「セブン バイ セブン」は、軽やかな「含蓄」で気難しい「蘊蓄」のイメージを裏切り

サンフランシスコを中心とするアメリカ西海岸や古着に着想を得てモノ作りする「セブン バイ セブン(SEVEN BY SEVEN)」が、2024年春夏コレクションのファッションショーを開催した。

ショーは、スコット・マッケンジー(Scott McKenzie)の「花のサンフランシスコ」をBGMにスタート。タイトルの通り、“フラワー・ミュージック”の代表曲だ。誕生したのは、1960年代の後半、ベトナム戦争に反対するヒッピーの間で、花柄をあしらったカラフルな服を着たり、頭に花を飾ったり、互いに花を配り合ったりした頃に愛された曲だ。反戦を願う気持ちは、ロシアによるウクライナへの侵攻が続く今の時代と重なっている。ピースフルなBGMは、序盤から来場者の心をグッと掴み、会場ではところどころからBMGに合わせた鼻歌が聞こえた。

コレクションも、一言で言えばピースフルだ。古着をオリジンとし、モノ作りにこだわり、これまではファッションショーではなくビジュアル作りにこだわってきたせいだろうか?「セブン バイ セブン」には「蘊蓄(うんちく)」のイメージがある。「蘊蓄」とは、元来「蓄えた深い知識」のこと。実際、川上淳也デザイナーにはサンフランシスコでの生活で蓄えた知識が豊富なのだろうが、数年前までのビジュアルは現地でのフォトシューティング、小物や細部にまでこだわったスタイリングと、そんなレベルの高いスタイルを世界観たっぷりに着こなす黒人だったり長髪やヒゲのモデルだったりの影響で、世間一般が「蘊蓄」という言葉に持つ“気難しさ”というイメージを与えていたかもしれない。しかし初めてのファッションショーは、そんな「蘊蓄」のイメージを一蹴。「含蓄(表面には現れない深い意味)」のブランドなのだと改めて教えてくれた。

風をはらむネルシャツや
象嵌細工のようなデニム

印象的なのは、軽やかさだ。マドラスチェックの開襟シャツは、透けるほど軽やかな素材。従前から肌触りの良さで知られているネルシャツは、オーバーサイズのシルエットやポンチョのようなパターンでこれまで以上に風をはらむ。ひざ上丈のショートパンツとのコーディネートは、爽やかだ。パッチワークでネイティブアメリカンなモチーフを描いたデニムブルゾンやドンキーコートは、優しい色使いと、もはや象嵌(ぞうがん)細工のように精密な生地の組み合わせで気品を醸し出す。軽やか、爽やか、そして気品。「セブン バイ セブン」に「蘊蓄」のイメージを抱いていた人の印象もまた、軽やかに裏切られたことだろう。

もちろん、丁寧なモノ作りは、何一つ変わらない。リラックスシルエットのホワイトジャケットは、ミニマルながら上質な生地感と計算されたパターン、丁寧な縫製で「含蓄」を醸し出す。Tシャツやノースリーブにのせた、現代のアメ車にチェッカーフラッグ、星条旗、アメリカではお馴染みのスーパーマーケットのロゴは、刺しゅう。あまりに精密で、会場からは「え、刺しゅう?」という驚きの声が漏れる。カウボーイブーツをアレンジしたショート丈のブーツや、財布などでお馴染みのカービングレザーを使ったミニバッグ、編み込みのチューリップハットも、丁寧だからこそスタイルをカウボーイのコスプレではなく、現代的なものに押し上げた。

「セブン バイ セブン」が属するアングローバルは、TSIホールディングス傘下。つまり「セブン バイ セブン」は、「ナチュラルビューティーベーシック(NATURAL BEAUTY BASIC)」や「ジルスチュアート(JILL STUART)」などの仲間でもある。TSIを束ねる下地毅社長は長らく、「(企業ブランドにも)東京コレクションに挑戦するブランドがあって良い。その時は全力で応援する」と公言してきた。今回の「セブン バイ セブン」は、その先陣を切った格好だ。初めてのランウエイショーは、「セブン バイ セブン」が抱かれがちだった印象を改めたし、ピースフルなムードで会場を一つにしたし、52の企業ブランドが揃うTSIの印象も変えるかもしれないし、そこで働く人たちを鼓舞するかもしれない。願わくば、これからもファッションショーを続けてほしいと思うし、改めて、ファッションショーの可能性を感じた一夜になった。

