陶磁器の美術館にて、作品に料理を盛る。17世紀初頭、日本で最初に誕生した磁器、有田焼。
その代表的な柿右衛門様式は、濁手と呼ばれる乳白色の素地に繊細な上絵付けを施します。人間国宝を輩出しながら15代にわたって受け継がれる伝統美は、いつしか鑑賞用のアートとしての評価を高めてきました。いまや美術館に飾られるのがふさわしい柿右衛門の器を、本来の用途である皿として使い、料理を存分に味わえたなら?
そんな夢のような食体験を実現するのが「USEUM SAGA」。
美術館に飾るような佐賀の器で佐賀の美食を堪能するプレミアムなレストランイベントです。
器は有田焼に限りません。伊万里焼、唐津焼、鍋島焼、肥前吉田焼……佐賀県が誇る器の各名産地に目を向け、新旧の名品を厳選します。
2026年3月7日・8日に、第7回目の「USEUM SAGA」が開催されました。
舞台は焼き物専門の美術館である佐賀県立九州陶磁文化館。館内にリニューアルオープンしたばかりの『CAFE USEUM ARITA』です。価値ある陶磁器を保存・展示し、情報発信する焼き物の聖地での開催は、「USEUM SAGA」のコンセプトのユニークさをさらに際立たせます。美術館に“作品を使う”という、それまでにはなかった鑑賞術を加える試みとなるからです。
「USEUM SAGA」は佐賀県内の料理人を軸にした多彩な表現者とのコラボレーションも魅力です。
今回の主役は、佐賀県有田町の無人駅でベジタリアンカフェ『薪の宿から』を営む髙岡盛志郎氏と、東京・六本木のモダンインド料理『NIRVANA New York』のシェフを務める引地翔悟氏です。
髙岡氏は地元の意欲的な農家との結びつきを大切にしながら、野菜本来の滋味を引き出す調理を追求してきた自然派の料理人。一方の引地氏は若くして有名店の料理長を歴任してきた気鋭。2025年からは佐賀県に滞在しながら生産者との交流を続けてきました。
開催の2カ月前、引地氏が『薪の宿から』でコース料理を味わい、顔合わせしたところから準備は急ピッチで進められたといいます。両氏はどのようなコースをつくり上げたのでしょうか?
会場に選ばれたのは、佐賀県立九州陶磁文化館内にある『CAFE USEUM ARITA』。
髙岡盛志郎氏(右)と引地翔悟氏(左)が、それぞれ5品ほどの料理を作り、コースを構成した。
引地氏によるスープ、パニプリ、サモサからコースがスタート。繊細な絵付けの柿右衛門窯と今右衛門窯の器が食卓を華やかに彩る。
髙岡氏の「私の好きな食べ物」はパプリカと初摘み生海苔の握り。シャリには佐賀産イセヒカリと天吹酒造の赤酢を使用。一枚一枚絵柄の異なる皿は太田早紀作。
火入れ方法や処理の異なる大根とカブを組み合わせた髙岡氏作の「なごり雪」。酸味の強い柑橘・ゲンコウのソースと柚子胡椒でいただく。皿は井上萬二窯。
香りと色をめぐるヴィーガンコース。コースのテーマは「香りと色」。
当初、引地氏が長年の研究領域としている「香り」がテーマとして掲げられ、料理に具象化する中で“香りに色を与える”発想が付加されました。料理には香りと色彩をめぐる記憶に関連したタイトルが付けられています。
幕開きを飾ったのは引地氏による前菜3品。
様々な野菜の端切れを煮込んだ出汁と小豆で作ったスープ「春待ち土」と、菜の花のパニプリ「青春のとびら」、ジャガイモと佐賀海苔をサボイキャベツで包んだサモサ「潮騒の丘から」です。柿右衛門窯と今右衛門窯の器が選ばれました。
春が訪れた大地の豊かさを想起させるようなスープ、華やかなインド料理のアミューズが、やや緊張した雰囲気の会場を朗らかなムードへと変えました。
ゲストが前菜を楽しんでいる間に、髙岡氏は全員分の鮨を握ります。
登場したのは「私の好きな食べ物」と題する初摘み生海苔と、中トロの握り鮨……いいえ、マグロではありません。実はこれ、直火でみずみずしく焼き上げたパプリカ。各テーブルからは楽しい驚きの声が上がりました。
今回のコースは、実はヴィーガンの構成です。
髙岡氏は日頃から「身近な食材でグローバルスタンダードをつくる」と表明しており、信教などによる食べ物の制約を受けにくく、世界の多くの人に楽しんでもらえる最大公約数の形としてヴィーガンを追求しています。
2つの海からの多様な魚や貝に恵まれ、良質なブランド牛やブランド豚を産する佐賀ですが、あえて植物性食品のみという大きな縛りを設け、引地氏も賛同しました。
果たして「縛り」という表現が正しいのでしょうか?
