白緑釉に表れる濃淡は会津の自然そのもの。[NEW GENERATION HOPPING・宗像窯/福島県会津美里町]

足を使ってろくろを回す「蹴ろくろ」で器を成形する宗像氏。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯民藝運動の三巨頭が訪れた窯元。

大量消費の時代にあって、じっくり付き合いたくなる器を代々作り続けている人がいます。今回、おうかがいした会津本郷焼の窯元『宗像窯』9代目・宗像利訓氏もそのひとり。当主であり、父でもある8代目・利浩氏の薫陶を受けつつ研究を重ねているのは、宗像窯伝統の緑釉(りょくゆう)を改良した白緑釉(びゃくろくゆう)。糖衣のように白濁した釉薬がかかった花器は雪深い会津の冬を、鮮やかなエメラルドグリーンは芽吹きの春を想起させます。

茶道具などのハレの日の器の一方で、「窯もの」として作り続けているケの日の器があります。その代表格が「鰊鉢(にしんばち)」。山に囲まれた会津の貴重なタンパク源として愛されてきたニシンの山椒漬けなどを漬けるための器です。特徴は光沢のある飴色の釉薬で、近年は海外からの観光客のお土産としても大人気。実はこの作品、1958年にベルギーで開催された「ブリュッセル万国博覧会」にてグランプリを獲得。風土や食習慣と強く結びついた美に見入られたからでしょうか。当時、民藝運動を牽引した三巨頭、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎も『宗像窯』を訪れたそうです。

そもそも焼き物がこの地に根付いたのは1593年のこと。千利休に「文武二道の御大名」と評された当時の領主・蒲生氏郷公が播磨国(はりまのくに)から瓦工を呼び寄せ、鶴ヶ城の屋根瓦や日々使う器を作らせたことに始まります。江戸時代に入り、陸奥会津藩初代藩主の保科正之公が瀬戸の陶工を招いて本郷村に窯を築かせたことで、本格的に会津本郷焼の歴史が始まりました。一方、『宗像窯』の先祖である宗像出雲守式部がこの地に移り住んだのは更に歴史をさかのぼった767年のこと。宗像大社(福岡県)の神主として、布教のため旧会津本郷町に移り住んだのです。その後、観音山に宗像神社を建立し、代々焼き物で生計を立てながら布教活動に専念。文政の頃、特に技術に優れた八郎秀延が自ら神官を辞して陶業に専念し、1719年には『宗像窯』の初代当主となったのです。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

宗像窯の代表作「鰊鉢」。どっしりした形状に飴色の釉薬が光る。白い釉薬もアクセントに。

「白緑水簾鶴首」。空気遠近法で描いた遠景の森を思わせる白緑は山に囲まれた会津の自然そのもの。

白緑釉の急須ほか暮らしの器たち。「技術の修練のため、学生時代は急須を集中的に作っていた時期があるので思い入れがあります」

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯炎にまかせて思いがけないものができる登り窯。

江戸中期に造られたとされる『宗像窯』の象徴・登り窯を見せて頂きました。工房裏手にある急峻な小路を上がり、白鳳山麓に位置する小屋の扉を開くと、全長約20mの登り窯が姿を現します。町指定文化財でもあるこの登り窯、2011年の東日本大震災の激しい揺れで一部が崩れ、大きなダメージを受けました。しかし、多くの土木技術者の有志が「工学と芸術のコラボレーション」をスローガンに「宗像窯登り窯再生プロジェクト」を立ち上げ、2013年に復活を果たしたのです。現在、町内で稼働している唯一の登り窯ということもあり、遠方から見学者が訪れることも。そこで、宗像家の方々の留守中も小屋の外から登り窯が覗けるよう、扉の一部が開閉式の小窓になっていました。

登り窯の周辺には油分を含み、よく燃える会津産のアカマツの薪が積み上げられていました。この窯に実際に火を入れるのは3年に1度(それ以外はガス窯を使用)。その際は一度に5~600個の器を焼き上げるそうです。「炎にまかせて思いがけないものができるんです。本当の本当に納得できるものはまだまだ少ないのですが、焚き方も慣れてきたので、昔に比べてロスも少なくなりました」と利訓氏は話します。薪の窯は火加減を完全にはコントロールできません。そこで温度を確認するために見るのが炎の色。長年の経験が物を言います。他に使うのが「ゼーゲル」と呼ばれるコーン状の道具。こちらはある一定の高温になるとグニャリと曲がるそうです。

利訓氏が作陶のために使う材料はほとんどが会津のもの。釉の調合に使う自然灰もそのひとつです。「このあたりは12月から4月頃まで薪ストーブを使うのですが、その灰から昔ながらの製法でナラ灰を作っています。時間のかかる作業ですが、綺麗な色調を出すためには地道にデータをとり、研究を重ねるしかありません」と利訓氏は話します。

