文化は趣味の世界ではない。「ほんまもん」を伝え続けるために。

「Ritsurin Chaji」の亭主を務めた老舗料亭「二蝶」代表の山本亘氏。「料亭も茶事もトータルで日本文化。失われつつある、元来の日本を残したいと思っています」。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremonyずっと栗林公園を世界に広めたかった。

高松の老舗料亭「二蝶」が特別名勝「栗林公園」(以下、栗林公園)の掬月亭と日暮亭の管理を担うことになったのは、2019年のこと。その直後、新型コロナウイルスが世界に難局をもたらしました。

「掬月亭では、香川三大茶会のひとつ、蓮見茶会が毎年行われていましたが、2020年夏、コロナ禍に見舞われ、初めて延期を余儀なくされました。以降、その代わりに何かできないかと、始めたのが芙蓉茶会でした。しかし、参加できるお客様は日本人に限るため、外国人の皆様にも茶事や栗林公園を広めたいという想いが常にありました。何かかたちにできないかと、色々試みたのですが、実現には至らず、そんな時にご縁をいただいたのがRitsurin Chajiでした。自分にとっては、まさに渡りに船。素晴らしい経験をさせていただきました」。

この言葉の主は、老舗料亭「二蝶」代表、山本亘氏。「Ritsurin Chaji」への参画のきっかけと、それ以前の想いをそう振り返ります。

「Ritsurin Chaji」のゲストは外国人が多数。本物の日本文化を体験してほしい亭主と本物の日本文化を体験したいゲストは、すぐに国境の壁を超え、心地良い時間を紡いでゆきます。

「非常に印象的だったのは、解説を熱心に聞いてくださり、学びへの向上心が高かったことでした。お客様も真剣ゆえ、自分も真剣勝負。ですが、気さくな皆様だったゆえ、楽しくお伝えすることができました。一番楽しまれていたのは、アレックスさんのようにも見えましたが(笑)」。

本物の日本とその文化度の高さを外国人へ伝えるのは至難の業。なぜなら、日本人ですらそれを理解している人が少ないから。今回、見事に成せたのは、山本氏が持つ知識とアレックス氏の知識が絶妙に結実し、亭主とガイドの機能が阿吽の呼吸で歯車が噛み合ったことにあります。

そして、何よりゲストを感動させたのは、掬月亭にて行われた茶事の体験でした。

「日本人だからといって、日本の文化を理解できるとは限らないと思っています。海外の人も含め、文化に興味のある皆様に体験いただきたい」と亘氏。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony無意識に意識を向ける。何となく、いい感じに。

今回、食事を手がけたのは、「二蝶」料理長、山本 蓮氏。向附、汁、椀物、焼き物、強肴、進肴、香の物の7品で構成された内容は、ヴィーガンスタイル。

「ヴィーガンの取り組みをしてから約一年になります。ヴィーガンといえば、味が薄かったり、お腹いっぱいにならなかったりする印象があると思いますが、自分が意識しているのは、これがヴィーガンだったら、毎日でも食べたいと思える料理。満足感は意識しています」。

確かに、料理に物足りなさを感じることはない。むしろ、蓮氏の言う通り、食後は満足感に満たされる。その理由を紐解いてみようと思うと、「自分の料理は雰囲気なんですよね。何となく、いい感じに」。

雰囲気……、何となく、いい感じに……。なるほど。

しかし、この発言は、決してふわりとしたものではなく、無意識に意識を向けた料理を構築する上での感性だと考えます。

「例えば、ラーメンは、スープや麺がフォーカスされると思います。ですが、自分は、ネギや海苔などが実は味の決め手なんじゃないかと考えるんです。当たり前のように丼に添えてあり、何となく、いい感じにまとまっているように見えますが、その何となくが、結構重要なんじゃないかなと」。

そこでヒントになったのが胡椒。ラーメン然り、ある日、家族がクリームチーズに何となく、胡椒を降って食べているのを見て、これは白和えにも合うのでは!?と閃き、実験。今回、提供された、向附の柿、無花果、栗の白和えには、ブラックペッパーを少々効かせ、アクセントに。ゲストを感動させたひと皿でもあります。また、香りにおいてもセオリーを覆します。

古典的な料理は、季節によって旬のものを一連の流れで採用します。例えば、ゆずの時季になれば、先付けもゆず、焼き物もゆず、炊き合わせもゆず。流れとしては、概念通り。しかし、今回は、料理ごとに香りも変化。これにおいても、「何となく、その方が、いい感じになるかなと」。

実は、蓮氏は、フレンチのシェフでした。その後、実家である「二蝶」に戻り、料理長に。一変したスタイルのように見えますが、「フランス料理と日本料理は、技法が似ている」と話します。そして、「フランス料理でヴィーガンをやろうと思うと難しい。ですが、日本料理は相性が良い」と言葉を続けます。精進料理はその好例と言って良いでしょう。全てにおいて、柔軟な見解が、いい感じに作用します。

「蓮に任せてからは、自分は料理に関与していません。むしろ、調理場にすら入らない。自分のレシピも一切ありません」と亘氏。

これまで、何となく、いい感じに、を連呼してきた蓮氏ですが、この3つは、はっきりと答えていました。

「お茶の料理であること」、「基礎は父の料理」、そして、「僕は二蝶が好き」。

「二蝶」の由来は、二百余名の芸妓衆が活躍する「さぬき芸どころ」と言われていた時代、その雅なる往時の芸妓「二蝶」の名を受け継ぎ、その屋号は、ふたつの蝶が上へ上へ舞い上がる様、隆盛を願い、名付けられました。(二蝶HPより、一部抜粋)

「Ritsurin Chaji」で紡がれた時間は、まさに二蝶が舞うファンタジー。

茶事の際、床の間に活けられていたのは、枯れた蓮の花。これは、数年前に北庭に咲いた花を干したもの。

「今回、周遊できなかった北庭の雰囲気を少しだけでも感じていただければ」と亘氏。語られたのはそこまででしたが、子への愛も込められているのではないでしょうか。

料理は一変しても、精神は不変。

変化は時に恐怖であり、ましてや、客商売となれば、今まで足を運んでくれたお客様が来なくなるのでは、という不安も付きまといます。ゆえに、躊躇してしまいますが、継いだら任せる「二蝶」たるこの潔さ。きっとそれは家族だから決断できたのかもしれません。そして、家族だから何も怖くない。

7品で構成された今回の料理は全てヴィーガンスタイル。手がけたのは、老舗料亭「二蝶」料理長の山本蓮氏。柿、無花果、栗、白和え、ブラックペッパーの向附、小芋、黒胡麻、辛子の汁、ごはんから会が始まる。

飛龍頭、菊花、やまふしたけ、隠元の椀物。「自分のヴィーガンは、雰囲気。何となく、いい感じに」と蓮氏。

大トロ茄子の蒲焼の焼き物。蓮氏が「満足感を意識している」と語るよう、物足りなさは一切ない。加えて、翌日の体がすこぶる調子が良いのも特徴。

松茸、蓮餠、伏見唐辛子、刻み茗荷の強肴。「基本の出汁は全て同じ」。蓮氏は、それを理屈ではなく感覚=感性で料理を構築していく。

蒟蒻、薄揚げ、胡瓜、焼しめじ、モロッコ隠元、ぬた和え、芽紫蘇の進肴。「料理はレシピじゃない。美味しかったらそれで良い」と蓮氏の料理に対し、亘氏は言葉を添える。かく言う亘氏もまた、レシピを持たなかった。

沢庵、胡瓜、茄子の香の物。上記、進肴と香の物は、大きな鉢は器に盛り付けられ、
ゲストは、それを順番に取り分けていただく。

お酒の器も秀逸。料理も茶事も含め、器の存在が宴に彩りを添える。

掬月に見立てられた中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句の掛け軸はアレックス氏が用意。一年干した蓮の花は亘氏が活けたもの。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony「二蝶」代表、山本亘が伝えたかった「ほんまもん」。

「Ritsurin Chaji」で伝えたかったことは、観光ではなく、文化体験。「本物の日本」です。

「文化という点では、高松は空襲にあった場所なので、お城も天守閣も、戦前の建物は、ほぼ残っていません。その中で奇跡的に残った場所は栗林公園です。だからこそ、栗林公園の魅力を伝えたかった。栗林公園でやりたかった」。

栗林公園は、讃岐国(現・香川県)を治めた生駒家に始まり、その領地を継承した高松藩の領主、高松松平家の下屋敷でしたそして、1868年まで200年以上にわたり、松平家によって維持されてきました。

「掬月亭はお殿様の散歩コースだったと言われています。ゆえに色々なところへの気遣いもそこかしこに潜んでいます。そんな掬月亭を“ほんまもん”の使い方をしてRitsurin Chajiをやりたかった」。

掬月の間は、床の間のある部屋(一の間)と、南湖に迫り出したお部屋(二の間)の2部屋が繋がっています。本来、ふたつ並ぶお部屋の場合は床の間のある方が格が高いとされますが、掬月の間は、床の間のある側(一の間)に比べて南湖側(二の間)の天井をより豪華にし、格を上げることによって両部屋を同格にしています。どちらに座しても平等にすることで、席にこだわらず自由に楽しめる空間設計としています。(栗林公園HPより、一部抜粋)

掬月の間の奥には茶室もございます。武家屋敷には珍しく、挿床(さしどこ)を採用しています。床に向かって桟が入っているため、刺されるイメージがあり、極めて珍しい造りだと思います。ゆったりしているように見え、実は、その空間だけは生死を考える場所だったのかもしれません。それ以外にも、にじり口は部屋に設けるのが一般的ですが、横に設けられています。一般的には刀を持って入れないように小さくしていますが、ここは一回り大きく、刀を持って入れます。ほんまもんは、語りつくせないほどある。つまり、深いということがほんまもんの証。自分たちは、まだ先人たちから教えられたことしか知識にない。しかし、その先にある精神論や哲学を読み解き、学び、時代背景から逸れることなく、現代で表すならば、どういうことなのかを理解し、伝えていきたいです」。

本当の日本を享受するには、知識と教養は必須。つまり、ゲストの努力も求められます。

このような歴史への知見も然り、例えば、料理に合わせられた器は、日本、中国をはじめ、国や地域、時代も含め、多種多様。造りにおいても、赤絵、刷毛目、染付、焼締……。さらには、質素なお茶の料理だからこそ器は華やかに、薄暗い空間だからこそ、色味は派手になど、全て、ひとつ一つ理由があり、日本の美意識が宿ります。そんな感受性もまた必須。

もちろん、それを解説するための亭主とガイドですが、一度で理解できるほど、「ほんまもん」は容易い世界ではありません。

「意味を理解しなければ、価値も伝わりません。自分は建物も文化も人も守りたい」。

「掬月亭は、お殿様の散歩コースでゆっくりするところ。きっと政治の話もしなかったでしょう。空間の細部にも色々な気遣いが施されています。理想は、当時の使い方と同じように、現代においても“ほんまもん”の使い方をさせていただき、それえを伝えていきたい。そして、守り続けたい」と亘氏。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony国や人種は関係ない。価値観でつながるこれから。

「実は、掬月亭には、こんなデータがあるんです。栗林公園の来園者数に対し、掬月亭の来亭者数は1割にも満ちません。来園者の26%は外国人なのですが、そこからの来亭者数は50%を超えているんです。グローバルな現代において、日本の文化を日本人が理解できるとは限りませんし、むしろ、外国人だから理解できることもある。栗林公園の魅力は、文化に興味のある人に伝えたい。それを実現させるためには、自分たちも変わるべきところがあると思っています。今回のように、外の方々とやることによって、この場所の可能性を多分に感じることができました」。

実は、亘氏は福井出身。元々は外の人なのです。「高松に住んで約25年。未だに入り込めない世界もあります」。しかし、「栗林公園」の歴史を振り返れば、松平家も余所者であり、香川を代表する人物、流 政之やジョージ・ナカシマ、イサム・ノグチという偉人もまた余所者。多種多様な「ほんまもん」の集積が、総合的な文化を生むのでしょう。

「Ritsurin Chajiを分岐点に、これから変化していきたいと思います。地元だけで考えると、どうしても内に向けた思考になってしましますが、外に向けた思考も大切だと思います。多くの日本人にも来ていただきたいですが、文化や歴史などを重んじる価値観がある人とつながりたい。そこには、国や人種は関係ないと思っています」。

いずれにしても全て一筋縄にはいかないテーマ。しかし、これは「栗林公園」に限った話ではありません。文化は趣味の世界ではない。日本の課題として、重く受け止めたい。

会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:中西珍松園


Photographs:MIKUTO TANAKA
Text:YUICHI KURAMOCHI

Posted in 未分類

文化は趣味の世界ではない。「ほんまもん」を伝え続けるために。

「Ritsurin Chaji」の亭主を務めた老舗料亭「二蝶」代表の山本亘氏。「料亭も茶事もトータルで日本文化。失われつつある、元来の日本を残したいと思っています」。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremonyずっと栗林公園を世界に広めたかった。

高松の老舗料亭「二蝶」が特別名勝「栗林公園」(以下、栗林公園)の掬月亭と日暮亭の管理を担うことになったのは、2019年のこと。その直後、新型コロナウイルスが世界に難局をもたらしました。

「掬月亭では、香川三大茶会のひとつ、蓮見茶会が毎年行われていましたが、2020年夏、コロナ禍に見舞われ、初めて延期を余儀なくされました。以降、その代わりに何かできないかと、始めたのが芙蓉茶会でした。しかし、参加できるお客様は日本人に限るため、外国人の皆様にも茶事や栗林公園を広めたいという想いが常にありました。何かかたちにできないかと、色々試みたのですが、実現には至らず、そんな時にご縁をいただいたのがRitsurin Chajiでした。自分にとっては、まさに渡りに船。素晴らしい経験をさせていただきました」。

この言葉の主は、老舗料亭「二蝶」代表、山本亘氏。「Ritsurin Chaji」への参画のきっかけと、それ以前の想いをそう振り返ります。

「Ritsurin Chaji」のゲストは外国人が多数。本物の日本文化を体験してほしい亭主と本物の日本文化を体験したいゲストは、すぐに国境の壁を超え、心地良い時間を紡いでゆきます。

「非常に印象的だったのは、解説を熱心に聞いてくださり、学びへの向上心が高かったことでした。お客様も真剣ゆえ、自分も真剣勝負。ですが、気さくな皆様だったゆえ、楽しくお伝えすることができました。一番楽しまれていたのは、アレックスさんのようにも見えましたが(笑)」。

本物の日本とその文化度の高さを外国人へ伝えるのは至難の業。なぜなら、日本人ですらそれを理解している人が少ないから。今回、見事に成せたのは、山本氏が持つ知識とアレックス氏の知識が絶妙に結実し、亭主とガイドの機能が阿吽の呼吸で歯車が噛み合ったことにあります。

そして、何よりゲストを感動させたのは、掬月亭にて行われた茶事の体験でした。

「日本人だからといって、日本の文化を理解できるとは限らないと思っています。海外の人も含め、文化に興味のある皆様に体験いただきたい」と亘氏。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony無意識に意識を向ける。何となく、いい感じに。

今回、食事を手がけたのは、「二蝶」料理長、山本 蓮氏。向附、汁、椀物、焼き物、強肴、進肴、香の物の7品で構成された内容は、ヴィーガンスタイル。

「ヴィーガンの取り組みをしてから約一年になります。ヴィーガンといえば、味が薄かったり、お腹いっぱいにならなかったりする印象があると思いますが、自分が意識しているのは、これがヴィーガンだったら、毎日でも食べたいと思える料理。満足感は意識しています」。

確かに、料理に物足りなさを感じることはない。むしろ、蓮氏の言う通り、食後は満足感に満たされる。その理由を紐解いてみようと思うと、「自分の料理は雰囲気なんですよね。何となく、いい感じに」。

雰囲気……、何となく、いい感じに……。なるほど。

しかし、この発言は、決してふわりとしたものではなく、無意識に意識を向けた料理を構築する上での感性だと考えます。

「例えば、ラーメンは、スープや麺がフォーカスされると思います。ですが、自分は、ネギや海苔などが実は味の決め手なんじゃないかと考えるんです。当たり前のように丼に添えてあり、何となく、いい感じにまとまっているように見えますが、その何となくが、結構重要なんじゃないかなと」。

そこでヒントになったのが胡椒。ラーメン然り、ある日、家族がクリームチーズに何となく、胡椒を降って食べているのを見て、これは白和えにも合うのでは!?と閃き、実験。今回、提供された、向附の柿、無花果、栗の白和えには、ブラックペッパーを少々効かせ、アクセントに。ゲストを感動させたひと皿でもあります。また、香りにおいてもセオリーを覆します。

古典的な料理は、季節によって旬のものを一連の流れで採用します。例えば、ゆずの時季になれば、先付けもゆず、焼き物もゆず、炊き合わせもゆず。流れとしては、概念通り。しかし、今回は、料理ごとに香りも変化。これにおいても、「何となく、その方が、いい感じになるかなと」。

実は、蓮氏は、フレンチのシェフでした。その後、実家である「二蝶」に戻り、料理長に。一変したスタイルのように見えますが、「フランス料理と日本料理は、技法が似ている」と話します。そして、「フランス料理でヴィーガンをやろうと思うと難しい。ですが、日本料理は相性が良い」と言葉を続けます。精進料理はその好例と言って良いでしょう。全てにおいて、柔軟な見解が、いい感じに作用します。

「蓮に任せてからは、自分は料理に関与していません。むしろ、調理場にすら入らない。自分のレシピも一切ありません」と亘氏。

これまで、何となく、いい感じに、を連呼してきた蓮氏ですが、この3つは、はっきりと答えていました。

「お茶の料理であること」、「基礎は父の料理」、そして、「僕は二蝶が好き」。

「二蝶」の由来は、二百余名の芸妓衆が活躍する「さぬき芸どころ」と言われていた時代、その雅なる往時の芸妓「二蝶」の名を受け継ぎ、その屋号は、ふたつの蝶が上へ上へ舞い上がる様、隆盛を願い、名付けられました。(二蝶HPより、一部抜粋)

「Ritsurin Chaji」で紡がれた時間は、まさに二蝶が舞うファンタジー。

茶事の際、床の間に活けられていたのは、枯れた蓮の花。これは、数年前に北庭に咲いた花を干したもの。

「今回、周遊できなかった北庭の雰囲気を少しだけでも感じていただければ」と亘氏。語られたのはそこまででしたが、子への愛も込められているのではないでしょうか。

料理は一変しても、精神は不変。

変化は時に恐怖であり、ましてや、客商売となれば、今まで足を運んでくれたお客様が来なくなるのでは、という不安も付きまといます。ゆえに、躊躇してしまいますが、継いだら任せる「二蝶」たるこの潔さ。きっとそれは家族だから決断できたのかもしれません。そして、家族だから何も怖くない。

7品で構成された今回の料理は全てヴィーガンスタイル。手がけたのは、老舗料亭「二蝶」料理長の山本蓮氏。柿、無花果、栗、白和え、ブラックペッパーの向附、小芋、黒胡麻、辛子の汁、ごはんから会が始まる。

飛龍頭、菊花、やまふしたけ、隠元の椀物。「自分のヴィーガンは、雰囲気。何となく、いい感じに」と蓮氏。

大トロ茄子の蒲焼の焼き物。蓮氏が「満足感を意識している」と語るよう、物足りなさは一切ない。加えて、翌日の体がすこぶる調子が良いのも特徴。

松茸、蓮餠、伏見唐辛子、刻み茗荷の強肴。「基本の出汁は全て同じ」。蓮氏は、それを理屈ではなく感覚=感性で料理を構築していく。

蒟蒻、薄揚げ、胡瓜、焼しめじ、モロッコ隠元、ぬた和え、芽紫蘇の進肴。「料理はレシピじゃない。美味しかったらそれで良い」と蓮氏の料理に対し、亘氏は言葉を添える。かく言う亘氏もまた、レシピを持たなかった。

沢庵、胡瓜、茄子の香の物。上記、進肴と香の物は、大きな鉢は器に盛り付けられ、
ゲストは、それを順番に取り分けていただく。

お酒の器も秀逸。料理も茶事も含め、器の存在が宴に彩りを添える。

掬月に見立てられた中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句の掛け軸はアレックス氏が用意。一年干した蓮の花は亘氏が活けたもの。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony「二蝶」代表、山本亘が伝えたかった「ほんまもん」。

「Ritsurin Chaji」で伝えたかったことは、観光ではなく、文化体験。「本物の日本」です。

「文化という点では、高松は空襲にあった場所なので、お城も天守閣も、戦前の建物は、ほぼ残っていません。その中で奇跡的に残った場所は栗林公園です。だからこそ、栗林公園の魅力を伝えたかった。栗林公園でやりたかった」。

栗林公園は、讃岐国(現・香川県)を治めた生駒家に始まり、その領地を継承した高松藩の領主、高松松平家の下屋敷でしたそして、1868年まで200年以上にわたり、松平家によって維持されてきました。

「掬月亭はお殿様の散歩コースだったと言われています。ゆえに色々なところへの気遣いもそこかしこに潜んでいます。そんな掬月亭を“ほんまもん”の使い方をしてRitsurin Chajiをやりたかった」。

掬月の間は、床の間のある部屋(一の間)と、南湖に迫り出したお部屋(二の間)の2部屋が繋がっています。本来、ふたつ並ぶお部屋の場合は床の間のある方が格が高いとされますが、掬月の間は、床の間のある側(一の間)に比べて南湖側(二の間)の天井をより豪華にし、格を上げることによって両部屋を同格にしています。どちらに座しても平等にすることで、席にこだわらず自由に楽しめる空間設計としています。(栗林公園HPより、一部抜粋)

掬月の間の奥には茶室もございます。武家屋敷には珍しく、挿床(さしどこ)を採用しています。床に向かって桟が入っているため、刺されるイメージがあり、極めて珍しい造りだと思います。ゆったりしているように見え、実は、その空間だけは生死を考える場所だったのかもしれません。それ以外にも、にじり口は部屋に設けるのが一般的ですが、横に設けられています。一般的には刀を持って入れないように小さくしていますが、ここは一回り大きく、刀を持って入れます。ほんまもんは、語りつくせないほどある。つまり、深いということがほんまもんの証。自分たちは、まだ先人たちから教えられたことしか知識にない。しかし、その先にある精神論や哲学を読み解き、学び、時代背景から逸れることなく、現代で表すならば、どういうことなのかを理解し、伝えていきたいです」。

本当の日本を享受するには、知識と教養は必須。つまり、ゲストの努力も求められます。

このような歴史への知見も然り、例えば、料理に合わせられた器は、日本、中国をはじめ、国や地域、時代も含め、多種多様。造りにおいても、赤絵、刷毛目、染付、焼締……。さらには、質素なお茶の料理だからこそ器は華やかに、薄暗い空間だからこそ、色味は派手になど、全て、ひとつ一つ理由があり、日本の美意識が宿ります。そんな感受性もまた必須。

もちろん、それを解説するための亭主とガイドですが、一度で理解できるほど、「ほんまもん」は容易い世界ではありません。

「意味を理解しなければ、価値も伝わりません。自分は建物も文化も人も守りたい」。

「掬月亭は、お殿様の散歩コースでゆっくりするところ。きっと政治の話もしなかったでしょう。空間の細部にも色々な気遣いが施されています。理想は、当時の使い方と同じように、現代においても“ほんまもん”の使い方をさせていただき、それえを伝えていきたい。そして、守り続けたい」と亘氏。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony国や人種は関係ない。価値観でつながるこれから。

「実は、掬月亭には、こんなデータがあるんです。栗林公園の来園者数に対し、掬月亭の来亭者数は1割にも満ちません。来園者の26%は外国人なのですが、そこからの来亭者数は50%を超えているんです。グローバルな現代において、日本の文化を日本人が理解できるとは限りませんし、むしろ、外国人だから理解できることもある。栗林公園の魅力は、文化に興味のある人に伝えたい。それを実現させるためには、自分たちも変わるべきところがあると思っています。今回のように、外の方々とやることによって、この場所の可能性を多分に感じることができました」。

実は、亘氏は福井出身。元々は外の人なのです。「高松に住んで約25年。未だに入り込めない世界もあります」。しかし、「栗林公園」の歴史を振り返れば、松平家も余所者であり、香川を代表する人物、流 政之やジョージ・ナカシマ、イサム・ノグチという偉人もまた余所者。多種多様な「ほんまもん」の集積が、総合的な文化を生むのでしょう。

「Ritsurin Chajiを分岐点に、これから変化していきたいと思います。地元だけで考えると、どうしても内に向けた思考になってしましますが、外に向けた思考も大切だと思います。多くの日本人にも来ていただきたいですが、文化や歴史などを重んじる価値観がある人とつながりたい。そこには、国や人種は関係ないと思っています」。

いずれにしても全て一筋縄にはいかないテーマ。しかし、これは「栗林公園」に限った話ではありません。文化は趣味の世界ではない。日本の課題として、重く受け止めたい。

会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会
協力:中西珍松園


Photographs:MIKUTO TANAKA
Text:YUICHI KURAMOCHI

Posted in 未分類

言葉ではなく、文化の通訳。本物の日本を語れるガイドの必須。

「今回は、本物を体験してほしかった。文化を過去のものにしてほしくない」とアレックス氏。それを伝えるためには、「まずは自身が学び、自身の言葉で語れることが必要」と言葉を続ける。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony体験だけでは補えない、アレックス・カーの力。

「Ritsurin Chaji」のガイドを担った東洋文化研究家兼作家のアレックス・カー氏。実は、アレックス氏が「特別名勝 栗林公園」(以下、栗林公園)を最初に訪れたのは、50年以上も前のこと。若かりしころ、徳島の祖谷に巡り合い、築300年以上の古民家を購入したことがきっかけでした。

「初めて栗林公園に訪れたのは1971年。当時は、本州と四国を結ぶ橋がなく、岡山の宇野港から連絡船で訪れるしか手段がありませんでした。それで祖谷に向かう途中、香川を経由し、栗林公園にも足を運んでいました。昔は、動物園もあったんですよ。以前から庭の雰囲気はとても素晴らしかったですが、今の方がより素晴らしい。その理由をRitsurin Chajiで理解できました。庭師の技術の賜物ですね」。

今回の目的は、「本物の日本を伝えること」。レセプションでは、人間国宝でもある漆芸家の山下義人氏のレクチャー、茶事は、老舗料亭「二蝶」、そして、舞台は、「栗林公園」。全て本物の日本を体現しているため、一見、申し分ないように見えますが、要慎しなければいけないのが、伝え方です。

難儀なテーマはもちろん、今回の目的を補足すると、その対象を外国人に置いたことも手伝います。しかし、1億2,156万1,801人(2024年1月1日現在・総務省HPより)いる全国の日本人の中でも「本物の日本」を知る人は少ないでしょう。それほどまでに、「本物」という言葉の奥は深い。

アレックス氏においては、日本人より日本の文化、歴史、伝統の知見に長けていることも適任理由のひとつですが、直訳ではなく、翻訳でもなく、通訳に長けていることも特筆すべき点。「Ritsurin Chaji」は、限られた日にちで少人数制で行われたため、むしろ、通訳も超えた、ひとり一人に合わせたオートクチュールなガイドを披露してくれました。

体験だけでは補えない、アレックス・カーという存在がリンクしたからこそ、「Ritsurin Chaji」は成立したと言っても過言ではありません。

今回、ゲストには多くの人と出会っていただき、言葉を交わす場も用意。「栗林公園」の庭師、漆作家、茶人……。アレックス氏は、彼らの話をそのまま翻訳するのではなく、言葉の奥に潜む本質を読み解き、言語化する。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony本物には全てにおいて理由がある。事実を伝えるだけでは、ガイドは務まらない。

