サッカー大国の中では唯一フットサル代表チームを持たないほど、ドイツではフットサルの普及が遅れていた。しかし2006年に、第1回ドイツフットサル選手権が開催されている。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム
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頑張って下さいね
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津軽のりんごに大きな価値を見出し、街の誇りと豊かな食文化を担う醸造酢に。[TSUGARU Le Bon Marché・カネショウ/青森県弘前市]
津軽ボンマルシェ桶屋から味噌醤油の醸造業、そしてりんご酢へ。
岩木山の麓、津軽平野は見渡す限り果てしなく、りんご畑が続きます。車で走っても走っても、広大な敷地に延々とりんごの木々が生い茂り、枝を広げています。カネショウの本社は、りんご畑からも程近い、弘前の郊外にあります。酢の醸造元としては本州最北端。ここで主に造られているのがりんご酢です。
以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した「オステリア エノテカ ダ・サスィーノ」の笹森通彰氏は、ここのりんご酢を愛用しています。「お店でカネショウの『アップルヴィネガー』と『バルサミィアップル』を使っています。一般的なワインヴィネガーやバルサミコ酢と比べると少し価格は高いのですが、やはり品質がよいのです。何より顔の見える生産者さんと長く歩んでいきたいという思いがあり、好んで使っています」とのこと。「カネタ玉田酒造」の玉田宏造氏も「おすすめですよ。社長の櫛引さんとはとても仲良くさせてもらっています。人柄が良過ぎて怖いくらい」と笑いながら話します。津軽の食に携わる二人からも支持されるりんご酢とは、一体どんなお酢なのでしょう。
創業100年を超えるカネショウ尾上工場の玄関を上がると、まず目に付いたのが壁際にたくさん積み上げられた古い木桶。聞けば、カネショウの創業者、櫛引勝太郎はかつて桶屋を営んでいたそうです。職人を30人以上抱える大きな事業だったそうで、酒蔵などに木桶を収めていました。しかしやがて木桶産業にも曇りが見え始め、明治後期より醸造業に着目。1912(大正元)年に醸造所を構え、味噌・醤油の製造を開始しました。始めの頃は初代・勝太郎や2代目の長男・忠三が自らリアカーを引いて売り歩くなど、苦労して業績を伸ばしたようです。太平洋戦争後の1949(昭和24)年、櫛引食品工業株式会社を設立。高度経済成長に伴って、味噌、醤油は飛ぶように売れて行きましたが、忠三の長男である元三が3代目社長となった翌年の1973年、オイルショックが起こって売り上げが激減。スーパーマーケットの台頭などもあり、首都圏の大手企業が続々と地方に参入して、経営はさらに悪化しました。周りでも廃業や倒産が続く中、元三は「醤油味噌製造のみでの企業経営の範疇から脱却して、全食品界に眼を向け、そこに活路を見出すべく模索していた」(自著「元三のひとりごと」より)といいます。自分たちが長年培った発酵技術を使って、何か調味料が作れないだろうかと考えた末、津軽の産品といったらりんごであろう、と思い当たります。そこから試行錯誤を繰り返し、りんご酢を造るに至ったのでした。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェ苦戦の上に完成したりんご酢は、津軽を丸ごと味わえる調味料に。
工場を訪ねた12月はりんごの収穫もそろそろ終わりの頃。最後の仕込みが行われていました。ベルトコンベアーからは大量のりんごが運ばれ、冷たい水の中で洗浄されながら次々と流れていきます。りんごは全て津軽で採れたもぎ取りの完熟りんご。品種を定めず様々な種類がミックスされており、その方が味に複雑味が出て良いのだそうです。
「この作業は年に一度、生のりんごが収穫された今の時期に一気に行います。仕込み方はお酒と一緒。りんごは洗ってすすいで、再度洗いにかけて。少しでも痛んだり、腐ったりしたりんごはスタッフがチェックして取り除きます。発酵にはそんなに影響がないかもしれませんが、腐敗につながるような要因はできる限り取り除くのがうちの方針です」と現社長の櫛引利貞氏。ひとつひとつ手をかけた丁寧な仕事は、カネショウらしさでもあります。
洗浄が終わったりんごは、大きな専用の機械で丸ごとすり下ろします。皮も芯も全て一緒に!
「生のりんごを全部すり下ろして、そのまま発酵させるなんていうやり方は、世界中探してもたぶんうちしかやっていないんじゃないかな」とちょっと誇らしげに話す櫛引氏。カネショウでもりんご酢の発売当初は、一般的な造り方である、りんごジュースを発酵させて造っていましたが、それでは他の大手企業と横並びになってしまい、勝負になりません。りんご酢を主力商品にしても、競合が増えるばかりで苦戦が続きました。この土地だからできること、カネショウの強みは、冷涼な気候の青森で、採れたてのフレッシュなりんごがすぐ手に入ることでした。そうであれば、りんごの新鮮さを活かしてそのまま丸ごと発酵させることはできないか、ジュースとは違うものにならないだろうか…と必死で考え、何度も試作しては失敗を繰り返し、ようやく独自の技術である「すりおろし醸造」にたどり着き、現在のりんご酢が誕生したのでした。
並行して青森県産業技術センターと、すりおろし醸造のりんご酢の効能について、共同研究を始めました。酢は美容と健康に良い、という漠然としたイメージはありましたが、この実験データにより、他のりんご酢と比べても抗腫瘍効果(がんなどを抑える)がとても高いことが分かったのです。
「すりおろしたりんごの皮と実の際の成分が、発酵過程で変化し、抗腫瘍効果のある成分になることが分かりました。1998年にフィンランドで行われた世界食品学会で発表し、大きな価値を得ることできました」
津軽ボンマルシェ木樽でじっくり熟成。手間と時間をかけても本物を作ること。
続いて訪ねたのは、まるでワイン蔵かと思うような、オークの木樽がずらりと並ぶ広い倉庫でした。倉庫の周りは田畑が広がり、冬は白鳥がたくさん飛来してくるそうです。カネショウで造られたりんご酢は全て、最終的にこの木樽に詰めて3ヶ月以上ゆっくりと熟成させます。すると木の香りがほのかに移り、ツンとすることがなく、まろやかで奥ゆかしい味わいになるのだそうです。木樽に最初に行き当たったのは、イタリアの醸造酢、バルサミコ酢でした。
「酢のメーカーとして、世界で一番素晴らしい果実酢は?と考えたら、やっぱりバルサミコ酢ではないかと思ったのです。造り方を調べてみると、煮詰めた果汁を樽に詰めて長期熟成していました。そこで、ものは試しと搾ったりんご果汁を濃縮して酢を造り、一つの樽で熟成してみました。数年経って味をみてみるととてもマイルドないい味になっていたのです。正直あまり期待していなかったのですが、ああ、これが正に『酢角が取れる』という味わいなのだなと実感しました。これならりんごでもバルサミコ酢に負けない品質のものが造れるのではないか、と自信が湧いたのです」。
そうして2年間の熟成を経てできあがったのがバルサミコ酢のように濃厚なりんご酢「バルサミィアップル」でした。実際に味見をしてみると、その上品な味わいに驚きます。バルサミコ酢よりやや繊細で柔らかく、ふくよかでまあるい甘みがあります。オリーブオイルと塩を混ぜてパンにつけたり、サラダに和えたりしてもいいし、焼きりんごに添えたアイスクリームにかけても最高ですよ、と櫛引氏は嬉しそうに教えてくれました。
バルサミィアップルはもちろん、そもそも一般的に木樽で数ヶ月も熟成しているりんご酢など前代未聞であり、手間も時間もかかります。しかし、それがカネショウのキモだと、櫛引氏は語ります。
「私たちは手間をかけることが非常に大事だと思っています。大企業にとっては割に合わないことかもしれません。でもそこが私たちの生きる道です。津軽のりんごという圧倒的存在がすぐ近くにある。そのおかげで、私たちは一歩も二歩も先に行ける。そして結果的に良いものづくりができる。今の時代の流れを見ても、世の中が本質的なものを求めていることを感じています。そういう意味でも私たちのやってきたことは間違っていなかったと確信しています」
津軽ボンマルシェ弘前大学と共同研究し、微生物まで全て青森産を目指す。
津軽の風土に基づいた、この地だからできるものづくりを、という思いはカネショウの商品開発のベースになっています。りんご酢は、青森そのものを表した商品。全て津軽産のりんごを使うことはもちろん、実は酵母もこの土地のもので、弘前大学が青森県南西部にまたがる白神山地から採取した「弘前大学白神酵母」を使っています。白神山地といえば、世界的にも最大級のブナの原生林が広がり、多種多様の貴重な生態系が保たれる、ユネスコ世界自然遺産の認定地でもあります。
「弘前大学で酵母研究をしている先生を紹介してもらい、一緒に研究開発を始めました。実は白神酵母自体は何十種類もあり、白神山地の樹皮や腐葉土から採取・分離された天然酵母で、その中からうちの醸造に適したものを探しました。香りや味わいなどを何度も試作して見極め、青森県内で初めて実用化にこぎつくことができました。私たちの活動をきっかけに、白神酵母が青森の産業の一つとして広まり、津軽のイメージアップにも繋がればと思っています」と櫛引氏。現在は酢酸菌についても、白神山地から採取したもので研究が進んでいるそうです。まだ試作中とのことですが、オール青森にすることが目下の目標。
「ものづくりは楽しいですね。新しいアイデアを具現化して商品になって、その評判がよく、お客様が喜んでくれるのならば、やっぱり作り手としては嬉しい。私たちはメーカーで良かったなと思っているんですよ。いろんなものをゼロから創造できるのはメーカーだからこそ。そういう楽しさがありますよね」。
ちなみに弘前大学が開発した素材には、さらにプロテオグリカンがあります。コラーゲンやヒアルロン酸に続く美容健康素材として以前より注目されていましたが、これまで抽出が難しく、1gで3000万円という大変高価なものだったため、なかなか商品化が実現できませんでした。同大学では鮭の鼻軟骨に高濃度のプロテオグリカンが存在することを突き止め、本来は廃棄物だったその骨から、安価で安全に高純度のプロテオグリカンを抽出する技術を確立し、高付加価値を付けることに成功。「あおもりPG」としてブランド化し、今後の躍進が期待されています。カネショウではバルサミィアップルの技術をベースに、木樽熟成の濃縮した黒りんご酢とプロテオグリカンをたっぷり配合した「女神の林檎」という美容飲料を開発。あおもりPGの広まりを後押ししています。
最後に、熱心に製造現場を取り仕切る、副社長で工場長の櫛引英揮氏ともちらりと会話ができたので、カネショウの今後のビジョンについて伺ってみると、こんな答えが返ってきました。
「醸造業は可能性があり過ぎると思っています。未知の部分がたくさんあって、まだまだ行けるなって思う。私たちのベースはやはりこの青森という恵まれた土地で、地域資源を有効に活用しながら、発酵・醸造技術の研鑽をしっかりと積んでいきたいです。でもこれちょっとよそ行きのコメントですかね。本当のところは従業員がそれぞれアイデアを出し合ってお互いに成長し、みんなが幸せに暮らしていける会社になっていければいいなと。それが根本にあった上で、時代を読みながら決断していきたいです」。
ここが想像を超えるような発酵・醸造の未来を醸し出す現場になるかもしれない。年月をかけて熟成された青森愛が底辺を流れるカネショウの今後に、ワクワクせずにはいられないことでしょう。
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シェフが求めた最上の“RE”。沖縄県本部町のレストランで、1日1組のゲストをもてなすことの意味を知る。[Ristorante RE/沖縄県本部町]
レストラン アールイーOVERVIEW
「沖縄美ら海水族館」がある町といえば、ピンと来る人もいるのではないでしょうか。那覇空港から車で1時間30分ほど、沖縄本島の北部から東シナ海に突き出した半島にある沖縄県本部町。全国から観光客が訪れる町ではありますが、その一方で今なお古き良き沖縄の暮らしぶりが息づくのどかなエリアでもあります。今回ONESTORY取材班が訪れた『Ristorante RE』は、その本部町の北部、具志堅地区の高台にありました。途中、道標となる案内板もなく、国道505号線から脇道に入り、分かれ道を進んでいくと、白亜の建物の前でシェフの三沢 賢(まさる)氏が手をふって出迎えてくれました。
那覇からも遠く離れた本部という町で1日1組だけをもてなすレストラン。
そう聞けば、どんな料理で訪れる人を驚かせてくれるのか、期待せずにはいられないかもしれません。しかし、ここで待っているのは、奇をてらい、訪れた人を驚かせ、未知の食体験を楽しむような、いわゆるコンセプト先行型のガストロノミックな店とは一線を画します。
誤解を恐れずに言えば、決して華やかな店ではありません。味わい、くつろぎ、心を溶かす。
店名に込めたのは、RefreshのREであり、RelaxでREであり、ResortのRE。
本部という町で10年。1日1組のための最上の“RE”を提供し続けてきた店の本質に迫ります。
住所:沖縄県国頭郡本部町具志堅717 MAP
電話:0980-48-2558
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とにかく足が短くて、太い!少し不格好なそのフォルムに、旨味を宿す関門タコ![Fisherman’s Wharf SHIMONOSEKI・タコ/山口県下関市]
フィッシャーマンズワーフ 下関・タコOVERVIEW
タコの名産地として有名な兵庫県明石。言わずとしれた全国トップブランドのタコとして知られていますが、実はそんな明石に負けないと、通の間で評判のタコがあることをご存知ですか?
