伝統工芸が生き続けるために。今こそ、本来の時間軸を取り戻したい。

永田宙郷インタビュー伝統工芸に向き合い、繋ぐが仕事。

「本当は職人になりたかったのだと思う」。
そう話すのは、伝統工芸の世界に従事するプランニングディレクター・永田宙郷氏です。少し遠回りをしながら辿り着いたのは、伝統工芸を作るのではなく支えるという仕事の方法でした。

各地の伝統工芸の商品や産地のプロデュースに関わる永田氏は、作り手と使い手と伝え手を繋ぐ場として「ててて商談会(2019年まで見本市)」を主宰する人物でもあります。デザイナー、ディストリビューター、デザインプロデューサーとともに発足したそれは、2012年にスタート。当時の参加は約20社でしたが、現在は100社以上集い (応募は200社以上)、そのオファーは増える一方です。
しかし、2020年秋の開催は中止。その理由は、周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

そこで新たに立ち上げたのが、オンラインショップ&メディア「4649商店街」。
一見、ふざけているようなネーミングですが、永田氏は大真面目。
「イベントや催事が次々と中止になり、接点を作る場を失ってしまいました。今の世の中で、何とか伝統工芸の火を絶やさないようにしなければいけないと思い、急遽、立ち上げました」。
出店は、何と150社以上。国が指定した伝統工芸品は235品(経済産業省HP参照。2019年11月20日時点)のため、その数の充実度は言うまでもありません。

「みなさま、どうかで日本の地域のもの作りと伝統工芸を“よろしく”お願い致します」。

新型コロナウイルス後に急遽立ち上げたオンラインショップ&メディア「4649商店街」。

「ててて見本市」の風景。日本全国の伝統工芸が一同に集い、もの、人、ことがエネルギッシュに交錯する。

永田宙郷インタビュー「売る」、「買う」を通して、伝統工芸を考える。

「現状、伝統工芸の世界では、“まだ”難局を迎えていないと思います。発注から納品までに時間がかかる特殊な業種なので、本当に怖いのは“これから”。新型コロナウイルス後の発注がなくなるのではと危惧しています」。

永田氏は、このように不安視しています。
「ものに関しての伝統工芸は、主に4つの部類に分かれると思います。美術工芸、生活工芸、手工芸、量産工芸がそれです」。
端的に解説すると、美術工芸は芸術品、生活工芸は作家が提案する日用品、手工業はメーカーが提案する日用品、量産工芸は大量生産にも近い日用雑器などです。

今回は、主に生活工芸や手工業を中心に考えていきたいと思います。
「元々、右肩上がりの業種ではないことは皆さまご存知の通りかと思います。そんな中、“売る”、“買う”という視点で考えると、主にそれをつなぐのは百貨店などの小売業になります。その販路が今回の新型コロナウイルスによって絶たれてしまったことは大打撃です。更には、新生活の始まる4月という繁忙期だったことも多大な影響を及ぼしています」と永田氏は言います。

ここで改めて浮き彫りになったことがあります。それは「依存」です。
「伝統工芸は、伝統工芸が好きなファンを増やしてきましたが、そうでない人たちにももっと声を掛けねばならなかった。ここ数十年で、ものは売り場以外でも買えるようになり、インターネットやSNSの普及が急速に時代を変化させました。特別な人だけに支えられる時代は終わったのです」。
「そうでない人たち」にも声を掛けた好例に「中川政七商店」を挙げます。
「中川さんは、伝統工芸の民主的な入り口を作ったと思います」。

しかし、丁寧に時間をかけて作られたものであればあるほど、デジタルと相性は解離してしまう難もまたあり。永田氏も頭を悩ませます。
「例えば、ある器があったとします。その手触りや口当たりが特徴であれば、やはり体感しないと伝わりません。それをオンライン上で理解してもらうのはとても難しいです」と言うも、「リアルな場にも改善の余地はある」と言葉を続けます。
「例えば、以前の呉服屋さんでは、数時間、時には数日かけて品定めをしてきたと思います。本来は、伝統工芸品もじっくり品定めをする時間が必要な類。しかし、小売業に見る陳列は、隣にカワイイかどうか瞬間で判断するような雑貨が置かれてしまうこともしばしば。ものと向き合う時間軸が異なる商品と並べられてしまうことがあります。それではものの良さは伝わりませんし、判断に必要な時間も提供できません。作る側もわかりやすいものを作ろうと考えが寄ってしまいます。分かりづらさを紐解いいて余裕を重ねていけるような商品や購入機会は生まれません」。

それは、いわゆるジャンルごとに切り分けてしまう売り場の改善。ものと向き合う時間が異なるということは、横並びにある価格の高低差も発生します。時には数十万、数百万する美術工芸であれば別ですが、手が届きやすい生活工芸や手工業の品であれば、切実な件になります。
「ものの価値を伝えるのは至難の業だと思います。伝統工芸が含む、素材、技術、精神、文化の蓄積の全てをリアルな店舗だけで補うのも難しいですし、オンラインだけで補うのも難しい。特にこの新型コロナウイルス後には、それを適材適所に伝える努力と工夫が必要だと思っています。伝統工芸だからすごい!ではなく、そのすごい!の可視化と言語化を再度するべきだと考えます」。

なぜなら、「伝統」と謳うには、その理由があるから。

上記写真は、全て2020年2月に開催された「ててて商談会」より。

永田宙郷インタビュー欧米の伝統工芸は、日本の伝統工芸に憧れを持っている。

そう永田氏は言います。
欧米の工芸は、その価値基準として社会的に芸術と並ぶクラスを日本よりも感じますが、その「憧れ」とは何なのでしょうか。
「様々な国を見ても、日本のように街角に工房があるところは特殊だと思うからです」。

街角にあることによって、地域の文化を感じることができる。
街角にあることによって、手仕事を覗くことができる。
街角にあることによって、人に触れることができる。

その全ては、ものの用途を超えた価値と言えます。その価値を得られるのは、街角にあるからこそ可能にできる体験によるもの。さらには、旅というフィルターを通すことによって、より愛着も沸き、それは特別な存在になるでしょう。
「地域と過ごす時間、手仕事を覗く時間、人に触れる時間。そんな時間の共有に国外の工芸士は憧れを持っている」。

その憧れとは、作り手と使い手の関係の深さ。それは、他国では真似できない日本独特の文化なのかもしれません。

上記写真は、全て2020年2月に開催された「ててて商談会」より。

永田宙郷インタビュー「作る」だけではいけない。「直す」までを伝えたい。

永田氏は、現在の活動以外に、実は「金継ぎ」にも力を注いでいます。その拠点は京都に置き、「ホテル カンラ京都」本館1階に「金継工房リウム」を構えます。
「例えばお皿や器を買った時、その中には産地や装飾の説明があったとしても割れた時の連絡先や修理の方法が記されているものは極めて少ないです。僕自身は漆器以外では見たことがないです。販売店は“長くお付き合い頂ける逸品です”、“これは一生ものです”と勧める方もいらっしゃると思いますが、その修理の方法を聞いた時に即答できる方は少ないのではないでしょうか。それは売り手にも問題ありますが、作り手の責任もあると思います。なぜなら、“大切に使って欲しい”、“長く使って欲しい”という意思表示は、必要だと考えるからです」。

その件に関し、フランスの某有名ブランドを例に話を続けます。
「フランスの某有名ブランドの革製品は、高額にも関わらず数年待ってでも手に入れたい方々がいます。もちろんステータスやクラスを装いたいのかもしれませんが、使い続けるという視点でも相当優れています。直せる品は、原則として必ず分解できます。革製品であれば、手縫いで仕上げ、ボンドなどを使用しないことも特徴のひとつです。更に分解した革の裏側には作り手の名も記され、世界中でそれが管理されています」。

つまり、誰がどんな風に作ったのかがアーカイブ化され、技術の足跡が永遠に残されるのです。ゆえに、そのブランドのブティックで修理の質問をしても世界中で同じ応えが即答されるのです。“お直しは可能です”と。

だからこそ、“長くお付き合い頂ける逸品です”、“これは一生ものです”という言葉の説得力が生まれるのです。
「日本の伝統工芸品もそれに負けないくらい一流だと思いますし、当然、直せるのです。しかし、この“直せる”という大切なメッセージのピースを埋めないまま、次から次への売るビジネスに傾倒していったのかも知れません。買い手は、壊れたら嫌だからと購入から遠のき、傷がついたら勿体ないからと使わない人もいます。ですが、ナイロンでなくセルロースのスポンジであれば漆器も傷つかず洗えます。鉄の包丁も研ぎ方を教えてくれる人はいても洗い方まで教えてくれる人は少ないです。油物を切っても油脂は約70℃で溶けるので、例えばコーヒーを沸かす前に少しだけお湯を多く沸かしてそれで洗い流せば綺麗に手入れもできるのです」。

今に始まったことではない話かもしれませんが、このコロナ禍によって課題が浮き彫りになったのかもしれません。
「直せることが分かれば長く使えることを前提に買えますし、手入れの仕方を知れば尚更に長く使うこともでき、一層愛着が湧きます」。
直し続けられるものの命は、人の命よりもはるかに長い。だからこそ、時代を超えて文化や歴史は継承され、伝統が生き続けるのです。

使い続けながら伝統工芸を残すことは、これから画一化されていくであろう世界に対し、大きな意味をもたらすでしょう。
それは、多様性を保つために必要な情報が埋め込まれたものや技のかたちをした生きるデータベースづくりとも言えるからです。
我々は、失ってしまったものと向き合う時間軸を取り戻せるのか。作るの先の世界へシフトできるのか。今こそ、改めて、伝統工芸と向き合うべきなのかもしれません。

1978年、福岡県出身。TIMELESS LLC.代表・プラニングディレクター。「ててて協働組合」共同代表、「DESIGNART」Co-Founder、「金継工房リウム」代表、「京都造形大学」伝統文化イノベーションセンター研究員、「京都精華大学」伝統産業イノベーションセンター客員研究員。「金沢21世紀美術館」(非常勤)、「t.c.k.w」、「EXS Inc」を経て現職。「LINKAGE DESIGN」を掲げ、数多くの事業戦略策定と商品開発に従事。特許庁窓口支援事業ブランディング専門家、関東経済産業局CREATIVE KANTOプロデューサー(2014年〜2016年)、京都職人工房講師(2014年〜2019年春)、越前ものづくり塾ディレクター(2015年〜2018年)を始め、各地でのものづくりや作り手のプロデュース事業にも多く関わる。伝統工芸から最先技術まで必要に応じた再構築やプランニングを多く手掛け、2020年5月には、日本の伝統工芸品を集めたオンラインメディアショップ「4649商店街」を立ち上げる。著書は「販路の教科書」。
https://nagataokisato.themedia.jp
https://tetete.jp/4649/

今こそ、日本の伝統工芸を考える。僕の原点は、世界の名匠から学んだ。

立川裕大インタビュー日本のアイデンティティを生かすために、改めて足元を掘りたい。

そう話すのは、伝統技術ディレクター/プランナーの第一人者、立川裕大氏です。

立川氏といえば、日本各地の伝統的な技術を有する職人と建築家やインテリアデザイナーの間を取りなし 、その領域を拡張している人物です。
それぞれの空間に応じて表現し、 家具、照明器具、アートオブジェなどをオートクチュールで製作 。ものづくりプロジェクト「ubushina」として活動しています。

「ubushina」 とは「産品(うぶしな)」であり、「産土(うぶすな)」という古語の同義語です。その意味は、「その人が産まれた場所」というアイデンティティを指しています。

「その地域でしかできないこと、その職人でなければできないことを重要視しています。効率の良いやり方ではないかもしれませんが、今までにそうした産地や職人の持ち味を発掘し、多彩なネットワークを構築してきました。個々の多様性を尊重し、手と頭がよく働く職人たちと創意工夫しながら、これからの社会にとって希望あるものづくりの文化を探求することが自分の信念です」。

手がけた作品は「東京スカイツリー」、「八芳園 (はっぽうえん)」、「CLASKA」、「ザ・ペニンシュラ東京」、「伊勢丹新宿店」など、多数あります。

長年にわたって高岡の鋳物メーカー「能作」のブランディングディレクションなども手がけており、高岡鋳物、波佐見焼、大川家具などの産地との関わりも深いです。

そんな立川氏は、今の伝統工芸についてどう考えているのか。

立川氏がブランディングディレクションを行う高岡の鋳物メーカー「能作」の新社屋・工場。

2017年に竣工した「能作」の新社屋・工場のコンセプトは産業観光。毎月約1万人の見学者が来場する。Architectural Design:Archivision Hirotani Studio

波佐見焼のエキシビション「あいもこいも」をディレクション。Space Design:DO.DO. Graphic Design:DEJIMA GRAPH Photograph:Kazutaka Fujimoto

立川氏のものづくりプロジェクト「ubushina」の代表作ともなった「東京スカイツリー」の伝統工芸アートワーク。Design:HASHIMOTO YUKIO DESIGN STUDIO Photograph:Nacasa & Partners

「ubushina」の初作品ともいえる2003年の「CLASKA」。漆や鋳物などの伝統技術をふんだんに採用した作品。Design:INTENTIONALIES

立川裕大インタビュー伝統工芸の世界は、基本的に3つの関係で成り立っている。

「3つとは、職人・デザイナー・そして、我々のように場を作って管理するディレクターです。コンピュータ の世界にたとえれば、ハードウェア、ソフトウェア、ミドルウェアの関係にも似ています」と立川氏は話します。

「日本の伝統工芸の“職人”と“デザイナー”は、かなりハイレベルだと思います。台頭できない問題はミドルウェアのポジションである我々にあると思います。ここのスキルアップが急務」だと言葉を続けます。

現在、国が認めている日本の伝統工芸は、235品(経済産業省HPより参照)もあり、「この数字を取っても世界的にトップクラス。しかし、マネタイズの仕組みの悪さもトップクラス」と言います。

「例えば、フランスやイタリアはその逆。産地や生産数が少なくても、高価格帯で取引されるものを生み出しています。伝統工芸の高い技術力も美意識も日本にはある。しかし、ビジネスという点、ブランドづくりという点が劣ってしまっています」。
極論、10個売れてもひとつ売れても、同じ利益を生む仕組み と価値化が必要ということです。

「ヨーロッパでは、伝統工芸も職人もリスペクトされています。更には、職業としての地位も高く、ビジネスを司るミドルウェアのポジションにはMBA取得者などの優秀な人材が携わることもしばしば。そのくらい格別ですし、外貨もしっかり稼ぎだす産業なんです」。
日本においてビジネスとブランドをコントロールするミドルウェアの育成が喫緊の課題のようです。

新型コロナウイルスの感染拡大は伝統工芸界もダメージを避けられません。これがきっかけになって産地の生態系 が崩れていくことを恐れているともいいます。

「多くの産地は分業制で成り立っていて、ひとつの商品を作るのにも何人も何社もの職人が関わることになります。全ての工程を一企業が賄いきれることは滅多にありません。ブランドを携えて産地をリードするメーカーも、様々な工程を担う、多くは家族経営の外部 の職人たちに支えられているのです。彼らの多くは経済的な基盤が弱く、コロナで多大な影響を受けていることが予想されます。そもそもからして後継者の問題も抱えていたため、今後の産地の生態系 の維持がリアルに問題視されることになるでしょう。ヨーロッパのブランドではそういった優秀な職人たちを自社へ招聘し、社内で後継者を育成していたりするようですが、そういった取り組みを産地として模索する必要性がありそうです」。

「パレスホテル東京」のために製作 した銀粉漆塗りのカウンターと真鍮網代編みの天井。Design:A.N.D Photograph:Nacasa & Partners

