深まる郷土への想い。コロナ禍で見出した、宮古島で料理をつくる本当の意味。[Restaurant État d’esprit/沖縄県宮古島市]

Restaurant État d'esprit  宮古島OVERVIEW

われわれONESTORYが沖縄に面白いレストランがあると聞き、取材のための情報収集を始めたのがおよそ2年前のことでした。
その店は宮古島の北西に浮かぶ伊良部島の片隅にあり、『紺碧 ザ・ヴィラオールスイート』のメインダイニング。シェフは生まれも育ちも地元・宮古島。東京やフランスの名店で修業し、さらにはバスク地方のレストランで研鑽を積んだ人物だといいます。そんなシェフがつくるのは、フレンチの技法を駆使して沖縄の食材を昇華させる「琉球フレンチ」……。
きっとそこにはこの店でしか楽しめない体験が待っているに違いない。
そんな確信を胸に、ONESTORYはその店への取材に挑むことになりました。
店の名は『Restaurant État d'esprit』。フーディなら一度は耳にしたことがある名前かもしれません。

ONESTORYが『Restaurant État d'esprit』を取材したのは2020年2月。新型コロナウイルスの脅威が日本各地に広がりはじめた頃でした。
しかし、取材は済ませたものの、3月~4月に設定していた記事公開は先延ばしになります。当然ながら取材した情報の鮮度は公開が遅れるほど落ちていきます。
そんななかで2020年11月、われわれは記事の公開時期を相談、宮古島の現状を聞くべく、シェフの渡真利泰洋氏にコンタクトを取ると……。
初めての取材からおよそ10ヶ月後。よもやONESTORYが再び宮古島を訪ねることになろうとは!

コロナ前とwithコロナの時代。観光産業が主軸となる宮古島という場所で、揺れ動く世の中でもがくレストランが見つけた答え。そして、2回の取材を通して見えてきた『Restaurant État d'esprit』の魅力とは一体何か? 
決して大げさではなく、そこには沖縄料理の未来がありました。

住所:沖縄県宮古島市伊良部字池間添1195-1 MAP
電話:0980-78-6000
営業時間:18:00〜22:00
定休日:不定休
http://www.konpeki.okinawa/

Photographs:YASUFUMI MANDA
Text:TAKETOSHI ONISHI

歴史深い桑名の魅力を垂直方向に掘り下げた宿の決意。[MARUYO HOTEL Semba/三重県桑名市]

『MARUYO HOTEL Semba』の外観。白地の暖簾に踊るは、ここが材木商「丸与木材」だった頃の屋号。

マルヨホテル東海道唯一の海上路・桑名に生まれた一棟貸しの宿。

東海道五十三次の42番目の宿場にあたる桑名宿。かつて多くの旅人を癒してきたこの場所は、東海道唯一の海上路・七里の渡しで宮宿(現在の名古屋市熱田区)と結ばれ、伊勢参りの玄関口として栄えてきました。また、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が合流する桑名には流通の拠点として発展してきた側面や、米相場(江戸期の先物相場)が置かれたことで相場師が集まり、経済の拠点として発達してきた側面もあります。

そんな歴史を刻んできた桑名市船馬町にこのほど誕生したのは、明治創業の材木商の建物をリノベ―ションした1日1組(4名まで)限定の1棟貸しホテル『MARUYO HOTEL Semba』。オーナーは、先の材木商・丸与木材創業者の玄孫にあたる『MIWA Holdings』代表の佐藤武司氏です。

「9年ほど前からパリで日本文化をご紹介する『Pavillion MIWA』という会員制倶楽部を運営しているのですが、そこで出会った方々が日本にいらした時に泊まれる場所をということで、2018年に京都の北区に『The Lodge MIWA』という長期滞在型の宿泊施設を造りました。自然に恵まれた長閑な場所なのですが、過疎化が進んでいて、そこへ旅行者が来るようになったことで村の方が自信を取り戻していくのを間近で感じたんです。一方、桑名には私の実家があり、曾祖父から受け継いできた場所が空いていて、父から『(桑名も)京都のようにできないか?』と相談されたことがきっかけです」。

オーナーの佐藤武司氏と、妻でギャラリストの正木なおさん。夫妻の美意識が貫かれた宿になっている。

マルヨホテルアートと滞在の場が自然に溶け合う空間作り。

最初は長期滞在者向けの宿を考えていた佐藤氏でしたが、3年前にギャラリストの正木なおさんと結婚したことで、1泊だけで特別な体験ができる宿へとプロジェクトは変化していきました。

現代アートと工芸を扱うギャラリー『Gallery NAO MASAKI』を営むなおさんは、「生活とアートがどういうところで接点を持ってくるのか?」を十数年に渡って追求してきた人物。そんな奥様と二人三脚で手掛けた宿は、現在と過去、東洋と西洋、アートと工芸の境を超越し、全てが滑らかに融合した空間になったのです。

「桑名は伊勢の入口であり、経済の拠点となってきた時代や明治以降に多くの西洋文化が流入してきた歴史があります。そんな土地が持っているイメージを感覚的に味わっていただきたくて、アンティークの要素を強く持ってくることを意識しました。まず建物自体が古い木造建築で、中に入ると西洋風の格子が表れます。ラウンジは和室なのに石張りという他にはない内装になっていて、この宿を象徴する空間になっています」となおさん。

興味深いのは、具体の堀尾貞治氏の作品や城所右文次氏のバンブーチェアと並列して飾られた江戸時代の蔵に使われていた引き戸。経年による風合いはまるで現代アートのよう。「ここに訪れたゲストからも“この作品の作家はどなたですか?”といった質問をされます」となおさんは言います。古いものがアートに見え、いつしか空間そのものがアートになっていく……。本来、自分から出て来ようもない感覚が引き出され、新しい自分を発見したような気分になれるのは、この宿ならではかもしれません。

「“〇〇の作品がある宿”といったマーケティング的視点ではなく、自分たちが居る空間に自然にアートが在るようにするには、元の建物をどのように改修していくかも重要。例えば、予算ありきで工務店に丸投げする方法では、“予算内に収めるためクロス張りにしましょう”というように、本来自分たちがやりたかったこととのズレが生じてしまいます。そこで、工務店を入れずに現場を直接見ながら、“ここにはアンティークの桧の扉を使いたいので、それに合わせて開口部を仕上げてください”というように、僕と大工さんとで少しずつ改修を進めていきました」と佐藤氏。

通常ではありえない現場は、20歳で宮大工に弟子入り後、数寄屋建築の名門・中村外二工務店で研鑽を積んで独立した相良工務店の相良昌義氏が担当。土壁や漆喰の質感ひとつからも古の息遣いが聞こえてきそうな空間が誕生しました。また、電気工事など専門知識が必要な部分はその都度、佐藤氏自ら専門の職人を手配。調度はもちろん照明の碍子ひとつまでこだわった空間にいると、まるで美の胎内にいるかのような心地よさを感じることができます。

白い漆喰と黒漆喰の対比、オーナー自ら買い付けた照明、選び抜かれたリネン……。非日常のスイッチが入る「room1」の主寝室。

墨を混ぜて作る夜の海の色のような黒漆喰、一輪差しの花、工芸品の棚の配置の妙が、アートな空間を作り出す。

珍しい網代の扉は、佐藤氏自らアンティーク家具店で買い付けてきたもの。「この扉が使えるように開口部を設計してもらいました」。

ジョサイア・コンドルをオマージュした洋室「room 0」。フランスのアンティークの扉から中庭に出るのもいい。デスクに飾られているのはアート作品ではなく、蔵の窓。

マルヨホテル往時の宿場町の面影を残す老舗・名店で夕食を。

名古屋からわずか1駅とアクセスのよい桑名ですが、あえてお勧めしたいルートがあります。それは、名古屋の熱田から桑名まで「七里の渡し」を船で渡るクルーズプランです。

『熱田神宮』をお参りし、湾内のゆったりした波に2時間ほど揺られれば、伊勢の玄関口を象徴する「一の鳥居」が見えてきます。海から伊勢の国に入る体験は、江戸期の旅人と共鳴する特別な体験になることでしょう。

川沿いに佇む築70年以上の古民家の敷居を跨げば、しっとりとした和の美を纏った空間。1階は読書やお茶など、ゆるりとした時間を過ごせるラウンジ。2室ある客室の1室は、黒漆喰の床の間が夜の海を彷彿させる空間で、戸外には桧の露天風呂が設えられています。もう1室は、近隣にある明治時代の洋館「六華苑」を手掛けたジョサイア・コンドルをオマージュした美しい洋室になっています。

また、こちらの宿はB&B(ベッド&ブレックファスト)方式なので、夕食は桑名や名古屋の名店で好みの食事をいただくスタイル。

「宿場町として栄えたきた桑名には、老舗や名店がとにかく多いんです」と佐藤氏が語るように、宿の近辺には蛤料理の『日の出』に松坂牛の鉄板焼き、しゃぶしゃぶの『柿安 料亭本店』、明治10年創業のうどん店『歌行燈』が。こだわりのご夫婦が営まれている『朔』は1日6名限定でランチのみ営業の日本料理店で、店で出す器は全て奥様が手掛けていらっしゃいます。名古屋方面へクルマで30分もいけば、ミシュラン一つ星のフレンチ『壺中天』や、デザートをコース仕立てにしていただける一軒家レストラン『Le Dessert』といった名店も。旅先で美味を堪能したい向きは、希望を伝えつつ、行先を相談してみるのもよいでしょう。

長閑な景色、昔ながらの設えが旅の疲れを癒してくれる2階のダイニングルーム。語らいや食事の場として利用することができる。

宿の近所にある船溜まり。その昔、東海道を船で渡った旅人を思いながら、近場を散策するのも楽しい。

マルヨホテル街の魅力ひとつ一つにスポットが当たることによって、街は底上げされてゆく。

旅先で目覚めた朝は、本当においしいシンプルな食事で胃を満たしたいもの。『MARUYO HOTEL Semba』では、全てにおいてこだわった朝食を提供しています。搾りたてのオレンジジュースは、近隣にある大正時代創業の青果店からとったものを使用。そのお店は創業時バナナ屋だったそうで、当時のバナナがどれほど高級品だったかを考えると、桑名という街の豊かさが感じられます。また、豆乳ヨーグルトにかける蜂蜜は、転地養蜂を営む4代目が採取した桑名にある天然記念物のモチの木の単花蜂蜜。さらりとした優しい味わいです。

「パンは焼きたてのクロワッサンとパン・オ・ショコラをお出ししています。これも宿を始めることでお付き合いのできた街のパン屋さんに“チョコレートはもう少し甘さを控えてください”など、細かいお願いをして今のカタチになりました。先方からも、“やりがいがあります”とおっしゃっていただいて、グラノーラもこちらにお願いしています。グラノーラに使う米油はそもそも桑名が発祥で、400年ぐらいの歴史がある油屋さんのものを使っています。こだわり始めたら、地元のよいものに目がいくようになりました。そこから新たな出会いやプロジェクトが生まれ、自分も楽しみながらこの仕事をやらせてもらっていますし、お客様にも桑名の凝縮された魅力や歴史を感じ取っていただけるはずです。いまは気軽に海外に行けない時期。そんな時だからこそ、水平方向ではなく垂直方向へ、その地域の時間を遡っていくような旅を楽しんでいただけたらと思います」と佐藤氏。

また、「ミニバーに置く水ひとつやタオル1枚にも最良を追求し、新たなプロジェクトが幾つも進行中」と言葉を続けます。

街が持つあらゆる場所や店にスポットを当て、その魅力を我々に伝えてくれる『MARUYO HOTEL Semba』は、桑名という街にとって灯台のような存在なのかもしれません。

全て桑名産か桑名の名店で仕入れた朝食。搾りたてのオレンジジュース、曳きたてコーヒー、焼きたてのクロワッサン、豆乳ヨーグルトとグラノーラにはもちの木のはちみつをかけて。

数ある海苔の品種のなかでも希少なアサクサノリを長い月日をかけて復活させ、90%以上使用した「幻の海苔」は風味抜群。パッケージの題字は陶芸家の内田鋼一氏。桑名発祥の米油を使ったオリジナルグラノーラ、天然記念物のモチノキの蜂蜜も合わせて旅のお土産に。

住所:三重県桑名市船馬町23 MAP
料金:1泊朝食付き33,000円〜 (1室2名の一人あたりの税抜料金。1室2〜4名)
アクセス:名古屋駅より近鉄特急で16分、桑名駅からタクシーにて5分。名古屋駅からタクシーにて30分。
撮影:志摩大介(adhoc)
https://www.maruyohotel.com/
 

Text:MAO YAMAWAKI

ビジョンがなければ地域創生はできない。前橋から日本を元気にしたい。[白井屋ホテル/群馬県前橋市]

「『白井屋ホテル』は、想いの塊。地元をはじめ、国内外のみんながこの場所のために協力してくれました。感謝しかありません」と田中 仁氏。

白井屋ホテルなくしてはいけない風景があった。誰かが守らないといけないと思った。

創業は江戸時代。群馬・前橋にある老舗旅館『白井屋』は、2008年に300年以上続いた歴史に幕を閉じました。以降、廃業していましたが、2020年12月に『白井屋ホテル』として再生。

その救世主は、アイウエアブランドブランド『JINS』の創業者、田中 仁氏です。

田中氏は前橋出身であり、地域創生に取り組むため、2013年より自ら代表理事を務める『一般社団法人 田中仁財団』を設立。本プロジェクトは、その活動の一環です。

「財団設立の目的は、地元・前橋の活性化です。『群馬イノベーションアワード』と『群馬イノベーションスクール』を立ち上げ、文化・芸術の振興と起業支援などを行ってきました。そんな時、『白井屋』が東京のマンション業者に売りに出されてしまうかもしれないという話を伺いました。街の中心地にそれができてしまったら、風景が失われるだけでなく、前橋の街が廃れてしまうのではと危惧しました」と田中氏は話します。

何とかしなければいけない。

一般社団法人 前橋まちなかエージェンシー』の代表理事・橋本 薫氏や『アーツ前橋』の館長・住友文彦氏もまた、田中氏と同じ思いを抱いていた人物です。

「2013年に開館した『アーツ前橋』のシンポジウムに登壇させていただいたのですが、そこで橋本さんとお会いしました。館長の住友さん含め、ほか数人にも今回の件を相談されました。“田中さん、何とかしてもらえませんか……”と。それならば!と自分も意を固め、『白井屋』を残すための活動を始め、元オーナーより譲っていただきました」。

とはいえ、田中氏は、ホテル業は素人。専門業者や大手ゼネコンに委託を打診するも「ほとんどの方々にお断りされてしまいました」と言います。なぜか?

「田中さんの“ビジョン”では難しい。皆にそう言われました。前橋でホテルを運営するのであれば、低単価・高回転のビジネスホテル以外は無理というのが理由でした。しかし、そこに“ビジョン”はないと思ったのです。自分でやるしかない。そう思いました」。

ここから全てが始まります。

【関連記事】群馬・前橋から世界へ。創業300年の老舗旅館『白井屋』が新たにめぶく。[白井屋ホテル/群馬県前橋市]

「僕は、前橋の“点”だけでなく、“面”を活性化させたいと思っています」と田中氏。『白井屋ホテル』周辺には様々な点がめぶき、面になりはじめている。街の芸術・文化活動の支援・振興施設として2013年に出来た芸術文化施設「アーツ前橋」もそのひとつ。館長・住友文彦氏とも親交が深い。Photograph:前橋観光コンベンション協会

「何かを創造する時、街との共存は大前提」と田中氏。前橋には「水と緑と詩のまち」という、まちづくりのキャッチフレーズが存在する。『白井屋ホテル』が位置するエリアのすぐ隣にも利根川が流れるなど、豊かな水源によって育まれたものは多い。街中にも川は点在し、特に「広瀬川」は住民から愛されている。

「広瀬川」を歩き進めると萩原朔太郎の記念館などもあり、「水」「緑」「詩」のすべてが広瀬川を歩けば体感できる。そして、記念館をぬけて、間も無くすると目に見えてくるのが「太陽の鐘」。「世界的な芸術家・岡本太郎さんによる作品です。元は静岡県内のレジャー施設に設置されていましたが、同施設閉園後、姿を消した幻の作品と言われていました。2018年に官民連携事業により、市民の新たな活動のシンボルとして、市の中心部を流れる広瀬川河畔に移設し、新たなシンボルとして親しまれています」と田中氏。Photograph:MMA+SHINYA KIGURE

白井屋ホテル前橋はめぶく。『白井屋ホテル』もめぶく。そう信じている。

めぶく。

この言葉は、行政と民間によって生まれた前橋ビジョンです。

「前橋ビジョンは、民間の視点から前橋市の特徴を調査・分析し、本市の将来像を見据え、“前橋市はどのようなまちを目指すのか?”を示す街作りに関するビジョンを共通認識できるよう言語化したものです」。

このビジョン策定にあたり、前橋市は『一般財団法人 田中仁財団』からの提案を受け入れ、都市魅力アップ共創(民間協働)推進事業として連携を諮ります。 策定に向けた具体的な作業は、前橋に偏見のない外部の視点で分析してもらうため、同財団が『ポルシェ』や『アディダス』などのブランド戦略を手掛けるドイツのコンサルティング会社『KMS TEAM』に依頼。2016年2月には「Where good things grow(良いものが育つまち)」という分析が成されました。

この英文を同じく前橋出身の糸井重里氏が新しい解釈に基付き、日本語で表現したものが「めぶく。」です。

「『白井屋ホテル』は、ビジョンを第一優先に考えたホテルです。そこには“めぶく”があるのか? ないのか? “めぶく”ためには、自分は何をしたらよいのか? そんなことから創造された場所です」。

とはいえ、最初から足並みが揃っていたわけではありません。大きなことから小さなことまで摩擦と反発は日常茶飯事。理解してもらえないことも多々ありました。市長と築いた関係も任期が変わってしまえばゼロからのやりなおしもしばしば。一貫性を保つことすら困難をきたします。

「それでもめげずにやってきました」。

田中氏は、本件以前より、商店街の活性化にも注力しています。ポートランドからパスタ屋を展開させるほか、地元住民が始める店舗の支援など、徐々に輪を広げ、地域との関係性、信頼を築いてきました。

「信頼を得るには時間がかかります。そこは丁寧にじっくりと積み重ねていくしかありません。『白井屋ホテル』完成後、まず最初に『白井屋』の元オーナーさんにいらしていただきました。この場所を残したことや屋号をそのまま採用したことをとても喜んでくれて。それが何より嬉しかったです」。

再生による創生。歴史を分断せず、引き継ぐために“めぶく”場所。
それが『白井屋ホテル』なのです。

創業当時の『白井屋』。「街のシンボルでもあった『白井屋』の歴史を途絶えさせてはいけないと思いました」と田中氏。

「多様な人やモノ、活動を受け入れ、巻き込み、巻き込まれながら、前橋の街とともに『白井屋』がこれからも変化し、成長していくことを願っている」と『白井屋ホテル』の再生を手がけた建築家・藤本壮介氏。Photograph:SHINYA KIGURE

白井屋ホテル藤本壮介からジャスパー・モリソン、群馬の芸術家まで。連鎖した想いの集結。

『白井屋ホテル』の再生は、建築家の藤本壮介氏が担います。その作りはもちろん、注目すべきは、4つの客室と様々に配されたアート、レストランのクリエイティビティです。

「客室には、元々あった建物をリノベーションしたヘリテージタワーと隣に新設したグリーンタワーから成り、全25室あります。中でも是非体験していただきたいのは、ジャスパー・モリソン、ミケーレ・デ・ルッキ、レアンドロ・エルリッヒ、藤本壮介が手がけたスペシャル・ルームです。それぞれに個性があり、ほかにはないホテルライフをお過ごしいただけると思います」。

錚々たる面々の空間は、まさに泊まるアート。

「実は、彼らはみんな僕の知り合いなのですが、ほぼボランティアで参画してくれています。ジャスパーに限っては、“自分が客室を手がけるのはこれが最初で最後”と言っていました。本当に感謝しかありません。また、25室中8室には群馬出身のアーティスト牛嶋直子、小野田賢三、木暮伸也、鬼頭健吾、竹村 京、白川昌生、村田峰紀、八木隆行の作品が飾られています。世界の一流と肩を並べる環境は良い共鳴を生むと思っています。彼らはこれがきっかけで東京『フィリップス東京』でも個展を開きました(すでに終了)。そうやって派生していくのも良いモデルケースになったと思います」。

国内外の一流は、田中氏の情熱に引き寄せられ、『白井屋ホテル』を起点に広がりも見せています。

そのほか、外観をローレンス・ウィナー氏のメッセージが彩り、パブリックスペースには、杉本博司氏、ライアン・ガンダー氏、宮島達男氏などの作品がそこかしこに点在。美術館級のオリジナル作品が贅沢なまでに配されています。

内包される『the RESTAURANT』は、『ミシュラン東京ガイド』二つ星を獲得する『フロリレージュ』の川手寛康氏が監修。

「『フロリレージュ』は、自分が大好きなレストラン。是非ご一緒したく、川手さんにご相談したところ、快く引き受けてくださり、『the RESTAURANT』の片山シェフの研修もさせていただき、川手さんの人脈でほかのレストランでも学ばせていただく環境も整えてくれました。ゆかりのない前橋にも足を運んでくださり、生産者の元へも巡り、どうすれば前橋の食をより良く表現できるのかを熟考してくださいました」。

片山シェフは、『群馬イノベーションスクール』出身の人物でもあります。川手シェフとともに地域食材を独自の解釈で再構築させ、上州キュイジーヌとして提供します。

「世界の一流を前橋で体験できるということは、この街にとって価値あることだと思っています。地域には雇用を生み、住民にはコミュニティを生みます。“前橋のリビング”だと思って、老若男女いつでも遊びに来ていただきたいです。僕は、小さなころから建築が好きなのですが、それは実家が100年以上続いた建物に住んでいたからだと思っています。小さなころから本物に触れることは、未来の感性を養うことにつながるのではないでしょうか。そういう意味では、小さなお子さま連れも是非。また、今回はホテルを作りましたが、自分が目指すべきは“点”が“めぶく”ことによって“面”が“めぶく”こと。前橋は人口34万人の中核都市です。この中核都市は、日本に85ヶ所あると言われています。きっと同じような悩みをかかえている街も多いのではないでしょうか。前橋がひとつのロールモデルになれれば良いなと思っています」。

前橋の“めぶく”芽、才能、人は、大地に眠っています。それを開花させるための地均しと水やりこそ、田中氏の使命であり、活動の核なのかもしれません。

「古今東西、どの地域を見ても一番大切だと思うことは“学育”ではないでしょうか教育は教えて育むものですが、学育は学んで育むもの。学ぶ場を作りたくて『群馬イノベーションスクール』も立ち上げました。個が養われていけば、地域はもっと良くなると思いますし、きっと強くなるとも思います。前橋から日本を元気にしたい」。

「『白井屋ホテル』の中で自分が一番好きな景色は、ジャスパー・モリソンが手がけた客室から見る景色」と田中氏。Photograph:SHINYA KIGURE

「ヘリテージタワー1階の吹き抜けにある螺旋階段も好きな景色です。支柱なく作れる技術は非常に高度なのです。是非、館内を色々回遊して多角的な景色をお楽しみいただければと思います」と田中氏。

1963年、群馬県前橋市生まれ。アイウエアブランド『JINS(ジンズ)』代表取締役社長。1981年『前橋信用金庫(現・しののめ信用金庫)』に入庫。1986年、服飾雑貨製造卸会社に転職し、1987年、個人にて服飾雑貨製造卸業の『ジンプロダクツ』を創業。1988年、『有限会社ジェイアイエヌ(現・株式会社ジンズ)』を設立。2001年より、アイウエアブランド『JINS』を展開。2006年、ヘラクレス市場(現・JASDAQ市場)に上場、2013年、東京証券取引所 市場第一部に上場。2014年、慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程を修了。故郷・群馬県内での地域活性化活動を目的に田中仁財団を設立し、代表理事に就任。

住所:群馬県前橋市本町2-2-15 MAP
電話:027-231-4618
https://www.shiroiya.com

Photograph:KENTA YOSHIZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

日出彦さんのお酒を一年でも市場からなくしてはいけない。そう思った。

切り返しをする『花の香酒造』6代目、神田清隆氏(右)と松本日出彦氏(左)。一緒にお米に触れ、酒造りをすることによって、より絆は強固に。

HIDEHIKO MATSUMOTO心と体が同時に動いた。すぐ熊本から京都に向かった。一緒に酒造りをするために。

「“守破離”は、本当に好きなお酒だった」。

そう感慨深く話すのは、熊本県北の『花の香酒造』6代目、神田清隆氏です。

「2020年12月、SNSで(松本)日出彦さんが『松本酒造』を辞することを知り、衝撃を受けました。同時に涙が止まりませんでした」と言葉を詰まらせます。

『花の香酒造』もまた、1902年創業の老舗酒造。伝統を背負う自身と重なり合う部分があったのかもしれません。

もし逆の立場だったら……。そう考えるも、あまりに想像を絶するため、「第三者の自分ですら全くその事実を受け入れることができませんでした」。

神田氏は、すぐに松本氏に連絡。想いを伝えるために京都へ向かいます。

「日出彦さんが造る日本酒のファンは多い。自分もそのひとり。日出彦さんのお酒を一年でも市場からなくしてはいけない。そう思いました。酒造りを辞めてはいけない。いや、辞めないでほしい。だから、一緒に酒造りをしよう」。

驚くべきは、当時のふたりの関係。「互いの存在は知るも、面識がある程度でした」と神田氏。それでも「遠慮している場合ではない。心と体が同時に動いた」と言葉を続けます。

「神田さんからご連絡をいただいた時にはびっくりしました。本当に皆さんに支えられて今があります。感謝しかありません」と松本氏。

同じ酒造りをする職人同士は、あっという間にその距離を縮め、2021年3月には同じ現場に立っています。

「蔵も免許も失った自分は、進むも地獄退くも地獄。どちらも地獄ならば、進むしかない。その背中を押してくれたのは、昔からお世話になっている方々や仲間、家族の存在でした。もちろん、神田さんもそのひとり」。

地獄の先にはどんな景色が待っているのか。

「それを確かめるために、今できる酒造りを精一杯やらせていただきます」。

午前10時。もくもくとした湯気が酒蔵を包み、お米の香りが充満していきます。

「お米の香りを吸い込んだ時、胸に色々なことが込み上げてきた。涙が出そうになった」。そう話す松本氏は、日々の武者修業を通じて鍛錬を積み重ね、身体を覚醒してきます。

蒸しあがりと同時に神田氏が叫びます。

「日出彦さん、今日の仕込みを始めましょう!」。

蒸しあがった釜の蓋が上がる瞬間、濃い湯気が立ち込め、同時にお米の香りが広がる。

「地域が変わればお米も変わる。例え同じ品種だったとしても同じ味、同じ香りはありません」と松本氏。

種麹ひとつ取っても、それぞれの蔵のスタイルがある。『花の香酒造』が使用するのは、『樋口松之助商店』の吟醸用種麹ヒグチモヤシ。100kgのお米に対して40gを推奨。

 シャッ、シャッ、シャッ、シャッとリズム良く種切りをする神田氏と松本氏。息の合った音は、まるで錫杖のように心地良い響き。

手際良く蒸したお米の熱を下げていく『花の香酒造』のスタッフたち。松本氏も『花の香酒造』の一員として、ひとつ一つの工程に携わる。

生酛場にてお米を冷やす。室温は5℃に設定され、お米も同様の温度まで下げる。

この日は、お米を34℃に設定。蒸し立てのお米に空気を含ませ、温度を下げていく。

HIDEHIKO MATSUMOTO酒造りは酒造りだけにあらず。『花の香酒造』が目指すは、産土の精神。

この日の仕込みは、朝から麹米を蒸し、引き込み、切り返し、種切り、床もみ、盛り上げ。『花の香酒造』では、昔ながらの生酛造りを大切にしています。

野性味溢れる味わいは、酒母の力強さゆえ。自然が成す深い厚み、複雑さ、コクは、その手法の好例でもあります。時間と手間がかかる生酛造りは、続けている酒蔵も少なく、そう言った意味でも『花の香酒造』は貴重な存在です。

しかし、「一番のこだわりは“香り”。飲んだ瞬間、お米が持つ本来の香りを大事にしたい」と神田氏は話します。

そんな酒造りにおいて欠かせない原料、水とお米にも『花の香酒造』らしい哲学があります。

日本酒のテロワールとなる「産土」です。
(ウブ・産、ス・土、ナ・地の統合したもの。生まれた土地、生地、本居/広辞苑より)

「今回の武者修業で大切にしていることは、地域の環境を知ることです。この土地だから、この原料が生まれ、この酒ができる。余所者の自分は、まず学ぶことが始まり。それを理解しなければ、酒造りに参加する資格はないと思っています。技術云々は、その後」と松本氏。

熊本県玉名郡和水町にある『花の香酒造』は、丘陵地に囲まれた盆地と周囲の田園に流れる川沿いにあります。しかし、自然と寄り添うゆえ、避けて通れないのは天災。2016年の熊本地震や2020年の熊本豪雨では、酒蔵前に流れる川壁を大きく抉り、その傷跡は、今も残っています。熊本のシンボル、阿蘇山もまた、美しさの中に脅威を孕んだ自然の産物。

「熊本と言えば、阿蘇山。約9万年前に噴火した地盤の下には幾十も層が重なり、そこから染み出している岩清水を使って酒造りをしている。それだけで特別だと思います。そして、何より素晴らしいのはお米。これには神田さんの並々ならぬ努力と熱量を感じます」と松本氏。

それは、熊本在来品種「穂増(ほませ)」です。

「以前、お米の勉強をしようと、佐賀県唐津市にある『菜畑遺跡』に伺ったのです。日本最古の稲作発祥地として知られるそこには資料館も併設され、発掘された遺跡からは炭化したお米が発見されたとありました。それは、山形の“亀ノ尾”、静岡の“愛国”、滋賀の“旭”、兵庫の“神力”、岡山の“雄町”、そして熊本の“穂増”の6種。熊本にこんなお米があったのか!? 恥ずかしながら、初めて知りました。しかし、“穂増”だけ子孫が途絶えてしまい、詳細が不明でした。その後、調べを続けると、江戸時代に天下一のお米と言われた名米だったことがわかったのです。これは熊本の宝だと思い、 “穂増”をもう一度育て、それで酒造りをする決心をしたのです」と神田氏。

そこから「穂増」の復刻劇が始まります。まず、熊本の農家複数によってプロジェクトは立ち上がり、あらゆる手を尽くして種子を手に入れるも一筋縄にはいきませんでした。神田氏は3年目から加わり、そのための田んぼを作るべく山林も購入。環境ごと作ってしまったのです。前出の松本氏が言う「神田さんの並々ならぬ努力と熱量」とは、このことを指しています。もちろん、「穂増」で酒造りをしているのは、『花の香酒造』のみ。

2017年から苗を植え、収穫し、「穂増」のお米で酒造りを始めるも「まだ特徴を掴みきれていない」と神田氏。2020年は作付けから携わり、酒蔵の前段階より酒造りに勤しみます。2014年より杜氏に就任した神田氏の経歴から考えれば、スピード感に長けた脅威の行動力。

この土地唯一の造り酒屋『花の香酒造』は、神田角次、茂作親子が妙見神社所有の神田を譲り受けてお米を作り、神社から湧き出る岩清水で酒造りを始めたのが原点です。『神田酒造』として誕生した蔵が『花の香酒造』へと名前を変えたのは1992年のことでした。歴史を振り返っても、大きな決断をした年だと思います。そして、酒造りから100年の節目を迎えた2014年には、日本の伝統酒としてだけでなく、世界へ羽ばたく“Sake”を目指すべく、私たちにとって新しい酒造りの幕が開けました。何かを成すには常に判断と決断が迫られます。いつの時代にも挑戦、イノベーションが『花の香酒造』にはあり、その精神も自分は受け継がなくてはいけないと思っています」と神田氏。

「今、まさに挑戦とイノベーションの渦中にいるので、より勉強になります。以前、日本酒業界は、高度成長期のように、みんな同じようなものを作って、同じように売っている時代もありました。当時の流れでは自然だったのかもしれませんが、今は違う。いかに地に根差しているかはとても重要」と松本氏。

「実は、新型コロナウイルスの影響によって2021年に酒造りをしない蔵が結構あります。理由のひとつは、在庫過多です。緊急事態宣言や自粛によってレストランをはじめとした飲食店の休業、時短は私たちにとって死活問題。決して、『花の香酒造』も余裕があるわけではありませんが、酒造りをしなければ農家さんの生活を守れない。田んぼを維持できない。色々な問題が発生してしまいます。だから、酒造りを続けています」と神田氏。

酒造りは、雇用を始め、自然環境や生態系を循環する一部なのです。また、迎えてしまった難局においても前を向き、「田んぼの不耕起栽培の下地作りやスタッフとのコミュニケーションを強固にする時間に費やした」と言葉を続けます。

「次に必要なことは、その熱量と取り組みをどう可視化と言語化をして社会と共有していくか。日本酒を飲んでみたいけど、どんな味がわからない方々は、是非、背景を飲んでほしい」と松本氏。

その背景を伝えるためにはどうしたらよいのか。それをシェアしていくことが、これからの日本酒業界には必要なのかもしれません。

それ以外にも、蔵の構造の質疑、道具、機械設備、米の検査基準の現状まで、会話が尽きません。

「こうやって議論をしたり、情報交換をできるのは、現場にいるから。一緒に酒造りをしているから」とふたり。

「それにしても、端正込めて育てたお米で酒造りをしていると、お米の表情も喜んでいるように見える。そう思いますよね、日出彦さん!」。

視線の先には、笑顔で頷く汗だくの松本氏の姿がありました。

 酒造りだけでなく、蔵の中をくまなく回遊する松本氏。「日出彦さんには、酒蔵の改装の相談にも乗ってもらおうと思っています」と神田氏。

「酒造りの流れを効率良く作業するためには、機械や道具の配置も重要」と松本氏。神田氏にヒアリングしながら、『花の香酒造』にとっての最適をイメージする。

 「お米の等級検査の機械って…」、「あれはお米が表か裏かによって…」、「なるほど、じゃあ数回通してチェックして…」。立ち話の時間も常に酒造りの話。「お米の格付けをする制度の話をしていました。非常にマニアックな内容ですね(笑)」と松本氏。「日出彦さんは、知識が豊富」と神田氏。

 お米の肌触り、温度、香り。「手の感覚も徐々に戻ってきた」と松本氏。

切り返し、種切り、そして、盛り上げを行う松本氏に「日出彦さん、お米が喜んでるでしょ!」と神田氏。目で微笑み返す松本氏を見た神田氏は、「日出彦さんは、やっぱり現場が似合う」とこっそり呟く。

熊本地震で崩れ、復旧するも2020年の豪雨で再び崩壊した川壁の跡。豊かな自然環境に身を置くゆえ、その恩恵を受けられるも、天災とも運命共同体。

手前の川沿いに連なる建物が『花の香酒造』。その右手にある中央の円形の山が新規に購入した土地。田んぼを作り、「穂増」を育てる。

HIDEHIKO MATSUMOTO目の前の問題に背を向けてはいけない。日本の宝が失われる前に何とかしなければいけない。

「酒造り以外も議論させていただいているのですが、やはり田んぼの環境問題、維持問題、後継者問題、資金問題は深刻。それは、前回お世話になった『冨田酒造』でも感じたことです。幸い両蔵は、ちゃんと地域と繋がり、関係性を構築できていますが、全蔵がそうゆうわけではありません。廃業してしまったり、枯れ果ててしまったりと、深刻化されています。しかし、そんなことを報道やニュースで取り上げるメディアは中々ありません。きっと自分ごと化している人が少ないのかもしれません」と松本氏。

しかし、「もし日本から田んぼがなくなったら? もし日本からお米がなくなったら?」と考えてみれば、全国民で向き合うべき問題だという意識が芽生えるのではないでしょうか。

「世界的に見ても、これほどまでに良いお米ができる国は稀有だと思います。しかも、日本は大陸から少し離れた島国。外国人にとっては、まるで秘境のように映っているのではないでしょうか。そんな秘境の中にある地域。そして、地域ごとに生まれる日本の国酒・日本酒。地域性があればあるほど、きっと魅力的に感じるのではないでしょうか。そんなふうに物事を俯瞰して客観視できるようになったことも外に出たから。この感覚を大事にし、業界と共有し、社会と共有し、日本酒を取り巻く全てに貢献したい」と松本氏。

「酒造りに費やしてきた時間は、自分とは比べものにならないくらい向き合ってきた人。それが日出彦さん。酒造りも含め、一緒に過ごす時間は非常に勉強になっています」と神田氏。

「これまでは、自分の考えをもとに酒造りに没頭してきましたが、今は誰かのために酒造りをすることに喜びを感じています。それは、自分のこと以上に力が漲る。人の生き様を享受できるのは本当にありがたい。日本酒は生き様ですから。『花の香酒造』に対しても、これから一生をかけて恩返しをしていきたいと思っています」と松本氏。

皮肉なことに、「一生」という言葉の重みは、新型コロナウイルスによって増したかもしれません。

「今なお猛威を振るう新型コロナウイルスによって、医療従事者の方々は本当に大変な立場で国民を救ってくださっていると思います。これは日本だけの問題ではなく、世界の問題。未だロックダウンを繰り返す国や地域も少なくありません。ではなぜ、人類は、このウイルスを恐れるのか。それは、人を死に追いやる感染症だからです。それによって、人は“生きる”ことと“死ぬこと”を現実として受け入れるようになりました。生きていることは、当たり前ではない。今、生かされていることに感謝し、今、酒造りをさせていただけることに感謝し、これからの道を探していきたいと思います」。

前述、地獄はもう見た。あとは這い上がるだけ。

今、松本氏が歩んでいる道は、進化ではなく、深化。

酒職人として、人として、深く、より深く、必死に生きる。

熊本県玉名郡和水町の蔵元『花の香酒造』。明治時代に神田角次と神田茂作の親子で始めた酒造りは、内に梅の香りが漂うことから「花の香」という酒名が付いた。1992年には『神田酒造』から『花の香酒造』に社名も変更。

『花の香酒造』の中庭と蔵の建つ川沿いには、美しい梅の花が咲く。世界が新型コロナウイルスに翻弄される中、季節は変わらず訪れ、花は咲く。改めて、自然の偉大さを感じる。

「自分はもちろん、『花の香酒造』全体で日出彦さんをバックアップするつもりです」と神田氏。「神田さんをはじめ、『花の香酒造』の皆さんには感謝しかありません。自分はここでどんな貢献がでいるのか、精一杯考えてご一緒させていただきます」と松本氏。

「日出彦さん、初めて仕込んだ木桶のしぼりです。ちょっと試飲してみてください」と神田氏。「うん、うん……。もろみ23、アルコール15、酸1.46、アミノ酸0.56……」。味と数値を確認する松本氏。「なるほど。柔らかい岩清水の特徴とミネラルの香りも出ていていいですね」。

住所:熊本県玉名郡和水町西吉地2226-2 MAP
TEL:0968-34-2055
https://www.hananoka.co.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

再度入荷しました!

皆様こんにちは!

前回ブログに書きましたが倉敷では桜も見頃でやっとこさ春らしくなってまいりました🌸


デニムストリートでは人気商品のかすてらまんじゅうが再入荷しております(=´∀`)




あえて食欲がなくなる青色で作ってます笑

見た目とは裏腹に中身はこし餡でお茶請けにぴったり!!


倉敷に来たお土産にもぴったり!?

ウケること間違いなしです( ̄∀ ̄)

霞ヶ浦と北浦の豊かな水が育む、爽やかな初春の香り。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM・セリ/茨城県行方市]

なめがた ベジタブルキングダムOVERVIEW

春の七草のひとつとして知られるセリ。

川に生える野ゼリは初春の風物詩ですが、ここ行方市での出荷時期は10月中旬から4月下旬まで。12月から2月のセリは葉が柔らかく爽やかな香り、以降は食感も香りも強くインパクトのある味わい、と季節による違いが楽しめます。

そんな長期にわたる収穫を可能にしている要因が、水の豊かさです。

霞ヶ浦と北浦に挟まれ、豊富な地下水を湛える行方市で主に水稲との二毛作栽培で育てられるセリは全国有数の出荷量。

さらに首都圏から約70kmというアクセスの良さ、収穫後に急速に冷やして鮮度を保つ予冷の徹底などで、食卓に新鮮なままのセリが届くのです。

鼻に抜ける爽やかな香りで、春の訪れを告げるセリ。

その栽培の様子を探るため、行方市を訪れます。

【関連記事】NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

300種に及ぶ品種は、先人たちの努力の結晶。小さなイチゴに潜む、たくさんの物語。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM・イチゴ/茨城県行方市]

なめがた ベジタブルキングダムOVERVIEW

赤く色づく小さなイチゴ。

その甘酸っぱいおいしさから一般的にはフルーツに分類されますが、樹木ではなく茎に実がなる草本性であることから、性質上は野菜とされることも。これほど老若男女誰しもに愛される野菜というのも珍しいかもしれません。

そしてもうひとつイチゴならではの特徴が、その品種の多さにあります。

とちおとめ、女峰、とよのか、紅ほっぺ、あまおう、章姫……。少し考えるだけでも10や20の品種がすぐに思い浮かびます。

一説には日本国内にあるイチゴの品種は300種以上といわれています。

そしてこの種類こそ、イチゴ栽培の歴史。「もっと甘いイチゴを」「もっとおいしいイチゴを」という先人たちの努力の結果にほかなりません。

イチゴ栽培面積全国7位の茨城県にも、そんなストーリーが潜んでいました。小さなイチゴに潜む、大きな夢。今回はそんな物語を探しに、行方市『森作いちご園』に向かいます。

【関連記事】NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

味の決め手は内包する水分の透明度。フードキュレーターと『茶禅華』川田智也シェフがめぐる浜松の食材。[静岡県浜松市]

山間にある古刹・大福寺にて。この寺に伝わる納豆が、川田氏の心を捉えた。

ファインド アウト 静岡山間の古寺に受け継がれる門外不出の納豆。

食材のプロフェッショナルであるフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、それをトップシェフにプレゼンする。そんな二段構えの構成でお届けしている今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

プレゼンする相手は、中華料理で国内唯一のミシュラン三つ星を獲得する『茶禅華』の川田智也シェフ。そしてフードキュレーターが対象エリアとして選んだのは、中華に適した食材が数々眠る浜松エリアです。

視察の1日目では静岡の歴史を起点に、この土地ならではの食材をプレゼン。2日目となるこの日は、果たしてどんな食材との出合いが待っているのでしょうか。

この日、一行がまず向かったのは三ヶ日町の山間にある大福寺。創建平安前期、鎌倉時代に建立された山門が出迎える古刹です。宝物館に収蔵される貴重な古文書や室町時代に作られた庭園も見どころですが、この日の目的は、この寺に代々伝わる大福寺納豆。およそ400年前から門外不出の製法で作られる名物です。

「いまから400〜500年ほど前、中国(明)の高僧が禅寺に持ち込み、植物性のタンパク質しか摂れない寺での栄養源として広がったのが寺納豆の起源です」

そんなご住職の話に耳を傾ける一行。

かつては徳川将軍家にも献上されていたが、あるとき納期が遅れ、家康が「浜名の納豆はまだ来ぬか」と催促したことから“浜名納豆”の呼び名が定着。それが縮まり“浜納豆”となり、戦後は大福寺の名を冠し“大福寺納豆”の名を正式に採用した。そんな名前の変遷からも、悠久の歴史を感じます。

フードキュレーターのふたりは、2015年に静岡県日本平で開催された『DINING OUT NIHONDAIRA』でこの大福寺納豆と出合い、ぜひ川田氏にご紹介したい、と考えていたといいます。一方の川田氏も、その名は聞き及んでいました。

「中華で豆鼓(トウチ)というと京都の大徳寺納豆やこの大福寺納豆のようなもの、とまず教わります。浜納豆をみるのは初めてですが、まさに豆鼓に近いですね」

その後、ご住職の好意で大福寺納豆を試食させて頂く一行。

川田氏は「やさしい、柔らかい味わい。口に入れた瞬間はやさしいけれど、そこから広がり、奥行きが出て立体的になります。とてもきれいなおいしさですね」と、噛みしめるように味わいます。そしてしみじみと「中国で生まれたものが海を越えて伝わって、大切に守り続けられている。感慨深いものがありますね」とつぶやきました。

ご住職が画像付きで解説する納豆の製法を、身を乗り出して見る3名。

大福寺納豆。粘りはなく、やさしい味の後に、複雑な広がりがある。

製法は門外不出だが、できる限り詳細に大福寺納豆の作り方を教えてくれたご住職。

開創は875年、1207年に現在地に移ったと伝わる由緒正しき寺。

ファインド アウト 静岡

天然か養殖かではなく、調理法との相性で食材を考える。

次の目的地に向かう前に、昼食の時間。浜松といえば、やはりウナギが外せません。浜名湖は100年以上前から続く日本のウナギ養殖発祥の地。そのため人口あたりのウナギ料理屋の軒数は静岡県が日本トップ。浜松をはじめとした近隣エリアでも、無数の専門店がしのぎを削っています。

一行が訪れたのは、そのなかでもナンバーワンとの呼び声高い『あつみ』。明治40年の創業以来、浜名湖産のウナギにこだわる名店です。
川田氏が『茶禅華』で出すウナギは、身は焼き、皮は蒸してから揚げる中国式。別物なのかと思いきや「皮目の香ばしさ、身の柔らかさなど勉強になることばかり」とか。そして「やっぱりおいしいですね」と感嘆のような感想を漏らしていました。

昼食を済ませた一行の続いての目的地は、浜名湖畔でスッポンの養殖を営む『服部中村養鼈場』。ここはフードキュレーターのふたりが、日頃からスッポン料理を手掛ける川田氏にぜひ紹介したかったという施設。

そして実は川田氏自身も、かねてから訪れたかったという場所でもあります。

「以前、和食の料理人さんから、“焼きスッポンをやるなら服部中村養鼈場”と伺ったことがあります。煮る、揚げるという調理には身の締まった天然物が最適ですが、焼くなら適度な脂がある方が良いのです」と川田氏。服部征二社長の案内で養殖池を見学しながら、早くも料理のイメージを考えているようです。

服部社長によれば、こちらの創業は1879年(明治12年)。除草剤や抗生物質を使用せず、餌は魚のミンチ。自然に近い状態で3〜4年かけてじっくり育てることで、旨味濃いスッポンになるのだといいます。

「日照時間が長く甲羅干しも含めて天然の環境に近づけやすいことが、浜松がスッポン養殖に適している理由です。ストレスなく育つことで、天然と比べて身が柔らかく、臭みなどが一切ないスッポンになります」と服部社長。

冬眠をして脂を蓄える10月から3月が旬、4月以降は動き回るため身が締まってくる、との話も興味深く聞きながら川田氏は「ぜひここのスッポンで焼きスッポンをやってみたい」とすでに決意している様子でした。

浜名湖産のウナギを備長炭で焼き上げる『あつみ』のウナギ。平日でも行列必至の人気店。

中華料理と日本料理。異なるジャンルであろうと、常に何かを学び取ろうとする姿勢の川田氏。

訪問時はスッポンは冬眠中だったが、養殖場の環境などをつぶさに見学。

服部社長がこだわりを持って育てるスッポンは、京都の名門料亭をはじめ、各地にファンが多い。

脂が乗り、身が柔らかい旬のスッポン。川田氏はすでに料理のアイデアまで考案していた。

ファインド アウト 静岡噛むごとに旨味があふれ出す、フランス原産の上質な鶏。

最後の目的地は『フォレストファーム恵里』。ここは全国でも珍しいフランス原産の鶏・プレノワールを飼育する農場。代表の中安政敏氏が丹精込めて鶏を育てています。

実はフードキュレーターのふたりは、先の事前視察で訪れた浜松駅前商店街のマーケットイベント『浜松サザンクロスほしの市』で、プレノワールの焼き鳥屋台を出店する中安氏と出会い、再訪を約束していました。

一行を快く迎える中安氏。さっそく鶏舎を案内しながら、自慢のプレノワールの解説を聞かせてくれます。

フランス農水省が優良品質の品目を認定する「ラベルルージュ」に選ばれるプレノワール。独特の歯ごたえがあり、コクと旨味のある肉質は高級レストランでも重宝される名品ですが、飼育に手間がかかるため全国でも生産者は数えるほど。「おそらく静岡県ではうちだけです」という希少な鶏です。

開け放たれた鶏舎では200羽ほどのプレノワールが、のびのびと育っていました。さらに中安氏は、自家配合の飼料など、独自の工夫でさらにプーレノワールの魅力を引き出しています。「飼料は湯葉カスや地元ブリュワリーからもらうビールの麦汁、米、大麦、小麦、糠。そこに玄米の乳酸菌と酵母菌を加えます。化学飼料はもちろん、動物性タンパク質も一切入れないことで、臭みを抑えています」と中安氏。さらにその場で炭を起こし、焼き鳥にして試食をさせてくれました。

「独特の食感ですね。決して固いわけではないのですが、旨味が出てくるのでずっと噛みたくなる味です」と川田氏。さまざまな鶏を食べて比べてきた川田氏にしても、さらなる発見があったようです。

「本当に良い経験をさせてもらいました」

東京への帰路、川田氏はそう話し始めます。「東京にいても多くの食材は手に入りますが、やはり現地に赴かないとわからないことがある」といいます。そして今回、浜松で感じ取ったことを次のように語ってくれました。

「中国料理は火の料理、日本料理は水の料理です。そしてその両者を現在という時間軸を考えた上で取り入れる“和魂漢才”が私の料理のテーマ。静岡の食材は、野菜も魚も肉もお茶も、本当においしかった。そのおいしさを紐解いていくと、中にある水分のクリアさに行き着きます。水分がクリアだから味に透明感があり、立体感があります」

コロナ禍で、ライフワークとしていた中国訪問ができない分、日本に目が向いているという昨今。改めて“水の料理”たる食材に触れ、その素晴らしさを再確認しているのだという川田氏。
「静岡の食材、それも植物性だけのXO醤を作ってみたらおもしろいかもしれませんね。根菜やネギ、豆、それにお茶の油。静岡の豊かさをうまく表現できそうです」

行く先々で、食材が発する小さな声に耳を澄ますように、真摯に食材と向き合っていた川田氏。その心の中に、浜松の素晴らしい食材たちは確かな足跡を残したようです。

開放的な環境でストレスなく育てることもプレノワールのおいしさの一因。

竹炭作りで全国に弟子も持つ中安氏。プレノワールの飼育でも、独自のおいしさを追求する。

シンプルな塩味の焼き鳥で、肉のおいしさが際立った。

住所:静岡県浜松市北区三ヶ日町福長220-3 MAP
TEL:053-525-0278
https://hamamatsu-daisuki.net/

住所:静岡県浜松市中区千歳町70 MAP
TEL:053-455-1460
定休日:火曜、水曜
http://unagi-atsumi.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

味の決め手は内包する水分の透明度。フードキュレーターと『茶禅華』川田智也シェフがめぐる浜松の食材。[静岡県浜松市]

山間にある古刹・大福寺にて。この寺に伝わる納豆が、川田氏の心を捉えた。

ファインド アウト 静岡山間の古寺に受け継がれる門外不出の納豆。

食材のプロフェッショナルであるフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、それをトップシェフにプレゼンする。そんな二段構えの構成でお届けしている今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

プレゼンする相手は、中華料理で国内唯一のミシュラン三つ星を獲得する『茶禅華』の川田智也シェフ。そしてフードキュレーターが対象エリアとして選んだのは、中華に適した食材が数々眠る浜松エリアです。

視察の1日目では静岡の歴史を起点に、この土地ならではの食材をプレゼン。2日目となるこの日は、果たしてどんな食材との出合いが待っているのでしょうか。

この日、一行がまず向かったのは三ヶ日町の山間にある大福寺。創建平安前期、鎌倉時代に建立された山門が出迎える古刹です。宝物館に収蔵される貴重な古文書や室町時代に作られた庭園も見どころですが、この日の目的は、この寺に代々伝わる大福寺納豆。およそ400年前から門外不出の製法で作られる名物です。

「いまから400〜500年ほど前、中国(明)の高僧が禅寺に持ち込み、植物性のタンパク質しか摂れない寺での栄養源として広がったのが寺納豆の起源です」

そんなご住職の話に耳を傾ける一行。

かつては徳川将軍家にも献上されていたが、あるとき納期が遅れ、家康が「浜名の納豆はまだ来ぬか」と催促したことから“浜名納豆”の呼び名が定着。それが縮まり“浜納豆”となり、戦後は大福寺の名を冠し“大福寺納豆”の名を正式に採用した。そんな名前の変遷からも、悠久の歴史を感じます。

フードキュレーターのふたりは、2015年に静岡県日本平で開催された『DINING OUT NIHONDAIRA』でこの大福寺納豆と出合い、ぜひ川田氏にご紹介したい、と考えていたといいます。一方の川田氏も、その名は聞き及んでいました。

「中華で豆鼓(トウチ)というと京都の大徳寺納豆やこの大福寺納豆のようなもの、とまず教わります。浜納豆をみるのは初めてですが、まさに豆鼓に近いですね」

その後、ご住職の好意で大福寺納豆を試食させて頂く一行。

川田氏は「やさしい、柔らかい味わい。口に入れた瞬間はやさしいけれど、そこから広がり、奥行きが出て立体的になります。とてもきれいなおいしさですね」と、噛みしめるように味わいます。そしてしみじみと「中国で生まれたものが海を越えて伝わって、大切に守り続けられている。感慨深いものがありますね」とつぶやきました。

ご住職が画像付きで解説する納豆の製法を、身を乗り出して見る3名。

大福寺納豆。粘りはなく、やさしい味の後に、複雑な広がりがある。

製法は門外不出だが、できる限り詳細に大福寺納豆の作り方を教えてくれたご住職。

開創は875年、1207年に現在地に移ったと伝わる由緒正しき寺。

ファインド アウト 静岡

天然か養殖かではなく、調理法との相性で食材を考える。

次の目的地に向かう前に、昼食の時間。浜松といえば、やはりウナギが外せません。浜名湖は100年以上前から続く日本のウナギ養殖発祥の地。そのため人口あたりのウナギ料理屋の軒数は静岡県が日本トップ。浜松をはじめとした近隣エリアでも、無数の専門店がしのぎを削っています。

一行が訪れたのは、そのなかでもナンバーワンとの呼び声高い『あつみ』。明治40年の創業以来、浜名湖産のウナギにこだわる名店です。
川田氏が『茶禅華』で出すウナギは、身は焼き、皮は蒸してから揚げる中国式。別物なのかと思いきや「皮目の香ばしさ、身の柔らかさなど勉強になることばかり」とか。そして「やっぱりおいしいですね」と感嘆のような感想を漏らしていました。

昼食を済ませた一行の続いての目的地は、浜名湖畔でスッポンの養殖を営む『服部中村養鼈場』。ここはフードキュレーターのふたりが、日頃からスッポン料理を手掛ける川田氏にぜひ紹介したかったという施設。

そして実は川田氏自身も、かねてから訪れたかったという場所でもあります。

「以前、和食の料理人さんから、“焼きスッポンをやるなら服部中村養鼈場”と伺ったことがあります。煮る、揚げるという調理には身の締まった天然物が最適ですが、焼くなら適度な脂がある方が良いのです」と川田氏。服部征二社長の案内で養殖池を見学しながら、早くも料理のイメージを考えているようです。

服部社長によれば、こちらの創業は1879年(明治12年)。除草剤や抗生物質を使用せず、餌は魚のミンチ。自然に近い状態で3〜4年かけてじっくり育てることで、旨味濃いスッポンになるのだといいます。

「日照時間が長く甲羅干しも含めて天然の環境に近づけやすいことが、浜松がスッポン養殖に適している理由です。ストレスなく育つことで、天然と比べて身が柔らかく、臭みなどが一切ないスッポンになります」と服部社長。

冬眠をして脂を蓄える10月から3月が旬、4月以降は動き回るため身が締まってくる、との話も興味深く聞きながら川田氏は「ぜひここのスッポンで焼きスッポンをやってみたい」とすでに決意している様子でした。

浜名湖産のウナギを備長炭で焼き上げる『あつみ』のウナギ。平日でも行列必至の人気店。

中華料理と日本料理。異なるジャンルであろうと、常に何かを学び取ろうとする姿勢の川田氏。

訪問時はスッポンは冬眠中だったが、養殖場の環境などをつぶさに見学。

服部社長がこだわりを持って育てるスッポンは、京都の名門料亭をはじめ、各地にファンが多い。

脂が乗り、身が柔らかい旬のスッポン。川田氏はすでに料理のアイデアまで考案していた。

ファインド アウト 静岡噛むごとに旨味があふれ出す、フランス原産の上質な鶏。

最後の目的地は『フォレストファーム恵里』。ここは全国でも珍しいフランス原産の鶏・プレノワールを飼育する農場。代表の中安政敏氏が丹精込めて鶏を育てています。

実はフードキュレーターのふたりは、先の事前視察で訪れた浜松駅前商店街のマーケットイベント『浜松サザンクロスほしの市』で、プレノワールの焼き鳥屋台を出店する中安氏と出会い、再訪を約束していました。

一行を快く迎える中安氏。さっそく鶏舎を案内しながら、自慢のプレノワールの解説を聞かせてくれます。

フランス農水省が優良品質の品目を認定する「ラベルルージュ」に選ばれるプレノワール。独特の歯ごたえがあり、コクと旨味のある肉質は高級レストランでも重宝される名品ですが、飼育に手間がかかるため全国でも生産者は数えるほど。「おそらく静岡県ではうちだけです」という希少な鶏です。

開け放たれた鶏舎では200羽ほどのプレノワールが、のびのびと育っていました。さらに中安氏は、自家配合の飼料など、独自の工夫でさらにプーレノワールの魅力を引き出しています。「飼料は湯葉カスや地元ブリュワリーからもらうビールの麦汁、米、大麦、小麦、糠。そこに玄米の乳酸菌と酵母菌を加えます。化学飼料はもちろん、動物性タンパク質も一切入れないことで、臭みを抑えています」と中安氏。さらにその場で炭を起こし、焼き鳥にして試食をさせてくれました。

「独特の食感ですね。決して固いわけではないのですが、旨味が出てくるのでずっと噛みたくなる味です」と川田氏。さまざまな鶏を食べて比べてきた川田氏にしても、さらなる発見があったようです。

「本当に良い経験をさせてもらいました」

東京への帰路、川田氏はそう話し始めます。「東京にいても多くの食材は手に入りますが、やはり現地に赴かないとわからないことがある」といいます。そして今回、浜松で感じ取ったことを次のように語ってくれました。

「中国料理は火の料理、日本料理は水の料理です。そしてその両者を現在という時間軸を考えた上で取り入れる“和魂漢才”が私の料理のテーマ。静岡の食材は、野菜も魚も肉もお茶も、本当においしかった。そのおいしさを紐解いていくと、中にある水分のクリアさに行き着きます。水分がクリアだから味に透明感があり、立体感があります」

コロナ禍で、ライフワークとしていた中国訪問ができない分、日本に目が向いているという昨今。改めて“水の料理”たる食材に触れ、その素晴らしさを再確認しているのだという川田氏。
「静岡の食材、それも植物性だけのXO醤を作ってみたらおもしろいかもしれませんね。根菜やネギ、豆、それにお茶の油。静岡の豊かさをうまく表現できそうです」

行く先々で、食材が発する小さな声に耳を澄ますように、真摯に食材と向き合っていた川田氏。その心の中に、浜松の素晴らしい食材たちは確かな足跡を残したようです。

開放的な環境でストレスなく育てることもプレノワールのおいしさの一因。

竹炭作りで全国に弟子も持つ中安氏。プレノワールの飼育でも、独自のおいしさを追求する。

シンプルな塩味の焼き鳥で、肉のおいしさが際立った。

住所:静岡県浜松市北区三ヶ日町福長220-3 MAP
TEL:053-525-0278
https://hamamatsu-daisuki.net/

住所:静岡県浜松市中区千歳町70 MAP
TEL:053-455-1460
定休日:火曜、水曜
http://unagi-atsumi.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

フードキュレーターが『茶禅華』川田智也シェフを誘う浜松食材探求。産地を訪れ、生産者と対面する、という意味。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県浜松市]

食材の表面ではなく、背後に潜む歴史や生産者の思いにまで意識を向けるのが、川田智也シェフの食材の接し方。

ファインド アウト 静岡歴史を紐解き食材の本質を探る、浜松エリアの食材探求。

ONESTORYのフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、その魅力をシェフに伝える今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

前回の視察で、浜松にフォーカスして食材を徹底的に掘り起こしたふたりが、今回、『茶禅華』の川田智也シェフを迎え、いよいよプレゼンに臨みます。

川田氏が腕を振るった『DINING OUT KUNISAKI』の開催は2018年5月。それから3年近い月日が流れ、ミシュランガイド3つ星獲得、数々のメディアへの登場など、川田氏を取り巻く状況も変わりました。しかし久々にお会いする川田氏は、かつてと変わらぬ穏やかな笑顔。物静かなのに存在感がある、凪いだ湖面のような人柄はまったく同じです。

