昆虫という食の選択肢。ネガティブな印象を変えようと活動を続ける若者がいる。[ANTCICADA/福島県二本松市]

渓流で川虫を探す地球少年こと篠原祐太氏。これまで世界中の野山を駆けめぐってきた。

アントシカダまったく新しい料理を創造するため。渓流のせせらぎに包まれ、いざ昆虫採集。

「やっぱり、いた。可愛い!」と、いきなり川底をあさって満面の笑顔をこぼす篠原祐太氏。まだ水が滴る手のひらの上で、体をよじらせるのはザザムシです。
いくつもの脚が胴の節々から伸び、じたばたと落ち着きなく動く様は、気持ち悪がられるのが常。それを子供のような眼差しで、愛くるしそうに眺めているのです。

ここは福島県二本松市へと続く山間の田舎道。突然、網を手に持ちクルマから飛び出し、急勾配の川岸を駆け下り、靴も脱がずそのまま渓流のなかに足を踏み入れ、昆虫採取をはじめた篠原氏を取材班は追いかけてきたところなのです。
「ザーザーと音が聞こえる、程よい勢いの川で捕れるからザザムシ。カワゲラやトビケラといった、食べると美味しい水生生物の総称です」と、キラキラと目を輝かせながら篠原氏は語ります。食用のためザザムシ漁を行う風習は、長野県にある天竜川上流の地域に今なお残り、かつては福島県などでも同様の食文化が形成されていたそうです。

ザザムシは佃煮にするのが基本ですが、素材の味を活かして「お吸い物や茶碗蒸し」にするのが篠原氏のお気に入り。丁寧に泥抜きをして茹でればアサリによく似た出汁が取れ、ほのかな磯の香りと力強い旨味が楽しめるそうです。

世界的にも少しずつ注目を浴びはじめてきている昆虫食の伝道師として、これまでに数々のグルメイベントを成功させてきた篠原氏。現在は昆虫を中心に、人目に止まらない野草や悪者とされる外来生物など、日の目を見なかった食材に目を向けるレストラン『ANTCICADA』の立ち上げ準備中です。昆虫=ゲテモノという世の中のイメージに一石を投じるため、クラウドファンディングも開始。

今回、取材班はレストラン開業に向けて活躍を続ける篠原氏の日常に密着。文字通り草の根を分けてまで、日夜、食材探しに奔走する氏の姿を追いました。

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約30分かけ30匹ほどのザザムシを捕獲。茶碗蒸しに換算すると1.5杯分だという。

水質の良い川にしか生息しないヘビトンボの幼虫。ザザムシの中でも肉食で味が強い。

アントシカダ可愛いがゆえに昆虫を追いかける。そして、捕まえたら食べるのが自然の掟。

日本のみならず、世界中の昆虫を食べ続けてきた篠原氏は、実に昆虫食歴20年以上。東京都のなかでも自然に恵まれた高尾山のすぐ側で育ち、「森で遊びながら捕まえたものを食べるのは、動物としての本能でした」と、4歳のころから特別意識はせずに昆虫を食べはじめたと笑います。

やがて「理科の実験設備が充実していた」という理由で、名門の私立中高一貫校に進学。周囲に変わり者だと思われることを避けるため、いつしか昆虫好きである自分をひた隠すようになったそうです。

それでも篠原氏は持ち前の探究心の高さから参考書を読み漁り、全国模試1位を取るほど成績は優秀。父親から強い勧めを受け慶應義塾大学に進学すると、自分のスタイルを持った個性的な生き方をしている人たちの存在に驚きました。そこで「自分の昆虫好きをカミングアウトすることに決めた」と、篠原氏は当時を振り返ります。
どんな生き物でも命の重さに差はないことを伝えようと、昆虫を鍋に入れた画像をネット上で公開したところ「食べ物で遊ぶな」と批判殺到。そんななか「生き物に対するフラットな価値観に共感できる」と、名古屋在住の女性からメッセージが届いたことが、彼のターニングポイントとなったといいます。

さらに自体は急展開へ。「こんな女性は他にいない」と篠原氏が猛アタックを続けた結果、ふたりは恋人となり「はじめて本心をさらけ出せる相手に出会った」ことから、他人同士でも理解し合えると実感。「ありのままの自分をさらけ出せ、好きなことをして、言いたいことを話していたら、自然と周囲に理解者が集まりました」。こうして昆虫食の伝道者としての第一歩がはじまったのです。

ありのままの自然を感じたいと冬でもハーフパンツ姿で過ごす。公園などで野宿をするのも趣味だとか。

アントシカダゲテモノではなく、地球からの贈り物として昆虫食を提案。

昆虫料理の素材調達をはじめ、ワークショップやケータリング、記事執筆、講演活動など、あらゆる方向から昆虫食の面白さを提案し続けてきた篠原氏。なかでも大きな話題を集めたのが新宿にある『ラーメン凪』と共同開発したコオロギラーメンです。

「さまざまな昆虫でスープ作りを試したところ、乾燥させたコオロギが最もラーメンの出汁に適していました」と経験則から篠原氏が語るように、コオロギには昆布の旨味成分として知られるグルタミン酸などが含まれています。
またコオロギの味わいを存分に活かしたいと、スープ1杯につき100匹以上の成虫が必要で、食用としての養殖法が確立されつつあるコオロギは、仕入れの面から見ても魅力があったといいます。
実際にコオロギラーメンの販売イベントを行うと、その美味しさが口コミで評判を呼び、あっという間に大行列。開催のたびに完売御礼となり、テレビのニュース番組や国際的な報道メディアなどにも大々的に取り上げられることになりました。

「あらゆる食材は地球からの贈り物」と考えている篠原氏。昆虫をゲテモノ料理として扱うのではなく、地球の豊かさ、美しさを伝える食体験の主役に据えたいと語ります。
コオロギラーメンをはじめた当初は「ゲテモノ料理として紹介したい」という取材申し込みが9割だったそうですが、現在はほとんどのメディアが新しい可能性として昆虫食を紹介してくれるようになったそうです。

枯れ葉の下や朽ちた切り株にも、味が良い昆虫がいるという。

昆虫だけでなく地球上の全生物を愛する篠原氏。その総称として自らを地球少年と名乗る。

アントシカダ仲間とともにコオロギの養殖場へ。生産者と交流を深める。

今回、篠原氏が福島県二本松市を訪れた最大の目的。それはコオロギの養殖場を視察すること。場所は電子機器に欠かせない絶縁インキの分野で世界トップクラスのシェアを誇る総合化学企業『太陽ファインケミカル株式会社』。コオロギの経済的な可能性に目を向け、大規模養殖のための研究も行っています。

「コオロギは一般的な家畜と比べ飼育の手間がかからず、孵化から25日で体重が1000倍になる非常に生産効率の良い動物です。食品としての付加価値や味わいについて、ぜひ篠原さんのような専門家の意見を聞きたいと思っていました」と代表取締役社長の小林慶一氏が温かく氏を出迎えてくれました。

篠原氏に同行するのはシェフの関根賢人氏。慶應義塾大学卒業後、メガバンクに入社するも直ぐに退職し、六本木にあるミシュラン星付きのフレンチレストラン『ル スプートニク』で修業をしたという異色の経歴の持ち主です。篠原氏が考案したコオロギラーメンの美味しさに感銘を受け、氏の活動に合流。現在、ともに昆虫食レストラン『ANTCICADA』の立ち上げ準備をしながら、世界初となる昆虫ドレッシングも共に開発中です。まずはクラウドファンディングのリターンとして数量を限定して製造開始。良質なコオロギを大量に供給できるようになれば、本格的な商品化を進めるとのことですが、果たして、なぜ今、昆虫ドレッシングなのでしょうか!? そこには現在の昆虫食を取り巻く問題を解決する糸口が……篠原氏の活躍を中心に、日本の昆虫食文化は大きな転換期を迎えるのかもしれません。

養殖場のコオロギを試食。腹に卵が詰まったメスの美味しさに感動していた。

1994年、地球生まれ。慶應義塾大学卒。物心ついたころから自然をこよなく愛し、さまざまな野生の恵みを味わうように。なかでも、身近にいながら、未知な部分も多い昆虫への興味は強く、『ラーメ ン凪』やミシュラン一つ星『四谷 うえ村』で修行しながら、食材としての昆虫の魅力と可能性を探究。昆虫食伝道師として、昆虫料理の創作から、ポップアップ販売、ケータリング、ワークショップ、授業、執筆と幅広く手掛ける。なかでも世界初のコオロギラーメンは国内外で大反響を集めた。現在は、地球食レストラン『ANTCICADA(アントシカダ)』開業準備中。また、コオロギドレッシングや、虫のお菓子、タガメジンなどの商品開発にも注力し、順次販売開始予定。狩猟免許や森林ガイド資格保持。「食は作業ではない、冒険だ」をモットーに、日々地球上を駆け巡っている。

理屈ではない。また還りたいと思わせる故郷がここにはある。[東京”真”宝島/東京都 青ヶ島]

高画質(4K Ultra HD)の映像は、こちらからご覧ください。
監督・撮影・編集:中野裕之
撮影:佐藤 宏 空撮:田中道人 音楽:木下伸司

東京"真"宝島

島のシンボルは活火山。生きる島と暮らす選択。

「思わず“うわぁ”と声が出ました。それくらい圧倒されました」。
青ヶ島は世界的にも珍しい二重式カルデラ火山の島です。断崖絶壁の島そのものが外輪山を形成しており、南側に広がる「池之沢」と呼ばれる大きなカルデラの凹地の中には、内輪山の「丸山」があります。中野裕之監督が唸ったのは、「丸山」に足を運んだ時のこと。
「空撮のビジュアルは見たことがありましたが、実際に足を踏み入れた地上からの目線でその景色を見ることはありませんでした。周囲にそびえ立つカルデラは、圧巻でした」。

青ヶ島は1785年(天明5年)に噴火を引き起こしました。のちに「天明の大噴火」と呼ばれるこの噴火によって「丸山」は誕生しました。山腹に植林された椿によって縞模様を纏った現在の「丸山」の姿は、青ヶ島の代名詞となる風景です。

【関連記事】東京”真”宝島/映像作家・映画監督、中野裕之が撮る11島の11作品。それは未来に残したい日本の記録。

俯瞰して見れば、青ヶ島の特徴でもある二重カルデラがよくわかる。独特の形状の島。

「丸山」の縞模様を形成しているのは、植林された椿。一周できる遊歩道もあり、散策にも良い。

島を取り囲む外輪山。荒々しいその姿は、噴火当時の凄まじさを感じるも、現在は島を守る岸壁のよう。

東京"真"宝島上陸難易度は最高クラス。限られた人のみが体験できる島、それが青ヶ島。

都心から南へ約360km、東京都青ヶ島村無番地、日本一人口の少ない村、それが青ヶ島です。しかし、その島へ訪れることは、実に至難の技。至難の技とは、苦行を強いるような困難な道のりという意味ではなく、気象の影響を受けやすいため、上陸できる確率の問題として難易度が高いということです。基本的に東京からの直行便はなく、八丈島からヘリか定期船で渡ります。
「一度、八丈島に降り立ち、そこからヘリで上陸するのですが、それも1日1便9席のみ。予約を取るのもなかなか難しく、人気アーティストのコンサートさながらの争奪戦です。ただ、島民も少ないですし、たくさん観光客が訪れても、それを受け入れる許容や施設がないので、島が島らしくあるための秩序を守るには、きっと今のやり方がベストなのだと思います」。

夕日に染まる青ヶ島。高低差のある二重カルデラの地形が、島に優しく陰影を纏わせる。

地上から「丸山」を仰げば、その高さもしかり、外輪山に囲まれた環境と広大な自然に圧倒される。

東京"真"宝島ここは果たして観光地なのか。その広大な自然は、想像をはるかに超える。

「北側に位置する“大凸部(おおとんぶ)”からは島が一望でき、青ヶ島のシンボル、縞模様の“丸山”も望め、絶景が広がります。その先にある“尾山展望公園”も“大凸部”と同じように外輪山の稜線上にあり、ここもお勧めです」と、中野監督。

そして、この2ヶ所に関しては星も美しい場所でもあります。
「夏には天の川が望め、冬には一等星が輝き豪華絢爛です」。
さらに、「星を見るなら“ジョウマン”」と中野監督は言います。
「島の最北端、ジョウマンから見る星はとにかく綺麗です。標高200mのそこは、草原の中にあるため、集落の灯りもなく、絶好の場所だと思います」。

また、青ヶ島の特徴の1つに挙がる、「池之沢」の「ひんぎゃ」(ひんぎゃの語源は、火の際/ひのきわだと言われています)と呼ばれる水蒸気が噴出する穴がありますが、この周辺は地面もあたたかく、冬の寒さも安心です。「地熱と言えば、この地区にあるサウナもお勧めです!」。
そのほか、「丸山」ではハイキングも楽しめ、ゆっくりとその地形と向き合うことができます。

絶景ポイント、星空観測、ハイキング、サウナ……。もちろん、観光も体験できる島ですが、「迫力ある自然は想像以上!」と中野監督は言います。長い年月をかけて鬱蒼と茂る森を作り上げ、「まるで恐竜が出てきそう!」と、生命力がみなぎる島の力に驚愕します。また、前出の地熱というところでは、「例えば、地面が茶色くなってしまっている場所には大地が発熱しているところも多いため、緑が育たないのです。撮影中、三脚を立てても熱くなるくらいでした」。

やはり生きる島、青ヶ島。そんな地球の鼓動を感じる旅を、是非楽しみたい。

太平洋も望むことができる「尾山展望公園」。天気が良い日には、「八丈島」も望める。

島には急な坂や玉石の階段が多い。足を滑らせないように注意したい。

地面が発熱する箇所には自生する植物は少なく、茶色い大地がむき出しに。

地熱により、地面から水蒸気が噴出する「ひんぎゃ」。火山の島ならではの光景だ。島内では「ひんぎゃ」を利用したサウナや塩作りも行われている。

鬱蒼と茂る森は、太古の自然を彷彿させる。所々にそびえ立つ松には他の植物が共生し、不思議な造形に。

青ヶ島は星が美しい島としても有名。中でも集落から離れた「ジョウマン」は、中野監督お勧めのスポット。

主に池之沢地区に、島のシンボルとも言われている植物「オオタニワタリ」が生息する。写真の中央部にあるふたつがそれで、まるで花開くように葉を広げる。

東京"真"宝島歴史を振り返り、「還住」を知る。この島にはこの島の生き方がある。

黒潮の真ん中に浮かぶこの島は、いつ誕生し、いつ人が住むようになったのか、未だにはっきりとは分からないそうです。青ヶ島の存在は、15世紀(1401〜1500年)に歴史上に登場するも、その内容は船の遭難や海難事故の記録ばかり。当時の困難な海上交通を物語っています。中でも、青ヶ島を知る上で忘れてはいけない出来事が、先述の「天明の大噴火」です。当時、島民は隣島である八丈島への避難を余儀なくされ、一時は青ヶ島が無人島と化した時代もあったようです。そんな困難な生活を強いられた人々をまとめ上げ、50年余りの年月を費やし、島への帰還を果たしたのが江戸時代の名主と呼ばれた佐々木次郎太夫という人物でした。
「その時に思ったんです。帰るんだ、と。当たり前のことなのかもしれませんが、別の島で生きていく選択もある中、帰るんだ、と」。