「八芳園」の日本料理店「槐樹 (えんじゅ)」では、七宝文様をモチーフに手技と機械技術の融合を実現させた建具を採用。Design:HASHIMOTO YUKIO DESIGN STUDIO   Photograph:Nacasa & Partners

「檜タワーレジデンス」の銀箔ドットアートウォール(左)。Design:k/o design studio   Photograph:Nacasa & Partners
「東京スカイツリー」の江戸切子ガラスで装飾したエレベーター(右)。Design:NOMURA   Photograph:Satoshi Asakawa 

「三井寺」の宿坊「妙厳院」のために誂えた和紙の特注壁紙。Design:INTENTIONALIES Photograph:Toshiyuki Yano

「セイコーウオッチ株式会社」の創業130周年記念に竹細工の伝統技術を用いたオブジェを製作 。海外の見本展示会「BASELWORLD2011 SEIKO Stand」にて発表。Design:TANSEISYA

「日本は素材と技術の宝庫」とは立川氏の言葉。各地に特性と個性があり、土地に根付いた文化が宿る 。

立川氏の事務所「工藝素材一目部屋」には、全国から集められたマテリアルのサンプルで 溢れている 。

立川裕大インタビュー僕には英雄がふたりいる。それは、エンツォ・マーリとアキッレ・カスティリオーニ。

実はあまり知られていませんが、伝統工芸の世界に入る前の立川氏は「カッシーナ(現カッシーナ・イクスシー)」に在籍していました。

「僕は、もともと学生時代からイタリアのデザインが大好きで、1988年に“カッシーナ”に就職しました。当時 の日本ではまだ海外の家具の認知度は低かったです。働くにつれ、ミラノサローネなどにも足を運ぶようになり、あるふたりのデザイナーと出会い、僕はその虜になったのです。それは、エンツォ・マーリさん とアキッレ・カスティリオーニさんでした」。

のちに、このデザインの巨匠たちの自宅やアトリエにも招かれるほどの幸運に恵まれた立川氏は、彼らが日本を敬愛していることを知ります。そして同時に、デザインやビジネスに関して様々な 学びも得たのです。

「ある時、エンツォ・マーリさんから“龍安寺の石庭に佇んだことはあるか?”と聞かれました。“いいえ”と答えると“日本人ならば必ず体験するべきだ”と言われました。その時の自分は海外ばかりに目を向け、日本のことをあまり知りませんでした。日本の美徳について学ぼうと思ったのはそれがきかっけでした」と立川氏はその当時を振り返ります。

エンツォ・マーリ 氏は、飛騨高山とのプロジェクトも過去に行っており、日本を愛したデザイナーのひとりです。

「アキッレ・カスティリオーニさんからは、“消費経済の奴隷になるような仕事をしてはいけません”と言われました」。

つまり、あくまで我々の仕事の土台は社会や文化にあって、経済とは折り合いをつけるにしても短期的な数字だけを追い求めた 先に未来はないということを意味します。

日本に魅了されたのは、立川氏が出会ったふたりだけではありません。

世界的に著名な建築家であるブルーノ・タウト氏は「桂離宮」を見て「日本建築の世界的奇跡」と言葉を残し、シャルロット・ペリアン氏は「修学院離宮」の霞棚や日本の竹を自らのデザインソースに生かしています。チャールズ&レイ・イームズ氏もまた民藝を愛し、宮城県のこけしが自宅に飾られていたことは有名なエピソードとして残っています。

1999年、立川氏は日本にフォーカスして独立。
「独立して早々、富山県高岡市のセミナーにお声がけをいただきました。その時に参加者が、ほぼ伝統工芸に携わる方々だったのです。“能作”との出会いもそれがきっかけでした」。

英雄の言葉を胸に、伝統工芸の道へと歩みだした立川氏の始まりです。

「今、日本文化の礎になっている美意識は、主に室町時代あたりにできたものだと思います。そして、我々も令和のこの時代に未来の文化の苗床を作り出さなければならないと思っています」。
そうなれるかなれないか、生かすも殺すも「ミドルウェア次第」だが、「勝算はある」と立川氏は言います。

「幸いなことに伝統技術は残っていますし、それとともに育まれてきた美意識も健在です。職人もデザイナーもそうですが、とりわけミドルウェアの立ち居振る舞い次第では、伝統工芸は大きく躍如する可能性を秘めた成長産業なのです。そのためには日本文化の深層に眠るものを、最適な方法で表に引っ張り出すことが必要だと思っています」。

そう、日本には間違いなく資産はあるのです。

「新型コロナウイルスの収束後、需要や生産などを含め、伝統工芸の世界も落ち込むでしょう。しかし日本人は縮むことを得意とする国民性を持っています。団扇を扇子にしたり、提灯を畳んだり。お茶の世界でも最初は大広間で楽しんでいたものが、いつの間にか小さくなり、千利休にいたっては一畳半ににじり口です」。
かの有名な建築家、ル・コルビュジエのカップマルタンの休暇小屋は、日本の茶室ともいわれています。

「好んで小さくしながら新しい価値を加えていくんですね。バブル後に産地の売上規模は5分の1にまで縮小したといわれていますが、それなりに生産体制を作り直して新しい市場も創造してきた。コロナウイルスの収束後 は何ごとも縮まざるをえない状況ですが、今こそ日本ならではの美意識や付加価値を纏ったビジネスへの転換を図る〝逆転の時〟にしたいと思っています」。

大切なことは、世界が認めた日本ではなく、日本が認めた日本の創造。立川氏と伝統工芸の二人三脚は、まだまだ続きます。その日が来るまで。

1997年、立川氏が初めてアキッレ・カスティリオーニ氏と会った時の1枚。「カスティリオーニさんとの出会いは、仕事に対する向き合い方と、僕の人生を変えました」。 

1965年、長崎県生まれ。株式会社t.c.k.w 代表。日本各地の伝統的な素材や技術を有する職人と建築家やインテリアデザイナーの間を取りなし 、空間に応じた家具・照明器具・アートオブジェなどをオートクチュールで製作するプロジェクト「ubushina」を実践し伝統技術の領域を拡張。主な作品は、「東京スカイツリー」、「八芳園」、「CLASKA」、「ザ・ペニンシュラ東京」、「伊勢丹新宿店」など多数。長年にわたって高岡の鋳物メーカー「能作」のブランディングディレクションなども手がけ、高岡鋳物・波佐見焼・長崎べっ甲細工・甲州印伝・因州和紙・福島刺子織などの産地との関わりも深い。2016年、伝統工芸の世界で革新的な試みをする個人団体に贈られる「三井ゴールデン匠賞」を受賞。自ら主宰する特定非営利活動法人地球職人では、東日本大震災復興支援プロジェクト「F+」を主導し、寄付つきブランドの仕組みを構築し3年にわたって約900万円 を被災地に送り続けた。
http://www.ubushina.com

T/Cウエポン メカニックワークシャツ

夏の定番!ヘビーな半袖!

  • 本来はパンツ用のT/Cウエポン素材を使用したアイアンらしいヘビーな半袖シャツ
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  • 未洗い

IHSH-271: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 66.0 41.5 106.0 103.0 23.0 18.5
S 68.0 43.5 110.0 107.0 24.0 19.0
M 70.0 45.5 114.0 111.0 25.0 19.5
L 72.0 47.5 118.0 115.0 26.0 20.0
XL 74.0 49.5 122.0 119.0 27.0 20.5
XXL 76.0 51.5 126.0 123.0 28.0 21.0
XXXL 78.0 53.5 130.0 127.0 29.0 21.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。

素材

  • コットン:50%
  • ポリエステル:50%

Made in U.S.A スナップバックキャップ ブラック

バイク乗りの定番、トラッカーキャップ!

  • 新柄のベル柄ワッペンを配したNewトラッカーキャップです
  • 今までのツイル地ワッペンとは違い初のフェルト地ワッペン
  • Made in U.S.Aの6パネルのスタンダードなキャップです
  • 浅すぎず深すぎずのミッドクラウンタイプなので被りやすさはバッチリです
  • バイザー部分は芯入りのフラットバイザータイプ
  • スナップバックを外せるので、ベルトループやバッグに付けられます
  • 携行性があるのでヘルメットを脱いで崩れた髪型も隠せ、ツーリングにも最適です
  • アジャスターによりサイズ調整が出来る為、頭の大きな方でも問題なく被れます
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます

サイズスペック

  • フロント高さ 17.5cm
  • ツバ 7cm
  • ツバ幅 18.5cm
  • 頭周り 55cm〜60cm

素材

  • ウール:80% ポリエステル:20%

ワイドテーパードトラウザーパンツ【レディース館】

 

 

こんにちはチューリップ黄

 

 

この時期、レディース館人気商品に

ルーズデニムというジーンズがあるのですが、、、

 

 

この、ゆったり穿きやすいこちらですね下矢印

 

 

 

この大人気ルーズデニムのカラーバージョン

が入荷しておりますキラキラ

 

 

(写真お借りしましたアセアセ

72894 ワイドテーパードトラウザーパンツ

¥15,400(税込)

 

カラーはベージュカーキブラックの3色展開です

 

 

チノパンのように通年活躍でき、

上品な光沢感があり、さらっとした履き心地ですルンルン

 

 

普通のチノパンに比べゆったりしているので穿きやすく

オシャレに決まる1本ですOKキラキラ

 

 

是非当店にお越しの際にはご試着してみて下さいね流れ星

 

 

 

 

日中暑いのに夕方寒かったり体調を崩しやすい季節ですので

皆様もお身体にはお気を付け下さいね風鈴

 

 

 

 

 

ワイドテーパードトラウザーパンツ【レディース館】

 

 

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藍染マスクのこと

こんにちは。藍染坐忘です。久々のブログ更新です。

新型コロナウイルス感染症に罹患された方々、及び関係者の皆様に置かれましては、謹んでお見舞い申し上げます。
世界各国での新型コロナウイルス感染症の流行が一日も早く終息致しますことをお祈り申し上げます。
先日ようやく緊急事態宣言も全国的に解除され、徐々に地域にも活気が戻り始めました。

2月中旬、この度の事態の緊急性を知ってより直ぐに、自社で出来ることは無いか?と考え、自社内の縫製設備と技術環境を活かした藍染マスクを作ろうと、スタッフ一同団結し、試行錯誤を重ねオリジナル製品化いたしました。
沢山の方に手にとって頂き、心より感謝申し上げます。
当時深刻だったマスク不足も今は解消され、供給安定により落ち着きを取り戻しましたが、不安な皆様のお役に立ちたい・少しでも明るい気持ちで毎日を過ごして頂きたいとの思いは変わらぬまま、弊社ならではの特別なマスク、また藍染商品の開発を変わらぬ続けております。

-新商品ご紹介-
〜夏も快適に〜 天然藍染抗菌ドライマスク&エアーマスク

詳細はこちらから

今後とも、こだわりの商品を作り続けてまいります。宜しくお願い致します。

日本人としてパリを愛し、パリに尽くす。僕は、これからもこの街で生き続ける。

Photograph:Restaurant MAISON

MAISON/渥美創太インタビュー

自身初のレストラン「MAISON」開業1年目に訪れた難局。そして、渥美創太シェフの今。

「実は3月の1週目にバカンスに出かけており、新型コロナウイルスの危機感を覚えたのはその旅から戻ってきた直後でした。満席だった予約がすごい数のキャンセルに。明らかに異変を感じました」。
そう話すのは、パリを活動の拠点におく渥美創太シェフです。

渥美シェフといえば、2019年9月に自身初のレストラン「MAISON」をオープンしたばかりであり、世界中から注目を集めています。パリでは珍しい一軒家のそこは、三角屋根の外観も手伝い、その名の通り、まるで「家」のよう。
建築を手がけるのは、同じくパリで活躍する田根 剛氏です。そして、ロゴデザインには映画監督のデビッド・リンチ、カトラリーデザインにはフィリップ・ワイズベッカーなど、驚異的な面々が、その「家」を取り巻きます。

渥美シェフは19歳で渡仏し、「メゾン・トロワグロ」、「ステラ・マリス」、「ラボラトワール・ドゥ・ジョエル・ ロブション」、「TOYO」などの名店にて研鑽を積み、26歳の若さで「ヴィヴァン・ターブル」のシェフに就任。2014年には「クラウン・バー」のシェフに抜擢され、2015年にはフランスのレストランガイド「ル・フーディング」にて最優秀賞ビストロ賞を受賞する快挙を成し遂げます。これは真の意味でパリジャンから愛されたことの証であり、ある種、「星」よりも名誉ある賞賛と言っていいでしょう。

そんな様々を経て、パリ在住14年。その集大成が「MAISON」なのです。

パリがロックダウンになったのは、3月17日。開業1年目、早々に訪れた難局にどう立ち向かうのか。

しかし、渥美シェフは変わらない。

厳密に言えば、今回の件に関わらず、常に不安と戦い、それを払拭するためにはどうしたら良いか不断の努力を続けているため「変わらない」のです。ゆえに、良い時も「変わらない」。

良い時も悪い時も表裏一体。

「最悪の事態は常に想定している。そのための準備と備えはしている」。

パリでは珍しい一軒家の「MAISON」。三角屋根が特徴的であり、その名の通り、まるで家のよう。Photograph:Restaurant MAISON

控えめに配されたレストラン外観のサイン。映画監督のデビッド・リンチによるデザイン。Photograph:Restaurant MAISON

レストラン2階部分。オープンキッチンに8mある長いカウンターが印象的。Photograph:11h45

レストラン1階部分。建築・デザインは、田根 剛氏が手がける。Photograph:11h45

自分にとって大切なことは嘘をつかないこと。見栄を張らず、見て見ぬ振りもしたくない。

「MAISON」は、渥美シェフがオーナーを務めるレストランです。つまり、経営も担います。

「オーナーシェフになると、責任感はもちろん、好きなように料理ができなくなるとかスタッフのケア、お金の管理が大変とか、色々な話を言われました。それはもちろんありますが、幸いにもシェフに抜擢してくれた“ヴィヴァン・ターブル”のオーナーや、“クラウン・バー”のオーナーたちは厳しくも優しく、全てをさらけ出して共有してくれていました。そしてその一部を任せてくれていたお陰で僕にとっては全て当たり前のこととして“MAISON”のオープンに臨めたと思います」。

失礼ながら、二足の草鞋が履けるバランスの取れたシェフなのかといえば、それも違うように見えます。その答えは、渥美シェフと話すに連れ、全てキッチンから学んだのかもしれないと思うのです。

「料理人にあることは、高級食材や希少部位も使いたいという欲求です。それは当然の心理だと思いますし、誰でもそうしたいのは山々。それをお客様においしいを届けたいという善意を盾に“何とかやれるだろう”、“何かで帳尻を合わせれば大丈夫だろう”など、数字と向き合わずに騙しだましやってしまい、自分に嘘をついてしまうのが一番良くない」と言います。

そして、振り返れば、修行時代にも結果として数字と向き合う現場がありました。

「例えば、アラカルトが数の多いレストランがあったとします。お客様は嬉しいかもしれませんが、種類の多さは食材のロスにもつながるのです。昔のシェフは怖い人も多かったので、食材が余ったことを言い出せない若いシェフをたくさん見てきました。僕はそれを見て見ぬふりをしたくなかったので、“これだけ余ってしまうのでメニューを減らした方がいいと思います”と言いましたが、“何で余らせるんだ!”と叱られました。食材のロスは生産者への思いを裏切ることになりますし、お店の経営も悪化させてしまいますから。そんな経験も全て“MAISON”で活かしたいと考えています」。

