11年の歳月をかけて誕生した酒米「百万石乃白」の秘めたるチカラ。後編[Bon appétit Ishikawa !/石川県]

百万石乃白を使って3回の醸造を経験した吉田酒造店の社長で杜氏の吉田泰之氏。山田錦に匹敵する県産酒米の登場を喜ぶ。

百万石乃白「石川県産米で大吟醸酒を」の願いに応えるために。

冬場の寒冷な気候や白山水系の清冽(せいれつ)な地下水脈など酒造りに適した環境に恵まれる石川県。日本の代表的な杜氏集団のひとつである能登杜氏を擁する酒どころで、37の蔵が酒造りを連綿と続けています。百万石乃白は県内の蔵元や杜氏たち待望の酒米。その誕生の秘密を探るために、金沢市才田町にある石川県農林総合研究センター農業試験場を訪ねました。百万石乃白の品種開発の歴史は、2005年までさかのぼります。

当時は、日本酒の消費量が減少していく中、地域の独自性を打ち出した付加価値の高い日本酒を造るために、地域固有の酒米を求める声が大きくなってきた頃。石川県内で造られる大吟醸酒は、ほとんどが兵庫県産山田錦を使ったものでした。米の表面を50%以下に削って使うことが条件となる大吟醸酒。大粒で割れにくい山田錦は、「酒米の王様」として吟醸酒カテゴリーに君臨しています。新品種開発のスタートは、石川県酒造組合連合会からあらためて「石川県産の酒米で大吟醸酒を造りたい」との要請を受けたのがきっかけ。「50%まで精米しても割れにくいこと」と明解な育種目標が掲げられました。

百万石乃白の開発を担当した石川県農林総合研究センター農業試験場 育種グループ主任研究員・畑中博英氏。

農業試験場では毎年約50組の米の交配を行なっていると、育種グループ主任研究員・畑中博英氏は話します。
「米の中心にある白い部分を心白といいますが、この部分がもろいため、大吟醸酒を造る時は心白近くまで削るのでどうしても割れやすくなってしまいます。この問題を克服するために、交配ではとにかく心白が小さいものを選抜していきました。有望な交配の組み合わせを入念に検討しても、その結果が出るのは1年後。優良な組み合わせが見えたら、試験醸造を行いながら、さらに選抜を繰り返していくので、長い年月がかかります。割れにくくても、収穫量が少なかったり、酒にした時の味がいまいちだったりという問題もありました。結局、百万石乃白の開発には実に11年を要しました」

大粒の酒米「ひとはな」と大吟醸酒向けの酒米「新潟酒72号」との掛け合わせにより、石川県独自の酒米「'05酒系83」が誕生。これに山田錦を交配することで、のちに百万石乃白と命名される理想形「石川酒68号」の産出に至りました。肝心の“割れ”について農業試験場の分析では、50%精米時で割れるのは1割以下と、山田錦の2割以下を凌ぎます。さらに、収穫量も山田錦を上回り、草丈は山田錦よりも1割ほど低いことから台風などで倒れにくく、石川県での栽培にも適しています。

「実は私は体質的にお酒が飲めないので、香りをチェックすることしかできないのですが、試験醸造で『良い酒ができた』という声が上がった時には、本当にうれしかったですね。ようやく一人前の酒米に、うまい酒に育ったんだなと」

2018年に石川県内10の蔵が百万石乃白の使用を開始し、2019年には20蔵、2020年には24蔵に拡大。多くの酒蔵が百万石万白の醸造に挑戦しており、今後、県産酒米としての定着が期待されています。

精米後の百万石乃白。公募によって決まった愛称の由来は、その美しい白さ。

百万石乃白適切な栽培法を確立するために、田んぼでの奮闘は続く。

古来、米作りが盛んな加賀平野。そのほぼ中央に位置する白山市山島地区で、稲作・麦・大豆の農業を営む林勝洋氏は、酒米作りにも積極的に取り組んでいます。夏場、この地では、手取川が冷涼な空気を運ぶことで夜から朝にかけての気温がぐっと下がり、良質な米ができる条件である昼夜の大きな寒暖差が生まれています。酒米として山田錦に次いで全国2位の収穫量のある五百万石、吟醸酒向けに先行開発された石川県独自の酒米・石川門に加え、3年前からは百万石乃白の作付けも開始。2020年7月に設立された生産者団体「百万石乃白」研究会の会長も務めています。百万石乃白の4作目となる今年は、3.3ヘクタールに田植えしました。品種の特性が少しずつわかってきたと話します。

「百万石乃白の稲は軸が太いのが特徴です。そして軸は根元から広がり気味に伸びて、穂がつく頃には一株の束がバサッと広がっています。石川門や五百万石よりも収穫期が1ヵ月ほど遅い晩生(おくて)の品種なので、実のつまり方もしっかり。稲穂の形としてはやや不格好ですが、そのおかげで強い風でも倒れにくく、高い収穫量をもたらしています」

「百万石乃白」研究会では、25の生産者が、より適切な栽培方法や収穫後の管理方法などについて情報交換しながら栽培しています。目下の課題は、肥料の選定と施肥のタイミングの見極めです。酒蔵が百万石乃白を安心して使えるように、栽培地域や生産者による品質のブレをなくし、いち早く安定供給できる体制を整えることを目指しています。

林氏は、夏場は米作り、冬場では近隣にある吉田酒造店の蔵人として酒造りに従事した経験もあります。酒米を作るには、それを使う現場を知りたいという思いがあったからだと話します。
「我々百姓ってのは、ついつい自分が作りたいもんばかり作ってしまうもんで。それを意識的に変えていかんと。何が求められて、どんな農業をしていかねばならんのか? そこにちゃんと向き合って挑戦するのがおもしろい。新品種の酒米を作るのは正直、農業経営的にはまだ割りに合わなくて、厳しいものがある。でも、やる。なぜなら、おもしろいからですよ」

林勝洋氏に百万石乃白の田んぼを案内してもらうonestoryフードキュレーターの宮内隼人。極力農薬を使わず、土壌改良に能登産牡蠣の殻を利用するなど、そこに隠れた工夫や手間ひまの一端を知った。

百万石乃白は軸が太く、広がって伸びるのが特徴。成長しても草丈が短く、倒れにくい点も評価が高い。

26歳の結婚を機に農業指導員から脱サラ就農した林氏。農業指導を行う中で、白山市は全国屈指の稲作の好適地と判断。「ここでやっていけなきゃダメ」と農家への転身を決断したという。

百万石乃白ここにしかない水、ここでしかとれない米、ここにしかない酒造りの技を。

霊峰白山を間近に望む穀倉地帯、手取川扇状地で150年に渡って酒を造り続ける吉田酒造店。大越基裕氏も高く評価した「手取川 純米大吟醸原酒 百万石乃白」を醸す酒蔵です。迎えてくれたのは、昨年7代目社長に就任した吉田泰之氏。山形の出羽桜酒造で修行し、10年前から家業での酒造りに取り組み、現在は杜氏も務めています。

酒米には伝統的に山田錦と五百万石を使い、2008年からは県産の石川門、そして2018年からは百万石乃白を積極的に使って酒造りをしています。酒米は、精米時の割れやすさもさることながら、発酵によって溶けて味や香りが出るかどうか、雑菌に対する強さなど特徴は千差万別。吉田氏は、酒米の個性について学校のクラスを例にして話します。

「山田錦はスーパースター。勉強は一番、スポーツ万能、健康優良児の人気者。五百万石は成績は上位だけど、苦手教科も少しある、体育も脚は速いけど球技は苦手みたいな。でも、サポート役としては非常に優秀で、山田錦が学級委員長なら、五百万石は副委員長として力を発揮してくれる。実際、麹米として使うと素晴らしい働きをしてくれます。石川門は割れやすいため、雑菌に汚染されやすく、日本酒ではタブーとされるスモーキーな香りを発しやすい酒米。勉強も運動も苦手で気難しい生徒ですが、実はアートや音楽の才能がずば抜けている天才肌。扱い方によって大化けするタイプです。そして、百万石乃白は注目の転校生。勉強でもスポーツでもみんなをあっと驚かせているけれど、まだミステリアスな存在。どの子も、それぞれにかわいいんですよ」

銘酒「手取川」と「吉田蔵」を醸す吉田酒造店。山廃仕込みを中心とする伝統的な酒造りを守り、2020年に創業150周年を迎えた。

吉田酒造店では、蔵人たちが蔵周辺の田んぼで酒米を育てている。初夏、百万石乃白は青々とした葉を広げつつあった。

吉田酒造店では、兵庫県産山田錦のほか、石川県産の五百万石、石川門、百万石乃白の4種の酒米を使用。自社精米によって最適な磨き方も追求している。

この10年ほどで、全国的に日本酒の味は格段に向上したと吉田氏。しかし、その背景を知っていると、手放しでは喜べないと話します。酒造りから流通に至るまでの冷蔵技術の発達、発酵を促進させる添加物の使用、水質を醸造しやすい構成に変えるテクノロジーなど、多大なエネルギーを要し、地域で培われた酒造りの伝統技術を否定する手法も少なくないからです。極端な話、優れた酒米を取り寄せ、水質を調整し、最新技術と電力をふんだんに使えば、東京都心のビルでも高品質な酒は造れます。でも、果たしてそこに地酒としての価値はあるのでしょうか。何を大事にして、何を変えていくべきか? 吉田酒造店は原点回帰しながら、地域に根差す蔵としてのあるべき姿を模索しています。

「私たちにとって水は命。かつて暴れ川と呼ばれた手取川が山の岩石を平地に運んだことから、この地でくみ上げる地下水はミネラル感豊富な中硬水となります。この水を守っていくためには、森や田んぼが健全に保たれていくことが必須です。田んぼが次々と工場やショッピングモールに変わっていく状況に危機感を覚え、7年前に地元の酒米をさらに積極的に使っていくようになりました。百万石乃白はこの地の気候風土に適しているので、持続可能性の観点でも理想的です。そして、百万石乃白を使った3回目の造りを経て、この地の水や私たちが大事にしている伝統的な製法との相性のよさも見えてきました。ここにしかない水、ここでしかとれない米、ここにしかない酒造りの技で、次世代の地酒を造っていきたいと思います」

いまだ謎めく転校生、百万石乃白の真価が問われるのは、これからです。

百万石乃白や石川門を使った最新の酒をテイスティング。アルコール度数を13%程度に抑えた食事に寄り添う酒の開発に注力している。「百万石乃白のバランスのよさ、石川門の自然でやさしい甘味、どちらも甲乙つけがたい」と宮内。

工場内の貯蔵庫などには冷たい地下水を利用した井水式クーラーを導入して、極力電力を使わない操業を追求。今年、全電力は再生可能エネルギー由来に変えた。「アイデンティティである水、米を見つめ直し、持続可能な酒造りを目指していきたい」と吉田氏。

住所:石川県白山市安吉町41 MAP
電話:076-276-3311
https://tedorigawa.com/


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県、公益財団法人いしかわ農業総合支援機構)

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石川の風土と人々の情熱が生んだルビーの輝き。奇跡のブドウ、ルビーロマン。前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

ルビーロマンミステリアスな郷里の食材の産地を訪ねて。

夏のある日、石川県内のとあるブドウ畑。広がるブドウ棚の下には、大きな体をかがめ、たわわに実る房を入念に観察する世界的シェフの姿がありました。パティシエ、ショコラティエの辻口博啓(ひろのぶ)氏です。

辻口氏は、史上最年少23歳での「全国洋菓子技術コンテスト大会」優勝を皮切りに、パティシエのワールドカップと称される「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」など国内外の大きな大会で栄冠に輝いた希代の逸材。東京・自由が丘に『Mont St. Clair(モンサンクレール)』をオープン後、世界初のロールケーキ専門店『自由が丘ロール屋』やショコラトリー『 LE CHOCOLAT DE H(ル ショコラ ドゥ アッシュ)』、和スイーツ専門店『和楽紅屋』など10以上の業態の店を展開。精力的な活動を続けています。

大きな一粒の皮を半分ほどむき、一気に頬張った辻口氏は、開口一番、「やっぱりみずみずしさが違うね、ルビーロマンは」と興奮気味です。もう一粒じっくり確認するように味わい、「この上品な甘みとジューシーさは、ルビーロマンにしかない魅力なんだよなあ」とうなります。
そう、ここは石川県特産の高級ブドウ「ルビーロマン」の畑。収穫の最盛期を迎え、ピンポン球大の粒をみっちりとつけた巨大な房が連なっています。

辻口氏の生まれ故郷は石川県七尾市。現在も金沢市で料理学校を運営するなど石川県との関係は深く、月に数日間は県内で仕事をこなしているといいます。県内の食材探しにも熱心で、七尾市の崎山いちごや加賀野菜のさつまいも・五郎島金時などはお気に入りです。しかし、石川県産食材に明るい辻口氏であっても、ルビーロマンのほ場に入るのは初めてとのこと。極めて希少性の高いルビーロマンは、種苗の流出防止対策として生産者のほ場が徹底管理されています。ルビーロマンは14年の歳月を費やして開発された、世界でも石川県だけで産出される最高級ブドウなのです。

ルビーロマンの認定基準をクリアしているとおぼしき一房を収穫する辻口氏。粒と房がいかに大きいかがわかるだろう。

もぎたてのルビーロマンを試食する辻口氏。あふれる果汁にあらためて驚く。

ルビーロマン大粒で、赤い。新しい高級ブドウ品種を。

石川県内のブドウ農家たちの強い要望を受け、石川県農林総合研究センターが新しいブドウ品種の開発計画をスタートさせたのは1995年(平成7年)のこと。当時、県内のブドウ栽培は、数十年にわたってデラウエアが多くを占めていました。デラウエアはアメリカ原産の紫色で小粒の品種。かつては高い商品力があったものの、1970年代から単価は低迷。巨峰など大粒の高級品種の台頭もあって、デラウエアに変わる新しい品種を求める声が大きくなっていました。

辻口氏にとってもデラウエアはとても身近な果物だったといいます。
「夏のプールや部活の後のおやつといえば、キンキンに冷えたデラウエア。夏祭りの締めも決まってデラウエアでしたね。冬場のこたつのみかんのように、夏場にはデラウエアは必ず各家庭に常備されていて、いつでも好きなだけ食べていいものでした。大好物でしたが、確かにありがたみは薄かったかもしれません。美味しいブドウではあるけれど」

石川県農林総合研究センターの主任研究員・井須博史氏は、開発の経緯をひも解きます。
「高級感のある新しいブドウ品種がほしい。大粒で、しかも赤いブドウはできないかと。生産者からはそのような要望が上がっていたと聞いています。赤いブドウなら巨峰と差別化できるし、巨峰やマスカットと詰め合わせにすれば、赤・黒・緑のセットにできて付加価値も上げられるからと。そこで、研究センターは全国から赤いブドウの品種を8種ほど集めて実際に植えてみました。しかし、ほとんどの品種は色づきません。ある品種は良い色になったものの、一雨降っただけで実が割れてしまいました。最終的に、風土に合う品種を人工交配によって開発するしかない、という結論に達したのです」

ルビーロマン研究会の大田昇会長(右)に質問する辻口氏。3代にわたってブドウをつくり続けてきた大田氏にとっても、ルビーロマンはまだ分からないことばかりだという。

ルビーロマン理想高き未知の品種を探す荒波への船出。

石川県のブドウ産地は昼夜の気温差が大きくありません。既存の赤い品種が育ちにくいのは、そこに原因がありそうでした。大粒の品種に、赤い品種を掛け合わせてはどうかと考え、当時、国内最大と言われた黒くて大粒の藤稔(ふじみのり)を母親に選びました。担当スタッフは5人。ブドウの花が開く前にマッチ棒の先のようなつぼみをピンセットで一枚ずつはがし、おしべを取り除いて、綿棒でめしべに花粉を付けていきます。ブドウの開花時期は短く、2日ほどが勝負。休日返上でビニールハウスにこもり、棚から下がる小さな花をヘッドルーペを通して凝視しながら緻密な作業を何時間も続けました。

リンゴやナシであれば、一つの果実に10粒近くの種が入りますが、ブドウは入っても1粒か2粒。この人工交配によって採れた種は、わずか40粒でした。

「翌年、その40粒に加え、藤稔の種400粒を育苗箱にまきました。もしかすると藤稔も自然交配によって赤い実をつけるかもしれない。万に一つの可能性にも賭けてやってみようと考えたからだったそうです。人工交配の種から育った苗10本、藤稔の種から育った苗70本をビニルハウスに植え替えました。当時、研究センターの一番奥にある目立たない場所が選ばれました。というのも、上司や他のスタッフからは『そんなモノになるかわからない作業に時間をつかわずに、もっとやるべき仕事があるだろう』という圧力が強かったからとのこと。プロジェクトはこっそり進められていったのです」(井須氏)

幼木は3年目から実がなり始めます。結果は意外なものでした。80本のうち4本の木に赤い実がつきました。4本もついたことが予想外でしたが、その4本すべてが藤稔の種から育ったもので、人工交配のものではなかったのです。結果的に、人工交配は狙い通りにはいきませんでしたが、わずかな可能性があるならばと植えた機転が生きました。当時、研究センターには数十種類のブドウが栽培されていて、そのブドウのどれかの花粉が空中を漂って藤稔にたどり着き、自然交配して赤い実をならせたと考えられています。万に一つの奇跡が現実化しました。

ルビーロマン開発の歴史を紹介する石川県農林総合研究センターの主任研究員・井須博史氏(中央)。同センターにとってもルビーロマンは先輩たちから受け継いだ大切な財産だ。

粒がそろい、全面が鮮やかな赤色であることも必須。しかも房として整っていなければならない、と越えるべきハードルは非常に高い。

一般的に農地に求められる地力があり過ぎても、雨に恵まれ過ぎてもルビーロマン栽培はうまくいかない。収量をあげようと枝を広げ過ぎても粒が大きく育たない。

ルビーロマン人工交配の努力は一蹴された。しかし奇跡は起きた。

4本の幼木のうち、最も味がよく、かつ鮮やかな赤色の実をつけ、栽培のしやすい木が原木に絞り込まれました。品種登録申請の準備を進める一方、名称を公募し、600以上の案の中から「ルビーロマン」と命名されました。
原木から取った枝を接木(つぎき)して大切に木を増やしていき、2005年(平成17年)には県内5生産地で50本の現地栽培試験を開始。翌2006年(平成18年)には、生産者らによるルビーロマン研究会が発足しました。会長に就任した大田昇氏は当時を振り返ります。
「ルビーロマン研究会では議論すべきことが山のようにありました。栽培方法の情報交換だけでなく、ルビーロマンを高級ブドウとして育てるためには流通のルールも決める必要があります。農作業後、夕方5時に集まって夕食の弁当を食べながら話し合いますが、議論が紛糾して深夜に及ぶことも多々あった。早朝からの農作業と深夜までの話し合いにイライラが募り、大きな声が飛び交うこともありました。ですが、ここで妥協せずに議論を尽くしたことがよかった。生産者全員が納得するまで話し合い、一丸となって取り組んだことで、ルビーロマンというこれまでにないブドウを生み出せたのだと思います」

議論の主題は、栽培にも流通にも深く関係し、営農のあり方も左右する「ルビーロマンの基準」でした。出荷基準は次のとおりです。
・一粒あたりの重さ概ね20g以上
・糖度18度以上
・粒の色が専用のカラーチャートで基準を満たしたもの

JAの検査員によってこれらの基準をすべて満たすものだけがルビーロマンと認定され、認証タグが取り付けられます。そして、専用の出荷箱には生産地と生産者が記載されたシールが添付されます。いくら大粒になっても、すべての粒がきれいな赤色でなければ、そして房として整っていなければいけないのです。この基準を満たす商品化率は、50%の実現も難しいと推定される中、極めて厳格なルールが設けられました。

2008年8月、ルビーロマンは金沢市中央卸売市場で初競りを迎えました。一房に数千円、1万円という値が付くのを確認し、大田氏はほっと胸をなで下ろしたといいます。そして、最後にうれしいサプライズが待っていました。
「10万円!」の一声。場内がどよめきます。初売りにはご祝儀相場が付き物とはいえ、一粒あたりの換算で3,000円にもなる高値は大きな話題となり、ルビーロマンの名が全国に一気に知れ渡るきっかけになりました。苦節14年、石川県農林総合研究センターで延べ20名ほどの関わったスタッフ、ルビーロマンと真剣に向き合った農家の方たちの努力が報われた瞬間です。

2011年の初競りでは、一房50万円の最高値を記録しました。落札者は、何を隠そう、辻口氏だったのです。

一房ずつ丁寧に袋がけされるルビーロマン。手間はかかるが、単価も高いことから、営農の発展に大きく貢献する。

石川県のブドウ産地はエリアによって、砂地、粘土、赤土と土壌の性質が異なる。地域によって品質の差が生じないための栽培方法の確立が模索されている。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

本記事は、ONESTORYと石川県が共同で企画し、取材は石川県農林総合研究センターにおいて、県職員立ち会いのもと特別に行ったものです。

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ルビーロマン×パティシエ・辻口博啓氏。奇跡のブドウが巨匠渾身のスイーツに。後編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

ルビーロマンを素材にパティシエ・辻口博啓氏がつくり出したオリジナルのヴェリーヌ「ルビーロマン」。

ルビーロマン石川出身者としてパティシエとして、ルビーロマンへの想いを胸に。

石川県発の高級ブドウ「ルビーロマン」は現在、加賀市、小松市、金沢市、かほく市、羽咋(はくい)市、宝達志水(ほうだつしみず)町で栽培されています。ルビーロマンは辻口博啓氏にとってひときわ思い入れの深い果物です。2011年(平成23年)の東日本大震災の発災後、辻口氏はパティシエとして復興支援に何か貢献できないかと考えました。被災した宮城県の中学生を郷里である石川県七尾市和倉温泉の旅館『加賀屋』に招待し、ルビーロマンを振る舞いました。その一房を初競りで、50万円で競り落としたのです。そこには1日も早い復興への願いと、地元石川県への感謝の気持ちを込めたといいます。

「日本一とも言われる美味しいブドウを味わって、少しでも気持ちが明るくなってほしい。そして、初競りが話題となりルビーロマンの認知度が上がれば、ブドウ農家の方々の日頃の苦労が少し報われるかもしれない。そんな思いがありました。初競りはあくまでご祝儀相場ですが、近年は高値の更新が続き、今年は一房140万円の値がついたとか。卸売価格も巨峰の2.5倍程度を維持しているそうで、洋菓子店を営むいち消費者として応援してきた僕にとっても、とても感慨深いものがあります。正直、高級過ぎてお菓子の材料としては手を出しにくいというのが悩ましいところではありますが(笑)」

辻口氏は、ルビーロマンの畑で受けたインスピレーションを持ち帰り、ルビーロマンを使った新しいスイーツづくりに取り組みました。お菓子づくりの技術によって素材本来のエレガントさを引き出し、果実をそのまま味わうのとはまた違った表情に昇華させます。そんな辻口氏渾身の作は、その名も「ルビーロマン」。期間限定で実際に購入することもできます。

ルビーロマンを一粒一粒、果肉の具合を確認し。愛おしむようにカットする辻口氏。

ルビーロマン

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・商品名 ルビーロマン
・価格  1,200円
・販売期間 9月下旬までの予定(収穫により前後あり)
  ※毎日数量限定発売
・発売店舗
 Mont St. Clair/モンサンクレール
 東京都目黒区自由が丘2-22-4
 03-3718-5200
 https://www.ms-clair.co.jp/
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ルビーロマンのみずみずしさ、皮に秘められた旨みも丸ごといただく。

辻口氏の新作スイーツ「ルビーロマン」は、ルビーロマンをふんだんに使ったヴェリーヌ(ガラス製の器に入れたデザート)です。主役であるルビーロマンは乱切りにした生の果実のほか、さまざまな形で盛り込まれています。ジュレ、コンフィチュール、赤ワインとカシスのギモーブ(マシュマロ)にもルビーロマンの果汁がアクセントに。これらにライムが香るリコッタチーズのクリームとシャンパンのジュレ、ココナッツのメレンゲが花を添えています。
ポイントは皮の旨みだと辻口氏は話します。

「みずみずしいルビーロマンを皮ごと炊いてコンフィチュールにしています。渋みも含めた皮本来の美味しさを出すと味わいに深みが出て、加熱し濃縮することで果肉の甘みも増します。フレッシュでジューシーな生の果実と濃縮したコンフィチュールを掛け合わせることで、みずみずしさと味わい深さの双方が一層際立ちます。同じブドウ由来であるシャンパンのジュレは風味にシナジーをもたらし、みずみずしさと相性のいいリコッタチーズのコクは味を立体的にしてくれます。果実のプルンとした喉越し、ギモーブのモチモチ感、メレンゲのサクサク感、いろんな食感も楽しみながら、ルビーロマンのエレガントな風味を堪能していただきたいです」

ルビーロマンを皮ごと炊いてコンフィチュールに。皮の渋みも旨みに変え、ルビーロマン本来の味わいを一層引き立てる。

ルビーロマンのジュレ、リコッタチーズのクリームなどを重ね、ルビーロマンの果実も大胆にあしらう。

合わせるココナッツのメレンゲも繊細そのもの。

ルビーロマン食材が育まれた歴史、生産者の情熱もひと皿に。

ONESTORYフードキュレーター・宮内隼人は、試作品を夢中で完食すると、「さすが……」とため息を漏らしました。
「ルビーロマンという食材が完璧に辻口さんらしい“フランスのお菓子”になっている。グラスの中のどこをすくうかによって、味わいが変わって、そのひとさじひとさじがどれもたまらなく美味しくて楽しい。ルビーロマンくらい素材として力のあるフルーツなら、たとえばアイスクリーム主体のパフェなど無難に仕上げることもできるでしょう。でも辻口さんは、さまざまな技術と緻密な計算を凝らして、ある意味クラシカルなスタイルでまったく新しい美味しさを提示してくれました。トップパティシエの真骨頂を見た思いです」

辻口氏は今回、ルビーロマン栽培の現場を視察できた意義の大きさについて話します。
「ブランドを一からつくり上げ、守っていく。生産者の方々の並々ならぬ情熱を肌で感じました。種苗の流出に対する危機意識も想像を超えたものでした。商品化率が50%を超えた年は過去たった2回だけ。29%に低迷した年もあるそうで、いまだ栽培方法は試行錯誤が続いているといいます。そういう意味では、まだ進化している、そして今後も常に進化し続けていく。奇跡的に生まれたブドウ、ルビーロマンはこれからも神秘的な存在であり続けるのだと思います」

そのルビーのごとき珠玉の味わい。年に一度の旬を確かめるのは、日本に暮らしているからこそ体験できる口福と言えるでしょう。

それぞれの素材の配置、バランスを試行錯誤しながら最終形へと向かう。

パティシエとしての修業経験もあり、辻口氏を尊敬するONESTORYフードキュレーター・宮内隼人。「どこをすくって味わってもプロフェッショナリズムが感じられる」と感服。

丹精込めて育てられたルビーロマンと辻口氏渾身のスイーツ「ルビーロマン」。気高いルビーの輝き。

辻口氏独立の出発点となり、今なお旗艦店として絶大な人気を誇る自由が丘『Mont St. Clair』。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

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経験したことのない、圧倒的な風味、余韻に酔う。後編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

『片折』にて、「のとてまり」が炭火焼きに。焼いているそばから、いかにも旨みの詰まった香りが立ち込める。

のとてまり奥能登の自然と共に生きる人々の知恵で育まれた椎茸栽培。

奥能登原木しいたけ活性化協議会初代会長の新五十八氏は、珠洲市で20歳の時から椎茸農家を50年間続けてきた、奥能登の椎茸栽培の草分け。取材班が訪れると、奥能登の椎茸の歴史を紐解いてくれました。

新氏は目ぼしい作物のない奥能登で営農する苦肉の策として、椎茸を選んだと話します。平地の少ない奥能登では米作りは難しい。今でこそ交通の利便性は上がったが、50年前は野菜を作っても新鮮なうちに遠い消費地へ運ぶことはできなかった。酪農を始めるには資金がない。そこで目をつけたのが干し椎茸だったといいます。

「干し椎茸なら交通事情にあまり影響されず、年間を通じて出荷できます。奥能登には塩田の文化があったので、塩を煮炊きするため薪や炭が大量に必要だったことから、山にはスギやヒノキは植林されず、コナラを中心とした雑木林が保たれていました。塩田の衰退に伴い薪の需要は落ちている中、このコナラを原木に活用することもできる。それで友人とお金を出し合って椎茸栽培を始めました」

一般的に、椎茸栽培には半島が適していると言われているそうです。強い風が吹き抜け、適度な湿度があり、1日の寒暖差が大きい。能登では良質な椎茸が育ちました。石川県民はきのこ好きであることも相まって干し椎茸生産は順調に成長し、1980年代半のピーク時には椎茸農家は約200軒近くに、生産量は100トンにも達しました。ところが、中国産干し椎茸の台頭により、国産ものは暴落。椎茸を諦める農家は後をたたず、生産量はほどなく1トンにまで落ち込みました。

新氏は根気強く椎茸栽培を続け、1990年代から新しい菌種であった115を使った生鮮用椎茸の出荷に力を入れ、JAらと一緒に「のと115」のブランド化に取り組んできました。そのフラッグシップとして誕生したのが「のとてまり」だったのです。

「ご祝儀相場とはいえ、我が子のように育ててきた『のとてまり』が初出しで十数万円もの値がついたときは、さすがにようやくここまで来れたな、と思ったね」と新氏。「のとてまり」は生産者の思いを一身に受けて、大きく成長してきたのです。

珠洲市の森の中で長年、椎茸の露地栽培に取り組んできた新五十八氏。数年前に病気をしてからは、自家消費用に少量の栽培を続けている。「コナラとアカマツが混在する奥能登の森は、雨をゆっくりと土に浸透させる、椎茸には最高の環境」と話す。

定年退職後、椎茸栽培に取り組む山方正治氏。1回3時間も要する丁寧な水やりなどによって、収穫される椎茸はどれも高品質と評価が高い。

山方氏は水道工事用のミラーを愛用。傘の裏側の巻き具合のチェックにも余念がない。

農場の見学には、ONESTORYフードキュレーターの宮内隼人(右)も同行。片折氏と共に、山方氏がつくった「のとてまり」認定間違いなしとおぼしき椎茸に圧倒された。

山方氏の「のと115」栽培用ハウス。積雪による安定した水分供給や風による刺激が椎茸の成長を促すとみられ、大雪や台風の自然災害が多い年は豊作になることが多いという。

のとてまり「のとてまり」の高い発生率の秘密は、丁寧な水やりにあり。

穴水町を流れる小又川の最上流にある集落で、「のと115」の栽培に取り組むのは山方正治氏。定年退職後に実家がある当地で就農し3年目になります。

標高150mほどのところにあるほだ場は、ハウスの中でも底冷えのする寒さで凛とした空気が漂っています。山方氏は、管理している原木は1650本と少なめではあるものの、「のとてまり」の発生率がひときわ高いと、他の生産者からの注目も集めています。同氏が栽培において最も配慮しているのは水やり。霧状に噴出できるホースを使い、椎茸には直接水が吹きかからないように気をつけながら、原木1本1本に丁寧に水やりしていきます。1回の水やりにかかる時間は3時間ほど。

「清冽な山の水を引いて、とにかくきめ細かな水やりを徹底しています。まだまだ手探りですが、温度と散水管理が出来や収穫量をかなり左右することがわかってきました。作業は大変ですが、椎茸は手をかけた分だけ美味しくなってくれる。自分でもバター醤油炒めにしたりしてよく食べますが、本当に美味しい椎茸だな、と感動しますね」

焼いてもまったく縮まないと片折氏も驚く。強火の遠火で、旨みを閉じ込めたままじっくり焼かれる。

最高にシンプルで、最高に贅沢な一品が完成。この時味わった全員に、無邪気な笑みがこぼれた。

のとてまり手に取り、料理をし、鳥肌の立つ、類まれな食材。

高森氏、室木氏、山方氏からわけてもらった「のとてまり」を、片折氏は早速試食してみました。鰹出汁と濃口醤油で作った出汁醤油を塗りながら、炭火で焼いたごくシンプルな焼き椎茸。火入れはあえて浅めにして、余熱で中心部まで火が入るかどうかの焼き立てをいただく。一口味わった片折氏は、思わず唸ります。

「うまい。ものすごいですね、椎茸の香りと旨味の強さが全然違う。上品な食感は蒸し鮑のよう。風味の余韻もずっと続きます……また鳥肌が立ってきました」

「一般的な和食では、椎茸は肉や魚の添え物になることが多いのですが、『のとてまり』はもちろん『のと115』も主役を張れる食材です。懐石の中に、その場で焼いたり炊いたりしただけの椎茸そのものを味わっていただく一品を挟んで、生産者の思いを豊かな風味と一緒に伝えていきたい。そう思います」

稲作を営むにも多大な苦労が伴う過酷な自然環境が、椎茸栽培の進化を促した。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
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能登の風土が育む至宝「のとてまり」と、究極のストイック系料理人・片折卓矢がついに出逢う。前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

もぎたての椎茸を入念に確認する片折氏。「めちゃくちゃ重い。香りも豊かですね」

のとてまり石川の秀逸な食材を求める片折氏、今狙う注目の椎茸とは?

金沢、浅野川の畔に佇む日本料理『片折』。
毎日たった7席のために、店主の片折卓矢氏を筆頭に4名の料理人が日の出前から奔走する、金沢を代表する、いや今や日本を代表する和食の名店です。その食材への飽くなき追求は果てしなく、七尾市の藤瀬霊水を汲みにいき、県内や隣県の魚市場をめぐり、山菜や野草を摘みに山へ分け入る。その日にしか出合えない季節の食材を、全力をかけて調達し、ごくシンプルな調理法で供す店なのです。
そう、究極の地産地消を体現する、今、最も注目される日本料理の一店です。そんな片折氏が特に思いを込めて常に目を光らせる食材に石川県特産の椎茸「のと115」があります。115とは全国で栽培されている椎茸の菌種の品番。能登で原木によって栽培されるものは、風味と食感がよいと評判で、「のと115」という名で知られるようになってきました。一定の規格を満たすことで認められる「のと115」の中でも、特に高品質なものは「のとてまり」と呼ばれ、料理人の羨望の的になっています。

今回、片折氏はその謎めいた原木椎茸「のとてまり」を求めて、能登の生産者たちを訪ねました。

「のとてまり」づくりの名人と称される高森正治氏。同氏の腕をもってしても、「のとてまり」と認められるのは収穫全体のわずか1%。

「のと115」は味わいの評価もさることながら、きのこらしい美しいフォルムも魅力。

のとてまり森からハウスへ。そして再び森へ。原木椎茸は手間ひまの賜物で生まれる。

能登湾に面する穴水町は、きのこ栽培が盛んな地域のひとつ。その山間で高森正治氏は、約10年前から「のと115」の栽培に取り組んでいます。

「のと115」は能登に自生するコナラを原木に利用して栽培されています。露地とハウス、2通りの栽培方法がありますが、色・形よく育てることができ、市場価格が高い時期に出荷できるハウスでの栽培が一般的です。ハウス栽培といっても、年間を通して原木をハウスの中で管理するわけではありません。森から伐り出され、玉切りされた原木は、植菌されて1年の多くを森の中で過ごします。「のと115」が出始める直前の11月にハウスに移動し、3月いっぱいまで収穫され、また森へと戻されます。その日、高森氏のハウスは収穫の最盛期を迎えていました。

「椎茸は気温にとても敏感に反応します。気温が上がると一斉に傘が開いてしまうので、急いで収穫しなければいけません。先日、急に暖かくなったもんで、この数日はもうバタバタ。袋がけも追いついていなくて」と高森氏。椎茸は、500円玉大になったところでひとつひとつビニール袋をかけていきます。袋がけには、椎茸の傘に傷がつくのを防ぐと共に、袋内の湿度が一定に保たれることによって、適切な成長を促す効果があります。合掌組みで並べられたほだ木は、1本1本360度あらゆる方向に付いている椎茸を常にチェックし、ほだ木を回転させながら、見込みのある椎茸を特に手をかけながら大切に育てます。水やり、収穫にと、気を抜けない日々が続きます。
「袋がけ作業がいちばん楽しい。大きくなれよと期待を込めながら作業します。実は収穫は全然楽しくないんだよ。すでに結果が出てしまっているからね」

大きく育ったひとつを収穫させてもらった片折氏は、愛おしむように両手で包み込み、ひだの香りを確認します。
「鳥肌が立ってしまいました。これだ、と思える食材を手にできた時、なぜか全身がぞくっとするんです。水分をしっかり蓄えて、ずしりと重く、原木椎茸ならではの香りも強い。これは間違いない。焼いたら、絶対に美味い」と笑顔が綻びます。

室木芳憲氏は工場勤務の脱サラ後、就農支援の研修を経て、夏はミニトマト、冬は椎茸を栽培する農家となった。

「のとてまり」の判定は奥能登管内のJAにて実施。大きさはノギスを使って正確に計測。規格外のものは生産者へ返品される。

のとてまり「のとてまり」の称号は、厳格な基準を満たした最高峰の証。

肉厚でしっとりとしている「のと115」は、焼いても縮むことがなく、ほどよい弾力と滑らかな舌触り、濃厚な風味を楽しむことができます。収穫された「のと115」のうち特に大きく形のよいものは、JAの検査場に集められ「のとてまり」の判定試験を受けます。

「のとてまり」は次のような厳格な判定基準が定められています。
・傘の直径8cm以上
・肉厚3cm以上
・傘の巻き込み1cm以上
・形状が優れていること

検査場に持ち込まれるのは優れた「のと115」ばかり。それでも晴れて「のとてまり」と認定されるのは、3割程度とのこと。「のとてまり」栽培の名人と称される高森氏でさえも、「のとてまり」生産の割合は1%足らずといわれています。いかに「のとてまり」が希少な椎茸であるかがわかります。

就農3年目の室木芳憲氏は、穴水町のハウス3棟に5,500本の原木を管理しています。収穫期の作業は朝7時から夜7時まで。「のとてまり」の候補として出せるのは、最盛期で週に60個ほどとのこと。やはり一筋縄ではいきません。
「この3年間でも、収穫量は年によって随分と違いました。今年はまずまずですが、昨年は厳しかった。気温や雨量などが影響しているようですが、そのメカニズムは謎が多く、まだまだ経験が必要です。地道にやっていくしかないですね」と室木氏は穏やかに話します。


生産現場をつぶさに見た片折氏は、感慨深げ。
「菌床栽培(おが屑ブロックなどでの人工栽培)に比べて、原木栽培の椎茸の方が味も香りも圧倒的に濃くて食材としては格段に優れています。でも、原木栽培がこれほど大変とは知りませんでした。原木のほだ木は太いものだと15kgにもなるとか。それを森からハウスへ、ハウスから森へ何千本も移動させる重労働は聞いただけで気が遠くなります。『のと115』への愛着が一層強まりましたね」

大勢の生産者が産出した「のとてまり」は大きさが揃えられて箱詰めされる。この一箱にも、複数の農家の努力が詰まっている。

「のとてまり」は同じ大きさの箱に、大きさ別に詰められ、8玉入り、6玉入り、5玉入り、3玉入りの4種で出荷される。


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名酒を生む名手たるゆえん。最強チームに加わる最後の武者修業。

最後の「武者修業」先、『新政』にて感謝の祈りを捧げる松本日出彦氏。「酒造りだけではなく、それを取り巻く地域や環境との共存、自然の偉大さを学びました。そして、人としてどうそれと介在し、生きていくのか。生涯を通して考え続けなければいけないことなのだと思います」。

