションに浸りたい(photo by Tomooki Kengaku)。

エンソウ アンゴ暮らしに息づく工芸の美に気づく。

次に、陶作家の安藤雅信氏が室内装飾を手がけた『FUYA I 〈麩屋町通Ⅰ〉』。“うなぎの寝床”と称される京町屋独特の造りを生かし、その伝統的な構造を踏襲しています。パブリックエリア全体が安藤氏の作品ギャラリーとなっていて、都会の喧騒から隔絶された静寂にじっくりと浸ることができます。この棟は安藤氏が主宰する『ギャルリ百草(ももぐさ)』の空間的世界観を現しており、「着る・食べる・住む」という生活の基本から見つめ直した美術と工芸の在り方を追求しています。

安藤氏が手がけた食器・茶器・オブジェなどに囲まれて、身近な美の存在を実感(photo by Tomooki Kengaku)。

坪庭を望むラウンジに至るまで、美術館のような佇まいを誇る(photo by Tomooki Kengaku)。

エンソウ アンゴ“食”に関わるアートとイベントを楽しむ。

アーティスティックな空間を堪能できる棟は、ここだけではありません。
東京藝術大学の美術学部長にして、岐阜県美術館の館長を務める日比野克彦氏が担当した『TOMI I 〈富小路通Ⅰ〉』では、氏の代表的なモチーフである段ボールアートを鑑賞できます。

“京都の台所”として知られる錦市場で使われていたダンボールを素材に、京都の日常と暮らしから生まれたアートを、手描きの壁画や装飾として展示。日比野ワールドの醍醐味とも言える、前衛的な空間が広がります。

さらに、アイランドキッチンとダイニングテーブルを備えたラウンジや、テラスに面したゲストキッチンなどを完備。「食」の様々なスタイルを通し、地域の人とゲストとが交流をする場になっています。お出汁から学ぶおばんざい教室や、プロの料理人によるプライベートディナーまで、さまざまな食のイベントも催されています。

『TOMI I 〈富小路通Ⅰ〉』のラウンジ。日比野氏が直接壁にインスタレーションしたアートが楽しめる(photo by Tomooki Kengaku)。

ゲストキッチン。食と料理から生まれる交流にも期待(photo by Tomooki Kengaku)。

エンソウ アンゴ最先端のデザイングループの世界観を満喫。

次なる棟は『TOMI II 〈富小路通Ⅱ〉』。ブルガリやルイ・ヴィトンなどのプロダクトから建築まで、幅広いデザインワークで知られるスイスの『アトリエ・オイ』が、日本で初めて実現した空間デザインとインスタレーションを味わえます。
そのテーマは“陰影”。和傘の技による美しい影を落とす照明や、清水焼をアレンジした壁面照明など、京都の手仕事とアートが融合した世界を見せてくれます。

また、『ENSO ANGO』で唯一のレストランを備えた棟は、朝食・ディナー・バータイムに至るまで、多くの人々が交差してコミュニケーションを生む場ともなっています。

『TOMI II 〈富小路通Ⅱ〉』のレストラン La Rotonda。和傘の骨組みが織り成す影は、幾何学的でありながら自然のぬくもりを感じさせる(photo by Tomooki Kengaku)。

ラウンジの天井に舞う紙飛行機のようなインスタレーション。柔らかな光の反射が安らぎをもたらす(photo by Tomooki Kengaku)。

エンソウ アンゴミニマルコンセプトな利便性を求める方へ。

最後は、バンクルームのあるコンパクト&モダンな『YAMATO I 〈大和大路通Ⅰ〉』。
建築家かつデザイナーの寺田尚樹氏が、氏のライフワークである模型“添景”シリーズのENSO ANGOオリジナル京都編のアートで装飾しています。MoMA をはじめとする海外の有名美術館にも高評価の“テラダモケイ”が、空間にさりげないユーモアを付与しています。

『ENSO ANGO』の中でも最も小さな棟でありながらも、祇園にほど近い立地は至便。ミニマルコンセプトを徹底した客室は、バンクベッド形式を採用しており、コンパクトでありながらも機能的に活用できます。1階にはゲスト以外も気軽に利用できるバーがあり、祇園という地とも自然な繋がりを生み出しています。

寺田氏が考案した“百分の一の模型”シリーズを、二段ベッドのゲストルームなどに配置。眠る際に目に入る造形は、楽しい夢の世界へと誘ってくれる(photo by Tomooki Kengaku)。

1階のバーでは様々な人々との交流が楽しめる(photo by Tomooki Kengaku)。

エンソウ アンゴ巡る、つながる。棟と街の“回遊”で得られるもの。

このように、多彩な個性を誇る『ENSO ANGO』の5棟を巡ることで、生きた京都の日常にも触れることができます。京都に住まう人々に出会い、自己の内面を見つめ直し、新たな自分を見出していく――単なる観光に留まらない“回遊体験”は、旅の醍醐味を存分に味あわせてくれるでしょう。

加えて、ゲストと京都の人々が出会う機会を設けて、新たな価値観を生み、変化を起こすことを目指しています。伝統や文化は、ただ受け継ぐだけでは守りきれません。それらの喪失を防ぐため、内と外の人々が触れ合い、伝えあっていくという流れを模索しているのです。たとえば職人を講師としたワークショップ、禅宗大本山・建仁寺塔頭両足院の副住職による坐禅体験、ジョギングインストラクターと巡るDiscover京都runなどの多様な体験メニューが、コミュニケーションと共鳴を生み出しています。

“回遊”によって生まれる交流が、より良い変化を街と人にもたらす(photo by Satoshi Asakawa)。

エンソウ アンゴ京都の枠を超えた“ベストな食”を追求。 

旅の大きな楽しみである料理もまた、『ENSO ANGO』ならではの個性を打ち出しています。
京都というくくりにこだわりすぎずに、自分達が提供できる“ベストな食”を追求。スペイン・バスク地方の料理と、京都の食材をマッチさせたオリジナリティあふれるメニューは、素材そのものの味と季節の移ろいを端的に味わえます。

「あまりに“京都”を打ち出すホテルが多いため、既に街にあふれているそれらはあえて中に持ち込みませんでした」とは、社長の十枝裕美子(トエダ・ユミコ)氏の言。それでいて、日本の「おじや」の語源ともなった米の煮炊き料理“オジャ”を、魚介の出汁や野菜のスープを含ませるなどして滋味豊かにアレンジした料理は、確たる人気を得ています。朝食は様々な食材を組み合わせた“ピンチョス”のビュッフェで、多彩な味を好きなだけ味わえます。

素材を大切にするスペイン料理の技法で、京都と日本の食を表現。

朝食ビュッフェのピンチョス。色とりどりの組み合わせが目にも美味しい。

エンソウ アンゴ「完成形のない生きたホテル」は進化し続ける。

このように、独自の個性と価値観を打ち出している『ENSO ANGO』は、京都のニューフェイスでありながらも、既に確たる存在感を示しつつあります。そんな新進気鋭のホテルを気軽に楽しめるプラン『BE OUR FRIENDS(BOF)』が、3月中旬まで提供されているそうです。

まずはプラン1『ENSO ANGO FRIENDS CAMPAIGN』。会員登録・メールアドレス登録・事前決済の3つの条件を満たせば、1室1泊10,000 円(消費税・サービス税・宿泊税込)から利用できます(土日祝前日は12,000 円)。

次にプラン2『ENSO ANGO STAY LONGER』。全日程の料金が、2連泊ならベストレートから25%OFF、3泊以上なら33%OFF になるお得ぶり。『ENSO ANGO』の醍醐味である“滞在”と“回遊”を存分に楽しめるプランです。

最後にプラン3『ENSO ANGO FREE NIGHT OFFER(フリーナイトプラン)』。2019年3月1日~4月30日までの期間に宿泊予約をすれば、無料の宿泊をプレゼント。『ENSO ANGO』と京都を2倍楽しむことができます。

これらのプランは、通常のゲストだけでなく、観光を通じた地域活性化を目指す人々への支援でもあるそうです。
社長の十枝氏は、国内外のホテルの投資や再生、さらに地域活性化の事業に深く関わってきたことから、地域と共にホテルが成長し続けることを視野に入れています。十枝氏曰く、「研修や出張にも適したプランですので、ぜひ京都と『ENSO ANGO』に訪れていただき、様々な交流を生み出してください」とのこと。さらに十枝氏との地域活性化についての懇談や、講話の依頼も受け付けているそう。「同じような志を持っている人たちとの交流は私にとっても刺激になること。そして、そこで何かが生まれたらうれしい。希望される方や団体は、事前にご相談ください」とのことです。

京都という観光資源に安住することなく、さらなる進化と発展を目指す『ENSO ANGO』。旅人からも地域振興を目指す人々からも、注目されてやまない存在となりそうです。

全棟の庭を造園設計集団「和想」を率いる信原宏平氏が担当。成長し続ける大樹のように、京都に根をおろして広がり続ける(photo by Tomooki Kengaku)。

住所:京都府京都市下京区富小路通高辻下る恵美須屋町187 MAP
電話:075-585-5790(予約直通) 075-746-3697(ホテル代表番号)
ENSO ANGO HP:https://ensoango.com/

15回目にして「本質」に迫った、『DINING OUT』を語り尽くす。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

「DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS」に関わった5人の対談が行われた。左から、レクサス プロジェクト・ゼネラル・マネージャー:沖野和雄氏、コラムニスト:中村孝則氏、南城市役所 企画部 主査:喜瀬斗志也氏、『Discover Japan』編集長:高橋俊宏氏、『DINING OUT』総合プロデューサー大類知樹。

ダイニングアウト琉球南城日常の聖地「琉球」を表現することの難しさに挑戦。

2018年11月末に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。日本最後の聖地とも呼ばれる神の島「久高島」を有する沖縄県南城市を舞台に、二夜限り繰り広げられた神聖な饗宴が終了した翌日、関わった5名が一堂に会し、今回を振り返りました。

大類 僕は『DINING OUT』に「総合プロデューサー」という立場で、企画からコンセプトメーク、演出、体制づくり、事業収支にいたるまでトータルに関わってますけど、今回ほど「総合」の内容が多岐にわたったことってなかったかも(笑)。とても難易度の高いプロデュースでした。関わってくれた沖縄の方々には本当に感謝しかありません。

喜瀬 南城市としては全く経験のないことでしたが、今回『DINING OUT』をやったことをきっかけに、いろんな議論が起こることを期待しています。スタッフとして参加した人たちも満足していました。

大類 今回、あまりに壮大な琉球の歴史や文化のどこにスポットをあてるか、を散々考えた上で、アマミキヨを真ん中に置こうと。そこから導き出したテーマが「Origin いのちへの感謝と祈り」だったんです。でも僕らがそんな大それたテーマを語ることへの、身の引き締まる思いたるや。琉球の人たちの生活には感謝と祈りが根付いている訳なので、それを敢えて言う怖さもありました。