「浜松は旅行で数回訪れたことがありますが、食材探しという視点では初。非常に楽しみです」と川田氏。事前のイメージは「首都圏に近く、汎用性の高い食材が多い一方で、個性的な、尖った食材も多い印象」といいます。果たして、ふたりのフードキュレーターのプレゼンは、川田氏にどのような爪痕を残すのでしょうか。

しかし、最初にふたりのフードキュレーターが案内したのは、浜松のシンボル・浜松城。もちろん、ただの観光ではありません。

食材の味や香りだけではなく、そこに潜む歴史や物語を紐解き、深く理解するのが、川田氏の食材との接し方。そこで、この地の歴史を肌で感じてもらうことを目的に、まずはここを目的地としたのです。

さらにここは歴史好きな川田氏が「もっとも好きな戦国武将」という徳川家康ゆかりの城。
「家康は中国から伝来したさまざまな物や制度を、日本という土地に合わせて再構築しました。禅の教えや静岡に縁の深いお茶もそうですね。ただ模倣するのではなく、本質を読み解いた上で、場所や時代にあわせて再現する。それは私の料理の目指すところでもあります」
実際、川田氏は資料館となっている城の内部で歴史地図を見ながら、こんな話を聞かせてくれました。

「いまフグを扱っているのですが、外皮と身の間にある部分を“遠江(とおとうみ)”と呼ぶんです。この地図を見てください。三河地方の隣にあるのが遠江地方。身と皮(=三河)の隣だから遠江。洒落がきいた名前ですよね」

知識として知っていても、その場に立つことで新たな発見がある。ここからはじまる浜松の旅は、幸先が良さそうです。

浜松城を望む川田氏とふたりのフードキュレーター。在りし日の家康に思いを馳せる。

ファインド アウト 静岡

中国を起源とする豚が、静岡の地で新たな魅力を放つ

今回の視察に同行するふたりのフードキュレーターは、川田氏に食材をプレゼンするため、数日前にも浜松を訪問済み。さまざまな情報のインプットも済ませているだけに、移動中の道中も食材の話は尽きません。

立ち寄った『ファーマーズマーケット三方原』で川田氏がメロンに興味を示せば「通年でメロンが出るのは、静岡や熊本などごく限られた産地。なかでもダントツが静岡です」と返し、川田氏が国産の良いキウイを探しているといえば「静岡は日本におけるキウイ栽培発祥の地。ちょうど先週訪問したキウイパークでは、そこにしかない品種もあります。サンプルを送りますね」と打てば響くような反応。

続いてランチを兼ねて訪れたのは、豚肉料理『とんきい』。ふたりのフードキュレーターが推薦する、自社牧場で生産した豚肉の料理が楽しめるレストランです。

三和畜産が運営する『とんきい牧場』は、1968年に母豚5頭で養豚業をスタート。トウモロコシ、米、大豆などオール穀物の自社配合飼料で育てる豚は、臭みがなくドリップが少ないのが特徴。さらにこちらでは、浙江省の金華豚を起源とする「プレミアム金華バニラ豚」も飼育されています。

三和畜産の鈴木芳雄社長の話を聞き、レストランでトンカツを試食する川田氏。

「弾力があり旨味もあるのに、脂は澄んだ味わい。どうしてこれほど脂がキレイなんでしょう?」そんな川田氏の疑問に「飼料のためだと思います。とくに米を混ぜるようになってから、目に見えて脂が良くなりました」と鈴木社長。

さらに豚舎近くを見学させてもらいつつ、豚糞を利用するバイオガス発電施設の話なども伺う川田氏。

「豚への愛情が伝わってくる方ですね」

しみじみとつぶやく川田氏の言葉が印象的でした。

道中で立ち寄った『ファーマーズマーケット三方原』にて。ふたりのフードキュレーターの深い知識が川田氏に披露される。

豚コレラの懸念で豚舎の見学はできなかったが、鈴木社長の話に耳を傾ける3人。

『とんきい』には精肉店も併設。きめ細かい肉質が、川田氏の興味を惹いた。

『とんきい』のトンカツ。豪快な厚切りでありながら、脂のしつこさとは無縁。

ファインド アウト 静岡生産者の人柄が品質に表れる。お茶という農産物の不思議。

そこでふたりのフードキュレーターは、まず川田シェフを『ふじのくに茶の都ミュージアム』にご案内しました。ここは静岡県のお茶栽培の歴史から、世界のお茶事情まで、幅広く体験できる施設。家族で楽しめるスポットではありますが、食材のプロたちも多くを学べる本格的な展示資料もいろいろ。とくに世界の茶葉が一堂に会するコーナーでは川田氏も熱心に見入っていました。

続いて前回の視察でもお世話になった製茶問屋『マルモ森商店』の森宣樹社長にご案内を頼み向かったのは、島田市のお茶農家『永田農園』です。
ここは、国内のお茶の審査でもっとも権威のある「全国茶品評会」で、親子二代で最高賞の農林水産大臣賞を受賞する農園。それは、森社長によれば「お茶農家の分母からいえば、甲子園で優勝するよりも難しいこと」という快挙です。

代表の永田英樹氏の案内で茶畑を歩く川田氏。日本茶にも強い興味がある川田氏だけに、その表情も真剣です。

「物腰柔らかく、穏やかな人柄。まさにお茶に相通じる方」後に尋ねると、川田氏はそう話しました。「畑も手入れが行き届いている。いまは時期ではありませんでしたが、生産者の顔と畑の様子をみればどれほど丁寧に、愛情を持ってやられているかがわかります」

これもまた、産地を訪れて得られる収穫のひとつなのかもしれません。

フードキュレーターのふたりは事前リサーチでも『ふじのくに茶の都ミュージアム』を訪れ、静岡の茶の歴史をインプットした。

『ふじのくに茶の都ミュージアム』では、世界の茶葉を実際に手に取り、香りを感じることができる展示も。

作地面積日本一を誇る静岡の茶畑。この風景に川田智也シェフは何を見出すのか。

『永田農園』の茶畑で永田氏の話を伺う。収穫期でなくとも、現地で聞くことには大きな意味がある。

土に手を伸ばし、香りを嗅ぎ、自身が納得するまで深く学ぶ。それが川田氏の食材探求。

『永田農園』は自社製茶場も併設する自製自園。ここでも手順やこだわりの話を永田氏に伺う。『chagama』の森社長も同席してくれた。

『永田農園』の深蒸し煎茶を試飲する川田氏。

ファインド アウト 静岡若き日本料理人に学ぶ、産地ならではの料理表現。

この日の夕食は浜松の日本料理店『勢麟』へ。こちらの店主・長谷部敦成氏と共通の知人がいることから「ぜひ来てみたかった店」という川田氏。ゆえにその顔には、ただ夕食を楽しむというより、一切を見逃さずに吸収しようという真剣味が宿ります。

コースは御前崎の漁港や、地元浜松の舞阪漁港に長谷部氏自ら赴いて目利きした魚や在来種の野菜など、静岡ならではの食材が主役。それを長谷部氏の日本料理の技で、クリアでありながら奥行きがある引き算の料理に仕立てます。

長谷部氏が自身の店を「料理屋ではなく、食べ物屋です」と標榜するのは、この食材自身に調理法を尋ねるような、素材重視の料理に起因するのかもしれません。

川田氏も「素材の水分が擦れていない、水が生きている。ここまでクリアさを追求するのは、中国料理にはない視点です」と、早々に何かを掴み取った様子。コースを食べ終えた後には「全部食べてひとつのお料理を頂いたような気分です。伝統、現在、未来という3つの時間軸がキレイに整った料理という印象。本当に素晴らしい」と手放しの称賛を寄せていました。
試食の際は、食材の声に耳を傾けるように深く味わい、生産者と話す際はまっすぐ目を見つめる。川田氏のストイックな修行僧のようなその姿勢は、産地の情報を余さず吸収しようという思いの現れなのかもしれません。

こうして『茶禅華』川田智也シェフにより浜松食材視察の1日目は終了しました。次回は2日目の様子をお伝えします。

食材に魅せられてこの地に移り住んだ『勢麟』の長谷部氏。

水と醤油だけで炊いた『勢麟』のオコゼ。鰹も昆布も使わず、素材の持ち味だけで勝負する。

1品ごとに交わされる会話は、ときに深い食材談義に発展した。

えぼ鯛は味噌漬けにして炙り、地元で採れたからし菜と合わせた。

メジは地元で“ひっさげ”と呼ばれるサイズ。朝採りの大根おろし、長谷部氏が山で採取した柚子と合わせて。

住所:浜松市中区元城町100-2 MAP
TEL:053-453-3872
https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/

住所:静岡県浜松市北区細江町中川1190-1 MAP
TEL:053-522-2969
https://www.tonkii.com/

住所:静岡県島田市金谷富士見町3053-2 MAP
TEL:0547-46-5588
https://tea-museum.jp/

住所:静岡県浜松市中区元城町222-25 MAP
TEL:053-450-1024
http://seirin-hamamatsu.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

滋賀県木ノ本『冨田酒造』へ。額に汗かき、己を鍛え直す。

 お米をほぐし、かき混ぜることで酸素を送り込む。高温な室内に加え、重労働な切り返しは、酒造りにおいて重要な作業。

HIDEHIKO MATSUMOTO再び酒職人として生きるために。松本日出彦の武者修業が今、始まる。

まるで蒸気機関車のような煙を吐き出している現場では、衛生管理上、身につけているヘアキャップと新型コロナウイルスによるマスク着用も手伝い、個人を認識するのは難しい。

そんな中、まるで雲の切れ間から射す光のごとく、煙の切れ間から声が射します。

「あと何分!」、「蒸しあがりの具合は!」、「量は!」、「今、何度!」。

その主は、『七本鎗』で知られる『冨田酒造』15代目蔵元の冨田泰伸(やすのぶ)氏です。

対して、スタッフたちは間髪入れずに的確な数値を返します。

「温度が全て」とは、冨田氏の言葉。

この日の仕込みは、2種。麹米と醪(もろみ)を木桶で仕込むための掛米。

「この木桶は、日出彦君と一緒に仕込んでいます」。

木桶に目を移すと、かい入れ(もろみを混ぜる作業)をしている松本氏の姿がありました。

ここでの会話も「今、何度?」、「7.5℃です」、「氷入れる?」など、温度確認。この日の気温は15℃。通常よりもやや高めだったため、木桶の温度をより冷やすか否かの議論を繰り返します。

「日本酒の温度管理にはいくつかの法則があります。例えば、今回、もろみの温度を7℃にしたいとします。もし、木桶の中が5℃であれば、2℃の差があります。その差異である2℃×4=8℃に5℃を足し、13℃のお米を入れれば7℃になります。当然、その逆も然り。お米の温度に合わせて木桶の中の温度も調整します」と冨田氏。

麹においてもそれは同様。種切りの温度は各蔵によって様々ですが、この日『冨田酒造』が合わせたのは32℃。もちろん、麹米の量に対し、種麹の量をどうするかも重要です。「お米100kgに対して種麹80gを推奨しており、今日はお米94kgなので、種麹80g×0.94=75.2gの量で種切りをします」。

この方式を瞬時に弾き出し、1℃、いや0.5℃、1g、いや0.5gの微調整を数十秒ごとに確認し合います。それを成せるのは、松本氏が見習いではないから。

「今の日出彦君には、蔵も免許もありませんが、技術や経験を失ったわけではありません。同じ酒職人としての学びも多いです。これまでの『冨田酒造』にはなかった発想の提案や一緒に酒造りをすることによって生まれる化学反応にも期待しています」と冨田氏。

「酒造りはあくまでチーム。自分のような余所者を受け入れてくださり、感謝しかありません。冨田さんとは、これまでも酒造りに関して会話することはありましたが、一緒に酒造りをすることは今回がはじめて。それが実現できたのは、今の自分に蔵がないからということと『冨田酒造』が自分にチャンスを与えてくださったから。同じ現場をご一緒させて思うことは、ただお米を洗ったり、触ったりするだけでも、その感覚をリアルタイムで意見交換できることは非常に貴重。何気ない会話の中にもみんなの考えや哲学があります。それぞれの蔵が持つ当たり前も他では当たり前でないこともしばしば。違いを共有することによって生まれる発見もあります。酒造りは、工夫の連続。当然、『冨田酒造』には『冨田酒造』のやり方があり、その酒造りに則りながら、自分は何を貢献できるのか。日々、そんなことを考えながら取り組ませていただいています」と松本氏。

引き込み、切り返し、種切り、床もみ。そして、かい入れ。額や腕には汗が滲み、体で酒造りの感覚を取り戻していきます。とはいえ、息切れや二の腕の震え、時折、天を仰ぐ姿には、ブランクを感じざるを得ません。そんな今の自分を全身全霊に受け入れているのは、松本氏自身だということは言うまでもなく、それだけ酒造りは甘くない。

そして、そんな松本氏をチームに受け入れる決断をした冨田氏をはじめ、『冨田酒造』の職人たちの懐の大きさを感じた瞬間でもありました。

「今、酒造りができないのならば、うちに来ればいい」。ただ、それだけ。

理由はひとつ。仲間だから。

熱々のお米を手でひねりつぶし、蒸し具合と温度を確認する松本氏。その行為のごとく、「ひねりもち」と呼ぶ。

この日は、木桶の温度を7℃にすべく、かい入れをするたび、温度を計り、小まめに調整をする。

松本氏と仕込む木桶。「まだ仕込みの段階ですが、これからのもろみの育て方によってどんな化学反応が起きるのか、楽しみです」と冨田氏。

「今は温度計で計れる時代ですが、昔は米の中に手を入れて肌感覚で温度を計っていた。そんな感覚は圧倒的に先人たちの方が研ぎ澄まされている」と冨田氏。「切り返しひとつ取っても酒蔵によって様々。全ての作業が勉強になります」と松本氏。

「日出彦君、お願いします」と冨田氏。シャッ、シャッとリズム良く種切りをする松本氏。

 某名言「考えるな、感じろ」よろしく、『冨田酒造』の酒造りのひとつ一つを体に刻み込む松本氏。その目は、酒職人。

HIDEHIKO MATSUMOTO本当の意味で地酒を愛する人に愛される日本酒、それが『七本鎗』。

酒造りにおいて大切な素材、それは、水と米です。

うまい地酒を作りたいのか? うまい日本酒を作りたいのか?

作り手によって味の個性は大きく変わるも、素材だけにフォーカスすれば、このどちらを目指すのかは大きな分かれ道と言ってよいでしょう。

『冨田酒造』は前者であり、『七本鎗』はその好例です。

「『冨田酒造』では、滋賀県産のお米を4種使用していますが、中でもメインは“玉栄”。全体の75%を占めています。水は、古くから蔵にある井戸水を汲み上げています。奥伊吹山系の伏流水の水質は中軟水で、我々の酒造りには欠かせない自然からの恵みです」と冨田氏。

前述、木桶の氷のくだりは、この井戸水を冷やしたものになります。

「この関係性が素晴らしい。できそうでできている蔵は少なく、本来、日本酒はそうあるべきだとも思います」と松本氏は言います。

特にお米に関しては、山田錦や五百万石などのメジャー級な酒米があるため、他府県の良質な作り手から仕入れ、うまい日本酒を作ることは可能です。しかし、『冨田酒造』が目指すのは、うまい地酒。地元のお米、地元の農家、地元のお水を使い、地元の蔵で作るからこそ意味があるのです。

「自分が蔵に戻ってきた時、実は、県産ではないお米に頼っていました。しかし、これは間違っていると思い、地酒の“地”に根ざすことをコンセプトに大きく舵を切りました。その後、ご縁をいただいた篤(とく)農家さんと今もお付き合いさせていただいています」と冨田氏。

しかし、「玉栄」は、酒造りにおいてはやや難しい品種。例えば、雑味の原因にもなってしまうタンパク質が少ない酒米にとって、「玉栄」はやや多く、一般的には好まれません。それでも「僕らの技術で補えば良い」と2001年から契約。酒造りと米作りを行う長浜市を通して、「湖北」としての地酒を発信することに務めています。

「これは、一見簡単そうに感じますが、実は非常に難しく、覚悟がないとできません。お米、農家、地域。真っ向から向き合う精神が必要とされます」と松本氏。それは、冨田氏が今にたどり着くまで何年もかかった過去を振り返れば理解できます。

「最初は、全然“玉栄”を活かせなくて。寝かせないと味が乗らなく、在庫過多の時もありました。その当時は、華やかな日本酒が流行だったので、自分の酒造りは極めて稀有で地味でした。今は勘所も掴め、早出しもできるようになりました」と冨田氏。これは、冨田氏のたゆまぬ研鑽もしかり、品質向上のために二人三脚で歩んできた農家との絆が生んだ賜物。時間と労力は、ほかの日本酒よりも何倍もかかりましたが、「湖北」でしかできない日本酒を追求し続けたからこそ生まれたのが今の『七本鎗』なのです。

「ここに来て感じたことは、まず何と言っても日本一大きな湖の琵琶湖があるということです。滋賀県のほぼ中央に位置し、約1/6の面積を占めているほど水の宝庫。標高においても120mありますが、旧街道のため、昔から水と人が密接に関わってきたことがわかります。この環境の中で育ったお米を22ヘクタールも『冨田酒造』は使っている。それは、地酒を作ることにこだわるだけでなく、田んぼを守り、それによって生態系を維持し、更には農家の雇用も生んでいます。地域の人が地域を諦めてしまったらお終いです。正しい循環のもと、正しく作られている地酒が『七本鎗』なのだと思います。それは冨田さんだからできたこと。事実、“玉栄”をメインに使用する酒蔵は、『冨田酒造』ただひとつ」と松本氏。

日本には、約1,300社(国税庁・清酒製造業の状況・平成30年度調査分)の酒蔵があると言われています。

「各蔵がそれぞれ地酒に特化すれば、日本酒はもっとおもしろくなる」とふたり。

そんな同じ未来に向かって熱く語ることができるのは、同じ蔵で同じ時間を過ごしながら酒造りをできたからかもしれません。

同じ時間、同じ場所で酒造りを共有するからこそ発見できることも多い。「今この状況をどうするかなどの議論は、一緒に酒造りをしているからこそ」とふたり。

 蒸しあがったばかりのお米。香りも豊かで艶もある。同時に、ここからスピード勝負と温度調整の戦いが始まる。「飲んだ時、グッと力強い当たりがあるも、輪郭がはっきりしているので、綺麗にサッと抜ける。それは、“玉栄”だからできる」と冨田氏。

「今も変わらず井戸から水が沸き続けている。本当に自然は偉大です。水は酒造りにおける生命線。この水が『冨田酒造』を支えているんですね」と松本氏。

「日本酒はただの液体だけではありません。環境、作り手、想いなど、酒造りを取り巻く全てがこのボトルの中には凝縮されています。酒造りの出所は、狭ければ狭い方が濃く、おもしろい。しかし、表現は広く。地域は移動できませんが、ボトルは世界中に移動できる。様々な想いがひとりでも多くの方に届けられるよう、これからも精進していきたいです」と冨田氏。

HIDEHIKO MATSUMOTOこれから何を目指すのか。何をすべきか。同士だから語り合えた。

前出の通り、日本には、約1,300社の酒蔵があると言われています。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれですが、約1,800社あった平成15年から比べると、減少傾向にある業界であることは言うまでもありません。

「言わずもがな、日本酒業界は狭い世界です。まず、蔵元でないと蔵がないことや免許取得の難しさなどもあり、新規参入のハードルが高いのです。自分は、今まさに新規参入しようとしている最中ゆえ、それを肌で感じています。ありがたいことに伝統も経験させてもらっているので、両側面から客観視し、これからの日本酒業界にとって何ができるのかを考えていければと思っています」と松本氏。

「日出彦君と話して一番印象的だったのは、外に出たからこそ分かったことや見えたことがあったということでした。ハッとさせられました。伝統はバイアスにもなりかねない。そう思いました。これは、伝統を持った人間と失った人間にしか理解できないこと」と冨田氏。

『冨田酒造』もまた、460年余年の歴史を刻む伝統的な酒蔵。その15代目蔵元の冨田氏は、家業を継ぐ前に東京のメーカーに勤務し、その後、フランスのワイナリーやスコットランドを巡った経験も持ちます。各地域で得た世界の酒造りは、今の『七本鎗』に大きな作用をもたらせたに違いありません。

そんなふたりは、これからの日本酒業界に何が必要だと感じているのか? そのひとつにタッチポイントをあげます。

 作業終了後、酒職人の表情から友人の表情に。酒造りや日本酒業界の未来についてなど、真剣な話から他愛もない話ができるのは、ふたりの関係だから。

 江戸期に建てられた酒蔵は、登録有形文化財でもある。「守るべき部分は変えず、変革する部分は果敢に挑戦している冨田さんは素晴らしいです」と松本氏。「守るべき部分で言えば、まさにこの酒蔵。建物を守ることも酒造りのひとつだと思っています」と冨田氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO全ての難局を今後に生かすために。新型コロナウイルスと青天の霹靂から得たもの。

「新型コロナウイルスによって、『冨田酒造』も大きな打撃を追いました。いかに、飲食店に寄りかかっていたのかも如実に出ました。これは反省として生かし、これまで届けられなかった場所や人にどうすれば届けられるのかを考えるきっかけにもなりました。しかし、ただ消費量を増やしたいわけでもありません。本質の伝え方を今一度考える必要があると思いました」と冨田氏。

「そんな広げ方の工夫は、これからの自分の課題のひとつだと思っています。タッチポイントを増やすということは、我々が伝える言語を相手に理解してもらえるように合わせなければいけません。自分目線ではなく相手目線になるコミュケーション能力は、これからの日本酒業界には必要だと感じています」と松本氏。

「そんな新しいポジションの確立もまた、日出彦君ならできると思います」と冨田氏。

新しいポジションの確立……。もしそれを成すことができれば、前述にある新規参入の難しさの改善にもつながるかもしれません。

また、新型コロナウイルスによる影響によって好転したことも。

「個人的には、色々立ち止まって考えるきっかけになりました。『冨田酒造』では、よりチームの結束を強くするために、様々を見える化し、コミュニケーションを深く取るようにしました。それは今なお続けており、以前以後と比べても格段に現場の空気が良くなりました。周辺環境においても美点はあり、中でも琵琶湖では数年ぶりに全層循環が確認されました」と冨田氏。

全層循環とは、湖面と湖底の水が混ざり合い、水温と酸素濃度がほぼ同じになる現象を指します。「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれるそれは、近年において発生しなかった冬もありましたが、2021年は、1月22日に確認されており、これは過去10年の中で最も早い日でもありました。

「湖底の酸素濃度が低くなると生物が生息しにくくなり、生態系にも好ましくない影響が及ぶと危惧されます。2020年より難局を迎え、各々が様々な苦悩を迎えていると思います。しかし、唯一、自然界にとっては本来の姿を取り戻したのではないでしょうか」と言う松本氏に続き、「今冬は、本当に雪がすごく降りました。自分が生まれてからこんなに寒い冬は初めてかもしれません。その豊富な雪解け水が全層循環にもつながったと思います」と冨田氏。

「地酒」にこだわる『冨田酒造』ゆえ、地域の環境問題も切実。好転を喜ぶだけでなく、今後、持続していくことも課題になっていきます。しかし、「好転したことは自然だけでありませんでした」と冨田氏は話します。

「2020年末、青天の霹靂のような知らせを日出彦君から受けました。想像を超える苦しみも味わったと思います。でも、今(2021年3月)こうして、一緒に酒造りをしている。このスピード感は、新型コロナウイルスによって、より結束力が増した時期でもあったからだと思います」。

「冨田さんをはじめ、『冨田酒造』の皆さんは、自分に生きる場所を与えてくれました。こんな自分でも、また酒造りをしていいんだと立ち上がる勇気を与えてくださいました」と松本氏。

「よしっ! では午後の仕込みを始めましょう!」。

冨田氏の号令に皆が動きます。もちろん、その群の中には松本氏の背中も。

武者修業は、まだ始まったばかり。さぁ、これからだ。

酒蔵内を右往左往。歩きながらも細かい確認作業を欠かさないふたり。どんな日本酒が生まれるのか、これから期待が高まる。

『冨田酒造』のタンクに書き込まれた松本氏のサイン。「いつの日か、こんなこともあったなぁと笑い話にできればいいな」とふたり。

住所:滋賀県長浜市木之本町木ノ本1107  MAP
TEL:0479-82-2013
http://www.7yari.co.jp/index2.html

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

お花見しながら

皆様こんにちは(・∀・)

暖かい日があったな〜と思うといきなり寒くなったりなかなか春が来ないですね(;ω;)


そんな中で倉敷のデニムストリートから少し南に向かって歩くと綺麗な桜が咲いております



河津桜と言って少し早咲きの桜になっております(・∀・)


デニムストリートでお花見のお供にレモンチューハイを買ってほろ酔い気分で楽しんでみてはいかがでしょうか

スッキリ爽やかで飲みやすいですよ(*´∇`*)

食べて、知り、伝える仕事。食材のプロたるフードキュレーターが浜松を味わい尽くす。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県]

フードキュレーター2人が『茶禅華』の川田シェフに食材を提案する為に選んだのは浜松エリア。写真は浜松のシンボル・浜名湖。ここにもさまざまな食材が眠っている。

ファインド アウト静岡浜松が誇る美味を駆け足でめぐる旅

まだ見ぬ素晴らしい食材を探し、日々全国を飛び回るONESTORYのフードキュレーター・宮内隼人と吉岡隆幸。2人が静岡県の食材を掘り起こし、トップシェフにプレゼンテーションする今回の企画。
プレゼンテーションする相手は、ミシュラン・ガイド三つ星を獲得し、いまや日本を代表する中華料理のシェフとなった『茶禅華』の川田智也シェフ。事前にリサーチを重ねた結果、最初の目的地は浜松エリアに決定。海、山、平地、湖が揃い、中華料理にふさわしい食材が見つかるであろうこのエリアへ、すでに繋がりがある生産者や地元料理人から情報をかき集めた上で、リサーチに向かいます。

フードキュレーターの大事な役割のひとつが、地域に眠る食材を見つけ出し、伝えていくこと。だから最初のアプローチは、とにかく食べることとなります。まず食べて、生産者と話し、そこに潜む思いやこだわりを聞き取り、一遍の物語を紡ぐ。そのために食べて、食べまくるのです。
畑で、港で、店で、イベントで。食材のプロたるフードキュレーターは、何を食べ、何を話し、何を感じたのでしょうか。

とにかく食材なら何でも口に運び、体験してインプットしていくフードキュレーター吉岡(左)、宮内(右)。浜松エリアではどんな食材と巡り合えるのか。

ファインド アウト静岡フードキュレーターを驚かせた、農園レストランの野菜たち。

「このあたりは赤土ですね。今は新タマネギの時期。土が良いから大きく育っています」

浜松の車窓を流れる景色を見ながら、吉岡が言いました。野菜に造詣が深い吉岡にとって、ただのどかな風景も宝の山に見えているのでしょう。だからランチに訪れてみた農園レストラン『農+ ノーティス』でも、吉岡のテンションは上がりきりです。

「野菜が本来の形のまま出せるのは、農園レストランならでは。きっとまず野菜が中心にあって、そこからどう料理をするか考えられているのでしょう」

それが吉岡が野菜が主役のランチコースを味わった感想。食材卸売会社も経営する吉岡ならではの視点です。

一方で料理人の経験もある宮内は「野菜愛があり、ただの料理人とは違うアプローチ。しかしシンプルだけどしっかりと構成が考えられている印象です。そしてとんでもなくリーズナブルですね」とこちらも絶賛。

食事後、急な訪問を侘びながら、店主の今津亮氏に話を伺うふたり。聞けば埼玉県に生まれた今津氏は、高校生の頃から農業に興味を持ち始め、東京農大、農業開発の企業を経て2017年にこの店を開いたのだといいます。

浜松を選んだ理由は「狭いエリアの中に赤土と黒土があり、そしてさまざまな野菜の栽培南限と北限に位置することから、より多彩な野菜を育てられます。今は年間120種ほどを育てています」と今津氏。

土の話、品種の話、流通の話。短い時間の中で有意義な会話を交わす今津氏とフードキュレーターのふたり。帰り際、畑で採れたばかりの大根をもらったふたりは、今津氏と再会を約束して店を後にしました。

この日の前菜は駿河軍鶏とロマネスコ 柑橘オランデーズソース。力強い野菜の存在感が際立つ。

店に隣接する畑にはさまざまな野菜が育っていた。

今津氏が惚れ込んだ浜松の土。吉岡氏もその質に強い興味を示した。

突然の来訪でも快く畑を案内してくれた今津氏。野菜への強い思いが言葉の端々に潜む。

今津氏と奥様が営む小さな店だが、いまや予約必須の人気店。

ファインド アウト静岡キウイの奥深い世界に触れる、キウイテーマパーク

続いての目的地は『キウイフルーツカントリーJAPAN』。ここは1978年にアメリカに渡った先代が、現地で出会ったキウイの種を譲り受けて持ち帰り、独学で築き上げた日本最大のキウイ農園。現在は62品種1200本のキウイの木が育つほか、観光農園としてBBQやクラフト体験など、さまざまな楽しみを提供しています。

ここでは食べ頃を迎えた8品種を試食しながら、平野氏の話に耳を傾けるふたり。
化学肥料を入れず、魚カスや堆肥を使用すること、天然の傾斜と暗渠(あんきょ)排水設備を利用して排水性を高めていること、雑草は一度長く伸ばして土の中に空気を入れてから刈り取ることなど、栽培の秘密を伺います。
「途方もない手間をかけて、自然に近い状態を作っている。おいしさの秘密が垣間見えました」と感しきりの宮内。
以前から平野氏とつきあいのある吉岡も、改めて農園に足を運んだことで、さまざまな新発見があったといいます。

様々な種類のキウイを育てるキウイフルーツJAPANで、この日は9種のキウイを食べ比べ。見た目も様々でこんなに違いがある事も発見。今回頂いたのはどれも完熟のキウイ達で、酸味、甘み、旨味、それぞれ異なる個性が光った。

宮内の資料には品種特性や感想が細かく書き込まれていく。

味わうことがふたりの仕事。深く考えながら、じっくりと味わう姿が印象的。

羊、茶畑、BBQ広場。さまざまな見どころがある観光農園。この丘からはキウイ畑全体が見渡せるが取材時は収穫後、また実りの季節に再開する事を約束した。食材だけでなく、生産者とのつながりを築くことも大切。

昼食は浜名湖名産のうなぎ。ここでも真剣に味を確かめるふたりの姿があった。

途中で立ち寄った『ファーマーズマーケット浜北店』では、種類豊富な柑橘に注目。

ファインド アウト静岡街の活気を創出する、浜松唯一のクラフトビール

夜になっても食の探求は終わりません。ディナーを兼ねてふたりが出かけたのは、浜松唯一のクラフトビールパブ『OCTAGON BREWING』。ここで代表の平野啓介氏と醸造責任者の千葉恭広氏の話を伺います。

平野氏の夢は、浜松をもっと盛り上げること。千葉氏の夢は雑味がなくクリアな味わいの、独自のビールを造ること。ふたりの思いが合致して生まれた醸造所兼ビアパブのこの店は、連日多くの客で賑わいます。そんな心地よい賑わいをBGMに、千葉氏の言葉を聞くフードキュレーターのふたり。

千葉氏は大阪生まれで、学生時代からビール造りを夢見て、ドイツに渡りました。そしてミュンヘン工科大学ビール醸造工学部で学び、実地研修を経てディプロム・ブラウマイスターの資格を取得。帰国後は若手醸造家の技術指導にあたってきたといいます。

しかしその華々しいキャリアよりもなお印象的なのは、千葉氏の輝く目。「とにかくビールが好きでたまらない」という千葉氏の言葉は、ときに専門的な領域にまで及びますが、フードキュレーターのふたりもまた食の専門家。ときに鋭い質問を飛ばしながら、白熱した講義は続きました。

千葉氏に醸造のこだわりを伺うふたり。その評定は真剣そのもの。

色、香り、テクスチャ。宮内の興味は、食の深い部分にまで及ぶ。

シトラス、マンゴー、パインなど華やかに香る「ブレイクアウェイIPA」など、オリジナルの地ビールが常時数種類楽しめるビアバー。

平野氏(左)と千葉氏(右)。ふたりの夢が形をなしたブリュワリーは、いまや浜松になくてはならない店。

ファインド アウト静岡少しずつ見えてきたフードキュレーターふたりの個性。

2月14日、日曜日。この日は月に1回、毎月第2日曜日に開催される『浜松サザンクロスほしの市』の日でした。
もちろん“市”と聞けば、フードキュレーターのふたりがじっとしているはずはありません。

そもそもこの市は、浜松駅南口のシャッター商店街に賑わいを取り戻すことを目的に、2018年から開かれているマーケットイベント。出店店舗は公募型ではなくスカウト型で、浜松に縁があるハイクオリティなショップやアーティストが揃うことで話題を集めました。現在の出店数は35店舗。はじめた当初は800人ほどの人出でしたが、徐々に知名度を高め、コロナ禍前のピーク時には2000〜2500人もの人で賑わいました。

「少しずつ商店街の方にも認めてもらえ、先日はようやくシャッター街に一軒新しい店も開きました」そううれしそうに語るのは、『浜松サザンクロスほしの市』を主催する(株)浜松家守舎CONの 鈴木友美子氏。大勢の人で賑わい、目に見える効果も出る、地方創生イベントの成功例を前に、ショップで次々と食べ物を試食していたフードキュレーターのふたりも強く興味を惹かれた様子でした。


旅はまだまだ続きます。
名物料理を食べ、養鶏場を見学し、農産物直売所の品揃えをチェックし、ハーブティーを試飲する。
食べて、話し、考え、また食べて、考える。そうしているうちに少しずつ、ふたりのフードキュレーターの個性もみえてきます。

食材卸売会社も経営している吉岡は、とくに野菜の知識が豊富。土壌の質や成分、野菜の品種、作柄、旬など、生産者と同じ目線での会話を通し、その魅力を引き出します。そして仲卸として、流通や価格にも気を配ります。

料理人の経験がある宮内は、ジビエも含めた肉、魚から加工品まで総合的な深い知識を有します。そして元料理人らしく、意識するのは口に入る瞬間のこと。加熱するとどうなるか、保存する方法はどうか、味の成分はどうか。料理としての完成形をイメージした食材探求が持ち味です。

それぞれ得意分野を持つフードキュレーター宮内隼人と吉岡隆幸。ふたりが意見を交わしながら食材を見つめることで、より立体的にその魅力が際立ってきます。

次回はいよいよ、今回のリサーチの経験を元に、川田智也シェフにふたりのフードキュレーターが浜松の食材をプレゼンします。
食材ひとつひとつとまっすぐ向き合い、まるで語り合うように食材の本質を読み解く川田シェフ。果たしてふたりのフードキュレーターは、そんな名シェフにどんな食材を、どう見せるのか。次回の記事をぜひお楽しみに。

『浜松サザンクロスほしの市』にはパンやスイーツから蜂蜜、チーズ、焼き鳥まで多彩なグルメも出店。

午前中から大勢の客が詰めかける。コロナ禍を乗り越え、再び活気が戻り始めた。

鈴木氏(中央)をはじめとした『浜松サザンクロスほしの市』実行委員会の3人。

静岡の地鶏・一黒しゃもを育てる『鳥工房かわもり』にて、代表・河守康博氏の解説を受ける。日本古来の黒しゃもの系統であるしずおか食セレクション認定地鶏・一黒しゃも。上質な脂と力強い弾力が魅力。

新鮮な一黒しゃもをその場で塩焼きにする河守氏。「コクがあるのに、臭みがない」(宮内)、「脂がすっきりとしている」(吉岡氏)とともに高評価。

ハーブティーやアロマを扱う『チムグスイ』にて。香りもまた、美味を司る大切な要素。

住所:静岡県浜松市浜北区四大地9-1178 MAP
電話:053-548-4227
定休日:月曜・水曜
https://notice-vegetable.storeinfo.jp/

住所:静岡県掛川市上内田2040 MAP
電話:0537-22-6543 (9:00~17:00)
定休日:木曜日 (1/10~3/20は水・木)
https://kiwicountry.jp

住所:静岡県浜松市中区田町315-25 MAP
電話:053-401-2007
定休日:火曜日
https://octagonbrewing.com/

住所:静岡県浜松市中区砂山町 砂山銀座商店街 MAP
開催日:毎月第2日曜日
開催時間:10:00~15:00 (8月のみ16:00~20:00)
https://hoshinoichi.com

住所:静岡県浜松市浜北区新原6677 MAP
電話:053-586-5633
営業時間:8:30~16:30
https://life.ja-group.jp

電話:0537-86-2538 (9:00~18:00)
http://torikoubou-kawamori.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 静岡県)

軽やかに、しなやかに。新たな時代の「食」の可能性を広げるキュレーションの力[FOOD CURATION ACADEMY]

料理通信社・編集主幹の君島佐和子さん(左)と、日本におけるフードキュレーターの一人として君島さんが名前を挙げる『H3 Food Design』代表の菊池博文氏(右)。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー「フードキュレーション」は、食の未来に何をもたらすか。

「食」の総合プロデューサーを目指す、すべての人に向けて『ONESTORY』が提案する学びの場『FOOD CURATION ACADEMY』。

2020年末の開講以来、多くの方にご視聴いただいている本講座を、より深く楽しんでいただくための特別インタビュー。

2回目となる今回は、講座にも登壇いただいた料理通信社・編集主幹の君島佐和子さんと、全国でさまざまな「食」のプロデュースを行っている『H3 Food Design』代表の菊池博文氏にお話を伺いました。

長年にわたり「食」を取り巻く世界の動きを間近で見つめ、その最前線を伝え続けてきた君島さん。そして、国内外のトップシェフとローカルを結ぶなど、早くからフードキュレーションを実践されてきた菊池氏。おふたりはいま、「食」の未来をどのように見据えているのでしょうか。

地球環境、テクノロジー、価値観、あらゆることが急速な変化にさらされる中、これからの社会に対してフードキュレーションが貢献できることとはいったい何なのか。その可能性を探っていきます。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー社会が期待する「食」の推進力。ビジョンを持った指南役が求められている。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座 #1で、「食」に対する社会の目線の変化を的確な分析で提示した君島さん。

人口爆発や気候変動による食糧危機など、地球全体が直面する大きな社会課題に対して、その解決の推進力を「食」が担うことが期待されるようになってきた、と君島さんは言います。

「“推進力”というとかなりポジティブで、その中に“意図”とか“意思”とかが含まれてきますよね。でも、そもそも人間がものを食べるということ自体が、意図せずともさまざまなことに影響をしていく作用があります。意図とは関係なく、“食”がどういう作用を及ぼすのかというところまで意識を向けることがすごく重要」。

生産から消費まで、どこかの部分だけを切り取るのではなく、一連の流れとして人間の「食べる」という行為が及ぼす影響を把握すること。動植物の循環、地球規模での循環として「食」を考えることが大前提になっています。そんな複雑な社会状況の中で、人間が「食」とどう向き合うべきか、何をどう食べたらいいのか、どう生産したらいいのか。私たちの向かうべき未来へのビジョンを提示する指南役が求められています。

「”食”を俯瞰して全体を見えていないとビジョンは描けない。そういう意味においても、フードキュレーションというのは本当に必要な概念だなと思います」。

「食」への目線の変化は、新たな「食」へのアプローチももたらします。

「昨年、東京・上野の国立科学博物館で『和食~日本の自然、人々の知恵』が企画されましたが(新型コロナウイルスの影響で開催中止)、そもそも博物館で食の展覧会を開くこと自体がこれまでなかったこと。日本各地の地質と水の硬度の関係を示す展示から始まっていたのもとても面白かったです。食と自然との関係はいまさら言うまでもありませんが、食と地域という論点も当たり前になってきて、より深く入ろうとすると、地理・地形・地質と食との関係の探求が必要になってくる。時代がそういう食への探求に向かっているのを感じます。まさに、講座 #3 の地質と食の対談のテーマですね。この対談は、ぜひ私もご一緒したかった(笑)! PCに張り付いて聞き入りました」。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座の第1回「フードキュレーションとは何か」に登壇した君島さん。『フロリレージュ』オーナーシェフの川手寛康氏、『楽農研究所』代表の菊池義一氏、『ONESTORY』のフードキュレーター宮内隼人とともに、「食」業界のいまとこれからを掘り下げた。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビューフードキュレーションは「食」のリベラルアーツ。自らを起点に学びの枝葉を広げていく。

刻々と変化する地球規模での社会課題に対し、いつも感覚を研ぎ澄まし、広範な視野を持って知識をブラッシュアップし続けていくということは並大抵のことではありません。

「私たち取材する側も一緒で、知らなければならないことがたくさんありすぎて、“こういうことを知らないといけないんだよね”って思うと同時に、息苦しさみたいなもの感じていました。課題解決の推進力である”食”という面ばかりが強調されると、タイトで寛容さがなくて。正しさばかりが求められていくことはむしろ怖かったりもします。そう考えると、講座 #1で『ONESTORY』として提案されていた、“フードキュレーションは食のリベラルアーツである”という捉え方がとてもしっくりきます」。

人文科学、自然科学、社会科学。それぞれの分野と「食」との関わりをもっと広く深く理解していこう、考えていこうというフードキュレーションの学び。それは、確固たるフードキュレーションという概念を掲げ、その下に自分を当てはめていくのではなく、「自分にとってのフードキュレーションって何?」と自身を起点として学びを広げていくことではないかと君島さん。

「自分は何のために”食”の仕事をしているのか。その問い直しをしていくことで、自ずと、個々の人のフードキュレーター像が見えてくるのだと思います。目的に対して、より充実させるべきこと、補完すべきことは何なのか、自分が知らなければいけない領域が恐ろしく広がっているということに気付き、視野が広がり、活動の世界も広がっていきます」。

自分はどんな目的意識を持っているのか、何ができるのか、何がしたいのか。そのために、自分の持っている力をどう機能させていくか。そんな自分起点の発想が、領域を超えて活躍するマルチプレイヤーを生み出していくのです。

「『H3 Food Design』の菊池さんはご自身のお店を持たないからこそ、活動がより社会的になっているように思いますし、一方でお店を持っている方には、お店があるからこそできることがあります。目黒でイタリア料理店『Antica Braceria Bell'italia』を営む井上裕一シェフが不動前に開いたワインショップ『ワインマンストア』はワインだけでなく、井上シェフの人脈で、チーズもジェラートも、消毒液も置いてある都市のキオスクみたいなお店。お店もありながらオリジナルのワインも作っていて、5月末にはワイナリー付きの新店舗に移転される予定です。それぞれの立場で、自身が持っている機能を360度全方位で生かそうって考えていくと、自然と領域を超えてさまざまな分野とつながっていく。皆さんの取り組みをみていると、それを強く実感します」。

フードロス、海洋資源の枯渇、そして新型コロナウイルス。地球規模での様々な課題を前に、「この数年で、日本においても料理を作る人の思考が自然に広がっているのを実感する」と、君島さん。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー地方、食、生産者を軸に活動したい。ターニングポイントとなった震災。

君島氏が講座#1の中で、日本で活躍するフードキュレーターの一人として名前を挙げた、『H3 Food Design』の菊池博文氏。菊池氏は自身の仕事を、どのように位置付けているのでしょうか。

立場や関わり方は違えど、根本的にはずっと同じことをやっているなと思っています」と菊池氏。いまに繋がる菊池氏の仕事の原点は、「星野リゾート」に在籍していた2009年ごろから取り組んだ『軽井沢ブレストンコート』の『ブレストンコート・ユカワタン』のプロジェクトでした。

「日本を代表するローカルガストロノミーを真剣につくろうということで、コンセプト設計から開業、そして運営までマネージャーとして担当しました。器やカトラリーも日本の伝統工芸品で揃えたいという思いから、食材よりも工芸品をキュレーションするプロジェクトが先行したのですが、その中でも福井県の龍泉刃物さんとの出会いは、ボキューズ・ドール用のカトラリーの開発にもつながり大成功しました。この経験は僕の中で一つの自信にもつながりました。産地と一緒になって何かを生み出していくことは、今も変わらず続けていることですね」。

2011年3月『ユカワタン』がオープンして数日後、東日本大震災が発生。岩手県の三陸沿岸は菊池氏の故郷でした。「地方とガストロノミーと経済の様々な効果を探っていくことは、むしろ自分自身の故郷が必要としていること、この頃から考えるようになりました」と菊池氏。そんな思いを抱きつつも、2014年にはフランスの三つ星シェフ、レジス・マルコン氏を招き1泊2日の『ユカワタン』のバックステージツアー。ローカルガストロノミーの最前線を学ぶとともに、地域の伝統の食文化や食材を紹介するプログラムは、その後テーマを変えながら全3回行われました。

「食はディスティネーションの目的です。その魅力は、まるで宝物の様に足元に眠っていると思います」。

2016 年、地方と食と生産者という軸でもっと仕事を深めていきたい、そして三陸に特化した仕事に携わりたいという思いから独立。日常の食にフォーカスした拠点として、東京・池袋『もうひとつのdaidokoro』を立ち上げたほか、2019年には念願の三陸での取り組みとなる、『三陸国際ガストロノミー会議2019 立ち上げに参画し、講演プログラムのキュレーションを行いました。

君島さん曰く「社会が菊池さんを共有している」。

その言葉のとおり、菊池氏の視点や感覚が、人と人、人と地域を縦横無尽に結び、地域に新しい風を吹き込んでいくのです。

現在は長野県に暮らす菊池氏。日本各地の「食」における課題解決を実践するギルド的集団『H3 Food Design』の代表として、生産者と国内外のトップシェフ、食のジャーナリストをつないでいる。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー土地の文化を発信しながら文化を再解釈する。「よそ者」が拓く、これからのガストロノミー

そして2021年。いま、菊池氏はどのようなことに取り組んでいるのか。

「今は地方のホテルを変えたいと思っています。ホテルがもっと地元と密着して行ったらどんなことができるんだろうと考えていた時、ちょうど『旧軽井沢KIKYOキュリオ・コレクション・バイ・ヒルトン』の相談を受けたのがはじまりです」。

粉やパティからすべて地元産の食材を使ったハンバーガーを企画して、四季折々の食材を使ったガストロノミーレストランをプロデュース。食材の仕入れ先のほとんどを、地元産に変更しました。

「レストランでの提供に限らず、加工品などのECやイベントやツーリズムなど、ホテルが地元のハブ的な存在になることで、大きな経済効果や雇用をもたらす事が可能です。また、災害時にはダイナミックな購買力やマンパワーを発揮する事が可能です」。

いま、新たに菊池氏が手掛けているホテルは長野県の「松本十帖」と滋賀県「ロテル・デュ・ラク」の2つ。

「地元に新しい風を吹かせるためには、むしろよそ者の方がいいんじゃないかなって思うんです。風土という言葉を分解した時に、"土"は伝統、その土地にずっと受け継がれてきたもの。でもきっとこれまでの歴史の中で、地域のさまざまな街道で、旅人や商人が行き交うことで、その土地に新しい"風"が入って変化が起きていた。革新の"風"と伝統の"土"。新しいガストロノミーの進化を作れるのは"風"を吹かせる旅人なんだっていうのが、僕の中の"風土"の解釈です。『DINING OUT』もまさにそうですよね。今、日本もいろいろな意味で閉塞感から脱しようとしている時期。ガストロノミーの世界も同じです。僕のアプローチは風をもう一度吹かせるというところです。地元の生産者さんと一緒にやっていくのは言わずもがな。一緒に取り組みながら成長して、価値を高めていくということがキュレーションの意味でもあると思います。それが結局のところサステナビリティなんじゃないかなというのが、僕の軸になっています」。

よそ者がもたらす「風」の力を信じながら、もう一つ大切にしているのが「健康」というテーマだという。

「文化から文明に変わり、大量生産、工業生産になっていろいろな食の危機が起こっている。でも日本の地方には、まだまだ大切な食文化がたくさん残っています。そのあたりを紐解くことが次のガストロノミーのヒントになるんじゃないかなと思っています。命を守るとか、家族を大切にするとか、健康を一番に思う”母性”に、ガストロノミーが戻ってきている。文化を発信しながら文化を再解釈していくことが、これからのガストロノミーの中心になってくるんじゃないかなと思っています」。

軽やかに、しなやかに。寛容さを失わない風のような存在が、「食」の未来を切り拓いています。

スペイン・ガリシア地方でシェフのコラボレーションイベントを企画した際に、サンチアゴのシェフの案内で生産者を訪問した時の様子。離れている価値をつなげ、新しい風を吹かせていく。

『信州ガストロノミーツアー(主催:長野県)』を企画運営した際、地元のお母さん世代や招待シェフと共に野沢菜漬けを体験。「これからのガストロノミーのヒントは、地方の食文化にある」と菊池氏。

栃木県生まれ。早稲田大学第一文学部演劇専攻卒。株式会社パルコ、フリーライターを経て、1995年『料理王国』編集部へ。2002年より編集長を務める。2006年6月、国内外の食の最前線の情報を独自の視点で提示するフードマガジン『料理通信』を創刊(2021年1月号をもって休刊)。編集長を経て、2017年7月から編集主幹に。“食で未来をつくる・食の未来を考える”をテーマとする「The Cuisine Press」(Web料理通信)では、時代に消費されない本質的な「食の知」を目指して様々なコンテンツを届ける。辻静雄食文化賞専門技術者賞の選考委員。日経新聞の日曜朝刊「NIKKEI The STYLE/」に寄稿。デザイン専門誌『AXIS』、マガジンハウス『アンド プレミアム』でコラムを連載。著書に『外食2.0』。

岩手県・山田町出身。軽井沢を拠点に、「地方から地方へ」をテーマにローカル× ガストロノミーの各種イベント企画等を展開中。 ANAホテル 東京、フォーシーズンズホテル東京、グッチ・ジャパンを経て、2001年に星野リゾート参画。デンマーク 『NOMA』のレネ氏が来日した際『NOMA TOKYO Mandarin oriental Tokyo⻑野ツアー』を担当。星野リゾート料飲統括ユニットへ参画後、2016年に独立。『H3 Food Design』として日本各地においてガストロノミーを起点とし たソーシャルデザインを行っている。J.S.A認定ソムリエ、 調理師免許、フードツーリズムマイスター取得。

 

シェフとフードキュレーターがめぐる静岡。食のプロたちを驚かせる、海、山、畑の宝物。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県]

ファインド アウト 静岡OVERVIEW

静岡県。ここは日本一高い山と日本一深い海を持ち、肥沃な大地と豊富な水と温暖な気候に恵まれた地。関東と関西の中間に位置し、多彩な食文化が行き交い、混ざり合う地。そして東西長約155kmという広さの中に驚くべき多様性を秘めた地。

伊豆、静岡、焼津、藤枝、浜松、それに富士山の麓や海沿いの港町。エリアが変わる度にまったく異なる様相を呈する静岡県の食材たち。

今回は、まず徹底的に食材や食文化をリサーチして掘り起こし、そして見つけ出した食材を一流料理人にプレゼンテーションして評価していただく、という二段構えの構成で、静岡県の食材の豊かさをお伝えします。

題して「FIND OUT SHIZUOKA」知られざる静岡の一級食材をフードキュレーターが探し出す。

食材リサーチを担当するのは、宮内隼人と吉岡隆幸というONESTORYの2名のフードキュレーター。
フードキュレーターとは、まだ見ぬ素晴らしい食材を探し日本中を飛び回る食材のプロフェッショナル。ある食材の製法の科学的根拠や土地柄、歴史背景までを紐解きながら、その内に潜む物語を探る探究家。食材と人、食材と食材、人と人を結び、新たな価値を創出する食のプロデューサー。
そして2名とも、過去開催された『DINING OUT』で一流のシェフと食材生産者の間に入り、食材の価値を料理人にわかりやすく伝えていく、いわば翻訳者的な役割もこなしてきました。

そして今回参加する料理人は、昨年末にミシュラン三ツ星を獲得、今もっとも注目を集める『茶禅華』川田智也氏。過去『DINING OUT KUNISAKI』のシェフも担当。食材を徹底的に吟味し、研ぎ澄まされた感性でかつてない中華料理を生み出す川田氏に提案するとあって、2名のフードキュレーターも気合十分です。

さて、2名が今回向かったのは、浜松を含む静岡県中西部エリア。浜名湖の恵み、海の幸、こだわりの豚や鳥など、中華料理に役立ちそうな食材が多い事が予測された為、まずはこのエリアが選定されました。
この食材の宝庫でふたりはどんな生産者と出会い、どんな食材を見つけ出すのでしょうか。そして、発掘した食材を川田シェフはどう見つめ、何を感じ取るのでしょうか。その様子をお伝えします。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 静岡県)

「このままでは地域から希望の光が消えてしまう。それはあってはならない」Zenagi/岡部統行

オーナーの岡部統行氏はホテル業界とは無縁の人だが、人の縁に導かれ『Zenagi』を開業。新型コロナウイルスによって苦しい状況が続くも、自らの理念である“100年後の日本を作る”ことに向け、前を向く。

旅の再開は、再会の旅へ。100年後の日本を作ることを考えれば、これも必要なステップなのかもしれない。

長野県木曽郡南木曽町(なぎそまち)。ほぼ岐阜との県境に位置し、人口はわずか4,000人あまり。奥深い山中にあるそこは、「日本で最も美しい村」連合にも認定されており、中山道妻籠宿(つまごじゅく)という江戸時代の風情を色濃く残す古い宿場町でもあります。

そんな日本人すら知る人が少ないこの町へ、実は感度の高い外国人が足繁く訪れていました。
しかし、新型コロナウイルスによって海外の行き来はなくなり、国内の移動においても困難に。自粛や緊急事態宣言によって、人と人のコミュニケーションは遮断され、日常は奪われてしまいました。

「何とか耐えている状況です」。そう切実に語るのは、『Zenagi』の岡部統行氏です。

2019年4月、突如誕生したそこは、世界基準とも言えるハイクラスなホテル。これは高価格という意味だけでなく、文化的な感度の高さを表します。

「オープン以降、世界中の旅行代理店や海外メディアにたくさん来ていただき 何とか“種播き”の1年目を越え、“収穫”の2年目へと向かおうとしている中、新型コロナウイルスの問題が起きました。お客様の7割が欧米からのインバウンドだったこともあり、言葉にできないほど大きな打撃を受けました。自分たちの力ではどうしようもない事態を前に、ただただ無力でした。しかし、そんな中でホテルを支えてくださったのは、日本人のお客様たちでした。今は、リピーターやファンの皆さまに応援をいただきながら、なんとか“耐えている”状況です」。

南木曽町田立(ただち)という、和紙の里でもある棚田の最上部に立つホテルの部屋数は、わずか3室。12名が宿泊人数の上限です。江戸時代後期から明治初期に建てられたという古民家を改装して開業したそこは、単なる古民家ではありません。材木取引などで大きな財を成した豪農が所有していた建物は、内部空間の梁を見るだけで、その贅を尽くした造りに圧倒されます。新設した開口部からは広大な自然を望み、空間には、木曽地方の木材やそれを使用した家具、漆器などの伝統工芸が配されます。上質と文化が交錯する時間は、ここだから体験できる特別。

「新型コロナウイルスの前から考えていた計画なのですが、ホテルを“1日1組限定のプライベート・リゾート”にすることにしました。もともと1組のお客様のために10名近いスタッフが力を合わせて、“最高の休日”を演出することに魅力を感じていました。ご家族やパートナー、友人たちとの“一生の思い出”をご提供差し上げることが我々の仕事だと思っています。先日もリピーターのご家族が来た際、“ここにだけは、新型コロナウイルスでも変わらない素敵な世界がある”と笑顔をいただいたことが心に残っています。また、お客様がホテルやレストランに来られない間にも“お客様とつながる方法”がないか思案する中、わたしたち自身のことを発信できる自社メディアを立ち上げる計画をしています。そこで地元の生産者さんの食材や職人さんの工芸作品などの販売もしていく予定です。いつもお世話になっている地域の方に、わたしたちにできることです」。

苦しい時こそ、自分たちは地域にどんな貢献ができるのか。それは、開業前より、町や人とのつながりを常に大切にしてきた岡部氏だからこそ思うことでもあります。それでも、歯止めなく押し寄せる様々な問題に不安を募らせます。

地域の皆さんが希望を失いかけていると思います。新型コロナウイルス前から地方の衰退はとても激しいものがありました。人口4,000人の消滅可能性都市で毎年50〜100人ずつ人口が減っていくのは、本当に恐ろしいことです。そこに、突然、今回の難局が降りかかり、町の唯一の希望だった観光業が壊滅的な被害を受けています。このままでは、地域から希望の光が消えてしまいそうで、不安でなりません」。

地域にもよりますが、自粛や緊急事態宣言は、人々の生活を大きく変えました。飲食業は時短営業を強いられ、保証や支援があるも、抱えている問題はそれぞれ異なり、一律で解決できない現状もあります。

「ホテルやレストランは、新型コロナウイルスによって一番被害を受けている業界と言われています。私自身、その通りだと実感をしています。しかし、こんな時だからこそ“ホテルやレストランにできること”もあると考えています。ホテルやレストランは、夢や価値観を皆さんと共有できる場所です。コロナ禍によってライフスタイルや価値観が大きく変化する時だからこそ、“新しい夢”、“新しい価値観”を皆さまと共有できる時なのだとも思います。我々の会社の理念は、“100年後の日本を作る”ことにあります。地方の衰退も人口減少もコロナの危機も乗り越え、どんな100年後の日本を夢見るのか? 自分たちが考えていることや日々取り組んでいることを、今後、少しずつでもお伝えしていきたいと思っています」。

100歳時代と謳われる昨今、100年後は近いか遠いか。しかし、ひとつわかることがあるとすれば、その未来のために今何ができるのかを真摯に向き合い、この難局をただの過去で終わらせてはいけないということではないでしょうか。様々な難局を先人たちが生き抜いてきたように。

「こういう時は、近くだけでなく遠くを見ることが大事だと思っています。例え、今は辛くても、100年後の日本を作ることを考えれば、これも必要なステップなのかもしれません。我々は、遠くを夢見て、今日も一歩一歩進んでいきます。一緒に乗り越えましょう! そして、皆様と再会できることを楽しみにしています」。

ライトアップされた『Zenagi』の全景。シルエットになっている山が伊勢山だ。インバウンドへの火付け役とされているのは、2016年にイギリスBBCで放送された『ジョアンナ・ラムレイが見た日本』という番組だった。

現代では到底採れないような材木の柱や梁が巡らされたロビー空間。天井には見飽きることのない静岡の竹細工職人による照明の「光と陰」。

元はお蚕場だった2階が客室に改装されている。眺めが一番良い「松」の間。

妻籠に迫る夕闇。妻籠の風景に欠かせない伊勢山が遠く霞む。『Zenagi』は、山の反対側に位置する17時にはほとんどの店が閉まってしまうが、そこから江戸の風情が湧き上がる。

住所:長野県木曽郡南木曽町田立222  MAP
https://zen-resorts.com/

Text:YUICHI KURAMOCHI

14ozセルビッチデニムポーチ

セルビッチデニムでつくったポーチが大きくなって新登場!