火山噴火後、青ヶ島を離れ、再び青ヶ島での生活の復興を成し遂げることができた事実は、1933年(昭和8年)に日本の民俗学者でもある柳田國男氏が発表しています。「青ヶ島還住記」と題されたそれは、苦難の末に青ヶ島へ帰島を果たした事実を記しています。そして、タイトルにも用いられたこの「還住」という言葉は、徐々に島民に定着してゆき、八丈島と青ヶ島を結ぶ定期船の名にも起用され、「還住丸」としてその役目を果たしました(2014年より、定期船は「あおがしま丸」が就航)。 
「“還”って“住”む。それが何年経ってしまっても、還って住む。当時の人々にとって、やっぱり青ヶ島は“故郷”だったのだと思うのです。いつか還って住むという気持ちがずっとあったのではないでしょうか。そんな先人たちがいるからこそ、今の青ヶ島があって、島民がいて。滞在中、あるお店で食事をしている時、おそらく同級生の集まりのような会を隣でしていたんです。楽しそうにワイワイと。その方々も、島で生きる選択をして今もここにいるんだと思うと、歴史を振り返ったことも手伝い、なんだか感慨深くなりました。色々な生き方があるんだな、と。そして、この島にはこの島の生き方があるんだな、と。誰にでも故郷はあると思いますが、その場所は極論どこでもよくて。生まれた場所を愛せることは素晴らしいと、この島に訪れて感じました。青ヶ島は、そんな愛に溢れた島だと思います」。

今回、映像の冒頭は、太鼓の音から始まります。「還住太鼓」です。「還住」という言葉は、島民にとってはとても大切な言葉なのです。映像が終わっても、その残像と太鼓の余韻が、きっと心の中で静かに響き続けるでしょう。

400年以上前から伝わる伊豆諸島南部の郷土芸能。「還住」の思いを打ち鳴らす還住太鼓は、島唄や島踊りと並び、親しまれている。

ひとつの太鼓を台に横向きに乗せ、上打ちと下打ちと呼ばれるふたりの打ち手が両面から奏でるのが「還住太鼓」の特徴。


(supported by 東京宝島)

豪華布陣でつくり上げた輪島塗と能登食材のフルコース『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』スペシャルムービー公開。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

ダイニングアウト輪島

DINING OUT WAJIMA with LEXUS』(2019年10月開催)の感動を、スペシャルムービーとフォトギャラリーでお届けします。

『DINING OUT』第17弾となる舞台は、能登半島北部に位置する、石川県輪島市。この地を代表する伝統工芸といえば、言わずと知れた「輪島塗」。日本の中でも輪島は、最も高度かつ広汎に漆文化が花開いた地であることから、テーマは「漆文化の地に根付く、真の豊かさを探る」。

今回は、日本の伝統工芸に新たな光を当てるプロジェクト『DESIGNING OUT Vol.2』を同時開催し、世界的な建築家、隈研吾氏と共にオリジナルの輪島塗を作り上げました。
そして料理人は、『DINING OUT』史上初の試みとして、ふたりのシェフのコラボレーションが実現しました。ひとり目は石川出身のフレンチ料理人、西麻布「AZUR et MASA UEKI」の植木将仁シェフ。ふたり目は、熾火料理を得意とし、三ツ星を獲得したジョシュア・スキーンズ氏。
今だかつてない豪華メンバーを結集させた「DINING OUT」、ぜひ体感してみてください。

【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS

テレビレポーターでミュージシャン、多彩な顔で青森と農業の魅力と伝える、ユニークな農実業家[TSUGARU Le Bon Marche・アグリーンハート/青森県黒石市]

自然栽培の田んぼは収穫期が遅く、取材で訪ねた10月上旬はまさに一面黄金色だった。

津軽ボンマルシェ・アグリーンハート

愛嬌ある笑顔と歌声、熱意のトークに誰もが引き込まれる。

“たくろん” さんこと、佐藤拓郎氏といえば、青森県できっと知らない人はいないはず。地元でおなじみのテレビ番組「わっち」の水曜コーナー「農music農life」では、レポーターとして県内各地を駆け巡り、その土地のお宝食材や生産者を紹介しています。ミュージシャンとしても活動し、ギター片手に番組内でオリジナルの歌と演奏を披露することも。テレビでは「ゆるキャラ」的存在、陽気で穏やか、ほのぼのとした印象の佐藤氏ですが、いざ、農業の話になると、途端にカチッと情熱スイッチがオンモードに。「話、長くなってもいいですか?」という前置きが入り、日本の農家の未来にまつわるあれこれを、気づけば何時間でも熱心に話し込んでしまうのでした。そう、佐藤氏の本職は農業、米農家さんです。

取材チームが佐藤氏を知ったのは、以前に紹介した『サニタスガーデン』の山田さんからの紹介でした。「同じ黒石市で先進的な取り組みをしている農家さんがいる。多彩なアプローチが面白いし、一般的にイメージする自然栽培の農家とはキャラクターが違ってユニーク」との話。また、『ひろさきマーケット』でも商品の取り扱いがあり、「たくろん米」だなんてお茶目なネーミングは、目を引かずにはいられなかったのです。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

地元放送局である青森テレビの情報番組「わっち」での撮影の一コマ。ベージュのサスペンダーがトレードマーク。(佐藤拓郎氏写真提供)

津軽ボンマルシェ・アグリーンハート常に頭で考えて動く、子供の頃から実業家肌だった⁈

青森県黒石市出身。子供の頃は「ちょっと変わった子だった」と自己分析する佐藤氏。
「駄菓子屋さんでお菓子を買うにも、お金が足りなかったら普通は我慢するでしょう。でも自分は、どうしたら欲しいものを早く手に入れられるかを考える子供でした。店のおばちゃんに『これが欲しいんだけど、どうすればいい?』って聞いてみると、『ワラビを採って来てくれたら、買ってあげるよ』って言われて。山でたくさんワラビを採って、欲しかったお菓子と交換していました。中学生の時は、学校へ行く前にカブトムシやクワガタを採り、ペットショップに売って現金に変えていましたし。何かとビジネスライクなところがありましたね。高校に入るとバンドブームに押されて、バンド活動に明け暮れましたが、ライブをするためのホール代が賄えるよう集客やチケット代を考え、きっちり計算して売り上げを出していました(笑)」

マーケティング、リサーチ、ブランディング、などという言葉を当時は知らずとも、自然と自分でバンドの経営方針を考え、売り上げに繋がるよう行動を起こしていたというから驚きです。その頃の将来の夢はミュージシャンになることだったそうですが、そこでも自己をシビアに分析し、今のままの自分ではミュージシャンとして稼げないと冷静に判断します。高校を卒業すると、実家の家業だった農業を手伝い始めました。
「どこかで雇われるよりも、農業の方が自分の自由な時間を作れて、音楽活動を続けられるのでは、という軽い気持ちもありました。一方で、僕は6代目なんですが、祖父の代が大きな借金を抱え、父はそれを背負う形でもあったので、どうにかしなければという危機感がありました。でも、いざ就農してみると、農業はすごく難しくて、それが純粋に面白かった。夢中になって向き合えば向き合うほど、答えが見つからないんですよ。毎朝4時に起きて田んぼに出て、日々試行錯誤の連続。でもその難解さが面白い」

佐藤氏が育てる自然栽培の米。「雑味がなく、体にすっと染み込むような、透き通った優しい味なんですよ」と熱心に話してくれた。

自身のニックネームを使い、「たくろん米」と名付けて販売。米は新鮮さも重要であり、佐藤氏は籾摺りした当日中に真空パックにして届けている。

津軽ボンマルシェ・アグリーンハート自然栽培の米をオリンピックの選手村へ届けたい。

2017年1月、株式会社『アグリーンハート』が立ち上がりました。佐藤氏が現在力を入れているのは、農薬や肥料を使わない自然栽培ですが、いわゆるナチュラリストとは一味違います。親から引き継いだ農地を含めて57haのうち、9haが自然栽培。同時に敢行栽培も行なっています。法人化してから毎年スピーディーに農地を拡大しており、そのほとんどは山間の休耕地です。木が生えないよう持ち主によって手入れはされているけれど、何十年も耕作はしていない土地でした。黒石市にはそのような休耕地が約235haあり、それらが宝の山だ、と佐藤氏は言います。

「津軽地方は昔から、良質な農作物を比較的容易に収穫することができた土地なんです。八甲田山系の伏流水が豊富に湧き出ており、水がきれい。四季がはっきりしていて、寒暖差があることなど、良い条件が整っています。山間地には大型機械は入りにくいけれど、土壌が若くふわふわで良質。肥料や農薬を使っていた土地で有機JASを取得するとなると、それらが抜けるまで最低2年以上かかりますが、休耕地なら最初から何も入っていないので、その必要がありません。ここでしか作れないもの、そこに価値があるんです」
アグリーンハートでは、創立年にGLOBAL G.A.P(注1)を取得。自然栽培の圃場は全て有機JAS認証を取得しています。さらに農福連携(注2)に取り組み、2019年より制定されたノウフクJAS(注3)取得に向けても動いています。そこまで認証をクリアした農作物は日本ではまだまだ少ないそう。佐藤氏曰く、最も基準が厳しいといわれているオリンピック選手村に提供できる食材にも一番近いのでは、と目を輝かせます。


注1)GLOBAL G.A.P
世界基準の農業認証。安全で品質の良い食品・非食品の農作物であると世界的に認められ、農業経営の改善や効率化、品質の向上、グローバル市場への販路拡大などに繋がる。

注2)農福連携
農業と福祉の各分野の連携。障害者等の農業分野での就労を支援し、自信や生きがいを持った社会参画を実現するための取り組み。一方で農業の人手不足の解消などにも期待が持てる。

注3)ノウフクJAS
障害者が主体的に携わって生産した農林水産物及びこれらを原材料とした加工食品について、その生産方法及び表示の基準を規格化したもの。2019年3月より制定。

アグリーンハートの事務所から車で走ること20分以上。四方をぐるりと山に囲まれた、風光明媚な土地だ。

自然栽培の特徴は一見しただけでは分からないが、ギリギリまで光合成を行っているためか、葉の立ち方が野性的だといわれる。また、引っこ抜くと根の長さが敢行栽培の稲の3倍くらいあるという。

自然栽培で蕎麦も育てている。風味を大切にしたいため、自社で石臼を挽き、粉にして販売。青森初のだしソムリエ・奥村雅美さんが運営する『SOBA Cafe 雅』でも使われている。

津軽ボンマルシェ・アグリーンハート寿司に最も適しているという幻の米が復活。

2019年は青森県が推奨する県産米で、食味ランキングでは3年連続特Aを獲得している品種「青天の霹靂(せいてんのへきれき)」を栽培していますが、次年度以降、佐藤氏が本腰を入れて取り組んでいきたいのが「ムツニシキ」という品種。1971年にデビューし、かつては青森県の推奨品種でしたが、稲の背が高いため倒れやすく、収量も少なくて育てにくいなどの理由で、いつの間にか幻の米となってしまいました。ムツニシキは固定種であり、味の評価は高く、粘りが少なくパラっとした食感が寿司米に適しているそうで、北海道の寿司店では黒石米と呼ばれてもてはやされていました。黒石市では2015年よりそのムツニシキを復活させ、寿司専門の米としてブランド化推進に努めており、佐藤氏もその一端を担っています。自然栽培のムツニシキは、寿司ネタの邪魔をせずさっぱりとした味わいながら、ネタを包み込むように米の程よい甘みが後から追いかけるという、不思議な余韻をもたらすそうで、それがどんなにおいしい米か、佐藤氏の言葉には一層熱がこもっていました。

ムツニシキを使った寿司を出していると教えてもらった青森市内の『一八寿司』を訪問。大将が寿司職人になったばかりの頃も使っていたそうで、復活したと聞いてすぐに取り入れた。

津軽ボンマルシェ・アグリーンハート新しい取り組みに次々と挑戦、広く世の中に発信していく。

自然栽培は、雑草や虫捕りなどに相当な人の労力がかかります。せっかく身体に良いと思うものを作っていても、身体を酷使して壊してしまったら、元も子もありません。佐藤氏は、テクノロジーの力で補えるところは補おうと、ロボット技術や情報通信技術(ICT)を活用した「スマート農業」の導入を積極的に行なっています。
「将来は月で田んぼを耕したい、なんて話をしているんですよ。もちろん例え話ですが、決して実現できない話でもないんです。自分が現地にいなくても、田んぼの様子は遠隔でリアルタイムに確認できる。状況に応じて、ブラジルの従業員に東京から指示を出す、なんてことも可能になります。物理的な距離は関係ないんです」
自然栽培に正当な付加価値を付けることも怠りません。子供時代からビジネス視点を磨いてきたと言ってもいい佐藤氏ですから、「農業できちんと稼ぐこと」は常に視界にあります。未来を見据え、地球環境や和食文化の継承も考慮し、実業家として農業を経営していくことの重要さを肝に命じています。

「苦労が多く、儲けもない農業だったら、誰がやりたいのか?これからの世代が魅力的に感じる農業でありたい。だから価値あるものをまっとうな価格で売れるように経営戦略を立てますし、売るための発信力も必要です。自然栽培も事業として進めていかないと、時代のスピードに飲み込まれてしまいます」
多方面にわたる佐藤氏の取り組みは注目を浴びることも多く、農林水産省主催の「平成30年度未来につながる農業推進コンクール」の「有機農業・環境保全農業」の部では「生産局長賞」を受賞。自然栽培やスマート農業の取り組みはもちろん、農家でありながら、黒石市観光大使、学校教育サポーター、そしてテレビのリポーターなどを務め、多様な活動を通して有機農業を伝えていることが高く評価されました。
受賞後は各地で講演の機会が増え、他地域から田んぼの視察に来る人も多くなったそうです。そこで佐藤氏は最近、未来の農業への危機感を声高に訴えています。パーソル総合研究所と中央大学が発表した「労働市場の未来推計 2030」によると、2030年に農林漁業従事者は2万人余剰になってしまうというデータが出ています。