まるで古代遺跡のような「登り窯」。7つの焼成室が斜面に連なっている姿は圧巻。

登り窯の中の温度を調べるために使う「ゼーゲル」。ある一定の高温になると、このようにグニャリと曲がる。

登り窯のある小屋の中に積み上げられたアカマツの薪。薪を納入する業者とは普段から親交がある。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯「蹴ろくろ」が生みだす美しいろくろ目。

次に工房を案内して頂きました。凛とした空間に焼成を待つ器がずらりと並びます。そこで、「ちょっと何か作ってみましょうか」と利訓氏。工房裏手の白鳳山のものという土を練り、作業台の下で足を動かし始めました。「このろくろは『蹴ろくろ』といって、手ではなく足で蹴って回転させます」と利訓氏は教えてくれました。静寂の中に時折響く、コココッという「蹴ろくろ」の音。機械音とは違い、心地よく耳に響きます。

蹴った直後からろくろを見ていると、徐々にスピードが落ちていくのがわかります。器に刻まれる勢いのある指すじが、やがて滑らかな指すじへ──有機的な「ろくろ目」の美しさも味わいのひとつです。そうやって出来上がった器はどれひとつとっても同じものにはなりません。だからこそ手仕事の温かみが感じられるのです。

滑らかで美しい白鳳山の土。繊細な指先のタッチが、そのままろくろ目として器の中に表れる。

作業台の傍には土から器を成形するための手作りの道具が置かれていた。

「器は口当たりも大切なので」と茶碗の縁をなめし革でならす。

工房の奥には焼成前の器が並んでいた。暮らしのなかの定番にしたいものばかりだ。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯一点一点、景色が異なる手仕事のよさ。

幼い頃から家業である器作りを目の当たりにしてきたという利訓氏。「親から直接言われた訳ではないのですが、物心ついた時から、いずれ家業を継ぐことを意識していました」と利訓氏は言います。本格的に陶芸の道に入ったのは20歳の時。京都伝統工芸専門学校(現京都伝統工芸大学校)で2年間、焼き物作りの基礎を学びました。その後、修業のため1年半ほど島根県の窯元に出向き、2008年には7代目・亮一氏と8代目・利浩氏に師事。「若い頃に外の世界で焼き物について学べたことは、技術的にも精神的にも貴重な経験になっています」と利訓氏は語ります。

敷地内には工房の他、新しいギャラリーがありました。ここには、当主の作品とともに利訓氏の作品も展示販売されています。そこで、「いぶし銀の光沢を出せるよう研究して作ったものです」と見せて頂いたのが「銀彩天目茶碗」です。漆黒の闇にオーロラのような銀彩がかかり、まるで宇宙のよう。手に持つと、すっと肌になじみ、とても滑らかです。実はこの茶碗、2018年に行われた「第2回中国陶磁茶器コンテスト」で銀賞に輝いた作品。中国・景徳鎮で開催された「中国景徳鎮国際陶磁博覧会」で展示された後、かの地の博物館(準備中)に収蔵されるそうです。利訓氏は「自分が作ったものが後世に残るというのは励みになります」と話します。

「これからも、代々受け継がれてきた技術や地元の素材を使い、時代に合った自分なりの表現をしていきたいと思っています」と語る利訓氏が、作品作りのアイデアを得るために出かける場所があります。実は工房のある旧会津本郷地区には岩崎山、羽黒山、観音山が連なる白鳳三山があり、宗像家の先祖が建立した神社がある観音山が、その場所にあたります。クルマで5~10分程ほど山をのぼり、お参りを済ませてあたりを見渡すと、ゆったり流れる阿賀川と色づく田園風景に目を奪われました。思わず深呼吸をしたくなるこの場所でアイデアを練り、土も、窯にくべる薪も、釉薬も、会津のものを使った利訓氏の作品は、1点1点、景色が違います。『宗像窯』を訪れ、自身と波長の合う器を見つけてみてはいかがでしょう。

2014年に出来たという真新しいギャラリー。ここで、利浩氏や利訓氏の作品を購入することができる。

「銀彩天目茶碗」を持つ利訓氏。11月末にはこの茶碗の授賞式のため上海に出向いた。

宗像神社の前からこの地を見渡す。「冬は寒く、夏は暑い会津の自然には畏敬の念を抱いています」

ギャラリー入口の暖簾にある「おあいなんしょ」という言葉はこの地方の方言で「おはいりください」という意味。

住所:〒969-6127 福島県大沼郡会津美里町本郷3115 MAP
電話: 0242-56-2174
宗像窯 HP:http://www.munakatagama.net/

山越えしてでも通いたいセレクトショップ。[NEW GENERATION HOPPING・CHANTILLY-2F/福島県猪苗代町]

中学1年生の時、お父さんから「デニムはいいのをはけ。長持ちするから」と言われて買ってもらった1本のデニムがきっかけで洋服に興味を持ったという鈴木氏。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ猪苗代湖北岸に佇むセレクトショップ。