レストランという大きな組織の現実。それは、名を馳せれば馳せるほど起こりうる可能性を秘めているのかもしれません。結果、そのような環境に違和感を感じ、名店を離れてスタイルの異なる「クラウン・バー」に携わった経緯にもつながります。

「とはいえ、昔のレストランはすごかったと思います。種類豊富な皿数はもちろん、コースの方程式も多種多様。現在のようにお任せ一本でやれるなんてありえませんでした。そういう意味で、今は恵まれている時代だと思います」。
この「恵まれている」とは、料理を作りやすい、食材の量を読みやすいこともしかり、堅実に行えば経営的な体力も自ずと付いてくるという意味も含みます。

「お客様にも、スタッフにも、料理にも、僕は見栄を張らない」。
それは、内に秘めた確固たる自信を感じた瞬間でもありました。

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高級食材だけに頼ることはない。
その季節、その日に生産者から直接届く最高の食材に全てを注ぎ込む。
その日の「MAISON」だから食べられるお皿を作り上げる。
簡単なようですごく難しいそれを毎日実現する。
それだけのことはやってきた。
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嘘をつかない。見栄を張らない。見て見ぬ振りをしない。

この3つを基本に、経営者としての自分とシェフとしての自分の合点を探し続け、体力の備えをしたのちに「MAISON」をオープン。本当のガストロノミーをやるためにレストランへ還ってきたのです。

「まさか新型コロナウイルスのような件でレストランを一時閉めることになるとは思いませんでしたが、2015年の大規模なテロなども経験していて最悪の事態は常にイメージしてきましたし、その不安と向き合う心構えはしてきました。今のお店では、スタッフとのコミュニケーションをより大切にし、改善点はないか、無駄はないかなど、見えないところにもちゃん目を向けるように心がけています。全てを把握することが、レストランも経営も良い世界を創造すると思っているから」。

オープンキッチンのレストラン同様、風通しの良い環境の「MAISON」スタッフは、現在10名。約30席のレストランには少ない人数です。

「レストランを経営するには、料理やワインのコストだけではなく、家賃、人件費など様々あります。今のチームで最高のパフォーマンスを発揮するため、みんな死に物狂いでやっています」と苦笑い。「本当にスタッフには助けられています」と言葉を続けます。

「経営に関しては、妻の存在が大きいです。妻は僕よりもっとシビアだし、政治にも明るい。だから、今回のような一件であれば、より助けられている感はあります。あとは、“クラウン・バー”時代の経理担当者なども親身にサポートしてくれているので、そういった昔の仲間の支援もあっての今だと思っています」と渥美シェフ。

「ただひとつわかることは、近道はない。コツコツやることが大事だと思っています。堅実にやれば体力は付くし、体力が付けはステップアップもできます。経営も現場も料理もうまく機能しないとみんなを不幸にしてしまう。僕は器用ではないので、レストラン内外の多くの仲間たちの助けを借りてオーナーシェフとして進んでいます」。

 

保証のあるフランス、保証のない日本。ロックダウンのフランス、自粛の日本。

この両国を渥美シェフはどう捉えるか。

「フランスの対応は早く、ロックダウン当日に政府が人件費を補償するとの発表がありました。現在は、給与が短期失業保険として84%保証されています。ただ、家賃などその他はその制度には含まれていません。政府は保険会社に保険が適応されるように要請していますが、今なお協議中です」。

今回、一時閉店を余儀なくされた渥美シェフは、医療従事者やホームレスの方々へ食事提供を行うボランティアにも参加しました。それは「MAISON」としてではなく、渥美創太としての活動です。
「この活動を知った時、参加したいと強く思いました。医療従事者の方々には、週2日、1日100食を提供していました。病院の数にして3ヶ所ほどになります。ホームレスの方々には週1日、食事の提供をしていました。パリには、ホームレスに無償で食事を提供しているレストランがあります。その発起人たちがスーパーの賞味期限の迫る食材を集まる場所を郊外に作って、そこから仕入れるものでホームレスの人たちには食事を作っていました。それ以外だと家族や子供と過ごしたり、レシピ開発や新しいプロジェクトの構想などにも取り組んでいました」。

日本に目を向けてみたいと思います。

ロックダウンはせず、自粛という“お願い”と“自己判断”に委ねられ、保証はありません。補助金などが導入され始めているものの、すぐ手元にキャッシュが入るわけではないのが現状です。もし自粛であれば渥美シェフはどうしたのか。

「僕は、お店を閉めます。現状だけで言えば、すごく苦しむと思います。でも、そこで閉める判断ができるような店づくりをしたい」。
それは、「感染拡大の抑制に勤めたいと思いますし、何より人を死に追いやる治療法のない伝染病だから」です。

現在、9月半ばまでは従業員の給与が保証されていますが、それ以外は5月末に発表されます。その間、デリバリーやテイクアウトのような手法があるも、「それをやる時はレストランだからこそできることが何なのかを考えて実現させたい」と渥美シェフは言います。

なぜなら、前述の通り、本当のガストロノミーをやるためにレストランへ還ってきたからです。

「僕は、レストランにこだわりたい」。

支給される食材に加え、「MAISON」で提供しているパン用の小麦粉でパンを焼き、ボリューム満点の食事を作る。

チョコを食べる風習があるイースター(復活祭)の日に提供した食事には、「MAISON」のレシピで作ったチョコレートケーキも添える。その優しさは、おいしい先にある心に響く。

1度に作る数は100食。「MAISON」にある8mのテーブルにずらりと並ぶ。

医療従事者へ届ける料理の箱には、感謝の気持ちを込めて「Merci beaucoup! Super hèros!(本当にありがとう。あなたたちはヒーローだ!)」とメッセージを添える。

ボランティア活動が早く終わった日には、再開後に使える調味料などを仕込む。この日はこの時期にしか取れないニワトコやアカシアの花などを漬けた。

食材を届ける人間も食事を届ける人間もボランティア。様々の人々が参加する本プロジェクトの多くは20代後半から30代後半。若い人たちが積極的に参加している。

医療従事者へ食事を届けるボランティア活動を総括するアソシエーションを立ち上げたアドリアン(中央・マスクの人物)と自主的に参加をしてくれた「MAISON」のスタッフ。

自宅にて子供とうどんを打つ様子。この難の中、渥美シェフがホッとするひと時かもしれない。

フランスと日本の違い。制度、文化、そして、我々は誰かのために尽くせるか。

今回に関していえば、一見「日本と比べてフランスは保証制度が手厚い」と思う人もいるかもしれませんが、それが補えているのは税金です。
標準税率で比べてもフランスは20%に対し、日本はその半分10%。今後、国として備えを得るべく、日本の税金を20%に引き上げるとなった場合、すぐに国民は首を縦にふるのでしょうか。

「自分たちではありませんが、政府から発表されるレストラン再開の合図を待たずにお店を営業しようとしているところがいくつかあります。その理由のひとつに、これ以上の税金を使うと、今後、さらに税率が上がってしまうのではという懸念があります。更には、新型コロナウイルス終息後、本当に困った人たちの保証が出なくなってしまうのではという危惧も耳にします。そのためにも早く経済を再開させようという動きです」。

見切り発車とも思えるそれは、後世や市民、街を守るためなのか、その真意は定かではありません。政府のルールもあるため、一概に正解と位置付けられませんが、これが法律でないということも厄介です。

「実際にお店を再開させたとしても、そのルールをどれだけの人が守るのかもわかりません。誰かが取り締まるのかといっても、それもまた難しいのではないでしょうか。もちろん事態の収束が最優先ですが、”MAISON"も早く開けたい気持ちはあります」。

人類初の難のため、正解を導くのもまた難。

しかし、何があっても、パリがパリたる所以のエスプリは宿ります。それは忘れもしない2019年の事件にもありました。「ノートルダム大聖堂」の大火です。

この時も周囲の動きが早かったことは記憶に新しいです。その好例として、「LVMH」は多額な寄付をした企業のひとつです。さらに同企業は現代アートをフランス国内外において推奨・振興することを目的とした「ルイ・ヴィトン ファウンデーション」も2014年に開館し、芸術活動にも力を注いでいます。そのほか、社会貢献に向けた活動も精力的に行ない、今回も約4,000枚のマスクと香水工場を稼働させて製造した消毒用アルコールジェルをフランス保険当局へ供給しています。

芸術、建築、ファッション、デザイン、そしてレストランなど、それぞれが文化的価値として同様に肩を並べていることは、パリが持つ最大の特徴かもしれません。

今回もパリはパリのやり方で街を守り、きっとこの難を乗り越えるのではないでしょうか。

 

パリはレストランが一番の宝だと思っている。「MAISON」は、その一部になりたい。

これは渥美シェフの言葉です。

「この街で僕は外人ですが、心からパリを愛しています。そして、多くの日本人がパリで活動していますが、みんなパリに尽くしていると思います。だから僕はフランス料理にこだわりたいし、その一心でこれまでやってきました」。

ゆえに、自身初となるレストラン「MAISON」には、並並ならぬ想いが込められています。その価値とは何か?

「“MAISON”は、フランスでやっているフランス料理です。だから、お客様には、フランスの食材をどれだけ伝えられるかを大事にしたいと思っています。そして、理想は“温かい場所”でありたい。そして“ひとつのものを全員で共有できる場所”でありたい」。
その例として、デンマークのレストラン「noma」を挙げます。

「世界で一番好きなレストランかもしれません。人が作る空間が温かく、同じ時間をそこに集う全員が共有するような関係性がいつの間にか生まれている。正直、料理は僕の好みではありませんが、それを度外視するくらいレストランの魅力に引き込まれる」。
そんな「noma」を牽引するヘッドシェフ、レネ・レゼピですら、新型コロナウイルス後は「これからのレストランの在り方は全て変わる」と語っています。

そういう意味でも、時間という体験の総合芸術は、唯一無二の価値を生むかもしれません。しかし、料理や技術を習得するよりも時間を創造することは難儀です。

「レストランは料理だけでなく時間やサービス、空間やそこにあるヒストリー、そこで起こるストーリー全てに対価を払ってくれていると思っています。スタッフの笑顔や会話によって、流れている音楽や居合わせた隣のお客様全てがその時間を一緒に作ります。だからこそ僕は、お客様や僕を含めたスタッフ全員と“MAISON”で過ごす時間を分かち合いたい。そのためにもスタッフが思い切り楽しんで打ち込める環境作りをすることも僕の役目。その全てが結実した“MAISON”を楽しみに来てもらえたら嬉しいです」。

今後の「MAISON」はどうなっていくのか。
「まずは、今週の政府の発表を待ち、その中で自分たちに何ができるのか最善を考えたいです。やっぱりこのレストランを一番知っているのは自分なので、周りに流されずに“MAISON”にとって一番良いルールを見つけて再開に臨みたいと思います」。

開業の決意、閉める決意、再開の決意。
その都度、覚悟を持って臨んできたオーナーシェフ、渥美創太。

「MAISON」の再開を待ち望むファンは、世界中にいます。
それが訪れた時、より魅力に溢れた「MAISON」時間を体感できるはずです。

なぜなら、「そのための準備と備えをしている」から。

Photograph:Restaurant MAISON

 Photograph:Restaurant MAISON

1986年千葉県生まれ。19歳で渡仏し「メゾン・トロワグロ」、「ステラ・マリス」、「ラボラトワール・ドゥ・ジョエル・ロブション」などを経て、26歳で「ヴィヴァン・ターブル」シェフに就任。2014年、100年以上続く「クラウン・バー」のリニューアルに伴いオープニング・シェフを勤め、2015年、フランスで最も人気のあるレストランガイド「ル・フーディング」のベストビストロ賞を受賞。2019年、自身初となるオーナー・シェフを務めるレストラン「MAISON」を開業。また、「ONESTORY」が主催するレストランイベント「DINING OUT」には、過去2回(「DINING OUT ONOMICHI」、「DINING OUT ARITA」)出演。
http://sotaatsumi.wixsite.com/mysite-1

「なにもない場所だけど、僕の欲しかったすべてがある。」目指すは鳥取だからこそのイタリアン。[AL MARE/鳥取県岩美郡岩美町]

大学卒業後、長野県の水産会社に就職。勤務先であった築地で魚の買付などを担当していた飯田直史氏。料理の世界は30歳からという遅咲きの料理人。

アル マーレ3月取材の現場を、ようやく記事として出せるという現実。

今回ご紹介するレストランの取材は2020年3月某日のこと。今なお世界を震撼させている新型コロナウイルスが、日本ではまだそこまで逼迫した状況にないときでした。ですが、その後政府による緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出は控えることに。そういった中、各地の飲食店も自粛を余儀なくされ、外出を助長するレストランの紹介記事は、今は出すべきときではないと我々ONESTORYでは、記事掲載の時期を見合わせることにしました。

そして今回、約2ヶ月の時を経て取材をしたレストランの紹介をさせていただきます。それは、いつの日かまたこの場所を笑顔で訪れてほしいから。そして、今現在も、日々歯を食いしばり頑張っている飲食店が数多くあるから。
日本の各地でがんばる飲食店の皆様にエールを送ります。

のりきろう日本、つながろう日本。

3月某日の取材は快晴ながら風が強く、日本海の荒波が打ち寄せていた。

店の窓からは山陰海岸国立公園に指定される海の絶景が広がる。天気が良ければテラス席へ出ることも可能。

アル マーレ鳥取の海沿いで根を張る、イタリアンの新星がここに。

「作りたいものは溢れるほどあるんです。後は、いつかそんな料理を楽しみに訪れる人で店を埋めるのが目標です」
今回、お話を伺ったシェフの飯田直史氏はそう笑いました。

ONESTORYの読者であるならば、上記のコメントは「あれ?」と思うかもしれません。日本各地に眠る、愉しみを探し求め、伝え続けてきたONESTORY。中でもレストラン記事では、誰も人が来ないような僻地でも、その店を訪れるだけでも旅の目的となり得る、訪れるべきレストランをご紹介してきました。誤解を恐れずに言うならば、今回ご紹介する『AL MARE』は、そんな訪れるべきレストランに今後なりえる原石なのです。

その立地、食材、シェフの仕事と、どれをとってもこの場所でこそ、なし得る味。そのひとつひとつを体験すれば、きっとこう思うのです「また、違う季節に訪れたい」と。

場所は鳥取県岩美町の海岸線。JR山陰線東浜駅からならば徒歩3分と好立地ながら、山陰海岸国立公園に指定される辺り一帯は、自然以外はなにもないを地で行く場所なのです。店名『AL MARE』とは、イタリア語の海岸を意味する言葉。まさに目の前に広がる東浜の絶景こそが、醍醐味のオーシャンフロントレストランです。潮騒とともに移りゆく情景、寄せては返す波音に浸っていると、気がつけば驚くほど時間が経過している心地よい場所でもあります。

「夏は海水浴客も多く訪れる場所ですが、人が少なくなった秋が好き。さらには日本海の荒波を感じる冬もいい。春はまだ体験していないから、今後が楽しみで仕方ないんです」とシェフの飯田氏。

聞けば店のオープンは3年ほど前ながら、飯田氏がシェフに就任したのは9ヶ月前のことだったと言います。

「食材もまだ3シーズンのみの体験ですが、この地は本当に豊かな場所なんです」

目の前に広がる海の恩恵は、地元の漁師や市場の人々と仲良くすることで、今まで知らなかった魚介も果敢に挑戦でき、この地だからこその味を追求。ベースは本場仕込みのイタリアンながら、〆鯖をアレンジしたかと思えば、足の早いモサエビを鳥取の郷土グルメの牛骨スープでパスタに仕上げるなど、枠に囚われることなく自由奔放。さらには海の幸と同様、この地は海を背にすれば山の幸の宝庫でもあるのです。地元の野菜はもちろん、季節ごとに山菜やわさびなど、山の幸がとにかく豊富。それらを趣味でもある釣りを通し、地元の人に貪欲に溶け込むことで、驚くほどの吸収力で飯田氏は自らの料理に生かしてきたのです。