  • 【IHG-092】よりも少し大きいサイズになります(画像をご参照ください)
  • ジーンズと同じ素材のため色落ちします
  • ガンガン使ってジーンズの様な経年劣化をお楽しみください。
  • 21ozデニムで作った少しこぶりなポーチ【IHG-092】もございます。
  • 25ozデニムで作った少しこぶりなポーチ【IHG-093】もございます。
  • 21oz黒鎧デニムで作った少しこぶりなポーチ【IHG-094】もございます。
  • サイズは商品により多少の誤差が生じる場合がございます

素材

  • 綿:100%

「自分ではない誰かのために」人を思う心こそが、ものづくりの原動力。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・Restaurant MOTOÏ/京都府京都市]

面識はあったが語り合うのは初めてのふたり。話は深く、心の内にまで及んだ。

MOTOÏ × 堀木エリ子町家、フレンチ、シャンパーニュ。複雑に絡み合う3つの要素。

和紙デザイナー・堀木エリ子さんが『テタンジェ』のトップキュベ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のペアリングを体験する「食べるシャンパン」。

今回の舞台は、京都の路地に暖簾を掲げる『Restaurant MOTOÏ』です。

築100年の町家をリノベートした重厚な空間で供される、前田 元シェフのモダンフレンチ。それは空間の品格から想像するよりも自由奔放で、ときにフレンチという枠にさえ収まりきらない独自のスタイル。2012年のオープンから1年を待たずしてミシュランの星を獲得した事実は、このスタイルが単に奇をてらうのではなく、確かな技術とロジックに裏付けられていることの証明かもしれません。

堀木さんの事務所からもほど近く、過去にも何度か訪れたことがあるというこのレストラン。前田シェフは「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」にどのような料理を合わせ、堀木さんはそこに何を見出すのか。

未知なるマリアージュが始まります。

【関連記事】NEW PAIRING OF CHAMPAGNE/深まる「ご縁」、湧き上がる「パッション」。和紙デザイナー・堀木エリ子が体験する「食べるシャンパン」。

窒息させて血をとどめるエトフェという技法で、濃厚な旨味を湛える七谷鴨(ななたにかも)が主役のひと皿。

フレンチのほか、10年に渡る中華料理の経験も持つ前田シェフ。その技法は随所に活かされる。

温度を確かめるのは手。「熱いのですが、集中していると不思議と熱くないんです」と前田シェフ。

MOTOÏ × 堀木エリ子特別な時間を彩る、特別なレストラン。

「以前、友人にこの店で誕生日を祝ってもらったことがあります。その印象もありますが、私にとってここは特別な時に利用する、特別なお店です」。

中庭を臨むテーブルに着き、堀木さんはそう話しはじめました。そして口をつぐみ、しばし店内を見回します。

築100年超、かつて呉服商の邸宅だったというこの空間。庭木がもっとも美しく見えるよう一段下げられた床、重厚な天井を支えるように整然と並ぶ梁、いまや希少な大正ガラスを通し少し波打って見える木々。

京都を拠点に活躍する堀木さんにとって、この新旧が違和感なく調和する空間はきっと馴染み深いものなのでしょう。しばしの無言は決して居心地の悪いものではなく、むしろこの空間に浸っている時間だったのかもしれません。

やがて前田シェフの手で料理が運ばれてきました。

「京都・亀岡の七谷鴨です」という前田シェフの言葉通り、それは上質な鴨肉を余すところなく盛り込んだ一皿。胸肉はロースト、内臓はパテ、モモ肉はミンチにしてコンソメを取り聖護院大根に染み込ませています。添えられたクレソンは、シェフが早朝に清流の中から摘んできたもの。

このコンセプチュアルな料理は、果たしてどのように「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」と響き合うのでしょうか。

中華の技法で取ったコンソメなど、随所に中華料理の経験も持つ前田シェフらしさが光る。

店の考え方を出さず、自由に楽しんでもらうことが前田シェフの信条。

料理に潜ませた山椒や胡椒が「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」と響き合う。

MOTOÏ × 堀木エリ子食べる順序で味わいが変わるひと皿は、「まるで魔法」。

運ばれてきた鴨を口に運んだ堀木さんは、しばし咀嚼し、「おいしい。って当たり前ですけど、やっぱりその言葉が出てしまいますね」と笑います。それから「甘みがあり、臭みははく、鴨の旨味が凝縮されています。つまり、おいしいんです」と付け加えました。

次いで「大根はいわばソース代わりです」という前田シェフの説明を聞き、大根をひと口。

「上品でふくよかな“ソース”ですね。最初に山椒が香り、最後に胡椒の余韻が残る。鴨の旨味がいっそう引き立ちます」と称えました。

そして待ちわびたようにグラスに手を伸ばし、「本当にぴったり。料理の余韻をシャンパーニュが優しく包んでくれるような印象です」と堀木さん。さらに今度はパテを味わい、再びシャンパーニュをひと口。

「今度はシャンパーニュが口の中で弾けます。鴨、大根、パテ。食べる順番を変えるだけで味の感じ方が一変し、続くシャンパーニュの印象も違ってきます。一皿の料理とは思えない、まるで魔法です!」と驚きの表情を浮かべます。

前田シェフは我が意を得たりと微笑み、料理の種明かし。

「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”は、エレガントかつスパイシーという複雑な味わい。そのさまざまな要素を引き出せるよう、料理も皿の中で多様性を持たせました。クレソンは水温が低い今の時期は、ワサビのような辛味がありますので、これで口の中をリセットして多彩な味わい方をお楽しみ頂けます」と複雑な計算が潜んでいることを教えてくれました。

「フランス料理には型があるが、ここにはそれがない。それこそ前田シェフの本質」と堀木さん。

「自分が行かないと嘘になる」と毎朝5時過ぎに市場に通う前田シェフ。

料理と和紙。ジャンルは違うが、ものづくりに挑む姿勢は驚くほど共通していたふたり。

MOTOÏ × 堀木エリ子誰かを思う心が、思いがけない力を生む。

これまでに何度か堀木さんが店を訪れ、互いに面識はあったふたり。実はそれ以前にも、ふたりが交差したタイミングがありました。それは前田シェフがかつて働いた期間限定レストランでのこと。

「レストランとして使っていた空間に、堀木さんの作品が飾られていたんです。光の加減によって見え方が変わる和紙。こんな美しいものを見ながら仕事ができるなんて、と幸せに思っていたことを覚えています」そう振り返る前田シェフ。

「誰かに見てもらうこと、誰かを喜ばせること、それがものづくりの基本ですから、そのお言葉はとてもうれしいです。そして前田シェフもきっと同じなのだと思います。先日“餃子”を食べて確信しました」。

堀木さんが話す「餃子」とは前田シェフが手掛け、2020年11月にオープンしたばかりの新店、その名も『モトイギョーザ』のこと。

「はじめはフレンチの前田シェフが餃子と聞いて驚いたのですが、お話を聞いて納得しました。家族のために家で作っていた餃子が起点なんですね」。

「その通りです。この社会情勢のなかで何かできることはないか、と考えていたときに、前から娘のために作っていた餃子を思い出しました。いつも早朝から仕入れに出かけ、帰るのは深夜。もっと娘の笑顔が見たいと、毎晩、娘の好きな餃子を試作しました。ニンニクを使わず、好物のパクチーとエビを入れて、もちろん無添加で。それが形になったのが『モトイギョーザ』です」と前田シェフ。

誰かのためになら、もっとがんばれる。そんな堀木さんの思いは、目の前のグラスを満たすシャンパーニュにも及びます。

「シャンパーニュも同じですね。十字軍で遠征したエルサレムで兵士が口にしたブドウ酒。それがおいしくて、故郷の皆にも伝えたい、と苗木を持ち帰ったのがシャンパーニュのはじまりですから。自分のためではなく誰かのため。それが思わぬ力を生むのかもしれませんね」。

「京都でやる、イコール京都の文化を伝えていくこと。その部分は大切にしたい」と前田シェフは語った。

空間設計にデザイナーは入れず、すべて前田シェフの思い描いた通りに設えたという。

フランス料理、和紙、シャンパーニュ、町家。どれも伝統を守り、今の時代に合わせて表現し、伝えていくもの。

MOTOÏ × 堀木エリ子なぜ? を考え続けることが次へのステップに。

偶然も必然も含め、幾度も互いの歩みが交差した前田シェフと堀木さん。同じ京都を拠点とし、そしてものづくりに向き合う姿勢にも多くの共通点がありました。

たとえば、今回堀木さんが手掛けた「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のギフトパッケージは、熨斗のように箱を包む形。これは「紙で包むことにより物を浄化して人に差し上げる」という日本古来の文化を取り入れた表現です。

一方、前田シェフのコースに箸を使う料理が登場する際、箸はゲストの正面に横向きに置かれます。これも結界を意味する日本古来の作法。「なぜそうするのか、を常に考えます。他のレストランに行くときも、食材の組み合わせやソースを“なぜ”使っているのか、と考えます」という前田シェフの言葉に、堀木さんも深くうなずきます。

「例えば、居心地の悪い喫茶店があったとして、普通ならもう行かなければ良いだけのことですよね。でも私は友人と話しながら頭の片隅で、“なぜ居心地が悪いのか”を考えてしまうんです。そして“自分だったらこうしてみよう”というアイデアが生まれる。常に考え続けること、それが思いの深さなのでしょう」と堀木さん。

京都という特別な地を舞台にする理由。受け継がれる伝統の捉え方と、その上に成り立つ革新の意味。今の時代を反映し、未来につなげるものづくり。

深く深く掘り下げていく似た者同士のふたりの会話は、まるで自分自身に問いかけているようでもありました。

愛情、おもてなし、思いやり。ふたりの間で多くの言葉が語られたが、その本質はどれも「誰かを思う心」で共通していた。

住所:京都市中京区富小路二条下ル俵屋町186 MAP
TEL:075-231-0709
https://kyoto-motoi.com/

1962年京都生まれ。高校卒業後、4年間の銀行勤務を経て、京都の和紙関連会社に転職。これを機に和紙の世界へと足を踏み入れる。以後、「成田国際空港第一ターミナル」到着ロビーや「東京ミッドタウン」などのパブリックスペース、さらには、旧「そごう心斎橋本店」や「ザ・ペニンシュラ東京」など、デパートやホテルの建築空間に作品を展開。また、「カーネギーホール」(ニューヨーク)での「YO-YOMAチェロコンサート」舞台美術や、「ハノーバー国際博覧会」(ドイツ)に出展した和紙で制作された車「ランタンカー‘螢’」など、様々な分野においても和紙の新しい表現に取り組む。「日本建築美術工芸協会賞」、「インテリアプランニング国土交通大臣賞」、「日本現代藝術奨励賞」、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」、「女性起業家大賞」など、受賞歴も多数。近著に『和紙のある空間-堀木エリ子作品集』(エーアンドユー)がある。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

(supported by TAITTINGER)

好きな風景

皆様こんにちは( ´ ▽ ` )

デニムストリートは倉敷に市にありまして、倉敷といえば観光地で美観地区が有名ですがもう一つおすすめスポットを紹介します(・∀・)



水島展望台という場所から見た夜景が


サイッコーなんですよ(*゚▽゚*)

見えている景色は水島工業地帯という24時間稼働している工場の夜景です!

美観地区から車で30分ぐらいで着いてジーンズの聖地である児島の近くになります。

カップルで行くもよし、バイカーさんはツーリングで行くもよしでおすすめスポットです(*゚▽゚*)

昼は是非デニムストリートに寄って買い物を楽しんでもらい、夜は夜景を楽しむと言うのがオススメです!

「人類は地球を制御できない。今こそ、人類のサイクルから地球のサイクルへ」デザイナー・皆川 明

「コロナ禍において、日常は奪われてしまいましたが、一方で何気ない日常の有り難さを再考できました」と皆川 明氏。Photograph:Shoji Onuma

皆川 明 インタビュー不思議な時間の中、もの作りは進んでいった。

「このシーズンは、私たちにとって不思議な時間の中でものづくりが進んでいきました。今在る不安はどこまで続くのか、それはどのように晴れていくのか。その中で浮かぶ風景は雲の合間から、刺す光の景色や生き物が微かに、しかし途切れることのない繋がりを持つようなイメージでした。そして過去の様々な困難を乗り越えてきたこと、それが次の世界へと繋がる扉であることを信じる気持ちが湧いてきました。デザインは、マイナスの要因がある時こそ大切な拠り所になりたいと思います。このシーズンが皆さまの日々の暮らしの新しい喜びのひとかけらとなることを願いながら」。

この言葉は、『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』が「2021 Spring/Summer Collection after rainを発表した際に添えられたメッセージでデザイナーの皆川明氏が書いたものです。

その「不思議な時間」を指す主は、新型コロナウイルスによる様々な変化。

今なお、その渦中にありますが、この難局をただの難局だったという過去にしてはいけません。

「after rain」……、止まない雨はない。雨上がりの先には、一体どんな景色が待っているのか。

皆川氏と共に、考えていきたいと思います。

「2021 Spring/Summer Collection after rain」より。自然に溶け込むテキスタイルやデザイン、柔らかな質感が美しい。Photographs:Hua Wang Hair & Make-up:Yoshikazu Miyamoto Model left:Marianna Seki Model right:Kamimila

皆川 明 インタビューゼロイチだけではない。イチ以降も蓄積されるデザイン。

『ミナ ペルホネン』の特徴は、オリジナルの図案によるファブリックを作るところから服作りを進めることにあり、その表現はファッションの領域を超え、多岐にわたります。

インテリアでは、アルヴァ・アアルトやハンス J・ウェグナー、アルネ・ヤコブセンなどが手がける名作家具とのコラボレーションを発表。坂倉準三や柳宗理、剣持勇などで知られる『天童木工』やジョージ・ナカシマで知られる『桜製作所』では、椅子などのデザインを自ら手掛けます。そのほか、デンマークの『Kvadrat(クヴァドラ)』、スウェーデンの『KLIPPAN(クリッパン)』といったテキスタイルブランドやイタリアの陶磁器ブランド『GINORI 1735 (リジノ1735)』へのデザイン提供、テーブルウェアや雑貨のデザイン、新聞や雑誌の挿画の制作、更には、香川県豊島の一日一組の宿『UMITOTA(ウミトタ)』ではディレクションを担います。

その全てのデザインを可能にするのは、前述にある「ファブリックを作るところから服作りを進める」哲学にあると思います。つまり、ゼロからの創造です。しかし、それだけではないのが『ミナ ペルホネン』。

例えば、一般的なファッションブランドは、各年の春夏・秋冬の発表からシーズン後のセールという定常に対し、『ミナ ペルホネン』は同じデザインの服を何年も作り続けています。また、皆川氏が手掛けた『金沢21世紀美術館』のスタッフユニフォームにはパッチワークを採用。その理由に「穴が空いたり破れたりしても補修が目立たず、長く着ることができるデザインを考えました」と話します。ゼロイチから創造されたものは、イチ以降も蓄積を重ね、歳と共に生きていきます。いや、それ以上かもしれません。なぜなら、「ものは人の命よりも遥かに長く生き続けるから」です。

昨今、サスティナブルという言葉が市民権を得ましたが、皆川氏は、もっと以前より、その思考を持って『ミナ ペルホネン』をスタートしていたのです。

『Fritz Hansen(フリッツ・ハンセン)』社により作られている「Series 7」の60周年を記念して誕生したラインナップ。アルネ・ヤコブセンが「Series 7」のために選んだ色から皆川氏がインスピレーションを得て、経年変化を楽しめるテキスタイル「-dop-」から6色を選択。パッチワークにて仕上げた作品。Photograph:Kotaro Tanaka

桜製作所と共に製作した「lotus stool」。「公園の池に揺られる背の高い蓮からインスピレーションを受け作りました」と皆川氏。Photograph:Koji Honda

デンマークの『クヴァドラ』(左)やスウェーデンの『クリッパン』(右)にもテキスタイルデザインを提供。Photograph left:Patricia Parinejad

香川県豊島の一日一組の宿『ウミトタ』では、ディレクションを担う。『ミナ ペルホネン』のテキスタイルに囲まれて過ごす時間は、より一層特別な宿泊体験となるだろう。設計は、『シンプリティ』の緒方慎一郎氏が手がける。Photograph:L . A . TOMARI

皆川 明 インタビュー
天然資源には限りがある。地球の循環を理解し、100年先も「つづく」社会へ。

『ミナ ペルホネン』の前身となる『ミナ』を創設したのは1995年。「せめて100年つづくブランドに」という思いから始まったその歩みは、2020年に25周年を迎えました。2019年11月16日から2020年2月16日まで『東京都現代美術館』にて開催された『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』は、その集大成と言って良いでしょう。

その会期終了間際に世界を震撼させたのが新型コロナウイルスだったのです。「まさかこんなことになるなんて……」。今なお「つづく」誰もが予想しなかった難局と同年に周年を迎えた『ミナ ペルホネン』は、今後、どう「つづく」のか。

同展覧会にはこれまでの歩みも年表として描かれ、その最後は、創設から100年先の2095年という未来に向けられています。その項目には、「過ぎた100年を根としてこれからの100年を続けたい」というメッセージが綴られていました。

人類は、新型コロナウイルスから何かを学び、それを根にできるのか。そして、100年後には、どんな世界が続いているのか。

「ものを作るということは、それを伝えるということまでを含んでおり、その伝えるという方法が新型コロナウイルス後は大きく変化したと思います。それについては、新たな方法を考える喜びになっています。生活は、海外への渡航がなくなり、未知の土地や文化の体験ができないようにも感じていましたが、身近な人との新たな関係や日々の小さな要素からの気づきが増えたと思います。どんなに世界が変わってしまっても、大切なことは変わりません。デザインによって暮らしの喜びは生まれ、そこから更に生まれる記憶が人生に幸福感をもたらすと信じています」。

消費するものではなく、生産するもの。
作る先にある、直すことまで目を向ける。

ある意味、人類は地球を支配してしまったのかもしれません。いや、支配できたと勘違いしてしまったのかもしれません。

それに気づきを与えたのが、新型コロナウイルスだったのではないでしょうか。

これから人類は、どう生きるべきか。

「地球の変化に耳を傾け、人間の作ったサイクルを地球全体のサイクルと整合させていく必要があると思います。それには、肥大した欲の制御と本質的な幸福感への理解が必要されるのではないでしょうか」。

2019年11月16日から2020年2月16日まで『東京都現代美術館』にて開催された『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』は、『ミナ ペルホネン』と皆川氏の集大成とも言える展覧会。テキスタイル、ファッション、インテリアなど、ありとあらゆる作品が一堂に会した。写真は、2020年7月30日から11月8日まで『兵庫県立美術館』にて開催された特別展『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』の「雲セクション」展示風景。Photograph:L . A . TOMARI

産地、手仕事、職人を大切にしている『ミナ ペルホネン』。どんなにテクノロジーが発達しても、丁寧なもの作りに勝るものはない。Photograph:L . A . TOMARI

皆川 明 インタビュー
全世界が同時に恐怖を知った。その真実を人類は生かさなければいけない。

新型コロナウイルスの特徴は数あれど、人類が迎えた難局の特徴はひとつ。それは、この問題が世界同時に発生したということです。日本のみ、アジアのみ、アメリカのみ、ヨーロッパのみなど、ある特定の国や地域で発生する件であれば、これまでもしかり、今後も可能性としてはありうると思います。しかし、全世界が同時に恐怖を知る難局は、これからの事例としても稀有なのではないでしょうか。

「全世界、同時に問題が発生したことを人類は未来に生かさなければいけないと思います。人類は地球をコントロールできるという認識を改め、経済性グローバリズムの次の世界を見つける機会と捉えるべきだと思います」。

地球環境は、ファッションとは切り離せない世界。コットンやリネン、ウールなど、原料となるほとんどは、自然から生まれます。

「多くの天然素材が使われるファッションは、その原料となる自然物を保護し、その環境を守りながら利用させていただかなければいけません。それは量だけではなく、生態系のバランスへの配慮も必要です。生産量は、許容される範囲に絞り、経済合理性による環境破壊をしてはいけません」。

人の活動停止により、自然は生命力が漲りました。澄んだ空気、透き通る海や運河、希少な生き物における繁殖率の増加など、世界各地で好転現象は見られています。皮肉なことに、新型コロナウイルスによって窮地に立たされているのは、人類のみ。

一方、コミュニケーションのためにテクノロジーの進化を加速させました。SNSやオンラインなどは、その好例ですが、同時に進化するスピードに使い手は追いつけず、モラルや道徳心も必要とされます。

「テクノロジーを正しく取り入れることにより、人と人をつなぎ、互いのプラスをつなぎ、より良い社会は創造できると思います。例えば、デザイナー、製造業、職人を適正にするシステムを世界的につなぐことができれば、人の特性をより生かし、テクノロジーが人を生かす社会も作れると思います」。

もちろん、そこには想いや心、愛は必要不可欠であり、いつの時代においても普遍的な価値は命から生まれます。

「デザインとは、作り手において作るという喜びを、使い手において使うという喜びを、同時に創造する行為だと思います。それが自分にとってのデザインです。コロナ禍において、日常は奪われてしまいましたが、一方で何気ない日常の有り難さを再考できました。何のために活動し続けるのか、表現し続けるのか、その先にあるものは何か……。色々、考えるきっかけにもなりました。自分は、喜びの循環と物質的循環の両輪を思考し、具体化することをデザインで表現したい。その先には、経済的価値から生きることの意味に向き合う未来があると信じているからです」。

1967年生まれ。1995年に『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』の前身である『minä』を設立。ハンドドローイングを主とする手作業の図案によるテキスタイルデザインを中心に、衣服をはじめ、家具や器、店舗や宿の空間ディレクションなど、日常に寄り添うデザイン活動を行っている。デンマークの『Kvadrat(クヴァドラ)』、スウェーデン『KLIPPAN(クリッパン)』などのテキスタイルブランド、イタリアの陶磁器ブランド『GINORI 1735 (リジノ1735)』へのデザイン提供、新聞・雑誌の挿画なども手掛ける。
https://www.mina-perhonen.jp
 
Text:YUICHI KIRAMOCHI

栃木レザー ミニトラッカーウォレット

ミニトラッカーウォレットがリニューアルして,新色追加で再登場!

  • 【IHG-082】栃木レザー トラッカーウォレットのミニサイズ版です
  • ポケットにすっぽり収まるサイズ感で、上着の内ポケットにも入ります
  • 背面、内側のカード入れは逆さにしても落ちないよう一般的なカードのジャストサイズ設定です
  • カード入れが2ヶ所とフラップ付きのメイン気室で構成されています
  • ミニウォレットやパスケース、また名刺入れ等小さいながらに用途の広い商品です
  • 各パーツは真鍮で表のボタン、センター部分にはアイアンハートの刻印入りです
  • ハトメを付けているのでウォレットチェーンやキーホルダー等も付けられるようにしています

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うこと。それはコロナ禍においても変わらない」SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE/山中大介

「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。

旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。

それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うことでした。一次産業の衰退、労働人口の流出に伴う少子高齢化と全国の地方都市の例にもれず、鶴岡も多くの問題を抱えています。それらをひとつずつ解決しながら、魅力溢れる鶴岡を次世代に継承したい」と山中氏。

『スイデンテラス』は、そんな町づくりの中核施設としての役割も担っているのです。

その名のとおり、水田に浮かぶかのようなホテルは、総客室数119室。開業当時と比べ、大きな違いは団体客の激減。理由は周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

「以前は、団体旅行の方も多くいらっしゃっていましたが、新型コロナウイルス後は、より個人や少人数、小グループの旅行へと変化していきました。 また、遠方からおいでになる方が減った一方で、山形県内や東北、新潟などの隣県から訪れていただけるお客様が増えました。中でも、同じ庄内エリアにお住まいの方が、わざわざお泊りに来ていただけたことも、特徴的でした」。

『スイデンテラス』に限らず、ゲスト特性の変化は各地で見られます。地元や近県からの来訪者が増えているのは、その最たる例と言えます。

一方、ホテル側は万全の感染症対策を実施。安心安全に最善を尽くしています。とりわけ、『スイデンテラス』においては、細部にわたり徹底。食事のスタイルから設備投資など、早い判断力と行動力は、山中氏の手腕が光ります。

「コロナ禍でも、安心して滞在いただけるよう、食事の提供方法の見直し、滞在空間でのコロナ対策を徹底しています。特に、食事の部分では、個別に食事を取っていただけるように個室レストランを新たに設け、夜の食事は、お重に入れて個別に提供し、希望する方は、客室で食事が取れる形に変えました。また、昼ごはんは、テイクアウト可能なメニューを開発し、そのまま、お弁当として持ち帰れるようにしています。そのほかの施設面では、同居家族や友人家族のグループ利用に対応するため、コネクティングルームを新設しました。細かなところですが、ご案内や精算等の積極的なデジタル化にも取り組み、感染予防に努めております。新たな旅行の形にも対応し、ワーケーションの取り組みも始めました」。

以前、『ONESTORY』の取材時、山中氏は、地方創生のあり方のひとつとして「当事者になることが大切」だと話しています。これは、地方創生に限らず、今回の新型コロナウイルスに関しても同様なのではないでしょうか。この難局にどう当事者意識を持てるのか。自分ごと化できるのか。決して、対岸の火事ではありません。

「まず、新型コロナウイルスそのものを理解することは必要だと思っています。中国武漢での感染者確認から丸一年以上が経過しており、一定の信頼ある統計データが取れると思います。是非、感染者や死亡者の傾向を分析し、冷静な情報として社会に還元し、適切な対策を施していただきたいと思います」。

しかし、世界を難局にもたらした正体を知ること以上に恐れていること、それは人間が持つ本性による社会の歪みかもしれません。

「人が受ける差別が一番怖いと感じています。経済も命であり、若者の自殺者数の増加に心を痛めています。With/afterコロナ社会など、様々言われていますが、私は人間らしい生活を求め続けたいと思います。必要なことは、自らの免疫を高め続けることと、未来に希望を持つことです。『スイデンテラス』も、コロナ禍の影響を乗り越え、ハード/ソフト両面で進化し続けます。少し今の生活に疲れてしまったら、是非、山形庄内に人間らしい時間を求め、遊びにいらしてください。みんなで一緒に頑張りましょう!」

夕暮れ時、室内の光を漏らす建物が空模様とともに水盤に映る様子は、ため息が出るほどの美しさ。正面がフロントやレストランなどがある共用棟、その左が客室棟。左端のドーム型の建物がスパ&フィットネス棟。

田園ビューテラス付きダブルルーム(22㎡)
特徴的なピクチャーウィンドウからは、四季折々の風景が一望できる。

ファミリー(87㎡)のリビング。大人5名様まで宿泊できるため、ファミリーやグループでの利用がおすすめ。

米どころ・庄内平野に立つロケーション。実りの秋は、見渡す限りの水田が黄金色に染まる。人類がどんなに新型コロナウイルスに翻弄されようと、自然界のサイクルは変わることなく季節は訪れる。むしろ、人の活動停止によって自然は元気になったのかもしれない。

鶴岡に移住した後、2児に恵まれ、3人姉妹の父親となった山中氏。前回の取材時では「課題は解決するためにある」と話すも、新型コロナウイルスによって新たな課題も山のように浮上。しかし、常に山中氏は前向き。「またお客様と再会できるのを楽しみにしています。我々は、安心してお泊まりいただけるよう、万全の準備をしてお待ちしております」。

住所:山形県鶴岡市北京田字下鳥ノ巣23-1 MAP
電話:0235-25-7424
https://www.suiden-terrasse.yamagata-design.com

Text:YUICHI KURAMOCHI

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うこと。それはコロナ禍においても変わらない」SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE/山中大介

「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。

旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。

それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うことでした。一次産業の衰退、労働人口の流出に伴う少子高齢化と全国の地方都市の例にもれず、鶴岡も多くの問題を抱えています。それらをひとつずつ解決しながら、魅力溢れる鶴岡を次世代に継承したい」と山中氏。

『スイデンテラス』は、そんな町づくりの中核施設としての役割も担っているのです。

その名のとおり、水田に浮かぶかのようなホテルは、総客室数119室。開業当時と比べ、大きな違いは団体客の激減。理由は周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

「以前は、団体旅行の方も多くいらっしゃっていましたが、新型コロナウイルス後は、より個人や少人数、小グループの旅行へと変化していきました。 また、遠方からおいでになる方が減った一方で、山形県内や東北、新潟などの隣県から訪れていただけるお客様が増えました。中でも、同じ庄内エリアにお住まいの方が、わざわざお泊りに来ていただけたことも、特徴的でした」。

『スイデンテラス』に限らず、ゲスト特性の変化は各地で見られます。地元や近県からの来訪者が増えているのは、その最たる例と言えます。

一方、ホテル側は万全の感染症対策を実施。安心安全に最善を尽くしています。とりわけ、『スイデンテラス』においては、細部にわたり徹底。食事のスタイルから設備投資など、早い判断力と行動力は、山中氏の手腕が光ります。

「コロナ禍でも、安心して滞在いただけるよう、食事の提供方法の見直し、滞在空間でのコロナ対策を徹底しています。特に、食事の部分では、個別に食事を取っていただけるように個室レストランを新たに設け、夜の食事は、お重に入れて個別に提供し、希望する方は、客室で食事が取れる形に変えました。また、昼ごはんは、テイクアウト可能なメニューを開発し、そのまま、お弁当として持ち帰れるようにしています。そのほかの施設面では、同居家族や友人家族のグループ利用に対応するため、コネクティングルームを新設しました。細かなところですが、ご案内や精算等の積極的なデジタル化にも取り組み、感染予防に努めております。新たな旅行の形にも対応し、ワーケーションの取り組みも始めました」。

以前、『ONESTORY』の取材時、山中氏は、地方創生のあり方のひとつとして「当事者になることが大切」だと話しています。これは、地方創生に限らず、今回の新型コロナウイルスに関しても同様なのではないでしょうか。この難局にどう当事者意識を持てるのか。自分ごと化できるのか。決して、対岸の火事ではありません。

「まず、新型コロナウイルスそのものを理解することは必要だと思っています。中国武漢での感染者確認から丸一年以上が経過しており、一定の信頼ある統計データが取れると思います。是非、感染者や死亡者の傾向を分析し、冷静な情報として社会に還元し、適切な対策を施していただきたいと思います」。

しかし、世界を難局にもたらした正体を知ること以上に恐れていること、それは人間が持つ本性による社会の歪みかもしれません。

「人が受ける差別が一番怖いと感じています。経済も命であり、若者の自殺者数の増加に心を痛めています。With/afterコロナ社会など、様々言われていますが、私は人間らしい生活を求め続けたいと思います。必要なことは、自らの免疫を高め続けることと、未来に希望を持つことです。『スイデンテラス』も、コロナ禍の影響を乗り越え、ハード/ソフト両面で進化し続けます。少し今の生活に疲れてしまったら、是非、山形庄内に人間らしい時間を求め、遊びにいらしてください。みんなで一緒に頑張りましょう!」

夕暮れ時、室内の光を漏らす建物が空模様とともに水盤に映る様子は、ため息が出るほどの美しさ。正面がフロントやレストランなどがある共用棟、その左が客室棟。左端のドーム型の建物がスパ&フィットネス棟。

田園ビューテラス付きダブルルーム(22㎡)
特徴的なピクチャーウィンドウからは、四季折々の風景が一望できる。

ファミリー(87㎡)のリビング。大人5名様まで宿泊できるため、ファミリーやグループでの利用がおすすめ。

米どころ・庄内平野に立つロケーション。実りの秋は、見渡す限りの水田が黄金色に染まる。人類がどんなに新型コロナウイルスに翻弄されようと、自然界のサイクルは変わることなく季節は訪れる。むしろ、人の活動停止によって自然は元気になったのかもしれない。

鶴岡に移住した後、2児に恵まれ、3人姉妹の父親となった山中氏。前回の取材時では「課題は解決するためにある」と話すも、新型コロナウイルスによって新たな課題も山のように浮上。しかし、常に山中氏は前向き。「またお客様と再会できるのを楽しみにしています。我々は、安心してお泊まりいただけるよう、万全の準備をしてお待ちしております」。

住所:山形県鶴岡市北京田字下鳥ノ巣23-1 MAP
電話:0235-25-7424
https://www.suiden-terrasse.yamagata-design.com

Text:YUICHI KURAMOCHI

ものを結び、人を結び、ことを結ぶ。意志あるところに道は拓ける。

「全てが急務なのは、日本だけでなく全世界共通。『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトがスピード感を持って遂行できたことは、コロナ禍だったからだと思います。この感覚は、今後の社会にも活かすべきだと思います」と鈴木さん。

困ったときほど美味しいものを!

大阪=食の街? くいだおれの街? それならば、困ったときほどおいしいを貫く。

2020年2月より、新型コロナウイルスは、世界中に感染拡大。今なお、終息の目処は立たず、困惑する日々が続いています。

テレワーク、自粛、緊急事態宣言など、これまで経験したことのない生活は、人々から日常を奪い、それによって経済は破綻。苦難する業界は多々あるも、メディアの報道も手伝い、飲食業界がそのひとつであることは周知の通りです。

政府による保証や支援があるも、状況は店によって異なるため、一律では解決できない問題もあります。飲食店の難局は、一次産業の難局にもつながるため、出口の見えない不協和音は拡がる一方。

しかし、手放しに営業や集客を正義と見せるのは困難を極め、やはり医療現場の改善こそ急務を要します。

飲食店も応援したい、医療従事者も応援したい。何かできないか。

そんな時に立ち上がったのが、大阪を活動拠点に置く『Office musubi』代表の鈴木裕子さんです。

鈴木さんは、食を通して様々を結び、日本初のフードビジネスインキュベーター『OSAKA FOOD LAB(大阪フードラボ)』も運営。シェフや料理を通してチャレンジしたい人々の場を創造し、大阪のフードシーンに活気をもたらせている人物です。

大阪といえば、名レストラン『HAJIME』の米田 肇シェフが行った署名活動は記憶に新しく、鈴木さんは、同活動における影の立役者でもありました。

そして、同時進行していたプロジェクトこそ、今回の主である『困ったときほど美味しいものを!』だったのです。

2020年5月、「食を通して医療従事者を支援できないか」と同プロジェクトを立案。『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動させます。内容は、同機構が各飲食店より食事を買い取り、医療従事者の方々へおいしい食事を無償で届ける活動です。

「医療従事者に元気になってもらいたい。せめて、おいしい食事を食べて欲しい。そんな想いから始めた活動ですが、続けられる仕組みがないと一過性のものになってしまうと思いました。『困ったときほど美味しいものを!』は、食事を買い取ることによって飲食店への支援にもつながり、一次産業の支援にもつながります。更に、このプロジェクトは、本件だけでなく、今後起こりうる災害時などにも有用できると思っています」。

実は、立案から本格始動の間は、『Office musubi』の持ち出しで食事の買い取りを行い、医療現場へ配達。そこまでしても「早急にやるべき」だと鈴木さんは判断したのです。

「色々な方々にアドバイスをいただきながら、複数の医療機関にもコンタクトを取り、手探りから始めました。通常であれば、立ち上げまで時間がかかっていましたが、様々な機関と共にスピード感を持って遂行できたのは、コロナ禍だったからだと考えます。今やらないと間に合わない。時間をかけては意味がない。今は、そんなことが受け入れられている時期。これは社会全体として今後も活かすべきだと思います」。

その情熱は、飲食店にも連鎖。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々が参画します。

さらには、一次産業にも連鎖。

大阪だけでなく、近県へと輪は拡がり、「是非、応援したい!」、「今回のプロジェクトのために使ってください!」、「医療従事者のためなら!」と、新鮮な食材が届きます。

京都府右京区『吉田農園』の棚田米。和歌山県日高郡由良町『数見農園』の清見オレンジ、甘夏みかん、八朔。和歌山県みなべ町『なかはや果樹園』の梅干し、ミニトマト。和歌山県有田郡湯浅町『善兵衛農園』の三宝柑、和歌山県田辺市龍神村『Tofu&Botanical Kitchen LOIN(ルアン)』の豆腐、しいたけ。和歌山県和歌山市『小川農園』のフェンネル、生姜、菜の花……。

「『困ったときほど美味しいものを!』は、自分たちの想像をはるかに超えたものになっていると実感しています。大阪は、“食の街”、“くいだおれの街”と謳われていますが、それならば、困ったときほどおいしいを貫くべき。どんな時でもおいしいものを提供したい、おいしいものを食べられる街にしたい。そんな食の仕組み、インフラが今回のプロジェクトです。これで終わりではありません。まだまだこれから。大阪の食を、日本の食を、世界に結ぶために、私は活動し続けます」。

取材当日に送られてきたのは、京都府右京区『吉田農園』の棚田米。鈴木さん、シェフだけでなく、「おいしい」の裏側には様々な人の想いが込められている。

 取材後、鈴木さんのもとに送られてきた果物は、和歌山県日高郡由良町『数見農園』の清見オレンジ、甘夏みかん、八朔。主催側から支援を募るでもなく、SNSや周囲の活動を知り、自ら連絡をしてくる生産者たち。

 食材を支援していただいた生産者たちをメモし、参画するシェフとも共有。「シェフたちも、どんな生産者が作った食材なのかを理解して料理する方が気持ちは入ります。少しも無駄を出さず、使わせていただいています。本当に感謝しかありません」。

困ったときほど美味しいものを!

私は世界を目指している。それまでのことは、全て通過点。

大学時代、海外への留学経験を持つ鈴木裕子さんは、「振り返れば、あの時に私の生き方は形成されたのかもしれません」と自身を振り返ります。

アメリカはコロラド州デンバーへ。半年の留学のつもりが結局、卒業まで。その後、帰国するかと思いきや就職まで。

鈴木さん曰く、「計画型ではなく、展開型(笑)」の性格は、やや場当たり!? ライブな進路は、帰国後も続きます。

「海外での仕事を経験してきたので、英語を活かせる業務や各国へも行き来できる大手外資系に勤めました。最初は、いわゆるキャリアウーマンとしてバリバリやっている毎日に充実していましたが、ある時、ふと思ったのです。私、歯車の一部になっていないかな?と」。

一度、そう思うと後に引けなくなる性分の鈴木さんは、転職先も決めず、すぐに離職。次は、極端に人数の少ない10人以下の会社を探します。

「最後、どちらか悩んだ2社があったのですが、安定ではなく挑戦している会社を選びました。リスクを取って私も挑戦してみたかったのです」。

その中で、鈴木さんは大きな変化を感じます。

「企業名ではなく、個人名で仕事をしている方々に出会い、能力のある個人は活躍できるのだと知りました。この企業に発注したいのではなく、この人に発注したい。その経験は、今の自分の基礎になっていると思います」。

しかし、その後、業務過多と様々あり、体調を壊してしまい、離職。結婚し、働く環境から身を離れた田舎で専業主婦をしていたことも。しばしの時を経て「ゆっくりこれからのことを考えよう」と思っていた時、以前、付き合いのあった経産省より一本の連絡が。新たに発足するプロジェクトのメンバーへの誘いです。

それは、『2005年日本国際博覧会(The 2005 World Exposition, Aichi, Japan)』、通称『愛知万博』を視野に立ち上がった『グレーターナゴヤイニシアティブ』でした。

愛知県は、鈴木さんの故郷でもあります。

「今もそうですが、本当に周囲に支えられています。『グレーターナゴヤイニシアティブ』には、約2年間携わりました。その後、これからどうしようかと思っていたら……。今度は、同プロジェクトにも参画していた『JETRO(ジェトロ)』より声をかけていただき、民間アドバイザーとしてご一緒することになりました。当時の『ジェトロ』は、車や機械ばかりを取り扱い、なぜ食をやらないんだろうなと漠然に思っていました。そんな時、政府が農水産物輸出を強化していく指針を発表し、私も食を中心に海外日本誘致も取り組んでいました。そこでレストランや食関係の方々と多く出会うようになったのです。みんなピュアな人たちで、ただおいしいものを作りたい、誰かに食べてもらいたい。喜ぶ顔を見たい。そう思っているシェフや生産者の働く姿や生きる姿を見て、自分の価値観が変わりました。働くことは生きることだと思います。であれば、好きな方々とご一緒したい。時間を過ごしたい。そう思いました」。

『ジェトロ』では、約2年半勤務。シェフでもない、農家でもない、生産者でもない鈴木さんは、どうすれば食を通して社会に貢献できるのか考えます。

「これまでの経験を活かし、食専門のマーケティングならできるかも!と思いました。最初は周囲に反対されましたが、反対されるってことは誰もやってないということですし(笑)」。

反対……。誰かが良いと判を押したものに良いと言える人はいても、最初の一歩を踏み出す人がいないのは日本人特有の性格。鈴木さんにそれがないのは、豊富な海外経験が他所と大きな差を生みます。

2009年独立、2011年『Office musubi』設立。

「会社設立後、最初のお客様は2社。どちらも『ジェトロ』の時に出会った方です。実は、今でもお取り引きさせていただいています」。

あの時、感じたことが頭をよぎります。「企業名」ではなく、「個人名」として、働く、生きる、その一歩を踏み出したのです。

近年では、前述の通り、大阪市北区中津の阪急高架下に『阪急電鉄』主催の『大阪フードラボ』を運営。飲食店の開業・起業や新規事業立ち上げに必要なノウハウを習得できる「育成プログラム」や「ビジネスマッチング」の機会を提供しています。

一見、多様なイベントスペースのように見紛うも、全てに共通していることは「挑戦」。日本初のフードビジネスインキュベーターの場こそ、『大阪フードラボ』なのです。

知名度を一気に上げたのは、ニューヨーク・ブルックリンで人気の移動型ファーマーズマーケット『SMORGASBURG(スモーガズバーグ)』の誘致でした。

「何事も徹底的にやらないと気が済まない性分で(笑)。『困ったときほど美味しいものを!』は、こんな難局を迎えても、シェフの活躍する舞台を作りたかった。自分たちでも医療従事者の方々を救えるんだという自信にも繋げてほしいと思った。お店を開けない、予約がない。みんなの苦しい姿を見ていますが、待っていても先が見えるわけではありません。であれば、掴みにいくしかない。私は私で、今回のプロジェクトをきっかけに、日が当たらない部分とより向き合うことができ、学びも多かったです。どこか一遍だけを切り取ってもいけない。何に基づいて活動しているのか、発信しているのか。何に基づいて大変なのか、苦しいのか。『大阪フードラボ』も考え方は同じです。受け身ではない、挑戦したい人が集う能動的な場所。日本はガラパゴスゆえ守られてきたものはありますが、人種や国境を超えてコミュニケーションしていく仕組みや戦い方は、まだ未成熟だと感じています。日本の当たり前は世界の当たり前ではない。安心感で群れることも良くないと思います」。

世界では、ひとつの街に様々な人種が暮らし、働き、生きる環境が形成されています。ゆえに各々が生まれた国や街への文化、歴史に対しての経緯が生まれ、多様性が創造されるのです。一方、地域によっては格差社会がはっきりしている現状もありますが、それでも真っ平らに同じ目線でいられる場所があります。それは「食卓」です。

「食卓を囲めば、みんなにこやか。世界共通、おいしいものを食べて嫌な思いする人はいませんよね? 性別や役職などは取り払われ、ファーストネームで呼び合える関係すら築けてしまうこともあります。おいしいは理屈じゃない。言語を超える。食べることは生きること。それは人としての本能。原動力にもなっている」。

『Office musubi』には、ものを結ぶ、人を結ぶ、ことを結ぶなど、「結ぶ」という想いを込めていますが、実はもうひとつメッセージが隠されています。それは、あえて大文字で記した頭文字の「O」と「musubi」を合わせた「おむすび」です。

「日本の食を世界に発信したいところから始まっているので、何かそれを彷彿させるネーミングにしたくて。私にとって日本の食といえばおむすび。実際、私の会社名は外国で“オムスビ”と呼ばれます。その時におむすびの説明をしてあげると会話も弾みますし、おむすびを通して、日本の文化や郷土を伝えてあげることもできる。もちろん、ご一緒する方々とは、実を“結ぶ”までやり遂げたいです」。

好きに勝るものはない。夢中に勝るものはない。

そんな心が鈴木さんを動かし、また周囲を動かしているのかもしれません。

食を通して挑戦する場として運営されている『大阪フードラボ』。これまで卒業した6名の中、開業できた事例もあれば、コロナ禍によって計画変更せざるを得ない事例もある。「彼らのためにも、一刻も早く日常が戻ることを願います」と鈴木さん。

『大阪フードラボ』は、大阪市北区中津の阪急高架下に位置。何もなかった場所に空間を生んだだけでなく、挑戦する人の人生も生んでいる。


Photograohs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

食べることは生きること。今こそ、誰かのために自分たちは生きる。

左より『リヴィ』山田直良シェフ、『ディファランス』藤本義章シェフ、『アニエルドール』藤田晃成シェフ。3人は同世代。常日頃から料理について語り合ってきたライバルであり、親友。今回は、それに戦友という絆も生んだ。

Part.2/Chef Interviews

ひとりではできないことも、3人ならできる。おいしいを信じることができた。

2020年2月より、急遽、世界中を襲った新型コロナウイルス。感染拡大に比例して深刻化されるのは、医療現場の崩壊です。

何とかしなければいけない。自分たちに何ができるのか。

そんな想いから発足されたのが、『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトです。

発信元は、食の都・大阪。

名シェフたちが手がけるお弁当を医療従事者に無償で届けるその活動をオーガナイズするのは、『Office musubi』代表の鈴木祐子さんです。

2020年5月にプロジェクト立案後、『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動。同機構が各飲食店より食事を買い取り、医療従事者の方々へおいしい食事を無償で届けるその活動は、今なお続いています。

参画するのは、星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

中でも、初期より携わっているのは、『アニエルドール』藤田晃成シェフ、『ディファランス』藤本義章シェフ、『リヴィ』山田直良シェフの3名です。

同世代の彼らは、常日頃から結束は強く、今回の件も三枝教訓状、三本の矢の教えのごとく、口を揃えます。

「ひとりではできないことも、3人ならできる」。



鈴木さんのおかげで、自分たちは料理人として誇りを持つことができた。

今回、3人が『困ったときほど美味しいものを!』に参画するきかっけは、プロジェクトの立案者でもある『Office musubi』代表、鈴木祐子さんの呼びかけでした。

「鈴木さんに声をかけていただき、料理で医療従事者の方々を元気にさせることができるならば、むしろ、是非、参加させてください! そんな想いでした」と3人。

日本有数の繁華街・大阪は、新型コロナウイルスによって観光客は激減。追い討ちを抱えるように自粛や緊急事態宣言も発令され、飲食業界への補償問題は、救われる人と救われない人が二極化。未だその打開策は見えずとも、「料理人は料理を作りたい」、「料理で誰かを幸せにしたいの」です。

「自分が料理人になったきっかけは、人に喜んでもらうためでした。コロナ禍において、それができなくなってしまった。自分たちに何ができるのか、何をするべきなのか。未だ何が正しいのかその正解は分かりませんが、一番良くないことは何もしないこと。医療従事者の方々においしいお弁当で元気になってほしい。そんな気持ちで作らせていただきました」と山田シェフ。

「おいしいものを作ればお客様にいらしていただける。そう思っていました。しかし、そのおいしいものすら作ることができる日が来るなんて、考えたこともありませんでした。医療従事者の方々にお弁当を作らせていただける環境を与えられたのは本当にありがたく、レストランという環境以外でシェフが社会と関わるきかっけは、自分自身にとっても得ることが大きかったです」と藤田シェフ。

「改めて思ったのは、自分から料理を取ったら何も残らなかったんです。医療崩壊に関しては、ニュースや報道では目にしていましたが、あくまで想像の世界。入院すらしたこともない自分にとっては病院という場所もどこか遠く、今回のプロジェクトに携わるまでは、“わかったつもり”だったという“気付き”も得ました」と藤本シェフ。

藤本シェフの言う「気付き」。それは3人に共通する「気付き」でもあります。その「気付き」とは何か? 得られたきかっけは何だったのか?

「自分たちで作ったお弁当を直接、医療現場へお届けできたことでした」。

3人は、「手渡しできて本当に嬉しかった」、「喜んでいる人の顔を見ることができて、こちらが元気をいただいた」、「料理人で良かった」と、その時のことを振り返ります。

しかし、医療従事者という特定された職種や逼迫した労働環境、酷使された肉体や極限の精神状態の相手に供する料理とレストランで供する料理は、全く異なります。どうすれば「ゲスト」に「おいしい」と感じてもらえるのかではなく、どうすれば「医療従事者」に「おいしい」と感じてもらえるのか。

「まず、栄養をたくさん摂っていただきたいと思い、野菜を多めに取り入れたメニュー構成を考えました。あとは、いつ食べられるかわからないため、冷めてもおいしいもの。お弁当としておいしい料理は何か? 今、医療従事者の方々に必要な食事は何か? を考えました」と藤本シェフ。

「ある医療従事者が食事に関して投稿しているSNSを見たのですが、そこには、“疲れている時は塩分がほしい”、“硬い料理だと疲れてしまうので、柔らかい料理は嬉しい”、“味は濃いめだと今はおいしく感じる”などが綴られていました。やっぱり、自分たちが“おいしい”と思っている料理と今の医療従事者の方々が“おいしい”と感じる料理は違うんだとわかったんです」と山田シェフ。

「せっかくプロの料理人が作るので、普段では食べられないようなお弁当で元気になってもらいたいなと思いました。自分はフランス料理のシェフなので、創作性を加味し、例えば、黒オリーブを使った炊き込みご飯なども作りました。それを見て“わぁ!”って思ってもらえれば、その瞬間だけでも仕事を忘れ、心を癒していただければと。"新鮮な食材"を使うことも心がけました」と藤田シェフ。

前述の通り、自粛、緊急事態宣言、時短営業などによってレストランが厳しい状況であることは容易にしてわかります。そう考えるならば、藤田シェフの言う「新鮮な食材」の起用は一見難しいように感じますが、なぜ実現できるのか。それは生産者からの協力があるからです。

「『困ったときほど美味しいものを!』は、医療従事者へお弁当を届けるという目的から始まりましたが、その領域を超えて大きな輪が広がり始めていると実感しています。何も言わずとも、“是非、参加させてください!”と手をあげてくださるシェフ、“是非、使ってください!”と提供してくださる一次産業の皆さま。大阪の枠を超え、近県の方々にもお力添いをいただき、様々な連鎖が起きています」と鈴木さんは話します。

「レストランも一次産業の方々も、もっと言えば、そうでないほかの色々な業種の方々も、今、みんな辛い。大変だと思います。それでも誰かのために何かしたい。何かしなければいけない。その“誰か”は、今回に関して言えば医療従事者。間違いなく、日本のために身を粉にしてくれています。それに対して各々が“何か”を働く。そんな思いで必死に生きているんだと思います。それが『困ったときほど美味しいものを!』なのかもしれません」と4人。

「なのかもしれません」とあるのは、想像を超えて大きなものになり始めているから。

「困ったときほど」とあるも、みんな困っているはず。しかし、「もっと困っている人がいるから、その人のために」という精神によって、このプロジェクトは成り立っているのです。



料理人としての価値観は変わった。この難局から得るものはあったのか。

新型コロナウイルスによって、人と人とのコミュニケーションは遮断され、人類の日常は奪われてしまいました。そんな中、世界中に好転現象を見せているのは自然界です。

食材は、大地や海から生まれ、日々それと向き合う料理人は密接な絶対関係で結ばれています。

「本来であれば獲れるものが獲れなかったり。またその逆も然り。そういった収穫、漁獲状況を見ると自然に無理が生じていると思います。以前は、この食材と決めたもの一生懸命探して仕入れていましたが、今考えるとそれも無理があったのかもしれません。獲れないわけですから。それよりも、獲れるもので何ができるのか。獲れたものを無駄にしないようにできる料理は何か。そんな視点に変わりました」と藤田シェフ。

「発酵はまさにそれ。今獲れるものでどう長持ちするかを考える。先人たちの知恵ですよね」と山田シェフ。

季節の旬よりも今日の旬。自然の恵みは、人の都合ではコントロールできません。

「頭ではわかっているつもりでも、都会にいるとどこか麻痺してしまう。今回、レストランの営業ができなくなり、料理を作る環境まで失いかけてしまった。料理を作る感謝や生産者さんたちが送ってきてくれる食材への感謝。医療従事者の方々への感謝。様々な感謝によって価値観が変わったと思います。少しくらい歪な食材も無駄にしたくありませんから」と藤本シェフ。

『困ったときほど美味しいものを!』は、困ったときほど、発見をもたらす効果もあったのかもしれません。

「新型コロナウイルスによって、世界中の人が苦しい思いをしている。日本においては、これまで阪神大震災、東日本大震災などの強烈な天災を迎えたこともありました。その都度、考えるべき機会はありましたが、これまでと今回の大きな違いは、日本をはじめ、全世界で同時に難局を迎えたことにあると思います。我々は、同じ時代、同じ時間に、何か考えるきかっけになったのではないでしょうか。全員が当事者。何かを学び、次に生かさなければならない。そんなことも今回のプロジェクトで学ばせていたました」。3人は、じっくりと噛みしめるようにそう話します。

いつかの日常が戻った時、『アニエルドール』、『ディファランス』、『リヴィ』は、確実に深みを帯びたレストランになっているでしょう。

料理としての深み、シェフとしての深み、そして、人としての深み。

それは、困ったときに真摯に向き合った人のみ得られるギフト。

困ったときだからこそ得られたのかもしれません。

Photograohs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

春のオススメ商品

皆様こんにちは( ・∇・)

いかがお過ごしでしょうか??

倉敷では寒い日と暖かい日が行ったりきたりでもう少し春は遠そうです(。-_-。)


暖かい日は半袖を着たいぐらい暖かくなるのですが寒い日は最近雪が降ったりしました(>_<)

さて、これから春に向かっていく中でオススメ商品がこちらです!




女性にオススメワンピースです!

種類は豊富に取り揃えておりまして女性に大人気の商品となっております( ´ ▽ ` )




スタッフに着てもらい写真撮影も行いました(´∀`*)







ワンピース以外にもワイドパンツやスカートなども取り揃えております!

人気デザインは早い者勝ちとなっております╰(*´︶`*)╯♡

まだ終わっていない。戦い続ける医療従事者へ、困ったときほど美味しいものを!

