壊すによって生まれた節目。真逆を歩む、ふたりの人生。

「ALTER EGO」建て替えにともない、「最初に壊すのは自分たちで」と一撃を打つ、オーナー・徳吉洋二氏と「傳」長谷川在佑氏。

ALTER EGO×傳徳吉洋二の挑戦。見届け人は長谷川在佑。

2025年3月末。あるレストランが、一度、幕を閉じました。「ALTER EGO」です。一度、という表現をした理由は、建物を建て替え、新たにスタートするため。

「ALTER EGO」は、イタリアで活動する「Ristorante TOKUYOSHI」もとい、「BENTOTECA」のオーナーシェフ・徳吉洋二氏が日本で唯一展開するレストラン。「Ristorante TOKUYOSHI」と「BENTOTECA」に関しては、後ほど触れるとし、まずはこの業態での「ALTER EGO」営業最終日、別れを惜しむのではなく、次への期待に胸膨らむゲストたちを招きます。

カウンターの中には、「ALTER EGO」のシェフ・平山秀行氏をはじめ、徳吉氏も来日。そして、「傳」オーナーシェフ・長谷川在佑氏の姿も。なぜなら、ここは、元「傳」。遡ること2019年、「ALTER EGO」は、「傳」から継ぎ、この場をスタートさせたのです。

「だから、長谷川さんには、この建物の最後を見届けて欲しかった」と徳吉氏。

現「傳」は、ここから移転した場であり、そこは、元「ル・ゴロワ」だったということを知る人は少なくない。

「ル・ゴロワは、女将さんとずっと通い続けていた大好きなレストランでした。誕生日や記念日など、たくさんの思い出があります。そんなル・ゴロワが移転しまうと伺い。この場が誰かに渡り、万が一、なくなってしまったら……。であれば、自分が継ぎたい。そう思ったんです」と長谷川氏。

ゆえに、ドアには、「ル・ゴロワ」の刻印が未だ残されたまま。店名を冠した傳サラダも「ル・ゴロワ」へのオマージュだ。そんな継ぎ方も長谷川氏なりの流儀なのかもしれない。

「自分以外にもル・ゴロワを愛していたお客様はいらっしゃいます。そんな方々が想いを寄せる足跡を無くしてはいけない」。

空間においても、当時の面影を残しながら、約9年、同じ時を重ね続けています。

「ALTER EGO」においても同様の想いで継がれてきましたが、今回は、様々な理由により建て替え。であれば、「ふたりで最初に壊す」というのが、徳吉氏と長谷川氏が再会したもうひとつの理由でした。

継いでもらう場だけでなく、継ぐ場も経験した長谷川氏。そして、本場イタリアにおいて、日本人で初めて星を獲得した「Ristorante TOKUYOSHI」から「BENTOTECA」への急転向と「ALTER EGO」建て替えという大勝負。その間には、世界中を恐怖に陥れたコロナ禍……。

過去の点が線になり、壊すによって生まれた節目。それは、奇しくも、ふたりがこれからの人生を考える大きな機会となりました。

「傳」の挨拶代わりのスナック。味噌漬けにしたフォアグラ、ビネガーでしっかりと締めた鰯、ブラッドオレンジのジャムを忍ばせた最中鰯と相性の良いオレンジをジャムにすることで、フォアグラとも調和。イタリアと日本の融合を彷彿とさせる品。

石鯛 生ハム お造り。「ALTER EGO」オープン当初のスペシャリテをアレンジ。当時は鮪中トロを使用していたが、今回は「サスエ前田魚店」より、回遊の石鯛を寝かせ、さっと醤油にくぐらせたものと合わせる。擦りたての18ヶ月熟成の黒豚の生ハムとともに。

フルーツかぶ ズワイガニ。糖度の高いかぶと合わせるパンナコッタは、ズワイガニのほぐし身、鰹節を効かせた酢ゼリー、マリネしたかぶ、ディルオイルなどを合わせたもの。本来はドルチェだが、今回は冷菜として供す。

「傳」のスペシャリテ、傳タッキー。今回の中身は、餅米に自家製ドライトマト、アンチョビ、オレガノ、水牛モッツァレラなど、イタリアンのテイストに。

金目鯛 チーマディラーパ。上記の石鯛同様、金目鯛も「サスエ前田魚店」より。チーマディラーパとは、イタリア野菜のことであり、日本の菜花に似た野菜。それをピューレ状にし、鰹出汁と合わせて擦り流しの仕立てで。鰹出汁で優しく火入れした金目鯛をスープとミントオイルとともに。

ホワイトアスパラガス ルッコラ。炭火で焼いてから出汁醤油に浸した香川のホワイトアスパラガスのお浸しの上にルッコラを覆う。胡麻風味の白和えや文旦も加え、最後に生ハムを添えて。

眠り鹿 ふきのとう。福岡の本州鹿のロースを炭焼きに。そして、鹿のフォン、炭火で炙ったほぐした芽キャベツ、ふきのとう味噌を合わせる。皿の上部には、ピンクレディという品種のりんごを使ったスパイシーなジャムを添える。

土鍋ご飯 オッソブーコ。延岡のサフランで香りをつけた土鍋ご飯に牛骨髄で炒めた筍を加える。オッソブーコとは、ミラノの郷土料理で仔牛のスネ肉の煮込み。地元では、サフランのリゾットと一緒に食べる料理だが、今回は土鍋ご飯でサフランリゾットを表現。

2年熟成からすみ 赤葉玉ねぎ 締めのスパゲッティーニ。徳吉氏が家で作るパスタを今回メニューに採用。サッと炒めた赤葉玉ねぎを使ったアーリオオーリオに仕立て、「ALTER EGO」で仕込んだ2年熟成からすみをたっぷりと削り、レモンゼスト、パセリを合わせる。

苺 桜。甘味には、ナポリの伝統菓子ババを。ブリオッシュ生地に酒粕のシロップをたっぷりと含ませ、埼玉「矢島農園」のあまりんという苺、桜ゼリー、煎茶の香りをつけたミルクジェラート、ホワイトチョコカスタードを合わせる。最後に「新政酒造」の貴醸酒 陽乃鳥をかけていただく。

この日、徳吉氏や「ALTER EGO」のシェフ・平山秀行氏、ソムリエ・松本時宙氏のほか、「傳」からは長谷川氏以外にも女将さんやスタッフもキッチンやサービスに立つ。息のあった両チームは、心地良いグルーヴを店内に生む。

ALTER EGO×傳「ファインダイニングの幕引き。勝負に出るなら今しかない」徳吉

「Ristorante TOKUYOSHI」は、順風満帆。それを一気に覆したのがコロナ禍のパンデミックでした。イタリアにおいては、死者が3万人を超え、世界第3位。EU加盟国では最多という状況。街はロックダウンし、自体は急速に変化しました。当時、徳吉氏はレストランを改装しばかりとう状況もあり、頭を抱える日々でしが、「医療従事者が本気で戦っている姿を見て、自分は自分にできることで本気になりたい」という意志が芽生えたと、当時を振り返ります。

そこで、医療従事者へ食事=弁当を提供する活動を開始。これが、「BENTOTECA」のはじまりです。

「Ristorante TOKUYOSHI」の徳吉氏は、「料理に対しても、レストランに対しても、エゴが強かった」と語るも、目に見えないウイルスには手も足も出ず。しかし、「BENTOTECA」を通し、レストランの語源でもあるレストレのごとく、食べ手を豊かにする料理、求められる料理の喜びを知ることになりました。

「その時です。ファインダイニングという存在について、改めて考えるきっかけになったのは。このまま続けることによって、どこを目指すのか。続けることによって、自分は何が残せるのか」。

当時、徳吉氏は40代半ば。イタリアでは、50歳になるシェフはレジェンド扱いされることも少なくなく、「そのステージへの拒否反応もありました。レジェンドとは、言わば、頂点。崇められる一方、もう成長はないとも捉えられるのが嫌だった」と言います。

ゆえに、レジェンドは、シェフからブランドになることも多い。その結果、必ずしもキッチンにいない現象が生まれ、店舗を拡大する方向へと舵を取る。

一方、「そうでない文化が日本」だと、徳吉氏は分析します。

「日本のレストランは独特の文化だと思います。例えば、カウンターのみの小さい坪数、席数という形態は、イタリアはもちろん、世界でも稀有なスタイルではないでしょうか。だから、料理以外に、人との関係が強い。食べに行くだけでなく、会いに行くという行為が生まれる」。

ワンオペやご夫婦で営んでいるレストランは、最たるものだと思います。著名レストランにおいても、店舗拡大しているところは極めて少ない。それほどまでに、日本ではレストラン=シェフという存在が絶対なのかもしれません。

「傳」においても同様。あの空間は、長谷川在佑という存在があって成立するため、「傳」という名だけが一人歩きすることはないでしょう。

前出、これまでになかった料理の喜びを知った徳吉氏は、もうひとつ、才能を開花させました。ビジネスです。

「コロナ禍を経て、一番になる必要はない。頂点に立つ必要もない。そんな考えになりました。勝負に出るなら今しかない。そこで、BENTOTECAに転換する決断をしました」。

「BENTOTECA」の料理は、基本的に和食。特徴は、イタリアで作られた日本の食材を起用しているところです。シグネチャーメニューは、牛タンのカツサンド。そのほか、牛骨髄と塩辛のブルスケッタ、マグロの赤身、中とろ、そして、鳩や鴨を使用したメイン……。和食と言えど、「Ristorante TOKUYOSHI」の感性は宿ります。ですが、最初から順調だったわけではありません。

「業態変更してからは、8人しかゲストが来ない日もありました。そこから改善に改善を重ね、今では、Ristorante TOKUYOSHIの売り上げ3倍。ウエイティングリストが600人を超えることもあります」。

それだけではありません。そのカツサンドを専門にした「Katsusanderia isola」、「Katsusanderia sidewalk kitchenもオープン。勢いは止まらず、現在は、「Pan」、「Piccolo Pan(3店舗)、「Mogoと、「BENTOTECA」を含め、ミラノに8店舗展開。独自の手法で店舗拡大を実現させました。

「思考を切り替え、一気に世界が広がりました。Ristorante TOKUYOSHI の時は、このレストランとイタリア料理のことしか頭にありませんでした。イタリアで日本の食材を使う考えもありませんでしたし、ミラノで和食をやるというイメージもありませんでした。ですが、コロナ禍を経て、自分は日本人として、この場に何が残せるのか。そう考えた時、日本の文化だと思ったんです。ALTER EGOにおいては、その逆を考えており、仔牛、チェダーチーズ、ラディッキオなど、日本で作られたイタリアの食材を起用したいと考えています。改めて、イタリア料理を日本で表現する意義を追求したいと思います」。

2020年5月。コロナ禍、医療従事者に食事を届ける活動を開始。当時、「社会貢献が目的ではありませんでした。ただ、本気の人を本気で支援したかった、僕なりの本気で応えたかっただけなんです」という言葉を残している。

全て資金は持ち出しだったが、続けるに連れ、食材を支援してくれる生産者も現れ、輪が広がっていった。当時、「経営的には苦しいですが、将来のスキルになればそれでいい。時にプライドを捨て、リスクを恐れず新たな挑戦をすることや環境に順応する能力も必要。今の努力は、きっと将来返ってくると信じています」と話していた徳吉氏。その言葉通り、努力は報われ、現代において飛躍的に進化。ビジネスという新たなスキルも身に付けた。

ALTER EGO×傳「料理に興味を持てなくなったら、未練なく辞める」長谷川

長谷川氏は、店舗拡大に取り組む徳吉氏とは、真逆の人生を歩んでいると言えるのではないでしょうか。しかし、「1店舗だけでは限界がある」という実情は、長年の課題であり、その意識は常に持つ。

「長くやらせていただくと、ありがたいことにお客様が増えていきます。ですが、席数は限られており、何とかしたいとは常に考えています」。

以前の場で約9年、今の場で約9年。未だ、「傳」は多店舗展開の予定はない。しかし、それを補う手法として生まれたのが、盟友「Florilege」のオーナーシェフ、川手寛康氏と始めた「デンクシフロリ」です。2020年に開業し、現在はバンコクにも展開しています。

「傳を多店舗展開する考えはありません。ですので、イズムを継いだメンバーによる多店舗展開という手法を自分は選択しました」。

ゆえに、今後、もし「傳」から巣立つ弟子などが生まれれば、その可能性は、より広がるのかもしれません。

「BENTOTECA」も然り、「デンクシフロリ」もまた、コロナ禍に活動。ふたりは、「あの時にどんな行動を起こし、どんな決断をしたか。それが今に繋がっている」と話します。

日本においては、自粛要請の期間が長く、営業するか否かは、レストランに委ねられていました。この二者択一に大きく意見が割れた現象も勃発しましたが、「傳」は営業を選択。「本当にお客様に助けられました」と語り、当時のお客様との関係は今なお続く。

「あの時、営業する決断をして、本当に良かった」。

国は違えど、そんな難局を経て、現在も第一線で活躍し続ける長谷川氏もまた、徳吉氏と同世代。現在、40代後半に差し掛かり、人生を振り返ることもしばしば。そして、「シェフをいつまで続けるのか」という難問と向き合うこともあると言います。

最近においては、2025年2月末。「コートドール」のオーナーシェフ、斉須政雄氏が長い歴史に幕を下ろしました。御年74歳の出来事です。「傳」においても、最後の場をイメージすることはあるのか。

「正直、今はわかりません。ここに居続けるのか、それとも、また移転するのか。ただ、これに関しては、ご縁だと思っています」。

一見、計画性のない発言のようにも受け取れますが、過去の場を紐解くと、これが長谷川在佑たる所以かと思わずはいられない事実も。修行時代の「うを徳」は神楽坂、独立し、開業した「傳」は神保町。そして、移転した現在の場は、神宮前。運命のいたずらか。全てにおいて、「神」が付く。(「デンクシフロリ」においても、神宮前)

「お客様、スタッフ、家族、皆様のおかげで、ここまで来ることができたと感じています。自分の意志も大事ですが、自分の場合、大きな選択の時には誰かに導いていただいたような気がします。自分以外の誰かに身を任せるということは、これからも大事にしたいと思っています」。

この言葉を伺い、この場=現「傳」に宿る何かを感じざるを得ない。なぜなら、「ル・ゴロワ」の大塚ご夫妻もまた、当時の常連、脚本家の倉本聰氏によって、導かれるように富良野へ。50代半ばの決断であり、現在、シェフの健一氏は、御年60歳を優に超える。本人の確認は得ていませんが、シェフ人生として、富良野を最後の場に選んだのではないでしょうか。

そう考えると、長谷川氏に「最後の場をイメージすることはあるのか」と問いたのは時期早々だったかもしれません。しかし、前出の回答の後、ふたつ、明確な答えを述べてくれました。

「最後の場は、どこになるか分かりませんが、確実に言えることは、東京であるということ。自分も女将さんも東京生まれ、東京育ち。最後も生まれ育った故郷で料理を作り続けていると思います。そして、もうひとつ、引退について。これは、いつか分かりませんが、年齢に関係なく、料理に興味を持てなくなった時は、最後だと思っています。その時は、未練なく辞められると思います」。

もちろん、そんな日が来ないことを願って。

2020年8月、「デンクシフロリ」開業に向け、工事のチェックに訪れた長谷川氏と川手氏。当時、「実は、一緒にお店をやれたらいいねという話は、10年以上前からしていて。でも、そのタイミングはいつまでにやるとかそういうことは決めていなくて、自然に身を任せながら良きタイミングが訪れた時にと思っていました」とふたりは話す。身をまかせることやご縁は、長谷川氏にとって一貫していたことが伺える。

ALTER EGO×傳場が生む、社会との交錯。

久々に元「傳」のキッチンで料理をした長谷川氏。

「ここに立つと色々なことを思い出しますね。頭に浮かぶのは、なぜか苦い思い出ばかりですが(笑)」。

やはり、この場は、今なお、長谷川氏にとって大事な場。キッチンに立ち、改めて、それを確信したのはないでしょうか。当時を振り返り、「神宮前に移った後も、次に譲ることなく、持て余していた時間もあった」と言います。なぜなら、自身が「ル・ゴロワ」を継いだ理由と同様、この場を無くしてしまいそうな人には継いでほしくなかったから。その時に、徳吉氏が名乗りを上げたのです。

「徳吉さんならと思い、ぜひ、継いでいただきました。それに、自分もまた還ることができる。今度は、お客さんとして」。

しかし、ひとつ素朴な疑問が浮かびます。そんな大事な場を、なぜ建て替えてしまうのか。いや、建て替えることができたのか。ここにも、徳吉氏のビジネス思考の選択と決断がありました。

レストランの多くは賃貸物件。この場もそうでした。しかし、今回、徳吉氏は、持ち主と協議し、物件を購入。だから、建て替えることができたのです。

「賃貸契約は、大体3〜5年。その多くが更新されるとは思いますが、約束されているわけではありません。多額を投じ、改装しても、更新されない可能性もあります。その不安を無くしたい気持ちは常にありました」。

購入の決断は、この場に根ざすということも意味します。ゆえに、長い将来を考え、建て替えを行う。

「場がなくなっても、人はいる。それに、自分にとっての大事な場を、徳吉さんがずっと守ってくれることは、この上なく嬉しい」と長谷川氏。

そして、新生「ALTER EGO」を皮切りに、徳吉氏の構想はもっと壮大に膨らむ。

「日本でもっと多店舗展開したいと思っています。それは、ALTER EGOのようなレストランに限らず、例えば、ミラノで展開しているカツサンド専門店かもしれません。お店を作ることによって、人の流れを生んだり、街の風景になったり。それが結果として、文化になったり。そんな活動を日本でしていきたい」。

良い店作りから、良い街作り、文化作りまで、視野を広げた徳吉氏は、レストランの意義を社会レベルで見定めています。さぁ、勝負はこれからだ。

古巣のキッチンに立つ長谷川氏。見る人が見れば、グリラーに貼られたステッカーも懐かしい。

長きにわたり、「傳」から継いだ場で活動してきた「ALTER EGO」。「色々な思い出が走馬灯のように頭をめぐる」と徳吉氏。

ALTER EGO×傳「自分だけの芯を持つこと」長谷川

星、トック、ランキング……。徳吉氏と長谷川氏は、数々の名声を受け、世界から評価されているシェフです。これは、誰もが納得する、紛れもない事実と言って良いでしょう。

しかし、数や順位は、落ちる時もある。そこに執着せず、自分らしくいるためには、どうすれば良いのか。「それは芯を持つこと」。

「レストランという見える場がある一方、見えない場に重きを置かれてしまうこともあると感じています。その最たるものが、スマートフォン、ソーシャルネットワークなどではないでしょうか。検索すれば、簡単に調べられるため、誰かと比べてしまう現象が生まれていると感じています。しかし、そこで勝負しても意味がない。本質はそこにない」と長谷川氏。

他所が星を獲った、あそこは何位だった。例え、耳を塞いでも、目を瞑っても、情報が流入してしまう現代において、知ることによって、無意識に比べてしまうのかもしれません。実体の見えない声は、大きさを増し、その現象は大袈裟ではなく、恐怖や狂気、時に暴力にもなる。これは、メディアにおいても、問題視すべきことだと強く認識します。そして、徳吉氏もまた、言葉を続けます。

「自分だけの点を持たなければいけない。それは誰も踏み入れることができない絶対領域。それがオリジナリティにつながる」。

長谷川氏は「芯」、徳吉氏は「点」という表現をしましたが、見解は同様。「それを持つことができれば、何があってもブレずに強くなる」とふたり。

言わんとしていることは理解できますが、難易度マックス。「これを若いシェフたちにも持って欲しい」と、さらにふたりは言います。

「最初は、誰かと比べたり、競争したり、勝負したりということも良い経験になるかもしれません。しかし、意志がないと流される。その先にある自分を見つけなければ、長く続けることはできないと思います。例え、レストランを開業できたとしても、そこがゴールではない。料理の技術を磨くことも大事ですが、人間力を磨いてほしい」と長谷川氏。

長谷川氏もまた、人間力を磨いた経験を持つ。「うを徳」の修行時代です。何が印象に残っていたかと聞くと、「靴並べや掃除、挨拶など」という回答が。「今、振り返ると、うを徳では、料理のことはもちろんですが、人として生きる上で大事なことを育ててもらったような気がします」。

そして、「うを徳」から独立する際、ある人との出会いもまた、「人生の指針になっている」と言う。故・中村勘三郎氏(当時・中村勘九郎)からいただいた言葉です。

「おにいちゃんは、ここで修行したんだから、型はできている。自信を持って好きなことをやりな。歌舞伎と一緒。型があるから、型破り。型がないと形無し」。

型破りの好例は、傳タッキーではないでしょうか。「当時は、日本料理の方々にたくさん批判されました」。周囲に飲まれ、辞めていたら駄作となっていたかもしれませんが、続けることによって、今は名作に。「行動次第で、失敗となるか、経験となるか、意味が違ってくる」。その行動を貫ける源は何か。芯です。

「食材との向き合い方も然り、ただ仕入れるだけか、収穫まで経験するか。例えば、同じ山菜も命が生まれる山中の場を知るか知らないかで扱い方も変わります」。

また、「傳」の魚は、多くの名シェフから絶大な信頼を得る前田尚毅氏率いる「サスエ前田魚店」のもの。鮮度にこだわる前田氏は、寝かせる魚を好みませんが、長谷川氏は、敢えて、それを行います。

「鮮度が良いのはわかりますが、それは地元のお店で食べる方がより美味しい。東京で前田さんの魚を食べる意義を見出したい」。

それができるのもまた、芯があるから。

「人生も折り返し地点。自分が教わってきたことを、今度は自分が傳(つた)える番。そんなことにも尽力したいと思っています」。

リリース当時は、批判もあったと言う傳タッキー。今では「傳」のシグネチャーメニューとなり、秘傳の愛情スパイスは、多くの人を虜にしている。「諦めてしまうから失敗になる。何事も諦めなければ達成できる」と長谷川氏。

平山氏の奥で盛り上がる「傳」チーム。「自分が教わってきたことを、今度は自分が傳(つた)える番」と話す長谷川氏が、まず最初に傳える対象となるのはスタッフ。ゲストの名前は必ず覚え、元気良く呼ぶ姿やきめ細やかなサービス、ハキハキとしたスタッフ同士の声がけ……。常に笑顔が絶えない「傳」には、ルールと自由が程よく混在し、独自の心地良さを作り上げる。「うちのスタッフには、他所では見ることができない世界を見せてあげたい」。傳タッキーよろしく、長谷川氏はスタッフにも秘傳の愛情スパイスを注ぐ。

ALTER EGO×傳「癌が人生を変えてくれた」徳吉

徳吉氏を大きく変えた出来事、それは、これまで綴ってきたよう、コロナ禍における出来事でした。しかし、それが一番ではありません。

2018年に宣告された、癌です。

「舌癌だったため、シェフとしても生きられない。そう思いました。その時に思ったんです。もし自分が死んだら、何が残せるのか」。

この経験が、徳吉氏を大きく変えました。

舌癌においては、早期発見だったため、舌の一部を切除するにとどまり、味覚にも影響なし。今も無事に料理と向き合うことができています。

「自分がいなくなった時のことを考え始めたのがきかっけで、レストランを変化しました。コロナ禍だけであれば、カツサンド屋でなく、パスタ屋を展開していたかもしれません」。

これまでの自分に執着せず、前述、「自分だけの点」を探し出せたのは、癌がきかっけ。変化したのは、レストランでなく、徳吉氏自身だったのです。

「ALTER EGO」とは、分身という意味を持ちますが、そのほかにも、別人格、もうひとりの自我という意味も持ちます。今の徳吉氏こそ、まさに「ALTER EGO」のよう。

そして、長谷川氏と同様の質問を徳吉氏にも問いてみました。最後の場をイメージすることはあるのか。

「イタリアです。ただ、シェフじゃない可能性もありますけどね」。

さらりと驚愕の発言を出せることもまた、「自分だけの点」があるからこそ。

徳吉氏と長谷川氏が言う「自分だけの点」と「自分だけの芯」における、「点」と「芯」とは、具体的に何なのか。

「これを言い当てられたら、もっと成長できるんですけどね」と長谷川氏。

「もう少し時間をかけて探したい」と徳吉氏。

ふたりは、まだ言語化に至りませんでした。いや、もしかしたら、本当はその言葉を持っているのかもしれないと疑うのは勘繰り過ぎか。

「僕たちは、感覚的なところがありますからね(笑)」と、ふたり。

いつか、その解を聞いてみたい。

「ALTER EGO」最終日には、「傳」からは長谷川氏以外にも多くのスタッフが参画。再オーオプンは、2025年7月予定。神保町に新たな風景が生む。

「Ristorante TOKUYOSHIを続けていたら、自分は何も残すことができなかったかもしれない」と徳吉氏。「君子は日に三転すではありませんが、目指すゴールは変わっても良い。止まらないことが大事」と長谷川氏。多くの経験から練り出されたふたりの言葉は、重く、深い。


