古き良き日本が今に残る式根島の風景。穏やかな島の暮らしが静かに息づく。[東京“真”宝島/東京都 式根島]

東京"真"宝島OVERVIEW

東京にある11もの有人の島の中で最も小さい島。それが式根島です。島の面積は約3.7㎢、外周は約12kmとコンパクト。けれど、そんな数字では決してはかれない、さまざまな魅力が小さな島に凝縮されていました。

式根島は隣に位置する新島と二島合わせて同じ行政区分の新島村に属しています。新島からの距離は約5km、連絡船「にしき」で約10分の近さにありながら、まったく異なる景観を有しています。新島と同じく、白い流紋岩の溶岩に覆われた式根島ですが、その形はテーブルのように真っ平ら。しかしながら、島の周囲はリアス式海岸さながらの複雑な入り江で構成されており、穏やかな波が島を取り囲んでいます。

火山島である伊豆諸島の他の島々が織りなすダイナミックな景観とは裏腹に、式根島では、とても日本的かつ箱庭的な美しさを見てとることができます。島の北部には表情豊かなビーチがいくつも点在しており、夏ともなれば波の穏やかな白砂のビーチには海水浴客があふれます。南側の海岸沿いには大きな岩間からこんこんと湧く温泉が! なんとこの小さな島に2種もの源泉が豊富に湧き出ているのです。潮の満ち引きに合わせて入る海中温泉のため、「入るタイミングが肝心だよ」と島の人が教えてくれました。西には年中緑に覆われた森が広がり、1〜2時間ほどで回れる優しい遊歩道が整備されています。また、島の中心部にある集落には島民約500人が暮らしており、歩いて回れる範囲にほぼ集中しています。美しい海や絶景温泉へも歩いて行ける、そんなほどよいサイズ感が式根島の最大の魅力なのです。

小さな島だからこそ、出会えた風景がいくつもありました。道の真ん中で日向ぼっこする島猫に出会ったり、木漏れ日が心地いい遊歩道で深呼吸したり。はたまた、なんでもそろう島の商店をふらりと訪れ、島ならではのお弁当や焼きたてのパンを買ったり。車で足早に回ってしまっては決して出会えない島の風景にふと足を止めてしばし時を過ごす時、都心とは違う島ならではの時の流れを感じられるはずです。

島での暮らしは、自然との境目と人の暮らしとが途切れることなく、ひと続きになっています。式根島で出会った島の風景や人のあたたかさに触れるたび、かつてはどこにでもあった古き良き日本の豊かさと穏やかさが、この島では今なお息づいていることに気づかされることでしょう。


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(supported by 東京宝島)

気鋭のバーテンダー・阿部 央氏が巡る、カクテルを創造する能登旅。前編[Journey ~カクテルで旅する WAJIMA~/石川県輪島市]

数馬酒造で試飲する阿部氏。バラエティ豊かな味わいの一つひとつをじっくりと確かめる。

Journey ~カクテルで旅する WAJIMA~バーテンダーのトップランナーが見つめる世界とは?

今、日本で最も重要なバーテンダーのひとりと言えるでしょう。プリンスホテルの最上級ホテル、ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町の「The Bar illumiid」で腕を振るうバーテンダー阿部 央(あきら)氏は、世界の一流バーテンダーが卓越した技を競い合う「バカルディ レガシー カクテル コンペティション 2018」日本大会にて優勝。同年、メキシコで開催された世界大会に日本代表として出場し、世界トップ8に選出された逸材です。

阿部氏は日本各地の旅から得たインスピレーションによってカクテルを創造する試みを続けています。先日、彼は能登半島を旅しました。
訪問先は日本酒の蔵はもちろん、ワイナリー、醤油醸造所、農園、漆器工房など多岐に渡ります。この旅でどのような発見をし、何を感じ、そして、一体どのようなカクテルが生まれたのでしょうか?
能登の旅に密着しました。

輪島屋善仁のギャラリーにて。丹念に磨き上げられた輪島塗は、このとおり、テーブルも鏡面のような美しい仕上がりになる。

Journey ~カクテルで旅する WAJIMA~伝統と革新。若い力でクリエティブな酒造りを推進する注目の蔵。

能登空港からクルマで20分ほど。能登を巡る旅は、能登町で約150年続く数馬酒造から始まりました。迎えてくれたのは、5代目蔵元の数馬嘉一郎氏。蔵元としては33歳と今でもかなり若い方ですが、蔵元を受け継いだのは24歳の時だったというから驚きます。東京で住宅関連のサラリーマンとして働いていた数馬氏でしたが、先代が他の法人の代表に就任するのに伴い、急遽、蔵元の役目を引継ぎました。数馬氏は伝統の酒造りを学び、手探りで蔵を運営しながら、大きく舵を切ってきたと話します。
「奥能登には11の蔵があります。酒造りに適した環境だと言われ、全体的には米の味が強めに出ていて香りは落ち着いている旨口の傾向があります。当蔵は6年ほど前に外部の杜氏を起用する杜氏制から社員を醸造責任者に据えるスタイルに変更しました。社員の平均年齢は約30歳。5人いる醸造スタッフは一人1本のタンクを自由に仕込むことができるなど、若手が活躍できる柔軟な醸造環境を整えています。酒の味わいは、よりすっきりと飲みやすい、いわゆるキレイな酒にシフトしてきました」

使用する米も特徴的です。能登にある7つの農家の協力のもと、山田錦と五百万石などを契約栽培し、仕込みに必要な米は約90%を能登産でまかなっています。さらに2014年からは耕作放棄地を開墾し、“水田作りからの酒造り”に取り組むことで東京ドーム5個分の耕作放棄地の削減に貢献してきました。世界農業遺産に認定された能登の里山里海の景観維持にも一役買っていると言えるでしょう。
仕込み水は、能登町の山間の湧き水をタンクローリーで運んでいます。硬度1前後と全国トップレベルの軟水であるこの水は、『竹葉』に代表される数馬酒造の酒のやさしく柔らかな口当たりを生み出しています。

そのバラエティ豊かなラインアップを試飲させてもらいました。
阿部氏はさまざまな銘柄を試飲しながら「ソフトな口当たりでありながら米の旨味もしっかり感じられて、キレもいいですね」と話します。特に注目したのが、能登牛やジビエなど地域の食材とともに味わうために開発された特別醸造酒シリーズです。なかでも、『竹葉 いか純米』の味わいに阿部氏も唸ります。この酒は日本有数のイカ水揚げを誇る能登町小木地区の「小木イカ」を合う純米酒として開発されたもの。能登海洋深層水を仕込み水に使い、能登海藻由来酵母を使用して醸しています。
「とてもおもしろいですね。どこか海を想起するフレーバーも感じられる気がして、確かにイカの料理と味わってみたくなります」と阿部氏は話します。

数馬酒造では日本酒の他にも、使用されなくなったワイナリー施設を再活用してリキュール造りにも取り組んでいます。能登産の梅やゆずを使ったリキュールは女性を中心に高い人気を集めています。また、2019年からは廃園となった保育園を改装し、祖業である醤油醸造を再開しました。能登の耕作放棄地で栽培した大豆を使った醤油醸造の復活は、手作りへの思いを新たにする原点回帰の現れと言えます。
伝統を重んじながら革新へと迷いなく突き進むクリエイティブな酒造りの現場に大いに刺激を受け、能登町をあとにしました。

数馬酒造5代目・数馬嘉一郎氏。「はばたく中小企業・小規模事業者300社」や経済産業省の「地域未来牽引企業」に能登酒蔵で初めて選出されるなど、先駆的な経営者としても評価が高い。

蔵を案内してもらう。同行したザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町「The Bar illumiid」アシスタント・マネージャー・中西孝行氏(左)も説明に聞き入る。

名産のイカに合わせて開発された『竹葉 いか純米』は特に人気の高い1本。

Journey ~カクテルで旅する WAJIMA~500年以上連綿と続く塩作り。歴史に育まれた、そのまろやかな味わい。

一路、能登半島を北上し、外浦へ。美しい海岸線に整然と管理された砂地が見えてきました。揚浜塩田として日本に唯一残るとされる奥能登塩田村です。
日本において、海水を人力で汲み上げて塩を精製する揚浜式製塩は鎌倉時代には行われていたと言われ、能登の塩づくりの歴史は奈良時代以前から1,200年以上の歴史があり、珠洲では500年ほど前の江戸時代に一番盛んに行われていました。多大な人力と薪を必要とするこの製法は時代とともに廃れ、その技術を連綿と受け継ぐのは、今では、奥能登塩田村など数施設になってしまいました。

揚浜式製塩の責任者である浜士(はまじ)・登谷良一氏は、ここで作られる塩の特徴について話します。
「塩田村がある珠洲の海は暖流と寒流が混ざり合い、プランクトンがとても豊富です。そしてこの仁江海岸は潮の流れが速く海水がきれいな状態が保たれているのが特徴。これは今朝汲み上げた海水です。なめてみてください」
そう促された阿部氏は桶に入った海水をなめて「あ、まろやかですね」と目を丸くしています。
「海水はどこも塩分濃度3%ですが、場所によって味はまったく異なります。この仁江海岸の海水は、海で泳いだ時に感じる嫌なしょっぱさがないんです。そして、成分的にはミネラルが豊富でして、味にも深みがあるのが特徴となっています」(登谷氏)
茅葺屋根の釜屋では、海水から採ったかん水を煮詰める作業が行われていました。薄暗い室内では薪の煙と蒸気に圧倒されます。夏場は室温が60度にも達するほどの過酷な仕事場です。
大きな平釜に600Lのかん水を張り、14〜16時間炊き続けます。煮詰め方によって粒子の粗さが変わり、それによって味わいが変わるため、気を抜くことはできません。表面のふつふつという穴の出来具合など「釜の表情」を見ながら経験を頼りに仕上げていくことが大切だと登谷氏は話します。
「ガス焚きの方がブレなく作れるのではないか?という意見もあります。ですが、松、杉、柴を燃料にした昔ながらの方法にこだわっています。薪で沸かした風呂は不思議とお湯が柔らかく感じるように、薪で焚いた塩も不思議とまろやかな味わいに仕上がるんです。それに、これらの薪には能登の山の間伐材を使っているので、健全な森の育成に貢献し、里山里海の好循環の一翼を担う意味合いもあります。この塩作りを愚直に続けていきたいです」

「グラスの縁に塩が付けられるソルティドッグでよく知られているように、塩はカクテルには欠かせない素材です。こちらの塩でカクテルを作るとどうなるか、非常に興味が湧いています」と阿部氏。能登の里山里海の恵みが凝縮され、結晶化する塩にしばし見入りました。

塩作りのための海水を汲み上げる仁江海岸。近くに大きな川がないこともきれいな海水が保たれやすい条件となっている。

もうもうと湯気を上げる平釜。大量のかん水が煮詰められていく。

潮汲み3年、潮撒き10年と言われるほど修得に時間がかかる塩作り。浜士の登谷氏が潮撒きを実演してくれた。海水は美しい弧を描いて大きく広がる。

Journey ~カクテルで旅する WAJIMA~職人の思いを積み重ねて作る気高き漆器、輪島塗。

奥能登の中核となる街であり、高品質な漆器・輪島塗で知られる輪島市。その類まれな漆芸美にふれるべく、輪島塗の工房・輪島屋善仁を訪ねました。
輪島塗は、下塗りをした木地に布を貼る「布着せ」を行い、地元産の珪藻土を焼成した「地粉(じのこ)」を塗るなど何層も下地を作っていくのが特徴で、加飾まで含めた工程は120工程にも及ぶと言われています。その工程を中室耕二郎代表取締役社長に見せていただきました。
「漆器の中でも最高級と称される輪島塗の特徴は“堅牢優美”。丈夫であることと優雅な美しさの両立はとても難しいテーマですが、輪島塗はそれを高度に実現しています。輪島塗は各工程のプロフェッショナルがそれぞれの役目を果たし、工程をバトンタッチしていく完全分業制で成り立っています。布着せに代表されるように、手間のかかる作業一つひとつを高い技術を備えた職人たちが責任を持って丁寧に仕上げ、職人の思いを積み重ねていくことによって一つの作品が生まれます。器は長い使用にも耐え、また、破損や磨耗した場合にも、修理を施すことができます。漆器の中では高価ですが、それだけの価値はあると自負しております」

阿部氏は、輪島塗の堅牢かつ優美である特性に加え、その機能にも高い関心を抱きました。
「漆は殺菌効果が高く、さらに保温性・保冷性にも優れています。私はその機能美にも惹かれます。カクテルグラスとしては、中身の色を楽しめないという欠点はあるものの、それらの長所はガラスに負けない魅力となっています。バーのシーンをアップデートしていくには創意工夫が必要です。日本のいいものを柔軟に採り入れていくのは一つの方法。輪島塗など西洋の中に日本の設えを盛り込んでいくといったことにもチャレンジしてきたいと思います」

[開催概要]
場所:ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町 35F「The Bar illumiid」 (ザ・バー イルミード)
開催日: 2 月 15 日(土) ~ 4 月 15 日(水)
https://www.princehotels.co.jp/kioicho/
*同ホテル36F 「THE SHOP at KIOI」にて輪島塗製品を同時販売
(「DESIGNING OUT WAJIMA」も販売)

輪島塗の工程について解説していただきながら、その特徴について確認する。

金粉を定着させる作業。蒔絵や沈金など壮麗流美な加飾も輪島塗の特徴。

多角形の椀に漆を塗る作業。均一に塗るためには熟練の技を要する。

輪島善仁が保全管理する伝統的な塗師家(ぬしや)を見学する阿部氏。全国から集めた一流品に影響の受けながら、技を磨く学びの場として工房自体も洗練させていった。

1985年神奈川県生まれ。都内のバーやホテルバーを経て、2017年よりザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町「The Bar illumiid」バーテンダー。2018年、世界で最も権威があるとされる「バカルディ レガシー カクテル コンペティション 2018」日本大会にて優勝。同年、メキシコで開催された世界大会に日本代表として出場し、世界トップ8に選出された。

試飲イベントで登場した3種の温度、4種の酒器による加温熟成解脱酒。その際立った個性とポテンシャル。[AZUR et MASA UEKI /東京都港区]

日本海の食材が橋渡しとなり、日本酒とフランス料理を繋いだ。

加温熟成解脱酒フランス料理と『加温熟成解脱酒』の出合い。

熟成した酒の香りと色、フレッシュな酒の味わいを併せ持つ秋田酒類製造株式会社の『加温熟成解脱酒』。2019年はこの奇跡の酒のポテンシャルを証明すべく、日本各地で、さまざまなジャンルで活躍する3名のトップシェフたちが、ペアリング料理を考案しました。

