僕らしかできないプラットホーム。それは、持続可能な地域経営。

名無しの蒸留所「NO NAME DISTILLERY」として、サステナブルジン「YORI」を開発・製造。代表の小口潤氏を中心にプロジェクトチームを形成。

NO NAME DISTILLERYよりあわせる先に見える世界。

「YORI は、よりあわせる。いくつもの細い糸を、1本の、太くしなやかな糸にする。YORIは、よりよくする。環境を、地域を、経済を。YORIは、地域からのたより。その地域ならではの味わいを、いちばん引きたつ融合で提供する。YORIはジンであり、絆であり、解決策であり、ストーリーである」(YORI HP より一部抜粋)。

タイトルに置いた「僕ら」とは、この「YORI」を指します。

「目的は、良い酒造りだけではなく、良い地域作り」。そう話すのは、「NO NAME DISTILLERY」代表・小口潤氏です。

「NO NAME DISTILLERY」とは、その名の通り、名無しの蒸留所。日本の地域素材を活用した社会課題循環型サステナブルジンを開発・製造するプロジェクトです。現在、北海道上川、静岡県富士、広島県大崎上島、愛知県岡崎、千葉県柏の計5地域より、5品をラインアップ。

「YORIの決まりごとはひとつ。ひとつの品に対し、ひとつの地域とパートナーシップを結び、価値を持たないものをメインボタニカルに置くこと」。

例えば、北海道上川では、3種の松の葉や酒粕などを使用。松は、剪定のため、切り落とされた残葉を活かします。広島県大崎上島では、オリーブかす、ポンカンなどを使用。オリーブオイルを製造する過程に出た搾りかすや雹(ひょう)の被害にあって流通できなかったポンカンの木などを活かします。それ以外にも、地元大学とも連携し、そこで育てた植物の起用や愛知県岡崎では、八丁味噌、しめ縄!?なども。

どれも個性的ですが、それは奇をてらったものではなく、もともと地域にあったもの。名無しの蒸留所ゆえ、これらは、KAMIKAWA、FUJI、OSAKIKAMIJIMAなど、地域名で呼称されていることも「YORI」の個性。そんな産地への想いはエチケットにも表れ、ブランド名「YORI」より上に地域名を冠しています。

そして、特筆すべきは、廃棄されるものとはいえ、素材は基本的に買い取っているということ。「処分するものだから、無償でどうぞって言ってくださる方々がほとんどなのですが、それでは社会課題循環型サステナブルにはならないので」。まず、ここで地域に利益を生みます。

「YORIは、地域のプラットホーム。YORIをよりあわせることにより、関係人口、関心人口を増やしていきたいと考えています」。

例えるならば、「YORI」は、地域を引き立てる名バイプレイヤー。主役=地域>脇役=「YORI」の関係なのです。

また、「香りを引き立てるため、あえて味の個性が前に出ない醸造アルコールをベースに採用しています」と話すよう、香り=地域>味=「YORI」の関係によって、「YORI」の特性も構築されます。

加えて、バーテンダーのようなクリエイティビティやテクニックがなくとも、水、ソーダ、トニックなど、割りものとして楽しめるゆえ、地域のあらゆる店舗、あらゆる人が作っても高品質な味を約束。

「技術がないと美味しくならないのでは、地域に根ざすことができませんから」。そして、それを定着させることによって「地域の地酒のような存在になってもらえたら」。これが小口氏の理想。

よりあわせることによって、理想を現実に。そんな活動を、今この瞬間も続けているのです。

各地の生産者は、「YORI」には欠かせない存在。「YORIは、地域の皆さまと一緒に作るブランドです」と小口氏。

四季や土壌、各地の表情が豊かな日本だからこそ、個性的な植物が育つ。素材が生まれた地を訪れれば、より一層、「YORI」は味わい深くなる。

北海道のど真ん中、「神々の遊ぶ庭」と言われる大雪山国立公園に位置する上川町。その厳しい自然で育った3種の松を、一番香りが引き立つバランスで融合。「インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション」2024年スピリッツ部門にて、ブロンズを受賞。

北に富士山、南に駿河湾を臨む、静岡県富士。その温暖な気候で育った数種の柑橘を中心にほうじ茶などをブレンド。「インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション」2024年スピリッツ部門にて、シルバーを受賞。

NO NAME DISTILLERYアイディアよりも必要な能力。

実は、小口氏の本業は、地域の事業コンサルタントなどを主に活動する「Connec.t」代表。現在、「YORI」は、ふるさと納税の返礼品にも選定されるほか、流通や取り扱い店舗も増えつつあり、これは、「Connec.t」として活動してきた知識と経験が大きく作用しているといっても過言ではありません。

そのほか、「インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション」や「日本産酒類の発展・振興を考えるビジネスコンテスト」など、数々の賞も受賞。現在は、広尾にて実店舗「COYORI」も構える。

つまり、結果的に、「Connec.t」と「NO NAME DISTILLERY」は運命共同体。「Connec.t」小口氏の頭脳を持って、「NO NAME DISTILLERY」小口氏の思想をカタチにしているのです。

「実を言うと、ジンを作りたくて、作ったわけじゃなくて。どうすれば地域を循環させる経済を生み出せるか。どうすれば地域に利益を生み出せるか。その仕組み作りを考えた時、ジンであればできると思ったのがきっかけでした」。

そんな本音をさらけ出してしまう小口氏の言葉に嘘はない。

また、「YORI」をきっかけに、様々な活動にもつながる。そのひとつ、某所にて、耕作放棄地の活用事業もこれから始まるという。植物のアップサイクルから、地のアップサイクルへ。これは、小口氏も予想しなかった展開でした。

「ジンに必要なジュニパーベリーは、日本の生産がほぼないのが現状です。これは、気候によるものが大きいのですが、どこか育成に適した地があるのではと調べています。もし実現できれば、それもまた、地域と一緒に取り組むことができればと考えています。それ以外ですと……」。ここから先は、まだ構想段階のため、御内密。ただ、それが実現できたあかつき、もとい、よりあわせることができたあかつき、「YORI」の世界は一気に拡張するでしょう。

そんな小口氏が何より長けている点。それは、「YORI」というアイディアや創造力以上に、実現できる能力を備えていたことにあると考えます。

実際、良いアイディアを持ち合わせている人は少なくない。しかし、それを実現できる能力がある人は、ごくわずか。アイディアは、実現できる能力を兼ねて、初めて活きる。但し、それに伴い、責任を負う覚悟も必要とされます。

小口氏は、毎回産地に足を運び、人に出会い、地を学ぶ。ゆえに、「YORI」は、各地域によって、オートクチュールされるため、同じフォーマットはない。それはまるで冒険のようだ。

「まだまだ課題も多く、全てにおいて一筋縄にはいきません。ただ、地域に対して、生産者さんに対して、そして、YORIに対して、正直に向き合いたい。今後、YORIがよりあわせることによってどんな世界が広がるのか……。自分自身も楽しみ」。

何を隠そう、小口氏もまた、「YORI」によりあわせてもらっているひとりなのかもしれない。

TEL:070-8315-0902
住所:東京都渋谷区広尾5-14-4 広尾SKビル 2F
公式 Instagram

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田舎町・南木曽でイタリア人シェフは何を想う。世界が求めるローカルガストロノミーの現在地。[長野県南木曽町]

今回のイベントのために集まったチームジャンルカ・ジャパンの面々。およそ10日間でジャンルカ氏を中心にひとつに。

ローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」 担当シェフは、世界を魅了する気鋭のイタリア人シェフ。

土地土地の風土や文化、歴史を料理に落とし込み、その地域固有のテロワールを美食として味わう。現在、ローカルガストロノミーという言葉で表現されるある種の文化が日本でも浸透しはじめ、地域固有の食材や保存食、伝統調理などを再解釈する動きは、全国で加速していると思われます。東西南北にのびる日本の地理と海に囲まれた島国を背景に、東北、北陸、九州など、同じ日本とは思えないほどバラエティ豊かな食文化を再認識できるのも、日本のローカルガストロノミーの最大特徴ではないでしょうか。我々、ONESTORYでも幾度となく各地で表現されるローカルガストロノミーの雄や熱意あるイベントを紹介してきましたが、雪の残る今年2月、ある意欲的なイベントが開催されました。

場所は長野県・南木曽町。

面積の94%が森林に覆われた美しい森の町という表現もできるのですが、中山道の宿場町として古い町並みを残すこの場所は、なかなかにアクセスも容易でなく、人里離れた田舎の町でもあるのです。海がなく、雪に覆われたかつての宿場町。1年でも特に食材の乏しいこの季節に、この地を訪れ、地域と食材、そこにまつわる人々を巡ったのはジャンルカ・ゴリーニ氏。なんとイタリア・エミリア・ロマーニャ州で6年連続星を獲得する世界的なシェフだったのです。

ONESTORYでは、ジャンルカ氏の南木曽視察の取材に同行し、さらにはその後、東京で開催されたお披露目イベントまでを密着。2回にわたり、世界で称賛を集めるシェフが見た南木曽と、ローカルガストロノミーの現在地をレポートさせていただきます。

左は長野県・南木曽の山、右はイタリア北東部・エミリア・ロマーニャの山。国は違えど、面積の大半が森に囲まれるという酷似した環境。

左より今回のイベントの発起人でホテル「Zenagi」を運営する岡部統行氏(南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会の代表も務める)、シェフ・ジャンルカ・ゴリーニ氏、シェフの招聘に尽力した世界ナンバーワンフーディー・浜田岳文氏。

有志で参加した料理人が集い、チームジャンルカ・ジャパンを結成!

AM8:00。

1時間に1本ほどしかない中央本線から南木曽駅に降り立ったジャンルカ氏。あまりに自然豊かな南木曽までの車窓の風景の感想を聞いてみると

「僕の故郷にとても似ていて、とても落ち着いたよ。空気も澄んでいて、いい場所だね。素晴らしい出会いがありそうだ」と笑うのです。

そうなのです、彼の店『daGorini』のあるイタリア北東部・エミリア・ロマーニャ州の田舎町も南木曽同様、森林に囲まれた山の町。独創的な田舎料理とも評されるジャンルカシェフは、多様なキノコやジビエ、淡水魚を用いた料理で世界中から訪れるゲストを魅了しているのです。

南木曽駅からまずは役場に向かい、今回のポップアップイベントチームの顔合わせへ。今回、ジャンルカ氏は、イタリアから単身で日本へ、そのまま南木曽町へと直行し、日本人の有志の料理人とともに即席チームを作るのです。

以下、有志で参加した料理人。
長野県木曽郡木祖村『base』オーナーシェフ・神出達樹氏。
長野県飯田市『BISTRO Freres』オーナーシェフ・久保田春樹氏。
山梨県北杜市有機農家『restauro terra』(元『アル・ケッチャーノ』料理人)杉浦秀幸氏。
長野県松本市出身で、辻調理師専門学校フランス校の卒業生・吉川瑠香氏。
東京都千代田区紀尾井町『MAZ』料理人・藤森祐太氏。
長崎県出身で、『Zenagi』のサポートシェフ・中尾恵氏。

職場もジャンルも立場も違う6名の有志の料理人がジャンルカ氏とともに料理がしたいと集まり、言葉の壁を乗り越え、短時間でチームを目指します。予定では南木曽町での生産者や食材視察を3日間、その後料理の試作を3日間、そのまま東京へと舞台を移し3日間のイベントへ。さらに再び南木曽町へと戻り生産者ディナーという強行軍。限られた時間、限られた食材、限られたメンバーという制約の中、南木曽町をいかに感じ、どう表現するのか。

それこそが今回のガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」。

イベントの主催は南木曽で1日1組限定の宿を運営する『Zenagi』であり、究極のプライベート体験を提案する同宿ならでは試みなのです。(地域の食材の生産者や観光業者で作る、南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会との共催)

それぞれ背景の違う料理人がジャンルカ氏のために集結。ともに南木曽での視察を重ね、料理を作り、自然と魅力あるチームが形作られた。

標高の高いエリアはまだまだ雪が残る2月の南木曽町。撮影はヤギのチーズを製造販売する『MAUKA LANI GOAT FARM』の農場にて。

大妻籠宿の『旅籠つたむらや』の伊藤兼彦さんは、どぶろくや蜂蜜やキウイなども生産する。ジャンルカ氏もすぐに意気投合。伊藤さんの物づくりへのパッションを高く評価。

『みなとや農園』で百合根を熱心に見つめるジャンルカ氏。

収穫量が極端に減る冬の畑で熱心に『みなとや農園』の西尾美佐緒さんの話を聞くジャンルカ氏。常に水と土についてを気にしていた。

なにもないは嘘。冬の大地にこそクリエイティブは眠っていた!

役場での顔合わせを終えるとジャンルカ氏は、チーム皆と同じバンに乗り込み、早速、南木曽町が織りなす森が育む生産者を朝から晩まで巡っていったのです。

まず訪れたのは無農薬で自然米や自然野菜を作る農家『みなとや農園』の西尾美佐緒さん。特に印象的だったのは、生産者・西尾さんの話に耳を傾け、水の性質、土の状況など、なにもない冬の畑を熱心に見つめるジャンルカ氏の姿でした。

「なにもないって感じるだろうけど、すでに春の息吹はたくさんある。在来種のきそれんこんには驚いたよ。畑でかじったけど、甘いんだ。すぐに使いたいアイデアがいくつも浮かんだ。固有の野菜や山菜、お米も気になるものだらけだよ」とジャンルカ氏。

その後も郷土の山菜・イタドリの食文化を伝承する『広瀬いたんどり会』、山麓でヤギを飼育しヤギのチーズを作る『MAUKA LANI GOAT FARM』、どぶろくを製造する『旅籠つたむらや』、中央アルプスの清冽な水でレインボートラウトを養殖する『息吹養鱒場』、イワナを養殖する『高橋渓流』、木曽の地酒を守り続ける『杉の森酒造』、天然醸造で糀味噌を作る『小池糀店』、木曽伝統の漬物すんきを広める『木曽すんき研究会』など、時間の許す限り生産者を周るのですが、ジャンルカ氏の希望は、南木曽ならではの発酵文化や伝統食、水が育む森の食材ばかり。

そこには豪華な食材もなければ、色とりどりのハーブや野菜もごくわずか。まさに真冬の雪山や閑散とした畑が生む、南木曽の住民が普段味わう食文化が中心だったのです。


冬の南木曽の食材を知り、いよいよ氏のクリエイティブが本領発揮。

「いやー、最高に刺激的な視察だった。求めているものは見つかった気がするし、予定にないサプライズもたくさんあった。はじめての日本でまだ都市には行けてないけど、ずっと来たかった日本で、南木曽は想像以上だった。そして僕の故郷に似ていた。なにもないように思われるけど非常にクリエイティブな場所だった」とジャンルカ氏。

イタリアでも同様に山を理解し、そこにあるものを使い料理を作る。それは季節に寄り添うことでもあるとジャンルカ氏は笑いました。だからこそ地元の人が大切に守り育てる食文化に興味があったとも。食材が乏しい冬こそ、料理人の真価は問われる、だからこそこのプロジェクトを受けたんだと話してくれました。

次回の記事では、いよいよ試作を終えたシェフ・ジャンルカ×南木曽食材、即席チームジャンルカ・ジャパンが躍動したローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」の全貌を紹介。フーディーを魅了した驚きの料理の中に、ジャンルカ氏が表現する南木曽の豊かさを感じていただきます。

『みなとや農園』西尾美佐緒さんの野菜作りの精神に感銘を受けるジャンルカ氏。

南木曽の山麓でヤギのチーズを作る『MAUKA LANI GOAT FARM

すんき、イタドリ、麹など、冬の南木曽の保存食に興味津々。どう料理に使われるのか?

住所:長野県木曽郡南木曽町田立222
https://zen-resorts.com/
南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会
https://nagiso-wellness-tourism-council.com/



Photographs:TOMOHIRO MATSUNAGA
TextTAKETOSHI ONISHI

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伝統の奄美食材と革新的な薪火調理との邂逅(かいこう)。山海の滋味は新たな境地へ。

豊かな自然に魅せられた画家・田中一村の眼差しを感じながら。

2024年は、かつてないほど「田中一村」という名が燦然と輝いた年でした。東京都美術館で開催された「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は来場者28万人以上を記録。知られざる孤高の日本画家に大きな注目が集まりました。一村が中央画壇を離れ、日本画の新境地を開いた地が奄美です。

奄美を舞台にしたランチイベント「Landscape Cuisine Amami」は、田中一村記念美術館のガイドツアーから始まりました。一村の作品や資料を多数所蔵する同美術館では、作品約80点が常設展示されています。美術館スタッフによる案内の中で特に詳しく解説された作品がありました。五色エビとシマイセエビ、ウマヅラハギなどをコラージュした「海老と熱帯魚」です。この作品は、これからいただくスペシャルランチと深い関わりがあると言います。

ランチコースを監修するのは薪火料理を得意とする米国人シェフ、タイラー・バージズ氏。2019年の「DINING OUT WAJIMA」に参加したのをきっかけに日本に惚れ込んで移住し、2022年にオープンさせた横浜の薪火レストラン「SMOKE DOOR」で腕を振るうトップシェフです。たびたび来島して食材の生産者を訪ね、島の伝統調理法などのリサーチを重ねていた彼は、これらの絵から大きなインスピレーションを受け、新しい料理を生み出すエネルギーを得たそうです。奄美の豊かな自然を徹底的に見つめ続けた一村の眼差しに共鳴し、表現者として掻き立てられるものがあったのでしょう。ゲストの期待もふくらみます。

ランチの会場はオーシャンビューのホテル「THIDA MOON」。まずはその2階に併設された大島紬美術館を見学します。泥染めと草木染めを何度も行い、緻密なかすり模様が特徴の大島紬は、世界三大織物にも数えられる高級織物。奄美に移住した一村は、大島紬の染色工として働き、蓄えができたら画材を買って絵を描くという生活を繰り返していました。この美術館では、大島紬の製作工程について知識を深められると共に、一村の作品を忠実に模してデザインした着物や帯を鑑賞することができます。

田中一村記念美術館にて、作品について解説に耳を傾ける。時代を超えて愛される一村の芸術性にしばし浸る。

大島紬美術館を見学。複雑で手間のかかる製作工程について詳しく知ることができ、田中一村の絵がデザインされた貴重な着物をつぶさに鑑賞できる。

海から山から、多彩な料理でめくるめく登場する奄美食材。

ホテルのテラスから庭に降り立ち、アダンの木に覆われたトンネルを抜けると、目に飛び込んで来るのは一面の大海原。ウェルカムドリンクでいよいよランチの幕開きです。

フィンガーフードは田中一村の「海老と熱帯魚」にインスパイアされた「伊勢海老と熱帯魚」。熾火で乾燥させたカンパーニュを蘇轍味噌と南国魚の出汁で風味付けし、薪でさっと焼いた伊勢海老をたっぷりのせた一品。海老の豊かな甘みが広がります。

20数名のゲストは、芭蕉とバナナの葉やアダンの実などで彩られた屋外の特設テーブルにつきました。正面では、海を背景にしたタイラー氏が、いくつもの火種を巧みにコントロールしています。そして彼の元でキビキビと動くのは、島内のラグジュアリーホテル・レストランから集まった料理人やサービスマンたちです。

ほどなくエディブルフラワーに彩られた華やかな一皿がやってきました。奄美の海で獲れた夜光貝の前菜です。鮑よりも硬い夜光貝の身は、地元ではできるだけ薄造りにした刺身で食べられています。タイラー氏はあえて身ではなく比較的やわらかい貝柱を使い、ローゼルをはじめとする島に咲く花で作ったソースを合わせました。一村が色とりどりの花を描いた作品「奄美の郷に褄紅蝶」のイメージからタイラー氏は着想したと言います。

さて、夜光貝の身は一体どこにいったのでしょう? 実は、この皿に身もしっかりと盛り込まれています。身は薪火の遠火で1週間かけて加熱・脱水し、鰹節のような“節”に仕上げました。それを削り、ソースにたっぷりと使っているのです。身の姿は見えなくなったものの、その旨みは凝縮され、華やかなソースの香りと一体となって再構築されています。

ペアリングのアルコールドリンクは、奄美特産の黒糖焼酎を独自に燻製し、フレッシュな島のレモンと合わせたレモンサワーです。黒糖焼酎を飲み慣れた地元のゲストからも、「黒糖焼酎にこんな美味しさもあったのか」と驚きの声があがります。

続いて、奄美でもポピュラーな食材、島豚の料理がやってきました。バラ肉で作った塩豚を、皮目をカリリと焼き上げて野菜や油ぞうめんと合わせた一品。田芋のクレープにくるんでいただきます。塩豚のうまみと塩味、黒糖の甘味、ゴーヤの苦味、きび酢や島特産の柑橘であるツノカガヤキを使った三杯酢の酸味からなる島の五味が表現されています。

「THIDA MOON」のプライベートビーチでのウェルカムドリンクで、スペシャルランチは幕を開けた。

一村の作品「海老と熱帯魚」にインスパイアされたウェルカムフィンガーフード。あらためて伊勢海老という食材の美味しさに気付かされる。

大小のグリル、地中などを駆使し、熾火を操って料理するタイラー氏。

夜光貝の身から作った“節”と花のソースで、夜光貝の貝柱をいただく。ペアリングはスモークした黒糖焼酎をベースにしたレモンサワー。

五味とさまざまな食感が織りなす味わいが楽しい塩豚のクレープ仕立て。ペアリングは昆布出汁を取った黒糖焼酎のお燗。縁には椎茸塩が添えられている。

島民にとって馴染みの食材も、想像を超えた新たな表情を見せる。

「限られた食材を活かすための創意工夫を凝らす文化が、島に広く根付いていることに感銘を受けました」と、タイラー氏は奄美での気づきについて話します。

奄美は長く薩摩藩に仕えながら、琉球王朝をはじめとするアジア諸国と盛んに交流を行ってきました。その歴史的背景は、島の伝統的な食文化にも色濃く反映されています。代表的な郷土料理である鶏飯(けいはん)はそのひとつ。ほぐした鶏肉と錦糸卵、パパイヤの漬物、柑橘などを白いご飯の上にのせ、鶏ガラスープをかけていただく料理です。戦後は一般家庭でも日常的に食べられるようになりましたが、かつては庶民は口にできない特別なおもてなし料理でした。物資が限られている離島では、卵を産む鶏は貴重な家畜。その鶏肉を惜しげもなく使った鶏飯は、島にやってくる薩摩藩の役人をもてなすための料理だったのです。

豚肉も貴重でした。正月に潰した豚は塩漬けの塩豚にして、次の正月までもつように少しずつ塩抜きしながら大切に使われていたと言います。黒糖を使った角煮や野菜との炊き合わせは、ハレの日には欠かせない伝統料理として今も島に息づいています。

タイラー氏は浅めに塩漬けした豚肉の大きな塊を、地中で蒸し焼きにします。土の中で数時間をかけて焼くことでじっくりと火を入れると同時に燻煙し、大地のミネラルも取り込むのが狙いです。豚本来の滋味が閉じ込められた厚切りの肉をパパイヤやパッションフルーツなどの島の野菜や果物で作ったラビゴットソースと共にいただきます。奄美の豊かな自然の恵みが凝縮された一皿となりました。