高橋 久高島って日本で一番、二番と言っていい聖地ですけれど、そんな場所から『DINING OUT』をスタートするというのはすごい覚悟だったと思います。日本人って仏教が入ってくる前から、自然界に存在する神様を大切にしていたと思うのですが、沖縄に来るといつも自然には神様がいるんだなってことを強く感じます。

沖野 ここは現在進行形の、日常の聖地ですよね。だからこそ逆にショーアップしてはいけないというか、そういう場所でやることの難しさがあっただろうなと思います。

大類 僕ら外部の人間はその場所をお借りするという立場ですから。

沖野 人の家の中に入っていくような、ね。

大類 そうです、土足で人の家に入ってはいけない、っていう配慮をすごく考えながらやっていました。

中村 日常と非日常ということで言うと、『DINING OUT』は非日常を演出する場所だと思うんですね。今回僕は語り部という立場で、この土地の魅力をどう切り取って皆さんと非日常をつくっていこうか、と考えたときに浮かんだのが、琉球王朝時代に大陸から来た使節団をもてなすイメージでした。それを具現化するためにさらに紐解いていくと、最近の学説では、南方からやってきた民族が穀物や文化をこの地に伝えたんじゃないかと言われていて。つまり神話と歴史的史実が曖昧に重なっているんですが、琉球の人たちはそれを寛容に受け止めている。神話なのか、自分がどこの時間軸にいるのか、そんな細かいことは気にしなくてもいいんだという、広い部分が共有できた気がしますね。

喜瀬 沖縄観光というとイメージされるのは海。だけど今回、沖縄本島に住む者にとっても畏怖の場所である久高島を切り口に、僕たち自身が沖縄を見直せたことが今後のための重要な経験になったと思います。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

沖縄に伝わる神話にて、琉球の島々を作った女神アマミキヨが降臨したとされる久高島。今回の『DINING OUT』はここでのレセプションからスタートした。

参加したゲスト達は、女神アマミキヨが最初に降り立ったとされる久高島のカベール岬で、琉球に根付く「感謝と祈り」の精神性を学んだ。

ディナー会場となった知念城跡は国の史跡にも指定される歴史ある場所。この中にも「友利御嶽(ともりうたき)」と呼ばれる祭祀などを行う場所がある。

伝統衣装を身に纏い、ゲストを出迎える中村氏たち。琉球王朝時代に大陸からやってきた使節団をもてなすイメージで。

ダイニングアウト琉球南城初の女性シェフ、起用に秘められた様々な理由。

大類 いま、色々なところで多様性と言われていて、その中の一つに女性の起用というのがあります。それがトレンドのようになっていますが、今回の女性シェフの起用をそういう文脈だけで捉えられるとマズいなと。樋口さんの起用はアマミキヨになぞらえるという事もありますが、ルーツっていうのがポイントなんです。彼女は三重出身、新入社員で志摩観光ホテルに入社して、一度もフランスに行かず、伊勢志摩を深く掘り続けて総料理長にまでなった。伊勢志摩というところに「Origin」を求めたら世界に通用するシェフになれた。つまり「Origin」の追求が世界に通用すると証明した人。これが起用の最大の理由です。

沖野 それが『DINING OUT』のテーマですからね。東京の真似をしていたら地方がつまらなくなってしまった。もともとあった地方のよさを掘り下げていかないと楽しさは生まれてこないという。

大類 本当にそうなんです。世界と戦う最大の武器、その答えはきっと地方にある。だから樋口さんを起用したということで。初めての女性シェフということは意識はしますし、女性シェフであることは今回必然だったけど、それだけで選んだわけではない。

沖野 有史以来、おそらく女性が食というものを担ってきた訳でしょう。そういう意味でもオリジンですよね。

大類 メディアの方には初の女性シェフですね、ってすごく言われます。日本のガストロノミーの世界では、比率だけで言うと99%が男性シェフだと言われていますし、『DINING OUT』開催15回目で初めて女性シェフを起用したことが脚光を浴びることにも意味はあるとは思いますが。

中村 世界的にも女性シェフが少なくて、それは大きな議題になっています。世界のベストレストラン50のうち、女性シェフの店舗は4軒しかない。ただ、恣意的に増やすのも逆差別だろうし、なかなか結論が出ない問題なのですが。

沖野 祈りも日本では古来から女性の仕事で、料理もある種祈りに近かったんじゃないでしょうか。そもそも自然のものを食すというのは、リスクとメリットの両方があるから原始においては祈らなければならなかった。そういう意味では歴史的に女性が家庭の中の料理を担ってきたのかな、などと思います。

中村 祈りと食、というと、樋口シェフは「御食国(みけつくに)」で、自然からいただいた恵みを神宮さまにお供えしているんだっていう、ナチュラルにそういう気持ちで料理をしているように思えます。

大類 女性シェフであるということだけでなく、「御食国(みけつくに)」のシェフだということも意識していました。ガストロノミーって、クリエイティブな表現をする場としていま一番注目されていますが、「食べる」ということを中心に置くと、これは人間の根幹というか、食べなきゃ生きていけない訳で、命と繋がっている。樋口さんはその根源のところを大切にしてシェフをやっている人だから、今回どうしてもお願いしたいと思ったんです。

中村 神にお供えし、神からの恵みを皆で分け合う、そんな日本人独特の宗教観が和食にはありますよね。これからのガストロノミーのひとつのテーマとして宗教的な感覚、というのがあるかもしれませんね。クリエーション、っていう側面から見ると、もう行き着いちゃった感じがありますし。

大類 これからは演出だけじゃない、根の張り方が個性になっていくというか。

高橋 日本料理のガストロノミーのあり方を提案できた『DINING OUT』だったんじゃないでしょうか。

中村 結果的に『DINING OUT』はガストロノミーのトレンドを作っていますよね。どう生活に食が根ざしているのか、きちんと本質を掘り下げないとダメだという時代になってきています。

沖野 単に地元の食材を使うということだけじゃなく、それを食べてきている、文化をつくってきた人も含めて、命の紡ぎをもう一回定義するっていうのも『DINING OUT』のテーマですから。

中村 宗教間で折り合わなくて争いになったとき、食から入るとお互いに分かり合えることもあります。

沖野 ものづくりも同じで、宗教観って出るんですよね。グスク(城跡)を見るとその土地土地、沖縄の特徴的な石垣の作り方があって、本土とは違う。いろんな歴史の違いというか、ここまで歩んできた違いを感じるというか。何千年という時を経て伝わってきたっていうのがありますよね。

大類 普通だったらまっすぐ積んだ方が作りやすいじゃないですか。敢えてああいう曲線を出すところに意志を感じますよね。

喜瀬 争っていた時代もあったのでその名残というか、例えば曲線を作って登りにくくするとか。それが時を経て、見られることに対する部分での意識に変わっていった。平和な時代が訪れるとそういうことが生まれるんですね。

大類 平和な時代になったときに見られることを意識するというのは結構本質的なことかもしれないですね。別に機能としてじゃなくて、佇まいとしての美しさに向かうというのは。

真剣な面持ちで料理を仕上げる樋口シェフ。伊勢志摩サミットでも腕をふるい、世界からも注目を集めている。

『DINING OUT』開催の2ヶ月ほど前に食材探しに訪れた樋口シェフ。生産者たちの熱意、そして沖縄という土地そのものから大いに触発された。

郷土料理の山羊汁から着想を得て、沖縄独特の食材である山羊を余すところなく使った「ヒージャーのロワイヤル」。

在来種の野菜やハーブ、島豆腐をそれぞれの食材に合った調理法で仕上げて「ちゃんぷるー」した「ぬちぐすい」と名付けられた一皿。

ダイニングアウト琉球南城これからの時代の、本当の贅沢とは。

大類 久高島の塩は伊勢神宮に奉納されていて、今回の料理はすべてその塩を使ったんです。

喜瀬 南城市には献穀田が存在していたこともあり、皇室とのつながりもありました。

中村 秋篠宮ご夫妻もかつて久高にいらっしゃいましたよね。そのとき、紀子さまだけはクボウウタキ(一般人立ち入り禁止の聖域)に入ることを許されたらしいですね。

大類 柵もないから、入ろうと思えば入れる場所なのに、長い歴史の中でみんなが「入らない」ことを守っている。これがすごいですよね。

高橋 いまは明文化しないと分からないとか、すぐそういう話になりますよね。

喜瀬 例えば世界遺産に登録された宗像大社の沖ノ島には宮司さんがいらっしゃるので、その方がルールを示せばみんながそれに従うんですが、沖縄の宗教には宮司さんに当たる存在がないんです。だから常にみんなが試されている、ここに入る入らないの判断が自分に帰ってくるんです。だけど今後、もっと多くの方々に来てもらえるようになったら、中にはそんなの関係ないよ、という人もいるかもしれなくて、そこが悩みどころです。

大類 久高島の大切とされているところって、インスタ映えはしないじゃないですか。一見するだけでは分からないことをずっと人々が大切にしてきた。それは現代の“インスタ映え至上主義”に対する警告と僕は受け止めました。

喜瀬 そういう精神文化の部分を物見遊山的な観光で伝えるのは難しいので、暮らすように観光していただきたいと思っています。島に住む人と交わりながら、例えば彼らとお酒を飲んだりして最後は東海岸の方へ星を見にいって。翌日また朝日を見にいって船が来たら帰るっていうような、本当の意味での贅沢な時間を過ごしてもらえます。

中村 モノはもうみんな持っているから、自然の中で自分を解放するとか、眠っていた何かを呼び覚ますような、そういう特別な体験がいまはすごく贅沢なこと。モノや情報があり過ぎるとリラックスできないんですよね。

沖野 自然って予定調和じゃないから、自然に身を預ければ預けるほど唯一無二の経験ができる。昨日の『DINING OUT』でも雨が降りましたけど、あれもまたいいんですよ。予定調和だったら室内のレストランで食べればいい。寒かったり暑かったりした方が面白いんですよ。

大類 やるほうは大変ですけどね(笑)。サービスチームとキッチンチームとがインカムでずっと連絡取りながら、いま火入れはどういう状況だとか、タイミングを計って指示を出しているんです。そんな中で雨が降って来て突然「テント立てろ!」って(笑)。ベストの調理の状態で出すとか、ドリンクのペアリングのタイミングを合わせるとか、裏は大変なことになっている訳だけど、それを面白がれるというか、予定調和じゃないことが価値だって感じる人が増えていることは間違いないと思います。

中村 人によって贅沢さの感覚は違ってその距離を埋めるのは難しいけれど、考え方を伝えて共有しようと努力する必要はありますよね。日本は何万トンも余った食料を廃棄している国。贅沢はなにかってことを共有できないと、貧困がなにかっていう本質も分からない。そこで食なんかはすごく伝えやすいコンテンツになります。食においてなにが贅沢なのか、といったときに、ガストロノミーって単なる享楽じゃなくて、社会性のあるテーマでもあるなと。そのひとつにローカルガストロノミー、地方にそのテーマ性が潜んでいるんじゃないでしょうか。今回はそういう意味でも根源的なところに辿り着いたのかなあと。