そして2020年1月、その集大成としてコース仕立ての料理と『加温熟成解脱酒』を楽しむ試飲イベントが開かれました。料理を手掛けたのは「和魂洋才」をテーマに、伝統的フランス料理の手法で日本の食材や文化を表現する植木将仁シェフ、ペアリングの協力には日本最高峰のソムリエである大越氏が立ち上がりました。

当日、会場を埋め尽くしたのは、ソムリエや料理人などの料理関係者、名だたるフーディ、メディア関係者など。それぞれ味を知るゲストたちを前に、植木シェフと大越氏はどのようなサプライズを演出するのでしょうか。そしてフランス料理と日本酒にいったいどんなマリアージュが生まれたのでしょうか。当日の様子をレポートします。

【関連記事】加温熟成解脱酒/パリで話題! ベールを脱いだ『加温熟成解脱酒』という新たなる日本酒の挑戦。

海外からのゲストも多数訪れ、注目を集める日本酒のポテンシャルを感じ取った。

日本の食材を伝統的フレンチに落とし込む植木シェフの技が未知のマリアージュを生んだ。

解説に立つ大越氏。その淀みないトークが、酒への理解をいっそう深めた。

加温熟成解脱酒日本酒特有の口内調味で、混ざり合う酒と料理。

「温度帯により大きく変える『加温熟成解脱酒』の個性を、それぞれの料理に寄り添わせる。今回はそこに加えて酒器の口当たりによるテクスチャの変化にも注目しました」大越氏は、今回のペアリングの狙いをそう話しました。そして金沢出身の植木シェフは、そこに「日本海の素材」というテーマを加え、秋田生まれの『加温熟成解脱酒』とのテロワールを作り上げました。料理人とソムリエというふたりの才能が、深く話し合いながら丁寧に積み上げた今回のペアリングコースのはじまりです。

一品目の料理は、金柑のコンポートと野菜を添えたあん肝。フォアグラと甘めのワインを合わせるフレンチの古典的な組み合わせを踏襲しています。合わせる『加温熟成解脱酒』は、ワイングラスで、温度は12度。
「12度は、旨みと酸味のバランスがベストで単体でも楽しめる温度。まずはこの酒自体の味を感じ、次いで柑橘の香りとの相性、滑らかなあん肝とのテクスチャの一貫性などをお楽しみください」大越氏の淀みない解説とともに料理がサーブされます。

料理を噛み締め、酒を傾け、その調和を真剣に楽しむゲストたち。『加温熟成解脱酒』のふかい香りは皿の上の料理全体に寄り添うようでいながら、その隙間に入り込むように構成する食材ひとつひとつともマッチします。さらに日本酒は、食べながら飲む、つまり口内調味ができる酒。「この組み合わせは今日の料理で唯一、口中での調和も楽しめます」という大越氏の言葉に従うと、口内で混ざり合う味の要素がいっそう深い味わいを生み出しました。「余市のあん肝は、脂が乗っています。柚子のドレッシングを絡めた野菜で、その油分を中和しました」という植木シェフの細やかな技術も、その調和をいっそう引き立てました。

まず製造部長の古木吉孝氏が挨拶に立ち、『加温熟成解脱酒』の製造秘話を語った。

まずはワイングラスで熟成した酒の香りを楽しむ。

金柑のコンポートと合わせたあん肝。滑らかな舌触りが、とろみのある日本酒とマッチ。

加温熟成解脱酒酒器の違いと温度の違いによって変わる『加温熟成解脱酒』の味わい。

二品目の料理の前に、猪口と平盃に入った35度の酒が配られました。同じ温度でも酒器の口当たりの違いにより異なる表情を見せる。そんな事実を追求するための工夫です。そして次に届いたのは、硝子の器に入ったソース。これはレフォールを加えた白ワインのクリームソース。本来は魚料理に添えられるソースですが、今回はこれのみでマリアージュを楽しみます。そしてこの采配が、ゲストを驚かせました。

「魚と日本酒という定型だったら、おいしいけれど驚きはなかったかもしれない。しかし今回はソースだけで、魚なしにこの調和を見せられた。本当に驚きました」とは会場を訪れていたコラムニストの中村孝則氏。レフォールの風味、クリームソースの口当たりと日本酒の出合い、平盃だからこそ感じられる華やかさとレフォールとの風味のハーモニー、魚の存在がないからこそ、いっそう繊細な酒との調和に集中できたのです。

続いて登場したメイン料理も、会場を沸かせました。皿の上に乗るのは、能登島の猪肉のロースとバラ肉。植木シェフはこれを昆布で締めた後、ゴボウのソースと合わせました。「肉は口中で何度も噛むため、酒にも飲みごたえが必要になる。そこで縁が立ったお猪口で飲むことで、飲みごたえを強く感じることを生かし、さらに温度を上げることで酸を目立たせ、温かい温度が脂質との調和をより演出します」と大越氏。

『銀座レカン』のシェフソムリエ・宇佐美晋也氏は「バラは脂質が強いので、酸でその脂を切りたい。そうなると平盃の方が酸が広がり合ってきます。一方ロースは旨みが強いので、旨みがしっかり感じられるお猪口が合う。非常に考え抜かれている、という印象です」と称賛を寄せました。

最後のデザートに登場したのはみかんや新生姜の香りを加えたスクレサレと、カマンベールチーズのテリーヌ。ここにも『加温熟成解脱酒』を合わせます。温度は7度、これ以上下げると香りが立たなくなるというギリギリの冷たさです。冷たいデザートと冷たい酒を合わせること。デザート✕日本酒の取り合わせは、今後広がっていくだろうと大越氏は予測します。
そんな言葉を証明するように、柑橘の酸味や生姜の風味と、キリッと冷えた酒の甘みと香りが絶妙に混ざり合いました。

魚介料理のソースだけを、35度に温めた『加温熟成解脱酒』とともに。

ワインに造詣が深いコラムニストの中村孝則氏をして、驚きの連続だったという今回の試飲イベント。

植木シェフの技が光った2つの部位の猪肉。土のニュアンスがあるゴボウのソースが決め手。

2種の部位の肉を、2種の酒器で味わう。その味の変化に会場は驚きに包まれた。

会場は終始なごやかな雰囲気。この雰囲気が生まれるのもまた日本酒の魅力。

冷やした『加温熟成解脱酒』とスクレサレのマリアージュ。冷たいデザートと日本酒の新たな出合い。

加温熟成解脱酒多彩なジャンルで活躍するゲストが、一様に見せた驚き。

終演後、感動冷めやらぬゲストたちに少しお話を伺いました。日本酒やワインに造詣が深く、美食を知るフーディや料理関係者たち。その表情には一様に、驚きが浮かんでいます。

酒類プロモーションの他、世界に向けて日本酒を教える場の教壇にも立つ鈴木更紗氏は言います。「海外で日本酒への興味が増していますが、やはり和食と合わせるのが基本スタンス。今日の解脱酒はまさしく新ジャンル、教科書の中にない酒でした。古酒だと強すぎるなかで、絶妙な酸味、ワインを飲み慣れている方にもフレッシュ感ありつつ、日本酒のダイバーシティを広げてくれるお酒だと思いました」

すでに自身の店舗で『加温熟成解脱酒』を取り入れているという中国料理『ShinoiS』のオーナーシェフ・篠原裕幸氏は「近年クリアになってきている中国料理のいろいろなシーン、コースのなかの上から下までで使える酒です。他の日本酒でやってもここまでにはなりません。もちろん紹興酒のニュアンス、熟成感があるからもとより中華には合いやすい。でも紹興酒よりも飲んでおいしいですけどね」と笑いました。

先の銀座レカンの宇佐美晋也氏は、ソムリエの立場で『加温熟成解脱酒』を見つめ「これから掘り下げていきたい」と言いました。「レカンでは現在はまだ日本酒がお客様に求められてはいません。しかしこれだけ味わいの幅が広いので、提案のひとつとして利用することは大いに考えられます。たとえば食後のデザートの前に個性の強くないチーズと合わせる、デザートに合わせてデザートワインではなくこれを出す、などでしょうか」とすでに頭の中に想定までできている様子でした。

「ジャンルによらず、世界的な傾向として料理がクリアに、より素材を重視した作りになっています。すると、この『加温熟成解脱酒』のアルコール度数やマイルドさがとても合ってくる。これからも注目していきたい」終演後の大越氏はそう話しました。
自身の世界観を生かした料理の中で、見事なマリアージュも実現した植木シェフも「もともと日本の良い食材を使用していましたから、日本酒に合わせるという今日のクリーションは普段の延長線上にありました。結果は想像以上。解脱酒のポテンシャルを非常に感じました。日本のみならず、世界でも勝負できるお酒です」と太鼓判を押します。

こうして温度、酒器による表情の違い、フランス料理とのマリアージュというサプライズを伝えたこの日の試飲イベント。参加したゲストのコメント、シェフやスタッフの表情は、『加温熟成解脱酒』のさらなる飛躍を予感させるものでした。

プロモーターの鈴木更紗氏。『加温熟成解脱酒』を通して日本酒のさらなる可能性を感じたという。

『ShinoiS』の篠原シェフは、すでに自身の店で『加温熟成解脱酒』を使用中。

イベントの締めには秋田酒類製造株式会社の平川順一社長が登壇し、会場に謝意を伝えた。

「制限があることで、料理が研ぎ澄まされる。良い経験をさせてもらいました」と振り返る植木シェフ。

1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』、銀座『RESTAURANT MASA UEKI』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。2016年世界料理学会イン有田と函館にてスピーカーとして登壇もしている。
http://www.restaurant-azur.com/

2日限りの特別な夜。冬の新潟が教えてくれた「真のFarm to Table」の意味。[里山十帖/新潟県南魚沼市]

左から桑木野恵子さん、小林寛司氏、北崎裕氏。料理のジャンルも違う3人のシェフが、はたしてどんな融合を見せるのか。

里山十帖『villa aida』×『里山十帖』。料理哲学が共鳴する。

新潟県南魚沼市、当間山の山懐に抱かれるように佇む湯宿『里山十帖』。今回のONESTORYがこの地を訪れたのは、何も温泉宿を紹介するためではありません。その目的は、和歌山県で1日1組だけをもてなすレストラン『villa aida』と『里山十帖』による2日限りのディナーイベントを体験するためでした。

『villa aida』といえば、シェフの小林寛司氏が自ら畑を耕し、種を撒き、野菜を育て、収穫し、それらの野菜を使って料理をすることで知られるレストランです。その土地で、その時期に育てられ、そのタイミングにしか採れない食材を使い、ひと皿ひと皿にその土地の風土までを描き出す料理は、まさにその瞬間にしか出会うことができない味。そんな料理を目当てに、全国はもとより海外から多くのフーディが訪れるレストランなのです。
一方、『里山十帖』も雑誌『自遊人』が手掛ける「ライフスタイル提案型」の宿として、2014年のオープン以来、注目を集めてきました。築150年になる古民家を移築した建物、設えの異なる全13室の露天風呂付き客室、そこに配された北欧デザインのインテリア…。その魅力は枚挙に暇がありませんが、宿で供される料理もまた実に“らしさ”が光り、『里山十帖』を『里山十帖』たらしめる理由のひとつになっています。
メインダイニングのレストラン『早苗饗 - SANABURI - 』で供される料理の主役の多くは地場で栽培される野菜。そして、冬の間、長く雪に覆われる『里山十帖』一帯は、保存食や発酵食文化が根付いてきた土地でもあります。『早苗饗』で供される料理もまた、そんな土地を映し出した料理です。形は違えども、それは『villa aida』と『里山十帖』の料理に共通するひとつの哲学ともいえるでしょう。

今回のイベントのテーマは「真のFarm to Table」。
『villa aida』小林寛司氏×『里山十帖』×新潟の冬がどのような化学変化をもたらすのか。1月13日・14日に開催された、そのイベントをレポートします。

『里山十帖』の魅力のひとつである露天風呂。『里山十帖』代表の岩佐十良氏はここからの眺望に感動し、宿の開業を決意したという。

客室は全13室。30㎡〜84㎡まで、全ての部屋が異なる設えになっている。バルコニーには露天風呂も。

里山十帖食材は違えどもアプローチは同じ。だから料理に一切の不安はない。

ONESTORY取材班が「真のFarm to Table」に参加したのは、イベント初日の1月13日。この手のイベントでは当然ながら日を追うごとに、料理の完成度が高くなることはよく知られた話です。しかし、この日供された料理は、イベント初日とは思えないほどの、クオリティの高いものでした。しかも、話を聞けば、小林氏が中心となり、料理の構成を詰めていったのは当日の朝からだったというから驚きです。

イベント開催日のおよそ1週間前、小林氏は『里山十帖』を訪れ、食事をとったそうで、『早苗饗』で供される料理を一通り確認。そのうえで、後日、『里山十帖』料理長の桑木野恵子さんに、イベント当日に使える食材の写真をメールで送ってもらい、小林氏のなかで料理のイメージを膨らませ、『里山十帖』入りしたのだといいます。
「食材の写真を送ってもらったら、『里山十帖』の発酵室の写真が送られてきたんです。そこにあるのは、人参の花のピクルスとか、アンニンゴの砂糖漬けとか、またたびの酢漬けとか……。マニアックで、いろんなものがありすぎて、とにかく現場で味を見てみないとわからなかった」と小林氏は振り返ります。

しかし、そこに「不安はなかった」とも小林氏はいいます。それは、野菜が採れて、保存食があるという観点からみれば、『villa aida』も『里山十帖』も変わらないからでした。
「自分のところでも、野菜が多く収穫できたときは、それをソースにしたり、ピクルスにしたり、保存したものを料理に使う。それは『里山十帖』も同じで、雪が積もる前に収穫された野菜は、雪室で保存されたり、発酵食として保存されたり。そうしてできるビネガーや、発酵食を料理に使って味や香りを重ねていくのは、自分のところでやっていることと同じだから」
和歌山と雪国ではイメージは違っても、料理のアプローチの仕方は変わらない。だからこそ、小林氏は不安がなかったというのです。

発酵室で保存される野菜や果物の砂糖漬けや酢漬け。100種近くあるだろうか、瓶詰めされた保存食が棚にズラリと並んでいる。

イベント初日の仕込みも佳境を迎える時間帯。ピリピリとした雰囲気が漂うと思いきや現場は和やかな空気。

里山十帖雪室、発酵室の見学、トークショーで高まる期待。そしてディナーへ。

イベント当日、ゲストが『里山十帖』に集まったのは15時前。そこには全国から訪れたフーディをはじめ、新潟県内でレストランを営むシェフの顔も多数。小林氏の料理を味わおうと、また『里山十帖』とどのような化学変化を起こすのか楽しもうと、大きな期待が寄せられているのがひしひしと感じられます。
ディナーを前にまずは『里山十帖』を手がける「自遊人」の代表・岩佐十良氏からの挨拶があり、その後、小林氏、桑木野さん、『自遊人ホテルズ』の総料理長である北崎裕氏とともに、今回の料理の主役となる食材見学へ。