食を通して、医療従事者を元気にしたい。ただ、その想いだけで集まった『困ったときほど美味しいものを!』のプロジェクトメンバー。

Part.1 Chef Interviews

食の都・大阪の団結。星やランキングでは計れない、おいしい価値。

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中は難局に陥りました。約0.1ミクロンのそれは、人々から日常を奪い、政治、経済などを根底から覆しました。

人類史上、経験したことのない猛威は、一瞬にして暗い影を落とし、それによって医療現場は逼迫。2021年2月、日本ではワクチン接種が始まるも、未だその正体は明らかにされていません。

その渦中、なんとか医療従事者を応援したい、元気にしたいと立ち上がったのが、大阪を活動拠点に置く『Office musubi』代表の鈴木裕子さんです。

鈴木さんは、食を通して様々を結び、日本初のフードビジネスインキュベーター『OSAKA FOOD LAB』も運営。シェフや料理を通してチャレンジしたい人々の場を創造し、大阪のフードシーンに活気をもたらせている人物です。

そして、2020年5月、「食を通して医療従事者を支援できないか」と『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトを立案。『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動させます。内容は、医療従事者の方々へおいしいお弁当を無償で届ける活動です。

この企画に食の都・大阪の飲食業会も立ち上がります。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々が参画。

しかし、大阪にも自粛の波はもちろん、緊急事態宣言も発令。時短営業など、飲食店も苦しい状況を強いられています。

では、なぜ参画するのか。目的はただひとつ。食を通して医療従事者を元気にしたい。

利己ではなく利他に。これは大会でもなければコンクールでもありません。

そこには、競い合う「シェフ」ではなく、助け合う「人」の姿がありました。

食だからできることがある。食にしかできないことがある。

「今回のプロジェクトは、今後、起こりうる災害時においても同様の取り組みが実施できるよう、継続的な構築を目指しています」と『Office musubi』鈴木裕子さん。

Part.1 Chef Interviews

落ち込んでいる場合ではない。自分たちよりも救わなければいけない人がいる。

「正直、自粛や緊急事態宣言の発令もあり、飲食店はどこも大変な状況が続いていました。しかし、落ち込んでいても何も始まらない。今できることをしなければ、ただ苦しかっただけで終わってしまう。全て前向きに向き合いたかった。『困ったときほど美味しいものを!』も前向きなプロジェクトなので、是非参加させていただきました」。

そう話すのは、取材日にお弁当作りに励む『市松』店主、竹田英人氏です。しかし、実際にやってみてわかることもしばしば。「美味しいもの(お弁当)は難しい!」と言葉を続けます。

「最初はおいしいものを入れればおいしくなると思っていたのですが、全然違いました。火入れや味付けはお店で出すものとは異なり、出来立て焼き立てと冷めてもおいしいは別問題。試行錯誤しました」。

そんな本日のお弁当は、鶏めしの上におかずがびっしり。つくね、うずら、手羽先、芽キャベツ、ししとう、生姜のきんぴら……。開けた瞬間、おもわずニヤリとしてしまうスマイルマークは「ほんの少しでもホッとしてもらえたら」と、ちょっとしたひと手間。

「お弁当を作ることによって、医療従事者だけでなく、一次産業も救える。生産者を守るには、まずは自分たちが料理を作り続けなければいけない。25年間、大阪で商売をしてきました。今も大切なお客様のおかげでこの店を支えていただいています。だから、今度は自分が誰かを支える番。今、自分にできることで恩返しをしていきたいと思っています」。

 スマイルマークに思わず頬がほころぶお弁当。「火入れや煮込み加減、味付など、お弁当だからおいしくなる工夫を凝らしました」と『市松』竹田英人氏。

『市松』と言えば、つくね。店内で食べる時と同様、竹田氏がひとつ一つ心を込め、丁寧に焼く。

「次また同じようなことがあった時、どうすれば強くなれるかを今回で吸収しなければいけない。試練を乗り越え、強くなりたい」と竹田氏。

Part.1 Chef Interviews

おいしいだけでなく、お弁当を通して季節や移ろいを感じて欲しい。

「こんな時だからこそ、みんなで力を合わせられれば。一致団結することによって医療現場を少しでも救えれば」と話すのは、日本料理の老舗『柏屋』主・総料理長、松尾英明氏です。

「医療従事者の方々は、常に患者と向き合い、昼夜を問わず現場で戦い、身を粉にしています。おそらく、空を見上げることや景色を見る余裕もないかと思います。2020年2月より、新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、約1年。春夏秋冬が過ぎてしまいました。当然、その間には、お花見、クリスマス、年末年始などの催事もありますが、きっとそれらもお楽しみいただけなかったと思います。せめて、お弁当で季節も感じていただけたら。そんな想いで作らせていただきました」。

ごはんに彩りを添える蕗は、まさに旬。そんなおもてなしの心は、お座敷でもお弁当でも変わりありません。

「実は、“毎日、お弁当が楽しみでモチベーションが上がった!”という声を医療現場よりいただきまして。元気を届けるつもりで作ったはずが、逆に元気をいただいてしまいました。せめてお弁当を食べている時だけでも、医者や看護師という立場から離れ、素の自分に戻って、おいしく召し上がっていただければ何よりです」。

「ただおいしいだけでなく、食材や盛り付けで季節も感じていただければと思い、作らせていただきました」と『柏屋』松尾英明氏。

 日頃の感謝の気持ちをきちんと言葉に。お弁当の外側には医療従事者の方に向けたメッセージも添えられる。

 ひとつ一つ丁寧に梱包し、お弁当を箱に詰める。「おいしいお弁当で少しでも元気になってもらえれば嬉しく思います」。

「医療従事者の方々よりお礼の言葉も頂戴しました。結果、我々が元気をいただいています」と松尾氏。

店内には薬の神様で知られる『少彦名神社』のおまもりを飾る。この地域では、江戸時代のコレラも防いだ言い伝えも。

Part.1 Chef Interviews

おいしい日常を一流に。お弁当をひとつのギフトとして届けたい。

「ちょうど今日、お弁当箱の試作が届いたので、是非ご覧いただけますか?」。そう声をかけてきたのは、『楽心』店主、片山 心太郎氏です。

今回のプロジェクトを始め、コロナ禍によって始めたテイクアウト用に作った二重の印籠弁当は、面取りも成された職人技が光ります。更には、箱のサイズに合わせた袋まで特注!まさに二重の驚きです。

「お弁当の器まで喜んでいただきたかったというのはあるのですが、簡易的なものだと結露してしまったり、中身が傷んでしまったりしてしまうと思いました。いつ食べられるかわからないため、保存性も加味し、思い切って作ることに。これなら蓋を開ける楽しさもあると思いますし、そんな行為によって、少しでも笑ってもらったり、癒してもらったりしていただければと。お弁当の中身は、これから考案しますが、シンプルにお母さんが作るようなお弁当や日常の味を一流に仕上げられればと考えています」。

まるで、手土産のようなそれは、たくさんの人の想いが詰まったギフトのようです。

「お弁当なので、もちろん料理人が作りますが、その背景には、生産者がいて、お弁当箱を作ってくれた職人がいて、みんなの想いが詰まっています。おいしいだけでなく、そんな心も届けられたらと思っています」。

「お弁当をギフトのように医療従事者の方々へお届けできればと思っております」と『楽心』片山 心太郎氏。

 職人技が光る印籠弁当箱。開ける楽しみも嬉しいそれは、二重構造に。箱にあった袋も特注で製作。

Part.1 Chef Interviews

直接、医療従事者にお弁当を渡すことができた。店舗では得られない感動は、この先も心に刻まれる。

「実は以前、自主的に医療従事者への食事提供を試みたのですが、部外者が入るのは難しく、断られてしまったのです。その後、鈴木さんに声をかけていただき、今度こそ!」と、その想いを話すのは、『一碗水』南 茂樹氏です。

「お弁当に関しては、緊張感のある医療現場によって疲労困憊のため、体に優しいメニューを意識的に考えるようにしました。個人的に一番の体験は、医療従事者の方々へ、直接お弁当をお渡しできたことでした。また、作って届けるという行為は、店舗でお客様をお迎えするだけの行為とは異なり、能動的な活動。これは、飲食店を強くするヒントがあるかもしれないとも思いました」。

今回、医療従事者を支援する活動をするも、飲食業界も危機的状況。時短営業は客足を遠のけ、売り上げは激減しているところも多いですが、それでも南氏は「頼るだけでなく自立できる経営を飲食店は考えなければならないと思います。給付金も出ず、もっと困っている業界もありますから」と話します。

そんな自らの業界を客観視するも、取材中に料理を作る手は止めません。

「お店を閉めても料理を作らせてもらえる環境があるのは、大変ありがたいと思っています。今回のプロジェクトはビジネスではなく想いを届けるために参加させていただいております。医療従事者の方々もまた、ひとりでも多くの命を救いたいという想いで必死に働いてくださっています。自分にできることは料理しかありませんが、ひとりでも多くの方々においしいを届けたいと思います」。

「作ったお弁当を医療従事者の方々に直接お届けできたことは、今まで経験したことのない感情が湧き上がりました。皆様に感謝するとともに、自分も料理の世界で社会に貢献できればと思っています」と『一碗水』南 茂樹氏。

Part.1 Chef Interviews

お菓子で百薬の長を。おいしい本質は、心の健康にある。

「ビーツは栄養を吸収し、余計なものを輩出するスーパーフードでもあります。中身には、酸味を利かせたフランボワーズを忍ばせ、疲労回復にも効果的です。今の医療従事者の方々には適した食材かと思い、こちらを本日お届けします」。

そう話すのは、『餅匠 しづく』店主、石田嘉宏氏です。

「誰かに食べ物を提供する時は、論理的でなければいけないと考えます。なぜこの材料を使用しているのか、なぜこの色なのか、その理由を大切にします」。

おろし金で剃ったビーツは白布で濾し、絞った汁を使用。驚くべきは、その鮮やかな色もしかり、白布のその後にあります。

「真っ赤に染まった白布は、水で洗うと真っ白に戻るのです。理由は、着色料でなく、自然の色だから。つまり、この原理は体内でも同じことが起きているのです。安心して食べられるおいしさこそ、本当のおいしさ。そんなお菓子を医療従事者の方々に召し上がっていただければと思っています」。

もともと、石田氏が『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトに参加するきっかけは、鈴木さんのSNSの投稿でした。会わずともつながることができる環境においては、テクノロジーの進化による利点と言えます。最先端の技術革新は想いを結実させ、理に適った自然物の起用は、体に正しい効果を生みます。

「医学の父と呼ばれる偉人、古代ギリシアの医師のヒポクラテスは、“汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ”という言葉を残しています。我々が目指すのは、“お菓子で百薬の長を”。心の健康にこそ、おいしい本質はあると信じています」。

 ビーツで染めた求肥、フランボワーズを忍ばせ、しろあんで包んだ「フランボーワズ大福」。

 『餅匠 しづく』石田嘉宏氏自らドライバーに届け、各医療機関に。「医療従事者の方々を想い、丹精込めて作りました。想いは味に乗るのがお菓子です」。

「“お菓子で百薬の長を”。体にも良く、安心して食べられるおいしさこそ、本当の美味しさであり、心の健康」と石田氏。

Part.1 Chef Interviews

おいしいは、正義だと思っている。だから、おいしいを届けたい。

「お客様のご家族に医療従事者の方がいらして。色々お話を伺い、その過酷な状況を直接知りました。そんな時に思い出したのは、東日本大震災のことでした」。

そう話す『ル・シュクレ・クール』岩永 歩氏は、震災時に女川町にも訪れ、支援活動をした経験を持ちます。当時、改めて気付かせてもらったことは、日常の豊かさと食の力。

「仮設住宅や家電など、設備は整っているものの、そこには生きる感覚がないと言うか……。どんどん消しゴムで色が消されていくようにモノクロの世界が広がっていました。そんな時、あるおばあちゃんに赤いビーツのパンを差し上げたら、泣きながら食べてくれて。“生きてて良かった”っておっしゃったんです。この言葉の重みが今も忘れられなくて」。

当たり前が失われた時、何気ない日常の豊かさに気づかされます。トーストを焼く匂い、コーヒーの香り、窓を開ければ肌を撫でる風……。

「今の医療従事者の方々は、我々以上に日常の豊かさを奪われてしまったと思います。食べているほんの少しの時間だけでも心身を解放してくれれば。そんな思いでパンをお届けしています」。

今回、誤解してはいけないことは、炊き出しではないということです。

「僕たちは、ただお腹を満たすだけの食料を作っているわけではありません。もしそうであれば、食べている時もずっと仕事のことを考えてしまいます。そうなってしまったら、プロとしての価値はありません。僕たちの料理は、食べて思わず言葉が出てしまったり、笑顔になったり。変わった味や具材があったら、なんだろう!ってワクワクしたり。食べている時だけでも日常に戻してあげたい。僕らの立場に置き換えると、疲弊している時にお客様から“おいしかったです!”って、ひと言言われるだけで頑張れる。力がみなぎる。誰かが見てくれていることや応援してくれることは、とてもエネルギーになると思います。僕たちは、医療従事者の皆さんが頑張ってくださっていることを、ちゃんと知っている。ちゃんと見ている。心から応援している。せめて、それだけでもこの活動を通じて伝えることができたなら、そう願っています」。

それはまるで、マラソンの掛け声のよう。「がんばれ!」、「 あと少し!」、「 みんな待ってるぞ! 」。沿道から飛び交うそれは、ランナーを後押しします。おいしいで医療従事者を後押しするプロジェクト、それが『困ったときほど美味しいものを!』なのかもしれません。

「医療は医療のプロとして国民を救ってくれています。我々は食のプロとして、救える人を救いたい。それが使命だと思っています」。

「大それたことはできないかもしれない。まずは目の前にいる人に元気になってもらいたい」と『ル・シュクレ・クール』岩永 歩氏。

Text:YUICHI KURAMOCHI

「より料理と向き合う時間になった。より地元と向き合う時間になった」Ristorante RE/三沢 賢

「こんな状況下においても変わらず営業できていることに感謝しております。とにかく、この状況が早く収まることを願うばかりです。1日も早く皆様と再会できることを楽しみにしております」と三沢シェフ。

旅の再開は、再会の旅へ。いつでも万全に準備している。その時が来たら、是非お越し頂きたい。

『沖縄美ら海水族館』のある街に『Ristorante RE』はあります。

店名に掲げる「Re」の意味は、Refresh、Relax、Resort。

ランチ、ディナー共に1日1組のみ、『Ristorante RE』の体験を求め、県外からも多くの人が訪れていました。

「『Ristorante RE』のある本部町は、観光客の多い地域ですが、コロナ禍によって町は一気に閑散としてしまいました。沖縄県全体でもそうですが、本部町は特に厳しい状況なのではないでしょうか」。そう話すのは、シェフの三沢 賢(まさる)氏です。

「町は静かになってしまいましたが、私たちは今も変わらず、1日1組のスタイルで営業させていただいております。こんな状況のため、お客様をお迎えできない時期もありましたが、今では地元の方々にお越しいただけるようになりました。大きな移動が控えられるようになった中、沖縄のお客様にお越しいただき、大変助けられました。もちろん、沖縄の魅力をたくさんの人に知っていただくのは嬉しいですが、地元に地元の魅力を再発見してもらえることは、とても嬉しいです。そして、こうして地元に支えられながら営業できることに私たちは恵まれていると痛感します」。

そんな中、ある変化を感じたと三沢シェフは言います。

「新型コロナウイルスの感染拡大によって、否応がなしに以前と比べて時間ができました。これからのことや未だ続くこの難局に悩みはつきませんが、そんな中、料理と向き合う時間を多く作りました。これは、前向きな変化だと思っています。それを続けた結果、自分でも感動するほどの新レシピも開発できたのです。もちろん、お客様に提供する料理はどれも自信を持って提供していますが、数年に一度できるかできないかのレシピだと自負しております。パイナップルを使った料理なのですが、自由に移動ができるようになったら、是非、お召し上がりに来ていただきたいです!」。

前回、取材に訪れたのは2020年1月。新型コロナウイルス直前のことでした。

当時、三沢シェフは、「開店から10年経ち、ようやく立てたスタート地点に立てた」と話していましたが、その直後に世界中が難局に陥ることを知る余地もありませんでした。

良きレストランが増え、良き生産者が育ち、沖縄の食文化は新たなステージへ。一朝一夕でなく、「長いスパンで考え、現状と向き合うことが自分も含めてやるべきこと」だと言葉を続けていた三沢シェフは、この「現状」とも真摯に向き合います。

自粛や緊急事態宣言は発令されては解除。解除されては発令と行ったり来たり。時短営業による支援金、給付金はあるも、状況はそれぞれ異なるため、全てが満足できるかというと難しい問題です。個人、企業問わず、死活問題は未だ続いています。

「政府の動きが遅いとか、対策が曖昧いといった意見を聞きますが、確かに完璧な対応ではなかったと思います。しかし、政府の方々も今まで経験したことのない状況の中で精一杯やってくれているのではないでしょうか。もちろん、個人的にはもっと飲食店を支援して欲しいと思いますが、違う立場だったら違うことを思っているはずです。色々な立場や考え方の人がいる中で、うまくバランスをとっていただければと思います」。

一刻も早く願うこと、それは世界中に平穏な日々が戻ることに尽きます。

「とにかく、この状況が早く収まることを願うばかりです。県外からよく来てくださっていたお客様もいます。そういった方々が気兼ねなく訪ねて来られるように早くなってほしいです。ともあれ、“来てください!”と、堂々と言えないのはお店をやっている身としては寂しいのが本音です。いつでも万全の状態でお客様をお迎えできるように準備しているので、その時が来たら是非お越しください。そして、地元の人でも感じたことのない魅力を表現できるように、これからも精進したいと思います」。

店内はテーブル席とカウンター席があるのみ。三沢氏が接客も行い、まさにシェフズテーブルともいうべき空間。換気も整い、気持ち良い風が吹く。

沖縄らしい絶景が広がる。このロケーションが更に料理を美味しくするのは言うまでもない。

店へ向かう道中に案内板はない。駐車場の前にある看板だけが頼り。その階段を上った先に立つ白亜の建物が『Ristorante RE』。

奥様のしずえさんと。別の部屋では奥様がエステティックサロンを経営。『Ristorante RE』の「Relax」の部分を大いに担う。

住所:沖縄県国頭郡本部町具志堅717 MAP
電話:0980-48-2558
http://www.fiori-rossi.com/

Text:YUICHI KURAMOCHI

忘却された時間の愛おしさ。心の豊かさは、不要不急なことから生まれる。[GEN GEN AN幻/東京都中央区]

「新型コロナウイルスによって、生き方の姿勢やデザインと向き合う精神がより研ぎ澄まされた。今できる最上を行い、誰かのためにものを作り、社会に貢献したい」と猿山 修氏。 

猿山 修 インタビュー世界中が不安な中、ゆっくりと、落ち着いて、心身を整える。 

2020年12月、突如、『銀座ソニーパークに誕生した『GEN GEN AN幻 in 銀座。 
ミニマルなカウンターがメインの背景には、整然と並ぶ桐箱が静かに鎮座します。 
そのデザインを手がけるのは、猿山 修氏です。 

猿山氏と『GEN GEN AN』を主宰する丸若裕俊氏が出会ったのは約7年前。『GEN GEN AN』の前身『丸若屋』からの付き合いになります。 
ものづくりの関係性はもちろん、ふたりは不思議なご縁で結ばれています。 
「元々、元麻布に『さる山』という古道具や古陶磁、作家が手がけた陶磁器などを扱う店舗兼ギャラリーを運営していました。2019年に閉めてしまったのですが、その後、丸若さんの事務所に(笑)。自分は場所を持たなくなったため、東京を離れようと思っていたのですが、ご縁あって今は浅草の千束に拠点を構えています。その話を丸若さんにしたら、丸若さんまで千束に拠点を移されて(笑)。不思議なお付き合いです」と猿山氏。 
猿山氏と丸若氏が構える互いの拠点は、徒歩にして数十秒圏内。仕事のパートナーであり、ご近所でもあります。 

今回、そんなふたりが関わる香炉『Kouro #1を発表。 
「今こそ、忘れ去られてしまった感覚を取り戻したい」と猿山氏。 
不要不急と言われる中、幸せはどうやって生まれるのか? 心を豊かにするにはどうしたら良いのか? 本当の価値とは何か?  

『Kouro #1』は、丸若裕俊氏とミュージシャンの山口一郎氏がディレクターを務める『MABOROSHI』による初プロダクト。香りも音も、見えない豊かさが人を幸福に誘う。

『GEN GEN AN幻 in 銀座』にも装飾展示されている桐箱。丁寧な仕事がなされたものは、周囲に凛とした時間も育む。 

猿山 修 インタビュー利己ではなく利他に。見立てから学ぶ、相手を想う気持ち、おもてなしの心。 

「新型コロナウイルスが感染拡大してから約1年経ちました。世界中を恐怖に陥れたそれは、当たり前だった日常を奪い、孤立した生活が余儀なくされました。混乱した世間に向けた報道は、より不安を助長させ、昨今では当然になったインターネットでの情報収集は、その量の多さに真実を見失うこともしばしば。どうすれば自分たちは安心できるのか? 一度、冷静になって考える時間を設けました」と猿山氏。 
考える時間……。その行為は、テクノロジーの進化の一端によって省かれてしまったのかもしれません。時短することが高度な技術とも見紛う発展は、日本人が大切にしてきた何かを失ってしまったのかもしれません。

「そんな時、“古”と向き合うことによって、様々を再認識することができたような気がします」と猿山氏。 
「茶屋として活動する『GEN GEN AN』が最も大切にすることは、時(とき)と間(ま)です。そこに介在する人、もの、ことが幾十にも味を育み、特別な時間を創造するからです。茶湯の世界で言う見立ては、相手を想う気持ちやおもてなしの心から生まれますが、今こそ、そんな精神が必要とされるのではないでしょうか」と丸若氏。 
「こんな時代になってしまったからこそ、利己ではなく利他に。支え合う心が必要だと思います。今はまだ、自宅で過ごす日々が続いているため、お茶を飲んで気持ちがホッとするように、お茶の香りで落ち着いた時間を感じて頂ければと思い、『Kouro #01』を作りました」とふたりは話します。 
香る茶葉や小さくくゆる炎は、しばしの間、心身を整え、「無」にさせてくれるでしょう。茶香炉のデザインは、実に猿山氏らしい美しさが漂いますが、見えない時間のデザインこそ、『Kouro #01』が持つ本来の美しさなのです。それは、まさに「幻」。 

「この茶香炉は、過度な演出は一切せず、伝統的な技法を用いています。直火になる皿は陶器、受けは磁器です。共に長崎県波佐見の職人が手がけ、受けの型は佐賀県有田の原型師・金子哲郎さんによるものです。実は、千束に拠点を構えるきっかけのひとつに、未だ残るものづくりの文化に惹かれました。そして、周囲は再開発が進む中、この一角だけは、古き良き街並みも残っている。正しい時間の流れを感じたのです。古い道具と付き合ってきた時間が長いせいか、そういった経年に魅力を感じます。自分は、美術などで評価が決まっているものや誰かのお墨付きと言われるものよりも、どうしてこれが世間に評価されないのだろう?というものに価値を見出してきました。時代が変われば用途も変わるため、それによって想像力が膨らむのは、まさに見立ての世界。そんなものと過ごす時間は、本当に愛おしいです」。そう話す猿山氏は、約200年前のグラスを手に持ち、言葉を続けます。 
「約200年前のものということは、世代を超えて様々な人が残そうという意志を持っていたからこそ、現代まで受け継がれています。経年変化によってヒビは入ってしまっていますが、それでも捨てずに大切に扱ってきたという過去が汲み取れます。技術の発達は、破れない、割れない、壊れない、汚れないなど、現状を維持できるものも増えていますが、人間と同じようにものが歳を取らないことは不自然。歳を取るからこそ美しさが増す。ものの命は人の命よりもはるかに長い。
道具で言えば使い道も限定するのではなく、持ち主によって楽しみ方も自由。今回の香炉も同様にエッセンシャルオイルを使用したり、家庭にある月日が経過してしまった茶葉で楽しむ事も人それぞれ。コロナ禍によって、デザインとの向き合い方や生き方が研ぎ澄まされたような気がします」と猿山氏。

今後、この茶香炉を体験する場や、合わせて二人が考える茶室型のGEN GEN AN幻プロダクトを『銀座ソニーパーク』と言う場所を起点に考えています。『GEN GEN AN』のお茶、『Kouro#01』の香り、その他、この空間だからこそできる見立ての準備を現在、進めています。 
「『GEN GEN AN幻 in 銀座』は、自分たちだけの場所ではないと思っています。様々な実験の場でありたいですし、誰かや何かをつなぐ場でありたい。こんな時代だからこそ、みんなが表現できるきっかけや発信できる機会を作っていきたい。そんな時間をみんなで過ごしたい」と丸若氏。 

古きを学び、新しきを得る。そんな温故知新を茶香炉は教えてくれるのかもしれません。 
 

「『Kouro #01』を通して、見立てという知恵から生まれる楽しみも体験していただければと思っています」と丸若氏。 

「これまでお茶の味覚に関わるプロダクトは手がけてきましたが、嗅覚に関わるプロダクトは初。デザインを精進し続けることによって、誰かを幸せにしたい。ものづくりや社会に貢献したい」と猿山氏。 

香りはもちろん、隙間から覗く炎もまた、心身を穏やかにさせる。お茶を嗜むように、香りも嗜みたい。 

猿山氏が見せてくれた約200年前のフランス製のグラス。「多くの人がこのグラスを残そうとする意志がなければ残らなかったはず。人の思いや当時の技術など、古いものの考察は、ものを作る人にとって必ず何か得ることがある」と猿山氏。 

今後、『銀座ソニーパーク』でも展開予定の茶室の設計図。「DIYで作ることができる茶室がテーマ」と猿山氏。

1966年生まれ。元麻布で古陶磁やテーブルウェアを扱う『さる山』や『ギュメレイアウトスタジオ』を主宰してきたデザイナー。食器のデザインを中心に、国内の手工業者から作家まで幅広い作り手と手を組み、機能美に長けた美しいプロダクトを創造する。グラフィック、空間、プロダクトなど、多岐にわたるデザインに携わり、『東屋』と一緒に多くのプロダクトを作っている。今回、発表する『Kouro #01』は、2020年より『GEN GEN AN幻』がスタートさせた『MABOROSHI』プロジェクトより展開。

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park B1F MAP
https://www.ginzasonypark.jp/
https://en-tea.com/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

島にたどり着いたからこそ出会える景色を求めて。「東京さんぽ島」を歩く。[東京さんぽ島・利島]

阿豆佐和気命(あずさわけのみこと)本宮の宮司・梅田成彦さんとともに集落内を歩く。急な下り坂の向こうには海が広がっていた。

東京さんぽ島・利島歩くスピードだからこそ見えてくるもの。心奪われる風景を目に焼き付ける。

東京の離島・伊豆大島の次に位置する利島(としま)は、人口300人あまりの小さな島。しかし、そんな小さな島には島じゅうを覆い尽くすように、約20万本もの椿の木が植わっているといいます。椿の見どころは12月中旬〜2月いっぱいまで。冬に咲く満開の椿の花を求めて、東京・竹芝桟橋から大型客船で約9時間、夜出て朝着く夜行便に乗り込み、利島へと向かいました。「今年の椿は見事」と島の人々が口をそろえるほど、島のいたるところで目にする椿の花はすでに満開を迎えていました。

「椿の花が咲く時期は、海も荒れ、船が着かないことが多くなります。“近くて遠い島”とよくいわれますが、なかなかたどり着けないからこそ、島に上陸できた時は喜びもひとしお。外から島を見ても、椿が咲いているかどうかはわかりませんが、島に着いて島をめぐってみると、こんなにも椿に覆われていたのだと気づくはずです」と利島村役場の荻野 了さん。

なかなかたどり着けない小さな島ゆえ、民宿や飲食店も限られ、決して観光向けの島ではありませんが、何もないからこそ、自分から“何かを見つけにいく”ことで、新たな発見や、自分だけの風景を見つけることができるはずです。たとえば、自然のかたちに合わせた曲がりくねった道。集落内は細い路地が多く迷路のようで、「この先には一体何があるんだろう?」と歩みを進めたくなります。島の中央にそびえる宮塚山のふもとに家が集中しているため、集落内は坂だらけ。だからこそ、どこから見ても海や山が見え、景色の抜けの良さに驚かされます。

「小さな島を歩くだけで、どこもかしこも椿に出会えます。各家の庭にも椿がありますし、島のどこを歩いても椿が目に入ってきます。伊豆諸島の中でも、そんな島は利島ぐらいでしょう。椿と生活が密接につながっているのを感じてもらえると思います」(荻野さん)

利島めぐりの醍醐味。それは島を歩いて回ること。小さい島じゅうに咲く椿の花の存在と箱庭のような島の景観は、歩いているからこそ楽しめる風景です。ピンク色した椿の花に誘われ、気の向くまま、風に吹かれるまま、小さな島を歩いてみてください。

利島のいたるところで目に飛び込んでくるピンク色のヤブツバキの花。落ちた花が広がる様は、花の絨毯のよう。

2020年に新しくなった大型客船「さるびあ丸」。突き出た桟橋に着岸するのは至難の技で、冬は風が強く吹くため、島へたどり着くことができるかどうかは海況次第。

可憐な花をつけるヤブツバキは、もともと島に自生していたものを種から育てて植林。今の森は約100年かけてできあがったもの。

島を歩いてみると、何気ない風景に心奪われ、ふと足を止めてしまう。

東京さんぽ島・利島冬しか見られない、ピンクの椿の花がお出迎え。

島で手に入れた「東京さんぽ島」のマップには、「椿コース」「神社コース」「ビューコース」など、おすすめのルートが記載されていました。このルートは島の人たちが作ったもの。そのひとりである、利島勤労福祉会館の長谷川竜介さんはビューコースのガイドを担当。「集落内を回るコースになります。利島の人は、普段いつもこんな景色を見ながら暮らしているんだ、ということがわかっていただけると思います」(長谷川さん)

「椿ルート」は、椿農家の前田千恵子さんと一緒にめぐりました。島のどこにいても存在感を感じる宮塚山に向かってぐんぐんと坂を登っていきます。堂山神社の脇にある遊歩道を歩いていると、時折、木々の間から光が差し込み、聞こえるのは、鳥のさえずる声と風にざわめく葉擦れの音だけ。光、風、音を全身で受け止めながら「五感で感じてみて」と前田さん。島の人にとっては見慣れた当たり前の風景でも、外から来た私たちには、何もかもが新鮮に映るのです。

もともとは防風林として植えられていた椿。江戸時代、島ではお米が育てられない代わりに、椿油を年貢として納めていました。秋頃、実をつけ、それを油にし、灯りや食用油、髪や肌などにつけたりと、暮らしの中で活用してきました。今も変わらず、利島では椿油を生産しており、その量は日本一、二を誇ります。

「利島の人々は、椿とともに生き、椿とともに暮らしてきました。利島の椿の特徴は生産者と土地、畑が紐づいていること。その強みを生かしてオーガニック認証も取得しました。夏は下草刈り、秋から冬にかけては椿の実拾いと、島の方は一年中、畑にいます。椿の畑は、農家さんが代々大切にしている場所なのでなかなか入ることはできませんが、作業されている農家さんがいたらあいさつしてみてください。畑をのぞかせてもらえるかもしれませんよ」と、東京島しょ農業共同組合 利島店で働く加藤大樹さん。

初冬から咲き始め、初春まで長く楽しめるのも椿の良さ。ウグイス、メジロ、ヒヨドリなどの小型の鳥が花をついばみ、花粉を運んでくれます。木の上を注意深く見てみると、黄色い花粉を口ばしにつけた小鳥を目にすることができるでしょう。

「等間隔に植林され、椿の実を拾いやすいようにと下草を刈って丁寧に手入れされている椿の畑は、畑というよりも庭園に近い。しかもそれが島の一部ではなく、島全体にある。世界中探してもこんな場所はないそうです。人間の手が入っているからこそ美しい椿畑をぜひ見ていただきたいですね」(長谷川さん)

太陽の光が椿の葉に当たり、濃い緑から銀色にキラキラと輝いた時、あまりの美しさに思わず足を止めました。ピンクの椿の花が咲き誇る姿ももちろん美しいですが、そんなふとした瞬間を目にした時、自分だけの風景のようで、目に焼き付けたくなるのです。

長谷川さんによれば、大正時代に椿の値段がぐんと上がったそうで、それを受けて国が椿の植林を推奨し、椿畑がどんどん増えていったのだとか。

中にたっぷりと油を含んだ椿の実。ぷっくりとふくらんで、はじけて下に落ちた椿の実を、一つひとつ丁寧に拾っていく。

農家さんから持ち込まれた椿の実を搾油して瓶詰め。原料の採取から製造まで、すべてが島内で一貫して行われる。

雨上がり、椿の花が落ちている風景さえも、美しかった。

枯葉や下草、小枝などを集めて燃やすのも冬の風物詩。いたるところで山から煙が上がる。

東京さんぽ島・利島島の風景に残る様々な痕跡が、島の歴史を知るきっかけに。

見どころがまとまり、島を体感できるビューコースは、宿などが多く集まる集落の中心部からすぐに回ることができます。集落内でところどころ目にするのが、形のそろった美しい玉石の石垣です。その昔、利島に上陸した人は、椿畑と玉石の敷きつめられた集落内の様子が印象的だったという話も残っているのだとか。

「昔は、村の人たちが毎朝ひとつずつ玉石を持って浜から上がってきたそうです。子供も老人も関係なく、最低でもひとつ。持ってくるとお駄賃がもらえたそうですが、かなりの重さなので、大変だったろうと思います。そうした労力によって積み上がったものがこの石垣です。昭和初期までは輓牛もいませんでしたから、動力はすべて人間だったんです」(長谷川さん)

その後、車が走るようになり、玉石が敷きつめられていた道はコンクリートで舗装されてしまいました。しかし、注意して見ていると、堂山神社の参道など、集落の所々に玉石が残っている場所を見つけることができるはずです。

また、集落内で各家庭の庭にあるコンクリートの箱状のものは「タメ」と呼ばれる、雨水を貯める場所でした。昭和39年、利島に水道が通るまで、生活用水は雨水だけでした。

「このタメをよく見てみると、番号が記載されているんですよ。郵便局の向かいにある〈まるみ〉というお店の近くにあるので見つけてみてください。あとは、屋根が広いのも利島ならではだと思います。屋根から雨樋を伝って雨水が入るので、雨を受けるために屋根が広いんです。雨樋がどんなふうにタメにつながっているかを見るのもおもしろいですよ」(長谷川さん)

少しずつ暮らしは便利になり、島の景色は変わっても、その痕跡はいたるところに。日常の中に潜む歴史に思いを馳せる。

集落の北側、坂の上にある堂山神社。参道には玉石が敷きつめられており、昔の名残を感じることができる。

玉石の石垣。荒波にもまれ丸くなった石を一つひとつ積み上げたもの。苔むして自然の一部となっていた。

集落の屋根を見てみると、たしかに広く傾斜がゆるいのがわかる。雨水を受けやすいようにという島ならではの知恵。

東京さんぽ島・利島いい景色を見つけたら、それは自分だけのものになる。

「利島は自然の傾斜を生かして作られた道が多いので、くねくねと曲がっていて、まっすぐな道がないんです。細い道も多いので、この先はどうなっているんだろうと思う場面が多々ある。先を見通せない分、少し寄り道したり、道草を食っても、小さい島なので迷うことはないので、おもしろそうだなと思う方向へ誘われてみてほしいですね。コースにこだわる必要はなくて、見たいところ、知りたいところを自由に回ってみてください」(長谷川さん)

この道はどこにつながっているのか、どういう景色が待っているのか、好奇心の赴くままに、あてもなく歩いてみると、いろいろ発見があるはずです。回った後、あるいは前に郷土資料館へ行ったり、島の人に話を聞いたりするのもいいでしょう。島の歴史や風習、暮らしを知ったうえで、もう一度島を回ってみると、さっきまでは気づかなかった景色や今まで見えなかったものが見えてくるはず。そして、もう一度、島を回りたくなるのです。

「せっかく島に来ていただいたなら、より深く知ってもらいたいんです。知っているか知っていないかで見える景色が変わってくるんですよね。島の歴史や椿油を身近に感じてもらえたら」と加藤さん。決められたコースから外れたところにある発見、気づきは、あなただけのもの。その思い出は、自分で見つけた喜びとともに記憶に深く刻まれるでしょう。

「ビューコースと設定していますが、利島はどこでもビューがいいのが自慢です。集落があって、椿があって、その奥には海があって、さらにその先には伊豆半島や富士山が見えて、と立体的な景色が楽しめるのは利島の急坂だからこそ。学校の上にある道からの景色もすごくいいんですよ。学校の芝生、校舎の向こう側には海、どこまでも広がる空が見渡せます。平らな島では見えない景色です」(荻野さん)

のんびり、気の向くままに歩くことこそ、散歩の醍醐味。集落を回るだけでも十分楽しめるのが利島の良さ。自分のペースで自由に気ままに島を歩く。いい景色を見つけたら、それは自分だけのものになる。その風景を誰かに教えたくなって、そしてまた訪れたくなる。そんな場所が、東京から行ける離島・利島にありました。

郷土資料館にある椿の木でできた愛らしい入れ物。貴重な映像や展示品など、島の歴史や風習を知ることができる。

朝、散歩していると、港の近くにある漁協で、伊勢海老を出荷するところに遭遇。大きくて立派な伊勢海老は利島の特産品。

港から島を見上げる。中央にはなだらかで美しい形の宮塚山。そのふともには集落。島の周囲は約8kmと3時間あれば回れる大きさ。

島に移住したという隅愛子さん家族と。誰かとすれ違うと、島の人は必ず会釈したり挨拶するのも島ならではの風景。後ろには大島がくっきり。

https://ja-toshima.jp/sanpojima

Photographs:TETSUYA ITO
Text:KAYO YABUSHITA

(supported by 東京さんぽ島 利島)

美観地区の夜景

現在の美観地区の夜景です



こんな感じで和傘をライトアップしているイベントを行なっております(*´꒳`*)



昼間には見ることができない美観地区の顔でした(о´∀`о)

発展させる食文化、対峙すべき環境問題。鮨と日本酒を通して、おいしい以外を考える。

様々な視点から食に関する問題意識と向き合うペアリングを試みた『恵比寿 えんどう』店主の遠藤記史氏(左)と『新政』の福本芳鷹氏(右)。

恵比寿 えんどう × 新政酒造「個性溢れる」鮨と日本酒とのペアリング。その先にある世界とは何か。

新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、全国の飲食店や生産者が厳しい状況にある中、「この時期でもあえて」と鮨と日本酒のペアリングに挑戦した『恵比寿 えんどう』店主・遠藤記史氏。パートナーは、「古今に渡る清酒醸造法を詰め込み新たな味わいを目指し醸されている」と言われる『新政』。

「秋田の『新政酒造』を訪れた際、非常においしい酒で感銘を受けた一方、高級ワイン同様に一般的な鮨には合わせずらい酒質だと感じました。『新政』が発祥となる6号酵母を使ったり、生酛づくりや木桶仕込みなど伝統製法に基づいているので特徴的な酸味や甘みがあり、日本酒としての魅力ではあるけれど、現代の鮨に合うかといえば難しいとも感じました。それは代表の佐藤祐輔さんも同じ認識でした。私自身、酒に合う鮨は握りたくないし、佐藤さんも食事に合うことを優先とした酒造りはしていない。だからと言って“合わない”と結論づけてしまうとこの先には何も発展しないため、互いが目指すベクトルを理解しながら、ペアリングを探っていこうと始めた試みでした。実は、一年前にも同様のペアリングを試みたのですが、課題はあるものの、まだはっきりと見えている訳ではありません。鮨も日本酒も去年と今年とでは違いますし、ブラッシュアップされているので、模索する過程に新たな発見がある」と、遠藤氏。

しかし、それ以前にどうしても中止したくなかった理由がありました。

「今回のペアリングの意義は、味ではなく、様々な問題に向き合いたかった」。

「新たな味わいの日本酒を目指し醸されている」新政とのコラボレーションにあえて挑戦することにより、互いの発展を模索する。

恵比寿 えんどう × 新政酒造自然環境の維持に努めつつ、食文化の発展を模索する。

水産資源の減少に危機意識を高めるシェフ約30名が加盟する『シェフス・フォー・ザ・ブルー』の活動に参加するメンバーのひとりである遠藤氏。『新政』の酒造りに惚れ込むだけでなく、今年もあえてペアリングに挑戦したのには、食文化と自然環境への危機意識がありました。

「これまでの漁業は網や一本釣りなどアナログな方法が一般的でしたが、テクノロジーが発達した現代では獲ろうと思えばいくらでも魚は獲れてしまいます。日本の漁業は危機的な状況にあると言えます。科学技術の進歩と食文化の発展は、単純には比例しないものです。そこには倫理観が絶対に必要で、取り放題になっている漁業は今後、規制しなければならない時代に来ていると思います」と表情を引き締める遠藤氏。

魚の王様とも言われ、鮨の花形でもあるマグロの中でも、世界中で乱獲が進み絶滅危惧種に指定された太平洋クロマグロについて「ほかの魚を代用するのは正解ではない。イナゴが別の畑に行くようなもので、結局は次のマグロやウナギを生むだけ。現状に対しての解決策になっていません」と、遠藤氏。

フレンチやイタリアンと比べ、魚を主役としている鮨店でサステナブルな活動を続けることは難しい立場に立っていると言えます。

「水産資源と環境に配慮した漁業で獲られた天然の水産物であるMSC認証の基準に照らしたら、鮨に使える魚はほとんどありません。けれど魚を一番使う鮨屋だからこそ、自然環境の維持に努めながら食文化の発展を模索するべきだと思っています。新型コロナウイルスの影響を受け、飲食店はどこも厳しい状況にあります。そうした中、仮にマグロの漁獲量が増えたとしても、何もしないでいたら食文化史には空白の時間ができてしまう。自然も食文化も一度消えてしまったら、復活させるのは困難です。いつの日か新型コロナウイルスが終息し、過去を振り返った時、食文化を発展させたことを証明するためにも足跡(ペアリング)を残す意義があると思ったのです」と、語ります。

様々な産地へ訪れ、魚が育つ環境を肌で体感する遠藤氏。「ただおいしい魚を仕入れるだけではいけない。自然の変化に耳を傾け、自らの目で見て確認することが大切」と遠藤氏。そして「マグロの漁獲量にしても身質にしても新型コロナウイルス後の方が明らかに向上している。人の活動が停止したことによって海の環境は向上した」と、遠藤氏。

約15年ぶりの大雪に見舞われるなど、2021年はとりわけ寒さが厳しい秋田。Photograph:SHINGO AIBA

生酛造りに挑戦するなど、昔ながらの日本酒造りに回帰する一方、クリエイターとのコラボレーションにも意欲的な『新政酒造』。Photograph:SHINGO AIBA

すべて純米作りに転換し、酒米は全量「秋田県産米」、昭和初期に5代目蔵元・佐藤卯兵衛が自蔵で発見した現存する最古の市販清酒酵母「6号酵母」にこだわる。Photograph:SHINGO AIBA

創業1852年の『新政酒造』従来の常識を覆す革新的な酒造りのトップランナー。Photograph:SHINGO AIBA

恵比寿 えんどう × 新政酒造志へのオマージュを込めた、パッションのペアリング。

この日実現した鮨と『新政酒造』のペアリングは、スッポンからスタート。次々と料理が供された後、握りにもそれぞれの個性を捉えた『新政』が登場します。

遠藤氏の傍らで瓶を片手に差配を振るうのは、『新政酒造』の福本芳鷹氏。北海道札幌市の名店『鮨 一幸』にて腕を磨いた後、酒造りの道へ転向した異色の経歴を持つ人物です。ゆえに、鮨職人の想いを一番知る酒人と言っても過言ではありません。

鮨と日本酒、どちらも作り手の立場をよく理解する福本氏はフランスのあらゆるワイン産地で活躍するワイン仲介業者の「クルティエ」のように、提供者として酒蔵と飲み手との関係を繋ぎます。

例えば、柑橘類や三杯酢を合わせる蟹料理には、白麹仕込の純米酒「亜麻猫」を。白麹に含まれるクエン酸で甘酸っぱいニュアンスを柑橘類や三杯酢の酸味に置き換えるなど、福本氏の発想とアプローチは眼を見張るものばかり。温度帯の変化があるのも、日本酒ならではと言えます。

「飲食店で日本酒を扱うには更に掘り下げる必要性があると感じ、酒造りの現場でより本質を知るために『新政酒造』の門を叩きました。遠藤さんのように理解のある人と組めるのは、非常にありがたいです」と、福本氏。

「冒頭でもお話ししたように、『新政』は伝統や地域性を表現することを目的としているために、食事に合うことを優先とした酒造りはしていない。しかし秋田の風土にこだわり、それを大切にして酒造りをしているところにこそ惹かれました。日本酒も鮨も、自然を抜きにしては成り立ちません。味そのものの相性というよりも、志へのオマージュを込めたパッションのマリアージュができれば良いと思いますし、それが伝わって欲しい」と、遠藤氏は語ります。

スッポン×2018年収穫米より木桶仕込みがはじまった「涅槃龜(にるがめ)第7世代」、蟹×「見えざるピンクのユニコーン2016」。

左より、あん肝×EXILE橘ケンチ氏とコラボによる「陽乃鳥 橘(ひのとり たちばな)」、キュウリの塩麹漬け×「農民藝術概論2019」。

左より、ウナギ、カラスミ×「紫八咫2013(むらさきやた)」、金目鯛、メヒカリ×酒米の陸羽132号を使用した無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

和歌山県串本産の鰆×『新政』の中でもスタンダードな銘柄「生成 2019 -Ecru-」。

金目鯛の握り×秋田市鵜養地区産美郷錦100%使用の無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

「異端教祖株式会社2016」には、マグロ中トロと赤貝を合わせる。

くじら×脂がのったクジラに合わせて、オーク樽貯蔵したお酒で仕込んだ貴醸酒「陽乃鳥」。

マグロの赤身×「異端教祖株式会社2016」。

左より、イカ×「亜麻猫 改」、海老×飯米の陸羽132号を使用した無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

左より、ノドグロ×菩提酛で醸した「翠竜(すいりゅう)」、ホタテ×「生成 2019 -Ecru-」。

左より、締め鯖×「異端教祖株式会社2016」、穴子×「紫八咫2013(むらさきやた)」。

手巻きのトロたく×秋田市鵜養地区産美郷錦100%使用の無肥料無農薬米仕込み純米酒「六號酵母生誕九十周年記念酒」。

美味の締めくくりに供されるお椀。クリアな旨味と温かみで食後の余韻も長い。

恵比寿 えんどう × 新政酒造現代生活の向上と自然環境の維持、目指すは「両立」。

2020年より世界を難局に迎えた新型コロナウイルスをきっかけに、遠藤氏は「様々な分野での両立が大切」だと語ります。

ペアリングの締めくくりでもあるマグロについては、「自然環境の保護と食文化の発展」。新型コロナウイルスについては、「感染予防と飲食店の営業」。「それぞれを両立させなければいけない」と、遠藤氏は話します。

「地球温暖化が進み、台風の発生回数も年々増えていますが、このコロナ禍で人の移動や経済が止まったことにより、自然環境への負担が減り生態系にはプラスになった。マグロに関して言えば、新型コロナウイルス以降の方が漁獲量も身質も圧倒的に向上しています。とは言え、人間は文明がなかった石器時代には戻れません。現代生活の向上と自然環境の維持が選択肢としてどちらもある以上、両立を目指すべきだと考えます」と、遠藤氏。

音楽の仕事で渡ったニューヨークで日本酒に開眼し、帰国後、酒造りにも携わることになった福本氏は、日本酒業界をグローバルな視点で客観視します。

「日本酒に対しては、海外の方がより柔軟に楽しまれています。日本の食文化がグローバル化し、世界に広がる中、本物を追求するなら日本にわざわざ求めにくる。それほどの価値を構築しなければならないと思っています。『新政』に在籍して3シーズン目になりますが、秋田は約15年ぶりに寒波に見舞われるなど今年は特に寒い。温暖化の影響か自然環境の変化も実感しています。新型コロナウイルスの影響で社会は目まぐるしく変化していますが、酒造りはもともと人間の都合より微生物の都合が優先。翻弄されているのは常に人間の方です。遠藤さんが海の生態系や自然環境に問題意識を持つのと同様、例えば、お酒づくりの工程で副産物として大量に出る酒粕をエネルギーに転換できないか、蔵人たちも考えています。新型コロナウイルスによって日本酒や鮨、ひいては日本の食文化について考える機会を与えられたと思い、これからもシンクロしながらペアリングの意義を深めていきたいです」と語ります。

外食応援のプロモーションとして、あるいは集客や収益アップを目的としたイベントも数多く見受けられる中、食文化の発展や環境問題と向き合うことを目的にした『恵比寿 えんどう』×『新政』のペアリング。

ただおいしい、ただ食べるという行為を超えたその意義は、来年、再来年、更にはそれ以降もやり続けることによって解が見出されるのかもしれません。

住所:東京都渋谷区恵比寿南1-17-2 Rホール4F MAP
電話:03-6303-1152

住所:秋田県秋田市大町6-2-35 MAP
電話:018-823-6407
http://www.aramasa.jp


Photographs:JIRO OHTANI
Text:MAMIKO KUME

全てを失った酒職人の人生に密着。松本日出彦、もう一度立ち上がる。

松本日出彦原動力は心。酒造りは生きること。

2020年12月31日。

自身の蔵である『松本酒造』を父親と共に去ることになった松本日出彦氏。

予告ない報告となってしまったその急転直下に周囲はもちろん、一番現実を受け入れられなかったのは松本氏本人だったと思います。

「冬に酒造りの現場を離れることは、酒造りに携わってから初めてのこと。まるで悪い夢を見ているようだった」。

しかし、残念ながらその夢から覚めることはありませんでした。

以来、内に篭ってしまい、心を閉ざしてしまった松本氏ですが、家族や仲間の支えもあり、もう一度立ち上がる決意を魅せます。

「スパンと断ち切った。自分の意志で、もう一度酒造りをしたい」。

『松本酒造』も『澤屋まつもと』も『守破離』も、全てを失った松本氏には何もありません。

「失ったからこそ、得るものがあった。気づけたことがあった。ただの不幸に終わらせるわけにはいかない。この出来事をどう捉えるかは自分次第」。

その原動力は、どこから湧き上がるのか。

「心」です。

場所や環境を奪われたとしても、心までを奪うことはできません。

「何もかもなくなった時、心の中に何が芽生えるのか向き合うことができた。自分は何がしたいのか。自分は何者なのか」。

絞り出されたその答えは、自分は酒造りがしたい。自分は酒職人として生きたいということでした。

もう恐れない。怖いものは何もない。あとは這い上がるだけ。

「その一歩は、踏み出した」。

松本日出彦が奮起する人生に密着します。

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photograph & Text:YUICHI KURAMOCHI

倉敷遊膳でしか買えない箸

皆様こんにちは!!

いかがお過ごしでしょうか??

今日の倉敷はものすごく暖かく小春日和の1日でした(*´꒳`*)

早く春が来てくれると嬉しいんですけどね〜(冬好きの方ごめんなさい)

暖かくてわんちゃんも動きたくない〜ってなってました笑



暖かくなると思い出す〜(´-`).。oO

春は出会いと別れの季節です(*´꒳`*)


そんな入学式や卒業式などの贈り物におすすめの商品がこちら



デニムストリートの隣店である

倉敷遊膳でしか買えないデニム箸(*´∇`*)

なんと、お箸にお名前や文章の彫刻を無料で行なっております!


そして、こんな感じで文字の彫刻も可能です

文字を彫ることで世界に一つだけのマイ箸が完成します!!


デニム箸以外にも沢山のお箸を取り揃えておりますがデニム箸は倉敷遊膳でしか買えません
♪( ´▽`)

お箸の大量注文も承っておりますのでお祝い事やお返しなどにもおすすめです(*´꒳`*)

倉敷へお越しの際はデニムストリートも、寄っていただきたいですが是非隣の遊膳にもお越しください(・∀・)



予測不能な時代に立ち向かう、「食」の未来を拓くプロデューサーに求められる「学び」とは。 [FOOD CURATION ACADEMY]

フードキュレーター・宮内隼人(左)とワインソムリエの大越基裕氏(右)。得意とする領域は違えど、幅広い食への探究心と知識を活かし活躍するふたりが、「学び」をテーマに語り合う。 

特別インタビューなぜいま「学び」が必要か。新たな視点で「食」を見つめ直すために。

2020年12月、『ONESTORY』は新しい学びの場をスタートしました。

その名も、『FOOD CURATION ACADEMY(フードキュレーションアカデミー)』。

この10年で私たちが暮らす世界は大きく変わりました。特に、この1年で勢いはますます加速。「食」を取り巻く世界もまた、環境問題や食糧危機といった地球規模の問題から、フードテックの進化、そして新型コロナウイルスがもたらすさまざまな制約まで、従来の常識をアップデートしていかなければ対応できないような大きな変化の中にあります。広く柔軟な視野で、今までとは違ったアプローチで「食」を捉えなおす発想力が必要です。

『FOOD CURATION ACADEMY』は、これからの時代に求められる「食」領域を横断的にプロデュースする力を「フードキュレーション」という概念で捉え、この概念を様々な方と共有し、深め合い、高めていくための場です。

コロナ禍のため、まずはトライアルとしてオンライン動画配信で4つの講座を開講。世界を舞台に最先端のクリエイションを実践するトップシェフと、アカデミックな分野の専門家による対談という『ONESTORY』ならではのペアリングで、「食」分野の旬のトピックを深掘りしていきます。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座をより有意義に楽しんでいただくために、『ONESTORY』のフードキュレーター・宮内隼人と、日本を代表するソムリエ・ワインディレクターとして多岐に活躍する大越基裕氏へのインタビューを行いました。

「食」業界で横断的に活動をする二人は、日々どのように自らをブラッシュアップしているのか。『FOOD CURATION ACADEMY』では何を学べるのか、そして「食」の未来を切り拓くために必要な「学び」とは何なのか。 

「食」のプロフェッショナルが実践する「学び」について迫ります。

料理人を経てフードキュレーターへ転身した宮内。料理人として培ったセンス、豊富な食材知識、日本各地を巡り様々な生産地で深めてきた経験をもとに、次々と新たなクリエイションを仕掛ける。 

特別インタビュー体系化できない「食」の学び。だからこそ予測不能な出会いが必要。

宮内は、テーマの選定や登壇者の人選など『FOOD CURATION ACADEMY』講座の立ち上げから中心メンバーとして携わってきた一人。

今回のオンライン講座のテーマである「ウェルネスフード」「ローカルガストロノミー/地質学」「香り」は、今まさに宮内自身が深掘りしたいトピックスでもありました。

「食を体系化することって本質的には無理だと思っています。理系にも文系にもあらゆる学問が食と関係しているし、領域をはみ出せばビジネス論やマーケティングにも広がっていく。カリキュラムを一つ一つこなしていくというよりは、新しいことを知っていくところにフードキュレーションの学びがあると考えています」と宮内。

「食」に求められる領域が急速に拡張されているからこそ、フードキュレーターに必要となるのは、貪欲に新しいことを学びつづけること、知りたいと思う好奇心であるとも言えます。

「「地質学」は、これまで一切触れたことがない人も多い分野じゃないかなと思っていて、だからこそ、そんな未知な分野とガストロノミーを掛け合わせて語れる先生がいると知ったとき、「これは面白い!」と興奮しました。ローカルガストロノミーの最前線で戦うシェフの実践的な話を、先生のアカデミックな話で裏付けできたらめちゃくちゃ勉強になるなと確信しました」

『FOOD CURATION ACADEMY』が一番こだわったのは人選。とにかく何ヶ月もかけて『ONESTORY』でなければできない登壇者の組み合わせが徹底的に検討されました。本を読めばわかる学びではない、ある種どうなるのか予測不能な、知と知の掛け合わせこそが『FOOD CURATION ACADEMY』講座の最大の特徴です。

「今回の4つのテーマはあくまで抜粋であって、もちろん全てではありません。幸いにも動画を見てくださった方には、こういうことも「食」と関係があるんだっていう興味関心を持っていただいて、次のアクションにつなげていっていただけたらと思います。普段のルーティンの中にはない出会いや気づきがあるはずです」

『DINING OUT』で、宮内は食材のリサーチを担当。開催の半年前から現地に足を運び、生産者との深いつながりを築きながら、何百という食材を見つけ出していく。 

特別インタビューあらゆる「学び」は食につながる。フードキュレーター・宮内隼人の「学び」の原点。

「料理人だった時は勉強をしたいという気持ちは強くあっても、やり方もわからないし時間もお金もない。当時はSNSもありませんでしたから、新しいことを知ることのハードルがすごく高かった。料理を本から学びたいと思って本屋に行っても、料理のコーナーにはレシピ本ばかり。料理とは全然別の本棚で偶然見つけた「食品学」の本に、こんな世界があるんだという発見が詰まっていました」

学びたいという意欲があっても、知らないと広がらない世界がある。本棚での新しい知識との出会いの衝撃が、宮内の「学び」への意欲をますます高めていきます。さらに転機となったのが、『DININGOUT』への参加でした。

「レストランの外に出て、視点の高さを上げたところに設定して俯瞰すると、ものすごく世界が広がった」と宮内。世界が広がると、自然と学ぶべきことも明確になっていく。その後、『ONESTORY』に入社しフードキュレーターとして活動するようになると、地方ではヒヤヒヤするほど刺激的な野菜や面白い生産者の方に出会い、「学び」の幅は縦横無尽に広がっていきます。

本から得る学びだけでなく、現場で知る学び。オタクになるための勉強ではなくて、血肉にしていくための学び。

「フードキュレーターは、専門家でも研究者でもなくて、何かと何かを掛け合わせて新しい価値を作っていくプロフェッショナル。知っていることが多いほど、いろいろアプローチが考えられるだろうし、スピード感も違います。終わりがないからこそ、まずは自分の興味があるところから広げて補完していくのがいいのかなと思います」

では、宮内自身は今どのようなことに興味を持っているのか。聞いてみれば、「今はUXデザインのことを勉強していて、簡単なCADを作ってみたり、ブランディングについて深掘りしたり、海外のレシピ本からナチュラルなベーコンの作り方を学んだり、この本も面白かったですね……」と止まらない。その時々のプロジェクトに応じて、あらゆる方向に「学び」を自在に拡張させていくことはなんだかとても面白そう。

「以前『茶禅華』の川田シェフにお会いしたときに、孔子の兵法についての分厚い本を読んでいらして、探究心の深さに衝撃を受けました。最近も「今年は茶道と蕎麦について学びたい」と仰っていて、とにかく一番時間がないはずのトップシェフたちが一番勉強をしている姿を日々、目の当たりにしています」

新しく知ることが新しいクリエイションへとつながっていく面白さを実感するからこそ、「学び」への意欲は尽きることがないのだろう。

宮内にとって、日本各地で出会う食材生産者との対話は何よりの楽しみであり最大の学び。 

現場には、市場に流通する野菜からは想像もつかないような世界が広がっている。 

特別インタビュー能力をアウトソースしあい新たな価値を作っていく。フードキュレーターが創る「食」の未来図

学び続けているプロフェッショナルといえばもう一人、宮内が気になっている人がいました。
ソムリエ、ワインディレクターとしてさまざまなプロジェクトに携わり、自身でも2つのお店を経営されている大越基裕氏。

大越氏は『FOOD CURATION ACADEMY』講座をどのように見たのか。

「僕が目指してやってきたこと、今ちょうど興味を持っていることの延長線上にあって、そのことがすごくうれしくて共感することも多かったですね。食の業界を「飲」と「食」に分けて考えたとき、「食」の世界は僕らのいる「飲」の世界よりも進んでいるなと改めて感じました。講座 #1での君島さんの提案も素晴らしかった。「食」に対して世の中から必要とされていることが、レストランの中だけで完結することではなくなってきている以上、そこまで考えるのが当然だよねって。でも「飲」はまだそこに追いついていない感じがしています。この10年、僕がかなり力を入れてペアリングをやってきたのも、そういう思いがあったから。シェフとレストランが、社会にまで思いを馳せて表現をしているのに、僕らがワイン選びで流れを断ち切ってしまったら意味がない。味と味のペアリングももちろん重要だけど、バックグラウンドにある思いを結んでいくためのセンスを磨いていかないといけないと改めて強く感じました」

「飲」と「食」をつなぐ新たな価値の提案をしてきた大越氏の活動はフードキュレーターそのもの。フードキュレーターとしての自身の実践と重ね合わせて、他にもこんな気づきがあったと言います。

「シェフだけでなく、講座 #1に登壇されていた菊池さんのお仕事もすごく面白かった。間を取り持って価値をつくっていくまさにフードキュレーションの仕事。さまざまな分野にフードキュレーションの能力を持つ人間がたくさんいて、互いの強み同士をアウトソースしあえるということにすごく未来を感じました。今までのプロフェッショナルは自分の分野のことだけに特化していて、他の分野のことは考えてもいなかった。でもフードキュレーターは違う。フードキュレーターという職業が将来的にもっと広がって、プロジェクトごとにチームを再編成していけば、食業界にもいろいろな可能性が出てくるだろうなと感じました」

日本を代表するトップソムリエの大越氏。自身が経営する『Andi』『An Com』ではそれぞれモダンベトナミーズとワイン、日本酒とのペアリングを提案している。 

特別インタビューワインディレクター・大越基裕が考える、これからの「学び」


レストランを飛び出し、かつて誰も歩んでこなかった新しい道を切り拓いていった大越氏。ターニングポイントは何だったのでしょうか。

「二十歳になるまで海外に行ったことがなかったのですが、二十歳のときに初めてフランスに行って、こんなにも得るものが大きいのかと衝撃を受けました」と大越氏。帰国後しばらくして再びフランスへ留学に。

「1回目よりも2回目に行った時の方が圧倒的に得るものが大きかったです。それは、何を得るために行くのか自分で明確に理解していて、計画を立てていたから。いま世界が変わってきている中で、僕らに求められることも変わってきています。情報も圧倒的に得やすくなっている分、ただ海外にいけば良かったという時代ではもうなくて、だから何ができるのか?ということが求められる時代。言ってしまえば、海外に行かなくともできることはたくさんありますし、学び方も変わってきている」

漫然と「学ぶ」のではなく、何かを得たいという自覚を持って「学ぶ」ことの大切さ。また、情報が簡単に手に入るようになったことで「人とのつながり」が希薄になっているとも大越氏は指摘します。

「どんなビジネスも信頼があってのこと、人と人のつながりが根本にあります。でもデジタルが進んで、コロナになって、その大切な部分が希薄になってきている気がします。そこをもう一度見直す必要がある。僕らのお店でもファンがファンを作ってくれている。ファンベースを作りましょうということを常々スタッフにも話しています」

「人を思う」ことは、決してサービスに対してだけ言えることではない。それぞれの立場から、生産者に思いを馳せ、シェフの思いを汲み取り、現場の声を知る。人と人、知と知をつなげていくフードキュレーションには、相手のことを考え、想像力を働かせることが不可欠。

「ワインのことばかり勉強していてはフードキュレーターにはなれない。シェフがどんな思いで料理を考えているのか、食材を選んでいるのか、生産者はどうか。そのマインドまで想像力を働かせること、相手のことを考えることができて初めてキュレーションが成り立つ」と大越氏。

「僕はワインを輸入しているわけでも、作っているわけでもないし、葡萄を作れるわけでもありません。僕ができることは、そこをつないで行って、最後にちゃんと「食」の喜びにつなげていくことだけ。責任と誇りを持って、クオリティを高いものに完成させていくことが僕らの責務です。その落とし込みをするのがフードキュレーターの仕事の一つだと、講座を見てさらに感じました」

血肉となる「学び」は机上では完結しない。世界に目を向け、人に触れ、未知と出会い、思いを巡らせる中に、いくつもの種が散らばっているはず。『FOOD CURATION ACADEMY』講座もそのとっかかりの一つ。
世界を見るシェフたちが今何を思うのか、その言葉に耳を傾けることからはじまる「学び」があります。

世界各地で、さまざまな生産現場、生産者と出会ってきた大越氏。自然と共存することが求められる生産者の姿に、これまでたくさんの影響を受けてきた。 

「僕らのやっている仕事の基本は人と人。人とのつながりをもっと大切にしないといけない」と大越氏。 

1976年、北海道生まれ。ワインテイスター / ソムリエ International A.S.I Sommelier Diploma WSET Sake Level3 & Educator 『銀座レカン』シェフソムリエを経て、2013年6月にワインテイスターとして独立。世界各国のワイナリーやレストラン、蔵元を周りながら、最新情報をもとにコンサルタント、講師や執筆、IWCなど国際品評会の審査員などもこなす。ロジカルなペアリング技術にも定評があり、ワインだけではなく、日本酒や焼酎を和食以外のレストランで提案したパイオニアの一人である。自身でも外苑前『An Di』、広尾『An Com』を経営し、最先端なアジア料理と共に世界中の様々なスタイルのワインと国酒を提供している。地元北海道では農業にも携わっており、幅広い分野で活躍している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。

Text:AYANO URATANI

壱岐らしさって何だ? 壱岐を伝える酒のために壱岐でとことん本質を探す。[IKI’S GIN PROJECT/長崎県壱岐市]

壱岐島の最高地点・岳の辻展望台からの夕景。静かな島には神秘的な風景がそこかしこに広がる。

壱岐ジンプロジェクト壱岐を知ることから始まったジン造り。

コロナ禍に長崎県の離島・壱岐で始まったクラフトジン造り。
それは島の美しさを若い人にもどうにか届けたいと願う若きホテルマンの情熱と、壱岐を代表する焼酎蔵の強いこだわりがタッグを組むことで動き出しました。まだまだ試行錯誤の連続ですが、『ONESTORY』では2021年3月の完成を目処に調整を重ねるジン造りに密着。ジンという新たな酒で、小さな島に巻き起こる奇跡を目撃しに、寒風吹きすさぶ冬の壱岐をキーマンふたりと回ったのです。
(キーマンふたり、『壱岐リトリート 海里村上』でホテルマンとして働く貴島健太郎氏と『壱岐の蔵酒造』代表・石橋福太郎氏の詳しい紹介はこちらにて。)

ずばりテーマは壱岐らしさを表現すること。
壱岐を発祥とする麦焼酎に壱岐で採れる野菜や植物などを漬け込み、それらを再蒸溜します。ベースに使う麦焼酎の仕込み水も壱岐の地下水。更には焼酎の素となる麦や米も壱岐産ということで、まじりっ気なしの壱岐のジンを目指すといいます。それは壱岐の素材にこだわり続けた『壱岐の蔵酒造』だからこそ、なし得た酒。焼酎造りの根幹でもある、メイド・イン・壱岐をジン造りに惜しげもなく使うと『壱岐の蔵酒造』代表の石橋福太郎氏は明言しています。

ただし、素材をただ壱岐産にすればいいというわけではありません。ジンを構成する大切な要素の香りと味も壱岐らしさが出るものにしたい。そうしてふたりがまず訪れたのが『壱岐ゆず生産組合』でした。

「壱岐はね、ゆずの一大産地なんです。柚子胡椒などがとても有名で、冬の時期にはたわわに実るゆずが島のあちこちで見られるんです。ウチでもゆずリキュールがとても人気で、その知識をジンにも活かしたいと思います」とは、壱岐の蔵酒造代表の石橋福太郎氏。

「ゆずって柑橘の中でも独特の和の香りがあると思いませんか? 日本らしさというか、他の柑橘にはない爽やかさ、それを壱岐のジンの主要な香味のひとつにできたら素敵ですよね」と壱岐リトリート海里村上の貴島健太郎氏。

ジン造りのキーマンふたりは、すでにゆずの使用は決めている様子。そして『壱岐ゆず生産組合』の加工場を訪れるとすぐに嬉しい悲鳴を上げたのです。

【関連記事】IKI’S GIN PROJECT/やっかいもののゴミを酒に変える!壱岐の豊かさを知った若きホテルマンが焼酎蔵へジン造りを依頼する。

江戸時代には、平戸藩統治下の重税のため、島民は米でなく麦が主食だったそう。その余った麦を蒸溜した自家製の焼酎と、米麹を融合させたものが、壱岐の麦焼酎の原型。

皮を剥いたゆず。これがすべて廃棄されている現状に驚かされる。

ゆずの畑も訪れたふたり。黒ずんだ実は、そのまま落下まで完熟させて捨ててしまうと聞いて、それも欲しいと懇願。

壱岐ジンプロジェクト廃棄物の数々こそが壱岐を表現する重要アイテムに。

「えー、これ全部廃棄に回っちゃうの? それは勿体なさすぎる! 全部欲しい!」。声の主は石橋氏でした。出くわしたのは、ゆずの皮むきの工程。専用の皮むき機を使い数秒でゆずひとつが丸っと剥かれていくのですが、なんと皮以外の中身は捨てられてしまうというのです。とても勿体ない話ですが、ゆずの生産量に作業量が追いついていないのと、皮の価値ほど中身に需要がないのがその理由だと、『壱岐ゆず生産組合』の長嶋邦明氏は教えてくれます。

「これ、そのまま漬けたらすごい贅沢ですね。この部屋に充満するゆずの香りがそのままジンに引き継がれるわけですから」と貴島氏も興奮気味です。

更には少し黒ずんだもの、果汁を搾った後の搾りカスなども見て回り、それら全てが現状では廃棄に回ることを知り、それぞれを漬けてみたいとふたりの声は熱を帯びたのです。
長嶋氏もまた、持て余していた壱岐のゆずが生まれ変わるならば好きなだけ持っていってくださいと、笑って言ってくれました。

壱岐を代表する柑橘のゆず。その新たな使い道に手応えを感じたふたりは、その足で『JA壱岐市柑橘部会』会長の馬場勝利氏のもとも訪れます。
「2020年は台風の影響などで2~3割しか出荷できないかもしれない……」。話は「麗紅(れいこう)」というみかんに関してです。「清見」と「アンコール」の交配で生まれた系統に「マーコット」を交配した品種で、同じ交配により生まれた別の品種に人気の「せとか」があるなど、その味は折り紙付きで、近年めきめきと人気を上げる品種がなんと大ダメージを受けているというのです。
「木にはこんなにたわわに実っているのに、出荷できないなんて」と驚く貴島氏。

「ちょっとしたことなんだけど、色が悪かったり、傷ついていたり、成長が遅かったりで大部分が基準以下なんですよ。くやしいけど仕方ない」と馬場氏。
そんな中、貴島氏は許可を得て、出荷できない麗紅をもぎ、その場で齧(かじ)ってみました。
「苦いし、酸っぱい! でもすごい強い香りです(笑)」と貴島氏。
「そりゃそうだよ、まだ完熟前なんだから」と馬場氏が笑います。その笑顔につられるように、冬の圃場に温かい空気が満ちていくのです。

「これも絶対に試してみよう。他にも壱岐にはたくさんの柑橘があるから、チェックしないとだな」と石橋氏。事情を説明した『JA壱岐市柑橘部会』の馬場氏も大いに頷き、出荷できない麗紅の漬け込みはもちろん、壱岐の柑橘もテストさせて頂くことに。

これらと同じように廃棄される果実や野菜はまだまだあると、その日生産者巡りをアテンドでしてくれたJA壱岐市の松嶋 新氏は教えてくれました。
アスパラガス農家の西村善明氏の元では、出荷時には大きさを揃えるために一番美味しい根元の部分は切ってしまうと聞かされ、更にその量が壱岐だけでも年間3トンに及ぶと聞き、驚愕させられます。
イチゴ農家の松村春幸氏のハウスでは、ちょっとした傷があるだけで、傷みの早いイチゴはスーパーマーケットに並ぶ際にはその傷が傷みになってしまうので、出荷できないと教えてもらいました。

「全部美味しく味わえるのに、世に出せないものがこんなにあるんですね」と貴島氏。
「だからこそ、そういう廃棄される野菜や果物でもジンにすれば無駄なく使える」と石橋氏。
廃棄される野菜や果物を少しでもお金に換え、島の農家をサポートできるジン造りは、今、世界中で叫ばれるSDGsの活動そのもの。持続可能な島の農業の一助となるかもしれません。

台風の被害で傷ついた麗紅。収穫前だが、2020年は出荷を断念する実が多数ある。

『JA壱岐市柑橘部会』会長の馬場氏の話を聞きつつも、傷ついた実に興味津々の貴島氏。

上記は全て出荷の段階でハネられた傷物イチゴ。本当に小さな傷があるだけで出荷は見合わせられてしまうという。

壱岐ジンプロジェクト最後は心意気まで酒に詰める。それが壱岐のジンの形に。

「壱岐らしさってなんですかね? もちろん柑橘やイチゴは絶対に美味しいのですが、それらだけで壱岐のジンって言えますかね?」と話す貴島氏。ホテルマンの貴島氏は出来上がったジンをホテルの夕食時にペアリングで出せたらと夢見ます。その際に、更に「壱岐」を感じてもらえるような圧倒的な個性が欲しいと望むのです。
翌日訪れたのは、壱岐で幻のニホンミツバチではちみつを作る冨山一子さん。
「壱岐の季節の花々の蜜がウチのはちみつの素。味わえば、壱岐を感じてもらえると思いますよ」と冨山さん。
現在、ほぼひとりで作業を行う冨山さんのはちみつは、無農薬で育てられた花の蜜。それは味わうとすーっと身体に染み入るものでした。しかし生産量はごくわずかで、一般にはなかなか流通せず、高価です。

「実際に価格が高いので、とても材料として使えるはちみつではないんですが……」と前置きしつつ、冨山さんはこう続けます。「でもですね、今回、お世話になっている『壱岐リトリート 海里村上』さんと壱岐を代表する『壱岐の蔵酒造』さんが壱岐の名物をと動いているのを知り、何かお役に立てればと思っているんです」。
蜜を搾った後のハチの巣を提供してくれるというのです。ひとりでの作業が追いつかず、冷凍庫に眠るハチの巣は、実際には引く手あまただというのですが、ご自身で保存している分を壱岐の未来のために分けてくれるというのです。

「季節の壱岐の花を使ったはちみつ、すごいですね」と貴島氏は喜び、「これはすごい後押しです」と石橋氏は恐縮します。

更に北インド産のスーパーフードとして注目されるモリンガを壱岐で作る松本マサ子さんの元を訪れ、試させてほしいと懇願。ふたりの熱意にほだされて松本さんも頷いてくれたのです。

我々『ONESTORY』も、こうしたふたりの動きが、確かに島の生産者さんに着実に伝播していく瞬間を目撃。新たなものを生み出す障壁を軽々と飛び越えるのは、人を動かす情熱なのだと教えてもらったのです。
他にも試してみたのは、ウニの殻、温泉の結晶など、壱岐で思い浮かぶもの色々。いよいよ次回は完成のタイミングに立ち会います。果たして味や香りはどうなるのでしょうか? 更にはラベルにボトル、ジンのネーミングまで? 壱岐らしさを追い続けたクラフトジンが、ついにお目見えです!