種類は明石と同じマダコながら、足が太くて短いのが特徴で、足の先まで吸盤があるのが、今回ご紹介する「関門タコ」。
最大の特徴の短くて太い足は、流れの速い関門海峡の潮流に踏ん張ることで成長するといわれ、貝やカニなど、漁場に餌が豊富にあることで旨味を蓄え、噛めば噛むほど旨味に溢れ、滲み出るような味わいを持つと言われています。
タウリン豊富で、その生命力も特筆モノ。漁港に水揚げされても、水槽から逃げ出してしまうほど元気な関門タコは、1匹1匹逃げ出さないようにネットに入れられ取引。現在、500g以下は海へリリースするなど資源管理され、その類まれなる味わいを絶やさぬよう、守られているのが「関門タコ」なのです。
【関連記事】FIsherman's Wharf SHIMONOSEKI メインページ/豊かさの再発見。改めて知る海峡の街・下関へ
(supported by 下関市)
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藍の惑星手作り石けん ワークショップ in 藍色工房

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王朝時代の交易の要衝、世界遺産・勝連城跡を舞台に、世界を沸かせるシェフユニット、最後のポップアップ。[DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS/沖縄県うるま市]
ダイニングアウト琉球うるま交易の地が育んだ「肝高」のスピリットを、国籍を超えた料理人ユニットと厨房チームが現代に蘇らせる。
1月18日(土)、19日(日)、通算18回目、昨年に引き続き沖縄で『DINING OUT RYUKYU URUMA with LEXUS』が開催されました。舞台となったのは県南東部のうるま市に残る世界遺産・勝連城跡。古くからの海運の要衝で、15世紀には琉球王朝と拮抗する栄華を誇った勝連。さまざまな国の人々を受け入れ、文化に寄り沿うことで発展をしてきた土地には「気高さ、心の豊かさ」を意味する「肝高(きむたか)」の精神が今も根付いているといわれています。今回の『DINING OUT』のテーマは、この「肝高(きむたか)」、そして交易の地に伝わる「おもてなし」。厨房を預かるのはそのテーマにこれ以上ないほど相応しいシェフユニット『GohGan』です。
『Asia's 50 Best Restaurants』において4年連続1位に輝いた、現在はタイ・バンコク『Gaggan Anand』を率いるガガン・アナンドシェフと、九州で唯一、同アワードにランクインした福岡『La Maison de la Nature Goh』の福山剛シェフによるポップアップユニット『GohGan』。2021年以降、福岡に共同でレストランをオープンすることも大きな話題を呼んでいます。料理がすべて決まるのは本番直前、ライブのグルーヴとサプライズな演出で知られる『GohGan』のパフォーマンスが、勝連の地でどのように花開くのか。関係者を含め、誰も予測ができぬまま本番を迎えた、二夜の様子をレポートします。
【関連記事】DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS
ダイニングアウト琉球うるま琉球開闢の伝説に縁ある島がレセプション会場に。
沖縄には琉球王朝開闢にまつわる土地がいくつかありますが、そのひとつが沖縄南部・浜比嘉島。この島に降り立ったアマミキヨ(アマミチュー)とシネリキヨ(シルミチュー)、男女の祖神が居住したといわれる「シルミチュー」という場所は、今も霊場として祀られています。今回の『DINING OUT』では、この浜比嘉島がレセプション会場に。
到着後、浜辺でウェルカムシャンパーニュを楽しむゲストの前に、ホストを務める中村孝則氏が登場します。中村氏が身にまとっているのは15世紀に勝連を収めた武将「阿麻和利」の装束を再現した衣装。本番前に何度も開催地を訪れ、土地への理解を深めるとともに、歴史や風俗にまつわるさまざまなものを自ら取り入れて、ゲストをもてなすのが中村氏のスタイルです。自己紹介を簡単に済ませた中村氏は、勝連で行われる『DINING OUT』の成功を祝して乾杯の音頭を取ります。
「沖縄では今もたくさんの神話が言い伝えられていて、人々の生活に信仰が深く根付いている。そのあり方を皆さんに知って頂くため、今日はシルミチューへのお参りを行いたいと思います」
中村氏の声かけで、グラスを置いたゲストから順に、森へと続く石段に向かいます。一段、また一段と登るにつれ、神秘的な空気に包まれ、百段近くある石段の最上段に近づくと、鉄の柵に囲われた鍾乳洞が見えてきます。これが「シルミチュー」。通常は見学できない洞窟の内部を、この日は特別に見せてもらいました。ゲストは順番に洞窟の中に入り、しばし立ち止まり、厳粛な面持ちでそれぞれの祈りのときを過ごします。
単なる野外レストランではなく、土地の歴史と文化に触れ、食文化が育まれた背景に迫るのが『DINING OUT』の醍醐味。海を眺め、森に分け入ることで浜比嘉島、ひいては勝連の人々の祖を敬いながら、進取の精神で土地を発展させてきた、その歴史の一端と精神性に触れられる、貴重なひとときとなりました。
「シルミチュー」を参拝したゲストを乗せ、送迎のLEXUSは浜比嘉島を後にし、ディナーの本会場へ。経由する平安座島と勝連半島を結ぶ5.2キロの「海中道路」はうるま市を代表する名勝地。1月にしては肌寒い生憎の曇り空ながら、海の上を滑るようなドライブが、ディナーへの期待を高めます。
ダイニングアウト琉球うるま四方に展望が開けた勝連城跡の丘に現れたレストラン。
到着したのは、世界遺産・勝連城跡。15世紀、王権を強固なものにしつつあった琉球王国に最後まで抵抗した按司「阿麻和利」の居城で、沖縄の世界遺産の中で最古のグスクとして知られています。城は四方に展望が開けた丘を取り囲んで築かれており、防衛、交易の両面で良好な立地であったことがわかります。中国をはじめ、東南アジア、日本(本土)との海外貿易で栄華を極めた歴史があり、もっとも高い場所に築かれた「一の曲輪」から周囲を見渡せば、当時の情景が思い浮かぶかのようです。
闇の中に浮かび上がる白いテントが、この日のディナー会場。テーブルは、背後にフルオープンの厨房を従え、目の前に勝連城跡を望むという贅沢なレイアウトです。サービスの開始が近づくにつれ、キッチンが心地よい緊張感と活気に包まれていくのは『DINING OUT』の常ですが、この夜の熱量は格別。厨房そのものがふつふつと沸くかのような熱気がたぎっています。その渦の真ん中にいるのがガガン・アナンドシェフと福山剛シェフ。
2017年、『DINING OUT NISEKO with LEXUS』にゲストとして参加して以来、いつかは自分たちの手でと夢見た念願の舞台。同時に2015年から12回の開催を重ねてきたポップアップユニット『GohGan』としては最後のパフォーマンスとなります。この記念すべき夜を見届けたい。テーブルに着席したゲストの期待値が最高潮を迎えた頃、いよいよディナーがスタートします。
ディナーのはじまりに、中村氏の紹介で一人の男性がゲストの前に登場します。泡盛メーカー『忠孝酒造』の代表、大城勤氏。この日は2017年の泡盛鑑評会で沖縄県知事賞を受賞した『忠孝酒造』の貴重な長期熟成の泡盛が乾杯酒として振る舞われました。一斗の甕からカラカラ(陶製の酒器)に泡盛を汲みながら、大城氏が説明をします。
「甕の中の泡盛は、最短で17年、長いものでは30年以上熟成したものがブレンドされています。熟成した泡盛のことを古酒(くーす)といいますが、古酒は琉球王朝時代でも大変に貴重なもので、このちぶぐゎーと呼ばれる小さな酒器で少しずつ、大事に楽しまれていました」
ゲストの前ににちぶぐゎーが用意され、カラカラを持ったサービススタッフが、テーブルを回りサーブします。
「年月を刻む古酒は、子の誕生を祝ったりと、家族や親族、人と人との絆を深める酒でも。今宵、お集まりの皆様が絆で結ばれますように」
琉球王朝時代から泡盛が果たしてきた役割を告げる言葉が、乾杯の音頭に。そして同時に勝連城跡が幻想的にライトアップされました。
ダイニングアウト琉球うるま沖縄発アジアへ。一心同体の厨房から繰り出された15皿のコース。
「ようこそ、暑い沖縄へ」と、ガガンシェフが挨拶をすると、テーブルから笑い声が沸き上がります。日没後の気温は10度前後という肌寒さでしたが、会場のムードは一気に温まった様子。福山シェフが「今日がGohGanとしての最後の日。一緒に楽しみましょう!」と、さらにゲストを盛り上げます。
料理の準備をしに厨房に戻った2人に替わり、中村氏がコースの説明に入ります。手元に絵文字で綴られたメニューが用意されていること、最初の数品は「バイト」と呼ばれる手で食す料理が続くこと。全15皿のコースには、ガガンシェフの料理哲学ともいえる「5S」が散りばめられていること。
「5Sとは、Sweet (甘い)、 Salty(しょっぱい)、Spicy (スパイシー)、Sour(酸っぱい)、そして最後が「 Surprise(驚き)」です」
ちょうどその説明が終わる頃、一皿目がテーブルへと運ばれてきました。ガガンシェフのスペシャリテの一つ、「ヨーグルトエクスプロージョン」。球状のゼリーをハーブのチップと一緒に口に入れると、口の中でスパイシーなヨーグルトが弾けます。
二皿目は「3種のリキットアップ」。カラフルな野菜パウダーに隠れているのは、柚子やレーズンのスパイシーなチャツネと、田芋でつくる沖縄伝統料理「ドゥルワカシー」。カトラリーなどは使わず、皿を舐めて食べるガガンシェフのもう一つのスペシャリテです。会場は一瞬、どよめきに包まれますが、意を決したゲストたちがトライし始めると、一気に空気がほぐれたのを感じます。
「カルカッタに生まれ、スペインで料理を学び、バンコクで店を開いたガガン。さまざまな民族と文化の中で生きてきましたが、“食べる”ときは誰もが同じく、平等であるようにという想いが込められた一皿です」と、中村氏。
国ごとに違う食器の文化も、階級で異なるテーブルマナーも関係なし。体の一部である舌で、味わう。現代のパブリックなシーンでは“ありえない”プリミティブな食体験が、テーブルを囲む人々の垣根を取り払います。
パンチの効いた冒頭の2皿で、『GohGan』の何たるかを知ったゲストは、リラックスしてコースの流れに身を委ねます。ガガンシェフのカラーが全面に出た皿が続きますが、沖縄の食材や郷土料理をベースにした味づくりは、数回の事前視察を経て、食材選びなどの土台を固めた福山シェフの仕事あってこそ。「どの皿が誰の料理」ではなく「2人でつくる1皿」が淀みなく流れ、11回のポップアップイベントを重ねてきた『GohGan』の底力を鮮やかに披露し続けます。
