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イッセイ ミヤケグループ創設者の三宅一生氏が5日、がんのため84歳でこの世を去った。1970年に三宅デザイン事務所を設立してから半世紀以上、ファッション・デザイン界をけん引し、多くの後進を輩出してきた。ここでは「WWDJAPAN」が1979年の創刊以来掲載してきた「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」関連の記事をたどり、その業績を10年ごとに振り返る。ニューヨーク、パリ、東京。三宅は世界のどこにいても笑顔で、そして実に精力的だった。
【1970年代】
パリコレに進出し道を切り開く
1960年代後半をパリで過ごした三宅は、32歳だった70年に帰国して事務所を設立。翌71年に「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」を立ち上げ、73年にパリ・ファッション・ウイークに初めて参加した。それは川久保玲と山本耀司がパリコレに進出する約10年前のこと。パリコレで日本人デザイナーが活躍する道を、同世代の高田賢三とともに切り開いた。驚くことに、1976年に黒人モデルだけを起用したファッションショーを開いており、今で言う多様性につながる視点を当初から持っていたことがわかる。
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1973年のパリコレクションデビューに先駆けて、72年にニューヨークコレクションに初参加。体のラインに沿うよう作られる西洋の服とは異なる、服の中で体が泳ぐような東洋的な作りの服で魅了した ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
1973年のパリコレクションデビューに先駆けて、72年にニューヨークコレクションに初参加。三宅は初期の頃から襤褸など日本の伝統的な日常着や労働着をデザインの研究対象としてきた。このルックにもその要素が見て取れる ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
1972年に参加したニューヨークコレクションでのポートレート。当時の三宅は30代半ば ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
1974年のポートレート。米国版「WWD」のインタビュー時のもの ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
1973年秋冬にパリコレクションに初参加。写真は翌74年春夏シーズン。モデルは三宅や故・高田賢三、故・山本寛斎ら、パリに進出した日本人デザイナーと共に東洋の美を西洋世界に強烈に植え付けた山口小夜子 PHOTO:Fairchild Archive/Penske Media/AFLO
1975年春夏コレクションから ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
1976年に黒人モデルを起用して行ったショー「三宅一生と12人の黒い女たち」から PHOTO:Fairchild Archive/Penske Media/AFLO
1978年に平凡社から書籍「ISSEY MIYAKE East Meets West 三宅一生の発想と展開」を発行。それに合わせて行われたブックサイニングイベントでの1枚。会場は、当時アーティストが集ったニューヨークのナイトクラブ、スタジオ54 ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
d inside Studio 54, New York
1978年秋冬コレクションから ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
【1980年代】
写真家アーヴィング・ペンが撮影を始める
1980年代には日本のファッションデザイナーたちが世界で旋風を巻き起こしていた。三宅もその一人だがスタンスは他と少し違っていた。彼が標榜したのは現代の“生活着”。糸からオリジナルで開発するこだわりのモノづくりを続けた。その象徴が81年にデビューした「プランテーション」である。スーパーモデル時代が到来しても三宅のショーで歩くのは等身大で清潔感あるモデルたち。そして86年から写真家アーヴィング・ペンがコレクション撮影を始め、その世界観はより強固なものとなってゆく。
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1980年秋冬からは、構築的な造形の“プラスチック・ボディ”シリーズを打ち出した。80年代の「イッセイ ミヤケ」の代表作となると共に、80年代のファッション業界を席巻したボディコンシャスファッションの象徴的存在の1つでもある。写真は“プラスチック・ボディ”シリーズの81年春夏コレクションから PHOTO:KAZOU OHISHI
WWDJAPAN1982年1月4日発売号では、「三宅一生のプランテーション政策」と題した特集を掲載。三宅が発表した新ブランド「プランテーション」にフォーカスした
新ブランド「プランテーション」の名前は、直訳の「大農園」や「植民地」という意味に加えて、そこで働く人たちの労働着(ワークウエア)のイメージや、「栽培」をかけたのが由来。同氏による4番目のブランドで、“生活着”を打ち出した。WWDJAPAN WWDJAPAN1982年1月4日発売号から
1983年秋冬コレクションから ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
1983年秋冬コレクションのフィナーレ ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
「イッセイ ミヤケ」1984年春夏パリ・プレタポルテ・コレクション。WWDJAPAN1983年10月10日発売号から
日本発のデザイナーの商品が米国各地の有力百貨店で非常な人気を博していると報じる中、サンフランシスコのI・マグニンやJ・W・ロビンソンといった百貨店などは三宅一生を中心に日本のものでショーウインドウを埋めていたと言うWWDJAPAN1983年10月10日発売号から
日本を出身とするデザイナーや、日本を拠点とするメーカーらが相次いでニューヨークに店舗を構えた1980年代。「イッセイ ミヤケ」は1982年、タイムズスクエア近辺に店舗をオープンした。WWDJAPAN1983年10月24日発売号から
1984年春夏パリ・プレタポルテ・コレクションで大好評を博した三宅一生。「オレンジ一色に塗られたステージで、同氏の才能を昇華させた作品を発表した」と評価されている。WWDJAPAN1983年11月21日発売号から
1984年春夏コレクションから ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
伝説的なデザイナー3人が集ったニューヨークでのポートレート。三宅(右)と故カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld、左)、故オスカー・デ・ラ・レンタ(Oscar de la Renta、中)。1984年4月のもの ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
1977年にイッセイミヤケインターナショナルに入社し、「イッセイスポーツ」のデザイナーとなった津森千里デザイナー。同ブランド名を「アイエス チサト ツモリ デザイン」に変更し、チーフデザイナーとして貢献した。WWDJAPAN1984年5月28日発売号から
三宅はブランドの立ち上げ期から一貫してアジア人や黒人をモデルに起用し、多様性を打ち出してきた。76年にはショー「三宅一生と12人の黒い女たち」も開催。写真は左から、成功した黒人モデルの先駆けであるパット・クリーブランド(Pat Cleveland)、70〜80年代の黒人スタイルアイコン、グレース・ジョーンズ(Grace Jones)、そして三宅。85年にロンドンで行われたイベントでの1枚 ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
「85年の東京を代表する顔」として日本を拠点に活躍するデザイナーらを特集。津森千里デザイナーが率いる「I.S」も取り上げられた。WWDJAPAN1985年2月11日発売号から
メンズニットのみを展開していた「イッセイ・ミヤケ・オン・リミット」は1985年
3月、ウィメンズ展開も開始した。WWDJAPAN1985年3月11日発売号から
「イッセイ・ミヤケ・メン」は1985年2月、SEHMの時期にパリでショーを開催した。「『イッセイ・ミヤケ・メン』はアメリカでもNYバーグドルフグッドマンで展開され、徐々に海外でも浸透している」との評価を得ている。WWDJAPAN1985年3月25日発売号から
談笑する三宅(右)と森英恵。1987年にニューヨークで行われたレセプションイベントにて ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
【1990年代】
「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ」旋風で急成長
1990年代を象徴するのが「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ(PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE)」と、初の香水「ロードゥ イッセイ(L'EAU D'ISSEY)」のデビューである。この画期的な2つのアイテムの登場により、三宅の哲学をより多くの人が実際に身にまとい、体感することになる。また2つのヒット商品はビジネス的成長も促し、96年には子会社のエイ・ネットを設立。“就職したい企業”上位に常にランクインする人気企業となってゆく。
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1998年に、パリのカルティエ現代美術財団が「イッセイ ミヤケ メイキング・シングス」と銘打った展覧会を実施。天井から吊るされたプリーツアイテムが自動制御でピョンピョンと跳ねる仕掛けなど、手仕事×テクノロジーという、三宅のモノ作りを象徴する内容で来場者を魅了した。後にニューヨークのギャラリーや、東京都現代美術館にも巡回。写真はニューヨークにて ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
ウィリアム・フォーサイス(William Forsythe)率いるコンテンポラリーダンサーをモデルに起用した1993年春夏コレクションから。先立つ91年に、三宅はフォーサイスによるフランクフルトバレエ団に衣装提供をしている。ダンサーの動きを妨げないプリーツの衣装が、93年にスタートする「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ」につながった PHOTO:KAZOU OHISHI
三宅一生による香水「ロードゥ イッセイ」がパリのギャルリー・ラファイエットで発売を迎えた。ショーウインドーなどが同フレグランス一色で飾られた中、発売から2週間で売上高は館内第4位に迫る売上高を記録した。WWDJAPAN1992年8月3日発売号から
1996年にニューヨークのセントラルパークで撮影されたポートレート ©FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
「イッセイ ミヤケ」のマジソン街ショップが1996年9月21日、リニューアルオープンした。93年にスタートした「プリーツ プリーズ」旋風を背景に、ビジネスも絶好調。ウィメンズ売り場を拡張し、メンズも初めて導入した改装後の店舗では、オープン3日で10月の売上高をすでに達成したと報道されている。WWDJAPAN1992年10月7日発売号から
【2000年代】
「A-POC」で未来の服の在り方を示す
1999年から「イッセイ ミヤケ」のクリエイティブディレクターに滝沢直己が就任。三宅自身は藤原大とともに、2000年2月に「エイポック (A-POC)」を立ち上げる。“一本の糸から始まる一本の布“の思想の下、工業用編み機にコンピューター技術を組み合わせて生み出される「A-POC」は未来の服の在り方を示す“発明”と言えるだろう。また2007年には日本初のデザインミュージアム「21_21 DESIGN SIGHT」を六本木に開設し、文化発信の器として世に送り出した。
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藤原大が手掛けていた2008年秋冬コレクションから ©︎FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
「A-poc」スタート
三宅一生は新しいコンセプトの服作り「エイポック」を2000年にスタートした。一枚の布を意味する“A piece of Cloth”の頭文字をとったブランド名で、2000年春夏より本格始動となった。WWDJAPAN1992年2月14日発売号から
2007年東京ミッドタウンのオープンに合わせ、「21_21 デザイン サイト」を設立。三宅一生、佐藤卓、深澤直人の3人がディレクターとして手掛けるデザインセンターだ PHOTO:REI TAGUCHI
「イッセイ ミヤケ」の全ブランドが集結する複合店である「エルトブテップ」が大阪・南船橋に登場した。WWDJAPAN2007年6月4日発売号から
【2010年以降】
「バオ バオ イッセイ ミヤケ」の大ヒット 環境問題も
2010年9月にデビューした「バオ バオ イッセイ ミヤケ(BAO BAO ISSEY MIYAKE)」が大ヒットし社会現象となったことは記憶に新しい。環境問題に関心と危機感を抱いてきた三宅は同年11月にスタートした新ライン「132 5. イッセイ ミヤケ(132 5. ISSEY MIYAKE)」で「再生・再創造」という考え方を集約し、改良を重ねて開発した再生ポリエステル生地を用いた。同年に文化勲章を受章し、「広島名誉市民」、「広島名誉県民」に認定されている。
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宮前義之のデビューコレクションとなった2012年春夏コレクションから ©︎FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
イッセイ ミヤケが手掛けるバッグがメインのアクセサリーブランド「バオ バオ イッセイ ミヤケ」のデビューは2010年秋冬だった。アイコニックなバッグシリーズはもともと「プリーツブリーズ・イッセイミヤケ」のバッグシリーズ「バオバオ」として販売していたが、在庫がなくなるほど世界中で人気を呼んだことから単独ブランドデビューにつながったという。WWDJAPAN2010年8月2日発売号から
WWDJAPAN2010年9月27日発売号では、新ブランド「132 5. イッセイ ミヤケ」のデビューに際して、ブランドコンセプトやテーマを語っている
36歳の 宮前義之ウィメンズ クリエイティブ・ディレクターに加えて、27歳の高橋悠介がメンズのトップに就任するなど、2013年はイッセイ ミヤケの若年層へのアプローチに注目が集まった。大ブレイク真っ最中のバッグ「バオバオ イッセイ ミヤケ」の人気について迫っている。WWDJAPAN2013年7月15日発売号から
三宅が青森大学男子新体操部同の存在に魅了されたことをきっかけに衣装をデザインし、特別講演を開催したイッセイ ミヤケと三宅デザイン事務のエイ・ネット。映像や光、音楽とリンクする1時間弱の公演が東京・原宿の代々木競技第二体育館で行われた。WWDJAPAN2013年8月5日発売号から
国立新美術館は2016年3月16日から6月13日まで、三宅一生の展覧会が開催した。「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」と題し、活動を開始した1970年から2016年までの約45年間の活動を振り返った。©︎ FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
国立新美術館は2016年3月16日から6月13日まで、三宅一生の展覧会が開催した。「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」と題し、活動を開始した1970年から2016年までの約45年間の活動を振り返った。©︎ FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
「イッセイ ミヤケ」は2017年3月、ミラノに初めての旗艦店をオープンした。店内のデザインは、吉岡徳仁が担当したという ©︎ FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
「イッセイ ミヤケ」2018年8月、代官山にブランド初となるアクセサリー・雑貨に特化したショップ「グッド グッズ イッセイ ミヤケ」をオープンした。バッグブランド「バオ バオ イッセイ ミヤケ」などのアイテムが並んだ ©︎ FAIRCHILD PUBLISHING, LLC
【三宅一生 年表】
1938年
・広島県広島市生まれ。
1962年
・第11回装苑賞において佳作にあたる賞を受賞。東洋レーヨン(現・東レ)のカレンダー用衣装を制作する
1963年
・第1回コレクション「布と石の詩」発表
1965年
・渡仏。「ギ・ラロッシュ」などで働く
1970年
・4月/三宅一生が、親会社である三宅デザイン事務所を設立
1971年
・11月/株式会社 イッセイ ミヤケ インターナショナルを製造・卸・販売会社として設立(現: 株式会社 イッセイ ミヤケ)
・ニューヨークコレクションに初参加
1973年
・パリコレクションに初参加
・「アサヒグラフ」表紙、市川房枝が「イッセイミヤケ」を着て表紙を飾る
1974年
・3月/「ISSEY MIYAKE」ショップ1号店を東京、外苑前のパズル青山ビルにオープン
1975年
・9月/「ISSEY MIYAKE」海外ショップ1号店をパリ、プラス・デュ・マルシェ・サントノーレにオープン
1976年
・6月/「ISSEY MIYAKE」ショップを東京、南青山のフロム・ファースト・ビルにオープン
・8月/「ISSEY MIYAKE MEN」をスタート
・黒人モデルを起用し、ショー「三宅一生と12人の黒い女たち」を開催
1977年
・1976年度毎日デザイン賞を受賞。記念ショー「Issey Miyake in Museum — 三宅一生と一枚の布」を開催
・盟友横尾忠則がパリコレクション招待状を手がけ始める(現在に続く)
1979年
・7月/グループ子会社ISSEY MIYAKE EUROPE S.A.をパリに設立
1980年
・“プラスチック・ボディ”シリーズの発表
1981年
・12月/「Plantation」(現: 株式会社 エイ・ネット内ブランド)をスタート
1982年
・6月/グループ子会社ISSEY MIYAKE U.S.A. LTD.をニューヨークに設立(現: ISSEY MIYAKE U.S.A. CORP.)
1983年
・9月/グループ子会社ISSEY MIYAKE U.K. LTD.をロンドンに設立(現: ISSEY MIYAKE LONDON LTD.)
・11月/「ISSEY MIYAKE MEN」ショップを東京、南青山にオープン
1985年
・2月/「ISSEY MIYAKE MEN」1985年秋冬シーズンよりパリ・コレクションに参加
1986年
・米雑誌「Time」の表紙を飾り巻頭特集が組まれる
・写真家アーヴィング・ペンが「イッセイ ミヤケ」のコレクション撮影を始める
1987年
・9月/「ISSEY MIYAKE MEN」ショップを東京、南青山で移転オープン
1990年
・9月/社名を株式会社 イッセイ ミヤケ インターナショナルから株式会社 イッセイ ミヤケに改称
・第1回ヒロシマ賞受賞
1991年
・フランス 芸術文化勲章 最高位コマンドール受章
・1991年秋冬パリコレクションで「プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ(PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE)」の原型となる服を発表
1992年
・3月/初の香水となる「L'EAU D'ISSEY(ロードゥ イッセイ)」を発表 / BPI社(仏)・三宅デザイン事務所による
・第25回バルセロナ・オリンピック競技大会リトアニア代表選手団の公式ユニフォームをデザイン・制作
1993年
・10月/「ISSEY MIYAKE」ショップを東京、南青山で移転オープン(現: ISSEY MIYAKE / AOYAMA)
・フランス レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ受章
・イギリス ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(王立芸術院)より名誉博士号授与
1994年
・2月/「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」をスタート
1996年
・3月/「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」海外ショップ 1号店をパリ、サンジェルマン通りにオープン(現ショップ)
・8月/グループ子会社株式会社 エイ・ネットを設立
1997年
・紫綬褒章を受章
1998年
・5月/「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」ショップをニューヨーク、プリンス通りにオープン
・6月/「ISSEY MIYAKE MEN」1999年春夏コレクションよりミラノに移し発表
1999年
・10月/「ISSEY MIYAKE」2000年春夏コレクションよりクリエイティブディレクター滝沢直己(2000年秋冬〜2007年春夏)
2000年
・2月/「A-POC」をスタート。「2000年度グッドデザイン賞」大賞受賞
・7月/「me ISSEY MIYAKE」をスタート
・7月/「HaaT」をスタート トータルディレクター皆川魔鬼子(2000年秋冬〜)
2001年
・7月/「HaaT」ショップを東京、南青山にオープン(現: HaaT / AOYAMA)
・10月/「tribeca ISSEY MIYAKE」ショップをニューヨーク、トライベッカにオープン
・10月/「ISSEY MIYAKE WATCH」がスタート / SEIKO(日)・三宅デザイン事務所による
2005年
・1月/「ISSEY MIYAKE MEN」2005年秋冬コレクションよりパリに移し発表
・7月/「me ISSEY MIYAKE」ショップを東京、南青山にオープン
2007年
・2月/「ISSEY MIYAKE」2007年秋冬コレクションよりクリエイティブディレクター藤原大(2007年秋冬〜2011年秋冬)
・3月/「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE / ROPPONGI」ショップを東京、六本木にオープン