これは、アレックス氏の言葉です。

「日本のガイドの多くは、ファクトを語るガイド。ですが、それはインターネットを検索すれば、どこにでもある情報です。もちろん、それで満足されるゲストもいると思いますが、よりディープな日本を知りたい人には、その人の性格やルーツを探りながら伝えることが必要だと考えます。これは、言葉の通訳ではなく、文化の通訳」。

「Ritsurin Chaji」に参加したゲストの特性は、国や人種も様々だったこと。アメリカ、セネガル、トルコ、カナダ、コロンビア……。唯一の共通点は、日本の文化を知りたい、学びたいという、向上心の高さでした。それに対して、アレックス氏は、ひとり一人、ひとつ一つ、丁寧にコミュニケーションしていきます。そして、もうひとつ、アレックス氏のガイドの特徴は、不足を補うことです。

「今回、二蝶の山本さんが亭主を勤めてくれましたが、料理もお茶もとても素晴らしかったです。そして、山本さんは、ゲストを喜ばせることに心を尽くし、難しいとされる茶事の間口を広げ、わかりやすく、丁寧に、解説してくれました。しかし、山本さんにとっては当たり前のことでも、ゲストにとっては知らないことが多く、その不足した箇所を補ってあげることによって、ゲストの理解は深まります」。

例えば、掬月亭で行われた茶事の際、山本氏より千宗旦の茶杓のお話がありました。しかし、アレックス氏は、千宗旦を説明するには、まず祖父である千利休のことをゲストに教えるべきと判断。山本氏の解説を通訳する際に、それらの情報もスマートに補足し、通訳。これは、不足した情報を補っただけにあらず。アレックス氏の豊富な知識とゲストに向けた観察力が長けているからこそ成せたガイド力、いや、人間力。

それ以外にも、庭園を周遊の際、ゲストには引き絵の風景と寄り絵の松をじっくりと眺めてもらい、解説だけでなく、見る時間も設けました。全てに語るべき背景があったことはもちろんですが、実は夜に向けての布石の効果も配慮。掬月の間で行われた食事の空間は、薄暗く、小さな灯のみ。内と外の境界線でもある襖を開けるも、当然、周囲は闇。だからこそ、日中、目に焼き付けた景色が功を奏するのです。

「ゲストは、松の景色を体験しているからこそ、闇に潜む見えない景色を想像することができます。見えないものに心を寄せ、趣を享受する情緒は、日本らしい奥深さを感じる精神だと思いますし、日本らしい美意識」。

実際、侘び茶は狭い小屋でやるため、日中であっても外の景色は見せません。薄暗い中で行う文化というスタイルもまた、アレックス氏はゲストに補足します。そのほか、掛け軸、生け花、作法、器、食べ方……。しかし、時にゲストは間違った行為をしてしまうことも。この日は、湿度も気温も高く、食前に用意したセンスで扇いでしまったゲストには、「これは扇ぐものではありませんので、亭主に団扇を借りましょう」と、優しく伝えます。

「今後、もしゲストがこのような場を経験する機会があれば、きっと自ら注視すべき点がわかるでしょう。今回、間違えてしまった作法でさえ、改善していると思います。なぜこの手順なのか、なぜこの味付けなのか、なぜこの演出なのか……。全てにおいて理由はあります。自分が大切にしなければいけないことは、その意味を理解してもらうガイドを務めることです」。

今回、ゲストは多くの学びを得たでしょう。しかし、彼らは茶人になるわけではありません。
アレックス氏は、「Ritsurin Chaji」を体験したゲストに対し、こんな想いを残しました。

「本物の客になってもらいたい」。

庭園内を周遊する際も、歴史を伝えるだけでなく、なぜそうなったか。その理由は何かなど、ファクトにはない背景や、それに重ねて自身の感想、想いも含め、通訳する。それが成せるのは、膨大な知識を備えているがゆえ。

盆栽のどこに日本人が美意識を宿るかなど、外国人だからこそ注視するポイントは、日本人にはない視点。

「器の時間、料理の時間、食材の時間、体験の時間、その時間にこそ価値がある。しかし、それらを学ぶこともまた時間がかかります」とアレックス氏。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony本物は、長い時間をかけるからこそ生まれる。

今回、「Ritsurin Chaji」の体験時間は、約6時間。一見、長いように見えますが、本来は全く足りません。

「日本の伝統芸能はもちろん、オペラやオーケストラなど、歴史ある様々な文化を体験する時間は、全てにおいてスローダウン。ゆっくり、ゆっくり、時間をかけ、それをディープに体験します。今回、お話を伺った人間国宝の漆芸家、山下さんもそうですよね。一回塗って0.03mm。100回塗って、ようやく3mm。途方にくれる作業です。美しいものは、それだけ時間をかけないと生まれない。だから時間をかけても本物は生き残るのです」。

今回、食事や茶事の際に用意された器はその好例。天正や万治から明まで。国や時代を超えても今なお残り続けたものとの邂逅体験を山本氏が果たしてくれました。しかし、どれだけ本物のものがあったとしても、歴史からその姿を失ってしまう不運も。それは、正しい人の手に渡らなかったこと。

実は、食事をいただく空間にあった掛け軸、「望美人兮天一方」は、アレックス氏が用意したもの。中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句であり、園内を周遊する際、ゲストとともに望んだ赤壁の名の由来と言われています。このような演出もまた、アレックス氏らしい仕掛けであり、おもてなしの心。

歴史的価値を持つものが次世代に継げるか否かは、いつの時代においても、その所持者次第。継いだものは、正しい人の手に継ぐことも使命なのです。

人間国宝でもある漆芸家の山下義人氏をゲストに招いた場では、日本の匠に外国人ゲストは興味津々。その興味がどこに向いているのか、何を伝えたら喜ぶのかなど、相手の気持ちも汲み取る才もアレックス氏は際立つ。伝えたいことと知りたいこと、両者は必ずしもイコールではない。

経験豊富なアレックス氏でさえ、「今回の茶事では初めての体験や学ぶべきことが多かったです」と話す。日毎、「今日も勉強になりました」と、亭主を務めた高松の老舗料亭「二蝶」代表の山本亘氏に声をかけていたのが印象的だった。

アレックス氏が見立てた掛け軸は、中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句。日中に庭園散策をした際の赤壁と結実するそれに対し、アレックス氏からの説明はない。必ずしも全てを伝えることがガイドではないのかもしれない。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremonyアレックス・カーとともに、価格と価値について考える。

実は今回、アレックス氏にとっても多くの学びを得たと言います。

「食事の際、ごはんが3回出てきます。最初は炊きたてすぐ、次は少し水分を吸ったもの、最後は、しっかり炊き上がったもの。この経験をしたことはありましたが、その意味は知りませんでした。理由を知った時、自分自身もその体験に価値を感じました」。

今回行われた「Ritsurin Chaji」は、「非常にバランスが良かった」とアレックス氏は振り返ります。

「フルの茶事を体験しようと思うと、約4時間は必要とされます。今回のように向上心の高い外国人であっても、それはなかなか難しいでしょう。かといって、一般的な観光客を対象にした薄茶一服、触れる程度の体験もまた違います。つまり、日本には両極端な体験が多いのです。そういう意味でRitsurin Chajiは、バランスが良かったと思います。また、三千家ある中でも、高松藩に務めていた背景を持つ武者小路千家の流派もゲストの理解度を深めました。食事の内容においても、茶懐石といえば派手なものが多い中、本来である質素なものが供されるだけでなく、その満足度を技術で補う料理は素晴らしいものでした。これが本当の意味での贅沢」。

決して高価なものが贅沢ではありません。価格の高い、安いを理解できる人はいますが、大切なことは、価値を理解する能力。

「日本は、文化にお金を使う人が少ない」。

かく言う、アレックス氏もまた、文化の理解度を「DINING OUT」で深めたと言葉を続けます。

「DINING OUTのホストを務め、多くの学びを得ました。料理人の想い、職人の哲学、食材が生まれる風土、街の歴史……。自らそれを学び、ゲストにひとつ一つ、丁寧に説明していき、その理由を体験することによって価値が生まれる喜びは、何ものにも変えられない。料理の時間、器の時間、食材の時間、体験の時間……。DINING OUTにもRitsurin Chajiにも、全ての時間軸が凝縮されています。そして、全てが本物として伝えたい日本の文化」。

アレックス氏曰く、究極のガイドは「一対一」。

「本物」と「価値」。このふたつのキーワードは、永遠のテーマだ。

会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
人数:各日16名
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会


Photographs:MIKUTO TANAKA
Text:YUICHI KURAMOCHI

Posted in 未分類

堂々たる日本人であるために。日本はもっと素晴らしい。

茶事の空間には、干した蓮の花が生けられ、中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句の掛け軸が。ここにも深い意味が多分に潜んでいる。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony儚く消えた、夢の4日間。

去る、10月6日から9日。香川県高松市にある「特別名勝 栗林公園」(以下、栗林公園)にて、「Ritsurin Chaji」が開催されました。

各日少人数制で行われたゲストの特徴は、本物の日本文化に触れたいと切望する外国人が多いことでした。アメリカ、セネガル、トルコ、カナダ、コロンビア……。昨今、インターネットやSNSの普及による情報過多の一方、本企画は募集期間も短く、告知もわずか。人数にも限りがあり、時代と逆行した施策と言っても過言ではありません。

表層上の観光が溢れる中、本物の日本を追求したい、本物の日本を伝えたいと集った有志には、地元・高松からは、老舗料亭「二蝶」が食事と茶をもてなし、ガイドには、日本人より日本をよく学び、日本を愛する東洋文化研究家兼作家のアレックス・カー氏を迎えます。

まず、最初にゲストが集められたのは、旧松平藩主の「檜御殿」があった場所に明治32年に建築された歴史的建造物「商工奨励館」。帝室技芸員の伊藤平左衛門が設計した建物は、細部までこだわり尽くされ、日本古来の建築様式たる格調の高さが伺えます。その貫禄は外装だけにあらず。レセプション会場となった2階に足を運べば、ゲストの目の前には圧巻の家具が並びます。それは、ジョージ・ナカシマのヴィンテージ。代表作でもあるコノイドチェアやラウンジチェア、ミングレンアンドンなどが惜しげもなく配されている空間は、美術館さながら。中でも1本の大木の形が想像できる大テーブルは、こことアメリカのジョージ・ナカシマのスタジオのみ存在する貴重なもの。

そんな作品群の眼福から会はスタートし、アレックス氏がゆっくりと口を開きます。

「みなさま、Ritsurin Chajiの世界へようこそ」。

レセプション会場となったのは、「商工奨励館」。圧巻な風景は、香川に所縁のあるジョージ・ナカシマの家具たち。もちろん、全てヴィンテージ。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony学ぶことで土地を知る。人間国宝を生んだ香川の才能。

「商工奨励館」では、「栗林公園」の歴史の解説だけでなく、工芸や民芸など、ものづくりの街としても名高いクラフトについても学びます。かの世界的に有名な照明デザイナー、インゴ・マウラーの作品にも起用された丸亀団扇やイサム・ノグチも絶賛した庵治石製品、高松張子から張子虎、打出し銅器から香川竹細工など、木、草、土、石といった自然素材を高度な技術で加工したものは、香川が世界に誇れるもののひとつ。

そんな中から、今回は香川漆芸をフォーカス。語り手は、人間国宝でもある漆芸家の山下義人氏です。ゲストにサービスされたドリンクの器も山下氏が手がけたものでした。

江戸時代に高松藩主である松平家が、茶道・書道に付随して振興・保護したのが始まりです。5つの技法が国の伝統的工芸品に指定されていますが、そのうち、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)という3つの装飾技法は、香川にしかない伝統漆技法です」。

蒟醤は、漆の面に文様を彫り、その中へ朱漆または色漆を充填し、平らに研ぎ出すもの。存清は、存星とも書かれ、漆面に色漆で模様を描き、輪郭などを線彫り、手彫りしたもの。彫漆は、漆を幾層にも塗り重ね彫刻刀で模様を彫り表すもの。山下氏が得意とするのは、蒟醤です。

「日本の漆は、約1万年前の遺跡からも発掘されており、長い歴史を重ねて現在に至ります。時代を遡り、読み解くと、常に新しい技法が生まれ、最先端なもの作りをしてきたことがわかります。この繰り返しが私は伝統だと思っています」。

古き良きを守り続けるだけでは進化はありません。それは、「Ritsurin Chaji」においても大事にしていることでした。

そんな山下氏の話にゲストは聞き入り、塗りや模様など、話の内容によって視点を変え、目の前の器をじっくり眺めているのが印象的でした。特に、細かい手仕事の話には、唸りを上げていました。

「一回の塗りの厚さは、わずか0.03mm。100回塗ってようやく3mmです。ですが、漆は乾燥させ、少し時間を置いてから塗り重ねていかなければならないため、2日に1回しか塗れません」。

単純計算で考えても、3mmの厚さを出すには200日かかることになります。

テクノロジーの進化によって発展した時短とは真逆の手仕事には、だからこそ宿る本物の風格が漂います。そして、時を重ねるごとに美しさが増していくことも大きな特徴でしょう。

興味津々なゲストから、多くの質問が飛ぶ中、素朴な質問がふたつありました。

「どうして山下先生は、伝統工芸の道を歩んだのですか?」

「どうすれば技術を磨くことができますか?」

これに対し、山下氏はシンプルに回答します。

「出会い」。

前者は「漆」との出会い。後者は「師匠」との出会い。「出会いで人生は変わる」とは、山下氏が解の後に続けた言葉。

これは、漆の世界に限らず、全ての世界にも通じることだと考えます。

山下氏やアレックス氏との出会い、これから始まる「Ritsurin Chaji」との出会い。今回の出会いが、ゲストの人生にとって、何か良い作用が生まれることを願いつつ、園内へと向かいます。

今回、ガイドを務めたのは、東洋文化研究家兼作家のアレックス・カー氏。ただ情報を伝えるだけでなく、アレックス氏の知識と感性から紡がれた言葉の数々は、日本人でさえ、学びが多い。

レセプション会場には、人間国宝でもある漆芸家の山下義人氏がスペシャルゲストとして登場。香川の伝統漆技法、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)について語る。

ゲストに供されたドリンクの器も山下氏の作品。説明を聞きながら、その特徴を見て、触り、確認する姿も。

山下氏の作品群。細部にまで手仕事が宿り、ただそこにあるだけで圧倒的な存在感を放つ。ただ見るだけでなく、触れさせることを許容した山下氏の厚意は、ゲストに感動を与えた。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony見えないからこそ心眼開く、一歩一景。

この日は、生憎の曇り空。厚い雲が天に鎮座し、しとしとと雨もパラつく中、特別名勝「栗林公園」を周遊します。しかし、雨に濡れた松は、その姿も艶やか。わずかに香る樹々の匂いや湖の水面に広がる波紋は、晴れた日にはない情緒漂う風景を形成していました。

今回は、庭園の中心から南庭を主に巡り、鶴亀松、お手植松、箱松・屏風松などを見学します。鶴亀松は、110個の石を組み合わせた亀を形どった石組みの背中に鶴が舞う姿をした松を配したものであり、園内で最も美しい姿をした松と言われています。また、お手植え松は、5本の松が並び、それぞれ、宣仁親王(大正3年)、昭和天皇(大正3年)、雍仁親王(大正3年)、エドワード8世(大正11年)、能久親王妃富子(大正14年)が、来園を記念し、お手植えされた松。箱松・屏風松では、熟練の庭師が手入れについて語ります。

「北側にあった藩主の隠居所である桧御殿を箱松で下部を目隠しし、屏風松で上部を目隠ししていました。樹木は成長しますが、極力、昔のままの形を保つようにしています」。

その名の通り、綺麗な箱型に整えられた松は、優れた職人技によるもの。ここで、アレックス氏らしいガイダンスが光ります。

「箱松は表も綺麗ですが、裏側もとても綺麗です。ぜひ、見に行きましょう」。

枝が蔓延り、まるで血管のようなそれは、長い年月をかけ、生き抜いてきた力強さを感じます。

「栗林公園」の広さは、約23万坪。園内には約1,400本の松があり、そのうち約1,000本は職人が手を加えている手入れ松。その脅威な数字から、広域に見た庭園風景がフォーカスされてしまいますが、一本一本の松が美しいからこそ、絶景は生まれているのです。

アレックス氏は、ゲストに職人と合わせ、会話させることによって、その気づきを与えてくれたのです。教えることもガイドですが、気づきを与えることもまたガイド。これがアレックス流。

次いで、園内の南西に向かい、西湖の景を支えている石壁、赤壁を目指します。その色は、マグマの貫入に伴う高温酸化によるもの。その名の由来は、詩人・蘇軾(蘇東坡)が「赤壁賦」を詠んだことで有名な中国の揚子江左岸の景勝地、赤壁に因んで名付けられたとも言われています。

散策途中、富士山に見立てた芙蓉峰へ。ここからの眺望を体験するはずでしたが、曇天は変わらず。

ふと想う。「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」。

これは、幕末の幕臣・剣術家であり、明治期の官僚・政治家でもあった山岡鉄舟が詠んだ歌です。

富士山よろしく、芙蓉峰から望めるはずの景色は雄大な紫雲山。燦々と輝く太陽、青い空のもと、そびえるそれも圧巻ですが、美しさはひとつではありません。霧や靄に包まれ、まるで水墨画のような景色もまた一興。その解は、歌の続きにあります。

「もとの姿はかわらざりけり」。

曇ってしまって見えない景色があったとしても、もとの姿が変わることはありません。むしろ、想像力を掻き立てます。このような感受こそ、侘び寂びの趣であり、日本の美意識。

決して目に見えているものだけが全てではないという、まるで物事の本質に触れるような散策は、ゲストの心眼を開き、目に見えない一歩一景を堪能したに違いありません。

ゲストとともに園内を周遊。歴史や背景を知ることによって、ただの風景に奥行きを与える。

今回は、庭園の中心から南庭を主に巡り、鶴亀松、お手植松、箱松・屏風松などを見学。

箱松・屏風松を見たアレックス氏曰く、「技術の向上により、今の風景の方が、より昔に近いのでは」と推測。

散策中には、熟練の庭師による解説も。園内にある約1,400本の松のうち約1,000本は職人が手を加えている手入れ松。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony技術と感性で再構築されたヴィーガンの口福。

庭園周遊後、一同は、掬月亭へ。江戸初期に建てられた回遊式大名庭園の中心的建物であるそれは、歴代藩主が大茶屋と呼び、最も愛用していたと伝わります。

まず、ゲストは初莚観にて盆栽を鑑賞します。地植えの壮大とは違った盆中の景は、自然美と人工美が見事に調和。まるで芸術鑑賞をしているようです。その後、掬月へと間を移し、食事をいただきます。その内容は、ヴィーガン。

メニューは、向附、汁、椀物、焼き物、強肴、進肴、香の物の7品で構成。料理を担うのは、老舗料亭「二蝶」の若き料理長、山本 蓮氏。

「飯碗の蓋を開けていただき、左手に置き、その上に汁椀の蓋を重ねてください。この蓋はこのあとにお出しする焼き物や煮物、酢の物の取り皿にもお使いいただきます」。

そう話すのは、茶事への造詣も深い本日の亭主、山本 亘氏です。蓮氏の父であり、「二蝶」の代表でもある人物です。

「まずはご飯を一口お召し上がりください。炊きたてすぐ、水分が残り、芯がなくなったすぐのものをご用意しております」。

この日の汁は、11月に迎える茶の正月、炉開き前ゆえ、赤味噌と白味噌を半々に。具には小芋、辛子、黒胡麻を採用します。向附は、柿、無花果、栗の白和えブラックペッパーを少々効かせ、アクセントに。蓮氏の感性が光ります。

型は壊さず、現代らしいエッセンスが加わったそれは、前述、山下氏の言葉「常に新しい技法を生み、最先端なもの作りを繰り返すことが伝統(簡略)」を彷彿とさせ、プラントベースの概念を覆します。

その発想について蓮氏に聞くも、「感覚です。自分はレシピも作らないので」とさらり。これが若き頭脳かと思いきや、亘氏においても「レシピはありません」とひと言。おそるべし山本親子。おそるべし「二蝶」。

また、ゲストの体験価値が高かった点で言えば、ご飯が3回出てくることとその作法。

「次のご飯は最初にお出ししたものと比べると、ちょっと水分を吸ったご飯になります。そして、最後にしっかり炊き上がったご飯をお出しします。ですが、ご飯は少しだけ残しておいてください。全部食べてしまうとお腹いっぱいという合図ですので」と亘氏。

元来、柔らかいご飯はお客にお出しする贅沢品。固いご飯は自分たちが食べるもの。

「固いご飯はおにぎりやお茶漬けにできますから」と、さりげなくその理由も添えます。

最後のご飯は、おひつに入ったものを皆で回し、取り分け。以降に供される沢庵、胡瓜、茄子の香の物も同じスタイル。各ふたつずついただき、隣の人へ皿を回します。

食べるだけではなく、学びの要素も多い食文化体験は、このような行為も手伝い、ひとつのグルーヴが生まれていきます。

また、汁においても二杯供され、一杯目は飲みきり、二杯目はゆっくり飲むなど、7品の中には、食の方程式が多分にあります。程よい緊張感の中にも笑顔があるのは、亘氏の話術や人柄によるものでしょう。

食後に行われた茶会では、座布団の敷き方から茶席のマナーもレクチャー。その際に供された菓子は、高松の和菓子店「夢菓房たから」の練り切り。口に運んだその刹那、心地良い香りが広がります。その正体は、ヒノキから抽出した香りです。

「今回、和菓子の監修で入ってくださっている資生堂パーラー「ファロ」のシェフパティシエ、加藤峰子さんのアイディアになります」。

「二蝶」は、2023年に行われた「G7香川・高松都市大臣会合」でもヴィーガン&ハラールに対応した料理を披露。プラントベースの料理が「G7」で供されたのは、日本初。東京美術倶楽部の東茶会においても、約400名の規模に対してお茶の料理を供しました。

一方、悲しいかな、日本人が茶事の文化に明るくない現代社会において、それを継承する環境は縮小傾向。お店においても小さな個人店はあれど、「二蝶」のような規模感は限りなく少なく、貴重な存在と言えるでしょう。

また、食後の面白い体験もここに記しておきたいと思います。

お片づけは官休庵式。飯碗の上に汁椀、飯碗の蓋を置き、その上に汁椀を乗せ……。ゲストがそれを行う最中、亘氏が笑顔を浮かべ、こう話します。

「最後は、皆様で共同作業を行っていただこうと思います」。

その共同作業とは箸を落とすこと。皆は箸を持ち上げ、アレックス氏の合図とともに、折敷の上に落とします。

「One two three」。

6名の箸が指先から箸が離れた途端、カタカタカタッ!と音を立て、テーブルに落ち、静寂に響きます。

「本来はお行儀が悪いのですが、宴が果てた音の合図ということで」。

これもまた、ゲストは大満足の笑みを浮かべます。

やはり只者ではない山本親子率いる「二蝶」。

終始、相手を想う遊び心と相手に喜んでほしいというおもてなしの心が絶えない席となりました。

庭園周遊後は、掬月亭へ。初莚観では盆栽を鑑賞し、地植えの壮大とは違った盆中の景を堪能。

食事をいただく間は、掬月。障子を全開し、内外の境界線を取り払うも、周囲は闇。しかし、この闇がゲストの感性を研ぎ澄ます。

亭主を担うのは、高松の老舗料亭「二蝶」代表の山本亘氏。茶事への造形も深く、「山本さんは、本物の茶人」とは、アレックス氏の言葉。

供された料理は、ヴィーガン。まず最初の品は、炊きたてすぐ、水分が残り、芯がなくなってすぐのごはんと赤味噌、白味噌を半々にし、小芋などを具材にした汁、そして、柿、無花果、栗にブラックペッパーを効かせた白和え。

メニューは、向附、汁、椀物、焼き物、強肴、進肴、香の物の7品で構成。料理を担うのは、老舗料亭「二蝶」の若き料理長、山本 蓮氏。

食後に供された和菓子は、高松の「夢菓房たから」の練り切り。口に含んだ瞬間、ヒノキの香りが広がる特徴は、和菓子の監修を務めた資生堂パーラー「ファロ」シェフパティシエの加藤峰子氏のアイディア。

Ritsurin Chaji」最後の体験は、その名の通り、茶事。凛とした空気と和やかな時間のバランスが絶妙に共存する場作りは、類い稀なる亘氏のおもてなしの心によるもの。

座布団の敷き方から茶席のマナーもレクチャー。「“ほんまもん”をご堪能していただきたかった」という亘氏の想いは、ゲストにも届いたに違いない。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony時代に耐えて生き残ったものと邂逅する奇跡。

今回、見事に創出された一座建立の世界。料理やホスピタリティもしかり、その満足度を高めた一助として欠かせないのが、器の存在でした。日本はもちろん、中国や国が特定できないエキゾチックなもの、作家からアノマニス、年代もデザインもさまざま。亘氏の見立てが冴え渡ります。

向附には、竜田川 乾山写/染付兜鉢 尾形乾山、四つ椀には、けやき糸目四つ椀 後藤塗、煮物椀には、太陽と月が描かれた魯山人の写し 日月椀……。焼き物には南蛮焼き、進肴には赤絵、そのほか、御本刷毛目、源内焼手付鉢、茄子形燗鍋 2代辻与次郎、刷毛目 水垣千悦……。貴重かつ希少な器もとい、作品ばかり。

茶席においても驚愕のコレクションが怒涛のごとく登場。沢庵和尚、迎田秋悦、千 宗旦、藤村庸軒、村田耕閑、弘入、近藤道恵、長谷川一望斎、大森金長、素山(本名 柳田他次郎)、久保祖舜、三谷林叟、赤松陶濵……。伊部焼、砂張、薩摩焼、屋島焼……。

食事の席では、「逆さにすると兜のような形になるんですよ」、「明時代はコバルトブルーの配色が良いのが特徴ですね」など、ひとつ一つ、ゲストに解説します。それを聞くゲストは、装飾を見て、手で感触を確かめ、じっくり言葉との答え合わせをしていきます。
一方、茶事の席では、立ち振る舞いから座布団の座り方まで、亘氏は、きめ細やかに、かつユニークに伝授します。

「自分が表現する物事は、必ず説明できなければいけません」。

今回は、巧みな亭主とガイドを迎え、なかなか見ることも触れることもない作品を使え、それを掬月亭で体験できるという、これまでに類を見ない体験となりました。

「“ほんまもん”をご堪能していただきたかった」。

天正、慶長、万治、元禄、天保、明治、大正、江戸……。

ものの命は、人の命よりもはるかに長い。時代に耐え、生き残ったものと邂逅できる体験は、奇跡のほかありません。

食事、茶席、双方の満足度を高めた要素として、大きな役割を担ったのが器の存在。その全てが亘氏の見立て。

今回、体験価値を増したのは、貴重な器を見るだけでなく、使ったということ。「お茶の料理は華やかなものではないため、器も含めてお楽しみいただければと思いました。そして、薄暗い空間とあの灯だからこそ、あえて主張の強いものを選び、バランスを取っています」と亘氏。

茶席の器類も貴重なものばかり。作家ものから匿名のもの、国や地域においても、日本だけでなく多国籍。しかし、違和感なく一貫しているのは、亘氏の感性を通しているものという筋が通っているから。

茶席では、それぞれ異なる器を用意し、最後は皆で鑑賞。美術館クラスの品々に、ゲストは眼福。

Ritsurin Garden Premium Tea Ceremony栗林公園という名の宇宙。闇に広がる無限の創造。

実は、掬月亭が夜の使用を許されたことは極めて稀。

刻一刻と時が経つにつれ、景色から色彩は消え去り、周囲は闇に包まれてゆきます。室内には最小限の灯が必要な情報のみを映し出し、研ぎ澄まされた世界を形成。目に見えるものが篩にかけられた分、聴覚や嗅覚の感性が覚醒していきます。