北部の山地、南部の山岳地、東部の平野、西部の丘陵地の4つに大別され、それぞれに特徴のある地質が分布する佐賀は、野菜と果物の宝庫。そこへ思う存分集中できるという視点では、可能性は大きく広がります。
引地氏は「僕の現在地」「羅針盤」の 2 品を続けて展開しました。
「僕の現在地」は ナスのペーストをベースに佐賀名産の白石レンコンをメインにしたマサラ。人間国宝・14代今泉今右衛門の皿に盛り付けられました。
作者当人もまさかインド料理は想定しなかったと思われますが、赤銅色の花の絵柄と赤褐色のマサラが穏やかな調和を見せています。
取り組んできたモダンインド料理の本道を行く技法として、引地氏は「料理人としての現在の自分を映すディフェンシブな一皿」と表現しました。
対して続く「羅針盤」を「これまでの自分にはなかった、器との共鳴をとことんまで追求したオフェンシブな一皿」だと送り出しました。イチゴ、ミニトマト、 人参の葉、エディブルフラワーなどをビーツのソースでまとめたシンプルなサラダですが、皿との一体化は見事。「USEUM SAGA」のコンセプトを具象化した一皿と言えるでしょう。
「僕の現在地」は白石レンコンとナスのペーストのマサラ、いわゆるカレー。人間国宝・14代今泉今右衛門と響き合う。
柿右衛門の名品が割り当てられ、引地氏が料理の構想に最も悩んだという一皿「羅針盤」を仕上げる。
イチゴやトマト、ビーツの赤色をベースに野菜による絵付けで、引地氏は柿右衛門にアンサーを送った。
野菜のチカラを、そのままに。引地氏に「今までの自分では絶対にたどり着けない、とんでもない一皿」と言わしめ、美食体験の新基軸を示したのが、髙岡氏による「大地の恵み」です。
自然薯の上にたっぷりのるのは川久保農園の野菜。醤油の搾り粕でシンプルに味付けされています。土物を得意とする中里太郎右衛門窯と弓野窯の器が選ばれました。
川久保農園は有田町の住宅地で自己流の自然農法により野菜やハーブを育てる、料理人からの注目を集める生産者。髙岡氏とは、同氏が主催するファーマーズマーケットに出店してきた盟友です。川久保農園には「ディルを何パック」などの一般的な注文はできません。「春の訪れを予感させる風」といった抽象的なオーダーをし、後日箱に多種多様な野菜が詰まって届く。それが川久保農園の野菜なのです。
今回は、根を張り出したばかりの人参やヒノキの新葉なども含まれています。
力強く育つ素材が持つ苦味やエグ味、渋味など、いわゆるアクも含めて美味しさに昇華させる髙岡流料理の真骨頂です。
「人によっては危険な食べ物だと本能的に身構えるかもしれません。許容度には個人差があるので、自分のセンサーに素直になりながら味わってください」
と髙岡氏は説明します。
食べやすさに重点が置かれて過度な品種改良が進む現代にあって、「人間にとって食べ物とは」と根源的な問いを投げかけるかのようです。
「料理で意識していることは?」と髙岡氏に質問すると、とても不思議な質問をしますねといった表情で答えます。
「意識? 料理人として意識することは何もありません。生産者が生み出す素材を無駄にしないように、恥ずかしくない仕事をするだけです。普段の店でも、このような特別なイベントでもそれは変わらない。ただひたすら無駄にしないため作業の連続です」
その極めてシンプルな思考の源には、生産者への究極のリスペクトがあるのです。
川久保農園の野菜を堪能する髙岡氏による「大地の恵み」。器は中里太郎右衛門窯と弓野窯の陶器が使われた。
髙岡氏による、グリーンアスパラガスとホワイトアスパラガスを甘酒とキヌア味噌のソースでいただく「草原でキャッチボール」。器は川口武亮作。
髙岡氏による「小さな宇宙」は、ジャガイモのニョッキに原木椎茸と白キクラゲ、発酵タモギタケを合わせた一品。皿は照井壮作。
ドリンクの可能性は地方でこそ開く。髙岡氏と引地氏が伸び伸びと自分らしい料理を展開する横で、両氏を盛り立てた陰の立役者がいます。ドリンクメニューを担当した『sagoggio』の新藤桂一郎氏です。
アルコールとノンアルコールのドリンクをそれぞれ8品ほど提供しました。アルコールでは天吹酒造や鳴滝酒造、光武酒造場など佐賀の蔵からの日本酒と焼酎のほか、イタリア・トスカーナ地方産を中心とする造りは小さいながらも良質なワインを厳選しました。
特筆すべきはノンアルコールです。
