人々が憧れ、集まり、文化を深めていく。コーヒーの聖地を津軽のこの土地へ。[TSUGARU Le Bon Marché・白神焙煎舎/青森県中津軽郡]

30kgのコーヒー豆を炭火で焼くことができるフジローヤル製の大型ロースター。焙煎中はコーヒーの豊かな香りが店内に漂います。工房はガラス張りでオープン。中の様子を自由に眺めることができます。

津軽ボンマルシェ世界自然遺産の玄関口で味わう、一杯のコーヒー。

津軽富士と呼ばれる岩木山の麓にあり、白神山地の玄関口である中津軽郡西目屋村。弘前の街中からは車で30分弱、約1500人という青森県でも最も人口の少ない村であり、世界自然遺産に認定された広大なブナの原生林はすぐ目の前。水源の里と謳われるほどにきれいな水が豊富に流れる、自然に恵まれた地域です。まわりはりんご畑も多く、まるで絵本の中にいるような里山の風景が続く車窓を眺めていると、町の中心ともいうべき施設「道の駅津軽白神 Beechにしめや」に到着しました。近くには村役場や郵便局などが点在し、住民の生活の拠点であると同時に、世界中から観光客が訪れ、エコツーリズムや各種アクティビティ体験ツアーの案内を行う観光情報施設として賑わっています。建物内には、以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した『GARUTSU』の2ヵ所目の醸造所である『白神ワイナリー』や、屋上で養蜂を行なっている蜂蜜専門店『BeFavo(ビファーボ)』、ダムマニアに人気の「津軽ダムカレー」が食べられるレストラン『森のドア』などが入っており、道の駅としてはかなり個性的。そして『白神焙煎舎』も同じ建物内の一角にあります。

キリッと黒で統一された店内は、コーヒーの良い香りに包まれ、旅人から仕事の合間のビジネスマン、地元のおじいちゃんおばあちゃんまで、幅広い層の人々がコーヒーを買いに訪れます。店の奥には広い焙煎工房があり、若い男性が興味津々でガラス越しに作業の様子を覗いていることも。誰もが自然と吸い寄せられ、ほっと寛いだ空気に癒される、コーヒーには言葉にできない不思議な魔法が備わっていることは、すでにご承知の通りだと思いますが、この土地には何かそれ以上の神がかったような強い吸引力が感じられるのです。その秘密は一体何なのか?まずは津軽におけるコーヒーの歴史と文化を紐解いてみましょう。

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モダンで落ち着いた雰囲気の白神焙煎舎店内。賑やかで活気ある道の駅の建物内で、この一角だけが一味違うオーラを放っています。道の駅に焙煎施設があるというのも珍しいです。

店の入り口に設置された、ダッチコーヒー(水出しコーヒー)メーカー。白神山地のまろやかな水をポタポタと半日かけて落とす、この地ならではのコーヒーです。その場に立ち止まり、じっと様子を見つめているお客さんも多いとか。

コーヒーを入れるパッケージもユニーク。代表の成田志穂さんがアメリカ西海岸で見つけた、チャイニーズレストランのテイクアウト用パッケージをヒントにデザインしてもらったそうです。

津軽ボンマルシェ江戸時代から続く、津軽のコーヒー文化を受け継いで。

津軽のコーヒーの歴史は江戸時代まで遡ります。およそ200年前、幕府より命を受け、北方警備のため蝦夷地(北海道)へ赴いた津軽潘兵は、冬の厳しい寒さの中で栄養不足になり、当時は不治の病だった浮腫病にかかって多くの人が亡くなりました。そこで、予防薬として配給されたのがコーヒーだったのです。1803年(享和3年)に蘭学医の広川獬が著した「蘭療法」には、浮腫病に対してコーヒーに薬効があることが記されています。コーヒーが最初に伝わったのは長崎の出島といわれていますが、当時飲むことができたのは一部の特権階級のみ。津軽潘兵は農民や漁師の出身も多かったそうで、一般庶民として最初にコーヒーを飲んだのはおそらく津軽の人々だったのではないでしょうか。

現在、弘前の街中には個人経営の小さな喫茶店が多く、コーヒーの街と呼ばれています。津軽出身の文豪・太宰治がよく通っていたという歴史ある喫茶店も当時の面影を残しつつ、営業を続けています。街の人々と共に長い年月をかけて育まれてきたコーヒー文化。その担い手の一人ともいえるのが、1975年に創業した「弘前コーヒースクール」の代表、成田専蔵氏です。店舗・成田専蔵珈琲店を営む傍ら、コーヒーの歴史を自ら研究し、津軽潘兵が飲んでいたコーヒーを再現。弘前市内のいくつかの喫茶店で飲めるように働きかけ、広めました。同市内の喫茶店を巡るスタンプラリーを考案したり、コーヒーに携わる人々の知識や技術向上のためにスクールやライセンスを設けたりと、コーヒーを通じた地域振興に関わる活動を長年精力的に行ってきました。その功労を讃えて、2018年には日本コーヒー文化学会より、第1回文化学会賞を受賞しています。