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「セブン バイ セブン」は、軽やかな「含蓄」で気難しい「蘊蓄」のイメージを裏切り

サンフランシスコを中心とするアメリカ西海岸や古着に着想を得てモノ作りする「セブン バイ セブン(SEVEN BY SEVEN)」が、2024年春夏コレクションのファッションショーを開催した。

ショーは、スコット・マッケンジー(Scott McKenzie)の「花のサンフランシスコ」をBGMにスタート。タイトルの通り、“フラワー・ミュージック”の代表曲だ。誕生したのは、1960年代の後半、ベトナム戦争に反対するヒッピーの間で、花柄をあしらったカラフルな服を着たり、頭に花を飾ったり、互いに花を配り合ったりした頃に愛された曲だ。反戦を願う気持ちは、ロシアによるウクライナへの侵攻が続く今の時代と重なっている。ピースフルなBGMは、序盤から来場者の心をグッと掴み、会場ではところどころからBMGに合わせた鼻歌が聞こえた。

コレクションも、一言で言えばピースフルだ。古着をオリジンとし、モノ作りにこだわり、これまではファッションショーではなくビジュアル作りにこだわってきたせいだろうか?「セブン バイ セブン」には「蘊蓄(うんちく)」のイメージがある。「蘊蓄」とは、元来「蓄えた深い知識」のこと。実際、川上淳也デザイナーにはサンフランシスコでの生活で蓄えた知識が豊富なのだろうが、数年前までのビジュアルは現地でのフォトシューティング、小物や細部にまでこだわったスタイリングと、そんなレベルの高いスタイルを世界観たっぷりに着こなす黒人だったり長髪やヒゲのモデルだったりの影響で、世間一般が「蘊蓄」という言葉に持つ“気難しさ”というイメージを与えていたかもしれない。しかし初めてのファッションショーは、そんな「蘊蓄」のイメージを一蹴。「含蓄(表面には現れない深い意味)」のブランドなのだと改めて教えてくれた。

風をはらむネルシャツや
象嵌細工のようなデニム

印象的なのは、軽やかさだ。マドラスチェックの開襟シャツは、透けるほど軽やかな素材。従前から肌触りの良さで知られているネルシャツは、オーバーサイズのシルエットやポンチョのようなパターンでこれまで以上に風をはらむ。ひざ上丈のショートパンツとのコーディネートは、爽やかだ。パッチワークでネイティブアメリカンなモチーフを描いたデニムブルゾンやドンキーコートは、優しい色使いと、もはや象嵌(ぞうがん)細工のように精密な生地の組み合わせで気品を醸し出す。軽やか、爽やか、そして気品。「セブン バイ セブン」に「蘊蓄」のイメージを抱いていた人の印象もまた、軽やかに裏切られたことだろう。

もちろん、丁寧なモノ作りは、何一つ変わらない。リラックスシルエットのホワイトジャケットは、ミニマルながら上質な生地感と計算されたパターン、丁寧な縫製で「含蓄」を醸し出す。Tシャツやノースリーブにのせた、現代のアメ車にチェッカーフラッグ、星条旗、アメリカではお馴染みのスーパーマーケットのロゴは、刺しゅう。あまりに精密で、会場からは「え、刺しゅう?」という驚きの声が漏れる。カウボーイブーツをアレンジしたショート丈のブーツや、財布などでお馴染みのカービングレザーを使ったミニバッグ、編み込みのチューリップハットも、丁寧だからこそスタイルをカウボーイのコスプレではなく、現代的なものに押し上げた。

「セブン バイ セブン」が属するアングローバルは、TSIホールディングス傘下。つまり「セブン バイ セブン」は、「ナチュラルビューティーベーシック(NATURAL BEAUTY BASIC)」や「ジルスチュアート(JILL STUART)」などの仲間でもある。TSIを束ねる下地毅社長は長らく、「(企業ブランドにも)東京コレクションに挑戦するブランドがあって良い。その時は全力で応援する」と公言してきた。今回の「セブン バイ セブン」は、その先陣を切った格好だ。初めてのランウエイショーは、「セブン バイ セブン」が抱かれがちだった印象を改めたし、ピースフルなムードで会場を一つにしたし、52の企業ブランドが揃うTSIの印象も変えるかもしれないし、そこで働く人たちを鼓舞するかもしれない。願わくば、これからもファッションショーを続けてほしいと思うし、改めて、ファッションショーの可能性を感じた一夜になった。