まず、最初に変化が訪れたのは聴覚。来園者がいた喧騒と比べ、無音の境地かと思いきや、徐々に機微な音に気づきを得ます。虫の音や風の音、日中の雨も音のみが残存し、この時においては重層的な自然のシンフォニーのひとつに。全てが心地良く、優しく耳に響きます。

料理や茶においても、素材そのものの香りが体の隅々まで巡るように染み渡ります。

食事と茶が供された空間は、掬月の間。広さにして、22畳。茶室はしばしば宇宙に例えられることがありますが、今回はそれに似る。

外に目を向ければ暗黒。一寸先の景色も見えません。しかし、その先には約25万坪の庭園が広がる事実があります。それほどまでに広がる世界の中、掬月亭という一点(22畳=約36坪/25万坪)に身を置く特別は、無限に広がる宇宙に身を置くことと近し体験となったのではないでしょうか。

この空間の存在しているのは、ゲスト5人、亭主ひとり、ガイドひとり。たった7人のみ。

「これまで体験したことのない日本文化でした」。

「歴史書で読んだようなことが実際に体験できるなんて、信じられません」。

「物事の全てに理由があり、それを学ぶことができてよかった」

多くの感動を呼ぶ中、ひとりのゲストが囁きます。

「まるで夢のようだった……」。

これは、我を忘れるほど、夢中になれたから。言葉のごとく、夢の中。これこそ、宇宙を超えた無限の創造の世界。しかし、残念ながら、夢は儚く消えゆくもの。

床の間に目を向ければ、枯れた蓮の生け花と「望美人兮天一方」の掛け軸。

「数年前、北庭に咲いた蓮を干したものです。今回、周遊できなかった区画のため、少しでも感じていただけと」と亘氏。そして、掛け軸は、アレックス氏が用意したもの。

「これは、中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句です。“天一方に美人を望む”という意味で、美人はお月さまを指しています。書は大徳寺の大徹宗斗和尚(1764〜1828)。禅の世界で天一方に月を望むということは、永遠に届けられない理想の世界への憧れになります。江戸時代の殿様と当時の来賓は中国の古典の教養があり、“赤壁”という名前を聞いただけで、この有名な一句が頭に浮かんだでしょう」とアレックス氏。

日中に見た赤壁、蘇軾の詩とはこのことであり、全てが結実します。

文化はある、歴史もある、技術もある。あとは、日本人次第。

日本はもっと素晴らしい。

日中、園内を散策している際に鑑賞した赤壁。名前の由来は、中国の古戦場・景勝地。下記、アレックス氏が見立てた掛け軸は、この風景と紐づく。

食事、茶席の空間に用意された掛け軸は、中国宋時代の歌人、蘇軾が書いた詩“赤壁賦”の一句。アレックス氏らしい、知性ある仕掛け。

会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
人数:各日16名
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会


Photographs:MIKUTO TANAKA
Text:YUICHI KURAMOCHI

Posted in 未分類

己を超えろ、六根清浄。

「全ては心の問題。今回の経験は、職人としてだけでなく、人として成長させてくれました」と話す秦野氏。

妙心寺 退蔵院技術を磨くのではない。精神を磨く修行。

11月某日、世界中からジャーナリストやフーディが集ったシークレットイベントが開催。料理を担うのは、麻布十番「秦野よしき」です。そして、舞台となったのは、日本最大の禅寺、京都花園 臨済宗大本山 妙心寺 退蔵院。

「妙心寺」の山内には、46の塔頭があり、その中でも「退蔵院」は、応永11年(1404年)に建立された山内屈指の古刹です。方丈には「退蔵院」開祖である無因宗因禅師(妙心寺第三世)がまつられ、日本最古の水墨画「瓢鮎図」(国宝 原本は京都国立博物館に寄託)を所蔵。本堂(方丈)をはじめ、墨跡の数々も重要文化財に指定されています。

境内には、史跡名勝の枯山水庭園「元信の庭」、池泉回遊式庭園「余香苑」と異なる趣の庭園が広がり、樹々や草花に彩られ、一年を通して美しい景観を形成しています。

偉容を誇るこの地において、イベントが開催されるのは極めて異例。

テーマとなったのは、「六根清浄」。

「この言葉は、妙心寺 退蔵院の副住職・松山大耕様より賜りました」と秦野氏。

眼、耳、鼻、舌、身、意。六根を研ぎ澄ます時間が始まります。

今回のテーマは、「六根清浄」。心身が清らかになることを示し、霊山に登る時や寒参りなどの修行の際に唱える仏教用語。

妙心寺 退蔵院麻布十番「秦野よしき」にかまけた戒め。

今回のイベントは、ただ食べるだけではありません。座禅、本堂見学、聞香、庭園周遊を経て、鮨ライブが開催される仕立て。鮨ライブという聞きなれない言語に対しては、後にその意味を知ることになります。

坐禅は、体験だけでなく、その意義を松山氏が教授します。

「仏教の教えに、三慧(さんえ)という言葉があります。経典の教えを聞いて生じる聞慧(もんえ)、思惟・観察によって得られる思慧(しえ)、禅定を修して得られる修慧(しゅえ)です」。

一般的に噛み砕くと、聞慧はセオリーや座学、情報。思慧はそれを鵜呑みにせず疑うこと。修慧は、それらを活かして実践すること。坐禅は、聞慧に当たります。なぜ、坐禅をするのか?

「現代において、考える時間が失われつつあります。ここには、何かに悩み、考え、その答えを導き出そうとする方々が坐禅をするために訪れます。しかし、お寺に答えがあるわけではありません。それをリレクションするための時間と場を提供するのが我々の役目」。

かのスティーブ・ジョブスもまた、禅の思想に触れ、その哲学を自身の生活と仕事に取り入れ、ビジョンと革新的なアイデアを追求し続けたひとり。

そして、坐禅をより効果的にするのが呼吸です。

「息とは、自の心と書きます。焦る、緊張する、イライラする、腹が立つ……。その全ては呼吸に表れます。逆を言えば、呼吸を整えれば、感情をコントロールできるのです」。

今回、ゲストが体験するプログラムは、事前に秦野氏も体験。多くの発見を見出しました。

「これまでは決めたことや型から外れることに苛立ちを感じていました。どうすれば次に進めるのか、どこに向かうべきなのか。とても悩んでいました。同時に、これまでの自分にあぐらをかいていたことにも気づきました。今回のように、わざわざ遠くまで足を運んでくださるお客様に対して鮨を握る緊張感をお店でも持てていたかと言うと、かまけていた自分がいます。お店にお越しいただけることは当たり前ではありません。改めて、身を引き締め、もう一度、鮨と向き合うことができました。そして、目指すべき目標への教えも得ることができました」。

坐禅同様、得たのは目標の答えではなく、考え方。それは、「瓢鮎図」にありました。
 

坐禅を続けることで、自分の心の持つ清浄心に気付き、「無生心(むしょうしん)」「無住心(むじゅうしん)」が得られると言われる。

妙心寺 退蔵院鮨職人として、人として。どう生きるか、禅問答に学ぶ。

「退蔵院」は、三代目の和尚によって約600年前に創建。風景は、室町時代の画家・狩野元信が作庭した枯山水庭園「元信の庭」(国指定名勝)が形成しています。

「絵の世界を具現化したらどうなるのか。そんな思想から構成されており、当時には珍しく常緑樹を採用しています。ゆえに、桜や紅葉はございません。欧米は左右対称の庭が多いのに対し、日本は左右非対称。人が自然を支配する景色の形成ではなく、いかに自然が作ったかのように見せるか。これを無作為の作為と我々は呼びます」と松山氏。

その庭を愛でられる間にあるのが、「瓢鮎図」です。絵の内容は、真ん中に男がひとり、手には小さなひょうたん、目の前には大きな鯰(なまず)。どうすれば男は鯰を捕まえることができるのか? この禅問答を考えたのは、足利義満を父に持つ、足利義持です。

「実際に捕まえることはできません。では、なぜこんなことを考えるのか。我々は、悟りを満月に見立て、その意義を見出しており、禅問答は満月を差す指。指ばかり見ていたら、満月は見えません。私たちは、指が差す先にあるものを見なければいけないのです。この問題においては、論理的なことが大切なわけではなく、指が差す先にあるものに目を向け、自分を導き出すことなのです」。

秦野氏もまた、指先ばかり見ていたひとり。鮨職人・秦野として、人間・秦野として、これからどうなりたいのか。仏教では悟りですが、一般的には、それを夢や希望などに置き換えられるのかもしれません。

ここで面白いエピソードを松山氏が話してくれました。

「以前、某世界的に著名な企業の代表の方が、退蔵院に訪れ、この禅問答をChatGPTに問いました。出した答えはここでは伏せますが、論外。その方は、坐禅もされていかれましたが、帰り際、“どんなにAI発達しても、この価値は失われることはないでしょう”とおっしゃっていました」。

どんなにテクノロジーやデジタルが発達しても、人の精神にたどり着くことはできない。それは、鮨もまた同じなのです。

山水画の始祖といわれている如拙が、足利義持の命により心血注いで描いた最高傑作「瓢鮎図」。ただでさえ捕まえにくい鯰を、こともあろうに瓢箪で捕まえようとするという、この矛盾をどう解決するか。高僧連が頭をひねって回答を連ねた様子は壮観。日本では、鮎を「あゆ」と読むが、中国では「なまず」と読む。

妙心寺 退蔵院目に見えない香りとの対峙。臭覚を研ぎ澄まし、聞き分ける。

聞香では、創業約300年の「松栄堂」専務取締役・畑元章氏が指南します。

聞香とは、その名の通り、「香」りを「聞」くことです。つまり、嗅ぐこととは異なり、嗅ぐことによって、心中で香りを聞き、それを味わうという行為。

聞香は、鎌倉・室町時代に確立された香木の繊細な香りを鑑賞する手法であり、政治や宗教などの博学が高かった京都を中心に、その文化が栄えてきました。

「本日は4種の香りを用意させていただきました。とても似た香りと感じるか、それとも、それぞれに個性を感じるか。強さ、癖、性格……。はたまた、甘味、酸味、辛味、苦味……。ご自身の心と香りを寄り添わせてください」。

大きな香木の塊は沈香と呼ばれるものであり、最上級品。それをチップにし、高炉で温め、香りを立てていきます。

ゆっくりと、静かに、深呼吸。松山氏の言葉を借りるなら、自の心を整えるように。

4種の高炉は、2週、3週、4週……と回遊され、時の経過と共に変化する香り機微に心の耳を澄まします。

「この行為は、好き、嫌い、どれが1番かなど、優劣を付けるものではありません」。

香木は切る位置によって硬さが異なり、切り方によって香りも変化します。

「それは魚も同じ。そこに鮨の美意識を感じます」と、畑氏ならではの視点で鮨と聞香の接点に触れ、場を締めくくりました。

「聞香」に集中すべく、暗く、閉ざすことによって、深く香りと対峙し、心と通わせる。

妙心寺 退蔵院善悪、自他、そして陽影。対立する二つではなく、一つになる不二の教え。

朱の帳が落ちる頃、聞香の余韻に浸りながら向かう先は、この流れを汲むかのような名称であり名勝「余香苑」。

「敷砂の色が異なる二つの庭は、物事や人の心の二面性を伝えています。仏教には素晴らしい教えが多くありますが、現代で最も大切にしたい語が不二。対立する二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく、一つのものであるという意味です」。

対立の最たるもの、それは戦争です。また、園内には敷石の色が異なる二つの庭を有し、物事や人の心の二面性を伝えています。そこには陽の庭に7つの石を、陰の庭に8つの石が配されています。

「15は完全を表す数字と言われています。七五三、十五夜、瀧安寺の石庭においても15の石を配しています」。

陽がなければ陰は存在せず、陰がなければ陽は存在しません。相反する二つのように見えるそれは、実は一つの存在なのです。

庭の設計は、造園家の中根金作氏が手がけたもの。前述、画家・狩野元信が作庭した枯山水庭園「元信の庭」とともに、中世と現代、二つの名庭を一つの地で堪能できることもまた、「退蔵院」の特筆すべき点と言って良いでしょう。歩を進めるに連れ、高低、奥行きなどの変化が庭の表情を豊かに描き、緻密な計算のもと、作庭されていることがよく理解できます。そして、表れた小さな池。

「実はこの池は、ひょうたんの形をしています。中には一匹の鯰が泳いでいます」。

そう、これは、松山氏の祖父が出した「瓢鮎図」の答え。

「答えを求める際、外に目を向けてしまいますが、実は内にある。お爺さんの遊び心ですね」。

秦野氏が欠落していたもの。それは、六根の中でも唯一五感以外の根、意=心。その答えもまた、外にはなく、内にあるのです。

「余香苑」に備えるひょうたん型の池。この中に、一匹の鯰が悠々と泳ぐ。

妙心寺 退蔵院もっと自由に。覚醒した秦野よしきの鮨ライブ。

秦野氏は言います。

「退蔵院という環境、精神との対峙、自分の中にあった靄が晴れた」。

斬新だったのは、そのプレゼンテーション。一般的に鮨をイベントで供する際は、料理の特性上、職人が握る場にゲストが足を運ぶか、数貫の盛り合わせをサービスするケースが多い。

しかし、「一貫一貫、握りたてにこだわりたかった」秦野氏が編み出した手法は、二列のテーブルの間に一つの可動式カウンターを設え、前後に移動しながら握りたての鮨を左右に供するという仕立て。

鮨ライブです。

料理の内容は、吉次のしゃぶしゃぶや牡蠣の南蛮漬け、雲丹出汁、蟹ジュレなど、逸品九品と鮨十貫。特筆すべき点は、メニューにあったが供されなかった本鮪赤身漬けの鮨。

「最初は、漬けでやろうと思って決めていたのですが、実際、仕入れた赤身が素晴らしく、わざわざ漬けにする必要はないと思い。素材をそのまま味わってほしくて」。

前述、「決めたことや型から外れることに苛立ちを感じていました」という境地からの変化。また、この赤身を本鮪とろと本鮪中とろの間に挟んだ妙も、セオリーを覆した順。

「臨機応変や変化を楽しめるようになり、のびのび鮨を握ることができました」と秦野氏。

今回、秦野氏が自身に課したテーマは、アップデート。しかし、それは奇を衒うという意味ではありません。

「今回のために新しいことをするのではなく、これまでと同じように違う環境で表現することに努めたかった」。

ベストな鮨を味わいたいのであれば、麻布十番「秦野よしき」に行くべきでしょう。なぜなら、「退蔵院」は、素晴らしい環境である一方、厨房やサービス導線が整わない環境でもあるからです。

では、ここで味わう鮨の醍醐味は何か。それは、人間「秦野芳樹」が握る鮨と言って良いのではないでしょうか。つまり、生き様です。

「色々、難しいことがたくさんありましたが、一番苦労したのは、何回炊いても同じシャリにならなかったことでした。環境変わると同じことすらできない」。

これまでの秦野氏であれば、ここでまた苛立ちを覚えたでしょう。ですが、「退蔵院」の教えが秦野氏の息を整え、心を落ち着かせ、目指すべき方向、指が差す先へと導きます。

六根清浄。これまでの体験を経て、秦野氏の眼、耳、鼻、舌、身、意が結実してゆきます。

「シャリ(舎利)も仏舎利が由来しており、鮨は仏教と親密な関係を持っていると感じています。鮨の歴史は約200年ですが、退蔵院の歴史は約600年。鮨以上の歴史の空間で握ったのは初めての経験でした。ですが、こんなに長い歴史がある中で、松山さんは新しいことをやり続けている。まさに温故知新。挑戦しなければ伝統は生まれませんし、伝統にも気付けない。今回は、何が自分に足りないのかに気付くことができました」。

そんな言葉で振り返る秦野氏は、職人としての成長だけでなく、人としての成長を得たに違いありません。そして、「何より、この環境をスタッフと共有できたことが良かったです」と言葉を続けます。

それはなぜか。

「今回の体験をいつの日か振り返った時、必ずターニングポイントになったと思うから」。

それを自分だけの筋肉にするのではなく、チームの筋肉にできたことは、今後、秦野氏の鮨をより強くしてくれるでしょう。

ゲストのテーブルの間を秦野氏が可動式のカウンターとともに移動し、一人ひとりに鮨を握る。ありそうでなかった画期的な演出。

メニューには、本鮪赤み漬けとあったが、素材の質と状態を見極め、急遽変更。余計な手を加えず、赤身の握りに。

妙心寺 退蔵院今やっていることを当たり前に。世界基準を作りたい。

「例えば、現在は当たり前のように甲殻類や貝類が握られていますが、鮨が魚から始まったことを考えると、誰かが魚ではないそれを握った先人がいるわけです。きっと肯定的な意見だけではなかったでしょう。ですが、続けることによって、当たり前になりました。そんな未来の世界基準を作っていきたいと思っています」と秦野氏。

現在、秦野氏が追及している「酸と脂」もそのひとつ。今回、供された茄子の揚げ浸しの鮨や牡蠣の南蛮漬けの逸品などは、その好例です。

そんな秦野氏の想いを伝えたかったと一肌脱いだ人物がいます。今回のプロデュースを務めたレバレッジコンサルティング代表の本田直之氏です。

「秦野芳樹は、確実に進化している。しかし、それに気付いていない人もいる」。

この言葉は、シンプルなように聞こえますが、実は奥が深いと考えます。なぜなら、一人の料理人を定点観測することは難しいからです。通い続ければできますが、言うほど容易なことではありません。

「だから、それをどうしたら伝えられるかをものすごく考えた結果、秦野芳樹の進化した鮨だけでなく、深化した精神を伝えることが必要だと思いました。ただのイベントではなく、正しい場所で、正しい形で、今の秦野芳樹を表現したかった」。

「退蔵院」でそれが具現化できたことは、奇跡のショーケース。そして、もうひとつ。「ゲストは世界中から」ということも本田氏がこだわったところ。

「秦野芳樹が世界基準で鮨の礎を築こうとしていることは知っていました。だから、今回のメッセージは、日本だけでなく世界の人に伝えたかった」。

厳選されたゲストは、わずか20名。半分は外国人。国も年齢も性別も業種も様々。さらに補足すべきことは、レストランランキングなどが目的とされていないこと。あくまでも、対ゲストに向けられたイベントだったということです。

「今回の趣旨は、正直、日本人でも理解するのは難しいと思っています。しっかりと本質を伝えるには、20名が限界。自分自身もまた、本質とは何かに向き合えた体験でした」。

茄子の揚げ浸しの握り。酸と脂という関係は、秦野氏が追及する究極のハーモニー。

今回、鮨に合わせられたのは、「ドン ペリニヨン 2015」。本田氏がアドバイザーを務める「ドン ペリニヨン」は、「世界最高のワインを造る」という強い意志のもと、修道士のピエール・ペリニヨンによって17世紀に誕生した歴史の深いメゾン。

京都の「日々醸造」もペアリングに登場。京都の水と天然の乳酸菌から丁寧に育て上げた日本酒は秦野氏の鮨とも好相性。

妙心寺 退蔵院食でつながる時代から、精神でつながる時代へ。

「これほどまでに情報過多の時代、人間は変わらないと成長できない」。秦野氏は、そう話します。

「退蔵院」で鮨を握るということ。それは、高い技術に裏打ちされた握りを供することにあらず。禅の振る舞いに相応しい振る舞いをしなければならず、その精神性を兼ね備えなければいけません。それは秦野氏に限らず、ゲストも同様。

「今後は、もっとアグレッシブに外に出てい(生)きたいと思っています。矢面に立てば、批判も出ると思いますが、それも真摯に受け止めようと思っています。日本の魚って素晴らしい、日本の鮨って素晴らしい。これから自分が目指す鮨をワールドオーダーにしたい」。

自分を超えられるのは、自分だけ。

指先を見ている秦野芳樹は、もういない。六根清浄――。秦野芳樹は、自身を導き出し、指が差す先を目指す。

この日のためだけに、世界中から集まったゲストは、わずか20名のみ。たった一夜のみ、「退蔵院」で行われた奇跡の時間は、秦野氏の人生を大きく変えたに違いない。


Photographs:YOHEI MURAKAMI
Text:YUICHI KURAMOCHI

Posted in 未分類

速報!「栗林大茶会」の全貌公開。

栗林大茶会「栗林大茶会」で行われる5つの体験。

特別名勝「栗林公園」で行われる「栗林大茶会」。この壮大な茶会を形成するのは、それぞれの業種の第一線で活躍する面々です。

茶の湯監修には武家茶道・武井宗道氏、和菓子監修には「ファロ」シェフパティシエ・加藤峰子氏、飲料監修にはバーテンダー・南雲主于三氏、空間設計監修には永山祐子氏を迎え、和菓子の分野では、日和制作所、三友堂、夢菓房たから、御菓子司 寳月堂、瀬戸内パウダーラボが参画、空間設計の分野には、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気、コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬/KASAが参画、そして、亭主として料亭 二蝶、SABI、BAR TIE、Art Collective Ochillが参画します。

75万平方メートルという広大な敷地内に点在するのは、脈々と受け継がれてきた歴史と文化が息づく建築物やこの庭園を称する「一歩一景」の絶景群。「栗林大茶会」では、庭園の全てを舞台にゲストに回遊いただき、5つの空間を形成し、各分野の感性を交錯させることによって独自の世界を創造します。

唯一無二の茶の湯の価値。ここでは、その全貌をご紹介いたします。

今回行われる「栗林大茶会」を創造する主要メンバー4人。左上より時計回りに、茶道ディレクター・武井宗道氏、「ファロ」シェフパティシエ・加藤峰子氏、バーテンダー・南雲主于三氏、建築家・永山祐子氏。

case of experience 1

場所:掬月亭
亭主:料亭 二蝶
和菓子屋:日和制作所
和菓子:和三盆糖のお干菓子

歴代の藩主が愛したと言われている茶屋「掬月亭」は、お殿様が建築を命じ、建てられただけあり、実に華やか。そこに高松の老舗料亭「二蝶」を亭主に迎え、和三盆糖のお干菓子を提供いたします。和菓子は、「日和制作所」が担当。小さな工房で手彫りの菓子型と手作業で作られた品は、まるで小さな芸術品。歴史と文化が息づく建築とともに、優雅な時間をお楽しみください。

case of experience 2

場所:日暮亭
亭主:Art Collective Ochill
和菓子屋:三友堂
和菓子:錦玉羹

明治31年に築造された茅葺の草庵型の「日暮亭」には、季節の移ろいを感じる穏やかな時間が流れています。そこで供される和菓子は、明治5年より創業の味を守り続けている高松の老舗和菓子屋「三友堂」の錦玉羹。目でも楽しめる美しい和菓子は、職人の技と意匠を存分に感じることができます。ゲストをおもてなす亭主は、新たな嗜好体験「茶香(吸うお茶)」を京都の瞑想室から世界へと発信し、日本らしいwell-beingをwelll-downと捉え、探求しているアートコレクティブ、「Ochill」です。茶の湯や嗜好品の再構築とも形容できる、ここでしか味わえない独自の体験を満喫ください。

case of experience 3

場所:臥松庵
設計:三井嶺建築設計事務所
亭主:武井宗道
和菓子屋:夢菓房たから
和菓子:ごま餅

「栗林大茶会」の茶の湯監修を担う武井宗道氏を亭主に迎える空間を設計するのは、三井嶺氏。茶室をはじめとする日本建築の理論を探求し、「骨と装飾」「茶室に見る”無”と透明性」「イメージの媒介としての建築」を創作のキーワードとしています。過去には、茶室「清風庵」なども手がけ、「Under 35 Architects Exhibition 2017」最優秀賞や住宅建築賞2021なども受賞。ただ、そこに身を置くだけで特別な体験となりますが、「夢菓房たから」の和菓子がそこに口福を纏わせます。昭和11年創業より、約88年地域に根ざした味は、今なお人気を誇っています。その確かな味を、この日のためだけに設計した建築空間とともにお楽しみください。

case of experience 4

場所:露庵
設計:KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬
亭主:SABI、BAR TIE
和菓子屋:夢菓房たから
和菓子:練り切り

上記、「臥松庵」に続き、「露庵」においても「夢菓房たから」が手がける和菓子は、練り切りです。職人技が成す三つ揃えのはさみ菊は、まさに食べる芸術。空間は、東京とモスクワを拠点に活動する建築ユニット、コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬/KASAが設計。SDレビュー「鹿島賞」、ヴェネチアビエンナーレ国際建築展「特別表彰」、三重県文化賞「文化新人賞」、Under 35 Architects exhibition「伊東賞」「Gold Medal」、MFU「ベストデビュタント賞」などを受賞し、国内外で高い評価を得ています。亭主には、2023年に高松にティースタンドをオープンしたばかりの新進気鋭「SABI」と高松市古馬場町で古くから大人の社交場として親しまれてきたエリアで営む「BAR TIE」を迎え、玉露、焙じ茶、そしてカクテルとともに、お客様をおもてなしします。古き良きもの、新しいもの、すべてを結びつける多様性の場所でありたいとは、「BAR TIE」の言葉。この空間で結びつく、新たな世界と体験をご堪能ください。

case of experience 5

場所:泳月庵
設計:VUILD/秋吉浩気
亭主:BAR TIE
和菓子屋:御菓子司 寳月堂、瀬戸内パウダーラボ
和菓子:吹寄せ(生落雁、琥珀糖、おいり)

泳月庵の亭主は、上記同様、「BAR TIE」が担当。空間設計は、「VUILD」秋吉浩気が手がけます。「新たな茶室を栗林公園に設計にするにあたり、掬月亭と対になるような建築を考えたいと思いました。掬月亭の名が湖に映る月を掬うことに由来するのであれば、その対となるものはやはり湖に浮かぶ月。であるならば、月を湖に泳がせたような、月から泳いできたような茶室を提案したいと思いました」とは、秋吉氏の言葉。大きさは約2畳。繰り広げられる茶事の世界に供されるのは、「御菓子司 寳月堂」と「瀬戸内パウダーラボ」の吹寄せの和菓子。池の水、光、音。ゆっくりと流れる北湖の景色を眺めながら、満喫ください。

Special Support

サービス協力:BAR足袋・タビ式、柳田ラムセス晃一郎

茶室の様に高さの低い入り口をくぐり、飛び石の通路を通り抜けて入る隠れ家のようなわびさびのある「BAR足袋」とその新店、世界一長いBARの扉!?「タビ式」、そして、フリーランスの飲食、サービスマンとして活動し、過去には「2019年の瀬戸内国際芸術祭」や「たかまつ国際古楽祭2021」でも料理をプロデュースした柳田ラムセス晃一郎氏も「栗林大茶会」をサポートしています。

和菓子の原材料
*和三盆糖のお干菓子
和三盆糖(香川県製造)、オリーブリーフパウダー(香川県産)、ライムの皮(香川県豊島産)/オリーブオイル(香川県産)

*錦玉羹
砂糖(国内製造)、水飴、寒天、紅茶エキスパウダー/ベルガモット香料、ローズウォーター、マイクロハーブ(赤紫蘇)

*ごま餅
砂糖(てんさい糖 国内製造)、白いんげん豆、羽二重もち米、小原紅早生みかん(香川県産)、黒ごま/トレハロース

*練り切り
砂糖(てんさい糖 国内製造)、白いんげん豆、山芋、餅粉、ラズベリーペースト、ローズウォーター、檜、ビーツパウダー、バタフライピーパウダー/トレハロース、クチナシ色素

*吹寄せ
生落雁:砂糖(国内製造)、サワーチェリーペースト、寒梅粉、水飴
琥珀糖: 砂糖(国内製造)、桂花茶、エルダーフラワーシロップ、水飴/トレハロース、着色料(金箔)
おいり:もち米(国産)、上白糖、レモン果汁パウダー/膨張剤