インドの伝統菓子・ゲイヴァとジーマミー豆腐を合わせた「ジーマミーゲイヴァ」、福山シェフの鮑のスペシャリテをベースにした「蒸し夜行貝 肝のソース」。沖縄のスパイシークラブとハーブ山羊を使った2種のカレー。山羊のカレーは、ガガンシェフが父親のレシピでつくったものが、福山シェフによるジューシー風のビリヤニとともに供されます。厨房から「お代わり食べたい人、まだあるよ!」という声が飛んだのは、『DINING OUT』史上、初めてのことではないでしょうか。見たこともない形状、味わったことのない食感、やや派手めなプレゼンテーションで皿の数だけゲストを驚かせながら、過ぎゆく時間は、家族や親族、大切な仲間が絆を深める食卓の和やかさでした。
ダイニングアウト琉球うるま皿の上だけでなく、場が担う役割を過去から、未来へ。
ディナーの中盤に、ライトアップされた勝連城跡を舞台に現代版組踊「肝高の阿麻和利(あまわり)」が披露されました。演者は、地元の中高生たちです。
勝連城が海外交流で最も盛んだった今から約560年前の昔、その時代を創り上げた一人の英雄「阿麻和利」。勝連城の繁栄に大きな役割を担った10代目城主「阿麻和利がここ勝連城で見た景色と異文化との交流」という今回の『DINING OUT』のテーマを体現する演目でした。「肝高」の精神性が現代まで継承され、溌溂と歌と舞いを披露する姿に、惜しみない拍手が贈られます。
デザートまでサプライズは続きます。豆花やタピオカを浮かべたパイナップルのスープ、フレッシュのアテモヤを使った「陰と陽」、2皿のデザートを手掛けたのは台湾で活躍する日本人パティシエ・平塚牧人氏。スペインの『カンロカ』、シンガポールの『アンドレ』などの名店を経て、現在、台中のグランメゾン『ル・ムー』のシェフパティシエを務める平塚シェフは、2017年以来、『GohGan』のポップアップでデザートを担当していて、この日も沖縄に駆けつけてくれたのです。さらに、平塚シェフからとっておきのデザートが。
「『GohGan』ポップアップの最後の日は、新たな船出に向けてガガンシェフと福山シェフの結婚式を」と、「G」の文字をかたどったウェデイングケーキを用意してくれたのです。ケーキの前に並び、ファーストバイトを促す福山シェフを交わし、一人、先につまみ食いをするガガンシェフ。漫画のようなやりとりまで、阿吽の呼吸。2人のシェフの表情にも、安堵と達成感が見て取れます。
長くポップアップユニットとして活動してきたけれど、『DINING OUT』という舞台は「容易なものではなかった」。二夜を振り返り、2人のシェフは口をそろえます。「だからこそやってみたかった。その結果、得たものは大きい」と、ガガンシェフ。
「この7年で90回も日本に来ているけれど、沖縄は日本の他の地域とはまったく文化が違う。食材でいえば、良質なハーブやスパイスがたくさんあり、とりわけカレーリーフや唐辛子は素晴らしく、今回の料理の重要な素材となった。山羊の味も素晴らしく、本気でタイで飼育したいと考えたほど。山羊のカレーだけは、他のスタッフには触らせず、一人でつくりました。ここで生まれた料理、沖縄のスタッフと働いて得たものは、バンコクの店での、そして福岡に生まれる新しい『GoGan』での仕事に、必ず繋がっていくと思います」
福山シェフは「最後のポップアップ『GohGan』ということで、寂しい気持ちになったりするのかな、と思ったけれど、ガガンとの仕事は最後までただ、ただハッピーでした」と、清々しい表情で話します。
「最初は僕とガガン含め、4、5人で始めた『GohGan』が、沖縄のスタッフ、『DINING OUT』スタッフや関係者の方々、200人ものチームで一丸となれた。まずはこのことに感無量です。いつもはぱっと現場に入り、すぐ本番、ということが多いのですが(笑)、今回は、食材視察の時間も頂き、僕たちなりに感じて、2人で共有したストーリーをコースに盛り込むことができたんじゃないかなと。食材にしても、人の優しさにしても、沖縄から受けた刺激は大きく、アジアはだいたい回っているけれど、久しぶりにいいショックを与えてくれる土地でした。今回、サポートして下さった皆さんのためにも、これからも、沖縄と関わり続け、一緒に何かして行けたら、と思います」
地域の食材や食文化という価値を掘り起こす『DINING OUT』にとって、土地のどの素材を選び、どのような考えの下に調理をするかは、毎回、大きな課題となります。ですが今回、『GohGan』がこの二夜で叶えたものは、皿の上の表現にとどまりませんでした。国籍の異なる人々が集まり、泡盛の盃を交わして、食の場で、人種や国籍を超えた交流の場を共有すること。チーム・ガガンとチーム・福山に、地元沖縄のスタッフも加わった厨房スタッフも、実に国際色豊かな顔ぶれ。交易で栄え、異国の人々をもてなした、ありし日のように。勝連という土地が担った役割を、二夜に蘇らせたのです。
インド・コルカタ出身。2007年にバンコクへ移住し、その後レストランの料理長を務める一方、『エルブジ』で研修を積む。2010年に開いたレストラン『Gaggan』では、エグゼクティブシェフを務め、Progressive Indian Cuisine(進歩的インド料理)を打ち出す。世界的に注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurant」では4位を獲得。同年8月に新たなチャレンジに向けてお店をクローズし、11月に『Gaggan Anand』を拠点として再始動した。
1971年生まれ。福岡県出身。高校在学中、フレンチレストランの調理の研修を受け、料理人の道へ。1989年にフランス料理店『イル・ド・フランス』で働き始め、そこで研鑽を重ねた。その後、1995年からワインレストラン『マーキュリーカフェ』でシェフを務めた。2002年10月、福岡市西中洲に『La Maison de la Nature Goh』を開店。2016年には、九州で初めて「Asia's 50 Best Restaurants」に選出され、2019年には24位にランクインを果たした。
神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
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岡山の「まち」に泊まり、その文化と空気を心身に染み渡らせる。[A&Aジョナサンハセガワ/岡山県岡山市]
A&A ジョナサンハセガワアートと建築が呼応し、相互作用して生まれた新たな存在。
世界に向けて開かれた瀬戸内の要衝であり、土地そのものにも深く長い歴史が息づいている岡山市。
そんな文化資源にあふれた地に、約20年もの歳月をかけて世界レベルの現代アート作家と建築家が協奏した宿泊施設を配置していく――そんな壮大な計画が、公益財団法人石川文化振興財団が進めるプロジェクト「A&A」です。
今回ご紹介するのは、その第1弾としてオープンした2軒のうちの1軒。アーティストとアーキテクト(建築家)の名を冠した『A&A ジョナサンハセガワ』です。
建物の世界観を演出するアーティストには、模倣という手法の中に創造性を見いだす作風で知られるジョナサン・モンク氏を。そして氏の「アートとは即ちアイデアそのものである」というポリシーと協奏するアーキテクト(建築家)には、ハーバード大学デザイン大学院・カルフォルニア大学ロサンゼルス校・メンドリジオ建築アカデミーの客員教授を歴任している長谷川 豪 (はせがわ ごう)氏が迎えられました。
2人のアーティストとアーキテクトの協奏が生み出した新たな「建築作品」の魅力を、たっぷりとお伝えします。
【関連記事】A&Aリアムフジ/アーティストとアーキテクト(建築家)の協奏がホテルを「作品」へと昇華。
A&A ジョナサンハセガワ岡山の「まちに泊まる」体験を経て、多くを知り、そして感じる。
『A&A ジョナサンハセガワ』のコンセプトは、岡山の「まち」を模倣して再解釈すること。その試みが、新たな「岡山のまち」の魅力を見つけ出せる空間となっています。
モンク氏の斬新な発想は、長谷川氏のハイレベルな技術と建築に見事に溶け込んで、相互作用を奏でつつ昇華。そうして織り成された構造の中でも目を惹くのは、全く異なる個性を持つ3つの空間がゆるやかに連携している点です。
天井が低く落ち着いた雰囲気が漂う寝室と、庭と一体化した縁側のようなエントランス。そして展望台のような爽快な高さと眺めを誇る浴室の3つのスペースが、異なる視座から岡山の街並みの存在感を際立たせ、街の隙間を駆け巡る光や風までをも体感させてくれます。
さらに美術館などの文化施設が集約し、「日本三大庭園」のひとつ『後楽園』を旭川越しに眺めることができるロケーションが、『A&Aジョナサンハセガワ』という建物をラグジュアリーな展望スポットとしています。
A&A ジョナサンハセガワプロジェクト「A&A」が広げる新たなムーブメント。
こうして『A&Aジョナサンハセガワ』は、単なるアーキテクト(建築家)の手を借りて立体化したアーティストの芸術でもなく、単にアーティストのセンスを組み込んだアーキテクトの建築でもない、新たな「建築作品」として結実しました。
そんな稀有(けう)な存在が、今後も公益財団法人石川文化振興財団が進めるプロジェクト「A&A」によって続々と生み出されていく予定です。
アーティストとアーキテクトの協奏によって、新たな作品=宿泊施設を生み出す。さらに、そこにゆったりじっくり滞在してもらうことで、岡山の文化と風土にインスパイアされたコンセプトを肌で感じながら、岡山そのものの魅力に浸ってもらう――そんな幾重にも感動を生み出す体験が、プロジェクト「A&A」を機軸に広がっていきます。
芸術家によるアートであると同時に、建築家による建築でもあり、鑑賞対象としても、体験可能な施設としても成り立つ新たな存在。そんな特別な「空間」の創出に、今後も期待を隠せません。
住所:岡山市北区出石町1丁目6番7-1号 MAP
電話:086-206-2600 (A&Aフロントデスク)
チェックイン: 10:00 (最終チェックイン:17:00)
チェックアウト: 12:00
宿泊者数:最大4名(1棟)
料金:97,500円~(税サ込)
https://a-and-a.org/jonathan-hasegawa/
写真提供:公益財団法人石川文化振興財団
アーティストとアーキテクト(建築家)の協奏がホテルを「作品」へと昇華。[A&Aリアムフジ/岡山県岡山市]
