りんごと鋏(はさみ)。切っても切れないその関係は、津軽の文化そのもの。[TSUGARU Le Bon Marché・三國打刃物店/青森県弘前市]

朝日を浴びながら作業する三國氏。朝、まだ涼しい時間に火を使う作業を行い、午後はパーツの組み立てや修理に当てる。

津軽ボンマルシェ・三國打刃物店りんご作りの要、剪定作業を支える、農家の相棒・剪定鋏。

ひんやりした空気が街を覆う朝8時。『三國打刃物店』の中から、「カン、カン、カン」というリズミカルな音が響いてきます。さまざまな刃物を扱う『三國打刃物店』ですが、秋から冬を迎えるこの時期は繁忙期。「りんご農家さんが剪定作業に入るのは正月過ぎてから。それまでに製造や修理を終わらせないといけないから、今が一番忙しいんです」。そう教えてくれた三國徹氏は、創業130年近いこの工房をひとりで切り盛りする5代目鍛冶職人です。

街の中心地から少し離れるだけで、広大なりんご畑が広がる津軽。りんご生産にはさまざまな道具が使われます。中でも、作業中の農家の人々が必ずといっていいほど腰に付けているもの、それが剪定鋏。「昔はひとつの農家で1挺(ちょう)持つものでしたが、今は農家1軒当たりの栽培面積が広いから、ひとりで何挺も持つ人もいますね」と三國氏。つまり、りんご農家の人口以上に現役で活躍する剪定鋏が存在しているということ。剪定が要といわれるりんご栽培ゆえ、農家にとって剪定鋏は非常に重要な仕事道具であり、必ず修理に出してメンテナンスをするものなのだそう。

ここ『三國打刃物店』には毎年数百挺の鋏が修理に出されますが、現在弘前に5軒ある刃物店の中でも、剪定鋏を扱うのはここを含めて2軒だけ。津軽のりんご農家にとって、三國氏の存在は、なくてはならないものなのです。

▶詳細は、TSUGARU Le Bon Marché メインページ/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

1500~1600℃の火で鋼の棒を熱し、打つ作業を繰り返す。目の前で、無骨なただの金属が、みるみるうちに刃物となっていく。

“叩く”作業は時間が勝負。火が入った窯と刃を叩く台の前を、足しげく行き交う。軽々と振り下ろす金槌は、相当な重さ。

“叩く”作業の合間に、時折スケールで刃の長さや厚さを確認する三國氏。測りはするもの、ほとんどは感覚だ。

津軽ボンマルシェ・三國打刃物店全国に知られる名品が、りんごと歩んできた歴史とは。

津軽のりんご産業を支えてきた剪定鋏には、古い歴史があります。弘前市中心地に残る鍛治町というエリアは、その昔、弘前藩主お抱えの鍛冶職人たちがいた場所。時代の流れとともに、彼らが手掛けるものも刀から包丁や農機具へと広がり、津軽の一大産業となったりんご用の剪定鋏が生まれました。『三國打刃物店』の初代も130年ほど前に本家から別れ、分家として農機具全般を手掛けてきたそうです。

現在、日本有数の品質と称される津軽の剪定鋏ですが、その理由もまたりんごにあります。バラ科であるりんごの木の特徴は、枝がとても硬いこと。そのため2本の刃を組み合わせて作る鋏も、片方の刃は鋭利に仕上げ、もう片方の刃は枝を支える“受け”にする片刃式で、硬くて太い枝も安定して切ることができる仕様に。今の日本の剪定鋏で主流になっているこの片刃式は、元々ここ津軽から生まれた形なのだとか。

さらに毎日大量の枝を切っても咬み合わせが変わらないよう、緩みやすい一般的な右ねじではなく、ひとつずつ手で成形した左ねじを採用。仕上げ前の最終工程で再度焼き入れし“受け”の刃の硬度を調整、枝を柔らかく受け止める工夫を施すなど、素人目に見てもこだわりが詰まっています。「やっぱり、りんごがあったからこそできた形なんです」。そう三國氏がいう通り、りんご作りを支えてきた剪定鋏もまた、りんごのおかげで品質が上がり、りんごに支えられてきた道具といっていいでしょう。