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会

「栗林大茶会」の詳細やご予約は下記をご覧ください。

Posted in 未分類

速報!「栗林大茶会」の全貌公開。

栗林大茶会「栗林大茶会」で行われる5つの体験。

特別名勝「栗林公園」で行われる「栗林大茶会」。この壮大な茶会を形成するのは、それぞれの業種の第一線で活躍する面々です。

茶の湯監修には武家茶道・武井宗道氏、和菓子監修には「ファロ」シェフパティシエ・加藤峰子氏、飲料監修にはバーテンダー・南雲主于三氏、空間設計監修には永山祐子氏を迎え、和菓子の分野では、日和制作所、三友堂、夢菓房たから、御菓子司 寳月堂、瀬戸内パウダーラボが参画、空間設計の分野には、三井嶺氏、VUILD/秋吉浩気、コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬/KASAが参画、そして、亭主として料亭 二蝶、SABI、BAR TIE、Art Collective Ochillが参画します。

75万平方メートルという広大な敷地内に点在するのは、脈々と受け継がれてきた歴史と文化が息づく建築物やこの庭園を称する「一歩一景」の絶景群。「栗林大茶会」では、庭園の全てを舞台にゲストに回遊いただき、5つの空間を形成し、各分野の感性を交錯させることによって独自の世界を創造します。

唯一無二の茶の湯の価値。ここでは、その全貌をご紹介いたします。

今回行われる「栗林大茶会」を創造する主要メンバー4人。左上より時計回りに、茶道ディレクター・武井宗道氏、「ファロ」シェフパティシエ・加藤峰子氏、バーテンダー・南雲主于三氏、建築家・永山祐子氏。

case of experience 1

場所:掬月亭
亭主:料亭 二蝶
和菓子屋:日和制作所
和菓子:和三盆糖のお干菓子

歴代の藩主が愛したと言われている茶屋「掬月亭」は、お殿様が建築を命じ、建てられただけあり、実に華やか。そこに高松の老舗料亭「二蝶」を亭主に迎え、和三盆糖のお干菓子を提供いたします。和菓子は、「日和制作所」が担当。小さな工房で手彫りの菓子型と手作業で作られた品は、まるで小さな芸術品。歴史と文化が息づく建築とともに、優雅な時間をお楽しみください。

case of experience 2

場所:日暮亭
亭主:Art Collective Ochill
和菓子屋:三友堂
和菓子:錦玉羹

明治31年に築造された茅葺の草庵型の「日暮亭」には、季節の移ろいを感じる穏やかな時間が流れています。そこで供される和菓子は、明治5年より創業の味を守り続けている高松の老舗和菓子屋「三友堂」の錦玉羹。目でも楽しめる美しい和菓子は、職人の技と意匠を存分に感じることができます。ゲストをおもてなす亭主は、新たな嗜好体験「茶香(吸うお茶)」を京都の瞑想室から世界へと発信し、日本らしいwell-beingをwelll-downと捉え、探求しているアートコレクティブ、「Ochill」です。茶の湯や嗜好品の再構築とも形容できる、ここでしか味わえない独自の体験を満喫ください。

case of experience 3

場所:臥松庵
設計:三井嶺建築設計事務所
亭主:武井宗道
和菓子屋:夢菓房たから
和菓子:ごま餅

「栗林大茶会」の茶の湯監修を担う武井宗道氏を亭主に迎える空間を設計するのは、三井嶺氏。茶室をはじめとする日本建築の理論を探求し、「骨と装飾」「茶室に見る”無”と透明性」「イメージの媒介としての建築」を創作のキーワードとしています。過去には、茶室「清風庵」なども手がけ、「Under 35 Architects Exhibition 2017」最優秀賞や住宅建築賞2021なども受賞。ただ、そこに身を置くだけで特別な体験となりますが、「夢菓房たから」の和菓子がそこに口福を纏わせます。昭和11年創業より、約88年地域に根ざした味は、今なお人気を誇っています。その確かな味を、この日のためだけに設計した建築空間とともにお楽しみください。

case of experience 4

場所:露庵
設計:KASA/コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬
亭主:SABI、BAR TIE
和菓子屋:夢菓房たから
和菓子:練り切り

上記、「臥松庵」に続き、「露庵」においても「夢菓房たから」が手がける和菓子は、練り切りです。職人技が成す三つ揃えのはさみ菊は、まさに食べる芸術。空間は、東京とモスクワを拠点に活動する建築ユニット、コヴァレヴァ・アレクサンドラ + 佐藤敬/KASAが設計。SDレビュー「鹿島賞」、ヴェネチアビエンナーレ国際建築展「特別表彰」、三重県文化賞「文化新人賞」、Under 35 Architects exhibition「伊東賞」「Gold Medal」、MFU「ベストデビュタント賞」などを受賞し、国内外で高い評価を得ています。亭主には、2023年に高松にティースタンドをオープンしたばかりの新進気鋭「SABI」と高松市古馬場町で古くから大人の社交場として親しまれてきたエリアで営む「BAR TIE」を迎え、玉露、焙じ茶、そしてカクテルとともに、お客様をおもてなしします。古き良きもの、新しいもの、すべてを結びつける多様性の場所でありたいとは、「BAR TIE」の言葉。この空間で結びつく、新たな世界と体験をご堪能ください。

case of experience 5

場所:泳月庵
設計:VUILD/秋吉浩気
亭主:BAR TIE
和菓子屋:御菓子司 寳月堂、瀬戸内パウダーラボ
和菓子:吹寄せ(生落雁、琥珀糖、おいり)

泳月庵の亭主は、上記同様、「BAR TIE」が担当。空間設計は、「VUILD」秋吉浩気が手がけます。「新たな茶室を栗林公園に設計にするにあたり、掬月亭と対になるような建築を考えたいと思いました。掬月亭の名が湖に映る月を掬うことに由来するのであれば、その対となるものはやはり湖に浮かぶ月。であるならば、月を湖に泳がせたような、月から泳いできたような茶室を提案したいと思いました」とは、秋吉氏の言葉。大きさは約2畳。繰り広げられる茶事の世界に供されるのは、「御菓子司 寳月堂」と「瀬戸内パウダーラボ」の吹寄せの和菓子。池の水、光、音。ゆっくりと流れる北湖の景色を眺めながら、満喫ください。

Special Support

サービス協力:BAR足袋・タビ式、柳田ラムセス晃一郎

茶室の様に高さの低い入り口をくぐり、飛び石の通路を通り抜けて入る隠れ家のようなわびさびのある「BAR足袋」とその新店、世界一長いBARの扉!?「タビ式」、そして、フリーランスの飲食、サービスマンとして活動し、過去には「2019年の瀬戸内国際芸術祭」や「たかまつ国際古楽祭2021」でも料理をプロデュースした柳田ラムセス晃一郎氏も「栗林大茶会」をサポートしています。

和菓子の原材料

*和三盆糖のお干菓子
和三盆糖(香川県製造)、オリーブリーフパウダー(香川県産)、ライムの皮(香川県豊島産)/オリーブオイル(香川県産)

*錦玉羹
砂糖(国内製造)、水飴、寒天、紅茶エキスパウダー/ベルガモット香料、ローズウォーター、マイクロハーブ(赤紫蘇)

*ごま餅
砂糖(てんさい糖 国内製造)、白いんげん豆、羽二重もち米、小原紅早生みかん(香川県産)、黒ごま/トレハロース

*練り切り
砂糖(てんさい糖 国内製造)、白いんげん豆、山芋、餅粉、ラズベリーペースト、ローズウォーター、檜、ビーツパウダー、バタフライピーパウダー/トレハロース、クチナシ色素

*吹寄せ
生落雁:砂糖(国内製造)、サワーチェリーペースト、寒梅粉、水飴
琥珀糖: 砂糖(国内製造)、桂花茶、エルダーフラワーシロップ、水飴/トレハロース、着色料(金箔)
おいり:もち米(国産)、上白糖、レモン果汁パウダー/膨張剤

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会

「栗林大茶会」の詳細やご予約は下記をご覧ください。

Posted in 未分類

異国での挑戦。ふたりの日本人シェフが伝えたい、本当の日本の味。

9月6日〜8日の3日間、「グランド・リスボア・パレス・リゾート・マカオ」にて行われた「シェフズ・テーブル・イベント」。東京・表参道にあるフレンチ「ラチュレ」オーナーシェフの室田拓人氏(左)と「瑞兆」ヘッドシェフの紀之本義則氏(右)は、初共演ながら、阿吽の呼吸でゲストを魅了。

Chef’s Table Event初対面だからむしろ良い。「瑞兆」×「ラチュレ」の共演。

9月某日、マカオにてふたりの日本人シェフがコラボレーションイベントを開催。その人物とは、活動の場を日本からマカオに移した「瑞兆」ヘッドシェフの紀之本義則氏と、東京・表参道に「ラチュレ」を構えるオーナーシェフの室田拓人氏である。

紀之本氏は、山代温泉の名旅館「べにや無何有」など、数々の名店で料理長を務めた経歴を持ち、室田氏は、「レストラン タテル ヨシノ」などで研鑽を積んだ実力派。ともに、ミシュランガイドにおいて1つ星を獲得しています。

舞台となる「瑞兆」を内包するのは、「グランド・リスボア・パレス・リゾート・マカオ」。圧巻の建物は、伝統的な中国様式にヨーロッパのエッセンスを融合させ、東洋と西洋の文化を彷彿とさせます。

「私は、意味のあるコラボレーションしかしません」。

これは室田氏の言葉ではありますが、そこには、紀之本氏の想いも含め、ふたりの強い意志が込められていました。

初対面のふたりは、知らないからこそ互いを理解し合い、尊重する心が生まれ、良い緊張感が育まれながら、今回のイベント「シェフズ・テーブル・イベント」の構想はスタートしました。

「グランド・リスボア・パレス・リゾート・マカオ」3階に位置する「瑞兆」。本格的な日本の割烹料理を提供し、料理人とお客様の交流を重視。350年の樹齢があるヒノキから作られ、空間においても上質な日本にこだわる。

5つ星の「グランド・リスボア・パレス・リゾート・マカオ」には、世界初の「ザ・カール・ラガーフェルド・マカオ」、アジア初の「パラッツォ・ヴェルサーチェ・マカオ」も併設。まるで城のような佇まいで感動的な風景を形成する。

ホテルの内装もゴージャス。ただ空間に身を置くだけで高揚感にあふれる。

約1,900室の客室とスイートルームを完備。観光はもちろん、ビジネスにも最適なホテルとして人気を博す。

タイパ島の官也街「タイパ・ビレッジ」周辺には、ポルトガル式のコロニアル建築が目を引く「タイパ・ハウスミュージアム」(左)も。カラフルな「石街」(右)には、ローカルグルメやカフェ、バーなどが軒を連ねる。マカオに訪れたならば、観光も存分に堪能したい。

奇を衒わず、本質を伝える。

中国の特別行政区でありながら、元々はポルトガル領だったマカオは、東洋と西洋の文化が混在しています。食文化においてもそれは反映され、中国料理やポルトガル料理が多く軒を連ねているのが特徴です。

また、観光地としても栄え、タイパ島の官也街「タイパ・ビレッジ」は特に人気。わずか150mほどの細いストリートには、伝統的な菓子やフードを提供するショップが並び、常に賑やか。周辺には「タイパハウス博物館」なども点在しています。その他、鮮やかな建物が建ち並ぶ「石街」では、個性豊かなカフェやショップが軒を連ね、近年、マカオはエキサイティングな地域として国内外から注目を集めているのです。

では、「瑞兆」のような割烹や「ラチュレ」のようなフレンチは、そのような環境で市民権をえているのでしょうか?

「おそらくマカオの中で割烹と謳う和食は瑞兆のみだと思います。フレンチにおいても、室田シェフが手がけるような本格的な料理を提供されているレストランは数えるほどしかございません」と紀之本氏は話します。

つまり、今回のコラボレーションは、この地域にないもの同士の共演でもあるのです。マカオの人々にそれを伝えるだけでも十分意義を感じますが、難しさもあります。それは、味覚の違いでした。

「日本人が食べて美味しいと感じるものが必ずしも、マカオや海外で受け入れられるわけではありません。ウニも食べない、あん肝も食べない、頭の付いた魚は食べないなど、様々なお客様を見てきました。しかし、それは食べる習慣がなかっただけ。マカオでは、ただ料理を提供するだけでなく、料理の背景や文化、なぜこのようにして食べるのかなど、知識とともに提供することが大事だと感じました。今回のコラボレーションにおいても、そのようなプレゼンテーションを採用しました」と紀之本氏。

「ラチュレにも多くのインバウンドのお客様がいらっしゃいますが、そこで感じたことは、日本人の味覚と海外の方々の味覚が異なるという点でした。それは、アジア、欧米など、国や地域によって様々。美味しいと感じるストライクゾーンの違いをどう埋められるのかは、これからの時代、非常に重要。今回、コラボレーションに参加させていただいた理由のひとつは、マカオのお客さまをお迎えし、味をアジャストさせたいと思ったことでした。塩加減、旨味の感じ方、生ものの使い方……。紀之本シェフの技術はもちろん、プレゼンテーションやコミュニケーションの仕方を間近で見ることができたことも良い経験になりました」と室田氏。

ふたりが話す味覚の件は、日本は単一国民、島国文化ゆえ、一過性の味覚がDNAとして刻まれているのかもしれません。しかし、移民なども多い国や地域では、それぞれが異なる食文化で生まれ育っているため、そのゾーンは広い。どうすれば美味しいを届けられるのか。それは頭で考えるよりも行動あるのみ。答えは常に現場にあるのです。

そして、前出、室田氏が語った「良い経験」においては、こうした体験をすることで「特にスタッフにおいて良い経験になる」と言葉を続けます。「フランス料理はチームで作る料理」と話す室田氏は、ベストなチームワークを目指す一方、自身のレストランだけで料理をすることによってスタッフの視野が狭くなることも懸念。こういったイベントの際には同行させ、学びの場を与えているのです。

今回のコラボレーションは、昨今行われるアワードなどのランキング目的ではないため、ゲストにおいては審査員やジャーナリストはいません。「あくまでも、お客様に喜んでいただける本当の割烹と本当のフレンチを提供したい」とふたり。

「瑞兆」と「ラチュレ」がコラボレーションした理由は、実にシンプル。「世界の人に美味しいを届けたい」から。 奇を衒わず、本質を伝える。ただそれだけなのです。

今回のコラボレーションにおいて、ふたりが特にこだわったことは、マカオの人々が美味しいと感じる味の塩梅。味覚のゾーンを探る作業は、文化や歴史を学ぶところから始まるため、奥が深い。

コースの前半で供された前菜2種、「柿の白和え 吹寄せ盛り」(左)と「菊花蕪鶏射込み椀」(右)は「瑞兆」作。日本の秋の代表的な果物・柿に、椎茸、三つ葉や自家製のお豆腐ソースで和え、柿の中に盛り付け。トップには揚げ銀杏や揚げ里芋を飾り付ける。また、かぶの皮をむき、手で一つひとつ菊の花の模様を彫るお椀も秋の情緒を感じる。鶏肉のメンチを入れた後、鶏肉とかつお節で取ったダシでじっくり煮込み、最後は、和食を伝統的な作法として、お椀の蓋に霧吹きし、ゲストに提供。

日本の食材をフレンチの調理法で表現した「鰹藁焼き 秋野菜のコンディマン」は「ラチュレ」作。藁で秋のカツオを燻製し、わかめ、新生姜のジェリー、花穂じそなどの秋野菜に合わせる。トマトのスープ、かつお節とローズマリーオイルで仕上げたソースとともに。

食材に見た質の高さと危機感。

「日本人が手がけるフランス料理をマカオの人はほとんど食べたことがないので、感動していたのが印象的でした」。

これは、日頃見るゲストの表情を知るからこそ、その違いがわかる紀之本氏ならではの感想です。

一方、室田氏も別の角度から違いを見たと言います。それは食材です。

「今回、瑞兆さんが日本から空輸したノドグロを使用したのですが、その質の高さに驚きました。むしろ日本よりも良いのでは?と。そのおかげで、お客様にも満足いただけるような逸品が作れた一方、日本の良質な魚が海外に出てしまう危機感も覚えました」と室田氏。

室田氏は、海と魚を学ぶコミュニティ「Chefs for the Blue」のメンバーのひとりでもあります。神経〆や流通の進化も輸出の加速を手伝いますが、販売価格の問題もあるでしょう。需要と共有のバランスも注視する点です。

「こうした問題も現場にいなければわからないこと。すぐには解決できるものではありませんが、考え続けたいと思います」。

今回、ふたりがコラボレーションするにあたり、テーマがありました。それは、「日本の秋のテロワール」。一般的のように聞こえますが、マカオでそれを表現することは至難の技。なぜなら、日本ほど四季がはっきりしていないからです。

「割烹の醍醐味は、四季の味わいや旬の食材を愉しむことにあると思います。しかし、暑い時期が多いマカオの環境で日本の秋のテロワールを表現することは非常に困難ですが、挑戦したかった。正しい日本の食文化を伝えたかった」と紀之本氏。

かぶの皮を丁寧にむき、日本の秋に咲く花、菊をあしらった「菊花蕪鶏射込み椀」は、日本で供される割烹料理そのもの。同じく秋を代表する果物、柿を使用した「柿の白和え 吹き寄せ盛り」には椎茸や三つ葉を忍ばせ、揚げ銀杏や里芋を添えるなど、質の高いプレゼンテーションに、ゲストはパスポートのいらない日本を体験したに違いありません。

加えて、「瑞兆」のシグネチャーメニューでもある薩摩A5和牛を使用した料理では、日本スタイルとフレンチスタイルで調理。紀之本氏は、キャビアを加え、「薩摩 A5イチボとキャビアの押し寿司」として仕上げ、室田氏は、フォアグラとシャンピニオンデュクセルのムースをパイ包みに。ソースは黒トリュフを使ったソースペリグーで仕上げます。

そして、それぞれの技術と感性が互いを引き立て合ったコラボレーションメニュー、「黒鮑と森のきのこのフリカッセ」では、紀之本氏が三重県産の黒アワビを昆布と日本酒で2時間蒸したあと、室田シェフが白ワイン、キノコ、イノシシのベーコンで作ったソースで合わせ、「松茸炊飯」では、室田氏が作るフレンチのダシで紀之本氏が炊き込みご飯を作るなど、双方、絶妙なバランスでひと皿にまとまり、オリジナリティも豊か。

ふたりの日本人シェフが作る、日本の味で構成されたコースは、見事にマカオのゲストの美味しいにアジャストしました。

今回、提供されたメニューは全11品で構成。うち、2品は「瑞兆」と「ラチュレ」のコラボレーションメニュー。

はまぐり、秋野菜、パセリとバターで作ったスープの上に、軽く皮をあぶったのどぐろを載せた「のどぐろ初秋のスープ仕立て」(左)は、「ラチュレ」作。そして、「のどぐろ煎り米焼き 雲丹ソース」(右)は、「瑞兆」作。炭火でのどぐろを焼き、上に揚げた稲穂を加え、ぱりぱりな食感を与える。北海道のバフンウニと醬油で作ったソースなど、日本の食材をふんだんに使用。ともに、のどぐろは石川県産のもの。

「瑞兆」のシグネチャーメニューである薩摩A5和牛の料理を「薩摩 A5イチボとキャビアの押し寿司」としてアレンジ。軽く炙った薩摩A5和牛のランプとキャビアを酢飯に乗せ、花穂じそ飾り付け。

「薩摩 A5牛肉のウィリントン風ソースペリグリー」は「ラチュレ」作。室田氏は、「瑞兆」の定番である薩摩A5和牛ロースに、フォアグラとシャンピニオンデュクセルのムースをパイ包みに。ソースは黒トリュフを使ったソースペリグー。

今回、「瑞兆」と「ラチュレ」がコラボレーションしたメニューはふたつ。そのうちのひとつ、「黒鮑と森のきのこのフリカッセ」。紀之本氏は三重県産の黒アワビを昆布と日本酒で2時間蒸し、室田シェフが白ワイン、キノコ、イノシシのベーコンで作ったソースに合わせる。トップにはキノコのパリパリなチュイルを盛り付け。また、秋の落ち葉を踏んだ時の音を体感させるため、揚げた春巻きの皮を入れた演出は、山で狩りもする室田氏の発案。

ふたつ目の「瑞兆」と「ラチュレ」のコラボレーションメニュー「松茸炊飯」。和風の炊き込みごはんをフレンチのダシで炊き込み、マツタケなど、秋の食材を採用。まずはそのまま食し、その後、ダシと薬味を入れ、お茶漬けに。

マカオにいるからこそ伝えたい。国内にいると気付かない日本の価値。

海外で活躍する紀之本氏。そして、今回、海外を舞台にクリエイションした室田氏。それぞれ、国外に身を置くからこそ、世界との目線合わせや日本への気付きがあると言います。

「海外に行くと改めて思うのは、日本は色々なものが食べられる美食の国。レストランという環境以外においても美味しいものにあふれています。一方、便利になり過ぎている現代において、昔からある食文化や郷土料理がなくなり始めているようにも思えます。また、サスティナブルという点においてもまだまだ日本は遅れを取っている。日本人よりも海外の人の方が日本の文化に詳しいこともあるため、当たり前のようにある日本の価値に再発見させられることもあります。もっと勉強しなければいけないと思いました」と室田氏。

「マカオで日本料理といえば、寿司、天ぷら、鉄板焼きなどの印象を持つ人が未だ多く、割烹の意味を理解できる人はまだまだ少ないです。詫び錆び、情緒、おもてなしなど、食を通して、日本の文化と一緒に伝えたい。マカオは国柄、中国料理は多く、その技術はテクニックが長けている一方、味は濃く、やや大ぶり。日本料理の繊細さとは対局の食文化ですが、だからこそ、伝えたい」と紀之本氏。

今回のコラボレーションを通して、それぞれ多くの学びを吸収したふたり。進化、もとい深化した「瑞兆」と「ラチュレ」に、今後、期待が高まると同時に、2度目のコラボレーションを切望したい。

住所:住所:Rua do Tiro, Cotai, Macau
https://www.grandlisboapalace.com/en

TEL:+853-8881-1330
住所:Shop 302, Level3, THE KARL LAGERFELD MACAU
https://www.grandlisboapalace.com/en/restaurants-n-bars/zuicho

TEL:03-6450-5297
住所:東京都渋谷区渋谷2-2-2 青山ルカビルB1F
https://www.lature.jp/contents/category/chef/

Posted in 未分類

五感で感じる季節の情緒。旬と滋養を愉しむ「栗」菓子。[和光アネックス/東京都中央区]

食欲の秋、到来。「WAKO ANNEX」地階グルメサロンでは、定番の味から地域の名物まで、秋の風物詩「栗」の名品を揃える。

WAKO ANNEX日本全国の栗の名産地から厳選。風土とともに味わいたい6品。

9月から11月に旬を迎える栗。香り高く上品な味わいは、秋の代表的な味覚です。今回は、日本全国より厳選し、長野、山口、茨城、熊本の栗を取り揃えました。

まず、大正12年(1923年)創業の老舗。長野県小布施町で菓子製造をはじめ、レストランや宿泊施設も営む「小布施堂」です。元々は、お茶や塩の問屋、酒造業などを行う商家。栗菓子を製造するようになったのは、昭和30年代ころだと言われています。

今回、ご紹介するのは、「小布施堂」の中でも人気の品をふたつ。「栗最中」と「栗鹿ノ子 羊羹」です。両者に欠かすことのできないものは、栗あんです。「小布施堂」がある小布施町は、栗の郷と呼ばれるほど気候や土壌が栗の育成に適しており、室町時代より栗栽培が始まったと言われています。収穫される栗は質が高く、江戸時代には「献上栗」として幕府に献上されていたほどです。

栗の収穫は秋、9月から10月にかけての約1ヵ月の間だけ行われ、収穫した栗を自社工場で加工。1年分の栗あんを製造します。余計なものを加えず、栗と砂糖のみで仕込んだ栗あんは、栗の風味をそのまま閉じこめたうぐいす色のなめらかなあんに仕上がります。

そんな栗あんの風味と香りを存分に満喫できる「栗最中」と「栗鹿ノ子 羊羹」。それぞれの味わいをお楽しみください。

そして、山口県岩国市の「がんね栗の里」の「栗のカケラ」と「がんね栗衛門」。社名にもある「がんね栗」とは、大正2年「全国栗品種名称調査会」で510種の中から、「他に類のない優秀品種」として評価され、農水省の優良品種として誕生。その際、審査員から名称を聴かれ、とっさに採種した集落名・岸根(がんね)と答えたために、この栗の品種は「岸根栗(がんねぐり)」になったと言われています。

がんね栗は晩生種で、例年10月5~10日頃を目安に収穫。果実は30g以上!もあり、栗の中では最大級の大きさです。大粒でつややかな実は、甘みが多く貯蔵性があり、「栗のカケラ」は、それを一粒一粒丹精込めて手作りした渋川煮を焼成したもの。気軽につまんでいただけます。「がんね栗衛門」においては、がんね栗を少量の砂糖だけで練り込んだ風味豊かな「栗きんとん」。深い甘味とまろやかな肉質を誇る逸品は、素材本来の味を存分に堪能できます。

次いで、茨城県笠間市の「あいきマロン」の「栗 甘納糖」。社名にもある「あいき」とは、新ブランド栗「愛樹マロン」のこと。加えて、この栗は、特許を取得した矮化(わいか)栽培で生まれたものでもあるのです。耳馴染みのない矮化栽培の特徴は、樹形にあります。主幹形で樹高を200cm程度にすることで、脚立などを使わず安全に作業ができることから、栗の大規模生産者や高齢者・女性にも手軽に管理作業ができます。主幹から結果母枝と結果枝の葉は樹冠全体を覆うため、葉で生産された同化養分は豊富。根に貯蔵養分が多いため、土壌中の養水分の吸収力が旺盛で簡単に樹勢低下しません。

また、10a当たりの収量は約200kgになり、慣行栽培の約2倍になります。収穫した果実は、3L以上の大きさに生育し、糖含有率は収穫時で11.27%。冷蔵保存1か月間で15.96%の非常に高い値も得ました。※茨城県工業技術センター調べ・平成24年10月29日

ゆえに、矮化栽培で生産された高品質な果実は、6次産業化を目指した地域特産物の開発に有利と考えられるのです。

「栗 甘納糖」を口の中に入れれば、素材本来の風味や濃厚な味わいはもちろん、そんなストーリーも感じられるのではないでしょうか。

最後は、水と空気が綺麗な山江村、熊本県球磨郡の「やまえ堂」の「栗きんとん」です。地域住民が手塩にかけて育てた、栗やゆずを農家から直接仕入れて作り上げるそれは、手作りゆえ、沢山の商品はできません。一つひとつ丁寧に皮をむき一つひとつ丁寧に味をつけ、ことこと煮込んでゆっくりと仕上げます。「栗きんとん」は、やまえ栗を100%使用し、材料は栗と砂糖、塩のみ。安心安全にお召し上がりいただけます。

全てにおいて共通しているのは、栗の名産地であり、専門的に栗の菓子を製造しているということ。各地の風土が活かされた味わいはもちろん、個性豊かな和洋の菓子をお楽しみください。