大類 『DINING OUT』ってすごくラグジュアリーなイベントでしょ、って思われているところもあるんですが、贅沢の本質をちゃんと享受するためにはリテラシーが必要。そういうことも啓蒙していかなくちゃいけないですよね。

沖野 レクサスというブランドを展開していく上でも、経済力があるからとかブランドだからとか、そういう理由ではなくて、僕たちの世界観に共鳴する、本質を分かる方にこそ買っていただきたいと。『DINING OUT』に共感し、サポートし続けているのは、それを伝えるためでもあります。

高橋 僕は仕事柄、観光戦略みたいなことに関して意見を聞かれることがあるんですが、どういう人に来て欲しいかイメージしてやるべきだと伝えます。本を作るときに読者が見えていないとダメだというのと一緒で。

とりたててなにもない、いわゆる「インスタ映え」する場所ではないが、歴史や背景を知ることでその場にいることが特別な体験となる。

立ち入り禁止の看板があるわけでも、宮司がいるわけでもないが、長い歴史の中で人々はしきたりを守ってきた。

暮らすように現地の人たちと交わりながらその地を知る旅こそ、これからの最上級の贅沢ではないだろうか。

ダイニングアウト琉球南城これからの沖縄、そしてこれからの『DINING OUT』。

喜瀬 今回、『DINING OUT』を経験させていただいた中で一番感じたことは、一言で言うと「調和」ですね。沖縄という土地が持つ力のひとつに「調和」というのがあるんじゃないかなと思うのですが、誰一人欠けても成立しなかった空間な訳で、「調和」する力が古来から沖縄という地にあったのではないかと、俯瞰して思いました。今後の市の施策にも「調和」というキーワードを生かしていけたらと思います。

高橋 日本人が大切にしている精神性みたいなものをガストロノミーに置き換えることで、新しい日本のガストロノミーの方向付けが出来た回だったのではないでしょうか。これを世界に打ち出せばまた驚いてもらえると思うんですよね。昨日見た黒く燻されたぴかぴかのイラブー、感動しましたもの。

大類 イラブー料理そのものだけでなく、ぴかぴかにする行為、作るプロセスに宿っているものも見せていくべきですよね。

高橋 実は神聖なものを扱ってるのにうやうやしい感じじゃなくて、普通に世間話しながら作業しているのもいいんですよね。日常の中に、日本人が大事にしている精神性みたいなものが溶け込んでいる。

沖野 ディナーの席で獅子頭が登場したときに、(本島と)同じ獅子が出てくるんだ、と思ったんです。久高島の塩が奉納されているという話もありましたし、沖縄という特殊な背景を持つ土地だけど、いろんなことが繋がっているんだなあと。さっき喜瀬さんが「調和」とおっしゃいましたが、今回の料理を食べて思ったのは「調和」でした。けっこうとんがった食材が「調和」されていて、そこにある種の自然への回帰、みたいなことを感じて。沖縄で開催したからこそ発見できた、『DINING OUT』の新しい一面とも言えるんじゃないでしょうか。

中村 今回、食べるものの来歴を知るってすごく重要なことだと思ったんです。イラブーの燻製技術はかつて若い琉球の王子がマラッカへ遣わした久高の人たちが持ち帰ったらしいんです。さらに辿るとそれはモルディブからもたらされた技術らしいと。そして伊勢の波切の鰹節のいぶし方と久高のイラブーのいぶし方には共通点があって、どうやら鰹節の原点はここにあったのではないかと言われています。ルーツを探るというのも今後また食に関する重要なテーマになってくると思うので、例えば「DINING OUTクルーズ」、みたいなことをやっても面白いのではないでしょうか。クルーズ船にシェフとゲストが乗って、寄港した土地土地で食材を調達して、その地のルーツを探りながら料理をつくるとか。

喜瀬 琉球王国時代の久高の男性って多くは船頭さんだったんです。貿易船の船頭で高い航海技術を持っていた。家の石垣が立派だったと思うんですけど、あれはみんな功績が称えられて賜わったんですね。

中村 その時代に大陸へ行った人の生還率は50%ほどだったそうです。だから戻って来た人には報償も与えられたし、成功者として石垣付きの家も作ることができた。おそらくマラッカへ行った人の生還率はもっと低かったでしょうから、一攫千金とロマンを抱えて渡っていったんでしょう。彼らがいたからいま鰹節があるわけです。

大類 地域をどう表現するか、というところから『DINING OUT』はスタートしたんですけど、本当に大事なこと、本質というのは目に見えないところにあるわけじゃないですか。それをどう表現していくのか、ということがこれからずっと課題になるんだなと、今回すごく感じました。本質が分かっていないと他人様のところに土足で踏み込むことになってしまうし、逆に本質を分かることが喜びにも繋がる。それを肝に銘じてやっていかなくては、と改めて感じた『DINING OUT』でした。

総勢70名を超える現地のスタッフも参加。沖縄の人々に脈々と受け継がれてきた「調和」する力が発揮された。

久高島でしか獲ることができない神聖な食材「イラブー」。磨き上げる工程を手掛けられのも選ばれた島民だけだという。

コース料理のアミューズとして供された「久高島イラブーのシガレット」。イラブーの味わいがぎゅっと詰まった一品は、形状もどこかイラブーを思わせる。

ディナー会場の知念城跡の石垣に現れた獅子舞。獅子頭はよく知られる姿で、沖縄と本島との繋がりを感じさせる一幕。

本質というのは目に見えないところにある、と改めて気づかされた沖縄での開催。『DINING OUT』はこれからも本質を伝えるイベントでありたい。

1989年、トヨタ自動車入社。商品企画部にてスポーツカー『TOYOTA86』の企画を担当。2012年より現職 。デザインやアート、レクサス関連をはじめ多数のイベントに携わる。

2008年に日本の魅力の再発見をテーマにした雑誌『Discover Japan』を創刊、編集長を務める。2018年11月に株式会社ディスカバー・ジャパンを設立し、雑誌を軸に、イベントなどのプロデュース、デジタル事業や海外展開など積極的に取り組んでいる。

2004年、旧玉城村役場に入庁。06年の町村合併により南城市となってからは市の文化政策や観光政策を担う。今回のダイニングアウトでは、久高島や御嶽など聖地を会場とする中で、地元との橋渡しを担当し成功へ導いた。

ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、TVにて活躍中。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。

1993年博報堂入社。2012年に新事業としてダイニングアウトをスタート。16年4月に設立された、地域の価値創造を実現する会社『ONESTORY』の代表取締役社長。

「飲む」から始まるつながりを、発信を沖縄で考える『LIQUID』。[LIQUID/沖縄県宜野湾市]

リキッドOVERVIEW

白い壁の室内に、センスよく並べられた器たち。手を使って、小さな生産規模で、暮らしの道具を作る作家と、それを紹介するギャラリーショップは、東京を中心とした都市部に、そして工芸の産地に増えています。でもここが沖縄、しかも宜野湾市嘉数という土地だと聞いたら、驚く人は少なくないのではないでしょうか。「沖縄には行ったことがあるけれど、嘉数ってどこ?」という人だっているはずです。

村上純司氏が2017年7月にオープンした『LIQUID』は、単なる「道具の店」にとどまりません。いや、もしかしたら今はまだ「道具の店」にしか見えないかもしれない。けれど、村上氏の頭の中には、もう少し大きな“目論見”があります。その眼差しは、プロダクトや作品と作家を見つめると同時に、沖縄を、日本を見つめています。コマーシャルな視点で見れば、簡単には「前途洋々」とはいえないでしょう。にもかかわらず、2017年の沖縄に、『LIQUID』を開いた理由とは。開業から1年ちょっとを過ぎた2018年晩秋、沖縄で話を聞いてきました。

住所:〒901-2226 沖縄県宜野湾市嘉数1-20-17  MAP
電話:098-894-8118
LIQUID HP:https://www.liquid.okinawa/

江戸時代から続く城下町が「ひとつのホテル」になった![篠山城下町ホテル NIPPONIA/兵庫県篠山市]

城下町全体がゆるやかにつながって人々の行き来や交流が生じる、という構想(ONAE棟の外観)。

篠山城下町ホテル NIPPONIA丹波篠山の歴史と街に、溶けこむように過ごす体験。

約400年の歴史を誇り、国の史跡にも指定されている丹波篠山(たんばささやま)の城下町。京都や堺のほど近くに位置しながらも、独自の文化と食を育んできたこの地に、「城下町全体をホテルに見立てて宿泊・体験できる」という他に類を見ないプロジェクトが発足しました。江戸時代から明治、昭和にかけて築かれた古民家7棟をリノベーションして、篠山の歴史を肌で感じられる場に仕上げています。

その特徴は、なんといっても篠山に特有(篠山特有)の町屋をそのまま生かした個性的な滞在空間。更に宿と町との連携によって、初めて可能となった数々のアクティビティも待ち受けています。

そもそも、なぜ「城下町全体をホテルにする」という壮大かつ大胆な発想にいたったのでしょうか? その経緯と、丹波篠山という地で味わえる体験について探りました。

貴重な古民家群を、篠山の文化や歴史を体感できる複合宿泊施設として再生(SAWASIRO棟の外観)。

ひとつの建物で完結する普通のホテルや旅館では味わえない体験が待つ。 

篠山城下町ホテル NIPPONIA「地域活性化」を命題とする人々が結集。 

『篠山城下町ホテル NIPPONIA』をフラッグシップにかかげる『NIPPONIA』プロジェクトは、日本各地に残っている古民家をリノベーションし、その土地ならではの文化や歴史を体感できる場へと再生していく取り組みです。

その発端となったのは、篠山市を拠点に古民家活用と地域再生に取り組んでいた一般社団法人ノオトでした。そして、現在同プロジェクトのほとんどの施設の運営を担当しているバリューマネジメントとの出会いがブースターとなったのです。更に彼らと志を同じくする多くの人々とも連携し、その活動の輪を全国に広げつつあります。

ここ篠山での目標は、「篠山の人々とともに創り上げる地域活性化」。篠山という地が秘めている大いなるポテンシャルと、「それらを生かして地域を盛り上げていきたい」という人々の想いが、全国的にも稀有(けう)な取り組みとして実現したのです。

篠山は、歴史的建造物や重要文化財、伝統的建造物群保存地区といった、由緒正しい建造物が多く残っている土地です。それらを生かして将来に残していくために、ノオトは建築基準法の規制見直しや、旅館業法の改正の実現にまで尽力。こうして様々な努力の末に、全国に先駆けた地方創生のスタイルが実現したのです。

縦=同じ建物の上下ではなく、横=町全体のゆるやかなつながり。

蔵や離れなど、それぞれ趣の異なる建物が元となっている宿泊棟。

篠山城下町ホテル NIPPONIAつながる、広がる、町全体がアクティビティの舞台に!