冨山さんの養蜂場にて。年間を通して花が咲くのが壱岐のいいところだそう。

ちょっとした談笑ですら、息を呑むほどの絶景の中にて。これこそが壱岐らしさなのかもしれない。

壱岐でモリンガを生産する松本さん。年齢を聞いて思わず聞き返してしまうほど若々しさに溢れている。「それはモリンガのおかげよ」と松本さん。

住所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520 MAP
電話:0120-595-373
http://ikinokura.co.jp/

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2 MAP
電話:0920−43−0770
https://www.kairi-iki.com/

「地域には地産地消だけではない循環の仕組みが必要。そして、地球の資源・水を守りたい」LA CASA DI Tetsuo Ota/太田哲雄

「地産地消は当たり前だと思います。自給自足率を少しでも上げ、地域にお金を循環させる仕組みをつくるべき」と太田氏。

旅の再開は、再会の旅へ。今も昔も同じ。派手なことをやるつもりはない。長野に根ざしたお店作りを地道に続ける。

2019年6月、軽井沢の別荘地にある1軒の瀟洒(しょうしゃ)な建物に『LA CASA DI Tetsuo Ota』はオープンしました。

その主人は、太田哲雄氏です。

ご存知の方も多いと思いますが、太田氏と言えば「アマゾンカカオ」。アマゾン産のカカオの中でも厳選した高品質なそれを世に送り出し、日本のレストランシーンに多大な影響を及ぼしています。

ゆえに、ここはレストランでもあり、カカオラボでもあります。

軽井沢の店ですが、軽井沢だけにフォーカスしたくはありません。僕は白馬に生まれ、自然に囲まれて育ちました。長野県人として、長野全体のために何ができるかを考えたい」と言う通り、その食材は多彩。白馬の川魚も信州牛や北信州のそば粉、あるいはイタリアのハムやチーズ、ペルーのカカオもしかり、自身が知りうるあらゆる手段を使い、太田哲雄というシェフの半生を料理に表現していきます。

地元と地元以外。その両輪のバランスが、やがて太田氏が「地産地消の一歩先」と語る地域創生を実現するのかもしれません。

開店後、早々に予約困難の人気店に。この「家」を訪ねるためだけに旅をする人も少なくありません。2020年に世界に難局をもたらしたコロナ禍においても「集客に大きな影響はありませんでした」と話します。

「緊急事態宣言が出てしまった時には約1ヶ月お店を閉めましたが、以降は日数を減らして夜営業をできるだけ昼営業にしていました。その分、お菓子(TETSUキャラメルポップコーン)の製造に力を注いでいました。卸販売が基本ですが、個人受付も始めました」。

しかし、全てが『LA CASA DI Tetsuo Ota』のような状況ではありません。代表的な観光地・軽井沢はどのように変化したのでしょうか。

「軽井沢は誰もが知る観光地ですが、元々の地の方々は閉鎖的です。観光業を生業とされている方とそうではない方の県外からのお客様に対しての向き合い方が違います。観光業の売り揚げは全てに差が出過ぎてしまっています。流行っている場所やお店は何も特に変わらず、反対に昨年よりも売り上げを伸ばしています。一方、集客に困っていたところは状況が更に酷くなっています。地域に密着しながら、軽井沢だけではなく、長野県全体的な関わりを考えながら共に歩んで行くことが大切だと思います」。

今、地域に必要なこと何か。それは、「循環の仕組み」だと太田氏は言います。

地産地消は当たり前だと思います。自給自足率を少しでも上げ、地域にお金を循環させる仕組みを作ってもらえると嬉しいです。そして、一番の願いは、日本の資源を守る対策。中でも水源は切に思います」。

水は人の命に必要不可欠な源であることはもちろん、他種の生命体や植物を始めとした自然においても大切な源であり、地球の資源。

また、太田氏が実行する循環の仕組みは、食に限った話ではありません。お菓子の製造ラインには地元の高校生や高齢者も積極的に採用し、雇用の循環も積極的に行っています。

「派手なことをやる必要はありません。地道に長野県に根ざすお店作りを目指しています」。

地道――。未だ世界中に暗雲は立ち込めていますが、歩むべき正しい道は、それぞれが根ざした「地」と真摯に向き合い、生きる「道」なのかもしれません。

「世界という広義に見れば、ヨーロッパや中南米の現状は日本よりも逼迫していると思います。ほかの国が困っている時ほど助け合う精神が必要だと思います。今なお、不安な日々が続いていますが、自分は自分にできることをやるだけ。『LA CASA DI Tetsuo Ota』へ訪れてくださるお客様がほんの束の間、安らいだ気持ちになってくれる場所でありたいと思います」。

7つのパーツに分かれ、それぞれに異なる有用性があるカカオ。「食材を生かすということは、食材を知ること。生産者に胸を張れる料理であること。それを模索するのはシェフの務めです」と話す太田氏。

アマゾンカカオを使ったオリジナルポップコーン「TETSUキャラメルポップコーン」も販売し、好評を博している。

「得度を受け、定期的に高野山に上がっています」と言う太田氏。「高野山」にもお菓子を納め、カカオと湧き水を合わせて精進の世界でも受け入れられるお菓子作りも始めている。

「得度受けてからの変化は、癒しを求めに来られるお客様が増えました」と太田氏。湧き水の水源も毎回整える。

住所:長野県北佐久郡軽井沢町大字発地342-100 MAP
電話:0267-41-0059

Text:YUICHI KURAMOCHI

響き合い、混じり合い、影響し合う。文化におけるコラボレーションの意義。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・焼鳥 市松/大阪府大阪市]

活躍する場は違えど、多くの共通項があり、共感する話題が多いふたり。話題は料理を越え、互いの仕事への思いにまで及んだ。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子丁寧な空間づくりから伝わる、料理人の姿勢。

和紙デザイナー・堀木エリ子さんが『テタンジェ』のトップキュベ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のペアリングを体験する「食べるシャンパン」。

第2回目の舞台は、大阪の焼き鳥店『焼鳥 市松』です。

もちろんただの焼き鳥店ではありません。店を率いるのは、焼き鳥一筋の名人・竹田英人氏。比内地鶏にこだわり、そのおいしさを伝えるために研ぎ澄まされた技。素材への敬意と産地への思い。そして焼き鳥という、ある意味でフォーマットが固定された料理に見出すさらなる可能性。

ミシュランの星獲得という事実を取り沙汰するまでもなく、ここで振る舞われる至高の焼き鳥は、美食家たちを虜にしてきました。

そんな『市松』の純白の暖簾をくぐり、堀木さんがやってきます。カウンターに座り、柔らかく微笑むと、こう切り出しました。
「磨き抜かれたカウンター、さりげない季節の花、箸置きは鳥の鎖骨。シンプルですが、しっかりと謂れのあるもので飾られています。空間すべてが丁寧なんです。こんな空間を作る人の料理は、間違いなく丁寧。食べる前からそれが伝わってきますね」。

それから自己紹介を経て、こう続けます。
「たかが紙、されど紙。私の仕事は、この“されど”に価値を見出すことです。そして語弊を恐れずに言うならば、竹田さんの焼き鳥もきっと同じなのではないでしょうか。されど焼き鳥。どんなものが頂けるのか楽しみです」。

【関連記事】NEW PAIRING OF CHAMPAGNE/深まる「ご縁」、湧き上がる「パッション」。和紙デザイナー・堀木エリ子が体験する「食べるシャンパン」。

竹田氏は「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」に合わせて2品の料理を考案。写真は2品目に登場したカカオと山椒をあわせたつくね。

竹田氏の仕事は一言でいうならば、実直。自身が惚れ込んだ比内地鶏の魅力を引き出すべく、持てる技を駆使して丁寧に焼き上げる。

つなぎを入れず、比内地鶏のミンチだけで仕立てるつくね。形を整え、ジューシーに焼き上げる秘訣は、繊細な力加減だけ

串に使用するのは、黒文字というクスノキ科の木。「手で触れるものだから」と質感にまでこだわる。

背筋が伸びるような、凛とした佇まいの店内。焼台を囲むカウンターが特等席だ。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子シンプルな中にさまざまな計算が潜む、掴みの一品。

事前に「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」を試飲した竹田氏は、そこに合わせる2品の料理を考案してくれました。

そして先に種明かしとして教えてくれたのは、その2品が単品で完結するのではなく、流れとしてつながっていること。1品目を食べ、シャンパーニュを味わい、2品目を食べ、またグラスを傾ける。その一連の流れに、竹田氏の狙いが潜んでいるのです。

竹田氏はまず1品目の比内地鶏の生ハムと鶏キンカンの醤油焼きを差し出し、「ひとくちでどうぞ」と伝えます。言葉に従い、料理を口に運ぶ堀木さん。その顔に見る間に笑みが広がります。

「キンカンがプチっと弾けた瞬間に、旨味が口の中に広がります。次いでタレの旨味、そして噛むごとに湧く肉の甘み。これは間違いなく“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”に合いますね。飲む前からわかります(笑)」。

そう笑いながらグラスを口に運び、再び笑顔を見せる堀木さん。
「シャンパーニュを口にすると、途端に味の広がり方が変わります。これはきっと料理にパンチがあるからこそでしょうね。シャンパーニュの華やかさが、料理の余韻でグッと押し広げられたような印象です」。

この料理での竹田氏の狙いは、まず冷たい料理で、冷たいドリンクとの温度差をなくすこと。そして口内で弾けた卵黄のコクを、爽やかな酸味で流し次の料理につなげること。さらに料理の下に潜ませた大根おろしは口直しの役割も果たし、いっそう続く料理への期待を高めるのです。

「掴みの一品として、ここまで印象深い料理があるとは」。

堀木さんのコメントにも、驚きが満ちていました。

1品目の比内地鶏の生ハムと鶏きんかんの醤油焼き。生ハムの弾力と、卵黄の弾ける食感の対比も狙いのひとつ。

日頃から焼き鳥を食べる際は「最初から最後までシャンパーニュ」という堀木さん。この日のマリアージュにも、ファンならではの視点で切り込んだ。

炭の香ばしさと、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のスパイシーな味わいが、絶妙に調和する。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子新たな文化を紡ぎ出す、コラボレーションの魔力。

「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」が心を溶かし、いつしか饒舌に話すふたり。話題は竹田氏が以前、シンガポールを代表するスターシェフ、モダンフレンチ『アンドレ』のアンドレ・チャン氏とコラボレーションしたことに及びます。

「竹田さんがアンドレ氏とコラボしている記事を興味深く拝見しました。出会いによって新たなものが生まれる。そこがコラボレーションのおもしろさですね。今日のシャンパーニュと焼き鳥との出会い、そしてこのテタンジェと和紙の出会いもいわばコラボレーションですから」。

堀木さんはコラボレーションの魅力を「必ずどちらにも発見があり、そこから新しいものが生まれる」ことと言います。そして「僕は学ぶことばかりです」と謙遜する竹田氏の言葉を否定し、偉大な音楽家の言葉を伝えました。

それは世界的チェリストのヨーヨー・マ氏のカーネギーホールでのコンサートのときのこと。その舞台美術を手掛けた堀木さんに、ヨーヨー・マ氏本人の口から出た言葉。

――クリエイターは場所と場所、人と人、時間と時間をつないで、影響し合うことが何よりも大切です――

そんな印象的な言葉を引き合いに出しつつ、堀木さんはこう続けます。
「このパッケージデザインのお話は、実は最初は箱を作るよう依頼されたんです。そこに日本の“おもてなしの心”を込めて、熨斗として包むという形態を選びました。やがてこのシャンパーニュを通して、そのおもてなしの文化がフランスに伝わります。するとその文化に影響を受けた人が、また新たな発想をする。そうして新しいものが生まれていくのでしょう」。

誰か、何かと影響し合いながら、新しいものを紡いでいく。その繰り返しが、必ず誰かに影響を与える。料理然り、伝統然り、芸術然り。互いに同じ思いを抱くふたりだからこそ、コラボレーションの重要性を深く語り合っていました。

京都生まれ、大阪育ちの堀木さん。生粋の大阪っ子の竹田氏ともあっという間に打ち解けて語り合った。

炭に向かう顔は寡黙な職人に見える竹田氏だが、話してみるといたって気さく。端々に冗談を挟む大阪人らしい一面も。

素材について、仕事について、天職という考え方について。話題は尽きず、ふたりの話は多岐に及んだ。

焼鳥 市松 × 堀木エリ子複雑な要素が絡み合い、調和する。職人の技が発揮された見事な串。

まるで旧知の仲のように話すふたり。頃合いを見て、竹田氏が2品目の料理に取り掛かります。それは山椒とカカオを合わせた焼き鳥です。

「焼き鳥も山椒もカカオも、それぞれは絶対にシャンパーニュに合うと思います。だけど3つすべてをあわせるとなると、どういう効果が生まれるのか……」。

そうもらす堀木さん。期待と不安の入り混じった視線を受けながら、竹田氏は料理の仕上げにかかります。

そして完成したのは、さらに複雑な要素を兼ね備えた一品。比内地鶏だけで作ったつくねに、カカオニブとカカオバター、山椒とライムの皮を加え、特製のタレで仕上げた奥深い焼き鳥です。

「構成要素が多いので、できればこれも一口でお召し上がりください」そんな言葉に促され、串を口に運ぶ堀木さん。しばしの沈黙。最初に堀木さんの口を割ったのは「なるほど」というつぶやき、そして次のような言葉でした。

「味と香りに立体感があり、しかし驚くほど調和しています」。

続けて「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」を口に運び、また沈黙。次の言葉は、笑顔とともに飛び出しました。

「カカオのさりげないコク、肉の脂の濃厚さを、山椒と柑橘が爽やかにしてくれています。そこで合わせるドリンクとの調和がまた見事。スパイシーでパンチがあり、かつ爽やかな香りがある“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”と兄弟のような存在。料理内のさまざまな要素同士、そしてシャンパーニュと。今までに感じたことがないほどの見事な調和です」。

竹田氏によればこの料理は試飲して、すぐに出てきた答えとのこと。フレッシュなスパイス、炭でシャンパーニュの香りを引き立て、脂とカカオのコクでキレを際立たせる。ただし構成要素が多い料理なので、全体のバランス調整にはかなり気を使ったといいます。

「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”を飲んでこの料理を思いつくのは、すごい発想力。“されど焼き鳥”の本質を見ました」。
そんな称賛を寄せる堀木さんの姿が印象的でした。

料理を食べ終えても、ふたりの話は終わりません。リラックスして「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」を傾けながら、会話は続きます。

話題はふたりに共通する「自然の素材と向き合い、そこに作為を加えていく」という点。

「100%自分の思い通りにしてやろう、と思うと良いものはできません。3割くらい偶然性を活かし、支配しようとしないこと。自然本来の良いものを見つけ、作為の中で落とし所を見つけること。きっとそのバランスを“感性”と呼ぶのでしょう。料理も同じではないですか?」。

堀木さんが訪ね、竹田氏が答えます。

「そうですね。頑固ではいけない、と思います。たとえば海外でイベントをするときに、思い通りの食材が集まらないこともあります。その隙間を作為で埋めるのが料理人だと思います」。

異なるフィールドに立ちながら、ものづくりという点で共通するふたり。やはり共感する部分は多いよう。そしてもちろん、今日の日のもう一つの主役である「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」にも。

「私たちはまだ作為によって調整ができますが、シャンパーニュはもっと大変でしょうね。雨は止められないし、日差しは増やせない。どうすることもできない自然を相手に、できることを真摯にやり続けるしかない。そしてこの“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”は、そんな中で生まれた奇跡のようなシャンパーニュ。料理や和紙とのコラボで、この奇跡のシャンパーニュがまたどこかに影響を与えてくれるのでしょう」。

香りを接点にしたマリアージュを狙うのも竹田氏の手法。2品目のつくねにも、多彩な香りを潜ませて、シャンパーニュとの総合的な調和を狙う。

上辺の社交辞令を言わない堀木さん。「また寄らせてもらいます」という言葉に、この日の満足感が表れていた。

住所:大阪府大阪市北区堂島1-5-1 エスパス北新地23 1F MAP
TEL:06-6346-0112

1962年京都生まれ。高校卒業後、4年間の銀行勤務を経て、京都の和紙関連会社に転職。これを機に和紙の世界へと足を踏み入れる。以後、「成田国際空港第一ターミナル」到着ロビーや「東京ミッドタウン」などのパブリックスペース、さらには、旧「そごう心斎橋本店」や「ザ・ペニンシュラ東京」など、デパートやホテルの建築空間に作品を展開。また、「カーネギーホール」(ニューヨーク)での「YO-YOMAチェロコンサート」舞台美術や、「ハノーバー国際博覧会」(ドイツ)に出展した和紙で制作された車「ランタンカー‘螢’」など、様々な分野においても和紙の新しい表現に取り組む。「日本建築美術工芸協会賞」、「インテリアプランニング国土交通大臣賞」、「日本現代藝術奨励賞」、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」、「女性起業家大賞」など、受賞歴も多数。近著に『和紙のある空間-堀木エリ子作品集』(エーアンドユー)がある。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by TAITTINGER)

デニムモニュメント

皆さんこんにちは(*´∀`*)


デニムストリートには素敵なモニュメントがあるのですが、それの改装工事を行いました( ´ ▽ ` )



一旦白塗りして〜



文字をなぞり〜の



ハートをつければ、はい完成!

少し汚れが目立っておりましたので心機一転綺麗になりました(*´∇`*)



インスタスポットになっておりますので、是非デニムストリートにお越しの際は写真スポットとしてご利用ください(・∀・)






農産物に凝縮される、水と土のパワー。シェフたちを驚かせた滋賀食材の豊かな味わい。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

近江八幡市、安土信長葱の畑にて。手入れの行き届いた畑はおいしさの証。

ローカルファインフードフェア滋賀肥沃な土壌と豊かな水が育んだ滋賀県の農産物をめぐる。

東京都内で活躍するシェフが滋賀県の食材の魅力を伝え、オリジナル料理を提供する期間限定の滋賀食材フェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。2021年2月のフェア開催に先立ち、シェフたちが冬の滋賀県を訪ねました。
湖魚、野菜、和牛の生産者のもとをめぐった1日目から一夜明けた2日目、この日はカブ、ネギ、トマト、お茶、イチゴの生産者を訪ねます。豊富な水と豊かな土壌が育む、滋賀県の農産物。シェフたちはそこで何を見出し、どんな料理のアイデアを練るのでしょうか。

【関連記事】湖魚、和牛、伝統野菜。まだ見ぬ至高の食材を探しに、雪の舞う冬の滋賀県へ。

琵琶湖の南北でがらりと変わる気候が、多彩な農産物を育む。

ローカルファインフードフェア滋賀蘇った伝統野菜と、新たに生まれた野菜。

滋賀県食材視察ツアー2日目。
雪が振り続けていた初日から一転、この日は気持ちの良い晴天が広がっていました。
実はこの天気の変化は上空の大気の状況もありますが、視察の場所が琵琶湖の南側に移ったのも大きな要因。同じ滋賀県内でも北部は日本海側の気候で冬は雪が積もりますが、南部は比較的温暖。この地域差が気候の違いを生み、さまざまな食材を育むのです。

そんな滋賀県の多様性を象徴する食材のひとつが、カブです。
大カブ、小カブ、白カブ、赤カブから、日野菜、北之庄菜、赤丸かぶ、万木かぶなどの伝統野菜まで、滋賀県で栽培されるカブは実に多彩。そこでこの日の一軒目は、滋賀県を象徴する伝統野菜・守山矢島かぶらを目指し、守山市の産地を訪ねました。
地元とゆかりの深い戦国武将・織田信長の伝説も残る伝統的地野菜・矢島かぶら。しかし生産者の高齢化にともない、生産者がいなくなってしまった時期があったそう。そんな中、地元の有志が立ち上がり、伝統を守り、未来につなぐために再び生産をはじめたのが、この守山矢島かぶらです。紫と白の美しいグラデーション、小ぶりながらたっぷりと水分を蓄えた扁平なフォルム。日本中でここだけでしか採れない希少な野菜に、シェフたちも興味津々です。
とくに興味をそそられていたのは、『湯浅一生研究所』の湯浅氏とバイヤーの山本氏。茎や葉も食べられるか、旬はいつ頃か、地元でどのように食べられるかなどを次々と尋ねていました。

続いては、こちらも滋賀県ならではの農産物、その名も安土信長葱。生みの親のひとりである井上正人氏の元を訪れ、お話を伺いました。
インパクトのあるネーミングが印象的なこのネギ、関西圏の料理人を中心に近年評判を呼んでいるのですが、実は世に出たのは今からわずか13年ほど前のこと。井上氏らが「太くて甘いネギを作ろう!」と立ち上がり生まれたブランドです。

「ここ安土町下豊浦地区は、もともとネギ栽培に適した地。その利を活かし、とにかくインパクトのあるネギを作ろうと思いました」と井上氏が胸を張るこの安土信長葱。葉鞘(ようしょう)と呼ばれる白い部分が27cm以上、重さは1本100g以上、糖度はスイカ並みの14度以上という、とにかく驚きだらけのネギ。

これには素材感をシンプルに伝える鉄板焼フレンチ『ahill』の山中氏、スパイスで素材の魅力を引き出すインド料理『ニルヴァーナ・ニューヨーク』の杉山氏ともに強く興味を惹かれた様子。とくに山中氏は「表面に隠し包丁入れて焼いて、ナイフがすっと入るようにして出したい。ネギが主役になる料理ですね」とすでに具体的な構想まで浮かんでいるようでした。

白と紫の美しいグラデーションが、守山矢島かぶらの特徴。

訪問時はちょうど旬を迎え、畑には多くの守山矢島かぶらが実っていた。

安土信長葱の生産者・井上氏。後ろに見えるのは安土城跡のある安土山。

青ネギが主流の関西圏で、白ネギの安土信長葱の存在感が際立つ。

ローカルファインフードフェア滋賀滋賀の陽光を浴び、ハウスで育つ2種類の赤い宝石。

昼食を挟んで一行は、滋賀県南東部の日野町にあるトマト農園『FARM KEI』を目指します。
受粉のための蜂が飛び回る穏やかなハウス内で、たっぷりのミネラルを吸収しながら育つのは、赤、オレンジ、緑、紫など色とりどりのイタリアン・トマト。こちらではジュエリートマトと名付け、直売や加工品販売を展開、もぎとり体験などを行っています。
「鈴鹿山脈のミネラルたっぷりの伏流水で育つトマトは、フルーツのような甘み。そのままでもおいしいですが、加熱するとさらにおいしくなります」と胸を張るのは、代表の井狩けいこ氏。自身がおいしく食べられるトマトの品種を探すうちに、現在の9品種に落ち着いたのだといいます。
ハウス内を見学しながら、ひときわ目を輝かせていたのはフランス料理店『シュヴァル ドゥ ヒョータン』の川副藍氏。「ただ甘いだけでなく、それぞれの品種にしっかりと個性がありますね」と称賛を寄せていました。

滋賀県が誇るミネラルたっぷりの農産物といえばイチゴも欠かせません。
一行が訪れた『farmハレノヒ』でも、噂に違わぬ素晴らしいイチゴが出迎えてくれました。
こちらで採用されているのは、少量の土の中に根を張らせ、そこに養液を巡らせて育てる滋賀県が開発した養液栽培システム・少量土壌培地耕。これにより高品質のイチゴが安定して収穫できるようになったといいます。「環境への意識や生産者の思いなど、食材の背後に潜む物語も大切」という湯浅氏にとっても、この農場はかなり刺激になった様子でした。
こちらで育てられるのは、章姫(あきひめ)とやよいひめという2品種。この日、とくに一行を驚かせたのは、やよいひめでした。
「やよいひめは当園が栽培するイチゴでもっとも実が固い品種で、食感があります。この時期のやよいひめは酸味と甘味のバランスが良いのですが、3月に近づくにつれて糖度がどんどん増していきます」という代表の川立裕久氏の話を聞きながら採れたてのイチゴを試食する一行。「甘すぎず、酸っぱすぎず、おだやかなおいしさ。優しいお二人だから、優しい味になるのかな」と杉山氏は語ります。

さらに川立氏は、現在開発中という滋賀県のオリジナル品種のイチゴも試食させてくれました。口々に感想を述べるシェフたちと「シェフの声を聞きながら調整していきたい」という川立氏の言葉に、シェフと生産者の理想的な関係が垣間見えました。

『FARM KEI』の井狩氏。「元はトマトが苦手だった」という井狩氏が甘いトマトを探し、現在の9品種に行き着いた。

各地の食材に造詣が深い杉山氏も、ジュエリートマトには驚きを隠せなかった。

『FARM KEI』のハウスを歩く川副氏。実のなり方、育ち方まで熱心に見つめた。

『farmハレノヒ』の川立夫妻。穏やかな人柄でシェフたちを出迎えてくれた。

いつもユーモアたっぷりの山中氏も試食の際は真剣そのもの。

滋賀県が開発した少量土壌培地耕で、安定した品質のイチゴが育つ。

背後にある物語を紐解くように、じっくりと試食をする湯浅氏。

ローカルファインフードフェア滋賀長い歴史を誇る近江の茶が象徴する滋賀県のものづくり。

肉、魚、野菜、果物とまわってきた滋賀県食材視察ツアーですが、滋賀県には忘れてはならない名産がもうひとつあります。それが、お茶です。
平安時代、天台宗の開祖である最澄が唐の国から種子を持ち帰り、比叡山の麓に撒いたことが起源と伝わるお茶。以来、1200年以上の歴史を誇るのが、ここ近江のお茶なのです。

そんな滋賀県の中でも最大の産地が、甲賀市土山町(旧土山町)。滋賀県全体で300haある茶畑のうち、200haが土山にあると聞けば、その規模が窺えることでしょう。
「渋味が少なく、旨味が強いのが特長」と、栽培から製造、販売までを手掛ける『グリーンティ土山』の竹田知裕氏は、そう胸を張ります。土地の気候や土壌、伝統、それらを大切にする生産者の熱意。すべてが揃うことで、そんな素晴らしいお茶が生まれるのでしょう。
広大な茶畑や加工場を見学しながら湯浅氏は「たとえばパスタに練り込むなど、当たり前じゃない使い方もしてみたい」とイメージを膨らませていました。

一泊二日の視察を終え、参加したすべてのシェフとバイヤーから聞こえてきた共通の感想は「生産者が熱い」という言葉。
「皆さん、真摯な気持ちで作っているのが伝わりました。真剣に自然と向き合う生産者の姿。店に戻ったらサービススタッフと共有し、その思いまで含めてお客様に伝えられれば」と振り返るのは川副氏。「ビワマスをみなくちファームのハーブと合わせて、近江牛はあえて脂の少ない部分を使って、それぞれの上品なおいしさを表現したい」と、フェアに向けての構想を聞かせてくれました。

山中氏も「今回たまたまなのか、土地柄なのか、素晴らしい人ばかりと出会えて幸運でした。畑の作り方や話した生産者の人柄をみれば、どう梱包してどういうものを送ってくれるかもわかりますから」と同意します。フェアに向けては「いろいろな野菜を知っているつもりでしたが、カブでもネギでもトマトでも、新たな発見がありました。今は野菜中心にやりたいという思いが湧いています」と話します。同時に「生産者の方が突然お店に来られても、胸を張って出せる料理を作りたい」と決意もみせていました。

「味覚って記憶になるんですよね。何かをきっかけに、そのとき食べた場所や情景が浮かんでくるように。そういう意味では、これからも記憶に残り続ける土地になると思います。そしてその記憶をお客様に追体験してもらうイメージで料理とプレゼンテーションを考えたい」とは湯浅氏。それぞれの食材についても「今までのやり方、セオリーを少し外してもおもしろいと思える食材に出会えました。コースの中に“丸ごと滋賀の一皿”が登場するようなイメージで、この土地のストーリーを伝えたい」といいます。

試食の際にもっとも大きなリアクションで感想を伝え、生産者にもっとも質問を投げかけていた杉山氏。「スパイスは、食材を長期間保存したり、安い食材をおいしく味わえるようにするためのものだと思われがちですが、本来は薬として、人々の生活に根付いてきたもの。だから良い食材はなるべく手をかけず、少しのスパイスでおいしさを引き立てることを考えます」と食材ありきのインド料理を考える杉山氏。そこに加える今回出会った土地や人のストーリーを「これもスパイスです」と笑い、滋賀県の魅力が伝わるインド料理を考案したいといいます。

夕刻、それぞれが思いを胸に東京への帰路につきました。
今回、口々に生産者の熱意と滋賀食材のクオリティを語ったシェフたち。はたしてフェア本番でその思いが、どのような料理になるのでしょうか。
『Local Fine Food Fair SHIGA』に参加するレストランに足を運び、ぜひ生産者の情熱と、シェフの思いを体感してみてください。

一面の茶畑が広がる土山エリア。比較的温暖な気候が茶の栽培に適している。

『グリーンティ土山』の竹田氏(右)と、同じく土山茶農家の『中村農園』中村氏(左)が、茶の栽培や加工について細やかに解説。

製造から販売まで、すべて自社でこだわりを持って行う『グリーンティ土山』。

東京で開催された試食会でも『グリーンティ土山』のお茶は参加者の興味を惹いた。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

「熟成師だけでなく、もうひとつの肩書きも視野に。これからも家畜と生きる」焼肉 旬やさい ファンボギ/高橋伸由企

「(2020年12月現在)まだ街は閑散としています。しかし、未来に向けた準備も着々と進めています」と高橋氏。岐阜や肉への想いは、より強固に。

旅の再開は、再会の旅へ。

日本本州のほぼ中央に位置する岐阜県。その中心部である岐阜駅からごく数分の商店街に、全国から肉マニアが足を運ぶ焼肉店があります。

『焼肉 旬やさい ファンボギ』です。

店主の高橋伸由企(のぶゆき)氏は、自身の肩書きに「熟成師」の冠を付けるほか、「MANIAC BEEF LABO」という屋号でディープな精肉販売の業務も行っています。このふたつの件からわかるよう、いわゆる普通の焼肉店ではありません。

しかし、新型コロナウイルスによって自由に行き来できる旅は奪われてしまい、全国からのゲストが激減してしまった状況は、今なお続いています。

ニュースでは様々な報道がされていますが、必ずしも皆当てはまるわけではありません。補償制度もしかり、地域の数だけ、人の数だけ、問題視される状況は異なるのです。

「思うような仕込みと仕入れが出来ず、熟成の計画とリズムが崩れてしまい、大変困惑しております」。

しかし、高橋氏が一番困惑する理由は、扱う「命」に対して。飛騨牛を始め、鶏、馬、羊はもちろん、狩猟シーズンを迎える冬季以降は、猪、鹿、熊、鴨、野鳥……。それらはすべて、その時々に完璧なピーク状態を迎えるよう、適切な熟成とカットが施されています。おいしく、というのは、大前提としてありますが、「命」をいただく限り、「命」を全うさせなければいけません。

そんな高橋氏は、「生産者になる準備を進めている」と言います。

「5年後は自社生産の牛を出荷する予定です。家畜としての天命を全うする中、家畜としての幸せを考えた生産をするつもりです」。

以前の取材時、高橋氏は、「感謝の気持ちは、思いだけでなくカタチにも替えて実践する」と話しています。

今、高橋氏が実践すべきカタチが「生産者」なのかもしれません。

また、お店に関しても「何もしなければ前には進めない」と歩を進め、思い切ってリニューアル。

「新たな空間では、カウンターの在り方がかわり、カウンターに来店のお客様は肉を焼くことなく、目の前で焼かれた肉を召し上がれます。そのスタイルは“焼肉”から“肉料理”となり、色々な味付けのスタイルをお楽しみいただけるよう、今後も進化を進める予定です」と高橋氏。同時に、店頭では小売りやランチのテイクアウト、オンラインでは取り寄せや贈答品の販売も開始。(https://fanbogi.stores.jp)

『焼肉 旬やさい ファンボギ』として、高橋伸由企として、生きた証を残したい」。

「熟成師」と「生産者」の肩書を持った高橋伸由企氏になれたあかつき、より「岐阜愛」は増し、「使い切る」だけではなく「生き切る」を全うした情熱の肉と出合えることでしょう。

ベストコンディションに熟成をかけられた肉は、七輪の上で艶かしくも美しく昇華される。立ち上る複雑で奥深い香りも極上。

前回の取材時にて提供されたタンはただのタンではなく、(上より) タンの顎、タン先、中央、付け根と部位で提供。衝撃の食感、味わいの差に誰もが驚くはず。

「どんな時も命を扱っているという気持ちを忘れません」と話す高橋氏。感謝の意を熟成という形で返し、ゲストに最高の肉を提供できるよう務める。

2012年より始まった、繁殖家、肥育家、そして高橋氏によるプロジェクトで、育成された飛騨牛を、2016年に雪中熟成。こんな画は、想像の範疇を超えている。

新たな空間では、肉や野菜、お酒の販売スペースも設置。食べるゲストだけでなく、買うゲストの往来も増え、生産者とのつながりも強固に。

リニューアルされた空間。「店内の換気は、1時間に17回入れ替わります。ぜひまた皆様にお越しいただける日を楽しみにしています」と高橋氏。

住所:岐阜県岐阜市住田町2-4 南陽ビル1F MAP
電話: 058-213-3369
https://fanbogi.stores.jp

Text:YUICHI KURAMOCHI

湖魚、和牛、伝統野菜。まだ見ぬ至高の食材を探しに、雪の舞う冬の滋賀県へ。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

海と見紛う広大な琵琶湖と深い山々が織りなす独特の地形。多様な食材を育む滋賀に5人の料理人が訪れた。

ローカルファインフードフェア滋賀レセプションで披露された滋賀食材のダイジェスト。

東京都内、第一線で活躍するシェフが、滋賀県の素晴らしい食材の産地と生産者をめぐり、その魅力を伝えるオリジナル料理を提供する期間限定の滋賀食材フェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。2021年2月のフェア開催に先立ち、東京・日本橋にある滋賀県の情報発信拠点『ここ滋賀』の『日本橋 滋乃味』にて、レセプションイベントが開かれました。

イベントの目的は、『Local Fine Food Fair SHIGA』に向けてメニューを考案するシェフやパティシエに、まずは滋賀県の食材の多様性を知ってもらうこと。いわば挨拶代わりの試食イベントですが、次々と登場する滋賀県産食材のクオリティに、足を運んだシェフたちも驚いた様子。近江の伝統野菜、琵琶湖の湖魚、そして近江牛。古くから京都の食を支えてきた近江の伝統と誇りが詰まった食材が、料理人の心を捉えたことでしょう。

さらに会場は中継で各食材の生産者と繋がれ、生産者本人の説明を聞きながら試食できるという試みも。各生産者の熱意のこもったPRに、シェフたちの顔も真剣そのもの。ひとつひとつの食材を噛み締め、画面の向こうの生産者に質問を投げかけ、味の記憶を刻み、イメージを膨らませる。和やかでありながらどこか引き締まったレセプションの空気は、そんな思いの表れだったのかもしれません。

しかしこれはあくまで序章たるレセプション。この翌週、シェフたちはさらに滋賀県の食材を深く知るべく、冬の滋賀県へ向かうのです。

【関連記事】滋賀食材フェア/産地を巡り、生産者と語り、本質を知る。滋賀県の食材の魅力を伝える都内レストランフェア開催。

レセプションで提供された料理は、滋賀の食材を日頃から知り尽くす滋乃味の高島シェフが担当。

滋賀県庁や生産者とオンラインで繋ぎ、リアルタイムで食材に関する質疑応答が行われた。

社会情勢を鑑みて試食はフェイスシールドをつけて。味はもちろん香りや色味も真剣に確かめる。

ローカルファインフードフェア滋賀冬の琵琶湖から一本釣りで揚がる、ここだけ、今だけの美味。

この冬一番の寒気がやってきた12月のある日、シェフと食材バイヤーが滋賀県に降り立ちました。

今回のメンバーは繊細なスパイス使いに定評があるインド料理『ニルヴァーナニューヨーク』の杉山幸誠氏、絶妙な火入れで食材の魅力を引き出す鉄板焼きフレンチ『Ahill』の山中昌昭氏、古典と革新の融合が話題を呼ぶフランス料理店『シュヴァル ドゥ ヒョータン』の川副藍氏、こだわり抜いた日本の食材を卓越した技術で調理するイタリアン『湯浅一生研究所』の湯浅一生氏、元料理人でソムリエの資格も持つバイヤー・山本敦士氏の計5名。食材に強いこだわりを持つ5名が、それぞれの視点で滋賀県の生産者のもとをめぐり、美味なる食材を探求します。

東京から滋賀へと向かう道中、岐阜県を過ぎた頃からちらつき始めた雪が見る間に強まり、米原駅を降りるとあたりは一面の銀世界。琵琶湖の北側の山間は日本海側の気候に近く、例年かなりの雪が積もるのだそう。そんな山間部と沿岸部、琵琶湖の東西により異なる気候こそ、滋賀県の多様な食材を育むのです。

凍える寒さに震えながら一行がまず向かったのは、琵琶湖北端の西浅井漁協。琵琶湖の固有種であるビワマスの見学が目当てです。出迎えてくれた漁協の代表理事・礒崎和仁氏が、さっそく詳細を解説します。

漁の最盛期となる夏が旬のビワマスですが、冬場は夏とはまた違った濃厚な味わいになるのだといいます。また、琵琶湖の水温が下がり広く泳ぎ回る冬は、刺し網にかかりにくく、一本釣りが主体。そのため漁獲量が減る代わりに魚体に傷がつかず、鮮度も保たれるのだとか。

漁協で用意してもらった刺し身を味わい、新鮮なビワマスの味を確認した一行。その味に各々の口から驚きの声が上がります。
杉山氏は「上品な脂と、甘みが抜群。これからさらに水温が下がれば、凝縮したきめ細かい脂がのってきそうです」と絶賛し、東京への輸送方法まで細かく確認していました。

脂の乗った冬のビワマス。さっぱりとした夏に対し、冬は濃厚な旨みが詰まっている。

重さ、旬、処理方法、輸送方法。シェフたちの質問は多岐にわたった。

淡水魚特有のクセがなく、脂がほのかに甘いため、刺し身でおいしく味わえる。

礒崎氏の解説とともにビワマスを試食。シェフたちはメモを取りながら真剣に聞き入っていた。

ローカルファインフードフェア滋賀故きを温めて新しきを知る、若き生産者との出会い。

続いて訪れたのは、琵琶湖北部の高島市にある『みなくちファーム』。7年前に異業種から就農した水口淳氏、良子氏夫妻が手掛ける無農薬野菜と原木椎茸の農場です。
「シンプルに焼いただけであれほど甘みが出るニンジンに興味がありました」と、レセプションで試食したときから川副氏がもっとも楽しみにしていたのがこちらの訪問。実際に水口夫妻にお会いし、話すことで、料理のイメージもより明確になったようです。

ファッション業界から、未知なる農業の世界に飛び込んだ水口夫妻。野菜は路地栽培で、基本的には水も与えず自然のままに育てることで、野菜本来の力強い味を引き出します。そんな古からの野菜づくりを目指す一方、発注などはシェフとLINEグループを作って直接対応するなど若き二人らしさも。センスの良い服をまとい、心底楽しそうに野菜について語る二人の姿は、これからの農業の進むべき道なのかもしれません。

さらにここでも一行は採れたての野菜や原木椎茸を試食させてもらいます。まずバイヤーの山本敦士氏は、フリルレタスに興味を惹かれた様子。「手でちぎる“パキッ”という音だけで水分量と品質が伝わります。土の栄養が行き渡って水耕栽培のものよりも長持ちもしそうです」とバイヤーらしい視点で評しました。

続いてキッチンに立ったのは山中氏。鉄板焼きのプロの血が騒いだのか、フライパンを手にじっくりと椎茸を焼き始めました。「肉厚で、火を入れても水分が浮いてこないため水っぽくなりません。非常に良い椎茸ですね」と日々野菜と向き合うシェフらしいコメント。ちなみに山中氏が焼いた椎茸は、水口夫妻さえも驚かせた様子でした。

『みなくちファーム』の若き生産者。独学で失敗を重ねながら無農薬栽培に挑む。

少量多品目、伝統野菜からハーブまで幅広い野菜を育てる。

椎茸のホダ場を案内する水口氏。ここでも自然本来の力を生かした栽培を目指す。

豪雪地帯の高島市。この時期の大根は深い雪の下から掘り出す。

急遽キッチンに立った山中氏。プロの技は生産者をも驚かせた。

バイヤー山本氏は食材自体の質に加え、保存性や輸送方法まで吟味する。

ローカルファインフードフェア滋賀明治創業の老舗で学ぶ、滋賀県が誇るブランド和牛。

日も暮れかけたこの日の最後の目的地は、近江牛の『大吉商店』。明治29年の創業から近江牛一筋にこだわってきた老舗です。
近江牛はおよそ400年の歴史を誇る滋賀県を代表する名産品。案内してもらった牛舎では、丹精込めて育てられた牛たちが暮らしていました。とくにシェフたちの興味を惹いたのは飼料の藁の話。「餌に混ぜる藁は近隣の米農家にもらい、代わりに堆肥を譲ります。つまり地域内で循環しているんです」という方式は、地域と世界の未来につながる話。
日本各地の素晴らしい食材を探求する湯浅氏は「ただおいしいだけではなく、背景にストーリーがある食材であることが大切。この近江牛にはそれがあります」と話しました。

もちろん物語だけではなく、重要なのは味。そのおいしさを確かめるべく、この日の夕食は『大吉商店』が手掛ける『農家レストランだいきち』を訪れました。豪勢な近江牛焼き肉に舌鼓を打つ一行ですが、これも視察の一環。おいしく味わいつつも部位や卸値の鋭い質問も飛び出します。「霜降りですがくどくなく、肉の旨みが感じられます」という湯浅氏に、「脂に嫌味がなく、食後感が良いですね」と川副氏も同意していました。

こうして魚、野菜、肉をめぐった滋賀県食材視察の1日目。食事中は調理法や食材選びの意見も交わされ、少しずつシェフたちの頭の中でフェアに向けての構想が固まりつつあるようでした。

『大吉商店』の牛舎にて。シェフたちの興味は背景に潜むストーリーに向かう。

見事なサシが入る近江牛。融点が低く、ベタつかないのが上質な脂の証。

シンプルな焼き肉が、部位の個性を端的に伝えてくれる。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 滋賀県)

見えないシンフォニー。過去との矛盾がない生き方が未来を創造する。

「今、この時代に音楽家として何ができるのか。未来のために、そのかたちを記録(記事)として残したかった」と松永誠剛氏。

SAGA SEA 2020音楽家として。人として。松永誠剛が奏でる生きる音。

去る2020年12月20日。『佐賀県立宇宙科学館』にて、極めて実験的な音楽プログラムが開催されました。

それは、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』です。

本企画は、「佐賀とオランダの再会が22世紀の文化を作る」というコンセプトのもとに構成。その根幹は、約400年前にオランダの東インド会社によって伊万里港から海を渡り、ヨーロッパに伝わった有田焼にあります。

佐賀との出会いをきっかけに、オランダは長い年月をかけて多様性のある暮らしへと発展し、成熟された現代においても国籍などの垣根を超えた様々な人種が行き交う風景が形成されるようになりました。

そんな海に育まれた交流の歴史に学ぶため、佐賀県は1976年から開催されている『North Sea Jazz Festival』に着目。明治維新から150年経つ節目の2018年より『SAGA SEA』と題したイベントを展開し、音楽を通してオランダとの再会、新たな文化の創造、そして地域の活性化を図ります。

アーティスティック・ディレクターを担うのは、音楽家・松永誠剛氏です。

世界で活躍する松永氏は、福岡生まれ。近県である佐賀とは馴染みも深く、現在も福岡の郊外、宮若市芹田に拠点を構え、山々に囲まれた畑と田んぼの間に佇む明治初期に建てられた日本家屋『SHIKIORI』にて音楽と向き合います。

驚くべきは、この場所にワールドクラスの演奏家が集い、コンサートホールと化すことです。席数は、わずか60席。「想いが帰る庵」と呼ばれるそこは、音楽の桃源郷として世界中の音楽家から愛されています。

そんな松永氏は、異端の人生を歩んできました。

幼少期は、義理の大叔父である作家・大西巨人氏の本と共に過ごし、学校へは行かず、自宅や大叔母の家で学問に向き合っていました。

「学校よりも、自宅よりも、大西巨人の本がある大叔母の家が一番心地良い場所でした。耳を澄ませば竹林の音も奏でられ、裏山も背負う建物で、僕はこどもながらに世間と距離を置いていた」。

当時の松永氏は本に救われ、以降、青年の松永氏は音楽に救われます。

17歳の夏をボストンの音楽院で過ごした後、ニューヨークやコペンハーゲンに拠点を移し、マシュー・ギャリソン氏、ニールス・ペデルセン氏のもとで音楽を学びます。

2020年は、言わずもがな世界中が難局に陥りました。自粛や緊急事態宣言などによって日常は奪われ、それに伴い、コミュニケーションの遮断や隔離された生活を余儀なくされました。

イベントの中止も相次ぐ中、「新たな眼差しで未来を表現したかった」と、松永氏は『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』を振り返ります。

「全ては、音楽の未来のために。佐賀の未来のために」。

雄大な自然に囲まれ、風光明媚な場所に位置する『佐賀県立宇宙科学館』。以後、宇宙と音の親密な関係が話題に出るほど、会場との相性は抜群。

SAGA SEA 2020ニューヨークと佐賀。ピアニストがいない会場に響く、生の音。

日本・佐賀は、2020年12月20日、午前10:00開演。
アメリカ・ニューヨークは、2020年12月19日、午後8:00開演。

『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』の会場には、ピアニストはいません。無人のステージに鎮座しているのは、『Disklavier(ディスクラビア)』。

『ディスクラビア』とは、『YAMAHA』が開発した自動演奏機能付きピアノです。このピアノを以て、ニューヨークの演奏がリアルタイムで佐賀に音を奏でることを可能にします。

公演名の通り、パフォーマンスを担うのは、ダン・テファー氏。世界的に活躍するピアニストです。

フランス生まれのダン氏は、オペラ歌手の母とジャズピアニストの父を持ち、幼少期からクラシックピアノを学びます。その後、ニューイングランドの音楽院にてダニーロ・ペレス氏に師事。以降、ニューヨークに拠点を移し、リー・コニッツ氏との共演で一躍有名になった人物です。

その実力は折り紙付きですが、特筆すべきは、音楽家でありながら天体物理学の学士号を取得した経歴を持つ専門家であるということです。

その才こそが、今回の企画を唯一無二に仕立て上げる要でもあります。

それは、『Natural Machines(ナチュラル・マシーン)』。

「『ナチュラル・マシーン』とは、自然の歩む道と機械の歩む道の交差点を音楽で探るプロジェクト」とダン氏。

『ディスクラビア』上での演奏と自作のコンピュータープログラムが自動生成する音楽・映像データを融合させたインタラクティブ・マルチメディアプロジェクトのそれは、率直に言えば解読難儀。高度な研究と哲学のもとに具現された音の創造のため、学び得るのは至難の業です。脳内に「?」が何個も浮かびます。

「実は、2020年上半期の『SAGA SEA』では、オランダで活動する『ヨーロピアン・ジャズ・トリオ』の公演を予定していました。それが、新型コロナウイルスによって中止になってしまい……。しかし、何か形にできないかと思い、アムステルダムと佐賀をつないだオンライン配信を行いました」と松永氏。

しかし、会場に束縛されないコンサート体験の共有という良い発見があった反面、もし演奏家として参加した身に置き換えると「悲嘆も感じた」と話します。この悲嘆とは、今後、向き合う未来への不安や課題を指します。

理由は、「コントラバスの“振動”が伝わらなかったから」です。

「“オンライン配信”という新たな体験は、自分にとって大きな分岐点になりました。この体験でオーディエンスが満足してしまうのであれば、今後、果たして自分はステージに戻る必要があるのか……。実は、某オンライン配信のフェスティバルにアーカイブ映像で“出演”した際、そのチャットにはたくさんの良い書き込みがありました。しかし、“過去と現在の同時進行”が成された現実を見る僕は、ステージではなくパソコンの前にいる……。それは、何とも不思議な体験でした」。

過去と現在の同時進行――。その意味は、通信によるタイムラグです。数秒から数十秒、配信先や経路によって発生してしまう遅延は、厳密にはリアルタイムではありません。ゆえに、現在の映像のようで数秒過去の映像が流れる現象が生まれてしまいます。アーカイブ映像に関して言えば、さらにもうひとつ時系列が加わり、3つの時間軸が交錯してしまうのです。

「病院や老人ホームなど、会場に足を運ぶことが困難な方々と音楽の共有ができるという意味でオンライン配信は可能性を持っていますが、感動の瞬間の誤差が生まれる課題もあります」。

様々な葛藤を経た今回、その手法に選んだのが、『ディスクラビア』を採用したライブだったのです。

「ダンにニューヨークから日本のピアノを弾くことはできる?と連絡したら即答で“YES!”。それを皮切りにプロジェクトはスタートしました。一緒に制作を進めていく中、ダンから『ナチュラル・マシーン』を提案されました。そして、彼は今回の演奏のために新たなコンピュータープログラムまで作ってしまった。そんな音楽家は、ほぼいません」。

プロジェクトを推進していくにあたり、松永氏はダン氏からある本を勧められたと言います。それは、アメリカの理論物理学者、ブライアン・グリーン氏の『エレガントな宇宙 ― 超ひも理論がすべてを解明する』です。

同書の主題でもある「超ひも理論」は、「超弦理論」とも言われ、相対性理論と量子力学の対立という物理学最大の難問を解決するといった内容です。

「科学の発展は、“見えないもの”を想定し、その実態を解明することにあったと思います。宇宙物理学や理論物理学においても未だいくつもの“見えない”候補があります。“ひも=弦”もそのひとつです。世界は点粒子で構成されているのではなく、“弦”のような要素で構成されており、それらは“スーパーストリング=超弦”というつながりの中にあるだろうと予想されています。例えば、惑星の軌道は、寸分の狂いなく調和しています。もしそれが崩壊されれば、僕ら人間にとって死を意味します。超弦理論的視点で考察すると、マクロの世界にもミクロの世界にも”弦“が鳴り響いていて、人間もコンピューターも共鳴するものがあるのではないか。と思ったのです。その体験に挑戦してみたことが『ディスクラビア』であり『ナチュラル・マシーン』。自分が感じたことをみんなにも感じてほしかった」。

この見解は、音だけの世界に限らず、今の社会情勢の視点でも同様なのかもしれません。

「例え、人間社会が不安定になったとしても、調和、原理の中に生きていることが宇宙を観察することで理解できます。それによって、少しでも日常を安心して過ごせると思うのです。昔の見聞から、宇宙の観察から、暦を知り、畑を耕し、種を植える季節を学び、収穫に喜んできたように。広い視野や眼差しを得ることも『ディスクラビア』から学びました。実は、最初に音のテストをした時、ダンの演奏よりも一生懸命にダンの奏でる音を弾こうとしている『ディスクラビア』の音に感動している自分がいました。アルゴリズムや『ディスクラビア』が人間の伴奏や道具ではなく、人間や自分自身を映す鏡でもあるように感じています。ダンと『ディスクラビア』の演奏のように、“お互いの声”に耳に傾けることから、豊かな未来があるように感じます」。

『ディスクラビア』は、ダン氏の演奏をリアルタイムで感知。対話するように生の音を奏でます。それと同時に生の映像もつながる会場では、『ナチュラル・マシーン』によって見えない音の軌道も可視化。『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』は、様々な哲学とテクノロジーを駆使し、そこに人間の想いを重ねた新たな音楽体験を創造したのです。

そんな美しい音色が響く会場には、ちゃんと「振動」が存在していました。

今回、『ナチュラル・マシーン』という革新的な手法を採用してパフォーマンスしたダン・テファー氏。手に持つ幾何学的なものは、可視化した音の軌道を3Dプリンターで現実の物体として作り出したもの。Photograph:Josh Goleman

映し出された映像には、ダン氏の音の軌道を可視化。それを可能にするのが『ナチュラル・マシーン』。

日本が誇る音楽メーカー、『YAMAHA』が開発した『ディスクラビア』。独自の高精度デジタル制御システムにより、鍵盤やペダルの動きを正確に再現する自動演奏機能を搭載。

SAGA SEA 2020未来を担うこどもたちへ。22世紀に解を得る、音のチケット。

前述の通り、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』の特徴は、『ディスクラビア』と『ナチュラル・マシーン』にありました。

しかし、もうひとつ特筆すべきことがあります。それは、観客の多くが「こども」だということです。

「こどもたちに“入口”を作りたかった」。

この入口とは、可能性という言葉にも置き換えられると思います。
「こどもたちに難しいことを伝えようと思っているわけではありません。ただ、楽しんでくれればそれでいい。このコンサートに触れることによって、何か感じてくれればそれでいい。その何かが10年後、20年後の未来に役立てばそれでいい」。

『佐賀県立宇宙科学館』という地域のシンボル的な場での開催は、より多くの方々のインターフェイスになりました。それは、『SHIKIORI』で開催する意義とは、また別の意義を見出したと言ってもいいでしょう。

「僕は、幼少期に大西巨人の本によって色々な“入口”と出会えることができました。(前述)学校にも行かなかったという件のみ掬い上げられると、一見、閉ざされた世界のように受け入れられがちですが、自分は開けた世界にいたと思っています。実は、両親が共に教育関係の仕事をしていたのですが、ふたりは僕に学ぶ場を選ばせてくれました。大切なことは“何を学ぶか”であり、“どこで学ぶか”は重要ではないと思います。僕は、学ぶ場所を学校ではなく家を選びましたが、日本はアメリカのようにホームスクーリングの概念が育まれなかったため、異端のように見えたでしょう。学びの場にあった大西巨人の本は、僕に居場所を与えてくれました。それだけではなく、広い世界への入口や生きていく上で必要な視野も広げてくれました。それはまるで “どこでもドア”のような存在だったのかもしれません。当時、難しい本の内容を理解できたわけではありませんが、その体験が今の自分の人間形成を養ってくれたことは間違いありません。だから、今回のコンサートでも、何かの“入口”と出会うきっかけになれば良いなと思っています」。

失礼を承知で申し上げれば、大西巨人は売れない作家。松永氏は不登校児。異端のふたりは自然と共鳴し、大切な何かを育んだのかもしれません。血の繋がりはなくとも、家族以上の関係を築いたのです。

「実は大人になってから、2度お会いました。そのうちの1回は東日本大震災の時でした。当時の社会の流れに疑問を持ち、悩んでいたので、救いを求めるように巨人さんに会いに行きました。 “疑問を持つだけで正しい。我々は同志だ”と笑顔で言葉をかけられました。それが巨人さんとの最後の会話でした」。

2014年3月12日、大西巨人は他界。享年97歳。

そして現在、新型コロナウイルスに翻弄される日々が続くも、松永氏が思うことはあの時と同じ「社会への疑問」。言われた通り、「疑問を持つだけで正しい」教えを守り、考え続けます。

何かにぶつかった時、悩んだ時、松永氏にとって大西巨人に還ることは、人生のプリンシプル。中でも、大西巨人の代表作『三位一体の神話』にある言葉、「目の前の問題に戸惑うことなく永遠の問題を考え続ける精神が存在していることを願う」は、遺言のように心に刻まれていると言います。

「僕たちは、新型コロナウイルスから何を学ぶのか? ウイルスによって働き方や経済を変えることを学ぶのではなく、ウイルスとは何かを学ばなければいけない。今、まさに新型コロナウイルスに戸惑っている。過去を振り返っても、音楽家のヨハン・ゼバスティアン・バッハや理論物理学者のアルベルト・アインシュタイン、哲学者、思想家、経済学者、革命家など、様々な顔を持つカール・マルクスたちは、各々の想いと本質を理解されないまま、本人の願いとは違う形で後世に伝わっていることもあるように思います。過ちを繰り返してはいけない。フランスの経済学者であり思想家のジャック・アタリの言葉にもあるよう、例えこの騒動が鎮火しても、ただ元に戻ってはいけない。何かを学んでから元に戻らなければいけない。ネガティブな理由を理解し、ポジティブに転換できる精神を身につけなければいけないと思っています」。

老若男女集う会場には、多くのこどもも参加。「今回の音楽体験を通して、こどもたちの未来の入口、可能性を増やせるインターフェイスになれればと思っています」と松永氏。

SAGA SEA 2020逆算して人生を考える。音楽家である以上、死ぬまでに楽器を発展させたい。

「師匠であるマシュー・ギャリソン、ニールス・ペデルセンはコントラバスを発展させてきました。自分もいつかはそうなりたい」。

そのいつかは、「40歳と決めている」と松永氏は言います。

「自分はベーシストとしてふたつの目標があります。ひとつは、バッハの無伴奏チェロ組曲をコントラバスで弾くこと。もうひとつは、コントラバスでピアノを弾くこと。それを40歳までに成し、以降はコントラバスを発展させることに注力したいと思っています」。

後者の目標に関して補足すれば、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』で享受したテクノロジーの発展によって音楽の可能性が拓けたゆえの発想になります。それは、不可能を可能にする自己との対話、松永氏が奏でるコントラバスのアルゴリズムが鏡のように映し出されるピアノとの「デュエット」を指します。

目標の創出、40歳までという期限。まるで人生を逆算するかのようなロードマップは、新型コロナウイルスによる社会的影響が理由の主ではないにせよ、活動の停止によって『SHIKIORI』で過ごした長き時間は、その考察に作用しているのかもしれません。

「2020年は、ほぼ全てのツアーがなくなりました。通常であれば、一年の半分以上は海外なので、これほどまでに『SHIKIORI』で長く過ごした年は初めてだったかもしれません。ただ、その分、本を読み、音楽制作に没頭し、更には自然の美しさや地域の人の温かさも再認識しました」。
ある種、自由を手に入れた松永氏は、音楽家としてではなく、人間として己の身体を預けられたのかもしれません。

「『SHIKIORI』にいる時は、毎朝、作曲やレコーディングをしています。ほぼ同じ時間に鳥たちがそれぞれの縄張りを音で示すために鳴くのですが、僕が音を鳴らすと彼ら(鳥たち)が寄ってくることがあるのです。以前、屋久島の森でも同じような体験をしました。コントラバスを弾いた時、低音を雄の求愛の声と勘違いして鹿が寄ってきたのです。おそらくそれは音域にあると思い、そんな体験も含め、音と自然は非常に近い関係にあると感じています。例えば、地球の公転周期は365.26日に対して火星は686.98日。この太陽系の比率を音楽の視点で見ると、ほぼオクターブに近く、少し低い長7度(“ド”から“シ”)の響きに聞こえるのです。これは、人間が心地良いと感じるメジャーセブンスの響き。どちらも調和しているのです。だから、このふたつの音の調和には生き物が安心を得られるのかもしれません。しかし、音が悪影響を及ぼすこともあります。ヘリコプターなどの音は有害で、上空を通過すると、田んぼのカエルたちは振動を感じて、鳴くことをやめます。再び彼らが鳴き始めるまでには1時間くらいの静けさが必要になります。“ラブソング”が歌われないと、生殖活動に影響を与え、生態系を崩してしまうことが孕んでいるのもまた音、振動なのです。そういった事情を原理としても証明したいです」。

自然の音、生き物の音、人工の音。
太陽系の距離、速度、時間。
そこに人類はどう共存していくのか。

「僕は過去との矛盾がない生き方をしていきたい。そういう意味では、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』が開催できたことは、新型コロナウイルス以前から継続してきた『SAGA SEA』の取り組みとも矛盾がなかったものだと思っています。今できる感染予防対策と今できる音楽表現、その両者のベストは尽くしました。もちろん改善点はありましたが、それによって未来を見ることもできました。過去の自分への反逆のようにならないために、矛盾しない生き方を自分はしていく」。

矛盾のない生き方、それは松永誠剛が奏でる見えないシンフォニー。

姿形こそないものの、その音は、生涯、胸の中で響き続けるのです。

 

1984年、福岡生まれ。幼少期を義理の大叔父である作家・大西巨人の本に囲まれて過ごす。17歳の夏をボストンの音楽院にて過ごし、その後、ニューヨークにてマシュー・ギャリソン、コペンハーゲンでニールス・ペデルセンのもとで音楽を学ぶ。これまで南アフリカからインドまで世界各国で演奏を行い、エンリコ・ラヴァ、カイル・シェパード、ビアンカ・ジスモンチ、ビリー・マーティン、ティグラン・ハマシアンなどと共演、活動を行う。宮古島の古謡との出会いをきっかけに世界各地の古謡の研究を始め、宮古島の歌い手、與那城美和と共に「Myahk Song Book」、「IMA SONG LINES」の活動を行う。写真家・上田義彦氏の主宰する「Gallery 916」を舞台に写真と大鼓の大倉正之助氏とのコラボレーションや舞踏作品の音楽、プロデュースや演奏活動だけでなく雑誌や新聞連載など執筆なども行い、その活動は多岐にわたる。2017年、“自然との再会を通じた、人間の再生”をテーマに屋久島の森を舞台に「Homenaje Project」を開始。沖縄「宜野座村国際音楽祭」、佐賀「SAGA SEA」など、数々の音楽祭のアーティスティック・ディレクターも務める。現在、畑と田んぼに囲まれる福岡の古民家「SHIKIORI」を拠点に、世界中から集まる人々との対話を重ねている。
http://www.shikiori.net

Photographs:TAKUYA TABIRA(Live Venue)&YUICHI KURAMOCHI(Portrait)
Text:YUICHI KURAMOCHI

意外なお客様(・∀・)

皆様こんにちは!