ご自身で味わうはもちろん、ギフトや手土産にも喜ばれること間違いないでしょう。

「小布施堂」の「栗最中」(5個入)。練りたての栗あんの風味と焼きたての皮の香ばしさが特徴。本当の栗最中の美味しさを追求した菓子職人の想いがカタチになったお品。

「小布施堂」の「栗鹿ノ子 羊羹」。栗の郷として名高い長野県小布施町の「小布施堂」の栗羊羹。栗餡と寒天で練った羊羹には栗の実が存分に入り、食べ応えも十分。

「がんね栗の里」の「栗のカケラ」。大粒で希少な山口県岩国市のがんね栗を使用した渋皮煮を焼成。上質なパウンドケーキにも使用され、和洋の品格が漂う味わいが魅力。

「がんね栗の里」の「がんね栗衛門」。その大きさだけでなく、深い甘味とまろやかな肉質を誇るがんね栗を使用。風味豊かに仕上げ、素材本来の味を満喫できるきんとん。

「あいきマロン」の「栗 甘納糖」。茨城県笠間市の愛樹マロン。その特殊な栽培方法は、特許も取得。口に広がる濃厚な味わいや素材本来の風味などのバランスも良い。

「やまえ堂」の「栗きんとん」。熊本県産やまえ栗を使用した栗きんとん。材料は栗と砂糖、塩のみ。濃厚な味わいだけでなく、安心安全にこだわる。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp


(Supported by WAKO)

Posted in 未分類

日本文化の真実、二度とない茶会。特別名勝 栗林公園と茶事を解く、「Ritsurin Chaji」開催。

香川県高松市にあり特別名勝「栗林公園」にて行われる「Ritsurin Chaji」。そのガイドを務めるのは、東洋文化研究家であり、作家のアレックス・カー氏。

Ritsurin Chaji特別名勝「栗林公園」を舞台に、一流茶人、漆芸作家/人間国宝が邂逅する茶懐石。

国の特別名勝にも指定されている香川県高松市の特別名勝「栗林公園」は、「一歩一景」と称されるほど、歩くたび、豊かな景色を堪能でき、日本の美意識が凝縮された庭園として高い評価を得ています。

また、その知名度は国内に留まらず、2011年には、ミシュラン・グリーンガイドにて最高評価の三つ星も獲得。海外からも注目されています。

今回は、日本人はもちろん、外国人の方々にも本当の日本文化を体験していただくためにプログラムを構成。トラディショナルな茶道の一形態としてプレミアムな茶懐石を期間限定で開催。なぜ茶事なのか? それは、この地の歴史的背景にもつながります。

この庭園の存在は、日本のさまざまな領域を最終的に一つの国に統一した有名な将軍、徳川家康の孫である松平頼重公の保護によるところが大きいと言われています。

歴史的には、松平頼重公が、武者小路千家の宗主・一翁宗守を招聘して、茶道の指南役に置いて以来、高松松平家の茶道指南役は代々武者小路千家が務めています。また、武者小路千家の通称でもある「官休庵」の名も、一翁宗守が高松での職(官)を辞(休)して、京都に戻り、自身の茶の道に専念するという意味を込めたとも伝わっています。

そんな高松松平家が築いてきた特別名勝「栗林公園」のおもてなしそれを現代に再現したらどうなるのか。それをカタチにしたものが、「Ritsurin Chaji」と題したイベントなのです。

五代百年をかけて造営されたと伝わる特別名勝「栗林公園」に込められた日本の自然美・自然観をより享受するため、あえて異なる文化背景を持つ外国人に日本文化を伝えるエキスパートをガイドとして起用。その人物とは、日本をこよなく愛する東洋文化研究家であり、作家のアレックス・カー氏。主な著書「美しき日本の残像」など、日本人より日本に詳しい知見を持ち、かつ、外国人の目線だからこそ着眼する考察力は、我々日本人が発見を得ることも多いでしょう。

園に到着後、歴史的建造物「商工奨励館」に場所を移し、参加者をもてなすのは、香川の地が育んだ漆芸文化。漆芸作家/人間国宝・山下義人氏より、実際の作品を交えながら、直接解説いただきます。そして、アレックス氏との園内散策を挟み、お食事を召し上がっていただくのは、歴代の藩主が愛したという「掬月亭」。地元の老舗料亭「二蝶」による本格的な茶懐石も用意。日本文化の精神性を五感を通して体験いただきます。

「二蝶」は、2023年に開催された「G7香川・高松都市大臣会合」のウェルカムレセプションにて、ヴィーガン&ハラールに対応した和食も披露した実績を持ち、プラントベース料理にも取り組む稀有な老舗。料亭文化を継承しつつ、積極的に挑戦し、国内外を通して、様々なゲストに対応できるよう、世界基準の思想と文化を受け入れています。主人・山本亘氏もまた、茶事を嗜み、茶人でもある人物。「Ritsurin Chaji」の中核的存在でもあります。

歴史的にも文化的にも価値ある特別名勝「栗林公園」を貸し切り、これほどまでに趣向を凝らしたイベントを体験できる機会は、これまでも、これからも、きっとないでしょう。

改めて、問いたいと思います。

我々日本人は、本当の日本文化を知っているのでしょうか。外国の方々は、本当の日本文化に触れる体験をしたことがあるのでしょうか。

「Ritsurin Chaji」に、その答えはあります。

75万平方メートルの広さを有する特別名勝「栗林公園」には、「掬月亭」や「商工奨励館」など、歴史的価値を持つ建造物も並ぶ。

1946年創業、高松の老舗料亭「二蝶」。おもてなしの心と茶道の心、日本の粋を感じられる料理は、味だけでなく、総合文化体験として高い評価を得ている。

会場:特別名勝 栗林公園
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
日程:2024年10月6日(日)、7日(月)、8日(火)、9日(水)
時間:各日15:00〜20:30
人数:各日16名
料金:220,000円
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会

Ritsurin Chaji」の詳細やご予約は下記をご覧ください。

Posted in 未分類

4人の知性が重なり合う、新たな茶の湯の世界。

今回行われる「栗林大茶会」を創造する主要メンバー4人。左上より時計回りに、茶道ディレクター・武井宗道氏、「ファロ」シェフパティシエ・加藤峰子氏、バーテンダー・南雲主于三氏、建築家・永山祐子氏。

栗林大茶会一歩一景。特別名勝「栗林公園」に創造される大茶会。

高松松平家が五代百年をかけて作り上げた世界があります。それは、香川県高松市にある特別名勝「栗林公園」です。75万平方メートルの広さを有し、1世紀にもわたる開発を経て、1745年に静養地及び散策地として完成されました。

日本の自然感と美意識がそこかしこに潜む名勝は、国内では知る人ぞ知る地。むしろ、国外の方が注目されているかもしれません。

この庭園の存在は、日本のさまざまな領域を最終的に一つの国に統一した有名な将軍、徳川家康の孫である松平頼重の保護によるところが大きいでしょう。松平は茶道を含む文化と芸術の愛好家であり、パトロンでもあったとも言われています。

今回は、そんな背景に想いを馳せ、この土地ならではの茶会を現代的に解釈し、「栗林大茶会」を開催します。

では、何が現代的なのか? 何が大茶会なのか? それをもう少し紐解きたいと思います。

まず、現代的という点では、参画するメンバーにあります。

茶道ディレクターは、武井宗道氏。武家茶道の茶人であり、日本を訪れた各国の国家レベルの賓客をもてなした茶会の主催をするほか、日本、東南アジア、ヨーロッパの観光地での来賓茶会の司会を務めてきた人物です。武井氏監修のもと、このイベントでは、格式ある伝統的な茶道を表現した「真」、伝統性と現代性がミクストした「行」、そして茶道の哲学を現代風に再解釈した「草」の3つの空間に、3つの異なる茶道のスタイルが提供展開されます。この空間デザインにおいては、数々の賞を受賞した建築家であり、武蔵野美術大学の客員教授でもある永山祐子氏監修のもと、三井嶺氏、VUILD、KASAの3名の若手建築家が設計します。

和菓子の監修は、「ファロ」のシェフパティシエ・加藤峰子氏が務めます。2024年アジアの最優秀パティシエ賞を受賞した菓子職人であり、独創性に富んだ才能に目を見張るものがあります。

また、今回の茶会は、茶だけにあらず。「FOLKLORE」のほか、都内やシンガポールにバーを展開するバーテンダー・南雲主于三氏が、特別名勝「栗林公園」の様々な景色を表現したテーマ別のカクテルのラインナップを考案し、茶人・武井氏の振る舞いのもと、お楽しみいただけます。

過去には、加藤氏はイタリア、南雲氏はイギリスでの活動経験を持つふたり。それぞれの感性が武井氏を中心にピボットし、新たな茶会の姿を描きます。

伝統的な体験はもちろん、ファッショナブルで革新的なものからポップで前衛的ものまで、大胆に再解釈した茶道を満喫いただけるでしょう。

特別名勝「栗林公園」のような魅惑的な会場で、これらのユニークな先見性と逸品が一堂に会すことは、これまでに類を見ない壮大な試み。まさに、大茶会。

「一歩一景」とは、この場所を称する言葉です。

文字通り「一歩ごとに眺望あり」という意ですが、「栗林大茶会」では、それに加え、一分、一秒ごとに、刺激的な体験、味わいを堪能できるに違いありません。目で、舌で、耳で、鼻で。心身に訴えかけるアヴァンギャルドな感性に触れることによって、参加者は新たな茶の湯の世界の証人となるでしょう。

一歩一景と称される園内の景色と和菓子のマリアージュを味わえる、現代的な茶会を演出。

芙蓉峰(ふようほう)」から北湖を望むと紅の橋である「梅林橋(ばいりんきょう)」の姿が。特別名勝「栗林公園」の絶景のひとつでもある。

香川県高松市にある特別名勝の日本庭園「栗林公園」は、17世紀前半に築庭が始まったとされ、長期間の庭作りと様々な変革を経て現在の形になったと言われる。

歴代の藩主が愛したと言われている茶屋「掬月亭」は、四季折々の表情を見せ、園内の風情も特に感じられる。

会場:特別名勝「栗林公園」
住所:香川県高松市栗林町1-20-16
期間:2024年10月15日(火)〜10月22日(火)
時間:9:00〜/13:30〜
料金:33,000円(和菓子・飲料×5セット・呈茶体験)
主催:ONESTORY
共催:香川県
後援:公益社団法人 香川県観光協会

「栗林大茶会」の詳細やご予約は下記をご覧ください。

Posted in 未分類

力強く、澄んだ味わい。滋賀県産食材の魅力を伝える豪華ブッフェイベント、夏の陣。[SHIGA FINEFOOD DINING/東京都港区]

滋賀県産食材が主役のブッフェ、好評に応え再び開催。

食材の宝庫・滋賀県。

肥沃な土壌、豊かな自然、真摯で妥協なき生産者たち、そして琵琶湖の膨大な水資源。さまざまな要因に支えられた滋賀県産食材の質は高く、近年はプロの料理人たちも滋賀県の食材を積極的に取り入れています。

そんな滋賀県の食材の魅力をさらに知ってもらうため、『Dynamic Kitchen & Bar 響 品川店』を舞台にした限定ブッフェイベント「響×滋賀県 in SHINAGAWA」が開催されたのは、昨冬のこと。会場には超満員のゲストが詰めかけ、多彩な食材を使用したブッフェに舌鼓を打ちました。

前回の様子はこちら

そんなグルメイベントが、再び帰ってきました。2024年夏、第二回「響×滋賀県 in SHINAGAWA」が開催されたのです。

限定だったイベントが再度開催された理由は、一度では滋賀県の食材を伝えきれなかったから。いくらバラエティに富んだブッフェイベントであっても、季節や地域によってまだまだ眠る滋賀県の魅力を一度で伝えきることは困難。

そこで今回は「滋賀県の食材の魅力をブッフェで伝える」というテーマはそのままに、前回にはなかった食材や料理が多数登場しました。

今回も満員御礼となったそんなイベントの詳細をお伝えします。

大迫力の尾頭付きの刺し身盛り合わせ。艷やかなオレンジ色の刺し身が、主役のビワマス。

振る舞い酒に選ばれた、滋賀県の銘酒・萩乃露 プラチナラベル 純米大吟醸 原酒。

永源寺こんにゃくは、味噌田楽で。きめ細かく弾力のある食感と臭みのないおいしさに驚きが広がった。

多彩な料理で味わい尽くす滋賀の夏

さて、まずは気になる献立からご紹介しましょう。

ブッフェ台の中央で目を引くのは、旬を迎えたビワマスを中心とした刺し身盛り合わせ。ビワマスはとろける味わいと程よい歯応えが特徴の琵琶湖の固有魚。そのおいしさは地元で知られていましたが、近年、流通や保存技術の発達により他県でも味わえるようになってきました。

大鍋の中で湯気を上げているのは、滋賀県東近江市永源寺地域の特産品・こんにゃく。きめ細かく、プリッとした弾力があるこんにゃくですが、今回はなんと蒟蒻芋の生産から一貫して行うこだわりの生産者「もみじ農園 こんにゃく工房」の逸品が届きました。

シェフが切りたてをサーブしているのは、きめ細かい赤身と黒毛和牛の旨味を併せ持った「げんさん牛」のローストビーフ。近江牛を扱う老舗・元三フードが自信をもって送る、ローストビーフにぴったりの肉質です。

旬を迎えた琵琶湖の鮎のコンフィ、伊吹山麓の伏流水で育ったきんたろうしいたけのフリット、下田なすと海老の麻婆、旬野菜のサラダ。夏においしさの盛りを迎えるさまざまな食材が、彩り豊かな料理になって並びます。

さらに長浜地方の伝統食である焼き鯖そうめんや、えび豆、湖魚佃煮といった郷土料理も登場。滋賀の食材とともに、その食文化の豊かさも伝えるラインナップとなりました。

琵琶湖の夏の風物詩である鮎を、頭まで食べられるコンフィに。写真奥はげんさん牛のローストビーフ。

田楽味噌、柚子味噌を合わせた永源寺こんにゃくと、生ハムと「みなくちファーム」の野菜のサラダ。

焼き鯖とそうめんを炊き合わせてつくる焼き鯖そうめんは、滋賀県長浜地方の郷土料理。

会場を訪れた生産者も学びと発見の連続。

今回の料理の主役のひとつは、石釜で炊いたごはん。昨秋にデビューした滋賀県近江米の新品種「きらみずき」です。

艷やかで大粒でふっくらとした「きらみずき」は滋賀県が13年もの歳月をかけて開発した品種で、すっきりみずみずしい甘さがあり、噛むほどに豊かな甘味が広がるのが特徴。佃煮や漬物とともに味わうだけで、これ以上ないほど贅沢なごちそうです。

滋賀県からやってきたスタッフの熱意あるPRに、会場を埋めたゲストたちもしばし手を止めて聞き入っていました。

このように生産者と消費者を直接つなぐこともまた、今回のようなイベントの大きな使命。今回の会場には生産者も駆けつけ、ゲストと熱心に対話をしていました。

銀行を早期退職して蒟蒻芋の生産からはじめたという「もみじ農園 こんにゃく工房」の端修吾氏、信子氏の夫妻。挨拶では夫婦漫才のような掛け合いで会場をわかせながらも、その真摯な視線は料理とゲストに向かいます。

「今日のシェフは滋賀にまで来てくれて、こんにゃくづくりも体験してくれた。そういう思いが料理にこもっているんですね。勉強になることばかりでした」と、今日の日の収穫を語りました。

きんたろうしいたけの生産者である川村光世氏も、法被を着込んで会場を回りました。

「プロの手にかかると、知っている食材がこんな料理、盛り付けになるのかと驚きました。手塩にかけて育てた食材は、自分の子供みたいなもの。これほど素晴らしい料理にしてもらい感激です」

とこちらも大きな発見があった様子でした。

一升瓶を持って振る舞い酒で会場を回ったのは銘酒「萩乃露」で知られる福井弥平商店の蔵人・水野孝之氏。陽気な人柄でゲストとも気さくに話す水野氏ですが、やはりその内は真剣。

「萩乃露は県内流通が主体でしたが、現在は県外へも徐々に広がっています。こういった滋賀の食材と合わせるイベントでは、食事と酒のテロワールがうまく伝わってくれると思います」と今回の手応えを語りました。

大粒でさっぱりとした甘みがある「きらみずき」。食味テストではコシヒカリと同等の評価を受けている。

きんたろうしいたけの生産者・川村氏。シェフ謹製のしいたけフリットに「大事に育てた娘がシンデレラになりました」と感激。

「もみじ農園 こんにゃく工房」の端夫妻。こんにゃくづくりの苦労話も、笑いを交えて明るく紹介した。

蔵元のこだわりを話しながら各テーブルで酒を振る舞った水野氏。

生産者と消費者をつなぐ飲食店の大切な役割。

こうして大盛況のうちに幕を下ろした「響×滋賀県 in SHINAGAWA」。満足げな笑顔を浮かべて会場を後にしたゲストはもちろん、料理人にも大きな収穫をもたらしました。

「滋賀の食材は味が強い。それはただ主張があるのではなく、うまく料理に乗ってくるような強さです」

そう話すのはシェフ・三島真人氏。事前に滋賀県を訪れ、こんにゃくづくりや畑の見学などで食材と向き合いました。

「強さのある食材に対して、どうバランスを取って料理にするか。私にとっても大切な学びになりました」と、今回の収穫を語ります。

ホールを取り仕切った店長・高野基之氏も今回の成功の立役者のひとり。シェフとともに滋賀県を訪れ、生産者の生の声を聞いたことが、今回に活かせたといいます。

「滋賀県の生産者は皆、人柄があたたかい。そんな方々から生産の苦労話などを伺っていたため、お客様への説明も熱がこもりました」と振り返ります。生産者と消費者をつなぐ飲食店の役割を、より強く実感したことで、『Dynamic Kitchen & Bar 響』は、さらに食材の力をゲストに伝える名店になっていくことでしょう。

さて、このように滋賀県の食材の魅力を存分に伝えたイベント。この記事を読んでいる皆様も、ぜひご自身で体感したく思われることでしょう。もちろん、可能です。首都圏各地にて、滋賀県の食材を使用したレストランは続々増加中。さらに今後も続々とイベントも開催される予定です。気になる方はぜひ「SHIGA FINEFOOD DINING(リンク:https://shigafinefooddining.com/)をチェックしてみてください。

現地訪問が食材理解の深化に繋がったという三島シェフ。ゲストの質問にも淀みなく対応した。

店長の高野氏は、水野氏とともに振る舞い酒も担当。生産者の思いを代弁した。

会場内の特設コーナーでは、滋賀県の特産品の販売も行われた。

https://shigafinefooddining.com/

住所:東京都港区高輪4-10-18 京急第1ビル1F
電話:050-3199-1675
URL:https://www.dynacjapan.com/brands/hibiki/shops/shinagawa/



Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

Posted in 未分類

美食の教養。それは、変人が生きた証。

現在の浜田岳文氏(左)と食へ興味を持ち始めたばかりの35年前の浜田氏(右)。この先、世界一の美食家となることを知る由もない純粋無垢な一枚は、フーディーとして生きる選択をした人生の分岐点でもあったに違いない。

美食の教養人生を豊かにする知的体験とは何か。

“文化的に食べる。「うまい」だけではない「美味しい」を追求する。これが本書の美食の再定義です”。

本書とは、「美食の教養」のことを指しています。著者は、世界一の美食家として名高い、浜田岳文氏。

美食の思考法や美食入門、世界の料理総まとめ、一流料理人の仕事など、本書は、第1章から第6章で構成されており、多角的な視点から美食を読み解いています。冒頭の一節は、プロローグでもある「はじめに」より抜粋した言葉であり、本書の特性を端的に言い当てています。

総ページ数は、驚異の391ページ。2冊にしてもおかしくない膨大な情報量は、果てしなく奥深い美食の沼。ゆえに、この場において全てを伝えることは難しく、「ONESTORY」が大切にしている「日本に眠る愉しみをもっと」の視点から、浜田氏に話を伺います。

まず、注目したいのは、第5章にも綴られている“「京味」が教えてくれた価値観”。

“僕が日本で最も長く通ったひとつに、京料理の名店「京味」があります。6年以上、月1回のペースで通っていました。僕の日本料理の原体験になっているのが「京味」なのですが、その魅力は、西健一郎さんという料理人にありました”(P.300より)

2019年に逝去した「京味」の主人・西健一郎氏。浜田氏が最も美食の教養を学んだひとりであることは間違いない。(浜田氏撮影)

高級食材以外にあった「京味」の素晴らしさ。

「京味は、京料理ですが、いわゆるファインダイニングではないと思っています。西さんのルーツでもある京丹後の郷土料理が軸足にあるものの、伝統的なものではなく、かしこまったものでもない。京都の料亭の流れを組む華やかな料理というよりは、家庭料理が根っこにある。語弊を恐れずにいえば、最高峰のうまいもの屋さん」。

「京味」に足を運んだ人ならばわかるかもしれませんが、春は山菜や舞鶴の鳥貝、秋は丹波の松茸、冬は津居山の蟹など、旬が供される時季に訪問を切望する人も多いでしょう。もちろん、それは「京味」の魅力です。しかし、浜田氏は、そんな高級食材以外に「京味」の素晴らしさがあったと振り返ります。

「1月の白味噌の雑煮、冬の海老芋、通年ある鮭ハラスごはん。強い食材がない月ほど、西さんの本領が発揮されていました。お父さまの音松さんから受け継いだ昔のレシピを再現してくれたり、炒飯や親子丼を作ってくれたこともありました。親子丼の時は、鶏肉がないので、近所の焼き鳥屋さんから買ってきて即興で作っていただいたり。中でも、名物、芋茎の吉野煮は、絶品でした。西さんは、本当に人を喜ばせたい人でした」。

でした。と言うのは、西さんは2019年に他界。ジビエを使わなかった西氏に何度も浜田氏がお願いし、念願叶って冬場に食べた鴨が最後のご馳走となりました。

西氏の話は尽きません。

「本書には書いていないのですが、思い出に残る西さんのエピソードがあります。以前、自分が某食サイトのアドバイザーを務めていた時、そのアワードで西さんがシェフズチョイスに選ばれたんです。西さんは、メディアに出ない方だったので、ご報告だけさせていただこうとお店に伺ったのですが、受賞式に出てくれることになって。登壇の際、若い料理人に向けて、熱いメッセージを送っていただき、皆が感動したのは今でも記憶に新しいです」。

そのメッセージとは、「京味」でも大切にしている「素材の声を聞く」、「変わったものと美味しいものは違う」、「レシピとして完成させるために時間がかかる」という内容でした。

「今思うと、西さんは、きっと伝えたかったのかなと思います。ただ、そのきっかけがなかっただけのかなと」。

その答えを聞くことも、西氏の料理を食べることも、今はもう叶いません。しかし、そんな記憶を大切に想い、今回のように語り継ぐこともまた、「美食の教養」のひとつ。食べるだけが美食から得る教養ではないのです。

“一緒に年を重ねて、一生付き合える料理人と出会えると、人生はより豊かになるのではないかと思います”(P.302より)

「生前、西さんは、“いつも、もう一度来てもらいたいと思って料理をしている”とおっしゃっていました。自分は、食事をしている時に西さんからたくさんのお話を伺ってきましたが、もっと他の料理人にも知ってほしいと常々思っていました。実際、登壇した西さんの声を聞いた料理人に感想を伺ったら、すごく喜んでいました」。

料理人は、自身のお店でほとんどの時間を過ごし、外に出ても仕入先がほとんど。基本的に情報をインプットする時間がなかなかないのが実情です。情報という視点では、本書にも興味深い内容があります。

同じく第5章。“作り手と食べ手の情報格差を埋める”です。

浜田氏曰く、「京味」は「最高峰のうまいもの屋さん」。華やかな八寸などはないが、一品一品が滋味深い。(浜田氏撮影)

作り手と食べ手の間にある、情報の非対称性。

「料理人がメニューを開発する際、相当な時間と労力をかけています。加えて、その料理に込めた想いやストーリーもあるでしょう。しかし、それがどれだけ食べ手に伝わっているか? おそらく、多くの人がほぼ理解できていないと思います」。

料理を生み出す作り手が費やしてきた長い時間に対し、食べ手は一瞬で食す。じっくりと味わい、能動的に意図を探ろうとしても、口内に残る時間も限られているため、多くの答え合わせをするのは至難の技でしょう。ましてや、誰かと食事ともなれば、会話しながらになるため、味だけに集中することも難しい。

“だから、食べ手としては、常に謙虚でいたいと思っています。料理人が込めた意図の一部しか理解できていないかもしれないことを、心に留めておくべきだと思うのです”(P.304より)

「音楽に例えれば、わかりやすいと思います。例えば、あるアーティストが新曲を出した場合、一回聞いて理解できるかというと、きっと無理でしょう。何度も聞かないとその曲の意味は理解できないと思います。食も本来はそう。ただ、音楽と食の違いは、録音できる音楽は何度も聞けますが、その場限りの食はそうはいきません。それだけ料理人は難しいことをやっている。そして、それを料理人は理解すべきだとも思うのです」。

“食べ手は1割も理解できていない、という前提のもと作られた料理と、9割わかっているはずだと思っている料理とは、全く別物になります。優れた料理人は、作り手と食べ手の情報の非対称性を踏まえたうえで、お客さんに伝わる料理を作っている。そんな印象を僕は持っています”(P.305より)

格差を埋める手法のひとつは、説明です。説明をしてくれる料理人やサービスの声に耳を傾け、料理を味わう。これはひと皿が生まれるまでに関わった料理人、生産者、食材、そして命への礼儀。星付き、トック、ランキング、はたまた、予約の取れない名店……。レストランに行くことがゴールではありません。大切なことは、その先にあるのです。

例えば、フランスでは、ノーベル賞を受賞する作家や芸術家とシェフが同じようなクラスとして扱われています。それに比べると日本はまだまだ発展途上。食が文化として進化するのは、優れた料理人だけでは構築することはできません。優れた食べ手も必要なのです。

下記、地方の中でも浜田氏が特異な目で見ている軽井沢のイタリアン「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ」。“シェフは加工業である”と語った、シェフ・小林幸司氏の言葉は、浜田氏の胸に深く刻まれた。(浜田氏撮影)

強烈な個性。ひとりの熱狂が地域を変える。

昨今、都心だけでなく、地方にも才能が分散している現象が起こっています。いくつかその事例を紐解いてみたいと思います。まずひとつは、強烈な個性。軽井沢のイタリアン「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ」のシェフ・小林幸司氏です。

「地方のレストランは、地産地消に取り組んでいるのが常だと思います。もちろん、これは食べ手としても楽しみのひとつ。しかし、小林シェフのお店は、地元食材へのこだわりは一切ありません。主にイタリアの食材を使用しています。原則として、自分は、その土地の背景を感じる料理を好みますが、小林シェフは例外。イタリアのものはイタリアで食べた方が鮮度も良いはずですが、そのハンディキャップを軽々乗り越えるアイディアと優れた技術を備えています。ぜひ、イタリアンの料理人にも食べていただきたいです」。

“シェフは加工業である”(P.307より)とは、小林氏の言葉。それを雄弁と料理で語り、一刀両断するのが、「フォリオリーナ・デッラ・ポルタ・フォルトゥーナ」なのです。

また、点から面に派生するケースも。富山や静岡がその好例です。

「富山といえば、やはりレヴォ。谷口英司シェフは、大阪出身。つまりは、余所者です。しかし、余所者だからこそ、地元人では気づかないような視点で、その土地の魅力を引き出せるのかもしれません。そうでなければ、利賀村内の廃村だった集落跡に拠点を構えなかったのではないでしょうか。周辺の山々を熟知したからこそ堪能できる料理はジビエです。熊や狸、猪、蛙まで、これほどまでに多彩な天然のジビエをいただけるのは世界中でも稀有。また、点から面に広がり、料理人同士が交流し、チーム富山と呼ばれるくらいに団結して切磋琢磨している。地域全体として活性化させていることもまた、稀有な県だと思います」。