そんな『篠山城下町ホテル NIPPONIA』で味わえるのは、篠山の城下町全体を舞台とした宿泊体験です。
まずは、ハードとなる建物自体の特別感。

フロントにもなっている「ONAE」は、明治初期に建てられた銀行経営者の邸宅を、ほぼそのまま再生。この、「元の建築を可能な限りそのまま生かす」というモットーは、他の建物にも徹底されています。水回りや空調は快適に整えながらも、天井や梁、土間や壁の材質といった基盤となる建材は、かつての風情と存在感をそのまま残しているのです。

このような気遣いに、訪れたゲストは「こんな所まで昔のままなの!」と驚きの声を上げるそうです。例えば五右衛門風呂や土壁といったものが残されており、それでいて現代的な快適さを実現しています。

テレビや時計を置いていないので、往時の暮らしをほぼそのまま追体験できる。

非日常の、それでいてどこか懐かしい空気に浸れる。

篠山城下町ホテル NIPPONIA世界に名をはせる丹波篠山の食を堪能! 

そんな懐かしくも快適な滞在空間で味わえるのは、丹波の黒豆や但馬牛(たじまうし)、松茸などといった、全国的にも名高い篠山の食材。しかも古民家の宿にありがちな和食や郷土料理ではなく、なんとフレンチで供されるのです。
その理由は、フレンチが世界的に見ても最高のクオリティを誇る調理法であり、非日常を演出してくれる力を持っているからだそうです。それでいて、食材はほぼ全てが丹波篠山産という徹底ぶり。篠山名物の「ぼたん鍋」で有名な猪や、鹿などのジビエも取り入れ、前菜やメインディッシュの肉料理として並びます。

黒豆・栗・松茸など、丹波篠山が誇る食材に舌鼓!

のどぐろ・ほうぼう・サザエなどの海の幸もふんだんに。

和の食材×フレンチという新鮮な驚き。

篠山城下町ホテル NIPPONIA400年の歴史が流れる町の住人になる。

もちろん、歴史ある城下町をそぞろ歩く楽しみも見逃せません。
町のそこかしこには、個性豊かな店舗が軒を連ねており、日本各地の雑貨を集めたお店や世界中の陶器を集めたお店など、おもちゃ箱のような楽しさが溢れています。

これらを営むのは、主に篠山に魅せられて移住してきた人々。移住者の視点で新たに発掘された魅力に、思わぬ出会いと驚きを与えられるでしょう。

更に宿泊棟と宿泊棟の間を渡り歩く楽しみもあります。距離はまちまちなので、歩いて行ける場合もあれば、車で5~10分程度かかる場合もあります。点在しながらもゆるやかにつながっている経路をたどることで、改めて実感できる空気や雰囲気がありそうです。

加えて、近隣の観光地や施設と連携したアクティビティや、季節のイベントなども豊富にラインナップ。豊かな食文化を実感できるいちご狩りや栗拾い、丹波焼の焼き物体験など、多種多様に楽しめます。

宿泊棟の中でゆったり過ごすのも良し。滞在の楽しみ方は人それぞれ。

非日常でありながら、懐かさを感じられる町。

篠山城下町ホテル NIPPONIA日本各地に『NIPPONIA』が広がる!

『篠山城下町ホテル NIPPONIA』をフラッグシップとする『NIPPONIA』プロジェクトは、今後も更なる展開と発展を目指しているそうです。

まず『篠山城下町ホテル NIPPONIA』自体は、同エリア内に30室の展開を予定。更に、城下町で遊べるコンテンツも増やしていく予定です。

加えて、全国各地に『NIPPONIA』をオープンする動きも。2018年には、既に3エリアで稼動を開始しました。
まずは千葉県香取市に3月にオープンした、『佐原商家町ホテルNIPPONIA』。県の指定文化財である『中村屋商店』をリノベーションし、香取神宮や諏訪公園などの、桜の名所となっているエリアに滞在できます。
次に10月にオープンした『福住宿場町ホテル NIPPONIA』。かつて京都と篠山を結ぶ街道として多くの物資や旅人が行き交い、その休息の場となった宿場町・福住に、1棟7室の宿泊施設ができました。

更に11月には、元酒蔵をリノベーションした『NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち』が奈良県奈良市にオープン。地元で名をはせる奈良豊澤酒造場の見学や、希少な「朝どれ日本酒」の提供、日本酒造りのワークショップの開催など、お酒をコンセプトとしたコンテンツを豊富に用意しています。

豊かな風土と文化を誇る日本の、土地ごとの魅力を堪能できるプロジェクト。篠山だけでなく、ぜひ各地の『NIPPONIA』も訪れてみたいものです。

往時のしつらえそのままの古民家に驚いたり、タイムスリップしたかのような町歩きを楽しんだり(佐原商家町ホテルNIPPONIA)。

思い思いの発見や満足に浸れる(福住宿場町ホテル NIPPONIA)。

土地と建物の歴史に想いをはせながら、「ここで暮らすこと」の豊かさを実感できる場(NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち)。

住所:兵庫県篠山市西町25(ONAE/フロント棟)MAP ※住所は宿泊棟によって異なります
電話:0120-210-289(NIPPONIA総合窓口)
営業時間:問い合わせ 11:00~20:00 IN  15:00‐19:00 OUT 10:00
篠山城下町ホテル NIPPONIA HP:https://www.sasayamastay.jp/

更新し続けるフレンチの「クラシック」を和歌山から発信する。[オテル・ド・ヨシノ/和歌山県和歌山市]

オテル・ド・ヨシノOVERVIEW

ガストロノミーは「ローカルこそがグローバル」な時代。日本国内でも、北から南まで、料理を通じてその土地の魅力を発信せんとするレストランが、県外、そして海外からもゲストを集め、東京や京阪の繁盛店に劣らぬ存在感を示しています。そんな中で、和歌山県和歌山市で開業から13年を迎える『オテル・ド・ヨシノ』手島純也シェフの立ち位置は、ほかとは少し異なります。

フランス修業から帰国して11年、今年43歳の手島シェフが全キャリアを賭けて取り組んでいるのは、第一に伝統的なフランス料理の継承です。世界の潮流に足並みをそろえるよう、皿に個性や表現を載せるプレゼンテーション全盛のガストロノミー界にあって「温故知新」を頑ななまでに貫き、「フランス料理であること」にこだわり続ける手島氏の料理は、逆説的に際立った個性を放ち、食べ手を惹きつけて止みません。手島氏がどういった経緯で今のスタイルにたどり着いたのか、そしてこれからの時代に思うこととは。和歌山でじっくり話を聞きました。

住所:和歌山県和歌山市手平2-1-2 和歌山ビッグ愛12F MAP

電話:073-422-0001
オテル・ド・ヨシノ HP:http://www.hoteldeyoshino.com/index.html

日本一の産地で、世界へ届けるしいたけ作り。[加藤椎茸/大分県竹田市]

みずみずしく、ぷっくらとした肉厚のしいたけ。香り高く深い味わいが特徴だ。

加藤椎茸美しく、美味しい。自然のしいたけ。

国内生産量の約半分を占め、日本一の乾しいたけ産地である大分県。県内でも質・量ともにトップクラスの産地として知られるのが、竹田市です。椎茸の栽培方法には、おがくずなどを固めた人工の培地で育てる菌床栽培と、山からクヌギやナラなどの木を切り出し、椎茸菌を打ち込む昔ながらの栽培方法、原木栽培の2種類があります。菌床栽培は短期間、低コストで大量生産が可能なため現在椎茸栽培の主流となっている一方、原木栽培は重労働で手間暇がかかり、さらに自然の影響も受けやすい。安定した供給が難しく、生産者も減少してきている中、高冷地の山中で自然に近い無農薬の原木栽培にこだわり続ける農家がいます。

竹田市久住町で「加藤椎茸」を営む加藤至誠氏。品評会で日本一を受賞するなど数々の賞を受賞し、日本食がブームを巻き起こしている今、食にこだわるヨーロッパへの輸出も行い、世界から注目を集める加藤氏の椎茸作りを伺いました。

▶詳細は、TAKETA TIMES/高原野菜に名湯、秘湯。知られざる魅力が満載の、名水の里。

加藤氏の農園では、3種類のしいたけを栽培。秋と春の2回収穫できる。

至誠氏の跡を継ぎ、共に原木のしいたけ栽培を続ける息子の誠氏。

映画の撮影にも使われたというホダ場。

加藤椎茸陽光が差し込む明るい環境。

標高530m、久住町の都野地区にある加藤氏のホダ場。一歩足を踏み入れると、柔らかな木漏れ日に包まれる静かな森の中に、クヌギの原木がずらりと並んでいました。

加藤氏がしいたけの栽培を始めたのは約60年前のこと。父とともに市場価格が高かった椎茸の栽培を本格的に始めました。原木しいたけの栽培には、まずホダ木となる原木の確保が重要です。当時、椎茸の原木となるクヌギは1本4000円。これではいくらしいたけに値が張っても利益にならないと、山を購入。どんぐりを拾って育てては植林し、地道にホダ木を増やし続けました。現在は17ヘクタールものクヌギ山を所有。田んぼを整地し、さらに杉の植林をしたホダ場でしいたけの生産を行なっています。

加藤氏のホダ場で特徴的なのは、明るさ。鬱蒼とした森の中で栽培される一般的な栽培方法とは異なります。
「20年くらい前の台風で立派な杉が全部倒れて。台風に強いホダ場にするにはどうしたら良いかって考えてね、雑木を植えたんです。杉や檜は根が下に張るけど、雑木は横に張るから倒れにくい。そして雑木は冬になると葉が落ちるから、光が差し込んで明るいんです」。

植えた雑木は冬になると葉が落ちる。そのため木々の合間から光が差し込み、適度に日光浴をさせることができるのです。さらに落ちた葉は自然の絨毯となって敷き詰められており、雨の日にホダ木への土の跳ね返りを抑制。それにより雑菌から守る役割も果たすなど、自然の力を利用した栽培方法を行っています。

今から約400年前、江戸時代から始まったとされる歴史の長い原木栽培。

夏には木々が青々と生い茂り、強い日差しを防ぐが、冬には落葉し柔らかな木漏れ日が注ぐ。

加藤椎茸“一年”のこだわり。

加藤氏の栽培方法でもう一つ特徴的なものが、「一年起こし」です。原木となるクヌギを山から切り出し、ホダ木にして水分が抜けるまで乾燥。その後菌を打ち込み、栽培地に移し替える(起こす)までの期間は、通常は2年と言われていますが、加藤氏は1年で起こす栽培方法を取り入れています。

「1年で起こすとホダ木が固くて、しいたけが発生しにくいと言われるんです。でもそんなことはない。うちのホダ場は元々水田で湿気もある。それにスプリンクラーを設置して散水もしているから1年でも充分生えてくるんです。それに2年待っていたら、ホダ木にしいたけの芽が生えてくる。そしたらそれを傷つけないように作業しないといけないでしょ? 1年だと生えないから効率的なんです」。

原木栽培はとにかく時間と手間がかかると言われますが、立地の良さや、長年の経験を生かしてカットできる部分はカット。年間30万本近い菌を売って、今では春に2トン、秋に1トンものしいたけの収穫を可能にしました。