「現在人手不足と騒がれている農業が、たった10年後には大きく変わってしまう可能性があります。経営者はいつも最悪の未来を想定して動かなければいけないと思うのです。その時地域はどうなっていくべきなのか、考えることがたくさんあります。自身の取り組みを通して、もっと伝えていきたい」
そしてさらに佐藤氏が向かう新しい挑戦は、東京に青森の特産品を販売する店舗を出すこと。志ある農業仲間と協力し、2020年のオープンに向けてマーケティングリサーチを行い、夏には試験販売も試みました。

「自然栽培の農作物のおいしさを伝えたいのはもちろんですが、商品というより、売りたいのはこの土地が持つ唯一無二の価値。こだわりの農家のストーリーを届けたい」
経営者として脇を締めつつも、常に全力で楽しそうに取り組もうとする佐藤氏。目標は「50歳になったら、またバンドを再開すること」!それまでに、持続可能な有機農業の礎を築けるよう、まだまだ走り続けます。

ドローンを使った湛水直播(米の苗ではなく、直接種を蒔く)の試験栽培。ドローンはレンタルしているため、人手がかからずコストも削減できる。(佐藤拓郎氏
写真提供)

「自分と一緒にいたら、ワクワクしてもらえるような存在でありたい」という佐藤氏。自身で書いた理念・信念が会社の事務所に掲げられている。

住所:青森県黒石市馬場尻東61-15 MAP
電話: 0172-26-5015
株式会社アグリーンハート HP https://www.agreenheart.jp/


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

桃のような口溶けと上品な甘み。高級西洋なし『ル レクチエ』の魅力を、料理で表現するために。[ル レクチエ/新潟県新潟市]

『ル レクチエ』の産地を訪ねて新潟に飛んだ藤木千夏シェフ。そこで出会った生産者との話がメニュー開発の起点になる。

ル レクチエ『ル レクチエ』の魅力を伝えるべく、立ち上がったひとりの料理人。

『ル レクチエ』という品種の西洋なしをご存知でしょうか。
初冬の一時期、高級果物店の店頭でまるで宝石のように大切に陳列されている山吹色の西洋なしがあれば、きっとそれが『ル レクチエ』です。桃のようになめらかでとろける食感、高い糖度と爽やかな味わい、鼻孔をくすぐる芳醇な香り、そして大ぶりで見事な形。近年、お歳暮に贈るフルーツのトップに君臨する希少で貴重な西洋なし、それが『ル レクチエ』なのです。

その噂を聞きつけ、そして『ル レクチエ』の魅力をさらに広めるべく、今回ひとりの料理人が立ち上がりました。その名は藤木千夏さん。恵比寿の一軒家レストラン『Umi』でその名を轟かせ、インテリアショップ『Francfranc』が手掛ける新たなライフスタイルブランド・白金台『A L’AUBE』のカフェの監修を手掛け、そして今さらなる飛躍を目指す藤木シェフが、『ル レクチエ』のポテンシャルをすべて引き出す料理作りに挑むのです。
目指すのは、そのまま食べる以上の果実感。高い次元で完成された『ル レクチエ』という食材をどう捉え、どう表現するのか。さまざまな期待を背にした藤木シェフは、まず産地である新潟へ飛びました。

10月半ばの『ル レクチエ』の様子。ここから収穫して40日に及ぶ追熟に入る。

ル レクチエ素材ファーストを徹底する藤木シェフ。その思いの厳選をたどる。

素材を大切にする藤木シェフが料理を考案する工程は、まず食べることから始まります。それもただ取り寄せた食材を試食するのではありません。「いつもスタッフにも伝えているのは、モノをモノだと思わないこと。その食材が目の前にあるのが当たり前だと思わないこと。食材は自然といろんな人やコトが関わり、いろいろな思いが込められて、ようやくできあがったものですから」と藤木シェフ。味や食感だけでなく、そこに込められた気持ちまで探すように、大切に食材を味わうのです。そんなスタンスの根源を理解するために、藤木シェフのヒストリーを少し紐解いてみましょう。
福岡県柳川市という有明海沿いの町で生まれ育った藤木シェフは、幼少期に共働きの両親にかわり多くの時間を 祖父母と過ごしました。祖父母はお米やお野菜、養豚場を営む農家で、祖母はおやつも全部手作りする人。そんな祖父母との経験からか、幼い頃から「料理人か看護師、それか医者。命に携わる仕事に憧れたんです」といいます。

やがて家族の希望もあり医療関係の高校に進んだ藤木シェフ。しかし学ぶうちに料理への思いが膨らみます。そんな折にTV 番組や本で目にしたフランス料理。「人の手でこんなキレイなモノが作れるんだ!」と感動した藤木シェフは、高校卒業後に上京し、レストランでアルバイトをしながら調理師専門学校へ通いました。「遊ぶ時間は 一切なかった」という時代です。やがて藤木シェフはアルバイト先を『ホテルオークラ』に移し、卒業後は同ホテルに就職。東京、福岡5年の修業を経て、24歳でフランスに渡ります。それも「気になった店にひたすら手紙を送り働きたい旨を伝える」という力技の渡仏です。
記録的大雪の初日、森の中の道を通った日々、友達との出会いと別れなど「毎日がドラマだった」というフランス修業時代。しかしそれは得難い経験でした。帰国後『銀座ロオジエ』などでさらなる修業を積み、2014年、28歳で再び渡仏。『Restaurant Sola』でスーシェフを務め、帰国後は『Umi』のシェフに就任します。

そこで大切にしたのは、ひたすら走り抜けてきた修業時代に、あるいは大きな愛に包まれていた幼少期に育んだ食への思い。「小さい店だからこその伝え方で、おもてなしをさせていただきたい」。気になる食材があれば、確かめに産地へ 向かう。高級な食材でなくても、生産者の心が通ったものなら積極的に取り入れ料理する。それが今も昔も変わらぬ藤木シェフの思いなのです。
だから新潟に降り立った藤木シェフの目は真剣そのものでした。取材の数日前に襲った大型台風で手塩にかけた果実が数多く落ちてしまったと聞けば、なおさら。

「食材に込められた心やストーリーを忘れてはいけない」と繰り返す藤木シェフ。

農産物直売所などにふと立ち寄っても、気づけば真剣に食材探し。それが藤木シェフの日常。

ル レクチエ丹精込めて『ル レクチエ』を育てる新潟の若き生産者。

出迎えてくれた『ヤマヨ果樹園』の小柳和輝氏は、スマートな若者でした。聞けばかつて東京で美容師として働き、10年前、23歳で新潟に戻り家業を継いだのだといいます。「10年経っても、1年サイクルのそれぞれの作業は10回経験しただけ。今でも勉強と試行錯誤の日々です」という小柳氏。同じ東京を経験し歳も近い藤木シェフは、その言葉に真剣に耳を傾けます。
「そもそも『ル レクチエ』が高級であるのは、栽培が難しく市場に出回ることが少ないから。明治36年にフランスから『ル レクチエ』が伝わった新潟でも、栽培農家はそう多くありません。『ル レクチエ』の難しさは、実ったままでは完熟しないため、収穫してから一定期間熟成させる追熟が必要なことにあります。無論、熟成をかけたままでは腐ってしまいますし、樹に成ったままにしていても実が落ちてしまいます。そして追熟が終わり実が黄色くなったら賞味期限は1週間しかありません。つまり果樹園にある『ル レクチエ』をほぼ同じタイミングで収穫し、全体のバランスを見ながら追熟をかけ、一定の期間内に出荷しなくてはならないのです。その期間とは例年11月25日頃に出荷開始、12月15日には終わる3週間。その3週間のために1年かけて育て、いっときも気を抜くことなく追熟をかけるのです。もちろん追熟だけでなく、1月の剪定から春の摘蕾と花粉付け、初夏の袋掛け、晩秋の収穫まで、気を抜く間はありません。45アールの敷地に4万個成る実を、ほぼ手作業で愛情込めて育てるのです。」

小柳氏の思考はロジカルで、『ル レクチエ』栽培に必要な作業を合理的に判断します。しかし話を聞くにつれ、論理だけでは説明できない精神論、つまり『ル レクチエ』への誇りが垣間見えてくるのです。次々と質問を投げかける藤木シェフにも、きっとそんな思いは伝わっていたのでしょう。

高齢化が進む生産者のなかにあって若手の小柳氏。他の生産者と意見を交換しながらさらなる進化を目指す。

杉板と土壁で温度、湿度を調整する熟成蔵。最盛期にはこの蔵の中が満杯になる。

温度管理の方法や出荷の見極めなど、追熟のこだわりを熱心に聞く藤木シェフ。

ル レクチエ生産者との話を通し、藤木シェフに浮かんだ数々のアイデア。

収穫後約40日間の追熟作業が必要なため、取材時に果樹園の現場で生の『ル レクチエ』を試食はできませんでした。しかし藤木シェフは「来てよかった」といいます。食材そのものだけではなく、そこに潜む物語や生産者の心を見つめる藤木シェフ。小柳氏と話をしたことで、その思いをしっかりと受け止めたのでしょう。

小柳氏が用意してくれた『ル レクチエ』のジュースとペーストを試食しました。「キレイな優しい味がします」それがジュースを試飲した藤木シェフの第一声。「加糖なしでこの甘味はすごい。温めてみたらどうだろう? 果実を焼いてみたら? スープにしたら? いろいろと浮かんできます!」そう話す藤木シェフ。
この後、追熟が完了した『ル レクチエ』を送っていただき、試食してから実際の料理試作に入る予定ですが、すでにシェフの頭には複数のアイデアが浮かんだよう。「フレッシュなル レクチエを使って、それが付け合せではなく主役になる何かを考えてみたい」藤木シェフはそう語りました。

食材とそこに潜むストーリーを大切に料理を仕立てる藤木シェフ。そんなシェフが仕立てる『ル レクチエ』メニューがどうなるのか、その正体は未だわかりません。しかしきっとそれは誇りと愛情を持って『ル レクチエ』を育てた小柳氏も喜ぶ、心の籠もった料理になることでしょう。2019年11月末日までは『Umi』にて、12月中旬までは『À L'AUBE』で提供される、まだ見ぬ『ル レクチェ』のデザート。詳細の続報を楽しみにお待ち下さい。

大きなもので700g/玉になる『ル レクチエ』形の良さも贈答品に重宝される理由。

果汁100%のジュースは500mlあたり5~6個の『ル レクチエ』を使用。果実そのままの味が楽しめる。

加工しないフレッシュフルーツを取り入れつつ、他の食材と一緒に食べてベストになる料理を考えたいという藤木シェフ。

住所:〒950-1404 新潟県新潟市南区大郷2460 MAP
電話:025-362-5583
ヤマヨ果樹園 HP:www.niigata-yamayo.net

1984年生まれ、福岡県柳川市出身。高校卒業後に料理専門学校に入学し、在学中から『ホテル オークラ』に勤務、卒業後は同ホテルに就職し、5年間研鑽を積む。24歳で渡仏し、ビストロや星付きレストランで修業、帰国後に銀座『ロオジエ』などを経て、2014年に再びフランスへ渡り、パリの『Retaurant Sola』でスーシェフを務める。2017年に帰国後、恵比寿『Umi』のシェフやカフェの監修などを務める。

ウォバッシュデッキジャケット

 

皆さんこんにちは!!

なんだか日に日に冷え込み方が冬に近づいてきていますね・・・

寒い・・・寒すぎる(真冬越せるのかwww)

そんなこれからの時期にもってこいの商品をメンズ館からご紹介いたします!

 

児島GENES 

ウォバッシュデッキジャケット(RNB-5012)

\37,400(税込)

サイズは M/L/XL/XXL ございます。

こちらの商品はミリタリーウェア定番のデッキジャケットを抜染によるストライプウォバッシュで仕上げたミリタリーとアメカジテイストがミックスされたアウターです!!かわいい!!!

 

(あー見るだけでも暖まる)

内側はしっかりと寒さからしのげる高寒性をもったボア!!!

襟元にもしっかりボア!!

襟を立ててボタンでとめると更に温々に!!

温々ポイントはボアだけでなく、

お袖の中にはもう一つ!ぴったりと密着してくれ、風を通しにくくしてくれる袖が実は隠れているのです!

そして、前は見た目ボタンしかないそうに見えるのですが、ファスナーからのボタンになっているのでこちらも風から守ってくれます!!

インディゴデニムをベースにした抜染ストライプウォバッシュなので経年変化も期待でき、着るのが楽しくなるアウターです!

 

是非冬の相棒にいかがでしょうか!!

 

 

ホスト中村孝則が2人の料理人を紐解く。覚りの料理と語りの料理[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

8回目のホスト役を務めたコラムニストの中村孝則氏。

ダイニングアウト輪島覚(さと)りの料理。

今回の『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』のジョシュア・スキーンズさんの料理を一言で表現するならば、「覚(さと)りの料理」だと思う。禅では「悟り」のことを、本性に目覚めるという意味で「覚り」という言葉を使うけれど、私はジョシュアさんが料理に向き合う姿勢を見てると、「覚り」を求める修行者と重なる何かを感じるのであった。

誤解があるといけないのだが、だからと言って私は彼の料理そのものが禅寺で食される精進料理的なもの、と感じたわけではない。彼が料理を生み出す過程を通して、禅でいうところの、公案を解くように料理を生み出してるように感じたのである。あくまで、私の個人的な見解なのであるが。のちに知ったのだが、ジョシュアさんはかつて、アメリカの寺で一年間に渡り修行をしたことがあるそうだ。マーシャルアーツの修行ということだったが、おそらくそこで仏教的な知見や禅の思想を身につけたのだろう。

ジョシュアさんと共に、食材探しからロケハン、料理の現場に至る工程まで長くご一緒した中で、彼は過去『DINING OUT』に参加したシェフたちが行うのと同じように、現地の能登半島や輪島の食材や食文化を旺盛な好奇心で持ってリサーチするのだが、ただ珍しい食材をハンティングするだけではなくて、何か別の眼差し、その食材の奥にある本質の一点にフォースを絞り込むような、静かな感性を働かせているように思え、それがあたかも、禅の修行者に通じると感じたのである。彼が今回の『DINING OUT』で作った「ブロス オブ グリルドボーンズ」に合わせたお米の料理などはまさに、そういった心の働きから生まれたのだと思う。

和紙職人の工房を訪ねた時のことであった。その工房の横には田んぼが広がり、小さな清流が水をたたえ、和紙はその川の水を使って作られていたのだけれど、その川をジョシュアさんと覗いた時に、沢山の鮎が泳いでいて、それを見た彼は「このへんの米は、ネイティブの鮎が泳ぐ水で育っているのか!」と呟いたのである。彼はそこに、米の旨さ云々と別次元の価値があると直感したようだった。地元の人にとっては日常の光景だろうから普段は田んぼの水のことなど無自覚だろし、釣りバカの私に至っては、群泳する鮎に目を奪われ、「釣り竿はどこかにないか」と心が騒めく始末なのであったが‥‥‥。