「料理人としてのスタートが30歳からでしたから。人と同じやり方では追いつけないですし、店もとにかく早く軌道に乗せたいと思いまして」

料理人としての人生も型破りならば、鳥取の食材はおろか目の前に広がる海と山の幸を中心に構成するコースも型破り。それが違和感なくイタリア料理に落とし込めているのが、飯田氏がこの地で目指すイタリア料理の形なのです。

境港で水揚げされた鯖を白ワインビネガーを使い〆鯖に。きよみオレンジ、ハマダイコンの花などでサラダ仕立てに。

お隣・浜坂漁港で水揚げのホタルイカを温かいサラダに。山菜とルッコラのペーストとボッタルガで味付け。

活きモサエビと殻で取ったビスクで作ったパスタ。牛骨のスープで旨味をプラス。

鰆のソテーとバターソース。裏山で採れたふきのとうのほろ苦さがアクセントに。

アル マーレ夢ではなく目標。人のいない場所にゲストを呼ぶ店を目指す。

「イタリアは、日本に似ていました。僕が修業したピエモンテとシチリアでは、料理はまったく別物ですし、師でもある徳吉洋二さんと出会ったミラノもまた、独自性が光っていた。南北に長いところも類似性がありますよね。その土地その土地の良さを活かすのがイタリア料理ならば、鳥取には鳥取のイタリアンがあるはずと思っています」

飯田氏が師と仰ぎ、鳥取を郷土に持つ徳吉洋二氏。実はこの『AL MARE』は、徳吉氏が監修を務めることでも話題であり、徳吉氏がミラノで一ツ星を獲得する『Ristorante TOKUYOSHI』で氏の右腕として活躍したのが実は飯田氏なのです。イタリアの名店『オステリア・フランチェスカーナ』でスーシェフを務め、同店のミシュラン三ツ星獲得に大きく貢献。さらに自らの店『Ristorante TOKUYOSHI』もオープンわずか10ヶ月で星を獲得したスターシェフの徳吉氏。そんな日本を代表するシェフが、地元・鳥取の何もない場所に作ったのが海沿いの『AL MARE』なのです。

イタリア時代からの腹心・飯田氏をシェフに据え、地元の食材で魅せるイタリアン。季節季節で変わりゆく、景色、食材、そして飯田氏の感性。どうですか? 一度訪れたならば、「また、違う季節に訪れたい」。そう思わせる、可能性に満ちた一軒が、周囲になにもない『AL MARE』という訳なのです。

豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス瑞風」が立ち寄る、美しい海辺のレストランとしても話題に。

釣りの話となるとすぐに笑顔になる釣りキチでもある飯田氏。海が目前のこの場所は氏の理想郷なのかもしれない。

住所:鳥取県岩美郡岩美町大字陸上34  MAP
電話:0857-73-5055
https://www.al-mare.jp/

(supported by 鳥取県)

“醸造”から“創造”の場へ。過去と現在と未来、ローカルとグローバルが交錯する。[弘前れんが倉庫美術館/青森県弘前市]

上空から見たシードル・ゴールドの屋根。ⒸAtelier Tsuyoshi Tane Architects

弘前れんが倉庫美術館およそ100年の時を経て美術館に生まれ変わった弘前の歴史的建造物。

来る6月1日(月)、青森県弘前市としては初となる公立美術館がプレオープンします。その名も『弘前れんが倉庫美術館』。舞台となるのは、日本で初めてシードルが大々的に生産された場所としても知られる酒造工場。弘前市を象徴する、煉瓦造りの歴史的建造物が、およそ100年の時を経て、“醸造”から“創造”の場へと生まれ変わります。
醸造場だった煉瓦造りの建物は、貯蔵室や搾汁室、濾過室、瓶詰室として使われていた場所が、5つの展示室やスタジオ、ライブラリー、市民ギャラリーなどに。これらの建築設計を担当したのが、考古学的な(Archaeological)考察を重ね、場所の記憶を掘り起こし、さらには未来をつくる建築「Archaeology of the Future」を追求する建築家・田根剛氏です。その哲学は、まさに『弘前れんが倉庫美術館』の根幹と共鳴するものといってもいいでしょう。
そもそもミュージアム(美術館)の語源は、古代ギリシャ神話に登場する「記憶の女神」の娘である「学問・芸術の女神」たちの神殿の名に由来しています。つまり、記憶と芸術は不可分。美術館を過去、現在、未来をつなげる「記憶」をめぐる装置とも捉えられるでしょう。

吉野町煉瓦倉庫 外観。©Naoya Hatakeyama

吉野町煉瓦倉庫の改修風景、2017 年。©Naoya Hatakeyama

煉瓦壁を内外無傷で保存する設計によって、『弘前れんが倉庫美術館』へと新しく生まれ変わった建物。

弘前れんが倉庫美術館場所と建物の「記憶」に焦点をあて、8名のアーティストの作品を展示。

それを物語るように、開館を記念する春夏プログラムも「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」と命名。場所と建物の「記憶」に焦点をあて、煉瓦倉庫や弘前の歴史に新たな息吹を浮きこむ8名のアーティストによる、新作を中心とした作品を展示します。
たとえば、畠山直哉氏や藤井光氏は、煉瓦倉庫の改修過程を記録した写真作品や映像作品を展示し、笹本晃氏は、煉瓦倉庫の建材や資材を取り入れたインスタレーション作品を発表。海外アーティストでは、中国の尹秀珍(イン・シウジェン)氏が弘前市民より譲り受けた古着を使い、弘前の街をモチーフにした立体作品を、フランスのジャン=ミシェル・オトニエル氏がりんごにインスピレーションを受けたガラス彫刻とドローイングなどを展示します。そのほか、地域に広く愛されてきた、弘前出身のアーティスト奈良美智氏による《A to Z Memorial Dog》もおよそ2年ぶりに再展示。
過去と現在と未来、ローカルとグローバル、作り手と地域の人々と鑑賞者が交錯する地域の創造的な魅力を再発見できる施設として、『弘前れんが倉庫美術館』は弘前の新たなる象徴となっていくことでしょう。

尹秀珍 《Weapon》 2003-2007 年 ©Yin Xiuzhen, courtesy of Beijing Commune and the artist

笹本晃 《random memo random》2016 年 ©Aki Sasamoto, courtesy of Take Ninagawa, Tokyo

住所:青森県弘前市吉野町2-1 MAP
観覧料:
「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」
一般 1,300円(1,200円)、大学生・専門学校生 1,000円(900円)
https://www.hirosaki-moca.jp/

■期間1. 弘前市民対象(事前予約制)
開館期間:6/1(月)~ 6/15(月)※休館日 6/4(木)、6/9(火)
開館時間:9:00~17:00※入館は、9:30~16:00の30分ごと
予約期間:5/23(土) ~6/14(日)※初日は9:00より受付開始
電話:0172-32-8950(9:00~16:30 ※6/4・6/9を除く)
定員:30分ごとに20名まで※先着順

■期間2. 青森県民対象(事前予約制)
開館期間:6/17(水)~終了未定※毎週火曜日休館(祝日の場合は翌日に振替)
開館時間:9:00~17:00※入館は、9:30~16:00の30分ごと
予約期間:来館希望日の14日前の9:00より予約可能
電話:0172-32-8950(9:00~16:30 ※休館日を除く)
定員:30分ごとに20名まで※先着順
※予約はHPからも申し込み可能

営業に関してお知らせです★

 

 

 

 

いつも倉敷デニムストリートをご利用いただきありがとうございますガーベラ

 


 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、
当店では、臨時休業を行っておりましたが

 

5/23(土)から

デニム雑貨館・テイクアウト・レディース館・メンズ館・キャラ工房

営業再開致しますキラキラ

 

 

徐々に普段の賑やかな美観地区に戻りますようにニコニコ音譜

 

 

 

 

マスクもドドンと入荷しております!!

 

 【緊急値下げ】

50枚入り ¥2,480+税 で販売しております!!

数に限りがございますのでお早めにアセアセ

 

 

皆様のお越しをスタッフ一同心よりお待ちしておりますお願い音符

 

 

 

 

7.5oz ヘビーボディ プリントTシャツ(バイクロゴ柄:2020 New Color)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • バックプリント&フロントワンポイントプリント
  • プリントはラバープリント
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2001: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

歩みは止めない。創作し続けることで伝統工芸と生きてゆく。

© NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

舘鼻則孝インタビュー花魁の高下駄から着想を得た作品は、世界のディーバを虜にした。

世界で活躍する日本の芸術家・舘鼻則孝氏。

一躍その名を轟かせたのは約10年前。音楽界の歌姫、レディー・ガガが舘鼻氏のヒールレスシューズを採用したことがきっかけでした。その着想の源は、花魁の高下駄から得た現代の日本の靴です。
「明治維新以降、開国した日本は西洋化という経済政策を選択し、日本独自の文化が置き去りになってしまったと思います。もともと私は日本の伝統的な染織技法を学んでいたのですが、江戸時代の前衛的なファッションとも言える花魁の装いに魅力を感じていました。ライフスタイルや服装が西洋化された現代において、日本独自の文化・ファッションとして、古来の日本文化の延長線上に、現代の日本文化として世界に発信できるようなものを生み出したかったのです」と話します。
 

その後、海外での活動はもちろん、近年では日本でも精力的に表現を行い、歴史ある建築物「旧山口萬吉邸」にて異例の開催をした「舘鼻則孝と香りの日本文化」や「ポーラ ミュージアム アネックス」にて開催された「It’s always the others who die」などは記憶に新しいです。
作品の特徴は、何と言っても日本の伝統文化や工芸と密接に関わっていることにあると思います。

各界に猛威を振るう新型コロナウイルスは、舘鼻氏やその手法の主となる伝統工芸の類にどのような影響を及ぼしたのか。

2018年に九段下の旧山口萬吉邸で開催された個展「舘鼻則孝と香りの日本文化」 © NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

2019年にPOLA MUSEUM ANNEXで開催された個展「It’s always the others who die」 © NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

舘鼻則孝インタビュー日本の伝統工芸の雑貨化を危惧している。品格を取り戻したい。

舘鼻氏は、自らの芸術表現において、「あえて伝統工芸という手法の選択したわけではありません。それはごく自然に、私にとっては至極真っ当な道筋だった」と話します。

出身は日本芸術の登竜門「東京藝術大学」であり、専攻は美術学部工芸科染織。前出のヒールレスシューズも卒業制作として発表したものです。その時の経験が今の礎を築いています。
「在学中には、課題を通して過去の伝統文化を模倣するようなかたちで技法研究をしていましたが、日本文化を見直し現代に再構築することで生まれた“ヒールレスシューズ”は、私の作家活動の出発点になりました。ファッションデザイナーという職業を目指していた私が、作家(美術家)という生き方を選択した瞬間でもあります」。
舘鼻氏の目指していたものづくりには、常に新しくアヴァンギャルドな要素が必要だったのです。

「自分の手を使い専門的に学んだ工芸技法は染織技法のみでしたが、現在では様々な伝統工芸技法を用いて作品を制作しています。そのような制作の工程では私が手を動かすのではなく、日本各地の伝統工芸士と呼ばれる技術保持者の方々に協力を仰ぎ作品化しています」。
つまり、舘鼻氏の芸術は、ひとりの作品ではなく、チームの作品でもあるのです。
「私はひとりの芸術家として、美術家として、チームで活動をしています。自らの手でものづくりをする作家であろうと、ひとりでは完結する仕事はありません。常にチームで前進することが大切だと考えます」。

そのチームは、プロジェクトごとによって様々です。
「作品に対してどのような技法や素材を用いるかということに対しては、極力制約を設けないようにしています。その作品の主題を表現すべく最も有用な選択肢を都度選んでいるつもりです。伝統工芸技法を用いていることに関しては、昨今における“日本の伝統工芸の雑貨化を危惧し、品格を取り戻したい”という思いもあるためです。自ら実践することがお互いに最も触発されるイベントだと思っています。実際に用いている技法は、漆芸や金工、螺鈿細工などの加飾技法まで様々ですが、富山や石川などの北陸地方が多いと感じています。加賀藩のもとで栄えた工芸文化が今まで育まれてきたことの証かもしれません」。

Heel-less Shoes, 2018 © NORITAKA TATEHANA K.K. Courtesy of KOSAKU KANECHIKA

石川県輪島市で制作した蒔絵細工の施された香炉。個展「舘鼻則孝と香りの日本文化」で初公開された。源氏香図蒔絵香炉, 2018  ©️NORITAKA TATEHANA K.K. Courtesy of KOSAKU KANECHIKA  Photograph:GION

富山県高岡市で制作した花魁の簪をモチーフとした彫刻作品。片仮名の意匠が螺鈿細工で施されている。Hairpin Series, 2014  © NORITAKA TATEHANA K.K. Courtesy of KOSAKU KANECHIKA  Photograph:GION

舘鼻則孝インタビュー日本から見る伝統工芸と世界から見る日本の伝統工芸の違いと在り方を考える。

伝統工芸とは、日本の文化のひとつであり、古きより代々受け継がれてきた技法によって手作業から生まれてきた品の総称になります。その内容は下記になります。

・主として日常生活の用に供されるもの
・その製造過程の主要部分が手工業的
・伝統的な技術又は技法により製造されるもの
・伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるもの
・一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの

項目は全5つ。
その全て満たし、伝統的工芸品産業の振興に関する法律(昭和49年法律第57号、以下「伝産法」という)に基づく経済産業大臣の指定を受けたもののみ認められています。(経済産業省HPより参照) 

現在、その産業を行う企業は2,000社以上、数にして1,000品以上あると言われており、そのうち国が認定したものは、235品(経産省による2019年11月20日時点)。もちろん、地域と種類は多岐に渡ります。
なぜここで数字にズレが生じるかは、産地から申請されないものは対象外になってしまうため、上記の条件を満たしていても指定されない工芸品も存在しているからです。

「日本の文化はとてもハイコンテクストなコミュニケーションによるものが多いと感じています。外から見た時には、そのようなスタイルがミステリアスに感じる要素なのかもしれない。島国であり大陸からの文化流入の終着地点とも捉えられるので、大陸からの潮流はあるものの非常に独特な育まれ方をしたものも多いと感じています。仏教文化なども大陸の隣国と比べて独特な要素が多いのも特徴のひとつかもしれません」と舘鼻氏は話します。

世界にも目を向けてみます。

その国や品は数あれど、一例として、数百万円するものを数年待ってまでも手に入れたいという需要があります。これは、価値としてのクラス感や国や周囲に認知されている最たる例といっていいでしょう。
そして、先述の「日本の伝統工芸の雑貨化を危惧し、品格を取り戻したい」という言葉にもつながるかもしれません。舘鼻氏の活動は、自身の創作はもちろん、そこに伝統工芸という手法を取り入れることで産業の価値化も含んでいるのです。

では、産業や企業、職人らが単体で何かできることはあるのか? 舘鼻氏は、そのヒントを、ある日本の伝統的な企業の代表の言葉に見たと言います。

その人物とは、創業500年以上の老舗和菓子店「虎屋」黒川光博氏です。

埼玉県の塗装工房で仕上げられた溜塗(ためぬり)と呼ばれる漆芸技法で制作された彫刻作品。Woodcuts, 2018  © NORITAKA TATEHANA K.K. Courtesy of KOSAKU KANECHIKA  Photograph:GION