国内で4番目の広さを持つ猪苗代湖(いなわしろこ)。透明度が高く、白鳥が飛来するこの湖の北岸にセレクトショップ『CHANTILLY-2F』はあります。場所は美味しいコーヒーとスイーツが評判の『TARO CAFÉ』と隣り合い、焼き菓子などの販売も行う姉妹店『DEN DEN COFFEE』の奥。買い物中にコーヒーでひと息いれて、また店内を物色といった使い方をされる方も多いそうです。

床にはレトロな柄の赤いタイル。「以前ここはパチンコ店で、床はその名残なんです」と店長の鈴木健太郎氏。取り扱うのは、『EEL』や『Veritecoeur』、『UNIVERSAL TISSU』といったドメスティックブランドを中心に約20ブランドほど。「人とはちょっと違うものを持ちたい」という洋服好きにはたまらないバッグや革小物などを取り揃える他、オンラインショップの運営も行っています。レジカウンターの背後には、磐梯山(ばんだいさん)の威容がドドン。日本広しといえど、ここまでの借景を持つセレクトショップはなかなかないのではないでしょうか。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

明るい店内。「昔の店は相当入りづらかったので、ファッションに一家言ある猛者が集まってきました(笑)」

レトロな赤いタイルとともに短いピースを組み合わせたフローリングもパチンコ店時代の名残。

レジカウンターの頭上にはユーカリのドライフラワー。会津若松市内のフラワーショップで購入したもの。

洋服を物色中、ふと顔をあげると磐梯山が。一瞬、どこにいるのか分からなくなってしまいそうに。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ勝負をかけた西海岸買いつけツアー。

実は18歳から30歳まで東京にいたという鈴木氏。「一時はスタイリストを目指していて、バンタンのファッションスタイリング科に通いながらアシスタントをやっていたんです。そっちの道は卒業する頃には諦めましたが、隣にバイヤー科って所があって、最後の1年ぐらいはずっと『そっちにすれば良かった』と思っていたんです(笑)」と鈴木氏は話します。その後、とにかくお金を貯めようと某企業に就職。2年ほど経ったある日、東日本大震災が起こりました。「当時、代々木にあった勤務先にバイクで向かっていたんです。原宿を通りかかった時、クレープを食べながら楽しそうに歩いている女の子たちを見て、自分との温度差に『ここにはいられないな』と思ったんです」と鈴木氏は続けます。すぐに本籍を会津若松にした鈴木氏ですが、その前にやっておきたいことがありました。

「もともと、海外に興味があり、商品の目利きにも自信があったんです。それで、自己資金で買いつけをしたらどのぐらい商品が捌(さば)けるか試してみようと2ヵ月ぐらい西海岸を回りました」と鈴木氏は話します。クレジットカードの限度枠いっぱいの300万円で買いつけを行い、知人のツテをたどって、当時、外苑前にあったセレクトショップに商品を卸しました。鈴木氏は、「そうこうしているうちに、ウチの姉から『会津若松に美容院を出すから内装をやってくれ』と頼まれたんです。実は高校生の時、バイトで大工をやっていたもので。で、見つけた物件が2階建てで広かったのと、アメリカで買いつけた商品の在庫が結構あったので、『だったら、ここで販売しちゃおうか』という話に」と言います。初めて自分の店ができたわけですが、買いつけた商品には限りがありました。「そこで、もともと知り合いだったメーカーさんやアシスタント時代のコネでいくつかのドメスティックブランドに声をかけて、いろんな商品を扱うようになったんです。姉の店が『CHANTILLY』という名前で今もあるんですけど、郵便物とかまぎらわしくならないようにしようって話になって、店名を『CHANTILLY-2F』にしたんです」と鈴木氏。

2013年には猪苗代の今の場所を知るとともに『TARO CAFÉ』オーナーの山田氏との出会いがありました。その後、ご厚意で何度かポップアップイベントを開催。大盛況でイベントを終えた後にスタッフを増員し、本格的にこの場所にショップを構えて4年目となります。「最初は正直迷いました。洋服業界では単価の高い冬に稼ぐという考え方が一般的なんですが、冬の猪苗代は会津若松以上に雪がすごい。平気でクルマ2台分積もるんです。でも、考え方を変えれば、春夏秋に稼いで、冬はゆっくり営業するお店作りをすればいいんですよね。聞くと、周りの皆さんもそうしていらっしゃるようです」と鈴木氏は話します。

柔らかな物腰での接客に定評があるスタッフの丹野清美氏。『EEL』のモヘアカーディガンに『AU GARCONS』のスカートを合わせて。

『EEL』のモヘアカーディガンにデニムを合わせているのはスタッフの坂内俊之氏。お二方ともここに勤める以前は洋服屋での接客経験はなかったのだとか。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフセレクト基準は着たいもので、買えるもの。