会場となった、金蔵地区の棚田を巡った時のこと。ちょうど本番前に稲刈りが終わるタイミングだったが、彼がことさら喜んだのは、稲の藁束である。「この藁こそ、宝物」と、嬉々として喜んでいるのは、とても印象的だった。今回、彼が作ったお米の料理は、炊いた米をその藁で包んで、藁ごと燻す料理法を用いたのだが、地元の人も私たちも、藁束を見て郷愁は感じても興奮はしないだろうが、藁がないサンフランシスコから来た彼にとって、藁は宝の山に見えたのだ。藁を客の目の前で燻したのは、熾火料理を得意とする彼らしい技法だが、彼は米を燻すことだけが目的はなく、「美味しいごはん」という公案に対して、「藁束」とか「川の水」といった答えを見出したのではないだろうか。

「美味しいごはん」でもう一つ、エピソードを加えよう。彼と食材探しに輪島の朝市に出向いた時のこと。朝市には、鮮魚や干物など、新鮮な魚介類やユニークな乾物も多かったのだが、彼が最も興奮してたのは、お婆さんが小さな台に載せて売っていた「梅汁漬ミョウガ」であった。そのお婆さんは、おそらく80歳くらいだと思うのだが、数十年同じ漬物を自分で作り、ここで売り続けているとのこと。紫蘇で漬けた梅干しの汁を使って漬けたミョウガの漬物は、美しい赤紫色をしているのだが、ジョシュアさんはその色が、まるでルビーが溶けた液体のように感じたようである。「この色はなんだ!このお婆さんはすごいね」と。結果的に、このミョウガの漬物は、先のお米の料理の付け合わせになったのである。

魚が泳ぐ渓流の水や藁の束、お婆さんの漬物の色。地元では無自覚になったその眠っていた豊かさに目覚めることは、『DINING OUT』的な感性の延長ではあるけれど、ジョシュアさんはその「目覚め」その感覚そのものを、今回の料理で表現した、という点で非凡であり、私が彼の料理をして「覚りの料理」という理由なのである。

【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS

素材を活かす為に考えついた「熾火」という火入れの手法で、ミシュラン三ツ星を獲得したジョシュア・スキーンズシェフ。

ジョシュアシェフも訪れた、能登仁行和紙の工房は里山の中にぽつんと建ち、周りの草木を使った和紙を作っている。手漉き和紙に必要な水も目の前の川から引き上げる。

会場中から歓声が上がった「ブロス オブ グリルドボーンズ」。一汁三菜の主役はブロス。輪島の七面鳥と焼いたイノシシの骨、数種の海藻で取るブロスは、山海の滋味を凝縮したもの。ごはんは海南鶏飯に着想を得て、イノシシの出汁で炊いて藁で香り付けしたもの。

輪島で見つけたTシャツ「NO RICE NO LIFE」。仕込みでは、ジョシュアシェフ自らが、日本の炊飯ジャーで米を炊く姿も。

ダイニングアウト輪島語りの料理。

その一方で、植木将仁シェフの料理は、「語りの料理」ではないだろうか。語りとは、物語のこと。彼の今回の料理には、どれも彼が紡ぐ物語が詰まっていて、ある意味で文学的な表現の料理ともいえそうだ。例えば、植木さんが作った「海を渡ったイノシシ」という料理を紐解こう。能登半島の能登島に棲むイノシシを使ったこの料理。半島から海を泳いで島に渡ったというイノシシの逞しさに着想を得た植木さんは、その不思議な生態を一つの物語として料理に着地させていた。海の影響を受けたミネラル豊富なイノシシの肉を寓意的な主役に見立て、その肉を板昆布で二日間コブ締めした後に真空料理にかけ、最後に金蔵の藁で藁焼きにする。付け合わせには、イノシシたちが実際に食しただろう島のむかごや栗、あるいは原木椎茸「能登115」が添えらた。

「森から川、そして海」の料理では、能登の水の流れをめぐる、豊穣な生態系を一つの物語にしていた。くるみの入ったエスカルゴバターは森の表現に、ビスクソースには川と汽水域と海を行き来する藻屑ガニや、能登の美しい海岸線の岩場に生息する亀の手までを、川の表現として使っていた。そして海に生息するノドグロには地元のワカメのジェノベーゼで仕上げらた。今回の植木さんの料理はすべて、一皿ごとにストーリー仕立てに構成され、それぞれの素材やその仕立て方、組み合わせから盛り付けまでに意味や物語が仕込まれ、味覚的にも視覚的にも能登を表現する一つの作品として緻密に構成させていた。そこには、植木さんが郷里に込める郷愁や郷土愛、季節の移ろいまでが語られているのである。ロマンティストである植木さんらしい、ファンタジーや童話的な装飾、あるいは茶目っ気が盛り込まれていることも、ゲストたちを愉しませた。

しかし、ストーリー仕立ての料理というのは、ややもすると陳腐化する怖さもあるが、植木さんの料理が多くの要素を一皿に盛り込にながら物語として破綻しないのは、素材ごとに料理技術を追求するなど、徹底したディテールの詰め方にあるのだと思う。結局のところ、物語のある料理の完成度とは、映画やその他の芸術作品と同じで、細部のチリの詰め方に担保されるのだ。今回の植木さんの料理では、それが見事に実証されていた。

そして、植木さんにとって今回の『DINING OUT』はもう一つの、見えない挑戦があったはずだ。それは、植木さんにとって輪島や能登は自分自身の故郷であるという点だ。素材や文化や自然を熟知している土地だからこそ、逆説的な難しさが立ちはだかっていた。というのも、通常『DINING OUT』で登用されるシェフというのは、その土地とは縁のないことが定石だからである。知らない土地の食材は食文化と出会い格闘し、もがきながら料理を作り上げるというドラマが味わいどころであり、ある意味『DINING OUT』の演出上の楽しみどころである。ところが植木さんにとって、ホームグラウンドである土地で、新しい物語を紡ぐことは、難しい挑戦だったと思う。しかも、『DINING OUT』史上初の2シェフ体制というのも、アウエーのジョシュアには負けたくないという、ある種のプレッシャーになったことだろう。しかし、ジョシュアと共に作り上げることで、植木さん自身も新たな視点が開き、一皮むけたのではないか。それは、今後の『DINING OUT』の展開に少なからず影響を残した、という点においても評価されるべきことだろう。

地元石川県出身の西麻布「AZUR et MASA UEKI」植木シェフは、普段から能登半島の食材を料理を通して発信している。

「海を渡ったイノシシ」は、肉質にミネラル感を感じる能登島のイノシシを金蔵の稲藁で香ばしい藁焼きに。同じ土地のむかごや栗のピュレ、高級原木椎茸「のと115」を添え、野趣あふれる里山の景色を皿の上に再現した。

「森から川、そして海」では、甘エビやササエ、ノドグロの卵を詰めた小松菜のファルシに、ガストロパックで昆布の旨みを浸透させたノドグロを重ねた一皿。ノドグロはくるみ入りのエスカルゴバターでグラチネに。植木シェフが見た海と川、山が連なる輪島の秋の風景がここに。

地元のプライドをかけて、料理と向き合った植木シェフには少なからずプレッシャーがあっただろう。と中村氏。

ダイニングアウト輪島輪島塗を構築的に紐解く面白さ。

今回の『DINING OUT』では、二人のシェフ体制という新たな試みのほか、「輪島塗の魅力を紐解く」という『DESIGNING OUT Vol.2』の挑戦があったことも特筆に値するだろう。しかも、その監修に建築家の隈研吾さんが抜擢されたことは、個人的にも興味深かった。そもそも輪島塗の最大の特徴は、高度に専門化した、職人の分業システムにある。その工程は、「生地」作りから始まり、「布着」や「下地塗り」、「中塗」や「上塗」さらには、「沈金」や「蒔絵」などを加えると、優に100を超える。その工程を経て完成されたものだけが輪島塗となり、途中段階をはしょったり、ましては途中段階のものは、輪島塗にはならないという厳密なルールがある。しかし、今回はあえてその途中段階のものを、完成品の器として料理に用いられたのだった。

今回は、私自身も輪島塗の工程を見学し、それぞれの職人の技術力に驚かされたが、特に感銘を受けたのが、どの工程においても、美意識が宿っていることだった。おそらく隈さんも、輪島塗の魅力が職人たちの技術だけでなく、美意識が構築的に積み重なって完成されていることを見抜いたに違いない。だからこそ、本来は途中段階のものを、構築的に分解して完成形として見立て得たのだ。もっとも、どの工程を切り取り、どのような形状にすべきかカギになるが、そこは超一流の建築家らしい見立てが冴えて、どの器もゲストだけでなく、輪島塗の職人たちをも唸らせるものであった。それらの器は、実際に料理を盛り付けると、また別の潜在的な魅力を発揮し、しかも全ての器を積み重ねると一つの造形物になるという、ストーリーも私たちを驚かせるのだった。輪島塗の今後の可能性に光を当てたという意味においても、価値ある挑戦だったと思う。

国指定の無形文化遺産にも登録される伝統工芸「輪島塗」に挑んだ、建築家・隈研吾氏。文化遺産に登録されている事もあり、厳密に工程が決まっており、その途中段階を「輪島塗」だと言ってしまう事に関しては様々なハードルがあった。

自身の目で職人達の技を見て、その構想を固めていった隈氏。完成形の輪島塗では無く、そのプロセスにいる職人達に光を当てたコンセプトを考え出した。

6枚のうち、下2枚はなんと、漆を塗らないという英断までした輪島塗史上初めての取り組みに。この器に乗った料理のコースが進んでいく過程と、輪島塗が出来上がる過程が見事にリンクした。

ダイニングアウト輪島複雑な要素が一つの輪島の物語として結実した。

ジョシュアさんの「覚りの料理」と植木さんの「語りの料理」。表現のアプローチは全く違えども、ともに能登や輪島という土地を深く表現し切ったのだと思う。今回、あえてテーマとして表には出ていないが、私たちはともに、輪島市にある総持寺祖院に訪れている。この寺は、明治時代にでは曹洞宗の大本山であり、今でも祖院として地元にとって大きな存在である。

私たちはその寺を訪れ、僧侶から直接、修行者の典座の作法を見せていただいた。典座とは、禅寺の料理を作る担当者のことであるが、禅にとっては料理を作ることだけでなく、食すことそのものが修行である。それは、直接的ではないけれど、精神的な部分で今回のジョシュアさんや植木さんの料理にも反映されているのだと思う。しかも、この祖院の構造物には、輪島塗が随所に施されていた。今回の『DINING OUT』では、この総持寺祖院に象徴される、輪島という土地が持つ精神性という部分でも結びついていたことを最後にお伝えして、締めくくろうと思う。

鎌倉時代の1321年(元亨元年)、曹洞宗の本山・總持寺が創建。明治時代の大火の後、本山は横浜市へ移されましたが、移転するまでの約600年間、全国15,000寺の本山として発展。現在も『大本山總持寺祖院』として存在し、往時の繁栄を伝えている。

修行者の典座の作法を見せて頂いた。ここで使われている器も勿論輪島塗。

『大本山總持寺祖院』では、「食す」=「生命を頂く」という考え方を改めて学び、その心が輪島全土に根付いていることもシェフ2人が感じたからこその料理だったと中村氏は語った。

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。

http://www.dandy-nakamura.com/

栃木レザー スタッズリストバンド

アイアン初のスタッズリストバンド!

  • 革は3mm厚の栃木レザーのミシバクロップを採用、上質なステアハイ
  • 【IHB-06】 【IHB-07】と同様の種類です
  • スタッズは真鍮をベースにダールメッキを施しブラック仕上げにしております
  • 使い込む程にすれなどにより黒が落ち真鍮色が顔をだします
  • バックル部分は真鍮素材を使用
  • バックル部は手縫いで縫い付けしています
  • サイズスペック

    • 幅 約3.5cm
    • 腕回り 約17cm〜20.5cm
    • スタッズ面積 約3cm×9.8cm

    ブラウンダック ボディバッグ

    16ozヘビーダックのNewバッグ!

    • 【801】と同様の16ozヘビーダックを使用した新型のバッグ
    • 内ポケット1つと背面ポケット1つのシンプルな作りで軽さをだしたカジュアルなバッグ
    • 内容量は今までの【IHE-37】などのウエストバッグタイプよりも増量しています
    • 引き手は全て牛革のスライサーを使用
    • 背面ポケットの両端には牛革で補強を兼ねたアクセントとして革を縫い付けています

    ブランダック ボディバッグ

    16ozヘビーダックのNewバッグ!