肉が貴重だった一方で、魚介には不自由しないほど恵まれていました。海に行けば多種多様な味のいい魚や貝が手に入ることから、島民はタンパク源の多くを海の幸に頼ってきました。いつでも得られることから、島では魚介は新鮮なものを生食することが重視され、その結果として保存食としての利用はさほど進まなかったのではないかとタイラー氏は分析します。夜光貝の“節”には、そのような島の食文化への新たな提案になればとの思いも込められていたのです。

「とにかくいい野菜を作りたい」

「新鮮で上質な魚を届けたい」

島の農家や漁師と交流する中で、タイラー氏は彼らの商売よりもプロとしての仕事を重んじる職人気質の姿勢に驚かされたと言います。

特産のマコモダケを何十年にもわたり作り続ける生産者が会場で披露してくれたエピソードが印象的です。古くから奄美で栽培されてきた田芋。その収穫後の畑にマコモダケを植えることで元気に育ちます。そのうえ、マコモ菌が土壌を活性化し、田芋を病気から守ってくれるとのこと。持続可能な農業としてさらに研究を続けていくと力強く語りました。自然を相手にした気の遠くなるような取り組みに頭が下がります。

そのマコモダケは深く塩漬けした豚の出汁でマリネされ、マコモダケ本来の甘くやさしい風味を堪能できる一皿となりました。

熾火によって絶妙なタイミングで仕上げの火入れが施された料理が次々と供される。

昆布とバナナの葉にくるんで浜辺の地中で焼き上げた塩豚は、とろけるほどにじっくりグリルした島人参と共に。ペアリングには塩豚を浸した黒糖焼酎で作ったブラッディメアリー。

マコモダケを塩豚の出汁でマリネ。マコモダケの食材としての表情の豊かさに驚かされる。ペアリングは、地元のAMAMI BREWERYの「奄美島ばななヴァイツェン」。

おもてなしの象徴である鶏飯を現代的に解釈する。

食事には焼き海老飯が用意されました。これは、先述の鶏飯の鶏肉を島特産の車海老に置き換え、鶏出汁に海老から取った出汁も合わせたスープをかけていただく一品。

「鶏飯が生まれた時代とは社会環境も変わり、鶏肉は身近な食材となりました。現代ならどんなおもてなしができるかと考えた場合、私はこの島だからこそ手に入る新鮮で美味しい食材として車海老にたどり着きました。鶏飯の心意気を受け継ぎながら、現代版鶏飯として再解釈した料理として楽しんでいただければ」とタイラー氏は話します。

薪火でさっと焼き上げた車海老を鶏出汁で炊き込んだごはんは、なんとも海老の香ばしさが漂う芳醇な味わい。スープをかけることで、その豊かな風味はさらに花開く。鶏飯を食べ慣れているゲストも目から鱗が落ちる新鮮な食体験となりました。

薪火料理と聞くと豪快なバーベキューをイメージする人も多いでしょう。ところが、タイラー氏が実践する薪火料理は、薪から作った適切な熾火を様々な炉や庫内で食材に火入れしていく、極めて繊細な調理法であることがわかります。

その真骨頂が現れていたのがデザートです。島特産のパイナップルから甘味だけでなくしっかりとした酸味もある品種を選び、薪火の遠火で丸ごと熱していきます。黒糖と島ラムで風味付けしながら全体に満遍なく火を通すこと丸2日間、鮮やかなオレンジ色のパイナップルは飴色の小さな塊に濃縮されました。

しっとりと極上のセミドライパイナップルを地豆(ピーナッツ)で作ったフローズンマシュマロと一緒にいただきます。

熱帯の日光と潮風を浴びながら大地のエネルギーを吸い上げて育ったパイナップルは、原始的かつ繊細な熾火調理によって、自然の恵みそのもののスイーツへと昇華しています。

ランチコースの充実ぶりは、ゲストたちの笑顔が何よりも雄弁に語っています。

コースを締めくくり、あらためて奄美食材のポテンシャルの高さを感じたとタイラー氏。「奄美には、食の豊かさに加えて、島民がより良い未来の食を望む意欲的な地域性があります。日本の他の有名観光地に比べて食に関してあまり色がついていない分、伸びしろも大きい。“伝統と革新が共存する食の島”として発展していくだろうと期待しています」。

奄美の深く豊かな自然は、年間を通じて豊富な降水の賜物でもあります。イベントの最中、強い日差しを遮ってくれていた雲は、スタッフ全員が勢揃いして挨拶した大団円をしおに急激に厚くなりました。海山に一斉に降り出した恵みの雨は、爽やかな閉会の合図となりました。

海老飯は、特産の車海老をふんだんに入れて炊き上げられた。

鶏飯から着想を得て、現代版の解釈とアレンジを加えた海老飯。

デザート用のパイナップルの調理前と調理後の変化をプレゼンテーション。薪火調理のマジックに驚く。

じっくりと熾火でグリルしたパイナップルのデザート。パイナップルの持ち味が上品に濃縮された逸品。

「SMOKE DOOR」スタッフと島の料理人・サービスマンで結成されたチーム奄美によって、珠玉のランチコースが展開された。

令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:鹿児島県奄美市
企画:ONESTORY
協力:大島紬美術館、田中一村記念美術館、日本航空
運営:Auberge Tebiro 1732、THE SCENE、THIDA MOON、伝泊「2 waters」、FISH_AMAMI

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鹿沼の表裏。観光の表裏。

ふたつの水源からの流れが合流する「大芦川」。川底がえるほどの透明度などから「関東一の清流」とも言われる

栃木県鹿沼市ふたつの顔から地を読み解く。

栃木県鹿沼市。この地には、ふたつの顔があります。ひとつは、祭りを象徴とした江戸から始まる宿場町。そして、その名残を残す中心地から少し足を延ばすと、あるところから空気が変わることに身体が気付くでしょう。凛とした厳かな世界に包まれ、それはまるで境界線を超えたかのような。はたまた、結界に足を踏み入れたような。そこがもうひとつの顔。約1300年以上続く霊場としての鹿沼です。現在、後者の顔に改めて目を向け、この地を正しく後世に継ぐ活動が始まりました。

この地とは、多くの山々が連なる、西北鹿沼。北へ向かうと日光につながります。日光は古来より神仏が宿る霊場として多くの信仰を集めており、特に「男体山」は特別視されていました。日本独自の山岳信仰である修験が盛んに実施されたことは、そんな背景が手伝います。日光山開祖である勝道上人が「男体山」に登る前、修行していた地が「深山巴の宿」。約3ヵ年の歳月を過ごしたという言い伝えが残る修験道場跡(鹿沼市草久辺り)は、「日光発祥の地」とも呼ばれています。

そして、この霊場の歴史に欠かせない存在が「古峯神社」です。現在は、「俗塵を離れて身を清め、心安らかに鎮めて大神様の御神徳を賜ることができるよう」に一般も宿泊することが可能。翌朝、黎明に行われる一番祈祷を受けて下山する慣わしは創始以来行われており、「古峯神社」の特色でもあります。祈願後、神に備えた食事をともにいただく儀式、直会(なおらい)は、身を清めた神事から日常に戻るためのもの。この一連を体験する時間は、心身が浄化されるだけでなく、人が生きることの意義すら問われているように感じるでしょう。

「古峯神社」には、数多くの天狗にまつわる品が展示され、その多くは、大天狗と烏天狗が対になったもの。

西北鹿沼一帯は、「石裂山」や「夕日岳」など、多くの山々によって形成される。刻一刻と表情を変える絶景が、ここでは日常に存在する。

栃木県鹿沼市霊場を守る、ふたつの石原。

宿泊という意味では、「石原邸」も欠かせない。そして、訪れる前に知っておきたい背景があります。

前述、「古峯神社」を信仰するグループ「講」は全国に存在。歴史的には関東圏から東北にかけて広がっており、「遠野物語拾遺」の中にも記載が残されています。古くは、旅自体が困難であったため、「講」は代表者が参拝に訪れていました。さらに、入峰修行をしていた日光山門の行者たちが入峰するには手続きがあり、霊場を守る世話人、「前鬼」と呼ばれる一族の家に一泊してから赴くという一連の流れを経なければいけません。その一族こそが、「前鬼」石原隼人。

「石原邸」と石原隼人の関係がある記述はどこにもありませんが、築150年の古民家を守り続ける「石原邸」は、現代における世話人として、この地に根ざしています。まるで「堆肥のような建築」は、宿泊施設や飲食施設として、今後稼働していく予定であり、山の中外を結ぶハブになる可能性も秘めています。

そのほか、「石原邸」のように、地に根ざした場が、少しずつ芽吹いていますが、この地の大きな特徴は、開発に頼らなかったことではないでしょうか。

「大芦川」を中心にいくつもの尾根が重なり合い、その水によって、この地は生かされてきました。現在、日本では、高齢化や人口減少が進み、今まで手入れされてきた森林や農地の維持が難しくなってきたところも少なくありません。気候変動の要因もありますが、荒廃した地による水資源の課題は、時を増すごとに深刻な自体に。美しい水と暮らしの関係が保たれていることは当たり前ではないのです。

そして、今後、この地を価値化していくには、数多の選択を繰り返し、それを正しい道へと導くためには、より一層、地域の意志が必要とされると考えます。

築150年ほどの古民家をリノベーションした「石原邸」。開業前よりグッドデザイン賞も受賞。

里山との共生を図り、再生された農家住宅の「石原邸」には、歴史の面影が残り、時空を超えた邂逅体験を堪能できるだろう。

鹿沼は食材も豊か。全国一の品質を誇るいちご、全国的に見ても広大な面積によって栽培されている韮、そして、鹿沼在来こんにゃくや……。かつて、全国一位だった大麻の産地は、その肥沃の地により、今なお多くの恵みを育んでいる。鹿沼には、「かぬまブランド推進協議会」という鹿沼の特産品をPRする体制も整える。モノだけでなく、体験や自然などに注目し、新たな「かぬまブランド」の創出にも励む。

栃木県鹿沼市未登録の遺産価値を見出す。

世界には、1223件の世界遺産が記載(2024年8月現在)されており、そのうち、日本は26件。ユネスコ無形文化遺産は、568件の記載(2023年2月現在)がされており、日本は23件。「今宮神社の屋台行事」は、後者に登録されており、400年の時を超え、鹿沼彫刻屋台が織りなす勇壮優美、豪華絢爛な時代絵巻は圧巻です。

そのほか、発光路妙見神社祭り当番の受け渡しの儀式「発光路の強飯式」は、国指定重要無形民俗文化財に指定。両者はあくまで一例ですが、鹿沼には世界に誇る文化が多く潜んでいます。

西北鹿沼においては、このような指定、認定、登録されたものはありませんが、これを卑下する必要はありません。なぜなら、国内外から評価されるべき遺産価値はこれだけではないと考えるからです。

選考する委員会や団体、組織すら、足を運んだことがない地、知られざる地においても、遺産価値は備わり、誰かの評価軸ではなく、地域の評価軸で崇める地こそ、旅をしても訪れたい地となるのではないでしょうか。

西北鹿沼には、それを感じるのです。

そして、西北鹿沼に限らず、今こそ、各地域が未登録の遺産価値を見出さなければいけない局面を迎えているのかもしれません。

山と川に囲まれた環境の中で体験できるレクリエーション活動を満喫できる「自然体験センター」も。

約200種の花々が咲く広大なガーデン「花農場あわの」。レストランも併設し、パスタやハーブティー、自家果樹園のスイーツも楽しめる。

自分を見つめ直し、より良く生きる旅をwell-bingというのならば、過去にここで修行をしてきたものたち、信仰のために訪れた人たちもまた同じ思いだったはず。霊場としての鹿沼は、1300年も前からwell-beingを提供してきた地域なのかもしれない。

栃木県鹿沼市現代における修行。難問の解は他所に委ねてはいけない。

この地と出会った時、ある言葉が脳裏を過ぎりました。芸術家・池田満寿夫が所縁のある長野県塩尻市に向けた「山中に学ぶ」という書です。木曽漆器が有名なこの地は、四方を山々に囲まれ、冬場は雪が険しく、それによって保存食も生まれ、暮らしも産業も、全て山とともにありました。

山とともに生きる地の知恵。これは、鹿沼においても同様、もとい、西北鹿沼においても同様だと考えます。そして、暮らしが営まれているからこそ、今なお、それが途切れることなく、正しく時を重ねているのかもしれません。

しかし、自然との共存は、そう甘くはなく、課題も多い。その最たる例が「富士山」ではないでしょうか。

「富士山」は、言わずと知れた観光地であり、日本のシンボル。国内だけでなく、世界中から登山客が訪れるため、山が痛まないよう、進路を変えるなど、工夫を行うが、それでも来訪者の人数には敵わない。

そんな「富士山」が、近年で自然を取り戻した時期がありました。コロナ禍です。

過去を遡っても、あれほど長期間にわたって入山されなかったことはなかったのではないでしょうか。皮肉にも、人が介在しないことによって、「富士山」は本来の姿に還ることができたのかもしれません。

極端な比較対象だったかもしれませんが、伝えたいことは、どの地域にも許容できる範囲があるということ。それを超えると、疲弊してしまう危惧が孕んでいるのです。

西北鹿沼の美しい里山文化は、決して無くしてはいけない。それを伝えたい、知ってほしい。しかし、多くの人が訪れるほどの許容もなければ、それによって生態系すら崩れてしまう恐れもある。正しく時を重ねてきた暮らしはどうなるのか。

理想と現実は必ずしも比例せず、これは観光の表裏とでも言うべきか。

この難問の解は、各地域によって異なるため、何かを言い切るのは難しい。だからこそ、ひとつだけ、分かることがあります。

答えを他所に委ねてはいけないということです。

先人たちもまた、自ら答えを導き出し、地を発展させ、郷土を育んできたのではないでしょうか。未来を見据えることも大切ですが、過去を振り返ることもまた、地を価値化させる上で、大切な行為。答えはすぐには見つからないと思いますが、思考の歩みを止めてはならない。

この地の文脈になぞれば、それは現代における修行なのかもしれません。

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春薫る、三春の余韻。

春に向けて「和菓子 薫風」のつくださちこさんが開発した桜どら焼き。「和光アネックス」地階のグルメサロンにて展開。

WAKO ANNEX季節と出会う、春の和菓子。「和菓子 薫風」つくださちこ開発商品が初展開。

桜咲く麗らかな春は、味覚も花開く美味の季節。「和光アネックス」地階のグルメサロンでは、そんな情緒を食に込め、新たなお品を展開。パートナーに「和菓子 薫風」(以下、薫風)のつくださちこさんを迎え、同店のどら焼きと羊羹を独自にアレンジ。「桜どら焼き」と「いちご羊羹」として展開します。口に含んだ瞬間、味だけでなく、香りも含めて完成される仕上がりは、季節だけでなく、日本らしさすら覚えるでしょう。

まず、どら焼きにおいては、北海道産大納言小豆のつぶ餡を使用。一枚一枚手焼きするそれは、「薫風」の定番商品です。

「今回は、それに桜葉の塩漬けを刻んだものを加え、桜どら焼きとして和光アネックスのオリジナル商品として考案しました。甘味だけでなく塩味もあり、桜の爽やかな香りも含め、お楽しみください」とつくださん。

そして、羊羹。こちらにおいても、「薫風」の定番商品であり、手亡豆の白餡にグリーンピスタチオを効かせたものに、今回は、福岡の名品、あまおうを加えます。

「いちご羊羹として展開するいちごは、福岡の大木ベリーさんのあまおうを使用しています。自然環境農法を取り入れ、丁寧に栽培されているため、美味しいはもちろん、安心、安全なことも特徴です。大きさや熟れ具合、形を厳選し、こだわり抜いた高品質のあまおうをご堪能ください」。

あまおうには、フランボワーズを合わせているため、甘味と酸味が絶妙に調和。加えて、餡にはカルダモンなどのスパイスも効かせているため、複雑な味のレイヤーを楽しめるでしょう。

そんなふたつを開発するにあたり、つくださんがこだわった点は、和菓子単体の味わいだけでなく、ペアリングとしての相乗効果。ここでの特筆すべき点は、「薫風」においては、和菓子と日本酒のマリアージュに対し、今回は、ハーブティーとのマリアージュ。

「桜どら焼きには、エキナセアティーを。桜葉の香りとエキナセアの清涼感が後口をすっきりとまとめてくれ、もう一口、そしてもう一口と、運びたくなる味わいに。そして、いちご羊羹には、桑の葉茶を。いちごを加熱した時の熟した味わいが桑の葉の爽やかな味と香りが香ばしい味わいに寄り添ってくれます」。

今回の味わいは、初春、仲春、晩春と、三春を通してお楽しみいただけるでしょう。ぜひ、春のお供に。

<INFORMATION>
今回、ご紹介させていただきました「桜どら焼き」と「いちご羊羹」は、「和光アネックス」地階のグルメサロンにて、2025年3月20日より4月中旬頃までの期間限定で展開いたします。※限定品のため在庫がなくなり次第、販売を終了させていただきます。お早めにお求めください。

「春爛漫のこの時季。桜やいちごの香り豊かな和菓子とハーブティーのマリアージュをおたのしみください」/「和菓子 薫風」つくださちこ

春らしい味わいと香りを堪能できる「桜どら焼き」には、草木のほのかな香りが心地良い「エキナセアティー」とマリアージュ。

ほんのり甘い味わいが特徴の「桑の葉茶」が「いちご羊羹」の甘さと好相性。双方を合わせることによって、心身も癒される。

「価値のある新しいものを日本に紹介してきた和光さんとともに、世界の方へ和菓子を紹介する機会をご一緒させていただき、とても楽しみです」と「和菓子 薫風」つくださちこさん。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
www.wako.co.jp


Photographs:JIRO OTANI
(Supported by WAKO)

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気鋭の若きシェフが3年ぶりに佐賀へ凱旋、人間国宝クラスの器でいただく珠玉のコース「USEUM SAGA REVIVAL」が示したもの。[佐賀県佐賀市]

USEUM SAGA REVIVAL「USEUM SAGA」第1弾出演シェフが3年ぶりに佐賀に凱旋。

美術館に飾るような器で佐賀の美食を楽しむガストロノミーイベント「USEUM SAGA(ユージアムサガ)」。400年の歴史を誇る有田焼に代表される佐賀伝統の陶磁器と、佐賀の豊かな自然に育まれた第一級の食材が織りなす数日間限定のプレミアムレストランです。これまで数々の佐賀県出身の料理人とトップシェフがタッグを組んできました。その第1弾は2021年に開催された「arita huis(アリタハウス)」シェフ・増永琉聖氏×東京・代官山のフレンチ「abysse」のシェフ・目黒浩太郎氏のコンビ。二人三脚でフルコースを合作しました。

「USEUM SAGA」には、将来を嘱望される県内の料理人が県外の実力派シェフと協働することで、料理人としての濃密な成長を促すという側面もあります。類まれな実力が認められ若くしてヘッドシェフに抜擢された増永氏は、当時まだ23歳。目黒氏のイベント参加は、憧れの同氏と組ませてほしいという増永氏のたっての希望で実現したものでした。

「USEUM SAGA」のコンセプトを高度に表現し、見事に大役を果たした増永氏は、一つところに安住せず、果敢にキャリア形成していきます。福岡のフュージョン料理店「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフとして研鑽を積み、一旦レストランを離れて福岡のパン業界を牽引する「パンストック」でパンの研究に打ち込んできました。

そんな彼が佐賀に凱旋する「USEUM SAGA REVIVAL」が、12月8日・9日に、佐賀市の「ARKSカフェ」にて開催されました。「USEUM SAGA」以降、料理人としての技術と感性を磨き続けてきた増永氏、今の佐賀への想いを形にする舞台です。

ドリンクサービスで料理に華を添えるのは、日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の店「EUREKA!」で店長を務める園田静香氏。日本酒をはじめとするドリンクのプロフェッショナルです。福岡県大牟田市の出身で、佐賀は幼少時から両親に連れられ遊びにきていた思い出の地です。

シェフを務める増永琉聖氏。独自の感性で佐賀の食材と器のマリアージュの表現に挑む。

ドリンクサービスを統括する園田静香氏。アルコールとノンアルコールを合わせて8種、他に日本酒と焼酎を用意した。

「USEUM SAGA REVIVAL」の舞台は佐賀県庁北側の「ARKSカフェ」。

佐賀ゆかりの調度品やオブジェなどで装飾された空間。箸やスプーンも佐賀の木工作家が作ったもの

カニの濃厚な旨味とかぶのやさしい甘味を調和させた「セコガニ 戸矢かぶ」。カニの甲羅型の器は李荘窯業所製。

USEUM SAGA REVIVALあふれる佐賀食材への思いが16皿構成の大作に。

増永氏と園田氏は、この日のために佐賀食材に関するリサーチと試作を重ねてきました。

佐賀は北を玄界灘、南を有明海に接し、北部は山地、南部は山岳地、東部は平野、西部は丘陵地と、特徴的な地質の大地で形成されています。カニやイカ、青物、牡蠣といった非常に多様な魚介に恵まれ、上質な海苔の養殖でも知られています。温暖な気候はみかんやイチゴなどの果物を育み、様々な野菜や穀物が栽培に適した地質の土壌から産み出されています。古来米に恵まれたことから日本酒醸造も盛んで、焼酎に加えて日本酒と焼酎の銘酒が両方揃う点も九州では特異です。まさに食材の宝庫と言えるでしょう。

宴は、温かいウェルカムドリンクでスタートしました。佐賀名産のみかん「天草」で風味付けした「純米酒粕焼酎天山マスク」のお湯割りです。ノンアルコールには「天草」を使った葛湯が用意されました。

料理の幕開けを飾ったのは、ズワイガニのメスである「セコガニ」と、佐賀県有田町で古くから栽培されてきた「戸矢かぶ」を使ったアミューズ。カニの甲羅を正確に再現した李荘窯業所製の磁器に盛られました。カニの旨みとかぶの甘味、爽やかなユズの香りが見事な調和を見せています。

このカニとかぶには増永氏の多大な思い入れがありました。3年前の「USEUM SAGA」で増永氏が一品目に出したのも、やはりカニとかぶの組み合わせだったのです。あえて同じ食材を使うことで、自身の足跡を見つめ、成長の証を示そうとする真摯さが伝わってきます。

以降、コースは全16品におよびました。リサーチを通してあらためて佐賀食材にふれる中で、各生産者が入魂する素材たちに感動し、レシピのアイデアがあふれ出ました。コースとしては非常に多い16品は、それでも泣く泣く絞った16品。増永氏の熱量と半端ではない仕事量が結集しています。

生、炒め、長時間ローストと3種の火入れのキャベツをまとめて揚げたコロッケ風の「キャベツ」。器は224porcelain製。手に取って味わえるようにと、佐賀特産の名尾手すき和紙が敷かれている。

左/ウェルカムドリンクには佐賀みかん「天草」と「純米酒粕焼酎天山マスク」を合わせたお湯割りが。穏やかな酸味と甘味が食欲をかき立てる。
右/続いて、多久市で醸されている日本酒「東鶴 純米 冬支度」を使ったソルティドッグ。コクのある日本酒にレモンの酸味と粗塩の塩味、ミントの香りをプラス。