Photographs:KENTA YOSHIZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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シェフによる、シェフのための宴。スターシェフが一堂に会する“あり得ない夜”。[The Chefs Gathering/東京都渋谷区]

ホテルのバンケットキッチンが、クラブに。

とある日曜の夜、渋谷『TRUNK(HOTEL) CAT STREET』のバンケット・キッチン。クラブのように派手に飾られたその場所で、秘密の宴が始まろうとしていました。

まず会場で出迎えるのは100kg超級の本鮪。添えられた『やま幸』の競り札を見るまでもなく、ひと目で最高峰の逸品だと伺えます。煌めくネオンの照明、ガンガンと鳴り響く音楽、ずらりと並ぶドン ペリニヨン。さらに参加者の顔を見ると、さらなる驚きが待っています。それは日本を代表する、文字通りのトップシェフの面々。

あり得ない宴。奇跡の夜。

この『The Chefs Gathering』を知る人の多くは、そう語ります。

2017年に初開催された、シェフによる、シェフのための宴。5回目となる『The Chefs Gathering 2025』が、幕を開けました。

会場で参加者を出迎えた塩釜の巨大な本鮪。

仕掛け人の本田氏、『TRUNK(HOTEL)』の野尻氏の挨拶で幕を開けた。

開始直後からボルテージは最高潮。シェフ同士の交流で賑わう。

協賛はドン ペリニヨン。ドリンクサーブはドリンクディレクターの大越基裕氏が担当した。

自ら料理し、振る舞うシェフのためのイベント。

この『The Chefs Gathering』には基本的に、ただのゲストはいません。シェフたちは自ら料理をつくり、他のシェフたちに振る舞うのです。

バンケットキッチンのそこかしこに、無造作に並べられる完成した料理。皿が足りなければバットに盛られ、できたそばから手渡しで。それほどラフな雰囲気ではあっても、集うのはトップシェフたち。笑い合い、語り合い、ふざけ合いながらも、一度包丁を持てば一切の妥協なく自身の技術を料理に込めるのです。

『フロリレージュ』の川手寛康氏は、広島産のモリーユ茸に鰯を合わせ、シェフたちを驚かせました。パリからやってきた『Pages』の手島竜司氏はバジルオイルで仕上げたウフマヨ。ミラノ帰りの徳吉洋二氏は、イタリアの生ハムと鮪を合わせた一品を仕上げます。『鮨しゅんじ』の橋場俊治氏は、『やま幸』の山口幸隆社長が捌いたばかりの鮪を次々と握ります。『里山十帖』の桑木野恵子氏は、『cenci』の坂本健氏とコラボするために、地元新潟の山菜を摘んできました。

この日は“お金をもらってゲストに料理を提供する”という日常とは離れた、いわば遊びの時間。そして参加者の誰もが「本気で遊ぶ」ことの意義と楽しさを存分にわかっていたのです。

DJは美食家としても知られる音楽プロデューサーFPMこと田中知之氏。

鮪の解体は『やま幸』の山口社長自らの手で。

『フロリレージュ』川手氏の「モリーユ茸のイワシファルス」。

初参加となった『食堂とだか』戸高雄平氏と『天ぷら元吉』元吉和仁氏の合作「湯葉甘納豆チーズ 桜の香り」。

『鮨しゅんじ』橋場氏と、福岡『鮨 唐島』の唐島裕氏のタッグで生まれた握り。

それぞれの思いを胸に、料理と向き合うシェフたち。

「食べることで思いを分かち合う大切な時間」と能田耕太郎氏がいえば、『ブリアンツァ』の奥野義幸氏も「若いシェフにとって厨房で働くこと以外の経験を積むことも大切。今日ほど貴重な体験はない」とその思いを語ります。その言葉の通り『鳥しき』の池川義輝氏が鶏を焼く様子を、若手シェフたちが食い入るように見つめています。

郷土の誇りを胸にやってきたシェフたちもいます。

福島『丸新』の熊倉誠氏は「スターシェフに胸を借りる気持ち。その体験を持ち帰り地元に貢献したい」と謙遜しますが、持参した東北の食材の素晴らしさを自信を持って紹介していました。湯布院『ENOWA』のTashi Gyamtso氏も、朝収穫したばかりのアスパラガスを持って飛行機に乗りました。富山『レヴォ』の谷口英司氏も「富山の魅力を伝えるのも今日の使命。これを機に地方にも目を向けてもらえたら」と思いを語ります。

こうして、それぞれのシェフが、それぞれの思いを胸にしながら、美食と音楽と混沌の夜は続きました。

『丸新』熊倉氏がつくったのは「ブロッコリー見立て豆腐」「えんどう豆スリ流し」「ホタルイカと花わさび」の3品。

富山『ひまわり食堂2』の田中穂積氏の「豚バラとファラフェル キャロットラペ ミント添え」。

山形『OSTERIA SINCERITA』の原田誠氏の「馬肉ロースと根菜サラダのブーケ仕立て」。

『蕎麦おさめ』の納剣児氏は「クリームチーズの味噌漬け」に揚げ蕎麦チップをあわせた。

能田耕太郎氏がつくった「マグロとモルタデッラのピアディーナ」。

限界を定めぬ突飛な発想こそ、食の未来を拓く。

この「あり得ない夜」を現実のものとした背景には、ひとりの美食家の存在がありました。

その名は本田直之氏。

今回の40数名の参加シェフは、すべて本田氏の直接スカウト。つまりどの場所であろうと、本田氏が直接店を訪れ、料理を食べ、シェフと話し、今回の参加を願ったのです。

「同じジャンルのシェフ同士の繋がりはあっても、その垣根を乗り越えた繋がりはなかなかありませんでした。それはもったいないなと思ったんです」と本田氏。

その状況をなんとか打開できないか、と考えた末に生まれたのがこの「The Chefs Gathering」でした。その思いに「TRUNK(HOTEL)」代表取締役社長の野尻佳孝氏が共感し、現在の形になったのだといいます。

「どのジャンルにおいても業界を越えた繋がりがないと、広がりは生まれにくい。異なる技能を持つ人同士の親交からは、想像もつかないおもしろいことが起こるもの」そんな期待を胸に、本田氏は持てる知識と経験をフル稼働して、この「The Chefs Gathering」を開くのです。

これはシェフによる、シェフのための宴。

このような飛び抜けた発想から、日本の食の未来は築かれていくのかもしれません。

自身を「食の応援団」と語る本田氏(左)。思いを同じにする野尻氏(右)とともに。


Text:NATSUKI SHIGIHARA
Movie:NAOKI TOMITA

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目から鱗の連続に驚嘆の声が漏れる。あるものをどうクリエイトするか?伊シェフが生み出すローカルガストロノミーの意味するもの。[長野県南木曽町]

囲炉裏でイワナを焼く南木曽の高橋渓流を訪れ、薪火でイワナをこんがりと焼くジャンルカ・ゴリーニ氏。イワナの身はもちろん、しっかりと焼くことで頭や骨から極上のスープを抽出する。

ローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」 。イタリア人シェフは南木曽町をどう表現したのか。

イタリア・エミリア・ロマーニャ州の山奥で6年連続星を獲得する名店『daGorini』。オーナーシェフであるジャンルカ・ゴリーニ氏は日本の、いや長野県南木曽町の食材にふれ語ってくれました。

「私の料理は山とともにあります。ですから、常に食材が潤沢にあるというわけではないんです。特に寒い冬の季節はね。だからこそ、自分の料理はシミュレーションができないと作れないわけではなく、リスクを取りながらでも今ある食材をクリエイティブしていきます。要は常に自分に対して、眼の前の食材を『ジャンルカだったら、どう使うんだ?』と自問する。するともうひとりの自分が奮い立ってきます。常に山と向き合い、あるものをクリエイトする。だからかな、似た環境の南木曽町にとても惹かれたんだ。やっぱり、自問して、『ジャンルカだったら、南木曽町でどんな料理を生み出すか。』答えはこうだ、ひとつひとつ生産者と向き合い成長しながらチャレンジする。ミスター岡部からローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」のオファーが届いた際に、真冬だからこそ受けたいと思ったんです」

そうなのです。さる2月下旬に長野県南部の南木曽町に降り立ち、すぐさま食材視察を3日連続、その後の試作をさらに3日、そのまま東京へと舞台を移し開かれたイベントこそが、今回ご紹介するガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」。前回の記事では、ジャンルカ・ゴリーニ氏が巡った南木曽町の生産者とのふれあいをレポートしましたが、今回はいよいよ本番。意欲的なガストロノミーイベントで南木曽の食材がどうクリエイトされたのかに迫ります。

冒頭のジャンルカ・ゴリーニ氏のコメントは、視察後の談話より。南木曽で日常食べられている山菜いたどりや、木曽伝統の漬物すんき、糀味噌など、日本人でもどこか古臭いと感じられる郷土食材を連続で味わい、それをどう感じたかという質問の答えなのです。雪の残る山の町・南木曽町。食材乏しい、冬の南木曽町をイタリア人シェフ・ジャンルカ・ゴリーニ氏は、どう自らの料理へと昇華するのか。その意欲的なチャンレンジをレポートします。

フォレストゲート代官山日本食品総合研究所『調理室』で3日間開催されたローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」。食に感度の高い面々が全国から集まった。

客前で1品目を準備するジャンルカ・ゴリーニ氏。最終仕上げをゲストの目前で披露していく。

1品目「森のサラダ」。見た目はシンプルなサラダに見えるが、食べ進むうちにおこぎやスイバなど南木曽町ならではの野菜が顔を出す。わかめや海苔といったミネラル豊富な海の食材。これらも実は山の恵みであることを教えてくれる。

桜の花の塩漬けを大根のピクルスに忍ばせる。真冬のサラダと思いきや山菜の苦みや桜の香りなどで、春の到来を予感させるサラダに仕上げた。

2品目「森の魚」。親子でニジマスを養鱒する生産者植松氏にリスペクトを払った森の魚の皿では、ニジマスの身の上にぷりぷりのいくらをあしらう。捌いた後の頭や骨もソースに活用。

木曽駒ヶ岳の清流を利用する養鱒場が『いぶき養鱒場』。清冽な水の恩恵により驚くほど澄んだ味わいのニジマスなどを育んでいる。

“森”を冠したコースの構成に、南木曽への感謝が込められる。

まずはメニューに目を落とすと、すべての料理には“森”という言葉が冠されています。森のサラダ、森のスープ、森のラビオリ、森の肉……。

“森”とは、すなわち面積の94%が森林に覆われる南木曽町を意味するのでしょう。

期待に胸を弾ませながら、運ばれてきた最初の料理は「森のサラダ」です。

南木曽町のダイバーシティを表現したという一皿。ルッコラ、レタス、わさび菜、せりなどのほかに、春を告げる木曽地方の山菜おこぎ(南木曽の人々が親しんで呼ぶ“おこぎ”は、長野県南部地方特有の呼び名で、正式には「うこぎ」)、秋にとれた大根のピクルス、桜の塩漬け、雑草扱いされるスイバ(酸葉)、海のアクセントとして伊勢湾のわかめとのりなどがたっぷりと。

本店『daGorini』でも必ずフレッシュなサラダから始まるという1皿目は、まさにジャンルカ・ゴリーニ氏の原体験なのだといいます。

「私の祖父は家の前に畑を持ち、たくさん野菜を作っていたんだ。私も手伝いをしていましたが、よく勝手に畑に入り、そのまま野菜を味わい怒られていました。今ではその経験がいい思い出なのですが、その時からです。私は手間ひまかけて作ったとれたての野菜の美味しさを知っているのです。それは南木曽町でもそうでした。冬だから何にもないよと悔しがる生産者さん。でもですね、その後、必ずでもこれならある、いまはこれしかないと、どんどん見たこともない、山菜や野菜の保存食などが出てくるのです」

その体験をまさに一皿のサラダとして供してくれたのです。伊勢湾のわかめとのりが入っているのにも理由がありました。

94%が森林の南木曽町には木曽川が流れます。森を形成する腐葉土が木曽川を伝い200kmの旅をして伊勢湾の栄養に。魚種豊富な伊勢湾の恵みは、森のお陰で育まれる。海のものは山で作られる。そんな森の豊かさとともにそこに生きる生活の知恵、自然の循環、森の大切さを表現してくれたのです。

その後の森の魚は、ニジマスの一皿。木曽駒ヶ岳で育まれる水の美しさに驚いたと、ジャンルカ・ゴリーニ氏は表現します。親子で養鱒経営する『いぶき養鱒場』植松さんの仕事ぶりをそれこそがトラディションだと敬意を示し、料理も循環をテーマにニジマスの身といくらの醤油漬けをあわせます。さらに頭や骨からエキスを丁寧に抽出し白いソースに。ソースの酸味には、未成熟で形の不揃いだったいちごを使ったと笑います。本来であれば処分される骨や頭、未成熟で不揃いのいちごと、美味しさの理由の中に、食材へのリスペクトが自然と込められているのです。

森のスープに使用するキノコの試作風景。キノコのキャラクターを引き出すため、それぞれに異なる火入れや調理を施していく。

スタッフの理解を深めながら進む森のスープの試作風景。

4品目「森のスープ」。食膳に運ばれた瞬間、南木曽町の山の香りが立ち込めた。

5品目「森のリゾット」。あえて日本米を使用しリゾットにチャレンジ。完全無農薬のイセヒカリを使用。何度もトライした逸品。ヤギのチーズに、干し柿やどぶろくでアクセントを加えた。

7品目「森の肉」。森の肉には鹿肉を用意。味噌玉製法で作るパンチのある糀味噌を

まだまだ続く、Made in 南木曽のスペシャルプレート。

その後の森の貝では、またもや伊勢湾産のサザエをアレンジ。南木曽の3種の芋を合わせて、テクスチャーの違いで来場者を驚かせます。

続く白眉の森のスープは、テーマがウォーキングインザ・フォレスト(森の散歩)。木地師の里『木地屋やまと』の木の器に盛られた一杯は、まさに南木曽の森に佇んでいるような錯覚を覚える香りが立ち込めたのです。

「とにかく圧倒的に種類が多くて、それぞれにキャラクターがある。その個性をそれぞれ際立たせたいと思ったら森になったよ」とジャンルカ・ゴリーニ氏。

圧倒的な数とキャラクターと絶賛したのは南木曽のキノコだったのです。

ただし、それらをひとつの鍋でスープにしたわけではありません。

御岳ぶなしめじは蒸し。舞茸は味噌で。えのきは薪で香りをつけて、なめこはフライパンで焼き付けます。なかでも彼が特段、興味を持ったのはこうたけ(香茸)、地元では松茸以上に争奪戦だという広葉樹林に群生する香り豊かなキノコはあえて姿を見せず。秋に取ったものを乾燥させたこうたけで、丁寧に出汁を取ったのです。

仕上げにレモンとかやの実、チップにしたヒノキをあしらった森のスープは、驚くほどの香りと存在感で参加者を魅了したのです。

イタリア料理のプリモピアットであるパスタやリゾットは、日本人がどちらも大好きだよと聞いたので、ラビオリとリゾットの両方を提供。リゾットには放牧ヤギのチーズに柿やどぶろく、ラビオリには24時間かけて生み出すイワナのスープと、それぞれに生産者の顔が浮かぶ料理が並びました。

メインの森の肉。鹿のテンダーロインのステーキを糀味噌で味わった際に、うすうす気がついていた疑念は、確信へと変わりました。

そう、ジャンルカ・ゴリーニ氏は、今回の“森”を冠したコースの中に、南木曽で出会った生産者のすべての食材を料理に落としこんでいたのです。

左より今回のイベントの発起人でホテル「Zenagi」を運営する岡部統行氏(南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会の代表も務める)、シェフの招聘に尽力した世界ナンバーワンフーディー・浜田岳文氏、シェフ・ジャンルカ・ゴリーニ氏

有志でチームに参加した最年少。長野県松本市出身で、辻調理師専門学校フランス校の卒業生・吉川瑠香氏はイベント後感動で思わず涙。

テロワールを生かした独創的な“田舎料理”を生み出し、世界から注目を集めている『daGorini』のジャンルカ・ゴリーニ氏。

長野県を中心に、東京山梨などから有志で今回のイベントに参加した料理人たち。

イタリア人の視点で見た南木曽町。そこに眠る土地のポテンシャルとは?

コースを食べ終えると、ある不思議な感覚に襲われました。

「南木曽の町には珍しい食材があるよのディスプレイだけにとどまらず、きちんと料理として積み上げている。シンプルにではなく、彼のクリエイティブできっちり手をかける。それが彼の感性であり、イタリアの伝統で日本人にはフレッシュなアプローチとなる。鹿に添えた味噌がその代表例。こういう会の場合、味噌を使いたい料理人は多いが、大量生産のどうでもいい味噌では意味がない。ジャンルカはクセの強い地元の糀味噌をジビエに合わせた発想が素晴らしいですよね。まさに、がっかり感の対局。日本にあるのに日本人が思いつかなかったことが悔しいですよね。たった1週間の滞在で食材が持つ個性を描き分けている。風味、テクスチャーとちゃんと向き合う、思考の深さが垣間見えました」とこの会に同席した、世界ナンバー1フーディーの浜田岳文氏は、食後にそう評してくれました。

そうなのです。食後に沸き起こった不思議な感情とは、悔しさにも似た驚きなのです。日本に根付いた伝統食や保存食。すぐ目の前にあるはずなのに、それを古臭いという固定概念で切り捨て、ガストロノミーイベントでなど、到底使うこともない。真新しいものには飛びつく我々の興味関心も、土地に根付いた伝統食にはどこか感覚が錆びついてしまう。それを全く違う土地から来たジャンルカ・ゴリーニ氏は、数日で軽々と飛び越え、日本人では思いも浮かばぬ調理法で森のコースに仕上げてしまったのです。

「訪れた生産者の食材は全員ほぼ使っている。簡単ではないけど、アイデアが浮かぶではなくて、顔を見て感情を感じて皿を作りました。パスタのカペレッティは、どのスープにするかずっと迷っていた。でも囲炉裏のイワナを見て、ストックにしたいと。もしくは、生産者の女性がふるまってくれたすんきの味噌汁。優しい酸味はグラニテにしたいと。木曽れんこんの甘さと粘りもデザートになるなと。出会ったみんなの顔を思い浮かべて、だんだんイメージができてきた。ナーバスにはならないで山にあるもので考える。南木曽を回った際の生産者のエモーションからアンサーがでてくる。そう自分を信じていたんだ。明日は南木曽に戻り、生産者さんのディナー会でフィニッシュだ。どんな顔をしてくれるかとても楽しみです。グラッツェ!」

イタリアの山の町から訪れたシェフ・ジャンルカ・ゴリーニ氏。

驚きと感動と、料理への情熱、山への感謝、生産者へのリスペクト……

ローカルガストロノミーとは、どれだけ地方を理解できるかに尽きるのでしょう。

それを約1週間の滞在で、誰よりも深く、誰よりも濃く、誰よりも熱く表現した今回の「Cook The Forest 〜森を食べる〜」。

ジャンルカ・ゴリーニ氏が描いた皿の数々は、数日の幻のように2度と味わうことができないのかもしれません。

ただし、終わりではないのです。怒涛のごとく彼と数日をともにした有志の日本人シェフたちは、またそれぞれの調理場へ、日常へと還るのです。きっと今後の彼らの料理には、その影響が描かれていくのではないでしょうか?

それこそがジャンルカ・ゴリーニ氏が言うところの、エモーショナルな瞬間なのでしょう。このイベントが残した軌跡は、きっとそんな波紋となり、広がっていくことを期待せずにはいられません。

東京でのイベントを終えた翌日、南木曽町へ戻り、お世話になった生産者を招待した特別ディナーが振る舞われた。

自らの作った食材がジャンルカ・ゴリーニ氏の調理により、スペシャルディナーとして供される。一堂、驚きと喜びが交錯し、楽しい宴となった。

住所:長野県木曽郡南木曽町田立222
https://zen-resorts.com/
南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会
https://nagiso-wellness-tourism-council.com/


Photographs:TOMOHIRO MATSUNAGA
TextTAKETOSHI ONISHI

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僕らしかできないプラットホーム。それは、持続可能な地域経営。

名無しの蒸留所「NO NAME DISTILLERY」として、サステナブルジン「YORI」を開発・製造。代表の小口潤氏を中心にプロジェクトチームを形成。

NO NAME DISTILLERYよりあわせる先に見える世界。

「YORI は、よりあわせる。いくつもの細い糸を、1本の、太くしなやかな糸にする。YORIは、よりよくする。環境を、地域を、経済を。YORIは、地域からのたより。その地域ならではの味わいを、いちばん引きたつ融合で提供する。YORIはジンであり、絆であり、解決策であり、ストーリーである」(YORI HP より一部抜粋)。

タイトルに置いた「僕ら」とは、この「YORI」を指します。

「目的は、良い酒造りだけではなく、良い地域作り」。そう話すのは、「NO NAME DISTILLERY」代表・小口潤氏です。

「NO NAME DISTILLERY」とは、その名の通り、名無しの蒸留所。日本の地域素材を活用した社会課題循環型サステナブルジンを開発・製造するプロジェクトです。現在、北海道上川、静岡県富士、広島県大崎上島、愛知県岡崎、千葉県柏の計5地域より、5品をラインアップ。

「YORIの決まりごとはひとつ。ひとつの品に対し、ひとつの地域とパートナーシップを結び、価値を持たないものをメインボタニカルに置くこと」。

例えば、北海道上川では、3種の松の葉や酒粕などを使用。松は、剪定のため、切り落とされた残葉を活かします。広島県大崎上島では、オリーブかす、ポンカンなどを使用。オリーブオイルを製造する過程に出た搾りかすや雹(ひょう)の被害にあって流通できなかったポンカンの木などを活かします。それ以外にも、地元大学とも連携し、そこで育てた植物の起用や愛知県岡崎では、八丁味噌、しめ縄!?なども。

どれも個性的ですが、それは奇をてらったものではなく、もともと地域にあったもの。名無しの蒸留所ゆえ、これらは、KAMIKAWA、FUJI、OSAKIKAMIJIMAなど、地域名で呼称されていることも「YORI」の個性。そんな産地への想いはエチケットにも表れ、ブランド名「YORI」より上に地域名を冠しています。

そして、特筆すべきは、廃棄されるものとはいえ、素材は基本的に買い取っているということ。「処分するものだから、無償でどうぞって言ってくださる方々がほとんどなのですが、それでは社会課題循環型サステナブルにはならないので」。まず、ここで地域に利益を生みます。

「YORIは、地域のプラットホーム。YORIをよりあわせることにより、関係人口、関心人口を増やしていきたいと考えています」。

例えるならば、「YORI」は、地域を引き立てる名バイプレイヤー。主役=地域>脇役=「YORI」の関係なのです。

また、「香りを引き立てるため、あえて味の個性が前に出ない醸造アルコールをベースに採用しています」と話すよう、香り=地域>味=「YORI」の関係によって、「YORI」の特性も構築されます。

加えて、バーテンダーのようなクリエイティビティやテクニックがなくとも、水、ソーダ、トニックなど、割りものとして楽しめるゆえ、地域のあらゆる店舗、あらゆる人が作っても高品質な味を約束。

「技術がないと美味しくならないのでは、地域に根ざすことができませんから」。そして、それを定着させることによって「地域の地酒のような存在になってもらえたら」。これが小口氏の理想。

よりあわせることによって、理想を現実に。そんな活動を、今この瞬間も続けているのです。

各地の生産者は、「YORI」には欠かせない存在。「YORIは、地域の皆さまと一緒に作るブランドです」と小口氏。

四季や土壌、各地の表情が豊かな日本だからこそ、個性的な植物が育つ。素材が生まれた地を訪れれば、より一層、「YORI」は味わい深くなる。

北海道のど真ん中、「神々の遊ぶ庭」と言われる大雪山国立公園に位置する上川町。その厳しい自然で育った3種の松を、一番香りが引き立つバランスで融合。「インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション」2024年スピリッツ部門にて、ブロンズを受賞。

北に富士山、南に駿河湾を臨む、静岡県富士。その温暖な気候で育った数種の柑橘を中心にほうじ茶などをブレンド。「インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション」2024年スピリッツ部門にて、シルバーを受賞。

NO NAME DISTILLERYアイディアよりも必要な能力。

実は、小口氏の本業は、地域の事業コンサルタントなどを主に活動する「Connec.t」代表。現在、「YORI」は、ふるさと納税の返礼品にも選定されるほか、流通や取り扱い店舗も増えつつあり、これは、「Connec.t」として活動してきた知識と経験が大きく作用しているといっても過言ではありません。

そのほか、「インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション」や「日本産酒類の発展・振興を考えるビジネスコンテスト」など、数々の賞も受賞。現在は、広尾にて実店舗「COYORI」も構える。

つまり、結果的に、「Connec.t」と「NO NAME DISTILLERY」は運命共同体。「Connec.t」小口氏の頭脳を持って、「NO NAME DISTILLERY」小口氏の思想をカタチにしているのです。