『CHANTILLY-2F』のセレクト基準はとてもシンプル。「いい洋服であることは当たり前で、作っている人に惚れこまないと、お客さんに売ることはできません。例えば、メンズだと『EEL』。ここは洋服への向き合い方や考え方、全てが尊敬できるブランドさん。昔から客として五本木の店にお邪魔していたこともあり、『いつか取り扱いできたら』と思っていたんです。ただ、ブランドと契約する時はメーカーによって1シーズン何百万みたいな条件があるんですね。お店をひとりでやっていた頃は、そこをクリアするのが厳しくて。一度ご相談におうかがいしたら、『鈴木さんに賭けます。一緒に成長していきましょう』と言ってくださって……。そういうことがあるとつい仕入れも多くなってしまいます(笑)」と鈴木氏は話します。

新規のブランドを増やすより、そうやってじっくり関係を築いていきたいと語る鈴木氏。「店を立ち上げた当初は展示会に行っても誰もついてくれないし、名刺を交換しても『どこの店? 福島!?』みたいな反応をされたこともあります。それが本当に悔しくて(笑)」と鈴木氏は振り返ります。そこから発奮し、時間と実績を重ねてきました。「今では『ここの裾をもう少し長くしてもらえますか?』『このTシャツの長袖バージョンは作れますか?』といった別に注も応えて頂ける所が増えてきました。ありがたいことです」と鈴木氏は話します。

話をおうかがいしていると、一つひとつのブランドとの付き合いに物語がありました。時には、来店したお客様に「かわいい洋服ですね。それはどこの服ですか?」と声をかけ、実際にその服を買ってみることも。そこでシルエットや洗い上がりなどを見て、最終的に取り扱うかどうかを決めているそうです。「世の中にはいい洋服がいっぱいあります。だけど、この土地から浮いていたり、高価すぎたりすると、お客さんも買いにくいですよね。チャレンジはしたいですけど、この土地で着ても違和感がないか、この土地の感覚で買えるものかどうか、そのさじ加減が腕の見せ所だと思います」と鈴木氏は語ります。

『TOOLS』の人気定番アイテム「BIG DAYPAC」を光沢のあるバリスティックナイロンで仕上げた『CHANTILLY-2F』5周年記念特別エディションのデイパック。

ソフトな風合いのウォレットやたっぷりしたマチのトートなど上質な暮らしに溶け込むアイテムが並ぶ。

ナチュラルな色味のアイテムを取り揃えている。鮮やかなブルーや黄色は『Veritecoeur』のもの。

英国王室にも愛されたウィリアム・モリス。彼がデザインしたファブリックを使った丸みのあるハットは『THE SUPERIOR LABOR』の別注品。

1900年代の労働者階級の人々をイメージして素材、質実剛健、オールハンドメイドにこだわった『THE SUPERIOR LABOR』のアイテム。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ都心では考えにくいスペシャルな出会い。

ゆくゆくは、地元の伝統工芸品の別注も受けることができたらと考えている鈴木氏。「地元では赤ベコっていうスーパーでも売っているぐらい日常に溶け込んでいるんですけど、昔はその良さに気付かなくて。子供が首を揺らして遊んでいるのを見て、初めていろんな所で意識して見るようになったんです。そうすると、かわいいヤツとか味のあるヤツとか顔つきが違うんですよね。自分好みの顔もわかってきたので、今までにない色の赤ベコを作れたらと計画中です」と鈴木氏は言います。南には猪苗代湖、北には磐梯山がそびえ、近隣には野口英世記念館や皇族の別荘だった天鏡閣といった観光施設も。見所満載なロケーションにある『CHANTILLY-2F』が、今後は定番のお土産を買うスポットとしても機能するかもしれません。

営業中に取材をさせて頂いたこともあり、いろんなお客様と触れ合うことができました。中学生の息子さんに「彼女へのプレゼントはここで買えば良かったね」と話しかけるお母さん。オープンから通っているというお兄さん。「友達の運転で初めて来たの」と道中で撮った写メを見せてくれたおばあさん。老若男女を問わず皆さん様々なきっかけでこの空間にアクセスし、思い思いに買い物を楽しんでいます。「ふらりと入ってきたおばあさんが、ゴリゴリのインポートものを『あら、いいわね』と買っていかれることもあるんです。きっと、知っている人が見たら『え!?』ってなりますよね」と鈴木氏は話します。そんな瞬間が最高に面白いという鈴木氏。世代間の分断が進む都心では考えにくい出会いが、ここにはあるようです。

『TARO CAFÉ’』のエントランスが目印。左手に入って『DEN DEN COFFEE』の奥に『CHANTILLY-2F』が。

住所:〒969-3132 福島県耶麻郡猪苗代町堅田入江村前704-3 MAP
電話:0242-23-7764
CHANTILLY-2F HP:http://chantilly-2f.com/?mode=f1

白緑釉に表れる濃淡は会津の自然そのもの。[NEW GENERATION HOPPING・宗像窯/福島県会津美里町]

足を使ってろくろを回す「蹴ろくろ」で器を成形する宗像氏。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯民藝運動の三巨頭が訪れた窯元。