案内されたのは、宿の裏手にある雪室と発酵室。ただ、暖冬の影響があって、この時分なら3m以上の積雪があるこの地ですが、今年は数十センチの残雪があるのみ。雪に埋もれているはずの雪室も、藁葺きのその姿がむき出しになっていました。が、中には積雪の前に収穫された野菜が、しっかりと保存されていました。
「冬にだいたいあるのは大根や人参、ごぼう、蕪、キャベツなど。下に敷かれているのは杉の葉で、これはねずみよけのためのもの」と北崎氏が説明してくれます。

一方、発酵室の案内をしてくれたのは桑木野さん。ズラリと並んだ瓶と樽の数に、ゲストは歓声をあげるとともに、ゲストとして参加しているシェフたちも興味津々といった感じで、「これは何?」「どうやって使うの?」「これでどのくらい期間発酵しているの?」と質問攻撃。酢漬けにされていたり、米と一緒に発酵させていたりするだけでなく、豚や牛の脂まで大切に保存されています。それは、もはや発酵室という名のラボといった状態。これらがどのような形で、今宵の料理となるのか、ゲストは期待に胸をふくらませるのでした。

雪室と発酵室の見学の後は、岩佐氏と小林氏のトークイベントに。そこでは、小林氏の経歴や、料理に対する哲学などが岩佐氏のMCで紹介され、最後に小林氏への質問コーナーを交え、トークショーは進行。60分ほどの時間でしたが、雪室と発酵室の見学のあとに小林氏の魅力を紐解かれれば、ディナーへの期待は一段と膨らんでいきます。
そして、ゲストは各々の部屋へと戻り、温泉でゆっくり。18時から始まるディナーを心待ちにするのでした。

発酵室での解説にも熱が入る桑木野さん。ゲストとして参加した県内のシェフからもマニアックな質問が飛び交った。

こちらは雪室。例年でいえばこの時期の積雪は3m以上。すっぽり雪で埋もれているはずの室も、暖冬の影響があって今年はご覧の通り。

小林氏と岩佐氏のトークイベント。『villa aida』の歴史や環境、シェフの哲学などを岩佐氏が細かく説明。

里山十帖普段と異なる環境だからこそ、輝きを増した小林氏のひらめきと即興性。

シェフらの挨拶の後、18時に開演した『villa aida』小林寛司氏と『里山十帖』によるコラボディナーイベント「真のFarm to Table」。今宵は、全10品が供されました。その内容を掻い摘みながら紹介していくと、それは実に小林寛司氏らしく、実に『里山十帖』らしさに溢れた料理でした。
たとえば、安納芋ととち餅のアミューズに続いて登場したのは、「ズワイガニ もってのほか」。このひと皿で、早速小林氏の本領が発揮されます。ズワイガニを主役としながら、そこに重ねられた味わいが実に重層的なのです。リゾットのような米は、野菜パウダーをオイルで溶いて旨味を寄り添わせ、その上にはカニ味噌とカニ身。さらにゆべしをのせることで、独特の香りが加えられています。「保存食や雪国というと、どうしてもイメージが茶色っぽくなる。『それが嫌だね』という話になって、明るいイメージにしようと。それが、僕がここへ来て料理をつくる意味のひとつでもある」と、上には「もってのほか」という食用菊もあしらわれています。

また、小林氏らしさという意味でいえば、メインで登場した「鴨 梅干し」も特筆すべき皿でした。絶妙な火入れをくわえた鴨のもも肉の下に、梅とレバーと鴨の出汁を合わせたペーストを忍ばせた料理で、脇にはわさび菜の醤油漬け、穂紫蘇が添えられています。もも肉の美しいワインレッドとコントラストを描くのは、なんと玉露の茶葉の出がらし。実はこれ、「ノンアルコールペアリングに出す玉露を試飲していたときに、その出がらしが美味しそうだった」とのことから、小林氏は即興的に鴨肉と合わせることをひらめいたそう。

こうした小林氏のひらめきは、デザートに登場した「レクチェ つばき」にも同じようなエピソードがありました。それは、小林氏がイベント一週間前に『里山十帖』へ訪れたときのこと。今回のイベントで使う食材の生産者のもとを訪ねると、庭に椿の木が植わっていたのです。それを見た小林氏が「これいいじゃん」と言って大量にいただいたのだといいます。椿の葉と花をそれぞれ使って、強弱のある2種類のシロップを作り、それをル・レクチェのコンポートと合わせたのが、この日のデザートに。まさに、このひらめきこそ小林寛司氏という料理人のセンスなのでしょう。

ディナーイベント会場は『里山十帖』のレストラン『早苗饗 - SANABURI- 』。明かりが灯り、豪壮な古民家の雰囲気は温かさを増す。

料理は、地元の日本酒やワインなどのペアリングとともに。ピクルスのビネガーや煎茶といったユニークなノンアルコールのペアリングも。

アミューズとして登場した安納芋と栃餅はフィンガーフードで。雪国の冬らしい食材が改めてこのイベントのテーマを認識させた。

「ズワイガニ もってのほか」。野菜パウダーをオイルで溶かすなど、随所で小林氏らしさを思い知る一品となった。

イベント中の厨房。さすが緊張感はあるが、誰もがその場の雰囲気を楽しんでいるようだった。

里山十帖まるで魔法使い。出汁に油脂感をプラスするも着地点は抜群の安定感。

次は、京都『吉泉』を出自とする総料理長・北崎裕氏と、料理長の桑木野恵子さんの目線から料理を紐解いていきます。
小林氏と北崎氏のらしさが詰まった料理といえば、4品目に登場した「白菜 かぐらなんばん」でした。こちらは長岡地方の伝統野菜で、ピーマンの形にも似た「かぐらなんばん」を使った料理。夏に収穫して米と一緒に発酵させた「かぐらなんばん」を、日本料理の基本ともいえる北崎氏がひいた出汁をベースにしたつゆに合わせました。ただ、それをそのまま使わないのが小林氏。つゆにバターとクリームをあわせ油脂感をプラスし、さらにミョウガのピクルスでわずかな酸味を加え、干し大根を添えたのです。

「日本料理を専門とする僕からみると、小林氏はまるで魔法使い。キッチンの目の前に食材を並べている段階では、どんな料理ができるのか、その着地点が見えないんです。けれど、いざ調理が始まると、それがパズルのように組み合わせって答えが見えていく。センスの塊ですね(笑)」と舌を巻きます。

小林氏も「最近、自分のところでも出汁を使ったりするようになって。ただ、野菜だけだとどうしても旨みが足りなかったりするから、バターとクリームを少し」
それでいながら、料理としての味の着地点は、どっしりと安定感抜群なのです。

「白菜 かぐらなんばん」。ここ最近『villa aida』でも、よく和の出汁を使うようになったと小林氏は話す。

北崎氏(左)と右が小林氏の奥様である有巳さん。かつては料理人だった有巳さんもともに厨房で腕をふるった。

「れんこん 明日香さんの根菜」。出汁の優しい味わいのなかに感じる独特の風味は、カレーリーフ、クミンなどの香辛料によるもの。

里山十帖大根を引き立たせるためだけに使った希少なメープルシロップ。

一方で、『里山十帖』の料理長を務める桑木野恵子さんがもっとも感激したというのが、「大根 発酵」と名付けられた一品です。
こちらは雪室に保存した紅くるり大根とビタミン大根が主役となった料理。それぞれの大根は少量のバターとともに鍋で蒸し上げ、ピクルスのビネガーを使ったり、ドレッシングにも七味をアクセントにするなど、こちらもまた味ののせ方のバランスが秀逸。
「仕込みのとき、『大根は塩と甘みね』と小林さんに伝えられていたのですが、そのときは『なんのこっちゃ?』と思っていたんです。けれど、できた料理がこれ。自分なら大根は美味しく食べさせるために炊いたり、煮たりして味を含ませ、その味を引き出していく。けれど、寛司さんは潔く大根を蒸すだけで、大根そのもので勝負する。そこに塩をきかせ、甘みをのせ、酸味を合わせることで、大根そのものの味を押し上げるんです」


そして、何より桑木野さんを驚かせたのが、その甘みの使い方でした。というのもこのひと皿に使う甘みのもとは、桑木野さんが山に入り、楓の木からタンクに樹液を抽出、それを持ち帰り、煮詰めて、煮詰めて、わずかにつくることができたメープルシロップだったのです。
桑木野さんがもったいなくて使えなかったメープルシロップ。なにかに使うなら、「メープルシロップ自体を前面に押し出せる料理に」と思っていたそうですが、それを小林氏はサラリと大根を引き立てるだけのために使ったのです。
「苦労して山からタンクを運び、時間をかけて、ほんのわずかだけ作れたシロップですから、もったいなくて使えなかったんです。けれど、寛司さんは『それって料理人のエゴだよね』というんです。そのストーリーを知れば、お客さんは喜ぶかもしれないけど、料理のおいしさには関係ないと」

シンプルに蒸した大根の味を、引き立たせるための甘み。味わえば、その甘みに必要なのは砂糖ではなく、山のなかからとってきた、あの自然な甘みでないとダメなことは瞭然でした。

「大根 発酵」。大根は少しのバターと蒸し上げただけ。そこにピクルスのビネガーと七味をアクセントに使ったドレッシング。

「鴨 梅干し」。奈良漬けと煎茶の出がらしの使い方が絶妙。

里山十帖たった一晩の体験でも「真のFarm to Table」を実感。

一、料理を通じて、体験、発見、感動を提供する。
二、二十四節気、七十二候。日本の暦に逆らわない料理を作る。
三、新潟の風土、文化、歴史を学び、料理に表現する。
四、古来伝承の発酵・保存技術を学び、活かし、料理に取り入れる。
五、食材はできるだけ近くから。食材に旅をさせない。
六、山菜、伝統野菜、有機栽培の野菜など、生命力の強い食材を使う。
七、動物を無用に苦しめず、命に感謝していただく。
八、野菜は皮や根、茎まで、魚や肉は骨まで、余すところなく使い切る。
九、無添加、天然醸造の調味料を使い、化学調味料は一切使用しない。
十、美味しいこと、美しいこと、健康で幸せに生きる料理であること。

これは『里山十帖』で大切にされる「料理十条」だそう。
今回のイベントでは、さらに小林氏がプラス一条を加えてイベントに挑んだといいます。
それが

一、異文化を取り入れ現代の新しい視点で食べること。

その十一条目こそ、まさに小林シェフの感性そのものだったのではないでしょうか。
四季が移ろうなかで「Farm to Table」を暮らしの一部のようにごく自然に実施し、『villa aida』というレストランを全国に知らしめてきた小林寛司氏。しかし、舞台を新潟県南魚沼に移して挑んだ今回のイベントでも、小林寛司はやはり小林寛司でした。さらに言えば、だからこそ、小林氏の魅力も『里山十帖』の魅力も、それぞれが最大限に発揮されたイベントになりえたのです。

ONESTORY取材班が体験したのは、たった一晩のディナーだけ。
しかし、そこには確かに「真のFarm to Table」があったのでした。

住所:新潟県南魚沼市大沢1209-6 MAP
電話:025-783-6777
http://www.satoyama-jujo.com/

先人に誇れる本物の塩辛作りを通して、津軽の明るい未来を牽引する。[TSUGARU Le Bon Marché・赤羽屋 磯辺商店/青森県西津軽郡]

赤羽屋 磯辺商店代表取締役の磯辺角美氏。気さくな人柄ですが、仕事となると頑固な職人スイッチが入ります。

津軽ボンマルシェイカの町から生まれた、絶品の塩辛。

青森県の日本海沿岸、鯵ヶ沢町は通称「イカの町」。海岸沿いを走る国道101号線は「焼きイカ通り」と名付けられ、生干しのイカを焼いてくれる店が点々と佇んでいます。道を歩けば、炭火の上でジュージュー炙るイカの香ばしくおいしそうな匂いが、あちこちから容赦なく漂ってきます。建物の横には、ずらりと何列にも並んで干されたイカの姿。真っ白なイカが風にたなびく様子はまるでカーテンのようです(この地域では「イカのカーテン」と呼ばれ、町の風物詩として親しまれています)。「赤羽屋 磯辺商店」もそんな海沿いの一角にあります。

「道の駅わんど」へ行ったら必ず買ってください、と地元の人から熱烈に勧められたのが、ここの人気商品である「昭和の塩辛」でした。実は新幹線のJR新青森駅にある売店「あおもり北彩館」などでも冷蔵コーナーにさりげなく売られているのですが、渋いパッケージデザインのせいか、一見すると知る人ぞ知るツウ好みな一品です。しかし、一口食べたなら「うわっ」と叫び、一度その味を知ってしまうと、その後は何度も手を出さずにはいられない、無意識で夢中になって食べてしまうようなおいしさがあります。まろやかで複雑な旨味のあるイカの塩辛は、酒のつまみにも、ご飯のお供にも、延々箸を止めることができません。津軽ボンマルシェで以前紹介した「ひろさきマーケット」の高橋信勝氏もここの塩辛のファン。「無添加で塩辛を作る生産者さんは青森県内でもごく少数だと思います。しかもちゃんとおいしさにこだわって作っている。若手社長の磯辺角美さんが頑張って立ち上げた会社です。自分と同世代でもあり、応援したいですね」とのこと。そんなこだわりの塩辛を作る現場を知りたくて、はるばる海辺の町までやって来ました。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

海沿いに建つ、赤羽屋 磯辺商店の社屋。特に晴れた日は、海を望む眺めが絶景です。車で約15分のところには、隆起してできた広大な岩棚が続く「千畳敷海岸」という景勝地もあります。

この地域ではイカを干している様子をあちこちで見ることができます。ロープに干すところも多いですが、磯辺氏の干し場では使っていません。「すぐ焼く場合はロープでいいかもしれないのですが、うちは遠方にも出荷するため、縄跡が付かないよう、木材に干しています」