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    • 背面ポケットの両端には牛革で補強を兼ねたアクセントとして革を縫い付けています

    あまりにも豊かな中越地方の恵みに、「新潟の食とは何か」を理解する。~マッキー牧元編~[Niigata Gastronomique Journey/新潟県]

    新潟ガストロノミックジャーニーOVERVIEW

    旨さの極北である大衆食から、食の深奥を感じさせるガストロノミーまで、古今東西を問わずに様々な料理を食らい尽くしてきたマッキー牧元氏。その味覚の幅広さこそ、4賢者に相応しいのではないでしょうか。南魚沼市、三条市を要する中越地方が誇る大地の豊かさを巡る旅は、かの高名な「里山十帖」から始まります。

    南魚沼市は山、川、畑の恵みに溢れ、力強い食材が一堂に揃う場所。米どころである新潟県の中でも、最高峰の米を作る地として知られており、今回の旅でのマッキー牧元氏の米摂取量は相当なものに。たとえ満腹でも「ああ、やっぱり旨い」と思わせてしまうのは他では体験できません。三条市では、新潟のトップシェフが食材への愛が故に作り得る食の驚きに出合いました。マッキー牧元氏の手にかかれば、ガストロノミーという概念もまた複雑な姿に進化していきます。そんな、中越の宝と邂逅する旅にご一緒しました。

    【関連記事】Niigata Gastronomique Journey/風土に根ざした独自の美食が花開く新潟へ。4名の食の賢者が各地を旅し、その全容を本気で斬る

    (株)味の手帖 取締役編集顧問 タベアルキスト。立ち食いそばから割烹、フレンチからエスニック、スィーツから居酒屋まで、年間600回外食をし、料理評論、紀行、雑誌寄稿、ラジオ、テレビ出演。「味の手帖」「料理王国」「食楽」他、連載多数。鍋奉行協会会長。著書に「東京 食のお作法」文芸春秋刊、「出世酒場」集英社刊ほか。


    (supported by 新潟県)

    記憶を手繰り寄せながら頂を目指す。八丈富士の夕日を眺め、僕はもう一度、再訪を誓った。[東京”真”宝島・八丈島/東京都]

    高画質(4K Ultra HD)の映像は、こちらからご覧ください。

    東京"真"宝島

    初めて訪れた時は、大学生・中野裕之。そして今、約40年ぶりに映像作家・中野裕之として八丈島へ向かう。

    「大学生の頃、何の予定も決めずに空港へ向かい、良さそうな便に飛び乗って旅をしたことがありました。その行き先が八丈島だったんです。あれから約40年、今こうして八丈島を撮影できるなんて、ご縁を感じます」。

    八丈島は、大きく5つのエリアに分かれている。大賀郷、三根、樫立、中之郷、末吉がそれだ。「登龍峠」は三根に位置しており、客船が着く底土港のある三根地区に位置している。
    「“登龍峠”には展望台があり、ここから望む“八丈富士”と“八丈小島”が本当に綺麗で。夕日が双方の間にゆっくりと落ちていく景色をじっと見ながら、再訪を心の中で誓いました」。
    下方から望むと龍が登ってくるように見えることから「登龍峠」と名付けられたここは、八丈島を代表する景色であり、新東京百景にも選ばれる名所。太平洋を朱色に染めてゆく時間は、沈みきるその瞬間まで美しい。

    【関連記事】東京”真”宝島/映像作家・映画監督、中野裕之が撮る11島の11作品。それは未来に残したい日本の記録。

    太平洋に浮かぶひょうたん型の八丈島。「八丈富士」と「八丈小島」の間に沈みゆく夕日は、この島を代表する絶景のひとつ。

    東京"真"宝島羽田から約1時間で別世界へ。八丈ブルーの中、ウミガメとランデブー。

    日本屈指の透明度を誇る八丈島の海は、「八丈ブルー」と形容されるほど、美しい。そこをウミガメが悠々と泳ぐ。

    「八丈島は、“カメの島”。そう呼ばれるほど、ウミガメとの遭遇率が高いです。サンゴも美しく、ふわふわとしたソフトコーラルも気持ち良さそうに揺らいでいました。海水浴場も多いですし、ダイビングやシュノーケルなどのガイドサービスも充実しています。ここに訪れたら、ぜひ海のアクティビティを体験することをお勧めします!」。

    場所にもよるが、例え海中でなくとも、堤防からや浅瀬など、運が良ければウミガメと出合えるのが八丈島。この島が育んできた自然は、生き物も島民のひとり、もとい一匹。皆が心地良く共存し、暮らしているのだ。

    冬場でも水温が20度以上はあるという八丈島。90%以上の確率でウミガメを見ることができる世界でも稀な島。

    「ナズマド」はダイバーにも人気のスポット。水中にはソフトコーラルを始め、様々なサンゴも生息する。

    ダイビングやシュノーケリングで美しい魚の観察が楽しめるのも八丈島の海ならでは。写真は、ツバメウオ。

    澄み切ったクリアな海は、まさに「八丈ブルー」と呼ぶにふさわしい高い透明度を誇る。

    東京"真"宝島刻々と表情を変える「雲」に心惹かれた。島の記憶が何度も「雲」の余韻を甦らせる。

    「雲が湧き出す山、色彩豊かな海。」
    これは、今回の映像に起用されているタイトルである。後者は上記の「八丈ブルー」を指すも、前者は独特の視点だ。

    「八丈島はとにかく雲の表情が豊かだと思いました。見上げる雲はもちろん、目下の雲から手の届きそうな雲など、どんどん島から雲が湧き出てくるようでした。特に印象的だったのは、“八丈富士”の火口。縁に溜まった雲の中にふわっと入り込むと、1m先も見えない。時折、雲が割れた隙間から見せる景色もせいぜい5秒ほど。雲の世界に包まれ、雲の匂いを感じ、無音の境地の中、音も立てないほどの優しい風が頬を撫で……。あの雲の匂いは忘れられません」。
    その匂いとはどんな匂いなのか?

    「うーん、何て言ったら伝わるかなぁ……。難しい……。ほんの少しだけ、うっすらと焦げたような感じというか……。どうだろう……。違うかなぁ……」。
    記憶を手繰り寄せ、その匂いを言い当てる言葉を探そうとするも、なかなか難しいようだ。だが、中野監督の中だけには確かなその匂いが残っている。
    「八丈富士」は標高854.3m。登り続ける先には大きな火口が広がり、その縁を囲むように草原の道が続く。まるで絶景を歩くようなそこは、別名「天空の道」と呼ぶ人も少なくない。
    見上げればどこにでもある雲は、見る場所や見る視点によって、特別な存在へと変化するのだ。

    11島の有人の島の中で最も高い「八丈富士」。火口付近には雲がたまる。

    「登龍峠展望台」から見る「八丈富士」。青い空と白い雲、そのコントラストが美しい。

    「八丈富士」の中腹に位置する「ふれあい牧場」では、牛を間近で見ることができる。

    重厚感のある雲。夕焼けが当たることにより、立体感が一層際立つ。

    まるで光の射す方へ飛び立つ鳥のような形の雲がドラマチックな空を描く。

    夕焼けの風景。縦に伸びる雲、横に伸びる雲、薄い雲、厚い雲、歪な雲……。様々な形の雲が空を彩る。

    東京"真"宝島温泉巡りに植物観察、登山に海に、絶景まで。観光資源が豊かな島、それが八丈島。

    「末吉にある“みはらしの湯”は、その名の通り太平洋が見晴らせて、気持ち良いですよ! それ以外にも中之郷にある“裏見ヶ滝温泉”もぜひお勧めしたいです。とにかく八丈島は観光資源が豊富だと思います。海水浴場もたくさんありますし、“八丈富士”のお鉢巡りや“ふれあい牧場”でアイスクリーム(GW・夏休み期間のみ提供)、“三原山”の登山、展望台や灯台からの景色、“八丈植物園”や“ヘゴの森”の散策など、色々楽しめます。週末にさっと行けるし、東京から一番近いリゾートだと思います」。

    深く鮮やかな緑のシダ植物などが、美しい世界を形成する。島内には水と緑が絶妙に共存している場所も多い。

    標高約700m。10万年以上も前に誕生したと言われる「三原山」。川や滝が多く、見晴らしも良い。

    その名の通り、滝を裏から見ることができる「裏見ヶ滝」。近くには混浴温泉(水着着用でタオル持参)も。

    八丈島のトレッキングスポットとして代表的な「硫黄沼」。水の中に硫黄が溶け込み、天気によって様々な色合いに変化する。

    東京"真"宝島グッと心を掴まれる映像のクライマックスは、圧巻のタイムラプス。

    島の豊かな表情が演出された映像美はもちろんだが、後半部分のタイムラプスの連続には、圧倒される。
    「タイムラプスは、大体15分撮って1秒の動画になります。太陽、月、星、雲……。八丈島は空の表情が豊かなので、その動きと躍動感を出すような編集をしました」。
    今回の尺でいうと、1スポットで約8時間、定点撮影をしている計算になる。空から、陸から、海から。様々な目線で見る八丈島を、是非体験していただきたい。

    空気が澄んでいるため、スターウォッチングも楽しめる八丈島。映像のタイムラプスでは、星の動きが楽しめる。

    ゆっくりと動く雲も刻々と形を変える雲も、瞬時にそれらが変化する。そのスピード感のある演出は、タイムラプスならでは。


    (supported by 東京宝島)

    山懐に抱かれた奥日田のサーキット場で、一夜限りの非日常体験を。[AUTOPOLIS×Snow Peak Glamping/大分県日田市]

    お酒を片手に焚き火を囲み、吸い込まれそうな星空を仰ぎ見るゲストたち。

    オートポリス × スノーピーク グランビングオートポリスの新たな挑戦。ファン待望のキャンプフィールドが誕生!

    腹の底まで響くような音と共に、視界の端から端へと一瞬で走り抜けていくスーパーバイク。10月の晴れ渡った空の下、この白熱のレースを間近で体感するため大勢のファンが会場へと詰めかけました。

    ここ「オートポリス」は阿蘇の玄関口、奥日田の最奥に位置する山々に囲まれた広大なサーキット場です。九州唯一のインターナショナルレーシングコースで、3万人もの観客を動員するビッグレースからママチャリレースや四輪・二輪走行会などの参加型イベントまで、モータースポーツファンのみならず多くの地元の人々から愛されてきました。そんなオートポリスが今秋、新たなチャレンジに乗り出したのです。

    そのチャンレンジとは、敷地内にキャンプフィールドを開設すること。サーキットが位置する奥日田エリアは宿泊施設に限りがあるため、連日観戦したいファンが泊まる場所を確保しづらいというのが悩みの種でした。そこで、場内でのキャンプ泊が可能になれば、観客は興奮冷めやらぬまま翌日のレースも楽しめるようになります。

    【関連記事】AUTOPOLIS×SnowPeak Glamping/一瞬で消えゆくものだから…多角的なアプローチで“食の記憶”を心に刻む。

    自然との一体感に浸れる、森に抱かれたサーキット。

    この日行われていたのは2019 MFJ全日本ロードレース選手権シリーズ。轟音が響き渡るホームストレートは迫力満点。

    今回より開設された場内キャンプフィールドに宿泊、ベストポジションを確保して特等席で寛ぐ家族連れの姿も。

    オートポリス × スノーピーク グランビングスノーピークとのコラボレーションで実現、贅を尽くしたグランピング。

    そしてキャンプフィールドのオープンに合わせて、ある特別なイベントが開催されることになったのです。それが、“サーキットでキャンプする非日常体験”をテーマにしたオートポリスグランピング。360°のパノラマでレースが楽しめるインフィールドに5棟のテントを設営し、10名のゲストを招待。“グラマラス×キャンピング”の言葉どおり、ひと晩限りという贅沢な環境で、ここでしか味わえない“空間と食”を提供するというイベントです。

    今回オートポリスがタッグを組んだのは、奥日田にキャンプ場と実店舗を構えるアウトドアブランドのスノーピーク。ゲストたちの宿泊エリアからダイニングスペース、キッチンまですべての設営を手掛けました。まるでホテルの一室のように広々としたテント内には、タオルや歯ブラシ、モバイルバッテリーなどのアメニティが揃っているのはもちろんのこと、冷蔵庫代わりのクーラーボックスに石油ストーブまでも。10月とはいえ、夜の奥日田はダウンジャケットが必要なほどの寒さです。しかしストーブをつけてふかふかのベッドに潜り込めば、朝まで心地よく暖か。

    さらに暖を取りたい時には、テント内に用意してある湯浴み着で“サーキットの中の露天風呂”へ。こちらはなんと“出張する温泉”で、天ヶ瀬温泉の湯をそのまま運んできています。普段は足湯としてオートポリスのイベントやスポーツ大会のゴール後などに登場するとのことですが、今回は全身で浸かれる特別仕様。体の芯から温まりながら辺りを見回せば、夜半のレースコースと山並みの壮大なコントラストが眼前に広がります。

    当日は遠く有明海や雲仙までが視界に。雄大な自然の中にあるサーキットとキャンプフィールドならではの温泉体験となった。

    レースプログラム終了後の夕暮れ時。この日の出来事を語らいながら静かな時間が流れていく。

    宿泊用テント内。夜の高原には昼のアクティブさとは対照的な落ち着いた空間が用意されていた。

    夜の帳が下り、暗くなっていくキャンプ場に明かりが灯る。

    オートポリス × スノーピーク グランビング出張料理人が織りなす食の魔法。

    ゲストが1泊2日の間で口にする夜朝昼の3食。そのすべてのプロデュースを手掛けたのが、料理家であり食空間演出家でもある大塚瞳さんです。出張料理人として全国各地へ赴き、数日限りの食空間を演出するイベントプロデュースを10年以上続けてきたとのこと。今回もこの日のためだけに考案したオリジナルメニューを振る舞ってくれました。夜はスペイン、朝は台湾、昼はインド料理と、キャンプ場で作ったとは思えないほどバリエーション豊かな美食の数々にゲストたちも舌鼓。「同じことは二度とできないからこそ、みんなの記憶に残るような料理を作って思い出を共有できたら嬉しい」と語る大塚さん。その想いが端々にまで行き渡った、まさに一期一会の体験でした。

    夕食後は、水郷・日田の酒蔵を中心にセレクトした銘柄を揃えたバーエリアへ。ビールはもちろんのこと、日本酒、焼酎、スパークリングなどから好みのお酒を手に、揺らめく焚き火を囲むベンチへと向かう人も。冴え渡る夜空と満天の星、圧倒的な自然に囲まれ美酒に酔うひとときは、しばし現実を忘れさせてくれます。

    チェックインからチェックアウトまで、心尽くしのもてなしで10名を非日常の世界へといざなったグランピング。サーキットの臨場感と奥日田の大自然を肌で感じることができ、その上ラグジュアリーな気分も味わえるかつてない体験は、ゲストの心に深く刻まれたことでしょう。

    最初の食事であるディナーの仕込みを行う大塚瞳さん。設備が整ったキッチンスペースは、スノーピークが設営した。

    全9皿のコースを堪能するゲストたち。一品一品に込めた想いや、どんな食材を使ったかを語る大塚さん。

    鴨と栗のパエリア。料理が引き立つ器で、と有田焼のプレートを多数持参。

    『酒蔵バル』と銘打ったバーエリアでグラスを傾けながら夜は更けていく。

    井上酒造、老松酒造、薫長酒造の酒蔵をはじめ、いいちこ日田蒸溜所、地域に工場を構えるサッポロビールまで。すべては自然と水の恵み。

    住所:大分県日田市上津江町上野田1112-8 MAP
    電話:0973-55-1111
    AUTOPOLIS HP:https://autopolis.jp/ap/

    一瞬で消えゆくものだから…多角的なアプローチで“食の記憶”を心に刻む。[AUTOPOLIS×Snow Peak Glamping /大分県日田市]

    大塚 瞳さんと、井上圭一氏(右)を始め、スノーピークのメンバーたち。会場には事前に皆で1日通して泊まり、当日ゲストが快適に過ごせる空間作りを目指し、綿密に打ち合わせを重ねた。

    オートポリス × スノーピーク グランビング至上の食体験を実現するため、一瞬一瞬に情熱を注ぐ。

    「一度限り、二度と同じことはしないというのが好きです。あの日、あの時、あの場所で、あの人と、って。振り返った時に立体的に思い出せるような要素を、料理そのものだけではなく、過ごした空間全体に散りばめられたらと。その記憶のなかに料理のことも出てきたら嬉しいですね。」