大量消費の時代にあって、じっくり付き合いたくなる器を代々作り続けている人がいます。今回、おうかがいした会津本郷焼の窯元『宗像窯』9代目・宗像利訓氏もそのひとり。当主であり、父でもある8代目・利浩氏の薫陶を受けつつ研究を重ねているのは、宗像窯伝統の緑釉(りょくゆう)を改良した白緑釉(びゃくろくゆう)。糖衣のように白濁した釉薬がかかった花器は雪深い会津の冬を、鮮やかなエメラルドグリーンは芽吹きの春を想起させます。

茶道具などのハレの日の器の一方で、「窯もの」として作り続けているケの日の器があります。その代表格が「鰊鉢(にしんばち)」。山に囲まれた会津の貴重なタンパク源として愛されてきたニシンの山椒漬けなどを漬けるための器です。特徴は光沢のある飴色の釉薬で、近年は海外からの観光客のお土産としても大人気。実はこの作品、1958年にベルギーで開催された「ブリュッセル万国博覧会」にてグランプリを獲得。風土や食習慣と強く結びついた美に見入られたからでしょうか。当時、民藝運動を牽引した三巨頭、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎も『宗像窯』を訪れたそうです。

そもそも焼き物がこの地に根付いたのは1593年のこと。千利休に「文武二道の御大名」と評された当時の領主・蒲生氏郷公が播磨国(はりまのくに)から瓦工を呼び寄せ、鶴ヶ城の屋根瓦や日々使う器を作らせたことに始まります。江戸時代に入り、陸奥会津藩初代藩主の保科正之公が瀬戸の陶工を招いて本郷村に窯を築かせたことで、本格的に会津本郷焼の歴史が始まりました。一方、『宗像窯』の先祖である宗像出雲守式部がこの地に移り住んだのは更に歴史をさかのぼった767年のこと。宗像大社(福岡県)の神主として、布教のため旧会津本郷町に移り住んだのです。その後、観音山に宗像神社を建立し、代々焼き物で生計を立てながら布教活動に専念。文政の頃、特に技術に優れた八郎秀延が自ら神官を辞して陶業に専念し、1719年には『宗像窯』の初代当主となったのです。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

宗像窯の代表作「鰊鉢」。どっしりした形状に飴色の釉薬が光る。白い釉薬もアクセントに。

「白緑水簾鶴首」。空気遠近法で描いた遠景の森を思わせる白緑は山に囲まれた会津の自然そのもの。

白緑釉の急須ほか暮らしの器たち。「技術の修練のため、学生時代は急須を集中的に作っていた時期があるので思い入れがあります」

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯炎にまかせて思いがけないものができる登り窯。

江戸中期に造られたとされる『宗像窯』の象徴・登り窯を見せて頂きました。工房裏手にある急峻な小路を上がり、白鳳山麓に位置する小屋の扉を開くと、全長約20mの登り窯が姿を現します。町指定文化財でもあるこの登り窯、2011年の東日本大震災の激しい揺れで一部が崩れ、大きなダメージを受けました。しかし、多くの土木技術者の有志が「工学と芸術のコラボレーション」をスローガンに「宗像窯登り窯再生プロジェクト」を立ち上げ、2013年に復活を果たしたのです。現在、町内で稼働している唯一の登り窯ということもあり、遠方から見学者が訪れることも。そこで、宗像家の方々の留守中も小屋の外から登り窯が覗けるよう、扉の一部が開閉式の小窓になっていました。

登り窯の周辺には油分を含み、よく燃える会津産のアカマツの薪が積み上げられていました。この窯に実際に火を入れるのは3年に1度(それ以外はガス窯を使用)。その際は一度に5~600個の器を焼き上げるそうです。「炎にまかせて思いがけないものができるんです。本当の本当に納得できるものはまだまだ少ないのですが、焚き方も慣れてきたので、昔に比べてロスも少なくなりました」と利訓氏は話します。薪の窯は火加減を完全にはコントロールできません。そこで温度を確認するために見るのが炎の色。長年の経験が物を言います。他に使うのが「ゼーゲル」と呼ばれるコーン状の道具。こちらはある一定の高温になるとグニャリと曲がるそうです。

利訓氏が作陶のために使う材料はほとんどが会津のもの。釉の調合に使う自然灰もそのひとつです。「このあたりは12月から4月頃まで薪ストーブを使うのですが、その灰から昔ながらの製法でナラ灰を作っています。時間のかかる作業ですが、綺麗な色調を出すためには地道にデータをとり、研究を重ねるしかありません」と利訓氏は話します。

まるで古代遺跡のような「登り窯」。7つの焼成室が斜面に連なっている姿は圧巻。

登り窯の中の温度を調べるために使う「ゼーゲル」。ある一定の高温になると、このようにグニャリと曲がる。

登り窯のある小屋の中に積み上げられたアカマツの薪。薪を納入する業者とは普段から親交がある。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯「蹴ろくろ」が生みだす美しいろくろ目。