鰹出汁、ニンニクとネギから取ったオイルを使って低温火入れした椎茸を香ばしく焼き上げた「しいたけ」。椎茸をバターで炒めて乾燥させたパウダーがまぶされている。
器は人間国宝の十四代今泉今右衛門作。

左/トマトをトマト出汁と梅酢で浅漬け風に仕上げた「トマト」。澄んだガスパチョのジュレがかけられた、なんとも涼やかな一皿。器は人間国宝である井上萬二作。
右/焼きナスに目の前で出汁がたっぷりとかけられた「ナス」。鶏をベースに牛、豚、納豆やキムチ、酒粕などの発酵食品でとられた風味豊かな出汁が香ばしく、甘味が引き出されたナスと見事に調和。器は李荘窯業所製。

口直しとして、佐賀名産の神崎そうめんも登場した。器は今右衛門窯製。

USEUM SAGA REVIVAL実は世に稀な人間国宝作の生活食器で食する悦楽。

「USEUM SAGA」という名の由来は、美術館(MUSEUM)に飾るような器を、実際に食器として用いて(USE)料理を味わえることから。

一般的に人間国宝のような著名な陶芸家は壺やオブジェなどの大作を手がけることが多くなるため、料理皿のような生活食器の作品はほとんど作られることがないそうです。よって人間国宝クラスの皿で実際に料理をいただくことは極めて貴重な機会になります。「USEUM SAGA」では人間国宝に揃いの食器を特別に作ってもらい、惜しげもなく使われます。

たとえば、「しいたけ」の十四代今泉今右衛門をご覧ください。実際に手に取って眺めてみると、精緻な絵柄、精彩な発色に心を奪われます。そこには、増永氏の色彩感覚や空間構成によって器の魅力を引き出され、生活用具としての機能美がプラスされた効果も多大に影響しています。陶芸家と料理人の競演でもあるのです。

増永氏は今回のプロジェクトを通じて、佐賀食材に特有の“力強さ”を感じたと話します。

「トマトが甘くておいしい。でも甘いだけでなく非常にトマトらしい。ナスはナスらしい。風味や食感などいろんな要素がからんでいますが、確固たる存在感があります。僕はそんな佐賀食材で料理をすると、とてもしっくりくるという感覚があるんです。一つひとつの素材はすでに完成されたもの。僕の仕事はその持ち味を壊さずに寄り添うことです。料理の本質をあらためて見つめる機会になりました」

園田さんも新たなチャレンジに確かな手応えを感じたようです。

「佐賀は馴染み深い土地ですが、単に佐賀産の材料を使ったドリンクになってしまわないか? 私にできることは一体何か? と悩みました。それが、増永さんの料理を試食して一気に解消されました。増永さんは素材の本質的な魅力を捉えて、意外な手法で放出させます。ここにクミンを使って抜け感を出してきたか……とか感心しきり。そして、私は増永さんの料理と一緒においしく、楽しくなるドリンクを作ればいいんだと視界がクリアになりました。私にとっても活動の幅を広げる大切な体験となりました」

「USEUM SAGA」第1弾を企画するにあたり増永氏に白羽の矢を立てた理由を、事務局が明かしてくれました。

料理が好きでおばあちゃん子だった増永氏は、幼少の時から台所に立つおばあちゃんのかたわらで調理の様子を見守り、質問しながらレシピを書き留めてきたそうです。その時間の積み重ねが料理人への道へと導いたのです。佐賀の暮らしの中で、大切な人においしいもの食べさせてあげたい。増永氏の料理人としての土台は、ピュアな思いから形づくられてきました。「USEUM SAGA」はそんな増永氏の料理人としてのスタンスに共鳴しました。

増永氏は、業種業態の異なる店を数店舗展開したいと話します。

「店それぞれの名物で前菜からメイン、デザートまで一つのコースができあがる。自分がどこかでコースを全部作らなくても、そんなふうにおいしいコースを提供できるといいな。夢を少しずつ叶えていきたいですね」と増永氏は静かに話します。

彼はこれから何度も佐賀に立ち帰り、リバイバルを重ねながらより大きな料理人になっていくことでしょう。

未来ある料理人の成長の舞台「USEUM SAGA REVIVAL」第2弾では、誰が腕を振るうのでしょう? 参加者たちは満足感に浸ると共に、次回への期待を膨らませたはずです。

「鯖」は、乳白色の素地に鮮やかな色絵が施された柿右衛門の皿で登場。鯖の刺身に卵黄を使ったソースとピリ辛の醬(ジャン)を合わせている。分葱油と削ったカシューナッツがアクセント。

メインは佐賀県で盛んに飼養されている「みつせ鶏」のロースト。皮目は肉醤を塗って香ばしく焼き上げ、身の方はニラのペーストを塗って瑞々しく仕上げている。器は李荘窯業所製。

〆の食事はイノシシを煮込んだ「カレー」。今回のコースで出た野菜の切れ端の出汁でじっくり煮込まれたスパイスカレーを、キャロットラペとたくさんのパクチーと共に。器は中里太郎右衛門陶房製。

左/マリネしたデコポンとブランマンジェをデコポンのジャムと共に。デコポンの力強い風味を堪能できる。
右/餅米と甘酒で作ったアイスクリーム。甘酒で作ったクランブルのトッピング、甘酒のキャラメルソースと甘酒づくし。

キッチン、ホール共に普段はそれぞれ別の店で活動している仲間たちが結集。全員20代のフレッシュなチームが醸し出す自然体なムードも印象的だった。

1998年佐賀県佐賀市生まれ。佐賀県立牛津高校を卒業後、2016年「オーグードゥジュールメルヴェイユ博多」に勤務。小岸明寛シェフ(太良町出身)のもとで研鑽を積み、2018年、「arita huis」(佐賀)に勤務、2020年よりヘッドシェフを務める。その後、福岡のイノベーティブレストラン「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフに抜擢される。2024年7月に同店を退職し、一旦レストランを離れ、福岡のパン業界を牽引する「パンストック」に勤務。

1995年福岡県大牟田市生まれ。中村調理製菓専門学校(福岡)卒業後、東京都内のレストランに勤務。日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の日本酒アプローチに惹かれ、「GEM by moto」(東京)に入社。千葉氏が考案する口内調味や日本酒ペアリングのスキルを学ぶ。その後、千葉氏の独立とともに「EUREKA!」(東京)立ち上げに参加。同店の店長として従事。


PhotographHIDEKI MIZUTA
TextTAKASHI WATANABE

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女性シェフとして生きる覚悟。世界の三つ星シェフが悟ったTOKYOの才能。

「Tokyo Artissense:A Female Chef Collaboration」と題し、東京を代表する3名の女性シェフがコラボレーション。そのゲストには、世界で活躍する三つ星シェフとジャーナリストが今宵のために来日。企画監修は、世界一の美食家、浜田岳文氏が担う。

Tokyo Artissense東京から世界へ。仕掛け人は、世界一の美食家。

1月某日。東京都主催「Tokyo Artissense:A Female Chef Collaboration」が開催。仕掛け人は、「OAD世界のトップレストラン」のレビュアーランキングで6年連続1位に君臨する世界一の美食家・浜田岳文氏です。

タイトルにある、Artissenseは、アルチザン(artisan)とエッセンス(essence)を組み合わせた造語。東京の食文化を示すもののひとつに職人技があると考え、今回は、3名の女性シェフを通して、それを堪能いただければと思っております」。

3名の女性シェフとは、「été」オーナーシェフ・庄司夏子氏、「純麦」オーナーシェフ・矢嶋純氏、「FARO」シェフパティシエ・加藤峰子氏です。

庄司氏は、「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」(現「レクテ」)、「フロリレージュ」を経て開業。「アジアのベストレストラン50」にて、2020年にはベストベイストリーシェフ賞、2022年には最優秀女性シェフ賞を受賞。矢嶋氏は、「麺処ほん田」を経て、ミシュランビブグルマンの人気女将として名を馳せ、開業。加藤氏は、2018年より「FARO」のシェフパティシエを務め、「アジアのベストレストラン50」にて、2024年にベストベイストリーシェフ賞を受賞。

3者、異なる道を歩んでいますが、一流と形容すべき活躍ぶりは、共通している点。

「今回のテーマは、食を通して、東京を世界に発信し、実際に東京に来てもらうこと。世界中のゲストは、日本の食を求め、旅をしています。それは、様々な統計から見ても間違いありません。その最たる地域が東京。それぞれ異なるバックグラウンドを歩んできた3名は、東京の多様性も体現していると思います」と浜田氏。

その多様性を味わうゲストは、世界中から招集されたシェフとジャーナリスト。まず、シェフの面々は、イギリス・カートメル「ランクリム」をはじめ、世界中に10店舗を経営するシェフ、サイモン・ローガン氏、デンマーク・コペンハーゲン「ヨーネア」のオーナーシェフ、エリック・ヴィルドガルド氏、イタリア・セニガッリア「ウリアッシ」のシェフ、マウロ・ウリアッシ氏。彼らの共通項は、ミシュラン三つ星を獲得しているということ。

そして、ジャーナリストにおいては、ドイツ・ベルリンで活動し、「世界のベストレストラン50」のチェアーも務めるロレイン・ハイスト氏、ヨルダン・アンマン出身の作家であり、写真家、そしてフード&トラベルライターからコンサルタントまで務めるリーン・アル・ザベン氏などです。

人選は、浜田氏。世界中のシェフやジャーナリストたちとコミュニティを持つ世界一の美食家のオーガナイズであれば、異論なし。

今宵、東京で活動する女性シェフ3名の才能が開く。

今回のコースにおける前半3品を担った「été」オーナーシェフ・庄司夏子氏。「2020アジアのベストレストラン50」においてベストベイストリーシェフ賞、2022年「ベスト女性シェフ賞」などを受賞する実力派。今回は、母校の生徒も連れ、育成にも力を入れる。

ミシュランビブグルマンの人気店女将として名を馳せたラーメン職人であり、ラーメン割烹スタイルで話題を呼ぶ、完全予約制「純麦」オーナーシェフ・矢嶋純氏は、今回のコースでは、中盤2品を担当。

2024年「アジアのベストレストラン50」において、「ベストベイストリーシェフ賞」を受賞したイノベーティブイタリアンレストラン「FARO」シェフパティシエ・加藤峰子氏。今回のコースでは最後の2品を担当。

本企画の監修を担った世界No.1フーディー、浜田岳文氏。2024年には、自身初となる著書「美食の教養 ―世界一の美食家が知っていることー」も出版し、話題に。

食を通して、東京を世界に発信すべく、今回招かれたゲストは、世界で活躍する三つ星シェフとジャーナリストたち。

Tokyo Artissense一夜限りの幻のコース。世界の一流が日本の一流に舌鼓を奏でる。

供された料理は、コース仕立て。前半は庄司氏、中盤に矢嶋氏、最後に加藤氏が腕を振るいます。

計7品で構成された1品目は、「étéシグネチャー ウニのタルト」。塩味とスパイスの双方がウニの旨みを引き立て、それを、手で一口。皆、ウンウンと首を縦に振り、口元を緩め、笑みを浮かべ、隣同士、胸高鳴る期待が確信に変わったようにアイコンタクトを送り合います。

2品目は、「ポメロフラワー」。くり抜いたレモンの中には、カツオ、バジル、ヘーゼルナッツのタルタル、そして、ガスパチョソースを忍ばせ、素材の味を堪能したのち、ソースと混ぜ、いただくもの。蓋の見立てには、黄色ズッキーニと柑橘の粒をひとつ一つ並べ、まるでアートのよう。食だけでなく、ファッションやアートにも造詣が深い庄司氏の美意識が漂うプレゼンテーションです。

3品目は一転。「伊勢海老のパイ包み焼き」。「クラシックな料理もお楽しみいただければ」と庄司シェフは話すも、らしさは光る。一般的には、ビスクやアメリケーヌのソースを添えますが、ゆずで香りを効かせることによって、日本らしさも演出。もちろん、伊勢海老の火入れも抜群。そして、庄司氏のパートにおいては、カツオ、伊勢海老は、東京湾で獲れたものだということも特筆すべき点。新鮮で質の高い食材は地方という印象を覆すだけでなく、本イベントのタイトルに採用されるよう、TOKYOのポテンシャルの高さも再発見させました。

次ぐ、4品目からは、矢嶋氏。「純麦」スタイル同様、「ラーメン」と「かき氷」を供します。

「ラーメン」のスープの出汁は、東京しゃもを使用。「良い野性味を感じられる仕上がりになりました」と矢嶋シェフが話す通り、コクの中に力強さを感じ、それを纏った太めの麺は、すする度、旨みが増倍していくよう。東京Xのチャーシューもまた、一杯の完成度を高める重要なファクター。パイ包みからラーメンという斬新な流れも、違和感ではなく、サプライズと化し、既存のレストランではありえないコースに。前述、浜田氏の言う「東京の多様性」を感じる妙であり、これがTOKYOの面白いところ。

5品目、季節の柑橘を活かした「かき氷」には、酒粕を合わせ、NIPPONの文化も漂う味わいに。ここからコースはデセールへとグラデーションしてゆきます。

6品目からは加藤氏。「薔薇と檜とアーモンド」は、国産の自然農法の薔薇と在来種のオーガニックのイタリアのアーモンド、そして、東京で栽培されたいちごの華やかなデザート。

最後、7品目は、「イタリアで食後酒として飲むアマーロという数十種類の薬草をアルコールに漬け込み、砂糖を加えて作られた苦みが心地良いお酒にヒントを得た」と言う、「日本の里山の恵 花のタルト」。植物性の原材料でできたタルト生地の上には、アグロフォレストリーで育てられたバニラで華やかに香り付けした豆乳クリーム。さらに、その上に約20種のハーブや花々が彩ります。しかし、加藤氏の料理は、ただ華やかなものではありません。

「世界的に見ても森林問題は大きな課題ですが、日本においては、生態系や森を守るには間伐が必須だと考えます。1年で生育する野菜と異なり、木は成長に時間がかかります。数十年と生きた木を味わい、香る体験は、疲弊してしまっている森林と向き合う良い機会になるのではと。身体に取り込むことによって、内発的な感情が芽生えてもらえたら」。

この先、里山の景色は、果たして残っているのだろうか。タルトの食後、盛り付けられた余白も手伝い、そんな問いが胸に刺さる。

3人のコースは、ただ美味しいだけでなく、食を通して、社会と交わるきっかけにもなりました。そして、それを、強く、美しく、たくましい、TOKYOの女性シェフが織り成したことも、紛れも無い事実として、改めて、ここに記しておきたいと思います。

1品目、庄司氏の名刺がわりに相応しいスターター「étéシグネチャー ウニのタルト」。フルーツタルトから始まったレストランの起源にちなんだ料理。

庄司氏の感性が冴え渡る2品目、「ポメロフラワー」。スライスしたズッキーニと柑橘の粒をあしらった蓋の中身には、東京湾のカツオにバジルとヘーゼルナッツのタルタル、ガスパチョソースを忍ばせる。

3品目、「伊勢海老のパイ包み焼き」。刺身でも食べれる東京湾の伊勢海老をムースで包み、味と食感にレイヤーを演出。フィユタージュ(パイ生地)で包んだ中は、ミキュイ(半生)で焼き上げることによって、風味も豊かな味わいに。伊勢海老の殻で作ったソースに多摩地域のゆずで香り付けしたソースも特徴。

4品目は、矢嶋氏の「ラーメン」。東京しゃもとTOKYO-X豚骨のスープを乾物の和出汁と割り、ダブルスープに。焼豚は藁焼き。尾崎牛の牛脂も使用。麺は、山口県産せときららというパン用の強力粉をメインに、北海道産の小麦数種類ともち小麦などを使用した自家製麺の手揉み中太麺。

5品目は、季節の柑橘と酒粕を中心に作られた「かき氷」。今回の柑橘には、金柑と紅まどんな、紅姫を採用。味と色の濃い酒粕は、鍋島より。

6品目は、加藤氏が「檜の幹を使用し、森の中にいるような味わいを作りたかった」と話す「薔薇と檜とアーモンド」。加藤氏が目指すべき料理は、「普遍」。「体に木を取り入れることによって、少しでも環境問題に関心を持っていただければ。こうした件ともシェフとして何ができるのか、向き合い続けたい」と続ける。

最後の品は、「日本の里山の恵 花のタルト」。「食事の最後に官能的な瞬間を香りや食感で表現しました」と加藤氏。本作においても、環境問題へのメッセージは込められ、「50年後にこの里山の景色は、はたして残っているだろうか?」と問いかける。その余韻も含め、加藤氏の料理は構築されるのかもしれない。

Tokyo Artissense「Fantastic!」「Amazing!」、そして「Perfect!」その感動が、今宵の成果を物語る。

サイモン氏は言います、「Fantastic!」。マウロ氏は言います、「Amazing!」。

「それぞれ、スタイルと個性が異なる3人のシェフで構成されたコースというのが非常に面白かったです。そして、これほどまでに高いクオリティを、こんなに若い女性が表現していることに驚きました。特に、矢嶋氏のラーメンのスープの風味が印象的でした」とサイモン氏。

ラーメンは、世界的にも確立した市民権を得た料理であり、本場日本のラーメンは、海外シェフからも人気を博しています。だが、「純麦」は住所非公開のため、外国人がたどり着くには、困難と思われますが、「その数は少なくない」と矢嶋氏は言います。そのエピソードに、美味しいものを食べたいという、海外からのフーディーの貪欲な探究心を感じます。

そして、エリック氏も矢嶋氏を支持。「ヨーロッパのかき氷は、もっとガリガリ。こんなにふわふわの食感は初めて。そして、冷たさを感じさせない技術も素晴らしい」と話します。

マウロ氏においては、加藤氏のデザートを絶賛。また、「イタリアにも優秀な女性シェフがいますが、そのメンバーが集う機会は、まずありません。そういった意味でも、このように女性がフォーカスされたプレゼンテーションは、大きな意義があると思いました」と、自国との違いも述べました。

また、ジャーナリストの女性2名からも、様々な意見が。

中東を中心に活動しているリーン氏は、「私の地域では、女性シェフが全くいませんでしたが、最近、少しずつ増えてきました。今回の3名のように素晴らしい女性シェフが、中東でも活躍できる場ができると良いと思っています。女性の料理は、やはりプレゼンテーションが美しい。今回は、étéシグネチャー ウニのタルトと薔薇と檜とアーモンドが印象に残っています」と話します。

また、「女性ならでは、という表現はしたくありませんが、やはり女性の料理は繊細」とロレイン氏も続けます。特に、庄司氏の「伊勢海老のパイ包み焼き」を高く評価し、「構築されたレシピと味の繊細さをソースに感じた」と話します。

パイ包み焼きといえば、フランス料理の定番。しっかりとしたソースに重厚感のある味わいがイメージとしてありますが、庄司氏のソースは、別物。前述、伊勢海老の殻をじっくり煮込んで旨味を凝縮するも、重すぎず、ゆずをアクセントに。加えて、そのゆずは奥多摩産を使用しているため、伊勢海老同様、TOKYOをテーマにした切り口も採用され、味だけでなく、文脈として料理を組み立てる緻密さにも、質の高さを伺います。

「女性シェフ、というキーワードは、自分のレストラン選びのひとつでもあります。私の地域(ドイツ ベルリン)でも、女性シェフの活躍は、まだ少ない。評価においても、過去、二つ星まで獲得したレストランはありましたが、まだまだこれから。大切なことは、女性シェフも男性シェフと同じように料理できることを認識することではないでしょうか」。

そして、ロレイン氏の評価は、料理だけに留まりませんでした。今回、コース提供前には、生田流箏(琴)奏者・十七絃奏者・作曲家・編曲家の明日佳氏やDJ・ピアニスト・作曲家の野崎良太(Jazztronik)氏を招き、日本音楽のライブも演出。食後には、女性シェフ3名のトークセッションも行われ、コースや料理の解説だけでなく、各々の哲学などについてなど、様々な議論も行われました。

「海外でフードイベントを開催する際、料理を提供するだけに留まるものが多いです。今回のように、文化体験や、なぜこのような料理になったのか、この味にした理由などを理解できる機会は、非常に珍しく、少人数制という規模感も日本らしいと思いました」。

音を聞き、料理を味わい、言葉でそれを理解する。イベント全体を体験したロレイン氏は、最後にこんな言葉を残してくれました。

「完璧という言葉を使うのは好きではありませんが、完璧なイベントでした。It’s Perfect!」。

「それぞれ全く違う個性をひとつのコースにまとめたのがユニークだった」と話すサイモン・ローガン氏が特に印象的だった料理は、矢嶋氏の「ラーメン」。

「東京にもこんなに良質な食材があることにびっくりしました」と、エリック氏。そして、「ヨーロッパには、こんなにふわふわしたかき氷はありません」と、矢嶋氏の「かき氷」を高評価。

「イタリアでは、まず女性シェフ同士がコラボレーションすることは、なかなかなく、そう言う意味でも今回のイベントは素晴らしい企画でした。特に加藤氏の料理は、味もコンセプトも素晴らしかった」とマウロ氏。

「中東では、女性シェフがまだまだ多くありません、今回のようなイベントを通して、女性シェフが活躍できる場が増えることは、素晴らしい」と、リーン氏。また、料理においては、「庄司氏のétéシグネチャー ウニのタルトと加藤氏の薔薇と檜とアーモンドに、女性らしい感性と繊細さを感じた」と話す。

「トークセッションがあったことによって、料理の味だけでなく、コンセプトや想いなどを咀嚼して理解できたのが良かったです。女性は、チームを構築することにも長けていると思っており、キッチンの仕事も美しかった」とロレイン氏。料理においては、庄司氏の「伊勢海老のパイ包み焼き」を高評価。

コースが始まる前にはライブも開催。生田流箏(琴)奏者・十七絃奏者・作曲家・編曲家の明日佳氏やDJ・ピアニスト・作曲家の野崎良太(Jazztronik)氏が、繊細な音を奏でる。

コース中盤には、石川県の酒蔵「車多酒造」の「五凛 凛粋」が供され、復興支援も。供される器は、堀口切子氏の江戸切子。細部にわたり、東京らしい演出を施す。

コース後のトークセッションでは、「生産者の丁寧な仕事により、東京の食材が世界に誇れるものであることを再認識」「女性シェフが活躍できる場の拡張について」「東京の食材の香り高さ」「森林保護の重要性についての言及」「昨今のSNS事情の良し悪し」「東京でお店を営む意義」など、様々な切り口で議論が交わされた。

Tokyo Artissense女性シェフのこれから。TOKYOのこれから。

食を通して、東京を世界へ発信することを目的とした一夜の表現として浜田氏が着目したことは、繰り返しですが、女性シェフと多様性。

「女性シェフと言っても、様々なスタイルがあります。今回は、全く異なる3名の女性シェフにお願いをさせていただきました。その理由は、ロールモデルの可能性を示したかったからです」と浜田氏。

今回、浜田氏の口からは、バックグラウンド、という言葉が多く出ていました。それを紐解くならば、スタイルがシェフとしての現在であれば、バックグラウンドは人としての過去とでも言うべきか。確かに、庄司氏、矢嶋氏、加藤氏は、スタイルだけでなく、バックグラウンドも全く異なります。

「今回の3名は、女性シェフではありますが、女性だから云々というわけではありません。実力と能力があるからこそ、活躍されています。ですが、本来はもっと多くの女性シェフが活躍できるはず。それは本人たちの問題ではなく、その場が少ないという問題を感じています」。