専用に建てたイカの干し場。虫除け、衛生に配慮し、目の細かい網で完全に囲っています。快晴で冷涼な風のある日は絶好のイカ干し日和。

津軽ボンマルシェ波乱万丈だった東京での暮らしから悟ったこと。

明るく元気な笑顔で迎えてくれたのは、代表の磯辺角美氏。生まれも育ちも鰺ヶ沢です。しかし話を聞くと、今の仕事を始めるまで、磯辺氏の人生はかなり波乱万丈だったようです。地元の高校を卒業後は東京の大学へ進学。カラオケ店でアルバイトをしたことをきっかけに、世間の表も裏も見るような経験をすることに。どこか人たらしなところのある磯辺氏は、自身の采配でサービス精神を発揮し、店のスタッフにも常連客にも気に入られ、お客さんからは直接名指しで連絡が来るほどの人気だったそうです。磯辺氏の活躍で店の売り上げは上がり、学生だというのに当時の磯辺氏には驚くほど収入がありました。大学を卒業後も就職をせずにそのままカラオケ店で働き続け、やがて誘われるままに社員なったそうです。
「あまりに稼いでいたので、普通の会社に就職する気にはなりませんでした。いずれは地元に帰らないといけないという思いもありましたし、起業したいという気持ちもありました」

しかし、磯辺氏は稼いだお金のまっとうな使い方を知りませんでした。夜な夜な街に繰り出しては飲み歩き、ありとあらゆる遊びに精を出して、気付けばお金を使い果たすどころか、借金の塊になってしまったのです。
「東京の夜なんて、若かった自分には誘惑だらけだったんです。お金があればあるだけ使ってしまっていました。若いくせに稼いでいたので、お金に関して完全に麻痺していましたね。全く自慢にはなりませんが、高いところに登りつめた分、落ちた穴は異様に深かったです。ただ、最終的に破産だけはしたくなかったので、弁護士さんに相談しながら、なんとかきっちり返済しました」

天国から地獄のような生活を経験した磯辺氏ですが、あの時の失敗のおかげで学ぶことは多かった、お金に関して感覚が鍛えられた、と今は前向きに語ります。人に真似しろとは決して言えない出来事ですが、若いうちに大きな痛手を受けておいたことで、現在は堅実にシビアな目線で仕事と向き合うことができているといいます。

東京での生活で底辺を味わった磯辺氏は、その後30歳を目前に区切りを付け、実家のある鰺ヶ沢町へ戻ってきました。

素早い手付きで次々とイカを捌くスタッフ。工房のガラス越しに作業の様子が伺えます。工房はわざと汚れが目立つような作りにしたそうで、床に水を流す構造にもしていません。いつもピカピカに掃除が行き届いていることも特徴的です。

捌かれたイカ。実は青森県はスルメイカの漁獲量が日本一だそうです。

新鮮でピカピカなイカのワタ。塩辛には必ずワタを入れます。「うちはワタが命。ワタを入れなければ厳密には塩辛じゃない」と断言する磯辺氏。ワタの酵素作用によって発酵が進み、旨味の素となるアミノ酸が形成されます。

津軽ボンマルシェ他にはない、唯一無二の塩辛を作る意気込み

磯辺氏の実家は40人程泊まれる、比較的大きな民宿で、母親が一人で切り盛りしています。子供の頃から民宿の一角で暮らしていた磯辺氏は、物心付いた時からいつも大勢の人が出入りし、知らない人と話すことも多い環境でした。バブルの時代は毎夜大きな宴会が繰り広げられていたこともあったそうです。飾らず人見知りせず、誰とでも気さくに話し、懐に飛び込める磯辺氏の性格は、そんな幼少時の経験からきているのかもしれません。また、自宅で食べる毎度の食事は民宿の料理の余り物が活用されていました。
「だから子供の頃から塩辛も普通に食べていましたね。特に強く印象に残っているというわけでもないのですが、抵抗もなかったです。宴会料理で余ったお刺身とか、焼き魚の切れっ端とか、とにかく海が近かったので良質な海産物は豊富でした。それなりに自分の舌も鍛えられていたのかもしれません。またイカの町というくらいですし、塩辛はいつも身近にある存在でした」
磯辺氏が自身の事業の主軸を塩辛としたことも、「そこに塩辛があったから」という自然な流れが大きいようです。

会社の設立にも苦労がありました。磯辺氏には「お金がないところからでも商売はスタートできる」という信念がありましたが、当初は母親が営む民宿に関わっていたことから、助成金の申請がなかなか通りませんでした。既に名のある民宿に、若手経営者の新規事業としての支援はできないと言われてしまったのです。東日本大震災の1年後というタイミングもあり、ダメージを受けた経営の借金の保証人になっていたこともネックになりました。それでも諦めずに新たな道を模索し、雇用促進を目的とした別の助成金を見つけました。しかしやはり民宿では申請が降りず、最終的に「もう自分で起業するしかない」というところまで追い込まれました。
「申請の期限も迫っていたので、とりあえず100円ショップで印鑑を買って、税務署に駆け込みすぐさま起業。新規事業者として再スタートしました」

面接官へのプレゼンでは、減塩、低コレステロールと言われる今の時代に、なぜ塩辛なのか?という厳しい突っ込みを受けましたが、磯辺氏は次のように答え、大きな覚悟を決めました。
「塩辛は全国各地で作られており、日本人にとって大変馴染みの深い食材です。自分たちの作る塩辛は、鰺ヶ沢という地域に根ざし、必ず人の手をかけ、しっかりとした本物を作っていきたい。他にはない、ここでしか作れない塩辛であれば、日本中の他の塩辛にも負けることなく、全国規模で広がっていくことを目指せます。それは雇用の促進にも繋がっていくのではないでしょうか」

たくさんの塩辛が熟成されている部屋。仕込み樽はラップでぴっちり閉められ、魚特有の匂いもなく、驚くほどにクリーンな状態が保たれています。

発酵・熟成を経て、いい色合いになってきた塩辛。塩辛作りの工程は必ずスタッフ二人で確認しながら行い、ミスをしないように心がけています。

津軽ボンマルシェ何事にも手をかけた祖母の姿を自身の鏡に。

磯辺氏の作る塩辛は、基本的に青森県産のスルメイカが原料。できるだけ地元で獲れるものにこだわっています。スルメイカは夏のイメージがありますが、俗に秋イカと呼ばれる秋から冬の産卵期の方が、寄生虫も少なく、体に栄養分を蓄えているので、身の質が良いそうです。磯辺氏はその時期には特に集中して仕入れているといいます。そして、今日は絶対に安全と思えるくらいに天候の優れた日を慎重に選び、朝から夕方まで一気に干します。風の強さや温度、湿度も大事で、干し場の柱には温度計と湿度計が設置されています。イカは生鮮食品であり、ちょっとの温度差が品質に影響することも多いため、常に細かくチェックして、干し時間を短くしたり、風の方向によって向きを変えたりしています。

イカスミ入りの塩辛を作るときは、一般的にイカスミペーストを別で購入して使うことが多いそうですが、磯辺氏はスルメイカが持っているイカスミを一本一本手作業で外し、そのまま利用しています。
「そんな風に作っているところは、他にないんじゃないかな。自分はイカスミペーストだとどうしても臭みが気になってしまうんです。食べた最後にふわりと香るくらいの上品な味わいを出したくて。イカ本来が持っている味を自然に引き出せればと思っています」

イカワタに関しても手間暇をかけています。完全に無添加の塩辛の場合、ワタを普通に混ぜるだけでは、数日経つとアンモニア臭が出てしまうそうです。そこでワタを塩漬けにし、何度も塩を取り替えながら、1ヶ月かけて丁寧に臭み抜きをします。時間と手をかけることで味わいは深まり、水分が減少して保存性も高まります。
「イカのワタを塩漬けしてしっかり熟成した塩辛って、食べると本当にうまいんですよ。それはもう、後で添加した味付けとは全然違います」

しかし独自の技術を編み出すまでには相当の労力がかかりました。百貨店の物産展で出会った先輩業者からヒントを教わったり、他社製品の成分表示をチェックしたり、自分でも思いつく限りにあれこれ試して地道な工夫を重ねた結果、少しずつ進化していったとのこと。現在でも改良は続けており、ここ数ヶ月でまた工程も少し変えてみたのだとか。疑問に思えば日々調整したいし、逆にそうじゃないといけないと思う、と話す磯辺氏の言葉には厳しい職人の姿がありました。

それだけ丁寧に手間と時間を惜しまない磯辺氏の仕事への姿勢の根底には、祖母の姿がありました。
「自分はおばあちゃん子でした。うちの祖母は、例えばだしをとるにしても、ひとつひとつ手をかけてしっかりおいしいものを作るような人でした。そんな姿を間近で見ていたことが、自分自身の行動や考え方のベースになっているように思います。もし祖父母が生きていたら、感動を与えられるような塩辛を自分は作っているか。常に問いかけて研鑽を続けています」。
「昭和の塩辛」という商品名も、昭和生まれで昭和の元号が大好きだという磯辺氏が感じる、どこか懐かしい時代の匂いと、祖母が作ってくれた料理への感謝の思いが込められているようです。

現在スタッフは5名。従業員には誇りを持って働ける場所にしたい、と今後への希望を語る磯辺氏。そのためには給料を始め、働く人の待遇を良くし、働く側も責任を持って気持ちよく働けて、技術を磨いていけるような仕組みを常に考えていきたいとのこと。鰺ヶ沢をアピールしながら、地域の雇用促進、地元の活性化に少しでも繋がっていけるよう、売り上げにも一層力を入れていきたいそうです。海辺の小さな町から、希望に満ちた熱い風が吹いてくるのを感じました。

赤羽屋 磯辺商店を代表する商品である塩辛。全て無添加で、イカの他に材料は食塩、味噌、清酒、唐辛子のみ。定番の「昭和の塩辛」と、コクのあるスルメイカの墨をふんだんに使用した「北の黒づくり」。

住所:青森県西津軽郡鰺ヶ沢町赤石町大和田39-43 MAP
電話:0173-82-0138
http://akabaneya.com

山口県を身近に感じる逸品たち。そのふるさとを訪ねて。[やまぐち三ツ星セレクション/山口県]

やまぐち三ツ星セレクションOVERVIEW

本州最西端に位置する山口県は、日本海、瀬戸内海、響灘と三方を海に開かれ、一年中、海山の幸に彩られています。
県内にあまたある名産品の中でも、地元の人も自信を持って推薦する本当に美味しいものを味わいたいという声が聞かれます。そんな中で注目されているのが「やまぐち三ツ星セレクション」です。

山口をもっと知ってほしい、もっと身近に感じてほしい。そんな思いから誕生した「やまぐち三ツ星セレクション」は、地元金融グループである山口銀行と地域事業者が連携して設立した、魅力的な山口県産品の販売・開発に取り組む「地域商社やまぐち」によるオリジナルブランドです。今回は、その厳選された商品リストのなかから、肉、日本酒、スイーツの3商品に注目し、ONESTORY取材班が生産の現場へ。各商品が逸品と評価される理由を解き明かしながら、作り手の秘めたる思いに迫りました。

生産者のこだわりが詰まったいずれの商品も「やまぐち三ツ星セレクション」のHPから購入できます。山口をもっと知り、もっと身近に感じられる。そんな出会いがにそこには待っているはずです。

知らないと損をする! 佐賀県が美食に包まれる1ヶ月がいよいよ開幕![佐賀ガストロノミー会議/佐賀県唐津市]

2016年に佐賀県有田市で開催された世界料理学会の模様。日本を代表するシェフ達が集結し、今後の料理界について討論した。佐賀県が食の世界に力を入れている事が伺える。

佐賀ガストロノミー会議大きなうねりの中で“美食”を紡ぐ佐賀という可能性。

みなさん、佐賀県と聞いて何を思い浮かべますか?

福岡県と長崎県に挟まれて、少し地味な県という印象を持つ人もいるかと思います。でも、それはまったくの誤解だということをここでは強く言いたいのです。長く日本の地域の魅力を伝えてきた我々ONESTORYは知っているのです。佐賀県の本当の実力を。世界に誇るべき地域資源の宝庫だということを。

有田焼や唐津焼を筆頭に国内屈指の陶磁器の産地であり、有明海と玄界灘という2つの海を擁する魚介パラダイスであり、日本酒、佐賀牛、米、農産物と、食材自給率の高さも国内屈指。さらには2020年3月には、世界中の美食家が佐賀県を目指すといいます。

そう、佐賀県は「器×食材×料理人」という地域の資源を活用し、2020年、美食の街として、新たな船出の時を迎えているのです。その先陣は、3月14日と15日の2日間で開催される『SAGAガストロノミー会議』。さらにその10日後の3月24日には『アジアベストレストラン50』。日本だけにとどまらず、世界中の美食家や料理人が注目する、美食の祭典が2020年の3月という短い期間の中で、佐賀という日本のローカルエリアで、なんと同時期に2つも開催されるというのです。

その潮流の源は、官民一体となった佐賀県の熱意にあると確信しています。世界一の美食の街“スペイン・サンセバスチャン”と並ぶ、食と器の文化創造圏を創出し、地域を活性化したい。数年前から始まった、そんな強い思いをもとに、今、美食の街への流れは結実の時を迎えようをしているのです。今まで佐賀県を訪れたことがない人、食べることがとにかく好きな人、海の資源や環境問題に少しでも興味がある人。

そのすべてを満たす1ヶ月がまもなく佐賀県に訪れます。我々ONESTORYもまた、この3月は、佐賀県を行った来たりするつもりです。『世界に誇れる佐賀』3月にこの地を訪れれば、そう思わざるを得ない、初春の美食イベントがまもなく始まります!

2020年3月24日には『アジアベストレストラン50』が開催され、世界各地のフーディーが佐賀へ集結。

佐賀ガストロノミー会議3つの美食プログラムで、多角的に食を楽しむ!