次に工房を案内して頂きました。凛とした空間に焼成を待つ器がずらりと並びます。そこで、「ちょっと何か作ってみましょうか」と利訓氏。工房裏手の白鳳山のものという土を練り、作業台の下で足を動かし始めました。「このろくろは『蹴ろくろ』といって、手ではなく足で蹴って回転させます」と利訓氏は教えてくれました。静寂の中に時折響く、コココッという「蹴ろくろ」の音。機械音とは違い、心地よく耳に響きます。

蹴った直後からろくろを見ていると、徐々にスピードが落ちていくのがわかります。器に刻まれる勢いのある指すじが、やがて滑らかな指すじへ──有機的な「ろくろ目」の美しさも味わいのひとつです。そうやって出来上がった器はどれひとつとっても同じものにはなりません。だからこそ手仕事の温かみが感じられるのです。

滑らかで美しい白鳳山の土。繊細な指先のタッチが、そのままろくろ目として器の中に表れる。

作業台の傍には土から器を成形するための手作りの道具が置かれていた。

「器は口当たりも大切なので」と茶碗の縁をなめし革でならす。

工房の奥には焼成前の器が並んでいた。暮らしのなかの定番にしたいものばかりだ。

ニュージェネレーションホッピング・宗像窯一点一点、景色が異なる手仕事のよさ。

幼い頃から家業である器作りを目の当たりにしてきたという利訓氏。「親から直接言われた訳ではないのですが、物心ついた時から、いずれ家業を継ぐことを意識していました」と利訓氏は言います。本格的に陶芸の道に入ったのは20歳の時。京都伝統工芸専門学校(現京都伝統工芸大学校)で2年間、焼き物作りの基礎を学びました。その後、修業のため1年半ほど島根県の窯元に出向き、2008年には7代目・亮一氏と8代目・利浩氏に師事。「若い頃に外の世界で焼き物について学べたことは、技術的にも精神的にも貴重な経験になっています」と利訓氏は語ります。

敷地内には工房の他、新しいギャラリーがありました。ここには、当主の作品とともに利訓氏の作品も展示販売されています。そこで、「いぶし銀の光沢を出せるよう研究して作ったものです」と見せて頂いたのが「銀彩天目茶碗」です。漆黒の闇にオーロラのような銀彩がかかり、まるで宇宙のよう。手に持つと、すっと肌になじみ、とても滑らかです。実はこの茶碗、2018年に行われた「第2回中国陶磁茶器コンテスト」で銀賞に輝いた作品。中国・景徳鎮で開催された「中国景徳鎮国際陶磁博覧会」で展示された後、かの地の博物館(準備中)に収蔵されるそうです。利訓氏は「自分が作ったものが後世に残るというのは励みになります」と話します。

「これからも、代々受け継がれてきた技術や地元の素材を使い、時代に合った自分なりの表現をしていきたいと思っています」と語る利訓氏が、作品作りのアイデアを得るために出かける場所があります。実は工房のある旧会津本郷地区には岩崎山、羽黒山、観音山が連なる白鳳三山があり、宗像家の先祖が建立した神社がある観音山が、その場所にあたります。クルマで5~10分程ほど山をのぼり、お参りを済ませてあたりを見渡すと、ゆったり流れる阿賀川と色づく田園風景に目を奪われました。思わず深呼吸をしたくなるこの場所でアイデアを練り、土も、窯にくべる薪も、釉薬も、会津のものを使った利訓氏の作品は、1点1点、景色が違います。『宗像窯』を訪れ、自身と波長の合う器を見つけてみてはいかがでしょう。

2014年に出来たという真新しいギャラリー。ここで、利浩氏や利訓氏の作品を購入することができる。

「銀彩天目茶碗」を持つ利訓氏。11月末にはこの茶碗の授賞式のため上海に出向いた。

宗像神社の前からこの地を見渡す。「冬は寒く、夏は暑い会津の自然には畏敬の念を抱いています」

ギャラリー入口の暖簾にある「おあいなんしょ」という言葉はこの地方の方言で「おはいりください」という意味。

住所:〒969-6127 福島県大沼郡会津美里町本郷3115 MAP
電話: 0242-56-2174
宗像窯 HP:http://www.munakatagama.net/

山越えしてでも通いたいセレクトショップ。[NEW GENERATION HOPPING・CHANTILLY-2F/福島県猪苗代町]

中学1年生の時、お父さんから「デニムはいいのをはけ。長持ちするから」と言われて買ってもらった1本のデニムがきっかけで洋服に興味を持ったという鈴木氏。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ猪苗代湖北岸に佇むセレクトショップ。

国内で4番目の広さを持つ猪苗代湖(いなわしろこ)。透明度が高く、白鳥が飛来するこの湖の北岸にセレクトショップ『CHANTILLY-2F』はあります。場所は美味しいコーヒーとスイーツが評判の『TARO CAFÉ』と隣り合い、焼き菓子などの販売も行う姉妹店『DEN DEN COFFEE』の奥。買い物中にコーヒーでひと息いれて、また店内を物色といった使い方をされる方も多いそうです。