レストランを営んでいる以上、極端に例えるならば、料理を食べてもらう接点は、ゲストのみ。しかし、今回のように、海外で活躍する三つ星シェフやジャーナリストと接点を持つことによって、何か新しいものが生まれる可能性や新たな筋道ができる可能性を秘めている。

接点という意味では、驚くべき事実も。今回、3名のシェフのうち、日本と接点があったのは1名、マウロ氏のみ。ほか2名は、初来日でした。

「海のそばのレストランや魚介を使う料理をしているシェフもいるため、ぜひ東京の食材も体験して欲しかった。エリック氏においては、日本のエッセンスを採用したあん肝料理を提供していますが、日本であん肝を食べたことないので、ぜひ食べていただき、今後に活かして欲しいとも思いました」。

インターネットやSNS、情報過多の時代、その特徴を得ることは難しくなく、高い技術を持ってすれば調理できてしまうこともありますが、体験にまさるものなし。後日、浜田氏のアテンドのもと、日本のあん肝を食し、エリック氏が感動したことは言うまでもありません。ただ、趣旨を伝えるだけでなく、招いた相手においてもプラスになる配慮は、浜田氏らしいホスト。

そんな様々も含めた場作りやきかっけ作りが、今後、浜田氏がレストラン界に寄与する力点なのかもしれません。

「若い才能に触れてもらえる機会は非常に嬉しい。今回のように知っていただけるような企画を実施したり、女性がシェフとして続けていきたいという場を作ったり、キャリアパスのお手伝いもできればと考えています」。

女性シェフという点では、浜田氏が愛するひとりに、イタリアの北東・フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州「ラルジネ・ア・ヴェンコ」のシェフ、アントニア・クリュグマン氏という人物がいます。

「彼女にも深いバックグラウンドがある。そして、彼女と今回の3名の女性シェフの共通点は、強い意志」。

今後、女性シェフが活躍できる域を拡張するためには、当事者だけでは解決しない。周囲も含め、その意志を示すことによって、女性シェフだけでなく、TOKYOの未来が変わるのだと考えます。

女性のアワード、それに触れない星、そして、ランキング、トック。女性をフォーカスするのが良いのか、はたまた、そうでないものを平等と捉えるべきか。別の角度からは、体力、人生の節目、労働環境。飲食業に限った話ではありませんが、様々な要因が含まれるため、一筋縄にはいきません。

ただ、ひとつわかることがあるとするならば、TOKYOには、女性シェフの才能がまだまだあるということ。今回、浜田氏は、それを証明しました。

世界が度肝を抜くTOKYOのレストランシーンの本領発揮は、これからだ。

今回の会場となった空間は、「Shibuya Sakura Stage SHIBUYAタワー 」38Fにあるグリルダイニング&ミュージックバー「STEREO」。高層階から望むパノラミックな絶景は、まさに東京を象徴するような世界が広がる。


Photographs:AKIHIDE MISHIMA Styrism Inc.(FOOD)
TextYUICHI KURAMOCHI

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日本のケーススタディとなるか。「利島」という循環型社会。

伊豆七島のひとつ、「利島」。島の約8割の土地が椿の木に覆われており、その資源を活用し、世界基準のブランドを目指す。

TOKYO TREASURE ISLANDSこの地で生きる覚悟。「利島」という謎の島を知る。

東京は都市だけではありません。それが、11の島々から成る「東京宝島」です。その中のひとつ、「利島」は、都心から南へ約140km離れた人口約300人の島。

海をわたるゆえ、陸のように時刻通りの交通機関は整いません。大西風が吹く日には、定期船の着岸ができず、冬の就航率は、5割程度。しかし、この不便は、「利島」に限った話ではなく、ほか10島も過酷。理屈では同じ東京ですが、別世界。海外からの観光客を魅了する東京もあれば、ここもまた東京。本当の東京を知る人は、日本人ですら、いや、都民ですら少ないでしょう。

そんな「利島」は、山そのものが島であり、その象徴が「宮塚山」です。そして、この特異なかたちから、かつて、航海する人々にとって絶好の目印にもなり、航海の安全を祈る、神が宿る「神奈備(かんなび)」として崇められていたと伝わります。そのせいか、山や森林を神域とした昔ながらの古い信仰が「利島」には今なお残り、「宮塚山」そのものを御神体に、原生林に囲まれた「阿豆佐和気命本宮(あずさわけのみこと)」、「大山小山神社(おおやまこやま)」、「下上神社(おりのぼり)」の3つの神社が存在しています。そして、島民は親しみを込め、それぞれを「一番神様」、「二番神様」、「三番神様」と呼んでいます。

そのほかにも、「利島」の魅力は、様々ありますが、敢えてフォーカスするのならば、椿。その数は、約20万本。島のほとんどを埋め尽くし、最盛期を迎える冬には、島全体を赤く染めるほど咲き誇ります。

しかし、そもそも、なぜ、これほどまでに「利島」には椿が多いのか。それは、多くが人の手によって植林されたからです。

理由はいくつか挙げられますが、まずひとつは、防風林として。離島ゆえ、周囲に遮るものがなく、風速10mを超える強風が1年の1/3ほど発生するため、暮らしを守る役割です。

では、なぜ、それが椿だったのか。肉厚な葉は潮風にも強く、傷付きにくく、艶やかな表面は例え火山が噴火したとしても、葉に灰が積もりにくいなどの特性を備えているからです。また、玄武岩地質もまた、椿の生育に適しており、その約50%を構成する二酸化ケイ素は、植物の成長促進やストレス低減、病害虫への耐久性にも優れており、それらの要因から、利島の椿は、化学農薬も不要なのです。

理だけでなく、地にもかなった人の知恵。

そんな島の資源、椿との暮らしこそ、この地の持続可能な循環を生んでいるのです。

「利島」は、東京(本島)から南に約140km離れた場所に位置。周囲は約8km、面積は4.12k㎡という、小さな島。

二番神様と呼ばれる「大山小山神社」は、一番神様の「阿豆佐和気命本宮」からほど近くに。三番神様「下上神社」には、「阿豆佐和気命本宮」の妃も祀られ、信仰を辿る山廻りをすれば、「利島」の神秘に触れることができるに違いない。

TOKYO TREASURE ISLANDS人の手で変えた環境を人の手で価値化。

「利島」の椿を活かしたもの、それは椿油です。その歴史は長く、江戸時代より、年貢として椿油を納めていたという歴史的背景もあります。

現在、島の8合目(それより上は自然林)まで広がる椿山には、全て所有者が存在する農地であり、農家が育てています。収穫した椿の実は、島に1箇所ある製油所(利島農協が指定管理運営)にそれを持ち込み、重量に応じて農協が買い取るというケースが主になります。

椿は生育が遅く、植えてから実を安定的に付けるようになるまで15年〜20年かかるため、農業生産に向いているかいないかでいえば、後者になります。加えて、花が咲いてから実を収穫できるまで約1年。春から夏にかけては雑草を刈り、枝を間引き……。自然物のため、生育の確約はなく、台風などの被害もあります。安定的な収穫が難しいゆえ、収入が不安定になることも。では、なぜ「利島」はそれでも椿にこだわるのでしょうか。

椿は、「利島」の宝だから。

そこで「利島」は、椿のブランディングに取り組みます。その代表が、「神代椿」。

人の手で椿を植林し、自然環境を変えた資源を、人の手で価値化させたのです。ここに大きな意義があると考えます。

椿山からは、「大島」の絶景も望む。「利島」の日常は、同じ東京とは思えないほど、非日常が広がるが、同時に、どちらが別世界なのかという素朴な問いも心の中に沸き起こるだろう。

「利島」では完熟して落ちた実(種)を拾うため、それが大きく成長する夏に下草を刈り、綺麗な林床に仕上げる。この作業を地元では「シタッパライ」と呼ぶ。

集めた枝や落ち葉、古い実を野焼きすることもまた、古くから受け継がれている収穫作業の一環。

夏が終わり秋に入ると実(種)が完熟し、林床に落ち、地にも絶景を形成する。椿農家はそれをひとつ一つ丁寧に拾い上げる。この根気が必要とされる作業を地元では「トリッピロイ」と呼ぶ。

実(種)は、各自宅の軒先などで乾燥させたのち、島内にある椿油製油センターへ持ち込む。

「利島」の椿油は、ヤブツバキの種を100%使用。椿実の収穫から搾油、商品梱包まで、全てを島内で行う。まさに、メイド・イン・利島の逸品。

日本で唯一「COSMOS ORGANIC」認証取得した数量限定のプレミアムオイル「神代椿―雫―」(左)は、利島全体のわずか10%の藪椿からしか精製できない貴重な椿油(2011年時点)。そのほか、椿種子の一番搾り油のみを、色・香り・質感を大切に残し、濾過脱酸した椿油「神代椿―金」(中央)と椿種子の一番搾り油を濾過脱酸、更に精製し無色透明でサラッと仕上げた椿油「神代椿―銀―」(右)も揃える。

TOKYO TREASURE ISLANDSオンリーワンとナンバーワンを確立させたブランド作り。

「神代椿」を通して行われた「利島」の椿のブランディングの手法として着眼したことは、「COSMOS」認証でした。これは、オーガニックコスメの世界統一の認証基準であり、「COSMOS ORGANIC」と「COSMOS NATURAL」の2種に分類されます。2019年、「利島」の椿油(島全体の10%の椿から精製した椿油)は、前者を取得しました。

取得するためには、「内容成分の95%から100%が自然由来の成分であること」や「植物原料の95%〜100%が有機農法、遺伝子組み換えしていない農法によって作られた原料でなければならない」など、多くの厳正な項目をクリアしなければいけません。

「利島」は、認証取得に向け、生産者と園地ごとの収穫量の記録管理をはじめ、新たな苗の育成、選定した母樹の記録、そのデータから解析する苗が良く育つ母樹をトレースするなど、トレーサビリティ管理を徹底。

また、認証基準のひとつでもある「製品に使われているすべての成分、原料は、環境に悪影響を与えない生分解性のものでなければならない」においては、椿油の搾り粕を再利用。その一例として、肥料に使用できるよう、テスト製造を行い、環境負荷の少ない農園作りも目指します。

しかし、これらは取得までの道のりのごくごく一部。この場で全てを語り尽くせるほど容易ではありません。そんな「COSMOS」認証の困難の極みは、この事実を知れば、より伝わりやすいかもしれません。

「利島の椿油は、日本で唯一、COSMOS認証を取得」。

加えて、利島は、椿油の生産量日本一(生産量の変動によって異なる場合もあり)。つまり、オンリーワンとナンバーワンの双方を確立させたのです。

椿油の循環型生産に向けた活動のひとつとして、搾り粕の再利用にも取り組む。肥料として使用できるよう、テスト製造を行い、環境負荷の少ない農園作りを目指す。

TOKYO TREASURE ISLANDS各地域が抱える問題の打開策を「利島」に見る。

この「利島」のモデルケースには、いくつかのポイントがあると考えます。

ひとつは、前述、人の手で椿を植林し、自然環境を変えた資源を、人の手で価値化させたこと。

例えば、昨今においては、森林問題と直面している地域は少なくありません。特に針葉樹は、椿のように防風林に活用すべく植林されたものもあれば、建築資材として植林されたものなど、日本国土に多くあります。

しかし、その利用は減少し、数十年放置されることによって樹々は生い茂り、大地まで光が届かず、生態系の影響や自然災害の危険性も。これは、天災だけでなく、人災による被害も関わっているのではないでしょうか。

人の手で変えてしまった自然環境は、人の手で始末する責任が伴うと考えます。その始末の仕方を、「利島」は、循環型社会として取り入れ、適正に行われているのです。これが、自然に人が介在する意義。

そして、もうひとつは、世界基準を目指したブランド作り。国内だけでなく、国外に向けたゴールを設定することによって、逆に国内がついてくる仕組みは、「利島」で例えるならば、椿油のブランド作りだけでなく、今後、「利島」のブランド作りにも、大きく作用してゆくと考えます。

一方、「利島」に限らず、地方が抱える問題のひとつとして注視すべきは、高齢化、Uターン、Iターンなど、人の課題も。全てが一筋縄では解決しないもの、ことばかりですが、「利島」のモデルケースは、他県や他地域がその土地にある資産を価値化するためのヒントがあるのではないでしょうか。

そして、「利島」のモデルケースは、東京宝島のモデルケースという域を超え、日本のケーススタディと呼ぶに相応しい事例なのかもしれません。

椿は「利島」の命であり、椿油はこの島とともに生きる島民の覚悟の証なのです。

落ちた椿が地に広がる光景もまた、儚くも美しい。摘まれた実は椿油となり、そうでない実は土に還り、次の実へ繋ぐ栄養となる。
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食材の宝庫・滋賀県を味わい尽くす、一夜限りの特別なディナー。[SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO/東京都中央区]

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO滋賀の豊かな食材が織りなす美食の夕べ

日本一の湖・琵琶湖を擁する滋賀県。

県の面積の約6分の1を占めるこの琵琶湖により生まれる、東西南北で異なる気候や土壌。そしてその土壌を潤す豊かな水。このような条件により、滋賀の食材は多様性と高い質を併せ持っているのです。その魅力は、数多くの料理人がこぞって滋賀の食材を使用していることからも明らかでしょう。

2025年1月、そんな滋賀県産食材の魅力を伝えるディナーイベントが東京・八重洲のイタリアンレストラン『ASTERISCO』にて開催されました。

この『ASTERISCO』は、農業機械のトップメーカー『ヤンマー』を母体とするレストラン。その『ヤンマー』創業者である山岡孫吉氏が滋賀県出身である縁から、このイベントの実現に至りました。

豊かな自然の恵みを受けた食材の宝庫・滋賀県。 今回の特別なディナーは、その魅力を最大限に引き出した珠玉のフルコースとなりました。

東京駅八重洲口のヤンマービル内にある『ASTERISCO』。店名はイタリア語で“米印(アステリスク)”を意味し、米料理をテーマにしたイタリアンが味わえる

イベントは終始なごやかな雰囲気。滋賀県庁職員や生産者も訪れ、マイクを握って滋賀の食材の魅力をPRした

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO滋賀の食材をふんだんに使用したフルコース

ディナーの指揮を執ったのは、『ASTERISCO』の菅原槙也シェフ。

菅原シェフは滋賀の食材と向き合い、料理を考案する中で、その魅力の深さを実感したと語ります。「さまざまな野菜、琵琶湖の魚や肉、そして米。どれも個性が際立ち、試食してすぐに料理のイメージが浮かびました」

そう語る菅原シェフのコースは、琵琶湖固有種の淡水魚・ホンモロコから始まりました。米粉をつけてしっかりと揚げ切り、酢漬けにしたホンモロコは、柔らかい身と淡白な味わいが特徴。琵琶湖だけに棲息する固有魚での幕開けは、これから始まるディナーの特別感を予感させます。

続く料理は近江黒鶏と滋賀産直野菜のインボルティーニ、そして菅原シェフのスペシャリテであるトリュフリゾットを、滋賀県産米きらみずきで仕立てた特別バージョン。パスタはおうみ海老とよもぎを練り込んだニョッキ、肉料理は和牛と国産牛をかけ合わせて生まれたげんさん牛のグリル。

野菜、米、魚、鶏、海老、牛と、滋賀県の魅力を存分に味わい尽くす構成です。

もちろんどの料理にもシェフの思いが詰まっていますが、とくに印象深いのはやはりスペシャリテであるリゾット。

「きらみずきは、粒が大きくふっくらとした米。食べやすい味や口当たりを活かすため水分量に細心の注意を払いました。香り高いトリュフや米を食べて育った鶏が産むホワイト卵との相性も秀逸」と菅原シェフも自信をのぞかせます。

デザートは、滋賀県の苺と比叡ゆばのモンブラン仕立て。比叡山延暦寺御用達のゆばをデザートに仕立てることで、自然の豊かさだけでなく、食文化の奥深さまでも伝えました。

さらにペアリングドリンクには、「近江麦酒 糀エール」や、飯米で仕込んだふくよかな味わいの純米酒「里ノ猋」、濾過しない濁りワイン「ヒトミワイナリー」のソワフルージュ、「かたぎ古香園」のほうじ茶が選ばれ、滋賀の風土を体感できる組み合わせとなりました。

琵琶湖ホンモロコと米粉パンのブルスケッタ。身質の良い淡水魚を丁寧に揚げることで骨まで柔らかく味わえる

近江黒鶏と滋賀産直野菜のインボルティーニ きんたろうしいたけのマリネサラダを添えて。力強い鶏と肉厚のしいたけが互いに存在感を放つ一皿

滋賀県産きらみずきとホワイト卵のトリュフリゾット。滋賀県産米きらみずきの魅力を引き出すシェフの技量が光る

おうみ海老とよもぎを練り込んだニョッキ 味こがね蕪ソース。よもぎの風味と海老の旨味を練り込んだニョッキと、ほのかに甘い蕪のソースがベストマッチ

近江げんさん牛のグリル ルッコラと赤ワインのソース 伊吹大根を添えて。赤身の濃厚な旨味と柔らかさを併せ持つ牛肉をダイレクトに味わえる一品。独特の甘みと辛味がある伊吹大根がアクセント

比叡ゆばと苺のモンブラン仕立て。ゆばをパイのように使ったデザート。滋賀県産のマスカットベリーAを使った摘果ブドウのジェラートとともに

食事を引き立てたドリンクもすべて滋賀産。改めて滋賀の食の奥深さを物語るラインナップ

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO料理と食材に込められた、それぞれの思い

ディナーは、ただ美味を堪能するだけの場ではなく、食材の背景にある物語や生産者の思いを知る機会でもありました。

ホールスタッフが料理や食材の説明を丁寧に行うことで、滋賀の食材や食文化を知ったゲストたち。その知識によりゲストたちは五感を研ぎ澄ませ、一皿をより深く堪能することができたのです。 琵琶湖の恵み、肥沃な大地に育まれた野菜、そして滋賀の風土が生んだ肉や米。これらの食材を通して、滋賀という土地の豊かさがより広く、深く伝わる時間となりました。

『ASTERISCO』の大西健也マネージャーは、準備にあたりシェフとともに滋賀県の生産者のもとを訪ね、生産の現場を視察しました。そんな大西氏は「現地視察でお会いした生産者の方々は、皆パワフルで人柄の良い方々ばかり。 そんな生産者がつくる食材をゲストに伝える橋渡しとしての使命を感じます」と語りました。

菅原シェフも「生産者の方がひとつひとつの食材を大切にし、丁寧に向き合っていることがわかる味でした。初めて出会う食材も多く、これからももっと産地を訪ねて理解を深めていきたい」と決意をにじませます。

生産者の努力と情熱、それを最大限に引き出す料理人の技、そしてそれを伝える場としてのレストラン。それぞれが繋がることで、滋賀の食材の価値が一層際立ちます。

マネージャーの大西氏。ソムリエでもある大西氏は、ヒトミワイナリーへの思い入れも深い

食材への理解、生産者への敬意、料理の技術。すべて併せ持つ菅原シェフのクリエイションが光る

ともに滋賀県を訪れ、生産者と話した菅原氏と大西氏。ふたりをはじめとした店舗スタッフのチームワークも、今回の成功の要因

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCOディナーの余韻のなかで新たな発表も

イベントの余韻も冷めやらぬなか、2つのうれしいニュースが発表されました。

ひとつは、『ASTERISCO』にて2025年2月1日〜2月28日まで、滋賀食材フェアが実施されること。今回の特別なディナーで証明された滋賀の食材のクオリティを、菅原シェフ謹製の特別メニューで誰でも味わうことができます。

もうひとつの発表は滋賀の食材の新たな発信として、ヤンマーが手掛ける海苔弁専門店『八重八』で、新たな海苔弁が発売されること。

この海苔弁には今回のディナーでも使用された滋賀県産米きらみずきを採用。ふっくらとした食感と上品な甘さが特徴のこの米を主役に据え、滋賀県の発酵食品を取り入れた多彩なおかずが添えられています。

このニュースからもわかるように、この日の特別なディナーは、料理を食べる瞬間だけで完結するイベントではありませんでした。食材と向き合い、その背景にあるストーリーを感じ、その産地に思いを馳せる。 滋賀の自然が生んだ恵みは、東京という大都市のレストランで新たな輝きを放ち、この日の体験が訪れたゲストの記憶に深く刻み込まれました。そしてゲストの心に滋賀という地への興味を呼び覚ます機会となったことでしょう。

『ASTERISCO』での滋賀食材フェアメニューの一例。今回のディナーでも登場した厳選素材が登場

滋賀県産きらみずきを使用した海苔弁。消費期限わずか4時間というこだわりの品

東京都中央区八重洲2-1-1 YANMAR TOKYO2F
03-3277-6606
https://la-brianza.com/asterisco/

東京都中央区八重洲2-1-1 YANMAR TOKYO B1F
03-3277-6888
https://www.yanmarmarche.com/food/restaurant/yaehachi/


Photographs:JIRO OTANI
Text:NATSUKI SIGIHARA

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「大地の力を凝縮した味」東京からやってきた6名の料理人が、宮崎で有機野菜と出合う。[Miyazaki Organic Dining/宮崎県・東京都]

Miyazaki Organic Diningトップシェフの監修のもと、地元ホテルと料理人がゲストを迎える。

日本有数の有機農業産地である宮崎県。

いまから40年ほど前、まだ世間に有機農業やオーガニックという言葉さえ浸透していない頃から、宮崎県では有機農業への取り組みが始まっていました。

もちろん、現在でもその灯火は変わらずに灯り続けています。

そればかりか、昨年度より「みやざき有機農業拡大加速化事業」として、官民一体となってさらなる輝きを放っているのです。

安心安全で力強く、味わい豊かな宮崎の野菜。

そんな逸品をプロの料理人も放っておくわけがありません。

そこで今回は東京で厨房に立つ6名の料理人が、宮崎県の産地を訪れ野菜を視察し、そしてその経験を元に料理を考案する「Miyazaki Organic Dining」が開催される運びとなりました。

それぞれレストランを率いる実力派シェフたちは、宮崎県で何を見つめ、何を学び、どのような料理を仕立てるのでしょうか?