そして、静岡。ここでの点は、料理人ではありません。本書でもシェフ以外の人物に多く触れているのは、この人物だけ。「サスエ前田魚店」の前田尚毅氏です。

「料理人ではありませんが、(第5章)一流の仕事という意味でぜひご紹介したかったのが前田さんです」。

主に扱う魚は焼津周辺の駿河湾で取れる金目鯛、太刀魚、甘鯛、鯵、鯖などの魚介。高い技術の仕立ては、全国の名店からの信頼も厚く、前田氏の魚を起用した料理は、一線を画すといっても過言ではありません。

“僕が衝撃を受けたのが、鯵。地元焼津の人気割烹「温石」で食べたのですが、前田さんの鯵は、全く青魚特有の臭いがないのです。多分、目を瞑って口に入れたら、青魚とわからないかもしれない。それくらい澄んだ香りと味わいなのです。前田さんの鯵を食べて初めて、青魚の臭いは、劣化しているから出るものだとわかりました”(P.312より)と、本書でも浜田氏の実体験を語っています。

しかし、この文脈には続きがあり、前田氏の扱う魚介が素晴らしいもうひとつの理由が記されているのです。それは、漁師の八木真氏という人物の存在です。

「通常、定置網に入った魚は網ごと引き上げられ、市場に流される時点で死んでしまっています。前田さんは、定置網を海面まで引き上げた時、港まで魚を生かすために、タモですくってほしいと八木さんに依頼したそうです。もちろん、すんなり首を縦に振ってはくれなかったようですが、前田さんは八木さんが取った魚を扱うお店に八木さんを連れ、通常の魚と生きたまま港に届いた魚と食べ比べてもらい、説得したのです。八木さんもその体験から違いがわかり、やる価値があると考えてくれたそうです。前田さんの望むような取り方をしてくれたのは、ここ1年くらいだと伺っています。ようやく歯車が回り始めたようです」。

今回、注視するところは、料理人に頼まれて前田氏が八木氏を説得したわけではないということです。より良い魚を追求し、仕立て、それを料理人に広めたいという、自らの意志によって八木氏を説得したのです。また、これほどまでこだわりと味の違いがわかるのは「前田さん自身が、多くのレストランに足を運んでいるから」と浜田氏は分析します。

現在は、前田氏の仕事に惚れ込み、広島から「サスエ前田魚店」の側に店を構えた「馳走 西健一」や前出「温石」など、同町の輪が広がり始めています。

漁師、仲卸、料理人が一流の仕事を行い、機能している焼津もまた、富山同様、稀有な地域なのです。

そのほか、「自由人」の岩佐十良氏が発足した「新潟ガストロノミーアワード」も然り、ある特定の人物やレストランから沸き起こる、狂気にも似た熱狂が周囲を巻き込み、シーンを変えているのです。

「一流レストランと料理人に共通すること」で綴られている、浜田氏も感銘を受けた“三代で完結させるつもりだった”(P.298より)栃木の「オトワレストラン」や「僕が尊敬するシェフたち」に名を連ねる、金沢の割烹「片折」もまた、わざわざ訪れる価値のある名店。初めて訪れた際、遠慮して感想を述べなかった浜田氏に対し、粘り強く意見を求めた片折卓矢氏との掛け合いもつぶさに綴られています。

何れにしても、これらのエピソードは、料理だけに目を向けていたら知り得ない出来事。前述、「説明をしてくれる料理人やサービスの声に耳を傾け、料理を味わう」だけでなく、自ら興味や関心を持って「聞く力」、「探る力」を身につけることもまた、食べ手が得るべき教養のひとつなのかもしれません。

宿泊機能も備え、地方のレストランの理想ともいうべき「レヴォ」。「レヴォに訪れたら、チーム富山のひまわり食堂や御料理ふじ居なども巡ると旅も充実すると思います」と浜田氏。(浜田氏撮影)

「一代目で“三代で完結させるつもりだった”という考えを持つことがすごい」と浜田氏が唸った栃木の「オトワレストラン」。家族で営むからこそ、次世代に継ぐビジョンが明確であり、レストランとしても生き様を感じる。(浜田氏撮影)

金沢の名店「片折」。上記、片折卓矢氏とのエピソードは、信頼関係と緊張関係が絶妙なバランスで結実しているからこそ。美食の教養を学んだ先には、食べるだけではない奥深さがある。(浜田氏撮影)

本書は、35年の歳月を食に捧げて生きた証。

浜田氏が食と向き合うようになってから、約35年。食に捧げて生きた証が本書には様々綴られているのですが、驚くべきは、その記憶力。本人は「覚えている範囲で」と穏やかに微笑むも、詳細なディテールまで語り尽くせるのは、フーディーとして生きる覚悟も然り、「愛」ではないでしょうか。そんな浜田氏が地方に注目していることがあります。それは、第6章の「美食の未来予想図」でも触れている「郷土料理」です。

「地方において食に求めることは、まずはその土地ならではの旬の食材。もうひとつは、その土地でしか消費されない食材。前田さんの豆鯵などは、その好例です。そしてもうひとつ加えたいと考えているのが、郷土料理です。日本の郷土料理は廃れてしまう傾向にあると思っています。その理由のひとつは、美味しくないからではないでしょうか。昔は食べるものがなく、生きていくために生まれた郷土料理もあり、ゆえに、結果として地域性が色濃く出ているものもあります。それを料理人の技術を活かし、現代に再構築することに意義があるのではと考えています」。

これは、本書の推薦文を寄稿した「ノーマ」のレネ・レゼピ氏が“デンマークで廃れつつあった発酵と採取の伝統を再発見したのと同じ構図です”(P.370より)

「郷土料理は、郷土史家や料理研究家の方々が主に研究をされており、日頃、キッチンにこもりがちな実践型のシェフとは距離が遠く、交流がありません。研究と実践、その橋渡しができれば、より地域性を演出でき、わざわざ足を運ぶ価値も出るのではと思っています」。

浜田氏の口から郷土料理と聞くと、冒頭、「京味」で得た体験も作用したのかもと考え過ぎてしまいます。

“美食は、文化をまるごと食べること。いわば、食の文化人類学”(P.7より)

今年50歳を迎えた浜田氏もまた、著者でありながら、未だ美食の教養を学ぶ道の途中。

“なぜなら、10年前の僕は、今の僕から見たら何もわかっていなかった。ということは、10年後の僕は、今の僕を見て何もわかっていなかった、と振り返ることになるのが目に見えているからです”(P.386より)

今回、本書の表紙にもある、「人生をより豊かにする知的体験」に少しでも触れることができたのでしょうか。いや、そう易々と享受できるほど、甘くないでしょう。自らを“変人”(P.384より)と例える世界一の美食家が、35年の歳月をかけてたどり着いたわけですから。

「ONESTORY」では、日本に特化した視点で「美食の教養」を紐解いてみましたが、本書には、世界のレストランのことや食材のこと、サスティナブルな視点、そして、SNSのことや口コミサイトのこと、お店の空間からライティング、BGM、更には、礼儀、オーダー、常連とはなど、世界一の美食家が知っている多くのことが赤裸々に綴られています。

まだまだ言い足りませんが、プロローグ「おわりに」に綴られている「胃袋は有限」のごとく、この記事もまた有限。残念ながら、伝えられることには限りがあります。

そして、ここでは本書の魅力の1割も伝えきれていないことを正直にお伝えしておきます。

最後に。「美食の教養」について、唯一、わかった答えがあります。それは「学びは一生」ということです。

「僕らが口にするものには、多くの意味が隠れている(一部抜粋)」とは、世界No.1シェフと称されるコペンハーゲンの「ノーマ」率いるレネ・レゼピ氏(中央)が「美食の教養」に寄稿した言葉。この意味を読み解けるか否かは食べ手次第。「美食の教養」とは、「食べ手の教養」とも言い換えられるのだ。左は「ノーマ」で唯一の日本人シェフ・高橋惇一氏。(浜田氏撮影)

「美食の教養」は、ダイヤモンド社より発刊。全国の書店やオンラインにて絶賛発売中。

1974年兵庫県宝塚市生まれ。米国・イェール大学卒業(政治学専攻)。大学在学中、学生寮の不味い食事から逃れるため、ニューヨークを中心に食べ歩きを開始。卒業後、本格的に美食を追求するためフランス・パリに留学。外資系投資銀行と投資ファンドにてM&A・資金調達業務とプライベート・エクイティ投資に約10年間携わった後、約2年間の世界一周の旅へ。帰国後、資産管理会社(ファミリー・オフィス)社長を経て株式会社アクセス・オール・エリアを設立、代表取締役に就任。南極から北朝鮮まで、世界約127カ国・地域を踏破。一年の5ヶ月を海外、3ヶ月を東京、4ヶ月を地方で食べ歩く。2017年度「世界のベストレストラン50」全50軒を踏破。「OAD Top Restaurants(OAD世界のトップレストラン)」のレビュアーランキングでは2018年度から6年連続第1位にランクイン。国内のみならず、世界の様々なジャンルのトップシェフと交流を持ち、インターネットや雑誌など国内外のメディアで食や旅に関する情報を発信中。グルメサイト「食べログ」ではグルメ著名人、グルメキュレーションサービス「テリヤキ」ではキュレーターとして、世界の美味しい店を紹介している。株式会社アクセス・オール・エリアの代表としては、エンタテインメントや食の領域で数社のアドバイザーを務めつつ、食関連スタートアップへの出資も行っている。https://takefumihamada.com


Text:YUICHI KURAMOCHI

Posted in 未分類

「イベントはやらなかった」孤高のシェフ。その殻を破った一夜の記録。

昨今、日常化したイベントにおいて、疑問視してきた「UOZEN」井上和洋シェフ。今回は、自身初となるイベントを開催。「UOZENではなく、このイベントだからこそ体験できる時間を創り上げたい」。

富井貴志×八海醸造×UOZENイベントをやる意義とは何か。

「イベントはやらなかった」。これは、新潟県三条市のレストラン「UOZEN」井上和洋シェフの言葉です。

もう少し補足すると、イベントをやる意義を感じるものが少ないため、「イベントはやらなかった」のです。

語弊を恐れずにいえば、井上シェフは、少し厄介な人物かもしれません。

狩猟から漁師、さらにはそれらを捌くことまで行うため、料理と向き合う時間が圧倒的に長く、シェフ・井上と個・井上の境目がありません。ここでいう料理とは、命とも置き換えられるでしょう。

ゆえに、井上シェフが創造する皿の中には、全てにおいて理由があるのです。

一般的には、調理法や季節、材と材の組み合わせなど、料理を美味しくするための理由はありますが、井上シェフの料理には、食材になる前、生物として生きていた命を知るため、陸海空という自然環境も含めたロジック、ビオトープ的思想の理由も構築されているのです。

この命とは、鮮度を保つために延命したものではなく、本来の生きる命を指します。

井上シェフにとっては、キッチンの中はあくまでも料理の後半戦。キッチンの外で行われる狩猟や漁師という前半戦から料理は始まっているのです。

「東京から新潟でお店を開業すると決めた時から、ひと皿一皿の本質を追求したいと思っていました。食材になる前のストーリーを大切にし、誰もが知るような美味しい食材でなく、美味しいのに流通されていない食材を自分のフィルターを通して伝えていくことが地方でやっていく意義だと考えています」。

イベントは、基本的に主催者やプロデューサー、ディレクターなど、実行するために取り仕切る個人や団体、機関などによって運営されます。

井上シェフのようなこだわりを持つ人物と結実すれば、濃厚な体験を生み出すことができる一方、運命共同体になることは容易ではなく、覚悟が必要です。こだわりが強いことは、時に人を遠ざけてしまうため、前出、「少し厄介な人物かもしれません」とは、こういった件からの見解です。

2024年7月。そんな井上シェフが、初のイベントを開催しました。

「イベントはやらなかった」孤高のシェフにどんな変化があったのでしょうか。

その理由を探ります。

当然、キッチンも「UOZEN」とは異なるため、勝手が悪い。しかし、「その都合の悪さや不便もイベントの醍醐味。やり辛いからやり甲斐が生まれる」と井上シェフ。

「UOZEN」の料理は出さない。そう決めていた。

井上シェフの初となるイベント開催の舞台は、新潟県の銘酒として名高い「八海山」を醸す、南魚沼市「八海醸造」。

一見、井上シェフと「八海山」は、対極の位置にいるようにも思えますが、このイベントにはもうひとりの主役が存在しています。その人物が井上シェフの殻を破るきっかけを与えたのです。新潟県長岡市で創作活動を行う、木工作家・富井貴志氏です。「UOZEN」でも富井氏の作品は起用されており、井上シェフとは旧知の仲。

富井氏は、元々、物理学者を志していましたが、海外留学時に木の魅力に取り憑かれ、木工作家の道へ。留学時に受け入れてくれた物理学者のホストファミリーの家は、立派な木で建てられており、冬は薪ストーブを囲み、森の中で日常を楽しむ毎日。自然と密接な暮らしは、富井氏に働くことではなく、生きることの豊かさを見出したのかもしれません。

そんな富井氏の生き方は、井上シェフの生き方とも、どこか通じる部分も感じます。

話を井上シェフに戻したいと思います。今回、井上シェフは、自ら「3つの制約を課した」と話します。

まずひとつは、「UOZEN」の精神性はそのままに、「UOZEN」の料理は出さないこと。ふたつ目は、富井氏の作品に合わせた料理のため、漆の器を傷つけないよう、シルバーを使わない料理に仕上げること。三つ目は、新しい挑戦をすること。

考え抜かれた料理は、「新潟彩々」、「狩漁」、「赤山鳥」、「共鳴」、「渓谷から俾睨」、「滋養」、「清流和協」、「豊壌」の8品。特に注目したいのは、「狩漁」と「共鳴」です。

「狩猟」ではなく、「狩漁」は、まさに「UOZEN」の精神性が宿る料理。井上シェフが佐渡沖で釣ったクロマグロとパプリカで巻いた中身には、鹿肉を昆布締めにしたタルタルを忍ばせ、旨味のある夏キノコ・タマゴダケを薄切りにし、お米のパフと和えたものを添えます。

そして、もうひとつ。クロマグロの骨に刺した先にはマグロの胃袋。漁師が釣って直ぐ捨てる内蔵は、実は調理次第で美味の部位に。香草バターと共に火入れしたそれは、前述、「美味しいのに流通されていない食材を自分のフィルターを通して伝えていくことが地方でやっていく意義」の好例です。

山の命から成る「狩」と海の命から成る「漁」の料理は、まず、ゲストが「UOZEN」をインプットする意味でも2品目に置いたのは、絶妙な構成。

そして、「共鳴」。山の王者・ツキノワグマと川の王者・スッポンのお椀には、食感のアクセントとして、ハナビラダケを加え、スッポンの出汁とコンソメで炊いた熊の旨味がひとつにまとめ上げます。

その名の通り、山と川が見事に共鳴する料理は、味もさることながら、注視すべきはスッポン。 養殖だからです。狩る、獲る、釣るところから始まるシェフの料理にとって、養殖を扱うことは極めて稀であり、新しい挑戦とも言うべきか、はたまたポリシーの変化か。しかし、なぜ?

「新潟でスッポンを育てている人がいることは随分前から知っていました。自分は、高級食材や人が作り上げたものに魅力を感じないため、それらの視点から養殖にも興味がありませんでした。ですが、近年の食材高騰によって、多くの養殖業が廃業するのを目の当たりにし、関心がないままにして良いのかと思うようになりました。このスッポンは、若い世代の方々が育てており、彼らはある意味、まだ未完成。そこにおもしろさと魅力を感じたのかもしれません。人の手が加わって完成されたものはつまらない。今回は、応援も兼ねて起用してみることにしたのです」。

養殖は、均一性が取れ、ある一定量の生産と品質を可能にします。一方、手仕事は、すべてが一点物。これは、富井氏の作品も同様です。だから、富井氏と井上シェフと共鳴するのです。しかし、養殖の○○ではなく、○○が育てた○○という、深い信頼関係を交わすことができれば、今後、井上シェフの心境を変化させる可能性はゼロではないのかもしれません。天然と養殖、どちらが正解でどちらが不正解はありません。温暖化や自然環境の変化を加味すると、一次産業において、ひとつの解を紡ぎだすことは難を極めます。

人間は、自然界における特殊な生物であり、食物連鎖の長ともいえるかもしれません。井上シェフは、それを知っているからこそ、人間がほかの生物の命とどう介在するべきなのかを熟考し続けながら、料理と向き合い、生きているのかもしれません。

ゲストのテーブルに置かれた今回のメニュー。料理に与えられた品名を見るだけで、創造力が掻き立てられる。お箸、スプーンを始め、このあとに供される器(グラスは除く)は、全てが富井貴志氏の作品。

「新潟彩々」は4品で構成。その1つは、魚沼湾の天然の鮎を丸ごとパテにし、キュウリで巻き、その上には干した鮎を。アクセントには、ねずの実のスパイスを添える。奥は、「瓶内二次発酵酒 白麹あわ 八海山」。

上記に次ぐ、「新潟彩々」の2品目。左、お米のチップの上には新潟県産の鴨を味噌漬けにし、生ハムのように仕上げ、「八海山」の酒粕で漬けたナスの粕漬けを包む。鮮やかな緑は、ウドの新芽。3品目、右は、新潟県産の南蛮エビと旬の桃を合わせ、涼しげな味わいに。料理の下に引いたお米の演出には、「八海醸造」への敬意を感じる。器の彫り込まれた幾何学的デザインは、物理学者を目指していた富井氏が顕微鏡で見た原子の配列がイメージソースであり、WE ARE ATOMSと名付けられたシリーズ。

「新潟彩々」の最後、4品目は、ジビエドッグ。黒ニンニクのソースを忍ばせ、枝を持っていただく野生的な料理。

「狩漁」。左、「UOZEN」でも起用する器には、クロマグロの骨に刺したマグロの胃袋。漁師が釣って直ぐ捨てる内蔵は、実は調理次第で美味の部位に。香草バターと共に火入れし、仕上げる。右、鹿肉を昆布締めにしたタルタルを井上シェフが佐渡沖で釣ったクロマグロとパプリカで包み、夏キノコ・タマゴダケを薄切りにし、お米のパフと和えたものを添える。

上記、「狩漁」に添えた夏キノコ・タマゴダケ。ナッツなど、コクのある味わいが料理を引き立て、生食できるのが特徴。

「赤山鳥」。鳥とあるが夏キノコの代表・アカヤマドリの料理。天然のそれをタルトにし、口溶けの良いツキノワグマのラルドを添える。左はコクと旨味が凝縮されたアカヤマドリのポタージュ。

上記、「赤山鳥」のアカヤマドリ。キノコの傘がヤマドリというジビエの羽に似ていることがその名の由来とされている。

「共鳴」。山の王者・ツキノワグマと川の王者・スッポンのお椀。食感のアクセントとして、ハナビラダケを加え、スッポンの出汁とコンソメで炊いた熊の旨味がひとつにまとめ上げる。合わせるお酒は、「八海山 自家用大吟醸」。このお酒には、「八海醸造」の並々ならぬ想いが込められている(後半参照)。

上記、「共鳴」のツキノワグマとスッポンを丁寧に炊き合わせる。スッポンは養殖であり、井上シェフが養殖を起用するのは極めて希。

上記、「共鳴」に合わせた天然のキノコ、ハナビラダケ。レースのような形とシャキシャキした食感が特徴。

「渓谷から俾睨」。天然のイワナ、クレソン、葉わさびのピクルス、鉄火味噌、エゴマなどを、魚沼のそば粉のクレープで巻いていただくガレット。イワナの卵を添えた山椒の風味のソースとともに。

「滋養」。古きより、栄養補給として重宝されてきたジビエ。今回は、イノシシのヒレをホワイヨ仕立てに。コンテチーズやナッツ、パン粉と焼き上げ、中央のマデラソースと上下のニラのソースでいただく品。曲線を活かしたハナニラは、自然の美しさを愛する井上シェフらしい演出。

上記、「滋養」の中央に配したハナニラは、蕾も茎も丸ごといただける食材。ただのニラではなく、蕾を備えたニラは、より自然美を感じる。このような生命を知るがゆえ、「人の手が加わって完成されたものはつまらない」という感覚が井上シェフに芽生えてしまうのは止む無い。もう少し噛み砕くと、つまらないのではなく、自然の力に人の力は敵わないという見解。

「清流和協」。新潟の清流といえば、魚沼湾。そこで捕れた鮎を半日コンソメで煮込み、その下には八海山の麓で営む「八海山 宮野屋」の蕎麦。熊のコンソメなどの出汁を活かしたスープとともに。奥は、「純米大吟醸 八海山 雪室熟成八年」とそれをソーダで割り、シソとキュウリで合わせたカクテル。

八海山の登山口に開業して100余年。四代に渡り、山に仕え、蕎麦を打つ「八海山 宮野屋」。今回は、このイベントのために、特別に仕込んでいただく。井上シェフとの絆の深さを感じるまさに和協の品。

「豊壌」は、2品で構成。まず1品目。新潟県のコシヒカリをガンジー牛乳で炊いたリオレにマスカルポーネチーズとルバーブのコンフィチュール、そしてレモン風味のメレンゲと合わせる。越後姫の夏イチゴのソースとともに。

蓋を開けた瞬間、旬のラベンダーの香りが一気に広がるもうひとつの「豊穣」。ブルーベリーと「八海山」の酒粕を使った羊羹。その隣にはチーズケーキを。

今回、供された「八海醸造」のお酒は、計9品。前述3品のほか、「Oharoジン スタンダード」、「利酒 No.591 春紫苑」、「八海山 ライスグレーンウィスキー」、「ライディーンビール ピルスナー」、「特別本醸造 八海山」、「瓶内二次発酵あわ 八海山」が井上シェフの料理とペアリングされた。

主要メンバーとともに、振り返る。

今回のイベントは、ただ食べるだけではありませんでした。舞台となる「八海醸造」を学ぶところから始まります。

「食べる前に知識を得ることによって、美味しい理由を感じて欲しかった」と井上シェフ。

実は、かく言う自身もまた、今回のイベントで学びを得たひとり。様々ある中、ふたつをフォーカスしたいと思います。

ひとつは、種類の多さ。多彩に仕込んだ日本酒のバリーエションだけでなく、焼酎、ジン、ビール、ウィスキー、本みりんなども醸造。「こんなに色々なお酒を醸造しているとは知りませんでした」と話し、「UOZEN」のマダム・真理子さんにおいても、「日本酒だけのペアリングであれば、緩急をつけ辛いと思っていましたが、この幅の広さによって、良いペアリングができました。きっと、八海山の新しい一面をお客さまも知ることができたのではないでしょうか」と続けます。

そのほか、運営する「魚沼の里」には、レストランやバー、菓子処やベーカリー、ショップなど、様々な店舗が並び、その敷地面積は、約7万坪。この驚愕の施設の存在を知る人も少ない。今回、ゲストは、敷地内の店舗「okatte」にて、会期中だった富井氏の展覧会を本人のアテンドとともに回遊。作家の想いを聞いた後にいただく料理は、器においても感慨深くなったに違いないでしょう。

そして、もうひとつは、「八海山 自家用大吟醸」の存在。その名の通り、一般には出回らない日本酒です。

「このお酒は、基本的には八海醸造で働く我々が元日にいただくお酒になります。おそらく、八海山のイメージは、一般酒、大衆酒だと思います。ここに一番ニーズがあり、私たちも安心安全を持って、その期待に応えなければいけないと思っております。これは、そういった消費者向けではなく、八海醸造として、さらなる高みを極めるために造っているもの。一番身近な家族や親族が集まる元日にこのお酒を振る舞うことで、日々の感謝を捧げ、同時に、造り手としてのプライドを再確認するために醸したお酒なのです」。

そう話すのは、杜氏・村山雅俊氏。「八海醸造」を学ぶために蔵を見学した際、解説してくれた一節です。

「私たちも蔵を巡り、村山杜氏の話を伺い、気持ちが入った」と、井上シェフ、真理子さん、富井氏は口を揃えます。

“一見、井上シェフと「八海山」は、対極の位置にいるようにも思えます”という見解が覆されたのは、このようなお酒が存在していることや酒造りと向き合う熱量に触れたからこそ、その距離が一気に縮まったのです。つまり、向き合うべきは、「八海山」ではなく、「八海醸造」だったのです。

「八海山 自家用大吟醸が一般の方々に振る舞われたのは今回が初。加えて、会場となった○○○○(建物の名前を要確認)を一般の方々に開放したのも今回が初。新しい挑戦でした。僕らは、造っているものを変えることはできない。今回は、井上シェフが自分たちのお酒に寄り添っていただけ、新たな可能性を見出していただいたイベントになったと思っています」と、「八海醸造」の取締役 副社長の南雲真仁氏。

大切なことは、まず相手やその対象を知り、学ぶこと。これは、本件に限らず、職種や年齢、キャリアに関係なく、全てにおいて共通することではないでしょうか。だからこそ、発見が生まれ、想像できなかった新たな道が開けるのかもしれません。

ゲストは食事をする前に蔵を見学。「八海醸造」がこだわる酒造りだけでなく、企業理念なども学び、舌だけでは感じることのできない知識を得るところから、今回のイベントはスタート。

蔵の見学をアテンドしてくれたのは、杜氏・村山雅俊氏。酒造りの工程や解説だけでなく、利き酒なども交え、体験型の蔵見学を実施。

「八海山 自家用大吟醸は、評価されるために醸しているお酒ではなく、八海醸造の存在意義を表現するために醸しているお酒。ゆえに、販売しているお酒ではありません。今回は、初めてそれを八海醸造以外の方々に振る舞う機会となりました」と南雲真仁氏。

広大な敷地面積を有する「魚沼の里」。レストランやバー、菓子処やベーカリー、ショップなど、様々な店舗が並ぶ。

「魚沼の里」の敷地内、「okatte」にて開催されていた富井貴志展。定番のリム皿、新作のボウル、パスタ皿などを展示。ゲストは富井氏とともに回遊し、作家の想いも得る。

「八海醸造」南雲氏(左上)、木工作家・富井氏(右上)、「UOZEN」井上シェフ(右下)、真理子さん(左下)を中心に、多くのスタッフ、関係者から構成された今回のイベント。決して構築されたものではなく、人間味溢れる時間を創造した。井上シェフの言葉を借りるならば、「完成されたものはつまらない。未完成だからおもしろい」イベントとなった。

2022年に100周年を迎えた「八海醸造」は、大正11年、南魚沼に創業。蔵人が「裏座敷」と呼ぶここは、迎賓館のような存在。一般の方々がこの空間に足を踏み入れるのは今回のイベントが初。

1mmでも向上するために。僕は好きを追求する。

初のイベントを終え、多くの経験を得た井上シェフ。元の姿でもある「UOZEN」のシェフへと還る前、これまでの自分を少し振り返る機会となりました。

「改めて思ったのは、自分みたいなシェフのスタイルは、他の人には勧められない。狩猟や漁は、やらなくてもレストランは成立します。シェフは料理に集中すべきだと考えることもあります。むしろ、自分のやっていることは自己満足なのかもしれません」。

ではなぜ、それでもやるのか。それは、「好きだから」です。少し角度は異なりますが、例えばワイン。「UOZEN」では、仕入れたワインをそのまま出すことは行いません。数年寝かすなどして、自分たちで飲み頃を見極めます。つまり、目の前に供されるものには、必ず「UOZEN」の意志が込められているのです。

「わかる人にはわかるかもしれませんが、ほとんどの人がわからない違いだと思います。それでも自分たちがレストランを営む意義を見出したい。1mmでも向上するために」。

井上シェフにとって、好きなことを追求することは、努力を凌駕するほどのエネルギーがあるのかもしれません。

「これが僕のライフスタイルですから」。

あえて聞きました。「もう一度、イベントはやりたいですか?」との問いには、「即答できません」と即答。

「ですが、もう少し時間が経ったら、ゆっくり振り返りたいと思います」。

その解を確かめるために、「UOZEN」の再訪を誓う。


Photographs:KENTA YOSHIZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

Posted in 未分類

日本の地域に眠る究極のレストラン。すべてが異次元のスタイルの先に、目指すべき理想が。[sowai/岡山県瀬戸内市]

この地にあった店名を英文にしたのが店名の由来。店前の電信柱の看板に往時の残照が残る

牛窓accaの次のステージは同じく牛窓のsowai!