A&Aリアムフジ豊かな空間体験を通して芸術への理解を深める。
近年、日本各地に増えつつある土地ごとの歴史や文化を映しとったホテル。それを現代美術アーティストとアーキテクト(建築家)の協奏によって、さらにハイグレードな「作品」へと昇華した存在が、ここ岡山に誕生しました。
その名は『A&Aリアムフジ』。
岡山の芸術文化の振興と地域活性化を目指すプロジェクト「A&A」の第1弾で、グローバル戦略ブランド『koe (コエ)』などを展開する株式会社ストライプインターナショナルの代表取締役であり、『公益財団法人石川文化振興財団』の理事長でもある石川康晴氏がプロデュース。さらにディレクターにギャラリストの那須太郎氏、アドバイザーに建築家の青木淳氏を迎え、宿泊をアートとして体験してもらうことを目指しています。
A&Aリアムフジ土地・アーティスト・アーキテクトが織り成す新たな形の「建築」。
『A&A リアムフジ』を担当したのは、NYを拠点とするアーティストのリアム・ギリック氏と、日本の建築設計事務所『MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO』。
構造は主要なマテリアルとして用いた岡山産の巨大なヒノキ集成材「CLT」。これを田の字に組んで、構造フレームとしています。さらに「田」の字を微妙にずらしながら三段積み上げることで、立体的かつ複雑な経路網が折り畳まれた「迷いの空間体」を生み出しています。
この独特かつ様々な想像をもたらす建築家による構造は、グローバリゼーションやネオリベラルの合意性を枠組みとした場合の、抽象化と建築の視点におけるモダニズムの遺産の機能不全な側面を明るみにする、ギリック氏の精神性と共鳴するものです。
ギリック氏の創造の出発点は、地球温暖化の研究家としてあまたの功績を残した気象学者・真鍋淑郎(まなべしゅくろう)氏が導き出した気象学的方程式ですが、ともすれば政治的な議論の対象になりがちなこの問題を、純粋な科学的分析によって理解を促し続けた真鍋氏の活動に敬意を表して、『A&Aリアムフジ』という「作品」を氏へのオマージュとしています。
そしてアーキテクト(建築家)たる『MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO』の原田真宏(はらだ・まさひろ)氏と原田麻魚(はらだ・まお)氏は、こうしたギリック氏の想いを「社会の確信(盲信)を揺らがせ、再思考させる“迷い”のトリガー」と解釈し、建築デザインで受けとめました。
こうして生まれたシンプルでありながらも立体的で複雑な空間は、ほぼ全ての建築デザインが国内外の賞を受賞している『MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO』ならではの、「思想の立体化」とも言うべき快挙となっています。
滔々アーキテクトとアーティストがつくり出した迷いの中で思索する。
「A&Aリアムフジ」の建築は、建築家とアーティストが互いのプロフェッショナルな領域を尊重しながらも、「パラレルプレイ(発達心理学で言う「平行遊び」)」的な手法によって立体化することを目指しています。それがさらに岡山という土地が持つ歴史的・文化的な文脈やグローバルな諸問題からのインスピレーションを得ることで、滞在する人々は多くの要素から構築された空間で「迷いながら思索する」という特別な時間を楽しむことができます。
岡山市は世界に通じる瀬戸内の玄関口であり、新進気鋭の芸術祭・『岡山芸術交流』の舞台でもあります。さらに日本の近代建築に多くの影響を与えた前川國男氏の設計による岡山県庁を擁(よう)し、“アートの島”として世界的な注目を集めている直島をはじめとする瀬戸内の島々にも近いなど、国内でもまれに見る文化資源に恵まれた地となっています。
そんな岡山市に滞在して、その魅力を深く知ることで、さらなる気づきと感動を広げていく――そんな新たなムーブメントが、この『A&A リアムフジ』とプロジェクト「A&A」を軸に生み出されようとしています。
住所:岡山市北区天神町9番2-1号 MAP
電話:086-206-2600(A&Aフロントデスク)
チェックイン: 10:00 (最終チェックイン:17:00)
チェックアウト: 12:00
宿泊者数:最大4名(1棟)
料金:95,700円~(税サ込)
https://a-and-a.org/liam-fuji/
写真提供:公益財団法人石川文化振興財団
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耕作放棄地で放牧豚、廃校で国産生ハム。“できっこない”を美味しく実現する、津軽のじょっぱり親子。[TSUGARU Le Bon Marché・おおわに自然村/青森県南津軽郡]
津軽ボンマルシェ山あいの元・りんご園の地に、豚が走り回り、子どもたちが集う。
以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した鯵ヶ沢『長谷川自然牧場』は、豚や鶏がのびのびと過ごす姿が印象的な牧場でした。「人間も動物も自然体で過ごすのが一番」。牧場主の長谷川夫妻のそんな考え方に感銘を受け、夫妻の元で養豚を学んでから、南津軽郡大鰐町で養豚を行う若者がいます。津軽随一の温泉郷としても知られる大鰐町の中心地から、車で10分以上離れた森の中。出迎えてくれた『おおわに自然村』の三浦隆史氏は、物腰柔らかな好青年でした。現在20頭ほどの豚を飼育し、食肉用に出荷しているこちらの牧場では、約7ヘクタールという広大な敷地の一部を豚の放牧場に。太陽の下自由に走り回る豚たちは、森のどんぐりや栗、敷地内に植えられたプルーンなどの果実を食べ、泥遊びをしながら過ごします(※)。通常は6ヵ月ほどの飼育を経て出荷されるところ、ここでは8〜10ヵ月をかけてゆっくり飼育。上品なサシが入った「レトロポーク」として評判を得ています。
牧場になる前は、4、5年ほど放置されていた元・観光りんご園だったというこの場所。隆史氏の案内で敷地をぐるりと巡ると、津軽の豊かな自然を感じることができます。栗やプルーンの他にさくらんぼやクルミの樹があり、高台からは津軽のシンボル・岩木山を一望。池に繋がる水路にはニホンザリガニやホタル、珍しいイトトンボなどが生息します。「当初は養豚が目的でみつけた土地でしたが、この自然をそのまま生かそうということになって。地域の子どもたちを受け入れ、体験学習の場にもしています」と隆史氏。子どもたちの笑い声が響くここ「おおわに自然村」は、単なる養豚施設にとどまらないさまざまな側面を持っているようです。
弘前市の住宅街にある銀行員の家庭に生まれ育った隆史氏。農業に興味を持ったきっかけは、シュミレーションゲームの「牧場物語」! 北海道・江別にある酪農短大に進学して酪農を学び、卒業後は養豚の道を目指し『長谷川自然牧場』などで研修、『おおわに自然村』を立ち上げたのは2007年のことでした。「ここ『おおわに自然村』には母体となる会社があります。それが『(有)エコ・ネット』。いわゆる産業廃棄物の収集運搬業者です」と隆史氏。意外にも思える廃棄物と養豚の関係とは? 種明かしは、豚たちの食べている餌にありました。
※2020年現在、感染症予防のため、放牧を一時的に見合わせています。
津軽ボンマルシェ廃棄物は宝物? 捨てられるものから、とびきりの美味しさが生まれる。
豚舎脇に停められた軽トラの荷台のビニールシートを隆史氏が外すと、豚たちがにわかに騒ぎ出します。「食べさせろって鳴いてますね(笑)」と隆史氏。荷台に積まれていたのは、規格外のりんごチップス、パン、ケーキのほか、廃棄される弁当やおから、ご飯、麩、野菜くずなどを混ぜた“エコ・フィード”と呼ばれる餌。どれも人間の食品残さ、つまり廃棄物として回収されたものばかり。豚たちは放牧で食べる草や木の実以外に、1日1回、これらの餌を与えられています。「ただ食品残さを与えるのではなく、栄養価を考えて作られた餌を与え、なるべくストレスをかけずにゆっくり育てることで、キメ細やかな脂が乗って美味しくなるんです」と隆史氏。原料の調達と製造は、経営母体である産廃業者『(有)エコ・ネット』が担当。隆史氏の父・三浦浩氏が代表を務める会社です。
実は『おおわに自然村』がスタートする前から、エコ・フィードの生産を行っていた『エコ・ネット』。隆史氏が養豚を始めたのも、「自社の餌を使えば、ちょうどいい」という浩氏の強い勧めがあってのことでした。しかし先ほど書いたように、隆史氏の実家は銀行員の家庭だったはず。銀行員から産廃業者へ―。食品残さと豚の繋がりには、浩氏の並々ならぬ情熱と行動力が秘められていました。
「元々は、こんなことやるつもりじゃなかったんですよ」。なぜ産廃業者へ転身したのか質問すると、浩氏はそう言って続けました。「今の日本は経済最優先。中央ばかりがどんどん豊かになり、地方の産業がないがしろにされている。おかしな話です」。信用金庫の職員として、地域の中小企業を担当していた浩氏。時代の流れとともに、これまで津軽の経済を支えてきた末端の個人商店がどんどんなくなっていくのを目の当たりにしたといいます。「パーティや会合をすれば、余った食べものや飲みものが捨てられる。山ほどですよ? そのゴミはどうなっているのか。何かおかしい、そう気づいたのが20年以上前のことです」。まだリサイクル法が制定される前、“ダイオキシン”などの単語も一般的ではない時代でした。
津軽ボンマルシェ津軽初の生ハム工房誕生! 地方の小さな廃校が、注目のスポットに。
生ゴミを、飼料や堆肥を製造するための資源に活用できないか。そんな考えから銀行を退職し『エコ・ネット』を創業した浩氏でしたが、当初、周囲の農家からの反応は冷ややかだったといいます。「使ってくれる農家もいなくて、ひとりだけ浮いてるような状況。でも輸入飼料や化学肥料に頼る他力本願な農業からは自立しないと、日本はだめになると考えていました。そんな時、息子が大学を出て帰ってきたから『お前、豚やれ』って。成功するかは分からない、綱渡りですよ(笑)。それでも食品残さと農業には、無限の可能性があると確信していました」と浩氏。
食品廃棄物をリサイクルして豚を肥育、精肉・販売するところまで駒を進めた三浦親子でしたが、新たな課題も出てきました。苦労して作った肉の価格は低く、ウデ肉やモモ肉などレストランで提供しづらい部位が売れ残るのです。そこで考えたのが、豚肉の6次産業化。「でも、小規模生産者がメーカーと勝負しても勝てるわけがない。そんなとき出会ったのが、東京でレストランを経営しながら、故郷の秋田で生ハムを作っている金子裕二さん。加工肉で秋田に産業を生み出したいという金子さんの考え方に共感し、何度も秋田に出向いて教えを乞いました。金子さんは僕の師匠なんです」と浩氏。『おおわに自然村』に設置したコンテナを熟成庫にして生ハム作りを始めたのが2010年のこと。まだ国産生ハムがほとんど出回っていない時代です。