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いつの時代も答えは自然の中にある。持続可能な1杯からはじまる、地域のロールモデル。

信州の薬草文化の再発見と再編集、地域資源の活用とサステナビリティ、信州の自然資源の体感。「松本産業研究会」主導のもと、この3つの視点によって、ボタニカルドリンクを開発。

Botanical Drink産学官が連携。松本のこれからを考える。

2024年4月。長野県松本エリアにおける観光サービスの高付加価値化を具現するため、「持続可能な観光地域産業研究会」が発足。「明神館」や「ヒカリヤ」など、宿泊業やレストラン業などを運営する「扉ホールディングス」を事務局に置き、民間事業者たちが集結しました。その有志は、「アルピコグループ」、「セイコーエプソン」、「フジアビエーションシステムズ」、「八十二銀行」、「松本信用金庫」、「アスピア」、「ハートビートプラン」、「ALPSCITY Lab」、「信州未来づくりカンパニー」、「山荷葉」、「フジドリームエアラインズ」など、地域の先駆的な取り組みを行っている企業。オブザーバーとして、「環境省中部山岳国立公園管理事務所」、「松本市」、「松本観光コンベンション協会」も参画します。特筆すべきは、産学官が連携する異業種の組織だということ。

委員長を務めるのは、「扉ホールディングス」代表取締役の齊藤忠政氏です。

「高付加価値化とは、松本高山地域に通底する価値を向上させることです。ビジネスにおいては、富裕層向けに限定したものではなく、広義に捉え、商品、サービスに独自の価値を加えることで、顧客に高い価値を感じてもらい、結果、双方の単価を向上させるための活動であると捉えております」。

商品、サービスのうち、今回は商品にフォーカス。松本エリアに特化した「松本産業研究会」として、まず、地域の資産でもある山を見直すところから始まりました。

「信州は、薬草の宝庫ともいわれ、県下各地に500種を超える薬草が自生しています。薬用植物を中心とする民間薬や漢方薬は、長い経験の積み重ねによって築きあげられた生活の知恵でもあり、それを生かした商品開発を目指しました」と「扉ホールディングス」代表取締役の齊藤忠政氏。

Botanical Drink過去を遡ることによって導き出した、里山文化。

「商品開発をするにあたり、観光の前に、まずは地域のあるべき姿を考えることから始めました。シンポジウムなどを開催し、行き着いた答えのひとつが、山でした」。

議論のテーマは、オリジンの追求。例えば、他の都府県を見ても、産業、催事、伝統、文化など、素晴らしい資産があります。そして、現代においては、その既存に付加価値を付ける。言葉にすると当たり前のことかもしれませんが、それを実際に行えている地域がどのくらいあるでしょうか。地域のあるべき姿を探し当てるだけでなく、様々な根本を見直すことにも注力します。

「sightseeingという見る観光から、昨今ではsightdoingという体験する観光にシフトし、これからは、sightbeingという、自分を見つめ直す旅、すなわち、人生を豊かにする旅が大切なのではと考えています」と齊藤氏。

この意図は、立場を変えれば、より理解できるかもしれません。例えば、国内外を問わず、どこか旅をしたとします。都市としても成熟し、観光スポットや名店、名物を巡る旅がsightseeing、sightdoingだとすれば、sightbeingは、観光の概念から少し外れた冒険とも言うべきか。齊藤氏の言葉を借りるならば、「非日常」ではなく「異日常」。時に地元民と出会い、時に彼らがこよなく愛する物事に触れる旅は、本質的な地域の文脈に沿った旅を堪能できるでしょう。予定は未定ゆえ、予期せぬ出来事が舞い込むかもしれませんが、そのハプニングはサプライズと化し、その地で過ごした時間は、深く記憶に刻まれるのではないでしょうか。そして、結果として、人生の豊かさにも繋がる。

訪れる人にどうすれば感動を与えられるのか。前述、山から導き出された松本の価値は、里山文化でした。

古来より、里山の暮らしは、自然と共生し、生活の知恵を活かすことにあります。農機具や衣服は、全て自然界のものを工夫し、自ら手で作り、役目を終えたものは、また自然に返る。食材がない時期に備え、発酵という手法も生まれました。それらは、里山文化において、ごく自然なこと。必要なものは、全て自然の中にあるのです。

ある意味、何不自由ない現代では得ることのできない、豊かさと言い換えられるでしょう。

これからの松本を考える時、未来を紐解くのではなく、過去を遡る手法によって得たそれは、彼らの原点であり、故郷の追憶。その資源を再編集することによって商品化したものがボタニカルドリンクでした。

上高地や北アルプス、美ヶ原高原など、雄大な自然環境に恵まれる松本。大起伏山地や複数の内陸盆地、そして、低地、丘陵地、山間地、高原……、多才な地形が松本をはじめ、信州の里山を形成。

Botanical Drink地の利から生まれた、ボタニカルドリンク。

今回、「ONESTORY」は、ボタニカルドリンクの開発をサポート。パートナーとして協力を仰いだ人物は、東京都調布市のレストラン「Maruta」の外山博之氏です。外山氏は、「Maruta」だけでなく、様々な名店のペアリングやドリンク開発にも従事。ソムリエ、バーテンダー、マネージャー、ディレクター……。多彩な活動をする外山氏の肩書きをひと言で表すのは難しい。しかし、より自然に、より地に向き合う姿を見ると、全てにおいて共通する植物と飲料を組み合わせた、ボタニカルドリンク研究家と仮称すべきか。もともと「Maruta」は植物と共にあるレストランであり、その母体は「株式会社グリーン・ワイズ」という植物を主軸にランドスケープデザインなどを通して環境共生を理念とする企業のため、前出の遍歴を経ての外山氏の現在は必然だったのもしれません。つまり、本プロジェクトの適任者だと考えます。

外山氏は、松本の地を知るところからスタートします。

「地元の方々にご案内いただき、山に入り、その地の生態を観察するとことから始めました」と外山氏。様々な知識を得て、レシピのパズルに植物のピースを埋めていきますが、それを考案する前より採用したかった植物があります。カラマツとニセアカシアです。両者に共通していることは、植林や生育阻害など、問題視されている植物だということ。しかし、松本をはじめとした東信地区では、昔からニセアカシアを天ぷらにして食べる暮らしがあり、自然と人の共生習慣が備わっていた地。「松本の人々は、既に行動変容を起こしてきていたのです。これは地域が誇るべき文化。そんな気づきにもなればと」と外山氏。

「ボタニカルドリンクは、植物と共存するものでありたいと考えました。西東京を拠点にしていても、温暖化を感じることは多々あり、例えば、本来10月に咲く金木犀が2月に狂い咲きしたり。秋刀魚の不漁はニュースになりますが、金木犀が2回咲いたことはニュースにはなりません。生き物に携わる身としては、どちらも同じ。環境問題は、あまりにもスケールが大き過ぎるため、ボタニカルドリンクは、そこと向き合うためのものではなく、あくまでも、楽しんでいただくものとしています。飲むことで松本という地を知っていただければと思います」。

ゆえに、背景は忍ばせる程度。味覚では得ることのできない情報は、会話を通して交流を深める。そんな人と人とのコミュニケーションもまた、旅の醍醐味となるでしょう。

考案されたボタニカルカクテルは、「ORGANAIZE」、「RELAX」、「AWAKENING」と名付けられた3種。

森の香り、清涼感のある酸味が特徴の「ORGANAIZE」は、カラマツなどの人工林の間伐材や山間部の豊かな水源によって自生・栽培された葉ワサビを起用。まさに森を飲むドリンク。最後に針葉樹を炙り、液体に浸すことによって香りも広がります。

「RELAX」には、侵略的外来種ワースト100に指定されているニセアカシアを起用。そのほか、クロモジ、ダンコウバイなども含み、「ORGANAIZE」同様、その枝を炙り、液体に浸すことで、爽やかな優しい香りが立ち上がります。

苦味による爽快感が心地良い「AWAKENING」は、地域で容易に見られるシソ科の植物を起用。そのほか、キハダやリンドウも含み、苦味のある爽快感は、その名の通り、心身を覚醒してくれたに違いありません。

「今回、自分がこのプロジェクトに参画したいと思った一番の理由は、齊藤社長の熱意と地域への愛。齊藤社長は、松本の自然と人の営みが持つ地域の価値に気付いている。それを繋ぐ活動も既にしている。自分は、こういう地元を愛している人と関わりたい。なぜなら、自分にできることは限られているから。自分がどんなに良いドリンクを開発しても、それに価値を纏わせることまではできない。松本の人間ではない自分の言葉は、説得力に欠けるから。これは地元の人にしかできないこと。それが価値。逆も然り、だから自分は西調布を語ることができる。今回、地元の皆様から多くのことを学びました。その感動を、次は、お客様に伝えていただきたいと思います」。

「山、森、植物。自然と技術を掛け合わせることで共存が生まれます。ひとり一人の意識をほんの少し変えるだけで、出会わなかった人と人が出会うだけで、想像以上に可能性が広がる。そんな行動変容が地域を成長させていくのではと考えます」と「Maruta」の外山博之氏。

ヒマラヤ杉、ドイツトウヒ、アカマツなどを使用した「ORGANAIZE」。長野県では、林業目的で造林されたカラマツなどの人工林の材価低迷により、間伐が進まない課題を抱えており、この状況を県外や海外のゲストに伝える手段として、「森を飲むドリンク」を考案。間伐材を利用し、「木を飲む」という新たな価値を提案する。また、山間部の豊かな水源を背景に自生・栽培が広がる葉わさびを用い、自然資源の貴重さを伝える。

ニセアカシア、クロモジ、ダンコウバイなどを使用した「RELAX」。長野県ではニセアカシアを食べる習慣が昔からあり、自然と共存する食生活が育まれてきた地。このような背景から、食を通じて松本の自然の豊かさを未来に繋ぐ利用価値を見出すドリンクを考案。また、植生環境の保全のため、クロモジのみを採取するのではなく、クスノキ科の植物を満遍なく使用しているのも特徴。

キハダ、ヒメジソ、カキドオシ、エゴマ、リンドウなどを使用した「AWAKENING」。長野県木曽地域の伝統薬「百草丸」の主成分であるキハダを中心に考案。松本の豊かな自然環境を表現するため、地域で容易に見られるシソ科の植物を使用。さらに、近年減少傾向にある長野県の県花・リンドウも含む。リンドウは古くから健胃薬として用いられており、山に自生する種が切り花用に改良されたのが始まりとされる。

会場には、採取した実際の植物や仕込んだ原液も展示。炙る作業などは自身で行い、体験としての価値も高める。

Botanical Drink地域の頭脳を結実すれば、山は動く。

1月某日、前述3種のボタニカルドリンクのプロトタイプ発表会を実施。「持続可能な観光地域産業研究会」の有志同様、ジャンルを問わず、志の高い企業や人々が集いました。齊藤氏の挨拶に始まり、外山氏の解説を主に会が進む中、そのマイクを積極的に外山氏が地元の人々に回しているのが印象的でした。例えば、外山氏に山を案内したポインターすみれさんは、植物と香りのスペシャリスト。

「AWAKENINGには、シソ科の植物が採用されていますが、同科にナギナタコウジュという植物があります。アイヌの人たちは、それを神の宿る野草として、風邪を引いた時に煮出してお茶にしたり、おかゆに入れたりして食べていたそうです。こぼれ種で育つため、アイヌの人たちは、種が落ちてから食べていたとも言われています。花が咲く頃から種ができるまで、香りも変化します。それぞれの良さがありますが、それを知ってからは花の時期に少し摘んで残し、種が落ちた後にまた摘む、少し多く摘んでも根は残すなど、採取への配慮をするようになりました。それが自然と人の共生」とすみれさん。

そして、「柳沢林業」代表・原薫さんも、「先日、山を歩いていたら、どこからか甘い香りが。調べると鷹の爪でした。別名、芋の木と呼ばれているんですよ」と続く。

外山氏も「どれも自分も知らない情報! これは有益なことをお聞きしました」と興奮。

「今回の取り組みは、もともと松本にあるものを新たなかたちで表現するという、無理のない活動。県外からのお客様はもちろん、地元の人にも知っていただきたいし、楽しんいただきたい」と原さん、すみれさん。

ボタニカルドリンクをきかっけに、いつしか山を学ぶ時間に。議論も活発になり、会場は熱気に包まれていました。このグルーヴを生むことが外山氏の思惑であり、地域の人々を当事者にした理由。

「自分よりも、植物に詳しい人は身近にいる。同じ地元でも、意外に相手を知らないことも少なくない。互いが持つ高い能力を地元の中で繋ぎたかった。自分が離れても構築される地域内のコミュニケーションを生みたかった」と外山氏。

また、山、植物以外の松本の資産として、注目されたのが水。松本には市内に約20箇所の井戸があり、湧き水を楽しむことができる町として、国が「名水」と選定するほど。水質やテクスチャーの違いもあり、地元の人々でも好みが分かれるほど多様性に富んでいます。それが、ひとつの町に集約されているということは、日本全国、いや、世界中から見ても稀有な資源。

「ミネラル、マグネシウム、鉄分など、成分や濃度が違うだけで味わいも異なります。これを機会に、松本の水にも注目いただければと思います。そして、私たちの研究も、今後、本プロジェクトに寄与できればと考えます」とは、「国立法人 信州大学」アドミ二ストレーション本部 学術研究・産学官連携推進機構 准教授の鳥山香織さん(博士/工学 認定URA)。

研究とは、浄水技術を指します。不純物だけでなく、具体的な成分のみを取り除くこともでき、既に酒蔵などで採用されている事例も。さらに、世界レベルで見れば、開発途上国の汚染された水に浄水技術を取り入れ、命を守る活動もしています。

そんな豊かな水が育んだ松本の文化のひとつが、バーです。

「ノンアルコールドリンクの可能性を感じました。そして、カクテルとしても展開できるポテンシャルもある。松本の自然を活用し、仕上げる一杯は、松本で飲む意義もあると思います。豊かな香りが印象的なため、ワイングラスで提供し、ゆっくりと味わっていただきたい。そんなイメージが膨らみました」と、松本のバーを代表する「メインバーコート」林 幸一氏は総括。林氏は、BAR組合名誉会長も務め、今回のアドバイザーとしても尽力いただいた人物でもあります。

ボタニカルドリンクの個性は、香り。香りは、人の記憶を手繰り寄せる力がある。

同じ地域から様々な業種の企業や人々が集結。ボタニカルドリンクの発表会をきっかけに、異業種コミュニケーションも育まれた。

「苦味や酸味などの個性を香りが調和させ、ひとつの作品として仕上がっている。春の野菜や山菜などの植物の苦味は、私たちの体に冬の間に溜まった老廃物や毒素を排出してくれる働きがあるそうです。理由がわかれば、それも愛おしい」とポインターすみれさん。味だけでなく、生体を知ることによって、深みが増す。

「例えば、RELAXに含まれるクロモジは、山間部に生え、日向だけでなく日陰も必要。植物が生息している地にはちゃんと理由がある。湿地、乾燥、標高、日向、日陰。私たちは、地域の特性を推定する指標植物としても観察しています」と「柳沢林業」代表の原薫さん。

「地域の資源をいかに高付加価値化できるか。私たちが研究している浄水技術もコラボレーションしていきたい」と「国立法人 信州大学」アドミ二ストレーション本部 学術研究・産学官連携推進機構 准教授の鳥山香織さん。

「味の個性、香りの個性は、山の個性。ボタニカルドリンクを提供できるお店が増えると、松本の個性にもつながり、新たな側面から地域をアプローチできると思います」と「メインバーコート」の林 幸一氏。一方、「生産や流通の仕組みも今後の課題」と、次の段階の論点も述べる。

Botanical Drink香りの追憶が松本への再訪を誘う。

「メインバーコート」林氏の言葉の通り、ボタニカルドリンクの特徴は香りであり、外山氏が一番こだわったところ。液体そのものも然り、仕上げに植物を炙るひと手間は、より深い香りを引き立たせるためです。

「自分自身、この香りを吸い込んだ時、山で遊んでいた子供のころを思い出し、懐かしい気持ちになりました」と齊藤氏。

香りの特徴は、風景を想像させることではないでしょうか。味であれば、回想は皿の上に止まりますが、香りは風景を描くような。

「今回、自分のレシピでボタニカルドリンクを開発しましたが、柳澤林業さんのお話にもあったように、松本の山には、もっと活用できる植物がたくさん生息しています。それは季節によっても変わります。そして、林業、大学、バー、ホテルなど、今日、出会った人たちでも十分展開できるプロフェッショナルが揃っています。一業種ではできないことも、他業種が協業すればできる。松本には山や水だけでなく、人もまた資源」と外山氏。

「自然と自然、人と人、そして、自然と人。今、松本に必要なことは、繋ぎ直しだと考えます。里山の繋ぎ直し、観光の繋ぎ直し、地域の繋ぎ直し。今回は、ボタニカルという視点から繋ぎ直したいと思っております」と齊藤氏。

自然と人の繋ぎ直しによって生まれたボタニカルドリンクは、自然>人の関係。つまり、ワインやビールのように、人力によるど真ん中の味ではなく、自然を優先したもの。ゆえに、「好みが分かれるとも思います」と言葉を続けます。そして、「植物は人間よりも早く地球に存在していた生き物ですから」と、植物への敬意を外山氏も補足します。

自然次第のため、ボタニカルドリンクに完成はありません。香りや味の変化は、環境の変化。「ボタニカルドリンクは未完だから面白い、だから、可能性を感じる」と齊藤氏。

「山の中でボタニカルドリンクを飲む会もやってみたいです。食材を摘んで、その場で作って、飲む。手足を動かし、山の香り、風の香り、土の香りを感じながら。そこには至れり尽くせりのサービスはありませんが、何ものにも変えがたい体験となると思います」と外山氏。

植物の命が生まれた地で味わうそれは、きっと記憶に深く刻まれるでしょう。そして、いつの日か、その記憶を手繰り寄せるきっかけとなるのが、やはり香り。それが国内なのか国外なのか、何処で山の香りを感じた時、ふと蘇る追憶によって、松本への再訪、いや、再会できることを願って。

冒頭に戻り、改めて問いたい。「持続可能」の概念とは何か。

古き時代より現代に受け継がれてきたものが持続可能の好例と美化されることもありますが、そんな生易しいものではないと思います。なぜなら、様々な難局を乗り越え、時代に耐えて生き残ったもののみが、現代において存在を残していると考えるからです。

それらも理解した上で足元に特化したボタニカルドリンクは、里山文化同様、暮らしの知恵と工夫によって、無理なく持続できる環境と体制を整備。自然との共生含め、十分な可能性を秘めている。

「今後、ボタニカルドリンクを育ててゆき、様々なところでお楽しみいただける場作りも拡張していきたいと考えています」と齊藤氏。

産学官の連携、過去を遡ることによって導き出した価値、地域の繋ぎ直し……。そんな松本のアクションは、新たな地域のロールモデルになるかもしれない。

意志と覚悟、そして愛。そんな想いが不可能を可能にし、山を動かすのだろう。

会場となったのは、「ヒカリヤ」。蔵屋敷の母屋と旧文庫蔵は、 国の登録有形文化財に指定され、持続可能なシンボル的存在。一歩足を踏み入れれば、齊藤氏の言葉の通り、「異日常」が形成される。


Photographs:KOH AKAZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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熱帯植物園を回遊しながら、バーをホッピングする。沖縄の魅力を深く体感するミクソロジーイベント。

熱帯植物園を食前酒を楽しむバーに見立てたユニークベニュー。

ユニークベニューとは、「ユニーク(特別な)」「ベニュー(会場)」を意味する言葉で、史跡、公園、美術館などを本来の目的とは異なるニーズに沿った会場とすることを指します。

今回、沖縄の魅力を伝える3つの試みのひとつが、このユニークベニュー。会場は、約6万平方メートルの敷地に多種多様な植物が展示される『熱帯ドリームセンター』。園内をガイドとともに巡りながら、各所に用意されたアペリティフと食前酒を味わうという趣向です。

ドリンクの監修は那覇のミクソロジーバー『アルケミスト』を手がける中村智明氏。クラシックのコンペティションやフレアバーテンディングのカクテルコンペティションで18もの賞を受賞する実力派です。料理監修は大阪の名店『AUBE』『Chi-Fu』『Az/ビーフン東』のシェフ東浩司氏。そして実際の調理やドリンクのサーブは、『ハレクラニ沖縄』『沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャンスパ』『ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート』『オリエンタルホテル沖縄リゾート&スパ』『ヒルトン沖縄 瀬底リゾート』といった沖縄を代表するホテルの精鋭たちが担当します。

植物園を舞台にした、かつてないミクソロジーイベントは、どのようなものとなったのでしょうか?

沖縄海洋博公園内に位置し、『美ら海水族館』に隣接する熱帯ドリームセンター。熱帯、亜熱帯の花々が咲き乱れる楽園。

世界に約3万種が存在するといわれるラン。同じランでも見た目も香りも特徴も大きく異なる。

ドリンク監修の中村智明氏(左)と料理監修の東浩司氏(右)。もともと面識があったというふたりの連携が、かつてないペアリングを生み出した。

植物をテーマにした5種のカクテルとフィンガーフード。

それは原始の森の中を回遊しながらバーをはしごするような、不思議な体験でした。

「散歩をしながらカクテルを飲まれる前提。だから最初のインパクトと、少し時間が経ってからくる風味が変化するように、“香りの層”があるドリンクを目指しました」とドリンク監修の中村氏が話す通り、歩きながら、体験しながらだからこそ楽しめる特別な時間。

『熱帯ドリームセンター』は、多種多様な2000株以上のランを中心に、さまざまな植物が展示される施設。その中の5箇所にカウンターが設けられ、ゲストは園内を進みながら、要所でカクテルとフィンガーフードを楽しみます。

ウェルカムドリンクは白ワインをベースに、花草果実のエッセンスを加えたカクテル。草花に囲まれたこの会場にぴったりの一杯です。

展示されるランの不思議な生態の話を聞きながら歩みを進めると、先の温室に準備されていたのは、花束に見立てたマグロスモークとハーブ、そして試験管に入ったハイビスカスティーベースのカクテル。続く果樹温室では野菜で仕立てたヴィーガンタコスと、月桃の香りを添えたテキーラベースのドリンク。

人の気配がなく、ミステリアスな夜の植物園。進むごとに現れる想像を越えたカクテルとフード。ただバーに座ってグラスを傾けるよりもずっと能動的な時間が、しっかりと胸に刻まれます。

続いては蓮の浮いた池を眺めながら、ヤギ肉の唐揚げとヤギのヨーグルトを合わせた泡盛。最後のデザートにはアップルバナナのジーマーミ豆腐と、アップルバナナを使った泡盛カクテル。

ここまで、およそ1時間の行程。この体験を胸に、ゲストは各々のホテルやレストランでのディナーに向かうという想定です。「花」「草」「根」「果実」をテーマにしたフードとカクテルの組み合わせは、会場の環境とも見事なペアリングとなり、またとない体験になりました。そして何より、ただ観光するだけではなく、食事を通して深く体験することで、より身近に沖縄という地を感じることができたことでしょう。

「草」「花」「根」「果実」のテーマで考えた今回のフードとドリンク。白ワインにランのフレーバーを加えたウェルカムドリンクは、それらの要素すべてが感じられつつ、炭酸ですっきりと仕上げられた。

木に吊り下げられた試験管のなかに、ドリンクとフードが入る。自然の果実を摘んで口に運ぶような原始的な行為が、本能を刺激する。

ガイドの案内とともに園内を進む。閉園時間の後の『熱帯ドリームセンター』は今回のゲストのためだけの貸し切り。

演出や盛り付けに驚きを隠せないゲストたち。こうした工夫、アイデアにより沖縄の食のPRに新たな可能性を見出す。

ミステリアスな夜の植物園とカクテルとフード。その特別な時間は、進むごとにさらなる期待を高まらせる。

各ホテルのスタッフによるサービスと連携もイベント成功の要因。厳しい条件のなかで、各スタッフがプロフェッショナリズムを発揮した。

4時間じっくり煮込んでから、現場で揚げたヤギ肉と、ヤギのヨーグルトを加えた泡盛のカクテル。同じ素材にすることで風味を合わせ、一体感を生む。

順路に沿って進むごとに、このようなバーエリアが出現する。歩きながらホッピングするという新たな感覚が新鮮。

アイデア次第でさらなる進化を遂げるこれからの沖縄のカクテル。

「伝統的な沖縄料理を少しだけ違う角度から見てみる。地元の人にも驚きや発見がある料理を考えました」と東氏。

「たとえば沖縄の定番であるタコライスも、季節の野菜を取り入れるなど少しのアレンジを加えることでまだまだ大きな可能性があります」と言います。

那覇を拠点に活躍する中村氏も同様の意見です。

「国内外の観光客が増えている中で、沖縄のカクテルはまだまだスタンダードなものが中心。県産の素材に焦点をあて、その魅力を伝えていくことがこれからは必要になってくると思います」