先陣を切る「SAGAガストロノミー会議」の詳細とは?これは唐津市を中心に、期間中3つの美食プログラムをマリアージュさせることで、美食を文化として捉えていこうという意欲的な試みです。

まずひとつめは「料理学会」。世界で活躍する気鋭の料理人や、食のプロフェッショナルが佐賀に集い、今、世界の潮流となっている美食の指針や、叫ばれている食の実情、未来の食などについて、トークセッションや発表を交えながら、検証していくといいます。

今回はそのトークセッションのプログラムを佐賀県庁から依頼を受けたONESTORYがプロデュース。当メディアでこれまで取材させていただいたシェフや、現在の食シーンが抱える様々なテーマを各界のトップランナーをお招きして、来場者にわかりやすくお伝えしていきます。

2つ目は「見本市」。佐賀県の食品・加工品・陶磁器などを、広く紹介するといいます。
ですが、単なる見本市と侮るなかれ。例えば陶磁器は、国内外のトップシェフが集うこの場で、器の創り手である有田焼や唐津焼の職人との交流を通じて、プロの料理人のニーズやウォンツを聞き、カスタムメイドで創りあげるという取り組みです。
そう、それは400年以上の歴史を紡いできた有田焼や唐津焼だからこその姿勢なのです。伝統を継承しながら時代や市場のニーズに対応し、変化を遂げてきた有田焼。その歩みをプロの一流料理人とともに紡いでいこうというのです。

3つ目は「バル」。3月14日の夕方から唐津商店街の飲食店では、回遊型の飲食イベント「バル」を開催。スターシェフや地元料理人のコラボ料理などを多数用意し、ここでしか味わえない期間限定の料理の数々を提供します。訪れたゲストは、5枚綴りのチケットを手に参加飲食店をはしご酒できる食イベントに。ほかにも食にまつわる映画上映や、プレミアムコラボディナー、カレーライブクッキングなど、盛り沢山な内容に。

ガストロノミーという言葉自体、料理と文化を科学的に考察するフランスを起源とした食文化に向き合う考え方であり、料理を中心として様々な文化的要素を取り込み科学的に土地と料理と文化を考察しようという考え方。佐賀で考える、料理と文化という新たなる可能性。

3月の佐賀。そのキーワードは美食とガストロノミー。
まずは3月14日と15日の2日間で開催される『SAGAガストロノミー会議』をお見逃しなく!

「料理学会」のイメージ。世界を代表するシェフ達が集結し、これからの食の未来について考えていきます。

「見本市」のイメージ。佐賀県のあらゆる物産を網羅でき、その場で生産者や職人と知り合える場です。

「バル」のイメージ。『アジアベストレストラン50』にも選出されているシェフ達が、この日限りのコラボ料理を提供し、はしごしながら楽しめます。

【実施概要】
開催日:2020年3月14日(土)、15日(日) 2日間
メイン会場「唐津市民会館/大ホール」
〒847-0014 佐賀県唐津市西城内6番33号
サテライト会場「KARAE/シアターENYA」
〒847-0045 佐賀県唐津市京町1783
料金:2日間通しチケット2,000円、1日チケット1,000円
※関連イベントは一部有料

<お問い合わせ先>
サガマリアージュ推進協議会(佐賀県産業労働部産業企画課内)
〒840-8570 佐賀県佐賀市城内1-1-59
電話: 0952-25-7585

こんな所に注目!!

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皆さんこんにちは晴れ

 

2月になって一段と寒い日が続いていますねあせる

暦ではもう春なので早く暖かい日がきて欲しいですねチューリップ赤チューリップオレンジ

 

 

今回はキャラ工房から紹介したいと思います音譜

 

 

皆さんデニムストリートへ来て下さった方は一度

もしかしたら目にしているかもしれませんが、

通路にこんな看板があるのです下矢印下矢印

 

 

 

これ、キャラ工房への案内看板なのですがちゃっかり

シーズンのイベント事におすすめしている商品や

看板のテーマが変わっているのですビックリマーク目

 

 

 

 

 

 

 

その時に入荷した商品だったりを紹介しているので

随時見てみて下さいね付けまつげ

 

 

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その男の手にかかれば、おいしくならない肉はない。[サカエヤ/滋賀県草津市]

2017年9月21日、旧店舗からレストランを併設した新店舗に移転オープン。

サカエヤ決して便利ではない場所なのに、世界中から人が訪れる肉屋。

滋賀県草津市に、イタリアやアメリカなどからも美食家がわざわざ足を運ぶレストランがあります。それが、「セジール」。母体は肉の精肉屋「サカエヤ」です。セジールの話をする前に、まずサカエヤについて知っていただきましょう。
 
滋賀県で肉とくれば近江牛、のセオリーに反し、サカエヤでは近江牛を前面に打ち出していません。扱うのは、北海道のほぼ野生と言える牛肉や、三重の農業高校で育てられた豚肉など、何のブランド名もつけられていない肉ばかり。しかしどれも、店主の新保吉伸氏が、動物の命とそれを育てる生産者への尊厳を込め、世に送り出した唯一無二の銘柄です。

【関連記事】セジール/この店で誰もが知る、「肉は、エンターテインメントだ」。

新規のオーダーがあった場合は、その料理人の料理を食べ、どう使われるかを知ってから売るという。

サカエヤ何をしても続かない性格だから、これだけは本気でやろうと思った。

もともと父親が精肉店を営んでいましたが、新保氏が1987年に創業した「サカエヤ」はその跡を継いだわけではありません。父の背中を見て育った新保氏は「この仕事は絶対にやりたくなかった。朝は僕が起きればもういないし、寝る頃にはまだ帰ってきていない。何より肉の匂いが嫌いでした」と振り返ります。それが、高校卒業後に父と同じ仕事に就くに至ったのは、自分が起こした車の事故が原因。弁償するお金を払うため、父親の弟子が開いた店を手伝うことになった、というやや後ろ向きなきっかけでした。
 
それが今や業界では知らない人がいない、『肉の巨匠』と呼ばれる存在に。「僕は度がすぎるほどの不器用やったんです。途中から他の仕事なんてできないとわかっていたので、この仕事で一生懸命やろう、と観念したんです」と控えめに語りますが、新保氏の心にあったのは「人と同じことをやっていたら埋もれてしまう」という危機感。近江牛は400年の歴史があり、地元では100年や200年続いている肉屋も珍しくない世界。新参者が太刀打ちできるわけもなく、味での差別化も難しい。「極論ですが、少し特別な牛肉を作ったところで、目をつぶって食べれば和牛などどれも一緒。おいしいかおいしくないか、それだけです」。

「僕は独立して31、32年ぐらい。この業界で言えば新人もいいところ」。

サカエヤ「面倒な頼まれごと」から生まれた幻のポーク。

しばらく柱となる肉を見出せずに模索する中で、新保氏は知人からある相談をされます。それは、三重県にある愛農高校という農業高校に通う親からの、「自分の息子が学校で育てている豚肉がとにかくおいしいから一度食べて欲しい」という依頼。愛農高校は日本の私立では唯一、有機農法で農業を教える全寮制の高校でしたが、少子化や農業離れから入学者が定員割れをしている状況でした。

清潔な豚舎で、ノンストレス・投薬なしで育てられる愛農ナチュラルポーク。

サカエヤ「こんなにおいしい豚肉は食べたことがない」と誰もを言わしめた。

そうは聞いても豚肉には興味もなく二の足を踏んでいた新保氏ですが、「あまりにも熱心だから送ってもらって食べたところ、驚くほどのおいしさだったと言います。同校では「神・人・土を愛する」というキリスト教の基本精神のもと、50名ほどの生徒が「養豚」「酪農」など6部門に分かれ、化学肥料や農薬を用いない自然農法で野菜や乳牛、鶏などを育てています。ビジネスではなく授業の一環として、一頭一頭に愛情をかけ命に感謝し、年間わずか100頭ほどの豚を出荷しています。
 
その豚肉に惚れ込んだ新保氏は、なんとかこの豚肉のおいしさを多くの人に伝えたいと考えました。「豚肉がきっかけで1人でも興味を持ってこの学校に入ってくれれば」。そうして知り合いの料理人に試食してもらうと、誰もが「こんなにおいしい豚肉は食べたことがない」と称賛し、またたく間にメディアで話題に。新保氏が「愛農ナチュラルポーク」と名付けた豚肉は、今では使いたいという料理人が順番待ちをするほどで、たまにインターネット上で一般販売を行うと1頭分がたった5分で売り切れるそうです。もちろん愛農高校の知名度も上がり、入学希望者も増加。「少しは役に立ったのかなあ」と新保氏は手応えを語ります。

人との「つながり」を大切にする新保氏。誰に対しても物腰柔らかく、気さくだ。

サカエヤ全て、ひたむきな生産者の「SOS」に応えていった結果。

そんな「肉の魔術師」のもとへは、救済を求める畜肉の話が舞い込んできます。「愛農ポークは肉自体がおいしかったからまだ良かったものの、次に来たのは、本当にどうしようもない牛でした」。なんと、愛農高校の養豚部部長の母親が北海道で牛を育てており、今度はその牛肉を何とかして欲しいと頼まれたのです。牛は、北海道様似郡にある駒谷牧場で西川奈緒子氏がたった一人で育てているアンガス牛。山林で通年放牧、自然交配のほぼ野生牛で、脂身はほとんどなし。「和牛ならともかく外国牛……これは無理」と断ろうとしたものの、当時はまだ年間出荷が2〜3頭だったため、ポケットマネー程度で何とかできるかもしれないと考え、腰を上げました。
 
柵で囲って脂を蓄えさせる和牛と違い、放牧なので赤身が強く筋肉質、人間でいうとアスリート体型の駒谷牧場の牛。さらに水分量が非常に多く、焼くと半分が肉汁となって流れ出てしまう問題児でした。そこで、水分を抜くため熟成させることに。サカエヤでは温度と湿度を変えた4台の冷蔵庫を使い分けることによって、肉の様子を見ながら保存状態を徹底管理しています。「肉の住まいを変えてあげるんです」。新保氏のいう「熟成」とは一定の温度を保つ冷蔵庫で肉を「寝かせる」ことで、肉が持っている酵素によってたんぱく質が分解されアミノ酸へ変化する、生物学的でいうところの「自己消化」です。かれこれ5年ほどかけ、ようやくこの牛をドライエイジングによって水分調整し、香りと旨みのある肉質にすることに成功しました。究極の野生赤身肉、ジビエのようなビーフという意味で「ジビーフ」と名づけ、日本で数少ない有機JAS認定を取得。当然、脂っ気がまったくない赤身肉のため肉質は硬めですが、「それも含めて求められているのです。柔らかい肉が良い肉だという時代は終焉です」と新保氏は口調を強めます。

ドライエイジングによって新たな需要を生み出し、廃棄、加工品扱いとなる牛を少しでも減らしたいと願う。

「品種だ血統だというが、忘れてはいけないのは人が関与していること。誰が育てているのか。一番大事なのは人じゃないかな」と新保氏。(写真提供:世界文化社)

サカエヤチーズで有名でも、肉牛としては正当に評価されなかった。

次も厄介な牛が来ました。チーズで有名な岡山の吉田牧場で、健康な状態にもかかわらず子牛を産むことができなくなり、ペットフード用など加工用に安く売られる牛たちです。同牧場の吉田原野氏は「肉質が悪いわけではなく、乳肉兼用種なので適切に扱ってもらえればおいしいはず」と、新保氏に託しました。これも簡単な案件ではありませんでしたが、前回のジビーフを経験したおかげで、どう“手当て”すれば良いかを約3年かけて導くことができました。今では料理人が興味を持って使ってくれるようになったものの、「すべての部位がキレイに売れるわけじゃない」と新保氏は明かします。「バラやスネなど使いにくい部位は必ず余る。余れば自分で食べればいいだけのこと。僕は数字を追いかけるような仕事はしたくないので、いまのスタンスが性に合っているのかなと思っています」。

ショーケースは一般の肉屋よりワイドな高さと幅に設計。商品点数が多く、種類も細かい。

サカエヤうちは小さい肉屋だから、諦めています。

新保氏は、生産者から肉を「買う」のではなく「預かる」と表現します。生産者、料理人、食べる人。自分はその間を繋ぐ役割であると考えています。したがって、生産者から預かった肉を自分がどうにかしておいしい肉にし、料理人に引き継ぐ。どんなに手間がかかっても“手当て”をします。だから、取引先はマックスで40件ほど。「僕と若いスタッフ3人でやってますからこれが限界です」。新保氏が求めるのは利益より「面白いかどうか」。これがたくさんの従業員やその家族を抱えている大手肉屋なら経営が立ち行きません。「儲ける、というのはもう自分も従業員も諦めています。まずは自分たちが誇れるようなことやりたいなって。それだけですね」。
 
そうしてレストラン「セジール」を作ったのも、決して利益を求めたからではなく「実験室」が欲しかったからでした。それが、世界から食通が目指す一軒になってしまった理由は、後編でお伝えします。

2019年7月刊行の著書『どんな肉でも旨くする サカエヤ新保吉伸の全仕事』(世界文化社)好評発売中。https://www.sekaibunka.com/

「セジール」では黒毛和牛を熟成の好みに合わせて目の前でカット。肉料理に合うワインも揃える。(写真提供:世界文化社)

住所:滋賀県草津市追分南5-11-13 MAP
電話:077-563-7829
営業時間:10:00〜18:00
休日:水曜・最終火曜
http://www.omigyu.co.jp/
(写真提供:サカエヤ、世界文化社)

年齢も経歴もバラバラ。そんな津軽の“ONE TEAM”が醸す、今注目のシードル&ワインとは?[TSUGARU Le Bon Marché・GARUTSU/青森県弘前市]

弘前市代官町の醸造所を訪れた日は、ちょうどシードル造りの真っ最中。日々果汁の比重を測定し、発酵の進み具合を管理する。

津軽ボンマルシェここはりんご畑の中にあらず。街の中心地、気軽に通えるシードル醸造所。

日本一のりんご生産量を誇る青森県弘前市。りんごから造られるシードルもまた、弘前市と深い関係がある飲みものです。昭和28年、弘前の酒造メーカーの代表が欧州へ視察訪問、帰国後の翌年にシードル製造会社を設立し、昭和31年に発売されたのが日本で最初のシードルだったとか。平成26年には弘前市が「ハウスワイン・シードル特区」となり、現在では“シードルの街” として、大小さまざまなメーカーが独自の味を追求しています。市の郊外に広がるりんご畑周辺には、以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した「弘前シードル工房kimori」など多くの醸造所が。そんな折、2017年に登場し注目を集めたのが『GARUTSU代官町醸造所』でした。

こちらのコンセプトはずばり“街なかの醸造所”。ほとんどの醸造所が郊外のりんご畑に近い場所に位置する中、『GARUTSU』がある代官町はJR弘前駅からも近い街の中心地。しかも近所には『bambooforest』や『green』といったこじゃれたセレクトショップが並ぶ、感度の高い情報発信地的エリアです。「これまでシードルは、造る場所と飲める場所が離れていたんです。街中に醸造所を作って出来立てのシードルを提供し、地元の人にも観光客の方々にも、シードルをもっと身近に感じてほしいという考えが発端でした」と語るのは、醸造責任者の白戸孝幸氏。「それにここ数年、東京近郊では料理とシードルを合わせる人が増えている。一方、産地である津軽には、料理とのマリアージュを楽しめたり色々な種類のシードルを飲めたりする店がまだなかったんです」と続けます。

工房の入り口はカウンターのあるカフェレストラン。メニューには、シードルとの相性を考えた料理が並びます。そして特筆すべきはドリンクメニュー。店のいちおし、店内奥の醸造所で造った自家製「樽生シードル」は、出来立てならではのフレッシュな味わいが楽しめます。さらに『GARUTSU』オリジナルのシードルやアップルワインを常時数種類揃えるほか、津軽をはじめ県内の主要メーカーの銘柄もずらり。ここへ来れば、今の青森の人気シードルを網羅することができるのです。シードル好きにとって、なんとたまらない場所ではありませんか!