魚礁(そわい)とは、たくさんの魚が集まり、生きた魚が隠れ家や餌場として利用している岩のことを指します。そんな魚たちの楽園ともいえる地形を、ひっそりと店の名に冠した場所があります。岡山県牛窓。この場所を聞いた感度の高い人ならば、あるお店、ある料理人の顔が自然と浮かぶことでしょう。そう、東京広尾から牛窓へと移住&移転をし、瞬く間にほかにはない至高の店を作り上げた『acca』の林冬青氏その人です。ひっそりととは、まさに店の名のごとく。誰に知られることなく、ネットで検索してもその名を探すことは困難。牛窓港の目前で、静かにオープンした『sowai』。その後もSNSの発信やグルメサイトの掲載は断り続け、魚が集う魚礁のごとく、ただその場所でひっそりと美味を追求し続ける。そんな林氏にメディア初の取材を許可いただき、その真意を伺ってきました。

取材時も極力多くを見せたがらない林氏。その真意は後々わかることになるが、料理一品の撮影にも緊張感が張り詰める

お客様による携帯電話での料理撮影もお断りしている『sowai』。自身の真意とは違う方向で情報が発信されることを極力抑えていきたいと林氏

店のキャラクターの一つになっている巨大な薪窯。現状はオリジナル料理パーネのためだけに使用している

目前の前島とのフェリーが往来する牛窓港の目前。鄙びた漁港の目の前で静かに『sowai』は営まれている

ハガキのやり取りから繋がる店。それが『sowai』。

「コロナがあって店の状況も大きく変わったのが転機になりました。以前は県外からのお客様も多かったのですが、ピタッと止んだ。ただでさえ外出を自粛せざる得ない状況で、牛窓という田舎にわざわざ来ていただく意味を考えたんです。」
林氏は言葉少なにそう話し、さらにお客様と心の距離の近いお店を作れたらと考えたといいます。『acca』自体も奥様との二人三脚でやっていただけに、新たな店の構想をやるには『acca』を続けるのは事実上不可能。想いに突き動かされるように『acca』閉店をすんなりと決意し、その経験を元に、現在の林氏の想いを投影させたのが牛窓の海を望む『sowai』に凝縮されたというわけです。

スタイルも大きく変わりました。最初の予約は官製はがきでのやりとりになるのです。3週間以上先の予約希望日を記入いただき、『sowai』から予約完了の返信はがきを待って予約完了。電話もデジタルでの予約も受け付けず、まずはアナログでのやりとりからお客様の到着を待つのです。不便だと思う人もいるでしょう。それは仕方のないことです。でも、今の時代にあって、この面倒なやりとりを楽しむ。それこそが唯一『sowai』での食体験の入り口になるのです。時代遅れのこの予約は、たぶん恋文を待つようにいつくるか、いつくるかと心待ちにするのが正解。届いたときの喜びと、実際に訪れる来店の機会はまさに初回のデートのように心高ぶることでしょう。

「そんなに格好いいものではないんです。実際は妻が畑をやっているので、ひとりで店の仕込みをしている事が多く、仕込み中に電話が鳴ると仕事が中断してしまう。それではベストな状況でお出迎えが難しく、苦肉の策なんです。一度来ていただければ、その後はメッセージのやりとりなど、仕込みや営業に支障のない時間に返信させていただきます。」

林氏とはまさにそういう人なのです。過剰な味付けや華美な食材は使わず、最大限に食材のポテンシャルを引き出す。以前に『acca』を取材させていただいた際には修行僧のようだと形容しました。料理との向き合い方は当時と変わらず、さらに研ぎ澄まされた印象。SNS・グルメサイトなどネットの発信や、店舗の写真を禁止するのも、自分の想いとは違う方向で情報だけが独り歩きをするのが許せなかったといいます。やれることすべてを料理に投影させ、自分の想いや考えもきちんと発信できるまでは公表しない。それができればきっと分かる人には届く。それはまるで海中の楽園、魚礁そのものだと思わざる得ないのです。眼の前に広がる牛窓の豊かな海、その延長こそが林氏が求めた店のあるべき姿なのかもしれません。

アコウのヴァポーレ。このサイズくらいが旨味が強くエシャロットやニンニクなどの香味野菜とコラトゥーラのソース

穴子と牛肉にサルシッチャ、ハリイカのゲソをキャベツとともにオーブン焼きに。イタリアンパセリのソースで

今日取れた魚たちの朝どれサラダ。茹でたガラエビ、ベイカ、ヒラメ、蒸しモガニ、ハリイカ、新玉ねぎなどを玉ねぎとからすみのソースで

牛窓で捕れた魚介を、極力余計な調理は省き食膳へ。

もちろん料理も面白いのです。『acca』時代同様に、毎朝地元牛窓の鮮魚店から仕入れたこの場所でしか味わえない魚介の数々。雑魚や小エビ、小さな貝など、都市部の市場では扱えない魚介類を中心に、牛窓にいる恩恵を最大限に楽しませてくれるのです。◯◯産の本マグロもなければ、金賞を受賞した黒毛和牛もなし、その時期に牛窓で捕れた名前も知らない小さな魚が『sowai』では光り輝いているのです。林氏は「ベストな状態で出しただけ」と素っ気ない説明になるのですが、朝から晩まで仕込みに追われ、丁寧に丁寧に土地の食材を紡ぐ。ひとりで黙々と行うその労力がどれほどのものかは想像に難しくありません。仕入れた鮮魚に、ベストな塩を入れ、さまざまな方法で火を入れる。土地を理解するとそれがこれほどまでに味を引き出すのかと、教えてくれるのです。

さらに『sowai』での新たな試みは林氏がそわパーネと呼ぶ、オリジナルの小麦料理。パンのようでもあり、ピッツァのようでもあるその料理を生み出すことにここ数年は注力してきたといいます。

「イタリア時代、ピッツァを食べましたが、どうしても最後まで美味しい状態が続かない。熱々で、チーズがとろけるあの最初の状態を維持する一品を生み出したくなったんです。ピザ窯で、ベストな薪を起こし、それを焼き上げる。粉の配合や、具にする食材。どうしても満足行くものが生み出せず、ずっと試行錯誤してきたのですが、数年経ってようやく納得できるものができた。ピッツァの配合でパンの工程を作る感覚。平たく伸ばすのではなく、縦に積み上げていく。そうするとサクッ、シュワ、ふわっという感覚が重なるように押し寄せる。だから取材に来ていただきたいと思ったんです。」

見た目は焦げ目のついた、少し焼きすぎたパン。それが熱々のままテーブルに運ばれ、手でちぎれば湯気とともにチーズがとろけだす。具はイカ墨もあれば、からすみバターやボリート、もろみ、かに、チョリソーなど、その時期のとっておきの食材が彩ります。これが味わうと驚くほど軽く、味わいは深い。ペロッと平らげてしまうのですが、小麦粉と食材の余韻が口の中におだやかな幸福をもたらすのです。

パーネとはイタリア語でパンの意。「sowaiのパーネであるのでそわパーネとしています。」と林氏。写真はからすみとイカ墨のそわパーネ。コースの最後はパーネが登場する。黒い部分は、活きているイカからとったイカ墨のソース

前島産の小麦は、石臼挽きで製粉。全粒粉でふすまの風味が特徴

静かな波音がより静寂を強く感じさせる牛窓港の目の前

牛窓オリーブ園から瀬戸内海を望む。この絶景を見るだけでも心あらわれるひとときに

林氏が生み出した究極のピッツァ「パーネ」とは?

当初はデュラム小麦などイタリア産小麦を独自の配合で生地にしていたのが、粘りや香りを追求していくうち、気がつけば対岸の前島で畑を借り、小麦作りから没頭。牛窓で、パーネのために、配合する小麦が最後のピースとなり、納得のいくパーネは完成したといいます。

「仕込みと店に追われているので僕が手伝えるのはほんの少し。小麦作りのリーダーは妻です。無農薬で雑草取りに励んでくれ、小さな島ですがイノシシなどの獣害もある。店の分だけの小麦といえど、かなり重労働なのはわかっているのですが、前島の小麦を加えることで、少し潮風を感じるパーネが生まれる。感謝しかありません。」

そう、小高い山の中腹にある畑からは、美しい牛窓の海が望め、穏やかに吹く海風と、晴れの国・岡山ならではの陽光がここでの小麦づくりに一役買っている。

目の前にあるものを大切に観察し、その良さを引き出す。のどかな牛窓の漁港の目前で、林氏の目に写ったもの。それこそが『sowai』の料理であり、そこから感じ取れるものが牛窓の恩恵。例えば、風光明媚な日本の至る地域でも、地形や食材は違えど同じようなことは可能だろう。ただ目の前にあるものをとことん慈しみ、深く理解し、最良のそして最低限の調理を加える。その所業が、いかに難しく、常人では計り知れないほどの努力の積み重ねであるか。たぶん、この『sowai』という場所は何も語らずに、一皿の料理だけでそれを教えてくれるのです。

住所:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3023
TEL:なし
営業:ランチ13:00〜、ディナー18:00〜(日曜は昼のみ営業)
休日:水曜・木曜(不定休あり)、基本的に金曜日は窯が休み、そわパーネの代わりにパスタを提供します(事情により変更の可能性あり)
※予約方法:ハガキにてご連絡下さい。名前、住所、電話番号、メールアドレス、人数、希望日(1〜3候補、昼夜の希望)、
 アレルギーや苦手食材を明記してください。中学生のお子様から
 昼は7,000円くらい〜、夜は9,000円くらい〜(仕入れにより多少変動あり)支払いは現金のみ
 店内にトイレはないので、お隣の公共トイレを利用。


Photographs:YASUFUMI MANDA
Text:TAKETOSHI ONISHI

Posted in 未分類

ローカル線の沿線をまるごと体感する新たな旅体験『沿線まるごとホテル』いよいよ始動。[Satologue/東京都奥多摩町]

異例の開業前受賞。ジャパン・ツーリズム・アワード最高賞。

ツーリズムの拡大、発展に貢献する取り組みを表彰する「ジャパン・ツーリズム・アワード」。2023年に発表された「第7回 ジャパン・ツーリズム・アワード」では、最高賞である国土交通大臣賞に『沿線まるごとホテル』というプロジェクトが輝きました。

『沿線まるごとホテル』とは、JR青梅線の駅舎をホテルのフロントに、沿線集落の空き家をホテルの客室に、そして地域住民とともに接客、運営を行うという、まさに沿線をまるごと楽しむホテル。

しかし実は受賞時には、ホテルはまだ開業前でした。この“開業前の受賞”という偉業こそ、世界観と構想が高く評価されたことの証明なのです。

さて、そんな『沿線まるごとホテル』がいよいよ動き出しました。まず宿泊棟に先立って2024年5月に開業したレストランとサウナを備えた『Satologue』。
一足はやく体験させてもらった施設の体験レポートをお届けします。

2024年5月に先行オープンした『Satologue』は、沿線まるごとホテルプロジェクトの中核となる施設。宿泊施設開業までの期間限定で特別メニューを提供している

都心から1時間30分で到着する秘境。

中央線の立川駅から青梅線に乗り、青梅駅で奥多摩行きに乗り換えて鳩ノ巣駅まで。都心から1時間30分程度の道のりですが、いつしか車窓は豊かな緑に覆われています。平日で雨模様だったこの日、4両編成の下り電車の乗客は数えるほど。通勤ラッシュは遠い世界のように感じられます。

鳩ノ巣駅からの移動手段は、レンタル電動トゥクトゥク。無人駅である鳩ノ巣駅に設置された、電動トゥクトゥクと電動アシスト自転車が、観光の二次交通とするのも、『沿線まるごとホテル』の取り組みのひとつです。

到着した『Satologue』は、築130年の古民家をリノベーションした建物。元は養魚場だったという敷地を活かし、ビオトープや自家菜園、わさび田など外構も美しく整備されています。訪れたゲストは食事の前に、スタッフの案内でこの敷地を歩く“フィールド散歩”に出かけます。

この日、案内に立ってくれたのは   『沿線まるごと株式会社』の代表・嶋田俊平氏。

「ただ空き家を再利用するだけではありません。季節によって変わる自然の美しさ、この地で営まれてきた生活や文化、そういう地域そのものを体験してもらえる場を整えていきたい」

そう話す嶋田氏。

先程の次世代モビリティも然り、地元住民によるサービスも然り。ただ観光施設をつくるのではなく、点ではなく面で、地域として観光客を受け入れるという構造こそが、『沿線まるごとホテル』のおもしろさなのでしょう。

敷地内に築かれたわさび田は、奥多摩に移住してわさび栽培に挑む“わさびブラザーズ”こと角井仁氏、竜也氏兄弟による

地域の自然を再現したビオトープには、多摩川の水が引かれている。やがて虫や魚、鳥が集まってくることだろう

かつて養魚場だった場所は、土を積んで自家菜園に。レストランの料理にも自家栽培の野菜が使われている

地域の食材を、モダンなフレンチベースの料理にアレンジ。

『Satologue』内のレストランの名は『時帰路(TOKIRO)』。もちろんここでの食事も地域の食材をふんだんに取り入れた内容。それを気鋭のシェフの手により、フレンチをベースとしつつ、この地の風土や歴史を落とし込んだガストロノミー料理に仕上げています。

この日のメニューは、治助芋のヴィシソワーズからはじまり、山梨産のマスのマリネ、東京シャモと蕗味噌のリゾット、東京和牛のロースト、いちじくの葉のブランマンジェという構成。繊細で都会的なエッセンスと、素朴で力強い食材が融合した独自の料理です。

地域性があり、その地に足を運ぶ価値がある店を指すローカル・ガストロノミー。その独自性や希少性を、東京で味わえることに新たな、そして大きな食の可能性を感じさせます。

『時帰路』の店内は木のぬくもりを感じさせる、ゆったりとした設え

料理の一例。食材の旬に合わせて、メニューが入れ替わる。ドリンクはワインのほか、青梅の『小澤酒造』の酒や、奥多摩の『VERTERE』のクラフトビールも揃う

©︎Daisuke Takashige
料理を手掛けるのは駒ヶ嶺侑太氏(右から2人目)と高波和基氏(左から2人目)のふたりのシェフ。名店で修業を重ねた若きふたりが奥多摩に移住して腕を振るう

自然に癒やされる、至福のサウナ。

食後はいよいよ自慢のサウナ『風木水(FUKISUI)』へ。

客室が開業したあかつきには宿泊客専用の施設となりますが、現時点ではサウナだけの利用が可能です。古い蔵を改装した薪サウナ、専用の水風呂、自然の中の外気浴フィールド、そして窓の外に深い森を見渡すラウンジがすべて貸し切りで利用できます。

ここで特筆すべきは、外気浴のためのスペースでしょう。木々に囲まれた森の中にリクライニングチェアを並べた心地よい場所。

「ここは多摩川の本流と支流に囲まれた三角州。三方向から川のせせらぎが聞こえるんですよ」

そう嶋田氏に言われ耳を澄ますと、確かに多方向から重層的な水音が聞こえ、目を閉じるとまるで川に包まれているような気分になります。それはいうなれば、天然のサラウンド音響。包み込む川音に鳥や虫の声、木々のざわめき、ときおり遠くを走る電車の音。サウナ室の高温や水風呂の低温は人為的につくることができても、決して人工的にはつくれないシチュエーション。この最高の環境に身を置くことで、改めて“整う”の意味が腑に落ちることでしょう。

こうしてランチを味わい、サウナを満喫した『Satologue』のひとときは終了しました。帰り道は再び青梅線の駅へ。去来するのは「もっとこの地を知りたい、また来たい」という思いです。それは短い時間の中でこの地の生活や文化の一端に触れられたからか、あるいは濃密な森の空気に心癒されたからか。いずれにせよ今後は奥多摩が、週末の小旅行の行き先の有力な候補となることは間違いないでしょう。

この『Satologue』に代表される、地域との関わりが深まる仕掛けが随所に詰まった『沿線まるごとホテル』。まずはこの青梅線からはじまり、今後はJR東日本の他路線へと拡大していく予定だといいます。駅舎でチェックインして、地元住民と触れ合い、古民家に泊まる。そんな新たな旅の形が、ここから広がっていくのかもしれません。

©︎Daisuke Takashige
林業で栄えた歴史を持つこの地の薪を使った薪サウナ。水着(有料)やガウン、サウナハットの貸出もあるので、手ぶらで訪れることができる

©︎Daisuke Takashige
ロウリュはセルフで。ロウリュ用アロマウォーターもある

©︎Daisuke Takashige
自然に包まれる外気浴フィールドは、至福の環境。時間を忘れてくつろぐことができる

広々としたラウンジもサウナ利用者の貸し切り。書棚には奥多摩で活動する『おくたま文庫』が選書した「人の“ふるさと”」をテーマにした書籍。気に入ったら購入することも可能

住所:東京都西多摩郡奥多摩町棚澤1
電話:0428-85-9310 (9:00〜17:00)
休日:火曜・水曜 (祝日の場合は翌日平日)
https://satologue.com/


Photographs:Daisuke Takashige 
Text:NATSUKI SHIGIHARA

Posted in 未分類

世界一の美食家が記録に残したかった、たった一夜だけの料理。

国内のみならず、世界の様々なジャンルのトップシェフと交流を持つ、世界一の美食家・浜田岳文氏。今回は、自身初となる書籍、「美食の教養 -世界一の美食家が知っていること-」の発刊と「UMAMIHOLIC」のローンチを記念し、イベントを開催。

読者が初体験した、美食の教養。

「OAD世界のトップレストラン」のレビュアーランキングで6年連続1位に君臨する世界一の美食家・浜田岳文氏の初となる書籍、「美食の教養 -世界一の美食家が知っていること-」が2024年6月に発刊。加えて、自身が主催するコミュニティ「UMAMIHOLIC」もローンチされ、双方を記念するパーティが開催されました。

ですが、今回フォーカスしたいのは、そのどちらでもなく、この日、たった一夜だけにクリエイションされた料理。構成は、大きくふたつのコンセプトに分かれ、前半は「未来の食材調理」、後半は「産地を守る食」。当日は、本書の読者を中心としたゲストが集い、まさに「美食の教養」を初体験することになります。

強いメッセージ性を感じる料理を手がけたのは、「イートクリエーター」。その名の通り、食を通したクリエイター集団です。所属するシェフ、「TOUMIN」井口和哉氏が前半を担い、「FUSOU」内田悟氏が後半を担います。

ふたりから生み出された料理は、社会に向けたテーゼが込められており、各料理が向き合う課題テーマは創造力を掻き立てる一方、一筋縄では解決できない難問ばかり。だからこそ、食べ手は学ぶ必要があるのです。全ての仕立てを俯瞰して見ると、それはまるで「美食の教養」のカリキュラム。講座名にも似た料理名を纏った全7品は、さながら1限目から7限目の授業のよう。

レッスン1、もとい、1品目は、「プラントベースキャビアのタルト」。フランス料理の伝統的なキャビアのタルトレットを海藻などから作ったヴィーガンキャビアで再現。プラントベースは、食資源の不足や環境保護の視点からも注目されており、植物性でも持続可能な美食を提案しています。

2品目は、「22世紀ひらめのマリネ」。22世紀ひらめというゲノム編集されたひらめは、少ない餌で大きく育つ環境に優しい品種。「水産業やタンパク質クライシスの問題を考えるきっかけになってほしい」という井口氏の願いも込められています。

3品目は、「固定種ビーツと発酵ハチミツ」。原料は、東京・青梅市でサステナブルな農業と養蜂を営む「OmeFarm」の白ビーツと非加熱ハチミツ。この畑では、農薬や化学肥料を使わず、植物性原料を中心とした堆肥作りを行なっており、都市型養蜂でミツバチの保護も支えています。ミツバチは、世界の食糧の1/3以上、全作物種数の約7割の受粉を支えている重要な存在。その命を守りながら作物を育てるという、循環型農業からこの料理は生まれているのです。

「こんなにも秀逸な観点で料理を構築できる若手シェフがいて、かつ美味しい。それが一夜限りで消え去られてしまうのはあまりにも惜しい。そして、悲しい。そう思ったのです」と浜田氏。

ゆえに、ここに記録として残す。そして、後半に続きます。

フランスの伝統的なキャビアのタルトレットをプラントベースで再現した「プラントベースのキャビアのタルト」。キャビアの代用は、海藻などから作られたヴィーガンキャビア。その下には発酵させた豆乳から作るクリームチーズにシブレットを混ぜたペーストを絞り、タルト生地には豆乳を原料とした卵やバターをたっぷり使用し、リッチな味わいに。植物性でも美味しい料理を通して持続可能な食のライフスタイルを提案。

22世紀ひらめというゲノム編集されたひらめを太白胡麻油と青柚子でシンプルにマリネした「22世紀ひらめのマリネ」。少ない餌で大きく育ち、旨味のある肉厚な身が特徴。「天然のひらめにも引けを取りません。未来の味がするかも!?しれない22世紀ひらめを通して、水産業やタンパク質クライシスの問題を考えるきっかけになっていただければ幸いです」と井口氏。

東京・青梅市でサステナブルな農業と養蜂を営む「OmeFarm」の白ビーツと非加熱ハチミツを使用した「固定種ビーツと発酵ハチミツ」。農園では、植物性原料を中心とした循環型農業を取り入れ、固定種野菜作りと全作物種数の約7割の受粉を支えるミツバチの保護も行う。

今回の会場は、「STEREO」。高層階から望むパノラミックな渋谷の絶景には、ゲストも高揚。

今回、提供されたメニュー表。まるで単語帳のようなデザインは、「美食の教養」を学ぶ意味でも抜群の演出。

浜田岳文氏の初となる書籍、「美食の教養 -世界一の美食家が知っていること-」は2024年6月に発刊。

料理になる前のストーリーに意志は宿る。

後半、「産地を守る食」は、4品目となる「上ミノのプロシェット カシューナッツのデュカ」からスタート。井口氏とはまた違った視点で、内田氏が魅せます。

この料理は、牛のゲップに含まれるメタンガス削減に貢献するためのもの。牛の餌にカシューナッツの殻液を混ぜることによって、メタンガスの発生を抑制できる成果が研究で確認されており、「畜産業の環境問題へのひとつの筋道になれば」と考案されました。

5品目は、「鰻と蕎麦粉のガレット」。この鰻は、栃木県那珂川で約60年間川魚店を営んでいる人物が養殖したもの。使用する水を温めるボイラーには、人の手が行き届かない山を自ら切り開いた間伐材を使用しています。川の環境を守るために山を整え、自然を維持し、その過程で雇用も生み、地域活性化にも結実させているのです。

6品目は、「鮎の青竹蒸し寿司」。この料理は、シェフとして竹の新しい活用法を生み出したいと思い、考案されたものです。筍農家は、年に一度、春に優良な筍を採るため、365日欠かさず竹林を整備するも、ベストなコンディションを保つにはコストがかかります。そんな生産者を支援するために青竹を価値化。また、放置竹林への問題意識を高めるきっかけにもなれればというメッセージも込められているのです。

7品目、最後の料理は、「経産ジャージー牛のチーズバーガー」。乳牛の肉は、市場価値が低く、加工肉用の肉として牛種関係なく処分されている現状があります。このバーガーは、ジャージー牛の肉とジャージー牛のミルクで作られたチーズで仕立て、調理の技術を通して乳牛の美味しさを存分に引き出します。前述、牛のゲップ問題も然り、畜産の現状が強く発信されたひと品です。

前半、後半、計7品で構成された今回の料理。レストランでは、極めて再現性の低いコンセプトの創造を具現化できたのは、一夜限りだったから。

自然の恵みは無限ではありません。有限の資源を活かし、環境にも配慮した料理の理解を深めることは、シェフだけでなく、食べ手にこそ必要なことではないでしょうか。

牛の第一の胃、ミノを香ばしく串焼きにし、カシューナッツとスパイスを合わせた「上ミノのブロシェット カシューナッツのデュカ」。餌にカシューナッツの殻液を混ぜ、牛のゲップに含まれるメタンガスを抑制。「この問題を広く知っていただき、現状、様々な問題の解決策が乏しい畜産業の環境問題に対し、ひとつの道筋になれればと思い、料理を考案しました」と内田氏。

鰻、チーズ、蓮根を組み合わせた「鰻と蕎麦粉のガレット」。使用する鰻は、栃木県那珂川で約60年間川魚店を営む人物が養殖したもの。水を温めるボイラーには間伐材を使用し、川と山の環境を守る循環を生む。

鮎の押し寿司を青竹の中で蒸し上げて蒸し寿司にした「鮎の青竹蒸し寿司」。筍農家への支援と放置林の問題、双方のメッセージが込められた料理。

ジャージー牛のお肉とそのミルクで作られたチーズで仕立てた「経産ジャージー牛のチーズバーガー」。市場価値の低い乳牛を調理の技術で補い、美味しく調理。その価値を向上させた料理。

前半の料理を担当した「TOUMIN」井口和哉氏(中右)と、後半の料理を担当した「FUSOU」内田悟氏(中左)。それぞれの料理に込めた想いを語る。

クリエイションを発揮できるシェフを応援したい。

浜田氏は、そう語ります。

「今回、このイベントを開催するにあたり、まずひとつやりたいと思ったことは、レストランではできない料理でした。シェフの満足度とゲストの満足度は、必ずしも等しくはありません。やりたいことを100%できているレストランは、限りなく少ないと思います。ですが、一夜限りなら思いっきりやれる。今回のアイディアは、井口シェフと内田シェフによるもの。彼らは、料理を通して常日頃から社会問題や環境問題などと向き合い、自分ごと化している。私は、こういったクリエイションを発揮できるシェフを応援したい」。

例えば、ニューヨークの「イレブン・マディソン・パーク」は、100パーセントヴィーガン。コペンハーゲンの「ゲラニウム」は、ほぼ野菜中心。そのほか、世界から注目されるレストランにおいてもプラントベースに移行しているところは少なくありません。これらは、「環境問題への関心の高さによるものが大きい」と浜田氏は分析します。

「シェフとして、芸術よりなのか、職人よりなのかによってスタイルは変わると思いますが、いずれにしても世の中や社会にコミットしなければいけないと考えます。海外のシェフは、日本と比べ、その感度が高い。しかし、これはシェフだけの問題ではありません。なぜなら、今回のような料理を提供しても、食べ手がいなければ、需要と共有は成り立たないからです。ゆえに、レストランだけの問題ではなく、食べ手の問題でもあるのです」。

つまり、高級食材を採用した料理を求め、予約困難店というバリューに期待している食べ手にこれらの理解を得られるかといえば、それは容易ではありません。なぜなら、繰り返しですが、ゲストの満足度と等しくないからです。

「今回は、本を読んでいただいたゲストをお招きした会のため、このような料理を理解いただけるであろうという前提をもとに表現することができました。 井口シェフや内田シェフのように、若い世代のシェフは、クリエイション能力はあれど、それを発揮できる場が少ないのだと思います。この才能を引き出せるのは、食べ手次第。時に、コンフォートゾーンから一歩外に出ることは、大事なことだと考えます」。

東京は、多くの優良なレストランがあるにも関わらず、予約困難店はわずか。これは、食べ手のゾーンが狭いということにもつながります。

「大切なことは、一つひとつを深く理解すること。優れたシェフと出会い、その人が何を大事にしているのかを考察する能力を養うことは、本当の意味でレストランを楽しむことにつながります。UMAMIHOLICなどを通して、そういったことも伝えていきたいです」。