さらに生ハム作りの大きな後押しとなったのは、それから5年後のこと。『おおわに自然村』から車で20分ほどの集落にある小学校が、過疎化により廃校となったのです。校舎は川沿いの高台にある木造建築。実はここ、生ハム作りにとってはこれ以上ないほどの好条件が揃った場所でした。「生ハムの熟成には風が必須ですが、ここは常に風が吹いています。夏場も教室内は涼しくエアコンいらず。しかも木は調湿効果があり、ちょうどいい湿度を保ってくれる。壊してしまえばゴミですが、これだけのものを新しく作ることはなかなかできません。それにここが残ることは、学校の歴史、たくさんの卒業生のルーツが残るということ。それこそお金で買えない、大切なものを残すことができるんです」と浩氏。
2016年、築50年以上の校舎は、青森県初となる生ハム工房として生まれ変わりました。職員室は肉の加工場と冷蔵室に、教室は生ハムの熟成庫に。製造量は年間300kgほど。毎年参加者を募集する「生ハム塾」では、自分で一から生ハムを作る体験もでき、人気を博しています。過疎の町に新たに生まれたユニークな名産品のニュースは、地域を明るく照らしました。現在、生ハム製造を担うのは、浩氏の三男で隆史氏の弟・石澤輝氏。三浦家のタッグも、ますます強固なものになっています。
津軽ボンマルシェ国が動かぬなら、まずは地域の民間から。循環のモデルケースを目指して。
『おおわに自然村』の生ハムは今、主に首都圏へ出荷しています。主な顧客はそうそうたる顔ぶれの有名ホテルの数々。カットしない“原木”の状態で販売し、1本4万円からと高価であるため、一定量をコンスタントに消費でき資本力もあるホテルが購入しやすいという理由もありますが、当初から地元ではなく県外を販売対象に考えてきた浩氏には、こんな考えもあります。「餌の原料である食品残さは近隣で回収して地域内で循環させるけど、生ハムは“外貨”を回収する手段。行政を待っていたらだめ。民間が力を付けて、地域を回していかないと。まずは一歩ずつできることを進める。それが大事です」。
こういった地道な活動は、徐々に地域の意識を変えつつあります。廃棄せざるを得ない食材を「捨てるくらいなら有効に使ってほしい」と提供を申し出る人々も増えてきました。生ハム工房には、さまざまな企業からの視察の申し込みが。近隣エリアの大手コンビニエンスストアの店長から、問い合わせが入ることもありました。「そういうときは、『まずは飲もう』とBBQに誘うんです」と浩氏。「豚肉や生ハムを、みんな美味しい美味しいと食べてくれる。企業や個人レベルでは、共感してもらえていることを実感します」。
浩氏が、廃棄される食品残さを活用することを思いついてから20数年。その想いは今、豚肉に姿を変え、生ハムとなり、さらにさまざまな形で広がりを見せています。たとえば堆肥は、地元の農家と障がい者就労施設と連携し、ねぎの生産に活用。ねぎは埼玉県のねぎ問屋へ卸し、全国のラーメンチェーン店で使用されます。より多くの人に農業を身近に感じてもらえるよう、平川市の温泉施設のリニューアルを手掛け、津軽の自然と農業を一緒に体験できる“農泊”も始めました。その躍進の力の源を聞くと、浩氏は満面の笑みとともに、茶目っ気たっぷりの津軽弁でこう言いました。「だって、わくわくするっきゃ? どきどきするっきゃ? やってきたことは、無謀な冒険ばかりだったかもしれない。でも人がやってないことをする方が、面白いじゃないですか」。
津軽人らしく、一本気で頑固な“じょっぱり”気質が見え隠れする父・浩氏のことを「なかなか厳しくて。大変ですよ(笑)」と評する息子・隆史氏。しかし「自分もやりたいことは色々あるんです。まずは『おおわに自然村』を法人化したい。現在工房長をしている弟は元料理人ですから、ゆくゆくは直営のレストランも作りたいですね」と語り、県内の畜産業界の生産者を集めた「あおもり畜産部」を立ち上げるなど、父に負けじと地域を牽引します。まだ見ぬ“わくわく”や“どきどき”をモチベーションに邁進する三浦家。きっとこれからも、私たちに新たな驚きを与えてくれることでしょう。
住所:青森県南津軽郡大鰐町長峰字駒木沢420-200 MAP
電話:0172-47-6567
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なんでもトレンドのアンテナサイトです。http://trend1999.wp.xdomain.jp/
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世界を知り、日本を見る。根源を学び、表現する。本物の「エスプリ」だけが永遠を手に入れる。[TEORI/岡山県倉敷市]
八木 保×テオリスティーブ・ジョブズとともに時代を駆け抜けた、ひとりの日本人デザイナー・八木 保。
八木 保氏は『アップル』創業者のスティーブ・ジョブズとともに仕事をした数少ない日本人のひとりであり、現在もアメリカ西海岸を拠点に活躍し続けているグラフィックデザイナーです。
1984年に渡米し、『エスプリ』のアートディレクターを務めました。カタログやパッケージ、ストアグラフィックデザインなどのビジュアルを手がけ、1991年に『Tamotsu Yagi Design』を設立。数々の名作を世に送り出しますが、特筆すべきは『アップルストア』のコンセプトモデルの基礎となった1号店のデザインを手がけたことです。ここでいうデザインとは、目に見える内装やグラフィックはもちろん、コンセプトやコミュニケーションなど、目には見えないストアの核となるデザインも指します。
そんな八木氏の周辺は、その審美眼により長年集積された「もの」がひとつの風景を生み出しています。アート、インテリア、雑貨、本……。その「もの」は様々ですが、全てに共通していることは、「本物」だということです。
「本物でなければ意味がありません」。
その一つひとつには、作り手の「エスプリ(=精神)」が宿り、それを理解できる人のもとへ時空を超えてやって来たようにも見えます。つまり、間違った人の手にさえ渡らなければ、本物の「エスプリ」は永遠に生き続けるのです。世界を舞台に戦い続けている八木氏には、日本はどう映っているのでしょうか? 八木氏が考える日本のクリエイティブとは何でしょうか? その答えを自身が愛用する「made in japan」のものとの向き合い方とともに、紐解いていきたいと思います。
八木 保×テオリマテリアルが重要。それは環境や社会と向き合うことを意味し、世界のスタンダードな思考。
「デザイナーだからといってデザインだけ一流でも世界では通用しません。ものを生み出すということは、ルーツを知り、学ぶところから始まります。それがもしプロダクトであれば、そこには素材があり、当然、その背景もある。起源までたどり、理解し、どう社会とつながるのかまで考え抜いた上で創造しなければ、価値は生まれないと思います。デザインが良いのか悪いのかは、こうしたことを前提として次に考えることです」。
海外を拠点に活動する八木氏は、「世界では今、環境問題や社会問題への意識が非常に高い」と言います。これは決して日本が低いという意味ではなく、世界的にみて専門家の意識も一般の人たちの意識も高い傾向にあることを指しています。逆に言えば、そういう意識を持たないクリエイターは、世界では通用しないということです。そんな八木氏が愛用する「made in japan」のもののストーリーも素材から入ります。
それは「竹」です。
「竹素材のものは、古いものから現代のものまで、自宅やスタジオでも色々と使っています。中でも岡山県倉敷市で生産されている『TEORI』は、自社で竹林を持ち、伐採から採取、加工まで、一貫して行っている自然環境と向き合ったブランドです。僕が使っている“BON”は、その名のとおり、竹のお盆。柾目(まさめ)の美しさはもちろんですが、手で持ちやすくするために縁の一部にカッティングを施したデザインには、使い手に対する心遣いを感じます。日本人ならではの発想であり、細やかな配慮だと思います」。
国内でも『TEORI』のように竹の栽培から自社で行う所は少ないそうです。『TEORI』には、竹を扱うことについて3つの特徴があるといいます。
「ひとつ目は、“硬くて丈夫”だということ。曲げ圧縮強度に優れ、長さに対しての狂いもほぼありません。例えば、昔あった竹の定規というのは、まさにその好例です。ふたつ目は、“人体に優しい”こと。抗菌性、殺菌性、脱臭性に優れ、テルペンと呼ばれる芳香物質を含む竹にはリラックス効果もあるそうです。そして3つ目は、“環境に優しい素材”。竹は成長が早く持続的生産が可能です。地下茎と呼ばれる茎を地中に持つため、地上に出てきたものだけを伐採すれば、新たに造林する必要がありません。出来上がったものは老朽化しにくく、生涯家具として使うことができるでしょう」。
竹は、古くから籠や日本家屋の材料にも利用されてきた、日本人が慣れ親しんできた素材。竹の歴史をたどれば、縄文時代の遺跡からも竹を素材とした製品が出土しているほど、日本の文化や生活を育んできました。しかし、「竹は古典だけではなく、表現の仕方次第で可能性が広がる素材」だと八木氏は言います。その例として、「’40年代、あるひとりの人物によって竹の可能性は開化し、創造されました」と言葉を続けます。その人物とは、フランス人の建築家兼デザイナーのシャルロット・ペリアンです。
八木 保×テオリシャルロット・ペリアンと日本の関係は、日本を世界に価値化する好例なのかもしれない。
シャルロット・ペリアンは、世界的に有名な建築家、ル・コルビュジエに師事した建築家兼デザイナーです。そのペリアンと日本にはどんな関係があったのでしょうか。
「1940年、シャルロット・ペリアンは、日本でデザインの指導にあたり、商工省(戦後に通商産業省に改組)から招聘を受けています。それが実現できたことは、同じくル・コルビュジエのアトリエで机を並べた日本人建築家・坂倉準三さんからの誘いであったことと、坂倉さんへの絶大な信頼があったからだと思います」。
当時、坂倉準三氏は神戸でシャルロット・ペリアンを出迎えたといわれており、そういったエピソードからもふたりの強い絆を感じます。奇しくも八木氏は神戸出身。偶然なのでしょうか、それとも必然なのでしょうか。
