旅先で目覚めた朝は、本当においしいシンプルな食事で胃を満たしたいもの。『MARUYO HOTEL Semba』では、全てにおいてこだわった朝食を提供しています。搾りたてのオレンジジュースは、近隣にある大正時代創業の青果店からとったものを使用。そのお店は創業時バナナ屋だったそうで、当時のバナナがどれほど高級品だったかを考えると、桑名という街の豊かさが感じられます。また、豆乳ヨーグルトにかける蜂蜜は、転地養蜂を営む4代目が採取した桑名にある天然記念物のモチの木の単花蜂蜜。さらりとした優しい味わいです。
このビジョン策定にあたり、前橋市は『一般財団法人 田中仁財団』からの提案を受け入れ、都市魅力アップ共創(民間協働)推進事業として連携を諮ります。 策定に向けた具体的な作業は、前橋に偏見のない外部の視点で分析してもらうため、同財団が『ポルシェ』や『アディダス』などのブランド戦略を手掛けるドイツのコンサルティング会社『KMS TEAM』に依頼。2016年2月には「Where good things grow(良いものが育つまち)」という分析が成されました。
1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
川田氏が腕を振るった『DINING OUT KUNISAKI』の開催は2018年5月。それから3年近い月日が流れ、ミシュランガイド3つ星獲得、数々のメディアへの登場など、川田氏を取り巻く状況も変わりました。しかし久々にお会いする川田氏は、かつてと変わらぬ穏やかな笑顔。物静かなのに存在感がある、凪いだ湖面のような人柄はまったく同じです。
1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
そして今回参加する料理人は、昨年末にミシュラン三ツ星を獲得、今もっとも注目を集める『茶禅華』川田智也氏。過去『DINING OUT KUNISAKI』のシェフも担当。食材を徹底的に吟味し、研ぎ澄まされた感性でかつてない中華料理を生み出す川田氏に提案するとあって、2名のフードキュレーターも気合十分です。
この言葉は、『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』が「2021 Spring/Summer Collection after rain」を発表した際に添えられたメッセージでデザイナーの皆川明氏が書いたものです。
その「不思議な時間」を指す主は、新型コロナウイルスによる様々な変化。
今なお、その渦中にありますが、この難局をただの難局だったという過去にしてはいけません。
「after rain」……、止まない雨はない。雨上がりの先には、一体どんな景色が待っているのか。
皆川氏と共に、考えていきたいと思います。
「2021 Spring/Summer Collection after rain」より。自然に溶け込むテキスタイルやデザイン、柔らかな質感が美しい。Photographs:Hua Wang Hair & Make-up:Yoshikazu Miyamoto Model left:Marianna Seki Model right:Kamimila
「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。
旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。
それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。
「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。
旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。
それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。
2020年12月、突如、『銀座ソニーパーク』に誕生した『GEN GEN AN幻 in 銀座』。
ミニマルなカウンターがメインの背景には、整然と並ぶ桐箱が静かに鎮座します。
そのデザインを手がけるのは、猿山 修氏です。
猿山氏と『GEN GEN AN』を主宰する丸若裕俊氏が出会ったのは約7年前。『GEN GEN AN』の前身『丸若屋』からの付き合いになります。
ものづくりの関係性はもちろん、ふたりは不思議なご縁で結ばれています。
「元々、元麻布に『さる山』という古道具や古陶磁、作家が手がけた陶磁器などを扱う店舗兼ギャラリーを運営していました。2019年に閉めてしまったのですが、その後、丸若さんの事務所に(笑)。自分は場所を持たなくなったため、東京を離れようと思っていたのですが、ご縁あって今は浅草の千束に拠点を構えています。その話を丸若さんにしたら、丸若さんまで千束に拠点を移されて(笑)。不思議なお付き合いです」と猿山氏。
猿山氏と丸若氏が構える互いの拠点は、徒歩にして数十秒圏内。仕事のパートナーであり、ご近所でもあります。