「実を言うと、ジンを作りたくて、作ったわけじゃなくて。どうすれば地域を循環させる経済を生み出せるか。どうすれば地域に利益を生み出せるか。その仕組み作りを考えた時、ジンであればできると思ったのがきっかけでした」。

そんな本音をさらけ出してしまう小口氏の言葉に嘘はない。

また、「YORI」をきっかけに、様々な活動にもつながる。そのひとつ、某所にて、耕作放棄地の活用事業もこれから始まるという。植物のアップサイクルから、地のアップサイクルへ。これは、小口氏も予想しなかった展開でした。

「ジンに必要なジュニパーベリーは、日本の生産がほぼないのが現状です。これは、気候によるものが大きいのですが、どこか育成に適した地があるのではと調べています。もし実現できれば、それもまた、地域と一緒に取り組むことができればと考えています。それ以外ですと……」。ここから先は、まだ構想段階のため、御内密。ただ、それが実現できたあかつき、もとい、よりあわせることができたあかつき、「YORI」の世界は一気に拡張するでしょう。

そんな小口氏が何より長けている点。それは、「YORI」というアイディアや創造力以上に、実現できる能力を備えていたことにあると考えます。

実際、良いアイディアを持ち合わせている人は少なくない。しかし、それを実現できる能力がある人は、ごくわずか。アイディアは、実現できる能力を兼ねて、初めて活きる。但し、それに伴い、責任を負う覚悟も必要とされます。

小口氏は、毎回産地に足を運び、人に出会い、地を学ぶ。ゆえに、「YORI」は、各地域によって、オートクチュールされるため、同じフォーマットはない。それはまるで冒険のようだ。

「まだまだ課題も多く、全てにおいて一筋縄にはいきません。ただ、地域に対して、生産者さんに対して、そして、YORIに対して、正直に向き合いたい。今後、YORIがよりあわせることによってどんな世界が広がるのか……。自分自身も楽しみ」。

何を隠そう、小口氏もまた、「YORI」によりあわせてもらっているひとりなのかもしれない。

TEL:070-8315-0902
住所:東京都渋谷区広尾5-14-4 広尾SKビル 2F
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田舎町・南木曽でイタリア人シェフは何を想う。世界が求めるローカルガストロノミーの現在地。[長野県南木曽町]

今回のイベントのために集まったチームジャンルカ・ジャパンの面々。およそ10日間でジャンルカ氏を中心にひとつに。

ローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」 担当シェフは、世界を魅了する気鋭のイタリア人シェフ。

土地土地の風土や文化、歴史を料理に落とし込み、その地域固有のテロワールを美食として味わう。現在、ローカルガストロノミーという言葉で表現されるある種の文化が日本でも浸透しはじめ、地域固有の食材や保存食、伝統調理などを再解釈する動きは、全国で加速していると思われます。東西南北にのびる日本の地理と海に囲まれた島国を背景に、東北、北陸、九州など、同じ日本とは思えないほどバラエティ豊かな食文化を再認識できるのも、日本のローカルガストロノミーの最大特徴ではないでしょうか。我々、ONESTORYでも幾度となく各地で表現されるローカルガストロノミーの雄や熱意あるイベントを紹介してきましたが、雪の残る今年2月、ある意欲的なイベントが開催されました。

場所は長野県・南木曽町。

面積の94%が森林に覆われた美しい森の町という表現もできるのですが、中山道の宿場町として古い町並みを残すこの場所は、なかなかにアクセスも容易でなく、人里離れた田舎の町でもあるのです。海がなく、雪に覆われたかつての宿場町。1年でも特に食材の乏しいこの季節に、この地を訪れ、地域と食材、そこにまつわる人々を巡ったのはジャンルカ・ゴリーニ氏。なんとイタリア・エミリア・ロマーニャ州で6年連続星を獲得する世界的なシェフだったのです。

ONESTORYでは、ジャンルカ氏の南木曽視察の取材に同行し、さらにはその後、東京で開催されたお披露目イベントまでを密着。2回にわたり、世界で称賛を集めるシェフが見た南木曽と、ローカルガストロノミーの現在地をレポートさせていただきます。

左は長野県・南木曽の山、右はイタリア北東部・エミリア・ロマーニャの山。国は違えど、面積の大半が森に囲まれるという酷似した環境。

左より今回のイベントの発起人でホテル「Zenagi」を運営する岡部統行氏(南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会の代表も務める)、シェフ・ジャンルカ・ゴリーニ氏、シェフの招聘に尽力した世界ナンバーワンフーディー・浜田岳文氏。

有志で参加した料理人が集い、チームジャンルカ・ジャパンを結成!

AM8:00。

1時間に1本ほどしかない中央本線から南木曽駅に降り立ったジャンルカ氏。あまりに自然豊かな南木曽までの車窓の風景の感想を聞いてみると

「僕の故郷にとても似ていて、とても落ち着いたよ。空気も澄んでいて、いい場所だね。素晴らしい出会いがありそうだ」と笑うのです。

そうなのです、彼の店『daGorini』のあるイタリア北東部・エミリア・ロマーニャ州の田舎町も南木曽同様、森林に囲まれた山の町。独創的な田舎料理とも評されるジャンルカシェフは、多様なキノコやジビエ、淡水魚を用いた料理で世界中から訪れるゲストを魅了しているのです。

南木曽駅からまずは役場に向かい、今回のポップアップイベントチームの顔合わせへ。今回、ジャンルカ氏は、イタリアから単身で日本へ、そのまま南木曽町へと直行し、日本人の有志の料理人とともに即席チームを作るのです。

以下、有志で参加した料理人。
長野県木曽郡木祖村『base』オーナーシェフ・神出達樹氏。
長野県飯田市『BISTRO Freres』オーナーシェフ・久保田春樹氏。
山梨県北杜市有機農家『restauro terra』(元『アル・ケッチャーノ』料理人)杉浦秀幸氏。
長野県松本市出身で、辻調理師専門学校フランス校の卒業生・吉川瑠香氏。
東京都千代田区紀尾井町『MAZ』料理人・藤森祐太氏。
長崎県出身で、『Zenagi』のサポートシェフ・中尾恵氏。

職場もジャンルも立場も違う6名の有志の料理人がジャンルカ氏とともに料理がしたいと集まり、言葉の壁を乗り越え、短時間でチームを目指します。予定では南木曽町での生産者や食材視察を3日間、その後料理の試作を3日間、そのまま東京へと舞台を移し3日間のイベントへ。さらに再び南木曽町へと戻り生産者ディナーという強行軍。限られた時間、限られた食材、限られたメンバーという制約の中、南木曽町をいかに感じ、どう表現するのか。

それこそが今回のガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」。

イベントの主催は南木曽で1日1組限定の宿を運営する『Zenagi』であり、究極のプライベート体験を提案する同宿ならでは試みなのです。(地域の食材の生産者や観光業者で作る、南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会との共催)

それぞれ背景の違う料理人がジャンルカ氏のために集結。ともに南木曽での視察を重ね、料理を作り、自然と魅力あるチームが形作られた。

標高の高いエリアはまだまだ雪が残る2月の南木曽町。撮影はヤギのチーズを製造販売する『MAUKA LANI GOAT FARM』の農場にて。

大妻籠宿の『旅籠つたむらや』の伊藤兼彦さんは、どぶろくや蜂蜜やキウイなども生産する。ジャンルカ氏もすぐに意気投合。伊藤さんの物づくりへのパッションを高く評価。

『みなとや農園』で百合根を熱心に見つめるジャンルカ氏。

収穫量が極端に減る冬の畑で熱心に『みなとや農園』の西尾美佐緒さんの話を聞くジャンルカ氏。常に水と土についてを気にしていた。

なにもないは嘘。冬の大地にこそクリエイティブは眠っていた!

役場での顔合わせを終えるとジャンルカ氏は、チーム皆と同じバンに乗り込み、早速、南木曽町が織りなす森が育む生産者を朝から晩まで巡っていったのです。

まず訪れたのは無農薬で自然米や自然野菜を作る農家『みなとや農園』の西尾美佐緒さん。特に印象的だったのは、生産者・西尾さんの話に耳を傾け、水の性質、土の状況など、なにもない冬の畑を熱心に見つめるジャンルカ氏の姿でした。

「なにもないって感じるだろうけど、すでに春の息吹はたくさんある。在来種のきそれんこんには驚いたよ。畑でかじったけど、甘いんだ。すぐに使いたいアイデアがいくつも浮かんだ。固有の野菜や山菜、お米も気になるものだらけだよ」とジャンルカ氏。

その後も郷土の山菜・イタドリの食文化を伝承する『広瀬いたんどり会』、山麓でヤギを飼育しヤギのチーズを作る『MAUKA LANI GOAT FARM』、どぶろくを製造する『旅籠つたむらや』、中央アルプスの清冽な水でレインボートラウトを養殖する『息吹養鱒場』、イワナを養殖する『高橋渓流』、木曽の地酒を守り続ける『杉の森酒造』、天然醸造で糀味噌を作る『小池糀店』、木曽伝統の漬物すんきを広める『木曽すんき研究会』など、時間の許す限り生産者を周るのですが、ジャンルカ氏の希望は、南木曽ならではの発酵文化や伝統食、水が育む森の食材ばかり。

そこには豪華な食材もなければ、色とりどりのハーブや野菜もごくわずか。まさに真冬の雪山や閑散とした畑が生む、南木曽の住民が普段味わう食文化が中心だったのです。


冬の南木曽の食材を知り、いよいよ氏のクリエイティブが本領発揮。

「いやー、最高に刺激的な視察だった。求めているものは見つかった気がするし、予定にないサプライズもたくさんあった。はじめての日本でまだ都市には行けてないけど、ずっと来たかった日本で、南木曽は想像以上だった。そして僕の故郷に似ていた。なにもないように思われるけど非常にクリエイティブな場所だった」とジャンルカ氏。

イタリアでも同様に山を理解し、そこにあるものを使い料理を作る。それは季節に寄り添うことでもあるとジャンルカ氏は笑いました。だからこそ地元の人が大切に守り育てる食文化に興味があったとも。食材が乏しい冬こそ、料理人の真価は問われる、だからこそこのプロジェクトを受けたんだと話してくれました。

次回の記事では、いよいよ試作を終えたシェフ・ジャンルカ×南木曽食材、即席チームジャンルカ・ジャパンが躍動したローカルガストロノミーイベント「Cook The Forest 〜森を食べる〜」の全貌を紹介。フーディーを魅了した驚きの料理の中に、ジャンルカ氏が表現する南木曽の豊かさを感じていただきます。

『みなとや農園』西尾美佐緒さんの野菜作りの精神に感銘を受けるジャンルカ氏。

南木曽の山麓でヤギのチーズを作る『MAUKA LANI GOAT FARM

すんき、イタドリ、麹など、冬の南木曽の保存食に興味津々。どう料理に使われるのか?

住所:長野県木曽郡南木曽町田立222
https://zen-resorts.com/
南木曽「ウェルネス農泊」推進協議会
https://nagiso-wellness-tourism-council.com/



Photographs:TOMOHIRO MATSUNAGA
TextTAKETOSHI ONISHI

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伝統の奄美食材と革新的な薪火調理との邂逅(かいこう)。山海の滋味は新たな境地へ。

豊かな自然に魅せられた画家・田中一村の眼差しを感じながら。

2024年は、かつてないほど「田中一村」という名が燦然と輝いた年でした。東京都美術館で開催された「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は来場者28万人以上を記録。知られざる孤高の日本画家に大きな注目が集まりました。一村が中央画壇を離れ、日本画の新境地を開いた地が奄美です。

奄美を舞台にしたランチイベント「Landscape Cuisine Amami」は、田中一村記念美術館のガイドツアーから始まりました。一村の作品や資料を多数所蔵する同美術館では、作品約80点が常設展示されています。美術館スタッフによる案内の中で特に詳しく解説された作品がありました。五色エビとシマイセエビ、ウマヅラハギなどをコラージュした「海老と熱帯魚」です。この作品は、これからいただくスペシャルランチと深い関わりがあると言います。

ランチコースを監修するのは薪火料理を得意とする米国人シェフ、タイラー・バージズ氏。2019年の「DINING OUT WAJIMA」に参加したのをきっかけに日本に惚れ込んで移住し、2022年にオープンさせた横浜の薪火レストラン「SMOKE DOOR」で腕を振るうトップシェフです。たびたび来島して食材の生産者を訪ね、島の伝統調理法などのリサーチを重ねていた彼は、これらの絵から大きなインスピレーションを受け、新しい料理を生み出すエネルギーを得たそうです。奄美の豊かな自然を徹底的に見つめ続けた一村の眼差しに共鳴し、表現者として掻き立てられるものがあったのでしょう。ゲストの期待もふくらみます。

ランチの会場はオーシャンビューのホテル「THIDA MOON」。まずはその2階に併設された大島紬美術館を見学します。泥染めと草木染めを何度も行い、緻密なかすり模様が特徴の大島紬は、世界三大織物にも数えられる高級織物。奄美に移住した一村は、大島紬の染色工として働き、蓄えができたら画材を買って絵を描くという生活を繰り返していました。この美術館では、大島紬の製作工程について知識を深められると共に、一村の作品を忠実に模してデザインした着物や帯を鑑賞することができます。

田中一村記念美術館にて、作品について解説に耳を傾ける。時代を超えて愛される一村の芸術性にしばし浸る。

大島紬美術館を見学。複雑で手間のかかる製作工程について詳しく知ることができ、田中一村の絵がデザインされた貴重な着物をつぶさに鑑賞できる。

海から山から、多彩な料理でめくるめく登場する奄美食材。

ホテルのテラスから庭に降り立ち、アダンの木に覆われたトンネルを抜けると、目に飛び込んで来るのは一面の大海原。ウェルカムドリンクでいよいよランチの幕開きです。

フィンガーフードは田中一村の「海老と熱帯魚」にインスパイアされた「伊勢海老と熱帯魚」。熾火で乾燥させたカンパーニュを蘇轍味噌と南国魚の出汁で風味付けし、薪でさっと焼いた伊勢海老をたっぷりのせた一品。海老の豊かな甘みが広がります。

20数名のゲストは、芭蕉とバナナの葉やアダンの実などで彩られた屋外の特設テーブルにつきました。正面では、海を背景にしたタイラー氏が、いくつもの火種を巧みにコントロールしています。そして彼の元でキビキビと動くのは、島内のラグジュアリーホテル・レストランから集まった料理人やサービスマンたちです。

ほどなくエディブルフラワーに彩られた華やかな一皿がやってきました。奄美の海で獲れた夜光貝の前菜です。鮑よりも硬い夜光貝の身は、地元ではできるだけ薄造りにした刺身で食べられています。タイラー氏はあえて身ではなく比較的やわらかい貝柱を使い、ローゼルをはじめとする島に咲く花で作ったソースを合わせました。一村が色とりどりの花を描いた作品「奄美の郷に褄紅蝶」のイメージからタイラー氏は着想したと言います。

さて、夜光貝の身は一体どこにいったのでしょう? 実は、この皿に身もしっかりと盛り込まれています。身は薪火の遠火で1週間かけて加熱・脱水し、鰹節のような“節”に仕上げました。それを削り、ソースにたっぷりと使っているのです。身の姿は見えなくなったものの、その旨みは凝縮され、華やかなソースの香りと一体となって再構築されています。

ペアリングのアルコールドリンクは、奄美特産の黒糖焼酎を独自に燻製し、フレッシュな島のレモンと合わせたレモンサワーです。黒糖焼酎を飲み慣れた地元のゲストからも、「黒糖焼酎にこんな美味しさもあったのか」と驚きの声があがります。

続いて、奄美でもポピュラーな食材、島豚の料理がやってきました。バラ肉で作った塩豚を、皮目をカリリと焼き上げて野菜や油ぞうめんと合わせた一品。田芋のクレープにくるんでいただきます。塩豚のうまみと塩味、黒糖の甘味、ゴーヤの苦味、きび酢や島特産の柑橘であるツノカガヤキを使った三杯酢の酸味からなる島の五味が表現されています。

「THIDA MOON」のプライベートビーチでのウェルカムドリンクで、スペシャルランチは幕を開けた。

一村の作品「海老と熱帯魚」にインスパイアされたウェルカムフィンガーフード。あらためて伊勢海老という食材の美味しさに気付かされる。

大小のグリル、地中などを駆使し、熾火を操って料理するタイラー氏。

夜光貝の身から作った“節”と花のソースで、夜光貝の貝柱をいただく。ペアリングはスモークした黒糖焼酎をベースにしたレモンサワー。

五味とさまざまな食感が織りなす味わいが楽しい塩豚のクレープ仕立て。ペアリングは昆布出汁を取った黒糖焼酎のお燗。縁には椎茸塩が添えられている。

島民にとって馴染みの食材も、想像を超えた新たな表情を見せる。

「限られた食材を活かすための創意工夫を凝らす文化が、島に広く根付いていることに感銘を受けました」と、タイラー氏は奄美での気づきについて話します。

奄美は長く薩摩藩に仕えながら、琉球王朝をはじめとするアジア諸国と盛んに交流を行ってきました。その歴史的背景は、島の伝統的な食文化にも色濃く反映されています。代表的な郷土料理である鶏飯(けいはん)はそのひとつ。ほぐした鶏肉と錦糸卵、パパイヤの漬物、柑橘などを白いご飯の上にのせ、鶏ガラスープをかけていただく料理です。戦後は一般家庭でも日常的に食べられるようになりましたが、かつては庶民は口にできない特別なおもてなし料理でした。物資が限られている離島では、卵を産む鶏は貴重な家畜。その鶏肉を惜しげもなく使った鶏飯は、島にやってくる薩摩藩の役人をもてなすための料理だったのです。

豚肉も貴重でした。正月に潰した豚は塩漬けの塩豚にして、次の正月までもつように少しずつ塩抜きしながら大切に使われていたと言います。黒糖を使った角煮や野菜との炊き合わせは、ハレの日には欠かせない伝統料理として今も島に息づいています。

タイラー氏は浅めに塩漬けした豚肉の大きな塊を、地中で蒸し焼きにします。土の中で数時間をかけて焼くことでじっくりと火を入れると同時に燻煙し、大地のミネラルも取り込むのが狙いです。豚本来の滋味が閉じ込められた厚切りの肉をパパイヤやパッションフルーツなどの島の野菜や果物で作ったラビゴットソースと共にいただきます。奄美の豊かな自然の恵みが凝縮された一皿となりました。

肉が貴重だった一方で、魚介には不自由しないほど恵まれていました。海に行けば多種多様な味のいい魚や貝が手に入ることから、島民はタンパク源の多くを海の幸に頼ってきました。いつでも得られることから、島では魚介は新鮮なものを生食することが重視され、その結果として保存食としての利用はさほど進まなかったのではないかとタイラー氏は分析します。夜光貝の“節”には、そのような島の食文化への新たな提案になればとの思いも込められていたのです。

「とにかくいい野菜を作りたい」

「新鮮で上質な魚を届けたい」

島の農家や漁師と交流する中で、タイラー氏は彼らの商売よりもプロとしての仕事を重んじる職人気質の姿勢に驚かされたと言います。

特産のマコモダケを何十年にもわたり作り続ける生産者が会場で披露してくれたエピソードが印象的です。古くから奄美で栽培されてきた田芋。その収穫後の畑にマコモダケを植えることで元気に育ちます。そのうえ、マコモ菌が土壌を活性化し、田芋を病気から守ってくれるとのこと。持続可能な農業としてさらに研究を続けていくと力強く語りました。自然を相手にした気の遠くなるような取り組みに頭が下がります。

そのマコモダケは深く塩漬けした豚の出汁でマリネされ、マコモダケ本来の甘くやさしい風味を堪能できる一皿となりました。

熾火によって絶妙なタイミングで仕上げの火入れが施された料理が次々と供される。

昆布とバナナの葉にくるんで浜辺の地中で焼き上げた塩豚は、とろけるほどにじっくりグリルした島人参と共に。ペアリングには塩豚を浸した黒糖焼酎で作ったブラッディメアリー。

マコモダケを塩豚の出汁でマリネ。マコモダケの食材としての表情の豊かさに驚かされる。ペアリングは、地元のAMAMI BREWERYの「奄美島ばななヴァイツェン」。

おもてなしの象徴である鶏飯を現代的に解釈する。

食事には焼き海老飯が用意されました。これは、先述の鶏飯の鶏肉を島特産の車海老に置き換え、鶏出汁に海老から取った出汁も合わせたスープをかけていただく一品。

「鶏飯が生まれた時代とは社会環境も変わり、鶏肉は身近な食材となりました。現代ならどんなおもてなしができるかと考えた場合、私はこの島だからこそ手に入る新鮮で美味しい食材として車海老にたどり着きました。鶏飯の心意気を受け継ぎながら、現代版鶏飯として再解釈した料理として楽しんでいただければ」とタイラー氏は話します。

薪火でさっと焼き上げた車海老を鶏出汁で炊き込んだごはんは、なんとも海老の香ばしさが漂う芳醇な味わい。スープをかけることで、その豊かな風味はさらに花開く。鶏飯を食べ慣れているゲストも目から鱗が落ちる新鮮な食体験となりました。

薪火料理と聞くと豪快なバーベキューをイメージする人も多いでしょう。ところが、タイラー氏が実践する薪火料理は、薪から作った適切な熾火を様々な炉や庫内で食材に火入れしていく、極めて繊細な調理法であることがわかります。

その真骨頂が現れていたのがデザートです。島特産のパイナップルから甘味だけでなくしっかりとした酸味もある品種を選び、薪火の遠火で丸ごと熱していきます。黒糖と島ラムで風味付けしながら全体に満遍なく火を通すこと丸2日間、鮮やかなオレンジ色のパイナップルは飴色の小さな塊に濃縮されました。

しっとりと極上のセミドライパイナップルを地豆(ピーナッツ)で作ったフローズンマシュマロと一緒にいただきます。

熱帯の日光と潮風を浴びながら大地のエネルギーを吸い上げて育ったパイナップルは、原始的かつ繊細な熾火調理によって、自然の恵みそのもののスイーツへと昇華しています。

ランチコースの充実ぶりは、ゲストたちの笑顔が何よりも雄弁に語っています。

コースを締めくくり、あらためて奄美食材のポテンシャルの高さを感じたとタイラー氏。「奄美には、食の豊かさに加えて、島民がより良い未来の食を望む意欲的な地域性があります。日本の他の有名観光地に比べて食に関してあまり色がついていない分、伸びしろも大きい。“伝統と革新が共存する食の島”として発展していくだろうと期待しています」。

奄美の深く豊かな自然は、年間を通じて豊富な降水の賜物でもあります。イベントの最中、強い日差しを遮ってくれていた雲は、スタッフ全員が勢揃いして挨拶した大団円をしおに急激に厚くなりました。海山に一斉に降り出した恵みの雨は、爽やかな閉会の合図となりました。

海老飯は、特産の車海老をふんだんに入れて炊き上げられた。

鶏飯から着想を得て、現代版の解釈とアレンジを加えた海老飯。

デザート用のパイナップルの調理前と調理後の変化をプレゼンテーション。薪火調理のマジックに驚く。

じっくりと熾火でグリルしたパイナップルのデザート。パイナップルの持ち味が上品に濃縮された逸品。

「SMOKE DOOR」スタッフと島の料理人・サービスマンで結成されたチーム奄美によって、珠玉のランチコースが展開された。

令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:鹿児島県奄美市
企画:ONESTORY
協力:大島紬美術館、田中一村記念美術館、日本航空
運営:Auberge Tebiro 1732、THE SCENE、THIDA MOON、伝泊「2 waters」、FISH_AMAMI

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鹿沼の表裏。観光の表裏。

ふたつの水源からの流れが合流する「大芦川」。川底がえるほどの透明度などから「関東一の清流」とも言われる

栃木県鹿沼市ふたつの顔から地を読み解く。

栃木県鹿沼市。この地には、ふたつの顔があります。ひとつは、祭りを象徴とした江戸から始まる宿場町。そして、その名残を残す中心地から少し足を延ばすと、あるところから空気が変わることに身体が気付くでしょう。凛とした厳かな世界に包まれ、それはまるで境界線を超えたかのような。はたまた、結界に足を踏み入れたような。そこがもうひとつの顔。約1300年以上続く霊場としての鹿沼です。現在、後者の顔に改めて目を向け、この地を正しく後世に継ぐ活動が始まりました。

この地とは、多くの山々が連なる、西北鹿沼。北へ向かうと日光につながります。日光は古来より神仏が宿る霊場として多くの信仰を集めており、特に「男体山」は特別視されていました。日本独自の山岳信仰である修験が盛んに実施されたことは、そんな背景が手伝います。日光山開祖である勝道上人が「男体山」に登る前、修行していた地が「深山巴の宿」。約3ヵ年の歳月を過ごしたという言い伝えが残る修験道場跡(鹿沼市草久辺り)は、「日光発祥の地」とも呼ばれています。