寒い日が続く中で今日は意外なお客様が来店されました(*´∀`*)


くーぴっとちゃんです(*´∀`*)

お付きの人曰く倉敷市の人権啓発マスコットキャラだそうです( ・∇・)

正直存じ上げなくて申し訳ないです(;ω;)

倉敷を、盛り上げるためにいろいろな場所で宣伝をしてくださってるそうで、テイクアウトのレモネードを宣伝してくれました!

ついでに記念写真も



テイクアウトは土日祝日のみの営業となっておりますが皆様も倉敷を盛り上げる事をお手伝いください(・∀・)

地元食材が織りなす「山口」そのもの。五重塔の下で繰り広げられた月夜の晩餐会。[Yumehaku Art & Food in RURIKOJI/山口県山口市]

山口ゆめ回廊博覧会国宝・瑠璃光寺五重塔を眼前に創り上げる独自の食空間。

奇しくも満月の夜。まばゆい月光と、円卓に灯されたほのかな灯りを頼りに、一夜限りの晩餐会が開かれました。眼前にそびえるのは瑠璃光寺の五重塔。ライトアップされた池面のゆらめきが反射して、幽玄な雰囲気を漂わせています。

「Yumehaku Art & Food in RURIKOJI」と銘打ち、アートと食を通して山口という土地そのものの表現を試みたイノベーティブな本イベント。一般客を招く今年の開催に向けて、2020年10月31日、本番さながらのリハーサルが行われました。演出を手掛けたのは、その土地土地の文化やアート、デザインを融合させた料理で独自の食空間を創り上げ、世界各地で活躍する船越雅代さん。今回そのプレゼンテーションの舞台として選ばれたのが、瑠璃光寺五重塔を仰ぎ見ることができる芝生広場、“満月の庭”だったのです。
料理家であり、アーティストでもある船越さんが、自身のフィルターを通して「山口」をどう分解して再構築し、なおかつ空間表現×味覚として具現化させるのか。未知なる世界を一足早く体験した取材班が、その一部をご紹介します。

2021年7月から12月にかけて開催される「山口ゆめ回廊博覧会」。山口市、宇部市、萩市、防府市、美祢市、山陽小野田市、そして島根県は津和野町の7市町からなる、山口県央連携都市圏域の自然や文化、伝統など多彩な魅力を全国に発信するというプロジェクトです。各市町の特性を芸術・祈り・時・産業・大地・知・食の7つの観点から紐解き、「7色の回廊」と称してそれぞれのテーマに合わせたイベントを実施。そのなかで、「Yumehaku Art & Food in RURIKOJI」は「食の回廊」の中核を担う目玉企画なのです。

暗がりのなか、わずかな月明かりと卓上の灯りを頼りに目の前に運ばれる、地元食材を使った料理の数々。

光が反射して美しい陰影を放つガラスは、山口県出身のガラス作家・伊藤太一さんの特注品。

山口ゆめ回廊博覧会キーワードは“水”と“滲透”。暗闇と静寂のなか供された料理、果たしてその内容とは?

演出と監修から料理の提供まで、すべてを託された船越さんは現在、京都在住。自身のアトリエ兼茶楼・ギャラリー・プライベートレストラン『Farmoon』を営んでいますが、その合間を縫いリサーチのために数ヶ月にもわたって山口県の圏域を回ったといいます。

「山口のイメージは“水”。巨大な秋芳洞の鍾乳洞、切り立った断崖の須佐ホルンフェルス、コバルトブルーの神秘的な別府弁天池……みんな長い長い時間をかけて水が浸透し、水によって育まれた美しい自然の造形物です。水のミクロの視点、浸透していく細胞に意識を巡らせられるようなしつらえを心がけました」

その船越さんの言葉通り、テーマは「OSMOSIS 滲透(しんとう)」。まさに山口の自然の恵みを享受した食材が、ゲストの身体の隅々にまで染み渡っていく感覚です。その演出に一役買っているのが暗闇と静けさ。いくら満月が煌々と輝いてはいても辺り一面真っ暗で、料理の全貌を目で捉えることはできません。卓上には手元を照らすわずかな灯りのみ。そこに料理を運んできてくれるのは、白い衣装に身に包んだサーバーたち。戸惑うゲストを前に、水の入ったグラスをその灯りにかざしてみるようにとジェスチャーで指し示してくれました。言うに及ばずサーブまでもがパフォーマンスのうちなのです。促されるがままにグラスに灯りを当ててみると、光が乱反射して皿上の料理がちらちらと見え隠れ。その陰影も美しいのですが、やはり内容はおぼろげにしか分かりません。そんなもどかしさとともに、円卓を囲んだ20名のゲストはみな手探りで箸を運びつつシャクシャク、パリパリと小気味いい音を響かせながら一様に「これは何の魚の素揚げだろう……?」「このピューレの味は?」などと味覚、嗅覚、記憶をフル回転。見えたら視覚からの情報に頼ってしまう。もちろん見えた方がキレイに違いないのですが、もっと意識のベクトルを内へ内へ、感覚を研ぎ澄ませて食材を細胞にまで行き渡らせるように味わってほしいという船越さんの思惑がそこにはあるのです。

少々種明かしすると、魚の素揚げは地元では「金太郎」と呼ばれるヒメジという魚種で、あまり聞き慣れませんが萩市ではお馴染みの食材。白身ながら濃厚な甘みがあり、刺し身や干物として人気の魚だそう。こちらではふっくらと揚げてありましたが、そこにも魚本来の水分を中に閉じ込め、“滲透”させるという企みが潜んでいるのでしょう。その他にもスープには、宇部市で栽培する永山本家酒造場の自然栽培酒米「山田錦」の香ばしいお焦げを忍ばせたり、水には山口市の名水「柳の水」を使用したりと、随所に圏域の滋味深い食材を散りばめたラインナップです。

空間全体を使ったパフォーマンスも見どころの一つ。寄る辺ない静寂の中、ややもすると闇の中に溶け込んでしまいそうになる意識をグッと引き戻してくれるのが、サーバーと同じく真っ白な衣装をまとったパフォーマーのMAMIUMUさん。独自の発声法による声、グラスハープ、金属の鳴り物などを使った表現を生業とする彼女が、時にはトライアングルのような楽器を奏でて回ったり、時には「水の精」として水甕を掲げてヨーデルのような声を響かせたりと、ゲストを幻想的な世界へと誘います。

ここまででも盛りだくさんの内容ですが、ラストにもちょっとしたサプライズが。こちらはぜひ、ご自身で体験してみてください! とはいえ、今回は1年後に向けてのリハーサルなので本番ではどのような進化を遂げているか、予測は不可能です。悠久の時を重ねる五重塔と、すべての生命の源であり絶えず変容し続け流動する“水”とのコントラスト。それはとりもなおさず動と静、新旧をないまぜにした山口の姿そのもの。この饗宴のみならず、「山口ゆめ回廊博覧会」は万華鏡のようにきらめく多様性に満ちた山口の今の形を見せてくれるに違いありません。

パフォーマーのMAMIUMUさんは、その細い身体からは想像できない、地の底から響くような力強い声でゲストを圧倒し「水の精」として空間に溶け込んでいた。

萩市で獲れた金太郎の素揚げや宇部市の自然栽培酒米「山田錦」のお焦げ入り津和野の干し鮎の出汁など、山口の清廉な“水”が育んだ食材を余す所なく盛り込んだ料理にゲストも舌鼓。

写真両端がサーバーを務めた山口県在住の谷紗矢乃さんと樋渡弘崇氏。右から演出と監修を担当した料理家の船越雅代さん、そしてパフォーマーのMAMIUMUさん。

住所:
電話:083-934-4152
https://yumehaku.jp/

Photographs:AKITAKE KUWABARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

シャキッと食感、ほのかな甘み。そのまま味わえる行方市自慢のサラダちんげん菜。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM・サラダちんげん菜/茨城県行方市]

なめがたベジタブルキングダムOVERVIEW

ちんげん菜生産量の日本一は茨城県。全国生産量のおよそ1/4が茨城県で生産されています。そしてその茨城県のなかでもトップの生産量を誇るのが、野菜王国・行方市なのです。

実は日本におけるちんげん菜の歴史は意外にも浅く、本格的に生産が始められたのは1960年頃のこと。1972年の日中国交正常化を機に中国野菜に注目が集まり、一般家庭でも少しずつ消費されるようになったといいます。

そんなちんげん菜が行方市で広く育てられるようになったのは、1980年頃。当初はやはり中華街などへの出荷が中心。そこでさらなる販路開拓を目指し、生でも食べられるちんげん菜の研究がスタートしたのです。

中華料理のもの、加熱して食べるもの、というイメージを覆し、生でも、気軽に、さまざまな料理で味わえるものに。そんな思いで作られたちんげん菜は、やがて少しずつ人気を集め、今では行方市を代表する野菜となりました。それが今回ご紹介する「サラダちんげん菜」です。

行方が誇るブランド野菜・サラダちんげん菜のおいしさの秘密、生産者の思い、そしておいしい味わい方を紐解きます。

【関連記事】NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

豊かな水と、肥沃な土壌。恵まれた環境で育てられる、行方市のレンコン。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM・レンコン/茨城県行方市]

なめがたベジタブルキングダムOVERVIEW

水と土。
言うまでもなく、農産物を育てるのに不可欠な要素ですが、レンコンに関してはよりいっそう重要度が高くなります。
なぜならレンコンが育つのが水田、蓮田だから。長い時間、水と泥に包まれてじっくりと育つレンコン。
米よりもずっと深く土を耕す必要があり、収穫や洗浄に使用するため水もたっぷりと必要になる。だから蓮田が多い場所は、水と土に恵まれた場所であることを意味するのです。

茨城県行方市。年間60品目以上の野菜が出荷されるこの地域は、霞ヶ浦と北浦に挟まれた豊富な水、関東ローム層の肥沃な土を持つ農業に最適な場所。当然、レンコン栽培が盛んな地域でもあります。

たっぷりの水と柔らかい土に包まれて育つから、ほっくり柔らかく、表面は美しい白。空気の通り道となる穴は均一に並び、肥沃な土の栄養は優しい甘みと旨味に変わります。行方市が誇る、上質なレンコン。その魅惑の世界をお伝えします。

【関連記事】NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

倉敷でお得にお買い物!

皆さんいかがお過ごしでしょうか??

中々寒い日が続きますねぇ(。-_-。)

って毎回ブログに書いている気がしますがやっぱり朝は中々布団から出にくいものです_(┐「ε:)_


倉敷へ行きたい!と考えている皆様に朗報です!

倉敷市は今、キャッシュレス払いが熱い!!



デニムストリートも最近Pay払いを導入致しました(*゚▽゚*)

1つの事業につき5000ポイント貯まるので3つお持ちだと15000円分POINTキャッシュバックという、かなりお得なキャンペーン(・∀・)

GOTOは無くてもかなりお買い得になっておりますので旅行を考えている方は今がチャンスです!

ちなみに、結構お店に来てからキャンペーンを知ってすぐさまPayPayをダウンロードをされるというお客様も( ´∀`)


是非この期間をお見逃しなく!

RED WING 8875 6インチクラッシックモック ブラウン

RED WING 6インチクラシックモック 展示品につき細かい傷、色褪せ箱の凹みなどある物もございますので予めご了承下さい こちらの商品は箱無しになります

  • 革はオロラセット・ボーテージ
  • ソールはトラクショントレッドを採用
  • 製法はオールアラウンド・グッドイヤーウェルト

RED WING 8173 6インチクラッシックモック ベージュ

RED WING 6インチクラシックモック 展示品につき細かい傷、色褪せ箱の凹みなどある物もございますので予めご了承ください。 

  • 革はラフアウトレザーでホーソーン・アビレーン
  • ソールはトラクショントレッドを採用
  • 製法はオールアラウンド・グッドイヤーウェルト

RED WING 8169 9インチペコスブーツ ブラック

RED WING 9インチペコスブーツ 展示品につき細かい傷、色褪せ箱の凹みなどある物もございますので予めご了承下さい

  • 革はブラッククローム
  • ソールはトラクショントレッドを採用
  • 製法はオールアラウンド・グッドイヤーウェルト

RED WING 8866 9インチペコスブーツ ブラウン

RED WING 9インチペコスブーツ 展示品につき細かい傷、色褪せ箱の凹みなどある物もございますので予めご了承下さい

  • 革はオロラセット・ポーテージで赤茶色
  • ソールはトラクショントレッドを採用
  • 製法はオールアラウンド・グッドイヤーウェルト

RED WING 2268 11インチエンジニアブーツ ブラック

RED WINGエンジニアブーツ 展示品につき細かい傷、色褪せ箱の凹みなどある物もございますので予めご了承下さい

  • スティールトゥ
  • 革はブラッククロームレザー
  • ソールはブラックのネオプレーンコードを採用
  • 製法はグッドイヤーウェルト

RED WING 8268 11インチエンジニアブーツ ベージュ

RED WINGエンジニアブーツ 展示品につき細かい傷、色褪せ箱の凹みなどある物もございますので予めご了承下さい

  • スティールトゥ
  • 革はラフアウトレザー
  • ソールはブラックのネオプレーンコードを採用
  • 製法はグッドイヤーウェルト

RED WING 8271 11インチエンジニアブーツ ブラウン

RED WINGエンジニアブーツ 展示品につき細かい傷、色褪せ箱の凹みなどある物もございますので予めご了承下さい

  • スティールトゥ
  • 革はオロラセットポーテージで赤茶色
  • ソールはブラックのネオプレーンコードを採用
  • 製法はグッドイヤーウェルト

RED WING 9268 11インチエンジニアブーツD ブラック

RED WINGエンジニアブーツ 展示品につき細かい傷、色褪せ箱の凹みなどある物もございますので予めご了承下さい

  • スティールトゥ
  • 革はクロンダイクで履き込むと茶芯が出てきます
  • ソールはブラックのネオプレーンコードを採用
  • 製法はグッドイヤーウェルト

ウルトラヘビースウェットジップパーカ/プラグ柄

アイアンハート定番の極厚裏起毛スウェットパーカーにプラグ柄!

  • アイアンハート定番の極厚裏起毛スウェットパーカ
  • ライディングの際にダボつかないようダブルジップ仕様です
  • グローブをしていても開閉しやすいようにジップには革タブを付けています
  • フロントポケット左側にはアイアンハートのネームが付きます
  • 4本針(フラットシーマ)での縫製で、ストレスのない着心地です

IHSW-56:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 60.5 39.0 96.0 82.0 58.0 8.5
S 62.5 43.0 104.0 90.0 63.0 8.5
M 64.5 46.0 110.0 96.0 64.0 8.5
L 67.5 49.0 116.0 102.0 65.0 9.5
XL 69.5 52.0 120.0 106.0 66.0 9.5
XXL 71.5 55.0 124.0 110.0 67.0 9.5
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます
  • 商品はワンウォッシュ済みです

素材

  • 綿:100%

ウルトラヘビースタンドカラーウェット

スタンドカラーパーカーにネイビー登場!

  • アイアンハート定番の極厚裏起毛スウェットパーカー
  • 左胸にはスポーツライクなオリジナルロゴプリント、左裾にはアイアンハートオリジナルロゴネーム
  • ライディング時のインナーやカジュアルな服装にぴったりです
  • リブやスタンドカラー仕様なので風の侵入を防ぎます
  • 4本針(フラットシーマ)での縫製で、ストレスのない着心地です

IHSW-57:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
S 62.0 45.0 108.0 92.0 62.0 9.0
M 63.0 47.0 112.0 97.0 63.0 9.0
L 64.0 49.0 116.0 102.0 64.0 10.5
XL 65.0 51.0 120.0 107.0 65.0 10.5
XXL 66.0 53.0 124.0 112.0 66.0 11.5
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
  • ワンウォッシュ済み

素材

  • 綿:100%

望まなかった再始動。そして、日本は「食」とどう向き合うのか。

「『Smile Food Project』の再始動もしかり、改めて、我々は何を表現するのか、何を訴えていくのか、何を全うするのかを考えなければいけない。日本の食文化を守り、広げ、つなげ、伝える、その役目も担う義務があると思っています」と石田氏。

スマイルフードプロジェクト

常に準備はしていた。『Smile Food Project』は、自分の使命。

新型コロナウイルス感染拡大に伴い、2020年4月18日に『Smile Food Project』は発足。医療従事者の方々に無償でお弁当を届ける活動をしてきました。

同プロジェクトは、『CITABRIA(サイタブリア)』代表の石田 聡氏と『Sincere(シンシア)』オーナーシェフの石井真介氏を中心に、一般社団法人Chefs for the Blue(シェフス・フォー・ザ・ブルー)』と『NKB(エヌケービー)』をメンバーに3社で構成。石井シェフは、同一般社団法人のリードシェフも担います。

その後、2020年7月18日。感染者の減少と医療現場の実態を踏まえ、活動を“一時”休止。作ったお弁当の数は、21,086食。

2020年4月、『ONESTORY』は、本件に関して石田氏を取材しました。記事の後半、「『Smile Food Project』は、これからどんな道を歩んでいくのでしょうか」の問いに対し、石田氏は「継続を目指します。しかし、継続しなくて済むような世の中になることが一番です」という言葉を残しています。既に再始動を予測していたのでしょう。

「第1回の活動休止後も常に医療関係者の方々とは連絡を取り合い、状況を把握し、何かあった時の準備はしていました。第2波の時は、やるべきか悩みましたが、医療現場の逼迫までには至らなかったため、自分たちの仕事に専念しました。しかし、第3波は急変急増。再びやるしかない。そう思いました」と石田氏は話します。

2020年12月21日、『Smile Food Project』は再始動。

その原動力は何か。

「使命」です。

Smile Food Project』再始動時もお弁当には必ずメッセージを添える。手紙を読んでくれた医療従事者からのお礼も多く、それがまた同プロジェクトの原動力にもなる。

医療従事者に年末年始はない。せめて、食で季節や行事を感じてほしかった。

「日々、感染者数や重症者数などは報道されますが、実際、医療現場は、どうゆう状況で食事をしているとか、どんなローテーションで労働しているとか、その環境が取り上げられることは、ほとんどありません。医療従事者の方々は、24時間関係なく働いてくださっています。クリスマスや年末年始、家族と過ごすことができない人やお祝いをできない人もいます。せめて、食事をする時だけは、季節や行事を感じてもらいたい。ほっとしてもらいたい。再始動の時期も手伝い、そんなことを思いながらメニューを考えました」と話すのは、『Smile Food Project』の拠点でもある『CITABRIA Catering』の奥田裕也シェフです。

プロジェクト再始動後、提供したお弁当は、クリスマスメニューとおせちメニューの2種(2021年1月8日現在)。前者を奥田シェフが考案し、後者を『一般社団法人Chefs for the Blue』のメンバーでもある『Salmon&Trout』の中村拓登シェフが考案。

「第1回の時は、お手伝いで入らせていただきましたが、今回は、メニューから考案し、やりがいを感じました。自分の作った料理で喜んでくれる人がいる。ほんのひと時でも笑ってくれる人がいる。誰かのために料理するという行為は、レストランで出すひと皿もお弁当も変わりなく、本気で取り組みました」と中村シェフ。

中村シェフは、日本料理の名店『八雲茶寮』で副料理長を務めた経歴を持ち、「以前より、おせちは作っていたので、今回に活かせたと思います」と言葉を続けます。『八雲茶寮』の総料理長・梅原陣之輔氏もまた、『一般社団法人Chefs for the Blue』のメンバー。以前『ONESTORY』が『Smile Food Project』を取材した日のお弁当も担当していました。

「おせちもしかり、日本のお弁当は、冷めてもおいしい文化。病院に搬入しても、医療従事者の方々がすぐに食事を取れるかというとそうではありません。『Smile Food Project』のお弁当は、冷めてもおいしい料理にはこだわっています。そして、何よりこのお弁当には、自分たち料理人以外の様々な想いも詰まっています。生産者さんからのご支援もいただき、採れたての野菜も使用しています。体が資本ですから、もちろん添加物は一切使用していません」と奥田シェフ。

また、料理人や生産者以外にも、パッキングや運搬は『CITABRIA Catering』のケータリングマネージャー・新井剛倫氏が務め、商品ラベルやお弁当に添える手紙は、同社の営業サポート・洞内裕美子さんが手配します。

しかし、そんなお弁当をいただく時間さえ、決して明るくない現実があります。誰かと向き合って食事をすることが許されないこともあれば、壁に向かってひとり黙々と食べなければいけない時もあります。ゆえに前述、おいしいはもちろん、ほっとしてもらいたい。

また、環境を配慮した容器は、土に還る素材を使用。本プロジェクトに限らず、『CITABRIA』は、サスティナブルやエコなどに関心が高く、そういった点においても『一般社団法人Chefs for the Blue』と親和性は高いです。

現在、支援を受けたいという病院関係者からの連絡が次々と届いています。求められる喜びがある一方、それは医療崩壊を意味します。

そんな葛藤する日々が続きます。

「『Smile Food Project』は、料理人同士の交流にもなるし、互いの技術向上にもつながる。我々に取っても良い機会です」と奥田シェフ(左)。「いつもはひとりで料理を作っていますが、同じ思いを持ってみんなで作れる環境に一体感を感じました」と中村シェフ(右)。

彩り豊かなクリスマスメニューのお弁当。「せめて、お弁当を通して季節感や行事を感じてほしい」と奥田シェフ。

丁寧な仕込みが成される、おせちのお弁当。その好例は、炊き合わせ。その調理法のごとく、複数の食材を別々に煮て、合わせる料理は、時間と手間のかかるひと品。

『一般社団法人Chefs for the Blue』のメンバーがメニュー開発に携わる際には、サスティナブル・シーフードを必ずひとつ加える。今回、中村シェフは、ベトナム産の「ASC(Aquaculture Stewardship Council) 水産養殖管理協議会」認証を得たエビを採用。

今回は、仕込みを含め、4日間お弁当作りに励んだ中村シェフ。「自分たちの料理で、少しでも医療従事者の方々を元気にしたい」。

添加物を一切使用しないお弁当は、生産者の協力もあり、獲れたての食材も調理。環境を配慮した容器は、土に還る素材を採用。

手紙のイラストやお弁当に貼る食品記載ラベルは、『CITABRIA Catering』営業サポート・洞内裕美子さんが手配。

パッキングや運搬は、『CITABRIA Catering』のケータリングマネージャー・新井剛倫氏が務める。毎日、毎日、お弁当を運び出す後ろ姿は、胸にグッとこみ上げてくるものがある。

 黙々と、淡々と責務を全うしながら「都内の道は、かなり詳しくなりました!」と笑顔も見せてくれる新井氏。

本当は自分たちだって怖い。未だ正解がない中で、正解を探し続ける。

前述の通り、第1回目の『Smile Food Project』は、2020年4月18日から7月18日まで活動し、作ったお弁当の数は、21,086食にも及びます。

しかし、ここで特筆すべきは、その日数でも作ったお弁当の数でもありません。

この期間、この数において、「安心安全」を提供できたことにあります。

「一番、気をつけていることは食品管理です。僕らが作ったお弁当で、食中毒を出してはいけない。プロである以上、もちろんそれはあってはならないことですが、絶対はありません。衛生面においても徹底していますが、そのリスクはゼロではないため、細心の注意を払っています」と奥田シェフは話します。

また、リスクは、それだけではありません。

「現状、プロジェクトメンバーには感染者は出ていませんが、今の世の中の状況を見ると誰がいつ出てもおかしくありません。感染する可能性は、誰もがあります。もし出てしまった場合、自分たちはお弁当を作り続けられるのか……。そんなことが頭によぎることもあります。我々にも家族はいます。大切な人を守らなければならい。だからこそ万全の体制で臨んでいます」と言葉を続けます。

それでも熱い想いをたぎらせ、チーム一丸となって、誰かのために料理を作る。料理人が持つ魂の結実は、実に凛々しく、その目は輝いています。

「今、自分のお店では、ひとりで料理を作っていますが、今回のようにチームで作れることにも別の喜びを感じます。仕込みの数など、通常とは異なる難しさや苦労も楽しかったです。そんな思いになれたのは、みんなが同じ方向に向かって夢中になっているから。大変な中にもワクワク感がある」と中村シェフが話せば、「料理人は、気持ちが味に出ちゃうからね(笑)」と奥田シェフ。

ひとりで成す達成感もあれば、皆で成す達成感もあります。後者であれば、苦しさは分散し、喜びは倍増。中村シェフは、それを体感したのです。「志が同じであれば、キッチンの場所は関係ない」と中村シェフ。

「2020年から現在に至るまでの間、料理人をやめてしまった人もいるかもしれない。最後の力を振り絞っている渦中の人も多いと思います。自分は、今の環境にも恵まれ、料理人になって本当に良かったと思っています。だから、このプロジェクトを通して業界にも元気を与えたい。料理人に料理人を諦めてほしくない。自分たちは、誰かの助けがあって『CITABRIA』をはじめ、『Smile Food Project』を活動できています。だから僕たちも誰かを助けたい」と奥田シェフ。

「今こそ、飲食業界の底力を見せたい」と奥田シェフと中村シェフは、その言葉を噛み締めます。

おいしいだけでなく、思いが込められたお弁当。『Smile Food Project』を求め、様々な医療機関からの問い合わせも多い。

2021年1月8日、緊急事態宣言発令。狙い撃ちされた飲食業界と平等な不平等。

今回、取材が行われた日は、2021年1月7日。

その翌日、1月8日には緊急事態宣言が発令。周知の通り、飲食店が狙い撃ちされました。

主には、営業時間短縮が強化されることに伴い、要請に全面的に協力した中小の飲食事業者などに対し、新たに協力金を支給するといった内容です。

―――
・夜20時から翌朝5時までの夜間時間帯に営業を行っていた店舗において、朝5時から夜20時までの間に営業時間を短縮するとともに酒類の提供は11時から19時までとすること。
緊急事態措置期間開始の令和3年1月8日から2月7日までの間、全面的に協力いただいた場合(31日間)、1店舗あたり186万円(1日6万円)の支給が得られる。
(東京都産業労働局HP参照)
―――

店舗により、ひとりで営業しているところもあれば、複数の従業員を抱えているところもあります。家賃も異なるため、全てにおいて一律というのは難しい問題です。ましてや、中小企業(個人事業主も含む)の飲食店のみ対象のため、そうでない企業は対象外になります。20時閉店を促すも、7割以上のテレワーク推奨及び外出は控えるようにと発信されたメッセージを総合すると開店休業を意味しています。一方、石田氏の古巣、『グローバルダイニング』のように通常通り営業を行う方針を示すところもあり、困惑混乱の日々。

1月13日には、大阪、兵庫、京都、そして、愛知、岐阜、福岡、栃木の7府県にも対象地域として追加されました。

平等に与えられた不平等は、これからどう作用していくのか。

石田氏は、「それでもまだ、自分たちは恵まれていると思います」と言います。

「『Smile Food Project』は一度休止し、再始動していますが、医療従事者の方々は、止まることなく人命のために最前線で闘っています。彼らには“Go to eat”も“Go to travel”もありません。さらには、飲食業界以外にも苦しい業界は多々あり、給付金や協力金を支給されない人たちもいます。だから、それが得られる飲食店は、もっと元気でありたい」。

しかし、飲食店が感染源だとも見紛う今回の施策やそれを後押しするような報道は、同調国家が働く国民へのマインドコントロールとも受け取れます。

Smile Food Project』に関して言えば、医療従事者を支援している立場でありながら、医療崩壊に追い込んでいる業界という刷り込みもされてしまい、「自分たちは誰と闘っているのか……。新型コロナウイルスか? はたまた別の誰か……?」と、うがった見方をしてしまうこともあります。

それでも、活動を止めることはありません。なぜなら、それが石田氏をはじめ、プロジェクトメンバーにとっての「使命」だからです。

「どんなに誰が嘆いても、一番の被害者は医療従事者だと思います。新型コロナウイルの感染に時間は関係ない。昼夜を通して酷使している医療従事者のために、自分たちができることを常に考え続けてきました。食を通して鋭気を養っていただくことで我々は飲食業界の動きを止めない。生産者の動きを止めない。より多く食事を作ることによって救われる人がいる。『Smile Food Project』はイベントではない。今こそ誰かのために活動したい。いや、しなければならない」。

いつものように運ばれてゆくお弁当たち。こうして車を見送る日々がなくなることを一刻も早く望みたい。

自分たちは負けない。自分たちは諦めない。日本の食文化を絶やさないために。

準備や備えがあったにせよ、『Smile Food Project』のようなプロジェクトを1度ならず2度できる体力は、並の覚悟ではありません。

「今回は、企業の方々に支援・協賛を募っています。1回目の活動を通して思ったことは、まだまだ知名度が低いということでした。ある経営者の方に“これは支援を募るのではない。賛同してもらうものだ”と言われました。嬉しい気持ちと同時に、より大きなものにしたいと思いました。医療従事者の方々は、自らを酷使し、尽力してくださっています。だから自分たちも頑張れる、やるしかない。飲食の活動停止は、農家などの一次産業、酒蔵、ワイナリー、酒屋など、様々に影響します。学校においても休校してしまえば給食はなくなり、同じような現象が起きてしまうでしょう。それが長く続けば、廃業、倒産が相次ぎ、日本の食文化が失われてしまう」と石田氏は話します。

一次産業や職人たちは高齢化も進み、後継者のない産業も多々あります。今回の難局は、その追い風となり、さらにスピード感が増す可能性が危惧されます。

「日本の食を文化として残していく政策が国になければ、大切な技術も価値も失われてしまう。日本全国には食の宝が眠っている。それを決して絶やしてはいけない。日本の食は、世界的に見ても強力なコンテンツであり、それだけで観光国家になる可能性を十分秘めている。環境や生産物を見ても、レストランのクオリティを見ても、日本は世界一を誇れると思います。それをおろそかにしてはいけません。ものを作る人たち、作れる人たちの力は、本当に偉大です」。

様々な波乱を巻き起こした2020年でしたが、『CITABRIA』にとっては積み重ねた努力が結実された年にもなりました。『ミシュランガイド東京2021』では、『レフェルヴェソンス』は三つ星に輝き、サスティナブルな取り組みと献身的な活動も評価され、「ミシュラン グリーンスター」も獲得。石田氏もまた、様々なジャンルで開拓する異端児を称える『Esquire』主催の「The Mavericks of 2020」を受賞。

「自分たちが大事にしてきたことや大切にしてきたことは間違いじゃなかった。だから、もっとやっていいんだ、やらなきゃいけないんだ。そう思いました。名実ともに日本を代表するレストランになれた今、自分のお店だけ良いということはなく、目の前にお客さまだけ満足させれば良いわけでもない。維持する苦悩も失う恐怖もこれから寄り添っていかなければならない。そして、改めて、我々は何を表現するのか、何を訴えていくのか、何を全うするのか。日本の食文化を守り、広げ、つなげ、伝える、その役目も担う義務があると思っています。今、新型コロナウイルスに翻弄されている騒動はいつか終わりはやってきます。重要なことは、また同じような難局が訪れた時、どう対応するのか。絶望はもう見たくない。希望を見たい。やり遂げたと思ったことは一度もありません。ひとつ乗り越えたら、また乗り越えなければいけない山がある。終わりなき使命を背負い、生きていきたいと思います」。

『Smile Food Project』の詳細はこちらへ。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

ウルトラヘビースウェットカーディガン

アイアン肉厚カーディガン再登場!

  • アイアンハートオリジナルのヘビースウェットを使って作り上げたカーディガン
  • 襟元のすっきり感でシャツの上に重ねて着るのに最適
  • 4本針(フラットシーマ)での縫製で、ストレスのない着心地です
  • ボタンはアイアンではお馴染みの強度の高いYKK製パーメックスオリジナルボタンを採用
  • 腰ポケットは一般的なカーディガンと違い物が落ちにくいようパーカ同様の形にしています

IHSW-48:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
S 60.0 41.0 106.0 89.0 63.0 9.5
M 62.5 43.0 110.0 93.0 64.0 9.5
L 65.0 45.0 114.0 97.0 65.0 10.5
XL 67.5 47.0 118.0 101.0 66.0 10.5
XXL 70.0 49.0 122.0 105.0 67.0 11.5
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
  • ワンウォッシュ済み

素材

  • 綿:100%

インディゴ吊り編みカーディガン

インディゴ吊り編みでカーディガン登場!

  • ループウィールの柔らかさと上品な質感が特徴のインディゴスウェットカーディガン
  • シャツの上にもTシャツの上にも軽く羽織れる便利な一枚
  • インディゴ染めの糸で色落ちも楽しめるアイアンハートらしい一着です

IHSW-55:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
S 60.0 41.0 106.0 89.0 63.0 9.5
M 62.5 43.0 110.0 93.0 64.0 9.5
L 65.0 45.0 114.0 97.0 65.0 10.5
XL 67.5 47.0 118.0 101.0 66.0 10.5
XXL 70.0 49.0 122.0 105.0 67.0 11.5
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • 綿:100%

ビーチクロスベスト

独特の風合いのあるビーチクロスベスト!

【ビーチクロスとは】

ウールとコットンの混紡糸をラッセル編み機で編み裏を起毛をかけた防寒性の高い素 材のことです。 混紡が織りなす不規則な色ムラ、凹凸のついた表情から、通称「ごま塩」と呼ばれて います。
  • しっかり織り上げたビーチクロスを使って作り上げたベストに牛革のパッチポケットをつけたクラッシックな顔のベスト
  •   
  • 今までありそうでなかったビーチクロスと革のコンビネーションが特徴です
  • コットン+ウール混紡素材のため強度と保温性を両立

IHV-40:サイズスペック

着丈 肩幅 バスト 裾回り
XS 62 33.5 94 94
S 62 35 98 98
M 62.5 36.5 102 102
L 64 38 106 106
XL 65.5 39.5 110 110
XXL 67 41 114 114
XXXL 68.5 42.5 118 118
  • 商品により多少の誤差が生じる場合があります。
  • 未洗い

素材

  • ウール:74% / 綿 26%

ウルトラヘビースウェットベスト

ウルトラヘビースウェットベスト!

  • アイアンハートオリジナルのヘビースウェットを使って作り上げたベスト
  • 着こなしは自由で便利な一枚です

IHV-39:サイズスペック

  着丈 肩幅 バスト 裾回り
XS 52.5 33 92 91
S 54 34 97 96
M 55.5 36 102 101
L 57 38 107 106
XL 58.5 40 112 111
XXL 60 42 117 116
  • 商品は若干の誤差が出る場合がございます。

素材

  • 綿:100%

インディゴ吊り編みベスト

インディゴ吊り編みベスト!

  • ループウィールの柔らかさと上品な質感が特徴のインディゴスウェットベストです
  • シャツの上にもTシャツの上にも軽く羽織って便利な一枚です
  • インディゴ染め糸で色落ちも楽しめるアイアンハートらしい1着です

IHV-38:サイズスペック

  着丈 肩幅 バスト 裾回り
XS 52.5 33 92 91
S 54 34 97 96
M 55.5 36 102 101
L 57 38 107 106
XL 58.5 40 112 111
XXL 60 42 117 116
  • 商品は若干の誤差が出る場合がございます。

素材

  • 綿:100%

シャンブレーブルゾン

シャンブレーブルゾン!

  • セルビッチ仕様のシャンブレーを使った一枚仕立てのジャケット
  • シャツの代わりに春から夏まで着用可能な一枚です

IHJ-99: サイズスペック

  着丈 バスト 裾回り 裄丈 袖口
XS 65.5 108.5 74.0 88.5 6.5
S 65.5 112.5 78.0 89.5 6.5
M 67.5 116.5 82.0 91.5 7.0
L 69.5 120.5 86.0 93.5 7.0
XL 71.5 124.5 90.0 95.5 7.0
XXL 73.5 128.5 94.0 97.5 7.0
XXXL 73.5 132.5 98.0 99.5 7.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  •  綿:100%

リップコードナイロンブルゾン

リップコードナイロンブルゾン!

  • インビスタ社のリリースするコットンライクな肌触りで速乾性の高いSUPPLEXナイロンを使ったリップストップタイプの素材で、軽くてドライ感の高い薄手ジャケットです
  • 裏地にもメッシュタイプの素材を使いドライ感をアップ
  • 使い勝手の良い一枚です

IHJ-98: サイズスペック

  着丈 バスト 裾回り 裄丈 袖口
XS 65.5 108.5 74.0 88.5 6.5
S 65.5 112.5 78.0 89.5 6.5
M 67.5 116.5 82.0 91.5 7.0
L 69.5 120.5 86.0 93.5 7.0
XL 71.5 124.5 90.0 95.5 7.0
XXL 73.5 128.5 94.0 97.5 7.0
XXXL 73.5 132.5 98.0 99.5 7.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • 表地 ナイロン:100%

チノタンカースジャケット

胸元にワッペンを付けた春向けタンカース登場!

  • 微起毛(細かな起毛)をかけた高密度のチノクロスを使い一枚仕立てで作り上げたタンカースジャケット
  • 生地の染めは着込んでの色落ちが楽しめる硫化染めを採用、ジーンズとの相性も良しです!
  • ジップを襟元まで上げられるスタイルなのでバイクに乗る時に首からの風をシャットアウトします
  • 元々がミリタリーアイテムベースですが、左胸にあえてスポーツライクなワッペンを縫い付け、ミリタリーの臭いを薄め着やすさを演出

IHJ-96:サイズスペック

着丈 肩幅 バスト 裾回り(リブ上) 裾回り(リブ下) 袖丈 袖口巾(リブ上) 袖口巾(リブ下)
XS 66.5 40 102 92 86 67.5 13 8.5
S 66.5 42 106 96 90 67.5 13 8.5
M 68.5 44 110 100 94 69.0 14 9.5
L 70.5 46 114 104 98 70.5 14 9.5
XL 72.5 48 118 108 102 72.0 14 9.5
XXL 74.5 50 122 112 102 73.5 15 10
XXXL 74.5 52 126 116 106 73.5 15 10
  • 商品は若干の誤差が出る場合がございます。

素材

  • 綿:100%   

コーデュロイタンカースジャケット

コーデュロイタンカースジャケット登場!

  • 13W(1インチの間に13本の畝)のコーデュロイを表素材にしたタンカースジャケット
  • 一枚仕立てで軽く羽織れるライトジャケットです
  • 色はブラックのみで大人の顔になるよう、シックにつくりあげています

IHJ-95:サイズスペック

  着丈 肩幅 バスト 裾回り(リブ上) 裾回り(リブ下) 袖丈 袖口巾(リブ上) 袖口巾(リブ下)
XS 66.5 40 108 94 86 67.5 12 8
S 66.5 42 112 98 90 67.5 12 8
M 68.5 44 116 102 94 69 13 8
L 70.5 46 120 106 98 70.5 14 9.5
XL 72.5 48 124 110 102 72 15 9.5
XXL 74.5 50 128 114 106 73.5 15 10.5
XXXL 74.5 52 132 118 110 73.5 16 10.5
  • 商品は若干の誤差が出る場合がございます。

素材

  • 表地/綿:100%  

マウンテンパーカー

透湿防水マウンテンパーカ!

  • 60/40(ロクヨン)と呼ばれる昔ながらの素材を表に使い、その裏にテクノブレンと呼ばれるハイテク透湿防水フィルムを貼り込んだアウトドアタイプのフーデッドジャケット
  • フードのドローコード先の皮のストッパーや腰ポケットの布をダブルにしたレインガード仕様など、昔から愛用されているディテールを盛り込んだ大人仕様の顔が特徴

IHJ-97: サイズスペック

  着丈 バスト 裾回り 裄丈 袖口
XS 65.5 108.5 74.0 88.5 6.5
S 65.5 112.5 78.0 89.5 6.5
M 67.5 116.5 82.0 91.5 7.0
L 69.5 120.5 86.0 93.5 7.0
XL 71.5 124.5 90.0 95.5 7.0
XXL 73.5 128.5 94.0 97.5 7.0
XXXL 73.5 132.5 98.0 99.5 7.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • 表地  綿:60% ナイロン:40%

ハリントンスタイルジャケット

スウィングトップにNew Color!

  • 撥水加工を施された表素材で、簡単な雨なら濡れずに着られるクラッシックなデザインのスイングトップ
  • 袖口と裾は表生地同色のリブで体にフィット
  • バイクに乗るときだけでなく街着としても便利な一枚です
  • 昔ながらのスウィングトップのように裏地は赤チェック柄を採用
  • フロントはライディング時に裾元がモタつかないようダブルジップ仕様
  • 襟部分は昔ながらのネコ目のアルミ釦を採用
  • フロントはライディング時に裾元がモタつかないようダブルジップ仕様
  • ダブルジッパーの引き手には、グローブをしたままでも開閉がしやすいよう、表地共布のタブをつけています
  • フロントジッパー裏側には風の入り込みを防ぐようライダースなどにみられる前立て付きの仕様
  • 未洗い

IHJ-85: サイズスペック

  着丈 バスト 裾回り 裄丈 袖口
XS 65.5 108.5 74.0 88.5 6.5
S 65.5 112.5 78.0 89.5 6.5
M 67.5 116.5 82.0 91.5 7.0
L 69.5 120.5 86.0 93.5 7.0
XL 71.5 124.5 90.0 95.5 7.0
XXL 73.5 128.5 94.0 97.5 7.0
XXXL 73.5 132.5 98.0 99.5 7.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • 表地 ポリエステル:65% , コットン:35%
  • 裏地 綿:100%

マイクロフリースC.P.Oシャツ

マイクロフリースC.P.Oシャツが新登場!

  • リサイクルポリエステルのフリースを使って作り上げたシャツ
  • 軽くて暖かくてしわにもならない使い勝手の良い一枚
  • フリースといえば、プルオーバータイプやジップアップのアウターんどが世の主流ですが、アイアンハートはシャツに仕立て上げました
  • 今までありそうでなかったアイアンハートらしいアイテムです

IHSH-287:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 70.5 40.0 101.0 95.0 63.0 10.5
S 72.0 42.0 105.0 99.0 63.0 10.5
M 73.5 44.0 109.0 103.0 64.5 11.0
L 75.0 46.0 113.0 107.0 66.0 11.5
XL 76.5 48.0 117.0 111.0 67.5 12.0
XXL 78.0 50.0 121.0 115.0 69.0 12.5
XXXL 79.5 52.0 125.0 119.0 70.5 12.5
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • ポリエステル:100%

半袖 メカニックシャツ

柔らかく丈夫な半袖メカニックシャツ!

  • ウォツシャブルレーヨンを使いドレープ感のある生地が特徴
  • 織り上げの顔リップルコードと呼ばれるミリタリーライクな顔ですが、この柔らかさは他にない一枚です
  • ボタンはグローブをしたままでも留め外しのし易いウエスタンタイプのYKK製パーメックス釦

IHSH-286: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 66.0 41.5 106.0 103.0 23.0 18.5
S 68.0 43.5 110.0 107.0 24.0 19.0
M 70.0 45.5 114.0 111.0 25.0 19.5
L 72.0 47.5 118.0 115.0 26.0 20.0
XL 74.0 49.5 122.0 119.0 27.0 20.5
XXL 76.0 51.5 126.0 123.0 28.0 21.0
XXXL 78.0 53.5 130.0 127.0 29.0 21.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • レーヨン:45%
  • ポリエステル:55%

出会うことのなかった戦友。シャンパーニュによって引き寄せられたふたり。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・ラ・メール/三重県志摩市]

互いの存在を知りながら「伊勢志摩サミット」で饗宴するも、当時は出会うことがなかったふたり。今回、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」によって奇跡的なご縁が実現し、初対面を果たす。

ラ・メール × 堀木エリ子2016年、ふたりは「伊勢志摩サミット」で出会うはずだった。

和紙デザイナー・堀木エリ子さんが「テタンジェ」のトップキュベ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のペアリングを体験する「食べるシャンパン」。

第1回目となる舞台は、風光明媚な三重県志摩市に位置する『志摩観光ホテル』内、「ラ・メール」です。2021年に70周年を迎える同ホテルの特徴は、伝統と革新にあります。このふたつを言葉にするのは容易いですが、そこには並々ならぬ努力と常に挑戦し続けてきた精神があってこそ。そんな両者のバランスは、「食」における領域が顕著に表れています。

牽引するのは、2014年より料理長に就任した樋口宏江シェフです。

自然と向き合い、豊かな地産の味わいを引き出す「伊勢志摩ガストロノミー」は、国内外からも高い評価を受け、数々の賞も受賞。中でも、大きな転機は2016年に開催された「伊勢志摩サミット」でした。

樋口シェフはワーキングディナーを担い、堀木さんは「ザ・クラブ」2階ホールの空間デザインを監修。巨大な一枚和紙から成る「光壁」という名の神々しい装飾は今なお輝き続け、それを一目見ようと足を運ぶ人も少なくありません。

しかし、お互いの存在は知るものの、当時、両者が出会うことはありませんでした。それが今回、約4年の歳月を経て「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」によってふたりは引き寄せられたのです。

「ご縁ですね」。

そんな堀木さんの言葉から始まりました。

【関連記事】NEW PAIRING OF CHAMPAGNE/深まる「ご縁」、湧き上がる「パッション」。和紙デザイナー・堀木エリ子が体験する「食べるシャンパン」。

樋口シェフが「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」に合わせて考案した料理、「東紀州、黒潮の恵み ガスエビを様々な形で」。ひと皿に表現されているが、一品一品を一膳に例え、それらを出汁がつなぐ。

「和紙も料理も自然から生まれます。当然、年によって生り物も変わるため、私はいただけた大切な食材をどうおいしく調理するかの責務をまっとうするだけです」と樋口シェフ。

「伊勢志摩サミットをきっかけにご縁をいただき、3年ほど前からガスエビを分けてもらえるようになりました。これまでは地元で消費されてしまい、流通に乗らない希少な食材でした」と樋口シェフ。

「伊勢志摩国立公園」の一部でもある英虞湾が目の前に広がる『志摩観光ホテル』。リアス式の海岸線が織りなす美しい景観は、今回の舞台でもある「ラ・メール」をはじめ、全室スイートルームの客室からも一望できる。

ラ・メール × 堀木エリ子堀木エリ子のクリエイションに共鳴すべく創造された料理のペアリング。

「堀木さんがデザインされた“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”の日本限定ギフトパッケージの件を伺い、非常に刺激を受けました。産地への想い、職人への敬意、伝統を重んじる心、挑戦する姿勢、どれを取っても素晴らしかったです。今回は、ふたつのテーマをひと皿に込めました。ひとつは、生産者や地域への敬意や想いの表現。もうひとつは、和紙の四層漉きのごとく、同素材を4種のスタイルで味わう表現です。また、和紙という日本の伝統に寄り添うべく、あえて和の要素も取り入れました」。

そう話す樋口シェフが用意した料理は、堀木さんのテーブルに運ばれる前から豊かな香りが漂います。それが和の要素であり、正体は出汁。

「本当に良い香りですね! フランス料理に出汁とはびっくりです!」と堀木さん。

皿の上には3つの品とひとつの出汁。その全てを結ぶのは、三重県産のガスエビです。

「“東紀州、黒潮の恵み ガスエビを様々な形で”をご用意しました。まずは、ぜひお出汁から召し上がりください。三重県産の鰹とガスエビで取った出汁になります。鰹は伊勢神宮の神様に供える神饌にも使われています。昔からこの地は御食国と言われ、海産物が豊富に取れるので、神様の食事には鰹節が御膳の中心に配して備えられているほど大切な食材でした」と樋口シェフ。

崇めるその姿勢は、白い紙が神に通じると言われている日本の和紙の神聖な世界にも似ます。

以降、堀木さんの呼吸に合わせ、樋口シェフは料理を勧めていきます。

「崩すのがもったいないくらい美しい」と堀木さんが話すそれは、「ガスエビのカクテル」です。

「ガスエビを生で叩き、同じく三重県産のディル、レモンの皮と果汁、エシャロットを赤ワインビネガーでマリネしたものを塩とオリーブオイルで調理しています。ペッパーも効かせ、赤玉ねぎのピクルスとキャビアを添えて仕上げました」と樋口シェフ。

堀木さんは、満面の笑みを浮かべながら「これは、“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008” にぴったり! ひと口食べたら自然とグラスに手が伸びますね」。

「次は、ガスエビを大葉と一緒にパートグリックで包み、揚げた料理になります。添えてあるソースは、南伊勢のデコポンで作りました。皮も実も丸ごとピューレにし、柑橘のフレッシュと料理の香ばしさとシャンパーニュの相性も良いかと思います」と樋口シェフ。

「樋口シェフは、港や市場、畑などに足を運ばれているとお聞きしています。現場を知るということは背景を知るということ。それをお客様に伝えることで、よりその味が深まる。良い循環だと思います」と話しながらも、再びグラスに手が伸びる堀木さん。「やっぱり合いますね(笑)」。

「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”の酸味、スパイシーさと非常によく合います。私は和紙を通してシャンパーニュとご縁をいただきましたが、更においしい料理とのご縁までいただけ、幸せです!」と言葉を続けます。

「最後は、ガスエビと大葉をリンゴで巻き上げた料理になります。リンゴはシロップで軽くコンポートしており、“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”と香りの同調を楽しんでいただければと思います。大葉の香りは日本らしく、海老との相性も良いです。上には花穂紫蘇を添えています」と樋口シェフ。

「切り込みが入れてあり、細やかな心配りは食べ手には嬉しいです。味だけでなく、香りのマリアージュも素晴らしいと思います。単品それぞれもシャンパーニュに合いますが、4品の流れも緻密に計算されていると感じました。食感、温度、甘味、塩味、旨味……。バランスが整っています。加えて、食材の物語も聞いて堪能できるという体験は、味の奥行きが広がります。手間暇かけて、現場に足を運び、生産背景も学んでいる樋口シェフの努力の賜物だと思います」と堀木さんは話します。

堀木さんの言葉を借りるならば、「見えることよりも見えないところが大事」。漁師や農家とのつながりができたことは、やはり「『伊勢志摩サミット』がきっかけでした」と樋口シェフは話します。

「ホテルという構造上、なかなか個人で食材を仕入れることの難しさがあります。しかし『伊勢志摩サミット』のご縁をいただき、三重県の食材を存分に活かした料理がテーマとして与えられました。今回、使用させていただいている食材は、ガスエビはもちろん、その時に出会った方々によるものが多いです。そのご縁に感謝する一方、より感じるようになったのは自然の変化。以前、ガスエビは春と秋が漁期だったのですが、年々不漁だと伺っています。その原因は、海水温度の上昇によるものだそうです。反面、これまで獲れなかった魚が取れたり、これまでいた魚の生育地域が変わってしまったり。人であれば暑さを凌ぐことはできますが、魚はそうはいきません。環境との共存も真摯に向き合わなければいけないと感じています」と樋口シェフ。

「料理、シャンパーニュ、ものづくりは、共通して同じことがあります。全て自然と向き合って作るものだということです。こんなふうに作ってみようと思っていてもその時の海の状態、ぶどうの状態、水の状態によって思い通りにはなりません。人間は自然には抗えない反面、偶然性によって生まれる感動もあります。お互い難しさを楽しんでいきたいですね」と堀木さん。

鰹とガスエビで取った出汁は旨味が満ち溢れる。「樋口シェフの料理は、日本人が作るフランス料理を土地のものを生かして表現していることが素晴らしいと思います」と堀木さん。味に奥行きを手伝うのは、葉野菜、香味野菜からの出汁。「一番手が抜けない品ですが、樋口シェフのお出汁はすごく手間暇かけて作られているのがしっかり伝わります」。通常はビスクなどで合わせるも、今回は堀木さんの和紙の世界に寄り添い、あえて和のエッセンスを加える。

ガスエビのカクテルを見て、「美しいですね。栄養素だけを得るためならば、綺麗な器や盛り付けは必要ありません。これは相手を思うおもてなしの心の文化。誰かが誰かを想う気持ちから生まれます。その心を樋口シェフからは感じます」と堀木さん。爽やかに香るレモンは、「ちょうど黄色くなりかけた青い感じの時期のものを使用しています」と樋口シェフ。「実は、今日も畑にお邪魔してきました」。

ガスエビを大葉と一緒にパートグリックで包み油で揚げた料理。ガスエビだけでなく、ソースに使用するデコポンも三重県産。主役脇役問わず、地産地消を演出する。

軽くコンポートした薄切りのリンゴでガスエビと大葉を巻き上げた料理。「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”と香りの同調をお楽しみください」と樋口シェフ。

ペアリングを堪能後、「単品もさることながらこの3つの組み合わせ方は素晴らしかったです。食感、温度、甘みと旨みがそれぞれの調理法で最良に表現されていると思いました。ひと皿ですが4皿と同じクラスの料理は、全て“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”と寄り添い、互いを高める相乗効果を生んでいたと思いました」と堀木さん。

「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”は味もさることながら香りも豊か。香りという視点では、お出汁。今回の料理は、味だけではない香りのペアリングも親和性を生んでいました」と堀木さん。

「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”は、グラスに注がれた時の香りが素晴らしかったです。冷たい飲み物がこれだけ力強い香りを持っているのは驚きですでした」と、料理人らしい視点で自身の見解を話す樋口シェフ。

ラ・メール × 堀木エリ子受け継がれる美学。背景を知ることで、初めて本質は表現される。

「実は私、両親が伊勢出身なのです!」と堀木さん。「父が斎宮、母が松阪なのです。小さいころから『志摩観光ホテル』にはお世話になっており、“志摩観(しまかん)”“志摩観(しまかん)”と呼ばせていただいておりました」と言葉を続けます。

『志摩観光ホテル』への再訪や供された樋口シェフの料理を通して様々思い出すも、特に印象に残っているのは第5代総料理長の高橋忠之シェフの言葉でした。

───
海の幸フランス料理「火を通して新鮮、形を変えて自然。」
火を使って、あるいは形を変えてより新鮮に、より自然に変えることは、素材に対する祈りである。
著書「美食の歓び」より
───

「生でもおいしいものは火を入れてもおいしい。今回、お料理をいただき、樋口シェフは高橋シェフの想いも受け継がれていると思いました。樋口シェフは、フランス料理の伝統を受け継ぎ、『志摩観光ホテル』の歴史も受け継ぎ、高橋シェフの想いも受け継がなければならい立場にあります。非常に重要な責務ではありますが、その背景を学び得た上で、ぜひご自身の美学に昇華していただければと思っております」と堀木さん。

「私は第7代になります。2014年より料理長をさせていただいておりますが、月日を重ねるごとに高橋シェフの偉大さを思い知らされます。『伊勢志摩サミット』は本当の意味で地域を知り、つながるご縁をいただけたと感謝しています」と話す樋口シェフに対し、堀木さんは「自らご縁を広げた樋口シェフの“パッション”があったからこそ。『伊勢志摩サミット』では顔を会わせることはありませんでしたが、同じ舞台で命をかけて表現した戦友のようですね」。

体験こそ価値。その土地で獲れたものをその土地でいただく。その土地で生まれたものをその土地で浄化させる。表現することと土地を知ることは一心同体なのです。

「土地で育ったという事実が大切。ガスエビがどんなに良くても別のところで育ったガスエビでは同じ味にはなりません。この土地で獲れたからこそ良いのだと思います。それが体験につながるのではないでしょうか。“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”もまた、シャンパーニュ地方のグラン・クリュ(特級畑)に認定された5つの村で収穫したからこそのシャンパーニュ。フランス料理もシャンパーニュも和紙も自然とともに生きています。土地の声に耳を傾け、自然と生きる樋口シェフは、あっぱれだと思います!」。

「ミシュランガイド愛知・岐阜・三重2019特別版」にて一つ星を獲得した「ラ・メール」。地元三重県産の食材に向き合い続ける樋口シェフの世界を堪能できる。「三重の食材の素晴らしさを取り入れた料理をご提供していきます。自然の恵みに感謝の気持ちを込め、つながる全ての思いがお皿の上に、お客様に届きますように」と樋口シェフ。

女性として表現者として、互いを敬愛する堀木さんと樋口シェフ。2020年、テタンジェは長女のヴィタリー・テタンジェが5代目に就任。顔こそ見えないが、実は3人の女性が今回の饗宴を果たしているのだ。

「伊勢志摩サミット」にて堀木さんが表現した「光壁」の前にて。「まさか堀木さんとご一緒にこの場に立てるなんて感謝しかありません」と話す樋口シェフに「ご縁ですね」と堀木さん。神々しい光がふたりを照らす。

住所:三重県志摩市阿児町神明731 『志摩観光ホテル』内 MAP
TEL:0559-43-1211
https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/index.html/

1962年京都生まれ。高校卒業後、4年間の銀行勤務を経て、京都の和紙関連会社に転職。これを機に和紙の世界へと足を踏み入れる。以後、「成田国際空港第一ターミナル」到着ロビーや「東京ミッドタウン」などのパブリックスペース、さらには、旧「そごう心斎橋本店」や「ザ・ペニンシュラ東京」など、デパートやホテルの建築空間に作品を展開。また、「カーネギーホール」(ニューヨーク)での「YO-YOMAチェロコンサート」舞台美術や、「ハノーバー国際博覧会」(ドイツ)に出展した和紙で制作された車「ランタンカー‘螢’」など、様々な分野においても和紙の新しい表現に取り組む。「日本建築美術工芸協会賞」、「インテリアプランニング国土交通大臣賞」、「日本現代藝術奨励賞」、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」、「女性起業家大賞」など、受賞歴も多数。近著に『和紙のある空間-堀木エリ子作品集』(エーアンドユー)がある。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

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深まる「ご縁」、湧き上がる「パッション」。和紙デザイナー・堀木エリ子が体験する「食べるシャンパン」。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE]

テタンジェOVERVIEW

ファミリーの名をブランドに冠する、今日では数少ない家族経営のシャンパーニュ・メゾン「テタンジェ」。

テタンジェは1734年に創業したシャンパーニュで史上3番目に古い醸造社である「フォレスト=フルノー社」を前身とする名門ハウス。長きにわたりテタンジェ家が培ってきた伝統と品質は、フランス大統領の主催する公式レセプションでも供されるほどです。

そんな「テタンジェ」は、単体で飲むだけでも優れていますが、料理と合わせることによって、更に味の奥行きが生まれ、ポテンシャルを発揮します。

今回は、「テタンジェ」の中でも至宝ともいえるトップキュヴェ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のリリースに合わせ、3人のシェフが料理を考案。

フレッシュで洗練された果実味、熟した果実の香り。そして、滑らかで生き生きとした躍動感、スパイスのニュアンスを感じる洗練された味わいは、料理とペアリングすることによっておいしさが何倍にも増幅します。

言わば「食べるシャンパン」。

今回は、それをあるひとりの人物に体験していただきます。

それは、和紙デザイナーの堀木エリ子さんです。

堀木さんは、「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」の日本限定ギフトパッケージにて共演をしたことでも話題を読んでいます。

「日本の和紙は、もともと白い紙が神に通じると言われており、白い和紙は不浄なものを浄化するという考えがありました。だから、職人さんたちは、より白い紙を、混ざりもののない和紙を、約1300年にわたり追求してきたのです。そんな中、日本人はものを包んで人に渡すという文化が生まれました。ひとつのものを浄化して人に差し上げるという行為は、日本人のおもてなしの心につながっています。今回は、テタンジェの白い箱をさらに和紙で熨斗のように巻き上げました。贈る方の想い、シャンパーニュを召し上がる方の想い、人とのご縁をつなぐ心を和紙で表現しています」。

その熨斗には高い職人技が活かされていることはもちろん、四層漉きという驚愕の手仕事が成されているのが特徴です。

「ベースとなる緑の和紙、テタンジェのロゴ部分だけ薄く漉いた透かしの和紙、シャンパーニュの煌めく泡をモチーフにしたダイヤモンドマーク部分だけを厚く漉いた和紙、そして、表面の白い和紙の四層です。白透かしと黒透かしという技法を採用しました」。

また、堀木さんは、シャンパーニュ地方にあるテタンジェのカーヴにも足を運んでいます。

「ワイナリーで一番印象的だったのは、眠っているボトルの姿でした。それが本当に美しくて。毎日のように澱が溜まらないように回すのですが、まるでこどもの寝返りを打たせてあげているようで、愛を感じました。これを見ているのと見ていないのとでは、味の感じ方は変わります。できあがったものだけで本質を得ることは難しいと思っています。現場を見てきたものとして、飲むだけでは得ることのできない真実、現場の姿もお伝えしたいと思っています」。

本当に大切なことは、見えるものではなく、見えないところにあります。背景を知ることが本質を知ることにつながるのです。

シャンパーニュと和紙の「ご縁」。そして、互いが持つ技術や歴史の「パッション」の邂逅から、これまでにない特別感が生み出されます。

「合わせる」ことで生まれる、「1+1=2」以上の可能性。

その魅力を堀木エリ子さんとともに綴っていきたいと思います。

※「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」の日本限定ギフトパッケージは、2008本限定のため、売り切れの場合がございます。あらかじめご了承ください。

1962年京都生まれ。高校卒業後、4年間の銀行勤務を経て、京都の和紙関連会社に転職。これを機に和紙の世界へと足を踏み入れる。以後、「成田国際空港第一ターミナル」到着ロビーや「東京ミッドタウン」などのパブリックスペース、さらには、旧「そごう心斎橋本店」や「ザ・ペニンシュラ東京」など、デパートやホテルの建築空間に作品を展開。また、「カーネギーホール」(ニューヨーク)での「YO-YOMAチェロコンサート」舞台美術や、「ハノーバー国際博覧会」(ドイツ)に出展した和紙で制作された車「ランタンカー‘螢’」など、様々な分野においても和紙の新しい表現に取り組む。「日本建築美術工芸協会賞」、「インテリアプランニング国土交通大臣賞」、「日本現代藝術奨励賞」、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」、「女性起業家大賞」など、受賞歴も多数。近著に『和紙のある空間-堀木エリ子作品集』(エーアンドユー)がある。
 

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レザーキーホルダー

ウェッジレザーズxホッピングシャワーさんとアイアンではおなじみのお二人のコラボ商品!