舘鼻則孝インタビュー
無理に延命して”残す”ことが正解だとは思っていない。

一見、冷酷な文脈にも見えるかもしれませんが、舘鼻氏が考察するこの言葉の裏には様々な解が潜んでいます。
「個人的には、無理に延命して”残す”ことが正解だとは思ってはいません。現代に合ったかたちで育まれているかどうかということが最も重要な在り方であり、昔のものを今に復刻することでは前進しているとは言い難い現実があるためです。歴史ある伝統をどう捉えるかということに関しては、“虎屋”の黒川光博社長が十数年前に提言されていた“伝統は革新の積み重ね”という言葉があります。正に“虎屋”の500年以上の歴史を体現していると感銘を受けましたが、黒川社長が昨今おっしゃっている“革新ではなく必然が必要だ”という言葉には目から鱗が落ちました。現代のお客様にどのように楽しんでいただくか、とにかく今の時代を生きる人に寄り添うことができるかどうかということが重要だと感じています。そのような観点では、ある意味で過ぎ去ってしまった日本文化や伝統工芸を今の時代に新しいものとして提案することもできると考えています。むしろ、日本人も新鮮に感じるほどに日本文化との距離は開いてしまっているのかもしれません。“文化”という言葉の響きからも過去のものしか連想されることがないように感じますが、現代に過去の日本文化を投影した時に新しい道筋が見えてくると思っています」。

これは伝統工芸に限った話ではありません。

まさに今がその狭間であり、新型コロナウイルス前と後では世界は一変するでしょう。日常への向き合い方はもちろん、消費に対する思考や働き方、何が必要で何が不必要か、価値観や道徳心、さらには人生まで変わってしまうかもしれません。

それでも人は生きていかねばならぬ、時代に呼応することが必要なのです。
 

展覧会の開催は断念したが、命に変わるものはない。

実は、3月上旬に大規模展覧会を予定していた舘鼻氏。
「東京都主催の“江戸東京リシンク展”の展覧会ディレクターを務めていたので、様々な準備を多数のメンバーと進めていました。東京の伝統産業事業者と私のコラボレーション作品を中心に構成された展覧会で、江戸東京の伝統産業の過去から未来までを往来するような内容を企画していました。主催者である東京都とも協議の上、感染拡大防止の観点から展覧会は直前のタイミングで中止とすることにしました」。

この展覧会では、きっと伝統工芸の新たな可能性とその表現力を体感できたでしょう。しかし、人の命に変わるものはありません。
「期待してくださっていたお客様や発表を待ち望んでいた事業者の方々はもちろんのこと、我々も協力企業の方々とも肩を落とすことになりましたが、健やかな世の中で未来をみつめて開催するからこそ意義のあることだと思っていましたので、無理に決行しなかったのは正解だったと今は思っています。また、今後のスケジュールで開催を検討したいと東京都とも話し合いを進めています」。

チームでの制作風景。各自の専門技術を生かして舘鼻をアシストする。© NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

作品の設置作業も素材や技法を熟知した制作担当の専任チームが行う。© NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

舘鼻則孝インタビュー創作活動を継続することで雇用を継続することも自分の役目。

舘鼻氏が活動のベースとしている現代アートの世界は、マーケットを主導とした大きな経済の渦にあります。
「伝統工芸に限らず、芸術界もコロナ禍の影響は甚大です。かつて、ファッション業界がそうであったように、アート業界はまだまだオンラインでの取引は主流ではありません。特に作品を鑑賞するという目線で考えてみれば容易に想像できることかと思いますが、質量をともなったビジネスから抜け出すことは容易ではないでしょう。ただ、今回の騒動をきっかけにオンライン上でも様々な動きが加速しています。自分のことで置き換えても、卒業制作で発表した“ヒールレスシューズ”をメールでアプローチし、レディー・ガガの専属シューメイカーになったという話は、10年前のその当時、ひどく驚かれるような事柄でした。それはEメールという手段についての話です。今やYouTuberのように独自メディアを持つことも当たり前の世の中になり、クリエイターの成功体験も十数年で大きく変わったのではないでしょうか。アートの世界でも作家自らが発信をし、ギャラリーなどのアートディーラーの在り方も大きく変わってくるかもしれません」。

表現の根本は普遍ですが、確かに届け方や伝え方はここ十数年でめまぐるしい変化をしています。
「私はひとりの美術家として、チームで活動をしています。私が代表を務める会社のスタッフとともにテレワークにおけるクリエーションのあり方を模索しています。在宅勤務中の離れた各自の部屋からでも繋がりを持ち、コミュニケーションを醸成し、創作活動を絶やすことなく前進しています。まだ詳細はお話しできませんが、実際に在宅勤務を開始した4月上旬から約1ヶ月で100点以上の作品を完成させました。当然のことですが、会社組織の代表である私の立場であれば、創作活動を継続させることが内外の雇用を継続させることにもなり、生み出された作品をお客様のもとへ届けることが私たちの仕事です。私のように自分の手でものづくりをする作家であろうとひとりで完結する仕事はありません。常にチームで前進することが、芸術の世界でもこれからの在り方だと感じています。アーティストや伝統工芸のような才能を支える専任スタッフもまた、プロフェッショナル。全ての関係が結実しなければ、どの界も大成を得ることはできないと思っています」。

絵画やヒールレスシューズ などの作品は、舘鼻のアトリエの手仕事で全工程が行われている。© NORITAKA TATEHANA K.K. Photograph: GION

1985年、東京都生まれ。東京藝術大学美術学部工芸科染織専攻卒。卒業制作として発表したヒールレスシューズは、花魁の高下駄から着想を得た作品として、レディー・ガガが愛用していることでも知られている。現在は現代美術家として、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも精力的に取り組んでいる。作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館などに永久収蔵されている。
http://www.noritakatatehana.com

ワールド バリスタ チャンピオン・井崎英典のクラウドカフェ「#BrewHome」誕生!

#ブリューホームコーヒーを通して、みんなで語ろう。みんなでつながろう。

ワールド バリスタ チャンピオンの井崎英典氏が中心となって手掛けるクラウドカフェ「#BrewHome」が誕生しました。

新型コロナウイルスの被害拡大を防ぐために緊急事態宣言が発令された2020年4月7日、あるSNS上では「疲」、「鬱」、「ストレス」といったネガティブワードが通常の3倍もアップされたそうです。
自宅待機やリモートワーク、先行きが見えない経済……。一変してしまった生活による精神的ダメージは想像以上に大きく、その影響を受けた人も少なくありません。

「#BrewHome」は、それらによって引き起こされる様々な不安や孤独を感じる人たちの支えとして、幸せなひと時を参加者と共に過ごすクラウドカフェであり、コーヒーでつながるソーシャルプロジェクトです。

その時間は、まるで皆とひとつのテーブルを囲むようです。

コーヒーに含まれる香りやカフェインは、高いリラックス効果があると言われ、ストレスなどの軽減や心身を安定させる飲み物として再び評価が高まっています。

同プロジェクトは、毎日13時30分から14時までの30分間、「ZOOM」上で井崎氏がファシリテーターとなり、時にゲストを招いて開催。

世界中から集まった参加者と共に、コーヒーを片手に読みたい本、おすすめのコーヒーカップ、著名バリスタのおうちコーヒーなど、様々な話題をテーマにお楽しみ頂けます。

#ブリューホーム僕はコーヒーを通して何ができるのか。それが「#BrewHome」だった。

「自粛から緊急事態宣言を受け、コーヒーを通して今何をすべきか自問自答し、私が運営するチームでも議論を重ねました」と井崎氏は話します。

実は、予定していた新規事業のローンチも控えていたそうですが、それを延期し、本企画を優先してスタートしたそうです。

「周知の通り、世界中の方々が新型コロナウイルスによって甚大な被害と精神的苦痛を体感していると思います。そんな中、僕が信じるコーヒーを通して何か役に立てることもあるはずだと思い、“#BrewHome”を立ち上げました。私たちの仕事は一貫して“人とコーヒーの素敵な出会いをプロデュースすること”です。そしてコーヒーが創り出す“ ホッ”とする感情の連鎖をつなぐことで、多くの人に安らぎや幸せを届けたいと願う“Brew Peace”という理念のもと活動しています」。
 
5月14日、一部の地域では緊急事態宣言が解除されたとはいえ、不安が払拭されたわけではありません。

「ほんのひと時……。オンライン上のカフェ“#BrewHome”にて、安らぎや癒しをご提供できればと思っています。ぜひご来店のほど、お待ちしております」。

1990年生まれ。高校中退後、父が経営するコーヒー屋「ハニー珈琲」 を手伝いながらバリスタに。法政大学国際文化学部への入学を機に、(株)丸山珈琲に入社。2012年、史上最年少で「ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ」にて優勝し、2連覇を成し遂げた後、2014年の「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」にてアジア人初の世界チャンピオンとなり、以後独立。現在は年間200日以上を海外で過ごしつつ、コーヒーコンサルタントとしてグローバルに活動。ヨーロッパやアジアを中心に、コーヒー関連機器の研究開発、小規模店から大手チェーンまで幅広く商品開発や人材育成を行う。日本マクドナルドの「プレミアムローストコーヒー」、「プレミアムローストアイス コーヒー」、「新生ラテ」の監修、中国最大のコーヒーチェーン「luckin coffee」の商品開発や品質管理なども担当。NHK「逆転人生」ほか、テレビ・雑誌・WEBなどメディア出演多数。

・おうちで淹れたコーヒーやテイクアウト、デリバリー、インスタントのコーヒーでも、みなさん思い思いのコーヒーを準備する。
ZOOMに入れるように、PC、スマートフォン、タブレットなどを用意する。
・13:30〜14:00の間に「#BrewHome」オフィシャルサイトから「参加する」ボタンをクリックする。
会話に参加するも良し、ビデオは停止して音声だけをラジオのように聞き流すのも良し、のんびりと自由にご参加ください。

期間:2020年4月10日より毎日13:30〜14:00(30分)
http://brewhome.qahwa.co.jp/
発起人:第15代ワールド バリスタ チャンピオン井崎英典(QAHWA)
企画・クリエイティブディレクター・コピーライター:川嵜鋼平
オペレーションマネージャー・ファシリテーター:広田 聡 a.k.a“サミー” (QAHWA)
プロデューサー:ソ・ヨンボン(PEAK)
アートディレクター:橘 友希(Shed)

僕は僕なりに本気で向き合いたかった。イタリアで奮闘する徳吉洋二シェフの今。

Ristorante TOKUYOSHI/徳吉洋二インタビュー

見えない敵との邂逅。徳吉洋二シェフの数ヵ月を振り返る。

周知のとおり、新型コロナウイルスは日本だけの問題ではなく、世界的に猛威を振るっています。中でもイタリアは死者が3万人を超え、その数は世界3位であり、EU加盟国では最多。(2020年5月20日現在)

イタリアの中心地、ミラノを拠点にする「Ristorante TOKUYOSHI」の徳吉洋二シェフは、現在、医療従事者に食事を提供する活動を行っています。
徳吉シェフは、2度、「DINING OUT」参加を果たしている『ONESTORY』にとってはゆかりのある人物です。2017年の北海道ニセコ、そして、2018年の地元・鳥取県八頭町での開催がそれでした。

そんな徳吉シェフの日常が非日常に変わったのは、忘れもしない2020年2月24日からでした。
「その日を境にキャンセルの電話が鳴り止みませんでした。その数は250名以上はあったと思います。この時期のイタリアは、まだ自粛要請だけだったのですが、ここまで大きな問題になると、やはり脳裏に浮かぶのは“もし感染者を出してしまったら”ということでした。お客様を第一に考え、お店を閉めようかと思った矢先、3月9日にロックダウンになりました」。
約2週間の怒涛を徳吉シェフはこのように振り返ります。「Ristorante TOKUYOSHI」は改装したばかりであり、さあこれからという矢先のことでした。

「のちに休業補償の制度が決まりましたが、それまでは不安でした。スタッフの生活を守らないといけませんし、家賃やその他諸々、営業しなければ回していけないのが正直な現状。改装したばかりで体力的にもちょうど弱い時期だったので、悩みに悩みました」。
とはいえ、その保証金がすぐに納付されるわけではありません。「再び銀行に借り入れもしましたし、各所に交渉もしました」。
現在、イタリアの保証内容は、給与80%、家賃も対象予定ではありますが、いまだ決定にはいたっていません。

本気で活動する人がいるのに家でじっとしていられなかった。

ロックダウン後、約1ヵ月は自宅で過ごしていた徳吉シェフ。
「こんなに自宅で家族と過ごすのは初めてかもしれません。映画を見たり、一緒に食事を作ったり……。ある意味ゆっくりできたのかもしれません。しかし、テレビでは医療従事者を鼓舞する活動や医療崩壊のニュースが目まぐるしく報道され、医者や看護師は、本気でそれと戦っていました。僕は僕にできることで本気になりたい、そんな思いが芽生え始めました」。

その後、制限付きの外出許可が下りると、徳吉シェフは動き出します。4月15日のことでした。
「医療従事者の方に食事を提供する活動を始めました。本気で活動する人を見た時、僕も本気になりたい、僕の本気を届けたい、そう思ったのです。実は、社会貢献が目的ではありませんでした。ただ、本気の人を本気で支援したかった、僕なりの本気で応えたかっただけなんです」。
とはいえ、前出のとおり、資金はギリギリ。それでも食材は自らの持ち出しで始め、最初は4人からプロジェクトをスタート。続けることによって、その活動は少しずつ認知されるようになり、現在では食材提供を支援してくれる生産者も出てきたそうです。

実は医療従事者の方々に食事を提供するという活動は、イタリアでは非常に難しいそうです。感染拡大を受ける同国の病院は、外からの介入を徹底的に拒むためです。現状、おそらくミラノでは徳吉シェフ以外、このような活動をしている人物はいないのではないでしょうか。しかし、今回、なぜそれを成すことができたのか? それは、「レストランと病院に信頼関係があったからでした」。

更には、「Ristorante TOKUYOSHI」の弁護士による病院との交渉や社労士、税理士などの助けもあったといいます。
「今、食事を届けている病院は、僕のお店から徒歩10分くらいのところ。実はそこの院長様が顧客で、“徳吉さんなら”とおっしゃってくれて。とはいえ、実現するまでにはそれなりのプロセスが必要で、それを周囲が助けてくれました。現在は、4名のスタッフから8名になり、毎日1日60食提供し続けています。全員“Ristorante TOKUYOSHI”のメンバーです」。

そして、こんな時期ではありますが、さすが人生を謳歌するイタリア! ただ食事を提供するだけではありません。「KEEP(╹◡╹)」とメッセージを添えるのはもちろん、患者の気持ちを少しでも和らげるように病室に飾れる花や医療従事者の方が合間に飲めるコーヒーもセットで届けているのです。
「妻がフラワーデザイナーなので、花は彼女にお願いしています。コーヒーは何度も試作を重ね、ブレンドにこだわったオリジナル。満たしたいのはお腹だけではありません。ほんの一瞬かもしれませんが、心も豊かにしたいと思っています」。

食事も本気、遊び心も本気。それが徳吉スタイル。
「この活動は、レストラン再開後も新型コロナウイルスの問題が収束するまで続けたいと思っています」。

全てが想定外。しかし、アクションを起こしたからこそ発見もあった。

とにかく前例がない今回の問題。情報過多の時代も手伝い、何をどう判断し、どんな行動や活動をするのかが今後を左右するといっても過言ではありません。

「今回、医療従事者の方々に食事を提供する活動を行うことによって、これまでになかった思想も湧いてきています」と徳吉シェフは話します。その具体は、レストランにこだわらない「TOKUYOSHI」の食体験です。