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「ミーンズワイル」服が“道具”から“ファッション”に変わるとき 3年ぶりのランウエイ

藤崎尚大デザイナーによる「ミーンズワイル(MEANSWHILE)」が、ブランド2度目のファッションショーを行った。初のショーは2020年10月に「東京ファッションアワード(TOKYO FASHION AWARD以下、TFA)」受賞の特典として開催した。その後は展示会とルック、映像などで発表を続けていたが、ブランド設立10周年の節目として再びショーに挑んだ。

友人たちの勇姿に背中を押されて

「最初から強くショーにこだわっていたわけではなかった」。ショー前の藤崎デザイナーが口にした意外な言葉だった。「どこかスポンサーが付いてくれて、タイミングが合えばやろうかなと思っていたくらい。結局協賛はつかなかったけれど(笑)」。それでもショーに挑む決意を固めた背景には、友人デザイナーたちの活躍がある。「昨シーズン、フィッターとして参加した『ヨーク(YOKE)』のショーが本当に素敵だった。僕と同じ『TFA』受賞ブランドということもあり、刺激をもらった」。6〜7月には、同じく「TFA」経由で知り合った「ダイリク(DAIRIKU)」「シュガーヒル(SUGARHILL)」のショーを目の当たりにし、デザイナーが輝く姿を見て「やっぱりショーだ」と決心した。

衣装ではなく“道具”としての服

「ミーンズワイル」はトレンドを追い求めるブランドではない。藤崎デザイナーは服を“衣装”と“日常着”に区別し、後者を作っていると語る。藤崎デザイナーにとっての日常着とは、着用者の生活をサポートするための“道具”。特定の用途に合わせた素材とパターンワーク、ギミックを持った服だ。

しかし“道具”とはいえ、着ることで気分を高揚させる“ファッション”の役割も意識してきた。「これまで多くのブランドは、服に対して衣装としての側面を追求し続けて来た。その中で、新たな価値観を提案できれば、もっと楽しくなるはず」。ファッションの本流以外の視点でアプローチする姿勢は、ブランド名のベースとなった“meanwhile(=間)”にも表れている。「僕は元々ファッションが大好き。だから、ショーを通して、日常着が持つ新たな可能性を感じてもらいたい」。

東京モダン建築の屋上に600人を招待

ショーの会場は、東京・千代田区にある複合ビル「パレスサイドビルディング」の屋上だ。1966年に竣工した同建築は、2棟の円筒状のビルと2棟の直方体の建築を連結させた独創的な外観である。皇居のすぐそばで、水と緑を感じられることから、藤崎デザイナーお気に入りの場所だった。「このビルの駐車場をよく使っていて、ずっと好きな建築だった。ショーのために都市と自然を感じられる場所を探していたら、演出家からここを紹介されて」。この建築がショーのランウエイに使われるのは初めてだ。

前回のショーはコロナによる厳戒態勢を敷いたため、100人余りしか招待できなかった。「今回はたくさん呼んだ。600人は超えている」。定刻から20分過ぎたころには太陽が沈み始め、青空が夕焼けへと変わるころにショーが始まった。

ボタン、ファスナー、空調服
ギミックを生かした近未来スタイル

「ファッション市場でも支持される“道具”でありたい」という藤崎デザイナーの思いは、ルックで見事に体現されていた。テクニカルな素材や着脱や通気といった特定の用途のための工夫が、レイヤードなどに生かされ、近未来的なファッションスタイルへと進化していた。

複雑なレイヤードスタイルには、スナップボタンで開閉するサイドスリットや、マジックテープで身頃を前後に外せるギミックなどを活用。シルエットのバランスに強弱をもたらすため、サイズ調整のために使うドローコードや、ムレを防ぐためのファスナーのベンチレーションを応用した。誇張されたボリュームのジャケットは「空調服」とのコラボで、後ろ身頃のファンをフル稼働させて、独創的なシルエットを作った。ほかにも、防水機能を持ったダイニーマ素材のアームカバーやレッグカバー、ビニールのような素材のスニーカーカバーなどを多用し、異素材によるアクセントを加えた。

グラフィックアイテムも多数登場した。シャツとショーツのセットアップなどに使った水墨画のような総柄は、写真家・白石真一郎の作品をプリントしたもの。自然と人工物を“風景”として並列で捉える彼の作風は、道具とファッションを区別しながらも、両立させようとする同ブランドとの親和性を感じた。シャツなどに使ったバウハウスのグラフィックはブルーが際立ち、グレーやカーキなどをベースにしたコレクションの差し色になっていた。