そして、この霊場の歴史に欠かせない存在が「古峯神社」です。現在は、「俗塵を離れて身を清め、心安らかに鎮めて大神様の御神徳を賜ることができるよう」に一般も宿泊することが可能。翌朝、黎明に行われる一番祈祷を受けて下山する慣わしは創始以来行われており、「古峯神社」の特色でもあります。祈願後、神に備えた食事をともにいただく儀式、直会(なおらい)は、身を清めた神事から日常に戻るためのもの。この一連を体験する時間は、心身が浄化されるだけでなく、人が生きることの意義すら問われているように感じるでしょう。

「古峯神社」には、数多くの天狗にまつわる品が展示され、その多くは、大天狗と烏天狗が対になったもの。

西北鹿沼一帯は、「石裂山」や「夕日岳」など、多くの山々によって形成される。刻一刻と表情を変える絶景が、ここでは日常に存在する。

栃木県鹿沼市霊場を守る、ふたつの石原。

宿泊という意味では、「石原邸」も欠かせない。そして、訪れる前に知っておきたい背景があります。

前述、「古峯神社」を信仰するグループ「講」は全国に存在。歴史的には関東圏から東北にかけて広がっており、「遠野物語拾遺」の中にも記載が残されています。古くは、旅自体が困難であったため、「講」は代表者が参拝に訪れていました。さらに、入峰修行をしていた日光山門の行者たちが入峰するには手続きがあり、霊場を守る世話人、「前鬼」と呼ばれる一族の家に一泊してから赴くという一連の流れを経なければいけません。その一族こそが、「前鬼」石原隼人。

「石原邸」と石原隼人の関係がある記述はどこにもありませんが、築150年の古民家を守り続ける「石原邸」は、現代における世話人として、この地に根ざしています。まるで「堆肥のような建築」は、宿泊施設や飲食施設として、今後稼働していく予定であり、山の中外を結ぶハブになる可能性も秘めています。

そのほか、「石原邸」のように、地に根ざした場が、少しずつ芽吹いていますが、この地の大きな特徴は、開発に頼らなかったことではないでしょうか。

「大芦川」を中心にいくつもの尾根が重なり合い、その水によって、この地は生かされてきました。現在、日本では、高齢化や人口減少が進み、今まで手入れされてきた森林や農地の維持が難しくなってきたところも少なくありません。気候変動の要因もありますが、荒廃した地による水資源の課題は、時を増すごとに深刻な自体に。美しい水と暮らしの関係が保たれていることは当たり前ではないのです。

そして、今後、この地を価値化していくには、数多の選択を繰り返し、それを正しい道へと導くためには、より一層、地域の意志が必要とされると考えます。

築150年ほどの古民家をリノベーションした「石原邸」。開業前よりグッドデザイン賞も受賞。

里山との共生を図り、再生された農家住宅の「石原邸」には、歴史の面影が残り、時空を超えた邂逅体験を堪能できるだろう。

鹿沼は食材も豊か。全国一の品質を誇るいちご、全国的に見ても広大な面積によって栽培されている韮、そして、鹿沼在来こんにゃくや……。かつて、全国一位だった大麻の産地は、その肥沃の地により、今なお多くの恵みを育んでいる。鹿沼には、「かぬまブランド推進協議会」という鹿沼の特産品をPRする体制も整える。モノだけでなく、体験や自然などに注目し、新たな「かぬまブランド」の創出にも励む。

栃木県鹿沼市未登録の遺産価値を見出す。

世界には、1223件の世界遺産が記載(2024年8月現在)されており、そのうち、日本は26件。ユネスコ無形文化遺産は、568件の記載(2023年2月現在)がされており、日本は23件。「今宮神社の屋台行事」は、後者に登録されており、400年の時を超え、鹿沼彫刻屋台が織りなす勇壮優美、豪華絢爛な時代絵巻は圧巻です。

そのほか、発光路妙見神社祭り当番の受け渡しの儀式「発光路の強飯式」は、国指定重要無形民俗文化財に指定。両者はあくまで一例ですが、鹿沼には世界に誇る文化が多く潜んでいます。

西北鹿沼においては、このような指定、認定、登録されたものはありませんが、これを卑下する必要はありません。なぜなら、国内外から評価されるべき遺産価値はこれだけではないと考えるからです。

選考する委員会や団体、組織すら、足を運んだことがない地、知られざる地においても、遺産価値は備わり、誰かの評価軸ではなく、地域の評価軸で崇める地こそ、旅をしても訪れたい地となるのではないでしょうか。

西北鹿沼には、それを感じるのです。

そして、西北鹿沼に限らず、今こそ、各地域が未登録の遺産価値を見出さなければいけない局面を迎えているのかもしれません。

山と川に囲まれた環境の中で体験できるレクリエーション活動を満喫できる「自然体験センター」も。

約200種の花々が咲く広大なガーデン「花農場あわの」。レストランも併設し、パスタやハーブティー、自家果樹園のスイーツも楽しめる。

自分を見つめ直し、より良く生きる旅をwell-bingというのならば、過去にここで修行をしてきたものたち、信仰のために訪れた人たちもまた同じ思いだったはず。霊場としての鹿沼は、1300年も前からwell-beingを提供してきた地域なのかもしれない。

栃木県鹿沼市現代における修行。難問の解は他所に委ねてはいけない。

この地と出会った時、ある言葉が脳裏を過ぎりました。芸術家・池田満寿夫が所縁のある長野県塩尻市に向けた「山中に学ぶ」という書です。木曽漆器が有名なこの地は、四方を山々に囲まれ、冬場は雪が険しく、それによって保存食も生まれ、暮らしも産業も、全て山とともにありました。

山とともに生きる地の知恵。これは、鹿沼においても同様、もとい、西北鹿沼においても同様だと考えます。そして、暮らしが営まれているからこそ、今なお、それが途切れることなく、正しく時を重ねているのかもしれません。

しかし、自然との共存は、そう甘くはなく、課題も多い。その最たる例が「富士山」ではないでしょうか。

「富士山」は、言わずと知れた観光地であり、日本のシンボル。国内だけでなく、世界中から登山客が訪れるため、山が痛まないよう、進路を変えるなど、工夫を行うが、それでも来訪者の人数には敵わない。

そんな「富士山」が、近年で自然を取り戻した時期がありました。コロナ禍です。

過去を遡っても、あれほど長期間にわたって入山されなかったことはなかったのではないでしょうか。皮肉にも、人が介在しないことによって、「富士山」は本来の姿に還ることができたのかもしれません。

極端な比較対象だったかもしれませんが、伝えたいことは、どの地域にも許容できる範囲があるということ。それを超えると、疲弊してしまう危惧が孕んでいるのです。

西北鹿沼の美しい里山文化は、決して無くしてはいけない。それを伝えたい、知ってほしい。しかし、多くの人が訪れるほどの許容もなければ、それによって生態系すら崩れてしまう恐れもある。正しく時を重ねてきた暮らしはどうなるのか。

理想と現実は必ずしも比例せず、これは観光の表裏とでも言うべきか。

この難問の解は、各地域によって異なるため、何かを言い切るのは難しい。だからこそ、ひとつだけ、分かることがあります。

答えを他所に委ねてはいけないということです。

先人たちもまた、自ら答えを導き出し、地を発展させ、郷土を育んできたのではないでしょうか。未来を見据えることも大切ですが、過去を振り返ることもまた、地を価値化させる上で、大切な行為。答えはすぐには見つからないと思いますが、思考の歩みを止めてはならない。

この地の文脈になぞれば、それは現代における修行なのかもしれません。

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春薫る、三春の余韻。

春に向けて「和菓子 薫風」のつくださちこさんが開発した桜どら焼き。「和光アネックス」地階のグルメサロンにて展開。

WAKO ANNEX季節と出会う、春の和菓子。「和菓子 薫風」つくださちこ開発商品が初展開。

桜咲く麗らかな春は、味覚も花開く美味の季節。「和光アネックス」地階のグルメサロンでは、そんな情緒を食に込め、新たなお品を展開。パートナーに「和菓子 薫風」(以下、薫風)のつくださちこさんを迎え、同店のどら焼きと羊羹を独自にアレンジ。「桜どら焼き」と「いちご羊羹」として展開します。口に含んだ瞬間、味だけでなく、香りも含めて完成される仕上がりは、季節だけでなく、日本らしさすら覚えるでしょう。

まず、どら焼きにおいては、北海道産大納言小豆のつぶ餡を使用。一枚一枚手焼きするそれは、「薫風」の定番商品です。

「今回は、それに桜葉の塩漬けを刻んだものを加え、桜どら焼きとして和光アネックスのオリジナル商品として考案しました。甘味だけでなく塩味もあり、桜の爽やかな香りも含め、お楽しみください」とつくださん。

そして、羊羹。こちらにおいても、「薫風」の定番商品であり、手亡豆の白餡にグリーンピスタチオを効かせたものに、今回は、福岡の名品、あまおうを加えます。

「いちご羊羹として展開するいちごは、福岡の大木ベリーさんのあまおうを使用しています。自然環境農法を取り入れ、丁寧に栽培されているため、美味しいはもちろん、安心、安全なことも特徴です。大きさや熟れ具合、形を厳選し、こだわり抜いた高品質のあまおうをご堪能ください」。

あまおうには、フランボワーズを合わせているため、甘味と酸味が絶妙に調和。加えて、餡にはカルダモンなどのスパイスも効かせているため、複雑な味のレイヤーを楽しめるでしょう。

そんなふたつを開発するにあたり、つくださんがこだわった点は、和菓子単体の味わいだけでなく、ペアリングとしての相乗効果。ここでの特筆すべき点は、「薫風」においては、和菓子と日本酒のマリアージュに対し、今回は、ハーブティーとのマリアージュ。

「桜どら焼きには、エキナセアティーを。桜葉の香りとエキナセアの清涼感が後口をすっきりとまとめてくれ、もう一口、そしてもう一口と、運びたくなる味わいに。そして、いちご羊羹には、桑の葉茶を。いちごを加熱した時の熟した味わいが桑の葉の爽やかな味と香りが香ばしい味わいに寄り添ってくれます」。

今回の味わいは、初春、仲春、晩春と、三春を通してお楽しみいただけるでしょう。ぜひ、春のお供に。

<INFORMATION>
今回、ご紹介させていただきました「桜どら焼き」と「いちご羊羹」は、「和光アネックス」地階のグルメサロンにて、2025年3月20日より4月中旬頃までの期間限定で展開いたします。※限定品のため在庫がなくなり次第、販売を終了させていただきます。お早めにお求めください。

「春爛漫のこの時季。桜やいちごの香り豊かな和菓子とハーブティーのマリアージュをおたのしみください」/「和菓子 薫風」つくださちこ

春らしい味わいと香りを堪能できる「桜どら焼き」には、草木のほのかな香りが心地良い「エキナセアティー」とマリアージュ。

ほんのり甘い味わいが特徴の「桑の葉茶」が「いちご羊羹」の甘さと好相性。双方を合わせることによって、心身も癒される。

「価値のある新しいものを日本に紹介してきた和光さんとともに、世界の方へ和菓子を紹介する機会をご一緒させていただき、とても楽しみです」と「和菓子 薫風」つくださちこさん。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
www.wako.co.jp


Photographs:JIRO OTANI
(Supported by WAKO)

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気鋭の若きシェフが3年ぶりに佐賀へ凱旋、人間国宝クラスの器でいただく珠玉のコース「USEUM SAGA REVIVAL」が示したもの。[佐賀県佐賀市]

USEUM SAGA REVIVAL「USEUM SAGA」第1弾出演シェフが3年ぶりに佐賀に凱旋。

美術館に飾るような器で佐賀の美食を楽しむガストロノミーイベント「USEUM SAGA(ユージアムサガ)」。400年の歴史を誇る有田焼に代表される佐賀伝統の陶磁器と、佐賀の豊かな自然に育まれた第一級の食材が織りなす数日間限定のプレミアムレストランです。これまで数々の佐賀県出身の料理人とトップシェフがタッグを組んできました。その第1弾は2021年に開催された「arita huis(アリタハウス)」シェフ・増永琉聖氏×東京・代官山のフレンチ「abysse」のシェフ・目黒浩太郎氏のコンビ。二人三脚でフルコースを合作しました。

「USEUM SAGA」には、将来を嘱望される県内の料理人が県外の実力派シェフと協働することで、料理人としての濃密な成長を促すという側面もあります。類まれな実力が認められ若くしてヘッドシェフに抜擢された増永氏は、当時まだ23歳。目黒氏のイベント参加は、憧れの同氏と組ませてほしいという増永氏のたっての希望で実現したものでした。

「USEUM SAGA」のコンセプトを高度に表現し、見事に大役を果たした増永氏は、一つところに安住せず、果敢にキャリア形成していきます。福岡のフュージョン料理店「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフとして研鑽を積み、一旦レストランを離れて福岡のパン業界を牽引する「パンストック」でパンの研究に打ち込んできました。

そんな彼が佐賀に凱旋する「USEUM SAGA REVIVAL」が、12月8日・9日に、佐賀市の「ARKSカフェ」にて開催されました。「USEUM SAGA」以降、料理人としての技術と感性を磨き続けてきた増永氏、今の佐賀への想いを形にする舞台です。

ドリンクサービスで料理に華を添えるのは、日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の店「EUREKA!」で店長を務める園田静香氏。日本酒をはじめとするドリンクのプロフェッショナルです。福岡県大牟田市の出身で、佐賀は幼少時から両親に連れられ遊びにきていた思い出の地です。

シェフを務める増永琉聖氏。独自の感性で佐賀の食材と器のマリアージュの表現に挑む。

ドリンクサービスを統括する園田静香氏。アルコールとノンアルコールを合わせて8種、他に日本酒と焼酎を用意した。

「USEUM SAGA REVIVAL」の舞台は佐賀県庁北側の「ARKSカフェ」。

佐賀ゆかりの調度品やオブジェなどで装飾された空間。箸やスプーンも佐賀の木工作家が作ったもの

カニの濃厚な旨味とかぶのやさしい甘味を調和させた「セコガニ 戸矢かぶ」。カニの甲羅型の器は李荘窯業所製。

USEUM SAGA REVIVALあふれる佐賀食材への思いが16皿構成の大作に。

増永氏と園田氏は、この日のために佐賀食材に関するリサーチと試作を重ねてきました。

佐賀は北を玄界灘、南を有明海に接し、北部は山地、南部は山岳地、東部は平野、西部は丘陵地と、特徴的な地質の大地で形成されています。カニやイカ、青物、牡蠣といった非常に多様な魚介に恵まれ、上質な海苔の養殖でも知られています。温暖な気候はみかんやイチゴなどの果物を育み、様々な野菜や穀物が栽培に適した地質の土壌から産み出されています。古来米に恵まれたことから日本酒醸造も盛んで、焼酎に加えて日本酒と焼酎の銘酒が両方揃う点も九州では特異です。まさに食材の宝庫と言えるでしょう。

宴は、温かいウェルカムドリンクでスタートしました。佐賀名産のみかん「天草」で風味付けした「純米酒粕焼酎天山マスク」のお湯割りです。ノンアルコールには「天草」を使った葛湯が用意されました。

料理の幕開けを飾ったのは、ズワイガニのメスである「セコガニ」と、佐賀県有田町で古くから栽培されてきた「戸矢かぶ」を使ったアミューズ。カニの甲羅を正確に再現した李荘窯業所製の磁器に盛られました。カニの旨みとかぶの甘味、爽やかなユズの香りが見事な調和を見せています。

このカニとかぶには増永氏の多大な思い入れがありました。3年前の「USEUM SAGA」で増永氏が一品目に出したのも、やはりカニとかぶの組み合わせだったのです。あえて同じ食材を使うことで、自身の足跡を見つめ、成長の証を示そうとする真摯さが伝わってきます。

以降、コースは全16品におよびました。リサーチを通してあらためて佐賀食材にふれる中で、各生産者が入魂する素材たちに感動し、レシピのアイデアがあふれ出ました。コースとしては非常に多い16品は、それでも泣く泣く絞った16品。増永氏の熱量と半端ではない仕事量が結集しています。

生、炒め、長時間ローストと3種の火入れのキャベツをまとめて揚げたコロッケ風の「キャベツ」。器は224porcelain製。手に取って味わえるようにと、佐賀特産の名尾手すき和紙が敷かれている。

左/ウェルカムドリンクには佐賀みかん「天草」と「純米酒粕焼酎天山マスク」を合わせたお湯割りが。穏やかな酸味と甘味が食欲をかき立てる。
右/続いて、多久市で醸されている日本酒「東鶴 純米 冬支度」を使ったソルティドッグ。コクのある日本酒にレモンの酸味と粗塩の塩味、ミントの香りをプラス。

鰹出汁、ニンニクとネギから取ったオイルを使って低温火入れした椎茸を香ばしく焼き上げた「しいたけ」。椎茸をバターで炒めて乾燥させたパウダーがまぶされている。
器は人間国宝の十四代今泉今右衛門作。

左/トマトをトマト出汁と梅酢で浅漬け風に仕上げた「トマト」。澄んだガスパチョのジュレがかけられた、なんとも涼やかな一皿。器は人間国宝である井上萬二作。
右/焼きナスに目の前で出汁がたっぷりとかけられた「ナス」。鶏をベースに牛、豚、納豆やキムチ、酒粕などの発酵食品でとられた風味豊かな出汁が香ばしく、甘味が引き出されたナスと見事に調和。器は李荘窯業所製。

口直しとして、佐賀名産の神崎そうめんも登場した。器は今右衛門窯製。

USEUM SAGA REVIVAL実は世に稀な人間国宝作の生活食器で食する悦楽。

「USEUM SAGA」という名の由来は、美術館(MUSEUM)に飾るような器を、実際に食器として用いて(USE)料理を味わえることから。

一般的に人間国宝のような著名な陶芸家は壺やオブジェなどの大作を手がけることが多くなるため、料理皿のような生活食器の作品はほとんど作られることがないそうです。よって人間国宝クラスの皿で実際に料理をいただくことは極めて貴重な機会になります。「USEUM SAGA」では人間国宝に揃いの食器を特別に作ってもらい、惜しげもなく使われます。

たとえば、「しいたけ」の十四代今泉今右衛門をご覧ください。実際に手に取って眺めてみると、精緻な絵柄、精彩な発色に心を奪われます。そこには、増永氏の色彩感覚や空間構成によって器の魅力を引き出され、生活用具としての機能美がプラスされた効果も多大に影響しています。陶芸家と料理人の競演でもあるのです。

増永氏は今回のプロジェクトを通じて、佐賀食材に特有の“力強さ”を感じたと話します。

「トマトが甘くておいしい。でも甘いだけでなく非常にトマトらしい。ナスはナスらしい。風味や食感などいろんな要素がからんでいますが、確固たる存在感があります。僕はそんな佐賀食材で料理をすると、とてもしっくりくるという感覚があるんです。一つひとつの素材はすでに完成されたもの。僕の仕事はその持ち味を壊さずに寄り添うことです。料理の本質をあらためて見つめる機会になりました」

園田さんも新たなチャレンジに確かな手応えを感じたようです。

「佐賀は馴染み深い土地ですが、単に佐賀産の材料を使ったドリンクになってしまわないか? 私にできることは一体何か? と悩みました。それが、増永さんの料理を試食して一気に解消されました。増永さんは素材の本質的な魅力を捉えて、意外な手法で放出させます。ここにクミンを使って抜け感を出してきたか……とか感心しきり。そして、私は増永さんの料理と一緒においしく、楽しくなるドリンクを作ればいいんだと視界がクリアになりました。私にとっても活動の幅を広げる大切な体験となりました」

「USEUM SAGA」第1弾を企画するにあたり増永氏に白羽の矢を立てた理由を、事務局が明かしてくれました。

料理が好きでおばあちゃん子だった増永氏は、幼少の時から台所に立つおばあちゃんのかたわらで調理の様子を見守り、質問しながらレシピを書き留めてきたそうです。その時間の積み重ねが料理人への道へと導いたのです。佐賀の暮らしの中で、大切な人においしいもの食べさせてあげたい。増永氏の料理人としての土台は、ピュアな思いから形づくられてきました。「USEUM SAGA」はそんな増永氏の料理人としてのスタンスに共鳴しました。

増永氏は、業種業態の異なる店を数店舗展開したいと話します。

「店それぞれの名物で前菜からメイン、デザートまで一つのコースができあがる。自分がどこかでコースを全部作らなくても、そんなふうにおいしいコースを提供できるといいな。夢を少しずつ叶えていきたいですね」と増永氏は静かに話します。

彼はこれから何度も佐賀に立ち帰り、リバイバルを重ねながらより大きな料理人になっていくことでしょう。

未来ある料理人の成長の舞台「USEUM SAGA REVIVAL」第2弾では、誰が腕を振るうのでしょう? 参加者たちは満足感に浸ると共に、次回への期待を膨らませたはずです。

「鯖」は、乳白色の素地に鮮やかな色絵が施された柿右衛門の皿で登場。鯖の刺身に卵黄を使ったソースとピリ辛の醬(ジャン)を合わせている。分葱油と削ったカシューナッツがアクセント。

メインは佐賀県で盛んに飼養されている「みつせ鶏」のロースト。皮目は肉醤を塗って香ばしく焼き上げ、身の方はニラのペーストを塗って瑞々しく仕上げている。器は李荘窯業所製。

〆の食事はイノシシを煮込んだ「カレー」。今回のコースで出た野菜の切れ端の出汁でじっくり煮込まれたスパイスカレーを、キャロットラペとたくさんのパクチーと共に。器は中里太郎右衛門陶房製。

左/マリネしたデコポンとブランマンジェをデコポンのジャムと共に。デコポンの力強い風味を堪能できる。
右/餅米と甘酒で作ったアイスクリーム。甘酒で作ったクランブルのトッピング、甘酒のキャラメルソースと甘酒づくし。

キッチン、ホール共に普段はそれぞれ別の店で活動している仲間たちが結集。全員20代のフレッシュなチームが醸し出す自然体なムードも印象的だった。

1998年佐賀県佐賀市生まれ。佐賀県立牛津高校を卒業後、2016年「オーグードゥジュールメルヴェイユ博多」に勤務。小岸明寛シェフ(太良町出身)のもとで研鑽を積み、2018年、「arita huis」(佐賀)に勤務、2020年よりヘッドシェフを務める。その後、福岡のイノベーティブレストラン「nishimura takahito restaurant」のヘッドシェフに抜擢される。2024年7月に同店を退職し、一旦レストランを離れ、福岡のパン業界を牽引する「パンストック」に勤務。

1995年福岡県大牟田市生まれ。中村調理製菓専門学校(福岡)卒業後、東京都内のレストランに勤務。日本酒業界のカリスマ・千葉麻里絵氏の日本酒アプローチに惹かれ、「GEM by moto」(東京)に入社。千葉氏が考案する口内調味や日本酒ペアリングのスキルを学ぶ。その後、千葉氏の独立とともに「EUREKA!」(東京)立ち上げに参加。同店の店長として従事。


PhotographHIDEKI MIZUTA
TextTAKASHI WATANABE

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女性シェフとして生きる覚悟。世界の三つ星シェフが悟ったTOKYOの才能。

「Tokyo Artissense:A Female Chef Collaboration」と題し、東京を代表する3名の女性シェフがコラボレーション。そのゲストには、世界で活躍する三つ星シェフとジャーナリストが今宵のために来日。企画監修は、世界一の美食家、浜田岳文氏が担う。

Tokyo Artissense東京から世界へ。仕掛け人は、世界一の美食家。

1月某日。東京都主催「Tokyo Artissense:A Female Chef Collaboration」が開催。仕掛け人は、「OAD世界のトップレストラン」のレビュアーランキングで6年連続1位に君臨する世界一の美食家・浜田岳文氏です。

タイトルにある、Artissenseは、アルチザン(artisan)とエッセンス(essence)を組み合わせた造語。東京の食文化を示すもののひとつに職人技があると考え、今回は、3名の女性シェフを通して、それを堪能いただければと思っております」。

3名の女性シェフとは、「été」オーナーシェフ・庄司夏子氏、「純麦」オーナーシェフ・矢嶋純氏、「FARO」シェフパティシエ・加藤峰子氏です。

庄司氏は、「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」(現「レクテ」)、「フロリレージュ」を経て開業。「アジアのベストレストラン50」にて、2020年にはベストベイストリーシェフ賞、2022年には最優秀女性シェフ賞を受賞。矢嶋氏は、「麺処ほん田」を経て、ミシュランビブグルマンの人気女将として名を馳せ、開業。加藤氏は、2018年より「FARO」のシェフパティシエを務め、「アジアのベストレストラン50」にて、2024年にベストベイストリーシェフ賞を受賞。

3者、異なる道を歩んでいますが、一流と形容すべき活躍ぶりは、共通している点。

「今回のテーマは、食を通して、東京を世界に発信し、実際に東京に来てもらうこと。世界中のゲストは、日本の食を求め、旅をしています。それは、様々な統計から見ても間違いありません。その最たる地域が東京。それぞれ異なるバックグラウンドを歩んできた3名は、東京の多様性も体現していると思います」と浜田氏。