「僕はずっとレストランにこだわってきました。でも、今回のように医療従事者の方々に食事を提供させていただくことによって、こういう体験もありだと思ったのです」。
こういう体験とは、「デリバリー」や「お弁当」といういたってシンプルな手法です。しかし、この両者はイタリアではポピュラーではないそうです。

「新型コロナウイルスは、きっと一時的に収束しても第2波、第3波は必ずやってくると思います。それに、この先同じような事態が起きた時にレストランだけで勝負するのではなく、他の選択肢も必要だと思いました。今はそのお弁当の内容も構想中です。レストラン以外で“TOKUYOSHI”体験ができるような鴨とフォアグラや牛のタルタルなど、色々、試行錯誤しています。
一方、全てイタリア食材だけで作る焼き鳥や鰻も考えています。ナチュラルワインを一緒にするのも現地では需要がありそうな気がしています。それと……」と、そのアイデアは溢れ出てきます。たかが弁当、されど弁当。たかがデリバリー、されどデリバリー。「高い安いではなく、届けたいのは価値。そこはレストランと変わりません」。

そして、「不謹慎かもしれませんが、この活動をしていなければ、僕の進歩はなかったと思います」と言葉を続けます。
苦境の時こそ、歩むべき道の正確さが必要とされます。それは、シェフとしても、経営者としても、社会の一員としても。
「経営的には苦しいですが、将来のスキルになればそれでいい。時にプライドを捨て、リスクを恐れず新たな挑戦をすることや環境に順応する能力も必要。今の努力は、きっと将来返ってくると信じています」。
 
そんな「Ristorante TOKUYOSHI」は、5月22日より「BENTOTECA MILANO」と題して期間限定でテイクアウトメニューの提供をスタート。うどん、唐揚げ、お弁当などの日本食とナチュラルワインを供する新業態です

自粛、ロックダウン。営業するか閉めるか。何が正解で何が不正解か。

2020年6月1日、イタリアではレストランの営業再開が決まっています。
しかし、「営業再開するところは少ないと思います」と徳吉シェフは言います。
現状、再開をするにあたり、ゲスト同士の間隔は1m、テーブル同士の間隔は2mなど、いくつかの規則が定められています。
「小さなお店なら、ほとんどお客様をお迎えすることができませんので、すぐには再開しないと思います。厳密には、再開できないと思います」。

ご存知の方も多いとは思いますが、徳吉シェフは東京にもレストラン「アルテレーゴ」を構えます。イタリアとは異なる日本の制度には、どのように対応しているのでしょうか。
「すごく難しい問題です……」と前置きし、「自粛要請であれば、営業します」と徳吉シェフ。
「まず、語弊を恐れずに言えば、僕は自粛には賛成でロックダウンには反対です。もちろん補償の問題もありますが、たとえ数ヵ月とはいえ、経済をストップさせるということは格差社会が生まれてしまうと思うからです。解除されたとしても、消費に対する考えはまるで変わってしまうだろうし、経済を動かしながら感染を防ぐという意味では、イタリアよりも日本の方が良いと思います。制度に関しての再考は必要ですが、平和だった日本の国民性であれば、ロックダウンという現象にパニックになったかもしれませんし、その後、経済回復には数年を有する可能性もあったのではないでしょうか」と自論を話します。

「イタリアでは、ミラノとローマにレストラン協会があり、今後、協会と国が定めたレストラン営業に関する法律が定められることになっています。“アルテレーゴ”では、その内容を参考に、レストランマニュアルを設け、スタッフには歩いて通えるように一人暮らしもしてもらいました。当然、その分、資金はかかりますが、国が守ってくれないならば、僕が彼らを守るしかありませんから。それでも、危険を回避できているかというとそうではないのも理解しています。無症状感染者がいるくらいなので」。

今、世界中に「安全」はありません。しかし、レストランを開ける以上、ゲストへ「安心」を提供するという意味では真摯的な策のひとつかもしれません。もちろん、危険を回避できないのはレストランだけではありません。スーパーやコンビニ、電車など、人が集まる場所の全てが例外ではないでしょう。それに関して徳吉シェフは、「そこと比べても一般的には受け入れてもらえません」と冷静に話します。
「例えば、電車でクラスターが発生した事例とレストランでクラスターが発生した事例があったとします。どちらが非難されるかはいうまでもありません。中には、あっちがいいのにこっちがダメなのはなぜ?などと発言する方もいますが、他所と比べることなどできないのだと思います。必要なのは、場所に応じた適切なガイドラインではないでしょうか。飲食業ではこの決まったマスクと手袋をして、平米数に対してゲストは何人で間隔は○○mで……。そのオフィシャルが日本にはないので、先ほどのとおり“アルテレーゴ”では独自で作りましたが、理想は僕らなりのマニュアルを作るのではなく、専門家を交えた業界のマニュアルがあるのが理想。例えば、そんなマニュアルを作りたいという協会が発足され、だから、その制度のためにかかる費用や活動にかかる資金を補償してほしいというのが僕の考える理想の補償です。感染を防ぐために自らお店を閉めた方もいると思いますが、その前にできる何かを僕は追求したい。自己主張ではなく、ちゃんと業界が協力し合って社会と交わることが今の日本のレストランには必要なのではないでしょうか」。

「Ristorante TOKUYOSHI」オーナーシェフ。鳥取県出身。2005年、イタリアの名店「オステリア・フランチェスカーナ」でスーシェフを務め、同店のミシュラン二ツ星、更には三ツ星獲得に大きく貢献し、NYで開催された「THE WORLD'S 50 BEST RESTAURANTS」では世界第1位を獲得。 2015年に独立し、ミラノで「Ristorante TOKUYOSHI」を開業。オープンからわずか10ヵ月で日本人初のイタリアのミシュラン一ツ星を獲得し、今、最も注目されているシェフのひとりである。
https://www.ristorantetokuyoshi.com/it/

店舗の営業に関して

いつも倉敷デニムストリートをご利用いただきありがとうございます。

 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、
当店では、臨時休業を決定いたしました。

 誠に勝手ながらデニムストリート、デニムキャラ工房の開店予定日は未定となっております。
 皆様にはご不便とご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解とご協力をよろしくお願い致します。

また開店日が決まり次第ブログにて報告をさしていただきます。




倉敷デニムストリート

7.5oz半袖Tシャツ ポケットTシャツ

ワンポイント刺繍入りのポケットTシャツ!

  • 新発売商品になります。
  • 着やすさと丈夫さを兼ね揃えた7.5ozオリジナルボディ(丸胴)
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • ポケット部分にWを施した大人顔の一枚。
  • ワンウォッシュ済み

IHTP-09: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 64.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 67.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 70.0 46.0 102.0 102.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 108.0 108.0 21.0 21.0
XL 75.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿 : 100%

7.5oz ヘビーボディ プリントTシャツ(プラグ柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • バックプリント&フロントワンポイントプリント
  • プリントはラバープリント
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2004: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディ プリントTシャツ(ピストン柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • バックプリント&フロントワンポイントプリント
  • プリントはラバープリント
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2003:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディ プリントTシャツ(FTW柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • バックプリント&フロントワンポイントプリント
  • プリントはラバープリント
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2002: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

布マスク入荷しました☆【レディース、メンズ館】

 

 

 

 

 

 

新型コロナウイルスの影響で マスクが不足しているため、

 みなさまの不安を少しでも解消できればとジービー製作所さんからマスク入荷しましたチューリップ黄

 

 立体マスク 大人用 子供用  税込990円

男女兼用 (約w18xH13.5cm)  綿100% .日本製 児島産

 

伸縮性のある紐は、結んで調節出来るようになっております!

 

 

 

生地や柄も様々ですコスモス

 

 

 

 

お子様用もございますクローバー

 

 

デニムストリートは4/29から開店しております馬流れ星

 

 

みなさま、マスク着用や手洗いうがいなどで予防し、お体ご自愛くださいませブーケ2

一日も早く不安無い日々を取り戻せますようにクローバー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラスと革。ふたつの素材が交わる時、夫婦ユニットならではの個性が生まれる。[ko-ma/鳥取県東泊郡湯梨浜町]

自宅兼アトリエがあるのは、鳥取県の保養地・はわい温泉の近郊。のんびりとした田舎時間がふたりを創作に没入させる。

コーマ自分が追い求める、革のカバンを作るため鳥取へ。

カバンを中心にした革職人の朝倉綱大氏と、オブジェやモビール(動く彫刻)を創作するガラス作家の柳原麻衣さん。夫婦ふたりの名前の頭文字をとったユニット名だから「ko-ma(コーマ)」。それが今回、ご紹介するユニークなおふたりです。多摩美術大学時代の同級生だったというふたり。活動の拠点は、鳥取県の中央に位置する湯梨浜町です。もともとは東京都と神奈川県の出身のおふたりは、なぜ鳥取に身を置き、創作活動を行うのか? そして、のどかな田園風景や日本海が広がるこの場所だからこそ生まれる作品についても伺いました。

まずは朝倉氏の創作の源について。
「現在のアトリエ兼住まいは僕の曽祖父の家なんです。4年ほど前に空き家になっていることを知り、安く借りられたことが移住の動機です。前の会社を退社するタイミングで、どこかないかなぁと考えていたんですよ」と朝倉氏。穏やかに話すその口ぶりと、のんびりと時が流れるこの場所、さらには後ほど紹介する独特な革製品が、妙にしっくりはまるように感じたのが第一印象でした。

革へのこだわりを伺えば、大学在学中に革という素材に興味を抱き、カバン職人を目指したのがその第一歩。ですが、思うように希望の就職が叶わず美大卒業後、渋谷にある専門学校『ヒコ・みづのジュエリーカレッジ』のカバンコースの門を叩きます。そこで一からカバン作りの基礎を学び、2年後、朝倉氏はカバンの町といわれる兵庫県豊岡市のカバンメーカーへの就職を果たすのです。

「念願叶い、やりたいことに近づいたのですが、自分の作りたいものとお客さまのニーズや会社の方針に温度差があり、すぐに煮詰まってしまったんです。これは作りたかったものじゃないって」。そう朝倉氏は過去を振り返ります。豊岡での生活は、社会と歩調を合わせつつまずは3年。その後、メーカー内に工房を立ち上げるプロジェクトのメンバーに選ばれ、大量生産ではできない少ロッドのカバンを作る部署に移動し約2年。徐々にやりたかったことを、自らの実力で手繰り寄せていったのです。
「やりたかったことに近づけば近づくほど、制約が多く、煮詰まってしまい……。やっぱり、縛られずに表現したいことがあるなって独立を決意したんです。そう、やりたいことを表現するために」

穏やかな口調とは裏腹に、創作への衝動は強く、欲求を抑えきれず動き出したのが30歳の目前。最初のお子様がまだ奥様のお腹の中にいる頃だったそうです。そうして見つかったのが、現在の鳥取という場所であり、この土地でオーダーメイドのカバン職人として、歩みをすすめることになるのです。

「でも、実は今は7:3の割合で、カバンは3割位。こっちに来て、作りたいもの、自分らしく表現できるものがようやく見えてきたんです」

そうなのです。現在、朝倉氏が精力的に創作に時間を費やしているのは、革を素材に使った人形やピン・ブローチ。そのモチーフがユニークで、日本遺産でもある鳥取の伝統芸能の麒麟獅子や森の精霊など。その妖しくもどこか可愛げのある、キャラクターは奥様である柳原さんの作風と、そして鳥取という場所があったからこそ生まれたのだと朝倉さんは教えてくれました。

父も姉も親戚も美大卒という美術一家に育った朝倉氏。なんと奥様の柳原さんも美術家系なのだそう。

鳥取市の柳屋さんで作られていた鳥取の郷土玩具のお面や獅子頭を革でピン・ブローチに。ほかにも精霊や動物などのシリーズがある。

鹿の精霊をモチーフにした人形。世界で伝承されている精霊も朝倉さんのモチーフに。

オーダーメイドのカバンはもちろん、最近では細かい手作業で生み出すピン・ブローチや人形の割合が増えてきた。

コーマガラスを素材に描き出すミクロの世界へ。

一方、奥様でありガラス作家の柳原麻衣さんは、幼少期を過ごした山形県新庄市の記憶が、創作の原風景にあるそうです。
「昔から虫や植物の絵を書くのが好きで、ひとりで原っぱや雪原で遊んでいた記憶があります。あとは近所の夏祭りの夜店で買った動物のガラス細工が宝物でした」
その楽しかった想い出は、今の柳原さんの作風そのものに。酸素とガスを融合させて約1400度の高温を生み出すガスバーナーを使い、ガラス棒をどんどん変化させていくバーナーワーク。多摩美術大学時代にこのバーナーワークという細かい技法に出会い、オリジナリティあふれる不思議な世界を作り出すのが柳原さんなのです。

「虫と植物の間のような生き物を作品に。言葉にすると分かりづらいですよね。例えば、胞子だったり、きのこだったり、雪の結晶、苔、深海など、目には見えないようなミクロの世界を想像してガラス棒で生み出していくのです」

大学時代に辿り着いたその世界観を今なおぶれずに追求する柳原さん。鳥取在住後は、ふたりのこどもを育てながら、年に5〜6回行う展示会に向けて、テーマを決めて作品を作り上げていくといいます。

「なんというか、芯がぶれずに突き進める強い気持ちを持っているのが彼女。大学時代からずっと自分の作品の世界を作り上げてきて、長年のファンも多い。彼女の影響で、僕の作品も大きく変わったと思います」

ご主人の朝倉さんを持ってして、芯が強い女性と言わしめる柳原さん。ただし朝倉さんに輪をかけたように振る舞いはおだやかで、口調もおっとり。その柳原さんの存在そのものが、ある種、作品の世界観とリンクしているようなのです。

透明感あふれるガラスを素材に、ミクロの世界を描き出す柳原さんの世界。繊細で壊れやすい作品の中に、妖艶で未知なる存在を生み出すのが、彼女のユニークな表現なのです。

高温のバーナーの炎によってガラスを熔融し、成形する技法がバーナーワーク。

作業中は紫外線、赤外線をカットする特殊なサングラスを着用して創作する柳原さん。

柳原さんが表現するミクロの世界。虫や植物を独自の視点で表現する。

動く彫刻ともいわれるモビールも柳原さんの作品のひとつ。独特の世界はインテリアとして人気。

コーマふたりだから、そして鳥取だから生まれる作品を。

最近では、ko-maとしての作品も多いという朝倉氏と柳原さん。例えば森の精霊の体躯はガラス細工で生み出し、顔の部分を革の面で表現するなど、革とガラスの融合した世界観を作り出し、高い評価を得ています。

「鳥取に来てから作風がすごく変わった。創作に没頭できる場所なんですかね。COCOROSTOREさんなど、すぐ近くにアドバイスをくれる人もいて、作品を通して鳥取と繋がれた気もします」と朝倉氏。
そうなのです。今では朝倉氏の代表作のひとつ、鳥取ピン・ブローチはCOCOROSTOREの田中氏から現在休業されている柳屋さんが作っていた郷土玩具をどうにか復活させたいと提案されピンに仕立てた。いわば郷土の伝統を、地元民を媒介に、朝倉氏が作品として融合させ、生まれたものなのです。

一方、美大時代から作風にブレのなかった柳原さんも鳥取に来て変化が出てきたと教えてくれました。
「ずっと今のまま好きな作品を続けたいです。でも、ファンの方へは新しい見せ方もしていきたい。進化ではないですがゆっくり考えていきたい。いつでも主人がアイデアをくれますし、素材が違うから面白いんですよね」