「シャルロット・ペリアンは、日本のデザインを知る上で、工芸を視察するために地方を精力的に回ります。その案内人は、柳 宗理さんでした。畳、障子、襖……。木、和紙、鋳物(いもの)……。様々な日本の文化や歴史、素材に影響を受ける中、そのひとつに竹もあったのです。竹を曲げる手法、“竹の砂糖ばさみ”と出合い、名作“シェーズ・ロング(寝椅子)”を竹で作るという発想を得たといわれています。民芸なども、それはそれで日本の文化としては良いと思いますが、日本が世界と肩を並べていくには、もう少し工夫も必要なのではないでしょうか。世界のシャルロット・ペリアンが日本の竹を認めたように、日本にはまだまだ知られていない資産価値があるのですから」。
そして、もうひとつ。シャルロット・ペリアンは、日本のあるものから発想を得て、名作を生み出しています。
「シャルロット・ペリアンが日本を巡る中、彼女に多大な影響を与えたものが他にもあります。それは、『修学院離宮』の“霞棚”です。名作、“ニュアージュ”や“クラウド”という互い違いの壁棚のデザインの原点は、この“霞棚”なのです」。
このストレージが生まれた場所は、シャルロット・ペリアンが’50年代に協働を始めたジャン・プルーヴェのアトリエだといわれています。ジャン・プルーヴェとシャルロット・ペリアンのコレクターとして知られる八木氏とここでもつながります。
「ちなみに、坂倉準三さんもまた、座面に竹を用いた椅子を発表しています。世界的に有名な建築家、ル・コルビュジエに師事したシャルロット・ペリアンと坂倉準三さんのふたりが愛するほど、日本の竹は魅力的なのです」と八木氏は言います。
そんなシャルロット・ペリアンは、2019年で没後20年になります。
「それを記念し、パリの『フォンダシオンルイ・ヴィトン』でシャルロット・ペリアンの回顧展(2020年2月24日まで)が開催されています。その内容はもちろんですが、ある1冊の本も注目を浴びています。それは、『Living with Charlotte Perriand』です。シャルロット・ペリアンが歩んできた人生をはじめ、そのオリジナルの家具と暮らすインテリアの写真や歴史などが集められ、世界中のシャルロット・ペリアンのコレクターから人気を博しています」。
八木氏所有のシャルロット・ペリアンの家具もまた、この本に紹介されており、ジャン・プルーヴェ同様、その愛好ぶりがうかがえます。日本の竹ブランド『TEORI』と日本の竹を愛したシャルロット・ペリアン、両者のインテリアに着眼する視点こそ、八木氏の感性なのです。
八木 保×テオリ「made in japan」と「自然素材」。このふたつだけは、絶対にこだわりたいと思った。
2018年、八木氏は日本で新たなプロジェクトを遂行していました。それは、「made in japan」のベッドのデザインです。寝具を担うのは、180年以上の歴史を持つ京都の『IWATA』。フレームを担うのは、八木氏が愛用する「BON」のブランド、倉敷の『TEORI』です。いずれもその道のパイオニア的存在です。
「寝具も素材もデザインも、違う国同士を掛け合わせると不具合が起きます。例えば、竹を使用したプロダクトには中国産も多いですが、日本のものには日本のものを合わせたかった。もちろん品質も良い。耐久性においても日本の竹が一番優れていると思います。僕は“made in japan”にこだわりたかった」と、八木氏は話します。そして、「このプロジェクトのもうひとつの大きなポイント、それは“自然素材”にこだわることです」と続けます。
ほぼ全ての工程に自ら目を通す八木氏は、ロサンゼルス、京都、岡山を行き来する日々。フレームやパーツの試作、サスペンションやテンションの調整、きしみの有無、寝具との組み合わせ、マットレスのクッション性などを綿密にチェックします。マットレスに腰かけ、実際に寝てみて「『IWATA』のマットレスのクッション性、寝心地は抜群です」と言う八木氏。
なぜ抜群なのでしょうか。それは技術だけではなく研究にあります。
「マットレスの素材は、羽毛、麻、キャメル、ヤクなど、高品質な天然素材を中心に再利用・再資源化が可能なものを使用しています。いずれも自然に戻すことのできるものを選んでいるのです」と、八木氏は『IWATA』の環境への取り組みを話します。
更に、八木氏が「ぜひ、寝てみてください!」と勧めるのは、チンパンジーのベッドをヒントに作られた、人類進化ベッドです。
チンパンジーの平均寿命は40~50歳だといわれており、ほぼ毎日寝床を変えるそうです。そうなると、一生のうちに1万個以上ベッドを作ることになります。つまり、ベッドを作るプロフェッショナルであり、眠るプロフェッショナル。寝心地には「人」一倍もとい、「猿」一倍こだわるのがチンパンジーなのです。そのチンパンジーのベッドをもとに生まれたのが、この「人類進化ベッド」なのです。
「これはほんの一例にすぎません。『IWATA』のベッドは、睡眠科学を軸にした研究と開発があるからこそ、快適な眠りを提供できるのです」と八木氏は話します。
このベッドは、2020年夏に開業する東京は青山の『青山ベルコモンズ』跡地に建つ『AOYAMA GRAND HALL』の上層階に位置するホテル『AOYAMA GRAND HOTEL』にも採用される予定です。
八木 保×テオリ八木 保が考える、「ジャパンクリエイティブ」とは。
「日本も然り、世界中のそれぞれの国や地域には歴史があり文化があります。新しいものやことを生み出すにしても、古きを知ることから始めなければいけないと思っています。直感的にもの作りをするのもいいですが、そこには説得力はない。形としても言葉としても、確固たる背景と物語がないと、そこには“本物のエスプリ”は宿らない。本物にこそ豊かさがあるのです」。
デザインに例えるならば、見える部分のパッケージに気を遣うことよりも、見えない部分のコンセプトの方が重要。全てをデザインしてこそ、グラフィックデザイナー。そして、全てをデザインするということは、全てを理解することでもあります。物事を行き止まりまで探求し、原点を学び、意味を知ることが大切なのです。同じグラフィックデザイナーでいえば、「田中一光さんや亀倉雄策さんは、それを成し得てきた方々だと思います」と話します。
「自分がグラフィックデザイナーを目指したきっかけは、『パンアメリカン航空』(通称「パンナム」)のロゴデザインを見た時でした。たったひとつのデザインだけでこんなにも行動意欲がかき立てられ、高揚感が溢れ出る。その感動を得た時に、こんな造形のグラフィックデザインをやってみたいと思ったのです。日本では、『浜野商品研究所』でデザインをしていました。その時に『エスプリ』のオーナーが来日し、日本人デザイナーを探していたのです。当時、倉俣史朗さんが手がける大きなプロジェクトがあって、そのためのプロジェクトメンバーでした。倉俣さんがいなければ、僕は渡米していなかったかもしれません。そのご縁があってアメリカを拠点にデザインをすることになり、後に『エスプリ』のアートディレクターを務めさせて頂きました。『エスプリ』は、とても大きな会社だったので、カタログを刷るだけでも“ワンミリオン”の世界。当然、その分だけ紙の原料となる木を伐採する行為も生まれてしまいます。創業者のダグラス・トンプキンスは、木を伐ってまでビジネスをすることに疑問を抱き、『エスプリ』を去ってしまいました。ダグラスは、もともと『ノースフェイス』を設立した人物なので、自然環境に対しての感度や問題意識が人一倍高かったのも手伝ったと思います。僕も同時期に『エスプリ』を辞め、日本に帰ろうと思いましたが、日本は色々な意味で社会が変わっていました。僕が生きる場所はそこになく、アメリカに残ってグラフィックデザイナーとして生きていくという選択をしました」と八木氏は振り返ります。
倉俣史朗氏やダグラス・トンプキンスとの出会いは、八木氏の人生に大きな影響を与えたことなのかもしれません。それはグラフィックデザイナーとしてはもちろん、人としての生き方そのものに対してといっても過言ではありません。
「デザイナーとしての生き方は、人としての生き方と同じ。人を敬う気持ちや誠意は、自ずとデザインにも反映されてきます。根源をたどることもその延長。先人たちの精神、文化、歴史に敬意を払うことは当然の行為。根源こそ創造のオリジンだと思います」。
八木氏の考える「ジャパンクリエイティブ」とは、「根源」。
永遠に値する本物、それを創造する原点が「根源」にあるのです。
1949年兵庫県神戸市生まれ。『浜野商品研究所』を経て、1984年に渡米。『エスプリ』のアートディレクターを務め、広告やカタログ、パッケージ、プロダクト、ストアサインなどのビジュアルコミュニケーションで世界的な評価を獲得する。1991年、サンフランシスコに『Tamotsu Yagi Design』を設立し、現在は、ロサンゼルスはベニスビーチのアボット・キニーに拠点を構える。受賞作は、1994年にクリオアワードに輝いた『ベネトン』の香水「TRIBÙ(トリブ)」など、多数。1995年には、アメリカ政府より芸術分野で活躍したアジア人に贈られる貢献賞を受ける。主なデザインに、『アップルストア』のコンセプトデザインのコンサルタント、『グランドハイアット東京』のデザインディレクション、『マル二木工』の「nextmaruni」チェアなど。近年ではナパバレーで生産されている『KENZO ESTATE』のワインラベルデザイン、「JAPAN HOUSE Los Angeles」のクリエイティブディレクションを担当。また、環境保護団体へのデザイン提供などを中心に各種ボランティア活動も積極的に行う。現在も世界中で様々なプロジェクトを展開中。近著に『八木保の選択眼』(APP)など、著書多数。ジャン・プルーヴェの家具の収集家としても世界的に知られている。http://www.yagidesign.com
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南国のビーチリゾートで、南十字星が輝く夜空に出会えるグランピング体験![フサキビーチリゾート ホテル&ヴィラズ/沖縄県石垣市]
フサキビーチリゾート ホテル&ヴィラズ真冬でも温暖な南国で、この時季しか出会えない幻想的な星座を眺める。
真っ白なビーチ、どこまでも続くエメラルドグリーンの海、夜空に輝く満天の星々――そんな夏のレジャーと思われがちなビーチリゾートを、真冬でも楽しめるスポットがあります。
石垣島に広がる『フサキビーチリゾート ホテル&ヴィラズ』。ここで2020年3月12日まで、1日3組だけの「グランピング」プランが催されています。
石垣島を含む八重山諸島は、日本で唯一 南十字星が見られるエリア。そんなスターウォッチングのメッカでも1月~6月にしか現れない幻想的な星座は、一生の想い出となること間違いなし!