その思惑通り、県産の素材、沖縄の伝統を踏まえた上で、別の角度から魅力を引き出した両氏。花束に見立てた盛り付けやフードとドリンクを逆転させた演出、ペアリングでも寄り添うもの、隙間を埋めるもの、味を補完しあうものなど、さまざまなアイデアで、ゲストを驚かせました。

しかし二人にはもうひとつ、大切にしていたことがありました。

それは、今日という日が「特別な一夜」ではなく、これからも続けられること。特別な機材や素材、中村氏や東氏がいなくとも地元スタッフが一丸となって再現できること。

そのためのレシピやオペレーションを考案し、そして沖縄の未来を描く思いをホテルのスタッフたちと共有してきたのです。

「身近で、当たり前だと思っていたものが、宝物だったという感覚。勉強になりましたし、大きな自信も生まれました」

名門ホテルから参加した若手スタッフはそう振り返りました。

沖縄のホテルでは、ディナーの前に回遊するバーが楽しめる。そんなシーンが当たり前になる日も、遠くないのかもしれません。

初の試みに少々戸惑いながらも、手際よく料理を仕上げるスタッフたち。所属ホテルの垣根を越えた交流が生まれたのも、今回の収穫のひとつ。

火の使用不可、限られたスペースなどの条件は、最適化されたホテルの厨房とは別世界。参加したホテルの料理人たちにも、さまざまな学びがあったという。

花束に見立てた沖縄県産マグロのスモークとハーブ。下部のハイビスカスとローゼルのカクテルは、ドレッシングのように料理に重ねるイメージで考案された。

沖縄名物のタコライスをモチーフに、クレープにフーチバーやドラゴンフルーツをあわせた一品。メキシコをルーツとするタコスに合わせ、カクテルはテキーラベースに月桃の香りや生胡椒をあわせた。

最後の一品、アップルバナナのジーマーミ豆腐と、固体にしたアップルバナナのカクテルは、「飲むフードと食べるカクテル」。役割を逆転させる意外性と、味わいと香りの調和が見事。

令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:沖縄県本部町
企画:ONESTORY
協力:沖縄県ホテル協会、沖縄美ら島財団、前田産業ホテルズ
運営:沖縄かりゆしビーチリゾートオーシャンスパ、オリエンタルホテル 沖縄リゾート&スパ、
   ハレクラニ沖縄、ヒルトン沖縄瀬底リゾート、ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート

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歴史を学び、文化を知った上で、いただく。その本質までを深く味わう、進化する琉球料理。

歴史という、進行形で紡がれる物語に自らも参加する。

たとえば歴史の授業のようにただ事実だけを伝えられたのでは、ここまで心に響くことはなかったかもしれません。しかし、そこに物語があり、あまつさえその物語の中に自分自身が組み込まれているなら、それは誰にとっても忘れ得ぬ時間となることでしょう。

今回実施された『Landscape Cuisine with Ryukyuan Hospitality』は、つまりそんな時間でした。

先人たちが歩いたその道をたどり、まさに再興の途にある首里城の現場を見学し、琉球王国の歴史を学び、そして伝統料理の必然性を身をもって知った上で、その伝統からさらに進化した料理を味わう。時空を超えて紡がれる物語に、「食べる」という行為を通して参加する。

そんな沖縄の魅力を味わい尽くす特別なキュイジーヌのはじまりです。

首里城からの眺め。冬の沖縄は夏に比べて観光客が少なく、気候も過ごしやすい。歴史や文化をじっくり巡るにはちょうど良い季節。

御嶽(うたき)とよばれる琉球王国の聖地。そこに込められた意味を知れば、その不思議な存在感も腑に落ちる。

首里城を歩きながら学ぶ、いまは亡き琉球王国。

ツアーは首里城からはじまりました。

ゲストの前に登場したのは、琉球史研究家の上里隆史氏。かつてこの地に生きた人々の息遣いまで聞こえるような臨場感のある解説が持ち味です。

首里城を歩きながら、上里氏の声が響きます。

いまは亡き琉球王国。日本と中国という大国に挟まれながら存続し得た小さな島国の秘密。両国の使者を心尽くしで迎え、この地の魅力を伝えたおもてなしの心。歓迎の席で振る舞われた泡盛や宮廷料理、そして琉球音楽と舞踊。

実際に舞台となった場所を歩きながら聞く解説に、当時の様子がありありと目に浮かびます。やがてツアーは、2019年の火事により失われた首里城正殿が再興されている現場へ。やんばるの木が使われていること、県内の若手職人が中心となって作業にあたっていること、そしてこの焼失を通して老若男女の沖縄県民の心がひとつになりつつあること。語られる言葉のひとつひとつが、心に染み込んできます。

続いては場所を移し、『角萬漆器』へ。ここは創業120年を越える、琉球漆器最古の老舗です。

琉球王朝時代から、愛される琉球漆器。中国から伝わった漆器の技法が温暖な気候と合わさり、発色鮮やかできらびやかな装飾が施される独特な漆器として発展してきました。賓客をもてなす食器としてだけでなく、琉球王国が日本や中国と貿易する際の重要な交易品でもありました。

ゲストを前にそう説明するのは、角萬漆器の六代目・嘉手納豪氏。嘉手納氏の案内で向かった工房では、熟練の職人がまさに琉球漆器を仕上げている最中でした。

王国を支え、使用されていた伝統が、いまも変わらずに存在し、生み出されていること。過去から流れてきた時間が、未来に向かって途絶えずに続いていること。その重みを感じてみれば、琉球漆器がいっそう鮮やかに見えてきます。

琉球史研究家の上里隆史氏。琉球王国に関する著書も多い上里氏が、奥深い琉球王国の文化や伝統を、平易な言葉でわかりやすく解説してくれた。

石の積み方、石碑の文字、湧き水のいわれや各建築物の様式まで、問われた内容に即座に回答する上里氏の知識量に驚く参加者たち。

現在の首里城の再興は、その作業工程を見学できるスタイル。これを通して、沖縄県民の多くが、首里城の存在を改めて強く感じているという。

今からおよそ600年前におこり、450年間にわたり存在した琉球王国。首里城公園には在りし日を偲ばせる遺構も数多く残されている。

『角萬漆器』6代目の嘉手納豪氏。県内きっての老舗であり、琉球漆器の文化を今に伝える重責も担っている。

鮮やかな朱の発色と、精緻な装飾が琉球漆器の特徴。とくに模様が立体的に浮き出る堆錦の技法は『角萬漆器』の真骨頂。

『角萬漆器』の一階はショップ。食器のほかアクセサリーなどの現代的な漆器も販売されている。

漆器の制作現場は、見ているだけで息が詰まるような精密な作業。熟練の職人の技術が垣間見える。

『角萬漆器』に併設されたカフェにて、しばしの休息。漆器でいただくお茶と茶菓子は格別。

使者を迎え、もてなすためだけに発展した琉球古典音楽。

次の目的地は那覇市内にある『福州園』。ここは那覇市と中国福建省福州市の友好都市締結10周年を記念して1992年に完成した中国式庭園。

比較的新しい名所ではありますが、この『福州園』がある那覇市久米というエリアは600年ほど前から福建省からの移住者が住み始めた地。中国との縁が深いこの地で、中国の伝統を忠実に再現した庭園を歩くことは、ひとしおの感慨をもたらします。

さらにこの場所にはレセプションイベントも用意されていました。

園内の一角に準備されたテーブルに着くと、登場したのは国指定重要無形文化財である琉球古典音楽の担い手、山内昌也氏。 山内氏の歌三線と、ひとりの踊り手で織りなす琉球王国式のもてなしです。

山内氏の奏でる音楽は、陽気な沖縄民謡のイメージとは異なり、どこか物悲しく、静謐で神聖な雰囲気。沖縄県立芸術大学音楽学部長でもある山内氏が、後に教えてくれました。

「琉球古典音楽というのは、首里城の中でだけ、海外からの使者を歓待、歓迎するために上演されていました。その琉球王国が明治12年に滅亡し、首里城で演奏されていた方々が食べるために各地を回って演奏していく中で変わってきたものが、現在の沖縄民謡の基礎になっています」

つまり、この日演奏された音楽は、完全にゲストを歓迎するためだけに生まれた芸能ということ。しかし、伝統的な音楽をそのまま現代に再現しているわけではありません。実はかつて琉球古典音楽は、大勢の演奏、踊り手によって上演されるのが一般的でした。

それを歌三線ひとり、踊り手ひとりという現代に合ったスタイルに変えたのがこの山内氏。

「さまざまな文化を取り入れて発展してきたのが琉球王国。時代に沿ったスタイルに変えていくことも、また自然なことだと思います」

沖縄と中国の親交を象徴する『福州園』。園内には中国から取り寄せた建材で織りなすさまざまな景観があり、見飽きることがない。

異国情緒があるのに、どこか懐かしさも感じさせる園内の風景。庭園全体がひとつのアート作品のような美しさを持っている。

円卓に用意された泡盛は、カラカラ(酒器)トチブグヮー(おちょこ)と呼ばれる伝統的な器で少しずつ味わう。

琉球古典音楽師範の山内氏。伝統的な音楽を守りながら、現代にふさわしい姿で伝えていく道を追求している。

山内氏が考案した歌三線ひとりと踊り手ひとりの上演は、それ自体がグッドデザイン賞を受賞するなど、国内外で高く評価されている。

県内と県外。ふたつの視点で見つめた、“今あるべき”琉球料理。

半日かけて伝統、文化を体験してきたツアー。ただの座学ではなく、実際に見て、触れて、聞いてきたからこそ、ゲストたちはまるで在りし日の琉球王国に旅したような気分で、その伝統を身近に感じてきました。

そしてその一日の集大成が、『ノボテル沖縄那覇』でのディナーです。

料理を担うのは福岡『Goh』で世界的評価を確立したシェフ福山剛氏と、『ノボテル沖縄那覇』の総料理長、前川守晃氏。ふたりで話し合いながら新たに解釈した琉球宮廷料理がテーマのコースです。

「琉球料理はおそらく、中国だけでなく、アジア各国などさまざまな文化を取り入れながら進化してきた料理。これからもいろいろな人がアレンジして、さらに進化していけば良いと思います」

豪放磊落な福山氏はそう話しますが、言葉の節々には今回の監修にあたって、さまざまな琉球料理を敬意をもって学び、体験してきたことが伺えます。

一方の前川氏はもう少し複雑です。実は前川氏は「琉球料理伝承人」という伝統的な琉球料理を守り、伝えていく役割も担う人物。その上で、前川氏は言います。

「私たち料理人の務めは、基礎を踏まえ、本質を守った上で進化した料理を提供し、より多くの人に琉球料理を知ってもらうこと。今回は福山シェフという世界的なシェフとご一緒させて頂きながら、その思いと真摯に向き合って料理をつくっていきたい」

そんなふたりが考案した料理は、まさに進化した琉球伝統料理と呼ぶにふさわしい内容。琉球漆器の器には、伝統的な琉球料理が盛り付けられます。しかし、たとえば田芋の煮物であるドゥルワカシーは、フリットにしてトリュフのソースとともに。ヤギはコンソメスープ、夜光貝はリゾット、ゆし豆腐はなんとカレー。それぞれがただの創作料理ではなく“進化した琉球料理”と感じられるのは、ふたりのシェフが伝統の本質を理解し、変えてはいけない部分を決して変えていないから。泡盛のエキスパートである『比嘉邸』バーテンダー・比嘉康二氏のドリンクも、料理と響き合います。

そんな料理とドリンクの質そのものもさることながら、半日かけて歴史を学ぶことで助走してきたゲストにとって、この時間はより感慨深いものだったことでしょう。おいしい料理、素晴らしい空間という横軸に、歴史という縦軸が加わることで感じる深み。この試みはきっと、これから沖縄の魅力をより深く、強く伝えるための強い武器となることでしょう。

福山氏(左)と前川氏(右)。前川氏は福山氏とのコラボで得た学びについて「シンプルかつ洗練された料理、メリハリある段取りとホスピタリティ、料理の丁寧さ、味と香りのバランスなど、挙げればきりがありません」と振り返る。

沖縄における泡盛のエキスパートである『比嘉邸』の比嘉氏。今回は料理との調和を考えながら、さまざまなドリンクを考案した。

前菜の盛り合わせは琉球王国の宮廷料理に使われた「東道盆(トゥンダーブン)」に盛り付け。ハーブを加えた泡盛とともに。

冬トリュフのピューレと削ったトリュフを乗せた田芋のドゥルワカシーのフリット。ドリンクは揚げ物に合わせ、爽快感のあるハイボール。

コンソメで炊いた美ら山羊に島人参、島牛蒡をあわせたスープ。玄米緑茶にフーチバー(よもぎ)をあわせたドリンクはノンアルコール。

福山氏の『Goh』のスペシャリテを沖縄県産食材でアレンジした夜光貝の肝とあおさの赤米リゾット。ドリンクは濃厚な料理に合わせ、酒精強化ワインのようなニュアンスを泡盛で表現。

やんばるアグー豚の煮込み料理。豚の脂身の濃度に合わせ、洗練された甘い香りを持つ泡盛「The MIZUHO」をチョイスした。

からしな、ゆし豆腐を使ったカレーは前川氏が「もっとも印象深い料理」と振り返る一品。県内産豆の深煎りコーヒーを加えたコーヒー泡盛とともに。

デザートは炊いた黒豆に黒糖寒天、黒糖アイス、黒糖ラム。沖縄の名産である黒糖を上質な菓子に仕立てた。

300年ほど前に中国の福州から琉球に伝わったという伝統菓子、きっぱんと冬瓜漬け。凝縮感のある古酒の泡盛とともに。

令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:沖縄県那覇市
企画:ONESTORY
協力:沖縄県調理師会、角萬漆器、ノボテル沖縄那覇

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沖縄と奄美大島を舞台にしたガストロノミーイベント。ただ通り過ぎるだけでは知り得ない島の本質を伝える試み。

トップシェフの監修のもと、地元ホテルと料理人がゲストを迎える。

年間平均気温約23度、エメラルドグリーンの海に囲まれた沖縄。そして豊かな自然に囲まれた世界自然遺産の奄美大島。どちらも日本を代表する観光地であることは、疑いようもありません。そしてあまりに素晴らしい環境に満足し、私たちはときどき、ただのんびりと過ごすことで、その旅を謳歌します。

もちろんそれは旅のひとつの形でしょう。しかし沖縄、奄美には、それだけではない素晴らしさが眠っています。独特の文化があり、伝統があり、植生があり、食べ物があります。ただ「遊ぶ」だけでは知り得ない本当の島。学び、感じ、体験することで初めてわかる本当の魅力。

この度、そんな島の魅力を伝えるための、3つのガストロノミーイベントが行われました。観光庁による「高付加価値なインバウンド観光地づくりモデル観光地」に選ばれる沖縄・奄美エリア。島の潜在的な価値をいっそう高め、広めるため、トップシェフの監修のもと、現地のホテルや料理人が一丸となり、より深く、より進化した今の味を伝えるイベントが開催されたのです。参加者たちは食を通して、ただ通り過ぎるだけでは知り得ないリアルな島を体感しました。今回は旅行関係者などを招いた実証試験の形でしたが、そう遠くないうちに皆様に体験いただけるものとなるでしょう。

では3つのイベントがどのようなものだったのか、内容を振り返ってみましょう。

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先人のアバンギャルドに対し、自分たちは、今、何ができるか。

「一歩一景と称されるほど、美しい風景も然り、栗林大茶会を振り返ると、自分は、スタッフやお客様の顔の風景が心に浮かびます。これも自分にとって大事な一景」と話す、茶の湯監修を務めた茶人・武井宗道氏。

NEW STYLE of TEA PARTY固定化されてしまった茶の湯の世界への疑問。

「良い道具、良いお点前……、良い茶会とは何か……。近年になればなるほど、価値観は固定され、語弊を恐れずに言えば、現代のお茶の世界に限界を感じていました」。

そう話すのは、「栗林大茶会」にて、茶の湯監修を務めた茶人・武井宗道氏です。

「栗林大茶会の大きな特徴は、ふたつあると思います。まずひとつは、特別名勝・栗林公園(以下、栗林公園)という壮大な舞台で行われるということ。もうひとつは、異業種で構成されているということ」。

今回、掲げたテーマは、守破離。参画した監修者は、武井氏のほか、和菓子監修には「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏、飲料監修にはバーテンダーの南雲主于三氏、空間設計監修には、建築家の永山祐子氏を迎えます。一見、接点がないように見えますが、全員に共通していることは「一流」であるということ。多彩な感性の共鳴は、むしろ同業で構成されるチーム以上の成果を発揮することは言うまでもありません。

「今までにない茶会ができると思いました。お茶の侘び寂び、精神性と向き合う時、いつも400年前はどうだったんだろうと、必ず振り返ります。当時、茶の湯は最先端であり、そこで様々な情報が交わされていました。つまり、茶会から革新が生まれていたのです」。

小さな空間から生まれたそれらは、大きな時代の波をも凌駕する、カウンターカルチャーと形容するに相応しい情報基地であり、文化の交差点。

「茶の湯は、職人さんが作った道具とそれを使う亭主の関係で成り立ちます。監修者の皆は、それぞれの業種において、作り手であり使い手であったことが好相性だったと思います。良い作り手は、オーダーを超えるものを作りますから。そして、想像を超えるものができた時、想像を超える使い方をするのが茶の湯の文化。栗林大茶会では、それが毎日進化していったと思います」。

「良い茶道具を持つよりも、茶道具の使い方を研究したい。自分の体と道具を一体化させ、風景となるのが理想」と話す通り、流れるような所作は、「栗林公園」の一景に溶け込む。

NEW STYLE of TEA PARTY何となく良い茶会だった。それが理想的な茶会。

「栗林大茶会」の世界は、その名の通り、壮大な茶会となりました。「栗林公園」という約23万坪の敷地面積も然り、永山氏監修のもと点在した空間は、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬が手がけました。松の木を横倒し屋根に見立てた「臥松庵」、巨大な純白の掛け軸が特徴の「露庵」、池に浮かぶ「泳月庵」は、風景の中にまた風景を形成し、特異ですが、自然に馴染む一景を創り上げました。

そこに南雲氏のカクテルや加藤氏の和菓子が加わり、味や香りが体験に奥行きを与えます。

また、前述の監修者以外に武井氏が招集したのが、日本らしいwell-beingをwelll-downと捉え、探求しているアートコレクティブ「Ochill」と芸術として工芸作品を扱う「B-OWND(ビーオウンド)」でした。

武井氏は、三井氏が手がけた「臥松庵」でも亭主を務め、薄茶を供しましたが、その空間とともに稀有な体験を引き立てたのが、「B-OWND」の器でした。強烈に強い主張を放つそれらは、ある種、薄茶と合わせることでバランスが取られ、ゲストも興味津々、興奮状態。

「B-OWNDはギャラリーでも骨董屋でもありません。派手な作品が多いですが、経験に裏打ちされた技術によって創作された器は、全て素晴らしい。お茶の世界では、社会的な地位と名誉だけでは満足できず、現代との比較ではなく、歴史上の人物と比較してしまう傾向にあります。ゆえに、先人たちが持っていたものを手に入れたい欲求が芽生え、道具屋も人を選んでそれを売る。しかし、B-OWNDは、既存で価値化されているものを収集するのではなく、現代における新しい価値を作り、広げようとしています。実際のお客様もお茶の世界にはいない人たちが多いですが、茶道具としても面白い。千利休の時代も、朝鮮から持ってきた何でもないものに価値を付けました。既に誰かが良いと判断したものに目を向けるだけでなく、まだ光が当たっていないものに価値を見出す審美眼が大事だと思っております」。

「いつの時代もイノベーションを起こした人たちは、芸術性も高い」とは、「ファロ」加藤氏の言葉。「栗林大茶会」には、そんなエッセンスとメッセージが多分に込められていました。

また、「日暮亭」にて行われた「Ochill」の体験も驚愕。それは吸うお茶です。

「吸うと言っても、液体を吸うわけではありません。お茶の煙を吸う茶会になります。液体を体に取り入れるわけではないのですが、飲んだ時と同じような満足度は、なんとも言えない不思議な感覚。Ochillは、コンセプチュアルな表現が目立ちますが、地に足ついた物事の捉え方をしており、そのプレゼンテーションも圧巻。彼らの研究は、新しい茶の湯の可能性を見出したと思います」。

お茶はもちろん、カクテル、和菓子、建築、器……。全てに作り手がおり、それまでに費やした長い月日があります。様々が交錯する無限の方程式で組み合わさったかたちが「栗林大茶会」なのです。

「栗林大茶会の構想を練る時、かつて豊臣秀吉と千利休が開いた北野大茶湯を想像しました。茶碗を持って来さえすれば誰でもが参加できた茶会でしたが、そのような自由な楽しみを感じていただければと思いました。当時、抹茶は高級品だったため、手に入らない人は、焦がし(小麦粉を炒ったもの)を用いて茶会を開いていました。そうした背景を見ると、抹茶だけにこだわる必要すらないのかもしれません。いつの時代にも、答えは過去にあるのだと思います」。

改めて、「栗林大茶会」を振り返ると、どんな茶会だったのでしょうか。

「良い茶会は、良い道具を使えば成り立つわけではないと思っております。それよりも、良い使い手にならなければいけません。それは道具と体を一体化させることにあると思います。そうすることによって全てが風景になります。道具や掛け軸、お茶やお菓子などの詳細が記憶に残ってしまうようであれば、それは亭主として一体化できなかったということ。全てを忘れてしまうほど、楽しんでもらえるような茶会こそ、理想的。栗林大茶会も、何となく良い茶会だったと思ってくれたら、この上なく嬉しく思います」。

上記写真含め、「臥松庵」で使用された器や茶道具の主は、「B-OWND」のもの。斬新なデザインは、まるでアート。

「日暮亭」にて行われた「Ochill」の吸うお茶の仕組みは、このように行われる。活字では言い表せない不思議な体験。

炭の熱によってお茶の中を煙を通り、それを吸う。まるで科学のような新たな茶の湯の体験。

NEW STYLE of TEA PARTY茶人は無能であれ。大切にしたかったことはフレーム作り。

「今回、茶の湯監修として携わらせていただきましたが、自分の茶会にはしたくありませんでした」。

そこで大切にしたかったことがフレーム作り。

「何が起こるか、わからないのが茶会。ましてや、大所帯から成る栗林大茶会においては、臨機応変に対応できるかどうかも非常に重要なポイントでした。そんな時、フレームが崩れないようにするのが自分の仕事。これは規模の大小に関わらず、自分が大切にしていることです」。