HIDEHIKO MATSUMOTO「新政」の厳格なルールのもと、松本日出彦が介在する意味は何か。

2021年2月より密着している松本日出彦氏の武者修業。

滋賀『富田酒造』、熊本『花の香酒造』、福岡『白糸酒造』、栃木『仙禽』と巡り、最後の蔵は、全ての酒造りおいて生酛を採用する秋田の『新政酒造』(以下、新政)です。

2021年4月。この日の仕込みは、蒸したお米を冷却する埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業。速醸造りであれば、一気に冷却しますが、生酛造りは一足飛びにはいきません。米の表面を適度に乾かし、ひと晩じっくり保湿しながら米を寝かせます。この工程は、今後の米の溶け具合に影響するため、重要な作業のひとつ。以後、半切桶に籠らせ、冷やしたそれを翌日に手で混ぜていきます。

生酛造りは複雑な発酵を操るため、多くの知識が必要な製法です。また、速醸酒母と比較にはならないほどの労力がかかります。しかしこれらの労力は、簡単に機械にとって代えられるようなものではありません。

添加物や最新の醸造機器などから距離をとり、ただひたすらに生酛製法の真髄を継承し、品質を向上させるため『新政』では常に試行錯誤が行われています。

「地元の水をどう活かしていけるのか。そこを大事にしています。生酛の際は何日も置いた水を使ったり、色々なアイディアを取り入れて挑戦しています」と話すのは、蔵人の福本芳鷹氏です。福本氏は、生粋の蔵人ではなく、北海道札幌の名店『鮨 一幸』出身。異例の人物です。しかし、『新政』を提供する側にいた貴重な知見は、酒造りに活かされています。

そして、水の扱い方は米の扱い方にもつながります。

「蒸した米をひと晩じっくり冷やし、半切桶に仕込み、寄部屋(よせべや)と呼ばれる空間で籠らせます。1日2回手で混ぜ、寝かし、低温で雑菌の活動を鈍らせながら水に含まれる硝酸を還元し、更に不要な微生物を死滅させるための亜硝酸を生み出します。使用する仕込み水には、役目を終えた木桶の破片を漬け、それを“継ぎ足し”ながら使用しています」と酛屋の佐々木 公太氏。

生酛造りにおいて重要な「硝酸還元菌」と呼ばれるそれは、またの名を「亜硝酸生成菌」とも言い、仕込み水に木桶の破片を漬ける理由は「木の穴や隙間、凹凸に、亜硝酸が住み着く環境を作るため」と佐々木氏。加えて、まるで秘伝のタレのような「継ぎ足し」という水の発想においても『新政』独自の着眼とも言えます。

「良い水を他所から引っ張ってくるのではなく、地元の水を最大限良くしていくために知恵を絞るという行為は、人が自然に介在する意味があると思います」と松本氏。

別日、半切桶に寝かした米20kgに対して麹10kgを均一になるよう混ぜ合わせます。一見、シンプルな作業に見えますが、計30kgのそれを手で掻く作業は重労働。武者修業における最後の生酛造りに全身全霊で松本氏は取り組みます。

「自分と松本さんでは混ぜる回数や具合が異なるため、それだけでも味に変化が生まれると思います」と佐々木氏。

日本酒とは造り方だけでなく、人によって味が変わるのです。

その後、暖気部屋(だきべや)へ移し、乳酸菌を増殖させます。ここまでにかかる日数は、約2週間。次に酵母を増やすための部屋へ移し、酒母を造っていきます。作業をしやすいように個別に設計された3つの部屋を通してそれを成すも、伝統の酒造りを独自のやり方で創造していく姿は、生酛造り、もとい、『新政』造りと言って良いでしょう。

『新政』の酒造りは、厳格なルールのもと、成り立っています。そこに「武者修業」だからというイレギュラーや特例はありません。与えられた環境の中、何を学び、何を得て、何を造るのか。

全ては、松本日出彦次第。

もくもくと立ち上がる湯気。周囲は蒸し立ての米の香りが充満し、蔵人たちが戦闘態勢に入る。

「水の温度、米の状態、両者を見極め、132%吸わせた米を蒸してる最中に9%吸わせて、141%に……」など、本日の蒸米に関して議論する福本芳鷹氏(左)と松本氏(右)。

切り返しを行い、蒸し立ての米に空気を含ませ、温度を下げていく。

切り返しをした米は、ひと晩寝かせてから、寄部屋(よせべや)へ仕込む。

「『新政』の洗米機は、先端の機器。細かいジェット噴射が精度の高い洗米を手伝います」と松本氏。

この日は、10.5度の水にひと袋17分漬け、洗米した米に水を36%吸わせる。

埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業を行う酛屋の佐々木 公太氏(奥)と松本氏(手前)。「2014年から生酛造りに舵を切りましたが、うまく行かないことも多かったです。工夫を繰り返しながら、ようやく近年では安定的に造れるようになりました」と佐々木氏。

寄部屋に仕込んだ半切桶に合わせる酛。表面を適度に乾かし、保湿しながら米を寝かせる。この作業によって米の溶け具合が変わり、今後の作業に影響する。

継ぎ足し継ぎ足しをしている仕込み水。中には、使わなくなった木桶の破片を漬ける。

半切桶に寝かした米20kgに対し、麹10kgを均一になるよう、仕込み水を加えながら混ぜ合わせていく。

仕込みを終えたら、寄せて寝かせる。寄部屋との名称はこれに由来するも、業界用語ではなく『新政』用語。

仕込み終えた半切桶。これからどんな化学反応を起こすのか、期待が高まる。

HIDEHIKO MATSUMOTO自社圃場を持つ意義。酒造りを通して地域を発展させる。

蔵のある秋田県秋田市大町から車で走ること約1時間。同市内河辺の鵜養(うやしない)に『新政』は自社圃場を保有しています。

「酒米の郷」にすべく地元農家にも協力を仰ぎ、無農薬栽培を実現。2015年から始まり、現在の面積は32町歩(約32ha)にも及びます。それを担う酒米責任者の古関 弘氏は、元醸造責任者という驚愕のコンバート。蔵の中で酒造りをしていた時代は、生酛造りや木桶の採用へ転換する改革を8代目蔵元・佐藤祐輔氏とともに取り組み、今の『新政』の礎を築きました。

「醸造責任者は言わば杜氏。責任のある立場の方が米を作るということは、農家さんにとっても『新政』が本気だということの意思表示になると思います。加えて、この活動は、酒造りだけではなく、地域の発展はもちろん、美しい日本の田園風景を守ることにもなり、生態系を維持することにもつながります」と松本氏。

「稲を育てることによって微生物の循環を再生させ、田んぼが乾き切ってしまったがために細くなってしまった自然の生育サイクルを太くさせてあげたいなと思っています」と古関氏。

田園風景が広がる中には、かつて不耕地帯だった田んぼもありましたが、約4年かけて地道に育て、今では一番収穫できるまでに。

育てる米は、陸羽(りくう)132号を始め、酒こまち、美郷錦の3種。主である陸羽は、童話作家・宮沢賢治が推奨していた水稲品種であり、約100年前に秋田県大曲市にて育種開発されたもの。親に「亀の尾」と「愛国」を持つことから「愛亀」の愛称としても親しまれています。

「(佐藤)祐輔さんは、“自分たちの目が行き届く範囲やこだわって田んぼを始めるには、このサイズがちょうど良いが、盆地で湿気が溜まりやすく、正直、栽培には適していない”とおっしゃっていました。(前述の)仕込み水の追求の仕方しかり、もともとあるベストな環境に乗るではなく、例え負の要素があったとしても、自分たちの工夫と努力を添えればベストな環境を作れるという発想から理想に持っていくのは、実に『新政』らしく、そのイズムはチームにも受け継がれていると思います」と松本氏。

では、この土地が勝負できると感じたものは何か? それは、水でした。


「上流に何もないため、水が美しく、無農薬に適していると思いました。それに、必ずしも良い環境が良いものを生むとは限らないと思います。例えば、シャンパーニュ地方は寒く、湿気も多い。加えて、雪も降ります。しかし、そんな環境でも素晴らしい造り手はいますし、オーガニック栽培をするワイナリーもあります。負の要素を好転させ、価値を持たせることができるか否かは人の問題」と佐藤氏。

「ワインを愛する前に土地を愛せ」と、謳われているかは知らずとも、シャンパーニュ地方にこだわるからこそ、愛するからこそ、造り手はシャンパーニュに夢を見るのかもしれません。

祐輔さんのおっしゃる通り、近くには大又川が流れ、斜面から湧き出す水は土地が持つ豊かな恵みを象徴しています。水量もふんだん、透明度も高く、悠々と泳ぐイワナを見れば、良質な清流だということは言うまでもありません。日本酒は米と水からできていますが、その水は仕込み水だけに限りません。こうして米が育つ水もまた酒造りの水。米を造るということは水を守ること、山を守ることにつながります。今回、さまざまの蔵を回って、蔵の中だけでなく、蔵の外、環境を体感できたことは、本当に学びになっています」と松本氏。

松本氏が言う「山を守ること」は、木桶を自社で造る構想を持つ稀有な『新政』にとって深く向き合ってきた環境問題でもあります。

その中心人物は、設計士の相馬佳暁(よしあき)氏です。蒸米を広げる木製の作業台、更には麹室や木桶蔵まで設計をしています。

「自分は、大阪の木桶職人に教えていただきました。実は、今年もその方のもとへ修業に行ってきます。大阪で作っているため、素材は吉野杉ですが、『新政』の木桶の理想は、秋田で作り、秋田杉を使用することです。しかし、まず、木桶に使える杉は、約120年の樹齢がないと難しいと言われています。秋田県内では、それがほぼ国有林や保護地区にしかなく。これは農林水産省や国の許諾がないと伐採できないため、非常に難しい問題です。自社圃場を有する鵜養に木桶の制作工場も作りたいと思っており、色々、活動を進めているところです」と相馬氏。

米、水、道具など、ルーツも含め、全量秋田にこだわる『新政』の第1フェーズが生酛造りへの転換であれば、第2フェーズは自社圃場の保有。この木桶作りと製作工房の実現は、第3フェーズなのかもしれません。

「ステンレスや琺瑯を採用する蔵も多いですが、やはり酒造りの道具に木材は欠かせません。つまり、酒造りをすることは林業にも向き合うことになるのです。木桶作りまでを自社で行う『新政』であれば、なおのことダイレクトにそれと対峙することになります。国有林や保護地区と言えば一見聞こえは良いですが、数百年、数十年前に植えられた木は、必ずしも残し続けることが良いわけではありません。天災によって土砂崩れや倒木の恐れもあります。更には、風の抜けを妨げ、気候や環境を変えてしまうことすら起こってしまいます。現代においては、ほどよく伐採し、“植える”だけでなく“整える”必要があり、それは、今、生きる我々の責任だとも思います」と松本氏。

伐採され、姿形を変えても、正しい命を吹き込めば、木は新たな生き方を手に入れます。『新政』の木桶として生きる道は、必ずや正しいそれになるでしょう。

米、水、そして木。林業に松本氏がじっくり向き合うことができたのは、『新政』だからこそ。

良い酒は、良い酒造りだけにあらず。

良い地域造り、良い秋田造りこそ、『新政』にとって良い酒なのです。

松本氏は、4月(写真)と5月に田んぼを訪れ、土の状態と水を張った状態を観察。鵜養(うやしない)の環境について酒米責任者の古関 弘氏(左)から学ぶ、松本氏(右)

「以前は、沼のような状態のところもありました。土壌作りから始まりましたが、今では水捌けも良くなり、今年の米も楽しみです」と古関氏。努力の甲斐あり、今では美しい田園風景を成す。

大又川が流れる舟作と呼ばれるポイント。その由来は、川の流れによって掘って削られた岩盤の滝が舟の形をしていたことからその名が付いたと伝わる。

この土地の神様、「辺岨(へそ)神社」。「岩見神社」という由緒ある古社の境内に秋田の中心地=へそという意味を持って創設。「岩見神社」では、五穀豊穣などを願う湯立神事も執り行われる。松本氏もこれまでの各所への感謝及び武者修業の無事を祈願。

設計士の相馬佳暁(よしあき)氏(左)と松本氏(右)。木桶を通して環境問題について議論。「森林と向き合うことは行政と向き合うことにもつながります。色々課題は多いですが、土地とともに酒造りをしたい」と相馬氏。

高さ、直径ともに約2mの木桶。材を仕入れ、削り、組み立てる。木材を乾燥させるだけでも1年かかるため、その労力は計り知れないが、『新政』では、それを相馬氏がたったひとりで担う。

相馬氏は、『新政』の木製の道具も制作。それぞれ異なる職人を有する総合力こそ、『新政』の強み。

「良い酒だけ造るだけであれば、美味しいだけに留まってしまう。『新政』では、文化的価値を創造したい」と8代目蔵元・佐藤祐輔氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO価値ある酒とは何か。武者修業の解はそこにある。

「美味しい競争に興味はありません。自分は、文化的価値の高いお酒を目指しています」。そう語るのは、『新政』8代目蔵元・佐藤祐輔氏です。

そのために生酛造りへ転換し、木桶を採用し、米を全て秋田産に変え、自社圃場を構える変革をしてきました。前述、醸造責任者だった古関氏を酒米責任者へ就任させたことにおいても「農家さん“が”作る米ではなく、農家さん“と”作る米でなければいけない」と言葉を続けます。

農家さん“が”、農家さん“と”。言葉にすれば一文字異なるだけですが、その内容には大きな違いがあります。

ゆえに「自分で作る技術を得られる高い能力の人材が必要だった」のです。

この能力とは、仕事の能力だけでなく、人間の能力も指します。農家と阿吽の呼吸で作業を行うことや信頼関係を結ぶことは、それだけ難しいのです。

「祐輔さんの行動には、全て理由があり、全て当を得ている」と松本氏。

そのような哲学は、さまざまな基準や当たり前を見直す機会にもなります。

「例えば、吟醸酒は美味しい正解なのか? もちろん答えは正解ですが、それだけが日本酒の正解ではありません。精米歩合は判断基準のひとつですが、それが価格とイコールではありません。『新政』が採用している扁平精米は、米の中心部分である心白を残しながら不要を除去し、デンプンを残すことが可能なため、秋田産のお米には適しています。業界の正解は、各蔵の正解とは限らないのです。それぞれの土地にはそれぞれの特性があり、その特性を活かすことによって個性が生まれ、地酒が生まれるのです。蔵の数だけ味があり、土地があり、人がある」と松本氏。

酒を飲むのではなく、地域を飲む、風土を飲む、文化を飲む、そして人を飲む。

「我々の良くないところは、そういった伝え方をできていなかったこと」と佐藤氏は言うも、逆に飲み手は、そういった理解を得る心が必要とされます。つまりは、それが価格に比例されるべきであるも、ほぼ成されていないのが現状。生活圏で言えば、酒屋の陳列にも飲食店のメニューにも、そんな物語の記載を目にする機会は少ない。

自らやるしかない。その有志によって立ち上がったのが『一般社団法人 J.S.P』です。ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォームの頭文字から成るその団体の代表理事を務めるのも佐藤氏です。

「新型コロナウイルスによって、全てが一変してしまいました。緊急事態宣言や酒類の提供停止、自粛などによって飲食店への販路は、ほぼ皆無。ましてや、世界同時の難局なため、海外への輸出も絶たれてしまいました。自分も含め、酒を届けるタッチポイントを再考していかなければならない」と佐藤氏。

以前のタッチポイントは飲食店や酒屋でしたが、これから必要とすべきことは、直接、お客様と酒の関係性を結ぶ環境造りなのかもしれません。もっと追求すれば、酒の先にある地域、造り手などと結ばれることこそ理想形。

「タッチポイントという点では、『新政』のラベルはそれに一役買っているのではないでしょうか。芸術家、書道家、漫画家、グラフィックデザイナーなど、数々のクリエイターと協業することによって、これまで日本酒業界では得ることができなかった接点との結実、アプローチだと思います」と松本氏。

日本酒業界と比べてどうかではなく、他所のクリエイティブと比べてどうか。この価値基準の競争においては、良い効果を生むでしょう。

「僕は飽きっぽいので、すぐ変えちゃうんです。ラベルもそうですし、造りもそう。どんなに苦労して長い道のりをかけてたどり着いた味でも、ほぼ定番にはしない。これは成功したので、また次の挑戦をしましょうというタイプ」と佐藤氏が言う隣では「現場は大変ですよね(苦笑)」と松本氏。

飽き性とは、言い方を変えれば、あぐらをかかないこと。これは、歴史や伝統を盾に進化しない蔵では衰退してしまう危惧によるものなのかもしれません。

そういった意味も含んでか、佐藤氏は松本氏にこう話します。

「日出彦は、蔵を抜けて良かった」。

1852年(嘉永五年)に創業した『新政』。歴史や伝統に満足することなく、挑戦し続ける蔵としてその名を馳せる。

現存する市販清酒酵母中では最古となる「きょうかい6号」の発祥蔵『新政』。1号から5号までは、西日本で生まれたが、6号は1930年(昭和5年)に『新政』のもろみから分離され、誕生。

今回、松本氏とともに造るのは「ラピス」。東北を代表する酒米「美山錦」の性質を良く表しながらも軽快な酒質に仕上げる定番作品。『新政』の基本的な味わいを表現する「定点観測」的なモデルでもある。

HIDEHIKO MATSUMOTO何のしがらみもない中、思いっきり酒を造れ。

2020年末、様々な事情によって松本氏は自身の蔵を離れることになり、この「武者修業」は始まりました。当時、佐藤氏は松本氏にすぐに連絡し、色々思いを伝えるも、その声は震えていました。怒り、悔しさ、悲しみ、様々込み上げる感情は、言葉に表すことはできません。

「色々なやり方で残ることもできたかもしれない。もしくは、残った方が楽だったかもしれない。でも、そこに自分が信じる日本酒があるかと言えば、なかったかもしれません。別のものを造らなければいけないのであれば、ゼロから始めて、自分が信じるものを造った方が日出彦らしい。造りたいものを造る。一見シンプルなようだけど、造り手にとってこれほど幸せなことはない」と佐藤氏。

「守るべきものは、たくさんあると思うのですが、本当に守らなければいけないものは、土地や建物ではなく、日本酒を造る魂。一度は、それを失いかけましたが、祐輔さんを始め、みんなに支えられて大事なものを失わずに済みました」と松本氏。

今回の「武者修業」は、蔵や職人同士の付き合いだから始まったものではありません。ましてや情けや助けでもありません。これまで培ってきた人と人との絆が衝動的に心を動かした結果論なのだと思います。

また、「武者修業」で得たことは、もしかしたら蔵の中で得たことよりも、蔵の外で得たことの方が大きく作用したかもしれません。

酒造りだけではない環境への配慮。地域や自然との対峙。向き合うべき問題や課題。磨くべきは技術よりも心。そして、職人である前にひとりの人間としてどうあるべきか……。

松本日出彦の酒造りとは何か? 日本酒とは何か?

それは「生き方」。

その証は、きっと厳格なルールのもと造られた『新政』の酒にも息づいているに違いないと信じます。

これから先、松本氏がどうなるか分かりません。しかし、皆が望んでいることはただひとつ。

「思いっきり酒を造れ」。

『ONESTORY』は、もう少し松本日出彦を追いかけたいと思います。

 各蔵で手を撮り続けた今回の「武者修業」。当初「酒造りをしている時は手が硬い。酒造りができていない今の手は、柔らかい。シーズン中にこんな自分の手を見るのはいつぶりだろうか……」と話していたが、最後は職人の手になれたか!?

「コロナ禍もあり、今までの100年とこれからの100年は、全く違う100年。これからの日本酒業界も変わらなければいけない」と佐藤氏(右)と松本氏(左)。

住所:秋田県秋田市大町6-2-35 MAP
TEL:018-823-6407
http://www.aramasa.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

名酒を生む名手たるゆえん。最強チームに加わる最後の武者修業。

最後の「武者修業」先、『新政』にて感謝の祈りを捧げる松本日出彦氏。「酒造りだけではなく、それを取り巻く地域や環境との共存、自然の偉大さを学びました。そして、人としてどうそれと介在し、生きていくのか。生涯を通して考え続けなければいけないことなのだと思います」。

HIDEHIKO MATSUMOTO「新政」の厳格なルールのもと、松本日出彦が介在する意味は何か。

2021年2月より密着している松本日出彦氏の武者修業。

滋賀『富田酒造』、熊本『花の香酒造』、福岡『白糸酒造』、栃木『仙禽』と巡り、最後の蔵は、全ての酒造りおいて生酛を採用する秋田の『新政酒造』(以下、新政)です。

2021年4月。この日の仕込みは、蒸したお米を冷却する埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業。速醸造りであれば、一気に冷却しますが、生酛造りは一足飛びにはいきません。米の表面を適度に乾かし、ひと晩じっくり保湿しながら米を寝かせます。この工程は、今後の米の溶け具合に影響するため、重要な作業のひとつ。以後、半切桶に籠らせ、冷やしたそれを翌日に手で混ぜていきます。

生酛造りは複雑な発酵を操るため、多くの知識が必要な製法です。また、速醸酒母と比較にはならないほどの労力がかかります。しかしこれらの労力は、簡単に機械にとって代えられるようなものではありません。

添加物や最新の醸造機器などから距離をとり、ただひたすらに生酛製法の真髄を継承し、品質を向上させるため『新政』では常に試行錯誤が行われています。

「地元の水をどう活かしていけるのか。そこを大事にしています。生酛の際は何日も置いた水を使ったり、色々なアイディアを取り入れて挑戦しています」と話すのは、蔵人の福本芳鷹氏です。福本氏は、生粋の蔵人ではなく、北海道札幌の名店『鮨 一幸』出身。異例の人物です。しかし、『新政』を提供する側にいた貴重な知見は、酒造りに活かされています。

そして、水の扱い方は米の扱い方にもつながります。

「蒸した米をひと晩じっくり冷やし、半切桶に仕込み、寄部屋(よせべや)と呼ばれる空間で籠らせます。1日2回手で混ぜ、寝かし、低温で雑菌の活動を鈍らせながら水に含まれる硝酸を還元し、更に不要な微生物を死滅させるための亜硝酸を生み出します。使用する仕込み水には、役目を終えた木桶の破片を漬け、それを“継ぎ足し”ながら使用しています」と酛屋の佐々木 公太氏。

生酛造りにおいて重要な「硝酸還元菌」と呼ばれるそれは、またの名を「亜硝酸生成菌」とも言い、仕込み水に木桶の破片を漬ける理由は「木の穴や隙間、凹凸に、亜硝酸が住み着く環境を作るため」と佐々木氏。加えて、まるで秘伝のタレのような「継ぎ足し」という水の発想においても『新政』独自の着眼とも言えます。

「良い水を他所から引っ張ってくるのではなく、地元の水を最大限良くしていくために知恵を絞るという行為は、人が自然に介在する意味があると思います」と松本氏。

別日、半切桶に寝かした米20kgに対して麹10kgを均一になるよう混ぜ合わせます。一見、シンプルな作業に見えますが、計30kgのそれを手で掻く作業は重労働。武者修業における最後の生酛造りに全身全霊で松本氏は取り組みます。

「自分と松本さんでは混ぜる回数や具合が異なるため、それだけでも味に変化が生まれると思います」と佐々木氏。

日本酒とは造り方だけでなく、人によって味が変わるのです。

その後、暖気部屋(だきべや)へ移し、乳酸菌を増殖させます。ここまでにかかる日数は、約2週間。次に酵母を増やすための部屋へ移し、酒母を造っていきます。作業をしやすいように個別に設計された3つの部屋を通してそれを成すも、伝統の酒造りを独自のやり方で創造していく姿は、生酛造り、もとい、『新政』造りと言って良いでしょう。

『新政』の酒造りは、厳格なルールのもと、成り立っています。そこに「武者修業」だからというイレギュラーや特例はありません。与えられた環境の中、何を学び、何を得て、何を造るのか。

全ては、松本日出彦次第。

もくもくと立ち上がる湯気。周囲は蒸し立ての米の香りが充満し、蔵人たちが戦闘態勢に入る。

「水の温度、米の状態、両者を見極め、132%吸わせた米を蒸してる最中に9%吸わせて、141%に……」など、本日の蒸米に関して議論する福本芳鷹氏(左)と松本氏(右)。

切り返しを行い、蒸し立ての米に空気を含ませ、温度を下げていく。

切り返しをした米は、ひと晩寝かせてから、寄部屋(よせべや)へ仕込む。

「『新政』の洗米機は、先端の機器。細かいジェット噴射が精度の高い洗米を手伝います」と松本氏。

この日は、10.5度の水にひと袋17分漬け、洗米した米に水を36%吸わせる。

埋け飯(いけめし)と呼ばれる作業を行う酛屋の佐々木 公太氏(奥)と松本氏(手前)。「2014年から生酛造りに舵を切りましたが、うまく行かないことも多かったです。工夫を繰り返しながら、ようやく近年では安定的に造れるようになりました」と佐々木氏。

寄部屋に仕込んだ半切桶に合わせる酛。表面を適度に乾かし、保湿しながら米を寝かせる。この作業によって米の溶け具合が変わり、今後の作業に影響する。

継ぎ足し継ぎ足しをしている仕込み水。中には、使わなくなった木桶の破片を漬ける。

半切桶に寝かした米20kgに対し、麹10kgを均一になるよう、仕込み水を加えながら混ぜ合わせていく。

仕込みを終えたら、寄せて寝かせる。寄部屋との名称はこれに由来するも、業界用語ではなく『新政』用語。

仕込み終えた半切桶。これからどんな化学反応を起こすのか、期待が高まる。

HIDEHIKO MATSUMOTO自社圃場を持つ意義。酒造りを通して地域を発展させる。

蔵のある秋田県秋田市大町から車で走ること約1時間。同市内河辺の鵜養(うやしない)に『新政』は自社圃場を保有しています。

「酒米の郷」にすべく地元農家にも協力を仰ぎ、無農薬栽培を実現。2015年から始まり、現在の面積は32町歩(約32ha)にも及びます。それを担う酒米責任者の古関 弘氏は、元醸造責任者という驚愕のコンバート。蔵の中で酒造りをしていた時代は、生酛造りや木桶の採用へ転換する改革を8代目蔵元・佐藤祐輔氏とともに取り組み、今の『新政』の礎を築きました。

「醸造責任者は言わば杜氏。責任のある立場の方が米を作るということは、農家さんにとっても『新政』が本気だということの意思表示になると思います。加えて、この活動は、酒造りだけではなく、地域の発展はもちろん、美しい日本の田園風景を守ることにもなり、生態系を維持することにもつながります」と松本氏。

「稲を育てることによって微生物の循環を再生させ、田んぼが乾き切ってしまったがために細くなってしまった自然の生育サイクルを太くさせてあげたいなと思っています」と古関氏。

田園風景が広がる中には、かつて不耕地帯だった田んぼもありましたが、約4年かけて地道に育て、今では一番収穫できるまでに。

育てる米は、陸羽(りくう)132号を始め、酒こまち、美郷錦の3種。主である陸羽は、童話作家・宮沢賢治が推奨していた水稲品種であり、約100年前に秋田県大曲市にて育種開発されたもの。親に「亀の尾」と「愛国」を持つことから「愛亀」の愛称としても親しまれています。

「(佐藤)祐輔さんは、“自分たちの目が行き届く範囲やこだわって田んぼを始めるには、このサイズがちょうど良いが、盆地で湿気が溜まりやすく、正直、栽培には適していない”とおっしゃっていました。(前述の)仕込み水の追求の仕方しかり、もともとあるベストな環境に乗るではなく、例え負の要素があったとしても、自分たちの工夫と努力を添えればベストな環境を作れるという発想から理想に持っていくのは、実に『新政』らしく、そのイズムはチームにも受け継がれていると思います」と松本氏。

では、この土地が勝負できると感じたものは何か? それは、水でした。


「上流に何もないため、水が美しく、無農薬に適していると思いました。それに、必ずしも良い環境が良いものを生むとは限らないと思います。例えば、シャンパーニュ地方は寒く、湿気も多い。加えて、雪も降ります。しかし、そんな環境でも素晴らしい造り手はいますし、オーガニック栽培をするワイナリーもあります。負の要素を好転させ、価値を持たせることができるか否かは人の問題」と佐藤氏。

「ワインを愛する前に土地を愛せ」と、謳われているかは知らずとも、シャンパーニュ地方にこだわるからこそ、愛するからこそ、造り手はシャンパーニュに夢を見るのかもしれません。

祐輔さんのおっしゃる通り、近くには大又川が流れ、斜面から湧き出す水は土地が持つ豊かな恵みを象徴しています。水量もふんだん、透明度も高く、悠々と泳ぐイワナを見れば、良質な清流だということは言うまでもありません。日本酒は米と水からできていますが、その水は仕込み水だけに限りません。こうして米が育つ水もまた酒造りの水。米を造るということは水を守ること、山を守ることにつながります。今回、さまざまの蔵を回って、蔵の中だけでなく、蔵の外、環境を体感できたことは、本当に学びになっています」と松本氏。

松本氏が言う「山を守ること」は、木桶を自社で造る構想を持つ稀有な『新政』にとって深く向き合ってきた環境問題でもあります。

その中心人物は、設計士の相馬佳暁(よしあき)氏です。蒸米を広げる木製の作業台、更には麹室や木桶蔵まで設計をしています。

「自分は、大阪の木桶職人に教えていただきました。実は、今年もその方のもとへ修業に行ってきます。大阪で作っているため、素材は吉野杉ですが、『新政』の木桶の理想は、秋田で作り、秋田杉を使用することです。しかし、まず、木桶に使える杉は、約120年の樹齢がないと難しいと言われています。秋田県内では、それがほぼ国有林や保護地区にしかなく。これは農林水産省や国の許諾がないと伐採できないため、非常に難しい問題です。自社圃場を有する鵜養に木桶の制作工場も作りたいと思っており、色々、活動を進めているところです」と相馬氏。

米、水、道具など、ルーツも含め、全量秋田にこだわる『新政』の第1フェーズが生酛造りへの転換であれば、第2フェーズは自社圃場の保有。この木桶作りと製作工房の実現は、第3フェーズなのかもしれません。

「ステンレスや琺瑯を採用する蔵も多いですが、やはり酒造りの道具に木材は欠かせません。つまり、酒造りをすることは林業にも向き合うことになるのです。木桶作りまでを自社で行う『新政』であれば、なおのことダイレクトにそれと対峙することになります。国有林や保護地区と言えば一見聞こえは良いですが、数百年、数十年前に植えられた木は、必ずしも残し続けることが良いわけではありません。天災によって土砂崩れや倒木の恐れもあります。更には、風の抜けを妨げ、気候や環境を変えてしまうことすら起こってしまいます。現代においては、ほどよく伐採し、“植える”だけでなく“整える”必要があり、それは、今、生きる我々の責任だとも思います」と松本氏。

伐採され、姿形を変えても、正しい命を吹き込めば、木は新たな生き方を手に入れます。『新政』の木桶として生きる道は、必ずや正しいそれになるでしょう。

米、水、そして木。林業に松本氏がじっくり向き合うことができたのは、『新政』だからこそ。

良い酒は、良い酒造りだけにあらず。

良い地域造り、良い秋田造りこそ、『新政』にとって良い酒なのです。

松本氏は、4月(写真)と5月に田んぼを訪れ、土の状態と水を張った状態を観察。鵜養(うやしない)の環境について酒米責任者の古関 弘氏(左)から学ぶ、松本氏(右)

「以前は、沼のような状態のところもありました。土壌作りから始まりましたが、今では水捌けも良くなり、今年の米も楽しみです」と古関氏。努力の甲斐あり、今では美しい田園風景を成す。

大又川が流れる舟作と呼ばれるポイント。その由来は、川の流れによって掘って削られた岩盤の滝が舟の形をしていたことからその名が付いたと伝わる。

この土地の神様、「辺岨(へそ)神社」。「岩見神社」という由緒ある古社の境内に秋田の中心地=へそという意味を持って創設。「岩見神社」では、五穀豊穣などを願う湯立神事も執り行われる。松本氏もこれまでの各所への感謝及び武者修業の無事を祈願。

設計士の相馬佳暁(よしあき)氏(左)と松本氏(右)。木桶を通して環境問題について議論。「森林と向き合うことは行政と向き合うことにもつながります。色々課題は多いですが、土地とともに酒造りをしたい」と相馬氏。

高さ、直径ともに約2mの木桶。材を仕入れ、削り、組み立てる。木材を乾燥させるだけでも1年かかるため、その労力は計り知れないが、『新政』では、それを相馬氏がたったひとりで担う。

相馬氏は、『新政』の木製の道具も制作。それぞれ異なる職人を有する総合力こそ、『新政』の強み。

「良い酒だけ造るだけであれば、美味しいだけに留まってしまう。『新政』では、文化的価値を創造したい」と8代目蔵元・佐藤祐輔氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO価値ある酒とは何か。武者修業の解はそこにある。

「美味しい競争に興味はありません。自分は、文化的価値の高いお酒を目指しています」。そう語るのは、『新政』8代目蔵元・佐藤祐輔氏です。

そのために生酛造りへ転換し、木桶を採用し、米を全て秋田産に変え、自社圃場を構える変革をしてきました。前述、醸造責任者だった古関氏を酒米責任者へ就任させたことにおいても「農家さん“が”作る米ではなく、農家さん“と”作る米でなければいけない」と言葉を続けます。

農家さん“が”、農家さん“と”。言葉にすれば一文字異なるだけですが、その内容には大きな違いがあります。

ゆえに「自分で作る技術を得られる高い能力の人材が必要だった」のです。

この能力とは、仕事の能力だけでなく、人間の能力も指します。農家と阿吽の呼吸で作業を行うことや信頼関係を結ぶことは、それだけ難しいのです。

「祐輔さんの行動には、全て理由があり、全て当を得ている」と松本氏。

そのような哲学は、さまざまな基準や当たり前を見直す機会にもなります。

「例えば、吟醸酒は美味しい正解なのか? もちろん答えは正解ですが、それだけが日本酒の正解ではありません。精米歩合は判断基準のひとつですが、それが価格とイコールではありません。『新政』が採用している扁平精米は、米の中心部分である心白を残しながら不要を除去し、デンプンを残すことが可能なため、秋田産のお米には適しています。業界の正解は、各蔵の正解とは限らないのです。それぞれの土地にはそれぞれの特性があり、その特性を活かすことによって個性が生まれ、地酒が生まれるのです。蔵の数だけ味があり、土地があり、人がある」と松本氏。

酒を飲むのではなく、地域を飲む、風土を飲む、文化を飲む、そして人を飲む。

「我々の良くないところは、そういった伝え方をできていなかったこと」と佐藤氏は言うも、逆に飲み手は、そういった理解を得る心が必要とされます。つまりは、それが価格に比例されるべきであるも、ほぼ成されていないのが現状。生活圏で言えば、酒屋の陳列にも飲食店のメニューにも、そんな物語の記載を目にする機会は少ない。

自らやるしかない。その有志によって立ち上がったのが『一般社団法人 J.S.P』です。ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォームの頭文字から成るその団体の代表理事を務めるのも佐藤氏です。

「新型コロナウイルスによって、全てが一変してしまいました。緊急事態宣言や酒類の提供停止、自粛などによって飲食店への販路は、ほぼ皆無。ましてや、世界同時の難局なため、海外への輸出も絶たれてしまいました。自分も含め、酒を届けるタッチポイントを再考していかなければならない」と佐藤氏。

以前のタッチポイントは飲食店や酒屋でしたが、これから必要とすべきことは、直接、お客様と酒の関係性を結ぶ環境造りなのかもしれません。もっと追求すれば、酒の先にある地域、造り手などと結ばれることこそ理想形。

「タッチポイントという点では、『新政』のラベルはそれに一役買っているのではないでしょうか。芸術家、書道家、漫画家、グラフィックデザイナーなど、数々のクリエイターと協業することによって、これまで日本酒業界では得ることができなかった接点との結実、アプローチだと思います」と松本氏。

日本酒業界と比べてどうかではなく、他所のクリエイティブと比べてどうか。この価値基準の競争においては、良い効果を生むでしょう。

「僕は飽きっぽいので、すぐ変えちゃうんです。ラベルもそうですし、造りもそう。どんなに苦労して長い道のりをかけてたどり着いた味でも、ほぼ定番にはしない。これは成功したので、また次の挑戦をしましょうというタイプ」と佐藤氏が言う隣では「現場は大変ですよね(苦笑)」と松本氏。

飽き性とは、言い方を変えれば、あぐらをかかないこと。これは、歴史や伝統を盾に進化しない蔵では衰退してしまう危惧によるものなのかもしれません。

そういった意味も含んでか、佐藤氏は松本氏にこう話します。

「日出彦は、蔵を抜けて良かった」。

1852年(嘉永五年)に創業した『新政』。歴史や伝統に満足することなく、挑戦し続ける蔵としてその名を馳せる。

現存する市販清酒酵母中では最古となる「きょうかい6号」の発祥蔵『新政』。1号から5号までは、西日本で生まれたが、6号は1930年(昭和5年)に『新政』のもろみから分離され、誕生。

今回、松本氏とともに造るのは「ラピス」。東北を代表する酒米「美山錦」の性質を良く表しながらも軽快な酒質に仕上げる定番作品。『新政』の基本的な味わいを表現する「定点観測」的なモデルでもある。

HIDEHIKO MATSUMOTO何のしがらみもない中、思いっきり酒を造れ。

2020年末、様々な事情によって松本氏は自身の蔵を離れることになり、この「武者修業」は始まりました。当時、佐藤氏は松本氏にすぐに連絡し、色々思いを伝えるも、その声は震えていました。怒り、悔しさ、悲しみ、様々込み上げる感情は、言葉に表すことはできません。

「色々なやり方で残ることもできたかもしれない。もしくは、残った方が楽だったかもしれない。でも、そこに自分が信じる日本酒があるかと言えば、なかったかもしれません。別のものを造らなければいけないのであれば、ゼロから始めて、自分が信じるものを造った方が日出彦らしい。造りたいものを造る。一見シンプルなようだけど、造り手にとってこれほど幸せなことはない」と佐藤氏。

「守るべきものは、たくさんあると思うのですが、本当に守らなければいけないものは、土地や建物ではなく、日本酒を造る魂。一度は、それを失いかけましたが、祐輔さんを始め、みんなに支えられて大事なものを失わずに済みました」と松本氏。

今回の「武者修業」は、蔵や職人同士の付き合いだから始まったものではありません。ましてや情けや助けでもありません。これまで培ってきた人と人との絆が衝動的に心を動かした結果論なのだと思います。

また、「武者修業」で得たことは、もしかしたら蔵の中で得たことよりも、蔵の外で得たことの方が大きく作用したかもしれません。

酒造りだけではない環境への配慮。地域や自然との対峙。向き合うべき問題や課題。磨くべきは技術よりも心。そして、職人である前にひとりの人間としてどうあるべきか……。

松本日出彦の酒造りとは何か? 日本酒とは何か?

それは「生き方」。

その証は、きっと厳格なルールのもと造られた『新政』の酒にも息づいているに違いないと信じます。

これから先、松本氏がどうなるか分かりません。しかし、皆が望んでいることはただひとつ。

「思いっきり酒を造れ」。

『ONESTORY』は、もう少し松本日出彦を追いかけたいと思います。

 各蔵で手を撮り続けた今回の「武者修業」。当初「酒造りをしている時は手が硬い。酒造りができていない今の手は、柔らかい。シーズン中にこんな自分の手を見るのはいつぶりだろうか……」と話していたが、最後は職人の手になれたか!?