    そう語るのは、料理家・食空間演出家である大塚 瞳さん。世界中を旅しては様々な食文化に触れ、大学時代から料理を学んできました。自身の店は持たず、出張料理人として気に入った土地で期間限定の食空間をプロデュースするスタイルを10年以上続けてきたと言います。
    今回の舞台は、サーキット場のインフィールド。スノーピーク社のハイスペックな特設キッチンで、この日のためだけに考えたメニューを作り上げていきます。

    大分県日田市にある「オートポリス」。熊本県との県境にあり、阿蘇の大自然に囲まれたこのサーキットで、アウトドアブランド・スノーピークとのコラボレーションにより1日限定のグランピングイベントが開催されました。招待されたゲストは10名、1泊2日の間で口にする夜・朝・昼の3食を大塚さんがすべてプロデュースしたのです。

    【関連記事】AUTOPOLIS×SnowPeak Glamping/山懐に抱かれた奥日田のサーキット場で、一夜限りの非日常体験を。

    グランピングサイトからは、迫力満点のレースが360°どちらを向いても楽しめる。

    19時スタートのディナーのため、早くから仕込みを行う。一見するとアウトドアとは思えないほど充実した設備。

    「料理はそれに見合う器に盛られてこそ」と、その両方を大切にしている大塚さん。

    ディナーの幕開けを飾るのは、「李荘窯業所」に特注したサーキットの頭文字“C”をモチーフにした有田焼。

    オートポリス × スノーピーク グランビング唯一無二の器で、料理そのものをより深く印象付ける。

    「“山の上のサーキット”という記憶を引き立ててくれるアイテムが欲しい。その想いから、特別な器を用意しました。」
    普段から窯元との付き合いが多い大塚さん。彼女が今回製作をお願いしたのが、現代の有田焼を代表する「李荘窯業所」の四代目、寺内信二さんでした。出来上がったのは、なんとサーキットをイメージしたという、アルファベットの“C”の形をした陶器。斬新なデザインに無駄のない流麗なフォルムで、表面に薄っすらとサーキットの傾斜がついています。大塚さん自らが実際にドライバーの横に座り、サーキットでの走行を体感して閃いたことをすぐに寺内さんに相談。そのイメージを、寺内さんが見事に具現化してくれたのです。

    “El banquete cielo estrellado”、スペイン語で“星空の晩餐会”と題された夕食のコンセプトは、この器から生まれたのだと言います。一体どんな料理を合わせたら素敵だろう? そう考えた時に思い浮かんだのが、スノーピークの新商品である「雪峰苑 たこ焼きプレート」。たこ焼きだけでなく、これでアヒージョを作って、“C”のプレートに盛り付けたら素敵ではないか。ならばスペイン料理にしよう! せっかくならたこ焼きもスペイン風に仕立てて…と、そこからは連想ゲームの如く次々とアイデアが湧いてきたそう。

    アウトドアだから、グランピングだからといった外枠からではなく、食材や器、調理器具からインスピレーションを広げていく。即席の調理場、しかも屋外という制約のなかでも、大塚さんがクリエイティビティを発揮して伸び伸びと料理できたのは、スノーピークによる盤石のサポートがあったからだと感謝を滲ませました。
    「自分の家みたいなキッチンを作ってもらいました。作業台も、ピッタリ背丈に合ったものを瞬時に測って組み立ててくれて…思うように作れたのは皆さまのおかげです。」

    クロスの配色からカトラリーまで、行き届いたテーブルセッティング。

    大塚さんのアシスタントと共に、スノーピークのスタッフも一丸となって調理や配膳を担当。

    スノーピークから今年新発売された「雪峰苑 たこ焼きプレート」。すっぽんの出汁のたこ焼きと、白茄子のカポナータとグリーンオリーブのたこ焼きの2種類を用意。自家製マヨネーズとともに。同調理器具を用いて、鮑と帆立、零余子(むかご)と大分の椎茸をアヒージョに。

    ダッチオーブンを使って魚の出汁で炊き上げたパエリアに、炭火で焼き上げた秋刀魚をのせて。

    オートポリス × スノーピーク グランビング全国を訪ね歩き、巡り合った食材のみを使用。

    器はもちろん、大塚さんの食材に対する熱意は並大抵のものではありません。使うのはすべて、自分の足で訪ねた生産者の旬のもの。1食の料理には数多くの生産者が関わっているそうです。野菜から肉や魚、調味料まで、これまで全国各地を巡った数は数千軒に及ぶと言います。

    食事の際、手元に置かれたカードにはメニュー名ではなく、「和牛」「鴨」「真菰筍」「栗」などの食材名が書かれていました。
    「文字で見る品書きは、私自身なかなか覚えていられないもの。一期一会だし、今日何を食べたかということではなく、また来年この季節になった時に、旬の食材が何だったかを思い出せる方がいい。ご自身で、また違う料理になって楽しめるように。私も生産者のことを食材で記憶していて、時が来たら連絡をするから。」
    ここにもゲストの“食の記憶”へのアプローチと、巡り合った生産者への想いが感じられました。

    ディナーのメニュー。表にはスペイン語で“星空の晩餐会”を意味する“El banquete cielo estrellado”の文字。

    サラダにトッピングしたのは、サントモール・ド・トゥーレーヌという山羊のチーズ。

    淡路の玉葱をスライスし焼いたコカ。生ハムと唐津の黒無花果をトッピング。

    真菰筍のフリットミスト、自然薯の素揚げ、ビーツのコンフィチュール添え。

    旬の栗が芳しい、鴨と栗のパエリア。徳島の酢橘を絞っていただく。

    魚出汁と、長野のまいたけで炊き上げたパエリアには炭火焼の秋刀魚。宮崎の平兵衛酢とともに。

    締めには濃厚ながらもさっぱりとした後味の佐賀牛のテールスープ。

    デザートはスパイスパウンドケーキ。岡山のシャインマスカットコンポートをあわせて。

    オートポリス × スノーピーク グランビング饗宴から一夜明け。胃に染み渡る、爽やかな朝餉。

    山海のアヒージョとスペイン風たこ焼きを皮切りに、デザートまで全9種の美食と美酒に酔いしれた晩餐会。一夜明けて、朝食の席に用意されていたカードには“一日之計在於晨”の文字が。日本語の意味は“新しい一日の始まりに”、そしてまさにその言葉どおり、滋味あふれる台湾式の朝食がゲストの目覚めとともに供されました。

    “早餐”は中国語で“朝食”の意味。

    鉄観音茶葉と中国のスパイスで漬けた茶卵。

    丸鷄に胡麻油やきび砂糖を擦り込み、1時間じっくり焼き上げる。

    茶卵、丸鷄、鶏皮ナムル。台湾ご飯のお供として、鶏づくしで。

    オートポリス × スノーピーク グランビング夜・朝・昼の3食を10人で共にしたという、かけがえのない思い出。

    「旅先の宿泊って大体夜と翌朝の2食でしょう? それが、一人の人の1日、夜にはじまり、翌朝、そして昼。その3回の食事を作るということは初めての経験で、今回の醍醐味の1つでした。」と語る大塚さん。お昼時、チェックアウト後のゲストに最後に振る舞ったのは、なんとインド料理。スペイン、台湾、インドと大胆に毛色を変え、“アウトドアの食事”という概念を軽々と飛び越えてみせました。

    「どんなに綿密に準備して頭の中で描いても、本番はいつも想像以上に美しい。今日、偶然にも一緒になった人達が1つの食卓を囲む。幕があけた途端に終わってしまう一瞬の出来事。見たかったのはこの景色だったなと。寂しいですが、ゲストやスタッフを含め24人で共有した今日という日を、私はいつまでも覚えていると思います。」

    瞳を輝かせながら語る彼女の表情は、しかし寂しさよりも充足感に満ち満ちていました。次はどこで何をやるのか? の問いには「さあ、言葉も通じないような国にでも行ってみましょうか。」と飄々とした答え。突如現れては幻のように消えゆく食空間を創り出した大塚さん。その姿はまるで砂上を征くキャラバンのよう。でも、“食の記憶”は、彼女の料理を食した人々のなかで永遠に生き続けていくのです。

    ランチのメニュー裏にはカレーの具材名がずらりと並ぶ。

    友人であるミュージシャン、小宮山雄飛さんが渋谷で手掛けるレモンライス専門店『Lemon Rice TOKYO』直伝のレシピで作ったレモンライス。

    ヨーグルトをたっぷり加え、見た目よりマイルドな味付けの足赤海老と丸オクラのカレー(右)と、ジャガイモとカリフラワーのカレー。

    『奥日田獣肉店』の草野貴弘さん。地元で捕った猪をグリルで炒め、スナック感覚で食べられるサイズに切り分けて手渡してくれた。

    住所:大分県日田市上津江町上野田1112-8 MAP
    電話:0973-55-1111
    AUTOPOLIS HP:https://autopolis.jp/ap/

    1981年福岡生まれ。出張料理人として、気に入った土地に数日限りの食空間を演出するイベントプロデュースを10数年間行い、器と食材をつなぐ役割を果たしている。またケータリングをはじめ、店舗、旅館、県特産品のメニュー開発プロデュースなども行う。
    http://www.hitomi-otsuka.com/

    伝統をもっと身近な存在に。しなやかな感性で津軽系こけしの明日を紡ぐ、親子2代の物語。[TSUGARU Le Bon Marche・阿保こけしや/青森県黒石市]

    津軽系こけしを作り続ける父・阿保六知秀氏と子・正文氏。木材を成型する行程は同じ一室で横に並んで取り組む。

    津軽ボンマルシェ・阿保こけしや津軽でずっと愛されてきた、こけしを今日も作る。

    たった一片の木材がまるで魔法にかけられたように生気を帯びていく──。
    『阿保こけしや』の工房で目の当たりにした流れるような一連の作業がそれです。刃の幅や刃の反り返る角度が異なる7本のノミを巧みに使い分け、あるときは真っ直ぐ、あるときは斜めから器用に押し当てて、一気に頭と身体を形作っていく。辺りには、木を削る摩擦音と、轆轤のモーターが低く唸る振動音だけが響き、緊張感が漲っています。最後はヤスリで白く、すべすべの肌に。成形が終わると、一気に空気が弛緩しました。

    「人間は八頭身が美人だけど、こけしは四頭身。このバランスが良いんだ」
    作業の最中からは一変、同じ人とは思えないほど、クシャクシャな笑顔と柔らかいオーラを放って阿保六知秀(むちひで)氏が笑いました。六知秀氏は半世紀以上のキャリアを誇る「青森県伝統工芸士」。黒石の温湯(ぬるゆ)温泉で明治の頃から愛されてきた、「津軽系伝統こけし」を作り続けています。傍らで同じオーラをまとって微笑む子息の正文氏もこけしを作る“工人(こうにん)”。父の工房に入ってすでに15年が経っています。
    「色を付けるトコはお客さんに人気だな」と六知秀氏。今度は轆轤線を入れる作業を始めるよう。昨今、こけしは“こけ女”に象徴される通り、人気を博しており、この工房へ見学に訪れる観光客も増えたとのこと。そんな愛好家たちに好評な行程なのでしょう。真顔に戻り、塗料と絵筆を用意しました。

    紫・黄・緑・赤・墨。この5つが伝統的に使われてきた色。轆轤を再始動して、ツーッと線を引いていきます。津軽系は「意図的に赤をメイン」にしてきた伝統があり、ほかにも、一本の木から作る、津軽藩の牡丹を映す、「ねぶた」や「だるま」に範をとった文様も描く、といった特徴があります。おかっぱ頭に、裾広がりの足元も津軽系の個性。
     「『飽きないの?』ってよく聞かれるけど、同じ行程を同じように繰り返しているわけじゃないんだ。いつも『色をちょっと変えたら、もっと自分のカラーが出せるかも』『形をちょっとだけ変えてみたら、どうだろう?』って考えながら作ってきた。日々の積み重ねの中で、少しずつ変えていくことで、『もっと売れるこけしが作れないか?』。そういうことをずっとやってきたんだよ」
    常に上を目指してきた? そう六知秀氏に尋ねるとニコッと微笑んで、小さく頷きました。

    【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

    六知秀氏が作る津軽系伝統こけしのスタイルは基本的にこの5体。「このレギュラー5体は変えずに作っていくつもりです。やっぱり、伝統ものが一番のお薦めだから……」。

    「マッコ」と呼ぶ棒状の道具を支点にノミを当てる。六知秀氏の轆轤は素足で踏んで回転数を調整するオールドスタイルだ。「踏むペダルはクラッチだね、車で言えば」。

    父と同じようにマッコを支点にしてノミを当てる。正文氏の轆轤は「ツマミで回転数を調整する」タイプ。左右にペダルがあり、どちらを踏むかで回転する方向も変えられる。

    粗く削る「あらい」のほか、反り返りの幅が狭く細い「仕上げ」、その中間、木材をカットする「切り落とし」など、作業内容によってノミを器用に使い分ける。

    筆を当てて、一気に轆轤線を描く。「伝統的にはどのこけしも、同じ色が使われるけど、何色を多くするか、配色はどうするかでそれぞれの工人の個性が出る」と六知秀氏。

    津軽ボンマルシェ・阿保こけしや伝統を守る一方で、創作にも果敢に挑戦。

    もっと売れるこけしを。試行錯誤を繰り返す中で、六知秀氏はこれまで多くの「創作こけし」にも挑戦してきました。例えば、「似顔絵こけし」。依頼されれば、その人そっくりの顔で作るというこけしですが、元々は十数年前、知人の警察官から同僚の退官祝いに贈りたい旨のリクエストを受けて始めたものでした。団体旅行でフラガールの踊りを見た友人の要望に応えたのが「踊るこけし」。

    「『地震が来ても倒れないこけしってないよね?』と言われたこともあって、何か、悔しくて。だったら、フラガールを映して、ユラユラと揺れるこけしを作っちゃえって(笑)」
    御年69ですが、発想は驚くほど若々しく、柔軟。こけしと同様、伝統を守って作る工芸品に「だるま」がありますが、ビビッドな青で六知秀氏の代名詞ともなっている「阿保ブルー」のだるまは「日韓ワールドカップの年に『何か記念になるものを作ったらどうか?』と地元のサッカーファンに言われ」始めたものでした。虎柄のだるまは「阪神タイガースが優勝した年の記念」。このアイデアは以降、毎年の干支を移す「干支だるま」としてシリーズ化されていきます。
    「青森は東北楽天イーグルスだから、いつ発注が来ても大丈夫なように、もう臙脂色は配合してあるんだ。今のところ、注文はないけど(笑)」
    ニコニコしながら見せてくれた瓶には、あのクリムゾンレッドがありました。
    創作する心は、正文氏にもしっかりと受け継がれています。弘前『green』で限定販売された月替わりのこけしは氏の代表作。今、正文氏は父よりも積極的に創作に取り組んでいます。