床にはレトロな柄の赤いタイル。「以前ここはパチンコ店で、床はその名残なんです」と店長の鈴木健太郎氏。取り扱うのは、『EEL』や『Veritecoeur』、『UNIVERSAL TISSU』といったドメスティックブランドを中心に約20ブランドほど。「人とはちょっと違うものを持ちたい」という洋服好きにはたまらないバッグや革小物などを取り揃える他、オンラインショップの運営も行っています。レジカウンターの背後には、磐梯山(ばんだいさん)の威容がドドン。日本広しといえど、ここまでの借景を持つセレクトショップはなかなかないのではないでしょうか。

▶詳細は、NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/南会津の一年を密着取材! 春夏秋冬を作家と巡り、若き力を発掘する旅へ。

明るい店内。「昔の店は相当入りづらかったので、ファッションに一家言ある猛者が集まってきました(笑)」

レトロな赤いタイルとともに短いピースを組み合わせたフローリングもパチンコ店時代の名残。

レジカウンターの頭上にはユーカリのドライフラワー。会津若松市内のフラワーショップで購入したもの。

洋服を物色中、ふと顔をあげると磐梯山が。一瞬、どこにいるのか分からなくなってしまいそうに。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ勝負をかけた西海岸買いつけツアー。

実は18歳から30歳まで東京にいたという鈴木氏。「一時はスタイリストを目指していて、バンタンのファッションスタイリング科に通いながらアシスタントをやっていたんです。そっちの道は卒業する頃には諦めましたが、隣にバイヤー科って所があって、最後の1年ぐらいはずっと『そっちにすれば良かった』と思っていたんです(笑)」と鈴木氏は話します。その後、とにかくお金を貯めようと某企業に就職。2年ほど経ったある日、東日本大震災が起こりました。「当時、代々木にあった勤務先にバイクで向かっていたんです。原宿を通りかかった時、クレープを食べながら楽しそうに歩いている女の子たちを見て、自分との温度差に『ここにはいられないな』と思ったんです」と鈴木氏は続けます。すぐに本籍を会津若松にした鈴木氏ですが、その前にやっておきたいことがありました。

「もともと、海外に興味があり、商品の目利きにも自信があったんです。それで、自己資金で買いつけをしたらどのぐらい商品が捌(さば)けるか試してみようと2ヵ月ぐらい西海岸を回りました」と鈴木氏は話します。クレジットカードの限度枠いっぱいの300万円で買いつけを行い、知人のツテをたどって、当時、外苑前にあったセレクトショップに商品を卸しました。鈴木氏は、「そうこうしているうちに、ウチの姉から『会津若松に美容院を出すから内装をやってくれ』と頼まれたんです。実は高校生の時、バイトで大工をやっていたもので。で、見つけた物件が2階建てで広かったのと、アメリカで買いつけた商品の在庫が結構あったので、『だったら、ここで販売しちゃおうか』という話に」と言います。初めて自分の店ができたわけですが、買いつけた商品には限りがありました。「そこで、もともと知り合いだったメーカーさんやアシスタント時代のコネでいくつかのドメスティックブランドに声をかけて、いろんな商品を扱うようになったんです。姉の店が『CHANTILLY』という名前で今もあるんですけど、郵便物とかまぎらわしくならないようにしようって話になって、店名を『CHANTILLY-2F』にしたんです」と鈴木氏。

2013年には猪苗代の今の場所を知るとともに『TARO CAFÉ』オーナーの山田氏との出会いがありました。その後、ご厚意で何度かポップアップイベントを開催。大盛況でイベントを終えた後にスタッフを増員し、本格的にこの場所にショップを構えて4年目となります。「最初は正直迷いました。洋服業界では単価の高い冬に稼ぐという考え方が一般的なんですが、冬の猪苗代は会津若松以上に雪がすごい。平気でクルマ2台分積もるんです。でも、考え方を変えれば、春夏秋に稼いで、冬はゆっくり営業するお店作りをすればいいんですよね。聞くと、周りの皆さんもそうしていらっしゃるようです」と鈴木氏は話します。

柔らかな物腰での接客に定評があるスタッフの丹野清美氏。『EEL』のモヘアカーディガンに『AU GARCONS』のスカートを合わせて。

『EEL』のモヘアカーディガンにデニムを合わせているのはスタッフの坂内俊之氏。お二方ともここに勤める以前は洋服屋での接客経験はなかったのだとか。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフセレクト基準は着たいもので、買えるもの。