「コロナ禍もあり、今までの100年とこれからの100年は、全く違う100年。これからの日本酒業界も変わらなければいけない」と佐藤氏(右)と松本氏(左)。

住所:秋田県秋田市大町6-2-35 MAP
TEL:018-823-6407
http://www.aramasa.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

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生産者の想いは熱く、その味は洗練の極みに。珠玉の石川食材、めくるめく。[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

OVERVIEW

北陸、石川。

日本海沿岸、本州のほぼ中央に位置する石川県の形を、思い浮かべることはできますか?
南北約200kmに細長く伸びる縦長の県土は、南部には広大な原生林と共に屹立する霊峰白山を擁し、北部は能登半島となって日本海に突き出ています。

荒波に削られた岩礁と断崖が続く能登外浦。それとは対照的に穏やかな能登湾に臨む能登内浦。多様な自然資源に恵まれた能登の里山里海は、土地の環境や生物多様性を生かした農業、農村景観が維持されている地として世界農業遺産に認定されました。今も息づく農村文化は、世界からの注目の的です。
白山に降り注いだ雨は河川となって広範囲に栄養豊富な水をもたらし、加賀平野や手取川扇状地など肥沃な穀倉地帯が形成されています。
クルマで、電車で、小一時間も移動してみると、きっと気づくはずです。海、山、川、平野が織りなす千変万化の風景に、石川がいかに多様な表情を持っているかを。

多彩な石川の風土は、実に多様な農産品を生み出してきました。

ブランド椎茸の最高峰との呼び声も高い「のとてまり」。
希少性と高い品質で注目高まる幻のブランド牛「能登牛」。
満を持して醸造が始まった石川県オリジナルの酒米「百万石乃白」。
“石川の宝”とも称される高級ぶどう「ルビーロマン」。

今回、『ONESTORY』では、フードキュレーター・宮内隼人が、数々の石川の味覚からあらためて、これら4つの逸品に着目。究極の地産地消を実現する金沢市の日本料理店「片折」の片折卓矢氏、最も注目を集めるイノベーティブレストランの一店である小松市の「SHÓKUDŌ YArn(ショクドウヤーン)」の米田裕二氏、日本が誇るトップソムリエである「An Di(アンディ)」の大越基裕氏、世界的パティシエとして知られる「Mont St.Clair(モンサンクレール)」の辻口博啓氏、4人の食のスペシャリストと一緒に、4つの食材の知られざる魅力を徹底追求していきます。

さあ、のぞいてみましょう、深淵なる石川食材の世界を。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

これまでにない圧倒的な旨さ。ネクストレベルの和牛を求めて、能登牛の進化、着々と。後編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

『能登牧場』専務の平林将氏(左)とONESTORYフードキュレーター宮内隼人(右)

能登牛兵庫系の旨い肉質と鳥取系の体格のよさを兼ね備えた能登牛。

石川県のブランド和牛「能登牛(のとうし)」は、1995年に「能登牛銘柄推進協議会」による認定制度がスタートした、ブランド和牛としては比較的新しい銘柄です。しかし、そのルーツは、明治期にまで遡るといいます。能登半島の日本海側である外浦一帯で製塩業が発展したのに伴い、大量に必要となった薪を搬出するための役牛を繁殖したのが始まりとされています。明治時代に兵庫県但馬地方から、大正時代に鳥取県から種牛が導入されて掛け合わされ、農耕を目的として四肢とりわけ前脚が屈強な牛が繁殖されていきました。種牛の導入は毎年計画的に行われていましたが、昭和初期、霜降りが入った上質な肉ができる資質型の兵庫系と、体が大きくなる体積型の鳥取系を交配した和牛一代雑種が、資質と体積を両立した和牛として生産が推奨されるようになりました。さらに交雑を進めたところ、体積は当初より小さくなり、霜降りも若干少なくなったものの、肉質のよさは引き継がれ、他の有名ブランド和牛よりもサシが比較的少ない赤身であることが個性となり、一定の支持を得るようになっていったといいます。

外浦のほぼ中央、志賀町に拠点を構える『寺岡畜産グループ』は、能登牛の品揃えに強みをもつ精肉店や卸、直営レストランを展開する肉一筋の企業。1904年(明治37年)に創業した精肉店『寺岡精肉』を母体とする、能登の食肉の歴史と共に歩んできた会社です。代表取締役社長を務める寺岡才治氏に話をうかがいました。

「運送業などを営んでいた祖父が、明治時代に何を思ったか牛肉専門の肉屋を始めました。牛肉食は都会では広まっていたとはいえ、当時としては先進的だったでしょうね。1995年に能登牛と名乗るためのルールが策定されましたが、当社ではそれまでもずっと地元産の和牛の美味しさを伝えたいと、販売チャンネルの開拓はもちろん、繁殖にも取り組んできました。ノトウシではなくノトギュウと呼んでいましたけどね。今では能登牛の知名度はかなり上がりましたが、まだ流通量は少なく、県外からは“幻のブランド和牛”と言われることもあります」(寺岡氏)

能登牛の魅力はなんといっても脂の融点が低いことによる口溶けのよさ。寺岡氏は比較的サシが控えめで、くどさがなく、赤身の肉質や香りがよい点を高く評価しています。
「こんなに口当たりのいい、胃もたれしない牛肉はないですよ。かといってA5ランクのサーロインステーキを200g食べたら、さすがに誰でも飽きるでしょう。要は部位や霜降り具合に応じて適切な切り方、調理をすることが大切なんです。私たち販売者にもそれを啓蒙する責任があると考えて、能登牛を使った料理教室も積極的に開催しています。家庭の調理器具でもコツさえ掴めば驚くほど上手に焼けるし、能登牛入りの細切れを使えば、牛丼もびっくりするほど美味しくなる。各部位が相応の値段で無駄なく消費されれば、農家はコストをかけてより美味しい肉の生産に取り組める。その好循環をつくっていくことが大事なんです」(寺岡氏)

最後に、寺岡氏のおすすめの食べ方を聞きました。能登牛を知り尽くす男は一体どのようにして能登牛を味わっているのでしょう?
「私ですか? そりゃもう刺身ですね。シンプルに醤油か塩で。能登牛のもも肉の刺身は絶品です。焼肉の場合もそうですが、能登牛を食べる際は、ぜひいつも使っている調味料で召し上がっていただきたい。美味しさがはっきりとわかりますからね」と寺岡氏は微笑みました。

グループ企業の精肉店『寺岡精肉』にて『寺岡畜産』の寺岡才治社長。ハレの日のごちそうに欠かせない「てらおかさんのお肉」として地元民に愛されている。

能登牛穏やかな牛の表情が物語るストレスフリーの生育環境。

能登半島北東部の能登町。富山湾に面する内浦から内陸山間地へと標高を上げていくと、人里を離れた原生林の中に、ぽっかりと牧草地が広がる開放的なエリアが出現します。能登牛を肥育する『能登牧場』です。2014年開業と歴史は浅いが、石川・福井合同肉牛枝肉共励会では最高位のグランドチャンピオンを5年連続で獲得した実力派。石川・福井の両県からそれぞれ数十頭出品される牛が、重量や霜降り具合、光沢、肉質などが審査され、各県の最高賞である知事賞を選出。グランドチャンピオンは、その2頭のうちより優れた牛に与えられるもので、最高峰の能登牛を輩出した証しでもあります。同牧場専務の平林将氏に牛舎を案内していただきました。

現在飼養している牛は4棟の牛舎で約1100頭、2020年3月末に4棟目が完成しました。第一に心がけていることは、牛にストレスを与えないこと、「牛の生活している空間へお邪魔しているのだ」という気持ちを持つことだと話します。
「ひとつのユニットの広さが32㎡。そこで最大4頭を飼養します。農林水産省が推奨する基準は1頭あたり6㎡ですから、ゆとりあるスペースと言えるでしょう。スタッフ間で再三確認しているのは、大声を出さないこと。無闇に牛に触らないこと。走らないこと。どれも牛を刺激しないためです。そもそも必要がなければ、極力牛舎に立ち入らないようにしています。人間のことが好きな牛もいれば、嫌いな牛もいる。嫌いな牛にとっては、人間の姿が目に入るだけでストレスになりますから」(平林氏)

ONESTORYフードキュレーター宮内隼人は、牛舎内に漂う穏やかな空気を感じ取りました。全国各地の牧場を見てきた彼ですが、これほど臭いもなくクリーンな環境が保たれ、牛が静かに過ごしているのは珍しいと指摘します。牛たちがみなとてもやさしい顔をしていると。
「それはうれしいですね。確かに、劣悪な環境で育った牛は険しい顔になると言われています。うちの牛たちは、言い方は悪いけど、間抜けな表情のものが多い。でも、それはリラックスして過ごせている証拠だと判断しています」(平林氏)

牛舎は基本的に西から東へ吹く偏西風が抜けるように設計されている。気温34℃にもなる夏場でも、自然風と換気によって牛舎内は快適。

珍しい取材班の登場に、好奇心旺盛な牛たちが寄ってきた。極力刺激しないように配慮する。

平林氏はハットがトレードマーク。深いブルーのユニフォームがよく似合う。科学的根拠に職人の勘による知見も織り交ぜながら、飼養法を解説してくれる。

能登牛豪州とも米国とも違う、しっかりした味付けの狙いをもって育てる独自の肥育

平林氏の実家は、全国的にも名高い黒毛和牛牧場である群馬県『赤城畜産』。『能登牧場』と『赤城畜産』は資本関係のないグループ会社で、平林氏は『赤城畜産』で会計を担当するかたわら飼養管理の基本を習得し、『能登牧場』の立ち上げから参画しているそうです。『赤城畜産』入社前はと聞くと……。
「ニートだったんですよ。大学院まで行って会計を勉強して、資格浪人していたんですけど、何年も落ち続けて。いいかげん働けと最後通告を受けた形で」とはにかみます。そのバックグラウンドがあるからか、どんな質問にも平林氏はロジカルに明解な答えを返してくれます。能登牛の特長であるオレイン酸についての説明も非常にわかりやすい。

「オレイン酸の含有率が高いこと=美味しい、とは限りません。脂肪酸の一種であるオレイン酸は脂の融点を下げる働きがあります。脂が溶けやすいと、食感が向上します。食感がよいことも美味しさの大切な要因ですが、味そのものはほかの脂肪酸や旨味成分であるアミノ酸が主要因となります。ですから、美味しい肉にするためには、オレイン酸を高くするだけでなく、きちんとした狙いをもって肉にしっかり味を付ける必要があります」(平林氏)

味付けに作用するのは配合飼料。牛のエサには大きく牧草とトウモロコシや麦などからなる飼料の2種類がありますが、ざっくり言えば、牧草は繊維質で飼料は糖質です。牧草で育つオーストラリア産牛肉は赤みが多く、どこか繊維を感じる硬い食感で、草っぽいニュアンスが感じられます。一方、飼料で育つアメリカ産牛肉も赤みが多く硬めながら、適度に脂もあります。

「日本での和牛の肥育は、単に無駄な脂を付けて太らせるのではなくサシを入れる独自の飼養法。牧草でしっかり内臓環境を作ってあげてから、飼料で肥育するいわばハイブリッドの方法なのです。内臓がしっかりしていると、飼料の効果も大きくなる。当牧場ではオレイン酸を高めるために、たとえば飼料に生米糠を混ぜ、味付けのための配合にもいろんな工夫をしています。内容は秘密なのですが」(平林氏)

牛床は、雌牛、去勢牛などの違いに応じて、餌台や水の高さも適切に設定され、年間を通じてエサの内容や水温が一定になるように配慮されている。すべては牛にストレスを感じさせないためだ。

ユニフォームの背筋には「能登牛」の金刺繍。能登牛の肥育専業牧場としての矜持が感じられる。

能登牛オレイン酸と格付けが生む矛盾への挑戦。能登牛の旨さを届けるために前進あるのみ。

メリットばかりに見えるオレイン酸には実はビジネス上のデメリットもあるといいます。オレイン酸が高いと格付けが下がる。オレイン酸と格付けがトレードオフになる傾向があるとか。『寺岡畜産』の寺岡氏も、その問題点を指摘していました。

「格付けは食肉処理した後に審査員によって行われるのですが、脂の融点が低い能登牛の場合は食肉処理してから数日間冷やさないと脂が固まってサシがはっきりしてこないため、BMSという霜降りの格付けが低くなりがちです。格付け後に、冷蔵が進んできれいなサシが浮かび上がってくることが多い。この現象を我々は『肉が化けた』と呼びます。能登牛は、肉が化けるんですよ」(寺岡氏)

脂の融点の低さは販売時にも露呈しがちだと平林氏は話します。
「オレイン酸が高く脂が溶けやすいと食味はよくなりますが、見栄えとして脂が溶けることが良しとされないケースも多々あります。典型的なのがスーパーマーケットの販売コーナー。一般的な食肉展示用の照明は肉の赤色を自然に演出するために色が調整されているので、能登牛のように脂が溶けやすい肉は発色が悪くなり、肉がダレた印象を受ける消費者もいます。格付け的には評価が低くなる恐れがあるというのは、そのあたりが理由となります。本来、品質とは関係のないことなんですけどね」(平林氏)

現在、『能登牧場』では、オレイン酸含有率の高さはそのままに、脂が白く見栄えする肉の研究を続け、オレイン酸と格付けの矛盾を克服するために奮闘中です。さらに、平均28カ月で出荷するところを30カ月以上飼養する、長期肥育にも取り組んでいるそうです。もうこれ以上大きくなりにくい牛をなぜ手間ひまかけて肥育するのでしょうか。

「これは科学的には完全にはわかっていないことなのですが、30カ月から33カ月で脂が一気に美味しくなるということが職人の経験則でわかっています。今後はその検証も含め、いわゆる1000日肥育にもチャレンジしていきたい。一般的には雌牛の方が食味がよいとされているので、まずは雌で長期肥育を行い、能登牛の圧倒的な美味しさを世に知らしめたい。旨い肉は何よりも雄弁です。能登牛の知名度は、揺るぐことのない美味しさから広げていきたいです」

和牛の品質向上への挑戦は大変な時間と労力を要する。しかし、その歩みは、牛歩のごとく着実で力強いものでした。

能登牛のおいしさを最大限に発揮させるためには、よく餌を食べることが必要だと語る。飼料には糖蜜などによって牛の嗜好性を高める工夫がされている。

非常に清潔な印象の牛舎。牛たちは、穏やかな雰囲気の中で、横になり、牧草を食んで思い思いに過ごしていた。

住所:石川県羽咋郡志賀町富来領家町甲-26(増穂浦ショッピングモール アスク内) MAP
電話:0767-42-0012

住所:石川県鳳珠郡能登町泉ろ12 MAP
電話:0768-72-0622

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

ローカルガストロノミーの求道者『SHÓKUDŌ YArn』が惚れ込む、稀少なブランド和牛とは?前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

能登牛を使った『SHÓKUDŌ YArn』のスペシャリテ。一体どんな味なのか?

能登牛気鋭の料理人と評価高まる能登牛の邂逅。

地域の気候風土、歴史、文化を料理に表現する「ローカルガストロノミー」。この理念を独自の発想と遊び心で体現し、国内外のフーディたちから熱視線を浴びるレストランが、石川県小松市の郊外にあります。その名は『SHÓKUDŌ YArn(ヤーン)』。英語で「糸」を意味する「yarn」を冠する店は、かつて撚糸工場だった建物をリノベーションして2015年にオープンしました。どこか北欧をイメージさせるストイックなデザインの建物に入ると、オーナーシェフ兼ソムリエの米田裕二氏、パティシエールの亜佐美氏夫妻が屈託のない笑顔で迎えてくれました。

亜佐美氏はここ小松市、裕二氏は隣の能美市の出身。ふたりは高校の同級生。高校卒業後、それぞれ大学に進みますが、大学卒業後は共にほどなく料理の道へ。裕二氏はイタリアで星付きの店を渡り歩いて修行を重ね、店を任されるようになります。亜佐美氏も少し遅れてイタリアでの修行を開始。その後、ふたりは世界で最も予約の取れない最先端のレストランと言われた「エルブジ」での研修が許され、さらなる研鑽を積みます。そんなふたりがいつしか自分たちの店をと、熟慮の末に選んだ地が、地元の小松でした。

リノベーション前の撚糸工場は元々、亜佐美氏のお祖父さんが運営していたもの。『YArn』には、糸を紡ぐように地域の文化や歴史を紡いでいきたい。裕二のYと亜佐美のAで理想の店にしていきたいといった想いが込められているといいます。

『YArn』で使う食材は小松市をはじめとする石川県産の新鮮な海山の幸が多くを占めています。全ての調理に使う水も、能美市仏大寺にある遣水観音山霊水堂の水をわざわざ汲みに行くこだわりよう。そんな米田夫妻のお気に入りの食材のひとつが石川県産のブランド和牛「能登牛(のとうし)」です。同店では、能登牛のA5ランクに格付けされたものの中でも、オレイン酸の含有量など一定条件をクリアして最上級ランクの評価を得た「能登牛プレミアム」を使用しています。裕二氏は能登牛の魅力について話します。
「塊の状態を見ただけ、触っただけで、これは本当にいい肉だなとわかるんです。うれしくなってくる。赤身とサシのバランスが絶妙。常温で脂が溶けて肉がいい具合にしっとりして、いい弾力になってきます。口当たりがやさしく、旨味や香りが強いけれど、後味はすっきり。胃もたれするような重さはまったくありません。料理人として創造性をめちゃくちゃ刺激される食材ですね」

この日、能登牛の類まれな魅力から生まれたスペシャリテ2品を作っていただきました。どちらも、想像の斜め上をゆく、驚きと感動の皿でした。
 

撚糸工場だった建物を曳家工事を行って大胆にリノベーション。住宅街で静かに異彩を放つ。

オーナーシェフ兼ソムリエの米田裕二氏とパティシエールの亜佐美氏夫妻。温かく気さくな人柄に惹きつけられる。

建物中央の中庭にすっくと立つのはスペインから運ばれたオリーブの木。樹齢200年から300年と推定される古木が、客席やキッチンを見守っているかのよう。

「能登牛プレミアム」のヒレ(左)とイチボ(右)。融点の低い脂、赤身とサシのバランスのよさが魅力だという。

能登牛先進的かつ懐かしい。斬新すぎる能登牛の牛すじ煮込み。

『YArn』では、客席からガラス張りのオープンキッチンでの仕事ぶりを見ることができます。さらに、ひとつのコースで15品ほど提供される料理の多くは、テーブルで仕上げが施され、そこに驚きと歓喜の瞬間が生まれます。

「牛すじ煮込みです」と運ばれてきた木皿には、よく味のしみていそうな大根がひとつ。そして、目の前に出された料理に、その場でアイスクリームがのせられました。それはなんと能登牛の牛すじ煮込みのアイスクリーム。「大根と一緒にどうぞ」と促されても、狐につままれたような感覚です。

さて、その味は……熱い大根のおでんと冷たい牛すじアイスが口の中で渾然一体となり、出汁で丁寧に炊き上げられた牛すじ煮込みがふわりと広がります。上品な旨味の余韻の中に、どこか懐かしさも沸き起こってきます。

「懐かしい。そう言ってもらえることが多いんです。これは居酒屋でインスピレーションを受けたメニュー。うちの店はイノベーティブとかフュージョンとかに分類されることが多いのですが、自分たちでそう言ったことは一度もないんです。私たちの経歴からスペイン料理やイタリア料理をイメージして来られる方も多いですね。でも実際、うちは家庭や居酒屋の料理が基本。だから“SHÓKUDŌ”とうたっているのです」(裕二氏)

驚きの牛すじアイスクリームは客席でサーブ。アイスクリームメーカーを客席に持ち込むための木枠も形がユニークな特注品。プレゼンテーションへの細やかな配慮が行き届いている。

能登牛を使ったスペシャリテ「牛すじ煮込み」。合わせるのは、奥能登にある数馬酒造の限定醸造品「NOTO純米88 無濾過生原酒」。精米歩合88%の超旨口の食中酒が、滑らかな牛すじ煮込みと共に花開く。

能登牛遊び心の中にしっかりと込められた技術とエッセンス。

裕二氏は7年のヨーロッパ生活を経て帰国すると、日本料理店へ入って修行を始め、夫婦共に茶道に入門しました。日本で生まれ育ったのに、日本のことを知らなさ過ぎる。イタリアやスペインで現地に溶け込んで仕事をする中で、そんな思いを募らせていったからだと亜佐美氏は修行時代を振り返ります。

「日本人の料理人はみんな刺身が引けるし、和食はなんでも作れると思われていました。『アサミ、モナカの皮を作ってよ』とか当然のように頼んでくるけど、こちらは作った経験もなければ、材料すらあやふや。日本料理を学ぶイタリア人が全員ピザを焼けるかといったら違いますよね(笑)。でも、考えてみたら、襖の正しい開け閉めも知らないし、海外での経験を活かすためにも、日本の文化をきちんと知らないと。そんな想いを強くしていきましたね」(亜佐美氏)

「料理には母国のエッセンスが必要と感じる事も多くなっていました。イタリアで、店を任せられていた時に、伝統的な猪の煮込みを食べたいという依頼があり、その店のオーナーのお母さんからレシピや作り方をきちんと教わり、料理を作ったのですが、やはり微妙なところで味が違うと、彼らが言ったのです。 やはり、そこにはうまれ育った場所で昔からお祖母ちゃんやお母さん、その地域の方々が作る伝統料理を食べてきたからこそ分かる微妙なエッセンスの違いがあるという事です。日本で言えば、たとえば味噌汁。外国人が日本料理をひと通り学んでも、日本人が作る味噌汁の味にはなかなか到達できない。この現実に直面した時に、それを悲観するのではなく、自分の料理をよりよいものにするために、日本の、特に身近な料理のエッセンスを込めるべきだと考えました。そんな試行錯誤によって、今の店の骨格ができていったのです」(裕二氏)

『YArn』の献立には、奇妙奇天烈な名前が並びます。ダジャレ、パロディ、中には読めない記号であることも。たとえば、「見た目ウザくない」は、一見そうは見えない「うざく」。「茶碗無視」は文字通り、茶碗の形状にとらわれない茶碗蒸し。蟹がぶくぶくと泡を吹いている「バブルカニシスターズ」は、甲羅を裏返すと香箱蟹が出現し、泡状の蟹酢をつけながらいただく、という衝撃的なメニューです。非日常の食事を堪能してほしい。美味しさはもちろん、店でしか体験できない驚きと楽しさを提供したい。そんな気持ちが、『YArn』にしかない自由な発想の料理を生み出しているのです。

本物の石と混ぜて提供される石そっくりのチョコレートも、『YArn』らしい遊び心いっぱいの一品。ちなみに、黒光りしている粒がチョコレートとは限らない。

能登牛能登牛本来の滋味が豊かに広がる唯一無二のカツとじ。

驚きと楽しさを提供するために、常にギャップを大切にしていると夫妻は話します。
「ヘンテコな名前のメニューが、風変わりではあるけれど、そこに伝統や馴染みある要素が盛り込まれていることがわかると、料理って妙に納得できて、不思議なことに懐かしさを強く感じるんです。これってギャップですよね」(裕二氏)

「一方、牛すじ煮込みのように名前は普通なのに、出てきた料理はなんじゃこりゃ!? というのもやはりギャップ。メニュー名も調理法もどちらも風変わりだと、そこにギャップは生まれませんよね。常連さんは、普通の名前の料理には何か仕掛けがあるぞと察するようになっていますが(笑)」(亜佐美氏)

「イタリア時代の経験が大きいですね。オリジナルのアイディアで、ティラミスをお客の目の前で盛り付けてみたところ、こんなプレゼンテーションは初めてで、ベストティラミスだとものすごく喜んでもらえて。それから、調理の基本は崩さずに、地元のイタリア人は決してやらないような食材の組み合わせや提供の仕方にどんどんチャレンジしていきました。自分は現地で異邦人であったからこそ、常識にとらわれずに自由に発想できた。この感覚を忘れずに和食に持ち込んで、楽しい料理を作っていきたい。ギャップの根っこには、そんな基本スタンスがあります」(裕二氏)

2品目の能登牛メニュー「牛ヒレカツとじ」がやってきました。一般的なカツとじとは似ても似つかぬ形状。ステーキのような肉の上に卵焼きのような塊がのっています。亜佐美氏がその正体を解き明かしてくれました。肉は能登牛のヒレ肉を真空低温調理したもの。あらかじめ2面を昆布〆することで水分を適度に抜くと同時に昆布の旨みとほのかな塩分をプラスしています。上にのっているのは、パンにたっぷりの卵と出汁をしみ込ませてフライパンで焼き目をつけたフレンチトースト。ふたつの間には三つ葉が挟んであります。「食べた人はたいてい変な笑顔になるんですよ」と裕二氏が補足します。

その時、きっと取材班も一様に変な笑顔になっていたことでしょう。口の中にあるのは、まさしく牛カツとじそのもの。いや、むしろ、肉、衣、卵が見事に調和しながらも、能登牛の滋味がググッと迫り、普通の牛カツとじでは味わえない肉の存在感を満喫できます。

美味しさの余韻に浸る取材班を夫妻はニコニコと見守っています。能登牛の恐るべきポテンシャル、それを遊び心と共に最大限に引き出す発想と技術。食べに行く価値があれば、人はどこからでもやってくる。ローカルガストロノミーの真髄を垣間見ました。

牛ヒレカツとじに使うフレンチトーストには焼き目をつけて香ばしさをプラス。

牛カツとじの肉は揚げずに低温調理。「とんかつの本質は蒸し料理。だから肉を素揚げしたり、焼いてしまって、とんかつのニュアンスがなくならないに試行錯誤しました」と裕二氏。

牛カツとじと合わせるのは、フランス・ローヌの「シャトーヌフ・デュ・パプ」。「枯れた感じの深い風味が、カツとじの濃厚な旨みとよく合います」(裕二氏)。

大阪の三ツ星店『HAJIME』などで経験を積んだONESTORYフードキュレーター宮内隼人は、独創的な『YArn』のスタイルに興味津々。料理談義は尽きることがない。

住所:石川県小松市吉竹町1-37-1 MAP
電話:0761-58-1058
https://shokudo-yarn.com/

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

北アルプスの懐に抱かれる信濃大町。豊かな水が育む、澄んだ味わいの食材を探しに。[湧水とアートがうるおす街/長野県大町市]

    OVERVIEW

絵のように美しい町。
信濃大町駅に降り立つと、まずそんな思いが頭をよぎります。その絵は淡い水彩画ではなく、厚く塗り込めた油絵。3000m級の北アルプスの山々の威容、山の稜線でくっきりと区切られた空、豊かな緑の色彩、そして清冽な水。質量があり、奥行きがあり、現実感がある力強い美しさが、訪れる人を圧倒するのです。

命の源たる水が豊かで澄んでいるとうことは、そこで育つ食材もまた豊かであることを意味します。たっぷり水分を蓄えた野菜や果物、生き生きと育つ魚、瑞々しい飼料で育つ鶏や豚、水そのもののおいしさが伝わる酒やビール。自然の恵みと、自然の中で暮らす人々の営み。両者がバランス良く調和することで、この地の個性が色濃く表れた、澄んだ味わいの食が形成されています。

そのクリエイターを刺激する美しい景観から、「北アプルス国際芸術祭」の舞台ともなっている大町市。自然に触れ、アートを鑑賞し、食を満喫する、この町でしかなし得ない唯一無二の体験。そんな長野県大町市の魅力をさまざまな角度から紐解きます。

Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 長野県大町市)

イタリアン×フレンチ、長野×東京。個性の異なるふたりの料理人が挑むコラボレーションメニュー。[食育・料理体験イベント/長野県大町市]

畑を見学する泉田シェフ(奥)と神保シェフ(手前)。食材を前にプロの料理人らしい専門的な会話が交わされる。

    まだ見ぬ食材を探し、初夏の信濃大町をめぐる2日間

2021年7月某日。立山黒部アルペンルートの玄関口であるJR大糸線信濃大町駅に、多くの登山客に紛れ、ひとりの人物が降り立ちました。数々のメディアでおなじみのその顔は『HATAKE AOYAMA』の神保佳永シェフ。とりわけ野菜の本質を見極め、その魅力を引き出す料理から“野菜の魔術師”と呼ばれるイタリアンの巨匠です。

今回、神保シェフが信濃大町を訪れた理由は2021年9月5日(日)に『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』で開かれる「食育・料理体験イベント」の準備のため。これは同ホテルの料理長・泉田康晴シェフとともに神保シェフが考案したコラボレーションメニューを、参加する子供たちと一緒に作る体験イベント。さらにイベント以降9月6日から10月31日までは、ふたりが考案したメニュー全5品が、同ホテルのレストランに登場します。子供たちには、食の楽しさと大切さを、大人には大町の食材の豊かさを、それぞれ伝える大切な仕事です。

今回の訪問の目的は、大町市内の食材生産者を巡り料理の構想を練ること。さらにこの地らしい料理のアイデアのため、10月から開催予定の『北アルプス国際芸術祭』の作品なども見学する多忙な工程です。東京で腕を振るう神保シェフは、この信濃大町でどんな食材と出合い、どんな料理を生み出すのか。信濃大町を拠点とする泉田シェフは神保シェフに何を伝え、どんなコラボレーションを目指すのか。駆け足で訪れた1泊2日の信濃大町視察の様子をレポートします。

黒部ダムへの長野側の玄関口であり、市内には大町ダム、七倉ダム、高瀬ダムを擁する大町市。豊かな水はさまざまな食材を育む。

山麓の農場で味わう、自然の力を凝縮した野菜

「このあたりの土は火山灰と腐葉土の混じった黒ボク土。寒暖差もあるから旨味の濃い野菜が育つんです」そう話すのは『勝本農園』をひとりで切り盛りする勝本あけみさん。山麓にあり、12月から3月は雪に埋まってしまいますが「先祖代々の畑だから」と、心を込めて丹念に手入れします。
泉田シェフの『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』では、以前から勝本さんにお世話になっているとか。外国で買い付けた苗を育ててくれるなど柔軟な作付けにも対応し、この地のレストランにはなくてはならない存在。

手入れが行き届いた農園で、採れたての野菜をかじる神保シェフと泉田シェフ。その口からは「苦いですね」との言葉。誤解がないように補足するなら、シェフによる「苦い」は最上の褒め言葉。加熱方法や味付けにより、苦味やえぐ味を減らすことはできる。しかし野菜本来の持ち味を後から付け足すことはできない。だから苦味を含む味の濃い野菜は、料理人にとって良い食材である、というわけです。

勝本さんの案内で農園を見学。作物の出来はもちろん、農園の自体の手入れの行き届いた美しさがふたりのシェフを惹きつけた。

栄養をたっぷりと湛えた黒土と昼夜の寒暖差が、旨味の濃い野菜が育つ理由。

シャイな勝本さんの露出はここまで。自然体の人柄だが、言葉の随所に農業への強い思いが垣間見える。

「色が濃く、葉がしっかりとしている」と好評価。その場で試食させてもらい、その味わいを確かめた。

    野菜、魚、肉。多彩な食材がシェフの感性を刺激

続いて訪れた『八幡農園』は、若き代表の八幡大智さんが、家族5人で無農薬有機栽培に挑む農園です。大智さんは農業大学を経て実務経験を積み、2010年にこの地に移り、自身の理想とする農業を実践する人物。
その理想とは、自然に近い状態を保ち、作物本来の力を引き出すこと。雑草はやみくもに刈らず、落ちた葉はやがて地面にかえり栄養となる。作付けする位置や組み合わせを工夫することで農薬ではなく自然のサイクルで作物を育てる。それはいわば、膨大な手間暇をかけて、一周回って自然に近い状態にすること。明確な目標とロジカルな戦略がなければなし得ないことでしょう。そしてそんな自然の力を凝縮した野菜の数々には、“野菜の魔術師”神保シェフも心動かされた様子でした。

北アルプスの懐に抱かれる『フィッシングランド鹿島槍ガーデン』では、信州サーモンやイワナを視察しました。実は以前にも何度かここを訪れ、実際にこちらの魚を使用したこともあるという神保シェフ。「味わいの透明感が段違い。臭みはなく、上質な脂が乗っています」と絶大な信頼を寄せています。
養魚場を見学した後、社長のご厚意で信州サーモンやイワナの刺し身と卵を試食した一行。身質に自信があるからこそ出せる刺し身、黄金に輝くイワナの卵などには、同行した泉田シェフも驚きを隠せない様子でした。

もちろん肉も負けてはいません。視察に訪れた『松下農園』は、長野県のブランド鶏・信州黄金シャモを育てる農園。この『松下農園』では飼料に米を混ぜることで、さらに上質で柔らかい肉質を実現しています。残念ながらコロナ禍において生育数は縮小していますが、また素晴らしい鶏を届けてくれることでしょう。

なお『八幡農園』の野菜、『鹿島槍ガーデン』の信州サーモン、『松下農園』の信州黄金しゃもの3つの食材をそれぞれ主役に、後日神保シェフが3種の料理を仕立ててくれました。その詳細については、後日別記事にてお知らせします。

家族5人で営む『八幡農園』で父・八幡博己さんに話を聞く神保シェフ。

『鹿島槍ガーデン』にて。魚体はもちろん、環境や餌など細かい点を確認する。

試食の際のふたりのシェフは真剣そのもの。味の特徴を見極め、料理の構想を練る。

信州黄金シャモは、シャモと名古屋系のかけあわせ。適度な弾力と噛むほどにあふれる旨味が魅力。

『北アルプス国際芸術祭』に向け、市内随所に展示される作品。個性的なアートがシェフに刺激を与える。

屋外アートや触れて体験できるインスタレーションなど、市内には多数のアートがあふれる。

   澄んだ水に育まれる美味を伝えるコラボレーションメニュー

大町市の多様な食材は、肉、魚、野菜にとどまりません。
続いて一行が訪れたのは『キハダ飴本舗』。その名の通り、柑橘の一種であるキハダの実のエキスを使った飴の店ですが、実はそれだけではありません。
「ここで食堂をやっていて、長野らしい食材として山菜をつけていたのですが、わざわざ山に採りに行くのは大変でね。だったら育ててみよう、と」そう聞かせてくれたのは、社長の古川孝雄さん。神奈川で大手企業に勤めていましたが54歳で早期退職し、奥様のトミコさんとともに大好きな鹿島槍ヶ岳が見えるこの地に移ってきました。それから20余年。ふたりが作る山菜畑はいまや1ヘクタール。とくに行者ニンニクの出荷量は全国有数の規模にまで成長しました。
ふたりが試行錯誤をしながら時間をかけて育てた行者ニンニク。取材時はシーズンオフで生はなく、オイル漬けを試食させて頂きましたが、神保シェフは「素晴らしい香りで、かつ甘みがあります。料理に取り入れてみたら良いアクセントになりそうです」と強く興味を惹かれた様子でした。

さらに、この地ならではの味を追求するためにあえて水質調整をせず、湧き出したままの水で仕込む『北アルプスブルワリー』、道路一本を挟んで硬度の異なる水が湧く『男清水』『女清水』、地元の水とそば粉に山芋を混ぜてつるりとした食感を生む老舗蕎麦処『タカラ』など、水の素晴らしさを伝えるスポットの数々も、シェフに多大な影響を与えました。

「産地に足を運ぶ意味は、生産者の顔を見て、直接話をするだけではありません。その土地の水を味わい、文化を知り、名物を食べる。そうすることで、イノベーティブが生まれるのだと思います。私は野菜を軸に料理をしますが、そこに現地に伝わる発酵を加えたり、地元の漬物を取り入れてみたり、といった具合。普段お店でお出しする料理とはかけ離れていきますが、それもまたこうして地域に入り、イベントをする意味だと思います」視察後、神保シェフはそんな言葉でイベントへの思いを語ってくれました。

泉田シェフも「身近にある地元の食材を改めて見たことで、初心に戻った気分です。私はホテルの料理人として、フランス料理をベースにしつつ、アレンジし過ぎず食材そのものの魅力が伝わる料理を目指していますが、その中で地元食材の価値を改めて伝えていきたい」と決意を語ります。

およそ一ヶ月後に控えた、ふたりのシェフのコラボレーションによる『ANA ホリデイ・インリゾート信濃大町くろよん』の料理。東京から訪れたイタリアンシェフと、地元大町で活躍するフレンチシェフ。ふたりのクリエーションがどんな化学反応を起こし、どんな料理が誕生するのか。期待は高まるばかりです。

『キハダ飴本舗』では、広々とした山菜の畑を見学。

苦味と独特の香りがあるキハダ飴だが、神保シェフに大ヒット。いくつも口に運んでいた。

併設の醸造所で作られる『北アルプスブルワリー』のビール。この地でしか味わえないビールをテーマに、水の特徴を押し出して醸造される。

『北アルプスブルワリー』の松浦周平さんは、大町市内でコーヒー店も経営。多角的に大町の水の良さを伝える。

老舗『タカラ』の蕎麦。地元名物を味わうことも、視察の重要な工程。

ホテルに戻り、泉田シェフの料理も試食。相互理解を深め、コラボレーションメニューの構想を練る。

厨房で意見を交わすふたりのシェフ。泉田シェフの地元食材の知識、神保シェフの野菜の知見が互いの料理を高める。


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 大町市)

制作実績_キサブロー様監修_藍染掛け軸

こんにちは。藍染坐忘です。季節が巡るのは早いものですね。
先日、素晴らしい藍染の掛け軸作品の制作に携わらせていただきました。

アーティストのキサブロー様が内装デザインを全面監修された、
和室のプライベートエステサロン「No.3 SHIROGANE」様の室内装飾用の掛け軸になります。

本麻の生地をグラデーションに藍染めし、抜染の技法でデザインを浮かび上がらせています。細さ1mmの線で描かれた精巧な作品を如何に再現するか、全集中で作業を行いました。
↓洗い流す前の状態。

掛け軸に描かれたイラストはアートディレクター・映像作家の奥下和彦様の作品。白金に伝わる”笄橋伝説”を一筆書きで表現されています。

「深海」をコンセプトとした空間に、天然藍染の深い色合いと世界観もマッチし、一室に素晴らしく溶け込んだ最高の1枚となりました。

流木とロープを使った装いも、とても風流で、天然の青の魅力がより深いものに。キサブロー様の細部へのこだわりとセンスに、ただただ感銘を受けます。

No3_SHIROGANE
東京都港区白金エリアにOPENされた、プライベートな和室エステサロン。
最高の技術とおもてなしに溢れる空間で施される完全オーダーメイド施術により、和の癒やしを存分に堪能できるお店様です。

▼WEBサイトはこちら▼
https://no3shirogane.com/

この度は、貴重な作品制作に携わらせて頂き、誠にありがとうございました!