    「元々は東日本大震災の後で客足が滞ったとき、何か、人目を引く方法はないかと始めたのがきっかけでした」と正文氏。その際、創り出したのが、りんごのこけし。津軽の特産品をベレー帽と足元にあしらった作品で、こけしの新しい魅力が表現されていると話題になり、今ではパンダやメロンなど、いろいろなモチーフを取り込むことで独自の世界観を築いています。
    もの静かだけれど、芯の強さを感じる正文氏に「跡を継ぐ決心はいつから?」と聞くと、すぐに「小さい頃から」と答えました。それを聞いて六知秀氏も嬉しそう。しかし、「継がないかもって感じた頃もあったよ。ヤバいかもって(笑)」。そう振り返りました。

    「創作だるま」も六知秀氏の若々しいセンスから生まれた大切な作品。右がサッカー日本代表のサムライブルーを表現したカラーで、左が阪神タイガースに因んだ虎柄。

    正文氏が初めて手掛けた創作「りんごのこけし」。牡丹の花や文様など、伝統を活かしつつもりんごをあしらうことで現代的な雰囲気に。優しい顔は正文氏の性格を映すよう。

    「パンダ」と「メロン」も正文氏が手掛ける。黒石『津軽こけし館』に月替わりで展示されるシリーズで、かなり大胆に遊んでいて、愛らしい。

    津軽ボンマルシェ・阿保こけしや以心伝心。並んで黙々と作業する父子の強い絆。

    「『継げ』って命じて、始めたあとで『言われたから継いだんだ』とは絶対に、言わせたくなかった」と六知秀氏。伝統を継承する親子2代の物語は六知秀氏が津軽系こけしの普及に生涯を捧げた故・佐藤善二氏の内弟子となった昭和41年に遡ります。12年の修行を終え、六知秀氏が自宅に工房を開いたのは昭和53年のこと。それから5年ほど経って正文氏は生まれました。

    「小さい頃から絵を描くことは好きでしたし、父の仕事ぶりもずっと間近で見てきました」
    早くから意志を固めていた正文氏でしたが、高校卒業後、「急に『大学に行きたい』と言い出した」ことで、六知秀氏は気を揉み始めます。
    「入ったのが弘前大学ですよ。専攻した学問の実力を発揮したくなって、卒業後は東京に行きたいと言い出したら、どうしようって。回りにも、『何年かで必ず帰ってくる』と東京に行って、結局、戻って来ない長男もいるからね」
    けれど、継ぐことは強要したくない。そこで、六知秀氏が講じた手段が「工人募集」の貼紙でした。

    「卒業のタイミングであえて求人広告を出しちゃった(笑)」
    六知秀氏は本当にチャーミングな人なのです。工人として一目置かれる存在でありながら、偉ぶることは少しもなく、笑顔でこけしの魅力を語り、楽しませるため、ジョークも発する。正文氏もきっと、そんな父の姿勢に共感し、敬愛の念を抱いてきたのでしょう。継ぐことは自然な流れでした。「三つ子の魂百まで」。そんな諺を思い出します。
    ふたりが並んで轆轤を回し、ノミで削る、この工房はいわば第二段階の作業スペース。仕上げの第三段階は、個々で別の作業スペースを構えており、木を切り出す第一段階は、この工房の裏手にある作業所で主に正文氏が行っていますが、「仕事はいつも一緒にしている」意識をふたりで共有しています。「性格はよく似ていますよ」と父が言えば、息子も「父が何を言おうとしているのかは雰囲気でわかります」と答える。阿吽の呼吸とはまさにこのことで、今は父子が揃って始めて『阿保こけしや』なのだと実感しました。

    成型する工房の裏手にストックされた原料は「イタヤカエデが最も多く、山桜もある」と正文氏。乾燥に最低1年はかかるそうで、すでに3年分ぐらいが保管されていた。

    原料の木材を切り出して、保管するために一棟を設けている。この状態からさらに加工して、こけしを象る一片にする。「出た端材は薪ストーブ用にご近所に配っています」。

    正文氏とのこれまでを楽しそうに語る六知秀氏。笑顔もチャーミングな工人だ。

    津軽ボンマルシェ・阿保こけしや伝統の担い手として、父子で明日を見据える。

    こけし作りもいよいよ最終段階。普段は「集中したいからあまり人に見せない」六知秀氏の仕上げを特別に見せてもらうことになりました。正文氏が絵付けを行うスペースは奥様やお子様と暮らす近所の自宅に設けていますが、六知秀氏の現場はこの工房の2階に。畳敷きの一室に専用の座卓が置かれています。
    「目は今も一番、緊張する」
    そう言って、真剣な面持ちになります。卓上には20本ほどの絵筆がズラリ。右手でおもむろに一本を取り上げて、筆先に軽く墨をつけたら、呼吸を整えます。スーッと小さく息を吸い、フーッと吐いてから息を止め、指先に神経を集中。静寂。まず目の輪郭を上、下と描きます。左ができたら右へ。今度は眉毛。同じように左から右へ流れるように筆を走らせたら、鼻と口。六知秀氏の眼光がますます鋭くなりました。最後は瞳。こけしに生命が宿る瞬間です。生まれた──漏れる、安堵の吐息。見ているこちらも思わず拳を握り締めていました。

    「気分が乗っているときは、バーッと10体ぐらい、目を入れることもあるよ」
    一変して、柔らかい笑顔。しかし、その目の奥で、揺るぎない誇りに似た何かが光っていました。
    最初に木片を加工してから一週間。効率を図るため、成型する日と絵付けする日を別にして、計2日というワンセットを繰り返し、今は週に約70体を作っています。かなりの量産体制。すると、六知秀氏が言いました。
    「『もったいぶるな』というのが私の師匠の教えなんですよ。2体で高価でなく、10体で安くが基本。そのために『8時間フル回転で作れ』。そう言われてきました。少しでも安くできれば、いろいろな人にこけしが買ってもらえる」

    それが六知秀氏の根本的な思想でした。安く作り、できる限り多くの人にこけしに触れる機会を設け、こけしに慣れ親しんでもらう。創作に挑むのも、たくさん売りたいと願うのも、津軽系伝統こけしの底辺を広げたいから。それは正文氏も同じ。創作こけしに積極的であるだけでなく、もう10年も、黒石市が事業主体の『津軽こけし館』に出向き、館内で披露される製作実演を週に3、4回は手伝っているのです。すべては津軽系こけしの伝統のために。
    「息子は伝統と創作を半々ぐらいの割合でやっているんじゃないかな。私は、ずっと作る伝統のスタイルが5体あって、その次の6体目に創作こけしという位置付け。創作こけしは6体目も買ってもらいたい一心で始めたこと」
    ただ伝統を守るだけでなく、ずっと続く津軽系こけしの未来も見据えて。父子の物語はこれからも続きます。

    右手に筆、左手にこけしを持ち、これから描く顔をイメージしながら、じっと凝視する。

    躊躇うことなく、一気に顔を仕上げていく。最後に瞳。こけしに活き活きとした表情が生まれる。

    黒石・温湯温泉の中心街。こけしは東北山間部の温泉地を中心に伝わるが、どこも湯治客を相手にした土産物として愛されてきた。

    住所:青森県黒石市大字花巻字花巻34-3 MAP
    電話: 0172-54-8865
    営業時間:8:00〜16:00
    定休日:無休


    (supported by 東日本旅客鉄道株式会社)

    『加温熟成解脱酒』に着想を得たペアリングメニューの開発に、福岡フレンチの雄・福山剛シェフが挑む。[加温熟成解脱酒・La Maison de la Nature Goh/福岡県福岡市]

    『フォアグラ 洋梨 八角をきかせたソース』。付け合せはビーツと赤タマネギのサラダ、奥は特製の干鴨。

    ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ枠に囚われぬフレンチシェフが、未知なる日本酒とのペアリングに挑む。

    古酒の香りとフレッシュな味わいを併せ持つ奇跡の酒『加温熟成解脱酒』。秋田の酒蔵『秋田酒類製造株式会社』が開発したその新たな酒にインスピレーションを得て、3名のシェフがペアリングメニューを考案してくれました。料理ジャンルも、歩んできた道も、活躍する地方も、そして料理へのアプローチも異なる3名。しかし確固たる独自の道を確立する3名。そんな料理人たちが、この『加温熟成解脱酒』からどんな着想を得て、どんな料理を組み立てたのでしょうか?

    今回の登場は、九州で唯一2019年度の『アジアのベストレストラン50』に選ばれた福岡市『La Maison de la Nature Goh』の福山 剛シェフ。フランス料理を軸に据えつつ、枠に囚われない発想で自在な料理を生み出す九州の雄。そんな福山シェフは、『加温熟成解脱酒』をどう捉え、どんな料理と組み合わせるのでしょうか? 料理の至るまでの道筋とその胸の内に迫ります。

    【関連記事】加温熟成解脱酒/パリで話題! ベールを脱いだ『加温熟成解脱酒』という新たなる日本酒の挑戦。

    味はもちろん、器や盛り付け、遊び心あるプレゼンテーションにも定評がある福山シェフ。料理の全貌はいかに。

    ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ福山剛という料理人が、もっとも大切にすること。

    福山シェフの料理をより多角的に理解するために、まずはその人となりを紐解いてみましょう。物心がついた頃から料理が好きで、小学生の頃の誕生日プレゼントに調理道具をねだるような子供だったという福山シェフ。高校在学中から福岡市のフランス料理店に勤め始めたのも、いわば当然の流れでした。初めて目にするプロのフランス料理のクリエーションに感激した福山シェフは、その世界に没頭。7年にわたりその店で腕を磨きます。

    心境に変化が訪れたのは、中洲にあった馴染みのワインバーで働き始めたときでした。それまでは最先端のフランス料理、まだ世の中にない料理を作り上げることを目指していましたが、カウンター主体のワインバーでゲストの表情を見ながら料理をすることで、自分の理想とゲストのニーズのギャップに気づいたのだといいます。「それまでの“難しい料理を作る”という熱意は、いわば自己満足。シンプルで、お客さんが喜ぶ料理、それこそ自分が目指す道だと気づきました」

    福山シェフ自身が「もっとも大事な経験」と振り返るこのワインバーでの気づきを経て、2002年に開いた『La Maison de la Nature Goh』。そこでは「お客さんが安心できる店、一度来た人が誰かを連れてきたくなる店」を目指しました。振る舞われる料理は、フレンチの技法をベースにしつつ、九州の食材や日本の調味料も取り入れた、気取らないもの。「自分が作りたいものよりも、お客さんが喜ぶもの」という福山シェフの言葉を証明するように、オープンから17年、すべてのゲストが食べたもの、飲んだもののリストがあり、それを元にコースを構成するのだといいます。

    九州男児らしい豪快で、陽気で、温かい福山シェフ。その人柄から地元料理人からも慕われている。

    「アジアのベストレストラン50」には2018年、2019年と2年連続で選出。九州勢唯一の快挙だ。

    福山シェフが自身の店を開いたのは西中洲というややディープなエリア。「こんな場所に来てくれるお客さんですから、なおさら喜ばせたい」。

    ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ

    栄光を捨てて挑むさらなる挑戦も、ゲストの期待に応えるため。

    少し遠回りですが、もう少しだけ福山シェフのことを紐解いてみましょう。開店17年を過ぎ、グルメの街・福岡でもトップクラスの人気を誇る『La Maison de la Nature Goh』は、2020年いっぱいで閉じられる予定です。それは福山シェフの、新たな挑戦のためです。

    福山シェフには、互いに信頼し合う料理のパートナーがいます。その人物の名は、ガガン・アナンド氏。「アジアのベストレストラン50」で4年連続1位に輝いたバンコク『Gaggan』のシェフその人です。2015年にひょんな縁から出会った福山シェフとガガン氏。意気投合した二人はコラボレーションプロジェクト『GohGan』として年に3回ほどポップアップレストランを開催してきました。そしてそのコラボの集大成として、2021年夏頃を目処に『GohGan』を常設店として再スタートを切ることが決定しているのです。

    九州でカリスマ的人気を誇る名シェフと、アジアのレジェンドシェフによるコラボ店の誕生。それは料理界を揺るがすビッグニュースでした。もちろん、来年50歳を迎える福山シェフにとっても大きな決断だったに違いありません。しかし福山シェフはこともなげにいいます。「みなさんが期待していることをしたいだけ。お客さんを喜ばせたいという気持ちは変わりません」どこで、誰と、何をしようとも、その福山シェフの根本だけは決して揺らぐことはないのです。

    2002年に開いた店はカウンター中心の店。その後、店を拡張して現在に至る。

    ワインバーでの経験から、ドリンクにも造詣が深い福山シェフ。ペアリングコースには日本酒や焼酎も取り入れる。

    アジアの美食を牽引する二人の夢のコラボレーション。2021年の開店が待ち遠しい。

    ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ表面的にはシンプル、口にすると奥深い。福山シェフの料理が酒を輝かせる理由。

    「まず感じたのは、シェリーや紹興酒のニュアンス。日本酒というジャンルですが、シチュエーションを飛び越えて幅広い料理に合うと思いました」
    『加温熟成解脱酒』を試飲した福山シェフは、まずそう感じたといいます。とりわけシェフの興味を引いたのは、紹興酒を思わせる角のない甘み。福山シェフはそのファーストインプレッションを信じ、中華のニュアンスを持つアプローチに決めました。さらに甘さを引き立てるためにフルーツを取り入れ、少しずつ料理は形になります。そもそも福山シェフのクリエーションは、食材や自身の経験を起点として生まれたイメージに肉付けしていく手法。料理書を参考にしないため、従来の枠は重要ではありません。大切なことは「食べた人が驚き、喜ぶ」というイメージだけ。

    そうして『フォアグラ 洋梨 八角をきかせたソース』は完成しました。フォアグラと赤ワイン煮にした洋梨の甘みが『加温熟成解脱酒』に寄り添い、八角が醸すオリエンタルな香りが融合しかけた酒と料理を再び衝突させ、鰹節状にした干した鴨の日本料理的な旨みが再び酒と料理を歩み寄らせる。ただしその変化が時間差なくやってくるため、味は横幅ではなく縦に、つまり味の奥行きとして刻まれるのです。そして味の余韻が残る間に『加温熟成解脱酒』を口に含めば、フォアグラとソースの重厚感と酒の熟成感、フルーツの甘みと酒のフレッシュ感がそれぞれ合わさり、抜群の相性となるのです。

    さらに福山シェフは、もうひとつの仕掛けを用意していました。それは料理ではなく『加温熟成解脱酒』側のアレンジです。シェフとソムリエが生み出したのは、『加温熟成解脱酒』をルイボス、ハイビスカス、ローズヒップなどをブレンドしたオリジナルハーブティーで割り、炭酸を少々加えたカクテル。解脱酒の持ち味である甘みと熟成感はそのままに、さらなる軽さと、華やかな香りを加えたのです。このカクテルもまた、料理と見事なペアリングを見せました。