さらに「グラマラス(魅惑的な)」×「キャンピング」の掛け合わせである「グランピング」は、アウトドアの不便さを解消した充実の設備と、隅々まで行き届いたサービスの数々で、快適かつ極上の滞在を約束してくれます。
フサキビーチリゾート ホテル&ヴィラズゴージャスに、快適に。ビーチリゾートならではのアウトドア体験。
このグランピングプランの舞台となる『フサキビーチリゾート ホテル&ヴィラズ』は、石垣島では数少ないグランピング施設を備えたリゾート施設です。そこで叶えられるのは、すぐそばに広がる天然ビーチでの遊泳やアクティビティ、その広大なビーチを散策しながらのスターウォッチング、ラグジュアリーなグランピング・テントでくつろぐ至福のひととき、充実の沖縄食材によるゴージャスなBBQなど、優雅で快適な体験ばかりです。
さらに宿泊は、異国情緒あふれる琉球赤瓦のコテージをご用意。テント泊が苦手な方でも、アウトドアを楽しんだ上で存分にくつろげます。
そして敷地内には、地元のハーブガーデンとのコラボレーションによるオリジナル商品や、石垣島のクリエイター達の作品などを取り揃えたショップもあり。3月1日からはビーチの至近に位置する石垣島最大級のプールエリアもオープン。プールには入れない2月までも、好天の日はプールサイドでの日光浴が楽しめます。
フサキビーチリゾート ホテル&ヴィラズ島の食文化をBBQで味わう。
そして石垣島ならではのグルメも、もちろん充実。夕食はグランピング・テントの側で味わう、専用グリルによる野趣あふれるBBQ ディナーです。TボーンまたはLボーンステーキをメインに、島豚ソーセージ、島魚の野草包みホイル焼き、紅芋冷製スープなどなど、厳選された食材による石垣島の食文化を満喫できます。
そして面倒な準備と後片付けは、至れり尽くせりのスタッフにおまかせ。「焼く」「食べる」というBBQの醍醐味だけを味わい尽くしましょう。スタッフに焼き方のコツを教わりながら自ら仕上げるディナーは、アウトドアでありながらも優雅でラグジュアリーな気分に浸れます。
※雨天時はホテル内のブッフェレストラン「ISHIGAKI BOLD KITCHEN」にて、シェフが調理するBBQ メニューと通常のブッフェメニューを提供。
フサキビーチリゾート ホテル&ヴィラズリゾートブッフェの朝食は、アーリーモーニングからブランチまで対応。
南十字星が輝く一夜が明けての朝食は、約100種類のメニューからなる豪華なブッフェスタイルとなります。
こちらも八重山そばやソーキの煮込み、ゆし豆腐などの島食材を織り交ぜつつ、世界の料理や南国フルーツなどをバラエティ豊かに取り揃えています。アウトドアから一転、南国リゾートらしいゴージャスな目覚めに浸りながら、体と心が求める栄養をチョイスしましょう。
そんなメニューの自由度に加えて、6:30~10:45(最終入店10:00)というブッフェタイムにも思いやりが。余裕あるステイにも、忙しい旅立ちにも十分に配慮されています。
フサキビーチリゾート ホテル&ヴィラズ春以降のプランにも注目! シーズンごとに新たな喜びが待つ。
グランピングプランが終了する3月12日以降も、『フサキビーチリゾート ホテル&ヴィラズ』は新たなプランを続々と企画しています。
直近の「リトリートYOGA」プランは、体と心のウェルネスに着目。“デトックス”や“良質な眠り”などをテーマに、南インドの伝統的なヨガスタイルを伝えるkSaNa(クシャナヨガ)とタイアップして、日常から開放された風景の中で心身のバランスを整えるヨガを学べます。
さらに5月には、インドアプール・スパ・ジム・大浴場・琉球中華レストランなどを備えた「エイトスターズヴィレッジ」がオープン。石垣島の気候とロケーションを生かしながら、より快適に、よりラグジュアリーに滞在できる極上のリゾート地として進化し続けます。
【1日3組限定】石垣島で贅沢キャンプ「グランピング」&豪快BBQ ディナー・朝食ブッフェ付
住所: 沖縄県石垣市新川1625 MAP
電話: 0980-88-7000
料金: 14,740円~(2名1室1名料金朝食付・税込)
※グランピングプランの料金は 23,480円~(2名1室1名料金2食付・税込)
https://www.fusaki.com/
写真提供:FUSAKI BEACH RESORT
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雪国・上越に根ざす発酵文化と美食の相関関係。~大越基裕編~[Niigata Gastronomique Journey/新潟県]
新潟ガストロノミックジャーニーOVERVIEW
上越地方を旅するのは、4賢者の最後の一人、ワインテイスターの大越基裕氏。フランスでワイン醸造を学び、銀座のグランメゾンで長きに渡りシェフソムリエを務めた経験を持つ、日本のトップソムリエの一人。現在は、フリーランスのワインテイスターとしてレストランや飲料メニューの監修やプロデュース、商品開発などに携わりながら、自身でモダンベトナム料理とファインワインの店『アンディ』を経営し、ガストロノミーとワインの新しいスタイルを提案する、酒類とレストランサービスのプロフェッショナルです。
上越市、妙高市、糸魚川市からなる上越地方は、新潟県南西部に位置。全国屈指の豪雪地帯で、稲作とともに、雪国だからこそ生まれた伝統発酵食品や酒づくりの伝統など、独自の食文化が今も受け継がれています。数年前から日本酒にも力を入れ、日本のファインダイニングのドリンクペアリングに革新をもたらしてきた大越氏にとって、日本酒の蔵めぐりは、ライフワークのひとつ。その土地に根付く食を楽しむことはもちろん、マスト。今回、新たに出会うのは、どんな酒、人、味なのか。短かくも濃厚な旅を追います。
【関連記事】Niigata Gastronomique Journey/風土に根ざした独自の美食が花開く新潟へ。4名の食の賢者が各地を旅し、その全容を本気で斬る
1976年、北海道生まれ。国際ソムリエ協会 インターナショナルA.S.Iソムリエ・ディプロマ。2013年6月、ワインテイスター/ワインディレクターとして独立。世界各国を回りながら、最新情報をもとにコンサルタント、講師や講演、執筆などもこなしてワインの本質を伝え続けている。ワインだけでなく、日本酒、焼酎にも精通しており、ワインと日本酒を組み合わせた食事とのマリアージュにも定評がある。
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なんと!!!
皆様こんにちは!
日々寒いですね・・・
インフルエンザやその他風邪が流行っていて怖い・・・
手洗いうがいR1ですね・・・
今日はたまには商品以外のお話でも・・・・
実は先日超人気ユーチューバ-の
【東 海 オ ン エ ア 】の
りょうさん、虫眼鏡さん
がご来店して頂きデニムストリートが一気に賑わいました!!
流石人気者、、、当たり前に囲まれていてやっぱすごい!!と、、、
私、有名人運無くていつもギリギリで会えなかったりそもそもお休みで見ることすら出来ないことが多く、、、
なので初めて有名な方々にお会いできて興奮と同時に人気者の威力を目の当たりにしすごい・・・とびっくりしました笑
そしてりょうさん、虫さん優しい、、、何よりお優しい、、、
そんな超人気な東海オンエアさんのチャンネルでメンズ館が写るかも?!なのです!
東海オンエアさんのチャンネル登録していたらすぐにチェックできますよよよ?!!
チャンネル登録しましょーーーー!!
そして過去の動画達もおもしろいので要チェックです!!!!
↓↓↓↓↓ 東海オンエア チャンネル URL ↓↓↓↓↓
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Imposible resistirse a la tentación de salir a correr teniendo semejante escenario
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Asi es el sur de Chile, uno de esos lugares tocados por la varita mágica de Dios.
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違う個性が寄り添い合って、ひとつの景色に。雪国で花開く陶芸家夫婦の自由な暮らし。[TSUGARU Le Bon Marché・陶工房ゆきふらし/青森県五所川原市]
津軽ボンマルシェ異なる作風のふたりが共に営む、雪の中の器工房。
以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した「おぐら農園」は、対照的な性格ながら相性はぴったりの夫婦が営む弘前市のりんご農家でした。そんな「おぐら農園」のふたりの友人が、太宰治の生まれ故郷・五所川原市金木町に工房を構える「陶工房ゆきふらし」の陶芸家、猿田壮也氏と猿田千帆さん。長年一緒に作陶を続け、同じ土、同じ釉薬を使用するふたりですが、こちらも小倉家同様、対照的なタイプの夫婦。その作風は大きく異なります。
夫の壮也氏が手掛ける作品は、はっきりとしたフォルムの食器や陶製のランプ。「麻の葉」や「青海波(せいがいは)」といった日本の伝統柄をベースにした幾何学模様が目を引きます。「シャープな形が好みなんです。昔はもっと細かな絵付けもしていたのですが、描いても描いても納得できずに胃が痛くなっちゃって(笑)。描きながら無心になれる幾何学柄に落ち着きました」と壮也氏。一方、妻・千帆さんの作品の多くは、手作業の温かみを感じさせる食器や一輪挿し。草花をモチーフにしたしなやかな絵柄が描かれます。「私はかっちりさせるより、むしろ形を崩したい。轆轤(ろくろ)で作ると全部同じ形になるから、最終的な造形は手で行います」と語ります。
ふたりが口を揃えたのが、絵柄を入れる過程で下描きは不要なこと。意見が揃ったと思いきや、壮也氏が「こういう幾何学模様は、どこか1ミリでも下絵とずれるとすべてだめになる。描きながら調整して最後にかちっと決めたいから、下描きはしません」と話すのに対し、千帆さんは「下描きはしないというより、下描きがあっても意味がない」。よくよく見れば、千帆さんの手元の皿には下描きがあるようですが……「真っ白なところに描くのは緊張するけど、下描きがあると安心して自由に描ける。だから下描きと全然違う絵を、上から重ねて描くんです(笑)」。
作品作りへのアプローチが面白いほど真逆なふたり。「でも、だからこそ一緒に続けられるのかも。自分と同じだったら、相手が気になって仕方ないから」。そんな壮也氏の言葉に「うんうん」と頷く千帆さん。そう、ふたりの共通点はマイペースなこと。そして互いに「自分にはできないものを作る作家」として、相方をリスペクトしていることです。
【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!