ORCA CLOOLERS 40

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 40 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • 二人でも持ちやすい長さのフレックスグリップハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約44cmx幅約65cmx奥行き約45cm
  • ■内側:高さ約28cmx幅約47cmx奥行き約29cm
  • ■重量:30lbs(約13kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

ORCA CLOOLERS 40

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 40 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • 二人でも持ちやすい長さのフレックスグリップハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約44cmx幅約65cmx奥行き約45cm
  • ■内側:高さ約28cmx幅約47cmx奥行き約29cm
  • ■重量:30lbs(約13kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

ORCA CLOOLERS 26

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 26 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • 二人でも持ちやすい長さのフレックスグリップハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約37cmx幅約59cmx奥行き約44cm
  • ■内側:高さ約22cmx幅約41cmx奥行き約28cm
  • ■重量:25lbs(約11kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

ORCA CLOOLERS 26

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 26 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • 二人でも持ちやすい長さのフレックスグリップハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約37cmx幅約59cmx奥行き約44cm
  • ■内側:高さ約22cmx幅約41cmx奥行き約28cm
  • ■重量:25lbs(約11kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

ORCA CLOOLERS 20

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 20 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • ■フレックスグリップのシングルハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約38cmx幅約48cmx奥行き約35cm
  • ■内側:高さ約24cmx幅約35cmx奥行き約23cm
  • ■重量:18lbs(約8kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

ORCA CLOOLERS 20

高い保冷力とタフさを誇る!クーラーボックス

ORCA Cookera 20 QuartChair

  • ■ロトモールド(回転成形)構造による優れた耐久性側正面
  • ■高い密閉性から産まれる、最大で10日間と言われるクラス最高の氷の保持力
  • ■フレックスグリップのシングルハンドル
  • ■大きなドレインプラグによるスムーズな排出
  • ■背面には小物等が収納できるバックポケット
  • ■サイズ(ロゴ側正面から見て)
  • ■外側:高さ約38cmx幅約48cmx奥行き約35cm
  • ■内側:高さ約24cmx幅約35cmx奥行き約23cm
  • ■重量:18lbs(約8kg)
  • ■材質:シェル/ポリエチレン、フォーム/ポリウレタン
  • ■Made in USA

注意

  • ※輸入品の為、輸送中のキズなど個体差がございますので予めご了承下さい。
  • ※商品の性質上、製造時本体にスレや凹みが生じてしまうことがございます。

ORCA COOLERSとは…

クリフ・ウォーカーとジム・フォードにより2012年にテネシー州で設立された ORCA(The Outdoor Recreation Company of America)coolers

  • ■ 自身たちもハンティングやフイッシングと、熱心なアウトドアマンであり、当時アメリカで作られるハイエンドクーラーに、彼らが求めるクオリティの製品が無く、ORCA coolersをスタートさせました。
  • ■ ORCA coolersの目標は実際に使用するユーザーの期待を上回る事とし、過酷な状況下で性能を発揮できるよう設計された信頼性の高いクーラーボックスです。
  • ■ハ−ドクーラーは全てMade in the USAでクラス最高の氷の保持力と、様々な使用に耐えられるタフな作りは、使用者の期待をはるかに上回る性能を発揮します。 
  • ■また、収入の一部は、さまざまな非営利団体をサポートし、カンパニーとしても製品クオリティとしても本国で高い信頼を獲得しています 。

真のファーマーズ王国。付加価値でなく、美味しさを追求する生産者たち。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

ローカルファインフードフェア滋賀シーズン外れだからこそ発見できた食材の新たな魅力。

東京都内で活躍する料理人やパティシエが、滋賀県産の食材を使った料理をそれぞれの店で提供する期間限定のフードフェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。滋賀の食材を探求すべく、4人のシェフとバイヤーによる生産者巡りも2日目へ。一体、どんな食材との出会いが待っているのでしょうか。

2日目は、土砂降りのなか、ワイン原料のイメージが強いマスカットベリーAを「黒蜜葡萄」として生産する東近江市『aito budo labo』の訪問からスタート。
ここでは、漆崎厚史氏が深刻な後継者不足を抱えていたブドウ畑を受け継ぎ、8年前ほど前から黒蜜葡萄を栽培しています。
「シャインマスカットのように皮ごと食べられたりするわけでもなく、粒が大きいわけでもないですが、黒蜜葡萄は圧倒的な糖度とコクがあって、昔ながらのワイルドな味わいなんです」と漆崎氏がその特徴を説明。土壌もよく、昼夜の寒暖差のあるこの地域だからこそ、このようなブドウが育つのだと教えてくれます。
とはいえ、8年前に引き継いだブドウ畑の樹木は樹齢およそ50年。そこから糖度を上げて「黒蜜葡萄」として出荷するには、2~3つの房がなるひとつの枝に対してひと房に間引いていく必要があります。さらに、ひと房70~80粒くらいになるように摘果していかなければなりません。

シェフたちが訪れたのは7月上旬、まさにその摘果のシーズンでした。出荷は8月下旬とあって黒蜜葡萄はまだ色づいていない状況。しかし、そこにまた物語が生まれるのです。
「摘果したブドウは食べられるんですか?」
そう尋ねたシェフたちは、まだ淡い黄緑色をしたブドウを味見させてもらいます。すると、それがシェフたちを釘付けにするのでした。実はまだ固く、甘さは一切ありません。とりわけ酸味が主張するのですが、後藤氏はこの酸味を気に入ったよう。
「摘果したブドウにこんな酸味があると正直思いませんでした。お菓子を作っていても酸味がほしいと基本的にはレモン果汁を使います。すると、どうしてもレモンの風味ものってしまうけど、この摘果した黒蜜葡萄は、癖のないきれいな酸味。酸味の調味料としてアイデアの幅を広げてくれると思います。自分としては樹齢50年のブドウの樹木を引き継いでやっていること、そのブドウの樹木の雰囲気も好き。ここに来なければ分からなかった発見です」
これには漆崎氏もにっこり。
「摘果したブドウはブドウじゃないと思っていました。ものすごく量が出るので、これが商品になるのであればすごく嬉しいですね」

【関連記事】滋賀食材フェア/琵琶湖の豊かな水が育む、瑞々しい食材。料理人たちが見た滋賀県の食材の底力。

7月上旬、摘果シーズンの黒蜜葡萄。ここから摘果、間引きして8月下旬の出荷まで糖度を蓄えていく。

漆崎氏と談笑する後藤氏。果実だけでなく樹木の話まで、後藤氏は黒蜜葡萄にくびったけ。

ローカルファインフードフェア滋賀600年もの間変わらぬ、栽培方法。珍しい焙煎茶に一同感嘆。

続いて訪れたのは、同じ東近江市にあっても愛知川の最上流部、標高500mほどの場所に位置する政所(まんどころ)町。ここで政所茶を生産するのは、『茶縁むすび』の代表・山形蓮さんです。
政所茶は600年以上の歴史を持つ、いまや希少となった在来種のお茶。全国的には品種改良が進み、お茶全体に占める在来種の割合は2%以下になっているそうですが、政所は古くからこの在来種を守ってきた地域だといいます。栽培にこだわり、この集落の生産者たちは「人の口に入るものに、わざわざ農薬なんて使わんでいい」という信念で茶畑を育ててきました。事実、ここでの栽培方法は、600年間ほとんど変わっていないそうなのです。
冬は雪が降り積もり、マイナス15℃くらいまで冷え込む気候、昼夜の寒暖差があり、霧が立ち込める風土、そしてお茶に対する信念が詰まった生産者の思いが、最上のお茶を生み出すのです。 
ここで試飲してシェフたちを驚かせたのは、山形さんが「これは変わり種なんですが……」といって煎れてくれた焙煎茶。このお茶が、普通のお茶ではありませんでした。

「このお茶のもとになっているのが、樹齢100年くらいの樹木そのもの。といっても、樹齢が古く生産力の落ちた樹木を地際部より切り取って、残った地上部や地下部の芽の生育を促す『台刈り』をしたもの。その樹木の幹や葉っぱ、枝などすべてを薪でじっくりと焙煎して煮出しました。つまり、お茶の木そのものを味わいます」

味わえば、お茶とは思えない複雑なニュアンス。つくださんが「ウイスキーみたいな雰囲気があるし、甘みがある」といえば、薮崎氏は「ピートのような香りもある」。山本氏は「焼き芋みたいな甘みも感じられる」。後藤氏はただただ「これは素晴らしいな~」と感嘆。
さらに、つくださんは「シンプルに寒天で固めて、そのままを味わってもらえたら面白そう。最後までお茶の樹木を無駄にしないというストーリーもすごくいいですね」

『茶縁むすび』の代表・山形さんの説明を受けながら茶畑を視察。集落の合間に茶畑が広がる。

こちらが、一同を驚かせた焙煎茶。幹、枝、葉など茶樹全体を味わうという発想も素晴らしい。

『茶縁むすび』の向かいにある光徳寺の本堂階段にて、一同に振る舞ってくれたお茶にテロワールを感じる。

右が収穫時期によって味わいが異なる平番茶。左は手摘みした煎茶。いずれも湧き水で煎れてくれた。

ローカルファインフードフェア滋賀牛肉×明日葉!? 滋賀食材のコラボレーションが誕生?

政所町からもほど近い、『永源寺マルベリー』でも新たな発見がありました。ここでは、馬糞を敷き詰めて、牛糞、鶏糞、自然の堆肥を使ったオーガニック圃場で、桑、明日葉、モリンガなどの植物を栽培。それをパウダー状に加工して、お茶や青汁などの原料として出荷しています。このパウダーにシェフたちのアンテナが反応しました。
「パウダーは粉物に練り込んでもいいですし、明日葉のパウダーなんかは、スパイスのかわりに塩に混ぜて使ってもいい。肉を焼くときに、胡椒のかわりにふってみても面白いかもしれない。それこそ昨日いただいた近江牛に使っても美味しいと思う」と薮崎氏。さらに、「さっきの政所茶に桑の葉や明日葉のパウダーを少し混ぜてお茶にしてみてもいい」と次々とアイデアが生まれます。
パウダーこそ味わえなかったものの、一行は栽培中の明日葉の葉を畑からちぎってそのまま試食。薮崎氏は早速店でも使ってみたいと言います。

モリンガの畑にて。鶏糞や馬糞、牛糞といった有機肥料にて土壌をつくっている。

『永源寺マルベリー』の上田長司さん。土砂降りにも関わらず丁寧に説明をしてくれた。

明日葉の茎を折ると黄色く出液。カルコンといい植物では明日葉にしかないフィトケミカルの一種。

ローカルファインフードフェア滋賀伝統野菜に課した厳しい規格基準。B品の行方は?

次は、東近江市から南下し、甲賀市にある生産者の元へ。ここ甲南町杉谷では江戸時代から伝わる近江の伝統野菜が栽培されていました。『杉谷伝統野菜栽培部会』の部会長を務める上杉広盛氏は、ここで「杉谷なすび」「杉谷とうがらし」「杉谷うり」の3種の伝統野菜を継承して育てています。
伝統野菜といえば、聞こえはいいかもしれません。しかし、実際にはこの伝統野菜を守るのにも苦労が絶えません。たとえば、杉谷とうがらし。その特徴といえば、実の先が曲がりくねった形になりますが、それがまっすぐだったり、曲がりすぎていたりすると「杉谷とうがらし」を名乗ることができません。さらに大きさ、柔らかさにまで厳しい規格基準が課せられます。少しでも実に傷があっても同様で、実際に収穫した6割は「杉谷とうがらし」の条件を満たさず、廃棄してしまうのだそう。しかも、これらを「杉谷とうがらし」として出荷できるのは、杉谷で栽培されたもののみといいます。
そんな話を聞き、一行が注目したのは、その廃棄されてしまうB品でした。見た目は「杉谷とうがらし」の基準を満たさずとも、辛さが一切なく、唐辛子ならではの風味とみずみずしい味わいという特徴は変わりません。
「杉谷なすび」「杉谷うり」も同様で、伝統野菜を名乗る厳しい基準をクリアしたものだけが出荷されています。
お土産に杉谷うりをもらった一行。これは後日談ですが、滋賀から帰京した数日後、つくださんは自身のフェイスブックにこの「杉谷うり」を使ったコンポートの写真をアップ。伝統野菜を使ったお菓子作りに勤しんでいたようでした。

杉谷とうがらし。辛味成分は一切なく、齧るとみずみずしい風味が広がる。

杉谷なすびの畑にて。ソフトボール大の大きさになるまで手間暇かけて栽培される。

杉谷うり。種を取ってスライスしサラダにして食べても美味しいのだそう。

ローカルファインフードフェア滋賀無農薬は付加価値にあらず。美味しさを追求した朝宮茶

そして、滋賀県食材視察の最後も、素晴らしい生産者との出会いがありました。
それが、甲賀市信楽町で1200年の歴史を誇る、日本でも最古級といわれる「朝宮茶」の生産者、『かたぎ古香園』7代目、片木隆友氏です。
ここには標高400m前後というロケーション、年間の大きな温度差、川筋に発生しやすい霧が茶葉を乾燥から守るなど、茶づくりには最高の環境が整っています。そればかりか、『かたぎ古香園』では、50年ほど前から無農薬栽培を実施。茶畑に菜種と胡麻の圧搾した油粕などの有機肥料を施肥すだけでなく、畝間の土を掘りおこし、刈りとった笹や茅などを樹の根元に敷きつめるなど、手間と時間をかけた茶づくりを信条としています。
とはいえ、片木氏の信念は決して無農薬栽培だけにあるわけではりません。
「無農薬だからいいわけでありません。われわれにとって無農薬は当たり前。それが付加価値になってはいけないんです。一番は美味しいお茶をつくることです」
その言葉にはつくださんが反応します。
「無農薬でお茶を“美味しい”というところまでもっていけている生産者は意外と少ない。正直、片木さんのお茶には、ちょっと感動しました」
それに呼応するように薮崎氏が「レストランではティーペアリングをやっているところも多いけど、国産のお茶でこれだけの種類があって、畑違いのお茶を出せるのなら、ここに料理を合わせこんでペアリングしていくのも面白い」といえば、後藤氏は、「畑で違ったりとか、加工の仕方でいろいろなタイプがあるので、単純にお茶として楽しむというより、ひとつの食材として使ってみたいです」とも。
山本氏は「これだけのお茶があるのなら、煎茶の“ロマネ・コンティー”が飲んでみたい」とダジャレを込めて賛辞を送ります。

山本氏もその多種多様なお茶にぞっこん。香り、味わい、すべてにおいて料理人を魅了した。

茶葉をそのまま味わえば、まるでスナック菓子のよう。風味、香りが秀逸。

悪天候で茶畑は巡れなかったものの、『かたぎ古香園』の事務所にてじっくりと話を聞いた。

ローカルファインフードフェア滋賀2日間で見えてきた滋賀県の生産者と食材に宿る本質。

2日間を通して、出合ってきた滋賀の生産者と食材。こうして振り返るとあるひとつの共通事項が浮かび上がってきました。
それは、滋賀県には無農薬、有機栽培をはじめ、自然に配慮して食材を育てる生産者が実に多いこと。それは、滋賀県民の心の底に、“海”の存在があるからなのではないでしょうか? 豊かな水系が流れ込み琵琶湖という“海”を形成している。そして、その琵琶湖がまた滋賀県特有の食文化を生み出す。だからこそ、その海を、農薬などを使うことで自分たちの手で汚したくないという思いが根底にあるのではないでしょうか。

食材の素晴らしさとともに、その生産者たちの思いは確実に今回視察に参加した4人に届いたことでしょう。
今回の視察で巡った生産者の食材を使った料理は、8月2日~10月31日まで開催されるLocal Fine Food Fair SHIGA』で味わうことができます。きっと、美味しさとともに、生産者の熱き思いまでも届けてくれるに違いありません。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

(supported by 滋賀県)

料理人が滋賀の食材と真っ向に向き合う2日間。滋賀食材のポテンシャルを知る。[Local Fine Food Fair SHIGA/滋賀県、東京都]

『みなくちファーム』にて。健全な環境で育つ多彩な野菜を前にシェフたちの話に花が咲く。

ローカルファインフードフェア滋賀中華の料理人が「蓮の葉」の新たな可能性を見出す。

東京都内で活躍する料理人やパティシエが、滋賀県産の食材を使った料理をそれぞれの店で提供する期間限定のフードフェア『Local Fine Food Fair SHIGA』。その食材を探すべく、4人のシェフとバイヤーが1泊2日で滋賀の生産者のもとを訪ねました。

米原駅に到着した一行が、まず向かったのは車で15分ほど走った長浜市布勢町。そこで待っていたのは、3ヘクタールもの見事な蓮畑でした。蓮は午前中に花を咲かせ、数時間で萎んでしまうものの、午前10時に到着した一行を、蓮はその花の甘い香りで出迎えてくれました。

ここは、NPO法人「つどい」による農園事業である『きんたろう村農園』。いまは一帯に見事な蓮畑が広がっていますが、もともとは耕作放棄地であり、現在執行役員を務める川村美津子さんがわずか10アールほどの田んぼの一部を借りて5年前に蓮を植え始めたのがきっかけとなり始まったそう。

「蓮の栽培は、1000年以上の歴史があるのに、開花や水あげのシステムなど、まだまだ解明されていないことがたくさんあります。なかなか流通しにくい食材でもあるんです」

そんな川村さんの言葉に、南青山で薬膳中華『Essence』のオーナーシェフ薮崎友宏氏がいち早く反応します。そう、蓮といえば中国料理には欠かせない食材。しかし、薮崎氏が喜んだのはただ、この蓮が“国産”であることだけが理由ではありません。蓮畑を歩いた薮崎氏はあることに気づいたのです。それが蓮畑の状態でした。

「雑草を駆除するのに除草剤を使うとイネ科の植物だけが残るんです。でも、ここの畑を見ると他の小さな雑草もあるでしょ。ちゃんと除草剤を使わずに無農薬で蓮を管理している証拠です」

自身でも栃木県足利市に農園を持つ薮崎氏ならではの目の付け所。それを聞いた川村さんも「土壌改良剤と卵の殻を土には与えていますが、無農薬、無肥料。基本的には雑草との戦いです」と笑います。

『きんたろう村農園』では、そんな蓮の花をつかったジャム、蓮の葉のパウダーなども商品化していますが、やはりシェフたちの注目は蓮の葉そのもの。

「中華ではちまきに使ったり、チャーハンを詰めて蒸したり、スープにしたりします。ただ日本に流通する蓮の葉は、乾燥された中国産がほとんど。これが商品化できるなら自分だけで使うのでなく、いろんな中華の料理人にすすめていきたい」
薮崎氏だけでなく、和菓子と日本酒のマリアージュを提案する『薫風』のつくださちこさんや、幡ヶ谷『Equal』のシェフパティシエ・後藤裕一氏も興味津々。イタリアンの元料理人でもある食材バイヤーの山本敦士氏は、「どうやって蓮を、食材として流通させるか」に考えを巡らせていました。

【関連記事】滋賀食材フェア/琵琶湖の豊かな水が育む、瑞々しい食材。料理人たちが見た滋賀県の食材の底力。

3ヘクタールの広大な蓮畑。わずか10アールの耕作放棄地から『きんたろう村農園』は始まった。

蓮に一番興味を示していたのが薮崎氏。食材に向き合う好奇心は視察1軒目から大いに発揮されていた。

川村美津子さん。ご覧の笑顔で、シェフとの距離感を感じさせない対応。『きんたろう農園』ではしいたけの菌床栽培も行う。

ローカルファインフードフェア滋賀独特の食材と食文化を育む、滋賀県の“海”。

滋賀県といって忘れてはならないのが、琵琶湖。地元の人はこの琵琶湖を“海”と呼ぶほど、母なる湖に特別な思いがあります。その理由のひとつは、この“海”が滋賀県独特の食材や食文化を生み出していることでしょう。

琵琶湖の北岸の大浦漁港にある『西浅井漁協』で、一行はビワマスと小鮎を試食、琵琶湖独特の淡水魚の話に聞き入ります。
「ビワマスは、一般的なマスと異なり、海に出ず、一生を淡水域で終える魚です。サケ科であるもののサーモンとは異なり、その脂は上品で、今日はお刺身で食べていただきます。もちろん煮ても、焼いても美味しいんです」とは、漁協の代表理事を務める礒崎和仁氏。

また、“小鮎”と呼ばれる鮎も琵琶湖の特産。渓流で藻などを餌とする鮎とは異なり、主にプランクトンを食べて育つ“小鮎”は、成魚でも体長は10数センチほど。頭から尾までまるごと天ぷらにしていただくと、渓流で育つ鮎とはまた違った印象。その味わいに、薮崎氏が口を開きます。
「薬膳には、『一物全体』という言葉があります。食べ物にはすべての部分にそれぞれの栄養があるという意味です。この時期に鮎の体のところにだけ皮を巻いて春巻きとして出しているんですが、その料理にこの小鮎を使ってもいいかもしれません」

その後も、独特の食文化、琵琶湖ならではの淡水魚の話に耳を傾ける一行。ビワマス、小鮎を試食しながらの食談義に花を咲かせます。

ビワマス。漁の最盛期は7月だが、琵琶湖の水温が下がる1~2月が脂がのってより一層美味しくなるとか。

昼食を兼ねた試食ではビワマスの刺身と小鮎の天ぷらを。ここでも薮崎氏は何かアイデアがわいた様子。

『みなくちファーム』にて。奥様の水口良子さんを囲み、後藤氏とつくださんがハーブ談義。

ローカルファインフードフェア滋賀就農わずか8年。シェフも納得のトップレベルの野菜を栽培。

次に一行が向かったのは、琵琶湖の北西、高島市にある『みなくちファーム』。ここは、農薬や化学肥料を使わずに、持続可能な循環型農業を実践する農場です。現在でこそ10ヘクタールの畑を擁して年間100種以上の野菜を栽培しますが、就農した8年前はわずか25アールほどの畑から『みなくちファーム』は始まったといいます。
「荒れ果てた耕作放棄地を借りて、妻と一緒に手で石を拾い、ユンボを使って開墾。25アールの畑になるまで半年かかりました」と笑うのは代表の水口淳氏。

その畑を案内してもらうと気づくことがあります。きれいに除草されている箇所もありますが、一部は雑草と野菜が混在。しかし、それこそが『みなくちファーム』の野菜づくりにおける信念でもあります。
「どうしても草むしりをしないといけないときはやります。でも、草にまみれて育つ野菜もある。なるべく自然の形態を壊さぬよう、野菜本来の力を発揮できる環境で育てることが一番です」
そんな話を聞き、シェフたちは俄然前のめりになります。とりわけ、菓子作りが専門となるつくださんと後藤氏は、ハーブに注目しました。
「ハウスものより力強さが全然違う。ブッシュバジルはすごく印象的だったし、フェンネルシードも本来は乾燥され加工されたものが流通していますが、こうして生のシードを見られるのも産地を訪れたからこそ。フェンネルの花も甘くて美味しい。フランス修業時代は夏場によく使っていたので、さっぱりした何かを作れたらいいですね」
そう後藤氏がいえば、店では野菜を使った和菓子も多く手掛けるつくださんは、滋賀で古くから栽培されてきたまくわうりに対して「むかしのマスクメロンのようなイメージ。ウリですけど、ほんのりと甘みがあって、シンプルにコンポートにしてみてもいいかも」と想像をふくらませます。

一方で、山本氏は「日々、市場でも野菜を見ていますし、いろんな産地の農家さんにも足を運びますが、ここの野菜はトップレベル。水口さんは新しいものへのチャレンジ精神もあるし、こうした間違いない野菜はバイヤーとしていろんなシェフに紹介していきたい」といいます。

雑草と共生するレモングラス。できる限り自然の形を崩さず栽培している。

バイヤーの山本氏。「土がいいから、土のままいける!」とサラダゴボウをそのままがぶり。

後藤氏が気に入っていたフェンネルの花。食べるとハーブらしいさわやかで、ほんのりとした甘さ。

ローカルファインフードフェア滋賀滋賀といえばこれ! 日本三大和牛のひとつ近江牛の生産者のもとへ。

そして、1日目の最後に訪れたのが、循環型畜産で滋賀が誇るブランド牛・近江牛を育てる『千成亭ファーム』。その牛舎のひとつにシェフたちは足を運びます。

見渡す限りの田園地帯に囲まれた牛舎を訪れ、シェフたちが口々に言うのは「牛舎が清潔」であること。それは牛たちにいかにストレスを与えず育てるかを大切にした『千成亭ファーム』のこだわりでもありました。
風通しが良いように設計された牛舎、一頭あたりの7平米のスペースを確保し、寝床に清潔なおがくずを敷いた飼育環境などがそうさせるのでしょう、いわゆる“牛舎”特有の匂いも気になりません。

そうした環境で仔牛から育て、成長過程に合わせて飼料を変え、30ヶ月の月齢を目安に育て上げることで、より上質な肉質を目指して出荷するのだといいます。
そんな話を聞いたシェフたちにこの日の最後のご褒美が。それが『千成亭』が営む『せんなり亭 心華房』での夕食。
サーロイン、カイノミ、イチボ……。近江牛の美味しさを鉄板焼で体感したのでした。
野菜、魚、肉。滋賀県のさまざまな食材を間近にした1日。翌日はどんな生産者、食材との出会いがあるのか。シェフたちは、2日目の視察にも期待に胸を膨らせます。

とにかく清潔な牛舎。成長過程に合わせ異なる飼料を与えるなど、牛たちの生育環境にこだわる

職人としての生産者の感覚と、PCによる個体監視を実施し、牛の状況を常に把握している。

近江牛のサーロインの鉄板焼。サシは多いものの、きめ細やかな肉質でくどさは一切ない。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

(supported by 滋賀県)

美味しいひと皿ではなく、感動するひと皿。大切なことは、キッチンの外にある。[SUGINOMORI REVIVAL/長野県塩尻市]

 「奈良井には、昔からあるひとつ一つのものに“誇り”を感じます。それは、きっと住民の方々が大事に受け継いできたからだと思います。町を知り、学ぶことによって、それをどう料理に活かせるのかを追求していきたいです」と『嵓 kura』の料理長、友森隆司氏

友森隆司インタビュー同じ塩尻でも奈良井は特別。ここだけにしかない、誇りがある。

そう話すのは、宿泊施設『BYAKU』に内包するレストラン『嵓 kura』の料理長、友森隆司氏です。

友森氏は、同じ塩尻にある大門にて自身のレストラン『ラ・メゾン・グルマンディーズ』を構えるシェフです。2011年に『トムズレストラン』として開業し、2015年に現在の店名に改め、10年の節目を迎えた2021年。レストラン『嵓 kura』の料理長として、新たな料理人人生を歩む決断をしたのです。

「パリや東京、横浜、そして松本など、さまざまな国と地域でフランス料理を学んできました。そんな中、ご縁で訪れた塩尻の野菜の魅力に惹かれ、お店を構えるならこの地域でと思い、2011年に開業しました。しかし、お店を成功させることだけでなく、当時から “塩尻の食文化を伝える”ことを目標に掲げていました。その期限は、20年」。

そのゴールは、「塩尻の食文化を“日本全国、世界へ”を伝えること」。自らロードマップを描き、達成までに設けた期限は20年と決めていました。着々と目標に向け、レストラン以外にも活動を開始。料理教室やイベントを通して地域や住民、生産者との交流を図り、食材の仕入れにおいても畑まで足を運びます。農家から余った野菜をいただけば、無駄にせず、出張マルシェも展開。塩尻の食文化を伝えることを通して、雇用も生んできたのです。

「実は、自分の出身は広島なんです。そんな余所者を受け入れてくださった塩尻の方々は、本当に優しく、温かい心を持っています。それに恩返しをしたいと思って始めたのが、“塩尻の食文化を伝える”活動でした。10年続け、塩尻の中では浸透してきたのですが、次は外に向けて発信したいと思っていました。しかし、それを成すには、『ラ・メゾン・グルマンディーズ』という個人のお店では難しさを感じていました。そんな時にレストラン『嵓 kura』のご縁をいただいたのです。しかし、正直悩みました。自分のお店を置いて奈良井に行くことも然り、歴史ある『杉の森酒造』の再生に自分が務まるのか、奈良井の方々に受け入れていただけるのか……」。

大きな分岐点にもなる2度目のご縁。様々、思いを巡らせるも、決断した決め手は初志貫徹、“塩尻の食文化を伝える”ためでした。

「このプロジェクトに参画することになってから、奈良井に足繁く通っていますが、本当に知らないことばかり。同じ塩尻でも『ラ・メゾン・グルマンディーズ』で仕入れていたものが仕入れられるかといえばできませんし、勝手も全く違う別世界。食文化においても、漬物や発酵、おやきなど、飾り気のないものが多いですが、そんな素朴の中に“誇り”を感じます。実は、奈良井でそば粉を打っているお母さんのところへ遊びに行かせていただく機会があったのですが、そこで食べさせていただいたキュウリのお漬物が本当に美味しくて。もちろん、プロの料理人の方ではなく、家庭で育てたキュウリを家庭で漬けたものなのですが、自分には出せない味でした。こうした体験に『嵓 kura』で表現すべき料理のヒントが隠されていると思いました」。

記憶に残る旅とは、地域らしさを一番色濃く享受できる時間。それは、地域にとって当たり前であればあるほど、日常であればあるほど、ゲストにとっては新鮮であり、唯一無二の体験となるのです。

しかし、地域の人間でない友森氏がそれを表現するのは至難の業。まずは、地域に受け入れていただく料理人になるために、人間になるために。大門に受け入れていただけるよう努力した日々を、もう一度、ゼロから奈良井でスタートさせます。

 店名の『嵓 kura』とは、山稜の下に眠る岩などの意味。古くから奈良井宿を支えてきた奈良井川の源は、山から流れる水。そんな自然からの恵みを料理の起点と捉え、「蔵」の呼び名をそのままに「嵓」として引き継ぐ。

『杉の森酒造』だった当時、酒造りをする「蔵」として活気に満ち溢れていた空間をレストラン『嵓 kura』として再生。奥のガラスの向こうでは、酒造りも復活させる。

友森隆司インタビュー『嵓 kura』の料理に必要なことは、理由のある料理。

奈良井宿は山々に囲まれ、そこから流れ出る水が奈良井川の源。日本最長、約1kmにも及ぶ宿場には、古くは鳥井峠を行く人、来る人の喉を潤わせてきた水場も点在し、今もなお、水と密接に関わる暮らしが形成されています。

「今回、料理の監修を担っていただく長谷川(在佑)シェフが大事にしている食材のひとつにお米があります。ご存知の方も多いですが、ご自身のレストラン『傳』と言えば、土鍋ご飯。『嵓 kura』でもそれを取り入れたコース料理を考案しており、塩尻の西条という地域で育ったお米を使用しようと思っています。理由は、奈良井と同じ分水嶺から育つお米だからです。土鍋ご飯の試作では、その具材に同じ尾根から流れ出る水で育ったシナノユキマスやイワナとも合わせてみました。食材たちが生まれた環境は違えど、同じ水から育ったもの同士、自然と馴染みが良い」。

長谷川氏が『嵓 kura』で大切にしたいことは、「この町が生きてきた自然のものやことを自然なかたちで活かした料理」。前述のキュウリの漬物やお米選び、水との関係にもつながります。

「奈良井に来てから、地元の方々には本当に良くしていただいており、とても感謝しております。町を歩いていると、すれ違いに「山菜持っていきな!」、「フキ持っていきな!」など、声をかけていただくことも多いです。大門では、食材をご一緒する生産者は農家さんのみでしたが、奈良井では地元の方々も生産者のような存在。皆さん、山を熟知されているので、どこに何が自生しているかの知識も豊富。クレソン、キノコ、セリ、三つ葉、ミョウガ、イタドリ、山椒、ウド……。数え切れません。今日、芽が出た。今日、実った。今日、咲いた……。これまで経験したことのない産地の近さ。そんな日々の旬、本当の意味での採れたてをどう料理に活かしていくのか。しかし、同時に自然との近さと運命共同体のため、険しい環境もあります。それを含め、奈良井のことを『嵓 kura』のチーム全員が知り、学ぶことが必要だと思っています」。

また、環境だけでなく、『ラ・メゾン・グルマンディーズ』との違いのひとつに、スタッフの人数が挙げられます。友森氏は、これまで料理をほぼひとりで担ってきたため、自身が表現したいことを自身の手でかたちにしてきましたが、『嵓 kura』はチームで共有し、かたちにしていきます。よって、足並みや目線合わせは非常に重要になります。

「『嵓 kura』に必要なことは、高級な食材を使用したフルコースではないと思っています。例えるなら、美味しいひと皿よりも感動するひと皿。長谷川シェフは、皿に乗った料理よりも、調理の技術よりも、その前の出来事に時間を費やし、丁寧に向き合い、真摯に理解しようとしています。つまり、本当に大切なことは、キッチンの外にあるのだと思います。皿の上だけでは表現できないことに大切なことがあるのだと思います。感動は、そんなプロセスから生まれるのだと考えています。ひと皿一皿、味の記憶だけでなく、なぜそれが生まれたのかを伝え、皿の上では表現できない、見えない物語が記憶に残る料理にしたい。それには、ひと皿が生まれた理由が必要であり、その理由を生むには、背景を学ばなければいけません。奈良井の方々に愛される『嵓 kura』になれるよう、全力を尽くしたいと思います」。

やるべきことはわかっている。やらなければいけないこともわかっている。なぜなら、一度、余所者を経験しているから。10年かけて大門に必要とされるお店になれたように、シェフになれたように、人間になれたように、友森氏は、奈良井でもそれを目指します。

料理監修を担う『傳』の長谷川在佑氏(右)と試作を続ける日々。『BYAKU』に訪れて良かった、『嵓 kura』に訪れて良かったではなく、奈良井に訪れて良かったと思える料理を目指す。

『嵓 kura』では、『傳』のような土鍋ご飯もコース料理に採用予定。お米は、奈良井と同じ分水嶺、塩尻の西条で育つものを使用。

キッチン、サービス含め、塩尻を中心にスタッフは構成。長谷川氏を中心に、日々、トレーニングを重ね、開業までに精度を上げる。


Photographs:SHINJOH ARAI
Text:YUICHI KURAMOCHI

地域と向き合う覚悟。学び続けることによって答えを探し続ける責務。[SUGINOMORI REVIVAL/長野県塩尻市]

「お客様はもちろん、地元の方々に美味しいとおっしゃっていただけるような料理にしたい。開業して良かったと思っていただけるようなレストランにしたい」と『嵓 kura』の料理監修を担う長谷川在佑氏。

長谷川在佑インタビュー自分はこの町に何を残せるだろうか。どんな責任が果たせるだろうか。

約1kmにわたる日本最長の宿場町、「奈良井宿」。そんな歴史ある町並みに200年以上身を構えていたのが『杉の森酒造』です。

2012年、惜しまれつつ閉業してしまったその建物は、宿泊施設『BYAKU』として再生され、2021年8月4日に開業を迎えます。

宿泊機能だけでなく、レストラン、バー、温浴施設、そして、酒蔵も内包。中でも注目したいのは、レストラン『嵓 kura』です。料理を監修するのは、日本のトップシェフとして知られる『傳』の長谷川在佑氏。

「今回のプロジェクトで初めて奈良井宿の存在を知りました。インターネットでどんな町か調べてから現地入りしましたが、実際は想像以上に美しく、現代において忘れ去られていた“正しい時間”が流れている町だと感じました。昨今、テクノロジーの技術が発達し、そのスピードは日に日に早くなっていると思います。SNSであれば、写真やコメントが瞬時にアップでき、時間差なく世界中の人と交流できてしまいます。そんな情報過多の仮想世界は、行ったつもり、見たつもり、食べたつもりなど、“つもり現象”が起こることもしばしば。流通においても、欲しいものを検索し、翌日にはそれが届いてしまう。ものを見て判断することや足を運んで探すプロセスは省かれ、愛着や手間隙という概念は崩壊寸前。先ほどの通り、自分も奈良井宿をインターネットで調べましたが、そこで得たものは一刀両断されました。独自の空気感は、画面上では決して感じることはできず、何もない町のようで“何か”ある、そして、その“何か”は生きる上で必要な“何か”、大切な“何か”だと本能的に身体で感じたのです」。

太陽が昇り朝は訪れ、陽が沈めば夜が訪れる。明るい時間は明るく、暗い時間は暗い。語弊を恐れずに言えば、決して便利な町ではありません。しかし、自然に抗うことなく暮らしが形成されているこの町には、正しい時間が流れています。

長谷川氏が感じた“何か”とは何か。難問の答えはすぐに解けるわけもなく、奈良井宿はそんな容易い町ではありません。

江戸時代から守り続けられた町並みを一歩一歩歩きながら、その建築様式に目を凝らし、「きっと多くの旅人の休息を叶えてきたのだろう」と様々な思いを巡らせるも「感傷に浸っている時間はない」とひと言。

「料理の監修は、『傳』の新メニューを考案することよりも、『傳』の新店を作ることよりも、ほかの何よりも一番難しい」。

レストラン『嵓 kura』は、元々、酒蔵だった空間を再生。できる限り、既存の部材を残し、奥のガラスの向こうでは酒造りも復活させる。

「美味しく仕上げる食事よりも、この町で暮らすには必要だった生きるための食事を学び、料理に活かしていきたい」と長谷川氏。

長谷川在佑インタビュー

料理監修は料理だけにあらず。チームの監修、人間力の向上こそ、絶対条件。

「この町には、高級料理や希少食材は、必要ないと思っています。なぜなら、今の時代、高級料理はどこに行っても食べることはできますし、希少食材も手に入れようと思えば世界中から取り寄せることも可能ですから。それよりも、この町が生きてきた自然のものやことを自然なかたちで料理に活かし、表現したいと思っています。もしかしたら、それは必ずしも“美味しい”が答えではないかもしれません」。

例えば、山々に囲まれた奈良井宿で一級の海鮮を供すことに意味を成すのか? それよりも、ここでは身近に自生する山の幸に意味があるのです。しかし、そんな山の幸も奈良井宿の険しい冬には敵いません。ゆえに、保存食が必要とされ、発酵に意味があるのです。

「レストランに行く。美味しい料理が出る。一見、当たり前のように思うかもしれませんが、果たしてこれは旅先に必要なことでしょうか。美味しい料理=体験とは限らないと考えます。これまで、ありがたいことに様々な国へ足を運ばせていただくことがあります。当然、各地で食事もするわけですが、実はあまりレストランへ行きません。なぜかというと、その土地で生まれたその土地の料理を味わいたいからです。自分が思うそれをいただけるところは“お母さん”が営むお店なのです。そこで地元の味、家庭の味をいただき、調理法を教わり、会話をする。自分にとっては、そんな時間が旅を豊かにしてくれるのです」。

奈良井宿の豊かさは、予約が取れないレストランに行くことやガストロノミーをいただくこととは異なります。それと同じ舞台で勝負する必要もなければ、比べる必要もありません。ランキングや星の数よりも大切なことが『嵓 kura』には必要であり、だからこそゲストを体験へと導くのです。

「そのポテンシャルは、ある。あとは、“我々”の問題」。

「自分の問題」ではなく、「我々の問題」と指す意味は、「料理監修は料理だけにあらず。チームの監修、人間力の向上こそ、絶対条件」につながります。

「実は、メニューを開発することは、さほど難しくはありません。キャリアのある方であれば、技術に関しても自ずと身に付いていくと思います。しかし、本当に大切なことはそこにはないと思っています。地域を理解する心、そこに住まう方々を知る心、そして何より、地域に受け入れていただける人間になること。これは料理人として、レストランに関わるスタッフとして云々以前の問題です。この監修という仕事が難しいと感じる一番の理由は、“土地に自分が居続けることができないこと”にあります。自分が伝えたいことは、常駐するスタッフがどのようにこの土地と介在するべきなのかの意義。おそらく、開業時には未熟な状態です。自分もまだまだ足りないと自覚しています。もっと地域から学ばなければいけない。住民の方々から学ばなければいけない。更に言えば、学んだ先に答えは見つからないかもしれない。それでも『嵓 kura』のみんなで学び続けることが大切なのだと思います」。

なぜ学び続けるのか。それは、奈良井の一員にさせていただくためのほかなりません。

長谷川氏の言う通り、『嵓 kura』は未完成であり、もしかしたら、生涯、未完成のままかもしれません。

ひとりで難しいこともチームで乗り超えていく。チームの価値とは、苦しい時は助け合い、分散し、喜びは共有でき、倍増することにあります。それを成すために必要なことは、これを分かち合える人間になれるか否か。

学ぶことは人間力の向上。そのプロセスには、テクノロジーの技術を駆使した一足飛びはありません。この町同様、正しい時間をかけて正しく身につけていくことが重要なのです。

「料理を作ることだけがレストランではない。お客様のために何ができるか。“良かったよ!”、“また来るね!”ではなく、次の約束をできるような満足をお届けしたい。そのために自分たちに何ができるか。それは“準備”しかありません。準備して、準備して、準備して。それでも反省は生まれてしまいます。しかし、後悔するようなことをしてはいけません。かたちだけのストーリーはいらない。実は、以前、地元の方から鯉を食べる文化のお話を伺ったのですが、その時に“鯉は骨が多くて食べづらいんですけどね”とおっしゃっていて。自分に文化を作ることはできませんが、料理人としての技術を生かして、その鯉を食べやすくすることはできると思いました。学ぶことによっていただいたものを新しいものにしてこの町に残していけるようにしたい。地元の方々が歩んできた時間を大事にしたい。奈良井宿に喜んでいただけるような場所にしたい。心技体を持って、奈良井宿と向き合いたいと思っています」。

自然と暮らしが密接な関係で結ばれている奈良井宿。『BYAKU』の付近に自生している山の幸を摘む長谷川氏とレストラン『嵓 kura』の料理長を担う友森隆司氏。

塩尻を中心に新鮮な野菜などを起用して料理を考案。良い料理作りは、まず地域を知ることと、食材を知ることから始まる。

長谷川氏が地元の方から「鯉を食べる文化はあるも、骨が多く食べづらい」という話を聞き、骨切りを施し、食べやすく試作。

作っては試し、また作っては試し。開業ギリギリまで試作は続く。『傳』でお馴染みの土鍋ご飯は、塩尻のお米を使用してレストラン『嵓 kura』でも提供予定。

レストラン『嵓 kura』のスタッフ。「このチームで様々を乗り越え、何としても良いかたちにしたい。この町に認めてもらえる場所にしたい」と長谷川氏。


Photographs:SHINJOH ARAI
Text:YUICHI KURAMOCHI

6.5ozループウィールTシャツ(LOVE柄)

着心地バツグンの吊り編みTの2021新柄!