武井氏の言う、フレーム作りとは何か? そこには、歴史を遡り、考察した、深い想いが込められていました。

「昔の茶室は、いわゆる田舎屋。大工さんに全てをお願いしたいけれど、お金がなかったので、フレームまでしか頼めず、農民たちは、自分たちで土壁を作っていました。だから、土壁にはその土地の個性がありました。今回の考え方も同じです。栗林大茶会に関わっていただいた香川の方々が壁を作ってくれたことで、命が吹き込まれたと思っています」。

言わば、フレームは線であり、壁は面。存在の大きな面を地元に委ねることによって、「自分の存在を感じないことが一番」と言葉を続けます。

「以前、千利休の茶の湯を知るべく、多くの茶書を読み調べしたのですが、最も刺激を受けたものが山上宗二記でした。その中に、“茶の湯者は無能であれ”という言葉があります。人間はどこまでいっても無能であり、初心であるにも関わらず、自身を有能だと勘違いし、何かを悟ったなどと思うことは、とても嘆かわしいこと。お茶ができることと、何も知らない人の差など、人生においては無いと言って良いでしょう。むしろ、何も知らないでいることを尊ばねば、その先はないとも思うのです。栗林大茶会に携わっていただいた方々は、分野の違いが互いを引き立て合い、利己主義ではなく利他主義の世界を無意識に作り上げていました。それが心地良かったです。お茶は流儀ではなく、心」。

「栗林大茶会」の次なる目標は、「百歩百景」と武井氏。

「栗林公園を称する言葉、一歩一景になぞるならば、栗林大茶会を進化させ、百歩百景の大茶会を目指したい。そして、今後、栗林大茶会が文化になるのならば、今回がその一歩から生まれた一景」。

先人たちのアバンギャルドな茶会に対し、「栗林大茶会」はそれに近づけたのか。はたまた、100年後から見た栗林大茶会は、アバンギャルドだったと思われるのだろうか。

武井氏の言葉を振り返る。「いつの時代にも、答えは過去にある」。

「栗林大茶会」もまた、いつの日か誰かの答えを見出させる過去になれることを願う。

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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環境問題とも向き合った、和菓子のコンテクスト。

自身の作るお菓子に合わせてドリンクを選んでもらう側から、今回はお茶に合わせて和菓子を作る側へ。「ソムリエのような気持ちで和菓子作りをしました」と話す、和菓子の監修を務めた「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏。

NEW STYLE of TEA PARTYなぜ私? そんな疑問から始まった「栗林大茶会」。

「実は、数年前から和菓子に対して非常に興味を持ちはじめ、色々、個人的に研究していました。とはいえ、公に活動していたわけではありませんし、私自身は洋菓子。なぜ私?という疑問から、栗林大茶会は始まりました」。

そう話すのは、和菓子の監修を務めた「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏です。イタリアでの生活も長かったこともあり、和菓子を食べる習慣もほぼなくこれまでを過ごしてきた加藤氏は、まずリサーチから始めます。

「まず、人に会い、店に足を運び、文献を読み、その上でコンテクストを構築していこうと思いました。様々得た情報の中で、作り手からの目線で感じたことは、洋菓子よりも和菓子の制作工程がはるかに多いということ。貴重な素材が使われているものもありましたが、それが数百円で販売されていたり……。外国の友人にも和菓子を食べる頻度を伺いましたが、来日しても、ほとんど食べないという意見もありました。それを受け、自分なりに思ったことは、海外だと、豆はお肉の付け合わせや煮込み料理に使用されることが多く、味付けも塩胡椒やオリーブオイルなどがほとんど。甘い豆を食べる文化がありません。最初から最後まで一定な味ということにも、少し単調な印象があるのかもしれません」。

今回、参画した和菓子屋は、「日和制作所」、「三友堂」、夢菓房たから」、「御菓子司 寳月堂」、「瀬戸内パウダーラボ」の5店。

「今回は、栗林大茶会という、ちょっと遊び心のある試み。そこで、皆さんには、まず何をやりたいかを伺いました。私は、そこにほんの一手間を加えるという手順で進めていきました」。

全てにおいて共通していることは、ゼロからの開発をするわけではないこと。なぜなら、「続かないものや再現できないものを作っても意味がないから」。

加藤氏は、「栗林大茶会」が終わった後も、そのレシピを各店のものにしたかったのです。

「今後もお店としても展開できるもの作りをしたかった。私は、そっと門を叩いて、そっと門を出るだけ。ただ、出た後に何かを残したかった」。

「露庵」では、「夢菓房 たから」と共に、練り切りを提供。生地にはライムの皮、中の白餡は檜チップと共に炊き、香りを纏わせ、ラズベリーのパウダーで色付け。ほうじ茶とも好相性。

「泳月庵」では、「寳月堂」と共に、生落雁(サワーチェリーのピューレ)、琥珀糖(金木犀、エルダーフラワーシロップ)を、「瀬戸内パウダーラボ」と共においり(レモン果汁パウダー)の吹き寄せを提供。船上からの景色を楽しみながら、つまんで食べられる和菓子をイメージして吹寄にまとめた。

NEW STYLE of TEA PARTY合わせられる側から、合わせる側へ。

これは、加藤氏が「栗林大茶会」における、自身の仕事を表現した言葉です。

「いつもは、私のお菓子に対して、ソムリエがペアリングしてくれます。つまり、合わせられる側にいるのです。ですが、今回の主は、あくまでも茶会。お茶に合わせてお菓子を作りました」。

そこでひとつキーワードとなったのが香りです。和菓子の世界では、香りはお茶の妨げになることがあるため、あまり採用されませんが、バラ、ライム、ラズベリーなどを利かせたそれらは、和菓子の「和」の比重と「菓子」の比重を程良いバランスに整合。また、臭覚の香りではなく、味覚の香りの構築は、加藤氏ならではと言ってよいでしょう。ゆえに、お茶を濁さず、香りを楽しめる茶会の一助となりました。

「和菓子は非常に文化的で、厳格な世界だと思っております。ですが、世界的に見て考えた時、もう少し多様性があっても良いのではないかと考えました。例えば、お茶だけでなく、珈琲やカクテルと合わせる和菓子があっても良いのではと」。

型を崩さず、味の広がりを表現できたのは、前述の5店の確固たる基盤があったからこそ。例えば、和三盆糖のお干菓子には、ほんの一滴、オーブオイルを垂らし、「通常ではお干菓子と合わせない濃茶とのペアリングだったため、全てグリーンノートで合わせたら、爽やかな森になるんじゃないかなと」。

味覚の風景から想像するアイディアは、加藤氏の類稀なる感性によるものであり、これもまた一景。味の記憶は皿の上に留まりますが、香りの記憶は風景として残るでしょう。

「願わくば、お客様の人生の中で、その一景を覚えていてほしい」。

「日暮亭」では、「三友堂」と共に、「錦玉羹」を提供。味にはアールグレイを効かせ、ローズウォーターと赤紫蘇のマイクロハーブを添えて。糖分を抑えたのも特徴。

「掬月亭」では、「日和制作所」と共に、和三盆糖のお干菓子を提供。その場で型抜きした出来立ては、鮮度を感じる食感。オリーブの葉、ライムの皮を効かせ、食べる直前に香川「オキオリーブオイル」を垂らし、提供。

「臥松庵」 では、「夢菓房 たから」と共に、ごま餅を提供。お餅は香川県の庵治石をイメージし、黒ゴマを含ませ、白餡には香川県オリジナル品種 温州みかん 小原紅早生のピールを使用。

NEW STYLE of TEA PARTY和菓子を通して対峙する、日本の環境問題。

今回、印象的だった和菓子の香りに、ヒノキがあります。これは、「栗林大茶会」だけでなく、「Ritsurin Chaji」にも採用された技法です。日本の伝統的な香りでもあり、和菓子との好相性も理由のひとつですが、実は、より深い想いが込められているのです。

「昨今、様々な環境問題がありますが、中でも放置林に注視しています。主には人工林のため、人間の問題です。木造建築からコンクリート建築になる時代背景などもあるとは思いますが、植生が荒れることによって、温暖化にも繋がり、生態系が崩れる恐れもあります。雨や台風時の災害リスクも大きくなりますし、大きな危機を迎えていると感じています」。

育てる時代から、整える時代へ向かわねばならない一方、国有林や保護区などになると、容易に伐採もできないため、一筋縄にはいきません。加藤氏は、ヒノキの香りを取り入れることによって、その問題を皆で対峙したいと考えたのです。

「木は偉大な生き物。木のセカンドライフとして、尊厳ある関わり方をシェフとして、人として、行いたいと思いました。お茶も自然も含め、日本の資産は素晴らしい。その魅力を伝えることは、私たち日本人のためにもなります。今回のように、イノベーションマインドを持っている人たちと地域の人たちが交わり、ほんの少しクールに魅せてあげるだけで、グローバル化された世界の中でも際立った表現もできることがわかりました」。

その輪を拡張し、強固にするためには、地方自治体、県、さらには国による関係構築も必須なのかもしれません。

「3年後、10年後、50年後の世界ではなく、私が死を迎えたあとのことまで考えたい。和菓子には、日本人が尊いと思う全てが込められていると思うから」。

「栗林大茶会」の前に開催された「Ritsurin Chaji」の和菓子も加藤氏が担う。「夢菓房 たから」と共に「露庵」で提供した練り切りを用意。(撮影:MIKUTO TANAKA)

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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茶人ではないから成せた守破離。

「栗林大茶会を通して、お茶の幅を持たせたかった。カフェインの量や液体の量のバランス、和菓子との相性、そして建築や風景と共に過ごす体験を含め、総合的な満足度をどう高められるかを熟考しました」と、飲料監修を務めたバーテンダー、南雲主于三氏。

NEW STYLE of TEA PARTY異業種が交錯することによって生まれたお茶の可能性。

特別名勝「栗林公園」(以下、栗林公園)にて行われた「栗林大茶会」には、4人のキーパーソンが存在します。そのひとりが、飲料監修を務めたバーテンダー、南雲主于三氏です。

「茶の湯監修、和菓子監修、空間監修と建築チーム……。栗林大茶会の特徴のひとつとして挙げられるのは、地元の方々との関わりを基本に、県外からの異業種が混在していることだと思います。どんな空間ができあがり、それをどの順番で巡回し、どんなお菓子が供されるのか。構成されるピースが多いため、各所と緻密に確認しながら構成していきました」。

南雲氏をはじめ、皆が表現したかったのは、お茶の新しい価値化。目指すテーマは、守破離。

「まず、伝統的なものを守ること。そして、型を崩さず、それを破ること。さらに、そこから離れ、独自の世界を確立すること。僕は、茶人でありません。しかし、これまでもお茶の可能性を追求すべく、カクテルをはじめとした様々な新しい挑戦をしてきました。その見地が今回は活かせたと思います。そして、異業種が交わることで、自分も想像しなかったような体験を生み出すことができたと思いました」。

想像しなかったような体験として挙げられるのは、空間と器の存在が大きかったでしょう。空間設計の監修には、世界を舞台に活躍する永山祐子氏を迎え、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気(以下、VUILD)、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬(以下、KASA)が参画。3つの世界を創造しました。

「臥松庵」と名付けられた三井氏の設計は、横倒しされた一本の松が屋根に見立てられた野点。亭主は、茶の湯監修を務める武家茶道・武井宗道氏が担い、薄茶を供しますが、その器は、もはやアートと呼ぶに相応しい「B-OWND(ビーオウンド)」の工芸作品。一見奇抜のように見えますが、不自然と自然が絶妙な世界を形成し、南雲氏が言う、想像もしなかった世界の好例と言えるでしょう。

「三井さんの臥松庵、KASAの露庵、VUILDの泳月庵。全てに共通するのは、この広大な敷地面積の中から、たった1点の場所を見つける着眼点の凄さ。自分の役目は、場が生まれたことによって、そこで何を飲んだら心地良いか。自分が作りたいものではなく、空間と風景と器が合わさった時、どんなものを供したら全てのバランスが整うのかを考えました」。

ここまでは、守破離の破と離。しかし、これらの体験が生きるのは、地元の老舗料亭「二蝶」代表・山本亘氏の「守」があってこそ。「山本さんが亭主を務める掬月亭がなければ何も成立しません」と南雲氏も話します。

とはいえ、山本氏の見立てにおいても古典だけではありません。中でも、イサム・ノグチがデザインした和紙の装飾や流政之の器の起用は、香川が持つ高い芸術性を漂わせ、モダンなエッセンスも加味されていました。

「お茶は最先端の文化。ただ嗜むだけでなく、歴史や文化、さらには、芸術やセンスも必要だと思います。栗林大茶会では、そこまで難しいことはしませんでしたが、そういった知見を学ぶことによって、より高度なコミュニケーションが取れると思います」。

「栗林大茶会」に供したドリンクは、日本全国より、原材料を厳選。三井嶺氏が手がけた「臥松庵」では、京都「出島園」のさみどり 麗、さみどり葵とさみどり奏をブレンドした薄茶を用意。

KASAが手がけた「露庵」では、福岡「星野製茶園」の伝統本玉露 ほしの秘園、ほうじ茶 香駿、「中国茶専門店GUDDI」の 極品桂花茶を用意。

VUILDが手がけた「泳月庵」では、阿波晩茶、香川「川鶴酒造」のさぬきオリーブ酵母仕込みの純米生原酒のカクテルと地元のバーテンダーが3日かけて作り上げた阿波晩茶のモクテルを用意。

「Ochill」が亭主を務めた「日暮亭」では、深煎りのほうじ茶を漬け込んだポートワインを用意。ポートワインを口に含んでの茶香は、心地良い苦みを纏わせ、より深い上質な味わいへと誘う。

「二蝶」代表・山本亘氏が亭主を務めた「掬月亭」では、斬新な見立てでゲストを魅了。流政之の器やイサム・ノグチの装飾など、香川にゆかりのあるものから、気鋭の作家、桑田卓郎の器まで、貴重な作品が続々と登場。

NEW STYLE of TEA PARTY完全じゃないから面白い。不完全の美学。

「栗林大茶会は、過去と未来をつなぐものだと考えています」。

昔と比べ、これほどまでに世界が変わった現代において、もし、当時の茶人がお茶を表現したらどんな世界を作り上げるのか……。もしかしたら、もっと最先端の技術を取り入れるのか……。と、南雲氏はそんなことを想像しているのです。

「今回、建築や器、カクテルなどの視点からお茶の新しい価値化を目指しましたが、例えば、音楽や映像などを取り入れても面白いかもしれません。さらには、VRも。現実と非現実を交錯させることもできますし、テクノロジーの進化によって、過去と現在の世界をつなぐこともできるかもしれません。そんな時に、どんなドリンクを提供できるのか!? 想像しただけでもワクワクします」。

一歩一景とは、「栗林公園」を表現する言葉。一歩歩くごとに、その風景が様変わりすることを意味しますが、南雲氏が表現したい風景は、歩くだけでは見ることのできない風景。見える景色もあれば、見えない景色もまたあり。

「自分は、味覚で風景を作りたかった」と南雲氏。

今回、それは成せたのか? 完璧を求めればまだまだできることがあったに違いありませんが、不完全の美こそ、「栗林大茶会」なのかもしれません。それはなぜか。かのイサム・ノグチが残した言葉に「栗林大茶会」を見出したいと思います。

「完璧じゃないから面白い」。

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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儚く消えてなくなった、3つの風景の記録。

三井嶺氏が手がけた「臥松庵」。一見、シンプルな設計に見えるも、若松を横に倒して屋根に見立てるなど、大胆な発想も取り入れる。

NEW STYLE of TEA PARTY建築家・永山祐子が招集した、新進気鋭の3チーム。

「栗林大茶会」は、5つの空間から構成されました。ふたつは、既存の掬月亭と日暮亭から成り、残り3つは、新たに創造された空間。監修には、建築家の永山祐子氏を迎え、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気氏、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ氏+佐藤敬氏がそれぞれを手がけます。

「個性やアプローチが全く違う3チーム。このメンバーならば、特別名勝・栗林公園(以下、栗林公園)の自然と文化を尊重し、空間を設計できると思いました。それぞれがどのようにこの壮大な環境と共鳴するのか、私自身も楽しみでした」。

そう永山氏が話す通り、場所選びも空間設計も、三者三様、全く異なるアプローチ。突如現れた3つの空間は、栗林公園に新たな一景を生み、心地良い時間を育んでいました。

コヴァレヴァ・アレクサンドラ氏と佐藤敬氏から成るユニット、KASAが手がけた「露庵」では、自然の樹々に包まれるような場所選びが妙。「そこに既に空間があり、ほんの少し建築的な操作を加えただけ」とふたり。

NEW STYLE of TEA PARTY景色だけでなく、生態系と一体化した三井嶺の建築野点席。

「栗林公園は、園内全てが見どころ。場所を選定するのが難しかったです」と、「臥松庵」を手がけた三井嶺氏は話します。選んだ場所は、西湖の湖畔でした。

「ここは、道が細く、地には根がはびこり、足元の悪さもあって、自然と歩みがゆっくりとなる落ち着いた環境。その時間の流れ方が、露地の奥にある茶室へと歩を進めていくときと似ているという印象を抱きました。場所が決まれば、あとは囲いさえあれば大丈夫。風景に溶け込むような、そして、茶の湯を楽しむお客様の意識に溶け込むような設えがあれば十分で、建築の存在は不要だと考え、景色に溶け込むように木を一本だけ使って野点の空間を作ることにしました。木は公園にたくさんある。ゆえに、映えない」。

その言葉に反した「映える」空間の覆いには、若松を採用。最初は生け花のように立てられて風景に溶け込んでいた若松が、茶席の始まりのタイミングでダイナミックに横倒しにされることで、茶にふさわしい木陰の空間を構築します。

松は、寿命が500年〜1000年と言われています。本来であれば、もっと長く生きられた植物を大地から切り離し、人間が空間を作ることに意義はあるのか。「臥松庵」には、命と向き合うメッセージも強く感じました。

「物事には必ず際(きわ)があり、それは自分自身が表現するテーマでもあります。生の際、死の際、朽ちる際、枯れる際……。そこと向き合いたい」。

「栗林大茶会」の開催期間は、8日間。その間、若松は、日毎、老いていきます。そして、その老いに比例し、風景に変化が生まれました。若松が止まり木となり、野鳥が羽を休める場になったのです。

それは、松の命をいただき、人間(=三井氏)が空間を作ることに意義があったのか、という問いに対し、「栗林公園」に住まう住人が答えを見出してくれたかのようでした。

「栗林公園」の生命体と一体化した「臥松庵」は、この瞬間、本当の意味で、風景になれたのかもしれません。

横から見た「臥松庵」。床、柱、若松というミニマルな設計ながら、茶の湯の世界が見事に形成されているのは、三井氏自身も茶を嗜む経験値が高いゆえ。

屋根となる若松は、立った状態から、柱のハンドルを回すことによって横に倒れる仕組み。このプロセスも含め、「臥松庵」の世界は完成する。

NEW STYLE of TEA PARTY歩まずとも、湖上から生んだ一景に想いを馳せる。

場という視点では、「栗林公園」の一歩一景の概念から逸脱したのがVUILD/秋吉浩気氏です。

「陸の景色だけでなく、水辺からの景色も美しいのが栗林公園の特徴だと思っています。実際、南湖には和船も出ており、古地図を調べると昔は北湖にも屋根付きの船が周遊し、現代における商工奨励館の方から殿様が掬月亭に向かったという文献も残されています。その風景を再現したかった」。

選んだ地、もとい水辺は、北湖。金属製のフレームや透明の床から成る「泳月庵」は、自然素材でないため、一見、異質になるかと思いきや、風景に馴染む。それは、デザイン設計の妙かもしれません。

「かつては、高松松平家の歴代藩主も楽しまれており、その厳格な世界は一番大切にしたいと思いました」。

しかし、「泳月庵」は、これが完成形ではありませんでした。

「本来は船として周遊したかったのですが、様々な事情があり、断念せざるを得ませんでした。いつかまた、船からの一景を作りたいと思います。そして、月明かりの下、湖上に映り込んだ月を愛でながら、夜茶会にも挑戦してみたいです」。

VUILD/秋吉浩気氏が手がけた、北湖に浮かぶ「泳月庵」。遠くから見れば見るほど、一番風景に馴染んでいた建築空間。

水上から見る景色をゆっくりと愛でながらお茶に興ずるゲスト。

NEW STYLE of TEA PARTY内外をつなぎ、時をゆらぐ、一筆書きの風景。

「栗林公園は、松の奥には紫雲山を抱え、景色に高低差があり、広大な敷地ですが、歩く度にその風景を変え、とても豊かな体験を生み出しています。いくつもの風景が響き合い、例えば木々が暗がりをつくり、そこに流れる水に奥の真っ赤な橋が反射して、そこにやわらかな光が落ちる。ハッとするような風景が現象のように立ち現れては消え、とても美しい」と、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ氏。

「栗林公園を車で目指した時、既に街から紫雲山が見えるのですが、そこから見る山の雰囲気と園内からのものとで印象が驚くほど違う。つまり、同じものでも関係の持ち方次第で、見え方が変わるのだと感じました。そんな体験から、シークエンスな体験空間を作れないかと考えました」とKASA/佐藤敬氏。

KASAが選んだ場所は、「皐月亭」の裏手。何の変哲もない場所ですが、特に人通りが多いのが特徴。「来園者が普段気に留めないような場所」とふたり。しかし、目の前にはコヴァレヴァ氏が美しいと語った水辺があり、佐藤氏が語ったシークエンスな場でもある。ふたりにとっては好条件でした。

「露庵」と名付けられた空間は、横に伸びた白い床に、縦に伸びた白い布。白い布は、まるで巨大な掛け軸のようですが、共にキャンバスのような許容も感じます。ゲストの前にはサヌカイトの黒石をテーブルに見立て、凛とした空気を漂わせます。

「サヌカイトは、表裏でテクスチャーが違っていたり、切断面が緩やかなものや荒々しいものなど、様々なものを配しました」と佐藤氏。白い床も手伝い、墨が宙に浮いているような印象を抱きますが、実は一筆書きのように配置。「例えば、止めのところは曲線が綺麗なものを、線のところは真っ直ぐなものを、最後の払いは荒々しいものをなど、置く場所の順番も緻密に計算しています」と言葉を続けます。

「ここは何の変哲もない場所ですが、大きなムクロジの木があったところも惹かれたところです。それが自然の屋根を作り上げ、垂れた枝葉を潜るように入ることによって、にじり口の役割も果たしてくれます。既に空間があったところに、私たちが少しだけ建築的な操作を加えただけ」とコヴァレヴァ氏。

風が吹けば、縦に伸びた白が揺らぎ、晴れた日には、縦横の白に木漏れ日を映す。陽の傾きで、水辺に空間が映り込み、立体的な風景となる。それはまるで、ここだけに流れる時間が存在するかのようだ。