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

JR弘前駅から徒歩10分ほど。代官町の一角にある『白神ワイナリー Cider Room GARUTSU』の店の奥に、シードル醸造所がある。この2月にリニューアル、店名も新たに営業をスタートする。

「うちの商品だけでなく、シードル自体に興味を持ってもらえる場にしたい」と白戸氏。レストラン店内から醸造所内が見える設計に。

レストランでは、シードルの食中酒としてのポテンシャルを感じられるメニューを提供。写真は五所川原市産の馬肉を100%使用した「桜ハンバーグ」。自社醸造酒の飲み比べセットも人気だ。

『GARUTSU』が手掛けるさまざまなタイプの酒。酒好きでも満足できる味にと、ドライで強炭酸、飲みごたえのあるタイプが揃う。(ラベルデザインは2019年12月の取材時のもの)

津軽ボンマルシェ日本初! 世界遺産の地で醸すシードル&ワインへの挑戦。

レストランからガラス越しに覗くことができる『GARUTSU代官町醸造所』内には、大きなタンクがふたつ。「9月から2月頃までがシードルの醸造期間。近隣の契約農家から、傷が付いたり色ムラがあったりする規格外の食用りんごが届きます」と語るのは、醸造と料理監修を担う今祥平氏です。「こちらの醸造所ではレストランで提供する樽生シードルのほか、よくビールに使われるエール酵母を使用した限定シードルなどを造っています。製造量は年間3000ℓほど。西目屋の方は、それよりさらに増やしていく予定です」と白戸氏。

西目屋村といえば市の中心地から車で20分ほど、世界遺産・白神山地の入口として知られる地区。実は昨年11月、この地に『GARUTSU』2ヵ所目となる醸造所『白神ワイナリー』が誕生しました。“街中”がコンセプトの代官町と違い、こちらの売りは西目屋産のりんごと白神山地で採取された酵母で造る地域密着型シードル。さらに施設名通り、西目屋産のぶどうからワインの醸造も行います。代官町で醸造を始めてからわずか2年での大幅な事業拡大。それを後押ししたのは、地元の人々のサポートに他なりません。「私たちのチームは、何より青森のことが好き。醸造所の増設に辺り、もっとたくさんの地元の方々に私たちのことを知ってもらいたいと考えました。最初にクラウドファンディングのアイデアを提案したのは取締役の相内英之。地元の人を巻き込もう! とプロジェクトが始まりました」。そう話す久保茜さんは、『GARUTSU』でブランディングや広報を務めるスタッフ。久保さんを中心に立ち上げたワイナリー新設のためのクラウドファンディングは県内で大きな反響を呼び、4週間で110万円を集めました。

『白神ワイナリー』があるのは、西目屋村のランドマーク『道の駅 津軽白神』内。代官町の醸造所の倍以上あるスペースには1000ℓの果汁が入る大型タンクが並び、道の駅の店内から醸造中の様子を見られるようになっています。オープンから2ヵ月後の今年1月には、初リリースとなる「しらかみピュアシードル」を発売。現在もタンクはフル稼働。今後、随時さまざまな商品を発売していく予定です。

『道の駅 津軽白神』の一角、イートインのカウンター席の向こうに、1000ℓ用タンク2本、500ℓ用タンク2本、さらに500ℓ用のプラスチック製容器2個が揃うワイナリーが。

日本で初めて誕生した、道の駅内にあるワイナリー。白戸氏曰く「世界遺産に登録された場所で造るお酒としても、おそらく日本初でしょう」。

80箱分のりんごの圧搾が終わった後に、大量の搾りかすが残された。これらは自社のぶどう農園のたい肥として活用する。

昨年リニューアルオープンした『道の駅 津軽白神』。店内の売店では、もちろん『GARUTSU』のシードルが販売されている。(ラベルデザインは2019年12月の取材時のもの)

白神山地目当ての観光客が立ち寄る観光スポットでもある。入口でポーズを取って写り込んでいるのは取締役の相内氏。「自分より、現場を動かすスタッフたちを一番に取り上げてほしい」との希望付きの取材だった。

津軽ボンマルシェメンバーの多様さ=GARUTSUらしさ!? 運命共同体のチーム。

『GARUTSU』の誕生には多くの人が関わっています。始まりは、弘前出身・東京在住で飲食店経営などを手掛けるオーナー・笹島雅彦氏の「地元・弘前で地域ならではの酒文化を発信したい」という想いでした。設立にあたりスタッフとして声を掛けられたのが、以前からの知人であり、現在取締役を務める相内秀之氏。オープン時には、都内初のワイナリーとして話題を呼んだ『東京ワイナリー』で指導を受けたほか、日本全国20ヵ所以上のワイナリーを巡り、醸造の知識を深めたそう。白戸氏と今氏、久保さんは相内氏に誘われ、昨年から入社。現在は相内氏を中心とした津軽在住メンバー6名で『GARUTSU』の運営を行いますが、実はほとんどのメンバーが醸造に関わるのはこれが初めてなのだとか。

例えば白戸氏は寿司職人歴25年の元料理人。小学校からの同級生という相内氏との縁がきっかけでチーム入りを決めたそう。「お酒も好きだし、話を聞いたとき、なんだかわくわくしたんです。新しいことに取り組むのはやっぱり楽しいですよ。43年生きてきて、まさかの展開ですが(笑)」と笑います。一方の今氏も、居酒屋やカフェ、イタリア料理店などさまざまな業態に10年以上携わってきた飲食業経験者。料理のほかワインやコーヒーの知識もあるため、醸造のかたわらレストランのメニューを監修、スタッフの育成も担当します。ほかのメンバーが弘前出身者なのに対し、久保さんは群馬県出身。弘前大学に進学後に津軽の魅力に開眼、首都圏で数年営業の仕事をしたのち、再び弘前へ戻ることを決意したという“津軽愛”あふれる20代です。

取材当初に感じたのは、登場人物の多さとスタッフの経歴の多彩さを記事の中でどうまとめるか……という悩み。しかし話を聞き進めるうち、それこそが『GARUSTU』らしさなのだと気付きました。「うちは何か決めるとき、大抵全員で話合いをします。経験者の集まりではない分、誰かがいないとできない仕事や職人じゃないとできない仕事を目指すのではなく、みんなで成長していきたい」と白戸氏。今氏が「うちのチームは石橋を叩いて渡るのではなく、とにかくみんなで『渡っちゃえ!』と進んでいる感じ。課題だらけですよ(笑)」といえば、久保さんが「誰かが想い余って暴走しそうなときは周りが全力で止めるし、本人もみんなの話を聞くし。誰が欠けてもだめなんです」と笑いながら続けます。

年齢も経歴もバラバラ、醸造は手探りのことも多いチーム『GARUTSU』ですが、「大好きな津軽のために何かしたい」という想いこそ、全員に共通する原動力。ちょっと前のめりだけれど勢いがあって、何より彼ら自身が一番楽しそう! そんな姿から、このチームの真の強さが伝わってきたのでした。

寿司職人としての経験を、レストランのメニューにも活かす白戸氏。醸造の魅力ついて「りんご果汁からどんなお酒ができるのか、漠然としたものが形になる楽しさですね」と話す。

学生時代から地域に根差したさまざまな活動を主宰してきた久保さん。弘前でも顔が広く、以前紹介した『おおわに自然村』三浦隆史氏などの若手生産者とも交流が。シードルアンバサダーの資格も持つ。

「醸造は生きものが相手。料理と違い、目分量や感覚だけでは造れない理系の世界で難しさもありますが、そこがおもしろい」と今氏。『白神ワイナリー Cider Room GARUTSU』では自ら料理を作り、サービスすることも。

津軽ボンマルシェ地域資源は宝物。津軽の酒が、世界を驚かす日を夢見て進む。

地域の資源を活用した商品作りを進める『GARUTSU』。代官町の工房で造るドライな味わいの「MIXシードル」は、どちらも津軽の名産品であるりんごのふじと、ぶどうのスチューベンを使用しています。スチューベンは岩木山のふもとの自社農園で減農薬栽培されたもの。前の畑の所有者が手放すことを聞き、引き継ぎを申し出た場所なのだそう。そして今『白神ワイナリー』の醸造タンク内で発酵中なのが、西目屋の山ぶどうを使ったワイン。遠方のワイナリーとの取り引きに負担を感じて廃業を考えていた地元生産者との偶然の出会いがきっかけとなり、今後も生産を継続してもらえることになったのだとか。「今後はワインにも力を入れたい。100%白神の素材だけで作った、地域を代表する土産品として売り出せたら」と白戸氏。春から秋にかけて水陸両用が運行し、見学ツアーが開催される津軽ダムは西目屋の人気観光スポットですが、ダム内にあるトンネルでワインを寝かせ、熟成させる計画も進行中。さらに地元産の生乳からチーズやアイスを作るなど、シードル&ワインと一緒に楽しめる新たな商品の開発にも意欲を燃やします。

チーム『GARUTSU』の視線は、地元津軽だけに向けられているわけではありません。この2月から始まるのが、海外でのシードル販売。既に台湾での展開が決まり、今後はタイやシンガポールへの進出も視野に入れています。現在取り組むのが、そうした海外の顧客が好む味わいのシードルを独自に製造すること。「海外へ視察を重ねる中実感したのが、日本人と外国人の味覚の好みの差。既に海外進出している津軽産のシードルはありますが、どれも国内向けに造ったものをそのまま販売しているため、売れずに棚落ちしているケースもありました」と白戸氏。『GARUTSU』のシードルは甘みを抑え、ドライでさっぱりしたアルコールが高めのものが主流でしたが、まずは台湾向けに、現地で好まれるりんごの甘さを前面に打ち出したシードルを醸造予定とか。昨今、ブランドりんごとしてアジア圏で大人気の津軽産りんご。これを機に、そのブランド力がさらにアップすることは間違いありません。

さて、みなさんはもうお気づきのことでしょう。社名の“GARUTSU”は“津軽”のアナグラムということを。あふれんばかりの地元愛と情熱を基盤にまい進するチーム『GARUTSU』。今後も新商品や新たな企画で、私たちを驚かせたり、楽しませたりしてくれるはず。その勢いが止まることは当分なさそうです。

静かに発酵が進む山ぶどうのワイン。味見をして「思ったより酸っぱい。大丈夫かなぁ(笑)」と苦笑いの白戸氏。初めての白神産ワインの完成が待たれる。

白ワイン酵母で造るアップルワイン「CITRINE」とビール酵母を使ったシードル「ALE」は、この冬発売の新商品。ラベルデザインは今氏が手掛けた。

津軽らしく酒好き集団だというチーム『GARUTSU』。しょっちゅうみんなで飲みに行くほど仲がいい。その証拠に、取締役である相内氏のSNSにはスタッフたちの楽しそうな姿の写真が頻繁にアップされる。

住所:青森県弘前市代官町13-1 MAP
電話:0172-55-6170
営業時間:18:00〜23:00
定休日:月曜日(月曜が祝日の場合翌火曜)
http://garutsu.co.jp/
※醸造所内の見学は応相談

住所:青森県中津軽郡西目屋村大字田代字神田219-1 道の駅 津軽白神内 MAP
電話:0172-85-2886
※醸造所内の見学は応相談

下関の知られざる名物。水揚げ日本一のあんこうの魅力を追って。[Fisherman’s Wharf Shimonoseki・あんこう/山口県下関市]

フィッシャーマンズワーフ 下関・あんこうOVERVIEW

冬の下関漁港市場でひときわ異彩を放つのが、旬を迎え丸々と太る、あんこう。
茨城県以北の太平洋沿岸が産地のイメージが強い高級魚ですが、実は下関は、漁港単位では日本一の水揚げ量を誇ります。

からだはぬめぬめ、顔は強面。鮮度の証は腹で見ると言われる通り、市場ではすべて白いお腹を丸出しにして仰向けに。
その巨体たるや1匹で箱から飛び出すものもいるほど。冬の市場内で大スペースを占め席巻する、日本一のあんこうの実力とはいかに?

日本一の水揚げを支える沖合底びき網漁業の漁師に、あんこう尽くしのフルコースレストラン、新たな商品であんこうに活路を見出す熱血社長まで、水揚げ日本一の高級魚の真実を追ってみました。

すると見えてきたのは、ふぐにも負けない多彩な魅力。捨てる部位がなく、とにかく旨い! 日本一の産地には、知られざるあんこうの魅力が詰まっていたのです!