  • 吊編み機(LOOPWHEEL)で時間を掛けて編み上げた無地Tシャツ
  • プリントインクは生地に若干染み込むタイプで、味のある仕上がり
  • プリントデザインは山形県酒田市で活躍するピンストライパーHOPPING SHOWER"テツ"氏によるもの
  • プリントTシャツ(14番単糸)より一格薄い生地(16番単糸)を採用
  • ボディ:16番単糸吊編み天竺(6.5oz)
  • ネック:20番双糸フライス編
  • XS〜Lサイズは丸胴(脇接ぎなし)、XL〜XXLは脇接ぎ仕様
  • 定番の7.5ozプリントTシャツよりもワンサイズ小さめになります。ご購入の際は、サイズスペックをご確認下さい
  • 専用衿ネームと裾ネームが付きます

IHT-2106 :サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 61.0 39.0 86.0 87.0 19.0 18.0
S 63.0 41.0 93.0 94.0 19.5 18.0
M 65.0 43.0 97.0 96.0 10.0 18.5
L 67.0 45.0 103.0 104.0 20.5 19.0
XL 68.5 47.0 112.0 113.0 21.0 19.5
XXL 70.0 49.0 118.0 119.0 21.5 20.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
  • 商品はワンウォッシュ済みです。
  • 定番の7.5ozプリントTシャツよりもワンサイズ小さめになります。ご購入の際は、サイズスペックをご確認下さい

素材

  • 綿:100%

6.5ozループウィールTシャツ(デニム柄)

着心地バツグンの吊り編みTの2021新柄!

  • 吊編み機(LOOPWHEEL)で時間を掛けて編み上げた無地Tシャツ
  • プリントインクは生地に若干染み込むタイプで、味のある仕上がり
  • プリントデザインは山形県酒田市で活躍するピンストライパーHOPPING SHOWER"テツ"氏によるもの
  • プリントTシャツ(14番単糸)より一格薄い生地(16番単糸)を採用
  • ボディ:16番単糸吊編み天竺(6.5oz)
  • ネック:20番双糸フライス編
  • XS〜Lサイズは丸胴(脇接ぎなし)、XL〜XXLは脇接ぎ仕様
  • 定番の7.5ozプリントTシャツよりもワンサイズ小さめになります。ご購入の際は、サイズスペックをご確認下さい
  • 専用衿ネームと裾ネームが付きます

IHT-2107 :サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 61.0 39.0 86.0 87.0 19.0 18.0
S 63.0 41.0 93.0 94.0 19.5 18.0
M 65.0 43.0 97.0 96.0 10.0 18.5
L 67.0 45.0 103.0 104.0 20.5 19.0
XL 68.5 47.0 112.0 113.0 21.0 19.5
XXL 70.0 49.0 118.0 119.0 21.5 20.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
  • 商品はワンウォッシュ済みです。
  • 定番の7.5ozプリントTシャツよりもワンサイズ小さめになります。ご購入の際は、サイズスペックをご確認下さい

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディプリントTシャツ(バイク柄2021 New Color)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディースのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはラバーで、バックとフロントワンポイント。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2108: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 62.0 39.0 84.0 84.0 16.0 17.0
XS 63.0 42.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 66.0 44.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 47.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 71.0 49.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 52.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

壱岐の魅力を詰め込んだクラフトジンがいよいよ完成![IKI’S GIN PROJECT/長崎県壱岐市]

壱岐の海をイメージしたブルーボトル。白砂が印象的な筒城浜海水浴場の岩場に置いてみると海の色と同化するほど、壱岐の海の色を再現。

壱岐ジンプロジェクト取材した生産者の顔が次々と浮かぶ、壱岐だからこそ生まれたこだわりのジン!

何はともあれ、まずは出来上がったばかりのジンをストレートで味わってみました。
すると、ファーストアタックで驚くほどイチゴの甘い香りが鼻腔に広がったのです。
「あ〜、取材をさせてもらったイチゴ農家の松村春幸さんの畑でにんまりとしたあの甘い香りと同じだ」。取材時の出来事が鮮明に思い出されます。
次に、香りで押し寄せたのは柚子。柚子の皮むき工場を訪れた際に教えてもらった『壱岐ゆず生産組合』の長嶋邦明氏の言葉が浮かびます。「もったいないけど、皮以外は全て捨ててしまうんですよ。でも、いい香りでしょ」。
それがしっかりとジンの個性に乗り移り、こんなに豊かな和の香りを生んでいるとは。
その後もジンを口に含むと、複雑なアスパラガスの味わいから、モリンガのほのかな苦味、ニホンミツバチから採取したという希少な壱岐産ハチミツの甘い香りまで、次々と取材で出会った生産者の顔が思い浮かぶのです。

昨年、コロナ禍で始まった長崎県壱岐島でのクラフトジン造り。壱岐を代表する焼酎蔵と、壱岐唯一の5つ星ホテルがタッグを組んで、壱岐でしか造れないジンを生み出そうと動き出したプロジェクトは、2021年5月末、「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」という名のクラフトジンの完成をもって初回の生産を終えました。そして今回、現地にうかがいジン造りの過程を見守ってきた我々『ONESTORY』も、壱岐発のジンの完成の一報を受け、再び壱岐を訪れたというわけです。群雄割拠のクラフトジン業界で壱岐発のジンはどう映るのでしょうか。今回は、壱岐の料理と合わせるペアリングディナーも体験し、忖度なしにその魅力に迫ってみたいと思います。

夕日に照らされた「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」。ボトルには、約700年近く受け継がれてきた伝統と歴史を持つ壱岐の神事芸能・神楽をデザイン。

干潮時のみ参道が現れる小島神社。そこかしこに広がる壱岐の美しさをボトルで表現した。 

少しの傷で廃棄されてしまっていた果実などを、壱岐の生産者を巡って説明し、譲り受けてジンの素材に。

壱岐ジンプロジェクト何度となく頓挫しそうになったジン造り。その情熱はクラウドファンディングで支援を募り結実。

まずはジン造りの経過報告から。
プロジェクト当初は、『壱岐リトリート 海里村上』の若きホテルマン・貴島健太郎氏と、その熱意にほだされ、壱岐で酒を醸し続ける『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋福太郎氏がタッグを組んだジン作り。島から若者が減る一方、高齢化は進み、雇用の確保など、島としての課題も山積み。愛する島と焼酎がこのまま廃れるのは何よりも悲しいと、ふたりは奮い立ったのです。

ですが、コロナ禍という特殊な状況の中、壱岐発のクラフトジン造りは紆余曲折。なかなか思うように進まず、約1年の時を経てクラウドファンディングで支援者を募る形をとり、予定していた3月の完成よりも2ヵ月遅れた5月末にようやく完成したといいます。
今回のジン造りのキーマンふたり、『壱岐リトリート 海里村上』でホテルマンとして働く貴島氏と、『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏は、それでも良かったと笑います。(詳しい紹介はこちらにて。)

「実は、会社の事情で僕が突如、壱岐から神奈川の箱根へ転勤が決まり、暗雲が立ち込めてしまったりしました。でも、『壱岐リトリート 海里村上』の支配人とソムリエが全面バックアップしてくれ、その後フィニッシュまで持っていってくれたんです。本当にハラハラしました」と貴島氏。
「コロナと同じで、状況が逐一変化していく中で、それでもこのプロジェクトは壱岐の焼酎文化の発展のためには諦められなかった」と石橋氏。
当初のチームが形を変えていく中でも、連携し、協力しあい、ジン造りの灯火を消さずに乗り越えてきたことで、ジンが完成したといいます。
実際、クラウドファンディングでの支援の輪は目標額を大きく上回り、目標100万円の200%以上の支援額を達成。更には、ふたりがかかげてきたフードロスの問題や、麦焼酎発祥の地である壱岐の焼酎をベースに使うこと、そして壱岐の水と壱岐産のボタニカルで香りと味を生み出すなど(詳しい紹介はこちらにて。)、課した課題は全てクリアしたといいます。せっかくやるなら妥協しない。そんなふたりの想いの強さから造られたジン。発売が遅れたのは必然だったのかもしれません。構想から約1年を費やしたジン造りでしたが、少数精鋭、貴島氏と石橋氏が島を走り回り、生産者一人ひとりの理解を求め、廃棄されてしまう食材に再び光を与える。発売の遅れは妥協を許さなかったという証であり、壱岐の海を連想させるブルーボトルの中に壱岐らしさをたっぷりと詰め込んだのです。
「まさに壱岐の情景!」。アルコール度数40%のストレートをぐびりと呷(あお)った、まさにそれが我々編集部の第一印象でした。

「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」とペアリングするディナーを待つ間に、目前に広がる穏やかな海を眺めつつ、ふたりの奔走を思い出しながらジンの完成を讃え、ほくそ笑むのでした。

壱岐の景勝地・猿岩を前にインタビューに答えて頂いたキーマンふたり。『壱岐リトリート 海里村上』のホテルマン・貴島健太郎氏(左)と『壱岐の蔵酒造』代表・石橋福太郎氏(右)。

『壱岐リトリート 海里村上』の総支配人であり料理長の大田誠一氏(左)。

『壱岐リトリート 海里村上』のソムリエ大場裕二氏。総支配人と大田氏とともに最終的な味の監修に参加。

壱岐ジンプロジェクト壱岐の料理と、壱岐の素材だけで造ったジン。スペシャルなペアリングディナーを体験。

「飲み飽きない味。実際、私は毎日晩酌で飲んでいるんです。華やかなフルーツの香り、一番はイチゴと柑橘ですね。更にハチミツが入っている分、独特の甘さも。薬草っぽい木の芽、モリンガもほのかに感じますね」と話すのは、『壱岐リトリート 海里村上』の総支配人であり料理長の大田誠一氏。
「ベースのボタニカルサンプルが24~25種類。その中で配合を組み合わせたジンです。全て壱岐の食材であり、石橋さんと貴島の方で味の設計図はしっかりできていたので、調えるのはそれほど難しくはなかったですよ。私の印象ではイチゴの香りが突出していたので、調和させるために調えたくらい。更にこのジンは、香りは強いけど米由来の甘さがある。それこそが壱岐焼酎らしさ。より甘さを引き出すなら氷で少しずつ溶け出すと甘くなりますし、焼酎由来なのでお湯割りにも合う」と話すのは、『壱岐リトリート 海里村上』のソムリエ・大場裕二氏。『壱岐リトリート 海里村上』の料理とお酒、味の統括をする番人ふたりがジンの最終的な監修をしたことで、更に「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」は、壱岐らしさの息吹を注ぎ込まれたといいます。

ペアリングディナーの最初の前菜盛り合わせでは、長崎の郷土料理の呉豆腐や自家製の唐墨大根を受け止めるべく、まずはストレートで提供。ジン本来の力強さを楽しませながら、しっかりと塩味の効いた前菜と調和させます。
かと思えば、アワビやアスパラガスの天ぷらではソーダ割り。
シンプルな壱岐牛の炭火焼きではお湯割り。クラフトジンは壱岐の料理と合わせると、変幻自在、いかようにも表情を変えていく印象です。

「壱岐の素材だけで造ったジンですから、壱岐の料理に合わないわけがない。これはやはり壱岐で飲むべきジンです」と言って大田氏が笑えば、「まさに壱岐のテロワールを凝縮したお酒です。僕からしたら手のかからないペアリングです」と大場氏もセリフをかぶせます。

若者の焼酎離れを危惧し、同じ蒸溜酒ながら全く異なるジンを生み出した今回のプロジェクト。味の番人ふたりはいとも簡単にジンのみで楽しませるペアリングディナーを完成させたそうです(こちらのペアリングディナーは、現時点ではクラウドファンディングのリターンとして提供)。

最後のスイーツは壱岐産日本蜜蜂の自家製アイスクリーム。
これにストレートのジンを合わせると、得も言われぬ多幸感を生み出すのです。あの希少なハチミツの香りが、アイスにかかったハチミツと合わさると追い鰹の要領で膨らみ、旨さを増幅させていくのです。しばし、恍惚としながらも、壱岐の豊かさを感じるペアリングディナーはゆっくりと心地よく終演を迎えました。

壱岐で生み出された料理と、壱岐の素材だけで造ったクラフトジン。それを壱岐の5つ星ホテルで味わう同企画。クラウドファンディングのリターンで8名のみが手にしたこの愉悦は、ぜひ今後、ホテルの名物企画になることを切に願います。

唐墨大根、呉豆腐、玉子味噌漬け、トマト蜜、貝ウニの前菜盛り合わせはストレートで。

黒鮑、烏賊、アスパラガス、南京を天ぷらで。モリンガ塩で味わう。こちらはすっきりとしたソーダ割りがマッチ。

肉料理は壱岐牛炭焼き。こちらは壱岐の柚子塩で味わう。お湯割りがじんわりと壱岐牛の脂を溶かし、旨味が広がっていく。

白眉は壱岐産日本蜜蜂の自家製アイスクリーム。アイスの上にさらにハチミツがかかっており、ちびちびとストレートで味わうとハチミツ由来の甘さが膨らむ。

住所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520 MAP
電話:0120-595-373
http://ikinokura.co.jp/

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2 MAP
電話:0920−43−0770
https://www.kairi-iki.com/

想いはひとつ、壱岐の美しさを詰め込むのみ。キーマンふたりが振り返るジン造り。[IKI’S GIN PROJECT/長崎県壱岐市]

小牧崎にて、日本海に沈む夕日。ジン造りの最後のインタビューはこんな絶景の中で行われた。

壱岐ジンプロジェクト焼酎蔵の代表と若きホテルマン。ふたりが出会いジン造りが動き出す!

若者の焼酎離れを危惧する『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋福太郎氏と、仕事で初めて壱岐を訪れることになった『壱岐リトリート 海里村上』の若きホテルマン・貴島健太郎氏。そんなふたりがタッグを組み生み出したのは、壱岐発祥の麦焼酎をベースに使ったジン。年齢も経歴も全く違うふたりが、壱岐の素晴らしさを伝えたいという一心で結びつき、壱岐でしか造り得ないジンを完成させたのです。

全てを壱岐にちなんだものにしたいと、まずふたりが取り組んだのは、焼酎をベースにしながら、廃棄されてしまう壱岐の食材などを蒸溜し、香りをつけるというもの。当然、仕込み水も壱岐の水。ボトルデザインも壱岐出身者が行い、壱岐の海の色を鮮やかに表現しました。1年に及ぶジン造りの最後のインタビューでは、キーマンふたりの視点から「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」というジンについての想いを語って頂きました。

光り輝く「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」。紆余曲折を経てキーマンふたりを中心についに2021年5月末に完成。

壱岐のそこかしこに広がる絶景に、すっとなじむブルーボトルのクラフトジン。

壱岐のモンサンミッシェルとも呼ばれる小島神社。美しい風景が日常に溶け込んでいるのが壱岐という島だ。 

壱岐ジンプロジェクト壱岐を代表する焼酎蔵が目指した、新たなチャレンジとは?

まずは『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏が次のように話します。
「プロジェクトの構想自体は、実はジンありきでスタートというわけではなかったんです。こんな大変な時代だからこそ、何か面白いことをやりたいという想いから始まり、方針がなかなか定まらず4~5ヵ月が経過。そうこうしていたところに、若きホテルマンの貴島さんがジンを提案してくれたんです。初めは焼酎蔵に『ジンを造ってみませんか?』と大まじめに語る彼をどうかしていると思ったほどです。でも、熱心な彼の想いに耳を傾けると、壱岐愛がビンビンと伝わってきた。そうして僕も覚悟を決めたんです(笑)。それからは試行錯誤の連続。なんせお酒はお酒でもジャンルが全く違いますから。まずはスピリッツ免許を取らないとでした。それでも貴島さんとユズにイチゴ、ニホンミツバチ、アスパラガス、各種柑橘、モリンガなどなど、20以上の生産者を回るうちに、色々と協力者も増えてきて、少しずつ形になっていくのが楽しかった。2020年の3月からプロジェクトが始まり、約1年3~4ヵ月でようやく形になったわけです。『壱岐の蔵酒造』としても新たな事業であり、僕自身も年甲斐もなくワクワクしていたんだと思います」。
若者の焼酎離れを危惧していた矢先、新型コロナウイルス感染症の蔓延により、壱岐発祥の麦焼酎は大打撃を受けます。そんな中、起死回生のチャレンジとして、石橋氏はジンという新たな手法で挑戦を始めたのですが、ご本人曰く楽しかったと、感想は実にシンプル。自らが愛する焼酎に食材を漬け込み、香りを移すために蒸溜するジンの製法にも可能性を見出したといいます。
「ベースの焼酎から、いくらでも違った味わいを生み出せるのが面白い。壱岐のボタニカルでまだまだやれる可能性を感じましたね」と石橋氏は続けます。
クラウドファンディングで支援を求めると、目標の100万円をたやすく達成し、更に倍額の200万円も達成。クラフトジンの需要が会社の一事業として見えてきたといいます。
「初回ロットは1,000本のみ。どのくらい出るかが未知数で不安で小規模でやってみたんですが、予想以上に出た。嬉しい悲鳴ですが、もう少し造れば良かったなぁ」と石橋氏。
すでにトライアルで生産された1,000本の行き先はほとんどが決まったそうで、次の生産計画も立てやすいとのこと。
そんな1年に及ぶジン造りを振り返る石橋氏の目は、少年のように輝いて見えました。更に石橋氏の頭の中は、すでに次の蒸溜のことでいっぱいのようにも。来期の仕込みではいったいどんな生産者のボタニカルを使うのでしょうか。この経験を生かしたいという想いが言葉からも溢れていました。

『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏。焼酎蔵の代表自らがジン造りを牽引。

自社の麦焼酎に様々な果実や野菜、ボタニカルを漬け込み、壱岐らしさを探ってきた。

『壱岐リトリート 海里村上』の貴島氏とともに、様々な生産者のもとを訪れ、廃棄される運命にあったボタニカルを再利用したいと訴え続けてきた。

壱岐ジンプロジェクト純粋に壱岐が素晴らしいから、ジンにその想いを詰め込んだ若きホテルマンの挑戦。

「売れ残ってしまったらどうしようというのが、正直な気持ちでした。とにかく、しっかりと売れてくれてひと安心です。クラウドファンディングの支援者などからも『壱岐にこんなのあったんだね』や『とても楽しみです』など、感慨深いとコメントももらえて、チャレンジして本当に良かったです」と、ジン造りの発案者・貴島氏。
20代の貴島氏を中心としてスタートしたプロジェクトですが、『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏や、『壱岐リトリート 海里村上』の総支配人であり料理長の大田誠一氏など、貴島氏と議論を重ねたのは、年齢を重ねた人生の大先輩ばかり。気後れせずにいかに自分の想いを表現できたのかが気になります。
「とにかく僕にとって壱岐は新鮮だった。僕の感じた壱岐の魅力を詰め込もうと、素直に発言しただけなんです。壱岐の人にとっては、それが都会の感覚と感じてもらえたようなんですが、今壱岐にある美しい風景や美味しい食材は、本当にかけがえのないもの。僕にしたら、皆さんの普通はとてつもなく贅沢だと伝えたかったんです」と貴島氏は話します。
そんな一途な想いこそがこのプロジェクトの骨子。真っ青に輝く「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」は、まさに壱岐の魅力そのものなのかもしれません。
「お勧めは、お湯割りです! ジンなのにお湯割りが美味しかった! 焼酎文化の島らしさで香りが立つのが特徴です。ジンはもちろん、焼酎以外のお酒ではなかなかこうはいかないのかも。それもこのジンが持つ壱岐らしさです」と貴島氏。
更に、貴島氏はこのまま終わらせたくないともいいます。第2弾、第3弾と、バリエーションを加えてやっていけたらと話してくれました。
「ハチミツが、最初はここまで香りがするとは思わなかった。とても貴重なニホンミツバチのハチミツなので、そこまで量を使えなかったのが悔しい。もうワンランク上のプレミアムジンを造れば、思う存分使えるかも」。そんな発想も貴島氏ならではのものなのかもしれません。

壱岐という小さな島で巻き起こった、クラフトジンプロジェクトは、一旦、最初の挑戦を終えました。

麦焼酎発祥の島だからこそ、なし得たジン。
海風が吹き抜ける島でなくては造れなかったジン。
柑橘の島だからこそ生み出せる香りを持つジン。
コバルトブルーに輝く海があったからこそ出来上がったジン。
「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」には、そんな壱岐の魅力が溢れています。初回ロットは1,000本。そのうち最後に残された約200本が2021年8月10日(火)より一般発売されます。壱岐を感じてほしい、そんな挑戦者たちのクラフトジンは、様々な壱岐の方々の顔が浮かぶジンとなりました。
壱岐を訪れたことのない人ならば、美しい海と豊かな食材の香りに思いを馳せ、壱岐を訪れたことのある人ならば、再訪したような錯覚を感じるやもしれません。それほど、このクラフトジンは壱岐なのです。壱岐を感じてみたい、旅気分を味わってみたいという方に、『ONESTORY』は「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」を強くお勧めしたいと思います。

『壱岐リトリート 海里村上』のホテルマン・貴島健太郎氏。壱岐の様々な生産者と会話を繰り返し、想いを伝えてきた。

持ち前のチャレンジ精神で、様々な食材を自ら試食。食べごろ前の柑橘など、まだ苦味しかない状態でも味わってみたいと貴島氏。

完成したクラフトジンのボトルを手に持つ貴島氏。いよいよ最後の200本が2021年8月10日(火)に一般発売される。 

住所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520 MAP
電話:0120-595-373
http://ikinokura.co.jp/

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2 MAP
電話:0920−43−0770
https://www.kairi-iki.com/

イージーショーツ 

ラフ&タフなアイアン流イージーショーツが登場!

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729: サイズスペック

  ウエスト 前ぐり 後ぐり ワタリ 裾巾 股下
S 80.0 21.5 36.0 31.8 26.0 27.0
M 85.0 22.5 37.0 33.4 27.0 27.0
L 90.0 23.5 38.0 35.0 28.0 27.0
XL 95.0 24.5 39.0 36.6 29.0 27.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。予めご了承ください

素材

  • 綿100%

暮らすように滞在する。京都・東山から提案するホテルの新たなスタイル。[東山 四季花木/京都市東山区]

東山に誕生した『東山 四季花木』。伝統美を表現しつつ、余計な装飾を削ぎ落とした引き算の美学が光る。

東山 四季花木建築家とインテリアデザイナーの夫婦が手掛けたラグジュアリーホテル。

荘厳な寺社の数々、行灯が照らす古都の町並み、ゆったりとした鴨川の流れ。一般的にイメージされる“京都らしさ”の多くが詰まった京都市東山区。そんな東山区の中心部、東西線東山駅のほど近くに2019年秋、一軒のラグジュアリーホテル『東山 四季花木』が誕生しました。

客室は、わずか8室。宿泊施設の建設ラッシュが続く京都にあって、ともすると見落としてしまいそうな小さなホテルです。しかし足を踏み入れるとそこは、訪れる人のことを考え抜いた数々のホスピタリティに満ちた、唯一無二の存在でした。

ホテルを手掛けたのは、建築家の夫とインテリアデザイナーの妻のご夫妻。二人の言葉を通して、ホテル誕生の物語と、館内の随所に仕掛けられた穏やかに過ごすための工夫を紐解いてみましょう。

1階のアプローチ。正面奥には『唐長』十一代目・千田堅吉の作品が出迎える。

東山 四季花木京都人夫妻が考えた「二人で行くなら、こんなホテル」

石畳の敷かれた三条通り沿いの、五階建ての建物。
どっしりと重厚な石の質感と大きなガラスが醸す怜悧さに、門口の坪庭や親子格子が添える温かみ。複数の建材がバランス良く融合し「街に溶け込んでいるのになぜか目を引く」という不思議な現象を引き起こします。あえて言葉にするならば“和モダン”ですが、それだけでは伝えきれない存在感です。

それもそのはず、設計を担当したオーナー・川上隆文さんは、これまでに数々のホテル、住宅、公共施設などを設計してきた人物。そんな川上さんがとくに意識してきたのは、住まい手、使い手のことです。土地の価値を最大限に活かす建物を設計すると同時に、「たとえば飲食店なら客席が何席で何回転するのか」という、いわば設計士の担当範囲外のことまで考え続けてきたといいます。

そして依頼としての設計を手掛けながら、「自分で作るならこうしたい」という思いを温めてきたのです。言うなれば、“構想数十年”。無駄のない美しさは、建築家としてのキャリアの集大成であり、夢の結晶なのかもしれません。

インテリアデザイナーである妻・北山ますみさんも、理想のベクトルは同じ。仕事として照明、クロス、調度品などを配置するにとどまらず、「実際に利用する人がどう感じるか」という部分まで想像しながらインテリアデザインを手掛けてきました。

「経営のことまで考える建築家は聞いたことがない」と北山さんが言えば、川上さんも「女性目線がありながら、業界の慣例に収まらない芯の強さもあります」と北山さんを評価。そんな互いにリスペクトを抱く二人が「二人で行くなら、こんなホテルが良い」と導き出した答えこそが、この『東山 四季花木』なのです。

北山ますみさん(左)と川上隆文さん(右)のオーナー夫妻。旅好きな二人の思いが、ホテルの随所に込められる。

「旅館のホスピタリティとホテルの快適性の良いとこ取り」を目指したという。

ルーフトップテラスからは京都市内の夜景なども一望。部屋を離れて思い思いに過ごすことができる。

東山 四季花木ゲストの目線で徹底的に考え抜かれたホスピタリティ。

構想を温め続けた二人ですが、実は開業を決めてこの物件を探したわけではありませんでした。単に投機的な目線だけでみれば、これまでに何度も良い物件もありました。しかし二人の心は動きません。それは京都人として、自分たちの大好きな京都をどう表現できるのか、というアーティストの目線での妥協ができなかったのでしょう。

しかしあるとき、縁のあった不動産関係者に、知り合って3日目にこの場所を紹介されます。場所を見た瞬間、二人の心は決まりました。祇園、平安神宮、南禅寺などが徒歩圏内でありながら、市街地の喧騒からは離れた立地。目の前は歩道があり、電柱も地中。東山の緑を望む眺望。「ここでならやりたかったことが表現できる」それがこの土地に決めた理由。
事業として必要に迫られてはじめたホテルではないため、経営においても売上や効率以上に大切にする点があります。
それは、ゲストの満足度。訪れた人が満足し、また来たいと思えることを、ホテルの最高優先度に据えたのです。

ホテルの設えやホスピタリティの方向性は、そんな思いを起点に考えられました。おいしい料理屋と素晴らしい寺社がある京都で、ホテルにまでパワーのある空間に身を置くことが必要か。見どころの多い京都ではホテルの滞在時間が短くなる。それなら広めの客室でゆったりくつろげる時間を提供しよう。夫婦で旅行していたら一人になる時間も必要。ならば露天風呂や屋上テラスを設えよう。夕食は日本料理を食べる方が多いから、朝食は胃に軽く京野菜中心の洋食が良いのではないか……。じっくりと考え抜かれるホテルの方針。

それは京都旅行というストーリーの中でホテルが主役になるのではなく、たとえば親戚の家を訪れたような穏やかな安心感を提供すること。
「外から眺めたパッケージとしての京都ではなく、京都に暮らすようにゆるやかに滞在してもらいたい」そんな思いが、ホテルの中に詰まっているのです。

ウェルカムティーは日本最古の茶園『丸利 吉田銘茶園』の煎茶を季節の和菓子とともに。

チェックイン、チェックアウト、滞在中のくつろぎスポットとして利用できる『茶論』は館内2階。

朝食は京野菜を中心に、はなかごパンや自家製スロージュースとともにヘルシーな内容。名店で料理長も務めた坂辻亮シェフのオリジナル。

東山 四季花木京都らしく、しかし主張し過ぎず。中庸こそがホテルの美学。

ガラスの扉を抜けて内部へ。1階は重厚な石造りのエントランスには、寛永元年創業『唐長』の唐紙やタイルが出迎えます。
チェックインは2階の「茶論(サロン)」へ。土壁や網代天井を施した畳敷きの空間は、滞在中のくつろぎ空間としても利用できます。

客室はすべて26㎡〜54㎡のラグジュアリースタイル。京都らしさ、おだやかなくつろぎを感じさせつつ、決して押し付けにならないインテリアは、北山さんの本領発揮。アメニティや茶器にまで行き届くこだわりも、くつろぎの時間を演出します。開放的で心地よい露天風呂と、360度の眺望が自慢のルーフトップテラス。チェックアウトを12時に設定しているのも、滞在をゆったりと楽しんでもらうための心配りです。

京都の魅力を伝える一貫として、おだやかな時間を提供するホテル。
「丁度良い、といわれるのが何よりうれしい」と北山さんは話しました。「京都は宝石箱のような街。食べ物、工芸、職人の技。京都にはまだまだ知られていない魅力が山ほどあります。そんな京都の魅力を体感してもらうために、ホテルとして“丁度良い”空間と時間を提供したい」

旅において、宿泊施設に望むものは人それぞれ。しかしこの『東山 四季花木』のように出すぎず、引きすぎず、おだやかで、かつ存在感のあるホテルは、これからの京都旅行の新たな過ごし方を提案してくれます。

客室「庭玉」はプライベート庭園付き。部屋からは比叡山や平安神宮の鳥居なども望む。

美術品や盆栽などオーナー夫妻のこだわりが光る客室「遠州」。檜風呂のバスルームも完備。

ルーフトップから望む東山。屋上からは大文字の送り火も煙が届くほどの至近距離で眺められる。

住所:京都市東山区三条通白川橋西入ル今小路町85-1 MAP
料金:1泊朝食付き(1室あたり)60,000円~(税・サ込)
アクセス:地下鉄東西線東山駅より徒歩1分
https://www.shikikaboku.jp/

“メイド・イン・ジャパン”の追求と回帰。「美味しい」の先に踏み込んだ鮨と日本酒のペアリング。

1806年(文化3年)創業の『仙禽』11代目蔵元・薄井一樹氏(右)、『鮨えんどう』店主の遠藤記史氏(左)。 

恵比寿 えんどう × 仙禽日本固有の食材、伝統製法にもう一度光をあてる。 

海洋資源をはじめとした自然環境の維持に努め、新型コロナウイルス感染症の影響を受けつつも、鮨と日本酒のペアリングで食文化の発展に貢献してきた『恵比寿 えんどう』の店主・遠藤記史氏。革新的な酒造りで知られる『新政』に続き、今回ペアリングを試みたのが、栃木の銘酒『仙禽』です。 
 
「『仙禽』はこれまで何度も蔵見学をしていて、蔵元の薄井一樹さんも来店いただいています。今回のペアリングは、鮨と日本酒の相性がいいことは大前提。そこからさらに思想や表現方法、合わせ方の視点にまで踏み込んで見ました」と語る、遠藤氏。 
 
ペアリングにあたり、遠藤氏がコンセプトに掲げたのは「メイド・イン・ジャパン」。国内はもとより海外でも人気の高く、日本の食文化の中で最も「メイド・イン・ジャパン」を標榜しているとも言える鮨ですが、今あえてテーマとした意図はどこにあるのか。 
 
「イギリスに6年間留学していた経験があるのですが、現地で感じたのは英語が話せることが国際人としての必要条件ではなく、あくまで十分条件ということ。むしろ日本語や日本の文化を理解しているかどうかが、国際人としての必要条件だと感じました。今、食の世界はボーダーレスで、日本料理でもトリュフやキャビアを使い、和食にワインを合わせることも一般的。フレンチでも昆布出汁を使うし、三ツ星のレストランで日本酒が当たり前に振舞われる。より自由になった一方で、文化が必要以上に混ざりすぎると個性や特徴が失われる。7色ある色も全て混ぜれば黒になるのと一緒です。トリュフやキャビアもそれはそれで美味しいけれど、鮨に握るとどうしても陳腐になってしまいます。日本料理らしいことが個性であり特徴なのであって、これからの国際社会では際立ってくる。つまり、大切なのは“メイド・イン・ジャパン”であること。そこを表現するには、その土地に存在する固有の個性=テロワール(土地)が大事になってきます。そのテロワールに最もこだわっている蔵元が『仙禽』です。僕自身、日本固有の素材にこだわっていきたいし、どのように表現していくか、それが今回ペアリングをやる意義でもあります」。 
 
遠藤氏が考えるペアリングの意義を受け止めるのが、『仙禽』11代目蔵元の薄井一樹氏。遠藤氏が追求する「メイド・イン・ジャパン」を誰よりも理解を示し、自ら実践してきた唯一無二の酒造りについて語ります。 
 
「『仙禽』では、この土地でなければ生まれない“ドメーヌ”、昔ながらの農業に原点回帰する“ルーツ・オーガニック”、木桶仕込み、生酛酒母、古代米(亀ノ尾)使用、米を磨かない精米機も酒造好適米も存在しなかった頃の超古代製法を再現する“ナチュール”を3本の柱に酒造りをしています。“ドメーヌ”も“オーガニック”も“ナチュール”も昔は当たり前のことだったのに、モノを大量生産・大量消費することが世界の常識となり、便利さを追求していく時代の中で失われてしまった。酒造りは便利に走れば走るほど機械工業になり、酒自体も有機質なもの無機質なものになっていきます。日本酒だけでなく、味噌や醤油、器だってそう。失われてしまった伝統文化や製法が多い中で、僕らは日本の優れた技術を継承し、後世の人たちに残していかなければなりません」と、その使命感を薄井氏は語ります。 
 
「古ければ良いという訳ではありません。残すべき製法は守りつつ、味はモダンでなければ。自分の土地で収穫された農作物を加工して、製品にすることをフランスでは“ドメーヌ”と言いますが、一次産業と二次産業の架け橋も担っています。本来はそれが自然なことなのに、流通が発達したからといって、地元と縁もゆかりもない風土の違うものを買って酒造りしたのでは意味がありません。その土地のテロワールが感じられる原料を使って加工すれば、自ずと相性はいいもの。“オーガニック”も同様です。近代農業は化学肥料により、土壌が地球規模で汚染されています。本当にいいものは贅沢品でも何でもなく、素朴で野性味があるもの。とりわけ日本酒では顕著に現れます。“ドメーヌ”も“オーガニック”も“ナチュール”も、時間の針を昔に戻しているだけ。ただの回帰主義でなく、物理的に失われた大事なものを取り戻すための手法なのです」と言葉を続けます。 

水産資源の減少に危機意識を高めるシェフ約30名が加盟する『シェフス・フォー・ザ・ブルー』のメンバーとして活動する遠藤氏(左)。高い酸と濃醇な甘みの「甘酸っぱい」酒で日本酒業界に新風を吹き込んだ薄井氏(右)。 

恵比寿 えんどう × 仙禽東京の鮨が抱える矛盾。鮮度というハードルを超えて。 

ペアリングのテーマ「メイド・イン・ジャパン」を表現するための考え方のひとつ「オーガニック」を象徴するのが、「朝締めの鯛」です。この日届いたのは、愛媛産の鯛で、店に届く数時間前に締めたもの。遠藤氏は「日本一」と称賛します。 
 
この鯛を扱うにあたり、様々な産地を頻繁に訪れ、魚が育つ環境を肌で感じてきた遠藤氏だからこそ抱いた「矛盾がある」と言います。 
 
「今年は例年になく真イワシが多い年だったのですが、“鰯”は読んで字のごとく弱りやすい魚で何より鮮度が大事。漁船の上で食べる機会があったのですが、驚くほど旨かった。でも、この旨さはどうやっても東京では表現できません。産地での味を100点とすると、東京は80点。産地と張り合えるのは、せいぜいマグロくらいでしょう。東京でしかできない表現を考えた時、鮨には熟成というアプローチもあります。ですが、旨味の数値は上がったとしても、食感や香りはブラインドで食べたら何の魚かわからない。熟成するとどれも似たような食感になり、香りはどうしても損なわれます。産地や個体ごとの香りや風味、食感は、鮮度の良い魚の方が圧倒的に表現できる。熟成と鮮度についてはどちらが美味い不味いという話ではなく、ここから先は哲学の問題。ただ僕は新鮮な魚に魅力を感じていて、鮮度を表現するためにもなるべく素材をいじりすぎず、化粧しないよう本来の持ち味をそのままに生かし、単一素材にフォーカスした鮨を追求しています」。 
 
遠藤氏の意図を受け、薄井氏が合わせた日本酒は「朝搾り」。市販されていないため、この日この時にしか味わうことの出来ない希少な酒です。 
「おめでたいイベントですから、当日に上層(醪を搾って液体の酒と酒粕に分ける工程)した日本酒です。鮮度がかなり高いのでガス感もあり、角が立っているけれど若々しさがある。遠藤くんの鯛も朝締めということなので、鮮度と鮮度を掛け算するイメージ。口の中で魚と日本酒のフレッシュ感を合わせることにより、ペアリングのトーンが揃います」と、薄井氏は語ります。 

朝締めしたその日に届いた愛媛産の鯛に、朝搾りのフレッシュな日本酒を合わせて。 

鯛は成長に伴いメスからオスに性転換し、「一部は成長してもメスのままの個体がいる」と遠藤氏。この日はオスを選んだが、捌いたところメスだったそう。オスの力強さとメスの脂が乗った柔らかな身質のどちらも持ち合わせている。 

恵比寿 えんどう × 仙禽ペアリングで捧げる日本の伝統製法と国産原料へのオマージュ。 

ペアリングのもうひとつの考え方「ドメーヌ」を象徴するのが、「富山産ホタルイカ」です。ホタルイカ自体、日本の固有の品種でまさに「メイド・イン・ジャパン」と言える食材ですが、遠藤氏が着目したのは「もろみ」。 
 
このコロナ禍で輸出入を含む流通が一時ストップし、原料である小麦や大豆の生産を海外に依存してきたことに遠藤氏は危機感を感じたといいます。 
 
「“メイド・イン・ジャパン”にこだわった時に一番難しいと感じたのが、醤油と味噌です。日本の伝統的な食文化であり、日本料理には欠かせない核でありながら、原料の多くは海外に依存していて国産でない。それではどうやってもテロワールは表現できません。今回は現地でボイルしたホタルイカに和えたのは、鹿児島県長島町にある石元淳平醸造の『cocoromiso』。醸造所から100km圏内で収穫された国産大豆と『仙禽』のように蔵付き麹を使用しており、江戸時代と同じ作りでテロワールも表現されています。付加価値をつける意味でも、自国の食文化にはしっかりと向き合っていきたい」と、遠藤氏は表情を引き締めます。 
 
このホタルイカに合わせたのは、「クラシック仙禽 雄町」。生酛と呼ばれる伝統的な製法で作られていると、薄井さんは語ります。 
 
「明治以降に登場した簡略的な酒造りとは違い、昔から受け継がれてきた“メイド・イン・ジャパン”を象徴する職人技が凝縮しています。醤油の原料も今や日本産が珍しい時代。大量生産・大量消費の時代の流れで忘れ去れている技法がある中、昔ながらの日本の食材・技術を大事にした掛け合わせです」。 

富山産ホタルイカ×「クラシック仙禽 雄町」。日本固有種のホタルイカに伝統的な手法で醸された日本酒を合わせて。大豆と小麦の穀物感を残したもろみは、「クラシック仙禽 雄町に丁度良い」と、薄井氏。

国産の大豆と小麦を使用したもろみを使用。ホタルイカは叩いて肝ともろみ和えることでいい出汁が出るとのこと。 

恵比寿 えんどう × 仙禽自然の豊かさを実感。生命力×生命力のペアリング。 

ペアリングの考え方の3つ目が「ナチュール」。ここで遠藤氏が選んだのが、「オーガニック ウナギ」です。これまで鮨ダネでアンタッチャブルな食材だったといいますが、あえてチャレンジしたい食材でもあると遠藤氏。今まで扱ってこなかった理由には、「文化的背景もあります」と話します。 
 