  • ウェッジレザーズ製キーホルダーにホツピングシャワーテツさんによるアイアンロゴピンスト入り!
  • 革はイタリア・ワルピエール社のブッテーロレザーを使用
  • 使い込むほどに奥の深いツヤが出て愛着の湧いていく革です
  • 金具部分は真鍮製

新潟食材を堪能する料理教室。中村孝則流、男の晩酌レシピ。[NIIGATA PREMIUM LIVE KITCHEN Vol.2/新潟県]

茶人として自分で料理の腕を振るうことも多い中村さんが、今宵は料理教室の先生に。

新潟プレミアムライブキッチン限定5名の受講者が、中村さんのオリジナルレシピをリアルタイムで料理。

新潟ウチごはんプレミアム」とONESTORYのコラボレーション企画として、コラムニストの中村孝則さんによるオンライン・クッキングイベント『NIIGATA PREMIUM LIVE KITCHEN VOL.2』が開催されました。参加抽選への応募は50名を超え、その中から見事に参加資格を勝ち取った5名が参加しました。

新潟ウチごはんプレミアム」は、自宅で新潟の食材を楽しむためのポータルサイト。レシピ動画の公開のほか、さまざまなオンラインイベントを紹介しています。今回、中村さんは新潟へ食材探しの旅を敢行し、そこで手に入れた食材とお酒を事前に参加者へ届けました。開催当日は、中村さんのオフィスのキッチンと参加者のキッチンをオンラインでつなぎ、料理教室がにぎやかにスタートしました。

「今日はお酒のお供になる料理を4品作ります。どれも簡単でシンプルなレシピですから、飲みながら、食べながら、楽しく進めていきましょう」と中村さん。まずは、全員で乾杯です。
乾杯のお酒は、長岡市摂田屋地区で470年以上続く日本酒蔵・吉乃川が、11月より販売を開始した発泡性純米酒「酒蔵の淡雪プレミアム PAIR」です。参加者からは「シャンパーニュのような泡立ち」「めちゃくちゃ美味しい!」と驚きの声が上がりました。ワインのインポーターである参加者も「香りの広がり方が素晴らしい」と絶賛です。4つの料理に合わせて、中村さんが吉乃川のラインアップから選んだ4種類のお酒をペアリングしていきます。

中村さんはメインの食材として新潟特産のふたつのブランド野菜を選びました。ひとつは長岡市の「大口(おおくち)れんこん」、もうひとつは五泉市の里芋「帛⼄⼥(きぬおとめ)」です。どちらも新潟県民にとってはおなじみの野菜であるものの、収穫量がそれほど多くはないため基本的に新潟県外に流通することはなく、全国的にはほとんど知られていません。中村さんは、大口れんこんや帛⼄⼥は、知られざる食の宝庫・新潟を象徴する存在だと話します。
「新潟に“食”のイメージがあまりないという方もいるかもしれません。ですが、実際には新潟はとても豊かな食材に恵まれ、奥深い食文化を育んできた土地です。暖流と寒流がぶつかる東西に長い海岸線と佐渡島を有することから、良質な海産物の宝庫となっています。コシヒカリはもちろん、酒米である五百万石の栽培が盛んで、日本酒の蔵の数は全国第1位。越後姫やル レクチエなどの人気のフルーツもたくさんありますし、ブランド豚やブランド牛などの畜産や酪農も盛んです。野菜に関しては枚挙にいとまがないほど多くの特産品があり、新潟県内では日常食として消費されています。今、新潟県民だけがそのずば抜けた美味しさを知っている大口れんこんと帛⼄⼥は、新潟の“食”のポテンシャルの高さを象徴する幻の野菜だと言えます」

【関連記事】NIIGATA PREMIUM LIVE KITCHEN vol.1/平野紗季子×長田佳子 抽選で限定5名が参加できる「オンライン料理教室」を開催

「美味しい料理を作るなら、飲みながら」が中村さんのモットー。まずは参加者全員で乾杯します。

今回のメインとなる新潟食材である大口れんこんと帛⼄⼥について解説。

料理をしながら、帛乙女の畑をたずねて自分で収穫した体験談を話します。

時にドタバタと、時にゆるりとお酒を楽しみながら、6カ所での同時クッキングが進んでいきます。

新潟プレミアムライブキッチン食材の生産の現場を知り、生産者の声を聞く。それが、究極の美味しさへの近道。

1品目の「あっさり辛子レンコン」は、茹で上げたれんこんを使ってわずか5分ほどで完成。辛子れんこんと言っても、辛子味噌を詰めて揚げたものではなく、いわばれんこんの辛子和えです。

「大口れんこんの生産者たちは、口々にシンプルな料理を勧めるんです。辛子れんこんやきんぴらでさえ彼らにしてみれば調理しすぎで、本来の味が分からなくなっていると。実は辛子れんこんを作りたいと思ったのですが、そのアドバイスを受けて超シンプル版の辛子れんこんにしてみました」と、中村さんはレシピ考案の背景を話します。
参加者たちは「れんこんがこんなに美味しいものとは知らなかった」と、味見に手を伸ばし、グラスを傾ける回数が加速していきました。

2品目、素揚げした大口れんこんと中村さん特製のジェノベーゼソースの組み合わせには、また歓喜の声が上がりました。九州在住の参加者は「れんこんを口に入れた瞬間、新潟へ早く行かなきゃと思いました」と笑います。

中村さん自身も、これらの野菜を現地で試食した際は鮮烈なインパクトを受けたと振り返ります。とりわけ印象深いのが帛⼄⼥を使った新潟の郷土料理「のっぺ」です。
「正直、それまで里芋の魅力が今ひとつわかっていなかった。ぬめっともさっとしたところが苦手で積極的に選ぶ食材ではありませんでした。でも、長生館という老舗旅館でのっぺをいただいた時には、心から感動したんです。自分の知っている里芋とは全く別物で、なんてきめ細やかでさらっとした心地いい舌触りと。奥深い味わいなんだろうと」
その感動をもとに、中村さんは3品目の洋風のっぺを作りました。旅で立ち寄った、だし製品の直営店「ON THE UMAMI」で手に入れたトマトだしと、中村さんのお気に入りの食材であるグラノパダーノチーズを使った、ユニークなオリジナルのっぺです。

新潟県三条市出身の参加者は、「洋風アレンジののっぺは新潟ではあり得ませんね。いやぁ旨い。県外の人の自由な発想が入ると、料理がぐっと楽しく広がりますね」と唸ります。

最後の4品目は、中村さんの得意料理のひとつであるスペイン風オムレツ。本来じゃがいもを使うところを帛⼄⼥に置き換えて作ります。
「帛⼄⼥をくたっとさせて、そのまろやかなぬめりを半熟卵にくるんで楽しむ一品です。味付けは塩のみ。一見凝った料理のようですが、実は極めてシンプルです。帛⼄⼥そのものの独特な食感と、他の食材と調和する万能食材としての魅力を堪能できると思います」と中村さん。ペアリングには、「特別純⽶ 極上吉乃川」の人肌燗を勧めます。

とろりとしたオムレツと、米の旨味がしっかり感じられる燗酒を味わいながら、全品を無事に完成させたみんながホッと一息。ほどよい酔い心地です。

最後に、完成した料理とお酒を思い思いに楽しみながら、しばし語らいます。「実際に料理し、味わいながら新潟の食について楽しく勉強できて、とても有意義な時間だった」「毎月開催してほしい。こういう講座があったら絶対に参加したい」「新潟のイメージが変わった」といった声が聞かれました。
中村さん自身にも今回の体験は大きな変化をもたらしたようです。
「料理人たちがなぜわざわざ生産者を訪ねるのか。その理由が感覚的にわかりました。生産者は、自分が丹精込めて育てる食材のいちばんの魅力を知っている。そして、その前には魅力を高めるために努力を重ねてきているわけです。その食材がどのように生まれ、生産者はどのように考えているか。それを知ることは、料理人にとって目標である“美味しさ”にたどり着く最短コースであり、食の本質を深く理解するための唯一の道だと気づいたんです」

画面越しに大きくうなずく参加者たちの笑顔が、イベントの成功を物語っていました。

辛子れんこんの材料を示す中村さん。このように、中村さんの料理は至ってシンプルで手軽。それでいて、味は文句なし。

4品の調理とお酒のプレゼンテーション、旅の思い出トークと孤軍奮闘する中村さん。手慣れた包丁捌きは流石の一言。

時折、大口れんこんの収穫風景を見せながら、れんこんがどのように栽培されているか、収穫がいかに大変な作業であるかを伝えました。

「洋風のっぺ」に合わせたのは、吉乃川新シリーズの「純⽶⼤吟醸 50 PAIR」。骨格がしっかりしていて、和食洋食を問わず食中酒として光るタイプ。

「辛子れんこん」と吉乃川「酒蔵の淡雪プレミアム PAIR」

ON THE UMAMI だし屋の⽩だしと水で粉辛子をとき、れんこんと和えるだけで絶品のおつまみに。

新潟プレミアムライブキッチン【あっさり⾟⼦レンコン】

材料
*⼤⼝れんこん(1個)
*和がらし粉(適量)
*⽩だし(ON THE UMAMI だし屋の⽩だし・適量)
*⽩ごま(少々)

手順
1.⼤⼝れんこんを皮がついたまま硬めに茹で、皮をむき、5㎜幅に輪切りにする。
2.和がらし粉に、⽔と⽩だしを半々の割合で少しずつ混ぜ、ゆるいソース状に溶かす。(ゆるさはお好みで)
3.1に2のソースをかけ、⽩ごまを振って完成。
合わせるお酒
吉乃川「酒蔵の淡雪プレミアム PAIR」

「れんこんフリットのバジルソースがけ」と吉乃川クラフトビール「摂⽥屋クラフト」ペールエール(左)とヴァイツェン(右)

大好評だった中村さん特製バジルソース。酸味として梅干しを加えるのがポイント。

新潟プレミアムライブキッチン【れんこんフリットのバジルソースがけ】

材料
*⼤⼝れんこん(1個)
*オリーブオイル(適量)

《バジルソース》
*フレッシュバジル(ひとつかみ50gくらい)
*オリーブオイル(100ml)
*グラナパダーノチーズ(50g)
*カシューナッツ(素焼き・50g)
*梅⼲し(1/3個)
*塩(少々)

手順
1.⼤⼝れんこんを皮がついたまま硬めに茹で、皮をむき、乱切りにする。
2.⼩さめのフライパンや鍋にオリーブオイルを浅めに張って、1を素揚げにする。
3.ミキサーかジューサーにバジルソースの材料を塩→梅⼲し→オリーブオイル→バジル→グラナパダーノチーズ→カシューナッツの順に⼊れて、ペースト状になるまで仕上げる。
4.⽫に2を盛りつけ、3のソースを添える。

合わせるお酒
吉乃川クラフトビール「摂⽥屋クラフト」(ペールエールとヴァイツェン)

「洋風のっぺ」と吉乃川「純⽶⼤吟醸 50 PAIR」

「洋風のっぺ」の仕上げにグラノパダーノチーズをたっぷりふりかける。帛⼄⼥はコクのあるチーズとの相性もいい。

新潟プレミアムライブキッチン【洋⾵のっぺ】

材料
*ON THE UMAHI UMAMIだし トマト(1パック)
*帛⼄⼥(2個)
*鶏もも⾁(50g)
*⼈参(1/2本)
*グラナパダーノチーズ(⽿の部分を含む)
塩少々

手順
1.帛⼄⼥と鶏もも⾁と⼈参を⼀⼝⼤に切る。
2.切った帛⼄⼥と⼈参を軽く下茹でする。
3.鍋に300ccの⽔とだしトマトパックとグラナパダーノの⽿を⼊れ、沸騰させて5分間煮出す。
4.3に2を⼊れて全体に味が馴染んだら、塩で整える。
5.器に盛りつけ、グラナパダーノをマイクロプレイン、なければすりおろし器ですりおろして完成。

合わせるお酒
吉乃川「純⽶⼤吟醸 50 PAIR」

「帛⼄⼥のスペイン風オムレツ」と吉乃川「特別純⽶ 極上吉乃川」(燗)

スペイン風オムレツのコツは、具材を熱々のまま卵に加えながらも、卵が固まりすぎないよう加減すること。中村さんがその極意を伝授した。

新潟プレミアムライブキッチン【帛⼄⼥のスペイン⾵オムレツ】

材料
*帛⼄⼥(4個)
*⽟ねぎ(1/2個)
*オリーブオイル(適量)
*イタリアンパセリ(適量・なければパセリ)
*卵(3個)
*塩少々

手順
1.帛⼄⼥を1cm幅にスライスする。
2.⽟ねぎを千切りにする。
3.フライパンにオリーブオイルを⼊れて、1を柔らかくなるまで軽く揚げる。
4.3に2を加えて炒める。
5.卵をとき、その中に塩をふる。4を熱いまま⼊れて、帛⼄⼥を⼿早くつぶして混ぜながら3分待つ。
6.フライパンにオリーブオイルを少しひき、熱くなったら5を⼊れて焼く。裏面がきつね⾊になったらひっくり返して、両面がきつね色になったら完成。

合わせるお酒
吉乃川「特別純⽶ 極上吉乃川」


Photographs:JIRO OOTANI
Text:KOH WATANABE

料理の完成後は、茶室に移動してオンライン飲み会状態に。そこに美味しいお酒と肴があれば、オンラインでも人と人との距離はぐっと縮まる。

記事で登場した商品は、こちらから購入できます。

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長を務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。http://www.dandy-nakamura.com/

(supported by 新潟県観光協会)

ソフトフランネルワークシャツ

秋冬定番ヘビーネル

  • 生地の表側を1回、裏側を2回しっかりと起毛させ、着た時の暖かさを重視。
  • 釦は昔ながらの樹脂製猫目釦を使用。
  • 強度のあるヴィンテージシャツの縫製仕様に倣い、縫い合わせは全て巻き縫い仕様。
  • そのため、裏もロック目のない綺麗な仕上がり。
  • 脇の合わせは昔ながらの雰囲気を残した三角マチ仕様で強度を高めています。
  • 柄は定番のバッファローチェックですが今までのアイアンにはなかったカラーリングが特徴です。
  • ワンウォッシュ済み

IHSH-258: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 68.5 40.0 102.0 97.0 63.0 10.5
S 70.0 42.0 106.0 101.0 63.0 10.5
M 71.5 44.0 110.0 105.0 64.5 11.0
L 73.0 46.0 114.0 109.0 66.0 11.5
XL 74.5 48.0 118.0 113.0 67.5 12.0
XXL 76.0 50.0 122.0 117.0 69.0 12.5
XXXL 77.5 52.0 126.0 121.0 70.5 12.5
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • 綿:100%

ソフトフランネルワークシャツ

秋冬定番ヘビーネル

  • 生地の表側を1回、裏側を2回しっかりと起毛させ、着た時の暖かさを重視。
  • 釦は昔ながらの樹脂製猫目釦を使用。
  • 強度のあるヴィンテージシャツの縫製仕様に倣い、縫い合わせは全て巻き縫い仕様。
  • そのため、裏もロック目のない綺麗な仕上がり。
  • 脇の合わせは昔ながらの雰囲気を残した三角マチ仕様で強度を高めています。
  • 柄は定番のバッファローチェックですが今までのアイアンにはなかったカラーリングが特徴です。
  • ワンウォッシュ済み

IHSH-258: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 68.5 40.0 102.0 97.0 63.0 10.5
S 70.0 42.0 106.0 101.0 63.0 10.5
M 71.5 44.0 110.0 105.0 64.5 11.0
L 73.0 46.0 114.0 109.0 66.0 11.5
XL 74.5 48.0 118.0 113.0 67.5 12.0
XXL 76.0 50.0 122.0 117.0 69.0 12.5
XXXL 77.5 52.0 126.0 121.0 70.5 12.5
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • 綿:100%

21oz セルビッチストレッチスーパースリムストレート 

21oセルビッチにストレッチデニム誕生!

  • 21ozのセルビッチのヨコ糸にストレッチ糸を織り込んだアイアンハート2021年を代表するデニムを使った555シルエットのジーンズ。
  • 見た目はまんま21ozセルビッチデニム。ただし、すわったりしゃがんだりすると横方向に感じる伸びが細めのシルエットを可能にします。
  • 革ラベルは21oz専用の4mm厚の極厚革ラベル(牛革)を採用。
  • ワンウォッシュ済み

555ーSST: サイズスペック

  ウエスト 前ぐり 後ぐり ワタリ ヒザ巾 裾巾 股下
W28 72.5 20.5 33.0 27.6 18.0 16.5 91.0
W29 75.0 21.0 33.5 28.4 18.5 17.0 91.0
W30 77.5 21.5 34.0 29.2 19.0 17.5 91.0
W31 80.0 22.0 34.5 30.0 19.5 18.0 91.0
W32 82.5 22.5 35.0 30.8 20.0 18.5 91.0
W33 85.0 23.0 35.5 31.6 20.5 19.0 91.0
W34 87.5 23.5 36.0 32.4 21.0 19.5 91.0
W36 92.5 24.5 37.0 34.0 22.0 20.5 91.0
W38 97.5 25.5 38.0 35.6 23.0 21.5 91.0
W40 102.5 26.5 39.0 37.2 24.0 22.5 91.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
  • 前ぐり、後ぐりはベルト巾を含みません。

素材

  • 綿:98% ポリウレタン:2%

21oz セルビッチストレッチスーパースリムストレート 

21oセルビッチにストレッチデニム誕生!

  • 21ozのセルビッチのヨコ糸にストレッチ糸を織り込んだアイアンハート2021年を代表するデニムを使った555シルエットのジーンズ。
  • 見た目はまんま21ozセルビッチデニム。ただし、すわったりしゃがんだりすると横方向に感じる伸びが細めのシルエットを可能にします。
  • 革ラベルは21oz専用の4mm厚の極厚革ラベル(牛革)を採用。
  • ワンウォッシュ済み

555ーSST: サイズスペック

  ウエスト 前ぐり 後ぐり ワタリ ヒザ巾 裾巾 股下
W28 72.5 20.5 33.0 27.6 18.0 16.5 91.0
W29 75.0 21.0 33.5 28.4 18.5 17.0 91.0
W30 77.5 21.5 34.0 29.2 19.0 17.5 91.0
W31 80.0 22.0 34.5 30.0 19.5 18.0 91.0
W32 82.5 22.5 35.0 30.8 20.0 18.5 91.0
W33 85.0 23.0 35.5 31.6 20.5 19.0 91.0
W34 87.5 23.5 36.0 32.4 21.0 19.5 91.0
W36 92.5 24.5 37.0 34.0 22.0 20.5 91.0
W38 97.5 25.5 38.0 35.6 23.0 21.5 91.0
W40 102.5 26.5 39.0 37.2 24.0 22.5 91.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
  • 前ぐり、後ぐりはベルト巾を含みません。

素材

  • 綿:98% ポリウレタン:2%

「今、人としてどう生きるかを問われている。食がもたらす役割、そのひとつの体験をより大切にしたい」pesceco/井上稔浩・井上景子

穏やかな表情だが、内には強い覚悟を秘めている井上シェフ(左)。「今のような世の中だからこそ、“食”を通して人々の心身を“元気”にしたい」と夫婦で語る。Photograph:AZUSA SHIGENOBU

旅の再開は、再会の旅へ。自分にできることを自分の場所でやる。“食”を通して、おいしいだけではない“力”もご提供したい。

時を遡ること2018年8月。島原のレストラン『pesceco』は、大きく舵を切りました。

町の繁華街で3年9ヵ月営んだカジュアルなイタリアンレストランを閉め、海沿いの一軒家に店を移して、新たな拠点として再スタートしたのです。完全予約制で、料理は昼夜ともおまかせのコースのみに。

当時を知る人であれば、「敷居が高くなった」と足を遠ざける地元客も出てしまいましたが、その一方、「ここでしか食べられない料理がある」、「店での食事を目的に島原へ旅する価値がある」と、『pesceco』を目指して旅する人も少なくありません。

ここを担う井上稔浩(たかひろ)シェフは、島原生まれの島原育ち。県外に、いや世界に伝えたい島原の素晴らしいところも、他の地方都市同様に抱えている多くの地元の問題点についても、誰よりもよく知っています。その上で「島原が好きだから」と、この地に根を張る道を選びました。

愛する故郷のために、料理人だからできることがある。

店のあり方を大きく変えた移転リニューアルは、井上シェフの「覚悟」にほかなりません。

「大変ありがたいことに国内外を通してお客様に恵まれていましたが……」と言葉を詰まらせる理由は、新型コロナウイルスによる激動激変です。しかし井上シェフは「僕らのスタンスは変わらない」と覚悟を口にします。「これまでも、周りがどうだからとかでなく、"自分たちなら?"と問いながら変化してきました。だから今回も、自分たちらしく、変化し続けるだけで”自分たちなら?”が根本にある 精神は変わりません」。

『pesceco』 は、2020年3月初旬には5月末まで予約が埋まっていました。しかし、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、ほぼ全てそれは白紙に。緊急事態宣言発令時には、やむ得ずレストランを一時休業しました。

「もともと需要がないところからスタートしたので、予約が白紙になったことに危機感を抱くということはありませんでした。むしろ、開店当時の事を思い出し、"自分たちなら?"と今できることを冷静に考えることができました。店舗の再開時には1日2組に体制を変更し、昼、夜ともにおまかせコース一本にさせていただく決断をしました。今の状況下においても、心の安らぎを求めお越しくださるお客様に、より良い一皿を、より良い時間を安心して過ごして頂きたいと思っております。正直、営業すること自体、とても各々リスクがあり、シビアだということは理解しています。それでも粛々とやれることをやるしかない。感染対策を意識しながら営業をするスタンスを取っていました」。

新型コロナウイルスがもたらす地域の悲鳴は、テレビを始めとしたメディアでは取り上げられない現状が各々あります。

「島原は小さな観光土地でもあるのですが、緊急事態宣言が発令されてから夏のお盆ぐらいまで県外からの観光客はほぼいませんでした街は閑散としていました。9月ぐらいからは徐々に戻ってきたような感じはありましたが、それ以前から夜の街はは衰退の最中でしたので、昔ながらのお店が立て続けに店仕舞いを余儀なくされるところもありました」。

感染拡大の防止と経済の活動、一長一短であるため、その解決策は未だ見えません。

また、地域の場合、その土地に根ざした独特の距離感と手の取り合い方があると思います。レストランで言えば、地産地消がそれになります。地元の食材や生産者とのつながりが料理を支えており、ゆえに『pesceco』は、「田舎でしか食べられない料理」を表現できる場所に成長したと言えるでしょう。

「ひと皿を通し、お客様、地元の生産者、食材、自然をつなげることができると思います。その土地に根ざし、期待に応え続け、求められ続けることこそ、土地に存在し続けることの意義。それが『pesceco』の手の取り合い方なんです」と井上シェフは語ります。

それはメニューの最後に刻まれている「百姓」「漁師」「魚屋」「塩」が物語っています。

前回の取材時、「塩」は平戸市獅子町『塩炊き屋』の1軒で、他はそれぞれ2軒ずつ。「魚屋」の欄にはもちろん父・井上弘洋氏が営む『おさかないのうえ』の名も記されていました。最後は「自然」。自ら採取した野草、そして雲仙市西郷で汲む岩戸の湧き水。食材を茹でたり煮たり、出汁を取ったりする際に使う湧き水を汲みに行くことから井上シェフの一日は始まるのだと言います。

「これが全てです。逆に、この方々抜きでは、僕の料理、僕らの店は成立し得ない」。

今回の難局においては、食以外に関してもその手の取り合いを発揮しました。

「お店を守るため、資金集めに奔走していたこともありました。そんな時、色々な方々が親身にサポートの声をかけてくださいました。そんな優しさは、田舎ならではの距離感だと思います。日々のご縁や繋がりの有り難みに改めて感謝しています。また、島原に限っては、市を通して比較的早く、給付金などの手続きもしていただけました」。

どんなに辛いことがあろうとも、ここに残る理由は何か。それは前出の通り、「島原が好きだから」。そして、この渦中においても井上シェフは、冷静に言葉を続けます。

「今、このような世界をもたらしたのは、私たちの社会によるものです。つまり、人が生み出してしまったものだと思っています。新型コロナウイルスによって今までの当たり前や日常は奪われ、人としてどう生きていくのかを問われているのではないでしょうか。人間は自然の中で、地球の中で生かされています。このコロナ禍においては、直接会わなくとも画面越しに会話できるようになり、直接訪れなくとも物が届くようになりました。それが良い、悪い、とかではなく、私たち人間はそうしてお互いに繋がりながらでないと生きていけません。だからこそ今一度、人としての豊かさとは何なのか、人としてどう生きるべきなのかに向き合うべきだと思っています。自分は一料理人として、一人間として、"繋がりが見える料理"を作っていきたいし、食が心にもたらす役割を意識しながら、そのひとつ一つの体験をより大切にしていきたいです」。

2020年は、井上シェフに訪れた次なる「覚悟」の年になったことは間違いありません。それでも「レストランは人々の心身を豊かにすることを信じています」。レストランの語源でもある「レストレ」のごとく。

「世界中が未曾有の不幸に見舞われるという中、日々、レストランとしての存在意義と向き合っています。 少しでも自分たちと関わりがある人たちや来てくださるお客様が、“食事”を通して心身ともに元気になっていただければ嬉しく思います。“食”を通して、おいしいだけではなく、心のエネルギーになるような“力”もご提供したい。 そして、1日も早く心置きなく旅ができる日が戻ることを願います。まず、自分は自分の場所で、できることをしていきます。『pesceco』は、灯台のような存在でありたいと思います。また自由に旅が再開できた時、お客様とお会いできるのを楽しみにしています」。

淡いブルーグレーの建物が、海岸沿いの景色に溶け込む。店名はイタリア語で「魚」を意味する「ペッシェ(pesce)」と、景子さんの名前の「子(co)」を合体させた造語。

海をすぐそばに感じることができるレストラン。店内には余計な装飾はなく、真っ白なリネンが清々しい印象。

3人の子供を育てながら、店でサービスを担当する奥様の井上景子さん。井上シェフの大きな精神的支柱でもある。

住所:長崎県島原市新馬場町223-1 MAP
電話:0957-73-9014(完全予約制)
https://pesceco.com/

Text:YUICHI KURAMOCHI

青いカステラ饅頭!?

皆様こんにちは!

寒い日が続きますね:(;゙゚'ω゚'):

倉敷もすごく寒くて最近はお店の前の倉敷川も凍っていました


船渡しの船頭さんが氷を割って進まれていました



なかなか見られない光景です(・∀・)



さて、皆様は世の中に青い食べ物の存在を知っていますでしょうか?


青い食べ物といえば・・・そう、食欲がなくなる色ですΣ(゚д゚lll)

しかし、敢えてその色で作った食べ物がこちら



青いカステラ饅頭です!!


デニムストリート限定で販売!!

見た目に反して中はこし餡でお茶受けにピッタリです(o^^o)


しかも今ならなんと




半額で販売中!!


まとめ買いならさらにお得に(*´∇`*)


倉敷へお越しの際は是非デニムストリートで
食欲激減色の青いカステラ饅頭をお求めください(・∀・)

「外の発信から内の発信へ。地元に留まることによって見えた足元の価値を表現する」Araheam/前原宅二郎

肩の力の抜けた、気持ちのいい接客が印象的な前原宅二郎氏。お店は兄の良一郎氏と共同経営

旅の再開は、再会の旅へ。今できることにベストを尽くし、いつか鹿屋で再会したい

鹿児島県の大隅半島中央部・鹿屋(かのや)市に、グリーン好きの間では全国的に有名なショップがあります。

前原良一郎氏、宅二郎氏の兄弟が営む『Araheam(アラヘアム)』です。

そんなお店の周辺環境は、国道沿いにあるいくつかの大手チェーン店の他は、個人経営のお店は限られており、シャッターが下りている商店も少なくない場所です。

2018年、『ONESTORY』が訪れた取材では「ここで店をやることは、リスクだらけですよ」と語った宅二郎氏ですが、予想もしないリスクが2020年に訪れます。それは、周知のとおり、新型コロナウイルスです。

「新型コロナウイルス前は、新たな計画を立てていました。自粛や緊急事態宣言などによって二の足を踏む日々が続きましたが、気持ちは落ち着いていました。もちろん海外への買い付けができなくなったのは残念でしたが、今は仕方ないですね。販売に関しては波があり、直近の見通しもたたないため、仕入れやイベントなど、リスクが伴うことを考えると、やや消極的になっていました。感染が拡大してからはできるだけ市外へも足を運ばず、地元に留まり、できることを行ってきました」と宅二郎氏は話します。

前原兄弟に限らず、日本中、世界中が当たり前を奪われ、篭る日々が続きました。そこで改めて感じたこと。それは、「外の発信から内の発信へ」のシフトチェンジです。

「新型コロナウイルスの一番大変な時期はウェブでの販売に注力していました。自粛期間中、併設している喫茶店は休業しました。その後はテイクアウトメニューなども増やし、世間のニーズに合わせたメニュー構成にしています。これまでは外からのアイテムの発信が多かったのですが、これからは内からの発信をしたいと思っています。新たに地元の食を発信するプロジェクト『
LOCAL FOOD STOCK』を立ち上げ、インターネットでの販売、地域の情報発信を行う予定です。新型コロナウイルス収束後、このプロジェクトをきっかけに足を運んでくれる人が増えてくれたらと思っています」と宅二郎氏。

前回訪れた時、宅二郎氏はこんな言葉を残しています。「地に足をつけて自分たちの店をしっかりやる。元気な店作りをすることが、一番の町おこしなんじゃないかなと思うようになったんです」。

『Araheam』は『Araheam』のやり方で、地に足をつけ、一番の町おこしに向け、一歩一歩前へ進んでいます。

ちなみに、今回の取材対応も前回同様、宅二郎氏が担当。店頭に立っているのも多くが宅二郎氏です。

「僕は保守的ですが、兄は本能的!?とでも言いますか(笑)。野球のバッテリーでいったら兄がピッチャーで僕はキャッチャー」と、その兄弟の関係を明かしてくれます。

「まだまだ不安定な日々が続き、先が見えないこともあると思います。新型コロナウイルスの状況を様々なメディアで目にしますが、それに翻弄されている人が多いように感じました。国や政府からの情報もホームページやインターネットが中心のため、もう少し高齢者の皆さんにもわかりやすく届くといいなと思いました。また、業種や規模によってその制度も様々なので比べることはできませんが、もう少し地方へのご配慮もぜひお願いできれば幸いです」と宅二郎氏は話します。

一刻も早く日常が戻ることを願うばかりですが、『Araheam』は、温かくも落ち着いた空気感を保ちながら一致団結。兄弟や家族だけでなく、スタッフも含めたチームで乗り切ります。まさに全員野球。

『Araheam』は、逆から読むと『maeharA』。マエハラです。

『Araheam』は、兄・良一郎氏と弟・宅二郎氏の2人のコンセプトがひとつになり、形となる場所ですが、現在は更に父と三男の弟も欠かせない存在になっています。

『Araheam』の始まりは、父の経営する植物の卸し兼園芸店からスタート。「自社農園もあるのですが、その農園はもともと父が中心になって始めたことで、三男にあたる弟は現在その生産管理をしています」と宅二郎氏は話します。

現在の『Araheam』は、前原ファミリーがひとつになるための場のような存在。まるで呪文のような店名は、家族が一丸となって店に携わるための言霊だったのかもしれません。兄弟のバッテリーから始まった『Araheam』は、チームの『Araheam』へと絆を深めています。

そんな『Araheam』は、2020年7月に新たな挑戦を果たしました。

「東京・千駄ヶ谷に新店『Araheamy』をオープンしました。小さなお店ですが『Araheam』をギュッと詰め込んだ店舗となっています。今後の見通しが中々つかず、不安な日々が続きますが、みんなで困難な時期を乗り越え、収束後には元通りの生活に戻れることを切に願います。何も考えずに旅をして様々な出会いができる日が早く来ますように。そして、少し先になりますが、新型コロナウイルス収束後には、ぜひ、鹿屋にお越しください。再び皆様にお目にかかれることを楽しみにしています」と宅二郎氏

そっけないほどの外観は、ここが店舗と気付くかどうかさえ危うい佇まい。店内にはコーヒーショップを設け、今ではご近所の喫茶店代わりの存在。遠方から来た人には、旅の途中の安息所にもなっている。

種類、大きさ、高さも様々なグリーンが置かれている広々とした店内。もとは材木倉庫だった場所を利用。

お店の奥の部屋ではファッション、生活雑貨、鉢など、ライフスタイル関連の商品が並ぶ。

千駄ヶ谷の新店『Araheamy』。最後に「y」が付く意味を尋ねると「こぢんまりとしたお店なので「y」を加えて親しみやすい名前になればと思い、『Araheamy』にしました」と宅二郎氏。

住所:鹿児島県鹿屋市札元1-24-7 MAP
電話:0994-45-5564
http://araheam.com

住所:東京都渋谷区千駄ヶ谷3-3-14 MAP
電話:080-9458-0108

Text:YUICHI KURAMOCHI

新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

昨年度は倉敷デニムストリートをご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。

コロナウイルスの影響により一時期はお店を休業していることもありましたが沢山のお客様に来ていただきまして本当に感謝致します。

倉敷デニムストリートは年始も休まず営業を行なっております!

年始から3日間はお得な新春初売りも行っておりますので皆様のご来店をお待ちしております!






統括編集長・倉持裕一が振り返る、2020年の『ONESTORY』。

『ONESTORY』として、ひとりの人間として。この一年をどう生きたのか。

振り返ること2018年、毎年恒例に行われている京都『清水寺』が発表する漢字は「災」でした。しかし、その2年後に更なる「災」が訪れることを誰も知る由もありませんでした。

2020年2月。最悪の事態が始まってしまいます。以降、テレビやインターネットなどで「新型コロナウイルス」という言語を目にしなかった日は今日に至るまで1日もありません。

正直、最初は対岸の火事のような感覚でした。しかし、急速に自体は変化していきます。あっという間に自粛から緊急事態宣言。日常は奪われてしまいました。

『ONESTORY』に関して言えば、取材はおろか、地域を行き来することすらできなくなり、予定していた『DINING OUT』も全て白紙。2020年は一度も開催することができませんでした。

一方、これまで出会ってきたレストランやホテルなどは崩壊寸前まで追い込まれ、経営難になるところも少なくありません。前代未聞の難局ゆえ、国や政府の保証もすぐには可決されず、待ったなしで訪れるのは月末の支払いという現実。

それぞれの立場や環境も異なるゆえ、抱えている問題は多種多様。国民全てに満足のいく対応をするのは困難を極めます。

自分たちには何ができるのか、何もできないのか。無力さを感じた時もありました。

そんな時、あるシェフの活動を目にすることになります。

大阪のレストラン『HAJIME』の米田 肇シェフによる飲食店倒産防止対策の署名活動です。

 

忘れもしない2020年4月5日。一本の連絡からやるべきことが見えた。

前述、『HAJIME』の米田 肇シェフによる飲食店倒産防止対策の署名活動は、3月29日から始まりました。その後、4月5日に米田シェフから今回の詳細を伺い、翌日、4月6日に霞ヶ関への訪問後、付近で緊急取材を行いました。記事の公開は同日というスピード感。最速での配信となりましたが、その理由は、国の補正予算案が発表される前にこの活動を世に伝えなければいけないと思ったからです。

そして、この件をきっかけに『ONESTORY』としてやるべきことが見えたのです。

潰したくないお店がある。
なくなってほしくない場所がある。
応援したい人がいる。

何ができるかわかりませんでしたが、今、自分たちにできる「日本に眠る愉しみをもっと」伝えていかなければならない、届けなければならない。

それが、「#onenippon」という企画でした。

ゴールはありませんでしたが、それでも前へ進むことが大切だと思ったのです。

以降、医療従事者に食事提供する「Smile Food Project」やパリの『MAISON』渥美創太シェフ、ミラノの『Ristorante TOKUYOSHI』徳良洋二シェフ、伝統工芸に表現手法を置く芸術家・館鼻則孝氏など、様々な方々に取材。国やジャンルなど、垣根を超えた現実を記事化していきました。

そんな時に感じたことは、テクノロジーの利点です。

米田シェフや「Smile Food Project」の活動は、インターネットやSNSがきっかけでした。米田シェフは海外のシェフが署名活動を行った前例をインターネットで目にし、「Smile Food Project」は、『シンシア』の石井真介シェフのSNSコメントに『サイタブリア』の石田 聡氏が反応したことから始まりました。また、離れていてもパリやミラノを取材できるコミュニケーションが取れることも、そういった発展によるものと言って良いでしょう。拡散によって輪は広がり、誰かとつながることで安心を得られた人も多かったと思います。

今伝えたい、この瞬間に発信しないと意味がない、そんな情報が多かった2020年は、webの機能が最も有効活用された年にもなりました。雑誌などのように発行日が決まっているものや定期刊行物ではそうはいきません。毎日が生き物のように目まぐるしく循環した『ONESTORY』は、初めての体験でした。

しかし、個人が自由に発信できる場は、イイネなどの数字に左右されることもしばしば。更には、疑似体験を実体験と見紛う傾向も発生し、見たつもり、行ったつもり、食べたつもりなど、「つもり」現象という仮想空間も形成してしまったのではないでしょうか。本質を見失うだけでなく、人を傷つけてしまうこともあるため、誤った使い方をしない道徳心が問われていると思います。

2020年は、新型コロナウイルスによって、全てがリセットされたと言っても過言ではありません。

我々、ひとり一人は、これからどう生きていくべきなのか。

働き方改革ならぬ、生き方企画こそ、人類にとって必要なのではないでしょうか。

そこで新たな企画を始動します。

生きるを再び考える/RETHINK OF LIFE」です。

 

人は特別な生き物ではない。我々は、今、どう生きるべきなのか。

生きるを再び考える/RETHINK OF LIFE」の立ち上げは、「#onenippon」を製作中に見た海外のあるニュースがきっかけでした。それは、ネパールの首都・カトマンズから近代史上初めてエベレストが目視可能になったという内容でした。大気汚染が深刻な地域に起こったそれは、人の活動停止によって明らかに空気が澄んだ証拠です。

そこで、世界的にもっと環境改善された例はないか調べてみたのです。

すると、ほかにも様々な記述があり、 水の都として知られるイタリアの世界遺産・ベネチアでは濁った運河が透き通り、タイやアメリカなどではウミガメの繁殖が増えている報告もされたそうです。プーケットではウミガメの巣は10カ所以上も確認され、過去20年で見ても最多の数だとありました。フロリダの保護団体は、人工照明の減少によって生まれたばかりのウミガメの子が方向を見失うことが少なくなったと伝えています。観光客で賑わうハワイのワイキキでも海の透明度が増したと言われ、固有種の絶滅危惧種に指定されているハワイアンモンクシール(アザラシ)の数が例年より増加しているとニュースも報じられていました。

これらはあくまで一例に過ぎませんが、不謹慎を承知で言えば、新型コロナウイルスが人類にもたらした唯一の美点なのではないでしょうか。

奪われてしまった日常や当たり前などから生まれた時の停止は、様々な変化をもたらしました。

しかし、自然に関しては、人類との関係を遮断することによって野生がみなぎり、本来の姿を取り戻すきっかけになったかもしれません。

昨今、「サスティナブル」という言葉を耳にする機会も増えましたが、源は地球環境にあります。

その保全や配慮がない限り、我々の未来はないでしょう。

「生きるを再び考える」ことは、容易いことではありません。

その答えは、もしかしたら生涯見つからないかもしれません。

しかし、考え続けることに意味があるのだと思います。

 

もし日常が戻った時、自分はどんな旅をするのか。その答えは「再会」だった。

4月以降、上記のような企画を推進してきましたが、やはり気になるのは「旅」について。

早く取材を再開したいと思う気持ちはもちろん、それよりも、これまで出会ってきた方々の顔が一番に浮かびました。

もし日常が戻った時、自分はどんな旅をするのか。

いや、もっと言えば、例えワクチンが供給されたとしても、日常は戻ってこないかもしれない。これまでの常識は非常識になるかもしれない。当たり前とは何だろう? 旅の概念も変わってしまうのではないか?

様々な思いが錯乱するも、その答えだけは明確でした。「再会の旅」です。

今回の難局は、世界的に見ても人と人が触れ合う環境を遮断され、引きこもりや孤立した生活を余儀なくされました。

そんな時に芽生えるのは、誰かを思う心。

見る、食べるよりも出会うことを目的にした旅は、より一層、絆を深めるでしょう。

ご無沙汰しています! お元気でしたか? またお会いできて嬉しいです! そんな何気ない会話は特別になり、握手やハグ、肩組みなどのコミュニケーションは、心の底から込み上げてくる何かを感じるに違いありません。

そんな旅は、人生において忘れがたい時間になるはずです。

大切なことは、どこへ行くかではなく、誰に会いに行くか。

HOPE TO MEET AGAIN/旅の再開は、再会の旅へ」の企画は、新型コロナウイルスが終息するまで、コツコツと続けてきたいと思います。

ぜひ、皆様もこれまでの旅を振り返ってみてください。
遠い場所で頑張っている誰かを思い出してしてみてください。
そして、次の旅は、その方のもとへ足を運んでみてください。

旅の再開は、再会の旅へ。

 

さらに地域と向き合う覚悟。『ONESTORY』のこれから。

周知の通り、2020年は激変の年になってしまいました。これは、もしかしたら生涯を通して、最初で最後の苦行かもしれません。

なぜなら、全世界が同時に対峙する難局は、極めて稀有だと思うからです。

この時代をどう生き抜いたかは、各々が歩むこの先の人生を大きく左右するのではないでしょうか。

『ONESTORY』として、ひとりの人間として、未来の時間軸から今を振り返った時、恥ずかしくない生き方をできているのか? 後悔のない生き方をできているのか? 自問自答を繰り返してきました。

そんな『ONESTORY』の2020年は、「挑戦」の年となりました。

その理由は、これまでになかった新プロジェクトにあります。

メディアだけでない『ONESTORY』のカタチ。『DINING OUT』だけでない『ONESTORY』のカタチ。

弊社代表・大類知樹を中心に立ち上げた「FOOD CURATION ACADEMY」です。

メディアや『DINING OUT』を通じて我々が思うことは、食の定義への変化です。

おいしいはもちろん、シェフや料理人への共感、地域への敬意、土地が育む風土などが食を選ぶ理由となり、それらを体感できる場は、より社会的な存在になってきたと考えます。

これは、星やランキングでは評価しきれない領域です。

世界は日本の「進化」を追いかけられたとしても、「深化」までは追いかけられないでしょう。

我々が大切にしていることは、後者です。

そのほか、まだここでは発表できないプロジェクトを水面下で進めています。それもまた、イベントでもメディアでもないカタチです。

『ONESTORY』は、既成概念にとらわれることなく、時代と目的に合った表現をより強固にしていきます。カタチのないカタチ、その活動体が『ONESTORY』です。

2021年には、それを可視化できると思いますので、ぜひお楽しみいただければ幸いです。

そして、2020年も多くの読者様、地域の方々にお世話になりました。この場を借りて、深く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

どんなに時代が変わろうとも、『ONESTORY』は、まだ見ぬ日本の感動を探し続けます。

それでは、日本のどこかでお会いしましょう。

『ONESTORY』統括編集長・倉持裕一

「共鳴するパイオニア」 グレンフィディック×アンリアレイジ 森永邦彦

共鳴するパイオニア/グレンフィディック×アンリアレイジ森永邦彦道なき道を創造したパイオニア。グレンフィディックとアンリアレイジ 森永邦彦の邂逅。

1887年。

『グレンフィディック』の蒸溜所は、ウィリアム・グラント氏の手によって設立されました。

以降、一族で数々の苦難を乗り越え、挑戦を続けた結果、1963年にシングルモルトウイスキーを初めて世に売り出し、今では180ヶ国以上で愛されるようになりました。

その当時はブレンデッドウイスキーが主流だったため、「無謀な行為」と嘲笑う人も少なくありませんでしたが、信じれば道は拓ける、そう実証したのが『グレンフィディック』なのです。

今回、その杯に手を伸ばすのは、『アンリアレイジ』ファッションデザイナー・森永邦彦氏。

両者に共通することは、常に「挑戦」し続け、新たな道を「開拓」してきたということにあります。

―共鳴するパイオニアー

その物語は、最高の一杯から始まります。

常に「挑戦」し続け、新たな道を「開拓」してきた『グレンフィディック』と森永邦彦氏。両者の邂逅は、いつしか互いのルーツを振り返る時間を生む。

今回、森永氏が口にするのは、「グレンフィディック 12年 スペシャルリザーブ」。1887年から受け継がれる伝統の香りと味わいを堪能できる。仕込み、発酵に由来するフルーティーさ、バーボン樽とシェリー樽で熟成されたモルトによって、滑らかで繊細なコクを生み出す。洋梨やレモンを彷彿とさせる軽やかさも特長のひとつ。

1963年、業界で初めてシングルモルトを世界へ売り出し、ウイスキーを嗜好する人々に驚きと感動を与えた。 以来50年以上たった今も、世界販売数量No.1※のシングルモルトウイスキーの雄として世界180ヶ国以上で愛され、 圧倒的な存在感を放っている。その香りと味わいが認められ、世界中で数々の栄誉あるアワ ー ドを受賞。※IWSR2019

https://www.glenfiddich.com/jp/

1980年、東京都国立市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。大学在学中に「バンタンデザイン研究所」に通い、服づくりを始める。2003年『アンリアレイジ』として活動を開始。2005年、ニューヨークの新人デザイナーコンテスト「GEN ART 2005」でアバンギャルド大賞を受賞。同年、東京タワー大展望台にて06S/Sコレクションを『Keisuke Kanda』と共に開催。以降、「東京コレクション」に参加。2011年、第29回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞。2014年秋、15S/Sよりパリコレクションデビュー。2015年、DEFI主催の「ANDAM fashion award」のファイナリストに選出。2019年「LVMHヤング ファッション デザイナープライズ」ファイナリストに選出。2020年『FENDI』の2020-2021秋冬メンズミラノコレクションではコラボレーションを発表。2021年ドバイ万博日本館の公式ユニフォームを担当。国内外を通して活躍。
https://www.anrealage.com

Photograph:KENTA YOSHIZAWA, KOH AKAZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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ストップ!20歳未満飲酒・飲酒運転
お問い合わせ先:サントリーお客様センター

やむないフードロスを宝に変える! 壱岐の豊かさを知った若きホテルマンが焼酎蔵にジン造りを依頼する。[IKI’S GIN PROJECT/長崎県壱岐市]

写真右が今回のキーパーソン『壱岐リトリート 海里村上』のホテルマン・貴島健太郎氏。左はもうひとりのキーパーソン『壱岐の蔵酒造』代表・石橋福太郎氏。焼酎貯蔵タンクの上から、眼下に深江田原平野を望む。

壱岐ジンプロジェクトOVERVIEW

壱岐の焼酎メーカーが、クラフトジンを造る。
そんな話が編集部に届いたのは、国内で新型コロナウイルス感染第二波が押し寄せていた2020年8月でした。クラフトジン造りだけならば、今や世界中で一大ムーブメントが起きており、別段珍しい話でもありません。
そんな状況ですから、編集部では「今回のネタは流れる可能性が高いね」と話していました。しかしその後、編集部がわざわざ壱岐を訪れてまでジンを追いたいと思ったのは、ひとりのキーパーソンの熱意にほだされたからかもしれません。その人物とは、約1年半前にホテルへの就職が決まって壱岐を訪れることになった、壱岐とは無縁の20代のホテルマン・貴島健太郎氏。
「壱岐がとても豊かな土地だと感じて、ただ純粋にその素晴らしさを伝えたいと思ったんです。ですが、地元の人には壱岐の豊かさは日常。普通すぎて、僕の言葉にピンときてもらえないんです。この溝こそが、日本中の地方が抱えている問題だと思ったんですよね。そこをなんとかしなければと」と貴島氏は語ります。
ジンについての話を聞きに来たのですが、貴島氏は島の魅力について熱弁。そんな壱岐の豊かさこそが、今回のジン造りの原点。彼の熱意が伝播し島の人々を徐々に動かしていくことになるのです。そんな彼の熱量に動かされた人物が、今回のもうひとりのキーパーソン『壱岐の蔵酒造』代表・石橋福太郎氏です。
「今回のジン造り。2年前ならばたぶん断っていた。ですが、ここ数年のマーケットの変化に危機感を募らせていました。島の人口流出、雇用の減少、高齢化など、目を背けられない島の問題にも直面し、今やらなければいつやるんだと思ったんです」と石橋氏。
かくして若きホテルマンと、壱岐を代表する焼酎蔵の代表がタッグを組んだことで、今回のジン造りは大きく動き出すことに。ご法度・タブーの連続かもしれない焼酎蔵によるジン造り。しかし、常識にとらわれない若者の情熱こそ地域の課題を魅力に変える新たな装置にもなり得るのです。我々『ONESTORY』編集部もまた、地域の抱える問題への光明を見てみたいと、2021年に「Made in 壱岐」のジンができるまでを、追っていこうと考えたのです。

住所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520 MAP
電話:0120-595-373
http://ikinokura.co.jp/

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2 MAP
電話:0920−43−0770
https://www.kairi-iki.com/

Photographs:YUJI KANNO
Text:TAKETOSHI ONISHI

「コロナ禍に海は透き通り、煌めいた。それを持続させるために、改めて海と生きたい」プロサーファー・大野修聖

長きにわたり日本のサーフシーンを牽引してきた大野氏。今回は、サーファーとしてはもちろん、ひとりの人間として広義にわたり海について、水について考える。Photograph:JUNJI KUMANO

大野修聖 インタビュー勝ち負けよりも大切なことがある。表彰台から見る景色よりも大切な景色がある。

出身は静岡県。両親ともにサーファーという環境に育ち、「物心ついた時にはサーフィンをしていた」と言うのは、プロサーファーの大野修聖氏です。

「MAR(マー)」の愛称で親しまれている大野氏は、国内外で活躍するトップアスリート。今や多くの日本人サーファーが世界のコンペティションを賑わすようになっていますが、その礎を築いたのは間違いなく大野氏だと言って良いでしょう。

双子の兄、ノリこと仙雅氏とともに5歳からサーフィンを始め、16歳でプロに転向。2004年、2005年と2年連続で「JPSA(ジャパン・プロ・サーフィン・アソシエーション)」グランドチャンピオンに輝きます。2006年からはオーストラリアを始めとした海外に拠点を移し、「WCT(ワールド・チャンピオンシップ・ツアー)」にクオリファイすべく活動。以降、2009年にポルトガルで開催された「WQS(ワールド・クオリファイ・シリーズ) 6スター」では日本人初となる準優勝を果たすなど、自ら持つ日本人記録を次々塗り替えていきます。そして2013年、日本にカムバックし、8戦中7戦を優勝、残る1戦も準優勝という前人未到の記録で3度目の頂点を極める偉業を成し遂げます。

一方、サーフィン界の近況で言えば、2018年に大きな転機を迎えます。「ISA(国際サーフィン連盟)」は、2020年に開催される予定だった「東京オリンピック」に向け、選手委員会を設立。その目的は、サーフィンを始めとする関連競技において、選手達の意見をより反映していくことにあります。委員長には、これまで「ISA」のショートボード、ロングボード、SUPの3部門でメダル獲得経験のあるフランスのジャスティン・デュポン氏が任命され、日本からは唯一、大野氏が委員会メンバーとして抜擢されたのです。

「波乗りジャパン」という名のもと、日本チームのキャプテンとして、シンボルライダーとして、「東京オリンピック」の招致活動に貢献してきましたが、迎えたのは新型コロナウイルスによる開催延期です。

「誰もが予測しなかったこの世界を人類は受け入れるしかないと思いました。しかし、じっくりと与えられた時間は自分と向き合うことにもなり、それによって様々な気付きを得ることができたようにも思えています」と大野氏は言います。

その気づきは、長年にわたり、海に生きてきたからこそ。

「勝ち負けよりも大切なことがある。表彰台から見る景色よりも大切な景色がある」。

【関連記事】生きるを再び考える/RETHINK OF LIFE 特集・10人の生き方

「ただ波の音を聞くだけで心が穏やかになります。ずっと見ていられます。炎を見る感覚にも似ると思います」と大野氏。

大野修聖 インタビュー海はこんなに美しかったのか。煌めきと透明度にみなぎる力を見た。

今回、大野氏に話を伺った場所は、自身が住まう鎌倉。

「コロナ禍でサーフィンをしなかった時期もありますが、海には足を運んでいました。海は生まれてからずっと見てきましたが、ここ数ヶ月は本当にキラキラして。まるで海が喜んでいるように見えました。自粛や緊急事態宣言などによって世界は停止を余儀なくされ、サーファーや観光客は激減しました。それによって海岸のゴミなどが減ったのは実感としてあります。海は本来の姿を取り戻すきっかけになったのかもしれません」。

実は鎌倉の海に限らず、世界各地でコロナ禍によって「水」に関する好影響は多く見られています。

「例えば、イタリア。“水の都”として知られる世界遺産・ベネチアでは濁った運河が透き通り、水の底が見えるようになったというニュースを目にしました。大型クルーズ船や水上バスなどの増加による水質汚濁が社会問題として課題とされていましたが、人の活動停止によって水質は改善され、鵜が小魚を追い、白鳥が悠々と泳ぐ様も目撃されているそうです。そのほか、タイやアメリカなどではウミガメの繁殖が増えている報告もされたそうです。プーケットではウミガメの巣は10カ所以上も確認され、過去20年で見ても最多の数だとありました。フロリダの保護団体は、人工照明の減少によって生まれたばかりのウミガメの子が方向を見失うことが少なくなったと伝えています。観光客で賑わうハワイのワイキキでも海が綺麗になったと言われ、固有種の絶滅危惧種に指定されているハワイアンモンクシール(アザラシ)の数が例年より増加しているとニュースも報じられていました」。

これらは地球規模で見ればごく一部の情報ではありますが、少なくとも大きな事実がふたつあると考えます。

ひとつは、環境は改善できるという事実。そしてもうひとつは、残念ながら人の意志でそれが成されなかったという事実。

海の面積は、約3億6000万㎢と言われ、地球全体(約5億1000万㎢)の約71%を占めています(一般社団法人 日本船主協会HP参照)。つまり、海を綺麗にするということは地球を綺麗にするとうことにもつながります。さらには、魚つき保安林(魚つき林)という言葉があるよう、漁業者の間では海岸近くの森林が魚を寄せるという伝承があるという通り、海と山は一心同体。海と向き合うには山とも向き合い、山と向き合うには海とも向き合うことにもなるのです。