その多様性を味わうゲストは、世界中から招集されたシェフとジャーナリスト。まず、シェフの面々は、イギリス・カートメル「ランクリム」をはじめ、世界中に10店舗を経営するシェフ、サイモン・ローガン氏、デンマーク・コペンハーゲン「ヨーネア」のオーナーシェフ、エリック・ヴィルドガルド氏、イタリア・セニガッリア「ウリアッシ」のシェフ、マウロ・ウリアッシ氏。彼らの共通項は、ミシュラン三つ星を獲得しているということ。

そして、ジャーナリストにおいては、ドイツ・ベルリンで活動し、「世界のベストレストラン50」のチェアーも務めるロレイン・ハイスト氏、ヨルダン・アンマン出身の作家であり、写真家、そしてフード&トラベルライターからコンサルタントまで務めるリーン・アル・ザベン氏などです。

人選は、浜田氏。世界中のシェフやジャーナリストたちとコミュニティを持つ世界一の美食家のオーガナイズであれば、異論なし。

今宵、東京で活動する女性シェフ3名の才能が開く。

今回のコースにおける前半3品を担った「été」オーナーシェフ・庄司夏子氏。「2020アジアのベストレストラン50」においてベストベイストリーシェフ賞、2022年「ベスト女性シェフ賞」などを受賞する実力派。今回は、母校の生徒も連れ、育成にも力を入れる。

ミシュランビブグルマンの人気店女将として名を馳せたラーメン職人であり、ラーメン割烹スタイルで話題を呼ぶ、完全予約制「純麦」オーナーシェフ・矢嶋純氏は、今回のコースでは、中盤2品を担当。

2024年「アジアのベストレストラン50」において、「ベストベイストリーシェフ賞」を受賞したイノベーティブイタリアンレストラン「FARO」シェフパティシエ・加藤峰子氏。今回のコースでは最後の2品を担当。

本企画の監修を担った世界No.1フーディー、浜田岳文氏。2024年には、自身初となる著書「美食の教養 ―世界一の美食家が知っていることー」も出版し、話題に。

食を通して、東京を世界に発信すべく、今回招かれたゲストは、世界で活躍する三つ星シェフとジャーナリストたち。

Tokyo Artissense一夜限りの幻のコース。世界の一流が日本の一流に舌鼓を奏でる。

供された料理は、コース仕立て。前半は庄司氏、中盤に矢嶋氏、最後に加藤氏が腕を振るいます。

計7品で構成された1品目は、「étéシグネチャー ウニのタルト」。塩味とスパイスの双方がウニの旨みを引き立て、それを、手で一口。皆、ウンウンと首を縦に振り、口元を緩め、笑みを浮かべ、隣同士、胸高鳴る期待が確信に変わったようにアイコンタクトを送り合います。

2品目は、「ポメロフラワー」。くり抜いたレモンの中には、カツオ、バジル、ヘーゼルナッツのタルタル、そして、ガスパチョソースを忍ばせ、素材の味を堪能したのち、ソースと混ぜ、いただくもの。蓋の見立てには、黄色ズッキーニと柑橘の粒をひとつ一つ並べ、まるでアートのよう。食だけでなく、ファッションやアートにも造詣が深い庄司氏の美意識が漂うプレゼンテーションです。

3品目は一転。「伊勢海老のパイ包み焼き」。「クラシックな料理もお楽しみいただければ」と庄司シェフは話すも、らしさは光る。一般的には、ビスクやアメリケーヌのソースを添えますが、ゆずで香りを効かせることによって、日本らしさも演出。もちろん、伊勢海老の火入れも抜群。そして、庄司氏のパートにおいては、カツオ、伊勢海老は、東京湾で獲れたものだということも特筆すべき点。新鮮で質の高い食材は地方という印象を覆すだけでなく、本イベントのタイトルに採用されるよう、TOKYOのポテンシャルの高さも再発見させました。

次ぐ、4品目からは、矢嶋氏。「純麦」スタイル同様、「ラーメン」と「かき氷」を供します。

「ラーメン」のスープの出汁は、東京しゃもを使用。「良い野性味を感じられる仕上がりになりました」と矢嶋シェフが話す通り、コクの中に力強さを感じ、それを纏った太めの麺は、すする度、旨みが増倍していくよう。東京Xのチャーシューもまた、一杯の完成度を高める重要なファクター。パイ包みからラーメンという斬新な流れも、違和感ではなく、サプライズと化し、既存のレストランではありえないコースに。前述、浜田氏の言う「東京の多様性」を感じる妙であり、これがTOKYOの面白いところ。

5品目、季節の柑橘を活かした「かき氷」には、酒粕を合わせ、NIPPONの文化も漂う味わいに。ここからコースはデセールへとグラデーションしてゆきます。

6品目からは加藤氏。「薔薇と檜とアーモンド」は、国産の自然農法の薔薇と在来種のオーガニックのイタリアのアーモンド、そして、東京で栽培されたいちごの華やかなデザート。

最後、7品目は、「イタリアで食後酒として飲むアマーロという数十種類の薬草をアルコールに漬け込み、砂糖を加えて作られた苦みが心地良いお酒にヒントを得た」と言う、「日本の里山の恵 花のタルト」。植物性の原材料でできたタルト生地の上には、アグロフォレストリーで育てられたバニラで華やかに香り付けした豆乳クリーム。さらに、その上に約20種のハーブや花々が彩ります。しかし、加藤氏の料理は、ただ華やかなものではありません。

「世界的に見ても森林問題は大きな課題ですが、日本においては、生態系や森を守るには間伐が必須だと考えます。1年で生育する野菜と異なり、木は成長に時間がかかります。数十年と生きた木を味わい、香る体験は、疲弊してしまっている森林と向き合う良い機会になるのではと。身体に取り込むことによって、内発的な感情が芽生えてもらえたら」。

この先、里山の景色は、果たして残っているのだろうか。タルトの食後、盛り付けられた余白も手伝い、そんな問いが胸に刺さる。

3人のコースは、ただ美味しいだけでなく、食を通して、社会と交わるきっかけにもなりました。そして、それを、強く、美しく、たくましい、TOKYOの女性シェフが織り成したことも、紛れも無い事実として、改めて、ここに記しておきたいと思います。

1品目、庄司氏の名刺がわりに相応しいスターター「étéシグネチャー ウニのタルト」。フルーツタルトから始まったレストランの起源にちなんだ料理。

庄司氏の感性が冴え渡る2品目、「ポメロフラワー」。スライスしたズッキーニと柑橘の粒をあしらった蓋の中身には、東京湾のカツオにバジルとヘーゼルナッツのタルタル、ガスパチョソースを忍ばせる。

3品目、「伊勢海老のパイ包み焼き」。刺身でも食べれる東京湾の伊勢海老をムースで包み、味と食感にレイヤーを演出。フィユタージュ(パイ生地)で包んだ中は、ミキュイ(半生)で焼き上げることによって、風味も豊かな味わいに。伊勢海老の殻で作ったソースに多摩地域のゆずで香り付けしたソースも特徴。

4品目は、矢嶋氏の「ラーメン」。東京しゃもとTOKYO-X豚骨のスープを乾物の和出汁と割り、ダブルスープに。焼豚は藁焼き。尾崎牛の牛脂も使用。麺は、山口県産せときららというパン用の強力粉をメインに、北海道産の小麦数種類ともち小麦などを使用した自家製麺の手揉み中太麺。

5品目は、季節の柑橘と酒粕を中心に作られた「かき氷」。今回の柑橘には、金柑と紅まどんな、紅姫を採用。味と色の濃い酒粕は、鍋島より。

6品目は、加藤氏が「檜の幹を使用し、森の中にいるような味わいを作りたかった」と話す「薔薇と檜とアーモンド」。加藤氏が目指すべき料理は、「普遍」。「体に木を取り入れることによって、少しでも環境問題に関心を持っていただければ。こうした件ともシェフとして何ができるのか、向き合い続けたい」と続ける。

最後の品は、「日本の里山の恵 花のタルト」。「食事の最後に官能的な瞬間を香りや食感で表現しました」と加藤氏。本作においても、環境問題へのメッセージは込められ、「50年後にこの里山の景色は、はたして残っているだろうか?」と問いかける。その余韻も含め、加藤氏の料理は構築されるのかもしれない。

Tokyo Artissense「Fantastic!」「Amazing!」、そして「Perfect!」その感動が、今宵の成果を物語る。

サイモン氏は言います、「Fantastic!」。マウロ氏は言います、「Amazing!」。

「それぞれ、スタイルと個性が異なる3人のシェフで構成されたコースというのが非常に面白かったです。そして、これほどまでに高いクオリティを、こんなに若い女性が表現していることに驚きました。特に、矢嶋氏のラーメンのスープの風味が印象的でした」とサイモン氏。

ラーメンは、世界的にも確立した市民権を得た料理であり、本場日本のラーメンは、海外シェフからも人気を博しています。だが、「純麦」は住所非公開のため、外国人がたどり着くには、困難と思われますが、「その数は少なくない」と矢嶋氏は言います。そのエピソードに、美味しいものを食べたいという、海外からのフーディーの貪欲な探究心を感じます。

そして、エリック氏も矢嶋氏を支持。「ヨーロッパのかき氷は、もっとガリガリ。こんなにふわふわの食感は初めて。そして、冷たさを感じさせない技術も素晴らしい」と話します。

マウロ氏においては、加藤氏のデザートを絶賛。また、「イタリアにも優秀な女性シェフがいますが、そのメンバーが集う機会は、まずありません。そういった意味でも、このように女性がフォーカスされたプレゼンテーションは、大きな意義があると思いました」と、自国との違いも述べました。

また、ジャーナリストの女性2名からも、様々な意見が。

中東を中心に活動しているリーン氏は、「私の地域では、女性シェフが全くいませんでしたが、最近、少しずつ増えてきました。今回の3名のように素晴らしい女性シェフが、中東でも活躍できる場ができると良いと思っています。女性の料理は、やはりプレゼンテーションが美しい。今回は、étéシグネチャー ウニのタルトと薔薇と檜とアーモンドが印象に残っています」と話します。

また、「女性ならでは、という表現はしたくありませんが、やはり女性の料理は繊細」とロレイン氏も続けます。特に、庄司氏の「伊勢海老のパイ包み焼き」を高く評価し、「構築されたレシピと味の繊細さをソースに感じた」と話します。

パイ包み焼きといえば、フランス料理の定番。しっかりとしたソースに重厚感のある味わいがイメージとしてありますが、庄司氏のソースは、別物。前述、伊勢海老の殻をじっくり煮込んで旨味を凝縮するも、重すぎず、ゆずをアクセントに。加えて、そのゆずは奥多摩産を使用しているため、伊勢海老同様、TOKYOをテーマにした切り口も採用され、味だけでなく、文脈として料理を組み立てる緻密さにも、質の高さを伺います。

「女性シェフ、というキーワードは、自分のレストラン選びのひとつでもあります。私の地域(ドイツ ベルリン)でも、女性シェフの活躍は、まだ少ない。評価においても、過去、二つ星まで獲得したレストランはありましたが、まだまだこれから。大切なことは、女性シェフも男性シェフと同じように料理できることを認識することではないでしょうか」。

そして、ロレイン氏の評価は、料理だけに留まりませんでした。今回、コース提供前には、生田流箏(琴)奏者・十七絃奏者・作曲家・編曲家の明日佳氏やDJ・ピアニスト・作曲家の野崎良太(Jazztronik)氏を招き、日本音楽のライブも演出。食後には、女性シェフ3名のトークセッションも行われ、コースや料理の解説だけでなく、各々の哲学などについてなど、様々な議論も行われました。

「海外でフードイベントを開催する際、料理を提供するだけに留まるものが多いです。今回のように、文化体験や、なぜこのような料理になったのか、この味にした理由などを理解できる機会は、非常に珍しく、少人数制という規模感も日本らしいと思いました」。

音を聞き、料理を味わい、言葉でそれを理解する。イベント全体を体験したロレイン氏は、最後にこんな言葉を残してくれました。

「完璧という言葉を使うのは好きではありませんが、完璧なイベントでした。It’s Perfect!」。

「それぞれ全く違う個性をひとつのコースにまとめたのがユニークだった」と話すサイモン・ローガン氏が特に印象的だった料理は、矢嶋氏の「ラーメン」。

「東京にもこんなに良質な食材があることにびっくりしました」と、エリック氏。そして、「ヨーロッパには、こんなにふわふわしたかき氷はありません」と、矢嶋氏の「かき氷」を高評価。

「イタリアでは、まず女性シェフ同士がコラボレーションすることは、なかなかなく、そう言う意味でも今回のイベントは素晴らしい企画でした。特に加藤氏の料理は、味もコンセプトも素晴らしかった」とマウロ氏。

「中東では、女性シェフがまだまだ多くありません、今回のようなイベントを通して、女性シェフが活躍できる場が増えることは、素晴らしい」と、リーン氏。また、料理においては、「庄司氏のétéシグネチャー ウニのタルトと加藤氏の薔薇と檜とアーモンドに、女性らしい感性と繊細さを感じた」と話す。

「トークセッションがあったことによって、料理の味だけでなく、コンセプトや想いなどを咀嚼して理解できたのが良かったです。女性は、チームを構築することにも長けていると思っており、キッチンの仕事も美しかった」とロレイン氏。料理においては、庄司氏の「伊勢海老のパイ包み焼き」を高評価。

コースが始まる前にはライブも開催。生田流箏(琴)奏者・十七絃奏者・作曲家・編曲家の明日佳氏やDJ・ピアニスト・作曲家の野崎良太(Jazztronik)氏が、繊細な音を奏でる。

コース中盤には、石川県の酒蔵「車多酒造」の「五凛 凛粋」が供され、復興支援も。供される器は、堀口切子氏の江戸切子。細部にわたり、東京らしい演出を施す。

コース後のトークセッションでは、「生産者の丁寧な仕事により、東京の食材が世界に誇れるものであることを再認識」「女性シェフが活躍できる場の拡張について」「東京の食材の香り高さ」「森林保護の重要性についての言及」「昨今のSNS事情の良し悪し」「東京でお店を営む意義」など、様々な切り口で議論が交わされた。

Tokyo Artissense女性シェフのこれから。TOKYOのこれから。

食を通して、東京を世界へ発信することを目的とした一夜の表現として浜田氏が着目したことは、繰り返しですが、女性シェフと多様性。

「女性シェフと言っても、様々なスタイルがあります。今回は、全く異なる3名の女性シェフにお願いをさせていただきました。その理由は、ロールモデルの可能性を示したかったからです」と浜田氏。

今回、浜田氏の口からは、バックグラウンド、という言葉が多く出ていました。それを紐解くならば、スタイルがシェフとしての現在であれば、バックグラウンドは人としての過去とでも言うべきか。確かに、庄司氏、矢嶋氏、加藤氏は、スタイルだけでなく、バックグラウンドも全く異なります。

「今回の3名は、女性シェフではありますが、女性だから云々というわけではありません。実力と能力があるからこそ、活躍されています。ですが、本来はもっと多くの女性シェフが活躍できるはず。それは本人たちの問題ではなく、その場が少ないという問題を感じています」。

レストランを営んでいる以上、極端に例えるならば、料理を食べてもらう接点は、ゲストのみ。しかし、今回のように、海外で活躍する三つ星シェフやジャーナリストと接点を持つことによって、何か新しいものが生まれる可能性や新たな筋道ができる可能性を秘めている。

接点という意味では、驚くべき事実も。今回、3名のシェフのうち、日本と接点があったのは1名、マウロ氏のみ。ほか2名は、初来日でした。

「海のそばのレストランや魚介を使う料理をしているシェフもいるため、ぜひ東京の食材も体験して欲しかった。エリック氏においては、日本のエッセンスを採用したあん肝料理を提供していますが、日本であん肝を食べたことないので、ぜひ食べていただき、今後に活かして欲しいとも思いました」。

インターネットやSNS、情報過多の時代、その特徴を得ることは難しくなく、高い技術を持ってすれば調理できてしまうこともありますが、体験にまさるものなし。後日、浜田氏のアテンドのもと、日本のあん肝を食し、エリック氏が感動したことは言うまでもありません。ただ、趣旨を伝えるだけでなく、招いた相手においてもプラスになる配慮は、浜田氏らしいホスト。

そんな様々も含めた場作りやきかっけ作りが、今後、浜田氏がレストラン界に寄与する力点なのかもしれません。

「若い才能に触れてもらえる機会は非常に嬉しい。今回のように知っていただけるような企画を実施したり、女性がシェフとして続けていきたいという場を作ったり、キャリアパスのお手伝いもできればと考えています」。

女性シェフという点では、浜田氏が愛するひとりに、イタリアの北東・フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州「ラルジネ・ア・ヴェンコ」のシェフ、アントニア・クリュグマン氏という人物がいます。

「彼女にも深いバックグラウンドがある。そして、彼女と今回の3名の女性シェフの共通点は、強い意志」。

今後、女性シェフが活躍できる域を拡張するためには、当事者だけでは解決しない。周囲も含め、その意志を示すことによって、女性シェフだけでなく、TOKYOの未来が変わるのだと考えます。

女性のアワード、それに触れない星、そして、ランキング、トック。女性をフォーカスするのが良いのか、はたまた、そうでないものを平等と捉えるべきか。別の角度からは、体力、人生の節目、労働環境。飲食業に限った話ではありませんが、様々な要因が含まれるため、一筋縄にはいきません。

ただ、ひとつわかることがあるとするならば、TOKYOには、女性シェフの才能がまだまだあるということ。今回、浜田氏は、それを証明しました。

世界が度肝を抜くTOKYOのレストランシーンの本領発揮は、これからだ。

今回の会場となった空間は、「Shibuya Sakura Stage SHIBUYAタワー 」38Fにあるグリルダイニング&ミュージックバー「STEREO」。高層階から望むパノラミックな絶景は、まさに東京を象徴するような世界が広がる。


Photographs:AKIHIDE MISHIMA Styrism Inc.(FOOD)
TextYUICHI KURAMOCHI

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日本のケーススタディとなるか。「利島」という循環型社会。

伊豆七島のひとつ、「利島」。島の約8割の土地が椿の木に覆われており、その資源を活用し、世界基準のブランドを目指す。

TOKYO TREASURE ISLANDSこの地で生きる覚悟。「利島」という謎の島を知る。

東京は都市だけではありません。それが、11の島々から成る「東京宝島」です。その中のひとつ、「利島」は、都心から南へ約140km離れた人口約300人の島。

海をわたるゆえ、陸のように時刻通りの交通機関は整いません。大西風が吹く日には、定期船の着岸ができず、冬の就航率は、5割程度。しかし、この不便は、「利島」に限った話ではなく、ほか10島も過酷。理屈では同じ東京ですが、別世界。海外からの観光客を魅了する東京もあれば、ここもまた東京。本当の東京を知る人は、日本人ですら、いや、都民ですら少ないでしょう。

そんな「利島」は、山そのものが島であり、その象徴が「宮塚山」です。そして、この特異なかたちから、かつて、航海する人々にとって絶好の目印にもなり、航海の安全を祈る、神が宿る「神奈備(かんなび)」として崇められていたと伝わります。そのせいか、山や森林を神域とした昔ながらの古い信仰が「利島」には今なお残り、「宮塚山」そのものを御神体に、原生林に囲まれた「阿豆佐和気命本宮(あずさわけのみこと)」、「大山小山神社(おおやまこやま)」、「下上神社(おりのぼり)」の3つの神社が存在しています。そして、島民は親しみを込め、それぞれを「一番神様」、「二番神様」、「三番神様」と呼んでいます。

そのほかにも、「利島」の魅力は、様々ありますが、敢えてフォーカスするのならば、椿。その数は、約20万本。島のほとんどを埋め尽くし、最盛期を迎える冬には、島全体を赤く染めるほど咲き誇ります。

しかし、そもそも、なぜ、これほどまでに「利島」には椿が多いのか。それは、多くが人の手によって植林されたからです。

理由はいくつか挙げられますが、まずひとつは、防風林として。離島ゆえ、周囲に遮るものがなく、風速10mを超える強風が1年の1/3ほど発生するため、暮らしを守る役割です。

では、なぜ、それが椿だったのか。肉厚な葉は潮風にも強く、傷付きにくく、艶やかな表面は例え火山が噴火したとしても、葉に灰が積もりにくいなどの特性を備えているからです。また、玄武岩地質もまた、椿の生育に適しており、その約50%を構成する二酸化ケイ素は、植物の成長促進やストレス低減、病害虫への耐久性にも優れており、それらの要因から、利島の椿は、化学農薬も不要なのです。

理だけでなく、地にもかなった人の知恵。

そんな島の資源、椿との暮らしこそ、この地の持続可能な循環を生んでいるのです。

「利島」は、東京(本島)から南に約140km離れた場所に位置。周囲は約8km、面積は4.12k㎡という、小さな島。

二番神様と呼ばれる「大山小山神社」は、一番神様の「阿豆佐和気命本宮」からほど近くに。三番神様「下上神社」には、「阿豆佐和気命本宮」の妃も祀られ、信仰を辿る山廻りをすれば、「利島」の神秘に触れることができるに違いない。

TOKYO TREASURE ISLANDS人の手で変えた環境を人の手で価値化。

「利島」の椿を活かしたもの、それは椿油です。その歴史は長く、江戸時代より、年貢として椿油を納めていたという歴史的背景もあります。

現在、島の8合目(それより上は自然林)まで広がる椿山には、全て所有者が存在する農地であり、農家が育てています。収穫した椿の実は、島に1箇所ある製油所(利島農協が指定管理運営)にそれを持ち込み、重量に応じて農協が買い取るというケースが主になります。

椿は生育が遅く、植えてから実を安定的に付けるようになるまで15年〜20年かかるため、農業生産に向いているかいないかでいえば、後者になります。加えて、花が咲いてから実を収穫できるまで約1年。春から夏にかけては雑草を刈り、枝を間引き……。自然物のため、生育の確約はなく、台風などの被害もあります。安定的な収穫が難しいゆえ、収入が不安定になることも。では、なぜ「利島」はそれでも椿にこだわるのでしょうか。

椿は、「利島」の宝だから。

そこで「利島」は、椿のブランディングに取り組みます。その代表が、「神代椿」。

人の手で椿を植林し、自然環境を変えた資源を、人の手で価値化させたのです。ここに大きな意義があると考えます。

椿山からは、「大島」の絶景も望む。「利島」の日常は、同じ東京とは思えないほど、非日常が広がるが、同時に、どちらが別世界なのかという素朴な問いも心の中に沸き起こるだろう。

「利島」では完熟して落ちた実(種)を拾うため、それが大きく成長する夏に下草を刈り、綺麗な林床に仕上げる。この作業を地元では「シタッパライ」と呼ぶ。

集めた枝や落ち葉、古い実を野焼きすることもまた、古くから受け継がれている収穫作業の一環。

夏が終わり秋に入ると実(種)が完熟し、林床に落ち、地にも絶景を形成する。椿農家はそれをひとつ一つ丁寧に拾い上げる。この根気が必要とされる作業を地元では「トリッピロイ」と呼ぶ。

実(種)は、各自宅の軒先などで乾燥させたのち、島内にある椿油製油センターへ持ち込む。

「利島」の椿油は、ヤブツバキの種を100%使用。椿実の収穫から搾油、商品梱包まで、全てを島内で行う。まさに、メイド・イン・利島の逸品。

日本で唯一「COSMOS ORGANIC」認証取得した数量限定のプレミアムオイル「神代椿―雫―」(左)は、利島全体のわずか10%の藪椿からしか精製できない貴重な椿油(2011年時点)。そのほか、椿種子の一番搾り油のみを、色・香り・質感を大切に残し、濾過脱酸した椿油「神代椿―金」(中央)と椿種子の一番搾り油を濾過脱酸、更に精製し無色透明でサラッと仕上げた椿油「神代椿―銀―」(右)も揃える。

TOKYO TREASURE ISLANDSオンリーワンとナンバーワンを確立させたブランド作り。

「神代椿」を通して行われた「利島」の椿のブランディングの手法として着眼したことは、「COSMOS」認証でした。これは、オーガニックコスメの世界統一の認証基準であり、「COSMOS ORGANIC」と「COSMOS NATURAL」の2種に分類されます。2019年、「利島」の椿油(島全体の10%の椿から精製した椿油)は、前者を取得しました。

取得するためには、「内容成分の95%から100%が自然由来の成分であること」や「植物原料の95%〜100%が有機農法、遺伝子組み換えしていない農法によって作られた原料でなければならない」など、多くの厳正な項目をクリアしなければいけません。

「利島」は、認証取得に向け、生産者と園地ごとの収穫量の記録管理をはじめ、新たな苗の育成、選定した母樹の記録、そのデータから解析する苗が良く育つ母樹をトレースするなど、トレーサビリティ管理を徹底。

また、認証基準のひとつでもある「製品に使われているすべての成分、原料は、環境に悪影響を与えない生分解性のものでなければならない」においては、椿油の搾り粕を再利用。その一例として、肥料に使用できるよう、テスト製造を行い、環境負荷の少ない農園作りも目指します。