「理由はたくさんあるのですが、まず鮨自体が発酵食品であり屋台のファーストフードだったことが大きいと思います。うなぎは当時から高級料理で、焼くための炭どころが必要でした。パッと食べてサッと帰る鮨では、そこまで設備も出来ないしコストもかけられない。江戸前寿司の文化に浸透してこなかった歴史が長いのはそのためです。現代の鮨はファーストフードではなく、きちんとした設備もあり、価格の問題もない。時代背景が変わってきた中で、ネタとして取り込んでもいいと僕は考えています」。 
 
一時期は稚魚が減少し、漁獲量の低下が懸念されたウナギ。遠藤氏は、鹿児島大隅半島の養鰻家・横山柱一氏が育てた「横山さんの鰻」にこだわりがあります。 
 
「自然豊かな環境で、飼育期間で抗生物質を使用せず、良質の自然の餌でストレスなく育てています。このウナギに合わせる日本酒は、おりがらみの日本酒『雪だるま』。僕にとってもチャレンジングな試みでした」と遠藤氏。 
 
オーガニック・ウナギに寄り添う日本酒は、「造り方も自然に寄り添った“江戸スタイル”」だと、薄井氏。ペアリングの考え方にも説得力があり、改めて意義を伺い知ることができます。 
 
「原料の米はオーガニックの亀ノ尾。ほとんど磨いていません。雑味が多く、パンチが効いているとイメージされがちですが、原料の米自体にエネルギーがあるので、自然な造りをすると体液みたいにナチュラルに体に入って来る。味わいも野性味がありつつ繊細です。今回の“横山さんの鰻”も生命力がある。野性味に溢れた生命力溢れる日本酒とウナギを掛け算したペアリングです」と薄井氏は話します。 

「横山さんの鰻」×「仙禽オーガニック ナチュール2020」。生命力溢れるウナギと生命力溢れる日本酒の掛け合わせ。サクサク、トロッとしたテクスチャーのマリアージュも楽しめる。 

「この手法でないと表現できない」と、炭火で焼き上げる。原始的な調理法もまた遠藤氏の揺るぎないポリシー。 

恵比寿 えんどう × 仙禽親交を深めることで無理のない掛け算が成立する、唯一無二のペアリング。 

本来であれば昨年実施されるはずだったペアリング。新型コロナウイルス感染症の影響で今年に延期になったことが、むしろ良い効果を生み出しました。 
 
「去年の時点で僕の中でこうしたいというイメージがあって、延期によってブラッシュアップできました。日本酒では嫌われていた酸をポジティブに取り入れて、シグネチャーとして打ち出したのは『仙禽』が最初。酸があると料理との相性がいいし、日本酒単体での味のバランスもいい。温故知新の発想や伝統をアップデートしている酒造りはインスパイアされました」と遠藤氏。 
 
日頃から親交があり、「ペアリングのためのペアリングではない」と断言する遠藤氏。薄井氏も「家庭料理のペアリングであれば、僕ひとりで考えれば十分。ですが、プロとプロがやる場合はそうはいきません。栃木の蔵と恵比寿の店を毎月のように行き来しているので、いいところも悪いところも知っている。そうでもないと本当の意味でのペアリングは生まれません。ただ、そうしたことを抜きにしてもペアリングしやすい料理と日本酒ではあります」と話します。 

薄井氏が「肉として捉える」というスッポンの照り焼き×熟成した酸とアミノ酸の数値が高い「仙禽オーガニック ナチュール2020」が支える。福島産のキュウリ塩麹×『仙禽』の中でもアルコール度が低く、重心が軽い日本酒「線香花火」。ひとつ前に出されるうなぎの脂を断ち切る。うなキュウをイメージ。

ウナギ×「ユナイテッドアローズ 雪だるま」。オーセンティックな哲学をベースにするユナイテッドアローズとコラボが実現した銘柄。 

「これは鉄板」と二人が声を揃えるあん肝×「ナチュール貴醸酒」、カラスミ×爽やかな酸味のナチュールや熟成された豊かな甘みの貴醸酒をアッサンブラージュした「初代ユナイテッドアローズ」。 

味がぼやけないよう皮目を炙り、食感のコントラストと旨味が立ったメジマグロ×焦げた風味と旨味を受け止める「仙禽 愛山10年熟成」。アミノ酸の数値が高い金目鯛昆布締め×「モダン仙禽 無垢」。 

丁寧に包丁を入れた脂ののりがいい中トロ×ドメーヌ・さくら山田錦を35%まで磨き上げ、甘味とクリアな酸味を備えた「仙禽 一聲2021」のペアリングは、甘味と甘味の掛け算。

血の風味があり食感もコリコリとした赤貝×テクスチャーの相性がいい「全麹仕込み バーボン樽」、大トロ×高いアルコール度数で大トロの脂を支える「仙禽ナチュール2020(お燗)」。 

酢で締めすぎない、青身の小魚らしさが特徴の小肌×おりが絡んだフレッシュ感のある味わいの「さくら」、イカらしいサクサク感のある朝締めのアオリイカ×亀ノ尾、山田錦、雄町をアッサンブラージュした「Hope! 希望」を冷で。 

肉と似た重心のあるクジラ×「温度が低いと支えられず、お燗ではネガティブな部分が顔を出す」と常温で提供する「仙禽ナチュール2021」。 

温かい状態で握りにする鹿児島県甑島の車海老×古代米「亀ノ尾」の個性が発揮された「クラシック仙禽 亀ノ尾」をお燗で。ネタの中でもっとも油が乗っているというノドグロ×山田錦、亀ノ尾、雄町の3品種の酒を黄金比でブレンド=アッサアンブラージュした「醸」の甘さが引き立て合う。 

磯の風味が際立つホタテの磯辺焼き×「赤とんぼ」、淡白な旨味のあるサヨリ×酸度が高く、上品な貴醸酒の甘みがある「七夕物語」。 

トリ貝×「仙禽ナチュール2021」食感が柔らかく甘味が強い、これからが旬のトリ貝。ミネラル燗のある手巻きのトロたく×ひやおろし「赤とんぼ」。 

恵比寿 えんどう × 仙禽人間同士のペアリングが可能性を生む。矛盾を抱えてもなお模索する「東京でしか表現できない鮨」。 

今回のペアリングを通して、ふたりが表現したかった「メイド・イン・ジャパン」。鮨と日本酒を掛け算することで、今後も見据えるテーマがより明確になりました。 
 
「遠藤さんは元々ペアリングに長けている鮨職人です。“線香花火”や“赤とんぼ”のように普通なら敬遠されがちな古いヴィンテージも平気でペアリングに呼び込んで、当ててくる。本当に勉強になります。今回のペアリングは、ふたりして蔵で厳密にテイスティングしながら決めました。僕ひとりでは絶対に完成できなかった。料理を作る人、酒を造る人が人間同士もペアリングして初めていいものが生まれるもの。そこを外すと、ボーダー柄にチェックのズボンを履くようなもの。かみ合わなくなりますからね」と薄井氏。 
 
ペアリングというアプローチで様々な視点を通し、食文化の発展と課題と向き合う遠藤氏もまた、今後に向けてさらなる意欲を燃やします。 
 
「『仙禽』とはペアリングに対する考えも方向性も共通しています。あえて寄せる必要はなく、あるがままでいい。現在の東京のフードシーンはデジタルな情報発信が主流ですが、デジタルやオンラインでは表現に限界があるとも感じています。やはり今回のペアリングのように体感してみないしないことには、本当の価値はわかりません。東京にはモノもヒトも情報も集まるけれど、東京でしか食べられない鮨を追求しづらくもある。食文化の分岐点にある今、そうした矛盾を捉える段階まできた。引き続き、模索していきたいです」。 

住所:東京都渋谷区恵比寿南1-17-2 Rホール4F MAP
電話:03-6303-1152

住所:栃木県さくら市馬場106 MAP
電話:028-681-0011
http://senkin.co.jp​​​​​​​


Photographs:JIRO OHTANI
Text:MAMIKO KUME

芸能界屈指のラーメン通・田中貴氏が見る、ロングセラー袋麺「サッポロ一番」のさらなる可能性。[サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen/東京都港区]

田中貴氏とマッキー牧元氏。音楽を通して出会った旧知のふたりが、「サッポロ一番」を挟んで語り合う。

サッポロ一番劇場『虎ノ門横丁』に誕生した「サッポロ一番」の期間限定レストラン。

虎ノ門ヒルズ内のシックな空間に、26の人気店が集う『虎ノ門横丁』。その一角に、ひときわ個性を放つポップアップレストランが誕生しました。暖簾に描かれるのは「サッポロ一番」のロゴ。そう、発売以来半世紀以上、袋麺のトップブランドとして君臨し続けるあの「サッポロ一番」です。この『サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen』は、「サッポロ一番」に、文字通り“ひとてま”加えたオリジナルメニューが味わえる店なのです。

発売元のサンヨー食品は「サッポロ一番」にひと手間、ひと工夫を加えることで、さらに美味しく、栄養バランスもアップするアレンジレシピを提案してきました。ここでは、そのアレンジレシピの味を再現するだけでなく、さらにタベアルキスト・マッキー牧元氏を監修に迎え、その味をブラッシュアップして、ここでしか味わえない逸品として提供されます。牧元氏といえば、『超一流のサッポロ一番の作り方』(2018年/ぴあ株式会社刊)などの著作がある、大の「サッポロ一番」フリーク。さらに、2020年10月に同所で開催された『サッポロ一番劇場』もプロデュース。中華とイタリアンの名シェフに「サッポロ一番」をカスタムしてもらい、コース仕立てでアレンジメニューを提供しました。今回も、そんなおなじみの「サッポロ一番」が牧元氏の手でどのように生まれ変わるのか、各所で話題を集めています。

さて、今宵はそんな『サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen』に、ひとりのお客様がやってきました。穏やかな笑みを浮かべつつ、カウンター内の調理を鋭い目で見つめるその顔は、いまや芸能界一のラーメン通として知られるサニーデイ・サービスのベーシスト田中貴氏です。自身を「評論家ではなく、ただのラーメン好き」という田中氏に、はたして牧元氏がアレンジした「サッポロ一番」は、どのように響くのでしょうか?

『虎ノ門横丁』の一角に誕生した期間限定のレストラン。オープンで入りやすい雰囲気が魅力。

調理法、アレンジ、盛り付けなどで、最高の状態の一杯を提供。「サッポロ一番」の未知なる可能性を伝える。

「サッポロ一番」公式サイトなどで提案するアレンジレシピを、マッキー牧元氏がさらにアレンジ。今だけ、ここだけのメニューが登場する。

サッポロ一番劇場冷やすことでキリッと締まった麺が、田中氏を唸らせる。

『サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen』は2021年7月1日(木)〜7月18日(日)までの期間限定オープン。メニューは7月9日までの前半が「レモンの冷やし塩らーめん」「冷麺風冷やしごま味ラーメン」「じゃがいものみそまぜそば」の3品、後半7月10日〜7月18日が「冷やし台湾風みそラーメン」「かぼすの冷やししょうゆ味」「豚キムチの旨辛みそラーメン」というラインナップです(メニューはいずれも700円)。

田中氏は着席すると、さっそく前半メニューの3品をオーダー。牧元氏はキッチンで田中氏を迎えます。
実はふたりは牧元氏の前職であるビクターエンタテインメント時代からの旧知の仲。田中氏にとって牧元氏は「大先輩です」という間柄ですが、ことラーメンに関しては話が別。妥協を許さぬ意見が期待されます。

届いた料理を、真剣な面持ちで味わう田中氏。傍らではその姿を牧元氏が見つめます。しばしの沈黙の後、田中氏から飛び出したのは「美味しいですね」の一言でした。そして田中氏が最初に着目したのは、麺について。

「味によって麺が違うんですね」

「そう、そこがサッポロ一番のすごいところ。味噌ならリングイネのような楕円形の麺、塩なら喉越しの良い丸麺といった具合に、味によって麺を使い分けているんです」

「それぞれ味の絡みも良いし、冷やして締めているから食感も良い。生麺に近づけるという発想ではなく、乾麺ならではの良さを引き出していると思います」

カウンターを挟んで交わされる会話。音楽を通して出会ったふたりが、食というフィールドで語り合う。しかしそれは、妥協を許さず、ひとつの事象を掘り下げるアーティストの姿そのものでした。

いつもにこやかな田中氏も、ラーメンを前にすると真剣。忌憚のない意見が飛び出す。

7月9日までの限定メニューのひとつ「レモンの冷やし塩らーめん」。「サッポロ一番塩らーめん」をベースに、さっぱりとした味わいに仕上がっている。

「ホクホクじゃがいものみそまぜそば」は、「サッポロ一番みそラーメン」がベース。キタアカリの甘みやバターとチーズのコクがアクセント。

サッポロ一番劇場多彩なアレンジで、おなじみの「サッポロ一番」が驚きの味に。

その後も、田中氏の核心を突くコメントが次々に飛び出します。
「じゃがいものみそまぜそばは、鶏挽き肉が合いますね。ちょうど良く旨みが足されています」と田中氏がいえば、「豚だと脂が出すぎてしまうから、あえて鶏を選びました」と牧元氏。
さらに、「ラーメンにじゃがいもを合わせるというのも珍しい。崩して混ぜると甘みが足されて味が変わってきますね」とのコメントには、「トッピングで味変しながら楽しむ、エンターテイメントとしてのメニューですね」と牧元氏。
この軽快なやり取りもラーメン通である田中氏の経験値の豊富さと、牧元氏との関係性があってのこと。

さらに、田中氏が「一方で、レモンの冷やし塩らーめんは、サラダチキン、水菜、糸唐辛子など、主張の強すぎないトッピングで、非常にわかりやすい美味しさですね」というと、牧元氏は「こちらは味変ではなく、食べ進めながら食感に変化をつけて楽しむイメージです」と勘所をついたコメントと答えが返ってきます。

まさに、ラーメン通の田中氏の知識と経験は、「サッポロ一番」相手にも遺憾なく発揮された様子でした。

帰り際には「サッポロ一番の見方が変わりました」と感慨深げに語った田中氏。
「家でも袋麺を食べるときは必ず何らかのアレンジをしていましたが、冷やすという発想はありませんでした。生麺とは別ジャンルの乾麺の可能性をあらためて感じるメニューでしたね」と、感想を伝えてくれました。

アレンジの監修を務めたマッキー牧元氏。自身の経験とサッポロ一番への愛を、メニュー開発に込めた。

キムチやキュウリを添えて冷麺風にアレンジした「冷麺風冷やしごま味ラーメン」。

3種のアレンジメニューを味わい「サッポロ一番の印象が変わった」という田中氏。「自宅でもアレンジに挑戦したい」と語ってくれた。

1955年生まれ。立ち食いそばから割烹、フレンチからエスニック、スィーツから居酒屋まで、日々飲み食べ歩く(年間約600食)。まさに、「食べるグルメマップ」。「味の手帖」「食楽」「銀座百点」など多数の雑誌やWebで連載中。

1971年生まれ。サニーデイ・サービスのベーシスとして1994年、成蹊大学在学中にメジャーデビュー、2000年に解散するも2008年に再結成。現在もライブは即日ソールドアウトとなるなど、その人気ぶりは健在。ラーメン愛好家としても知られている。

住所:東京都港区虎ノ門1-17-1虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー3F 虎ノ門横丁  MAP
開店期間
7月1日(木)~7月18日(日)
営業時間
ランチ 11:30~15:00 (LO 14:30)売り切れ終い
ディナー17:00~20:00 (LO 19:30)売り切れ終い
https://www.toranomonhills.com/toranomonyokocho/

Photographs:KOH AKAZAWA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by サッポロ一番)

暑い季節に

皆様こんにちは(・∀・)

暑い季節になってきましたね☀️

まだ、梅雨明けは宣言されておりませんけど倉敷も暑い日が続いております💦


そんな暑い時期には




インディゴ染のタオルでございます(*゚∀゚*)



大きさも3種類ご用意しております(´∀`*)

お土産や贈り物にもご利用ください(*゚▽゚*)


松本オーガニックナチュールの誕生。そこには自然体の日出彦がいた。

生酛造りにおいて最も大切な「もと摺り」に励む松本日出彦氏。奥は、『仙禽』の杜氏、薄井真人氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO人生初のもと摺り、生酛造りの洗礼。激しく辛い作業だったが、身体は喜んでいた。

2021年4月某日。武者修業中の松本日出彦氏の姿は、栃木『仙禽』にありました。

蔵に足を踏み入れると、静寂な空気の中に響いていたのは酒造りの作業唄。

この作業唄は、明治後期から江戸時代にかけ、先人たちが酒造りの仕事中に唄ったと言われているものです。しかし、機械化が進む昨今においては、儀式として使用されることはあるも本来の役目を果たすことはほぼありません。

『仙禽』は、その唄の役目を現代に受け継ぐ数少ない蔵です。その理由は、この時期においても酒造りをしていることにも紐付きます。

「『仙禽』は、“速醸酒造り”ではなく、伝統的な酒造りの手法、“生酛造り”を採用しています。(前者と後者の)違いは様々ありますが、特筆すべきは酒母造り。人工的に作り出す乳酸を使用して発酵を促すのか、自然に発酵を促すのか。当然、後者の方が時間と手間はかかり、酒造りにおける期間も長い」。

そう話す松本氏がこの日勤しんでいるのは、「もと摺り」。生酛の酒母造りを指すそれは、蒸米、麹、水を櫂棒で丹念に摺り合わせる作業。午前中の「一番摺り」に始まり、数時間ごとに「二番摺り」、「三番摺り」と続け、1回約30分、「六番摺り」まで行います。前出の作業唄の尺は、約30分。唄うことによって、先人たちはもと摺りの時間を計ってきたのです。

見た目は地味ですが、相当な労力、体力、そして忍耐力を要するもと摺り。松本氏の額には汗が滲み、腕は震え、呼吸も荒い。天を仰ぐ数は、回を追うごとに増え、その過酷さを物語ります。人生初となったもと摺りは、想像をはるかに超える辛さ。

まさに「武者修業」と言いたいところですが、「修業」のみ切り離された苦行の絵図。

それを横で見守るのは、『仙禽』の薄井一樹氏とその弟であり杜氏の真人氏。

「全身の筋肉が泣いていました。悲鳴をあげていました。まさか『仙禽』で人生初のもと摺りをするとは夢にも思いませんでした」と話す松本氏ですが、一拍起き、「ただ……、不思議と身体は喜んでいました。初めて田んぼに入った時の感動に近いような。江戸時代に酒造りをしてきた先人は、こうやって仕事をしていたのだと身を持って体験することによって胸に込み上げてくる職人としての魂を感じました」と言葉を続けます。

「日出彦は、本当に真っ直ぐで不器用な人。でも、誰よりもぶれない芯を持っています。それは今も変わらない」と一樹氏。

今回、共に酒造りをする品目は、『仙禽』の代名詞とも言えるシグネチャー、「仙禽オーガニックナチュール」です。

「日出彦に決めさせなかった。日出彦を試したかった。日出彦に挑戦してもらいたかった。そして、日出彦の造る『仙禽オーガニックナチュール』を見てみたかった」。一樹氏は、そう話します。

「よりによって一番難しい造り。『仙禽』ブランドにも、薄井兄弟にも、そして、『仙禽』のお客様の期待にも応えるべく、自分の全てを出し切りました」と松本氏。

―――
「ナチュール」という思想は、あらゆる異なるジャンルの壁を超え、「つながる」ことができます。 
―――『仙禽』HPより抜粋

果たして、『仙禽』と松本日出彦は、どう「つながる」のか。

米の原型もある状態からここまでペースト状になるまで摺る。地道な作業が旨い酒を造る。

「四番摺り」後の松本氏。疲労困憊であることは、表情を見れば一目瞭然。

手の皮は剥け、腕の筋肉は悲鳴を上げる。「先人は本当に努力して酒造りをしてきたのだと感じます」と松本氏。

この日、偶然にも『仙禽』に訪れていた『白糸酒造』の田中克典氏。松本氏と共に「もと摺り」を行うも、「これはキツイ!」とひと言。松本氏曰く、「『白糸酒造』で体験したハネ木搾りの時も身体が喜んでいた」と話す。「もと摺りと同じく辛かったですが……汗」。

「うちの哲学が凝縮している『仙禽オーガニックナチュール』をどう日出彦が料理するのかという興味がありました。技術力の高さを知っているだけに、生酛造り、自然任せな酒造りに挑戦してもらいたかった」と一樹氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO「味」は体を表す!? 搾り立てをひと口。ちゃんと日出彦の酒だった。

「“柔らかさ”、“旨味”、“酸味”を活かしたいと思っていました。それを表現するにあたり、今回、主役として活躍してくれたのはお米だったような気がしています。『仙禽』が使用しているのは、米の先祖とも言える古代米の亀ノ尾。生酛造りとの馴染みが非常に良く、しっかり合わさっている」と松本氏。

6月初旬、醪のテイスティングが行われました。当然、その時点での醪は、経過の途中段階。完成形は想像するしかありませんが、「良い仕上がりだった」と真人氏と松本氏は振り返り、「どぶろくとしても良いレベル」と続けます。

そして何より、「もと摺りを頑張って良かった(笑)」と松本氏。

酒造りは、全ての仕事が連動しているため、何かひとつでも欠けてしまったり、判断を誤ってしまえば、良い酒はできません。

2021年6月中旬。関東甲信を始め、全国的に梅雨がやや遅く、暑い日が続きました。気温と湿度は、醪の経過に大きな影響を及ぼします。生酛造りであれば尚更。搾る日の見極めも良い酒の絶対条件。急遽、予定より早く搾り、荒走りをひと口。

「松本さんの思い描いていたイメージが、お酒に出ていると感じました」と真人氏。その具体の詳細を聞くと「通常の『仙禽オーガニックナチュール』と一番異なる点を感じたのは、味に丸みが帯びており、穏やか。優しいナチュールでした」。

「まさに『松本オーガニックナチュール』。松本日出彦というひとりの人間の自然体が味に出ている」と一樹氏と真人氏。

「今回、『仙禽』の中に日出彦が入ってきて、良い酒ができないわけがないという大前提が自分の中にあったので、そこに全く不安はありませんでした」と話す一樹氏の横で「僕は不安でしたけど(笑)」と松本氏。更にその横にいる真人氏は、「松本さんは、日本で一番、速醸酒造りに長けている職人だと思っています。そんな方と『仙禽』の酵母無添加のナチュールを一緒に造ることで、速醸造りの技術が生酛造りと良い相乗効果を生むのではないかと感じていました。そして、同じ職人として勉強にもなりました。細かい数値の取り方、予知の感など、技術の高さはもちろん、何より酒造りに対する確固たる哲学に一番刺激を受けました。ここまで考えてるんだ、こういう角度から考えてるんだという、酒造り全体に対しての想いの強さが一番刺さりました。自分たちの領域を超えたものを造っていく楽しみとその醍醐味を通して、全てが学びの時間でした」と話します。

実は、真人氏と松本氏は、今回が初対面。しかし、時間の長さが人間関係を構築するとは限りません。職人関係にあるふたりは、瞬く間に共鳴し、一気に距離を縮めます。

今回の酒は、『仙禽オーガニックナチュール』という円と松本日出彦という円の交点から創造された楕円部分の作品。

その作品の質を高めるためには、蔵だけでなく、土地を知ることも松本氏にとって大切な知見のひとつ。『仙禽』と同じさくら市にある氏家の田んぼへも足を運びました。

「ここは、約10年お付き合いのある田んぼです。関東平野のど真ん中。風の抜けも陽当たりも良く、昔から稲作が盛んな土地でした。水源を辿ると日光は鬼怒川の伏流水。柔らかいテクスチャーは滑らかで喉に引っかからずスムーズな飲み心地ですが、低アルコールで仕上げた酒の場合に物足りなさを感じる人はいるかもしれません。ですが、これが我々の水ですから。この土地で生きる『仙禽』が造る酒は、この水だからできる酒」と一樹氏。

「平らな土地のようでゆるやかな勾配があり、水の流れも生まれています。標高も約160mとバランスも良く、米作りに適した寒暖の差もある。『仙禽』の仕込み水と同様のため、まさにこの土地の恵みを持って生まれたこの土地だからこそできる酒。逆を言えば、この土地でなければできない酒でもあります」と松本氏。

「環境を知るだけでなく、農家さんを知ることも大切だと思っています。『仙禽』では、11名の契約農家さんにお米を育てていただいておりますが、それぞれ個性があり、味も違います。農家さんたちも『仙禽』の造り手のひとり」と真人氏。

田んぼなくして酒造りは成立しません。幸い、この地域ではそれを受け継ぐ次世代の農家はいるも、全国的に見れば後継者不足であることは間違いありません。

「我々、酒を造る人間たちも自分ごと化し、真摯に向き合わなければいけない深刻な問題」と3人。

そんな農家さんたちとのコミュニケーションを深めると同時に自然への敬意を表すため、「毎年、田植えに参加させていただいています」と一樹氏、真人氏。

米に触れる前に、土に触れ、水に触れ、農家に触れる。蔵の外から酒造りをしている蔵、それが『仙禽』なのです。

「酵母無添加、生酛造り、90%までしか削っていない亀ノ尾。今回、お世話になっている五蔵の中でも一番ダイナミックな醪になるのではと思っています」と松本氏。

醪のテイスティング。良い経過具合に安堵する松本氏。昨今は、温暖化も進み。気象の変化も激しいため、温度管理やいつ搾るのかの見極めにも高い技術と判断力が必要とされる。

ヤブタ式と呼ばれる自動圧搾ろ過機によって搾る。ひと口含み、「松本さんらしさ、出ていますね!」と真人氏。

『仙禽』の蔵の中にある井戸水。水質は柔らかく、源流は日光の鬼怒川から下ってくる伏流水。

「透明度も高く、見た目だけでなく味も綺麗」と松本氏。この水が地域を支え、『仙禽』を支える。

『仙禽』と同じさくら市に位置する田んぼへ。美しい田園風景が平野に広がる。

田んぼは生態系も生む。水を張れば蛙が鳴き、花が咲けば、蝶が花粉を運ぶ。田んぼはただ米を作る場所ではなく、自然を循環させる。

田植えの時期、『仙禽』の蔵人は総出で参加。「農家さんと田植えを共にすることによって、より良い酒造りができる」と一樹氏、真人氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO日出彦は蔵を失い、世界はコロナ禍に陥った。日本酒はどう生きるか。

一樹氏が『仙禽』に戻ってきたのは、2004年。以前は、東京でソムリエ講師をしていました。

「自分は、子供のころからこの町が好きじゃなかった。だから、ソムリエの道を歩んだのかもしれない」。

しかし、「今のままでは『仙禽』は生き残っていけない」という危機感を覚え、帰還。2015年には、100%ドメーヌ化を成し、『仙禽』のスタイルを確立させます。ある意味、転身とも言える本業へコンバートは、ソムリエで培ってきた手腕を発揮させたのです。それは、外の視点。

「日本酒の中だけでものごとを考えてはいけないと思っています。更には、ワインや酒類、飲料の中だけでもいけない。いわゆる一般企業と当たり前のように競争しないといけない。しかし、『仙禽』も業界もまだ対等に戦えるレベルではありません。コロナ禍になってから、より会社の中を強くしたいという思いがあります。業界にではなく、世界に置いていかれないようにしたい。常に優良企業についていけるような会社にしていきたい。そうでなければ、会社も自分も成長できない。日出彦に関して言えば、そんな大変な年に蔵まで失ってしまった」と一樹氏。

2020年2月。世界に新型コロナウイルスという言語が露出以降、1日たりとも報道からそれが消えた日はありません。

「自分は、新型コロナウイルスの感染拡大の年に蔵も失い、本当に色々ありました。一樹さんの言うように、客観視する目は必要だと思います。しかし、それは蔵にいる時には分からなかった。厳密に言えば、分かったつもりだった。皮肉なことに、蔵を失ったから気付くことができた。それは、ある意味、業界から外れたから。他人になったから。一般人になったから。ゼロになった時、何ができるのか自問自答し続けました。これからの酒蔵の在り方、人間としての生き方、これまでになかった心境の変化が芽生えました。考え抜いた先にひとつの答えが生まれたならば、それを実現させる努力をしなければいけない。せっかく次のステップに進む機会をいただけたのですから、最高のものを作りたい」と話す松本氏。しかし、難問の答えは、そう易々と導き出せません。

自粛、時短営業、緊急事態宣言、さらには酒類の提供禁止。長く暗いトンネルの光は未だ見えず、『仙禽』も一時、酒造りを中断した時期があったと言います。

「2020年5月。一度だけ酒造りを止めた時がありました。全くお酒が売れなくなるのではないかという恐怖心からです。しかし、ありがたいことに、この状況下においても出荷が落ちることはなく、すぐに再開しましたが、何とも言えない感情が入り混じったままです。しかし、下を向いてばかりいられない。発見したこともありました。ナチュールを筆頭に酒造りをする中、我々は、当たり前のように麹菌、酵母菌など、目には見えない菌と共存してきたことに改めて気付きました。新型コロナウイルスもまた目には見えません。コロナ禍において、人の力ではどうにもならないこともたくさんありました。自然も、発酵も、逆らわず、寄り添う必要性、必然性を感じました。まだまだ自分たちにできる、技術だけではない日本酒造りがあると思いました。新たなもの作り、ものの売れ方、売り方を熟考し、再考していきたい。スイッチを入れ替えて変化していきます」と真人氏。

「新型コロナウイルスに恐怖を覚えない人は、世界中どこにもいないと思います。しかし、新型コロナウイルスに教えてもらったこともあるはず。ポジティブに転換しなければいけない。例えば、一次産業や農業のことをもっと考えないといけない。日本酒においてはお米ですが、飲食店においてはそれが広義に。停止してしまえば、魚、肉、野菜などの産業も死活問題です。『仙禽』では、2020年より多くお米を買うようにしました。何かを学ばなければ、空白の2年になってしまう。そういう意味では、先ほど、杜氏(真人氏)からも話が出た通り、経営は新型コロナウイルス前と変わらずに済みましたが、思考は変えなければいけない。これは、おそらく神のお告げなのかもしれません。そして、たったひとつわかることがあるとすれば、蔵元、蔵人として生きる長い人生の中、一番ターニングポイントになった2年だということ」と一樹氏。

神という言葉を聞き、ある風景を想像します。それは蔵の中にある神棚です。その隣には、上部を失った痛々しい煙突。

「3.11、東日本大震災の時に煙突が崩れ落ちてしまいました。破損した瓦礫が飛び散る中、奇跡的にすぐ横に祀った松尾様の神棚だけ、被害がなかったのです」と真人氏。

「神は細部に宿る」とは、ドイツの美術家や建築家から生まれた言葉。ディテールにこだわった丁寧な作品は作者の強い思いが込められており、まるで神が命を宿したかのごとく不朽の作品として生き続けるという意味を持ちます。

日本酒やお米においても、作り手の強い思いが込められており、まるで神が命を宿したのごとく生まれます。

酒造りの神様、松尾様は、『仙禽』が生き続けるために、蔵を守ってくれたのかもしれません。

「蔵の背景、地域性、水、米。全て大切ですが、誰が造るのかも大切。人の個性、哲学が凝縮された味の楽しみ方を普及させるために、どう伝えていくのかを考える必要があると思います」と松本氏。

「自分たちの蔵や日本酒周辺のことだけでなく、この町を盛り上げたい」と話す一樹氏の行間には、「この町をちゃんと好きになった」愛を感じる。

「新型コロナウイルスによって、人が踏み入れられない領域を感じたと同時に抗えない自然の力を再認識しました。生酛造り、ナチュールを始め、これからの酒造りに活かしていきたいと思います」と真人氏。

3.11、東日本大震災の時に崩れた煙突は、補強され、今尚、残る。昔の写真と比べると、屋根を突き抜け、この町の風景の一部だったことがわかる。

創業は江戸時代後期の文化3年(1806年)。現在は、11代目蔵元の薄井一樹氏と弟であり杜氏の真人氏を中心に蔵を支える。

『仙禽』とは、仙人に仕える鳥「鶴」を意味する。現在のシンボルロゴは、愛情の赤、伝統の白、革新の黒を表現。その全てが響き合う時、ほかにはない唯一無二が生まれる。

HIDEHIKO MATSUMOTO守破離を超えろ。もう一度、日出彦が自分の日本酒を造ることを信じている。

たかが一年、されど一年。職人にとって酒造りをできない年があるということは、大きなブランクと空白を生んでしまいます。

年々、いや日々、発達するテクノロジーや技術によって加速する時代の変化に「日出彦の存在を置き去りにしてほしくなかった。日出彦が造る日本酒が世界からなくなってほしくなかった」と一樹氏は話します。

前述、真人氏と松本氏の出会いは今回の酒造りが初対面と記しましたが、一樹氏においてもその付き合いは2年足らず。

「すごい凝縮した2年(笑)」と一樹氏、松本氏。

「薄井さんにお会いする前、最初に『仙禽』のお酒を飲んだ時は、かなり際どいところを攻めてくる人たちがいるなと思いました。アグレッシブな蔵元という印象。それが年を追うごとに余計なものが削がれ、良い意味で煮詰まり、時代ともフィットしてきて。日本酒という今までの当たり前の流れを良いかたちで堰き止めたとのではないでしょうか」と松本氏。

松本氏が話す「時代ともフィットしてきて」の時期とは、『仙禽』が100%ドメーヌ化した年。「時代にアジャストしていくことは重要」とは、一樹氏の言葉。

それからは、互いの酒を飲み交わし、食事をし、旅をし、哲学や想いを共有し、自然と同じ時間を共にするようになります。「そんな仲間がピンチになったら、そりゃ助けるでしょ。深い意味はないです」と一樹氏。

「これから日出彦がどうなっていくのかはわからない。ただ、もう一度、日出彦が自分の日本酒を造ることを信じている。一番の理想は、製造場が変わっただけにしてもらいたい。日出彦は、良い意味でも悪い意味でも人に迎合しない高いプライドを持った職人。酒造りのポリシーは変えずにいただきたい。歴史上、この『武者修業』というプロジェクトほど、人間にフォーカスしたお酒はないと思います。しかし、この『武者修業』も、できれば早く終わってほしい。続いてしまう現象があるとすれば、まだ日出彦が宙に浮いた状態ということですから。1日も早く安住の地を見つけてほしい。そして、『武者修業』という五蔵を巡った財産を新しい自分のブランドにきちんとフィードバックできるようにしていただければと思っています。みんなの思いを無駄にしてほしくない。前の日出彦よりも、今の日出彦の方がきっと強い」と一樹氏。

「ヤブタ(自動圧搾ろ過機)から搾られたお酒を松本さんと一緒に飲んだ時の満面の笑みが忘れられません。僕の願いは、たったひとつ。あの笑顔を自分の蔵で1日も早く見せてほしい」と真人氏。

技術はある。仲間もいる。応援者もいる。守破離を超えろ。自分を超えろ。

搾りを終えた後、ほっとひと息。とはいえ、3人が話す内容は日本酒のことばかり。志の高い職人たちによって、日本酒というものは価格を超えた価値になり、日本の伝統工芸品と肩を並べるのかもしれない。「異なる点は、飲んでしまえばなくなること。でも、だからおもしろい」と一樹氏。

『仙禽』の顔とも言える、『仙禽オーガニックナチュール』。いにしえの技法により造られる超自然派日本酒。完全無添加(米・米麹・水)は、古代米の亀ノ尾のエネルギーを十分に引き出す。

住所:栃木県さくら市馬場106 MAP
TEL:028-681-0011
http://senkin.co.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

対談vol.1 お茶について考える。自分たちが止まってはいけない。希望を失わないために。[GEN GEN AN幻/東京都中央区]

「あえて、これまで表現してこなかったティーパックは、自分の世界にはなかった挑戦でもありました」と櫻井氏(左)。「私たちのブレンダーでは創造できなかったお茶が完成しました」と丸若氏(右)。

櫻井氏と『GEN GEN AN幻』が共同制作したティーパックは「ブラックホール」と「コメット」の2種。遊び心のあるパケージデザインにおいても、宇宙を彷彿させる。

GEN GEN AN幻きっかけはインスタライブ。コロナ禍によって加速した新たな表現と挑戦。

2020年12月より2021年9月まで、10ヶ月間限定の条件付きで『銀座ソニーパーク』に開業した『GEN GEN AN幻』。

周知の通り、開業当時においても新型コロナウイルスによる難局の渦中。しかし、主宰する丸若裕俊氏は、「まずやってみよう」という実にシンプルな考えを持って、規模の大小に関わらず「今だからできる」活動を続けています。

今回のプロジェクトもそのひとつ。『櫻井焙茶研究所』と共同制作をした「ティーバック」です。

『櫻井焙茶研究所』は、櫻井真也氏が南青山に店舗を構える茶屋。ミニマルな空間には、日本の美が凝縮され、静寂な空気が漂います。スタッフは皆、白衣に身を包み、店名の通り、まるで研究所のよう。美しい道具、所作と共に供される茶は、味だけでなく、席に座った瞬間から「時間」が総合演出され、それを体験することが『櫻井焙茶研究所』の醍醐味であり、価値。なすがまま、操られるような心地良い時間に身を委ねれば、快感さえ覚えます。

そこでひとつ疑問が浮かびます。そんな『櫻井焙茶研究所』がなぜ「ティーパック」?