今後、この茶香炉を体験する場や、合わせて二人が考える茶室型のGEN GEN AN幻プロダクトを『銀座ソニーパーク』と言う場所を起点に考えています。『GEN GEN AN』のお茶、『Kouro#01』の香り、その他、この空間だからこそできる見立ての準備を現在、進めています。
「『GEN GEN AN幻 in 銀座』は、自分たちだけの場所ではないと思っています。様々な実験の場でありたいですし、誰かや何かをつなぐ場でありたい。こんな時代だからこそ、みんなが表現できるきっかけや発信できる機会を作っていきたい。そんな時間をみんなで過ごしたい」と丸若氏。
1966年生まれ。元麻布で古陶磁やテーブルウェアを扱う『さる山』や『ギュメレイアウトスタジオ』を主宰してきたデザイナー。食器のデザインを中心に、国内の手工業者から作家まで幅広い作り手と手を組み、機能美に長けた美しいプロダクトを創造する。グラフィック、空間、プロダクトなど、多岐にわたるデザインに携わり、『東屋』と一緒に多くのプロダクトを作っている。今回、発表する『Kouro #01』は、2020年より『GEN GEN AN幻』がスタートさせた『MABOROSHI』プロジェクトより展開。
1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。
「世界という広義に見れば、ヨーロッパや中南米の現状は日本よりも逼迫していると思います。ほかの国が困っている時ほど助け合う精神が必要だと思います。今なお、不安な日々が続いていますが、自分は自分にできることをやるだけ。『LA CASA DI Tetsuo Ota』へ訪れてくださるお客様がほんの束の間、安らいだ気持ちになってくれる場所でありたいと思います」。
東京都内、第一線で活躍するシェフが、滋賀県の素晴らしい食材の産地と生産者をめぐり、その魅力を伝えるオリジナル料理を提供する期間限定の滋賀食材フェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。2021年2月のフェア開催に先立ち、東京・日本橋にある滋賀県の情報発信拠点『ここ滋賀』の『日本橋 滋乃味』にて、レセプションイベントが開かれました。
イベントの目的は、『Local Fine Food Fair SHIGA』に向けてメニューを考案するシェフやパティシエに、まずは滋賀県の食材の多様性を知ってもらうこと。いわば挨拶代わりの試食イベントですが、次々と登場する滋賀県産食材のクオリティに、足を運んだシェフたちも驚いた様子。近江の伝統野菜、琵琶湖の湖魚、そして近江牛。古くから京都の食を支えてきた近江の伝統と誇りが詰まった食材が、料理人の心を捉えたことでしょう。
そんな海に育まれた交流の歴史に学ぶため、佐賀県は1976年から開催されている『North Sea Jazz Festival』に着目。明治維新から150年経つ節目の2018年より『SAGA SEA』と題したイベントを展開し、音楽を通してオランダとの再会、新たな文化の創造、そして地域の活性化を図ります。
「僕は過去との矛盾がない生き方をしていきたい。そういう意味では、『SAGA SEA 2020 音楽寺子屋 Dan Tepfer 〜22世紀の教室〜』が開催できたことは、新型コロナウイルス以前から継続してきた『SAGA SEA』の取り組みとも矛盾がなかったものだと思っています。今できる感染予防対策と今できる音楽表現、その両者のベストは尽くしました。もちろん改善点はありましたが、それによって未来を見ることもできました。過去の自分への反逆のようにならないために、矛盾しない生き方を自分はしていく」。
矛盾のない生き方、それは松永誠剛が奏でる見えないシンフォニー。
姿形こそないものの、その音は、生涯、胸の中で響き続けるのです。
1984年、福岡生まれ。幼少期を義理の大叔父である作家・大西巨人の本に囲まれて過ごす。17歳の夏をボストンの音楽院にて過ごし、その後、ニューヨークにてマシュー・ギャリソン、コペンハーゲンでニールス・ペデルセンのもとで音楽を学ぶ。これまで南アフリカからインドまで世界各国で演奏を行い、エンリコ・ラヴァ、カイル・シェパード、ビアンカ・ジスモンチ、ビリー・マーティン、ティグラン・ハマシアンなどと共演、活動を行う。宮古島の古謡との出会いをきっかけに世界各地の古謡の研究を始め、宮古島の歌い手、與那城美和と共に「Myahk Song Book」、「IMA SONG LINES」の活動を行う。写真家・上田義彦氏の主宰する「Gallery 916」を舞台に写真と大鼓の大倉正之助氏とのコラボレーションや舞踏作品の音楽、プロデュースや演奏活動だけでなく雑誌や新聞連載など執筆なども行い、その活動は多岐にわたる。2017年、“自然との再会を通じた、人間の再生”をテーマに屋久島の森を舞台に「Homenaje Project」を開始。沖縄「宜野座村国際音楽祭」、佐賀「SAGA SEA」など、数々の音楽祭のアーティスティック・ディレクターも務める。現在、畑と田んぼに囲まれる福岡の古民家「SHIKIORI」を拠点に、世界中から集まる人々との対話を重ねている。 http://www.shikiori.net