『CHANTILLY-2F』のセレクト基準はとてもシンプル。「いい洋服であることは当たり前で、作っている人に惚れこまないと、お客さんに売ることはできません。例えば、メンズだと『EEL』。ここは洋服への向き合い方や考え方、全てが尊敬できるブランドさん。昔から客として五本木の店にお邪魔していたこともあり、『いつか取り扱いできたら』と思っていたんです。ただ、ブランドと契約する時はメーカーによって1シーズン何百万みたいな条件があるんですね。お店をひとりでやっていた頃は、そこをクリアするのが厳しくて。一度ご相談におうかがいしたら、『鈴木さんに賭けます。一緒に成長していきましょう』と言ってくださって……。そういうことがあるとつい仕入れも多くなってしまいます(笑)」と鈴木氏は話します。

新規のブランドを増やすより、そうやってじっくり関係を築いていきたいと語る鈴木氏。「店を立ち上げた当初は展示会に行っても誰もついてくれないし、名刺を交換しても『どこの店? 福島!?』みたいな反応をされたこともあります。それが本当に悔しくて(笑)」と鈴木氏は振り返ります。そこから発奮し、時間と実績を重ねてきました。「今では『ここの裾をもう少し長くしてもらえますか?』『このTシャツの長袖バージョンは作れますか?』といった別に注も応えて頂ける所が増えてきました。ありがたいことです」と鈴木氏は話します。

話をおうかがいしていると、一つひとつのブランドとの付き合いに物語がありました。時には、来店したお客様に「かわいい洋服ですね。それはどこの服ですか?」と声をかけ、実際にその服を買ってみることも。そこでシルエットや洗い上がりなどを見て、最終的に取り扱うかどうかを決めているそうです。「世の中にはいい洋服がいっぱいあります。だけど、この土地から浮いていたり、高価すぎたりすると、お客さんも買いにくいですよね。チャレンジはしたいですけど、この土地で着ても違和感がないか、この土地の感覚で買えるものかどうか、そのさじ加減が腕の見せ所だと思います」と鈴木氏は語ります。

『TOOLS』の人気定番アイテム「BIG DAYPAC」を光沢のあるバリスティックナイロンで仕上げた『CHANTILLY-2F』5周年記念特別エディションのデイパック。

ソフトな風合いのウォレットやたっぷりしたマチのトートなど上質な暮らしに溶け込むアイテムが並ぶ。

ナチュラルな色味のアイテムを取り揃えている。鮮やかなブルーや黄色は『Veritecoeur』のもの。

英国王室にも愛されたウィリアム・モリス。彼がデザインしたファブリックを使った丸みのあるハットは『THE SUPERIOR LABOR』の別注品。

1900年代の労働者階級の人々をイメージして素材、質実剛健、オールハンドメイドにこだわった『THE SUPERIOR LABOR』のアイテム。

ニュージェネレーションホッピング・シャンティ ニーエフ都心では考えにくいスペシャルな出会い。

ゆくゆくは、地元の伝統工芸品の別注も受けることができたらと考えている鈴木氏。「地元では赤ベコっていうスーパーでも売っているぐらい日常に溶け込んでいるんですけど、昔はその良さに気付かなくて。子供が首を揺らして遊んでいるのを見て、初めていろんな所で意識して見るようになったんです。そうすると、かわいいヤツとか味のあるヤツとか顔つきが違うんですよね。自分好みの顔もわかってきたので、今までにない色の赤ベコを作れたらと計画中です」と鈴木氏は言います。南には猪苗代湖、北には磐梯山がそびえ、近隣には野口英世記念館や皇族の別荘だった天鏡閣といった観光施設も。見所満載なロケーションにある『CHANTILLY-2F』が、今後は定番のお土産を買うスポットとしても機能するかもしれません。

営業中に取材をさせて頂いたこともあり、いろんなお客様と触れ合うことができました。中学生の息子さんに「彼女へのプレゼントはここで買えば良かったね」と話しかけるお母さん。オープンから通っているというお兄さん。「友達の運転で初めて来たの」と道中で撮った写メを見せてくれたおばあさん。老若男女を問わず皆さん様々なきっかけでこの空間にアクセスし、思い思いに買い物を楽しんでいます。「ふらりと入ってきたおばあさんが、ゴリゴリのインポートものを『あら、いいわね』と買っていかれることもあるんです。きっと、知っている人が見たら『え!?』ってなりますよね」と鈴木氏は話します。そんな瞬間が最高に面白いという鈴木氏。世代間の分断が進む都心では考えにくい出会いが、ここにはあるようです。

『TARO CAFÉ’』のエントランスが目印。左手に入って『DEN DEN COFFEE』の奥に『CHANTILLY-2F』が。

住所:〒969-3132 福島県耶麻郡猪苗代町堅田入江村前704-3 MAP
電話:0242-23-7764
CHANTILLY-2F HP:http://chantilly-2f.com/?mode=f1

@adidasfun

スペインでは、フットサルは「フットボル・サラ」と呼ばれており、スペイン代表チームは2000年・2004年のFIFAフットサルワールドカップ、2005年のヨーロッパ選手権などで優勝した。 #フットサル #サッカー #ユニフォーム