きかっけは、『GEN GEN AN幻』の丸若氏、『櫻井焙茶研究所』の櫻井氏に加え、福岡の茶屋『万 yorozu』の徳淵 卓氏によるインスタライブでした。発起人は、丸若氏。

じっくり話してみたい。何か生まれるかもしれない。一緒にお茶について考えてみたい。

「まずやってみよう」。

GEN GEN AN幻自分の考えるお茶の世界には、ティーパックの表現はなかった。

そう話すのは、櫻井氏です。

「2014年に『櫻井焙茶研究所』を開業して以来、お茶の高みを目指してきました。空間様式や所作にこだわることも然り、上質を表現し続けることによってお客様にお茶の魅力を伝える活動をしています。玉露はもちろん、ほうじ茶においても焙煎の幅を持たせ、浅煎り、中煎り、深煎りと、最適な淹れ方をします。ゆえに、自分の世界にはティーパックはありませんでした」。

そんな活動をし続け、約5年後に訪れたのが、新型コロナウイルスでした。そして、同時にある問題にも対峙していました。それは、余分な茶葉の廃棄。

「自分たちは、店舗でお客様をおもてなしするだけでなく、お茶の製造から茶葉の販売もしています。その中で、どうしても企画に乗らない余分な茶葉が発生してしまうのです。わずかではあるのですが、5年も続けていればそれなりの量になります。廃棄されてしまう茶葉をなんとかしたいと思っていました。そんなことを考えている時、丸若さんからインスタライブに声をかけていただきました。自分とは異なるお茶に対する思考を知ることができたと同時に『EN TEA』への想いや丸若さんの人となりも知ることができました」と櫻井氏。

「実際に櫻井さんと面識ができたのは2015年ですが、その以前より『櫻井焙茶研究所』にはお邪魔させていただいており、常に刺激を受けていました。櫻井さんが表現するお茶は、体験する度に発見と学びがあります。独自の世界観とスタイルは、誰にも真似できないと思います。インスタライブへのお声がけは、単純に自分自身が櫻井さんの想いを知りたかったから。今この状況をどう考えているのか、今の社会に対してお茶はどうあるべきなのか。自分たちにできることは何か」と丸若氏。

テーマの具体もなければ、ゴールもない。発起人・丸若氏らしい!?場当たり的なインスタライブではあったものの、視聴者は約3,000人。

「たかが3,000人、されど3,000人。ご覧いただいた皆様がどのように感じたかはわかりませんが、そのうちの10%だけでもお茶に興味を持っていただければ非常に嬉しく思います」と丸若氏。

自粛や緊急事態宣言に伴い、企業においてはテレワーク推奨、飲食店に関しては酒類提供禁止など、様々が停滞する中、それぞれに店を構える『GEN GEN AN幻』と『櫻井焙茶研究所』も対岸の火事ではりません。そんな中、「自宅でお茶を楽しむ人にも本格的なお茶を届けたい」という想いから、実は最初に声掛けをしたのは櫻井氏。

「茶葉にこだわる人が増えてほしい。そういう想いは常にありました。しかし、そのような方々は、ティーパックを嫌う。世間的な印象として、ティーパックは、手軽、簡単などといった言語から脱却できていないのだと思います。自分はティーパックに否定的ではなく、むしろ発明品だと思っています。もちろん、腕の良い茶人、道具、淹れ方、温度など、全ての条件が揃ったお茶の魅力は素晴らしいです。その真似をするのではなく、ティーバッグだからこそ出来る理想の味わいがあると確信しています。だからこそ、櫻井さんから相談を受けた時に嬉しい気持ちと、ディーバッグに拘ってきて良かったと思いがありました。」と丸若氏。

「(前出の通り)余分な茶葉、廃棄問題に対して何とかしたいと考えていた時期だったので、『櫻井焙茶研究所』としてもこれまでやってこなかった表現へ着手しようと考えていました。具体的にはふたつ。ひとつはオンライン販売。もうひとつは、セカンドブランド『さくらいばいさけんきゅうじょ』の立ち上げです。実は、そのラインナップには、ティーパックという発想もあったのです。とはいえ、ティーバッグに前向きかつ拘りを持って取り組んでいる丸若さんとの交流がきっかけとなって実現したと思います。まずはじめに自社の商品作りを行い、今回のGEN GEN AN幻のティーバッグ作りへとつながるのですが、丸若さんでなければお断りしていたと思います。茶人として、ひとりの人として、きちんと丸若さんに触れることができたので、新しい挑戦を一緒にしてみようと決断をできました」と櫻井氏。

しかし、丸若氏からのオーダーは、『EN TEA』の茶葉を使用したもの。櫻井氏にとって、不慣れもあるティーバッグ作りを、他社の茶葉で作ることになったのです。

テーマは、「コメット」と「ブラックホール」。……極めて難解です。

茶缶の形状にも実は意味があり、湿気から茶葉を守るためにある。四角い缶だと衝撃が加わった時に変形し、蓋と容器に隙間ができてしまうが、丸い缶であれば衝撃が加わる点は1か所のみ。凹みはできても、蓋との噛み合わせは維持できる。

「以前、ゆず農家さんにお話を伺った時、タネが大量に廃棄されてしまうとおっしゃっていました。以降、ゆずの種をブランドしたお茶も開発し、環境への配慮にも目を向けています」と櫻井氏。

「櫻井さんは表現者だと思っています。うちの茶葉、原材料を使っていただくことによって、どんな化学反応が起きるのか楽しみでした」と丸若氏。

GEN GEN AN幻絶対条件は、美味しいこと。答えのない問題の解を見出す。

「まず、コメットもブラックホールも訪れたことがないので、どうしようかなぁと……。更に、表層から入ったテーマなので、ここには味のイメージもないわけです。世界のないものを作らなければいけないのですが、絶対的に必要なことは、美味しくなければいけないこと。いくつか茶葉を用意したもらった中から選び、ブレンドしてみましたが、最初はうまくいきませんでした。おそらく、自分のやり方で作っていたからだと思います。『櫻井焙茶研究所』は、季節や旬をつなげることを大切にしています。ゆえに、多数ブレンドすることはしないのですが、2回目は、その概念を覆し、あえて多数ブレンドしてみたのです。通常の自分であればあり得ない作り方です」と櫻井氏。

『さくらいばいさけんきゅうじょ』のさくらいは、『櫻井焙茶研究所』の櫻井を継承しているもうひとりの人格。そう考えれば、既存を壊す選択も腑に落ちます。

試行錯誤の結果、国産の茶、レモンの皮、月桃の葉、枇杷の葉、レモングラス、ラベンダーをブレンドして「コメット」を仕上げ、国産の茶、みかん皮、生姜、ローズレットペタルをブレンドして「ブラックホール」を仕上げました。

「『GEN GEN AN幻』では、これほどの種類をブレンドした経験はありません。得意不得意でいうと不得意な技術と言えます。しかし、櫻井さんは見事にまとめ上げました。これまでの『GEN GEN AN幻』にはなかった味です」と丸若氏。

その味わいを丸若氏に訪ねると、「『コメット』は、彗星のごとく、スッと抜ける感じ、動いてる感じ。『ブラックホール』は、ゆらぎ。人によって味の感覚が異なり、角度によって変化する要素もあるかもしれません」。……もはや問いから外れたその解説は、ふたつのテーマのごとく、捉えどころのない宇宙。

地球から宇宙までの距離は、約100kmと言われています。しかしながら、その厳密な境はなく、大気がほぼなくなる100km先の世界が宇宙と呼ばれているそうです。

今回の味においても、厳密に提唱することは野暮なのかもしれません。

まずは、ご賞味あれ。

「ブラックホール」の茶葉は、国産の茶、みかん皮、生姜、ローズレットペタルをブレンド。

急須に入れたティーパックは、その名の通り、まるで「ブラックホール」のような世界を形成する。じわじわと色が変化する様も神秘的。

「コメット」の茶葉は、国産の茶、レモンの皮、月桃の葉、枇杷の葉、レモングラス、ラベンダーをブレンド。

自由な思考でお茶を提案する『GEN GEN AN幻』では、ビーカーに淹れて楽しむのも一興。まるでお茶の実験のよう。

GEN GEN AN幻コロナ禍において、唯一できなかったこと。それは農家からたくさん茶葉を仕入れることができなかったこと。

「これまでやらなかったオンラインや『さくらいばいさけんきゅうじょ』など、新しい試みはしましたが、新型コロナウイルス前も後も大きな変化はありません」。

櫻井氏は、そう淡々と話します。

「自分が『櫻井焙茶研究所』を開業する前、和食料理店『八雲茶寮』と和菓⼦店『HIGASHIYA』にいました。『HIGASHIYA』では、お茶を楽しむお客様で賑わっていましたが、お茶業界ではお茶が売れない、お茶が飲まれないと言われており、真逆の状況に矛盾を感じていたのです。そこから、自分の働いている環境だけでなく、全体の環境に対して視野を広げ、危機感を持つようになりました。独立したきっかけは、自分の表現の仕方で何か農家さんや業界に貢献したいと思ったからです。新型コロナウイルスの感染拡大よりも前に、危機は訪れていたため、今回の難局だから特別に危機を感じることはありませんでした」と言葉を続けます。

実際、ゲストは激減するも、例年通り、二十四節気も作り続け、いつもと同じようにお茶と対峙します。「売れる売れないに関わらず、自分たちは表現し続けなければいけない」と櫻井氏。

しかし、「唯一できなかったことがある」と言います。それは、「お茶農家さんからお茶をたくさん買うことができなかったこと」。

新型コロナウイルスによる影響は自然界に関係なく、新芽も待ってくれません。

「お茶農家さんたちを発展させるには、自分たちが発展しなければいけません。自分たちが止まってしまったら、お茶に関わる全ての人たちが止まってしまう。周囲に希望を失わせないようにもっともっとお茶を表現していかなければいけないと思っています」と櫻井氏。

「お茶を作る人、道具を作る人、お茶を淹れる人。自分たちの活動を通して、若い人たちが魅力を持ってもらえる職業にもしていきたい」と丸若氏。

昨今、気候変動の影響も手伝い、寒暖の繰り返しによる霜と雨によって茶葉の収量が減っていると言います。2021年においてもやや遅い梅雨入りとなり、コントロールできない自然と運命共同体のため、未来も予測不能。

そんな中、たった一杯のお茶飲むことやたったひとつのティーパックを淹れることによって、何かが少しずつ循環し、好転していくのかもしれません。

日本の文化を守る一旦は、誰にでもできる身近な行為の繰り返しなのです。

「自分たちが活動し続けることによって、茶葉を育てていただいている農家さんにも希望を与えたい。これから、もっともっと茶葉も仕入れたいと思います」と櫻井氏。「現在の社会情勢などによって、生まれたオンラインやティーバッグの可能性をこれからも模索していきたいと思っています。そして、リアルな場だから体験できることも引き続き取り組んでいきます」と丸若氏。

櫻井焙茶研究所所長。和食料理店『八雲茶寮』、和菓⼦店『HIGASHIYA』のマネージャーを経て、2014 年独立。東京・南青山に日本茶専⾨店『櫻井焙茶研究所』を開業。お茶と食事のマリアージュ、お茶とお酒の融合など、お茶を通して様々なメニューの企画・提案を行うほか、国内外にて呈茶やセミナーも開催。日本茶の魅力をより多くの人に伝える活動を続ける。

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park B1F MAP
https://www.ginzasonypark.jp/
https://en-tea.com/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

7.5oz ヘビーボディフォトプリントTシャツ

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはインクジェットプリントで、ごわつきもなく写真表現もきめ細やか。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2105: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 62.0 39.0 84.0 84.0 16.0 17.0
XS 63.0 42.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 66.0 44.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 47.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 71.0 49.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 52.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディプリントTシャツ(フライングホイール柄)

ホッピングシャワーテツさん画!フライングホイールTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはラバーで、バックとフロントワンポイント。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2104: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 62.0 39.0 84.0 84.0 16.0 17.0
XS 63.0 42.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 66.0 44.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 47.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 71.0 49.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 52.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディプリントTシャツ(レーシングロゴ柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはラバーで、バックとフロントワンポイント。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2103: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 62.0 39.0 84.0 84.0 16.0 17.0
XS 63.0 42.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 66.0 44.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 47.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 71.0 49.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 52.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディプリントTシャツ(レーシングロゴ柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはラバーで、バックとフロントワンポイント。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2103: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 62.0 39.0 84.0 84.0 16.0 17.0
XS 63.0 42.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 66.0 44.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 47.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 71.0 49.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 52.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

営業に関して

皆様いかがお過ごしでしょうか??

岡山県も21日に非常事態宣言が解除をさらました!!

それに伴って平日もレディース館とテイクアウトコーナーはオープンすることになりました(・∀・)

ただ、テイクアウトは朝の11時から夕方の16時までの時短営業をさせていただきますm(._.)m

皆様が案じて来られますようにアルコールの設置とスタッフの検温・マスクの着用をしてお待ちしております( ̄▽ ̄)

日本最長の宿場町に眠った「杉の森酒造」再生物語。[SUGINOMORI REVIVAL/長野県塩尻市]

Suginomori Revival歴史ある『杉の森酒造』を再生すべく、『傳』長谷川在佑、『ラ・メゾン・グルマンディーズ』友森隆司、酒職人・松本日出彦が立ち上がる。

長野県塩尻市、この地には古き良きという言葉では表せない「日本」を知る場所があります。

「奈良井宿」です。

中山道にあるそこは、「木曽の大橋」のかかる「奈良井川」沿いを約1kmにわたって町並みを形成している日本最長の宿場。ここには、世界も驚愕する「日本」の時の営みが積み重ねられているのです。

江戸時代より続く中山道沿いにある「奈良井宿」は、かつて行き交う大勢の旅人で賑わっていたと言われます。その町並みは、「奈良井千軒」と謳われ、今なお、旅籠の幹灯や千本格子などがその面影を残しています。

ただ、ただ、歩いているだけで風格と誇りを感じるのは、そんな要素が凝縮されているせいかもしれません。

そして、場所だけでなく、風景が守られてきたことこそ、「奈良井宿」が他の宿場町と異なる特筆すべき点。それが現代においても成されているのは、歴史の数だけ受け継いできた人々の努力があってこそ。住民なくしては、これまでも、これからも、「奈良井宿」の歴史を語ることはできません。

偶然ではなく必然。意志ある人々によって歴代守られてきた風景が持つ価値は、昭和53年(1978年)に「重要伝統的建造物群保存地区」として国から選定されたことに裏付けされています。以降、平成元年(1989年)には国土交通大臣表彰の「手づくり郷土賞」、平成17年(2005年)には「手づくり郷土大賞」、平成19年(2007年)には「美しい日本の歴史的風土百選」、平成21年(2009年)には社団法人日本観光協会「花の観光地づくり大賞」なども受賞。

いつの時代においても、町づくりに懸ける想いが脈々と受け継がれているのです。

しかし、一方でそんな長い歴史の中で姿を消してしまったものもあります。

そのひとつが、古い軒先に一際大きな杉玉が飾られていた酒蔵『杉の森酒造』です。

創業は、寛政5年(1793年)。200年以上、町の風景に溶け込んだ酒蔵は、平成24年(2012年)に惜しまれながらも長い歴史に幕を下ろしました。

今回、『ONESTORY』は、そんな『杉の森酒造』を再生するプロジェクトに参画。

宿泊施設、温浴施設などを備える建物の中、我々は、蔵だった場所をレストランとバーに再生。復活させる酒蔵と共に地域の発展に取り組み、一度止まってしまった時を再び元に戻します。

料理のプロデュースには、日本を代表する料理人、『』の長谷川在佑氏を迎え、現場は塩尻の名店『ラ・メゾン・グルマンディーズ』の友森隆司氏が牽引します。更に、酒造りの監修を担うのは、松本日出彦氏。

名手を揃えるも、過度な演出をすることはありません。

「奈良井宿」だから味わえること、『杉の森酒造』だったから体感できることを大切にします。

それは、町との共生も意味します。

江戸時代を彷彿とさせる原風景に身を委ねれば、必ずや忘れかけていた日本の豊かさに気付かされるでしょう。

建築様式に目を凝らし、風景に想いを馳せる。連なる店に訪れ、ものに触れ、人に出会うことによって、この町の魅力を最大限に享受できるのです。

見るもの、感じるもの、その全てに歴史が感じられ、タイムスリップしたかのような錯覚に陥る地域一帯の体験時間こそがこの町の醍醐味。

一歩一歩、歩を進めることによって旅の奥行きは更に増していきます。

日本人こそ知るべき日本の風景の蓄積がここにはあります。
日本人こそ知るべき日本の時の流れがここにはあります。

果たして『杉の森酒造』は、どんな形で再生するのか。その全貌を追います。

※ご予約は、下記のHPにてご確認ください。
https://byaku.site

標高950mに位置する「奈良井宿」の桜は、ほかの地域と比べるとやや遅く、4月下旬から5月下旬が見頃。本数こそ少ないが、「奈良井川」沿いに咲く桜は、住民の癒やしでもある。

新緑が美しい夏の「奈良井宿」は、「鎮神社例大祭」 (例年8/12、宵祭り8/11)も開催。そのほか、木曽漆器祭・奈良井宿場祭」(例年6月第1金曜・土曜・日曜に開催。2021年は新型コロナウイルスにより、中止)も行われ、期間中には、宿場内にある漆器店、工芸品店にお値打ちの品が数多く並ぶ。

「奈良井宿」を囲む圧巻の紅葉は、例年、10月から11月が見頃。朱色、黄色に染まる風景は、樹齢300年以上の総檜造りの太鼓橋「木曽の大橋」などとも相性が良く、ノスタルジックな世界を形成する。

冬の「奈良井宿」は、雪化粧をまとい一面に銀世界を形成する。厳しい寒さを伴うが、その静寂は美しく、この時期だからこそ堪能できる美味もある。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

プリマロフト(R)ゴールド ・ パーテックスシールド DV マウンテンパーカー

商品詳細

  • アイアンハートのヘビーアウターでは1番の機能性を誇 るウィンターパーカー
  • 表地は 60/40( ロクヨンクロス ) と呼ばれる、 コット ンより通気性がよくナイロンよりも磨耗に強い昔ながら の素材を採用。 ハイテク素材のイーベントをラミネート。
  • 縫い目には裏から止水テープを張り込んだ完全防 水仕様です。
  • 内側にはジャケットでお馴染みの中綿、 プリマロフ ト (R) を詰め込んだ、 冬のバイクシーンにはピッタリの 仕様です
  • 衿元はパーカー内側に中綿入りスタンドカラーが付 いた 2 重仕様
  • 胸の縦ポケットはファスナー開きで左右にひとつず つ、 腰ポケットはベルクロ + 釦でしっかりと止められる フラップが付いた仕様
  • フロントはダブルジッパー、 スナップボタンの二重 留めで、 バイクで走る際の風の入りこみを防ぎます
  • 両脇内側にあるドローコードで裾の絞り具合を調整 でき、 袖口は中リブ付きに加え、 ベルクロで絞れる 2 重構造になっており、 バイクに乗る際に便利なアイア ンならではの仕様
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。予めご了承ください

素材

  • 表地/綿:60% , ナイロン:40%
  • 裏地/ナイロン:100%

納期

  • 10月中旬

7.5oz ヘビーボディフロントプリントTシャツ(ロゴ柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • フロントプリントなので上にシャツを羽織ってもプリントが映えます。
  • プリントはラバーでフロントのみ
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2102:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディプリントTシャツ

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはラバーで、バックとフロントワンポイント。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2101:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

new☆デニム扇子



こんにちは晴れ


ぽかぽか陽気な気温から
段々と日差しが強くなり汗がでるような暑さになってきましたねメラメラ(>_<)メラメラ


そんなこれからの季節に
雑貨館からオススメするのは、
デニム扇子でございます!


デニム生地でオシャレで
シンプルなデザインが男女問わず人気になっております音譜

{368D4E95-50BE-4052-9B0E-30711AC7A237}

デニムの専用ケースも付いて
¥1,980(税込)です目アップ

デニム生地で出来ているので
丈夫で破れにくいですグッド!音譜

サイズもほんのり大きめなので
たくさんあおげます


見本も置いてますので
是非、試してみてくださいね!!


今年の夏は
ECOで乗り切ろう(・∀・)クローバー



「食」のおいしさ、楽しさ、喜びを語り合い、体験価値が増幅するコミュニティ。みんなの「愛すべき食」がつなぐ食の未来。[GOOD EAT CLUB]

食のエモーション・コマース「GOOD EAT CLUB」が2021年1月21日よりサービススタート。

グッドイートクラブ社会が変われば、コミュニティの形も変わる。新時代に求められるECの可能性。

2021年1月、新しい食の楽しみを提案するECサイト『GOOD EAT CLUB(グッドイートクラブ)』が始まりました。初夏からの本格始動に先駆けて、まずはβ版サービスのスタート。

仕掛け人は、これまで数々のコミュニティを創出してきたカフェ・カンパニー代表の楠本修二郎氏。

楠本氏がNTTドコモとタッグを組み、「GOOD EAT=愛すべき食」をコンセプトに、地域の食文化、地元の名店、尊敬する生産者など日本中に息づく「愛すべき食」を未来につないで、世界にも広げていこうというプロジェクト。従来のECサイトとは一線を画し、2021年初夏の本格ローンチからは、オンラインとオフラインを融合させた食のマーケット&ファンクラブへと展開していく予定です。

そして『ONESTORY』も、この新しい食の取り組みに賛同。
これまで日本各地で開催してきた『DINING OUT』を通じて出会った素晴らしい食文化、地域の食材、生産者、シェフ――。さまざまな「愛すべき食」を、キュレーションしてお届けしていきます。

さまざまな人にとっての「愛すべき食」が集まり、新しい食の楽しみを広げていく『GOOD EAT CLUB』。はたしてこれからどのようなメディアとなっていくのでしょうか。

仕掛け人の楠本氏に、『GOOD EAT CLUB』への思いやこれからのことを伺いました。

【関連記事】幻の野外レストラン「DINING OUT」で出合った、ぜひ飲んで欲しい日本茶セット

『GOOD EAT CLUB』では、食の偏愛者たちを「Tabebito」と呼び、それぞれの言葉で食品を紹介している。

グッドイートクラブ人類がいまだかつて経験したことのない美味しい時代を、どう楽しむか。

「カフェはメディアである」の言葉どおり、時代の変化に合わせたさまざまなコミュニティの場を提案し続けてきた楠本氏。

2021年、地球規模での大きな社会変化の中、どのような思いで『GOOD EAT CLUB』をスタートさせたのでしょうか。

「社会の変化に応じて求められるコミュニティも変わるし、コミュニティの形態そのものも変わっていく。コロナを機に、これから先のオンラインビジネスは電子商取引という機能面だけではなく、真剣に、顧客体験価値の増幅を生活者視点でやり切ることがとても重要だと思っています。それは、カフェ・カンパニーが今まで創ってきたコミュニティの発想と一緒。楽しくて自然に参加していくことから地域や社会との繋がりが生まれ、その人の生活が本当の意味で豊かになっていくというようなユーザー体験をいかに創出していけるか、ということです。

食は誰にとっても欠かせないものであるはず。そして、日本の未来にとっても大切な生活文化でもあります。だから、オンラインとオフラインを行ったり来たりできるようなプラットフォームを食を中心に作り出せたら、ECの可能性はすごく大きくなると思っています」。

楠本氏が掲げるのが「エモーション・コマース」という概念。

単なる売買のためのマーケットではなく、これまでカフェというリアルな場で繰り広げられてきたような、人々が集まり、食の楽しさや喜びを語り合うコミュニケーションが生まれていくオンラインの場。美味しさだけでなく、未来につなげていきたい味の応援などの「感情」も価値化して、双方向のやりとりが生まれていく場所。

「たしかにコロナによって社会の変化は一気にやってきたけれど、それよりも前からずっと日本が直面していたのが少子高齢化の進行と人口減少という課題です。これからの10年、ますます世界が変化していく中で、どれだけ日本の食産業を強くできるか。世界に勝負をかけていけるか。そのことに本気で向き合いたいという思いはずっと持っていました。

これまで、日本の食産業は、外食なら外食、食品メーカーなら食品メーカー、食品加工業…と、ずっと縦割りで、それぞれがそれぞれで頑張ってきました。でも、コロナ禍が落ち着いた時、変化した社会に対して今まで通りの“通常運転”をしていていいのだろうか。食産業をどんどん横軸で連帯させて、強いブランドを生みだしていくようなプラットフォームが必要なんじゃないかなと」。

コロナ禍をきっかけに本格始動した、食産業全体を盛り上げる業界横断型のプラットフォームという発想。その思いをさらに強固にした背景には、確実に広がっていた「中食(なかしょく)」の需要がありました。

「これまではレストランに行くということは家での食事とは別の大きな楽しみだったと思います。コロナ禍においてはこの楽しみが少なくなってしまった。とはいえ、ルーティンとしての家での食事ももちろんいいのだけれど、この、『外食する楽しみ』が家の中にも拡張されたら生活ももっと素敵になるのではないかな、と思うんです。たとえば、今週末は地方の名店の鍋セットにビオワインが合わせて届いて、それをお気に入りの音楽をかけながらみんなで食べるという経験は、これまでの飲食店だけでは経験できなかった『中食」の楽しみ方。料理もお酒もデザートも、音楽も、着る服も、シチュエーションも、家だったら楽しみ方は無限大なんですよね。

日本の食の素晴らしさは、クオリティはもちろんだけど、そのバリエーションにもあります。とある方が、『世界からも賞賛される日本の美食とその多様性は、ルネッサンス以来の人類の発明だ』とおっしゃっていました。それぐらい、いま僕らは美味しい時代を生きている。ありとあらゆる掛け合わせができる食体験をオンラインとオフラインの融合によって提供して、もっと“食べること”を豊かに、楽しくしていきたいです」。

『GOOD EAT CLUB』を運営する、株式会社グッドイトーカンパニーでもCEOを務める楠本修二郎氏。

楠本氏が『GOOD EAT CLUB』で販売中の商品でオススメするのは、胡麻専門店「和田萬」の商品達。写真は和田萬5代目・店主の和田武大氏。

一度、和田萬を食べたら「ほかの胡麻製品にはもう戻れない!」と楠本氏が太鼓判を押す。写真は「焙煎職人の極上胡麻3点セット」。(1,652円税込) ※他に送料がかかります。

グッドイートクラブ「おいしい」記憶は、風景に宿る。みんなの「愛すべき食」を、風景の記憶ごとシェアできる場所

『GOOD EAT CLUB』の中でひと際気になるのが「Tabebito(たべびと)」という存在。お笑い芸人の又吉直樹氏や、「OAD」世界のトップレストランNo.1レビュアーの浜田岳文氏、ワイン漫画『神の雫』の原作者・亜樹直氏などバラエティ豊かな顔ぶれの「Tabebito」たちが、偏愛たっぷりに熱量高く推薦する「愛すべき食」が特集記事で紹介されるだけでなく、実際に購入することもできる仕組みです。

「オーソリティによる権威づけももちろんいいのですが、GOOD EAT CLUBでは、もっと僕たちに寄り添ってくれるような、自然体で等身大の『これいいよね〜」という声も伝えていきたい。自分がいいと思ったことを、素直な言葉で表現してくれる旅人のような軽やかさと自由さがある人たちがTabebitoです。誰かの『これ好きなんだよね」が集まって、シェアしたり共感したり、そういうことがどんどんスパイラル状に広がってつながっていくといいなあと思っています」。

気のおけない仲間同士が集まった時に交わされる会話の延長線のような、力の入っていない自然体なやりとり。そんなところにこそ、格好つけない本音が隠されていたりします。

「『あの時のあれ美味しかったな」という記憶って、その時の風景なんですよね。トライアスロンで倒れそうになって完走した後に仲間から分けてもらったバナナの美味しさが忘れられないとか。美味しかったのは、そのもの自体よりも、情景や気持ちが相関する風景として記憶してる。『美味しい」って風景と記憶なんです。だから、「愛すべき食」というのは本当に人それぞれ違う。だからこそ、その中に本質的なものがあると思うんです。そういうものをきちんとつないでいくことで、未来に本当に良いものが継承されていくんじゃないかな』

人それぞれが大切にしているさまざまな「愛すべき食」。その気持ちごと可視化して、シェアをして広げていく。それが『GOOD EAT CLUB』の目指すマーケット&ファンクラブの形。「お店や作り手に対しての共感や共鳴は、チップのような応援の仕組みとして実装します。場合によってはクラウドファンディングなども立ち上げることも」。

「食品加工業のエキスパートとシェフ、老舗と食品メーカーなど、これまで出会えなかった食のプレイヤーたちがつながり、共鳴して、それぞれの掛け合わせ、響きあわせの中で強いブランドが生まれていくような場所にもしていきます。チャレンジがどんどん生まれていくラボのようなイメージです。そのために僕らがオーケストレーターとなって、いろんなプライヤーたちをつないでいく。まさに『ONESTORY』が得意なことですよね。そういう活動を、これからますます『ONESTORY』と一緒に取り組んでいきたいと思っています!」と、楠本氏は熱を込めて語りました。

『ONESTORY』が主催する幻の野外レストラン『DINING OUT』チームが最初にお届けする商品は、過去開催地から厳選した「日本茶」6選。商品の詳細は『GOOD EAT CLUB』で是非ご覧ください。

『DINING OUT』第一弾の商品は、日本各地から厳選した茶葉のセット。『GOOD EAT CLUB』で絶賛販売中。

早稲田大学政治経済学部卒業後、株式会社リクルートコスモス、大前研一事務所を経て、2001年カフェ・カンパニー株式会社を設立、代表取締役社長に就任。2019年GYRO HOLDINGS株式会社を設立、代表取締役に就任。コミュニティの創造をテーマに店舗の企画・運営、地域活性化事業、商業施設プロデュースを手掛ける。内閣府クールジャパン等の政府委員や東日本の食の復興を目的とした東の食の会代表理事等も歴任。

幻の野外レストラン「DINING OUT」を通して出合った、日本各地の美味しさを自宅で。第一弾「厳選日本茶6選」販売開始![GOOD EAT CLUB/宮崎県・広島県・静岡県]

2017年5月に宮崎県宮崎市で開催された『DINING OUT MIYAZAKI』。この地でも素晴らしいお茶生産者と出会った。

グッドイートクラブ様々な地域をプレミアムに表現してきた『DINING OUT』チームがお届けする新企画。

2021年初旬よりスタートした、「GOOD EAT=愛すべき食」をコンセプトに新しい食の楽しみを提案するECサイト『GOOD EAT CLUB(グッドイートクラブ)』。

『ONESTORY』も、この取り組みに賛同し、これまで日本各地で開催してきた『DINING OUT』を通じて出会った素晴らしい食文化、地域の食材、生産者、シェフ――。さまざまな「愛すべき食」を、キュレーションしてお届けしていきます。

第一弾は、「日本茶」。

『DINING OUT』で開催地域の食材や生産者の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝えてきたフードキュレーターの宮内隼人が、これまで出会った素晴らしい生産者と相談しながら6つの茶葉を厳選しました。

【関連記事】「食」のおいしさ、楽しさ、喜びを語り合い、体験価値が増幅するコミュニティ。みんなの「愛すべき食」がつなぐ食の未来。

『DINING OUT』で食材生産者とシェフを繋ぐ役割を務めるフードキュレーターの宮内が、第一弾の商品を担当。

宮内は自身のiPadを駆使して、生産者から聞いた食材情報を分析した上で、『DINING OUT』独自の食材データベースに収録していく。その数すでに3000種類を超えている。

グッドイートクラブ朝起きてから夜眠るまで。一日のバイオリズムに寄り添って「旅するように」楽しむ日本茶セット。

「美味しさはもちろんだけれど、日本各地にそれぞれの文化があって、楽しみ方の幅もとにかく広い。新しい食の楽しみの扉を開ける『GOOD EAT CLUB』で「楽しみ方」を提案するのに、日本茶はうってつけのテーマだなと思いました」と、今回のキュレーションを担当した宮内。

これから毎回ひとつのテーマを決めて、『DINING OUT』を切り口にキュレーションをしていく“GOOD EAT”。
第一弾は、日本各地の生産者さんのお茶を「旅」するように味わう楽しみに加えて、朝起きてから夜眠るまで、一日のバイオリズムに寄りそうお茶体験も楽しんでいただけるように、宮内が生産者さんと綿密に相談しながら6種類の日本茶を厳選しました。

選んだのは、静岡県のお茶問屋・マルモ森商店さんのフレーバーティ2種(煎茶+レモングラス、焙じ茶+クローブ)、宮崎県のお茶生産者・宮崎茶房さんの発酵茶2種(みねかおり白茶、みなみさやか紅茶)、そして広島県のお茶問屋・今川玉香園茶舗さんの緑茶(八女上陽さえみどり)と玄米茶。

「日本茶」と言えども、茶樹が育つ標高の違い、茶葉の摘み方の違い、蒸したり炒ったり発酵させたりといった製法の違い、あらゆる要素の掛け合わせで、緑茶も紅茶も烏龍茶も、さまざまに展開していく日本茶の奥深さ。その奥深さを体験できるセットです。

「マルモ森商店さんも宮崎茶房さんも今川玉香園茶舗さんも、もちろん日本茶と聞いて真っ先に思い浮かべるような緑茶も作っているんですが、その上で、皆さんそれぞれ三者三様のキャラクターがあって、唯一無二の取り組みをされている。いろいろな日本茶のバリエーションに出会って、このセットをきっかけにお茶の楽しみが広がっていくスターターキットにしていただけたらいいなと思っています」。

マルモ森商店が運営する茶葉専門店『chagama』の店長の天野裕太氏(左)、フードキュレーター宮内(右)。『chagama』の店舗では、静岡産を中心に100種以上のお茶を取り揃える。

「宮﨑茶房」の茶畑で、代表の宮﨑亮氏(写真中央)に詳しく生育方法を聞く。

広島県尾道『今川玉香園茶舗』の今川智弘氏。明治11年から続く老舗のお茶問屋。

グッドイートクラブこの国には、日本茶のプロフェッショナルがいる。食材が教えてくれる文化と技。

まだまだ自身もお茶のことは勉強中だという宮内。日本茶に興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか。

「『DINING OUT』で日本各地を回っていく中で、各地にその土地の風土や文化にあったお茶があるということを知りました。また、『DINING OUT』の現場では、シェフたちが十人十色、さまざまなお茶の楽しみ方を提案をしていて、それがすごく楽しいし、何より美味しかった。それから次第にお茶への興味が湧いていきました」

なかでも、大分・国東半島の『DINING OUT KUNISAKI』で見事なお茶のペアリングを提案した『茶禅華』川田シェフからの影響が大きかったという。

「川田さんは中国茶に対する知識もとにかく深いんです。一度、川田さんのお店でいただいた金萱茶(きんせんちゃ)という中国茶があまりにも美味しくて感動して、同じものを日本中探したことがあるんですが、どんなに探しても同じ美味しさのものに出会えなくて…。川田さんにお話ししたら、生産者さんによって味が全然違っていて、この生産者さんでないと出せない味なんだと言うことを教えていただきました。それ以外でも、お茶の温度や出し方まで徹底的に研究して実践されていらっしゃることを知り、僕自身のお茶への興味も深まっていきました」。

極めればどこまでも広がっていくお茶の世界。完璧な美味しさを追求するガストロノミーなお茶の楽しみもあれば、日常に寄り添って「ケ」の食としての楽しみもある。身近にこんなにも包容力のあるお茶の世界が広がっていたのにもかかわらず、私たちはあまりにも日本茶のことを知らないのかもしれません。

「今回いろんな方にお会いするまで、お茶問屋さんってお茶の流通の部分を担う仲介役だと思っていたんです。でもそれはお茶問屋さんの仕事のほんの一部。彼らはお茶に対するものすごい知見を持って、その人の好みや要望に合わせたお茶を提案してくれるお茶のキュレーターのような存在なんです。真骨頂はブレンドの技。お茶のブレンドのことは「合組(ごうぐみ)」と言うんですが、オーダーに応じて茶葉を選んでブレンドして、炒るところまで様々な変数を調整してお茶の味を整えていくところまでやってしまう。本来お茶はオーダーメイドに楽しめるということだったり、それを実現するものすごい審美眼と技術を持つお茶のプロフェッショナルがいるということを、このお茶を通じて知ってもらえたら嬉しいですね」。

食と出会うことが、その食を取り巻く匠の技や、生まれた地域の文化を知るきっかけになる。それはまさに『DINING OUT』の発想、そして「愛すべき食」でもあります。

これまで日本各地、18カ所で開催してきた『DINING OUT』。そこで出会ってきた数々の素晴らしい食材、食文化を、よりたくさんの方に体験いただけるような第二弾、第三弾の「愛すべき食」も計画中です。

「いろんな思いが詰まっていますが、とにかく美味しいので、まずはそれを体験していただきたいですね」。

今回ご紹介した第一弾「日本茶セット」の詳しい情報は『GOOD EAT CLUB』に掲載中。同時に販売も行っておりますので、この機会に是非ご賞味ください。

宮内が紹介したお茶のセットは『GOOD EAT CLUB』で販売中。セレクトの考え方や、生産者の想いなど詳しく紹介しています。

茶葉それぞれの抽出温度や、飲んで欲しいシーンも詳しく紹介しているので併せてお楽しみください。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。

LEXUSを駆って旅に出た、ある料理人の物語。高原を駆け抜け、自然の声に耳を澄まし、やがて一皿の料理が生まれる。[The Vision/大分県竹田市]

Lionel Beccat × LEXUS LC Convertible

フランス人料理人リオネル・ベカ氏がLEXUS LC Convertibleで九州を駆ける。

銀座のフランス料理店『ESqUISSE』のエグゼクティブシェフを務めるリオネル・ベカ氏。“唯一無二”と評される氏の料理は、自然と人との繋がりを大切にし、食材それぞれが語りかけるような存在感を放ちます。

そんなリオネル氏にとって、九州、とりわけ大分県竹田市は特別な場所です。2014年に開催された『DINING OUT TAKETA with LEXUS』でこの地を訪れたリオネル氏。豊かな自然、ここで生きる人々と触れ合うことで「主張すべきは料理人の個性ではなく、素材そのもの」という現在の料理哲学に至ったのです。

「自分を変えてくれた場所」リオネル氏は竹田市をそう評します。

そして2021年春、リオネル氏は再び九州を訪れます。
旅の相棒に選んだのはLC Convertible。オープンエアで風を感じ、自然の力をダイレクトに感じるこの車。優れた運動性能とエレガンスを兼ね備えた唯一無二の存在感。「最初からその姿だったような自然で流麗なデザイン」リオネル氏はLC Convertibleの美しさに、自身の料理との共通項を見出します。

LC Convertibleのハンドルを握り、高原を走り出すリオネル氏。ルーフをオープンにして、山の風を肌で感じます。「車と一体になるようなフィーリング」そんなドライビング体験はやがて、リオネル氏に料理のインスピレーションを与えます。

東京に戻り、厨房に入ると、リオネル氏は一皿の料理を仕上げました。それはあのとき心に浮かんだ風景を、そのまま落とし込んだような美しい一皿。九州の自然を駆け抜けた経験なくしては生まれ得なかったその料理を通し、リオネル・ベカという稀代の料理人の心の内側が少しだけ覗けるかもしれません。

※LEXUS公式サイトにてスペシャルコンテンツ公開中

くじゅう高原を駆け抜けるLC Convertible。そのドライビング体験が、料理人にインスピレーションを与えた。

LC Convertibleとリオネル氏。その流れるようなデザイン性も、リオネル氏の創造力を刺激する。

旅の経験を、一皿の料理に昇華。そこには深いメッセージが込められていた。

雨の日にも

皆様こんにちは!!

やっと寒い日が終わり暖かくなってきたな〜と、思ったらもう梅雨入り宣言が各所で行われましたねヽ( ̄д ̄;)ノ

なんというか。。。


一年が早い!!∑(゚Д゚)


さて、梅雨の時期にもオススメなオシャレなデニムの商品を一つ紹介します(о´∀`о)



それがこちら!!


デニム柄傘〜( ´ ▽ ` )



今日は倉敷があいにくの天気ですがこの傘をさして美観地区を歩くと目立つ事間違い無しのオシャレなアイテムとなっております(*゚▽゚)ノ


デニムストリートは現在も休まず営業を行なっておりますので美観地区へお越しの際は是非お立ち寄り下さい!!