たとえば、佐賀特産の緑茶を水出しして炭酸充填し、梅の花の香りを移す。イチゴを浸けた水に黒米を発酵させたエキスと佐賀海苔の香りを付けることで、無意識の違和感が生み出す奥行きあるイチゴ水に。奔放なアイデアと高い技術に裏打ちされたドリンクは、いずれも料理の美味しさと楽しさを増幅し、また、単体でも輝きに満ちた作品でした。
新藤氏は話します。
「自分より優れたソムリエは日本に何万人といます。では、私にできることは? 長崎県雲仙市の小浜町という小さな町に移住し、そこから“半径20kmの材料”をコンセプトにドリンクメニュー作りに行っています。半径20kmの生産者、そして自ら山に分け入って採取する木々や草花に限定して構成します。今回は佐賀県の食材に焦点を当てドリンクを構成しました。ドリンクの専門家として地域に根ざして活動する意味。そんなふうに自分らしさの表現ができたら、と考えています」
ドリンクを担当した新藤桂一郎氏は長崎県雲仙市をベースに活動する。
左/佐賀産の紅茶と日南龍茶(リーナンロンチャ)とのブレンド。
中/柑橘の不知火とゴボウ、黒米で作ったカクテル。
右/蕎麦粉とバナナ、蕗それぞれの個性をまとめた一杯は、デザートにもよく合った。
器とは何かと問いかけてくるデザート。ゲストには丸ごとヴィーガンのコースは初体験の方が大半を占めていたように思います。期待と同じくらいに不安もあったことでしょう。
しかし、コースが進んでいくにつれ、それは杞憂だったことがわかります。動物性のタンパク質や脂がなくとも得られる深く豊かな滋味。爽やかな満腹感とも言える充足感。素晴らしい食材と料理人、器が織りなす時の流れにみんなが心を開放し、身を委ねています。
そこへ、意外なデザートがやってきました。
タイトル「今日からあなたは絵付け師さん」の通り、ゲストが皿に絵付けします。照井壮氏の無地の皿に、金柑や紫キャベツ、イチゴで作ったカラフルな絵の具で彩色します。ココナッツの粉や醤油粕をあしらうのも自由です。絵付けした皿に、ゴボウとバナナ、蕎麦粉で作ったケーキと豆乳のアイスクリームをのせて完成。「自分は絵心がないから」と尻込みしていたゲストも、いつの間にか夢中で筆を走らせて笑顔になっています。
皿を自分の唯一無二の、その瞬間だけの作品に仕上げる。
これほど器を意識し、器の重要性を認識する食体験は稀有と言えるでしょう。デザートを食べ終えた後の会場の満ち足りた空気に、髙岡氏、引地氏は共に確かな手応えを感じているようでした。
あくる日から、髙岡氏は『薪の宿から』と『CAFE USEUM ARITA』で、“素材を無駄にしない”取り組みに引き続き没頭します。引地氏は、器を新たな研究のテーマに据え、佐賀に拠点を置いた活動を開始する予定です。
「髙岡さんといい、川久保さんといい、東京では絶対にできないプロの仕事をさらりとやっている。素晴らしい食材があって、器があるし、お茶もある。佐賀はおもしろすぎる」
引地氏が漏らした一言が印象的でした。
デザートは照井壮作の皿に、食用の特製絵の具で自由に絵付けするところから始まる。
思い思いに仕上げた皿で味わうデザートは格別の味わいとなる。
デザートの絵付け作業で、会場には一体感が生まれ、和やかな空気に満たされた。
器へのユニークなアプローチを通じて、美食を楽しむことの新たな可能性が示された。
1977年佐賀県佐賀市生まれ。調理師専門学校卒業後、名古屋の料亭で修業を開始。カリフォルニアに渡り、鮨と割烹で腕を磨く。「Chez Panisse」での研修などを経て、佐賀市に『TIMER CALIFORNIA KITCHEN』をオープン。有田町に移住し、オーガニックな薪料理を提供する『TIMERの宿』を運営しながら、地域の生産者たちとファーマーズマーケットを開催。2022年にベジタリアンカフェ『薪の宿から』をオープン。2026年から美しい器でヴィーガン料理を提供する『九州陶磁文化館 CAFE USEUM ARITA』を手掛ける。
1991年東京都生まれ。大学で認知心理学を専攻し、香りと色彩が人の感覚や記憶に与える影響について研究。在学中にイタリア料理店で働き始め、大学卒業後は、『Oregon Bar & Grill』でフレンチの技法と炭火を学び、『Alexander’s Steakhouse Tokyo』では熟成や火入れの技術を習得。東京駅『anclár』の料理長に就任し、日本の食材とスペイン料理の融合を探求。六本木『NIRVANA New York』に参加。モダンインディアンの技法に日本の感性を重ね、わずか1年でシェフに就任。2026年から有田町での活動開始を予定する。
Photograph:HIDEKI MIZUTA
Text:TAKASHI WATANABE