しかし、これらは取得までの道のりのごくごく一部。この場で全てを語り尽くせるほど容易ではありません。そんな「COSMOS」認証の困難の極みは、この事実を知れば、より伝わりやすいかもしれません。

「利島の椿油は、日本で唯一、COSMOS認証を取得」。

加えて、利島は、椿油の生産量日本一(生産量の変動によって異なる場合もあり)。つまり、オンリーワンとナンバーワンの双方を確立させたのです。

椿油の循環型生産に向けた活動のひとつとして、搾り粕の再利用にも取り組む。肥料として使用できるよう、テスト製造を行い、環境負荷の少ない農園作りを目指す。

TOKYO TREASURE ISLANDS各地域が抱える問題の打開策を「利島」に見る。

この「利島」のモデルケースには、いくつかのポイントがあると考えます。

ひとつは、前述、人の手で椿を植林し、自然環境を変えた資源を、人の手で価値化させたこと。

例えば、昨今においては、森林問題と直面している地域は少なくありません。特に針葉樹は、椿のように防風林に活用すべく植林されたものもあれば、建築資材として植林されたものなど、日本国土に多くあります。

しかし、その利用は減少し、数十年放置されることによって樹々は生い茂り、大地まで光が届かず、生態系の影響や自然災害の危険性も。これは、天災だけでなく、人災による被害も関わっているのではないでしょうか。

人の手で変えてしまった自然環境は、人の手で始末する責任が伴うと考えます。その始末の仕方を、「利島」は、循環型社会として取り入れ、適正に行われているのです。これが、自然に人が介在する意義。

そして、もうひとつは、世界基準を目指したブランド作り。国内だけでなく、国外に向けたゴールを設定することによって、逆に国内がついてくる仕組みは、「利島」で例えるならば、椿油のブランド作りだけでなく、今後、「利島」のブランド作りにも、大きく作用してゆくと考えます。

一方、「利島」に限らず、地方が抱える問題のひとつとして注視すべきは、高齢化、Uターン、Iターンなど、人の課題も。全てが一筋縄では解決しないもの、ことばかりですが、「利島」のモデルケースは、他県や他地域がその土地にある資産を価値化するためのヒントがあるのではないでしょうか。

そして、「利島」のモデルケースは、東京宝島のモデルケースという域を超え、日本のケーススタディと呼ぶに相応しい事例なのかもしれません。

椿は「利島」の命であり、椿油はこの島とともに生きる島民の覚悟の証なのです。

落ちた椿が地に広がる光景もまた、儚くも美しい。摘まれた実は椿油となり、そうでない実は土に還り、次の実へ繋ぐ栄養となる。
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食材の宝庫・滋賀県を味わい尽くす、一夜限りの特別なディナー。[SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO/東京都中央区]

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO滋賀の豊かな食材が織りなす美食の夕べ

日本一の湖・琵琶湖を擁する滋賀県。

県の面積の約6分の1を占めるこの琵琶湖により生まれる、東西南北で異なる気候や土壌。そしてその土壌を潤す豊かな水。このような条件により、滋賀の食材は多様性と高い質を併せ持っているのです。その魅力は、数多くの料理人がこぞって滋賀の食材を使用していることからも明らかでしょう。

2025年1月、そんな滋賀県産食材の魅力を伝えるディナーイベントが東京・八重洲のイタリアンレストラン『ASTERISCO』にて開催されました。

この『ASTERISCO』は、農業機械のトップメーカー『ヤンマー』を母体とするレストラン。その『ヤンマー』創業者である山岡孫吉氏が滋賀県出身である縁から、このイベントの実現に至りました。

豊かな自然の恵みを受けた食材の宝庫・滋賀県。 今回の特別なディナーは、その魅力を最大限に引き出した珠玉のフルコースとなりました。

東京駅八重洲口のヤンマービル内にある『ASTERISCO』。店名はイタリア語で“米印(アステリスク)”を意味し、米料理をテーマにしたイタリアンが味わえる

イベントは終始なごやかな雰囲気。滋賀県庁職員や生産者も訪れ、マイクを握って滋賀の食材の魅力をPRした

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO滋賀の食材をふんだんに使用したフルコース

ディナーの指揮を執ったのは、『ASTERISCO』の菅原槙也シェフ。

菅原シェフは滋賀の食材と向き合い、料理を考案する中で、その魅力の深さを実感したと語ります。「さまざまな野菜、琵琶湖の魚や肉、そして米。どれも個性が際立ち、試食してすぐに料理のイメージが浮かびました」

そう語る菅原シェフのコースは、琵琶湖固有種の淡水魚・ホンモロコから始まりました。米粉をつけてしっかりと揚げ切り、酢漬けにしたホンモロコは、柔らかい身と淡白な味わいが特徴。琵琶湖だけに棲息する固有魚での幕開けは、これから始まるディナーの特別感を予感させます。

続く料理は近江黒鶏と滋賀産直野菜のインボルティーニ、そして菅原シェフのスペシャリテであるトリュフリゾットを、滋賀県産米きらみずきで仕立てた特別バージョン。パスタはおうみ海老とよもぎを練り込んだニョッキ、肉料理は和牛と国産牛をかけ合わせて生まれたげんさん牛のグリル。

野菜、米、魚、鶏、海老、牛と、滋賀県の魅力を存分に味わい尽くす構成です。

もちろんどの料理にもシェフの思いが詰まっていますが、とくに印象深いのはやはりスペシャリテであるリゾット。

「きらみずきは、粒が大きくふっくらとした米。食べやすい味や口当たりを活かすため水分量に細心の注意を払いました。香り高いトリュフや米を食べて育った鶏が産むホワイト卵との相性も秀逸」と菅原シェフも自信をのぞかせます。

デザートは、滋賀県の苺と比叡ゆばのモンブラン仕立て。比叡山延暦寺御用達のゆばをデザートに仕立てることで、自然の豊かさだけでなく、食文化の奥深さまでも伝えました。

さらにペアリングドリンクには、「近江麦酒 糀エール」や、飯米で仕込んだふくよかな味わいの純米酒「里ノ猋」、濾過しない濁りワイン「ヒトミワイナリー」のソワフルージュ、「かたぎ古香園」のほうじ茶が選ばれ、滋賀の風土を体感できる組み合わせとなりました。

琵琶湖ホンモロコと米粉パンのブルスケッタ。身質の良い淡水魚を丁寧に揚げることで骨まで柔らかく味わえる

近江黒鶏と滋賀産直野菜のインボルティーニ きんたろうしいたけのマリネサラダを添えて。力強い鶏と肉厚のしいたけが互いに存在感を放つ一皿

滋賀県産きらみずきとホワイト卵のトリュフリゾット。滋賀県産米きらみずきの魅力を引き出すシェフの技量が光る

おうみ海老とよもぎを練り込んだニョッキ 味こがね蕪ソース。よもぎの風味と海老の旨味を練り込んだニョッキと、ほのかに甘い蕪のソースがベストマッチ

近江げんさん牛のグリル ルッコラと赤ワインのソース 伊吹大根を添えて。赤身の濃厚な旨味と柔らかさを併せ持つ牛肉をダイレクトに味わえる一品。独特の甘みと辛味がある伊吹大根がアクセント

比叡ゆばと苺のモンブラン仕立て。ゆばをパイのように使ったデザート。滋賀県産のマスカットベリーAを使った摘果ブドウのジェラートとともに

食事を引き立てたドリンクもすべて滋賀産。改めて滋賀の食の奥深さを物語るラインナップ

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCO料理と食材に込められた、それぞれの思い

ディナーは、ただ美味を堪能するだけの場ではなく、食材の背景にある物語や生産者の思いを知る機会でもありました。

ホールスタッフが料理や食材の説明を丁寧に行うことで、滋賀の食材や食文化を知ったゲストたち。その知識によりゲストたちは五感を研ぎ澄ませ、一皿をより深く堪能することができたのです。 琵琶湖の恵み、肥沃な大地に育まれた野菜、そして滋賀の風土が生んだ肉や米。これらの食材を通して、滋賀という土地の豊かさがより広く、深く伝わる時間となりました。

『ASTERISCO』の大西健也マネージャーは、準備にあたりシェフとともに滋賀県の生産者のもとを訪ね、生産の現場を視察しました。そんな大西氏は「現地視察でお会いした生産者の方々は、皆パワフルで人柄の良い方々ばかり。 そんな生産者がつくる食材をゲストに伝える橋渡しとしての使命を感じます」と語りました。

菅原シェフも「生産者の方がひとつひとつの食材を大切にし、丁寧に向き合っていることがわかる味でした。初めて出会う食材も多く、これからももっと産地を訪ねて理解を深めていきたい」と決意をにじませます。

生産者の努力と情熱、それを最大限に引き出す料理人の技、そしてそれを伝える場としてのレストラン。それぞれが繋がることで、滋賀の食材の価値が一層際立ちます。

マネージャーの大西氏。ソムリエでもある大西氏は、ヒトミワイナリーへの思い入れも深い

食材への理解、生産者への敬意、料理の技術。すべて併せ持つ菅原シェフのクリエイションが光る

ともに滋賀県を訪れ、生産者と話した菅原氏と大西氏。ふたりをはじめとした店舗スタッフのチームワークも、今回の成功の要因

SHIGA FINEFOOD DINING・ASTERISCOディナーの余韻のなかで新たな発表も

イベントの余韻も冷めやらぬなか、2つのうれしいニュースが発表されました。

ひとつは、『ASTERISCO』にて2025年2月1日〜2月28日まで、滋賀食材フェアが実施されること。今回の特別なディナーで証明された滋賀の食材のクオリティを、菅原シェフ謹製の特別メニューで誰でも味わうことができます。

もうひとつの発表は滋賀の食材の新たな発信として、ヤンマーが手掛ける海苔弁専門店『八重八』で、新たな海苔弁が発売されること。

この海苔弁には今回のディナーでも使用された滋賀県産米きらみずきを採用。ふっくらとした食感と上品な甘さが特徴のこの米を主役に据え、滋賀県の発酵食品を取り入れた多彩なおかずが添えられています。

このニュースからもわかるように、この日の特別なディナーは、料理を食べる瞬間だけで完結するイベントではありませんでした。食材と向き合い、その背景にあるストーリーを感じ、その産地に思いを馳せる。 滋賀の自然が生んだ恵みは、東京という大都市のレストランで新たな輝きを放ち、この日の体験が訪れたゲストの記憶に深く刻み込まれました。そしてゲストの心に滋賀という地への興味を呼び覚ます機会となったことでしょう。

『ASTERISCO』での滋賀食材フェアメニューの一例。今回のディナーでも登場した厳選素材が登場

滋賀県産きらみずきを使用した海苔弁。消費期限わずか4時間というこだわりの品

東京都中央区八重洲2-1-1 YANMAR TOKYO2F
03-3277-6606
https://la-brianza.com/asterisco/

東京都中央区八重洲2-1-1 YANMAR TOKYO B1F
03-3277-6888
https://www.yanmarmarche.com/food/restaurant/yaehachi/


Photographs:JIRO OTANI
Text:NATSUKI SIGIHARA

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「大地の力を凝縮した味」東京からやってきた6名の料理人が、宮崎で有機野菜と出合う。[Miyazaki Organic Dining/宮崎県・東京都]

Miyazaki Organic Diningトップシェフの監修のもと、地元ホテルと料理人がゲストを迎える。

日本有数の有機農業産地である宮崎県。

いまから40年ほど前、まだ世間に有機農業やオーガニックという言葉さえ浸透していない頃から、宮崎県では有機農業への取り組みが始まっていました。

もちろん、現在でもその灯火は変わらずに灯り続けています。

そればかりか、昨年度より「みやざき有機農業拡大加速化事業」として、官民一体となってさらなる輝きを放っているのです。

安心安全で力強く、味わい豊かな宮崎の野菜。

そんな逸品をプロの料理人も放っておくわけがありません。

そこで今回は東京で厨房に立つ6名の料理人が、宮崎県の産地を訪れ野菜を視察し、そしてその経験を元に料理を考案する「Miyazaki Organic Dining」が開催される運びとなりました。

それぞれレストランを率いる実力派シェフたちは、宮崎県で何を見つめ、何を学び、どのような料理を仕立てるのでしょうか?

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いつの時代も答えは自然の中にある。持続可能な1杯からはじまる、地域のロールモデル。

信州の薬草文化の再発見と再編集、地域資源の活用とサステナビリティ、信州の自然資源の体感。「松本産業研究会」主導のもと、この3つの視点によって、ボタニカルドリンクを開発。

Botanical Drink産学官が連携。松本のこれからを考える。

2024年4月。長野県松本エリアにおける観光サービスの高付加価値化を具現するため、「持続可能な観光地域産業研究会」が発足。「明神館」や「ヒカリヤ」など、宿泊業やレストラン業などを運営する「扉ホールディングス」を事務局に置き、民間事業者たちが集結しました。その有志は、「アルピコグループ」、「セイコーエプソン」、「フジアビエーションシステムズ」、「八十二銀行」、「松本信用金庫」、「アスピア」、「ハートビートプラン」、「ALPSCITY Lab」、「信州未来づくりカンパニー」、「山荷葉」、「フジドリームエアラインズ」など、地域の先駆的な取り組みを行っている企業。オブザーバーとして、「環境省中部山岳国立公園管理事務所」、「松本市」、「松本観光コンベンション協会」も参画します。特筆すべきは、産学官が連携する異業種の組織だということ。

委員長を務めるのは、「扉ホールディングス」代表取締役の齊藤忠政氏です。

「高付加価値化とは、松本高山地域に通底する価値を向上させることです。ビジネスにおいては、富裕層向けに限定したものではなく、広義に捉え、商品、サービスに独自の価値を加えることで、顧客に高い価値を感じてもらい、結果、双方の単価を向上させるための活動であると捉えております」。

商品、サービスのうち、今回は商品にフォーカス。松本エリアに特化した「松本産業研究会」として、まず、地域の資産でもある山を見直すところから始まりました。

「信州は、薬草の宝庫ともいわれ、県下各地に500種を超える薬草が自生しています。薬用植物を中心とする民間薬や漢方薬は、長い経験の積み重ねによって築きあげられた生活の知恵でもあり、それを生かした商品開発を目指しました」と「扉ホールディングス」代表取締役の齊藤忠政氏。

Botanical Drink過去を遡ることによって導き出した、里山文化。

「商品開発をするにあたり、観光の前に、まずは地域のあるべき姿を考えることから始めました。シンポジウムなどを開催し、行き着いた答えのひとつが、山でした」。

議論のテーマは、オリジンの追求。例えば、他の都府県を見ても、産業、催事、伝統、文化など、素晴らしい資産があります。そして、現代においては、その既存に付加価値を付ける。言葉にすると当たり前のことかもしれませんが、それを実際に行えている地域がどのくらいあるでしょうか。地域のあるべき姿を探し当てるだけでなく、様々な根本を見直すことにも注力します。

「sightseeingという見る観光から、昨今ではsightdoingという体験する観光にシフトし、これからは、sightbeingという、自分を見つめ直す旅、すなわち、人生を豊かにする旅が大切なのではと考えています」と齊藤氏。

この意図は、立場を変えれば、より理解できるかもしれません。例えば、国内外を問わず、どこか旅をしたとします。都市としても成熟し、観光スポットや名店、名物を巡る旅がsightseeing、sightdoingだとすれば、sightbeingは、観光の概念から少し外れた冒険とも言うべきか。齊藤氏の言葉を借りるならば、「非日常」ではなく「異日常」。時に地元民と出会い、時に彼らがこよなく愛する物事に触れる旅は、本質的な地域の文脈に沿った旅を堪能できるでしょう。予定は未定ゆえ、予期せぬ出来事が舞い込むかもしれませんが、そのハプニングはサプライズと化し、その地で過ごした時間は、深く記憶に刻まれるのではないでしょうか。そして、結果として、人生の豊かさにも繋がる。

訪れる人にどうすれば感動を与えられるのか。前述、山から導き出された松本の価値は、里山文化でした。

古来より、里山の暮らしは、自然と共生し、生活の知恵を活かすことにあります。農機具や衣服は、全て自然界のものを工夫し、自ら手で作り、役目を終えたものは、また自然に返る。食材がない時期に備え、発酵という手法も生まれました。それらは、里山文化において、ごく自然なこと。必要なものは、全て自然の中にあるのです。

ある意味、何不自由ない現代では得ることのできない、豊かさと言い換えられるでしょう。

これからの松本を考える時、未来を紐解くのではなく、過去を遡る手法によって得たそれは、彼らの原点であり、故郷の追憶。その資源を再編集することによって商品化したものがボタニカルドリンクでした。

上高地や北アルプス、美ヶ原高原など、雄大な自然環境に恵まれる松本。大起伏山地や複数の内陸盆地、そして、低地、丘陵地、山間地、高原……、多才な地形が松本をはじめ、信州の里山を形成。

Botanical Drink地の利から生まれた、ボタニカルドリンク。

今回、「ONESTORY」は、ボタニカルドリンクの開発をサポート。パートナーとして協力を仰いだ人物は、東京都調布市のレストラン「Maruta」の外山博之氏です。外山氏は、「Maruta」だけでなく、様々な名店のペアリングやドリンク開発にも従事。ソムリエ、バーテンダー、マネージャー、ディレクター……。多彩な活動をする外山氏の肩書きをひと言で表すのは難しい。しかし、より自然に、より地に向き合う姿を見ると、全てにおいて共通する植物と飲料を組み合わせた、ボタニカルドリンク研究家と仮称すべきか。もともと「Maruta」は植物と共にあるレストランであり、その母体は「株式会社グリーン・ワイズ」という植物を主軸にランドスケープデザインなどを通して環境共生を理念とする企業のため、前出の遍歴を経ての外山氏の現在は必然だったのもしれません。つまり、本プロジェクトの適任者だと考えます。

外山氏は、松本の地を知るところからスタートします。

「地元の方々にご案内いただき、山に入り、その地の生態を観察するとことから始めました」と外山氏。様々な知識を得て、レシピのパズルに植物のピースを埋めていきますが、それを考案する前より採用したかった植物があります。カラマツとニセアカシアです。両者に共通していることは、植林や生育阻害など、問題視されている植物だということ。しかし、松本をはじめとした東信地区では、昔からニセアカシアを天ぷらにして食べる暮らしがあり、自然と人の共生習慣が備わっていた地。「松本の人々は、既に行動変容を起こしてきていたのです。これは地域が誇るべき文化。そんな気づきにもなればと」と外山氏。

「ボタニカルドリンクは、植物と共存するものでありたいと考えました。西東京を拠点にしていても、温暖化を感じることは多々あり、例えば、本来10月に咲く金木犀が2月に狂い咲きしたり。秋刀魚の不漁はニュースになりますが、金木犀が2回咲いたことはニュースにはなりません。生き物に携わる身としては、どちらも同じ。環境問題は、あまりにもスケールが大き過ぎるため、ボタニカルドリンクは、そこと向き合うためのものではなく、あくまでも、楽しんでいただくものとしています。飲むことで松本という地を知っていただければと思います」。

ゆえに、背景は忍ばせる程度。味覚では得ることのできない情報は、会話を通して交流を深める。そんな人と人とのコミュニケーションもまた、旅の醍醐味となるでしょう。

考案されたボタニカルカクテルは、「ORGANAIZE」、「RELAX」、「AWAKENING」と名付けられた3種。

森の香り、清涼感のある酸味が特徴の「ORGANAIZE」は、カラマツなどの人工林の間伐材や山間部の豊かな水源によって自生・栽培された葉ワサビを起用。まさに森を飲むドリンク。最後に針葉樹を炙り、液体に浸すことによって香りも広がります。

「RELAX」には、侵略的外来種ワースト100に指定されているニセアカシアを起用。そのほか、クロモジ、ダンコウバイなども含み、「ORGANAIZE」同様、その枝を炙り、液体に浸すことで、爽やかな優しい香りが立ち上がります。

苦味による爽快感が心地良い「AWAKENING」は、地域で容易に見られるシソ科の植物を起用。そのほか、キハダやリンドウも含み、苦味のある爽快感は、その名の通り、心身を覚醒してくれたに違いありません。

「今回、自分がこのプロジェクトに参画したいと思った一番の理由は、齊藤社長の熱意と地域への愛。齊藤社長は、松本の自然と人の営みが持つ地域の価値に気付いている。それを繋ぐ活動も既にしている。自分は、こういう地元を愛している人と関わりたい。なぜなら、自分にできることは限られているから。自分がどんなに良いドリンクを開発しても、それに価値を纏わせることまではできない。松本の人間ではない自分の言葉は、説得力に欠けるから。これは地元の人にしかできないこと。それが価値。逆も然り、だから自分は西調布を語ることができる。今回、地元の皆様から多くのことを学びました。その感動を、次は、お客様に伝えていただきたいと思います」。

「山、森、植物。自然と技術を掛け合わせることで共存が生まれます。ひとり一人の意識をほんの少し変えるだけで、出会わなかった人と人が出会うだけで、想像以上に可能性が広がる。そんな行動変容が地域を成長させていくのではと考えます」と「Maruta」の外山博之氏。

ヒマラヤ杉、ドイツトウヒ、アカマツなどを使用した「ORGANAIZE」。長野県では、林業目的で造林されたカラマツなどの人工林の材価低迷により、間伐が進まない課題を抱えており、この状況を県外や海外のゲストに伝える手段として、「森を飲むドリンク」を考案。間伐材を利用し、「木を飲む」という新たな価値を提案する。また、山間部の豊かな水源を背景に自生・栽培が広がる葉わさびを用い、自然資源の貴重さを伝える。

ニセアカシア、クロモジ、ダンコウバイなどを使用した「RELAX」。長野県ではニセアカシアを食べる習慣が昔からあり、自然と共存する食生活が育まれてきた地。このような背景から、食を通じて松本の自然の豊かさを未来に繋ぐ利用価値を見出すドリンクを考案。また、植生環境の保全のため、クロモジのみを採取するのではなく、クスノキ科の植物を満遍なく使用しているのも特徴。

キハダ、ヒメジソ、カキドオシ、エゴマ、リンドウなどを使用した「AWAKENING」。長野県木曽地域の伝統薬「百草丸」の主成分であるキハダを中心に考案。松本の豊かな自然環境を表現するため、地域で容易に見られるシソ科の植物を使用。さらに、近年減少傾向にある長野県の県花・リンドウも含む。リンドウは古くから健胃薬として用いられており、山に自生する種が切り花用に改良されたのが始まりとされる。

会場には、採取した実際の植物や仕込んだ原液も展示。炙る作業などは自身で行い、体験としての価値も高める。

Botanical Drink地域の頭脳を結実すれば、山は動く。

1月某日、前述3種のボタニカルドリンクのプロトタイプ発表会を実施。「持続可能な観光地域産業研究会」の有志同様、ジャンルを問わず、志の高い企業や人々が集いました。齊藤氏の挨拶に始まり、外山氏の解説を主に会が進む中、そのマイクを積極的に外山氏が地元の人々に回しているのが印象的でした。例えば、外山氏に山を案内したポインターすみれさんは、植物と香りのスペシャリスト。

「AWAKENINGには、シソ科の植物が採用されていますが、同科にナギナタコウジュという植物があります。アイヌの人たちは、それを神の宿る野草として、風邪を引いた時に煮出してお茶にしたり、おかゆに入れたりして食べていたそうです。こぼれ種で育つため、アイヌの人たちは、種が落ちてから食べていたとも言われています。花が咲く頃から種ができるまで、香りも変化します。それぞれの良さがありますが、それを知ってからは花の時期に少し摘んで残し、種が落ちた後にまた摘む、少し多く摘んでも根は残すなど、採取への配慮をするようになりました。それが自然と人の共生」とすみれさん。

そして、「柳沢林業」代表・原薫さんも、「先日、山を歩いていたら、どこからか甘い香りが。調べると鷹の爪でした。別名、芋の木と呼ばれているんですよ」と続く。

外山氏も「どれも自分も知らない情報! これは有益なことをお聞きしました」と興奮。

「今回の取り組みは、もともと松本にあるものを新たなかたちで表現するという、無理のない活動。県外からのお客様はもちろん、地元の人にも知っていただきたいし、楽しんいただきたい」と原さん、すみれさん。

ボタニカルドリンクをきかっけに、いつしか山を学ぶ時間に。議論も活発になり、会場は熱気に包まれていました。このグルーヴを生むことが外山氏の思惑であり、地域の人々を当事者にした理由。

「自分よりも、植物に詳しい人は身近にいる。同じ地元でも、意外に相手を知らないことも少なくない。互いが持つ高い能力を地元の中で繋ぎたかった。自分が離れても構築される地域内のコミュニケーションを生みたかった」と外山氏。

また、山、植物以外の松本の資産として、注目されたのが水。松本には市内に約20箇所の井戸があり、湧き水を楽しむことができる町として、国が「名水」と選定するほど。水質やテクスチャーの違いもあり、地元の人々でも好みが分かれるほど多様性に富んでいます。それが、ひとつの町に集約されているということは、日本全国、いや、世界中から見ても稀有な資源。