白神焙煎舎は、成田専蔵氏の思いを受け継ぎ、さらに新しい一歩を踏み出した珈琲施設。代表を務めるのは娘である成田志穂さんです。子供の頃からコーヒーに親しんできたのかと思いきや、大きくなるまで、父親が何をして働いているのかよく知らなかったそうです。
「ある時は使えないクズ豆を大量に持って帰ってきて、家の裏にある畑に撒いていましたから、子供の頃は何か肥料を作る人だと思っていました(笑)。家に篭って文章を書いて、それが新聞に掲載されたり、講演や調査で全国を旅したり、いろんな人に先生って呼ばれていたり。不思議な仕事だなあと思っていて。父の仕事をちゃんと意識するようになったのは、もう少し大人になってからです。自宅の隣に店ができてアルバイトを始めて、だんだんと自分もコーヒーの勉強をするようになりました。大学は英文科でしたから、通訳として父に付いてブラジルやバリ島にコーヒーの視察に行ったりしました」
志穂さんがいつも見ていたのは、なにやら楽しそうな父の姿。コーヒーに携わっていると海外に行けて、いろんな人の繋がりができ、ワクワクするような面白い経験ができる。なんて魅力的な仕事なんだろう、と思っていたそうです。大学を卒業し、ワーキングホリデーでカナダ・バンクーバーに滞在すると、アメリカ西海岸はサードウェーブの新しいコーヒーカルチャーが盛り上がってきたときで、そこから近いバンクーバーもまさに影響を受けていました。エスプレッソ、ラテアートなどは、当時まだ日本でやっているところは少なく、志穂さんの目にはおしゃれな最先端の飲み方に映ったのです。コーヒーへの価値観もガラリと変わりました。その後は自然な流れで父の会社へ入社し、コーヒーに没頭する人生が始まりました。

世界各国からやってきた、コーヒーの生豆の入った麻袋が積み上がるバックヤード。ちなみにブルーマウンテンだけは木樽に詰めて送られて来るそうで、店内のディスプレイにも使われています。

普段は物腰柔らかな志穂さんですが、コーヒーと向き合う時の表情は真剣。ハリオのガラス製ドリッパーを使い、ハンドドリップで淹れています。

ドリップされた豆が膨らみ、ふわりと香りが広がる、至福のひととき。

定番の「白神焙煎炭焼珈琲」。香り豊かでまろやかな、すっきりとした味わい。志穂さんはこの土地のテロワールを大切にし、“西目屋らしい味”を常に意識しています。

津軽ボンマルシェ西目屋村の炭焼きを復活。りんごの剪定枝を炭にしてコーヒーを焙煎。

津軽のコーヒー文化を長らく牽引してきた成田親子。しかし、二人の兼ねてからの願いは、その歩みをさらに一歩深いところへ踏み込み、しっかりと根を張って広げて行けるような場を整えることでした。自分たちのやりたいこと、コーヒー文化の根源を表現できるような場所を、ずっと前から探していたそうです。縁あって巡り合った西目屋村は、彼らにとって理想郷ともいえる、驚くほど環境に恵まれた土地でした。
「コーヒーに最も大切な、きれいな水と空気が得られるこの環境は申し分ありません。この土地に誇りと愛情を持ち、大らかでオープンな西目屋の人々にも助けられました。さらにこの村はかつて炭を作っていた歴史があり、それはコーヒーの焙煎に適していたのです」と志穂さん。
西目屋村は「目屋炭」と呼ばれる、青森県内有数の炭の生産地として栄えた歴史があります。山間地域では昔は農作物を育てることが難しく、住民のほとんどは炭を焼いて生計を立てていました。白神山地の山の中には炭焼き小屋が点在し、できた炭は街へ運んで売られました。この地域の伝統工芸品である「目屋人形」は、ほっかむりをした野良着姿の女性が背中に炭俵を背負っており、当時の様子を窺い知ることができます。昭和の初め頃までは実際にそのような女性を見かけることも多く、彼らは車も通れない細く険しい山道を何時間も歩き、せっせと炭を運んでいたそうです。