「Yumehaku Art & Food in RURIKOJI」と銘打ち、アートと食を通して山口という土地そのものの表現を試みたイノベーティブな本イベント。一般客を招く今年の開催に向けて、2020年10月31日、本番さながらのリハーサルが行われました。演出を手掛けたのは、その土地土地の文化やアート、デザインを融合させた料理で独自の食空間を創り上げ、世界各地で活躍する船越雅代さん。今回そのプレゼンテーションの舞台として選ばれたのが、瑠璃光寺五重塔を仰ぎ見ることができる芝生広場、“満月の庭”だったのです。
料理家であり、アーティストでもある船越さんが、自身のフィルターを通して「山口」をどう分解して再構築し、なおかつ空間表現×味覚として具現化させるのか。未知なる世界を一足早く体験した取材班が、その一部をご紹介します。
2021年7月から12月にかけて開催される「山口ゆめ回廊博覧会」。山口市、宇部市、萩市、防府市、美祢市、山陽小野田市、そして島根県は津和野町の7市町からなる、山口県央連携都市圏域の自然や文化、伝統など多彩な魅力を全国に発信するというプロジェクトです。各市町の特性を芸術・祈り・時・産業・大地・知・食の7つの観点から紐解き、「7色の回廊」と称してそれぞれのテーマに合わせたイベントを実施。そのなかで、「Yumehaku Art & Food in RURIKOJI」は「食の回廊」の中核を担う目玉企画なのです。
中村シェフは、日本料理の名店『八雲茶寮』で副料理長を務めた経歴を持ち、「以前より、おせちは作っていたので、今回に活かせたと思います」と言葉を続けます。『八雲茶寮』の総料理長・梅原陣之輔氏もまた、『一般社団法人Chefs for the Blue』のメンバー。以前『ONESTORY』が『Smile Food Project』を取材した日のお弁当も担当していました。
「『Smile Food Project』は一度休止し、再始動していますが、医療従事者の方々は、止まることなく人命のために最前線で闘っています。彼らには“Go to eat”も“Go to travel”もありません。さらには、飲食業界以外にも苦しい業界は多々あり、給付金や協力金を支給されない人たちもいます。だから、それが得られる飲食店は、もっと元気でありたい」。
様々な波乱を巻き起こした2020年でしたが、『CITABRIA』にとっては積み重ねた努力が結実された年にもなりました。『ミシュランガイド東京2021』では、『レフェルヴェソンス』は三つ星に輝き、サスティナブルな取り組みと献身的な活動も評価され、「ミシュラン グリーンスター」も獲得。石田氏もまた、様々なジャンルで開拓する異端児を称える『Esquire』主催の「The Mavericks of 2020」を受賞。
「新潟ウチごはんプレミアム」とONESTORYのコラボレーション企画として、コラムニストの中村孝則さんによるオンライン・クッキングイベント『NIIGATA PREMIUM LIVE KITCHEN VOL.2』が開催されました。参加抽選への応募は50名を超え、その中から見事に参加資格を勝ち取った5名が参加しました。
中村さん自身も、これらの野菜を現地で試食した際は鮮烈なインパクトを受けたと振り返ります。とりわけ印象深いのが帛⼄⼥を使った新潟の郷土料理「のっぺ」です。
「正直、それまで里芋の魅力が今ひとつわかっていなかった。ぬめっともさっとしたところが苦手で積極的に選ぶ食材ではありませんでした。でも、長生館という老舗旅館でのっぺをいただいた時には、心から感動したんです。自分の知っている里芋とは全く別物で、なんてきめ細やかでさらっとした心地いい舌触りと。奥深い味わいなんだろうと」
その感動をもとに、中村さんは3品目の洋風のっぺを作りました。旅で立ち寄った、だし製品の直営店「ON THE UMAMI」で手に入れたトマトだしと、中村さんのお気に入りの食材であるグラノパダーノチーズを使った、ユニークなオリジナルのっぺです。
「生きるを再び考える/RETHINK OF LIFE」の立ち上げは、「#onenippon」を製作中に見た海外のあるニュースがきっかけでした。それは、ネパールの首都・カトマンズから近代史上初めてエベレストが目視可能になったという内容でした。大気汚染が深刻な地域に起こったそれは、人の活動停止によって明らかに空気が澄んだ証拠です。
「生命体という視点で見れば、まだまだ地球上には未知の生物は多いと言われているそうですが、生物の重さで表した時、その90%は海洋生物だと言われているほど、種類、量ともに海は生命の宝庫(日本海事広報協会HP参照)。しかし、そんな海は外来によってその環境を脅かされていると思います。例えば、海の生命体がほぼ陸に上がることはないのに対し、陸の生命体が海に入ることは多分にあります。温暖化や海面温度の上昇なども陸が起こした海の問題だと思います。宇宙レベルで言えばおこがましい話かもしれませんが、少なくともその責任は人間にあると考えますが、地球上に生きる生命の総数で見ると人間は約0.01%という一説を見ました(WORLD ECONOMIC FORUM HP参照)。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだと思いますが、新型コロナウイルスはこの数値の生命体が発生した件だということは向き合うべきだと感じています」。