津軽ボンマルシェアフリカの打楽器が結んだ縁が、青森へ、津軽へと繋がる。
それぞれ別の場所で生まれ育ち、陶芸の道へ進んだ壮也氏と千帆さん。両親共に彫刻家という芸術家一家の元、千葉県市川市で育った壮也氏は、幼い頃から何かを“作る”行為が身近だったそう。家族で見ていたテレビ番組をきっかけに陶芸教室に通い出した壮也さんでしたが、なんとそれを機に両親も作陶を始め、自宅が窯元に。瀬戸の窯業職業訓練校を出た後は、10年ほど名古屋で暮らし、埼玉県に転居した実家の「南川窯(なんせんがま)」で作陶を始めます。一方、千帆さんの出身は青森県むつ市。文化女子大学(現・文化学園大学)でデザインを学ぶ学生時代、授業で体験した陶芸に興味を持ち、茨城県笠間市の窯業指導所に通いながら、笠間焼の陶芸家に師事して技術を磨きました。
出会いは2000年、陶芸家や窯元が集結する一大陶器市、「益子の陶器市」でのこと。毎年出展を続けていた壮也氏が発見したのが、大量に展示された陶器製のアフリカの打楽器「ウドゥ」でした。根っからの打楽器好きの壮也氏は、マニアックなウドゥの存在に大感激。実はこのウドゥを制作したのが千帆さんだったのです。「何か大物で修了制作をと考えていましたが、ただの壺じゃつまらないなと思って。図書館に行ってネタを探し、見つけたのが『ウドゥ』だったんです」と千帆さん。
ちょっと不思議な打楽器が縁となり知り合ったふたり。その後、当時壮也氏が使っていた埼玉県日高市の工房で一緒に作陶を始めます。が、青森県出身の千帆さん曰く「暑いところが苦手で(笑)」、引越しを決意。一度むつ市へ移住した後、さらに条件のいい土地を求めて巡りついたのが金木町でした。「最初の移住先は、かなり探したけれどなかなか見つからなくて。でもここ金木町の物件は探し始めてすぐに見つかって、『ああ、そういう運命だったんだ』って納得したんです」と頷き合う夫婦。聞けば、その運命を証明するような出来事は、他にも色々あったようです。
津軽ボンマルシェ雪降りしきる新たな故郷・金木町に根を下ろして。
元々、戦後に樺太から帰還した人々が住み始めたという金木町・川倉の集落は、ふたり曰く「よそから来た人にもすごく優しいところ」。周りの住人たちも夫婦の移住を喜び、すぐに地域の輪の中へ受け入れてくれたそう。また移り住んですぐには、自宅裏にホタルが飛び交う清流があることも発見。「自然環境も驚くほど豊かなんです」と壮也氏。さらに、かねてから養蜂に興味があったという千帆さんは、ある日家の前の林にニホンミツバチの“蜂球”(新たな住処が見つかるまで、女王蜂を守るために働き蜂が集まって塊状になる現象)を見つけ、簡易的に作った巣箱に保護したところ無事定住。今では猿田家のペット兼ハチミツ採取係として7年目の共同生活を迎えます。
そして、金木町に移住後は作品展示スペースを持っていなかったふたりに舞い込んだのが、町を代表する観光スポットのひとつ、太宰治ゆかりの私設ミュージアム「太宰治疎開の家・旧津島家新座敷」内に常設ギャラリーを作らないかという贅沢な誘い。偶然ふたりの作品を見て惚れ込んだというミュージアムのオーナーからの、直々の依頼でした。移住から7年が経った2015年、晴れて「太宰治疎開の家」の一角に常設ギャラリーが誕生。以来、ふたりは新たな地元・金木に根を張り活動する陶芸家として知られるようになりました。
工房を訪れたのは、冬の始まり。豪雪地帯として知られる金木はこの日、「ゆきふらし」への訪問を歓迎するかのように美しい雪が降りしきっていました。実は工房名の由来は、千帆さんが大好きだという軟体動物アメフラシ。青森への移住が決まった際に新たな工房名を考えたとき、壮也氏がふと「雨じゃなく、雪が降る土地に行くのだから『ユキフラシ』じゃない?」と思いついたのだとか。意外な生きものが由来ながら、これ以上ないくらいはまる、なんと素敵な工房名! ほかの季節の景色もきっときれいだろうけれど、やっぱりこの工房には雪景色が似合うなと、純白の世界を見ながら思ったのでした。
津軽ボンマルシェ陶芸以外のものづくりにも、マイペースに全力投球。
ふたりに共通するのはものづくりへの情熱。「元々何でも自分で作りたいんです」と壮也氏がいえば、千帆さんも「陶芸以外のこともやりたくなっちゃうんですよね」と笑います。本格的な発酵食品に挑戦してみたり、自宅の家具や小物類を自作してみたり。現在作陶する工房も、移住後に自分たちで増設した小屋だそう。そして今、敷地内には巨大な新居も建設中です。ものの大小に関わらず自ら手を動かしてみるというふたりの姿勢の理由は、単にものづくりの作業的なおもしろさだけにとどまりません。「以前業者の方に電気工事を頼んだら、結構無理な配線をされたことがあって。実は専門的な職業の人も、全員が全員その道のプロではないのかもと気付いたんです。だったら自分でやってみれば、後から手直しすることもできるし、なぜ修理代がこんなに高いのかも分かるでしょう? 世の中の色々なものの価値に対して、疑問を持てるっておもしろいじゃないですか」と壮也氏。
ちなみに、建設中の新居は着工から丸5年が経過。猿田家らしくいたってマイペースに進行中ですが、「近所の人が『まだ終わらないの!?』って心配してくれて、機械や建材を譲ってくれることもあるんです(笑)」と千帆さん。もちろんそれは、ふたりのまっすぐな人柄と、人生を楽しむ姿があってのことでしょう。
取材翌日、ちょうど開催中だった個展にお邪魔しました。所せましと並べられた器や花器、ランプは、ひと目で壮也氏の作品か、千帆さんの作品かが分かります。が、どちらも作品ごとに、ときにシックだったり素朴だったり、ときにダイナミックだったり繊細だったりと、ひとつのイメージにとらわれないさまざまな表情が。作品の向こうに、自由なライフスタイルを愛し色々なことに挑戦する、ふたりの楽しそうな顔が浮かんでくるようでした。
住所:青森県五所川原市金木町朝日山317-9 「太宰治疎開の家・旧津島家新座敷」内 MAP
電話:0173-52-3063
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思い描いた特別な瞬間に向けて、徹底的に作り込む。『LEXUS』のDNAたる「CRAFTED」に込められた思い。[DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS/沖縄県うるま市]
ダイニングアウト琉球うるま『LEXUS』の開発から販売にいたるまで貫かれる「CRAFTED」の精神。
1989年、日本発のラグジュアリーブランドとして誕生した『LEXUS』。フラッグシップのLSにはじまり、スポーツ、クーペ、SUV、そして先だって発表された初のEV車など、新型車を発表する度に世界を驚かせてきました。
そして同時に、さまざまな分野での活動も続けています。ただラグジュアリーなプロダクトを所有するだけではなく、豊かな経験や時間を得ることにニーズが移りつつある昨今。そこで車を軸にしつつも、『LEXUS』の理念と親和性の高い分野で積極的に活動することで、ラグジュアリーライフスタイルブランドとしての存在感も発揮しているのです。
2013年からオフィシャルパートナーとしてサポートし続ける『DINING OUT』もそのひとつ。史跡や景勝地を舞台に、気鋭のシェフを招き、その土地の食材を使ったその日限りのディナーを楽しむ。そんな豊かな食体験、唯一無二の時間こそ、『LEXUS』が思い描くラグジュアリーな体験にほかなりません。だからこそ『LEXUS』は長年に渡り『DINING OUT』をサポートし続けているのです。
そんな『LEXUS』の開発に通底するひとつの思想があります。その思想は「CRAFTED」という言葉で表現されます。これは“クラフト”の語感から想起される“手作り”“ものづくり”という意味ではありません。相手のことをとことん考え抜き、真に求めるものをその人以上の思いを巡らせ提供すること。この「CRAFTED」を紐解くことで、『LEXUS』の魅力が改めて見えてくることでしょう。
【関連記事】DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS
ダイニングアウト琉球うるま「CRAFTED」の思想で『LEXUS』が伝える本当の豊かさ。
「『LEXUS』のことを伝えるためにCRAFTEDという言葉があるのではなく、『LEXUS』の前提そのものがCRAFTEDなのです。それはすべてのレクサス車が持つ、いわばDNAのようなもの」『LEXUS』の国内マーケティングを率いる沖野和雄氏は言います。
そして似た思想を強いて挙げるならば、と「慮る(おもんぱかる)」という言葉を選びました。「停めてある車に近づく瞬間、ドアを開ける瞬間、エンジンをかける瞬間。それぞれの瞬間に思いを巡らせ、そのときに求められていることを追求すること」と続ける沖野氏。
たとえばさまざまな匠の技術が凝縮される『LEXUS』車における魅力のひとつであるボディの塗装。何層にも塗り重ねられ、最後は人の手で確認され仕上げられます。それはまるで、輪島の漆器職人が自らの手で作品を仕上げるような、手間や時間がかかるからこそ価値を持つもの。思い、願い、誇り、そして使用する人への慮りといった心そのものの表現。これにより、時間や天気や四季によりまったく異なる表情を見せる『LEXUS』だけの塗装が生まれるのです。流れ、移ろう時間、瞬間に価値を見出す、「CRAFTED」の象徴といえるでしょう。
瞬間を大事にしていると同時に調和も重要です。たとえば2019年11月に発表された『LEXUS』初のEV車「UX300e」を見てみましょう。一般的にEVは立ち上がりの力強いトルクが持ち味でした。しかし『LEXUS』は、よりジェントルなEVの在り方を追求します。そこで重視したのは、より洗練されたある種の“間”。その立ち上がりに潜む、数字では表現し切れない“間”の存在が、より調和した走りを生み出そうとしているのです。
「散る桜や移ろう紅葉のように、瞬間の美を大切にするのが日本人。その瞬間を徹底的に考え抜き、ラグジュアリーな体験を生むこと。それがレクサスの提供したい“豊かさ”です」と沖野氏。
ダイニングアウト琉球うるま『LEXUS』の思いを象徴する野外イベント「DINING OUT」。
『LEXUS』の思いを乗せ、限られた瞬間だけのラグジュアリーな食体験を伝える『DINING OUT』がまたやってきます。もちろん、今回もまた『LEXUS』がオフィシャルパートナーを務めます。
「DINING OUTはすべてがCRAFTEDと共通する世界観」と『LEXUS』のブランディングを担当する岡澤陽子氏は言います。
「日本人には独特のアニミズム的な感覚、自然に対する感謝や畏敬の念がありますよね。風や空気や匂いや夕陽に、ぐっと来るようなこと。それが移動の時間、食事、料理の世界観とすべて合致するように作り込まれているのが『DINING OUT』。結果として出てくる感想が“食事がおいしかった”という“点”ではなく、もっと広い面で、体全体で感じられるように設計されています。その背景も含めて、本当にすべてがCRAFTEDの体現だと思います」
沖野氏も同様に「CRAFTED」と「DINING OUT」の親和性を話します。「ただ外で食事をする、というイベントではありません。たとえば虫の声。欧米ではただの騒音と捉えられるこの音を、日本人は心地よいものと感じます。そんな虫の声まで演出に取り入れる。あらゆる瞬間を大切にしているわけです」。
そして沖野氏は2017年の「DINING OUT NISEKO with LEXUS」を例に挙げました。「ニセコアンヌプリにかかった羊蹄山の影が刻々と姿を変えたニセコのディナーなどは、まさに唯一無二の瞬間でした。もちろん料理もそう。土地の素材、伝統、ストーリーを取り入れ、ほんの数日のディナーだけにポイントを合わせて作り込む。作るという工程だけではなく、提供の仕方、サービスの間なども含め、『DINING OUT』はCRAFTEDそのものです」。
瞬間を思い描き、その一点に向けて徹底的に作り込む。そこで生まれる特別で、ラグジュアリーな体験こそが「DINING OUT」の醍醐味。目前に控えた今回の『DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS』。そこもまた「CRAFTED」の体験できる場となるでしょう。
1989年、トヨタ自動車入社。商品企画部にてスポーツカー『TOYOTA86』の企画を担当。2012年より現職 。デザインやアート、レクサス関連をはじめ多数のイベントに携わる。
1999年、トヨタ自動車入社。調査部にて自動車市場分析、将来予測シナリオ策定を担当。2014年より現職。レクサスのグローバルブランド戦略や、デザイン関連などの体験型マーケティング施策に関わる。
@adidasfun アディダスファン
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やっぱり出て来たか。 @waaf へ発言する力があるのはアメリカの @Nike ではなくヨーロッパの @adidasRUN_jp @adidas_jp っていう闇が深そうな問題もくっつけて。で、自分にとって都合悪いことには例の選手はダンマリを決め込むのかな?https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200115-00000139-dal-spo …