六畳の和室をアトリエとして共有するおふたり。芸術家としてぶつかることもあるというが、それも革とガラスを融合させた稀有なるユニットの醍醐味なのでしょう。柳原さんと朝倉さん、ガラスとレザーを融合させた夫婦ユニット。ふたりとも想いの強さは妥協なし。鳥取の静かな田舎町で、本日もまた妖艶でいて美しい、その独特のアートは生み出されてるのです。

創作前のラフスケッチ。お互いの世界観を大切に、融合した新たな作品が生まれる。

鹿の精霊。顔は革のお面、体はバーナーワーク作るガラス。異なる素材が違和感なく融合する。

毎年各地で行う展示会ではテーマを決め、それに沿った作品を展示販売している。

倉吉市にある山陰の民芸を扱う『COCOROSTORE』でも、ふたりの作品は購入可能。店主の田中信宏氏(写真右)もふたりのサポーターのひとり。

E-mail:komacraft.jp@gmail.com
https://www.ko-macraft.jp/
取扱い店:COCOROSTORE
https://cocoro.stores.jp/

(supported by 鳥取県)

ガラスと革。ふたつの素材が交わる時、夫婦ユニットならではの個性が生まれる。[ko-ma/鳥取県東泊郡湯梨浜町]

自宅兼アトリエがあるのは、鳥取県の保養地・はわい温泉の近郊。のんびりとした田舎時間がふたりを創作に没入させる。

コーマ自分が追い求める、革のカバンを作るため鳥取へ。

カバンを中心にした革職人の朝倉綱大氏と、オブジェやモビール(動く彫刻)を創作するガラス作家の柳原麻衣さん。夫婦ふたりの名前の頭文字をとったユニット名だから「ko-ma(コーマ)」。それが今回、ご紹介するユニークなおふたりです。多摩美術大学時代の同級生だったというふたり。活動の拠点は、鳥取県の中央に位置する湯梨浜町です。もともとは東京都と神奈川県の出身のおふたりは、なぜ鳥取に身を置き、創作活動を行うのか? そして、のどかな田園風景や日本海が広がるこの場所だからこそ生まれる作品についても伺いました。

まずは朝倉氏の創作の源について。
「現在のアトリエ兼住まいは僕の曽祖父の家なんです。4年ほど前に空き家になっていることを知り、安く借りられたことが移住の動機です。前の会社を退社するタイミングで、どこかないかなぁと考えていたんですよ」と朝倉氏。穏やかに話すその口ぶりと、のんびりと時が流れるこの場所、さらには後ほど紹介する独特な革製品が、妙にしっくりはまるように感じたのが第一印象でした。

革へのこだわりを伺えば、大学在学中に革という素材に興味を抱き、カバン職人を目指したのがその第一歩。ですが、思うように希望の就職が叶わず美大卒業後、渋谷にある専門学校『ヒコ・みづのジュエリーカレッジ』のカバンコースの門を叩きます。そこで一からカバン作りの基礎を学び、2年後、朝倉氏はカバンの町といわれる兵庫県豊岡市のカバンメーカーへの就職を果たすのです。

「念願叶い、やりたいことに近づいたのですが、自分の作りたいものとお客さまのニーズや会社の方針に温度差があり、すぐに煮詰まってしまったんです。これは作りたかったものじゃないって」。そう朝倉氏は過去を振り返ります。豊岡での生活は、社会と歩調を合わせつつまずは3年。その後、メーカー内に工房を立ち上げるプロジェクトのメンバーに選ばれ、大量生産ではできない少ロッドのカバンを作る部署に移動し約2年。徐々にやりたかったことを、自らの実力で手繰り寄せていったのです。
「やりたかったことに近づけば近づくほど、制約が多く、煮詰まってしまい……。やっぱり、縛られずに表現したいことがあるなって独立を決意したんです。そう、やりたいことを表現するために」

穏やかな口調とは裏腹に、創作への衝動は強く、欲求を抑えきれず動き出したのが30歳の目前。最初のお子様がまだ奥様のお腹の中にいる頃だったそうです。そうして見つかったのが、現在の鳥取という場所であり、この土地でオーダーメイドのカバン職人として、歩みをすすめることになるのです。

「でも、実は今は7:3の割合で、カバンは3割位。こっちに来て、作りたいもの、自分らしく表現できるものがようやく見えてきたんです」

そうなのです。現在、朝倉氏が精力的に創作に時間を費やしているのは、革を素材に使った人形やピン・ブローチ。そのモチーフがユニークで、日本遺産でもある鳥取の伝統芸能の麒麟獅子や森の精霊など。その妖しくもどこか可愛げのある、キャラクターは奥様である柳原さんの作風と、そして鳥取という場所があったからこそ生まれたのだと朝倉さんは教えてくれました。

父も姉も親戚も美大卒という美術一家に育った朝倉氏。なんと奥様の柳原さんも美術家系なのだそう。

鳥取市の柳屋さんで作られていた鳥取の郷土玩具のお面や獅子頭を革でピン・ブローチに。ほかにも精霊や動物などのシリーズがある。

鹿の精霊をモチーフにした人形。世界で伝承されている精霊も朝倉さんのモチーフに。

オーダーメイドのカバンはもちろん、最近では細かい手作業で生み出すピン・ブローチや人形の割合が増えてきた。

コーマガラスを素材に描き出すミクロの世界へ。

一方、奥様でありガラス作家の柳原麻衣さんは、幼少期を過ごした山形県新庄市の記憶が、創作の原風景にあるそうです。
「昔から虫や植物の絵を書くのが好きで、ひとりで原っぱや雪原で遊んでいた記憶があります。あとは近所の夏祭りの夜店で買った動物のガラス細工が宝物でした」
その楽しかった想い出は、今の柳原さんの作風そのものに。酸素とガスを融合させて約1400度の高温を生み出すガスバーナーを使い、ガラス棒をどんどん変化させていくバーナーワーク。多摩美術大学時代にこのバーナーワークという細かい技法に出会い、オリジナリティあふれる不思議な世界を作り出すのが柳原さんなのです。

「虫と植物の間のような生き物を作品に。言葉にすると分かりづらいですよね。例えば、胞子だったり、きのこだったり、雪の結晶、苔、深海など、目には見えないようなミクロの世界を想像してガラス棒で生み出していくのです」

大学時代に辿り着いたその世界観を今なおぶれずに追求する柳原さん。鳥取在住後は、ふたりのこどもを育てながら、年に5〜6回行う展示会に向けて、テーマを決めて作品を作り上げていくといいます。

「なんというか、芯がぶれずに突き進める強い気持ちを持っているのが彼女。大学時代からずっと自分の作品の世界を作り上げてきて、長年のファンも多い。彼女の影響で、僕の作品も大きく変わったと思います」

ご主人の朝倉さんを持ってして、芯が強い女性と言わしめる柳原さん。ただし朝倉さんに輪をかけたように振る舞いはおだやかで、口調もおっとり。その柳原さんの存在そのものが、ある種、作品の世界観とリンクしているようなのです。

透明感あふれるガラスを素材に、ミクロの世界を描き出す柳原さんの世界。繊細で壊れやすい作品の中に、妖艶で未知なる存在を生み出すのが、彼女のユニークな表現なのです。

高温のバーナーの炎によってガラスを熔融し、成形する技法がバーナーワーク。

作業中は紫外線、赤外線をカットする特殊なサングラスを着用して創作する柳原さん。

柳原さんが表現するミクロの世界。虫や植物を独自の視点で表現する。

動く彫刻ともいわれるモビールも柳原さんの作品のひとつ。独特の世界はインテリアとして人気。

コーマふたりだから、そして鳥取だから生まれる作品を。

最近では、ko-maとしての作品も多いという朝倉氏と柳原さん。例えば森の精霊の体躯はガラス細工で生み出し、顔の部分を革の面で表現するなど、革とガラスの融合した世界観を作り出し、高い評価を得ています。

「鳥取に来てから作風がすごく変わった。創作に没頭できる場所なんですかね。COCOROSTOREさんなど、すぐ近くにアドバイスをくれる人もいて、作品を通して鳥取と繋がれた気もします」と朝倉氏。
そうなのです。今では朝倉氏の代表作のひとつ、鳥取ピン・ブローチはCOCOROSTOREの田中氏から現在休業されている柳屋さんが作っていた郷土玩具をどうにか復活させたいと提案されピンに仕立てた。いわば郷土の伝統を、地元民を媒介に、朝倉氏が作品として融合させ、生まれたものなのです。

一方、美大時代から作風にブレのなかった柳原さんも鳥取に来て変化が出てきたと教えてくれました。
「ずっと今のまま好きな作品を続けたいです。でも、ファンの方へは新しい見せ方もしていきたい。進化ではないですがゆっくり考えていきたい。いつでも主人がアイデアをくれますし、素材が違うから面白いんですよね」

六畳の和室をアトリエとして共有するおふたり。芸術家としてぶつかることもあるというが、それも革とガラスを融合させた稀有なるユニットの醍醐味なのでしょう。柳原さんと朝倉さん、ガラスとレザーを融合させた夫婦ユニット。ふたりとも想いの強さは妥協なし。鳥取の静かな田舎町で、本日もまた妖艶でいて美しい、その独特のアートは生み出されてるのです。

創作前のラフスケッチ。お互いの世界観を大切に、融合した新たな作品が生まれる。

鹿の精霊。顔は革のお面、体はバーナーワーク作るガラス。異なる素材が違和感なく融合する。

毎年各地で行う展示会ではテーマを決め、それに沿った作品を展示販売している。

倉吉市にある山陰の民芸を扱う『COCOROSTORE』でも、ふたりの作品は購入可能。店主の田中信宏氏(写真右)もふたりのサポーターのひとり。

E-mail:komacraft.jp@gmail.com
https://www.ko-macraft.jp/
取扱い店:COCOROSTORE
https://cocoro.stores.jp/

(supported by 鳥取県)

命を守る人の命を守りたい。それが「レストレ」の使命。

スマイルフードプロジェクト

共通の想いを持ったシェフとの邂逅。きっかけは、あるSNSの言葉だった。

「想像も絶する状態にあるフランスで、現地の日本人シェフ達が医療機関に差し入れしたとの事。誇らしいです! 僕たちもやりたい!! だって今日本でも感染が1番広がっているのって医療機関従事者ですよね? 命がけで働いてくれている人達に何かしたい!」。
これは、フレンチの名店『シンシア』の石井真介シェフが、2020年4月6日(月)の午前7時47分にFacebookで発信したメッセージ(一部抜粋)です。そして、同じ思いを持っていた人物の目にこれは留まり、あるプロジェクトが始まるきっかけになります。

その人物とは『サイタブリア』代表・石田聡氏であり、あるプロジェクトとは、のちに生まれた日本の医療機関へお弁当を無償で提供する『Smile Food Project』の活動です。
「石井シェフが投稿した瞬間に僕もちょうど携帯を触っていて、この内容を見た時に“同じことを考えている!”と思い、すぐに連絡しました」と、石田氏はその時を振り返ります。

『サイタブリア』は、『レフェルヴェソンス』を始め、『ラ・ボンヌ・ターブル』や『サイタブリア・バー』、そしてケータリングサービス『サイタブリア・フード・ラボ』を展開しており、新型コロナウイルスによる営業自粛などのあおりを受ける渦中にいます。

ここで素朴な疑問が生まれます。
なぜそのような状況において外に目を向けられる活動ができたのでしょうか? その大きくは、石田氏の経営的手腕にあると言っていいでしょう。「いえいえ、そんなことはございません……」と謙遜するも、それは間違いありません。そしてもうひとつ。それは、「レストランの力を信じたいから」です。

「レストランの原語は、気力・体力を回復させるという意味があり、フランス語の“レストレ”(restaurer)から来ていると言われています。石井シェフのメッセージにもありましたが、今一番気力と体力を回復させなければいけないのは、我々の命を守ってくれている医療従事者の方々です。食べることは、体を作るだけでなく、心も豊かにします。僕たち“レストレ”にできることで何か役に立ちたいと思いました」。


「サイタブリア」だから得られた早期の危機感とその後の行動力の速さ。

石田氏のここ数ヶ月を少しだけ振り返ってみたいと思います。
「確か1月か2月くらいだったと思います。新型コロナウイルスという言葉が世間に多用され始めたのは。しかし、日常に変化はなく、正直“対岸の火事”くらいの印象でした。その中で自分ごと化するようになったのは、経済的な打撃でした。インバウンドが激減し、イベントが続々と中止になっていったのです」。
イベントが中止になるとどんな現象が起こるのか。石田氏にとって、その火事の火の粉が降りかかります。

「ケータリングのキャンセル」です。

しかし、一方でレストランは満席状態。同じ『サイタブリア』の中でも、「両者の時差があった」と言います。
「イベントの中止が相次ぎ、僕らのケータリングにもキャンセルが続きました。それに伴い、経営的な危機を感じ始めました」と石田氏は話します。
幸いにも早期の危機感によって今後の経営対策を素早く進めることができ、先述の「なぜ外に目を向けられる活動ができたのか」という「素朴な疑問」の答えにつながります。

それは、資金的に会社の体力を備えるということです。

「2月からは急速に色々なことが変化していきました。ケータリング業態の悪化に始まり、経営対策、3月には外出自粛になり、レストランにも影響が出てきました。そして、4月7日には緊急事態宣言の発令……」。
一時は、「ロックダウン」という言語も飛び交い、それに対する「保証」はされるのか!?という不安の中、ともにその両者が採用されることはありませんでした。そこから石田氏の行動にある変化が生まれます。

「自分で判断するしかない」。そう思ったと言います。

「3月末でお店は休業させ、まずスタッフの安全に徹しました。幸か不幸か、ケータリングの一件があっため、その時には経営的な工面もなんとかなりそうだったので、ちゃんと給与の保証もした上での対応だという説明もでき、社員やスタッフには理解をしていただきました」。

そして、このように迅速な対応ができたことは、『レフェルヴェソンス』の生江史伸シェフを始め、「各店に任せられる優秀な人物がいたおかげ」だと言います。
「彼らがそれぞれに価値を創造してくれているから、僕は経営に専念できる。しかし、昔はそうではない時もありました。レストランも見て、経営もやって……。現場を見ると何か言いたくなってしまうし、二足の草鞋を履くことによって疎かになってしまったこともありました。仲間に恵まれたおかげで、まず最悪の事態を凌ぐことができたと思っています」。

そんな準備と備えがあったため、2020年4月6日(月)の午前7時47分を境に『Smile Food Project』が動き出したのです。


僕らは今の社会にどんな貢献ができるのか。立ち上がった「Smile Food Project」。

「一刻も早く形にしたい……」。3月から石田氏はそう思っていました。
なぜなら、医療崩壊は既に世界では現実になり、それによって医師や看護師は疲弊する日々。ウイルスと闘う最前線にいながらも満足に食事も取れない環境にありました。
「すぐにでも日本に同じ事態は訪れると思っていました」。

そんな矢先に石井シェフのメッセージだったため、実現に向けスタートします。その後、石田氏以外にも賛同者や協力者は集い、2日後の2020年4月8日(水)に『Smile Food Project』は発足されます。石井シェフは、水産資源の未来を考えるトップシェフのグループ『一般社団法人 Chefs for the Blue(シェフス・フォー・ザ・ブルー)』のリードシェフだったことも手伝い、同社も参画し、プロジェクトは加速していきます。