「僕らが口にするものには、多くの意味が隠れている(一部抜粋)」とは、世界No.1シェフと称されるコペンハーゲンの「ノーマ」率いるレネ・レゼピ氏が「美食の教養 -世界一の美食家が知っていること-」に寄稿した言葉。この意味を読み解けるか否かは食べ手次第。

「美食の教養」とは、「食べ手の教養」とも言い換えられるのかもしれません。


Text:YUICHI KURAMOCHI

Posted in 未分類

ペアリング次第で無限に広がる美味しさ。夏の定番、カレーとビール。[和光アネックス/東京都中央区銀座]

「和光アネックス」では、夏に向け、日本全国から探し出した、さまざまなカレーとビールを展開。※今回は、上記より6種をご紹介。

WAKO ANNEX夏に体が欲するカレー。それは、理にかなった欲望。

暑い季節に無性に食べたくなるのがカレー。実は、カレーの中に入っているスパイスには、夏バテ防止や熱中症予防にもなると言われています。不足しがちな栄養も、カレーであれば、米を含めた炭水化物、肉、野菜など、一度に摂取できるのもポイントです。

また、辛味のあるものであれば、血流が上昇し、体温が一時的に上がり、発汗。汗が蒸発する時に体の表面の熱を奪い、体が冷やされ、涼しく感じるのも特徴です。

ゆえに、夏に体が欲するカレーは、理にかなっているとも言えます。

整腸、食欲増進、消化促進などの効果も期待できるカレーは、夏バテ防止にも最適な最強フードなのです。

今回は、日本全国から厳選したカレーと、ぜひ、一緒に合わせたいビールをご紹介します。

今回ご紹介するのはカレー3種、ビール3種。左より、「ホンダロジコム」の「tororino(トロリノ)」、「愛媛海産」の「鶏手羽元のバターチキン」、「Mandrillus」の「ぶどう山椒をかけて食べるほうれん草キーマカレー」。そして、「サンクトガーレン」の「パイナップルエール」、「南信州ビール」の「Ogna(オグナ)」、「サンクトガーレン」の「YOKOHAMA XPA」。

懐かしの味からスパイスの効いたものまで。また食べたいと思わせる3選。

まず、ひとつ目は、「ホンダロジコム」が商品開発した「tororino(トロリノ)」の「国産きくらげ入り ごろごろ野菜の懐かし手作りカレー」。きくらげは、「ホンダロジコム」が開設したきくらげ農園「春日井ファーム」のもの。ここは、1年中、品質の安定した新鮮なきくらげを生育しています。味わいは、家で作ったようなコク深さが懐かしいカレー。きくらげをはじめ、ごろっとした国産具材は、食べ応えも十分です。

ふたつ目は、「愛媛海産」の「鶏手羽元のバターチキン」。愛媛県産の鶏手羽元を煮込み、豊かな香りが特徴のカルダモンやカスリメティを贅沢に使用しているのが味の特徴です。隠し味には、同じく愛媛県産のドライトマトをアクセントに効かせています。

最後は、「Mandrillus」の「ぶどう山椒をかけて食べるほうれん草キーマカレー」。ぶどう山椒の柑橘系の爽やかな香り、そして、穏やかな辛味としびれる刺激が旨みを引立てます。カレーはバターチキンのまろやかな味わいと後味のスパイス感が楽しめ、ほうれん草で色付けしています。ぶどう山椒の新たな魅力に気づくこと間違いなしの一品です。

さらに、カレーに合うお米「大嶋農場」の「咖喱米 カリー米」と合わせれば、その味わいは、一層広がります。

タイプの違うカレーは、毎日でも食べたくなる味。ぜひ、カレーとともに、暑い今夏を美味しく乗り切りましょう。

コンセプトは、美味しい食事でココロに「シアワセ」を。厳選した食材でカラダに「ウレシイ」を。小麦不使用、国産具材、国産きくらげ入りで、ヘルシーな「国産きくらげ入り ごろごろ野菜の懐かし手作りカレー」。きくらげが入ることにより、通常のカレーではなかなか摂取できない食物繊維やビタミンD、鉄分なども豊富。

ボリュームのある松山どりの鶏手羽元がふたつも入ったボリュームたっぷりの「鶏手羽元のバターチキン」。保存料や化学調味料を一切使用せず仕上げた品。

雛豆、ほうれん草、合挽きミンチなど、絶妙な配合が旨みを引き出す「ぶどう山椒をかけて食べるほうれん草キーマカレー」。和歌山県のぶどう山椒と合わせるとさらに美味しさがアップ。

日本では珍しい長粒米の「咖喱米 カリー米」。日本米のやわらかさとタイ米のパラパラ感があり、カレーはもちろん、チャーハンやパエリアにも最適。農薬や化学肥料に頼らず、安心安全な農法にもこだわる。

カレーといえばビール! 無敵のペアリングで、より美味しく。

カレーだけでももちろん美味しいですが、より味わいを複層的に楽しむお相手に選ぶのは、やはりビール。苦味から酸味を効かせた多彩なクラフトビールをご紹介したいと思います。

まずは、2022年、社名と同様だったブランド「南信州ビール」から新たなに生まれ変わった「Ogna(オグナ)」です。同社は、長野県第一号のクラフトビールメーカーであり、原材料をはじめ、仕込みから製造、出荷に至るまで、すべての工程において一切妥協することなく自分たちの手で造り上げ、南信州という土地の魅力とこだわっています。

豊富にあるラインナップの中から今回選んだのは、信州宮田村産ヤマソービニオン(山ぶどうとカベルネソービニオンのワイン用交配品種)ぶどう果汁を原料に使用した「YAMASO HOP」のフルーツビール。赤ぶどう特有の濃い鮮やかな紫色、酸味、果実由来の香りと重厚なフレーバーが特徴で、コクとまろやかな甘さを持ち合わせ、微かな渋味も感じられる味わいです。

次いで、日本人で初めてクラフトビールを作った岩本伸久氏が手がける「サンクトガーレン」。命名の由来は、 スイスの都市「ザンクト・ガレン」にあった「ザンクト・ガレン修道院」から引用してネーミングしています。「サンクトガーレン」のロゴマークのデザインも、ザンクト・ガレン修道院をモチーフにし、ビールを醸造する修道僧をイメージしています。

ここでは、数ある種類の中から、香り高く、最高に苦味の効いた「YOKOHAMA XPA」と夏季限定にて展開するフルーツビール「パイナップルエール」をお勧めしたい。

対照的なその味わいは、気分や天気によって選ぶのも良し。お好みのスタイルでお楽しみいただきたい。

今夏、ワンランク上の夏の定番、カレーとビールを満喫するのはいかがでしょうか。

「ogna(オグナ)」とは、長野(NAGANO)を構成する4つのアルファベット「N, A, G, O」を並べ替えた造語。これからも長野という自然豊かな土地の魅力が詰まったビールを作り続けていくという思いが込められている。「YAMASO HOP」は、信州宮田村産ヤマソービニオンぶどう果汁を原料にしたフルーツビール。

「YOKOHAMA XPA」は、ペリーが赤道を越えて日本に持込み、幕府にも献上したとされるビールの復刻版。使用するホップは通常の約4倍。柑橘を思わせる香りと、余韻にまで残る鮮烈なビター感がクセになる。仕込み水は、濁度0.0000という驚異の透明度を誇る横浜市のオフィシャル水「はまっ子どうし」。

約600kgのゴールデンパインを使用した夏季限定のフルーツビール「パイナップルエール」。果実はビールが発酵する前の麦汁に投入。果実と麦汁を一緒に発酵させることで、泡までほんのり甘いパイナップル風味に仕上げる。パイナップルは手作業で切ったものを使用。機械で切るのと比べ、香りの瑞々しさが違い、濃縮果汁や香料などの人工物は一切使用していないことも特徴。

※今回、ご紹介した商品は、『和光アネックス』地階のグルメサロンにて、購入可能になります。
※『和光アネックス』地階のグルメサロンでは、今回の商品をはじめ、全国各地からセレクトした商品をご用意しております。和光オンラインストアでは、その一部商品のみご案内となります。

住所:東京都中央区銀座4丁目4-8 MAP
TEL:03-5250-3101
www.wako.co.jp


Photographs:KENTA YOSHIZAWA
Styling:HIROKO TAKENAKA
(Supported by WAKO)

Posted in 未分類

タブーなき料理とペアリング。最果てのウイスキー『HIGHLAND PARK』が刻む、新たな一歩。[HIGHLAND PARK LIMITED SESSION om AC HOUSE/東京都港区]

 最北の蒸溜所で200年以上続く『HIGHLAND PARK』の伝統と挑戦。

スコットランド最北端、大小70の島々からなるオークニー諸島。

強風が吹き荒れ、木々さえも生えないその厳しい環境の中に、1798年から続くウイスキー蒸溜所があります。

その蒸溜所で200年以上も変わらぬ製法でつくられるシングルモルトウイスキー・スコッチウイスキーが『HIGHLAND PARK』です。

過酷な環境が生み出す滑らかな風味、この島独自のピートに由来するアロマティックでフローラルな香り。その豊かな味わいは長きにわたり、世界中の人々を魅了し続けています。

変わらぬ製法、変わらぬおいしさ。

ならば『HIGHLAND PARK』は、ただ古きを守るだけなのか、といえばそうではありません。変わり続ける時代の中で、常にトップランナーであること。それは『HIGHLAND PARK』が常に新たな可能性を模索し、挑戦を続けてきたことを意味します。

そして今日もまた、『HIGHLAND PARK』は料理とのコラボレーションを通して新たな一歩に挑みます。お相手は西麻布『AC HOUSE』。イタリア各地で修業を重ねた後、ノルウェー・オスロで腕を振るった黒田敦喜シェフの経験を集約したレストランです。

自身が得た経験を糧に、伝統を打ち壊し、新たな視点とともに再構築するイノベーティブな料理。「おいしさがすべて。現代の料理にタブーはない」と言い切る黒田シェフの料理は、『HIGHLAND PARK』とどのように響き合い、どのような可能性を提示するのでしょう。

西麻布の路地に佇む一軒家レストラン『AC HOUSE』。“新北欧料理”と紹介されることも多いが、黒田シェフの中にジャンルのこだわりはない。

「北欧で技術や哲学を学びましたが、それを日本でそのままやる必要はない」と黒田シェフ。その土地に根ざし、食材を活かす調理を実践する。

 まずテイスティングで見極める『HIGHLAND PARK』の実力。

セッションは、『HIGHLAND PARK』12年、15年、18年の3種類のテイスティングから幕を開けました。ブランドマネージャーの藤井氏の解説とともに、それぞれ異なる個性を放つ3種の色を、香りを、味わいを確かめます。

柑橘系の香りとほのかな甘みが軽やかな12年、フレッシュなフルーティさと熟成感を両立する15年、滑らかな円熟味とアロマティックなピート香が際立つ18年。まずは各々の五感で『HIGHLAND PARK』を感じ取り、基準点を築く。そこから料理とのペアリングがスタートするのです。

次いで提供されたのは、3種のウイスキーに合わせた3つのフィンガーフード。12年には、枇杷のジャムを添えたブリオッシュ、15年にはルイボスのクリームのラングドシャ、18年にはブーダンノワール。料理を味わい、ウイスキーを口にすることで、先ほどとは異なる酒の表情が見えてきます。甘み、塩味、風味、香り、さまざまな要素が響き合う見事なペアリングに、さっそくウイスキーのさらなる可能性が感じられます。

3種の『HIGHLAND PARK』に合わせたフィンガーフード。ウイスキーは左から12年、15年、18年。

古民家をリノベーションした『AC HOUSE』。一階は白基調のモダンな設えだが見上げると古民家の梁が見える。その新旧の融合もまた黒田シェフらしさ。

ゲストに配られたパンフレットに記された『HIGHLAND PARK』の歴史と矜持。その重厚な物語が、味わいに深みを加える。

テイスティンググラスが置かれた皿は、実際に使用された樽を利用したもの。

色や香りを確かめるのもテイスティングの重要な工程。とくに香りは、味以上に多くの情報を含んでいるという。

 斬新な料理と合わせ次々と顕在化するウイスキーの未知なる側面。

続いての料理は、ウイスキーでマリネし、炭火で焼き上げた羊。白いんげん豆のピューレと羊の出汁のソースが添えられています。合わせるのは、柚子と甘夏で仕立てたハイボール。柑橘と炭酸の爽やかな味わいと『HIGHLAND PARK』のフルーティーなアロマが、力強い肉料理を軽やかに流します。

続いてはパスタ料理。黒田シェフがつくったのは、グランチャーレと桜のチップで燻製したチーズ、トマトソースを合わせた筒状のパスタ・パッケリ。そしてペアリングはなんと自家製クラフトコーラと『HIGHLAND PARK』でつくるウイスキーコーク。

実はこの料理のイメージはピザ。名シェフの料理と伝統のウイスキーの重厚なコラボレーションでありながら、シェフが「ピザとコーラのようなジャンキーな組み合わせ」と語る通りのカジュアルな印象です。

締めのデザートにもドリンクが添えられました。

デザートは、メロン。フレッシュメロン、メロンジュースの寒天、ライムが香るココナッツアイスの組み合わせは、ほのかな青みと甘みで食後を爽やかにまとめます。ドリンクは、ウイスキーで煮たタピオカを沈めたほうじ茶のタピオカミルクティー。ウイスキーでタピオカミルクティーを仕立てる発想はもちろん、それをフレッシュなデザートに合わせるのもまさに型破りです。

炭火焼の羊と柚子ハイボール。溢れ出す羊の旨味とコクと、柑橘の爽やかさ、『HIGHLAND PARK』のフルーティーなアロマが絶妙。

黒田シェフがチームと話し合って生まれたという『HIGHLAND PARK』のカクテル。本来の持ち味を活かしつつ、新たな魅力も提示する素晴らしい仕上がり。

『AC HOUSE』は厨房前のひとつの大きなテーブルにゲスト全員が着席するスタイル。会の進行とともに、テーブルには楽しい会話の花が咲いた。

トマトソースのパッケリと『HIGHLAND PARK』のウイスキーコーク。その間違いのない組み合わせはいわば、上質なジャンキー。

『HIGHLAND PARK』に合わせてスパイスをブレンドしてつくったクラフトコーラ。その複雑な味わいにゲストも驚きを隠せなかった。

常識や前例や伝統よりも「ただおいしいこと」を重視する黒田シェフのイノベーティブな料理は、瞬間的に脳に伝わるような力強いおいしさ。

メロンのデザートと『HIGHLAND PARK』の黒糖タピオカミルクティー。甘さ、香り、熟成感、ピート香、余韻。あらゆる要素が噛み合った組み合わせ。

寄り添うのではなく、互いに主張する高次元のペアリング。

3品の料理とペアリングで見えてきたのは、黒田シェフの独自の視点と発想、そしてそれらを受け止める『HIGHLAND PARK』の懐の深さです。

この日のペアリングの狙いを黒田シェフはこう話します。

「従来のペアリングは、香りや後味などの主体となるもに合わせ寄り添っていくことが王道。しかしそれでは面白くないので、違う視点で考えてみました。それは、料理の軸とドリンクの軸が交わるのではなく、ずっと平行してどちらも主張するペアリング。どちらかが引き立て役になるのではなく、どちらも主役として主張するようなものを目指しました」

それは『HIGHLAND PARK』の確固たる存在感と華やかなフレーバーだから実現できた、高次元のペアリングなのでしょう。黒田シェフの自由自在な発想を受け止める懐の広さ、どんな料理にも寄り添い、並走し、高め合う柔軟性。それこそが今回のセッションを通して改めて見えてきた『HIGHLAND PARK』の魅力かもしれません。

結びの挨拶で藤井氏が語ります。

「ハイランドパークの故郷であるオークニー諸島と黒田シェフが修業を積んだノルウェー。今回は北欧という接点で紡がれるものだと思っていましたが、実際に見てみるとジャンルではくくれないイノベーティブな料理の数々でした。ドリンクもウイスキーコークやタピオカミルクティーといった身近なものを新たな発想で仕立てていただき、私自身も勉強になることばかりでした」

長く『HIGHLAND PARK』を見つめ続けるブランドマネージャーに発見があるということ、それはこのウイスキーにはまだ見ぬ可能性が秘められていることを意味します。新たな料理と組み合わせるたび、新たな料理人と出会うたびに、次々と新たな境地を切り開く『HIGHLAND PARK』。その無限の可能性の一端を垣間見る素晴らしいセッションでした。

『AC HOUSE』の由来は、シェフのあだ名である“あっちゃん”から。まるで自宅に招かれたかのような和やかな時間が流れた。

会の最後には、テイスティングで種類を当てるクイズ形式のイベントも。ゲストは真剣に味や香りを確かめた。

司会進行を担当したブランドマネージャーの藤井氏。ゲストから飛び出すさまざまな質問にも淀みなく答える『HIGHLAND PARK』の生き字引。

住所:東京都港区西麻布2丁目7−7
電話:03-6419-7566
営業:ランチ12:00〜(土曜のみ)、ディナー19:00〜
休日:日曜・月曜
URL:https://www.instagram.com/ac_house_jp/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
(supported by 三陽物産)

Posted in 未分類

人と自然、共存の難しさ。それでも人は生きてゆく。

「ジャパンタイムズ」代表取締役会長兼社長の末松弥奈子さん(後列、右よりふたり目)をはじめ、「The Japan Times Destination Restaurants 2024」を受賞した面々と審査員の辻調理師専門学校 校長、辻調グループ代表の辻 芳樹氏、レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役社長の本田直之氏、株式会社アクセス・オール・エリア代表取締役の浜田岳文氏。

ディスティネーションレストラン花よりも花を咲かせる土になれ。

2024年5月、第4回となる「The Japan Times Destination Restaurants 2024」の受賞レストランが発表。「日本人が選ぶ、世界の人々のための、日本のレストランリスト」として発足されたそれは、「日本人の視点で、世界の人々に、日本の姿を伝える」をテーマに、日本各地に点在する10店を毎年選出しています。選考者は、3名。第1回から変わらず、辻調理師専門学校 校長、辻調グループ代表の辻 芳樹氏、レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役社長の本田直之氏、株式会社アクセス・オール・エリア代表取締役の浜田岳文氏です。

2021年・2022年の「Destination Restaurants」の記事はこちら
2023年の「Destination Restaurants」の記事はこちら

今回選ばれたレストランは、美食家やフーディーさえノーマークだった知る人ぞ知る店が連ね、まさに発掘の回となったのが大きな特徴のひとつ。「Destination Restaurants」が掲げる選考基準のひとつ、「地方で埋もれがちな才能の発掘を目指す」が最も色濃く反映されたのではないでしょうか。(そのほかの選考基準などは、上記の記事をご参照ください)

「2024年 The Destination Restaurants of the year」に輝いたのは、北海道中川郡豊頃町「Elezo Esprit」。自らを食肉料理人集団と謳い、生産・狩猟、枝肉熟成流通、シャルキュトリ製造、レストランの4ブランドを展開。人間は自然界における食物連鎖の長であることを理解し、命と向き合っています。

そのほか、受賞されたレストランは、石川県七尾市「一本杉 川嶋」、大分県由布市「JIMUGU(ENOWA YUFUIN)」、沖縄県うるま市「Mauvaise herbe」、三重県松阪市「松阪 私房菜 きた川」、新潟県村上市「割烹 新多久」、富山県富山市「海老亭別館」、群馬県利根郡川場村「VENTINOVE」、静岡県焼津市「馳走 西健一」、長野県茅野市「カエンネ」の計10店。

「Elezo Esprit」の佐々木章太氏は、受賞した心情を語るも、自身のレストランについては、ほどほどに、これまで体験してきた生産者への想いを言葉にしました。

「24歳で創業し、食肉の世界に入りました。勉強して技術や知識を学ぶはずだったのですが、歴史や文化、背景を知るに連れ、それらに従事する方々に興味を持つようになりました。私たち料理人は、お肉だけでなく、魚や野菜を作る人、さらには、自然を守る人たちの恩恵を受け、レストランを営んでいます。お客さまにおいても、その恩恵を受け、美味しい料理をいただいていると思います。しかし、その作り手たちの全てが報われているわけではありません。光の当たる人もいれば、ひた向きに影で努力を続けている人がいます。その影に光を与えられるような事業をこれからも続けていきたいと思います」。

花よりも花を咲かせる土になれ。

土があるからこそ、根が張れ、根があるからこそ、水を吸い上げ、そして、花が咲く。何が欠けても成立せず、そこには主役も脇役もありません。「Elezo Esprit」は、生産者や食材、自然にも光を当て、この土地なりの正しい食循環を生んでいるのかもしれません。なぜなら、佐々木氏は、花は咲かせてもらっていることを、きっと知っているから。

「Elezo Esprit」の佐々木章太氏。2022年10月にオープンしたオーベルジュ「Elezo Esprit」は、帯広空港から車で約1時間。宿泊棟とレストランだけでなく、豚や鳥などを育てるファームも備える。

毎回行われるトークセッション。巧みな進行を務める辻氏(左)。そして、「世界のレストランは日本に向いている。日本人シェフは、世界をリードしていると思います」と本田氏(中)と「どんなにシェフの才能があっても、食べ手としてそれを受け入れる美食の教養も必要」と浜田氏(右)。

ディスティネーションレストラン料理人人生の転機。ゼロから一歩を踏み出す勇気。

今回、受賞したレストランの中でも、移転をきっかけに現在のスタイルにたどり着いた3店に注目したいと思います。

まずひとり目は、「VENTINOVE」の竹内悠介氏。東京で約10年お店を営んでいましたが、店舗のあったビルの老朽化と立ち退きに合い、同時にコロナ禍に。当初は、東京で再スタートを考えていたそうですが、家族で話し合った結果、地元である群馬県利根郡川場村に拠点を構える選択をし、新たな挑戦を始めました。「東京では作りたい料理に合わせて食材を選んでいましたが、今は食材に合わせて料理を作る」という変化も芽生えたと話します。

ふたり目は、「馳走 西健一」の西 健一氏。広島出身の西氏ですが、ある人との出会いをきっかけに、静岡県焼津市に移住。その人物とは、「サスエ前田魚店」の前田尚毅氏。もともと、広島のお店でも前田氏の魚を取り扱っていたそうですが、現地でいただいた仕立てと鮮度の違いに驚愕。独立する際、前田氏の拠点でもある現在の地に店を構える決意をしました。

3人目は、「松阪 私房菜 きた川」の北川佳寛氏。実は、地元の三重県松阪市で開業するために帰郷したわけではありませんでした。もともと東京で修業していた北川氏は、途中、心が折れてしまい、精根尽き、「都落ち」と北川氏。その後、心身を癒し、ようやく外に目を向けられる時に、食材の豊かさと人々の優しさに改めて気付き、再スタートしました。

三者三様ですが、大きな決断、人生の岐路は、料理人として、人として、強くなったに違いありません。共通している点で言えば、皆、元の拠点から遠く離れ、ゼロからの一歩を踏み出したということ。そんな背景もまた、思考を開花させ、料理においても皿の上だけでは描けない深みをもたらしているのかもしれません。

2011年、東京の西荻窪に「trattoria29」をオープン後、2020年に閉店。25年ぶりに群馬県川場村に帰郷した「VENTINOVE」の竹内氏。再開においては、「当初の予定よりも長い時間がかかってしまったが、その分、環境や生産者を理解できることができた」と話す。

「サスエ前田魚店」の前田氏の仕立てに惚れ込み、2022年に静岡県焼津市に移転・移住した「馳走 西健一」の西氏。店舗においても、「サスエ前田魚店」から徒歩約5分ほど。

「松阪 私房菜 きた川」の北川氏は、ヌーベルシノワの達人と呼ぶに相応しいひとり。不便な立地でありながら予約困難、1日1組の中華料理の名店。スピーチでは、「妻である女将がいなかったら、今の自分はありませんでした。自分にとっては、ベスト オブ 女将」と感謝の気持ちも述べた。

ディスティネーションレストランアフターコロナからの能登半島地震の悲劇。改めて、自分は料理人で良かった。

今回、受賞された中には、元旦に襲った能登半島地震の被害にあったレストランもありました。「一本杉 川嶋」です。列席には、2022年に受賞した「ラトリエ ドゥ  ノト」の池端隼也氏の姿も。

授賞式は、能登半島地震により被災された人々へのお見舞いの言葉から開宴。池端氏があの日の出来事を振り返り、今の心境を語ります。

「お店に行ったのは、地震の翌日。荒れ果てたその状況を見て、すぐに炊き出しを行いました。それはなぜですか?と色々な人に聞かれるのですが、本能的な行動でした。今でも、街ですれ違う方々からその時のことへの感謝の言葉をいただき、改めて、料理人で良かったと思いました」。

電気もない。水もない。そんな状況が続き、絶望の中、料理は希望の光となったのかもしれません。「料理は誰かのためにある」と最後に残した言葉が温かくも重く、心を揺さぶりました。

「一本杉 川嶋」の川嶋 亨氏においても、その想いを語ります。

「今日、この場に立つべきか非常に悩みました。あの日、約1分足らずで、街は崩壊し、全てを失ってしまいました……」。

登壇の際、毅然とした態度で臨んでいましたが、口にして言葉にするたび、想いが込み上げ、涙が止まりませんでした。

「泣くなよ。格好悪いぞ」。池端氏の激励に応えるように、涙をこらえ、言葉を続けます。

「しかし、自分たちがこれまで築いてきたものは、なくなっていないと思っています。山も川もまだ生きています。悔しいこともたくさんありますが、かけがいのない仲間がたくさんいます。必ず、能登は復活します」。

「Destination Restaurants」の選考基準には、「その対象は東京23区と政令指定都市を覗く日本にあるあらゆるレストランだということ」という項目もあります。すなわち、より自然に近く、より自然とともに生きる環境だとも言い換えられます。ゆえに、人と自然、共存の難しさを体現している10店でもあるのです。

苦難、困難、災難……。長い暗闇をようやく抜けたコロナ禍の一難去ってまた一難。自然は人間を必要としないのか。そんなことすら頭をよぎりますが、地震や津波のような「有難い」災害が自然から生まれるものである一方、「有難い」食材もまた自然から生まれるもの。

「難」が「有」ることの意義をどう受け入れるべきなのか……。この難解の答えはすぐに出すことはできませんが、ひとつだけわかることがあるとすれば、それでも人は生きてゆくということ。

当日は、過去に受賞した多くのシェフが姿を見せ、それは、「2022年 The Destination Restaurants of the year」に輝いた「Villa Aida」の小林寛司氏の音頭によるものでした。

「池端シェフと話し、自分たちにできることは何かないかと伺いました。そうしたら、たくさんの人に会いたい、と。できるだけ多くのシェフに声をかけ、みんなで応援したいと思いました」。

「一本杉 川嶋」と「ラトリエ ドゥ  ノト」は、今なお営業は再開できず、見通しすら立っていません。今回、「Destination Restaurants」は、初の書籍を発行し、その売り上げの一部を能登半島地震の支援金として寄付。1日も早く、復興の日が来ることを願うとともに、「Destination Restaurants」は、ただレストランをリスト化する活動ではないという事実を、ここに記しておきたいと思います。

数々の名店で研鑽し、2020年にオープンした「一本杉 川嶋」の川嶋氏。能登半島地震直後、炊き出しも行い、被災者を食で支えた。「能登の復興の希望となれるよう、立ち上がりたい」と涙ながら話す。

能登半島地震を振り返り、「改めて料理人で良かった」「料理は誰かのためにある」と話す池端氏の言葉は、レストランの語源でもあるレストレの精神そのものだった。

「ラトリエ ドゥ  ノト」の池端氏(前列、右より3人目)と「一本杉 川嶋」の川嶋氏(中列、左より3人目)に元気を与えたいという気持ちで集結したシェフたち。

Photographs:Destination Restaurants
Text:YUICHI KURAMOCHI

Posted in 未分類