「ミネラル、マグネシウム、鉄分など、成分や濃度が違うだけで味わいも異なります。これを機会に、松本の水にも注目いただければと思います。そして、私たちの研究も、今後、本プロジェクトに寄与できればと考えます」とは、「国立法人 信州大学」アドミ二ストレーション本部 学術研究・産学官連携推進機構 准教授の鳥山香織さん(博士/工学 認定URA)。

研究とは、浄水技術を指します。不純物だけでなく、具体的な成分のみを取り除くこともでき、既に酒蔵などで採用されている事例も。さらに、世界レベルで見れば、開発途上国の汚染された水に浄水技術を取り入れ、命を守る活動もしています。

そんな豊かな水が育んだ松本の文化のひとつが、バーです。

「ノンアルコールドリンクの可能性を感じました。そして、カクテルとしても展開できるポテンシャルもある。松本の自然を活用し、仕上げる一杯は、松本で飲む意義もあると思います。豊かな香りが印象的なため、ワイングラスで提供し、ゆっくりと味わっていただきたい。そんなイメージが膨らみました」と、松本のバーを代表する「メインバーコート」林 幸一氏は総括。林氏は、BAR組合名誉会長も務め、今回のアドバイザーとしても尽力いただいた人物でもあります。

ボタニカルドリンクの個性は、香り。香りは、人の記憶を手繰り寄せる力がある。

同じ地域から様々な業種の企業や人々が集結。ボタニカルドリンクの発表会をきっかけに、異業種コミュニケーションも育まれた。

「苦味や酸味などの個性を香りが調和させ、ひとつの作品として仕上がっている。春の野菜や山菜などの植物の苦味は、私たちの体に冬の間に溜まった老廃物や毒素を排出してくれる働きがあるそうです。理由がわかれば、それも愛おしい」とポインターすみれさん。味だけでなく、生体を知ることによって、深みが増す。

「例えば、RELAXに含まれるクロモジは、山間部に生え、日向だけでなく日陰も必要。植物が生息している地にはちゃんと理由がある。湿地、乾燥、標高、日向、日陰。私たちは、地域の特性を推定する指標植物としても観察しています」と「柳沢林業」代表の原薫さん。

「地域の資源をいかに高付加価値化できるか。私たちが研究している浄水技術もコラボレーションしていきたい」と「国立法人 信州大学」アドミ二ストレーション本部 学術研究・産学官連携推進機構 准教授の鳥山香織さん。

「味の個性、香りの個性は、山の個性。ボタニカルドリンクを提供できるお店が増えると、松本の個性にもつながり、新たな側面から地域をアプローチできると思います」と「メインバーコート」の林 幸一氏。一方、「生産や流通の仕組みも今後の課題」と、次の段階の論点も述べる。

Botanical Drink香りの追憶が松本への再訪を誘う。

「メインバーコート」林氏の言葉の通り、ボタニカルドリンクの特徴は香りであり、外山氏が一番こだわったところ。液体そのものも然り、仕上げに植物を炙るひと手間は、より深い香りを引き立たせるためです。

「自分自身、この香りを吸い込んだ時、山で遊んでいた子供のころを思い出し、懐かしい気持ちになりました」と齊藤氏。

香りの特徴は、風景を想像させることではないでしょうか。味であれば、回想は皿の上に止まりますが、香りは風景を描くような。

「今回、自分のレシピでボタニカルドリンクを開発しましたが、柳澤林業さんのお話にもあったように、松本の山には、もっと活用できる植物がたくさん生息しています。それは季節によっても変わります。そして、林業、大学、バー、ホテルなど、今日、出会った人たちでも十分展開できるプロフェッショナルが揃っています。一業種ではできないことも、他業種が協業すればできる。松本には山や水だけでなく、人もまた資源」と外山氏。

「自然と自然、人と人、そして、自然と人。今、松本に必要なことは、繋ぎ直しだと考えます。里山の繋ぎ直し、観光の繋ぎ直し、地域の繋ぎ直し。今回は、ボタニカルという視点から繋ぎ直したいと思っております」と齊藤氏。

自然と人の繋ぎ直しによって生まれたボタニカルドリンクは、自然>人の関係。つまり、ワインやビールのように、人力によるど真ん中の味ではなく、自然を優先したもの。ゆえに、「好みが分かれるとも思います」と言葉を続けます。そして、「植物は人間よりも早く地球に存在していた生き物ですから」と、植物への敬意を外山氏も補足します。

自然次第のため、ボタニカルドリンクに完成はありません。香りや味の変化は、環境の変化。「ボタニカルドリンクは未完だから面白い、だから、可能性を感じる」と齊藤氏。

「山の中でボタニカルドリンクを飲む会もやってみたいです。食材を摘んで、その場で作って、飲む。手足を動かし、山の香り、風の香り、土の香りを感じながら。そこには至れり尽くせりのサービスはありませんが、何ものにも変えがたい体験となると思います」と外山氏。

植物の命が生まれた地で味わうそれは、きっと記憶に深く刻まれるでしょう。そして、いつの日か、その記憶を手繰り寄せるきっかけとなるのが、やはり香り。それが国内なのか国外なのか、何処で山の香りを感じた時、ふと蘇る追憶によって、松本への再訪、いや、再会できることを願って。

冒頭に戻り、改めて問いたい。「持続可能」の概念とは何か。

古き時代より現代に受け継がれてきたものが持続可能の好例と美化されることもありますが、そんな生易しいものではないと思います。なぜなら、様々な難局を乗り越え、時代に耐えて生き残ったもののみが、現代において存在を残していると考えるからです。

それらも理解した上で足元に特化したボタニカルドリンクは、里山文化同様、暮らしの知恵と工夫によって、無理なく持続できる環境と体制を整備。自然との共生含め、十分な可能性を秘めている。

「今後、ボタニカルドリンクを育ててゆき、様々なところでお楽しみいただける場作りも拡張していきたいと考えています」と齊藤氏。

産学官の連携、過去を遡ることによって導き出した価値、地域の繋ぎ直し……。そんな松本のアクションは、新たな地域のロールモデルになるかもしれない。

意志と覚悟、そして愛。そんな想いが不可能を可能にし、山を動かすのだろう。

会場となったのは、「ヒカリヤ」。蔵屋敷の母屋と旧文庫蔵は、 国の登録有形文化財に指定され、持続可能なシンボル的存在。一歩足を踏み入れれば、齊藤氏の言葉の通り、「異日常」が形成される。


Photographs:KOH AKAZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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熱帯植物園を回遊しながら、バーをホッピングする。沖縄の魅力を深く体感するミクソロジーイベント。

熱帯植物園を食前酒を楽しむバーに見立てたユニークベニュー。

ユニークベニューとは、「ユニーク(特別な)」「ベニュー(会場)」を意味する言葉で、史跡、公園、美術館などを本来の目的とは異なるニーズに沿った会場とすることを指します。

今回、沖縄の魅力を伝える3つの試みのひとつが、このユニークベニュー。会場は、約6万平方メートルの敷地に多種多様な植物が展示される『熱帯ドリームセンター』。園内をガイドとともに巡りながら、各所に用意されたアペリティフと食前酒を味わうという趣向です。

ドリンクの監修は那覇のミクソロジーバー『アルケミスト』を手がける中村智明氏。クラシックのコンペティションやフレアバーテンディングのカクテルコンペティションで18もの賞を受賞する実力派です。料理監修は大阪の名店『AUBE』『Chi-Fu』『Az/ビーフン東』のシェフ東浩司氏。そして実際の調理やドリンクのサーブは、『ハレクラニ沖縄』『沖縄かりゆしビーチリゾート オーシャンスパ』『ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート』『オリエンタルホテル沖縄リゾート&スパ』『ヒルトン沖縄 瀬底リゾート』といった沖縄を代表するホテルの精鋭たちが担当します。

植物園を舞台にした、かつてないミクソロジーイベントは、どのようなものとなったのでしょうか?

沖縄海洋博公園内に位置し、『美ら海水族館』に隣接する熱帯ドリームセンター。熱帯、亜熱帯の花々が咲き乱れる楽園。

世界に約3万種が存在するといわれるラン。同じランでも見た目も香りも特徴も大きく異なる。

ドリンク監修の中村智明氏(左)と料理監修の東浩司氏(右)。もともと面識があったというふたりの連携が、かつてないペアリングを生み出した。

植物をテーマにした5種のカクテルとフィンガーフード。

それは原始の森の中を回遊しながらバーをはしごするような、不思議な体験でした。

「散歩をしながらカクテルを飲まれる前提。だから最初のインパクトと、少し時間が経ってからくる風味が変化するように、“香りの層”があるドリンクを目指しました」とドリンク監修の中村氏が話す通り、歩きながら、体験しながらだからこそ楽しめる特別な時間。

『熱帯ドリームセンター』は、多種多様な2000株以上のランを中心に、さまざまな植物が展示される施設。その中の5箇所にカウンターが設けられ、ゲストは園内を進みながら、要所でカクテルとフィンガーフードを楽しみます。

ウェルカムドリンクは白ワインをベースに、花草果実のエッセンスを加えたカクテル。草花に囲まれたこの会場にぴったりの一杯です。

展示されるランの不思議な生態の話を聞きながら歩みを進めると、先の温室に準備されていたのは、花束に見立てたマグロスモークとハーブ、そして試験管に入ったハイビスカスティーベースのカクテル。続く果樹温室では野菜で仕立てたヴィーガンタコスと、月桃の香りを添えたテキーラベースのドリンク。

人の気配がなく、ミステリアスな夜の植物園。進むごとに現れる想像を越えたカクテルとフード。ただバーに座ってグラスを傾けるよりもずっと能動的な時間が、しっかりと胸に刻まれます。

続いては蓮の浮いた池を眺めながら、ヤギ肉の唐揚げとヤギのヨーグルトを合わせた泡盛。最後のデザートにはアップルバナナのジーマーミ豆腐と、アップルバナナを使った泡盛カクテル。

ここまで、およそ1時間の行程。この体験を胸に、ゲストは各々のホテルやレストランでのディナーに向かうという想定です。「花」「草」「根」「果実」をテーマにしたフードとカクテルの組み合わせは、会場の環境とも見事なペアリングとなり、またとない体験になりました。そして何より、ただ観光するだけではなく、食事を通して深く体験することで、より身近に沖縄という地を感じることができたことでしょう。

「草」「花」「根」「果実」のテーマで考えた今回のフードとドリンク。白ワインにランのフレーバーを加えたウェルカムドリンクは、それらの要素すべてが感じられつつ、炭酸ですっきりと仕上げられた。

木に吊り下げられた試験管のなかに、ドリンクとフードが入る。自然の果実を摘んで口に運ぶような原始的な行為が、本能を刺激する。

ガイドの案内とともに園内を進む。閉園時間の後の『熱帯ドリームセンター』は今回のゲストのためだけの貸し切り。

演出や盛り付けに驚きを隠せないゲストたち。こうした工夫、アイデアにより沖縄の食のPRに新たな可能性を見出す。

ミステリアスな夜の植物園とカクテルとフード。その特別な時間は、進むごとにさらなる期待を高まらせる。

各ホテルのスタッフによるサービスと連携もイベント成功の要因。厳しい条件のなかで、各スタッフがプロフェッショナリズムを発揮した。

4時間じっくり煮込んでから、現場で揚げたヤギ肉と、ヤギのヨーグルトを加えた泡盛のカクテル。同じ素材にすることで風味を合わせ、一体感を生む。

順路に沿って進むごとに、このようなバーエリアが出現する。歩きながらホッピングするという新たな感覚が新鮮。

アイデア次第でさらなる進化を遂げるこれからの沖縄のカクテル。

「伝統的な沖縄料理を少しだけ違う角度から見てみる。地元の人にも驚きや発見がある料理を考えました」と東氏。

「たとえば沖縄の定番であるタコライスも、季節の野菜を取り入れるなど少しのアレンジを加えることでまだまだ大きな可能性があります」と言います。

那覇を拠点に活躍する中村氏も同様の意見です。

「国内外の観光客が増えている中で、沖縄のカクテルはまだまだスタンダードなものが中心。県産の素材に焦点をあて、その魅力を伝えていくことがこれからは必要になってくると思います」

その思惑通り、県産の素材、沖縄の伝統を踏まえた上で、別の角度から魅力を引き出した両氏。花束に見立てた盛り付けやフードとドリンクを逆転させた演出、ペアリングでも寄り添うもの、隙間を埋めるもの、味を補完しあうものなど、さまざまなアイデアで、ゲストを驚かせました。

しかし二人にはもうひとつ、大切にしていたことがありました。

それは、今日という日が「特別な一夜」ではなく、これからも続けられること。特別な機材や素材、中村氏や東氏がいなくとも地元スタッフが一丸となって再現できること。

そのためのレシピやオペレーションを考案し、そして沖縄の未来を描く思いをホテルのスタッフたちと共有してきたのです。

「身近で、当たり前だと思っていたものが、宝物だったという感覚。勉強になりましたし、大きな自信も生まれました」

名門ホテルから参加した若手スタッフはそう振り返りました。

沖縄のホテルでは、ディナーの前に回遊するバーが楽しめる。そんなシーンが当たり前になる日も、遠くないのかもしれません。

初の試みに少々戸惑いながらも、手際よく料理を仕上げるスタッフたち。所属ホテルの垣根を越えた交流が生まれたのも、今回の収穫のひとつ。

火の使用不可、限られたスペースなどの条件は、最適化されたホテルの厨房とは別世界。参加したホテルの料理人たちにも、さまざまな学びがあったという。

花束に見立てた沖縄県産マグロのスモークとハーブ。下部のハイビスカスとローゼルのカクテルは、ドレッシングのように料理に重ねるイメージで考案された。

沖縄名物のタコライスをモチーフに、クレープにフーチバーやドラゴンフルーツをあわせた一品。メキシコをルーツとするタコスに合わせ、カクテルはテキーラベースに月桃の香りや生胡椒をあわせた。

最後の一品、アップルバナナのジーマーミ豆腐と、固体にしたアップルバナナのカクテルは、「飲むフードと食べるカクテル」。役割を逆転させる意外性と、味わいと香りの調和が見事。

令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:沖縄県本部町
企画:ONESTORY
協力:沖縄県ホテル協会、沖縄美ら島財団、前田産業ホテルズ
運営:沖縄かりゆしビーチリゾートオーシャンスパ、オリエンタルホテル 沖縄リゾート&スパ、
   ハレクラニ沖縄、ヒルトン沖縄瀬底リゾート、ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート

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歴史を学び、文化を知った上で、いただく。その本質までを深く味わう、進化する琉球料理。

歴史という、進行形で紡がれる物語に自らも参加する。

たとえば歴史の授業のようにただ事実だけを伝えられたのでは、ここまで心に響くことはなかったかもしれません。しかし、そこに物語があり、あまつさえその物語の中に自分自身が組み込まれているなら、それは誰にとっても忘れ得ぬ時間となることでしょう。

今回実施された『Landscape Cuisine with Ryukyuan Hospitality』は、つまりそんな時間でした。

先人たちが歩いたその道をたどり、まさに再興の途にある首里城の現場を見学し、琉球王国の歴史を学び、そして伝統料理の必然性を身をもって知った上で、その伝統からさらに進化した料理を味わう。時空を超えて紡がれる物語に、「食べる」という行為を通して参加する。

そんな沖縄の魅力を味わい尽くす特別なキュイジーヌのはじまりです。

首里城からの眺め。冬の沖縄は夏に比べて観光客が少なく、気候も過ごしやすい。歴史や文化をじっくり巡るにはちょうど良い季節。

御嶽(うたき)とよばれる琉球王国の聖地。そこに込められた意味を知れば、その不思議な存在感も腑に落ちる。

首里城を歩きながら学ぶ、いまは亡き琉球王国。

ツアーは首里城からはじまりました。

ゲストの前に登場したのは、琉球史研究家の上里隆史氏。かつてこの地に生きた人々の息遣いまで聞こえるような臨場感のある解説が持ち味です。

首里城を歩きながら、上里氏の声が響きます。

いまは亡き琉球王国。日本と中国という大国に挟まれながら存続し得た小さな島国の秘密。両国の使者を心尽くしで迎え、この地の魅力を伝えたおもてなしの心。歓迎の席で振る舞われた泡盛や宮廷料理、そして琉球音楽と舞踊。

実際に舞台となった場所を歩きながら聞く解説に、当時の様子がありありと目に浮かびます。やがてツアーは、2019年の火事により失われた首里城正殿が再興されている現場へ。やんばるの木が使われていること、県内の若手職人が中心となって作業にあたっていること、そしてこの焼失を通して老若男女の沖縄県民の心がひとつになりつつあること。語られる言葉のひとつひとつが、心に染み込んできます。

続いては場所を移し、『角萬漆器』へ。ここは創業120年を越える、琉球漆器最古の老舗です。

琉球王朝時代から、愛される琉球漆器。中国から伝わった漆器の技法が温暖な気候と合わさり、発色鮮やかできらびやかな装飾が施される独特な漆器として発展してきました。賓客をもてなす食器としてだけでなく、琉球王国が日本や中国と貿易する際の重要な交易品でもありました。

ゲストを前にそう説明するのは、角萬漆器の六代目・嘉手納豪氏。嘉手納氏の案内で向かった工房では、熟練の職人がまさに琉球漆器を仕上げている最中でした。

王国を支え、使用されていた伝統が、いまも変わらずに存在し、生み出されていること。過去から流れてきた時間が、未来に向かって途絶えずに続いていること。その重みを感じてみれば、琉球漆器がいっそう鮮やかに見えてきます。

琉球史研究家の上里隆史氏。琉球王国に関する著書も多い上里氏が、奥深い琉球王国の文化や伝統を、平易な言葉でわかりやすく解説してくれた。

石の積み方、石碑の文字、湧き水のいわれや各建築物の様式まで、問われた内容に即座に回答する上里氏の知識量に驚く参加者たち。

現在の首里城の再興は、その作業工程を見学できるスタイル。これを通して、沖縄県民の多くが、首里城の存在を改めて強く感じているという。

今からおよそ600年前におこり、450年間にわたり存在した琉球王国。首里城公園には在りし日を偲ばせる遺構も数多く残されている。

『角萬漆器』6代目の嘉手納豪氏。県内きっての老舗であり、琉球漆器の文化を今に伝える重責も担っている。

鮮やかな朱の発色と、精緻な装飾が琉球漆器の特徴。とくに模様が立体的に浮き出る堆錦の技法は『角萬漆器』の真骨頂。

『角萬漆器』の一階はショップ。食器のほかアクセサリーなどの現代的な漆器も販売されている。

漆器の制作現場は、見ているだけで息が詰まるような精密な作業。熟練の職人の技術が垣間見える。

『角萬漆器』に併設されたカフェにて、しばしの休息。漆器でいただくお茶と茶菓子は格別。

使者を迎え、もてなすためだけに発展した琉球古典音楽。

次の目的地は那覇市内にある『福州園』。ここは那覇市と中国福建省福州市の友好都市締結10周年を記念して1992年に完成した中国式庭園。

比較的新しい名所ではありますが、この『福州園』がある那覇市久米というエリアは600年ほど前から福建省からの移住者が住み始めた地。中国との縁が深いこの地で、中国の伝統を忠実に再現した庭園を歩くことは、ひとしおの感慨をもたらします。

さらにこの場所にはレセプションイベントも用意されていました。

園内の一角に準備されたテーブルに着くと、登場したのは国指定重要無形文化財である琉球古典音楽の担い手、山内昌也氏。 山内氏の歌三線と、ひとりの踊り手で織りなす琉球王国式のもてなしです。

山内氏の奏でる音楽は、陽気な沖縄民謡のイメージとは異なり、どこか物悲しく、静謐で神聖な雰囲気。沖縄県立芸術大学音楽学部長でもある山内氏が、後に教えてくれました。

「琉球古典音楽というのは、首里城の中でだけ、海外からの使者を歓待、歓迎するために上演されていました。その琉球王国が明治12年に滅亡し、首里城で演奏されていた方々が食べるために各地を回って演奏していく中で変わってきたものが、現在の沖縄民謡の基礎になっています」

つまり、この日演奏された音楽は、完全にゲストを歓迎するためだけに生まれた芸能ということ。しかし、伝統的な音楽をそのまま現代に再現しているわけではありません。実はかつて琉球古典音楽は、大勢の演奏、踊り手によって上演されるのが一般的でした。

それを歌三線ひとり、踊り手ひとりという現代に合ったスタイルに変えたのがこの山内氏。

「さまざまな文化を取り入れて発展してきたのが琉球王国。時代に沿ったスタイルに変えていくことも、また自然なことだと思います」

沖縄と中国の親交を象徴する『福州園』。園内には中国から取り寄せた建材で織りなすさまざまな景観があり、見飽きることがない。

異国情緒があるのに、どこか懐かしさも感じさせる園内の風景。庭園全体がひとつのアート作品のような美しさを持っている。

円卓に用意された泡盛は、カラカラ(酒器)トチブグヮー(おちょこ)と呼ばれる伝統的な器で少しずつ味わう。

琉球古典音楽師範の山内氏。伝統的な音楽を守りながら、現代にふさわしい姿で伝えていく道を追求している。

山内氏が考案した歌三線ひとりと踊り手ひとりの上演は、それ自体がグッドデザイン賞を受賞するなど、国内外で高く評価されている。

県内と県外。ふたつの視点で見つめた、“今あるべき”琉球料理。

半日かけて伝統、文化を体験してきたツアー。ただの座学ではなく、実際に見て、触れて、聞いてきたからこそ、ゲストたちはまるで在りし日の琉球王国に旅したような気分で、その伝統を身近に感じてきました。

そしてその一日の集大成が、『ノボテル沖縄那覇』でのディナーです。

料理を担うのは福岡『Goh』で世界的評価を確立したシェフ福山剛氏と、『ノボテル沖縄那覇』の総料理長、前川守晃氏。ふたりで話し合いながら新たに解釈した琉球宮廷料理がテーマのコースです。

「琉球料理はおそらく、中国だけでなく、アジア各国などさまざまな文化を取り入れながら進化してきた料理。これからもいろいろな人がアレンジして、さらに進化していけば良いと思います」

豪放磊落な福山氏はそう話しますが、言葉の節々には今回の監修にあたって、さまざまな琉球料理を敬意をもって学び、体験してきたことが伺えます。

一方の前川氏はもう少し複雑です。実は前川氏は「琉球料理伝承人」という伝統的な琉球料理を守り、伝えていく役割も担う人物。その上で、前川氏は言います。

「私たち料理人の務めは、基礎を踏まえ、本質を守った上で進化した料理を提供し、より多くの人に琉球料理を知ってもらうこと。今回は福山シェフという世界的なシェフとご一緒させて頂きながら、その思いと真摯に向き合って料理をつくっていきたい」

そんなふたりが考案した料理は、まさに進化した琉球伝統料理と呼ぶにふさわしい内容。琉球漆器の器には、伝統的な琉球料理が盛り付けられます。しかし、たとえば田芋の煮物であるドゥルワカシーは、フリットにしてトリュフのソースとともに。ヤギはコンソメスープ、夜光貝はリゾット、ゆし豆腐はなんとカレー。それぞれがただの創作料理ではなく“進化した琉球料理”と感じられるのは、ふたりのシェフが伝統の本質を理解し、変えてはいけない部分を決して変えていないから。泡盛のエキスパートである『比嘉邸』バーテンダー・比嘉康二氏のドリンクも、料理と響き合います。

そんな料理とドリンクの質そのものもさることながら、半日かけて歴史を学ぶことで助走してきたゲストにとって、この時間はより感慨深いものだったことでしょう。おいしい料理、素晴らしい空間という横軸に、歴史という縦軸が加わることで感じる深み。この試みはきっと、これから沖縄の魅力をより深く、強く伝えるための強い武器となることでしょう。

福山氏(左)と前川氏(右)。前川氏は福山氏とのコラボで得た学びについて「シンプルかつ洗練された料理、メリハリある段取りとホスピタリティ、料理の丁寧さ、味と香りのバランスなど、挙げればきりがありません」と振り返る。

沖縄における泡盛のエキスパートである『比嘉邸』の比嘉氏。今回は料理との調和を考えながら、さまざまなドリンクを考案した。

前菜の盛り合わせは琉球王国の宮廷料理に使われた「東道盆(トゥンダーブン)」に盛り付け。ハーブを加えた泡盛とともに。

冬トリュフのピューレと削ったトリュフを乗せた田芋のドゥルワカシーのフリット。ドリンクは揚げ物に合わせ、爽快感のあるハイボール。

コンソメで炊いた美ら山羊に島人参、島牛蒡をあわせたスープ。玄米緑茶にフーチバー(よもぎ)をあわせたドリンクはノンアルコール。

福山氏の『Goh』のスペシャリテを沖縄県産食材でアレンジした夜光貝の肝とあおさの赤米リゾット。ドリンクは濃厚な料理に合わせ、酒精強化ワインのようなニュアンスを泡盛で表現。