収穫したしいたけは乾燥機に入れ、乾しいたけにして出荷する。

毎年1ヘクタールのクヌギを伐採し、ホダ木にしている。

加藤椎茸自然のままが一番。だから選んだ“何もしない”という選択。

大分県の品評会では7年連続で農林水産大臣賞を受賞し、全国でも10回以上の農林水産大臣賞を受賞、さらに平成19年には黄綬褒章を授与されるなど、しいたけ農家の中でも一目置かれる存在の加藤氏。賞を取れるほどの美しいしいたけを育てるには、集中して管理することが必要なのだと言います。

「品評会には品評会用のしいたけ作りをするんですよね。そのためにはどういうものが評価を受けるものなのか勉強しなければいけないし、集中して取り組めるような経営体制が必要。それらが揃って、品評会用のしいたけ作りができるんです」。

安定した経営ができているからこそ取り組むことができる、品評会用のしいたけ作り。しいたけの一個一個に袋をかけてカバーで覆い、手間をかけて綺麗なしいたけを仕上げていきます。丁寧で繊細な作業により生まれたしいたけは全国でも評判を呼びましたが、あるお客さんからの言葉が加藤氏のしいたけ作りに転機を与えました。
「“大分県の一級品というのでしいたけをお土産にもらい期待して食べたら、見た目ほど美味しくなかった”っていう話を聞いたんです。消費者は味が重視なんですよね。それからは食べて美味しいしいたけを届けようと、自然のままに育てることにしたんです」。

安全で安心、そして味にこだわったしいたけを作ろうと、JAS規格の認定を取得。無農薬で作られる品質の良いしいたけは、国内の料理研究家から指名買いされるのみならず、有機食品の輸出を手がけているオランダの会社や、日本食がトレンドになっているヨーロッパなどからわざわざ加藤氏のホダ場に視察が訪れるほど、海外においても注目を集めています。
「自然のままのしいたけが一番美味しい。だからこだわって何もしないんです」。

綺麗な水、清らかな空気、柔らかな光。奥豊後の自然が育んだしいたけは、噛めば噛むほどに口の中に旨味が広がり、余韻も長い。一食の価値がある、世界へ誇れるしいたけです。

実習生を受け入れて後継者の育成も行っている。

傘が大きくて立派なしいたけは料理研究家の方からも評判。

肉厚で歯ごたえがある加藤氏のしいたけ。シンプルな食べ方こそ美味しい。

電話またはFAXでの問い合わせで、10種類以上ある乾しいたけの購入が可能。

住所:大分県竹田市久住町大字栢木 MAP
電話:0974-77-2458 (FAX 0974-77-2461)
営業:11:00〜17:00 (17時以降は要予約)
休:不定休

「宝石箱から打ち上がる大輪の華」。[函館海上冬花火/北海道函館市]

花火と港とイルミネーション。

函館海上冬花火沖合の打上台船から。

函館と聞いて夜景を思い浮かべない方はいないでしょう。まるで宝石を散りばめたような美しい夜景をご覧になった方も多いのではないでしょうか。その宝石箱のような夜景の中から花火が打ち上がる様子を想像してみてください。しかも季節は真っ白な雪に覆われた冬。極寒の2月です。痛いほど冷え切って澄み渡った空に宝石箱から飛び出す大きな宝石とも言える大輪の花火。美しくないはずがありません。決して大規模な花火大会では無いですが情緒のある花火イベント、そんな花火が今回ご紹介する函館海上冬花火です。

第5回を迎えるこの花火は三日間にわたって函館湾豊川埠頭沖にて開催されます。海上で花火を打ち上げる時は打上台船を使用するのが一般的です。台船の上には花火打上筒が設置してあり、一角には仕切られた小さな空間があります。その空間には花火を打ち上げるための点火器が設置してあり全ての打上筒とコードで繋がっています。安全性が確保されたその場所で花火師さんは点火器の操作を行います。打ち上げを担当される煙火店は小樽市の北海煙火さんです。前身の佐々木銃砲火薬店時代から遡ると創業131年の歴史ある煙火業者さんです。

函館の街並み。

函館海上冬花火様々なところから花火を楽しむ。

メイン会場となるのは函館駅や函館朝市からほど近い函館国際ホテルの裏手辺りとなります。このエリアにはフードコートも開設されるそうです。温かい飲み物などをいただきながら間近に上がる花火の迫力を楽しむのもオススメです。寒さが苦手、もしくはゆったり贅沢に観覧したい方は暖かいホテルやお店からご覧になるのも良いでしょうし、寒さが得意な方はロープウェイで函館山に上り、THE函館とも言える夜景と共に楽しむのも良いでしょう。

また市内各所でははこだてイルミネーションというイベントも開催されますので花火の前後にイルミネーションも楽しまれてはいかがでしょうか。もちろん防寒は万全な状態でお出かけください。数年前私が訪れた際は函館海上冬花火に精通している友人に市内各所を案内していただきました。ロケハンを進めていく内に私の頭の中には撮影したいイメージが湧いてきました。当初は煌びやかな夜景と花火という撮影イメージを抱いて彼の地に降り立った私でしたが友人と共に市内をロケハンする中で撮影プランが変わっていきました。暗闇の中に降り積もった雪越しに上がる落ち着いた大人の花火という雰囲気で撮りたいと感じ始めました。函館は歴史に思いを馳せ、その風情を体現しながら大人がゆっくりと訪れる趣のある街というイメージが私の心の中にあったからなのかも知れません。

港町に上がる花火。

函館海上冬花火友と過ごしたかけがえのない時。

花火写真を通じて知り合い交流を深めてきた友人は心得たとばかりに気に入りの撮影場所へと私を案内してくれました。花火が始まるまでのワクワク感、夢中でシャッターを切った時間、互いの成果を見せ合い笑いあった瞬間。市街地の喧騒を離れた小高い場所で気の合う友人とカメラを並べて撮影した思い出は忘れ難い宝物となりました。

誰と観たのか、これは花火観覧の重要な要素の一つだと私は考えます。いつまでも心に残る花火を一つでも多くこれからも観覧していきたいと思います。この時は一泊二日の慌ただしい滞在でしたが次回は数日滞在し、三日間毎日場所を変えて撮影してみたいと思いますし、友人とも時間を忘れて花火談議に興じてみたいものです。

函館への旅。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

日時:2019年2月8日~2月10日 20:00~(約20分間程度)
場所:〒040-0063 北海道函館市若松町121番地先 MAP
函館海上冬花火 HP:https://fuyuhanabi.com/

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

「宝石箱から打ち上がる大輪の華」。[函館海上冬花火/北海道函館市]

花火と港とイルミネーション。

函館海上冬花火沖合の打上台船から。

函館と聞いて夜景を思い浮かべない方はいないでしょう。まるで宝石を散りばめたような美しい夜景をご覧になった方も多いのではないでしょうか。その宝石箱のような夜景の中から花火が打ち上がる様子を想像してみてください。しかも季節は真っ白な雪に覆われた冬。極寒の2月です。痛いほど冷え切って澄み渡った空に宝石箱から飛び出す大きな宝石とも言える大輪の花火。美しくないはずがありません。決して大規模な花火大会では無いですが情緒のある花火イベント、そんな花火が今回ご紹介する函館海上冬花火です。

第5回を迎えるこの花火は三日間にわたって函館湾豊川埠頭沖にて開催されます。海上で花火を打ち上げる時は打上台船を使用するのが一般的です。台船の上には花火打上筒が設置してあり、一角には仕切られた小さな空間があります。その空間には花火を打ち上げるための点火器が設置してあり全ての打上筒とコードで繋がっています。安全性が確保されたその場所で花火師さんは点火器の操作を行います。打ち上げを担当される煙火店は小樽市の北海煙火さんです。前身の佐々木銃砲火薬店時代から遡ると創業131年の歴史ある煙火業者さんです。

函館の街並み。

函館海上冬花火様々なところから花火を楽しむ。

メイン会場となるのは函館駅や函館朝市からほど近い函館国際ホテルの裏手辺りとなります。このエリアにはフードコートも開設されるそうです。温かい飲み物などをいただきながら間近に上がる花火の迫力を楽しむのもオススメです。寒さが苦手、もしくはゆったり贅沢に観覧したい方は暖かいホテルやお店からご覧になるのも良いでしょうし、寒さが得意な方はロープウェイで函館山に上り、THE函館とも言える夜景と共に楽しむのも良いでしょう。

また市内各所でははこだてイルミネーションというイベントも開催されますので花火の前後にイルミネーションも楽しまれてはいかがでしょうか。もちろん防寒は万全な状態でお出かけください。数年前私が訪れた際は函館海上冬花火に精通している友人に市内各所を案内していただきました。ロケハンを進めていく内に私の頭の中には撮影したいイメージが湧いてきました。当初は煌びやかな夜景と花火という撮影イメージを抱いて彼の地に降り立った私でしたが友人と共に市内をロケハンする中で撮影プランが変わっていきました。暗闇の中に降り積もった雪越しに上がる落ち着いた大人の花火という雰囲気で撮りたいと感じ始めました。函館は歴史に思いを馳せ、その風情を体現しながら大人がゆっくりと訪れる趣のある街というイメージが私の心の中にあったからなのかも知れません。

港町に上がる花火。

函館海上冬花火友と過ごしたかけがえのない時。

花火写真を通じて知り合い交流を深めてきた友人は心得たとばかりに気に入りの撮影場所へと私を案内してくれました。花火が始まるまでのワクワク感、夢中でシャッターを切った時間、互いの成果を見せ合い笑いあった瞬間。市街地の喧騒を離れた小高い場所で気の合う友人とカメラを並べて撮影した思い出は忘れ難い宝物となりました。

誰と観たのか、これは花火観覧の重要な要素の一つだと私は考えます。いつまでも心に残る花火を一つでも多くこれからも観覧していきたいと思います。この時は一泊二日の慌ただしい滞在でしたが次回は数日滞在し、三日間毎日場所を変えて撮影してみたいと思いますし、友人とも時間を忘れて花火談議に興じてみたいものです。

函館への旅。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

日時:2019年2月8日~2月10日 20:00~(約20分間程度)
場所:〒040-0063 北海道函館市若松町121番地先 MAP
函館海上冬花火 HP:https://fuyuhanabi.com/

1963年神奈川県横浜市生まれ。写真の技術を独学で学び30歳で写真家として独立。打ち上げ花火を独自の手法で撮り続けている。写真展、イベント、雑誌、メディアでの発表を続け、近年では花火の解説や講演会の依頼、写真教室での指導が増えている。
ムック本「超 花火撮影術」 電子書籍でも発売中。
http://www.astroarts.co.jp/kachoufugetsu-fun/products/hanabi/index-j.shtml
DVD「デジタルカメラ 花火撮影術」 Amazonにて発売中。
https://goo.gl/1rNY56
書籍「眺望絶佳の打ち上げ花火」発売中。
http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13751