玄界灘に突出した半島で醸す。人生初、松本日出彦は「槽」に乗る。

『田中六五』で知られる『白糸酒造』へ。江戸時代から続く酒造りの技法「槽搾り」を体験する松本日出彦氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO『田中六五』の本気。その情熱に食らいつく。

「槽(ふね)」に乗る。

聞き慣れない言葉の意味は、江戸時代の伝統的な酒造り「上槽(じょうそう)」という工程にある槽搾りとハネ木搾りにあります。これは、『田中六五』を造る福岡県糸島市の『白糸酒造』が創業した安政2年(1855年)より守り続けている技法です。

「上槽」とは、発酵を終えた醪を搾り、濾過する作業のことを指します。その工程にある酒と酒粕に分離するために用いる道具の形が舟に似ているところから、搾ることを「槽に乗る」と呼ぶのです。

この日、松本日出彦氏は、人生初の槽に乗ります。

「4月5日に仕込んだ醪を今日(5月1日)は搾ります。通常、横型の油圧圧搾機を採用しますが、『白糸酒造』は昔ながらの搾り方の槽搾り。更には、全てハネ木搾りというこだわり。特に時間と労力を費やします。これまで酒造りをしてきた自分も初めて経験する搾り方です。」と松本氏。

この日、搾る醪は、1,900ℓ。それを酒袋に一つひとつ詰め、槽に積んでいきます。交互に並べることによって不安定な袋同士が支え合う姿は、まるで長屋の構造のよう。更にそれを積み上げることによって自然の圧がかかり、濾過されるのです。袋の数は、370枚。同じ作業をひたすら繰り返すそれは、見た目以上に過酷です。

松本氏の額には汗が滲み、徐々に息が荒くなります。震える腕と指先、背中や腰の乳酸の疲労は限界を迎え、筋肉も悲鳴を上げるが、必死に食らいつくしかありません。

約2時間を有し、作業を終えるも「やや遅い」と隣で囁くのは、『白糸酒造』8代目の杜氏であり、『田中六五』の生みの親、田中克典氏。

「しかし、早ければ良いわけではありません。醪の溶け具合によって搾られる量を想定しながら積んでいくため、早過ぎて重ねた袋が崩れてしまったり、中から醪が溢れてしまっては意味がありません。そういった視点で見れば、日出彦さんは勘が良い」と言葉を続けます。

自然の圧に身を任せた搾りを待つこと約3時間。その後、一滴残らず搾り切るために行うのは、『白糸酒造』が誇る伝統「ハネ木搾り」です。

原始的な手法のそれは、数々の改革を起こしてきた田中氏が唯一守り続けていることでもあります。

「ハネ木搾り」を知らずして、『田中六五』を飲むべからず。

温故知新とも言える「ハネ木搾り」は「故」であり「個」。『白糸酒造』の「故」から生まれた『白糸酒造』の「個」こそ、『田中六五』なのです。

『白糸酒造』8代目杜氏・田中克典氏とともに松本氏が仕込んだ醪。「数値、経過など、自分の思い通りに仕込ませていただきました」と松本氏。

ホースから出てくる醪を一つひとつ酒袋に詰め、槽と呼ばれる箱に並べ、積み、仕込んでいく。

この日は、1,900ℓの醪を370枚の酒袋に詰める作業を行う。一袋に入れる量は、約5ℓ。それを体感で行う。

酒袋に詰めた醪を、槽の中へ交互に並べ、積み重ねていく。少しでもバランスを崩してしまうと醪が溢れてしまうため、「慎重に、丁寧に、かつスピーディに」と田中氏。

槽にひたすら醪を詰めた酒袋を並べ、積み上げる松本氏。その頭上には、堂々たるハネ木がそびえる。

創業は安政2年(1855年)。歴史ある『白糸酒造』の酒蔵には、「ハネ木による手しぼり」と記される。それは、令和3年(2021年)になった今なお、変わらない。

『白糸酒造』のシンボルとも言える煙突。現在はその役目を終えたが、風景としてその姿を残す。「変えてはいけないものは、技術や伝統だけでない」と田中氏。

「杜氏になってから唯一変えなかったことがハネ木搾りです。逆を言えば、それ以外は全て変えました」と田中氏。

「『田中六五』は、土地の原料が活かされた糸島にしかできない日本酒。味は革新的ですが、造りは伝統的なのは、田中さんだから成せる業だとおもいます」と松本氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO現代とは真逆の世界。「ハネ木搾り」は、時短ではなく長時の酒造り。

「槽」の上を見上げれば、梁のような大木が天に浮き、その出番を待っています。

「槽とハネ木を備える旧蔵は、約100年前に建てられたのですが、このハネ木はその時からあると聞いています。素材はカシの木でとても丈夫ですが、さすがに今はひび割れも多く、鉄で補強しながら現役で使っています」と田中氏。

この大木をテコの原理で槽に圧をかけ、最後の一滴まで搾ります。その調整を測るのは、十数個の石。小さいもので約20kg、大きいもので約80kgある石を槽とは逆側に吊るし、徐々にその数を増やしていきます。最終的には、約1.2tに及ぶも、更に驚くべきは、それにかける日数。3日間かけて、「ハネ木搾り」は行われるのです。

昨今、圧搾機などを用いて「ハネ木搾り」と謳う蔵も少なくありませんが、正真正銘の全量「ハネ木搾り」は、日本全国の中でも『白糸酒造』のみと言って良いでしょう。逆を言えば、それだけ現代の技術は発達しているため、機械に頼ることもできますが、あえて手造り、手作業にこだわっているのです。

3日間かけて搾られた酒は、サーマルタンクに移され、−3.5度まで冷やし、一週間寝かせます。その後、生の状態で瓶詰めし、まるでプールのように水を張った釜にそれを並べ、徐々に65度まで温度を上げ、瓶燗火入れを行います。

「生酒を除くお酒は、通常、“火入れ”という工程を経て店頭に並びます。香りや味を安定させるだけでなく、雑菌を死滅させ、おいしいまま長期保存をできるようにするためです。しかし、『白糸酒造』では、急激な温度変化で風味を崩さないよう、あえて時間と手間のかかる“瓶燗火入れ”を採用しているのです」と松本氏。

「それによってお酒のストレスも軽減でき、味がおいしくなる(はず)」と田中氏。

『田中六五』の酒造りには、現代における時短の世界はありません。むしろ、1時間のことに3時間費やし、1日のことに3日費やすような長時の世界。しかし、「時間をかければおいしくなるわけではないことも、伝統を守り続ければおいしくなるわけでもないことも理解しています」と田中氏。

2014年より杜氏に就任以降、既存の方針を変えてばかりいた田中氏だっただけに、変えなかったことへの想いは一入。「結果が全て」と言葉を続ける田中氏は、変えなかった造りを持って『田中六五』を創造したのです。

「六五」とは、その名の通り、糸島産の山田錦を65%精米して仕上げた純米酒です。そのきっかけになったのは、佐賀県姫野市が誇る『東一』の勝木慶一郎氏が手がけた65%精米して仕上げた純米酒との出合いでした。奇しくも、勝木氏は、松本氏の前蔵の顧問であった人物であり、今後は『白糸酒造』の顧問を務めます。

「原料に勝る技術はない」とは、勝木氏が師から得た言葉であり、松本氏にも残した言葉。

今、松本氏が最も重要視する原料、それは「水」です。

「そう感じることができたのは、今、ご一緒している『冨田酒造』、『花の香酒造』、『白糸酒造』、『仙禽』、『新政酒造』の五蔵と同時に酒造りをさせていただいているからこそ、改めて気づくことができたのだと思います。各蔵、発酵のさせ方や醪の数値など、自分なりに味のイメージを持って仕込ませていただいており、最初の口当たりや印象もその通りにできていると感じています。しかし、後味や奥行き、旨味の重心は、必ず各蔵が持つ美点が活かされた味になっている。ここで搾った荒走り(搾りの最初に出てくる酒)を飲んだ時にそう確信しました。そして、その理由は、原料の水にあると思ったのです」。

ハネ木に石を吊るす作業も人力。3日間かけ、大小の石を数十個吊るし、搾る。石の総重量は、最終的に1tを超える。

ハネ木に吊るす大小の石たち。結んだロープは、舟で漁師が使用しているものと同様。「実は、以前の杜氏が漁師町に住んでおり、そこから分けていただいています。上槽、櫂入れなど、海にまつわる文言が酒造りに多いのも不思議ですね」と田中氏。

ハネ木の重さで沈んでいく酒袋との間を微調整していくのは、大小の木の板と角材。これもまた、古くから使用され、素材はイチョウの木。

 左側に石を吊るし、テコの原理で右側の槽に積んだ酒袋に圧をかけ、搾る。鉄で補強しながら使い続けて約100年。

醪による自然の圧、ハネ木搾りで搾りきった酒は、サーマルタンクへ。−3.5度まで冷やす。

酒袋に醪を積み重ね終わった後、荒走りをひと口。「自分が介在した味は感じるも、しっかり『田中六五』になっている」と松本氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO原料に勝る技術はない。水に触れ、水を知り、水について考える。

たかが水、されど水。水を表現することは難しい。

水を化学式で表すとH2O。つまり、ふたつのH(水素)とひとつのO(酸素)が結びついてできている化合物です。しかし、学式だけでは表せないことが味や風土にあると思います」と松本氏。

田中氏とともに向かった先は、糸島の水源とも言える「白糸の滝」。

約24mある滝の高さは、水しぶきが飛ぶほど近くまで足を運ぶことができます。ふたりは、流れる水をひと掬い。

「ミネラルが適度に含まれる中硬水。蔵の井戸水とは若干違う味とテクスチャー。うちのは、もう少しもったりしているというか、とろみがあるというか。ウエットな感じ」と田中氏。

「きっと、ここから流れ落ちる間に水質も変わるのではないでしょうか。岩肌から滲み出るのか、冬に溜まった雪解け水なのか。地形によって同じ水源でも異なる素材になるのだと思います」と松本氏。

「そういう意味では、このあたりは岩盤が近く、それに付着していれば鉄分も含まれているかもしれません。滝は上から流れ落ちる水ですが、井戸は下から汲み上げる水。地下水が帯水する地層に含まれる成分も関係しているのかもしれません」と田中氏。

例えば、ここ「白糸の滝」を内包する「羽金山」の雨水の行方を検証してみると、地中への染み込みは約50%、蒸発は約25%、地表面への流れは約25%(全て、裸地を除いた数字)。森林は、水の命を蓄えているのです。

さらに水について追求を進めれば、「羽金山」を始め、周囲の山々から流れ落ちる水から育った米で『田中六五』は造られています。水は酒造りだけでなく、米作りから重要な役割を果たしているのです。『田中六五』の原料となる山田錦もまた、糸島の山北地区の田んぼで育てられています。

「標高は約80mの低山。面積が確保され、程良くゆるやかに傾斜もあり、水の通りも良い。海に抜ける風道もあるため、寒暖の差もあり、米作りには非常に適した環境だと思います」と松本氏。

糸島は、全国的にも有名な山田錦の産地であり、福岡全域は、地域の酒造組合を中心にお米が管理されています。全量米、つまり昔の配給米の仕組みです。ゆえに、田中氏が直接農家とやりとりすることはありません。今では珍しい仕組みであり、ある意味、健全な地域の証拠ではありますが、一方で変化を生みにくい面も備えます。

「いつか米作りから農家さんとご一緒したいと思っています。そのために、農家さんの信頼を得られる酒造りをしたい」と田中氏。

信頼を得られる酒造りとは、生産数を上げ、たくさんのお米を仕入れることにあります。直接、関係を持てなくとも『白糸酒造』と『田中六五』の勢いを仕入れる量の多さで認知させ、いつかのための準備をしているのです。

「歴史ある日本酒業界の方針を変えるのは難しいですが、選択肢は増やすべきだと思います。自分たちも既存の仕組みに否定的ではありません。しかし、年々減っている酒蔵の数や低下している日本酒の摂取量という結果を真摯に受け入れた時、新しい仕組みも必要なのではないかと考えています。なぜなら、日本酒は、間違いなく日本のお米を支えているから。日本酒の数が減れば、田んぼも減り、農家さんもいなくなってしまいます。そうなる前に何とかしなければいけません」とふたり。

酒造りは蔵から始まるのではありません。原料が生まれる蔵の外から始まっているのです。

「レストランやお客様はもちろん、世の中は常に進化している。日本酒においても時代に応じた進化が必要。当たり前を見直し、変化を恐れてはいけない」とふたりは言葉を続けます。

伝統や歴史があるものは、時代との呼応を相容れないことがあるのかもしれません。

本当に大切なことは変えない。しかし、変えるべきことは変える。

『白糸酒造』のように。『ハネ木搾り』のように。『田中六五』のように。

全てにおいて、「守破離」を繰り返すことによって、物事は卓越していくのです。

 羽金山の中腹530mに位置する「白糸の滝」。文字通り、岩肌を白い糸のように流れる。その美しい景観は、県指定名勝にも選ばれる。しばし、滝の景色と音に癒される松本氏と田中氏。

「白糸の滝」から流れる清流は透き通るほど美しく、ヤマメも泳ぐ。

「酒を知るには土地を知ることが大事。土地を知るには水を知ることが大事。水が酒を決める」と松本氏。

『白糸酒造』から湧き出る井戸の水。「うちの水は少しとろみがあります。実は、最初はこの水があまり好きではありませんでした。しかし、この水によって馴染んでいく味がうちの日本酒であり、個性。大事な原料であり、自然からの大切な恵みです」と田中氏。

『田中六五』のお米は、糸島の山北地区で育った山田錦。「水が豊か、広く平らな土地、土の水はけも良い、昼夜の温度差もある。米作りには最適な環境だと思います」と松本氏。「農家も田んぼを守らなければいけない。誰に預けるのか、どの蔵に預けるのか。そういった問題にも一緒に向き合いたい」と田中氏。

上記よりも更に上空から望んだ糸島らしい景色。山があり、海があり、田園風景が広がる。

HIDEHIKO MATSUMOTO決して人助けではない。頼まれたわけでもない。ただ、一緒に酒造りをしようぜ。

実は、松本氏と田中氏の付き合いは長く、共通点も多い。

「最初の出会いは大学時代。ただ、その時は別に仲が良かったわけではない(笑)」とふたり。

卒業後、松本氏は『九平次』を造る名古屋『萬乗醸造』と『東一』を造る佐賀『五町田酒造』へ。田中氏は、広島『酒類総合研究所』を経た後、松本氏同様、佐賀『五町田酒造』へ。

同じ大学、同じ修業先。そして、前述の通り、ふたりを結ぶ勝木氏の存在。しかし、何より一番の共通点は、「お互い社交性が低い……。だから、仲良くなれなかった(笑)」とふたり。

では、いつからその距離は縮まったのか?「最近(2020年)ですかね(笑)」とふたり。

加えて、年齢が近い職人同士の輪は広がり、会えば夜な夜な熱い話をする日々。そんな矢先に起こった出来事が松本氏の蔵問題だったのです。

「過去は変えることはできない。変えることができるのは未来だけ。ですから、不謹慎かもしれませんが、変化と進化するチャンスだと思いました。助けようだなんて思っていません。そんな大それたことは自分にできませんから。ただ、日出彦さんは、大好きな友達だから。遊びも一緒にしたいし、勉強も一緒にしたい。だから……、ただ、一緒に酒造りをしようぜ」。田中氏は、そう振り返ります。

一方、そんな誘いを受けた松本氏でしたが、「当時の自分は、すぐに気持ちの切り替えはできず、うちに篭っていました」と話します。

「“それでもいいから、待ってるよ。酒造りがしたくなったら、一緒にやろうぜ”。田中さんは、そう言ってくれました」。

「他の友達が同じ状況になっても同じことをしたと思います。日出彦さんだって、逆の立場だったらそうしたんじゃないですかね。一緒に酒造りをしてみて感じたことは、攻めの数値。醪の経過も強気ですし、これは性格ですかね?(笑)」と田中氏。

「確かに、バランス良く酒造りをしている田中さんから見たら、そう映るかもしれませんね(笑)。吟醸酒作りではなかった自分にとっては、いつも通りなのですが……」と松本氏。

「日出彦さんの造っていた日本酒は、ガスを効かせ、熟成にも勝るフレッシュさもありました。その製法に関して話には聞いていましたが、あくまで口頭から得た想像の世界。今回、一緒に酒造りをすることによって、色々、理解できたことも多かったです」と田中氏。

一方、酒造りをさせてもらうことによって、松本氏は多くの発見を得ることができました。

「自分の魂はどこにあるのか。自分の酒造りは何だ。生きる営みこそ酒造りであり、それを表現するために、自分は再び酒造りの世界へ戻りたい。そう思いました。田中さんは、審美眼に長け、感度も高い。有言実行、変えるところはとことん変え、守るところはとことん守る」と松本氏。

事実、以前の『白糸酒造』は、難局を迎えていましたが、田中氏の杜氏就任後、さまざまな改革によって蔵は持ち直します。

「でも、新しい蔵を作る時には、反対されましたけどね(笑)」と田中氏。

酒造りはチーム。『白糸酒造』が守り続ける「上槽」のごとく、杜氏は言わば船頭。

「船頭(杜氏)は、一番強い風を受けなければいけません。その後ろで櫂を漕ぐ人間(職人)に同じ風当たりを理解してもらうのは難しい。どんな舵を切るのか、どんな海に向かうのか、それは穏やかなのか、荒波なのか。全ては田中さんにかかっている。『白糸酒造』は、みんな田中さんを信じて航海している素晴らしいチームだと感じました」と松本氏。

そんな航海の仕方は、日本酒業界においても同様かもしれません。

これがうまいとされる味をなぞれば、造りも原料も似てしまう。ある意味、安心安定の穏やかな海への航海ですが、結果、各々が持つ地域性や蔵の個性は失われてしまいます。特性を活かすためには、群から外れた荒波への航海の選択をしなければいけません。しかし、群が生んだ味の正解、造りの正解、原料の正解ではない、新しい正解を受け入れてもらうのは至難の業です。

「味を決めるのはあくまで消費者ですが、その責任を果たす義務が我々にはあると思います。自分たちの都合で変わらないのは良くない。逆にそれによって守れないものも出てくる。もはや、自分たちだけの問題ではありません」とふたり。

その問題はさまざま。解決するためには、どんな航海をするべきなのか。これからの松本氏の人生も例外ではありません。むしろ、波風のない平穏な海への航海はないでしょう。

「心を燃やして酒造りをするしかない。その種火は、他所から持ってきては意味がない。自分で起こすしかない」とは田中氏の言葉。

自分の正しいと思うコンパスを信じて、舟に乗る。

田中克典と過ごした時間から松本日出彦が学んだことは、酒造りだけではありません。そんな情熱を学んだのです。

「初めて一緒に酒造りができて、お互い良い経験になった」と田中氏。「今回、お世話に立っている5蔵の中で一番自由に酒造りをさせていただきました。仕上がりが楽しみです」と松本氏。

2016年に田中氏が建てた新たな蔵(手前)。モダンなコンクリート建築は、まるで美術館のよう。伝統的な「ハネ木搾り」を行う旧蔵(奥)とは対象に、ここではテクノロジーを駆使し、味の数値化やデータ管理する機能を備える。「変えないところはかえない。変えるところは変える。このバランス感覚と行動力に田中さんは長けている」と松本氏。

新旧の建物が並ぶ『白糸酒造』。「田中」とは田中家の姓であるとともに、「“田”んぼの“中”にある酒蔵で醸された」という意味も込められている。まさにそれを可視化した風景。

糸島産山田錦のみを65%精米して仕上げた純米酒『田中六五』。「『田中六五』が目指すは、オンリーワンでもナンバーワンでもありません。本当に伝えたいお酒を作り続けることによって、定番になることを目指したい」と田中氏。

住所:福岡県糸島市本1986 MAP
TEL:092-322-2901
http://www.shiraito.com

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

スタッフお手製

雑貨館に設置しているブロックにスタッフがデザインを施してくれました(*^◯^*)




結構色んなお客様も写真を撮ってくれていて新しい写真スポットになりつつあります( ・∇・)

これをフリーハンドで描いているのだから驚きですΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

どこに設置しているのかは来た時に探してみてください( ̄▽ ̄)

間伐材、竹林に続き、カカオ廃材! 食べることが地球のためになるサステナブルスイーツ。[LIFULL Table Earth Cuisine/東京都千代田区]

江藤氏が手掛けた「ECOLATE CARE」。こちらは“廃材らしさ”をいかに残して美味しさを追求するかに身を粉にした。Photograph:株式会社LIFULL

上妻氏が考案した「ECOLATE TABLETTE」。廃材を使いながらチョコレートらしい食感を追求した。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ「地球料理 -Earth Cuisine」第三弾のテーマはカカオ廃材。

食べることが地球のためになる。いままで目を向けられていなかった、社会問題や環境問題の要因となる素材にフォーカスし、「食べる」という新たな可能性を見出す。そして、持続可能な社会を叶える未来へ……。

そんな理念のもと2018年に動き出したのが、「地球料理 -Earth Cuisine- (アース・キュイジーヌ)」。 「あらゆるLIFEを、FULLに。」を掲げ、住生活情報サービスなどを運営する企業、株式会社LIFULLの飲食事業  「LIFULL Table」が手掛けるプロジェクトです。  2018年10月、その第一弾として「Eatree Plates」が始動し、2019年3月には間伐材を食材として使用したパウンドケーキ「Eatree Cake 〜木から生まれたケーキ〜」を発売。続く2019年9月には放置竹林をテーマにした「Bamboo Sweets -竹害から生まれた和菓子-」を発表すると、2020年2月には放置竹林の竹と笹を使用した「Bamboo Galette(バンブー ガレット) -竹害から生まれたガレット-」を世に送り出したのです。
そして、今回がその第3弾。間伐材、竹に続き、「地球料理 -Earth Cuisine-」が目を向けたのは“カカオ”でした。

イベントでは、試食に先立ち株式会社LIFULLのCCOである川嵜剛平氏が挨拶。今回のプロジェクトへの想いを語った。

フーズカカオ株式会社代表取締役の福村 瑛氏。数々の現場を見てきた福村氏の言葉にカカオが抱える問題の深刻さを思い知らされた。

会場は、虎ノ門にある『Social Kitchen』。イベントは密にならぬよう、細心の注意を払い開催された。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ差し迫るチョコレート危機。カカオは絶滅の危機にある!

カカオといえば、誰もが知っているようにチョコレートの原材料になる植物です。では、なぜそのカカオに今回焦点が当てたのか。日本人において一番身近にあるスイーツのひとつといっても過言ではないカカオ。事実、日本におけるチョコレート市場はここ10年で35%成長したというデータもあります。しかし、その一方で、問題とされているのが、原料であるカカオ生産における社会問題。大量生産・大量消費にともなう価格低迷を背景に、カカオ農家の貧困問題や児童労働といった問題が浮き彫りになり、さらには需要増による生産地拡大が環境破壊を引き起こしているといいます。それだけではなく50年ほどで収穫力が低下するというカカオ樹の高齢化、昨今の気候変動によるカカオ樹が罹る病気の脅威もあったりと、深刻なカカオ不足が叫ばれ、このままでは2050年までにチョコレートづくりに使われているカカオ豆が絶滅する可能性すらあるといわれ、いずれチョコレートが食べられなくなってしまう恐れまであるというのです。

だからこそ、「地球料理 -Earth Cuisine-」はカカオに目を向けたのです。無論、使うのは一般的にチョコレート製造に用いられるカカオマスやココアバターといったものではありません。使うのはなんと「カカオの廃材」。これまで食材として見向きもされなかった、カカオ豆の殻であり、カカオ樹の葉であり、枝なのです。
名付けて「ECOLATE」。

“カカオの廃材”を食べることで、差し迫る“チョコレート危機”に対して、カカオが抱える問題について、今一度考えてもらおうというのです。

消費者が普段見ることのない生産の現場。カカオ生産における社会的、環境的問題はいまだ多い。Photograph:株式会社LIFULL

一般的にチョコレートに使われるのはカカオマス。それ以外のおよそ70%のカカオ部位は廃棄されるという。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌカカオ廃材を使ったスイーツづくりにふたりのパティシエが挑む!

今回、「ECOLATE」を開発するにあたって、その大事なファクターを担ったのが、インドネシアの農園により今回の廃材を仕入れ、東南アジア各国のカカオ豆および製菓材料の提供などを行うフーズカカオ株式会社。代表の福村 瑛氏はこう話します。
「話を聞いて、カカオの木を食べることで未来のカカオ生態系をつくれるこのプロジェクトの可能性にとてもワクワクしました。農家さんが木や葉っぱも食品として扱い、農薬を使わずに育ててくれるとカカオ豆自体の農薬問題解決の一助にもなります。これをきっかけに『カカオの木を食べる文化』が発展することを期待しています」。

そして、今回のプロジェクトで最も大切な2人が、カカオの廃材でスイーツを開発したパティシエの江藤英樹氏と、上妻正治氏でしょう。江藤氏は『DOMINIQUE BOUCHET TOKYO』『SUGALABO』といった名店でシェフパティシエを務めた後、現在は虎ノ門『unis』でシェフパティシエを『Social Kitchen』でプロデューサーを務める人物。一方で上妻氏は『Social Kitchen』ディレクターであり、「ジャパンケーキショー」にて3度の金賞を受賞した経歴の持ち主です。
とはいえ、消費者への問題提起、さらにはサステナブルな未来を築くための一助になるという使命があるにせよ、「ECOLATE」が食品である以上、大前提に“美味しい”ことが大切であることは言うまでもありません。カカオの廃材を活かし、江藤氏、上妻氏が考案した「ECOLATE」。いったいどんなスイーツに仕上がっているでしょうか。

「ECOLATE CARRE」を手掛けた江藤氏。殻だけでなく、葉、枝を使いながらスイーツにすることに苦心した。

ひと口サイズの3種のチョコレートが楽しめる「ECOLATE CARRE」。農園の雰囲気まで目に浮かぶ味わい。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌまずは美味しいありき、江藤氏と上妻氏考案の「ECOLATE」。

まず、江藤氏が考案したのは、「ECOLATE CARRE」という3種のひと口チョコレート。茶色のキャレは、カカオ豆の殻を50%使用し、ビターな香ばしさを引き出したさっくりとした食感。江藤氏曰く「殻を細かくしすぎず、あえて粗めに残すことで、“廃材っぽさ”を感じてほしかった」といいます。キャメル色のキャレに使ったのはカカオの枝。20%の含有量で、独特の食感に“木の質感”を感じとることができます。そして、印象的だったのはモスグリーンのキャレ。こちらは、カカオ豆の殻、枝、葉を30%ほど混ぜたもの。実は、カカオの葉は伐採してそのまま地面に放っておくと、湿気がたまりカカオ樹の病害の原因にもなるそう。サクサクとしたなかにもしっとりした“やや湿度を感じる食感”には、そんなカカオ農園の姿までもイメージさせてくれました。しかも、これらのキャレには、廃材と糖分、油脂分しか使われていないというから驚きです。江藤氏も「現場には本当に殻、枝、葉そのものの状態で届くんです。それをいかにスイーツにするか。難題でしたが、『廃材でここまでできるんだ』ということを少しでも表現できれば」と話します。

次に上妻氏の「ECOLATE TABLETTE」。こちらはカカオ豆の殻の使用率を33%にまで高めながらも、チョコレートらしい滑らかな質感にこだわったと上妻氏はいいます。
「最大限のハスク(殻)の量を入れてどこに着地させるかが難しかったですね。「ECOLATE TABLETTE」には33%のハスクを使用しましたが、形状、テクスチャーは問題ありませんでした。しかし、問題は渋さだったんです」。
そこで上妻氏は、一般的な砂糖に比べ甘味の強い果糖やキビ糖などをブレンドして加え、その“渋さ”とのバランスを取ったそう。カカオとココナッツが織り成す豊かな風味、ほろ苦さと甘さのなかに、感じる絶妙な酸味のバランスに、チョコレート好きは目を白黒させることでしょう。

いずれにせよ、すごいのはカカオの廃材を使ったチョコレートながら、コンセプト重視にならず、食べてしっかりと美味しく、それでいてカカオの新たな一面をしっかりと食べ手に訴えかけてくる点。よもや廃材として捨てられていた素材が、このような素晴らしきチョコレートになろうとは思いもよらなかったのではないでしょうか。
「ECOLATE CARRE」と「ECOLATE TABLETTE」は、下記にて限定販売中。そして、ぜひ食べることで、カカオという食材の裏に隠れる社会問題に考えを巡らせてみてください。それがカカオの生産者が抱える問題を解決する一助となり、はたまた地球の未来をも守ることにもなるのですから。

上妻氏。江藤氏とともに試食中は、イベント参加者に作り手としての想いを熱心に語っていた。

「ECOLATE TABLETTE」。甘味、苦味、酸味がまさに三位一体となった味わい。テクスチャーも絶妙だ。Photograph:株式会社LIFULL

住所:東京都千代田区麹町1-4-4 1F MAP
電話:03-6774-1700
LIFULL Table HP:https://table.lifull.com/
ECOLATEの購入はこちら

辻調グループフランス校卒業。フランス・ラナプール「L’OASIS」カンヌ「villa des Lys」にて修行。「BEIGE Alain Ducasse TOKYO」にて経験を積み、「DOMINIQUE BOUCHET TOKYO」「SUGALABO」「THIERRY MARX」等、数々の名店でシェフパティシエを歴任し、2020年「unis」のシェフパティシエ「Social Kitchen」プロデューサーに就任。

東京都製菓専門学校卒業後、パティスリーキャロリーヌ、クリオロでチョコレート部門責任者を務め「Social Kitchen」ディレクターに就任。ジャパンケーキショーにて計3度の金賞受賞、World Chocolate Masters国内予選チョコレート部門1位、総合3位など受賞多数。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

暖かくなってまいりました

皆様こんにちは!
やっと暖かい日が続いてきて春になったかな?

という感じですね(・∀・)

時々暑いかも・・・という日もありますので寒暖差には気をつけましょう( ̄Д ̄)ノ


暑い日には冷たいものがおすすめで

テイクアウトのデニムソフト(*゚▽゚*)




ブルーベリー風味のラムネ味ですっきり爽やかな味わいです(о´∀`о)

食べ歩きにもオススメです!!

コンセプトの破綻、料理長交代、リニューアル……。オープン10ヶ月の、激動を経て……。[美会/東京都中央区銀座]

個室に設けられたカウンターから、ビア氏が料理のプレゼンテーションを行う。リニューアル後の新しい試みのひとつだ。

美会コロナ禍のオープン。すべてが変わった『美会』の10ヶ月。

2020年6月、銀座7丁目の路地裏に一軒のワインバーがオープンしました。店の名は『美会(びあ)』。銀座の中心にあって、夜中でも人が集えて美味しい料理と酒に出会える店。そんなコンセプトを店名に込めた店は、実に前途多難の船出となりました。オープンしたのは1回目の緊急事態宣言が解除された直後。どの飲食店にも苦しい状況は変わりませんが、こと『美会』に関しては、新型コロナウイルスの影響で店のコンセプトすら崩壊しかねない状況でした。

それでも『美会』は、確実に前を向いて進んでいきます。日本を代表する名店とのコラボ弁当の販売、アラカルトを止めコースの一本化。さらに、料理長の交代、オープン半年にして店の大胆なリニューアル、日本一予約が取れない焼鳥店として知られる『鳥しき』とのコラボランチの開始……。あらゆる手を打ち、店を存続させてきた店が、2021年3月にひとつの決断を下します。

「こんなときだからこそ、飲食店として、『美会』としてやらないといけないことがある、やるべきことがある」。

それがコンセプトの一新でした。オープンよりおよそ10ヶ月。激動の時を経て、コロナ禍だからこそ自分たちがやるべきことを突き詰めた『美会』のいまに迫ります。

ビア氏と『鳥しき』の店主・池川義輝氏。「カオマンガイ」の試作・試食を重ね、アイデアをひねり出す。

1階入り口には、オープン時に全国のレストランから届いたお祝いの札。ビア氏の愛され具合が分かる。

美会料理人の間でも愛される美食家が『美会』を開くまで。

『美会』という店を紐解くにあたり、まずこの店のオーナーの存在を知る必要があります。その人物こそ通称ビア、本名をピーラゲート・チャロンパーニッチといいます。料理人の間ではその名の知れた美食家でもあるビア氏は、タイ・バンコクの出身。幼い頃から日本の文化に興味を持ち、2006年に来日すると立命館アジア太平洋大学に入学、卒業後は日本の貿易会社、トリップ・アドバイザーでの勤務を経て、通訳や翻訳業のフリーランスとして活躍するようになります。そのビア氏に転機が訪れたのはおよそ10年前。あの『すきやばし次郎』の映画『二郎は鮨の夢をみる』がきっかけでした。ビア氏は、アメリカでも極めて高い評価を得たその映画を見た海外の友人から、こんな依頼をされたそうです。

「『すきやばし次郎』の予約をとってくれないか」

ビア氏は朝一番で並んで『すきやばし次郎』のプラチナシートを予約したといいます。すると、今度は「『鮨さいとう』が食べてみたい」「『すし匠』も行ってみたい」「『都寿司』も(移転前の『日本橋蛎殻町すぎた』)」とオファーが舞い込むようになったといいます。

「もともと自分は日本の文化が大好きで来日したんですが、いろんな店に一緒に食べにいくようになって、職人の仕事そのもの、特に寿司や日本料理の料理人の仕事に惹かれるようになったんです。自分のなかでは、はじめは“食べに行く”というより、職人さんに“会いに行く”ようなイメージ。僕のレストラン巡りはここから始まりました」。

それからおよそ10年、現在では全国の名店をめぐり、日本を代表する美食家となったビア氏。ではなぜ、そのビア氏が『美会』をオープンしたのかといえば、「それは本当に偶然だった」といいます。

ビア氏が、現在の『美会』のある物件と出会ったのは2019年12月のこと。知人から「銀座にいい物件があるんだけど、何かやってみない?」との何気ないひとことが引き金となりました。銀座といえば、ビア氏にとっても憧れの地。銀座に空いた物件の話が表に出てくること自体が珍しく、しかも、7丁目の路地裏にある一軒家という奇跡的な条件。ビア氏は考え抜いた末、この話を引き受けることにしました。

銀座といえば日本の一流の店が集まる美食街ながら、ビア氏が納得できるような、夜中まで美味しいものに出会える店は少なかった。ビア氏はそこに目をつけました。

「銀座には一流の料理人さんの友達がいっぱいいます。そんな料理人が仕事帰りに美味しい料理とお酒にありつける店にしたかったんです。夜な夜な料理人が集まってきて、みんなと一緒になってワイワイ楽しめる店にしたかった」

料理は、ビア氏ががこれまでに全国を食べ歩いて築き上げてきた、料理人や生産者とのパイプを活かし、全国の名だたる食材を使用したアラカルト。深夜でもワイン一杯から楽しむことができ、誰もが気軽に通える。いわゆる古臭い言葉ですが、味を知る大人の社交場のような店にしたかったのだそう。

2階の店内。2020年11月にリニューアルされ、よりゆったりと寛げる空間に生まれ変わった。

『美会』があるのは、コリドー街の一本裏手の路地裏。銀座の一軒家という奇跡的なロケーション。

『鳥しき』とのコラボで誕生した限定ランチメニュー「カオマンガイ」。現在は終売したが、復活を望む声も多い。

美会前途多難。皮肉にもオープン予定日は、緊急事態宣言発令日。

しかし、新型コロナウイルスがすべてを台無しにしたのです。そもそも当初予定していたオープン日が2020年4月7日。皮肉なことに、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言が発令された日でした。当然オープンは先延ばしになります。それでもビア氏には「オープンしたらなんとか客がやってきてくれるだろう」という気持ちもあったといいます。ところが蓋を開ければ、緊急事態宣言解除後も元には戻りませんでした。とりわけ、日本の他のエリアに比べても夜の銀座は、劇的に人通りが少なくなったのですから当然のことでした。それだけではありません。当初掲げたコンセプトからして、withコロナの時代には逆行するものになってしまいました。銀座の料理人が仕事終わりにワイワイ楽しめる店、深夜でも美味しい料理と酒にありつける店というコンセプトは、時短営業が余儀なくされ、密が避けられる状況では破綻しています。

さらに追い打ちをかけたのは、『美会』が新店であること。営業自粛、時短営業をしても、前年の売上実績がない『美会』には国からの協力金が支払われないのです。かさむ人件費、大きな負担になる家賃。オープン直後の6~7月は、店を開ければ開けるほど赤字になりました。迎えた9月には、今度は料理長の持病が悪化し、新たな料理長に交代することになります。当然ながらそこで料理も変更せざるを得ませんでした。

ところがこのあたりから、少しずつ『美会』の巻き返しが始まります。料理長の交代を機に、日本料理の王道をリスペクトしながら、日本全国の最高級の食材をかけ合わせた、ここでしか味わえない料理を提供するように。11月には店舗を思い切ってリニューアルすると、徐々に客足も戻ってくるようになります。そして、ビア氏は次なる一手を打ちます。

日本一予約が取れない焼き鳥店『鳥しき』とのコラボランチを始めるのです。それこそが現在の『美会』のコンセプトにも通じる「カオマンガイ」の提供でした。これがスマッシュヒットとなり、『美会』の大きな道標となりました。

「カオマンガイ自体はタイ料理ですが、『鳥しき』さんや日本料理の技術、食材を活かすとすごく洗練された味になり、人気が出た。だったら僕の目線でほかのタイ料理も、『日本の食材を使った日本でしか食べられない料理にしたらどうだろうか』と考えたんです」。

ビア氏が巡るのはレストランだけにあらず。生産者のもとへも足を運ぶ。写真は、兵庫県西脇市の『川岸牧場』にて。

「生春巻」は鴨肉の旨み、野菜のフレッシュさと食感に、ジュレ仕立ての爽やかなタレが絡み合う。

「トムヤムクン」は、香り、酸味、辛味は抑えられているものの、出汁による優しくも力強い旨みが印象的。

美会日本の食材を活かした新しいタイ料理のあり方。

そして、『美会』は新たな道を進むことになります。

夜遅くになっても美味しい料理と酒にありつける店ではなく、『美会』でしか味わうことができないタイ料理を追求すること。岐阜のジビエ、気仙沼の鱶鰭、豊洲『やま幸』のマグロや、『旭水産』の白身魚、『川岸牧場』の神戸牛……。これまでビア氏が全国を食べ歩いてきたなかで築き上げた料理人や生産者とのパイプ・ネットワークを活かして仕入れる、日本全国の最高級の食材をタイ料理に。取材日、『美会』で供されたのは、まさにここでしか味わえないタイ料理になっていました。

たとえば、コースの幕開けとなる生春巻き。つけダレは、和の出汁にわずかにナンプラーを加え、コブミカンの葉で香りをのせてジュレ仕立てにしています。巻かれているのは黄色人参、新生姜、キュウリ、鴨肉など。しかも、この鴨肉がただの鴨ではありません。ミシュランの星付きフレンチなども使う、岐阜のハンターから直接仕入れる極上の鴨肉だというのです。「トムヤンクン」に使われる魚介類も、日本を代表する名店のものと同じ。豊洲『旭水産』より仕入れる天然蛤や車海老、鯛が、丁寧に取られた魚と蛤の出汁に。レモングラスやガランガル(タイの生姜)、コブミカンの葉といったハーブのニュアンスを感じさせながら、実に優しいトムヤムクンに仕上がっています。

「タイは暑い国だから、日本のようによい食材がとれない。だから、ハーブやスパイス、辛さや甘さを重ねた料理ができたとぼくは思っています。それを日本の本当にいい食材を使うと、まったく料理に対するアプローチが変わってきます」。

これでもかという素材を活かしつつ、香草を加えたり、スパイスでアクセントを足したり、和の調味料や技法を交えたり、緩急自在に『美会』の料理にタイのエッセンスを纏わせる。ありそうでなかった新しいタイ料理の形。『美会』でしか楽しむことができない味がそこには確かにありました。

「キンメダイ」は、細かくしたタイの香草を取り入れ、食感と香りのアクセントに。銀餡で和のニュアンスも出した。

店内に飾られた写真の中には、生産者や職人とのツーショットも。『日本橋蛎殻町 すぎ田』の杉田氏とは、前身となる『都寿司』時代からの付き合いで、ビア氏に仕入先を紹介するほどの仲。

美会雨降って地固まる。激動の10ヶ月がビア氏の心を変えた。

オープンから激動の10ヶ月。コロナ禍でコンセプトが変わり、人が変わり、料理が変わった『美会』。そして、コロナが変えたもうひとつのことがありました。

「生産者さんを助けないといけないという思いも芽生えました。そのためにも店をやっている自分こそ、この状況を乗り越えないといけない。そして、タイ料理を通してタイという国を知ってもらうことで、自分の故郷にも恩返ししていければいいですね。いろんな料理人さんが気遣ってくれてアドバイスしてくれて手を差し伸べてくれました。そんな方々のためにも頑張らないといけません」。

最後に、コロナが落ち着いたら、またもとの『美会』のコンセプトに戻るのか? と尋ねると、きっぱりとビア氏は答えてくれました。

「この店をもとのようにすることはありません。この料理でタイ料理の素晴らしさを知ってもらえたらいいですね」。

コロナ禍でコンセプトが覆され、絶体絶命の危機を迎えた『美会』。もちろん、料理、サービス、プレゼンテーションなど、完成度でいえばまだまだ改善の余地があります。それはビア氏自身が一番感じているところ。しかし、進むべき道が見えたいま、裏を返せばそれは前進していくしかないことを意味します。

雨降って地固まる。新生『美会』がこれからどんな形でタイ料理を昇華していくのか、期待は高まるばかりです。

『やま幸』の山口幸隆氏との一枚。この愛されキャラがビア氏の真骨頂。多くの料理人、生産者、仲買人などに愛される所以だ。

住所:東京都中央区銀座7-3-16 MAP
電話:03-3572-5599
営業時間:11:30〜22:30(23:00)
定休日:日曜・祝日

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA