円環する阿寒の森(前編) ファッションデザイナー高谷健太と巡る“ときめき、ニッポン。”第10回

 山本寛斎事務所のクリエイティブ・ディレクター高谷健太とともに、日本全国の伝統文化や産地を巡る連載“ときめき、ニッポン。”。10回目は、北海道・阿寒の森について。

 10月初旬、出張で北海道東部の阿寒に赴いた。札幌出身の僕は、北海道特有のスカッとした空気を吸うと「帰ってきたー!」という気持ちになる。辺りの木々はすでに色づき、ひと足先に冬の気配が漂っていた。

 出張のハイライトは阿寒摩周(あかん・ましゅう)国立公園の散策だ。普段は立ち入りできないのだが、現地ツアーに参加して特別に入園を許可された。霧雨まじりの早朝の森は、樹木が発散する香り“フィットンチッド”が充満し、耳を澄ますとキツツキ科のクマゲラが木を突く音やカケスの鳴き声、風が木々を払う響き、地中から湧き出る水の音などを聞き分けることができる。八百万の神をはじめ、日本は自然界すべての物に魂が宿ると考えるアミニズムの思想を色濃く残しているが、この深い森の中で自然と共に暮らしてきたアイヌ民族には、まさにその真髄といえる教えが根付いているのだろう。

エゾジカによる環境被害
未来に森を残すための一手

 そんな美しい阿寒の森は、いくつか問題を抱えている。その一つが、エゾジカだ。この森は鳥獣保護区の指定を受けており、狩猟が禁止されているため、10月に周辺の森で狩猟が解禁されると、この区域に逃げ込んで来るのだという。エゾシカは木の皮を剥がして食い荒らすため木々が枯れてしまうほか、地面に生えた草木まで食べ尽くすので、森の保水機能も失われる。そこで、2005年から北海道から特別な許可を得て、年間1200頭までの狩猟が解禁になった。地元の猟師と協力しながら、囲い罠で捕獲したあと、食肉業者に引き渡され、牧場で飼育して需要に合わせて出荷されるという。

 この森を管理する新井田利光・前田一歩園財団・理事長は、「今では理解がだいぶ進みましたが、当初は反対の声も多かった」と振り返る。「自然に一切手をつけないのが理想だという意見もありますが、ある程度人の手を加えなければ森を健全に維持できないのも事実。200〜300年先にも森を残すためには、頭数制限は必要な手段だと考えています」。また阿寒に限らず、道内各地の森でもエゾシカによる被害が広がっているといい、「人間と森はこれからも付き合っていかなければならないし、より多くの人が自然との向き合い方を考えてもらえたらと願っています」。

エゾジカ問題に向き合う
ブランドビジネス

 捕獲したエゾジカをなんとか有効活用できないか。その課題意識から2019年に始動したのが「阿寒レザー(AKAN LEATHER)」だ。同ブランドを立ち上げた山内明光プロデューサーは、北海道を中心に地域活性化事業などを手掛けてきた人物だ。山内氏は「阿寒でのイベントをきっかけに、エゾシカの問題を知った」と振り返る。「5年前から阿寒に通い始め、森の中でエゾシカの食害を何度も目の当たりにし、夜になればたくさんのエゾシカが道路を歩いている状況を見てきました。そうするうちに、この問題に正面から向き合い、解決を模索していくことは、僕にとって必然だと思いました」。

 山内氏の声掛けで、私も昨年から「阿寒レザー」のキービジュアルのクリエイティブディレクションなどに携わっている。今まで産業廃棄物として処分されてきたエゾシカの革を用いたブランドの理念に共鳴し、より多くの人にこの問題を知ってもらいたいと思い参加した。

 山内氏が最初に立ち上げたのは、エゾシカの脂を使ったスキンケア、ヘアケアブランド「ユク コスメティクス(YUK COSMETICS)」だった。「中国では、鹿の角は漢方薬にも使われる貴重な原料ということを知り、コスメとしての可能性を感じました。“捕獲した動物のすべてを、余すことなく生活に活かす”というアイヌの知恵もヒントになりました」。その後、「阿寒レザー」へと製品の幅を広げていった。動物由来の商品に抵抗感を持つ人はまだまだ多いが、「エゾシカの問題解決という社会的な意義があるほか、商品の品質も評価されています。両ブランドを通して、価値観を少しずつ変えていきたい」と展望する。

【取材を終えて】

 日本各地に赴き、地域に根付いた伝統文化とそこに息づく精神性を掘り下げていくと、縄文から今日へと脈々と続く日本のアニミズムや、“円環する命”という考えが多いことに気づく。そのたびに私は「未来を豊かに暮らしていくためにどうすればいいのか」という問いに、すでに先人たちが答えを提示してくれているように感じている。

 阿寒にまつわる取材を通して強く思うのは、環境破壊をはじめとする社会問題の多くは、「“知らない”ということが無関心を生む」ということだ。未来を創造する上で大切なのは、幅広いことに関心を持ち、その中でさまざまな声を上げ、社会全体を変化させることだと思う。今がその過渡期だからこそ、私たちは思考を止めることなく、直面する問題に真摯に向き合う必要がある。

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2023-24年秋冬メンズコレ取材24時Vol.1 新生「グッチ」に驚き「ディースクエアード」で“あゆ”を思い出す

 2023-24年秋冬コレクションサーキットが開幕しました。イタリア・フィレンツェの「ピッティ・イマージネ・ウオモ(PITTI IMMAGINE UOMO)」を皮切りに、ミラノ、パリへと続くメンズからスタート。「WWDJAPAN」は現地で連日ほぼ丸一日取材をし、コレクションの情報はもちろん、現場のリアルな空気感をお伝えします。担当は、前シーズンのメンズと同様に大塚千践「WWDJAPAN」副編集長とパリ在住のライター井上エリのコンビ。まずは、いきなり注目度の高い「グッチ(GUCCI)」からスタートするミラノ初日からリポートします。

14:00 「グッチ」

 朝早くにフィレンツェからミラノに電車で約2時間かけて移動し、ホテルで招待状を受け取り、荷物を整理してそのまますぐにショーの取材に出発するといういきなりのタイトスケジュールで体力が削られます。でも、そんなことはどうだっていいんです。だって、「グッチ」の歴史的瞬間を見られるかもしれないのだから。約3年ぶりのメンズ単独ショーは、前クリエイティブ・ディレクターのアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が退任して初めてのショーとなりました。どんなコレクションなのか、後任の発表はあるのかなど、高まる気持ちを抑えながら足取り軽く会場に向かうと、現地で再会したフォトグラファーから一言――「大丈夫ですか?顔、疲れてますよ」。自分では意気揚々なつもりでも、足取りは重く、顔面は白かったそうです。体は正直ですね。

 そんなことはどうでもいいとして、「グッチ」はコレクション・リポートで報じた通りリアルクローズに近いアプローチで、ミケーレの世界観を一度リセットするのかもしれません。アーカイブに着想したアプローチを随所に効かせてはいたものの、前任が得意だったデコラティブな装飾や柄はほとんどなし。現地でも、驚きと戸惑いの意見が多かった印象です。ただ、変化に賛否両論が起こるのは当たり前ですし、今回はミケーレの退任発表から約2カ月しか経っていないコレクションです。次へのつなぎなのか、この路線で貫くのかは、2月のウィメンズ・コレクションに答えがあるのかもしれません。

16:00 「ファミリー ファースト」

 続けて、ミラノ発ブランド「ファミリー ファースト(FAMILY FIRST)」のショーに向かいます。ブランド名の響きから、“〇〇ファースト”といえばあの知事の顔が頭をちらつきますが、もちろん何の関連性もなく、ブランド名の由来は「血統だけなく、家族や友人との絆の中で個人が表現する独自のスタイル」だと公式サイトでは説明しています。

 ショーは、「家族や友人とは限らない。君には本能を再び目覚めさせてくれる誰かが必要」と男性が語りかける音声とともにスタート。コレクションはテーラリングを軸に、男女のスクールユニホームやストリート、スポーツウエアをドッギングさせたスタイルです。二人のモデルが並んでランウエイを歩いた中盤以降は、アメリカンフットボールや乗馬のヘルメット、テニスラケットがルックに強引に溶け込ませており、スポーツの要素を主張します。ジャケットにフーディー、シャツやカーディガンなど、各アイテムは日常着っぽく記憶には深く残らずとも、ひねりを利かせたコレクションを見せたいという意思は伝わってきました。

17:00 「コルマー」×相澤陽介

 1923年創業のイタリアのアウトドアメーカー「コルマー(COLMAR)」が、「ホワイトマウンテニアリング(WHITE MOUNTAINEERING)」の相澤陽介デザイナーと協業したメンズ・ウィメンズのコレクション“コルマー レボリューション(COLMAR REVOLUTION)”を披露しました。ダウンアウターを中心に、デザイン性の高い多彩なバリエーションのアウターがそろいます。

 「コルマー」と「ホワイトマウンテニアリング」は2020-21年秋冬シーズンにコラボレーションしており、ファッション市場のさらなる開拓を狙い、相澤デザイナーにオファーが届いたそうです。“レボリューション”という火の玉ストレートなネーミングの通り、いい意味でどれもダウンアイテムっぽくなく、デザインの幅が決して広くない重厚なダウンジャケットに対し、パネル使いや曲線を描くステッチなどで快活な印象に仕上げられたのは、「『コルマー』のファクトリーの高い技術があったから」と相澤デザイナー。ミリタリーやアウトドアのファッション的要素を取り入れるバランス感はさすがです。価格帯は既存のコレクションより20〜30%ほど上がる予定。海外がメインの取り扱いではありますが、日本上陸を楽しみに待ちましょう。

19:00 「1017 アリックス 9SM」

 「1017 アリックス 9SM(1017 ALYX 9SM)」のショー会場は、アートスペース「スパッツィオ・マイオッキ(Spazio Maiocchi)」です。ここは2018年に、今は亡きヴァージル・アヴロー(Virgil Abloh)がアートインスタレーションを行った場所でもあります。会場には、アメリカ・ヒューストンを拠点にするコンテンポラリーアーティスト、マーク・フラッド(Mark Flood)の作品を飾り、彼とのコラボレーションによるコレクションの中では、ペイントの装飾が特に存在感を放っていました。

 コレクションは、かつて評価を得ていたテーラリングは、マシュー・ウィリアムズ(Matthew Williams)にとって過去の産物のようです。アウトドアとスポーツウエアで構成したルックが続くと、途中で何のブランドのショーを見ているのか分からなってきました。封印したバックルに取って代わる、シグネチャーのアイテムやスタイルも生まれていません。ブランド自身が「1017 アリックス 9SM」“らしさ”を見失いかけているような印象を抱きました。原点回帰で地盤を固め、ブランドの概念を再び示してほしいです。

21:00 「ディースクエアード」

 初日最後は、中心地から離れた場所にあるイベントスペースにて「ディースクエアード(DSQUARED2)」のショーです。今季は“Temptation(誘惑)”をテーマに、男性版Y2Kを強く押し出します。女性用のキャミソールやシースルーの肌着、サテンのネグリジェ風トップスを、これでもかと腰を落としたジーンズに合わせます。筋肉質なモデルの腕の筋や割れた腹筋は、まるでアクセサリーのように、魅惑的なルックに欠かせない重要な役割を果たしていました。

 「ディースクエアード」らしいウエスタン調のレザージャケットやウエスタンブーツが登場すると、ブランドが注目を集めるきっかけとなった、マドンナの2000年の楽曲“Don’t Tell Me”のPV衣装を彷彿とさせました。その頃に一世を風靡していた浜崎あゆみさんの衣装が脳裏に蘇り、平成元年生まれの私にとっては懐かしく映るスタイルでした。特に、腰やバッグにつけた毛皮のしっぽのようなキーホルダー!当時も今も、なぜそれがこんなにかわいく感じるのか理由は分かりませんが、モフモフした感触に癒されたり、筋肉質な体にフェロモンを感じたりするのは、生物学的に本能なのかも。「ディースクエアード」が仕掛けた誘惑に、まんまと乗せられた初日の夜となりました。

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「ナイスネス」2023年春夏コレクション

 「ナイスネス(NICENESS)」が2023年春夏コレクションを発表した。

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一度は挫折したけれど、やっぱり学生時代の夢が今につながっている 経営者たちが語る「EverWonderの実現方法」

 人々の心に火を灯す機会を提供することを目的に、クリエイティブディレクターにGReeeeNのHIDEを迎えた一般財団法人渡辺記念育成財団は、EverWonderプロジェクトを発足した。構想中のプロジェクトは、同財団が次世代の芸能プロデューサーを支援する「みらい塾」の奨励生が企画進行している。今回は、第5期奨励生の下西竜二(OTAGROUP代表)が中心となり、学生時代の夢が現在につながっていると考える経営者たちと共に「EverWonderを実現する方法」についてディスカッションする。

下西竜二OTAGROUP代表(以下、下西):私はアイドルやVTuber、最近だとメタバースなど、さまざまなエンタメをプロデュースしていますが、そのきっかけは高校生のとき、アイドルオタクに目覚めたことです。同じように、学生時代に熱中していたことが今の仕事に生きている方たちとお話できればと思います。皆さん、学生時代に熱中していたことは?

長坂剛エーテンラボCEO(以下、長坂):私は中学2年生のときにテレビで「エヴァンゲリオン」を観たのがきっかけで、SF系のアニメや漫画にのめり込みました。この時、自分のオタク心が開花したように思います。高校に進学してからは、学校をサボってはゲームセンターに入り浸り、アーケードゲームに夢中でした。「鉄拳」や「電脳戦機バーチャロン」をやり込んでいて、全国大会にも出場しました。

下西:以前、起業家向けイベントの帰りの電車で一緒になった際、長坂さんが事業の話そっちのけでアニメの話をされていて、「この人は本物のオタクだな」と思いました(笑)。噂によると、これまでに300万円ほどをアーケードゲームに使われたとのことですが、本当ですか?

長坂:そうなんです。事業資金として貯めていればよかったと思います(笑)。ただ、300万円使うほどのめり込んだおかげで、「作り手になりたい」という想いが芽生えました。高校卒業後は、ゲームクリエイターかアニメーターになるために当時新設された東京工科大学のメディア学部に進学し、映像制作やCG制作を学びました。映画の自主制作や映像制作のアルバイト、趣味のアーケードゲームに大半の時間を割いた大学生活でした。ちなみに、当時は「三国志大戦」というアーケードゲームで全国ランカーになりました(笑)。

水野和寛Minto社長(以下、水野):私にも似たような経験があります。高校進学で愛知から上京すると、古本屋やCDショップをめぐるようになりました。当時流行っていたテクノから音楽にハマり、ひたすら遡って昔の音楽を聞きました。そんな高校生活を経て、大学に入ると「自分も音楽を作りたい」と思うようになり、コンピューターで音楽を作るようになりました。

下西:自分は勉強だけが取り柄で、やりたいことが見つからないまま偏差値の高い高校に進学。同級生の頭の良さを目の当たりにして、勉強でも自信を失いました。そんなときに出会ったのがAKB48でした。友達に誘われて初めて握手会に行き、アイドルと握手をしたときに衝撃を受けて、帰り道は電車のつり革をつかめませんでした。広島からほぼ毎月握手会に参加するほど夢中になり、母親はデートと勘違いしていましたが、女の子と手を繋ぐのである意味デートだろうと思っていました(笑)。

大久保 勝仁・銭湯「電気湯」4代目主人(以下、大久保):大学生のとき、私はボランティアに熱中していました。住居がなく最低限の暮らしすらままならない人たちが住み着くスラム街の土地を買い取って、資産運用などを行いながら持続的に支援するというものです。また、PPバンドプロジェクトにも注力しました。段ボールを束ねるときに使うプラスチック製のPPバンドをメッシュにして住居を支える骨組みに使うと、スラムの人々が自ら建てた簡易的な家の耐震性が上がります。このような支援を行うのがPPバンドプロジェクトです。

下西:学生時代の夢と、それが叶ったかどうか教えてください。

大久保:私の夢は最小不幸社会を作りたいというものです。企業は利益を追求して多くの人に最大の幸せをもたらして社会を豊かにする役割を担っている一方、政府や行政は不幸な人を救い、最低限の幸せを保障する役割があります。後者が目指すものが、最小不幸社会の実現です。そのためには制度や法律を変えないといけないので、私は国連への参画を保障するような部署に入りました。当然、まだまだ救わなければならない人たちが存在するので、最小不幸社会は実現できていませんが。

下西:どのようなきっかけで、そんな想いを持ったんですか?

大久保:自分にはビジネスセンスが全くなく、企業では働けないと思っています。そんな自分が社会で暮らし続けるためには、社会の役に立たなければ。そんな危機感から公的な働きを意識し始めました。現在は国連をやめ、家業の銭湯を継いで最小不幸社会の実現を目指しています。銭湯ブームで色々注目を集めていますが、単に銭湯をファッションやコミュニティーとして消費されるものにとどめたくはなく、社会に本当に必要不可欠な存在として残していきたい。例えば、誰もがお風呂に入れることや、共同空間で人々と生活の一部をともにできることだと思っていますが、引き続き論文などを読みながら銭湯のあるべき姿を追求したいと思っています。

夢は「ある意味で叶った」
昔の志は「無駄ではなかった」

長坂:私は、大学卒業後は映画監督かゲームクリエイターになるつもりでした。でも高校生のときに持っていた「“メイドロボ”を作りたい」という夢を忘れられず、新卒でソニーに入社しました。ロボティクスや先端テクノロジーだけでなく、映画やゲームにも関われると思ったからです。メイドロボという夢は叶っていませんが、先端テクノロジーに関わることができたので、夢に近づいたと思います。一方、ゲーム部門で新規事業も担当できたので、ある意味夢が叶ったともいえるかもしれません。

下西:現在はソニーを退社されて起業されています。

長坂:ソニーに勤めていた時も、大好きなゲームに関わる仕事で非常に充実していました。しかし、自分がゲームオタクだからこそゲームに対してある違和感を覚えるようになり、起業を考えました。それは、楽しいときはプレイしている間だけで、ゲームをクリアして終わる瞬間は非常に虚しいことです。ゲームはユーザーの人生自体を楽しませているわけではないというモヤモヤが溜まり、その人たちの幸せにはどうすべきかを論文などを漁りながら考えました。その結果、人は自ら積極的に行動しているときに幸せを感じるので、ゲーミフィケーションを現実世界に実装すれば、人はゲームのように自分の人生を楽しめるのではないかという仮説を持ち、「みんチャレ」という行動変容と習慣化のアプリで起業をしました。

下西:ご自身が大好きなゲームを突き詰めた先に、人生自体を豊かにするゲームを作るという本当にやりたいことが見つかったのですね。水野さんはどうですか?

水野:大学に入ってから3〜4年ほどダンスミュージックやテクノなどの音楽を作っていました。ところが、自分にはセンスがない。手の届かない天才がいるんです。そこでこの先どうすればいいか迷い、留年して、いよいよ追い込まれたとき当時読んでいた音楽機材の雑誌の編集部に「なんでもするから働かせてくれ」とお願いして、裏方の世界で生きていくことを決意しました。今はクリエイターを支援したりプロデューサーをしたりしながらコンテンツ制作に携わっていますが、クリエイターの人には頭が上がりません。

下西:音楽で勝負する夢は叶わなかったわけですが、そのような過去を経て今の仕事をやられている心境は?

水野:もちろん音楽で生きていけたらそれに越したことはなかったでしょうが、一度はクリエイターの世界を志したからこそ、クリエイターの気持ちを理解できたりクリエイティブ思考でサービスを設計できたりするようなところがあります。そういう意味で無駄ではなかったと思います。また、当社で公開したメッセージアプリ用のスタンプは世界中で約50億ダウンロードされました。コンテンツを世界中に届けるという意味では、夢見ていたことに近いと思います。学生の時の夢や熱中していたことが今の仕事につながっているのは、後から振り返ってみて初めて分かったことです。将来を合理的に設計することも大事かもしれませんが、やはり自分の根底にある想いと、自分の場合はクリエイター的な思考に立ち返ることが重要だと思います。

下西:学生時代に熱中していたことが現在につながっているんですね。学生時代の夢は叶わずとも、そこで感じたことが今の仕事の哲学になっていることは共通しています。長い人生には一見将来のキャリアにつながらない回り道こそ必要なのかもしれません。

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「アンプリチュード」からクレンジングライン誕生 優しく洗い上げるクレンジングクリームとアイメイクアップリムーバーの2種

 「アンプリチュード(AMPLITUDE)」は3月1日、新たにクレンジングラインを発売する。ラインアップはクレンジングクリームとアイメイクアップリムーバーの2種。2月15日から全国のカウンターと公式オンラインショップで予約受付を開始する。

 高機能クレンジングクリームの“ジェントル クレンジングクリーム”(120g、税込4620円)は、環境に配慮した天然由来の崩壊性スクラブを配合し、肌に馴染ませることで微細なスクラブへと変化。またクリームからオイル状へ変化する形状により、摩擦を防ぎながら毛穴の黒ずみや不要な角質といった汚れを除去する。厚みのある粘度の高いテクスチャーで優しく洗い上げ、肌に透明感をもたらす。

 また、メイクアップアーティストのために開発された“アイメイクアップリムーバー”(120mL、税込4180円)は油分と水分の比率を6:4に調合した二層式で、洗浄力と快適な使用感を両立。ウォータープルーフのマスカラやアイライナーなど、落ちにくい目元のメイクアップを素早く落としながら、ヒアルロン酸やアロエベラエキス、ビルベリーエキスなどの保湿成分による潤いと滑らかさを残す仕上がりをかなえた。リラックス効果のあるラベンダーの香り。

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