「とにかく走り始めましたが、どうやって医療現場に届けるのか? アポイントを取るのか? まずそこからでした。実際、会ったこともない人間がいきなり食事を提供したいと申し出ても“好意はありがたいのですが……”と困惑する病院もありました。なるほど、ここのハードルは高いんだな、と認識しました。その時に助けられたのがホームページです。プロジェクト発足から数日で素晴らしいものに仕上げていただき、ここにも一流メンバーの方々にお力添いをいただきました。それがあったおかげで安心を可視化することができ、『Smile Food Project』の活動を相手に知ってもらうことができました。そして同時に、今度は医療関係の友人・知人に相談をし、間口を広げることもできました」。

作れるシェフはいる、その環境もある。そして、医療機関へのつながりもできました。いよいよです。キッチンの舞台には、『サイタブリア・フード・ラボ』を起用。江東区豊洲の運河前に建つそこは、風通しも良く、一括調理を行えるため、衛生面にも適しています。
「スタート時は、1週間に2〜3日、200食を医療機関にご提供させていただいておりました。現在は、ほぼ毎日400食できるまでになり、6月末までには20,000食を目指しています。お弁当スタイルなのですが、このシンプルな形に行き着くまでにも右往左往ありました。僕ら作り手は、温かいものを食べてもらいたいのでキッチンカーで伺おうと思いましたが、対面や手渡しはできず、いつ食べられるかも分からない現場のため、それは不可能に。諸々を踏まえた結果、冷めてもおいしいお弁当スタイルになりました」。

スタートした後に待っているのは、どう継続していくかの問題です。
「一部の食材に関しては、このプロジェクトに賛同いただけた生産者さんたちから無償でご提供していただいております。現在は、携わるシェフの方々含め、全員がボランティアです。今では、医療機関からの問い合わせをいただくこともあり、今後、ひとつでも多くの場所に、ひとりでも多くの方に、おいしいを届けたいですが、それでも今の人数と体制には限界があります。これからは、続けるためにはどうすればいいか。みんなにもどうしたら還元できるか。そんな仕組みも考えていきたいと思っています」。

※「#医療現場へ食事のエールを贈ろう コロナ最前線ではたらく病院関係者支援プロジェクト」と題し、『Smile Food Project』の活動を支援する募金が始まりました。ご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、是非、ご支援のほど、何卒宜しくお願い致します。詳しくは、下記のバナーもご覧ください。

上記は、全て写真家の福尾さんが撮影。福尾さんもまたボランティアとして『Smile Food Project』を支えるメンバーのひとり。


あの時にはできなかったことが今ならできるかもしれない、そう思った。

実は様々な悔しさが石田氏の礎を築いたと言います。中でも特に忘れられなかったことは2011年3月11日の東日本大震災だったと言います。
「当時、自分にどんな社会貢献ができるのかを今と同じように考えていました。その根本は変わらず、やはり“レストレ”の精神です。その時に一番気力と体力を回復させなければいけないのは被災地の方々であり、そのために炊き出しにも行きました。ですが、あの時の自分には、まだ会社としての体力もなく、経営者としても未熟だったため、スタッフやお店を守ることだけで精一杯でした。ゆえに、炊き出しも数回しか伺えず、継続した活動ができなかったのです。それが悔しくて……」。

そんな教訓が石田氏の日々を培い、いざという時のための準備と心構えを養ってきたのかもしれません。
「あの時にはできなかったことが今ならできるかもしれない。そう思いました。同時に、やらなければいけないとう使命感もありました。だから、この『Smile Food Project』は、継続しなければ意味がないと考えています。難局の中、おいしいを通して少しでも誰かの心身を豊かにできるのであれば、ひとりでも多くの人にそれを届けたいと思います」。


「純粋」と「黒子」。このふたつの言葉がチームの心身を支える。

今回、話を伺ったのは『サイタブリア』代表の石田氏のほか、この日のお弁当を担当する『恵比寿 えんどう』の鮨職人・遠藤記史氏と和食料理店『HIGASHIYA-Tokyo』の総料理長・梅原陣之輔氏、そして、フードジャーナリストであり、『一般社団法人 Chefs for the Blue』の代表理事も務める佐々木ひろこさんです。
皆それぞれの役割は違いますが、共通して発する言語があったことが印象的でした。

それは、「純粋」と「黒子」です。

今回、この『Smile Food Project』のプロジェクトリーダーを『シンシア』の石井シェフとともに務める『サイタブリア』の石田氏ですが、「今回のプロジェクトは、『Chefs for the Blue』の多くの一流シェフの方々にご賛同していただけました。その思いはみんな一緒で、医療従事者の方々のことを思い、ただただ“純粋”な気持ちで日々料理を作っています。おいしいものであることは間違いないので、それに対して僕は仕組みを作る“黒子”です」と言います。

そして、遠藤氏も「僕らがこうして料理を作れるのは、その環境を作ってくれた石田さんのおかげです。石田さんの“純粋”な気持ちから生まれたこのプロジェクトを支えるために“黒子”として貢献したい」と話せば、梅原氏も「『Smile Food Project』も『一般社団法人 Chefs for the Blue』も本当に“純粋”なんです。自分のためではなく誰かのために活動し、より良い未来と社会を形成するために一生懸命。僕はそのプロジェクトを成功させるために参加させてもらった“黒子”ですから」と続けます。

そして、佐々木さんもまた「プロジェクトの事務局として、シェフたちの熱い思いがひとりでも多くの方に届くことを願っています。医療従事者の方々に十分に栄養を取ってほしい、おいしいもの食べてもらいたい。本当に“純粋”な一心で料理を作っています。そして、それを支えてくださっている石田さんや『サイタブリア』のスタッフの方々、また資金調達などを担当してくださっている『NKB』の方々には感謝しかありません。私は私にできることを“黒子”としてサポートし、このチームの一員として役に立てればと思っています」と話します。

その「純粋」と「黒子」が支える主役は誰か? もちろんそれは、医療従事者の方々です。『Smile Food Project』のチームは、今日もまた、その主役のためにお弁当を作り、届けに走ります。


星を獲るためでもなければランキングを目指すわけでもない、夢の饗宴。

フレンチや中華を始め、『Smile Food Project』のお弁当は、日毎、数種のジャンルよって構成されています。本日のスタイルは、和食。携わる料理人は、先述の通り、『恵比寿 えんどう』の鮨職人・遠藤記史氏と和食料理店『HIGASHIYA-Tokyo』の総料理長・梅原陣之輔氏です。
「今回、すごい自分自身がおいしそう!と唸ったのは、遠藤さんの太巻き。中には車海老が入ってるんですよ! すごい!」と興奮するのは、梅原氏です。そして、「普段は、自分のお店で太巻きなんて巻くことないので、遠藤さんの手元を見ながら一緒に巻けるなんて貴重な経験でした! 車海老も一緒に湯がかせていただき、そうゆう時間もまた嬉しかったです!」と話を続けます。

一方で遠藤氏も「梅原さんが、ガリに甘夏を混ぜる提案をいただきビックリしました! 僕ら鮨職人にはガリに柑橘を合わせる発想なんてなく、非常に斬新なアイデア!」と話します。
「遠藤さんの太巻きに合うかと思って考えてみました!」と言う梅原氏に対して、遠藤氏は「これは一品料理として成立するくらいおいしい!」と、会話は盛り上がります。

そして、改めて両者が再確認したことは、和食が持つ「文化」と「始末」の良さ。
「お弁当に歴史と文化を持っているのが和食だと改めて感じました。日持ちもできたり、保存食にもなったり。それは、先人たちの知恵があったからこそ」と遠藤氏。
「生産者さんたちの思いも活かしたいので、より一層、無駄なくシンプルに食材を大切に使うことを心がけました。例えば、メザシの焼き浸しで使ったお出汁でかぼちゃを炊いたり、車麩を炊いたお出汁でレンコンを炊くなど、同じお出汁を回しながら始末していきました。そんな文化も日本ならではですよね」と梅原氏。
「結局、僕らは食を通してしか社会に貢献できませんから」と、ふたりは笑顔で言います。

しかし、自店の経営も担う遠藤氏は、今の率直な心理も話します。
「当たり前ですが、お店では対価をいただき、お客さまへ料理を提供させていただいております。今回のような活動で料理を提供することは、作り手と食べ手の関係こそ変わりませんが、それとイコールにはなりません。やはり、ちゃんとそろばんを弾いて大切な従業員の人生も守らないといけませんから」。

だからと言って、この活動に手抜きは一切ありません。むしろ、より気持ちが入っているようにも見えます。なぜでしょう?
「ここにいる僕は、経営者・遠藤でも鮨職人・遠藤でもありません。人間・遠藤が作った料理です。身を呈して国を支えてくださっている医療従事者の方々には感謝しかありません。とにかく何かしたかった。今、やらないといけない。今、動かないと後悔すると思った」。
そんな思いが遠藤氏の心を動かしたのです。

『Smile Food Project』には、『シンシア』の石井真介シェフを始め、『THE BURN』の米澤文雄シェフ、『茶禅華』の川田智也シェフ、『後楽寿司やす秀』の綿貫安秀氏など、錚々たる面々が参加しています。各シェフは、自身の料理をレシピ化し、継続したお弁当を再現できる監修まで行う責務も担います。また、こだわりは料理以外にも光ります。お弁当には、中身をイラスト化したものとメッセージが添えられますが、そのクオリティの高いビジュアルにも驚かされます。そして、何と言っても縁の下の力持ちは『サイタブリア』のスタッフたちです。皆が口を揃えて「『サイタブリア』の方々がいなければ何もできなかったです」と言います。

ここには星もなければランキングもありません。ただ、日本を救ってくれる医療従事者の方々においしい食事を届けたい。その思いだけで活動するメンバーだけが集結したチームなのです。

上記は、全て写真家の鈴木泰介氏が撮影。鈴木氏もまたボランティアとして『Smile Food Project』を支えるメンバーのひとり。


いつの日かレストランでお迎えできる日が訪れたら、そんな幸せなことはない。

対面、接触を許されないため、『Smile Food Project』のチームは、直接、医師や看護師と会ったことはありません。
「僕たちは、おいしいお弁当をお届けするのが役目。ただ、それだけでいいんです」と石田氏は話します。

以前、ある医療従事者の思いが綴られている記事を見たことがあります。そこには“自分たちにとって一番のストレスは、労働時間の長さでもなければ、過酷な現場でもありません。救える命を救えないことです”とありました。
つまりは医療崩壊であり、今まさに医療従事者の方々は、それに直面しようとしています。『Smile Food Project』の料理人は人の命こそ救えないものの、食事を通して心身の安定を提供し、命を救う方々を支えています。日頃より調理を通して命に関わる舞台には立つシェフたちは、食材を通してその尊さを誰よりも理解しているつもりです。
「レストランは、命を預かっている場所だと思っています。食材の命に感謝し、安心安全をもってお客様にご提供させていただきます。だから、その先においしい物語が生まれているのだと思っています」。

『Smile Food Project』は、これからどんな道を歩んでいくのか。

「繰り返しですが、継続を目指します。しかし、継続しなくて済むような世の中になることが一番です」と石田氏。
「僕らがこうして活動ができているのは、実は見えない方々の存在も大きい。例えば、『HAJIME』の米田 肇シェフの活動や同じ業界の諸先輩方の様々な働きや訴えがあったからこそ、僕は僕の役割として今自分にできることを始めることができました。それぞれ離れた場所にいますが、心は繋がっていると思っています」。

この日々は、まだ序盤か中盤か。はたまた終盤か。それは誰にもわからない……。
「きっと、色々な価値観が変わってしまうと思います。当然、レストランの価値も変わると思います。この問題が終息しても、レストランとして生き残っていける体力が残っているかも正直わかりません。ただ、レストランは世の中には絶対必要だと信じています。そんな社会に必要とされるレストランを僕はまた仲間と作っていきたいです」。

最後に。
これは、『Smile Food Project』のお弁当の提供を受けたある看護師からのメッセージです。。
「感染予防の面から、食事の際にはみな離れて違う方向を向かって座り、会話はせずに黙って食べなければなりません。仕事が忙しいだけでなく、職場の人と食事をしながらのコミュニケーションは一切取れない状況です。ですから、本日は、メッセージの温かさと、その味の美味しさに思わず涙してしまいました。これで、明日からも頑張れそうです。私共に送っていただいたお弁当を作ってくださった皆さま、この企画を立ち上げてくださった皆様に心より感謝申し上げます」。(一部抜粋)

明るい未来は、必ずやってくると信じています。

いつか世界中に平穏な日々が戻る時、今回の医療従事者の方々がレストランで楽しそうに食事をしている姿に夢を馳せたい。賑やかな空間には、温かい料理においしいお酒……。そして、次こそは互いの顔を見ながら笑顔で会話に花を咲かせてほしいと思います。

一刻も早く、そんな日が訪れることを心から願います。

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ブッテーロレザー トリフォールドアイアンウォレット

ミニマルサイズの三つ折りウォレット(スチールチェーン付き)新登場

  • 使い込んで味が出る表革は1.6ミリ厚のイタリアのブッテーロレザー(牛革)を使用
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IHG-095:サイズスペック

  • 幅:約8cm
  • 高さ:約11cm
  • 厚み:約2cm

素材

  • 革:ブッテーロレザー
  • チェーン:鉄
  • 丸カン、Dカン:鉄
  • 豆レバー:合金

一本のワインで救える人がいる、つながるお店がある。「ボトルキープ」が叶える、未来の約束。

「ボトルキープ/未来の約束」プロジェクト「ボトルキープ/未来の約束」プロジェクトを実施!!

新型コロナウイルスの猛威は、今なお止まりません。

東京だけでなく、日本だけでなく、世界中が窮状に陥っています。それに伴い、各界が悲鳴を上げていることは言うまでもありません。

現状、特に一般の利用者を顧客として商う業種が逼迫しています。その代表例が飲食店だと思います。緊急事態宣言や外出自粛要請によって人々は街から消え、活気あった夜の灯も闇に姿を変えてしまいました。

もちろん、この至上最大の難局を乗り越えるには必要なことです。

しかし、それによって今まで築き上げてきたものが一気に崩されてしまうかもしれない人がいるのも事実。

それは、これまで18回にもわたり「ONESTORY」が開催してきた「DINING OUT」出演のトップシェフや開催地域にて協力いただいたレストランも例外ではありません。

「ONESTORY」は、「ボトルキープ/未来の約束」プロジェクトをスタートします。

補償が明確にならない中、経営の維持・継続が難しくなるお店は相次ぎ、苦渋の選択を迫られています。更には、この危機が増すスピードは加速するばかりです。

一本のワインで、救える人がいます。
一本のワインで、つながるお店があります。
一本のワインで、未来を描くことができます。

いつの日か訪れる、そのワインで杯を交わす時。きっと、特別以上の想いが込み上げてくるでしょう。
それは、どんな高級ワインにも勝る歓喜を得るに違いありません。
この「ボトルキープ」は、ただボトルをキープ(=維持)する行為だけではありません。何より、レストランをキープすることにつながり、彼らの心身をキープすることにつながります。

一本から始まる、ひとつの物語。
その物語は永遠にあなたとお店の心に刻まれ、生涯を通して互いに大切な存在になるはずです。

ぜひ、「ボトルキープ/未来の約束」プロジェクトを通して、皆さまのお力添いをいただけますよう、何卒宜しくお願い致します。

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「ボトルキープ/未来の約束」プロジェクトは、株式会社ONESTORYが展開する「のりきろう日本、つながろう日本 #onenippon」と株式会社キッチハイクが展開する「#勝手に応援プロジェクト」の連動企画です。内容は、日本全国に発出した緊急事態宣言に伴う飲食店利用自粛要請の緩和・解除後に利用できるワイン(ほか酒類)のボトル販売になります。