「今回のショーは、ブランドの姿勢を見せるため。ただ、少しでもビジネスにつながればという思いもある」と藤崎デザイナーは話した。現在の取り扱いアカウント数は国内約20、海外約25で、売上比率も海外が7割を占めるという。「いつかはわからないけど、パリでも挑戦したい。そのときは、スポンサーが付けばうれしい(笑)」。

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「ア ベイシング エイプ®︎」が30周年ファッションショー 何も変わらないのに新しい

「楽天 ファッション ウィーク東京」の冠スポンサーを務める楽天による、日本発ブランドの支援プロジェクト「バイアール(by R)」の枠組みで、ブランド設立30周年を迎えた「ア ベイシング エイプ®︎(A BATHING APE®︎以下、ベイプ®︎)」がファッションショーを開催した。

「ベイプ®︎」が30周年のファッションショーを開いたのは、実は今回が2回目。7月にはアメリカ・ニューヨークでヒップホップと密接にリンクしたイベントを開き、ゴールドチェーンのモチーフをあしらったダウンやノルディックニット、カレッジモチーフのフリースなどの2023-24年秋冬コレクションを発表している。

“エイプヘッド”に“ベイプ®︎カモ”“ベイプ®︎スタ”
30年前と何一つ変わらないモチーフが続々

一方、24年春夏を発表した東京でのショーは、雅楽のようなBGMでスタート。モデルは左右に提灯をあしらった門にかかる、暖簾(のれん)をくぐってランウエイに現れた。

ヒップホップカルチャーやアメリカとのリンクを示すため、ゴールドチェーンや雄大な大自然などの新しいモチーフを取り入れたニューヨークでのコレクションとは異なり、東京でのファッションショーは“東京らしさ”を意識して「ベイプ®︎」のオリジンに徹した印象だ。登場するのは、誰もが知るモチーフの“エイプヘッド”をカモフラージュ柄に潜ませた“ベイプ®︎カモ”を筆頭に、流れ星の“ベイプ®︎スタ”、フードに描く“シャーク”など、そして“マイロ”など。アイテムも、フーディはもちろん、チェック柄シャツ地で作るCPOジャケットやスカジャン、デニムにカーゴパンツ、そしてハイカットスニーカーと30年前と何一つ変わらない。

なのに驚くべきは、全く古臭く見えないことだ。少し沈静化したとはいえ、「ベイプ®︎」がデビューした90年代はカウンターカルチャーだったストリートがメジャーなカルチャーの1つとなった今、お馴染みのモチーフで作った、お馴染みのアイテムは、古臭いどころか“今っぽい”。パターンは30年前と多少違う印象だが、それでもどのモチーフも、どのアイテムも、そしてどのスタイルも、「懐かしい」のに「新しい」。「ベイプ®︎」が90年代のみならず、90年代から2020年代までずっとファッションのフロントランナーであり続けている証拠だろう。

映画「ザ ファースト スラムダンク」や「バービー」が
着想源!? 「エーエイプ」は「今、この瞬間」捉える

一方、より若い世代に向けて12年に立ち上げた「AAPE BY A BATHING APE®(エーエイプ バイ ア ベイシング エイプ®以下、エーエイプ)」は、30年前から良い意味で変わらない「ベイプ®」とは異なり、「今、この瞬間」のムードを着実に捉えている。メンズは、極端なオーバーサイズシルエットのバスケットボールスタイル。「ベイプ®」とは異なるグラフィックをのせたり、クロシェのようなニットのビッグカーディガンを差し込み、バッシュを履いてバスケットボールを小脇に抱えた。映画「ザ ファースト スラムダンク」が大ヒットして、FIBAバスケットボール・ワールドカップがまさに開かれている今の気分だ。対するウィメンズは、こちらも今まさに上映中の映画「バービー」のようなY2Kスタイル。クロップド丈のトップスにデニムのプリーツミニスカートを合わせ、ハイカットスニーカーやバブルガムピンクのリボンで着飾った。

「ベイプ®」と「エーエイプ」のハイブリッドショーは、30年間かけて築いたレガシーを大切に思う生真面目さと、一方で刹那なほどに今を追求する移り気の双方を表現しているよう。そして、そんな相反する性質が同居するのは、とても日本っぽい。現在は香港の実業家とイギリスの投資会社が経営するが、「ベイプ®」はやはり誇るべき日本のブランドだ。