2019年、白神焙煎舎は山の中に自社で運営する炭製造施設「白神炭工房 炭蔵」を設立しました。実際に現地を訪れると、山の斜面に赤い三角屋根の建物が建っています。中は学校の体育館かと思うほど広々としており、半年以上かけて作ったという大きな炭窯がどんと鎮座していました。窯で炭を焼く時は、専門の職人が一週間から10日、近くに寝泊まりしながらずっと火の番をするそうです。岩木山の周りにはりんご畑がたくさんあり、剪定などで不要になるりんごの木の枝が大量にありました。それらを有効活用し、炭として資源を甦らせています。
「りんごの木は硬質なため、炭にすると火持ちが良く、炎も熱量も安定します。欧米では昔から、お客様がいらしたときの特別な炭として、暖炉を焚くために使われていました。りんごの木炭の性質はコーヒーにも適しており、爆ぜにくいので豆が焦げることなく、柔らかな炎で芯までじわじわ火を通し、ふっくらと焼きあがります」
白神焙煎舎では、この道30年以上の熟練の職人が炭火を操って焙煎。その豆で淹れた「白神焙煎炭焼珈琲」は、この土地でなければ味わえない、唯一無二のコーヒーとなったのです。

白神焙煎舎から車でさらに10分ほど行った、山奥にある炭製造施設「白神炭工房 炭蔵」。冬はすっぽりと雪に覆われ、辿り着くのも困難。すぐ近くには津軽ダムがあります。

炭焼き小屋内部。1回で5トン焼けるという巨大な炭窯。窯を作れる職人は現在一人しかおらず、津軽の「やってまれ(やってしまえ)」精神で、作っているうちにどんどん大きくなってしまったそうです。

りんごの剪定枝で作られた炭。りんごの木炭はアウトドアやバーベキュー用などでも人気が高く、販売するとあっという間に売れてしまうそうです。

津軽ボンマルシェ津軽の風土を丸ごと味わえる、西目屋村をコーヒーの聖地に。

白神焙煎舎で特にやりたかったことの一つが「コーヒースタジオ」。専蔵氏の兼ねてからの念願でもありました。コーヒーの淹れ方のコツや焙煎の仕方を気軽に学べ、本物の味を知ることができる体験講座です。実際の講座ではプロが試作用に使う小型ロースターを1人1台使い、自分でりんごの炭を詰め、機械を操作して豆を焙煎するなど、かなり本格的。「弘前コーヒースクール」でコーヒーを学び、資格を取得した、専蔵氏の弟子といえる人々が講師を務めています。機械をパソコンに繋ぎ、データも残せるので、将来喫茶店をやりたい人が本気の姿勢で学びに来ることもあるそうです。海外から来た人が珍しがって動画撮影していることも。
「父曰く、コーヒーはそもそも欧米では、家庭に焙煎用の調理器具があって、自分で豆を焙煎することが普通だったようです。味噌汁みたいに各家庭の味があったのです。日本では、既に焙煎された豆を買うことが常識のようになっていますが、もっと根本のところからコーヒーに親しんでいないと、本当の文化は育たないというのです」

成田親子がこの先何十年後かに夢見ている壮大なプログラムは、西目屋村をコーヒーの聖地にすること。この村では家庭でも普通に美味しいコーヒーの淹れ方を心得ていたり、自分で焙煎ができたり、日常的なコーヒーの文化度が圧倒的に高い地域として、地元が誇りを持ち、コーヒー好きな人々が憧れ、各地から訪れ、多くの人が集まってくれるような場所に育てていきたい。そして、この土地の歴史と文化が溶け込み、醸成され、風土を丸ごと味わえるような独自のコーヒーの味が創られていくことを見届けたい。
「西目屋村に昔からあった炭作りに学び、津軽を代表する果物であるりんごの剪定枝で炭を作って豆を焙煎し、世界自然遺産として知られる白神山地の清らかな水で淹れる。どれもこの地でなければできないことであり、コーヒーに欠かせない要素であり、自信を持って語り伝えたいストーリーです。その価値が自然に地域に浸透し、『西目屋はどこで飲んでもコーヒーが美味しいな』とか、『ここに住んでいるおばあちゃんはコーヒー淹れるのがうまいよね』なんて言われるようになったら嬉しい」
いつもの日常の中に、上質なコーヒーが当たり前のようにあり、それがこの地で出会うみんなの幸せに繋がる。そんな世界を目指して一歩一歩進んでいきたい、と語る志穂さん。脈々と続く土地の歴史と豊かな大自然、そして西目屋村の人々の温かな郷土愛が丸ごと抽出された一杯のコーヒーは、きっと大切な贈り物をいただいたような、忘れられない味になることでしょう。

炭焼き焙煎体験用のロースターは3台。各機械には「SHIRAKAMI」、「KUMAGERA」、「ANMON」(暗門の滝から命名)と名前が付いており、それぞれ性格が違うといいます。志穂さんは「この子はね…」と我が子のように愛情と親しみを込めて話します。

住所:〒036-1411 青森県中津軽郡西目屋村大字田代神田219-1 MAP
https://shirakami-roast.jp

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社