現在は、剪定鋏だけでも10型以上が揃う。生産量が少ないため、基本は工房のみでの販売だ。六角寿の紋がこの工房で作られた証。

中心街に近い住宅街の店。飾りっ気のない佇まいに、工芸品ではなく実用品を売る場所なのだと再確認する。

刃が成形されるまでの状態を順番に並べてもらった。一番右の鋼を二番目の状態にする時だけプレス機を使うが、後はすべて手作業。

津軽ボンマルシェ・三國打刃物店本体から道具まですべて手作業で作られる、贅沢な実用品。

実際に三國氏の剪定鋏に触れると、その握りやすさに驚きます。手に吸い付くようにフィットし、バネも柔らかい。剪定の経験がある人は分かるはずですが、作業するうち手のひらが痛くなるあの感じが、極力軽減されているのです。こうした使い心地のためのさまざまな工夫は、経験を積みながら重ねてきたものだと三國氏。剪定鋏作りには、もちろん教科書はありません。三國氏自身、先代である父の作業を見よう見まねでやり方を覚え、後は自分で考えるしかなかったそう。

「特に父は自分から説明しないタイプ。用途に応じた刃のサイズなどは書き残していましたが、手取り足取り教わるようなことは一度もありませんでした」。そのためか、それぞれの工程の呼び方を聞いても「鋼を打つのは“叩く”というし、仕上げも“荒仕上げ”とか“最後の仕上げ”とか……。ひとりでやっているから、呼び方とか関係ないんですよ(笑)」と三國氏。鋏作りに必要な道具も、工程と同じように、これといった呼び名はなし。しかし、原料の鋼を火にくべる際に使う大きな鋏も、鋼を叩く台も、さらには鋏の刃先を研磨するグラインダーの刃さえも、なんと手作りされています。「代々続く方法でやっているだけで、特別なことはしていない」という三國氏に、ことさら伝統やこだわりについて聞くことは無粋でしょう。しかしこうして1挺1挺、すべて手作業で作られる剪定鋏は、農機具であると同時に芸術品でもあると感じられました。

握りやすくするため、柄に絶妙なカーブが付けられているのが分かる。持ち主の手のサイズや形、握り癖に合わせて、曲線を調整する。

ふたつの刃を留める左ねじは、抜けづらくなるよう、少しふくらみのある形状に。手作りだからこそできる細かいディテール。

手作業が多いため、1日1挺の剪定鋏を作るのが精一杯。オーダーものとなれば、1挺作るのに2、3日はかかる。

津軽ボンマルシェ・三國打刃物店手作りの鋏は持ち手とともに育ち、その性格も映し出す。

今から20年ほど前、剪定鋏を取り巻く状況が一変したことがありました。海外製の安価な剪定鋏がホームセンターに並ぶようになり、一気に普及。りんご農家にも手入れが必要な鋼鉄の鋏ではなく、安くて手軽なステンレス製の鋏を選ぶ人が増えたそう。「たまに、そういう鋏の修理を依頼される人がいるんです。でも修理するより、そもそも新しく同じものを買った方が安い。どんな鋏を選ぶかは人それぞれですが、ああいう鋏は使い捨てなんですよ」。

手作りの鋼の剪定鋏のよさは、長年使うことで手に馴染み、“その人の鋏”になること。「修理に出された鋏を見ると、使った人の性格が見えてくる」と三國氏はいいます。毎年刃がぼろぼろになるまで使いこまれてくる鋏、きれいに手入れされた状態で届く鋏……「どんな使い方をする人なのかが現れるから、それも考えて修理します。たとえば鋏の扱いが荒いと刃が欠けやすいのですが、そういう人には、刃先を刃持ちのよい"はまぐり刃"という形状にしておく。でも大事に使ってもらっているのが分かると、うれしいですね」。

丁寧に使えば30年以上持つという剪定鋏。先代が作った鋏を、息子である三國氏が修理することも多いそう。世代を超えて受け継がれ、愛される津軽の必需品は、今年も日本一の生産量を誇るこの地のりんご産業を、陰で支えてくれることでしょう。


(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

剪定鋏は全体の商品のうち3割程度。それでも、時期には剪定鋏にかかりっきりに。りんご産業を支える影の立役者だ。

住所:青森県弘前市茂森町170-3 MAP