    福山シェフの経験と技、そして“おもてなしの心”が形となった『フォアグラ 洋梨 八角をきかせたソース』は、2019年冬のおまかせペアリングコースの1品として登場予定。これはフィナーレに向けてさらなる盛り上がりをみせる『La Maison de la Nature Goh』で重要な役割を担うことでしょう。ぜひその見事なマリアージュをご自身の舌で試してみてください。

    「甘さはくどくなく、香りには余韻がある。素晴らしいお酒です」と『加温熟成解脱酒』を評した福山シェフ。

    本来の魅力を削がず、持ち味を引き出したハーブティと『加温熟成解脱酒』のカクテル。

    住所:〒810-0002  福岡県福岡市中央区西中洲2-26 MAP
    電話:092-724-0955

    1971年生まれ。福岡県出身。高校在学中、フレンチレストランの調理の研修を受け、料理人の道へ。1989年、フランス料理店『イル・ド・フランス』で研鑽を重ね、その後、1995年からワインレストラン『マーキュリーカフェ』でシェフを務めた。2002年10月、福岡市西中洲に『La Maison de la Nature Goh』を開店。2016年には、九州で初めて「アジアのベストレストラン50」に選出された。西部ガスクッキングクラブ講師などを務める。

    『DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS』販売開始! [DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS/沖縄県うるま市]

    ダイニングアウト琉球うるま

    来る2020年1月18日(土)、19日(日)に「DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS」を沖縄県うるま市にて開催します。

    爽快なエメラルドブルーの海を渡る「海中道路」など、国内屈指の絶景を擁するうるま市。

    ダイニングアウト琉球うるま琉球王朝時代よりこの地に根付く「肝高(きむたか)」の精神性を紐解く。

    今回のDINING OUTの舞台は、沖縄本島の中部に位置し、歴史ロマンと豊かな自然があふれる、沖縄県うるま市。雄大な歴史と文化を感じる、沖縄最古の城である世界遺産「勝連城跡」や、4つの島々を繋ぎ、東洋一の長さを誇る「海中道路」から臨む果てしなく澄んだ蒼い海など、沖縄らしい景色が広がる場所です。

    琉球王朝時代、勝連城があった勝連周辺は、貿易船が各国から着港しやすいという地の利を生かし、海外交易によって、多くの富と繁栄がもたらされました。特に、10代目城主「阿麻和利」の時代に、中国をはじめ、東南アジア・当時の日本との活発な交易によって最盛期を迎えたと言われています。沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」には、海外との交易によって育まれた高尚な生活文化が称えられ、「気高さ・心豊かさ」を意味する「肝高(きむたか)」が勝連の美称になっているほどです。

    なぜ、勝連は小国でありながらも、海外交易によって発展することができたのか。それは、常に異国と向き合う環境下にあった彼らだからこそ、異国の文化に寄り添い、受け入れ、時に自国の文化に取り込んで、自らを進化させることに長けていたからではないでしょうか。そうした外交の姿勢が、異国と対峙するのでも、服従するのでもなく、対等に互いを認め合う関係を築き、発展につながったのでしょう。今回のDINING OUTを通して、この土地で育まれ、今この地に生きる人にも受け継がれている、気高さの精神「肝高」を感じていただければと思います。

    「果報(かふう)バンタ」のバンタは沖縄の方言で「崖」という意味を持つ。その名の通り標高約120mの崖の上からはとてもきれいなエメラルドグリーンの海を見ることができる。

    ダイニングアウト琉球うるま全世界が注目するポップアップユニットが、満を持して「DINING OUT」に登場。

    そんな壮大な舞台で料理を担当するのは、世界的なシェフ二人で構成されるポップアップユニット「GohGan」。

    2010年に開いた「Gaggan」で、エグゼクティブシェフを務め、世界から注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurants」では4位を獲得したガガン・アナンド氏。そして、九州で唯一「Asia's 50 Best Restaurants」にランクインした「La Maison de la Nature Goh」の福山 剛氏。この世界の注目を集める両トップシェフによるポップアップユニット「GohGan」は、これまで日本やアジアで計11回に渡り、その土地の食材や調理法を反映させた料理を提供してきましたが、今回の「DINING OUT」を最後に、その歴史にピリオドを打ち、2021年、改めて、福岡にレストラン「GohGan」として蘇ります。

    ディナーホストは、「The World's 50 Best Restaurants」の日本評議委員長を務め、過去8回のDINING OUTに出演し、食やカルチャーなどをテーマに活躍するコラムニスト、中村孝則氏。

    世界で活躍するポップアップユニット「GohGan」が、琉球を舞台に繰り広げる最後のパフォーマンスに、ご期待ください。

    福山シェフとガガンシェフで構成される、世界から注目を集めているポップアップユニット「GohGan」。

     ディナーホストは『DINING OUT』ではおなじみ、コラムニストの中村孝則氏。

    今回もLEXUSがゲストの送迎に登場する。

    【DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS 詳細】
    開催日程 : 2019年1月18日(土)、19日(日) 
    ※1/18(土)は、全コンテンツ英語対応の、海外ゲスト向け開催日です。
    ※1/19(日)は、全コンテンツ日本語対応の、国内ゲスト向け開催日です。
    募集人数 : 各日程40名、計80名限定
    開催地  : 沖縄県うるま市
    出演 : 料理人 GohGan 福山 剛 (La Maison de la Nature Goh) × ガガン・アナンド
       ホスト 中村孝則 (コラムニスト)
    オフィシャルパートナー : LEXUS (http://lexus.jp)
    後援:沖縄県(平成31年度 沖縄観光コンテンツ支援事業)
    協力:うるま市、ハレクラニ沖縄

    国定公園として半世紀以上にわたり守られてきた沖縄・恩納村の美しい海岸線で、ラグジュアリーの新時代を切り拓くホテル「ハレクラニ沖縄」がゲストの宿として全面サポート。

    1971年生まれ。福岡県出身。高校在学中、フレンチレストランの調理の研修を受け、料理人の道へ。1989年、フランス料理店『イル・ド・フランス』で研鑽を重ね、その後、1995年からワインレストラン『マーキュリーカフェ』でシェフを務めた。2002年10月、福岡市西中洲に『La Maison de la Nature Goh』を開店。2016年には、九州で初めて「Asia's 50 Best Restaurants 」に選出され、2019年には24位にランクインを果たす。

    インド コルカタ出身。2007年にバンコクへ移住し、その後レストランの料理長を務める一方、エルブジで研修を積む。2010年に開いたレストラン「Gaggan」では、エグゼクティブシェフを務め、Progressive Indian Cuisine(進歩的インド料理)を打ち出す。世界的注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurant」では4位を獲得。同年8月新たなチャレンジに向けてお店をクローズし11月に再始動をする。

    神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、TVにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を授勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士の称号も授勲。(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称))2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
    http://www.dandy-nakamura.com/

    Made in U.S.A スナップバックキャップ

    バイク乗りの定番、トラッカーキャップ!

    • 新柄のベル柄ワッペンを配したNewトラッカーキャップです
    • 今までのツイル地ワッペンとは違い初のフェルト地ワッペン
    • Made in U.S.Aの6パネルのスタンダードなキャップです
    • 浅すぎず深すぎずのミッドクラウンタイプなので被りやすさはバッチリです
    • バイザー部分は芯入りのフラットバイザータイプ
    • スナップバックを外せるので、ベルトループやバッグに付けられます
    • 携行性があるのでヘルメットを脱いで崩れた髪型も隠せ、ツーリングにも最適です
    • アジャスターによりサイズ調整が出来る為、頭の大きな方でも問題なく被れます
    • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます

    サイズスペック

    • フロント高さ 17.5cm
    • ツバ 7cm
    • ツバ幅 18.5cm
    • 頭周り 55cm〜60cm

    素材

    • ウール:80% ポリエステル:20%

    オールレザー ウェストバッグ

    定番レザーウェストバッグにホワイトレザーが限定登場!

    • 大きすぎず小さすぎず使い勝手の良いサイズ感
    • ウェストバックとしても良し、肩にかけショルダーバッグにしても良しの大きさです
    • 中はボタン付き仕切りポケットが一つ、細々したものも散らばることなく収納出来ます
    • ベルト調整部分はダブルリング仕様で容易に長さを調節できます
    • 背面側はあえてダイヤステッチをなくし、付けた際のフィット感を向上させてます
    • また背面側ポケットはファスナー仕様で、チケット等さっと取り出したい物を入れられるようにしています
    • 表面のアイアンハートのタグは旧モデル(IHE-18)より大きなタグに変更となりました
    • 各ファスナー部分にはグローブをしたままでも開閉し易いように長めの革タブを配しています
    • 肉厚なダイヤステッチはそのままに、各所の作りを見直し、よりスッキリした顔になっています
    • ショルダーストラップ付け根部分の真鍮パーツを廃し、縫い付けに変更することでより上品に仕上げました

    「令和」ゆかりの地で、日本の原風景を訪ねる旅を。[HOTEL CULTIA 太宰府/福岡県太宰府市]

    由来は「CULTURE(文化)」から。太宰府はかつて文化が集まった地であり、その土地が文化を紡ぐという理念のもと名付けられた。

    ホテル カルティア 太宰府万葉集で詠まれた「梅の宴」の舞台がある地にオープン。

    「令和」という新しい時代が始まり、即位の礼が執り行われました。その新元号の名の由来となったのは、万葉集で大伴旅人が詠んだとされる「梅花の歌」。大伴旅人は飛鳥時代から奈良時代に活躍した歌人であり、大宰府長官も務めました。そんな令和ゆかりの地に10月オープンしたホテルが今、注目を集めています。

    4室の客室を備える「古香庵」が10月4日に先行オープン。

    ホテル カルティア 太宰府「通り過ぎる観光地」から「滞在し、暮らすように過ごす場所」へ。

    大伴旅人が詠んだ「梅花の宴」が催されたのは大宰府政庁跡、坂本八幡神社付近と言われています。「ホテル カルティア 太宰府」は、そんな太宰府天満宮を中心に点在する江戸末期や明治期の建物をリノベートした分散型ホテル。大陸文化の玄関口となったこの場所は、奈良・平安時代の名残を感じさせ、歴史的・文化遺産が数多く残る地域。ただ、旅行客は日帰りが多く、大半が通過型観光になりがちであるという課題がありました。

    それを解消するため、⻄⽇本鉄道など民間各社が共同設⽴した「太宰府Co-Creation」が事業主体となり、運営をバリューマネジメント社が行うことでホテルプロジェクトが始動。歴史的価値のある古民家を再生させ、太宰府のまちを一つのホテルと見立て、暮らすように泊まる体験を楽しめる施設を目指しました。

    バリューマネジメント社は日本各地の歴史的資源を再生させ、後世に残す事業を手がける。

    建物随所に昔の意匠を残し、刻まれてきた歴史を感じられる空間に。

    ホテル カルティア 太宰府江戸期から活躍した絵師の邸宅をリノベーション。

    ホテルとして生まれ変わった建物は、江戸末期から昭和にかけて 3代にわたって活躍した絵師の邸宅「古⾹庵」。明治 44 年建築の母屋を含む 3 つの古民家の外観・梁などを改修し、昔の佇まいを残しつつ、水回りやベッドなど宿泊に必要な機能を整備。家具や装飾には「梅花の宴」を始めとする万葉集の和歌の季語をモチーフとした伝統工芸品などを用い、昔ながらの趣とモダンを感じさせる上質な空間に仕上げました。

    廊下を通り抜けたところに位置する「古香庵102」は45平米。定員2名。

    ホテル カルティア 太宰府日本古来の暮らしを体験し、自分を見つめる場所。

    先行オープンした客室は4室のみで、それぞれに趣が異なります。古香庵の中庭に位置する元蔵を改装した客室は、1階にはリビングスペース、2階にベッドルームを備えた一棟貸しの部屋。また、他の客室も36平米〜45平米とゆとりがある間取りで、四季折々に変わる中庭を望みながらゆったり過ごすことができます。歴史的な日本家屋の風情とそこに流れる時間をより体感してもらうようにとTVや時計、明るい照明はあえて用意していません。

    「古香庵101」は58平米。定員1〜3名。

    ホテル カルティア 太宰府九州と世界の食材が融合した料理をランチ、ディナー、ティータイムで。

    レストランでは福岡・九州のブランド食材と国内外の高級食材を融合させた本格フレンチを楽しめます。料理を監修するのは、関西で活躍するフレンチ界の巨匠・石井之悠氏。食器にも九州の小石原焼や有田焼を使用し、目にも舌にも美味しいランチやディナーをコース仕立てで提供します。
     
    10月のディナーの一例は、「鴨もも肉のコンフィとレンズマメのサラダ」「フォアグラと福岡の野菜 梅のディップ」「フグのベニエ 黒トリュフと地元野菜のピュレ」「博多和牛ロースのポワレ」など地元の食文化のエッセンスを効かせたメニュー。ランチコース2800円〜もあり、レストランのみの利用も可能です。

    ディナーの内容は2カ月ごとに変更。写真はイメージ。

    ティータイム(15 時~17 時)には「あまおう」づくしのアフタヌーンティーセットを提供。

    ホテル カルティア 太宰府地元の風習もまるごと体感することで、一歩踏み入った旅を。

    ホテル内だけでなく、周辺施設との連携した体験コンテンツも用意。例えば、太宰府天満宮神職による夜間特別参拝や九州国⽴博物館のナイトツアーなど、この地ならではのストーリー性のあるプランを計画。なおホテルは2020年頃に2〜3棟追加し、最終的に7〜8棟30室を展開する予定です。
     
    バリューマネジメントが運営するホテルブランドVMG HOTELSのコンセプトは「まだ⾒ぬ時と出会う場所」。令和という時代の始まりに、古代の人々が築いた伝統やその地で守られてる風景に触れることで、日本の文化の豊かさを再発見する機会になるのではないでしょうか。

    50席を擁するレストランは日本庭園が見える落ち着いた空間。

    太宰府天満宮の目の前に位置。太宰府駅からも徒歩5分と便利だ。

    住所:福岡県太宰府市宰府3丁⽬3-33 MAP
    電話:0120-210-289(VMG総合窓口)
    料金:33,000円~(税サ別)2名様1室 朝・夕付き 1名料金
    ランチ:2800円〜(税別)、ディナー:6800円〜(税サ別)
    HOTEL CULTIA 太宰府 HP:https://www.cultia-dazaifu.com/
    写真提供:バリューマネジメント株式会社