「生命体という視点で見れば、まだまだ地球上には未知の生物は多いと言われているそうですが、生物の重さで表した時、その90%は海洋生物だと言われているほど、種類、量ともに海は生命の宝庫(日本海事広報協会HP参照)。しかし、そんな海は外来によってその環境を脅かされていると思います。例えば、海の生命体がほぼ陸に上がることはないのに対し、陸の生命体が海に入ることは多分にあります。温暖化や海面温度の上昇なども陸が起こした海の問題だと思います。宇宙レベルで言えばおこがましい話かもしれませんが、少なくともその責任は人間にあると考えますが、地球上に生きる生命の総数で見ると人間は約0.01%という一説を見ました(WORLD ECONOMIC FORUM HP参照)。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだと思いますが、新型コロナウイルスはこの数値の生命体が発生した件だということは向き合うべきだと感じています」。

生物史上、人間は最も進化を遂げた種だと言っていいでしょう。しかし、それによって失ってしまったことや理に反したことがあったのかもしれません。

「人間の知能は紛れもなく素晴らしく、それによって得た恩恵もあります。その反面、環境において致命傷を負わせてしまったと考えずにはいられません。今から何が我々人間にできるのかはわかりません。なぜなら、その性格はすぐには変われないと思うからです。だからと言って何もしないわけにはいきません。きっと、それぞれができることは目の前に必ず何かあるはずです。ひとり一人ができる小さなことが何か実を結び、世界を変えるのだと信じています」。

取材は、鎌倉の海辺を舞台にゆっくりと時間をかけながら、夕刻まで。「もともとサーフィンの起源は、(ボードを使わない)ボディサーフィン。体だけで滑るそれは、非常に原始的でもあります。新型コロナウイルスによって当たり前は奪われる今だからこそ、人生もサーフィンも原点に還りたいと思う時があります」と大野氏。

大野修聖 インタビュー
台風の波によって気づかされる海の悲鳴。地球の悲鳴。

去る2018年、その年を表す漢字は「災」でした。それだけ多くの災害に見舞われ、地震や集中豪雨、台風、記録的な暑さ……。しかし、その「災」は日本だけではありませんでした。

ヨーロッパの異常な猛暑、インドネシアでは津波と地震、アメリカ本土では過去50年で最も勢いの強いハリケーン、カリフォルニアやカナダでは山火事、インドでは洪水、オーストラリアやドイツでは干ばつ……。

世界の海水温も観測史上最高を記録。驚くべきは、過去100年を振り返って見ても右肩上がりであり、日本の海域平均海面水温の上昇率は100年あたり+約1.14℃、世界全体で比べると約+0.55℃高く、深刻な問題です。それによって発生するのが大雨や台風です。近年の台風に関して言えば、2018年、2019年ともに発生個数は29回のうち、上陸回数は5回。2020年の発生回数は22回のうち、上陸回数はゼロ(2020年11月現在/国土交通省 気象庁HP参照)。このまま上陸しなければ、2008年以来、実に12年ぶりではあるも、接近するだけで暴風が吹き荒れ、土砂崩れや河川の氾濫など、その威力は凄まじいです。

「台風と言えば、サーファー視点だと波にばかり目がいってしまいますが、本来、問題視しなければいけない様々なことがあると痛感しています」。

若きより海外遠征も多かった大野氏は、「日本のサーファーと海外のサーファーを比べた時の意識の違いを感じます」と言葉を続けます。

「小さなことでもそれぞれができることを行動に移しています。マイボトルやマイバッグを持参したり、プラスチックをできるだけ使わない生活を取り入れたり。中には、海洋ゴミを使ったアートを製作し、メッセージとして表現したり。サーファーである前に海に生きる人としての意識が高いと思います」。

中でもその好例は、過去に11度も「ASP(Association of Surfing Professionals)ワールド・チャンピオンシップ・ツアー」のチャンピオンに輝いたプロサーファー、ケリー・スレーター氏の活動にあります。

「ケリー・スレーターは、サスティナビリティをコンセプトに掲げた『Outerknown(アウターノウン)』というブランドを立ち上げています。従来のアパレル業界のあり方を変えたいという思想のもと、環境に有害でない素材を使い、公正な労働環境で生産しています」。

「Outerknown」は、ブランドローンチ前からFLA(公正労働協会)に加入し、2年半で生産工程の完全認定を受けています。そして、ローンチ前の加入や2年半で完全認定されたのは、アパレルブランドとしては初。

「海のゴミを拾うことは大切なことですが、マイクロプラスティックのように拾いきれないゴミもあります。結果、それを魚が食べてしまい、場合によってはその魚を人が食べてしまうかもしれません。自分たちはゴミを拾う前にゴミを減らしていくことや日常で使うものの質を変えていくことが重要なのではないでしょうか」。

地球上に生きる生物でゴミを出すのは人間特有の行為かもしれません。もし、ほかの生物も人間同様にゴミを出していたら……。「想像を絶する感覚に襲われます」。

「そして、環境問題でもうひとつ真摯に考えたいこと。それは、世界中でビーチが減少しているということです」。

「海は生き方も思考もシンプルにさせてくれます。心身が不安定な時でも、僕にとっては病院に行くより海や山に訪れることがメディケーション」と大野氏。

大野修聖 インタビュー
温暖化の影響によって砂浜は激減。世界のビーチが失われつつある。

「昔の人に聞くと、ビーチはもっと沖まであったのだと言います」。

温暖化により南極棚氷の崩壊も加速、その気候変動と海面上昇により、このまま進行し続ければ世界の砂浜の半数が2100年までに消滅するかもしれないという研究論文さえ発表されています。

「水が温かくなると膨張するため、海水温度の上昇によって海全体の体積が増えていると思います。極地の氷も溶けるとなれば、より拍車はかかるのではないでしょうか。ビーチもしかり、海抜の低い島は危機的状況に陥っています。伝説の古代大陸、アトランティスではありませんが、海中に没するということになりかねません」。

数億年前に遡れば、過去に5~6回、地球上に誕生した生物は大量絶滅を経験していると言われています。しかし、その原因は火山の噴火や隕石の衝突などと言われており、避けては通れなかった災害と言っていいでしょう。しかし、今回発生した新型コロナウイルスにおける難局は人災から生まれたものだと思います。地球温暖化もしかり、人間が地球に負荷を与えていることに関して、どう改善していくべきなのか。

「コロナ禍においても海は淡々と生き続けている。波は、寄せては返し、返してはまた寄せて。自分はずっと前からサーフィンしかやってこなかったのですが、サーフィンによって色々な景色を見ることができました。旅はもちろん、人との出会いもしかり、大自然から生き方を学んだと思います。30年以上サーフィンをやっていてもベストなライディングは一度もありません。どんなに練習し、技術を高めても、自然を舞台にすることの難しさは常にあります。海の呼吸に合わせようと思っても、そう易々と味方にはなってくれません。海自体が自分の呼吸であり、全てを映し出してくれていると思っています。心が乱れれば波も乱れる。精神を整え、海、大自然と一体になることが大切なのだと思います。なぜなら、自分はこの星に生かされているから。人がこんなに窮地に追い込まれていても自然はウイルスにはかからない。強くたくましく生き続けています」。

大野氏が話す海との向き合い方は、サーファーに限ったことではないのかもしれません。幸福をもたらす海もあれば、不幸をもたらすのも海。

「海があるからサーフィンはできますが、海があるから津波も起こる」。

優しく人々を歓迎する姿もあれば、街や人を飲み込む姿も併せ持ちますが、全ては人間の問題。前述の通り、「海と一体になることが大切」なのだと思います。

アスリートの精神であるスポーツマンシップに則った生き方こそ、今の時代に求められているのかもしれません。

「Good gameをめざして全力を尽くして愉しむことがスポーツの本質です」。
「Good gameを実現する覚悟をもった人をスポーツマンと呼びます」。
「Good gameを実現しようとする心構えがスポーツマンシップです」。
(一般社団法人 日本スポーツマンシップ協会より抜粋)

この「Good game」を「Good earth」に置き換えてみれば、より理解できます。

「Good earthをめざして全力を尽くす」。
「Good earthを実現する覚悟をもつ」。
「Good earthを実現しようとする心構え」。

スポーツマンシップの精神は、多くの問題を解決する糸口かもしれません。

「これまで海を始めとした大自然から、多くのものをいただき、学びを得てきました。自分は今、ひとりのサーファーとして、ひとりの人間として、地球環境との関わり方をしっかり考え、行動したいと思っています。世界を変えるなど、そんな大それたことはあまりにもおこがましくて言えません。しかし、考え続けることが、少しずつより良い社会になると信じています」。

※文中には諸説あるうちの一説や時期によって数値などが異なる場合がございます。あらかじめご了承ください。


Photographs&Text:YUICHI KURAMOCHI

「色々なビーチや海沿いにあるお店でお水をくめるようなウォーターステーションがあったらと思っています。それがプラスティックやゴミを少しでも減らすことにつながるシステムになればと考えています」と大野氏。

1981年生まれ、静岡県出身。日本のサーフシーンを牽引し続けるトップサーファー。若くして海外プロツアー「WSL(ワールドサーフリーグ)」の「QS(クオリファイシリーズ)」を転戦し、世界大会において日本人史上初となる様々な偉業を成し遂げる。2013年、国内でも精力的に活動し、日本プロサーフィン史上初、国内外ツアー含め8戦中7戦連勝し、前代未聞の記録を樹立。そのほか、国内プロツアー「JPSA(ジャパン・プロ・サーフィン・アソシエーション)」グランドチャンピオンにも3度も輝く。近年は、2018年 に開催された「ISA WORLD SURFING EVENT」のキャプテンを務め、サーフィン日本代表 「波乗りジャパン」を日本初の金メダルへと導いた。プロサーファーをする傍ら、イベントのプロデュース、音楽活動、コラムニストなど、他分野でも活動の場を広げている。現在は、2021年に開催延期予定の「東京オリンピック」に向け、引き続き「波乗りジャパン」のキャプテンとして活動中。

若き料理人が情熱を注いだ「ル・テタンジェ賞」2020日本大会、最終審査結果発表[厨BO!YOKOHAMA/神奈川県横浜市]

10月28日に行われた国際シグネチャーキュイジーヌコンクール「ル・テタンジェ賞」の日本大会最終審査を終えて。

テタンジェ料理コンクール 54年の歴史の中で、生まれ変わった「ル・テタンジェ賞」。

秋晴れの10月28日、正午過ぎに始まったのは、国際シグネチャーキュイジーヌコンクール「ル・テタンジェ賞」の日本大会。1967年に世界的なシャンパーニュ・メゾン「テタンジェ」のクロード・テタンジェが創設したこの賞は、若き料理人を顕彰し、フランスの美食文化を発展・継承していくことを主目的に設立され、ジョエル・ロブション氏、ミッシェル・ロスタン氏、ベルナール・ルプランス氏といった数多のスターシェフを輩出してきました。今年は世界中で猛威を振るった新型コロナウイルスにより世界中で社会的混乱が起き、一時は開催を危ぶむ声もありました。しかし、参加・受付の方法を見直し、例年のような授賞パーティーは取りやめるなど時世を踏まえた体制に改め、開催の運びとなったのです。

書類選考は10月7日に行われ、厳正なる審査によって3名のファイナリストが日本大会の最終審査にコマを進めました。横浜市中区にある東京ガス業務用テストキッチン「厨BO!YOKOHAMA」で行われた最終審査にて審査員を務めたのは、都下のフレンチ店で腕を振るう一流シェフや舌に覚えのある識者の計8名。

大会は、1984年にパリで開催された「ル・タンジェ国際料理賞コンクール・アンテルナショナル」にて日本人として初めてグラン・プリを獲得した『マンジュトゥー』の堀田大氏の挨拶から始まりました。今回、感染予防の観点から日本大会としては初めて、ファイナリストが下準備を整え、日本大会事務局が依頼した3名の料理人が仕上げの調理を担当。審査員は手元のルセットや調理風景をにらみつつ、各テーブルに配られた料理を試食審査しました。

【関連記事】テタンジェ/食べるシャンパン。それは、ひとりでは完結しないシャンパーニュ。

『リヨンドゥリヨン』オーナーのクリストフ・ポコ氏や『レストラン ラフィナージュ』オーナーの高良康之氏らに、毎日新聞社営業総本部補佐の山本修司氏や『料理通信』編集長の曽根清子氏らマスコミ人が加わり、計8名で試食審査を行った。

料理の仕上げは、ホテルオークラ東京『ヌーヴェル・エポック』料理長・髙橋哲治郎氏、同ホテル宴会調理副料理長・池田進一氏、『シェ・フルール横濱』総料理長・飯笹光男氏の3名が担当。

完成した皿の盛り付けをじっくり観察する『ジョエル・ロブション』総料理長のミカエル・ミカエリディス氏も審査員のひとり。

すみずみまで感染対策が施されたテストキッチンで、既定の時間内に調理を行う。若きシェフの今後がかかっているため、3名の代理料理人の目は真剣そのもの。

完成品をチェックした後、ディスタンスをとった場所で試食審査に移る。味はもちろん、見た目や全体の調和も重要な審査要素だ。

調理手順をチェックする審査員。パリ本選ではテーマと課題の2つのルセットを4時間以内に調理しなければならない。国内選考ではテーマに沿ったルセットを3時間以内で調理。

テタンジェ料理コンクール 思いのこもった皿が登場した試食審査。

今年のテーマは「牛肉(任意の部位/温製料理)」。合わせる食材に何を使うかは自由ですが、金額や調理時間に規定が設けられています。最初にお目見えしたのは、『東京會舘』神戸宏文シェフの「牛フィレ肉のウェリントン風 3本の人参」。東京オリンピックが開催された1964年にレイモン・オリヴェールが日本に伝えたウェリントンは、古き良きフランス料理。重たい古典料理というイメージを払拭すべく、全体的に軽い酸味を利かせ、スタイリッシュなウェリントンを目指して創作されたひと皿です。

次は『ひらまつ』石井友之シェフの「牛肉のアンクルート」。あえて和牛ではなく国産経産牛を使用したのは、独自の熟成方法によって使いづらい食材に付加価値をつけ、美味しくすることこそ料理人のあるべき姿なのでは?との思いから。また、海苔や柚子味噌を使用し、日本とフランスの食材の調和が取れるよう考えられています。

最後は、春菊や椎茸、紫蘇を使い、フランス料理に日本のエッセンスを取り入れた「パレスホテル」堀内亮シェフの「牛フィレのブリオッシュ」。センス溢れるルセット創作の経緯に、「フランスでの本選は冬の開催なので、その時、旬を迎える菊芋、トリュフ、ジャガイモなどを食材として選びました」とあり、世界大会を視野に入れた食材選びが印象に残りました。

3名のファイナリストが会場入りし、自ら考案した料理を前に結果発表を待った。参加資格は職歴5年以上、一般客が利用するレストランで働いている24~40歳までのプロの料理人。

審査はルセットの独創性30点、ルセットに使われる技能30点、ルセットのコンセプトと一貫性20点、盛り付けとプレゼンテーション20点とし、その合計点を算出する。

優勝した堀内シェフ(右から2番目)と審査委員長の堀田氏、審査員のクリストフ・ポコ氏、サッポロビール事業部部長の三上氏で記念撮影。

カップとディプロムを手にした堀内氏。1984年の堀田氏、2018年の『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』の関谷健一朗氏に続き、日本人で史上3人目の国際大会優勝に期待がかかる。

ディプロムと「テタンジェ ブリュット レゼルヴ ジェロボアム」を手にした2位の神戸シェフ。

3位の石井シェフ。コンクール参加がよい刺激となり、日本の料理界の活性化と料理芸術の発展に寄与することだろう。

ル・テタンジェ国際料理賞コンクール委員会主催で行われた日本大会も無事、閉幕。協力はシャンパーニュ・テタンジェ社およびサッポロビール株式会社。日本事務局はフランス文化を識る会。

日本大会を終えて、今大会への想いやコロナ禍によって厳しい状況下にあったガストロノミーと若いシェフを思いやった堀田氏。

テタンジェ料理コンクール 結果発表。パリ行きの切符を手にしたのは……。

ファイナリスト3名分の試食審査が終わり、採点に入りました。審査項目は、テクニック、デギスタシオン、ハーモニー、プレゼンテーションの4つで、各料理の最高点と最低点から平均点を算出し、その得点で順位を競います。審査員一同、己の感覚に全集中し、会場内には紙の上を鉛筆が走るサラサラという静かな音だけが響きました。どの料理も甲乙つけがたく、評価はバラけているようです。集計を出す間にファイナリストの3名が会場入りし、いよいよ結果発表となりました。

見事、最高得点を獲得し、来年1月に行われる「コンクール・アンテルナショナル」への出場権を得たのは堀内シェフ。サッポロビール事業部事業部長の三上氏より、第1位のカップとディプロム、「テタンジェ ブリュット レゼルヴ マチュザレム」、ファイナル準備金として2400€の小切手が贈られました。「自分では仕上げられなかった決勝戦でしたが、無事に勝つことが出来てよかったと思います。ここからが世界選に向けてのスタートだと思いますので、皆さま応援よろしくお願いいたします」と堀内シェフ。コンクールに出場すること自体が初めてだったそうで、最初から本選を意識していたのは「6年間フランスで修業をしてきましたが、日本のレベルは世界的にみても高水準なので、日本での優勝を目指すことイコール世界を目指すことと同義だ」と考えていたとのこと。この後、2位の神戸シェフ、3位の石井シェフにもそれぞれの順位のカップとディプロム、「テタンジェ ブリュット レゼルヴ ジェロボアム」が贈られました。

大会を終えた堀田氏に話を伺ったところ、「堀内シェフのソースが素晴らしく、メインも軽やかで、結果的に思ったとおりの順位になりました。今回、より審査の公平性を期すために点数制にして全審査員の前でひとりひとりの点数を発表する方式を取りましたが、皆さん自身の感性を信じて審査を行い、評価がバラけたのがよかったと思います。石井シェフと神戸シェフは惜しくも優勝を逃しましたが、この点数を励みに次回も頑張ってもらえたら」とのベストを尽くした3人にエールを送りました。

若きシェフの情熱と才能、フランスと日本の食材と調理法が美しく結実した料理を目の当たりにした日本大会。そこには、文化の壁を軽やかに越えていける今日の世界に必要な力が宿っていると感じました。彼らが創り出す料理は、今後もガストロノミーを通じて人々の心を動かし、新しい文化の礎となっていくことでしょう。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:MAO YAMAWAKI

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
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若き料理人が情熱を注いだ「ル・テタンジェ賞」2020日本大会、最終審査結果発表[厨BO!YOKOHAMA/神奈川県横浜市]

10月28日に行われた国際シグネチャーキュイジーヌコンクール「ル・テタンジェ賞」の日本大会最終審査を終えて。

テタンジェ料理コンクール 54年の歴史の中で、生まれ変わった「ル・テタンジェ賞」。

秋晴れの10月28日、正午過ぎに始まったのは、国際シグネチャーキュイジーヌコンクール「ル・テタンジェ賞」の日本大会。1967年に世界的なシャンパーニュ・メゾン「テタンジェ」のクロード・テタンジェが創設したこの賞は、若き料理人を顕彰し、フランスの美食文化を発展・継承していくことを主目的に設立され、ジョエル・ロブション氏、ミッシェル・ロスタン氏、ベルナール・ルプランス氏といった数多のスターシェフを輩出してきました。今年は世界中で猛威を振るった新型コロナウイルスにより世界中で社会的混乱が起き、一時は開催を危ぶむ声もありました。しかし、参加・受付の方法を見直し、例年のような授賞パーティーは取りやめるなど時世を踏まえた体制に改め、開催の運びとなったのです。

書類選考は10月7日に行われ、厳正なる審査によって3名のファイナリストが日本大会の最終審査にコマを進めました。横浜市中区にある東京ガス業務用テストキッチン「厨BO!YOKOHAMA」で行われた最終審査にて審査員を務めたのは、都下のフレンチ店で腕を振るう一流シェフや舌に覚えのある識者の計8名。

大会は、1984年にパリで開催された「ル・タンジェ国際料理賞コンクール・アンテルナショナル」にて日本人として初めてグラン・プリを獲得した『マンジュトゥー』の堀田大氏の挨拶から始まりました。今回、感染予防の観点から日本大会としては初めて、ファイナリストが下準備を整え、日本大会事務局が依頼した3名の料理人が仕上げの調理を担当。審査員は手元のルセットや調理風景をにらみつつ、各テーブルに配られた料理を試食審査しました。

【関連記事】テタンジェ/食べるシャンパン。それは、ひとりでは完結しないシャンパーニュ。

『リヨンドゥリヨン』オーナーのクリストフ・ポコ氏や『レストラン ラフィナージュ』オーナーの高良康之氏らに、毎日新聞社営業総本部補佐の山本修司氏や『料理通信』編集長の曽根清子氏らマスコミ人が加わり、計8名で試食審査を行った。

料理の仕上げは、ホテルオークラ東京『ヌーヴェル・エポック』料理長・髙橋哲治郎氏、同ホテル宴会調理副料理長・池田進一氏、『シェ・フルール横濱』総料理長・飯笹光男氏の3名が担当。

完成した皿の盛り付けをじっくり観察する『ジョエル・ロブション』総料理長のミカエル・ミカエリディス氏も審査員のひとり。

すみずみまで感染対策が施されたテストキッチンで、既定の時間内に調理を行う。若きシェフの今後がかかっているため、3名の代理料理人の目は真剣そのもの。

完成品をチェックした後、ディスタンスをとった場所で試食審査に移る。味はもちろん、見た目や全体の調和も重要な審査要素だ。

調理手順をチェックする審査員。パリ本選ではテーマと課題の2つのルセットを4時間以内に調理しなければならない。国内選考ではテーマに沿ったルセットを3時間以内で調理。

テタンジェ料理コンクール 思いのこもった皿が登場した試食審査。

今年のテーマは「牛肉(任意の部位/温製料理)」。合わせる食材に何を使うかは自由ですが、金額や調理時間に規定が設けられています。最初にお目見えしたのは、『東京會舘』神戸宏文シェフの「牛フィレ肉のウェリントン風 3本の人参」。東京オリンピックが開催された1964年にレイモン・オリヴェールが日本に伝えたウェリントンは、古き良きフランス料理。重たい古典料理というイメージを払拭すべく、全体的に軽い酸味を利かせ、スタイリッシュなウェリントンを目指して創作されたひと皿です。

次は『ひらまつ』石井友之シェフの「牛肉のアンクルート」。あえて和牛ではなく国産経産牛を使用したのは、独自の熟成方法によって使いづらい食材に付加価値をつけ、美味しくすることこそ料理人のあるべき姿なのでは?との思いから。また、海苔や柚子味噌を使用し、日本とフランスの食材の調和が取れるよう考えられています。

最後は、春菊や椎茸、紫蘇を使い、フランス料理に日本のエッセンスを取り入れた「パレスホテル」堀内亮シェフの「牛フィレのブリオッシュ」。センス溢れるルセット創作の経緯に、「フランスでの本選は冬の開催なので、その時、旬を迎える菊芋、トリュフ、ジャガイモなどを食材として選びました」とあり、世界大会を視野に入れた食材選びが印象に残りました。

3名のファイナリストが会場入りし、自ら考案した料理を前に結果発表を待った。参加資格は職歴5年以上、一般客が利用するレストランで働いている24~40歳までのプロの料理人。

審査はルセットの独創性30点、ルセットに使われる技能30点、ルセットのコンセプトと一貫性20点、盛り付けとプレゼンテーション20点とし、その合計点を算出する。

優勝した堀内シェフ(右から2番目)と審査委員長の堀田氏、審査員のクリストフ・ポコ氏、サッポロビール事業部部長の三上氏で記念撮影。

カップとディプロムを手にした堀内氏。1984年の堀田氏、2018年の『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』の関谷健一朗氏に続き、日本人で史上3人目の国際大会優勝に期待がかかる。

ディプロムと「テタンジェ ブリュット レゼルヴ ジェロボアム」を手にした2位の神戸シェフ。

3位の石井シェフ。コンクール参加がよい刺激となり、日本の料理界の活性化と料理芸術の発展に寄与することだろう。

ル・テタンジェ国際料理賞コンクール委員会主催で行われた日本大会も無事、閉幕。協力はシャンパーニュ・テタンジェ社およびサッポロビール株式会社。日本事務局はフランス文化を識る会。

日本大会を終えて、今大会への想いやコロナ禍によって厳しい状況下にあったガストロノミーと若いシェフを思いやった堀田氏。

テタンジェ料理コンクール 結果発表。パリ行きの切符を手にしたのは……。

ファイナリスト3名分の試食審査が終わり、採点に入りました。審査項目は、テクニック、デギスタシオン、ハーモニー、プレゼンテーションの4つで、各料理の最高点と最低点から平均点を算出し、その得点で順位を競います。審査員一同、己の感覚に全集中し、会場内には紙の上を鉛筆が走るサラサラという静かな音だけが響きました。どの料理も甲乙つけがたく、評価はバラけているようです。集計を出す間にファイナリストの3名が会場入りし、いよいよ結果発表となりました。

見事、最高得点を獲得し、来年1月に行われる「コンクール・アンテルナショナル」への出場権を得たのは堀内シェフ。サッポロビール事業部事業部長の三上氏より、第1位のカップとディプロム、「テタンジェ ブリュット レゼルヴ マチュザレム」、ファイナル準備金として2400€の小切手が贈られました。「自分では仕上げられなかった決勝戦でしたが、無事に勝つことが出来てよかったと思います。ここからが世界選に向けてのスタートだと思いますので、皆さま応援よろしくお願いいたします」と堀内シェフ。コンクールに出場すること自体が初めてだったそうで、最初から本選を意識していたのは「6年間フランスで修業をしてきましたが、日本のレベルは世界的にみても高水準なので、日本での優勝を目指すことイコール世界を目指すことと同義だ」と考えていたとのこと。この後、2位の神戸シェフ、3位の石井シェフにもそれぞれの順位のカップとディプロム、「テタンジェ ブリュット レゼルヴ ジェロボアム」が贈られました。

大会を終えた堀田氏に話を伺ったところ、「堀内シェフのソースが素晴らしく、メインも軽やかで、結果的に思ったとおりの順位になりました。今回、より審査の公平性を期すために点数制にして全審査員の前でひとりひとりの点数を発表する方式を取りましたが、皆さん自身の感性を信じて審査を行い、評価がバラけたのがよかったと思います。石井シェフと神戸シェフは惜しくも優勝を逃しましたが、この点数を励みに次回も頑張ってもらえたら」とのベストを尽くした3人にエールを送りました。

若きシェフの情熱と才能、フランスと日本の食材と調理法が美しく結実した料理を目の当たりにした日本大会。そこには、文化の壁を軽やかに越えていける今日の世界に必要な力が宿っていると感じました。彼らが創り出す料理は、今後もガストロノミーを通じて人々の心を動かし、新しい文化の礎となっていくことでしょう。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:MAO YAMAWAKI

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

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12月26日、27日限定!パリの『MAISON』渥美創太シェフが銀座のフードトラックに登場![GEN GEN AN幻/東京都中央区]

パリのレストラン『MAISON』の渥美創太シェフ(左)と『GEN GEN AN 幻 in 銀座』を主宰する丸若裕俊氏(右)。2016年に開催された『DINING OUT ARITA & with LEXUS』以降、2回目となるコラボレーションは、2日間限定のフードトラック!

GEN GEN AN幻銀座からパリへ。料理を通して旅をする。

2020年12月、『銀座ソニーパーク』に10ヶ月限定でオープンした『GEN GEN AN 幻 in 銀座』。

「こんな時代だからこそ何かに挑戦したかった。自分も含め、実験的な場にしていきたい」と話すのは、主宰する丸若裕俊氏です。

その第一回となる実験、それがゲリラ的に登場するフードトラック『Taki-Dashi』。

腕を振るうのは、パリで活躍する『MAISON』の渥美創太シェフです。

2020年、『MAISON』は、フランスの「GUIDES LEBEY」にて肉料理部門・最優秀シェフベストレストランのダブル受賞を果たし、国内外で話題を呼んでいます。

「丸若さんとは10年以上前からのお付き合いなのですが、何か一緒にやりたいねってずっと話していて。ふたりの最初の仕事は、2016年に開催された『DINING OUT ARITA & with LEXUS』でした。今回の仕事は、2回目です」と渥美シェフ。

今回、『GEN GEN AN 幻 in 銀座』では、『MAISON』が新たに発足した『TOMETTE』名義にて参画し、主にアイスクリームやソルベなどのデザートや菓子などを開発します。

『MAISON』はレストランに対し、『TOMETTE』はプロジェクト。

「『MAISON』は、理屈抜きにお客様がおいしいと感じてもらいたい場所」と渥美シェフが言うも、その背景には溢れんばかりの想いが詰まっています。食材へのこだわり、生産者や農家とのつながりなどはその好例であり、「見える」キッチン以外にも、「見えない」多くの人、もの、ことが親和しているチームこそ『MAISON』なのです。

対する『TOMETTE』は、そんな見えない様々を可視化するプロジェクト。

伝えたい、共有したい、派生したい。

「おいしいを知る」とは、奥様の明子さんの言葉。『TOMETTE』のディレクターも担います。「日本でもフランスでも生産者さんや農家さんたちと一緒に『TOMETTE』を発信していければと思っています。まずは日本からスタートしたかったので、『GEN GEN AN 幻 in 銀座』が第一歩になります」と続けます。

前出の通り、店舗では、アイスクリームやソルベなどのデザートがメインですが、「Colony」と題したピタパンも用意。これは、新型コロナウイルスによってパリがロックダウンした際、渥美シェフが医療従事者やホームレスの方々へ食事提供を行うボランティアに参加した時に作った料理です。

パリには、ホームレスに無償で食事を提供しているレストランがあります。その発起人たちがスーパーの賞味期限が迫る食材を集める場所を郊外に作って、そこから仕入れるもので食事を作っていました。レストランと大きく違うところは、日々どんな食材が来るのかわからないことと食べ手が明確だということ。医療従事者は、エネルギーや神経を使うので、味を濃いめにしたり、どうすれば少しでも元気になってくれるのかを考えました。そこで作った料理のひとつがピタパンでした」。

与えられた食材で何が作れるか。今の環境に合ったもので何ができるか。どうすればおいしくなるか。毎日がライブなそれは、レストランとは違った思考であり、「シェフ・渥美創太」というよりも、「人間・渥美創太」という人格が現れた料理だったのかもしれません。

「今回、『GEN GEN AN 幻 in 銀座』で提供しているピタパンのパンは、『ブリコラージュ』さんにお願いしています。レシピを渡して作ってもらったのですが、ピタパンであればこっちの方がおいしくなるのでは?と、アレンジしたものも提案してくださり。小麦粉だったレシピから全粒粉に変えたのはそれなのですが、こっちの方が断然良かったです。実は、その考え方はパリでも同じで、発注が入ったものをそのまま提供するのではなく、より精度を上げられるためにはどうしたら良いかを各々が常に考えています。このピタパンもまた、みんなの想いが詰まった料理です」。

そして2020年末、様々な体験を経て臨む次なる舞台がフードトラック。

この日のために、渥美シェフは『MAISON』からパンやチーズ、エディブルフラワーなどのピクルス、鹿タンなどを持参。供される料理は、下記を予定しています。

「オープンサンド/栗粉の自家製薪窯パン 24ヶ月熟成コンテチーズ 春に漬けた花の酢漬け」(トリュフバージョンもあり)
「古代麦のリゾット/うなぎの出汁と茶」
「鹿タンと牡蠣のチレアンチョ煮込み」
「オニオンスープ ブルーチーズのせ」(トリュフバージョンもあり)
「ゴーフル」
(2020年12月25日現在も鋭意制作中のため、料理写真のご用意はありませんが、当日のお楽しみに!)

予定は未定の2日限りのステージ。しかし、唯一わかることがあります。

そこにはレストラン顔負けの本気の料理が待っています。

フードトラックだからといって侮るなかれ。どんなライブになるかは乞うご期待。

是非、銀座でパリを堪能いただきたい。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

フードトラックでお腹を満たした後は、『TOMETTE』のアイスクリームやソルベが用意される地下の店舗へ是非。「Earth/玉緑茶」のアイスクリームは、茶葉の複雑かつ豊かな余韻が染み入るように広がる。球面はまるで惑星!

「本日の肉とハーブのピタパン&茶」。 この日のお肉はホロホロ鶏。是非、料理が生まれた背景も知り、おいしいを感じていただきたい。

ピタパンの具材もひとつ一つ丁寧に仕上げる。口に運ぶ度、おいしいだけでなく旅の情景が浮かぶのは、渥美シェフの想いが料理に宿るからなのか。

肉の食感、ハーブの香り、アクセントに効かせたスペインのビネガー・ペドロヒメネスの味わいをブリコラージュのパンがまとめ上げる。全粒粉ならではの食感と香りも見事に同調する。

フランスの「GUIDES LEBEY」にて肉料理部門・最優秀シェフとベストレストランをダブル受賞したパリのレストラン『MAISON』渥美シェフの料理をいただける貴重な2日間! 自由に旅ができない今だからこそ、この機会をお楽しみいただきたい。

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park地上フロア MAP
期間:12月26日(土)・12月27日(日)
営業時間:11:00〜19:00 ※無くなり次第終了

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park B1F MAP
https://www.ginzasonypark.jp/shop/06_2.html
https://en-tea.com/pages/gengenan

1986年千葉県生まれ。19歳で渡仏し「メゾン・トロワグロ」、「ステラ・マリス」、「ラボラトワール・ドゥ・ジョエル・ロブション」などを経て、26歳で「ヴィヴァン・ターブル」シェフに就任。2014年、100年以上続く「クラウン・バー」のリニューアルに伴いオープニング・シェフを勤め、2015年、フランスで最も人気のあるレストランガイド「ル・フーディング」の最優秀ビストロ賞を受賞。2019年、自身初となるオーナー・シェフを務めるレストラン「MAISON」を開業。2020年、フランスの「ガイド ルベイ」にて肉料理部門・最優秀シェフとベストレストランのダブル受賞。また、「ONESTORY」が主催するレストランイベント「DINING OUT」には、過去2回(「DINING OUT ONOMICHI」、「DINING OUT ARITA」)参加。
http://sotaatsumi.wixsite.com/mysite-1

12月26日、27日限定!パリの『MAISON』渥美創太シェフが銀座のフードトラックに登場![GEN GEN AN幻/東京都中央区]

パリのレストラン『MAISON』の渥美創太シェフ(左)と『GEN GEN AN 幻 in 銀座』を主宰する丸若裕俊氏(右)。2016年に開催された『DINING OUT ARITA & with LEXUS』以降、2回目となるコラボレーションは、2日間限定のフードトラック!

GEN GEN AN幻銀座からパリへ。料理を通して旅をする。

2020年12月、『銀座ソニーパーク』に10ヶ月限定でオープンした『GEN GEN AN 幻 in 銀座』。

「こんな時代だからこそ何かに挑戦したかった。自分も含め、実験的な場にしていきたい」と話すのは、主宰する丸若裕俊氏です。

その第一回となる実験、それがゲリラ的に登場するフードトラック『Taki-Dashi』。

腕を振るうのは、パリで活躍する『MAISON』の渥美創太シェフです。

2020年、『MAISON』は、フランスの「GUIDES LEBEY」にて肉料理部門・最優秀シェフベストレストランのダブル受賞を果たし、国内外で話題を呼んでいます。

「丸若さんとは10年以上前からのお付き合いなのですが、何か一緒にやりたいねってずっと話していて。ふたりの最初の仕事は、2016年に開催された『DINING OUT ARITA & with LEXUS』でした。今回の仕事は、2回目です」と渥美シェフ。

今回、『GEN GEN AN 幻 in 銀座』では、『MAISON』が新たに発足した『TOMETTE』名義にて参画し、主にアイスクリームやソルベなどのデザートや菓子などを開発します。

『MAISON』はレストランに対し、『TOMETTE』はプロジェクト。

「『MAISON』は、理屈抜きにお客様がおいしいと感じてもらいたい場所」と渥美シェフが言うも、その背景には溢れんばかりの想いが詰まっています。食材へのこだわり、生産者や農家とのつながりなどはその好例であり、「見える」キッチン以外にも、「見えない」多くの人、もの、ことが親和しているチームこそ『MAISON』なのです。

対する『TOMETTE』は、そんな見えない様々を可視化するプロジェクト。

伝えたい、共有したい、派生したい。

「おいしいを知る」とは、奥様の明子さんの言葉。『TOMETTE』のディレクターも担います。「日本でもフランスでも生産者さんや農家さんたちと一緒に『TOMETTE』を発信していければと思っています。まずは日本からスタートしたかったので、『GEN GEN AN 幻 in 銀座』が第一歩になります」と続けます。

前出の通り、店舗では、アイスクリームやソルベなどのデザートがメインですが、「Colony」と題したピタパンも用意。これは、新型コロナウイルスによってパリがロックダウンした際、渥美シェフが医療従事者やホームレスの方々へ食事提供を行うボランティアに参加した時に作った料理です。

パリには、ホームレスに無償で食事を提供しているレストランがあります。その発起人たちがスーパーの賞味期限が迫る食材を集める場所を郊外に作って、そこから仕入れるもので食事を作っていました。レストランと大きく違うところは、日々どんな食材が来るのかわからないことと食べ手が明確だということ。医療従事者は、エネルギーや神経を使うので、味を濃いめにしたり、どうすれば少しでも元気になってくれるのかを考えました。そこで作った料理のひとつがピタパンでした」。

与えられた食材で何が作れるか。今の環境に合ったもので何ができるか。どうすればおいしくなるか。毎日がライブなそれは、レストランとは違った思考であり、「シェフ・渥美創太」というよりも、「人間・渥美創太」という人格が現れた料理だったのかもしれません。

「今回、『GEN GEN AN 幻 in 銀座』で提供しているピタパンのパンは、『ブリコラージュ』さんにお願いしています。レシピを渡して作ってもらったのですが、ピタパンであればこっちの方がおいしくなるのでは?と、アレンジしたものも提案してくださり。小麦粉だったレシピから全粒粉に変えたのはそれなのですが、こっちの方が断然良かったです。実は、その考え方はパリでも同じで、発注が入ったものをそのまま提供するのではなく、より精度を上げられるためにはどうしたら良いかを各々が常に考えています。このピタパンもまた、みんなの想いが詰まった料理です」。

そして2020年末、様々な体験を経て臨む次なる舞台がフードトラック。

この日のために、渥美シェフは『MAISON』からパンやチーズ、エディブルフラワーなどのピクルス、鹿タンなどを持参。供される料理は、下記を予定しています。

「オープンサンド/栗粉の自家製薪窯パン 24ヶ月熟成コンテチーズ 春に漬けた花の酢漬け」(トリュフバージョンもあり)
「古代麦のリゾット/うなぎの出汁と茶」
「鹿タンと牡蠣のチレアンチョ煮込み」
「オニオンスープ ブルーチーズのせ」(トリュフバージョンもあり)
「ゴーフル」
(2020年12月25日現在も鋭意制作中のため、料理写真のご用意はありませんが、当日のお楽しみに!)

予定は未定の2日限りのステージ。しかし、唯一わかることがあります。

そこにはレストラン顔負けの本気の料理が待っています。

フードトラックだからといって侮るなかれ。どんなライブになるかは乞うご期待。

是非、銀座でパリを堪能いただきたい。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

フードトラックでお腹を満たした後は、『TOMETTE』のアイスクリームやソルベが用意される地下の店舗へ是非。「Earth/玉緑茶」のアイスクリームは、茶葉の複雑かつ豊かな余韻が染み入るように広がる。球面はまるで惑星!

「本日の肉とハーブのピタパン&茶」。 この日のお肉はホロホロ鶏。是非、料理が生まれた背景も知り、おいしいを感じていただきたい。

ピタパンの具材もひとつ一つ丁寧に仕上げる。口に運ぶ度、おいしいだけでなく旅の情景が浮かぶのは、渥美シェフの想いが料理に宿るからなのか。

肉の食感、ハーブの香り、アクセントに効かせたスペインのビネガー・ペドロヒメネスの味わいをブリコラージュのパンがまとめ上げる。全粒粉ならではの食感と香りも見事に同調する。

フランスの「GUIDES LEBEY」にて肉料理部門・最優秀シェフとベストレストランをダブル受賞したパリのレストラン『MAISON』渥美シェフの料理をいただける貴重な2日間! 自由に旅ができない今だからこそ、この機会をお楽しみいただきたい。

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park地上フロア MAP
期間:12月26日(土)・12月27日(日)
営業時間:11:00〜19:00 ※無くなり次第終了

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park B1F MAP
https://www.ginzasonypark.jp/shop/06_2.html
https://en-tea.com/pages/gengenan

1986年千葉県生まれ。19歳で渡仏し「メゾン・トロワグロ」、「ステラ・マリス」、「ラボラトワール・ドゥ・ジョエル・ロブション」などを経て、26歳で「ヴィヴァン・ターブル」シェフに就任。2014年、100年以上続く「クラウン・バー」のリニューアルに伴いオープニング・シェフを勤め、2015年、フランスで最も人気のあるレストランガイド「ル・フーディング」の最優秀ビストロ賞を受賞。2019年、自身初となるオーナー・シェフを務めるレストラン「MAISON」を開業。2020年、フランスの「ガイド ルベイ」にて肉料理部門・最優秀シェフとベストレストランのダブル受賞。また、「ONESTORY」が主催するレストランイベント「DINING OUT」には、過去2回(「DINING OUT ONOMICHI」、「DINING OUT ARITA」)参加。
http://sotaatsumi.wixsite.com/mysite-1

プリマロフト(R)キルティングマフラー

保温性抜群のプリマロフト(R)マフラー

  • 高機能中綿「プリマロフト(R)」を採用したマフラー
  • ダウン同等の保温性・コンパクト性・透湿性を誇りながら優れた撥水性も兼ね備えています
  • 肌にあたる裏地はマイクロフリースを使用

PRIMALOFT(プリマロフト)とは

  • 米国Albany社が開発したアメリカで軍の寒冷地用防寒着の中材として開発、使用され る高機能中綿 ダウン同等の保温性・コンパクト性・透湿性を誇りながら優れた撥水性も兼ね備えています

素材

  • 表地:ナイロン 100%
  • 中綿:ポリエステル 100%(プリマロフト)
  • 裏地:ポリエステル 100%

10ヶ月間限定、短期連載企画。『GEN GEN AN幻』が消えるまで。[GEN GEN AN幻/東京都中央区]

GEN GEN AN幻OVERVIEW

1966年開館、銀座のシンボルのひとつだった「ソニービル」は2017年に幕を閉じ、2018年に「銀座ソニーパーク」として開放しました。

その名の通り、公園のそこは、散歩を楽しんだり、お弁当を食べたり、はたまた通り抜けをしたり……。誰もが自由に使える場としてはもちろん、様々な表現を通して世間に驚きも与えてきました。

振り返れば、「買える公園」をコンセプトにプラントハンター・西畠清順氏がプロデュースした「アヲ GINZA TOKYO」やデザイナーであり音楽プロデューサー、ミュージシャンなど、様々な顔を持つ藤原ヒロシ氏をディレクターに迎えた「THE CONVENI」は、その好例と言って良いでしょう。

銀座の一等地は、変化し続ける壮大な実験の場となったのです。

そして、2019年12月、新たな実験が始まりました。

『GEN GEN AN幻 in 銀座』です。

前述、「ソニービル」が幕を閉じた2017年当時、『GEN GEN AN幻』は、渋谷に茶葉店を開業。以降、国内外から注目を集めています。

理由は、茶葉から作るその高い品質しかり、空間の表現力も大きな役割を担っています。お茶の世界とは似つかぬサブカルチャーを彷彿とさせるアンダーグラウンドな店内には、カセットテープがひしめく演出が成され、これまでになかったお茶との邂逅を体験できます。

主宰するのは丸若裕俊氏です。その活動は多岐にわたり、お茶屋だけでなく、日本各地で培われてきた伝統工芸や工業技術を再構築し、新たな提案も行なっています。

2016年に開催された「DINING OUT ARITA & with LEXUS」でもその手腕は発揮され、クリエイティブ・プロデューサーも担いました。そして、シェフを務めた人物は、フランスを拠点に活躍する渥美創太氏。

現在は、自身初となるレストラン『MAISON』のオーナーシェフでもあり、今回の『GEN GEN AN幻』では、『MAISON』が新たに発足したプロジェクト「tomette(トメット)」として、お茶に合う菓子を開発しています。

つまり『GEN GEN AN幻』は、『ONESTORY』としてゆかりのあるふたりが交錯する舞台でもあるのです。

「アヲ GINZA TOKYO」、「THE CONVENI」、『GEN GEN AN幻 in 銀座』。そして『DINING OUT』。

全てに共通していることは、消えること。

実は、「銀座ソニーパーク」自体も「新ソニービル」が着工するまでの場であり、消えてしまいます。期日は2020年秋まででしたが、新型コロナウイルスによってそれは延長され、現在は2021年9月までを予定。

『GEN GEN AN幻in 銀座』が与えられた命も同様になります。

10ヶ月間、どんな変化が待っているのか、どんな現象が起きるのか。

『GEN GEN AN幻in 銀座』が消えるまでを定点観測していきます。


Photograph:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park B1F MAP
https://www.ginzasonypark.jp/shop/06_2.html
https://en-tea.com/pages/gengenan

ホッとあったまろう(o^^o)

今日はテイクアウトで販売しているドリンクの紹介です(o^^o)



ホットレモネードです(・∀・)


夏はアイスで販売しておりましたが

寒くなったのでホットになって新登場!!

ビタミンcも取れるので風邪の予防にもなります!

お値段は400円で販売中!


ホットレモネードを飲んで心もほっとしてください(o^^o)



年末年始休業のお知らせ

【年末年始のお知らせ】
平素は格別のお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。
誠に勝手ながら下記期間を年末年始休業とさせていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
2020年12月29日(火)~
2021年1月4日(月)まで
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ 2021年1月5日(火)より、通常業務を開始します。
※ 休暇中のお問合せにつきましては、
2021年1月5日(火) 以降に対応させていただきます。
大変ご迷惑をお掛けいたしますが、
何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。

シモンズシープスキンジャケット

待望のシープスキンジャケット!

  • 第二次世界大戦末期にB-3の後継フライトジャケットとして生まれたANJ
  • シープスキン特有の密度ある毛足で沢山の空気を抱え込みその暖かさは抜群で愛用されていました
  • そのフライトジャケットのANJ4を街でバイクで使えるようなサイズの見直しを施し作り上げたのがIH-ANJ4です!
  • 18ミリのシープスキンのボディに各部のトリミング、ポケット、腕の当てなどを牛革を当て込んだアイアンのANJ4はスコットランドのシモンズビルト社で両者のコラボアイテムとして生まれています

IH-ANJ4 : サイズスペック

  着丈 肩幅 バスト 裾回り ウエスト 袖丈 袖口幅
S 65.3 45.7 102.6 92.4 96.6 63.5 14
M 66 47.8 109.2 95.6 99 64 14
L 67.3 49.3 114.4 106.6 109.2 64.5 14
XL 67.8 49.8 118.4 107.6 111.8 65 15
XXL 68.1 50.3 124 113.8 116.8 66 15.2
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • 18mmシープスキン

「地元の食材を地元の人たちがいちばん愛してほしい」という大野シェフが料理教室を開催。[Chef’s Journey in Kagoshima Osaki/鹿児島県大崎町]

料理教室で作ったスッポンのリゾットを、大崎町を象徴する松や、スッポンの甲羅などで飾り、より深く表現してみせた。

シェフズジャーニー 鹿児島大崎地域の課題を「おいしく」解決するのもシェフの役割。

11月の日曜日、大崎町のさまざまな産地を見てまわった大野尚斗シェフは、朝から大崎町公民館の料理講習室にいました。大崎町ならびに周辺の市町の人たちを集めた料理教室を開催するためです。

大崎町の食材を、世界中のレストランで腕を磨いてきた大野シェフと一緒に料理する。特別な料理教室開催のきっかけは、大野シェフが「大崎町の食材の魅力を、じつは住んでいる人たちがあまり知らないんです」という声を聞いたのがきっかけです。

「ふるさと納税の効果もあってウナギのことは知っていると思うのですが、それ以外の食材のことを地元の方々が知らないのはもったいない。胸を張って自分たちの地域の食材を自慢できた方がいいですよね? それならおいしく料理をして食べてもらわなきゃ」と大野シェフが提案したのでした。

さらに種牛から一貫して大崎町で育てられた「大崎牛」の塊肉、ウナギの養殖池で育てられたスッポンを料理教室のメイン食材にしたいと大野シェフ。大崎町の2つの大きな産業である養鰻業と畜産業を見学するなかで、時代の変化によって生まれた課題があることを知った大野シェフが、料理人がもつ知識と技術で「おいしく」解決したいとメニューを考えます。

【関連記事】Chef's Journey in Kagoshima Osaki/若き料理人、大野尚斗氏が見た“食材未開の地”鹿児島県大崎町が秘めるローカルガストロノミーの可能性。

朝9時30分から始まった料理教室には、5名の生徒が出席。大野シェフの手ほどきを受けながら、食材のカットや塊肉の火入れなどを分担して行った。

大崎牛の塊肉は、赤身主体で程よくサシが入ったイチボ(腰まわりのモモ)とサシが入った三角バラ(バラの先、肩バラとも)、2種類の部位が用意された。

スッポンは、前日から仕込みに入ってとった、大野シェフの得意料理コンソメに。このあとどんな料理になるのか、参加者も興味深々。

シェフズジャーニー 鹿児島大崎きれいな味――。大崎町の気候や風土が肉の質にあらわれる。

大崎牛の塊肉を、一般家庭でも焼ける方法をお教えしたい。そんな想いを大野シェフが抱いたのは、大崎町内の焼肉店「肉のたかしや」で大崎牛の試食をしていたときでした。

肉のたかしやは、繁殖から肥育を一貫して行う前田畜産の前田隆氏の長男、隆博氏が町内で営む店。大野シェフは事前に、ロースやヒレ、肩ロースといった部位ではなく、カイノミ(ヒレに近いバラ)、ランプ(腰)、マクラ(前脚のスネ)といった希少部位の試食をリクエストしていました。

「ロースやヒレばかりが売れる一方で、他の部位がなかなか売れないという問題があります。すこしでも料理人の力で、そういった部位にも価値をつけていきたい」と大野シェフ。塊肉のまま焼き込んで、各部位の特徴を確認していきます。「塊肉で焼くと肉の旨味が逃げづらいので、焼き肉とは違ったおいしさがあります。また、塊で焼くことで大崎牛のきれいな赤身と脂の味が伝わるんじゃないかな」と大野シェフはいいます。

また「現在、大崎町では肥育農家さんが少なく、人工授精から出荷までを一貫して大崎町で行うには、規模がとても小さいというのが実情です。今後、羽子田さんや町と連携して肥育できる環境を整え、大崎牛としてのブランド力をもっと上げていきたいです」という隆博氏。

大崎牛が目指す一貫した畜産環境のヴィジョンを聞いた大野シェフは、「子牛を地域外から買い、肥育だけを地域でしたブランド牛が主流ですが、種牛から繁殖、肥育までを大崎町で行えるのは魅力的です。この土地の気候風土がDNAにまで埋め込まれているなんて、ほかにない価値があると思います」と、大崎牛のこれから描こうとする物語に強く共感。貴重な大崎牛のすべての部位を余すことなく使っていくためにも、料理教室では家庭でできる方法で塊肉を焼くことに決めました。

町内で大崎牛を食べるなら「肉のたかしや」がおススメ。前田隆氏の長男、隆博氏が店主を務める店で、大崎牛のさまざまな部位を食べることができる。

焼肉の網で、3種類の塊肉に火を入れていく大野シェフ。表面をできるだけ高温で火を入れてしかり焼き目をつけた後、アルミホイルに包んで余熱で火を入れていく。

3種類の部位を焼き上げて試食。「赤身も脂もすごくきれいな味。塊で焼くと、肉の旨味が逃げ出さず、素材本来の良さがでると思います」と大野シェフ。前田氏一家が手塩にかけて育てた大崎牛に可能性を感じていた。

シェフズジャーニー 鹿児島大崎減り続けるウナギ、生産者は未来をスッポンに求める。

環境省は、2013年にニホンウナギを「絶滅危惧IB類」(ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの)としてレッドリストに掲載しました。翌2014年には、国際自然保護連合(IUCN)もレッドリストに掲載しています。

国内のシラスウナギの水揚げ量は、過去最低を記録した2013年以降、漁獲管理を中心とした資源保護に国や自治体、養鰻業者が取り組んでいます。しかし、生態のすべてが未だ解明されていないウナギの資源回復は、それだけでは難しく、なかなか効果が見えてきていません。

年によってシラスウナギを捕獲する量が大きく異なり、安定した生産ができづらくなってきている状況下で、大崎町の養鰻業者「鹿児島鰻」では、空いたウナギ用の池を利用できるスッポンの養殖を2018年から開始。これからより不安定になっていくと考えられる養鰻業を支える新しい事業として、今年から出荷が始まりました。

体長30センチ。1キロほどになったスッポンは、都市の料亭などに販売しているといいます。しかし一方で、スッポンの養殖のノウハウがまったくなく始めたことで、同じ生育期間でも大きさが異なる、たとえば個体が50センチにもなることも。その大きさでは料亭に引き取ってもらうことができず、売り先がなくなってしまう問題ができているのです。

「スッポンの出汁は、日本料理ではない僕のようなフランス料理人でも使ってみたいと思うはずです。スッポンでコンソメをひいたらおいしいかも。それなら個体の差は関係ないので、規格外のスッポンも使うことができます」と大野シェフ。町内の居酒屋「大野商店」に移動し、店主で日本料理人の大野貴広氏から、スッポンの捌き方を教わり、初めてのスッポン料理で料理教室に挑みます。

鹿児島鰻の川添靖男氏(右)にスッポンの体の仕組みを教えてもらう大野シェフ。「ウナギと同じ飼料を与えられるので、導入がしやすいんです。スッポンの赤ちゃんから育て始めて1年半、今年出荷できるまでになりました」と川添氏はほっとした様子。

獰猛な性格のスッポン、大野シェフを威嚇するために首をぬうっと伸ばして、牙をむける。大野シェフは、鹿児島鰻の規格外のスッポンを応援したいと、現在、別プロジェクトを進めているチームにその場で連絡をして、大崎町産スッポンを使った商品開発を提案。すでに実現に動き出している。

鹿児島鰻では、飼育したスッポンからとった卵をふ化させることに成功した。今後は、大きくなり過ぎない特徴をもつスッポンの卵を選んでふ化させていくことで、サイズのバラツキを抑えていきたいという。

甲羅と体の軟骨の場所を見極めるのが難しかったという大野シェフ。大野氏に学んだ経験を活かして、料理教室ではスッポンを使ったひと品を披露することに。

シェフズジャーニー 鹿児島大崎シェフの知識と技によって、「食」で地域をアップデートしていく。

料理教室は大崎牛からスタートしました。イチボと三角バラの塊肉をフライパンで焼き始めます。「家庭でも簡単に再現できるように」と、今回はオーブンを使わず、フライパンとアルミホイルだけで塊肉を焼いていきます。表面にしっかり焼き目をつけたら、アルミホイルに包んで15分ほど放置し、余熱で火を入れていきます。「ええ、これだけですか??」と参加者から驚きの声があがります。

スッポンは、前日に仕込んでおいたコンソメ(フランス料理で澄んだスープのこと)を使います。コンソメは、素材を長時間煮出すことで旨味や香りだけを抽出する料理。とくに素材の良さや下処理の丁寧さがそのままスープに出てくるので、とても手間がかかります。それでも「スッポンの良さを知ってもらうには、コンソメが一番」と大野シェフは、時間をかけて旨味を引き出しました。

大野シェフは、このスッポンのコンソメでリゾットを作ります。その前に、まずは全員でスッポンのコンソメを味わいます。「スッポンの臭みがまったくなくて、すごくきれいな味!」と、初めてのスッポンのコンソメに参加者は驚いた様子。他にも、大崎町で栽培された不知火の鹿児島県ブランド「大将季(だいまさき)」のカルパッチョなども生徒と一緒に作ります。そして最後にアルミホイルで包んで休ませておいた大崎内のイチボと三角バラの仕上げに取り掛かります。

肉をアルミホイルから取り出し、バターを溶かしたフライパンに投入。弱火にかけながら、溶かしたバターを泡立てるように空気を入れながらフライパンの中でまわしかけていきます。肉の中心までやさしく火をいれながら、バターの香りをまとわせる、フランス料理の加熱技法「アロゼ」です。

フランス料理の醍醐味といえる技法に、「かっこいい!私もやってみたい」と参加者の一人の岡本昌子氏。大崎町の隣、東串良町で料理教室「ゆいまーる」を主宰する岡本氏は、「塊でお肉を焼くとこんなにおいしいんですね。今まで塊肉は敬遠していたのですが、意外と簡単だったので、ぜひ家に帰って焼いてみたい」と、塊肉を焼く楽しさとおいしさに、魅了されたようです。

「いちばんよかったのは、料理教室の雰囲気。みなさんが楽しんでいただけたのが僕としてもうれしかったです。知らなかった大崎町の食材を地域の方に味わっていただけて、みなさんからも大崎町の魅力を発信してほしいです」と話した大野シェフも手ごたえを感じていたようです。

食材だけでなく、食材を作る生産者、そして大崎町で暮らす人との交流も生まれた5日間の旅。地球環境の変化や急激な過疎化による後継者不足や財源不足など、さまざまな課題に直面している地域の苦労と、それを乗り越えようとするエネルギーも肌で感じることができました。「この旅が始まりになるように」といった大野シェフの言葉が象徴するように、シェフと地域との結びつきの中から、「食」をテーマにした地域復興・地域アップデートが進むことを十分に予感させる。そんな旅になりました。

終始、和やかで和気あいあいとした雰囲気になった料理教室。料理教室の経験はそれほどないという大野シェフでしたが、ポイントの教え方や支持が的確で、「プロの指摘や視点がとてもためになった」という声があがった。

弱火にかけて溶かしたバターを泡状に保ちながら、肉にかけまわし続けてゆっくりと火を入れていく加熱方法が「アロゼ」。肉の表面にバターの香りをまとわせるイメージでまわしかけていく。

焼き上がった肉は、世界各国で料理修業をしてきた大野シェフらしく、フランスの料理の定番「レムラード・ソース」と南米料理の定番ソース「チミチュリ」という両極にあるソースとともに。大崎町内の産地直売所で見つけた大葉を使うなど、使いやすい食材で簡単にできるようなレシピで、参加者からも好評だった。「もしも焼いたお肉が余ってしまったら」と大野シェフが用意したのは、醤油とみりん、昆布、酒で作った漬け汁。これに卵黄と肉をひと晩漬け込むと、冷めてもおいしいままでおすすめだという。

料理教室の後は、完成した料理を全員で囲んでのランチ会。塊肉のおいしさに全員が感激。大崎町在住でイメージコンサルタント「美人仕立屋」の名前で活動している救仁郷文(くにごう・あや)氏は、「大崎牛も、スッポンのことも知らなかったので、これから周りのお友だちに紹介していきたいです」と、シェフの想いに共感してくれた。

料理教室に参加した5名の生徒と大野シェフ。左から霧島市でお弁当や通信販売を行うブランド「かごしまのっける」で商品開発を行う吉崎千賀氏、「ママコト」で食のワークショップや地域の食材を使った加工品を販売する渡辺和泉氏、鹿屋市で「カラオケ 青春時代」を営む渡辺憲太郎氏。和泉氏と憲太郎氏は夫婦で参加してくれた。大野シェフの右から岡本氏、救仁郷氏。「地域のインフルエンサーの皆さんと一緒に、大崎町や周辺地域を一緒に盛り上げられたらいいですよね」と大野シェフは話す。

1989年福岡県出身。2010年4月 高校卒業後 福岡中洲の人気フランス料理店「旬FUJIWARA」にて見習いとして修業を開始。2011年、「The Culinary Institute of America」ニューヨーク本校へ入学。在学中に 「The NoMad」(ミシュラン一つ星)にて勤務。ガルドマンジェ(野菜)とポワソン(魚)部門シェフを務める。The Culinary Institute of America 卒業後、2014年から2年間、シカゴ「Alinea」(ミシュラン三つ星・在籍時、世界のベストレストラン50で世界9位)にて勤務、部門シェフを務める。帰国後、日本国内数店で研修し、包丁1本持ちヨーロッパをバックパッカーでまわった後、代官山「レクテ」(ミシュラ一つ星)に勤務、スーシェフを務める。その後、赤坂の1年限定会員制レストランにてExecutive chef を経験。2019年、スウェーデン「Fäviken」(ミシュラン二つ星)研修。2020年3月、ペルー「Central」(世界のベストレストラン50・世界6位)研修。現在は、2021年の独立に向けて準備中。

Photographs:JIRO OHTANI, KOH AKAZAWA
Text:ICHIRO EROKUMAE
 

(supported by 大崎町)