【関連記事】FIsherman's Wharf SHIMONOSEKI メインページ/豊かさの再発見。改めて知る海峡の街・下関へ


(supported by 下関市)

琉球王朝時代の“ロイヤルスピリッツ”を、交易の地・勝連城跡の夜に蘇らせる。600年の歴史を持つ日本最古の蒸留酒・泡盛のペアリング。[DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS/沖縄県うるま市]

「三種芋のリキットアップ」と「泡盛マティーニ」。『アルケミスト』自家製ベルモットはよもぎがベース。

ダイニングアウト琉球うるま交易の要衝を舞台に、王朝時代からの「おもてなし」の酒と料理を合わせて。

2020年1月18日、19日に開催された『DINING OUT RYUKYU URUMA with LEXUS』。回を重ねるごとにアップデートされていく『DINING OUT』ですが、18回目となる今回は、アジア発、世界を沸かせる2人のシェフのポップアップユニット『GohGan』が登場し、大きな話題を呼びます。『Asia's 50 Best Restaurants』において4年連続1位に輝き、現在はタイ・バンコク『Gaggan Anand』を率いるガガン・アナンドシェフと、九州で唯一、同アワードにランクインした福岡『La Maison de la Nature Goh』の福山剛シェフによる『GohGan』。ポップアップとしてはこれが最後の舞台ということで、さらなる注目を集めました。会場は沖縄本島中東部に位置するうるま市の世界遺産・勝連城跡。世界遺産がディナーの本会場になるのは、『DINING OUT』史上初めてのことです。

沖縄では南城市を舞台にした『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』に続く開催となりましたが、会場となる地域やテーマ、料理人の個性と土地へのアプローチで表現は、がらりと変わります。それは、たとえ山羊やマグブなど、同じ食材を使用したとしても。単なる野外レストランではない『DINING OUT』の魅力を改めて感じさせる勝連城跡の二夜でしたが、『GohGan』による15皿のコースをさらに特別なものにしたのが、泡盛を柱にしたドリンクペアリングでした。

15世紀、按司(首長)として地域を治めた阿麻和利の居城だった勝連城は、中国、東南アジア、日本本土と海外貿易を行い、繁栄を極めた土地です。異国の人々を受け入れ、文化に寄り沿うことで発展してきた土地には、「おもてなし」の心とともに「気高さ、心の豊かさ」を意味する「肝高」の精神が受け継がれおり、それはそのまま、今回の『DINING OUT』のテーマに掲げられます。「肝高」「おもてなし」の宴に寄り沿う泡盛ペアリングは、一体どんなものだったのか。そもそも泡盛とはどんな酒で、どのように受け継がれてきたのか。泡盛を語る上で外せない2人のキーマンの話を含め、お伝えします。

【関連記事】DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS

ペアリングドリンクと料理のマリアージュを説明するサービススタッフ。ライトアップされた勝連城跡をバックに。

ダイニングアウト琉球うるまディナーの幕開けは、泡盛のイメージを覆す、秘蔵の古酒で乾杯。

ディナーは、特別な泡盛での乾杯からスタートします。2017年の泡盛鑑評会で沖縄県知事賞を受賞した泡盛の最高峰ともいうべき酒。那覇市の隣、豊見城市にある泡盛のトップメーカー『忠孝酒造』秘蔵の古酒(くーす)で、最短で17年、長いものでは30年以上熟成させた泡盛がブレンドされています。代表の大城勤氏自らが、ステージに用意された一斗の甕から、カラカラ(陶製の酒器)に酒を汲み分けてくれます。

そもそも泡盛というお酒にどんなイメージを抱いているでしょうか。沖縄の居酒屋や沖縄料理店で楽しむ「度数が高くて、クセの強い焼酎」。そんな風に考える人が多くても仕方ありません。酒を汲み分けながら、大城氏の簡単な解説が始まります。
「泡盛は、600年の歴史を持つ日本の蒸留酒のルーツで、沖縄の誇り。かつて海路で沖縄にやって来る多くの使節団を、宴席でもてなす際も、必ず泡盛が振る舞われました。そのときに用いられたのが、皆さんにお配りしているちぶぐゎーという酒器。これは世界最小の酒器といわれています。泡盛の古酒は大変希少なものなので、小さな酒器で大切に頂いたというわけです」

ちぶぐゎーは、小粒な栗の実ほどの、本当に小さな酒器。大城氏からカラカラを受け取ったサービススタッフたちが、テーブルを回り、その小さな小さな盃に希少な古酒を注いでいきます。ホストの中村孝則氏の声かけで乾杯し、ごく少量を舐めるようにちぶぐゎーから口へと運ぶゲストたち。馥郁たる香りととろりとしたテクスチャー、舌の上から後味までめくるめく変化を見せる味わいで、静かな感嘆のため息が会場を包み込みます。

『忠孝酒造』秘蔵の長期熟成古酒。自社の工房で焼く甕には美しい窯変が見られる。

大城氏自らもテーブルを回り、古酒をサーブ。高いところから泡を立てるように注ぐのが作法で、昔の人は泡の様子でアルコール度数を見たのだとか。

ダイニングアウト琉球うるま甕から自社製。品質のため、「祝い」と「絆」の古酒文化を未来へ繋げるため。

『忠孝酒造』は、沖縄県内に47社ある泡盛メーカーの中で、古酒を熟成する甕を自社で製造する唯一の蔵です。ディナーの冒頭で、大城氏が古酒を汲み分けた一斗の甕も、もちろん自社製。泡盛の文化や古酒の熟成について話を伺うべく、取材班は豊見城市の『忠孝酒造』を訪ねました。創業は昭和20(1945)年と、泡盛メーカーの中では後発ですが、今や業界をリードするメーカーに。そのひとつの要因が、代表の大城勤氏の父に当たる繁氏の、古酒甕製造への着手でした。

釉薬を使わずに高温で焼成する焼締めでつくられる甕には、炎と土で自然にできた窯変(模様)入りで、見た目にも美しいもの。叩くと金属音がするほど密度が高く、驚くほどの手間暇をかけてつくられています。土は、南部産島尻ジャーガルと中部産赤土のブレンド。前者は粘土質で乾燥させることでぎゅっと締まり、後者が強度を加えます。成形し、乾燥させて高温で焼成することで45%の大きさに。この時点で既に叩くと「キンキン」という音がするのですが、この金属音はミネラルやマグネシウムなどが凝縮することにより生まれるもの。窯は24時間稼働で、1日乾燥させて3日焼成し、という工程を2度繰り返し、ようやく完成します。

ウイスキーは樽、日本酒は桶、泡盛は甕というくらい、甕は泡盛文化を語る上で欠かせない、象徴ともいえるもの。上級酒や古酒を甕に詰めて販売するメーカーは数ありますが、その甕は業者に委託して造っています。膨大な設備投資と手間、そして時間がかかるにも関わらず『忠孝酒造』ではなぜ、甕の自社製にこだわるのか。品質に対する飽くなき追求はもちろんですが、もう一つ理由があります。自社で製造することで、ゲストが名入れなどオーダーメイドの甕をつくることができるからです。大城氏は言います。
「子供の誕生時に二十歳になった日の開栓を想って健やかな成長を祈る、結婚の記念に末永い円満を祈る、還暦の節目に今後十年、二十年の健康を祈る。泡盛は、喜びを分かち合い、絆を深める酒。琉球王朝時代から続いてきた古酒の文化を、家庭に、飲み手に伝え広げて行きたいという思いからです。

「泡盛文化の継承と創造」が、『忠孝酒造』のモットー。甕づくりから手掛け古酒文化の継承に務めながら、「伝統的」だけではくくれない酒づくりも、後発の蔵を躍進させてきました。その原動力となっているのが、三代目で現社長の大城勤氏にほかなりません。東京農業大学で醸造学を学んだ大城氏は、研究者肌の造り手で、これまでにない造りに挑戦し、個性豊かな泡盛を生み出しています。新しい製法だけでなく、醸造機器の近代化などで廃れたシー汁浸漬法(古式泡盛製法)を東京農大との共同研究で復活させるなど、まさに「泡盛文化の継承と創造」に尽力しています。通常の2倍の時間をかけて麹をつくる「よっかこうじ」仕込み、マンゴー酵母での発酵などバラエティ豊かな泡盛は、それぞれに際立つフレーバーがあり、古くて新しい、世界に発信すべきクラフトスピリッツとしての泡盛の可能性を十分に示してくれます。

『忠孝酒造』の試飲カウンター。大城社長自らがカウンターに立つことも。

平成15(2003)年に完成した『忠孝酒造』の貯蔵庫。沖縄では首里城の次に大きい木造建築で、一般見学もできる。

タイ米を黒麹で発酵させ、一段仕込みでつくる泡盛は香りや甘みが豊か。直売店に併設のミニファクトリーで、製造工程を見学・体験できる。

甕同様、焼き締めの製法でつくる瓶。名入れなどのサービスも行っている。

ダイニングアウト琉球うるまカクテルベースとして、食中酒として。泡盛のポテンシャルを示したペアリング。

『忠孝酒造』秘蔵の古酒が贅沢な幕開けを飾った『DINING OUT RYUKYU URUMA with LEXUS』。ここで泡盛ペアリングの一例をご紹介しましょう。

15皿に及ぶ『GohGan』のコースの前半は「Bite(バイト)」と呼ばれるカトラリーや箸を使わずに食べる料理が続きます。泡盛ペアリングは、その2皿目から。まずは『忠孝酒造』の「忠孝 よっかこうじ」と那覇市のバー『アルケミスト』自家製のベルモットでつくった「泡盛マティーニ」がサーブされ、続いてガガン・アナンドシェフのシグニチャーでもある「リキットアップ」がテーブルへと運ばれてきます。カラフルな野菜パウダーとスパイシーなチャツネでつくる「リキットアップ」は、皿を舐めて食べる料理。「泡盛マティーニ」の提供時に、あるサービススタッフがいい添えました。「皆さまの羞恥心を解き放つ一杯です」。

カクテルの中でもハイアルコールで知られるマティーニで勢いを付け、多くの人が初めての「皿を舐めて、味わう」食体験に弾みを付ける。なるほど、と思いますが、ペアリングはもちろん、景気付けに止まりません。「3種芋のリキットアップ」の『DINING OUT』バージョンには、沖縄の伝統料理、ドゥルワカシーが隠れていて、「忠孝 よっかこうじ」のフルーティーな甘みと自家製ベルモットのほろ苦さが効いた「泡盛マティーニ」が、田芋の甘みや出汁の旨み、スパイシーさが折り重なる一皿とマリアージュします。

以降、竹炭入りの衣で明太子ベシャメルを包んで揚げた「ブラックチャコール」に、ウイスキー樽熟成の泡盛とアルトビールのカクテル、ジーマミー豆腐とインドの伝統菓子を合わせた「ジーマミーゲイヴァ」と、和食との相性を考えて造られた「和乃春雨」と、泡盛の新しい世界へと誘うペアリングに、テーブルから都度、驚きの声が上がり続けました。

手で食べる「Bite」の一皿目は「ヨーグルトエクスプロージョン」。スタッフの解説に聞き入るゲストの方々。

那覇のブルワリー『ウォルフブロイ』のアルトとウイスキー樽熟成の「新里7年」を竹炭入り生地の「ブラックチャコール」と。

「ジーマミ―ゲイヴァ」。ジーマミ―豆腐と上に載るトリュフに合わせ、ねっとりとした豆腐の味を引き立てつトリュフの香りに寄り沿う「和乃春雨」が合わせられた。

ダイニングアウト琉球うるま平和を象徴し、世界へ羽ばたく可能性を秘めたロイヤルスピリッツに、沖縄の未来への祈りを重ねて。

泡盛の食中酒として、そしてカクテルベースとして驚くほどのポテンシャルを示した今回の『DINING OUT』のペアリング。その核心にもう一歩迫るべく、ディナーの翌日、泡盛ペアリングを監修した比嘉康二氏が営む那覇市内の『泡盛倉庫』を訪ねました。泡盛好きはもちろん、バーの愛好家やバーテンダー、泡盛をはじめとするスピリッツの造り手といった酒のプロにも愛される会員制のバーで、少量生産や長期熟成の希少なものも含め、常時800種以上の泡盛がそろいます。

「600年以上の歴史があり、現在も個性豊かな泡盛が生まれ続けている。24時間、365日、シチュエーションに応じてご提案できる泡盛、飲み方があります」と、比嘉氏。来店したゲストにまず尋ねるのは、泡盛を飲んだ経験の有無や味の好み、加えて最初の一杯か、食事をしながら飲むのか、あるいは締めなのか。「たくさんの泡盛に代わってお聞きする」というサービスは、カウンセリングのようで、会員制というシステムはその時間と場を整えるための装置なのだと話します。

一杯目であることを告げると、ハイボールを薦めてくれました。ベースとなる「暖流 古酒40度」の『神村酒造』は、初めてウイスキーに使うオーク樽で泡盛を熟成させた蔵として知られているとのこと。口当たりにはスモーキーな樽のフレーバーを感じ、すっきりとした味わいながら、フィニッシュに泡盛ならではの複雑な余韻が長く続きます。まさにアペリティフにぴったりの一杯です。

「泡盛がなぜ、アルコール度数が高いか。それは熟成を前提に造られていたお酒だからです。10年や20年、いや50年、100年と熟成させてもへたらないどころか、より味を深める。宮廷の人々を喜ばせ、外交品として重用されたロイヤルスピリッツだったわけです。ところが、戦争を機に妥協のない酒づくりができない時代に変わってしまいます。品質にこだわる余裕も熟成を待つ余裕もない中で、大衆化、量産化が進むうちに、30度前後の焼酎に近い泡盛がスタンダードになり、割って飲む文化が生まれた。今親しまれている水割りなどは、500年の泡盛の歴史の中でわずか70年余りの歴史しかないんです」

そんな低アルコールの飲み方の中からも、新しい泡盛が生まれているといいます。ペアリングにも登場した『宮里酒造』の「和乃春雨」。和食に合う泡盛としてつくられ、アルコール度数は日本酒と同等の15度。グラスに注いでそのまま食中酒として楽しめる泡盛です。
「日本酒をはじめとした醸造酒のよさは、糖と酸のバランスで料理との掛け算が成立すること。ですが、ずっと糖、つまり甘さが続くと飲み疲れる。そこに1杯、この「和乃春雨」のような酒を挟むと、料理の風味に寄り沿いながら食事の重さや甘さを切ってくれ、いいリズムになるんです」比嘉氏の話は、次第に熱を帯びていきます。

「琉球は、戦いではなく“おもてなし”の外交で400年の歴史を築いた国。食や酒は主役ではなく、相手ありき、人と人との関係性の中にあったものなんです。戦争で、一度分断された泡盛の古酒の歴史、それをかろうじて繋ぎ止めることができるのが今。高貴な酒として超長期熟成されたいにしえの時代と、未来を一本につないで行きたいんです。100年、200年の熟成が可能なのは、世が平和なことの証でもある。泡盛は平和の酒。平和な世の中であれば、泡盛の古酒の文化を、はるか未来まで繋げていけるのです」
『泡盛倉庫』の営業以外にも、比嘉氏は泡盛文化を継承するさまざまな活動に携わっています。その一つが、「誇酒プロジェクト」。訳あって廃業になってしまった宮古島『千代泉酒造所』の二機のタンクの泡盛を引き取り、ボトリングして販売しています。瓶内でも10年、20年と熟成する泡盛は、限りあるものが減りゆく様を可視化できるよう、また、世界中のどんなバーカウンターにも馴染むよう、クリアなボトルデザインにしたのだといいます。
『DINING OUT』のディナーを締めくくる一杯も、比嘉氏のプレゼンテーションの下、この泡盛が振る舞われました。

「ロイヤルスピリッツの価値を、未来につなげるお酒です」
泡盛は平和の酒。ちぶぐゎーを満たすクリアな液体に、100年、200年先の時代まで続く平和への祈りを込めて。海を渡って世界を旅するロイヤルスピリッツの新時代に思いを馳せて。泡盛に始まり、泡盛に終わる、勝連城跡での二夜は幕を閉じたのでした。

ペアリングカクテルの準備をするバースタッフたち。右が『泡盛倉庫』の比嘉氏。

2009年から『泡盛倉庫』店長を務める比嘉氏。国内外でプロ向けの泡盛セミナーやイベント開催などを行い、泡盛の普及、啓蒙に尽力する。

宮廷菓子を今に伝える『謝花きっぱん店』の冬瓜漬けとちぶぐゎーで味わう古酒。比嘉氏いわく「王様の楽しみ方で」。

那覇市『宮里酒造所』が脂ののった魚やしょう油、酢など和の調味料に合わせてつくったアルコール度数15度の「和乃春雨」。『DINING OUT』では白ワイン用グラスでサーブされた。