「自分たちの力だけでなく、自然の力も借りて新たな風景を作りたかった」とふたり。

改めて、この立地のことを思い出したい。

ここは、何の変哲もない場所ですが、特に人通りが多いのが特徴だ。

「露庵」の誕生後、「来園者が普段気に留めないような場所」が「来園者が最も気に留めるような場所」になったことは言うまでもない。

水辺に映る「露庵」の風景も美しい。白と黒の世界は、日本的で凛とした空気を醸し出す。

テーブルには、讃岐地方の石「サヌカイト」を平井石産より拝借。白に配されたそれらは、まるで墨のような役割も担い、書を彷彿とさせる。

NEW STYLE of TEA PARTY続けることによって文化になる。次の準備はできている。

「香川の皆様や栗林公園の皆様のおかげで、栗林大茶会は、多くの反響を得ることができたと思います。しかし、これを1回だけで終わらせたくありません。続けることによって文化は生まれ、地に根付くと思うからです。建築的な視点で考えると、今回の3つの空間をアーカイブし、それ以外に、毎年、空間=一景を増やしていければ、より壮大な大茶会を創造できると思います」と永山氏。

「栗林大茶会」は、期間限定ゆえ、「臥松庵」も泳月庵」も「露庵」も、今、その姿はありません。有り続ける景色も一景ですが、無くなる景色もまた一景。儚く消えてなくなった、3つの風景は、参加者だけでなく、通りすがりの来園者でさえ、その記憶に深く刻まれたに違いありません。

次の準備はできている。

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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[後編]大阪から世界へ。大阪府成長戦略アンバサダーを担うアメリカ人。

「OSAKA FOOD LABやWORLD FOOD MARKETを通して、大阪から世界へ、日本の食や食文化の魅力と奥深さを発信したい」と話す、フードジャーナリスト、マット・グールディング氏。

MATT GOULDING

日本の食文化が世界から注目されていることを自覚するために。

2018年、日本初のフードビジネスインキュベーター「OSAKA FOOD LAB」が誕生。食でチャレンジする人を支援する実験場のようなそこは、プロ仕様のキッチンも完備し、「やってみなはれ」の精神が根付く関西で、食に関わる人が活躍するための仕組み作りを行なっています。

主催は「阪急電鉄」、企画・運営は「Office musubi」が担います。そんな「OSAKA FOOD LAB」を代表するシリーズが今回の舞台、「WORLD FOOD MARKET」です。前編、日本の食文化に対し、熱く語ってくれたフードジャーナリスト、マット・グールディング氏が来日した目的はこれに参加するためでした。

しかし、なぜマット氏が大阪?と思う人は多いはず。実は、マット氏は、大阪府成長戦略アンバサダーでもあるのです。

しかし、なぜマット氏が大阪府成長戦略アンバサダー?と思う人はもっと多いはず。それを引き合わせた人物は、「Office musubi」の代表を務める鈴木裕子さんです。

そして、「OSAKA FOOD LAB」においては、スペシャルパートナーとして参画し、大阪梅田が国際交流拠点となることを、ともに目指しています。

「今、日本の食や食文化は世界から最も注目を集めています。一方、大阪はその自覚がまだ弱いと感じています。OSAKA FOOD LAB という場やWORLD FOOD MARKETというイベントを通して、それらを発信し、シェフをはじめ、ご参加していただく方々にも、その価値を再認識いただければと思っております」と鈴木さん。

「WORLD FOOD MARKET」は、あるひとつの国や地域をフォーカスし、その土地の食と食文化を表現するフードイベント。2022年はアフリカ、2023年はスペイン、そして、2024年はインドと、過去3回開催されています。

前編同様、一貫した言葉からマット氏は、「WORLD FOOD MARKET」を読み解いていきます。

「Food is never just food」。食は食だけにあらず。

強い信頼関係を結ぶマット氏と「OSAKA FOOD LAB」の運営を担う鈴木裕子さん。

「OSAKA FOOD LAB」の空間は、設備が整うも、主役は人。ここから国内外より様々なクリエイターが集い、刺激や交流が生まれ、夢を叶えるステージになることを目指す。

第3回を迎えた「WORLD FOOD MARKET」のテーマは、インド。「日式インド〜日本人ならではのスパイス使い〜」と題したトークショーでは、ムンバイでコラボレーションイベントを終えたばかりの「cenci」坂本健氏(左)も参加。

MATT GOULDING


インキュベーターという言葉がもたらす意義。

「OSAKA FOOD LAB」は、冒頭のように日本初のフードビジネスインキュベーターと謳われています。マット氏は、このインキュベーターという言葉を重要視します。

「レストランを開業することは簡単なことではありません。どんなに実力やモチベーションがあったとしても、資金や場所など、様々な問題から時間もかかるでしょう。OSAKA FOOD LABは、夢を目指すシェフにチャンスを与えています。インキュベーターとは、主にビジネスに起用されますが、ここは、その意味を更に超えた展開を生み出しています」。

前編において、マット氏は、「細部に魂が宿る」職人性が日本の文化の魅力と話しています。しかし、この職人性は良い面だけでなく、悪い面もあると考え、前者はマット氏の言う通り。後者は、良い職人が必ずしも良い経営者ではないということでしょう。当然、レストランもまたビジネス。

極端な例かもしれませんが、「noma kyoto」は、コペンハーゲンから大所帯で来日。約2ヶ月滞在し、ビジネス化できるレストランが日本にあるのか考えると、言葉に詰まります。

スペインをテーマにした際の「WORLD FOOD MARKET」では、バルセロナで人気の「Bar Brutal」や「Cooking in Motion」も来日。世界との目線合わせができることも「WORLD FOOD MARKET」の特徴と言えるでしょう。

Food is never just food同様、OSAKA FOOD LAB is never just food。

「OSAKA FOOD LABもまた、食だけにあらず。食は、政治、経済、地域社会と密接に関わっています。場を通して、新たなコミュニティは生まれ、アイディアを交換し、文化は生まれる。それはまるで、種を蒔き、水をあげ、木が育ち、森林ができ、生態系が生まれるような」。

第2回「WORLD FOOD MARKET」では、バルセロナで人気を博す、ナチュラルワイン界の名店「Bar Brutal」(右)や「エル・ブジ」や「チケッツ」出身の「Cooking in Motion」(左)も参画。

マット氏は、第2回「WORLD FOOD MARKET」より参画。海外との交流や発信に寄与する。

これまで「OSAKA FOOD LAB」では、開業を目指す人々へ育成プログラムを提供し、そこからの卒業生も多数。「OSAKA FOOD LABを通して、お客様の声を拾ったり、販売方法の検証を行った」、「調理・オペレーションの経験を積めた」など、生の声も次の世代に活きる。現在はチャレンジ支援として、イベントの企画支援などを行う。

MATT GOULDING


世界の味を自国の食文化にできる、日本人の豊かな感性。

今回、インドをテーマに開催された「WORLD FOOD MARKET」では、インド人シェフによるオーセンティックなインド料理から日本人シェフやバーテンダーによる日式インド料理まで、多角的に展開。中華やイノベーティブなど、他ジャンルの視点からもインド料理を独自解釈し、インドの奥深い魅力を紐解きます。

マット氏は、それらを食べ比べすることによって、海外にはない日本独自の感性を再認識しました。

「例えば、今回出店されたお店、レオーネは、スパイスのパンチも効いているのですが、素材一つ一つに調理が施され、しっかりとパーツの味を確認できる。お米も国産を使用し、一粒一粒が含む水分も計算され、炊き方はもちろん、ルーと合わさった時のバランスまで計算されていると思いました。つまり、現地の味をそのまま再現するのではなく、現地の体験を活かし、日本の食文化にしているのです」。

例えば、マット氏の母国、アメリカは、移民が多いため、様々な食文化が暮らしと密接です。ゆえに多国籍。しかし、日本の場合、ほぼ単一国民の文化。面積においても、200以上ある国の中、アメリカは第3位(962.8万㎢)に対し、日本は61位(38万㎢)と、約1/3。そもそもの生活基盤が異なるため、国民性も異なり、少なからず、それは食にも影響を及ぼしているでしょう。

「手先の器用さが、感性の器用さにも通じているのかもしれません。これもまた、日本独特の国民性ではないでしょうか」。

フードビジネスインキュベーターの文脈通り、ビジネスになぞるならば、「小事が大事」「凡事徹底」など、小さなことの大切さを説く言葉が多くある、日本特有の文化なのかもしれません。

小さなことをコツコツと。実直に突き詰める性格もまた、日本人の特徴。

「この能力は、日本ならではの知性と才能だと思います」。

イノベーティブレストラン「レオーネ」は、カツカレービリヤニで日式インド料理を表現。マット氏は、それを食し、「日本人シェフは、他国の食文化を日本の食文化に変換し、表現できるところが素晴らしい」と分析する。

3日間開催された「WORLD FOOD MARKET」では、老若男女、多くの人が集い、大盛況。場所においては、「阪急電鉄」の高架下を利用しているため、雨天に影響なく満喫できる。

MATT GOULDING


想像力を失ってはいけない。可能性は無限大。

「WORLD FOOD MARKET」におけるマット氏の参画には、「食の都・大阪なのに、シェフと食のプレイヤーとのつながりが弱く、海外との交流も少ないため」と、鈴木さんは、改めて、その意図を話します。

「普段出会うことのない人同士が出会う、はたまた、異業種が出会う。そんな想像を超えた出会いが新たな扉を開くと思います。WORLD FOOD MARKETは、そんな場にもしたい」とマット氏。

身近なところでは、マット氏と大阪府の出会いはその好例であり、世界基準で比べるのであれば、「noma」レネ・レゼピ氏が設立した「MAD」のような。

「WORLD FOOD MARKETに参加していると、多くのシェフたちの熱量を感じます。これまで、出店やコンテストなど、様々な形でコミュニケーションを取ってきましたが、その熱量にフォーカスした表現が何かできないか考えていきたいです」。

何かとは、ちょっとしたきっかけなのかもしれません。そのきっかけを、一滴の水にマット氏は例えます。

「水面に一滴の水を落とすと、そこから波紋が広がります。その形は、決まったものはなく、予測不能な形にどんどん輪を広げます。WORLD FOOD MARKETに必要な一滴を考え、貢献したいと思っています」。

これから、「WORLD FOOD MARKET」には、どんな波紋が生まれ、どんな輪が広がるのか。

「今、WORLD FOOD MARKETは大阪で開催されていますが、海外で開催してみたい。何か大きな物事を成したり、継続していくには、維持できる仕組みやエコシステムが必要ですが、一番大事なことは、想像力を失わないこと。可能性は無限大」。

「WORLD FOOD MARKET」が大阪から世界へ。in Paris、in New York、in Spain、in Italy……。いつか、そんな日が来るかと思うと、ワクワクが止まらない。


Text:YUICHI KURAMOCHI

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[前編]レネ・レゼピが認めたOMNIVORE。マット・グールディングが日本の光を観る。

世界を旅し、食と食文化を探求し続けているフードジャーナリスト、マット・グールディング。著書も多く、近作では、「noma」のレネ・レゼピ氏によるドキュメンタリー「雑食するヒト(原題 OMNIVORE)」の製作総指揮も務める。

MATT GOULDING

「noma」レネ・レゼピ発案のドキュメンタリー「雑食するヒト」を製作総指揮。

スペイン在住のフードジャーナリスト、マット・グールディングという人物をご存知でしょうか。食に精通している方であれば、耳にしたことがあるかもしれませんが、まだその名を聞いたことがないということであれば、「noma」のレネ・レゼピ氏によるドキュメンタリー「雑食するヒト(原題 OMNIVORE)」の製作総指揮を務めた人物といえばどうでしょうか。更には、それがレネ氏直々の依頼だったといえば、それ以上の裏打ちは不要かもしれません。

マット氏は、料理に精通した本も数多く執筆し、「ニューヨーク・タイムズ」では20冊以上もベストセラーに選出。また、番組司会者として著名な故アンソニー・ボーティン氏と共に製作した番組はエミー賞も受賞。そんなマット氏をフードジャーナリストとして確立させたのは、「エル・ブジ」を取材した1本の記事でした。以降、世界のトップシェフからも厚い信頼を得ています。

日本の食・食文化をまとめた著書「米、の国から-アメリカ人が食べいてつけた大な和食文化と人たち(原題 Rice Noodle Fish)」は、「フィナンシャル・タイムズ」でベストブックに選出。世界各地で翻訳・出版もされています。製作の際は、数年かけて足繁く、日本に通い、全て自身が体験し、取材も行いました。

そんなマット氏が2024年11月某日に再来日。外国人だからこそ感じる日本とは何か、世界を旅しているからこそ感じる日本とは何か、日本人が気づかない日本とは何か……。

そんなマット氏が大事にしていること。それは、「雑食するヒト」の予告編、冒頭最初のひと言にも採用されています。

「Food is never just food」。食は食だけにあらず。


「The details matter」 日本の魅力は、これに尽きる。

「今まで何度も日本に訪れていますが、日本の魅力はこれに尽きると思っています。“The details matter”細部に魂が宿る」。

つまり、職人性。そして、「日本は掘り下げる文化に長けている」と続けます。それは、食材、技術、道具など、ひと皿になる前、関わる全てのもの、ことに「細部に魂が宿る」ということが、マット氏の見解です。

日本人にとっては、当たり前のことかもしれませんが、「欧米のシェフに限らず、食に関心のある外国人は、日本に来ると、必ずその専門性に驚愕します」。

今回、マット氏は取材される側ですが、通常は、する側。現場から得た日本ならではの傾向も見受けられるようです。それは、「ルーツ」。

米、魚の国から(略)の本を製作するにあたり、多くの日本人シェフを取材しました。例えば、なぜそのような調理の仕方をしているのですか?や、なぜシェフになったのですか?などの質問をさせていただいた際、その多くが同じ答えでした」。

それは、先代から教わったから。父親がシェフだったから。そして、「代々継ぐという文化も日本独特のものだと感じました。そういった背景もあるのかもしれません」と続けます。もちろん、そのルーツは大切なものであり、守り続けているからこそ、伝統が生まれます。加えて、そんな実直な姿勢は、日本の美徳でもあります。しかし、「世界を目指すのであれば、その先にある意志も必要」と更に補足します。

「小さな世界(レストランの中)だけであれば、それは素晴らしいことだと思っています。しかし、何か新しいことをやろうとした時や世界でプレゼンテーションする時、はたまた、海外のシェフとコミュニケーションを取る機会などが発生した場合は、全ての理由や答えに自分の意志を持っている方が良いと思いました。それは、強ければ、強いほど、良い」。

この日、現場に居合わせた京都「cenci」のオーナーシェフ、坂本健氏は、先日、自身がインドでコラボレーションイベントをしたエピソードをもとに、日本と海外の差をマット氏に話します。

「マットさんの言う通り、日本人は、専門性に長けていると自分も思います。それは、日本料理に限らず、例えば、フランス料理やイタリア料理、他国の料理であっても、勤勉に学習する能力に優れていると感じます。ゆえに、海外のレストランでも日本人は重宝される傾向にあります。しかし、自身をアピールする表現力は、外国人の方が圧倒的に長けている。加えて、聞く能力にも長けている。先日、ムンバイでコラボレーションイベントをした時も、日本の食材や調理法などに関して質問攻めされ、圧倒的な熱量を感じました。あの積極性は、日本人にはないと感じました」。

日本人は勤勉がゆえ、歯車として機能はするものの、そこから先に向かうためは、自分が何者なのかを伝えるプレゼンテーション能力も必要。聞く能力とは、言わば、好奇心。それがないと見なされてしまえば、実力があれど、舞台から引き摺り下ろされてしまうこともあるでしょう。

「海外シェフの多くは、色々な国や街の色々なレストランで経験を積んでいます。そういった背景も、コミュニケーション能力の違いにつながっているのかもしれません。以前であれば、そんなことを考えなくてよかったのかもしれませんが、海外シェフとのコラボレーションが盛んに行われる昨今の傾向を加味すると、世界の荒波を乗り切るのは、そういった性格も必要なのかもしれません。技術の高いシェフも有能ですが、好奇心のあるシェフはもっと有能」。

日本は、専門性に長けている一方、視野が狭くなることがあるのかもしれません。島国文化も手伝っているのか、その真意は定かではありませんが、言語の壁など、様々な要因による蓄積だと考えます。

「専門性と視野のバランスをほんの少し変えるだけで、日本のレストランは、もっと飛躍的に進化すると思います」とマット氏。

視野という点では、ジャーナリストとして活動するマット氏も他人事ではなく、強く意識していること。その手法は、「雑食するヒト」よろしく、「Zoom in, Zoom out」です。


「Zoom in, Zoom out」寄り引きの世界を見て、立ち位置を確認する。

マット氏の体験は、必ずしもグランメゾンやレストランだけの話ではありません。カジュアルなビストロやトラットリア、郷土料理、居酒屋、ラーメン、うどん、蕎麦、はたまた、焼肉やお好み焼きなど、多角的な視点から日本の食文化に触れた見解になります。偏りながら公平に、専門性を持ちながら汎用性も兼ね備える。そんな考え方を意識しているのです。マット氏は、それをカメラワークに例えます。

「ある食材をフォーカスするとします。世界中で食べられているそれは、どうやって現代まで辿り着いたのか、そのオリジンを調べます。最初は大きなコンテクストから入り、そこから小さなディテールを突き詰めます。これはカメラワークで言えば、ズームインとズームアウト。どんなに壮大な景色だったとしても、そればかり見ていたら飽きてしまいます。しかし、景色の中にある1点に絞ることで、環境や状況を知ることができる。ジャーナリズムに置き換えると、Zoom outだけでは、どこにでもあるような言い尽くされた表現になり、Zoom inだけでは、視野が狭く、偏りが生じ、社会と結実するために必要な大事なことを見落とした表現になってしまう危惧も。双方の視点を持つことをジャーナリストとして意識しています」。

このカメラワークと物事の視点は、「雑食するヒト」にも活かされ、「これがジャーナリストの質を上げる作業であり、これをやり続けないと人に伝えることはできない」と言葉を続けます。

これは、情報過多の時代も大きく手伝っていると推測します。インターネット上には無限の世界が広がり、SNSでは匿名者が辛辣な言葉を綴ることも。発信や発言は無法地帯化。これは、表現の自由とは異なります。

しかし、中には影響力を及ぼす作用が働くこともあり、日本に限らず、世界中のシェフが、それを意識してしまうことも。

本音は何処へ。

そのような背景から、「食は、必ずしも正義ではない。食は、時に溝を生み、人を遠ざけてしまうこともある」とマット氏。それでもジャーナリストはジャーナリズムの力を信じています。

「残念ながら、本質が埋もれてしまう時代でもあると考えています。そして、伝えるべき本質の多くは、日本の地方にあると思っています。それを発見し、正しく発信し、アクセスしてもらうことは、ジャーナリストの務め。そういったことが都市集中型の観光から分散型の観光にできる可能性も秘めており、ジャーナリズムだからこそ為せる社会貢献だと思っています」。

表層状の観光が多い昨今、観光の本来は、「光」を「観」ること。その「光」を探し当てることこそ、ジャーナリズムなのです。


「Strength in numbers」 数による強さ。それは全員で戦うことの強さ。

日本と世界の違いに、マット氏は、点と面の関係性を指摘します。

「日本のレストランは、個が多い印象です。これは悪い意味ではありません。しかし、大きな課題と向き合わなければいけない時には、それに見合う大きな力が必要とされます。そのために周囲との関係性を構築することも重要だと考えます」。

近年における大きな課題ということでは、2019年に発生した新型コロナウイルスのパンデミック。当時、「ONESTORY」においても、日本だけなく、世界の状況を伝えてきましたが、その中から点を例えるならば、大阪「HAJIME」米田肇氏の署名活動。現在は、「一般社団法人 食文化ルネッサンス」や「食団連」など、面として機能する組織がありますが、当時は発足前。大きな力なくしては、政治を動かすことの難しさをまざまざと知り、辛酸をなめる経験となりました。

医療従事者へ食事提供を行っていた東京「Smile Food Project」や大阪「困った時ほど美味しいものを!」もまた、有志による結束力があったものの、個の延長に近い。

一方、イタリアにはミラノとローマにレストラン協会があり、協会と国が定めたレストラン営業に関する法律が立案。フランスにおいては、世界と比べても対応が早く、ロックダウン初日に政府が人件費の保障を発表。しかし、それらは全て税金によるものであり、日本と他国は、税収も異なるため、一概に良し悪しを決めることはできません。しかし、面の備えがあれば、ここぞという時に対する力が発揮できることは事実であり、皮肉にも難局から学ぶことになりました。

「様々な国や地域から構成されるIRC(International Rescue Committe)という団体があり、彼らもまた、面の力を活かし、コロナ禍に活動をしていました。個の強さだけでなく、面による強さを認識することによって、日本の食文化はもっと成長するのではないでしょうか」。

そんな想いを、マット氏は、アメリカのことわざで例えます。

「Strength in numbers」。

直訳すると、数による強さ。伝えたいことは、全員で戦うことの強さ。

当時、「noma」のレネ氏は、新型コロナウイルス後は「これからのレストランの在り方は全て変わる」という言葉を残していました。以降、ランキングやアワード、レストランを評価するシステムとは、自ら距離を置いているようにも見受けられます。

「ジャーナリストとして、いちゲストとして、一部のランキングやアワードの件は、問題視しています。食べることに関心がある人が増えるのは喜ばしいことですが、必ずしもそれだけではないと考えます。健康的な食文化の在り方を大事にしたい」。


「Food is never just food」食は食だけにあらず。これからも日本を愛している。

「人、もの、こと。全てにおいて、アイデンティティに惹かれます」。

シェフに会う、職人に会う、レストランに行く、料理を食べる……。それぞれにアイデンティティが備わっているか否かを見極める習慣=マイ・ルールがマット氏にはあります。

「自分が今まで見てきた世界的に活躍しているシェフに共通していることは、素晴らしいコミュニケーターでもあるということ。それは、技術だけでは補えない、人間力」。

Food is never just food 食は食だけにあらず。

料理だけに目を向けず、舌で感じる味だけに捉われず、鼻に香る匂いだけに惑わされず、それらの背景にある、五感で感じることのできないことにこそ、本質は潜んでいるのです。

それこそがアイデンティティ。

「日本のアイデンティティの中でも、地方のアイデンティティに非常に興味を惹かれていますが、外国人の自分がそれを探し当てるのは一筋縄にはいきません。もっと日本を学ばなければいけません」。

また、地方の流れを汲み、前述にあった観光視点で見ると、「観光客から求められる料理と、レストランが作りたい料理に違いがあるのかも興味があります」と話します。

最後に。世界をマーケットにした日本の食における可能性を尋ねます。

「日本の食文化を語る上で欠かせないひとつが、鮨だと思います。現在は、技術もテクノロジーも発達しているため、豊洲から世界に流通されることも珍しくありません。一流の鮨からカジュアルな鮨まで、様々なスタイルも当たり前に。そんな鮨と同じように、焼き鳥が海外から高く評価される時代が来るのではと思っています。ネタとシャリのようにシンプルな関係が焼き鳥にもあります。火、鳥、串。タレ、塩。唐辛子、山椒。シンプルな構成ですが、レイヤーは複雑。誰にでもできそうですが、できない。奥が深く、日本らしい。日本の焼き鳥の理解に世界はまだ追いついていないと思います」。

実は、マット氏は、元シェフ。「いつか、焼き鳥シェフになりたい!」と、日本への愛も止まらない。

そして、マット氏もまた、OMNIVORE、雑食するヒトなのでしょう。

マット・グールディングのアイデンティティを知るには、まだまだ時間がかかりそうです。


Text:YUICHI KURAMOCHI

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