統括編集長・倉持裕一が振り返る、2018年の『ONESTORY』。

「災」に苦しんだ一年。それでも前を向いて生きてゆく。

毎年恒例、京都の『清水寺』が発表する今年の漢字は「災」。近年、これほどまでにこの「災」に苦しまされた一年はなかったのではないでしょうか。2018年の『ONESTORY』はどんな年だったか振り返ると、その「災」に影響を受けたことが少なくなかったと思います。その最たるものが、『DINING OUT』でした。鳥取では豪雨。沖縄でも急な冷え込みやにわか雨。自然を舞台にすることの本質と対峙する年になりました。しかし、改めて感じたことは、我々が表現したいことや伝えたいその本質の全ては「外=OUT」にあるということでした。

沖縄県の知念城跡で開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。満月に照らされた石造りのグスクが、幻想的な雰囲気を創り上げた。

14回目の『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』は、降りしきる雨の中で幕を開けた。

古刹・清徳寺の境内で行われた『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』。雨の会場においてもなお、シンプルな徳吉シェフの料理の存在感が際立った。

DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』でシェフを務めた川田氏。地域の素材だけでなく、歴史や文化、人の思いまでを、料理に落とし込んだ。

改めて感じたこと。本質の全ては「OUT=外」から生まれている。

春夏秋冬に訪れる旬。肉、魚、野菜、米、酒、水…。海、山、川、畑、森、林…。ゼロから生まれるそれらは、全て自然からの恵みであり、「外」から生まれています。ある世界的に有名な日本人シェフは、『ONESTORY』で取材したレストランの記事を見てこう言いました。「これをやられたら敵わない」。その記事は、自ら畑を耕し、野菜を収穫し、料理をする『ヴィラ・アイーダ』でした。東京には数々の名レストラン、名シェフがいますが、料理を作るだけでなく、素材までを自ら作るところは、ほぼないでしょう。料理の本質は素材にあり、その素材は常に「外」から生まれているのです。自然相手のため、予測不能。時には前出のようなこともありますが、「外」で行うことに意味があるのが『DINING OUT』なのです。そして、「外」を通すからこそ繋がることができるのが、その土地や風土、文化や伝統、歴史です。これが『DINING OUT』が伝えたい、本当の意味での地域体験です。知識であれば「頭」で繋がれますが、「体」で繋がることが大切だと思うのです。

『ヴィラ・アイーダ』シェフの小林氏。キッチンに立ち、料理をしている最中、何かを思いついたかのように畑に走ることも少なくないとか。

店から歩いて2分ほどの畑にて。秋に植えた大根を越冬させ、その種を摘み取る。

レタスにイカとそら豆を包んだ前菜。即席リコッタチーズにハーブやベゴニアの葉、黒キャベツのバウダーなどを散らして。

視野は広く持ちたい。常に世界を意識したい。

世界的に注目される『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』。中でも邁進を見せたのは、2位の『傳』の長谷川在祐氏と3位の『フロリレージュ』の川手寛康氏です。両人は共に『DINING OUT』のシェフを務めた人物です。ふたりに共通していることは、ただ美味しい料理を作るだけではないこと。素材のルーツや伝統、文化、歴史など学び、それをどうしたらひと皿のストーリーとして落とし込めるのかを創造するシェフです。ゆえに、シェフでありクリエイター、表現者と言っていいでしょう。アジアNo.1まであと一歩。『ONESTORY』が掲げる「ジャパン クリエティブを世界へ」を体現しているふたりです。それ以外にも、2017年にオープンし、わずか9ヶ月でミシュラン二つ星を獲得した『茶禅華』の川田智也氏や地元の鳥取凱旋『DINING OUT』を果したミラノで活躍する『リストランテ・トクヨシ』の徳吉洋二氏など、シェフのトップランナーたちとのクリエイションは、お客様だけでなく、我々も大いに刺激をもらう出会いとなりました。鳥取に限っては、これから記事になる『かに吉』。大将の山田達也氏と出会い、取材直前に舞い込んだ吉報は、ミシュラン二つ星獲得の快挙でした。本物であれば場所は関係ない。世界も認める。勝負できる。そんな時代に突入していると実感した瞬間でした。どんなにSNSやテクノロジーが進化しても、体験に勝るものはありません。その土地に足を運び、人と出会い、感じ得る。『ONESTORY』が伝えたい大切なことは、その体験の豊かさなのです。

『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』授賞式の直後に行われたシェフたちの記念撮影。会場は熱気に包まれた。

「2位」の快挙が発表された直後、ガッツポーズで応える『傅』長谷川氏。

表彰後のパーティ会場にて、柔和な笑顔を見せる『フロリレージュ』川手氏。

世界と戦う人々の想いを学び、世界に足を運ぶことで未来を見る。

世界で戦う人々との出会いは大きな学びをもたらします。フラワーアーティストの東 信氏と『日本デザインセンター 原デザイン研究所』の原 研哉氏の両名はその好例でした。両者が認める日本のものはそれぞれの記事をご覧いただきたいと思いますが、審美眼として共通していたことは歴史と伝統、文化のあるものだということ。それはなぜか。原氏の言葉を借りるならば、「敵わないもの」だから。今を生きる我々がどんなに良いものを生み出しても、先人たちが歩んだ時代に追いつくことはできません。進化するには、「敵わないもの」を受け入れる許容も大切なのです。そして、記事にはしませんでしたが、原氏がディレクターを務める『ジャパン・ハウス』のオープニングにも参加しました。この『ジャパン・ハウス』は、戦略的対外発信の強化に向けた取組の一環として、外務省がサンパウロ、ロサンゼルス、ロンドンの世界3都市に設置した対外発信拠点です。これまで日本に興味のなかった人々も含め、幅広い層に向けて日本の多様な魅力、政策や取組を伝え、親日派・知日派の裾野を拡大していくことを目的としています。サンパウロでは、以前、『ONESTORY』にご出演いただいた片山正通氏がインテリアデザインを担当し、東氏もフラワーアートを創作。私が参加したロサンゼルスの会場にも、世界中のクリエイターが集い、日本の文化や伝統、歴史を食い入るように興味を示していました。世界が日本に関心を持ち、注目されている国だということも肌で感じる機会となりました。

「花を扱う仕事は命を扱う仕事」と語るフラワーアーティストの東氏。日々花と向き合い、挑戦し続ける。

東氏の愛用品は『金高刃物老舗』の「ハサミ」。「使い始めて約20年。歴史があるものは長く付き合わないとわからないと思います」。

日本を代表するグラフィックデザイナーの原氏が用意してくれた愛用品は「蒔絵硯箱」。「長く付き合うことによって、古いモノのエッセンスが自分に染み込んでいく」と話す。

言葉の一つひとつをじっくりと丁寧に紡ぎ出しているのが印象的だった原氏。「もの」のデザインと同様に「こと」のデザインも重視する。

若き力に感動。長期間にわたり、地域と向き合った一年。

2018年は、地域と長きにわたり取り組むプロジェクトに恵まれた年でもありました。全て現在進行系ですが、南会津下関津軽、『ONESTORY TIMES』がそれです。東京と違い、地域に足を運ぶと四季の移り変わりをしっかりと感じます。変化に富んだ風景、旬の食材。これこそが本来の日本の姿のような気がします。そして、どの地域に訪れても必ず若い力が芽生えています。彼らの規模は決して大きくはありませんが、ゆえに個人個人の表現したいことや想い、愛情が具現化された場所になっています。それがオリジナリティを育ませ、独自の世界を形成しているのです。100歳時代と言われる昨今、未来の距離感に変化が生まれていると思います。100年後を見ることができる時代になってきているのです。その若い力がどうなっていくのか。この街がどう変化し、進化していくのか。そんなことを想像することが、もう夢ではないのです。歴史や伝統の一片を誰もが刻むことができる時代なのです。

Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI」で取材した『第三海竜丸』漁師の藤本氏。持続可能な漁を目指して熱き挑戦は続く。

どこにもない下関料理を追求する『レストラン高津』のシェフ、高津氏。繊細な料理を紡ぐ真剣な眼差しとは裏腹に、調理後は非常に気さくな一面も。

クエから取った出汁を使い、クエを蒸す「ヴァプール」。旨みの相乗効果が生み出した滋味深いクエに、たっぷりの海苔とアサツキをあしらって提供。

弘前シードル工房 kimori』の高橋氏。訪れたのは、たわわに実ったりんごが色づき始めた季節。店の運営元である「百姓堂本舗」の自社畑で作業を進める。

南会津のカフェ『CAFE JI*MAMA』。肩の力が抜けた五十嵐氏のお人柄と笑顔も、このカフェの魅力。

作家・写真家の小林紀晴氏が南会津の四季を巡る「写真紀行」の連載も開始。春の紀行「人知れず、花」より、満開の桜。

夏の紀行「濃厚で濃密な季節」では、力強い南会津の自然と、そこに生きる人々の姿が描かれた。

秋の紀行「追憶の螺旋」に登場する『氷玉峠』。色彩豊かな峠道で出逢う錦秋の頂点、その美しさに目を奪われる。

いくつかの茅葺き集落が残る南会津。重厚な茅葺屋根は南会津の歴史や地域性を体現している。小林紀晴氏、アレックス・カー氏の連載にも度々登場する。

カタチを持たないカタチを表現するということ。

『ONESTORY』は、ご存知の通り『DINING OUT』を行い、メディアとしても表現しています。しかし、我々は、イベントやWebに執われることはありません。2018年、新たに表現の場を広げた事例としては、『カルティエ』が手がけたコンビニエンスストア『カルチエ』に並ぶフードのサポート。そのラインナップは、『タカザワ』の高澤義明氏が作る巻物やおにぎらず、キャビアアイスクリーム、『ティルプス』の元シェフの田村浩二氏が作る抹茶のアイスクリームやバラのアイスクリーム、『フルール・ド・エテ』の庄司夏子氏が手がけるマンゴタルトなど、そのどれもがスペシャルなコラボレーションアイテム。こういったカタチも『ONESTORY』の表現なのです。我々は、活動体でありたいと思っています。それぞれに適材適所の手法を凝らし、カタチを持たないカタチを表現していきます。

白とゴールドを基調にしたインテリアがラグジュアリー。統一感を持たせたパッケージやショウケースに並んだ時の見え方なども計算しつくされている。

赤坂の『タカザワ』で出している一品を製品化した「キャビアアイスクリーム」。

代々木『フルール・ド・エテ』の庄司夏子氏による「マンゴータルト」。

予約がとれない人気店、目黒『kabi』と赤坂の会員制レストラン『sanmi』が開発した限定のカップラーメンのパッケージを開けるとレストランの招待チケットが入っているという仕掛けも。

2019年もまた、『ONESTORY』は、まだ見ぬ日本の感動を探し続けます。

『ONESTORY』のメディアは、少しずつ常にアップデートしています。今年のテーマは、「アーカイブ」でした。各コンテンツを全て整理し、入口も多様化。それぞれが蓄積できる環境を整えました。雑誌などであれば、週刊、月刊など、都度1冊を作り上げますが、『ONESTORY』の場合は永遠に完成しない1冊を作り続け、その想いに夢をはせています。そんなことも感じながら、ぜひ、お楽しみいただければと思います。そして、2018年も多くの読者様、地域の方々にお世話になりました。この場を借りて、深く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。2019年もまた、『ONESTORY』は、まだ見ぬ日本の感動を探し続けます。それでは、日本のどこかでお会いしましょう。

統括編集長・倉持裕一が振り返る、2018年の『ONESTORY』。

「災」に苦しんだ一年。それでも前を向いて生きてゆく。

毎年恒例、京都の『清水寺』が発表する今年の漢字は「災」。近年、これほどまでにこの「災」に苦しまされた一年はなかったのではないでしょうか。2018年の『ONESTORY』はどんな年だったか振り返ると、その「災」に影響を受けたことが少なくなかったと思います。その最たるものが、『DINING OUT』でした。鳥取では豪雨。沖縄でも急な冷え込みやにわか雨。自然を舞台にすることの本質と対峙する年になりました。しかし、改めて感じたことは、我々が表現したいことや伝えたいその本質の全ては「外=OUT」にあるということでした。

沖縄県の知念城跡で開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。満月に照らされた石造りのグスクが、幻想的な雰囲気を創り上げた。

14回目の『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』は、降りしきる雨の中で幕を開けた。

古刹・清徳寺の境内で行われた『DINING OUT TOTTORI-YAZU with LEXUS』。雨の会場においてもなお、シンプルな徳吉シェフの料理の存在感が際立った。

DINING OUT KUNISAKI with LEXUS』でシェフを務めた川田氏。地域の素材だけでなく、歴史や文化、人の思いまでを、料理に落とし込んだ。

改めて感じたこと。本質の全ては「OUT=外」から生まれている。

春夏秋冬に訪れる旬。肉、魚、野菜、米、酒、水…。海、山、川、畑、森、林…。ゼロから生まれるそれらは、全て自然からの恵みであり、「外」から生まれています。ある世界的に有名な日本人シェフは、『ONESTORY』で取材したレストランの記事を見てこう言いました。「これをやられたら敵わない」。その記事は、自ら畑を耕し、野菜を収穫し、料理をする『ヴィラ・アイーダ』でした。東京には数々の名レストラン、名シェフがいますが、料理を作るだけでなく、素材までを自ら作るところは、ほぼないでしょう。料理の本質は素材にあり、その素材は常に「外」から生まれているのです。自然相手のため、予測不能。時には前出のようなこともありますが、「外」で行うことに意味があるのが『DINING OUT』なのです。そして、「外」を通すからこそ繋がることができるのが、その土地や風土、文化や伝統、歴史です。これが『DINING OUT』が伝えたい、本当の意味での地域体験です。知識であれば「頭」で繋がれますが、「体」で繋がることが大切だと思うのです。

『ヴィラ・アイーダ』シェフの小林氏。キッチンに立ち、料理をしている最中、何かを思いついたかのように畑に走ることも少なくないとか。

店から歩いて2分ほどの畑にて。秋に植えた大根を越冬させ、その種を摘み取る。

レタスにイカとそら豆を包んだ前菜。即席リコッタチーズにハーブやベゴニアの葉、黒キャベツのバウダーなどを散らして。

視野は広く持ちたい。常に世界を意識したい。

世界的に注目される『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』。中でも邁進を見せたのは、2位の『傳』の長谷川在祐氏と3位の『フロリレージュ』の川手寛康氏です。両人は共に『DINING OUT』のシェフを務めた人物です。ふたりに共通していることは、ただ美味しい料理を作るだけではないこと。素材のルーツや伝統、文化、歴史など学び、それをどうしたらひと皿のストーリーとして落とし込めるのかを創造するシェフです。ゆえに、シェフでありクリエイター、表現者と言っていいでしょう。アジアNo.1まであと一歩。『ONESTORY』が掲げる「ジャパン クリエティブを世界へ」を体現しているふたりです。それ以外にも、2017年にオープンし、わずか9ヶ月でミシュラン二つ星を獲得した『茶禅華』の川田智也氏や地元の鳥取凱旋『DINING OUT』を果したミラノで活躍する『リストランテ・トクヨシ』の徳吉洋二氏など、シェフのトップランナーたちとのクリエイションは、お客様だけでなく、我々も大いに刺激をもらう出会いとなりました。鳥取に限っては、これから記事になる『かに吉』。大将の山田達也氏と出会い、取材直前に舞い込んだ吉報は、ミシュラン二つ星獲得の快挙でした。本物であれば場所は関係ない。世界も認める。勝負できる。そんな時代に突入していると実感した瞬間でした。どんなにSNSやテクノロジーが進化しても、体験に勝るものはありません。その土地に足を運び、人と出会い、感じ得る。『ONESTORY』が伝えたい大切なことは、その体験の豊かさなのです。

『ASIA’S 50 BEST RESTAURANTS』授賞式の直後に行われたシェフたちの記念撮影。会場は熱気に包まれた。

「2位」の快挙が発表された直後、ガッツポーズで応える『傅』長谷川氏。

表彰後のパーティ会場にて、柔和な笑顔を見せる『フロリレージュ』川手氏。

世界と戦う人々の想いを学び、世界に足を運ぶことで未来を見る。

世界で戦う人々との出会いは大きな学びをもたらします。フラワーアーティストの東 信氏と『日本デザインセンター 原デザイン研究所』の原 研哉氏の両名はその好例でした。両者が認める日本のものはそれぞれの記事をご覧いただきたいと思いますが、審美眼として共通していたことは歴史と伝統、文化のあるものだということ。それはなぜか。原氏の言葉を借りるならば、「敵わないもの」だから。今を生きる我々がどんなに良いものを生み出しても、先人たちが歩んだ時代に追いつくことはできません。進化するには、「敵わないもの」を受け入れる許容も大切なのです。そして、記事にはしませんでしたが、原氏がディレクターを務める『ジャパン・ハウス』のオープニングにも参加しました。この『ジャパン・ハウス』は、戦略的対外発信の強化に向けた取組の一環として、外務省がサンパウロ、ロサンゼルス、ロンドンの世界3都市に設置した対外発信拠点です。これまで日本に興味のなかった人々も含め、幅広い層に向けて日本の多様な魅力、政策や取組を伝え、親日派・知日派の裾野を拡大していくことを目的としています。サンパウロでは、以前、『ONESTORY』にご出演いただいた片山正通氏がインテリアデザインを担当し、東氏もフラワーアートを創作。私が参加したロサンゼルスの会場にも、世界中のクリエイターが集い、日本の文化や伝統、歴史を食い入るように興味を示していました。世界が日本に関心を持ち、注目されている国だということも肌で感じる機会となりました。

「花を扱う仕事は命を扱う仕事」と語るフラワーアーティストの東氏。日々花と向き合い、挑戦し続ける。

東氏の愛用品は『金高刃物老舗』の「ハサミ」。「使い始めて約20年。歴史があるものは長く付き合わないとわからないと思います」。

日本を代表するグラフィックデザイナーの原氏が用意してくれた愛用品は「蒔絵硯箱」。「長く付き合うことによって、古いモノのエッセンスが自分に染み込んでいく」と話す。

言葉の一つひとつをじっくりと丁寧に紡ぎ出しているのが印象的だった原氏。「もの」のデザインと同様に「こと」のデザインも重視する。

若き力に感動。長期間にわたり、地域と向き合った一年。

2018年は、地域と長きにわたり取り組むプロジェクトに恵まれた年でもありました。全て現在進行系ですが、南会津下関津軽、『ONESTORY TIMES』がそれです。東京と違い、地域に足を運ぶと四季の移り変わりをしっかりと感じます。変化に富んだ風景、旬の食材。これこそが本来の日本の姿のような気がします。そして、どの地域に訪れても必ず若い力が芽生えています。彼らの規模は決して大きくはありませんが、ゆえに個人個人の表現したいことや想い、愛情が具現化された場所になっています。それがオリジナリティを育ませ、独自の世界を形成しているのです。100歳時代と言われる昨今、未来の距離感に変化が生まれていると思います。100年後を見ることができる時代になってきているのです。その若い力がどうなっていくのか。この街がどう変化し、進化していくのか。そんなことを想像することが、もう夢ではないのです。歴史や伝統の一片を誰もが刻むことができる時代なのです。

Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI」で取材した『第三海竜丸』漁師の藤本氏。持続可能な漁を目指して熱き挑戦は続く。

どこにもない下関料理を追求する『レストラン高津』のシェフ、高津氏。繊細な料理を紡ぐ真剣な眼差しとは裏腹に、調理後は非常に気さくな一面も。

クエから取った出汁を使い、クエを蒸す「ヴァプール」。旨みの相乗効果が生み出した滋味深いクエに、たっぷりの海苔とアサツキをあしらって提供。

弘前シードル工房 kimori』の高橋氏。訪れたのは、たわわに実ったりんごが色づき始めた季節。店の運営元である「百姓堂本舗」の自社畑で作業を進める。

南会津のカフェ『CAFE JI*MAMA』。肩の力が抜けた五十嵐氏のお人柄と笑顔も、このカフェの魅力。

作家・写真家の小林紀晴氏が南会津の四季を巡る「写真紀行」の連載も開始。春の紀行「人知れず、花」より、満開の桜。

夏の紀行「濃厚で濃密な季節」では、力強い南会津の自然と、そこに生きる人々の姿が描かれた。

秋の紀行「追憶の螺旋」に登場する『氷玉峠』。色彩豊かな峠道で出逢う錦秋の頂点、その美しさに目を奪われる。

いくつかの茅葺き集落が残る南会津。重厚な茅葺屋根は南会津の歴史や地域性を体現している。小林紀晴氏、アレックス・カー氏の連載にも度々登場する。

カタチを持たないカタチを表現するということ。

『ONESTORY』は、ご存知の通り『DINING OUT』を行い、メディアとしても表現しています。しかし、我々は、イベントやWebに執われることはありません。2018年、新たに表現の場を広げた事例としては、『カルティエ』が手がけたコンビニエンスストア『カルチエ』に並ぶフードのサポート。そのラインナップは、『タカザワ』の高澤義明氏が作る巻物やおにぎらず、キャビアアイスクリーム、『ティルプス』の元シェフの田村浩二氏が作る抹茶のアイスクリームやバラのアイスクリーム、『フルール・ド・エテ』の庄司夏子氏が手がけるマンゴタルトなど、そのどれもがスペシャルなコラボレーションアイテム。こういったカタチも『ONESTORY』の表現なのです。我々は、活動体でありたいと思っています。それぞれに適材適所の手法を凝らし、カタチを持たないカタチを表現していきます。

白とゴールドを基調にしたインテリアがラグジュアリー。統一感を持たせたパッケージやショウケースに並んだ時の見え方なども計算しつくされている。

赤坂の『タカザワ』で出している一品を製品化した「キャビアアイスクリーム」。

代々木『フルール・ド・エテ』の庄司夏子氏による「マンゴータルト」。

予約がとれない人気店、目黒『kabi』と赤坂の会員制レストラン『sanmi』が開発した限定のカップラーメンのパッケージを開けるとレストランの招待チケットが入っているという仕掛けも。

2019年もまた、『ONESTORY』は、まだ見ぬ日本の感動を探し続けます。

『ONESTORY』のメディアは、少しずつ常にアップデートしています。今年のテーマは、「アーカイブ」でした。各コンテンツを全て整理し、入口も多様化。それぞれが蓄積できる環境を整えました。雑誌などであれば、週刊、月刊など、都度1冊を作り上げますが、『ONESTORY』の場合は永遠に完成しない1冊を作り続け、その想いに夢をはせています。そんなことも感じながら、ぜひ、お楽しみいただければと思います。そして、2018年も多くの読者様、地域の方々にお世話になりました。この場を借りて、深く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。2019年もまた、『ONESTORY』は、まだ見ぬ日本の感動を探し続けます。それでは、日本のどこかでお会いしましょう。

久高島の聖なる食べ物・イラブー。伝統料理を再構築しコースのはじまりに。[DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS/沖縄県南城市]

「久高島イラブーのシガレット」。身と皮を分けて下処理を施した後、再び皮を貼り付け、細長い形状に。ひと口大の中に、イラブーの鰹だしのような旨みとアグー種の豚のコクがぎゅっと凝縮されている。

ダイニングアウト琉球南城はじまりの一品を、琉球創世の地に欠かせない聖なる食材で。

沖縄県南城市を舞台に2018年11月23日、24日に開催された『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』。太古の昔、琉球の島々や御嶽を作った女神「アマミキヨ」の神話になぞらえ、厨房を任されたのは『志摩観光ホテル』樋口宏江シェフ。「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマの下に供された11皿のコースは、「久高島イラブーのシガレット」からスタートしました。多くのゲストにとって、なじみのない食材であろうイラブー(エラブウミヘビ)。一体どんな味がするのか。期待の中に、未知なる食物に対するわずかな不安をにじませる人々を、ひと口で笑顔にし、同時にディープな沖縄・南城の歴史ある食文化の世界に引き込みました。イラブーの産地、久高島は、琉球神話の聖地。一体どんな場所で、イラブーはどのようにして作られているのか。樋口シェフがこの一皿に込めた想いとともにご紹介します。

▶詳細は、DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS

レセプションは、久高島のカベール岬周辺で行われた。ゲストはアペリティフに「ヱビス マイスター 匠の逸品」などを楽しんだ。

樋口シェフ。単なる食材や郷土食の再構築にとどまらず、沖縄の人々にとっての食のあり方を11皿で表現した。

フェリーから望む久高島。起伏のない平坦な地形が、見た目にもよくわかる。

ダイニングアウト琉球南城久高島――琉球の祖神が降り立ったはじまりの地。

久高島は、沖縄南東部・知念岬の東海上に浮かぶ島。琉球創世の女神「アマミキヨ」が降臨したといわれる神話の聖地で、周囲わずか8キロの小さな島の中に、御嶽(うたき)や拝所(うがんしょ)など、数々の祈りの場が今も残ります。琉球王朝時代には国王も巡礼していた土地で、祝女(ノロ)という国王の代理人が12年に一度行われる秘祭「イザイホー」などの祭を執り行うなど、女性を守護神とする文化が継承されています。もっとも神聖な場所とされるクボー御嶽は、男子禁制。島の北端のカベール岬は「アマミキヨ」が降り立ったとされる聖地で、海の彼方にあるニライカナイから五穀がもたらされたといわれています。島には、カベール岬を中心にやし科のピロウやクロツグを筆頭にさまざまな風衛植物が自生していて、青い海、白い砂浜とともに南国らしい景観を織りなしています。多くの植物は島の信仰とも密接。祭祀の際、神女たちが頭にかぶる「ハブイ」や扇、神座なども、島の植物からつくられます。

沖縄本島からフェリーでわずか20分程度の場所ながら、リゾート開発を免れた小さな島には、手つかずの自然と、独自の信仰を守り生きる人々の静かな暮らしが残っています。そんな久高島で、神の使い、聖なる食べ物とされるのがイラブー(エラブウミヘビ)なのです。

久高島南部に集中する集落。公共交通機関はなく、自家用車、自転車が人々の移動手段に。

島中央部、カベール岬へ続く道。久高島ならではの植物群は、陽の光を受け緑色が鮮やか。

「アマミキヨ」が降り立ったといわれるカベール岬は、久高島の中でも重要な聖地のひとつ。

ダイニングアウト琉球南城島の神事とも密接なイラブー漁の伝統。

イラブーの漁期は、旧暦の6月から12月。琉球王朝時代、神事の要所であった久高島で、最高権力者であった久高ノロ家など三家が、漁と燻製加工を担い、その技や知識は口頭で伝承されてきたといわれています。捕獲人は、島の重要な祭祀を司る3人の女性で、男性が燻製作業を行うのも決まり事。イラブーの燻製小屋は、秘祭「イザイホー」のもっとも重要な祭場である御殿庭(ウドンミャー)にあります。

時代の流れとともに伝統的な後継者が途絶え、現在では男性も捕獲人に加わっています。糸数勝治氏もそのひとり。糸数氏に案内してもらった漁場は、本島からのフェリーが到着する徳仁港のほど近くで、サンゴ石灰岩が隆起し、比較的水深が深い海岸沿いにあります。漁は夜に行われ、捕獲人たちは漁期の間、毎晩海に入るといいます。道具は使わず、手で捕獲するのも大切な決まりごと。獲ったイラブーが約100匹に達すると、丁寧な下処理を経て、一週間かけて燻製にしていきます。燻製にされるまで、陸で保管されている間も、飲まず食わずで生き続けるほど強い生命力を持つイラブーは、滋養強壮にいい食材として、珍重されてきた歴史を持ちます。

糸数氏の案内で訪れたイラブーの漁場。木で組まれた足場を伝い海に降りる。懐中電灯の小さな灯りひとつで行うには、熟練の技が必要。

御殿庭(ウドンミャー)にあるイラブーの燻製小屋。燻香が一帯に漂う。

イラブーの燻製の窯出し風景。小さなすすやほこりなどを払い、きれいに磨き上げる。

1週間、窯に3度火を入れて完成するイラブーの燻製。下茹でして戻し、柔らかく炊くために数時間煮込むなど、調理にも時間がかかる。

ダイニングアウト琉球南城琉球王朝時代の宮廷料理として受け継がれるイラブー汁を再構築。

10月初旬、食材視察のために沖縄を訪れた樋口宏江シェフは、那覇市の沖縄料理店『月桃庵』でイラブー汁を試食しました。イラブーの燻製を下茹でし、ソーキや昆布とともに煮込んだイラブー汁は、琉球王国時代の宮廷薬膳料理に起源を持ちます。
「独特の旨みは、鰹だしのよう。滋味豊かで、体に染み入るような味わいです」
試食の感想をそう話してくれた樋口シェフ。このイラブー汁から着想を得て「イラブーのシガレット」を作ったといいます。

「イラブーの皮の燻香、身、そして旨みたっぷりのだし。すべてを使いたいと思いました。加えて見た瞬間、イラブーとわかるビジュアルにしたかった」。
そう考えたとき、細長いシガレット状の一品を思い付いたといいます。下茹でしたイラブーの身をほぐし、メインディッシュでも使った純血アグー種の豚「黒金豚」の豚足、豚バラ、ジャガイモと混ぜて成形。この際に、茹でたときの煮汁も加え、シガレットの形に合わせて成形します。下茹で後に皮を切り分け、一部は乾燥させ粉末状に。成形した身に切り分けた皮を貼り付け、昆布の粉末と合わせた皮の粉を、油でからりと揚げます。

実はこの「久高島イラブーのシガレット」は、『DINING OUT』をサポートするサッポロビール「ヱビス マイスター 匠の逸品」に合う料理として樋口シェフが用意したもの。クリスピーな食感と香ばしさ、イラブー粉由来の濃厚な旨みが、ロイヤルリーフホップのふくよかなアロマ、研ぎ澄まされたコクと引き立て合います。

一杯のイラブー汁を構成する食材のすべて、さらにはイラブーの生命すべてがひと口大のシガレットに。。宮廷薬膳料理を見事に再構築した一皿は、アペリティフ会場の久高島を経て、テーブルについたゲストを深い感動へと導きました。

ヱビスブランドの中で唯一、薫り高いロイヤルリーフホップを一部に使用する「ヱビス マイスター 匠の逸品」。濃厚で余韻の長い「久高島イラブーのシガレット」と素晴らしく相乗する。

ゲストは「ヱビス マイスター 匠の逸品」とともに「久高島イラブーのシガレット」を味わった。

『月桃庵』のイラブー汁は、豚足のほかに、大根やしいたけが入る。イラブーの身は昆布で巻いて。

初めてイラブー汁を試食する樋口シェフ。見た目のインパクトと滋味深い味わいのギャップに驚いたと話す。

ダイニングアウト琉球南城琉球と伊勢、ふたつのルーツを重ね合わせて。

『DINING OUT』を通じ、琉球と伊勢との共通点に気付いたという樋口シェフ。それは「神人共食」という言葉に集約されます。
「神人共食とは、神様に捧げた供物を、我々も一緒に頂くという考えです」

伊勢は、神事の際、海産物を献上する役割を担ってきた御食国(みけつくに)。2000年前から行われていた海女による漁も、イラブー漁と重ね合わせます。
「どちらも決められた人が、素手を使って行う漁が今も受け継がれている。そこには、自然からの恵みを“取り過ぎることなく、必要な分だけ分けて頂く”というサスティナブルな視点と感謝の気持ちがある」
滋養豊かなイラブーは、燻製加工することで保存が可能になり、旨みたっぷりのだしが料理の要となる。伊勢で神饌とされる鰹節にも思いを馳せたといいます。

個性豊かな食材や郷土料理にとどまらない、沖縄の食の真の豊かさと「Origin いのちへの感謝と祈り」というテーマを訪れたゲスト全員の記憶に、鮮明に刻みたい。そんな願いを込めて、コースの一皿目に「久高島イラブーのシガレット」を提供したのです。

厨房でサーヴされるときを待つ「久高島イラブーのシガレット」。ずらり並ぶ様子は壮観。

知念城跡に出現したディナー会場。海に面した場所に御嶽があり、そこから久高島を望められた。

三重県四日市市生まれ。1991年、志摩観光ホテルに入社。2014年には、同ホテルで初めての女性総料理長に就任。2016年に、「G7 伊勢志摩サミット」のディナーを担当し、各国首脳から 称賛を受けた。翌年、第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」のブロンズ賞を、三重県初、女性としても初めて受賞。今、最も世界から注目を集めている女性シェフである。
志摩観光ホテルHP:https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html