・4月/「ELTTOB TEP ISSEY MIYAKE / SEMBA」ショップを大阪、南船場にオープン(現: ISSEY MIYAKE SEMBA)
・7月/「A-POC」をデザイン・ソリューション「A-POC INSIDE」として「ISSEY MIYAKE」に組み込む
・9月/「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」ショップを東京、南青山にオープン(現: PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE / AOYAMA)
・9月/「ISSEY MIYAKE / KOBE」ショップを兵庫、神戸にオープン(現: ISSEY MIYAKE KOBE)
・21_21 DESIGN SIGHTを開設
2008年
・10月/「ISSEY MIYAKE」ショップをパリ、ロワイヤル通りにオープン
2009年
・21_21 DESIGN SIGHT「U-Tsu-Wa/うつわ — ルーシー・リィー、ジェニファー・リー、エルンスト・ガンペール」展をディレクション
2010年
・9月/「BAO BAO ISSEY MIYAKE」をスタート
・11月/「132 5. ISSEY MIYAKE」をスタート
・平成22年度文化勲章を受章
・「広島名誉市民」、「広島名誉県民」に認定
2011年
・3月/「ELTTOB TEP ISSEY MIYAKE / GINZA」ショップを東京、銀座にオープン(現: ISSEY MIYAKE GINZA)
・10月/「ISSEY MIYAKE」2012年春夏コレクションよりデザイナー宮前義之(2012年春夏〜2019年秋冬)
2012年
・4月/「陰翳 IN-EI ISSEY MIYAKE」がスタート / Artemide社(伊)・三宅デザイン事務所による
2013年
・3月/「ISSEY MIYAKE / SEMBA」「ISSEY MIYAKE MEN / SEMBA」ショップを大阪、南船場にオープン(現: ISSEY MIYAKE SEMBA)
・6月/「ISSEY MIYAKE MEN」2014年春夏コレクションよりデザイナー高橋悠介(2014年春夏〜2020年秋冬)
・7月/「青森大学男子新体操部」公演を東京、国立代々木競技場 第二体育館でグループ共催
・11月/「REALITY LAB. ISSEY MIYAKE」ショップを東京、南青山のフロム・ファースト・ビルにオープン
・11月/「HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE」をスタート
2014年
・10月/「ISSEY MIYAKE」ショップをロンドン、10ブルック通りにオープン
2015年
・4月/「ISSEY MIYAKE MARUNOUCHI」ショップを東京、丸の内にオープン
・10月/「ISSEY MIYAKE EYES」がスタート / 金子眼鏡・三宅デザイン事務所による
2016年
・3月/「me ISSEY MIYAKE」ショップを東京、南青山に移転オープン(現: me ISSEY MIYAKE / AOYAMA)
・3月/「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」を東京、国立新美術館で共催
・6月/「HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE / DAIKANYAMA」ショップを東京、代官山にオープン
2017年
・2月/「ISSEY MIYAKE」ショップをチューリッヒ、ミュンスターホフ広場に移転オープン
・3月/「ISSEY MIYAKE」ショップをミラノ、バグッタ通りにオープン
・7月/「ISSEY MIYAKE GINZA / URA」ショップを東京、銀座にオープン
・9月/「ISSEY MIYAKE GINZA / OMOTE」ショップを東京、銀座にオープン(現: ISSEY MIYAKE GINZA)
2018年
・3月/「ISSEY MIYAKE KYOTO」ショップを京都、柳馬場通にオープン
・6月/「ISSEY MIYAKE」ショップをロンドン、33ブルック通りにオープン
・9月/「GOOD GOODS ISSEY MIYAKE / DAIKANYAMA」ショップを東京、代官山にオープン
2019年
・1月/「HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE」のプレゼンテーションをパリ、ポンピドゥ・センターで共催
・7月/「HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE / AOYAMA」ショップを東京、南青山にオープン
・8月/「ISSEY MIYAKE SEMBA」ショップを大阪、南船場にオープン
・9月/「ISSEY MIYAKE」2020年春夏コレクションよりデザイナー近藤悟史(2020年春夏〜)
2021年
・3月/「IM MEN」をスタート
・3月/「IM MEN / AOYAMA」ショップを東京、南青山にオープン
・3月/「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE」をスタート
・3月/「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE / AOYAMA」ショップを東京、南青山にオープン
・9月/「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE / KYOTO」ショップを京都、富小路通にオープン
2022年
・8月/肝細胞がんで死去
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