「おいしいを知る」とは、奥様の明子さんの言葉。『TOMETTE』のディレクターも担います。「日本でもフランスでも生産者さんや農家さんたちと一緒に『TOMETTE』を発信していければと思っています。まずは日本からスタートしたかったので、『GEN GEN AN 幻 in 銀座』が第一歩になります」と続けます。
「今回、『GEN GEN AN 幻 in 銀座』で提供しているピタパンのパンは、『ブリコラージュ』さんにお願いしています。レシピを渡して作ってもらったのですが、ピタパンであればこっちの方がおいしくなるのでは?と、アレンジしたものも提案してくださり。小麦粉だったレシピから全粒粉に変えたのはそれなのですが、こっちの方が断然良かったです。実は、その考え方はパリでも同じで、発注が入ったものをそのまま提供するのではなく、より精度を上げられるためにはどうしたら良いかを各々が常に考えています。このピタパンもまた、みんなの想いが詰まった料理です」。
1986年千葉県生まれ。19歳で渡仏し「メゾン・トロワグロ」、「ステラ・マリス」、「ラボラトワール・ドゥ・ジョエル・ロブション」などを経て、26歳で「ヴィヴァン・ターブル」シェフに就任。2014年、100年以上続く「クラウン・バー」のリニューアルに伴いオープニング・シェフを勤め、2015年、フランスで最も人気のあるレストランガイド「ル・フーディング」の最優秀ビストロ賞を受賞。2019年、自身初となるオーナー・シェフを務めるレストラン「MAISON」を開業。2020年、フランスの「ガイド ルベイ」にて肉料理部門・最優秀シェフとベストレストランのダブル受賞。また、「ONESTORY」が主催するレストランイベント「DINING OUT」には、過去2回(「DINING OUT ONOMICHI」、「DINING OUT ARITA&」)参加。 http://sotaatsumi.wixsite.com/mysite-1
「おいしいを知る」とは、奥様の明子さんの言葉。『TOMETTE』のディレクターも担います。「日本でもフランスでも生産者さんや農家さんたちと一緒に『TOMETTE』を発信していければと思っています。まずは日本からスタートしたかったので、『GEN GEN AN 幻 in 銀座』が第一歩になります」と続けます。
「今回、『GEN GEN AN 幻 in 銀座』で提供しているピタパンのパンは、『ブリコラージュ』さんにお願いしています。レシピを渡して作ってもらったのですが、ピタパンであればこっちの方がおいしくなるのでは?と、アレンジしたものも提案してくださり。小麦粉だったレシピから全粒粉に変えたのはそれなのですが、こっちの方が断然良かったです。実は、その考え方はパリでも同じで、発注が入ったものをそのまま提供するのではなく、より精度を上げられるためにはどうしたら良いかを各々が常に考えています。このピタパンもまた、みんなの想いが詰まった料理です」。
1986年千葉県生まれ。19歳で渡仏し「メゾン・トロワグロ」、「ステラ・マリス」、「ラボラトワール・ドゥ・ジョエル・ロブション」などを経て、26歳で「ヴィヴァン・ターブル」シェフに就任。2014年、100年以上続く「クラウン・バー」のリニューアルに伴いオープニング・シェフを勤め、2015年、フランスで最も人気のあるレストランガイド「ル・フーディング」の最優秀ビストロ賞を受賞。2019年、自身初となるオーナー・シェフを務めるレストラン「MAISON」を開業。2020年、フランスの「ガイド ルベイ」にて肉料理部門・最優秀シェフとベストレストランのダブル受賞。また、「ONESTORY」が主催するレストランイベント「DINING OUT」には、過去2回(「DINING OUT ONOMICHI」、「DINING OUT ARITA&」)参加。 http://sotaatsumi.wixsite.com/mysite-1
1989年福岡県出身。2010年4月 高校卒業後 福岡中洲の人気フランス料理店「旬FUJIWARA」にて見習いとして修業を開始。2011年、「The Culinary Institute of America」ニューヨーク本校へ入学。在学中に 「The NoMad」(ミシュラン一つ星)にて勤務。ガルドマンジェ(野菜)とポワソン(魚)部門シェフを務める。The Culinary Institute of America 卒業後、2014年から2年間、シカゴ「Alinea」(ミシュラン三つ星・在籍時、世界のベストレストラン50で世界9位)にて勤務、部門シェフを務める。帰国後、日本国内数店で研修し、包丁1本持ちヨーロッパをバックパッカーでまわった後、代官山「レクテ」(ミシュラ一つ星)に勤務、スーシェフを務める。その後、赤坂の1年限定会員制レストランにてExecutive chef を経験。2019年、スウェーデン「Fäviken」(ミシュラン二つ星)研修。2020年3月、ペルー「Central」(世界のベストレストラン50・世界6位)研修。現在は、2021年の独立に向けて準備中。