やんばるアグー豚の煮込み料理。豚の脂身の濃度に合わせ、洗練された甘い香りを持つ泡盛「The MIZUHO」をチョイスした。

からしな、ゆし豆腐を使ったカレーは前川氏が「もっとも印象深い料理」と振り返る一品。県内産豆の深煎りコーヒーを加えたコーヒー泡盛とともに。

デザートは炊いた黒豆に黒糖寒天、黒糖アイス、黒糖ラム。沖縄の名産である黒糖を上質な菓子に仕立てた。

300年ほど前に中国の福州から琉球に伝わったという伝統菓子、きっぱんと冬瓜漬け。凝縮感のある古酒の泡盛とともに。

令和6年度高付加価値なインバウンド観光地づくり事業
主催:沖縄・奄美共同検討委員会
場所:沖縄県那覇市
企画:ONESTORY
協力:沖縄県調理師会、角萬漆器、ノボテル沖縄那覇

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沖縄と奄美大島を舞台にしたガストロノミーイベント。ただ通り過ぎるだけでは知り得ない島の本質を伝える試み。

トップシェフの監修のもと、地元ホテルと料理人がゲストを迎える。

年間平均気温約23度、エメラルドグリーンの海に囲まれた沖縄。そして豊かな自然に囲まれた世界自然遺産の奄美大島。どちらも日本を代表する観光地であることは、疑いようもありません。そしてあまりに素晴らしい環境に満足し、私たちはときどき、ただのんびりと過ごすことで、その旅を謳歌します。

もちろんそれは旅のひとつの形でしょう。しかし沖縄、奄美には、それだけではない素晴らしさが眠っています。独特の文化があり、伝統があり、植生があり、食べ物があります。ただ「遊ぶ」だけでは知り得ない本当の島。学び、感じ、体験することで初めてわかる本当の魅力。

この度、そんな島の魅力を伝えるための、3つのガストロノミーイベントが行われました。観光庁による「高付加価値なインバウンド観光地づくりモデル観光地」に選ばれる沖縄・奄美エリア。島の潜在的な価値をいっそう高め、広めるため、トップシェフの監修のもと、現地のホテルや料理人が一丸となり、より深く、より進化した今の味を伝えるイベントが開催されたのです。参加者たちは食を通して、ただ通り過ぎるだけでは知り得ないリアルな島を体感しました。今回は旅行関係者などを招いた実証試験の形でしたが、そう遠くないうちに皆様に体験いただけるものとなるでしょう。

では3つのイベントがどのようなものだったのか、内容を振り返ってみましょう。

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先人のアバンギャルドに対し、自分たちは、今、何ができるか。

「一歩一景と称されるほど、美しい風景も然り、栗林大茶会を振り返ると、自分は、スタッフやお客様の顔の風景が心に浮かびます。これも自分にとって大事な一景」と話す、茶の湯監修を務めた茶人・武井宗道氏。

NEW STYLE of TEA PARTY固定化されてしまった茶の湯の世界への疑問。

「良い道具、良いお点前……、良い茶会とは何か……。近年になればなるほど、価値観は固定され、語弊を恐れずに言えば、現代のお茶の世界に限界を感じていました」。

そう話すのは、「栗林大茶会」にて、茶の湯監修を務めた茶人・武井宗道氏です。

「栗林大茶会の大きな特徴は、ふたつあると思います。まずひとつは、特別名勝・栗林公園(以下、栗林公園)という壮大な舞台で行われるということ。もうひとつは、異業種で構成されているということ」。

今回、掲げたテーマは、守破離。参画した監修者は、武井氏のほか、和菓子監修には「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏、飲料監修にはバーテンダーの南雲主于三氏、空間設計監修には、建築家の永山祐子氏を迎えます。一見、接点がないように見えますが、全員に共通していることは「一流」であるということ。多彩な感性の共鳴は、むしろ同業で構成されるチーム以上の成果を発揮することは言うまでもありません。

「今までにない茶会ができると思いました。お茶の侘び寂び、精神性と向き合う時、いつも400年前はどうだったんだろうと、必ず振り返ります。当時、茶の湯は最先端であり、そこで様々な情報が交わされていました。つまり、茶会から革新が生まれていたのです」。

小さな空間から生まれたそれらは、大きな時代の波をも凌駕する、カウンターカルチャーと形容するに相応しい情報基地であり、文化の交差点。

「茶の湯は、職人さんが作った道具とそれを使う亭主の関係で成り立ちます。監修者の皆は、それぞれの業種において、作り手であり使い手であったことが好相性だったと思います。良い作り手は、オーダーを超えるものを作りますから。そして、想像を超えるものができた時、想像を超える使い方をするのが茶の湯の文化。栗林大茶会では、それが毎日進化していったと思います」。

「良い茶道具を持つよりも、茶道具の使い方を研究したい。自分の体と道具を一体化させ、風景となるのが理想」と話す通り、流れるような所作は、「栗林公園」の一景に溶け込む。

NEW STYLE of TEA PARTY何となく良い茶会だった。それが理想的な茶会。

「栗林大茶会」の世界は、その名の通り、壮大な茶会となりました。「栗林公園」という約23万坪の敷地面積も然り、永山氏監修のもと点在した空間は、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬が手がけました。松の木を横倒し屋根に見立てた「臥松庵」、巨大な純白の掛け軸が特徴の「露庵」、池に浮かぶ「泳月庵」は、風景の中にまた風景を形成し、特異ですが、自然に馴染む一景を創り上げました。

そこに南雲氏のカクテルや加藤氏の和菓子が加わり、味や香りが体験に奥行きを与えます。

また、前述の監修者以外に武井氏が招集したのが、日本らしいwell-beingをwelll-downと捉え、探求しているアートコレクティブ「Ochill」と芸術として工芸作品を扱う「B-OWND(ビーオウンド)」でした。

武井氏は、三井氏が手がけた「臥松庵」でも亭主を務め、薄茶を供しましたが、その空間とともに稀有な体験を引き立てたのが、「B-OWND」の器でした。強烈に強い主張を放つそれらは、ある種、薄茶と合わせることでバランスが取られ、ゲストも興味津々、興奮状態。

「B-OWNDはギャラリーでも骨董屋でもありません。派手な作品が多いですが、経験に裏打ちされた技術によって創作された器は、全て素晴らしい。お茶の世界では、社会的な地位と名誉だけでは満足できず、現代との比較ではなく、歴史上の人物と比較してしまう傾向にあります。ゆえに、先人たちが持っていたものを手に入れたい欲求が芽生え、道具屋も人を選んでそれを売る。しかし、B-OWNDは、既存で価値化されているものを収集するのではなく、現代における新しい価値を作り、広げようとしています。実際のお客様もお茶の世界にはいない人たちが多いですが、茶道具としても面白い。千利休の時代も、朝鮮から持ってきた何でもないものに価値を付けました。既に誰かが良いと判断したものに目を向けるだけでなく、まだ光が当たっていないものに価値を見出す審美眼が大事だと思っております」。

「いつの時代もイノベーションを起こした人たちは、芸術性も高い」とは、「ファロ」加藤氏の言葉。「栗林大茶会」には、そんなエッセンスとメッセージが多分に込められていました。

また、「日暮亭」にて行われた「Ochill」の体験も驚愕。それは吸うお茶です。

「吸うと言っても、液体を吸うわけではありません。お茶の煙を吸う茶会になります。液体を体に取り入れるわけではないのですが、飲んだ時と同じような満足度は、なんとも言えない不思議な感覚。Ochillは、コンセプチュアルな表現が目立ちますが、地に足ついた物事の捉え方をしており、そのプレゼンテーションも圧巻。彼らの研究は、新しい茶の湯の可能性を見出したと思います」。

お茶はもちろん、カクテル、和菓子、建築、器……。全てに作り手がおり、それまでに費やした長い月日があります。様々が交錯する無限の方程式で組み合わさったかたちが「栗林大茶会」なのです。

「栗林大茶会の構想を練る時、かつて豊臣秀吉と千利休が開いた北野大茶湯を想像しました。茶碗を持って来さえすれば誰でもが参加できた茶会でしたが、そのような自由な楽しみを感じていただければと思いました。当時、抹茶は高級品だったため、手に入らない人は、焦がし(小麦粉を炒ったもの)を用いて茶会を開いていました。そうした背景を見ると、抹茶だけにこだわる必要すらないのかもしれません。いつの時代にも、答えは過去にあるのだと思います」。

改めて、「栗林大茶会」を振り返ると、どんな茶会だったのでしょうか。

「良い茶会は、良い道具を使えば成り立つわけではないと思っております。それよりも、良い使い手にならなければいけません。それは道具と体を一体化させることにあると思います。そうすることによって全てが風景になります。道具や掛け軸、お茶やお菓子などの詳細が記憶に残ってしまうようであれば、それは亭主として一体化できなかったということ。全てを忘れてしまうほど、楽しんでもらえるような茶会こそ、理想的。栗林大茶会も、何となく良い茶会だったと思ってくれたら、この上なく嬉しく思います」。

上記写真含め、「臥松庵」で使用された器や茶道具の主は、「B-OWND」のもの。斬新なデザインは、まるでアート。

「日暮亭」にて行われた「Ochill」の吸うお茶の仕組みは、このように行われる。活字では言い表せない不思議な体験。

炭の熱によってお茶の中を煙を通り、それを吸う。まるで科学のような新たな茶の湯の体験。

NEW STYLE of TEA PARTY茶人は無能であれ。大切にしたかったことはフレーム作り。

「今回、茶の湯監修として携わらせていただきましたが、自分の茶会にはしたくありませんでした」。

そこで大切にしたかったことがフレーム作り。

「何が起こるか、わからないのが茶会。ましてや、大所帯から成る栗林大茶会においては、臨機応変に対応できるかどうかも非常に重要なポイントでした。そんな時、フレームが崩れないようにするのが自分の仕事。これは規模の大小に関わらず、自分が大切にしていることです」。

武井氏の言う、フレーム作りとは何か? そこには、歴史を遡り、考察した、深い想いが込められていました。

「昔の茶室は、いわゆる田舎屋。大工さんに全てをお願いしたいけれど、お金がなかったので、フレームまでしか頼めず、農民たちは、自分たちで土壁を作っていました。だから、土壁にはその土地の個性がありました。今回の考え方も同じです。栗林大茶会に関わっていただいた香川の方々が壁を作ってくれたことで、命が吹き込まれたと思っています」。

言わば、フレームは線であり、壁は面。存在の大きな面を地元に委ねることによって、「自分の存在を感じないことが一番」と言葉を続けます。

「以前、千利休の茶の湯を知るべく、多くの茶書を読み調べしたのですが、最も刺激を受けたものが山上宗二記でした。その中に、“茶の湯者は無能であれ”という言葉があります。人間はどこまでいっても無能であり、初心であるにも関わらず、自身を有能だと勘違いし、何かを悟ったなどと思うことは、とても嘆かわしいこと。お茶ができることと、何も知らない人の差など、人生においては無いと言って良いでしょう。むしろ、何も知らないでいることを尊ばねば、その先はないとも思うのです。栗林大茶会に携わっていただいた方々は、分野の違いが互いを引き立て合い、利己主義ではなく利他主義の世界を無意識に作り上げていました。それが心地良かったです。お茶は流儀ではなく、心」。

「栗林大茶会」の次なる目標は、「百歩百景」と武井氏。

「栗林公園を称する言葉、一歩一景になぞるならば、栗林大茶会を進化させ、百歩百景の大茶会を目指したい。そして、今後、栗林大茶会が文化になるのならば、今回がその一歩から生まれた一景」。

先人たちのアバンギャルドな茶会に対し、「栗林大茶会」はそれに近づけたのか。はたまた、100年後から見た栗林大茶会は、アバンギャルドだったと思われるのだろうか。

武井氏の言葉を振り返る。「いつの時代にも、答えは過去にある」。

「栗林大茶会」もまた、いつの日か誰かの答えを見出させる過去になれることを願う。

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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環境問題とも向き合った、和菓子のコンテクスト。

自身の作るお菓子に合わせてドリンクを選んでもらう側から、今回はお茶に合わせて和菓子を作る側へ。「ソムリエのような気持ちで和菓子作りをしました」と話す、和菓子の監修を務めた「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏。

NEW STYLE of TEA PARTYなぜ私? そんな疑問から始まった「栗林大茶会」。

「実は、数年前から和菓子に対して非常に興味を持ちはじめ、色々、個人的に研究していました。とはいえ、公に活動していたわけではありませんし、私自身は洋菓子。なぜ私?という疑問から、栗林大茶会は始まりました」。

そう話すのは、和菓子の監修を務めた「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏です。イタリアでの生活も長かったこともあり、和菓子を食べる習慣もほぼなくこれまでを過ごしてきた加藤氏は、まずリサーチから始めます。

「まず、人に会い、店に足を運び、文献を読み、その上でコンテクストを構築していこうと思いました。様々得た情報の中で、作り手からの目線で感じたことは、洋菓子よりも和菓子の制作工程がはるかに多いということ。貴重な素材が使われているものもありましたが、それが数百円で販売されていたり……。外国の友人にも和菓子を食べる頻度を伺いましたが、来日しても、ほとんど食べないという意見もありました。それを受け、自分なりに思ったことは、海外だと、豆はお肉の付け合わせや煮込み料理に使用されることが多く、味付けも塩胡椒やオリーブオイルなどがほとんど。甘い豆を食べる文化がありません。最初から最後まで一定な味ということにも、少し単調な印象があるのかもしれません」。

今回、参画した和菓子屋は、「日和制作所」、「三友堂」、夢菓房たから」、「御菓子司 寳月堂」、「瀬戸内パウダーラボ」の5店。

「今回は、栗林大茶会という、ちょっと遊び心のある試み。そこで、皆さんには、まず何をやりたいかを伺いました。私は、そこにほんの一手間を加えるという手順で進めていきました」。

全てにおいて共通していることは、ゼロからの開発をするわけではないこと。なぜなら、「続かないものや再現できないものを作っても意味がないから」。

加藤氏は、「栗林大茶会」が終わった後も、そのレシピを各店のものにしたかったのです。

「今後もお店としても展開できるもの作りをしたかった。私は、そっと門を叩いて、そっと門を出るだけ。ただ、出た後に何かを残したかった」。

「露庵」では、「夢菓房 たから」と共に、練り切りを提供。生地にはライムの皮、中の白餡は檜チップと共に炊き、香りを纏わせ、ラズベリーのパウダーで色付け。ほうじ茶とも好相性。

「泳月庵」では、「寳月堂」と共に、生落雁(サワーチェリーのピューレ)、琥珀糖(金木犀、エルダーフラワーシロップ)を、「瀬戸内パウダーラボ」と共においり(レモン果汁パウダー)の吹き寄せを提供。船上からの景色を楽しみながら、つまんで食べられる和菓子をイメージして吹寄にまとめた。

NEW STYLE of TEA PARTY合わせられる側から、合わせる側へ。

これは、加藤氏が「栗林大茶会」における、自身の仕事を表現した言葉です。

「いつもは、私のお菓子に対して、ソムリエがペアリングしてくれます。つまり、合わせられる側にいるのです。ですが、今回の主は、あくまでも茶会。お茶に合わせてお菓子を作りました」。

そこでひとつキーワードとなったのが香りです。和菓子の世界では、香りはお茶の妨げになることがあるため、あまり採用されませんが、バラ、ライム、ラズベリーなどを利かせたそれらは、和菓子の「和」の比重と「菓子」の比重を程良いバランスに整合。また、臭覚の香りではなく、味覚の香りの構築は、加藤氏ならではと言ってよいでしょう。ゆえに、お茶を濁さず、香りを楽しめる茶会の一助となりました。

「和菓子は非常に文化的で、厳格な世界だと思っております。ですが、世界的に見て考えた時、もう少し多様性があっても良いのではないかと考えました。例えば、お茶だけでなく、珈琲やカクテルと合わせる和菓子があっても良いのではと」。

型を崩さず、味の広がりを表現できたのは、前述の5店の確固たる基盤があったからこそ。例えば、和三盆糖のお干菓子には、ほんの一滴、オーブオイルを垂らし、「通常ではお干菓子と合わせない濃茶とのペアリングだったため、全てグリーンノートで合わせたら、爽やかな森になるんじゃないかなと」。

味覚の風景から想像するアイディアは、加藤氏の類稀なる感性によるものであり、これもまた一景。味の記憶は皿の上に留まりますが、香りの記憶は風景として残るでしょう。

「願わくば、お客様の人生の中で、その一景を覚えていてほしい」。

「日暮亭」では、「三友堂」と共に、「錦玉羹」を提供。味にはアールグレイを効かせ、ローズウォーターと赤紫蘇のマイクロハーブを添えて。糖分を抑えたのも特徴。

「掬月亭」では、「日和制作所」と共に、和三盆糖のお干菓子を提供。その場で型抜きした出来立ては、鮮度を感じる食感。オリーブの葉、ライムの皮を効かせ、食べる直前に香川「オキオリーブオイル」を垂らし、提供。

「臥松庵」 では、「夢菓房 たから」と共に、ごま餅を提供。お餅は香川県の庵治石をイメージし、黒ゴマを含ませ、白餡には香川県オリジナル品種 温州みかん 小原紅早生のピールを使用。

NEW STYLE of TEA PARTY和菓子を通して対峙する、日本の環境問題。

今回、印象的だった和菓子の香りに、ヒノキがあります。これは、「栗林大茶会」だけでなく、「Ritsurin Chaji」にも採用された技法です。日本の伝統的な香りでもあり、和菓子との好相性も理由のひとつですが、実は、より深い想いが込められているのです。

「昨今、様々な環境問題がありますが、中でも放置林に注視しています。主には人工林のため、人間の問題です。木造建築からコンクリート建築になる時代背景などもあるとは思いますが、植生が荒れることによって、温暖化にも繋がり、生態系が崩れる恐れもあります。雨や台風時の災害リスクも大きくなりますし、大きな危機を迎えていると感じています」。

育てる時代から、整える時代へ向かわねばならない一方、国有林や保護区などになると、容易に伐採もできないため、一筋縄にはいきません。加藤氏は、ヒノキの香りを取り入れることによって、その問題を皆で対峙したいと考えたのです。

「木は偉大な生き物。木のセカンドライフとして、尊厳ある関わり方をシェフとして、人として、行いたいと思いました。お茶も自然も含め、日本の資産は素晴らしい。その魅力を伝えることは、私たち日本人のためにもなります。今回のように、イノベーションマインドを持っている人たちと地域の人たちが交わり、ほんの少しクールに魅せてあげるだけで、グローバル化された世界の中でも際立った表現もできることがわかりました」。

その輪を拡張し、強固にするためには、地方自治体、県、さらには国による関係構築も必須なのかもしれません。

「3年後、10年後、50年後の世界ではなく、私が死を迎えたあとのことまで考えたい。和菓子には、日本人が尊いと思う全てが込められていると思うから」。

「栗林大茶会」の前に開催された「Ritsurin Chaji」の和菓子も加藤氏が担う。「夢菓房 たから」と共に「露庵」で提供した練り切りを用意。(撮影:MIKUTO TANAKA)

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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茶人ではないから成せた守破離。

「栗林大茶会を通して、お茶の幅を持たせたかった。カフェインの量や液体の量のバランス、和菓子との相性、そして建築や風景と共に過ごす体験を含め、総合的な満足度をどう高められるかを熟考しました」と、飲料監修を務めたバーテンダー、南雲主于三氏。

NEW STYLE of TEA PARTY異業種が交錯することによって生まれたお茶の可能性。

特別名勝「栗林公園」(以下、栗林公園)にて行われた「栗林大茶会」には、4人のキーパーソンが存在します。そのひとりが、飲料監修を務めたバーテンダー、南雲主于三氏です。

「茶の湯監修、和菓子監修、空間監修と建築チーム……。栗林大茶会の特徴のひとつとして挙げられるのは、地元の方々との関わりを基本に、県外からの異業種が混在していることだと思います。どんな空間ができあがり、それをどの順番で巡回し、どんなお菓子が供されるのか。構成されるピースが多いため、各所と緻密に確認しながら構成していきました」。

南雲氏をはじめ、皆が表現したかったのは、お茶の新しい価値化。目指すテーマは、守破離。

「まず、伝統的なものを守ること。そして、型を崩さず、それを破ること。さらに、そこから離れ、独自の世界を確立すること。僕は、茶人でありません。しかし、これまでもお茶の可能性を追求すべく、カクテルをはじめとした様々な新しい挑戦をしてきました。その見地が今回は活かせたと思います。そして、異業種が交わることで、自分も想像しなかったような体験を生み出すことができたと思いました」。

想像しなかったような体験として挙げられるのは、空間と器の存在が大きかったでしょう。空間設計の監修には、世界を舞台に活躍する永山祐子氏を迎え、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気(以下、VUILD)、KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬(以下、KASA)が参画。3つの世界を創造しました。

「臥松庵」と名付けられた三井氏の設計は、横倒しされた一本の松が屋根に見立てられた野点。亭主は、茶の湯監修を務める武家茶道・武井宗道氏が担い、薄茶を供しますが、その器は、もはやアートと呼ぶに相応しい「B-OWND(ビーオウンド)」の工芸作品。一見奇抜のように見えますが、不自然と自然が絶妙な世界を形成し、南雲氏が言う、想像もしなかった世界の好例と言えるでしょう。

「三井さんの臥松庵、KASAの露庵、VUILDの泳月庵。全てに共通するのは、この広大な敷地面積の中から、たった1点の場所を見つける着眼点の凄さ。自分の役目は、場が生まれたことによって、そこで何を飲んだら心地良いか。自分が作りたいものではなく、空間と風景と器が合わさった時、どんなものを供したら全てのバランスが整うのかを考えました」。

ここまでは、守破離の破と離。しかし、これらの体験が生きるのは、地元の老舗料亭「二蝶」代表・山本亘氏の「守」があってこそ。「山本さんが亭主を務める掬月亭がなければ何も成立しません」と南雲氏も話します。

とはいえ、山本氏の見立てにおいても古典だけではありません。中でも、イサム・ノグチがデザインした和紙の装飾や流政之の器の起用は、香川が持つ高い芸術性を漂わせ、モダンなエッセンスも加味されていました。

「お茶は最先端の文化。ただ嗜むだけでなく、歴史や文化、さらには、芸術やセンスも必要だと思います。栗林大茶会では、そこまで難しいことはしませんでしたが、そういった知見を学ぶことによって、より高度なコミュニケーションが取れると思います」。

「栗林大茶会」に供したドリンクは、日本全国より、原材料を厳選。三井嶺氏が手がけた「臥松庵」では、京都「出島園」のさみどり 麗、さみどり葵とさみどり奏をブレンドした薄茶を用意。

KASAが手がけた「露庵」では、福岡「星野製茶園」の伝統本玉露 ほしの秘園、ほうじ茶 香駿、「中国茶専門店GUDDI」の 極品桂花茶を用意。

VUILDが手がけた「泳月庵」では、阿波晩茶、香川「川鶴酒造」のさぬきオリーブ酵母仕込みの純米生原酒のカクテルと地元のバーテンダーが3日かけて作り上げた阿波晩茶のモクテルを用意。

「Ochill」が亭主を務めた「日暮亭」では、深煎りのほうじ茶を漬け込んだポートワインを用意。ポートワインを口に含んでの茶香は、心地良い苦みを纏わせ、より深い上質な味わいへと誘う。

「二蝶」代表・山本亘氏が亭主を務めた「掬月亭」では、斬新な見立てでゲストを魅了。流政之の器やイサム・ノグチの装飾など、香川にゆかりのあるものから、気鋭の作家、桑田卓郎の器まで、貴重な作品が続々と登場。

NEW STYLE of TEA PARTY完全じゃないから面白い。不完全の美学。

「栗林大茶会は、過去と未来をつなぐものだと考えています」。

昔と比べ、これほどまでに世界が変わった現代において、もし、当時の茶人がお茶を表現したらどんな世界を作り上げるのか……。もしかしたら、もっと最先端の技術を取り入れるのか……。と、南雲氏はそんなことを想像しているのです。

「今回、建築や器、カクテルなどの視点からお茶の新しい価値化を目指しましたが、例えば、音楽や映像などを取り入れても面白いかもしれません。さらには、VRも。現実と非現実を交錯させることもできますし、テクノロジーの進化によって、過去と現在の世界をつなぐこともできるかもしれません。そんな時に、どんなドリンクを提供できるのか!? 想像しただけでもワクワクします」。

一歩一景とは、「栗林公園」を表現する言葉。一歩歩くごとに、その風景が様変わりすることを意味しますが、南雲氏が表現したい風景は、歩くだけでは見ることのできない風景。見える景色もあれば、見えない景色もまたあり。

「自分は、味覚で風景を作りたかった」と南雲氏。

今回、それは成せたのか? 完璧を求めればまだまだできることがあったに違いありませんが、不完全の美こそ、「栗林大茶会」なのかもしれません。それはなぜか。かのイサム・ノグチが残した言葉に「栗林大茶会」を見出したいと思います。

「完璧じゃないから面白い」。

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:株式会社ナイスタウン、フリット(翻訳サービス)


Photographs:SHINGO NITTA
Text:YUICHI KURAMOCHI

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