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三原康裕の愛弟子「カミヤ」が大舞台に込めた思い ブランド改名と初の東コレ参加

メンズブランド「カミヤ(KAMIYA)」が、ブランド初のファッションショーを28日に行った。同ブランドは「メゾン ミハラヤスヒロ(MAISON MIHARA YASUHIRO)」を運営するソスウのブランドで、2016年に「マイン(MYNE)」の名で始動し、23年春夏シーズンに「カミヤ」に改名した。新たなブランド名は、ディレクター神谷康司の名前から採用している。

神谷ディレクターは1995年生まれ、愛知県出身。高校卒業後に販売員としてファッション界でのキャリアをスタートさせ、2016年に大阪の「マイン」直営店のスタッフとしてソスウに入社した。その後、東京店の店長などを経て、18年にブランドのディレクターに就いた。

当時の神谷ディレクターは、生産・企画は未経験だった。しかし、「お前しかいない」と三原社長に指名されたという。それまでの同ブランドは、グラフィックや色使いを売りにしたストリートウエアだったが、神谷ディレクターは色落ちやクラッシュ加工など、ビンテージ風のムードを加え、ブランドに新たな個性をもたらした。現在は東京・中目黒に直営店を構え、取り扱いアカウントは約30と堅調なビジネスを続けている。

ブランドの改名は、「よりパーソナルなクリエイションに挑戦するため。ビジネスに本腰を入れるため。そして、その覚悟を決めるため」と神谷ディレクターは言う。「当初はブランドらしさと自分らしさのバランスで苦労することもあった。長く向き合ってきた結果、今、ようやく胸を張って自分のブランドだと思えるようになった」。ショーは1年前に、改名を決断したタイミングで計画したという。「ブランドを知っている人にも、知らない人にも、これからの『カミヤ』の姿勢を感じてもらえたら」。

師匠から継いだエンタメ精神

会場は国立競技場の大型駐車場。広々とした空間の端に、ブランドロゴを乗せたモニュメントを2つ置いた。観客の多くは、モニュメントの間からモデルが登場すると思っただろう。しかし、大きなBGMが流れてショーがスタートすると、トラックがモニュメントをぶち壊し、貫通した穴からモデルが登場した。師匠である三原デザイナーの系譜を感じる、サプライズ演出だった。

「変える部分と変えない部分」
ショーに挑み、初めて見えた景色

コレクションは、ランウエイだからと肩肘を張らず、ビンテージ仕立てのリアルクローズを貫いた。「ブランドの自己紹介」として、定番品を多く登場させた。厚いコットン素材にインクを吹き付けたワークパンツやジャケット、色あせた加工のヘビーウエイトなフーディー、穴の空いたスエットシャツやニット、ネルシャツなどを披露した。また、よりパーソナルなコレクションを目指して、自分のルーツも掘り下げた。袖にあしらった炎のモチーフや背中に刺しゅうしたスカルなどは、「ファッションをピュアに楽しんでいた、大阪時代に好きだったモチーフ」だと言う。腰履きしたパンツから下着を見せたり、素肌の上にトップスをそのまま羽織ったりと、ルーズなスタイリングも、当時の好みを反映させたものだろうか。

一方で、ブランドの新たな挑戦として、カジュアル一辺倒にならない工夫も行った。クラッシュニットはハイゲージのものをレイヤードして味付けしたり、ワークパンツはナイロン素材で機能性を盛り込んだり。強みの加工技術も進化させ、ナイロンとポリエステルの混紡生地を二浴染めした自然な色落ちや、真っ白のレーヨンをシャツやパンツに縫製した後、黒やオレンジで製品染めし、その上からブリーチして色落ちさせるテクニックなどを取り入れた。フィナーレでは雪を降らせて、ドラマチックに演出した。

ランウエイ後に神谷ディレクターは、「ショーに挑むことで始めて気づくことも多かった」と話した。「ブランドとして変える部分と変えない部分、両方を意識して、自分たちにしかできないものづくりを追求していきたい」。さらに大きな収穫は、ファッションをピュアに楽しむ心を再発見したこと。「とにかく楽しかった。ファッションのワクワクを再認識できた。チームとともに、新しいことを吸収して、ステップアップしていきたい。がむしゃらにファッションを楽しんでいた、あの頃のように」。

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