約800種の泡盛が壁一面にずらりとならぶ店内は圧巻の風景。

アテモヤとちんすこうのデザート「陰と陽」には、沖縄県民に親しまれているコーヒー泡盛を。

惜しまれつつ蔵をたたんだ『千代泉酒造所』の最後の泡盛「31/32」を、ペアリングの最後に。マンゴーチャツネを添えた「サーターアンダーギー」と。

インド・コルカタ出身。2007年にバンコクへ移住し、その後レストランの料理長を務める一方、『エルブジ』で研修を積む。2010年に開いたレストラン『Gaggan』では、エグゼクティブシェフを務め、Progressive Indian Cuisine(進歩的インド料理)を打ち出す。世界的に注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurant」では4位を獲得。同年8月に新たなチャレンジに向けてお店をクローズし、11月に『Gaggan Anand』を拠点として再始動した。

1971年生まれ。福岡県出身。高校在学中、フレンチレストランの調理の研修を受け、料理人の道へ。1989年にフランス料理店『イル・ド・フランス』で働き始め、そこで研鑽を重ねた。その後、1995年からワインレストラン『マーキュリーカフェ』でシェフを務めた。2002年10月、福岡市西中洲に『La Maison de la Nature Goh』を開店。2016年には、九州で初めて「Asia's 50 Best Restaurants」に選出され、2019年には24位にランクインを果たした。

地方からグローバルな潮流を生み出す! 岡山発のライフスタイルブランドを率いる実業家の挑戦。[実業家・石川康晴氏とストライププロジェクト/岡山県岡山市]

石川氏の近影。『一社一村運動』を提唱して岡山から世界を見据える。

石川康晴真の「地方創生」を目指す新たなムーブメント。

地域振興、地方創生。
今や全国各地で掲げられるようになったスローガンですが、真の意味で地域の文化や歴史を尊重しながら、それらの特色を生かした振興を実現できているのは、意外と少数派かもしれません。

ローカルの個性を生かしながらグローバルな潮流を生み出す――そんな理想的な「地方創生」を目指し、また、実現しつつあるのが、ライフスタイルブランド『koe (コエ)』などを展開する株式会社ストライプインターナショナルの代表取締役社長であり、公益財団法人石川文化振興財団の理事長でもある石川康晴氏が率いる「ストライププロジェクト」です。

自らが生まれ育った岡山という土地を愛し、その豊かな地域資源を地域の人々とともに未来に繋げていく――そんな壮大な理想を掲げる実業家の、一大プロジェクトに迫りました。

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2018年2月に渋谷にオープンした『hotel koe tokyo』。ステイ/ファッション/ミュージック&フードの3つのキーワードを軸に、日常と非日常を融合させた新たな文化を生み出している。(Photo:Kenta Hasegawa)

石川康晴「koe」ブランドと「hotel koe tokyo」を通じた世界戦略とは?

石川氏が率いる株式会社ストライプインターナショナルは、26年前の1994年に創業しました。以来、アパレルを主軸に事業を展開してきましたが、2015年にその事業領域を「ライフスタイル&テクロノジー」にまで拡張。飲食業やホテル業に至るまで、「人々のライフスタイル全体に寄り添いたい」という想いのもとに、様々な価値を提供し続けています。

そしてその中核を成しているのが、グローバルな戦略で立ち上げられたライフスタイルブランド『koe』。2014年にアパレルと雑貨を扱う1号店をオープンさせたのを皮切りに、2016年に飲食店を併設した“ライフスタイル型店舗”『KOE HOUSE』を自由が丘にオープン。そして2018年2月9日には、ブランドコンセプトである「new basic for new culture」を体現する場として、 「今」と「未来」、そして「日本」と「世界」を見据えたグローバルな視点でデザインされたホテル『hotel koe tokyo』を渋谷に立ち上げました。

間もなく2周年を迎えるこの「体験型店舗」は、ホテルという器にアパレル業や飲食業の機能を併せ持っており、“ショップの中に泊まる”という斬新なコンセプトで業界の内外から注目を浴びています。

ゲストルームは茶室をコンセプトに、「離れ」や「小上がり」の構造を取り入れ、現代アートやデジタルアートを展示。和とモダンの融合により“宿泊体験”の価値を高めている。(Photo:Kenta Hasegawa)

オープン以来 高い稼働率を誇る『hotel koe tokyo』。特にインバウンドに好評で、アジアや欧米にまでファンを獲得している。(Photo:Kenta Hasegawa)

石川康晴あらゆるシーンに寄り添って感動を演出。

そんな『hotel koe tokyo』の狙いは、主に2つあるそうです。
まずは「ライフスタイル全般への事業領域の拡張」。先に述べた複合的な構造と業態により、単なる宿泊施設ではない、あらゆる「ライフスタイル」を体感できる場となっています。

次に「お客様とブランドの関係性強化」。これは3階に分かれたフロアそれぞれに、多数の“エンタメ”を散りばめた構成によって実現されています。
1階にはブレッド&ダイニング、ホテルレセプション、DJスペース(週末のみ)、ライブイベントを配置。そして2階はアパレル販売店、3階はライフスタイル全般を体感できるホテルとして、それらが相乗効果を織り成しながら“宿泊体験”の価値を高めています。

例えば朝はベーカリーで朝食を楽しみ、夜はDJイベントに参加し、チェックアウト前にハイセンスな「koe」のアパレルを購入して旅立つ――そんないくつもの“エンタメ”を、縦横無尽な動線で味わえるのです。

「koe」ブランドを体感したゲストが気に入って、チェックアウト後にオンラインで商品を購入する、といった流れも期待しているそうです。ホテルを通じて提供された「衣・食・住・遊(エンタメ)」が、個別の機能やその場限りの娯楽のみで終わるのではなく、オンラインとオフラインを通じて有機的に繋がっていく――そうしてさらなる感動体験を生み出し続けていく、という循環を目指しています。
こういった好循環を織り成していく「koe」ブランドを、石川氏は将来的に世界中で展開していきたい、と構想しているそうです。

2階に配された「koe 渋谷店」。ゲストに「koe」ブランドを体感してもらうためのビジターセンター的な位置づけ。(Photo:Kenta Hasegawa)

1階の「koe lobby」。代官山の人気フレンチレストラン「Ata」を手がける掛川哲司シェフがプロデュースしたベーカリーレストラン。(Photo:Kenta Hasegawa)

石川康晴基盤はあくまで岡山。地方の文化と歴史こそが世界戦略の鍵。

こうした都市圏と世界で展開する戦略と並行して、その基盤となる「岡山」も重視。いえ、むしろこの石川氏の生まれ故郷こそが、「ストライププロジェクト」の主軸なのです。

「“東京への一極集中”と“地方の衰退”が国家的な課題となる中で、企業がそれぞれが根ざす“地方”を盛り上げていくことで、日本、ひいては世界が元気になっていく」と石川氏は考えているそうです。
こうして打ち出されたポリシーが『一社一村運動』というキーワード。石川氏が率いる株式会社ストライプインターナショナルと公益財団法人石川文化振興財団も、「ストライププロジェクト」も、ひとえにこの大きな目標のためにあるのです。

石川氏が掲げる「ストライププロジェクト」の舞台でも、『koe』1号店の拠点でもある岡山市。

石川康晴「ストライププロジェクト」を通じて、故郷・岡山を「住み続けられるまち」へ。

「ストライププロジェクト」は、以下の大きな3つのプロジェクトに分かれています。

まずは「CULTURE PROJECT(芸術文化・スポーツ文化による新たな賑わいの創出)」。
国際現代美術展として注目を集めている「岡山芸術交流」や、そのプレイベント「A&C」の開催、そしてアーティスト(芸術家)×アーキテクト(建築家)がコラボレーションして造り上げた建築作品である一棟建てプライベートタイプの宿泊施設を、岡山市の中心地にちりばめていく「A&Aプロジェクト」などが、その一例です。

その基盤にあるのは、「地域の人々が集い憩える場所を作りたい」という石川氏の想い。優れた現代アート作品や、そこから生まれる交流の場などを市街地に配置し、それらを通じて新たな文化や交流を生み出そうとしています。

「岡山芸術交流2019」は、年間を通じてアートシーンに貢献したアジアの団体やアーティスト・プログラム・展示会などに贈られる「ASIA ART PIONEERS / PUBLIC ART PROJECT OF THE YEAR」を受賞。岡山という「地方」が、世界に影響するムーブメントを生み出している。

食のイベント「ストライプマルシェ」は、2019年までに10回開催。地域社会と環境を持続させていくための新たな試み。

石川康晴世界的なカフェブランドを誘致して、地域の専門店とコラボレーション。

そして2つめのプロジェクトは、「ECONOMY PROJECT(地元経済の活性化)」です。
年に数回、岡山県内で「ストライプマルシェ」という県内外の魅力的な食や体験を集約したイベントを開催したり、独自の歴史と文化が息づく岡山市出石町エリアの活性化に取り組むなど、地域の魅力向上と交流推進に努めています。

中でも出石町エリアの開発はめざましく、『出石ギャラリー』にて世界レベルのヴィンテージ家具を販売したり、フランスのファッション・音楽レーベル『メゾン キツネ(MAISON KITSUNÉ)』が世界展開する『カフェ キツネ』の初のロースタリー(焙煎工場併設店)を出店するなど、熱い注目を集めています。

『カフェ キツネ ロースタリー』(右)と『出石ギャラリー』(左)。世界が認める食とインテリアが並ぶ。

『出石ギャラリー』の店内。世界的な建築家の家具などを展示。(Photo:Yoko Inoue)

石川康晴次代を担う人材を育て、継続的な「地方創生」を目指す。

最後の3つめのプロジェクトは、「EDUCATION PROJECT(世界に通用する人材の育成)」。2019年4月に岡山大学への寄付講座として、「SiEED」という育成プログラムを始めました。

こちらは起業家や組織内改革者のマインドを培うプログラムで、外部パートナーも含め、これまでにない実践的な講座となっています。次世代を担う子ども達の学び場を作り、さらに先述のプロジェクトとも連携して、岡山を舞台とした「交流人口」を増やす――こうして全方位的な「地域活性化」を目指しているのです。

「1つの県や1つの村から1つの世界的な企業が生まれるだけで、地方創生が起きる。その現象が幾重にも広がれば、すなわち日本が創生される」――これが石川氏が目指す究極的な目的であり、また、「ストライププロジェクト」を通じて実現されつつある岡山の未来像でもあります。

岡山という「地方」を世界に通じる、世界に影響を与える新たなムーブメントの発祥地に。故郷を愛する実業家の挑戦に、各界が注目しています。

『一社一村運動』という新たな概念が、岡山という地を新たなステージへと高める。(未来創造に向けた新たな学びの場・人材の創出を目指す「SiEED(シード)」のプレゼンテーションを行う石川氏)

住所:岡山県岡山市北区幸町2-8 MAP
電話:086-235-8020
https://www.stripe-intl.com/
https://ja-jp.facebook.com/StripeProject
(写真提供:公益財団法人石川文化振興財団)

@meganovetrishka Mega Novetrishka Putri

akhirnya ketemu tempat Yoga di deket rumah, dan besok trialnya. pertama kali ikutan Yoga, deg2an sendiri.. tp kok mahal banget ya yoga tuh.. *kebiasaan lari cuma modal air minum doang. huhuhu. kadang klo lg sama adidasrun minum dan pisang pun gratisan.

知るほど、触れるほど、その神秘に引き込まれる。神が宿る島の正体と出合う旅へ。[東京“真”宝島/東京都 神津島]

東京"真"宝島OVERVIEW

東京湾から南に向かって点々と連なる伊豆諸島のひとつ『神津島(こうづしま)』は、伊豆諸島の中心辺りに位置することから、各島の神々が集う会議場に定められたという伝説が残される地です。そして豊かな黒潮がもたらした漁業文化は、江戸時代にはすでにその栄華の記録がなされるなど、島民の営みの中心として連綿と受け継がれ、今もなお島の主要産業として発展し続けています。

太古より伝わる伝説、そして離島という環境が育んだ土着的な信仰の姿は、神津島の様々な文化と溶け合うことで形成され、それは島の個性となり、島民の生活に、心に、深く根を張っています。

東京からの距離約170km、面積18.87㎢、人口約1900人(令和元年10月時点)と、伊豆諸島全体で見ると、『神津島』はどれを見ても「中くらいの島」です。それは言い換えれば、程よく便利で、程よく包容力のある「良い塩梅」が凝縮されているということ。事実、島には癒しの絶景もアクティビティも選べる豊かな海山があり、レストランや店舗も困らない程度に各ジャンルが網羅されています。そして、島民の方々の観光者との距離感も程よく温かく、フランクで、こちらが望めばどうぞと門戸を開いてくれる、とても「良い塩梅」なのです。

島の自然に、文化に、人々に……。知るほど、触れるほどに引き込まれてしまう、その正体は一体何なのか。秘められた魅力を探る『神津島』の旅を、ぜひお楽しみください。


【関連記事】東京"真"宝島/見たことのない11の東京の姿。その真実に迫る、島旅の記録。

(supported by 東京宝島)
 

南国の風薫る絶景の離島、八丈島。時代に寄り添い、変貌するその姿を見届ける。[東京“真”宝島/東京都 八丈島]

東京"真"宝島OVERVIEW

かつて「鳥も通わぬ」と歌に詠まれ、流人文化の歴史が色濃く残る八丈島。
しかしそこは、俗世から隔絶された"最果ての地"のイメージからは程遠い、美しい海に囲まれた暖かな常春の島でした。潮の香りが混じった柔らかな風が頬を撫で、どこまでも続く青空と南国の木々……。戦後には“東洋のハワイ”と呼ばれ人気を博しましたが、それももはや昔の話。

現在の八丈島は羽田空港から飛行機でわずか1時間足らず。東京宝島の中で、思い立ったらすぐに訪ねていける島なのです。

時代に寄り添いつつ、常に変化し続けてきた八丈島とそこに暮らす人々。先人から受け継いだ文化と、豊かな自然の恩恵を余すところなく享受し、それを新たな形で紡いでいく。その一翼を担っているのが、一度島を離れて戻ってきた島民や島外出身者たちだといいます。

島の外から流れてきた新たな息吹を取り込み進化する。
それが今も昔も変わらない、八丈島の宿命なのかもしれません。

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(supported by 東京宝島)